【証拠見つかる】鳥取藩が年末に津山藩主に松葉ガニを贈っていた
鳥取県立博物館(鳥取市東町2丁目)が所有する歴史資料に、鳥取の特産、松葉ガニについて書かれた
最古の文献が見つかった。1782(天明2)年ごろ、年末に鳥取藩が津山藩主に松葉ガニを贈ったこと
を記した公文書で、これまで最古とされ鳥取藩の「町目付日記」に記された1845(弘化2)年を、
60年以上さかのぼることになる。
初公開される松葉ガニ最古の記録。松葉ガニ5枚を津山藩主に贈ったことが記されている
松葉ガニの呼称が少なくとも江戸中期から使われ、食べられていたことが分かる貴重な資料。
文献は鳥取藩の書記係、祐筆(ゆうひつ)だった山田左平太が記し、1994年に子孫が同館に
寄贈した資料の中から発見された。
縦8センチ、横20センチの帳面の中央には「十二月五日 津山 松平越後守様 鱈(たら)弐本 松葉蟹五枚
がざみ=ワタリガニのこと」と明記。各所への進物記録の一つで、仕事上のメモ書きと見られるという。
江戸時代に盛んだったはえなわ漁では、カニはたまたま引っかかる程度と考えられており、縁起物や
高級品を贈る際に使われていたことがうかがえる。
同館によると、「大名同士がそれぞれの名産を贈って交流を深めた点は、現代に通じるものがある。
津山は山間地なのでカニは珍しい産物だっただろう」と話している。
この資料を含めた企画展「新収蔵品展−歴史系学芸員のオススメ100選」が16日から同館で開かれる。
2月14日まで。
[日本海新聞]2010年01月16日
http://www.nnn.co.jp/news/100116/20100116023.html 初公開される松葉ガニ最古の記録。松葉ガニ5枚を津山藩主に贈ったことが記されている
http://www.nnn.co.jp/news/100116/images/IP100115TAN000093000.jpg
2 :
DDT:2010/01/16(土) 17:27:20 ID:hTkNISov0
豆は寝た
3 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:27:51 ID:jRQG5qV20
だから何
特捜がアップ始めました
5 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:28:00 ID:rlM4KT+o0 BE:3364654289-2BP(100)
(V)( ´∀`)(V) カニー
6 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:28:02 ID:z10P6R/70
朝鮮人しか住んでいない鳥取なんかに興味ないわ
7 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:28:02 ID:EEnMyGq50
昨日だったらニュースステーションでトップかつ大特集を組みそうな重大ニュースだな
津山とか今も人が住んでんの?
三十人殺し以降人が消えて、今じゃ無人の山間部になってると聞いたが
9 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:29:45 ID:90uXrkf70
さては収賄か(゚д゚)
10 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:31:32 ID:ZxmpM05lP
時効だな
11 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:31:59 ID:G8QoDYpBO
津山って八墓村の元ネタのとこしか思い浮かばないんだけど、別のとこ?
12 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:32:16 ID:3Mey3fCj0
13 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:32:29 ID:vEjNI3Ds0
津山といえば30人殺し。いまでも地元じゃその話題はタブー。
津山は山間部だが、中国自動車道が通ってるおかげで割と活気があるYO
津山県になれなかった津山市民涙目www
16 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:34:17 ID:UtntKyWA0
>>8 現場は、鳥取県境の旧苫田郡加茂町(平成の大合併で津山市に)
>>8 普通に住んでる
三十人殺しは町史から無かったことにされてるけど
18 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:34:40 ID:6HvFUaBA0
なんか韓国っぽいニュースだな
19 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:35:23 ID:5E58Cnwt0
>>17 > 三十人殺しは町史から無かったことにされてるけど
なんだかなあ。
20 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:38:07 ID:higO6Tje0
鳥取ってニュースすら無いのかw
21 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:38:17 ID:P1s8t0SOP
賄賂だけど時効
22 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:38:37 ID:PXKuFlLm0
松葉ガニがどれくらい昔から食べられていたかがそんなに重要なの?
津山藩って、今のどのあたり?
鳥取って売国県だろ
25 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:39:38 ID:NDcBYzXv0
松葉ガニって足が松葉のように細いからそういう呼び名になったのかな?
