【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演★3

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★「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演

「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで
講演し、勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴(いっしゅう)した上で、
「卑弥呼という存在は北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。

「邪馬台国論争最前線」をテーマに講演した高島学長は「(邪馬台国の)所在地を巡る論争
は当時の国家の成立過程を検証する意義がある」とし、九州説、近畿説が持つ国家成立史観を
それぞれ紹介。近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国
ととらえていると述べた。

その上で、「当時の鉄器や文物などの資料が豊富に出土される九州説の方が自然」などとし、
逆に資料が貧弱な近畿説や九州から近畿に移ったとする「東遷説」は中央史観から逆算された
説と批判した。さらに九州説の論拠として、重要資料と位置づける「魏志倭人伝」に、
環濠集落の記述があることなど5つの材料を上げた。

近畿説の新たな根拠として注目されている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の建物に
ついては、同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、
「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

講演会は県内の2大学、3短大と放送大学佐賀学習センターでつくる「大学コンソーシアム佐賀」
が主催。約百人が聴講した。

2009年11月29日更新 佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
前 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259608759/
2名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:08:28 ID:WHOQlv/10
佐賀牛ってどれくらい美味いの?
3名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:12:40 ID:MNQ5H+G40
なぜ★3まで???
4名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:12:43 ID:2XvEkrvN0
こいつらをリングに上げたほうが
亀田×内藤より面白い殴り合いが見れそうなんだがな
5名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:12:52 ID:ul/qFv3IP
そもそも卑弥呼って中国の誇張か捏造なんじゃねえの?
って最近思う。
6名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:13:09 ID:fuIVw1WV0


★日本医師会は医師養成数の大幅削減を主張

第2は、当時、日本医師会が医師養成数の大幅削減を主張していたことです。
具体的には、上記「将来の医師需給に関する検討委員会」
設置前の1983年7月に、日本医師会医業経営検討委員会は
「第二次報告-医師急増問題について」を発表し、
医師数は「国際比較からみてもすでに欧米諸国の水準に並び得た」
との認識に基づいて、「適正な医師数の実現のための具体策」として、
なんと「医学部の1学年定員は5,400人[当時の入学定員8360人の34.7%減!?-二木]にする必要がある」と提案したのです(8)。

さらに、小倉秀夫弁護士が国会議員の当時の医師過剰論を克明にフォローしたブログによると、
日本医師会の意向を受けたと思われる医系議員は、
上記臨時行政調査会「基本答申」が出される前の1977〜1982年に、
早くも医師過剰論とそれによる医療費高騰論を主張していました(9)。
例えば、坂口力議員(小泉政権時代の最初の厚生労働大臣)は、
1980年2月18日に、「医師の数の増加というのが、これが医療費を高騰させる大きな原因になっております」と発言しました。

ただし、意外なことに、当時、厚生大臣は、それに対して「理論的にはおっしゃる点がないとは言いませんけれども、
現実的には、それだからといって医療費がそんなに増えるものではない、私は、私の勘でございますけれども、そう思っております」と、軽く否定していました(1981年10月16日)。この発言を含めて、
厚生省と文部省は、臨時行政調査会「基本答申」(1982年)が出された後も、1984年までは、冷静な答弁を行い、医師過剰論には与していませんでした。

以上から明らかなように、医師数抑制政策の主導者は、
吉村仁氏や厚生省ではなく、臨時行政調査会と日本医師会だったのです。
なお、当時、日本医師会だけでなくほとんどの医療団体が医師数抑制政策に賛成しましたが、
民医連(全日本民主医療機関連合会)だけはそれに正面から反対しました。しかもその際、医療費抑制を目指す臨時行政調査会だけでなく、
「いち早く、開業経営基盤の危機とばかり、それ[医師過剰論]に乗じた主張を始めた」日本医師会も批判しました(10)。

http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/20090501-niki-no057.html

7名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:13:26 ID:8rwxYwulO
まだアホ同士がちちくり合ってんの?一生やってろ
8名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:14:54 ID:CLOZPUpt0
じゃあ日韓共催で
9名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:17:06 ID:qgLbeRyFO
卑弥呼って女だと思ってた奴多いだろうけど、男だからな
10和紙:2009/12/02(水) 23:18:04 ID:bZp1r+gK0
     ____
    /__.))ノヽ
    .|ミ.l _  ._ i.)
   (^'ミ/.´・ .〈・ リ
   .しi   r、_) |
     |  `ニニ' /    ∧_∧
    / `ー―-人   (    ) お前が言うな!
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
||.  (    )     ~\_____ノ|   ∧_∧
  /   ヽ 馬鹿か?     \|  (    )
  |     ヽ           \/     ヽ. 顔でけーよ…
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |
  .|    ヽ \∧_∧    (⌒\|__./ /
11名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:21:04 ID:EwGgwvlW0
九州は次から次へと必死な奴が現れてておもろーだなw
もう畿内説がほぼ決まりな風潮に焦ってるのかな?w
12名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:24:51 ID:8rwxYwulO
吉野ヶ里って小さくね?規模や推定人口ならむきばんだの方が遥かにでかいし、遺構はハシハカの方が説得力ある。
環濠しか威張れるとこないのなwで、環濠の話出すと魏志倭人伝を引っ張り出してくるんだよw
13名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:28:37 ID:5cLdplGl0
別に韓国あたりだったとしても十分ありえるだろ
こんなの、教授が自分の給料稼ぐためにあることないこと並べてるだけだし
14名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:29:37 ID:KoXWi9iTO
魏志倭人伝や古代文献だけで九州説を提唱するのはお寒い話だから発掘したものも議論に入れて各地の提唱してほしい。

私自身は魏志倭人伝のこの部分の記載はフィクションと思う。
あと卑弥呼も耶馬台国もなかった。
モデルとなる人達居たかもしれないが、編纂時期の百年前の出来ごとではなく、編纂時期のあたりの日本の内乱を書いたものと思う。
15名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:30:05 ID:ev61oeTi0
邪馬台国もお国自慢のネタにされたかw
16名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:30:28 ID:Xuel1BHB0
めんどくさいから卑弥呼はAVの中にだけ存在したってことで
17名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:33:15 ID:ZQoWgFW30
分が悪い方が必死になるって典型例だな
18名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:34:12 ID:oGZdrwth0
最近、こういう主張をするひとがみんな朝鮮人に見える
19名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:35:09 ID:SSlrKbLxO
出雲神社(京都亀岡にある方)に祀られている
三穂津姫が卑弥呼だよ。読み方はヒミコではなくヒミホ。
モモソ姫と同じく大物主に嫁いだとされる姫で、
実はモモソ姫と同一人物だ。
20名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:36:51 ID:KoXWi9iTO
今、考古学の論争は弥生〜飛鳥あたりの歴史書物では神話(空想・架空話)となってる部分の年代特定と実証。
耶馬台国や卑弥呼で大騒ぎしてるのは観光客誘致したい素人さん。
21名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:39:55 ID:KROkWAdF0

          ∧_∧   邪馬台国は
          ( ゚ω゚ )   近畿説ですか?九州説ですか?
        ■⊂   ⊃■
          /   !
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          ∧_∧  正直なあなたには
          ( ゚ω゚ )  マジックテープ式を!!
      バリバリ.C□ソ
          /   !
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22名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:44:05 ID:k5AQEmko0
うちの居間の下掘れば
卑弥呼の墓ですが?
23名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:46:18 ID:q8cWo01gO
ヒミコは創界山だろJK
24名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:47:54 ID:T6VK/NCE0
相変わらず邪馬台国ネタは延びるな
★3って、これ以上何を語るんだよ(w
25名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:48:29 ID:5m1eAORsP
卑弥呼は韓国ニダとか言い出しそう
26名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:49:03 ID:VXmGaCTf0
畿内説で決まったことなのに、何を語るわけ?

九州説の最後のあがきは見てておもしろいけど。
27名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:49:56 ID:4zXnxuaR0
>>20
そのとおり。
マキムクは大和朝廷との繋がりで議論すべきだろ。
邪馬台国を持ってくる意味がわからん。
28名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:54:21 ID:ntR16ZbR0
まぁ、金印が発掘されたのは九州だしなぁ
九州しか考えられないな
29名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 23:56:44 ID:kF2V/E/40
魏志倭人伝は、卑弥呼の宮殿まで来たが塀囲いの中には入れてもらえなかったと書いている。
男は入れないとね。

畿内は「投馬国」か「邪馬台国」のどちらかに該当するのは間違いないよ。
それに畿内には大陸からの移民もかなり居たんじゃないか。
だが、魏志倭人伝は伊豆諸島や小笠原諸島まで視野に入っていることと、邪馬台国までの行程からして畿内よりももっと東だった可能性がある。
畿内に大遺跡が出たとしてもそれが直ちに邪馬台国に結び付かないよ。
30名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:00:11 ID:vp65C6L70
>>28
確かに奴国が金印もらった当時は間違いなく九州が先進地域。
31名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:00:46 ID:lsgtliRJ0
渡辺延志 朝日新聞記者
32名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:07:38 ID:MLsSMbVj0
九州であれ、近畿であれ、
「魏志倭人伝」にある行程が、
どこかが間違っていると言う事を前提にした話。
つまりそれぞれに都合いいように、
「魏志倭人伝」を疑いながら、
「魏志倭人伝」に頼った解釈をする。

つまるところ、「魏志倭人伝」のいい加減さに振り回されている。
33名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:12:52 ID:cY4QeZeXO
>>30
中国様に奴隷の国という名前つけてもらってその印もさらったのが自慢www

チョンもおどろく小中華思想wwwww
34名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:15:03 ID:s1phh8t+O
おい見ろ>>28の堂々たる姿を!
35名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:16:07 ID:z5pYdk9e0
>>16 キミ、正解!
36名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:17:49 ID:8fxa88eb0
邪馬台国自体なかったりして
37名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:18:55 ID:4/VcvVcm0
火山の噴火を阿蘇山と結びつけ九州説を言う者がある。
しかし、阿蘇山はチョロチョロ出ていても近年大きな噴火はない。
一方、伊豆大島のほうは度々溶岩が流れるほどの噴火をしてるだろ。
38名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:22:46 ID:mVwypBYv0
天照は太陽をあらわしている。
邪馬台国の卑弥呼は日の巫女。
つまり、日本書記に出てくる天照は卑弥呼のことです。

邪馬台国と大和朝廷が同一であるのは確実です。
39名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:24:17 ID:za98OhW70
ちくま学芸文庫の正史三国志では魏志倭人伝の載っているのは魏書の最後の方、
方士伝とかSFっぽいホラ話が延々と続いた揚句の登場だからな。そりゃ眉ツバもんですよ。
で、晋のニートだった陳寿は実際に日本まで行ったわけじゃないし、あちこちの風説を
コピペして魏志倭人伝をデッチ上げたというのが本当のところだと思う。
邪馬台国論争自体が戦後教育の中で突然勃発したものでもあるし、
これは大和朝廷の前に野蛮人の国が日本に存在したっていうことを押しつけたい陰謀かも。
箸墓だって倭の五王かそれにまつわる関係者の墓かも知れないし、
ちょっと信じられないんですけどね。
40名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:25:47 ID:ZI2Omi8g0
邪馬台国って1つの所にずっと有った物なのか?
41名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:29:10 ID:GISmagYg0
>>39
そんなこといったら古事記だってほとんど神話だし
だから信じるに足りないということになる。
42名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:31:38 ID:IDaHthBs0
>>37
阿蘇山ありってはっきり隋書に書いてあるんだよ
43名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:34:00 ID:LEN33nS00
そもそも日本語のわからない外国人の異邦旅行記で
しかも伝聞でしかないからな魏史は
その記述自体、信憑性に疑問を持つべき

と考えればわかるよな

邪馬台国が韓国にあったことが
44名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:34:15 ID:4/VcvVcm0
日本書紀は人民を支配層に服従させるためのフィクションだと思う。
魏志倭人伝のほうは単なる調査記録だ。
魏にとって倭国の有無は自国に大した影響を受けない。
45名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:35:54 ID:cwPqvM4kO
邪馬台国は 弁韓にあったって説はないの?倭が朝鮮で勢力を持ってたとか。
広開土王の碑文の活躍とか、倭の五王の話とか。
環濠集落とかの素朴なイメージの邪馬台国から百年経っての話でもなんか日本にそんな強い政権があったなんか想像しにくい。
鉄の有名な産地の弁韓の種族を倭と呼んだんじゃないの。
46名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:42:37 ID:za98OhW70
>>44
>魏にとって倭国の有無は自国に大した影響を受けない。

それはどうだかわからないし、魏志倭人伝を含む陳寿三国志は魏じゃなくて
西晋時代の成立なんだけど、たぶん史記の徐福が日本に行ったらしいっていう記述が、
魏晋時代になっても歴史家や地理学者の興味をひいていたってのはあると思う。
魏の国情じゃなくて陳寿の好奇心。それで曹叡に朝貢した邪馬台国の史料を見て、
一応書いておこうと思ったんじゃないかと。
国益よりも学者のロマンが先行しちゃったんじゃないですかね。
47名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:42:56 ID:f7i9NV7P0
正味、「日出ずる処の天子」といいはじめて何年も経って遣唐使廃止したころから
胸はれるんじゃないの?あとは室町幕府とかが勝手に日王とかもらっただけで
面目保てる。

奴国は自慢にならんだろ。 むしろ恥さらし。日本の中で統一したとかそんなんじゃなくて
唯一の自慢が「数ある日本の国の中で中国に子分と認めて貰った」なんだからさ。
邪馬台国もまぁその部類だが「親魏」だから少しはマシか。

最近は中国人も2ちゃん見てるんだからあまり恥ずかしいこと書かないでくれよ
48名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:45:16 ID:LEN33nS00
>>47
今の日本ですら実態は米の奴国だろ
でも米の奴国を恥じる国民がいるか?
49名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:49:04 ID:cY4QeZeXO
>>48
いやwwww全然違うと思うけどwww
一緒だと考えてるのか?
50名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:49:44 ID:95b3BeQ70
うぜーから死ねよ、高島

妄想垂れ流したことを悔いて、腹切れよ、キチガイ
51名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:51:39 ID:yo3VnY930
>>48
現在の日米の関係と、漢と奴国の関係は常識的に考えて全然違う。
52名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 00:58:31 ID:s1phh8t+O
>>48
ちょっとズレてるがまぁいいわ とりあえず米国の奴国であることは恥じるとこだろw
53名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:00:47 ID:+ZoNHeFZ0
>>33
まぁ実際、当時の中国から見れば日本列島の人間は原始人みたいなものだろ。
54名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:02:15 ID:FeOTokaMO
>>38
ふしぎ発見面白かったね
55名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:03:55 ID:cY4QeZeXO
>>53
中国人もいろいろあら〜な。
56名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:04:05 ID:za98OhW70
奴国って「なこく」じゃなくて「やつのくに」だったかも知れないじゃないか。
つまり後漢の光武帝と奴国から行った使者がアッーだった可能性も。
57名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:05:35 ID:FwqyDcWb0
どうでもいい話だ
58名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:06:10 ID:4/VcvVcm0
>>46
うん。
利害よりも興味や好奇心のほうが勝っていると思う。
魏志倭人伝は内容も具体的で信用性はある。

一方、隋書は文献を寄せ集めて継ぎ接ぎした第2次著作物ようで一貫した脈絡がない。
59名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:07:03 ID:eBXVJ/0iO
日本史の始まりみたいなもんはよく解らんが、
自分が生きているうちに滅亡を体験出来るので、ワクテカしてまつ。
60名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:07:19 ID:aIou2rJZ0
畿内に決まったら、九州では卑弥呼まんじゅうとか邪馬台国せんべいが作れなくて困るからなw
61名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:08:40 ID:bEx8Jx7M0
もう飽きた。。。

卑弥呼は天照大神のことだろ
62名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:10:21 ID:aYnRsn2v0
邪馬台国は山梨の樹海の中だろ
63名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:11:05 ID:O5ECpTJ+0
こうなったら一度、日本最大級の古墳群を持つ
宮崎の西都を発掘してみたいなぁ。

でも宮内庁が許可しないか…
64名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:15:27 ID:cY4QeZeXO
>>58
信念があるのはよろしい。
しかし、願望99% 無根拠1%というところだな。
資料なんぞ100%信頼できるものはない。
65名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:15:47 ID:mnqppB0c0
まだやるとやwww
66名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:17:02 ID:yo3VnY930
>>63
宮内庁は関係ないと思うぜ
67名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:23:43 ID:PhACGRLD0
>>47
いや、魏に軍事介入を要請してるんだぞ
日本最悪の売国奴
68名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:26:46 ID:5DmYii120
結局、邪馬台国の卑弥呼は売国奴ってことなんだよな。

だから、なんとか九州であってくれと思ってはいたけど、
残念ながら畿内のことなんだよなあ。
69名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:27:00 ID:O5ECpTJ+0
>>66
「天皇家発祥の地」なので
宮内庁の管轄のエリアがあるんだけど
一般人はもちろん、研究者も立ち入れないんだ。

でもあそこは神秘的のままでもいいかもな
70名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:31:34 ID:mnqppB0c0
俺近畿説なんだけど
三種の神器がやっぱ引っかかるんだよな。
でも大善寺の鬼、甘木の熊鷹、八女津姫、
これみるとやはり九州にヤマト朝廷の前提と
なるものはないと思ってるわけ。

ではなぜ三種の神器が九州で祀られて
それが今の天皇の宝物になったのか
それがどうしても知りたい。

鏡、剣、曲玉
71名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:34:48 ID:AB4+0YU2P
天皇家は韓国から来たんだから九州にあったと考えるのが自然だと思う
72名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:38:03 ID:mnqppB0c0
>>71
それは関東の人の発想なんだよ。
実際は関東とか関西の渡来人は
出雲出身なんだし。
土井が浜の渡来人は半島頭向けて
寝てたらしい。純度100%かも。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
ソース(古墳時代で比較せよ)
73名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:39:21 ID:4/VcvVcm0
日本の地形が細長い形だと認識してるんだから九州だけに留まってたことは絶対にないよ。
74名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:44:52 ID:pCproeei0
>>69
西都原の古墳群を作るだけの勢力を持った集落が
あの辺りにあってもおかしくないよな。
いやきっとあるはずだわな。
あの付近には天孫降臨神話や東征神話の出発地点でもあるし
きっと知られてない何かがあるはず。
75名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:46:05 ID:qm7VKu53O
倭てそもそもどこからどこまで言われてたんだろ
76名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:47:16 ID:bkGZoHn1O
邪馬台国の「7万戸」って7万人?7万世帯?


当時はたぶん出生率は高いけど平均寿命も短い=増減の幅がありすぎて人口を数えるのは難しそう
だとすると世帯数〜1世帯4〜5人だったら約30万人の国…かなり広い面積を持つ国だったんじゃないか?


