【歴史】 "曹操の墓に続き…「ここが劉備の墓だ」" 自称・劉備の子孫が発掘要請…中国
★曹操に続き…「ここが劉備の墓だ」 観光収入狙い?自称・子孫が発掘要請
・中国河南省安陽市で昨年末、三国志の英雄、曹操の墓を発見したと地元当局が発表し、
その真贋(しんがん)について歴史学者らによる論争が白熱化しているが、今度は
四川省彭山県の関係者が、三国時代のもう一人の英雄、劉備の墓があると国に
訴えている。曹操の墓の観光効果は年間4億元(52億円)との試算もあり、柳の下の
2匹目を狙う様相に、専門家からは「証拠が言い伝えだけとは」との声も。
劉備は、曹操と天下を争ったライバルだが、墓についての定説はない。四川省の省都、
成都市の西南部にある彭山県の牧馬郷蓮花村は村民の8割以上が劉姓で、劉備の
子孫と自称。村にある約7万平方メートルの未発掘古墳が劉備の墓と
言い伝えられているという。
地元紙によれば、曹操の墓が発見されたニュースが大きく報じられたのを受け、村民有志が
連名で文化財の保護と管理を担当する国家文物局に、「劉備の墓の可能性が高い古墳の
発掘調査を依頼する」と連絡。彭山県観光局は全県民に対し、「劉備の墓である証明証拠が
県内に眠っている可能性があり、何としても探し出せ」と号令をかけたという。
しかし、歴史専門家の間では「地元の言い伝えは考古学的には証拠とはいえない。劉備が
わざわざ彭山県に墓をつくる理由も見つからない」などと疑問視する人が多い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100203-00000062-san-int
2なら中国崩壊
3 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:16:54 ID:5FDodZCb0
3なら劉備は日本人だった
4なら3は朝鮮人
そんなとこで対抗すんなよw
劉禅はスウェーデン人
7 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:19:57 ID:ktETRj9S0
こいつらが劉備の子孫ってことは、劉禅の子孫ってことだよな?
やっぱりアホやわw
イエスの墓は戸来村にある
で孫権の墓は見つかったの?
10 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:22:27 ID:+jBt2j3+0
11 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:22:38 ID:crrzBf/d0
なんで自分の祖先の墓暴きするんだよ
マイナーなところでここが華雄の墓だとかないかな
二喬の墓でも掘り起こせよw
次は大人気の朱桓の墓が見つかるに違いない。
>>9 孫権厨房の末裔だとぬかしてるソフトバンクの禿に聞け
16 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:31:58 ID:ax2Glzq80
蜀漢は劉備の没後に早々に滅んでるから、とっくに壊されてるんでは?
17 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:32:47 ID:KJk8gAM4P
始皇帝まだ〜????
>9
とっくに見つかってるはずだが
19 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:36:40 ID:MTa6flMH0
あれ?成都になかった?
阿斗ちゃんと親子一緒に陵墓在ったと思うけど?
20 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:36:54 ID:ktDMBBMM0
劉禅はやればできる子
そのうちペキン原人の墓がでてくるんじゃないか?
まぁ劉備自体が自称だからOKだな
23 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:38:15 ID:2/IeQB5U0
青森のキリストの墓も発掘調査すべき
24 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:38:16 ID:FEH0bAx30
中国を旅行した時、電車の中で一緒になった中国人のおばさんとの会話
女:姚明って知ってる?
俺:有名なバスケットボール選手ですよね
女:わたし一緒なのよ
俺:一緒って、親戚か何かですか?(ちょっと期待)
女:名字が一緒なのよ!
俺:……
>劉備がわざわざ彭山県に墓をつくる理由も見つからない
後の観光収入のためじゃないか?
27 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:40:33 ID:QR5OuujC0
今世界にある全部の墓は劉備の墓でいいよ。
28 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:42:27 ID:cNOhRVk/0
はわわ
>>9 明の朱元璋の陵墓は元々孫権の墓のあったとこ
30 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:43:57 ID:ihxGdyqj0
そのうち孫悟空の墓が見つかった、とでもいいかねんな中国人は。
>>30 この手の頭のおかしい人は日本人にもいるわけだが・・・。
32 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:44:43 ID:7gpoK+vC0
どうせどっかの土人の墓だろ
>16
劉家は別に滅んでない。
逆賊扱いではなく帰順して魏の貴族として優雅に暮らした。
スタートライン鑑みれば勝ち組だったな。
34 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:46:07 ID:fPoUBIUD0
流石に嘘くさい
頼朝公3歳のしゃれこうべがあるんだから
中国全土を渡り歩いた劉備なら
墓が各地に沢山あってもおかしくないな
文革で壊された墓で呪いとか祟りがあるのって誰のだったっけ?
37 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:50:41 ID:+2rjO9sx0
38 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:51:35 ID:m1dojSEH0
三国志って面白い?
吉川英治の1巻目読み始めたけど、「これはギャグか?」と思ってしまうぐらい
劉備に都合良すぎる展開の連続で、一目見て劉備を「ただものではない!」って感じで褒め称える人が続出で、
なんだかアホ臭くなって読むの一時休止してしまった。
我慢して最後まで読むと印象変わるかな〜。
39 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:53:34 ID:iCcsplSl0
中山清王の子孫と自称した劉備の自称子孫。
日本でも自称有名人・偉人の子孫や系譜につらなる人ってのは多いよな。
山岡荘八の養子(荘八の後妻の娘の夫)が奥さんで自称壮八の秘書だから
山岡姓を名乗る山岡賢次とかな。
まーた始まった
南京の大虐殺とやらで死んだ連中は30万人いるらしいな。
白骨の山でも発掘してみろ。
あ、こいつらなら捏造しちゃうなw
42 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:54:17 ID:pPKmWsws0
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 三國志はウリナラ起源 |
|_________|
∧_∧ ||
<ヽ`∀´>||
/ つ||
俺の先祖は左慈だという言い伝えがある
>>38 そりゃ、三国志演義自体はフィクションで、そういうお話だからというしかない
英雄譚でカリスマ性を象徴する風貌とかアイテムとかが出てくるのはお約束だから
諸葛孔明の記述なんかもっとすごいよ、そんな超人いるわけないだろ、と感じる
劉備はまだ人間味を描かれてる場面も多かったよ
45 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:57:36 ID:IxHBQ3S60
46 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 17:58:05 ID:hbvEqccu0
待て
これは孔明のわなだ
自称かよw
>>38 横山光輝の漫画と羅貫中(岩波文庫)の小説は面白い
49 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:04:14 ID:DNepqUq00
そもそも墓なんて発掘すんなよ常識的に考えて迷惑だろ
52 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:08:06 ID:UIfirFUs0
>>41 馬鹿、そんな言ったら
ウィグル30万人殺して白骨の山を作りかねない国だぞ
自称・子孫が発掘ようせいしたから本物?
まるで理由びなってないな
54 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:10:23 ID:Caf9eqw40
証拠が言い伝えだけとは
55 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:12:07 ID:fVKoAIqn0
韓国が三国志の発祥である とか
項羽と劉邦の時代のほうがスケールでかくて好き
三国志は欠伸が出る
>専門家からは「証拠が言い伝えだけとは」との声も。
隣と違ってまともな中国人もいるようですね
59 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:21:38 ID:m86dOBJp0
嘘八百、白髪三千丈の国だもんなw
劉備は皇帝扱いだったから、墓がどこにあるかわからない、ってのもおかしな話だな。
61 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:42:39 ID:p8IH+/n30
白帝城で死んだんだっけ
62 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:45:55 ID:rFHgN/vU0
>>38 俺は吉川英治の好きだけどなぁ
あと、2巻くらいから戦のシーンとかも増えて面白くなると思う
>>43 よかったな。左慈は房中術の達人だったらしいぜ
ていうか劉備の墓って円墳でもうすでになかったっけ?
63 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:49:35 ID:PEmFuXgY0
清の皇帝の子孫なら今でも探すのは容易だろうけど、
ひょっとして始皇帝の子孫とかも普通にいたりするのか?
64 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:50:44 ID:8gdHbE6E0
劉備や曹操って結局、天下統一すら出来なかった三流武将なんだよね…。
なんでこんなに持て囃されるのか分からない。
65 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:52:47 ID:eugFoXW70
こーめいの墓は
66 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:55:01 ID:6uXMHG5r0
曹操だって皇帝[魏の武帝]扱いだぜ。しかも正統な。
劉備なんかは亡国の僞帝にすぎんよ。
67 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:55:51 ID:PEmFuXgY0
>>64 義経とか信長とか竜馬をディスってんのか?
68 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 18:59:41 ID:rFHgN/vU0
>>64 曹操は周の文王と同じだと思えばいいよ
同じことが司馬昭にもいえるし
劉備は孔明という類まれな政治家や当時の有名な武将を抱えてたからだし
>>64 当時の中国では呉やショクは辺境だったから
曹操は統一したに等しい
実際漢その他の王朝でも辺境に小国はあったわけだし
71 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:03:46 ID:6I2Ta7Vc0
>>64 曹操は詩人としていくつもの詩を残し、文化人の保護もおこなってきたんで
詩文化の発展に貢献した偉人でもある
73 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:04:21 ID:PEmFuXgY0
>>70 曹操の領土って、洛陽とか許昌(だっけ?)以外はどこが栄えてたエリアなん?
74 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:07:06 ID:rFHgN/vU0
>>72 そういや曹操の息子の曹植の詩集見た事あるわ
75 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:08:06 ID:BEnKmGxw0
なんでこう中国にバカが多いんだろ
まぁ観光地として盛り上げようとこういう伝承がありますよってやってる分には可愛いではないか
自称・孔明の子孫もたくさんいたよな
村とか作ってた気が
78 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:10:32 ID:ax9XHDnv0
>>73 古代の領土ってのは、現代と違って、点の支配なんですよ。
だから歴史地図なんかで、漢や唐の領域が広く同じ色で塗られていたり
しますけど、これは便宜上そうせざるを得ないだけで、その領域すべてや
そこにすんでいた人間全部を支配していたわけではないんです。
だから国力も、歴史地図上の支配地域が広いから国力が大きかったかということ
も無い訳ですね。
曹操てツインドリルの人だよね
80 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:16:39 ID:6I2Ta7Vc0
日本にもいるじゃん、坂本竜馬かぶれのバカが沢山
劉備は倭人だしwwwwww
82 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:27:11 ID:aURIYs3y0
三国志そのものに誇大なものがありすぎると思えてならない
自分の手を汚さず綺麗事を並べてやって来たから
劉禅みたいな跡継ぎが出来たと思うと
人間としては曹操の方が優れていたとは思う
三国志は歴史書だけど、三国志演義はフィクションであり、小説
この違いがわかってない日本人が多いな
日本では三国志というと演義の設定を意味することがほとんどだからなあ
85 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:30:50 ID:TPxthxqHP
吹いたwww
支那のギャグセンスクオリティ高すぎだわwww
>>80 偉い人は言いました (西原理恵子だったろうか)
「高知は坂本竜馬で持っている」と(観光収入的な意味で)
劉備の墓は成都にあるだろ。孔明の廟と同じところ。
88 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 19:58:18 ID:6I2Ta7Vc0
次は勿論、孫権ですね?
唐の時代の酉陽雑爼に劉備の墓を暴きに入った盗賊の話がある。
中で二人の男が碁を打っていて、
ほかに侍衛の軍人が十数人も武器を持って控えていた。
盗賊は驚いて謝ると、碁を打っていたうちの一人が振り返り、盗賊に酒を飲ませた。
その上玉の腰帯をくれたので、盗賊は喜んで出てくると、
玉の腰帯と思ったのは大きな蛇だったという。
まあ怪談の類です。
>8割以上が劉姓
郵便屋からしたら絶対働きたくない地域だな。
92 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 20:11:34 ID:izzyVgmO0
ウリも何か考えるニダ
93 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 20:11:46 ID:Caf9eqw40
95 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 20:19:56 ID:z6SNU2Ay0
>劉備の墓である証明証拠が 県内に眠っている可能性があり、
何としても探し出せ
>何としても探し出せ
96 :
(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2010/02/03(水) 20:27:33 ID:yoEERj/70
中華酷 こうでなくっちゃ
97 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 20:40:03 ID:J9mf6CbK0
劉禅の子孫か?
99 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 20:43:14 ID:ZaEsWtoL0
劉備の子孫だけあって胡散臭いな
100 :
反・権謀術数:2010/02/03(水) 20:45:58 ID:wosGu6BY0
最後は、
「ここがヤン・ウェンリーの墓だ!」
中国って王朝が変わると以前の文化財とか
残らずぶち壊してそうなイメージがあるんだが
偉人の墓はそのまま残ってたりするの?
102 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:04:03 ID:2eka08O60
>>101 それは韓国の方。中国では結構残してる。王朝が前の王朝の歴史書を編纂するのが通例だしな。
キリストの墓発見まだー?
劉備の墓は武侯祠の近くの恵陵じゃないの?三国志も地元出身の陳寿が記載してるのだから
ほぼ確実だろうし。
三国志とかより、梁山泊記念館とかあったら行ってみたいなあ。
ディズニーランドなんか作らずに、水滸伝遊園地とかにして
公孫勝マンションとか、スプラッシュ黒旋風とか、アクア李俊とか面白そうなのになあ。
侯健衣装館で仮装して、神行太保リニアで移動して、宋清パーティで酔って、柴進vipルームで寝たい。
>>101 後漢→魏→晋
はあくまで「禅譲」という形式で移り変わったし
前王朝を否定したり破壊する必要はない
107 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:18:43 ID:rFHgN/vU0
劉禅って無能ってイメージが強いけど、無能を演じて生き延びた役者だったという説もあるんだよね
ほら、中途半端に賢いと脅威と思われて殺されるじゃん
それにあの時蜀はどう見ても魏に勝てなかったわけだし
108 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:34:10 ID:L8GXtgvq0
1) 平気で嘘をつく。
2) 平然と恩人を裏切る。
3) 歴史事実を故意に改変する。
4) 約束を守らない。
5) 身内・仲間は大事にするが「外部」は騙す。
6) 敵を分断し、陰謀を常に仕掛ける。
7) 自分本位に思考し、自己の利益のみを追求する。
8) 社会構成が「聖人主義」であり、平等思想を、認めない。
9) その地位についたものは地位を利用し私腹を肥やす。
内田良平(1874〜1937)の支那観
昔から変わらんね、チャンとチョン。
109 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:35:09 ID:eD3S2+0d0
劉備評
先主は度量が広くて意志が強く心が大きくて親切であって、人物を見分け士人を待遇した。
思うに漢の高祖の面影があり、英雄の器であった。その国をまかせて遺児を諸葛亮に託し、
心に何の疑惑も持たなかったこととなると、誠に君臣の私心無きあり方として最高のものであり、
古今を通じての盛時である。
権謀と才略にかけては、魏の武帝に及ばず、これがため国土もまた狭かった。
しかしながら敗れても、屈服せず、最後まで臣下とならなかったのは、そもそも彼の度量からいって、
絶対に自分を受け入れないと推し測ったからで、単に利を競うためというのではなく、同時に害悪を回避するためでもあった。
劉禅評
後主は賢明な宰相に政治を任せているときは、道理に従う君主であったが、宦官に惑わされてからは暗愚な君主であった。
「白糸はどうにでも変わるものであり、ただ染められるままになる」とあるのは、なるほどもっともである。
礼では、国君が国家を継承した際には、年を超えてから年号をあらためるはずなのに章武三年に建興と改元しており、
このことを過去のたてまえと照合してみると、道理に合わない。また、国に史官を置かず、記録係の官もおいてないため、
事実に遺漏が多く、災害の記録も無い。諸葛亮は政治に熟達していたけれども、およそこうした種類の事に関して、なお周到でないところがあった。
しかしながら、諸葛亮の生存中は十二年を経過しながら年号を変えず、しばしば出兵しつつも、恩赦をみだりに行っていないのは、
やはり卓越した事ではあるまいか。諸葛亮が死没してからのちは、かかる体制もだんだん欠けてきており、その優劣は歴然としている。
110 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:37:00 ID:9TDgR1sC0
劉禅の系列は晋の時代に断絶しているはずだから別の系統の人なのかな
111 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:38:12 ID:ojzdTDbn0
北方版呂布と張飛の格好良さは異常
>>105 梁山泊普通になんもないがけっぷちだもんな
だがそこがいい
113 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 21:39:38 ID:jdqsP3Le0
中国は無理に近代化をしようとしないでこういう文化も大事にしてほしい
こういうの大事にするようになると民度も良くなる。
大昔の中国の文化は結構いいのあるし
>>102 >>106 d
そうか、じゃあ墓が残っててもおかしくはないのな。
やっぱ掘り起こしてどの年代のもんか調べたりすんのかな。
>>102 墓めぐりに行ったことないだろ
残してても洗濯物干しになってたり畑になってたり、
奇跡的に祠が残ってても物置になってるのが普通。
「('A`)…あれ、地図だとここらへん…」「移動させたよ!」
→なんか草むらの中に半分割れた石っころが横に倒れててそれが墓碑のなれのはてwww
でもお金になるとわかればその近辺すっげーーー整えられる。
ギエンさんの墓は速攻で潰されたというのに・・・
墓が残ってるなんて中国人は魏延VIP待遇ですね
そもそも墓や廟がある事自体まれなのに
というか今回の曹操のように正式認定されてる墓はごくごく僅からしいが
120 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 22:43:51 ID:rFHgN/vU0
魏延さんは文官VS武官の争いの犠牲者なの(´・ω・`)
は?
は?
