【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演★2

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★「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演

「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで
講演し、勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴(いっしゅう)した上で、
「卑弥呼という存在は北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。

「邪馬台国論争最前線」をテーマに講演した高島学長は「(邪馬台国の)所在地を巡る論争
は当時の国家の成立過程を検証する意義がある」とし、九州説、近畿説が持つ国家成立史観を
それぞれ紹介。近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国
ととらえていると述べた。

その上で、「当時の鉄器や文物などの資料が豊富に出土される九州説の方が自然」などとし、
逆に資料が貧弱な近畿説や九州から近畿に移ったとする「東遷説」は中央史観から逆算された
説と批判した。さらに九州説の論拠として、重要資料と位置づける「魏志倭人伝」に、
環濠集落の記述があることなど5つの材料を上げた。

近畿説の新たな根拠として注目されている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の建物に
ついては、同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、
「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

講演会は県内の2大学、3短大と放送大学佐賀学習センターでつくる「大学コンソーシアム佐賀」
が主催。約百人が聴講した。

2009年11月29日更新 佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
前 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259507974/
2名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:20:19 ID:gKu96RYk0
邪馬台国「四国・徳島」説
http://www.youtube.com/watch?v=O3fHE7Kn4Qc
3名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:23:34 ID:OLIE+sDTO
文献だけで実証しようとするから疑われてる。
ホントに九州に耶馬台国があったのなら証明できる発掘物が多数出るはずだけど。
そういうのが出ないのに九州に限定しちゃうから素人扱いされてるよね。
4名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:23:51 ID:AJEZibGH0
TBSは奈良確定で番組を作ってしまった。
5FOX☆ ◆FOX/lMGv76 :2009/12/01(火) 04:27:57 ID:0EBBrBn70
理系の研究者は重要なのに、文系の研究者はほんとどうでもいいことやってるなー
邪馬台国がどこにあったか分かったとして、それが何になるの
6名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:29:11 ID:MXKhGq/L0
そもそも卑弥呼なんて存在しなかった
7名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:33:38 ID:F2UhAaKa0
日本の「くに」の始まりだからね
それを解明することは
理系の技術なんかよりむしろ重要なのよ
8FOX☆ ◆FOX/lMGv76 :2009/12/01(火) 04:36:48 ID:0EBBrBn70
>>7
なわけねーだろ
9名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:38:40 ID:F7sNwJrZ0

 シャンハイ 石橋 台湾人
10名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:38:58 ID:ZDva4kUfO
あんな端っこにいて日本全体を統治できる訳がない
11名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:39:56 ID:AEv73+Nm0
持論を展開した

持論・・
12名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:42:13 ID:Tsr0MEZM0
2〜3世紀の倭国は朝鮮半島と九州・沖縄、瀬戸内海沿岸に関西地方の一部?
を支配下においていただと思う。中心が九州、朝鮮半島とすると北九州に
首都がある方が合理的に思う。
当時の日本の人口は320万人〜400万人以下だとすると九州は120万人くらい
で一番密度の高い北九州首都が順当ですね。それに朝鮮半島の人口(120万?)
奈良だと東へ偏りすぎに思う。
過去の歴史でも京と鎌倉や京と江戸の二重政権の時代もあり北九州と奈良が首都
と出張所が入れ替わっても不思議に思わない。
防人も本来は辺境地防衛ではなく首都防衛の意味があったのでは?奈良時代の
藤原広嗣の大宰府の乱なども兵力1万で奈良政府軍6000より多い!単なる反乱だった
のか?(旧首都への思い)
朝鮮半島支配時代は北九州に首都があり、半島支配や関係が途切れて奈良へ東遷
し、東国、蝦夷の支配強化へ転換した。それでも前九年や後三年の役のように平安
中期まで東国支配は完全でなかった。やがて関西より関東へと首都の東遷の蝦夷支配
が日本史。
2〜3世紀は北九州の倭国政権以外に奈良・北陸・関東などに独立政権があった
のだろうと思う。
13名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:44:11 ID:s671FizH0
>>10
魏志倭人伝をそのまま読めば、
邪馬台国を中心とする連合国は、
九州北部を押さえているだけだよ。

南の狗奴国に苦戦して中国に泣きつき、
卑弥呼が死ねばすぐ崩壊する程度のクニ。
大和朝廷が日本を統一する以前の地方国家だ。
14名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:45:29 ID:V0oRf2cl0
おっさんのエゴで歴史がフラフラ変わる
15名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:45:34 ID:MSHssPmG0
遺跡発掘作業に係わってる奴なら九州じゃ無理があるのは有名w
16名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:47:16 ID:vOMONgP00
>>5
理系だったらもっとどうでもいいことやってる奴ばっかだろ
17名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:48:46 ID:y3q4oMO70
佐賀出身だけど、正直どうでもいい
18名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:50:51 ID:ojM588fy0
>>16
理系の場合はまず箱の中に卑弥呼を入れる

そして結論としては、邪馬台国の位置を特定すれば成立時期がわからず
成立時期が特定できれば位置がわからないということを証明する
19名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:51:55 ID:10SOJSOb0
>>4
なら奈良ではないんだろうな
20名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:52:57 ID:1zHLif4b0
>>13
俺も北九州だと思うが
邪馬台と大和の発音の近似を無視するのはなぜだ?
21名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:55:54 ID:s671FizH0
>>20
発音の近似から推測できることより、
史料から推測できる事実の方が確実で重要だろ?

前者なんて史料も何もないんだから、
それぞれの主観・想像・予想の世界じゃないか。
それがダメとは言わんが説得力はないだろ。
22名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 04:58:31 ID:srs1CALSO
>>12
それなら九州より出雲だろ
出雲の大神殿があったのはわかってるから 人も文化も栄えてただろうしね


それから大和に移ったのも宗教的に見ると大国主神〜大物主神との関連と元伊勢が日の巫女の神事で転々と移動してたのと一致するしね
23名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:05:04 ID:1zHLif4b0
>>21
魏国に行った使者が発した国名を魏国の人間が当てた表記が「邪馬台」だぞ?
これが「資料からの推測」ではないとな?
>>22
記紀を素直に読めば、膨張かつ東上中に出雲の大国を滅ぼしたのが「ヤマト(ヤマタイ)」国だろ
24名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:06:00 ID:SMoSZZM/0
>>8
FOX☆ってこんなにアホなやつだったのか…
文理問わず、学問にとって「何の役にたつの?」は禁句だ
理系にだって実社会の役にたたない研究などいくらでもある
25名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:08:12 ID:JyorjwwtO
卑弥呼さまーー!
26名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:11:08 ID:srs1CALSO
でも出雲の神も大和の神も同じ大国主神だしね


卑弥呼が巫女なら宗教事は重要だと思うけどね
27名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:15:28 ID:s671FizH0
>>23
名前の近似からわかることなんて、
可能性の幅が広すぎてどうしようもないだろ。
奈良はウリナラのナラだ、と同じレベルに堕しかねないぞ。
やりたければやればいいと思うけどね。
水掛け論になっておしまいだと思うよ。

距離、方向、位置関係、数字等の客観的な記述に基づく推測の方が、
事実を特定する為に、よりわかりやすい材料になるじゃないか。
28名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:16:07 ID:RdvtFvXoP
学術的観点から考察すると、

佐賀=0点
女子=0点
短大=0点

学術的価値はゼロです。
29名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:23:43 ID:AEv73+Nm0
タイムマシンで確認しに行こう
30名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:25:51 ID:1zHLif4b0
>>27
いや・・・「常識」を発動しろよ
当時日本に文字はなかったんだぞ?

水行〜日陸行〜日を真面目に研究してる奴は「資料馬鹿」だ
近所の超大国に自国の位置を正確に教える使者がいると思うか?
31名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:27:55 ID:ACsK1iR+0
間をとって岡山の吉備古墳群あたり
32名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:31:07 ID:z5lFki7Z0
邪馬台国はしょぼい国
卑弥呼は売国奴

これが広く知られるようになると
「邪馬台国はうちじゃない」
とみなが言い出すようになるだろう
33名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:34:47 ID:tRelujJRO
奈良県人が九州説を唱えるなり、九州人が奈良説を唱えるならば一読の価値もあろうかとも思うが
いつもの手前味噌論はどちらの説でも「あー、よかったね」としか言い様が無い
34名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:37:04 ID:pBpLpmUl0
>>20
邪馬台国
と書いて当時も「やまたいこく」
と呼んでいた保証は何処にもない、
呼び方が似ているから云々を言い出すと韓国人の起源法螺吹き
と同じような事になりかねない
35名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:40:18 ID:YkqrPMwkO
徳島説はどうなった?
36名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:42:03 ID:S3fR5nD+0
そもそも場所も分かってない微妙なものを教科書に載せるなよな。
37名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:42:51 ID:DTwZ9vjHO
>>34
「女王はどこにいるかって? それなら山手(やまて)の方だよ」

この程度の呼び名を大げさに「国」として記載した可能性すらあるわな
38名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:51:12 ID:s671FizH0
>>30
>近所の超大国に自国の位置を正確に教える使者がいると思うか?

妄想だろ。

正式に使者まで招いている上に、
戦時講和の仲介までお願いしているんだぞ。
同盟国が首都を教えないなんて事例が歴史上あるのか?

そもそも、同盟国ではなくても、
使者を招くのに場所を隠した例が
中国の周辺国の歴史において、他にあるのか?
39名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:53:45 ID:XoMD0IdCO
最近、邪馬台国は定説になってるのが福島県郡山市の東方向10`あたりにその痕跡が完璧に残っている。
って話はどうなったかな?
エロい人教えて下さい。
40名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:54:44 ID:s671FizH0
>>30
>水行〜日陸行〜日を真面目に研究してる奴は「資料馬鹿」だ

距離の数字に繋がりにくいその部分はともかく、
数字で直接書かれた距離表記は研究に値するだろ。

倭人伝に記された、帯方郡、韓国南岸、対馬、壱岐の
間隔を示す数字と方角は、現代地図に照らしても、
それなりに正確だぞ。
41名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:55:46 ID:IPmJaPtG0
福島はなかっぺよ。
その頃はまだ未開の地だろう。
42名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:56:34 ID:t+5CnnmE0
マラAAはりまくってねおスレをマラ一色にできたときは興奮するな
43名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 05:58:40 ID:F5KMKYVY0
さきに邪馬台国を世界遺産に登録した方が勝ちですね。
44名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:04:11 ID:F5KMKYVY0
グーグルアースで登録されてるのに?
45名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:04:15 ID:PA+Hh9Wm0
>>41
大和朝廷に歴史を抹殺されただけで
東日本には匹敵する文明があった
46名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:08:01 ID:DTwZ9vjHO
>>45
抹殺されたのなら、匹敵はしていなかったわけで
47名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:14:52 ID:F5KMKYVY0
金印は偽物なのに?
48名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:22:50 ID:5SKoLn3P0
邪馬台国以外の国もたくさんあったんだろ
別にそれが邪馬台国かどうかはどうでもいいじゃんね
49名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:31:36 ID:6xRcTIcv0
1.奴国は福岡市

2.卑弥呼の時代に奴国と耶馬台国は長く争って決着がつかなかった


だから、耶馬台国は久留米〜佐賀の筑紫平野しかありえない

その後で日本統一して奈良に移った(神武東遷)



終了

50名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:32:54 ID:MJTDeI77O
邪馬台国は南方中華系

天皇家は中華系から始まり朝鮮人との混血を繰り返して今日まできた(外見もモロに大陸系)

生粋の日本人(アイヌ)は北へ北へ追いやらる

縄文人系日本人(蝦夷)は東北に残ったがこれも衰退

今いる日本人は大抵弥生系日本人(中華系日本人と朝鮮人の混血)

アイヌに近いとされた沖縄人はほぼスンダランド系と確定
51名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:35:12 ID:Zr8bLCHXO
おれの彼女の大学じゃねぇかwww
52名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:42:42 ID:XUOxpHHn0
憶測なのにでしか〜えないって確定的に言う人いるよね。
すぐそういう言い方する人は信用できない。
53名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:44:06 ID:/hRWi/Ln0
この学長はそもそも学者に向かない
自分の調べた範囲での思い込みで一生食いつなぐ
新しい資料は全て拒否
そんなのはそもそも学問でさえない

って、なーんだ 文系か
54名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:44:15 ID:zOYVCLjh0
バブル期のAVにいたようなきがする・・・。
55名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:50:56 ID:7TbuczLsO
船で中国や半島と交流していたのを考えると、近畿よりは九州のほうが
有利な気がするが、俺は奈良県民だから近畿であってほしい。
56名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:56:41 ID:045IoTLCO
近畿に決まってるだろ5流学者がwww
57名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 06:57:20 ID:Mwrler1n0
>>50
天皇家の朝鮮半島系の血って今のチョンと関係無い百済系で、しかも10代前に帰化した奴だろ
しかもそれから何代経っているか計算してみろよ。それを朝鮮人との混血とか何の冗談だ
58名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:02:27 ID:2ViGV9Tu0
171 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 08:25:34 ID:wzX2TEQ90
神学論争の域なのに、
白石太一郎のような断定口調の馬鹿が出てきた時点で、
畿内説終わりなんじゃね?

白石って、ゴッドハンドの藤村新一と、まったく同種の臭いがするんだが。
59名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:02:50 ID:2StFv29t0
>>51
×大学
○短大

さらっと学歴ロンダしてんじゃねーよwwwww
60名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:02:59 ID:cEerTtLF0
974 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 16:53:22 ID:nhfKflux0
先々月発売されたばかりの安本美典センセの畿内説粉砕本

■『 「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』
宝島社新書 296
安本美典著
# 新書: 221ページ
# 出版社: 宝島社
# 発売日: 2009/9/10

箸墓の出土物が放射性炭素年代測定で卑弥呼の生きた時代と一致したとの発表で、
邪馬台国畿内説がいっきに盛り上がってきました。しかし、そもそもこの発表の真偽のほどが疑わしく、
さらに考古学的な事実や文献学的な史実からかけ離れた邪馬台国畿内説には、まったく根拠がないのです。
著者は邪馬台国北九州説の立場から、「邪馬台国畿内説、箸墓=卑弥呼の陵墓説」を、舌鋒鋭く粉砕します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4796673482

982 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 16:55:51 ID:PeJUohAn0
>>.974
安本美典先生は信頼できるからな。 低学歴の白石太一郎みたいなのに比べて


166 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 08:12:54 ID:JW762v4j0
■「卑弥呼の宮殿とは時期が違う」 吉野ケ里発掘の高島氏
纒向遺跡大田北地域の大型建物の発見について  佐賀女子短期大学 高島忠平
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1470415.article.html
61名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:04:30 ID:jHMG4fv40
333 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/12(木) 10:35:31 ID:mBDZKB7q0
民主党政権が、メデアの煽動によって誕生した様に
畿内説も、メデアの煽動によって情弱を洗脳した結果である。
近畿の前方後円古墳の起源は、近畿にはない。九州・宮崎の西都原古墳群が起源
である。九州で、前方後円墳を築いた勢力が、AD250前後に東征し奈良に
前方後円墳のセカンドセンターを築いたパワーの象徴が箸墓古墳である。
62名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:06:05 ID:nS0RZ0P50
347 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 08:17:12 ID:imhQhcY/0
■「卑弥呼の宮殿とは時期が違う」 吉野ケ里発掘の高島氏
纒向遺跡大田北地域の大型建物の発見について  佐賀女子短期大学 高島忠平
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1470415.article.html
63名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:22:18 ID:uCWKbWd+O
4世紀以降の遺跡を強引に3世紀にしたのがマキムクですか?
64名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:33:46 ID:AKyZhxx8O
この前確認された纏向の建築群は、崇神天皇の宮であるかどうかの方が重要
65名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:35:25 ID:LLpsI9hqO
九州説は有り得ないってのはほとんど証明されてたよね。
66名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:41:40 ID:rGnC5m4F0
宝島社新書
「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!
安本美典【著】
宝島社
2009/09/24出版
\648 (税込\680) よそおいは「科学的」、内容は「支離滅裂」!歴博の研究
グループの「炭素14年代測定法」による「箸墓古墳は卑弥呼の墓説」は、
捏造に等しい。
プロローグ 誤りと偽りの「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」
第1部 卑弥呼は箸墓古墳には眠っていない!(奥山誠義氏報告書―「歴博
仮説」成立の確率(可能性)は五〜一%以下である
報告書『箸墓古墳周辺の調査』―箸墓古墳の出土試料は四世紀を中心とする
年代を示す
西田茂氏報告書―土器付着炭化物の測定値は、年代が古く出る
新井宏氏の論文―歴博データが「歴博仮説」を裏切っている)
第2部 箸墓の築造は四世紀半ばである(出土土器―ホケノ山古墳から布留
1式期の指標、小形丸底土器が出土している;出土鏡―ホケノ山古墳からは
中国南方、呉系の鏡が出土している;『古事記』『日本書紀』―箸墓は『
日本書紀』の伝承どおり第十代崇神天皇の時代に築造された;『魏志倭人伝』
―ホケノ山古墳・箸墓は『魏志倭人伝』の記述「棺あって槨なし」などに合わ
ない)
第3部 「邪馬台国=北九州説」の検証(私の邪馬台国論―北九州の勢力が
大和に東遷した!;私の卑弥呼論―「卑弥呼=天照大御神説」)
エピローグ これは第二の「旧石器捏造事件」だ!
67名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:44:11 ID:yMKHBw1T0
邪馬台国と大和政権、どうしても一致させなきゃまずいのかしら?
68名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:44:48 ID:WO3b3Jh+0
>>67
邪馬台国は徳島
69名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:53:34 ID:WHM4xtB60
1世紀には北部九州の奴国が栄える。
勢力圏は舟で東へ伸び、安芸や吉備、阿波など瀬戸内海沿岸へ

北部九州勢力、紀伊半島まで到達。

畿内の勢力と融合て発展し、九州と勢力図逆転

こんな感じかもね
70名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 07:54:32 ID:uCWKbWd+O
権威をもって捏造しているの?
71名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:04:10 ID:oSy99Gdj0
>>68
んな事言う人いるヨ、「投馬国はおらが富山県だ」なんちってW
72名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:06:10 ID:eeDDEqlL0
魏志倭人伝なんて東方見聞録みたいないい加減なもんだろ?あの辺の人間のメンタリティを見ろよ。今も昔も変わらないじゃないか。
73名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:16:05 ID:uCWKbWd+O
そんないい加減な国から、取り入れた文化がほとんど占める日本ってやばくないの?
74名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:16:19 ID:LuMRdRxN0
南京大虐殺という妄想を流布している中国人が書いた記録なんて当てにならん
よって卑弥呼なんていなかったし邪馬台国なんぞはなかった
75名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:18:58 ID:+81RmBlNO
>>73

影響は受けたがちゃんとアレンジしてるだろ
しかも支那がほとんどじゃないし
日本オリジナルもあれば欧米カスタマイズもある
76名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:21:22 ID:Ft/n5+CI0
卑弥呼畿内説は大和朝廷の起源が朝鮮人であることを隠すため
チョンくせえ本州人は日本から出ていけやwwwwwwwww
卑弥呼さまこそ日本の政党政府
77名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:24:23 ID:nb5Vb48t0
はっきり言うよ。
魏から調査に来た人が韓国の釜山から対馬に渡ったという見方は間違っている。

ソウルあたりから出航して、まず立ち寄った島は済洲島。対馬ではない。
なぜなら、魏志倭人伝はこの島のことを「絶島」と書いているから。
対馬は大きなものだけでも2島ある。済洲島は文字通り絶島。
そこから五島列島あたりを目指して、また海を渡ったんだと思う。
78名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:25:22 ID:uCWKbWd+O
>>75
アレンジしたのはアメ公だよ
79名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:29:49 ID:C+7ATyAK0
難しいよなこの問題
たしかに集落跡や出土品から北九州に強い集権国家があったらしいことは
推測できるけど、大和朝廷とのつながりがどうしても貧弱と言わざるを得ない
邪馬台国と大和朝廷が対立していたという図式は存在しないの?
80名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:31:49 ID:uCWKbWd+O
>>77
全然違うしwww
81名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:32:11 ID:WHM4xtB60
>>79
対立してたなら滅ぼした形跡があってもいいんだけど、
本格的な武力衝突の記録が磐井の乱までない
82名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:36:03 ID:yMKHBw1T0
それぞれが勝手に栄えていて、邪馬台国は自滅したっていいんでねえの?
なんでむりくり関係作ったりストーリーをつなげなきゃ気が済まないの?
八手三郎かよお前ら・・・
83名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:36:16 ID:bTuQlDzIO
タイムマシンさえあればこんな論争は一発解決
84名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:38:58 ID:qMVEn3Z70
山奥の奈良に来たとか到底思えないね普通に考えて
海から近いところだろうね
85名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:40:59 ID:AaY2QWKO0
邪馬台のなごりが「〜ですたい」
86名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:44:07 ID:nV8OABp70
卑弥呼「私のことで、けんかしないでー」
87名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:48:14 ID:Bou0HzcB0
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」

466 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:06:33
宋書倭国伝(全文)
ttp://www2.plala.or.jp/cygnus/R7.html

522 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:24:50
7世紀のヤマト王権の勢力図
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yamato_ja.png

558 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:56:47
宋書でおもしろいのは隋書との整合性。
「東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し」足すと121。
隋書では冠位十二階のあとくらいに
「軍尼(国造)一百二十人、つまり120人。
でほぼ一致しているところ


倭王武の上表文で出てくる先祖って
崇神天皇と四道将軍のことだよな
88名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:50:46 ID:Bou0HzcB0
>北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」

これの最後の部分が
広開土王碑文に書かれてあるやつだな
89名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:54:32 ID:Bou0HzcB0
>>84
魏使はわざわざ派遣されたのに
九州までしか来なかったの?
90名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 08:57:37 ID:g/OR/rTjP
>>89
九州までしか来なかったの?
91名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:00:16 ID:kWA/h/960
佐賀しても無駄。
92名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:03:44 ID:uCWKbWd+O
多分九州止まり
93名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:04:41 ID:1xsZ62CWO
>>84
文章に主語がないから、誰が山奥まで来なかったのかわからない。
94名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:09:17 ID:JNxtxzJsO
奈良人でも福岡の甘木と思ってるのに
95名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:11:06 ID:Bou0HzcB0
巻向から各地域の産物が出てて
そこから広範囲の地域と交流し、遺跡の規模からその中心国だったことが推測できるけど
魏の使節は九州で留まって
巻向を倭種扱いで纏め、存在をオブラートに隠す必要なんてあったのかな?
九州まで来てそこから先に進まず後は倭種扱いって、魏使にしてはあまりにもやっつけ仕事じゃないか?
96名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:12:11 ID:tG/G9hh90
九州の地形を考いると


西の海岸でしかありえない。

あんなところ山の中までで行かない

従ってこの人の主張は出鱈目である。

海岸を探せ。LOSTみたいに。
97名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:16:24 ID:uCWKbWd+O
マキムクの建造物跡の遺跡は4世紀〜、それをこじつけで無理やり3世紀にしたって話しだけど、、、そうだと思う。
98名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:23:05 ID:QeaHexUKO
ヒミカとか竜魔大王は九州でいいよ
99名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:24:07 ID:1xsZ62CWO
>>95
魏の冊封使は、朝貢してきた国に対して遣わされるんだよ。
邪馬台国が朝貢してきたんだから、冊封使は邪馬台国に遣わされたんだよ。
朝貢して来てもない国にが訪問することなんてないよ。
例えば、琉球は明の冊封を受け、琉球国王が代るたびに明からの冊封使を
迎えていたけど、明の冊封使は日本になんかやってこなかったよ。
100名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:25:21 ID:udqQJR3Y0
そのとおり 真理を見つめる目を持つ人は 九州以外には 思いも及ばないでしょう あせっても駄目です
101名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:26:20 ID:1/UskT0K0
>>34
邪馬台国と国をつけるのは魏志倭人伝の表記であって、日本側の読みはヤマトだよ
102名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:34:11 ID:RvFJF9Ln0
魏の使者は確実に邪馬台国の都に行って卑弥呼にあい、卑弥呼は臣下の礼をとったはず
皇帝の命を受けた使者が都に行かず九州にとどまるなんてありえない
103名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:37:28 ID:eYHMxBrX0
東:あがり
西:いり
北:にし
南:はい

沖縄は西表の方言。
もし当時、沖縄あたりの移民が九州にいて
同じように北をニシと言っておりそれを西と勘違いしたとすれば
90°方位がずれる。

っていうか中国南部の人たちは福岡あたりまで来てたはず。
104名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:37:47 ID:t5M2r1iUO
卑弥呼なんてシナに媚びる売国奴だ!今の時代なら辻元清美ちゃんみたいなものだ。天皇陛下万歳!
105名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:38:43 ID:1xsZ62CWO
>>102
魏の冊封使が九州に留まったというのはどこから導き出された結論なの?
106名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:49:58 ID:RjFsIw8n0

学者というよりも、ほとんど佐賀県観光協会のスポークスマンみたいなもんだなwww
107名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 09:52:27 ID:WqQ/7ITaO
>>100
なるほど、麻原がそうだったな。
108名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:00:07 ID:1xsZ62CWO
>>102
>皇帝の命を受けた使者が都に行かず九州にとどまるなんてありえない
「ありえない」とうからには、多くの事例を研究して、冊封使が例外なく都を訪問している
ことを立証しなければならないけど、そういう研究がなされているの?
そういう研究を行うにはまず、都の定義を明確にしなきゃならんと思うが、
当の魏自体が本当の都がどこなのかハッキリしない状態。「魏の五都」と呼ばれ
洛陽、長安、許昌などの都市が時によって首都機能を果たしていた。
魏自体がそういった状態であるのに、朝貢国の首都がどこであるかが本当に重要視されていたのか
甚だ疑問だと思う。
後世の日本だって、都とは帝の鎮座するところであって、帝が動けば都も動くことになる。
帝が一時的にでも都の外に行幸したとしたら、そこが行宮とされ都になる。
邪馬台国の都がどこにあったのかは知らないが、もし女王が魏使を迎えに九州を訪れたとしたら、
そこが邪馬台国の都になる。
109名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:12:42 ID:r8SEpKCM0
いくらマキムクが邪馬台国をしのぐような戸数と都市や墳墓を持つ大国で
あったとしても、大陸に使いを送って柵封関係的な交渉を持とうとして
いなければ、中国側にとっては、あえて史書に詳細を特筆すべき国とは
ならないんじゃないかな?(直接軍事的脅威がなければ)

邪馬台国は魏の関知する倭人の国の中で最大の戸数だとしても、
日本列島最大の戸数かはわからない。
もし生産力に劣り、戸数が若干少なかったとしても、
鉄を支配していれば、当時は権力や財力は握れたと思う。

逆に、邪馬台国は虎の威を借る狐みたいなもので、本当はマキムクとか
出雲とかより弱小国で、それが故に大陸の威光を頼りにしていたのかも。
ただ当時の中国側の文献に残ったのが邪馬台国だから、大国のイメージが
強いけれど。
自分は九州説に固執するわけではないので、マキムクが邪馬台国でも
わくわくするけど、人口密集地=邪馬台国はどうなんだろうと思う。
それよりもやっぱりモノが重要じゃないかな。金印、中国製の絹と鏡。
出先機関に置いておく物じゃないと思うんだよなあ。
マキムクから親魏倭王の金印とか出ないかなあ。
110名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:15:57 ID:D89JOlJI0
邪馬台国が奈良にあったとして、北九州まで完全に支配してたわけでしょ。
めちゃくちゃ強い国だったんだね。
111名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:18:54 ID:Mrme1G1/O
未成年を使っての悪あがきは奴らに見る手段だな
九州は堕ちたのか!?
切り捨てる他ないのか!?
112名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:19:34 ID:WHM4xtB60
>>84
当時は奈良のすぐ近くまで湖で、海から直接舟で行けたようだ

>>110
神事を中心に各地の有力豪族がまとまった連合国家
みたいなもんかもしれんね
113名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:21:23 ID:+DkMHuTP0
近畿説を唱えてる人はこんなに必死に唱えてないけど、
九州説の人はいつも必死

勝負あったな
114名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:24:17 ID:s671FizH0
>>105
魏志倭人伝の中で、位置・距離等の詳細が
記されている国が九州に限られているから。

普通に考えたら、使者は九州にある邪馬台国へ来たとなる。

だけど、畿内説にするために、
使者は九州で留まり、畿内の邪馬台国にこなかったから、
中国・近畿のことは書かれていないんだと主張する。
115名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:26:32 ID:Mrme1G1/O
ありゃ、未成年でもないかw
もうどうでもいいやw
吸収の急襲は最近酷いものがあるぞ
自重汁
116名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:32:20 ID:Bou0HzcB0
>>99
朝貢をしたのは邪馬台国だけではないが
倭のこれらの国は全て九州だったのか?
117名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:34:06 ID:4sobwfPrO
いろんな文献みると九州説が正しい気がする
118名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:37:16 ID:xugFLfXU0
>「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

それが覆るとは考えられない、これが女の限界。
119名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:45:54 ID:/ViQ61XZ0
兄さん苦労の邪馬台国

>>101 大和のヒメミコが鬼道を司ってたってか
120名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:47:29 ID:1xsZ62CWO
>>114
伊都国、奴国、不弥国などは「西に陸行n里」のような記述をしているのに、
投馬国と邪馬台国だけは唐突に「水行n日陸行m月」のような書き方になる理由はなんでしょうか?
投馬国や邪馬台国が、伊都国、奴国、不弥国と連続している地域であるなら、
普通に考えたら、投馬国や邪馬台国もその他の国と同じように「南に陸行n里」と書くはず。
書き方が連続していないのは、場所が連続していなかったからだと推測するのが自然。

例えば「羽田空港から京急で品川方面に8駅品川駅、山手線で東京上野方面に5駅で東京駅、
そこから新幹線に乗って2時間半で新大阪」みたいな書き方と同じだと思うよ。
駅間が数分の近距離では駅の数をカウントした方が正確。「品川から何分」みたいな
表現だとバラツキがあるからね。でも新幹線に乗るような長距離だと、いちいち駅数を
数えてられないから、「東京駅から何時間」という表現の方が便利。
魏使も同じで数時間で行けるような近距離なら大体の距離がわかるけど、
何日もかかる場所だと、距離はわからないから日数での表記になる。
そう考えると、投馬国と邪馬台国は、伊都国などがある九州とは離れた場所だと考えるべきだな。
121名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:48:15 ID:kqDi1kCL0
中国の倭伝には阿蘇山も出てくるし、素直に史料だけ見れば九州説
122名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:49:13 ID:WHM4xtB60
>>119
海部氏系図にある日女命(モモソ姫)が卑弥呼という説もある
123名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:56:33 ID:1xsZ62CWO
>>116
マキムクが魏に朝貢してきたという記録でもあるの?
魏使が朝貢してきていないマキムクを訪問しないのがそんなに不思議なことか?
124名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:56:34 ID:RvFJF9Ln0
>>108
都の定義ってそりゃ皇帝、王がいるところだろう
魏の五都たって王都洛陽がいわゆる首都だったわけだし
それに使者が例外なく都を訪問しているかだが
使者が都にいかず、または王がわざわざ使者のいるところまでいく、
大国魏の使者を行宮なんて仮の宮で出迎える、なんて失礼すぎるし
使者の面目も立たないよ
125名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 10:59:22 ID:6eeRUfaO0
>>13
僕もこの説に賛成。
日本で人気のない芸能人が中国あたりでブレイクして、日本でもスターだと思ったら
実際は無名だったのが真相だったのに、1000年たったら日本のスターが忘れられ
中国の文献に無名アイドルの名前が残っていて、1000年後の日本で話題になっているあたりが真相?
126名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:01:38 ID:eYHMxBrX0
魏の使者は伊都国に留まって
その後の倭人伝の記述は伊都国からの方位と距離。
水行は海だけでなく河川も含まれる。
湾は海とはみなしていない。
海を渡ったとの記述がない以上九州から出ることはない。
127名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:01:57 ID:ATZR+ol6O
>>95
邪馬台国と対立する国家だったら有り得るだろ、魏を味方に付けた邪馬台国に対抗して、対立する近畿の大国は呉と好を通じていたとかの図式ならありえないか。
呉の文献がないから確証はないけど。
128名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:04:17 ID:AKyZhxx8O
>>121
日本の紹介で富士山が出てくるから日本は本州だけ
129名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:13:24 ID:Bou0HzcB0
記述には倭国の三十カ国が使者を送ってるとあるが
これら全てが九州だったのかな?
130名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:14:33 ID:N5mW2azZO
隋書にはっきり、魏志のヤマタイはヤマトのことだと書いてある。
なぜ明白に書いてあることを無視して、書いてないことを裏読みするのよ。
ノストラダムスの大予言じゃあるまいし。

しかし隋書でも阿蘇の記述がある。
阿蘇とは昔の日本語で火山の一般名詞だったらしいから、今の阿蘇と同一か分からんが、
まあ当時、阿蘇山を大切に見なしてたのは間違いないな。
九州は大切な土地だったのは否定されんよ。
ただ都があったと言い出すからウリナラマンセー的になる。
131名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:18:43 ID:Bou0HzcB0
あと
この時代の熊襲・隼人の位置づけを知りたいな
九州説の人はこれらをどう位置づける?
132名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:20:28 ID:s671FizH0
>>120
ちゃんと総距離12000と近くの国までの距離10500等は書いてあるよ。

東京から大阪まで総距離500キロ。
東京から名古屋までは300キロ。
名古屋から京都までは150キロ。
京都の南へ行けば大阪である。

これを現代人が読むのに、
京都‐大阪間の距離は書かれないとわからないか?

