【歴史】 三国志の英雄・曹操の陵墓発見…中国河南省、曹操の遺骨も出土★4
★曹操の陵墓発見 中国河南省、遺骨も出土
・中国国営新華社通信によると、河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、三国時代の
英雄で魏の国の基礎をつくった曹操(155〜220年)の墓を発見したと発表した。
墓から60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、中国の考古学者や歴史学者らが
鑑定した結果、曹操本人のものと断定した。
墓の総面積は740平方メートル。前後に2つの大きな墓室と4つの副室があり、最も深い
ところは地表から15メートル。金や銀の器や、鉄剣、水晶珠など約250点の副葬品があり、
曹操の遺骨のほか、2人の女性の遺骨も見つかった。
文物局は、墓を曹操のものと断定した理由として
(1)墓の規模が巨大で魏王となった曹操の身分にふさわしい
(2)墓から出土した文物はいずれも後漢と魏の特徴があり、曹操の時代と一致する
(3)墓が見つかった場所は「三国志」などの歴史文献とほぼ一致する
(4)副葬品の特徴は曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
(5)墓に曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文が複数見つかった
(6)男性の遺骨は60代で、曹操の死亡時の年齢と一致する
−の6つを挙げている。
地元の考古学者らは1998年に曹操の墓の位置を示す墓誌を見つけて以降、周辺で
調査を続け、昨年12月から本格調査を開始した。墓には何度も盗掘された跡があり、
一部の副葬品が盗まれた可能性もある。
曹操は後漢末の混乱期に中原を統一した武将で、蜀の劉備と呉の孫権と天下を
争ったことで知られる。
墓の正確な場所は「千古の謎」の一つとされてきた。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/091227/chn0912271936001-n1.htm ※前:
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1261963658/
2 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:21:28 ID:8ESuR+lt0
3 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:25:19 ID:c9MQu4v10
でもニセ物なんでしょ?中国だから
4 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:26:26 ID:PVo+4gnN0
>>3 そうそうそうそう ってずっと言い続けると答えが出るよwww
>>3 まあ、そんな所だろう。
日本の三国ヲタでも呼ぶ気なのかな。
「げぇ、関羽」と「ムムム→なにがムムムじゃ」禁止
7 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:28:58 ID:esIa1o9c0
嘘臭
おかもちで草を食べるのが好きな人のコメントマダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
で、他国の科学者が詳しく調べようとすると何故か行方不明に
北京原人の時と同じ
10 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:42:00 ID:DRG6sqbA0
三国志は紀元前の話かと思いきや、紀元後なのな
それなら墓が残っていても不思議じゃないか
11 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:42:44 ID:KG1WmqHD0
偽の墓をいくつも作らせたそうだから
骨は本人のものではないだろうな
この度三国志の英雄である曹操も
携帯電話を使用していることが分かりました
英雄byKDDI
13 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:48:25 ID:c9MQu4v10
>>10 万里の長城をバラして自宅のレンガにするような民族だぞ
今回の墓も新発見ではなく何度も盗掘されてる場所
副葬品はもちろん骨もニセ物だと思うけどな
14 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 11:54:20 ID:jt959beb0
定軍山には孔明の墓があるし、成都の武侯祀には貧弱な劉備の墓があるんだけど、
あれって発掘調査して「間違いないアル」って認定されてるもんなの?
わわわ張飛だ
三国志って歴史書なの?
>>10 邪馬台国の卑弥呼とほぼ同じ時代ですよ。
カエサルとクレオパトラから、200年ほど下ります。
華佗「偏頭痛を治してしんぜよう」
19 :
反・権謀術数:2009/12/29(火) 12:02:40 ID:G25lRTeW0
脊髄細胞が採取できれば、曹操のクローンも可能です。
20 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:04:44 ID:PM0adneg0
そういえば、ローマ帝国の記録や遺跡はかなり残っているな。あれは当時の国力のおかげかな。
曹操が韓半島出身なのは歴史家の間で常識です
22 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:06:48 ID:KG1WmqHD0
曹操がわから見れば孔明なんてテロリストだろうな
23 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:07:03 ID:jt959beb0
墓に「赤壁でボロ負けしました。きゃー恥ずかしい」って書いてないと信じられない。
ってか、本物かどうか、テレビでチラッと出てきた壁画も決め手になると思うんだけど。
正史のウ禁伝に、捕虜交換で帰ってきたウ禁が曹操の墓に詣でた時に、
壁画に「ウ禁は裏切りものの大馬鹿野郎」みたいな絵が描いてあって、
それを見たウ禁が憤死してしまったっていう記述があるから、
その絵が見つからない限り、信用はできない。
24 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:07:46 ID:Umzj8p3H0
「墓誌をみつけてから」ってのが評価できるな☆
こいつの国じゃ30年前のものすらないらしいw→<`∀´>
25 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:08:18 ID:+tIlt8LP0
>>19 DNAの断片化が相当進んでるだろうから無理だろ。
26 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:21:52 ID:ClQi+tQv0
徹子
28 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:30:20 ID:j7H0mPAu0
>>3 まだ捏造なんていってる馬鹿がいるのかwwww
真偽はこれから調べるとして日本の大学や他の国の発掘隊とかも協力してるのにどうやって捏造するのかね?
29 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:36:14 ID:u04QpyMJ0
曹操の墓の位置よりも
「樊城」の正しい位置を教えてくれ。
30 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:37:25 ID:xWmf9VSUP
蒼天航路だと副葬品の類は入れるな
簡素にしろ
みたいな命令があったとか描いてあったのに、普通に豪華な墓なのかよ
幻滅だわ
始皇帝だのに比べれば全然質素じゃないかな
32 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:40:07 ID:nkz1UXPO0
33 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:44:51 ID:jt959beb0
あと華陀の脳外科手術を受けてるんだから、その痕みたいのはないの?
34 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 12:47:31 ID:BwcCAqJd0
考古学的には
2000年も前なら遺骨じゃなくて化石扱いじゃないの?
南京事件の30万人の遺体はまだかよ?
文革時の虐殺遺体で誤魔化してるのはいい加減やめろよww
>>33 演義にそんな記述あったけ?あったとしても演義は小説の作り話だから。
37 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:00:41 ID:BwcCAqJd0
38 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:02:39 ID:f0Z5zX/I0
チャッポーン
40 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:05:05 ID:iYCe+87W0
>>30 当時の王侯からしたら充分質素な部類だろう。正直出土品を
見るかぎりでは、朱然墓の遺品のほうが豪華な印象すら受ける。
正直、捏造説は史的な論拠が乏しいのが難。本当に曹操の墓か疑うのならば、
史学的な観点から疑問点を出すべきなんだよね。
石牌が出てきたことについても、近代以前の盗掘においては、あれが曹操のものだから
価値がある、なんて考え方は無いわけだし、最近まで残っていたとしても
別段不思議じゃ無い
41 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:05:22 ID:JiYJmKy10
中国だと聞くだけで無茶苦茶胡散臭い。
エジプトやらだと散々盗掘されてるのに
こんなに綺麗な形で陵墓やら副葬品が見つかるのかね??
識者の人はどう思ってんのかな??
やっぱり胡散臭い??
42 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:05:41 ID:7NBcUMGy0
俺にも曹操みたいな才能があれば人生楽しかっただろうな
そもそも曹操ってあっちでそんなに評価されてるのか?
日本でも曹操人気が高くなったのって最近な気もするが。
45 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:09:14 ID:jt959beb0
>>37 関羽は腕だか肩だかの手術。
演義では酒を飲んで碁を打ちながら手術を受けてるんだよね。
思い出したけど、曹操手術受けてないや。怒って華陀を牢屋にブチこんでたんだw
まあこれも演義の話だけど。
>>36 演義だと、曹操に開頭手術を勧めて、拒否され、牢獄につながれ、あぼーんじゃなかったかな。
47 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:12:09 ID:H0BqBYuQ0
捏造とか偽者が得意な国だからな
48 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:13:28 ID:slrw+r4P0
日本のゴッドハンドさんには負ける
49 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:13:37 ID:BwcCAqJd0
腕だったかな?
関羽がすごい偏頭痛持ちで、華陀に脳を洗ってもらった
とかいう話を何かで読んだ気がする
50 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:18:10 ID:dBxmMrDJ0
>>30 お前や俺にとっては1500万円は大金だが、鳩山家にとってはそんなもの毎月子供にあげる小遣い、はした金にすぎない。
この墓もつまりはそういうことだろ。
51 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:19:58 ID:KdmVNEMA0
>>49 毒矢が腕に刺さる。華陀に診てもらう。骨を削らないとダメと診察。
麻酔あるけど使う?。そんなものいらないと拒否。
馬良と碁を打ちつつ手術をうける。
演技ではこんな話だった気がする。
52 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:20:59 ID:jt959beb0
>>43 まじってないと思うよw
ウ禁が関羽につかまって命乞いしてホウ徳が奮戦してて曹操が嘆いてる絵があるんだって。
またニセモノか。
54 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:24:20 ID:6UrxvCIr0
中国人なんて三国志大して知らない
関羽の腕の手術したのは華陀じゃないけどな。
医者をたくさん出すと面倒なので演義では全部華陀がやったことにしただけの話。
正史では華陀は曹操の典医をやってるのに飽きて休日とって故郷に帰ってそのまま帰ってこなくて何度も曹操が召還命令を出したんだが応じなくて殺されたんじゃなかったか?
青嚢書も自分で焼き捨てたような気がしたんだが。呉押獄に託したのも創作じゃなかったか?
どちらにせよ麻弗散が現代に伝わらなくて残念だな。
中国じゃシャオシャオなんて間抜けネーム入ってるから
日本での人気とは一呼吸ずれてそう
57 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:27:24 ID:jt959beb0
>>54 学曹操って毛沢東が言ったくらいだから、
曹操の墓発見は真っ赤っか中国人にとってはかなり大きな意味があると思う。
>>56 ツァオサオじゃなかったっけ。
58 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:27:52 ID:BwcCAqJd0
そうか腕に毒矢が刺さったのを手術したのか
それはそうと、2000年も前に碁があったことに驚き
59 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:31:19 ID:U8U/cYki0
後ろを見ろ。
説着曹操 曹操周到
中国人って曹操をかなり嫌ってるって聞いたけど
ほんとに喜んでるの?
61 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:39:25 ID:BwcCAqJd0
>>60 京劇の悪役は顔を白く塗った白面の者の曹操らしいね
歴代最強曹操
三国志艶義>CCTV三国演義>三国無双>蒼天航路>我王の乱>天地を喰らう>>うんこ>>横山三国志
歴代最強呂布
三国無双>蒼天航路>天地を喰らう>恋姫無双>我王の乱>横山三国志>>うんこ>>CCTV三国演義
大方の中国人はあっそくらいにしか思ってなさそう
このニュースは俺的には嬉しいんだが
64 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:44:01 ID:svZF64NE0
>>58 「演義」が書かれたの明代じゃなかったっけ?
まあ、紀元前から碁があっても驚かないけど。
>>63 それいったら大体の日本人もそうだろう
テンション上がるのは歴史マニアだけだよ
始皇帝やハーンクラスなら世界的にも騒がれるのかな?
68 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:51:09 ID:Trz6voF10
>>41 >>27にも有る通り、まだ中国国内でも意見が分かれているみたいだ。
古代史に関する限り、中国ってそんなに嘘は付かない。
調査の結果、違ったら違うというだろう。
少なくともかの国みたいに捏造9割9分なんて事はない。
69 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:53:29 ID:svZF64NE0
>>66 自分もそれで覚えてた気がしたんで、そう書いたんだが、確認できた。
ありがとう。 論語って春秋の頃だから2400年以上前ということになるか。
すごいね。
70 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:53:40 ID:kh01PA3M0
みんな
なんでそんなにに詳しいの(´・ω・`)
てーか件の曹操が碁の名手だったじゃないか
72 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:56:41 ID:svZF64NE0
>>70 ここ、自分も含めておっさん率高いからだと思うよw
73 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:57:47 ID:vPNJaQhx0
なんだよく見れば陵墓か。曹操の陰茎発見かと思ってこりゃまたすげー物が見つかったもんだと思ったのに。
74 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 13:58:52 ID:xLqDgpt4O
中国じゃソウソウ人気ないよな
75 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:00:50 ID:kh01PA3M0
>>72 自分は横光さんの漫画三国志くらいしかみてなくて・・
関羽が手術受けたなんて思い出せないよ(´・ω・`)
76 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:01:12 ID:+dKxUsrq0
>>57 毛沢東が曹操を褒め称えたのは、法家実践の代表格としての曹操をあえてほめて
政争に使っただけ。毛沢東個人は好きだったかもしれんが。
中国国内とか台湾のような中華圏で人気があるのは三国志より水滸伝な。
関羽が中国人は好きだけど、彼が「侠」つまりヤクザ上がりだから。
官VS官のような三国志より、ヤクザが官に痛快に抵抗した水滸伝を中国圏の人
は愛でる。中国人は官とか国家なんていうのをハナから信頼してないからな。
あと、朝鮮と違って中国は捏造だったらあっさり認める所。
朝鮮のように無理しなくても中国は掘れば遺跡が出てくる所だからなw
あと曹操なんて中国圏では吉良のような典型的な悪役で、彼の墓を捏造しても
中国内部の人には何のプロパガンダにもならない。日本人の曹操ファンぐらいじゃね。
アピールすんのは。
どうせまたお得意の捏造だろw
で、バレると黙り決め込んでなかったことにするとw
日本人の三国志好きは中国の人が引くほど異常
お前ら日本人よりも南北朝時代に詳しい中国人がいたらどう思う?
79 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:04:37 ID:ERk3wMuz0
>>72 40〜60代は横山三国志
20〜30代が蒼天航路で薫陶を受けたからな
どちらも名作の名に相応しい作品だ
80 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:05:04 ID:MQ0ShCJC0
偽墓の計だろ。
81 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:06:36 ID:RVcG6MCN0
>>52 関羽が繁盛で報徳を死刑にしたから
あとで蜀滅亡の際に、関羽の孫あたりが
報徳の子孫から皆殺しの報復をされて
系統が途絶えたんだよな
張飛や趙雲や馬超や黄忠の子孫は知らん
孔明の何十代目は現在、日本人とのクォーターらしい
劉備はどうなんだろ?
82 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:07:40 ID:jt959beb0
>>78 そういや中国で徳川家康が大ブームってスレ立ったじゃん。
日本人の三国志熱って中国人が「家康さまー」って熱上げるようなもんかw
83 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:09:36 ID:vQCk2jDU0
>>75 蒼天航路をぶくおふで立ち読みで解決
でもさあ、卑弥呼の時代じゃん。曹操の後継者でやっと。
だから蛇凹もせいりゅうえんげつとうだかも 持っていなかったって節あるよ
>>79 嘘書くなよ。
俺は24だが横山から吉川→小説十八史略→十八史略→正史三国志とつないだぞ。
天地を喰らうは見た事あるけど蒼天航路なんて知らない。聞いたことはあるけど。
俺の兄貴が30だが横山三国志を全巻持ってたぞ。
三国志の漫画はいろいろ見たけど価値のあるのは横山だけだな。
葬送場所がわかったのですね、わかります。
>>78 関心する(例:日本人よりも日本文化に詳しいシラク前仏大統領)。
87 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:13:18 ID:ERk3wMuz0
>>84 初刊行年月日を見比べてから再考しろ
そして蒼天航路は必ず読め
何とか木馬ってあったような、、、誰か教えて。
89 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:14:17 ID:jt959beb0
本当に曹操の御墓だって決定したら、
とっても甘い中身の詰まった温州みかんをお供えに行きたいです。
90 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:14:41 ID:vQCk2jDU0
>>69 「史記」の信陵君の話にも出てきますな
これは論語よりは時代が下るけど、それでも三国志の時代より
400年以上前。
92 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:15:22 ID:l23btzYb0
三国志ブームをつくった作品とそれにのって
つくられた作品があるとおもう蒼天航路は後者
ちょっとリアルなDBみたいなもんだろ
DB世代ならヤンキーみたいな奴でも三国志は知ってる
とりあえず子孫がいるんだからDNA鑑定してから断定すればいいのに
ああでも、古すぎて無理なのか
96 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:16:27 ID:RVcG6MCN0
もし青竜円月刀や蛇矛や羽扇が出てきたら
世界的な至宝だよな
>>96 赤兎馬の遺骨とか出てきても、ある意味すごい。
98 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:19:33 ID:rBCUX/pX0
墓の場所の記述と一致っていうけど
本当のことを書くわけないべさ
その程度のこと俺でもわかる
99 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:22:37 ID:rBCUX/pX0
>>81 孔明は「ジェガルゴンミョン」といって
饅頭を発明した韓国人だと
韓国料理本で見た
100 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:23:08 ID:jKvD/Piq0
>>87 まあネタとするならありだろうが、必ず読む必要はねーだろ。wwww
>93
DBってもしかして「ドラゴンボール」の事か?
何故あんなものと三国志(演技)を同列に語れるんだ?
102 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:23:37 ID:ERk3wMuz0
>>97 朝に戦闘を行ったら(肉が大量発生するから)晩御飯に困らないとか言っちゃってる国で、特に馬なんか埋葬する筈も無いだろw
>>79 >>83 年代が上にずれてるな
吉川英治の三国志が40代以上、
横山三国志が30代と40代の一部(+20代後半)、
蒼天とかは20代半ば以下だろう。
30代は蒼天航路読んでいたとしても、既にその時期には
他の三国志物に触れてるからね。
俺は32で、人形劇→子ども向け読本色々→ゲーム→横山って流れだな。
横山三国志が完結したのが86年だから、完結して数年後に読んだ計算か。
104 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:25:25 ID:ClQi+tQv0
>>78 檀道済とか韋孝寛とかについて?
そら日本人より中国人の方が詳しいやろ〜
蒼天航路読めばいいのに
と俺は思います
中国人の同僚二人いるが三国志はあまり詳しくないみたいだな
西遊記とか水滸伝とかのほうが中国人の若いやつには人気があるらしい
106 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:31:29 ID:ERk3wMuz0
>>95>>100 俺は横山原理主義だったがアレは認めれると思ったけどな
史実の解釈をどう行うかによって物語は様々になる、その典型
107 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:32:33 ID:tkGeTmhd0
曹操ってロリ美少女じゃないんだってさ。
108 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:34:57 ID:JU5NiCk30
結局三国志の史実では、魏は天下統一できなかった
これ豆な
それは呉も蜀も同じだから、それ言ったら晋が統一したんで
三国志ゲームはウソゲームで意味なくなっちゃうけどねw
109 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:35:13 ID:rBCUX/pX0
110 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:36:13 ID:QsExEbzE0
年代でわけるのもなあ。
吉川英治の文庫なんて三国志も水滸伝も鳴門秘帖も、まったく陳腐化していないよ。
いまだにベストだと思うし、若い人も吉川英治の三国志を手にとる人が多いのでは?
>>101 俺自身はもう少し上の世代なんだけど
とにかくDB世代にとって三国志は小学生時代に触れるメジャーなヒーローなんだよ
「えー、なんでおまえらそんなもの知ってんの?」って話しててびっくりしたもん
俺らの頃なんて丁度三国志ブームは谷間だったのに
112 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:36:30 ID:jt959beb0
蒼天航路は曹操軍団を美化するってテーマがあったせいか、
魏も蜀も呉もみんなイイ顔(美形じゃなくて)になっちゃって差異がなくなったのが読みにくかった。
炎症メタボ化も意味がよくわかんなかったし。
ジュンイクとジュンユウが可愛かったけど、双子みたいな顔してんだよね。
カクがいちばん美味しいところをさらってた印象。カクが出ないとつまらん。
王欣太って台湾人か華僑だとばっかり思ってた。
113 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:36:46 ID:7vQSij4M0
・副葬品が曹操の割りにへぼすぎる←遺言で金銀は入れるなとあっても、大きく立派な建物&兵馬俑みたいな置物くらいあってもおかしくはない。
・隠すためにあるのにも関わらずわざわざ「魏武王」と書かれた副葬品が余計にわざとくさい。
・頭蓋骨が出てたが、野ざらしであったのだろうか?あれだけの建築物に石棺みたいなのがない?
・女2人の骨が出てきたというが、たった2人というのがなんか違和感。
よって導き出される答えは、曹操の墓に見せかけた偽物の一つ。
114 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:36:56 ID:/+KWVk4E0
どうやって曹操だと断定するんだ?
単に「曹操と同じ年代に生きてた人」だろ?
115 :
南米院 ◆ULzeEom5Pip0 :2009/12/29(火) 14:37:33 ID:u0GLdggE0
うそくせぇ〜なぁ〜んかうそくせぇ〜qqqqq
116 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:39:27 ID:JU5NiCk30
このころの中国人って名前が2文字なんだよな
今はほとんど3文字だけど
諸葛亮くらいなもんだろ?
117 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:39:30 ID:+dKxUsrq0
吉川英治三国志は、おそらく世界で最初に曹操をまともな人間に書いた
三国志演技:三国志を基にした歴史小説。
118 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:41:16 ID:rBCUX/pX0
>>113 同意
魏武王なんて書いてあるのに引っかかったら知力低いと思われるわな
120 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:45:23 ID:+dKxUsrq0
>>113 中国人が「曹操」の為に捏造する意味はあんまりないよ。
それに盗掘は玉とか壁画とかを持っていくのが主流で、今回も壁画は盗掘されたのを
取り返したもの
121 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:49:55 ID:URy9MC4V0
恋姫無双ってアニメ面白いな
122 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:56:17 ID:ERk3wMuz0
123 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:57:52 ID:DkbRndjE0
もう4スレ目かよw
日本人の三国志好きは異常だなw
>>111 ああ、なる程。(正史)三国志では無く、創作小説としての三国志演義に触れていたのか。納得した。
125 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:58:12 ID:KWrJxtN00
ならばよし!
126 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 14:59:58 ID:IUs1+xEw0
>>123 みんな口では悪態ついても
なんだかんだで半島や中国への憧れがあるんだよな
127 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:00:26 ID:TRDS77uf0
>>116 ボクトツコツとかいなかったか?
中国でも淳于瓊とか蒋義渠とか結構いたけど
日本人が作り出したファンタジー世界の三国志は好きだが
中国の現実の三国志は嫌い
だって嘘だらけで真実なんてないから
これも公明の子孫の村とかと同じ類いの話
わざわざ「魏武王」なんて書いた副葬品入れてたって事は
曹操は自分の墓を万博のタイムカプセルみたいに使って後世に漢末期の文化を伝えようとでもしてたのか?
当時は人口激減で中華文明崩壊の危機感もあったんだろうか?
130 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:02:42 ID:KWrJxtN00
江沢民は糞だが、中国は歴史があるから好きだ。
朝鮮は朴大統領以外は糞。
131 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:04:50 ID:Y39ubits0
来年は誰の墓(捏造)が見つかりますか?
132 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:05:04 ID:SRXRDm5l0
お前らはホント都合いいニュースは無条件で信じるのな。
三国時代の発掘ネタじゃなけりゃ捏造扱いしてるくせに。
133 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:09:17 ID:QsExEbzE0
>>116 人数が多くなって3文字が増えてきたのを、王莽が、復古主義で2字に戻したんだよ。
つか武王という贈り名は変だろ?
武帝あるいは、(武という皇帝に対する)贈り名がない、というのが普通だろ
歴史に忠実であろうと後世の人間がねつ造したから
武王なんて変な呼び名を付けちゃったんしょ
当時は新の大臣の王匡と反乱軍の頭目の王匡が戦ったくらいだからなあ
>>135 そういうこと書く前に
漢代以降魏晋南北朝期における皇帝と王の関係について少し調べたほうがいい
138 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:15:54 ID:QsExEbzE0
>>135 死んだときは魏王だからな。
魏が漢王朝を簒奪した後、曹操の墓を掘り返して、武帝の称号のものを埋めるほうが現実的ではないが。
>>105 そもそもいわゆる「三国志」の時代は歴史的に見れば重要じゃないんだよ。
中国史研究でも卒論ならともかく修論博論のレベルで
いわゆる「三国志」なんて選択したらちょっと問題がある。
まあ戦国時代にも同じことは言えるんだけどね。
うそつけー今更見つかるか〜〜?