>>119 とある武将の墓が大根畑になっててちょwwをまwwと苦笑しながら
中国語出来る先輩にきいてもらったら住人曰く
「死んだ人間より生きてるわたしらの方が困ってるんだからこれでいいの」
言われてみたらまあ、ごもっともなんだよねw
個人的には大事にしてやってくれよーと思うんだけど
>>110 永嘉の変(西晋末の異民族反乱)で一族皆殺しにあった。ただ、弟の劉永
の孫だかは乱を逃れて蜀まで逃げ、この系統だけ生き残った。
現代の劉氏の多くはこれの子孫を名乗るそうな。嘘くせーw
125 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:30:02 ID:EhNH2AFw0
演義読んでると蜀軍勢は
関羽・張飛つえー&趙雲かっこいい、くらいにしか感じてなかったけど
元傭兵の軍事評論家が書いた「ビジネスに役立つ三国志」的な本で
「野戦司令官としての劉備は0点以下、全く才能ナシ」
と切って捨ててあって笑ってしまった。納得もした。
・同じ失敗を何度も繰り返す
(油断して急襲され部下も妻子も捨てて逃げること2度)
・軍師の献策を受け入れない
・敵を招き入れ本城を留守にして奪われる
・捨て置いても殺されるわけではない民衆を救うために
貴重な兵を死なせ妻子を人質に取られる
・とにかく全く学習能力がない
部下が優秀なので物語として読んでいると気が付かなかったが
言われてみるとその通りだ
「理想を振りかざす困った君主」くらいに思っていたんだが「無能」とは・・・
126 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:38:46 ID:m5wuIuX30
劉備だって自称漢王室の子孫だっけ?
127 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:40:56 ID:CkjFWCbX0
三国志全員の墓が出てきそうだな。ww
128 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:45:31 ID:GINcdHq30
日本でも織田信成なんて怪しいみたいだしな。
129 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:57:59 ID:rFHgN/vU0
>>125 一応イリョウの戦いでは劉備が率いる軍は最初有利な地を悉く取っていたんだから完璧な馬鹿ではないはず
あり得ない仮定だが、もしあの時呉に陸遜のような優秀な軍師が指揮していなかったら歴史は変わっていただろうな
あと、民衆を救うためっていうのは劉備の唯一の武器が人望だったんだからしょうがなかったんじゃないか?
130 :
名無しさん@十周年:2010/02/03(水) 23:59:43 ID:Caf9eqw40
>>125の劉備像を見て、我が国の首相を連想してしまった俺は病んで来てるのかも試練・・・
中山王の自称子孫の劉備の自称子孫かw
132 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:06:33 ID:JXQoBEYS0
調査してお前ら全員ニセモノと証明してやればいいw
中山せいおうりゅうしょうの末裔か自称
134 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:09:00 ID:PPZr44qZ0
おい
そんな事よりも
卑弥呼の墓を早く探せよ
トロイの木馬も言い伝えだけでみんなバカにしてたんだけどな
>>125 無能な劉備をどれだけ無理なく美化するかが作家の役目みたいな感じだからな
いっそとことん劉備を卑劣漢扱いする三国志を読みたいんだが
137 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:11:35 ID:PPZr44qZ0
>>125 考えてみろよw
あれだけ幼少期に苦労してる劉禅
があれだけ無能なんだぜwww
そりゃ親父も無能だろw
馬鹿なボンボンでもちゃんと教育し直せば
そうとう優秀なもんだぞw
そもそも日本で言えば弥生時代の人物で、民族大移動なんかで目茶苦茶
に混血してんだから、今さら劉備の子孫なんて見つかる訳ない。
北方民族の匈奴が劉氏を名乗っているくらいだし。現代の劉氏なんてむ
しろこっちの子孫かも知れんぞ。
139 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:11:54 ID:nrXIH3c+0
「余と君だ!!」のシーンが好き
歴史は作られる。
>>7 正史には劉禅が暗君だって記述無いんじゃなかったか?
142 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:14:12 ID:jnk+em9u0
極貧の生活を送ってる農民と見た
母さまの為にお茶を買いに行く途中、偶然見つけたんだな
143 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:14:33 ID:W42sn9u80
三国志なんて西遊記みたいなもんだろ。
そのうち孫悟空とか三蔵法師とか筋斗雲の墓もまじめに発見されるよ。
144 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:14:56 ID:5HSQ7/z60
中国人バカだな、と笑おうとしたが、
日本にはキリストの墓がある事を思い出した
>>138 中国は日本と違って集落間が遠くてそんなに交流がないから
子孫の集落が残ってても不思議ではないと思う。
dddd
>>145 諸葛家の集団の?子孫なら前にTVでありましたね
148 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:26:00 ID:9tln7Fpr0
劉備の子孫の村 なら聞いたことがあるw
>>38 光栄の三国志からやるんだ
でかいカセットのやつ
150 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:28:23 ID:GFSlQxMo0
自称子孫。
やれやれ。
そういえば、聖徳太子の子孫や、源義経の子孫って誰?
って思ったけど、義経の子供は、殺されちゃったから、子孫は居ないじゃん・・・。
頼朝ぶっころす!!!
まあ、孔子の子孫なんかは信憑性もあるんだろうが、これは宗教的
権威で、歴代王朝も庇護してきたからこそ続いた特殊ケースだから
なあ。
王家の子孫なんて、王朝が滅んだ途端に多くは殺されてしまうし、
逃げ延びたとしても、大衆の中に紛れて分からなくなってしまうの
が普通。
152 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:33:48 ID:GFSlQxMo0
公務員のババーとかって、頼朝系だろ?
いかにも、って感じで気味悪い。なにあの、ニヤニヤしたふてぶてしい女は。しねよ
こういう調子で南京大虐殺も30万人まで膨れ上がったのか・・・
154 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:36:50 ID:JtCdtNg10
156 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:38:02 ID:vNSwc1B70
ある意味すげぇなぁ
日本でいうと「俺は卑弥呼の子孫」レベルだろ?
まあ、中山靖王なんて子供が100人いたっていう説もあるからなぁw
まあ、劉備は絶対的な人望を持っていたんだから只者では無かったはずだけど
158 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 00:47:19 ID:GFSlQxMo0
孫権の子孫はいるだろ?
孔令輝ってなんかの子孫?
159 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 00:57:07 ID:WKLCFsMm0
160 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:02:00 ID:9kB6XIco0
そのうち自称ハイブリッドも出るだろうな。
うちの家系は曹操と孔明の血を引いています、みたいな。
161 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:03:48 ID:CckDEOQr0
>>129 あの本で言及してたのはあくまで「野戦司令官」としてなんだよね。
元傭兵の人だから、内政についてはあまり語ってなくて。
「興国の戦にはとにかくシビアに勝ち抜いて領土と自主独立を勝ち取らないとダメ。
徳政は安定してから。」ということなんだろう。
夷陵の戦いでは劉備は孔明や趙雲の反対を押し切って出陣したので二人とも従軍してなかった。
前半の快勝で呉軍が和睦を求め、未だ陸遜が任官して無い時期に兵を収めていたら
よい結果を残せていたし死期を早めることもなかったかもしれない。
でも判断を仰ぐ優秀なスタッフがおらず怒りにまかせて進軍した。
(勿論その当時は呉軍も蜀の勢いに慌てていたくらいだから仕方ないかも)
荊州の撤退戦で、関羽の水軍が迎えに来たとき、自分と部下の将兵を船に乗せず
避難民を乗せたのが大失敗だと書いてあった。
避難民は10万を超えていたから勿論全員は乗れない。ごく一部の難民を乗せるより、
司令官の自分と将兵を乗せて江陵まで急行し、避難民が集まるのを待つべきだったと。
避難民は別に魏軍が来ても必ず殺されるわけではないが
劉備の部下は襲撃され、捕虜になっても命の保証は無いかもしれない。
勿論人徳が劉備の金看板だったから仕方ない面はあるけれども、
劉備はこの金看板に拘って折角求めた軍師の進言を一蹴して
結局窮地に立たされる結果を繰り返している。
だから「野戦司令官」としては三流と評価されていたわけ。
んでももっと酷い評価の軍人もいたよ。袁術とか袁紹とか袁尚とか袁譚とか袁煕とか・・・
>>136 「蒼天航路」の劉備は戦に弱い上、聖人君子な横山三国志とは違って
高祖劉邦的ヤクザ親分なキャラクターだな。正直こっちの方が遥かに魅力的だ。
164 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 01:11:44 ID:WKLCFsMm0
秀吉と劉備って農民上がり・人たらしのイメージで被るけど
秀吉は戦争も強くて政治も出来て経済にも通じて居て天才そのものだけど
劉備はホントてんでダメで何も取り得がない
戦争には勝てないわ、裏切りもしまくりだわで、
よく辺境とは言え、皇帝までなれたなって思う
そういうのも才能なのかなw
ゴツトツコツの子孫は中国いるんじゃないかもな南過ぎる
166 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:16:24 ID:ORDISjD20
出来の悪いやつほど母性本能をくすぐるんだ
167 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:24:49 ID:4mWLDUVi0
これは日本にある桃太郎の墓みたいなもんですか?
168 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:28:55 ID:+YK5EU+M0
血みどろの侵略戦争を有史以来繰り返してきた中国で○○の子孫
ましてや1000年単位での子孫なんて疑わしいにも程があるだろ
三国志の時代にも孔子の子孫の武将いたよな。
名前忘れたけど地味に知力高かったような気がする
そんな昔にも有名人の子孫名乗る奴がいるんだからなあの国はwww
>>48 横山光輝の三国志は吉川英治の小説を漫画に起こしたものなんだが
171 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:40:45 ID:nBOKPKEQ0
>>170 更に蜀の人が書いた書物を基にしてるんだっけね。
横山三国志だけでなく殆どの小説漫画は劉備よりだよね。
>>162 蒼天よりもっと前に出てる陳舜臣の三國志に出てくる劉備は
有能な詐欺師で面白かったよ
正史からそう外れないキャラづくりで演義から離そうとすると
普通にそっち側になるような気がするw
しかし20年前は曹操がなんで日本で人気あるのか、おかしいんじゃないのって
中国人に言われてたのに今あっちでも人気なんだね…びっくりだ
173 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 01:46:37 ID:WKLCFsMm0
劉備なんて渡り鳥みたいに無節操に色んな有力者のもとを渡り歩いて、
最後は他人の国を占領・横取りして、有徳の君だなんて称えられるんだもんな
歴史なんてあてにならんわ
>>161 その本は演義に対する分析だね
西遊記のように、徳はあるけど力はない主というのがお約束だから劉備がそんなキャラ付けになった
正史の劉備は野戦能力ちゃんとある。決して無能じゃない
正史での劉備の功績が演義では孔明の手柄になったり法正の手柄になったりしてる
しかし夷陵に関してだと正史の方が酷いんだよな。実は正しい献策をする者はちゃんと居た。
漢中戦で謀臣として活躍した智将の黄権がこれは危険だと忠告してくれたのに劉備は聞き入れなかった。
快進撃を続けていたので油断してしまったんだろう。これは総大将としての失点だと思う
>>173 それは三国志演義って創作物語のイメージ付いちゃっただけじゃんw
戦国BASARAゲームやって戦国時代わかったように語るようなものだよそれw
>>171 陳寿は蜀の帰順した晋に仕えたし三国志もその時代に書いたものなので
魏書にのみ皇帝の「紀」を立てている。蜀書寄りの部分もないわけじゃないが偏ってるってほどではないな
177 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:54:23 ID:PhiCF0sK0
劉備玄徳・・・劉禅・・・諸葛亮
豊臣秀吉・・・秀頼・・・淀君
野村克也・・・カツノリ・・・サッチー
宮崎駿 ・・・吾郎・・・鈴木P
179 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 01:57:54 ID:PhiCF0sK0
「しろはた三国志」が一番面白かったのになあ。
180 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:01:34 ID:t+lWv9hl0
そうなの?ww
死ぬ間際に、日本に渡って来たと思ってたよww
劉備の墓は日本で探すべきだろww
>>171 横山吉川以外の三国志小説・漫画
蒼天航路→曹操マンセー、善、主役。劉備は戦下手任侠ヤクザ
陳舜臣→曹操主役。劉備は卑劣な詐欺師
北方→曹操天才。劉備は漢王朝への忠誠心は無いが世を憂う凡人
宮城谷→曹操天才、善、主役。劉備は最低な俗物
こんなありさまになっております
183 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:08:11 ID:5Gt1xBS40
>>171 宮城谷って何を題材にしても「主人公マンセー」「それ以外は最低」しか書かなくね?
漢楚で田横を主人公にしたやつも読むに堪えなかった
185 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:09:27 ID:WKLCFsMm0
曹操の扱いが良くなってきたのは近年だろ
信長の評価が高いのと一緒で、時代の流れだな
世相を反映するものだしさ
決断力とリーダーシップのある上司を望むビジネス界向けだよw
歴史の評価なんてそんなもん
アンカ間違ってた
>>182だ
まあ「曹操は悪人でも天才」って見方は昔からあったとは思うがね
187 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:13:38 ID:5Gt1xBS40
誰か忘れたけど…「凱歌のあと」「光武帝」書いてた人
塚本なんとかだったかな…
劉備は人間的に魅力がないな…
188 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:14:00 ID:WKLCFsMm0
>>175 いやでも正史三国志でも劉備の評価ってそんなだった気がするが
189 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:15:38 ID:aCOKKlyZP
はいはい劉備は日本軍に虐殺されたんだろwww
ポンエイかね
>>176 魏から禅譲を受けた晋に仕えたので、必然的に魏を正統として著述
している。ただ、蜀の人なので、気持ち的には蜀びいきのところが
隠せない。劉備の伝などはかなり好意的に書いている。
193 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:17:35 ID:PhiCF0sK0
194 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:18:15 ID:NZB/HGS70
骨にボールペンで劉備って書いて埋めとくといいよ
195 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:19:12 ID:WKLCFsMm0
>>192 晋に仕えてるのに蜀の「皇帝」として劉備のことを書いてるのはエライよな
ていうかよく許されたわ
196 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:20:10 ID:YRE26yxy0
中国で2文字性は諸葛だけ
ちなみに名は必ず1文字、孔明の場合は亮
これ豆な
197 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:20:33 ID:Vf5OLeS8P BE:968858429-PLT(13654)
1万年の歴史を持つという韓国王朝の墓はまだですか?
そのうち水滸伝の燕青の墓とか花栄の墓とか公孫勝の墓とかも出てきそうな勢いだなおいw
>>33 アフォですか。永嘉の乱で皆殺しになってるから子孫なんて存在しないよ。
夏候・・・・
202 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:22:21 ID:WKLCFsMm0
>>193 しろはたってのは知らないけどググったら色々知らない三国志があるんだな
>>38 三国志演義に感動する奴は、基本的に論理回路が壊れた低学歴クズニートだから。
吉川英治の三国志だって、日中戦争当時に中国人のメンタリティーがどういうものかを
国民に広く知らしめるために、あえて書いたもので、根底には中国人のご都合主義に対する批判があるんだよあれ。
204 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:24:42 ID:lumff6C00
>>196 知ったかで嘘つくんじゃねーよ
2文字姓は夏侯一族とかいるじゃん。
>>195 さすがに皇帝扱いはしていない(できない)
皇帝ではなく「先主」と記述してあり、扱いも伝
それでも呉の皇帝とは明らかに扱いが違うので蜀贔屓であることは間違いない
>>45 正史読めって言う奴に限って、正史なんて知らない件に付いてwwww
正史の三国志は、前四史の中で一番出来が悪く、資料的価値も薄い、こんなのを嫁と言ってる時点で無知の低学歴が知ったか丸出しwww
207 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:28:07 ID:Z/MmFzbe0
らしいね
208 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:28:23 ID:qvJh5Tcd0
劉備の子孫だって言うとかっこいいが
劉禅の子孫でもあるんじゃねえか?
そもそも三国史じゃなくて三国志だしなあ。
210 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:28:39 ID:WKLCFsMm0
>>196 マジレスすると権力者と名前が被って遠慮して、一文字姓から二文字姓に変えることはよくある
日本でも「伴氏」は大伴氏に変えてる
諸葛も最初は葛姓だった
>>182 北方の曹操は気持ち悪かった。天才っていうか女々しくて。
蒼天航路の曹操は善って感じじゃなかったなあ。悪でもないけど。
そもそも物語としての原典である三国志演義では曹操=悪玉、劉備=善玉のわかりやすい
物語になってたんだけど、日本で吉川英治が妙に人情味あるキャラづけしてしまったので
世界中で日本だけ妙に曹操人気が高かったとか
>>208 だから劉禅の子孫は永嘉の乱で皆殺しになってるから存在しない。
中国にいる〇〇の子孫ってたいてい嘘だから
関羽の子孫だっているけど完全な嘘
たしか11世紀ぐらいまでしか遡れない
213 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:30:52 ID:YRE26yxy0
本場の中国での三国志評価では
正史三国志は後の為政者側の捏造史で
三国志演義はアンチ体制派による妄想史観
事実を正しく伝えてるのは、民間に伝わる柴堆三国志
これ豆な
214 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:31:04 ID:qvJh5Tcd0
俺も曹操のほうがいいな
信長っぽくていい
>>200 劉永(劉禅の弟)の孫が生き延び、当時蜀にできた成漢(五胡十六国の
一つ)に亡命しているから、この子孫が続いている可能性はあるよ。
>>212 11世紀までしか遡れないのは諸葛亮の子孫を自称してる一族だった
関羽の子孫を自称してる奴にいたっては、200年ぐらい前の家系図持ってるだけだった。
よ
217 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:33:12 ID:JtCdtNg10
>>213 演戯の原形は元代にできたんだっけ
北方民族への反発ってことかね?
