【社会】縄文晩期にクリ栽培か…奈良・橿原の遺跡に切り株25本
奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡で、縄文時代晩期中ごろ(約2800年前)のクリの切り株が
25本確認され、市教育委員会が26日発表した。約80メートル四方の範囲に集中しており、
食用などのために栽培していたとみられる。
市教委は「切り株がこれほどまとまって出土したのは初めて。狩猟採取が中心といわれる
縄文時代の食料獲得方法を見直すきっかけになる」としている。
切り株は大半が直径50センチ前後で、樹高は20〜30メートルだったと推定。
クリは腐りにくく丈夫なため、食用のほか建築部材としても多く利用されたという。
市教委が科学的な分析で樹木の種類を特定。クリ林の周辺には、オニグルミや
ムクノキの切り株も確認された。
現場は既に埋め戻されており、発掘成果は27日から橿原市千塚資料館で紹介される。
*+*+ NIKKEI NET 2010/02/27[01:12:27] +*+*
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100226STXKF043726022010.html
3 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:13:10 ID:CmtwZ5C70
(U) ちんこ拾いました!
( '∀')ノ 心当たりがある人は連絡ください
4 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:13:33 ID:mpcN8nyc0
捏造ですな。
5 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:14:56 ID:zOwP2mi70
完全に栗ろカタカナで クリと狙っただろ
6 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:14:59 ID:UeIG2zXD0
ロマンならぬマロンが詰まってるな
栗の貯蔵場所から勝手に生えたので放置した
↓
なんか近所で栗ができてうめぇ!
そんな感じでしょ。(´・ω・`)
栽培つーのは、耕して故意に植えてして〜なので、稲作までなかったんじゃねーのやっぱ。
9 :
名無しさん@+周年:2010/02/27(土) 01:22:43 ID:Eorl0fQr0
>>6 なぜか栗は英語よりフランス語が有名
と言うか年配の人は栗の英語を知らない人が多い
その時代って栗より人口支持力の高い栽培植物ってなかったの?
というかぁ、こんな栗の木とかクルミの木を特定ヶ所に植えるなんてのは
数万年前から行われていたのではないのか。
食い物なくて困っていた時代に、貯蔵性が抜群にいいのだから
誰でもすぐに考えつくだろ。たとえ狩猟生活がメインでもさ。
学者ってよっぽどバカなのかね。
>5
漢字で栗と書くと、何故か韓国人が「粟の栽培は韓国起源ニダ」って騒ぐからだよ。
日本が併合するまで粟や稗などの雑穀が主食だったし。
13 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:42:40 ID:XYYnfwPg0
14 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 01:42:43 ID:GTx5TEft0
リスはクリ が好きなんだよ ひひひh
>>13 別に日本でもその議論は当然でてるよ。
縄文晩期の管理栽培は行われてただろーな、
だけど証拠がねぇ
そんな感じだったと思う。
今回はその様なことを裏付ける資料のひとつ。
照葉樹林文化論だったかうろ覚えだが、
戦前から言われてた気がする。
16 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 02:24:07 ID:sOIap2u+0
こんな詩が教科書に無かったっけか
母親と女の子が実を拾ってて
母親が問いかける
それが最後の栗の実なら
それを育てる?
それとも食べてしまう?
17 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 02:24:07 ID:1pAiA2Tt0
ムクノキの実は干しブドウのような味がする
>>15 米作という、収穫率のよすぎる穀物を手に入れる前だから、
遺構が目立たないんだと思う。
集団住居規模も小さかったろうし。貝塚のように残り易いものでないと。
19 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 02:26:46 ID:RvTjMNN40
クリの花ってセンズリの匂いがする。
20 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 02:27:19 ID:XYYnfwPg0
>>15 オメエが突っ込まなければいけないのはスレ記事に対してだろうがw
>>16 さすがに北斗の拳は教科書に載らないだろう
3年たてば収穫可能だから
多少の栽培くらいはしてただろうな。
食える木の実って認識くらいはしてただろうし
1万年前だって知能は現代人と同程度だろ。
栗の木栽培なんて
ごくごく普通に行われていただろ。
むしろ厳しい自然を耐え抜くために、現代人なんかよりもずっと優れた
生活の知恵を有していたハズ。
稲作農耕生活と、木の実の栽培は全然別次元だろ。
関東の方(茨城か千葉)でも、縄文時代のどんぐりの人工林が見つかってたハズだが・・・
確か栗の木も入ってた様な・・・
25 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:02:52 ID:Ysu6wuXG0
アイヌ人の遺跡がまた見つかったな、どんどん日本の歴史が変わっていくな
26 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:03:25 ID:IXyClVRC0
縄文時代に行ってみたい
27 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:05:17 ID:EqgtTBRl0
実家の栗畑は結構放置してるのに毎年生ってるな〜
28 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:08:27 ID:Ysu6wuXG0
教科書も変えていかないとな、ちゃんと国会で決まったことなんだから
遺伝子的によく似通った栗の木の森だったかがどこかになかったけ?
縄文期の栗林
30 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:10:48 ID:KilHG5W/0
31 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:11:12 ID:lY3RN3zQ0
縄文期にも大きな遺跡はあるのに
文字がなかったというのは本当に痛いな
32 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:12:29 ID:caLbH3fc0
あのな。9000年前から器に漆塗って光らせてニヤニヤしてた日本人が
その晩期に栗の栽培ぐらいしないわけねぇだろ。
「オイ、こんな所にクリを植えてもそだたねぇだろ。」
「実るさ・・・下に老人が眠っている」
34 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:32:36 ID:Ysu6wuXG0
縄文人=アイヌ人、だからこそアイヌ人は先住民認定されたわけでしょ
「縄文時代」じゃなくて「アイヌ時代」、「縄文式土器」じゃなくて「アイヌ式土器」
35 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:37:16 ID:IXyClVRC0
>>34 なんでアイヌを「日本の先住民」なんてしちゃったんだ?
「北海道の先住民」なら話は分かるけど・・。
縄文人のほうがアイヌより長く日本本土に住んでると思うんだけど。
亜犬人の相手すんなよw
前から常識でしょ。
dnaが同じ栗が一ヶ所に出てるから、栽培されてたって。
内の田舎のおばちゃんの所も栗畑があったなあ。
38 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:39:46 ID:Ysu6wuXG0
あのね、北海道からも普通に縄文土器は出土されてますよ
39 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:40:52 ID:HEQvVo/bO
>>34 そんな話をしだすなんて、明治時代からタイムスリップでもして来たの?
本州でアイヌの直接の祖先である古代北海道人の骨は発見例は一例もないよ?