あんまり食べられる部分が無いよね。
26 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:40:16 ID:ZxmpM05lP
初めて知ったけど津山事件って言うのか、
ググったら夜這いが原因で30人ジェノサイドしたとか
27 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:41:43 ID:F77dSB5s0
>>8 あれって津山津山いわれてるけど津山じゃないんだよな
津山の隣らしい
まあ今は合併して津山の一部だけど
28 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:41:48 ID:lFZb0AY00
江戸時代の大名も、お歳暮に蟹だったのか
江戸時代にカニなんて日持ちのしない生ものを贈るなよ
二十世紀梨にしとけば相手も喜んだのに
気が利かない奴だな
別にカニは珍しくはないだろう。
ちっちゃい蟹ならいるし、小豆島も持っていたし。
32 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:44:54 ID:U4LKgmdJ0
>>29 二十世紀梨ってアホか
当時はまだ十八世紀梨だ
>>27 鳥取に行く途中の道の山の中だぜ建物とかそのまま残ってて不気味だったけど
34 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:45:49 ID:Qp+IX6sq0
津山線は未だに汽車(ディーゼル車)ですか?糞尿は線路に垂れ流しらしいが・・・
江戸時代の村ってなんかすごい陰湿な感じするよなw
一瞬スレタイだけ見て竹島問題と勘違いしました><
37 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:50:39 ID:pGHL/l810
> 松葉蟹五枚 がざみ=ワタリガニのこと」と明記。
江戸時代から=(イコール)ってあったんだな
38 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:51:31 ID:Cb+Qo8eD0
むっちゃんの所と俺の田舎に、こんなつながりがあったのか
そういえば俺の先祖も昔、岡山から来たって聞いた事がある
>>30 津山市なら瀬戸内より日本海の方が近いんじゃないかな
39 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:54:37 ID:hSwETJ/f0
40 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 17:56:22 ID:pBkEEeW20
カニなんて足が早そうだけど、当時はどうやって保存してたのかな〜。興味深い
>>40 木箱に雪を詰めて運んだんじゃない?
海水の入ったでかい桶に1匹ずつ入れて運ぶとか。
>>40 鎖と鉄球を組み合わせた足かせを付けてた
どんなに足が早くても逃げられない
43 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:00:41 ID:h18EDow60
深いところに生息しているカニだから本当に貴重だったんだろうな
44 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:01:27 ID:fd2Bl6Ra0
津山藩>>>鳥取藩
45 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:02:07 ID:sK9at4xF0
こらえてつかぁさい
46 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:02:40 ID:N5a7KFYA0
>>40 カニに足が生えてテテテーって走ってる姿が思い浮かんだ
47 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:08:06 ID:CJnfu3aR0
昔々のことじゃ。
貝尾の村に都井の睦雄という引きこもり男がおってな、毎晩毎晩村のおなご衆に夜這いを仕掛けては、
村の衆の顰蹙を買っていたそうな。
睦雄はお婆ヤンに溺愛されて村に閉じ込められ、何の楽しみも無いうちに夜這いに走っておったんじゃが
肺病もちがばれてからというものは一層村の嫌われ者、八分扱いじゃ。
そんな睦雄はついに気がふれてな、昭和十三年五月終わりのある晩に、光る角2本生やした鬼に変身してしもうた。
そして手始めに大切に育ててくれたお婆ヤンの首を一振りの斧で刎ね飛ばして家を飛び出し、
あとは「こらえてつかあさい!」と泣き叫ぶ村の衆を次々と斬り殺し撃ち殺して行ったそうな。
夜が明ける頃には村は血の海、死体の山で阿鼻叫喚とはまさしくこのこと。怖いのう・・・
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これ津山藩の毒見役が、甲殻類アレルギーとかで、食った途端悶絶したら、
ちょっと厄介なことになってたな。
>>47 || ::::::::::::::::::::::::::::::
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(; ´Д`) i (・д・) ∧∧::::::::::
/::: Y i ,-C- 、( y (゚Д゚ ) < 夜這いは、睦雄一人がやってたんじゃなくって、村全体の風習だったって話だよ。
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|::::: " ゝ ヽ__ノ (__(Д` ) < 夜這いしたとき、女の子にバカにされたんだよね。
\:::::__ )// // っ⊂L∧ ∧
∧ ∧ ( ;;;;;;)
50 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 18:18:21 ID:i6KlyScI0
>>39 二十一世紀なしは他のところにとられたので名前がつけれません・・・
献金とか賄賂とか昔からあったこと。小沢を許してやれ
ってこと
53 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 19:24:14 ID:LJo/qhfK0
津山通らなきゃおっきゃーまに行けないし通行の要所だから
>>29 そいやそうだな。
冬場とはいえ、すぐ腐っちゃいそうだ。
55 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 19:57:34 ID:Cb+Qo8eD0
しかし興味深い
津山藩はお礼に何を鳥取藩に送ったのだろう
56 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 19:59:10 ID:LVYHJgPy0
57 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:00:26 ID:oxS63bw30
面白い。お歳暮の習慣はずいぶん昔からあったんだな。
58 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:03:04 ID:YeGoQIN50
津山東小学校万歳
>>1の「五枚」ってのも気になるな。
「松平さんちは、奥方とお子が4人だけど、末の子は赤ちゃんだから5枚でいっか」
みたいな感じ?
