【歴史】武田信玄が家臣にあてた2通の手紙が見つかる 実像を知る手がかりに
1 :
◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:
戦国武将武田信玄が、家臣の山本勘助にあてた手紙2通が群馬県安中市の民家から見つかった。
勘助の記述は1969年に北海道釧路市の民家で発見された「市河文書」以来で、実像を知る
手掛かりとなりそうだ。
山梨県立博物館の海老沼真治学芸員(31)が確認した。いずれも手紙のあて名は「菅助」。
書式や字体は信玄の時代のもので、花押と呼ばれる信玄のサインもある。
1通目は1548年に書かれたもので「忠信無比類次第候」と、勘助の長野県の戦いでの活躍を
たたえ、山梨の関所で徴収した金を褒美として与えるという内容。
2通目には「小山田種物相煩既ニ極難義候」とあった。「種」は「腫」とみられ、重い病気を
患っていた小山田という信玄の家臣について見舞いに行くように勘助に依頼したもので、1551年
に書かれたと推定される。
海老沼さんによると、以前には勘助は軍書「甲陽軍鑑」など江戸時代以降の文書でしか名前を確認
できず、存在を疑問視する声もあったが、市河文書が発見され実在に疑いはなくなったという。
▽47NEWS
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122601000051.html 依頼がありました
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1261624299/474
2 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:49:28 ID:6drQsG+G0
ホモの嫌いな歴女なんていません。
小山田なんとか、って、風林火山で田辺がやってて、嫁に殺された奴かな。
4 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:51:00 ID:dn8Df91g0
山本勘助って実在したかどうか謎じゃなかったの?
5 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:51:11 ID:FPXqJ7S/O
また浮気がバレたのか
6 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:51:13 ID:kmtKx8GV0
なんだてっきりまたラブレターかと思ったのに
7 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:51:24 ID:7L4k4Z6pP
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/ ☆謙信は女☆ / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
8 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:51:51 ID:ku6O5dK5O
昔大河ドラマで信玄だけ見てた。
つつじがさき館にも行った。
9 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:52:11 ID:ppFx8rhn0
その手紙に『隠し金山』のありかを示す記載はなかったのか?
蝋燭であぶれ
11 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:52:58 ID:r3UgFmEI0
腐女子歓喜するべき
12 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:54:03 ID:t1F/+mLw0
勘助なのに菅助って間違えたのか。
13 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:54:22 ID:kmtKx8GV0
>>4 最近はまた 本当に居たんじゃねっていうのが主流になっていて
この発見がまたその説を後押しするってことだな
捏造だって騒ぐひともでるだろうけど
こんな綺麗な子が女の子のわけないでしょ
ってかんじで
こんな有能な武将が居るわけないでしょ
っていう話で否定されたいたのかなぁ
今じゃ前田慶次郎とかも漫画だけをみれば
こんな武将実在してるわけねーって思うようなものと同じかな
いやマジあれ浮気じゃねーって
15 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:54:38 ID:P5wde5Ij0
>>7 上杉謙信女説って腐女子かゴミ民放とか何かのトンでも妄想説かと思ったら
地元では結構ポピュラーらしくて歴史板でも熱く語られててビックリした
浪漫があるな
16 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:54:53 ID:pLLYHp6S0
コッペパーン ジャム塗ったらアーンパーン
懐かしいな。風林火山最高だった。
いわゆる軍師かどうかはべつとして、腹心だったのはたしかだってこと?
18 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:57:11 ID:eKOabfzG0
時期的に見て見舞い先は小山田出羽守信有か
19 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:57:11 ID:7QEdE8bdO
>>4 70年代に墓が見つかったやろ。
存在してたけど、どんな人物かは未だ謎。
20 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:58:14 ID:bzZr/aj20
山本山?
21 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 09:58:48 ID:mcQ2QNWr0
山本勘助=山本菅助
22 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:00:08 ID:RstErCNXO
腐女子はなんで信玄に萌えないの?
23 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:00:47 ID:YjRfnNTXO
安中市か 本物だな。紙質みれば
24 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:01:34 ID:C8TKBIe7O
書面
「やらないか?」
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/ やらないか / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
>>12 あの当時いろんな当て字があるから。辞書が無い時代だから書く人が漢字が思い浮かばないド忘れした
場合はそうなる。
>>15 ただ女性は高野山に登れないって言う
決定的反論があるからねえ
28 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:02:54 ID:MpQkXqB1O
信ちゃんも勘ちゃんもどちらも本当にいたんだね
>>22 バカ、普通に萌えてるぞ。
よくあるパターンが、
信玄×上杉謙信
信玄×高坂弾正半ズボン
時々、
信玄×勘助
も見かけるがこれは歴女っつうより風林火山腐女子だ。
30 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:03:23 ID:+aXEEjM1O
やっぱり名前の字ちがうのな
>>18 小山田はたしか砥石崩れの時に負傷してたからそのケガからくる
病気だったのかもな。
>>27 あと京都に行った時比叡山いったり、大徳寺行ったり、大坂の本願寺で顕如と
会ったりしてるから。。。
32 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:07:01 ID:m+oJHA8T0
山本五十六って子孫のうちに養子だよね。
実在が疑われていたなんて初めて知った。
> 風林火山腐女子
ンなもんまでいるのか…
34 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:08:32 ID:kmtKx8GV0
35 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:08:59 ID:tEIh2cQk0
信玄⊇σ⊇〃 з まゎレ)σ人ヵゝ〃
ぅらゃまU < ゐぇゑ・・Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
まゎレ)をゐゑナニひ〃カレカノ・・ レよ ぁ・・・ぃぃ ナょ ぁ
(≧ω≦)。。幸せξぅ(´∀`)*。゜*ポワワーン
36 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:09:12 ID:8HAcZ8nL0
騎馬軍団なんて無かったんだろ。金かかるしな
ファミコンの武田信玄ってクソだよな
40 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:10:26 ID:O2olW/YUO
スレタイおかしくねーか
信玄の実像かと思ったら勘助だし、家臣二名かと思ったら勘助一人だし。
41 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:11:26 ID:wsWD07oM0
┳━┳| |
┃謙┃┃
┃信┃┃ ミ∧ 信玄?!
┃参 (\ /ニニヽ / ・|ミ
┃上┃ヽミ/(( ´∀(_0'-/ミ
╋━╋┃ /:::: イ/ /
ヾミミγ"⌒(⌒) /._ゞ 丿|
γ/ ヽ(_//` ||●||'ヽ
/,へ、 ,)( ,‐、 ノ.ノ
/__)/`二ン⌒し/ /〜i ./ ちゃちゃらー
.//" (__) ./ /
/__) / /
風林火山面白かったな
43 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:13:36 ID:IslMFz3lO
>>37 実際に高坂は信玄の衆道相手でしょ
恥ずかしい手紙も残ってるし
>>37 高坂に信玄が送った手紙があるよ。
「他の男と浮気して御免、ほんとお前だけだから許して」
という内容の。高坂も生涯独身だったなぜかwあの時代なら
戦場に行くと現地のオンナに手を出すとトラブルになるから、性処理とし
て若い小姓を使ってたのは普通だったからな。
45 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:15:18 ID:3cV1veTOO
>>37 あれは浮気じゃないんだ!チンポ最後まで入れてないし!だから許して下さい_| ̄|○
の手紙の宛先が高坂だ。
信玄も謙信もただの田舎大名で終わらせるのは
惜しい名将だったな
49 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:18:38 ID:YjRfnNTXO
ホモかぁ
高坂のスピード出世はそのせいだしな
51 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:19:06 ID:5KHJF2OK0
うほっ!いい男
>>47 そんな手紙が後世に残るのも、恥ずかしいな。
53 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:20:00 ID:KcdalB8d0
アッー
男色が当時の戦国武将のたしなみだったってのを
花の慶次で知ったよ
勘助って伝令役だったんじゃないの?
伝令って大名から直接手紙もらえるほど偉かったの?
56 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:22:59 ID:uaM7sOqV0
>〜実像知る手がかりに
てか、名君と呼ばれる親分は、何時の時代も部下にはマメかなあ。
奉公した見返りが基本な時代、下が付いて行く機微のプロみたいな人物だったんだろうなあ。
人間通みたいな。
57 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:23:13 ID:HCRSkXrG0
小山田って岩殿城の?
当時名のある戦国武将で男色の気が無かったのは秀吉だけだったとか。
そしてそれを見かねた家臣が美少年を小姓として仕えさせたところ
「お前、可愛いなあ、妹(姉だったかも)いるか?」
と聞いたとか
59 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:24:13 ID:yfay35mz0
ぶっちゃけ、武田と上杉は過剰評価されすぎ。
60 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:24:23 ID:h/n8JqQd0
勘助宛の手紙がなんで関係無い人んちにあんの
>>48 当人達がさっさと京都目指さなかったから仕方が無い。
信玄なんか今川領を侵略する暇があったら氏真の後見役
と称して織田と弔い合戦してれば京都に早くつけたし、あと
は適当に今川家に息子を入れて乗っ取れば今川領は簡単に
吸収できた。それを息子を自害させたり、北条敵に回したり
と敵を作ることばかり
>>52 そんな手紙を後生大事にとってあった高坂のせいで…w
信玄は運が悪かった。
63 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:26:58 ID:YjRfnNTXO
形見とも 仕官の種とも
64 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:26:59 ID:VcA9IAUW0
東海道中膝栗毛なんかも
当時は女子の読者のほうが多かったりしたのかな?
65 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:27:08 ID:m+oJHA8T0
うっかり歴史に名を残すと恐ろしいにゃー
>>61 そもそも
氏真が上杉と組もうとしてたから、それは無理。
そのことを信玄が今川に問いただして険悪になっていったはずだが・・・・
>>61 現実にそんなアッサリ出来たらやってるだろw
70 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:28:36 ID:yy2ao9gh0
>>59 大権現様にうんこ漏らさせたほどの将を評価しないわけにはいかないし、
幕臣に元武田家臣がたくさんいたしで。
あと大正天皇が武田信玄が好きだったんだったか。
>>57 うん。あるいはその一族でしょ。甲斐で小山田と言えば岩殿の小山田一族の系列なのは
間違いない。
>>56 信玄の場合戦場で家臣にその場で手づかみで砂金や金をあげたり(これは臨時ボーナスで本当の
褒美とは別)、あと手柄に応じてその場でいろんなものをあげてたらしい。だから戦場に行く時はいつも
ご褒美用の荷物がたくさんあったとか。そりゃ人間モノに弱いから。。。あと武田家は鬼美濃に代表される
ように他国出身者が大量採用されており、連中たちの報酬に物品が多数用いられたこともある。
73 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:31:14 ID:yMsduV3ZO
>>44 更に「もう浮気はしませんという誓紙100枚書きます」と続くのだよ。
まさか信玄も400年以上たっても晒されるとは思ってなかったろうな。
ちなみに北条から上杉に養子に行った景虎は武田でも少年時代人質になってたが
「武田の三郎殿と一度契ったら梨地の鞍のように乗り心地がよかった」
という内容の杵つき歌が現存する。
74 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:32:03 ID:uaM7sOqV0
>>52 とは言え、後世の人に、当時は男色が当たり前ってな社会世相が伝わったと言う、
恥ずかしい一級資料には成ったかなw
75 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:32:50 ID:yfay35mz0
>>61 ぶっちゃけ、武田は今川を攻め落して
ようやく天下とか言えるにようになったレベル。
76 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:33:39 ID:T2a762Io0
なんでお前ら男色の話なんだよwww
戦国=男色か
長野業正最強ってことでいいですか?
>>67 そりゃ信玄が今川にすれば仇の織田と結んだり、徳川と通じたりして侵略するような素
振りをすれば今川も考えるでしょ。そんなことせず敵討ちしようと最初から持ちかけてたらよ
かったんです。あるいは北条と今川領は2分割しましょと裏取引して共同で干渉したりと
いくらでも手段があった。何より義信を自害させて妾の子供に本家を継がせて家臣団を
離反させてるのが決定的。
>>68 当人はそのとき上杉と戦争しててそれどころではなかったからでない?
あとで方針転換したけど桶狭間から時間がたち過ぎていまさらの感があり
堂々と侵略しだしたって感じがする。
勘助と管助は別だとなんどいえばわかるんだ。
81 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:36:01 ID:cOoLkAZ+O
天下人の秀吉や家康は男色には興味無かったらしいからな
まわりとは違う人がトップになれるんだ
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ もう浮気しません /ヽ__//
/ ごめんなさい / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
83 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:37:38 ID:FjzzPmXE0
春日惣次郎はBL作家だった
ホモ
85 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:38:13 ID:IslMFz3lO
>>58 その代わり秀吉はロリから熟女まで守備範囲広すぎのド変態なのよねw
>>69 ホロ武者出身から多数の名将が出てるな前田利家や佐々成政とか。正確に大将の伝言を伝えたり
偵察しないといけないからね。
>>70 利家は後年、「昔は信長様と口を吸いあってたな」と恥ずかしげもなく語ってますよ。
>>71 まあ後年から見たら、無敗だったあの家康を敗退させた唯一の武将だったからな>信玄
87 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:39:14 ID:6QBAJaaT0
どうみても使いパシリの忍者だろ。
新田次郎も忍者的に扱ってたから、当たってたんだな。
88 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:39:36 ID:T2a762Io0
北のマン所
現物の写真は?
さあ美少女武将画像の直リン
91 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:41:19 ID:YmX6LGRV0
DVDで『武田信玄』を10年ぶりぐらいに見返しているんだけど、
とてつもなく面白いわ。
殺伐としていて、人間の業が渦巻いている。
『風林火山』が甘く、ショボく思える。
勘助は居たけどあそこまでの活躍をする武将ではなかったとかいう説が濃厚なんだっけ?
93 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:42:16 ID:JSe7RY4F0
>>72 よく真田信繁(幸村)の書状で知られる小山田文書の小山田さんは
甲斐の有名な小山田とは別系列なのだそうだ。
名門の名乗る姓でもなし、別系列かも知れない。
>>76 日本の衆道文化ってすごいぞ
「武士道とは死ぬことと見つけたり」の文句で有名な
葉隠でも普通に衆道の手ほどきしてるし
十返舎一九の東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも
陰間茶屋で知り合って駆け落ちしたって作者の公式設定だし
ローマのホモ文化といい、
歴史って、レズの話はほとんと登場しないが
男のホモの話はやたら豊富なんだな
武田信玄と柴田勝家ってそんなに年が違わないんだよね確か。
上杉謙信よりも、柴田の方が年上。
なんとなく変な感じがするね。
96 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:43:14 ID:p81fOHiV0
小山田信有はドラマで田辺誠一が演じてたね。
あの時は奥さんに寝首をかかれたという創作だったし、
砥石崩れの大敗の傷が悪化して死んだという説もあったけど、
実際の死因はガンだったのかな。
なるほど、女性が戦国武将にはまるわけだな…
>>68 現実にそのアッサリをやったのが信長でしょ?
99 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:45:27 ID:uaM7sOqV0
>>72 現代でも信玄堤とか、テストでヤマカンを張るとか、武田家発祥のものが残っているけど、
前にNHKで観た村々の水諍いの収め方が、信玄は凄かったな。
一筋の湧き水を50:50に、病的な完璧なまでに分配していた。
各地に土豪も多い地域だったから、人心掌握術に自然と長けて逝ったのかな?
戦も上手かったけど、内政家としての手腕も凄い人物だなあ。
>>73 >「武田の三郎殿と一度契ったら梨地の鞍のように乗り心地がよかった」
三郎殿って勝頼のことかな?信玄は長男だったから太郎だったはずだし、弟の信繁なら
典厩殿ってなるから。まあしかし面白いもんだな当時の男色も
>>85 しかも相手の女は「皆あの人はいい人だ」と言ったらしい。まあ当人の場合はピロートークが
相当うまかったらしいのでそれで落とされた女がほとんどのよう。旦那の浮気に激怒するおねさん
も秀吉から「いろんなオンナがいるけど、やっぱしお前といるのが一番」と世話をいろいろ焼く
手紙をもらって大喜びしてるという話がある。
>>78 そりゃ尻餅だろう。パンパンと
>>98 あっさりではない。斎藤義龍が生きている間は京どころか美濃もろくに攻略できていない。
というか、斎藤義龍はもっと評価されるべき。あの親父を殺ったほどの男なのに。
102 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:48:43 ID:yy2ao9gh0
>>86 つか、俺は若い頃は犬千代を離さなかった!
毎晩こいつと・・・
そんな話を、公然と。
利家の奴、なんてうらやましい!
そこで利家、頬を赤らめる。
そんな話を聞いたぞ。
男が男にやられたり
部下も親族も平気で裏切るし
守ってくれる警察も法律もない
戦国時代ってまったく油断も隙もないな
とても俺は生きられそうにないやw
>>99 あの当時の領主のメインの仕事は訴訟だから訴訟がうまく処理できないと大名としては生き残れない。
しかも信玄の領国は6公4民(税率60パーセント)と重税だったのに,めぼしい住民反乱が
起きてないのも当人の領国支配が巧みだったというのが分かる。ただそういうやりかたが信玄の
死ぬ前くらいに限界が来ており、懸案がすべて勝頼に押し付けられて貧乏くじを引いてるところ
はある。
105 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:50:59 ID:Hh1W5gsGO
これはいくらぐらいの値がつくんだ?
106 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:51:07 ID:+/G9rkc10
>>101 つまりあっさり攻略された龍興はダメだったとw
107 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:51:15 ID:uaM7sOqV0
>>101 義龍は若くして死んでるよなあ。信長からヒットマン飛んだのかな?
108 :
ボンクラ親父:2009/12/27(日) 10:51:40 ID:ppFx8rhn0
勝頼と秀頼。親父が偉すぎると息子の末路が哀れだなぁ。
そのことに早くから気づいていたオレは『ボンクラ親父』の
ふりをしてるんだけど・・・
また浮気弁明の手紙かと思ったのになんだよ。
110 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:51:48 ID:3cV1veTOO
111 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:52:18 ID:ikBXo0090
>>102 利家は昔の男の信長の前に出る前には年をとってからも大根をくわなかったという。
なんつぅ乙女心
犯人は・・・・さるの・・・こしかk
って大いんぐメッセージですね
113 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:52:51 ID:JSe7RY4F0
>>99 三分の一に分けるやつじゃないかな。
あの分水工は、現代の技術にも通じる巧みなものだ。
>>107 謙信も暗殺されたっけ説あるしな
トイレでふんばってるときに脳溢血が主流だが
>>100 この三郎は北条三郎(上杉景虎)の事だぞ。
武田人質時代の話。
116 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:53:45 ID:yMsduV3ZO
>>100 景虎は北条家の三男だったからね。
美少年ぶりは有名で京では「三郎殿と一発やれたら梨地の鞍と引き換えてもいい」
という戯れ歌もあった。
当時梨地の鞍はすごい高級品だったらしい。
>>101 義龍はオヤジが実現出来なかった領国の一元統治を実現させてるというほうが
評価できる。土岐氏の子孫という大義名分を利用したとはいえそれなりの手腕はあったん
だろう。それにオヤジとの合戦でもオヤジを凌駕する動員数を獲得したうえにオヤジを
驚嘆させるほどの合戦のうまさを見せたらしい。
>>110 確か勝頼って三男だよね?
なんで四郎なんだろう
>>100 嫡男だから太郎というのは、おかしいよ。
120 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:54:59 ID:YjRfnNTXO
武田は金 金がすべて よって なくなれば 終わり
121 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:55:32 ID:JSe7RY4F0
>>118 信長も長男だが三郎。
庶子が2人くらい上にいるのかも知れないが。
122 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:56:10 ID:uaM7sOqV0
>>113 そうだったw 三分割の話だった。 Orz
>>120 甲斐も信濃も貧しいところだったからね。
売るものもろくにないし。
124 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:56:23 ID:qXqfSg2bO
山本勘助ってずっと実在しない人物と思われてたんだよね
125 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:56:42 ID:ikBXo0090
兄弟 武田義信、海野信親、武田信之、武田勝頼
仁科盛信、葛山信貞、武田信清、黄梅院、
菊姫 他
4番目らしい
小山田信有でしょうかね
127 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:58:47 ID:uaM7sOqV0
>>116 美少年の尻は皆に狙われていたんだなあwww
128 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:58:57 ID:T2a762Io0
豊臣秀吉・・・秀頼・・・・淀君
野村克也・・・カツノリ・・サッチー
武田信玄・・・勝頼・・・・諏訪姫 ←
劉備玄徳・・・劉禅・・・・諸葛亮
宮崎駿・・・・吾郎・・・・鈴木P
>>121 当時、太郎と名づけると幼くして亡くなるという風潮があったのも影響してるだろうね。
太郎ばかりでなく二郎も避けて嫡男に三郎と名づける家は多かった。
130 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 10:59:29 ID:8h5WBTBpO
はようはよう
鉄砲櫓を沢山建てれば上洛なんてすぐ出来るのにな・・・
なるほど勉強になる
信長には兄がいたんだよね
随分親戚連中とはいざこざが絶えなかったようだが
134 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:00:13 ID:JSe7RY4F0
>>126 群馬県安中市ということは、真田配下の小山田である可能性が高い。
戦国後期から江戸初期にかけて真田氏の所領になってた地域だ。
135 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:00:30 ID:yy2ao9gh0
>>124 後の人間が持ち上げまくったから。
うそ臭い話ばかりだ!って事で。
存在その物も、うそ臭い!と。
136 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:00:59 ID:EqNHOhLaO
悲しいかな信玄と聞くと変態糞親父しか思い浮かばなくなった
>>107 馬に乗ると足が地面につくというくらい、あの当時としてはけたはずれのの大男だったからみたい。それで体力がついていかず
過労死したのかと。
>>110 となると三条夫人の3男のほうか?
>>116 甲斐や相模に遊びにきてた公家が京都で言うくらい美形だったんだろうな北条の三郎は
>>114 多分脳梗塞でしょ。上杉謙信は一日に何回も服を着替えてたというくらい暗殺を警戒してた。
何よりあの当時の大将の周辺は警備が厳重で忍びも配置されてるから難しいかと。
138 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:02:20 ID:ikBXo0090
信広って兄貴がいたらしいな、信長
139 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:02:28 ID:L0vTfWQl0
勘助、やらないか
民家からってどんな状況で見つかったんだろう
142 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:04:39 ID:uaM7sOqV0
>>114 肥壷に潜んで、下から一突きって話だったっけ?w
信玄も色々死因があるわな。
徳川のスナイパーに射殺されたとか、胃潰瘍とか、胃癌とか。
三年死を隠せってなもんで、未だに発見されて居ないんだったっけ?信玄の遺骸は。
143 :
信玄:2009/12/27(日) 11:04:42 ID:ppFx8rhn0
どれどれ、2chへのカキコも程ほどにして、今日も朝から
隠し湯に麗しき者と入ることに致そうぞ。
144 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:05:04 ID:wsWD07oM0
>>47 歴女という名の仮面をかぶった腐れたオナゴどもがなぜ
戦国時代が好きか分かったよな気がするw
>>137 ほー初耳
謙信は自分は毘沙門天の生まれ変わりだから
死にはしないと泰然自若としていたと思ったが
リアリストの面もあったんだな
>>141 民家からって言ったって、昔の庄屋の蔵の中から、とかそんなのかもしれないよ。
>>141 田舎の民家なめんな
空襲にも遭わず戦前の貴重な資料盛り沢山だぞ
148 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:06:25 ID:IslMFz3lO
>>123 だから信玄が死ぬ頃には金山の鉱脈がつきかけてた→財政難で重税→土豪や住民の怨嗟
→織田や徳川への離反相次ぎ滅亡
なんてことに。信玄がリスク覚悟で今川を攻めたのも安倍金山欲しさだったとか。
金山が無くなるとたちまち武田は崩壊するというリスクを認識してたんでない?
