【オピニオン/産経】小沢問題とは何であったか、その本当の危うさは今なお何であるのか…西尾幹二

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東京地検特捜部による小沢一郎民主党幹事長に対する事情聴取が終わって、世間の関心は今、
刑事責任追及の展開や鳩山由紀夫内閣に与える政治的激震の予測を占う言葉で
騒然としているが、ここでわれわれは少し冷静に戻り、小沢問題とは何であったか、
その本当の危うさは今なお何であるのかを顧みる必要があると思う。

 ≪国民の声を地方から封じる≫

小沢氏は最大与党の幹事長として巨額の政党助成金を自由にし、公認権を握り、
地方等からの陳情の窓口を自分に一元化し、年末には天皇陛下をあたかも
自分の意の儘(まま)になる一公務員であるかのように扱う無礼を働き、
近い将来に宮内庁長官の更迭や民間人起用による検事総長の首のすげ替えまで
取り沙汰(ざた)していた。つまりこれは、あっという間に起こりかねない
権力の異常な集中である。日韓併合100年における天皇訪韓をソウルで約束したり、
問題の多い外国人地方参政権法案の強行採決を公言したりもした。一番の驚きは、
訪中に際し自らを中国共産党革命軍の末席にあるかのごとき言辞を弄し、
民主党議員百四十余人を中国国家主席の前に拝跪(はいき)させる服属の儀式をあえて演出した。

穏やかな民主社会の慣行に馴(な)れてきたわれわれ日本国民には馴染まない
独裁権力の突然の出現であり、国民の相談ぬきの外交方針の急変であった。この二点こそが
小沢問題の危険の決定的徴表である。恐らく彼の次の手は−もし東京地検の捜査を免れたら
−地方議会を押さえ込み、国内のどこからも反対の声の出ない専制体制を目指すことであろう。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100127/plc1001270232002-n1.htm