【社会】リハビリセンター記念式典に天皇・皇后両陛下がご出席 - 埼玉

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1 ◆SCHearTCPU @胸のときめき▲φ ★
天皇、皇后両陛下は7日、埼玉県所沢市で併設されている
「国立障害者リハビリテーションセンター」と
「国立職業リハビリテーションセンター」を訪れ、
創立30周年記念式典に出席された。

*+*+ NIKKEI NET 2009/12/07[23:51:00] +*+*
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091207STXKB031607122009.html
2名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 23:51:58 ID:hDGLy82j0
2だ?
3名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 23:52:58 ID:V7zmoDuJ0
船橋ヘルスセンター
4名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 00:23:50 ID:E+maXc010
皇太子は何やってんの?
5名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 04:14:58 ID:HD122VcJ0
明仁のインポの治療だろもう再生不能なんだから切り落としてもらえよ
6名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 07:47:48 ID:DQ2GbNmr0
岡田外務大臣が一言↓
7名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 08:03:39 ID:WvAone7x0
23日は平成天皇の誕生日か、平成天皇は今年で何歳だ、もうそろそろお迎えが来るだろ、平成天皇には
8名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 20:02:53 ID:DsY9ktWm0
天皇って何サマ?・・・知能指数、運動能力、教養、器量と
全て低レベルなのに、生まれただけで身分保障の日本国憲法は、
北朝鮮以下のお粗末さ・後進性ですね。

先の大戦で、日本国民だけでも310万人を殺しながら、
自らの罪は一切償わず、今日では、国家・国民には何の貢献もせず、
「天皇一族の・天皇一族による・天皇一族の為だけの祭事」を
創り、これを公務と偽って、年間270億円もの税金を浪費する、
日本最大の詐欺師・寄生虫に成り下がっています。

寄生虫一族の周りには、ゴキブリ小和田一族・クズ宮内庁役人、
コジキ神社、ゴミ右翼、三流政治屋が群がり、更に、その周囲に
天下り・渡り・談合のクズ役人が遠巻きにして、税金と、税金の
かからない賽銭に群がる一大グループが出来ています。

寄生虫天皇も、園遊会や叙勲の名目でクズ役人を手懐け、延命に
必死となっています。

今や、日本の「諸悪の根源」となった天皇制を、1日も早く
消滅させ、主権在民たる民主主義をスタートさせましょう。
9名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:25:18 ID:3ESJ/ncZ0
さっそくわいてるな
10名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:35:44 ID:I0UFgOue0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

楠木正成、北畠親房、山崎闇斎、吉田松陰…
歴史を紡いできた忠臣の声に今耳を傾ける

(要約)
楠木正成公を代表する日本精神、武士道における「忠」とは?
問題点1.後醍醐天皇は”不徳”であるから、大楠公の「忠」は誤りではないか?
問題点2.親房が「正統」とした南朝の系統は断絶したではないか?
              ↓
解決1.”不徳”は儒教の「徳治主義」における問題であり、易姓革命の根拠。
 山崎闇斎は「拘幽操」にて”徳”という条件を排除し、易姓革命を否定。
  ”不徳”の「君」に「忠」を尽くす大楠公こそ、忠義の精髄である。
解決2.皇朝における「正統」とは神武天皇の血筋であること。
 加えて皇位継承の条件は”三種の神器”。

(まとめ)儒学における「正統」→血筋+徳
 日本精神(崎門の学、水戸学)における「正統」→神武天皇の血筋+神器

参考文献
『神皇正統記』北畠親房
http://www.amazon.co.jp/dp/4861810248
http://www.youtube.com/watch?v=5tnxwHbKEbU
『拘幽操』山崎闇斎
http://www.youtube.com/watch?v=n16zgmFu9zs
『保建大記』栗山潜鋒、『大日本史』水戸光圀、『保建大記打聞』谷秦山、『太平記』
11名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:37:26 ID:I0UFgOue0
吉田松陰 『無逸の心死を哭す』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7358433
http://www.youtube.com/watch?v=WH0bbJTo024