60 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:08:29 ID:mLpyUZ8Y0
>がざみ=ワタリガニのこと
(゚Д゚)?
61 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:10:30 ID:jAlvLZ3D0
今で言う、官官接待だな。
62 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:11:38 ID:IqUCFPif0
さすが大都会岡山。
63 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:15:10 ID:v0Jqcltk0
スベスベマンジュウガニうめえwww
65 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:24:51 ID:9IpS5RHA0
>>47 コピペなんだろうけどよくまとめられてるな。高校生の時読んだ本
のそのまんま要約って感じ。単独殺人犯での殺傷数は近年でもトップ
クラスだと思う。
>>49 肺病持ちで徴兵跳ねられたもんだから村の女から馬鹿にされたらしい。
戦争行かなくていいからいいもんだと思われがちだけど
国防の義務に参加できない、一般平均の男性より劣ることの証明になって
しまい社会から馬鹿にされる要因になる。ナチスドイツでもゲッペルスは
虚弱体質で徴兵跳ねられていて軍事経験がないことにコンプレックスを持
っており、幹部になってからわざわざコネで一時期軍職についている。
アメリカのジョン・F・ケネディも学生時代のフットボールのケガで陸軍
入隊拒否されており、親のコネで海軍士官になって魚雷艇に乗った。
徴兵跳ねられるって昔は結構”若い男”のプライドに大きな影響及ぼすのなw
>>65 明治になると地方では徴兵に行ったら一人前として扱われ、いろんな優待受けられたからね。
左翼史観では徴兵=悪だけど実際は徴兵に行くことで受けられる恩典のために誰でも行ってたのよ。
67 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:28:38 ID:oXMrAe/S0
友好の証として松葉ガニを贈答する。
相手の固い心を松葉ガニによって崩すことから、
後世、松葉崩しと呼ばれるようになった。
68 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:30:25 ID:W5X5F/vK0
徴兵検査は、甲種合格くじ外れを誰もが望んでた。
本当に、進んで軍務につきたければ、最初から士官学校行ってるわ。
69 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:33:02 ID:dXDMk+l50
藩主のくせにカニ五匹とかケチくさいね。
家臣とか大勢いるんだから、気を使えよ。
70 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:35:50 ID:iO7f0gh60
カニみたいな生物をどうやって送ったんだ?クール宅急便?
>>70 年末だから腐ったりはしないんじゃない?
鳥取藩と津山藩の距離があんまりわからないけど、今の鳥取→津山でも人の足で2日もあれば付くだろうし。
>>15 津山は親藩、しかも御家門(松平)筆頭。
明治に生き残れるわけないだろうに。
73 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:45:20 ID:9wUACWHL0
おがくずを詰めて輸送したんだよ
74 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:47:42 ID:mLpyUZ8Y0
島根から広島まで死体運べるんだから
75 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:50:12 ID:L/jgSpyJ0
昔、津山城跡の近くのレストランで飯をごちそうになった記憶がある
そのときは城はなかったけど、今はあるみたいだな
77 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:51:42 ID:wy4gxTeo0
今、松葉蟹稲荷喰った。激(゚д゚)ウマー
>>66 まあ、縁談とかでは役に立っただろうな。
全国一斉健康診断みたいなもんだしw
>>73 なるほど、生きた奴をおがくずに突っ込んで、
半死半生のまま輸送したのか。
79 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:53:43 ID:a6nfYqkY0
80 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:58:43 ID:Cb+Qo8eD0
いや福山通運で
81 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 21:00:58 ID:zESgwViy0
83 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 21:05:11 ID:U0emNdaS0
おがくずはエビだけだよ
俺が思うに燻したと思う
>>83 なるほど燻製なら日持ちするよな。
つか、どんな味か食ったことないけど。
んでつらつら考えたんだが、桶に海水入れて
生きたままチャプチャプ運ぶのが一番安直かとw
>>84 それは凄く重そうだぞ
当時だと街道整備がされてないだろうから大八車を馬や牛で引くにしても山間部とかつらいだろうし
雪つめて半冷凍状態で送るか加工品にして送ったんじゃないかね
>>70 >>71 箱詰めして馬か飛脚で駅伝したと思われ。1日半あれば十分いける距離。
>>78 徴兵から帰ると優良村民とかいう感じで表彰されたり、徴兵中は村の役務の免除、子息の学
校授業料減免とかあったみたい。あと親族もそういう名誉ある人を出した手前身を慎むようにな
ったりする。
>>85 おお、たしかに江戸時代の山陰なら雪が降るな!
