【歴史】 "曹操の墓に続き…「ここが劉備の墓だ」" 自称・劉備の子孫が発掘要請…中国
>>571 なるほど。
それに加え、あれは失敗すると全滅必至な危険な策なので
北伐のエースである魏延を死なせるわけにはいかなかったのもあると思う
諸葛亮のあの魏延への厚遇っぷり重用っぷり
(常に第一線で活躍させ、昇進させ節も与え、魏延と不和を起こす劉琰を更迭)
を見ると、諸葛亮はかなり魏延を重要視していたと思う
蜀は人材少ないしさ
596 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:22:25 ID:jqzD8ZPs0
ジャーンジャーンジャーン!
三国志ブーム到来か?
597 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:22:58 ID:gi6QaDfp0
到来というよりブームへの便乗では?
599 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:25:59 ID:jqzD8ZPs0
まて、これは公明の罠だ。
池田大作名誉博士号
>>583 欧州の文学史関連を調べると、いやというほど出てくるけどな >シセロ
1800年前の人物の子孫なんてどんどん枝分かれしていくんだから
人数的には腐るほどいるんじゃないの
602 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:44:52 ID:fgCfvpyw0
魏延は劉備からも重宝されてたし、有能だったとしか思えない
趙雲の二人の息子の記録が「よく墓を守った」ということしか書かれていないのが不憫に思えた。
604 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:56:13 ID:iOquiLTi0
>>601 この場合は、y染色体だから男系男子ってことだろう
605 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 18:56:26 ID:BcIJcAtM0
弱小の蜀軍に長安を統治なんて出来るわけない
たとえ一時的に占領できても魏の本軍に囲まれて終り
もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
悲壮な覚悟で臨んだ孔明自身は悲劇の英雄で終ったけど、政治家としては、
徒に国民を疲弊させたわけだから失政だったと言わざるを得ない
>>603 中国的にはそれはかなり大事なことなんじゃないのかな
先祖第一親第一って国だからな
漢の高祖だって逃げるのに邪魔だといって馬車から子供投げ捨てたって
くらいだからね
>>605 長安陥落させても童関を占領できないと洛陽からの魏軍の侵攻を防げないでしょう。それに
長安は大要塞だから5000程度で守りきるのは至難の業かと。
>もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
長安占領するより、涼州占領してシルクロードの確保や現地住民の確保のほうが
目的だったのではとも言われる。
>>606 墓を守るってのはあの当時では常識で、それ以外に記載が無いというのは特に何か活躍した
のでは無いというようにも解釈できる。
609 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:29:26 ID:mcqv6U960
>>590 地図を見直せよ。
ベトナムとは全然違うぞ。
>>591 >呉の人口の大部分が山越という異民族で漢族はあの当時江南では少数派。
呉の人口の大部分などという事実はない。
漢族が江南で少数派なんて誰が言ってるんだ?
また山越については、異民族とする証拠はない。
611 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:34:29 ID:mcqv6U960
>>605 >もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
勝てるわけがないとする根拠がない。
国力だけで言ったら赤壁や漢中の勝利だって奇跡だろ。
だがその程度の奇跡なんて戦時にはごろごろある。
>徒に国民を疲弊させたわけだから失政だったと言わざるを得ない
蜀が滅んだのは諸葛亮の死から30年後だ。失政とする根拠にはならない。
>>607 西晋の例を見れば、寡兵で長安を守ることもあり得ないではない。
また、長安占拠によって秦朧から涼州を切り取る時間が稼げれば十分。
釈迦の骨がなぜか釧路の仏舎利塔にあるらしい
赤壁や漢中の勝利は全然奇跡じゃない
勝因も敗因も普通にある
これと北伐を一緒にするなよ
諸葛亮統治時代に国が疲弊していたという記述は無い
614 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:45:04 ID:mcqv6U960
>>613 それは奇跡のとらえ方次第だろ。
曹操の大軍が疫病に悩まされたのは奇跡だ。
>勝因も敗因も普通にある
>これと北伐を一緒にするなよ
北伐においても勝因も敗因も明確であって
最初から敗北が決まっていたわけではない。
615 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 20:00:27 ID:DoZDQ/uJ0
でも5回も北伐して大した成果残せなかったのは失格だろ
え?何がしたかったの?って言われてもしょうがない
616 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:04:19 ID:mcqv6U960
5回も北伐って、わずか数年の出来事。
三国時代は40年ほど国境線が動かなかったが、その時代の名将全員を否定するの?
