1 :
sek ◆inter/GWwg @sek漬けφ ★:
「邪馬台国近江説」。センセーショナルな内容の同名の本が2冊、相次いで出版された。
いずれも、守山市伊勢町の集落遺跡「伊勢遺跡」に女王・卑弥呼がいたと結論。
纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の調査の進展に伴い定説化しつつある「邪馬台国大和説」に、一石を投じている。
伊勢遺跡は、最盛期の弥生時代後期(1〜2世紀)には吉野ケ里遺跡(佐賀県)、
唐古・鍵遺跡(奈良県)と並び国内最大級の規模を誇った。守山市教委が81年から発掘調査を続けている。
この遺跡こそ邪馬台国だったとして、「邪馬台国近江説 纒向遺跡『箸墓=卑弥呼の墓』説への疑問」
(サンライズ出版)を出したのは、フリー編集者の後藤聡一さん(52)=東京都。
01年末の新発見の報道がきっかけで興味を持ったという。遺跡の規模や建物の特殊性などから
「卑弥呼の時代の邪馬台国の首都は伊勢遺跡だった」と推定。
邪馬台国は3世紀末の「神武東征」によって滅び、その後、大和王権が樹立されたと説く。
一方、「邪馬台国近江説 古代近江の点と線」(幻冬舎ルネッサンス)を自費出版したのは、
古代史研究家でキャリアコンサルタントの沢井良介さん(64)=守山市。
三十数年前に伊勢遺跡の近くに転居し、その存在を知った。大手メーカーを定年退職後、
体調を崩し入院したのを機に執筆を開始。銅鐸の分布や形状などから「近江南部が近畿の中心だった」とし、
「伊勢遺跡にいた卑弥呼が周囲から共立され、大和に基盤を移した」と結論づけた。
タイトルや出版時期の一致は全くの偶然。説の内容こそ違えど、
「伊勢遺跡の再評価につながれば」との思いも共通する。
沢井さんは「遺跡は今、訪れる人もいない。近くに住む者としての義務感から筆をとった」。
遺跡周辺で開発が進む現状を懸念する後藤さんは、同名の2冊が書店に並ぶことに
「話題になればありがたい」と話している。
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20100305ddlk25040394000c.html
え?
3 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:00:29 ID:jxG5t4Xx0
4 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:00:35 ID:iSLBejY/0
またか、もういいって
5 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:00:58 ID:8B+38I0D0
邪馬台国群馬説
6 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:01:29 ID:RuaLgjOU0
倭国九州説
7 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:01:41 ID:BSPOgXhY0
ひこねのよいにゃんこ、の出版社ですね。
8 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:02:13 ID:FJCKpsOWO
邪馬台国なら、オレの隣で寝てるよ
卑弥呼「えっ」
10 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:02:29 ID:oTbywM4q0
邪馬台国は韓国の領土ニダ
もうね、どこでも良いよ。
邪馬台国は畿内で天皇家のルーツは華南→九州だとロマン
滋賀県民として恥ずかしいから止めてくれ
14 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:04:03 ID:WM8EnYGW0
古代史遺跡には発掘後施設を整備しても人が行かない件
15 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:04:36 ID:hJJieIwQ0
立て続けに滋賀スレ立ってる
こわい
16 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:04:38 ID:jxG5t4Xx0
17 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:04:42 ID:j2/GRMP60
無理ありすぎ
邪馬台国 樺太説
俺も滋賀県民だが、確かに湖東には古墳は沢山あって有力な豪族がいたとはされてる
だが邪馬台国はないわ
20 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:06:18 ID:35KfI+Ys0
邪馬台国伊豆半島説を唱えていた湯ヶ島だか天城のジジイがテレビに出ていたな。
そのジジイは天城だか湯ヶ島に卑弥呼の墓もあるっていうからテレビ局のクルーが
ジジイと一緒に卑弥呼の墓がある山中まで行くわけですね。
で、ジジイは、単なる岩の凹みたいな場所を「ここが卑弥呼の墓です」って言うわけ。
テレビ局の人が「何でここが卑弥呼の墓だってわかるのか?」と質問すると
ジジイは「ここにあったらいいなぁ〜と思う。村おこしになるし」って言いました。
マキムク以外はインチキでしょう。
琵琶湖ってもしかして
22 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:07:00 ID:jxG5t4Xx0
>>13 伊勢遺跡と邪馬台国との関係性は弱そうだけど、
伊勢遺跡そのものの宗教的・建築的・歴史的な価値は大きいよ。
卑弥呼「今週は何処かしら?」
侍従長「今週は奈良で御座います。来週は北海道など如何でしょう?」
卑弥呼「よしなに」
ここだけの内緒だけど実は淡路島が邪馬台国
25 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:09:37 ID:TJO31gnAO
邪馬台国はアフリカとか言ってた人居たな
26 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:10:08 ID:TSey1q0g0
琵琶湖の真中に邪馬台国が沈んでるんですね
解ります
27 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:10:23 ID:n3PrlhvO0
どこでもいいけど 今度から何か残そうねw
邪魔大王国
29 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:10:59 ID:35KfI+Ys0
既に卑弥呼は韓国女性とかいう内容の小説を
韓国人が出していたなw
30 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:12:15 ID:qTVmJvk9O
邪馬台国の場所が特定されたら、何か影響あんの?
鏃の数からすると、この時代九州が一番の激戦地だったらしい
32 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:13:41 ID:Fz5CDknp0
>>24 淡路島は天岩船。皇国の危機には不沈空母として出撃して敵を殲滅する。
日米決戦の時に出撃しようとしたが、紀伊水道で突っかえて身動き取れなかった。
34 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:15:43 ID:5ZMIX2Rb0
みんな魏志倭人伝の記述をもとに邪馬台国の場所を推測してるけど
魏志倭人伝が当時の歴史ヲタクが妄想で書いた同人誌だったらどうしよう
35 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:16:06 ID:qlYJ7fRU0
どこだっていいよ
町興しったって、邪馬台国にそんな魅力ねえよ
卑弥呼っていう名前がヘンだから皆知ってるんだ
36 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:16:08 ID:G3u51m330
邪馬台国日本列島説でおk。
37 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:16:15 ID:XJjsazR60
だからアレは中国の捏造だと・・・
六角大王スレか
仮に近江が邪馬台国でなかったにしても
近江は弥生時代から琵琶湖、日本海の水運業を背景に経済の中心として機能していたのかも知れんな
40 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:18:07 ID:qTVmJvk9O
結局のとこ、どこだっていいんだなw
こんなのに真剣になってる歴史学者って…
まぁ、実際は何処にも無かったと思うよ。
42 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:19:24 ID:0R/LxBtI0
ま、当時は道も整備されていないし、どこにたどり着いても邪馬台国だったんだよ。
もう日本全体が邪馬台国って事でいいんじゃね?
44 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:21:15 ID:YciHKfKV0
邪馬台国は岩手の八幡平だって言ってるだろ
本当は47個所にありました>邪馬台国
それが今の都道府県の礎です。
卑弥呼は各所に一人いたので合計47人です。
それが今の知事の始まりです。
そういうことにしておけばいいよ。
46 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:22:57 ID:KQkHoZykO
田舎のボケたおっさんの戯言だな・・・・畿内でもない
印鑑は北九州に埋まってると思う
47 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:23:44 ID:FYBcir+l0
>>33 この遺跡は「まちおこし」というレベルどころではなく
相〜当悲しい状態にあるみたいだヨw
邪馬台国近江説は、どちらかというと「弔辞」に近いかも↓
>沢井さんは「遺跡は今、訪れる人もいない。近くに住む者としての義務感から筆をとった」
卑呼にゃん
49 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:24:22 ID:Fz5CDknp0
邪馬台国以前に滋賀県がどこにあるのか不明な大多数
50 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:24:31 ID:380EsHBp0
邪馬台国武蔵大和説
51 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:24:54 ID:yzyDkH3UO
卑弥呼は天皇だよ
◆ヤマト国
53 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:25:23 ID:YciHKfKV0
54 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:25:34 ID:jxG5t4Xx0
またゆるキャラで儲ける気か
56 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:26:55 ID:3ue8+NdV0
そもそも邪馬台国自体が
魏に降った劉禅が酔っ払って魏史にイタズラで書き加えたもの説。
57 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:27:21 ID:KQkHoZykO
守山住人は金持ち多いから暇潰しがてらでまながしてんじゃない?
58 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:28:35 ID:N5zL+7b70
邪馬台国は、シナの記録に残ったから過大評価されてるだけ。同時代に有力な
国が、邪馬台国の他に存在してもおかしくはない。
59 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:29:29 ID:tuNyEsgf0
邪馬台国蝦夷説まで浮上するのか?www
邪馬台国って今の朝鮮半島だろ?
61 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:30:34 ID:YciHKfKV0
シンガポール説ってのもみたことあるなw
62 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:30:49 ID:RNbyH1IZ0
魏志偽史アンアン伝
63 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:31:05 ID:oerAVKjR0
滋賀県にあったのなら琵琶湖のこと書きそうな気がするが
64 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:32:31 ID:yzyDkH3UO
>>53 いや、天皇の祖先だろ
大和朝廷が邪馬台国なんだよ。中国人にはヤマタイと聞こえただけ。
大和朝廷って天皇だしな。
マジレスしてやってんだぞ
65 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:32:53 ID:YciHKfKV0
倭人卑弥呼は韓人に征伐された
そして彼は「天皇」と名乗り倭人を支配した
67 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:34:58 ID:f4ixki510
ホント、邪馬台国論争は尽きないね・・・。
魏から卑弥呼に贈られたの金印でも出土しない限り
決着はつかないだろうね。
邪馬台国って、インドネシアだと思うよ。
69 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:35:38 ID:KQkHoZykO
大和朝廷のわんぱくフリッパーこと蘇我入鹿
滋賀と言えばあのAAが出てくるはず
71 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:36:57 ID:xdSI9bDe0
邪馬台国は、阿波、讃岐、吉備、出雲、近江、伊勢、濃尾の豪族の連合体です。
その各地域に有力な豪族がいたのは間違いない。
72 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:37:31 ID:jxG5t4Xx0
73 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:37:50 ID:KQkHoZykO
疑心倭人伝
,、 _
/ l ヽヽ
,′| ヘ ヽ
l l l ヘ
| l l. l
| ヘ l |
ヘ ヽ / j
ヽ \ , -┬┬、/. /
\ 7 ヽ ヽ_∨
ヽ l . 二 --`ゝ
/ゝ' _.. '-'´ ・ ・ ヽヽ
>>70 呼んだ?
j−'´ | = _人 ~ l 〉
/ ̄ ̄l ノ´
/ ̄ ̄~| _.. ィ‐┐
ゝ──'>ー<二○'´i ̄
`ー┐ l
_」 つ
ゝ───…  ̄
/
⌒ヽ/
75 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:40:04 ID:KQkHoZykO
守山の下之郷にもしょうもない遺跡後がつい最近発見されたよなぁ
76 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:42:14 ID:FYBcir+l0
去年は、邪馬台国岩手説というのがあったw
古代史最大の「米櫃」だった邪馬台国もついにドサ回りに
落ちぶれてたかと、胸が傷みましたよヨ
77 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:42:29 ID:jxG5t4Xx0
やめろ〜www
草津出身だがこれは恥ずかしいわ。
帰帆島の再現集落とか野洲の銅鐸くらいしかねーじゃんw
79 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:42:56 ID:Fz5CDknp0
>>71 簡単な資料くらい読めよw
大乱で疲弊した各地の首長たちが秩序の鎹として選んだのが邪馬台国だ。
選ばれた邪馬台国は最初はむしろ小国だったろう。
80 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:43:54 ID:xdSI9bDe0
81 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:45:28 ID:iwi1PTm60
邪馬台国を誘致するのやめなよ
83 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:46:13 ID:jxG5t4Xx0
ここであえて、邪馬台国ハワイ説を提唱したい!
86 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:53:35 ID:yzyDkH3UO
>>66 それならアレだな
歴代武家政権はすべて天皇の子孫を自称してるから日本国自体が韓国人により作られたことになるな。
87 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:54:00 ID:wSs/JZBa0
さすが大阪の弟分滋賀
88 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:54:29 ID:Tt7lt1XL0
滋賀スレキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
89 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:56:26 ID:KQkHoZykO
守山メロンで町お越しはできるだろ 草津メロンは失敗だろ!
90 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:56:42 ID:BBwoQj6A0
ぜんぶ邪馬かし
古代中国の官僚のいい加減なカラ出張報告書しか無いからこうなる。
国や時代が違っても官僚ってのは、こんなもんだ。
92 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:59:04 ID:FYBcir+l0
>纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の調査の進展に伴い定説化しつつある「邪馬台国大和説」
邪馬台国は既にココで決まっちゃったんで、今は残票整理とゆーか
邪馬台国論閉店直前の「バッタ売り」という状態みたいですよ
93 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 02:59:36 ID:u/mP7aCf0
個人の妄想をいちいち記事で取り上げんでよろしい
94 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:02:12 ID:jugp4JEUO
言い切れる、それはない
95 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:02:20 ID:KQkHoZykO
幻の邪馬台国 って本もただの妄想だわなぁ 島原を杖で指したんだっけ?目が見えないのに・・・・
近江の伊勢遺跡の知識はないが。
しかし近江の国には息長氏と呼ばれる、地方豪族ながら有力な豪族がいた
神功皇后の出身豪族とされる豪族であり。
一説には継体天皇も、この近江の出身との説もある。
これだけ有力な豪族の本拠地だったのだから、大規模な遺跡があっても不思議は無いだろ
97 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:03:45 ID:Fz5CDknp0
>>80 邪馬台国は連合体じゃなくて、連合体の中心だっただけ。
>>92 纒向が邪馬台国(のあった場所)だったら、卑弥呼と天皇家が繋がらなくなる
可能性があるんだけど、誰も気にしてないねぇ。卑弥呼は大国主命の関係者だな。
>>92 残念ながら畿内説にも決定的な根拠が欠けるから
邪馬台国論争は、まだまだ続くでしょう
ま、文字の無い当時の日本だ。そこに決定的な根拠が出る可能性は著しく低いが
もし卑弥呼が魏から賜った金印のような決定的な大発見があれば決まるのだが
99 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:05:35 ID:AbeAwPuk0 BE:1955667375-2BP(101)
言えばいいってもんでもないだろう
100 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:06:59 ID:KQkHoZykO
卑弥呼って占いをして衆を惑わす、ただの詐欺女だよね?
101 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:08:08 ID:xdSI9bDe0
マキムクでけって〜い
少なくとも九州はもうお呼びでない
>>97 垂仁天皇の都は纒向珠城宮
まさに纒向に都が置かれていたわけであり
天皇家と繋がる可能性が高いと思うが。
もっとも邪馬台国が畿内にあったとしても、それが現在の天皇家につながるかどうかは
諸説が分かれるとこですけどね
103 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:10:58 ID:KQkHoZykO
もともと九州にあったけど、引っ越しで畿内へ・・・・その途中印鑑を無くしてしまって奈良から発掘されないとかwww
104 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:15:16 ID:k54PorNs0
朝鮮半島南部説
邪馬台国論争では、九州には魏志倭人伝で書かれたような、環濠をめぐらせて物見やぐらのある遺跡が発見されていたが、
卑弥呼の墓に相当するような巨大古墳は存在しなかった。
一方で畿内には巨大古墳は存在するが、纒向(まきむく)遺跡の発見までは環濠や物見やぐらは発見されなかったからね。
纒向の発見の意味は、まさにここにある
魏志倭人伝の記録にあるものが、畿内で全て揃ったわけだから
一機に畿内説に軍配が上がるようになったのだよ
>>103 畿内から、九州で発見されたような、環濠などが発見されるようになったのだから
九州勢力が纒向直前に畿内に移った可能性は否定できないよ
>>91 壱岐対馬唐津辺りの描写は、正確だし、中国人じゃないと書けないよ。
名前も出てるし、少なくとも九州までは使者は来てるのは確か。
107 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:17:01 ID:Fz5CDknp0
>>102 国譲り(神武東征)で大国主命一族から国を簒奪したわけだからね。
(仮に纒向=邪馬台国として)纒向にあった邪馬台国の上に大和政権の基盤を作った。
徳川の江戸に明治政府が東京を作ったようにさ。
>>107 その場合、根拠地を変えると思うけどね。
京都→江戸みたいに。
天皇家の先祖は、出雲勢力と戦ってるからね。
神話上も、遺跡上も確かだと思うけど。
109 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:21:49 ID:xdSI9bDe0
古墳から言うと、吉備、阿波、讃岐の影響が強いで〜す、マキムクは
オーストラリアだな
111 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:25:47 ID:IJyARja/0
よしよし、俺が真相を教えてやろう。
邪馬台国は長野の諏訪地方にあったんだよ。
根拠はいっさいない。
112 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:26:16 ID:Fz5CDknp0
>>108 出雲族の本拠地は大和。
>>109 大和を追われた建御名方命の一派は四国にも逃げてるから、
順序は不明だけど関係はあるねぇ。順序はわからないけど。
113 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:26:48 ID:FYBcir+l0
>>92 D大が広大な遺跡を既に掘り当てているみたいですよ
遺跡のサイズが全然違うので、完全に決まりみたいです
>>97 倭人伝によれば邪馬台国の統治体制は卑弥呼の弟が摂政のような形で
政治を司っていたようなので、卑弥呼の「弟」が実質、初代天皇に
相当するのではないかという説を聞きました
時代的には初代天皇は応神天皇で、姉が卑弥呼で卑弥呼の墓が箸墓と
考えているようです
ここからは推定ですが、箸墓をどう発掘するかの方向性は去年末ぐらい
には大体決まったように思えるのですが、まあ、どうでしょうか‥?
114 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:28:30 ID:RNbyH1IZ0
実は魏志倭人伝はこれから未来に起こることを書いた
よげんの書だったのです
115 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:29:32 ID:FYBcir+l0
一部自己スレしてしまいました。訂正↓
>>98 D大が広大な遺跡を既に掘り当てているみたいですよ
遺跡のサイズが全然違うので、完全に決まりみたいです
邪馬台国なんて都市伝説だろwwwwww
歴史のないジャップが必死に捏造して作り上げただけwww
>>112 出雲にも遺跡があるから。470本の刀とか。
そもそも出雲神話は出雲じゃないとおかしいし、土地引き?だったか。
大国主の尊の活動もも裏日本が舞台になってる。
118 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:33:52 ID:IJyARja/0
>>115 > D大が広大な遺跡を既に掘り当てているみたいですよ
マジで? 太宰府大が?