>>212 まあ11世紀まで遡れるだけでもすごいっちゃすごいけどなw
>>217 一部のカルト学者説で「中国では」とか言うやつのこと信じるな
220 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:35:02 ID:5l17slAv0
よし、次は孟穫の墓を探すんだ
次はぜひ左慈の墓を・・・・
てかあのオサーンだったらまだ生きてるか。
222 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:37:47 ID:qvJh5Tcd0
ガキの頃、真田ってやつがいたんだけど、幸村の子孫だって言ってたな
言ったもん勝ちだね
俺の名字の有名武将居ねーから残念
俺が劉備だ
224 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:38:18 ID:YRE26yxy0
>>217 民族発揚の意味は大いにあったのかもしれん
ともかく、現在も続く京劇で演じられる
三国志の題材は全て柴堆三国志エピソードから
これ豆な
225 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:39:08 ID:5Gt1xBS40
>>213はニュー速では、「バカ」の県名表示ですか…?
まぁ、適当に副葬品繕って、観光名所にでもすりゃいいんじゃね?
227 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:39:56 ID:AdFjhbUf0
>>212 劉永の子孫が生き延びたと伺っているが。
228 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 02:40:15 ID:WKLCFsMm0
魏延の墓が見つかったら100パー荒らされる
>>215 wikipedia厨房乙www
wikipediaには書いてないけど、その劉玄なる人物は、信頼性の薄い晋書に何故か紛れ込んでいるけど
実際は存在していなかったと言うのが定説。
>>228 このスレの300もないレスを読んでないのかお前w
>>211 北方は曹操に限らず、女々しくて悩んでばっかの気持ち悪い人物多くね?
諸葛亮も自分に自信が無くてクヨクヨ弱音吐いてばっかの性格だし
曹操人気は日本だけって話はよく言われてるんだけどね、
でも中国では曹操を漢の忠臣として描いた曹操主役のドラマがあったり
三国演義のドラマでも曹操を魅力的人物として描いてるし
許昌には巨大曹操像があって観光地になってたりして、
どうも中国でも人気あるんじゃないかとしか思えないんだけど
>>205 劉備の即位の詔を載せているし、実質皇帝扱いしている部分も
ある。曹操に降伏しなかったのは、曹操の側に劉備を容れる度
量がなかったからだとまで書いてるし。陳寿が劉備に好意的で
本当は皇帝として記述したかったのは明らか。晋の天下という
事情はそれを許さなかったけど。
233 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:44:44 ID:pR4JbNGC0
北朝鮮の将軍様も、北の連中の扱いだとどんな聖人かと思う罠w
顔とかデッカイ絵のパネルあるけど、イケメンに描いてあれだからなw
234 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:45:06 ID:YRE26yxy0
>>228 荒らされるどころか、今は近代戦術の見地から
最短距離な子午道から電撃作戦を上申した知将として再評価されてる
これ豆な
235 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:46:50 ID:AdFjhbUf0
>>229 「晋書」に記述があったかな?
では、劉輯は?
236 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:48:50 ID:NOf0WBB80
俺が読んだ、信頼できる出版社が出した書物によれば、
劉備は邪馬台国からやってきた奴らしい。
>>231 北方が好きなキャラだけやたらマンセーしてて
そこそこ重要な武将や軍師でも北方が気に入らなければ「死んだ」だけで終わるから
正直読み物としても('A`)だったなあ自分は
曹操人気が出始めたのはほんとここ10年くらいの話だって
中国でも香港でも台湾でも「曹操は悪なのにどうしてそんな褒めるの」ってどこ行っても
不思議がられるって中国史専攻して中国で暮らしてた先生が言ってた。
ってか 中国で有名な人物の墓で
マトモに見つかった墓ってあるの?
239 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:51:39 ID:NOf0WBB80
やっぱ左慈とか公孫勝とか、仙人系が最高やね。
昔、仙人探しに中国各地を渡り歩いてみたけど見つからなかったよw
西蔵や新疆まで行ってみたんだけどなあ。
241 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:54:18 ID:GWnq5RG/0
そのうち宇宙人の墓でもでるなw
誰も信じないよw
曹操評価が変わったのは小説の影響とか言ってるバカって一体何なの。
毛沢東が曹操評価したから変わったんだよ、
>>229 正史の裴松之(南朝宋の人で、皇帝の命で三国志の注釈を作った歴史家)
の注で、孫盛(東晋の歴史家で、東晋が成漢を征服した戦に従軍)が成都
で彼と会った旨を記述している。正史を読めばちゃんと出てくるが。
実際に存在しなかったというのが定説というが、例えば誰が主張している
のかな?
もっとも、劉永の子孫が現代まで続いているかなんて、今さら分からんが。
>>231 許昌周辺とそれ以外では結構温度差があるんじゃないかと思う
許昌の昔話には曹操が荀ケを三回尋ねて臣下にした、というものもあるらしいし
最近になって状況が変わってきているのももちろんあるとは思うけど
>>242 毛沢東て長生きなんですね( ゚Д゚)
毛沢東の評価が中国では受け入れられず日本で受け入れられたんですか( ゚Д゚)へえええええ
246 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:58:36 ID:YRE26yxy0
>>238 割と新し目だが、南京の中山稜
中国建国の父孫文の墓かな
247 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 02:59:35 ID:AdFjhbUf0
備が蜀を備え、禅が禅譲す。
広義において、もとより存在していなかったと言えるのかどうか。
カシュガルにホージャ墳とかいう西域のお姫さんの墓があったなあ。
清の乾隆帝の妃、つーか妾?の墓らしいが。
有名かどうかは知らん。
まああまり有名じゃないな。
>>248 アフォだwwww
他人をWiki厨と言いながらたった一人の大学院先生の言う事信じてるのか
でもなんかお前と話ずれてる気がするよ。
こっちは「中国/香港/台湾国民レベルでの人気と、日本での人気」について話してるのに
お前の言ってる事って中国の学者とかの事じゃね?
251 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:06:43 ID:AdFjhbUf0
>>238 三国志でいえば、矢張り朱然の墓か。
私的には、乾陵と十三陵に赴いたことがある。
馬超の墓だという場所にもいってみた。以前は、小山のように土が盛り上がった場所に
ペンペン草が生えているだけであったという。
252 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:09:51 ID:AdFjhbUf0
>>251 お、自分も行ったよ馬超の墓
当時は完全に腰の高さまで生えてる草むらに埋もれてる状態だったけど
それなりに人が来るってわかったらしくて草刈りしてスペース作ってくれたらしいね
「このへん」て言われて「ええええ」と友達と二人で('A`)になったw
254 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:16:04 ID:3ZjL5zQr0
五虎将でちゃんと戦場で名誉の戦死を遂げたのがいない件
>>250 ズレてんのはオマエのほうだとおもうんだが。
もともとのレスは、中国本土で曹操を善人にしたドラマがやったりしてるのはなぜっていうから、
法家の独裁者としての曹操を毛沢東になぞられているからだって言ってるだけなんだが。
つか、歴史上の人物の評価が平気で権力の動向で動く中国で、大衆世論なんて関係あるの?
例えば左宗棠と李鴻章の評価なんて、面白いぐらいにその時の権力の都合で揺れる。
歴史と政治が直結している中国の事を理解してないだけじゃないの
批林批孔運動とか知ってる?周恩来やケ小平を叩くためだけに中国最大の聖人だった孔子まで
最大の悪人になってたでしょ、終この間の話しなんだけど
256 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:19:25 ID:Xnv4fBCm0
中国なんて動乱のたびに焼き払われて何にも残ってねーだろww
>>254 全体で見ても殆どいない
徐栄とか文醜とかその辺しか思いつかないな
258 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:21:47 ID:3ZjL5zQr0
>>256 中国は、戦乱の旅に書物が焼き払われて、正史以外の資料比較がしづらいから、マトモな歴史検討が難しいと言われてきたんだけど
最近は、陵墓の発掘が進んで、かなりいろいろなことがわかってる。
もしかしたらそれも含めてぜんぶ中国共産党のウソかもしれないけど。
261 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:23:39 ID:AdFjhbUf0
>>253 奇遇ですな。
一見すると寂れた場所で、そういう中にあって伝承として、
ずうっとそのように伝えられてきたのであれば、それはそれで
少なくとも真実らしく思えるわけですな。
夏草や兵どもが夢の跡。
穿り返して発掘しようなどと、野暮な事は言う必要などあるまい。
262 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:29:48 ID:3ZjL5zQr0
あんまり三国志にのめり込むと
中国マンセーの危険分子がそだっちゃうから言うけど
信長の野望時代の武将のほうが百倍強いからな
>>254 やはり、実力者と言えば、張儁乂殿ではあるまいか。
生きておれば、司馬懿の強力なライバルとなったかも知れない。
敵の手を使って、ライバルを葬り去るというやり方で、この人物は
葬られたと考えられる。
>>258 戦死ではあるが名誉の、というイメージではないような
>>259 関羽迎えにいって斬られた説とかあったので文醜を優先させてみたw
265 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:42:33 ID:3ZjL5zQr0
>>264 馬良
諸葛瞻
諸葛尚
猛達
夏侯淵
張コウ
周瑜
甘寧
Etc
>>262 視点を変えれば、
三国時代は希に見る暗黒時代という事も言える。
人口は三国あわせて八百万そこそこ。死亡者、逃散が恐ろしく多かったのでしょうな。
それを裏付けるかのように、
「魏は10州の地を領有しているが、戸口を計れば昔の1州にも満たない」
といった記述もある。
西晋の武帝は統一後に思い切って常備軍を減らしたのだが、その理由の一つが
全土の疲弊にあったと言われる。
>>259 恐らく、顔良殿は闘う気はなかったと思われる。
不意打ちに近い状態で討たれたのだと思いますね。
わが国で言えば、加藤清正という人物も功名上手なところがあったという。
267 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 03:48:27 ID:NQ+KFqWz0
>>257 曹操の親衛隊長のテンイとか
名前忘れたが曹操の長男も同じ時に親父の身代わりに戦死してるはず
269 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 04:01:37 ID:NQ+KFqWz0
姜維とケ艾も謀反とはいえ、いちおう戦いの場で戦死してますね
ブンシュウのレベルだと王双とかも
270 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 04:09:17 ID:qvJh5Tcd0
中国ってこの後も晋がすぐに崩壊したんじゃなかったっけ
で、北方民族に乗っ取られて、そん中の一つが統一して随が出来て
その随も乗っ取られて唐が出来たんだよな
地獄の時代だな
墓なんか、ほとんど荒されただろ
なるほどー、人口が少なかった時代なのか。
そうなると人材も不足してたんだろうね。
諸葛公明も人材不足だったから優秀な人材として扱われたけど、
他の時代だったら微妙だったのかな?
何にしても左慈みたいな仙人系のやつは時空を超えて面白いね。
曹操から逃げた後は西アジアかインドか欧州にでも行ってたんだろうか。
いまはどこで何やってるのかなあ。
あ、この際実在したかどうかは気にしない気にしないw
孫権の墓は、まだ?w
273 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 04:12:10 ID:de4UFdmC0
ここほれわんわん
>>271 > 他の時代だったら微妙だったのかな?
その辺りの事は比較のしようがありません。
諸葛孔明の場合、同時代でも、たとえば魏に仕官するのは難しかったのではと思いますね。
諸葛孔明という人は若い頃は、浪書生、
言うなればニートの状態にあったと考えられます。
ちなみに、高島氏よると、三顧の礼というあの故事の実相は、
ありていに言えば、
劉備という当時は中小の町工場か何かの経営者級の人が、浪書生を拝み倒して、
工場に来てもらった、ということのようです。
補足
魏に仕官するのは
↓
魏に仕官して名を成すのは
276 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 06:02:37 ID:CckDEOQr0
三国志時代の人口は 岡田英弘氏の著書によると
黄巾の乱とそれに続く内乱による食糧不足で
人口が五千万人強から一挙に十分の一の五百万人弱に落ち込む
その内訳は
華北の曹操(魏) 250万人
江南の孫権(呉) 150万人
四川の劉備(蜀) 100万人 だそうです
赤壁の時の魏軍が公称「百万の大軍」てのはやっぱブラフなんだな〜
劉禅ほか蜀の旧皇族は洛陽に送られたんだから
成都に子孫がいるはずがない。
ところで三国志のころの中国大陸にいた漢民族はいまは存在しない。
度重なる異民族によるエスニッククレンジングを受けて溶けちゃって、
いま中国で漢民族を名乗ってるのはそういうめたくそになったミックスの連中だから。
279 :
獄長:2010/02/04(木) 06:11:47 ID:jK8mE9750
さすがだな劉家北斗神拳ほめてやろう・・
280 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 09:09:24 ID:lvO+cZu70
>>277 永嘉の乱の時に劉永の孫の劉玄が逃げ延びて成都に都を置いてた成漢を頼って
成都に戻って、安楽候に封じられてるよ。(因みに劉永も劉禅らと共に洛陽に
送られたが、劉禅とは仲が悪かったの為に出仕しなかったのが幸いした)
281 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 09:11:50 ID:2iFYAIAi0
もう好きにしろよw
もしかして家臣団が優秀なら鳩山も名君に成り得たって事?
>>271 政治家としてそこそこ通用したと思うけど。
新野で仕官してすぐ戸籍整理して徴兵したり、蜀でも塩や鉄の専売制にしたり
けっこう面白いことやってるし。政治家として発想は柔軟だから他の時代でも
そこそこ通用したと思われる。
室町時代の果心居士が左慈にそっくりw
まあ後世のパクリなんだけど、同じ人物として見ると面白いかもね。
劉備なら俺の横で寝てるよ
285 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 09:33:14 ID:4/qpO3ka0
>>149 ホウ徳さんと郭図さんの能力が入れ替わっているのでダメです
286 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 11:43:00 ID:t4p3VcfaQ
左慈は仙人じゃなくて房中術の達人だったみたいだよ
ものすごい人気でそういう行為とは関係ない宦官からも教えを請われたみたい
劉備の墓は成都にあるだろww
288 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 13:36:35 ID:NtkqtCnK0
呂布の墓って聞いたことないな
裏切り者は墓もたててもらえんのか?
次次でてきてワロタ
こんどは誰のお墓がくるのか
お墓とかより関連したものを集めた記念館建ててくれたらいいのに
同じ胡散臭さでも実のある方へ金を落としたい
291 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 13:57:01 ID:lvO+cZu70
昨日、夕方のTVニュースの特集で神戸の某商店街で横山三国志のコスプレして
「いらっしゃい!」とやってた商店街有志の店主たちを見て吹いたわw
逆に、この武将の墓だって確定してるのはあるの?
293 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 13:58:53 ID:ltm6GXQI0
中国で呂布てどうなんだ
俺は三国志キャラベスト5の中に余裕で入るけど
294 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:00:26 ID:7xfzbwDZ0
馬にシマ書いてシマウマ
桃香ちゃんのお墓が出てきたのですか?
296 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:01:59 ID:lvO+cZu70
>>286 だから、左慈をモデルにした果心居士も房中術の達人なのかw
ちなみに、松永弾正さんも房中術の本を執筆してるw
297 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:03:08 ID:n8ktfpim0
三国志で一番有名な人物と言えば卑弥呼だろうJK
298 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:06:02 ID:NtkqtCnK0
歴女的には、やはり周瑜なんだろうな
299 :
◆65537KeAAA :2010/02/04(木) 14:07:34 ID:k/fVbjOS0 BE:146772959-2BP(4072)
>>3 真っ先に終わりそうだったのに、しぶとく残ってんなぁ。
>>291 なんだそれw行きたいww
神戸って横光と何か関係あったっけ?中華街関係?
何にしても楽しそうでいいなあ
301 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:13:35 ID:PwU5dERF0
ジャーンジャーン
うっ、伏兵だ
言っとくけど曹操もこれも観光客目当ての国策詐欺だと思うぞ
>>302 ワロタwwありがとう、新潟に行く事があったらぜひ行ってみたいなー
>関羽豆腐、赤兎馬刺、張飛ステーキなどのメニューがあったようです
ちょwっっwwwとwwwwどこからツッコミ入れたらいいんだこれww
305 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:26:42 ID:10e/R+BP0
劉備も曹操も韓国の血筋
中国を統べていたのは韓国人。
307 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 14:30:57 ID:X23It01B0
>>276 内乱で百万の大軍がいくつも争い戦死したから人口が急減したんだろ。
人気的に、次は関羽だよな。
>>306 NPO法人かあ…('A`)と思ったけどまあそれはそれとしてすごく楽しそうだ
ちかく大阪行く用事があるから帰りに寄ってみたいな。ありがとう!