>>1の説だと九州北部はとてつもない人口密度になるような気がする
77名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:50:16 ID:5UvTOS7o0
常識に考えて日本の先住民族は東北人だろ
78名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:53:37 ID:pTppH/KF0
>>72
ぷぷぷ。嘘つきは朝鮮人の始まり。土井が浜の渡来人の形質は、長江の遺跡の
弥生人の形質とは一致したが、朝鮮半島のどの古人骨とも一致しない事は
既知の事実ですよ。土井が浜の人骨が向いていた方角は、中国・山東半島の
「斉」の国の首都、「臨シ」が有った場所。
79名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 01:58:53 ID:pCproeei0
>>76
7万世帯として人口30万人前後だと、正確ではないけど当時の日本の推計人口300万人だから
その1割が邪馬台国にいて、奈良時代の平城京の人口が10万人と言われてるから、
それよりも大きい規模で人口が密集していたことになる。
これを考えると畿内でしかあり得ないんだよな。
80名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 02:07:19 ID:4/VcvVcm0
>>75
「倭」というのは日本語を話す人達がいる所。
北海道や北方領土は含まれていない。

>>76
家屋が7万戸あるということ。世帯数でも人口でもない。1軒長屋なら数世帯居る。
「可」という言葉が付いているから、分かっているだけでも7万戸はあるという意味。
当時の日本には紙も文字もなく正確な人口調査は不可能。
81名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 02:15:02 ID:oRMVOmey0
伊都国を、わざわざ女王国の出先機関、外交使節迎賓館、一大卒の設置、住居は1000余と少ない。などとしている。

でも、伊都国と現在される糸島〜前原付近へ行くには、末盧国を、松浦=唐津とすれば、
南東ではなく、東北東へ進まなければならない。
奴国も、博多湾方面だから、東北東方向。2万戸だから非常に大きな国。金印を貰っていた名残があるなぁ。
次が東。古賀〜遠賀川方向に海沿いに抜けるなら、今まで南東方向に向いていると信じているなら、
つじつまが合う、、北東方向へ。
門司から船かい?南がどっちなんだか、もう訳わからん。投馬国は、吉備か、宇佐だろ。
吉備に向かっているなら、まっすぐ大和まで。宇佐に行ったなら日向の西都。
日向なら、東征伝説と絡み合って面白いね。

これを、どうやって佐賀や甘木に捻じ曲げるのか。12000里に拘りながら、畿内説の方角捻じ曲げを非難しながら、
九州北部説は更にアクロバティックな解釈が必要。それが理解できない。
82名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 02:34:03 ID:mnqppB0c0
>>78
そりゃすまんかったw
半島の先に山東もあるだろう。
そういうアバウトな意味で半島って言ってるし
国立博物館もその見解だぜ。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%9C%9F%E4%BA%95%E3%81%8C%E6%B5%9C%E3%80%80%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%80%80%E9%A0%AD&lr=&aq=f&oq=
83名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 02:40:05 ID:Q5oXjiFj0
関西でも九州でも、どっちでもいい
糞くだらん
84名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 02:47:49 ID:A9Z59+DS0
まだ無駄な抵抗してるのか
85名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 03:03:11 ID:yo3VnY930
>>70
三種の神器は皇室だけの象徴ではなく一般に支配者の象徴。
1セットだけではなく、国の数だけセットがあった。

たとえば
一國之魁帥也。聆天皇之使者至。則拔磯津山之賢木。以上枝挂八握釼中枝挂八咫鏡。下枝挂八尺瓊。

景行紀、天皇が西征して周防の佐波に至ったとき、「一国の魁師」であった女酋長が
舟の上に榊と白旗をたて、その榊の上杖には八握剣をかけ、中杖には八咫鏡、下杖には
八尺瓊(勾玉)をかけて天皇を迎えに出て帰順を申し出たとある

また、仲哀紀にも

・幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐。聞天皇之車駕。豫拔取五百枝賢木。以立九尋船之舳。而上枝掛白銅鏡。
中枝掛十握釼。下枝掛八尺瓊
又筑紫伊覩縣主祖五十迹手。聞天皇之行。拔取五百枝賢木。立于船之舳艫。上枝掛八尺瓊。中枝掛白銅鏡。下枝掛十握釼。

と、仲哀天皇の西征にさいして岡、すなわち、遠賀郡や伊覩(糸島郡)の県主の先祖
たちが同様に、榊に、鏡・玉・剣をかけて迎えに出たとある
86名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 03:12:24 ID:mnqppB0c0
>>85
そうなんだな。
では、その県主のような地方官レベルにまで広まっていた
三種の神器はいつ頃どこで発生して全国レベルに波及したのだろうか?
理由も欲しい。
87名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 03:15:52 ID:13VojBWUO
福岡ですよ
卑弥呼祭りが昔からやってるし
88名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 03:54:35 ID:ItXAHPYQ0
狗奴国との紛争で畿内から九州へ遠征してきたが、
遠征先で皆既日食(247年3月24日と248年9月5日)が起きてしまった。
太陽神(の使い)としての責任をとらされ、卑弥呼は殺された。
卑弥呼が怨霊となってこの世で暴れないように、あの世へ封じておくために神として祀ったのが宇佐神宮。
卑弥呼の墓は箸墓として畿内へ作られた。
という卑弥呼=天照大神じゃ、なかったのか? 神功皇后説もある。
89名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 03:56:09 ID:bMrbqKMp0
>>88
全然時代が違う
90名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 04:00:36 ID:bwuhJESmO
隋史に魏史の邪馬台国は大和国だって書いてるんだわ。
91名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 04:04:12 ID:YYor4yhp0
九州から大和に何百年もかけて移動した。が正解
92名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:20:58 ID:P4T/fJjy0
>>42
隋書で阿蘇山が取り上げられた?
ん?これだけで何を主張したいの?
九州王朝説の人かな

富士山も史記で取り上げられてるけど
93名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:29:18 ID:P4T/fJjy0
>>88
祟神の存在でその説はとっくに破綻してるよ
94名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:37:05 ID:P4T/fJjy0
>>74
西都原の古墳って時代が違うんじゃね?
一番大きい奴とか古墳時代中期のだしw

古 墳 名 所 在 地 時期 区 分 墳丘長(m) 参考

畿内(国内)最大の古墳
大仙陵古墳
(だいせんりょう) 大阪府堺市大仙町            中期 前方後円墳 486 仁徳天皇陵

箸墓古墳(巻向遺跡)
(はしはか) 奈良県桜井市箸中 前期 前方後円墳 278 倭迩連日百襲姫大市墓


九州最大の古墳
女狭穂塚古墳
(めさほづか) 宮崎県西都市大字三宅          中期 前方後円墳 177
95名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:42:00 ID:P4T/fJjy0
九州より
岡山の方が古墳の規模は凄いんだがな
96名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:46:09 ID:s1phh8t+O
3まできて佐賀の存在感ゼロ
97名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:48:26 ID:nWiDEUwz0
まぁ、どーでもいいけど
長崎県壱岐が大和朝廷の前身で
邪馬台国は九州にあったと言うのはガチだから
大和朝廷が成立直前に最大勢力だったのは出雲の王国で
邪馬台国時代の最大勢力は伊都国だな
一大卒の存在を忘れてもらっちゃ困るね
98名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 07:57:40 ID:s1phh8t+O
「倭人伝の編者が書き間違えました、正しくはこうです」とか好き勝手に歪曲して都合のいいように語る
現時点ではこの程度の論争だ 考古学では推測は一考にしか過ぎない ただ黙々と物証で語る世界だろ
女子短大レベルでの話なんてスルーしよーぜ
99名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:15:49 ID:mnqppB0c0
>>97
どうでもいいとか古典的言い回ししてる人らしい
大正時代人的妄言ですな。
100名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:22:17 ID:bMrbqKMp0
>>97はどうみても釣りだろ
101名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:23:48 ID:P4T/fJjy0
>>88
あ、よく読めば
いつもの東遷説の人じゃないんだ
悪い。>>93のレス撤回するよ
102名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:24:01 ID:4Rn+iBwdO
>>92
それは>>37に言ってあげたら?
103名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:32:03 ID:ayB6TvLw0
その通り、邪馬台国は九州で熊襲の女酋長・田油津媛。
邪馬台国は福岡県みやま市山門にあった。
104名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:44:08 ID:n8AtVZe30
この九州の先生って地域エゴ丸出しだね
105名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:46:49 ID:4E8Qg8+LP
せっかく苦労して命懸けで朝貢に行ったのに、
魏はあっさり滅亡しちゃって。やってられない。
今さら魏の金印なんて何の役にも立たないよ。
鋳潰して腕輪でも作っちゃお。
こんなことになるなら、呉に朝貢しておけばよかった。
呉なら水軍が強いから日本まで軍を派遣してくるたかも。
魏って画数も多くて書きにくいし。
魏、使えね。
106名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 08:51:12 ID:bMrbqKMp0
>>105
滅亡したのは呉だが・・
107名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:00:26 ID:4Rn+iBwdO
>>106
横からすまんが。
どちらも最終的には滅亡したさ。
でも、レスする前にちょっとだけ調べればいいのに。
王朝の成立年や滅亡年なんてすぐわかるのに。
しかし三國の中で一番最後まで残ったのが呉だというのは常識レベルだと思う。
108名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:02:22 ID:4E8Qg8+LP
>>106
呉は魏より先に滅亡したのか?
それは知らんかった。
109名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:05:39 ID:bMrbqKMp0
司馬一族から晋になったんだったな すまんすまん
110名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:06:19 ID:VFZuHSBi0
銅鐸は出土したの?銅鐸をムカツク奴の頭にかぶせて金槌で叩いてやりたい!
111名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:07:23 ID:lxscAxFf0

肥だめ佐賀女かよ。
112名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:12:15 ID:FWQkc2gwP
うんこ佐賀女に入学したものの、
周りに遊ぶところが無い、死にたいと言ってた女を知ってる。
113名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:28:37 ID:vp65C6L70
次は徐福の名前がかかれた紀元前の遺物が
九州のどこかから出てきたりしてな
114名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 09:51:38 ID:x9m5rX1I0
>>58
むしろ魏志倭人伝が寄せ集めのような気がする
不弥国までの記述と投馬国・邪馬台国の記述は明らかにスケールが違うし<百里と水行二十日

百里ごとに千戸ほどの小国の事を書いてるんだったら
「水行十日 ○○○ 陸行一月」の○○○のところにどこかしらの国の名前がないと不自然
115名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 10:05:09 ID:tS2nEQCZ0
邪馬台国論争と南九州の天孫降臨神話、関係のある話なのに切り離されている。
日本書紀が藤原氏のために書かれ曽我氏を悪者にしている書物なんだが。

日向の国、今の宮崎県だけではなく鹿児島県も含み、その中心は大隅半島。
宮内庁管轄や圧力により古墳・遺跡の発掘ができない、すぐに埋められたり不可解。

曽於市岩川にある岩川八幡宮の巨人、弥五郎は曽我氏の先祖で応仁天皇とも言われている
武内宿寝を奉っています。大隅半島、宮浦ー波見を経て宮崎の美々津ー大分へと東征は
行われたがほとんどの明治以降の御用学者が東征は美々津からとしています。

天孫降臨は多分、薩摩半島、海幸伝説等からも伺えるように薩摩半島南端笠沙辺りから
大隅半島内之浦へ移動し大隅に根付いて東征の可能性あり。まず大陸から上陸した渡来人か?

邪馬台国は多分福岡県山門あたりが濃厚でしょう。
116名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 10:23:29 ID:pCproeei0
「晋書」・・・男子無大小 悉黥面文身 自謂太伯之後。
「梁書」・・・倭者 自云太伯之後 俗皆文身

倭人は周王朝の始祖、文王の兄弟で周から出奔した太伯の末裔と自覚していた節がある。
117名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 10:35:11 ID:2xVK0sxE0
>>73
認識してないよ、「参問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里」
島として認識している、その上更に東に島(本州)が有ることを認識している
「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」
118名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 10:41:17 ID:vp65C6L70
>>115
弥生文化もそうだが、漢が成立して安定するまでのの混乱期に
大陸から黒潮に乗って逃げてきた人達がいろいろと関係あるのかもわからんね
あと、野蛮人のはずの隼人が蝦夷と違ってなぜか天孫族扱いなのも不可解
119名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 10:58:25 ID:j1O39dCJ0
そもそも邪馬台国って一つしか無かったの?
複数あったってことはないのかね
120名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:05:47 ID:ZZSkBVec0
>>118
隼人に関しては、記紀の記載の関係かと。
降臨した天孫であるニニギの子どもが、海幸・山幸の兄弟。
で、海幸・山幸の神話では、山幸が勝って王となり、これが万世一系の天皇の始祖
(山幸の孫が神武天皇)。
で、負けた海幸は山幸に仕えることになるわけだが、その海幸の子孫が隼人の起源と
いうことになってるわけで。

つまり、神話の上では、隼人はニニギに直接繋がる系統ということになってる。
121名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:17:50 ID:yo3VnY930
>>86
☆鏡と玉

一書曰 伊奘諾尊曰 吾欲生御之珍子 乃以左手持白銅鏡 則有化出之神 是謂大日尊 
右手持白銅鏡 則有化出之神 是謂月弓尊 又廻首顧眄之間 則有化神 是謂素戔嗚尊 

天照大神と二人の兄弟は「白銅(いわゆる500円玉の原料)鏡の化身である。
そして天照大神は「この鏡をわが御魂として斎き祀れ」といった

而中臣連遠祖天兒屋命。忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇眞坂樹。而上枝懸八坂瓊之五百箇御統。
中枝懸八咫鏡。

手力雄~を磐戸のそばに隠し立たせ天兒屋命および太玉命に天の香山の五百箇眞坂樹を根ごと掘らせ
石窟の前に置いた。枝の上に八坂瓊之五百箇御統(玉)を懸け、中に八咫鏡を懸け、下に青和幣、白和幣
を懸け、あいともに祭る対象とする。

記紀とほぼ同じ年代の万葉集では
「香具山は畝火(うねび)ををしと耳梨(みみなし)と相あらそひき神代よりかくにあるらし古昔も然にあれこそ
うつせみも嬬をあらそふらしき」(中大兄皇子)

つまり奈良県橿原市ですな

☆剣
出雲国の八岐大蛇→スサノオ→アマテラス→天孫降臨の際にニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡された。
→在皇居→→崇神天皇の時代に皇女豊鍬入姫命により八咫鏡とともに皇居の外に祀る→垂仁天皇
の皇女倭姫命に引き継ぎ→現在の伊勢神宮の皇大神宮→ヤマトタケル東征→名古屋の熱田神宮
122名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:22:32 ID:vp65C6L70
>>120
そうそう、その海幸山幸の話だけど、何故か日本にはいないはずの
ワニに乗る話とか出てくるんだよな
あと、天磐船がいったい何なのかはわからんけど、どっちにしろ
天孫族は渡来系なんだろう
123名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:26:00 ID:yo3VnY930
>>116
その「晋書」の266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせた
と述べられ、前方後円墳のおこりを記したものとされているよね
>>117
周旋5千余里というのを恣意的に解釈して確定して物を言ってないか
124名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:30:18 ID:ZZSkBVec0
>122
海幸・山幸の神話は、類似のものが南太平洋諸島や南西諸島にも伝わってるんだよね。
125122:2009/12/03(木) 11:30:20 ID:vp65C6L70
あ、ちなみにワニ=鮫の古名って話もあるけど、豊玉媛が出産時ワニの姿で
はい回ったりしてるからこの場合は鮫じゃないだろう
126名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:36:26 ID:ZZSkBVec0
>>125
南アジア、オーストラリア北部、南西諸島には、クロコダイル科のワニがいるね。
海幸・山幸の類似神話の分布とも重なってくる。
127名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:37:48 ID:rCwuaAp50
あれ?九州説はもう絶望的って言われてなかったっけ?
128名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:38:34 ID:x9m5rX1I0
>当時の鉄器や文物などの資料が豊富に出土される九州

「漢委奴国王」の奴国って実はもっと良く出来た子だった…って説はないの?
九州説の邪馬台国は奴国の事で強い勢力を持ってた、とか
129名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:41:44 ID:FKNRJ0rLO
さっき巻向遺跡見てきた
駅のホームの端から見れるね
発掘日ではないので、ブルーシートかぶってるけど

雨だがおばさんが立入禁止の中に入ろうと、警備員ともめてた。
電車が出るときもまだやっていたから、10分はもめてたな
130名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:43:23 ID:P4T/fJjy0
>>127
ここは隔離スレですよw
数少ない九州説信者が
携帯とPCを駆使しながら2chに終結してます
131名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:45:01 ID:tAEPkAe50
邪馬台国が九州にないと佐賀県が成立しえないんです
132名無しさん@十周年 :2009/12/03(木) 11:47:11 ID:Xg99pOty0
>>122
鮫のことをワニというんだよ。
133名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:51:49 ID:rHtMGZt+0
もう愛知で良いじゃん
134(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/12/03(木) 11:52:26 ID:2myl/o4z0

<安本美典によれば、卑弥呼は天照大神
<井沢元彦によれば、卑弥呼の墓は宇佐神宮の下
<邪馬台国は北九州。後に神武天皇の時代に東遷して大和朝廷になった
      ∧_∧___  
      (・∀・ ) / | <これ、豆知識な
    ⊂ へ  ∩./ .|
   i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
    ̄ (_)|| ̄ ̄  
135名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:53:10 ID:m+HCmod60
奈良にあった方が神秘的な気がするし奈良でいーじゃん

九州だとなんか冴えねーよな
136名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 11:55:40 ID:ZZSkBVec0
>>132
神話のワニと言えば、因幡の白兎なわけだが、
この因幡の白兎の神話も、類似の話が世界にけっこうあるんだよね。東南アジアにもある。
東南アジアの類似の話でも、ワニが騙されて動物を背中に乗せて渡らせる話だし。
137名無しさん@十周年 :2009/12/03(木) 12:00:32 ID:Xg99pOty0
>>125
このレスがあったんだな。
鰐は淡水に生息してるんだけどな。海を泳ぐという例外もあるみたいだが。

>>136
それは知ってるけど。
海辺で起きている話だからね。
138名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 12:05:50 ID:3qG/mj7L0
北九州から徐々に近畿に移動して行った、って説もあったよね、以前。
それは今は否定されてるの?案外そんな感じもするんだけどね。
139名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 12:10:24 ID:ZZSkBVec0
>>137
東南アジアとかでの、因幡の白兎の類似話は、川を渡るケースが大半だったりする。
あと、南太平洋諸島や東南アジアに生息するイリエワニは、海流にのって海伝いに
移動できる。日本でも、奄美大島や西表島、八丈島でイリエワニが見つかったことが
あったとか。
140名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 12:11:55 ID:P4T/fJjy0
>>138
その痕跡が無いし
逆に四道将軍が西征してるのでそれはないかと

178 :名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:36:57 ID:Bou0HzcB0
四道将軍
『日本書紀』によると、崇神天皇10年(紀元前88年?)にそれぞれ、北陸、東海、西道、丹波に派遣された。
教えを受けない者があれば兵を挙げて伐つようにと将軍の印綬を授けられ、翌崇神天皇11年(紀元前87年?)地方の敵を帰順させて凱旋したとされている。
なお、崇神天皇は実在したとしても3世紀から4世紀の人物とされている。

598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」

466 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:06:33
宋書倭国伝(全文)
ttp://www2.plala.or.jp/cygnus/R7.html

558 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:56:47
宋書でおもしろいのは隋書との整合性。
「東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し」足すと121。
隋書では冠位十二階のあとくらいに
「軍尼(国造)一百二十人、つまり120人。
でほぼ一致しているところ
141名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 12:57:37 ID:qOs7Mf0U0
>>121

ところが、神武東征では、神武は三種の神器を持っていない。
持っていたという描写が無いんだよ。
神武東征神話が古く(設定では紀元前660年)
三種の神器成立は、ずっと後ってこと。

神武が三種の神器を持ってないことが、逆に神武東征神話が古くから伝承されてた証になるんだよ。

142名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:12:36 ID:vp65C6L70
>>138
弥生時代中期から後期の高地性集落(山城)の分布が、
時代によって瀬戸内海沿岸→大阪湾周辺→畿内周辺と遷移してる。
東征があったかどうかは今後の調査次第だけど、少なくとも瀬戸内海沿岸
は戦が絶えなかったようだ。
逆に北部九州にはあまりみられない上、卑弥呼時代に近くなると
環濠集落の濠を埋めたり、平地に住むようになってる。
143名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:14:51 ID:XEkdd+k/0
>>134

それは豆知識ではなくデマです。
144名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:17:29 ID:vp65C6L70
>>140
四道将軍の西道は吉備だね。九州ではないようだ。
邪馬台国時代から大陸との玄関口として重要なはずの北部九州は
なぜか最初から大和勢力と組んでいて、磐井の乱まで武力衝突の
記録がないのが不思議なところ。
145名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:21:27 ID:XEkdd+k/0
単純な東征論なんてもう成立しないでしょう。
日本海側、特に丹波辺りに鉄の拠点があったのが
最近わかってきたから。

そこに天孫降臨神話もあったんだからね。
146名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:23:55 ID:gvs8Q0EEO
ワニって鮫のことじゃないの?
147名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:24:10 ID:/oTDUROV0
>>143
2ちゃんで豆って言ったら大概口から出まかせなんだがw
148名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:27:18 ID:ZZSkBVec0
古事記だと、こういう感じか。

1 天孫降臨して、出雲王朝を追い出す。
2 天孫は、九州の日向に拠点を定める。
3 天孫の孫(神武)、天下を治めるには西に偏りすぎというので、東征開始。
4 九州北部や中国地方では、あまり強い抵抗なし。大阪でナガスネヒコに苦戦し、
 神武の兄が戦死。迂回して熊野から西進して侵攻しようとする。
5 熊野からの西進は、激戦につぐ激戦だが、なんとか勝ち抜く。
6 最後にナガスネヒコとの再戦をなんとか制して、畿内に入る。
149名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:33:46 ID:5W8qTqxF0
>>146
ワニザメとも、そのままのワニとの両説あり。
150名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:34:13 ID:yo3VnY930
>>141
何も矛盾しないと思うが、鏡と玉は畿内、剣は神武。東征で3つの神器がそろう
151名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:39:39 ID:XEkdd+k/0
仮に東征なんてものがあったとしたら、それは
卑弥呼の時代より前じゃないと矛盾するからな。
152名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:41:45 ID:sYGqfaIw0
ただ観光地確保したいからだろ。
153名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:41:50 ID:P4T/fJjy0
>>148
神話の神武なら紀元前660年
その時代よりもっと後だったとしても
3世紀には祟神天皇と四道将軍がいた

どちらにしろ3世紀の神武東遷説は時代が合わないね
154名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:46:41 ID:P4T/fJjy0
>>144
岡山に吉備の勢力が
畿内に祟神天皇と四道将軍が
これでどうやって九州からの東征を証明するんだよ
155名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:48:49 ID:ZkMxbfEt0
考古学で一蹴とかする奴は信用出来ん
156名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:50:41 ID:yo3VnY930
>>141
補足するが、アマテラスが隠れて天の岩戸が開かれたときには、銅と玉があるものの剣がないんだよ。
剣はスサノオが出雲の国で手に入れたものをアマテラスがニニギに渡して降臨させるわけだ。
だから東征しているときに剣しか持っていないわけ

>>148
出雲の場合はスサノオだから天孫降臨とはいわんだろうに。
157名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 13:52:30 ID:vp65C6L70
>>154
高地性集落の分布なんかを考えると、もし仮に東征のようなものが
あったとしたら魏志の邪馬台国の数百年前ってことになるね。
158名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:02:48 ID:qOs7Mf0U0
>>156

神武東征では、神武が剣を持っていたという描写は無い。
携帯してたのは弓矢。

高倉下からフツノミタマの剣をもらうわけだが、
もし神武が剣をもってたら、高倉下からもらった剣より威力が無かったことになる。
159名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:09:15 ID:P4T/fJjy0
仮に3世紀に九州からの東征があったとしても
その東征をする前の拠点(ミヤコ)が出てこない
その勢力は何所にあったんだよって話になる
記述も無ければ、遺跡も無い
あるのは畿内の四道将軍等の記述や、巻向遺跡だけw
160名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:31:28 ID:yo3VnY930
>>158
俺は「あった」という記録中心に考えている。
天の岩戸の時に
>枝の上に八坂瓊之五百箇御統(玉)を懸け、中に八咫鏡を懸け、
と実在の天香具山が出てくる。天香具山は記紀と同時代の万葉集で
明らかに大和三山の天香具山と同一視している。だから天安河原が
高千穂にあったと考える方がおかしいのでは?