119 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:34:13 ID:ToArL6KuO
こ、近江
倭国には卑弥呼はいない
日本にあったのは、末廬国(松浦)、奴国(福岡市)、伊都国(福岡県西区)
不弥国(福岡市東)。
邪馬台国は、松浦から水行10日、陸行1ヶ月だからオーストラリアだね。
一月も歩ける陸地があるのは。
121 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:37:14 ID:xdSI9bDe0
もう倭人伝だと、邪馬台国より、黒歯国、侏儒国、裸国がどこだったかの方に興味があるね
122 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:39:20 ID:FYBcir+l0
>>118 森浩一サンのお弟子さん達が、箸墓一帯に宮殿跡を含めた
膨大な面積の石敷遺構をトレンチしているようです
どこを掘っても石敷遺構が出るそうですよ
倭国は↓
末廬国(松浦)、奴国(福岡市)、伊都国(福岡県西区)
不弥国(福岡市東)
ここから、邪馬台国まで水行10日陸行1月。
日本が、不弥国、投馬国を一生懸命に無視してるのが悲しいね。
124 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:39:52 ID:Fz5CDknp0
>>117 それも順序が逆かも知れないし、あるいはあなたが言ってるように
出雲族も本拠地を「変えた」とは思わない? 最初大和地方を治めてたのは
出雲族だよ。大神神社を拠り所にね。
そこに神武がやって来た。あるいは内乱を起こした。
もう徳島でいいよ。
126 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 03:42:15 ID:MmXwixtZ0
そろそろお腹いっぱいです。
>>124 酒を飲んでるんで記憶が駄目なんだが、
素戔嗚尊は、天から直接出雲に降りてるんだよね。
ニニギノミコトは筑紫だけど。
今の裏日本が表舞台だったと思うよ。
最初の水田遺跡だって、板付という裏側だし。
大三輪神社はむしろ、神だけが、そちらに勧請されてたのかもしれないし。
裏日本の神話が多すぎるよ。
倭国の北岸が釜山のあたりなんだから、倭国は九州を中心とした
連合国家。
で、そこから南に行ったのが邪馬台国。
wiki
卑弥呼に関する「魏志倭人伝」のこの記述から、卑弥呼は呪術を司る巫女(シャーマン)のような人物であり、邪馬壹国は原始的な呪術国家とする見方がある。
どう考えてもアポリニジです。
>>125 何故に徳島?
淡路島なら可能性としてあるかも知れないって調べたら
阿波の可能性も0では無いと思った、何か見つかったの?
魏志倭人伝の、位置を最初は信じるのに。なぜ、後半を無視するのか。
googleマップで普通に南に行けばいいだけなのにw
132 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:03:54 ID:Fz5CDknp0
>>127 >今の裏日本が表舞台だったと思うよ。
そりゃそうだよ。倭人の活動範囲は日本海を中心に半島まで及んでたんだから。
環日本海文化圏だ。というとウザイヒトモドキが沸くから嫌だけど、実際倭人の
テリトリーだったわけだし半島南部は。その向こうには世界(中国)もあった訳だし。
でも日本列島を治めるにはもっと内側に入らなきゃ。
133 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:06:41 ID:+sw2ICin0
今月のヤマタイスレはここですか
134 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:08:04 ID:MmXwixtZ0
もう日本全体が邪馬台国だった。で良いです。
結構近所に巨大な上円下方墳があったりする。
137 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:14:53 ID:aS4PZBQCO
>>131 つまり日本列島は短期間に移動したんだね。
byムー
邪馬台国→シャーマン国→アポリニジはシャーマン。
邪馬台国は釜山にあったのです
141 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:19:18 ID:7Yn28h48O
山田異国
シャーマン大国→邪馬台国だな。オーストラリア大きいし。
説の数だけ邪馬台国があったですべて説明が付く
邪魔大国って昔の人はひどい名前付けるな。
邪馬台国は朝鮮にありました
146 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:22:14 ID:TMFNz7570
俺は邪馬台国北千住説を提唱する
倭国(日本:九州)にいない卑弥呼探しても、見つからないよwww
大和国→ヤマトコク→邪馬台国
姫皇女→ヒメミコ→卑弥呼
邪とか卑とか支那人の差別意識が炸裂してるだけだから
149 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 04:25:40 ID:FYBcir+l0
邪馬台国は近畿(奈良盆地・河内・近江)の豪族の連合体で中心が奈良
この邪馬台国が北陸・丹後・出雲・瀬戸内(吉備など)・北部九州および
伊勢から尾張を治める各地方の豪族間の「商業流通センター」として機能
することで連合国家が形成され、中国北部の魏と貿易したと考えられて
いるようですヨ
>>13 本読んでから言え
まあマキムクだろうけど
やまたいを並び替えるとやいたま
このうちやはノイズだと思われるので除き
さを加える。。。
つまり邪馬台国は(ry
>>148 なんでその差別用語をずっと継承してるんだ?
漢字変えちゃえばいいのに。
松浦から南に7000里行ったところで、シャーマンやってる女が
なんで日本にいるんだ?
しかし狗邪韓国ってwww
当時から狗食ってったんだろうなwwwww
箸墓古墳=卑弥呼の墓っていうのは確実だと思うけどどこに住んでたのかはまだ微妙だよな
156 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:07:25 ID:KaM0Fg3FO
フクオカノコクラニスンデイタ
進化論を信じないアメリカ人みたいに、日本人も卑弥呼は国内に
いたんだって言い続けるのか。
卑弥呼の墓なら3世紀前半だろ
年代的に
箸墓は新しすぎるし
纒向古すぎる
>>144 昔のシナ人は辺境地やそこの人の呼称にワザと蔑んだ字を当てたんだよ。
“卑”弥呼のなんてその典型で、おそらく日本からの使者は日御子か
日神子という意味でヒミコと言ったんだと思う。
161 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:35:53 ID:Mhe9OeJq0
沖縄は沖那和、沖にいる我々というのが語源だと誰も言わないんだよね。
162 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:38:59 ID:IgxYU1nH0
山田家はヤマタイの末裔とのこと
優にいっぺん卑弥呼演らしたったらええねん。
>>159 それ箸墓そのものからではなく
周辺の溝やその外側の堤状の盛土から出土しているものだろ
築造時に盛土をするため周辺の土地を掘り返した際に
出来た穴に古い土器類をまとめて捨てたらその結果になるんじゃない?
164 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:41:11 ID:IgxYU1nH0
ひみこって
陽巫女だる。単純に考えよう。そもそもひめが陽女。
165 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:41:38 ID:pDUn8+oWO
近江説なんてまだ埼玉説を信じるくらい糞説
近江や?
ああ、カーリングでミスショット連発する人か
近江説は華麗に スルー。 ( `・ω・)ノ 三◎
168 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:43:22 ID:IgxYU1nH0
これでまた九州人と近畿人のバトルを見物できるわけですね
>>163 箸墓の調査が許されないから周辺で調査する以外ないんだが・・・
170 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:47:56 ID:IgxYU1nH0
国民の成熟度に応じて墳墓開陳らしいよ。喧嘩が起きるようではだめ。もっとも終戦直後は大開放だったらしい。管理者なし。
171 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:51:11 ID:kJ2uhjIVO
つーか、魏史倭人伝自体どこまで信用出来るんだかと思うこの頃。
日本列島に辿り着くまではまあ大体合ってるとしても、首都的場所に案内する時
用心の為に、わざと最短距離や方角を外す位の知恵はあっただろって希ガス。
>>32 皇族の危機が起きてもまたつっかえるんじゃ・・・
北九州〔佐賀)の人は観光で飯食ってるし必死に反論するんだろうなw
174 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:56:15 ID:IgxYU1nH0
まああれかに
日本の伝統乱交パーティで託宣を得てると中国が調査して
ひどいアル と当て字したのかもな。みなさんも思い当たる。
175 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 05:57:08 ID:Mhe9OeJq0
邪馬台国は読んで字のごとく馬が多い台地なので熊本の阿蘇のあたりだと思うよ。
>>171 魏志倭人伝の正式な名前は三国志魏書東夷伝倭人条だぞ
中国の正史に喧嘩売る気か?
普通にgoogle MAP見ればわかるのに。自分の都合のイイように曲解するんですねw
勾玉→虹蛇(南洋民族)
剣 → ?(朝鮮)
鏡 →中国
この3つの民族が、お互いに住み分けていたのが倭国。
178 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:01:30 ID:OUxOS4LeO
邪馬台国論争は現在西日本新聞に連載中の「倭人伝を読み直す」(森浩一)が決定版。
そもそも倭人伝は東夷伝の一部で全体を最初から読み解かないと意味がない。
すべて納得出来るから読んでみ。
179 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:02:26 ID:IgxYU1nH0
うーん
こういうとき東北人は蚊帳の外だな。侵食癖はいかんよ。ラーメンはちぢれ麺に限る。
180 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:03:16 ID:Mhe9OeJq0
>>178 連載中ってことはまだ結論出てないんだろ。
近畿は観光資源が多いから、ムキに成らないけど、
説を唱える以上、何処が邪馬台国なのかを最低限市町村レベルで
絞れよw
常識的に考えて、邪馬台国=ヤマト国で大和川流域が文明発展の
基礎的インフラである事は明白でしょ。
182 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:05:46 ID:IgxYU1nH0
文献はいくらでも嘘が書けるかんな。
いっぽう埋葬の調度品で嘘つくたらこれは大仕事。文献で調査してる香具師は簡単に恣意を暴かれる。
>>37 俺は元々ガチガチの九州説論者だが、どうも捏造説が一番正しいと思うようになって来た。
184 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:08:16 ID:OUxOS4LeO
177のはチャンの捏造。
wiki
風俗
魏志倭人伝に当時の倭人の風俗も記述されている。
男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。
男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
着物は幅広い布を結び合わせているだけである。
兵器は矛、盾、木弓を用いる。
http://deai-tv.com/up/src/up29761.jpg 倭人ってこういう人ね。
186 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:11:07 ID:xLO+oG8W0
>>185 邪馬台国の時代は古気候学的に寒い時期だから、そのイメージは違う。
187 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:11:16 ID:WO7ExCMSO
元々存在しなかったんだよ
それでいいじゃない
箸墓古墳の主は箸がマンコに刺さって死んでだと日本書紀に書いてある
これマメな
>>113 >>D大が広大な遺跡を既に掘り当てているみたいですよ
>>遺跡のサイズが全然違うので、完全に決まりみたいです
それこそ強弁だな。それはその時代に大きな勢力があった事の証明にはなっても、
ゴッドハンドで金印でも掘り出さない限り、邪馬台国と言える訳がない。
めざましテレビの「わ」は輪でもなく和でもなく倭という意味だと思う
たぶん日本をバカにしてる
>>186 逆に考えればいいじゃん。暖かいところに邪馬台国があったって。
192 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:16:35 ID:Mhe9OeJq0
つかに伝えろ、邪馬台国から手を引けと。
九州からフィリピン、ニュージーランドにかけて南洋民族が行き来していたんだよ。
(倭人)
で、オーストラリア(?)の女王卑弥呼が死んでから、日本は戦乱の時代を迎え独立した。
それが、倭国→日本の誕生じゃね。
倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪
倭国大乱(わこくたいらん)は、弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱であり、
中国の複数の史書に記述が見られる。倭国の地域は特定されていないが、列島規模であったとする見方もあり、日本史上初の大規模な戦争(内戦)だとする意見もある。
馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。以上の内容が、中国の正史である『三国
志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)に記述されている。
要するに、邪馬台国の属国だったんだよ倭国は。
卑弥呼は倭国の人間じゃありませんでした。
195 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:25:59 ID:U+xhmBBa0
ひとつの考え方だが、卑弥呼が大和朝廷の大使や外交官ならつじつま
があわないか?
要するに近畿地方に大和政権があり、九州(大陸との交流に便利)
に「大和朝廷外務省九州出張所」=「邪馬台国」があり、
卑弥呼女王は「大和朝廷外務省九州出張所所長」
「所長」程度の格だから、日本側の記録に出てこない。
中国側からみれば「女王」=「王」は皇帝の臣下。
だいたい、当時の日中の通訳がどこまで正確だったのか、また中国側の
記録がどれほど正確だったのかは疑問
もののけ姫見るとわかるよな。
197 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:29:00 ID:5BSXaBxoO
魏史より新しい隋史に書いてある。
終了。
198 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:33:08 ID:5BSXaBxoO
だから倭国というのは一人称をワーと呼称する人々の国、
つまり我が国という意味であって、組織体のことではない。
組織体としてはヤマタイ国など無数の国家に近い集団があった。
ハニワ原人はどこに
200 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:34:48 ID:MmXwixtZ0
一次資料絶対主義・文献至上主義の弊害だな。データからなにを読み取るかが大事なのに。
まあ、専門家って馬鹿が多いからしょうがない。
201 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:35:07 ID:Mhe9OeJq0
>>198 > だから倭国というのは一人称をワーと呼称する人々の国、
> つまり我が国という意味であって、組織体のことではない。
↓ どうつながるんだ?
> 組織体としてはヤマタイ国など無数の国家に近い集団があった。
ってか、こんなことちょっと考えればわかるのに。
こじつけて予算請求する考古学者は屑だな。
卑弥呼の墓探したいなら、ニュージーランドあたり行けよ。
倭人伝に書かれてる倭人の生活を考えれば場所は分かるはず
男子はみな墨や朱や丹を顔や体に入れたり塗ったりしている。
(ニューハーフが多い地域か)
土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。
(南国の方か)
長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
(やはり沖縄か)
女は慎み深く嫉妬しない。
(地球上ではないな)
邪馬台国論争は学閥どころか思想的な争いでもあって、純粋な学問として研究するのが困難な状況だし
結論が出されたところで鵜呑みにはできないだろうな
でも纒向遺跡って時代が少しズレてるんだよね
邪馬台国が1世紀〜3世紀と言われているのに対して
纒向遺跡は3世紀〜4世紀で、規模が拡大したとされる遺跡の大半は3世紀後半以降のものだし
205 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:39:32 ID:JGzUwK0c0
歴史をクリエイトですねわかります
>>64 卑弥呼…日の巫女
邪馬台…山処…大倭…大和
何かの説があるね。
207 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:41:36 ID:Mhe9OeJq0
邪馬台国邪馬台国と言うが、魏志倭人伝の原文は邪馬台国じゃないんだよ。
「台」という字じゃないんだな。もっと複雑な字で、ウィと読むらしい。
意味は、馬が多い海沿いの長い土地ってなるんだと。
魏志倭人伝に平和堂の話が出てくるなら信じてやるよ。
中国から見たら、南洋民族が全体が倭人で。
いろんな国の中に倭国もあった。
倭国の人間だけが、倭人じゃないからね。
(九州からニュージーランド含めた全体が倭人)
卑弥呼は倭人だけど、邪馬台国の王。
そもそも、魏志倭人伝の記述を勝手に読めばなんとでも言える。
そういうのは、そう思うって領域をでられない。
そもそも九州説って国学者の本居宣長が言い出したトンデモ説だったはずだが・・・
なんで近畿説と対立してるのか分からんw
>>198 そう言う国名・地名の付け方ってけっこう多いのかね?
西洋人「ここ何て言う場所?」
現地人「ユカタン(君が何て言ってるのか解んない)」
西洋人「おー、そうか。ユカタン半島だね。」
212 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:51:38 ID:8R/Ue4+eO
邪馬台国=大和朝廷が間違いだと思う
邪馬台国を倒して出来たのが大和朝廷だと思う
大和・摂津・河内・和泉・淡路=大和政権だと思ってる
もう出土関係から吉備でいいんじぁねw
214 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 06:59:09 ID:JGzUwK0c0
>>210 新井白石じゃなかったっけ?と思ってぐぐったら新井白石だった
宣長は「偽僣説」だってさー。
215 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:03:06 ID:4jilZlEwO
まさか地元に卑弥呼がいたなんて(´・ω・`)朝からビックリしますた
216 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:03:22 ID:96Iok5YwO
守山伊勢遺跡の大型円環状建物遺構は確かに非常に特殊だけど
邪馬台国論と結び付けるにはまだまだ無理があると思うんだが
近江論者からしたら卑弥呼の墓は三角縁神獣鏡の出た雪野山古墳辺りを推してるのかな?
何いってんだw
邪馬台国の起源は韓国だよw
218 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:05:48 ID:JGzUwK0c0
ある意味正しいかも(笑
だって歴史をクリエイトの根源になってんだもんw
>>217
219 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:08:21 ID:QAGI+7ln0
こんな田舎にあるわけないだろ
>>207 「可口可楽(コカ・コーラ)」の文字の意味を詮索しても仕方がないのと同様
邪馬台国の文字に意味を求めるのはちょっと危険
アプローチのひとつとしてはあってもいいけどね
邪馬台国は
千葉!滋賀!佐賀!
222 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:15:56 ID:f4OIX1YP0
ジャワ島だってじっちゃが言ってた
シャーマニズム→巫女→神道→皇后が、日本の卑弥呼役なんだよな。
いやー このスレのおかげですっきりしたわ。
単なる予算とるための国内説だってわかって。
普通に考えれば、魏志倭人伝を勝手に解釈すれば
何通りもの説ができるわけであって、そんなものに
税金使ってたのかと思うと馬鹿らしくなるわ。
226 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:23:38 ID:OUxOS4LeO
217
だから東夷伝読めって(笑)朝鮮のことも詳しく書いてるから。
繰り返すが「倭人伝を読み直す」(森浩一)が決定版。古くから(弥生前期か中期から)ヤマトにあったとする説は考古学資料から成立はむずかしい。マキムク遺跡を例にとっても弥生時代末に突如突如出現する大遺跡で、それ以前は集落のあった形跡はない。
山口県の「山口」は古くからある地名だが、
これは「邪馬台」が転じたものだといわれている。
邪馬台国への口、つまり都は山口であり、邪馬台国とは、まさに山口県地域だった。
天皇家が山口系であり、日本の統治・歴史が山口県中心に行われてきた理由である。
しかし、腹が立つな。
九州だ近畿だって掘りまくって。
そこにあるのは、末廬国(松浦)、奴国(福岡市)、伊都国(福岡県西区)
不弥国(福岡市東)その他の中小の豪族で、邪馬台国は日本に無いのわかってんだろ!
ゲッペルス鳥越俊太郎はアリストテレスを読んだことがない
ゲッペルス鳥越俊太郎 ぶれるなよ
ゲッペルス鳥越俊太郎 小沢一郎を 擁護してやれよ
ゲッペルス鳥越俊太郎 アニータのチリの津波 イオン(8267)の銀さけが心配
琵琶湖
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
田んぼ
┌───┐ ┌───┐
│平和堂│ │滋賀銀│
└───┘ └───┘
=====[ 駅 ]====
マキムクこそインチキだ
233 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:32:22 ID:8qXN/HSC0
邪馬台国があれば卑弥呼の遺物が出る。あまたのくに、つまり多くの国の首長が
卑弥呼だったら。。。
234 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:33:52 ID:JGzUwK0c0
ザ・「神話の政治的創作」リアルタイムバージョンw
いまにみていろ邪魔大王国、全滅だ!
237 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:45:16 ID:f4OIX1YP0
まずだな邪馬台国の邪馬をやまと読む固定観念から脱却しろ
ジャマ⇒ジャワならスッキリするだろう?
238 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 07:46:05 ID:RX4mlHOv0
「邪馬台国は滋賀にあったが、その後琵琶湖の底に
沈んでしまった」で邪馬台国論争をおしまいにしては?
魏志倭人伝には、卑弥呼の死については
“ 卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人
(卑弥呼は死に、直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が徇葬された)
狗奴国との紛争もしくは難升米の告諭が死の原因ということになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱ、邪馬台国で死んだんだな。日本には墓は無いだろ。
240 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:17:09 ID:3/GwsVTK0
九州だろうな。
だが邪馬台国の卑弥呼が、勝手に日本の中心を名乗り魏に使いを送った。
これを知った近畿勢に暗殺された可能性が高い。
241 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:23:11 ID:s4J4mdy2O
国内最大、推定人口最多の弥生遺跡、鳥取むきばんだ遺跡を差し置いて何を言うか
242 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:24:48 ID:dkswU53c0
岐阜市柳ヶ瀬のゆるキャラ、やななは邪馬台国の卑弥呼の生まれ変わりである。
邪馬台国柳ヶ瀬説
卑弥呼やなな説
243 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:29:49 ID:3/GwsVTK0
そんな無意味な議論に税金使ってるの?