読む人がアイヌの方々に変な印象持つようなレスはやめろよ鮮人種族。
アイヌ人は、東北北部までしか降りてきてないから。
しかも北海道に現れたのも12世紀頃で、実は結構遅いんだよね。
先住民なんてウソ。
アイヌの神話にも、アイヌの先住民の話があるくらい(コロポックル)。
樺太から降りてきたんじゃないかな。
41 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:42:20 ID:OUX62eOX0
縄文時代はアイヌ文化自体まだないんだから
縄文時代をアイヌ時代と呼べなんてバカだろ
42 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:45:20 ID:HEQvVo/bO
でもこの記事で気になるのは、橿原だって事だよね…。
2670年前に樫は無かったという事になると、少し寂しい。
43 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:49:16 ID:HEQvVo/bO
>>40 北海道に限っては血の半分は先住民でしょう…。
というか、日本人が支配していた訳ではないんだから認めてもいいような…。
44 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:52:33 ID:IXyClVRC0
>>43 自分も北海道くらいはアイヌが先住民でいいと思うが・・。
何で日本政府は日本の先住民をアイヌにしたのかが意味不明だ。
45 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:52:41 ID:Ysu6wuXG0
47 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:55:31 ID:0o5WlSam0
北海道のアイヌ博物館行ってみろ。
縄文時代から突然近世になるんだよ。弥生時代がない。
日本書紀に朝廷派遣軍が函館まで行ったと記述なかったか?
48 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 04:58:44 ID:4h5LSjjM0
>>45 ×縄文人=アイヌ人
○縄文人の一部=アイヌ人
お前、数学出来なかった子の匂いがプンプンするな
>>47 アイヌが出てきたのって室町辺りからじゃないかな。
諏訪大明神絵詞には出てくるけどそれ以前ての走らん。
50 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:01:36 ID:HEQvVo/bO
>>44 マジで!?
日本列島全体のに認定したの??
はぁ?
誰が一体何を根拠に…。
>>45 ああごめん、北海道古代人が正しい名称だったね。
釣られてやるけどアイヌの祖先は縄文時代に北海道を出て無いし、縄文文化は本州から広がってんだよ。
わかったら半島に帰れ鮮人種族。
51 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:07:33 ID:Ysu6wuXG0
>>47 >縄文時代から突然近世になるんだよ。弥生時代がない。
あのな、道民だけど縄文式土器も弥生式土器も出土されてますよ
小学生のときに学校の先生たちと近所に土器を掘りに行くクラブが
あったんだけど、ちかくの縁をシャベルで軽く起こしただけで縄文
式土器も弥生式土器も簡単に出てくる、生徒たちもみんな持ち帰っ
ていって、そんな土器、珍しくもなんともないよ
52 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:08:55 ID:lY3RN3zQ0
あらら、本格的な亜犬人さんなのですね
お前のせいでスレ腐りそうなんだけど?
53 :
名無しさん@+周年:2010/02/27(土) 05:09:03 ID:Eorl0fQr0
縄文時代って一言で言うけど期間が長すぎるぞ
縄文時代が終わって弥生時代きたというものじゃないし
54 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:10:26 ID:HEQvVo/bO
>>51 だよな。
混血は奈良・平安からで、それ以前は混血の無いまま文化の交流があったと記憶している。
55 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:13:55 ID:HEQvVo/bO
>>52 ねえ、トンスルって飲んでるとお前みたいに脳みそまでウンコに置き換わるの?
早く死ねよ鮮人種族。
56 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:14:09 ID:qvgVi6cs0
縄文時代→擦文時代→アイヌ時代→現代だよ。
アイヌ=縄文ではない。
擦文とはギリヤーク人(伝説のコロポックル)の文化。
57 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:14:49 ID:9HPtS+ZX0
イモは品種改良で大きくなったけどクリは昔からあんなもん?
58 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:15:03 ID:lY3RN3zQ0
亜犬人は馬鹿だから何を言ってもどうせわからない
相手するだけ無駄だ
59 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:17:37 ID:HEQvVo/bO
>>56 すまん、ユカラを全く知らないんでアレなんだが、コロポックルとギリヤーク人を結び付けるのってもしかして一般的なの?
初耳なんだけど…。
60 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:20:23 ID:eY2ULisg0
くり。
61 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:20:43 ID:gzK/Tc/v0
>>51 >あのな、道民だけど縄文式土器も弥生式土器も出土されてますよ
いや、その弥生式土器ってあんたが言ってるのはたぶん、
擦文時代っていう本州以南とは別区分の時代の土器の
ことじゃね?
62 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:22:57 ID:HEQvVo/bO
>>61 そういや北海道で弥生式土器って無いよね…。
稲が育ちにくい寒さなので、稲作が伝来せず狩猟民族のままだった。
弥生化した本州(東北以南)と、それより北(東北以北)は別文化。
三内丸山がギリギリじゃねぇの?
東北は稲作が伝わっても狩猟がメインで蝦夷がしばらく残ってたんだし、北海道は本州とは別文化。
弥生文化がないのも仕方がない。
64 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:31:54 ID:0o5WlSam0
俺が見学したのは伊達のアイヌ博物館。
斉明天皇のとき、阿部ヒラフが北海道まで行って征伐してるよ。ひぐまの毛皮70枚献上ともある。
秋田の蝦夷と同じ人種かどうかわからないが、区別はしてないな。日本書紀
65 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:34:36 ID:Ysu6wuXG0
>>56 国会で全会一致で先住民認定された意味は重い、議員全員が間違うはずないよ
>>61 弥生式土器が北海道で出土したら、擦文時代の土器ってことにしちゃうの?
みんな、これは縄文式土器、これは弥生式土器だねって持ち帰ったんだけど・・
弥生人が北海道に渡ってても不思議はないような気もするけど、記録がないだけじゃないの
66 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:37:49 ID:HEQvVo/bO
>>65 渡島が云々ていうアレね。
そういやフゴッペのアレが阿部比羅夫と結び付けられた時期が一瞬だけあったよね。
67 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:43:25 ID:HEQvVo/bO
>>65 あなたの話だとよくわからないんだけど、
それって浅く(50cm前後)掘ったの?
深く(1〜2m)掘ったの?
68 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:44:49 ID:gzK/Tc/v0
>>65 ああなるほど。
>>51は
「北海道に弥生時代は存在しないけど交易で弥生式時は渡来してましたよ」
って意味ね。
その辺の区別を、もっとキチンと書いて欲しかったわ。
ところで、基本的に学説上では
北海道に弥生時代は存在してないとみなされてるよ。
自分はその時代は専門家じゃないから要領を得ない話になりかねないので、
wikiで「続縄文時代」「オホーツク文化」「擦文文化」「アイヌ文化」を
検索してみることを勧める。
とりあえず大まかなことは書いてあると思うから。
弥生時代って定住し始めて
穀物を栽培し始めて
一部では金属の使用が始まる時期だな。
北海道では…
クリは縄文期では結構重要だったらしいが。
70 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 05:48:34 ID:0o5WlSam0
俺、黒曜石の矢尻持ってるよ。小学生のとき自分で見付けた。
地面の浅いところで見付けたから、江戸時代から明治時代ころのものかもしれない。
最近まで石器使ってたんだよ。
>>65 そういう経緯でなら日本中にいろんな時代の土器が散らばってるよ。
新潟の糸魚川あたりに翡翠の産地があって縄文時代の国内貿易拠点だったし、
青森の三内丸山も当時としては最大級の縄文集落。ここでは簡単な栽培は行われていた。
そもそも「弥生時代」といっても一概に「ここから」という線が引けないので、
まぁ「稲作を中心とした文化の繁栄後を弥生とした場合、
そういった集落からよく出るタイプの土器が北海道からあまり出てない」だけな話。
ぶっちゃけ縄文時代から日本中は交易があって、
弥生式の村も縄文式の村も混じってる時代が数千年あった。
おかげで弥生と縄文に厳密な境界はない。
よって弥生式・縄文式の区別なんてあいまいなものである。
ちなみにアイヌ(北海道)と蝦夷(東北人)と大和民族も、
征夷大将軍が出てた頃は何処で分けるかがあいまいな存在。
昔からけっこういろんな文化が混じってグチャグチャだったのが日本の特徴でもある。
72 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 07:41:49 ID:dbk9PIDL0
>>40 >アイヌの神話にも、アイヌの先住民の話があるくらい(コロポックル)。
神話ですよw
73 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 07:46:07 ID:kcsZZvJW0
栗と栗鼠
75 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 08:40:38 ID:YH1+gmn+0
中国では5千年まえから農耕が始まり、朝鮮でさえ3千年前から
陶工が有ったというのに、日本はこの頃はまだ未開の地だったんだな。。。
76 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 08:43:17 ID:6Ru23u0k0
クリ林のことかぁー!!