んじゃ、
>>86とひっくるめて箱に雪詰め説に2000点。
山奥の旅館で海鮮丼とか出されると萎えるよな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%A8%8E%E4%B8%80%E6%8F%86 血税一揆 wikiから・・・
美作地方の一揆
美作地方の一揆は明治6年5月26日、北条県で起きた。その後、6月1日まで蜂起は続き、大変激しいも
のとなった。「元魁」筆保卯太郎を中心に、北条県西西条郡貞永寺町から一揆は起こり、苫田(とまた)
郡、久米郡、英田(あいだ)郡、勝田郡、真庭郡へと広がった。5月27日には一揆勢は津山まで至り、そ
して5月30日東部から津山城下への突入をはかった。しかしこれは、県の役人側に負けて失敗に終った
。
参加者は「徴兵令反対、学校入費反対、穢多非人の称廃止反対」などを叫び、焼打ち、打毀しを行った
。その対象は、官員宅・区戸長宅・副区戸長宅・盗賊目付宅・地券懸宅・小学校・被差別部落民宅など
で、被害は432軒にものぼり、さらに東北条郡津川原村などの被差別部落では、住民29名が殺傷される
事態となった。
(以下略)
>>89 だよな。
まあ、昔はご馳走だったかも知れんけど、今じゃどこでも
食えるんだから地元の産物を出せと。
つか、
>>1の記事では
>津山は山間地なのでカニは珍しい産物だっただろう
なんだけど、当時の大名クラスのお歳暮の相場としてはカニ5毎は
どうなんじゃろ。
92 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 21:52:03 ID:zESgwViy0
>>91 昔の内陸の人はどうやって海の魚を食べてたんだろうネエ
京都は鯖街道、奈良は竹内峠越で塩漬けの魚を運んでたそうだが
地検は何やってんだよ。仕事しろ仕事。
>>92 会津に行ったら、「鯉屋」というのがあったな。
その店は廃業しちゃったみたいだけど、中をのぞいたら
ふつうの昔の魚屋みたいな感じ。捌くための流しとかあるの。
海のものは干物で、鮮魚は内水面漁業で、という感じなんだろな。
>>92 サメとか腐りにくいものを内陸に運んでたらしい。広島の三次では今でもサメを
食う習慣が残ってる。あるいは山梨の醤油あわびとか。あとは干物にして送って
たんでない?
96 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 22:11:58 ID:SqCABMw/O
>>88 雪だとすぐ溶けちゃうかも。
氷詰めじゃないかな。
97 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 22:12:58 ID:zESgwViy0
>>95 なんかそん話はテレビでやってたな。しかしサメは、、ションベン臭いぞ
98 :
名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 22:15:04 ID:8LSiJsqHO
だから何だってんだ
>>97 焼いて食ってたら意外に美味だ。刺身だと薬味に生姜とかきついのを使うようだけど。
100 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2010/01/16(土) 22:17:28 ID:/2kuMWyu0
>>98 単語と漁法の初見・起源が遡るという点で、過去の歴史を知る上で重要なことです。
研究というのは(多分歴史以外でも)それ自体は一見すると役に立たないことの積み重ねです。
しかし、このニュースは新聞に10日以上前に出ていたものですね。
他のニュースもそうですが、政治や災害以外のニュースは、一週間以上のタイムラグがある様です。
俺にもカニ送って( ・∀・)
>>100 >>1をよく読んだら、単語が注目点なのね。
後半の博物館の話では、「大名のお歳暮の記録がおもしろい」と
「津山でカニは珍しかった」しか言ってないもんな。
というか、民間の売掛帳とかじゃなくて官の記録の中で単語の所見が
更新されたということを考えると、実は「山吹色の菓子」みたいな隠語
だった気もするw
104 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 00:15:56 ID:5SC4W2YK0
>>29 幕末まで、天皇は毎日毎日、お昼に鯛を食べていた
105 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 00:18:39 ID:K7FTul1Z0
>>101 どこの藩主様かな?