>>138 武という贈り名は、魏が建国されて皇帝として曹操を扱うために
建国後生まれた名前
武帝ならともかく武王なんてついてるのは、歴史を知っている後世の人間が
「正解を入れた」から
>>27 中国にもまともな学者もいるんだな
まあ、慎重になって当然だ
大学で東洋史専攻してたけど、三国志が好きだからって卒論で取り扱うと詰むよ
人気のある時代だからこそ研究され尽くされていて、膨大な資料の中から新説を
探し出さなきゃならないし、とにかく剽窃を回避するだけでもえらく労力を要するし
だからといって軽んじられてる訳でもないよ
その時代時代に意味意義がある訳で
144 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:29:38 ID:QsExEbzE0
>>141 その理論で、なぜ「武帝ならともかく」となるのか分からん
145 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:34:35 ID:+dKxUsrq0
>>141 人気の無い曹操に、誰でも分かるような捏造をするわけがないんだよw
中国は掘れば遺跡が出てくるんだから。贈は武じゃん。
146 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:35:47 ID:HcKIaMpB0
>>28 そんな話出てた?日本のどこの大学の教授が現地に行っているの?
援助金だけのことじゃないのか?
文革でしんだ人の骨かなんかでしょ。
きっと死んだ人も本望だろうね。
148 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:40:10 ID:KdmVNEMA0
30代半ばだが人形劇→光栄の三国志→横山→吉川→正史→電子台のドラマ
と追ってきたかんじ。
>>116 司馬一族とか夏候一族が怒るでw
苗字が2文字 司馬、公孫、夏候、毌丘 皇甫、淳于、諸葛、太史
名前が2文字 (郭)攸之 (邢)道栄 (厳)白虎、(蒋)義渠、(武)安国、(呂)威曠
149 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:41:38 ID:HcKIaMpB0
>>120 これが捏造かどうかはわからんが捏造は中国人はお得意だよ。
地元に外国から金をひっぱってこれるよ。外国から金がくるとなったら現地の政府も乗っかる。
相手は、日本人や外人の観光客のため。
これがブームになったら観光客が来る。
中国人相手にするよりも金がもうかる日本人外人相手の捏造が中心。
150 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:44:07 ID:HcKIaMpB0
>>145 墓時代は捏造にしてはおおがかり過ぎる。捏造とはちょっと違うだろ。
墓はある。
だが、ここで問題にしているのは、
この墓が=曹操と断定されたってことなんだよね。
それは捏造じゃないのか?という疑問はダレでも持つから、
科学的鑑定をしてもらいたい。
151 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:46:40 ID:eUaXfMIA0
観光地化して、金銭巻き上げのアップを始めました
人形劇三国志で三国志にハマったよ。
みんなの嫌いなあの人も出てたけど。
武力91の表記も見つかり光栄の捏造と判明
155 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:49:42 ID:QsExEbzE0
アニメの三国志で、劉備が矢吹丈で、関羽がまるこじいちゃんの声優のやつを見たことがあるなw
156 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:54:54 ID:xWmf9VSU0
曹操は、戦乱の世で大きく輝く星のような生き方をした。
157 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:58:43 ID:/AYJ9s5U0
>1中国の考古学者や歴史学者らが鑑定した結果
orz
158 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:58:56 ID:rqDmCgo40
>捏造とか偽者が得意な国だからな
日本のゴッドハンドさんのこと?
159 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 15:59:58 ID:jXZCCoL00
陰茎に見えたとか言ってる奴はメクラレベルの弱視か漢字の読めない池沼。
160 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:01:07 ID:QQ1wH33N0
う さ ん く さ さ 1 0 0 %
君と余だ
は何回出た?
162 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:02:50 ID:XZE+K5Cj0
同じ時代のローマ軍とどっち強かったかな?
会戦ならローマ軍だろうけど、中国軍は会戦なんてやらんしなぁ
164 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:14:00 ID:uHdb5gYe0
たぶん埋葬を見たと証言をするおばあさんがたくさんいたんだろうなぁ
165 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:14:21 ID:92Wwr3bA0
>>162 同時代の呂布が戦争最強といわれてたのは
呂布擁する北方騎馬民族の騎射戦術が最強だったというお話がある。
ヨーロッパでもパルティア相手に苦戦しまくってるので
同じくらいかもしれんねw
戦い方が違うから戦場で大分違うと思うが単純に考えれば内乱状態の中国大陸よりは
ローマのほうが強いだろうとか思うなw。
ってことで戦術的に最強だったのは匈奴とか遊牧民っぽいよね。
胡散臭いっていってるやつらは掘ったって何もでない東京人のひがみなんかな
167 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:20:51 ID:QsExEbzE0
でも、呂布がのっていた馬って今のモンゴルで、かわれているような小さい馬だよね
それともアラブ産のやつがもう普及していたのかね。
168 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:25:49 ID:h0/34xQTO
赤兎馬
今回の発表だと科学的な鑑定結果が示されていないようだが
科学的な裏づけもなしに、特徴がその時代と一致するとかでは単なる状況証拠でしかないな。
壁画の顔料の成分分析とか地層とか築造技術とか発掘品の放射性元素測定による年代測定とか
本物でも偽者でもいいから、せっかくなので深いところまで踏み込んできちんと調査してほしいな。
偽者だったとしても当時作られたダミーのひとつなら、十分に価値はあると思うが。
夜中は、漢文まで引っ張り出してくるディープ過ぎるスレなのに、
昼間は普通にν+スレなのな。
171 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:43:36 ID:EVsF6pJu0
曹操とチャウチャウ 絵本化未定
172 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 16:55:06 ID:rBCUX/pX0
>>165 ドルジや白鵬が攻めてくるとは大変だわな
何でも荒らしまくる中国人が二千年も放置なんてありえないわwwwwwwwww
>>172 ああそうか、そういうことになるのか、
そうか、ドルジや白鵬が10万人単位でデカい馬に乗って怒涛の勢いで攻めてくる…
((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
日本の戦国時代は騎馬隊の騎馬は、戦地に着くまでの機動力なだけで
実際の戦闘は馬から降りて戦ったとか
三国志でも騎馬で一騎打ちとかあるけどやっぱ作り話なんかね
嗚呼・・・一騎打ちの話をふると・・・
>>176 日本は、土地が平坦じゃないので馬では戦闘不能であり、
林もあるから、「振り回し武器」が不利になってしまう部分が多い。
向こうはただだだっ広い。
>>178 だって馬狙えば一撃じゃん
一騎打ちならん
180 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:26:11 ID:ESuA2Hco0
>>162 中国のほうが強いだろう。
なんせ二世紀のローマ軍にはクロスボウがねえからな。
レギオン組んで突進したとしても、ピラムの射程の遥か外から、弩弓の斉射を浴びて壊滅するのがオチだろうぜ。
181 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:26:12 ID:jt959beb0
出かけて帰ってきたけどこのスレまだあって良かった。
曹操って「俺は周の文王であれば良い」って言ってたけど、
贈り名が武帝って言うのは面白いなあって思った。
あと曹操は「太祖」じゃなかったっけ。
結局曹操が禅譲を受けなかった理由はなんなの?
183 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:32:40 ID:77/56Ws10
支那の英雄を好む奴は反日売国奴だ。
三国志ヲタはマジで日本から消え失せろ。
中国で捏造が多いっていうのも中国のマスコミがやたら捏造するからなんだよな。
あっちの学者がほんとにそう言ったのかすら分からん。
185 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:38:21 ID:0Bb5Zbpq0
>>183 うるせえ!!BAKA野郎!!
だったらお前は二度と中華料理食うなよ。
186 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:40:01 ID:jt959beb0
>>182 ストレートに簒奪しようとした董卓が民心掌握できなかった
先例なんかを見てるからじゃないの?
>>183 貴方の御国の三国史記には英雄がいなくてくやしいのうくやしいのう。
てか公孫淵の乱の時の半島って惨め杉w
187 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:44:40 ID:6WaCRnEBP
>>150 史学的な(考古学的な)観点からしっかり本当に曹操のものなのか
検証せい、勇み足じゃねーのか?っていうのが問題なんだよね。
各国の学者を交えての研究・調査を待ちたいところ。
二言目には捏造、捏造と喚き散らす人が多いけど、学術的な方面から「こ
いつは偽物」と指摘できてるやつを見たことが無い。
それこそ、「中国だから〜に決まってる」レベルのことしか言ってないのが痛い。
曹操のものであるにせよ無いにせよ、また本物か偽造かにせよ、そういう
方面から考えるべきだよ。
188 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:48:28 ID:tZWSZKMT0
今後の調査待ちだな。いろいろな検査がされるだろうから。
日本でも太安万侶(一発で変換した)の時には、偽物説があった気がする。
189 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:50:19 ID:DMn7Gbrp0
190 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 19:51:54 ID:jt959beb0
>>187 捏造じゃないだろうけど、70個ダミーのお墓を作ったっていうのに、
これが本物って断定するのはどうなんだろうと思う。
他の69個のお墓は発見されたのか、それともそんなのは嘘っぱちで
最初から1個しか作ってなかったかってのが気になる。
あと、側室の墓は後から合葬したんだろうか。とすると、合葬されてるのは卞夫人?
それからやっぱ、魏武帝ってのはおかしいよねえ。
曹操の生存中と死んですぐはまだ禅譲してなかったんだから。
191 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:00:33 ID:QsExEbzE0
史書に、曹操の肉体的特長が書かれているなら(白骨化しても特定化できる歯とか骨折とか)断定できると思うんだけどね。
ただ、少なくとも、贈名が書かれている素材とか、壁画の染料とかの年代特定はやるだろうから、その後だろうね、捏造かどうかがわかるのは。
>>182 > 結局曹操が禅譲を受けなかった理由はなんなの?
んなん、誰も分からないけど、俺は、蒼天曹操のセリフが好きだな。
帝位を禅譲しようとした劉協に
「曹操の道は、人に畏れられ敬われることを目的とし、
万民に愛おしまれる生を生きてません。」
ってやつ。
>>3 調べてみたら毒餃子食って死んでたとかならありそうだな
194 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:15:01 ID:RZS2tmp30
>>81 えーw
徳川宗家もそうだけどこういう名家は国際結婚しないで欲しいのな
195 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:15:04 ID:slrw+r4P0
偽物っていう説の論点ってどうなの>詳しい人
196 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:17:34 ID:RZS2tmp30
>>27 >袁済喜副学院長、古美術鑑定家の馬未都氏
袁紹と馬騰の子孫だからいちゃもん付けてるだけじゃねぇだろなw
197 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:17:44 ID:slrw+r4P0
198 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:17:54 ID:jt959beb0
>>191 ハイ松之注の方には、背が低くて顔も小さい貧相な小男だったって書いてあるけど。
ハンカチを入れたカワイイポーチを持ち歩いててちょっとしたことで泣いちゃったり、
嬉しくて笑っちゃったりするから、ハンカチが手放せない草食系60歳。
つかだらだらと理屈並べなくてもDNA鑑定すれば曹操かどうかなんてすぐ分かるだろ
200 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:26:06 ID:QsExEbzE0
201 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:27:49 ID:6WaCRnEBP
>>190 どうも70いくつも墓を・・・というのは「悪辣な曹操ならやりかねん」的な
感じで、ある程度時代が下ってから出てきた話のようだし、ハッキリとは言えないみたいな。
魏王曹操は220年の正月に死んで、翌月に埋葬されている。で、曹丕が即位したのが10月。
だから「武王」というの自体は問題無さそう。
>>199 でも1800年も離れてて、しかも伝承レベルの子孫との鑑定に意味なんてあるのかな。
それよりもむしろ炭素法や当時の文物との比較検証を行った方がよほど有意義だと思う。
>>201 別に子孫じゃなくてもいいじゃん
あと指紋とかでも鑑定できるしさ
仮に俺が死んで骨が2000年後に見付かっても、
俺の住居調べれば指紋は分かるわけで
204 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:37:00 ID:QR2dIuZ40
205 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:39:24 ID:BwcCAqJd0
裏切りがなく、あのまま関羽が犯城を落としてたら
馬食のミスなくて孔明の北伐が成功してたら
蜀の王朝ってありえたのか?
曹操や曹叡は遷都を検討してたらしいが
曹操だけにウソウソ
ナンチャッテ
何だか疲れ目だったのか
スレタイの陵墓が陰茎に見えたわ
>>205 関羽の進撃のほうは、あり得た。
孔明のほうはあの辺りで勝っても、とても中原までは無理だろ。せいぜい長安を落とすくらいだな。
208 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:51:48 ID:77/56Ws10
三国志ヲタは自分が支那工作員であることをとっとと白状しろ。
そして日本から去ね。
209 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 20:55:18 ID:VCPGjwrx0
>>207 中原への出口である荊州を失ったのは大きいよな
ある意味で味方の呉に封じ込められたのと同じ
210 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:03:16 ID:rBCUX/pX0
>>190 曹操が本気で惚れてたのは陳美人だっけ王美人だっけ
そんなかんじの少々身分が低い無名の人だったと思う
あと曹チュウの母親の環夫人とかも愛してそう
211 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:04:08 ID:O6XiTrFi0
>>205 5虎将が揃っているうちに
孔明が軍師で劉備の親征だったら
一気に曹操を倒せたと思う
戦力が少ない軍が、小出しにするのは一番よくない
212 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:07:03 ID:rBCUX/pX0
>>198 ぎょー!元祖ハンカチ王子は曹操だった!?
どうでもいいけどハイしょうしのハイってペヨンジュンのペだよね
>>203 だから、確実に曹操のものという指紋やDNAが無い限り、鑑定なんかしても全く無意味だろ。
「何」と比べる気だよ。
215 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:16:50 ID:bojTpyfI0
無理無理
曹操がエンショウを倒した時点で、勝負は決まっているよ。
それほど、あの時点で、曹操の戦力は圧倒的だった。
演技よんでたら、あたかも、魏に呉・蜀が力をあわせて勝てるんじゃないかと思わせているけど
実際のところは・・・・単に責めにくく、うまみのない場所に割拠していたらから存続できていた話であってw
216 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:20:02 ID:oeq23+wR0
>>211 たとえ曹操>劉備でも
諸葛孔明>司馬イ
関羽>趙遼
趙飛>許チョ
趙雲>張コウ
馬長>夏候淳
黄中>夏候淵
だから勝てたな、私がシミュして何度やっても毎回統一できたし
217 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:22:05 ID:Vr6X6KlN0
鳳統が生きていたら歴史はかわっていたか
曹操って華琳様か
219 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:29:32 ID:dnvaA+cr0
ホウトウ・法正・孔明が揃っていればあるいわな。
法正が前線参謀でホウトウが本陣。孔明が後方支援。
曹操って日本で言う織田信長だな
221 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:34:16 ID:oeq23+wR0
嫌いじゃないけど法正はあんまり使えないよ
正史では定軍山は黄中の一人勝ちだと思う
>>219 > 法正が前線参謀でホウトウが本陣。孔明が後方支援。
陳平、張良、簫荷ってところだな。
軍事的には魏呉蜀になった時点で魏の勝ちが確定してたから、
呉蜀が勝つ流れはほぼありえない。
三国志を読むと、まともで凄い中国人もいたんだなと思う。
今の中国は中国4千年の歴史の恥だろ
鳳統ってそんな凄かったのかな。
正史を見る限りいまいち良く分からん。
>>224 今も凄い人は凄いよ。
というか今も三国志の時代と変わってなくて、
民衆がもうめちゃくちゃでまとめられないんだな。
227 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:44:32 ID:oeq23+wR0
諸葛孔明>ほう統>司馬イ>書く>陸損
228 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 21:49:28 ID:bojTpyfI0
>>224 中国のピークは、春秋・戦国時代だよ。あれは奇跡だな。
その後、唐、宋などの中興の次期はあったが、基本的には下り坂。
軍事力じゃなくて、文化面だけどね。
229 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:12:04 ID:OgMbTnOm0
まてまて、早まるな
これは孔明の罠だ
230 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:14:08 ID:5qf6itGs0
>>220 信長には曹操ほどの詩才はないし、
ドタマが悪いから殺された。
ホウトウの死は蜀とりの功績をあげられたら困る孔明が暗殺させたという説を何かでみたな
中国は唐までだな。
宋も好きだな、趙匡胤は一番好きな皇帝だ。李世民とか暗い部分が多いからな。
石刻遺訓を残した宋の太祖はすごいと思うよ。
233 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:23:55 ID:h0/34xQTO
信長と曹操の隠れた共通点
宗教問題と国家存亡がリンクしてて、その処理に追われた
戦国時代までの中国が輝いていたのは、群雄割拠だったから
近世以前の世界において「広くて大きい国」というと一見優れた大国のように思えるが
鈍重で競争がなく発展が妨げられるのが実際
優れた社会制度的な進歩は、小規模なヨーロッパや日本からしか生まれない
235 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:32:20 ID:3OWUYsbt0
>>230 信長が風流人として有名だったことも知らんのか…
236 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:40:24 ID:5qf6itGs0
>>235 信長だけの個性ではない。
風流を解することは、
戦国武将としての最低ラインの必須条件だった。
237 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:44:26 ID:3OWUYsbt0
>>236 いや風流でない戦国武将なんかいくらでもいる
戦国「大名」なら風流を解するのはある程度必須に近かったけどよ
それだったら三国時代だって風雅な奴なんていっくらでもいるぞ?
曹操も没個性だな
曹操は一般に信長に被せて見られることが多いけど
小男で女に関してガツガツしてて問題を起こす、
開けっぴろげに胸襟を開いて客人と接する
敵の降伏に寛容
といった点は秀吉とよく似てる
寡兵で大軍を破る戦で名戦はあるものの、大軍を率いて
あまり巧くなかった点なども、信長とは大きく違う
やれやれやっと規制解除か、JCOMとez両方やられるとは
>>180 テストゥドで突っ込めば済む話
180〜280年頃では中国の方が不利だよ。もちろん条件次第だろうけど
>>176 三国志に騎馬で一騎打ちなんて話はないよ
つか一騎打ち自体が希少
夏侯淵が前線の視察してただけで「迂闊な行為」と言われる世界だから
孫策が太史慈と殴り合いしたのがほぼ唯一の記述じゃないかな?
あとは孫権vsトラwとか
まったくこの兄弟は…
240 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:52:26 ID:wblxZmIJ0
>>225 ホウ統は荊州の豪族で且つ名士。諸葛亮は徐州から流れてきた名士。
劉備にとっては地盤という背景が無い諸葛亮に取り仕切らせたほうが都合がいい。
地盤があるやつに仕切らせると実権奪われる可能性があるから。
241 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:52:42 ID:BwcCAqJd0
>>231 曹操でも諦めた蜀入りしたんだから
才能はすごかったんだろう
不運な流れ矢で戦死しなかったら、魏もそのうち放蕩にやられてたよ
戦才と政治と人格なら光武帝=劉秀のほうが上かな。
243 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:55:37 ID:wblxZmIJ0
>>241 中国語の「流れ矢」は、流れる雨のように矢が振りそそぐこと、つまり一斉射撃の直撃をうけたってこと。
244 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:58:08 ID:nxUKUJKd0
シナは今も昔もトップ辺りにはいい人材はいる
底辺はしょぼい
日本は底辺最高
中大それなり
245 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 22:59:44 ID:kVTpCjxN0
>>244 あー、でも昨今のゆとり+日教組教育のせいで、底辺最高は崩れてるぞ。
日本は底辺最高っていうか人材が流出し難い環境だからじゃね?
卑弥呼の墓が見つかったとか、そんなレベルなんだろうな
248 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:04:44 ID:xYK1PaE3O
249 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:06:58 ID:eHzi4lGF0
>>223 それはない
歴史を紐解けばいくらでも逆転劇はある
250 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:07:34 ID:bojTpyfI0
>>242 それは、曹操に失礼だわw
劉秀は棚ぼただからな。
251 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:08:44 ID:HcKIaMpB0
>>201 本当に子孫がいるとか血こん保存とかなら、
DNA鑑定できるでしょ。まともな遺体なら髪の毛とか皮膚とかそれなりに残っている。
母親から受け継ぐDNAはずっと同じ配列があるから血縁ならかならずそれが一致する。
なぜか孔明の罠
253 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:09:44 ID:eHzi4lGF0
>>239 一騎打ちなら
呂布vs郭シ
馬超vs閻行がある。
後者は一騎打ちかどうかは微妙だが、おそらく一騎打ちだと思う。
254 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:11:28 ID:lWxKB/xD0
劉備なんか、実は大した奴じゃないんだよ
>>253 郭シのって結局引き止められて実現してなくない?
>>20 前の王朝を悪者化して徹底的に痕跡を抹消する支那と違って、
ローマは滅んだ後も敬意の対象だったから。
建物類は石やコンクリだったから残り易かったってのもある。
257 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:13:09 ID:eHzi4lGF0
>>255 郭シが劣勢になったのでその部下が止めに入った。
だから一騎打ち自体は実現してる。
258 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:13:46 ID:h0/34xQTO
だいたい天下三分の計は
漢王朝成立の際、劉邦が左遷させられた歴史に倣ってだしな
わからんのは北伐のときに
韓信に倣い、勇将に別働隊を預けなかった
ええ、魏延の話です
259 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:14:57 ID:3OWUYsbt0
>>239 呂布と郭シとかお忘れで?
探せばもうちょっとある
あと三国時代後期は中国史でも稀に見る武器性能が向上しまくってる時代
諸葛八陣のように野戦の真っ最中に防衛構造を作り上げるような怪しい戦術も開発されてる
(司馬懿がこれでボコられた)
言う程不利ではないよ
>>240 諸葛亮は荊州豪族の中枢に近い蔡氏と縁続きなんだが
もう少し血縁とかちゃんと調べてから話した方がいいよ?
260 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:15:00 ID:vzmGvJeC0
>>247 とっくに見つかってるだろ⇒箸墓古墳
でも宮内庁の陵墓参考地なので発掘できない。
261 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:16:27 ID:qciN2gYM0
観光振興のための捏造としか思えないよ。
262 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:17:05 ID:3OWUYsbt0
>>258 韓信の故事にならって別働隊云々じゃなくて韓信と同じように奇襲しようって案だぞ
んで奇襲には少数精鋭がいいから俺を別働させてくれ!ってのが魏延の提案
ごっちゃにすんなよ
264 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:19:11 ID:fX/7LUyp0
昔の人材採用基準だった、詩文の才能=政治の才能って
当たってるのかもな
少なくとも脳筋肉なゴリラが天下を取ったり、多大な貢献できた例はない
265 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:19:14 ID:3OWUYsbt0
>>263 人口と面積だけならな
経済力だと貨幣への信頼が失われて、また良質の貨幣も作れない魏と
良質の貨幣を発行できて、それぞれ独自の名産品がある呉蜀では結構いい勝負
266 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:19:59 ID:n2vhs/e40
>>256 ローマ帝国も似たようなもんだよ、芸術を愛した皇帝ネロに対して
次の王朝から放火魔のレッテル貼り付けられたのだから。
267 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:20:51 ID:g5PCCwO90
上、上、下、下、左、右、A,B
曹操!フルオプション!!
268 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:20:51 ID:eHzi4lGF0
>>256 前の王朝を悪者になんてしないよ。
自分の王朝の正当性を保つためには、自分たちが倒した王朝が正統だったとせねばならないから。
>>263 つ赤壁。
司馬懿が明帝期に死に、曹爽政権が続いてたら。
250年代、魏の淮南諸将が反乱した時に呉の政権が安定していたら。
魏の有利さなんてちょっとした政情不安でどうとでもなってしまう。
269 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:22:13 ID:wblxZmIJ0
>>259 それを知ってる上でいってるんだけど?
>>262 現実問題、別働隊率いないと奇襲できないんじゃね?
270 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:22:18 ID:bojTpyfI0
>>263 無理筋ってレベルだよな。
まあ、100%無理とはいわんが。
>>259 郭シの件は済まなんだ
>野戦の真っ最中に防衛構造を作り上げるような怪しい戦術
怪しい戦術ってゆうか、ローマ軍は普通にそれをやる。長江に橋を架ける可能性すらある
間違っても蜀のセン道みたいなショボイ道は作らない。ローマ街道作ってから攻め込む。
兵站で圧倒的優位に立ってから勝つまでねちっこく戦う。会戦自体マルプルス戦法で
中国より長時間戦えるしな
アレシアで戦う陸抗とか西陵で戦うカエサルとか、赤壁で戦うデキムス・ブルータスってのも
見てみたいが
272 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:26:27 ID:h0/34xQTO
>>262 文章がごっちゃでよくわからんが
それのどこが問題なんだろ
伏兵戦こそ少数が多を圧する唯一の手段で韓信に倣おうで来てるのに
本番で反対するのがわからん
北伐は恒例のピクニックか?