現代で解釈がわれたとしても、当時の人は読み取れたんだろ。
133名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:24:33 ID:s671FizH0
>>130
よくわからない「明」という国から使いが来たが、
これはかつて遣使を送っていた「唐」のことである。

日本の立場からこう書くことに不思議はあるか?
唐が滅んで、時代を経て、王朝が明に変わっていてもこう書くだろ。

日本にとっては、相手の王朝がどう変わっても、
中国のものは全部、唐物=カラモノなんだよ。
134名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:24:46 ID:hXywS0I20
当時の日本人ならそれでわかったかもね
つまりそれは少なくとも上に伝える文書としては不適なのは確かだな
135名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:29:36 ID:RvFJF9Ln0
>>133
だから日本とは歴史編纂レベルが違うということだろ
遣唐使についてこれはかつて隋だった、程度も書かない
中国は倭国が名前を変えて日本になったまで書く
136名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:32:18 ID:M8TH0zWD0
そもそも魏志倭人伝なんて日本の位置や大きさ自体かなりでかくて南側にある違うもんだから。
重要資料ではあるけど、魏が呉の牽制のためにお直ししてある。
九州との地名相似もあるし、東遷説もそれなりの説得力あると思うぞ。
137名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:33:04 ID:dD/fpEgY0
遺跡発掘だと九州からは殆ど出てきてない
畿内からそれらしき遺跡が出てきてる
でも魏志を素直に読めば邪馬台国は強い国ではない
畿内の遺跡は強権力を示してる
畿内の遺跡は強すぎるんだよね
巻向からは今までにない神殿のような遺跡が発掘されてる
あんなの初めてであんな凄い神殿造れる国が卑弥呼のあと崩壊しちゃうとは思えないんだが
138名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:33:14 ID:s671FizH0
>>134
上も同じ古代の中国人だから、
その書き方で理解できたんだろ。

史料の外に間違いがあって、それが間違ったまま報告されたなら、
編者も気付くチャンスもなく、そのまま記される。
だが、同じ史料内に相互に矛盾があれば、
その間違いを指摘されて採用されないだろ。

具体的に言えば、「大阪から東京まで2万キロ」と報告されたら、
現地を知らない編者は間違いには気付かない。

だが、
「東京から大阪へ、途中の名古屋まで300キロ、
 名古屋から大阪まで700キロ、
 東京から大阪への総距離は500キロ」
と書かれていたら、誰でも間違いに気付いて、訂正するだろ。

だから、当時の人にとって、史料内では矛盾はなかった。
そういう読み方をすべきだと思うよ。
139名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:35:38 ID:M8TH0zWD0
>>130
>阿蘇とは昔の日本語で火山の一般名詞だったらしいから

ここまで知っててなんでそれ以後につながるんだよw
古代語で母音+Sは火山を表してる。
阿蘇(aso)、北海道の有珠山(usu)、浅間山(asama) 全部一緒な。
140名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:36:23 ID:s671FizH0
>>135
日本と倭について、
もと小国が別の国を併合したとか、
倭の別種の国があった、とちゃんと書かれているね。

しかも、色々な情報があって整理できないとして、併記している。
141名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:37:05 ID:E0tKOknw0
中国の文献が正しいとするのなら、
卑弥呼死後に作られた巨大な墓が、九州にはないのが全くの謎
142名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:37:55 ID:OLIE+sDTO
この先生の説明だけで九州説断定はできないのは学校で習った。
示す出土が九州から出てこないとツッコミ入れまくられてる。
143名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:37:59 ID:hXywS0I20
>>138
それはつまり
当時の日本の地理地形が中国の支配者層に
日本人と同程度認識されてないと成立しないね

ないだろ

つーかそれが通るならこんな地理説明などする必要がない
144名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:39:13 ID:RvFJF9Ln0
>>136
九州の地名相似はむしろ後付け説があるけどね
145名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:41:45 ID:s671FizH0
>>136
大きさについては、誇張ではなく、
里の長さの違いか間違いじゃないか?

倭だけではなく、陸続きの朝鮮についても、
帯方郡から韓国南岸まで7000里と書かれている。
これが事実なら、朝鮮半島は無茶苦茶でかくなってしまうぞ。
そんな誇張をするかな?

帯方郡‐7000里‐韓国南岸‐1000里‐対馬‐1000里‐壱岐。
里の長さは合わないが、位置関係や
書かれた距離の比、7:1:1はかなり正確だ。
146名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:44:04 ID:1xsZ62CWO
>>121
火を噴く山というのは魏にはなくて、珍しいからこそ書物に記載されたんだろうが、
今の日本だって、九州から近畿/東海/北陸地方をあたりを眺めても、
活発に噴火している活火山は阿蘇と桜島くらいなものだよ。
倭の特筆すべき風土を記述するとすれば、たとえ邪馬台国が畿内にあったとしても
九州の阿蘇山がピックアップされるのは不思議なことではない。
147名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:44:57 ID:s671FizH0
>>143
ん?中国人が日本の地理を全く知らなくても、
史料内に、総距離と途中経過の距離の矛盾があれば気付くよ。

東京‐大阪の総距離500キロ、
東京から途中の名古屋まで300キロ、
名古屋‐大阪700キロ。

東京、名古屋、大阪を実際に知らなくても、
こう書かれていたら計算が合わず、矛盾に気付くだろ?

つまり、史料内の矛盾はないものとして解釈すべきだろ。
148名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:48:49 ID:Bou0HzcB0
>>136
その東遷説は巻向以前、以後、どちらですか?
149名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:51:41 ID:dD/fpEgY0
>>130
そもそも邪馬台国=都ってわけじゃないだろ
>>140
>示す出土が九州から出てこないとツッコミ入れまくられてる
九州からは出てないね
でも近畿からも出てない
巻向からも今のところ魏と関連する遺物さえ出ていない
150名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:52:49 ID:s671FizH0
>>143
書き方がまずかったかな?

外の事実と、報告にズレがあっても、
読むだけの人は気付かない。

つまり、本当は500キロなのに、
「2万キロでした」と報告されても、
現地を知らない人は間違いには気付くことはない。

だが、↓こう報告されたら、現地を知らなくても、
計算して間違いに気付くだろ。

「Aから途中のBまで300キロでした。
 Bから目的地のCまで700キロでした。
 AからCまでの総距離は500キロでした。」

現地を知らなくても気付く、
こんな明白な間違いを放置して
報告書に載せられないだろ。

つまり、当時の人にとって、
「史料を読む限り」では矛盾はなかったとして解釈すべきでしょ。
151名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:56:56 ID:DQsvgBn90
俺今住んでるの佐賀なんだ 女子短にも知り合いが何人かいるんだ
そんな俺が言うんだが邪馬台国とか卑弥呼とか客観的に考えてだな

歴史学者や考古学者ってのはつくづく自説を正当化するためには、都合のいいことは鬼の首を取ったみたいに声高々に言い張り、都合が悪い事は記述を書いた奴が間違ってると言い切って切り捨てる
もうね・・・・

普通に西洋人の視点で見ると、どう考えても当時の情勢や地理的見地から見て朝鮮のどこかで間違い無いと思うぜ
俺はチョンは全員死ね地上から消えろって考えの人間だが、客観的にそう思う

キリストやダビデ王の墓も日本にあるとか言ってる学者いるしな 頭おかしいだろう?としか思えん
152名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:57:11 ID:ATZR+ol6O
>>147
中国の一里は日本の一里の1/10の長さ、書いてあるのは中国の文献。
基本的なところを押さえてないと距離感おかしくなるよ。
153名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 11:57:57 ID:oIxTf8dk0

卑弥呼=天照大神のこと

とっくに解決済み

154名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:01:36 ID:DQsvgBn90
>>153
それだとな、天照大神は卑しい娼婦って事になるんだがな
ヒミコになぜその字を当ててるのか良く考えてみろ
155名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:03:20 ID:gjoRGlNoP
九州と関係のないお偉いさんが言えば、少しは説得力もあるのだけれど。。。
156名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:03:30 ID:N5mW2azZO
>>139
確かに阿蘇は古代語で火山の一般名詞だが、隋書の時代は、既に日本は古代じゃないだろうからね。
157名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:03:35 ID:E0tKOknw0
>154
お前は馬鹿じゃねぇの?
中華思想の場合、中国以外はみんな野蛮な国だから
全部そういう嫌な当て字がなされているだけだよ
158名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:04:36 ID:1xsZ62CWO
>>132
=====
倭国に至るには、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。
そこから海を1,000余里渡り、対海国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると
一大国に至る。また海を1,000余里渡ると末廬国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に
到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。東へ100里行くと不弥国に至る。

南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国に至る。水行10日陸行1月
帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。
=====

なら実際に計算して見せてください。

【問題1】不弥国と投馬国との距離は何里ですか。

【問題2】投馬国と邪馬壹国との距離は何里ですか?
159名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:08:04 ID:wmF/a1roO
>>153
違うよ百ちゃんたま゛よ
160名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:09:27 ID:1xsZ62CWO
>>124
九州が行宮(臨時の都)だったとは限らない。
現実に、大宰府は「遠の朝廷 (とおのみかど)」と呼ばれて、副都的な役割も
担っていたと考えられる。
魏も洛陽だけでなく、長安や許昌に皇帝が住まいしたこともあるわけで、
その他の中国の王朝でも、長安/洛陽、大都/上都のように複数の都があった場合が多い。
例えば、唐の皇帝が、使者を長安で迎えようと、洛陽で迎えようと失礼ではない。
また、王が使者を遠方まで直々に出迎えに行くというのは、失礼どころか極めて丁重な扱い。
それに、邪馬台国が生まれて間もない連合国家だとしたら、連合国家の首都として
制定された新たな都はまだ未整備だったかもしれない。
例えば、ブラジルを訪問した国賓をブラジリアでなくリオデジャネイロやサンパウロで
迎えても失礼ではないし、現実にブラジリアを訪問する国賓などはほとんどいない。
161名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:11:44 ID:ZDva4kUfO
普通に考えて、国の端っこに都を置くのには無理がある
つか、邪馬台国って当時の日本の総称と考えたら、九州で興って新種の武器を使ってどんどん東征していってその都度都も東に移して行って最終的に奈良に落ち着いて大和朝廷になったと考えるのが自然
162名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:15:28 ID:OLIE+sDTO
実際、残念ながら九州説を信じる人は少ない感じ受ける。

やっぱり歴史書物に近い出土がないのが九州説の弱みだよ。
163名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:15:31 ID:DQsvgBn90
>>157
当時表向き同盟関係にあった半島国家に対して忌み字は使ってなかったろう?
その後自国が(世界の)中の国とする思想が広まるにつれ忌み字で相手国を貶めるようになるわけだ
古代中国における文字と語の成り立ちをだ(ry
164名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:16:15 ID:1xsZ62CWO
>>130
>当時、阿蘇山を大切に見なしてたのは間違いないな。
>九州は大切な土地だったのは否定されんよ。
火の山に畏敬の念を抱いていたのは間違いないだろうが、
火の山を大切にしていたからといって、九州が大切な土地だったとは限らん。
富士山は現在の日本でも大切な山だと見られているけども、
山梨県や静岡県が特別に大切にされているとはとても思えない。


>>156
>隋書の時代は、既に日本は古代じゃないだろうからね。
???
隋書の時代って、日本の飛鳥時代あたりだよね?
思いっきり古代じゃないか?
古代:平安時代以前
中世:鎌倉時代〜戦国時代
近世:安土桃山時代〜江戸時代
近代:明治時代以降
これが一般的な時代区分じゃないか?
165名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:16:50 ID:3h7C9YeaO
卑弥呼まんじゅう、卑弥呼せんべい、卑弥呼サブレ、卑弥呼揚げ、卑弥呼定食、卑弥呼博物館、卑弥呼記念館、金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥金¥
166名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:21:10 ID:0J4pjZ750
もう朝鮮民族みたいなことは止めなよ
167名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:21:55 ID:tebnKGJdO
邪馬台国=大和朝廷説とした場合
神武天皇の東征と邪馬台国のあった時期を考えなければならない
普通に文献通りなら、神武天皇は紀元前の人だから神武天皇の東征が先だよね
とすると、神武天皇の実家の勢力が九州にいたはず
よって、魏の使者が邪馬台国の九州支店と取り引きしていたということでいいんじゃないかな?
九州支店は熊襲に苦戦していたのは目にみえているし
168名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:24:39 ID:AKyZhxx8O
>>161
邪馬台国は都市国家の一つ、総称は倭国
169名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:24:41 ID:dD/fpEgY0
>>161
邪馬台国は卑弥呼のあと潰れちゃうんだが
そんな強い国じゃなかったそうだよ
170名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:24:59 ID:L7+bZXASO
九州説なんか学会ではトンデモ説レベル
考古学発展の為デキレースに付き合っているだけだろ
171名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:25:03 ID:OLIE+sDTO
魏の文献の情報の出所が怪しいと指摘されてる。
だから魏の文献だけで古代日本を語るのは恥ずかしい人なんだよ。
学術的には。
172名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:27:32 ID:1xsZ62CWO
>>161
>普通に考えて、国の端っこに都を置くのには無理がある
全然無理じゃないけど?
現在の世界の諸国を見ても、歴史的な国々を見ても、国土の端っこに都があるなんて
まったく珍しくもないことだよ。
例えばアメリカ合衆国。DCは思いっきり東に偏っている。
英国。ロンドンも思いっきり南東に偏っている。
英国統治時代のインド。カルカッタは東の端。
明朝。南京にしても北京にしてもとても国土の中心とはいえない。
他にも、現代の国家ではロシア、韓国、エジプト、ブラジル、オーストラリアなどなど。
普通に端っこに主都がある。
173名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:29:44 ID:8lIRelRB0
あと103年待てばドラえもんが誕生するから気長に待とう
174名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:31:09 ID:Bou0HzcB0
>>161
その解釈だと
宋書の記述と、四道将軍に矛盾するから無理があるんじゃね?
175名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:33:21 ID:Q5zTLaNE0
そもそもヒミコって人名じゃないような 総理大臣とか天皇とかの職名じゃないの
176名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:33:34 ID:HWunpR1G0
文系は「研究」じゃないんだよ
理系は自分の信念や予想とは全く別にした原理・現象や実験結果が
客観的なものとしてそこに現れる
文系の連中はまず自分の考えありきでそれを証明するための文献資料を探して
こじつけて立証しようとする
177名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:35:36 ID:tebnKGJdO
>>175
邪馬台国=後の大和朝廷説なら
卑弥呼→日の巫女、か日の御子じゃない?
178名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:36:57 ID:Bou0HzcB0
四道将軍
『日本書紀』によると、崇神天皇10年(紀元前88年?)にそれぞれ、北陸、東海、西道、丹波に派遣された。
教えを受けない者があれば兵を挙げて伐つようにと将軍の印綬を授けられ、翌崇神天皇11年(紀元前87年?)地方の敵を帰順させて凱旋したとされている。
なお、崇神天皇は実在したとしても3世紀から4世紀の人物とされている。



598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」


これ、流れが自然なんだよな
179名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:36:58 ID:Q5zTLaNE0
前スレであったけど祈祷に火を使ってたから火巫女
180名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:37:43 ID:OLIE+sDTO
そもそも現代でさえ、日本に対する外国の記述が全部正しいとはありえない状況。
現在でも日本人は着物で丁髷で生きてると勘違い思想の文献で授業しちゃう国もあるから。
日本の歴史を外国文献だけに全て委ねるのは危険でおかしいと思う。
181名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:39:43 ID:AKyZhxx8O
>>169
潰れたとかは記録にない
台与の使節の後しばらく支那側の記録に出てこないことに対する推測の一つが邪馬台国滅亡
推測の一つでしかない
182名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:40:13 ID:SmK9BDFI0

 ・奈良説                                     ・九州説


       −−−−−−−−−−−−−−−−−−→←−−−−−−−−


                                          佐賀 -10pt
                                          女子 -10pt
                                          短大 -10pt

おーっと! 合計で30ポイントマイナス! 左の説が有利だ!!!
183名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:40:29 ID:ATZR+ol6O
>>154
中華思想の国だから、周辺民族の名前はわざと下品な名前で記述しているんだよ。
184名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:49:08 ID:AKyZhxx8O
>>161
形を見て端っことかではなく、交易路とか宗教とかで重要な地点かだよ
例えば、北京は支那世界では端っこだけど、遊牧世界も含めた視線だと両者の中間点で重要な場所
少なくとも、纏向は吉備、山陰、越、尾張などの連合で都合がいい場所だったかもしれない
185名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:53:16 ID:Z7BbaLHA0
邪馬台国は麻生のお膝元である九州にあった説を信じている自民党信者よ、これだけは覚えておけ。
脱税や景気悪化で民主の評価が下がっただけで、自民の評価が上がったわけじゃない。

・漢字の読み間違い
・カップラーメン
・ホッケの煮付け
・ボールペンのキャップ
・バー通い
・酒
・絆創膏
・給付金を貰うか貰わないかの迷走
・祖父の命日に墓参りをして人気取り
・母親の命日に墓参りをして人気取り
・娘の誕生日にステーキをご馳走する
・口が曲がっている
・世襲議員
・他の党のネガキャンをする

どれひとつとして、我ら国民は決して麻生政権を忘れていない。
国民は、絶対に麻生を許さない。

これがその証拠である。
【調査】 「怒」1位は酒井法子、2位は麻生前首相。「漢字の誤読」「カップラーメンの値段間違い」に怒りの声集まる…ネット調査
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259637968/l50
186名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 12:58:38 ID:AcEA7SiIO
九州説代表はいつもこの人だな。他に有力な論客いないのか。
187名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:12:00 ID:MZlwwzG9P
大陸人から見ると、日本島にある多数の勢力から操りやすい邪馬台国を選んだだけなわけで
自慢できる国じゃないとおもうけど>邪馬台国
188名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:14:59 ID:RvFJF9Ln0
>>158
帯方郡〜不弥国で1万700余里ってことは
不弥国〜邪馬台国は1300余里になるわけだ
んで当時の魏の里は約430m
不弥国を福岡にあるどこかだとしてそこから約560km
福岡大阪間が480kmさらに奈良までと考えるとだいたい距離では畿内ですな
189名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:19:36 ID:g/OR/rTjP
>>161
朝鮮半島までも含めて考えると、北九州は中央だな。
190名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:23:21 ID:1xsZ62CWO
>>187
誰が自慢なんかしてるの?
191名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:34:47 ID:Bou0HzcB0
卑弥呼・・・倭迹迹日百襲媛命
台与(とよ)・・・豊鍬入姫命

どうだろう?
192名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:37:24 ID:uCWKbWd+O
モモソ姫が、どんな人かによるよね
193名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:47:45 ID:MZlwwzG9P
よるよるw
エッチぃ姫がいいなぁ

自慢してるよー
新幹線轢きたい長野みたいな感じ
九州説が確定したら発掘するの?しないんでしょ?
どこにあってもいいじゃん
邪馬台専門家で自信があるなら掘ってみろっ!って感じ>高島学長
194名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:51:52 ID:eAMkAAKm0
よく分からんけど俺でも実際に
玄界灘に向かって九州の地に立てば
畿内説?ププッ ってなるよ。
あの潮の流れで手漕ぎ船で朝鮮半島と往来するには
九州と、畿内ではハンデがありすぎる。
また当時の朝鮮半島と往来した港は九州からしか見つかっていない。

最新型の大陸の技術、情報など文化は民間の商人レベルでも
九州の方が古くから多く伝わっていたんじゃないの?
鉄器があれば日本国内では最強の時代なんだから
九州王国があっても不思議じゃないけどなあ。

195名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 13:56:40 ID:kZ7EkeEM0
確かに福岡で金印が見つかってるしな・・・
でも男尊女卑の色が濃い九州で女性がトップに立つなんて考えられん
卑弥呼はあれだなきっと、女装マニアの男だな
196名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:09:57 ID:61bzYZOd0
よく勘違いしてる人を見かけるんだが、福岡で見つかってる金印は
「漢倭奴国王」印であって、「親魏倭王」印じゃないからな?

卑弥呼の金印は親魏倭王、これは見つかっていない。
197名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:10:05 ID:yv1ejHqF0
八幡平だろ
198名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:12:17 ID:OLIE+sDTO
九州説は証拠は他国文献。
さらに発掘物ないのに九州断定で議論されるから問題視されてる。
199名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:14:12 ID:N5mW2azZO
後の隋の時代でも、倭人は里数を知らず旅行日数で距離を計ったとあるのに、
魏志において正確な里数があるのは不思議だ。

つまり里数のある部分は、倭ではなかったのかもしらん。
200名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:17:11 ID:Bou0HzcB0
漢委奴国王印は
紀元1世紀の後漢の時代の物みたいですね
当時の光武帝が冊封のしるしとして送ったみたいです
201名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:22:12 ID:LLPIR13Z0
子供の時から思ってたが、激しくどっちでもいい。
あほらし。
202名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:26:05 ID:/QImRz37O
九州は、とにかく物的証拠をいい加減に出せや
考古学なんだからさ
203名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:26:20 ID:kZ7EkeEM0
ウィキを読んできたけど

>土地は温暖で生野菜を食べている
これはゴーヤのことだな、きっと
>長寿の人がいる
これは九州説濃いな
204名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:27:58 ID:rSL2iHQz0
>>194
こういう歴史って現在の常識の範囲を超えてる事もあるからな
えらい昔にポンペイみたいな超高度な都市があったりするし
畿内にそういう都市があったとしても不思議じゃない
205名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:29:10 ID:c/ADHYLx0
町おこしの一環で騒いでいるとしか思えない
206名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:29:20 ID:yIP1M2ldO
必死だな、と言わざるおえない。

今まで九州説を推してきたから、引っ込みがつかないんだろうな。
207名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:36:24 ID:7oskPqkBO
この高島っていう人、たかじんの委員会に出て、
畿内説の教授にけちょんけちょんにされた人でしょ?
「高島くんは本当は畿内と思ってるんだけど、君は九州説でやれとおくりだされたんだよ」
とかいわれててワロタ
208名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 14:42:50 ID:OLIE+sDTO
私自身はどちらにせよ全然問題ないが、学校の校長が考古学の権威と評される有名人だったが、
諸説は議論できるが、考古学には断定というのは発掘により実証しかないと言われてた。
高島先生は実証せず断定だから嫌われるんだろうね。
209名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:02:37 ID:+81RmBlNO
>>194

畿内説でも九州説でも九州北部経由だろ
九州〜半島まで行けるなら畿内〜九州は余裕だろ
難関は半島までなんだから
210名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:03:57 ID:T5Gjz1mi0
畿内説を強制してるのは民潭。
在日は電磁波を使った武器で日本人を攻撃してます。

211名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:13:12 ID:T5Gjz1mi0
また邪馬台国、大阪民国派説をでっちあげようとしちゃって。
これだからくそ在日は、関西の学会とか乗っ取り?
どうなってるんだろうね、関西の大学関係とか、一度国籍とか調べたほうがいいね。

なにしてるかわかったもんじゃない。



212名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:41:03 ID:F8x3PoQw0
なんか九州説論者って宗教みたいでキモいな
213名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:43:59 ID:eAMkAAKm0
>>209
だから何で畿内の方が九州より強いんだよ?
しかも畿内〜九州間に出雲国があるのに。
邪馬台国以降の王朝はまだ出雲にビビッてたんだぞ。
出雲と九州が他国より強い国だったのはなんとなく分かるけど
それらより鉄も作れない畿内がなんで強いのさ?
214名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 15:56:16 ID:g/OR/rTjP
>>213
畿内や中国地方が九州に比べて強いのは、農業生産力の差じゃないのか?
九州は全体的に土壌が火山灰質なので稲作がやりにくい。
中国地方と畿内を比べると、古代においては降水量の少ない中国地方の
稲作の拡大は遅れている。灌漑が整備される平安後期までは、
畿内の稲作は中国地方より上だった。
215名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:07:11 ID:g/OR/rTjP
途中で書き込んじゃった。

>>213
畿内や中国地方が九州に比べて強いのは、農業生産力の差じゃないのか?
九州は全体的に土壌が火山灰質なので稲作がやりにくい。
中国地方と畿内を比べると、古代においては降水量の少ない中国地方の
稲作の拡大は遅れている。灌漑が整備される平安後期までは、
畿内の稲作は中国地方より上だった。

だから、武器や先端技術的には、九州>中国地方>畿内 だったとしても、
戦に動員できる兵の数からみると、畿内>中国地方>九州 だったと思うよ。
216名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:14:02 ID:Bou0HzcB0
南は異民族の熊襲と隼人
北は小国の乱立

これだけ分散してるんじゃ
当時の九州にたいした勢力はないでしょ
217名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:16:33 ID:Bou0HzcB0
安定した食料供給が見込めなければ
大規模な遠征なんて無理
後に四道将軍にじわじわ征服されていたんでしょう
これは宋書より明らか
218名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:21:00 ID:Pjap3Zv60
これで実は邪馬台国なんか無かったってなったら面白いのにw
魏志倭人伝は嘘でしたとかw
219名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:28:01 ID:7oskPqkBO
>>210
おまえの方が在日なんじゃね?
吉野ヶ里人というのは人骨から明らかに朝鮮系弥生人だし
そこの女王なら
九州説の古田が唱えた九州王国を主張する偽書に新左翼や麻原が同調して
現皇統は終わりを迎えてると主張し、それがエスカレートしたのがサリン事件だ。
おまけに九州考古学会は羅南大学とかソウル大学と定期的に会合開いてる。
いつの間にか任那日本府も学校で教えなくなったが、それもうなづける。
無知もいいかげんにしろ。
220名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:31:52 ID:7oskPqkBO
×そこの女王なら
〇そこの女王なら卑弥呼も朝鮮人になっちゃうぞ
221名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:33:07 ID:T5Gjz1mi0
>>219
黙れよ、オウムに詳しいやつ。
畿内なんて朝鮮人ばかりじゃないの?関西の大学の方がカルトくさいよ。
ゴキブリのくず。
222名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:36:54 ID:T5Gjz1mi0
畿内になんて大規模な集落の遺跡なんてないじゃん。
223名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:39:45 ID:T5Gjz1mi0
関西なんて韓国と交流どころか、韓国そのものでしょうが。
日本(九州)に張り合っちゃって。
卑弥呼が亡くなってから200年の間、中国の文献に日本のことなんて出てこないんでしょ?
立証となる文献がないんだから、畿内だと言い張る方がバカだ思う。
224名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:40:12 ID:voZm/71rO
大学で史学科だったけど、邪馬台国が九州にあったのか近畿にあったのかって論争の存在意議が未だに分からない

どっちでもいいだろって思ってるw
225名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:42:33 ID:551gsLsq0
九州だと天皇家の支配がないから、どうしても近畿にしたいんだろう
事実を知りたいから、遺跡に科学調査を行うべきだ
今は予算が少なすぎて、ほとんど進んでない、やれば相当わかる
226名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:42:56 ID:T5Gjz1mi0
無理やり、畿内説にしたてあげようとしてるのが気持ち悪い。
だからあえて九州説を支持します。

227名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:44:55 ID:Pe3XwSzhO
どちらにも大きな国があったのは間違いないんだよな
228名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:47:06 ID:lZP581g+0
>>224
謎解きのおもしろさだよ。魏志倭人伝の著者は、邪馬台国なんて行ったことがなく、伝聞で適当に書いている。
そのいい加減さが論争の火種になっている。考えても見ろ、この現代でも他国のことになると、偏見や間違いが
いっぱい出てくるだろう。それが、興味もない海の向こうの、劣等国のことなんか、適当にしか書いていない
んだよ。適当でも誰にも怒られないからね。
229名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:48:39 ID:T5Gjz1mi0
考古学の出土品の捏造というのも、数年前問題になったし。
安易な論理で邪馬台国を韓国起源説ののりで畿内説と断定するのは犯罪行為。

230名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:51:02 ID:Bou0HzcB0
>>228
それを前提にすると
邪馬台国論争は
より考古学的な成果が重要になってきますね
231名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:52:29 ID:T5Gjz1mi0
>>230
畿内説に有利な出土品を捏造するのはやめてね。
朝鮮人ども。

232名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:53:41 ID:lZP581g+0
追加 だから魏志倭人伝の記述を、鵜呑みにしないこと。警察の捜査と同じだよ。物証(考古学)によることが
現代の研究では不可欠なの。でないと、脳内九州説になってしまう。
233名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:54:44 ID:Bou0HzcB0
>>231
なんかよく分からないけど
俺は朝鮮人でも、関西人でもないんだが
234名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 16:57:26 ID:T5Gjz1mi0
じゃあなんでそんなに畿内説を強制するの?
確証なんて全くないくせに。

235名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:01:35 ID:T5Gjz1mi0
でも考古学の物証ってどの程度、正確さを持つの?
逆に物証の方があいまいで、捏造の危険性があるんじゃないの?
特に在日がからんでたら、何をされるかわからない、関西の学術組織って危険だと思う、
日本人にとって。
236名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:05:10 ID:/QImRz37O
>>234
強制以前に
物証出して証明してくれなきゃ
議論のしようがないわけだが
脳内妄想を主張されても、それは学問じゃないから
237名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:06:33 ID:T5Gjz1mi0
じゃあ物証出してみろよ、くず。

238名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:07:38 ID:j6ZyOwz70
>>221
つーか考古学やってるもんには有名だぜ?

社会に与えた影響 [編集]
その反国家、反権力、反中央的内容により、日本原住民論の影響下にあった日本の新
左翼の絶大な支持を得た。元ブント活動家の武田崇元は、逸早くこの文書に着目、「霊的
ボルシェヴィキ」育成のために、盛んに宣伝した。

この風潮に一番影響を受けたのがオウム真理教である。オウムに影響を与えたのは一般
に五島勉のノストラダムスの大予言シリーズだと言われているが、東日流外三郡誌も多大な
影響を与えていたのである。事実、麻原彰晃はオカルト雑誌ムーにて東日流外三郡誌を賞賛
し、同書を根拠にして天皇家に代わる新たな支配者の出現を「予言」する論文を掲載していた。
そして次第に「オウム帝国」の樹立を企むに至り、地下鉄サリン事件を始めとする一連のテロ
行為に繋がっていったのである
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%B5%81%E5%A4%96%E4%B8%89%E9%83%A1%E8%AA%8C
239名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:09:20 ID:lV1dVWuf0
>>232
畿内説も物証ないよ
「こんな大きな古墳や遺跡は邪馬台国に違いない」って思い込みでしかないよ
むしろ巻向など実際の遺跡を無理やり結び付けようとしてる分畿内説の方が悪質だ
九州説は夢想してるだけだから害は小さい
240名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:09:25 ID:ASHI7p6q0
卑弥呼って地方の一豪族の酋長さんだよね?
そう考えるとやっぱり九州だね
241名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:10:19 ID:1hcIDgDFO
邪馬台国も卑弥呼も本当にいたの?