岡山といいこれらといいなんというか日本人の三國志好き異常だよなw
横光先生は偉大だ
中国人よ。
日本には、イエス・キリストの墓があるぜ。
どうだ、ビビったか。
小便漏らしたか。
311 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 15:26:41 ID:CckDEOQr0
>>307 いやそういう意味でなくて、
赤壁前、「魏の大軍が南下」の報告に呉の官僚が
「魏の軍勢は百万の大軍だぞ」「降伏しかない」とか騒いで
孫権を悩ませたくだりで、現代の三国志関連書籍では大抵
「100万は多すぎ。実質20万で十分」とかなってるけど
上の人口比みると妥当な線だな、という感想だよ。
華北全部合わせれば100万近い兵力があったかもしれないけど
それ全部引き連れてくるわけないしね。
312 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 15:42:15 ID:xwJQ6q9r0
汚沢の墓も掘ってみてください
>>276>>311 当時は戦乱によって戸籍から外れた難民が多い。
代表的なのが曹操が支配下に組み込んだ青州黄巾党100万人(数は誇張だろうけど)。
彼らは戸籍登録されずに各地の豪族の私物として囲い込まれたので、
実際の人口はもっと多いと言われているよ。
ただ生産力の低い当時は動員できる兵力も少ないので、
赤壁の戦いで率いられた曹操軍20万ってのも妥当どころか多すぎると言える。
>>313 ただそれでも人口不足だったから周辺の異民族を自国に連れてきてたみたいで。南蛮遠征や北伐なんてのも
その土地の原住民を強制移住させるという人口確保の側面が大きい。あと傭兵として異民族が大量に使われてた
ようで。結果、晋の時代になると異民族が力を持ってしまい王朝崩壊の原因にもなったけど
315 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 20:09:24 ID:AdFjhbUf0
>>276 陳郡
「動乱での後で、人民の数は少なくなっているのです。漢の文帝・景帝時代と比較すれば、一つの大きな郡にすぎません。」
という主旨の発言
諸葛亮
「現在、荊州は人口が少なくないのに、戸籍に載っている者は少しです。」
杜恕
「動乱による疲弊のあとで、その戸数・人口を計算すると過去の一州にも及びません。
(中略)
一州の人民を統治しながら、九州の地をとりしきること、その困難さは、たとえて言えば
疲れた馬に鞭をうって街道をいくようなものです。」
等々これ以外にもあるが、何れも人員不足の様を伝えるものである(誇張はあるが)。
獣が荒れ狂う中で、死亡した者、土地を捨てて逃散し物陰に潜む者、賊に加わる者、有力者に匿われ奴隷として使われる者、そういう様々な状況が存在したと思われる。
総じて暗黒時代という事でしょうな。
ちなみに、西晋期には、常備軍(屯田予備兵含む)をうんと減らし、
しばしの休息もあり、1600万まで回復したという。
(屯田予備兵は通常の戸籍には含まれていない)
>>315 人口少ない=生産力が少ない
場合が多いから常備軍なんていう金食い虫は相当負担になったんじゃないか?3国でも。
劉備が貨幣作ったりと蜀が商業重視したのも生産力補うためのようなもんだし。
317 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 20:53:20 ID:vqO37YfK0
>>7 劉禅の子孫は永嘉の乱で絶えている。
他に劉備の子と言えば劉永(甘陵王)、劉理(安平王)がいるので、このどちらかの系譜だろう。
318 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/04(木) 21:02:37 ID:lh0yJOvk0
秀吉が検地を行えたのは絶対的な権力者になってからだからな
それくらい全国の石高やら戸籍やらを把握することは大変だった
後漢末期は荒れに荒れてて地方豪族の力も強かったから、
人口を把握することは不可能。
つーか今の中国ですら人口ちゃんと把握できてるのか?w
中山靖王の子孫というのは当時すでにたくさんいたから広義の意味で「劉備の一族」なんてのは
珍しくないかと。だから劉備に子孫と言ってるのかもw清朝でも愛新覚羅と名乗る王朝の一族は末期
に公式でも2万人もいたんだから驚くことじゃない。
>>318 蜀や呉は地元豪族の連合政権だったし、魏でさえ曹操は豪族(司馬氏など)を押さえ込むのに苦労してる
のを見たら統計に載らない人口はそれなりにあったのかと。特に3国鼎立時代になると戦場になる地域は限定
されてくるのでそれ以外の地域では人口や生産は回復していたと思われ。
321 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 21:22:20 ID:Ja7AoKD+0
>>318 >つーか今の中国ですら人口ちゃんと把握できてるのか?w
南京で30万人死んだそうですからwww
322 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 21:35:57 ID:AdFjhbUf0
>>316 そうですね。
ちなみにローマの場合は、アウグストゥスはそれに成功し、
西晋の武帝は、結果論からすれば、それに失敗したという事ですかね。
>>319 中山靖王というのは、飲んだくれの助平親父だったと言いますからな。そのせいで
兄にたしなめられたというのだから、そのことは事実だったのでしょうな。
(ちなみに、その兄というのは無類のカタブツという)
そんなワケで、貴方がおっしゃるように、子供は異様に多かったわけですな。
そして、三百年あまり経過した劉備殿の時代に、既にその血筋の者は数多く存在していた
と見ても不思議ではなく、そういう状況になれば、法螺も何でもあり得るという事ですな。
まあ、恐らくは劉備殿自身が、ある意味
>>1の方々と同じような気質を持っていたのでは
ないだろうか。
>>322 >西晋の武帝は、結果論からすれば、それに失敗したという事ですかね。
西晋の場合は外国人がすでに中国国内に相当数入り込んでいたからねぇ。農耕従事者だけで
なく常備軍の兵隊や隊長として。しかも武帝やその次の皇帝が馬鹿すぎた。
>中山靖王というのは、飲んだくれの助平親父だったと言いますからな。
まあ仕方ないんじゃないですかこれは?あの当時の皇族は一度権力争いに
巻き込まれたら命が危ういですから(謀反の疑いが懸かると無罪有罪以前に自殺
しないといけないという慣習が皇族や士大夫にあった)、それから逃れるには呑んだく
れてるのが一番。当人の性格もあったでしょうが変な疑いかけられないように
していたとも思われる。
>三百年あまり経過した劉備殿の時代に、既にその血筋の者は数多く存在していた
>と見ても不思議ではなく、そういう状況になれば、法螺も何でもあり得るという事ですな。
姓名が「劉」と国姓を在野時代から名乗っているのを見ても一応、皇族の子孫のハシクレ
だったと思われ。あの当時、国姓を勝手に名乗るは死刑になる重罪であるし、祖父や親父が
一応孝廉で役人になってた経歴がある以上、当時の王朝の側で身元調査はされていた
と思われ(でないと親父や祖父は国姓詐称の重罪になってる)。
>恐らくは劉備殿自身が、ある意味
>>1の方々と同じような気質を持っていたのでは
>ないだろうか。
任侠の親分みたいなことをしてたのは確かなようで。
>>1のような気質の。
324 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 21:55:37 ID:CCv1e/nz0
>>322 ただ劉備は自称にしても、異様なくらい人望があって只者ではない雰囲気を出していたから
信じる人も多かったんだろうな
>>324 三国志(著者が蜀出身の陳寿というバイアスがあるが)にも高祖の風ありとされてたから。かなり人間臭い愛嬌のある人だ
ったんじゃない?戦も曹操とリクソン、呂布以外には勝ってるからそこそこの腕前だっただろうし。
326 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 22:18:09 ID:AdFjhbUf0
>>323 系譜をたどるのが早々に難しくなっていた者の系列であるというのが、まず一点。
どのような、身辺調査をしたのかなという話。恐らくは既成事実化していたことを
もって、行き詰ったと思われる。
それから、孝廉など、
当初の目的から離れ、適当なものと化していたはずですよ。
327 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 22:28:39 ID:8RtLzSDi0
貂蝉の墓はどこですか
劉備「私は中山靖王劉勝の末孫である!」
中山靖王劉勝には100人以上の子どもがいたそうだ
>>326 あの当時孝廉ってのは官僚になるための登竜門で、その人選は地元の有力者や中央政界の
エライさんからの横槍も入るくらいの重要なものだったはずだからそれに挙げられるというのはそ
れなりの人物と思われ。>劉備の祖父、其の時に当然国姓との関係性の調査が行われたのでは
なかろうかと。
>身辺調査をしたのかなという話。恐らくは既成事実化していたことを
>もって、行き詰ったと思われる。
おそらくあの当時(今でも地方だと)同じ一族ごとに固まって「村」を形成していたところが多いから
その村で「聞き込み」でもしたんじゃないかと。どうも中山周辺やその一帯は中山靖王の子孫が大量に
住み着いていたみたいだからそういうのは珍しいことではなかったのではないかと。
流石は中国四千年の歴史だ
日本なんか墓どころかその時代にあった国の場所すら分からんのだからな
そのうち項羽や劉邦の墓も出てくるかも知れないなあ
331 :
名無しさん@十周年:2010/02/04(木) 22:56:12 ID:0caJG3AY0
332 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 00:05:14 ID:AdFjhbUf0
>>329 具体的に言えば、劉貞−劉雄の間の人々。
ここに問題がある。調査が厳格なものであれば、有り得ないというのが、
結論ではあるまいか。なぜならば、この間の全ての人々が、
候に封じられているというのがまず有り得ない。
しかも、封地があちこちに飛んでいる模様で、これはいかにもおかしい。
仮にこの通りであれば、劉備殿の先祖はあちこちを転々としていたことになるだろう。
(実は流れ者であったということ暗示しているのではなかろうか)
そして、無駄に代を積み重ねている印象である。ちなみに、長沙王〜献帝までは12代だという。
> その人選は地元の有力者や中央政界のエライさんからの横槍も入るくらい
というよりは、地元の有力者(豪族)の意向がそのまま反映されたものと思われる。
有力者に成り上がっていたのかも知れないが、自分を売り込むために、
吹聴してまわり、買収も含めてあの手この手で工作を行なったのではないだろうか。
広廉に押される者は、法螺太郎が多かったという説もある。
劉備殿のその伝を真似て、あちこちに法螺を吹いて回ったのではあるまいか。
無理もあるまい評判を立てられることが、重要であったのだから。
333 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 00:09:22 ID:tb8Waihy0
補足
下段の前半部は祖父の事。
334 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 00:43:40 ID:rtje8HA00
魏を滅ぼしたのは日本人だから謝罪と賠償(ry
335 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 00:44:31 ID:Vt6P3CTF0
ここがミトコンドリア・イブの墓です
336 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 00:49:00 ID:tb8Waihy0
ちなみに、332は三国志演義にあるもので、
身辺調査の一例ですな。
俺、自称蘇我氏の子孫
蒸しご飯見ると、吐き気がするもん
南京事件もこのレベルだからwwww
339 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 01:02:28 ID:93vOkbnX0
埼玉にマリリンモンローの墓があるぞ。
>>286 広い意味じゃ房中術も仙術の一つの方法だから、左慈はやっぱり仙人でいいいんでない?
341 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 01:18:12 ID:IBsszCE/0
>>174 演技はその辺省いてるんだっけ?
「私が黄権を捨てたんだ」って台詞、最初が意味がわからんかった。
342 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 01:31:14 ID:mD3oWz2b0
それよりモンゴル帝国の話しようぜ。無敵のハイド様について。ラルクのボーカルじゃないぞ
三国志板の住人が大半なんだろうけどなんでそんなに詳しいんだ?
ちくま書房の正史は買ってみようと思ったけど他に読むべき本があったら教えてほすい
345 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 11:47:06 ID:Xod39i/B0
>>344 いきなり正史買っても鍋敷や枕になるだけだぞw
図書館で三国志関連書籍を片端から読んで、まだ飽きずに興味があったら
当時の風俗とか俗説とかも調べていくと徐々に面白い事がわかってくる
一番いいのは三国戦国板でもまれてくる事だが
オタクしかいないので知識が偏る
ダムの水抜いて白帝城発見!とかいいだすぞ
348 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 13:12:53 ID:Cd4nn0sT0
劉禅(阿斗)の真相
劉禅「(オヤジ、なに捏造して国政に口出してんだよ・・・
しかも中原取られちゃってんじゃねーかよ、こんなド田舎でなに粋がってんだ
こんな身勝手なバカオヤジのオナニー政策のために犠牲になるなんてまっぴらゴメンだわw)」
・・・以後、怠惰になる
側近衆「(阿斗)という印象を流せば少しは・・・」
劉禅「いや、ぶっちゃけ望む所ですからw」
側近衆「くそ!じゃぁ宦官のせいにすれば!」
劉禅「勝手にしてろ、カスw」
魏「降伏勧告を申し・・・」
劉禅「あ、いいっすよ、一度首都の女抱きたかったんだww」
魏「え・・・」
側近衆「オワタ・・・」
>>346 マンガを一通りと北方、吉川三国志あたりは読んだから正史もちゃんと読んでみたいのよ
正史はちくまから出てるからいいとして、話の肉付けとして他にマストバイな書籍はあるのかなーと
>>349 集め出したらお金がいくらあっても足りないのだけは確か。
たとえるなら「イタリアで一番おいしいパスタを食わせてくれる店を教えて」くらい無茶。
歴史雑誌とか買ってみるのもひとつの手かもしれないけど、どのみち偏るね…
ここにいるオタ系でやけに詳しい人はそれなりにすごい資料を沢山読んでる人達だとオモw
>>350 考察サイトなんかも多いし、信憑性はさておき手当たり次第に読んで自分で繋ぎ合わせていくかたちになるのかな
敷居が高いけど跨げるよう努力してみるよ
>>174 曹操とリクソン以外には基本勝ってるからねぇ。>劉備
>>348 馬鹿を装ってたのかどうかは知らんけど馬鹿なおかげで司馬氏からは
警戒されなかった。逆に「こんなんでは孔明カワイソ」なんていわれる始末。。。
やっと規制解除ー
>>349 >>346はこう言ってるけど自分の考えとしては
正史を読まず解説書や考察サイトから入るのはやめた方がいいと思う
漫画や小説を一通り読んでるなら全体も流れや人物名も把握してるだろうし、
本当に理解を深めたいなら正史
まともな解説書やサイトもあるが、私見や妄想まみれのものも多く、偏見を植え付けられてしまう
「蜀を馬鹿にすれば立派な正史三国志通」みたいな風潮あるしね
ま、正史を読まず解説書のみ、って選択肢もあるかとは思うが、
それで理解したつもりになって特定の人物を叩くのはやめてほしいもんだね
ゲームをプレイせずに動画だけ見て「クソゲ」と言うようなもので
>>353 高島先生の解説本から入ればいいんでない?あの先生の中国史関係の本は面白い。
>>353 自分の意見は経験則上だよw
陳・柴錬・吉川横光と諸々通ってきた人に「興味出てきた」って言われたので
正史薦めたら以降「今読んでる」で一向に進まないという人間が多かったのでねw
あれと、いままで読んだ漫画や、雑誌、考察サイトを併用して読むのがベストだと思っている
基本年表読んでるよーなもんだからなあ('A`)飽きるわ
356 :
名無しさん@十周年:2010/02/05(金) 23:39:49 ID:tb8Waihy0
>>353 私は
>>346氏に賛成だよ。
この正史の構成というのは、いわゆる紀伝体というヤツで、平たく言えば
人物本位に構成されておって、時系列を追いにくいし、
事実関係も個々の人物によって、ところどころ食い違っている事も珍しくないともいう。
漫画や小説を一通り読んで(記憶の良い者であれば別だが)
直ちに正史に移るというのは難しいと思うぞよ。
演義や漫画を手垢が刷り込む程読み込み、それから正史にというのならば、
少しはわかるが、現実的には関連の書籍を色々と漁りつつ、
演義にも目を通し、しかる後に正史に当たるというのが、
われわれ素人にとって適当なところと思う。
それに、われわれ素人が「正史」といっているものの中味は、
既に解説が全体の分量の半分以上も付されたものであるし、それらを含めた
訳本なのだから。
だんだん胡散臭くなってきましたw
言い伝えが本物なところなんて青森のキリストの墓くらいなもんだろ
もうどうせなら三国志のメンバー全員(笑)の墓を作ってしまえばいいじゃん。
一都市一お墓制度でも初めてさ。
それで観光収入にでもすればいいよ。
>>358 絶対やると思うんだよねwww
数十年前まで石ころが転がってただけだったのに、日本人の三国志オタが来て
金になるってわかってからは場所整えたりしてるくらいなんだからww
「建て直しはありがたいけど、昔来た時と場所がちがうww」とか教授笑ってたなぁ
360 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 00:07:02 ID:F/V9w9VL0
じゃあ俺は干禁の墓な
>>353 たとえば、
>>271 > 諸葛公明も人材不足だったから優秀な人材として扱われたけど、
> 他の時代だったら微妙だったのかな?
という問に対して
私のような阿呆の手に(
>>274)かかると、
> 諸葛孔明の場合、同時代でも、たとえば魏に仕官するのは難しかったのではと思いますね。
という回答になる。なぜかといえば、単に「正史」にそのような事がかかれてあったから、
というだけの話。
(諸葛亮伝:注のところに諸葛孔明の言葉として「魏はとりわけ人物が多いのだろうか。どうしてあの二人(徐庶、石韜)は用いられていないのだろうか」)
それに対して
>>283氏は、諸葛孔明の人物像を全体として俯瞰し、
その上での評価となっている。
>>362 一番いいのは複数の三国志オタクのいる場所なんだよね
知識が偏ってたらすかさず「こういう説も」「いやこういうのも」って驚くほど
あれこれ出てくるから「おまえらテラうぜえwだがもっとやれww」って笑って楽しく学べる
このスレの諸々も面白い意見が多くてためになるよ
「これはこうだバカ。知りもしないで偉そうに」とか自分が一番偉そうに
鼻の穴膨らませて言う鬱陶しいのがたまにいるけど
埼玉県越谷市千間台の民家の庭には猿田彦の墓があるぞ!
べつに解説書から入るのは構わんと思うけど
>>362はちょっとおかしい
正史に「諸葛孔明の場合、同時代でも、魏に仕官するのは難しい」なんてことは書かれていない
むしろ注をつけた裴松之は「魏に仕官したなら陳羣や司馬懿が対抗できる相手ではない」と言ってる
まぁこれもただの裴松之の私見にすぎないけど、「正史を読んだら諸葛亮は魏に仕官できないという感想を持つ」というのはおかしい
あと
>>283の戸籍整理の徴兵という点も正史本文と矛盾するので疑わしい。
その話は魏略に載ってる話で、それは三顧の礼や徐庶が諸葛亮を紹介したという記述に矛盾するもの。裴松之も根拠をあげて否定している。
解説書に載っていたんだろうけど、
正史より1個人の書いた解説書の方が正しいという確証なんて無いよね?