>>7 縄文遺跡のトイレのうんこの化石から
同じ遺伝子の栗がよく見つかるんだとか
つまり栽培された栗が広く常食されていたという事らしい
78 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 08:59:51 ID:DrQjLn7o0
縄文系日本人として誇り高い話題です。
79 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 09:04:16 ID:DrQjLn7o0
日本列島は弥生系(半島人)に占領されてしまったけど
石器時代は縄文系が生活していた。
80 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 09:10:36 ID:kcsZZvJW0
>>75 逆に考えると、当時の日本列島は
農耕の必要も無いくらい食料が豊富で簡単に手に入った楽土だった。
81 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 09:12:56 ID:wWHTUO5GO
栗の花のかほり
82 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 09:20:22 ID:x7NiwmJf0
密林の中のクリwww
もういやらしいことしか思い浮かばません
この時代って、何を使って木を切ったんだろうって考えたけど、
石斧でも木ぐらいなら倒せたのかな。
85 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 09:43:15 ID:NsmISQWq0
埋め戻したってことは京奈和の建設現場かな?
ヤフートップはクリ林になってるな
そっちのスレタイの方が釣れたのに
それより俺は里芋の栽培がどうなっていたのかが気になるんだ
>>11 いや、だかさ栽培というテクノロジーがいつごろ日本で使われるようになったかって話だろ。
木の実なんて食い残しから芽が出るんだから
住居近くに植えるなんてのは、その木の実を食い始めた頃から
行われていたと考えるのが妥当なのではないのか。
それに人間には植物を育てるという生まれながらに持っている本能みたいなものがあると思う。
だから、何時代以降に栽培が始まったとか考えること自体が馬鹿げており
脳の発達がある閾値を超えた時点で栽培が始まったと考えるべきではないのか。
最初は「隣に住めばいちいち探さなくてもすぐ食えるんじゃね?」な感じで住み着いて
段々実から苗、木と生成プロセスを見て栽培に繋がってんかな。
栗の花はアレの臭いがするって縄文人も言ってたのであろうか( ´∀`)
92 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:08:47 ID:7mKU/3yX0
アメリカみたく先住民自治区を作ることを要請する、日本は先進国になるべき
93 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:19:01 ID:Gw3lKgj90
栗の木一本でどんくらいの食料まかなえるんだ?
94 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:25:10 ID:U8MURuDD0
>>92 琉球自治区、アイヌ自治区=北海道全域
蝦夷自治区=東北、クマソ自治区=熊本県、隼人自治区=鹿児島県
95 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:30:15 ID:t151/NQ/0
栗なんてわざわざ栽培しなくったて田舎じゃ勝手に生えてる
96 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:33:52 ID:oeE+b6Zs0
三内丸山と同じく、栗栽培か。
>>91 昔、母ちゃんによく叱られたな…ふぅ
「もう!くずかごに捨てないでトイレに流しなさい!」
99 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:38:29 ID:/qGb+DeF0
縄文時代に栗栽培って三内丸山ですでに証明されてるジャン。
100 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:40:44 ID:lli7gSGH0
暫く前に遺跡から出た栗の実の遺伝子と山に自生している栗の遺伝子調べたら
縄文人の食べていた栗は栽培されていたことに間違いない,というニュース見たよ。
縄文人と弥生人が大戦争した痕跡ってのが余りないのが面白いよな。
普通なら、反発しあって、大戦争しそうなもんだけれど。
今の日本人を見ても、うまく交じり合った結果。ってな顔してるし。
縄文人が、稲作を習って、同化していったんだろうな。
102 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:48:20 ID:wFVTxrC/0
栗林を伐採しただけに見えるが・・・
103 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:51:17 ID:U8MURuDD0
気候変動で寒冷化が始まって縄文人が激減した。(新石器時代末期)
そこに朝鮮半島から流れてきた(大陸の寒冷化が原因? 戦争が原因?)弥生系と呼ばれている
渡来人の来襲で縄文系は追い詰められていった。
弥生系が持ち込んだインフルエンザ菌で縄文人(免疫が無い)は絶滅の危機へ
最終的に日本列島は半島人(弥生系)の天下になった。
クマソ、隼人、蝦夷辺りはかなり抵抗したとか
>>102 栗林ってのは、人手が介在しなければ成り立たない。
クヌギやコナラの雑木林が、自然にクヌギなどだけが生えてきたりしたもの。って思う?
混血してない説もある。
日本人に溶け込んでるんだろ?