>>142 信玄の遺骸はすでに荼毘にふされてる。というか3年たって死が公表されて正式な葬式が
営まれてる。それまでの間、遺骸は壷に密封して保管してた。高坂が坊主になって裸足で葬列に
付き従ったという話がある。
150 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:07:58 ID:yeqLZqIJ0
「いくさ怖いよ〜。帰りたいよ〜。」って内容であって欲しかった。
151 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:08:01 ID:L0vTfWQl0
>>143 あんだけの温泉マニアの癖して、なんで石和ごとき見つけられなかったんだよバーカバーカ
高坂弾正アッー!
153 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:09:33 ID:fKnSS2eUO
高坂弾正への恋文じゃないのか・・・。
154 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:10:22 ID:svcGlGcn0
武だけは戦国初の連合政権
155 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:10:28 ID:JSe7RY4F0
やっぱり、ウホッのスレになってしまった。
信玄・・・お前って奴は・・。
156 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:10:29 ID:ikBXo0090
>>145 あの当時暗殺されるというのは普通に死ぬよりも、滅茶苦茶恥ずかしいことだから大名は皆警戒してました。
鬼義重の佐竹さんは毎日、寝場所を換えたり寝るのも畳の境目を避けるとかしてた。信長も暗殺を警戒して
京都にいるときは妙覚寺や本能寺といった当時、京都では軍勢を連れて要塞みたいな軍事施設内で滞在して
たわけです。ただたまたま茶会があるからと2000人の親衛隊を妙覚寺に移して一人だけ本能寺いたのを
アボンされたけどw今に通じるリスク管理が結構この時代でもある。
158 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:12:52 ID:uaM7sOqV0
>>149 >信玄の遺骸はすでに荼毘にふされてる。
>というか3年たって死が公表されて正式な葬式が〜
なるほろ、さんくす。
”現物”は保管されていたんだな。
159 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:13:09 ID:yy2ao9gh0
>>155 謙信なんか、女とはヤラずに男ばかり・・・
信玄だけ、言われるんだよなw
161 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:14:09 ID:ikBXo0090
162 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:14:30 ID:aM5/JTCg0
山梨県民は なんで 金に貪欲なの??
163 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:14:32 ID:z0tozuc6O
>>144 伊達政宗も部下に宛てた
「浮気疑ってゴメン!君の事が好きすぎて不安になっちゃったんだ」
的な書状を子孫によってさらされてるよ
>>151 石和は戦後になってから畑に噴出してきたんでなかったかな
>>158 謙信の遺骸も壷に入れられて幕末までは上杉家で「永久保存」されてたらしい。謙信のほうは
葬式しようとしたらお家騒動&信長が多方面から越後に侵攻してくるとそれどころではなかったか
らそのままになってしまったのかもしれん。謙信も後継者については信玄同様失格だな。
戦国の美少年小姓は変態の殿にセクハラされ、合戦では殿を守る護衛となりで大変だな
167 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:17:01 ID:RzzLGMzi0
「山本勘助は生きている。御用心。―――」
>>166 その分、いきのこれば確実に出世するからな
まあその大名がつぶれたら終わりだがw
だが殿に「小姓やらないか?」といわれて
断ることはできなかったろうなー
謙信はオネエマンか性同一性障害だったんじゃね?
情 人
.. け 人 は
ゞミミヾミ゛ヾ、,》,, ● :: ヽ ヽ は は 石
ヾ,,彡〃 彡((∧ :. 仇 味. 城 垣
ヽ ヽ ,彡 ,,ミ * ゙) :: は 方
彡ミ彡彡ミミ〃 ,,つ :: 敵 人
/ i/(^ヽ_ ノ :: ヽ ヽ な は
ヽ ヽ く_、__〃__, -、,,)ヽ :. り 堀
(# ( ヽヽ_) :. り
(_/ ̄て__/ ヽ ヽ ┳┳
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
172 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:18:17 ID:TZP8TUfc0
173 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:18:42 ID:1tMNQmBJ0
直江兼続も小姓経験者らしいよ相手は上杉景勝
174 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:18:47 ID:JU6FQR55O
てか昔はアッー!は男の嗜みじゃ…?
175 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:19:03 ID:JSe7RY4F0
>>159 謙信は清廉で禁欲的なイメージが強いから。
信玄はどうしても脂ぎった強欲ジジイのイメージが強い。
やっぱり、大義を重んじる謙信と、
平気で親族を裏切り息子まで殺す信玄の差だろう。
176 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:20:08 ID:yy2ao9gh0
>>161 石川賢が、乳モロ出しの
謙信をかいていたな。
いまのジャニー喜多川だなww
>>149 信玄は謙信や信長と違って、海を通じての、貿易で富を作ることがほとんど出来なかったからね。
179 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:23:13 ID:fDIZWfpE0
昔は男色は嗜みだったんだよな?
なんで廃れたんだろう、残ってても困るけどw
181 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:24:13 ID:ikBXo0090
神聖隊ってホモ精鋭部隊があったよね
>>175 信玄はある意味人間臭い
逆に謙信は現代の視線から見ても
ちょっとありえないほど欲がない
よきライバルだったと思う
183 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:25:03 ID:P5wde5Ij0
>>173 大河ドラマそんな感じだったな そういう事か
なんであんなつまらない人物の大河が1年間高視聴率だったのか不思議だった
閻魔大王に身内を返してもらえって部下の家族を斬った話もやらなくてひたすら美化してて変な感じだった
184 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:25:16 ID:T2a762Io0
>>182 欲がないのは、マジメな仏教徒だったからだろう
185 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:25:23 ID:McxcZnUn0
◆学者らは言う。一九六〇年代、釧路で発見された「市河文書」に
「くわしくは山本管助が口上で申し上げる」云々といった文書があり、
信玄の時代に「山本管助」なる人物がいたことは疑いない。
昔は当て字などは日常茶飯事であったから、この「山本管助」は「山本勘助」と見て
間違いあるまい――。
◆ちょっと待って欲しい。本当にそれでいいのか。
◆架空人物説を説く奥野高広氏を除けば、管見では、「市河文書」の「山本管助」イコール
「山本勘助」にはっきりと疑義をはさんでいるのは、笹本正治氏だけである。
あとは「『甲陽軍鑑』が説くような軍師ではなかったが、信玄の使者として他家へ派遣される
ほどの重要な役割であった」とか「実在はしたが軽輩の者だった」という譲歩つき(?)の意見が
ある程度で、ほとんどが「市河文書」で山本勘助実在!と大して検証もせずに
決めつけてしまっている。
◆「管」と「勘」。些細なようでいて、問題は案外重大だ。著名な武田研究者の中には
「こうした疑問自体がおかしい」と言う方もいる。健全な研究姿勢とは言えない。
山本管助は信玄が派遣した重要な任務を与えられた使者である。
その自分の使者の名前をいい加減に当て字で記すだろうか。
たしかに武将の名前や土地の名前など、いい加減な字をあてる例は多い。
だが、それは軍記や聞書きなどであって、きちんとした書状ではむしろ珍しいのではないか。
音のみを聞いた第三者が「たぶんこういう字だろう」とか「この字でも当てとこう」などと
書くのならば、わかる。そういう例を筆者は知っている。しかし、この山本管助の場合は、
ほかならぬ主人の信玄(の指示を受けた右筆)が書いているのだ。自分の代理人の字を等閑に
するほうがおかしいのではないか。
186 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:26:48 ID:JSe7RY4F0
>>178 出来なかったというより、そういう才覚が無かった。
武田氏領地で最大の商港である清水を、直轄領にしなかったことを見ると明らか。
戦国三英傑
越後の龍・甲斐の虎・肥前の熊
マムシの義息やら猿やら狸なんてこれらと比べたら小物
>>166 小姓になれる、利発でかつ美形でないといけないという条件があった。その代わり
側近だからそのあとの出世も早いしヘマしない限りは重臣になれるわけで。信長なんか
小姓を秀吉や勝家の次の次世代の重臣と考えてたフシがある。
>>175 というか謙信も結構エゲツないことしてるよ。関東に毎年侵攻する度に家来には現地での
略奪乱暴を公認してたし(北国の出稼ぎ感覚と考えたらいい)、信玄同様に人売りもしてた。
信玄の親族を抱き込んで危うく反乱寸前までにもっていったりと謀将としての側面も。
あと京都に上洛してたのも幕府から特権授与(田舎の大名には威力あり)や、本願寺と
の政治交渉とか実利面のほうが大きい。
189 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:27:17 ID:ppFx8rhn0
信玄の甲州金を勝頼滅亡時に信長さまが接収し、その金で
秀吉が天正大判を作ったんだけど、大坂落城の後、家康が
焼け跡から拾い集めて、それを幕末に小栗上野介が赤城山
に隠したとしたら、徳川埋蔵金はかなりあると思うのだが。
190 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:27:38 ID:uaM7sOqV0
>>184 一生ちんこ使わないから、戦に勝たせてくれ!って毘沙門天に祈っていたが、
本 当 に そ う だ っ た の か ? w
191 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:27:48 ID:qBM9Hzhc0
>>185 逆に、甲陽軍鑑の方が当て字にしてるのかもしれないじゃん
192 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:28:21 ID:T2a762Io0
信長はただの大量虐殺者
>>183 直江とえいば真っ先にそのエピソードが浮かぶんだが
大河のキャラでどう描くかちょっと楽しみだったのに
がっかりだ
略奪、奴隷売買で、イナゴのように食い散らかすだけの武田信玄。
195 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:28:57 ID:qXqfSg2bO
おまえらモーホーが大好物だな
>>186 というかそういう発想がなかったんでしょ。内陸国の大名の悲しさ。関所を
作って通行税を取るのに港で関税をかけるという考えが思いつかなかったん
だろうな。北条でさえ伊勢からコメをフネで買い入れたりと海運をかなり利用
してるのに
198 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:29:43 ID:Rx+Qy7QaO
岩殿山城を見ると小山田の方が武田より格上に思える
199 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:30:10 ID:ikBXo0090
>>184 女犯はしませんと誓ってるけど 小姓とはやる気まんまんだったんでは?
200 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:30:12 ID:JU6FQR55O
ところで人の手紙をあれこれ言うより自分の身に何かあったら
パソコンのハードディスク内のマル秘データはどーすんのよw
201 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:30:57 ID:uaM7sOqV0
>>190 少年趣味のガチホモの女抱かない神への誓いとか、あんまり意味無いよな
>>191 おれもそう思う。
ぎゃくじゃね?考え方が。
それと、今回の手紙見ると
武田の中で結構重要な役割だったみたいだな。
甲陽軍鑑も費のないところに煙は立たないということか・・
>>189 埋蔵金ネタはガセ。あの当時の幕府にはすでにカネが無い状態だったから。あるように
帳簿上はなってても実際はピンハネやらいろんな裏金作りなどで消えてたんです。今の
時代の特別会計の埋蔵金とかいう話に通じる。
205 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:32:25 ID:yy2ao9gh0
>>190 実際、そんな説を唱えてる人はいる。
思い込みが激しいのは、間違いない。
206 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:32:54 ID:IslMFz3lO
>>187 熊ってぜんぜん人望無かったんじゃないっけ?
207 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:32:54 ID:8mxIgGybO
どうせならホモラブレターが見つかればよかったのに。高坂以外宛ての
208 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:33:03 ID:kovjbGBA0
これって また信玄公のホモ・ラブレターが出てきたん?
209 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:33:42 ID:xQKQLUId0
本能寺の変と武田滅亡は大いに関係ある
武田滅亡で家康は領土を拡大する余地がゼロになってしまった
本能寺の変で信長が死んだ後に家康が真っ先にやったことは、
甲斐・信濃の横取り
211 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:34:37 ID:uaM7sOqV0
>>183 上杉家大凋落の大元凶だったのに、何故か人気者だよな?
212 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:34:54 ID:D1ceTDr80
昔は武士階級でも、結構当て字で手紙を書いてる。
西郷隆盛の手紙に坂本良馬とあるし、新撰組隊士の手紙にも新撰組と
書かれたり、新選組のもある。
213 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:34:59 ID:PDwUOwrZ0
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/ きたらすぐいる? / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
一国の武将は寝屋で召抱えの美少年となにするんですか? ゴルゴ13みたいにお任せマグロすか?
謙信は総受けってことか?
腐が泣いて喜びそうだなww
216 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:35:36 ID:yy2ao9gh0
>>199 そもそも、衆道ってのはお坊さんが
やりだした事だから、問題ないw
217 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:37:45 ID:wsWD07oM0
大河ドラマの主人公を善人に描こうとするから問題がおこるんだよ。
徹底的に人間臭いところをだせばいいだけなんだ。
人間的によい部分、悪い部分をだして初めて人間臭さがでいい味がでるというのに。
近頃のテレビを作ってる外道どもはなにも理解しておらん。
218 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:38:15 ID:JT2pybGzO
すまないがホモ以外帰ってくれないか?
|←陰間茶屋| ┗(^o^ )┓三┗(^o^ )┓三┗(^o^ )┓三┗(^o^ )┓三
飯富チャンは?
飯富チャンはとれたの?
>>200 其の手のものはネットのフリーメールのボックスに隠してある。
だから俺に万が一のことがあっても親族には分からないwあと保険は
親を受け取りにしてるので証券は親に預けてるし、預金もここに
これがあると言ってる。
最近はカーチャンが
J('A`)し<「ここに保険の証券や定期の証書とハンコあるから、ワタシに何かあったらオマエ
はこれで家庭の家計をヤリクリするんだよ。あと失業とかもししたらこれでしのぎなさい」
とか言うんだよね。。。
222 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:41:00 ID:yy2ao9gh0
223 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:41:16 ID:DzwwobUa0
去年見つかった文書で、今年6月くらいにも一度ニュースになってるのに、なんで速報なんだろう。
225 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:41:29 ID:JSe7RY4F0
>>217 斉藤道三の国盗り物語とか、大河でもピカレスクロマンはありだと思うので
次回の大河は、松永久秀を是非。
>>217 うむ同意
たとえば当時の仏教界の腐敗ぶりとかを描写し
真の改革には虐殺もやむなし、とか描くのは
…まあ無理だわな
227 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:42:40 ID:uaM7sOqV0
>>217 多分その通り作ると2ちゃんでは人気になるが、視聴率的には反映されんと思う。
今はそうゆう時代になっちまった。
229 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:44:48 ID:T2a762Io0
>>226 比叡山では、そこに逃げ隠れていた女子供まで虐殺しただろうがwww
腐敗してたからといって、虐殺を肯定していたら日本人は滅ぼされても文句は言えないなwww
230 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:44:52 ID:TFRHIyiJO
>>218 男の娘好きな漏れはノンケだから、出ていかないとダメか。
残念だな。
人は城、人は石垣という言葉は、当時残虐無比といわれた武田軍が実際に
討ち取った首を城や石垣のように積み上げたところから来たもの。
>>226 とはいえ叡山焼き討ちはすでに足利義教の先例があるからな。
>>198 甲斐のうち武田が支配してたのは3分の1であとは小山田と穴山がそれぞれ
3分の1ずつだったから。格下に見えるのは当たり前。
>>211 いろんな側面あるからな
肯定的に見るならーあの利己的な時代でバカみたいに義を唱えた
否定的に見るならー義に拘って家を危うくしたバカ
と
233 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:48:46 ID:Pettz7DZ0
ホモレターとっておいてやるなよ
234 :
ろくじゅーに ◆a6YZmhZsck :2009/12/27(日) 11:49:14 ID:NMXF194o0
山縣は?
山縣の恋文はみつかったの?
>>229 信長の理屈だと「寺なんだから世俗の女子供なんていないはず、いるとすればそりゃ悪魔の化身」
ってところだろうなw
236 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:51:44 ID:ikBXo0090
の、信長ってKYな人だったんだね;
>>229 >
>>226 > 比叡山では、そこに逃げ隠れていた女子供まで虐殺しただろうがwww
>
比叡山そのものは焼かれていない。
焼いたのは山下の坂本。
まぁ虐殺そのものは否定も肯定もしないがな。古今東西、為政者にとっては宗教(狂信者)はやっかいな敵ではある。
238 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:52:15 ID:IslMFz3lO
>>229 比叡山全山焼き討ちってのは誇張な。
麓と中腹焼いて「糞坊主共あんま調子乗んなコラ」
程度。比叡山の正式調査
239 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:52:51 ID:L0vTfWQl0
>>198 あんなとこに城を作った時点で気が狂ってるとしか思えない。
ナポレオンでも落とすの無理だろあれ。
>>226 実際には、越前と長島くらいしか虐殺はない
それも実は何度も和平工作を行った末のこと
そしてこれが、結果的に日本を世界でも例のない
政教分離の政治体制を作り出したきっかけともなった
241 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:53:35 ID:Flx1rWyrO
どうせアッー!の話だろ
242 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:54:18 ID:JSe7RY4F0
>>231 志賀城だっけか。
後詰に来た兵を討ち取って首を城の前に並べたというのは。
で、落城したら女子供を奴隷市場に売り払った。
武田・・・。
243 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:56:01 ID:L0vTfWQl0
>>229 なんで女人禁制のはずの比叡山に女子供がいたのか理解できてないようだがw
逃げ隠れてたんじゃないぞ。もともと住んでたんだ。
244 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:56:04 ID:p0tOyOYiO
信玄とホモ関係だったのは、高坂弾正だろ。
>>238 足利義教のやったことの踏襲みたいなもんだな。
>>240 長島の場合は、一揆側が織田との和議を何度も破ってるから
あんなザマに。越前の場合は一揆側の自滅。
246 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:57:51 ID:rlrU+ZHt0
>>91 正月から何故かヒストリーチャンネルで武田信玄やるみたいたから、
期待して見てみるわ。風林火山しかしらねえから。
しかしこのスレ面白いつか、おまいらくわしいな。
247 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:58:36 ID:ATpJcHQd0
小山田は秩父氏の流を汲む名族
発祥の地は東京都町田市
小山田という地名が存在する
248 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 11:58:44 ID:JSe7RY4F0
>>239 落ちない城はない。
インドカシミール地方には、ヘラクレスが落とせなかった岩城というのがある。
断崖絶壁の上に立つ岩屋だ。
これをインドに侵入したアレキサンダー軍は、現代で言うところのハーケンを用いて
よじ登り、あっさり落とした。
それ以来、その地方ではアレキサンダーは翼を持つ兵を率いてきたという言い伝えられてるそうだ。
かんすけ捏造説を唱えてた奴涙目か
250 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:00:14 ID:L0vTfWQl0
>>248 一方で、落ちてない城はあるぞ。
岩殿山もそうだし。
一向宗の人はどうして
そんなに信仰が強かったんだろうね?
信長と戦わなくては破門だなんていわれて
それって「死ね」と変わらない気がするが
252 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:00:29 ID:ikBXo0090
堅城チルスも落としてるもんな
タイムマシンで見てきた俺が衝撃の事実を。
武田信玄は美少女
山本勘助って本当にいたんだな
255 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:02:35 ID:Pb5U596zO
伊那の方は「故郷は信玄に侵略占領された」
遠江の方は「故郷は信玄が侵略と虐殺をした」
とじかに聞いたよ。
また、信長の大河ドラマやってくんねかな?
比叡山や、長島、越前のとこをくわしーく詳細に。
そして竹生島事件も
257 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:03:09 ID:xQKQLUId0
>>244 どうだったか、実際のところは解からんよ
話としてはホモしろいがな
258 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:03:23 ID:xc0fFf13O
瀬田の橋はもう、過ぎたか、、、、、
いや!京が見える!
いまひとおし、我が旗を京に立てよ!
・・・・ガクッ。
259 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:03:33 ID:L0vTfWQl0
>>12 当時は普通の書類は音が合ってればおkで当て字しまくりだった
261 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:03:35 ID:9TLrN6MdO
なんだ、濃厚なホモスレじゃないのか。
>>183 その部下の家族を斬った話は面白いが、史実じゃないからな
>>251 仏敵の信長と戦えば
死んでも極楽にいけると
坊主にだまされたから。
狂信者ってのはそんなもんだ
昨今だとアルカイダとかな
よくAAでも貼られる信玄の肖像画も
本人じゃないって説もあるらしい
もっとも今更違うといわれても
あのイメージは強すぎるがな
ホモネタからアレキサンダーまで話題が幅広いスレだな
266 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:06:39 ID:ThYwWIiTO
スレタイだけ見たら
>昨晩は楽しかった。
みたいな手紙が出てきたのかとばかりw戦国武将の嗜みみたいなもんだからとやかくは言わんけどw
267 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:07:03 ID:QfBW3lkL0
今、守護・国人・土豪をネタに修論書いてる。
来年か再来年、投稿論文にするつもり。
明日までに4万字…今5千字…レジュメできてるとは言え…うへぇ
>>251 越中瑞泉寺では、平成の御代にムシロ旗立てて
ジジイババアが籠城したことがあってな・・・ああ、幼い日の記憶。
>>256 竹生島事件は誇張多過ぎ。実際は助命嘆願した坊主は殺されて
ない。それにあの時代主人がいないからと勝手に城を抜け出すなんて
いうのは職務怠慢で切腹ものだ。今でも社長や上司がいないからと
いって仕事投げ出して勝手に外に遊びに行けば職務怠慢で懲戒
処分になる。あの当時の処分は切腹とか手打ちという簡素すぎる
処分しかなかったから
お腹が弱かったと聞いて親近感がわいた。
辛いよな
270 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:08:45 ID:Sfpz2lJj0
これから千年後とかだと、
2ちゃんねる創始者ひろゆきが、運営にあてたメール2通が
群馬県安中市の民家から見つかった。
とかになるんだとろうか。
271 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:09:23 ID:ikBXo0090
>>263 すこしちがう。
蓮如も顕如も政治権力との争いを嫌っている。
蓮如なんか争いがいやで越前から信徒から逃げ出してるし。
顕如も急進的な門徒を押さえようとして弟子を派遣してる。
272 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:09:26 ID:FofxMk2AO
や ら な い の か ?
273 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:09:59 ID:QfBW3lkL0
>>268 少しずらすけど、一銭切りって言葉があるよね。
一銭(・・・今で言うといくらだろ?10円や20円くらい??)盗っても斬る、
ってくらいの処罰概念持ってるからねえ。
274 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:11:18 ID:3wZJjU+E0
__,,,,,,,,,_
, - ' ゙ ゙` ‐ 、
,r'" `>'"二ゝ
/ 彡lllll',ニゝ
. / 彡lllllll
/ .彡llllll
. /___ 彡llllノ
. ! `゙ ' ‐''゙゙゙゙゙''ー 彡,、、
l┬,.、 / _,,,__ '´r、 l
|`''''''' / `'┴''" 〉 ,l |
! / .// 何が仏ぞ!何が神ぞ!
',. ,' ン 肉を食らい!女子を山に引き上げ
',. 〈 ヽ i ≡ やりたい放題ではないか!
', `'' ''' ´ l |
゙、-‐'' ,、、ニ''ー- ノ |
,,,,,,,,,、ゝ `二´ / l`〉'''ー┬―――
l `,、 ,、- ' ./ /| |
. l l ヽ、,,,、.r''" / ./ | |
| | | l / ./ | |
. | | | | / / .| |
| | | | / / .| |
275 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:11:53 ID:Flx1rWyrO
山本勘助の話か
やらないかの話かと思ったw
昔の奴らなんかみんなそうだからw
それはそうと、何百年も手紙って残るものなのな
CDなんてのは、何年か置けば素材が劣化して読み取り不能になるとか言われてたが…
なんかすげーな
276 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:12:20 ID:F+A5ifSrO
えらい昔の記事だな。
大部前に読んだ気がする
277 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:12:33 ID:3wZJjU+E0
__,,,,,,,,,_
, - ' ゙ ゙` ‐ 、
,r'" `>'"二ゝ
/ 彡lllll',ニゝ
. / 彡lllllll
/ .彡llllll
. /___ 彡llllノ
. ! `゙ ' ‐''゙゙゙゙゙''ー 彡,、、
l┬,.、 / _,,,__ '´r、 l
|`''''''' / `'┴''" 〉 ,l |
! / .// 生臭坊主ごと比叡山延暦寺を
',. ,' ン 焼き払ってくれるわぁ!!!