あんま調子にのってると、いてこましてんねん!
242名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:10:36 ID:KkRD4ABd0
ID:T5Gjz1mi0←このファビョった朝鮮人には笑える。
そのうち発火するんじゃね?このゴミクズw
243名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:11:14 ID:7G4Ra51w0
宇佐八幡宮の古い樹の生えた盛り土の部分を掘ってみろ。そこに日神子の墳墓が
244名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:12:11 ID:T5Gjz1mi0
物証もないくせに、九州説にオウムを絡めるなんて、悪質な畿内説カルトども。
245名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:12:53 ID:On2IY0pGO
卑弥呼を連呼するのは、今時代、朝鮮人のダンクン程恥ずかしい。


ヤマタイコクは別に日本を纏めた国ではなく、
魏晋とつきあいがあっただけだろ。


固定概念が歴史概念を狂わせる。
246名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:13:55 ID:OLIE+sDTO
>>235
九州説の危険はそういう部分。
実証も証明もな〜にもない。
あえていうなら魏の文献。

中国から東の説は発掘で実証。
必ず遺跡を複数発掘。
前後の地層の歴史的な出土品を複数証明してる。
あと発掘したものは卑弥呼や耶馬台国固執せずに日本統一されてない時期の話しとして学会発表。
まず発掘した物の年代の特定を説明してる。

九州説は発掘しない。たまたま出てきたら、それで済ませ、周囲の地層調査せず、他地域の出土品だけで年代特定さらに人物特定。

馬鹿にされる理由は調査は他力本願だから。

学会で他の年代地層について質問しても『さぁ?○○説で出土したものと同じもの』
で済ませるから非難されてる。
247名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:14:29 ID:rpqHEiBP0
>>215
魏志倭人伝には農業で暮らしているんじゃなくて
海に潜ったりして漁をして暮らしている海の民みたいなことが書いてなかったっけ?
248名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:14:44 ID:hqZmo0gE0
>>244
言われていい気せんだろうが、おまえはちょっとイタすぎだよ。
興奮しすぎ。
249名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:14:46 ID:RjFsIw8n0
「やまたい国」は間違いなく近畿だよ。
 北九州は「めんたい国」だろwww
250名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:15:37 ID:T5Gjz1mi0
畿内説の物証もない、そういうことですね。

以上です。

251名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:19:26 ID:B8/PE6sSO
(´・ω・`)知らんがな
252名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:19:27 ID:a/XHg0uD0
邪馬台国は奈良、卑弥呼は邪馬台国を含む倭の連合国からの女王。
こういう解釈だったと思うが。
253名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:19:51 ID:fPMJuxZq0
>>249
誰がうまいこといえとw ちなみにメンタイは朝鮮起源だそうな。福岡らしいわw
これまじ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%AD%90%E6%98%8E%E5%A4%AA%E5%AD%90
254名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:20:46 ID:OSPjxIxy0
>>249
やまかさがあるけん博多たい
255名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:21:09 ID:Bou0HzcB0
>>247
それって対馬国や末廬国のことじゃないの?
256名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:21:43 ID:zB2nJe/L0
福岡と大阪ってどっちの方が治安悪いの?
257名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:25:05 ID:RvFJF9Ln0
>>224
史学科の教授も言ってたよ
どっちにあったかなんてどうでもいいことだと
それに研究しても評価されないらしい
258名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:25:44 ID:rpqHEiBP0
>>255 ぱッと頭に浮かんだんだけれど、うろ覚えなんでスマソ
259名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:26:27 ID:Gz4P79md0
佐賀女子短大じゃな‥
260名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:29:44 ID:c366PSTw0
以前に近畿説を確定させる出土品のスレがなかったか?
竹簡だったか銅鏡だったか忘れたけど。
261名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:30:05 ID:lV1dVWuf0
>>246
だからさ畿内のそういう遺跡や物証は畿内に大きな権力があったって証拠じゃない?
恐らく大和朝廷に連なってく国だと思うけど
よく分かってない大和朝廷の成立を解明する上で極めて重要な発見だよ
でも邪馬台国に結びつくものは何もないでしょ?
もちろん九州説にも物証はないが
魏志だけが頼りというがそもそも邪馬台国は魏志にしか記されてないんだから
魏志をあーだこーだ言っても天に唾するようなもんだよ
>>257
そりゃそうだね
どちらも根拠ないんだから
262名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:30:41 ID:OLIE+sDTO
古代の地層地図調べてみたら、大阪はほとんど海なんだよ。
あと九州自体も海岸線違うので
今、現在の地図と照らし合わせる議論もおかしいと指摘されてる。
魏の文献は伝承伝聞での記載だから伝言ゲームみたいなものと考えて読むべき。

だから卑弥呼や耶馬台国があったと安易に断定しちゃう人は素人扱いされる。
263名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:31:33 ID:DwhJ5Qkc0
吉野ヶ里の発見者が九州はないわっつってんのにな
264名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:31:59 ID:0P9jG1bv0
どうでもいいよ、邪馬台国がどこにあったって。

あと2万年もすれば、日本という国がどこにあったか、
そんなことが問題になってるかもね。
265名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:32:06 ID:e8AMEG1v0
卑弥呼と言う呼び名は奴隷の名前のようだ。
266名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 17:32:09 ID:WO66JeJQ0
古墳の発掘を許可すればもっと事実が見えてくるのに。
267名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:33:13 ID:g/OR/rTjP
「物証」「物証」って言っている人たちは、どういう物証が発掘されたら
発掘された場所が邪馬台国だと確定できると思っているの?
268名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:34:07 ID:thHQODBZ0
また卑弥呼スレか
本当に好きなんだなー
269名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 17:36:11 ID:WO66JeJQ0
>>262
神武の東征は古代地図通りなんだよな。
だから日本書紀は正しいとして、やっぱ邪馬台国が記載されてないって
ことは存在してなかったんかな?
270名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:36:15 ID:MIZkPf450
>>261
近畿説が学者の大部分を占めた理由で一番大きいのは古墳年代のはじまりが今まで思っていたより
早いという見解の学者が大多数を占めたこと。

一般的に、邪馬台国の規模で九州説は九州のみ、畿内説は西日本という考え方
で、後者の可能性が高くなったということ。もちろん発掘結果含めてだけど。
271名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:38:01 ID:Bou0HzcB0
姫巫女から
卑弥呼という当て字を向こうの国が作ったのかな?
俺の勝手な推測だけどw
272名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:38:18 ID:a/XHg0uD0
この時代既に日本の各小国は魏とのやりとりを盛んにしていた。
外交文章もかなりあったらしい。
そういうものが出てこないとダメだよな。
日本書紀やら古事記やらと結び付けようとする素人がいるが、
中国との外交関係を一切書けてない時点でアウトだから、
そこは勘違いするな。
273名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:40:18 ID:MIZkPf450
>>262
>古代の地層地図調べてみたら、大阪はほとんど海なんだよ。
そうだよ。その分今より大和川が発達していたから奈良の南部は水上交通
もかねた要塞だった。まさに水軍にぴったり。
http://stat001.ameba.jp/user_images/20090831/06/2626150/fc/e9/g/t02200218_0270026810244009580.gif
邪馬台国=ヤマト国=大和でしょ。
274名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:42:04 ID:s+1tw7A+0
>>267
親魏倭王の金印
275名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:42:27 ID:MIZkPf450
>>272
素人ってあんた何者なんだよw
276名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:52:52 ID:g/OR/rTjP
>>274
なぜ親魏倭王の金印が出てきたら、そこが邪馬台国と確定できるの?
だとしたら、古代都市バビロンがあった場所は、ハムラビ法典の原版が存在する
パリのルーブル美術館付近ってことになる。
もし、邪馬台国が別の王朝に滅ぼされたり、吸収されたりしたら金印は戦利品として
持ち出されるよな?
また、邪馬台国が遷都したとしたら、財宝は新たな都に移される可能性は高いよな?

墓があったとしても、墓だけでは卑弥呼の墓かどうかはわからない。
棺の中に「卑弥呼様」と書かれたネームプレートが収められているとも思えない。
277名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:54:01 ID:OLIE+sDTO
>>267
そもそも卑弥呼が居たのか、耶馬台国があったのかも現状疑われてるよね。
278名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 17:56:09 ID:Zo8buAgb0
>>274
親魏倭王の金印は返却されているはずだという説もあるみたいだな
279名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 17:56:51 ID:WO66JeJQ0
>>272
マジレスすると神武から始まる原大和政権が外交関係を持ってなかったということだろ。
時代が下れば半島や大陸との外交史がちゃんとでてくるから。
280名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:00:22 ID:MIZkPf450
晋書の266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせたと述べられ、
前方後円墳のおこりを記したものとされている。
281名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:00:58 ID:g/OR/rTjP
>>272
>外交文章もかなりあったらしい。
>中国との外交関係を一切書けてない時点でアウトだから、
自分は「あったらしい」なんていい曖昧なことを書いているくせに、
他人に対してはアウト認定ですか?
考古学や史学のプロであるなら、一次資料からの引用もせず、
出典も示さず「あったらしい」なんて書いている時点でアウトじゃないのか?
あんたはそれでもプロなのか?
282河豚戦隊(かわぶたまん):2009/12/01(火) 18:02:24 ID:hurafG7M0
>>267
土の中から生きた卑弥呼が出てくればええんじゃね。
283名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:03:12 ID:wCEUOqEu0
ふだんは女の容貌にうるさい2ちゃねらが卑弥呼が美人だったかどうかを問題にしない件
284名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:05:26 ID:MIZkPf450
記紀は古代史を考えるとき、正確な史料批判をともないながら使用せざるをえない一級資料だぜ。
>>272がドシロウトなのはまるわかりだろ。
285名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:06:45 ID:a/XHg0uD0
それが何を意味するか分かるよな?
大和政権の初期の物語が結局弥生時代の発掘やら中国の文献やらとつじつまが合わないんだよ。
大乱があって魏のおふれや旗で鎮めたとか、大仙古墳と箸墓古墳の築造順序が逆だとか、
もう歴史的な大事件を知らないんだから、後から出来た政権が適当に書いた物語で間違いないんだよ。
286名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:08:54 ID:a/XHg0uD0
>>281
あいまいじゃないだろ、これは魏志倭人伝に出てくる記述だ。
ちょっと基本的なことを知らないでツウぶってるよお前。
287名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:09:48 ID:MIZkPf450
ID:a/XHg0uD0ってやっぱりドシロウト決定だな。
288名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:11:24 ID:g/OR/rTjP
>>285
古代の歴史資料で、後からできた政権が適当に書いたものではない書物があるなら
教えて欲しいくらいだよ。リアルタイムに客観的に書かれた歴史記録書なんてほとんどないよ。
289名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:12:58 ID:MIZkPf450
中国の史料でさえ、現政権に都合のいい物になってるのに
中国の史料を絶対正しいとかアホとしか思えないw

九州の方は日本に全く史料がないのにw
290名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 18:13:53 ID:WO66JeJQ0
>>285
政権が並行して存在してもおかしくないだろ。
倭人連合が複数あったことが魏志などから読み取れるわけだが。
291名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:14:52 ID:a/XHg0uD0
>>284
せざるを得ないじゃないっつうの。
発掘によって年代がより鮮明になっている今、
「記紀が一級資料や〜」
そんなものは江戸時代の話だわ。
「記紀は資料としては使えないし、記述の不正確さから大和政権の成り立ちが見えてくる」
そういう事が分からないとダメだ。
292名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:15:45 ID:rpqHEiBP0
でも記紀の元になった書物等は焚書してるんだよな?
293名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:16:33 ID:g/OR/rTjP
>>286
魏志倭人伝に「外交文章もかなりあったらしい」と曖昧に書かれている箇所があるなら
どの箇所なのか教えてください。
「かなり」とか「らしい」とか、曖昧じゃなくてなんなんだよ。
294名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:19:47 ID:a/XHg0uD0
魏志倭人伝の記述も知らないアホが邪馬台国について語る。
それが恥ずかしいと思えないのがなんともなあ。。。
そんなもん、ググッったって出てくる。
らしいとかかなりとかは俺の書き方だが、
だからといって魏志倭人伝の記述が消える訳ではないのだよ。
295名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:21:08 ID:lZP581g+0
一番の物証は卑弥呼の墓だな。金印と違って移動できないからこれが決め手になるだろう。
それに土器や鏡、古墳の分布状況からみて、邪馬台国時代の日本の文化の中心地は、
大和地方ということが、次第に明らかになってきた。纒向の発掘でそれが、より一層決定的に
なった。高島氏だって纒向遺跡は王の神殿跡だといっているよ。時代は4世紀だと言ってい
るけどそれが唯一の抵抗だな。出雲大社の本殿と同じ構造だなんて、すばらしいね。
296名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:24:43 ID:1xsZ62CWO
>>294
>らしいとかかなりとかは俺の書き方だが
その書き方がマヌケだからみんなに笑われているんだろう。
297名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:26:41 ID:OLIE+sDTO
>>294
その時代の中国文献や日本の文献は学識者からみると三蔵法師を描いた西遊記やちびまる子ちゃん、サザエさんみたいな世相脚色本扱いなんだよ。
ホントにあったかどうかは本だけではなんとも評価できない。

笑われるから止めたほうがよい。
参考はできるが、全ての記述が正しいとは言えない。
298名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:27:05 ID:MIZkPf450
>>290
九州説の先生方が過去(古墳年代が遡る前)に何をいってたか思い出してみるね。
例えばS先生。
まず近畿説の邪馬台国の定義を統一国家的な性格があるものとし
九州説はそうでないという前提から始まる
近畿説と九州説の概論を述べて、「倭人伝」記載のコースや日程なども邪馬台国の位置を
決定する上の絶対的な決め手にはならない。また、慣習や生活の記事にも
九州か畿内かを明確に表現する者もない。そうすると考古学上の上から当時の文化
の中心を求めることも有力な手がかりとなるだろう。。。」

この先生は3世紀前半を弥生後期とし高塚の墓は作られていないとし、結局、分布
から三世紀前半の文化の中心を求めることはできないとし、九州説を支持している。

ところが、この人は古墳年代のはじまりが九州説に都合が悪くなったことをうけて
F史論にハシリとんでも本を出すことになる。自らの規範を失ってしまった人間なんて
あわれなものだ。
299名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:27:48 ID:a/XHg0uD0
魏の影響で国を治めたとういう事実は魏志倭人伝だけではない、
既に発掘においても、魏鏡の空間的時間的広がりによって、
当時、魏の影響によって倭を治めた国があったと言う事ははっきりしている訳だ。
これを書けない政権が、果たしてその時代から倭を治めていたと言えるかな?
ま、そうではないと言う事を頭に入れながら日本の古代を考えられるように出来ないといけないんだよ。
300名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:28:58 ID:ujrRK5Ky0
九州はチョンの血が濃いからな
301名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 18:29:01 ID:WO66JeJQ0
>>294
つかさ、外交文書が出てないんだったら魏志の内容が正しくなとも言えるわけだが。
302(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/12/01(火) 18:29:26 ID:5XbwUJS30
>>293
東夷伝倭人には、「倭国の使者が皇帝に奏上した」という記述がある。
奏上というのは、外交文書を読みあげること。
つまり倭国の使者は文字を読み書きできたのだろうと推察されている。

使者クラスのエリートだけは、読み書きできたらしい。
303名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:29:31 ID:MIZkPf450
>>292
古事記は口誦をかいたものだよ。太安万侶が書き記し、編纂したもの。元になった書物がない。
304名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:31:10 ID:g/OR/rTjP
>>295
>一番の物証は卑弥呼の墓だな。
古墳も動かないけど、集落も動かないよね?
でも、集落を発掘しても「ようこそ邪馬台国へ」という看板が出土するとは思えない。
古墳を発掘しても棺の中に「卑弥呼様」と書かれたネームプレートが収められえている
とも思えない。
同年代の大きな墓、同年代の大きな集落が発掘されたとしても、そこが邪馬台国である
という決め手にはならない気がする。
同年代=邪馬台国という図式は描けない。
305名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:31:45 ID:hbEONGfd0
なんでこう、どうでもいい事が多いのか
306名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:32:04 ID:Zo8buAgb0
>>295
問題はどうやって卑弥呼の墓と判定するかだ
307名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:33:30 ID:5ljy0nv+0
>>18
新鮮
308名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:34:24 ID:m12bfaSb0
>>1

なんで見つからないかというと土地の所有者が遺跡を壊して埋めたから。
福岡の建設、土木関連業者ならデフォでやってるよな。
309名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 18:34:29 ID:WO66JeJQ0
>>299
何言ってんのw
記紀をよりどころとする原大和政権が卑弥呼と同時代に倭を治めてたなんて
誰も言ってないだろw
神武の東征は治めていく途中経過じゃないか。
310名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:37:34 ID:MIZkPf450
>>291
今でも一級資料だぜ。もちろん「正当な」史料批判は必要だが。おまえどしろうとまるわかりだよ。
311名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:37:41 ID:lZP581g+0
このネット時代でも、外国にたいするイメージなんて、偏見と間違いだらけだろう。それが、
軍事的、経済的、文化的に結びつきが深い国ならまだしも、海の向こうの小国にたいする
情報なんて、魏にとってまったく重要じゃないんだよ。だから、そういう目で魏志倭人伝を
読まないといけない。偏見と誤解だらけの文献として読むことが大事。
312名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:41:56 ID:MIZkPf450
どの国の史料でも間違いや誇張がある。それが前提だ。だからこそ
考古学の発掘結果が大切になる。そうやって実際の政治がどのようなもの
かを突き止めていくのが大切。

ID:a/XHg0uD0はこのタイプのどしろうと

九州王朝説は現在のところ、日本古代史の学界からは「批判・検証を受ける段階に無い」
と見られ黙殺されている。それは以下のような理由による。

史料批判など歴史学の基礎手続きを尊重していない。[30]
考古学の資料分析の成果に合わない。[31]
漢文の読み方が恣意的である。[32]
九州王朝の歴史を記録した一次史料が存在しない[33]。したがって説の論拠となる史料は、
記紀や中国や韓国の歴史書等に散見される間接的な記事、九州年号(逸年号が九州年号
である証明は無い)や大宰府など僅かに残されたものに止まっている。この直接的記録が
無いことが、九州王朝否定論の論拠となっており、また多くの亜流を生む原因ともなっている[34]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
313名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:43:17 ID:w432NZ/6O
卑弥呼の墓て宇佐神宮の本宮がある山でしょ
314名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:43:50 ID:QhLKcrCbO
大和朝廷の為に古事記や日本書紀にわざわざ神武東遷なんて記述したんだ?
315名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:46:46 ID:IEX2pC8A0
>> 295
俺は、宇佐神宮の裏山が卑弥呼の墓じゃないかと思う。
宇佐神宮って三神祭られてて、神功皇后と応神天皇を両脇に真ん中が比売神
この比売神が卑弥呼なんじゃないかな?天皇皇后を押しのけて真ん中だからな
それに、宇佐神宮は参拝の際、四拍手なんだよな
四拍手の神社、権力者に滅ぼされた者を祭ってる神社らしい。他に出雲神社とか

魏志倭人伝の水行の意味、道路のほとんど無い時代を想像してみなよ
川の中もしくは河原を歩くのが一番楽じゃないか
宇佐なら、福岡から筑後川を上って山国川を下ると耶馬渓
耶馬渓の耶馬って邪馬台国に通じるよな
実際、宇佐神宮の近くの神社で神輿を担いで川を練り歩く祭りがあるらしい。
316名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:47:28 ID:OLIE+sDTO
>>311
まさにそのとおり。
現在でもお隣り中国や韓国の一般家庭では日本人の風習勘違いしてる場合あるからね。
大学で日本を専門に勉強してきた人でさえカルチャーショックあるから。
日本から見た中国、韓国、北朝鮮も同じ。
見てない外国に対する偏見やギャップは凄い現実とは隔たりある。
だから文献だけで歴史を語るなと言われる。
317名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:49:17 ID:MIZkPf450
>>315
伊勢神宮も「皇族下乗」だよ
318名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:49:39 ID:s671FizH0
>>158
俺は古代中国人ではないから、完璧な答えは難しいよ。
解釈は色々あるだろ。

ただ、解釈が一致するのは、
帯方郡から伊都までの10500里と総距離の12000里。
残り1500里について、どのような経路になるのかは解釈がわかれる。

だが、>>150に書いたように、当時の中国人編者・読者から見て、
「史料内に目に見える矛盾はない」と解釈すべきでしょ。

現代人にとって、残り1500里と矛盾するかに見える問題は水行・陸行だけ。
だが、これを当時の編者・読者は矛盾と思わず、そのまま書いたんだ。
帯方‐邪馬台国の全行程と見るか、実際にゆっくり進んでそうなったかのどちらかだ。
距離にするなら1500里以内しか有りえない。

これを1500里を超えて、
畿内までの何千里もの長距離と解釈するなら、
当時の編者・読者にとって、総距離12000里と目に見えて矛盾する。
そんな矛盾は放置されるわけないよ。
319名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:50:23 ID:MIZkPf450
あ 住吉大社も「皇族下乗」だ
320名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 18:50:48 ID:WO66JeJQ0
>>314
合理性がないから素朴に事実を記しただけとも考えられる。
だってそうだろ、わざわざ九州から出てきました、戦をして
大和の勢力を併合しましたなんて正統性からみればむしろ「?」だもんな。
321名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:50:55 ID:tebnKGJdO
>>314
考えるとしたらいくつか考えられるね
@ 本当に神武天皇が東征(東征にも色々解釈ある)した
A 大和朝廷時代に九州辺りを治める口実として九州の神話を混ぜた
など
322名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:52:06 ID:MIZkPf450
>>321
まともな推論だ。
323名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:52:56 ID:s671FizH0
>>188
帯方郡から韓国南岸まで7000里。
韓国南岸‐対馬‐壱岐がそれぞれ1000里。
魏の430mで計算すると、現代地図と全く整合性はないよ。
朝鮮半島も、対馬壱岐との幅も5倍以上大きくなってしまう。
そんな状態で目的地を導いてどうするんだ。

だが、7:1:1の比はほぼ正確だ。
とするなら、1里を違う幅で捉えていたと考えるしかないだろ。
324名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:55:32 ID:m12bfaSb0
>>317
「皇族下乗」なんていっぱいあるぞ??
325名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:57:53 ID:s671FizH0
>>257
多くの人が関心を寄せる好奇心・探究心に答えることは、
学問の一つの役割でもあると思うけどなあ。
得に文系の場合。
326名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 18:59:24 ID:OLIE+sDTO
>>317
笑われるから止めたほうがよい。神社の起源だけならともかく、下車看板はどこの神社でも当たり前にあるから。
近所の小さなお宮さんでも身分問わず下車は下車だ。
327名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:02:33 ID:MIZkPf450
>>324>>326
だからいっぱいあるということをいいたいのだが?
328名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:03:03 ID:IEX2pC8A0
>>315だが>>313と被ったな
329名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:06:00 ID:Io++Jlrr0
邪馬壹国  壹與(とよ)

今後は元本と同じく邪馬壹国と書いてほしいです。


31 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:51:31
南、女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2000余里ある。


330名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:06:53 ID:n97L5yYf0
史料のどこにも畿内のことなんかでてこないよ?
畿内説なんてのは他のトンデモといっしょ
331名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:08:38 ID:MIZkPf450
>>330
じゃあ九州のどこなの?吉野ヶ里はあきらめたの?今宇佐とかよくいってるけど。
宇佐が邪馬台国って書いてあるのなら示して欲しい。
332名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:08:50 ID:OLIE+sDTO
>>327
ゴメン(笑)
>>315に対してだよね。

神社に水辺にあるのは当たり前にどこにでもある風景。
333名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:09:23 ID:F5RciSjPO
九州なんて何にもないから卑弥呼ぐらい譲ったらw
334名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:09:28 ID:s671FizH0
>>321
Aのようなことをするのは、
文化的・歴史的に新参者に正当性が必要な場合だけ。
劉備が皇族を名乗ったり、徳川氏が源氏を名乗ったり。

九州の出自であることが正当性に繋がると、
当時考えられていたんだろうなあ。
335名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:11:14 ID:IEX2pC8A0
>>315だが
皇族下乗って意味じゃなく
大体、三つ並べると、真ん中が一番偉い神でしょ
左右って太刀持ち露払いと言われるよう持ち上げ役だろ。
336名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 19:11:16 ID:WO66JeJQ0
女王国と女王の都のある邪馬壹国って同じことを指してるのか?
337名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:11:24 ID:MIZkPf450
>>334
歪んでるよw
338名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:11:27 ID:mgeyKmSiO
もう北海道説でいいよww
339名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:11:48 ID:s671FizH0
>>331
「九州のどこかはわからない」が現状でしょ。
なぜそれではいけないんだ?

畿内はこじ付けを抜きに、
史料から考察すると明確に排除されるんだよ。
仕方ないじゃないか。
340名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:13:44 ID:i0EN4lvm0
>>315
陸路は道路がない以前にまず危険だよね。三国時代の上に半島とも歪み合ってた時代。
しかもまず、わざわざ船に積んだものをなんども陸に揚げて馬で行く意味がない。
中国の周りは騎馬民族などが活動できる広大な草原地帯だったので中国と西とは
陸路の交易がメインだったんだけど、日本からいくには陸路は不向き。
そもそも船での交易は旧石器時代から広範囲で行われていたんだしね。
伊勢や熊野などの神宮は全て水路経由で発展し参拝は苦難な陸路を修行として
貴族階級の人たちが行っていたんだよね。
341名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 19:13:51 ID:WO66JeJQ0
>>334
そうかな?
後段で熊襲として反乱軍にされてるんだが。
342名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:14:03 ID:MIZkPf450
>>335
比売神って珍しくないでしょ??あと皇族の御霊より上の神がある=それが卑弥呼だ
って論理がわからないのよ。
343名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:14:27 ID:s671FizH0
>>337
どこがだ?

俺は関西人で、俺の感覚からすると、
九州の出自が正当性を持つなんて全くないぞ。

だけど、Aのようなケースで、
九州の出自を敢えて名乗る意味は他にないんじゃないか?
合理的な説明はできるか?
344名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:15:01 ID:MIZkPf450
>>339
それは逆でしょ?九州説が一番こじつけてるのが現状だから学者に
相手されなくなってきたのよ。
345名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 19:17:02 ID:WO66JeJQ0
九州から奈良への出稼ぎが当時は主流だったのでは?
神武より先にニギハヤヒが大和に来てたくらいだからなぁ。
346名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:18:59 ID:s671FizH0
>>341
皇族自らが、熊襲なんていう「蛮族」がいる九州の出自で
あることを隠さず、アピールするのは何故なんだろうな。

やっぱり、九州が単に蛮地ではなく、
そこの出自であることが悪い意味を持つのではないからじゃないか?
347名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:19:31 ID:n97L5yYf0
>>331
よほどのものがほりだされないかぎり不明だよ
わからない、という現実はうけいれないと
348名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:20:36 ID:MIZkPf450
>>343
いや、俺もその可能性思ってたことだから。実は朝鮮統治の時によく似たこと宣撫でやっちゃったしw

あと別スレで西征の際に、伊都とかの首長が3種の神器をささげて迎えに来るシーンが記紀にあるのだが、
それに対して九州説の奴に「それは天孫の神武の子孫だからだろ」と突っ込まれたんだよ。
そのとき「なるほそ」と思ったわけ。
349名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:21:08 ID:s671FizH0
>>344
どこをどうこじつけているんだ?
相手にされない理由があるとしたら、
考古学上の発掘が進んでないからだろ?

魏志倭人伝の史料においては、
明確に史料を歪めない限り、近畿説は有りえないじゃないか。
350名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:23:12 ID:ytrpOw6tO
邪馬台国なんて無かった!
邪馬台ちょと大きい村ならあった。
たんなる北九州にあった、たくさん日本にあった地方政権の一つ。
ただ中国の書物に載っただけだと思うな。
351名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:23:47 ID:s671FizH0
>>348
うーん、どうなんだろうね。
徳川氏が源氏の出自だなんて誰も信じていなかっただろうからなあ。
大和朝廷の九州征伐の時点では、
とっくに畿内の優勢が確定してただろうしなあ。
352名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 19:24:11 ID:WO66JeJQ0
>>346
隠すことではないが正統性にもならんということだと思うが。
先行者のニギハヤヒがいるくらいだから、
九州から大和へというトレンドみたいなもん?
恐らく大和が政治の中心であったことは間違いないと思う。
志を遂げるには大和みたいな。
大和に邪馬台国があったかどうかは置いといて。
353名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:26:59 ID:Io++Jlrr0
邪馬壹国  壹與(とよ)

今後は元本と同じく邪馬壹国と書いてほしいです。


31 :日本@名無史さん:2009/11/30(月) 22:51:31
南、女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2000余里ある。


354名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:28:04 ID:MIZkPf450
>>349
・漢語の恣意的な解釈。
・正当な手続きを経ない史料批判
・旅程記事について、通常の連続読みでは九州内に収まりきらないので、放射線式の読み方に従うにしても
、「到」「至」の使い分けなどの中国にない決まりなどをこじつけている
邪馬台国は伊都国の南水行十日陸行一月の行程にあるが、これを九州を大回りして水行し南下する意味に捉
えたとしても、邪馬台国の位置は中南部九州内陸に求めることとなり、後の熊襲の地に邪馬台国があることになる。
そしてさらにその南に狗奴国が存在することになる。したがって比較的支持者の多い北九州内には到底収めること
はできない
・奴国2万余戸、投馬国5万余戸、邪馬台国7万余戸、更に狗奴国といった規模の
集落が九州内に記述通りの順番に収まるとは考えにくい
・中国地方や近畿地方に、九州をはるかに上回る規模の古墳や集落が存在している

もろもろ
355名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:28:57 ID:RatsNKNv0
>>315
崇神天皇が3世紀ごろに実在したと分かった今となっては
その説は苦しいんじゃね?
時代が全然合わないし
356名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:31:49 ID:s671FizH0
>>354
どこがどう恣意的なんだ?

水行・陸行にしても、総距離12000里と明記されている以上、
それを超えるような解釈は、解釈の方が間違いでしょ。

魏志倭人伝の邪馬台国に古墳は一つじゃないか?
畿内説は「古墳が多いから邪馬台国だ」と言うが、
「日本でより有力だった地域」を示すに過ぎない。

だが、倭人伝には、「邪馬台国が日本で最有力な国だ」
なんてどこにも書いてないだろ。
総距離と途中経過を見ても、九州から出ないじゃないか。
357名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:31:51 ID:OLIE+sDTO
この先生が九州説しか成立しえないと言い切り、物証がないのが非難受けてるんだよね。
物証は壊されたとか言われても。他地域は壊された跡まで出土してるから。
更に痛いのは歴史上、居たかあったか不明なものをこじつけ、断定してる所だよ。
358名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:31:51 ID:3VdVUqOU0
>>323
その韓国の南岸というのはどこから出てくる?
魏志倭人伝にあるのは「北岸」という言葉だが。
359名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:33:52 ID:n97L5yYf0
>>344
でてくる九州の地名には議論の余地なしだよ
360名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:34:26 ID:s671FizH0
>>358
「倭の北岸」、つまり、九州対岸の韓国南岸でしょ?
その解釈に争いがあるのか?
361名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:35:44 ID:MIZkPf450
>>351
名目と戦争回避と利益があればいいんじゃないの?

>>356
君の主観はどうあれ客観的にそういわれてるんだよ
発掘結果においても近畿が優位。鉄矛だけではくずせない
362名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:36:41 ID:s671FizH0
>>361
>君の主観はどうあれ客観的にそういわれてるんだよ

客観的にどうなのか、示せてないじゃないか。
それを示さずに間違っていると言う事こそ、主観・思い込みだろ。
363名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:37:39 ID:WHM4xtB60
というか、もうちょっとニュース性のある新発見が
あればもっと盛り上がるんだがな
364名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:38:23 ID:Ce08R+Tj0
九州だろ。
近畿にも同じ様な国家はあったかもしれんが。
365名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:39:16 ID:MIZkPf450
>>362
>総距離12000里と明記されている以上、
それを超えるような解釈は、解釈の方が間違いでしょ。

普通の冷静な人間ならこう考える
1.君の言うとおり
2.方向がおかしい
3.いいかげんである
4.距離がおかしい

1しか考えられない時点で「歪んでる」んだよ。
366名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:40:08 ID:P+rLbrJF0
んジャクマソはどこにあったんだよ。
367名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:41:38 ID:RvFJF9Ln0
>>323
キミのはいわゆる「短里説」ってやつですね
そうすると水行十日、陸行一月はどうすんのって話になるね
当時対馬海峡朝鮮海峡を長大なものと捉えていたんだろ
なんで倭人伝だけ一里がそんな短いのか説明つかないし
368名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:42:28 ID:RatsNKNv0
>>366
3世紀から
南九州の勢力図が変わってなければ


522 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:24:50
7世紀のヤマト王権の勢力図
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yamato_ja.png
369名無しさん@十周年 :2009/12/01(火) 19:42:59 ID:WO66JeJQ0
疑い出したらきりが無いけど、
総距離の12000里って本当に合ってるのか?
なんで途中から水行という表現に変わるのか?
じつは正確な里程がわかってなかったとか。
370名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:43:29 ID:g/OR/rTjP
>>315
どれほどチンタラ歩いて、どれほどゆっくり船旅を楽しんだら、
福岡から宇佐までに水行10日陸行1月なんて時間がかかるんだ?
道なき道を書き分けて進んだ方が早く着くぞ。
371名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:43:40 ID:n97L5yYf0
畿内説の先生だって無理あるのはわかっているんだよ
なんにも書いてないんだから
あるのは大人の事情だけ
邪馬台国っていわなきゃほぼ無関心てしょみんな
372名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:45:02 ID:s671FizH0
>>365
ちゃんと言葉で検討した上で、1になるんだよ。


方向がどちらでも、総距離12000里、伊都まで10500里。
伊都から1500里では畿内に届かないよ。

3、4
史料がいい加減、距離がおかしいとするなら、
日本の国内外、あらゆる場所に可能性が出てくる。
畿内も含めて、そこが邪馬台国だなんて言う事はできなくなるよ。
そうなったら、最早、「邪馬台国」という言葉から離れるしかないでしょ。
それでは意味がないでしょ。

「邪馬台国かどうかと関係なく、
 マキムクは大和朝廷に繋がる重要な遺跡だ」
という立場は、考古学の立場としては有りだと思うけどね。
373名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:46:28 ID:tPq9ul8k0
考古学的には畿内が有利とか言ってるけど、鉄がほとんど出土してないわけだろ
じゃあどうやってこの時代に全国を抑えていったのかな
卑弥呼が各地の王様を1人ずつ呪い殺していったのかw
まあ普通に考えれば木より鉄がある方が強いわな
374名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:46:29 ID:3VdVUqOU0
>>360
倭の北岸とは書かれていない。
それに倭の北岸というからには、既に倭へ上陸していなければならない。
このあたりの読みからして九州論者が邪馬台国をどうしても九州へ引っ張ってきたいがための曲解があるように見受けられる。
375名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:48:44 ID:RatsNKNv0
熊襲は
突然何も無いところから湧いて来たわけじゃないだろうし
7世紀以前からもそこで勢力を張ってたんだろうね
376名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:49:22 ID:s671FizH0
>>367
説明つかなくても、7000里、1000里といった数字と、
現代地図と、比定地の位置関係の比較からそうなるから仕方ないじゃないか。

水行・陸行は解釈に幅があるとしても、
実際に書かれた数字、総距離12000里に反するものは、
史料内矛盾になるからありえないだろ。

少なくとも、当時の編者はそのまま書いたんだから。
377名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:49:47 ID:n97L5yYf0
>>370
福岡から、なんて書いてないから
よんでみ
378名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:50:03 ID:ATZR+ol6O
>>370
特使が貢ぎ物に携えての工程なので、掻き分け道をつかって早くは移動をしないよ、軍事行動じゃあるまいし。
379名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:51:07 ID:kzn4txIt0
>>373
淡路島の製鉄、加工場跡の発見で見られるように、1世紀には、九州諸国が流通を押さえて、
瀬戸内を奥深くまで入り込んでたみたいだな。
出雲のルートもあるけど、やっぱり瀬戸内ルートのが重要。
で、2世紀の倭国大乱。力を蓄えた畿内+瀬戸内連合王国が、北九州諸国を通さずに文物を輸入し始める。
次が、3世紀の畿内勢力の急伸張。北九州諸国の没落。

鉄は大事だよ。
380名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:51:34 ID:RatsNKNv0
>>373
その畿内の勢力が
5世紀にはすっかり
南九州と東北を除いた地域を抑えちゃってるが
381名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:51:55 ID:Io++Jlrr0
180円で卑弥呼の事や邪馬壹国の事が分かる本が売っているから
最寄の書店で買って来るのがいいです。

「週刊マンガ日本史01 卑弥呼」(朝日新聞出版)2009年10月6日
...藤原カムイと言えば、「雷火」でも邪馬台国の時代を描いていたが、
この「週刊マンガ日本史」では可愛らしくミステリアスな卑弥呼を描き、
戦乱の弥生時代を描いており、また一コマ一コマの情報量が多くて楽しめた。
382名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:53:20 ID:gsr/yFOi0
「倭人」って、支那の史書での初出は「論衡」だったよな。
紀元前10世紀頃に倭人が周王に薬草持って来たとか。
「論衡」自体は紀元1世紀頃の成立らしいが。

記述が正しければ縄文時代の終わり頃には、既に倭人が支那中原までウロウロしてたコトになる。

まぁ、どうなんだか分からんけどな魏書の記述も。特に個別の話は。
邪馬台国の話も卑弥呼の話も、その史書が成立した頃の話と混ざってるかも知れんし。

邪馬台国が本当に倭(諸国連合)の中心的存在だったのかも、九州あたりの地方政権だったのかも。
383名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:05 ID:s671FizH0
>>374
「倭に至るには〜其の北岸 狗邪韓国に」という一文について、
そこは畿内説・九州説で争いないだろ?