古代なんてどんな説でも証拠不十分で終わるに決まってるだろ。
>>240 畿内説を取った場合、魏の使者が邪馬台国に来た際、北九州や出雲などの日本海側の国を経由し
邪馬台国に到達している。
これらの国々は邪馬台国に服属した国とされています
つまり邪馬台国はその時期には日本海側の広い範囲を支配下においていた国ということになるよ
だから邪馬台国は当時の日本の最大勢力であると考えられているのだし
邪馬台国インカ説のひととか、今どうしてるのかな?
味のマルタイ
「説」商売
邪馬台国に限った事じゃない
新設と銘打って、出版、町おこし、学者の出世
果たして歴史の真実を追及したいのか金や名誉が欲しいのか
センセーショナルな新設に心奪われる(肯定、否定含む)者は食い物にされるだけ
248 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:44:06 ID:3/GwsVTK0
>>244 九州の邪馬台国が日本の最大勢力ではなく、賊軍だとして、畿内を中心とした
最大勢力に暗殺されたとしたら。
古代の大和朝廷の存在は日本の中心は畿内にあったことを物語っている。
だから奈良時代がある。
なんで、調査にオーストラリアに行かないんだろう。
白人は、大量のアポリジニ人殺したよね。
日本人の先祖でもある。
250 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:52:51 ID:DsMAmYJF0
定説化しつつある・・・・言ったもん勝ちの近畿考古学らしいです。
251 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:55:52 ID:Ss4Y47350
邪馬台国は大和と別物だな、捏造して大和と同化しようにも
遺品が違いを示してる
252 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 08:56:06 ID:d/XD/oboO
鋼鉄ジーグ「ジーグブリーカー!!死ねぇぇぇ!!」
253 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:00:08 ID:8qXN/HSC0
エデンはシュメール文明の古代都市エリデユってわかってるし、なにをいまさら。
アダムとイブはウルの女王とエリデユの国王、知恵のりんごの木はエリデユの
生命の木。
>>248 だったら神武天皇が九州から来た設定にはしないと思うがな。
255 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:02:44 ID:DsMAmYJF0
NHKの見解・・・武力で治める九州説か、話し合いで治める近畿説か
→ 左巻思想で近畿説の勝ち
邪馬台国は石川県の宝達志水町だっつうの
モーゼの墓もあるし隣りの羽咋市にはUFOも来るから間違いないって
257 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:03:35 ID:RD8hBpzg0
「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていたという(卑彌呼 事鬼道 能惑衆)。
お前ら卑弥呼を馬鹿にしてると鬼女に殺されるぞ
258 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:04:23 ID:8qXN/HSC0
ムー帝国は謎のメソポタミア文明の古代都市でまだ見つかっていない水没超古代文明
都市国家。エリデユはムーから生命の木を受け継いだ。大洪水伝説はその証拠。
邪馬台国って台湾だよ。
「台」の字が入ってるから。
260 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:06:56 ID:FnU2B18O0
鬼道って黄巾賊とか五斗米道とかの初期道教だったらしいぜ
261 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:07:03 ID:8qXN/HSC0
鬼道は前漢後期から出た新興宗教でその巫女が占いと治療をする。卑弥呼はその流れ巫女で
弥生後期の土人が取り込まれた。生娘を1000人半島に流していた風俗奴隷貿易商人。
262 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:09:24 ID:DsMAmYJF0
マチュピチュに いそいそ行くのは アルツから 段々畑みて喜ぶ
263 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:09:53 ID:cRtnWg+vO
邪馬台国は現在の釜山にあったという説が
一番有力だな
264 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:10:11 ID:qbOf9q0MO
265 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:11:57 ID:4HG/Qc/70
大和が邪馬台国になっただけだろう
町おこしで引っ込みがつかないのかな
>サンライズ出版
はいはい、またおまえか
ひこにゃん騒動もここが原因
>>263 あぁ、当時の朝鮮半島は日本の領土だったからな。
そう言う説もあり得るかもしれんな。
268 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:20:55 ID:8qXN/HSC0
やまたいこく、やまとこく、やまたのおろち
やまたのおろちは邪馬台国の八部族で、それは大和朝廷に滅ぼされたから、
実在していてるのはありかも。
269 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:25:12 ID:ukLPrQNP0
日本と倭は別の国
異論言うやつみなネトウヨ
もう卑弥呼に直接訊けばいいじゃん
ひこにゃん卑弥呼説
そういえばひこにゃんは雄なのか?
272 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:30:47 ID:6K6lcdNg0
神功皇后が近江の出だったっけ
何かしらあるとは思うけど邪馬台国ではなかろう
>>271 ひこにゃん
↓訛る
卑呼弥(ひこや)
↓文字が入れ替わる
卑弥呼
ですねわかります
>>268 面白いな。邪馬台国が卑弥呼の死をもって衰退した後。
倭国が、8つの国を滅ぼして大和朝廷(天皇)を成立させた。
その時のことを神話としたみたいだ。
蛇は、卑弥呼(シャーマン)と関係深いからな。
その剣が、三種の神器の一つの天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)か。
275 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:37:04 ID:i8tDpmLI0
>>210 宣長の九州説は、明治時代までは通説だったんだよ。倭人伝を読むかぎり
九州を出るはずはないからね。
明治後半になって、天皇を絶対とみる思想が強まり、大和説が主張される
ようになったんだな。
日本に残っていた、南方系の民族は東北に追いやられて蝦夷(えみし、えびす、えぞ)
として、倭国人によって討伐の対象になったわけだ。(現アイヌ人)
277 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:41:38 ID:oMhpI2kR0
邪馬台国は埼玉県にあったんだって!
おれのジっちゃんが言ってた!
● 韓国歴史教科書のウソ一覧 ●
□ 任那日本府を黙殺。
□ 新羅文武王が遺言の際「 死んで東海の龍となり、日本の侵略を退ける 」と言ったと捏造。
□ 元寇は高麗王が蒙古に進言して実施した事実を無視。★なお韓国では元寇を「 日本征伐 」と記述。
□ 倭寇の中に朝鮮人が多く含まれていた事実を黙殺。
□ 李氏朝鮮の国号は宗主国の明に決めてもらった事実を無視。
□ 秀吉の朝鮮出兵の際に日本軍に加わって戦った朝鮮人が多くいた事実を黙殺。
□ 李氏朝鮮は
・朝鮮の公文書に清の年号を記載
・王位継承の際、清から冊封を受ける
・年に4回の朝貢を行い、礼物を受領する事(毎年朝鮮は宗主国に牛3,000頭、美女3,000人を差出した)
を行っていたにも関わらず、教科書には「儀礼的な外交形態」としか書いていない。
□ 明治政府の開国に関する国書受け取りを拒否した理由は、
「皇」の字が不敬であるという中国に対する属国意識があった事実を教科書に明記していない。
□ 日清戦争の結果、朝鮮は清国の属国から抜け出すことが出来た事実に触れず。
□ 日清戦争で日本の多くの若者が命を落としたにもかかわらず朝鮮がロシアに接近し、閔妃が暗殺された事実を無視。
□ 安重根が獄中で書いた東洋平和論の中で、
「日露の会戦は、前日まで日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって一大愛種党になるにいたった。
快なるかな、壮なるかな、数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、大破してしまったのである。
( 日露の日本の勝利は )千古に稀な事業として記念すべき功績であり、自分が勝ったように喜んだ」
( 中野重雄「 安重根、日韓関係の原像 」)と言う、日本にシンパシーを寄せていた安重根の心情を無視。
□ 日韓併合を推進した韓国の一進会の存在を無視。
□ 竹島は鬱陵島の付属する島と書いてあるが、両者の距離は90km離れていて、まったく別個の島。
朝鮮の古地図にも竹島が朝鮮領であった事実はなく、 朝鮮側の文献資料で竹島が最初に現れるのは1906年の事。
よって竹島が古くから朝鮮の領土であったという主張は、根も葉もない捏造。
□ 戦時売春婦と女子挺身隊を混同させ、性奴隷としての従軍慰安婦に捏造。
279 :
名将ヨシイエ:2010/03/06(土) 09:43:41 ID:crkD4mnW0
住民総部落説
280 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:43:46 ID:FnU2B18O0
近畿説は邪馬台国と大和朝廷をつなげないだけでなんの根拠もないよ
当時近畿に大勢力があったことはたしかだろうけど
それが邪馬台国かどうかなんてわからん
281 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:44:12 ID:EoAQH1eQ0
ジーグ先に見つけろよ
どっちでもいいよ。
邪馬台国の地図でもみつからないと、結論でないわけだし。
こんなのニュースでもなんでもないだろ。
283 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:46:18 ID:oMhpI2kR0
284 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:48:16 ID:IWzLHrww0
この時代は、南方系の民族と戦っているのにシャーマニズムは神道って
形で残してるんだよな。
その後、仏教やキリスト教が入ってくるが。
日本人の源流は、シャーマニズムなのかもな。
287 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:56:59 ID:Gr+DGWqPO
昔の日本は南北逆で東北が南で九州が北にあったんだよ。ある時、天変地異で逆さまになって今に至る
288 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:59:00 ID:yYVPgEBa0
//〈
/ l _,、
_ , -- 、' ⌒ヽ , -‐ '´ヽ  ̄/
/ ヽィく l l 〉ー '´
l ヽ_ j' ,.<ヽ /
ヽ_ r ‐ 、_○ノ,ヽ1 ヽ l /
l l ヽ‐。、)_,ィ。/l_l`ヽ',l_/
/ィ、_ l _'"´ ゝ , j‐ ヽ',l
/ ! `´ }`ヾ、ー''/./ j l
/ ヽ _ノ、\  ̄,イー '´ !
, -‐''''' ‐ 、 ヽ ニー`彡' l
, ' ヽ l ,'
. / _ ,,,.. _ i ! ,'
l〃´ `ヽ、 l l ノ
289 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 09:59:50 ID:oMhpI2kR0
ナニワ原人?
ぶっちゃけどうでも良い
魏志倭人伝ってナポリタンだよな
釣られたら負けっぽい
八咫鏡(やたのかがみ):これはよくわかんねーな。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま):これは、神が日本を統治するっていう象徴か。
293 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 10:30:50 ID:DsMAmYJF0
卑弥呼は ひ の みこ すなわち 肥の巫女 のこと。 肥は肥前、肥後の肥。今の佐賀南部から熊本周辺。
敵対していたとされる狗名国の男王卑弥弓呼は、肥の彦。だから全て九州に有ったのです。残念
294 :
ココ電球 _/::o-ν ◆tIS/.aX84. :2010/03/06(土) 10:31:52 ID:0wMf9eMh0
死ねよおまい
邪馬台国は東京にあったんだよ
邪馬台国以外にも有力な国があちこちにあったのでは
邪馬台国は別に当時日本最大の勢力だったとは限らないんでしょ。
国内最大級の遺跡があって「近江南部が近畿の中心だった」ことと、
近江に邪馬台国があることに何の繋がりも無いような。
卑弥呼が日巫女であるとの説があるが、しかし太陽神信仰が全国的なものとなったのはせいぜい六世紀の事だと考えられている
それ以前は伊勢など地域的な信仰に過ぎなかった。
この事実を考慮した場合、卑弥呼が日の巫女であったとの説は道理が通らないな。
卑弥呼というのは、個人名でなければ、多分、姫巫女つまり女王の尊称が訛ったものだろう
卑弥呼の
ひ:蛇
みこ:巫女 シャーマニズム
>>293 >>297の通り、卑弥呼は姫巫女が訛ったものだろう。
それに当時の王族の名称は地域名+彦&姫であった事が多い
個人名であると共に地位を意味する名称だな
300 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 10:53:45 ID:oMhpI2kR0
いの巫女、ろの巫女、はの巫女・・・と続いて、
ようやく「ひの巫女」の代になったんだろ?
301 :
ココ電球 _/::o-ν ◆tIS/.aX84. :2010/03/06(土) 10:56:36 ID:0wMf9eMh0
九州説がトンでもであることがバレて、今度は畿内だけど別のところですか
何がなんでも大和説に反対したいんだろうな。
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命であり、その後継であるトヨは豊鍬入姫命である
私はこの説を支持している。
なぜなら、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓の建造時期は卑弥呼の死亡時期と一致する上に
さらに箸墓の規模は魏志倭人伝の記載と一致するなど、整合性が取れているからだ
それに同時期の遺跡から魏志倭人伝と一致する物見やぐらや環濠がある大規模集落もあるし。
これらの点も畿内説が有力であると考えられるよ
304 :
ココ電球 _/::o-ν ◆tIS/.aX84. :2010/03/06(土) 11:00:18 ID:0wMf9eMh0
倭は大和朝廷とは別の国
いいかげん認めろってば
普通に考えたら邪馬台国は九州しかないんだけどな
>>302 江戸時代の国学者の本居の時代から続いた論争だ。
そうそう決着がつくわけがないよ。
卑弥呼が魏より賜った金印が畿内で発見されるとか、よほど決定的な論拠が発見されなければ
この論争は終わる事はないだろう
>>131 中国に限らないが古代の周辺国の適当さは異常
箸墓の規模は魏志倭人伝の記載と一致しないだろ
>>307 なら、方角も適当でどこだか分からない。
311 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:08:18 ID:FnU2B18O0
いしいひさいちに水行をどう解釈するかが問題だって話をしてたら
大規模な行水をしてた遺跡がみつかるって4コマ漫画があった
312 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:09:15 ID:Sm/B/RS/O
女王国から『東に海を渡った』とこに住んでる人間も倭種
て書いてあるし九州だろ?
倭国大乱なんて奴国の内乱かまたはその周辺諸国での地域紛争だろ
近畿とか全然関係ないと思うよ
315 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:19:51 ID:zPgtIcr90
天孫降臨の神話や鉄器や稲作の伝来を考えたら普通に九州だろ
朝鮮半島からやってきた天孫族が卑弥呼なきあとの邪馬台国を平定したのち東征してできたのが大和朝廷
その首長がニニギで後の天皇家に連なる王族になったのだろうな
316 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:22:46 ID:M4ai5q/F0
もういいよ
平和堂があるから
どこでもいいから邪馬台国や卑弥呼って
あり得ない字を使うのは止めて欲しい
少なくとも人物名に関しては
文書に残る字がどんなものであろうと
異字を排してわかりやすく統一するのが
史学の常識だと思うが
318 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:31:52 ID:FnU2B18O0
邪馬壹国が正しいとかそういう話ですか?
2世紀に列島規模の戦乱が起こって、そのとき近畿に卑弥呼が現れて天下統一
って夢見すぎだよ
320 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:34:33 ID:HYBJuW3C0
琵琶湖
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
邪馬台国
┌───┐ ┌───┐
│平和堂│ │滋賀銀│
└───┘ └───┘
=====[ 駅 ]====
普通に卑弥呼が複数居たって説はないの?
322 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:37:47 ID:sq1mOcj20
卑弥呼に密室を伝えたのは曹操
関係ないが、
漢委奴国王の印がハンコだけ田んぼから見つかったって
授業で習ったときから違和感を覚えて仕方ない
324 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 11:45:33 ID:qOmfIjCF0
>320
魏の使者は平和堂に立ち寄ったのかよw
そうか近江だったか。
俺もう薄々そんな気がしていたところだ。
近江谷のことはもう許してやってください
327 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:11:32 ID:3/GwsVTK0
魏志倭人伝は分かってる奴が書いてないな。
俺が上司なら「君、分かって書いてる?」って突っ込みたくなるような
文章だ。
328 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:17:16 ID:rXzIS/8pO
近江なら畿内説だからたした問題じゃないだろw
↑「九州説」ってのはこれぐらいいい加減な説だよな
当時の日本(倭)には関東や東北や北海道や沖縄は含まれていないんだから
「九州説」ってのは当時の日本の三分の一か四分の一の広範囲をさして「この辺のどっか」と言っているにすぎない
329 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:19:03 ID:oMhpI2kR0
どうして四国説が出てこないんだろう・・・
330 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:21:13 ID:NsYqdPmm0
331 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:21:26 ID:KQkHoZykO
双子の姉の鬼弥呼ですぅ〜
俺が予想する邪馬台国論争の結末。
西暦201X年、魏の明帝の墳墓から魚の骨が発見される。
その骨のDNAを測定したところ、有明海産ムツゴロウの干物だったのだ!
青森で卑弥呼の墓が見つかる。卑弥呼って書いてある。
じゃあ僕は邪馬台国春日部説ちゃん!
間を取って徳島でいいじゃん
336 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:37:13 ID:oMhpI2kR0
>>330 すげー!やっぱり徳島じゃんよ!
卑弥呼も阿波踊り踊ってたんだ?すげーな徳島!
337 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:41:15 ID:xbgMik7t0
______ ___________
V
_____
/::::::::::::::::::::::::::\ _
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ /  ̄  ̄ \
|:::::::::::::::::|_|_|_|_| /、 ヽ はぁ?黙ってろ滋賀作w
|;;;;;;;;;;ノ \,, ,,/ ヽ |・ |―-、 |
|::( 6 ー─◎─◎ ) q -´ 二 ヽ |
|ノ (∵∴ ( o o)∴) ノ_ ー | |
/| < ∵ 3 ∵> \. ̄` | /
::::::\ ヽ ノ\ O===== |
:::::::::::::\_____ノ:::::::::::\ / |
大和と邪馬台国を別に考えるのっておかしくないか?
どう考えたって自分の国に邪なんていれないだろ
339 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:43:24 ID:zIrqUgkv0
和歌山にでもあれば・・・たまには思い出してもらえるぞ和歌山!
340 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:46:37 ID:8qXN/HSC0
伊勢神宮だろ高天原もあそこだし
341 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:53:08 ID:9APNwREl0
魏志倭人伝によれば邪馬台国が九州というのは無理。
邪馬台国が大和だとすれば普通に畿内だろ。
342 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:54:07 ID:HJfcP0ET0
琵琶湖と卑弥呼
うん似てる感じがする
出版不況で素人でも簡単に本がだせるようになったからな
344 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:54:35 ID:zIrqUgkv0
と書いてふと思ったんだが、パソコンで「和歌山」って打ったの下手したら十年ぶりくらいかも
まだ誰も書いてないようなので
き、近江…
346 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:55:26 ID:oMhpI2kR0
いやいやいやいや、まてまてまてまて、
魏志倭人伝によれば、畿内説では方角が違うし、九州説では行きすぎちゃうんだろ?
素直に記述を受け止めようよ。あったんだよ!今は水没している幻の島が!