',. 〈 ヽ i ≡
', `'' ''' ´ l |
゙、-‐'' ,、、ニ''ー- ノ |
,,,,,,,,,、ゝ `二´ / l`〉'''ー┬―――
l `,、 ,、- ' ./ /| |
. l l ヽ、,,,、.r''" / ./ | |
| | | l / ./ | |
. | | | | / / .| |
| | | | / / .| |
みなさんホント詳しくておもしろいね
いろんな側面から見ると
歴史ってますます興味が沸いてくるよ。
またラブレターかと思ってwktkしながらスレ開いたのに
コウサカクン宛じゃないの
つまんね
>>271 結局最後は統制利かず、各地で一向宗が弱体化してるときに信長と「講和」という
降伏をしてるな。本願寺出たら助命の上、信仰を認めるというから。
>>273 信長の場合は当時としては相当な神経質で潔癖症だったみたいだから。
しかも食生活が塩分濃度が高いものだったので脳の動脈硬化が進んだのか
感情の抑制がうまくいってない側面が多々出てきてるな。あと糖尿病だった
みたいだし。
282 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:14:19 ID:ikBXo0090
>>242 あの時代にも奴隷身分ってのがあったの?
武田信玄 市川亀治郎
山本勘助 内野聖陽
小山田信有 田辺誠一
戦国時代ってのは俺たちが一般的に思い描くイメージよりはるかにカオスなんだよな〜。
その時代の独特観念とかの違いを調べるとすごいwktkする。
285 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:17:06 ID:wsWD07oM0
>>282 あったよぉ〜借金の方に人を奴隷にするの秀吉が禁止したほどだから。
>>283 むかし、関ヶ原のドラマやってたけど
家康 森繁
光成 加藤剛
で、すっごくみごたえがあったな。
288 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:20:22 ID:QfBW3lkL0
>>282 日本で言う奴隷って、海外の奴隷とはちょっと意味が違う。
別にかたちある鎖をつながれてるわけでも、ムチで叩かれるわけでもないけど、
主従制の中につながれてる。
だから、主人が死ねと言えば死ななきゃいけないし、売り払われることもある。
武士で言うと、「家人」も奴隷だね。
敷衍すれば、山本勘助も高坂弾正もみな奴隷=家内「下人」かな。
>>282 人買いとかいうのがあったからな。
>>284 今と価値観が違いすぎる
・相手に笑われるというのは死ぬことよりもつらいこと
・相手に「臆病者」と言われたら刀を抜いて切りかかるくらいでないとバカにされる
・些細な失敗でも即切腹
なんて殺伐な時代ですから。
290 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:21:17 ID:Flx1rWyrO
解読する奴もすげーな
岸和田城か?で見たことあるが、先人ら、ミミズののた打ち回ったような字を書くよな
あんな暗号よく解読できるよ…
スーパーハカーの素質あるよ解読する奴
291 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:21:44 ID:uaM7sOqV0
>>269 胃関係での死亡説もあるから、ストレス体質だったんじゃないか?w
立場上当たり前っちゃ当たり前だけど。
292 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:21:45 ID:yy2ao9gh0
>>263 浄土と、日蓮はやばいからw
他力本願を捻じ曲げた発想なんだろうな。
293 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:22:37 ID:ikBXo0090
>>288 エ?
そういう奴隷?
なんとなく女郎とか南蛮人に売られていった人とかから想像してたんだけど。。
鎖で繋がれたりもしたんじゃないかな?とか
294 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:24:00 ID:Pb5U596zO
>>山梨県立博物館の海老沼真治学芸員(31)が確認
いいなあ歴史調べて公務員できるんだから。
生まれ変わったら学芸員になろう。
295 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:24:44 ID:rbQ1/NL50
>>290 上杉神社にある謙信のひらがなは、とてもきれいなものだよ。
現代人でも問題なく読める。
景勝の手習い用に書いたと言われてるが、当時の女流の字なのだそうだ。
296 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:25:03 ID:x8fpNFqF0
>>294 学芸員って公務員だったかなぁ
大学で単位とって資格もらうものだったと
記憶してるが。
(分野によってもらえる免許違う)
>>285 こう見ると、朝鮮出兵さえ無ければいいことしてるのにな>秀吉
298 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:26:17 ID:ikBXo0090
それと安寿と厨子王とかも奴隷の話か。
>>286 津川の家康、江守の三成が渋かったなあ。特に津川の家康はほんとに家康か?と思うくらい。
>>292 浄土と日蓮は戦国時代も京都で闘争してるよなw京都の日蓮宗の寺が要塞化(本能寺とか)して
たのもそのためだとか
>>291 あの当時は戦国武将で胃がんでの死亡が結構多いよ。長年の野戦生活で食生活が
かなりひどいものだったみたいで、ガンが出来始める40代になるとガンガン死に出すわけ。
ただ茶道してた連中は抹茶のカテキンのおかげか細川三斎みたいに長生きするヤツも
多かったようで。
300 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:26:37 ID:uaM7sOqV0
>>284 首化粧だったかな?
旦那が命懸けで獲って来た敵武将の生首を、嫁さんと子供がきゃっきゃしながら、
川原で「とーちゃん、出世してね(ハート」って言いながら、生首洗って化粧させて、
上司に差し出すw
現代視点だと、カオスだわなw
301 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:27:07 ID:3vjiw/OC0
やはり小田原城が一番だな
302 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:27:24 ID:B4NmjVGQ0
菅助って菅ちゃんみたいにブーメラン男だったのか きつつき。
信長がおねに宛てた手紙とか好きだな
しかし文化の違いとはいえ
自分のじーさんが男相手に浮気の弁明している手紙とかあったら嫌過ぎる
304 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:28:28 ID:QfBW3lkL0
>>293 加えておくと、身分的に固定された奴隷はない。
あるのは、「侍」(武士を含むちょい上の階層)と「凡下」(ふつーの庶民)。
あと神人とか非人とかの、微妙な人々(近世の賎民ともちょっと違う)。
ここでいう"奴隷"は、凡下の中で、下人として、主人の下に囲われちゃった人々。
もっとも、293さんの言うような、女郎屋に行けば身請けまで不自由だろうし、
南蛮人だと、海外に売り払われることすらあったらしい。
>>290 かな文の読みづらさは異常。
活字化していても意味が分からない禅僧の記録はもっと異常('A`)
>>294 狭き門だと思うがね
まぁ憧れはするよね
306 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:29:37 ID:cL1LBvxXO
>>296 俺持ってるぞ 学芸員の資格 教免とセットで
今は普通の会社員やってるがな
307 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:30:37 ID:Flx1rWyrO
>>295 そうなんだ
上杉神社見に行きてぇなぁ
d
308 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:30:39 ID:x8fpNFqF0
>>306 おいらも持ってる両方。
でも使ってないw
>>297 実際の秀吉はかなり陰惨。人間どこかに闇を飼ってるのか秀吉も多分に漏れず。
女子供を串刺しにして磔、自分の悪口を壁にかかれて管理の役人に残虐な刑罰、
罪人が街に逃げ込むと其の地区を焼き払うとか。あと三木城攻めも飢えてよぼよぼの
兵士を膾切りにしただけとかあまり兵糧攻めも褒められたものじゃない。
合戦の前に勝利をおさめよ。
やっぱり片目びっこで風采の上がらないじじいより、
美少年源助ちゃんのほうが、歴女はお好きですか
312 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:33:58 ID:m0MT6Kk10
アッ・・・なんだ違うのか
>>300 あの当時は首実検は保存や衛生状態の関係で現地でやってそのまま現地埋葬じゃなかったのか?
>>304 禅僧は和漢混合文みたいなのが多いから読みにくそうだな。漢文なら漢文、和文なら和文で
書いてくれたらいいのに。やはりレ点とか入れて読むの?
314 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:34:57 ID:cL1LBvxXO
勘助、川中島で死んでるから
戦国時代後も残った家にまで名前知られるほどは活躍できなかったのかね
武田で名前が有名な武将って織田や徳川相手に活躍した人中心だし
316 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:36:21 ID:QfBW3lkL0
>>294 狭すぎ。
どんな田舎の学芸員でも、全国から殺到するよ・・・
まず資格として、学芸員資格と、博士取ってね・・・
失敗すると30半ばで職がないよ・・・
だから俺はあきらめたw
資格と教免と修士はあるけど。
>>309 三木城の話は宇喜多直家宛ての書状にあったな。
串刺し磔の話も、播備作国境で、数百人単位、だっけ。
どっちも秀吉の備作国人向けプロパガンダのような気もするけど、
果たして本当は・・・?
317 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:36:33 ID:Pb5U596zO
>>296 ああそうかね
「県公務員でかつ博物館の学芸員」になろう
って訂正するわ
>>316 誇張が多少あるとはいえ、それに近いようなことはしてたんじゃない?竹生島事件も誇張が過ぎるとは
いえ実際にあった話から来てるのを考えたら。後年も秀吉は謀反した宇都宮氏の一族を黒田長政に命じて
磔にしてるのだし。
319 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:41:27 ID:ikBXo0090
くわんすけ
信長にやられた くそーあれさえなければ
>>313 室町〜戦国の武家文書や寺院文書を中心に扱ってるから、
和風漢文っていうかな、「被仰付○○ニ候」、とか、「可申△△」みたいなのはあるけど、
禅僧の漢文は、上に書いたようなのとも、本物の漢文とも違う。
なんか、本物の漢文っぽく見せた、コテコテの飾った、ハク付けようとした和風漢文、ってイメージ。
ごめん、うまく説明できる能力がないや(´・ω・`;)
322 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:45:03 ID:bf821tHmO
夜な夜な戦国武将の精液でケツマンコを満たされる美少年
あー俺も戦国時代に生まれたかったわ
>>304 南蛮人には日本人傭兵(奴隷)は強くて作戦能力もあって重宝がられたらしいな
ただし優秀ゆえに警戒されたらしいが
当時の日本人はかなり好戦的だったらしいけど
民族によってかなり個性があったようでこの時代より400年ほどさかのぼるけど
サラディンはアラブ人は戦う前から高額を要求するくせに働かない、
黒人は最初はとにかく優秀だがすぐに次の金銭面待遇で揉めて結局つかえないみたいなこと残してた気がする。
黒人に関してはW杯で勝ち進むと今でも同様のことが起きてるな
もっとも国が貧しすぎてマジで払えないみたいだが
324 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:45:38 ID:x8fpNFqF0
>>321 要はヤンキーの「夜露死苦」みたいなもんか?>禅僧の漢文
326 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:47:27 ID:iUMa5Y0qO
郵便局の誤配にはうんざり。信玄もお怒りだよ
327 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:49:26 ID:F+GYoEJC0
> 海老沼真治学芸員(31)
真面目な人だったら悪いけど
どうも嘘くさいんだ、このあたりの年齢は・・一発当てたい年頃というか
328 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:49:44 ID:ikBXo0090
あの時代の漢文は今の英語に似た存在だってきいたことがある。
きっとミスターとかルー大柴みたいな感じだったんじゃないか?
禅僧の漢語まじり文
>>325 大体そんな感じw
そろそろ13時…また修論書かなきゃ。
新たなラブレターかと思ったがそうでもなかった
331 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 12:54:32 ID:utMXNP6QO
はよう糞まみれになろうや
>>304 神人って何なんおか気になる?
有名な社の神職とかで血統が保証されてる人?
333 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 13:02:45 ID:ikBXo0090
>>332 ちがう。じにん」てのは寺男みたいな人。
>>332 神社の所属メンバーなんじゃない?たしかあの当時は座の大将が社寺だったので
そこが抱える武装集団も神人扱いだったはず。
豊臣秀吉朱印状(『兵庫県史』史料編2)
定
一 味方の地にをいて乱妨らうせき(狼藉)のともから(輩)あらハ、一銭切たるへき事
一 陣取にをゐて(於いて)火をいたすやから(出す族)、則からめとり(搦り)出へし、
自然ちくてん(逐電)せしめは、其主人さいくわ(罪科)たるへき事
一 ぬか・わら・薪・さうし以下、亭主々々に相ことハり、とるへき事
右てうゝゝ(条々)、若いほん(違犯)の輩あらハ、
急(「度」が抜ける。=急度)厳科にしよせらるへきもの也、
天正十五年正月 日 (秀吉朱印)
そろそろ戻るから、ネタ提供。
手持ちの史料集の中にあった、戦時定書の一種。「一銭切」関係の文書。
こうみると、「一銭切」って「即刻処刑」って意味なのかなぁ・・・確か研究あったけどヨンデネ
>>304 タイプミスった…ごめん
神人って何なのか気になる
有名な社の神職とかで血統が保証されてる人?
信長もスカートめくりした人を
その場で切り捨ててるよね
怖い人だけど税金が安くて治安がいいなら
人も金も集まってくるだろうな
>>332 「じんにん」って読んで、ハルヒのあの怪物・・・うそです。
神社の抱える人・神社に仕える人一般を指す。
>>333で言われてる寺男(寺の下人)もその一種だけど、中世ではもっと用法が広い。
神社に奉仕して、負担を務めれば神人のはいできあがり。
だから、神社から離れて住んでる百姓や町人、商職人も神人になる。
逆にそれを利用して商人は座を作って
>>334、
有力神社=バックの有力貴族の庇護の下で商業活動をしたり。
ではでは。
>>339 多分明日もスレがたってるから今日の夜までに仕上げて戻ってきなよ〜
あー、読みは神人(じにん・じんにん)が一般的。
ハルヒのほうが「しんじん」だったわ。
あと、宮司とかの上層の神官はあんまり神人って言わない。
神人は、由緒は持ってる場合があるけど、社会的な身分としてはかなり低いひとたちかな。
342 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 13:18:42 ID:ikBXo0090
神人は主役ではなくサポーターでしょ
カンスケ別人だろ
てか、ホモ手紙じゃなかったか
344 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 13:22:17 ID:ikBXo0090
あの時代、カンスケとかサイゾウとかってのはごくごくありふれたなまえであった
>>229 長島の一揆は壮絶な皆殺しだったらしいが、比叡山は遺跡調査の結果言われているような
大規模なものでは無かった事が分かっている。各地で大名が勝手に戦争しだしてかつてあった
広大な荘園も相当失っていただろうから、もう人もそんなに居なかったんじゃね?みたいな意見もある
>>339 社会的身分は低いのですか、大層な名称なのに面白いですね。
わかりやすい解説までつけて頂き、どうもありがとうございます。
だめだ・・・
「殿といっしょ」の勘助のイメージが頭から離れん
あーまーりー
いたがきー
なんかこのスレ、詳しい人が2 、3人沸いてるみたいで雑学色々書いてあって面白いなw
>>349 一人はオタ
一人は研究者と思しき人
がいるな。俺はオタに近いw
美形と名高い上杉景虎が、
信長の野望では不細工なのは何でなんだ
>>351 お館の乱で負けてるからでしょ。勝ってれば美形でかつ優秀な能力値の
武将として出てくる。逆に上杉景勝のほうが劣った感じの武将扱いだったろうな。
信長の野望の場合能力値が高いのが活躍が大きい人ほど高くなる傾向がある。
354 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 14:54:41 ID:DSyglNan0
風林火山じゃ駿河出身説を採っていたけど、
実家の方じゃ今も昔もかなりマイナーな話題
三河サイドからはクレームがついたみたいだけど
となりの芝川町には信長の首塚なんてものもあるが
こっちの方が衝撃的だったなあw
355 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 14:55:46 ID:yy2ao9gh0
美形と言えば、名古屋山三郎。
小早川からストーキングされた前田利政も美形だったはず。
仏教原理主義が最も盛んだった時代だな。今だったらアルカイダとかタリバンに
相当するんだけど、どの宗教もこういう過激派を克服して今日があるんだな。
358 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:04:47 ID:7i+FlHssO
>>323 華僑やユダヤがDNAレベルで商売が上手なように、
大和民族もDNAレベルで戦争好きなんだろうね。
こんな狭い島国で1000年以上も内乱してたんだから…
359 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:16:43 ID:yy2ao9gh0
>>357 いまだに日蓮系はやばいよ?
ねらーは学会だけがイカレてる!と思ってるようだが
そもそも、日蓮がやばいw
だから、学会が出来る。
信長から家康までに、宗教のやばい部分は取り除いたはずなのに
そういうやばさを残してる、筋金入りのカルトw
>>359 日蓮って、考えてみれば今の怪しげなカルトと変わらないよな。
この世が終わるぞ!って不安を煽りに煽って、たまたま成功した宗教だからな。
>>360 当時は新興宗教だからな。幕府からは完全にカルト扱いだった。
>>359 一向宗は東と西に分かれて力が分散したけど、日蓮は宗派が分かれても全体的に怪しすぎるw
それでも天文法華の乱以降は目立った動きをしなかったのが不思議だ。
363 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:30:02 ID:K66gdKYNO
>>165 後継者はそれなりには有能だったが家督争いの火種や外交関係などの負の遺産を上杉も武田も残しすぎた
信玄の隠し抜かれた金鉱脈!掘れるもんならホッてみやがれ!
365 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:34:42 ID:K66gdKYNO
366 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:35:42 ID:ikBXo0090
日蓮宗だけは仏教には珍しく現世利益をうたってるから。
当然、その実現には社会体制の改革が必須に成ってしまうよね。
367 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:39:36 ID:oOeODWjd0
終末思想の宗教は基本的にカルト扱いされる。
現世利益より他宗派を排撃することを厭わない性質の方が問題
369 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:46:29 ID:8EgJBYbK0
でも岡山の西条稲荷とか、他宗排撃のくせに神道と癒着してんだぜw
370 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:48:42 ID:ikBXo0090
学会にはまっちまった友人に学生時代、毒矢のたとえで勧誘された思い出が
武田信玄OPの疾走感は大河ドラマ全シリーズ中屈指。
高坂へのラブレターがまた出たのか
373 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:51:22 ID:vUDHkSYzO
後世、数百年後の未来、歴史学者の間では日本に2010年前後に本当に
民主党というカルト集団が日本を支配していたかどうかが論争となっていた。
鳩山という人物が党首だったらしいが、かなりの暗愚な人物のようであり
本当に実在したかが疑問であった。
しかし、最近この鳩山の腹心ではある菅なる人物への手紙が見つかった。
内容は、自分が脱税したのは秘書が悪い、自民党が悪い、母が悪い、
自分は何も知らなかった、という弁明の内容だったという。
374 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:53:31 ID:XDqXnRbD0
「力が正義」の典型的戦国大名
正当性が全くないただの侵略者
小山田かわいいよ小山田
376 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 15:56:48 ID:FnttcZ8q0
どうせ贋物なんだろw
378 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:01:54 ID:LKO+RK7kO
秀吉って女にしか興味なくて周りから「あいつ変じゃね?」って言われてたんだよな
380 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:05:52 ID:XDqXnRbD0
秀吉は大名の奥方まで手を出してたんだよな
秀吉には逆らえずみんな泣き寝入り
つか大名も家臣に似たようなことやってたから文句言いようがないっつーか・・・
>>368 仏教原理主義もキリスト原理主義もどうにかやって過激派を克服してきた。
次はイスラムの番かな?ユダヤ教とヒンズー教にもまだ過激派は居るけどそろそろ
克服できる段階に達しつつある。
一向宗とか日蓮宗なんて大名からしたらアルカイダとかタリバンにしか見えなかったろうな。
既存の仏教徒からみても。
大友宗麟の家臣になりたい
またラブレターか
384 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:23:55 ID:Flx1rWyrO
このスレまじ勉強になるんだが
歴史関連スレまでには手を伸ばせない不思議w
385 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:26:10 ID:yy2ao9gh0
>>368 そもそも、日蓮って教祖の名前が
宗派の名称になってる辺り、他と一線を画してるw
世界的にも珍しいんじゃないの?
この時点で、すでにやばいw
徹底的に叩かれても、俺は正しい!間違ってるのはあいつらだ!
なんたら菩薩だかの、化身だ!とか激ヤバ発言連発w
麻原と、大川を足して2倍にしたような人物。
それが日蓮w
そういう考えが染み付いてるから、お坊さんも
学会員も譲らず、袂を分かつんだろう。
他者を攻撃するのは当然ですよw
386 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:28:10 ID:gMoZa0aSO
>>382 宗麟様の家臣をやるのは結構大変
ばい 戸次鑑連
387 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:28:23 ID:ikBXo0090
念仏無間、律国賊。真言亡国、なんだっけ?
>>380 毛利輝元は部下の嫁を無理やり寝取って、激怒したその部下が秀吉に直訴しようと
したが小早川隆景に捕らえられて口封じに殺害されたというのもあるな。
390 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:31:45 ID:usO99etCO
391 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:32:56 ID:ikBXo0090
細川忠興は朝鮮出兵中に美人で有名な嫁が秀吉にレイプされないかどうかが心配で心配で。
真田信之の奥方の小松姫
素でおっかないので、手出しされず
393 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:35:18 ID:XDqXnRbD0
大名も身を守る為にやむなく奥方を差し出しましたとさ。チャンチャン
394 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:35:21 ID:4l//kKsG0
>>385 日蓮系の宗教組織の一部は、
非常に共産主義的な組織運営手法と似ている気がするんですよ。
だから、戦前の昭和時代に、日蓮系の宗教団体が日本を救うと称して、
たくさん出てきましたよね。血盟団事件とか。死のう団事件とか。
あれは右翼に、共産主義をドーピングして、日蓮宗を名乗って社会改革するという、
凄まじいことだったと思うんですよ。その大きな流れで、戦争に突入した。
日蓮系が大発展したのも、そのあたりの関連性があるのではと思っています。
395 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:35:59 ID:FR6WiITx0
アッー!
396 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:36:11 ID:AjR/IkRP0
>>142 諏訪湖の湖底に武田菱の形の構造物がソナー探知されてるとかなんとか
勘助いたんだ
実はいないといわれてがっかりしてたのに
400 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:40:26 ID:ikBXo0090
秀吉ってほんとはお市の方にあこがれてたんだよな。
また風林火山のドラマ見たくなってきたわ
信繁様と諸積豊後に泣かされたい
天地人が糞すぎてたまらん
402 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:42:23 ID:zswGuuXPO
カンスケ実在の可能性ありか…
>>385 そもそも開祖以外が自分の名前を名乗るってのはあまりないな。
親鸞も道元も一遍も自分の名前は使ってないからな。ブッダに対して恐れ多いと思ったんだろうけど。
404 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:43:41 ID:ylMGF3aP0
,.. -―--、._
/::::::::::::::::::::::ヽ
/::::::/⌒⌒\:::::ヽ
|:::::| ''\,, ,,/'' |:::::|
|:::::| (・) . (・) |:::::|
|:::::| .(● ●) |:::::|
|:::::|. <三> ノ:::::|
ノ:::::: ヽ、._ _/::::::人
405 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:45:25 ID:cRUgI7340
>>398 山本勘助の子孫の一部は山口にいるよ。
NHKでやってた。
信長に追われて毛利が保護。おれの先祖も三枝で同じように
毛利に匿われた。
>>405 毛利や島津ってなにかと武将の逃げ道になってるイメージあるな
407 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:48:01 ID:pPSdLrHDO
加藤清正について皆さんに質問なんですが、素人の私には清正がただの不忠者にしか見えません。
家康が台頭するやあっさり豊臣家を裏切り、かつ家康に気に入られようと福島正則らとともに三成邸宅を襲撃する有り様(折りも悪かったみたいだが)
こんな人間がなぜ、現代で生涯豊臣家の忠臣と扱われているのかが不思議でなりません
408 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:49:02 ID:6PKI5vmr0
へ〜
缶助は実在したんだね〜
秀吉に対しては自分の妻や娘はおろか母親まで寝取られる心配をしないといけないから
大名も気が気じゃなかった。ヤマタクみたいなもの、若い女だろうが婆さんだろうが
全然いけるぜっていうタイプだ。
410 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:49:28 ID:nbL+dFFaO
民主党の管助にみならってもらいたいで候
411 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:51:30 ID:e8o8E/s70
>>371 一番最初の題字の場面は洗濯機のCMかと思ったけどな
412 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:53:10 ID:ikBXo0090
>>母親まで寝取られる
宇喜多秀家か
413 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:53:18 ID:giS9Ed3y0
>>407 自分も全然詳しくない素人だけど、豊臣「家」ではなく豊臣「秀吉」に尽くしたんじゃないかな、と思った。
小松姫は遠くから見てれば楽しそう
ここまでで北条家の話題無し…。
武田や上杉の話は出ているのに…。
そんなに人気無いのかな?