106 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:53:32 ID:U8MURuDD0
部落問題は縄文系の末裔との説もある。
>>103 朝鮮半島からは来ないよ。旧楚が滅亡するのと同時期、雲南辺りにも稲が持ち込まれているのが、
DNA調査(日中合同調査…韓国は?w)で判明している。
つまり、楚滅亡と同時に、水稲を携えた人々が、アチコチの辺境を目指して脱出している。
邪馬台国の風俗が、当時の海南島の風俗と同じ。タイムカプセルのような楚の人たち。とも言われる。
く〜りの美味しい♪季節になりました〜〜♪
109 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:55:17 ID:QauXq3MK0
栗だけにびっくりな話だな
110 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:57:54 ID:GpjuS8Ss0
>>96 関西、特に大阪でならモテモテなのは間違いなく弥生系の方
縄文系は「この土人が」といじめ殺される
111 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:58:29 ID:caLbH3fc0
>>96 それ意図的にチョン顔選んでる。弥生人はチョンではない。
言うなれば、浅田真央の顔がそのまま弥生。
112 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 17:59:27 ID:U8MURuDD0
113 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:00:34 ID:wFVTxrC/0
>>104 栗の原生林で検索すると、割とヒットするんだが
あれも実は人為的なものなのかね
>>112 百済、新羅から来たのは、更にそのあと。
115 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:02:38 ID:U8MURuDD0
>>113 白神山地でも原生林には実に立派な栗の木があるよ。
でも、80m四方に、数十本の。は知らない。
つか俺たちも縄文人の血を引いた、れっきとした先住民なのにな。
なんで余所者扱いされているの?そのうち日本から追い出されるの?(´・ω・`)
アイヌは縄文人じゃねーぞ
119 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:10:23 ID:0o5WlSam0
栗の木というのはほっとくと直ぐに大木化して実を採るのが難しくなるよ。
俺、昔栗林だったところの大木で栗採らせて貰ってるも。
120 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:15:59 ID:qSysDbpu0
何を今さらという感じなんだが。
・
栗に限らず、ヒエやサトイモも栽培してたんだろ、縄文人は。
水田で稲を栽培し始めたのは弥生時代になってからでも、
それまでに同じ場所で普通にサトイモを栽培していたと聞くぞ。
現在でも水田のあぜ道に稗が自生しているようなところは、
水稲栽培以前に稗田として耕作されていた可能性が高いとか。
・
古事記だか日本書紀だかの時代に稗田阿礼とかいう爺さんがいたが、
古代ではまだ稗田というのは珍しくなかったんじゃないのか。
標高の高い水稲栽培が無理な寒冷地域では20世紀半ばまで稗の栽培が
続いていたという話。
やまとことば(和語)の「くだもの」ってのは、果実に限らず
木の実やキノコや山菜などの森の幸一般を指すんだけど、
これは、森の神様からの「下され物」って意味なんだよね。
てなわけで実態はどうか知らんけど、意識の上では「ヒトのもの」と
いう感覚はなかったんじゃないかなぁ。このあたり、イネなんかの
穀物とは違う気がする。てなわけで、
>>90っぽい感じに同意なのだ。
122 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:22:11 ID:37kn8eaf0
>>115 そもそも百済人は朝鮮人ではないぞ
倭人だぞ
倭人を追い出して半島を奪ったのが朝鮮人の祖
123 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:22:21 ID:iCZ3054l0
稲作が始まる前に畑作があったのは想像つく
>>120 スレ違いですまんが、こないだ大野晋先生の本を読んだら、
「餅の形が西日本は丸くて東日本が四角なのは、稲作普及の
プロセスを表しているのだ」てなことが書いてあった。
古代の東日本は稗や粟がメジャーで、これは米のように粘らないので
餅にしても丸めるより伸ばして切った方が楽だったとかなんとか。
けっこうおもろい発想だと思ったw
>>124 朝鮮がもち米を作れないので、トックを餅だ。っていってるようなものか。
>>96 ミップル・メップル的ポジションで
ハニワ・ドグウ的な不思議妖精がいるんですね、わかります
127 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:37:25 ID:1xWcqW0c0
>>79 基本的に縄文時代から東日本一帯で交易ルートがあったようだから
大陸みたいに疫病をばらまかない限り急激な人口の入れ替わりは
発生しない。
どちらかといえばシベリア、樺太方面のほうが伝染病の感染源
なのでアイヌが入ってきて北海道の縄文人が病死したかもな。
128 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 18:38:10 ID:ZX2LTSgT0
縄文人も栗の花のニオイを嗅いで(;´Д`)ハァハァしてたのかな?
129 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 19:43:13 ID:uXtjNoWr0
130 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 20:06:27 ID:qSysDbpu0
>>129 それは地元で生産されていたもの?
それとも交易で本州から来たもの?
131 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 20:17:12 ID:MYB0Hwi00
どこで生産されてたっていいじゃないよ、北海道の人はこういうのは興味ないだけで、
弥生人の骨が出てきたっておかしくないよ。
電磁バリアが張ってあるわけじゃないし、となりの北海道ぐらいは行けたでしょ
132 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 20:44:15 ID:qSysDbpu0
縄文時代の村落の規模ってどれくらいのもんかね。
25本のクリの木っつっても収穫できるのは年に1回だけだろうし。
それで養える人口は一家族より多くはなかったようにも思うが。
133 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 20:50:10 ID:0o5WlSam0
>>132 随分な大家族だな。
1本で100kgほど収穫できないか。
134 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 21:01:08 ID:1dlPNMp60
アイヌと日本人(本州人?)をきっちり分けようとするのは無理があると思う。
つか分けたがるのは変な活動家だろ。
135 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 21:05:58 ID:0o5WlSam0
俺、小学生のとき同級生にアイヌいたよ。一目で判るよ。
先生がアイヌ部落に行くなって。うんちがあちこち落ちてて踏むから。
高校のときの英語の教師がアイヌの最後の酋長と言われてた人だったな。
136 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 21:09:40 ID:DJPfRGW/0
クソ栽培?
クソを栽培していいのは朝鮮半島だけです。
>>127 そもそも縄文人が弥生人にとって変わられたなんて説がない。
138 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2010/02/27(土) 22:11:03 ID:n/QIEWiS0
>>104,
>>119 「食べ物の考古学」って本を押入れから引っ張り出して読み返したら、
三内丸山の遺跡からはクリの木の炭がいっぱい出てくるんだって。
適当なところで伐採して燃料にして、林を更新していたらしい。
それが「栽培」か、というと微妙かもしれんけど。
>>125 まあ、もち米で作るものだけが餅じゃないよな。デンプンに熱を加えて
もちもちっとしたら餅だ。
縄文時代の後期には焼畑農耕が行われて陸稲やヒエのような雑穀が栽培されていたという説もあるな。
その場合でもあくまでメインは木の実などの採集や狩猟で、農耕はそれを補う副次的なものだったという考え方だが。
140 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2010/02/27(土) 22:27:52 ID:n/QIEWiS0
そいや思い出したけど、去年、新潟の津南で「縄文のワイン」ってのを
飲んだな。山葡萄で醸したんだって。俺が持ってたギャートルズの
サル酒みたいなイメージとはちょと違ったけど、微妙に渋くておいしかった。
三内丸山ではニワトコのワインが作られてたらしいけど、
どういう味なんだろ。なんとなく酸っぱそうな気はするw
んで、弥生になると米の酒だよな。最初は唾液の酵素を使った口噛み酒。
ここで「醸す(かもす)」という言葉ができる。
エジプトではビール、東南アジアではタロイモ酒、人類は器を発明するや否や
酒を作ってんだよなw 例外は、何でも凍るから貯蔵用の器が不要だった
イヌイットだけらしい。
141 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2010/02/27(土) 22:37:40 ID:n/QIEWiS0
>>140 日本の場合は、山に食料が豊富にあるのは秋、次いで春なんだよな。
これがけっこう農耕の繁忙期とかぶるから、縄文人としてもなかなか
農耕一本やりにはいかなかったんだろな。
んでもって、意外なことに山の食料がいちばん乏しくなるのは夏らしい。
イノシシなんかが最近増えているのは、実はイネの早稲品種の普及も
一役買ってるんだって。夏に餌がなくて死にそうになってたところに
実るから、これ幸いと食うんだって。
143 :
ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2010/02/27(土) 22:56:54 ID:bKRMmHEZO
神武天皇が九州から引っ越してくるぐらいだから
その頃からそこそこ豊かな土地として知られて
いたんだろう
144 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 22:59:56 ID:W8wWIPoh0
エロいわ
145 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 23:03:32 ID:SZRnvW7k0
栗林のことかー!!