 『惨は心死より惨なるはなし、蓋し身死して、而も心死せざる者は古聖賢の徒、
 不朽の人なり。』
12名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:37:47 ID:I0UFgOue0
西郷隆盛 『西郷南洲遺訓』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6932526
http://www.youtube.com/watch?v=1zsHLMx1k0w

 『生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は御し難き者なり。
 然れども此の御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計る可からず』
13名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:38:13 ID:I0UFgOue0
吉田松陰 『士規七則』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7345233
http://www.youtube.com/watch?v=c56yoH5jItM

「士規七則」は、安政2年1月(1855年2月)、甥の玉木彦助 の元服の日に与えた手稿。
後に武士道の在り方として後世に 大きな影響を与えた。
乃木希典大将の「士規七則講話」 では、その大きな影響と尊信を知る事が出来る。
山鹿素行→大石内蔵助→吉田松陰→乃木希典という日本思想の一つの流れに触れられる。
14名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:38:24 ID:I0UFgOue0
乃木希典 『士規七則講話』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7372847
http://www.youtube.com/watch?v=mvgjSTCKKY4

乃木大将が深く感化された人物として山鹿素行と吉田松陰が知られています。
その深い尊信の一端をを窺い知る事が出来るのが乃木大将による「士規七則講話」です。
日本の思想が脈々と受け継がれ、力を発揮してきた事を知る事が出来ます。
15名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 21:38:34 ID:I0UFgOue0
山鹿素行 『武教小学』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7401755
http://www.youtube.com/watch?v=EXZ-trzU3q0

武教小学は山鹿素行の講義などを基に門人達が簡潔にまとめたもの。
大石内蔵助、吉田松陰、乃木希典大将へと大き な影響を及ぼした兵学者・儒学者が示した
江戸時代の泰平の世の武 士の日常生活規範がここにあります。
16名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:20:25 ID:I0UFgOue0
神皇正統記 北畠親房
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6922359
http://www.youtube.com/watch?v=5tnxwHbKEbU
http://www.youtube.com/watch?v=SmyOy6HgQCk
http://www.amazon.co.jp/dp/4861810248
http://www.amazon.co.jp/dp/4003011619

 「 大日本は神国也 」

 この書は日本の歴史が最も簡単明瞭に説いてありますが、殊にこの書物の開巻第一には、
極めて簡潔なる言葉を以て日本歴史の本質が明確に述べられてあります。それはかういふ
言葉であります。

 大日本は神国也。天祖はじめて基を開き、日神長く統を伝え給ふ。我が国のみ此の事あり。
 異朝には其の類無し、此の故に神国と云ふ也。

 これを活字にすればわづか二行でありますが、この簡単なる言葉の中に、『神皇正統記』
全体が要約されてゐるのであります。
17名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:20:43 ID:I0UFgOue0
山鹿素行 『中朝事実』 (→吉田松陰、乃木希典に続く)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6938281
http://www.youtube.com/watch?v=t8zEJ6UnaiI

皇統(上) 皇統章

 故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世之れに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔
を受けて其の時を二つにせず、萬國王命を稟(う)けて其の俗を異にせず、三綱終に沈
淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国の到底企て望み得ることではない。夫(そ)の支那
では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王となった者が数世ある。春秋の
二百四十余年に臣子が其の國君を弑した者二十又五もある。其の先後の乱臣賊子に至っ
ては枚挙することは出来ない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、
姓を易ふること四氏、其の國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが
凡そ二世、彼の李氏は二十八年の間に王を弑する者四度あった。況んや其の先後の乱逆
は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國(なかつくに)は開闢からこのかた人皇
に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎてゐる。而も天神
(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、其の間に弑逆の乱は指を屈して数ふる
程もない。其の上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふことも出来なかった。後白河帝の後に武
家が権力を執って既に五百余年にもなる。其の間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕
が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それでも猶ほ王室を貴び君臣の儀を存してゐ
る。是れは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで忘れられないからであ
る。其の過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆至
誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。
凡そ八紘の大なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、其の至徳、何
と大きいことではないか。