帯方郡からの行程、対馬・壱岐に比定される島との位置関係からしても
韓国の南岸以外に、君はどういう可能性を考えているんだ?
384名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:10 ID:4pbcYbqA0
唐史に「和と言う国から使いが来たが、これは前に邪馬台国と呼ばれた国である」
って書いてるのは何で無視するの?
385名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:30 ID:Io++Jlrr0
>>380
5世紀初めには倭の五王が畿内を本拠地にして全国を治めました。
386名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:40 ID:tPq9ul8k0
>>379-380
3世紀の話だぞ。鉄なんて畿内からほとんど出土しないじゃないか
九州と畿内では100倍くらい違うぞ
387名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:48 ID:kUA3V7t10
>376
なんで、白髪三千丈の国の人が正確な距離を書いたと思うのかねえ?

誇張表現はあの国の伝統だろう

何千年も中国の玄関だった九州人はそのことを知っているけど、
つきあいのない近畿の人はそのことが分からないらしい。
388名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:54:57 ID:g/OR/rTjP
>>318
>これを当時の編者・読者は矛盾と思わず、そのまま書いたんだ。
>そんな矛盾は放置されるわけないよ。
まったく都合にいい解釈だな。
九州に収まる矛盾は綺麗な矛盾。
畿内に至る矛盾は汚い矛盾ってわけですね。
389名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:55:21 ID:WHM4xtB60
倭国大乱って、高地性集落の分布からして
瀬戸内海沿岸と畿内周辺だろ。
九州から出た勢力がだんだんと畿内まで勢力圏に治めて、
結果的に九州をはるかに上回る勢力になったんじゃないの
390名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:55:38 ID:A3OObD6U0
言い切って大丈夫なの?こういう人って「可能性がある」としか言わないと思ってた
391名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:56:38 ID:RvFJF9Ln0
>>376
位置関係の比率ってなんだ?
まず魏里430mが基本になるのは間違いない
当時は韓・倭の地理的認識が貧弱だったためかなり遠方にあるとして
半島も大きく、海峡も長くなったわけだ
半島が4,5倍になるという話だが
100里(すなわち44km)とされる伊都国〜奴国間はその比定地からやく30kmとされる
この100里を元にキミのいう比率を持ち出しても1300里は400kmになって九州縦断するんだけどね
392名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:57:30 ID:s671FizH0
>>382
倭人はその後も朝鮮南岸をきっちり押さえているしなあ。
中国へ行く苦労は、朝鮮人とそんなに変わらないだろうなあ。
393名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:58:19 ID:RatsNKNv0
>>386
5世紀には(宋書より)ってことね
征服事業自体はそれ以前から行われてた
同じレスするのもなんなので>>178
394名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:58:45 ID:n97L5yYf0
>>361
邪馬台国と関係のあるものなんかひとつもでてないから
つまんなくてもそれが現実
395名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:58:50 ID:OLIE+sDTO
まぁ九州はまず発掘して論より証拠。
まず卑弥呼とか耶馬台国より、人間が住んでいたか?
どういうコミュニティー形勢してたかを議論してほしい。

人ではなく死者と墓守りしか居なかったという極論もあるんだよ。
九州の墓守りが海外からの攻撃に対抗する勢力だったとか笑い話みたいだが、墓しか出土しない九州に対して推論として発表されたと言われた。
ホントに笑い話だが、墓しか出ないのがちょっと疑問。
墓の下に遺跡が更にあるのかもしれないが。
396名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:58:56 ID:kUA3V7t10
九州は大型台風がしょっちゅうくるから、河川の氾濫でみんな流されてしまって、
平地の大型集落は残ってないんだよ。山縁の小型集落だけが遺跡として発見される。

近畿圏は大型台風は来ないし、筑後川のような大型河川もなく洪水が少ない。
だらから遺跡として残ってるんだよ。
397名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:59:32 ID:j59B8mgl0
説得力のある証拠をもってこい
畿内説に今傾いているのは説得力のある証拠を積み上げてきた成果だろ
398名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 19:59:39 ID:s671FizH0
>>384
「明」という国から使いが来たが、これはかつての「唐」と呼ばれた国である。

明と唐は違う王朝でも、外国からすれば、
こう書いて不思議ではないんじゃないの?
399名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:01:19 ID:kzn4txIt0
>>396
そんな北朝鮮みたいな言い分…。

後代に至るまで、大河川の河口デルタのような場所は、長らく利用されなかったよ。
400名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:02:28 ID:kUA3V7t10
>397

気象と地形を考慮して、遺跡の残存確率検証しましたか?
それを考慮すると九州から遺跡が出なくても不思議ではない。
401名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:03:43 ID:s671FizH0
>>387
>なんで、白髪三千丈の国の人が正確な距離を書いたと思うのかねえ?

現代地図との比較で、ある程度の一致が見られるからでしょ。

もし、位置や距離の記述を放棄するなら、
あらゆる可能性が出てきて、邪馬台国自身が消えてしまうんじゃないかな。

その時は、邪馬台国から離れて、
考古学的成果は確実な大和朝廷との繋がりだけで考えるべきだと思うよ。

史料に頼らず、文字もない時代の考古学でわかることは、
ここは有力な国があっただろう、という推測だけだよ。
402名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:03:47 ID:WHM4xtB60
>>393
四道将軍って九州には来てないように見えるが・・・
九州を武力制圧したのは磐井まで無いだろ
403名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:04:09 ID:HvRBlm8TO
>>397
あとから発見されたからってのが意外にも大きい
404名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:04:49 ID:j59B8mgl0
>>400
ないから出ない可能性を検証しろ
405名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:05:57 ID:tebnKGJdO
歴史の流れを簡単に書くと
後漢の光武帝(西暦57年)が『漢委奴国王』の金印をあげる
(福岡市に奴国があった。福岡県前原市に伊都国王)

西暦239年
倭国連合のどこかに邪馬台国
魏が卑弥呼に渡したのは『親魏倭王』

3世紀ごろ
ヤマト王権(後の大和朝廷)
406名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:07:25 ID:gsr/yFOi0
はっきりしていることを書けば邪馬台国と大和朝廷との関係は不明とするしかないんだよなあ
この時代のことはあくまで文献+考古学的な遺物、遺跡の二つから解き明かしていくべき
正直な話連想ゲームのような推理のしかたはミスリードの危険がある
407名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:08:30 ID:RvFJF9Ln0
>>406
実際ちゃんとした学者はその辺分けてるな
だから神武東征とかそういう話はもってこない
408名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:08:40 ID:s671FizH0
>>388
どうして、当時の人にとって明確な矛盾が放置されたと思うの?

もし、当時の人が気付きようがなかったような、
現代人にとっての矛盾があるならともかく、
当時の人にとって明白な矛盾が存在するのは不自然だろ。

明確に書かれた総距離12000里と途中経過までの10500里の関係に
反する解釈は、そういう当時の人にとっても明白な矛盾になるよ。
409名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:09:11 ID:4pbcYbqA0
とりあえず東遷なんて頭から消し去れよ

当時の支配構造で言えば
豪族一党と支配下の集落の大移動なんだぜ
410名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:09:35 ID:OLIE+sDTO
>>400
だとしたら、奈良も大和川の氾濫した形跡がいくつも遺跡として遺ってる。
そういう形跡さえ残らないのが不思議なんだけど。

そういう話と卑弥呼、耶馬台国が現存したという話は別論だけど。
考古学では人が住む集落が発見、発掘できてないのは厳しい話。
411名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:10:35 ID:RatsNKNv0
>>402
四道将軍の時代で
九州方面を征服し切ったかどうかは分からないが
広開土王碑文にある4世紀末までには支配しただろうね
412名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:12:56 ID:MIZkPf450
>>372
>不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
>南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

ここからおかしいんだよ。南20日、投馬國「から」水行10日陸行1月
>総距離12000里
魏志の他国に関する記述を参考にすれば、12000里云々は遥か彼方程度の意味であり、実距離では無いとする研究
もあるんだよ
それにその通りなら残りはわずか100km程度となる。その途中に、戸数5万個の投馬国と、邪馬台国の戸数7万戸の
半数程度がその場所にいることになる。これはあり得ない

一番のネックは魏志倭人伝のもとになった記録の作成者が、投馬国と邪馬台国までの距離を知らないこと
413名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:13:24 ID:Q3QyJ4IgO
どうでもいいから短大生に避妊の仕方でも教えとけ。
414名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:15:23 ID:n97L5yYf0
>>395
極論もちだすほど苦しいんだよ畿内説は
日本はなかったとかいってるあいつらと同レベル
415名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:16:28 ID:s671FizH0
>>391
だから、その魏里は現代地図に反して明らかにおかしいでしょ。
でも、伊都国までの地名の距離関係・位置関係の比はほぼ正確だ。
つまり、倭人の里がおかしかったのか、原因はわからないが、
現代地図と同じ正確な関係が導き出されるじゃないか。
その正確性を全て無視するのか?

韓国南岸、対馬、壱岐の間隔1000里は現代では80−90キロでしょ。
1300里だと100-120キロくらいじゃないか。
416名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:17:29 ID:4pbcYbqA0
>>414
そうだよな
95〜99%の学者が畿内説を押すほど苦しいよな
417名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:18:56 ID:s671FizH0
>>397
その証拠は、「有力な国があった」証拠に過ぎないだろ。
「それが邪馬台国であった」という結論に全く繋がってないんだよ。

その間の証明を端折って、「ここが邪馬台国だ」というのは
論理の飛躍以外の何者でもないだろ。
418名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:19:53 ID:2wbxFlip0
>>407
神武東遷が記述されている古事記や日本書紀
は現存している日本最古の文献。
神話への姿勢はその中にどの程度真実が含まれて
いるか考える必要がある。
トロイの遺跡のような例もある。
419名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:20:47 ID:n97L5yYf0
奈良は田舎だから掘り返してるだけだよ
そんなことと邪馬台国の位置は全然関係ない
420名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:21:26 ID:8tbsJOO90
九州の北半分はどこ掘っても遺跡溝やら土器の欠片が出てくるからなぁ
いちいち調べてられん
工事で変なのが出てきたら、隠蔽するのが当たり前の県民性
吉野ヶ里は地元民の祟り騒動が昔からひどくて隠蔽に失敗した一部
421名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:22:01 ID:MIZkPf450
>>372
さらに九州説のおかしなところをいう。

末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはずだ。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。近いのだから、距離がわかるのが自然だ。日数で表記
しているのは、不自然。。邪馬台国と投馬国が九州にあるとすると、この表記の
不自然さが説明できない。
末盧国 伊都国 奴国 不弥国が沿岸にあるとしたら船中移動ができるはずなのに
邪馬台国に行くときは海に出ないと行けない。つまり九州の外に出なければ
ならなかったと考える方が自然で、そうすると投馬国と邪馬台国は本州か四国に
あると考えられる。
422名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:22:20 ID:6oy5Y4+20
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。
高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
423名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:22:22 ID:tebnKGJdO
昔に近畿にも大きな国はあったと思うよ
山幸彦 海幸彦の話で潮流にのってたどり着いたのが近畿なら
http://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/umisachiyamasachi.html
ちなみにこの話が神武天皇の東征につながる。神武は山幸彦の子孫だから
424名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:24:09 ID:MIZkPf450
>>420
それは畿内でも一緒だよ。
425名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:24:14 ID:OLIE+sDTO
>>414
逆でしょ?
九州は自分自身でぶち上げた九州説を証明できる史跡が出てこない。集落跡より墓だけがやたらに多い。
畿内〜中国、四国は極論はせずに集落跡や生活水準を明らかにしている。
卑弥呼や耶馬台国の位置議論してるのはマニアだけ。
学識者はそういう議論よりも年代特定の議論してる。
あと九州墓場論は九州の学者さんの一考察だからね。
笑い話にされたけど。
426名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:24:45 ID:j59B8mgl0
>>417
じゃ九州に邪馬台国に比定できるような規模の遺跡はあるのかよ
427名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:26:16 ID:F5KMKYVY0
山幸彦 海幸彦の話ってシュメール文明にも残っている古代インドヨーロッパ語族の
共通神話だよ。
428名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:26:27 ID:RvFJF9Ln0
>>415
全然わからない
じゃあなんで伊都国奴国間100里は無視するの?末慮国伊都国500里は比率でなんとかなるの?
429名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:28:08 ID:pkLOgY2h0
邪馬台国は島根県と鳥取県だよ。誰も信じないけどさ。
過去から現在まで永遠と情報操作と洗脳教育がされてるけどね。
430名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:28:39 ID:o7ls5rBc0
431名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:30:23 ID:GN7v29II0
まぁ現状、畿内の方が遺跡もみつかり、物証が多いからな。

九州じゃまだ全くといって良いほど開発が進んでないから
遺跡とか余りない。


432名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:30:59 ID:n97L5yYf0
>>416
ソースあるの?
433名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:31:23 ID:1xsZ62CWO
>>415
釜山、対馬、壱岐、九州の比率が正確だとは思えないか?
全部1000なんていかにもいい加減。
434名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:32:04 ID:F5KMKYVY0
卑弥呼は引越し魔だった。
435名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:32:04 ID:ZoNf1lCs0
ぶっちゃけ九州は必死にならざる得ない人がいっぱいいるからな
佐賀(吉野ヶ里)は大々的に卑弥呼で売ってるから違うとなると
観光価値激減、一方奈良はそれほど卑弥呼に興味持ってない
可哀想だから佐賀に譲ってやれ
436名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:34:00 ID:DTwZ9vjHO
思うに神武東征ってのは、出雲を挟み撃ちにするために「本国」から派遣された武装開拓団ってところだろうな。
おそらく天孫降臨も、この武装開拓団派遣の前例だろう。この場合は、クマソを挟撃するために阿蘇を越えて宮崎に赴いた、と。
つまり、北九州「本国」の意を受けた分家の勢力が宮崎→奈良と転進して地盤を築き、ついには独立して「本国」を吸収合併してしまった。そんな流れじゃなかろうか。
437名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:34:13 ID:BLVYqQWI0
邪馬台国ともあろうものが、九州ローカルではさみしいだろ。
438名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:34:52 ID:/SZv02jl0
邪馬台国について、論理的に物を考えられる人は、状況証拠から、畿内だと思ってる。
でも、論理的には、まだ100%じゃないから、口には出さない。
わざわざ「九州説を粉砕する!」などといった本を出すこともない。
知りたいことは、古代の日本の様相だから、ことさら畿内説を強弁するつもりもない。
だから、ネットなんかでの畿内説の声は小さいように見える。

一方、九州説は、印象だけで九州説を主張している。
論理的な話ができないから、論理的な畿内説とは議論がかみあわない。
畿内説側も、もう九州説の戯言の相手をするのはうんざりで、関わりたくないと思ってる。
ネットで議論に参加してくる畿内説派はよほどのヒマ人。

そういうわけで、相対的にネットでの発言力は九州説が優勢となる。
でも、それは現実と乖離したことであり、九州説は、ネット上でのみ発言が許されてるようなもの。

ためにし、街にでて、街頭で九州説をとつとつと語り、畿内説は陰謀だと、主張してみたらどうだろう?

”頭の不自由な人”と見られるのがオチである。

439名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:35:55 ID:OLIE+sDTO
>>434
そういう説もあったね(笑)
弘法大師伝説と同じ感じだと。
各地に卑弥呼をモチーフにした女王伝説が点在してる等

これはあくまでもマニア内議論。
440名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:36:54 ID:vCDxXtba0
>>魏里430mが基本
これの根拠は何なんだ。
441名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:38:06 ID:CKuVjccI0
九州の人は九州説を、近畿の人は近畿説を主張している。  そういうことだ
442名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:39:49 ID:tebnKGJdO
>>434
卑弥呼が何人もいた説もあり
卑弥呼は個人名でなく役職かもしれないし
443名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:39:59 ID:s671FizH0
>>412
狗邪韓国、対馬、壱岐までの位置関係の正確な描写と、
途中の伊都国までで確実に10500里を消化していることから考えても、
それと近似する12000里を、はるか彼方とするのは無理があるよ。

編者が、水行十日陸行一月を遠い距離と捉え、
「10500里の地点からさらに遠くにある」と認識しているなら、
はるか彼方と表現するには、16000里等を用いないとおかしいでしょ。

投馬国と邪馬台国については、残り1500里以内に
直線で並んでいると解釈したらそうなるね。
444名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:40:10 ID:pkLOgY2h0
とにかくさ、陰陽行理解しろって。
じゃないと、中国古文書の本質は理解できんよw
445名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:40:54 ID:1xsZ62CWO
>>440
魏史だからでしょう。
446名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:41:10 ID:Odo2d+NpO
この前、奈良に行ったんだけど、
古墳の数の多い事。
田んぼの真ん中に点在している物もあり、
実に笑えた。
447名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:43:08 ID:Ehzc+GUt0
少なくとも、天武天皇の時代の朝廷は、具体的な地名を出すことで
天皇家のルーツは九州である、という事をアピールしようとしていたのは確か
九州からやってきた、と天皇家自身が国家事業、記紀として後世に伝えようとしている

邪馬台国=ヤマト王権かどうかは判然としないけど
当時の朝廷にとって、非常に重要視される何かが九州にあったのは間違いない
もともと畿内だけだったとしたら、わざわざ九州を持ち出して権威付けする必要がない

そこらへんの、当時の政府の"意図"を畿内説は無視しているのだろうか?
448名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:43:37 ID:ZoNf1lCs0
>>441
それは違う
佐賀以外の九州人はどこでもいいと思ってるやつが大半
近畿は奈良人含めてどこでもいいと思ってる
だから声高に叫ぶ佐賀人の九州説が根強いだけ
吉野ヶ里行けばわかるが今更引き返せないくらい卑弥呼で売ってる
449名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:45:12 ID:1xsZ62CWO
>>444
理解していないやつが言っても説得力がまるでない。
450名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:46:10 ID:32HY2/C00
難しく考える必要はない。歴史は単純だ。
邪馬台国=ヤマタイコク=ヤマトコク=奈良。
ほら奈良になっただろ。学者は頭良すぎて身近なところに答えあるのに気付かないんだよな。
451名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:46:26 ID:MIZkPf450
>>443
じゃ、100km足らずの投馬國と邪馬台国のところの具体的な距離をいえないんだ?
おまけにその間に5万戸と7万戸の半数がなければおかしい。そんなものでてこないでしょ?
452名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:49:02 ID:n97L5yYf0
>>425
九州説をぶちあげた人格なんてないし意味ないよ?
発掘が進んでいないから駄目なんて議論はないよ
453名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:50:19 ID:s671FizH0
>>451
投馬‐邪馬台国が、この順番で直線に並んではないからだよ。
一部、放射説という奴だね。

距離を置かないのは、当時の人にとって、
総距離から直前の国までの距離をひけば理解できるからだろ。
454名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:50:29 ID:/SZv02jl0
簡単な思考実験だ。
九州に邪馬台国があったとしよう。

では、その九州にあった邪馬台国はその後どうなったか?
4世紀には、確実に畿内に大和王権が生まれている。
大きく3説にわかれるだろう。

A.九州の邪馬台国は、畿内の大和王権に併合された
B.九州の邪馬台国は、東遷して畿内の大和王権になった。
C.九州の邪馬台国は、その後、九州王朝となり、畿内の大和王権と並存した。

九州に邪馬台国があったと仮定した場合に論理的に最も可能性があるのは、A。
だから、Aを主張する九州説(>>1とか)とは、まだ議論の余地がある。
Cは、ほとんどありえないので、無視できる。
問題はBだが、一言で「東遷した」と言ってるが、
九州の邪馬台国が畿内に東遷したような証拠は何も無いのである。
どうも、神武東征と絡めているようだが、魏志倭人伝と日本神話を同列に語るロジックはおかしい。

「邪馬台国」は魏志倭人伝にしか出てこないから、「魏志倭人伝だけを読むべきだ」と、
九州説側はさんざん主張していたのに、邪馬台国が東遷したという根拠を記紀神話に求めている。
しかも、記紀神話を恣意的に解釈し、神武東征は紀元前の話なのに4世紀だなどという。
これは、魏志倭人伝の「南を東に読み替える」のに等しい乱暴な行為だ。

神武東征を強弁するなら、先に神武東征が事実だった証拠を提示すべきだが、それもなされていないし、しようともしない。



455名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:51:31 ID:kzn4txIt0
>>447
まあ、そのレベルだろうな。
実際、九州出身の豪族、王族も混じっていただろう。
旧楚の遺民が、九州、朝鮮半島南端部に住み着き始めたのも事実だし。
朝鮮半島(その出身者)の利権を巡って、正統性を主張するために必要なことだったのかもしれない。

3世紀半ばに巨大な王権が奈良にあった。前方後円墳から見て、その後も継続している。
その事実だけで、邪馬台国が瞬時に東征して天皇家。だの、アマテラスだ。等という妄想が潰えるので、
実際、邪馬台国は何処にあっても構わない。
佐賀が欲しけりゃ持って行って、等身大フィギュアでも飾ってろ。って感じ。
456名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:51:50 ID:A3OObD6U0
もー九州北部と近畿まで国だったってことでいいじゃん。と東北人のオレがいってみる
457名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:52:46 ID:s671FizH0
>>428
当時の人の計測に従って、
ある程度正確に書かれているから、
誤差はあっても、なんとかなるでしょ。

>>433
帯方‐狗邪韓国‐対馬‐壱岐間は、
現代地図で見ても、だいたい7:1:1になってるだろ?

完全に正確ではなくとも、
2倍とズレはないんじゃないか?
458名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:53:38 ID:MIZkPf450
>>453
ん〜わからない
i直線で並んでいなくても、そんな距離なら表せるでしょ?
>総距離から直前の国までの距離をひけば理解できるからだろ。
これも説得力無いなぁ。一番大切な部分だし。
結局、近いならわざわざ日数でいうはずないはず。
459名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:54:55 ID:s671FizH0
>>424
実際のところ、現場は知らないが、
奈良は、記紀や大和朝廷との関係が濃密だから、
研究者も多いし、予算付きやすいんじゃないの?
460名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:57:20 ID:AEv73+NmO
どっちでもいいけどな。
奈良も九州も繁栄していたんだね。
461名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 20:58:23 ID:n97L5yYf0
>>438
なにひとつ記述がないのに
なにが論理的なんですか?
だいじょぶですか?
462名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:00:42 ID:K5OXaZoc0
どうだっていいよ。
もう卑弥呼の遺伝子はこの世に残ってないし、
邪馬台国の文化も現代に何の影響も持っていない。
こんな意味のない研究に金とエネルギーを費やすのはもうやめよう。
463名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:03:25 ID:Ehzc+GUt0
物証も無いのにどっち、とは決め付けられない
まだせいぜい推論で、九州説か畿内説かを主張する段階でしかない

邪馬台国を実証する信憑性が高い物証となると
やはり
・「親魏倭王」の金印
・規模と副葬品が魏志倭人伝の記述に近い遺跡
の、どちらかしかないだろうな

それらが出てくるまでは、どっちか、と言い切れる段階ではない。

なのに、九州説も畿内説も
確たる証拠がまだ出ていないにも関わらず
メディアは畿内説を猛プッシュして、畿内説だと決め付けにかかっている
あのマスゴミが

だから、畿内説は怪しいんだよなあ
九州説支持論に比べると、相手を罵倒することも多いし。
464名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:04:57 ID:/SZv02jl0
九州説側は、また違った角度で、畿内説を批判してくる。

「記紀神話では、天皇の祖が九州から来ているとしてあるのだから、九州からの東征は事実だった。」
として東遷説を強弁するのだ。

これはおかしな話で、畿内説は、神武東征を否定するわけではない。
神話では神武東征は紀元前660年の話であり、しかも橿原の一角を占領できただけの話だ。
実際に、古代に、九州の一部族が畿内に入植してきたことはあったかもしれない。
紀元前かもしれないし、1世紀かもしれないし、2世紀かもしれない。

が、それだけの話だ。その部族が後に天皇家になったとしても、それは偶然だ。
吉備から入植した部族が天皇家になったかもしれないし、丹波から入植した部族が天皇家になったかもしれないし、
尾張から入植した部族が天皇家になったかもしれないし、関東から入植した部族が天皇家になったかもしれないし、
全国から入植してきた部族のうち、たまたま、九州出身の族長が、後に大王になったというだけのことである。

東遷説を強弁するなら、九州からの王家の移動が4世紀だと証明する必要がある。が、これがまったくできていない。

465名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:05:29 ID:1xsZ62CWO
>>447
九州がなにもない田舎だったなんてことは誰も言ってないだろ。
天皇家のルーツが九州だとしても、邪馬台国が九州にあったか否かとは別問題。
鎌倉時代の坂東武者だって京の公家や皇統の出自であることを必至でアピールしてただろ?
政治の実権は鎌倉に移って、政治の中心は鎌倉になっているのに。
3-4世紀当時には北九州地域の方が洗練された都会で、畿内は兵力に勝るだけの
むさ苦しい田舎だったとすれば、畿内の豪族が九州出身であることをアピールするのは自然なこと。
だからといって、3世紀の時点で、政治の中心が九州にあったことの証明にはならないし、
邪馬台国が九州にあった証明にもならない。
466名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:09:57 ID:tPq9ul8k0
>>454
>九州の邪馬台国が畿内に東遷したような証拠は何も無いのである。

銅鐸文化が一気に消滅した。これが東遷説の根拠だろ
467名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:13:21 ID:kzn4txIt0
鯨面文身が消えたのも?

楚が消え、項羽が死に、漢も終わり。おまいら未だやってんの?
って言われて消えたのか。
と思ってたら、異民族に征服されて消えたのか。
面白いな。
468名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:14:05 ID:Ehzc+GUt0
>>465
その通り。
邪馬台国が大和朝廷かどうかも、どこにあったのかも不明なはず

だが、大きい建物が出た→卑弥呼の宮殿に違いない
と決め付けるマスゴミの意図は何かと言うと、
学術的なものではなく、政治的な目的な気がするんだよね

だから、そういう目的の事実の歪曲や、論理的でない罵倒や侮蔑は徹底的に排除したいもんだよね?
知りたいものは事実であって、プロパガンダや観光セールスではないわけだから。
469名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:17:55 ID:/SZv02jl0
「九州の邪馬台国が東遷して、大和王権ができた」
というロジックが九州説の根底にある。

だから、畿内説などまったくありえない話なのだ。議論の余地もない話なのだ。
九州説ありき、東遷ありきで、魏志倭人伝や記紀神話を語るので、非常に始末が悪い。

少し、頭のいい九州説の人は、はじめから東遷説を語ると論破される恐れがあるので、
東遷説であることを隠している。
注意すべきは、「東遷説であることを隠して、九州説を主張する人」だ。
一見、論理的に畿内説側と議論できているようにみえても、接点が見つかることは絶対無い。
議論するだけ時間の無駄になるだけだ。

時間を無駄にしないために、一つ、提案しておくことがある。
九州説の人に「あなたは東遷説ですか?」と聞いてみることだ。

あいてが東遷説なら、「邪馬台国は九州か畿内か?」という議論の前に、
「九州からの東遷があったという根拠は何か?」を先に問い詰めると良い。
相手は、口を閉ざすから、少しは時間の節約になるだろう。

470名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:20:16 ID:JCUKEtQg0
佐賀って頭悪いのしかいないな
471名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:20:48 ID:uPW0EjTHO
もう間をとって、鳥取県でいいじゃない。
472名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:21:09 ID:WHM4xtB60
>>411
その割には、魏志の邪馬台国の時代も、朝鮮半島進出の時代も
すんなりと北部九州を窓口にして交易できてるのが不自然なんだよ
2世紀から3世紀には既に北部九州と畿内の勢力は何かしら連合国家的な
繋がりがあったんじゃないのかね。
473名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:27:02 ID:49ThKpWX0 BE:324468443-2BP(0)
>>457
なぜ壱岐-末廬は都合よく見落とすの?
同じ1000里なのにw
狗邪韓国-対馬間とは倍以上違うぞ?:
474名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:28:52 ID:cRfdiFZS0
>>469
お前の邪馬台国=大和朝廷の前提の方がどう見てもキチガイ
475名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:30:11 ID:Ehzc+GUt0
両説に確実に関連する、事実だけ並べてみる

・魏志や記紀に古代の王権についての記述がある
・魏志の邪馬台国には南洋文化が記述されている
・記紀には天皇家のルーツが九州であると記述されている

・九州と畿内に大規模な遺跡がある
・宮内庁が古墳の発掘を許可しない
・日本全国で工事を名目に、遺跡の破壊が数多く行なわれている

・日本の考古学界には捏造がまかり通っている時期があった
・マスゴミが邪馬台国畿内説をプッシュする←NEW!!

建前はともかく、天皇家に関連するものは
やはり、政治的な意図が大きく働いている結果である可能性が高いと思う
476名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:30:20 ID:tPq9ul8k0
>>472
畿内説にたてば、そう考えるしかないわなw
でも普通に考えればおかしいわな
四道将軍を派遣してやっとこそ畿内周辺を平定した時代に
北部九州経由で魏に使いを送るなんて、そんな余裕はないわな
477名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:30:28 ID:A3OObD6U0
そうだ。四国にしよう
478名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:32:00 ID:OZcK2fjQ0
四国は修羅の国です
479名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:34:42 ID:WHM4xtB60
>>476
邪馬台国以前の時代に先進地域の九州の勢力が瀬戸内海沿岸を制して
畿内へと東遷していたと考えればしっくりくるんだけどな
480名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:36:53 ID:tPq9ul8k0
>>479
しっくりくるね。でもなぜだか東遷は畿内説の人が怒り狂うからな
困ったもんだよ
481名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:40:15 ID:g/OR/rTjP
>>476
信長や秀吉だって中国地方から西を平定していない時代にも
朝鮮などへの交易船は瀬戸内海を通って出してたぞ?
482名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:42:48 ID:n97L5yYf0
>>438
なにひとつ記述がないのに
なにが論理的なんですか?
だいじょぶですか?
483名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:43:19 ID:/SZv02jl0
>>480

>>479のケースは否定しない。

1〜2世紀の間に、九州・吉備から先進の文物を持った集団が畿内で大和王権を築いたことはありうる。

畿内大和王権を邪馬台国といっても良いし、九州の邪馬台国と畿内の大和王権が並立していてもおかしくはない。

ただし、東遷説の言うような邪馬台国以後の東遷はありえない。


484名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:43:43 ID:WHM4xtB60
>>480
そう。大和って、熊襲征伐はや半島遠征にはやたら熱心な割に、
継体天皇のころの磐井の乱まで北部九州はほったらかしだったんだぜ
継体天皇は越前出身で大王の家系からえらい遠いから、
それが何か関係あるのかもわからんが
485名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:43:45 ID:Ehzc+GUt0
畿内説の人というより、
邪馬台国=大和朝廷論の人じゃね?