416 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:56:51 ID:im+SDwPF0
>>415 全盛期は力あったのにねえ
謙信なんか玉縄城とかで追い返してるのに
417 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:57:37 ID:9lYOoPZSO
>>413 三沢さんみたいなもんだな
馬場さん存命中にノア立ち上げたなら不忠義だが
信子なんかの為にキャリアふいにするのは自分の為にならなかったしね
419 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 16:58:00 ID:Flx1rWyrO
>>415 小田原城行ったことあるお
俺は大好きだぁぁぁぁっ!
>>407 秀頼に才能があればそれも通るが、アホだった上母親とか女ばっかりがギャーギャー偉そうにしてたからな
天下人って肩書きをアホに持たせると、天下人か家康相手に戦い挑んで滅亡かの二択以外ないだろ?
天下人たる器量が無いなら1大名として家と名を残すことに全力を尽くして支えてやろうとしたのが高台院一派
清正を始めとする連中は、石田三成が嫌いだったこともあるが、
徳川方で手柄立てて三成が作った遺恨で豊臣家を滅ぼすのだけはやめてくれって言い分を通すために関東に力を貸したんだよ
421 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:01:05 ID:9Jh2AJ5t0
山本勘助は架空の人物か、実在しても下級の物頭程度だと思ってたが
考えを改めねばなるまい
422 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:01:29 ID:gMoZa0aSO
三成が義の人、てのはあくまでも最近の評価
三成は当時から嫌われ者過ぎたからだろなー
そんな三成が豊臣護持を言い立てても
君側の奸としか見れなかったのかも
>>420 因果応報かも。秀吉も主家を乗っ取ってるししかも主君の子供をや夫人を殺してる。
当時からすれば徳川に政権が移っても因果応報としか見られなかったかと。清正も織田家
みたいに臣従しても特別扱いうける形なら徳川の天下OKと思ってたような。
424 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:03:41 ID:yy2ao9gh0
>>420 そして家康が、おバカな福島を残して
清正・幸長を友愛ですよ。
>>419 あんな動物臭い所行って何が楽しいんだかw
>>417 それみて、ずっと昔に長州力=小沢一郎説を並べた週刊誌を思い出した。
確かに言われてみれば似ている部分もあって納得した。
人相とかもえらい似ててびっくりしたけど。
427 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:05:43 ID:9Jh2AJ5t0
そして石田三成の倅は津軽に匿われてかの地で家老になった
>>415 戦国時代の武将ってみんなスポットライトあたってるのに
ウジウジの影薄いよね
429 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:06:52 ID:xyJhO+2h0
現実でもテレビゲームでも、武田信玄の隣国の大名になることだけは勘弁してください。
コーエーのせいだとは思うが、北条はなんか小田原引きこもって守ってばっかりっていうイメージ
北条が凄いのか城が凄いのかたまにわからなくなるわ
勘助って使番だったのかね
432 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:08:18 ID:4VFW5qT40
>>428 地味だからかね?
早雲から氏直までの北条家興亡史で大河ドラマ作ったら面白そうだが
433 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:08:52 ID:gMoZa0aSO
北条の武将で有名で強そうなのは黄八幡の北条綱成くらいかな。あんまよく知らん・・・。
で北条綱成の親戚に福島正成。正成は秀吉の親戚でもあり
434 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:09:27 ID:pPSdLrHDO
>>413 とはいえ、清正=忠義の人という解釈はどうも腑に落ちないんですよね
影響力の大きかった利家が没した直後に手のひらを返し、五奉行として秀吉に使えた三成を馬が合わなかったという理由を含めた襲撃。
この2点だけでも清正の忠義を疑うに足りる要素に思えるんです。
少し穿った見方かもしれないですが、二条城の会見も後世の批判回避程度に取り繕ったように見えてしまいます。
435 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:11:08 ID:Flx1rWyrO
>>425 俺アレルギー性鼻炎だから気づかなんだwそうなの?w
>>430 内政面の評価はかなり高いんだがな
小田原評定で一族潰した散々な評価の氏政も国内統治はかなりよかったらしい
437 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:11:46 ID:7o7f5esd0
>>407 家康と秀頼の会見の時、命がけで奔走したことがある。
438 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:12:51 ID:ikBXo0090
なんか汁を二度かけしてるじゃん。うじなお?うじまさ?
439 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:13:10 ID:wCSGLIVj0
北条は引きこもってばかりいるから
出てきて武田上杉とガンガンやりあえば
もっと目立てたのに
特攻精神が足らん
>>236 :インタビューよろしいですか?
織田 いいよ、これから切腹だからあんまり時間取れないけどね(苦笑
:謀反を起こされてしまったが。
織田 まあね、こればっかりはしょうがないよね。戦国時代だからね。
:随分サバサバしているが?
織田 いや、人間五十年みたいなとこあるからね。俺も49だし。
そろそろいいかなって気はしてるよね。はっきりいって。
:明智光秀の謀反は予想していたのか?
織田 してたかしてないかっていったら、してないよねさすがに(笑い)
まあキンカンなら是非もなしみたいなのはあるけどね、はっきりいって。
:なぜ謀反を起こされた?
織田 いや、それはわからないよね。理由まではね。
キンカンならやりかねないよねってだけで。
:今後天下は誰のものに?
織田 それも難しいよね。ただサルじゃねえかなって気はするよね。
つーかアイツが炊きつけたんじゃねえのかってちょっと思ってるけどね(苦笑)
:最後に一言
織田 まあ火も迫ってるしね、特にないけど、ただ比叡山のみなさんにはちょっと悪いことしちゃったかなみたいなね。
俺も若かったし、やりすぎちゃったかなみたいなとこはあるよね。
こんなもんでいいかな?敦盛舞うからそこ空けといてね。
441 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:13:55 ID:4AQkDVeB0
>>434 清正は庶民人気が凄かったらしいからね。
評価が高いのはそういう面もあるんじゃないの。
現実でもゲームでも北条は強いでしょ
上杉、武田よりも国力があって、今川でもちょっと勝てそうにない
真面目に上洛狙わなかったから半端で終わったけども
秀吉並みのチート相手なら島津でさえボロボロな訳で
>>429 最新作のノブヤボ天道のs1北条は面白かったw
初っぱなから今川&武田連合軍と激突なんて中々新鮮だったw
>>4 実在はして居たけど、軍師じゃなかったって話だろ
445 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:14:46 ID:7mdoCANp0
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/ 風林火山 / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
地味だけど仕官するなら北条
なんか良さそう
>>434 朝鮮出兵でピーピーの自分の領地で暮らす民草のことを考えたら三成にキレない奴も正直どうかしてるんだよ
朝鮮攻めの手柄全部報告されず握りつぶされたり、自国の経営苦しいのに呼びつけられて「ご苦労さん」で済まされたり。
五奉行の下から2番目の奴に上座から偉そうにされて尚かつ俺が宰相だみたいなツラされたらな
448 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:15:19 ID:XDqXnRbD0
北条早雲=伊勢新九郎だけ。あとはカス
449 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:17:21 ID:gMoZa0aSO
>>439 今川とはやり合ってたし元々関東制覇が目標なんでそっち方面は差程興味無しなんじゃね?
451 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:17:31 ID:pPSdLrHDO
>>420 豊臣家の滅亡を防ぐためにあえて家康側についたっていうのなら理解できます。そうなると三成邸の襲撃が謎なんです。メリットがまるでわからない。
味方でなくなった瞬間排除したくなるほど仲が険悪だったんでしょうか?
北条には甲斐姫がいるぞ
453 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:17:59 ID:Flx1rWyrO
氏政は汁かけご飯の話でさっぱりだけど
昭和天皇みたく国民は死守した立派な御仁じゃないの?
>>436 親父の氏康は徳政令を出しまくってるくらい実は北条家は困窮してた。農民が市場経済知らんので安い時期に米売ったりする(当時は銭納が年貢)
のでいかに6公4民でも苦しくなるのは当たり前で。
457 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:20:14 ID:XDqXnRbD0
謙信に攻め立てられて逃げてばかりの北条というイメージしかない
>>436 北条家最大勢力誇っていたのは実は氏政の時代なんすよ。氏政はやれば出来る子。天道では再評価されて使えるようになったのが嬉しい。
ただラストは相手が悪かった。
1000年後に歴史家が振り返ったら飯島秘書官とか小沢とかこういう扱いになってんのかな
460 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:21:20 ID:96GMEVso0
>>446 雪が融けたら上杉謙信に御訪問されるぞ?
>>443 チュートリアルとあのシナリオをやると、なんだが北条がちょっと好きになった自分に気づくぜw
あと氏政はいつ獅子天雷閃迅槍・絶牙を覚えるんだ?
北条で100回ぐらい転化統一しないとだめなのかな。
>>451 険悪でしょ三成には正直人望が無かった。大谷刑部にも「オマエは家康と違って人望無いから家康倒すのやめれ」
と言われてるくらい。官僚型で人望無い人とあらゆる辛酸を舐めて老熟した人望ある政治家では勝負はどちらに転ぶか
最初から分かる。家康は自分より小さな大名にもかなり慇懃だったからねぇ。
463 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:22:13 ID:xQKQLUId0
>>439 >北条は引きこもってばかりいるから
>出てきて武田上杉とガンガンやりあえば
なんだかな〜
464 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:23:14 ID:9Jh2AJ5t0
小田原開城した後も住民は前主北条の威徳を偲んで
統治しづらかったって話だな
465 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:23:26 ID:Flx1rWyrO
>>458 逆に言えば、当時ラスボスの器だったと言えるな
汁かけ飯の話はヒゲ狸が捏造したのやもしれんwww
詳しくは知らんが
466 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:23:35 ID:im+SDwPF0
北条の事を語るなら関東一の名城の玉縄城を忘れんな
いまや女子高の敷地になってるけど…
鎌倉市のバカめが
まあ俺の地元の大名は、経済力では戦国最強、
武将も毛利両川の二名が居たのに、
何故か大友とキャッキャッウフフで終わったアレなんだけどな
468 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:24:02 ID:k3BUdx15O
氏直かわいそうに
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/米軍の核には触れるな/ / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
470 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:24:44 ID:NJbjMn130
>>409 秀吉って農家出身の商人あがりで女一筋だったんだよな?w
男に眼中なしw武家あがりだと男も当然って感じだけどなww
一休さんも女ばっかと思ってたら精力旺盛で男ともやってんだなww
坊主あがりだからしょうがないとも思ったが結構ショックだったww
婦女子は大喜びだろうがw
>>460 あれは冬の出稼ぎみたいなもんだから>関東出兵
越後の食料浮かすのと冬場の現金稼ぎの意味がでかい。
だから謙信は関東に拠点を作り腰をすえなかった。本気で
北条と戦うなら前橋あたりに本拠地移動させて、最終武蔵の
岩附あたりに城構えるでしょ。
472 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:25:53 ID:gMoZa0aSO
住民に慕われてたから、町ごと総構えに入れるような城を作れたのかも
最後は真田の領地に手を出したのが命取りか
473 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:25:59 ID:xyJhO+2h0
北条は領国支配を一番はじめにすすめたという点では、戦国先進国。
だが、1550年あたりから、中部・近畿が一気に大変革を遂げて、
1590年代には、すっかり老大国になってました。
>>466 しょうがないだろ・・・戦後の段階で「城のあとが残ってます」レベルだったらしいし、
あそこ周りに何も無いから観光地としても開発できないし。
大体、男子校の下敷きになるより女子高の下敷きになった方がだいぶいいだろう?
475 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:26:58 ID:yfay35mz0
武田、上杉に比べれば織田信長は紳士だろ
略奪の激しさ的にww
476 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:27:21 ID:ikBXo0090
腐女子はなんでホモにwktkすんの?
前から不思議なんだ。
まぁ、むさいおっさんのホモではなくて女みたいな美形のホモがお好みなのはわかるけど。
>>470 一休さんは晩年は愛人がいたはず。自作の漢詩でも女サイコーの内容の詩があったような。
でも世間からは「今後出てくるか分からない高僧」と崇められて弟子は天皇から庶民まで多かった
とか。
478 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:27:31 ID:Ml/wT8U3O
>>471 越後と越中新川郡の守護代が上州に本拠移せるかよ。
479 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:28:05 ID:9Jh2AJ5t0
意外なことにチョンから結構人気ある家康
チョンにとっては憎っくき豊臣を滅ぼしたからか?
>>474 そうか、そう考えたら勃起してきた
でも石碑一個、ホントにそれかどうかもわからん、城壁に使われていたという岩一個って…
あと近所にボローい資料館もあるけど
481 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:29:32 ID:3RmB6w++0
風林火山の大河ドラマは面白くなかった・・・。
男臭いし・・・。
まぁ、ガクトは良かったけどね。
大河ドラマは
天地人>>>>>>>>>>>>>>>>>>>風林火山>>>その他
482 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:30:21 ID:/8xhCNy6O
井伊←何故か変換出来ない。
483 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:30:22 ID:yfay35mz0
>>465 最終的に秀吉に従うつもりだったけど
条件を有利にしようとして加減を間違えたって感じだな。
484 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:30:28 ID:4AQkDVeB0
>>476 ホモだと好みの男2人で萌えれるからじゃね?
自分以外の女=嫉妬の対象(自分と比較してしまう)もいないわけで。
>>479 多分そんなトコだと思う
今現代のゴタゴタを思うともっと頑張れよ秀吉って気持ちにならなくもない
ってのは不謹慎か、サーセン
信玄は12歳の娘を孕ませて死なせてる
487 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:31:15 ID:96GMEVso0
>>467 俺の田舎なんか、滅ぼされた時期が微妙なせいで話題にもなりゃしねぇ。
>>478 景勝ー越中方面担当
謙信&景虎ー関東方面担当
と分けたらよかったんだよ。そして長尾家は景勝に上杉は景虎にやって関東公方かついで
北条相手にドンパチしてればOK。
>>483 信長の時も北条は臣従&上洛の直前まで行ってたらしいな。本能寺の変で流れてしまったけど、
秀吉の時も上洛寸前まで行ってたけど境界線で紛争起こした責任を問われた。
489 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:32:49 ID:xQKQLUId0
>>437>>441 人望の高さは疑いようのないものみたいですね。でも正直、忠臣と評されるならそれに相応しいエピソードがもっとほしかったです
>>447 そういう経緯があるんですか。関ヶ原では九州にいましたが、本人としては自ら三成を討ちたかっただろうな
491 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:33:03 ID:44Kms1Fs0
日蓮の考え方の良し悪しは別にして、
問題は、それが数百年経ても万人には受け入れられていないという事実だ。
姿かたちを変えて、学会のように悪い進化を遂げている。
それについては宗門にも反論はあろうが、
事実結果としては悪い進化を遂げてしまう
日蓮の教義そのものにつけ入れられる隙があるという
問題点が内包されていることに気付くべきだ。
492 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:33:11 ID:LKO+RK7kO
結果論のたらればだけど
三成が加藤、福島、黒田、浅野、蜂須賀、前田あたりとまとまってればだな
そこに、弟の小一郎秀長が存命だったらほぼ完璧な体制で徳川に対抗できたと妄想まじりに言ってみる
493 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:33:54 ID:e8o8E/s70
>>471 出稼ぎ遠征説なんていつの話してるんだ
日本海側の交易で莫大な利益出してたのに
494 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:34:22 ID:gMoZa0aSO
495 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:34:32 ID:3RmB6w++0
武田信玄って萌えないけど・・・
496 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:34:37 ID:k3BUdx15O
人望なら立花宗茂
>>486 たしか信玄は13歳で嫁は14歳の時に結婚で1年後に妊娠して死んだはず。
498 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:35:41 ID:yy2ao9gh0
>>478 まず、兵農分離が進んでないからね。
そもそも、武士は荘園の警備をする自衛集団から始まる。
土地に縛られた存在。
だから、兵農分離をするのは難しい。
信玄も、周りの取りやすい所から取るしかない。
兵農分離をしないと、領土の拡大に限界が出てくるからな。
499 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:35:54 ID:r9ee9nYC0
>>462 確かにな。
関が原後の対応で、やる気なかった毛利や関が原に出てこなかった上杉はともかく
精力的に戦って大将級だった宇喜多と比較すればよくわかる。
宇喜多秀家は人気はあったから、東軍の将からも助命嘆願が出されて八丈島で80歳過ぎて大往生してる。
息子ともども現地で嫁ももらって当時の武将の誰よりも長く生きていて、
正妻の実家の前田家や福島正則も八丈島に援助や仕送りをしてる。
前田家は幕末まで秀家の子孫に仕送りを続けている。
500 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:36:07 ID:TQfiOhAOO
これ以上やらないかメールはほじくり返さないで
>>493 越後って南北に広いから地域格差がかなりあった。そういう恩恵に預かれるところも
あれば無いところもあるから越後では謙信が一度隠居すると逃げ出したくらいの訴訟沙汰
が頻発してた。
>>491 欧米でも今、イスラム原理主義がテロ起こすのはイスラム教の教義自体にそれを容認するような
趣旨や風潮があるからだと看做されてる。
502 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:41:35 ID:bDLiRn7I0
直に指図受けてるくらいだから、高級参謀だったのかね
>>499 ゲームではなぜか評価低いけど朝鮮では全軍の総大将として結構な働きをしてるし、関が原でも
福島隊をおして家康の本陣に迫るくらいだったからな。次回の信長の野望では見直し希望。
>正妻の実家の前田家や福島正則も八丈島に援助や仕送りをしてる。
たしか八丈島に流れついた福島正則のフネの酒をもらったらしい。互いに酒飲みだから
酒飲みの気持ちが分かるだろうと。そこで酒をあげたらあげた船頭は福島正則からよくやった
と褒められたとか
>>488 一向一揆なめんなよw
二手に分けて戦略を立てるってのが不可能ってくらい大変だったはず
で、最終的に武田に箕輪城とられて関東進出の道筋断たれて終了した
505 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:45:20 ID:ikBXo0090
つくづく日本人て軍師が大好きだよな
506 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:47:04 ID:96GMEVso0
>>496 一番の見せ場が朝鮮の役な辺りが運の尽きだったな。
関ヶ原に居ればまた違っただろうが……
>>504 一向宗とは最終和解してるぞ>謙信
あと京都に上洛してた時は本願寺にも赴いて顕如と会談するくらい一向宗対策を講じてる。
あとまだ上野には厩橋城が残ってたよ。
きめえなあ・・・
どう想像してもムキムキの
毛むくじゃらのおっさん同士の
変態プレイしか想像できん
>>507 あとは裏切り癖のある重臣とかを掌握するのが下手くそだったからな
豪族の集まりみたいな感じだし
やっぱ国の制度その物が悪いからどう転んでも北条と武田の連合を駆逐するなんて無茶だったと思う
510 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:50:16 ID:xyJhO+2h0
>>505 現代ではみんな軍師になりたくて、野戦攻城の人物が育ちません。
中盤ばっかり人が多くて、前線がからきしだめな
ちょっと前までのどこぞの国のサッカー代表チームみたいなもんです。
>>458 DQNの伊達がどたん場でイモ引いたのが悪い
氏規さん頑張ってたのに
マジで北条五代の大河やらねぇかな
主人公ツーか、語り部に北条幻庵でさ
513 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:51:37 ID:F3dyE5g2O
信ちゃんって僕の元彼そっくり・・
奥さんも子供いたけど優しくて男らしかった。毛深くて関東男児って感じでさ・・・
514 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:52:16 ID:h7BmIT0m0
>>275 こうぞやみつまたからの和紙なら、かなり保存が利きます。
また墨文字も。
今のデジタル媒体と比べたらいけません。
一番保存がいいのは石版かな。
515 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:52:37 ID:V03Aw4mlO
>>426 長州力で思い出したけど、彼は徳山市(現 周南市)出身なんだよな。
だったら長門じゃなくて周防だろうが。
長州力は防州力に改名すべきだ。
今からでも遅くはないと思うよ。
>>510 それは日本の今の就職と同じよ。
みんな軍師(ホワイト)になりたい連中ばかりだけど大名家(企業)はそんなに
ホワイトイラネェだから兵士(ブルー)にさえなれない浪人軍師がゴロゴロ。
うちの大名家なんか毎年兵士の大量採用してるのにねぇ。
517 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:53:40 ID:gMoZa0aSO
関ヶ原の時、宗茂は大津城を攻めてたとか
秀吉にお呼ばれして甲冑と刀でフル武装して待機してた姫さんって誰だっけ
>>509 関東の大名は謙信来ると上杉方、帰ると北条方にコロコロ交代してた。北條さんなんていう
何度も裏切る配下がいるんだから当たり前か。
520 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 17:56:09 ID:gMoZa0aSO
522 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:00:44 ID:k3BUdx15O
岩屋城で玉砕した高橋紹雲だけど
一緒に籠城した配下の将兵までみんな名前はっきりしてるらしいね
カンちゃんへ
ワシが死んだらHDDの中身は見ないで処分してください、よろしくお願いします
信玄
信長の野望ではすぐ死んじゃうからいつも後方に置いておくな
>>522 そりゃ攻める命知らずな島津側が賞賛するくらいの働きだったから当然記録は残るでしょ。
長宗我部信親も戦死した際はクビはわざわざ丁重に返されてるからな。
526 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:04:23 ID:9hPnefLM0
この時代の武将の、ほとんどの手紙の内容はカネの貸し借りとアナルの貸し借りの話だろ
夢半ばにして病に倒れた武田の重臣小山田某
小説が一本作れそうだな
>>524 わかるわw
第一線の軍師は真田幸隆でいいし、攻める際連れて行く人材も豊富だし
うまく上野とれたらスーパージジイと剣聖が手元にくるし一瞬で勘助霞む
>>520-521 ああそうだそうだありがとう
農民といえば産めや増やせやで労働力が基本だからそりゃあ男色ないよなーって思ったり
武田は信繁あたりが生きてたら存続してただろうし
豊臣も秀長が生きていれば・・・
よく出来た弟ほど死ぬ時代だぜ
,、r‐''''''''''''''''ー 、
,r' `' 、
/ ヽ
. / , ヽ
,,' ; __ ・ _,. 、
l. :;;;i 'ヾミミヽ rz彡‐`..| <拳銃奪うこと風の如し
l:,;'"`'、, 、_tッ、,゙ ' r' rtッ_‐ァ〈 陰毛は林の如し
. ';i l :::i;;,, ::' "`ー 'ノ !、`ー '''"゙, 追突すること火の如し
l;゙、',.::l;;;i . ,イ 'ヽ l, 自分を売ること山の如し
l;;;;`‐;;;;;ヽ ´...:^ー^:':... ゚l;;;,,
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ ,r ζ竺=‐、,ヽ, !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン" `二´丶`ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l '';;;;;;;;;;;;;;' ,イ l''' l `
:.:.:.:| ','、 ''''''''' , ‐---,ェr'".l.| | |
:.:.:.:| ゙、゙、 `''''''''"",ノ l l .| |
:.:.:.:.| ヽヽ `'---‐'" .// ! |
>>524 天道だと謀略専門部員だから戦場には出したことが無いw 天道で最強なのは島津だろうな。
あいつら鉄砲ワザでガンガン周辺を倒していくので油断してると京都周辺まで来てるからなw
>>528 長野の爺との信玄の相性は最悪じゃなかったか?>天道
俺はまず家康倒して本多や井伊を真っ先に取ってるぞw
>>491 日蓮が実質開祖となっている日蓮宗の生まれた時代背景がそうさせている。
イスラムもそう。
今の時代とは合わないんだけど、迫害の歴史という被害妄想が、そうさせる。
決して自分たちに非があると思考しない。
あの近視眼的な指導はカルト特有の手法だな。
533 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:08:46 ID:trDNpTcFO
>>523 信玄って署名しないだろ普通。
フロムしんピー(^_^)vだろ
顔文字は必須
信有は晴信から見舞われるほどの立派な家臣だったというのに、
子の信茂ときたら…。
>>531 採用はできるよ
絶対登用不可能なのが謙信と親父の信虎と村上義清と小笠原親子
536 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:11:17 ID:s7Ga2ScYO
僕は彼氏からのメールを携帯SDに保管している。
手紙が残るのはわかります。
537 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:12:45 ID:Flx1rWyrO
538 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:13:03 ID:r9ee9nYC0
>>518 嫁の替え玉送ったのは伊達。
懐剣忍ばせてわざと目の前で落としたのは細川忠興夫人(ガラシャ)
よくかんがえればヤンデレ自宅軟禁夫のカルト新興宗教(キリスト教)ハマリ妻なんて手出さなくて正解だと思う。
それを関が原前夜に人質に取ろうなんてした三成はある意味すごいw
>>535 其の分、忠誠心が下がりやすくて上級だと裏切りやすいから頻繁に
給与アップしてやらんとwだから俺はさっさと釈放して浪人にしてるよ。
ある程度攻略すると長野の爺以上の人材が手に入るので最後は使い捨てに
なる。
北条は地味って言うイメージがあるけど
余所者だった早雲が今川の力借りて城乗っ取って以来
代々重ねて両上杉や里見、佐竹、今川、武田、上杉謙信など全方位に喧嘩買ったり売ったりしても着実に領土広げたのは凄いわ。
結束力も強く家督争いもほとんど無かったしね。
北条ファンサイトの言葉に
【北条家の登場で戦国時代が始まり、北条家の滅亡で戦国時代は幕を閉じた】
と書かれていたのが印象的だった。
>499
浮田が八丈で仕送り貰ってたってても
実情は滅茶苦茶貧乏だった筈だぞ
新参の代官に宴会に呼ばれて
おにぎり貰って大喜びって話がある位だし
542 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:14:47 ID:XDqXnRbD0
北条家の登場で戦国時代が始まり、北条家の滅亡で戦国時代は幕を閉じた
か、感動した
>>541 最後はコメの飯食いたいとか言ってたみたい。
>>539 まあ信玄と上泉と山県並べた軍一つで当分は圧倒的なんだけどな
北条で戦国時代と考えた場合
妖怪じじいの幻庵=戦国時代なのではないだろうか
547 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:16:50 ID:HOgTSqhbO
>>534 俺は武田の家系なんだけど
カミサンの旧姓が小山田なんだぜ
俺もそのうち…
548 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:16:53 ID:gMoZa0aSO
軍師らしい軍師と言えば戦国時代では
信玄で言えば馬場信春や真田一徳斎あたり
義元ならば太源雪斎、秀吉なら黒田官兵衛に竹中半兵衛、奥州筆頭なら片倉あたりだろうけど
なんとなく、中国的な軍師というより、ブレーンてなイメージが
549 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:18:23 ID:YUB0Bn94O
戦国最強は龍造寺。
島津より強かった。
次は上杉
参謀って感じですねわかります
>>542 北条が滅ぼした三浦同寸の呪いかもな。
>>545 最初は一つの部隊で大軍で十分だけどそのうち周辺国の兵力増えてくると
もう一つ部隊が必要になるからな。しかもある程度鉄砲が集まると鉄砲隊のほうが
実はかなり効率的で強いというのが分かったりw
552 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:20:07 ID:F+0N7OOuO
秀吉もそうだが弟に恵まれていたな
信玄より逍遙軒に萌えるのが男だろ
554 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:23:20 ID:gMoZa0aSO
龍造寺隆信はピザり過ぎ
556 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:24:21 ID:ECKgmDKz0
>>462 家康は、石田三成を高く評価してたみたいだけどね。
真の忠臣だとしてね。
関ヶ原の合戦で寝返った西軍の大名は、後年ことごとく冷遇されたわけだし。
557 :
かわぶたこうこく:2009/12/27(日) 18:25:33 ID:hmMW6spr0
ちゃんと切手は張ってあるんだろうな?