下々に送られた記録はないよ。
逆なら大ニュースなんだけどな
あの日本一閉鎖的でけちくさい岡山人が余所者にカニを贈るなんて
前代未聞だが
107 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 00:22:37 ID:Tl9/tW2g0
またか!!検察も大変だな
>>106 全然関係ないけど、岡山藩の池田氏と鳥取藩の池田氏はご親戚。
江戸の早い時期に、岡山藩の池田氏と鳥取藩の池田氏は領地を交換させられてたはず。
まあ、池田さんも松平さんも、津山の元々の藩主の森さんも、岡山や鳥取とはぜーんぜん関係のない人たちだけどね。
109 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 00:45:46 ID:pN+Z3vLwO
越後屋がお代官様に山吹色の菓子を贈った記録は無いのか?
110 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 00:54:10 ID:tzNOLAuV0
佐賀宮 お主も悪じゃのー
>>108 鳥取藩の池田家はたしか母親が家康の娘で家康の外孫ということで本家の池田家(岡山)とは
別家を建てたカタチに。家康が娘を池田輝政に輿入れさせる時の条件で家康の娘との間に生まれた
子供に本家は継がせないから安心汁(すでに輝政に嫡男はいた)という条件がそもそもあっ
たため出来たような藩>鳥取池田 津山の松平家は大元は家康の次男なので遠い親戚筋になる。
一つだけ言える事は、当時の津山-鳥取間の交通は、現在よりも便利だったに違いない、という事だな。
因美線・・・orz
>>112 便利じゃないですよ。那岐山あるので直線距離で行くと黒尾峠という難所がある。
鳥取藩は今の智頭急行が走ってる辺りを通って参勤交代してた。今建設が進んでる
鳥取道もそれに沿ってる。
>>108 地元生え抜きの大名なんて、少ないけどね。
みんな国替えさせられた。幕府の基本政策みたいなもん。
しかも、津山は池田や毛利の監視のため、
たかだか十万石+α程度のところを親藩にした。
厳しかったみたいだよ。家格はめちゃくちゃ高い、
越前松平の本家筋だから、何かと金はかかるけど、
石高は知れてるから、そうとう重税だったようだ。
だから、津山で昔の殿様は慕う人なんか、まずいない。
岡山だとこれが違って、戦前派ぐらいまでは、
池田のお殿様は崇敬の対象だった。
>>104 それ献立に書いてあるだけで実際は残飯食ってたんだぞ
天皇だから形式だけでもいいもの食ってないといけないから、献立にはあるもしない鯛や鮑が書いてあって
実際に並べられるのは腐りかけの材料でありあわせた料理
たくさん並んでる中で本当に食べても大丈夫なのは、目の前に置かれてる一汁一菜のみ
間違えて残飯食べないように布がかけられてたり注意書きがされてた
江戸時代なんて将軍でさえひね生姜が好きで出てくるのを楽しみにしてたくらいなんだから
食生活はみんな質素だよ
ペリー一行に出した料理の方が金も手間も掛かってて、将軍でさえ一生掛かっても食べられないものが出された
>>115 基本、上も下も質素だよね、あの時代は。
江戸の市民なんか、晩飯は朝昼の残りに
お茶漬け、とかだもんね。
というよりも、現代日本が異常なだけ。
毎日日替わりで、手のこんだ家庭料理が出る国なんて
ほとんどない。
欧州なんかでも、わりと毎日おんなじようなメニュー。
英国にいたっては言わずもがな。
>>114 池田の殿様はちょっと初代藩主が陽明学マニアでカルトかかってたけど、
そのおかげで幕末まで珍しく江戸時代初期の風紀粛清の状態を維持できてたし、
隣国では山田方谷という明治政府の番頭にまでなれそうな男も出てきた。
>>115 たしか将軍や天皇の賄い代ってのが江戸時代の最初に決まった金額のままで、
物価が時代が進むにつれて値上がりしてどんどん粗末な食べ物になっていったらしい。
しかも将軍とかになるとご飯は3杯までお代わり可、おかずに手をつけていいのは
3回までとか決まってたのでそんなに食えなかったんでない?