いやん、えっちぃ
147 :
名無しさん@十周年:2010/02/27(土) 23:10:34 ID:sMsJ87Hm0
原始人ごときが
トゲトゲの殻や堅い皮のあるクリを栽培できるわけないだろ
ん?縄文中期から既にクリの栽培が行われていたと大学で習ったぞ???
あれ?
ウルシも栽培してたと聞いたことがある。
縄文時代の漆はかなり高度だったけど、弥生時代になってからは質が落ちたとも言ってた。
150 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 00:03:46 ID:cdo+5vae0
クソは腐りにくく丈夫なため、食用のほか建築部材としても多く利用されたという。
そんな国があったような・・・
151 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 00:04:18 ID:uYeuVFVP0
原始的な米も栽培してたとかなんとか
152 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 02:21:56 ID:keMJ4Et50
、....,,_
、-‐'" __ ヽー- 、}ヽ
,/´/ / , _,. _/ ノ レi
_,// / /{ i ー' ノ
/ // / / .i l l! ー<
/ / //!/ ヽ ヾ l 〉ヾ,
!/! イ ‐::::::;;;;;;;八;;;;;;;::‐ヾ、 }
|」l ! 。ー-- ;; :; --−。 l /
f r| !| ゚ o ´ ノ ::、 ` o | l/ いいかげんゆるしてくださ〜い
.l ヾハ o /( ,=、_,=、)ヽ, l/l!
\ _j /_,, -―-ー-、_ l l /
l l | トエエエエエエイ l ./´
`ト、 l Vェェェェェェェソ //┐
l \`ー‐---‐‐' / 」、 _ ,,.
「ヾ、_ヽ、___ノ_/ r―-- `ゝ
l イ /  ̄ ̄ ヽ
!_ _,.. i | / ヽ
/ !.| ,/
>>136 自分も 「文鮮明クソ栽培か…」 に見えた
154 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 04:00:50 ID:op/2dWd40
+ ゚ . + . . .゚ .゚。゚ 。 ,゚.。゚. ゚.。 .。
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。 。 *。, + 。. o ゚, 。*, o 。.
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。 . .。 o .. 。 ゚ ゚ , 。. o 。* 。 . o. 。 . .
。 . 。 . .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. . .
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゚ 。 ゚ . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚. . . . .
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ノ(ヘ_ヘ
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155 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 05:12:05 ID:JJaS1idv0
知能が現代人とさして変わらない古代人が、農業をしていなかったと考える方が異常
交易までしてたんだから、実がなる木の栽培くらい
するだろう。
知能と知識は全然違うよ。
今なら遠近法は小学生でも理解できるのに
中世になって初めて発見されたんだし。
農業という知識もそれは同じ。
それと交易してたことも別に証拠にならない。
知らないことは知ることができないのが真理。
例えば弥生時代だと当時農業と中国で同じ様に行われてた
畜業は全く広まってなかったぽいしね。
動物を食べるために育てるのは、
植物を食べるために育てるって考えがあれば
思いつきそうなものだけどね。
栽培植物のゴマや瓢箪が出土してるんだから農耕はすでに確か
ただ日本の考古学は水田稲作を異常に重視しているため
稲以外のものが出てきても中々農耕と言わない
稲作信仰が学問に生きているのである
159 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 07:10:27 ID:JJaS1idv0
遠近法と命にかかわりしかも毎日差し迫った必要性がある食物とを
同列に語っている時点でまったくお話にならない。
食い物のためなら必死に知恵を絞るのは、必然の成り行き。
そして植物を自分で育てて収穫するという行為に至るのも必然だ。
同じようにドングリも昔は食ってただろうな。
量だけはやたら取れるし。
栗と役目かぶってるが
今みたいに必要な時に適宜ってわけにもいかんから
取れるだけ取っただろう。
161 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 07:39:12 ID:nHEDdouE0
>>118 無知乙。アイヌこそは、縄文人の子孫です。現代の北海道アイヌは、5,000年前の
関東アイヌと、ほぼ同じ遺伝子だろうと言われている。
日本の縄文人の特異な遺伝子は、Y−D2。現代北海道アイヌの96%以上が
この遺伝子を保有する。残りの遺伝子は、シベリア・バイカル湖から渡来したと
想われるY−C3(モンゴル系)。アイヌ、それは縄文人の遺伝子に、ごくわずか
シベリア・モンゴルの遺伝子が混入する縄文人である。本州の日本人男子も、
また、アイヌの Y−D2を40%近く保有し、この保有率は、他のどの遺伝子よりも
多い。つまり、本州の現代日本人は、縄文人の子孫である。本州日本人男子で、
アイヌ遺伝子の次に多いのが長江倭人系のY−O2bである。これにより、従来言われて
来た説、アイヌが倭人、弥生人によって、列島の南北に追いやられたと言う説は、
間違いで有る事が分かった。アイヌ男子は、他の誰よりも日本列島で子孫繁栄したのだ。
アイヌが、渡来人の倭人を受け入れ、水田を共同開発した遺跡が、北九州の
「曲がり田遺跡」や静岡、青森など、至る所から発掘されている。同じ村に
縄文式農具と土器、弥生式農具と土器が併存し、墓は、それぞれの様式を守り
ながら同じ場所に造られ、階級差は見られない。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/10/000458.html
>>161 世の中には学説段階ならいくらでもあるとうのになんだよその自信は。
アイヌは詳しくないから何も言えないが
農業に関しては少し勉強してたから言うが、
その書き込み、後半無茶苦茶なこと言ってるぞ。
曲り田に縄文式農耕具?掘棒のことか?
てかあそこは弥生時代の早期、下手したら縄文時代の遺跡だぞ?