 →中国や朝鮮では易姓革命が度々起こり、乱臣による弑逆も度々起こった。
  一方、日本の皇統は神代以来一度も変わることなく萬世一系である、ということを示す。
  萬世一系の皇統を以て日本が中朝である事実、即ち「中朝事実」を示している。
18名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:21:08 ID:I0UFgOue0
藤田幽谷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%B9%BD%E8%B0%B7

『正名論』
http://www.geocities.jp/jcsqr915/yukoku1.html

幕府、皇室を尊べば、すなはち諸侯、幕府を崇(たつと)び、

諸侯、幕府を崇べば、すなはち卿・大夫、諸侯を敬す。

※皇室を幕府(政府)が尊ぶことによって、諸侯は政府を尊び、以下の社会体制も
正しく治まると藤田幽谷は『正名論』で説いた。
これが水戸学の一つの隆盛の基礎となった。
19名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:21:18 ID:I0UFgOue0
水戸学 藤田東湖 回天詩史
http://www.youtube.com/watch?v=ut5Ou3xCTl4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7498295

水戸学 藤田東湖 文天祥の正気歌に和す
http://www.youtube.com/watch?v=pRpPxeYn4j4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7489721

生きては当に君冤を雪ぐべし、復見ん四維の張るを。
死しては忠義の鬼と為り、極天皇基を護らむ。
20名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:21:38 ID:I0UFgOue0
崎門学 山崎闇斎 拘幽操
http://www.youtube.com/watch?v=n16zgmFu9zs
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7538203

山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開き、後世の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えました。
寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など
幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその弟子の若林
強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末では、橋本景岳、
梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られて
います。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社
内の猿田彦社に配祀されています。「拘幽操」は周の文王の幽閉を題材にした韓退之の詩で
すが、これを闇斎は考察し、忠義のあるべき姿としました。

会津藩初代藩主 保科正之
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%A7%91%E6%AD%A3%E4%B9%8B

江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、家光・家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。
賓師に山崎闇斎を招き、殉死の禁止など、会津藩、幕政に功績を残した。
21名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:22:02 ID:I0UFgOue0
湯武革命論 山崎闇斎 崎門学
http://www.youtube.com/watch?v=7GK19ytBXkU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7541823

山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開きました。寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死
の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその
弟子の若林強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末
では、橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山
の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りまし
た。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「湯武革命論」は湯武放伐を
程子、朱子の論を基に考察し、革命を否定した重要な書です。これが後世の尊皇攘夷思想
に大きな影響を与えたものの一つになりました。

会津藩初代藩主 保科正之
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%A7%91%E6%AD%A3%E4%B9%8B

江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、家光・家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。
賓師に山崎闇斎を招き、殉死の禁止など、会津藩、幕政に功績を残した。
22名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:22:32 ID:I0UFgOue0
正論 1月号
奉祝 天皇陛下御在位二十年 平成「臣民」論 皇學館大学教授 松浦光修
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0912/mokji.html

楠木正成、北畠親房、山崎闇斎、吉田松陰…
歴史を紡いできた忠臣の声に今耳を傾ける

(要約)
楠木正成公を代表する日本精神、武士道における「忠」とは?
問題点1.後醍醐天皇は”不徳”であるから、大楠公の「忠」は誤りではないか?
問題点2.親房が「正統」とした南朝の系統は断絶したではないか?
              ↓
解決1.”不徳”は儒教の「徳治主義」における問題であり、易姓革命の根拠。
 山崎闇斎は「拘幽操」にて”徳”という条件を排除し、易姓革命を否定。
  ”不徳”の「君」に「忠」を尽くす大楠公こそ、忠義の精髄である。
解決2.皇朝における「正統」とは神武天皇の血筋であること。
 加えて皇位継承の条件は”三種の神器”。