江戸はそのものが貧しかったからだろ。産物は江戸湾の魚介しかないしな。
侍は収入よりも支出の方が多いからどこも借金まみれだったし、
町人や浪人は言わずもがな。
>>118 江戸時代の朝廷は貧しくて、天皇さんが自分で
色紙に和歌とか書いてバイトしてたそうだよな。
>>120 岩倉具視なんて明治維新のために色々やった動機が「少しでも生活をよくするため」だからなw
あいつ自身はヤクザみたいなもんだが
明治の元勲はほとんどが極貧出身で子供の頃の話を読んでるとリアルすぎて笑えなくなる
122 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 14:11:49 ID:1/6/fl7e0
123 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 14:12:44 ID:3aFKB9fb0
これは国会論争の焦点になるな。
124 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 14:15:47 ID:AOzJyiK00
香住まで行って松葉ガニを一人2.5杯食べて17850円でした。
全て生で食べれましたが、焼きガニ・しゃぶしゃぶ・カニ味噌付
と堪能してきますた。カニだけでお腹が一杯になったのは初めて
でした。本当に香住町には感謝です。
125 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 14:16:17 ID:1/6/fl7e0
>>121 >あいつ自身はヤクザみたいなもんだが
公家さんのバイト
大阪の893が開いてる賭場に自分の名前を貸す契約してお金をもらう
→そこの賭場は建前上公家さんの家来となるので管轄は京都所司代
→大阪町奉行所は賭場に踏み込めない
→新撰組に出張で来てもらったりする
麦飯
芋がらの煮物
すまし汁
こんな感じか
今じゃ麦飯・玄米・ひえ・あわ
のほうがありがたがられる時代
128 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 14:32:01 ID:1/6/fl7e0
>>127 まあ、昔の麦飯と今の麦飯は違うけどね
昔の麦飯はその辺の雑草をすりつぶしたような臭いだった
東京から山陰にわざわざカニを食べに行った伊集院が
駅前から乗ったタクシーで運転手に言われた一言
「この辺の一番良いカニは全部東京に出荷されるからねぇ〜」
130 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 15:53:05 ID:o4d1s4ej0
鳥取(因幡)から智頭宿までは因幡街道(上方往来)を通り
智頭宿からは備前街道の山中筋である作州往来で津山まで行ったはず。
松葉ガニを運んだ時期が新暦の1月だろうから
荷が腐る心配は無いとはいえ、凡そ70kmの雪道なだけに
天候に恵まれても1日掛かりだったろう。
運送方法は背負子での徒歩だな。
131 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 15:54:31 ID:q9V77cXD0
カニなんて足早いのに江戸時代の贈答品としては不向きなんじゃないの
132 :
名無しさん@十周年:2010/01/17(日) 15:58:26 ID:7k3mKc9i0
>>125 それは流石に嘘説がある
それに、新撰組は京都守護職預かり
もし踏み込もうと思った場合の手続は、
町奉行→所司代→禁裏付→武家伝奏→関白
となるので、踏み込む前に情報が漏れて逃げちゃうわな
>>131 殿様 「今年のお歳暮はカニにしようと思うのじゃ」
家来 「いや、カニは足が早うございますゆえ、いかがなものかと…」
殿様 「なに、足が速いとな。それなら腐る前に着くであろう」
家来 「…orz」
津山藩て、もともと森蘭丸の弟がお殿様だったんだよね
123
>>121 明治維新の志士とか公家の連中に共通するのが貧しい生活してたという人ばかり
だったから。しかし根が貧乏だから元勲とか金がある身になってもゴージャスな生活を
したかと言えばそうでもなかったりする。3度の飯がマトモに食えるだけでもうそれ以上
イラネェという人が多かったんだろうな。
>>130 だと思う。智頭から津山まで直線で黒尾峠を越えるルートもあるけど今でさえ車が超えるのは
難所だからねぇ。冬なんかになるととても超えられんでしょ。