変遷の場所だから二つの時代が混ざってる、そう考える方が妥当だろ。
それが何でアイヌを示す証拠になってんだよ。
そんなトンデモを言い出すんだからDNAの結果も本当なのか伺わしいな。
>>159 順番が違う。
人口が増えて食糧が足りなくなったから農業をしたんじゃなくて、
農業での安定性に応じて人口が増えた。
だから当時に必要な不可欠な知識だからって理論は成り立たない。
てか、それなら畜産が発達しなかったって事実と逆行してるぞ。
164 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 08:37:15 ID:MCJNJTkU0
現代でも奥地の少数民族みたいなのがいるけど、本当に原始人みたいなものから、
天然そのままの材料ではあるけど、それなりの建築物があったりするレベルもあって、
その辺の食糧事情も気になるな。
165 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 08:39:24 ID:fcrgJuiv0
ビックリクリクリ栗と栗鼠
166 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 08:50:00 ID:nHEDdouE0
曲がり田は、まさに縄文人(アイヌ)が渡来人と、いかなる邂逅を遂げたかを
知る貴重な遺跡。アイヌの農耕具が掘り棒だと?ちゃんと勉強せよ。
曲がり田遺跡は、縄文人と倭人弥生人が邂逅をとげ、共生した弥生初期の
土地だが、両者に抗争の跡は見られない。倭人が朝鮮半島に登場する以前、
既にアイヌコロニーが朝鮮半島の南端に数千年の長期に渡って存在していた。
(東三洞遺跡)。縄文人(アイヌ)は、朝鮮半島の先住民である。半島情勢と
九州情勢の両方を一番良く知っていたのは、倭人より数千年も先に対馬海峡を
往来していたアイヌだった。日本へ到来した倭人は、デスパレイトなボート
ピープルよりは、むしろ、計画的な移住者の方が多かったのではないか。
何故なら、無鉄砲に九州へ来て、最初の2〜3年、どうやって生存するのか。
それよりは、朝鮮半島に長期間、コロニーを築いていたアイヌから情報を得て、
アイヌの先導により、計画的に、アイヌを頼って渡来した方が、はるかに
新開地でサバイバルし易い。水田稲作にしても、最初の2〜3年は収穫の保障
なんて無い。玄界灘の片側、または両側のアイヌと人間関係をうまくやる事を
学習した倭人が、渡来人の割合としては多く来たからこそ、アイヌの遺伝子が
日本列島から駆逐される事なく、日本人男子の間に、かくも高い保有率で
残ったと理解できる。
167 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 08:50:24 ID:euKytEUr0
〃⌒
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> ´ `ヽ. /{
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// l _」_ l l _.. -=ヽ | \\ ヽ、
〃l ハ ´,斗x \_j´,斗=x ヽリ! |\゙<´  ̄ ̄
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>>655 、八 ヽ`゙ー' ゙ー' ムl| 八 ` ー
ヽ \\ゝ '_ ムノリ/ハヽ、 ノ{
ノ\ノ> ( ) イ^ヽ〃⊥.. __ / l|
// |l `7¬7壬≧、 /  ̄ l|
/ j|l /ー7// /⌒ヽ {{
く、 ∧/ /=/l// ̄}、 \
〉ミ._/// /ー// ̄ ,′\ \
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// // 7¬ /⌒> ′}  ̄ ̄
x=∠ニ/ / / / ,.く _ __/
/>⌒ヽ/ /⌒>/ /! /
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,.ヘ{{>′/ / ̄ / \ 」 二l |
/ \ー弋_{_ / 〃⌒j∠ 」、
{ 〇\{ \> イ /⌒ヽ〃ヽ|二[__」 \
168 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 09:01:25 ID:dw1GVk0u0
クリは大切だ可愛がろう。
自分では目の届かないところを代わりに慈しんであげるのを愉しもう。
安心して悦んで貰って、男も幸せ。女も幸せ。
太古から現在まで変わらない価値。
169 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 09:10:49 ID:0OatyYqiO
>>157 遠近法の発見以前から「遠くの物は小さく見える」という概念はあるぞ
雨の降る理屈を知らない農民でも、降るタイミングは感覚で理解してる
(向こうの山に雲がかかってるから、明日は雨が降るとかいうアレ)
それと同じで、栽培技術を感覚で得てたとしても、何ら不思議じゃない
170 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 09:15:50 ID:ydbaojPh0
やはり縄文時代には日本は先進国だった。
>>166 ちょっとなに言ってるか分からない。
なんで朝鮮半島に縄文人(アイヌ)が渡ってるのさ。
縄文人が倭人で、弥生時代の始めに朝鮮半島から渡ってきたのが渡来人だろ?
渡来人が計画的に住み込んで新技術を定着させたのは正しいと思うよ。
まぁこの辺は話がそれそうだから戻すけど
掘棒のこと言ってないとしたらどの木製農耕具を、縄文農耕具って言ってる?
>>7 水稲の稲作前に陸稲の稲作や雑穀の栽培を行ってたという証拠が見つかってる
そして栗の栽培は5000年前に遡り、栗の交易も確認されてる
>>169 ああ、すまん。
別に思いつかなかったに決まってるって言うつもりじゃないんだ。
知能や、今当たり前だから当たり前にできるはず
って言うのは根拠になり得ないって言いたかったんだ。
偶然からの発見や、本能のよる理解はあるだろうし、
実際縄文中期から今回のような管理栽培をしていたって説も正しいと思ってる。
ただ、管理栽培と農耕はまた別の話な。
>>170 縄文時代同時期のエジプト、ギリシャ、その他の地中海諸国や中東諸国に印度が先進国
日本は都市国家ていどで準先進国ともいえないレベル
いまだと経済規模30位にはいれるかどうかの国みたいなもの
175 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 09:52:23 ID:0OatyYqiO
>>173 どうでも良いけど、誤字脱字含めて、所々おかしい日本語はどうにかならんのか
読み難くて仕方ないんだが
焼き栗うまいしね。縄文人も焼いて食ってたのかな?
177 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 10:03:33 ID:nHEDdouE0
>>171 ひえ!「縄文人は倭人だ」と言う前提で、話してたんですか?
これじゃ、話が合わない筈だわ!ご参考までに遺伝子パターンについて:
日本人→ Y−D2(縄文アイヌ)が40%近くを占める + Y−O2bの
長江倭人+ Y-O3(中国人)+ Y−C3(シベリアBryatモンゴル)など。
縄文アイヌ→ Y−D2(96%) + Y−C3(シベリアBryat(モンゴル系)
中国人 Y-O3a、Y-O3e など
苗族 Y-O3eが一番高率
ベトナム人 Y-O2b(長江倭人系)が高率
韓国人 Y-O2bが過半数を占める + Y-O3(中国人)+ Y−C3の順序。
1%ながら縄文人の Y−D1が、韓国人に残っている。
178 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 10:20:02 ID:dyD0qHWc0
ま、炭化米のDNA解析では長江系米が縄文遺跡から出てるからね、纏まって。
長江とメコン川上流域は、隣近所と言える地域からか、鳥居立ててる民族(アカ族など)
も居るからね。
因みに、神道は世界的にはアミニズムに分類されてるんだよ。
上陸直後に、協力が得られないと山東半島からの2200年前の移住者みたいに
海岸線で、数百体の死体が発生してしまう事態になるんだよね。
山口の方で出てるだろ?漢族の髑髏数百体出土。全て山東半島を睨んで埋葬って。
>>177 血の話はあまり詳しくないしうろ覚えだからあんましたくないんだけど
そっちのいうY−D2は、これが日本古来種、これはいい。
でもY−O2bが長江倭人という分類には疑問を覚える。
確かこれは東南アジア系・長江系という分類だった気がするんだがどうだろ?
なんでこれが長江倭人と倭人をつけてるかがわからない。
これをベトナム系とした場合、そっちの書いてることは全体的にくずれ
日本人:古来のものと東南アジア方面から北上してきた血
ベトナム人:地元の血
韓国人:東南アジア方面+中国の血+日本の血
ってなって縄文人=倭人 渡来人=大陸人 という説が成り立つと思うぞ。
>>178もそうだけど、それがなんでこっちからって結論になるかがわからない。
確かに神道は精神世界の色が濃い文化であるし
炭化米が長江にルーツがあるのは事実だけど
(ちなみにそのDNAの分析に使った炭化米の遺跡はどこ?