西晋から東晋にかけても、晋の遺臣が少数で立てこもる城を落とすのに異民族は苦戦していたりする。
数年で結果出せなかったからダメなんてことはない。
>>614 困難さが全然違うと言ってるんだ、まるで難易度が同じであるかのように言うなよ
戦は遠征の方が不利、しかも秦嶺山脈の険しさには誰もが苦労している
漢中戦のこの時の曹操軍の不利が北伐では蜀軍の不利になっている
赤壁だって長江という地の利がある。
加えて人材面での違いもある
条件が全然違うんだよ
618 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:16:16 ID:mcqv6U960
>>617 >困難さが全然違うと言ってるんだ、まるで難易度が同じであるかのように言うなよ
そんなの根拠も示さずに言ったら話にならんよ。
>漢中戦のこの時の曹操軍の不利が北伐では蜀軍の不利になっている
曹操は張魯の貯蔵した兵糧を丸々入手している。
>赤壁だって長江という地の利がある。
赤壁の戦いは長江を地の利とした戦いではない。
むしろ曹操は上流にあって有利だった。
しかし赤壁の一度の敗戦で曹操は荊州の大半を一挙に失った。
これが奇跡じゃないなら、北伐も全然奇跡じゃない。
619 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:21:27 ID:ZHHiZ9M40
インド:反政府武装組織リーダー投降 中国からの支援を自白
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d60992.html 【大紀元日本12月13日】インドの反政府武装組織、アッサム統一解放戦線(ULFA)
の指導者らが先週、インド当局に投降した。ULFA幹部の証言から、中国で軍事訓練
を受けていたなど中国側の支援が明らかになった。インド紙「ヒンドゥスタン・タイ
ムズ」が7日報道した。
インド国境警備隊のスポークスマンによると、4日、ULFAの指導者アラビンダ・ラ
ジコワ(Arabinda Rajkhowa)、副官ラジュ・バルア(Raju Baruah) その他8名が、イ
ンド=バングラディッシュ国境のインド側メグハラヤ(Meghalaya)で投降。警備隊
がシロング(Shillong)まで連行し、アッサム警察に引き渡したと、スポークスマン
が伝えた。
インドのG.K.ピライ内務大臣は、ラジコワとバルアが拘束され、幹部の家族は釈
放されたと発表した。取り調べは、中国との国境沿いにあるミャンマーのカチン州
で、独自の方式で軍の部隊を率いていたラジュ・バルアを中心に行うとしている。
副官のラジュ・バルアは、中国内の軍営でULFAの幹部が軍事訓練を受けたとイン
ド側に語っている。また、これより以前に投降したULFAの外務担当と財政担当は、
中国の製造業者から武器を供給されていたと警察からの尋問に答えている。
関係筋によると、軍部のような中国の公式機関が、中国の国境にとどまらず、ミ
ャンマーにおいても、ラジュ・バルアを支援してきたという。
620 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:24:28 ID:dOxNDTMH0
雷薄の墓なら行ったことあるよ
>>618 曹操は戻って長安から再び遠征してるだろ
そして蜀軍は山岳地帯での戦いが得意、魏軍は平地での戦いが得意
呉軍は水軍、疫病も呉に見越されていた、賈詡もこの時の進撃は時期早々と反対していた
現実の戦いは漫画じゃない、奇跡なんてものは起こらない、勝因敗因はちゃんとある
条件の違う別の戦いをもって、別の戦いの勝率を断定するのはおかしいだろう
いいからチンギスハーンの墓探せよw
周倉の墓ならあるよ
演義や民間伝承の架空とされている人物だけど
624 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:58:45 ID:mcqv6U960
>>621 >曹操は戻って長安から再び遠征してるだろ
劉備が夏侯淵を破ったのは無視?
>そして蜀軍は山岳地帯での戦いが得意、魏軍は平地での戦いが得意
根拠は?
また漢中のことが言いたいなら、漢中は山岳地帯ではない。
>疫病も呉に見越されていた
以後の南北朝の戦いで、北朝の軍が長江で疫病にあった例を挙げてくれ。
それと、長江を「地の利」とか言ってたことは無かったことにするのかな?