347 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:57:33 ID:zIrqUgkv0
高天原も近江らしい、実は
びわこ→ひみこ→みやこ
348 :
名将ヨシイエ:2010/03/06(土) 13:59:05 ID:crkD4mnW0
>>283 ↑かなりのおっさん(磁石好き)
www
349 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 13:59:56 ID:oMhpI2kR0
350 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:00:43 ID:dGKsmmpG0
邪馬台国は行田周辺だと思う。
>>321 卑弥呼というのは、個人の名前ではなく、その身分か、あるいは巫女集団のことではないかとの説はあるよ
352 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:03:10 ID:6VOAMJXX0
琵琶湖の東側の一体は、今でも万葉時代のような集落がいっぱいある。
>>338 邪馬台国という国名に漢字を振ったのは中国の歴史家たちだ。
もともと中国では中華思想に基き異民族の名前や国名とかは、蔑むような漢字をふるのが常だから
気にしても仕方がないと思うがな
355 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:07:21 ID:GuIbn3QxO
ムーも琵琶湖の底に沈んでいるしな
時代的に曹操の妹だか妻が日本に逃げて、司馬一族に対抗する為の国家を作ろうとした。
ってくらい発想広げられないかな。
どうせ何にも証拠が無いのだから、それくらい派手にでっち上げれば、
中国からの観光客も呼べて金儲けできるのに
357 :
ひろしです:2010/03/06(土) 14:17:32 ID:zIrqUgkv0
ダンダダダダン ダダン 段 田 男 ダンダダダダン ダダンダン
おれがやめたら (バンババン) だれがやめるか (バンババン)
いまに見ていろハニワ原人 全滅だ
走れ (バンバンババン) 走れ (バンバンババン)
ビックシューター 風より速い
ビルドアップ バンバンバンバン ビルドアップ バンバンバンバン
バラバラババンバン バ 番 場 番 バンバンバン ババンバン
腕が飛び出す (ババンバン)脚が飛び出す (ババンバン)
磁石の威力だ 更迭ジーグ
ダンダダダダン ダダン 段 田 男 ダンダダダダン ダダンダン
おやじ見てくれ (バンババン)悪をかぎりの (バンババン)
悪をかぎりのヒミカの一族 全滅だ
行くぞ (バンバンババン)行くぞ (バンバンババン)
ナックルボンバー 必殺パンチ
ビルドアップ バンバンバンバン ビルドアップ バンバンバンバン
バラバラババンバン バ 番 場 番 バンバンバン ババンバン
合図一声 (ババンバン)武器が飛び出す (ババンバン)
不死身の ひ ろ し だ 更迭ジーグ
ダンダダダダン ダダン 段 田 団 ダンダダダダン ダダンダン
ビルドベースの (バンババン)守りは堅い (バンババン)
いまに見ていろジャマダイ王国 全滅だ
進め (バンバンババン)進め (バンバンババン)
スピンストーム 秘密の兵器
ビルドアップ バンバンバンバン ビルドアップ バンバンバンバン
バラバラババンバン バ 番 場 番 バンバンバン ババンバン
腕が飛び出す (ババンバン) 脚が飛び出す (ババンバン)
科学の力だ 更迭ジーグ
358 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:20:33 ID:oMhpI2kR0
359 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:25:29 ID:e3Bhtxnf0
台与 = トヨ
邪馬台 = ヤマト
そもそも台をタイと読むわけないだろ
当時は漢字1文字で1音なんだから
ヒミコミコミコヒミコミコ
>>275 本居宣長は国学者として記紀を絶対視していて、記紀に卑弥呼の記述なし=ヤマトと関係ない偽者ってスタンスだから
邪馬台国なかった説が最も有力だろ
363 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:27:13 ID:zIrqUgkv0
いざナミ凪も神功皇后も継体天皇も高天原も邪馬台国も大和政権の頂点も
鹿も金印もひこにゃんも招き猫も福助もヤン坊マー坊も飛び出し坊やも
幻の都も幻の城も滋賀らしい
364 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:29:53 ID:SjJtEU2vO
滋賀だったら自害するわ
イカれた団塊がイカれたこと言ってるのか
366 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:35:15 ID:zIrqUgkv0
富士山が滋賀の土でできていることの方が、
邪魔大王国より重要っぽくね?
倭国大乱後に卑弥呼が倭国全国を統治して、その都を邪馬台国とするとか馬鹿すぎる
それじゃ卑弥呼以前に倭国には全国を統治する男王が代々存在したというのか?
違うだろ
漢に朝貢していた代々男王の倭の一国が内乱になって、そこに卑弥呼が現れたというだけのこと
普通に考えれば邪馬台国は九州以外にはありえない
そしてもちろん倭国の統一なんかしていない
大和王権だって全国を専制で統治していたわけではないのに
卑弥呼が一代でそんなことをできるわけがない
そんな力があったら熊襲なんかとっくに支配下に治めているよ
arya-? これ決着ついた感じじゃなかったっけ
369 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:38:37 ID:zIrqUgkv0
どーせ最後は日本全土がびわ湖に水没すんだろ? 何かで読んだ
370 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:45:08 ID:HJfcP0ET0
>>355 なる。
いつまでたっても発掘されないのは湖底に沈んでるからか
卑弥呼は琵琶湖で間違いないな
どさくさすぎるw
>>356 呉の太伯の子孫と名乗ってるんだから、それは無茶だw
攻めて孫権とか孫武(孫子)絡みの方が中国人観光客は来るよ。
373 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 14:58:27 ID:zIrqUgkv0
びわ湖釣り仲間ののむひょんの墓でも作ればキムチも押し寄せる
喫煙者はお断り
単なる小説だって
実在する国や人物とは無関係になるように
どんどん話を変えていったんだろう
376 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 15:01:55 ID:zIrqUgkv0
びわ湖上に喫煙コーナー
377 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 15:08:53 ID:oEapCJrpO
普通に考えて九州の肥前、筑後、筑豊、豊後あたりだろ
378 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 15:12:41 ID:+gNcnllz0
滋賀作大歓喜
卑弥呼=鮫島の悪寒
380 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 15:18:27 ID:zIrqUgkv0
381 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 15:30:34 ID:2v0lO6YR0
又・・・○○作が・・・だから嫌われれるんだよぉ・・滋賀○さんらw
邪馬台国信州説もお忘れなく。
畿内説を強弁するのって天皇家がらみじゃないの?
関西は、九州と似た地名が多い。関東は、関西や九州と似た地名が多い。
人口の移動が、九州から関西、関東とへと流れた公算大なのだから、政治的中心も、西から東への流れでしょう。
南方民族討伐の歴史でもあるからな
386 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 16:40:17 ID:cYStetlQ0
呉の太伯の子孫って名乗ってるのが本当だとしたら
思ってるより情報や交易が盛んだったのかもな
大陸の情勢にもかなり通じていたのな
388 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 17:19:15 ID:YciHKfKV0
邪馬台国は大分の耶馬渓かもしれないな
389 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 17:41:07 ID:hbBKHg9y0
邪馬台=ヤマトなんだろ
議論するだけ無駄
>>390 博多弁の「山たい」だっつの。
というのはさておき、平野と山との境というのは水の便が良いから
古くから人が住み着いているのだが、この地名は平野の端という意味では
「野尻」だし、山の入り口という意味では「山戸」だったり「山門」だったりするのだ。
海の入り口の「みなと」と対を成す一般地名だな。
392 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 18:35:24 ID:ATMHVRnQ0
>>387 だけど王権の証拠と思われるような遺稿は九州には無い
吉野ヶ里とか論外
もちろん東北説とかさらに論外
邪馬台国は琵琶湖の底
身代金は空きかんの中
鋼鉄ジーグだと、九州南部だったぞ!
ここなら言える
俺の嫁のあそこは邪馬、邪馬
396 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 19:13:12 ID:ZiIdyG9T0
>>390 邪馬台=ヤマトなんだろ
まあ そうだろうね。
当時の日本では漢字は使われていなかったから、地名の漢字はない。音だけ。
その音を中国人は 邪馬台 という漢字で表記した。
当時の中国の 邪馬台 という発音に近い地名で、
かつ当時から日本の権力の中心だった地方にあった と考えるのが合理的。
397 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 19:19:19 ID:oMhpI2kR0
「台」を「と」とは読めないだろ?
「やまたい」とか「やまだい」とか・・・
398 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 19:21:50 ID:aRx4Zs4P0
チョン賀県
風土記とか読んでみれば
まああれも信用できないんだけど、もし信用するとすれば
地名って元からあったんじゃなくて、新たにつけてるんだよね
ちょうど今の南アルプス市とか大空町とかみたいに
だから邪馬台国のあった場所が今でもヤマトみたいな地名かどうかは
保証の限りでない
その同志社が掘ってる言う広大な遺跡、大きすぎないか?
都の遺跡でしょ?
その後の方がずっと小さいじゃない。
藤原京までいかないとそんな都市というか遺跡はないのでは。
401 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 19:37:03 ID:VVqCl5KE0
>>397 台与はトヨと読む
あの時代は当て字が基本
台の字自体には、トの読みは無いらしいけど。
ドだったか。
しかも、意外な事に、イの読みがあるんだよね。
403 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 19:47:03 ID:dxo3jVZf0
纒向でほぼ決まりだろ
404 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:10:42 ID:iD0fP7NnO
台って日本に伝わった時点で「タイ」。
今の中国語でもタイ。
広東語でもトイ。
他に読み方は無いね。
女王タイヨですね。わかりません
>399
たしか風土記編纂の頃に、「地名は好字の二文字に統一しなさい」みたいな
命令が出たんだよな。あれで、古来の地名が多く改変された。
それ以来の地名改変が、平成の大合併だったわけだが。
壹と臺は別字
壹は後世イチ、
臺は後世タイ・ダイ、台と同じ字とされる
408 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:20:08 ID:BSPOgXhY0
邪馬台国は九州で決まりたい。
/⌒\
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/ \ < 今、ひこにゃん殺してきた。リアルで。
/ ∠,,_ノ ソ _ ,,.. _) \__________________
/| '',,((ノ ) ノ (\) |
| |  ̄'  ̄ イ ハァ ハァ
\| υ 、_/ロロロ)_ ノ
/  ̄ ̄ \
/| υ \
( .| / ノ ̄ ̄ ̄) ノ \
ヽ.|◯ | ノ ̄ ̄ ̄) /\ ○\
/.| o .| ノ ̄ ̄ ̄) / \ o゚ \
中国の使者「汝倭人〜〜也?」
九州人「邪魔たい!」
かもしれん。
今も昔も中国人などバカでいい加減だろ ”ヤマトの国の巫女さんはえらいそうだ” ぐらいの意味じゃねーーのか
412 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:39:17 ID:JGzUwK0c0
>>406 ・・・?
なぜ「文字」が変わると「地名」が変わるんだ?
明日香→飛鳥 ってことだろ?
413 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:39:58 ID:V3Aqw6I80
>>1の本は水行20日をどこからどこまでと解釈してるんだろう?
陸行1ヶ月はどこからどこ?
水行10日の投馬国はどこ?
本は買わないけど誰か教えて。
414 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:43:00 ID:n2RuMko+0
邪馬台国韓国説
415 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:45:20 ID:cm3dhyKK0
これ、そもそも菊池山哉の説やん。
>>412 おお、言われて見ればそうだよな。
でも、同じ音を充てただけで意味がまるっきり変わったとろこは
枚挙にいとまがないぞ。 …とか言いつつ、酔っ払ってて例を思い出せない俺だがw
飛鳥は、たしか明日香の枕詞だっけか。
417 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:49:43 ID:JGzUwK0c0
>>416 もともと当て字だったから、文字に意味なんて無かったろ。
それを好字に変えちゃおうぜ、って話だったんじゃないのけ。
倭を和に変えたように。
当て字と言っても、訓読みしてる場合は、ある程度正確な意味を表してるのではないかなあ。
アスカはどうだか知らないが。
>>417 待て、そりゃ違うぞ。
地名は最初っから和語(やまとことば)だってば。
んで、そこに漢字が入ってきて、あるものはに音を充てたし(音読み)、
あるものには意味を充てた(訓読み)。
んで、そのあとに律令制の好字令が出たと。
420 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 20:57:58 ID:JGzUwK0c0
訓読みは当て字と言わないだろう・・・?
何を言いたいのかよく分からなかった。
●台
「台」を「ト」と読ませているのは、
日本書紀別伝第三および旧事紀の中で
興台産霊(ココトムスビ)の神の台(ト)として用いてあるだけ。
だから一般的な用字とはいえない。
もともと無理な読み方で、原音は明らかに漢語でタイ、
呉音でダイであるからタとしか読めない。
また、ヤ、マ、トの各音が、どんな意味をもっており、邪馬台という国の名が
何を意味するかということすらわからないで、これまでの邪馬台国論争は、
ただ漠然とヤマトとかヤマタイとか読んで論争を繰り返している。
●邪
「邪」は、ヤとエの中間音として発音すべきで、
記紀では「屋」の字をもってあてられる。
現在、入り江といっているエの部分の原音だと思われる。
●馬
馬は本来漢音でバ、呉音ではメであるが、後代合体して
慣用的にマとも発音される。
バラ(原)、イバラ(茨)、イマラクの国(茨城の国)、マメ(豆)、ハマ(浜)などが
意味する畑(やきはた)の意味である。
本来、倭人伝に記された固有名詞は、音写を目的とした漢字を
用いただけの音表であるから、
一文字を日本語の二字音として発音してならないことは常識。
この原則さえわからず平気で一字を二字音で読んだり、
漢音と呉音を混同して読んでいる人も多い。
422 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:01:39 ID:JGzUwK0c0
>>419 地名は大和言葉だよ?
音を充てたし(音読み)←大和言葉に当て字
意味を充てた(訓読み)←大和言葉を直接つけた
で、好字令で漢字を変えて、どうして地名が変わるんだ?と思ったわけで。
423 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:03:52 ID:mNBLQdhu0
表音文字がないことが漢字の弱点だろうな。
仏教の経典なんか、どの部分が意訳でどの部分が音表記か
まったくわかんないからね。
そのことを知るまでは、般若心経を見て、音表記の部分まで
漢字の意味で解釈しようとしていたからね。
いや、もともと大和言葉と漢字は関係ないからな。
訓読みで充てたなら、意味が正しい場合が多いのではないかと思ったんだけどね。
荻窪とかさ。
多分、荻の生えてる低地とかだったんじゃないの? よく知らんが。
沼袋とかの、〜袋ってのも確か、それなりの意味があったはず。
半島状の地形だったかなあ。
>>412 飛鳥は、枕詞の「飛ぶ鳥の明日香」を、そのまま地名にして飛鳥になっている
邪馬台国はもともと中国の文献に出てくる言葉だろ
表音文字がないからただの当て字だし
あいつら意地が悪いから悪い意味の字をわざと使ってるし
427 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:07:27 ID:JGzUwK0c0
訓読みってのは言わば漢字に対する翻訳の結果みたいなもんでは?
やっぱり何が言いたいのかよく分からない。
支那はチャイナを表音しただけなのに差別アルという中国人
429 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:12:53 ID:/sclxGfc0
母音は不安定で、子音は安定性が高い。
日本語でも上代まで遡れば母音は8つだったという説もあるし、
英語も大母音推移で母音の発音が全く異なってしまった。
同じ言語内の経年変化、外からの輸入語・音写の両方に対して同じことがいえる。
邪馬台国も母音の発音をあてるのは難しいが、
y*m*t* またはそれに近い発音であることは確度が高いと思われる。
シナに関しては若干異説があるんだよね。
滋賀作
432 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:22:35 ID:KPJIz5eq0
なんだサガミハラハラの本だったのか・・・・
しょうがねーな、読んでみるか
433 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:25:01 ID:V3Aqw6I80
プルシェンコ=普魯申科
奴らは上記のように書いてるぜ。
2番目の漢字は自分の間違いるかも知れないが、これに良く似た字だ。
音に字を当てるときは原則一字一音
邪馬台国はヤマタ国
邪馬台国は大和朝廷に討ち滅ぼされたヤマタノオロチだ
という説もある
ダイヤモンド映像の卑弥呼じゃなくて?
ハゲが涙ながらに一言
↓
437 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:35:08 ID:V3Aqw6I80
>>434 それならヤマダ国=山田国=山田が治めていた国だろ。
>>64 今上皇の祖先は古くて継体か、若しくは推古あたりだろ。
当時は朝廷じゃなく、連合王国みたいなもんが乙巳の変まで
続いていたじゃないかったかな。
蘇我氏だって実は大王説あるな。
439 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:44:38 ID:JJwNOzF40
卑弥呼=モモソ
台与=トヨスキイリ
俺はこの説が正解なんじゃないかと信じてるなー。
最近のハシハカ古墳の年代からみて。
発音なら
邪馬台国 → ヤマト
亜米利加 → アメリカ
清 → 支那 →シナ
つまりそういう事だろ。
>>422 そこは、
>>417の
>もともと当て字だったから、文字に意味なんて無かったろ。
に反応したんだよ。充てた字にやまとことばとしての意味はなくても、
漢字としての意味はある。それが「悪い意味」だから好字に変えろと。
その結果として、やまとことばとしての「意味」が改変されたわけだな。
たとえば全国にいくつか「鬼無」の地名があるけど、もともとはやまとことばとしての
意味を持つ(鬼とは関係ない)「きなし」「きなさ」だったわけだ。
それが「好字にしろ」令のときに、「鬼が居ないってラッキーポイント高くね?」で
「鬼無」になったのね。その時点で地名の意味が変わったと。
んで、たとえば香川の鬼無のように、この改変された意味に対して
桃太郎伝説という由来を逆構築しているところも多々あるのだ。
443 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 21:59:01 ID:1fv7hb670
やっすい笑いだな
>>421 5世紀?の「獲加多支鹵」でさえ、クヮクカタシロと読むわけではない
ましてや三国志は3世紀
ひこにゃんは、卑弥呼が飼ってた猫の子孫w
446 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 22:14:18 ID:1fv7hb670
魏志倭人伝の原文に記載されてる邪馬台国の「台」は「台」じゃなくて別の字なんだよ。
日本人が「台」を当ててしまって、それが一般化してしまったんだって。
本当は台の字に似た別の字なんだよ。意味はなんだったかなあ。
卑弥呼にゃん?
>>446 壹、イかなにか。
これは、台の旧字の、臺の間違いだったろう、というのが通説。
だけど、それは当時宮殿を表す文字だったから、魏の側が使うはずは無い、
だから、壹で、ヤマイ国だったはずだというのが、古田説。
膏肓に入る
邪馬臺な
臺の読みは日本ではダイ
中国ではタイまたはトイ
451 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 22:39:26 ID:1fv7hb670
>>448 そうそうそれそれサンキュ−。
その説でよくわからないのが、日本のヤマタイコク伝承とのつながりなんだよな。
日本の伝承としてヤマタイコクがあったんじゃないのかな。
そういうものはなかったのか?
ヤマタイコクつーのは最近になって魏志倭人伝から発見されたものなのか?
たとえば江戸時代の人とかは邪馬台国なんてしらなかったのかな。
>>451 国内には無いよ。
魏志倭人伝からのものでしょ。
日本書紀にも引用があるけど。
記紀でも、日本書紀と古事記には違いがある。
これは日本書紀は国史として、政治的な意図をもって国の内外に示すために作られたものであり
中国などの史書も研究の上で書かれたものだが
古事記は天皇家の家伝として作られたものだからね。
こうした記紀の性格上、多分に古事記の方が当時の伝承を正確に継承していると思う。
その古事記には邪馬台国など出なかったよね
454 :
名無しさん@十周年:2010/03/06(土) 23:02:14 ID:1fv7hb670
そうかではヤマタイコクという音としては日本には伝承されてなかったわけか。
>>454 ヤマタイ言い出したのは本居宣長
それまではヤマト国として認識していたというのが通説
日本書紀には、卑弥呼=神功皇后との説を採用しているからだが
これは日本書紀の編纂者達が魏志を参考に記載したもので現在では信頼性は低いだろうが
何れにしても、これがずっと信じられてきたわけだし、畿内説の始まりになっているわけだろ
歴史書とは事実が記されるのものではなく
権力者が事実だと信じさせたいことを記すもの
ちゅーか、お前らスレタイトルの近江説の考証をしてやれよw
>>458 ないな、だって近江もん。
自分が権力者で自分の皇都に 近い 江(海)
なんてつけんだろ。
それより 偉大な和(倭) 大和
これだけでも勝負ありじゃないか?