多分福岡県の板付や花畑のものだろうから
現在の研究では弥生時代に属する遺跡だと思う)
だからと言って倭人系とするのはおこがましいと思うんだ。
まぁこのあたりは門外漢だし手元に何もないから強くは言えないんだけど
弥生時代の農耕なら少しはかじってたからさ、
曲り田遺跡出土で、縄文式ってされている農耕具について解説してほしいんだよ。
俺の中の認識だと確か全部弥生時代の層から出てたはずだからさ。
倭人はエジプトから来た
181 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 11:03:36 ID:nHEDdouE0
>>179 あなたは「縄文人を倭人」と言ってる点で、いくら議論しても話が噛み合う事は
有りませんね。春秋時代の長江流域の遺跡から出土した古人骨が、日本の弥生人の
古人骨の遺伝子と一致した事、抜歯の風習や抜歯の位置まで同じだった事等から、
長江流域には、春秋時代には、弥生人と同質の人間が、百越の民の一部を構成
していたと言うのが、古代史家の共通認識です。春秋時代以降の長江人の一部が、
倭人です。長江流域の稲作漁労民は、百越と呼ばれ、色々な人々が居た。倭人は
その一部です。あなたの様に、「倭人とは縄文人だ」などと言う歴史家が居たら、
名前を上げて教えて欲しい。
>>179 長江流域南方系は、北方華人から倭人と呼ばれてたんですよ。
長江南方から日本列島に至るまで、同じ文化圏と見なされていた。
高床式や土足で家の中に入らないなど。
「なにやってんの?」
「クリの実を埋めてんだ。木が生えるかなと思って」
「ふーん。でもクリなんて森に行ったら生えてるじゃん」
「近くにいっぱい生えてたらうれしいだろ?」
「なーる」
というのは何となく理解できる。
でも土を耕して畦をこしらえて水を引いてイネを作るのは
こういう流れじゃ無理だよな。狩猟の書入れ時の春と秋に
忙しくて、しかも一番食料がなくなる夏にはまだ青い実だ。
里山の成立は縄文時代であるつーこと
>>181 すまん。俺の中の倭人がごっちゃになってた。
んじゃ 「倭人=長江付近に住んでいて弥生時代の基礎を作った渡来人」
という考えでいいんだよな?俺もこれには賛成だ。すまんかった。
186 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 11:34:40 ID:nHEDdouE0
倭人は縄文人と渡来人の混血だろ普通
188 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 12:01:02 ID:dyD0qHWc0
出土品からでは、浙江省河姆渡(かぼと)遺跡の7千年まえの物が有名だが
稲のプラントオパールが見つかった地域
南九州東部宮崎平野付近
瀬戸内海沿岸の岡山平野近辺など。
炭化米抽出DNAでは、中国側6500年前頃の炭化米DNAに酷似。
朝鮮は、2千年以上前のものはプラントオパールすら発見されてませんね。
理由は有るんだが。
平均気温が3〜4度高い縄文期でも、黒潮の恩恵が無い朝鮮半島では寒冷地適応品種
が、一般的に広まる時期以降でないと気候的に栽培困難だったのだろう。
189 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 12:05:07 ID:+O3QPtRZO
栗ご飯は最も正当な和食
190 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 12:07:42 ID:dyD0qHWc0
あ、寒冷地適応品種とは、青森の津軽平野くらいでも収穫できる米ね。
191 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 12:47:16 ID:nHEDdouE0
倭人の最も古い記録は、西周の1,100年頃の倭人について。
論衡(前漢人・王充 著)
第八 儒僧篇
周の時、天下泰平にして、越裳(えっしょう)は白雉を献じ、倭人は暢艸
(ちょうそう)を貢ず。
山海集(春秋時代の漢人の地理認識を示すと言われる)
蓋国在鉅燕南倭北倭燕属(蓋国は、鉅燕の南にあり、倭の北に在ある。
倭は燕に属す)以上は、朝鮮半島南部の住民が「箕氏朝鮮人」ではなく、
「倭人」で有ると、漢人によって認識されて居た事を示す。
中国人が、縄文人らしき民族を記録した痕跡は、魏志韓人伝の中の馬韓の条、
の「州胡」。州胡を倭人とは書いてない事から、倭人以外の民族だろう。
州胡は、馬韓の沖の島(済州島)に住み、半島の住民より背が低い、獣皮を
衣に被い、上手に牛、豚を飼育し、馬韓や中国へ来て市買いする、頭髪は鮮卑
同様に剃っている、と。魏志倭人伝(韓人伝)の時代に、済州島の住民は
縄文人だった可能性あり、牛、豚を飼育していた様だ。日本へ牛、豚などの
飼育を紹介したのも、済州島の州胡だったのではないか?済州島は九州とは
目と鼻の先だ。
192 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 12:50:09 ID:dX8Iit9B0
一体どんな調理をしたのかなぁ〜。
栗ご飯とか知りたいなぁ〜。
栗の入ったおこわとか・・・・・・・。
事実
・縄文時代と弥生時代の違いは稲作、栽培かと思ったけどどうやら違うようだ
・縄文土器って出土する時代も場所もばらつきが多くね?
専門家
・縄文時代と弥生時代を分ける意味ってないよねー
・そういう違いを子供に教えるのは不正確だよねー
出版社
・しょうがない、縄文時代は発展的内容にしておくか
・けど授業時間に余裕が出てきたらまた載せるよ
ネトウヨ
・教科書から縄文時代が無い?!ゆとりだ!!
・日本の歴史を抹消して朝鮮依存を演出するんですね。わかります
【歴史】小6の教科書に「縄文時代」が約10年ぶり復活の中 土器で料理をする授業のある学校が
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1266554318/
縄文時代ってアサリとか食ってたんだろ?
土器にアサリ入れて水入れて炊いて、アサリ汁作ってんたんだろ?