でも解説書の方が分かりやすく飽きにくいってんなら正史より解説書を優先させるのもいいと思うよ
>>363 同意見!
三国戦国板においでおいで
366 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 00:58:10 ID:yiqN+5C40
>>365 > 「正史を読んだら諸葛亮は魏に仕官できないという感想を持つ」というのはおかしい
少し誤解があるかも知れない。
あくまでも、その記述を目にした私がそのように判断した(諸葛孔明殿本人が
そうおっしゃるなら、相違あるまいと)という事であって、
それは、阿呆な判断であったと反省しておりますよ。
思考の足りない場合は、解説書の手をかりながら、読み解くのも一つの手ではあるまいか
ということ。
>>283 氏の意見が正しいというのではなく、あくまでも全体像を見て、
評価を下している書き込みだ、という印象を受けたという事。
でも「諸葛亮は大したことないので魏に行っても仕官できない」と書いてる解説書もあるんだよねえ…
一冊(1個人)の解説をうのみにするのは危険かもしれない
まぁ信じ込まずに参考程度にした方がいいんじゃないか?
368 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 01:25:59 ID:yiqN+5C40
>>367 そういう本の存在について、具体的には良くは知らない。
該当箇所について言えば、
徐庶について調べていた際に、そういった内容の事が書かれてあり、
実際に正史にあたってみて、そうであったから記憶していたのであって、
その結論に結びつけた経緯については、ほぼ独断に近いと思われる。
個人的な見解については
>>356にまとめておいた。
369 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 01:58:18 ID:zW+INQU40
中国では、劉姓のほとんどは劉備の子孫を称していると聞いたことがあるなあ。
>>369 そもそも劉備が中山靖王劉勝の末裔と名乗ってたのも胡散臭いという話はよく出るしね
その劉備の血縁、ってことを考えると、まあ元が元だしいいんじゃないかなって
苦笑しながら思えるようなww
まー日本の山中姓の人たちだってみんながみんな鹿之助の子孫じゃないしなあw
>>369 五胡十六国の漢建国者の劉淵は劉姓名乗っているが、実は遊牧民の匈奴。
五代十国の後漢(こうかん)建国者の劉知遠はやはり遊牧民の突厥沙陀族。
劉備の子孫なんて言ってる連中も、実はこういった異民族系の連中の
子孫だったりする可能性の方が高いんでないかい。
373 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 10:11:22 ID:yiqN+5C40
>>372 劉知遠については、わからないが、
劉淵らの直系は、劉聡−劉粲
と続き、劉サン外戚の[革斤]準という者によって
劉粲を始め、平陽にいた劉氏をことごとく殺されたとあるので、
その時にほぼ絶えたと解釈している。
それを受けて、甥の劉曜が帝位(前趙)についたが、羯族の後趙と争い
何戦かあってそれぞれ勝敗があったものの、結局はこれに敗れ、
最終的に石虎によって、前趙の王公、及び出身部族である屠各部5千人が
洛陽で坑されたという。この時に劉曜の系統の主だった者は耐えたと解釈しているが、
詳細については分からない。
ちなみに、この石虎という人物は、恐ろしく残忍(その残忍さについては、
いくらか割り引いて考えるべきとの意見もある)な男であるが、
子をはじめ身内を数多く殺害し、残された自らの系統も、その養子である
漢族出身の冉閔という者によって、出身部族ごと(羯族)全滅させられたという。
>>369 TVに前に出てた劉家の「ほんとうの子孫」ってのは金と名乗ってた。
死んで劉に還るんだそうな。たしか長江流域に曹操の一族、孫権の一族、劉備の一族なんてのが
至近距離で暮らしてるとかその番組でやってたな。
最後のほうになったらネタ切れになって遂に李典の墓が見つかったとか言い出しそう
376 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 10:18:05 ID:yiqN+5C40
劉サン外戚の→劉粲は外戚の
>>373 其の残忍な石虎を教化しようとしたのがブットチョウという坊主だったはず。残忍石虎も
この坊主の前では体を小さいくしてたんだそうな。
378 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 10:35:53 ID:yiqN+5C40
またそういうことを
380 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 12:16:26 ID:LiUDVp+z0
>>377 そのような残忍な人物がなぜ、仏(坊主)さんを重用したんですかね?
更に訂正 冉閔は養孫でした。
>>380 その辺の事で二、三の書き物を見た、私の雑感では
まあぶっちゃけて言えば、サイババのような人物であったからではあるまいか。
本当だったらちょっと見に行きたいけど
中国だからいくつ劉備の墓があるか分からない
>>380 >>382 手品か何を使い「奇跡」を見せまくったとか。あと軍師みたいんことして予測が当たるとかあったようで。
其の節々で人間としての節制を教えてた。
384 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:16:25 ID:CQ5vM2Bf0
>>24 「張王李趙遍地劉」の国とはいえ、姚姓はそんなに多くないんじゃねーの?
きっと自慢したくなるだけのことはあったんだろうよ
まさに人民プロジェクトw
捏造された証拠が次々に発見されるに違いないwww
386 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:24:01 ID:OtxLF0gr0
そんなことより曹豹の墓を探してくれ
387 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:24:04 ID:CxZfkmvZ0
388 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:31:31 ID:qDFUNHRi0
>>105 潘金蓮バーでぼったくられるわけですね、わかります。
389 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:34:33 ID:CQ5vM2Bf0
>>210 知ったかすんな
大伴だったのが淳和天皇の諱を避けて伴に改名したんだ
歌人の大伴家持が奈良時代の人で応天門の変の伴善男が平安時代の人なことくらい常識
そういえばジャンプでまだ封神演義やってた頃作者が取材に行った写真とかみたけど釣魚台とか観光名所が
すごく新しくてなんだこれ?状態だったな。
歴史があるのに大切にしない国と思った。
日本も結構そういうとこあるけどね。
391 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:39:10 ID:znY007VV0
>>344 ちくま訳の正史を買って繰り返し読むのが一番だろう。
ネット上の考察サイトは、珍説をのたまうところがほとんど。
初心者にとっては惑わされることの方が多いと思う。
なにか書籍を買うなら、
・正史と演義の区別のついてるものを買うこと。
ごちゃまぜに語ってるものも多いから。
一番良いのは、作者が学者、それも中国文学とかではなく
中国史の学者の書いたものを読むことだな。
それも三国時代の専門家のものなら、なお良い。
___
|・∀・ |ノ ))
(( ./|中国 |
/ <
[調子]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
394 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:46:50 ID:znY007VV0
>>125>>161 その本を書いた軍事評論家こそが、三国志を知らない無能なんだろう。
小説はともかく、歴史上の劉備は、野戦指揮官としては曹操に匹敵する才能の持ち主だ。
当時の人間のほとんどは劉備を「戦上手」として認識している。
袁術と戦っている際に本拠地を奪われ、補給は途絶え、将兵は残してきた家族を心配して動揺する中、
劉備は部下を督励し、軍を崩壊させず、餓えと戦いながら袁術に攻勢をかけて
一時的に敵の占領地を奪回するまでの働きをしている。
こんなことが出来る野戦指揮官は100年に1人2人だろう。
劉備を無能と思うか優秀と思うか、これって三国志のくわしいかどうかの試金石なんだよな。
>>105 居酒屋にだけは入りたくないテーマパークだな
396 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 14:49:22 ID:qDFUNHRi0
ネット上や書籍の資料なんかでも、正史著者の記述と裴松之の注釈を
ごっちゃしして紹介しているところが見受けられるなぁ。
>>394 おれもそう思う。
一旦守勢に回った軍勢を立て直すのは、ものすごいこと。
それどころか、勝ち戦の後ですら、興奮した兵をなだめるのは
非常に難しい。
そのうち曹操が10歳のときの頭蓋骨が発見されるぞ
>>394 完全に負けたのもイリョウくらいだしなぁ。
あとはさっさと逃げて、戦力温存してるよね。
そんで軍団として維持してるしね。
400 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:28:00 ID:yiqN+5C40
>>394 しかし私の記憶では。その該当箇所のすぐ直後の記述の中に
劉備は表裏の多い男で、信用できないから、さっさと殺した方がいい
みたいな事を、呂布の部下達は呂布にすすめているという、くだりがあったように
思うんだね。
ちなみに、呂布は信義に厚いのか知らんけど、そうはしなかった。
劉備をこき下ろす材料もその近くに転がっているということなんだね。
仮に「劉備は悪人である」と規定したとすると、あとは、そういう材料を
拾ってくるさ、という話になるんじゃなかろうか。
要するに人のとり方によって、評価は180度変わってくるということじゃあるまいか?
401 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:29:43 ID:vVcuyVpI0
402 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:29:57 ID:fXXV/V2u0
劉禅がおいしくいただきました。
403 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:33:34 ID:x2ms7cFe0
劉備といえば立ち寄った民家の主人が劉備を持て成す為に自分の妻(娘?)
を殺してその肉を出したってのが三国志演義にあるんだそうだ。
んで劉備はその心づくしに痛く感動・・・ってくだりなんだがこの時代から中国人って
考え方がやばいよな。
>村民の8割以上が劉姓で、劉備の子孫と自称。
間違いなく、こいつらは劉備の子孫だ
406 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:37:35 ID:fXXV/V2u0
407 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:37:45 ID:IEdJWIY50
>>403 それってやばいか?
日本軍だって、
死ぬほど空腹だったとき
棒南の島で
死んだ人間の肉食って生き延びたって話があるんだけど
カニバリズムがやばいとか
どんだけ恵まれてるんだって話だが。
408 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:44:26 ID:qDFUNHRi0
>>395 しびれ薬がデフォだったね、そういえばw
409 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:49:03 ID:CQ5vM2Bf0
>>408 それと人肉な
倫理的な問題はともかく、現代人として食べたいものではない
曹操の基
>>407 開高健の最後の晩餐には、中国では飢餓でもないのに人肉を羊の肉だと称して
店頭で売っていたと書いてあったが。
412 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 15:56:32 ID:2RviIr/U0
それを「美談」にしているからえーと思われるんであって
カニバ自体は食に困ってるなら別にええがな。
孫権の墓は去年の11月に行ったけど、超ショボかった。
人目に付かないところにあったし、俺以外誰もいなかったな。
まるで三国志のバーゲンセールだな
>>407 緊急避難的な人肉食は、人道上も認められてる。
イスラム圏は良く知らないけど、
キリスト教圏ですら。
普段から食うのはやばいな。
精神的にも、衛生的にもやばい。
人畜共通感染症どころじゃない、人同士だと
簡単に病気はうつる。
ま、実際にそうして広がったのがニューギニアの
クールーだけどね。
人間版狂牛病。
416 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 16:43:26 ID:fXXV/V2u0
ちゃんと加熱しまつ(`・ω・´)
>>394 劉備は負け上手
貂蝉(架空)は床上手
劉禅はゆとり
>>399 陸遜(及び息子の陸抗)はちょっと別格の指揮官だからなぁ
彼に負けたことをもって戦が下手と言われるのは不幸なことだな
419 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 17:43:25 ID:znY007VV0
>>403 >>412 三国志演義のあの話は「美談」じゃないぞ。
玄コ不勝傷感。
これは感動した。じゃなくて「傷ましく思って泣いた」ということ。
腹が減ってたからって、一晩の食事のために妻を殺すなんてありえない。
「なんてこった…」というのが(小説の)劉備の感想だろう。
吉川がそれを勘違いして小説の中で「日本人の感覚では信じられないが…」
と変なフォローをしたが、吉川が誤訳してただけの話。
まず「劉備は感激していない」し、作中でも「美談」として書かれていない。
明らかにブラックジョークなんだよ。
たとえば、西晋の皇帝の司馬炎が部下の家に行ったら食事が上手くて
「これは何の料理だ」と聞いたら、人の母乳で肉を蒸したものと知って
気持ち悪くなって食べられなかったという話がある。
人肉を食らうなんて籠城戦くらいだよ。
420 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 17:48:05 ID:znY007VV0
>>400 トータルとして見れば、劉備は「十分義に厚く」「軍人としても一級」の人物。
以下コピペ
劉元起 「一門の人間の中で並みの子供ではないからだ」(先主伝)
麋竺 「劉備でなければ徐州を治めることが出来ない」(先主伝)
袁紹 「劉備は度量が広く立派な信義のある人物だ。劉備が徐州を治めることは私の希望に沿ったものでもある」(先主伝注)
呂布配下諸将 「劉備はしばしば態度を変えるしてなづけるのは不可能。始末するべき」(先主伝注)
程c・郭嘉 「ずば抜けた才能を持ち人心もつかんでる。最後まで人の下にいる人物ではない。始末するにしくはない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
呂布 「この男が一番信用できんぞ」(呂布伝)*
曹操 「今、天下に英雄と言えるのは君と余だ。袁紹などは問題にならん」(先主伝)
程c・郭嘉 「劉備を自由にしてはいけない」(武帝紀、程c伝、郭嘉伝注)
董昭 「劉備は勇敢にして大きな野望を持ち関張がその羽翼となっているので信頼してはいけない」(董昭伝)
曹操・郭嘉 「劉備は人傑であり今攻撃しないと後の災いとなろう。袁紹は機を見るに敏でなく行動を起こさないだろう」(武帝紀、郭嘉伝注)
張遼他 「北方討伐の隙を突き劉表に説いて許を襲撃するに違いない」(武帝紀、張遼伝注)
傅巽 「劉備では曹操に対抗できない。仮に対抗できるとしたらいつまでも劉jの下位にはいないだろう」(劉表伝)
程c 「劉備は英名があり関張の武は万人に相当する。孫権は彼らと協力し我らに抵抗するだろう。それはやがて分裂するだろうが、その時にはもう劉備を殺すことは出来ないであろう」(程c伝)
421 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 17:50:32 ID:znY007VV0
曹操 「劉備はわしと同等だが、計略を考え付くのが少し遅い」(武帝期注)
劉巴 「劉備は英雄で受け入れれば必ず害をなすので断るべき」(劉巴伝)
黄権 「劉備は勇名を馳せており、部下として遇することは出来ず、賓客として扱えば二君を認める形になる。国境を閉鎖して入国させてはならない」(黄権伝)
劉巴 「劉備に張魯を討たせることは虎を野に放つのと同じことだ」(劉巴伝)
趙戩 「用兵は稚拙で逃走にあけくれてる。一方、蜀は小国と言えど堅固な地である。併合は不可能だろう」(先主伝注)
傅幹 「劉備は度量があり部下に力をふりしぼらせる事が出来る。また政治・戦略に優れた諸葛亮が大臣となり、勇敢で万人を相手に出来る関張が将軍となっている。成功しないことがあろうか?」(先主伝注)
張魯 「曹操の奴隷となっても劉備の上客にはならん」(文帝紀注)
劉曄 「劉備は人傑で度量もあるが行動は遅い。今蜀を手に入れたばかりでまだ治まってないので今これに付けこんで押しつぶすべき。さもないと政の諸葛亮、武の関張らを用い要害を利用して防備し再び犯すことは不可能となろう」(劉曄伝)
曹操 「玄徳がこのような策を考えつくわけがない。誰かの入れ知恵に違いない」(法正伝)
龐徳 「劉備は小物に過ぎない。わしは国家の鬼となっても、賊の将にはならん」(龐徳伝)
賈詡 「劉備は優れた才略を有し群臣にこれに匹敵するものがいない」(賈ク伝)
劉曄 「劉備と関羽の関係は道義では君臣だが恩愛では父子。小国といえども必ず報復の軍を起こすだろう」(劉曄伝)
曹丕 「劉備は戦争を理解していない」(文帝紀)
陳登 「傑出した雄姿を持ち王覇の才略を備えている点で劉玄徳を尊敬している」(陳矯伝)
裴潜 「中原にいれば乱を齎すことは出来るが太平を招くことは出来ない。しかし要害の地を占めれば一方面のあるじとなるだけの器量はある」(裴潜伝)
彭羕 「劉備は老いぼれて話にならん」(彭羕伝)*
(*付きは悔し紛れの罵詈雑言なので除外してもいいかな?)
>>403 程昱「人様に人肉を喰わせるなんてそいつ正気じゃねえなww」
423 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 17:55:27 ID:znY007VV0
>>418 陸遜は陸遜で、その後の活躍を見る限り、ずば抜けてるわけでもないんだけどな。
ただ、夷陵の敗北をもって劉備の軍人としての資質を疑う人間は、
曹操が赤壁で大敗して荊州の大半を一挙に失ったことや
漢中で劉備に負けたことについても言及せねば、整合性が取れない。
424 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 17:59:57 ID:twMu8x780
発掘は100年凍結を宣言すれば、自称子孫どもは潮が引くようにいなくなるだろう
>>423 石亭での曹休撃破とか、結構なモノではないかな?
少なくとも陳寿からの評価は最高クラスだが
36計のことわざの元になった将軍もいつも逃げまくってたんでなかったか?高祖も項羽にはいつも負けてた。
逃げまくって組織を温存し続けるのが戦う中では一番難しいんじゃないだろうか?
427 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:00:38 ID:E6V88M330
赤壁の戦いってほんとにあったの?
>>423 明帝にも「古の孫子呉子に劣らぬ」と評されてる>陸遜
429 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:06:27 ID:znY007VV0
>>425 もちろん、当時の1級の司令官であり、曹休なんかとは比べられないが、
その後に満寵が曹休を引き継ぐと勝てなくなるし、
領土を切り取ることは出来なかった。
曹操や劉備が活躍した時代と比べると勢力が均衡してるから
それを求めるのは酷でもあるんだけどね。
たとえば周瑜・呂蒙と比べても、ずば抜けているとは言えないと思う。
もう、自称「林冲の子孫」が出てきても驚かない。
>>427 あったけど演義にあるようなド派手な戦いは無かったと思われ。演義みたいな大敗をしてたら曹操は失脚してた
はずだけどそれが無いし、そのあとスグに態勢が持ち直してるのもそう。
432 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:13:14 ID:HPi1rm0n0
次あたりは無難に孫権の墓が登場ですか?