龍造寺隆信は人間不信なんだったっけ?
凄い器量の大名かと思えば案外そうでもなくてガッカリした覚えが
島津家久の武勇を語るためのかませ犬っぽくてなんか嫌
>>553 影武者さんいつ見てもラーメン屋みたいですね
>>552 子種には兄弟揃って恵まれなかったw
あと親戚が農民上がりなのかバカばかりで使い道にならなかったのが
イタイ。
>>546 早雲時代にすでに生まれてて、死んでるのが小田原戦直前とまたシブイw
西軍寝返り組で存続した大名は脇坂、相良、鍋島くらいなもんか。あの当時でも
小早川の中途半端な裏切りはかなり評判悪かったみたいだし。
みはたたてなしごしょうらんあれ
>>558 あそこは母ちゃんのほうがスゴかったから。さしずめジャイアンとその母ちゃんみたいな感じだったと
思えば。実際にスゴイ活躍してたのは鍋島直茂のほうかと。
564 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:32:08 ID:gMoZa0aSO
龍造寺隆信自体も、宣教師がその決断はカエサル(シーザー)に似たり、と評してるから
能力事態は高かった。ただ、直茂とそれに嫁入りしたかーちゃんの力もあった事は間違いない
最後は相手を見くびって罠にはまって死ぬけど
古典厩は早死にしすぎて勿体無いな
信玄の死後も生きていて欲しかった
566 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:33:07 ID:QyccN5rZ0
>>561 盾無しのほうは今でも残ってるらしいな。御旗は武田滅亡時に不明になって
しまったけど。
>>563 真田と毛利もか。しかし家康も毛利や島津滅ぼしておかなかったのは禍根だったな。
無理しても大軍動員して攻め立てればよかったのに。
戦国武将の書状って小学生に適当に書かせたようないい加減な漢文だよな
568 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:33:45 ID:NKrf3tst0
俺は信じてるよ。凄いマッチョだったって
龍造寺といえば5人四天王ばかり思い浮かぶ
>>423 秀吉は、三法師は丁重に遇しているぞ。
秀吉が死ぬ頃には、中納言に進んでいた。
位としては、娘婿の宇喜多と同じ。
また、信長の原点とも言うべき、岐阜城の城主となっている。
だから、加藤は、秀頼が家康の臣下として生き延びる術を模索したんだろ。
最も家康はそんな温くなかったけどなー……。
戦国時代の家紋ってカッコいいよな。武田、上杉とか良いよね。
個人的にはやっぱり北条の三つ鱗なんだけどw
実はあの家紋は鎌倉北条家の家紋から来ているけど
実は後北条家と鎌倉北条家とは家紋の形が若干違うんだよね。
572 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:36:03 ID:QyccN5rZ0
>>565 古典厩が死んだ結果、義信と信玄の間を仲裁する人物がいなくなったからな。
生きていれば信玄がムダに上野にちょっかい出したり飛騨を攻めたりとかせずに
上洛してたかもしれん。義信との破局も無かっただろうし。結局信玄は息子を
殺して武田滅亡の要因を作ってしまったからな。
>>571 自分の名字と家紋調べてみたらどうだ?
案外歴史あったりするもんだよ
俺も鶴の丸が自分の家の墓にあって調べてみたら歴史あってビビッたクチだよ
574 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:38:47 ID:QyccN5rZ0
>>570 それにしては10万石程度は酷くないですか?家康でさえ秀頼には65万石を認めてたのだから。
せめて尾張と美濃2カ国は与えないと。それに秀吉は信孝を自害させ、その母親(信長の夫人)を
処刑したり、三法師以外の織田家の連中には散々な扱いをしてる。
>>420 >>570 清正って、ある程度頭が働いても所詮は現場の人間だよな
対局が見えてて歴史を知ってれば無理な話だと気付く
そういうとこで今の世だと三成の評価が上がるんだろうな
576 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:41:36 ID:gMoZa0aSO
>>563 真田は寝返りというか、最初から兄貴の信之が東、親父と信繁が西だから
違う気もする
西軍についてて、一度完全に改易された後、大名にまで復帰したのは
立花宗茂だけかな
577 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:41:54 ID:QyccN5rZ0
秀吉ー織田家の連中に散々な扱い。吉法師にスズメの涙程度の報酬与えておちゃを濁す
家康ー秀頼に大坂在住と65万石を容認。しかも孫娘まで与えて右大臣にする。しかも御三家並みの扱い
どちらが酷いか分かるな。
秀吉も頼りになる親族が居ない中幼い秀頼を残していくのはかなり不安だっただろうな
自分が織田家にとってかわっただけに
人の命と思惑が錯綜する戦国時代はマジ浪漫ですなあ…
>>573 マジで?俺も調べてみようかな?
>>574 信考は一度歯向かったんだし仕方ないと思う。
万が一生かしても遠くに追放だろう。あの位置に居て置いとくのは危険すぎる。
581 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:46:41 ID:gMoZa0aSO
昔より 主をうつみの浦なれば 報いを待てや 羽柴筑前
ばい 織田信孝
恨みまくりです
家康が秀頼容認したのは旧豊臣の家臣の蜂起を危惧しての事じゃね?
583 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:51:03 ID:YjRfnNTXO
弟の存在は重要だけど 高氏 直義のようになる可能性がある。
584 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 18:53:22 ID:QZQakEbL0
>>582 そのとおりだな
というか
現代の倫理を戦国時代に持ち込む方がヤボってもんだな
>>566 その長州の松蔭の師匠が松代(真田)の象山
山本イソロクつったっけ?大戦中の提督だかなんかにいたよな。
山本勘助の末裔だとかどっかの雑学野郎に聞いたけど、末裔がいながらも勘助ってのは存在が疑問視されてたの?それともイソロクが勘助の末裔ってのがガセネタだったんか?!
588 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:02:38 ID:QyccN5rZ0
>>581 実際に30数年後報いられたわけでw
>>580 信長の夫人を処刑する必要があったの?それにしても
織田家の連中を冷遇しすぎだ。家康はそれに比べたら寛容
だな。ただ大坂のババァが世間知らずでKYだったから最後
には滅ぼすしかなかったみたいだが。
>>578 だから必死に家康にすがったわけで。しかしそれなら家康を消して
上杉に頼めばよかったのにな。
589 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:04:30 ID:ZAs9Jrjw0
>>587 山本イソロクも山本勘助も海苔の山本山の創業者一族だよw
590 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:04:30 ID:QZQakEbL0
>>587 歴史学的には、資料至上主義だから
目に見えるものが残って無いと。
山本五十六はともかく
自称末裔なんてのは一杯居るし
591 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:05:57 ID:ikBXo0090
五十六は養子だよね
592 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:07:01 ID:QyccN5rZ0
>>587 ・「今の若者はとは絶対言うな、われわれが若いときも『今の若い連中は』と言われたもんだ。」
・「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
という言葉は至言だな。
593 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:09:04 ID:xq5GvqGmP
武者震いがしよる
594 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:09:17 ID:QyccN5rZ0
>>589 そうだったのかw山本山が宣伝にフネ使うのはそういう理由が。。。
>>588 それは後生だからいえる台詞であって、当時の家康の評価は天下一の忠義者。
秀吉への従属以降、家康が公に反抗したことはないから秀吉が勘違い
するのもいたしかたない。
>>588 家康は元々秀頼を潰すつもりだったよ。
ただ秀吉が残した財政と家臣、関白と言う立場がそれを困難にしていた。
だから関ヶ原で邪魔な家臣達を分断、処刑もしくは仲間に取り込み、
財政は秀頼に寺、神社などの補修を進言し、お金を使わせた。
最後に関白という身分の差は征夷大将軍につく事で解消したしね。
597 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:09:53 ID:gMoZa0aSO
>>587 五十六は山本家に養子で入ったんじゃなかったかな
勘助自体は、今回発見された手紙以前にも
管助宛の手紙が見つかってたから
今回の手紙でその存在の信憑性がより増したって感じだとおもう
で、山本家が実際に勘助の子孫かどうかは・・・・・・。
598 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:10:07 ID:YUB0Bn94O
>>548 竹中半兵衛が軍師のような活躍したってのは講談だけだけどな。
実際の働きは、あの当時の羽柴軍の有力な実戦指揮官の一人だべ。
>>589 >>590 なるほどね。
確かに目に見えるものがないと、末裔だ!って言っても信じる人と信じない人がいるってことだな。
知識ない俺には、ある程度蘊蓄がある状態で言われると信じちゃうけど、一つ疑問がある。
フィギュアスケー(ry
601 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:12:14 ID:z7BG7y8+0
今や勘助という人物の実在を疑問視する声はもう無いだろ
ただ、軍師に関しては何とも言えない
602 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:12:50 ID:hdZ67TxlO
信玄のラブレターが新たに発見されたかと思ったぜ
603 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:13:37 ID:QyccN5rZ0
>>595 当時の力関係を見れば次は明らかに家康だろうというのは秀吉でも分かるでしょ。
>>596 当初は秀吉がやったような織田家存続のような方針だったと思われ>家康
実際にひたすら臣従しまくった前田や上杉は幕末まで存続してるし。ただ余りに
臣従する気なしな上に、家康も年でいつ死ぬか分からなくなったから滅ぼす(あるいは
改易して高家にしてしまう)ほうに傾いただけかと。
605 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:14:58 ID:WwuYC0eSO
ホモレター?
606 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:15:41 ID:96GMEVso0
自称だけならいくらでもいるわな。
板垣退助とか(武田の重臣、板垣信方の子孫を自称)
608 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:16:08 ID:gMoZa0aSO
>>598 改易からの復帰組で、旗本や高家にまでなったのなら確かいたと思う
(大友義統とか。復帰は息子の代だけど)
けど、大名まで上がったのは宗茂以外に思い付かん・・・。
609 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:16:29 ID:DV4IZKkf0
>>603 家康は源頼朝に心酔していたが、平清盛は幼少の頼朝を殺害しようとしたが清盛の母の懇願でやめた。
で、成長した頼朝は平氏を滅ぼした。
だから同じようなケース、つまり自分の死後に秀頼に徳川幕府が倒されないようにあらかじめ秀頼を「処分」することは決めていたと思うが。
>>600 あれは織田の親戚の血筋で信長の直接的な血筋ではないからね。
例えば有楽斎のお爺ちゃんを見て天下布武の信長と連想出来るか?と言われるような物だよ。
611 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:18:15 ID:k3BUdx15O
丹羽長重か
612 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:19:22 ID:z7BG7y8+0
かなりの側近だったのも確かなようだ
ただ、軍師に関しては何とも言えない
613 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:20:43 ID:yMsduV3ZO
実は和泉元彌のオカンが竹中半兵衛の子孫だったりする。
614 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:20:54 ID:gMoZa0aSO
>>599 恐らくその見方は正しいと思う
ただ半兵衛や官兵衛って軍師ってイメージが合うんだよなw
半兵衛は兵の駆け引きに優れ、官兵衛は調略や交渉に優れ、というのも
もしかしたら後世のイメージかも。まぁ官兵衛はともかく
半兵衛はあんま記録が無いしなぁ・・・。子の豊鑑くらい?
615 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:21:44 ID:QyccN5rZ0
>>606 織田家への秀吉の仕打ちを見たらかなり家康はマシなほう。当時は豊臣が滅ぼされても
織田家への仕打ちを見てるから自業自得としか世間は見てない。
>>609 あの当時豊臣家の軍事力は武将の高齢化や世代交代で崩壊してたから秀頼が幕府に抵抗するのは
無理だった。まして恩顧の大名がことごとく徳川につくなど戦国時代の思想がまだまだ息づいてた時代
だからなおさら。
>>603 大体
>>609が言っている通りだけど仮にも関白だぜ?
立場的には秀頼が上だし例え実力が違っても大義名分的に歯向かうのは不可能だし生かしておくのは論外。
いつ盛り返されるのかわからんしね。んな核爆弾級な存在は早めに消して置かなきゃだめだろ。
軍師と言うより伝令係?
信頼の置ける側近であることには間違いないようだが
>>610 確かになwww
有楽町の元と茶人ってイメージしかないなwww
つか末裔ってだけで、その祖先と同じような目で見るってのは間違いなんかな?なんつうか尊敬の眼差しみたいなさ。
620 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:26:04 ID:B4oV3gThO
621 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:28:29 ID:GkiFoUjOO
信玄公でも漢字は間違えるんだな
「腫物」を「種物」。読みも似てるから誤用とも言えるか。
こっぺぱーん! ジャム塗ったらあーんぱーん!!
623 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:30:03 ID:QyccN5rZ0
>>616 正確には秀頼は右大臣。関白職は秀吉の死で返上されてる。名実共に1大名家でしかなかったんです当時は。
>立場的には秀頼が上だし例え実力が違っても大義名分的に歯向かうのは不可能だし生かしておくのは論外。
其の理屈なら家康は豊臣家を滅ぼせないじゃん。あの当時は誰も豊臣に同情してなかったから家康は
強引に理由作って開戦できたわけで。
624 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:30:22 ID:YjRfnNTXO
漱石先生は 無理矢理やん
625 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:30:29 ID:eIrJt07tO
そもそも日本の戦国時代に、軍師なんて存在したんかね。
軍師ってのは、自分では指揮権を持たず、主君の作戦を立案するアイデアマンのこったろ?
そんなもん組織が完全に一極独裁体制になってないと機能しないやんか。
626 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:30:39 ID:YUB0Bn94O
織田信成は旗本の織田信高の末裔だろ。
627 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:31:22 ID:gMoZa0aSO
実際のところ、竹中半兵衛と黒田官兵衛は信長から秀吉に付けられた寄騎、ようは
織田本社からの出向社員で、秀吉の同僚ではあっても部下ではないから
孔明と劉備みたいになんでも相談ってのは無理なんだろな
形式的とはいえ、目付も兼ねてるんだし
ただ、信用してたのは確かなようだけど
>>627 孔明と劉備ってのもそんなに仲良かったかは怪しいもんだけど
いや、仲は良かったんだろうけど、なんでも相談してたワケでもなさそうな
孔明が実際に軍を指揮したのは劉備が死んだ後だけだし
>>628 劉禅がうんこでしたからそこはまあお察し
630 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:34:05 ID:REeGu0T70
>>225 松永久秀・・・香川照之
織田信長・・・佐藤浩一
三好長慶・・・北村一輝
足利義輝・・・小栗旬
足利義昭・・・上地雄輔
筒井順慶・・・堺雅人
天道では家臣団の能力が軒並みダウンしていたな。
632 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:34:20 ID:QyccN5rZ0
>>621 あの当時は辞書なんて皆無だから、漢字度忘れしたらこうだったかな?と当て字を書くわけで。
ひどい場合はひらがなにしてる。
>>627 織田家の場合は
秀吉や勝家ー本社採用の総合職
黒田・竹中ー事業所採用の限定総合職
加藤・福島ー事業所採用のブルーカラー
という感じが。
>>631 弱体化してたね
信繁様と馬場ちんと弾正の数値がショックだったわ
まあ信玄本人と山県入ればなんとでもなるんだけども
635 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:36:28 ID:89jkrBLv0
>>616 >>623に補足すると、
秀吉が関白辞官(元如太政大臣)→甥の秀次が関白
→秀次が切腹→関白空職→秀吉の死後、九条家から関白
(徳川家康の執奏により宣下)
というように、秀吉が死んだ後、家康が動いて関白職を五摂家に返しちゃった。
636 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:36:45 ID:QyccN5rZ0
>>631 高坂がエラク弱体化してたなwそれでもPC君主だとヘタすると東日本半分を制圧してたりする。
上杉は逆に滅亡してたりと案外弱い。
637 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:38:04 ID:yy2ao9gh0
>>623 その秀吉が、相当恨みを買っていた。
織田家の処遇で反感を買っていて
自業自得と思われたという根拠は?
秀吉は外交が上手いからね。
家康の方が、恨まれると思うよ?
不器用だからw
>>623 >其の理屈なら家康は豊臣家を滅ぼせないじゃん。あの当時は誰も豊臣に同情してなかったから家康は
>強引に理由作って開戦できたわけで。
それだと大義名分はつかんとですよ。だから力責めで落としても全国を統べるのは不可能。いずれ反乱はおきるから。だから征夷大将軍になって幕府を開く必要が合ったわけで。
639 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:39:00 ID:QyccN5rZ0
>>634 部隊編成は
信玄
山縣
内藤
馬場
原(あるいは真田)
を入れたらなんとかある。俺はまず徳川を滅ぼして井伊や本多、榊原を
吸収して2つめの部隊作る。
>>639 元祖赤備え飯富虎昌も思い出してあげてください
641 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:40:50 ID:mQVPs657O
>>632 親しい仲なんで、わざと変換ミスで書いてるウチラみたいなもんかw
642 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:41:21 ID:96GMEVso0
>>623 関ヶ原以後は家康の地盤固めだと思う。征夷大将軍宣下とか。
ぶっちゃけ豊臣の名において関ヶ原を戦った以上、豊臣家をどうこうする実力はあっても大義は無い。
信玄や秀吉より信繁や秀長みたいな兄を裏で支えた弟が好き
644 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:41:40 ID:DV4IZKkf0
>>615 秀忠にはカリスマ性がないから他の大名が状況次第で裏切る可能性もあるし、平氏だって「こいつが成人になっても何も出来ないだろう。源氏は壊滅状態だし」と思っていたからこそ頼朝を生かして流したんだろ。
でも滅ぼされた。
家康が非常に慎重な性格なのを忘れたのか?
645 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:42:06 ID:QyccN5rZ0
>>637 豊臣家滅ぼした時、諸大名は誰も豊臣に同情してない。一番恩顧を受けたはずの
毛利は「秀頼が死んだ」と旧主筋を呼び捨て扱いにしてるから。ある種の同情を示したのが
ヒドイ扱いだったはずの島津くらい。何より大坂の陣で恩顧大名が誰一人大坂方に
参加しなかった。
>>634 古典厩の弱体化は自分もちょっとショックだった…
647 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:42:55 ID:gMoZa0aSO
>>628 史書が正しければ、劉備は劉禅がだめぽなら君が代わってトップになれ、て言ってる
余程信用してなきゃ言えないと思う
劉備が生きてた頃は、軍の司令長官は劉備なんだから当然劉備が率いる
むしろ、劉備没後、丞相自らが司令長官として軍を率いるのが異例
(漢の職制なら、通常軍は太尉か大将軍がトップ)
それをやった曹操は、子供の代で漢を乗っ取った
でも孔明は国を乗っ取るどころか出師の表を出し
亡き劉備への想いと、漢再興の想いを表明し、最後までそれに尽くした
かなりな信頼関係があったとみていいと思う
648 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:43:01 ID:Ezn1yn4C0
ここまで山本一郎なし。
>>631 逆に上がったのが北条一門と言うオチwしかも河越野戦イベ追加と言うオマケつきw
650 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:43:20 ID:scOSWdaC0
>>645 いやぶっちゃけ毛利はそこまで恩顧って訳でもないと思うが。
所領は元々実力で分捕ったもんだし、一時期主筋を乗っ取られ掛けてるしw
652 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:44:17 ID:P1LxCyrl0
駄目だ……。
もう「殿といっしょ」でしか想像できない
653 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:44:27 ID:yy2ao9gh0
654 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:46:08 ID:DV4IZKkf0
>>645 秀次の件を言わないのか?