場所がどこか論争と、わざと混同させるのはやめて欲しいかな
486名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:44:27 ID:cJF62U9N0
断末魔の叫びって感じだな
残念ながら機内で決まりだよ
487名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:45:01 ID:uj/qyseZ0
みんな
邪馬台国=大和王権にこだわり過ぎ
488名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:45:10 ID:zrbdxDhb0
>>475
あんた、やたら「政治的」って言葉使うけどさぁ…
どういう連中が、どういう政治的意図で邪馬台国畿内説を唱えっているって言いたいの?

むしろ、あんたの方が何か政治的思想的な意図で必死に邪馬台国畿内説を否定したがっていうように思えるんだが…
489名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:45:37 ID:/+MP1M8q0
何か必死さと言うか悲壮感出てるな
490名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:45:49 ID:4pbcYbqA0
>>479
その時代に畿内に戦争の後がねーのよ
さらに集落の守りも無くなっていくんだよ
491名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:47:24 ID:rpqHEiBP0
>>436 
出雲を大和朝廷の敵としてとらえるのであれば磐井のように逆賊扱いでいいじゃん。
国を譲ってもらった後に、わざわざ出雲大社まで建ててやることないだろう。
492名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:47:56 ID:Ehzc+GUt0
>>486
この手の無内容な煽りが必ず多くなるが、畿内説の残念なところ
・・・と散々指摘されたら、こんどはなりすまし九州説が池沼のふりをし始めるのかな
493名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:48:59 ID:tPq9ul8k0
>>484
ヤマトタケルにしても神功皇后にしても北部九州はスルーだもんな
九州を平定するなら真っ先にこの地域だろうが、なぜかスルー
しかも宮まで作って、そこを拠点にさえしてる。おかしいね
494名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:50:00 ID:QQE75oPz0
>>487
そうなのよね
たまたま一回だけ中国の文献に載ってたクニが
その後の統一王朝につながる可能性なんて薄いんじゃね
495名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:50:17 ID:OLIE+sDTO
卑弥呼や耶馬台国の存在すら疑問視されてるんだが。
最近の学校じゃあ伝説の人扱いで九州か畿内に居た可能性もあるけど実在証明する文献自体が怪しいので参考にならないと切り捨てられてる。
最近のマスコミは卑弥呼論争より2012年マヤ文明論争がお気に入りらしい。
496名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:50:24 ID:/SZv02jl0
九州の邪馬台国と畿内の大和王権が並立していてもおかしくはない。
というのが、まともな答えだと思う。

魏志時倭人伝を論拠とする九州説も、考古学を論拠とする畿内説も、同意できるはずだ。

東遷説だけが、「3世紀の畿内に大和王権なんて無い」と、反論してくるだろう。
東遷説が、九州説、畿内説双方にとって面倒な存在なのがおわかりだろうか?
九州説、畿内説では、建設的な地域王権の話ができるが、
東遷説とだけは、議論が成立しない。

東遷説側は、東遷説であることを隠し、九州説のフリをして、
「マキムクが3世紀だというのはインチキで実際は4世紀だ」と攻撃してくる。
東遷説に立つなら、東遷が事実だからマキムクは4世紀なのだと、
東遷が事実だという論証を先に行うべきなのである。

497名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:51:58 ID:cJF62U9N0
>>79
邪馬台国が崩壊したのは大和朝廷の成立より遥か以前だろうね
498名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:52:07 ID:w8+8xNk60
>>483
なんで?
卑弥呼(天照大神)が死んでとよの時代に全九州を邪馬台国が制圧し、
その一派(神武)が東漸したと言うことで、記紀と記述が一致するだろ。
記紀って読めば読むほど歴史的な事実を反映しているなーって感心するぞ。
499名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:53:20 ID:WHM4xtB60
>>490
高地性集落の分布が、最初は中部瀬戸内と大阪湾岸、その後は近畿とその周辺部へと
時代とともに遷移してるんだよ
その時期の九州は逆に、吉野ヶ里みたく、掘埋めたりして最後は平地に住むようになってる
500名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:54:53 ID:LIHehrBJO
九州の人は邪馬台国で町おこしでもしたいのか?
501名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:56:17 ID:WHM4xtB60
>>498
卑弥呼を崇神時代の大倭姫(=モモソ)と考えるとけっこうしっくりくる
というか、最近の畿内説ってそういう前提じゃないのかね
502名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:56:30 ID:/SZv02jl0
>>498

恣意的に神話を解釈して「それが事実だ」する手法は関心しない。

神話が、まずどこまで事実だったかを先に論証すべし。

神武は個人として実在したのか?
年代はいつか?
その証拠は?

「神武東征は事実の投影だから、東遷は事実だ」
「東遷は事実だから、神武東征は事実だ」
↑これではダメですよ。
循環論法になりますからね。



503名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 21:58:48 ID:YjjqZnxf0
>>496
その場合、大和王朝の「神武東征」はいつ頃あったということになるのかな?

邪馬台国は3世紀に存在した国で、3世紀半ばに卑弥呼が死んでいる。
大和王朝は、10代崇神が実在していたとすれば、3世紀から4世紀にかけての人物と
考えられている。
崇神の前は欠史八代で実在性が疑問。
神武から崇神に継承されたと見るか、あるいは神武=崇神だとすると、
神武東征は3世紀に行われたことになり、卑弥呼は東征中の神武と戦ってるような
ことになってるはず。
504名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:01:38 ID:QQE75oPz0
>>503
神武=崇神なら、なんでわざわざ書き直す必要あるんかな
しかも間に8代も架空の人物つくって。

いや、ケチつけてるわけじゃなくて、素朴な疑問。
505名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:02:21 ID:Ehzc+GUt0
記紀には東の国にニギハヤヒやナガスネヒコの治める国があったて書かれてるんだから
九州と畿内、別々の勢力があったと考えるのが自然

九州説だと倭人伝および記紀の記述がしっくりとあてはまる
畿内説ではかなりアクロバティックな解釈をしないと、これらの文献があてはまらないので
文献は無意味と言い出す。
506名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:04:42 ID:A3OObD6U0
邪馬台国って連合国家じゃないの?
大乱って九州だけで争いしてたのかよ
507名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:05:25 ID:WHM4xtB60
>>503
「高地性集落の分布年代」だけを考えると、東征みたいなことがあったとしたら
弥生中期から後期にかけてと考えることもできる。
紀元前から1世紀の奴国が漢から金印もらった時期あたり。
あくまでも「九州勢力の東征があったとしたら」という前提だけどね。
508名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:07:03 ID:OSPjxIxy0
畿内説は初代天皇が九州から来たということも認めないのかい?
509名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:08:41 ID:LVnHHf3d0
こんなところで議論してる暇があるなら、タイムマシンを作れよ
と思いたくもなる。

もう親魏倭王の金印を誰か偽造して九州でも機内でも好きな方に埋めてこいよ。
ゴッドハンドが見破れなかったんだから、いけるだろ
510名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:10:55 ID:OLIE+sDTO
>>504
う〜ん。笑われるかもしれないけど現在の北朝鮮の首領様と同じく伝説をどんどん作り作為的に王君を主張するみたいな。
生まれた地域や祖先なんて神話はフィクション性高い。

どこから勝ち上がったかはわからないが、とりあえず俺は歴史あるんだと主張するのが権力者の常。
歴史で説明しきれないわけわからん伝説は日本だけでなく、世界各国あるからね。


あとそういう不透明な時代だから卑弥呼伝説が各地に起きたとか。

ホント、九州や畿内にとらわれないで各地の卑弥呼伝説調べたら面白い。
弘法大師伝説も同じだけど。
511名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:11:44 ID:srs1CALSO
古事記のとよ鍬入姫(巻向)と倭姫が三種の神器を持って天照大神の鎮座する地を探す話に似てるね
512名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:18:19 ID:YjjqZnxf0
>>508
大和王朝を作った天孫系は、南九州にルーツがあるんだろうけどねえ。

しかし、古事記の記述だと、天孫系ってのは、おかしな行動するよな。
出雲王朝に対して「その土地は俺たちの土地だ」と言って追い出しておきながら、
出雲じゃなく九州の日向が「ここが一番いいところだ」と言い出して、
そこに住んじゃうんだよな。しかも、いい場所に住んだはずなのに、
「ここは西過ぎる」とか言い出して、東征を始めちゃう。

最初から、出雲に住んどけよ。
513名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:18:23 ID:EsSq3QwUO
>>505
九州説だってかなりアクロバティックなウルトラCだろww
514名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:18:31 ID:A6Dqc5tC0
>>1
全てが「東遷説」を否定し得ないというあほな学長w
515名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:19:45 ID:DTwZ9vjHO
>>491
「本国」の当初の目的は出雲挟撃だったのだが、実際には大和が翻意してしまって出雲=大和連合が出来たと思われ。
出雲は大和の宗主権を認める代わりに、祭祀権を保証してもらったようだ。これがおそらく崇神の頃。
(大和は神宝の検分とか言って祭祀権も取り上げようとしたが、不調に終わった)
516名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:20:14 ID:Ehzc+GUt0
>>513
まあ畿内説で東征を説明してから言えよ
517名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:22:34 ID:g/OR/rTjP
>>494
邪馬台国が大和朝廷なら、一回だけ載った国じゃないじゃん。
518名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:22:47 ID:EsSq3QwUO
>>505
あと、倭人伝がしっくり当てはまるのは海の上ってことになるの知ってますよね?
519名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:24:58 ID:w8+8xNk60
>>512
分家が増えたんだろ。
520名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:29:11 ID:Ehzc+GUt0
>>518
「しっくり」と「正確」のニュアンスがわからない人?
521名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:40:10 ID:EsSq3QwUO
>>520
えーと、九州説も畿内説も都合のいいように捻曲げてるってこと言いたいんだけど
証拠が出ない以上答えは「どちらでもない」だろ つーか現時点ではどーでもいいし双方の言い分が笑えるだけだから
まあ夢見るロマンチストを止めたりしないから好きなだけ語れや
522名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:41:20 ID:TJWaoGde0
邪馬台国が東遷した、ということには即繋がらないが、何らかの勢力が九州から畿内に移ったということは考えられる。
安本美典の「邪馬台国東遷説」に、以下の地図上の類似点が挙げられている。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm

邪馬台国は乱れてた諸国が卑弥呼を”共立”して出来た国。卑弥呼が死ねば遠からず滅びるのは、予想がつく。
”共立”してたクニが求心力を失えば、バラバラになって滅亡だろう。
邪馬台国が東遷したとは思えないが、この”地図上の一致”は何となく看過できない。
523名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:42:32 ID:scuK0z4F0
お前ら頼むから大阪の池上曽根遺跡を無視しないでくれ
吉野ヶ里遺跡に匹敵する環濠集落だし、当然いろんな物が出土している

ここからは俺の意見だけど、邪馬台国が池上曽根遺跡から奈良の諸々の
遺跡のあたりまでを含む範囲だったとするとわりとしっくり来る
倭人伝の「潜って魚を採る」は内陸の奈良では不自然だし、
奈良県内で人が住んでた集落跡が見つからないのも人口は
沿岸の大阪側に集中していたと考えられる
524名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:42:34 ID:DTwZ9vjHO
>>504
崇神は実は、神武王朝の簒奪者だったんだよ。
だからこの時期に、天照大神の宮中での奉祭を取り止めて巫女と神鏡を追い出したり、突如対外膨張路線に転じたり、出雲と同盟組んだりと、色々とおかしなことがある。
欠史八代の伝記が失われてるのは、まさに「消されて」しまったんだろうな。
525名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:44:58 ID:E0Rn57Zy0
もうどっちかわからないほうがみんな都合いいだろ。
特定されたら仕事なくなる人とか結構いるだろ。
526名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:51:15 ID:srs1CALSO
>>442
たぶん卑弥呼は日の巫女でシャーマンの事だよ


古代は太陽信仰が主流だからね
527名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:52:03 ID:OZcK2fjQ0
そして太陽神はアマテラス
528名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:52:25 ID:Ehzc+GUt0
>>521
どうでもいいとか言ってるわりに倭人伝の距離の記述にうるさいんだな
九州説だとそれ以外の習俗や地名の説明が捻じ曲げなくとも付くだろ
それに比べて畿内説は全部捻じ曲げなければ付かない
529名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:53:55 ID:/SZv02jl0
>>522

地名の類似とかいうのは、まやかし。
後の大宰府のできたときに、畿内から九州に移植したとも考えられる。
その九州の地名が3世紀に存在し、畿内には無かったという証明が必要。

証明ができなければ、なんの根拠にもなりえない。
530名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:55:56 ID:YjjqZnxf0
>>524
崇神が神武王朝の簒奪者だとすると、
邪馬台国畿内説に立つなら、卑弥呼時代の邪馬台国は、東征後の神武王朝の国だったが、
崇神が王朝を簒奪し、女王国の痕跡を消してしまったということになるのかいな。
531名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:56:57 ID:irH5hHjk0
とりあえず九州は遺跡さがせよ
モノがないと何を言っても意味がない
532名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 22:58:19 ID:KTPFhQCBO
邪馬台国は全国的にあったんだよ
533名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:00:10 ID:dhimigs0O
魏志倭人伝が厨ニ病な奴が作ったエセ歴史小説的なもので
卑弥呼なんかも「俺が考えた超カコイイ女王様」だった可能性はないのか?
534名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:02:03 ID:lZP581g+0
>>311
↑を書いた者だけれどもう少し言わせて・・・

魏志倭人伝は偏見と誤解だらけの文献として読むことが大事ということは
高島先生だって先刻承知のことなんだ。しかし、九州説をとるには、もはや魏志倭人伝
の記述に頼るしかないのだ。それは、社会的アピールにはなりえても、学問の世界
では無意味であることは本人もよくご存じ。本人の心はもう折れているとおもうよ。
535名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:02:54 ID:QQE75oPz0
>>530
東征にも疑問あってさ、
・何で東征したのか
・なんで畿内で東征は終わったのか
って考えると、そこに同程度の大きな敵がいたから、って考えるのが普通だと思うのよね。

となると、神武の東征の前も畿内には有力な勢力があった、ってことなんかな
536名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:04:19 ID:LVnHHf3d0
>>533
明史なんかの記述を見ると、その可能性も否定できんわな
537名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:04:22 ID:OZcK2fjQ0
東遷って何でしたの?
538名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:05:28 ID:OLIE+sDTO
>>523
結び付けは難しいが奈良でも潜って漁するのは確実にあったとされてるよ。
川せき止め溜める技術はかなり古代からあったとされてる。
古墳時代のお堀に水溜める技術はその発展流用とか。
ただ何回も繰り返しになるが、それだけで卑弥呼は畿内とかは絶対に主張できない。
539名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:06:29 ID:YjjqZnxf0
>>535
古事記の記述だと、神武東征は、大阪に来るまでは、各土地の豪族が
神武の威光にひれ伏してあっさり降ってきたけど、大阪ではナガスネヒコの
激しい抵抗にあい、神武天皇の兄が戦死するなど大苦戦。
結局、いったん退却し、熊野までぐるっとまわって、畿内に侵攻しなおしてたりするね。
540名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:08:16 ID:BgTJlYqKO
船頭さん、あの国はなんていうの?

外人さん、船の舳先に立つと邪魔たい

ジャマタイ…邪馬台国ね
541名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:08:53 ID:EsSq3QwUO
>>528
そうそう、それそれ
その「距離の記述はまぁ置いといて」ってのが笑えるって言ってんの だから距離の話を振ったんだよw
542名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:12:06 ID:scuK0z4F0
>>538
それは知らなかった
詳しく調べてみるわ

もうひとつ俺が根拠にしてるのは、倭人伝にある戸数を
合計すると三十万戸ぐらいになるからどう頑張っても筑紫平野
だけでは収まりきらないと思う
…やっぱり畿内で無いといけない必然性はないか
543名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:12:08 ID:iyf7HIDB0
邪馬台国へ行く途中に、伊都国という国が登場する。

他の国に比べて、伊都とはずいぶんいい字を使っている。
それどころか、「都」とは、当時でも蜀の都を成都と呼んだように
みやこの意味があったはずである。

「邪馬台国」「卑弥呼」などと蔑んだ漢字を使っているのに比べ
この扱いの違いはなんだろうか。

倭人伝を読むと、卑弥呼はあくまで象徴的、巫女的な存在で
実際の権力を持っていたようには感じない。
逆に、伊都国には「一大卒」というものが置かれ、各国を巡察していて、
諸国はこの一大卒を非常に恐れているとも書かれている。

伊都国が、現在の福岡県糸島あたりというのは
畿内説・九州説とも一致した見解である。

都の字を使い、一大卒の存在。
実は伊都国こそが、首都だったのではないだろうか。
544名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:15:29 ID:QQE75oPz0
>>539
なるほど。
じゃ、東征によって畿内から九州までの道の安全性が確保されたってことかなぁ。
東征がないと畿内説も成立しない可能性は高いのね
まぁ、古事記によると、だけど。
545名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:18:50 ID:DTwZ9vjHO
>>530
紀記みると分かるけれども、崇神朝あたりは明らかに古墳時代の幕開け頃で、一方の邪馬台国はどうも弥生臭が強すぎる。時代が合わないか、別地域と考えるのが自然。
(神武東征などは、配下の久米族が黥面してたりとまだまだ弥生臭がある)
546名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:25:09 ID:srs1CALSO
雲を掴むような話だな
547名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:26:20 ID:3VdVUqOU0
当時は、大阪が水中で奈良が海に接していたのなら、奈良付近で7万戸の世帯人口を養うのは可能だな。
邪馬台国畿内説が信憑性を帯びてくるよ。

魏志倭人伝では、九州に邪馬台国の出張所があることは認められても、邪馬台国の本部はそこからかなり遠方だ。
女王国から東へ海を千里の距離渡って同じく倭人の国に着くと書いてあるから、これが八丈島あたりのことではないか?
すると、魏志倭人伝にある千里の距離の大体の目安がつくだろう。
548名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:27:48 ID:DTwZ9vjHO
>>539
>各土地の豪族が
> 神武の威光にひれ伏してあっさり降ってきた

そういう風には読めない。むしろ、単に客分として饗応されただけのように見える。放浪中の劉備玄徳一行に似ている。
549名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:34:39 ID:scuK0z4F0
>>547
だから奈良は海に接してないって
池上曽根遺跡を沈めるなw
550名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:36:06 ID:k8JgPdJW0
>>547
奈良が生駒山脈を越えて海に接してたのか。w
551名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:39:36 ID:Ehzc+GUt0
>>541
だから、どうでもいいとか言っておきながら
畿内説擁護だけしていくんだねって言ってるんだよw
552名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:40:02 ID:OLIE+sDTO
だからさぁ古代文献だけで歴史語りは止めたほうがよい。
二千年の間に改ざんされたり、都合悪い部分は消えたりというのが世の常。
まず耶馬台国と卑弥呼は忘れて、遺跡から出てきたものと地域相関図をマッピングしたら面白い結果出るらしい。

東日本にもいくつか遺跡はあるから人の流れは推定できるらしい。
ただあくまでも推定領域。
553名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:41:40 ID:uj/qyseZ0
邪馬台国とリンクしなくたって大和王権は立派な国だった、でいいんじゃね?
みんなそんなに卑弥呼が好きなのか?あんなババアのどこがいいんだよまったく。
554名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:42:17 ID:k8JgPdJW0
>>553
ババアも若いときは若いんだw
555名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:47:15 ID:OLIE+sDTO
>>547
奈良は海に接してはないね。
>>549-550
大和川が今よりもっと海に近いとか議論、想定されてるよね。
556名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:47:22 ID:tebnKGJdO
>>548
邪馬台国と後の大和朝廷が関係ある説をとって
近畿説を取っている人は、神武天皇の東征も一応考える必要はあるよ
神武天皇の東征が邪馬台国より早いなら
魏の使者が伊都までしか来てない可能性もあるし、伊都は行政中心みたいな事を書いてあるから。魏の使者は実際の首都(近畿まで)行く必要はないと判断したかもしれない
557名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:52:46 ID:lLLH+SmO0
何で邪馬台国ごときにこだわる連中がいるのか理解不能状態。
当時の中国と日本の文明力の差は異常wwwww
558名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:54:29 ID:Ehzc+GUt0
邪馬台国=大和朝廷かどうかに関わらず
畿内説では神武東征を説明できない

九州説は邪馬台国が大和朝廷であってもなくても関係ないしね
邪馬台=大和説と、所在地論争は別のものだから
559名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:56:00 ID:EsSq3QwUO
>>551
だから別に畿内説擁護してないって>>521読んでくれ 単にあんたが九州説論者だから九州説を笑ってるだけで
>>552に概ね同意 記憶スケッチ並に当てにならない魏志倭人伝なんか頼らないほうがいい 

なんだかんだで九州も惜しいとこまでいってると思うんだ あとは出たモノ示せってんだよ

寝よ
560名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:57:18 ID:k8JgPdJW0
>>559
じゃあ日本書紀も当てにならんと言うことですねw
561名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:58:58 ID:tebnKGJdO
>>556ですレス番間違ったすいません

上記とは別の件
神武天皇の東征ですが。こんな説も考えられます(あくまで妄想なんでいろんな説の1説として)
神武天皇は九州を治めきれず(または兄弟との権力闘争に負けた)、近畿の親戚に頼って非難した。近畿の国王からすれば孫にあたるから気に入り、国王にしょうとしたが気に入らない国王の息子等とは権力闘争した。結果としては、神武天皇が勝って後の大和朝廷につながる
後で大和朝廷の南九州に遠征軍を出すのはふるさと奪還作戦
562名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 23:59:41 ID:+1HrAWvN0
>>4
TBSが確定って言うならソレは嘘って事だな

信憑性は激しく疑わしい。
563名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:01:23 ID:kF2V/E/40
>>547
>>555
そうか。
奈良が海に接していないなら邪馬台国畿内説は無理だ。
当時の日本人の食糧は魚と野菜(米を含む)で魚が腐るような場所では多数の人口は養えない。
邪馬台国はもっと東の海沿いの場所だよ。
564名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:01:47 ID:wMlJBMy/0
>>559
1500年以上正史として尊重されてきた文献だけどな
そこまで中国を馬鹿にするのも、まあ個人の自由さ
で、記紀の方は?
565名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:02:52 ID:YjjqZnxf0
>>560
まあ、記紀の記述がおおむね信用できるのは、6世紀以降の事柄に関する記述だろうなあ。
当然書かれていなければならないはずの4世紀後半の朝鮮半島侵攻とか、
倭の五王の中国への遣使が書かれてなくて、かわりいデタラメな記述だらけの
三韓征伐があったりするし。
ただ、稲荷山古墳と船山古墳の鉄剣の銘から、記紀に記載されてる雄略天皇の実在
とその時期が明らかになったわけで、6世紀より前の事柄について、一から十まで嘘という
ことでもないが。
566名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:05:23 ID:OLIE+sDTO
>>560
文献引用するなら証拠となる物証を出しなさい。
というのが考古学の基本。
文献だけで証明しても、確証がないと指摘される。
時代検証の一考としては認めてくれるけど、この先生みたいな断言しちゃうと証拠だせよ(ツッコミ)
となる。
こういう○○学というお勉強分野は証拠ない断定は叩かれる。
567名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:08:14 ID:TSBoA3xy0
今だって奈良や大阪はあまり米を作ってないだろう
昔から稲作に適した土地ではないんだよ
7万戸の人口を養うなんて無理
一方九州説の筑紫平野は今も昔も日本でも有数の大穀倉地帯
奴国2万、投馬5万、邪馬台国7万。これぐらいの人口は余裕で養える
568名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:08:49 ID:soz0GDFCO
>>557
それでも一世紀あたりは日本の奴国が強大な力(朝鮮半島の一部まで倭人が住み着いていた)ぐらいだから、中国(魏)としては日本の勢力と仲良くして中国統一の戦いに専念したかったのでは?

でも、当時は中国なら呉の国もあったはずだけど、呉との交流はなかったのかな?資料は後の中国統一した晋に燃やされた?
569名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:09:01 ID:/Fsl+8MFO
別に邪馬台国自体はどこにあったとしてもいいんだが
奴国に贈られた筈の金印が
九州から出土した理由の整合性はつけて頂きたいな。
570名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:09:55 ID:KoXWi9iTO
>>563
魚は川にもいるけど。

まぁとにかくそれだけで畿内説だとも言えないね。
571名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:11:52 ID:xVx9GDAG0
九州説の人っておかしいのなw

記紀のこと散々文句言っておいて、神話時代の東征だけは正しいってさ

要するに九州原理主義って言うやつ?
572名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:14:08 ID:TSBoA3xy0
畿内説の人っておかしいのなw

記紀のこと散々正しい言っておいて、神話時代の東征だけはおかしいってさ

要するに畿内原理主義って言うやつ?
573名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:14:22 ID:xVx9GDAG0
>>567
おいおい。それは平野を町にしたからだよ。拠点だ。今でも畿内は人口は多いだろ?
574名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:15:30 ID:8rwxYwulO
>>567
新潟説と秋田説にシフト
575名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:18:05 ID:soz0GDFCO
>>569
奴国、伊都国は近畿説の人でも北九州にあったのは認めていると思うよ。
576名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:18:51 ID:JJWw36yFO
>>563
当時の海岸線を考えろ。今の大阪城あたりまで海。
そこに浜名湖やサロマ湖みたいに細い陸地で海と隔てられた河内湖があって、
運河に難波津があった。(後に難波宮や大阪城が出来る辺り)
飛鳥時代まで、難波津から河内湖、大和川経由で
船便で斑鳩や飛鳥まで行けた。
577名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:19:09 ID:xVx9GDAG0
>>568
それ奴国とは限らんのだが。
578婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/02(水) 00:19:13 ID:Ma2scbuF0
>>565
デタラメというか、編纂当時(8世紀初頭)の政権の史観が投影された上古の歴史、
なわけだよな。だから、

>一から十まで嘘ということでもないが。

というのは言い過ぎでたいていはホントの話なんだけど、問題は脚色の程度じゃないかと。

たとえばヤマトタケルの話にしたって、全国の「建部(タケベ、タケルベ)」さんという苗字の人の分布を調べたら、
タケルの行程と一致するらしいしな。
579名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:19:30 ID:kCODSTFO0
そもそも魏志倭人伝自体、史料としてはほとんど何の価値も無いものなんだよな。
中世の史料ででいえば、倭人伝なんて軍記物以下。
ところが倭人伝を元に日本の古代を復元しようとしているやつら、特に九州説の連中は、
史料批判さえせずに、倭人伝には本当のことが書かれているという前提で見ている。
ちょっと考えれば、倭人伝が政治的作為によって記されたものであり、
本当はその裏を衝く形で読まなければならないのが分かりそうなものだが。

これは日本書紀も同様で、明らかに倭人伝を参考にしているし、
古代オリエントあたりの神話伝説を知っている奴も編集に加わって、
日本土着の伝承を繋げ加工して、それらしいものに仕立て上げてしまっている。
580名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:22:29 ID:wMlJBMy/0
あとは大陸との交易だな
地理的に見て筑紫がもっとも繁栄できる位置
交易・稲作両面とっても
581名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:25:50 ID:LRmR3MAQ0
>>572

畿内説と神武東征は矛盾しない。
紀元前〜2世紀までに神武が東征して、奈良に王権をつくったという解釈でOK。
神武東征が事実だと証明する責任も無い。

神話では神武東征は紀元前だが、
それを恣意的に神話を曲解して4世紀にもってきてるのは東遷説のほうだ。
東遷説は、神武東征を証明する義務がある。

582名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:26:00 ID:8rwxYwulO
>>579言いたいことはわかるがなぜだか説得力に欠くカキコ
583名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:26:19 ID:zXw1CqC70
>>563
いや、奈良は今と全然違う地形。今のようになるまでに淀川の流れを変え、大運河を造り
大和川の流れも変えた。これ奈良時代までのことね。
584名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:26:56 ID:soz0GDFCO
九州説が有利な点は中国との交流が盛んだった事だよね
近畿説が有利な点はおおきな遺跡が出ている所
どちらも今の所決定打はないから、現時点では>>1みたいには言い切れないね
あくまで仮説の一つ
585名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:27:32 ID:zXw1CqC70
>>572
それ逆だ。こう書くべき
↓それで筋が通る
九州説の人っておかしいのなw

記紀のこと散々正しい言っておいて、神話時代の東征だけはおかしいってさ

要するに九州原理主義って言うやつ?
586婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/02(水) 00:31:16 ID:Ma2scbuF0
>>579
魏志に限らず、古代中国の周辺諸国の地理関係の著述は、
精度はともかく執筆・編纂の姿勢としては、あくまでも客観的な記述を
心がけているよ。

最近、菊池俊彦「オホーツクの古代史」という本を読んだんだが、それも
唐代の百科事典みたいなのに出てくる、「流鬼国、夜叉国」を同定するに至る
文献史学と考古学とがコラボした話だった。
587名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:41:50 ID:g0XAbzBs0
志の他国に関する記述を参考にすれば、12000里云々は遥か彼方程度の意味であり、実距離では無いとする研究
もあるんだよ
それにその通りなら残りはわずか100km程度となる。その途中に、戸数5万個の投馬国と、邪馬台国の戸数7万戸の
半数程度がその場所にいることになる。これは当時としてはあり得ない

一番のネックは魏志倭人伝のもとになった記録の作成者が、投馬国と邪馬台国までの距離を知らないこと


421 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 20:22:01 ID:MIZkPf450
>>372
さらに九州説のおかしなところをいう。

末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはずだ。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。近いのだから、距離がわかるのが自然だ。日数で表記
しているのは、不自然。。邪馬台国と投馬国が九州にあるとすると、この表記の
不自然さが説明できない。
末盧国 伊都国 奴国 不弥国が沿岸にあるとしたら船中移動ができるはずなのに
邪馬台国に行くときは海に出ないと行けない。つまり九州の外に出なければ
ならなかったと考える方が自然で、そうすると投馬国と邪馬台国は本州か四国に
あると考えられる。
588名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:42:36 ID:wMlJBMy/0
編纂者にしても実用書を作るわけだし
後世まで残るものだから、名誉をかけてるだろうしな
589名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:42:59 ID:KoXWi9iTO
>>586
客観的に書かれてるとしたら、その記述証明できる物証がでてくるはずだよね。

まぁ出土しないものに対しては何を言われても論説の一つ、議論だけで断定できない。
590名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:43:48 ID:4zXnxuaR0
>>425
集落跡より墓だけ多いという事実そのものが、
考古学の限界を示しているじゃないか。
当時の九州が無人の廃墟、墓だけの世界なわけがないだろ。

大和朝廷の傘下に入っていたとしても、集落があって当たり前。
それなのに考古学は集落を見つけられない。
これは集落が遺跡として残ることそのものが難しいことを示しているだろ。
591名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:44:52 ID:h3gBnm1T0
>>587
また船に乗るのなら、九州に上陸する必要はない、というか道も無い時代に馬鹿げてる。
四国や本州にいくのならそのまま海上を進むだろう。
592名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:47:31 ID:4zXnxuaR0
>>473
末盧はどこに比定するか争いがあるだろ?