>>459 近江(おうみ)は、もともと「淡海」だったんんじゃないかと。
淡水の海ね。
それはさておき、
>>458 俺は応援するぞ。
つかぶっちゃけ、マキムク以外ならどこでもいいw
>>460 wikiでは、
>古くは遠淡海(とほつあはうみ)と表記した。遠淡海は、一般的に浜名湖を指すと言う。
>都(京都)からみて遠くにある淡水湖という意味で、近くにあるのが琵琶湖であり、こちらは近淡海(ちかつあはうみ)で近江国となった。
>>461 あ、それは知らなかった。ありがとう。
ということは、浜名湖周辺の「遠州」というのは近江の対語だったのか…。
463 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 00:14:34 ID:WGabc7kH0
>>189 それまでの同時代の遺跡(弥生時代後半)と桁外れにサイズが違い、魏志で
特定されている年代(AD239)と時代が一致しています
また、魏志は各地方の国の戸数が記述されていて、邪馬台国は九州北部の国々の
10倍以上の規模があるので、人口を養うため必要な平野の大きさ(∵水田=面積)
から見ても奈良盆地以外に該当地がないので、纒向で決まりということのようです
>>204 >邪馬台国が1世紀〜3世紀と言われているのに対して纒向遺跡は3世紀〜4世紀で
>規模が拡大したとされる遺跡の大半は3世紀後半以降のものだし
魏志の記述でAD239年に魏に朝貢した国として「邪馬台国」という名前
が出てくるので、3世紀前半〜中頃に存在していたことは推測されますが、
いつ建国されたのかは分かりません
巨大型前方後円墳の一番古いものが箸墓で、大きさ形式とも前例がない日本独自の
墳丘墓が突如現れたので、その時点で新しい王朝(豪族連合)が出来たと考えられ、
以降、飛鳥時代まで350年くらい前方後円墳を中心とした古墳の時代が続くので、
邪馬台国の出現で、弥生時代は終わり、新しい社会体制が出来たその始まりが纒向
と考えられます
>>400 纒向遺跡は巨大前方後円墳の時代の始まりで、その後、世界最大の墓である
大山古墳など巨大規模の土木工事に続くことから、邪馬台国は初めから
想像よりず〜っと、デカかったんじゃないでしょうか‥?
纒向の遺構はどこまで掘っても石敷きで果てがなく、ドコまであるのか未確定
だと耳にしました。全国で100m超クラスの古墳は全国にざらにあって、
東北地方にもこのサイズの前方後円墳はあったように記憶します。邪馬台国
に始まる大和政権の土木能力は歴史的に見ても、桁外れだったと考えてよい
ように思います
>>463 邪馬台国はさておき、
初期大和王権の雛形が纒向周辺にあったのはほぼ確定だよな
465 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 00:58:30 ID:CFOEiv5B0
もうちゃんと決まったらニュースにしてw
国譲りの神話が示すように、大和より出雲が優勢であり
出雲側に大和が服属か、それに近い状況にあった時代があったはずだ。
出雲で放棄された大量の銅剣の存在などがそれを示している。
邪馬台国に対抗したとされるクナ国だが
当時、紀伊半島を支配したタケクニヤスヒコ王が崇神天皇に反旗を翻したとの記録がある。
タケクニヤスヒコ王も大王の一族とされているが、これはあまり信頼できない。
多分、紀の国に大和の強力な対抗者となる王権が存在したのであろう。
クナ国の王・卑弥弓呼は、多分、王を示す彦御子が訛ったものであり
王の名ではなかろう
魏志倭人伝に記された時点で卑弥呼は年長者
卑弥呼が若くして治めたという邪馬台国の建国は2世紀終盤から3世紀初頭あたりと推測される
このころの纒向の集落はまだ規模が小さい
纒向集落が拡大するのは卑弥呼の死後3世紀後半から4世紀にかけて
これは微妙に邪馬台国の年代と合わない
邪馬台国の建国と同時期に拡大した集落というより
むしろ卑弥呼の死後に急成長した集落という印象を受ける
>>466 その意味で、神話をまだ「信じている」のか??
神話や神社伝承を「そのまま」適用すると、
「なぜか山陽や近畿を飛び越えて、関東地方、今の東京や埼玉に移住したのは島根県人という、
竹下元首相もあの世でびっくりという、地理的にありえない結論になってしまう。
おそらく「出雲」というのは、後の出雲国つまり島根県中東部を指す概念ではない。
皇室からみて、漠然と「旧勢力」を指す総称だったのだろう。
そう考えれば、奈良盆地、中京東海地方、関東地方、東北地方と、
なぜか「出雲系神社」ばかりが、ずらりと並ぶ事態も簡単に説明できる。
>>469 >おそらく「出雲」というのは、後の出雲国つまり島根県中東部を指す概念ではない。
>皇室からみて、漠然と「旧勢力」を指す総称だったのだろう。
出雲という固有の地名が存在すること事態でも説明がつかないが
>そう考えれば、奈良盆地、中京東海地方、関東地方、東北地方と、
>なぜか「出雲系神社」ばかりが、ずらりと並ぶ事態も簡単に説明できる。
関東や東北などに出雲系の神神が広まったのは、かなり後世になってからだ
時代系列を無視して何もかも一緒にしないで欲しいものだ。
ヤマトトモモソ姫が崇めた大物主は、三輪山の神とされているが
出雲の大国主の別名に位置づけられている。
当時は、支配領域に自らの神をもってきて、神社を建てるなどして信仰させるのは当たり前だったし
畿内に出雲系の神が存在する理由も畿内が服属していたと考えれば不思議は無い
471 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 02:43:56 ID:WGabc7kH0
>>468 卑弥呼「政権」の成立時期は分りませんが、未発掘の部分を含め
纒向遺跡が箸墓の築造に前後して建設されたことは間違いないと
思います(∵箸墓を中心に遺構が分布しているようです)
また、巨大前方後円墳に共通していえることらしいのですが、
巨大前方後円墳はそれまで集落がなかった場所に築造されていて
「新興開発地」といった性格を持っているようです
おそらく纒向も新規開発地と思われますが、なぜその場所が選ばれた
かという点を推測で述べると、三輪山から伊勢方面に抜けるルートが
あり、(‥ー朝鮮半島)ー対馬・壱岐ー北九州ー瀬戸内ー吉備ー河内
という塩生産地・海路物産航路と伊勢ー濃尾ー知多という先進的
土器生産・水田地帯を結ぶ「結節点」に当るという点が大きかったと
思われます
同時に、鉄生産地帯の出雲・丹後地方とヒスイ生産地である北陸を
敦賀ー琵琶湖経由で奈良盆地に入れるルートとを結ぶことも出来る
「地の利」もあり、また、伏流水のやたらに多い大和川の水を、勾配の
非常に少ない明日香地方の地形を利用し規模の大きい水田耕作をする
ことで多数の人口も養えるという理由ではなかったか、と思っています
邪馬台国はムー大陸と共に沈んだ
473 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 02:52:06 ID:FYHG0SyoO
ムー大陸が邪馬台国だった
ラ・ムーが卑弥呼だった
475 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 02:58:30 ID:p9/IyUpnO
琵琶湖の水を抜いて湖底を調査したいところだな。
箸墓の調査は許可が出ないんだっけ?
モモソヒメが卑弥呼なら、大田田根子は何者なんだろう?
出雲の王族の末裔っぽいんだけど。
476 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 03:09:08 ID:IaBWCAgg0
琵琶湖
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
邪馬台国
┌───┐ ┌───┐
│平和堂│ │滋賀銀|
└───┘ └───┘
=====[ 駅 ]====
age
478 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 03:13:11 ID:qqQvYbhL0
なんでも嘘を言えばいいってもんじゃない
邪馬台国は雄琴にあった
480 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 03:38:05 ID:9DKwzUV70
卑弥呼はエラの張った整形チョソ女だよ
邪馬台国って中国の古代文献に出てくるだけだろ
コロンブスの西インド諸島みたく
ホントは日本に来てないんじゃね?
中国人も適当に行き方書いてると素人の俺は思う
482 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 03:46:01 ID:mt/g6/EkO
もう別に何処でもいいわ
少し前、九州北部の地名が畿内にコピーされているのを書いたら
畿内説の大阪人が火病って否定してきた
邪馬台国は日本人の心の中にあるのだ。
卑弥呼は渋谷区神宮前
>>484 >九州北部の地名が畿内にコピーされているのを
今時そんな事言ったらマジでバカにされるよ。
489 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 09:29:43 ID:3J1/kNcL0
>>484 いまだに、そんなこと信じてる人がいるのか。
丁寧に解説してあげるよ。
まず、
1.コピーが事実だとしても、4世紀以後という証拠は無い。
2.後世、大宰府が置かれたときに、畿内から九州に地名が移動したと見るほうが根拠がある。
3.九州から移動したとされる地名に三輪が含まれる(九州に三輪がある)のはおかしい。
すみません。歴史のことがあまり分からなくてバカな質問かもしれませんが
もしよければ教えて下さい。卑弥呼ってエロいですか?
邦光史郎 幻の近江京 を思い出してしまった。
フリー編集者
幻冬舎
自費出版
キャリアコンサルタント
定年退職後
近くに住む者として
読んでないから失礼なんだけど
この手のキーワード見ると・・・
493 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 10:21:07 ID:G1/D0WNZ0
所詮雑魚滋賀なんて副次的存在
>>490 ラリッて亀頭擦る巫女さんで、欲衆を惑わす。
495 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 10:40:25 ID:pphK7FW80
伊勢遺跡は、近畿に最後まで生き残った銅鐸国のもの。
思うに、邪馬台国てのは
国家連合の一時的な盟主名であって、
時代時代に違う王統がイニシアチィブ握っていただけと推測。
ローマの共和制、独裁官、三頭政治みたいな。
今の皇統が歴史的に何とか証明しているのは乙巳の変後からで
それまでは国名は変わらずとも違う王統の権力者が頻繁に変わって
あとから歴史書作る時に強引に系譜をくっつけたと思われる。
497 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 10:52:57 ID:fPLkEWPu0
>24
琵琶湖は大陸移動で淡路島が抜けた跡。
ここまで「ち、近江…」なし
俺が学生の頃は、邪馬台国畿内説を取るのは
皇室史観、万世一系の思想に拘る極右だけだと教師に教わった
北九州説こそ正しいと言われ続けていたのだが
実際のとこをみれば、最近、急速に畿内説が有力になっているな
500 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:23:45 ID:T/l/d6LV0
近江に安土桃山城を築いた豊臣秀吉こそ、
落ちぶれてはいたが邪馬台国の女王卑弥呼の宗女トヨの子孫。
朝鮮出兵に熱心だった理由もそれで解決した。
501 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:25:43 ID:WoEmGL370
502 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:35:39 ID:Rgs2J4hmO
>>499 元より畿内説が有力だった
九州説なんてのは恐竜は宇宙人に狩りつくされて絶滅した説ぐらいトンデモ説だったんだけど、左かぶれの教師が多かったので学校の授業では何故か並列で扱われていただけ
何をいまさら
邪馬台国は岩手に決まってるだろ
キリストは青森で死んで義経はチンギスハンになった
全て定説だ
504 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:41:39 ID:uyY/n4WYO
韓国起源説はさすがにでてこないよなwww
うち埼玉だけど家たてるとき卑弥呼の墓つぶしたらしいよ。
506 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:54:44 ID:qtmtOtmC0
ホ30036 ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも
サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる
西暦41年 神武即位
神武は橿原に居を構えたが、その長である大物主は、大海で祀りを行う。
西暦193年 崇神6年 前年から続く凶作のためか 大物主はこの秋に崇神の元へ駆け込み大王の位を崇神に渡す。
崇神は、この凶作で浮浪化した、北方の民の畿内流入を押さえるため、大彦をコシネのクニ(福井)へ派遣。
大物主はその後サホコ(出雲)へ引っ込む。
507 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 12:56:08 ID:6eURR+cL0
邪馬台国なんてなかったんや・・・それでいいだろ
金印欲しい
オーブンレンジの上に飾りたい
509 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 13:08:20 ID:pphK7FW80
伊勢遺跡は、近畿に最後まで生き残った銅鐸国のもの。
>>501 安土桃山城は滋賀から京都に連なる長城だろうな。新発見か?
510 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 13:28:49 ID:nupaF79d0
太国の師匠はまだかな?
伊勢遺跡の真上に住んでるオレが記念カキコ。
こんなとこに卑弥呼が住んでたとは、信じがたいな
512 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 14:19:04 ID:YewAEu9z0
>>484 沖縄も九州に似た地名が多いぞ。
原「はら」はどうして「バル」になるのだろう。
513 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 14:21:26 ID:hZCKra8T0
__/\ おらおら鶴舞う形の群馬県様がお通りだ!
 ̄ ̄ ̄ ̄ _| `〜┐ 埼玉?群馬サファリパークの餌にするぞw
_ノ ∫ 茨城?尾瀬で迷いなw
 ̄ ̄ ̄ ̄ _,.〜’ / 栃木?ドイツ村に拉致るぞw
,「~ ノ 東京?焼き饅頭にするぞw
,/ ^ω^ ` ̄7 千葉?草津温泉に沈めるぞw
⊂二二二 / 神奈川?群馬の県鳥はキジだぜw
~`⌒^7 / 山梨?てめーは関東じゃなくて中部(笑)だろw
 ̄ ̄ ̄ ̄ 丿 \,__
_7 /`⌒ーへ_,._二⊃
 ̄ ̄ ̄ ̄ \ _,.,ノ
) ノ,〜’ 群馬県様が関東制覇!楽勝!
>>470 だからさ、そもそも島根県の沿岸にへばりついていた勢力(出雲勢)が、
山深い中国山地の峠をいくつも越えて、畿内に侵入し
畿内の盆地群(西南日本では唯一に近いまとまった平野になる)に対して、
地元の勢力、交通至便な瀬戸内海沿岸勢力、山一つ越えれば簡単にアクセス可能な東国勢などを
なんと、軒並み蹴散らして、「山陰の大覇権」を確立して支配するなんて
おとぎ話を信じられるのか??ww
ということだよ。
こんな珍説、地形図を開けば金日成の縮地法もびっくりの出鱈目であることはすぐにわかる。
だから、出雲神話を「信じる」論者であっても、
そもそも「大和の土着民のこと」ではないのか?(これが一番穏当)
実は、「東国勢」のことなのではないか?(東国から山を降りた地点が三輪山である)
あるいは、西から来たにしても、
「口丹波(京都府亀岡盆地)」が、出雲の真の故郷ではないか?
という、日本地理に即した、現実的にまともな案が考えられることとなる。
>>514 日本列島を縦断するならともかく、横断するのなら徒歩でも三日もあれば充分だよ
如何に交通の便の悪い当時であっても、出来ないなんてことはありえない
実際、縄文時代にはすでにそのような交易が行われていた事実が確認されている
だいたい、それを言うのであれば、神武の東征の方がよほどのヨタ話だよ。
北九州は長らく朝廷に従わない勢力だったのだから、日向から出発した神武の軍勢が本州を目指した理由は
勢力拡張とは考え難い
勢力争いに敗れて九州を追い出された連中が、逃げ出して来たと考えた方が筋道がはっきりしている
そんな負け犬の軍勢が瀬戸内の国々と争いながら東へと進み、畿内に至ったと考えるのは難しいね
しかし歴史をみれば毛沢東の長征のようにそういう事はしばしばあるからありえない事ではないと思うがな
シンプルに考えれば勝ち負け関係なく広い勢力争いの中誰かに呼ばれて行っただけかもしれんぞ
そもそも当時の勢力や権力の継承がどうなっていたかなんてわからん
そもそも、邪馬台国を日本を代表するような
巨大勢力と考えるのが間違い。
ずっと内戦→卑弥呼をたてておさまる
→卑弥呼が死んで男王が継ぐとまた内戦
→13歳の少女をたてておさまる
と国内グダグダ
外も、南の狗奴国との戦争に負けそうで
中国に「援軍を」と泣きついている売国奴。
そんな大事な中国への朝貢の品も
ビックリするほどしょぼい。
こんな土産で援軍を送ってもらおうなんて
その図々しさに感心するほど。
どう見ても、日本を代表するような国じゃない。
邪馬台国は、30ヶ国連合の1つ。
その構成国で、畿内説・九州説とも、だいたい一致してるのは
末盧国が唐津、伊都国が糸島、奴国が福岡。
1つの国が今の市町村くらいの規模だったことがわかる。
それが30集まった勢力って、せいぜい数県程度を
支配するくらいしかできないだろう。
で、結局、邪馬台国連合は滅亡した。
その後の大和朝廷と連続してないことは、
邪馬台国のあと、150年間も日本から
使者が来た記録がないことでも明らか。
卑弥呼は、たまたま中国の史書に
記録されたから有名になっただけ。
今で言えば福島瑞穂。
社民党がなくなりそうなので、中国を頼った。
もちろん中国は大歓迎で、瑞穂を日本代表に任命。
それを後世の日本人が読んで、
当時の日本は福島瑞穂が首相だった
と勘違い
519 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 17:57:17 ID:3J1/kNcL0
520 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:04:54 ID:iZp2ztca0
卑弥呼が倭国の王となる前、西日本は出雲を中心とする緩やかな国家体系を取っていた。
勢力図は出雲を頂点とし、西に卑弥呼を擁する九州豪族、東に近畿豪族。
ここで、誤解してはならないのは、出雲時代の、東の近畿豪族=ヤマト王権ではないということだ。
ヤマト王権は、神武東征によって生み出された新しい勢力であり、出雲時代の東の近畿豪族ではない。
つまり、出雲の権力が衰退し、西の卑弥呼を擁する九州豪族と、東の近畿豪族の間で次代の覇権争いが勃発し、
西の卑弥呼を擁する九州豪族が勝利し、卑弥呼が次代の倭国の王となったわけだ。
しかし、その覇権は非常に不安定であり、常に、負けた東の近畿豪族による巻き返しの危機にさらされていた。
そこで、卑弥呼率いる九州勢は、東の近畿豪族同士を争わせることにより、その力を削ぐことにし、
神武天皇はその政策にのって、東征をし、東に残っていた反邪馬台国派の近畿豪族を討ち滅ぼし、
マキムクを新しい拠点とした。
その後、卑弥呼が死に、邪馬台国の権力が弱体化すると、再び、旧体制を維持しようとする九州勢と、
マキムクを拠点とした神武の流れをくむ近畿豪族の間で覇権争いが勃発し、
今度は最終的に、マキムクを拠点とした神武の流れをくむ近畿豪族が勝利し、ヤマト王権が誕生する。
521 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:10:38 ID:pUlKveNE0
邪馬台国は韓国に存在した
522 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:13:04 ID:yUqacNGE0
邪馬台国の起源はウリナラニダ
本当にカムサハムニダ
邪馬台国は韓国起源にです
その理由は奈良という意味が韓国の我が国を意味のウリナラから分かります
日本人は韓国に酷いことをしました
私は日本人ですが独島は韓国のものだと思います
どこかに縦読みを仕込んで釣ろうと思ったけど面倒くさくなったので
せっかく考えた文章を消すのもアレだからこのまま投稿します
>>514とか
>>515とか。
なんで記紀神話の中で出雲の比率が大きいのかについては、
たとえば鳥越憲三郎先生の、朝廷と出雲国造との取り引きがあったよ説とか、
松前健先生の、出雲の巫ゲキ集団(ゲキは巫偏に見)の活動によって
記紀編纂時には出雲神話がメジャーになってたよ説とか、
いろいろあるよね。なんにしても、遺物から見ても大きな勢力だった
ことには変わりないけど。
ちなみに出雲オリジナルの神はオオナムチ(大国さま)だけで、
スサノオはもともと紀伊の神様だったらしい。それがいろいろあって
出雲の神様になって、勢い余ってイザナギ・イザナミの三貴子にまで
出世したもんだから、いろいろストーリーが変になってるとw
525 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:17:27 ID:5LixaVS70
邪馬台国が岩手にあったっていう推理小説(?)あったな。
けっこうおもろかった。
526 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:36:06 ID:TTkG8Rzp0
527 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:51:27 ID:3J1/kNcL0
>>524 スサノオが紀伊の神というのはガセでしょう。
中世の渡来人が日本に来たとき、日本の役人から、
「おまえら、日本に来たからには日本のカミを祀れ」と命じられ、
神話のスサノオが新羅と接点があったために、渡来人がスサノオを祀り始めたわけです。
もうすこし、歴史を深く勉強されてはいかがでしょうか?