こちらのほうがいい根拠になるのに。
655 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:46:35 ID:96GMEVso0
656 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:46:44 ID:QyccN5rZ0
>>641 秀吉なんか醍醐寺の醍醐の字を忘れた祐筆に「要は相手に伝わればいいから適当に当て字にしろ」と言ってる
くらいwあの当時書式がOKなら特に問題ないような時代でしたから。
>>644 慎重なら早い段階で大坂のババアを江戸に人質取るでしょ?慎重にしては時間かけすぎ。結局は時間切れに
なって滅ぼす方向に転換したんだろう。
657 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:47:49 ID:eIrJt07tO
織田信長が右大臣、豊臣秀吉が関白、彼らなりに自分の栄華を永続させる手法を模索したのに、失敗した。
そこで徳川家康は大将軍の地位を得ることで成功した訳だが、この作戦を立案、遂行したのは誰だろう。
俺は個人的に、これは天海僧正の仕業だと思う。
徳川家康の死後、これを大権現と称したのも天海僧正の仕業らしいし。
武者震いがするのぉ
>>645 同情だけでは飯食えませんよ。あくまでも自家が一番。
それと大阪の陣、動かなかったでは無く家康が動けないようにしたんだよ。
660 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:48:38 ID:gMoZa0aSO
>>632 黒田や竹中は一応信長直属だから
現地人を本社採用し、子会社に出向させた、て感じかな
加藤や福島は秀吉の部下だから、現地の子会社が雇った社員てところ
661 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:49:06 ID:QyccN5rZ0
>>646 うん義信のほうがまだ使える状態だからね。。。どちらかいえば武力バカから政治力が高い連中ばかりに
なった感じが>天道の武田 それでも騎馬隊組ませて戦法使いまくれば周辺では最強。苦労したのは鉄砲技術を
取得しまくってた島津相手くらいだったな。
662 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:51:16 ID:QyccN5rZ0
>>647 最近はあの言説は孔明が禅譲で王朝を乗取らないようにとけん制したのでは
とも。実際に劉備の死後も李厳から「そろそろ九錫(禅譲の前の段階)受けろ」と言われてる
など皇帝になりそうな要因はあった。
そもそも天界僧正は何者なんだか
明智ゆかりの者なのか
>>623 一応、畿内の一部では公儀扱いされていたんで、一大名というには不気味過ぎる力がある。
>>656 んな大義名分が得られないまま人質要求したら一気に蜂起されますがなwまだ財政もあるのにw
それに慎重云々ってそりゃあ野暮ってものですよw
家康の人生まさしく慎重,辛抱そのものなんでw
北条は周りに居たのが武田と上杉と今川と強豪ばかりだったのがまずかった南部では
里見がうるさいし地の理的に悪すぎた。
本拠地が畿内だったら三好とか六角とか雑魚ばっかりだったから天下とれただろうな。
関ヶ原の戦いの時点で家康は59歳、いつ死んでもおかしくない年頃なのにその後豊臣を
滅ぼすのはそれから15年も後のこと。その間に豊臣が徳川に下る機会はいくらでもあった。
気配りはできるタイプだとおもってたけどやっぱりだな。
山本勘介の実在は前から確認されていたけれど、
軍師ではなく武田の支城の一城主だったような気がする。
それが江戸時代の講談本かなにかで軍師のように描かれて
誤った拡大解釈がされていたんじゃなかったか?
670 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:55:34 ID:gCobqngB0
>>666 上杉と言うか長尾は謙信時代に異様に強かっただけで、
あとは図体がデカいだけの雑魚でしょ
671 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:57:19 ID:DV4IZKkf0
>>656 「早い段階で人質」って・・・形式上は大坂の陣直前までは「豊臣の家臣」だったのにどうやって豊臣側に「人質に出せ」と言うんだよ?
「早い段階」でやったらそれこそ福島正則とか加藤清正も黙っていなかった。
だから形上は豊臣家臣ということにして豊臣恩顧の大名を怒らせないように配慮しつつ、一方で幕府の力を強めていって幕府の力が「もうこれで十分だ。もう恩顧の大名達が騒ごうと無問題。騒いだら簡単に叩き潰せる」というレベルに到達したときに大坂の陣を起こした。
672 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:57:47 ID:4AQkDVeB0
山本といえば山本正之。
信長殿ォ〜
673 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:57:50 ID:yy2ao9gh0
>>663 アレはバケモノだよね。
色々な意味でw
比叡山出身らしいが。
>>666 まあ天下はわからんが5代は確実に続かない。何故なら京都辺りを拠点におくと確実に貴族化するから。そうなると腐敗も進む。
だからこそ江戸に拠点を置いた家康は長く統治出来た訳で。
675 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:58:32 ID:QyccN5rZ0
>>649 それでもPC君主の武田に真っ先に滅ぼされてるのが北条だったりするw人材最強のはずの
群雄集結モードでさえあっという間に滅亡だから。史実でも北条は外交は滅茶苦茶素晴らしかった
けど戦は押しなべて不味かったようで。
>>651 あのあと国替えとかもされず120万石そのまま存続できたのだからかなりの
恩恵でしょ。秀吉が大返しの時の借りがそうさせたのかもしれんけど
>>653 滅ぼされてるとき同情されてない時点でオワッテル。
>>654 秀次事件は単に内ゲバでしょ。被害が出たのは豊臣系の旗本大名で
それ以外の連中は潰されそうになったけど大方家康や前田の助命奔走で
生き残ってる。
676 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 19:58:50 ID:gMoZa0aSO
>>662 結局李厳(李平になるけど)の提案は容れず
後になるけど、補給の失敗を理由に流すから
他人はどうあれ、個人としても公人としても
劉備との約束を守ろうと努めたんじゃないかな
性格的にも義理堅かったんだと思う
魏延あたりにはそれが物足りなかったんだろうけど
678 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:02:38 ID:yy2ao9gh0
>>675 こういう事を言うのもアレだけど
君は中国人?
家康が好きなようだし、徳を積んでなるべくして
天下人になり、その敵は悪者みたいな言い方だ。
誰が好きだろうと勝手だけど、主観で無理押しするのは
間違ってる。
679 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:03:38 ID:YUB0Bn94O
680 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:04:26 ID:yfay35mz0
>>664 家康が、秀頼に実際会ってみると大巨人だったから
ビビって豊臣を滅ぼすのを決めたって説もあるなw
まぁ、その時秀頼がバカ殿の演技をしてれば何とかなったかも?
681 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:04:51 ID:QyccN5rZ0
>>660 黒田の場合は、秀吉にまず取りついでもらって信長に臣従→そのまま秀吉付
になったような。織田家の場合は有力な重臣にまず取りついでもらうという取次ぎ
制だったような。それに黒田は小寺氏の家老じゃなかったか?
>>665 財政余剰はあっても自前の軍事基盤が崩壊(7手組は実戦経験皆無なうえ世代交代で弱体化、しかも司令官の何人も
徳川と内通)してるから立ち上がりようがない。だから大坂の陣のときは浪人集団を雇ったのだけど逆にコイツらに主導権握られて
秀頼や大野あたりはこの辺で止めたいのに職を失う浪人連中が強行に戦争続行を主張してそれに引きづられて行った感じが。
その辺は葵徳川で描写されてた。
>>675 戦下手って…全方位相手にしてあれだけの領土確保したんだから十分でしょ。
683 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:07:37 ID:DV4IZKkf0
>>654 そうでもない。秀次事件で冷遇された大名たちが関ヶ原で家康側についている。
秀次は無実と言われているのに殺されるは自分達も被害をうけるわで秀吉に対する信頼感も低下した。
さらにこの件の解決を担当した石田三成に対する憎悪が高まった。(これが関ヶ原の戦いにも影響したと言われている)
単なる内ゲバではない。
684 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:09:14 ID:xoSHY/aF0
>>672 その歌ガキの頃は爆笑していたけど今聞いたらニヤける事すらないと思う
685 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:09:30 ID:QyccN5rZ0
>>678 日本人ですよ。単に豊臣が滅んだのも自業自得だとしか思ってないだけ。まして織田家への
秀吉の仕打ちや家康の豊臣家への当初の甘すぎる政策を見てたら。
>>677 山梨では小山田と穴山は今でも評判悪いらしいな。
686 :
683:2009/12/27(日) 20:10:40 ID:DV4IZKkf0
687 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:10:46 ID:PxDQG+W2O
>>675 北条氏は戦も河越夜襲があるじゃない。
オケハザマ、厳島と並べ三大逆転劇と勝手に認定している
688 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:10:59 ID:gMoZa0aSO
>>681 小寺が臣従した時点では、小寺の重臣だけど(だからこの時は小寺官兵衛)
小寺が荒木と共に信長を裏切った際、騙されて荒木の城に監禁され
助けられた後は、小寺から独立して黒田の姓に戻し
改めて信長に仕えてる。本来なら秀吉の口添えが要るんだろうけど
小寺官兵衛時代に信長に会ってかなり気に入られてたから
(圧切なんていい刀貰ってるし)
黒田官兵衛になった時は口添えは要らなかったかも
689 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:11:09 ID:7TnIF9QYO
こんどは、誰に浮気を詫びたんだ
690 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:12:45 ID:QyccN5rZ0
>>682 実質支配できてたのは伊豆・相模・武蔵南部でそれ以外は豪族の相手に小田原征伐まで苦労してたみたいだ。
謙信が小田原攻めしたときには支配領域が1ヶ月もしないうちに伊豆と相模だけになってしまうという様変わりを
したから。其の後調略とかいろんな外交戦で挽回した感がある。
691 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:15:04 ID:YjRfnNTXO
小山田の身内のかたとやら 屋号は 三郎兵衛門で 丸に上がり藤かな?
>>675 北条は決して戦下手ではないよ
十分な下準備をした上で、ほぼ最終段階で兵を動かす
堀越御所・小田原・江戸・河越城等々、準備に時間をかけるが、
一旦攻撃を起せば殆ど一夜のうちに陥落させてる
城を落とす技量は戦国随一と言っていいし、かつ城を守っても戦国随一だった
韮山・忍・八王子の各城での防御戦も見事だから
しかしこのスレ、ニュースの手紙全然関係なくなってきてるなw
694 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:18:38 ID:gMoZa0aSO
淀殿は自分の父、浅井長政の仇である秀吉の家を自らの手で滅ぼさんがため
敢えて家康に逆らったりしてわざと豊臣を破滅に持っていった・・・。
なんて妄想をしてみた
695 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:20:11 ID:QyccN5rZ0
>>692 攻城戦は得意で野戦が不慣れということか。
まあ武田や上杉がケタ外れに強いから豪族相手には十分強かったのかも>北条
>>690 >実質支配できてたのは伊豆・相模・武蔵南部でそれ以外は豪族の相手に小田原征伐まで苦労してたみたいだ。
豪族ってどれだけいるとおもっているんだ?力を失ったとは言え健在な古河公坊、佐竹、里見などの勢力もいるんだし。
>謙信が小田原攻めしたときには支配領域が1ヶ月もしないうちに伊豆と相模だけになってしまうという様変わりを
したから。其の後調略とかいろんな外交戦で挽回した感がある。
それはそもそも籠城でやり過ごした為だろうが。北条の18番だろw現に謙信去ったら一気に取り返してまんがな。
697 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:22:10 ID:z7BG7y8+0
基本的に武田と北条は仲が良かった
小競り合いは多少やってたようだが
698 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:22:56 ID:QyccN5rZ0
>>694 それをいうなら秀頼だって秀吉の子供だったか怪しいもんだなw
おねと結婚する前からすでに女がいて、その後も女好きで側室がたく
さんいるのにできた子供が3人でしかも2人は同じ母親というのは怪し
すぎる。一人目はたまたま出来たと考えてもあと2人は怪しいなw
699 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:26:16 ID:gMoZa0aSO
>>697 仲が良くなってきたのは晴信…信玄の代ね。
それ以前…信虎の代は関東管領であった上杉家と親交があったんで
その時の信虎と氏綱は険悪モードだったけどね。
701 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:28:24 ID:yy2ao9gh0
>>693 そうだな。
本来の健全な、ホモスレにしなきゃダメだよね。
戦国時代は、相手も複数であったりしたようだが
江戸期には相手は一人!
男同士の真の友情というか、気持ちの繋がりであり
相手は一人に限定されたと聞く。
若いうちは、男との関係を大事にし
女と交わってはいけない!
無駄な精力を使ってしまう。
などというルールが設けられ
清く正しい同性愛を行っていたらしい。
702 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:28:38 ID:JWznbldDO
こっぺぱーん
塩塗ってもこっぺぱーん!
なんてやりながら一年見たけど面白かったなぁ
2年前だが懐かしい
703 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:30:03 ID:QyccN5rZ0
>>696 >それはそもそも籠城でやり過ごした為だろうが。北条の18番だろw現に謙信去ったら一気に取り返してまんがな。
あれって謙信が帰るからとまた北条方に勝手に寝返りが続出したからでないの?なんか関東はイミフだな。謙信が
10万近い大軍動員できたかと思えばスグになくなったりと。まあ小田原攻めは謙信の鶴岡八幡での成田氏への仕打ちが関東
の豪族の反感を買ったのが一番大きいけど。
>豪族ってどれだけいるとおもっているんだ?力を失ったとは言え健在な古河公坊、佐竹、里見などの勢力もいるんだし。
家康は関東入りしたときそういう豪族連中の上に乗っかっただけということか?秀吉が播磨を領国にしたとき
ある意味ワザと別所を背かせて背いた豪族ごと攻め滅ぼして実質所領を確保したけど家康の余剰分は案外
なかったのかもな。四天王だけは10万石やれと秀吉に言われたけど結構家康のはサイフはきつかったんじゃないか?
704 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:31:01 ID:3cV1veTOO
>>666三好は雑魚ではないだろ。
三好長慶は応仁の乱の終盤に頭角をあらわし、大内、細川が去ったあと畿内を支配した。
長慶の力の背景は阿波と淡路を本拠地に、塩飽海賊衆を掌握、瀬戸内海経済の畿内側を押さえ、堺を支配し三好の貿易及び軍港としたことによる経済力だった。
長く続く応仁の乱以来の戦乱の世の中で畿内にはプロの傭兵である足軽や士官たる武士が溢れていた。専業軍人だ。
これを経済力で戦力化した。
そして足利義栄を擁立し足利義輝を追放。
京にほど近い根拠地、経済圏の把握、兵農分離、将軍擁立、
三好長慶は信長の先駆者だ。
「長野!なんべん言うたらわかる!北条ではない!伊勢じゃ!」
「こだわる時じゃあ!」
706 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:32:43 ID:c+pKlCzQ0
l / .r―――┐l
. ,、r‐''''''''''''''''ー 、 l / / | |
,r' `' 、 ,ゝ、',,,,,,,,_/ | |
/ ヽ, ' / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
. / , ヽ / zェ:、、,_ _,,、」,
,,' ; ,、、,_ ニニ ,、」、 /. |
l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....| / ヾニ・= .i=・ コ
l:,;'"`'、, .ニ=ミ.. ヾ= 〈 / l | お前らもよく見とけよ
. ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン .., .:::'''"゙, ./ ィ ,l .!
l;゙、',.::l;;;i ///// r ヽ./// l,/,.. r'`ニニヽ, .l'、
l;;;;`‐;;;;;ヽ . './'ー'''ー‐' ', l;;;,,,ヽ ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'.;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/ ヽ、_
' ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"i、_,-、/ `ノ;;;;;`-、:、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン \
'';;;;;;;;;;;;;;' 二 ,イ ''' ``'‐.、ーァ'7" |
''''''''' , ‐---,ェr'". ``'‐.、 |
`''''''''"",ノ ヽ |
`'---‐'" \ |
ヽ ヽ |
/ /
| / /
/ /
丶 ◎ _,,.. -─ ‐- .、.._. ◎ / / /
`` ‐-----‐ '" `` ‐-----‐ '"
>>704 そして松永のオッサンの台頭だな
近畿は信長にあっさり占領されたから雑魚ってイメージあるのもしょうがないけど
信玄はホモダチに送った手紙も発見されてるし、いい迷惑だな
709 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:34:57 ID:gMoZa0aSO
曹操の墓発見とな?
>>695 いや、野戦も弱くはない
やらないだけw
つーか、北条は野戦になる前に敵を凌駕する戦力を揃えちゃうから、野戦が発生しなかったり
711 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:35:26 ID:QyccN5rZ0
>>700 其の関係で信玄は12歳の時に13歳の管領の娘と結婚してるよな。しかも翌年には妊娠までさせて。。。
その夫人の死後は信虎が今川との和解&京都政界への進出を目論んで三条夫人を嫁にしてた。
>>701 あと性病予防の理由があったのかと。遊女と交わって梅毒感染で死ぬ人多かったからね。
ヘタに女に手を出すと側室にしないといけないし、妊娠して男でもできたらそれこそ物入りになる
とか理由があって性行為は制限があったんですよあの時代。戦場で現地のオンナに手を出す
手段もあるけどそれをすると現地住民が一揆(あの当時の農民は武装集団)とか起こして
トラブルになるのでそれもままならなかった。
712 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:35:45 ID:z7BG7y8+0
謙信は人が良いから頼まれるとすぐ出張るが大した成果はあげてない
実際あそこから出張るのは大変だ
>>94 映画のアレクサンダーはアレクサンダーと部下のホモ描写がされてて
リアルなんだろうが見てひいたわw
でも何年も故郷を離れ、戦いの遠征に行く集団だから
これくらいの血の団結だったのかもなと思った
アレクサンダーなんか王のくせに先頭に立って切りこんでいくキャラだし
>>703 上杉は関東管領貰った以上、関東討伐は義務だからな。
それに関東討伐は食料確保の為でもあるからね。
地味に北条家って水軍あるんだよね。
716 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:40:53 ID:QyccN5rZ0
>>704 あとあの当時生産力が一番あったのが畿内ということもあるかと。
>>707 松永のオッサンは凶雄のイメージがあるけど一方では、和歌や古典に
通じて茶人としても名高い文化人で公家や当時の商人に顔がひろかった。
あと美少年だったのでシリ使って出世したのは高坂と似てるかもwそれに
鉄砲の威力に信長以前から目をつけてたみたいで。
>>710 武田や上杉相手の野戦では蹴散らされてたような気がするが
717 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:43:10 ID:3cV1veTOO
>>707ならば明智にやられて秀吉に乗っ取られたから織田も雑魚ということになる。
_____
/ ヽ____//
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
/ / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| |
/  ̄ ̄ ̄ ̄ /_____
/ /ヽ__//
/ 歴板でやれ / / /
/ / / /
/ ____ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
719 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:46:00 ID:QyccN5rZ0
>>715 一応伊勢の国と海運を通じて結びつきがあったみたいだから。>北条家
たしか謙信の小田原攻めの時は伊勢から海運で兵糧を大量輸送してた
はず。其の手段を小田原攻めでは秀吉に使われてしまった。
>>712 どちらか言えば越後の出稼ぎみたいなもんかと。乱捕りを関東では
結構許してるからな。
>>714 コメが豊富にとれたりとあの当時の越後は江戸時代中期まで関東の
消費を賄うくらいの穀倉でなかった?
720 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:46:45 ID:tPCjVkcXO
裏切り者の小山田信茂か
721 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:47:07 ID:ZT/m63xq0
なんだ新たなラブレターかと思ってたのに
>>716 確実に敗戦、と言えるのは武田にやられた三増峠だけど、
あれは最近の研究では痛み分けくさい
つか、野戦じゃなくて山岳戦だったりもする
「北条をさんざんに打ち破ったぜ!」
って書いてるのって、武田の甲陽軍鑑ばっかでなぁ……
>>663 一応表向きは会津の名族、蘆名氏の出身らしい。
でだ。うちの家系は秋田県の南部で、てっきり佐竹の秋田転封に伴って
秋田に移住してきた末裔かと思ってたら、どうも違うらしいんだな。
正確には佐竹に付いてきた蘆名家臣団の末裔が帰農したんだそうな。
秋田県知事が角館の殿様の出だから、
「俺、県知事さんに会ったら主筋だから平伏せにゃいかん?ww」
ってオヤジに聞いたら、「うちは蘆名の家臣の裔だからそんなん要らん」と…。
だもんで、天海僧正蘆名説に一票。w
724 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 20:57:06 ID:ikBXo0090
天海さんは鼻息がすごかった説を聞いたことがあるがほんとうかや?
725 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:03:18 ID:ikBXo0090
ふんっ!で向こうの人のカツラが吹き飛んだとか
726 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:03:18 ID:yfay35mz0
>>704 結局、天下布武の芽は中央からで
武田、上杉はその器じゃないってことか。
727 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:07:56 ID:xSXPNjqfO
>>719 だっけ?あまりそっちは詳しくないんで。>食料確保
>>722 その点、激戦だったのが対里見戦。北条の武将も討ち取られてるしなぁ…。
ドドドドドドドドドドドド!! |風| _ |風|
|林| _ .|風| |林|
|火| |風| .|林| |火| コッペパ〜ン
|山| |鈴| |火| |山| ジャム塗ったらジャ〜ムパ〜ン♪
_∧ ∧(oノヘ| ̄ .|火| |山|(oノヘ| ̄
(_・ |/(゚∀゚ )|\. |山| ._∧ ∧(oノヘ|/(∀゚ )|\
_∧ .∧(oノヘ |\Ю__∧ ∧(oノヘ| ̄(_・ |/(゚∀゚ )|\ ⊂)_|√ヽ
(_・ |/(゚∀゚ )\ ( (_・ |/(゚∀゚)|\ |\Ю ⊂)_|√ヽ~∪ )^)ノ (´⌒(´⌒;;
|\Ю ⊂)_ √ヽ| || |\ Ю ⊂) |√ヽ(  ̄ ~∪ )^)ノ( | ( |(´⌒(´⌒;;
(  ̄ ~∪ )^)ノ '~ ~ (  ̄ ~∪ )^)ノ .|| || ~( | (´⌒(´⌒'~ (´´
||` || ( | ( |(´⌒(´ ||` || ( | ( | (´⌒(´⌒;; (´⌒ '~ (´⌒(´⌒;;
729 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:20:35 ID:QyccN5rZ0
>>726 ただ上杉も武田も当時の大名としては結構中央政界に気を使ってるほう。
謙信が2回も上洛してるのもそうだし、信玄も夫人を三条夫人(姉妹に本願寺の嫁や幕府の重臣の嫁あり)
にして中央政界に遠方からでも連なろうとしてる。信玄は手紙魔みたいで公家に
「来てくれないから寂しいので遊びに来てウホッ」みたいな手紙を出しまくって公家の
往来が盛んでした。無論公家を使って中央の情報収集や工作や外交の仲介をさせる
意図はあったんだろうけど。
>>722 武田も荷駄隊が全滅してるので、其の帰り道に神社を解体して焚き火につかったという
話があったな。
>>727 関東はローム層でコメが越後に頼らずたくさん取れるまで江戸中期までかかってたはず。
秀吉は好きだけど駒姫の件は酷過ぎだと思った
731 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:23:04 ID:GldyRYgQ0
兵農分離が出来なかった時点で謙信や信玄は信長にはなれなかったんだよ
732 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:26:21 ID:yy2ao9gh0
ホモスレだって言ってるだろ、おまいら!
書けよ!男同士の熱い話を!