273 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:27:52 ID:ImnoZgsQ0
>>261 韓国なら99.99999%捏造といっていいけど、中国政府がそんなことするかね?
韓国と違って歴史と遺跡が腐るほどある国なんだから曹操程度で国家ぐるみの
捏造なんてする必要が無い。
どっかの詐欺師が金儲けのために仕掛けたネタなら、いかにも中国という感じでは
あるが。
>>266 ありゃキリスト教徒どものせいだ
ただまぁ、皇帝に対する最大の刑罰ってのが「記録抹殺刑」ってお国柄だから
ベクトルとしては同意
275 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:29:02 ID:wblxZmIJ0
鮮卑 匈奴 烏丸
羌 魏
蜀 呉
南蛮 山越
三国の外まで見ると結構魏もやばかった。
276 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:30:10 ID:eHzi4lGF0
魏は異民族に勝利しまくってるだろ
277 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:31:57 ID:3OWUYsbt0
>>268 曹爽は別に無能だったわけでもないし悪逆だったわけでもない
続いてたって全く問題ない
むしろ魏終盤の政情不安は司馬氏の台頭によるもんだぞ?
お前さんの言う淮南諸侯(任地の権限で動いてるだけの奴を諸侯っていうかは結構疑問だが)が反乱するのは
常に司馬氏との反目が基本にある
曹爽政権が長持ちしてた方が有利だと俺は思う
>>269 諸葛亮は徐州からの流れ者だが荊州に根を張ってそこで豪族の連帯に参加してたし
仲間内で名士としての地位も固めつつあった
ホウ統と条件的にはほとんど変わらない(むしろ勢族に近いのは諸葛亮)
にも関わらずホウ統では乗っ取られるとかマジ意味不明
韓信だって奇襲に別働隊使ったわけではないんだが…
韓信の故事というか楚漢抗争期についての知識が心配だ
>>272 魏延は少数別働隊で韓信の通ったルートでの奇襲
一方韓信は状況の差もあることながら、大軍で一気に攻めた
韓信に倣うなら大軍の別働隊を預けるんだよ?
この差がわからないかな
278 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:35:00 ID:bojTpyfI0
>>275 まあ、呉、蜀が魏に勝てるとしたら、異民族を使うしかないんだろうけどな。
彼らの思惑や、情報伝達、兵站からして、無理だろ。
279 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:35:26 ID:p1RyqzGR0
>>251 釣り狙いか?
変異の少ないミトコンドリアDNAはほぼ母親からしか受け継がれない。
ミトコンドリアDNAで同定できるのは、
曹操の母親、母親の祖母などと血縁関係があった人。
曹操自身ののミトコンドリアDNAは、実子の曹丕でさえ受け継いではいない。
280 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:37:07 ID:JFZw+w2zO
シナとイモの良きものは土中に埋まってる
演技とかの話が多すぎる気がするんだけど、正史三国志を読んだ事のある人はおらんのか?
若しくは中国史を勉強してた奴とか
蜀の五虎将とかも後の物語の中で作られた人物像で、黄忠なんかは蜀志じゃろくに登場してこないよ
国力でみれば魏>呉>蜀で武将の質もこんな感じでしょ
とりあえず、この話を聞いた時点で当時の魏の国力考えれば、こんな適当な墓な訳無いとは思ったんだけど・・・
282 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:38:04 ID:h0/34xQTO
歴史が完全に一致することはないから、ある程度応用と機敏さはいるだろ
第一、蜀に大軍がないことを気遣かってるぐらいじゃないの?
奇襲に成功したら後から落ち合うと申し出てるぐらいだし魏延
283 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:38:25 ID:3OWUYsbt0
>>275 匈奴は分裂、鮮卑は内ゲバ、烏丸に至っちゃフルボッコ
劉備の親友・元配下だった田豫が北方の民族を謀略で引っ掻き回してたりして
魏はその図程危うい感じはしないがね
>>278 諸葛亮は軻比能を上手く使ったし、姜維は羌人から補給を受けたりしてたが
それでも勝てなかった
284 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:38:40 ID:ELFX2Nd9O
そうそう
>>281 というか中国史専攻で三国志は半ばタブーだろ。
286 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:41:48 ID:bojTpyfI0
>>283 俺がいいたいのは、異民族をたばねる総帥みたいなものをおいて
一気呵成に魏を攻めて立てるぐらいでなければ、魏に立ち向かうことはできなったってことだよ。
それほどまで、魏は他国を圧倒していた。
遺跡のスレかと思ったら何だこのスレはw
。陝西省当局が2007年秋、「野生の華南トラを43年ぶりに発見」として発表した写真が、実は偽物だった例を引き合いに、
「地元当局が観光客を誘致するためにつくった墓ではないか」との声すらある。
これ猫だと思って拾ったのがってやつだが偽者だったのか
> 呉蜀が勝つ流れはほぼありえない。
これ太平洋戦争の日本と同じで
最初から勝ちを作り出すことが難しく、短期決戦で暴れて講和と似てるな
290 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:46:28 ID:wblxZmIJ0
>.>289
太平洋戦争に比べれば蜀が魏に勝てる可能性の方が遥かに高いと思うぞ。
三国志よりも曹操と袁紹の戦いの方が興味深いけど、
それはあんまり残ってないんだっけ?
292 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:47:33 ID:fX/7LUyp0
>>281 三国志の作者である陳寿の父である陳式が孔明に処刑され
自分は孔明の子に疎まれたから恨みで蜀をデタラメに書いた
本当は演義のほうが正しく伝えている
>>281 黄忠はまだ夏侯淵に勝ったとか、後将軍のエピソードあるけど
趙雲に至っては・・・派手なエピソードは別伝ばかり。
吉川三國志読んで趙雲ファンになった俺は、正史読んでショックを受けた。
294 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:48:35 ID:eHzi4lGF0
>>277 >曹爽は別に無能だったわけでもないし悪逆だったわけでもない
>続いてたって全く問題ない
ねーよww
それと俺は諸侯なんて言ってないから。
批判するならちゃんと読めよ。
魏は幼帝が立った時点で枷をつけたようなもの。
魏の人口領土のアドバンテージなど政情不安で簡単に失われる。
> 魏>呉>蜀
6:3:1なんだよ
不等号以上の開き
> 当時の文物との比較検証を行った方がよほど有意義だと思う。
あの石版の文字は楷書以前の隷書だよな。まぁあれくらい捏造しようと思えばできるだろ。
296 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:49:30 ID:0mMnT14X0
一瞬、「曹操の陰茎発見」と読み間違え、その後に
「曹操の恥骨も出土」←ここまで無理に読んでみた。
そんなやつも結構いるはず。
>>286 当時の通信技術ではまともな連携作戦は取れないよ
陸遜と諸葛亮が同時侵攻を試みたことがあったけれど、結局うまくいかなかった
>>290 呉ならともかく蜀はないわ…
298 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:50:55 ID:IqEXXKKQ0
>>290 国力的には太平洋戦争時の日米の差なんて比較にならないくらい
開いていた(10倍だっけ?)って聞いたけど
たしか北魏のちょうもうりゅうひでさえ
現物の保存状態が非常に悪いという
もしあの石版が当時のものであったなら
それはそれで基調なもんだけどな
300 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:51:19 ID:3OWUYsbt0
>>281 正史読んでるなら曹操の墓は粗末なものの可能性もあることくらいわかるだろ
>>282 実際、魏延の判断のまずさは曹叡の行動で証明されてるんだがな
数千程度で奇襲して長安落としたって、曹叡が連れて来る数万相手じゃどうにもならん
しかも長安は大城で少数で守るには向かない
曹叡の到着も異常な程早くて、春に北伐があったと聞いたら4月には到着してる
魏延案では仮に長安奪取して諸葛亮が合流したとしても後背をちゃんと確保できないまま諸葛亮本体が孤立する
史実以上の成果が望めるかと言えば怪しい
301 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:52:00 ID:bojTpyfI0
302 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:53:12 ID:h0/34xQTO
たぶん孔明の狙いは北伐をすることで呉を始め各国が立ち上がる
という宣伝効果を狙ってなんだろうけど
諸国に見透かされてる感じ
303 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:53:22 ID:W+k10C3w0
治世のニートも乱世なら奸雄に成れたかもな
304 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:54:27 ID:wblxZmIJ0
>>297 北伐ができた蜀漢に比べて呉は北伐さえままならない。一回やったら国が崩壊しかけただろ。
305 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:55:25 ID:eHzi4lGF0
>>304 呉は盛んに北伐してるぞ
どれだけ本気かは別にして、数は物凄い
306 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:56:49 ID:wblxZmIJ0
>>305 いやぁ・・デモンストレーションでしょ。まじめにやった北伐は241年の1回だけ。その結果戦争中に皇太子は死ぬわ、
戦後の論功行賞を巡って派閥争いに発展して陸遜まで失脚するわ散々だったじゃない。
307 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:57:59 ID:3OWUYsbt0
>>294 ああ、諸侯じゃなくて諸将ってちゃんと書いてあったな
そこは読み間違えたわ、悪いな
曹爽が無能だって事にしとかないと司馬懿のクーデターがただの悪辣な政争になっちまうから
晋時代に曹爽を有能ってことにできないだけ
実際には司馬懿をきっちり追い落として権力固めてるそれなりの辣腕
クーデター後の醜態を無能の証明にする人もいるが、
曹爽はクーデターの真っ最中という異様な状況の一瞬で判断を保留した
司馬懿はもっと上手で一気に、強引にぶっ殺したという状況で殊更無能ってわけではない
曹爽政権の方が司馬氏政権よりもまだ安定するよ
幼帝だろうと何だろうと、実権掌握してるのが同じ曹氏なんだし
後半の反乱祭みたいなことにはなりにくいだろ
308 :
名無しさん@十周年:2009/12/29(火) 23:59:41 ID:eHzi4lGF0
>その結果戦争中に皇太子は死ぬわ
これは関係ないだろw
>戦後の論功行賞を巡って派閥争いに発展して陸遜まで失脚するわ散々だったじゃない。
伏線にはなったけど、主たる原因は二宮の変なわけで、北伐のせいじゃない。
309 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:00:13 ID:I0Tl6RGd0
>>302 狙ってるわけではないよ
その証左としてどの作戦も単体で成功が見込めるものばかりだから
運が悪かったり、相手がちゃんと対応できたりしたので防がれはしたがね
310 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:01:59 ID:IJOrxjLX0
>>307 太傅に祭り上げられたのは演義の話。実際は呉の諸葛恪と同じで軍権のある太傅。
曹爽一派が昇進するのにあわせて司馬師、司馬昭も同時期に昇進しているのだから、抑え込みには失敗しているし、
そもそも抑えこもうとさえしていないように見える。それだけ司馬懿と曹爽の関係はうまく行っていたんだよ。
曹爽の目論見が外れたのは、司馬懿が司馬師に実権を奪われる可能性を考慮しなかったことだな。
311 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:03:05 ID:HoCWIhf/0
曹操が脳のオペして成功する確率は高かったのかえ?
当時の医療技術じゃ無理だと思うが
312 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:03:16 ID:J1mCFPMUO
つまりね、孔明は宣伝戦なんだな、そういう軍師なんだよ
魏延はヒットアンドウェイ戦術を取ろうと、そういう戦巧もあげてる将軍
うまくすれば、よい軍略もありえた
事実、孔明は魏延の将軍職を一度も解いてない
蜀軍内部の政治的な何かだよ
ネトウヨに限って三国志に詳しいのは滑稽
まあ大方ゲームからの知識だろうがなw
314 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:04:48 ID:MKLrKhSU0
中国は(・ω・)曹操チョコレートとか出すんだろうな・・・。
315 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:05:07 ID:IJOrxjLX0
>>311 紀元前2600年のメソポタミア(ギルガメシュ王の頃)には脳に穴あけて手術した骨が残っているから、
当時の中国人がメソポタミアの知識を輸入していたらありえなくも無いけど、まぁ無いなw
316 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:06:49 ID:li9+WSzf0
>>307 >曹爽が無能だって事にしとかないと司馬懿のクーデターがただの悪辣な政争になっちまうから
>晋時代に曹爽を有能ってことにできないだけ
これはお前の思い込みであって証拠がないからな。
三国志読んでも晋書読んでも曹爽は十分無能。
何晏はそこそこ有能だとは思うが。
>実際には司馬懿をきっちり追い落として権力固めてるそれなりの辣腕
失敗したからクーデター起こされたわけで。
>幼帝だろうと何だろうと、実権掌握してるのが同じ曹氏なんだし
250年代の呉を見ればそんなことは言えないはず。
司馬兄弟が実権を握るより、曹芳-曹爽-夏侯玄ラインあたりの方がよっぽどくみしやすいよ。
曹爽に征蜀が出来たとは思えないね。
曹操の死因って脳腫瘍かなんかだったの?
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ こ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ つ │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
319 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:08:14 ID:I0Tl6RGd0
>>310 司馬兄弟を放逐したわけでもないし、完全な閑職に追いやったら完全な敵対でしょ
曹爽は司馬懿を緩やかに、それでいてきっちり追い落として実権は自分が握ってる
だからこそ、曹爽は一連のクーデターの中で自分が殺される状況になってるとは気付けない
自分がそこまで司馬一門に対して敵対してるとは考えてないからね
政権からは追い落とされるが命は助かるだろう、と判断するのは自然
320 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:08:25 ID:TzR/ka4A0
横山三国志読んで登場人物かっこいいなあと思ったり、ロマンを馳せたりしたけど
黄巾の乱から晋の統一までで、中国の人口10分の1になったんだってね。
漫画のキラキラした世界からは想像もできない地獄だったってことじゃん。
「大坂夏の陣図屏風」やら、第二次世界大戦の満州・東南アジア戦線・沖縄戦・
ベルリン陥落の日やら、ルワンダ内戦の話やらのイメージしかわかなくなった。
三国志9とかやってても、「この時代は人権意識なんてなかったろうから、
このワーワー言って砂煙が起きてる中で、捕虜の虐殺や近くの集落で
略奪やら集団レイプやら奴隷狩りが行われてるんだ…」と思って
子供の頃のように純粋に楽しめなくなりました。
321 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:11:08 ID:li9+WSzf0
>>320 戸籍が把握する人口が10分の1になっただけ。
豪族が囲い込んだり、民が山野に逃散すれば、正確な人口把握は出来なくなる。
322 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:11:45 ID:JMDi0g320
>>27 >「曹操の墓」発掘調査チームの潘偉斌隊長は、袁・馬両氏の質問には答えたくいないと述べた。
曹操 「おのれ、袁紹と馬超の子孫か! いまだに余の邪魔をするとは。」
曹操って、自分のお墓のダミーを、たくさん作ったんじゃなかったっけ。
確率からいって、ダミーに当たった気がする。
324 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:13:12 ID:I0Tl6RGd0
>>316 智謀に優れた桓範なんかの有能な取り巻きもいるし曹爽がダメってのはどうかと
曹爽には読み切れなかったが桓範は情勢を的確に読み切って反撃を訴えたし
司馬懿はきっちりと政権中枢から追い出してるだろ
半端なように見えるのはそこまで明確な追い落としじゃなくて自然な世代交代の演出だ
むしろここから武力に訴えて権力奪うような真似したら曹爽が周囲から逆賊扱いされちまうよ?
325 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:15:58 ID:PPZ8z/Vi0
>>316 その残ってる史書自体が信用するに値するかということじゃないのか?
本物であっても内容が当時の為政者の都合の良い様に脚色されているとか。
実際中国ってそんな国だろ?
326 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:16:51 ID:TzR/ka4A0
あと演技では劉備一派が裸一貫からのし上がって、孔明ともども身分へだてなく
みんな仲良くやっていく一方で、曹操は鳩山みたいな金持ち腐れ極悪貴族
みたいな書き方だったけど、実際は曹操は実力主義者だったらしいし、
魏のほうが九品官人法みたいに高校の世界史の教科書にのるくらい
画期的なことやったりしてんじゃん。
むしろ蜀のほうが荊州族vs地元族みたいな露骨な派閥があって、
蜀時代は不遇を受けてた武将が晋の呉侵攻時大活躍みたいな。
人材いなかったんじゃねえのかよっていう。そのあたりも夢をぶちこわされたなあ。
327 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:19:07 ID:1YuiNSRG0
魏延案の別働隊が子午谷から長安奪取が無謀というのは素人
別働隊が関中への急襲は、漢楚時代からの定石だしな
韓信も陳倉道からだけど、それを章邯相手にやってのけたんだし
それより何より守将が、あの夏侯楙ということを忘れてるなw
328 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:24:35 ID:TzR/ka4A0
>>143 高校で世界史選択して、「三国時代の勉強できる、漫画もゲームも制覇した俺なら
テストしようもんなら満点だぜ!」とワクワクしたけど、授業ではさらっと終わった…
受験項目的には曹植の扱いのほうが親父より大きかったことと(劉備・孔明は一切無しwww)、
「竹林の7賢」でゲームでしか出てこないマイナーな武将がいたことと、
それこそ演技では一切描写が無い魏志倭人伝の話位だった。
「えっ、文芸が盛んな時代だったってことですか」っていう。
329 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:25:10 ID:I0Tl6RGd0
書き忘れたが史実の司馬懿の扱いですら、周囲には曹爽の独裁体制に危惧を抱いた人がかなりの人数現れた
司馬懿を完全にハブって軍権を奪い、息子たちまでも放逐するならば
それこそ正史の司馬氏政権よりも遥かに多数の反乱に見舞われるだろう
>>326 あの時代、どこもそれなりに実力主義だよ
でも実力+コネというのもまた事実
劉備は各地で有能な人間をヘッドハンティングして建国までこぎついたし
孫権は名門ではないから子飼いの軍人を大事にしないと地位が危ない
>>327 長安落とすまでの成功率云々は置いとく
仮に成功しても曹叡の急行をどう止めるんだ?って話
時間的余裕が無さ過ぎるんだよ
331 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:33:59 ID:TzR/ka4A0
孔明没から晋統一まで50年くらい時間があんのに、一気に夢無くなったよね。
蜀の崩壊に向けての一直線っぷりとか、魏や呉の内ゲバとか。
陸孫が権力争いに巻き込まれて、左遷先で死亡って、どこの出世争いに敗れた
大手企業サラリーマンだよっていうwww
結局晋統一後も異民族侵攻ですぐに滅びてるしwww
そりゃ漫画にもならねえよwww
332 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:34:41 ID:li9+WSzf0
>>326 >魏のほうが九品官人法みたいに高校の世界史の教科書にのるくらい
>画期的なことやったりしてんじゃん。
高校世界史が官僚選抜制度や税制の変遷を扱うから教科書に載るだけ。
九品官人法は曹操死後の制度だし、実力主義ではなくコネが蔓延した制度なので
当時ですら批判があった。
>むしろ蜀のほうが荊州族vs地元族みたいな露骨な派閥があって、
こんなもんはないよ。
>蜀時代は不遇を受けてた武将が晋の呉侵攻時大活躍みたいな。
こんなもんはないよ。
呉征伐で活躍した何攀や李毅、羅尚は世代的に蜀には間に合わなかっただけ。
>>329 長安保てなくても、その間に朧西を完全に確保できれば十分じゃないか?
>>327 煽りじゃなく純粋に質問なのだが、夏侯楙ってそんなに無能なの?
魏延が言っている以外には、何も夏侯楙に関する情報知らないので。
334 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:35:00 ID:J1mCFPMUO
別に一回撤退してもいいんだよ、魏延はそのくらいの臨機応変はできる
問題は一度でも都を落とすor攻めたという事実
ここまでしないと諸国は立たんよ
魏延は孔明に気づかってたと思うんだけどなぁ
何度、孔明のためにしんがり務めたか
335 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:36:50 ID:ZvNeEDJn0
あんな可愛くてツインテールでツンデレで頭のいい子が
こんな簡単に発見できると思ってんの?
336 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:41:56 ID:4lMXiH2a0
>>331 孔明が北伐したおかげで魏は異民族を国内に引きこまなくてはならなくなり(国外においておくと蜀にとられるから)
それが永嘉での乱で漢民族殺戮という結果に繋がって300年間中国は戦乱に明け暮れて
隋唐宋元と続く異民族国家になるわけだから中国から漢民族を消し去ったという功績が諸葛亮には残っている。
337 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:44:44 ID:I0Tl6RGd0
>>330 それは司馬懿による州大中正設置後の話だな
俗に九品中正法と呼ばれるようになってからの状態
九品官人法は後漢の時に郷挙里選によって地元実力者からの人事権を奪取する法律
貴族の身分固定じゃなくてむしろ豪族の利権を切り崩す法律
しかしそのせいで中正官の権限が強くなり過ぎているので改善の必要ありと言われてた
その法律を司馬懿はもっと権限強くして既得権益層の権益強化
これが貴族層の形成を促した
>>332 その朧西が確保できるもんか?、という話
史実よりも本体が東に移動する可能性が高いので朧以西の諸都市は史実よりも抑えが効かない
となると徐バク、游楚たちだけでなく他の連中も頑強な抵抗をするだろうし
長安奪取に失敗するとゲームオーバー、しかも史実よりも孤立した状態で
危険
338 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:45:31 ID:gN5DpCwR0
魏延の策ってある意味で正攻法な
いわゆる「明修桟道 暗渡陳倉」だし
ずいぶんと無知な連中に貶められた評価だな
あと、長安をおとした後に曹叡の軍をどうするじゃなく
まず陥落させないと、洛陽なり許昌への道筋は立たないんだし
>>331 つか、赤壁の時に孫権がおとなしく降伏していれば、余程のことがない限り
魏の天下統一で平和な世の中が訪れました。めでたしめでたし。
っていうのは禁句なのか・・・
裴松之は張昭伝で言っちゃっているけど。
340 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:52:13 ID:J1mCFPMUO
日本なんか当時は倭か
魏国のおかげで公孫淵が倒されて魏国さまさまだもんな
341 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 00:53:13 ID:I0Tl6RGd0
>>338 いや、後世的な視点で見るなら完全な失敗だろ
曹叡の決断が早過ぎて正確過ぎるんだよ
曲りなりにも魏延だって漢中太守だから周辺民族方々への根回しはしてるだろうけど
それでも曹叡率いる援軍の存在を考えると無理が過ぎる
史実の諸葛亮の策ですら大博打なのに
出ている情報を判断するにそれをさらに下回る勝算の作戦を正攻法だのまともだの言う奴は何考えてんだか
342 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:01:55 ID:gN5DpCwR0
>>341 どのみち中原に出る足がかりな関中の拠点である
長安は避けて通れないんだし
孔明率いる主力が地道に地歩を固めながらたどり着いた長安に籠もる
曹叡本軍と対峙するのはますます可能性が低くなるな
兵力及び、地の利がない場合は電撃戦しか活路を見出せないのは常識
343 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:08:29 ID:dxGeyV2a0
日本をあずま夷扱いしている三国志などを有り難がっている
反日売国奴どもよ。今すぐ日本から消え失せろ。
344 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:09:25 ID:J1mCFPMUO
でもまぁ、背水の陣や水攻めで撃ち破った国士無双の逸話があるから
魏延にも策があったと
見たかったような
少なくとも無策じゃない気がする
345 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:11:55 ID:I0Tl6RGd0
>>342 諸葛亮は涼州を制圧して長安以西をきっちり切り取ろうとしてる
長安だけ取ったって孤立するだけで活路なんか見出せるとでも思ってんの?