少なくとも、古代人が壱岐から1000里あると
考えていた土地が条件になるでしょ。
593名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:48:36 ID:g0XAbzBs0
>>591
5万戸とか7万戸もあるのに道がないとは変じゃないの?どうせレスするなら
ちゃんと説明してくれ。
あとの文も不明
594名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:50:48 ID:4zXnxuaR0
>>458
東京から大阪まで総距離500キロです。
東京から途中の京都まで450キロです。
京都の南西に大阪があります。

この紹介記事はそんなに不自然かなあ…。

現代人が読めば、ちゃんと京都‐大阪間の方向も
距離もわかるようになってるじゃないか。
595名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:53:20 ID:h3gBnm1T0
>>593
行くに前に人を見ず、と言う程度の道しかなかったのだろう。
わざわざそんな道を通って、九州の東岸?に出る理由が分からない。
船のまま瀬戸内海に入ればいいだろう?
596名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:53:57 ID:4zXnxuaR0
>>454
普通にAだろ。
ただ、CもAも変わらないじゃないか。

「王朝」等という言葉でメンツをかけて
政治的正当性の争いをするのは意味がないでしょ。

中国に使節を派遣していた国は、
大和朝廷以前にいくつもあったんだしおかしなことではないよ。
597名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:55:13 ID:g0XAbzBs0
>>594
思いっきり不自然だよ。それは大阪の位置が頭の中で解ってるからだ。
大阪を知らない人に大阪をメインに説明する場合はそういう方法はとらない。
九州説の人は魏志倭人伝は完璧で大切な情報を間誤解なく伝える
使命を帯びた人が書いたという設定じゃないのか?
598名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:56:34 ID:h3gBnm1T0
>>597
しかし、実際に総計は書いてあるし、途中里程もかいてある、という現実。
599名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 00:58:10 ID:g0XAbzBs0
>>595
たぶん意味が分かっていないと思う。こういうことだ。気が向いたら説明してくれ

末盧国 伊都国 奴国 不弥国が沿岸にあるとしたら船で移動ができるはずなのに
陸路を通ってる。ところが投馬国と邪馬台国とは海路がはいる。ということは
海でしか移動できない場所だと言うことになる。

600名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:00:21 ID:XEduCle20
>>597
不自然には見えない
韓国あたりを基準にして水行という位置関係が
当時の中国人たちの常識になっていればね
601婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/02(水) 01:00:49 ID:Ma2scbuF0
>>589
纒向にしても平原にしても、あるいは三内丸山にしても吉野ヶ里にしても、ここ数十年の成果だよね。
1000年スケールの話が、ここ数十年でその描像がどんどん変わっている。

これが何を意味するのかというと、当面は次々と新しい考古学的成果が出てくる時代に
俺たちが生きている、ということなのだ。しみじみと幸福な時代に生まれてよかったと思う俺だが、
そういうわけで、まだまだ決着はつかないのだw
602名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:00:49 ID:g0XAbzBs0
>>598
普通ならそこから細かくあるべきなんだが。大切な部分があいまいなのは、
「完璧主義者」の九州説論者には珍しいな。

やはり都合が悪いところは「問題ない」で済ませるの?どう考えても不自然。
603名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:03:31 ID:h3gBnm1T0
>>599
言ってることが分からない。
最初から船でいけば?  なんで九州に上陸するの?  というしかない。

ちなみに、「水行」とは海を渡らない移動を言うと思う。
明らかに海を渡るしか無い場合は、ちゃんと「海を渡る」あるいは、「船行」とかいている。
玄界灘や、「女王国の東」の段とか。
陸地沿いに行ったと思う。
604名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:04:49 ID:4zXnxuaR0
>>589
物証も何も、現代地図と倭人伝の記述を見れば、
古代人なりの精度で、ある程度じゃ正確に
書かれていることがわかるじゃないか。

少なくとも、帯方から壱岐までは、
九州説・畿内説に関係なく、それを認めることができるだろ?
605名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:05:40 ID:h3gBnm1T0
>>602
いや、「九州説論者」が魏志を書いた訳じゃないからw
そうかいてるものを解釈するしかない。
606名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:07:40 ID:4zXnxuaR0
>>597
東京から京都へは西へ行くことを書きわすれたが、
行ったこと、見たことがない人でも、
頭にそれなりの地図や位置関係を描けるじゃないか。
かけてる部分などないだろ?
607名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:08:50 ID:TSBoA3xy0
帯方郡って今のソウルあたりだろ?
そこから奈良まで行くとしたら、福岡糸島なんて全行程の半分くらいの位置だぞ
いよいよ日本に上陸して、関門海峡を抜けて、瀬戸内海を通って、淡路島あたりから
大阪に着いて。さあこれからが旅本番って感じなのに、福岡あたりの記述でぴたりと
終わってる。これはゴールが糸島からそう遠くない位置にあるということだろう
608名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:09:33 ID:g0XAbzBs0
>>603
東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず


不彌國までは里数だが、その後は舟になって日数で表してる
南のかた投馬國に至る。水行二十日

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。
九州説はここごまかして九州内に入るようごまかしてが、普通に読めば明らかに
投馬國にいくのには水行である
609名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:11:22 ID:KoXWi9iTO
だから魏志倭人伝はホントに歴史を客観的に描いてたと証明したいなら、物証出せと言われてる。
九州説は今は物証はありませんが、理論だけでは九州です。
畿内説は各所からいろんなものが出土していますが、耶馬台国、卑弥呼が居たと確証できる物証はありません。
って主張。
学術的には
魏志倭人伝は文献内で記載されてる耶馬台国があったとされる時期から百年以上経過した倭と直接関わっていない人が伝聞伝承で記載したから正しいか正しくないかよりは物証出ないと議論できない。が実情。
確かに卑弥呼、耶馬台国あれば面白いが、現時点の出土品のみで居たのかあったのかは議論できないし、断定はありえない。
610婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/02(水) 01:12:06 ID:Ma2scbuF0
>>607
「宇宙戦艦ヤマト」とか、往復全行程の1/4で話数の大半を費やしてたからな。
スポンサー打ち切りの可能性もあるw
611名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:12:32 ID:xJoYBtrSO
>>599
正しい考え方。
北九州から船で投馬国=ズモ国=出雲国、
同じく船で邪馬台国=ヤマト国=大和国
612名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:12:47 ID:Bxvm+hYx0
舟で20日て結構な距離ですよ?
613名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:12:53 ID:AnsJY9UY0
長崎県の対馬市では、戦中の防衛の要になっていたリアス式の海岸に現存する要塞跡地を
韓国資本が買収しています。対馬自衛隊の本部に隣接した土地も韓国人の所有地になっています。
松原仁衆院議員(民主)は「旧海軍施設を韓国資本が買っていることになる。将来的に国防上どうなるのか…」
と危機感を表しています。未だに、対馬は韓国の領土だと放火騒ぎを起こす韓国人がいるのが現状です。


「対馬は韓国領」 韓国人の男、日本大使館放火未遂で拘束
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/091105/kor0911051250002-n1.htm

【対馬が危ない!】「立法措置が不可欠」 議員視察で高まる機運
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081221/plc0812212251004-n1.htm

長崎・対馬がピンチ"「ここは韓国領だ!」と叫んだり、集団万引きしたり
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810220825001-n4.htm

在日韓国人に韓国国内の選挙権付与
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110451&servcode=200§code=200
614名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:13:13 ID:g0XAbzBs0
>>609
>九州説は今は物証はありませんが、理論だけでは九州です。
それは九州論者の主観であって、研究者の意見ではない
615名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:13:31 ID:kF2V/E/40
ふむ。畿内は有力だが、もう一つ不審な点がある。
水行20日の投馬国。
投馬国は、邪馬台国よりも遠くにあるようには読めず、邪馬台国へ行く途中にあるように読める。
邪馬台国の向う(北?)には詳細の分からない国ばかりで大国があるようではない。
水行20日もかかる投馬国とはどこの事なのか。
616名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:14:36 ID:4zXnxuaR0
>>602
都合が悪いことは問題がないと済ませてるんじゃないよ。

当時の人が「問題ない」として記事に載せたことは
素直に読むべきと言ってるだけ。

例えば、本当は10キロの道のりを100キロと報告されても、
編者は情報がない故に、「問題ない」として記事にするしかなかっただろ。

だが、A-B30キロ、B-C30キロ、A-C総距離40キロと報告されたら、
そんな矛盾は編者がすぐ気付くから、記事にできないよ。

このB-Cと思われる箇所が実際は数字で書かれず、
解釈で埋めるしかないなら、少なくとも、
当時の編者は10キロと信じていた以外にない。

なんで畿内説はここを30キロと解釈して平気なんだよ。
617名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:16:04 ID:g0XAbzBs0
>>611>>615
俺は投馬国は但馬國と思ってる
618名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:17:08 ID:XEduCle20
投馬=薩摩だと思う
619名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:17:16 ID:xJoYBtrSO
>>603当時は陸を見ながらの航海だから朝鮮半島から島伝いに九州北部に来るのは自然。
そこから投馬国(出雲国)や邪馬台国(大和国)に船で行ったんでしょ。
620名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:23:38 ID:h3gBnm1T0
>>619
だから、それなら九州に上陸する必要はないって。
特に出雲や近畿なら。
621名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:24:45 ID:TSBoA3xy0
投馬国は吉野ヶ里あたりだろう
糸島から方角は南。ただなんで船を使うんだと思うけど、
その間には背振や三瀬など、今でも難所と言われてる山々を越えなければならない
当時では無理。それなら船でぐるっと回って有明海に出る方が安全だし、無難。
それなら水行20日でも説明がつく。
622名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:24:55 ID:g0XAbzBs0
実際に>>698の行程読んだ人は分かると思う。

九州説だと行程の残りは100Kmだ。
すると


末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはずだ。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。近いのだから、距離がわかるのが自然だ。日数で表記
しているのは、不自然。。邪馬台国と投馬国が九州にあるとすると、この表記の
不自然さが説明できない。

上の行程を九州内に治めるための放射線式読み方が正当化されるには、「到」
「至」の使い分けがされているときは、そのように読むべきであるという当時の中国
語の決まりがなければならないが、魏志倭人伝の内容をほぼ引き写している梁書で
は、そのような使い分けはされていないのに、恣意的だ

おまけに行程の読み方も恣意的で、普通は道順を伝えるためには、統一されて
いなくてはならず、あれこれ「おさめるために」恣意的な解釈をする必要はない
ややこしすぎる。
623名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:25:04 ID:Bxvm+hYx0
土佐日記をみると土佐から京まで二ヶ月かかってる。。
624名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:25:09 ID:kF2V/E/40
>>617
投馬国が但馬國なら「北至投馬國水行○○日」という書き方をしないか。
625婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/02(水) 01:25:46 ID:Ma2scbuF0
>>616
その考え方は素直だと思う。

他の資料を参照しなきゃわからん話は、参照すべき資料がないなら真偽はわからん。
その資料内部で矛盾があるなら、あきらかにその資料のどこかに誤りがある。

そのとおりだよな。
626名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:26:24 ID:h3gBnm1T0
>>621
そんなことだと思う。
風やオールを使って陸地沿いたんだろうから日数はかかるはず。
627622:2009/12/02(水) 01:27:04 ID:g0XAbzBs0
すまん>>608の行程ね。普通の人なら理解できない読み方をしないと九州にはおさまらない
628名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:27:36 ID:KoXWi9iTO
>>614
高島先生は研究者だとおもうが。

とにかく、古代史語るには文献は非常に参考にはなるが、時代時代の権力闘争は記載時期の編纂指示した人の主観やフィクション部分もあるのが見受けられるから物証で確認するしかできない。
ただ物証も後世に捏造もあるから慎重に検証しなければならない。
629名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:29:25 ID:oZbwS2QIO
卑弥呼自体は普通に九州でしょ。
中部説なんか指示するのはあり得た理由があるからだろうが、同じ様な王朝が一つだったと考えようとするからおかしくなるのでは?
630名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:30:12 ID:g0XAbzBs0
>>624
だから方向がおかしいんだと思う。どういうわけかここでは魏志倭人伝自体はあまり引用されていない
>>608に書いた。普通の人は九州説もおかしいと思うはず。「普通に読めば」海の中だ
631名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:31:27 ID:g0XAbzBs0
>>628
ああそうだね。高島先生は研究者だ。だから「大多数の研究者」と訂正しておくよ
632名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:34:39 ID:Bxvm+hYx0
本当に邪馬台国まできたんかな?
633名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:34:55 ID:h3gBnm1T0
仮に漕いでいったとして、速さはどのくらいなんだろうか。
いわゆる一本艪の船だと歩く速さより遅い。
実際は10人ぐらいはいただろうけど、そんなに速くなるとも思えない。
時速4キロ、一日10時間漕いだとしても、40キロ。
直線距離で、福岡から唐津程度。
実際は曲がりくねってるからもっとかかる。
てことは、仮に長崎辺りを大回りして不知火海あたりにはいるとしたら10日ぐらいはかかるだろう。

風利用だと風向きによる。
634名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:38:37 ID:soz0GDFCO
>>632
伊都国までしか行ってないに一票
伊都国が貿易の窓口だから、交渉はそこでやったんじゃないかな?
で後は大体の位置を口頭できいたとか?
俺なら面倒くさいし、伊都国で交渉ごと済ませて伊都国で遊ぶな
635名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:42:07 ID:g0XAbzBs0
>>632
末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはずだ。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。100kmくらいのはずなのに舟で20日も行くってこれまたおかしいだろ?
636名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:42:21 ID:xJoYBtrSO
畿内説の問題点は方角だけじゃん。
東を南と誤写でいいよね。
邪馬台は魏音でヤマト。畿内の大和だ。
九州はどこがヤマトなの?
対馬、壱岐、伊都国などと言うんだから邪馬台国もヤマト国でないとおかしいよね。

吉野ヶ里はヤマトとは読めないね。
637名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:44:57 ID:Bxvm+hYx0
九州には耶馬渓、という地名あるよ
638名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:47:20 ID:xJoYBtrSO
>>637そこから遺跡が見つからないと。
639名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:48:35 ID:h3gBnm1T0
>>636
実は、「邪馬台国」とは一言も書いてないんだけどね、魏志には。
640名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:50:19 ID:TSBoA3xy0
>>635
別に投馬国が目的地ではないからな
まあおそらく糸島の小高い山にでも登って、倭国の国々の説明でもしたんだろう
あそこに見えるのが博多奴国、更にあの奥に見えるのが宇美国
ここからは見えないが南の方角に水行で20日ぐらいかかるけど
そこに投馬国(吉野ヶ里)もあるよ
と魏の使いの者に説明したんだろう
641名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:53:59 ID:kF2V/E/40
>>630
いや、南というのは表日本回り、北は裏日本回りとすれば方向は何もおかしくない。

>>633
古代船はもちろん乗ったことはないけど、手漕ぎボートでは結構なスピード出るよ。
オールはリズムに乗って回るから疲れない。
下手な奴が力一杯漕ごうとすると進まないけど、プロが漕いだ場合は短時間で結構な距離が行けると思う。
642名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:54:01 ID:KoXWi9iTO
この中でほんとに魏志倭人伝読んだ人少ない気がする。
643名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:54:23 ID:na9o3srAO
北海道にあります
644名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:54:53 ID:g0XAbzBs0
>>640
邪馬台国自体もいい加減なんだが。
というかそういう推測自体が危険だろ。
645名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 01:58:00 ID:g0XAbzBs0
>>641
そういうレベルまで許すと九州以外も出てくるよ

>>642
そう思う。読んだら九州論者が「普通に読めば九州の中ジャン?」といってるに関わらず、普通の人が普通に
んだら九州内におさまらないだろうな
646名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:00:46 ID:h3gBnm1T0
>>641
それは、短距離のスピード目的に特化した奴だろう。
古代の使者の乗る船なんて、人や荷物を載せるのが主目的だから。
カヌーなんかとは比べられないし、長時間、長期間漕がないといけない。
10人の漕ぎ手で倍ぐらいの人数・荷物を運ぶ形になる。
647名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:07:08 ID:ywUsuIqEO
船の速度は天候にも左右されるよね
648名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:08:42 ID:Bxvm+hYx0
なんか舟で何日、とかってUFOでさらわれたやつの体験談にちかいものがあるな。
649名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:11:25 ID:m/IdKdZD0
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
出雲を中心に本州の渡来形質が広がっている。
九州中南部は日本でもっとも縄文系の形質。

確たる証拠はこれ!!
古墳時代で比較せよ。
渡来人が出雲を中心に関東東北に広がっている
だが九州では筑前、豊前以南には殆ど広がってない。
日本で唯一縄文形質が残されている地域。
650名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:12:33 ID:kF2V/E/40
>>646
大人3人乗って初めてボートを漕いだときでも結構なスピードが出たよ。
オールは勝手に回るし波に乗る感じが異様に気持ち良いんだ。
漕ぎ手が変わって別な奴になるとさっぱり進まない。
進まない奴はオールをしっかり握り力んで漕いでるんだ。
コツがあって多分漕ぎ手のプロが乗るとかなりなスピードが出たと思う。
651名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:12:37 ID:yNBT5k0xO
文系のくだらない公演、時間と金の無駄。
文系は甘え。理系こそが至高。
652名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:13:24 ID:eTmzrkSI0
関西の学者はみんな近畿説で九州の学者はみんな九州説なのはなぜなんだ
学者でも純粋な研究よりも願望が優先するのか
653名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:14:09 ID:xOdy0tx8O
>>608
その原文読んだら投馬国と邪馬台国は伊都国や奴国などのグループとは違うところ、
つまり九州以外にあるように思えるな。
654名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:14:50 ID:rUQQgbZhO
佐賀県民向けのリップサービス
655名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:15:24 ID:HvxREqN70
どこで見たかも覚えていないけど
邪馬台国=エジプト説ってのを見た事がある
そこまで言われるともう面倒くさくってインドネシア説とか言い出して
混乱させたいw
まあ、無理だろうがw
656名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:23:00 ID:aSFKGdWC0
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/
古代の船の速度は一ヶ月で1000kmってところ
657名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:23:18 ID:SSlrKbLxO
>>636
本当に畿内説の問題は今では方角だけだよね。
後は倭人伝の記述は全く問題ない、傍国も約半分は比定出来るし。
まあ方角も中国の記録では方角間違いなんて、他にも普通にあるけどね。
658名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:23:36 ID:RKdFSczX0
ぐぐってみたら安本美典って学者ですらないんだな
659名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:27:10 ID:LRmR3MAQ0
http://ch.kanagawa-museum.jp/dm/kotizu/nihonzu/d_nihonzu01.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/75/KangnidoMap.jpg

古代人の考えていた日本は、縦に長いと思っていた。
だから、「南へいく」という記述は、実際は「東に行く」のと同じ意味。

魏志倭人伝で方角を記述した人は、現場で聞いたのではなく、
当時、「倭国は縦に長い」という先入観で、「邪馬台国は南」と記述したというわけだ。

よって、邪馬台国は大和と考えてなんら問題ない。
660名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:27:46 ID:y7CSjKhf0
魏志倭人伝は中国語だから、日本語的に直線に読んではいけないでしょ。
中国語は漢字しかないから、漢字が違う「至」と「到」は意味も発音も違うだ
ろうし、「戸」だって3万余戸だから、一家族5人で人口15〜20万なんて
考えちゃうが、中国語的には人口3万と素直に読むのかも知れんぞ。
661名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:29:42 ID:LRmR3MAQ0
>>659

このように、江戸時代になっても、方角の意識なんていいかげんなものだったんだよ。

ましてや、3世紀の方角の記述が正しいわけが無い。

662名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:30:01 ID:m/IdKdZD0
>>659
こんな単純、小学生でも分かるような事を
議論してこなかったとは学者ってバカだな。
663名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:33:11 ID:wjO/eaBp0
しかも、朝鮮半島と較べて、なんとまあ、小さい島なんでしょ。>日本列島
残り里数の問題もクリア、か。
664名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:36:36 ID:xOdy0tx8O
>>634
それ読んでまたちょっと疑問がわいた。
九州説だと伊都と邪馬台国は100km?くらいしか離れていないんだな?。
そうなるとそれくらいの距離なら大切な魏の使者は都に駐在したろう。

少なくともいったことがあるはず。

結局、邪馬台国が100jmどころではなく、かなり離れていたからこそ、
邪馬台国じゃなくて伊都国に駐在したのではないだろうか。
665名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:40:44 ID:oZbwS2QIO
>>642->>643
ワロタw
666名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:41:25 ID:kF2V/E/40
>>659
その地図で「南」を文字通り南方向とすると、表日本側を進んでも裏日本側を進んでも南へ行くことになり両者の区別がつかない。
魏志倭人伝は、やはりどこかで表と裏の区別をつけてると思う。
667名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:41:55 ID:g0XAbzBs0
>>660
いや中国語自体にそんな区別がないんだよ。「到」「至」の使い分けがされているときは、
そのように読むべきであるという当時の中国語の決まりがなければならないが、魏志倭人伝の
内容をほぼ引き写している梁書でも、そのような使い分けはされていない

中国語でそんなルールがないのに、勝手に作るのが大体おかしいんだよ
668名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:46:01 ID:OB55+fUk0
>636
「八女たい」で邪馬台
669名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:46:09 ID:TSBoA3xy0
倭王武の上表文ではちゃんと東西の区別はついてるじゃないか
行基図よりもずいぶん昔だぞ
670名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:46:17 ID:h3gBnm1T0
>>656
それは、古代の話しじゃないからw
海図もあり、危険の予測などいらない現代での話し。

>>659,661,663
勿論、釣りで行ってるよね?w
気になったんで。
671名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:47:41 ID:GA5IHLTK0
>>657
畿内説の弱点は方角だけというのは、ちと言い過ぎのような。
例えば、記紀の古代において、何かと顔を出す出雲。
3世紀においても、出雲はかなりの強国だったろうことは推察されるし、
出雲の近くにあった吉備も、かなりの国だったろう。
けど、魏志倭人伝では、出雲にも吉備にもまったく触れられていない。
672名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:47:47 ID:xOdy0tx8O
>>669
そりゃ日本人が内容考えたんでしょうが。
673名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:50:24 ID:TSBoA3xy0
>>672
行基も日本人でしょうが
まあ渡来系らしいが
674名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:50:25 ID:LRmR3MAQ0
>>670

釣りって言葉で誤魔化すと、逃げてると思われるだけ。

きちんと反論すること。

古代の人は、日本列島を縦に長いと思っていた。
地図を見れば明らかだろ。
675名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:50:25 ID:h3gBnm1T0
東を南だと思ってたわけないだろうが。
何のための方位だよ。
バカじゃないの。
どこに地図の上が北だって書いてあるんだよ。
676名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:52:54 ID:LRmR3MAQ0
>>675

地図の上が北でなければならないルールはない。

倭人が、地図の右を北として書いた地図を、中国人が見て勘違いしたということもありうる。
677名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:53:25 ID:h3gBnm1T0
>>674
まさか本気で言って他とは。

東下りとか、東海道とか、西海道とか、北国街道だとか、北越雪譜だとか、
そんな知識がないのだろうか。
678名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:55:35 ID:h3gBnm1T0
>>676
弁解ですかw
倭人がそのころ地図を書いてたとw

バカは消えろ。
679名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:57:12 ID:aSFKGdWC0
>>670
地文航海に海図なんかいらねえよ馬鹿
680名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:58:53 ID:h3gBnm1T0
>>679
ああ、深さとか書いてる奴ねw
そうじゃなくて、地形とか島とか、岬とか岩礁とか、そういう意味だよw
681名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:59:07 ID:LRmR3MAQ0
古代人の視点でものを考えればわかること。

生駒山の上から瀬戸内海を見て、倭国の地図を書くとしよう。
すると、景色を見たまま、上が九州で下が畿内となるような地図になるはずだ。
これが、縦に長い日本地図が書かれた理由。

北を上にして地図を書く習慣は、自然に発生するものではない。
少なくとも、古代の倭人は、北を上にして地図を書くという意識は持っていなかったはずだ。

倭人がつくった「縦に長い日本地図」を見た中国人が、日本は南北に長い、と勘違いしたんだろうな。

682名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 02:59:18 ID:4zXnxuaR0
>>636 >>657

総距離12000里も合わないし、
伊都までの10500里で残り1500里にも合わないぞ。

距離が全く足りない。
683名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:01:26 ID:LRmR3MAQ0
>>677
>東下りとか、東海道とか、西海道とか、北国街道だとか、北越雪譜だとか、

魏志倭人伝に出てこない単語を並べても意味は無いね。
それに、日本人は正確に東西南北を意識してたとしても、
地図上で、北を上にして地図を書く習慣がなかったのでは?と推理しただけだ。
引用した史料が証拠だろ。
684名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:02:07 ID:KoXWi9iTO
また魏志倭人伝評価に戻ってるね。
学識者は魏志倭人伝の内容が正しいとするならかなり大型の集落が出土すると予想している。

出土しないと議論進まない。
685名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:02:10 ID:h3gBnm1T0
>>681
だから、倭人が作った地図、なんて妄想を持ち出すのは止めろよ。

もし中国人が瀬戸内海を機内に向けて通ったのなら、
自分たちが南に進んでたなんて意識を持つはずがない。
常に朝日の昇る方向にしか船をむけていないし、太陽は右から指している。
それで、南に向かったと思うわけがない。
686名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:03:49 ID:XnnIe7sD0
佐賀女子短大生は隣の佐代生にやられます。
687名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:03:55 ID:5zhqztxBO
まだいってんのかくそジジ!
688名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:04:23 ID:h3gBnm1T0
>>683
江戸時代の方向感覚を出してきたことに対する反論ですが。
レス先の確認ぐらいしてくれ。
689名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:05:02 ID:LRmR3MAQ0
>>682

正確な測量技術をもってない古代人が「適当に書いた里数」で計算するのはナンセンスだよ。

三角測量でもして、対馬の距離を測ったとでもいうのか?
そしてそれが、きっちり1000里で端数は無かった、とでも言うのか?
690デ(・∀・)シ ◆DFW30AT53Y :2009/12/02(水) 03:07:18 ID:PUVvzZ0TP
佐賀県九州説
「あれ?いま佐賀を通過したような…」という証言が複数寄せられている
691名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:07:23 ID:LRmR3MAQ0
>>685

中国人が瀬戸内海を畿内に向かったという根拠は無い。
それは君の妄想だろ。

中国人が畿内までいかなかったから、「水行十日」とか距離が日数表記になったんだよ。

692名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:08:34 ID:OB55+fUk0
海を渡ってくるんだから、方向感覚は正確じゃないだろうか。
693名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:11:07 ID:m/IdKdZD0
>>692
それ以前は中国人は九州までしかきてないから。
694名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:12:12 ID:D+iGKN9SO
>>684
でもさあ、なんで日本の遺跡って地面に埋もれてるんだろうね?
古墳とかは地上で見つかっている場合が多いと思うのだけれど…。
古代日本人というのは時代が進むにつれて
建造物を埋めてしまう習性みたいなものでもあったんだろうか。
695名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:13:35 ID:xJoYBtrSO
>>682
12000里なんて何の意味もないよ。長安から大月氏や遼の都なども12000里、遠いとこは皆12000里って書いてんだ。
696名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:14:42 ID:m/IdKdZD0
海流の影響もあるかも、対馬海流でいくと
新羅から漂流すると丹波につくというし。

朝鮮と九州が遠い地図になってるのも実際の距離より
船では南西の方に漕ぐ必要があったせいだと思われる。
697名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:16:12 ID:wjO/eaBp0
>>695
香港の租借を99年にしてくれ。って懇願した清のようなものか。
年数が百になると、永遠。って意味だから勘弁してくれ。ってゆー。
698名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:17:57 ID:m/IdKdZD0
で、これが確たる証拠!
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
出雲を中心に本州の渡来形質が広がっている。
九州中南部は日本でもっとも縄文系の形質。

古墳時代で比較せよ。
渡来人が出雲を中心に関東東北に広がっている
だが九州では筑前、豊前以南には殆ど広がってない。
日本で唯一縄文形質が残されている地域。
699名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:25:25 ID:8irUGbtL0
投馬国の場所:以前は、出雲か吉備だと思ってたけど、
倭人伝では、九州島から出た倭人国については「渡海」と言う言葉つかってる。
ところが投馬国は「渡海」と言う表現ではない。投馬国は、九州沿岸を舟グルリ
20日漕いで行く所だとオモ。宮崎の西都原古墳群の有る所かも。
700名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:25:59 ID:kCODSTFO0
支那人が日本列島を南北に長いものだとしていたのは、
晋が呉に対抗するという政治的な理由だろ。
後の支那人もこれを踏襲したに過ぎない。
大体「会稽郡東冶の東」とか何とか書かれてるんだから、
実際より相当南にあるものだと考えていたのは間違いない。

韓伝にも「州胡」「大島」とされる済州島は、本来は百済の南にあるにも関わらず、
馬韓(後の百済)の西海中にあると書かれており、支那人が日本列島周辺を、
実際の地形より約九十度半時計回りに移動させた形で考えていたことを暗示している。
従って、西=南であるなら、南=東ということになり、倭人伝の中の旅程は、より理解しやすくなる。

701名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:30:07 ID:EKWsx7jJO
よく古文書みたいなのを信じれるよね。
どっかのオッサンが書いた小説かもしれないのに。
702名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:35:41 ID:cyIWu7fC0
大和朝も九州だろ。卑弥呼が九州なのに、その後いきなり奈良・大阪に大和王朝が出来たのはおかしい。
703名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:40:05 ID:m/IdKdZD0
>>702
IQ20乙www
704名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 03:44:54 ID:8irUGbtL0
>>565
プロト韓人が流入する以前の朝鮮半島に居住していたのは、朝鮮人の祖先では
ない。山海集や後漢書などの中国の古文書は、朝鮮半島には、北部の一部の
「蓋国」を除いて、最初「倭人」が居住していたと記録している。半島南端の
倭人や九州、近畿の倭人達が、失われた朝鮮半島テリトリーを奪還する為、
失地回復軍を遠征していたと解釈するのは、後の宋書や高句麗の碑文からも
明らかな事。それを、何としてもデタラメとしたいのは、朝鮮人のイタイ願望。
705名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 04:01:57 ID:7VR6Rz8rO
>>701
偽書であったとしてもその成立背景を調べるのも楽しみてなもんだ。
706名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 04:37:16 ID:cn2RD2HnO
>>659
この地図はむしろ、今の畿内説論者と同様の「誤読」をするヤツが昔からいた、っていう情けない事実を示してるに過ぎんと思うがなーwww

畿内説の立場で倭人伝を読むと、どうしてもこういう「ヘンな地図」が出来上がってしまう。要するに、間違ってるってことだ。
707名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 04:54:06 ID:vzCH8c2DO
卑弥呼つったらダイヤモンド映像だろ
いやクリスタル映像だったかな?
みたいなもんか
708名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 05:09:59 ID:OCf5gte/0
九州からは畿内と違ってその時期のそれらしい遺跡が見つかって無いんだし
仮に邪馬台国が九州にあったとしても歴史書に載ってるような倭の何十もの国を従える国家では無いよね
九州にいた連中が魏の使者に舐められないよう嘘吐いてハッタリかましたのか
当時の倭人が地理に関する技術に欠けてた所為で推定位置がおかしな事になってるのか
709名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 05:20:45 ID:O6l/Lw190
奈良で見つかった奴と日本書紀を照合すれば天皇の大きい存在が素直に分かるのに
魏志倭人伝なんか振り回してると返って大陸との距離が広がっていくので笑える
710名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 05:22:21 ID:8irUGbtL0
>>708
あきれた情弱乙。
畿内派って、こんな無知によって成立してんのか。九州には膨大な弥生時代の
遺跡が有るが、その一つ、伊都国と奴国の間に広がる「平原遺跡」ひとつを
取っても、近畿の全ての遺跡から発掘された卑弥子と同時代の弥生文物
(青銅器、鉄器、絹、後漢鏡、魏鏡etc)の合計を上回る。少しは、勉強したら?
711名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 05:32:46 ID:OCf5gte/0
>>710

邪馬台国と思われるそれらしい遺跡の話してるんだけど?
九州論者内でも候補地点決めれないくせに何言ってんだか
712名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:04:37 ID:aA8Ah0Mu0
昔の中国人は日本をかなり大きな国と認識していた
その前提として人口が多かった
713名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:05:50 ID:8xiniHDCO
>>1
どっちゃでもええがな
714名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:15:21 ID:hw5M8YSqO
以前マイナーな推理作家が
東北説を挙げてたな

結構面白かった
715名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:15:50 ID:qI7dUjew0
昔は4対6くらいで近畿説が有力だったが、今は1対9で近畿説が有力w
716名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:25:38 ID:6664zctn0
考古学って自分勝手な思い込みを主張する学問なのかw
717名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:32:18 ID:nHV0USnSO
>>699
関門海峡を海だと思っていなかったかもしれないぞ
718名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:39:38 ID:U4X/wB7j0
>>3
文献と言っても魏志倭人伝のほんの2ページほどの記述だけだしな。
日本側の文献とか、中国や朝鮮の別の文献があればまだしも。
719名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:42:17 ID:U4X/wB7j0
魏志倭人伝自体が三国志という膨大な書物の中のほんの数ページのセクションに過ぎない。
つまり、当時の中国王朝からみて日本の存在はその程度しか意識していなかったわけで、
記述がいい加減でもあたりまえだ(当時はいうまでもなくまともな地図なんかないし、
大陸の人は朝鮮半島の方が日本より大きいと思っていた)。

そんなものの中にある〜里とか陸行10日とかいう記述を真に受けてるのがアホ。
720名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:43:33 ID:Ml3AqzCT0
九州説には考古学的論拠はなにもありません。あたりまえ、邪馬台国は九州にはなかったからです。
721名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:47:10 ID:8rwxYwulO
妄想するなら同人誌でも描こうぜ!
722名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:48:42 ID:g0XAbzBs0
>>710
情弱乙。それ伊都国だろうが?畿内には発掘してない(できないw)とんでもない巨大な
古墳がぞろぞろあるんだよ。
723名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:49:54 ID:NZMJOLP+0
>>722
神武天皇の子孫達ですね。
724名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:56:17 ID:xJoYBtrSO
隋史に魏史の邪馬台とは大和だって書いてあるがな。
725名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 07:59:52 ID:xOdy0tx8O
>>723
う〜ん。それは少し違うのでは?
前方後円墳のすべてが天皇の墓というじゃないよ。
豪族のもある。
726名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:00:20 ID:EibopcrUO
>>699
>>717