まあ東夷伝の国の大きさは(主に大陸側の)政治的な理由で大国ってことにしてるからな
実際のところはわからん
ただ倭国大乱は内戦と称している以上2世紀の戦乱跡が残る北九州〜近畿の範囲は少なくとも倭国の勢力下だったのだろう
529 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 18:59:22 ID:iJQF07xk0
そもそも当時の中国人が
聞いた言葉を、適当に漢字にして
邪馬台国って書いたんだろ
中国人に誰か聞いてきて
「邪馬台国」ってなんて発音?
>>527 もともとの話をすれば半島由来なのは、たいていの論者で
一致してるんじゃないかと。「三国史記」の金大問註の
次々雄(ススン)→スサ 説ね。
出雲か紀伊か、というのはそれを最初に奉じた集団はどこか、
という話で、松前先生なんかは紀伊の海人集団じゃないかと
言ってるわけで。
531 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:05:40 ID:3J1/kNcL0
>>530 熊野でスサノオが祀られるらしいですが、
その起源がいつか?という論証が無ければ無意味です。
渡来人は日本中に住み着いてるわけですから、
日本のどこででもスサノオが祀られていても不思議の無い話です。
問題は、その地域で、いつから祀られはじめたのか?であります。
たとえば3世紀以前から祀られていたとか、証拠はありますか?ないですよね?
532 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:12:47 ID:Hm+dqnKs0
実際は九州以外ありえないんだけどね
朝鮮半島や中国大陸に文化を学びに行くのに、近畿からではムリだ
小国乱立の時代なのに、近畿から行けたわけがない
>>529 「日曜特集新世界紀行」で、井沢元彦が
中国の古代史研究家に当時の発音を聞いてた
>>531 てなわけで松前健「日本の神々」(中公新書)を引っ張り出してきた。
論拠の一つは、「延喜式神名式」や「三代実録」なんかに
出てくる出雲と熊野でスサノオを祀っている神社の比較だな。
熊野在田郡の須佐神社が名神大社なのに対し、出雲飯石郡の
須佐神社は小社だったり、「和名抄」に出てくる地名では
熊野名草郡に伊太杵曽神戸と並んで須佐神戸の地名が見えたり。
そのほか、書紀の一書の記述から紀州海人との関連を例証したり
いろいろあるんだが、そこらへんは省略。けっこう量が多いので、
自分で読んでもらったほうが良いかと。
>>529 井沢元彦説では「やまと」を中華思想で悪字を当てたのが「邪馬台」。
536 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:28:44 ID:odBsDNUN0
マキムクが卑弥呼時代に首都的な役割を果たしてたのは納得が出来る。
でも、ヤマト王権がその後も同じ血統で覇権を握り続けて、
今の天皇家につながった…とする部分はまったくナンセンスに思える。
継体辺りからなら、まだ納得もいくけどね。
邪馬台国畿内説はもう認めて、
あとはその規模やその後の経過に論議の的を絞るべきだと思うけどね。
南京事件のようなモノで、何らかの虐殺行為はあったけど、
その規模や組織性には色々と説がある・・・みたいな。(笑)
537 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:29:21 ID:3J1/kNcL0
>>534 それだけでは、スサノオを祀る渡来人が紀伊で優勢になったから、
紀伊でスサノオを祀る神社が優勢になっただけかも知れませんね。
他人の説を鵜呑みにするのではなく、違った角度から検証するクセをつけてみてはいかがですか?
たとえば、古代のスサノオ固有の祀りの遺跡(聞いたことありませんが)が、
紀伊から出土したとか、そういう物証を伴う論でなければ、あくまでも仮説ですね。
しかも、相当無理があると思われますが。
スサノオを渡来人としながら、紀伊を本拠にするとか、地理的に無理です。
538 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:31:11 ID:n2YThoMO0
>>533 それで卑弥呼を「ピャメカ」と読んだとか
好古都国を「ホコト」と読んで「ハカタ」だとはしゃいでた話まで
2chで書いたら
「ハカタは元はP音」とか
「好はP音では有り得ない」とか
専門家にダメ出しされますたorz
539 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 19:32:05 ID:c9A96ZAA0
三国志東夷伝などという反日史観の文書を参考にする奴は
反日売国奴だから日本人辞めろ。日本人をあずまえびす
扱いする古代支那人を絶対許すな。
>>537 いやまあ、
>>524に書いたように、俺も一応はいろんな本を読んで
考えてるつもりなんだけどな。あんまり自信はないけど。
ちなみに遺跡じゃないけど、今に伝わる祭祀についての論考も
>>534の本にあるから、一読をお勧めするです。
>スサノオを渡来人としながら、紀伊を本拠にするとか、地理的に無理です。
このあたりは網野善彦先生の海民関係の本を読めば、
けっこう新しい視点が開けるかもw
>>515 俺は、「筑紫の日向」が宮崎であるというのは、実は「ネタ」だと考えているよ。
おそらく記紀編纂の段階で、「俺が正当な天孫であるわけだが」と主張されて、政権転覆をされないように、
「一応それなりに遺跡があるが、実際には政治的に全くの人畜無害な僻地」
が、皇祖の故郷として選ばれた。それが宮崎県。
真の故郷は、自生的に考えれば宇陀・吉野の山岳地帯。東征をどうしても信じるなら、九州でも北部(福岡県内)だろう。
>>524 ということで、同じことがおそらく「出雲の『選定』」にも当てはまるというのが俺の考え。
つまり、宮崎県と同じく、
「一応信ぴょう性を裏付ける程度の遺跡はあるが、政治的には人畜無害な僻地」として、島根県が選ばれた。
全くのド田舎で物語を捏造してしまえば、誰も信じてくれないが、
本当の「旧勢力の故郷」を正直に書いてしまうと、畿内政府への大反乱にお墨付きを与えかねない。
ということで、「過去は微妙に栄えていた」「今(編纂時)は全く駄目である」ということで、山陰が選ばれた。
熊野というのも、若干「特に選ばれた僻地」の臭いがする。
考古学的には、「出雲」の故郷は三重(伊勢国)か愛知(尾張国)あたりと考えると、一番素直なんだけどね。
>>542の後半
けっこう鳥越説に近いよね。
中華思想を踏襲して四将軍を遣わして国土を平定した、
ということにしたいから、手ごろな「強敵」が必要だったと。
大国主の活躍の場日本海沿岸だから近畿をもってくるのは無理では。
素戔嗚尊が朝鮮絡みってのは、本当らしく思える。
邪馬台国は大した国ではなかったってのは、間違い。
金印を貰ってるし、白珠5000孔、つまり真珠5000個も送ってる。
養殖技術の無かった当時で5000個なんて驚異的だろう。、
>>544 倭人伝にも、潜水漁法やってる話が出てくるもんな。
すげースキルを持った海女さんがいたのかも知れん。
そいや、その頃から明石のあたりではタコツボ漁をやっていたそうで、
もしかしたら真珠貝の養殖もやってのかも知れんよな。
んでもって関係ないけど、1行目は
>>524の後半ね。
素戔嗚尊と紀伊なんて、自分の中では全く結びつかない。
イメージが湧かないし、天照との争いを考えると、
やはり九州(筑紫)関連だと思う。
>>544 神話全部を整合的に考える必要は無いと思う。
スサノオ神話の一部は、地理的に考えておそらく対馬か長州日本海側あたりの神話っぽい。
朝鮮半島は「行き先」であって、故郷ではないだろう。
だからと言って、スサノオの故郷が本州西端・対馬あたりだとは限らない。
神話があきらかな「つなぎ合わせ」である例として、天孫降臨神話がある。
これは、福岡・対馬の土俗神話と淡路島の土俗神話をミキサーにかけて、
宮崎県を舞台に展開させたという、すさまじいチャンポン物語にしか見えない。
記紀編纂時までに、このような形で神話のつなぎ合わせが行われたものと思われる。
こういうつなぎ合わせが行われてしまうと、
神話の地名を必死で整合解釈することは、ほとんど何の意味も持たなくなる。
548 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:10:11 ID:iJQF07xk0
>>544 近江の海 沈く白玉知らずして 恋ひせしよりは 今こそ益れ
琵琶湖の淡水真珠だったりして
>>547 まあ、つなぎ合わせも良いんだよね、原形が入ってれば。
日本神話解釈なんて、無茶苦茶なのがあるからな。
一言主の神を、天皇、という漢字を一画ごとにバラバラに解体して説明したりしているキチガイがいるし。
550 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:13:15 ID:07ssCmVY0
いやいやww 近江はないわwww
冗談は顔だけにしとけwww
単純な話、九州北部の邪馬台国が滅びて畿内の大和王権が隆盛したってことだと思うよ
>>66 そりゃ結構だが韓人とやらは結局異民族にやられてしまったなあ?
韓人韓人っていっても中身はモンゴル系にすり替わってしまったアワレな民族w
>>551 それが一番自然な流れだと思う。
邪馬台国は九州にあった事は間違いない。
554 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:30:40 ID:3J1/kNcL0
>>541 引っ張ってすまないが、
やはり、出雲にも熊野があり、スサノオが祀られてる件で、
出雲側が、「紀伊の熊野からスサノオを勧請した」という伝承が欲しいところ。
どんな立派な墳墓があっても、それが卑弥呼だって証拠にはならないんだよねえ。
墓誌でも出てこない限り。
東方に別の国があったんでしょ、で終わり。
シベリアにだって住んでた民族がいるのに、日本東部にそれなりの集団がいなかったはずは無いし。
556 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:35:17 ID:CRafTPXxO
ジークに出てくる奴でしょ
557 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:35:24 ID:y2hMaUwy0
公孫淵はまったく資料残してないの?シバイに焼かれたの?
>>541>>554 その「本家争い」なんだけど、
俺は、紀州(三重南部・和歌山東部)も出雲(島根県)も、どちらも胡散臭いと思うんだけどなあ。
よく考えれば、どちら向きでも、わざわざその相手方地域を選んで
神祇の勧請なり部族の交流なりする必要性・合理性が、全くどこにもない。
どっちもウソ(つまり記紀の創作をなぞって演じているだけ)なんじゃないかと思う。
ただ、紀州に関しては、「ムレ」「ムロ」などという系統の一連の地名が少しだけ気になる。
この地名は本州南岸をなぞるように点在し、いずれも上陸地点に適する地域。
559 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:49:22 ID:3J1/kNcL0
>>558 そうだね。
>>541は、海人が関係してるということだけど、
たとえば、出雲と紀伊が、海人による交易で結ばれていたとするなら、
同じスサノオを祀っていてもおかしくない。
ただ、海人による交易がどの時代まで遡れるのか?
3世紀以前まで遡れる証拠(出雲と紀伊が直接交易していた弥生時代の証拠)が無いと、
拝聴に値しないわけ。
スサノオ云々はそんなに引っ張る話題じゃないだろ
さすがにスレ違いだと思うぞ
まあ、近江以外は全部スレ違いなんだけどw
561 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 20:59:48 ID:y2hMaUwy0
>>555 更に言えば卑弥呼だってヤマト王権や天皇家とは何のつながりもない一豪族に過ぎないだろうからね
邪馬台国と同時代に○という国や△という国もありましたってこと
邪馬台国へ行く途中に、伊都国という国が登場する。
他の国に比べて、伊都とはずいぶんいい字を使っている。
それどころか、「都」とは、当時でも蜀の都を成都と呼んだように
みやこの意味があったはずである。
「邪馬台国」「卑弥呼」などと蔑んだ漢字を使っているのに比べ
この扱いの違いはなんだろうか。
倭人伝を読むと、卑弥呼はあくまで象徴的、巫女的な存在で
実際の権力を持っていたようには感じない。
逆に、伊都国には「一大卒」というものが置かれ、各国を巡察していて、
諸国はこの一大卒を非常に恐れているとも書かれている。
都の字を使い、一大卒の存在。
実は伊都国こそが、実質的な首都だったのではないだろうか。
>>558 海人にまつわる地名といえば、谷川健一先生の「地名の研究」に
出てくる「アオ」の話が面白かった。沖縄を発した「アオ=青=海」の
一族が北上して、一部は本州南岸を紀伊に至り、一部は九州西岸から
日本海を回って新潟まで住み着いてるの。
ベーリングを越えて南米まで至る古モンゴロイドの旅に比べたら
ささやかなものだけど、それでも十分に壮大なスケールだよな。
でも実は、そういう移動を奇異なものに感じるという感性は、たかだか
2500年前に農耕を始めてから身についたものかも知れんなと。
>>562 なんつーか、
「香川の高松は四国の玄関口で、国の出先機関とかいっぱいある」、
みたいな話を思い出した。そういう感じじゃないかと。
聖徳太子オレ説
>>562 伊都国が九州北部ってのは動かないと思うけど、
なんでそこに一大卒をおいたんだろうねえ。
もし邪馬台国が近畿にあったなら、他の地方はどうしてたんだろう。
九州って僻地過ぎるだろうw
「諸国が畏怖する」ってことは、その諸国ってのは、主に九州一帯にあったのではないかなあ。
だとすると、邪馬台国も九州だろう。
ただ、そうすると、じゃあ邪馬台国に最初から置けばいいだろうとも思うが。
防衛の砦を中央に置いてどうすんだよ
近江に邪馬台国があったかどうかは別にして
近江にも邪馬台国と思ってもおかしくないぐらいの勢力がある部族があったと
解釈してもいいんだよね。
伊都を委奴としていたって話もあるから必ずしも良い字をもらってたとも限らんけどな
>>566 防衛じゃないよw
諸国監視の為の組織だよ。魏志倭人伝ぐらい読め。
似たようなもんだ馬鹿
>>570 似ていないよ、バカ。
防衛なら一方だけに偏ってもいいが(防人みたいに)、
諸国巡察なら、全国満遍なくやらないといけない。
ちなみにこのころ半島とは緊張関係になく、むしろ国内の南?にある狗奴国と争っていた。
だから、北側に軍事勢力をおいたとしたら、むしろおかしい。
似たようなもんだが、そんなことはどうでもいい
ここからわかるのは伊都国周辺に反対勢力があったということ
くだらねえ重箱つつきに付き合うつもりはない
いずれにしても中央に置く意味なんかまるでない
一大率ってのは、今で言う国の出先機関の合同事務所みたいな
もんじゃないのん?
もちろん防衛もやるけど税関もやるし外務省的な機能もあるし、
たぶん外国の領事館も入ってたとか、そういう感じ。
>>572 なんで、そう言う無意味な事書くのかねえ。
そんな反対勢力の存在なんか書いてない。
それらしいのは、南側の狗奴国だって、ちゃんと書いてある。
たまには、本でも読め、アホウが。
中央に置く必要はないとしても、倭国の辺境に置くのはもっとおかしい(畿内説の場合)。
そもそも諸国の検察使のようなものは、普通中央に置くだろう。
地方には派遣する種類のものだ。
知識も論理もないレスは止めろ。
>>573 それだと、まんま太宰府になるわけで、その前身だったという説明はありうるかもしれないが、
魏志ではそんなんじゃないんだよね。
諸国が、恐れ憚る存在だって書いてある。
なんでそんなものを、九州北部に置いたんだろうかねえ。
資料を基に当時の社会の仕組みを知る
社会の仕組みとは必然性があってそうなっているのだから
そこから周辺の情勢を推察するのが当たり前の手法
ところがときどき逆のことをする馬鹿が現れる
>>576 お前のことかw
魏の使いも来て常駐してた辺りに危険があったとはな。
まあ、邪馬台国じゃ妄想全開が昔からの流れではあるが。
>邪馬台国に最初から置けばいいだろうとも思うが。
こういう疑問を抱く時点で思考の方向性が完全に間違っている
580 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 22:45:32 ID:G1/D0WNZ0
北近畿万歳スレか!?
>>575 おお、改めて読んでみたら
>特置一大率 検察諸國 諸國畏揮之
なのね。FBIの機能だったんだな。
>>581 糸島(辺り)から、「諸国」を検察出来る、ってことは、その諸国は糸島から割と自由に行ける、
ってことなんだろうと、思うわけだけど。
瀬戸内海とか、尾張とかは無理だよねえ。
583 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 22:51:51 ID:YewAEu9z0
>>563 海人といえば沖縄を連想するけど、大分に海人部とかの地名が
あるんだよね。
あそこから磐井の乱や南北朝の落ち武者が南の島々に逃げて行った
とも聞いた事がある。
海人は古代から大活躍。
ちなみに、諸國畏憚之 だね。
憚・・・はばかる。権威を持った存在だったんだろう。
官職から推察すれば周囲に脅威があった可能性を考えるのが普通
あるいはその地域自体が潜在的に離反の脅威を含んでいたかだ
伊都国あたりは周囲を山と海に囲まれているので、こちらの可能性も高い
考え方を変えれば、その地域の豪族に名誉職を与えたという可能性もある
>邪馬台国に最初から置けばいいだろうとも思うが。
↑
いずれにしたってこれはない
>>583 大分の海人部と聞くと、諸星大二郎の「海神記」という漫画を思い出すな。
あれもスケールがでかくて面白かった。絵はキモいけど。
あと、愛知の海人郡とのつながりもありそうだよね。
>>582 うんうん。言いたいことはわかる。俺もたぶん同じ意見だw
近畿とかも無理だよねえ。
>>585 うざい。「防衛の砦」とか言ってたバカは引っ込め。
日本はどこでも海と山に囲まれてる。
何が、名誉職だw
自衛隊も警察も中央にあるだろ、普通。
最初から地方におくかい。
たまには本を読めよ。
自衛隊も警察も日本全国にあるよ馬鹿w
六波羅的なモノで有力豪族&敵対豪族の監視してたんじゃねーの?
日本は強力な出先機関を置くのが好きだしさ
>>588 司令部は中央だがw
しかし、くだらない所に突っ込んで来る奴だ。
有事の際に中央から何日もかけてノコノコ出かけていくシステムなんかつくるわけないだろ
弥生人だってそこまで馬鹿じゃないw
>>589 まあ、それはあるかもしれないが。
鎌倉公方(室町)とか、六波羅(鎌倉)とかあるけど、いずれも、かなりの広域の抑えだよね。
伊都国ってのが解せないんだけど。
当面の敵が狗奴国の当時に、なんで北側に(畿内説からは西の外れ)。
完全な中央集権では有事の際には間に合わないんだよ馬鹿
当時に電話やFAXがあるとでも思っているのか?
なんでこんな馬鹿が古代を語っているんだろう?