曹叡は諸葛亮の軍事行動が起こってから1ヶ月くらいでもう数万率いて長安まで来てる
こんな超スピードで移動して来る軍勢相手だと諸葛亮本軍ですら長安入りして体勢整うかすら怪しいんだが
どうやって鑑定するんだか聞いてみたいもんだ
>>341 もちろん危険な策ではあるが、正攻法で勝てないなら奇策を用いないと。
戦は正を以って合し、奇を以って勝つ、だよ。
弱者が、相手の予想の範囲内の正攻法を採っても、
普通に消耗戦で負けるだけ。
関中に全滅覚悟の特攻隊を乱入させて、略奪放火をしまくれば、
救援軍の兵站に負担をかけて反撃を遅らせることができる。
そうすれば、涼州を完全に魏から切り離せるかもしれん。
もっとも、諸葛亮が、10万の兵力を山越え含む2百キロの遠征で維持し、
5度も撤退に成功したというのは戦史上の偉業で、
それ自体ハイリスクな作戦だったとはいえる。
牟田口第十五軍なら5回全滅してるところだ。
348 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:14:48 ID:TzR/ka4A0
>>321 とはいえ、戸籍がよくわかんなくなったっていうのも、
裏を返せば中央政権・国力が落ちたってことでしょ。
疫病や飢饉は何度も起こったらしいし、サバ読んでるとはいえ、
万人単位での戦争が絶え間なくおこっていたし。
結局異民族の侵攻を防げなかったのも、八王の乱やら豪族間の軋轢のほかに
国力が落ちまくってたからっていうのもあるし。
少なくとも人権なかったのは間違いないでしょ。
呉がどうも日本で奴隷狩りしたんじゃないかっていうwww
>>332 運営がクソだったとはいえ、本来の目的は人事を公平にするところに
あったわけで、それを初めて制度化しようとするなんて当時としては
画期的だったことは間違いないんじゃないの?
蜀が何かやったんですかっていう。法正が蜀建国後、過去の政敵を粛清
していったとか、たいして功績のない馬ショクがやたら出世したとか、
劉禅・黄皓のブラック人事っぷりとかロクな話きかないんですけど。
それとも、それとも、実際の三国時代も漫画の通り、ロマンあふれる世界で、
大変だったとはいえ、みんな充実して過ごせた世界だったんですか…?
趙雲のかっこよさにあこがれた、少年時代のあの頃に俺もどってもいいんですか…
349 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:16:57 ID:gN5DpCwR0
>>344 第二次大戦の真珠湾攻撃と同じで
ちんたら太平洋の島々を一つずつ攻略していってたら
絶対にハワイの太平洋艦隊にあれほどの打撃なんて与えれない
圧倒的に国力や軍事力が劣る立場で
消耗戦覚悟な正面からの真正直な攻撃なんて愚の骨頂
350 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:17:55 ID:PjNvhfAo0
351 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:19:32 ID:I0Tl6RGd0
>>347 関中は取ったら取ったでちゃんと統治しなければならない土地なのに
そんな戦術取ったらダメじゃね?
史実の諸葛亮の囮で敵本体との交戦を避けつつ
別働隊で涼州各地を抑えて行くものなのに
敵本体どころか援軍とまでガチしないといけない作戦は無理だろ…
>>348 40過ぎたおっさんが、馬上で得物片手にバッタバッタと敵をなぎ倒す
そんな画に夢中になるのは小学生で卒業で構わないと思うけど
353 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:22:08 ID:J1mCFPMUO
だから国士無双と同じで勝ちが確定したら来てよじゃないか
兵力は温存すればいい
事実、孔明も北伐軍を一部屯田兵にしようとしてるし
魏延、自ら陽動作戦の別働隊になろうとしてる
むしろ逆で蜀軍で頼りなる武将は魏延一人で
側にいないと不安だったの孔明だったりして
354 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:22:14 ID:I0Tl6RGd0
355 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:25:34 ID:gN5DpCwR0
>>351 論点がずれてるな
孔明が出師の表で言ってる通り危急存亡の秋で
北伐は蜀の存続を賭けた戦なんだよ
だから無茶は重々承知だろ?
やらなきゃ、いずれやられるのは明白なんだし
そこで乾坤一擲でなく、眠たい戦略なほうがどうかしてる
356 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:25:57 ID:I0Tl6RGd0
>>353 北伐では大体5万から10万くらいの動員をしてたようだけど
5万の中の5000とかそれ温存したことにならんて…
357 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:27:19 ID:PjNvhfAo0
>>354 趙雲も漢中で曹操相手にやってたな。
あいつらはおかしいw
358 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:28:07 ID:7QoxAtbG0
359 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:28:12 ID:TzR/ka4A0
>>350 ×建国後
○入蜀後
>>339 天下取りなんぞにじたばたせずに、すんなり豊臣に降伏した
独眼竜を見習えよってなwww
360 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:28:23 ID:I0Tl6RGd0
>>355 諸葛亮の戦略のどこが眠たいんだ?
長安取るぞ取るぞと見せかけて長安より西側は全部取っちまおうって策なんだが
乾坤一擲で長安だけ取って曹叡率いる軍勢を相手してもな
魏延案は長安取ろうぜ、だし危険度が段違い
361 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:31:27 ID:J1mCFPMUO
屯田兵と温存兵と偵察隊と別働隊はとりあえず分けて
ここで孔明の用兵が見たかったなぁ
>>357 そういうのって、個人の武勇じゃなくて部隊の戦闘なんだけど
フィクションになれると、武将はみんな20代のイメージで
馬を競馬の騎手以上にうまく御して、手綱はどっかほっといて
得物を不安定な馬上で平地以上に操ることができるんだよな
363 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:35:00 ID:gN5DpCwR0
>>360 ぶっちゃけ関中抑えれば、隴西勢力は中央と遮断できるから
ほっといていいしな
そもそも、戦略にそんなに時間かけるほど余裕あるなら
北伐なんてしねえだろ?
364 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:36:25 ID:I0Tl6RGd0
>>361 司馬懿との直接対決で十分見せてくれてるよ
甲首3000諸々を奪ったりしてる
>>362 呂布の場合、部隊っちゃ部隊だけど数十人で数万人の立て篭もる要塞に特攻して
毎日首を数十個取ってたとあるし
別世界の住人
陰茎発見に見えたのは俺だけじゃないはず
>>362 フィクションなら赤龍王の項羽が大好きですw
367 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:40:43 ID:PPsZJYvq0
>>359 ほぼ同意見だけど、
何故か劉禅にだけは一言物申したい。
最終的に降伏はしょうがない状況にしても。
どの辺に違いがあるんだろうね?
368 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:40:45 ID:I0Tl6RGd0
>>363 ほっといたらだめだから
史実でも遮断したって頑強な抵抗あったし長安よりに本隊が移動すると西側はより抑え難くなる
西側が安全か交戦する可能性のある地域かでは長安の安全性は全く違う
西側が不安定だと長安を蜀が抑えても南に立ちはだかる山脈のせいで孤立する
古代の徒歩中心の移動において山脈ってのは時間食うんだよ
369 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:41:20 ID:PjNvhfAo0
>>362 現に趙雲も呂布もわずかな手勢で数万人規模を手玉に取ってるから問題なんだがw
せめて史書を読んでから書けと。
吉川三国志のせいで張コウが実際死んだのはいつなのかよーわからん
371 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:44:09 ID:I0Tl6RGd0
>>370 北伐で諸葛亮の撤退に追撃したら反撃食らって死んだのが実際の死
372 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:44:17 ID:PjNvhfAo0
>>370 確か去年865人目が鉱山事故で死んだんじゃなかったか?
>>370 確か三回くらい死んでるんじゃなかったけ?
374 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:45:31 ID:TzR/ka4A0
>>367 独眼竜…間違いなく才気にあふれる人物で結果も残している。
現代にも通じるイケメンで、(一部の)女性の間で静かなブームになっている。
劉禅w…井戸から助け出した期待を裏切った。
375 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:46:35 ID:I0Tl6RGd0
376 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:47:02 ID:J1mCFPMUO
攻め手のときの用兵はなく
撤退戦ばっかりじゃなぁ
何してん?感じか否めない
377 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:47:08 ID:gN5DpCwR0
とりあえず、逆に蜀が攻略された過程を振り返るべきだな
別働隊として成都を落としたケ艾の進軍ルートは
魏延がたどったであろう子午谷よか数段悪条件だったし
劉禅がヘタレなのも、もちろんあるが
圧倒的優位な立場でもああいう戦略なんだからな
蜀が取るべき戦略として、あんな眠たい戦略じゃハナから無理だったわ
378 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:49:19 ID:J1mCFPMUO
だよな
379 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:50:37 ID:TzR/ka4A0
ケ艾とかショウカイとか、やたらおしゃれなんだけど、
あの時代の武将はみんな着飾ってたの?
あとケ艾の帽子はオリエンタルっぽいんだけど、
やっぱアラブとかローマとかから影響受けてんの?
>>373 そう。高校生のころ読んでて混乱してた。
381 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:50:57 ID:G/2hoogl0
382 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:52:12 ID:I0Tl6RGd0
>>376 司馬懿と遣り合ってるけど…
司馬懿の軍を大破して精兵3000を討ち取り数々の軍需物資を鹵獲してる
>>377 国境沿いに配備して国内に余剰戦力の無い蜀と国内から引っ張り出せば十万でも二十万でも出てくる魏を一緒にすんな
蜀の場合、国の重臣までが綿竹で散々に戦死してるだろ
曹叡が率いてきた援軍は国内に何時でも動かせる遊軍として置いといたもので
ちゃんと動員すりゃもっと動かせる急場凌ぎ用の軍団
眠たいとか言う前に情勢もっと見ろよ
ケ艾の別働隊精鋭1万が相手したのは国内の文官まで動員した2万の寄せ集めだぞ
383 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:54:50 ID:PjNvhfAo0
>>382 蜀降伏時の男子人口は建国時の1/60だっけ?
ガンプラの縮尺率かと。
お前らほんと三国志ネタ大好きだな
385 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:57:57 ID:NYC/eTAI0
>>374 李克用ってそんな人気あったのか。
端緒はゲームかアニメか知らないが、ひょんなことから
注目される歴史上の人物がここんとこ多いね。
ダヴーとかケマル=パシャも有名になる日も近いかw
386 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 01:58:58 ID:I0Tl6RGd0
>>385 ダヴーは既にアニマルのナポレオンマンガで焦点当たってて超有名
387 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:00:28 ID:PjNvhfAo0
388 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:00:33 ID:gN5DpCwR0
>>382 じゃどうすればいいのか?という問いに明確に答えを出せないくせに
とりあえず慎重論を言っとけば、立場上なんとか出来そうな身分で
乾坤一擲と上奏してまで敢行した北伐を語る資格はない
だからこそ俺は、孔明おまえどうちゃったんだ?と疑問を感じ
魏延や姜維の積極策を支持するんだが
389 :
367:2009/12/30(水) 02:00:59 ID:PPsZJYvq0
>>374-375
その辺りかw
正宗は晩年、美食と遊興に身を窶したけど、
藩への貢献を考えて、とか、
謀反を起こす気が無いことをアピールするため、とかの記述があったよね。
素直に正宗に謝るわ。
劉禅のあれがすべて演技なら、拍手送るけどwwwww
390 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:01:18 ID:yM6kqf9C0
まあ、戦闘って勢いがあるだろうし、項羽や呂布みたいなのは周囲の精兵をアゲアゲにするのが上手かったんだろうね
で、本人も今で言えばK1とかヘビー級チャンピオンみたいな体格で最良の馬で突っ込んでくる訳だろうし、絶対相手したくないな
391 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:03:35 ID:TzR/ka4A0
>>389 劉禅無能じゃない説出てるけど、
それなら黄皓なんとかできただろ、っていう。
392 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:04:22 ID:PjNvhfAo0
>>388 そりゃ荊州失った時点で天下三分の計は破綻してんだもん。
おまけに、そこから戦略的に挽回しようもない。
明確な答えは出てるが、口に出来るわけもない。
393 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:04:44 ID:J1mCFPMUO
うん、まぁ局地戦の野戦で一度司馬懿にちょっと勝ったってだけか
でも、先読みされて五丈原に陣を構えられてる時点で戦略的に負けだなぁ
やっと宣伝効果が出て立った呉も負けちゃうし
時間かけすぎだよ
長安攻めを本気で決断するの遅すぎ
394 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:06:11 ID:gN5DpCwR0
弱者が強者に存在かけて挑んだ好例と悪例が近代日本にあるわ
日露戦争と太平洋戦争だな
395 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:09:38 ID:I0Tl6RGd0
>>387 アワーズだった
間違えたわ
>>388 問い?
簡単な話だが
街亭で負けない、それだけで第一次北伐は大勝利だぞ
あそこで張コウを抑え切ってしまえば蜀からすれば涼州西側の游楚、徐バクらの抵抗を打ち破れる時間が稼げる
諸葛亮の策よりも投機的な魏延策があるから失敗した諸葛亮策を批判して魏延策を支持した気持ちはわかるが
それは近視眼というもんだ
>>391 何とかも何も、黄皓は悪さしてないんだが…
>>393 ちょっと、じゃねーよ
それでいざ魏領へ、と思ったら李平が輸送失敗して戻らざるを得ず
戻ってみれば諸葛亮が嘘ついたとデッチ上げやらかしてゴタゴタするんだが
396 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:17:45 ID:J1mCFPMUO
>>395 あえて李平を庇うけど
「今回は本気だったん?」とこあったんじゃね
泣いて李平を斬ってないしさ孔明
397 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:22:40 ID:I0Tl6RGd0
>>396 それは李平が馬謖と違って蜀内部での実力者だったからというのもある
息子を後釜に据えて出来るだけ体制は維持しようとしてるしな
そもそも補給失敗そのものだけでなくその後に諸葛亮を貶める嘘をついて
自分の補給失敗をなかった事にしようとしてる
そこまでやった李平を臣下の弾劾文まで作らないと失脚させられないということが
当時の蜀内部での李平の実力を示してると言える
398 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:22:51 ID:gN5DpCwR0
>>395 だから長安抑えた時点で、逆に孤立するのは涼州なんだって
地図が手元にあるなら見てみろ、子午谷は一番東側
それに対して孔明が選んだ斜谷道や故道は西寄り
陳倉なんてもう、隴西方面からの挟撃受けて下さいの位置
399 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:25:54 ID:PjNvhfAo0
>>398 で、その時点での魏の兵員配備はどうなってたんかと。
まさか、現代の地図を見て言ってるわけもなかろうし。
400 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:28:23 ID:I0Tl6RGd0
>>398 おかしいよね
長安を奪取した場合、曹叡とガチでぶつかり合う時点でまだ涼州抑えてない
つまり挟まれて孤立してるのは長安
ここで曹叡を食い止めて隴西抑える時間稼ぐまでは囲まれてんの長安だぞ?
にも関わらず長安抑えただけでokとかおかしいだろ
401 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:28:47 ID:i5U9nez70
402 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:34:37 ID:J1mCFPMUO
>>396 つうか、そこなんだよ
どこまでも蜀の北伐は内部の政治問題が付き纏う
どこまで本気なんだ?
長安を攻める見せ掛けて西域確保とかありなんでしょ
つまり政治事情が孔明にも強く出てる
403 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:35:19 ID:gN5DpCwR0
>>399 第一次か二次か?
とりあえず一次なら、馬謖と王平が街亭を確保できたにせよ
どのみち陳倉を攻略しなきゃならんから
二次の陳倉攻略戦で苦杯なめたと同様の結果になったであろう
仮に陳倉を抜けたにせよ長安に着く頃には
曹叡本軍が長安に籠もって待ち構えてる
404 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:36:37 ID:I0Tl6RGd0
>>402 西域じゃなくて長安以西な
西域だとえっらい広範囲だぞ
あとなんで自己レスしてんの?
405 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:38:46 ID:PjNvhfAo0
>>403 どちらにせよ、兵員配置はどうなってたんかと。
まるで中途に歩哨基地が一切なかったような書き方をしてるが、
当時と現代じゃ、村邑も道も配置は全然異なるぞ?
タイミングよすぎないか、この発見。
折しも「レッド・クリフ」全米公開中…
407 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:40:29 ID:J1mCFPMUO
>>398だわ
402はさ
司馬懿みたいに厭味っぽいな
408 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:44:55 ID:I0Tl6RGd0
>>403 陳倉は第二次北伐の前に改修と兵士補充されたんで
第一次の時点で陳倉狙うとなると結果はわからない
だからこそ曹真は急いで陳倉を整備して大兵力の通り道を塞いだ
お陰様で第二次北伐では1ヶ月の防衛が可能だったわけだ
ま、第二次北伐は第三次北伐の布石みたいなもんだったから落ちるのがベストだけど落ちなくても問題はないようだ
409 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:45:33 ID:tkY+IQCc0
そういや海外のレッドクリフは総集編なんだろ?
410 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:48:32 ID:gN5DpCwR0
>>405 は?兵員配置だぁ
一次は本格的な戦い始まる前に街亭落ちた時点で終了だから
二次で言うと
上ケイに、費ヨウと載陵、郭ワイと張コウが展開してるな
で、それがどうしたの???
411 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:54:48 ID:PjNvhfAo0
>>410 うん、まさか、それ以外の村邑に歩哨基地がないとか思ってないよな?
もしそうなら魏は無能とかそういうレベルですらないんだが。
で、そのあたり、どういう配置だったんだ?
412 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:56:53 ID:I0Tl6RGd0
>>406 レッドクリフじゃただの悪役なんですけどね
414 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 02:58:29 ID:gN5DpCwR0
>>411 で、そろそろ聞くけどお前の見解は?
質問や罵倒に終始するだけなら小学生でも出来るからなw
相手してもらいたいなら、次にお前がそれなりのスキルを見せるべき
415 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:00:13 ID:PjNvhfAo0
>>412 彼的には残ってないと出来ない話をしてるから、そういうことなんじゃね?w
>>414 お前にはごく基礎的な認識が欠落してる可能性があるかもしれないって話だが。
で、当時の地図ではどういう配置になってるんだ?
曹操は死後墓を暴かれるのをおそれてダミーの墓を72作ったそうだが、
そのひとつじゃないかなぁ。
これまでにも何度も「曹操の墓発見!」てのがあって聊斎志異にも
曹操の墓を発見した知事が副葬品を略奪して墓は破却したって話が
載ってるくらいで割りとよくある話。
417 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:03:35 ID:rkEKDi9C0
曹操の墓にしては意外と地味だよな
もっと始皇帝を意識してると思ったんだけど
418 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:05:26 ID:I0Tl6RGd0
>>417 曹操が意識してるのは光武帝
あと遺令で金玉珍宝の類は墓に入れるな、とも言ってる
419 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:06:47 ID:gN5DpCwR0
>>415 あら逃げるのw
次は俺に質問させてよ〜
孔明が1次から4次まで西寄りの迂回ルート使ったのに
最後の5次北伐では、長安に近いけど危険な斜谷道を進んだのはなぜ?
1〜4次までの戦略が間違いで、魏延の正しさを認めたのではないのですかw
あ、答えいっちゃったわwww
武
安
国
421 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:11:17 ID:PjNvhfAo0
>>419 当時の兵員配備が分からない以上、ボーンヘッドで通らなかったのか、それとも戦略的な理由で
通れなかったのか分からないわけだが。
で、そのへんお前が把握してないと、お前の主張は破綻するんだが。
ひょっとして、現代の地図で判断してて、逆ギレしてるってオチじゃないだろうな?
それ、最悪なんだけどw
422 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:11:51 ID:gN5DpCwR0
まぁ生半可な知識で2chに書くとID:PjNvhfAo0みたく
生き恥を晒すということをみんな覚えておいてね
じゃ論破したし、3時だから俺もそろそろ寝るわw
423 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:12:59 ID:J1mCFPMUO
やっぱ魏延が正しいよ
僕ぁ三国時代より春秋戦国時代の方が好きだなぁ
425 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:15:28 ID:+jcJ0UIS0
曹操が死んだのはざっと1800年ぐらい前か。
人もまばらな土地って訳でもなし、盗掘されずにちゃんと残ってるもんかなぁ。
426 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:16:25 ID:KCM9cUNH0
五次の時は孔明も焦ってたんだろうな
でも補給見込めないから立てた短期作戦では最短ルート行くしかない
427 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:18:32 ID:J0B0Q/Io0
>>426 あれ?五次の時って屯田やらなかったっけ?
428 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:20:05 ID:J1mCFPMUO
最初から焦れよwそういう戦でしょうが
しかも、魏延が別働隊の切り込み隊長を買ってでてるのにさ
429 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:20:36 ID:I0Tl6RGd0
>>419 ないのです
第五次というか最後の北伐は蜀内部の残存兵力を最低限残して限界一杯まで動員してのものだった
この北伐だけそれまでの北伐と異質なのは、蜀が変わったのではなく魏が変わったため
それまでの魏は隴西方面に対して有効な兵站線を構築しておらず
隴西に限って見れば動員できる兵力は蜀と魏で大差なかった
長安近辺には有効な兵站線が整備されており、魏の国力を生かした大動員が可能だった
そこで第四次北伐で諸葛亮にフルボッコにされて引き篭もり防衛法しか採れなかった司馬懿は一計を案じ
秦代に作られたもののあまり使われて居なかった運河を整備して隴西方面への完璧な輸送線を構築
さらに魏の生産力を担う冀州から何万もの農奴を移住させ食料の現地生産まで行いだした
ここまでが諸葛亮最後の北伐前年までの動き
つまり、諸葛亮はこれまで敵の大兵力と正面から当たるリスクを回避すべく隴西に侵攻していたが
最後の北伐の時にはそのルートのメリットが失われ方針を変更したと考えられる
>>426 最後の北伐の時は100日以上にも及ぶ壮大な陣地の構築合戦を行ってるよ
最短どころか決戦をあせらず時間かけてる
まあその陣地構築しまくってる結果に目指してるものは決戦なんだろうけど
430 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:21:49 ID:PjNvhfAo0
>>426 まあ、戦略的に通らないには通らないだけの理由があった可能性が。
道幅とか、曲輪の配置とか。
当時の地図がないとさすがに分からんが。
>>425 それ以前のアレキサンダーも始皇帝もツタンカーメンも盗掘されてないわけで。
431 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:23:42 ID:KCM9cUNH0
>>427 五条原のふもとに屯田したみたいだね
木牛流馬だっけ?これもその時だったはず
でも最短ルートで攻めるのに持久戦って・・・
432 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:24:01 ID:I0Tl6RGd0
>>425 ツタンカメンは盗掘自体はされとるよ
ただ盗掘者が墓の規模を見誤って端っこのゴミみたいなもんだけ持ってっただけで済んでるだけ
433 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:24:13 ID:33OX3G8q0
fd
434 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:27:14 ID:I0Tl6RGd0
>>431 全開で動員して決戦するのだから必勝でなければならんわけで
必勝の体勢になるまでジワジワと陣地を配置してったんだよ
100日かけて陣地を使ったリアル囲碁みたいなもんだった
司馬懿は諸葛亮の巧みな配置に追い詰められてったが天命が味方して諸葛亮病死
そんで後に陣地を見ての天下奇才と頷く
北魏の漢字が低く見られているのも異民族のもんやろうという思い込みだった。
436 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:30:16 ID:J1mCFPMUO
つまり敵に弱点を補強させる時間を与えた
ダメやん
だから五次の策を最初から採れば良かった
魏延に切り込みさせて戦況不利で撤退及び補給中継点で陣構えすれば
でも魏延を失うのを一番恐れたのは孔明と
こう好意的に考える
437 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:30:24 ID:PjNvhfAo0
>>432 ああ、そうだっけか。
で、逆にその盗掘失敗のおかげで、以後の墓泥棒からも守られたって感じかね。
>>434 そのあたり、魏志ではまるで無視されてなkったっけ?