現代の中国人でも瀬戸大橋を電車で渡ってる時に
『日本にも大きな河があるんですね』
って言われたからな

河の中に島があって村や学校があるのも、黄河や揚子江では十分ありえる話だからな
727名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:01:26 ID:NZMJOLP+0
>>725
なんだ豪族の墓ですか。本当にありがとうございました。
728名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:04:10 ID:LwA8GiuyO
日本全体が邪馬台国説とか
邪馬台国の領域が各所に散らばっていた説はないのか?
そっちにした方が幸せのような気がするけど

俺的には邪馬台国は当時の人気小説説
出土品や文献は当時の邪馬台国グッズ
729名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:06:36 ID:T6VK/NCE0
つーか、いいか悪いかはともかくせっかく民主党政権になったんだから、
宮内庁の発掘制限をなんとかしろよ
畿内の天皇陵にしろ西キ原にしろ、ちゃんと学術的に調査できれば、
新発見がもっとでてくるはず
730名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:07:39 ID:xOdy0tx8O
>>727
天皇のもあるが、豪族のもあるっていったんだよ〜。
731名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:08:18 ID:KoXWi9iTO
魏志倭人伝を信じるならそれに見合う遺跡が候補地域から発掘されると思われる。

ただ最近(30年)の学校教育では魏志倭人伝、卑弥呼、耶馬台国の扱いはどんどん劣化してる。
奈良の学校でも諸説ありすぎなのに決め手になる物証はないから、どの説が正しいともいうことはできない。
とされてる。
古代史を文献だけで断定するのは恥ずかしい行為だからやめよう。
732名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:10:16 ID:NZMJOLP+0
>>730
初代天皇が畿内に移って栄えたということですね?
733名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:11:07 ID:kT3jKeCK0
奈良説有利だと思ってた時期もあったけど、
ぶっちゃけ邪馬台国は九州だと思う。

奈良は大和朝廷。

ただ邪馬台国の卑弥呼ではない、別のヒミコは奈良にもいたと思う。
734名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:12:28 ID:LwA8GiuyO
ここが邪馬台国だ!という熱論より
なんでこんなに説がバラけてるのか?という疑問に思う学者はいないのか
735名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:16:54 ID:xOdy0tx8O
>>729
民主党政権だと余計無理そう。
共産党政権だったらわからないけどw
736名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:17:38 ID:PoiB+l5P0
渡辺延志 朝日新聞記者
737名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:28:37 ID:xOdy0tx8O
>>732
紀記によればそうだし、そうだと思うよ。
でも古墳年代の創世記時期が早まったから、これも紀記によれば筑
紫あたりはすでに勢力権みたいだから、邪馬台国は大和になる。
だから九州からきたえら〜い人が大和を制圧して、
九州の残りも制圧したでいいんじゃないの?
738名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:40:59 ID:KoXWi9iTO
>>734
というより、耶馬台国と卑弥呼の話出すのは素人さん扱い。
魏志倭人伝はアテにならない海外文献(中国の歴史書物で、倭に実際に行ったひとの編纂ではなく、それも編纂した百年以上前のことを人づてで記載、その基原稿から更に編纂した書物)
とされてる。
日本書紀や古事記、その前後にあったとされた文献も編纂指示した意図が反映されてるから、奈良時代まではフィクションな記述もある。
当時の人が複数100歳以上生きてたってどう考えてもおかしい。
だから遺跡や古墳にあるわずかな証拠を探すしかない。
739名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:41:41 ID:UBkp/M51P
>>729
まともな保存技術も確立してないのに発掘なんてしても、単なる破壊行為。
貴重な証拠を消失させるだけ。
740名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:45:18 ID:s98FNkBa0
>>737
おまえ朝鮮人の扱いうまそうだなw
これから奴国はえらいとかの小中華思想とか早くから文明が渡来してきた。ほら鉄器がこんなに!
とかいうやついたら、ただのパイプ役だというとを、やんわりしっかりつたえてやってくれ。
741名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:56:42 ID:D+iGKN9SO
そもそもの話、地底人だったということでもない限り
余程でなければ遺跡が地面から発掘されるのは異常だろう。
日本の古代史研究は、さすがに全てがそうだとまでは
明確に断定はせぬが、嘘八百が多い。
これ則ち、日本古代史陰謀論な。
742名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 08:59:43 ID:UBkp/M51P
誰か>>741 の書き込みを日本語に直してくれ。
743名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 09:16:31 ID:JzfyBsY50
>>738
ただ、海外文献にしろ記紀にしろ、100%嘘っぱちというわけでもないからややこしい。
欠史八代の天皇は、記紀では100歳以上生きてることになってるから、「実在しないだろう」
なんて言われてるけど(実在性が否定される理由は年齢だけじゃないけど)、
実在性がほぼ確実視されている雄略天皇も、記紀では100歳以上生きてることになっちゃってるし。
744名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 09:25:36 ID:Du+0UuMi0
悠仁親王が考古学ヲタになれば宮内庁も軟化して管理してる宝物や古墳を公開するかもな
745名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 09:51:31 ID:G6zg89HZ0
>>454
>九州の邪馬台国が畿内に東遷したような

これだと記紀の四道将軍や宋書の記述と相反するんだよな
この時代に崇神天皇が実在したみたいだし
仮に神武の東征があったとしてもそれよりかなり昔の時代でしょう
746名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 09:55:21 ID:T6VK/NCE0
>>744
皇族で考古学者の人が、「何で自分の先祖の墓なのに宮内庁は許可出さないんだ」
と憤ってた話なかったっけか。うろ覚え
747名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:02:24 ID:SSlrKbLxO
>>682
12000里は邪馬台国までではなく女王国までの距離だ。
女王国は女王を共立した国の事なんだから、
西日本一体が女王国なんだよ。
だから距離は畿内説で問題ないから。
748名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:03:20 ID:8irUGbtL0
>>722
情弱乙。同じ理由を当てはめれば、筑後(背振山脈の南)には
未発掘の遺跡だらけと言う事に成る。ところで、卑弥子と同時代に属する
弥生文物の発掘文物の数が、近畿は、筑前筑後の諸遺跡の足下にも及ばない
点について反論まだー?
749名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:10:37 ID:G6zg89HZ0
姫巫女(ひめみこ)→卑弥呼

ももそ姫のことですね

台与(とよ)は
豊鍬入姫命かな
750名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:13:22 ID:u2KN+yYw0
まーたただのパイプ役のウリナラ自慢が始まったw
751名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:13:38 ID:AvNLDMQ00
>>787
>>722
邪馬台国は太平洋に沈んだムー大陸にあったことも知らない情弱共乙
752名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:15:12 ID:nHV0USnSO
>>744
皇族が歴史学などを専攻することには難色をしめしているという話も
皇太子殿下は歴史学専攻で中世史をやっといたが今は無関係な水の研究をされている
753名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:22:02 ID:T6VK/NCE0
>>749
宮中にあった大国主と天照を分離し、移転させたのは崇神天皇だったな
卑弥呼=モモソだとすると、分離前の卑弥呼の時代は巫女の女王がそれだけ絶大な
権力を持っていたのだろう
754名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:23:12 ID:xOdy0tx8O
>>751
ムー大陸は別として、倭人は縄の結び目を文字のように使っていたという。
縄文土器はアンデスにも存在。これは沖縄とインカにも共通点がある。
起源がどうのこうの、どこが早いとかいうイタイ感じの話は別として、
環太平洋に中華とは別の文化圏があったのかも。
755名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:24:08 ID:UBkp/M51P
>>748
>筑後(背振山脈の南)には未発掘の遺跡だらけと言う事に成る
筑紫の3世紀頃の大古墳や大集落遺跡として、具体的にどこが発掘候補として存在するの?
畿内なら、箸墓とかホケノ山とか纒向古墳群とか、それ以外にも3世紀の古墳などは
たくさんあるけど。
筑紫には具体的に発掘候補になっている3世紀の遺跡ってあるの?
756名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:24:35 ID:o35wn4dR0
適当な魏志倭人伝なんかほっとけや。

最新の研究成果による古代日本史を検証すると
三世紀後半には機内を中心に北九州から東海、関東方面まで影響下においた勢力が浮かび上がる。
これはもはや確定で歴史の連続性から
この勢力が初期ヤマト王権か!?と見る学者ばかりになったのは当然といえば当然だ。
757名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:27:09 ID:cyIWu7fC0
まとめると、九州で決着だな。少なくとも2ちゃんは九州説支持だな。
758名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:29:17 ID:5mCqVnM20
こういう人はどうプロファイルすればいいの?


702 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 03:35:41 ID:cyIWu7fC0
大和朝も九州だろ。卑弥呼が九州なのに、その後いきなり奈良・大阪に大和王朝が出来たのはおかしい。

757 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 10:27:09 ID:cyIWu7fC0
まとめると、九州で決着だな。少なくとも2ちゃんは九州説支持だな。
759名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:29:47 ID:kCODSTFO0
そもそも日本の古代史は考古学の成果だけでも成り立つんだよな。

そこへ倭人伝なんつー内容も全くデタラメで日本列島の形さえ成り立たないような
地理感覚の記録を重視しようとするから、奇形の古代史観が後を絶たない。

宣長先生は嫌いではないが、日本古代史に大きな陥穽を残したことは間違いない。
760名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:30:07 ID:SSlrKbLxO
>>748
未発掘の場所なら他にも一杯あるが。特に山陰なんて何が出るかわからんし。

で、巻向には卑弥呼に相当する人物や、伝承がある。
それに水銀鉱山の麓、更に謎だった出雲との関係も証明されつつあるからな。

はっきり言って未だに候補すら絞れない九州説とはレベルが違う

761名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:35:08 ID:NZMJOLP+0
いずれにしても、天皇家の始祖である神武天皇は九州出身ですから。
762名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:37:46 ID:Ucrz8k4cO
>>746
宮内庁もさることながら、文科省も古墳、特に重要古墳の発掘には消極的なんだよ。
発掘しても維持保存が行える自信がないから。
これは世界的な傾向なんだけど、現在の好奇心だけに駆られて発掘を行って、
保存ができずに消失させちゃうのは、返って歴史の究明の障害になるという声が
次第に高まってきている。
763名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:40:25 ID:xOdy0tx8O
>>761
そうです。誇りもっていいですよ!
764名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:41:22 ID:/kqAkRNo0
クソワロタw
765名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:51:42 ID:cn2RD2HnO
>>760
> で、巻向には卑弥呼に相当する人物や、伝承がある

その伝承を載せてる書紀そのものが、モモソ=卑弥呼説を否定してるんだがな。モモソは女王などではないのだから、当たり前だ。

困り果てた挙げ句、書紀の編者は神功皇后を卑弥呼に比定した。しかし、これも時代が全然合わないのだ。

1200年前の書紀編者でもやらなかったひどいコジツケを振り回すなんて、畿内説論者は本当にバカなヤツらだ。
766名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:56:04 ID:o35wn4dR0
>>761
天孫の光臨を道案内した猿田彦は伊勢の神で
伊勢国には伊勢神宮があり、天照大御神が祭られていてな…
767名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 10:57:59 ID:rm6Qh/qE0
>>765
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>>765
>書紀の編者は神功皇后を卑弥呼に比定した。
日本書紀に卑弥呼のことが記載されているとは初耳だ。
769名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 11:09:51 ID:T6VK/NCE0
>>766
伊勢は崇神より後の話じゃないか
元々は大王家の神なんだろうけど
770名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 11:45:52 ID:tWUfi9ru0
おれは佐賀女子短大で童貞捨てた
771名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 11:47:59 ID:SSlrKbLxO
>>765
モモソ姫は別名が日女命、また日神なんだがな。
ただの姫でこんな名前はまず付かない。

丹波の系譜図に残っていて、瀬戸内海周辺にも伝承を多く残している。
オマケに弟がいて桃太郎のモデルだ。
まぁ伝承という点だけでも卑弥呼にとても近い。
772名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 11:59:46 ID:WkbU5MG90
余裕で徳島
773名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:26:39 ID:8rwxYwulO
なんかさ、ここにいるやつらで討論会したら楽しそうだなw山陰説、瀬戸内説、近江説なんかも集まって
774名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:27:36 ID:soz0GDFCO
邪馬台国=後の大和朝廷、九州近畿に二つ国があった。使者は九州の邪馬台国までしか行かなかった説の私が
もし仮に近畿説を取るとこうかな
近畿が邪馬台国だとしたら、三世紀から四世紀に他の勢力(出雲?)に政権奪われて邪馬台国じゃなく他の名前の国になった。
私達はヤマト王権、大和朝廷とならったが、実際は各地方の豪族による権力争いがあったから、後の大和朝廷と呼ばれるまで国名がコロコロ変わっていたりしたとか?
775名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:38:20 ID:VXmGaCTf0
なんで、崇神で他勢力に政権が変わったとかの発想をするのかわからんね。

魏志倭人伝をちゃんと読め!というのと同じように記紀もちゃんと読んだらどうだ?
崇神はガチガチの畿内生まれで、系譜を見てもよそからの勢力が入り込む隙間は無い。



776名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:39:00 ID:Ucrz8k4cO
>>726
>現代の中国人でも瀬戸大橋を電車で渡ってる時に
>『日本にも大きな河があるんですね』

これってかなり怪しい都市伝説だと思うよ。
そんなことを言った中国人が本当に存在したかどうかは疑わしい。
少なくとも、瀬戸大橋ができるずっと以前から逸話は聞いたことがある。
それに、瀬戸内海のような、瀬戸は入り江は世界中にいくらでもある。
第一、あんあ小高い島だらけの川なんてないしね。
多分「大陸の川は日本人の想像を超える大きさだ」ということから
生じた作り話だろうと思う。
777名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:40:33 ID:soz0GDFCO
>>773
でもやたら詳しい人が混じっているから、研究している本職者の人がきたりしてW
ここ何日かのスレ読んだら凄い勉強になったもん
778名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:41:48 ID:G6zg89HZ0
出雲はむしろ国を譲った側じゃね?
779名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:45:03 ID:Cz55ZD8EO
■九州説の致命的問題
*卑弥呼の後、その邪馬台国はどうなったの?
*畿内に移動したのか!
*畿内の支配下に入ったのか!
*消えて無くなったのか!
780名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:45:20 ID:soz0GDFCO
>>775
スマン素人なもんで天皇の出身関係が全然分からない
>>778
出雲が譲ったとしたら再度九州から誰か来た?
781名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:50:38 ID:VXmGaCTf0
>>780

天皇の出身関係が全然分からないのに、出雲とか九州とかに食いつくなよ。
たのむから、記紀をちゃんと読んで欲しいね。

九州から来たのは神武だけで、後は葛城、丹波、尾張の姫と婚姻してるだけ。
崇神の代で、他の地域から王が来たような事実はない。



782名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:53:25 ID:j2myrhQR0
>>779
どして、それが致命的なの??
783名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:53:51 ID:Cz55ZD8EO
>>781

応神は、九州から来ているが!

784名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 12:57:47 ID:Cz55ZD8EO
>>782
*邪馬台国は消えちゃったの?

785名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:01:10 ID:UBkp/M51P
>>775
崇神天皇の諡が、
御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)=初めて国を統治した天皇
だからじゃないか。
神武天皇から系統が変わったというより、実際に大王の地位に就いたのは
崇神帝が最初で、それ以前の帝はご先祖様を追号して大王にしたんじゃないかとも
言われているよね。
ちなみに、神武帝の諡も始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)。
後世に当てられた漢字は別になっているけど、大和言葉としての諡は崇神帝と同じ。
786名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:03:22 ID:G6zg89HZ0
>>783
じゃあ、崇神天皇はどこにいたの?
787名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:05:04 ID:n3KN3w+20
架空天皇の可能性が高いものまで根拠にするのはダメだろうwww
788名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:05:05 ID:4zXnxuaR0
>>689
自分の目で現代地図と照らし合わせればいいじゃないか。

ほぼ比定できる帯方、韓国南岸、対馬、壱岐の間の
距離の比・位置関係は正確だよ。
ほぼ7:1:1になってるじゃないか。

「適当に書いたデタラメ」と言い張って、
目をつぶるのは自由だけどね。
789名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:06:42 ID:Ucrz8k4cO
>>785
邪馬台国が消えちゃったのだとしたら、
なぜ九州説が致命的になるの?
出雲国は後に消えちゃってるけど、出雲国は存在しなかったことになるのか?
790名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:10:17 ID:UBkp/M51P
>>788
なぜ壱岐と末盧の距離のことは隠すの?w
791名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:10:33 ID:XPVQhjhmO
邪馬台国は中国読みではヤマト国となり大和朝廷との関わりがあるように見えるがどうなんだろうね
天皇と卑弥呼は繋がりあるのかな
792名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:12:43 ID:XPVQhjhmO
吉野ヶ里遺跡が出た時点で九州有利かと思ってたけどそうでもないのね
793名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:13:51 ID:2GvYSuUq0
九州の方が出土物が多いのは、その後の文化が発展せずほっぱらかしだったから。
794名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:15:31 ID:Cz55ZD8EO
>>786
崇神は、畿内しか考えられ無いでしょ!
また応神は九州から畿内移動した。
崇神系統と応神系統は分家なのか、敵対的関係なのかは解らないけどね。
795名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:16:15 ID:Ucrz8k4cO
>>783
応神天皇が九州出身か否かはわからないな。
九州と関係があったことは想像できるが、出身地だとは特定でくない。
朝鮮支配のための本営が九州にあっただけかもしれないし。
796名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:19:45 ID:n3KN3w+20
>>791
中国読み?ヤマト?本当?嘘クサw
邪をヤと発音したっけな?
馬はバァと発音したような?
台はどうかな?
797名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 13:20:30 ID:GqH4o4jc0
>>765に書かれているが、
書紀編纂者が卑弥呼の扱いに困ったということは、
皇室の系譜に卑弥呼はいないということだよ。
邪馬台国の場所はわからんがw
798名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:21:11 ID:Cz55ZD8EO
>>789
出雲国は神話や日本の文献などに記載や言い伝えが、残ってるじゃないか!
しかし出雲勢力のエリアについては色々な説があるけど。
出雲大社て、御神体も名前も途中で変わってるみたいだね!
799名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:23:58 ID:Ucrz8k4cO
>>796
どう発音したかを知った上で嘘くさいっていうならわかるけど、
知りもしないて、とりあえずケチを付けているのが笑える。
800名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 13:25:15 ID:GqH4o4jc0
>>796>>799
答え:ジャワ島
801名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:26:35 ID:Ka2S8ZgYO
佐賀銘菓「卑弥呼まんじゅう」
802名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:26:59 ID:Cz55ZD8EO
>>795
応神の父ちゃんは、ヤマトタケルの息子だろ!
応神で神話とハツクニの境になってる。
803名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:27:35 ID:Ucrz8k4cO
>>798
文献に載っていることと、国が後に消滅したら致命的であることの関連がわからん。
804名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:28:14 ID:22U8BrMM0
>>797
そりゃ卑弥呼が天照大神とは不敬すぎて書けないだろ。
805名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:28:54 ID:Z9hM6tOY0
んと、出雲を語る前に現地来てから発言してほしいね。
出雲といえば出雲大社とか出雲市とかステレオタイプの奴が多いけど困ったものだw
出雲大社は海の防衛上、時代が下って作られたものだからねw

本当はね、安来、松江、斐川町、奥出雲、大田、邑智に本当の歴史があるんだけどな。
出雲市中心部は泥沼地で山側以外は全然関係ないけどな。
806名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:30:24 ID:UBkp/M51P
>>800
最近ではジャマイカ説が有力。
807名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:30:26 ID:bbC2uVOw0
子供の頃、学校で邪馬台国は九州だと習ってずっとそう思っていたよ。

ずい分昔のことなのでまったくの記憶違いかもしれないが、
確か福岡の上のほう。
つまり玄界灘のあたりだったと教わったような記憶が・・・。

おっ、新説?ww
808名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:31:36 ID:Cz55ZD8EO
>>803
それじゃ聞こう!
邪馬台国は、何処へ行っちゃったんだよ!
置き手紙も、何も残さずに。
809名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:35:57 ID:n3KN3w+20
>>799
だって、それある説からの抜粋でしょ?
でも実際は、邪はサとシの中間ぐらいの発音
馬はかいてあるよな?
台はそもそも「臺」だしなwww
つうかよく古代中国の読み方がテープもなしに判るよなwww
810名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:36:18 ID:Ucrz8k4cO
>>808
>邪馬台国は、何処へ行っちゃったんだよ!
ここにあるよ。
811名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 13:36:40 ID:GqH4o4jc0
>>804
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊のように「天照」が必ずしも
女神とは限らないんだけどな。
812名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:36:49 ID:22U8BrMM0
>>798
荒神谷の銅鐸、銅鉾が発見されるまで畿内説の奴らからは出雲は無視されていたんだよなー。
記紀を無視するのはなんでかねー。とっくに王朝交代説なんぞは破綻しているのに。
813名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:39:14 ID:n3KN3w+20
>>808
そんなお前に聞きたいw
いつぐらいに大和朝廷が正式な国家になったの?
誰かが今日から国家だと辞令でも出したの?
814名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:43:51 ID:3cR7U8rv0
神の字がついた天皇が3人いる。
神武、応神、崇神天皇だ。

これらの名前は漢風のおくりなで、奈良時代につけられたと言われる。
適当につけたのではなく、その文字には当然、意味があるだろう。

神武天皇日向から東征してきて大和朝廷を開いた。
応神天皇も九州生まれ。
香坂王・忍熊王という二皇子を討って大和を平定した。

この二人の天皇は東征したという点で共通している。
神という字を使ってるのは、
外部からの征服者を意味してるのかもしれない。

崇神天皇にはそのような記録はないのだが、
奇妙なエピソードがいくつか残されている。
天照大神を宮中で祀るのはよくないと言って追い出したという話。
最終的に伊勢神宮が天照大神を祀ることになるきっかけとなったエピソードだ。

また神の祟りがあったため、大物主の子孫であるオオタタネコを探した話。
崇神天皇が本当に直系の子孫なら、先祖の神の天照大神を追い出したり、
大物主の祟りを受けるだろうか。自分も大物主の子孫のはずなのに、
わざわざ子孫を探している。

崇神天皇の和名は、ミマキイリヒコと言うのだが、
ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたという
エピソードがその後に書いてある。
つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。
815名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:45:29 ID:UBkp/M51P
>>798
今は消えた出雲国も実際には存在していたんだろ?
つまり後に消えたということは、昔存在しなかったことの証明にはならない。
邪馬台国もそれと同じ。後に消えたことは存在しなかったことの証にはならないと思うよ。
816名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:47:24 ID:n3KN3w+20
>>814
当然意味があろうが、「神」を付けたのは神格化が目的だろ?
古代の世界各地の王朝がそうであったようにな
つうか、実在すらあやしいものを根拠にするなよ
817名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:47:33 ID:22U8BrMM0
>>811
珍説乙
「吾、今教を奉りて根国に就りなむとす。
故暫く高天原に向でて、姉と相見て後に永に退りなむと浴う」

ちゃんと素戔鳴尊も女と認めているぞ(^o^)
818名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:48:23 ID:SWAwUsnrO
卑弥呼は…卑弥呼は九州にいたんだも(´;ω;`)



…てことですか?
819名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:50:05 ID:mJ54PMwdO
村西コノヤロー!
820名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:53:25 ID:22U8BrMM0
>>818
そうとしか取れないだろ。
魏志倭人伝のどこをどう読んだら他の地区に当てることが出来るんだ?
821名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 13:55:40 ID:GqH4o4jc0
>>817
書紀編纂の時点で編纂者が知り得たのはそうだったという話だろ。
822名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:55:48 ID:8irUGbtL0
>>814
> 神の字がついた天皇が3人いる。
> 神武、応神、崇神天皇だ。
> この二人の天皇は東征したという点で共通している。
> 神という字を使ってるのは、
> 外部からの征服者を意味してるのかもしれない。

なるほろ。そうかもしれない。
823名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:56:15 ID:G6zg89HZ0
>>814
いろんな解釈があるんだろうが
その東征の後も
九州での王宮も見つかって無いしな
824名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:58:41 ID:UBkp/M51P
>>820
>魏志倭人伝のどこをどう読んだら他の地区に当てることが出来るんだ?
九州の各国は「南へ100里」みたいな書き方なのに、
投馬国と邪馬台国の表記だけ「水行20日」「水行10日、陸行1ヶ月」のように
九州各国間の距離をは比較にならないくらいの距離で書かれているし、
記述様式も違うのに、どうやったら九州の中だと読めるんだよ。
無理矢理杉w
825名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 13:59:12 ID:3fECdUlaO
卑弥呼に不思議な力があったなどと言っている連中が非難されることすらない
それくらいこの件はどうでもいい事柄

ちなみに卑弥呼に不思議な力がなかったのは文献からも明らか
で結局思い通りに神事が運ばず、生贄にされてあぼーん
826名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:02:53 ID:VXmGaCTf0
>>814
こういうデタラメを流布されると歴史観が混乱するので、正しておく。
神武が九州から来たのはその通りだが、応神は違う。
母親・父親ともに畿内の大和王権生まれ。

応神の母親の神功皇后の系譜は、丹波の息長氏。さらに過去には但馬の渡来人の血も入ってる。
補佐するタケウチスクネは葛城系だ。
九州とは縁もゆかりもない。九州・朝鮮を征伐にいったおりに、応神を産んだだけだ。

崇神のミマキイリヒコが任那とどう関係するのか?語呂合わせにもなってない。
ミマキは「御真木」という意味であり、任那(ミマナ)とは何の関係も無い。

827名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 14:04:33 ID:GqH4o4jc0
水行や陸行が倭人からの聞き取りだったとする。
倭人が2倍歴を使ってたと聞いたことがあるけど。
そうすると20日は10日、10日は5日ってことではないのか?
828名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:06:12 ID:VXmGaCTf0
応神天皇というのは、丹後のある人物と名前を交換したという記述もあり、
九州よりも丹後と関係が深いと見るべきものだ。

なんでもかんでも九州と絡めて考えるのはよせ。
日本には九州しか無かったわけではない。
829名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:07:16 ID:G6zg89HZ0
Cz55ZD8EO
3cR7U8rv0

この2人の主張がそっくりで驚いたけど
応神九州説って意外と主流なの?
その後、崇神が作った畿内勢力を東征で征伐したみたいな流れだけど
830名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:08:08 ID:zvFLv5540
断末魔
831名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 14:09:07 ID:GqH4o4jc0
>>829
神武と応神同一説の亜流でしょ。
832名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:09:14 ID:xSqfZ5YI0
>>827
二倍暦を使ってた根拠がないからダメ
833名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:11:38 ID:VXmGaCTf0
>>814
>崇神天皇の和名は、ミマキイリヒコと言うのだが、
>ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたという

こういう、文献にもかかれてないウソをどうして書けるのかわからない。
騙される人がいるとかわいそうだから正しておくが、
どこの文献にそんなことは書かれていない。

任那からきた渡来人の話はあるが、崇神天皇とは関係はまったくない。

デタラメを流布されると、それを信じる人がまた流布するから、始末が悪い。
南京大虐殺が何百万人になるのと同じことだ。
デタラメを言う前に、自分で調べるくらいの習慣をつけたらどうだ?
834名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:12:21 ID:xSqfZ5YI0
>>829
40年前は主流だったかも
余りにも古過ぎてカビが生えてる説
835名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:12:37 ID:vTqNUj7IO
隋書にはっきり明記されてるとおり、倭人は里数を知らず日数で距離を図った。
そして倭人の距離感では、日本列島は東西5ヶ月。
それをモノサシに計算するのが当然だろ。
836名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:14:22 ID:vaO59hP30
>>833
まるっきりのデタラメだろうか・・・
聞いた事ある気もする
837名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:16:55 ID:VJHy+bLK0
橿原考古学研究所が黙っちゃいないwww
838名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:24:12 ID:aj6BwCi40
>>833
「日本書紀」巻六の垂仁天皇の条に、
北の海から敦賀に渡ってきたアラシトに、垂仁天皇が
「お前が道に迷わずに間違いなく速く来ていたら、
先の天皇に仕えていたろう。
そこでお前はもとの国名を改め、
追ってミマキ(御間城)天皇の御名を負い、お前の国名とせよ」
というのがある。

その後、その国をミマナ(弥摩那)国と呼ぶようになった。

ミマキイリヒコの妻も、ミマキヒメという。
兄弟が同じ名前というのはよくあるが、
夫婦が同じ名前というのは古代でも異様。
これはミマキヒメのところに入り婿したからミマキイリヒコというのではないか
なんて話も。
839名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:25:08 ID:VXmGaCTf0
>>836

聞いたことあるって、
だから、それがデマなんでっての。

「文献のどこそこにしっかり書いてある」という報告の無いものを信じるなよ。

文献に書いてあるなら、俺も訂正するが。

840名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:27:36 ID:22U8BrMM0
>>827
聞き取りじゃないよ、ちゃんと魏使が邪馬台国に何度も来ているんだからね。
841名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:27:45 ID:VXmGaCTf0
>>838


ほらみろ。時系列が逆じゃないか?

ミマキイリヒコ(崇神)がいた後で、任那という国名ができたと文献にある。

これがどうして、任那から崇神が来たというデマになるのかわからんね。


842名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:28:09 ID:xSqfZ5YI0
>>838
騎馬民族説なんかだと
むしろ逆でミマナからきたからミマキイリヒコという名前になったというな
843名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:28:17 ID:A1EIbeuo0
「この場所はなんて呼んでるの?」

(なにって、山としか言いようがないし)
「山たい」

「なるほど。やまたい国ね」
(字わかんね。まぁ適当でいいか。邪馬台国っと)
844名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:29:46 ID:aj6BwCi40
>>841
時系列が逆とか、いまさらごまかすのか

>崇神天皇の和名は、ミマキイリヒコと言うのだが、
>ミマキイリヒコの名にちなんで任那と名づけたという

と自分で書いてるくせに
845名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:31:38 ID:VXmGaCTf0
>>844

>>814に言えよ。
>つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。

最初にデタラメを書いたのは>>814だ。
846名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:31:38 ID:SSlrKbLxO
>>815
巻向は他でもない出雲そのものだったという説がある。
現に箸墓の周辺は出雲荘園だったし、現在でも出雲の地名が残っているしな。

出雲の国譲りとはヤマトの土地を舞台に行われたと考えたら、
色々話はぴったりはまるんだよ。

倭人伝の記述の時期には国譲りが済んだ状態なんだろう。
847名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:32:11 ID:G6zg89HZ0
そもそも
巻向を制圧するような勢力が九州にあったのか?
848名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 14:32:55 ID:GqH4o4jc0
>>832
魏略曰「其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」なんだが。

>>840
来たか来てないかは確定できないが、邪馬台国までの道程が、
途中で「里」から「水行」に変わるだろ。
使者は里で表わす術がなかったということ。
849名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:34:38 ID:abnQ9r3HO
単に自分の仕事がなくなるのが怖いのだろう
850名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:36:00 ID:OaRuq5Y70
>>827
2倍暦って、2日が1日のことじゃないでしょ。
15日で1ヶ月だか、6ヶ月で1年だったかじゃなかったか
851名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 14:37:48 ID:GqH4o4jc0
>>850
確かに。そうかもしれんorz
852名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 14:55:42 ID:22U8BrMM0
>>848
だって草木繁茂しだもの里程なんて意味無いよ、でも最終的に1万2千里だから
きちっと勘定はしているね。(朝鮮南部まで7千里、九州北岸前3千里、残り2千里)
853名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:00:04 ID:VXmGaCTf0
2倍暦でもりあがってるところすまないが、
魏志倭人伝にも倭人が2倍暦をつかってたなんて記述はないからな?
「春秋で年季をなす」は、2倍暦の証拠にならないぞ。

仮に2倍暦があったとしよう。
すると、倭人は、外国人から見て2倍の歳を重ねることになる。
5歳なら10歳、10歳なら20歳、30歳なら60歳だ。

倭国と往来する朝鮮半島の人は、倭人が歳をとるのが早いことを怪訝に思うはずだよな。
「子供に歳を聞いたら30歳だという、これはおかしい」と。
そして、魏志倭人伝に倭人は2倍暦を使ってると明記されるはずだ。

もっとも、「漢倭奴国」金印をもらった時点で、中国に柵封されたのだから、
先進の中国の暦(干支)をとりいれてるはずだ。
暦を統一しないと、何日後、何ヵ月後、何年後に、朝貢するとか貿易するとか取引する約束事ができなくなるからだ。

854名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:02:21 ID:P787s4/p0
>>853
倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
(倭人伝)

古代でこんなの有り得るのかな
855名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:03:24 ID:N+eoxOsE0
高島、もういいんだ
今はゆっくり休め
856名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:03:47 ID:9gd1GwZy0
古代の天皇が、150歳だの長寿ばかりなのは
2倍で数えてたからという説もあったな
857名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:10:50 ID:VXmGaCTf0
>>854
実際に長寿だったんだろ。
倭人から「この人100歳です」とか言われて、見た目50歳だったら、怪訝に思うだろ。

あのね、「平均寿命」に騙されるなよ?
乳幼児の死亡率の高さが古代の「平均寿命」を下げてるのであって、
健康な人間なら寿命は今とかわらないよ。

>>856
それは、干支の水増し(60年周期)や、天皇家の歴史を古く見積もるための造作で説明できる。
858名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:17:12 ID:EcfwcJcl0
倭人伝に出てくる倭人で、イレズミしてて
日焼けで真っ黒な、南方系の感じ。
日本人から見て黒人の歳がよくわからないように、
当時の中国人には、蛮族の倭人なんか、
いちいち歳相応かなんてよくわからなかったんじゃね
859名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:20:39 ID:Ucrz8k4cO
>>854
平均寿命は低くても、長寿記録とかは大して変わらないと思うよ。
860名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 15:26:19 ID:GqH4o4jc0
>>852
里数は意味がないのに、
どうして最終の一万二千里がきちっと勘定してると言えるの?