>>591 他の地方はどうなんだよ。
畿内説では尾張、東海、北陸も範囲だろ、多分。
>>593 お前のようなバカの方がおかしい。
基本的な知識すらないのに。
なんで、こんなスレに来たのやら。
596 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 23:17:48 ID:X7meJ/fJ0
>>594 神話では四道将軍の話があるな。
そのまま事実とは言えないが。
しかし、邪馬台が日本語のどういう当て字だったか以前の問題として当時の日本語自体も今とは
発音違うだろうし、議論しても意味なくない?
守護が京都につめても守護代は不要だというくらいの暴論
>>596 そうね。それは中央からの派遣だけど、当たり前にw。
それは、崇神あたりだったかな・・
近畿中心なら、当然に考える事だろうけど。
>>598 はいはい、で、守護代はある一ヶ所の辺境にいたのかね?
ほんとにバカだろう、お前。
守護代は現地の派遣官だわな。
一大卒は、倭国の諸国を検察する官吏(らしい)。
全然違う。
なんで古代と現代の区別もつかない馬鹿が邪馬台国を語っているんだろう
602 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 23:24:57 ID:Xh19HSm30
邪馬台国はマキムクだ。
でないと、鹿男あをによしが成り立たない。
>>601 お前の事ですか?
もういいから引っ込んでよw
スレの浪費だよ。
魏志も読んでないことは明白なのに。
出先機関に都の字を使うかな
そもそも邪馬台国が首都だとは書いてないんじゃなかったか。
「女王がいるところ」ってだけだったはず。
戸数が異様に多いから首都みたいに思われてるが、
→投馬国→邪馬台国の道のりは、
それまで詳しく書いてたのに、急に適当になってて
実際は行ってないで伝聞という説も根強い。
戸数だってどこまで信用できるか。
>邪馬台国に最初から置けばいいだろうとも思うが。
↑
馬鹿丸出し
そこに置いた理由を考えるのが当たり前の思考
>>604 ちょっと賛成。
実は、倭国の地域のことを詳しく書いてるのは、壱岐対馬松羅あたりまでなんだよね。
それ以外は、概観的な書き方になる。
対馬なんかは、見て書いただろうという描写がある(禽鹿の経とか)。
だけど、伊都辺りをすぎると体験的な描写がなくなる。
だから、気になる。
ただ、原文では、直接女王に会ったと見られる描写もあるし(断定はできないが)。
>>605 それをずっと考えてるんだけどw
スレを読んでね。なんで置いたんだろうとずうううっと書いてるんだが。
あと「も」にも注意ねw
>>606 飽きたんだよ。
夏休みの絵日記とか、最初の1週間くらいは
すげー張り切って書くけど、8月に入ったらどうでも
よくなるじゃん。うんうん。
>>608 ただね、日本列島は結構変化に富んでるから、
例えば、瀬戸内海を通過したのなら、何か書くでしょ?
だけど、突然国ごとの説明が無くなるんだよ。
だから、おかしいよね。
末羅、あるいは伊都まで来たことは確実だとは思うけど。
ワロタ
611 :
名無しさん@十周年:2010/03/07(日) 23:43:39 ID:fMZHDdmw0
ジャバダイ国の歴史がまた1ページ
邪馬台国は紀伊田辺
>>610 お前のような、知識も論理能力も無いバカは一人で笑ってろ。
>>613 お前を笑ったんじゃねえよ
自意識過剰だな
いちいち粘着するな
気持ち悪い奴だな
ってか夏休みの絵日記にマジレスするなよw
>>614 何の知識も無い奴は、こういうスレに現れないでくれ。
無駄になるから、スレも時間も。
消えろ。
>>609の前半。
あ、そこは俺も思った。
どういうルートをとるにしても、吉備か出雲は通るわなと。
ちなみに、この疑問に対する反論は、「投馬國が出雲である」説と
「投馬國が広島の鞆である」説があるな。どっちも魅力的なんだけど、
そしたら不彌國(たぶん福岡県海町)から向かうルート(前者なら遠賀川沿い、
後者なら行橋か日田-大分)に多数ある弥生遺跡が無視される。
>>615 しかしとんでもない粘着質だな、お前
お前がレスしなければとっくに終わってるよ
俺もお前をイジるのはもうとっくに飽きてるからな
これをスルーできればそこで終わる
消えはしないけどな
まあ、学会ではこないだの発見以前から
マキムク→ヤマト王権でほぼ確定してたよね
邪馬台国がマキムク王権ならヤマト王権の先祖になるし
九州ならたんなる地方政権だったってことになるんだろうけど
ローマに赴こうとした中国の商人をパルティア商人が「ローマはまだまだ遠いよ」で帰らしたみたいに
北九州に着いた魏の外交官に「水行十日」と大陸人がチビるデタラメを言って帰らせたんじゃないのか
621 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 00:37:05 ID:ddTkKnSZ0
まあ鹿児島と宮崎の県境あたりに
邪馬台国が存在したと認識するには
IQと柔軟な思考哲学が必要だろうな・・・ムムム
柔軟というかむしろ馬鹿になって読めば
確かに南九州に行き着くことになる
>>499 逆だろ。国学者とかは九州説支持なんだから。
625 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 07:32:23 ID:jESvPSrf0
八幡平だと何度言ったら
神武東征があるから九州説を漠然と信じてたけど、
畿内説ではあれをどう解釈してるの?
627 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:09:24 ID:EXUyoanm0
神話上の神武東征は紀元前の話。
史実としても、1世紀の話。
628 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:14:15 ID:PINaOYcG0
SAGA佐賀の最大の観光資産の吉野ヶ里遺跡の立場が・・・
629 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:24:58 ID:IzN4HXYFO
>>105 邪馬台国が古墳を作ってたら魏史に載る筈だろ
古墳が無い九州の方が自然
場所はどこでもいいけど大和大国の姫巫女に表記を改めて
632 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:29:42 ID:clLBoUJH0
支持
中国の地図は北が上。
当時の日本は東が上。
北九州から先は使者がいってなくて現地の人に聞いて記述。
だから方位が間違ってる
それだけのことなのに
>>629 魏の使者は伊都に留まっていた 基本的に九州の景色しか知らん
それはともかく卑弥呼の墓は古墳じゃないのか?直径150mの墓は
そんなあほな事より、魏志倭人伝の方位と日程を信用すれば一番信憑性のある
邪馬台国=ジャワ説はどうなってるんだよ
>>563 それ見て飯豊青皇女の別名が忍海郎女だってことを思い出した。
青海郎女とも言うなあ。
邪馬台国ってヤマト国かね
台与でトヨだから普通にヤマトって読めるよな
天皇は普通に卑弥呼の末裔なのかねぇ
本当は日巫女らしいし
卑弥呼とか邪馬台国とか卑しいとかよこしまとか何か変だと思ってたけど
中国が付けてるからこんな漢字なんだよな
637 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:40:52 ID:IzN4HXYFO
時間的に見ると
神武東征の方が卑弥呼より先
そして、紀記に卑弥呼の記述は無い
なら日向の豪族の四男坊が畿内に国を立てた後、九州では筑紫の豪族が覇権を握っていたと考えるのが妥当
>>604 倭の中の好古都国という国も出てくるから
字の意味より音なんだろうと思う
>>563 くどいこというが、農耕は6000年前にはあった。
当時は狩猟と半々だから云々、と言うなら、弥生も実は似たようなものーなぜなら
タンパク質を確保できるだけの家畜を飼育した形跡がない
水稲のことを言いたいのなら、これも遅くとも三千数百年前からあった。
>>633 あなたのレスで思い出したが、
当時の日本は徹底した太陽神信仰で
巻向の遺跡も、大陸風の南北軸じゃなくて東西軸で設計されてたな
とにかく、古代日本文化は極東アジア圏の亜種だと言う先入観を捨てないと
いつまでたっても古代史のなぞは解けない
640 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 09:51:13 ID:IzN4HXYFO
大体畿内の大王の都は橿原にあるわけで、卑弥呼とは関係無いじゃん
長浜市の多田幸寺、航空写真で見ると隣にあるの400M超の古墳にに見えるんだけど
しかも拡大してから地図表示に戻すと等高線とかもう古墳にしか見えないんだけど
目の錯覚かな?
642 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 10:12:37 ID:clLBoUJH0
橿原神宮のま東にあるのが伊勢神宮
これは日の出の地にたどり着いたもの
ま北にあるのが天智天皇陵墓
これはよみの地にたどり着いたもの
戦国時代、特に前半は安土桃山時代と比べて記録や逸話が圧倒的に少ない。
邪馬台国は一時期偶々勢力が大きくなって海外に使者を送れたから記録に残ってるだけで
実際は大和王権によって安定するまでずっと戦乱は続いてたんでないの。
邪馬台国が九州の井の中の小国で、同時にそれ以上の大国が畿内や近江にあってもおかしくない。
卑弥呼が巫女で、鬼道の使い手
天皇陛下が神道の神官
邪馬台国と大和
両者になんのつながりも無いと思う方が不自然だよな
>>456 日本書紀が神功皇后を卑弥呼にあてているとすると
つまり日本書紀編纂当時の皇統とは別(何代か前では
皇統に繋がっているけど)の人っていう認識だったんだね。
これ読んでて気がついた。
646 :
645:2010/03/08(月) 10:57:00 ID:KbG7BW6z0
あ、すいません、頭の中が整理できていないや
>>645は忘れてください
647 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 11:00:41 ID:clLBoUJH0
日本書紀編纂当時の皇統 = 天武血統
何代か前では皇統に繋がっているけど = 天智血統
>>639 地域などの条件にもよるだろうが、弥生時代は狩猟はあまりしていなかったと思うよ
まだ完全に結論が出たわけではないようだけど、イノシシではなく家畜としての豚らしき骨も出てきている
少なくとも既に家禽は飼っていたし、豆の栽培も行っていた
弥生時代にも狩猟民族は残っていたらしいし、交易は行っていたと思うけど
農耕民賊が狩猟を行うことはあまりなかったんじゃないかな?
現代に残る原始的な方法を用いた農耕民族でも継続的な狩猟を行うものは多くはない
中には狩猟を行わず、家畜や家禽も一切持たない民族すらある
米やとうもろこしの文化圏では副食の豆類と合わせて植物由来のたんぱく質でなんとかなるらしい
小麦の文化圏では一部の必須アミノ酸が欠落しているのでちょっと厳しいらしい
649 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 11:28:00 ID:jPYRsLXY0
>>636 卑弥呼→日巫女→日御子らしい。
一説では天照大神というのもあるし、
彼女が神道の本尊だから、天皇家の先祖かもな。
京都じゃないかと思っている。
651 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 12:46:50 ID:KbG7BW6z0
>>649 でも卑弥呼が天皇家の先祖なら、日本書紀に出てこないのは何故だろう?
神功皇后だって、卑弥呼にあてているという説はあっても、
中国に使者出してないし、子供いるし、完全に同一人物かは???
やっぱり天皇家は帝だから、中国に朝貢してたって書けないから、
書記からは抹殺されたんだろうか。
652 :
aa:2010/03/08(月) 12:49:25 ID:SWrVZF4k0
富士山麓鸚鵡啼
653 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 12:53:57 ID:clLBoUJH0
2.2360679774997896964091736687313
654 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 12:59:53 ID:clLBoUJH0
655 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 13:11:10 ID:jPYRsLXY0
>>651 >中国に朝貢してたって書けないから・・・
そんなことはないだろう。
だってシナと完全に柵封関係絶つのが、例の小野妹子の遣隋使が、
煬帝帝に国書たずさえていったときだから、皇紀からいくと、
比較的新しいことだ。
卑弥呼の時代なら、まだ大和朝廷の建設期間じゃないのだろうか・・・
656 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 13:12:12 ID:IHN+u6AB0
沖縄説もまだ死んだわけじゃないよね^^
日本書紀は基本的に天皇が
「けっきょく ぼくが いちばん つよくて えらいんでしゅ(^▽^)」
ってことをアピールするためのものだからな
事実はどうあれ、朝貢してたって書けないだろうよ
邪馬台国や卑弥呼のことを書けない理由も同じだろう
>>649 その説は、しばしば言われる事だけど
現実的ではないと思うよ
だってさ、畿内で天照が皇祖神とされ、太陽神信仰が定着したのは、せいぜい六世紀の事だと考えられている
それ以前は太陽信仰は、伊勢など一部にあるだけのローカルな信仰だった。
これでは邪馬台国が畿内にあったにせよ、北九州にあったにせよ。
太陽神信仰と結びつけるのは難しいよ
>>651 当時は文字も持たなかったからな。
古事記にせよ、日本書紀にせよ、上古の時代のことは口伝で継承された物語を清書したものだろう。
中国への使者の派遣に関する事はそのほかの多くの事にうずもれて散逸しても不思議は無いが
ただ、遣隋使の派遣にしても、隋書と日本書紀には多くの矛盾がある。
隋書には日本の王は男性だったと書かれているが、当時の天皇は推古女帝だったはずだ。
この男性王は摂政だった聖徳太子の事では無いかとも言われているけど。
そうではなく、そもそも大和朝廷が隋に使者を送った事実は無く、九州の王権の独自外交だったとの説もある
これと同じように魏への朝貢も、畿内の王権とは別に九州の王朝が独自に行っていたものと考える学者もいるそうだ
>>268 面白い考え方だね
当時の朝廷は敵対者を獣や怪物に例える事が多かったし
やまたのおろち=八つに跨いだ蛇
八は多いって意味があるから
勢力が大きい国=邪馬台国って意味になるかもね
と妄想してみた
ヤマタノオロチは、越のヤマタノオロチと、出身地名まで書かれている。
越とは、富山県の全域と福井県、そして新潟にまで至る広大な範囲であり。
この地域には数百もの古墳が点在し、中には地方豪族の墓としては大型の全長80メートルに達するものもある
一説には大和朝廷に対抗したとも言われる出雲王朝も、頭を抱える巨大勢力が存在したのだろう。
こうした外敵の恐怖が、ヤマタノオロチの物語を形成した一つの理由でしょう
662 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 15:50:44 ID:EXUyoanm0
今の子供って、ヤマタノオロチの神話とか、どこで知る機会があるの?
学校で習った覚えはないし、図書館で自分で調べるのかな?
663 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 15:51:55 ID:kJxqIxheO
卑弥呼が滋賀なんか行くかよww
664 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 15:52:32 ID:d1hh8Vn+0
665 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 16:08:08 ID:qJ+Otcxi0
道理で、天岩戸っぽい洞窟が、琵琶湖畔にあるんだよ。
沖ノ島はおのころ島ですね。
単なる小説だって
卑弥呼という名前が
実在する女性の個人名とは
とうてい考えられない
「日本の女性」の意味で名付けた
架空のヒロインだろう
669 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 18:28:49 ID:f8XMwnqP0
結論を出せるほどの十分な証拠がない状況で
いつまでも議論できる文系脳の幸せ。
証拠?
そんなもんアンモナイトより古くからいる黒柳徹子に聞いたらいいだろ
卑弥呼は大和にいたんだろうけど今の天皇の先祖は越前から大和に攻めてきたから全く関係ないけどな
卑弥呼は神功皇后だから太陽信仰だったに違いない
太陽信仰だから卑弥呼は日巫女に違いない
太陽信仰だから鏡を使ったに違いない
畿内からたくさん出る鏡が九州からは出ない
だから邪馬台国は畿内に違いない
と滅茶苦茶なことを平気で言うのが畿内派
>>671 継体王朝交代説も今は劣勢じゃなかったか
記紀には邪馬台国とかの記述はないらしいけど
これはヤマト王権が前代の王権を故意に無視したってこと?
それともほんとにそんな国があったのを知らなかったってこと?
ところでさ、卑弥呼って漢字の「卑」はいやしいとかの意味であまり良いイメージとは思えないんだけど
部族の偉いさんにつける名前じゃない気がするんだ。
昔は悪い意味は無かったの?それとも読みをあてただけで名前にあまり意味は無いの?
677 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:39:10 ID:JAdJEofo0
おれ、博多たい
おれは、ヤマ(のほうと)たい
卑弥呼は九州で間違いなか
678 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:47:34 ID:HXY5H0Eh0
679 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:48:10 ID:G4PAiizs0
以前読んだ文献によると、2008年にタイムマシンの発明により、すべてが明らかになったはずだが・・・
680 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:49:24 ID:aQfZUP5o0
>1
全く無い
魏志倭人伝にある、東に海があり、その先に倭人の国がある、この条件に全く当てはまらない
近畿説と全く同じ暴論
ジーグ禁止
682 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:55:39 ID:cDSfoghg0
纒向が邪馬台国ってのもありえない。
あそこからはいまだに「集落遺跡」が一つたりとも出ていない。
纒向が邪馬台国だなんて、本気で考えている学者はひとりも居ないよ。
畿内説が「客寄せパンダ」として売り出しているだけ。
683 :
名無しさん@十周年:2010/03/08(月) 20:56:52 ID:HXY5H0Eh0
卑弥呼が推古天皇である可能性はないのか
全く無い
>>676 大陸の連中が前王朝の記録をつける時に関係のある人物に勝手に当て字したものだからね
んで自分のところ以外は格下の蛮族だからそれっぽい字をあてがうのが中華思想
後に我が国が日本として認識されたのはその序列から脱っした事が大きい
亀レスですまんけど。
>>639 いや、2500年前に特にこだわりはないので3000年でも6000年でも
いいんだけど、要は日本で耕作を営みとして定住する生活がメジャーに
なったのはほんの最近だと言いたかったの。
だけど世の中にはなんとなく、「日本人のアイデンティティは農耕民族!」
みたいな思い込みってあるよね。
>>648 奥歯から推定した月齢から、6月に生まれた個体を翌々年の春から秋に
食うというサイクルが見つかったんだよね。ブタだかイノシシだか
区別はつかないけど、どっちにしても飼ってたのは間違いないらしい。
今でもニューギニアなんかでは、集落の中に放し飼いのブタ(というか野良ブタ)が
ウロウロしてるそうな。家々の残飯をもらって子供と遊んだりしてるの。
そんな感じだったんだろな。
倭人伝の記事の中には、「人が死んだらモガリをして肉を食べない」
「航海の無事をいのる持衰は肉を食べない」と2回も肉断ちの記載があるけど、
このような記述は東夷伝のほかの国々では出てこないそうな。
裏を返せば、普段は日常的に肉を食ってたから断つ意味があるわけで、
このあたりは文献史学と考古学とがちゃんと符合しているのだ。
>>659 >これと同じように魏への朝貢も、畿内の王権とは別に九州の王朝が独自に行っていたものと考える学者もいるそうだ
ピンポーン
「どなた?」
「日本の方から来た使者でーす。今日はちょっと消火器の販売に…」
みたいな感じかw
>>688 どちらかというと縄文は農耕と狩猟がバランスよく行われていた時期だね
三内丸山にしても大船にしても数百〜千数百年程度の定住が確認されているし
発掘結果より5千年以上前から豆とか栗の栽培をしていたと考えられる
水耕はともかく農耕の歴史って実はもっと古いのかもしれんよ
>>687 そうなんですか。ありがとう。中国が勝手にあてただけだったんだ。
ずっと不思議に思っていたんです
>>690 どのへんから農耕かっていうと議論が分かれそうな気もするけど、
栽培をしていたことは間違いないよね。縄文時代は俺らが社会の
時間に習ってたよりもずっと豊かな時代だったっ気がする。
ただし、定住がメジャーだったかというと、そこはどうなんかな。
>>691 そもそも日本の旧国名・倭も、「背が丸く曲がって低い人」との意味であり。
完全な蔑称だよ。
明らかに異民族への蔑みから用いた名前であり
日本がこの旧国名を廃止して、遣隋使の時代に日本と国号を改めたのは中国に付けられた蔑称を払拭する意味合いがあったと言われている
卑弥呼は姫巫女の呼称が訛ったもので
邪馬台国に対抗したクナ国の王ヒミココは、彦御子が訛ったものだろう
どちらも女王と男王を意味する言葉であり、固有名詞とは考え難い
魏志倭人伝は、魏の使者の報告をもとに書かれたのだろうが。
使者は日本語の知識が乏しく、こうした言葉の訛りが生じたのだろうな
文字を持たない文化の固有名詞を表意文字で書き表しただけのこと
異民族に対する差別感情が使用する文字に反映されたところで騒ぎ立てるほどのものではない
おまえらの同級生にもメガネ君はいたはずで、眼鏡をかけていたからメガネ君なわけだが
一度メガネ君になってしまったら、眼鏡を外そうがコンタクトレンズに替えようが彼はずっとメガネ君だ
メガネ君が固有名詞として認識されてしまったら、眼鏡をかけているかどうかは関係なくなってしまうのだ
彼を知らない人間がメガネ君という名前からきっと眼鏡をかけている、だから目が悪いんだと推測することには価値がある
しかし眼鏡をかけている人がメガネ君と呼ばれているのを見て、メガネ君と呼ばれる理由は眼鏡をかけているからだなと推測することにはあまり大きな価値がない
卑弥呼の場合も同じこと
卑弥呼が名前しか判明していなければ、日巫女・姫巫女だからシャーマンだと推測できて、そのことには大きな価値がある
しかし卑弥呼がシャーマンであろうことは最初からわかっているので、その由来が日巫女でも姫巫女でも大した問題ではないのだ
本来、卑弥呼はヒミコとして扱うべきものだ
ところが卑弥呼を日巫女として太陽信仰・鏡文化と結びつけ、畿内説を補強しようとする連中がいる
これはまず結論ありきの理由付けであって、純粋な探求心からの推測ではなく学術的とは言い難い
大和王国ばんざい!