438 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:31:12 ID:bbSy7coT0
コーエーのゲームで印象操作されてたけど
魏エンってけっこうすごいんだな
こういうのも諸葛量の独裁が招いた弊害かな
小沢にかぶるよ
相手が万全の体勢に動員なるまでじっくり守備を固めるだと
戦力が劣るほうが、同じ方法とったら勝ち目ないよな
やっぱり一か八かの長安ブッコミしかなかったかも
440 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:37:11 ID:I0Tl6RGd0
>>436 その時間を作ったのは補給を失敗した李平だしそれだって天候によるところが大きい
最後の北伐で取った作戦はしくじれば国がそのまま消える、そういう策
総動員ってことはそういうことだ
成功率が高いものが他にあるのに最初からハイリスクハイリターンで行けとか無茶過ぎ
自分が作った国じゃなくて自分が仕えてる国ってのもでかいと思うが
>>437 ツタンカメンの墓は一度盗掘された後、再度封印されてたりする
盗掘がプラスに働いたってわけではなさそう
魏志ではほとんどわからん話だね
441 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:40:07 ID:h0uf5tGu0
犬の骨でも見つかったんか
442 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:40:54 ID:PjNvhfAo0
>>440 現実はゲームじゃねえしなw
ロードなんか出来ないわけで、長時間かけてでもリスクを減らすのが当然だわな。
それを怠ると、漢中の夏侯淵みたくなる。
でもトウガイの1万の奇襲兵に降伏した例もあるし
やっぱりまずは長安を奇襲するべきだった
個人的今年一番のニュース
445 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:42:57 ID:I0Tl6RGd0
>>439 蜀軍は装備に優れ兵それぞれの打撃力、防御力が高かったから
戦力が劣る、とは一概には言えないんだな、これが
>>443 残存兵力0の末期蜀と余裕たっぷりの魏を一緒にしちゃいかん
上でも同じこと書いた気がする
長時間かければ、相手の戦力も同じく充実するしな
国力差があれば、なおさら不利になるだろう
447 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:49:32 ID:PjNvhfAo0
>>446 兵の質としてもともと速攻が出来ないなら、それほど変わりはないかと。
たとえ100万の兵がいても100人死ねば国ごと怯むのが人の性なのは、
ブラックホークダウンを見ればわかることだし。
448 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:50:03 ID:8+K5KRPq0
兵站が伸びる侵攻戦で、おまけに兵数まで少ない状況下で
長い時間かけてとか持久戦に持ち込むって意味がわからん
どんだけ素人よw
r'丁´ ̄ ̄ ̄ ̄`7¬‐,-、 /
r'| | | |/ >、 /
! | | | |レ'´/| | 待 て
| | | /\ | |l /⊂う |
| | |__∠∠ヽ_\ | リ / j ヽ あ わ て る な
|´ ̄ O  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`! 〉
l'"´ ̄ ̄ヾ'"´ ̄ ̄`ヾ::幵ー{ / こ れ は 孔 明 の 罠 だ
⊥,,,,,_、 ___,,,,,ヾ| l::::::| |
lヾ´ f}`7 ヘ´fj ̄フ | l::i'⌒i | そ ん な 事 は 無 理 だ
l ,.ゝ‐イ `‐=ニ、i | l´ ( } ヽ
l { U | l 、_ノ ∠ヘ
l / ̄ ''ヽ、 | l ヽ_ \,_________
! ハ´ ̄ ̄ ̄`ト、 |亅〃/\
,人 f ´ ̄ ̄ ̄``ヾ j ,!// {_っ )、
// `ト、__iiiii______,レ'‐'// _,/ /スァ-、
,.イl{ { 々 !/´しllllト、 ̄`ヽ、 // /´,.-、 /彑ゝ-{スァ-、
,.イ彑l l > ゞ く l 〃 l|ハ.lヽ、 ハVゝヽ二ノ/ゝ-{、彑ゝ-{、彑ァ-、
,.イ彑ゝ-'l l ( (,) レシ′ !l `ソァ'´ _ノ7{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑{
ュゝ-{、彑l l ` -イヘ !l // /⌒ヽヾ/_ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、
{、彑ゝ-'l l f⌒Yハ ', !l/ / ヽ_う ノ /-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ
彑ゝ-{、彑l l{ に!小 ヽ /!l / ,/ /彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、
劉備って公孫賛やら盧植やらのエリート連中と一緒の学校に通ってたんだから
劉備自信ももそこそこなエリートじゃないの?
451 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:56:31 ID:I0Tl6RGd0
>>448 特攻して勝てるならそれでいいが決戦して尚且つ領土広げるなら、
焦らず必勝の陣地構築して敵主力を戦力としての体を為さないレベルまで殲滅してから
その上で侵攻せねばならんわけで
しかも総動員かけて蜀から軍を引っ張って来ている以上、負けは許されない
屯田も行って食料自給も僅かながら可能にしている
超一流の仕事だよ
452 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 03:56:48 ID:KCM9cUNH0
自分の作戦を蹴られた時、孔明は臆病者って言ったらしいが
後世からは暴言だったとは思えないな
>>420 ガッ!
このスレにおいてそのような武安国はヌルポと同罪なのじゃ
454 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:00:32 ID:PjNvhfAo0
>>452 臆病者でいいんだよ。
国を背負うんだから。
仮にお前が北朝鮮侵攻の指揮を執るとして、50パーセントの確率で破綻に追い込めるが、
失敗した場合は自衛隊25万人が全員戦死する策があるとき、それを実行できるんかと。
455 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:01:14 ID:J1mCFPMUO
だから魏延が正しいって
韓信だって大軍と対峙して、陽動してる間に劉邦軍を立て直したわけだし
ましてや別ルートは孔明的に隙ありと見てるなら
それこそ自分で頑張れよと
電光石火しかないだろ
いくさは守るほうが有利
457 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:02:03 ID:zcK5poVb0
次回から魏延は
武力97知力89政治41魅力94
これでいいよな?
458 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:03:30 ID:PjNvhfAo0
>>455 当時の情勢に関する情報が残ってない中で、棄却された策が正しいかどうかを判別する方法はないよ
北伐する蜀の動員兵力が圧倒的に少ない上に
守るほうが兵站で有利だからな。
小田原城みたいに大量の兵を動員するのならともかく、勝ちすすむのは難しい。
日本が首都ワシントンに空爆できたならそりゃ勝てる状況も作りだせるだろうが。
せいぜいひと暴れして一矢報いることが先帝陛下の忠義なんだよ
それと北伐をしないのなら大義名分がたたんわなw。
461 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:07:26 ID:zcK5poVb0
小難しいこと語る前に
正攻法で通用しないなら速攻しかないだろな
結果論だが、魏延の策のほうが妥当
462 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:09:59 ID:PjNvhfAo0
>>461 死亡率を考えると速攻を出来るだけの錬兵率にすら達してなかった可能性が高いんだが。
徴兵されたばっかのそこらのサラリーマンを率いて特殊部隊行動をとれったって無理だろw
463 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:10:29 ID:BUH2a8xf0
三国志ってフィクションだと思ってた・・・
464 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:10:35 ID:J1mCFPMUO
ただ孔明の北伐の行動を逆算すると魏延の策もあながち間違いじゃない
だから後期の魏延への批判はレッテル張り
人相が悪いだの、俺もそう思ってただのだぜ?
これは結局は魏延策を一部受けいれ
正しいと蜀軍が認めたという印象を薄くするためとしか思えない
465 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:12:31 ID:KCM9cUNH0
10年待って、国力が同じくなるのならともかく
時がたてば、どんどん格差が開いていく状況なら
早期の短期決戦が最善の選択肢
ヌルい持久論と安全策に甘んじたから国を滅ぼした
その事実から目をそむけるべきではないな
466 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:13:14 ID:tdf4uOyW0
魏延の提案していた子午谷は一本道で孔明が採用していた方面とほぼ距離的には変わらない
また長安から都の洛陽までの距離は非常に近接しているので魏延が迫っていると知れたら即座に大動員の援軍がやってくるし、
その最中で進軍中に迎撃される可能性も十分にある上にその上援軍も出すことが出来ない
467 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:13:20 ID:PjNvhfAo0
>>464 ゼロイチで考えるのはやめとけ。
つーかそもそも荊州を失った時点で、正しい策なんて蜀にはありゃせん。
確かに、五度も大規模な戦役を起こし負担のかかる遠征をおこなって、
得たのが辺境のニ郡じゃひいき目に見ても割に合わない
一応三十年近く蜀は続くわけだが、いくら蜀の経済が三国で一番スムーズに機能していたとはいえ、民には相当な負担を掛けていただろう
>>467 そう。
蜀にとっての天下分け目の戦いは孔明の北伐ではなく
実は関羽の樊城攻撃である事は明らか。
470 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:17:29 ID:I0Tl6RGd0
>>468 涼州の人口の3割くらいを持った大きな二郡だから
その価値はただの二郡ではないんだよ
471 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:19:11 ID:J1mCFPMUO
>>467 そこなんだよ
当時の文官辺り本気じゃなかったじゃないの?
北伐は内部向けのパフォーマンス
でも魏延は本気で唯一の実力者将軍
孔明は魏延を失いたくない
ありゃりゃ、うっかり勝ったよ司馬懿に孔明びっくり
李平もびっくり、聞いてないよ〜
では?
472 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:21:20 ID:KCM9cUNH0
長安で最初の決戦が行われるのは間違いないんだから
急襲後の篭城で迎え撃って敵を消耗させるか
逆に西で疲弊した蜀の主力で魏の主力相手に
長安で攻城戦をするのがいいのか言うまでもないな
473 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:23:00 ID:tdf4uOyW0
>>472 なんで長安を分捕った前提で話を進めてるんだ?
474 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:23:01 ID:PjNvhfAo0
>>471 いや、それでもやんなかったら国滅びるじゃん。
現実はゲームじゃないんだからよ。
>>472 分かったから、まずその能力をもった部隊がいたことから証明しような。
損耗率を考えれば、そんなエリート兵なんてとっくに壊滅してるんだが。
475 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:24:31 ID:I0Tl6RGd0
>>472 正面決戦を諸葛亮は丁寧に避けてる
どうしても決戦する必要がある時には必勝の状況に持ち込んで勝利する
長安は必勝の状況ではない
小国なんだから魏延みたいな景気だけいいこと言っててもしょうがない
476 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:25:24 ID:KCM9cUNH0
魏延>>>>>>カコウボー
長安攻略はわけない
黄皓は蜀滅ぼした一原因作ったようなもんだけど、
賄賂で生き延びたってのガナー
478 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:26:47 ID:J1mCFPMUO
>>475 だからパフォーマンスでやるしかなかった
本気だったら魏延策だなリスク背負っても
孔明はどちらも煮え切らなかった
479 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:27:21 ID:I0Tl6RGd0
>>478 本気だったから成功率高い作戦に出てるんだろ…
480 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:27:30 ID:tdf4uOyW0
481 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:29:44 ID:PjNvhfAo0
>>478 国家存亡のときにパフォーマンスに走る馬鹿は今の日本の首相ぐらいだw
シバイの立場ならわかるけど
孔明の立場でリスク避けるって
お前らじゃ絶対国を任せられないわ
滅びるのを座して眺めるようなヘタレw
483 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:31:45 ID:J1mCFPMUO
孔明はちっとも成功してない
最終手段を最初にやらないのは間違い
風林火山が足りない
484 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:34:40 ID:a6wSLed0O
三国志オタの話は長くてしつこい
485 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:34:43 ID:I0Tl6RGd0
>>483 孫子は「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」と言ってる
また「勝てる時以外に戦ってはいけない」ともな
最終手段をやるのは勝てる戦いなの?
何で孫子の最も重要な部分無視してんの?
孔明
知99だけど勇や魅が20くらいだな
487 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:36:26 ID:tdf4uOyW0
>>483 最終手段ってのは最後にやるものなんだよ
4〜5局でいきなり王将狙いに行くバカがいるか
488 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:40:25 ID:J1mCFPMUO
>>485 それは国力差が圧倒的に差があるからだよ
そこまで言うなら北伐をやめりゃいいけど出帥がどうたらなんだから
で、戦場でコツコツじゃ
よく生きて帰れたよ
魏延のおかげじゃね?
489 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:43:03 ID:I0Tl6RGd0
>>488 国力に圧倒的差がある時、孫子では何とすりゃいいと言ってるか知ってる?
「戦争すんな」だよ?
なのに君、何で孫子引用して「大博打しろ」なのよ?
孫子引用する意味あんのか?
490 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:45:47 ID:KCM9cUNH0
魏延って張飛を抑えて初代の漢中太守に抜擢されてるんだよ
それも重要地であるがため、劉備じきじきの指名でな
軍略に関しては孔明よか上なのは確か
後世の批評で、孔明は政治家としては一流でも軍事に疎いってあるし
491 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:46:11 ID:tdf4uOyW0
コツコツを繰り返して五丈原にまでやってこれたのは涼州諸郡を陥落させ、異民族とのパイプを得て、屯田を敷いて兵站線をしっかり確保できていたからだよ。
無論そこに魏延の活躍がなかったとはいえないが、だから長安奇襲が成功できた理由にならない。
492 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:46:48 ID:PjNvhfAo0
>>488 北伐をやめたら国が滅びますが。
かといって、速攻を行う兵もおりませんが。
だとすりゃ、コツコツやるしかないんですが。
493 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:48:49 ID:J1mCFPMUO
だから北伐自体やめるべきだったと
そうでないならパフォーマンスか本気魏延しかないだろと
で、孔明はどっちつかずではと推測
俺の意見をミスリードしないで
あんた人間的には司馬懿タイプだろ
494 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:49:45 ID:I0Tl6RGd0
>>490 実際に軍事で司馬懿を圧倒しとる
その評者はバカだな
495 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:51:15 ID:tdf4uOyW0
>>490 同時期に関羽の北上が始まったから再度漢中攻めに兵を割ける状況では無かっただろう
496 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 04:58:17 ID:OQOon04l0
>>1 小沢も鳩山も、金の面で捕まりそうなのを
俺が押さえてやってるんだといわんばかりの物言いだね。
497 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:00:52 ID:J1mCFPMUO
孔明を擁護すると
如何に孔明をもっても勝てない戦況だったかの説明になっちゃう
すると北伐って何だ?になる
498 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:03:29 ID:PjNvhfAo0
>>497 北伐は荊州を失った蜀が生き残るための唯一の策ですが。
それ以外の手立てがもう残ってないんですが。
北伐は人生
500 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:06:24 ID:I0Tl6RGd0
>>497 諸葛亮をもってしても情勢は覆せないものだった
それでいいだろ
北伐ってのは超えられない壁を越えようとあがく挑戦だよ
なんで馬謖切られてしまうのん?(´・ω・`)
502 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:10:32 ID:PjNvhfAo0
503 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:13:14 ID:49g96KwZ0
何千の兵で何万を倒したとか逸話を見てスゲエ!とか思ってた幼少
あれらは三国演技という作り話だったことを知って後年ショックを受けた
>>44 向こうでは劉備や諸葛亮なんぞより人気あるよ
↑の二人はただ内乱を起こしただけの人だけど、曹操は北の異民族と戦って従えた英雄だからね
中国では外敵、特に北の騎馬民族と戦った人は評価が高い
505 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:18:09 ID:J1mCFPMUO
いやいや、年末に楽しかった
前からの疑問に幕下の俺に胸を貸してくれてサンキュ
いやね、稚拙な意見のわかってますよ歴史のifなんだから
でも、どうしても魏延の後世の評価に納得できなくて
あと孔明の死後、粛清と汚名を受けてるから
これは孔明の魏延への評価ではない
これが言いたい
つまり、魏延策を用いらない、最大のリスクは魏延を失う
これだったと
以上、年忘れ、僕の三国志でした
506 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:20:20 ID:Zu7Nlfj60
三国志で一番面白いのは南蛮遠征だろう。
演義だとタイ付近まで行ってしまうみたいだが。
北伐のときに孔明がいろいろ発明してたみたいだが
木牛とかがどんなものだったのか説明をよんでもよくわからん。
一度それをつくって動かしたのを映像で見てみたい
508 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:31:10 ID:A2kaaKWr0
>>503 日本でも一千で10万の大軍を壊滅させたとか、
本多平八郎が500で武田の大軍を防いだとかよくある話だから、
中国でもあったんじゃないの?実際。
509 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:35:12 ID:UhoFDAkm0
>>503 旧日本軍は南京を陥落させた時にたった2000で30万人を倒したらしいぞ。
510 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:41:00 ID:A2kaaKWr0
つまり孔明の北伐を日本史に当てはめると、
昭和天皇は何となく頼りないし、東条英機や米内光政や山本五十六は勇ましいことを言って、
陸軍も海軍も東郷茂徳外務大臣に任せちゃったような状態。
東郷外務大臣は真珠湾に行ったついでにマレー半島も攻めるという一人で大車輪の活躍。
511 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:41:16 ID:PjNvhfAo0
>>503 官渡の戦い、呂布篭城、張飛の長坂橋大喝、漢中での趙雲の曹操本陣襲撃は
史実であることが立証されてる
512 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:47:28 ID:/1BU+vPA0
正史にしたって、
そもそも1700年前の事なんてどこまで正確なんだか。
議論したって無駄だろ。
現代の評価なんてあやふやな記述に基づきしかも結果論でしかない。
誰々を失ったらどうこうとか、人間にそこまで能力差なんてない。
大きいとしたらその人の役職や立場や派閥だろ。
513 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:50:11 ID:x0CK7+7m0
この自称新発見にどんな政治的意味があるのかのぅ、、、
514 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 05:51:25 ID:uBkXP1xA0
陳式の墓はいつ見つかるの?っと
正史読んでると裴 松之がいろんな文献をあつめて載せてて
「こんな意見もある」と書いたあとで自分の意見として
「でも、こんなことは(つじつまがあわないから)ありえねーよ」って
1人でボケとつっこみやっててめちゃくちゃ笑える。
516 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 06:22:26 ID:O3jCUwI20
>>494 そうか、軍事の才能溢れる孔明を常に後方待機させていた劉備はバカってことだな
517 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 06:32:24 ID:D0DgDThe0
三国志ブームとか映画産業振興とか、向こうじゃいろいろやってるみたいだからその一環だろ
518 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 06:35:27 ID:KAE2wkgU0
主な魏の武将の戦死者のない赤壁は大した戦いではなかった。
夷陵の戦いは、蜀が壊滅。
>>503 >>508 野戦はともかく、籠城戦はありうる。
三国志は、数万程度の戦いだったし。
>>497 虚勢を張る。
519 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 06:46:42 ID:leYpWBO/0
>>511 趙雲は存在自体が胡散臭い
趙雲は将軍でもない
劉備個人のSP程度で息子達が出世して持ち上げられと捉えるべき
趙雲の武勇は創作の可能性がある
五虎大将軍なんてもんは存在しないw
羅貫中はなんで趙雲を厚遇扱いしてるんだろうな?
521 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 07:38:10 ID:LM9pnqID0
>>520 しらんのか。羅貫中と趙雲は同郷だからだよ。
522 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 07:40:03 ID:LM9pnqID0
>>512 1700年前どころか、何十年前のホロコーストがあったのなかっただの、そんな話をしてるぐらいだしな。
523 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 07:46:26 ID:PYHd3j0k0
よくわからんけど赤壁ってあったの?なかったの?
>>519 >劉備個人のSP程度で
いやシークレットサービスくらいの権限はあったんだけど
525 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 07:58:02 ID:u4pAm1UX0
>>523 正史の方にも記述はあるけど、演義の脚色が凄いってことでは
>>521 えー?それが理由なのー?
ショックすぎだろこれ
527 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 08:34:28 ID:HQPYrF5H0
コーエー三国志シリーズがやりたくなってきた
でもあれ時間がかかるから年末年始潰れてしまう
528 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 08:41:07 ID:A2kaaKWr0
劉備と関羽と張飛で義兄弟完成してるから趙雲って影薄い。
三国時代のリンゴ・スター。
三国時代のレッツゴー三匹で左端でただ笑ってるヒゲ。
三国時代のチャンバラトリオなのに4人にしている奴。
それが趙雲。
三国志って光栄原作の歴史ゲームかと思ってた
>>515 「姜維伝」の孫盛に対してのとか、「献帝春秋」とか「山陽公載記」に対する突っ込みなんか
半分キれてるもんなw
てか北伐が生き残る道って消耗するだけやろ
引きこもり戦法で大負けをしないって手もある
それが上策ちゃうの?
戦って勝てる相手でもなかったら
篭城するしかない。
キジも鳴かずばうたれまいだよ。
>>531 姜維ですらあれだけ剣閣で踏ん張れたんだし、ずっと引きこもっていた方が良かったかもね。
益州の人間は北伐なんて本当はやりたくなかったんじゃない?
ホウ統が生き残っていたらどうなっていたやら
2000年っていうと長いけど
100年が20こ分だと思うとそうでもないな
>>532 魏にとっても、鶏肋の更に奥だから、攻略するメリットが
見出せなかったんじゃないのかな?
10年近く前の本だけど、「よみがえる三国志伝説」いう本いいよ
当時の三国志関係本の作者や光栄開発者の話が見れる。
537 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 11:00:18 ID:KAE2wkgU0
UとXが一番好み。
>>523 あったらしいが、魏の壊滅というのは怪しい。
田中芳樹も書いているが演技の描写は、別の戦いの丸写し。
>>503 史記の楚漢戦争とか、後漢はじめの光武帝の戦績とか、
ちょっと時代が下って南北朝とかなら、色々あるよ。
>>526 お前だって全然関係ないのに自分の県出身の甲子園出場チームとか応援するだろ
caocao
540 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 11:45:41 ID:TzR/ka4A0
ギエンの扱いが悪いって言うけど、
反乱おこして失敗した時点で悪者っていう評価は確定したよ。
戦場では有能でも国政は無理だろうしwww
>>532 >
>>531 > 姜維ですらあれだけ剣閣で踏ん張れたんだし、ずっと引きこもっていた方が良かったかもね。
しかし、優勢な魏にイニシアチブを取られるのもきつい。
常時攻め込んでイニシアチブを維持し、
魏の戦略を受動的な対応に限定するのは一定の効果がある。
> 益州の人間は北伐なんて本当はやりたくなかったんじゃない?
そりゃそうだろうね。
華北と荊州の流れ者がやってきて、
漢朝復興とか言って遠征しまくって国力疲弊させて、迷惑この上ない。
それでも蜀の民は諸葛亮を慕い、蜀が滅んだときに姜維配下の兵たちは
怒りと悔しさで剣を折ったというんだから、
人徳というか統治の公正さは評価されてたんだろう。
>>531 劉備に着いてきて蜀に入った譜代と地元蜀の外様の軋轢を
起こさせないよう外敵に注目させるって事で積極的に北伐したんじゃないか?
政治的なもので軍を動かしてたと思うよ
543 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:06:37 ID:sSbjY8Mz0
>>541 蜀って呉の国力が充実してないと北伐も出来ないというジレンマがあるよねw
呉の国力が落ちた時に一気に蜀を落とされたしね。
544 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:20:52 ID:sSbjY8Mz0
そもそも、劉備が益州を分捕ったのは漢室再興という大義名分があったからだよな。
だから引きこもるなんて出来ないだろ。
劉備についてきた譜代と、馬一族や、黄忠、魏延に代表されるような荊州人士と
、益州の地生え勢力の集合体だから非常に不安定。
孔明はそれを纏めたのだから確かに天才的な内政の力を持ってる。
で、その意識を外征によって発散させるんだけど、内政の孔明が軍事まで
指揮しないといけない所に蜀漢の人材不足がある。魏や呉では考えられないことだしな。
545 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:29:00 ID:PjNvhfAo0
>>544 引きこもる、つか蜀から出陣しないことはできた。
そのための荊州だったわけで。
だからこそ、荊州を失った時点で蜀漢は9割終わったといっても過言ではないわけで。
それから後の行動は残り1割を少しでも引き上げるための悪あがきに近い。
546 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:43:10 ID:LPH2NUUl0
>>223 >>263 魏は領内が安定してなかったろ。
蜀呉が侵攻してきたときに魏内に内応する奴が出れば、
それだけで魏の戦力的優位なんぞ吹き飛んでしまう。
実際、魏は司馬氏のクーデターで滅んだんだし。
蜀が引きこもって状況が悪化することはあっても、好転することないと思うわ
消極的な出陣をせざるおえなかったと思うけど
548 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:50:53 ID:K2djUZpI0
曹操の陰茎発見に見えた
疲れてるのかな・・・
549 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:53:25 ID:b3xi2+dX0
550 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:56:19 ID:K2djUZpI0
いや、書き込むの初めてだけど
551 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:57:46 ID:zSDVQTz/0
三戦板かと思った
552 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:57:53 ID:sSbjY8Mz0
>>545 同感だな。蜀漢は荊州を奪われた時点で終わりだったな。
でも益州と荊州を連絡して繋げる事は難しいよね。だからこその関羽の単独行動だったわけで。
呉楚越という支配、江南と荊州の方が地政学的に親和性が高いからな。
人材も呉と蜀じゃ厚みが違ったし、まあ孔明が良く頑張ったという結論しか
ならないねw
>>546 関羽が魏を攻めた時に、東呉、益州が内応すれば魏を混乱に陥れたかもしれないけどな。
純戦略的にいえば。
ただ呉は呉で立場があるし、魏の政治力もあったから関羽の芽は早くに詰まれたけどね。
553 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 12:59:41 ID:LPH2NUUl0
>>239 皮製のスクトゥムの防御力じゃ、クロスボウを防げねえだろ。
パルティア騎兵の弓矢でさえ完全防御とはいかねえんだから、
とてもじゃねえが中国兵の弩弓を防げるわけがねえ。
>>544 鳳雛を落とした一矢は、そういう意味で歴史を変えたかもな。
554 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:06:34 ID:I0Tl6RGd0
>>516 お前はもっとバカだな
劉備は益州平定戦で諸葛亮に一軍を任せ、張飛や趙雲と同格の部隊指揮官として軍才を発揮させてる
内政の才能、法的知識などで諸葛亮は頭抜けて優れていたので、
優れた前線指揮官である劉備が生きてる間はそれ以上は前線に出る機会が無かっただけ
555 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:10:25 ID:A2kaaKWr0
曹操の陵墓発見のスレでしょw
何で劉備軍政評論になってるんだかwww
556 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:10:57 ID:I0Tl6RGd0
>>538 >お前だって全然関係ないのに自分の県出身の甲子園出場チームとか応援するだろ(キリッ
同郷かどうかもわかってないのに何勝手に同郷認定かました挙句えこ贔屓確定なの?