(まとめ)儒学における「正統」→血筋+徳
 日本精神(崎門の学、水戸学)における「正統」→神武天皇の血筋+神器

参考文献
『神皇正統記』北畠親房
http://www.amazon.co.jp/dp/4861810248
http://www.youtube.com/watch?v=5tnxwHbKEbU
『拘幽操』山崎闇斎
http://www.youtube.com/watch?v=n16zgmFu9zs
『保建大記』栗山潜鋒、『大日本史』水戸光圀、『保建大記打聞』谷秦山、『太平記』
23名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:23:32 ID:I0UFgOue0
福沢諭吉 帝室論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5120245
http://jp.youtube.com/watch?v=fBPZpWK10QQ

帝室は政治社外のものなり。

帝室は万機を統るものなり、万機に当るものに非ず。

我が帝室の一系万世にして、今日の人民が之に依て以て社会の安寧を維持する所以
のものは、明に之を了解して疑わざるものなり。

帝室は直接に万機に当らずして万機を統べ給う者なり。
直接に国民の形体に触れずしてその精神を収攬し給う者なり。

我帝室は万世無欠の全壁にして、人心収攬の一大中心なり。

全国人心の中心栄誉の源泉なる帝室

福沢諭吉の日本皇室論―現代語訳(原文総ルビ付き) (単行本)
無窮會 (編集), 池田 一貴 (翻訳), 平沼 赳夫
http://www.amazon.co.jp/dp/4882181312
24名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:26:08 ID:lWBGurfGO
防衛医大のすぐそばにあるあそこだね。
防衛医大の自衛隊イベントのときには、車椅子に乗ったりクラッチ使って歩く人たちが
大勢くるんだけど、あのセンターでリハビリしてるひとたちだったんだな
25名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:26:17 ID:EY3/oIAe0
これだけ両陛下の健康問題や負担軽減が叫ばれてるのに、
なんでこのクソ寒い中、こんなしょーもない式典に招待するわけ?
宮内庁も仕事選べよ。 ダボハゼみたいに全部受けてるんじゃねーぞ。
26名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:34:39 ID:I0UFgOue0
福沢諭吉 尊王論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5129355
http://jp.youtube.com/watch?v=Lnhp9MrCF_o

天下後世社会の安寧の為めに尊王論の一編を記して子孫に遺すも亦無益の労に
非ざるべし。
今その立論を三条に分つ。

第一 経世上に尊王の要用は如何。

第二 帝室の尊厳神聖なる由縁は如何。

第三 帝室の尊厳神聖を維持するの工夫は如何。

福沢諭吉の日本皇室論―現代語訳(原文総ルビ付き) (単行本)
無窮會 (編集), 池田 一貴 (翻訳), 平沼 赳夫
http://www.amazon.co.jp/dp/4882181312
27名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:34:54 ID:I0UFgOue0
賀茂真淵 国意考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4