この前、「世界不思議発見」で、卑弥呼が死んだとされる年に日食があったから
それで卑弥呼が殺されたとの説を出していたな
しかし皆既日食はともかく、部分日食など数年に一度と、けっこうあるのに何でそんなことで女王が殺されるのやら
そもそも卑弥呼=日巫女など、時代を無視した強引な説であるのに、それを押し通す理由もわからん
699 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 05:42:42 ID:d+Pz9k4N0
皆既日食が2度あったからね
もし日食と卑弥呼の死を関連付けるのであれば
太陽信仰はその時に始まったと考えるのが妥当
だとすると生前の卑弥呼を日巫女とするのは無理があり
卑弥呼の時代の遺跡から太陽信仰に関連するものが出土すること自体がむしろ不自然なこととなる
701 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 06:39:32 ID:d+Pz9k4N0
>太陽信仰はその時に始まったと考えるのが妥当
なんで
>>649 自分は徐福=神武天皇説 天孫降臨だと信じているんだけど
卑弥呼が天照だと時代が合わんのよね。
だれか自分と同じ説の方いません?
太陽信仰が卑弥呼の死後に始まったというのは乱暴だった
農耕民族に太陽信仰が生まれない方が不自然なわけだし
土着の自然信仰としては存在していたと思う
実際、弥生中期から九州北部にて太陽信仰と関わりが深いであろう銅鏡が出土している
ただし当時の九州地方ではかつて銅矛文化圏と言われていたように、銅矛の出土が多い
祭器としても銅剣・銅戈が多く用いられており、太陽信仰の影響力だけが特別に大きかったとは考えにくい
当時の近畿地方はかつては銅鐸文化圏とよばれるほどに銅鐸の出土が多かった
その後、古墳時代には銅鏡文化圏と呼ばれるほどに銅鏡が出土されるようになる
これは弥生時代末期から古墳時代の初期にかけて大規模な宗教革命があったことを思わせる
もし日食と卑弥呼の死を関連付けるのであれば
太陽信仰の影響力が増大したきっかけが卑弥呼の死にあったのではないかということを言いたかった
704 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 07:58:59 ID:3oEOYd3v0
実際の所、九州じゃ微妙だと思うのは俺だけか?
706 :
.:2010/03/09(火) 08:02:00 ID:3oEOYd3v0
707 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 08:11:36 ID:3Uf6NTMS0
>>703 弥生末期から古墳時代初期って言ったらもろに日本建国の時期。宗教に限定せず
あらゆる物事が激変してると思うが。
倭国大乱→邪馬台国連合→連合崩壊・ヤマト政権の誕生→大君体制による地方鎮圧
神話で言うならスサノオから国譲り、天孫降臨
天皇家系譜なら神武vs長髄彦、伊勢や丹波などの征伐、そして四道将軍
太陽信仰は古くあっただろうけど、日本ではそれほど重要視はされていない印象だな。
708 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 08:47:18 ID:OvBugZiw0
709 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 08:50:05 ID:UBRCrG6j0
ハニワ幻人いたの?
710 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 08:51:35 ID:OvBugZiw0
>>692 いわゆる水稲耕作が主流になる弥生時代を、
ひとつの分岐点にしているんじゃね?
>>696 いやそうとも言えないんじゃないか。
名前のルーツを探ることで、シャーマンという職業的地位以上に、
天皇家も含めた古代氏族社会の謎解きに、重要なヒントがあると思うが。
大和朝廷の祖先神は天照大神だから
太陽信仰とつながってるかどうかは重要な問題だと思うが
712 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 11:17:28 ID:0tfmfrw10
>>711 違うよ。
天武天皇が天照大御神を祀ったときから、太陽神信仰が始まった。
それまで、天照大御神は伊勢の地方神にすぎない。
太陽神信仰は宗教以前、古代からのアニミズムが元だからなぁ
714 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 12:39:18 ID:d+Pz9k4N0
伊勢の太陽神信仰があったから天武天皇が天照大御神を祀った
伊勢神宮が太陽信仰で、そのご神体が八咫鏡
そして古墳時代に大量の銅鏡が出土していることから
太陽信仰自体は天武天皇以前から一般的であったと見るべきではないかと思う
>>715 伊勢神宮が皇祖神の地位まで高まったのは、記紀で色々と言われているけど
実のところ、天武天皇の時代からだと言われている。
壬申の乱で天武側に付いた事から、朝廷は、伊勢神宮を最高の祭神の地位を与えたのだろうと考えられている
太陽神の信仰自体は、例えば物部氏の祖神とされるニギハヤヒノ命など
天武天皇以前からあったのだが、それはあくまでローカル信仰であり、数多の神神の一つとして存在しただけであり
神道の中心にまで位置付けられていたわけではない
小泉純一郎・竹中平蔵・西川善文・宮内義彦・西村修平・桜井誠・瀬戸弘幸御用達の反日珍米阿呆馬鹿不細
工火病北朝鮮人記者sek漬けが立てたチョイルプクチョソンゲノムプロスポーツエンターテインメントワイドショ
ースレッドは御覧のスポンサーの提供でお送りします。
(7ヌ) ヌル ヌル (/ /
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邪馬台国=倭国=九州王朝
大和朝廷=日本=近畿王朝
倭国と日本国は別の国
こんなの常識だよね
倭国=九州王国は朝鮮に出兵(白村江の戦い)して敗れ、国力が衰えたところを
壬申の乱(実際は倭国と大和朝廷との間の戦争)によって倭国=九州王朝は滅んだ
かくして、九州を含めた西日本は、大和朝廷によって統一されたんだよ
遣隋使を送ったのは倭国、すなわち九州王朝が送ったわけ
聖徳太子も蘇我氏も倭国=九州王朝の人間なわけで、
その真実を隠す為に日本書紀が書かれたのは、余りにも有名な話
すなわち、歴史とは勝者によって作られ捏造される事は、
歴史好きには当たり前田のクラッカーであり、常識なんだよ
単なる小説だって
事実を書いてあって 卑弥呼が実在するならば
日本で使用されている名前を書くだろう
720 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 16:55:11 ID:0tfmfrw10
>>719 古代の中国の書に、日本人名がそのまま出てきた例はほとんどない。
というか、無い。
〜たい、っていうのは九州の方言だが
722 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 17:27:50 ID:FO/tiynD0
邪馬台国栃木県宇都宮市川田町864-1番地説
723 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 18:25:33 ID:YSwMBtJt0
>>718 >当たり前田のクラッカーであり、常識なんだよ
ジョークも常識も古すぎw
724 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 19:29:04 ID:d+Pz9k4N0
725 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 19:56:41 ID:5IHM1Mj40
邪馬台国愛知県岡崎市岩津町東山43-1説
726 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 20:00:04 ID:Qg0f9v6C0
修羅の国四国説
邪馬台国釜山説
728 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 20:03:26 ID:nN6dgP3kO
邪馬台国韓国説
なんかここ見てたらこのころの歴史に興味出てきた。
昨日太平洋戦争関係のスレ見てその頃の本買ってきたばっかなのにw
ちょっと後悔。
だから邪馬台国は岩手でキリストの墓は青森で義経がチンギスハンなんだって
つか近江だって言ってるやつ誰もいないなw
>>716 天武天皇以前の遺跡から大量に出土する銅鏡は太陽信仰とは無関係ということ?
ちょっと考えにくいと思うのだが
732 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 21:01:41 ID:d+Pz9k4N0
つか天武天皇のときに太陽信仰は滅んだんだよ
733 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 21:02:11 ID:GUTD8E4D0
近江の起源は韓国w
734 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 21:03:55 ID:nGbREL6Y0
邪馬台国は普天間に移転しました
黒沢さんと一緒に踊ったのか
736 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 21:12:32 ID:TADPl/I80
間違えて東亜板に来た? w
>>711-716とかいろいろ
アマテラスが伊勢の神だったように、イザナギ・イザナミも淡路の神で、
その原型は東南アジアの諸神話と同様に、最初に不具の子(ヒルコ)を生んだ
あとに、日月二神を生むんだよな。記紀でその日神をアマテラスにしたというのは、
まあ、「あ、ちょうどいいからくっつけよ」以上のもんじゃない気がする。
それが成立した時期というのは
>>716の言うように天武の頃かも知れないし、
河内王朝、継体期には今の形が定まっていた、という人もいるよね。
ちなみに朝鮮の歴史書「海東諸国記」には、祟神天皇期に初めてアマテラスを
祀ったと書いてある。これは14世紀の成立だけど、その元ネタが知りたいところ。
>>731 というか、鏡はたしかに太陽っぽいけど、日神信仰との関係ってのも、
なんだかよくわからんよな。そんじゃ鉾やら鐸やらは何なんじゃい、
ということになるしw
738 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 21:46:26 ID:nGsbVD4r0 BE:1786878465-2BP(1500)
┌─────┐
│ 邪馬台国 │ 田んぼ
└─────┘
━━━━━━━━国道━━━━━━━━━
┌───┐
│市役所│
└───┘
┌───┐
│平和堂│
└───┘
┌───┐
======.│ JR駅 .│========
└───┘
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
∴∴∴∴公園∴∴∴∴
〜〜〜〜〜〜〜〜 びわ湖 〜〜〜〜〜〜〜
739 :
名無しさん@十周年:2010/03/09(火) 22:19:30 ID:tFBr99KF0
卑弥呼はヒ一族で
肥前肥後の肥国の支配階級と関係がある
間違いない!
銅剣・銅戈は普通に戦いの神じゃない?
銅鐸はよくわからんけど
剣・鏡・勾玉の三種の神器を宝物としていたのは天皇家だけではない
九州から一部中国地方の豪族の間では割と一般的なものであった
勾玉は縄文時代から続く日本固有の文化としても、剣および鏡は大陸由来のもの
弥生時代の遺跡のものはほとんどが九州・中国地方から出土している
畿内で出土する銅鏡は魏鏡の様式ではない
天皇家は九州から渡ってきたものと考えるのが妥当
そして畿内に勢力が拡大するに至って、銅鐸文化が駆逐されたのではないかと思う
邪馬台国が畿内にあった可能性は皆無とまでは言わない
しかし畿内派の主張はあまりにも乱暴なものが多すぎる
邪馬台国の道程が途中で方角や距離の単位が変わっていたり
大陸で例のない銅鏡を倭国専用に大陸で作らせたとか
遺跡の年代を調べ直したら、たまたま都合よく邪馬台国・卑弥呼時代にピンポイントで合致したり
この手の恣意的な解釈が非常に多い
わからないものはわからないとして、純粋に調査・研究を重ねていくべきであって
その上で現在の調査で可能性が高いものを定説とすべきものであるのだが
現状ではとてもそういう状況にあるとは言い難いのが残念なところ
いきおい、カウンターバランスとして九州説を支持せざるを得なくなる
743 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 07:23:17 ID:AByT/My70
>>742 九州説を支持するのはいいが
>>741 >天皇家は九州から渡ってきたものと考えるのが妥当
>そして畿内に勢力が拡大するに至って、銅鐸文化が駆逐されたのではないかと思う
もし、東遷説を考えてるなら、マンガの読みすぎ。
>>517 普通に考えてそうでしょうね。
伊都国、奴国、不弥国などの大きさから考えれば
30国の範囲はそう広くはないでしょう。
しかも南の狗奴国との争いに手を焼き魏に泣きついているわけですから
私の地元(大阪府某所)一帯の遺跡がそんな弱小連合国家のものだとはとうてい思えません。
畿内を中心に西日本一帯に勢力を誇る連合国家が南の一国に手を焼く姿は想像しがたいものです。
邪馬台国は九州の小国家連合にすぎず、卑弥呼も九州くんだりの一首長にすぎないでしょう。
745 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 07:57:16 ID:TpiqX8G30
>>742 >いきおいカウンターバランスとして九州説を支持せざるを得なくなる
九州論者乙。畿内九州の二元論をまず捨てろやな。
邪馬台国は倭国大乱で決着が付かず、有力国たちに担ぎ上げられた傀儡政権。
邪馬台国=最大の国って前提がおかしい。有力国の首長たちが秩序を回復させるために
自分より強い国に全権を預ける訳がないだろ。卑弥呼個人にカリスマがあったとしても
邪馬台国自体は弱小国に過ぎない。
それが証拠に、卑弥呼が死ぬと途端に倭国は再び乱れた。
そもそも倭国大乱は列島全土に渡る争乱ではなく、地域紛争だと思う
でなければ卑弥呼以前にも倭国を統一した男王が存在したことになってしまう
それだけ集中した権力があれば熊襲が大和王権の時代まで服従せずにいられるとも考えにくい
倭国大乱の後にその男王を継いだ卑弥呼もまたおそらくは有力な地方豪族の長のひとりに過ぎない
だから邪馬台国は傀儡政権ですらなく、ただの有力な一国でしかないと考えている
単に地理的な条件で朝貢が可能だったので魏志倭人伝に記録が残っただけでは
747 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 08:59:53 ID:UEuMGfG40
>>737 例の三種の神器も天武天皇ころに勾玉が正式に加わって、
皇位継承のシンボルになったという話だな。
748 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 09:34:03 ID:h5EkBchV0
>>517 >で、結局、邪馬台国連合は滅亡した。
>その後の大和朝廷と連続してないことは、
>邪馬台国のあと、150年間も日本から
>使者が来た記録がないことでも明らか。
倭の五王から遣隋使まで100年使者が来た記録がないが
その間にまた別の国が出来たとでも言うのか?w
749 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 09:47:11 ID:7w07Vzl80
>>517 邪馬台国以前も使者が来た記録が無いよね?
これは遣隋使以前は半島経由の陸路で使者が往復してたから半島情勢に左右されるって証明なんだよね。
邪馬台国以前は半島が公孫氏に支配されてて使者がそこで止められてた。
魏が公孫氏を滅ぼしたと同時に邪馬台国の使者が魏の記録に登場してる。
そして倭の五王の時には任那を支配し半島を勢力圏下に置いたので自由に使者を送る事ができたがその後は高句麗や新羅との抗争で陸路の往復が難しくなった。
統一国家が無かったという支那の情勢も影響してるしね。
やっと隋という統一国家が誕生して支那の情勢も安定した頃に海路を使って派遣されたのが遣隋使なわけ。
150年の空白はむしろ日本側の都合ではなく支那朝鮮の情勢不安定が原因なのさ。
750 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 09:58:39 ID:72j0z6ZC0
卑弥呼の墓って仁徳天皇陵にあるって聞いたんだけどほんま?
邪馬台国の起源は韓国ニダ!
753 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 12:48:23 ID:g/sbqY9I0
何をいまさら
邪馬台国(女王国)=纒向で
ほぼ確定してるだろ
755 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 12:52:00 ID:GIdaA1550
特定の時代の建物跡だけが残ってるってことは
何かしらの理由で滅んだってこと?
珍説を自費出版ww
しがない県の癖に調子乗りすぎだろ
>>748 そりゃむしろ中国の政治情勢の影響じゃないか
倭の五王はずっと南朝に朝貢してたわけだけど
最後の進号記録が残ってる南朝最盛期を築いた梁の武帝が晩年
侯景の乱で餓死してから南朝は政治的混迷が続き北朝からの軍事圧力が強まってたきた
梁の次の陳王朝なんか長江下流域をかろうじて維持してただけだから
北朝系の隋が統一するまで使者を送る必要性を感じなかったのだろう
759 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 14:40:26 ID:qnVkSeUC0
もう日本国内ならどこでもいいですw
760 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 14:48:13 ID:3JBXY1820
つーか
こんなの卑弥呼の子孫に確認すればわかる話だろ
>>753 邪馬台国が半島経由で魏と通じていた同時期に
狗奴国が半島経由でさらに魏を通過して呉と通じるのは難しいんじゃないか?
もし呉と通じるのであれば琉球経由となる可能性が高い気がする
九州の北と南からそれぞれに通じていた形じゃないかな?
あるいは魏から生口として呉の職人が半島経由で連れてこられたか
三角縁神獣鏡は魏の年号が入っていたり呉の年号が入っていたりでよくわからない状態
いずれにしても日本固有の出土品なので邪馬台国の所在地を証明するものとしては根拠が弱いものだとは思う
>>761 三角縁神獣鏡の製造地がどこであれ一世紀ほど後の畿内の被葬者が
かつて魏との交渉があったことを意識していたことは間違いない
763 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 16:04:27 ID:TpiqX8G30
>>746 倭国大乱は近畿から中国、九州の話。
この辺りの有力な国々の争い。
>>758 倭の五王がずっと中国に接近してたわけじゃない。
中国からいろんなノウハウを入れて試行錯誤した結果、
「別に中国いらなくね?」ってなって自ら距離を置きだしてる。
764 :
名無しさん@十周年:2010/03/10(水) 23:08:33 ID:XP3pTABj0
自費出版じゃないほうの本、読んでみたらかなりまともだった
>>764 ほほう、俺も読んでみよう。
「水行十日陸行一月」ってのは、「琵琶湖を行けば10日だけど、
岸を歩いたら1ヶ月よ」ってことかしらん。
琵琶湖程度じゃ10日はかからないし
瀬戸内まわりは10日では厳しい
>>766 ホメロスの「オデュッセイア」とか読んだら、エーゲ海周辺を
ちまちま回るだけで10年とかかかってるじゃん。そこはそれ、
物語ってのはそういうもんなのだ。
というか、するってーとおまいは、四国徳島論者か?
あそこなら、大分から渡って水行十日+陸行一月どんぴしゃだ。
は?
( ‘д‘)y-~~<滋賀はとっとと関西から出て行け
770 :
名無しさん@十周年:
水行十日陸行一月畿内に
あったことは間違いない