そもそも三国志って2500万年くらい前だっけか?
そんな墓が見つかる方がおかしいんだよ。
433 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:15:13 ID:znY007VV0
2500万年ww
>>432 孫権の墓は昔からあるよ。孫権の子孫はまだ江南にいるから。陸遜の一族は彼の弟の系列は
まだ残ってるし。
435 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:16:12 ID:ZSc0TxSz0
>>427 中国には赤壁と称される場所が何箇所もあるので赤壁の戦いも2,3回あったと思われるw
>>429 それはアンタの評価だ
周瑜・呂蒙及び魯粛は1グループとして記述すれば済む程度の扱い
陸遜は明らかに別格の扱いだろ
437 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:23:01 ID:aOIm7tnI0
始皇帝陵の発掘には興味がある。
438 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:29:29 ID:znY007VV0
>>436 列伝のことを言ってるのか?
周瑜・呂蒙・魯粛は呉建国以前の臣であり、また活躍時期が短い。
陸遜は活躍時期も長く、また列伝では息子の記述も多い。
そもそも軍事能力の比較をしたのであって、列伝などの扱いから「格」を論じてはいない。
>>438 んじゃ周瑜魯粛呂蒙伝において、孫権が三人について陸遜に語った一件についてどう思うかな?
440 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:43:10 ID:znY007VV0
>>439 質問の意図が分からん
長生きした二人が、早死にした三人を語っているわけで。
孫権が「あなた(陸遜)は彼らよりずば抜けている」なんて言ってないしね。
441 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:48:01 ID:LK9DSis00
この記事は嘘ニダ。劉備は韓国発祥ニダ!
442 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:52:55 ID:HPi1rm0n0
呂布の死体が腐乱した状態で発見されたこともあったね。
443 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:54:11 ID:f4TJsArt0
ららら劉備の子
444 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 18:56:17 ID:flu1bZRu0
はわわ
>>442 シベリアの凍土の下から奇跡的な保存状態で発見された例もある。
>>446 どこまで行くのか見てみたいなww
釣りとわかっていても見に行きたくなってくるから困るw
劉禅は決して無能では無い
「白糸は何にでも染まる」といった評は家臣次第で名君にも暴君にもなりうると
孔明に独裁政権を許し、彼の才に嫉妬も猜疑心も抱くことなく信頼出来る度量はまさに名君の資質そのものであり
名将や名臣を嫉妬で殺し国運、家運を傾けた君主よりは優秀であり
趙の名将・李牧や上杉家の名臣・太田道灌は暗愚な主君の嫉妬で殺された
孔明の思うがままに国政を動かせたのも名君の後ろ盾があってのもの
本物の暗愚なら孔明も先帝の遺言通りクーデターを起こしていたのかも知れないし
その大義名分も得られやすい
少なくとも孔明にとって、劉禅は劉備以上に仕え甲斐のあった君主であっただろう
だがそれゆえ折からの人材不足も手伝い孔明の過労死を招くことになったが
449 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:17:44 ID:yiqN+5C40
>>420 ありがとう。
ただ、「劉備は悪人」という眼鏡をいったん付けると、
どんどん疑いが増すんですな。
たとえば、そのあたり(
>>394袁術と戦っている際に本拠地を奪われ、)
の前後の事情として、注のところに、
張飛は曹豹を殺そうとし、曹豹は呂布を招き寄せたといった
ような事が書かれてあったと記憶している。
(漫画等であれば、張飛がやらかしたことになっているので経緯は
明快だ)
これは、ちょっと不思議な記述に思えてくる。独断でそのような事をしたのか、
誰かの意を受けてそうしたのか、よくわからない。
この下りと、
呂布の部下達の進言、
>>420「劉備はしばしば態度を変えるしてなづけるのは不可能。始末するべき」
とを照合すると、劉備が徐州に迎え入れられた真の事情、
その統治の真情(土着の豪族達の様子)にも、色がついてくるような気がするのですよ。
450 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:18:26 ID:GcqiG/xs0
坂口和澄・著の正史三国志群雄銘銘傅(光人社)の劉禅の項目読めば
自分の中の劉禅の評価が変わる
三国志に限らず嫌われる歴オタは、断言口調で俺の説が正しい!こっちの説が当たり前!
って言い方をする奴が多いので疎まれる
こういうソースがあるから俺はこうだと思う、と何故言えないのか
452 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:22:23 ID:qDFUNHRi0
>>451 複数のソースから総合的に判断してたら、簡単にソースの提示なんて出来ないだろうに。
453 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:23:23 ID:E/+2KQ8d0
〜こんな中国史はいやだ〜
曹操の墓かと思ったら、曹豹の墓だった
454 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:23:54 ID:fXXV/V2u0
>>446 ウォーズマンが発掘して、今ネプチューンマンとタッグ組んでんじゃね?
455 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:24:24 ID:LqU5CH1V0
劉備は韓国人
>>452 そこじゃない。どこを読んでるんだ
「俺はこうだと思う」という口調にするたったそれだけがなぜ出来ないのか、だ
文脈嫁
457 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:30:34 ID:qDFUNHRi0
>>456 ご自分も人の事は言えませんねぇ。
表現が不味かった、正直すまんかった、と何故言えないのか。
上から目線っぷりで言えば、人の事を言ってる場合じゃありませんよ?
>>456 まああんたのような上から目線口調では、断言的歴史ヲタと五十歩百歩だが
459 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:35:20 ID:fXXV/V2u0
オレはキン肉マンが劉備だと思う!!
これでいいでつか?
460 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:37:28 ID:zel7+tPA0
やっと、規制解除だよ。遅レスですまん。
>>317さんへ劉永の子孫で正解です。
>>277さんが
>>7さんと再度同じ様な事を指摘して、
俺が
>>280で回答してる。劉永の孫で劉玄のみ永嘉の乱の際に、蜀の地に
逃れることが出来たので、その子孫(?)が現在でも劉氏を名乗ってるらしい
のだが、劉玄自身も亡命した成蜀が滅亡する際に行方不明になってるから
怪しいもんだね。
孫権ってどこの国の人よ?
462 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:49:26 ID:PSD8g+6G0
>劉備の子孫と自称。
自称かよ。まあ、劉備自身も証拠もなく漢皇帝の子孫を自称したから同類ではあるか。
確か、諸葛家は系統図みたいなのがあって正式に子孫認定されてたっけ?
463 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 20:50:35 ID:HUpZ6ch80
>>463 この場合、親父や先祖の本籍地のことを言ってる場合がある。中国だと国はどこですか?と聞くと自分の親父や先祖の本籍地を
言うらしいから。曹操も洛陽で生まれ育ってるのに国は肺国のはず
墓の位置はここで間違いないよ
黄皓の子孫の俺が保障する
467 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:01:15 ID:CQ5vM2Bf0
>>332 劉備の先祖が代々述べられて度々転封してるのは演義
正史では劉貞から祖父の劉雄までの記録がない織田信成状態
>>462 劉勝-劉備間は大体300年くらい
劉備-この村の人たち間は大体1800年くらい
さすがに同列に扱えない気がするが
備-禅の直系って東晋時代には絶えてたはずだが・・・
>>468 ちょっと前のレスくらい読もうぜ
>>460とか
>>280とかにあるように、劉玄なる劉備の子孫がいたらしい
劉玄は最後どうなったかもよく分からない人物だから、
かえって系図をでっち上げるには都合がよかったんだろうな
そういえばスピリッツだったっけ?
本物の劉備は2話くらいでいきなり死亡して、以降成りすました日本人が劉備に。
でもって趙雲が女で呂布にレイープされ出産。その子供が関羽の養子になって
関平とかいうトンデモおもしろ三国志
あれは今どうなってるの?
471 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:19:42 ID:zel7+tPA0
472 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:20:56 ID:znY007VV0
>>462 >自称かよ。まあ、劉備自身も証拠もなく漢皇帝の子孫を自称したから同類ではあるか。
だから、当時の人間で劉備の出自を疑ってる人間はいないんだって。
皇帝の子孫なんて自称したら死罪だぞ。
劉備の父・祖父は名前が残っていて、地元の役人になってる。
特に祖父は孝廉という、高位の資格を与えられている。
この立場の人間が皇族を自称したなんてありえない。
当時は皇族の遠い血縁なんてうじゃうじゃいたわけで、
劉備がそうであっても何の不思議もない。
473 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:21:09 ID:CQ5vM2Bf0
>>470 覇-LORD-のことかー
なんか華雄も日本人だったらしいぞ
474 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:22:18 ID:OUFRWAWe0
「コ、コ、コレはテンプレじゃなくて、お、おまじ、おまじないなんだから、」
♪
★ ∧酋∧ ♪ 六四天安門事件 The Tiananmen Square protests of 1989
\ < ‘∀‘ > 天安門大屠殺 The Tiananmen Square Massacre
⊂, ⊂ノ )) 反右派鬥爭 The Anti-Rightist Struggle
(( (, ヽ,ノ . 大躍進政策 The Great Leap Forward
し( __フ 文化大革命 The Great Proletarian Cultural Revolution
人權 Human Rights 民運 Democratization
自由 Freedom 獨立 Independence 多黨制 Multi-party system
民主 言論 思想 反共 反革命 抗議 運動 騷亂
暴亂 騷擾 擾亂 抗暴 平反 維權 示威游行
法輪功 Falun Dafa 李洪志 法輪大法 大法弟子
強制斷種 強制堕胎 民族淨化 人體實驗
「か、勘違いしないでよね!」
*'``・* 。 胡耀邦 趙紫陽 魏京生 王丹 還政於民 和平演變
| `*。 激流中國 北京之春 大紀元時報 九評論共産黨
,。∩∧酋∧ * 獨裁 專制 壓制 統一 監視 鎮壓 迫害 侵略
+ < ‘∀‘ > *。+゚ 掠奪 破壞 拷問 屠殺 肅清 活摘器官
`*。 ヽ、 つ *゚* K社會 誘拐 買賣人口 遊進 走私
`・+。*・' ゚⊃ +゚ 毒品 賣淫 春畫 賭博 六合彩
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新疆維吾爾自治區 The Xinjiang Uyghur Autonomous Region
東突厥斯坦 East Turkistan
内蒙古自治區 The Inner Mongolia Autonomous Region 南蒙古 South Mongolia
475 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:22:30 ID:zsxMkKnp0
要するに劉禅の子孫ですね、わかります。
劉備なんて実在の人間じゃねぇのにばっかじゃないの?
477 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:24:28 ID:zW+INQU40
>>448 同意だね。諸葛亮没後の後蜀三十年、国を保ったというのはたいしたものだ。
名君とは言いがたいが、全くの暗愚でもなかろう。
>>472 清朝の皇族なんてのも末期には2万人くらいいますた。
当時すでに前漢の末期の時点で皇族の身分を持つ人だけで
たくさんいたから、庶民身分の皇族の子孫なんてもっといた
かと。
>>477 101匹阿斗ちゃんという動画があってだな…
>>477 孔明の死後の後継者に有能な政治家がまだいたし、ソイツらのおかげで持ってたところも。
だからそれらがいなくなった途端、国力低下で一気に崩壊したわけで。
481 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:28:20 ID:zel7+tPA0
>>460だけど
>>475さん
だから、俺が説明してるように劉禅の子孫は永嘉の乱で全滅してるって。
482 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:33:40 ID:znY007VV0
>>449 呂布を迎え入れたのは、丹陽兵という傭兵連中。
地元の人間じゃないよ。
劉備は演義のような「つまらない完璧人間」じゃない。
だけど、じゃあ偽善の人かというと、そんなことは全然ない。
義を選ぶか利を選ぶか、ギリギリのところで己に厳しい選択をたびたびしてる。
劉備が一貫してるのは、どこぞの群雄の私的な手下にはならないということ。
だから呂布の部下も曹操の部下も「劉備は信用ならない」と言う。
だけど劉備からすれば、皇帝でもない、同じ漢朝の臣に過ぎない彼らに平伏する理由がない。
劉備が、撤退戦時に取り残された黄権が魏に降伏したとき
「黄権が俺を裏切ったんじゃない。俺が黄権を裏切ったんだ」と言って
黄権の家族を処刑しなかったことはよく知られている。
だけどそれだけじゃなくて、同じく魏に降伏した裏切り者の代名詞の孟達。
彼の子孫も処刑されずに蜀の滅亡まで生き残ってるんだよね。
完璧な義の人ではないけど、同時代からすればやはり際立った人だよ。
演義の劉備のなにが「つまらない完璧人間」なんだか…
484 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:42:34 ID:zW+INQU40
諸葛亮が光武帝劉秀を高く評価していたことは知られている。
孔明は、劉備を光武帝であるかのように世間に演出もしていたんじゃないかな。
演義の劉備像からは、なんとなくそんな感じがしないでもない。
>>482 >劉備が、撤退戦時に取り残された黄権が魏に降伏したとき
>「黄権が俺を裏切ったんじゃない。俺が黄権を裏切ったんだ」と言って
>黄権の家族を処刑しなかったことはよく知られている。
>だけどそれだけじゃなくて、同じく魏に降伏した裏切り者の代名詞の孟達。
>彼の子孫も処刑されずに蜀の滅亡まで生き残ってるんだよね。
これは当時の益州の政治事情によると思われ。劉備のようなよそ者系が支配層に
なった関係で常に地元派との確執があった。孟達はよそ者派で黄権は地元派だから
仮に処刑しちゃうと政治的混乱を招くという懸念があったのではと思われ。
>>484 光武帝もダメダメな感じの人物だったけど最後は人柄で天下を握ったようなもんかと。
劉一族というのは高祖にしろ戦はからっきしでも人物的にはまあまあなのが多かったみたいで。
487 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:48:14 ID:AbfcDpBn0
やだぁ〜「三国志」ってゲームでしょ〜。
ゲームのキャラクターの存在信じちゃってその子孫だなんて〜。
本気で言ってるの〜?
う〜け〜るぅぅ〜。
劉備には何の魅力もねえ
中国人は関羽や趙雲みたいな名将が人気なのだと自覚すべき
489 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:50:21 ID:znY007VV0
>>483 能力ではなく、道徳の面でだよ。
演義が、諸葛亮や関羽を持ち上げるあまり、劉備を没個性のつまらない人間にしている、
ということを主張する学者はいる。
>>485 >劉備のようなよそ者系が支配層になった関係で常に地元派との確執があった。
そんな証拠はないよ。
それに、敵に降った将軍の家族を、政治的理由で処断出来ないほどの弱体政権ではないよ。
別ソース
因縁は墓場まで続く? 曹操と劉備の「墓で町おこし」合戦
http://npn.co.jp/article/detail/93339761/ 三国志ではライバル視されている曹操と劉備の因縁は、今後は墓による町おこし合戦という形で続くのだろうか?
2009年12月27日に、中国・河南省にある曹操のものとされる墓の内部から、遺骨や石碑が発見されて、
話題を呼んでいる。これから、国内外から多くの三国志ファンが、曹操の墓を訪れることになるだろう。
今後年間約200万人が訪れ、経済効果として約4億2000万元(約56億7000万円)が見込まれているという。
対して、劉備の墓があると伝えられている牧場蓮花村の村民が、曹操の墓の発見をきっかけに、
国家文物局と四川省文物局に連名で発掘調査を願い出た。また、四川省眉山市彭山県は、
劉備と墓とを結びつける「証拠探し令」を出し、県を挙げて文献などを集め始めているらしい。
劉備の墓の所在については、牧場蓮花村と、同じく四川省の成都市にある武候祠との間で、論争が続いている。
蓮花村民によれば、劉備の子孫が村で墓守をしていたとの言い伝えもあり、証拠の検証が急がれるようだ。
491 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:53:27 ID:CQ5vM2Bf0
>>488 水滸伝の宋江ならともかく、劉備には魅力があるよ
>>448 諸葛亮は劉禅を良い君主だと思ってたというのは同意
理想の君主だと思う
でも疎まれた董允かわいそす
>>489 益州派と荊州派の確執は有名じゃん。北伐がうまくいかなかったのもその争いがある。
494 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 21:56:21 ID:+73ddmGx0
劉備は詐欺師のような悪人の方がかっこいいと思うが
大悪党曹操に義理と人情で民心を味方につけてユートピアを作るみたいなのは気持ち悪い。
吉川とか、北方とか、今日本で有名な三国志の話で
曹操を大悪党に書いてるのなんて見たことない
劉備を最低な人間に書いてるのはよくあるが
覇ロードも結局そうだしな
私のお墓の前で泣かないでください。
>>493 北伐は魏延の作戦を採用しなかったのと、孟達の内通を司馬懿に見破られた、
魏が警戒していなかった、最大チャンスの初回を逃したのが全てでない?
それも馬謖が敗れようが敗れまいが、長安を陥落させずに魏に本腰で防衛に入られた時点で終わってた。
確執どうこうより、魏との圧倒的国力差を考慮に入れて、一発逆転の策を思い切って採用できなかった
孔明の性格から来る慎重主義が最大の敗因でしょ。
498 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:09:19 ID:znY007VV0
>>493 益州派と荊州派の確執なんて素人の妄想だと思ってるよ。
蜀漢政権の要職者それぞれの出身地を知っていれば
単純に二つの派閥を作ることなど出来ない。
499 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:13:39 ID:/OBzr5xe0
覇LORDは劉備が2話で死亡するのが凄く斬新だと感じた
ほう
>>497 諸葛亮が一般的に戦下手だとされているのは
魏延の策を採用しなかったからだとよく言われてるね
ところで君
魏延のその作戦の内容知ってる?
