★三木元首相「自民出て総選挙」示唆 疑獄事件で米に密使
戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件への対応をめぐり、1976年春、
当時の三木武夫首相が外交評論家の平沢和重氏を密使に指名して、
キッシンジャー米国務長官と交渉させていたことが、このほど秘密指定が解除された米政府の内部文書でわかった。
三木首相は、日本政府・与党の幹部が事件に関与しているかどうか内密で確認を求め、
回答次第では自民党を割って総選挙に打って出る可能性を伝えていた。
日米関係の裏面史がまた一つ明らかになった。
ロ事件は76年2月4日に米議会で明るみに出たが、ロ社のカネを受け取った政府高官の名前は伏せられていた。
日本では真相解明を求める声が高まり、三木首相は同月24日、フォード米大統領に、
疑惑に関する全資料の提供を求める親書を送った。
その2日後、米政府・国家安全保障会議のピーター・ロッドマン氏に、
若泉敬(けい)・京都産業大学教授から電話があった。ロッドマン氏の報告文書によれば、
若泉氏は「三木首相がキッシンジャー長官との秘密会談にあたらせるため、平沢氏を『個人的な秘密代理人』に指名した」と伝えた。
平沢氏は外交官やNHK解説委員を歴任し、三木氏の外交ブレーンだった。
若泉氏は沖縄返還交渉などで佐藤栄作首相の密使を務めた人物で、その後も米政府と連絡を保っていた。
平沢氏とキッシンジャー氏は3月5日、ワシントンで極秘に会い、大統領の返書について話し合った。
国務省の記録によれば、米側は資料提供の条件として「秘密扱い」を求め、平沢氏の同意を得た。
両者で返書の文案を検討し、表現をいくつか削除した。
返書は3月12日に日本に届いた。
両政府は、米国が資料を秘密扱いで日本の検察に渡すことで、同月23日に合意。
捜査や訴訟にのみ使うのが条件で、「法執行の責任を有しない政府機関に開示されてはならない」と規定された。
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資料が届く前の4月上旬、平沢氏はロッドマン氏に電話し、三木首相からキッシンジャー氏へのメッセージを伝えた。
「元首相、現職閣僚、与党幹事長のだれかが事件に関与しているかどうか極秘・緊急に知りたい」という内容。
この際、平沢氏は「米側の返答次第では、三木首相は無党派の改革案を掲げ、
内閣からも党執行部からも離れて国民の信を問うという、前例のない選択肢を実行に移すだろう」と述べた。
しかし、米側は4月10日、「日本政府と最近合意した手続きによらなければならない」として、要請を断った。
結果的に三木首相は衆院を解散せず、76年末に退陣。88年に死去した。(奥山俊宏)
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