あと、剣の方はニニギに「渡した」ものであるから高千穂に降臨したときにもっているはず。

「持っていたという描写がない」という「記述がない」から「ない」という根拠はおかしい
161名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:43:07 ID:qOs7Mf0U0
>>160

天孫降臨神話の成立時期と、三種の神器の成立時期が違っていて、

最初は天孫降臨神話でも三種の神器が出てこなかったのを後から書き加えた、とは考えないわけ?

君の論で言うと、鏡と剣が日本に伝来した後から天孫降臨神話ができたことになるが、
俺はそうは思わない。

古代から伝承されてきた部分と、後から書き加えられた部分は分けて論じるべきだろ。
天孫降臨神話の趣旨は、日向の族長の祖先が高千穂の峰に天から降りてきたってことだけだろう。
それは、鏡や剣が伝来する前から伝承されていたことだと考える。

162名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:51:15 ID:yo3VnY930
>>161
>天孫降臨神話の成立時期と、三種の神器の成立時期が違っていて、
>最初は天孫降臨神話でも三種の神器が出てこなかったのを後から書き加えた、とは考えないわけ?
考えないなぁ。まず俺のスタンスだが、このころの史料は必ずしも史実を示しているとは思わない。
これは君も同じスタンスだろ。
今せっせと記紀を中心に俺も書いているわけだが、できるだけそういった憶測をいれないレベルで
書いているわけだ。万葉集もその時代の記録だし。

ところが君の史料批判のレベルは自分の信じたいところだけを原典にして、それに合うように
ねじまげていて正当な史料批判とは思えないということ。

>>天孫降臨神話の成立時期と、三種の神器の成立時期が違っていて、
>最初は天孫降臨神話でも三種の神器が出てこなかったのを後から書き加えた、とは考えないわけ?
こんな論理になんの自然性も感じないのに、君はそう考えることを当然だと印象操作しているようにしか見えない
163名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 14:51:28 ID:ZZSkBVec0
>>156
ごめん。
そういえば、出雲王朝を追放したときは、まだニニギが来てたわけではなかったね。

そういえば、ヤマタノオロチを倒した剣ではなく、ヤマタノオロチから出てきた剣のほうが、
神器になるんだなあ。
ありがたみというか、強さで言えば、ヤマタノオロチを倒した剣のほうが上のような気もするんだが。
164名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 15:16:37 ID:qOs7Mf0U0
>>162
>こんな論理になんの自然性も感じないのに、君はそう考えることを当然だと印象操作しているようにしか見えない

それなら、もっと具体的に説明しようか?

天孫降臨神話の内容は、
1、人物Aの祖先はカミ
2、人物Aの祖先は高千穂の峰に降りてきた
3、人物Aは三種の神器を携帯していた

1,2,3はそれぞれ別の説話が組み合わさった可能性がある。
君はその可能性を頭から考えないようだが、
それがまともな史料批判と言えるのかね?
165名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 15:24:29 ID:U3Blsw6u0
どうでもいいじゃん
卑弥呼も天皇も神じゃないのは周知の事実
権力者だったってことだけじゃん
そんなに目くじらたてて言い争う事か?
くだらねぇ
166名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 15:29:03 ID:qOs7Mf0U0
祖先が山から来たという始祖神話は多い。
朝鮮の檀君神話もそうだ。
天孫降臨神話は、(実際に人が天から降りてくるわけがないので)そうしたアジアの神話が輸入されたものと見るべき。

一方、三種の神器のひとつの勾玉は日本固有のものだから、
”天孫降臨神話”と”三種の神器”は、同時期の成立とは考え難いのだよ。
167名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 15:33:53 ID:yo3VnY930
>>164
そういった可能性は別に天孫降臨に限ったものではないだろ?
玉と鏡にも記紀内に別の物語があり、
どのエピソードにしたってその1,2、3に似たようなものはある
それを天孫降臨だけにあてはめてそれだけが正しく、あとはそれに追随すると
いった考えかたがおかしいといってるんだよ。
たとえばこの論理にしても

>神武が三種の神器を持ってないことが、逆に神武東征神話が古くから伝承されてた証になるんだよ。
書いていないことが「そのころになかった証拠」なんてのはおかしい。
君はその古い伝承というものがどういうものかも示していないのにそれを根拠に、完全に信用できない
とはいえ、実在の史料である記紀の批判に「使う」正当性があるとも思えない。仮に「神武東征伝説」という史料が
存在して、二つ並べてやるにしろ自分の処に都合がいい「古い伝承」なんぞどこの地方の神社にさえもいくらでもある


168名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 15:36:09 ID:ZZSkBVec0
「三種の神器」という形になったのは後の話だろうけどね。
もともとは、「十種神宝」だったのが、後世で神話とセットで色々と話が整理されて、
「三種の神器」でおちついたんだろね。
169名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 16:08:28 ID:vp65C6L70
>>88
狗奴国=熊襲と考えると、それに近いものだった可能性はある。
だけど物証がないから今後の発掘成果次第
170名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 16:47:11 ID:ItvztixlO
卑弥呼サブレうまいおっ!
171名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 16:58:27 ID:lsgtliRJ0
渡辺延志 朝日新聞記者
172名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 18:59:21 ID:4/VcvVcm0
>>117
1島が絶えて連なりとは言わないわな。
九州が絶えて本州と連なり四国が絶えて本州と連なってるんだろ。

邪馬台国の東(?)にある国は島だよ。
その部分の記述はもう海を隔てた倭国のあるいは外国の島のことばかりだ。
173名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:06:06 ID:SL1CSgxS0
>>172
北海道のことか?当時はアイヌの人とかと交流あったのかな。
174名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:16:34 ID:0W85P6La0
邪馬台国畿内説って京大系統の妄想にすぎない
東大に負けたくないだけで必死にやってるだけ
175名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:22:54 ID:9hTceVM2O
>>174
勝手な妄想するなよw
176名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:23:47 ID:4/VcvVcm0
>>173
いや、伊豆諸島から小笠原諸島、それにフィジーのことだ。
北海道は当時アイヌが占領していただろうが、国は作っていなかったんじゃないか。
だから交流といっても個人レベルの交流だ。
小さな集落が点在してるだけで、まとまった国がなかったから後の時代に容易に日本人に滅ぼされたんだ。
177名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:47:33 ID:uP1P7LpN0
ゴッドハンドの埋めて掘り当て事件から、
考古学は、99パーセントのウソと1パーセントの間違いで、
できてると思うようになりました
178名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 19:54:25 ID:/G98HG6I0
邪馬台国は空中都市だろ。都市じゃないか。
179名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 21:12:15 ID:lNzyyy2K0
畿内に大きな国があってもまったくおかしくはないと思うけど。
それを邪馬台国と断定するにはもうすこし確かな証拠が欲しい。
ってのが素直な感想。
180名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 21:19:42 ID:bkGZoHn1O
…で、高島忠平は九州のどこに邪馬台国があるって言ってるの?
181名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 21:42:40 ID:RFEr9fM10
>>179
弥生時代の遺物に「三角縁神獣鏡」という物がある。
これには製造年「景始三年」が刻印されていて、卑弥呼が魏に朝貢した翌年の年号になっており
倭人伝にある「卑弥呼以銅鏡百面下賜」とはこの鏡だといわれている。
この鏡は近畿地方を中心に西は九州から東は関東まで広範囲に出土しているが
それは卑弥呼が地方の豪族と同盟を組む際にその証として下賜したからだと考えられる。
その中心が奈良のマキムク。
182婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/03(木) 21:50:15 ID:o4q8V/Ei0
>>181
この鏡をめぐるさまざまな議論を、きれいさっぱり鮮やかにすっとばしとるなw
183名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 22:00:14 ID:nLG05+kM0
卑弥呼と天皇って関係あるの?
184名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 22:10:01 ID:RFEr9fM10
>>183
関係大有り。
ていうか、第7代孝霊天皇の娘の倭迹迹日百襲姫が卑弥呼という説が有力。
マキムクの箸墓古墳(日本初の前方後円墳)の被葬者とも言われてる人物。
活躍年代的にも奇妙なぐらい一致してる。
185名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 22:15:33 ID:C8xP+EPa0
九州は神武天皇の故郷だろ
その故郷は朝鮮半島なわけだが 
朝鮮族が侵略して 純日本人だった豪族を奈良から追い出して 
作ったのが今の天皇の祖先
186名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 22:16:59 ID:C8xP+EPa0
つまりネトウヨは
愛国と言いながら 
朝鮮系の首領をありがたがっていただいている

まあ北朝鮮を見ればわかるが 
人間を崇めると言う風習は朝鮮半島から来たもんなんだよな
日本はもともとは 自然信仰だから 
187名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 22:57:53 ID:fkWdt4ZNO
九州は天皇陵発掘できないとか言ってたが、そういう場所以外で発掘しないの?
188名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:01:38 ID:3wIvkxeS0
>>184
でも、孝霊天皇は、欠史八代の天皇で、実在性が疑問視されてるからなあ。
もちろん、欠史八代の天皇の子とされる人物は、全部実在性が危ういという気はないが
(欠史八代の孝元天皇の子とされているオオヒコは、稲荷山古墳の鉄剣の銘から、
実在している可能性がかなりある)、モモソヒメは、どうかなあ。
189名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:08:03 ID:yo3VnY930
>>182
鏡批判が九州説の人たちから文句が出てるが、実は正当な批判になっていないという
こと。初心者は調べずに九州説論者の断定によくだまされるから注意が必要。
190名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:11:11 ID:pCproeei0
>>185
残念ながらネトウヨ的には神武天皇の故郷は宮崎だわw
191名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:12:50 ID:fkWdt4ZNO
卑弥呼と耶馬台国を文献だけで主張議論するより、発掘したものを文献と照合し、その想定時代を推定すりゃよいのに。
御陵だけが証拠じゃないのに。
他地域は水田、畑、人工の小高い丘とかから意外な古代の遺跡出てくるのに。
九州説は証拠出せばよいのに。
192婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/03(木) 23:15:22 ID:o4q8V/Ei0
>>189
批判する側の人らは、「まっとうな反論が出てこない」って言ってるけどなw
いずれにしても、下賜鏡かどうかの結論は出てないんじゃないかと。
193名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:18:43 ID:W7k007qh0
これだな

三角縁神獣鏡は邪馬台国の時代のものではなく、後のヤマト王権が邪馬台国との関係
を顕示するために偽作したものだ」とする見解を表明し、その後の九州論者はほとんどこの
ような説明に追随している。しかし、このような説には以下のような点が問題として挙げられる。

現在の知見からは邪馬台国時代にすでに古墳築造が始まっていると見るべきであり、偽作と考える
べき前提が成り立たない。
紀年鏡には三角縁神獣鏡以外のものも含まれる。
魏の年号である「青龍3年」、呉の年号である「赤烏元年」「赤烏7年」などの紀年鏡も見つかっており、
単に邪馬台国にちなんだ偽作というのでは説明がつかないなどの疑問があり、学界では受け入れる
ところとなっていない。
また三角縁神獣鏡を、呉の鏡または呉の工人の作であり、呉の地が西晋に征服された280年以降の
ものとする説もあるが、様式論からはかならずしも呉の作であるといいきれるものでない。少なくとも
銘文にある徐州を呉の領域であるなどとはいえない。これらを280年以降の製造と考えると、
年鏡に記される年号が何ゆえに三国時代の235年から244年に集中しているのか、整合的な理解が
難しい。これらにより、いまだ学界の大多数を説得できていない。
また、九州説論者の見解では、いわゆる「卑弥呼の鏡」は後漢鏡であるとするが、弥生時代の北九州
遺跡から集中して出土する後漢鏡は、中国での文字資料を伴う発掘状況により、主として1世紀に編年
され、卑弥呼の時代には届かないのも難点のひとつである。2世紀のものは量も少ない上、畿内でもか
なり出土しており、北九州の優位性は伺えない。一般的に弥生時代の遺跡では、2世紀にはいると北九
州の優位性は失われるため、多くの考古学者が九州説に与し得ない理由の一つとなっている。

>これらを280年以降の製造と考えると、いまだ学界の大多数を説得できていない。


とりあえず 鏡があやしいって偽本まるだしの東日流三郡誌をほんものだと喧伝して信用無くした古田
がいいだしたんだよなw あのおっさん目がついてないからw



194名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:22:38 ID:W7k007qh0
>>192

>これらを280年以降の製造と考えると、いまだ学界の大多数を説得できていない。
学者の大部分はまともな批判ではないと思ってるよw
>批判する側の人らは、「まっとうな反論が出てこない」って言ってるけどなw
「完全な捏造」と世間に受け入れられている本を「九州説だから」という理由で
本物だと宣伝して信用をなくした人たちのいう「まっとう」って何?w
195名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:26:02 ID:yGPuF7YU0
くっ...三世紀なんだよな..もう古墳時代が来ちまう。

日本側の記録が乏しいから神話や太古のロマンになっちまうが

実際のところ大昔の伝説の女王の国っていうほどワクワクするもんでもねえ。

卑弥呼とやらの時代のすぐ後は機内は古墳ポコポコ作りまくりの世紀なんだぜ!
196婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/03(木) 23:26:04 ID:o4q8V/Ei0
>>193
「同じ鏡が中国本土からは1枚も出土していない」ってのが省かれてるな。
これに対して、「いや、倭に下賜するための特製品だから、1枚残らず送られたのだ」という
反論があるが、それなら『卑弥呼さん江』みたいな文言くらい入れるだろとw
197名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:35:27 ID:cY4QeZeXO
古田史学からはまともな人は離れたよ。
神獣鏡批判も批判になっていない。
ただ九州説を宣伝する人は確定的にものをいうから、知識のない人は
確かにダマされる。東日流の件では、いつも批判(畿内説の史料に対する批判)
をしている史料批判のプロがやたら無批判に宣伝したから多くの人が騙された。
198名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:39:02 ID:cY4QeZeXO
>>196
まぁそんな感じでおかしくもないことを、さもおかしいように印象づける
のが九州スタイルてやつなw
911でもよく見たよ。
そういううさん臭さが嫌い
199名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:39:04 ID:qOs7Mf0U0
>>196

九州説の反論ってそんなのばっかだから。

じゃ、九州で卑弥呼の鏡に相当する立派な鏡があるのか?というと無いわけで。
漢時代の中古鏡をもらったのかね?
200婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/03(木) 23:49:55 ID:o4q8V/Ei0
>>198
あんだとこら。
>>193のコピペ元に鏡をめぐる議論を客観的にまとめようとする意思があるなら、
>>196の話は当然いれとくべきだと思うが。

>>199
今のところ見つかってないな。
これに関しては畿内説でも同様で、もし将来別の場所から
より有力な下賜鏡の候補が見つかった場合、いま三角縁神獣鏡について
強弁している言い訳をどう納めるつもりなんだろ。
201名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:52:48 ID:b0DCl96w0
>>200
倭に送る鏡なんだから同じ鏡である必要はないだろうに。おかしくもないことを
入れる必要はない。

漢倭奴国王と同種の金印はいくつかあるがもちろん同じデザインのものが当然
周辺の国か中国で発見されているんだろうね?
202婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/03(木) 23:56:33 ID:o4q8V/Ei0
>>201
印は1個しか作らないものだから、漢倭奴国王の印と全く同一のものは
もちろんないわな。
203名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:57:11 ID:cY4QeZeXO
>>200
いやあんたは立派な九州説支持者の典型だよw
204名無しさん@十周年:2009/12/03(木) 23:59:03 ID:b0DCl96w0
>>202
いや文字じゃなくてデザインだよ。いくつかの国に送られてるはずだし。
ところで当時の中国の金印はごろごろ発見されているのか?
205婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 00:05:06 ID:YLREk4qD0
>>203
よくわからんのだが、九州説支持者に「立派な九州説支持者の典型だよ」と言って
どうなるもんなのだ? 

「ビールは喉ごしがいいよね」
「あんたは立派なビール党だよ」

平和じゃんw

>>204
>同種の金印はいくつかあるが

と書いてるから知ってると思ってたけど、持ち手のデザインとか紐を通す穴の形から、
作った魏の工房もあらかた特定されてるわな。
206名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:05:09 ID:pCproeei0
7万戸あったという人口規模や纏向遺跡群から3世紀の邪馬台国は畿内しかないと思うけど
九州の遺跡や痕跡も魅力なんだよな。
なぜ天孫降臨が南九州で神武東征神話が宮崎から始まってるのか?
しかもなぜそのエリアが後に熊襲の一派である曽於のエリアなのか?
日本に最も多く天皇を祭神とする八幡神の総本家・宇佐神宮の謎。
もう一つの八幡本宮、熊襲のエリアにある大隅国正八幡の鹿児島神宮の謎。
観光では卑弥呼の里と言われるが実は国津神の出雲系の神話や三輪神社などがある甘木朝倉。
朝倉から山を越えると熊襲と言われる狗奴国の狗古智卑呼を思わせる隈府の菊池。


207名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:07:22 ID:cY4QeZeXO
じゃ俺も九州説の真似してみようか?

奴国の金印が田んぼから?
そのまわりにはさぞ立派な遺跡が出土してる「はず」だ。
もしまわりに立派なものがでてこないというのは他のところから運ばれたものである
「としか考えられない」
つまり奴国は九州にあった証拠には「なりえない」

ねぇ九州説論者っぽくない?w
208名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:08:10 ID:PGDCvjYt0
こういうことか。

投馬国=名古屋

一大率=東京

邪馬台国=畿内

まだ分からないことがある。
大和政権は「ヤマト」の読みをどこから仕入れてきたのかだ。
元のヤマトはどこにあったのか。
何故それが消えたのか。
209名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:08:32 ID:JcDFFWyf0
今まさにこの国の存亡が掛かっている時期に
大昔の無知猿の話なんてどうでもいいんだよ。
210名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:09:02 ID:F1ghUU0e0
>>205
魏?奴国の金印についていってるんだよ。
211名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:14:04 ID:Wq3KBGKN0
212婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 00:15:09 ID:YLREk4qD0
>>207は、奴国が博多周辺に比定された理由が、金印の出土だけだと思っているらしい。
さらにその金印が、志賀島から出土したことは知らないらしい。

ということは、なんとなくわかった。

>>210
あ、すまん。漢だな。
213名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:20:10 ID:7KRihmpA0
金印出土で邪馬台国は元々九州説だったが
いつの間にか近畿説が浮上し、さも近畿であるかのような
論調を押し通す似非学者が出てきた
何でも起源はウリナラと言う、かの国民と同じだよ
反吐が出る
214名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:21:29 ID:AuGkGS6M0
>>208
古事記の太安万呂の序文にはこう書いてある。

「しかしながら、古代のにありましては、言葉も内容もともに素朴でありまして、
文章に作り、句を組織しようにもその言葉が思いつきません。
そこで文字を訓っで読むように書けば、言葉の意味がわかりにくく
なりますでしょうし、そうかといって字音で読むように書けば大変長くなります。
そこで今、一句の中に音読訓読の文字を交えて使い、時によっては
1つのことを記すのに全く訓読の文字ばかりでも書きました。
言葉や意味がわかりにくいのは註をつけてはっきりさせ、意味のとりやすいのは
註を加えません。
またクサカという姓に日下とかき、タラシという名前に帯の字を使うのは
別に註を加えません。

つま大倭とかいておほやまとというのは日下の例と同じ
215名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:23:18 ID:7KRihmpA0
それともう一つ、
志賀島を島と思っている輩が多いが志賀島は
陸続きであって海上に浮かぶ島ではないぞ
216名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:25:29 ID:LBEJ8gtF0
スレ違い
217名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:29:21 ID:7+pOXw+kO
>>212
やはりその程度か。
志賀島では大発掘調査したけどそこにはまともな大国の跡なんぞでてこなかった。
金印は地面にほおりだしていたのか?
つまり他のところから移動したということだ。
移動した以上本来おかれていた場所が博多であるという保証は何もない。
もとあったのは大和に「ちがいない」
218名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:30:30 ID:Z45PceKs0
必死だな
219名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:32:34 ID:BkMlGRZi0
卑弥呼の起源は韓国
邪馬台国は韓国にあった
これ豆知識
220名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:32:40 ID:AuGkGS6M0
>>213
漢倭奴国王の金印は奴国がそのへんにあったという証拠にはなっているが
邪馬台国の理由になんぞなったことはないよ。