さすが中国、邪馬台国がどこかでもめてる国とはスケールが違う
呉も何がしたいのか分からんからなあ・・・
周瑜:反劉備
魯粛:親蜀
呂蒙:反蜀
陸遜:夷陵では戦ったけど、基本的に親蜀
>>555 まーこういう時しか語り合う時がないから・・・
>>555 休みで暇なので単に三國志話がしたくてここに来ましたw
563 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:24:52 ID:A2kaaKWr0
>>521 太原や泰安と石家庄じゃ全然離れてるんだけど同郷って言うのか?
564 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:45:06 ID:e+PVOIHlO
魏将トウ艾と鐘会の蜀攻略戦は面白いエピソード満載で結構好き。
叩き上げvsエリートの反目に姜維が付け込む話とか。
けど孔明死後の三国志はあんまし盛り上がらんね。
565 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 13:53:01 ID:QDvV/tK80
>>564 一番最後に一番カッコイイ話がある。
アイドル伝説ようこそ羊ネ古。
>>564 どこの国もある程度落ち着いてきてるからな
初期のなんでもあり的な勢いがない
諸葛誕なんか生まれた時代がもっと早かったらなあ・・・
569 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 14:14:26 ID:sSbjY8Mz0
>>559 周瑜:反劉備→また劉備が流民集団の頭目だったんで、厄介な存在になるうちに
存在を抹消してしまおうという魂胆だったんだね。ただ益州攻略も含めて
の作戦だから天才じゃないと出来ないわな。甘寧も一緒の考えを持っていた。
甘寧はもともと蜀出身だから、十分攻略できる事を知っていたんだよね。
ただ荊州の江陵を一気に抜けなかったんで、魯粛に後事を頼んだ。
魯粛:親蜀 →魏という超大国を相手に呉だけで圧力を受け止めるのは愚と思っていた。
劉備に荊州を貸与して傭兵のように扱おうとしていたんだよね。
関羽の約束違反に対しては強行に抗議している。彼は赤壁の一番の立役者だからな。
呂蒙:反蜀→彼は大きな戦略家では無いけど戦術家としては最高レベルだね。
益州を攻略しようとしてた劉備を見て、関羽を切り離せると考えて
魏とタッグを組み荊州中南部を奪取。呉が永らえたのはこの人のおかげ
陸遜:夷陵では戦ったけど、基本的に親蜀
彼はわかり易い。蜀が気が狂って攻めてきたからそれを防いだだけ。
散々に破ったけどね。
あと、蜀と組んだのは、そのころは魏は既に安定していて、益州を攻略
した瞬間に魏が攻めてきただろうな。だから蜀と組んで魏の圧力を蜀と受け止めたってだけだろ。
570 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 14:16:22 ID:A2kaaKWr0
571 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 14:18:26 ID:7bv+AOjc0
まあ、中国人は何事も大袈裟に言う民族であることを忘れてはならない。
572 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 14:24:19 ID:HxBNXQdN0
チョウヒは相手の繰り出してきた槍をへし折って、相手に突き刺したり、
騎馬の馬に体当たりするような奴だったの?
573 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 14:24:31 ID:Kdqjv42XO
ちょっと待ったの意見が学者から出てるらしいけど、どうなったのかな
そもそも赤壁で何があったかは誰も知らない。
実際にどうだったかはともかくとして
赤壁の戦いは正史の呉書と裴松之がつけた注の中の江表伝で
かなり詳細に描かれているから、今演義などで描かれている赤壁の戦いの
元になる部分の大半は下地が出来あがってたんじゃないの?
たとえば黄蓋が寝返ったフリをして曹操軍の船に近づき火を放つところとか。
普通に周瑜伝とかでいいと思うけどね
武帝記みてもしょうがないし
577 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 15:39:01 ID:/pvoC9iX0
>>573 おそらく2chで一番三国志に詳しい三国志板からのコピペ
497 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 15:11:40
また中国側では曹操の故郷や洛陽近くにも曹操の墓の候補があり、今回の発見に反対意見があるようだが、
晋書宣帝本紀によれば、
及魏武薨于洛陽,朝野危懼.帝綱紀喪事,內外肅然.乃奉梓宮還鄴.
>乃奉梓宮還鄴.
これは司馬懿が曹操の棺を鄴まで運んだことをあらわしている
499 :無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 15:35:49
>諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。
曹操は生前魏王であり、死後武王が送られた
魏武王という石碑は武帝紀の記述と矛盾はないが、
中国側では諡号である魏武王を使うのは一般的ではないとしている
これについてはこのスレでも色々書き込みはあったが決着してない
中国側の新たな情報待ち
>>577 一般的でないならここでいう武王は誰を指すんだ?
>>578 わからん
ただ、三国志板でも今回の墓は本物じゃないかという流れ
580 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:07:48 ID:bJOorGa50
581 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:12:55 ID:yt+4Ookd0
これまではパンダ出しとけばキャーキャー言って騒いでた日本人が、そろそろ飽きて
見向きもしなくなったってんで、いま三国無双やら恋姫無双やらで人気のある
三国志関係を(捏造して)持ち出した、とかじゃねえの。
とりあえず、まずは疑ってかからないとなあ、あそこは。
普段嫌中華のちゃねらーが熱く中国を語っているなwww
もっとやれ、三国志論議は見ていて面白いwww
てか、これ、中華が見たら「いつもは工作しなきゃらならんアル!」って叫ぶやつら混乱して面白いだろw
583 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:19:38 ID:Cv9Vy+fV0
すごく‥すっごくウソ臭いです><
南京大虐殺の遺骨と一緒だな。
死体をどこから引っ張ってきたんだ?
天安門か?方燐光か?
585 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:22:50 ID:O3jCUwI20
>>578 当時の風習とかはよくわからないけど漢帝国では高祖と言えば劉邦だから
わざわざ漢高祖とは言わないし、むしろ言ったら失礼なのでは?と
そういったこともあって魏武王とはわざわざ言わなくて単純に武王のみ
で曹操と認識できるから武王としか本来は書かれないんじゃないかな
でもここまで書いて曹操は後漢の中の魏王だから魏武といわないきゃならんし
漢中王劉備が漢中王のまま死んで武王の名前が贈られたらどうすんだ
とも思った
587 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:27:13 ID:Z9POwU9r0
>>579 でも、合葬されたという卞氏は見つかってないんでしょ?
ニセモノなんじゃないの?
588 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:27:54 ID:aRDwtb6g0
>>582 厳密には嫌中共であって、嫌中ではないからな
毛沢東の時代に曹操の墓なんか出てきたら即破壊だっただろうし
中共はガチでキチガイ
589 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:28:35 ID:A2kaaKWr0
>>577 晋書ってずっと後に書かれたんでしょ。唐だっけ?
それって鵜呑みにして「これ史実」みたいに提示してもいいのかな?
>>585 そもそも武王は遡ると周代の革命にも立役者として登場するからね。
おくり名、諡号は本当に同じ名前がたくさんいて混乱する。
>>588 中華思想っていうじゃん、あれを中国だけの思想と思ってる人も多いけど
でもどこの文明でも大体が人間って奴は俺が一番貴くて、それ以外の東西南北
すべてDQNって思想だからね。それは大和にも当てはまることさ。
592 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:35:31 ID:e+PVOIHlO
>>588紅衛兵が張飛像もぶっ壊したらしいな。
内政への反感を責任転嫁するのは中共の得意技だろ。
あとさ、歴史や文学に詳しくない人ほど中華思想という言葉を使いたがる傾向に
あると思うんだけど、あれは何故かね。大体さ広大な大陸でかつ長久な歴史をたった
一言で括るなんてあり得ないんだけどね、それは無理だ。
594 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:40:03 ID:A2kaaKWr0
>>588 中狂の肩を持つわけじゃないがそれはない。
兵馬俑坑の発見が1974年で、これは当時の中狂が大々的に宣伝した。
当時はまだ毛沢東も存命で、四人組もまだ影響力があったし。
当時は批林批孔運動の真っ最中で法家の秦の始皇帝は再評価されてたから。
同じように曹操も再評価されてたから、曹操の墓もたぶん手厚く保護されてたと思う。
>>591 戦国時代マラッカで日本人アンジローとであったザビエルはその人柄知性に
日本人全体に演繹してこう褒め称えた
「日本人とはなんという優秀な民族だろう、スペイン人の次に優秀だ」
596 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 17:46:06 ID:Qsyx8gvE0
>>432 ツタンカーメンの墓は一番奥まで侵入されてる。
ゴミどころか、最も重要な副葬品である”死者の書”が盗まれてるぞ
敵将、曹操、討ち取ったりぃー
598 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 18:16:39 ID:H6usqxwx0
>>589 晋書はかなり酷い内容だと聞いたことがあるが、どうなんだろうね。
曹操の墓に関しては、わざわざ嘘を書く必要があるとは思えないし。
599 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 18:24:32 ID:e+PVOIHlO
林彪の「モンゴル上空で墜落事故死」て扱いがまた共産主義国らしいな。
600 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 18:37:36 ID:q4YXK/ea0
600なら曹操現代に復活!
で、結局この墓からどんな発見があるんだろね?
東×ガスCM
1.タンスから信長が曹操@墓つきを連れてくるの巻。
2.曹操がガスで鶏肋を作っていると孔明がガスで放火するの巻。
を作ってほしい、とりあえず。
>>544 曹操だって自分の子飼いと漢の朝臣が連立する体制でバランス取りながら外征してたけどな
604 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 19:21:03 ID:yDt+MVf5O
>>598 晋書と言えば、三国志と違って超常現象的な記述が多く紛れてたり
生没年がウソっぽかったり他人の手柄まで司馬懿の手柄にしてたりとかかな。
曹操が死んだとき司馬懿は要職にないから、その話はウソっぽい。
ただ、別の人間がそうしたのかも。
アモーレ!
606 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 19:29:40 ID:Ht8R04U10
ねつ造墓とか言うけど そんならそもそも曹操のキャラ自体が史実からすればねつ造
607 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 20:26:54 ID:LM9pnqID0
>>589 良くはないよ。ただ、印刷技術がないような時代の史料ってのはかなり限定されるから、
うさんくさいような内容でも、他に優先すべき一次史料がない場合は、参考にせざるを得ない。
>>604 長く続いた南北朝時代の血で血を洗うような戦乱の時代に、多くの史料が焼かれてしまったからな。
漢民族が胡族に追われて長江を渡る以前の歴史なんて唐代になってから分かるわけがない。
捏造は日本が起源ニダ
610 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:01:39 ID:A2kaaKWr0
まあどこの馬の骨とも知れん在漢ヤクザクローズZEROが来て
系図さえ見せれば皆が「中山靖王の子孫アル」って認めちゃうようなのどかな時代を
曹操も生きてきたんだから、今更DNAが一致しないと認めないって野暮じゃないのかなあ。
もういいですよ、曹操で。決定したらミカン持ってお墓参り行くんだから早く決めてw
611 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:12:24 ID:dxGeyV2a0
支那の英雄を好む反日売国奴の民主支持者は今すぐ日本から消え失せろ。
612 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:17:53 ID:b3xi2+dX0
曹操も相国曹参の末裔を自称してたが、血縁がないのが明らかなうえ、系統としても疑わしいとされてるからな。
613 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:25:36 ID:BllxqRVM0
もともと曹操って夏侯家から曹家へ養子に来たんじゃなかった?
614 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:40:32 ID:yDt+MVf5O
親父が夏侯家からの養子という説はあるが、はっきりとは分からない
615 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:41:38 ID:QbXS5FO6O
模造だろ?最曹。
616 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:43:20 ID:6QaiefOl0
クローン再生しようぜ。
617 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:44:48 ID:Ju7ZAUW10
何で中国人は劉さんという名前が多いんだ?
王家の名前だから、みんなこぞって改名したのかね。
618 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 21:45:04 ID:Qsyx8gvE0
>>616 鳩山の代わりに日本国総理大臣になって貰うんですね><
>>604 三国志も結構アレだが
呉なんてしょっちゅう甘い雨が降ってるらしいぞ
臥薪嘗胆って今時のスイーツが健康法とか言って喜びそう。
621 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:01:32 ID:DbUPHIkB0
>>613 初歩的なことだよワトソン君。
親父さんの曹嵩が、宦官の曹騰の養子になった。
そのあたりのコンプレックスは大有りだろう。
622 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:12:56 ID:yDt+MVf5O
>>621 曹嵩が曹氏出身かどうかが問題
当時は異姓養子はタブー
もし曹嵩-曹操が夏侯氏出身なら、曹操の娘が夏侯氏に嫁いだのも問題になる
623 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:19:40 ID:BllxqRVM0
まあ、夏侯氏でも十分名門なんだし
真偽はともかくとして、門地としてはいいんじゃない?
>>622 >当時は異姓養子はタブー
そうだっけ? 施家から朱家に養子に行ったのが朱然だろ
他にもあったと思うが
625 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:24:51 ID:y+QqQEYoO
致死軍が最強だろ
陰茎に見えた奴多かったんだねw
627 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:30:26 ID:b3xi2+dX0
>>626 お前が馬鹿だからそう見えるだけ。
もう少し感じの学習をしたほうがいいよクソガキ。
628 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:33:35 ID:dxGeyV2a0
三国志ヲタはいずれ中共に日本を売り飛ばす非国民。死ね。
629 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:38:41 ID:NIe/UDibO
ならばよし
630 :
名無しさん@十周年:2009/12/30(水) 22:43:23 ID:yDt+MVf5O
>>624 そう。
当時は教化が衰退して異姓養子が出て来た。
だが当然批判された。
だから曹嵩が曹氏以外の出身の可能性はある。
ただ曹嵩が夏侯氏出身だと、その後の婚姻関係が問題になってくる。
同時代の陳矯が同じで、強く弾劾されてる。
俺は曹嵩は曹氏出身ではないと思うが
曹嵩が夏侯氏出身かどうかは五分だと思う
おちんちん
632 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 00:00:40 ID:t0E3ZFy90
>>569 反劉備とか親劉備という評価軸は全く意味がない
全員「呉のためにどう対処するか」という点で状況に沿った行動を取っているだけ
特に魯粛は最初劉備達に甘い素振りを見せているが、機会が訪れると劉備達に対する攻撃を容認している
これは単純魯粛の戦略が益州を曹操に取らせなければ誰が取ってもいい、という代物だったから
周瑜という有能な指揮官がいない以上、同レベルの働きを期待できる劉備を使った
そのために当初甘い顔をしていた、それだけのこと
また陸遜が親蜀というのも大間違い
蜀が攻めてきたらから防いだと主張するには、関羽戦以後の行動が当初から対蜀を意識したものである説明が付かない
呂蒙が関羽を囲んでる間に夷陵を抑え完全な対長江下りの防衛ラインを整備しておいてそれはありえない
陸遜はやる気満々だぞ
test
中国って進歩ねーよなw
他国を侵略して自分のものにしようとするとこなんか三国時代から今に至るまで変わってないんだろ?
どうも、初めまして、俺中華なんです。
中国人はみんな曹操を嫌っている、もしくは彼ら三国にそれほど関心じゃないって言われてるけど、そうでもないよ。
むしろ演義と三国志の違いわかる奴多いために、割と客観視できる人の比率が高いかと思う。
まぁ、二十四史を暇つぶしに読んでほとんどさっぱり忘れた俺が言っても説得力ないだろうがw
ちなみに俺は苗字が曹なんで、陵墓は偽物であって欲しい。もしかしたら昔は親戚同士かもしれないので、安らかに眠らせて欲しいと思っている。
>>634 無知乙!!
むしろ異民族に侵略されまっくてるんだが。
今の版図は清のものをそのまま受け継いだだけ。
チベット、ウイグル、満州、を切り取ったのが本来の中華
考えてみると日本人も蝦夷とかアイヌとか琉球とか侵略しまくり何だよなあ・・・
それを言い出したらきりがないが。
age
639 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 00:49:14 ID:t0E3ZFy90
>>637 蝦夷やアイヌは分枝同属みたいなもんだから侵略ってより内訌
琉球くらいだよ
640 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:01:23 ID:+G6Jc+pO0
曹操は、韓国出身ニダ
641 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:07:54 ID:9pbyQc0s0
>>635 観光スポットになって、金が落ち、子子孫孫の生活が豊かになれば、
ご先祖もご満悦でしょう。
ここ行ってみたいな〜
643 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:16:31 ID:2+m6+OpM0
どーでもいいオッサンの骨とか・・・
馬鹿だろ
>>642 なんか中国のネットでは疑問視されてるらしい。
刀の銘がおかしいとかいろいろ疑問点があるとか。
中国は一週間くらい行った事があるが
水が違うのと料理が合わないのか帰国後3日くらい腹くだしてた
646 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:25:59 ID:E3ckqRuf0
>>644 疑問点の指摘ってのが、どうもいまいちピンとこない気もする
>>639 蝦夷は兎も角、アイヌは古モンゴロイドで明確に別民族じゃ・・・
琉球は琉球弁の本土日本語の近似性から民族的にはかなり近いと考えて良い
648 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:31:20 ID:9pbyQc0s0
>>645 外人向けのホテル・レストラン以外で売られているものには
手を出さないのが吉。
649 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:45:20 ID:t0E3ZFy90
>>647 アイヌは人種的には日本人とそんな変わらん
日本人が古モンゴロイドを駆逐した新モンゴロイドってのはただの誤解で
日本人は古モンゴロイドも祖先に持つ混血人種
アイヌとの分離自体比較的新しく、同属みたいなもんだよ
神話の類似性とかも含めて考えると相当近い
>>649 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー
今はそう言う風になってるのか、知らんかった
651 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 01:50:50 ID:6Bd0Jwch0
士大夫ってのを日本史で置き換えるとどんなもんなの?
イメージしやすいように教えて。
清和源氏みたいなもん?
ここで士大夫ネットワーク何度も言われているけど
家柄的にはいいのは上からだと
エンショウ、エンジュツから次は誰なんだろ?
654 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 03:24:49 ID:t0E3ZFy90
>>653 家柄だけで言うならそいつらは新興豪族だからそんな高くねーよ
家柄だけで言うなら堯の子孫でもある漢氏が最高だろ
袁氏は高陽氏が祖だって自称してるな
劉ヨウとか劉表とか劉虞とか劉エンあたりはまた別格か
656 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 06:02:49 ID:Ac9kbjvr0
で、河南省安陽てコーエーの三国志でいうとどのあたりなん?
言焦(ショウ)かな?
>>652 士大夫ってのは狭義には北宋以後の科挙官僚・地主・文人の三要素を兼ね備えたエリートを指すんであって、
歴史学では後漢末あたりの名士たちを指して士大夫ということは(決して間違いではないが)それほど一般的ではない。
士大夫ってはざっくりいってしまうとエリート官僚なんだけど、
日本はその官僚を登用するための推挙・試験制度ってのがうまく運用できなかったものだから、
日本史において相当するものはなにかといわれるとけっこうむずかしい。
近現代における、たとえば高級官僚や政界、学界における赤門閥とか、金融・財界における三田閥とか、
そういうエリートたちの学閥に近いかもしれんね、士大夫ネットワークってのは。
658 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 07:26:17 ID:uEwKj6ip0
陰茎発見に見えた
>>654 漢代における家柄ってのはあくまで朝廷における官僚としての地位の高さなんで、
三皇五帝の頃のご先祖がだれであるとかそういうのは意味ないんですわ。
要するに朝廷において人事的影響力をどれだけ持てるのかってのが家柄の高さ。
袁氏が名門中の名門っていわれるのは、袁安が司徒になってから、四世代にわたって、
三公という官僚の長を輩出することのできる強力な人事権を保持できたってことによる。
べつに制度として世襲が保証されているわけでもないしね。
660 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 08:48:27 ID:E3ckqRuf0
>>657 日本の方が飛鳥時代までとか戦国時代をのぞけば以降、家柄重視なんかね
まあその方が生まれでほぼ将来が決まってしまって、権力闘争が起りにくいのかもしれないが・・・
661 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 08:57:10 ID:2la85RNa0
家の出がどうだとかいってるやつアホだな。
曹操は一代でかの中国の3分の1以上を切り取った英雄。
662 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 08:58:41 ID:exJRw+oR0
実は傍らにひっそりと、夏侯惇の墓が・・・
664 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 09:08:09 ID:DG0o1Xci0
>>577 うーん、魏王だったのはわかるんだが、
「武」の諡号は死後埋葬前におくられたのかな?
素人考えだけど、息子が皇帝に上ってから、
皇帝の父に相応しい諡号として後付でおくられ、それがさかのぼって、
史書では、曹操の死の直後に挿入されて記されているだけじゃないのかなあ。
666 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 09:11:12 ID:Kbb/MHvy0
wikiソースだけど、
●謚号が「武皇帝」
●「戦時であるから喪に服す期間は短くし、墓に金銀を入れては
ならず」との遺言
●病没時の本拠は河北・鄴又は司隷・洛陽
・・・から考えても、曹操の陵墓ってのは嘘じゃないか?
667 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 09:12:06 ID:9rW9zKCP0
孫子を後世に伝えたのも曹操なんだよな
>>666 (1)曹操が死んでから
息子の曹丕が漢の皇帝から禅譲を受けて魏皇帝に即位するまでの間
魏は漢帝国内の王国だったので「魏武王」であってるよ
(2)遺言どおりにするかどうかは曹丕や官僚が決めること
(3)墓が見つかった河南省安陽市は黄河の北にあり、曹操時代はギョウの都があったところだ
>>664 皇帝にならなくても王には死後諡号が贈られる
これは漢時代の諸侯王や
魏建国後の曹一族の諸侯王でも同じだ
>>652 この時代に自ら「清流」と称していたいわゆる士大夫は
後漢時代に権力を握っていた外戚(三国志なら何進)や宦官(三国志なら十常侍や曹操の祖父)と呼ばれた「濁流」勢力を
朝廷から排除するために、あえて官途につかずに在野で政治活動をしていた知識人・豪族たち。
だから本来は家や出自とは関係ない、と言っても豪族でない貧家の出身者ではしょせんなるのは無理だけどね。
荀ケや陳羣がこれらの代表的存在だけど、司馬懿もこの階層に含まれる。
その後南北朝の時代になると彼らの子孫たちが家柄貴族化してきて、実質的に国政を動かすようになる。
連環の計で有名な王允の子孫などは第一級の貴族になってる。
671 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 10:25:26 ID:lJ+7JG/z0
続報が無いけど
結局、本物だったんですかね?