日本はホモセクシャル先進国だぞ?
朝鮮通信使が、こういう習慣は無くした方がいい!
間違ってる!
あなた方は、その良さを知らないから
そういう事を言うんだ。
そう、幕府の人間は言い返したんだぞ?
これだけは、奴らも半島発祥だ!とは言わないはず!
誇りを持て!
733 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:28:08 ID:GldyRYgQ0
腐女子自重汁w
734 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:29:07 ID:QyccN5rZ0
>>732 あの当時の美感覚は
>>706みたいなのがイケメンとされてた。
クマみたいなごっついイカツイのが良しとされてた。
735 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:29:21 ID:YjRfnNTXO
兵農分離をしなければ 朝鮮出兵は しなかったかも しれないんだよ。負もある。
736 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:37:30 ID:PVcxDLZi0
世界で初めて正規軍を編成したのが信長だったはず。
ヨーロッパでは信長に遅れてカール12世だったかな。
738 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:43:40 ID:YzHaa9DJ0
信玄が源氏の子孫というのは信用できる。
家康が源氏の子孫というのは超怪しい。
家康はどこの子孫なのだろう。
古代のローマ軍は?>正規軍
740 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:45:22 ID:yy2ao9gh0
>>735 朝鮮出兵自体は、間違いじゃない。
失敗したから問題なんだよ。
失敗したら、見込みのない事業に投資した、という事になる。
つか、ホモネタ書けよ。
741 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:45:42 ID:9BHsanAO0
信玄があと10年長生きしてたら
武田幕府だっただろうな。
>>740 戦中に相手の武将に一目ぼれしちゃって同盟組むことになったってのがなかったっけ
743 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:47:40 ID:PVcxDLZi0
>>737 テルシオは常備軍の走りだけど、従来の傭兵部隊の寄せ集めには変わりないみたいだね。
>>739 古代ローマじゃなにからなにまで違うからねぇ。あくまでも近代軍編成で初めてって意味でヨロシコ。
744 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:48:10 ID:2NXjKNUo0
>>738 平民・・・っていうのがいいすぎでも
まぁ流れで多少学のある人間が地で根を張って・・・
っていうパターンだろ。
坊さんかなんかだったんじゃね?
>>738 家紋から見れば、三河で賀茂神社の荘園を経営してた土豪。
幕府を開く前は藤原氏を名乗ってたし、源氏とは縁は薄いね。
信玄も謙信も将軍の補佐だからな
自らがどうこうするという野望は無かっただろう
748 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:51:02 ID:e8o8E/s70
>謙信の鶴岡八幡での成田氏への仕打ちが関東の豪族の反感を買ったのが一番大きいけど。
下馬の礼に関してはかなり昔から研究者に否定されてるよ
そもそも義家に対してそういう下馬免除が存在しなかったんだから
だいたいソースが北条記にしか出てこない逸話だから講談と変わらない
749 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:51:08 ID:ikBXo0090
ながれもんの生臭坊主が松平家の入り婿に成って。っていわれてるなぁ。
徳川。
750 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:51:22 ID:xyJhO+2h0
>>738 旅の僧か、猿学師が土着したのが祖先といわれている
751 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:51:54 ID:ou0HLqbU0
ホモ信玄って一発変換できた
>>732 スレタイと違うし、デカイ主張しちゃ駄目だよw
自分は♀だけど腐った話は正直気持ち悪い
家康に関しては、実は信玄の隠し子だったという都市伝説がある
血筋といえば、伊予大洲の脇坂安治
親父→俺→息子
※あとシラネぇ
……これだけで家系図を幕府に提出し、将軍家光に
「オマエ、これマジ?」
「マジ♪脇坂はどこの馬の骨だかわかんねぇんです」
と言われちゃった男
755 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:54:00 ID:jlQ2MS6EO
俺の詩を三年隠せ!!
むしろ燃やしてくれ!頼む弾正!
756 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:54:41 ID:YjRfnNTXO
スレから かなーり はずれてるよな。織田君
山本勘助はいないとか言っていたバカはどんな言い訳しているんだr?
山本菅助だからモウマンタイ
つうかいまさら感あるニュースだな
759 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:58:40 ID:yy2ao9gh0
>>752 そういう真面目なレスはよせ。
流れが滞った時に、ホモネタを入れろって話だw
760 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 21:59:10 ID:YzHaa9DJ0
今の日本で、なぜ信玄のようなすぐれた為政者が出てこないのだ。
秀吉みたいなのは出てこないでいいから、平成の信玄カモン!
スレタイしか読んでないが、またガチホモですか・・・
762 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:01:08 ID:YjRfnNTXO
でちゃ まずいのは 信長です。
763 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:01:54 ID:GU0/CuyS0
764 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:02:01 ID:144nauqh0
>>1 こういった事が明らかになるのも
政権交代があればこそ
ネトウヨがいくら否定しても自民党政権
では闇の葬られていたでしょうね
765 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:03:04 ID:ev46CTJUO
それでも山本勘助はおらんおらん
766 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:03:37 ID:QyccN5rZ0
>>736 規模で言えば信長のほうが上だったんでない?欧州だと1〜2万の軍勢でものすごい大軍扱いだったそうで。
767 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:04:19 ID:PVcxDLZi0
>>760 信玄は調整型だから今の日本じゃ活躍出来ないだろうな。
麻生なんかが信玄ぽい。
息子殺しや親父追放同盟裏切りまくり虐殺に奴隷売買もしてる信玄なら
梟雄としてきっと今の世も掻き乱して無駄に混乱させてくれる
769 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:07:05 ID:VMISMItw0
信玄は金の亡者でなかったっけ?
謙信側からみてw
770 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:07:29 ID:yy2ao9gh0
>>764 ありがちな話じゃない。
武功夜話、なんてのもありましたな〜。
息子といっても謀反人だからな
親父にしても追放しただけだし
772 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:08:57 ID:QyccN5rZ0
>>767 今要るのは信長で、信玄じゃないだろう。安倍もそんな感じで世間では瞬く間に自民党の人気が
なくなったよな。
>>767 麻生といえば姉川の合戦で織田信長が鉄砲隊で武田信玄を破ったという認識らしいな。
774 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:09:35 ID:VMISMItw0
今ほしいのは石田光成ではないか?
在日に対して、関が原を構えるぐらいの気概のある武将というか
英雄はいないのか・・・情けねえwwwww
776 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:11:01 ID:Avvrn+BSO
777 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:11:08 ID:S1bs+C9X0
信玄は上洛するのが遅すぎ
上杉と無駄な戦いするより西に行進すべきだった
戦国時代は普通に身内で殺し合ってた時代だしな
追放程度でガタガタ言ってたらキリが無い
780 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:12:04 ID:YzHaa9DJ0
信玄は芋虫が大の苦手だったとか。
あの鬼を欺く英傑が、芋虫を怖がるとはこれいかに。
家臣も家臣でわざわざ芋虫を持ってきて「殿がこれを握れないなどということはありますまい」と
にやにやしながら言い、信玄は「当たり前だ」と言ってむんずと掴んだが手の色が変わったという
話を以前2ちゃんのスレで読んだことがある。
信玄…家臣を選べよ。
>>774 仲間に裏切られて討ち死にするのか・・・
民主党党首だった頃の前園さんがそんな感じだったのでは?
782 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:13:38 ID:GldyRYgQ0
>>774 財務官僚がいきなり総理になれるわけ無い
783 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:13:49 ID:QyccN5rZ0
>>778 そもそも京都に行く気がなかったんじゃない?当人からすれば上洛の大義を
掲げつつも地元の勢力拡大したほうが実利的にあってる。あとサイフが毎年の
戦で結構かかってたから資金捻出の目処がたたなかったんじゃない?あの頃に
あると金山の採掘量も落ちてきてたようで。
信玄は人を大事にしましたか?
785 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:14:46 ID:jLaRCJfkO
勘助が信玄に穴掘られた事実が白日になったな
786 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:15:44 ID:YjRfnNTXO
この時期 欲しいのは 日野富子です。さて どこかに いそうな!?
787 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:16:15 ID:VMISMItw0
人は城 人は石垣 人は堀
789 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:17:25 ID:YzHaa9DJ0
今必要なのは中大兄皇子ではなかろうか。今の政治家の中で異様に態度がデカく
権力を乱用している奴が一人いるが、そいつを叩き斬ってほしいと思っているのは
私だけではあるまい。
790 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:17:38 ID:PVcxDLZi0
791 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:19:05 ID:04usWu3zO
鳩山は戦国大名で言うと誰だろう
793 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:19:21 ID:QyccN5rZ0
>>786 まああのババアは守銭奴でもそれで京都を復興させ室町幕府を延命させてたのはたしか。
とりあえずうちの県の有名人の山田方谷なんてどうだ?全国的にはマイナーだけど明治政府が
初代大蔵大臣はコイツでないとダメと大久保利通がごり押ししてたくらいの財務の鬼才。
越後の河合が「武士で三井の番頭が務まる男」とも言ってるしな
794 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:20:32 ID:S1bs+C9X0
795 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:21:08 ID:Nl0yAVrh0
歴史物の本はデタラメだと思って読んでちょうど良い。
ネガティブな文献ってのは残らない物だ。
今川氏真かな
797 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:21:39 ID:QyccN5rZ0
>>789 鎌足もいるぞ。蘇我入鹿の後釜はで政治を切り回せる人は必要だろう。
>>792 小早川秀秋じゃない?
798 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:21:54 ID:8UCIaRtpO
市川文書以降も勘介を幹部に任命する
任命書が見つかって鑑定も信玄直筆という結果が出たはずだが
>>794 見える・・・
小田原市民が全員立ち上がって「勘弁してくれ!」と泣き叫ぶ姿が・・・
800 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:23:21 ID:YzHaa9DJ0
>>797 それでは現皇太子が中大兄皇子で、その弟が鎌足という役割でいかがでしょうか。
皇太子、出番ですよ。
801 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:23:32 ID:yy2ao9gh0
>>782 三成も武功がないから、忍城攻めだったか?
それで実績を上げようとしたのだが
堤が壊れて、水攻めが失敗したらしい。
秀吉の城攻めは、政治力・経済力を駆使したもので
水攻めにおいても、人員・土嚢等の手配が重要。
これなら得意分野なので、実行したら・・・
やはり、大将には決断力が重要のようだ。
それが足らないと、気の緩みが配下に出てくる。
やはり官僚は官僚、分をわきまえないとな。
>>800 中大兄皇子が皇太子だったら弟は大海人皇子になるだろ。
803 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:24:44 ID:04usWu3zO
今の時代、大久保卿が必要だよな
自分の応援勢力だった武士階級を敵に回してでも
改革に取り組んでくれた
805 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:27:19 ID:PVcxDLZi0
>>797 鎌足って実際、何したか良く分からないんだよね。改新に関わったとされるけど。
死の間際に「なぜか」大織冠を賜って子孫が繁栄するんだけど。
ちなみに日野富子は空中分解寸前の室町幕府を維持し、(結果的に)日本に
貨幣経済を浸透させた凄い傑物だよ。
情報力と経済力
戦国時代も優劣を決めた要素は武力よりこっちだよね
まあいつの時代もそうなんだろ
807 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:28:07 ID:QyccN5rZ0
>>801 戦の指揮官としては島左近や舞兵庫、蒲生という猛将がいるから三成の軍は関が原
では意外と最後まで崩れなかったとか。あと渡辺とかいう「10万石でないと仕官しない」と
豪語する武士に自分の禄高をそっくりくれてやって自分が居候なんてやりかたをして家
来にするという手法でそれなりに配下に猛者を抱えてたみたいだしな。
808 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:30:50 ID:S1bs+C9X0
>>801 忍城攻防を描いた「水の城」って小説面白いよ。
山本勘助って空想上の人物じゃなかったのか?
810 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:33:26 ID:QyccN5rZ0
>>805 天智天皇がカザリで大化の改新を孝徳天皇と画策してたんじゃなかったかな>鎌足
それに天武天皇との仲も仲裁してたみたいでコイツが死んだあと兄弟仲が急速に悪くなり
壬申の乱につながったはず。
>ちなみに日野富子は空中分解寸前の室町幕府を維持し、(結果的に)日本に
>貨幣経済を浸透させた凄い傑物だよ。
当時力をつけた町衆を取り込んでそれを基盤に幕府の政策を強化してたからな。信長の
楽市楽座もあのババアのやり方をいくぶんか踏襲されてる感じがする。
信玄の手紙というと高坂弾正への「俺は浮気はしてない」というラブレターしか思い浮かばない
真田幸村と真田信繁のようなものだろ
幸村は実在しないが信繁は実在した
>>805 鎌足の最大の功績は不比等をこの世に生み出したことだな
814 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:36:46 ID:3cV1veTOO
>>736近代につながる常備軍の元祖はオスマントルコのイエニチェリで、信長より前。
鉄砲を有効に使って騎馬軍団を破った戦いも1541年のチャルディラーンの戦役がある。
シャー・イスマール率いるサファビィ朝ペルシアの遊牧騎馬軍団をセリム一世が率いるオスマン常備軍が破った。
オスマン軍は鉄砲、大砲、歩兵、騎兵の諸兵科連合になっていて、大砲には早くも砲車を使用(日本は明治から)。兵站も整え輸送のための夥しい数の車両やラクダを有していた。
チャルディラーンでは車両やラクダを鎖で繋ぎ即席の防壁とし攻勢をかける騎馬軍の足を止めて、鉄砲と大砲による防御戦闘で待ち受け騎馬軍に大打撃を与え勝利した。
1514年というのは長篠(1575)どころか鉄砲伝来が1543年なわけで、信長ってか日本は世界では遅れた国だった。
815 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:36:53 ID:GldyRYgQ0
>>815 兄弟の関係が逆になるけど、邦夫も義輝っぽい気もするな
少し思ったんだが……
山本勘助の方が間違いで、山本管助の方が正解だったんじゃないのか……?
>>288 戦国時代の殿と家臣の関係はもっと軽いものだよ
家臣の待遇が悪かったら簡単に殿を捨てて鞍替えした時代
819 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:39:33 ID:C3mFHRCx0
>>815 義昭はああ見えて立場や状況を利用しまくった一大策略家
信長があれほど有能でなければ包囲網で潰れてた
実戦はなくても一人の雄だよ
>>815 お坊ちゃん育ちで傀儡の天下人になった
うむ、似ているな。
でも義昭って意地と執念はあったと思う
821 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:42:04 ID:04usWu3zO
>>817 発見された文献ではそうなってるらしいけど、どうなんだろうな。
武功夜話に色々とエピソードがあるじゃないか。この記者は不勉強だな。
義昭は、才能もプライドもあった
こいつが普通の凡庸な人間なら信長に対抗なんかしなかった
あと、後々秀吉に養子の件を断っているくらいの
気概もある
そういえば最近センゴクで楽市楽座について経済力発展の他、本願寺勢力…
北陸と石山を繋ぐ街道に楽市楽座設置してそこを通る人を強制的に一泊させる事でそこを通る本願寺関係の人や間者を富、繁栄で懐柔させると言った効果も狙ってた話が出て面白いと思ったな。
825 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:47:12 ID:YzHaa9DJ0
曹操の墓が発見されたとか。
骨まで残っていたらしい。
日本の武将の墓ははっきりわかってないことが多いというのにうらやましい話だ。
826 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:48:12 ID:04usWu3zO
>>815 どちらかと言えば、日野富子の旦那の方が性格的に鳩山に近いと思う。
散々浪費したり、決断出来なかったり。
827 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:48:37 ID:3cV1veTOO
水攻めって戦術として意味ない。堤防を築けるほどの重包囲なら別に城の周りを湖にする必要がない。
相手に圧力をかける心理的なものか。
武田信玄VS大内義隆
ガチホモ度
大内義隆>>>>武田信玄
領土
大内義隆>>武田信玄
財力
大内義隆>>>>武田信玄
官位官職
大内義隆>>>>>>武田信玄
なのに
山口>山梨にならないのはなぜだ?
>>823 しかし、まあ秀吉はどんな顔して
義昭に養子のこと頼んだんだろうなw
さすがの人たらしもこれは無理
>>780 そういうプレイだったんだろ
愛だよ、愛
831 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:51:11 ID:bdT2yB3Z0
>>824 俺は早く長宗我部元親とやり合って欲しいんだがこのペースだと何年かかるんだろ。
>>828 辺境だからだろうな
どうでもいいというか
833 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:53:38 ID:QyccN5rZ0
>>819 手紙一つで信長を窮地に追い込んでるからな。それを考えたら信玄を凌駕するのかも
>>816 義輝はあれでも大名間の喧嘩を仲裁したり三次松永の勢力をうまく使いながら
立ち回ってたけど。カネはあの兄弟と比べて相当困窮してたはずwだから莫大な
カネをくれた謙信に
・朱傘
・毛氈鞍
・塗り輿
・手紙の裏書御免
なんて諸特権を簡単に与えてるくらい飢えてたんだろうな
>>831 外伝も別冊が月刊になったんで一月ごとに読めるし…
…作者大丈夫なのかな?
835 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:54:42 ID:bdT2yB3Z0
>>828 信長、秀吉、家康と直接対決なかったからなぁ。
佐竹とか南部もそんな感じだし。
>>828 甲陽軍艦の存在
武田の多くの遺臣が天下人徳川家康に遣えたから
かな
837 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 22:58:08 ID:QyccN5rZ0
>>828 大内義隆が滅亡の理由を作ったからでしょ。今回の天道では大分再評価されてるみたいだけどねぇ。
あと実際に大内氏の繁栄は義隆の親父のおかげだからな。藤岡弘恐るべし。
838 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:01:40 ID:C3mFHRCx0
>>832 当時日本の中心は西側に大きく動いてたよ
ただ時代の主役にされやすい信長やその後継者たちと絡んでないからあんまり目立ってないだけ
当時、中国と九州は先進地域の一つ
839 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:02:54 ID:ikBXo0090
終わりが良くないと評価されにくいよね。
業績というのは
今川義元なんかそんな感じ
842 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:06:18 ID:GldyRYgQ0
>>814 それはオスマン・トルコが進みすぎてただけだろ
844 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:11:41 ID:9lYOoPZSO
>>838 されやすいと言うより戦国時代の主人公は好きでも嫌でも信長なんだから
パート2で秀吉に変わってパート3のグダグダを家康と
ダイハードみたいにドンドン戦いが派手になって金掛っていく物語でしょこれ
郷土の英雄・義清公が晴信の小便ちびらせてほうほうの体で逃走させただけで十分満足です
武田の遺臣は徳川家に吸収されて江戸時代まで続いてるしな。。
今川の家臣で武田についた連中は結構悲惨な目にあってたりするけど。
天下とっちゃった家康が手本にしてたってのがデカイだろうな
848 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:36:09 ID:PVcxDLZi0
今の日本を立て直すには頼朝や高氏級の英雄でないと無理だろうな
でも民主政治と言う名の愚衆政治じゃムリダナ。
バカが投票してバカが選ばれる時代だ。
849 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:39:57 ID:3cV1veTOO
信長、秀吉は天下をとる=日本国を作ろうという感じだが、
家康は徳川家の存続しか考えてない感じだな。
前者が日本と世界という意識があるのに対して後者はいまいち欠如。
>>845 村上義清の戦術家としての実績はもっと評価されていい。
槍衾戦法の元祖らしい。
>>847 家康は他大名のいいとこどりをしたんであって、真似されたのは武田だけじゃないよ。
農政は小田原北条氏のものをほぼそのまま用いた。
>>806 経済力がトップの畿内がてんでばらばらになってただろ
>>849 家康は世界の中の日本立場とその安定を考え抜いて
あの体制を作ったのだよ
引き篭もったのは違うのだよ
854 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:52:14 ID:ikBXo0090
>>849
変革ってのはそんなかんじ。
最初に天才が破壊とそのあとに続く独創的な創造をはじめる。→ 道半ばで反動勢力に足下をすくわれ横死
次にその盟友が受け継ぐ → 全う出来ることは少ない。
最後に実務にたけた凡人が権力をにぎる。= 家康
855 :
名無しさん@十周年:2009/12/27(日) 23:56:53 ID:q3gRo6YqO
あーまーりー
>>853 そんなの考えてるなら将来的な脅威になりうるヨーロッパ人の東南アジアへの進出を放置なんてしない
857 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:01:16 ID:1lKIU0d/0
家康は伊藤博文程度の才能はある。お偉いおれの評価
家康、徳川幕府は外国との交渉がド下手だった鎌倉幕府に後戻りした感じだよな。
所詮は田舎者が作った軍事政権。
ミャンマーと変わらん。
>>856 そんなのに対抗しだしたら
際限ない軍拡競争に巻き込まれたり
国力の疲弊を招いたり
様々な経済的な混乱が起こって
大変なことになるぞ
国内を安定させるには
徳川幕藩体制がベストだっと思うぞ
あの時点では
>>858 しかし、信長や秀吉が諸外国との交渉が上手だったかと言うと、?だな
しかも当時は国を売ろうとしたキリシタン大名もいたようだし
そういった連中と比べると、家康はまだマシだろ
>>251 あの世に行った時に「極楽浄土へ行くため」の宗教だから
現世のためのものではない
一方信長は「現世で利を得たければ俺に従え」と
862 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:09:15 ID:CRNGi+J30
家康はお家大事ですから
863 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:10:03 ID:1lKIU0d/0
江戸幕府なんてなぁ〜
中小企業の発想で国をおさめよったんやで。
>>801 「とても優秀な官僚」である直江兼続も
1000人がこもる城に18000人の戦力を集中投入して
兵站その他破綻させなかったのに
それでも城が落とせなかったりしたしな
いまさらだけど、スレタイがよくないな。
信玄の書状が見つかったことじゃなくて、山本勘助が登場する書状が
見つかったことがニュースなのに。
ってかまだ江戸時代を鎖国してたとか思いこんでる奴多いのな
>>859 当時の極東でのヨーロッパ人の数なんて多くないんだから国力の疲弊なんて招かない
貿易の利権を得てむしろ潤う
浪人の仕事が見つかってむしろ元禄頃までの社会不安は起きてなかっただろう
>>774 関ヶ原合戦は偶発的なものであって、三成の計画したものではないよ
関ヶ原当時の西軍は全軍の統率が全く取れてなかった
869 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:16:55 ID:JMI8IgopO
870 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:17:43 ID:JvIs4ru4O
風林火山の勘助はいい役者だったな
キャストには賛否あったけど、亀次郎晴信とGackt謙信は観てるうちにハマッていったなあ
大袈裟な歌舞伎演技と棒読みのド素人って対比も面白かった
それとイケメンでマザコンな今川義元ってのも新鮮だったわ
なにより千葉真一の板垣はハマりすぎだった
脇を固めていた役者もよかった
ジャニタレが元ジャニーズしかいないのもよかった
ただ平蔵は氏ね
戦国時代の官僚=戦下手ってイメージは違うけどな。
直江は兵法書みたいなの書いてるし長谷堂攻めも長期戦想定&山形城を威圧が目的、
三成も忍城攻めの水攻めは秀吉の命令でいやいややったもので、朝鮮では小早川隆景
らの反対を押し切って撤退戦術で敵をおびき出してせん滅してる。
872 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:19:12 ID:1lKIU0d/0
内野勘助はなんだかなぁ
>>866 そりゃあ、学校でそうとしか教えないもの
オランダを出島に追いやった後のほうが、実は貿易額が大幅にあがっていることとかも、知らない人が大半
>>867 イエズス会が本国に送った文書に「信者どんどん増えてるので
このぶんなら遠からず征服できます」的なものがある
実際当時は西欧諸国がこぞって東南アジア切り取り・植民地化してた時期なんだが
875 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:20:50 ID:POhmu+ik0
>>864 戦国の世では城を包囲された時点でアウトだよ。
あとは攻めるほうの気分と時勢(上方の勝敗)しだい。
>>869 どこがニュースなのかが分かってないってことだよ。
見出しは共同通信と同じだから、共同通信も分かってなかったんだろうけど。
>>873 そうかー
キリスト教弾圧とかいいながら普通に役人にキリシタンがいたとか
士農工商の身分制度はなかったとか穢多非人からは抜け出せたとか
この辺もまだあんまり知られてないのかね
あと何百年か経つとこういうのは「○×サーバーから見つかった」ってなるのかな。
>>868 だよね
どちらかというと野外戦が得意な家康が誘導して対峙した形だし
在日を退治したいなら鬼島津とか清正を蘇らせないと
881 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:33:41 ID:5ASsRln00
なんだか腐もそうじゃないのもホモってか衆道に過剰反応しすぎじゃね?