>いつの間にか近畿説が浮上し、さも近畿であるかのような
>論調を押し通す似非学者が出てきた

もともと江戸時代まで、江戸時代でも国学の一部を除いて近畿説が主流だったし。
あと似非学者は九州説の方が多いよ。
221婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 00:34:04 ID:YLREk4qD0
>>215
最近陸続きになったんだってばw

>>217
何を言っとるんだおまいはw
222名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:35:53 ID:UQz0RyGo0
>>138
俺もその意見に一票。
223名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:38:07 ID:7+pOXw+kO
>>221
ほう仲間のバカはめんどうみてやれ。
あんたも頼りなさそうだけど。
あとちなみに奴国は九州にあったと思ってる。
九州説信奉者の詭弁を真似してるだけw
224名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:40:02 ID:7KRihmpA0
>>220
結局は誰も見た人がいないんだし妄想の域を出ないんだよね
九州説、近畿説あるが金印が発掘された事実があるのは九州だ
>>221
最近陸続きになったって?
地図で見ても橋はかかってないよ
陸続きなんだけど
225名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:42:17 ID:7+pOXw+kO
>>224
その金印は奴国のものでしょうがw

邪馬台国が九州にあった証明には到底ならんから。
226名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:44:49 ID:7KRihmpA0
>>225
>その金印は奴国のものでしょうがw
>邪馬台国が九州にあった証明には到底ならんから。

では奴国が邪馬台国ではないという証明をしてくだされ
227婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 00:46:13 ID:YLREk4qD0
よし、みんながんばれ。
なんだかよくわかんないバトルロワイヤルになったから、俺は寝るw
228名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:49:31 ID:7+pOXw+kO
>>226
ほれほれwそれが九州説が陰謀論的展開といわれる所以だよ
「ない」という悪魔の証明はできないんだよ。
「奴国が邪馬台国である」という証明をする義務があるのはそちら。
229名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:51:48 ID:AuGkGS6M0
奴国=邪馬台国というのははじめてきいたなぁ
230名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:52:09 ID:7KRihmpA0
>>228
逃げたか・・・
231名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:57:01 ID:7+pOXw+kO
>>230
証明まだ?
俺は寝るけど明日までに
奴国が邪馬台国だということを証明しておけ。
証明できたら九州あたりのバカ短期女子大学の学長ぐらいにはなれるぜw

逃げるなよ。証明できるまで睡眠は禁ずる。
232名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:58:16 ID:AuGkGS6M0
なんだかなぁ。。。俺もまきこまれるまえに落ちるよ。
233名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 00:59:47 ID:7KRihmpA0
>>229
戦後の昭和の時代には定説のように言われていた
>>231
お前がさっさと証明しろよ
この証明バカが
234名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:00:34 ID:7LjC6C6KO
一瞬「奴国とその周辺国の一部の人間が新天地を求めて東方へ〜たどり着いたマキムクの地に作った国が邪馬台国」
って俺の説が出てきたと思ったw
235名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:09:53 ID:e4YrhdHJ0
実は本当の邪馬台国は北海道あたりにあって、
九州も近畿もその敵国の一部にすぎないっていうのはどうなんだよもん。
236名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:16:08 ID:7KRihmpA0
邪馬台国は歴史のロマンでいいんじゃないの?
近畿だろうが九州だろうが日本に存在したのは
間違いないようだしね
現代人が次から次に親説を唱えても
真実はわからないのが現状なんだ
そんな事より孔子は韓国人とか剣道も柔道も忍者も
韓国起源とかのほうが重大
237名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:20:53 ID:PGDCvjYt0
>>214
日下(クサカ)や大倭(オオヤマ)は1字の読みは合ってるじゃないか。
大和(ヤマト)は全く合ってない。

それに奈良まで海から直接来れる水路があったのでは攻め込まれ易いね。
238名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:23:58 ID:T+jgIErVO
奴国は奴国だろw
投馬は出雲で丹波、邪馬台は大和で畿内。
これ以外には選択肢はない。
但し邪馬台国の範囲は現在の奈良ではなく、
もっと広範囲の国だろう。
239名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:26:26 ID:uQyMSumd0
渡辺延志 朝日新聞記者
240名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 01:29:56 ID:T+jgIErVO
>>237
水路と言っても攻める場合、大和川の亀の瀬は難関だよ。
神武伝承でもここを越える事が出来ず敗走してるからな。
241名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 06:02:47 ID:EI92PV1Q0
邪馬台(ヤマト)が九州あたりまで制圧してたんだろ
242名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:20:53 ID:PGDCvjYt0
大和の「和」が「倭」の意味なら大和朝廷は間違いなく外国人の政権だ。
中国では今でも日本を和国というんだろ。
邪馬台国時代にもう奈良に大陸人が植民していてその後に勢力を持ったのな。
243名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:24:27 ID:8Ak6qA9zO
朝けんした邪馬台国なんかが大和王権の母体であるはずはない
244名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:30:43 ID:2o9eyky+O
>>243
朝けん…
245名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:33:14 ID:AVbS+2o70
そもそも卑弥呼という名前からして怪しい。
246名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:33:56 ID:pjyZOS6a0
じゃま...たいこく?
247名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:51:49 ID:AuGkGS6M0
>>237
すまんオホヤマじゃなくてオホヤマトだった
248名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 07:54:46 ID:tNTbbEYrO
おー 昨夜のバカ同士の合戦は熱かったみたいだな
で、結局どこなの?
249名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:00:49 ID:PGDCvjYt0
>>247
それでも1字は合ってるじゃないか。
「倭」をヤマトと読むなんて奴らは益々大陸人臭いな。
250名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:11:14 ID:J4RVcgRL0
>>247
>それに奈良まで海から直接来れる水路があったのでは攻め込まれ易いね。
いや、まさに梁山泊並みの天蓋の要塞。瀬戸内海から入ろうとすると、湾があって
守る方は大軍を河内湖等に中に待機できるが入る方は運河を通らなければならない

実際に神武天皇は攻略に失敗し、兄は殺され、攻める方向がまずかったと南から
熊野越をしなくちゃならなかった。

http://www.shinsekai.ne.jp/rekishi2/img/kaigan.jpg
251名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:13:37 ID:OPnUdKLC0
>>242
日本人は自分の国を何と呼んでいたのだろうか。
本当に「やまと」と呼んでいたのだろうか。

それともまず中国文献が入ってきて、
そこに古代からの日本の中心は「邪馬台(ヤマト)」と書いてあるので、
中国の目線に合わせて、「やまと」を名乗るようになったのだろうか。

日本が現在、対外的にJapanと名乗っているのは、
「ジパング以来の海外の視線」に合わせて名乗っているんだからなあ。

いくら「ジパング」も、「日本」の発音が元になってるとは言え、
海外の視線にあわせていることになる。
252名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:14:13 ID:J4RVcgRL0
ちなみに大和がどのように呼ばれていたかというと
日本=耶麻騰
日本風土記 大和〈野馬多(ヤマト)
★野馬多
和名類聚抄 大和〈於保 夜萬止〉
★夜萬止
『日本書紀』巻一第四段本文
及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。
此云耶麻騰。下皆效此。豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐
洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由
是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。
(国生み神話 日本これを耶麻騰と読む。九州は筑紫洲)
★耶麻騰
日本書紀巻第一 神代上
大己貴神曰。唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶對曰。
吾欲住於日本國之三諸山。故即營宮彼處使就而居。此大三輪之神也
★耶對(大国主が)大和三山がある耶對の三輪山に住みたい)
日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年
時弟猾又奏曰。倭國磯城邑有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云。葛城邑也。有赤銅八十梟帥。
(倭國の磯城邑、磯城の八十梟帥有り。又、高尾張邑 【或本云 葛城邑也】赤銅の八十梟帥有す。)
★倭國
古事記〈中景行)
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 
多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 
夜麻登志宇流波斯
★夜麻登
言語学的には耶馬台のトはト乙類=大和の読みは全てト乙類
山門は日本書紀の山門県(やまとのあがた)として出てくるが、あがたとは大和につかえる
西国の1国の単位。たくさんある。さらに山門のtoは甲類to のちに律令では筑後の国の一郡に。
253名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:16:41 ID:OPnUdKLC0
>>249
「倭」を、「ヤマト」と読んだ最初の人は、
明らかに魏志倭人伝を読んでただろ。

倭人の中心は邪馬台国だという知識なしに、
倭をヤマトと読むことはありえないだろう。

倭と同音の和(大和)を「ヤマト」と読むのも、
魏志倭人伝と関係無しには有りえないでしょ。
254名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:19:12 ID:J4RVcgRL0
>>253
どうしてありえないの?
255名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:24:12 ID:J4RVcgRL0
〔國號考〕

夜麻登(ヤマト)〈秋津島、師木島をも附いふ、〉 夜麻登といふは、もと畿内(ウチツクニ)
なる大和一國(オホヤマトヒトクニ)の名なるを、神武天皇此國に大宮しきませりしよりして、
後の御代々々の京も、みな此國内なりける故に、おのづから天の下の大(オホ)名にもな
れるなり、さて此名は、邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)のあまくだらしヽ時に、虚空見倭國(
ソラミツヤマトノクニ)といへる古語(フルコト)ありて、神代よりの名なり、又それよりさきに、
八千矛(ヤチホコノ)神の御歌に、やまとの一本すヽきとあれども、そは此國の名をよみたま
へるにはあらじとぞおもふ、又書紀の神武御卷の末に、昔伊弉諾尊目二(ムカシイザナギノ
ミコトホメテ)此ノ國ヲ一、曰二日本者浦安國( ノリタマフヤマトハウラヤスグニ)、細戈千足
國(クハシボコチタルクニ)、磯輪上秀眞國(シワノボルホツマノクニ)一とも見えたり、かくて
神武天皇は此國に宮しきましけるによりて、神日本磐余(カムヤマトイハレ)彦尊と大御名を
稱奉(タヽヘマツ)れり、然るをかへ
りて、此大御名より起りて國の名ともなれりと
256名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:25:15 ID:PGDCvjYt0
今の日本は「ニホン」か「ニッポン」だよな。
外国語読みでは「ジャパン」「ヤポネヤ」「ジャポネ」など。

邪馬台国時代の読みは全く分からん。
257名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:25:44 ID:ZLanCKck0
ほなこつね
258名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:26:34 ID:J4RVcgRL0
>>256
ニホン ニッポン自体が中国読み。
259名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:31:51 ID:J4RVcgRL0
読み [編集]
日本政府は正式な読み方を明確に定めていない。「にっぽん」あるいは「にほん」と読まれる。

「日本」の国号が成立する以前、中国古代王朝からは「倭国」または「倭」と称されていたが、
「やまと」の政治勢力が中心となって倭を統一したため、古代日本では漢字の流入とともに倭を
借字として「ヤマト」と読むようになった。やがて古代日本が認識していた国号である「やまと」に
当てた漢字を倭から「日本」に変更し、日本と記して「ヤマト」と読んだ。[24]

同時に、「日本」国号は7世紀後半の国際関係から生じたものであるため、当時の国際的な読み
である音読により、「ニッポン」(呉音)または「ジッポン」(漢音)と読まれただろうと推測されている
[25]。「ニホン」の読みがいつ始まったかは定かでない。平安時代の仮名表記では促音・濁音の
区別がなかったため、「ニッポン」音も「にほん」と表記された。「ニホン」の読みはここから起こった
と考えられている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC#.E8.AA.AD.E3.81.BF
260名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:33:53 ID:WPNUMfJJO
>>254
普通にあり得るよな。
支那人が自分達の国を表す文字として「倭」という文字をつかっている。
自分達は自分達の国を「やまと」と呼んでいる。
そうなると、「倭」の字に訓読みとしと「やまと」を当てるのは極自然なこと。

地面の高くなっている場所を自分達は「やま」と呼んでいる。
支那人はそこを表す文字として「山」ていう文字を使っている。
「山」という文字に「やま」という訓読みを当てるのと同じ理窟。
261名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:36:53 ID:cwqMPlrvO
だいたい当時の中国人が「邪馬台」という文字を、
「ヤマタイ」とか「ヤマト」と発音してたかどうかなんて論証されたのか?
262名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:48:12 ID:VWsP+oZkO
ヤマタイ国を大和朝廷の前身と考えた場合、

・天孫降臨神話では高千穂に降り立ったとある→最初に建国したのは高千穂の可能性
・後に東征と称して最初の領地を捨てて東に→倭人伝ではヤマタイ国は戦争に負け滅びたとある。即ち東征とは征伐ではなく、戦争に負けたヤマタイ国(大和朝廷)が再起を図るため東へと落ち延びた話なのではないか?
・卑弥呼→日神子?日巫女?日御子?
・卑弥呼は火烏と呼ばれる太陽の化身に導かれたという伝説があり、日本神話のヤタガラスに酷似している



九州で建国→滅亡→畿内で再度建国という説を推す
263名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 08:53:29 ID:WPNUMfJJO
>>215
>志賀島を島と思っている輩が多いが志賀島は
>陸続きであって海上に浮かぶ島ではないぞ
今は砂州でつなかっているけど、古代には島だったはず。
264名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 09:05:02 ID:3/RV/tHF0
>>251
おそらく、当時の日本人に、そういう国家観そのものがなかったんじゃないかと思う。
集団内部で行政組織をつくり、自分達の集団に名前をつけるという概念が
当時の日本の集落には存在しなかったんじゃないか?
265名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 09:13:54 ID:dQwlDjXY0
「倭」と書いて「やまと」と読むのは訓読みで日本オリジナルだからな。
倭と書いて中国人は「わ」と読んでる。
日本人は自分の国は「やまと」と呼んでる。
漢字の流入で自分の国を表すのに「倭」と書いて日本人は「やまと」と読んだ。

また逆に、中国人が日本人から「やまと」と聞いて当てた漢字が「邪馬台」なんだろう。
これは日本語の音を漢字の音を借りて当て字にしてある。
大和仮名のルーツの使い方。

266名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 09:35:29 ID:dQwlDjXY0
>>264
国号は対外的に差別化をするために必要なものだから
日本列島内でそれぞれの勢力を識別するために
末盧国とか伊都国という識別の名前があるだけで
3世紀の日本にはヤマト王権の国を示す国号があるという
概念はおそらくなかったと思う。
それを表すのが魏志倭人伝で、都のある場所が邪馬台国であり
邪馬台国にいる女王が支配するエリアを「女王国」と表現してる。
ヤマト王権の支配エリアを「やまと」と表現するようになったのは
王権が政府として機能し、中国や朝鮮半島と交易をするようになってからだろうな。
正式に「やまと」を国号にしたのは天智天皇あたりだと思う。
その「やまと」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変えたのは天武天皇だろう。
267名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 09:56:43 ID:dR3rYgeg0
>>262
海部氏系図によると天孫降臨話は丹波にもあるからな。

記紀ではないが国宝にしてされている資料だからね。
ここに箸墓のモモソ姫の事を「日女命、日神」と記してある。
268名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 10:49:49 ID:GIv7S2E+0
>>181
それって良く考えたらおかしくね?
何でその鏡にだけそんな刻印がされているんだ?
製造年以外の刻印はないの?

そんな技術が当時あったのなら、この時代の日本の様子を示す文書が
国内の国内の石碑とか他のさまざまなものにヒントとなる文字が残されているはず。
269名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:12:39 ID:eziyoo660
>>181
「景始3年」じゃなくて「景初3年」です。三角神獣鏡は、倭人伝の100枚を
上回る数が日本国内で出ちまったので、卑弥子の鏡説は崩壊してんの。その上、
景初3年なんて年号は、中国には存在しない。魏が滅んだのでね。大陸の情勢に
ウトイ近畿の豪族が、ホ〜レ舶来品よ〜とエセブランドの鏡を作成したんでそ。
270名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:13:18 ID:c9D/UYwA0
そういえば、吉野ヶ里の遺跡なんかは弥生中期までは甕棺墓だの昔の大陸系
と思われる文化が強いらしい。
多分黒潮に乗って大陸からやってきた人達の技術や風習が残っていたんだろうけど、
後期になると甕棺は廃れ、絹も華北や朝鮮系の三眠蚕、出土品も半島経由が多くなるようだ。
この時期になると壱岐対馬経由での半島や楽浪郡との交易が活発になり、
文化だけでなく華北の様々な最新技術や強力な武器が半島経由で渡ってきたようだから
技術はかなり進歩していたと思っていいんじゃないのかね。
271名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:28:32 ID:jf/V3Vus0
>>269
三角縁神獣鏡は邪馬台国の時代のものではなく、後のヤマト王権が邪馬台国との関係
を顕示するために偽作したものだ」とする見解を表明し、その後の九州論者はほとんどこの
ような説明に追随している。しかし、このような説には以下のような点が問題として挙げられる。

現在の知見からは邪馬台国時代にすでに古墳築造が始まっていると見るべきであり、偽作と考える
べき前提が成り立たない。
紀年鏡には三角縁神獣鏡以外のものも含まれる。
魏の年号である「青龍3年」、呉の年号である「赤烏元年」「赤烏7年」などの紀年鏡も見つかっており、
単に邪馬台国にちなんだ偽作というのでは説明がつかないなどの疑問があり、学界では受け入れる
ところとなっていない。
また三角縁神獣鏡を、呉の鏡または呉の工人の作であり、呉の地が西晋に征服された280年以降の
ものとする説もあるが、様式論からはかならずしも呉の作であるといいきれるものでない。少なくとも
銘文にある徐州を呉の領域であるなどとはいえない。これらを280年以降の製造と考えると、
年鏡に記される年号が何ゆえに三国時代の235年から244年に集中しているのか、整合的な理解が
難しい。これらにより、いまだ学界の大多数を説得できていない。
また、九州説論者の見解では、いわゆる「卑弥呼の鏡」は後漢鏡であるとするが、弥生時代の北九州
遺跡から集中して出土する後漢鏡は、中国での文字資料を伴う発掘状況により、主として1世紀に編年
され、卑弥呼の時代には届かないのも難点のひとつである。2世紀のものは量も少ない上、畿内でもか
なり出土しており、北九州の優位性は伺えない。一般的に弥生時代の遺跡では、2世紀にはいると北九
州の優位性は失われるため、多くの考古学者が九州説に与し得ない理由の一つとなっている。
272名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:31:35 ID:jf/V3Vus0
>>269
逆にそういう批判にもならない批判をする九州説の人が学者の中ではトンデモ扱いですよ

素人騙してめしくってるってね
273名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:33:50 ID:eziyoo660
「3角」は、魏志倭人伝が伝える100枚を上回る数が出土しちゃったから、
何を言っても、もうダメぽ。
274名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:37:13 ID:Idis9sHB0
>>273
よく嫁。あとそれいってるの偽書を本物だと宣伝した古田でそ?
信用ないよ
275名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:38:38 ID:eziyoo660
東日流の古田なんか問題外のソト。
276名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:41:27 ID:YcrxEtZFO
もう邪馬台国が二つあったってことでいいじゃん
277名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:43:26 ID:T+jgIErVO
古田史学は情報が既に古すぎて破綻している。
それに例の事件に加担してる訳だから信用度も低いしな。

鏡や金印を無視しても状況証拠的には邪馬台国の時代に、
倭人伝の記述にあう都は巻向周辺である可能性が高い。
278名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:46:59 ID:Idis9sHB0
はいみなさん。ここに三角神獣鏡に関する問題が書かれてあります
九州説がいうようなもうダメボでしょうか?九州説には注意しましょう。

近年の研究 [編集]
近年の研究で、鏡の断面が時代とともに変化していることがわかってきた。古い鏡は、外区が厚く、
それに対して内区が薄いが、時代の経過とともに外区が薄くなり、内区との差がなくなり、終いには内

外区の厚さが同じになってしまっている。これらの変化と文様やその配置などを勘案した5段階の型式
編年ができあがっている。第1段階は景初3年(239)・正始元年(240)前後と推定できるから、一つの段階
を約10年あまりと考えて、第2段階は250年前後、第3段階は260年前後、あとの段階も同様に考える。
この型式編年を利用して、出現期古墳はどの段階の鏡を持つかで古墳が年代的に古いかどうかが判
断できるようになった。ただ、鏡の生産地については難しい議論が進行中である。

近年、大阪大学の福永伸哉の研究により、三角縁神獣鏡350面を含む千数百面の鏡の鈕孔(ひも通し孔)
の観察から、三角縁神獣鏡の鈕孔の形が長方形で、他の鏡の鈕孔の円形や半円形と異なっていることが
分かった。さらに、鏡の鈕孔を長方形に作る癖を持つ、ある中国工人群が三角縁神獣鏡を製作しており、
その手法が魏の官営工房に繋がる可能性が強いという。つまり魏の王朝が卑弥呼や壱与に下賜するため
に特別に鋳造したのが三角縁神獣鏡であるという新説が提出されている。
279名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:50:39 ID:Idis9sHB0
三角縁神獣鏡に関する議論