劉備本人が自称皇帝一家の人だったから
この人もある意味正しいっちゃ正しいかw
503 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:26:35 ID:CQ5vM2Bf0
>>501 他にも蜀攻めでホウ統が連れて行かれたり漢中のときは法正だったりするから戦下手疑惑もたれてるんじゃなかったっけ?
504 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:31:59 ID:znY007VV0
>>503 普通は組織のナンバー2が留守を守るから、留守役だから戦下手ってことはない。
徐州では張飛が留守、張飛が失敗したら関羽が留守。
諸葛亮の指揮官としての能力は疑いようがない。
ただ応変の才(軍事的奇策)が疑われるが、
俺は、現状では答えは出ないと思うな。
北伐の失敗は、諸葛亮の早死にに尽きる。
505 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:45:16 ID:CQ5vM2Bf0
>>504 自分は別に戦下手とか思ってるわけではないよ、一般論(?)としてね
陳寿の評はどうなんだろうなあ、兵法なんか全く分からないからなんとも言えん
ただ、蜀の国力で本当によく魏に対抗し続けたとは思う
506 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 22:50:13 ID:+73ddmGx0
陳倉で郝昭の守り通されてるけどねー
曹真、郝昭が名将だと見るべきかね。
>>506 曹真なんて名将とも思えんけどね
江陵で朱然にいいようにやられてるし
諸葛亮は軍事的才能はないって評価は妥当だと思うけどね
>>506 寡兵とは言え要塞化した城で二十日守っただけだろ?
よく郝昭郝昭言われてるがなんで郝昭がそんなに持ち上げられるのか分からん
郝昭ってそんなに凄いか?
>>503 あと蜀攻めは龐統だけでなく
諸葛亮も張飛、趙雲と共に兵を率いて参加している
劉備が外征の時はいつも諸葛亮が兵站
劉備軍の主だった戦いで諸葛亮が参加してない戦いは無いと思うんだが
510 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:04:37 ID:j06BzgcH0
傳士仁こそ真の名将です。
511 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:06:04 ID:+73ddmGx0
>>508 諸葛亮が持ち上げられる分だけ株が上がるってだけだと思うよ,俺も取り分け凄いとは思わんよ。
斬られない弟子の方は迂回されて成都陥落されちゃったけどねー
なんだろう軍事的名声も欲しかった優秀な政治家ってイメージだけどね孔明。
512 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:10:41 ID:j06BzgcH0
>>511 孔明さんの真に凄い所は、曹操による徐州での大虐殺から
無事に逃げおおせた事だろうな。
513 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:11:23 ID:E/+2KQ8d0
法正や厖統が早逝したのは蜀にとって痛かった、これは確か
孔明が戦下手?
そんなことはないのが、蜀軍が北伐で壊滅せず撤退できたことが何より証明してるでしょ。
実際、正史でも北伐中に一度あった司馬懿との直接会戦では司馬懿が完敗してる。
(一大決戦というわけではないので、体勢を立て直して防衛に専念され兵糧切れで蜀軍撤退のパターンで終了だけど)
司馬懿が孔明の陣地後を見て、「天下の奇才である」発言はお世辞か敵将に対する敬意、後世の捏造の可能性ありだけど
戦上手の張郃を逃さず戦死させたことは評価できるし。(張郃は元々追撃反対の意見で、司馬懿に命令され仕方なく実行、
結果戦死という魏側の確執?的事情はあるが、漏らさず討ち取ったのは殿作戦が上手く機能してたってことだし)
おいおい、劉備は後の創作にすぎないだろ 本当の主人公は関羽と張飛
劉備はテレビシリーズ2期で無理やり取って付けたキャラ
>>511 弟子って誰だ?そんなのいないだろ
軍事面についてはあれこれ分かってるのである程度の判断できるんだけど
政治家としてやたら評価受けてるのがよく分からん、政治面がやたら持ち上げられてるじゃん
たしかに蜀の中では優秀だと思うが、地方政権であることも事実
だったら董卓の負の遺産などで荒れてた大国魏の政治家の方が優秀に思える
荀ケや陳羣、司馬懿の方が優秀に思えるけどね
517 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:19:26 ID:NHzlgWnr0
高祖三傑の一人張良は韓国人っていうのは
定説だな。
518 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:20:08 ID:j06BzgcH0
孔明の戦略・戦術はそれを忠実に実行出来る有能な武将が揃って初めて機能する。
蜀は決定的に人材不足で良将が居なかったので、魏軍に比べて決定的な
戦力の差が埋まらなかった。
どんなに大将が良策練っても、それを運用する下っ端がダメだったらどうにもならない。
>>514 それより君魏延の作戦のすばらしさを解説してくれってば
520 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:21:11 ID:yiqN+5C40
>>482 それは呂布伝(注)の方ですな。
確かに詳しくは書いてあるが、先主伝注とは事実関係が異なっているんだね。
だから困りますな。
後者(先主伝注)は、あくまでも、張飛に殺されそうになった
曹豹が呂布を迎え入れた、と読める。
後者(呂分伝注)は丹陽の許耽という者が司馬の章誑だとか言う者を呂布に遣わして、
「張飛が下ヒの相である曹豹がケンカして、曹豹が殺害されて大混乱。これはチャンス、丹陽郡の兵千人が城門を開く」等々と確かに書かれてある。
こちらの方が漫画等には近いがね。
521 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:21:14 ID:wLb0te0N0
>>516 弟子ではないが姜維のこと言ってるんじゃね?
522 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:22:24 ID:+73ddmGx0
>>516 あれ?蜀の話だろ?
まぁだから結果的に曹操SUGEEEに行きつでしょw
泣いて馬謖を斬るという諺があってだな
524 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:24:24 ID:NHzlgWnr0
そんなことより惇兄の武力が
90オーバーなことについて誰か
解説してくれ
525 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:25:28 ID:+73ddmGx0
526 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:34:57 ID:yiqN+5C40
>>472 どうかねえ。確かにその辺は微妙じゃないかな。
ウジャウジャいたから、紛れることも可能だったということじゃあるまいか。
前にも書いたが、劉貞という人の後がようわからんというのが、遺憾のじゃないか。
まあ、時代が下って、例えば孫権殿なんかは、完全にお手盛りの孝廉だと思うがね。
まあ直接は関係ないが、曹操殿を孝廉に推したのは誰なのだろうか。
袁術殿が孝廉というのはある意味わかるようで、全くわからない、というか。
おまえら、よく、そんな昔のことを、
あたかも見てきたかのように、
語り合えるな。
>>519 なんで命令されなきゃいかんのだよ。そんな三戦板で散々議論済の事を。
結果的に実現されなかった時点で、机上の空論に過ぎないし。
それに博打作戦と書いたように、魏延の作戦にも穴はあったわけで、
博打作戦の素晴らしさを語れなんて、詐欺師的誘導になるから罠以外の何物でもない。
まあ、それでも魅力的な作戦ではあった。それだけさ。
知らないなら自分で調べて成功の可能性とか考えてみれば面白いよ。
529 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:48:59 ID:znY007VV0
>>526 曹操の故郷のショウ郡というのは、後漢においてはまだ設置させず、沛郡の一部だった。
で、曹操が孝廉になったと見られる頃の太守(相)が、後漢書の酷吏伝に記述のある王吉。
曹操の一名の吉利というのは彼の名を取ったものと思われる。
ということを学者が書いてた。
>ウジャウジャいたから、紛れることも可能だったということじゃあるまいか。
>前にも書いたが、劉貞という人の後がようわからんというのが、遺憾のじゃないか。
しかし、結果として劉備はその血筋を「あやしい」と批判されてないんだよ。敵国からも。
>>528 北伐の失敗は魏延の作戦を採用しなかったからだとか言うからさ
つまり採用すれば北伐は成功していたってこと、それほど素晴らしい作戦と認識してるってことだ
一度あの作戦を正しいという人に聞いてみたかったんだよ
あの距離をどうやって10日で踏破するのか、夏侯楙が処罰されることを選んでまで逃げるのか、もし逃げなかったらどうするのか、
曹真の援軍はどう対処するのか、長安を落とした後維持できるのか、とかいろんな疑問をさ
531 :
名無しさん@十周年:2010/02/06(土) 23:57:39 ID:yiqN+5C40
>>529 なるほど。あなたは物知りですな。
とりあえず妥協点として、劉備殿の祖父は確かな有力者であり、漫画で言うところの
筵折りの貧農的イメージは、これは間違いである、というところでどうだろうか。
たまには馬元義の事も思い出してあげて下さい。
533 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:02:08 ID:yiqN+5C40
>>518 名分をそのまま素直に解釈すれば、
諸葛孔明殿に皆がもとめているのは、局面打開のキラリと光る
決定的な一打ということじゃなかろうか。
国力の決定的な開きを乗り越えて。期待値が大きいということじゃなかろうか。
国力(=純軍事力とは限らないが)の開きを乗り越えてという場合、
真っ先に思い浮かぶのは、漢土に王朝を打ち立てた塞外民族ですかな。
(ただ、これも一代でと言うのは、なかなか)
534 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:04:33 ID:mcqv6U960
>>531 有力者でも、財産を溜めこむ者と、財産をばらまく者がいる。
だから、有力者の子が貧乏していてもおかしくはない。
正史三国志を読んでると「○○が死んだ時、財産は残っておらず、その遺族は苦労した」みたいな記述によく出会う。
さらに、劉備は父親が早くに亡くしたため、貧しかった。
当時だと、魏の賈逵も「名門だったけど父親が死んで貧乏した」例。
535 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:10:11 ID:Ts8Vd5h70
>>534 ただ、一族の者に有力者のお陰か分からんがね
留学もし、しかしながら勉強はせず、
犬、豚、馬、音楽に凝って、衣服を飾り立てていたというのだから、貧農とは
とても思えないということなんだね。
>>38 三国志はもちろん面白いがその派生作品はもっと面白い。
騙されたと思って「一騎当千」や「恋姫無双」を見てほしい。
537 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:16:35 ID:mcqv6U960
>>535 劉備が貧しくて筵(むしろ)を売って暮らしてたのは事実。
学費については親戚が出してくれた。
衣服の代金まで出してくれたかは分からないが。
劉邦と劉備のDNA鑑定できたら面白いかもって野暮かね。
もし劉備が詐称だったら逆に評価上がりそうな気はする。
むしろ…
孫権が孫武の子孫ってのはどうなんだ
劉備が劉勝の子孫ってのより信憑性が高いのか低いのか
孫権の子孫を名のってる人たちは孫武の子孫でもあるのか
こっちもおトクだね
540 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:24:16 ID:mcqv6U960
それは、途中で不倫関係があったらアウトだしなぁw
口伝が他の文書に一切現れずに2000年近くも残る可能性なんぞゼロ扱いでいいだろ
こういう恥知らずは世界的に晒すべき
>>539 孫権本人は言ってない
>孫破慮討逆伝
>孫堅は字を文台といい、呉郡富春の人である。おそらく孫武の後裔なのだろう。
信憑性なんて微塵もありませんな
既出かもしれんが、7,8年前にNHK番組で曹操や孫家の子孫は確認したらしいが、劉備の子孫は確認できなかったと言ってたな。
やっぱり、まだ「自称」のままなんだな・・。
三国志の時代に生まれてきたかった。生きる時代を間違えた
545 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:42:48 ID:mcqv6U960
>>544 お前がこの不幸な時代の英雄豪傑になれば良し
>>1 なんだ、国を挙げての墓暴きか
本当に三国志が史実として正しいのなら史実として残るはずだけども
あそこまで拡大解釈の挙げ句に色々妄想劇が繰り広げられてるとどこからどこまでが真実なのやら
無理矢理墓を特定して歴史を作るのはお隣の国だけでいいだろ
547 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:53:14 ID:XRTgzrQ/0
上で散々書かれてるけど、劉備の子孫ってことは、あのアホ息子の子孫ってことだからなぁ。
おれの祖先はアダムなんだぜ
549 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 00:59:31 ID:Ts8Vd5h70
>>537 あなたは、なかなか平衡感覚にも優れている。
私の場合は固定観念に囚われるとどうも、一方の路線に浸走る傾向がある。
見落としも多い。
>>538 詐称かどうかはともかく、なにかしら吹いて回る素地は
あったような気がする。
子供の頃の話として、「俺は天子の車に乗ってやるんだ」みたいな大胆不敵な
放言をし、叔父さんに、吹きすぎだろう、一門を滅ぼす気か、とたしなめられた、
とかなんとか。
われわれの感覚すれば、子供時代の他愛無いエピソード、ということかも知れないが、
>>472氏が指摘するように、
当時にあっては、大胆不敵な発言という事かな。
550 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 01:29:28 ID:L3DKou070
支那の英雄を賛美する奴は例外無く反日売国奴だから直ちに日本から失せろ。
三国志ヲタは全員死ね。
邢道栄(けいどうえい)の墓が見つかったーとかネタないの?w
552 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 07:09:02 ID:eZCJNK1m0
>>206 へえ、司馬遷の史記はともかく、武帝あたりまでは史記の記事をパクりまくりの漢書や、
陳寿よりもずっとあとの劉宋の時代になってようやく編纂された後漢書よりも、
三国志の出来が悪くて資料価値も低いって、そんなことおまえの他に誰がいってんの?w
知ったかはボクちゃんだよねwww
553 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 07:15:51 ID:wlgwaJG30
ごっとつこつの墓探してくるわ。
554 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 07:23:36 ID:eZCJNK1m0
>>550 コピペ馬鹿にレスしても仕方ないけれど、それって『大日本史』編纂および水戸学の創始者である水戸光圀公を否定してるんだよねえw
555 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 07:47:37 ID:Ska9mPv50
昔、大陸の人に「日本人は三国志好きですよ」って言ったら
「何で???どうして???学校でそういう教育されるのか???」みたいな意外な反応されたな。
556 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 08:56:51 ID:a13L1Xlj0
映画が作られたりしてるから、客寄せしたいんでしょ!
どうせ 捏造!
それより北京原人の骨 どこにやったんだよ!
日本にも劉姓の在日中国人がいるだろうから、日本にも劉備の墓があるかもしれないな
558 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:04:20 ID:anmFagv10
中国の、自称○○の子孫はとんでもない数居るよw
発掘要請するだけまだましだな
発掘すればもし間違ってたらバレるからな
560 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:32:14 ID:xQ8UQSD30
561 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:33:47 ID:ytNEdaGm0
>>557 実は冗談抜きで、漢の劉氏の正統な子孫って現在は韓国にいて
諸葛孔明の正統って当代は女で、日本人とのハーフの現役モデル
これ豆な
562 :
名無したん@∞周年:2010/02/07(日) 09:44:09 ID:LAfQcgN20
>>536 >三国志はもちろん面白いがその派生作品はもっと面白い。
>騙されたと思って「一騎当千」や「恋姫無双」を見てほしい。
・・・・・・・・・他にもっと挙げられるものはなかったのか?
563 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:44:16 ID:Ts8Vd5h70
>>467 遅レスで申し訳ありません。見落としていました。
その三国志演義の記述というのは、
確かに劉備殿の時代から千年以上経ているのかも知れないが、それでも
われわれの時代よりは劉備殿の時代によほど近いと思いまして。
何かしら、真実を示しているのではあるまいかと思い(
>>332、
>>336)
という感じにまとめてみました。
イメージとしては、たとえば、東照公(または世良田二郎三郎)のご先祖が、
新田氏(新田郡世良田村に閑居)の一族であって、
その子孫が、流れ流れてやがて時宗の坊主に化けて、三河の坂井に寄り
子供をこしらえ(酒井氏)、松平郷でも子供をこしらえた。
そこから子孫が有力者へとのし上がっていった、という感じですかな。
世の安定度や年月等々を考えても、単純には比較できないものの、
当たらずとも遠からずという印象を、持ったということです。
>>558 ていうか、漢民族は全員黄帝の子孫ってことになってるしな。
565 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:54:07 ID:re7z6bDY0
魏延将軍は神だと思っている。
1780年ほど前の正月休みに両親と義陽郡の魏延実家(もんじゃ焼き屋)に
食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり魏延将軍が
玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わない叛骨な相で。
魏延が「わしを殺せるものがおるか!」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた兵卒集団が「魏延さん!」「魏延さんかっけー!」などと
騒ぎ出し、魏延が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
兵卒達が蜀の大ファンだとわかった魏延は
いい笑顔で会話を交わしていた。
そして魏延は「ジャーンジャーン」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は魏延の気さくさとかっこよさに興奮しつつ
食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、店員さん(魏延妹)が
階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
566 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 09:55:20 ID:6zp6FIzn0
>>460>>543 洛陽あたりに残ってたならともかく
蜀に戻ってたら最終的には張献忠にやられて残ってないでしょ
ある程度名が通ってたら目立つから逃げようがない
567 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 10:00:39 ID:Hv8SMjCP0
自称「配管工」
>>566 その人物は、たとえば
科挙をやると称して人を集め、
門のところに低くロープを渡し、その下を潜って通り抜けることの
出来なかった者をすべて処刑(幼児一人以外助からなかったとかなんとか)したとかいう、
逸話の持ち主だね。
569 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 10:04:04 ID:6w+q/z690
うちも自称藤原秀郷の子孫だから
あまりヨソの国のことはいえないのが残念。
>>558 日本人の「俺は武士の家系」ってのと同じだろ
>>530 学生時代に大学に来てた中国人の魏晋時代の研究者と話す機会があったので聞いてみた。
ズバリ、「魏延の策を孔明は採用しかなかったのか?」と質問すると、
*魏延は軍人であり、手柄を立てることを優先。孔明は政治家なので軍隊を維持することを優先ー立場の違い
*魏延の策が失敗した場合、責任はモロに孔明にも降りかかり失脚の可能性が出てくるー政治的リスクの大きさ
*同じルートを逆に魏の曹爽が利用し漢中に侵攻しようとしたが、補給や道の険しさに難渋して失敗しているー物理的な困難さ
と回答してきた。ただし「これは中国のほうの三国志研究してる学者の大方の見解で自分の考えではない」と
いう但し付き。あと北伐を経済という視点に絞ると
*人口確保(侵攻した土地の住民を蜀に強制移住)がそもそも北伐の目的で長安陥落では無かった
*シルクロード確保、蜀の資源や名産を中央アジア経由で欧州に売ろうとした(すでにその時代蜀にローマ人の商人と思しき
連中は来ていたらしい)
という点があるとか
572 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 10:41:42 ID:CHB0raai0
自称漢の高祖の血を引いた劉備の墓を自称劉備の子孫が発掘要請か
中国は奥が深い
573 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 11:00:47 ID:k1zTx32H0
孫権がアップを始めました
574 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 11:04:33 ID:pSXh2yZ60
そういやどこか曹氏ばかりの村があると聞いたな
575 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 11:22:55 ID:rz62cUep0
こういうこと言うのはアジア系だけ?
