【京都】内裏跡で“天皇のよろい”発見 長岡京跡、王権を象徴

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224名無しさん@十周年
天皇の鎧 守備力+10 神聖系無効
225名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:16:11 ID:irGaMqcC0
天皇陵発掘すればいくらでも出てくるんだろうなぁ
226名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:16:11 ID:ouBu8+dm0
南朝の新資料とかポロりと出てこねえかな。
もうさすがに揉めないだろ、今更。
227名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:16:12 ID:GKRwqRMzO
>>177
日ユ同祖論ってトンデモの類だぞ。w
228名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:16:30 ID:H5qfWfrx0
本物の天皇のつるぎは今現在皇居の地下奥底で
東京直下型地震を抑えるために突き刺してある。
229名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:16:50 ID:s6su5dRj0
出土した事で封印が解けてしまって
オザワとポッポが進化の秘宝を使って
それぞれデスオザワとデスポッポにパワーアップするわけだな。
230名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:17:21 ID:4nnXzb8CO
>>201
その神武帝すら姿だけで立ちすくませるサルタヒコ最強伝説
231名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:17:23 ID:6f41oJaF0
魏志にも半島南部の狗邪韓国までは倭人領域だって書いてあっただろ?
その後、北方からの蛮族の侵入で最終的には半島は放棄したけど
232名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:17:43 ID:0V62kKHM0
>>228
それを引き抜くのが、
映画『エクスカリバー』とかいうんじゃなかったっけ??
233名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:17:45 ID:wq1Uoe600
歴代天皇は装備すべき
234名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:17:45 ID:lx0m0IUN0
てんのうのよろい
防御力:150 効果:呪い・魔法反射

235名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:18:09 ID:IkeVwyoL0
ようこそ、ここはルイーダの墓場よ
236名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:18:33 ID:IYX3VMP10
>>221
無関係かどうかはわからないけど、百済は今の韓国人よりは今の日本人に関係が深いだろうね。
237名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:18:51 ID:YM7+jSno0
長岡京エイリアン
238名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:19:38 ID:K+iU+r3VO
>>207
いまいち理解出来ないけど>>212で納得したありがとう


高校の日本史の教科書にサラッと書いてて
教師が熱弁奮ってたけど
確かに馬運ぶ船が無いよな
鑑真も何度か失敗したし
239名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:20:44 ID:so7xxYoI0
>>221
広開土王碑と三韓征伐の記録を符合すると、250年前後にはすでに
朝鮮半島は日本の支配下だったっぽいしな。
そっからウン百年は半島南部は倭人が住む倭の領土だったと言っても
過言は無いだろうな。
240名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:20:59 ID:IYX3VMP10
>>238
それに古事記や日本書紀に馬がほとんど登場しないしね。
あきらかに騎馬民族の神話じゃないわな。
241"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2010/02/18(木) 23:21:27 ID:mkyeX8jL0
>>238
ま、冷静に考えて
あの時代に大遠征するだけの理由も補給も無いだろう。
242名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:22:18 ID:BNJxQnGG0
>>71
現代でもやればいいのに。
海外に派遣される自衛隊の皆さんの士気も上がるだろ。
243三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2010/02/18(木) 23:22:58 ID:MDEgQ9CrO
>>228
何を言っとるか!
ちゃんと熱田神宮に二千年近くも収められとるわい。
御門のお側にあるのは御霊分けした神剣のコピーだ。
244名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:23:08 ID:8VPogKpo0
604 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/06/18 04:43
>>602
荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、先の大戦末期に機密勅令によって全国の主だった寺社で
ルーズベルト米大統領調伏のための儀式修法が同時一斉に行われたんだよね。
その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。
熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、
天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、大宮司による機密御仕の主依とされたという。
草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも)
が大学で同級でそいつから詳しく話を聞いたんだが、相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。
…で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。
これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、
結果として神風だの本土決戦だのを本気で妄想する連中を増長させることになったのだけは確かだろう。
245名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:23:17 ID:BLjQMS5v0
>>1
ワクテカして画像開いたらこんな切れっ端でがっかりだ
246208:2010/02/18(木) 23:23:25 ID:zvdVcK/g0
>>223

バカを釣るためだよーん
247名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:23:32 ID:Rue7+swJ0
なんでドラクエ1にはロトの盾が無いの?
248名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:23:35 ID:XntaImly0
ドラクエの天空装備の名前天皇装備に変えようぜw
249名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:23:37 ID:O0CXhZVsO
皇室しか装備できないんだろうな
250名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:25:21 ID:8VPogKpo0
612 :604 :03/06/19 08:52
>>604(補遺)
スレ違いは承知の上なんだけど(スマソ)リクエストが多かったので前回は敢えて伏せておいた部分について。
まず、草薙剣本体の材質について。
社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の『剣』の描写が残っているが、
再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、あくまでも伝説があったが、
六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。
つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、もとより剣としての実用に耐えぬ、
あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。
そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。
社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。
喩えることのできるものがあるならば、国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、
七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、
これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでないことを示していたという。
(ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、自らの日記の中で、
御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、
ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないか、
との自説を記しているという。…なるほどね。)
で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、
御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、
祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ(続く)
251名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:25:37 ID:VL3CutKY0
天皇シリーズを揃えるといい事がある。
252名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:27:09 ID:t7j9mutv0
封印解いたら駄目だろwww
253名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:27:28 ID:tAqgbnmC0
いままで歴史が解らなかったし興味もなかったけど
暴れん坊少納言がおもしろくて最近は興味持った
254名無しさん@十周年:2010/02/18(木) 23:27:30 ID:8VPogKpo0
>>250
613 :604 :03/06/19 08:55
>>604(補遺ー続き)
そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、
御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、
口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、
三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、
さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、
神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、存命中の方でその儀式に立ち会っていた
数少ないお人だそうなので、当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、
との友人のことばでした。
…以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、
そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。