疑問点
三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀以降の古墳からのみで、邪馬台国の時代である3世紀の墳墓から
は1面も出土しておらず、年代が合わない。
三角縁神獣鏡は中国国内では1面も出土しておらず、中国の鏡ではないと中国の学者が述べている。
改元されて実在しない中国の年号の銘が入った鏡がある。
卑弥呼に下賜された銅鏡は100枚だが、それをはるかに超える数の三角縁神獣鏡が出土している。
反論
邪馬台国向けに特別に作らせたものだから中国には残っていない。
景初3年は、景初4年正月となるべき月を後十二月とした年であり、その混乱を示すものである。
卑弥呼にはその後も何回か銅鏡が下賜された。
三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀以降の古墳のみだというが、近年の年輪年代学の成果により、古墳
時代の開始は3世紀に繰り上がっており、3世紀に編年される古墳から出土するので、むしろこの鏡が魏時
代のものとして矛盾がないことを示している。また景初3年、正始元年の銘の鏡もリアルタイムのものとして
問題なく理解でき、逆にこのような年号を持ちながら、邪馬台国=九州説論者の主張のようにこの鏡が邪
馬台国と無関係とするならば、それこそ不自然である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B8%81%E7%A5%9E%E7%8D%A3%E9%8F%A1#.E4.B8.89.E8.A7.92.E7.B8.81.E7.A5.9E.E7.8D.A3.E9.8F.A1.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AD.B0.E8.AB.96

あと学会自体は九州説の意見はあまりしじされていません

・魏の年号である「青龍3年」、呉の年号である「赤烏元年」「赤烏7年」などの紀年鏡も見つかっており、単に邪馬
台国にちなんだ偽作というのでは説明がつかないなどの疑問があり、学界では受け入れるところとなっていない。

・一般的に弥生時代の遺跡では、2世紀にはいると北九州の優位性は失われるため、多くの考古学者が九州説に
与し得ない理由の一つとなっている。
280名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:51:39 ID:ZnITuFHq0
こんな狭い島国でどこが邪馬台国かなんて論争やってどうなるの?
どうなるのっていうかこれは結論がでないだろ
そもそも卑弥呼が卑弥呼という名前だったかすらはっきりとわかる正確な資料もないのに…
281名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:53:58 ID:eziyoo660
あたしの為に特別に鋳造したのなら、同じデザインのヤツをボコボコ大量生産
して、こんなに沢山バラ撒かないでよ。
   by 卑弥子
282名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 11:55:29 ID:Idis9sHB0
あとゴッドハンドによる偽書とはっきりわかっている書物を「九州説に沿っているから」という
理由で無批判に賞賛し、本物として宣伝し世の中を騒がせた古田さんのやり口を
書いているサイトがありますので出しておきます。

ttp://www.geocities.jp/yasuko8787/1-2-1.htm

283名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 14:02:47 ID://YfrzjZO
大首領JUDO「なぁ、我等がこの星に降り立った頃に、女王が統治していた近所の国ってどこだっけ」
ツクヨミ「いや、よく覚えてないな」
大首領JUDO「ちょっと確かめてくるから門開けてくれ」
ツクヨミ「ふざけんなダメだっつってんだろこのヤロウ!」


ちょっと次元破断装置研究してくる
284名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 14:15:52 ID:c9D/UYwA0
もらった鏡の模造品作るくらい楽勝だろ。
南蛮人の鉄砲見て驚いた後、あっという間に模造品作って
大量生産した民族だぞ
285名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 14:18:03 ID:KUqzsaqK0
九州説を唱える人は、韓国の思うツボです。
卑弥呼を朝鮮人にして、九州の邪馬台国は朝鮮人がつくったことにしたいわけです。


韓国の国立中央博物館で「吉野ヶ里―日本の中の古代韓国」て催し物が2007年頃にあった。

「吉野ヶ里―日本の中の古代韓国」展

韓国国内では、 卑弥呼はそもそも倭人ではなく、
半島生まれ(首露王の親族など)であるという説も有力視されている。
古代日本のような未開の蛮地には、偉大な王は誕生し得ないという意識によるものらしい。
吉野ヶ里も韓国からの観光客が少なくないはず。
拝金主義の商人根性から韓国の妄想にすり寄る自爆的な九州派には困ったものである。



286名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 14:37:24 ID:KUqzsaqK0
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=92025
双子のような土器や銅剣…吉野ヶ里、日本の中の古代韓国

そっくりだ。
国立中央博物館の「吉野ヶ里、日本の中の古代韓国」企画特別展に出展された約2000年前の土器、青銅剣などの遺物がそうだ。
博物館はこの展示を日本の佐賀県の教育委とともに企画した。
韓日共同企画展であるだけにまた意味深い。
吉野ヶ里出土遺物は韓半島の農耕文化が日本に伝来し、古代日本の社会の発展に影響を及ぼしたことを示す貴重な資料だ。
吉野ヶ里は1986年から現在まで発掘された日本最大の村の遺跡で、広さが40万平方メートル(12万坪)ある。
ここでは日本の弥生時代(紀元前3世紀〜紀元3世紀ごろ)の遺物が多量出土した。

吉野ヶ里と朝鮮の交流は深い。
文化は朝鮮が伝えた。
だから朝鮮より偉大な王が日本にいるわけがない。
だから卑弥呼は朝鮮から渡来した。
というのが、韓国と佐賀県の歴史観らしい。
287名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 15:03:18 ID:kLHVbf630
卑弥呼って当時の中国人が聞いて音写した名前だろ。
本当は姫巫女でしたとかってオチがあるような気がするのだが。
288三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/12/04(金) 15:11:24 ID:+RcbOENRO
>>287
比売命(ヒメミコト)の可能性もあるわな。
289名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 15:18:37 ID:3/RV/tHF0
>>285
九州説って、もともと本居宣長が排外・国粋主義的な観点から唱えてなかったっけ?
290名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 15:38:56 ID:dR3rYgeg0
>>290
中国に朝貢するような女王は都合が悪いという理由。

現代の場合は何でも韓国起源にしたがる風潮だからね。

でも他でもない半島の歴史書には、新羅国に倭人の王がいて、
建国にも関与していた事が明記されてるのはスルーだからなw
291名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 15:44:54 ID:5jJBknKv0
>>289
天皇が漢に朝貢なんぞするはずがない。九州の熊襲の類であろうってな感じ。
付け加えると本居宣長は朝鮮は琉球と同じく日本に服して当然と主張してた。まさかこんな
展開になるとは予想もつかなかったかとw
292名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 16:15:38 ID:c9D/UYwA0
>>286
>吉野ヶ里と朝鮮の交流は深い。
>文化は朝鮮が伝えた。
まぁ大体ここまでは合ってる、というか華北の先進技術が
楽浪郡−朝鮮経由で伝わった。
倭人が半島南部の支配権を失った後は、半島沿岸経由が
できなくなったので遣唐使船とか難破しまくり。
293名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 17:21:53 ID:s1lY71dP0
現代の九州説は、韓国からの観光客誘致。
日本人は内緒で卑弥呼を朝鮮人として喧伝という構図に気がついて欲しいね。
294名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 17:31:15 ID:WFMvnQ7E0
スレ名は本当は次の通り

高島学長、涙目で講演。「卑弥呼は九州でしか成立しえないんだい!こんちくしょー」
295名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 17:50:16 ID:5jJBknKv0
佐賀県の「こちら知事室です」なかなかw
http://www.saga-chiji.jp/genba/2009/09-9/09-9-14/index.html
296名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 18:31:22 ID:uQyMSumd0
渡辺延志 朝日新聞記者
297名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 19:23:15 ID:tNTbbEYrO
おまえら今月のムーのオマケ見れ 吹くからww
298名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 19:24:24 ID:D7+TEQQ70
>>286
>吉野ヶ里と朝鮮の交流は深い。
>文化は朝鮮が伝えた。

「到其北岸狗邪韓國七千餘里」倭国の最初の国として、朝鮮半島の狗邪韓國が
紹介されてるし、古代から朝鮮半島南部は日本の一部。朝鮮から文化が来たの
ではなく、日本から伝わっただけ。
299名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:21:49 ID:5jJBknKv0
300名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:26:09 ID:ICEg5X6W0
>>135
そう思いませんかぁ〜?
カマッテ カマッテ
301名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:27:12 ID:Nkn7HVYWP
>>228
「これはAではない」という証明は悪魔の証明とは呼ばないよ。
悪魔の証明というのは絶対非存在の証明することであって、
特定の何かであることの証明も、特定の何かではないことの証明も
悪魔の証明とは呼ばないよ。


もっとも、奴国≠邪馬台国という証明ができないことを根拠に、
奴国=邪馬台国だという主張をする>>226もアホだけどな。
302名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:41:43 ID:hxpnN9Ip0
>>298
旧楚の人たちが流れ着いたのが、稲作の可能な、日本と朝鮮半島南端部だった。ってことだよね。
どちらが先とか、どうでもいいこと。
その人たちを指して、外国人というのもおかしな話。
303名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:49:50 ID:c9D/UYwA0
華南からのルートもあるが、山東半島から半島西岸経由
っていうルートもある
あと、半島は通過点ってのもあるが鉄の産地として
重要ってのもあったようだ
304名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 20:51:12 ID:cRBTRCzk0
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。
高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
305名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 21:07:35 ID:5jJBknKv0
卑弥呼(抜粋)

卑弥呼(ひみこ)とは、 2世紀ごろに邪馬台国で活躍した風俗嬢、又はAV女優。本名などには数々
の憶測があるが不明。AVライターの陳寿によればマネージャーは実の弟。陳が会見したときには
「もう熟女だった」といい、マネージャーの弟以外の一般人との接触はしていなかったという

AV出演作品
巫女のコスプレを好み、素人男優と絡む作品に多く出演した。そのうちの一本を当時の中国王朝に
献上したところ国王からごほうびの金印を授かった。
騎乗位でのプレイが多かった為に腰を痛め、晩年はAV業界から引退。風俗店で泡姫として第二の
人生を送った。70歳を過ぎても現役で活躍しており、超熟女泡姫であったといえよう。

当時絶対的な人気を誇るAVアイドルであったため、彼女の引退によりAV業界は危機的な状態に陥った。

そこで卑弥呼自身が後継者として壱与という女性を指名した。ちなみに壱与の出演した「イヨチャン
FUCKだピョン!」はベストセラーを記録し、この販売枚数1000万枚はいまだに破られていない。ちなみ
に壱与のデビューは13歳であり、リアルロリータものである。現在これらの作品を取得しようとすると
児童ポルノ処罰法に抵触するので注意されたい。

邪馬台国論争
卑弥呼引退後、卑弥呼を忘れられないオタクたちが引き起こした論争。追っかけに必要な卑弥呼の自
宅「邪馬台国」がどこにあるかをめぐって日中韓三国のオタどもが激論を戦わせたが、九州説・大和説・
四国山中説・琉球説・エジプト説など主張が乱立したのみで現在まで解決を見ていない。この論争の長
さとレス数の多さは、後に「石川梨華ってウンコするの?」論争に破られるまで論争のレコード記録であった。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC#.E9.82.AA.E9.A6.AC.E5.8F.B0.E5.9B.BD.E8.AB.96.E4.BA.89
306婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 21:07:54 ID:vFdjL4iF0
まあ、日本だ朝鮮だ中国だって以前に、東シナ海東部(対馬、済州、五島、九州西岸、奄美、琉球)は
海の民の交流圏だもんな。中央政府が国境だ何だとやかましく言っても、海の民は
お構いなしに行ったりきたりしているわけだ。
まして「国家」なんつー概念のない弥生時代だぞ。
307名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 21:22:49 ID:0wRi6dTAO
九州説の先生が九州しか成立しえないとおっしゃっても
九州地元の人が無理ある理論だと苦笑いしてる。
まぁほんとに卑弥呼や耶馬台国が存在したか?
という話もあるんだが。
308名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 21:39:21 ID:cJ5u8O8s0
ついに九州説は、「邪馬台国はありませんでした」と言い出したぞ。
309名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 22:49:19 ID:0wRi6dTAO
>>308
勘違いしてないか?
私自身は学校で卑弥呼と耶馬台国はなかったかもと習った奈良出身(笑)
別にあってもなくても気にならないよ。
九州説が辛い理由。
九州は渡来人が多く、中国〜四国〜畿内とは全く違う文化だった。
日常生活の出土品が他地区と違う。
更に天皇誕生地と言われてるが、それよりも太陽が沈む方向だからあの世と繋がる汚れの聖地みたいな土地と思われる
と聞いた。

九州説力説するヤシは発掘して他地方説との違いを考え、見直してほしい。
310名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 22:55:16 ID:tNTbbEYr0
各地に点在する古墳を掘り返し古代日本は朝鮮の支配下だったと分かるのが恐ろしいんだよ
311名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 22:57:42 ID:dQwlDjXY0
>>310
朝鮮の支配下って、3世紀に朝鮮半島に国なんてないよw
312婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/04(金) 23:07:15 ID:vFdjL4iF0
>>311
>更に天皇誕生地と言われてるが、それよりも太陽が沈む方向だから
>あの世と繋がる汚れの聖地みたいな土地と思われると聞いた。

そういうヨタ話を誰に聞いたんだw
九州が西の端という概念は、日本の国土という概念無しには
成立せんじゃろうが。天孫降臨の地といわれる日向は、文字通り
朝日に向かう土地だっつの。

さらにいうとだな、西が死と結び付けられるのは仏教渡来からで、
イザナミの話のように、上古の人たちがイメージした死者の国は
地下だったのだ。ぷんぷん。
313名無しさん@十周年:2009/12/04(金) 23:35:22 ID:QmNnCW5W0
九州から畿内への東征は全部で3回
1回目は普通に神武の頃。2世紀。高地性集落の分布を見れば一目瞭然
2回目が崇神の頃。3世紀後半。銅鐸文化消滅を考えれば一目瞭然
3回目が応神の頃。4世紀後半。九州を統一して、朝鮮まで支配下に置き
その勢いで、歯向かってきた畿内勢力を滅ぼした。2度と歯向かわないように
その後大きな古墳を作らせたことを見れは一目瞭然。
314名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:28:24 ID:T18PY5OhO
でも畿内には九州勢力の痕跡は何故か少ないから矛盾するな。
それだけ東遷とやらが多い割りには吉備や丹波の痕跡の方が多い。
315名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:30:49 ID:82g0YIG30
東海の痕跡も多いけどね。
316名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:41:30 ID:59H0qszi0
>>313
>1回目は普通に神武の頃。2世紀。高地性集落の分布を見れば一目瞭然

高地性集落の分布変遷を追えば、畿内→瀬戸内→九州になるが?
317名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:44:23 ID:K0KCdkQ60
>>286
はい、朝鮮半島の秦人と倭人が、九州倭国に華北と長江の文化を伝えました。
朝鮮人?倭人と秦人の奴隷でしょ。
318名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:45:35 ID:UWtPExqV0
中国に事実上占領されようとする時に、
邪馬台国なんて今更どうでもええわ…
319名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 03:51:09 ID:+4ENmaGU0
>>九州から畿内への東征
そんなもの無いだろ。
神武の東征の神話は、イングランドがウェールズを征服した後で、ウェールズ
の王子がイングランド王に即位する体裁をとって、ウェールズを懐柔したのと
同じ、征服された九州を宥めるために、大和朝廷のルーツは九州って神話を作
ったんじゃないか。
320名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 04:12:26 ID:Eiuuiqyx0
神武東征とかって、マンガの読みすぎ。
オトナになってまでマジメに口走ってると恥ずかしすぎるぞ。
321名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 04:20:35 ID:K0KCdkQ60
東征は有った。ただし、何度かに別れて、さみだれ式に。
統治者の最高シンボルが銅鐸から3種の神器に時を経て転換して行ったのは、
東征した勢力が、東方への勢力拡大に連れて、徐々に最高統治シンボルを
自分の祭祀器具へと転換して行ったからだ。銅鐸も3種の神器も九州起源。
近畿の銅鐸は、九州勢力の初期の東征の痕跡である。それが3種の神器へと
転換したのは、最終的な東征勢力が近畿を国盗りした痕跡で有る。前方後円墳
も九州起源。これが近畿に拡大した事は、東征の有力な証拠だ。
322名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 04:21:35 ID:zql5AEfx0
現在までのところ、九州説と畿内説は引き分けだ。

畿内の巨大遺跡が邪馬台国の卑弥呼宮殿である証拠はない。
九州説は魏志倭人伝記載の風俗内容に頼っているが、それも九州説の確証にはならない。
九州説は行程の部分に不審な点がある。

あまり関係ないかも知れないが中国も南、香港あたりでは日本人のことを「ヤップンヤン」と言わない?
ロシア読みの日本の最初にある英語のアールを逆にひっくり返したような「ヤ」と読む文字。
あれがもし1字だけ離れていたなら「私」という意味なんだよな。

魏はなんで日本人のことを「倭」と呼んだのだろう。
この「倭」=「和」が成り立つならやっぱり大和政権は外国人主体の政権で邪馬台国と不連続の疑いが残る。
323名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 04:38:44 ID:K0KCdkQ60
>>322妄想乙。
魏は日本人の事を倭と呼んだ事はないよ〜。自称倭人を倭人と読んだだけよ〜。
倭人は、長江沿岸、東支那海、渤海、黄海、玄界灘、日本海、これらの海を
往来する海人。漁民にして貿易traders.
324名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 04:59:55 ID:59H0qszi0
>>321
銅鐸も前方後円墳も九州起源なんて説は始めて聞いた。
銅鐸は畿内を中心に九州では少ないだろ。
佐賀から最古の鋳型は出て来たが銅鐸文化とは言えない状況。
前方後円墳は畿内→九州→朝鮮半島南部だろ。
九州に多い支石墓などは畿内では見られない。
325名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:09:32 ID:59H0qszi0
>>323
三国志魏書東夷伝の倭人条は日本人が自ら「倭」と言ったから
倭人になったわけじゃないだろw
まあそういう説が出てくるのは平安時代だが、日本人が国のことを
環とか輪とか呼んでたからかもしれないが、日本人が日本人のことを
倭人と名付けたなんてことはない。
326名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:09:44 ID:ucDlAPs40
大昔の地図を見ると九州と大陸は繋がってた模様
(まぁ、これも誰も目撃者はいないから想像の域を超えないが)
半島経由で大陸文化と繋がっていた九州説が妥当と思う
327名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:12:41 ID:K0KCdkQ60
>>324
銅鐸も前方後円墳も最古の物は、九州で出土。
吉備や奈良で規模が拡大したのは、そこが九州より、はるかに生産力が大だった
事を物語る。従って、たとえ九州に邪馬台国が有ったとしても、同時代に
吉備と奈良には、九州をしのぐ倭人勢力がパワフルな国々を形成していた事
とは,何ら矛盾しない。だいたい邪馬台国は、南のチンケな狗奴国と言う、
たった一国によって、常に生存を脅かされ、キャア〜!助けてええ!と魏や
晋に何度も駆け込む様な、精神的にも軍事的にもヤワな呪術国だった。こんな
国が近畿〜瀬戸内海〜中国〜九州を統一する程のパワーを持っていたなんて、
自己矛盾も甚だしい。邪馬台国は、九州の何処かの土侯国と見るのが自然。
328名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:13:13 ID:Av0aVHuC0
>>9
嘘だっ!
329名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:15:15 ID:ucDlAPs40
邪馬台国近畿説は戦後に出てきた説であって
学者による捏造がある
戦前は九州説で落ち着いていたはず
330名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:24:43 ID:59H0qszi0
>>327
最古の銅鐸が出土したのは島根県じゃないのか?
最古の前方後円墳ってどこ?
纏向矢田古墳とか東田大塚古墳とかじゃないのか?
箸墓も最古級だ。
ほとんど畿内。
331名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:31:10 ID:59H0qszi0
>>329
戦前に九州説が強かったのは本居宣長が九州説を唱えたのと同じ理由だな。
「日本の皇室が中国に朝貢するなどありえない。そんな愚かなことをするのは熊襲に違いない」
どちらかというと九州をバカにしたような話なんだけどなw
332名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:39:36 ID:ucDlAPs40
>>331
ごちゃごちゃうるさいんだよ
九州説でいいじゃないか
戦後にうだうだイチャモンつけて歴史を捏造するのは
近畿人もあの国の人間と同じか!
情けない
333名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 05:52:25 ID:TRlFa6t80
>>329
倭も大倭王も大王も畿内であるというのは戦前まで常識。戦後からだ。わけのわからん
九州王朝なんぞの与太話がでてきたのは。

邪馬台国九州説でさえ江戸時代からだ。江戸時代のはじめの国語辞書
倭訓栞にもこうある

やまと 日本大和をよむのは義訓である。山跡の意味というのは古い説である。「と」は多く
「処」をいう。もと山辺郡大和(オホヤマト)と式に出た名であって、後に国号となったものであろう。
この郷に国魂の神もまします。まさに大和の国の形は、吉野一郡が三分の一にあって、山の
みが国に満ちている。神武天皇が東征されてから、代々めでたい皇都であったので、大八洲の
内に豊秋津洲も大日本としるし、後は六十余州を合わせての総称となったものである。
邪山臺、野馬臺などと書くのは中国の書き方である。
334名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 06:00:01 ID:NMDy7HJw0
中国に朝貢するような国は九州ですか。
妙に説得力があるなw
335名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 06:21:56 ID:ZZS/OiiU0
>>334
福岡市(ふくおかし)は、釜山広域市の衛星都市にして、九州最大の負債を抱える
九州の自称首都」である。