672 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 10:50:50 ID:9pbyQc0s0
673 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 10:52:33 ID:pyuUiHOmO
中国は旧正月だろ
674 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 10:54:19 ID:WRkrpyVF0
>>1 墓を発見したのではなく、作ってる最中だろ・・・・
中国では「墓の発掘」と言う名の「墓を作る工事」が公共事業化してるなww
都合のいい歴史を作ってるわけだwww
675 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 10:56:00 ID:E3ckqRuf0
>>647 日本のゴッドハンドの恥ずかしさを浮き彫りにするだけなのにw
676 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 11:35:25 ID:VmgRURwz0
>>671 あちらさんはニセモノ作りにも歴史があるからねぇ・・
現時点の情報ではなんとも。。
袁さんが言うように決定打にかける
678 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 12:38:25 ID:9pbyQc0s0
>>675 みんなを楽しくさせたかったていう動機らしく、根はいい人だったらしいけどな。
宴会でも場を盛り上げるために、率先して裸芸やってたらしいし。
>>651 へー
これ見ると、日本人はアイヌや琉球人よりもはるかに
朝鮮人と近いんだね
勉強になるわ
680 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 13:22:17 ID:K+n77ZyAO
末期の蜀は姜維一派だけが頑張ってるな。
良識派のショウ周は「この国もうダメポ」と隠居しちゃうし。
681 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 13:28:16 ID:xJOqp8rF0
>>679 きちんと読んでるのか???
古代韓国人と日本人は近いグループであったが、その集団は中国人に滅ぼされたと書いてあるだろ
> 日本人と韓国人の両グループ共、北方型モンゴロイドのパターンを示すにもかかわらず、これらの2つのグループの間には、非常に著しい異質性が見られ
>>681 縄文人や渡来人のDNAを現代人に見出せるか
(略)現代日本人の中に縄文人と合致するヒトが多いのは当然
であろう。ところが現代朝鮮人に、日本人以上の合致者がいることに驚かされる。
これはおそらく、新石器時代の朝鮮半島には、縄文人と同じ形質の半島人が居住し、ほとん
ど同一の文化圏を形成していたことを窺わせる。
これは、第1部11節で、西北九州と朝鮮半島の漁労文化が同一文化圏を形成していたとした
ことと符合する。
渡来人の故郷としての朝鮮半島に、縄文系ともいえるDNAを持った人が多数いるというこ
とは、これまで不思議としてきた、福岡県糸島半島の新町遺跡で、朝鮮系の支石墓の中に、
縄文人系の人骨が葬られていたことの謎が、これで解けるのかもしれない。
あなたこそ読んでないだろ
3
今度やる一騎当千XXの馬超かわいいよ馬超。オススメ
あと曹操の骨が見つかったのって
キンパツ巻き毛の曹操の骨だよね。
685 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 14:41:01 ID:9pbyQc0s0
>>680 益州出身の連中は蜀漢に対しては割合冷ややかな印象を受けるんだよね。
北伐なんかも、頑張ってるのは姜維や夏侯覇のような降将ばかりで、
張翼なんかは本来反対してたようだし。
(それでも連れてかなきゃ成らん程人材がいなかったんだけど)
当時の三公ってのは日本の堂上公卿の三公と違って世襲ではないんだ?
688 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 17:25:19 ID:q6+CQRLZ0
豚の死骸か?
なんかのミイラでも出たんか?
どうせ中国。嘘と思って間違いなし。
曹操=シャア・アズナブル
>>686 元々の蜀出身の有力者からすれば、苦労の多い北伐などせんでも
従来どおりの既得権さえ保全されれば良い、くらいの感覚でしょ
上に立つのが魏でも劉氏でもかまわん
三國志がkskしたのは日本のゲームや漫画や小説のお陰だよな。
中国が今現在作品化しても、偽みっきーとか不細工海賊フィギュアとか
イメージダウンなものばかりになってたろうな。
三國志好きは必ずどれかしらの日本作品に心打たれたんだろ。
大河ドラマで三國志を見たいけど無理だろうな。長すぎるし登場人物が多すぎる。
もし、やるとしたら諸葛亮中心かな。
693 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 17:56:22 ID:9eVGoCPD0
>>692 CCTVの三国演義を借りて見れば良いと思うよ。
全98話だったかな。すごい長尺だけど。
>>687 >>659 が語ってるように高官が世襲である必然性はないし、そのような家系があるわけではない。
ただしこの時代は地縁、血縁のほかに故吏関係といって
自分を採用してくれた上司に対しては後々まで恩義が生じるとされている。
だから袁紹のように父祖が代々高官についた家系に生まれると
強力な縁故関係を持っていて、その力をもって名門と呼ばれることになる。
漢朝で高官を歴出した家系を名門とするなら
袁家のほかに周瑜や司馬懿が名門出身ということになるだろう。
>>695 孔融はどういう位置づけだろ?
てか彼は直系卑属の一人ではなく
当主みたいな扱いだったのかな?
>>692 NHK大河ドラマで国外のやるわけねーだろ 何言ってんだ
699 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 19:19:36 ID:6VoG11fi0
>>693 本場の三国志のドラマは現実がよくわかっていて、諸葛亮が北伐するときにも対立陣営(益州の豪族)が
ちくりちくりと釘を打ってくるんだよな。諸葛亮マンセーじゃなかったことは陳寿が隠したがったことなのに、
あっさりみやぶってくる中国人。
曹操の墓は早々に見つかると思っていた
曹操の墓はそうそう見つかるもんじゃない
>>698 NHK大河ドラマ『魏志倭人伝』
・・・5話で終了かな
702 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 19:48:10 ID:klSHYK7j0
支那に肯定的要素を見いだす反日売国奴は新年を迎えず
そのまま滅せよ。
703 :
ッァォッァォ:2009/12/31(木) 20:15:13 ID:LWDW0V+S0
肯定?
とんでもねえ、あたしゃ魏王だよ。
704 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 20:15:51 ID:U/w5wQPw0
705 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 22:03:59 ID:KsYeHZ/p0
曹操って 実在の人物だったのか
>>701 某チャングムのように、たった一言の存在でドラマを作ってしまう彼らを見習え。
>>706 其れ自体はべつに問題は無い。
問題なのは、その創作をさも全くの事実のように、ドラマを離れた史学や政治の部分で
宣い出すことなんだよねw
708 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 22:35:27 ID:iyfkZJwn0
>>706 たった一言の存在(正しくは原稿用紙10枚だが)でドラマを作ったのなら、日本にも座頭市という例が
>>699 それをいうなら荊州や呉の文官どもだって魏との抗争は反対だっただろ
あの張昭も赤壁の戦いの前は…
710 :
名無しさん@十周年:2009/12/31(木) 22:36:49 ID:t0E3ZFy90
>>659 「家柄」と「時々の勢族」は違うだろ
そこを混同するなよ
当時の価値で家柄だけなら先祖+漢帝の血筋に当たる漢氏がぶっちぎり
>>694 四世三公程度なら弘農楊氏もそうだな
あと、司馬氏を周氏や袁氏と同格の勢族かのように書くな
司馬氏はかなりローカルな名族だよ
>>708 しかし座頭市を実在の人物と思うやつはいないだろ。
げぇっ関羽
>>709 あの当時は家柄で出世する時代だから中原出身&地元の金持ち出身の多い呉の文官は
支配者が孫権だろうが曹操だろうがそれなりに出世できるからな。ロシュクが孫権に「オマイの家柄は
低いからたいした出世はできんけど、俺やシュウユは家柄が良いから曹操に降伏しても将来がある。」
と言って孫権に開戦を決断させた話もある
>>713 あそこでもし孫権が降伏していたら曹操はどんな風に処遇したんだろうね。
裴松之が言っているように、張魯みたいに厚遇してもらえたかどうか。
>>714 あの当時は王莽の乱の影響で出世できる範囲が家柄で明確に区別されてた時代だからねぇ。
親父の孫堅が孝廉出身の士大夫ならよかったけど、盗賊退治の軍人上がりだから出世できる
範囲はかなり限定されてたかと。よくて地方の太守&諸侯だろうな。昔から軍人はクーデター以外は
出世しにくい国だから中国って
王莽の小説あるな、持ってる
>>716 あの当時、能力がある=ものすごい親孝行する人
という感じだったから相当数の偽善が流行ったと思われ。
718 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 01:45:56 ID:8N8AfY/J0
士大夫階級って当時確立してたの?
>>718 科挙以前という限定付だけどそういう集団はいた。ただ貴族になって
しまい唐の末期には自然消滅したけど。
顔氏って名門だよな?
顔しんけいとか
>>720 有名一族かと。顔しんけいの親族は政府関係の役人多かったような。
722 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 02:44:37 ID:3BlqXJyb0
>>713 家柄で出世する時代じゃなくてコネで出世する時代
選挙と九品中正法の関連をもうちょっと考えろ
有力者の推薦による選挙が問題になって九品官人法が出来た
九品官人法がより恣意的に運用できる九品中正法に変化し門閥が強化され貴族層を形成するに至った
>>715 それは貴族層が形成された時代
三国時代の次の段階の話だぞ
てか孔融なんてまさに名門って気がするが
家柄の古さ、先祖の偉大さといい
ジュンイクも荀子の子孫のようだ
ニ王の大王こと王ギシ(王氏)も名門なんじゃない?
てか中国では顔シンケイの書家としての人気が高いんだよな(日本以上に)。中国人留学生に聞いても一番反応が良かった。
たぶん書家としてだけでなく忠臣+北方民族への抵抗?という面もあると思うけど。
日本だと信長なんかが人気高いけど、中国では岳飛がそれに相当するって聞くよ。
後世の曹操への悪評も北朝となぞらえる部分もあるだろうし。
項羽とか曹操とかシャアとかに俺は付きたい
725 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 03:16:51 ID:4ZjPSXfB0
>>682 朝鮮半島南部も、もともと縄文人、倭人の居住地だったことの証明だね。
現在の朝鮮・韓国人というものが後に騎馬民族によって、日本人とは
全く異質な火病民族になっちゃったということだね。
_ _
r土 ̄ _」┬┬ ト.、 _」 \_WWWWWWW_/
| ||== ⌒=|| ≫ ≪
_|‐ ' ´  ̄ ̄O ̄ | ≫ げ ≪
. ,':ri‐:':::二二::: ̄::;´::`! ≫ 関 え ≪
l::l.l:::/ `''´ ヽ:!、 ≫ っ ≪
. !::|l::〉 /⌒_' ........,'⌒'| ', / 羽 ≪
/ヽ!l| "::::'´ o.!::::::::l´o.}:! |  ̄≫ ≪
| 9.|l u  ̄ .| ̄ |! | /~MMMMMMM~\
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| ', 〃,.-―-jl,'
.| ヽ {l '-一-'.,i′
. ,rv' ` .'l .,;;;,./
_/ハ::::::\ `ヾ;;;/ハ
/::ノ:::ヽ:::::::::`:..、. `/:::::\
日本軍に殺されたんだろうな
>>723 孔子の子孫ってのはいつの時代にも存在してるんで
その家系出身だというだけで尊重されたわけじゃない
孔融の名声(批判的な立場からなら悪評)はあくまで彼の個人的なものではないかと
書聖の王羲之はもちろん名門中の名門
南北朝時代に琅邪の王氏といえばそれこそ中国第一の貴族だ
ただ南北朝時代の世襲貴族は魏の定めた九人官人法の運用がもたらした産物だから
三国時代には琅邪の王氏は名門としての位置を固めていたわけではない
竹林の七賢の王戎が有名だろうけど
訂正
九人官人法 → 九品官人法
>>718 少なくともそのように自称していた知識人・豪族階級はいた
また、そういう士大夫たちを尊重して自ら膝を屈した豪傑も多い
たとえば李典や張飛などがそう
中国の一番の特色は文官優位にあるけど
このあたりにもその萌芽が見てとれる
>>723 孔融は最強の家柄に加えて、10歳の時に当時の最高の知識人と言われた李庸に将来を見込まれる
くらいの才幹があったからかと。ただ李庸に会えたのは孔融の家柄による。
732 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 11:36:40 ID:3BlqXJyb0
>>728 初期の九品官人法の方ももちろん問題をはらんでいたけど
その拡大解釈というか中正官の恣意で運用できるようになるのは
司馬懿が変法して州大中正官が置かれるようになってから
この変法後は一般的に九品中正法と呼ばれて、九品官人法と区別されてる
>>732 漢時代の選挙の時でさえすでに地元や中央の有力者のコネが横行してたから
それが中正官というやつで合法化されたようなもんだな。曹操が儒学から離れて
文学を重視した理由もその辺なんじゃない?
734 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 12:25:33 ID:3BlqXJyb0
>>733 逆逆
「地方毎に代表を地方自身が選んでた」選挙と
「中央の権力者が地方の代表を選ぶ」九品法は対立するもんだよ
あと曹操は儒学から離れてない
戦乱でさえなければ清廉の士を用いて当然とまで言い切ってる
>>734 漢代でも地方官が選挙する際は中央の有力者からの推薦とかいう
圧力が頻繁だったんじゃない?地方官で「選挙しようとしたら中央・地元の推薦が激しくて
抗しきれそうにない、自分の裁量で本当に判定できるのは数名だけ」なんてボヤキも
あったはず。
>あと曹操は儒学から離れてない
>戦乱でさえなければ清廉の士を用いて当然とまで言い切ってる
そうか。最近のマンガや本だと曹操は豪族連中(当時の知識人階級)をな
んとかしようと儒学とは距離をおいた風に書かれてたけどやはり統一後は
儒学を基本に据えようとしてたのか?
儒学というのはキリスト教みたいなもんで、教皇庁と世俗君主の
対立がいかに激しくても世俗君主は結局キリスト教徒なんだな。
曹操と儒学の関係もこれと一緒だと思う。
あの当時は孝廉に受かるためにトンデモな偽善が横行してた時代で、採用された連中も本当に
使えるかどうか分からんので曹操が儒学と距離をとって人材の採用をしてたのかも。といいながらも
採用する担当者に儒官(陳群とか)据えてるから限界はあっただろうけど。
>>737 内政で使える人材を出せるのは知識人でもある士大夫層に限られるからね
朱全忠のように官僚を皆殺しにする覚悟でもなければ結束してる彼らを排除するのは難しいし
法家的な傾向は有しながらも、一流の教養人でもあり、実践的な政治家でもあった曹操が
革命的な改革を指向していたとは思えないし、そういう苛烈な個性を備えていたとも思えない
軍事面なら呂蒙や楽進のような貧家の出身者を抜擢することもできるんだけどね
>>738 まあ士大夫は扱い憎いけど行政動かす力持ってるのもコイツらだからな結局は科挙という一応の解決案が出るまで
は。もっとも科挙後も士大夫の扱いに苦労してるのは擁世帝をみたら分かる。
しかしこの墓発見はホンモノなのかな?
省政府が発表してるという時点で怪しいものを感じるけど。
北京の研究者や中央政府の研究機関が検証しないと
ダメなんじゃない?
741 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 13:39:44 ID:8N8AfY/J0
それにしても宦官が権力を振るう弊害をなんで何回王朝が変わっても同じように繰り返したんだろうか
曹操も宦官の家系出身ってことでそのあたりは何も手をつけなかったのかな
742 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 13:49:09 ID:3BlqXJyb0
>>741 皇帝集権にしないと豪族とかに国が食われる
皇帝集権にすると皇帝が孤独になり身の回りにいる宦官を信頼するようになる
前者より後者のがマシ
743 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 13:56:54 ID:jELpb66R0
史書では曹操は死んでさっさと葬式&埋葬(しかも埋葬場所を知ってるヤツは1人でスグに消されてるし)さ
れてるから「魏武王」という贈名の刻印の宝物は出てこないなんでない?
>>741 曹操は「宦官に権力与えなければそれでOK」としか言ってない。当人も宦官の存在については
否定してない。結局皇帝になると秘書官みたいな人や自分の手足になる人がいるから結局は宦官
に行き着く。曹操の爺様の曹騰みたいに士大夫からも尊敬された大宦官もいるし、あの当時はちょっと
した責任の取り方が宮刑なので普通の宦官も多いわけです。一概に宦官=悪というわけでもない。
三国志みたいに士大夫側の史観からすれば弾圧された経緯から宦官悪いとなるわけだけど
746 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 14:25:52 ID:EUH3sSev0
儒教は支配のための学問。
支配するための論理なので支配される側にいれば
これを嫌って当然。支配する側になれば儒教を用いるのは当然。
747 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 14:30:28 ID:PjVw5KZo0
孟子とか見るとそうだよね 王様と謁見していかに国を治めるかってな問答が多い
儒教は宗教ってより政治哲学だな
748 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 14:57:59 ID:8N8AfY/J0
>>742>>745 便利なのは分かるが、王朝滅亡の原因とかに大体宦官の腐敗とか専制が関わってるのがなあ
749 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 15:01:19 ID:F/so84UJ0
いままで曹操の墓の場所知られてなかったんかい!w
と言いたいところだが、これさ、日本に例えたら卑弥呼の墓が見つかったくらいの驚きなんだろうな
と思うと納得できるわ
750 :
【大吉】 【1636円】 :2010/01/01(金) 15:02:28 ID:fnQASkD70
皇族に権力を分け与えたら晋の八王の乱みたいなことになる。
かといって宦官ばかりに頼るのも弊害がある。
結局、絶対君主制では永続するシステムにはできないってこった。
その点では、権威と権力を分ける日本のやり方が優秀だった。
751 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 15:11:46 ID:StpoZ/Y10
張三姉妹には萌えた
752 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 15:16:12 ID:8N8AfY/J0
>>750 実際のとこ天皇の権威も応仁の乱で落ちぶれた時に消滅の危機もあったわけで
信長や秀吉といった階級的には非常に低い出身の戦国大名の権威づけと戦争の
名目として利用された結果偶然生き残ったのかも
日本が中国で言えば一地方くらいの広さだったってのも
>>750 日本は優秀だったんじゃなくて、恵まれていたという表現が正しい
外敵に政権を一掃されるなんて経験はしなくて済んだから
国土の広さだけじゃなくて地勢の違いもあるな。
日本は自給自足しやすい地域経済圏に割拠することも可能だから
強大な中央権力は必要とされず、武士による封建的支配が発達した。
それに対して、中国、特に華北は灌漑や治水の観点からも
早くから大規模な中央集権的権力が必要とされた。
これが機能しなくなる王朝末期には数十万〜数百万規模規模な難民が発生するから
大軍を集めることは誰にでもできるが、それを持続的に食わせるのは難しいという状態になる。
軍事能力よりも統治能力が優先されるのも無理ないところだ。
大陸じゃなくて島国、ってのがラッキーだったな。>日本
ってか、ちょっと中二病視点なんだが、人間が人間である限り、組織の腐敗は回避不能。
ので、一部が腐敗しても大丈夫な余裕を持った組織か、
定期的に上層部がひっくり返る揺らぎのあるシステムでもなきゃね。
756 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 15:44:36 ID:fQ4PAjxY0
曹操ってなんで呉を攻めるとき決戦場を赤壁に選んだんだろう?
華北の軍隊なんだから兵数的にも陸戦の方が圧倒的に有利だろ。
勃起しててもう我慢ならなかったからだろ
>>756 曹操様はうっかりさんですので。
「部下が色々言ってるけど、パワーで押し勝てるだろ。」とか、
「相手の虎の子の水軍を倒して鼻を明かしてやる。」とかじゃないか?
(;´Д`)ハァハァ
二きょうってそんな可愛かったのかね。
はりせんぼんとかじゃないの
>>756 いくら平地の騎馬が得意兵科といってもさすがに長江を渡らないわけにはいかないからな。
曹操は最初から赤壁を決戦の地に選んだわけじゃなく、
長江南岸に上陸した後、孫権の本営のあった柴桑に騎馬で出撃するつもりだったという説もある。
長江にレインボーブリッジを作って渡河すれば良かったのにねw
いやそもそも赤壁で決戦があったかどうかすら分からんわけで。
最近は疫病で引き返したって説もあるらしいし。
同じ島国でもアングロ・サクソンとノルマンのアレは悲惨だな
766 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 16:56:01 ID:3BlqXJyb0
>>756>>761 赤壁は山の名前だぞ
そこに陣地構築してたけど奇襲された上に輸送用の船が燃やされたので
自分でさらに船を燃やして追撃を断ちつつ逃走
強行軍で逃走したのでかなりの人数が脱落した
>>764 戦闘そのものはあったけど、天下分け目の一大決戦じゃなかったってのは聞いた。
まぁ小競り合いぐらいはあって当然かと。
孫悟空の頭蓋骨が朝鮮半島南部の遺跡で発見されたとか。DNA鑑定を行っているらしい。
曹操は墓地にすら女連れてったってのに、お前らときたら・・・・
770 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:21:53 ID:0IW35G4l0
>>766 その前のインフルエンザ大流行や呉による徹底した補給船狩りも忘れたらなんねえだ
>>756 そこが長江渡河したときの大軍が上陸できる格好のポイントだから>赤壁。そこから
当時の呉の拠点である柴桑まで陸で一直線。呉からすれば赤壁抜かれたら脂肪だった。
>>770 インフルというより風土病なんでない?水に当たったという説も。
773 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:32:03 ID:3BlqXJyb0
>>771 長江周辺ではそこから十年近く疫病ぽいものが頻繁に確認されるので
住血吸虫だとか言う人もいたり、あれだこれだと色々説はあるが特定された病はない
正確にはよくわからんけど病気にかかった、だな
774 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:34:15 ID:+jdwryYH0
魏軍って北にいたせいか南の疫病に弱いね。
曹真だったっけ、孔明討伐の時にやっぱ軍団が疫病で全滅しなかったっけ。
しかし荊州の兵力も吸収してるんだから、荊州兵にとっては庭先みたいな
もんだったんじゃないの?それでも疫病の巻き添え食うもんですかね。
775 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:34:29 ID:OUh93vGt0
>>755 AV業界はそういうシステムだよな。1,2年で入れ替わる。
776 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:39:01 ID:OUh93vGt0
>>766 赤壁は「村」の名前だぞ。
烏林の赤壁村に曹操の本体が駐屯したから「赤壁の戦い」と呼ばれる。
当時は盗賊が横行していたから村は自衛しないといけなかった。
土塀で囲まれた村を「壁」といい、規模の大きいものを「塢」(う)という。
777 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:41:56 ID:OUh93vGt0
>>774 呂蒙とか魯粛とかも風土病にやられてるような気がするが、2人とも華北出身だから不思議でもないか。
778 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:44:12 ID:3BlqXJyb0
>>776 後漢書の注釈に「赤壁、山名也、在今鄂州蒲圻縣」
赤壁、山の名なり。今の鄂州蒲圻縣に在り。
「今」とは唐の時代のことな
779 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:45:00 ID:OUh93vGt0
>>777 魯粛って長江近くの金持ちのボンじゃなかったか?金策にきたシュウユに蔵を指差して蔵ごともっていけという
話を聞いたことが。
781 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 18:58:59 ID:3BlqXJyb0
>>780 徐州出身
後に一族郎党引き連れて南方へ移住するが長江近辺出身というわけではないよ
>>781 なるほど。黄巾の乱で南に逃げてきてそのまま土着したタイプか?
曹操は165センチって本当?よく劉備と同じ身長で描かれるんだけど、20センチぐらい違わない?
>>783 170センチだったんじゃない?あの当時からすれば大男の部類のはず。
>>783 150cm台だったような。
劉備が165くらいで。
当時の中国尺は21cmくらいだったか?
>>785 一尺23cmだったかな?うろ覚えなので間違っていたらスマン。
787 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 19:28:51 ID:fQ4PAjxY0
劉備って後ろ向いたら自分の耳が見えたって本当?
788 :
【末吉】 【1881円】 株価【140】 :2010/01/01(金) 19:29:48 ID:IawYV6WT0
マジかよ、寸胴鍋買ってくる。
この前wiki見て知ったんだけど、曹操とカエサルが命日が一緒なんでちょっとびっくりした
若い頃はダメ人間だったり、女好きだったり、容姿の事で悩んでたり、文筆家だったりでこの二人結構似てるよね
>>787 それは司馬さんだったはず。曹操が「ろこのそうがあって、野に放置すると危険」と無理矢理就職
させたはず。今の学生もそういう特技があったらよかったのに。。。劉備は大耳野郎という名があったくらいの
福耳。
>>789 若い頃はエンショウとつるんで悪さしてたみたいだな。ただ知恵はあったようで
花嫁泥棒して動けなくなったエンショウを立たせるエピソードはワロタ
792 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:13:44 ID:OUh93vGt0
>>778 ん?唐代の注釈じゃん。三国志の赤壁の戦いが唐代には伝説化して、赤壁は山のことと定着したってことじゃね?