日本でも「平家の子孫」って言ってる人たち結構いるじゃん。
山奥なんかで落ち延びて生きてきたとか言っている人たち。
576 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 14:21:11 ID:t+bZ6WQy0
留学生の劉さんに、皇帝の名字ですねと言ったら
すごく得意満面な表情をして照れていた。
やはり漢帝国というのは彼らには特別なのだろうか。
578 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 14:34:45 ID:t+bZ6WQy0
現代の蜀
成都市・・・人口1060万人
重慶市・・・人口3500萬人、北海道より広い
579 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 14:41:44 ID:jU3+HE+R0
日本人は、三国志とか中国の故事とかよく知ってるけど、
欧米の人ってそういうのは知ってるんかな?
アメリカ人に「曹操」だの「劉備」を知ってるか?と尋ねて
知ってるもんだろうか?
>>575 そいやアレキサンダーやハンニバルの子孫ってあんまり聞いた事ないな
581 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 14:47:19 ID:fgCfvpyw0
魏延は勝手に悪者にされてかわいそうだ
張飛や趙雲なんかより凄い武将なのに
>>579 興味無ければ知らないよ。
アメリカは南北戦争。欧州では、ナポレオンとか、ローマとか
その地域で好きな時代劇みたいなのがあるけど、アジア関係は向こうでは
マイナー過ぎて知名度もほとんどない。
孔子ですら知らない人がほとんどだらか。
逆になぜか老子とかタオはよく知られている。
>>579 知ってるハズがないだろう
じゃお前はキケロやアルシノエを知ってるか?って聞かれたらどう答えるんだよ
584 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 14:58:50 ID:eVNjKyFSP
中国人は基本的に嘘つきだしな。
村人らの先祖が勝手に劉姓を名乗って子供らに劉備の子孫だと嘘を教えてそのまま
言い伝えられてるとかすごくありえると思うw
585 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 15:01:14 ID:H/bdd2ap0
>>583 馬鹿にすんな、キケロのジョーくらい知ってるわ
586 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 15:03:36 ID:TUbaCWqy0
日本の三国志マニアの為に、一気にマニアック路線の墓が作られそうだなw
楊秋とか、程銀とか
孫権は人気ないっぽいな。
>>584 日本だって信長の子孫とかいるじゃん
別に中国に限ったことじゃないよ
589 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 15:14:32 ID:gR0yZ+ZX0
孫権って純中国人じゃなく異民族っぽいんだよな
当時ちょうど彼が住んでた所が位置的に中国の港湾貿易の窓口だったし
歴史的に見ても現在の日本やベトナム(ひょっとしたらインドやヨーロッパ)あたりとの交流が盛んだった
その莫大な富を抱えた大規模な組織の長が当時の中国内政に関わっていたという構図が
組合長的存在としての孫権だったのかもしれない
積極的侵略政策をなかなかとらない動機としても符合する
>>589 >孫権って純中国人じゃなく異民族っぽいんだよな
だって、呉だもん。ほとんど、ベトナム。
>>590 呉の人口の大部分が山越という異民族で漢族はあの当時江南では少数派。
曹操って金髪碧眼なんだよね?
593 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:07:50 ID:xVztrp4b0
594 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:10:43 ID:wjNQBXFg0
自称 福沢諭吉の末裔が、あザワの自宅に眠る万札の山を発掘するよう
要請してますぜ、検札の旦那!
>>571 なるほど。
それに加え、あれは失敗すると全滅必至な危険な策なので
北伐のエースである魏延を死なせるわけにはいかなかったのもあると思う
諸葛亮のあの魏延への厚遇っぷり重用っぷり
(常に第一線で活躍させ、昇進させ節も与え、魏延と不和を起こす劉琰を更迭)
を見ると、諸葛亮はかなり魏延を重要視していたと思う
蜀は人材少ないしさ
596 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:22:25 ID:jqzD8ZPs0
ジャーンジャーンジャーン!
三国志ブーム到来か?
597 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:22:58 ID:gi6QaDfp0
到来というよりブームへの便乗では?
599 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:25:59 ID:jqzD8ZPs0
まて、これは公明の罠だ。
池田大作名誉博士号
>>583 欧州の文学史関連を調べると、いやというほど出てくるけどな >シセロ
1800年前の人物の子孫なんてどんどん枝分かれしていくんだから
人数的には腐るほどいるんじゃないの
602 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:44:52 ID:fgCfvpyw0
魏延は劉備からも重宝されてたし、有能だったとしか思えない
趙雲の二人の息子の記録が「よく墓を守った」ということしか書かれていないのが不憫に思えた。
604 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 18:56:13 ID:iOquiLTi0
>>601 この場合は、y染色体だから男系男子ってことだろう
605 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 18:56:26 ID:BcIJcAtM0
弱小の蜀軍に長安を統治なんて出来るわけない
たとえ一時的に占領できても魏の本軍に囲まれて終り
もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
悲壮な覚悟で臨んだ孔明自身は悲劇の英雄で終ったけど、政治家としては、
徒に国民を疲弊させたわけだから失政だったと言わざるを得ない
>>603 中国的にはそれはかなり大事なことなんじゃないのかな
先祖第一親第一って国だからな
漢の高祖だって逃げるのに邪魔だといって馬車から子供投げ捨てたって
くらいだからね
>>605 長安陥落させても童関を占領できないと洛陽からの魏軍の侵攻を防げないでしょう。それに
長安は大要塞だから5000程度で守りきるのは至難の業かと。
>もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
長安占領するより、涼州占領してシルクロードの確保や現地住民の確保のほうが
目的だったのではとも言われる。
>>606 墓を守るってのはあの当時では常識で、それ以外に記載が無いというのは特に何か活躍した
のでは無いというようにも解釈できる。
609 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:29:26 ID:mcqv6U960
>>590 地図を見直せよ。
ベトナムとは全然違うぞ。
>>591 >呉の人口の大部分が山越という異民族で漢族はあの当時江南では少数派。
呉の人口の大部分などという事実はない。
漢族が江南で少数派なんて誰が言ってるんだ?
また山越については、異民族とする証拠はない。
611 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:34:29 ID:mcqv6U960
>>605 >もともと勝てるわけがない戦争を仕掛けた孔明の行動はいろいろ歴史的評価は分かれてるね
勝てるわけがないとする根拠がない。
国力だけで言ったら赤壁や漢中の勝利だって奇跡だろ。
だがその程度の奇跡なんて戦時にはごろごろある。
>徒に国民を疲弊させたわけだから失政だったと言わざるを得ない
蜀が滅んだのは諸葛亮の死から30年後だ。失政とする根拠にはならない。
>>607 西晋の例を見れば、寡兵で長安を守ることもあり得ないではない。
また、長安占拠によって秦朧から涼州を切り取る時間が稼げれば十分。
釈迦の骨がなぜか釧路の仏舎利塔にあるらしい
赤壁や漢中の勝利は全然奇跡じゃない
勝因も敗因も普通にある
これと北伐を一緒にするなよ
諸葛亮統治時代に国が疲弊していたという記述は無い
614 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 19:45:04 ID:mcqv6U960
>>613 それは奇跡のとらえ方次第だろ。
曹操の大軍が疫病に悩まされたのは奇跡だ。
>勝因も敗因も普通にある
>これと北伐を一緒にするなよ
北伐においても勝因も敗因も明確であって
最初から敗北が決まっていたわけではない。
615 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 20:00:27 ID:DoZDQ/uJ0
でも5回も北伐して大した成果残せなかったのは失格だろ
え?何がしたかったの?って言われてもしょうがない
616 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:04:19 ID:mcqv6U960
5回も北伐って、わずか数年の出来事。
三国時代は40年ほど国境線が動かなかったが、その時代の名将全員を否定するの?
西晋から東晋にかけても、晋の遺臣が少数で立てこもる城を落とすのに異民族は苦戦していたりする。
数年で結果出せなかったからダメなんてことはない。
>>614 困難さが全然違うと言ってるんだ、まるで難易度が同じであるかのように言うなよ
戦は遠征の方が不利、しかも秦嶺山脈の険しさには誰もが苦労している
漢中戦のこの時の曹操軍の不利が北伐では蜀軍の不利になっている
赤壁だって長江という地の利がある。
加えて人材面での違いもある
条件が全然違うんだよ
618 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:16:16 ID:mcqv6U960
>>617 >困難さが全然違うと言ってるんだ、まるで難易度が同じであるかのように言うなよ
そんなの根拠も示さずに言ったら話にならんよ。
>漢中戦のこの時の曹操軍の不利が北伐では蜀軍の不利になっている
曹操は張魯の貯蔵した兵糧を丸々入手している。
>赤壁だって長江という地の利がある。
赤壁の戦いは長江を地の利とした戦いではない。
むしろ曹操は上流にあって有利だった。
しかし赤壁の一度の敗戦で曹操は荊州の大半を一挙に失った。
これが奇跡じゃないなら、北伐も全然奇跡じゃない。
619 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:21:27 ID:ZHHiZ9M40
インド:反政府武装組織リーダー投降 中国からの支援を自白
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d60992.html 【大紀元日本12月13日】インドの反政府武装組織、アッサム統一解放戦線(ULFA)
の指導者らが先週、インド当局に投降した。ULFA幹部の証言から、中国で軍事訓練
を受けていたなど中国側の支援が明らかになった。インド紙「ヒンドゥスタン・タイ
ムズ」が7日報道した。
インド国境警備隊のスポークスマンによると、4日、ULFAの指導者アラビンダ・ラ
ジコワ(Arabinda Rajkhowa)、副官ラジュ・バルア(Raju Baruah) その他8名が、イ
ンド=バングラディッシュ国境のインド側メグハラヤ(Meghalaya)で投降。警備隊
がシロング(Shillong)まで連行し、アッサム警察に引き渡したと、スポークスマン
が伝えた。
インドのG.K.ピライ内務大臣は、ラジコワとバルアが拘束され、幹部の家族は釈
放されたと発表した。取り調べは、中国との国境沿いにあるミャンマーのカチン州
で、独自の方式で軍の部隊を率いていたラジュ・バルアを中心に行うとしている。
副官のラジュ・バルアは、中国内の軍営でULFAの幹部が軍事訓練を受けたとイン
ド側に語っている。また、これより以前に投降したULFAの外務担当と財政担当は、
中国の製造業者から武器を供給されていたと警察からの尋問に答えている。
関係筋によると、軍部のような中国の公式機関が、中国の国境にとどまらず、ミ
ャンマーにおいても、ラジュ・バルアを支援してきたという。
620 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:24:28 ID:dOxNDTMH0
雷薄の墓なら行ったことあるよ
>>618 曹操は戻って長安から再び遠征してるだろ
そして蜀軍は山岳地帯での戦いが得意、魏軍は平地での戦いが得意
呉軍は水軍、疫病も呉に見越されていた、賈詡もこの時の進撃は時期早々と反対していた
現実の戦いは漫画じゃない、奇跡なんてものは起こらない、勝因敗因はちゃんとある
条件の違う別の戦いをもって、別の戦いの勝率を断定するのはおかしいだろう
いいからチンギスハーンの墓探せよw
周倉の墓ならあるよ
演義や民間伝承の架空とされている人物だけど
624 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 20:58:45 ID:mcqv6U960
>>621 >曹操は戻って長安から再び遠征してるだろ
劉備が夏侯淵を破ったのは無視?
>そして蜀軍は山岳地帯での戦いが得意、魏軍は平地での戦いが得意
根拠は?
また漢中のことが言いたいなら、漢中は山岳地帯ではない。
>疫病も呉に見越されていた
以後の南北朝の戦いで、北朝の軍が長江で疫病にあった例を挙げてくれ。
それと、長江を「地の利」とか言ってたことは無かったことにするのかな?
>現実の戦いは漫画じゃない、奇跡なんてものは起こらない、勝因敗因はちゃんとある
それはだから「奇跡」の定義という言葉遊びでしょ。
馬謖が軍令違反を起こさなかったら、秦州一帯は蜀が領有出来たかも知れない。
それを奇跡と呼ばないならそれで結構。
>条件の違う別の戦いをもって、別の戦いの勝率を断定するのはおかしいだろう
条件の違う幾多の戦いを一緒くたにし、北伐だけそれらと異にして「奇跡」と断じるそちらがおかしい。
むっちゃけ、もういいよって感じ
この後は太公望の墓とか武吉の墓とか
堯舜の墓が発掘されんだろ
もういいよ
ライン川に橋を架けられるんだ、長江に架橋したって問題あるまい
秦嶺山脈なんかせいぜい3000m級だ、モンブランがあるアルプス山脈よりヌルいし
ハンニバルは三国時代より400年くらい前にここを抜けてイヤというほどローマを痛めつけてる
たいしたことはないんだよ、諸葛亮の軍才なんて
ハンニバルって戦術で勝って戦略で負けたってイメージあるけどな
そもそも血筋なんて太古から現代まで延々と続く繁殖の中で数え切れないほど枝分かれしてんだから
どれが本当かどれが嘘かなんて判別しようなくね?
歴史資料に残ってないだけで、実はもっと娘息子がいて国と家の興亡の中で他の一族の血と混ざってるかもしれんし
まあそんな中で正当な血筋名乗るなら、相応の証拠は要るわな
629 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 21:47:02 ID:7avq1de+0
>>627 義経も同じようなタイプな気がする
局地的な戦争に勝つ戦術には優れてたが、戦争の大局的な意義や目的を理解できなかった
この両方を備えてた稀有な存在が韓信かな。
ただ韓信は人間性に問題があって悲劇を迎えたけどw
630 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 21:53:48 ID:+ERuiLey0
中山靖王劉勝の自称末裔の劉備の自称末裔か
一回りして本当に中山靖王劉勝の末裔かもな
劉備の時点で劉邦の時代から400年も経っていて、
劉氏なんて何万人もいたのに、
それが現在にまで下れば恐ろしい数だもんなw
632 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:22:35 ID:Rx0SaAQh0
三顧の礼ってほんとにあったの?
出師の表にちょっとだけ記述があるけど。
634 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:31:06 ID:Rx0SaAQh0
>>633 出師の表って前と後の二種類があるよね。
後出師の表を完全な贋作らしいけど、前出師の表は結構信憑性が高いって聞いた。
これも贋作なの?
>>628 そもそもなんてことを言い出したら、生物学的には8世代以上さかのぼると、
実のご先祖であっても赤の他人のDNAと判別がつかなくなる。
たとえば遺品かなんかから信長の遺伝子が採取できたとして、
その現在の子孫の織田信成のDNAの特徴から、
信長の遺伝子であることを特定するなんてことは不可能なんだよね。
100年以上遡る血筋なんてもんは所詮実態のない家系図上だけの概念なんだから、
世間がそれを承認してくれるかどうかという社会的な問題に帰結するわけさ
>>634 信憑性もなにも、三国志本文に引用されている前出師が贋作とかいってるアホなんぞおらん
638 :
名無しさん@十周年:2010/02/07(日) 22:41:56 ID:H/bdd2ap0
639 :
コヨーテ ◆Coyote7ZPM :2010/02/07(日) 22:43:21 ID:lVn601ai0
でも志賀島の金印もニセモノだからな〜w
歴史ってのはワカランぜ
疑って掛らないと
疑う余地があって疑うのなら結構なことだが、
個々人の常識や主観に基づいて、それは嘘に違いないとか言ってても収拾がつかないんで、
歴史学では史料批判の原則にもとづいて、どの程度信頼しうるかを判断している。
後出師が偽作と判断されるのはそうした史料批判の手法に拠ったものだが、
前出師まで偽作と言えるだけの根拠をしめせるのなら、
それで一本研究論文を提出できるよ。
>>632 出師の表だけじゃなくて正史本文にも記述があるよ
642 :
名無しさん@十周年:2010/02/08(月) 00:59:23 ID:oQ821K6a0
>>115 日本の古墳も似たようなもんさ
近所の古墳なんか、名前は付けてもらえないは、畑の道具置き場になってるはで悲しすぎる…
643 :
名無しさん@十周年:2010/02/08(月) 01:00:02 ID:+2nzfPSf0
はなさか爺さんみたいな話になってきたな
644 :
名無しさん@十周年:
それより
あったはずの 北京原人の骨 探せよ!
北京原人は いつもの 大嘘なんだろ