負けん気が強く、市民の多くが自己主張し他人に打ち克とうとする典型的な朝鮮人
根性を有する。そのため協調・中庸・妥協というものには価値を見出せず、時として
それらの価値観を嫌悪さえする。よって「和を以って貴しとなす」という日本語は通じない。

ただし、祖国である大韓民国や宗主国である中華人民共和国と仲がよく、市内ではウォン
や人民元が使用できる。ネットウヨからはそのせいで売国奴扱いである。なお、金欠なの
に市長が東京と共にオリンピック誘致を名乗り出て、全国民の失笑を買ったのは記憶に新しい。

在日コリアンによる事件が多発している。また、他国や闇の組織からの侵略を防ぐため市街
安全保障局という治安組織が設置されている。さらに、中国人も「日本人を殺す旅」という物騒
な旅行パックを販売しており強盗や殺人が多発している。これに対し、博多の住人たちも「山笠」
という兵器を用いて犯罪に対抗するのである。日本では最悪のレイプ天国である。福岡県警が犯
行の手口を小冊子にして作成、配布するほどの酷さである
336名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 06:36:56 ID:9qrJbkS20
>>331
本居宣長のはひどいよ。卑弥呼は熊襲の女酋長が勝手に神功皇后の使いを偽って
魏朝廷を僭称したという話だしw
337名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 06:44:01 ID:NMDy7HJw0
邪馬台国?といえども必ずしも自慢にはならないかw
338名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 07:36:33 ID:PWWSjKIl0
学術的目的で反証してるってより、
外野で見てると観光施設等の利権や、九州が日本の大元であることを意地になって認めさせたいだけじゃねーかって思うよ
九州説を唱えるのは、決まって九州住んでる人間だとなぁ・・・
339名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 08:06:44 ID:zql5AEfx0
>>323
「倭」の文字を見ると当時の日本とは女が次々と国王になる国だからこの文字で名付けた様子だ。
従って、日本を「ワ」と読むのは魏の読みで日本人が自らをワと言っていた訳ではないな。
340名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 08:26:02 ID:9qrJbkS20
>>339
そんな珍説勝手にソースも出さずに言い切るなよ。
341名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 08:32:59 ID:zql5AEfx0
>>340
いや、魏志倭人伝によると卑弥呼亡きあと邪馬台国は男王を立てたが国が治まらず、再び女王を立てて国の安泰を得た。
魏が日本を女王の国と見ていたことは間違いない。
342名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 08:33:21 ID:kE1qQ1Z1O
この時代の話するなら文献+証拠出さないと。
高島先生が断定しても証拠なければ皆ついていかないね。
343名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 08:38:35 ID:zql5AEfx0
>>342
「倭」は「魏」の一部が取ってあるだろ。
これも魏が倭の名付け親であることの証拠だよ。
344名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 09:22:44 ID:xYEYMLyaO
>>343
漢書でも倭だったし。魏以前からだろうに
345名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 09:50:35 ID:6fddP3h9O
>>327
>チンケな狗奴国
これってソースがあるの?
まぁあったとしても歪曲されてるだろうけど


狗奴国が九州〜紀伊半島にかけて支配していた民族(国家ではない。一種の武装集団でアルカイダみたいな感じ)だったとしたら
いろいろ辻褄が合わない?
346名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 09:57:25 ID:zql5AEfx0
>>344
魏志倭人伝以前に「倭」と書かれてあるものがあるか。
それ以前のものは、東人とか書かれてるんじゃないか。
347名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 10:13:12 ID:x18bJ4nO0
>>342
マキムク説もな
348名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 10:16:27 ID:59H0qszi0
鬼に委ねた魏と、人に委ねた倭。
349名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 10:21:56 ID:xYEYMLyaO
>>346
山海経はどうよ
350名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 10:46:32 ID:mGFdkFarO
イタリアでは日本学をヤマトロジーって呼ぶ
351名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:05:03 ID:o73mM98G0
>>345
狗奴国は九州南部〜紀伊半島南部だよね。
女王国は瀬戸内海中心の共立国で。
352名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:19:40 ID:9qrJbkS20
>>341
だから女王が治める国だったというのは史料にあるが、倭の文字の成り立ちがそこからだというのは史料にはない
あと漢書の倭に関する部分は班固(32年 - 92年)だ。すでに「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云。」
という倭の文字がある。

実は中国人でさえその由来を知らない。
如淳(魏の官人)・・・人面に入れ墨する(委する)習俗があるからではないか?
臣?(漢書地理志の注釈人)・・・、「委」と「倭」の音が異なっているからそれはない。そういう国名だ
顔師古(唐の大学者)・・・倭音一戈反 今猶有倭國(倭というのは倭人の読み方(音)からだ)
当時の文献に関わった学者からしてそうなのだから当然混乱してる

俺はここらへんからト→イに書いたり間違えたりした理由がある者と推測してる
353名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:27:37 ID:JmwqWkd50
俺的には・・・。

宇佐神宮から九州南部あたり(高天原)で日本の王朝が誕生。

肉親どうしでの権力争いのすえ、競争相手は追い出される(出雲スサノオ?)。

追い出された方は、朝鮮半島へ進出。が不毛の地の開拓を諦め帰国。

しかし北部九州もしくは九州全土はすでに邪馬台国(卑弥呼アマテラス)が君臨。
とりあへず北九州日子山(現・英彦山)に住み着くが、また追い出される。(国譲り)
   この辺は九州の神社の社伝から。

国譲りで、しかたなく本州に進出。そのときの立退き料で出雲に住み着く。

その後、本州をがんがん開拓し勢力拡大。

身の危険を感じだ邪馬台国は魏へ使いを出す。

が、結局は本州勢力に倒されるか併合され、大和王朝に。

ってイメージ。
子供のころに読んだ学習マンガか手塚治虫のまんがの影響あり。
354名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:36:52 ID:9qrJbkS20
>>353
降臨の地は日向の高千穂は九州だが、高天原は九州なんて書いてないよ
355名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:45:38 ID:T18PY5OhO
普通に解釈すれば高天原は葛城にあるでしょ。
周囲に天香久山、天安川、天金山全てそろってるし。
356名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 11:59:47 ID:OyzqD9W30
記紀神話では、天津神は、出雲を追い出したのに、降り立つときは九州なんだよなあ。

そもそも、記紀の神話では、南太平洋諸島や南西諸島、東南アジアから大陸に
いたるまで、世界の様々な神話と類似のものが見受けられてて、日本にはろくに
いないはずのワニとかが、そのまま神話の中に残ってたりするのに、
日本国内に確かに存在したはずの銅鐸が、神話の中に全く残ってないのはなんでだろうね?
大和政権が日本国内を征服していくとき、征服した相手の神話をも取り込んでるところ
だって見受けられるのに、銅鐸に関してはまったく出てこないというのも、よくわからん。
357名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 12:18:05 ID:5UqBXNKmO
結局九州説プギャーでスレ終わりそうな感じなのかな
358名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 12:21:23 ID:QEx8Adnx0
> 成立しえない
酷い言い様棚だな。
神様ぐらい賢いからすべての事が判るんだな。
359名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:21:29 ID:kE1qQ1Z1O
九州と他地域で出土する量や物が違うとか。
だから九州説は発掘物より微妙な文献に頼ると指摘されてるね。

個人的には卑弥呼とか耶馬台国はなかったという説。
(モデルみたいなのはあったかもしれない)

卑弥呼伝承は各地にあるから、巫女さんみたいな役職者だったのかもね。
まぁ学者はそんな外国文献より
弥生〜飛鳥時代の人々の暮らしと社会情勢を知りたいから、
許可厳しい御陵よりも伝承のある地域で発掘調査状態。
畿内は特殊ケースでない限り伝承ないところでも発掘したらは遺跡や遺物が出てくるんだけど。
九州はそういう話聞かない。
360魔裟呼:2009/12/05(土) 13:25:26 ID:wuMAi8u00
>>356

(1)出雲を中心とする日本海沿岸交易圏
(2)瀬戸内海交易圏
(3)九州北部
その他
は別々という世界観の時代、

外来(たぶん江南からの水軍)の天照一族は、
まず(1)を「国譲り」で制圧、
次に(2)(3)を「天孫降臨」で征服。

ところが各地に一族が分立するようになり統一国家の形成は出来ず、
(3)九州北部に拠って強大化した血筋が「倭国王」を名乗った。

そこで基本がまとめられたのが記紀神話
そこからの分派が神武天皇の一族
なので
「天孫降臨」説話は九州の話ばかりになってしまった。
361名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:26:45 ID:RAz2Y07Q0
>>9
両性具有だったりしてな
362名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:30:26 ID:BkzRxjuV0
結局、九州説は妄想の産物。

「俺は、こう思う」の範疇でしかない。
363名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:38:03 ID:wuMAi8u00
× 妄想
○ 推測
364名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:43:50 ID:idlsJlfO0
× 推測
○ 願望
365名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 13:49:18 ID:kE1qQ1Z1O
>>363
妄想だと思う。
他の研究者はそもそも卑弥呼や耶馬台国という論争なんて全然しない。
記者に聞かれて『あればいいですねぇ』 とリップサービス程度。

卑弥呼や耶馬台国を文献だけで主張するのは素人さん扱い。
観光客誘致のために必死なんだろうけど、地元でも見苦しく感じる。
366名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:13:16 ID:5opsp8weO
文献にある印鑑が見つかってないため、証明できないという問題があるらしいですが。  
印鑑証明ができないから 卑弥呼の本人確認が、できないんですね。
エジプトの王家は、ミイラになり、表情まで伝えられていて。 
367名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:26:23 ID:5opsp8weO
そもそも、「邪馬台国」を統率した卑弥呼は、神とされ王位が代わるときに、殺されているという伝説が本当なら、儀式で卑弥呼の代で使われた銅鐸は壊され、 新しく造ったなら
印鑑が見つからないのも 別に不思議ではないのでしょうけど。

368名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:39:06 ID:wuMAi8u00
>他の研究者はそもそも卑弥呼や耶馬台国という論争なんて全然しない。

熱狂的マニアが増え過ぎて
バッシングが怖い、
学会の大御所に異論唱えたと思われても
何されるか分らないから、

正に「触らぬ神に祟り無し」、
普通の学者なら卑弥呼ネタ邪馬台国ネタは避ける。

神とは祟りとはそういうものなのだよ。
369名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:42:07 ID:3aCx+7XPO
わに=サメ
370名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:46:43 ID:RAz2Y07Q0
あの辺ってそんなにサメいるのかな
371名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:53:25 ID:kE1qQ1Z1O
>>368
マニアと言ってもピンキリ(笑)
学識者なのに決定的な証拠出さず、『九州にしか成立しえない』と言ってたら・・・
ドン引きだよ。
少なくともこの先生に近かった人でさえ、最近は九州説を客観的に見るようになったとか。

主張や提言するには足りないものが多いと胡散臭さしか残らない典型的な例。
失言以上の失敗だね。
372名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:56:47 ID:ZQQfNtM90
素人の俺だけど九州説って
観光とか町おこしとか利権のにおいがするからなあ。
このスレ読んでもわけわからん電波な意見ばっかりだし。
373名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 14:57:43 ID:BkzRxjuV0
[怖い熱狂的マニア]なら、九州説支持者ほど怖いものはないだろうな。

ネットでも九州説支持者の声がでかいのは、
畿内説支持者が冷静に受け流してるからだし。

374名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 15:04:30 ID:paUXGrGFO
つうか当時の連中箸墓みたくデカい古墳ボコボコ造っといて
どれもこれも墓碑文のひとつも遺してないってどうよ

文字が無かったというが漢に朝貢してたなら書ける奴もいただろに(稲荷山鉄剣銘文しかり)
375名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 15:08:26 ID:5opsp8weO
結局は古墳の発掘調査の 結果が、発表されて、判ってくることもあるけれど、古墳は、地元の人間から見れば、王族や、皇族など当のお墓ですしね。
376名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 15:24:01 ID:Ss56Cdat0
ちょーせん似非学者が必死
377名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 15:45:43 ID:9JVto+070
別事件の『三国志』の供述を元に自白の状況証拠を積み上げる九州説検察官と
自白の信用性に見切りをつけて物的証拠で裁判を戦う畿内説弁護士だね
378名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 15:56:44 ID:RdLizWKo0
どこの県でもいいが、壱与タンは美人巫女だったんだよな??
379名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 16:04:50 ID:kE1qQ1Z1O
>>378
九州説の好きな諸文献では、卑弥呼の娘とされる人は口が利けない人だったとあるよ。

どちらにしろ、居たかあったかも含め、学識者はかなり慎重なんだよ。

軽率に『九州にしか成立しえない』は失笑した。
じゃあ証拠は?と突っ込まれて困るものは九州説の学者全員。
頭抱えてるようだけど。
380名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 16:09:01 ID:hGwgNdl60
>>377
畿内説の物的証拠ってなんだよ
まさか箸墓じゃないよな
あれは卑弥呼の墓ではないぞ
時代が違う
381名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 16:11:39 ID:59H0qszi0
九州説は観光に直結するから邪馬台国にこだわるんだけど
これが九州の古代史の解明を妨げてるとしか思わないんだよな。
熊襲の正体とか、東征の有無とか、神代三陵とか、面土国とか
観光には繋がらないかもしれないけど、邪馬台国から離れて
ホントの考古学をやって欲しい。
382名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 16:24:11 ID:wuMAi8u00
>高島忠平 - Wikipedia
>
>熊本大学法文学部文科東洋史専攻を卒業。
>奈良国立文化財研究所を経て1974年より佐賀県教育委員会勤務。

東洋史学者とさえ言えるかどうか...
考古学者ではないだろう。
383名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 16:48:55 ID:9AE2qOo20
村興しも大変だと同情はするが、こうなっては最早学問ではない。
邪馬台国なんてものはフィクションであって実在はしなかったと、
いい加減に認める時期だと思うね。
384名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 17:08:56 ID:5UqBXNKmO
>>356
因幡の白ウサギの皮剥いだの、ワニって書いてあるけどサメのことだしな
385名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 17:15:01 ID:CjUcjK990
>>384
ただ、東南アジアや南太平洋諸島に伝わる類似の伝説では、サメではなく、
ワニが同じように登場してるケースが多いよ。
出雲にはワニはいなかったろうが、奄美諸島や八丈島、西表島あたりなら、
イリエワニが海流に乗って流れ着く可能性あり。
386名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 17:38:22 ID:+mdhGalgP
>>385
でも、日本では鮫のことを「わに」と読んでいたのも確かなことだよ。
387名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:20:24 ID:zql5AEfx0
>>379
後を継いだ者は、卑弥呼の娘ではなく卑弥呼の血族の子だ。
国王就任時13歳というから現在の年齢にして11−12歳。
口を利けないというのは、まだ何も判断できないという意味じゃないか?

卑弥呼自身は独身で夫も子供もないとされている。
388名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:21:48 ID:Ffa4b49u0
よくよく考えてみれば何故、大和と書いてヤマトと読むのか不思議だ
389名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:23:50 ID:gDApn7GB0
>>384
古事記には、因幡のウサギが白かったとは
どこにも書いてない。
また皮をはがれたんじゃなくて、服を取られた
390名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:27:59 ID:5KVCqyWx0
どう考えたって、ヤマト国って音から邪馬台国って書いたんだろチャンコロが。
だから邪馬台国は奈良にあった。
それで、狗奴国即ち熊野国から奈良入りしてた天皇軍に滅ぼされたんだろう。

391名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:45:28 ID:STfCmROs0
ところで、未だに九州説をとなえている勇気ある学者は誰か列挙してくれ。
しがらみの高島氏と脳内九州説の安本氏以外で誰がいますか?
392名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 18:52:18 ID:7ruv61iCO
佐賀とかありえんだろ
捏造も程々にしろよ
カス佐賀人
393名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 19:03:37 ID:zql5AEfx0
>>349
山海経のどこに「倭」という言葉が出てくる?
海外編には無かったけどな。

>>352
漢書の東夷列伝の原文はどこで見れるかな?日本訳されていないもの。
ウィキでは漢書の日本に関する部分は魏志倭人伝から引用されているとある。
ならば、魏以前に日本から中国に進物があったとされる部分も魏志倭人伝を手本にして倭と記載したと考えられる。
394名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 19:25:58 ID:59H0qszi0
この高島学長も、テレビに出たときには
学者がみんな畿内説だと面白くないと言ってたしなw
395名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 19:37:07 ID:elw2eUTVO
解決はしそうにないな

ミステリーはそのままの方がロマンがあるからな。歴史学者なんてロマンを求めてやってるようなもんだし
396名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 20:04:01 ID:vA3I2ai20

結局マキムクの地がなぜ脚光あびてるかというと、ヤマト王権の全国制覇がいつごろから
始まったかというのがメイン。この遺跡から分かることは、発掘結果から、この地域を
支配した勢力を中心にして、東海地方から北陸、阿波、讃岐、瀬戸内
吉備、出雲、さらには九州北部までの政治勢力が参加した、少なくとも緩やかな
政治連合が成立していたことが伺え、しかもこの勢力は3世紀当時の中国とも
つきあいがあったということ。また規格化された前方後円墳が、奈良盆地から
急速に九州・東北に至るまでに広がっていることから、強力な政治権力を持っていた
らしいということ。この時代においては遺跡の規模は、はっきりと畿内の優位性が見ら
れる
>>380
卑弥呼の墓かどうかということはわかっていない。ただ古墳時代の開始年代を従来より
める説が有力となってきて箸墓古墳の築造年代が研究者により多少の前後はあるものの、
卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が一般的になっている。
君の意見はあるだろうが、学会の風潮を全体的に見て箸墓古墳が卑弥呼の墓である蓋
然性が高くなっているということ。
いいかえればここで何を君が否定しようが、実際の学会の現場ではそういう認識なんだよ。
397名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 20:06:16 ID:2XpqItMB0
渡辺延志 朝日新聞記者
398名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 20:08:49 ID:vA3I2ai20
>>393
>漢書の東夷列伝の原文はどこで見れるかな?日本訳されていないもの。
>ウィキでは漢書の日本に関する部分は魏志倭人伝から引用されているとある。
俺の書いたのは漢書「地理志」な。 あんた後漢書東夷列伝と勘違いしてるでしょ?
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/kan-tiri1.html
399名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 20:31:09 ID:vA3I2ai20
>>393
忘れてた。山海経な
山海経卷十二海内北経
>盖国在大燕国的南面,倭国的北面。倭国隶属于燕国。
ttp://hi.baidu.com/wj2339015/blog/item/c56acd026a9d610c4bfb51b4.html
400名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:00:12 ID:tOrvi5d0O
>>396
>実際の学会の現場ではそういう認識なんだよ。


嘘乙。
さすがサヨだな。

401名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:10:52 ID:bb9FFD+jO
まぁどっちもどっち
まだまだだね
402婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 21:16:06 ID:OQjD6onN0
>>396,>>400
ふと思ったんだが、考古学会や日本史学会なんかの大会では、
邪馬台国のセッションとかあるんかな? 