当時は武士の嗜みみたいなもんだったんだからさ。
今の価値観でどうこう言うのは違和感あるわ。
>>59 謙信は信長退けただけでも凄いし
信玄は家康に糞漏らさせただけでも凄いだろ
>>879 家康が誘導したというのは家康が勝つべくして勝ったという作られた歴史。
むしろ西軍が陣地を構築してた。
在日退治って、大名は割と重宝がってるぞ。技術者として。
884 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:42:56 ID:8FXhIF1b0
>>881 武士とホモは、切っても切れないよね。
鍵屋の辻も、殿様の男に言い寄り
そでにされて、たたっ斬る。
そこから、武家のプライドをかけた騒動になり
剣豪・荒木又衛門が大活躍!ですから。
885 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:44:31 ID:wNBu4ca/0
安中市の民家って、板垣信方の末裔の家かな?
>>874 スペイン船が土佐に漂着して船員を取り調べたら、ある奴がうちの国はまず宣教師を
送り込んで信者を増やし、協力者を確保してから軍隊を送り込んで植民地化するんだと
吹いたらしいな。で秀吉が危機感を抱いてキリスト教を禁止したとか。
887 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:46:35 ID:gP8UCLVJ0
>>574>>677 うちは、父方をたどると郡内衆、小山田の家臣と思われる家系だ
武田氏と歴史好きが高じて調べたら…裏切り者側だったとはorz
自分的には武田信玄さんのイメージは
凶悪な西田敏行さんって感じ
889 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:49:32 ID:FyHPSovb0
>>840 今川義元は元々跡取りじゃなかったが状況を利用して実力で跡取りになり
今川氏の最大勢力を築いた
信長に奇襲されてからも取り押さえた兵士の指を噛み千切るなど奮戦
首を取られて果てるまで戦い続けた
そんな英傑と鳩を一緒にすんな
>>817 確かに。菅助の方が確からしい資料にあるわけで。
昔は漢字の当て間違いは多いみたいよ。
民家で見つかったって何かドラマチックだ
892 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 00:55:46 ID:FyHPSovb0
>>852 逆
経済力が突出してたからこそ畿内に細切れで割拠して他地域の大名と張り合えた
細切れで存続できるってのは経済力の証明でもある
>>867 潤わない
そもそも貿易ルートの確保、植民地経営、金銀の流出などによる経済不安など進出できない理由のが強い
積極的ではない海外進出はむしろ正しい
秀吉の時代に盛んに交易した結果、外地に行った連中が結構暴走してて
そいつらを取り締まったりしてるわけで家康としてはあまり乗り気にならないのは当然
>>875 日本の城は城内に切り込まれてからが勝負な構造だよ
中国や欧州の乗り込まれたら終わる城とは縄張りそのものが違う
【レス抽出】
対象スレ:【歴史】武田信玄が家臣にあてた2通の手紙が見つかる 実像を知る手がかりに
キーワード:ラブレター
抽出レス数:10
wwwひでぇホモのイメージ強すぎ
894 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 01:32:11 ID:Ts9aG4BfO
みんな歴史話が好きだなあ
895 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 01:33:03 ID:LExPjWoO0
歴史(ホモ)話が好きなだけじゃねw
896 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 01:34:16 ID:Mw/HUGvQP
897 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 01:54:01 ID:nnh57XfxO
あ〜
日本も大航海時代に、植民地増やしとけばなぁ。
今頃、アメリカ西海岸、中南米諸島、
チリ、ハワイ、インドネシア、台湾、香港、
シンガポール、インド、オーストラリア…
あたりに日本人がたくさん住んで、
日本語が世界の共用語になってたかもしれんのに。
サンフランシスコが新東京とかって知名だったり、
ハワイが波和囲県とか…
夢あるわぁ。
>>251 必ずしも縦からトップダウンの命令に従って死んでいった訳ではない
信仰を軸に横に組織化され武装した農地開拓民と商人の群れでもあった訳で
生命と土地と既得権益を守る為なら何時代の人間でも戦うだろ
>>118 四男。次男は盲目で三男は子供の頃に死んでる
>>498 そうだよね。
勝頼も長篠合戦後、織田への対抗策を迫られて、後の徳川幕府のような中央集権体制をもくろんで、
土着の士族が離れていったって聞いたお。
武田信玄は源氏の末裔だから韓国系
>>897 カメハメハ王朝は日本に接近を図ってたし
日本の自治領になった可能性は結構あったけどね
源氏の末裔が韓国系とかどこをどう勘違いしたらそうなるんだ
清和源氏は桓武天皇の子孫だから、
百済の血は確実に流れてる>甲斐武田
>>903 ただそうなるとハワイを舞台に
米国とコトを構えることになる
907 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 03:10:54 ID:1lKIU0d/0
坂口安吾が源氏は新羅系、平氏は百済系であるといっているそうだ。
908 :
大井夫人:2009/12/28(月) 03:14:28 ID:0YCPvJJcO
今宵はここまでに致しとうございます。
909 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 03:19:19 ID:1lKIU0d/0
おぶりがーと
くるしゅうないくるしゅうない
>>738 家康の元の苗字は松平
松平は橘家
源平藤橘の4氏なかでも弱体が著しい家筋
征夷大将軍には源氏しかなれないので源氏姓の徳(得)川に改めた。
藤原朝臣を名乗ったのは「征夷大将軍」任官の目論見をごまかすため。
と、聞いた。
結構、その家筋も戦国大名はいい加減。
信長も源平交代説に則って「俺は平氏だ!!」って言っていたが、
親父が熱田神宮への奉納の際「織田藤原朝臣信秀」と、サインしてる。
912 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 03:26:13 ID:FyHPSovb0
>>911 織田家は守護代だから一応氏素性はしっかりしてる
大航海時代に日本がやったことは鎖国という低脳極まりない政策だけだわな
貧乏なキリシタン信者は、宣教師どもに騙されて奴隷として他国に売られたりとか結構勝手なことされてたとかどうとか
宗教絡んで盲信した民衆が増えすぎると困るんで鎖国っていう結論に至ったんじゃね
915 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 03:49:46 ID:a6p/xUgR0
拡大主義なんか将来に禍根を残すだけだ
国内開発も疎かになるし
鎖国で良かったんだよ
>>905 清和天皇な
確かに半島の血は流れててもおかしくないなただ百済と韓国は民族的なつながりが微妙じゃないのか
経基流源氏は個人的に新羅三郎の名が気になるんだよな
何で新羅ってついてるんだろう
917 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 04:30:38 ID:wNBu4ca/0
>>905 百済の血なんて、日本人なら誰でも流れているだろ。
日本人も百済人も同じ倭人の同族同祖で、
さらには滅亡後百済からの移民がたくさん来たし。
百済や任那なんて当時は、北陸、関東、東北なんかよりも、
よっぽど大和に近かった感覚だろう。
>>882 >経済力が突出してたからこそ畿内に細切れで割拠して他地域の大名と張り合えた
>細切れで存続できるってのは経済力の証明でもある
は?織田信長には張り合えてないが?
細川氏もその内衆も三好氏も凋落していっただろ
>そもそも貿易ルートの確保、植民地経営、金銀の流出などによる経済不安など進出できない理由のが強い
金銀の流出なんてのは戦国時代の割拠や貿易に対する政策の不十分からくるもんだろ
東南アジアを押さえてたら輸出超過に出来る。
ルートの確保や経営が進出できない理由って戦国大名は引きこもりのボウヤかよ
海賊に首輪つけて取り込んだ英国のようにすりゃいいだけ。
919 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 04:52:12 ID:FyHPSovb0
>>918 織田氏の抑える尾張は裕福な土地柄だったからだよ
信長飛躍の影に尾張の商人たちがいたことを忘れてはいけない
畿内は裕福だったから割拠が可能だった
ただし裕福すぎるというわけではなかった
920 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 05:00:12 ID:HaU1BAxgO
信玄や謙信には金山が在るからな…でも信玄の地域は農作物が余り他の地域と比べると……
921 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 05:01:50 ID:1lKIU0d/0
>>916 知ってるかもしれないけど新羅神社(三井寺内にあるね)で元服したから。
新羅神社の本尊は新羅明神。
だから?っていわれてもこまるんだけどね
率直に疑問なんだけど、市河氏は何で釧路なんかに行ってて
しかも文書受け継いでるの?
923 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 05:12:59 ID:HaU1BAxgO
>>922 武田の家臣は徳川に…戊辰戦争で北海道って感じじゃない?
924 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 06:10:18 ID:aF5m/63lO
小山田一族 いまだ 一万人くらい おる。すべてが 裏切りの家系とは 思わない。東北 北海道に 多いようだ
万個
926 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 06:19:20 ID:Ev+p4S0S0
>>911 徳川は松平の家へ婿養子に入った得川
織田は平氏でもあり藤原氏でもあるんだよ
その時々に応じて都合のいい方を採ってるにすぎない
927 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 06:25:22 ID:kQYXqzcIO
んでヤマカンは、誰との浮気に嫉妬してるんだ?真田幸隆?
>>924 当時の小山田氏の裏切りが武田家滅亡の一端となったのは確実だ
武田信玄、武田家は戦国大名の中でも有数の人気を誇っており
その武田家に仇をなした小山田氏が卑下され嫌われるのは仕方がない
忠臣蔵の吉良家と同じ位置に立ってるのが小山田氏だな
929 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 07:45:37 ID:PtPcE5t90
>>928 木曽「おいおい。俺も忘れちゃ困るぜ旦那。見せてやるよ。華麗な裏切りと言うヤツを。」
ん?またホモ相手への恋文が見つかったのか?
>>911 >征夷大将軍には源氏しかなれないので源氏姓の徳(得)川に改めた。
それ真っ赤な嘘だから。
頼朝以後も藤原氏の征夷大将軍や皇族将軍がいる。
933 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 08:34:26 ID:CRNGi+J30
934 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 09:29:39 ID:f4+IfBtk0
>>924 裏切りじゃなくて寝返りな。もともと武田家家臣団って周辺諸侯の集まりだった。
ようは寄せ集め軍団。主従の関係は利害関係でしかない。特に小山田などの
国境が領地である家臣たちほどその傾向が強い。身内意識は低い。
935 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 09:56:57 ID:RpUuaihBO
武田はそれほど強くない。村上に負けたくらいだから。
戦国最高は龍造寺。
>>915 さあ、そりゃどうかな。
鎖国が良かったかどうか、拡大主義が悪かったかどうか。
結果論だし、しかとは言えないと思うな。
拡大主義の先にバラ色の未来が…
あったかもしれないし悪夢かもしれないし。
たかが一家臣の為にあそこまで丁重な浮気謝罪の手紙を贈るなんて
お互い相当にラブラブな関係だったんだな
939 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 10:36:57 ID:UrcMhSDNO
戦国から江戸初期は輸入が輸出に対して圧倒的に大きく金銀が大量に海外に流出していたから鎖国は現実的な政策だった。
鎖国は貿易制限による国内産業保護政策ともいえる。その結果各地方で産業が発達し日本経済が活性化しプレ近代経済に発展することとなった。
940 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 10:44:49 ID:gQterZ9kO
>>936 ぶっちゃけ閉鎖的な国民性の日本が海上帝国なんてありえんよ
>>897 せめて北海道と樺太全土と千島列島は完全制圧しておくべきだった。
秀吉も朝鮮とかどうでもいいから北海道と樺太を日本の領土に組み込んで置けばよかったのだ。
942 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 10:46:17 ID:lW56g46LO
はよう糞まみれになろうや!
アーッ
ぶっちゃけ資源的にも海洋国家は難しい。
その登場は木材の伐採が激しくほぼ丸裸状態だしそもそも日本の木々の材質自体欧米に比べ長期間の航海に耐えられないから。
945 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 10:58:56 ID:f4+IfBtk0
>>941 秀吉の唐入り(×朝鮮出兵)は、欧米列強のアジア侵略に対抗する為のもので、
領土拡大が目的じゃないんだが。
>>944 今の日本の森林があるのは
幕府が厳しく乱伐を禁じて
計画的な伐採を行ったからなんだよね
乱伐を禁止するって、簡単なことのようだけど
これで滅びり衰えた国家や民族はけっこうあるから
バカにできない
イースター島とかカリブ海の島々とか地中海沿岸部とか
文明が崩壊したところも多いからね
947 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:10:35 ID:gQterZ9kO
>>945 だったら大陸に攻め込むより、普通に明と同盟結べば早くね?
明と日本で協力して白豚と戦えばええやん
>>947 きちんと文章読んだ?
読んでいたらそんな台詞は吐けないと思うが。
949 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:18:33 ID:gQterZ9kO
>>948 領土拡大が目的じゃないんだが
領土拡大が目的じゃないんだが
領土拡大が目的じゃないんだが
領土拡大が目的じゃないんだが
領土拡大が目的じゃないんだが
お宅に聞くけどこれは何だね?
俺はバカなんで分かり易くおちえてね
>>949 馬鹿なら仕方ないなぁ。
つける薬も無いしね。
951 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:22:12 ID:gQterZ9kO
バカだよ教えてよ
954 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:25:29 ID:UrcMhSDNO
>>945欧米列強のアジア侵略は帝国主義の時代であって大航海時代の話しじゃないわさ。
戦国最強は総合的にみて秀吉だろう。
政治面でも戦略戦術面全てに優れていて穴が無い。
956 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:31:35 ID:f4+IfBtk0
>>954 秀吉も家康も伴天連宣教師の布教活動にすら危機意識を持っていましたがね。
そういう奴らがアジア一帯に押し寄せていて、貿易と称して収奪していっていたわけだ。
日本で一方的な収奪が行われなかったのは国家がしっかりしていたからに過ぎない。
957 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 11:32:05 ID:gQterZ9kO
>>952 いや、IDで解ってたけどねw
単純に食いついてきたから相手しただけ
>>953 さっきからそればかりでツマンネ
早く根拠だせよ
>>704 三好長慶は信長とは全く違う旧世代の人間。
彼は管領代となり室町幕府再興して全国を支配しようとしたが信長は幕府を潰して自らが王になろうとしたのが大きな違い。
>>921 サンクス、神社か
そういや確かに二人の兄貴も神社の名がついてたな
>>956 それはどうだろう
一般に日本が植民地にならなかったのは、日本に欧米が欲するような資源が
なかった事と、周囲を海に隔てられた地理的要因だと理解しているが
少なくとも元寇から江戸時代までは海の存在に助けられたはず
日本のそのときどきの統治者が優れていたとは聞いたことがないし
秀吉や徳川幕府などは対外国っていう意味では無知、無能であった
実際に海外の列強への危機感を持ったのは、徳川幕府末期の一部の幕閣
そして明治政府だろう。だがその明治政府でさえ多分に幸運に助けられた
962 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:01:39 ID:UrcMhSDNO
>>956 大航海時代のヨーロッパはアジアでは対価を払って貿易をしたのであって一方的な収奪はしてない。
そんな力ないし。
完全に帝国主義の話しと混同しているよ。
カトリックの宣教師が活発に布教をしてるが、そこからアジア各国が侵略されてる例はない。
ゴアやマカオは金払って買った土地であって侵略じゃない。
フィリピンはスペインに征服されてるがあの当時あの島は国がなかったし。実際にはマニラを貿易の拠点として開発したという程度だし。
結局みなホモだから
>>962 そうだね、実際に陸軍を送り込もうとスペインなどは考えたらしいが
補給の面で諦めたらしい
当時が内乱常態でも、各地方には他国と違い異様な比率で軍人(侍)がいたからね
大名は愚かでも、末端の侍たちの存在は脅威だっただろう
遠方で当時も魅力ある産物もなかったからこそ、植民地化されかった
>>961 でも島国のインドネシアやフィリピンは欧米列強の植民地になったけどな
資源の量はどうか知らんけど
966 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:15:05 ID:UrcMhSDNO
>>959 信長も始めは幕府を潰そうとしてない。将軍を擁立し幕府を復興し、傀儡将軍のもと自分が権力者になる。
幕府を潰すことになったのはその後の状況の推移からでてきたこと。
967 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:15:39 ID:aF5m/63lO
最強は 北畠顕家公。義経よりは 好きだな。
>>961 無知無能はおまえだろ
日本が植民地にならなかったのは
地理的要因と海があったからじゃなくて
優れた文明と技術があったからだ
969 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:25:58 ID:f4+IfBtk0
>>962 結果論だね。それに列強が正当な対価を現地に支払っていたと?
キリスト教会は異教徒は殺してでもキリスト教化しろと命令して
宣教師を送り出しているのに。あと日本の産物には金がある。
ヨーロッパ人が日本を目指したのもそれが大きな理由だろ。
970 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:26:21 ID:UrcMhSDNO
>>965 欧米列強ってのは帝国主義の話しだって。そもそも米なんて無い。
971 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 12:39:36 ID:UrcMhSDNO
>>969 ヨーロッパのアジア貿易は対価を払った貿易だよ。
宣教師の布教活動はカトリック教会がやっている活動だ。イエズス会などの教団もカトリック教会の一部。
スペイン、ポルトガルは旧教国として宣教師の活動に保護を与えたということ。
>>968 その優れた文明は中国から学んだハズだが
その中国は・・・
>>965 それらの国々は日本とまったく別の地理だろ
フィリピンなんかを見てもわかるが、広大な地域に島が散らばっている
当然のことながら文化や言語も違う雑多な民族が、それぞれの島に散らばっている
その国が一致団結して戦えるかい?
そもそも島々を行き来するだけで、当時のフィリピンの技術じゃ命がけだろうし
島々の民族同士に同属意識なんかないし、援軍を送ろうともせんだろう
974 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 13:31:33 ID:UrcMhSDNO
>>965 フィリピンやインドネシアは部族社会で国がなかったので領有できた。
領有はしたが植民地化し資源を収奪したり市場にしたりするのはもっと時代が下って帝国主義の時代で、
大航海時代は貿易拠点として都市や港を開発しただけ。
>>972 当時の中国はヨーローッパ以上の先進国で
アフリカまで大艦隊を遠征してましたよ
そして、日本はその中国よりも多い数の鉄砲を持っていた
そんな国は陸続きでも侵略は無理だろ
976 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 13:35:22 ID:ip/oKupsO
信玄カピバラもりもっちゃん
>>975 航海術が発達したら、あっという間に列強の草刈り場になったがねw
978 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 13:39:53 ID:I7bybAW50
>>968 日本が地中海にあったら速攻征服されてるよw
日本の文化度は高かったが
それが征服されなかった主要因じゃない。
お ま え は ば か な ん だ な w
979 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 13:45:08 ID:OhnPdN/HO
>>978 どう見ても
>>968は年齢が低いし、さらに無知だよな
他人を罵倒する事だけは得意そうだが・・・w
>>977 列強の草刈り場になったのは
中央集権で皇帝が技術革新を禁じたためとか
国家の衰退と西洋列強の勃興時期が重なったためとか
色々な要因がある
>>978 バカはおまえ。
日本ほどの技術レベルで人口規模の国が中世地中海に突然現れたら
完全侵略制服など無理
逆に日本列島が最初から地中海にあったら、
いろんな民族がやってきて、今のキプロス島みたいな感じになって
日本国という概念は生まれないかもしれない
>>981 あのさー
どんなレスをしようが他人をバカ呼ばわりしてる時点でディスカッション失格なんだよ
他人に訴えたい事があれば、文才で勝負しろよ
それとも子供か?
>>980 レッテル貼りはいいけどさあ
お前さんの
>日本に欧米が欲するような資源がなかった
っていうのからして間違いだろ。
日本は金や銀の世界有数の産地だっただろ?
>>983 バカと言われたくらいで議論拒否って
どんだけナイーブなんだよwww
どうせ反論できないから
レッテル貼りしてるだけなんだろww
16,7世紀のスペインを過大評価しすぎだな。
あの頃のスペインは破産宣告を何度もする超借金国家。
動員能力も日本、中国、オスマントルコ、ムガール帝国には遙かに及ばないし、
兵站能力も皆無。
おまけに君主は、典型的な無能官僚のフェリペU世ときたもんだ。
こんなんで世界最強を標榜するんだから、欧米の歴史学者の脳みそには蛆が湧いてるとしか思えんw
>>986 それがお前の価値観なら、いくらでも他人を罵倒してろ
お前にお似合いの罵倒仲間を待って、罵倒合戦してろやw
>>988 おまえ2chは初心者か?
まあ、力抜けよw
煽り耐性なさすぎだろww
2chに向いてないんじゃないか?
>>990 自分のバカさ加減をつかれて
逆切れかいw
基地外は触るとみんなお前みたいな反応するw
992 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 14:07:43 ID:Lp05OhzV0
あれ?ここは中世の軍事バランスのスレかよw
武田信玄の手紙の話はどうなったんだあww
>>990 >>991 いい加減にしとけよお前ら。
荒しに反応していちいちレスしてるやつも荒しと同罪だ
延々とスレ違いの話題を続けた挙句
最後に罵倒合戦とか・・・
お館様も泣いておられるぞ
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴ……!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,,
//三/|三|\ ,,,, ,,、,、,,,
∪ ∪
,, , ,,,, ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,,,, ∧_∧ うまいモナー,,,,, 、 ,,,,,, ,,,,,,,, ,,,,,
,,, ( ´∀`)___,,,,___ ,, ∧_∧ ゲンキニ シテルカナ・・・___,,
/ ̄ ( つ日ヽ ∧_∧ ( ) /
/ (__)) (´∀` ) ( ) ∧_∧∧_∧ / マターリモナー
∧_∧∧_∧ドーゾ (日ノ ) | | | ( ´∀`) ´∀`)
( ´∀`) ´∀`) ((__) ,(_(_) (○)⊂ ) つ日⊂ ) モーナー
―(つ⊂ ) つ⊂ )―――――――――――ヽ|〃(⌒)(⌒) (⌒)(⌒)
(⌒)(⌒) (⌒)(⌒)グーグー
>>994 完全なスレ違いでも無いだろ
一応戦国時代の話なんだし
998 :
名無しさん@十周年:2009/12/28(月) 14:48:40 ID:EBDsVzpi0
為になるスレであった
大儀である
うむ。
スレ違い気味だが、鎖国の是非や
当時の世界情勢とか、鎖国後の方が貿易量は多かったとか
いろんな意見が聞けて良かった
. ,、r‐''''''''''''''''ー 、
,r' `' 、
/ ヽ
. / , ヽ
,,' ; ,、、,_ ニニ ,、」、
l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....|
l:,;'"`'、, . ,;ィェ、.. ,rェ;〈
>>1000なら上洛成功
. ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン .., .:::'''"゙, 俺が天下を取る
l;゙、',.::l;;;i r ヽ. l,
l;;;;`‐;;;;;ヽ . './'ー'''ー‐' ', l;;;,,
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l '';;;;;;;;;;;;;;' ,イ l''' l `
:.:.:.:| ','、 ''''''''' , ‐---,ェr'".l.| | |
:.:.:.:| ゙、゙、 `''''''''"",ノ l l .| |
:.:.:.:.| ヽヽ `'---‐'" .// ! |
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。