793 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:29:13 ID:Miuq6Tt80
支那の古典に詳しい反日売国奴は正月のうちに命を断て。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
795 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:34:50 ID:Miuq6Tt80
敵を知ることと敵を好むことは全く別だバカもん。
尊敬に値する敵は好んでも良いだろ。
立場が違うだけの話なんだから。
袁紹が出ないのは分かるが袁尚もいるんだから使い分けてやれw
798 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:47:26 ID:+jdwryYH0
>>793とか半島くさい。
三国史記もかまって君じゃないのかw
799 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:48:10 ID:Miuq6Tt80
支那工作員ばっかだなここは。お前等全員友愛されて去ね。
友愛といえば、近所に友愛って名前の韓国料理屋ができたな。
怖くて入れんが。
>>790 有能で危険な人物を目の届くところに置くのは、いかにも曹操らしいな。
そう考えると官渡の前に、劉備を外に出したのは千慮の一失かねえ。
吉川三國志では、直後に郭嘉から速攻で怒られているのが笑えるw
802 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 20:57:03 ID:3BlqXJyb0
>>785 劉備が170
諸葛亮が190
曹操は正史に残ってない
講談だと1hyde
袁紹本初
袁譚顕思
袁熙顕奕
袁尚顕甫
googleなら変換できるな
馬鹿に触れるとめんどくさいぞ
805 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 21:40:10 ID:3BlqXJyb0
>>801 いや司馬懿は曹丕のお目付け役、後見役みたいなもんをやらせてる
大事な後継者にそんな危ない奴付けるわきゃねーだろ
曹操が司馬懿を怪しいと思ってたってのは完全に後世視点
日本人は中国人を祖とする遠い親戚のはずだから
我々日本人は中国に発掘費を寄付すべき
807 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 21:50:55 ID:3BlqXJyb0
>>792 文献証拠を否定するならそれなりの材料を出しておくれ
「〜ってことじゃね?」は君がそう思うってだけで証拠にはなってないから
>>805 家康みたいなもんだな>司馬懿
長生き&戦歴のキャリアで王朝を事実上乗っ取ったようなもんだから。
周辺は曹操以来の家臣がほぼ死に絶えて戦歴があるのは当人以外いない
状況ではねぇ
809 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 22:34:18 ID:sNOnj56T0
レッドクリフは100億も掛けたウンコ映画だったな。
孫尚香がウロチョロして台無しになった。
あと中国映画に良く出てくる【ぼく馬鹿です】キャラはなんとかならんものか。
中村獅童の薬中演技 うぇうぇぇぇぇぇ はいつものことだから良いとして
曹操が周瑜に「帰って良いよ」と言われた瞬間、観て損したと思った。
810 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 22:42:21 ID:8N8AfY/J0
NHKで西太后のドラマの番宣してたけど、西太后は京劇好きで毎日自分専用の劇場で
見てたとかって説明で、ドラマの撮影で演じられてたのが三国志って説明だった
関羽らしき髭男と戦ってたのは誰だろう
>>810 おそらく、顔良、文醜、管亥、華雄、呂布、紀霊、徐晃、黄忠のうちの誰かだろう
812 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 23:07:55 ID:0IW35G4l0
>>808 蒼天航路でもネタにされてたが220年代前半の死亡ラッシュは異常
813 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 23:17:51 ID:FDjwCscq0
>>807 だから赤壁が山だというのは400年中盤頃にかかれた後漢書に注釈を施した唐の時代の頃なんだろ?
早くみても650年だ。赤壁の戦いから450年以上経過している注釈の価値はどれくらいあるんだ?
814 :
名無しさん@十周年:2010/01/01(金) 23:29:31 ID:3BlqXJyb0
>>813 唐の時代は史書の一大編纂期でこの時期以前のものは失われて久しいが唐以降のものは比較的残ってる
んで唐の時代には残ってた書を使って注釈入れてるので丸っきりでたらめと言うわけではない
価値は非常に高いよ
この唐の時代に編纂された太平御覧などもあって、唐代の記録なかりせば三国時代の記述はかなり靄がかかる
蒼穹の昴がハイビジョン限定なのが残念
>>812 あの時を境にみんなばたばた数年以内に死んでるからな。あの当時はどうしても50〜60過ぎでどんどん
死んでしまう。
>>816 となると、黄巾、対董卓あたりからずっと生き抜いたって感じだね。
>>817 ゲームでもほとんどのシナリオで出てくるからな>司馬懿
長寿だったんだな。普通軍人生活とか長いと長年のキャンプ生活が
祟って胃がんになったりして50〜60で死ぬ人が多い(日本でも戦国武
将は40〜60で死ぬ奴多かった)けどこの人は何か長寿に繋がること
してたのかな?
819 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 01:17:11 ID:729ONedx0
>>818 兄弟にも長寿がいるので体質だと思われる
>>815 どーせ
春には衛星
夏には地上波でヤンだろw
>>819 たしか8達という8人兄弟だったよな。司馬懿は次男だから「仲」
兄貴は「伯」だったはず。
822 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 01:53:50 ID:729ONedx0
>>821 司馬朗 伯達 享年46歳 「無仰高之風」
司馬懿 仲達 享年72歳 「狼顧」
司馬孚 叔達 享年92歳 「司馬懿二人」
司馬馗 季達 享年不明 「魏魯相東武城侯」
司馬恂 顯達 享年不明 「魏鴻臚丞」
司馬進 恵達 享年不明 「魏中郎」
司馬通 雅達 享年不明 「魏司隸從事安城亭侯」
司馬敏 幼達 享年不明 詳細不明
というわけで詳細がわかってるの上三人だけ
他の5人はキャッチフレーズすら見いだせなかった
823 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 01:56:10 ID:mM7aJDeI0
janeの薄い字だと陰茎に見える。
824 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 03:28:35 ID:KCAhC3NzO
曹操はいろんな人から怨みをかっていたから、見つからないように埋葬されたと聞いていたが…
2009年になってやっと見つかるってスゴイな。
約1700年見つからなかったことになる。
>>824 ツタンカーメンの墓とおなじで「小さい墓」の方が分かり難い。
逆に始皇帝やクフ王みたく「地下都市」を構える手もあるけどなw
>>824 今まで見つからなかったというより
昔から有力な比定地の一つで、すでに数年前から盗掘されてたという状態
正式な発掘が入ったのが最近だという話
827 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 08:46:46 ID:6NcwzABz0
夏候淳の墓には副葬品が殆ど無かったんだったけ?
828 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 09:45:59 ID:myrPdcX30
反日支那の古典などドブに捨てろ売国奴どもめ。
>>827 曹操が戦時期だから質素に汁と言ってる以上それに倣うしかないわけで。
夏侯惇は生前ですら思いっきり質素だったらしいな。
上があんまり質素でも下はやりにくいが。
>>830 たまにハメを外してるな。嫁を宴会の席に顔出しさせようとして諌めた家来を
投獄とか。あの当時は奇人変人が持て囃された時代だからそういうのに武人で
ありながらあこがれていたのかも。
832 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 14:57:33 ID:729ONedx0
>>830 生前は質素、ではない
「蓄財しなかった」
金を貰うと気前良く配下にばら撒いたともあるので
むしろ宵越しの金は持たない江戸っ子の親分みたいなタイプ
しかも使って金が足りなくなると役所から支給を受けてまた使うし
気前がいいんだよ
833 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 15:01:28 ID:z1bhr9BL0
>>832 対極的なのが曹洪だっけ。
銭ゲバだったと魏志にすら書かれてたような。
834 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 15:04:30 ID:myrPdcX30
そんなにお前等支那人が好きならいっそのこと支那人になればいい。
そうか、もともと支那人なんだよな。日本から出てけよ穢らわしい奴らめ。
捏造だろ、また・・・
三国志は嫌いじゃないけど、シナ人の言うことほどアテにならんことはない
新年早々支那の歴史自慢スレとか不愉快だ。
837 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 15:09:29 ID:z1bhr9BL0
>>834 他国の歴史を語ることが今のその国を好きなことになるというのなら、
とりあえずお前は今の日本が嫌いなことになりそうだなw
試しに、鈴鹿御前がどういう人物だったかについて語ってみ。
>>96 後世に出来た武器が出たら、演義バカが捏造したものだ、で終り。
839 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 15:16:00 ID:EJY3W2a/0
>>834 好きかどうかは別として、好きと言わざるを得ない世の中になるだろうな
だいたい、中国を抜きにしては生活が成り立たない日本人の数は相当なものだろう
経済的に見て不可欠の存在になっている
同じ地層からピカチューがプリントされた茶碗が発見されました。
>>840 骨が大量に出土して、日本軍による虐殺の証拠と騒ぎ出すとか
>>841 南京は日本軍云々は別としても、歴史上何度も大虐殺が行われてるから、数十万の人骨が出てきても不思議はないしな。
福袋か厄袋か塵袋かよくわからん
844 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 16:11:48 ID:729ONedx0
>>834 今の「平成」どころか「明治」「大正」「昭和」これらの元号も全て中国の古典から来てる罠
お前古典否定とか、何がしたいの?
>>833 同じ一族でも曹真のほうは部下と苦楽を共にし、賞与が足りない時は自腹で
賞与を与えてた。三国志演技ではダメダメ武将だけど。
846 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 16:44:30 ID:39NUDyOR0
曹操の墓でさえわかってないのに邪馬台国なんてわかる分けないよな
シナ発表だと全く信じられない
848 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 16:54:57 ID:BHNGJy4u0
墓と国を一緒にしても
むしろ箸墓古墳を掘れば
盗掘されてるのは確実なんだけど土器の破片くらいは出るハズ
849 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 16:59:29 ID:VUYqjGzoO
どうせ三国志ブームに乗ろうとした捏造でしょ
850 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 17:02:11 ID:0CT4sU+g0
いや、ここは…
朝鮮人が介入してきて
曹操は朝鮮系だったニダと主張するんじゃね?wwww
今三国志ブームだっけ?
>839
なんらかの形でつき合っていかざるを得ない国だよね。良くも悪くも。
国益を追求しながらどういう関係を構築するかってことで。
韓国とは積極的につき合わなくても何ら問題ないんだけどね。
オーストラリア人とか朝鮮人が日本の戦国時代を超詳しかったらどん引きするだろ
それと同じだろ、日本人が三國志詳しいのって
ヤマネコが偽造だったんだよな
あのニュースはほほえましかったが
勇み足という気はする
結論急ぎすぎ
碑文が決めてというが偽造は可能
855 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:01:06 ID:z1bhr9BL0
>>853 アメリカ人が中世イギリス史に詳しかったりドイツ人がナポレオン帝国に詳しかったり
ロシア人が三十年戦争に詳しかったりイタリア人が古代エジプトに詳しくてもドン引きする奴はいないと思うが
嫌いな国を理解しようとかいうレベルじゃなくてもう支那大好きってレベルだろ。
だからてめえらは反日売国奴なんだよ。ゆくゆくは漢字の使用も含め日本文化から
支那の影響を一掃した方がいい。
857 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:21:32 ID:I6NUKkeI0
>>853 3世紀の前半に国外逃亡したテロリストこと諸葛孔明が北方の異民族と手を結ぶことを恐れた魏は、
異民族を中国国内に強制移住させる。その後、西晋王朝の3世紀後半に起きた内乱を契機として次々と
異民族が中国国内で自立し、独自王朝を立てる。その結果多くの漢民族は異民族に虐殺され、
漢民族の多くは国外へ逃亡した。その結果江南に誕生したのが東晋王朝だけれども、一部の漢民族は日本に逃亡した。
だから異民族の子孫である現在の中国人よりも、当時の漢民族の血を引く者が多い現在の日本人のほうが三国志に興味を持つのである。
>>857 身の毛もよだつような穢らわしい珍説を書くな。
三国志好き=支那工作員。単純な図式なんだよ。
>>84 煽りぬきで、蒼天航路は絶対読んだ方がいい
マジおすすめ
>>858 お前みたいな単純な脳の作りしてるやつが羨ましいwww
861 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:28:02 ID:I6NUKkeI0
>>358 三国時代以降、隋も唐も宋も元も中原を支配した王朝は全部異民族王朝。
漢民族の王朝は明だけだけど1000年以上後の話だから交雑は進んでいただろう。
ついでに清も異民族王朝だな。
862 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:29:56 ID:njDjdK7r0
>>858 で、日本史すらロクにしらないお前はどこの工作員なんだ?w
現在のイタリアを馬鹿にしても
古代ローマの歴史に興味を持つ欧米人は多い。
三国志と現代中国に対する日本人も似たようなものだ。
蒼天航路は赤壁あたりから話が意味不明になった。
865 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:33:46 ID:I6NUKkeI0
>>864 たしか官渡で原作者が死んだんだよな。蒼天の穢れを祓うために誰か袁紹の漫画をかくべき。
866 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:37:31 ID:aov6UvTe0
どうせ文革の犠牲者か農奴か死刑囚の骨だろw
「こやつめハハハ」ぐらいしか知られていないが、園田三國志も結構好きだ。
時代考証や作り(絵がコピーばっかりw)は酷いが、関羽・張飛の諸葛亮に対する嫌悪感が
最後まで解決しない所とかは考えさせられる。
868 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:38:26 ID:njDjdK7r0
>>865 原作無視しまくったんで、董卓の話あたりで原作が抜けてる
蒼天航路は馬超出てきたあたりでクリアした
原作→原案になってるんだよな
王欣太が原作にとらわれずに描きたいとか言って
イ・ハギンは途中で病死しちゃったしな
そもそも捏造大国の支那において三国時代など存在したことすら怪しい。
劉備が日本人だった説もあるし。
三国志ベースの漫画なんだから、こだわらずに読むのがいいよ
873 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:47:07 ID:I6NUKkeI0
>>865 そうだったのか。原作者どおりやれば・・・それでもだめだな。
安い釣り道具だな
875 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 19:57:31 ID:bqJTAXLS0
>18
お願いします
876 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 20:03:58 ID:BHNGJy4u0
>>856 >漢字の使用も含め
釣りなのかもしれないが、それじゃあまったくおまいらの大嫌いな朝鮮人の思考と一緒じゃないか
877 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 20:06:43 ID:njDjdK7r0
>>871 「スタンフォード監獄実験」でググれ。
そうやってキチガイのフリをして遊んでると、最終的にどうなるかがよくわかるぞ。
相手しないでね
>>877 おまえこそな。スタンフォード監獄実験ではないが
支那好きを演じている内に支那人にならないよう気を
つけるんだな。
880 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 20:22:51 ID:njDjdK7r0
881 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 20:31:24 ID:729ONedx0
>>865 死んだのが官渡連載中だっただけで
ストーリーは原作2話目の時点で原作者入院してて
既に設定以外すでにゴンタ任せだが
また朝鮮人か。。。
883 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 20:34:59 ID:myrPdcX30
三国志ヲタって民主党信者多そうだよな。
安い。
>>853 ローマ史の研究ならイギリス
中国史の研究なら日本
これ国際常識だろ
官渡はまあいいとしても(あれだと袁紹がどうみても官渡で戦死してるが)、
赤壁は史実云々以前だからな。
ID:myrPdcX30
こいつチョンくせえwww
>>886 曹操が袁紹見つけて花を投げる時のあの顔は優しかったっしょ。
あのまま見逃して落ちぶれていく姿を見取ったと思うよ。
>>888 花が散ってるシーンがあるから袁紹死亡と見るのが普通じゃないかな。
というか史実知らなかったら多分そう解釈する。
>>856 嫌いなのは中華人民共和国であって、漢ではない。
よく男性は身長が高いと能力が高いと言われてるけど、当たってないよね。
曹操150センチ台
シモヘイヘ150センチ台
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そこはhyde
>>857 ちなみに、東晋皇室は鮮卑系とも言われている。
王惇という名族出身の男が、明帝司馬紹を「鮮卑奴」と罵ったという記録があるという。
また、明帝の髪、目、髭等々の色から察するに、西域人の血を深く引いているという事も考えられる。
> 一部の漢民族は日本に逃亡した。
時代は遡るが、大陸人日本亡命説については、徐福の件もあるのでな。
大陸の優れた刀工が数多く列島に亡命したため、優れた日本刀が生み出され、それが日宋貿易等で主な交易品となったともいう。
> 中国人よりも、当時の漢民族の血を引く者が多い現在の日本人のほうが三国志に興味を持つのである。
後に、日本こそ中国であるとの説を取る学者も現れたという。その説は説得力があるように思う。
>>894 シャアのモデルの人か。
そういや姿三四郎のモデルの西郷四郎も身長低くて軍隊入れなかったんだよな。
身長あんまり関係ないね。ところでシャアは身長低いの?
>>861 なるほど。
ちなみに、
隋は普六茹という、鮮卑系の民族だという。
唐は大野というので、これは鮮卑系というか大和系の可能性も。
宋は沙陀系兵営の出身だという。
元は言うまでもない。もっとも、トゴン・テムル等には漢族説もあるという
逆に明については、永楽帝等はモンゴル系との説もあるという。
898 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 22:03:40 ID:729ONedx0
>>895 日本刀の原型になる蕨手刀が蝦夷地から発掘されてるし
刀工云々の話はただのデマだとおもた
シャアのモデルはレッドバロンでマックスのモデルはブルーマックスか
ルーデルをモデルにするとギャグ作品しかできないしな…
ルーデルは漫画より漫画っぽい人だからな
重傷負った状態で、溌剌と病室に入ってきて、
「さぁ、出撃だ!行くぞ相棒!」と、包帯だらけの重傷兵を引きずってゆく。
…もう、完全にギャグアニメのキャラだろ、これ。
ルーデルは魔王様だからな。
>>898 ソースは、欧陽脩という宋(北)時代の一流の知識人の詩の一節という。
(訳)
伝え聞くところによると日本の国は大きな島であり、土地は沃えて風俗は好い。
その昔徐福は秦の始皇帝に仙薬を取ると偽って、童男童女五百人余を率いて日本国に
渡ったが、久しく滞留して皆年を取ってしまった。多くの工人や農民達がこれと
共に残って、今に至るまで器物は皆精巧である。
当代一級の知識人が言うのだから、少なくとも認識として広く根付いていたと
言えるのではないだろうか。
ちなみに日本刀はその後、倭寇等は勿論のこと、官(明)軍によって
採用されたりして、その威力を存分に発揮したらしい。
>>902 被撃墜30回って普通は死ぬよなぁ…
さて、現代○○人はしょうもないんだけど、ご先祖様の威光で国際的にそれなりに認知されてるって
中国人とギリシャ人は似てるかもしれん
とりあえず紙を発明したのは神だな
906 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 23:33:36 ID:BHNGJy4u0
907 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 23:35:55 ID:myrPdcX30
>>890 明、清、中華民国時代も支那は日本の敵でしたが?
もう言い訳はよせ。三国志ヲタは支那の工作員であることを
いい加減認めろよ。
孔明は190センチだったんじゃない?
909 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 23:41:39 ID:BHNGJy4u0
劉備もでかかった
910 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 23:43:29 ID:729ONedx0
>>906 満州族は漢族に比べて人数的に物凄く劣る少数派だったので
円滑な統治にはどうしたって漢族を採用せんといかんのよ
911 :
名無しさん@十周年:2010/01/02(土) 23:47:55 ID:z1bhr9BL0
>>907 だから、キチガイのフリをして釣りをするのはやめとけって。
本当に狂うぞ。すでにその兆候が出てるようだが。
明にしても清にしても味方だった時代はある
913 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 00:01:48 ID:uvh6DLGj0
>>889 俺には見逃してもらったようにしか見えなかったが・・・
何年かぶりに読み返してみよう。
>>906 官僚機構作ろうとすればどうしてもそうなる。もっともそれでも清朝は
いままでの中国の王朝の中では支配体制がもっとも完成されてた部類の
ものだから宦官による専横は無かったし、歴代の皇帝も擁世帝の「能力主義導入」
のおかげで馬鹿な皇帝が比較的少なかった。
>>910 それでも漢人が軍隊を持つことは太平天国までは厳しく制限してたな。
太平天国後、軍隊を持った連中が軍閥化し清朝に止めを刺したのはこれまた
中国の歴史の通り(軍人が力を持つと必ず王朝を滅ぼすところに行き着く)
中国って、ほんと異民族王朝多いよな
秦からしてそうだろうし、北朝、隋、遼、金、元、清・・・
半分くらいは異民族に支配されとる
917 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 00:21:08 ID:BDic3cfZ0
>>916 西戎とも言われるが、文献上秦は周王の家来が功績を挙げて土地を貰ったのが始まりだから一応中国人
と思ったが、そう言えば周がそもそも中国人じゃなかったな
まあいいか
>>917 そもそも中国自体が異民族の集まりだったんじゃない?
919 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 00:36:00 ID:BDic3cfZ0
>>918 商が一応今の中原にあったわけだし、商人なら中国人と言えるんじゃね?
ちなみに劉邦は楚出身だから異民族かと思いきや、先祖は堯なので立派な中国人だな
920 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 00:48:57 ID:U5fUM+ZsO
ツァオツァオはB型
英雄 by KDDI
魏晋の後継者を名乗って民族の歴史を中国化した北魏〜唐は異民族の中でも特殊
>>913 初見は俺もあの後曹操は馬で去ったと思ったけど、
よく考えたら戦場で敵の大将に会って見逃すか?
あれで袁紹生きてると思うのはやっぱ史実知ってるからだと思う。
924 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 01:35:27 ID:wQvSG2zu0
>>915 > 漢人が軍隊を持つことは太平天国までは厳しく制限してたな
とはいえ、漢人八旗、緑営もある。
> (軍人が力を持つと必ず王朝を滅ぼすところに行き着く)
(満洲)八旗は旗本八万騎と同様、三藩の乱の頃には惰弱化していたともいう。
緑営(漢人部隊)も乾隆期〜嘉慶期には駄目になっていたという。
そこで一種の義勇軍(郷勇)が活躍することとなり、
それがやがて、太平天国の乱を
契機として湘軍や淮軍に発展していくのだが、結局のところ、
そうせねばならぬ事情があったという事ではないだろうか。
というか蒼天航路は歴史知ってることが前提だな。
そのおかげで説明口調がほとんどない。
逆にあれから入るとわけわからんと思う。
蒼天航路の話題が出てるが、袁紹の激太りよりもなによりも、
袁煕のゲーハーっぷりが不憫でならんw
まあ、蒼天航路の袁紹の花はなあ・・・。
心象描写が多いので、あれで挫折する人は多いかも
927 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 03:38:57 ID:PVE0vBdN0
>>895 妄想乙
除福のオサーンの伝説は、紀元前200年以上も前の話しですよ。
日本刀が単なる鉄刀を脱して精錬されたのは、それから1,200年も
過ぎてから。両者の時代の間には、青銅器の時代が入っており、
日本刀と除福には何の関係も無い。
928 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 03:47:09 ID:MpgLockX0
曹操つーとやっぱ洋物交じりの竿ともなるとちょっとおっきいんだろうね
929 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 04:31:49 ID:2GxzDRC+0
陰茎
930 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 04:31:49 ID:wQvSG2zu0
>>927 日本刀歌と徐福は無関係とは言い切れないのでは。少なくともそういう
文言はあるのだから。
徐福の件は象徴的に、亡命大陸人の存在を示していると言えるのではないかな。
亡命大陸人の存在があって、優れた技術が伝えられ、
やがて日本刀や優れた工芸品が生み出されるようになった。それもそのはず
元はといえばその優れた技術は我々(漢族)が、かの島国に持ち込んだのだのだ、
という認識ではあるまいか。
「それは事実に反する。異論がある」
というのならば、
そういう認識をもった方々(
>>904参照)に対して、苦情を申し入れるしかあるまい。
妄想云々と私に苦情を言ったところで問題は解決しないと思う。
931 :
名無しさん@十周年:2010/01/03(日) 04:39:22 ID:zab/qCoL0
曹操の陰茎って見えたわ、もう寝る。
古事記も日本書紀もまともに読んでない
国士気取りのキチガイどもに
とやかく言われる筋合いはねーな
批判するならまともに勉強してから出直してこい
>>924 幕末の日本と同じだな。幕末になると武士が使えなくなったので幕府や長州は民間から募集した別の軍隊を
組織してたから(武士が完全洋式化してた佐賀藩や戦国の気風を残してた薩摩、会津は別として)。
>とはいえ、漢人八旗、緑営もある。
これは明滅亡前から従ってる漢人とか比較的忠誠が期待できる集団のような。元の漢人諸侯みたいな
感じの。