毎回同じ顔ぶれで罵倒しあってるのw
403名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:22:02 ID:oXEczIzz0
>>287
中国は昔から蛮族やらの名前を漢字表記する時は卑しめる様な字で書くんだよ
404名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:27:25 ID:hGwgNdl60
>>396
周濠内の堆積土から木製の輪鐙(馬具)が発見されている
このあぶみ発掘以降、橿原考古学研究所内では急速に箸墓は卑弥呼の墓でなく
壱與の墓でもなく、その次の男王の墓と言う意見が強くなっている


文句があるなら橿原考古学研究所に言ってくれ
405名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:32:09 ID:wuMAi8u00
>>403
だからニンベンが入ってる倭は異様な厚遇。

>>404
つまり纒向〜唐古遺跡周辺に
卑弥呼の墓の候補地は現段階で無い。
406婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 21:32:22 ID:OQjD6onN0
>>404
ふむふむ。
魏志倭人伝では「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」だもんな。
407名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:39:53 ID:vA3I2ai20
>>400
よくわからんが学会の傾向述べているだけでどうしてウヨサヨが出てくるのか?バカ乙
>>402
知らん。一般の傾向を述べてるだけ
>>404
俺は「蓋然性が高まっている」と書いている。つまり卑弥呼の墓である「らしさ」が高まっている
といってるだけで、卑弥呼の墓であるという事は書いていない。いわゆる付録
あくまでメインはヤマト王権の統一時期
408名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:41:50 ID:o73mM98G0
>>404
そんな事ないですけど。
409名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:43:08 ID:vA3I2ai20
>>404
あぶみの話は古い考古学の所見方法ではなかったの?安本あたりの主張だよ。
410名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:47:27 ID:Vumq59Xe0
邪馬台国だけでなくて、魏志倭人伝に載ってる統属国や狗奴国の位置も全部まとめて
位置を推定して欲しいものだ。
そうしたら少しは説得力があって聞く気も起こるというものだ。




べ、べつに宮崎康平びいきじゃないんだからねっ
411名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:48:44 ID:vA3I2ai20
安本って文献学はまぁまぁだけど(古田のウソを暴いたとか)考古学は素人だよ
11 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/02/28(水) 16:16

本来の専門である言語学関係では評価されているようだけど、
それ以外は邪馬台国九州説にこじつけるため、酷いの極致です。

前方後円墳の形態から、年代を決めるとか、電波丸出しで、恥ずかしいと思う。
大まかには、前期・中期・後期で形状が変化しているけど、ぴったり年代を決められる
ほどとは聞かないし、中世に砦として利用されたり、近世以降に農地として開発する際に
形状が変化している例も多く、精緻な調査を行わないと、元の形状は復元できません。
邪馬台国九州説に固執している人物は、どこかネジがずれている

3 名前: >2 投稿日: 2001/06/06(水) 01:39

かれの出土品リスト古いよね
5 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/06/06(水) 01:45

>>3
間違いだらけ。初歩的ミスも散見。
412名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:54:25 ID:59H0qszi0
>>385
日本神話に出て来るウサギとワニってのは
物語を形成する背後談を動物に例えて伝承している気がするな。
ウサギ=宇佐=九州、ワニ=和爾=大和で
この喧嘩の仲裁をしたのが大国主のような。
で、この大国主も大物主と同一視されて大蛇に例えられる。

413名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 21:58:31 ID:wklLB9Ro0
卑弥呼? ああ、昔AVに出てたよな
414婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 22:00:46 ID:OQjD6onN0
>>412
類似の話は東南アジアに広く分布しているらしいぞ。
大国主の伝承の中にそのエピソードを入れた意図とか考えたら、
そういうのもありかも知れんけど。
415名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:01:35 ID:Cl+bRxvl0
魏志の他の周辺国家の情報は正確なの?
416名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:04:10 ID:zql5AEfx0
>>399
これは中国国内のことで、蓋国というのが燕の南で倭の北にあり、倭は燕に属しているから蓋国は燕に挟まれてるという意味じゃないのか。
この倭は日本のことを指してるのはと違うだろ。
邪馬台国時代の数百年前のことで日本はまだ統一国家になっていないんじゃないか。
417名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:07:01 ID:2ujnrO9+0
卑弥呼の居館が三輪山の麓にあったのはもう争えない史実。

次の争点は、卑弥呼の威令の及んだ領域。倭人伝にあるその他21ヶ国の位置の同定と、
物量で圧倒していた北九州諸侯が、一時的にせよなぜ卑弥呼に従属したのか?の二点だわ。
418名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:07:48 ID:JalMmZov0
このスレ倭人伝読まずにモノ言ってるやつ大杉。
419名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:09:55 ID:59H0qszi0
>>416
山海経に出て来る倭は、濊と混同してるんじゃないかと思う。
倭も濊も中国での読み方は「ワイ」だと思うんだよね。

余談だけど、日本のことを中国が「ワイ」と呼んでたとしたら
和爾(ワニ)の影響もあるんじゃないかと思う。
和爾氏というのは謎の集団で、後の春日氏、藤原氏の始祖で
八色の姓の筆頭なんだけど、政治の表舞台には出てこない謎の集団。
420名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:12:32 ID:vA3I2ai20
>>416
何いってるのかわからない。君は>>393で「ウィキでは」って書いてるけど
ウィキではこう書いてるよ

「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」(山海經 第十二 海内北經)
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。

山海経の編纂された時代には、倭は燕に朝貢していたと考えられていた事がわかる。
421名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:15:07 ID:vA3I2ai20
あと『論衡』王 充(おう じゅう、建武3年(27年) - ?が書いたやつね(ウィキより)
本文 [編集]
倭人について、

「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず

「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず

「周時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六)
周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。
白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。

422名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:22:39 ID:zql5AEfx0
>>420
その文の次に、朝鮮が列陽の東にあり列陽は燕に属しているとある。
朝鮮を飛ばして日本が先に出てくるのもおかしな話じゃないか。
423名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:23:02 ID:puYkpx5O0
佐賀でいいじゃん
かわいそうだろ
424名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:28:27 ID:vA3I2ai20
>>422
どうしても倭じゃないといいたかったら、適当に物を言わず、ちゃんと調べてから
じゃあ論文書いて提出したら?俺は一般的に言われていることを書いているだけ。

24史に限った順番書くとこうなる
史記BC91年→漢書(100年)→魏志(280ごろ)→後漢書(432)

24史じゃないけど論衡も漢書と同じくらい古い。

この時点で君の
>魏志倭人伝以前に「倭」と書かれてあるものがあるか。
>それ以前のものは、東人とか書かれてるんじゃないか。
は破綻してるんだよ。

あと>>393で漢書と後漢書間違ってるようだけど、そのレベルじゃ無理だな。

425名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:48:53 ID:zql5AEfx0
>>424
漢書地理志では確実に日本のことを書いていると確認できないなあ。
山海経も海外編と海内編に書物が分かれていて海内編に書かれてある部分は海の向うではない大陸内でのことだ。
倭(あるいは>>419のような別の文字)が日本のことを指すとは考えられないなあ。
426名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:53:51 ID:vA3I2ai20
>>425
いやね。いいたいのは漢書地理志に倭が登場するというのが常識で俺はそれを
書いてるだけ。

君がどう思おうと望もうと勝手だよ。
427名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 22:59:41 ID:Vumq59Xe0
>>418
あと現地知らなさ杉だと思うわ
伊都国からにせよ奴国からにせよ、玄界灘の航海しにくさを考えると
奈良方面にいくのにいきなり水行はありえないと思うんだよね。
まずは陸路を豊前方面を目指し、瀬戸内海に面したところで舟に乗るはずだと思う。
博多湾から当時はつながっていた有明海に向けて舟で南下するなら自然なんだけど
428名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:03:36 ID:kE1qQ1Z1O
文献だけで古代日本史語るのはアホっぽさ丸出しだよ。
中国文献は全然日本に来たことがない人が書いてるからね。
それを信じるぐらいだと、
きつい言い方だけど
伝説の西遊記の孫悟空も実在しましたというぐらいの勢いだよ。

文献だけに頼らないで実際の出土物や遺跡で話してほしい。
429名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:07:56 ID:z95K2baT0
169 名前:出土地不明[sage] 投稿日:2009/12/04(金) 19:23:01 ID:aZrdky1L
行程の記述について
@1世紀に編集『九州北部 国勢調査』
A3世紀に編集『邪馬台国探訪記』
が組み合わさってる
本来ならAのみで書かれるべきところを何らかの原因て朝鮮半島から日本列島までを記載してた部分が欠落
仕方なく@を使って辻褄を合わせた
ちなみに@には続きがあって現在の北九州や甘木朝倉や吉野ヶ里についての記載もあったのが邪馬台国とは直接関係ないので削除
Aも投馬国について詳しい描写があったのを@とのバランスを考えて削除
430名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:10:12 ID:xB2E+mRWO
あったかなかったかわからないような邪馬台国より、東北の巨石遺跡や土偶を残した名もない帝国の方がすごいんじゃないの?
431名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:14:47 ID:k2WVeEEU0
京大の完全勝利。東大涙目。ってことでFA?
432名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:16:21 ID:CW82uLf50
>>379
魏志倭人伝に女王国まで総距離12000里と明記。
九州北部までで10500里消化も明記。

魏志倭人伝を信じるなら、九州以外では成立しないだろ。
「信じない」という方法もあるが、それなら邪馬台国は永遠の謎。

邪馬台国は信じるけど、都合の悪い部分は信じない。
これが畿内説の取ってる姿勢だろ。
433名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:18:18 ID:Xl3oSHPZO
九州説(笑)
434婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 23:18:58 ID:OQjD6onN0
>>430
それはそれで凄いよな。
大湯の環状列石に行きたい。

なんつっても、あんな山の中なのに、木の列柱じゃなくて列石だもんな。
ユーラシア大陸の反対側の端っこの島にあるストーンサークルは、
ケルトのもひとつ前の民族が建てたもんだけど、大陸のあっちの端とこっちの端で
なんかすげーよな。
435名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:20:50 ID:9nUEOOml0
学問にこういう地域エゴ持ち込むなよ
長野県より恥ずかしい
436名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:25:42 ID:wfTE6M8P0
>>432
九州北部まで女王国の支配化だったってことだよ。韓国から福岡に来て
日本に来たと言っておかしくないだろ。同じことだよ。
437名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:29:23 ID:oCBwgtG9O
>>429
捏造畿内厨
438名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:34:56 ID:Vumq59Xe0
>>436
そういうのを曲解というんだと思うよ。あと南を東というのとか
439名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:35:37 ID:CgE3bcvt0
さーて皆さんこれを読んでみましょう
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに
人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里
にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國
に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず

九州・近畿説ともに末盧國 奴國 不彌國 伊都國は九州にあるとしています。
さてここからですが、九州説によると投馬國、邪馬壱國は上の4国から100km以内にあります。
自然な読み方でしょうか?
440名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:36:30 ID:CgE3bcvt0
続けるが
>>439の文で九州説に沿って考えるとおかしなことが多々でてくる。

末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはず。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。近いのだから、距離がわかるのが自然だ。日数で表記
しているのは、不自然。。邪馬台国と投馬国が九州にあるとすると、この表記の
不自然さが説明できない。
末盧国 伊都国 奴国 不弥国が沿岸にあるとしたら船中移動ができるはずなのに
陸行している。ところが投馬國と邪馬台国に行くときは海に出ないと行けない。
つまり九州の外に出なければならなかったと考える方が自然で、そうすると投馬国と
邪馬台国は本州か四国にあると考えられる。

さらにおかしい点は使者が伊都国にとどまって常駐したところだという。どうやら
あまりしらないらしい
>南のかた投馬國に至る。水行二十日。
>南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。

近くには見えないし、100km圏内なら読む人に誤解のないように同じ表記をしたはず。


また韓半島をわざわざこえてやってきた使者なら、国賓として100km以内のある都
の邪馬台国にいったはずだ。つまり邪馬台国は遠く離れていたからこそ伊都国に
とどまったと考える方が自然
441婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 23:40:21 ID:OQjD6onN0
>>439
曇りのない目で素直に読むと、

投馬國の「官がミミ、副官がミミナリ」、というあたりで
著者はすでにやる気をなくしていると思う。
442名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:48:07 ID:6fddP3h9O
だいたい不弥国みたいな小さな所から出発しないよな

あるなら他の最大20倍の奴国か小さいながら郡の使いが常駐してる伊都国
443名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:50:01 ID:1ANn4zEY0
福岡には甕依姫という姫が居たこれが卑弥呼だろ
444名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:50:22 ID:wfTE6M8P0
>>438
なら末盧国から奴国まで北東に進んでいるのに東南と書いてあるのは
どう説明する?末盧国=松浦、奴国=博多も否定するか?
445名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:50:43 ID:27cQBIGa0
>>439
末盧國を松江(出雲)とすればすべて解決。
446名無しさん@十周年:2009/12/05(土) 23:55:42 ID:CgE3bcvt0

>魏志倭人伝に女王国まで総距離12000里と明記。九州北部までで10500里消化も明記。
九州説だと北九州から邪馬台国まで100kmくらい。

なのに伊都国に常駐して邪馬台国は伝聞のようだw
おまけにそれまでに5万戸と7万戸の家屋が集中。
5万戸のところににいくのに水行20日
7万戸のところにいくのに水行十日、陸行一月
九州ってどうなってんだよw
447婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/05(土) 23:59:31 ID:OQjD6onN0
>>444
そこだそこ。

俺は最近、魏と倭で方角の概念が違ってた説を思いついたのだ。
魏(というか中国)では古来から北極星を北として、そこから90度の方向を
東と呼んでいるわけでだ。
一方倭国では、東は「ひむかし」、つまり朝日の出てくる方向だったわけだな。
夏に末盧に上陸すれば、倭的な東は博多の方向。
んで、博多(奴)、宇美(不弥)あたりでうだうだしてたら、投馬に向かう
ころには秋になって、東は南よりに変わっていたのだった。

どんなもんだい。えっへん。
448名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:00:29 ID:CgE3bcvt0
>>445
俺は投馬国はひょっとしたら多治麻国(但馬国)兵庫県ではないかと推測。まぁ出雲圏内ともいえるな
449名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:04:31 ID:M/evG9cU0
但馬→中国語読み たんま→とうま とか しらんけど
450婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/06(日) 00:11:44 ID:2grHvyl+0
>>448,>>449
福山の鞆の浦って説の方が、俺としてはしっくりくるな。
あそこは吉備にも近いし、なんといっても縄文から中世・近世まで満遍なく遺物が出てくる。

いや、俺は九州説だけどもw
451名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:15:53 ID:4G/xT4v30
投馬は丹波でしょう。
半島の三国史記に出てくる、倭国の東北千里にあるという
「多婆奴国」の伝承では、ここから半島に渡って
新羅の王になった脱解王の話がある。

また宮津にある籠神社の伝承でも、逆に
海を渡って新羅の王になった者がいるという話が存在している。

古墳や出土品の状況からも、丹波がそれなりの
大国だったことは明白でしょう。
452名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:20:58 ID:qSAebJY+O
>>439>>440
投馬国と邪馬台国は九州ではないと考えてた方が自然だなこりゃ。
そうじゃないとこんなガイドブックじゃ誰も邪馬台国にいけない。
九州説は無理な読み方しすぎ。
453名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:21:04 ID:0M7edCVG0
>>444
松浦でも唐津とは限らないんじゃない?
呼子から東南に向かって陸行して怡土へ着くのは違和感ないでしょ
奴国は博多というが、当時の海岸線はもっと南だからね(今の博多は当時海の中)
伊都から東南(本当は東南東か)と書いても間違ってないと思うよ
454名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:24:56 ID:HbG3qZY8O
>>437
>>429の説でも(朝鮮半島?から水行二十日で着く)投馬国を北九州(または真逆の平戸)にすれば九州説が成り立つんだが?
※宮崎、熊本、鹿児島辺りが邪馬台国
455名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:27:03 ID:0M7edCVG0
>>440
素直に読めば伊都国から邪馬台国までは
12,000−10,500=1500里で、これは末盧国から伊都国までの約3倍ということで
九州内でもなんら違和感がないと思うよ
456名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:31:38 ID:qSAebJY+O
>>454
そんなこねくりまわさないと場所がわからない文という時点でおかしいと考えなくては。
誰にでもわかりやすく書かないとこの手のものは意味ないだろ。
この通りいってどこにつくかわからないが、普通に読めば、九州の外だ。
457名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:35:03 ID:Dr9WQaHK0
伊都国から「南」と言ってるんだから九州内に決まってるだろう
南を東と間違えたんだとか言ってる時点で普通に読んでないじゃないか
畿内説の連中は普通に読め、普通に。
458婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/06(日) 00:37:10 ID:2grHvyl+0
>>456
お前こそ素直さが足りん。

普通に読めば、弥生時代の倭国(九州)は、草深くて旅するのが大変だったって
話じゃんか。
459名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 00:41:07 ID:0M7edCVG0
水行一月を過大に考えるから九州の外に出てしまう。
乗ってる舟は玄界灘を渡れるような当時進んだ技術を持っていた大陸の船ではなく、
技術の遅れた日本の小船だから、航行は昼間のみ。
しかも糸島水道から二日市を抜けて有明海に出て南下するのだから、
干満の大きさを考えると航海可能な潮廻りは限られる。
おまけに悪天候もある。それらを全部加味しての一月だから、
九州の南に抜けたりはしないよ。
460459:2009/12/06(日) 00:43:28 ID:0M7edCVG0
間違えた。一月は陸行でした。水行10日ね。(投馬国で20日)
461名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 01:01:35 ID:HbG3qZY8O
水行二十日とか陸行一月とか書いとけば出張費が増額されたりw
462婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/06(日) 01:05:12 ID:2grHvyl+0
>>461
実際は行った先で遊びまくってたのかw
463459:2009/12/06(日) 01:05:26 ID:0M7edCVG0
>>461
マジレスすると伊都国から先は「聞き書き」だから、いくら距離を増して申告しても
増額は認められません
464名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 01:20:51 ID:Dr9WQaHK0
魏志倭人伝を普通に読めば、目的地は伊都国だから
邪馬台国には行ってないね
伊都国に滞在中にここから東に奴国があるよとか、南に投馬国があるよとか
邪馬台国はその南だよと説明を受けただけだろう。
465名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 01:37:11 ID:HbG3qZY8O
遊びまくり=中洲でラウンジ通いww



…で思ったけど「女王国」って言い方、要はエロい意味でのアマゾネスみたいなニュアンスだったりしてな
466名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 02:07:22 ID:dhd81p7VO
>>455
素直に読んだら邪馬台国が女王国なんて何処にも書いてないけど。
12000は女王国までの距離だ、邪馬台国は女王が都する処。別物だよ。
467名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 02:13:18 ID:aPNgWZvy0
魏志倭人伝において
陸路を明解に書いているのは
末盧國から不彌國までの間。
末盧國を松江(出雲)、不彌國を三重(伊勢湾)とすれば
すべてが明確にあてはまる。距離も方角もあっている。
なにより大事なのはその後の政治中心と重なっていることだろう。
468名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 02:25:30 ID:LxpBfqLU0
九州説でも、対馬、壱岐、松浦(唐津)、伊都(糸島、前原)、奴(博多)…ここいらはズレないんだろ?
そうだとしたら、九州説ですら既に方角を読み換えているわけで。
あの記述は、大体こんなもの。程度の参考にしかならない。
469名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 04:12:48 ID:/IAwDDzY0
いいからしゃぶれ
470名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 05:17:54 ID:4E/SvyGrO
何回か違う方が指摘されているが。
素人が魏志倭人伝の講釈してるが、ホントに理解してんの?
Wikiだけ読んで理解したつもり?
古代文献ってフィクションも多い。
特に倭人伝は三国志の別冊で更に編纂時期より以前の記述は古代の文献引用で古代文献も日本に来た人ではなく、更に伝聞なので正しくない記述であるとされてる。

また魏志倭人伝以外もその胡散臭い古代文献に基づいて勝手な改ざんや写し間違いで書かれてると指摘されているのだが。

卑弥呼も耶馬台国も眉唾。

中国の古代文献なんて内容怪しい上に、最近は習字の参考書程度だよ。
471名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 07:35:53 ID:SX+cdG740
>>458
わずか100kmぐらいのところに5万戸と7万戸あるのに草ぼうぼうだと?
開墾もされてない地がどうやってその人数養うんだよ
472名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 10:49:19 ID:aCvDzZYP0
証拠は地下に埋まっているんだから掘ればいいんだよ。
掘れば掘るほど近づくのが大和で、掘れば掘るほど遠ざかるのが九州。
だまって待てばよい。
473名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 12:03:42 ID:0M7edCVG0
>>468
この場合の末盧は松浦ではあっても唐津ではないと思うよ。
壱岐から最短距離で着く東松浦半島の先端部のどこか。
そこから伊都国(雷山の麓)を目指すにはまさしく東南であっている。
方角はそんなにずれていないよ
474名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 12:10:27 ID:TF4ozn6k0
@なんか東に邪馬台国って国があるらしい
Aそこへの行き方は東に○○南に○○・・・、らしい。

これ読んで、
Aが間違ってたら@も間違い
@が正しいからAも正しい
という論理がわかりません
475名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 12:17:23 ID:+K03diW40
あとの時代の書物に日本の東西は5ヶ月と書かれてある。
このあたりが陸行1月で進める距離の目安にならないだろうか。
476名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 13:50:54 ID:jADJ88FS0
ひみこは
口裂け女並に各地方にいたとか
出張することもあったとか
姉妹説とか

適当に終わらせればいいのではないかと
興味のないものが書いてみる
477名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 17:34:18 ID:ltJifOVS0
末盧国は今の宗像だろ、壱岐から漕ぎ出して海流に乗って、関門入口近辺に
着くのが理に適ってる。伊都国は関門海峡を含む一帯、ここに軍を配備すれ
ば、山陰・瀬戸内・四国から来る船を襲って大陸へ渡るのを妨害出来る。
478名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 17:35:27 ID:ZlDpEm7+0
四国だよ四国。四国民のオレが言うんだから間違いない
479名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 17:41:47 ID:fG+qPqfW0
海図も発達していない時代に行程をそのまま申告するもんかね
攻められたら困るから、わざと韜晦した行程を申告するんじゃねぇの
480名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 17:44:29 ID:4E/SvyGrO
文献の日数にこだわり続けるって完全に馬鹿だよ。
行ってもない人の文献だよ。
伝聞の伝聞。
更に言うなら日本に来たことにして適当に書いてる文書にこだわる必要全くない。
481名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 17:51:17 ID:HbG3qZY8O
伝聞だけでフィリピンの島々の正しい位置関係を記せ

…って無理だよな
482名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 19:07:37 ID:4E/SvyGrO
>>481
そういうこと。
星による航海術があったにせよ
人力や風力頼ると地図どおりにはいかない。
遣唐使再現イベントで当時の船再現で奈良から九州のったが
現代のようなバランス取れた船でもないからね。
なんか文献頼るヤシは勘違いしてるが、それぐらい遠いの例え話じゃないかという説もある。