>現実の戦いは漫画じゃない、奇跡なんてものは起こらない、勝因敗因はちゃんとある
それはだから「奇跡」の定義という言葉遊びでしょ。
馬謖が軍令違反を起こさなかったら、秦州一帯は蜀が領有出来たかも知れない。
それを奇跡と呼ばないならそれで結構。
>条件の違う別の戦いをもって、別の戦いの勝率を断定するのはおかしいだろう
条件の違う幾多の戦いを一緒くたにし、北伐だけそれらと異にして「奇跡」と断じるそちらがおかしい。
むっちゃけ、もういいよって感じ
この後は太公望の墓とか武吉の墓とか
堯舜の墓が発掘されんだろ
もういいよ
ライン川に橋を架けられるんだ、長江に架橋したって問題あるまい
秦嶺山脈なんかせいぜい3000m級だ、モンブランがあるアルプス山脈よりヌルいし
ハンニバルは三国時代より400年くらい前にここを抜けてイヤというほどローマを痛めつけてる
たいしたことはないんだよ、諸葛亮の軍才なんて
ハンニバルって戦術で勝って戦略で負けたってイメージあるけどな
そもそも血筋なんて太古から現代まで延々と続く繁殖の中で数え切れないほど枝分かれしてんだから
どれが本当かどれが嘘かなんて判別しようなくね?
歴史資料に残ってないだけで、実はもっと娘息子がいて国と家の興亡の中で他の一族の血と混ざってるかもしれんし
まあそんな中で正当な血筋名乗るなら、相応の証拠は要るわな
629 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 21:47:02 ID:7avq1de+0
>>627 義経も同じようなタイプな気がする
局地的な戦争に勝つ戦術には優れてたが、戦争の大局的な意義や目的を理解できなかった
この両方を備えてた稀有な存在が韓信かな。
ただ韓信は人間性に問題があって悲劇を迎えたけどw
630 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 21:53:48 ID:+ERuiLey0
中山靖王劉勝の自称末裔の劉備の自称末裔か
一回りして本当に中山靖王劉勝の末裔かもな
劉備の時点で劉邦の時代から400年も経っていて、
劉氏なんて何万人もいたのに、
それが現在にまで下れば恐ろしい数だもんなw
632 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:22:35 ID:Rx0SaAQh0
三顧の礼ってほんとにあったの?
出師の表にちょっとだけ記述があるけど。
634 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:31:06 ID:Rx0SaAQh0
>>633 出師の表って前と後の二種類があるよね。
後出師の表を完全な贋作らしいけど、前出師の表は結構信憑性が高いって聞いた。
これも贋作なの?
>>628 そもそもなんてことを言い出したら、生物学的には8世代以上さかのぼると、
実のご先祖であっても赤の他人のDNAと判別がつかなくなる。
たとえば遺品かなんかから信長の遺伝子が採取できたとして、
その現在の子孫の織田信成のDNAの特徴から、
信長の遺伝子であることを特定するなんてことは不可能なんだよね。
100年以上遡る血筋なんてもんは所詮実態のない家系図上だけの概念なんだから、
世間がそれを承認してくれるかどうかという社会的な問題に帰結するわけさ
>>634 信憑性もなにも、三国志本文に引用されている前出師が贋作とかいってるアホなんぞおらん
638 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:41:56 ID:H/bdd2ap0
639 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 22:43:21 ID:lVn601ai0
でも志賀島の金印もニセモノだからな〜w
歴史ってのはワカランぜ
疑って掛らないと
疑う余地があって疑うのなら結構なことだが、
個々人の常識や主観に基づいて、それは嘘に違いないとか言ってても収拾がつかないんで、
歴史学では史料批判の原則にもとづいて、どの程度信頼しうるかを判断している。
後出師が偽作と判断されるのはそうした史料批判の手法に拠ったものだが、
前出師まで偽作と言えるだけの根拠をしめせるのなら、
それで一本研究論文を提出できるよ。
>>632 出師の表だけじゃなくて正史本文にも記述があるよ
642 :
名無しさん@十周年:2010/02/08(月) 00:59:23 ID:oQ821K6a0
>>115 日本の古墳も似たようなもんさ
近所の古墳なんか、名前は付けてもらえないは、畑の道具置き場になってるはで悲しすぎる…
643 :
名無しさん@十周年:2010/02/08(月) 01:00:02 ID:+2nzfPSf0
はなさか爺さんみたいな話になってきたな
644 :
名無しさん@十周年:
それより
あったはずの 北京原人の骨 探せよ!
北京原人は いつもの 大嘘なんだろ