真淵翁は師荷田春満の思想を受けて、神道即ち惟神道(かむながらのみち)に本有の
純粋性を認め、後代に於ける儒仏二教の渡来が之を混濁せしめたとして、其の浸染色
素の除去を国学者の責務とする者であるが、国意考は即ちその主張の下に書かれたも
のであって、宋儒一味の理屈に堕した不自然な人為的教訓を排拒し、天地自然の大道
に依ることに日本人の生活があると説く事に終始している。国意とは、即ち日本精神の
事であって、翁に従うと、それは多角的な方形ではなくて、滑らかな弧線から成る円であ
り、其の処には佶屈よりも円満、厳氏iげんれい=おごそかできびしい)よりも緩和があ
るとみているのである。其の事は国意考の中によく言い表されているが、国意考の外、
明和3年(皇紀2426、西暦1766)賀茂翁70歳の時自草の「学びのあげつろひ」にも「唐
国は物の方なる國にて急に諫め教える故に用いし人なし」と述べ、同5(皇紀2428、西
暦1768)年6月18日、齋藤信幸宛書簡にも「方なる事はやすく円なるは学び難し。
此の円なるを得ざれば上古は知られず」と記している。縣居集言録に「儒の道は方にし
て天地に違へば世治まらず、仏の道は詳しき過ぎて又天地の自ずからなるに違へり。
たヾ神の道こそそれが中にて治まれり」と書いているのも同意である。
 此の事は常に翁の念頭を離れなかったものと見えて、其の歿年に当たる明和6(皇紀
2429、西暦1769)年の5月9日付、本居宣長宛書簡の末にも「物方なれば得やすし、
只皇朝之丸様の意こそ得がたけれ」と書き込んでいる。
28名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:35:30 ID:I0UFgOue0
本居宣長 玉くしげ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5058142
http://jp.youtube.com/watch?v=EEilEy-xeFw

さてわが皇国に特別の事情があるといふのは、まづこの四海万国を照らしておいでにな
る、天照大御神が御出生あそばされた御本国であるから、万国の根元、大本である御国
であつて、万事が外国よりはすぐれて結構である。その個々の点を申すことは難かしいが、
その中まづ第一に、稲は、人の命を続かせ保たせて、この上もなく大切なものであるが、
その稲が万国にすぐれて比類のないことをもつて、その他のことはこれに準じて知るべき
である。ところが、この国に生れた人は、元来稲には馴れてゐて普通のこととなつてゐる
から、それに気がつかないのである。幸ひにこの御国の人間と生れたからには、これほど
すぐれて結構な稲を、朝夕一ぱいに食べるにつけても、まづ皇神たちの有難い御恩籟を
思ひ奉らなければならないことであるのに、さういふ考へさへなくて過すのは、実に畏多い
ことである。さてまたわが国の皇統は全く、この世をお照らしになる天照大御神の御子孫
にましまして、かの天壌無窮の神勅のやうに、万々歳の後までも、御動きになることはなく、
天地のある限りは御伝はりになる御事は、即ち道の大本である。
29名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:35:47 ID:I0UFgOue0
本居宣長 直毘霊
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5015829
http://jp.youtube.com/watch?v=O-YnQY-mxlI

  皇大御國(スメラオホミクニ)は、掛(カケ)まくも可畏(カシコ)き~御祖(カムミオヤ)
  天照大御~(アマテラスオホミカミ)の、御生坐(ミアレマセ)る大御國(オホミクニ)
  にして、

萬國に勝(スグ)れたる所由(ユエ)は、先( ヅ)こゝにいちじるし。國という國に、此( ノ)
大御~の大御コ(オホミメグミ)かゞふらぬ國あらめや。

  大御~、大御手(オホミテ)に天(アマ)つ璽(シルシ)を捧持(サゝゲモタ)して、

御代御代に御(ミ)しるしと傳(ツタ)はり來(キ)つる、三種(ミクサ)の~寶(カムダカラ)は
是ぞ。

  萬千秋(ヨロヅチアキ)の長秋(ナガアキ)に、吾御子(アガミコ)のしろしめさむ國なりと、
  ことよさし賜(タマ)へりしまにまに、

天津日嗣(アマツヒツギ)高御座(タカミクラ)の、天地の共動(ムタウゴ)かぬことは、既(ハ
ヤ)くこゝに定まりつ。
30名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:35:59 ID:I0UFgOue0
幕末の国家戦略 橋本左内
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5110938
http://jp.youtube.com/watch?v=nx-ieAOSLjA