全国に卑弥呼伝承や古代王朝の伝承があるから文献だけで判断せずに発掘などして一つ一つ検証しないと
この暴走発言に繋がるから気をつけよう。
483名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 19:27:04 ID:Y3bECAq/0
渡辺延志 朝日新聞記者
484名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:30:12 ID:sB7gBUW00
>>481
方角と旅程で大体大まかに表現可能だろ。
たとえば、ピサロもコルテスも海辺の原住民からの伝聞で
遥か大陸の深部にあるインディオの都に到達したからな。
第一、著者の陳寿の時代だって倭の朝貢団は往来してただろうし
たとえ先人の聞き違いが有ったとしても、その時点で修正可能だっただろう。
485名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:35:17 ID:0M7edCVG0
そうそう、だから水行10日には風待ち、潮待ちなどの日数も含めてののこと。
決して10日間進み続けて得られる距離ではない、せいぜい半分以下。
それを考えると畿内まではいかない
486名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:38:56 ID:d9CI9YvY0
しかし、著者は九州のことは聞いてたけど、出雲とかのことは、ろくに聞かなかったのかなあ。
3世紀だと、出雲はかなり大きな国だったはずなんだけど。
487名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:41:26 ID:CWH7pxeb0
ちょw
488名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:46:43 ID:ltJifOVS0
対馬、壱岐の地名も方角も距離も正確な伝聞ってすごいな(笑)
489名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:49:29 ID:4G/xT4v30
>>488
方角、距離も特に正確ではないけどな。

大体伊都までは確実に行ってるでしょ。
490名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 20:50:02 ID:0M7edCVG0
伊都国までは実踏破。そこから先は伝聞。
491名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 21:19:44 ID:VIaZgjVE0
>>485
>風待ち、潮待ちなどの日数も含めてののこと。
そんな不確定な情報なんだw
492名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 21:23:07 ID:0M7edCVG0
>>491
そんな不確定な情報、というか当時の水行に要する日数はそれくらい不確定だってこと
493名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 21:33:49 ID:lIPq5QYu0
>>486
戸数からいけば投馬だよね。
494名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 21:55:09 ID:3x+97Du30
>>485
そのあと陸行一月があるからなあ。
あなたの言うことはむしろ畿内説を補強しているようなものだw
水行二十日、水行十日をそのままに受け取れば、陸行一月が畿内説にとっては難関になる。
495名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 22:06:17 ID:NZbNCGsH0
そんなところも そんな人の記録も遺跡も無いので
中国人が適当に捏造したってことでOK?
496名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 22:10:33 ID:VIaZgjVE0
ID:0M7edCVG0は九州説の殉死者として偽史倭人伝に残るだろう
497名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 22:40:11 ID:lIPq5QYu0
末盧國(唐津)→伊都國(前原)→奴國(福岡)→不彌國(?)→<水行二十日>→投馬國(出雲)
→<水行十日>→(宮津)→<陸行一月>→邪馬台国(大和)

末盧國(唐津)→伊都國(前原)→奴國(福岡)→不彌國(?)→<水行二十日>→投馬國(鞆?・吉備?)
→<水行十日>→邪馬台国(大和) or →<陸行一月>→邪馬台国(大和)


498名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 22:47:26 ID:7QZVztfn0
水行二十日で、九州か中国地方の九州よりの瀬戸内海岸にいたり、そこからさらに水行十日で、中国地方のどこかにいたり、
そこから陸行一月だったんでは。
499名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 23:08:38 ID:ltJifOVS0
魏の使節は水行しかしてないだろ。
帯方郡→對馬國→一大國→末盧國(宗像)→邪馬壹國(宇佐)まで全部水行。
始めて海を渡ったら「始度一海」と書いてるのに、始めて陸行する伊都国へは
「東南陸行五百里」だけで始の字が無い。伊都国、奴國、不彌國、投馬國は、
末盧國からの方角、距離、日程を紹介しただけだろう。邪馬壹國への水行十日
陸行一月は、水行なら十日、陸行なら一月と読むべきで、水行十日プラス陸行
一月なら、どこまで水行したとか、どこから陸行か書かないと文法的に変だ。
500名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 23:10:29 ID:9WJREqee0
「古田読み」を再確認しようと検索したが
出て来たのがコレで読む気なくしたw

なんなんだこの爺さんww

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic51.html
神津恭介氏への挑戦状
『邪馬台国の秘密』をめぐって
古田武彦
501名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 23:11:20 ID:7QZVztfn0
>>499
朝鮮半島も水行してたのかw
502名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 23:47:16 ID:+K03diW40
>>470
そうそう。
漢書や山海経に倭の記述があるというのは丸っきりの嘘だよ。
503名無しさん@十周年:2009/12/06(日) 23:51:35 ID:0M7edCVG0
水行(すれば)十日、陸行(すれば)一月
504名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 00:04:03 ID:IcwOZODo0
初めに結論があってそれが自分の地位や地域に有利なことであって
その上でバイアスが掛かった状態で研究する学者は、学者じゃないね。
505名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 00:13:51 ID:Y+BBh1bs0
>>502
おまえ昨日半泣きになってたやつ?w
506名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 00:38:28 ID:2BL1KCog0
>>505
昨日56個の書き込みのあるどの部分?
507名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 00:46:36 ID:/VjtTCOb0
邪馬台国月面説
508名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:23:02 ID:QSL7hXc50
>>501
「循海岸水行」朝鮮半島を海岸に沿って水行って書いてあるぞ。
朝貢の下賜品は量が多いから、陸行は出来るだけしないはず。
509名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:33:35 ID:n8usRQVd0
>>499
そんなことはない。
倭人伝の陸路は
末盧國を松江(出雲)とすれば
東南200kmで伊都(丹波)
そこから東南40kmで奴国(奈良)
東40kmで不彌(伊勢湾)
すべて明確。
510名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:38:28 ID:bcgKh1ZO0
壱岐から出雲へは行かんよ。
伊都、隣の奴、までは正確なのだと思う。その後の記述も正確だとしたら、
佐賀には行き着かない。ただそれだけだな。
511名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:45:29 ID:n8usRQVd0
>>510

(おれは一大が壱岐だとは思わないけど)
なんで行かんよ、といえるのかわからんね。

後の歴史をみても
末盧=松江 不彌=三重というのは考察として価値があると思うよ。
512名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:54:19 ID:bcgKh1ZO0
>>511
壱岐としないなら、分かるよ。
対馬海流にわざわざ逆らって、南西へ進めなければ、対馬、壱岐、と辿れない。
そのくらいなら、最初から海流に任せて対馬から、東方の日本海沿岸に辿り着くほうが自然だから。

ただし、山越え、峠越えってのは、不自然だと。
513名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 01:57:11 ID:wB9nWUCh0
まだ電波飛ばしてる〜お金になるの?w
514名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 07:22:16 ID:GIo7vseF0
age
515名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 07:38:17 ID:2BL1KCog0
女性天皇は可か否かを議論するより皇族の廃止を議論すべきだ。

皇室は正当な日本国家の創始者であるとは言えない。
日本人が自らを「ワ」と呼んだこともない。中華朝鮮以外の外国から「ワ」と呼ばれることもない。
大和=大倭、大日本帝国、いずれも民意に反して作られたものだ。
516名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 07:40:14 ID:llYhOtR/0
今週号アエラ。「卑弥呼は奈良にいた 観光客が奪われる 吉野ヶ里は緊急シンポで徹底抗戦」
観光客がうばわれる・・爆笑 読んでみよう。
517名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 07:59:06 ID:P35ZT5nw0
渡辺延志 朝日新聞記者
518名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 08:19:12 ID:WBpj2aXdO
>>515
原理主義っぽい考え方で浅すぎる。
519名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 08:33:23 ID:llYhOtR/0
大和説→学術レヴェル 九州説→町おこしレヴェル
520名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 09:08:25 ID:R6ex1rqqO
>>515
自分のことを我とか私とか言うよ。
倭の由来、それじゃね?って、どこで初見だったか忘れたけどたまに見る。
ただ邪馬台国の3世紀と大日本帝国一緒にされても困るし、
男系女性天皇は飛鳥時代から認められているし。
男系、女系ってのが本質だし。
つか、スレ違だし。
釣り針に美味しそうな餌が無い、て感じます。
全部がテキトウって。。。
521名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 09:18:09 ID:iAVYmY54O
>>520

倭は今の和だろ
522名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 09:40:14 ID:R6ex1rqqO
>>521
いや、57年、我を倭にされたんじゃね?
その後、やまと(やまたい)は国名か地名であって、
って事じゃないの?
倭は付けられた漢字。和は選んだ漢字。
でも、由来は漢字ではなく古代日本語なはず。
我、私って音読みしてる?
まあ、倭にある奴から倭王って事は日本かなりまとまったか?
と。
523名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 09:56:11 ID:HB0+Yh4eP
>>515
>日本人が自らを「ワ」と呼んだこともない。
それはどうなんだろ?
鹿児島とか、奄美とか、沖縄とか、現在でも「わたし」のことを「ワー」「ワン」と言うぜ?
「わたし」「わし」「われ」「わが」というように、今の言葉でも、
一人称が「わ」で始まる言葉も多いのは、古語では一人称が「ワ」だった可能性も高いんじゃないのか?
524名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:05:09 ID:60NlB32B0
古代の日本では、国という概念がなくて場所を意味する言葉が「ワ」だったんだと思う。
中国人「お前の国はどこ?」
日本人「国って何?」
中国人「お前の住んでたとこ」
日本人「ワのことか」

環濠の環(ワ)であり、聖なる場所である三輪(ミワ)のワ、
谷の場所である丹波(タニワ)のワ、港である浪速(ナニワ)のワ。
525名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:06:28 ID:sHJHwbF3O
そもそもいなかった説
526名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:08:13 ID:cFTcUlDT0
>>501
この当時の船は朝鮮の陸づたいで楽浪郡、100歩譲っても半島沿岸→山東半島だろう
半島と険悪になって直接大陸にいかなきゃならなくなってからは
遣唐使船とか難破しまくり
527名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:31:53 ID:HB0+Yh4eP
>>501
最終目的地が日本列島なんだから、朝鮮半島も水行していたと思うよ。
遣隋使の初期も朝鮮半島伝いのルートだたけど、半島に着いても陸行はせず、
沿岸伝いに船で山東半島まで行っていたからな。
528名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:37:24 ID:huD3F0ga0
>>526 遣唐使船とか難破しまくり

白村江で敗戦したあと
大型船の建造保有を禁止され
大型船の建造運用ノウハウが喪われたため
という説もある。
529名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 10:41:19 ID:HB0+Yh4eP
>>528
誰に禁止されたの?
530名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 11:02:28 ID:l89jmNCw0
yamataikoku≒yamatokoku、これで十分
531名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 11:45:15 ID:AiiVCjKt0
九州の大分県や宮崎県に向かい合う四国の宇和海や豊後水道に面した沿岸部の
漁村や山村では、自分の事を今でも「わ」って言うよ。人に向かって、
「自分でやれ!」は、「わがやれ!」だ。「あの人、他の人が転んだのを
見てたら、自分もコケたんだって」は、「わもコケたとー」と成る。現代日本語
では、「明日はワが身」とは言っても「明日はワレが身」とは言わない。
昔は、一人称を「わ」と呼んでいた名残だろう。
532名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 11:51:36 ID:7bhTk6YwO
>>529
レンホー
533名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 12:00:32 ID:wr5vmrP+0
太宰と大宰ってどっちが首都の意味なの?
534名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 12:04:19 ID:HB0+Yh4eP
>>531
ワレのレは、誰(だれ)、それ、これ、彼(かれ)、己(おのれ)のレと同じだな。
元々は語幹の「わ」「だ」「そ」「こ」「か」「おの(うぬ)」だけで使われていた。
江戸時代あたりの言葉でも、語幹だけで使われているよな。
「そは面妖な」「こは如何に」とかね。あと、一説には黄昏(たそがれ)の語源になったとされる、
「誰そ彼 (たそかれ)」のタソをかね。
古い時代の大和言葉でも一人称が「ワ」だった可能性は高いよ。
535名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 12:38:36 ID:AiiVCjKt0
>>534
今でもちょっとカッコつけて文語調にすると、一人称に「わ」を使うみたいね。
学生寮で同じ部屋の人が恋愛詩を本の裏表紙に書いてた。見せて貰ったので
今でも覚えてる。この詩の主人公は、失恋したみたいなのに、勝手に
「わが君」だって。でも、この詩が好きだったわ。

あの瞳 わが胸に 焼き付きて 忘れ得ず 
今一度 わがもとに 帰り来よ わが君
536名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 13:29:06 ID:cFTcUlDT0
ちなみに、「おまえ」という意味で「わい」ということもある
どっちにしろ「倭」という言葉と何か関連してるかもわからんね
537名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 13:50:55 ID:AiiVCjKt0
>>536
「わい」は一人称じゃなくて、「おまえ」の意味だったんですか。
漢の武帝から「ワイ(淮)王の印」の金印を貰ったと言う、朝鮮半島北部の
「わい族の王」。「魏志ワイ伝」の後、世界史から忽然と消え、ようとして
行方が知れない。日本の近畿へ流れて来たら、地元民から「わい、何しに来た」
と言われて、大阪弁の「わい」の起源に成ったのかな(妄想)。
538名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 14:07:42 ID:HB0+Yh4eP
>>536
>ちなみに、「おまえ」という意味で「わい」ということもある
それって大阪弁で『なめとったら承知せんぞ、われー!』の時の「われ」とか、
同じく大阪弁で『自分、東京出身やんなー』の時の「自分」と同じ用法ですかね?
539名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 14:32:17 ID:AiiVCjKt0
ここまで勉強させて貰って思うに、古代人の「わ」や「わい」は、
英語だと self に近い感じかな。Selfは、yourself に成り、myself にも成る。
自由自在に一人称と二人称の間を行き来して、両者の意味に使える。四国の
「わがやれ!」には「おまえがやれ!」と言う二人称の意味が有ると同時に、
「わ」自体は、一人称の「自分自身」の意味でも使える。
540名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 14:47:44 ID:HB0+Yh4eP
>>539
本来は一人称である「自分」「われ」が二人称になるのは、
日本語での会話が相手の立場で話すからだと思うよ。
一人称→二人称だけではなく、日本語の一人称は本来は三人称である単語を使うことも多い。
子供に向かって「お母さんは許しません」とか、「先生はもう知りませんっ!」とか。
他にも、子供がいる場合などでは、自分の母親に向かって「おばあちゃん」と言ったり、
子供に向かって「いい子だね、僕は。」と言ったりする。
それに、二人称である「あなた」という言葉は忌み嫌われていて、滅多に使わない。
大抵は「社長」とか「おかあさん」とか「お代官様」とか、英語なら三人称に相当する
相手の役割を二人称にする。
541名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 14:48:44 ID:KHFc0OZt0
>>515
廃止するなら、中国共産党を廃止したほうがいいぞ。
共産党は数が多いので皇族・各国王室とはまったくことなるが。

象徴どころか絶対権力の貴族集団だからな。
542名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 14:59:27 ID:It9rRRyk0
畿内説の強い所は、
邪馬台国が仮に中国側の史料に伝聞の間違えが多い内容だったとしても、
その時代(3C前半)の近畿(纒向)が次代の大和政権につながるような、
日本各地との幅広い交流を持つ中心地であった事を物証で照明しつつある部分。
九州はその後との関わりが希薄すぎて…。
「夢見るロマン」のくくりではいいけれど、
現実的ではなくなりつつある。
邪馬台国論争を批判してる人間も、論争を批判してるだけで、
連関のある歴史観がなさすぎ…。
543名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:01:10 ID:V6l1i3bC0
邪馬台国が大和朝廷だと困る人たちがいるの?
544名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:06:57 ID:p08mkuv50
九州説はもはやファンタジー小説なんだよ。

新たな発見、発掘が見つかる度に苦しい言い訳ばかり。
545名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:29:56 ID:V5EoYwHGO
邪馬台国がたんなる 地方政権説はないの? 南九州の部族なんかに苦しめられるぐらいなら、たいした国じゃなかったんじゃないか? だったら北九州説もありえる。
546名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:34:30 ID:IdeWMP6V0
ムー大陸まだかよ?
547名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:48:38 ID:3Hn1RPSi0
>>543
弥生人は、旧楚や斉の遺臣、遺民が海を渡って、日本および朝鮮半島南端に住み着いたもの。
山東半島の米と、朝鮮、九州の米は一致する。
遼東半島の米は古代日本の米とは遺伝子型が異なる。最北ルートは潰れる。
朝鮮半島が、ストローですらなくなる。逆に、稲作は日本から朝鮮へ。という流れにすらなっている。

そこにもってきて、

3世紀なかばに大和王朝の原型があると、東征が遥かに遡ることになる。
もしかすると、天孫降臨=大陸脱出、ってことにすらなる。
日本神話の整合性が取れるのはもっと困る。

誰が。って。
548名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:52:45 ID:2BL1KCog0
こういうところだろ。
邪馬台国は他の勢力に追い出され印鑑を持って西へ逃げた。
福岡で没落したので邪馬台国九州説はあながちデタラメであるとも言えない。

畿内で自分あるいは相手のことを「ワ」と言うのは知らないなあ。
「うち」「おうち」「おれ」だ。
「わし」と言うのは私の「た」を省略したもので丁寧語だ。この発音は「し」の方が強い。
549名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 16:58:09 ID:3Hn1RPSi0
河内方言で、おいワレ。ワレじゃワレ。言うよ。
550名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:01:23 ID:V5EoYwHGO
国という定義が重要だよ。
倭人伝なんか戸数も全て大げさ!そうでないと史書に載せる意味ない。大きい村に毛が生えた程度で有名なシャーマンが住んでただけ。
普通北九州までしか、中国の役人も行かんやろ。朝鮮半島でも多分アホらしい!
中華もあんまり知らん土地に行っても仕方ないし。危険やろ。
北九州説はあり得る。
551名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:15:12 ID:2BL1KCog0
>>549
それも「おい・・・」と最初に「お」が付くだろ。
相手を呼ぶのに「おたく」「おまえ」など「お」で始まるんだけどなあ。

「わ」の発音から取ったというのも基本的に不審だよ。
「わ」の読みが出来る字は他にもあり「倭」の字を当てはめる理由が不明だ。
552名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:16:28 ID:3rUjYjCm0
>>81
これでだいたい合ってるんじゃないの?どうしてレスがないんだろ
吉備へはまだいけないでしょ
狗奴国は熊襲でしょ簡単なのにねえ
553名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:23:15 ID:3Hn1RPSi0
>>551
554名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:24:11 ID:V6l1i3bC0
狗奴国は、
九州説だと熊襲
畿内説だと毛人
555名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:25:07 ID:llYhOtR/0
>>542
そのとおり。纒向はには九州地方から関東地方までの土器が発掘されている。
纒向に住んでいた、5人に一人が地方からの出身者と考えられている。これは
今で言えば、首都東京でしょう。倭人伝には、邪馬台国は倭の連合国家の長だ
ったと書かれているわけだからここが邪馬台国と考えない方が不自然。
556名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:28:50 ID:3rUjYjCm0
ヌー速で矢鱈邪馬台国スレが最近立ってるけど
何か動きがあるんでしょうかねえ
九州説論者は別に九州じゃなくてもいいよって大らかさがあるけど
水銀も鉄も稲作も九州に伝わって発達して東に広がったからね
557名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 17:31:01 ID:cFTcUlDT0
>>547
そうそう、半島南部は乱世だった中国大陸から山東半島経由で
逃げてきた遺民が多かったんだよな
日本の弥生時代もそうした人達が入ってきて文化を伝えたようだ
558名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 19:05:49 ID:HB0+Yh4eP
>>551
イマイチ書かれていることが理解できないんだけど、
河内弁なら「ワレ、何さらしてけつかんねん!」と、ワからはじまるじゃん。
559名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 19:31:39 ID:6XB92cit0

邪馬台国の人々の描写は、明らかに縄文系。
560名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 19:45:26 ID:iRfWXub90
もう諦めろ
561名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 19:52:16 ID:j2XilCWs0
★卑劣なイジメ事件(鹿児島県)
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
562名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 20:36:17 ID:2BL1KCog0
仮に邪馬台国が畿内にあったとしてもマキムクが卑弥呼宮殿とも言えない。
見た感じ、馬を盗まれないように飼っておくために建物ではないか?
マキムクは巨大な馬小屋で後の大和政権のものかも知れん。
563名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 20:40:15 ID:p08mkuv50
>>556
>九州説論者は別に九州じゃなくてもいいよって大らかさがあるけど

日本史板のスレを読む限りとてもそうは思えないがw
564名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 20:52:36 ID:mxkxJqkX0
三国志の信憑性はどーなの
565名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 21:24:15 ID:2Z1SZfX/0
>>391
どこまで本気か知らないが武光誠

>>542
中国だって江南とか中原とかあちこち中心が移ってるだろ
566名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 21:30:59 ID:60NlB32B0
奴國は博多だろうから二万戸はいいとして、
もし邪馬台国が九州にあったなら
投馬國の五万戸、一戸4人として人口にして20万人、
邪馬台国の七万戸、同じく人口にして28万人の
弥生時代の遺跡が九州にあるとはちょっと思えないな。
567名無しさん@十周年:2009/12/07(月) 21:35:46 ID:lPhL0MSDO
間違えを素直に認める大人になりたいもんだな
まあ、さんざん九州説で講演とかしちゃったから、引っ込みがつかんのだろうね
568名無しさん@十周年
>>531
青森でも自分の事を今でも「わ」って言うよ。