ダシとかの概念あったなかな。
>>158 というより「クリなんぞがゴハンのかわりになるわけねーだろ」
みたいな思いが強いよ。
考えてみりゃあたりまえのことで
「毎日ゴハンが安定的に食べられる」ことが大事。それが人類の発展を促した。
聖書で言う禁断の果実は「穀物」だよ。
土偶を見れば、分かるけど
過去に何か、あったんだろ
大規模な災害が、例えば宇宙人とかな。
それで縄文人と集落とかが壊滅状態になった。
生き残った縄文人は山の方に隠れた。
まあ、俺の書き込みは無視してくれ。
まあタロイモあたりも優れてるけどさ。
ともあれ主食になるようなもんじゃないとダメ。
農耕が大切なのはそこ。
ざっと説明しただけだからツッコミどころ満載かもだが
まあテケトウに脳内意訳してくれ。
縄文人なんぞ季節によって骨の成長が止まってる。食えない季節があったわけで食生活は大変不安定だ。
たしかに農耕の萌芽はみられるが、そんなレベルじゃまだまだ。
>>191 その倭人は四川あたりの倭人の可能性もある。
>>158,
>>195 人骨の炭素・窒素同位体比を調べたら主な食べ物がわかるそうで、
それによれば内陸の縄文人の蛋白源はドングリやクリだった、
みたいな研究はあるよね。北海道の縄文人は魚介類主体、
東京湾岸や瀬戸内は肉・魚・野菜をバランスよく食べてたとか。
>>199 北海道あたりはアザラシなんかもくってたようだぜ。
>>200 そいや能登の真脇遺跡だっけ、イルカ漁してたの。
マグロ漁より大変そうだ。
202 :
名無しさん@十周年:2010/02/28(日) 15:40:39 ID:dyD0qHWc0
鯨漁よりは楽だと思うけどな
何にせよ、日本列島産のセラミック(焼き物=土器の事)には16000年の歴史があるが
明確な捕鯨の歴史は8000年ほど。
沿岸に迷い込んだ奴を追い込んで捕殺だろうが。
イルカの方が難しいんじゃないかな?すばしっこいからね。
なんか1万年くらい前の生活は、原始人みたいなイメージがあるみたいだけど
結構高度な知識を備えて、現代でも驚くような賢い生活をしていたと思うけどな。
江戸時代の田舎程度の暮らしはしていたんじゃないのかな。
>>203 文献史料がないと、一気に原始人ってイメージになっちゃうよなw
でもこのスレでも出てくるように、漆は使うわ酒は醸すわ広域で交易するわで
楽しそうな世界だよな。
交易といえば、黒曜石とかヒスイとかじゃなくても、山の民と海の民との
物々交換も盛んで、決して狩って食って寝るだけの生活に明け暮れてた
わけじゃなさそうだ。たとえば三内丸山では魚の骨も出てくるけど、
季節性で群れでやってくるサバとかブリとかは頭の骨がないらしい。
つまり、いっぱい採って干物にして売ってる魚屋さん部族が存在したと。
あくまで新石器文化という枠内では高い技術や広い交易や文化伝達のネットワークを持ってただろうけど、だからといってそこで暮らしたいとは思わないわな。
206 :
名無しさん@十周年:2010/03/01(月) 00:06:14 ID:ADudhBR/0
.∧__,∧
( ^ω^ )
きょう津波来ないんですか!
もう津波来ないんですか!
n. ∧__,∧n
ゝ( ^ω^ )ノ
やった──!
.∧_,,_∧
( ゙'ω゙` )
津波来たじゃないすか!
n.∧_,,_∧n
ヽ( ;ω; )ソ
〉 |
√r─‐ァ.)
ー'' 一
やだ───!
207 :
名無しさん@十周年:2010/03/01(月) 00:20:06 ID:zlMGpYly0
208 :
名無しさん@十周年:2010/03/01(月) 00:38:14 ID:RX8KKJi80
>>204 幼児死亡率は高かったみたいだから
いつも楽しかったわけでは
ないとおも
209 :
名無しさん@十周年:2010/03/01(月) 11:46:46 ID:vXjXlC1Z0
平均寿命30歳だからね
成人してもちょっとしたことですぐに死ぬ
210 :
名無しさん@十周年:2010/03/02(火) 23:34:44 ID:aQSSK2/00
アイヌ人=縄文人=弥生人
差別したらいけないから同一民族だったってことにしたらいいじゃんよ
濃尾平野より東が縄文人とか言うNHKが垂れ流したウソをまだ馬鹿が信じてるよ
関東平野なんかは高麗朝鮮系渡来人の本場だったのにね
青森県では三内丸山遺跡あったのに、無かった事にしてサッカー場作ろうとしてたのが自民党系の北村知事。
そいつが放射性廃棄物処理場も六ヶ所に作った。
これ豆知識な。
>>212 ひどすぎる・・・
栗栽培って青森県の方が凄かったらしいね
縄文時代は青森とかの方が都会だったってNHKでやってた
ま、あとから朝鮮人が来て日本を西側から占領していったのが今
渡来系弥生人は、別に朝鮮人じゃねーよ。
だいたい、まだ朝鮮民族と呼べる物ができてたわけじゃない。
もちろんアジア人だから、先祖はある程度かぶってるけどな。
215 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 04:00:39 ID:AHNZ4wKj0
弥生人も北から来たんだよ、北海道から弥生式土器もみつかってるしな
216 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 05:09:06 ID:rGUxmp750
>>213 朝鮮工作員乙
弥生人は朝鮮半島人ではなく、長江流域人です。残念でしたww
日本で出土した弥生人の古人骨DNAが一致したのは、春秋時代の長江流域の
遺跡の古人骨。遺伝子が一致した上に、抜歯の風習を持ち、抜歯の位置まで
共通していた。
217 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 05:21:16 ID:rGUxmp750
江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が
春秋戦国時代、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、歯を調査。
特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と
縄文人の人骨と比較。
結果、弥生人は、長江流域の春秋戦国時代人と前漢時代人と酷似。
DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から
抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の
人骨のDNAと一致した。
縄文時代は規模や灌漑技術は低くても、普通に植林や農業してるだろ
219 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 05:52:44 ID:948e4ODj0
牡蠣の養殖してたんだから、それぐらいはするだろ
稲作の普及だってずっとさかのぼってると聞いたが
>>174 軸の時代と呼ばれるような伝播力のある文明は無かったにせよ
最古とも言える土器文化と大和民族に繋がる八百万の神のパッション
があったんだから文明でいいじゃないか。
四大文明しか認めないとか偏狭なバカですよ
>>218 縄文のどんぐりも採取と貯蔵だけじゃなくて加工もしてた
関東で見つかってる団栗加工設備の規模から地域の食料以上の生産をしてた可能性もある
その場合、縄文時代に加工した食料による交易をしてた可能性がでてくる
223 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 09:29:59 ID:QDlmpHQa0
全ての文化が中国から朝鮮半島を経て日本に来たのなら、中国語や朝鮮語と
日本語が非常に異なるのはなぜだろう?
224 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 09:33:06 ID:rGUxmp750
>>204 縄文時代は、単なる狩猟採集ではなく、現代日本人の食生活につながる
加工食品が起きた時代みたいね。三内丸山では頭のないサバやブリが出て
来るんですか。それじゃ塩サバの起源は縄文時代じゃないの?冬季には、
干しダラもやってた可能性があるな。貝塚は単なる貝殻捨て場ではなく、
交易用の干し貝を製造する干し貝工場の産業廃棄物の捨て場だったと言う説が
出ている。家族が食べた分の貝の殻を捨てるだけなら、各自の家の近くの
一カ所をゴミ捨て場にすれば良い。何も家から離れた集落ハズレの固定した
一カ所にボタ山の様に積み上げる必要が無い。
227 :
名無しさん@十周年:2010/03/03(水) 12:57:21 ID:bba1Yjkd0
日本は日本刀所持の義務化を推進すべきだよ
アラブ人だって腰にサーベルを下げてるし、アメリカ人だって銃の所持は認められてる。
近代化と称して、外圧に負けて廃止してしまったのが間違いだったんだ
民族の誇りを取り戻すには、日本刀の所持義務化が必要だと思うぞ
栗林のことか
>>23 それは発明という要素が抜けている気が。
だって今俺が一から車を作れといわれても知能があっても無理だし。