未来をひらく 福澤諭吉展
http://fukuzawa2009.jp/

山鹿素行『中朝事実』−吉田松陰−乃木希典大将
山崎闇斎−崎門の学−橋本左内、横井小楠
水戸光圀公−水戸学、大日本史−藤田東湖
31名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:36:11 ID:I0UFgOue0
明治天皇 教育勅語
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5037463
http://jp.youtube.com/watch?v=fCYo-vWyQBY

教育勅語の十二の徳目

孝行        親に孝養をつくしましょう
友愛        兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ノ和     夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ノ信     友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜        自分の言動をつつしみましょう
博愛        広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学習業     勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発     知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就     人格の向上につとめましょう
公益世務     広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法        法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇        正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう
32名無しさん@十周年:2009/12/08(火) 22:44:10 ID:o261iVeu0
ほんとに天皇・皇后両陛下は多忙で心配になります!!

どうして皇太子ご一家は秋篠宮様より助ジュール少ないのかね?
野球観戦・音楽鑑賞・静養しか覚えがないんだけど????
33名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:48:43 ID:PS5VI2Kk0
明治天皇 五箇条の御誓文
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5037980
http://jp.youtube.com/watch?v=7y3VK-q5I9o

一 広ク会議ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決スベシ

一 上下(しょうか)心ヲ一(ひとつ)ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ

一 官武一途庶民ニ至ル迄各其(おのおの)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マ
  ザラシメン事ヲ要ス

一 旧来ノ陋習(ろうしゅう)を破リ天地ノ公道ニ基クベシ

一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基(こうき)ヲ振起(しんき)スベシ

我国未曾有ノ改革ヲ為(なさ)ントシ 朕躬(ちんみ)ヲ以テ衆ニ先シ 天地
神明ニ誓ヒ 大ニ斯(この)国是(こくぜ)ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 
衆亦(また)此(この)旨趣ニ基キ共心努力セヨ
34名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:48:53 ID:PS5VI2Kk0
明治天皇 国威宣布の宸翰
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5038549
http://jp.youtube.com/watch?v=sRL5iAsF66o

五箇条を御誓いになると同時に、御宸翰(『国威宣布の宸翰』)を群臣に賜りましたが、
その要旨は、中世以来、表面には朝廷を尊んで、実は敬して遠ざけたために、君臣
の間、遠くかけ離れたが、それでは君臨の意味がない、今度朝政一新の時にあたり、
国民の中に一人でもそのところを得ない者があれば、それは天皇の御罪であるから、
骨を折り心を苦しめて良い政治を行おうと思う、汝らよくよくこの御方針を心得て、私見
を去り、公義を採り、天皇をお助け申し上げて、神州を保全し、御歴代天皇の神霊を
お慰め申し上げよ、との御趣意でありました。この御宸翰は、五箇条の御誓文と同様
に非常に重いものですが、殊にその中に、「天下億兆、一人も其の処を得ざる時は、
皆朕が罪なれば」と仰せられてありますのは、外国では見られないところで、皇国政治
の尊さ、ここにも窺うことが出来ましょう。
35名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:49:08 ID:PS5VI2Kk0
この世を花にするために(機動隊応援歌)
http://www.youtube.com/watch?v=REfvI3xOdzc
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5165762
36名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:49:17 ID:PS5VI2Kk0
37名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:53:21 ID:MWR3m1KN0
陛下も高齢だしこういうのは皇太子夫妻に頼んだらよいのに。
38名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:53:25 ID:PS5VI2Kk0
39名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:53:51 ID:PS5VI2Kk0
物語日本史(中)   平泉澄
http://www.amazon.co.jp/dp/4061583492

四十五章 源頼朝(下)  頼朝出現の意義

 文治元年の夏、尾張の国に、玉井四郎助重という者があって、元々乱暴者であり人々を困ら
せていましたが、それが今度は、勅命に背いた廉で召喚せられたののに、出頭しないばかりか、
却って朝廷に対して誹謗の言葉を吐きました。その報告を詳しく聞いた頼朝、何と言ったと思いま
すか。

 綸命に違背するの上は、日域に住すべからず。関東を忽諸せしむるに依りて、鎌倉に参る
 べからず。早く逐電すべし。

綸命は勅命、日域は日本、忽諸はないがしろにすることです。つまり、勅命に背く以上は、日本国
に住むことは許されない、幕府の指示に従わない者は、鎌倉へ来て保護を受ける事は出来ない、
早速日本国の外へ出て行くがよい、こう言って国外追放を宣告したのです。
何という鮮やかな、何という痛快な裁決でありましょうか。それが口先だけの説教ではなく、天下兵
馬の権を握る者の言葉でありますから、一言直ちに実行に移され、違背すればたちまち首が飛び
ます。それ故にこれが人々に与えた影響は、実に重大であったに違い有りません。
40名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:54:02 ID:PS5VI2Kk0
フランス革命についての省察    エドマンド・バーク (著), Edmund Burke (原著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4121600444

後半では革命が今後たどるであろう経緯が予見されており、終わりの部分では、

     「最終的落着を見る前にフランスは火と血によって
     浄化されるべき転生を通り抜けなければならない」

と述べられている。実際にその予見どおり、革命はロベスピエールを中心とする
ジャコバン派の恐怖政治へと変遷していき、さらにナポレオンによる軍事独裁政権の
誕生と対外戦争、七月革命、二月革命を経ることになり、1875年の第三共和制憲法
制定により第三共和制が確立するまで、フランスは長きにわたり不安定な時代を
経験することになる。
41名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 00:54:22 ID:PS5VI2Kk0
谷秦山『保建大記打聞』

吾も人も日本の人にて道に志あるからは、日本の神道を主にすべし。
其の上に器量気根もあらば、西土の聖賢の書を読みて羽翼にするぞならば、
上もないよき学問なるべし。

保建大記打聞編注 (-) 杉崎 仁 (編集)
http://www.amazon.co.jp/dp/4585032452
42名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 01:00:39 ID:q+UB6aZsO
もう休ませてさしあげて!!!

気品ある紀子さまの数々のご活躍をよそに、
汚い長髪を振り乱して食っちゃ寝&静養三昧で遊びまくりの暇人雅子にやらせるべき。

43名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 17:37:57 ID:+tqO6l3x0
警備にいくらかかった?w
てゆうか、厳重な警備が必要だってのは、それだけ嫌われている証拠だねw
44名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 17:53:56 ID:SJOsc9Np0
なんかいるの?

きもいんだけど
45名無しさん@十周年
1912(明治45)年7月30日、明治天皇崩御の報が伝わるや、
英国の首相アスクィスは、即座に下院において以下の動議を提
出した。

 本院は我が皇帝陛下の盟友たる日本天皇陛下崩御の報に
接して深厚なる追悼の意を表彰し、あわせて本院が日本皇
室政府、および人民に対して有する深厚なる同情を我が皇
帝より日本新帝陛下に伝えられん事を請う。

 この動議提出にあたり、アスクィスは次のような演説を行っ
た。

 先帝陛下(明治天皇)はご在位50年を出でさせられず
してその国民的生活の後方に厳重に遮断せられたる半神的
地位より離脱して立憲的君主となり給い、よく祖宗伝来の
帝威を失い給うことなく、継承し給ひたる領土の政治、社
会、産業、智識、道徳等、各方面における活動の源泉、中
心力、および開拓者として、完全にして、かつ活力のある
変革の指導者とならせられたり。・・・

 余は歴史上、日本天皇陛下の如く一治世の短期間に、そ
の国民ならびに世界人類のため、かく宏大にしてかつその
必要かくべからざる進歩発展を成就し給いたる君主の名を
挙ぐる事能わず。・・・

 首相の演説は何度もの喝采を浴び、続いて野党も賛成演説を
行って、全会一致で動議は採択された。上院でも同様な動議が
採択され、翌日のロンドン・タイムズは、こう報道した。