>>857
支那人はもっと寿命が短かったということか?
でないと倭人が長寿だとは記載しないからな。



861名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:33:48 ID:4zXnxuaR0
>>860
そこに書いてあるからだろ。
10500里を消化しているんだから届かないよ。

>女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載しえたが、
>その余の国は遠くて険しく、詳細を得ることが出来なかった

この記述だって、畿内説に反するだろ。

1、道程や戸数が詳しく書かれた九州北部は女王国より以北。
2、その次が女王国。
3、その先は遠いからわからない。

仮に方角を無視する畿内説(この時点で問題外だが)
をとるにしても、九州北部の次に、中国地方が入り、
その次が女王国になるんだぞ。

女王国以北(畿内説ならい以西)の中国地方の記述がないのは、
明らかにおかしいじゃないか。
862名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:36:27 ID:7+v7iHYk0
>>4
TBSが言うんなら、間違ってるんだな。

九州確定
863名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:38:26 ID:JzfyBsY50
100歳以上の年齢に関しては、実在がほぼ確実な雄略天皇が、記紀では
100歳超えちゃってるんだよなあ。
864名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:43:04 ID:xOdy0tx8O
865名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:48:23 ID:4zXnxuaR0
>>864
何が言いたいんだ?

その引用レスを読んでも、反論になってないぞ。
866名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:54:58 ID:Ucrz8k4cO
>>861
>仮に方角を無視する畿内説(この時点で問題外だが)
水行20日+水行10日+陸行1ヶ月という距離(日数)を無視せざるを得ない
九州説も問題外だね。

>女王国以北(畿内説ならい以西)の中国地方の記述がないのは、
>明らかにおかしいじゃないか。
奈良から北の方向には山城、近江、越前、越中、越後があるよね。
それらの国への街道は北国街道と呼ばれていたし、北陸と呼ばれていた。
かつ、山城、近江、越前、越中、越後は古代から開けていたよ。
継体天皇も即位する前は北陸にいたしね。
まったくおかしくないよ。
867名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 15:55:24 ID:4zXnxuaR0
>>864

>それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できない
>ところにあると考えなければならない。

例えば、>>608のこの推論は、
「女王国より以北は詳しく記載できた」とうする倭人伝に反するよ。

この推論が正しいなら、
「容易に行き来できない遠くにある女王国」の
以北の国々を詳しく記載できるわけないじゃないか。

それが、倭人伝には女王国以北の九州北部は、
実際に詳しく記載されている。

推論自体が倭人伝に反している以上、
解釈の間違いなんだよ。
868名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:00:06 ID:4zXnxuaR0
>>866
無視してないぞ。
現代人に解釈できないだけ。
実際にそれだけかかったか、総日程か、わからないだけだろ。

それでも、総距離12000里と途中経過10500里は明記されてるんだから。
数字と方角を共に無視する畿内説は問題外だよ。

さらに「女王国より北〜」との記述とも合わない。

>まったくおかしくないよ。
勘違いしているのかな?
倭人伝には「女王国より以北は、道程・戸数を記載できた」
と明記されているんだぞ。

それらの山城、近江、越前、越中、越後について、
道程・戸数の記載なんて倭人伝のどこにもない。
倭人伝に道程・戸数が記されているのは九州北部だけだよ。
869名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:03:36 ID:GJBAHJ2j0
そんなに方角を信じるなら、絶対に、佐賀には行き着かない。

これも真実。

行き着く可能性があるとすれば。宮崎。
870名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:05:10 ID:VxlP+jAP0
ほとんどのテレビ局は奈良で決定しているな
871名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:08:52 ID:UBkp/M51P
>>861
女王国より北=琵琶湖周辺地域、北陸地方
その余の国=東海、坂東

琵琶湖周辺地域、北陸地方は、古くから大和朝廷が支配が及んでいた地域。
坂東、東北地方は、平安時代になっても朝廷の支配に蝦夷の支配地域だったから
3世紀の時点では詳細はわからなかったろうな。
872名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:11:15 ID:n+WWsK5w0
クリスタルキングの「大都会」は何処を歌ったものか

東京派:当時の日本に「大都会」にふさわしいずば抜けた都市は東京しかない
福岡派:当時のクリスタルキングの行動範囲からすれば「大都会」=「福岡」しかありえない

みたいなもんか?
873名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 16:11:32 ID:GqH4o4jc0
東夷伝の高句麗の条に出てくる高句麗の位置だが、
「遼東の東千里」は正しいのか?
遼東から430kmが高句麗ってことなんだが。

874名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:13:02 ID:4zXnxuaR0
>>871
倭人伝の女王国より以北について、
倭人伝は「道程・戸数を詳しく記載できた」と言っている。
そして、実際に道程・戸数が詳しく記載されているのは九州北部。

一方、畿内説の女王国より以北の北陸は琵琶湖・北陸。
これらは倭人伝に道程・戸数共に記載されていない。

明らかに、倭人伝とずれてるじゃないか。
875名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:17:49 ID:GJBAHJ2j0
濃尾平野の勢力、前方後方墳を作ってる人たち、は、4世紀になるころには大和に…。
山陰の前方後方墳な人たちも高句麗との関連が指摘されるくらいだ…。
魏は公孫氏、そして高句麗と3世紀半ば頃に攻め落としている。
同盟を結ぶにあたって、こんなに都合の良い国家はない。
876名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:20:53 ID:i0YKmdqIO
桜井の今回の出土がなくても、もうすでに畿内説が主流だが、
少数意見にも耳を傾けるのが民主主義というもんだな。
877名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:21:08 ID:vaO59hP30
入墨とかどこの土人だよ
878名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:26:34 ID:22U8BrMM0
>>875
前方後円墳は邪馬台国には無かったってのは自明なんだが・・・
879名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:31:40 ID:xSqfZ5YI0
>>873
地図上でみると遼東半島から当時の高句麗首都丸都城=中国吉林省集安市
まで直線距離だとだいたいそれくらいになるからあってる
遼東が具体的にどこになるかはわからんが
880名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:40:05 ID:Ml3AqzCT0
九州説は魏志倭人伝でも成立し得ない。
881名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:50:51 ID:cn2RD2HnO
>>880
そりゃ、自説に都合のいい箇所だけを採用してりゃ、およそどんな説でも成り立つし、また、成り立たないことにするのも簡単だわな。

そういういい加減な議論じゃなしに、倭人伝そのものの記述が全体としてどういう整合性を持っているかを確定してから論じなければ、永遠に水掛け論だ。
882名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:51:05 ID:i0YKmdqIO
12Rの内藤には、亀田をKOするしか道は無かった。
講演で負け犬の遠吠えするより、金印か帯封探しなさい。
883名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:54:43 ID:HiASHpAo0
卑弥呼(himeko、ヒメコ、ヒメミコ)= 姫巫女、姫尊、姫命、姫神子、。。

邪馬壹(やまと、やまもと)= 山本(つまり、やまのふもと)
884名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 16:58:57 ID:VXmGaCTf0
>>868
>それでも、総距離12000里と途中経過10500里は明記されてるんだから。

12000里は、大月氏国との比較で用いられた数字だろ。

>10500里は明記
1500里なんて誤差の範囲。
途中の、2000里とか1000里とか100里とか、そもそも正確な数値じゃないだろ。

古代に正確な里数を測量できる技術があったというのか?
そして、その里数を測量したら、誤差無く100里単位で綺麗におさまったというのか?


885名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 17:07:34 ID:m4mmuYGj0
>>871
女王国より北が北陸なの?
すると、末濾国や伊都国も北陸か

あんたは魏志は、九州じゃなく北陸に上陸した説ってことか

でもそれをやると、肝心の女王国が畿内説の理論で言うと
畿内と飛び出してしまうよ。

邪馬台国、東北説ですか
886名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 17:15:00 ID:GqH4o4jc0
>>879
そうかあ。高句麗に関しては方向と距離は合ってるのか。
そうすると水行はやはり不自然かなぁ。
邪馬台国に使者が行ったなら概数で示すことは可能だもんな。
勝手な想像だけど、卑弥呼の邪馬台国は畿内で、
行政・軍事の中心は九州伊都国の一大率だったというのが合理的かな。
だから鉄は九州が中心に出土してるってことかも。
887名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 17:38:45 ID:SSlrKbLxO
女王国は邪馬台国じゃないのをまだわかってない奴がいるな。

倭人伝には邪馬台国=女王国なんて何処にも書いてないから。

邪馬台国は女王の都だろ。女王国は穴戸、吉備や播磨、四国諸国、
それに紀伊半島の国々だと傍国で説明してるよ。

で、奴国に女王の境界があると書いてあるでしょ。
方角以外は畿内説で全部説明ついてるけどな。

888名無しさん@十周年 :2009/12/02(水) 17:53:07 ID:GqH4o4jc0
>>887
傍国って何?
889名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 17:54:40 ID:QeLSgzEx0
>>887
そんなもの確証がないから議論してるんだろ。
890名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 17:55:32 ID:0cLwzx2A0
ついこの間淡路島で最古の鉄器工房見つかってなかったっけ?
891名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:04:01 ID:0UhzHLvQ0
皇室は九州で始まりましたが、何か?
892名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:05:05 ID:xIoFVgaw0
>>890
1世紀〜。
北九州諸国が全盛のころから…のようだね。
東に征き、鉄を要望にあわせて加工し、売り裁き、流通をコントロールするのは大事な仕事。
陸路を、そんな大切な戦略物資を持って旅するよりは、やっぱり船便。
瀬戸内海を渡っていけば、畿内との境目にあるのが淡路島。
大量の常緑樹が生える島。
893名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:06:53 ID:EeWIF+SrO
卑弥呼なんか単なる占い師としか思っていない俺
894名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:10:34 ID:SSlrKbLxO
>>888
遠すぎて詳細がわからない女王国を構成する周辺の国々だよ。

>>889
少なくとも妙な解釈はしとらん。
倭人伝では女王国と邪馬台国ははっきり別けて使われているのに、
勝手に女王国=邪馬台国と混同してるからややこしくなる。
895名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:11:18 ID:ht+qnTIOO
>>893
正解
896名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:11:29 ID:D+iGKN9SO
>>882
金印とか田畑や野原の中を探すのか…?
大事な物が何でそんな所に落ちているのやら。
897名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:15:00 ID:Du+0UuMi0
魏志倭人伝って1回の行程を書き記したんじゃないかもな
898名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:15:46 ID:SSlrKbLxO
金印とか仮に出土しても、未発掘の古墳とか
重要な施設らしき遺跡から出ないと大して意味ないし。
持ち運び出来るような物は証明にならないからね。
899名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:23:56 ID:77+DkP9E0
やまと、いわと この と は囲まれたといういみなのか?
なるとのとは?
900名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:24:15 ID:GUa8o9WW0
>>886
>勝手な想像だけど、卑弥呼の邪馬台国は畿内で、
>行政・軍事の中心は九州伊都国の一大率だったというのが合理的かな。

一大率は女王国の「北」にあるって書いてなかった?

倭人伝を読むと一行は九州北岸を沿岸沿いに東へ向かっていると思われる。
不弥国の先、いきなり距離の表記が「里」から「日」に変わるのだが、
これはそのあたりで一行は先へ進むのを止め、倭人に
「ここからお前達の女王国へはどうやって行くのだ?」と聞いたのだろう。(自分で行ったなら里表記のはず。)
不弥国は現在の津屋崎あたりでしょうか? そこから倭人達は
「(遠賀川に入りそれを)南に水行し、(田川あたりで上陸した後)さらに南に陸行すれば女王国です。」
と答えたのだろう。遠賀川を南に水行し、南に陸行すれば甘木に到達します。ちなみに遠賀川流域が投馬国です。
もちろん日数はおおいに水増しされたものである事は言うまでもない。
901名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:27:34 ID:x+kfJn3i0
>>899
ヤマトは「山門」と漢字があてられているように「山への入口」と言う意味では?
902名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:28:52 ID:77+DkP9E0
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜可國曽 蜻嶋 八間跡能國者
三諸之神之 神須疑 已具耳矣自得 見監乍共 不寝夜叙多
莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
山越乃 風乎時自見 寐夜不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
903名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:29:34 ID:Du+0UuMi0
>>897
書き込んでから意味不明だったことに気付いたorz

帯方郡から不弥国については奴国が強国だった1世紀頃の資料が元ネタになってるんじゃないか?
前半部分は行程が細かいうえに投馬国(5万戸)や邪馬台国(7万戸)と比べても小さな国(1000余戸)の事も載ってるし
904名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:30:37 ID:ht+qnTIOO
>>900
行っても会えないし、厳重体制がひかれていて危険だったからだろう、上司に危険だから行きませんでしたなんて、報告出来ないよな、だから日に変えてごまかしたんだろう、現代でもよくある事じゃないか

その辺踏まえてやはり邪馬台国は九州と考えていいだろう
905名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:32:27 ID:xIoFVgaw0
甘木に行くのに、なぜ…?博多湾から南に行けば済む。
佐賀説な人は、何故だか西に回って、有明海から入ろうとする。
そして、無理目な東征を言う。

それなら、いっそのこと、宇佐などから海路南に下り、宮崎に入るほうが、よほど整合性もある。
906名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:34:32 ID:77+DkP9E0
[原文]篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒
告目 家呼毛名雄母

[訓読]篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 省12
907名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:36:58 ID:77+DkP9E0
大和朝廷は当時大和は呼んでいない?大和は地名で、それはアイヌ語か古い地名だった?
やまたのオロチ退治は、やまとにいた大王(オロチ)を滅ぼした?
908名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:36:59 ID:bLULIvuCO
>>898
考古学って結構非論理的で「なんでその程度の根拠で決め付けができるんだろう?」と
首をかしげるようなことが多いよ。
シュリーマンが発見したトロイア遺跡なんかも、そこがトロイアであると言い切れる
ような証拠はまったく出ていないが、なとなくトロイアだということになっている。
だから、遠く離れた場所から破面がぴったりと一致する石器が出土したことが、
発掘者のでっち上げの可能性を疑うこともなく、石器が商業流通していたなんて結論に至ったりする。
909名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:38:18 ID:RSYSH4SR0
>>878
それはない。円墳とも書いていないし。前方後円墳は後円部が墓で方の部分は円に向かう
坂になっている。

>卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。
この一文だけで
>前方後円墳は邪馬台国には無かったってのは自明なんだが・・・
と断定して書いてしまう。

それが九州論
910名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:41:55 ID:/9dfC0dE0
>>903
投馬国(5万戸)や邪馬台国(7万戸)なんですよ。で、奴国は2万戸。
この数字は人口の絶対数ととらえるより、人口比とみなすべきでしょう。
奴国:投馬国:邪馬台国=2:5:7 ですね。
奴国は那珂川流域の福岡平野でほぼ異論はないとされてます。とすれば、
稲作がメインな産業と当時としては、倭人伝にある人口面から見れば
投馬国は遠賀川流域、邪馬台国は筑後川流域と考えるべきでしょう。
911名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:42:02 ID:62slawe2O
全ては証拠だ。

発掘が明らかにするだろう。
恐らく九州涙目になる。


912名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:42:14 ID:bLULIvuCO
>>904
九州にあったら近所だから行ってただろうな。
遠かったから行かなかったんだろう。
913名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:43:33 ID:RCacqB5A0
全ては証拠だ。

発掘が明らかにするだろう。
恐らく畿内涙目になる。
914名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:44:31 ID:MHYBfM030
>>907
ヤマタのオロチとは出雲のタタラバのことだ。
915909:2009/12/02(水) 18:44:45 ID:RSYSH4SR0
で例えば
266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせたと述べられ、
前方後円墳のおこりを記したものとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE
という事実があると
>>卑弥呼以て死す。大いにチョウを作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。
この一文だけで前方後円墳はなかったというのは自明と書いてしまう九州説論者だちは

晋書はあとの時代に作られた者で誤記が多いからだめ。これは前方後円墳のことでは「ありえない」
という。

で魏志は絶対正確とし「間違うことはありない」と奉る。
それが九州論者
916名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:44:45 ID:EibopcrUO
>>912

倭の奴が大国である魏に舐められないように精一杯吹かしたんだろうな
917名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:46:31 ID:0UhzHLvQ0
九州を軽視するのは不敬な愚民。
918名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:46:32 ID:K4U4UoUGO
始めて聞く大学名だ

九州なら九州大か熊本大やろ
919名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:47:54 ID:RSYSH4SR0
で、山門が宇佐近辺にあり、昔から祀っていたといい、神功皇后と関係があるというくせに、こういう
事実を突きつけると。。。

日本風土記 大和〈野馬多(ヤマト)
★野馬多
和名類聚抄 大和〈於保 夜萬止〉
★夜萬止
『日本書紀』巻一第四段本文
及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。
此云耶麻騰。下皆效此。豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐
洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由
是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。
(国生み神話 日本これを耶麻騰と読む。九州は筑紫洲)
★耶麻騰
日本書紀巻第一 神代上
大己貴神曰。唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶對曰。
吾欲住於日本國之三諸山。故即營宮彼處使就而居。此大三輪之神也
★耶對(大国主が)大和三山がある耶對の三輪山に住みたい)
日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年
時弟猾又奏曰。倭國磯城邑有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云。葛城邑也。有赤銅八十梟帥。
(倭國の磯城邑、磯城の八十梟帥有り。又、高尾張邑 【或本云 葛城邑也】赤銅の八十梟帥有す。)
★倭國
古事記〈中景行)
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 
多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 
夜麻登志宇流波斯
★夜麻登
言語学的には耶馬台のトはト乙類=大和の読みは全てト乙類
山門は日本書紀の山門県(やまとのあがた)として出てくるが、あがたとは大和につかえる
西国の1国の単位。たくさんある。さらに山門のtoは甲類to のちに律令では筑後の国の一郡に。

記紀は信用できないという。それが九州論者。
920名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:48:04 ID:22U8BrMM0
>>904
ウナコターネー、
ばれたら死罪、部下も案内人も倭人も全部言いくるめないとあかんぞ、
ちゃんと行った方が楽だし安全だろ(笑笑笑)
921名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:48:16 ID:ht+qnTIOO
しかし朝倉の山ての方に、バカでかい墓が3ぐらいあるが、なんで調査しないんだ、地元の人に聞いてもあれは墓ばいって言ってたぜ
922名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:50:48 ID:MHYBfM030
井沢説でほぼ完璧
神宮皇后は卑弥呼じゃない
卑弥呼は姫大神
923名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:52:57 ID:Du+0UuMi0
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=33.501324,130.546417&spn=0.219869,0.438766&t=h&z=11&brcurrent=3,0x3541817af77eb125:0x97a20ffb4a51384d,1

大きな山脈があるならともかく、障害になるようなものが見当たらない…
どう見たって直接行く方が確実だな



地方からTDRに行くのに命懸けで東京駅に着いて、引き返す意味がわからない…
924名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:53:03 ID:22U8BrMM0
>>913
今の考古学者では無理だよ。
全部いい加減じゃないか、旧石器捏造事件にしろ
最近は歴博が炭素年代で無茶苦茶な説を出して
学会でさんざんに叩かれたのに反省してないでしょ。
925名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:53:05 ID:EibopcrUO
>>920

何年か十何年かに一度か二度かとかだろ
だいたい今でも仕事がいい加減な支那人なのにその時代だけちゃんとしてるわけない
三國志とかの時代も地方の領主に懐柔されとるじゃん
926名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:54:02 ID:77+DkP9E0
927名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:54:03 ID:cMFGWyOR0
キミコ
ヒミコ
ドミコ
ゴミコ
ミミコ
の巫女を擁する五つの大国があったそうじゃ
928名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:54:53 ID:RSYSH4SR0
さーて皆さんこれを読んでみましょう
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに
人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里
にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國
に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず

九州・近畿説ともに末盧國 奴國 不彌國 伊都國は九州にあるとしています。
さてここからですが、九州説によると投馬國、邪馬壱國は上の4国から100km以内にあります。
自然な読み方でしょうか?
929名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 18:58:29 ID:o/fIgMH+0
>>922
姫大神は「トヨ」でしょ?
930名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:00:42 ID:MHYBfM030
邪馬台国という一国家と日巫女がそこまで重要な意味が分からん
朝廷の汚さとかひどいもんだ
931名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:01:47 ID:ht+qnTIOO
豊タン

豐タン
932名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:01:56 ID:/diWZsrY0
さーて皆さんこれを読んでみましょう
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに
人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里
にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國
に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず

九州・近畿説ともに末盧國 奴國 不彌國 伊都國は九州にあるとしています。
さてここからですが、畿内説によると投馬國、邪馬壱國は上の4国から東北の方角にあります。
自然な読み方でしょうか?
933名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:03:36 ID:MHYBfM030
>>929
トヨは殺されたの?
卑弥呼は殺されたから祭られてるはずだよ。
934名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:05:00 ID:1Okm5BdVO
何か「呪い」が懸かってるよな
935名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:05:04 ID:RSYSH4SR0
続けるが
>>928の文で九州説に沿って考えるとおかしなことが多々でてくる。

末盧国と伊都国と奴国と不弥国付近から邪馬台国は100km程度だとしたら、
自分で行っていなくても、人の往来がさかんだろうから距離は知れるはず。
それが不明なのは投馬国と邪馬台国は容易に行き来できないところにあると
考えなければならない。近いのだから、距離がわかるのが自然だ。日数で表記
しているのは、不自然。。邪馬台国と投馬国が九州にあるとすると、この表記の
不自然さが説明できない。
末盧国 伊都国 奴国 不弥国が沿岸にあるとしたら船中移動ができるはずなのに
陸行している。ところが投馬國と邪馬台国に行くときは海に出ないと行けない。
つまり九州の外に出なければならなかったと考える方が自然で、そうすると投馬国と
邪馬台国は本州か四国にあると考えられる。

さらにおかしい点は使者が伊都国にとどまって常駐したところだという。どうやら
あまりしらないらしい
>南のかた投馬國に至る。水行二十日。
>南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。

近くには見えないし、100km圏内なら読む人に誤解のないように同じ表記をしたはず。


また韓半島をわざわざこえてやってきた使者なら、国賓として100km以内のある都
の邪馬台国にいったはずだ。つまり邪馬台国は遠く離れていたからこそ伊都国に
とどまったと考える方が自然。
936名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:05:34 ID:mWoIjaDIO
メキニメキニヌダラダラ〜
937名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:05:41 ID:ht+qnTIOO
卑弥呼が殺された?(笑)www
938名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:06:19 ID:zvnSQSzZ0
で、ハニワ原人の本拠地はどこなんだ!
939名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:06:20 ID:ScFLzVuPO
女子短大の学長www
940名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:08:09 ID:bLULIvuCO
>>933
卑弥呼が殺されたって根拠はなに?
941名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:08:12 ID:ht+qnTIOO
>>935
吉野ヶ里や、甘木など、充分に100キロ以内あるるんwww
942名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:08:20 ID:RSYSH4SR0
まず九州拙論者は原文を出さずに、いかに自分らの説が「自然で」「普通に考えるとそうとしか読めない」
と言う。

さて。。。実際に>>928を読んでみましょう。果たしてそうでしょうか?
943名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:09:07 ID:IDDbd+uH0
>>935
君は日本史板の「ドンコイ」スレへ逝ったほうがいい。
太国ちゃんや美濃もん太くんといった愉快なコテたちが暖かく迎えてくれるだろう。
944名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:09:54 ID:/33I0Ng70
東スポの記事をマジメにとらえて、あれこれ考えてる馬鹿と同じだな。

中国さまの言うことはなんでも正しいのかよ?
上記や、秀真伝とか、日本の古史古伝を、読み解く方が、数万倍ましじゃ。

945名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:10:28 ID:MHYBfM030
>>940
正確に覚えてないけど、「以て死す」の文脈。
946名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:10:43 ID:bssbJk3D0
まず畿内拙論者は原文を出さずに、いかに自分らの説が「自然で」「普通に考えるとそうとしか読めない」
と言う。

さて。。。実際に>>928を読んでみましょう。果たしてそうでしょうか?
947名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:12:34 ID:RSYSH4SR0
>>941
他の末盧国 伊都国 奴国 不弥国を設定した上でどうぞ。
九州論では1万2000余里のうち残りは1500里くらいしかありません。
948名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:12:34 ID:xIoFVgaw0
松浦から、東南に出て、伊都。ここが既に破綻してるからな。
松浦、唐津は確かに、壱岐から渡ってくる所であり、リアス式で漁業のし易いところ。
東南に行けば佐賀、有明海に出るのだ。
陸路で、太陽を見ながら歩くのに、東南と、東北を間違えるのは無理がある。
そこで、更に、伊都から東南に奴国。この位置も金印を否定しなければ無理が出る。

九州説…いや、ほぼ確定しているはずの都市にだって、方向を読み換えなきゃ辿りつかない。
949名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:13:37 ID:Du+0UuMi0
7万戸の国が近くにあるわずか1000戸の国を攻めないのも不自然
950名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:15:07 ID:RSYSH4SR0
>>949
さらににいうと、九州説ではその100Km内に5万戸と7万戸の半分が住んでいることになるし
951名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:15:40 ID:MHYBfM030
宇佐神宮の祭神は異常だろ。
応神天皇と神宮皇后の強力タッグで挟み込んでまで封じなければならない女神って誰よ?
952名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:15:57 ID:KoXWi9iTO
まだ魏志倭人伝信じてる人がいるんだね。
中国では三国志の付属書で近隣諸国の様子を過去文献から引用したもの。

この基となる過去文献は現存しないが、その文献も伝承で実際に日本に来てない人が行ったと主張してる他人の子孫から聞いた話として編纂者に伝え、書き写したとされてる。

だから情報源がホントに日本に来た人かはわからないとされてる。
そのあとの中国文献もほとんど同じ記述になってるのは引用したものが同じ文献。
更に聞いた話を付けたとされてる。
最近の研究では一部分(編纂時期より以前の情報)かなり出鱈目だと指摘されてる。
953名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:18:43 ID:bLULIvuCO
>>945
「卑弥呼以死大作塚径百余歩殉葬者奴婢百余人」
卑弥呼の死を以って大きな塚を作った。
その径百歩あまり。殉葬された奴婢百人あまり。

これのどこが殺されたと読めるのでしょうか?
954名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:19:03 ID:Fykv5Hec0
>>948
君は「サガミハラハラ」さんと気が合いそうだ。
ググってみるといいよ。
955名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:19:12 ID:MHYBfM030
>>953
その前だね。
956名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:19:17 ID:RSYSH4SR0
そういう話になるとモモソとかは
最高神の1人である大物主の妻というほぼ同格の生き神になるわけだ。
崇~天皇という「神をあがめる」天皇とどちらがえらいのか?

という話もOKになるのでやめたほうがよい
957名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:19:40 ID:kqK8X3Rt0
つか、マキムクが有力なんだから掘っちゃえばわかる可能性高いのにな。
証拠でれば解決だし、埋葬されてるのが男だったりしたら畿内説終わり。

天皇家所縁の墓かもしれんから掘っちゃダメ、とか馬鹿馬鹿しい。
掘らなきゃわからんだろうと。
958名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:22:01 ID:ht+qnTIOO
畿内説にとって魏志倭人伝は目の上のタンコブだからね、魏志倭人伝と金印はどんな理由付けてでも潰したいはず
959名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:23:21 ID:MHYBfM030
>>953
×卑弥呼が死んだのを以ってなんとかかんとか
○なんとかかんとか、卑弥呼以って死す。
960名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:24:25 ID:bqaIQElH0
最後の悪あがきだな。

そういえば、金印は江戸時代に、福岡藩の儒者がでっち上げたにせものだったけな。
961名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:24:49 ID:G6zg89HZ0
2chから一歩外に出ると
学者もメディアも畿内説ばかりw
962名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:24:58 ID:RSYSH4SR0
まず九州拙論者は原文を出さずに、いかに自分らの説が「自然で」「普通に考えるとそうとしか読めない」
と言う。

さーて皆さんこれを読んでみましょう
又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに
人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里
にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國
に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

九州論者の「いいわけ」なしに九州にあるといえますか?
963名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:26:14 ID:MHYBfM030
まあ宮内庁が掘らせないのが一番の問題だよな。
964名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:27:06 ID:RSYSH4SR0
ごめんなさい。邪馬台国の部分が抜けたのでやり直しです

又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。四千余戸有り。山海にそいて居る。草木茂盛して行くに
人を見ず。好んで魚ふくを捕うるに、水、深浅と無く、皆沈没して之を取る。 東南のかた陸行五百里
にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。千余戸有り。世王有るも皆女王國
に統属す。郡の使の往来して常に駐る所なり。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。

南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。女王國より以
北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず

九州論者の「いいわけ」なしに九州にあるといえますか?
965名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:29:19 ID:G6zg89HZ0
巻向に匹敵するところなんてどこにも無いもん
墓掘らせろと言っても
小さくてショボイ墓しか九州にはねえw
966名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:29:38 ID:ht+qnTIOO
どっちでもいいけど、ゴッドハンドはやめようね
967名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:30:16 ID:3YxU6f/G0
纏向はまだ95%くらい未発掘らしいからな。どんだけでかいんだよw
「邪馬台国」よりこっちの発掘の今後に興味ある。
邪馬台国に近い時代の状況がより分かってくるんだぞ。
968名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:30:50 ID:MHYBfM030
出雲も熊野も吉備も葛城も朝廷に滅ぼされたんだぜ?
朝廷はどこから来たのよ?
969名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:33:21 ID:MHYBfM030
邪馬台国と大和朝廷のつながりも分からんのに、邪馬台国なんてどうでもいいわ
970名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:33:28 ID:CLOZPUpt0
1年後との交代制にすればいいじゃん
971名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:34:40 ID:Rh0RnXQE0
原文の邪馬壹(一)国を邪馬臺(台)国と読み替えるのは何故か
ヤマトと読むためだ
何故ヤマトと読むのか
奈良県が日本建国以来の中心地だからだ
 
九州にもヤマトがあるなんてのは本末転倒
972名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:36:00 ID:Du+0UuMi0
>>967
邪馬台国と卑弥呼が九州はおろか福岡県だけを治めてた小国だったら
断然「未知なる国」纏向周辺のほうが楽しみ
973名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:36:23 ID:ht+qnTIOO
ヤマト?地名?全国各地にあるんじゃないかな?
974名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:36:53 ID:MHYBfM030
>>971
その辺興味あるんでもう少し詳しく教えていただきたい。
975名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:37:03 ID:bLULIvuCO
>>955
その前?

其八年太守王?到官倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
遣倭載斯烏越等詣郡?相攻?状
遣塞曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之

正始八年にの太守王?が官に到る。倭の女王卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼と平素から不和だった。
倭の載斯烏越らを遣わして郡に詣で、ともに攻撃するように説く。
塞曹掾史の張政らを遣わして、黄幢を因って詔書をもたらし難升米に拝仮し檄をつくって告喩す。

どのあたりに卑弥呼が殺されたことが記されているのでしょうか?

ちなみに、これよりさらに前にも殺されたことなど書かれてないよ。
976名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:39:26 ID:MHYBfM030
>>975
告諭す。卑弥呼以て死す。
自殺かもね。
魔力を失ったシャーマンは殺されるよ。
977名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:41:08 ID:bLULIvuCO
>>959
>○なんとかかんとか、卑弥呼以って死す。
「卑彌呼以死」のくだりは、段落の先頭だから、「なんとかかんとか」相当する文章などないよ。
978名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:43:48 ID:77+DkP9E0
http://images.google.co.jp/images?gbv=2&hl=ja&sa=1&q=%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%80%E9%9F%93%E5%9B%BD&btnG=%E7%94%BB%E5%83%8F%E6%A4%9C%E7%B4%A2&aq=f&oq=&start=0
韓国の古墳は円墳が一般的、中国の古墳を真似たのが前方後円墳?卑弥呼のなら円墳だろうか?
979名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:45:07 ID:G6zg89HZ0
古 墳 名 所 在 地 時期 区 分 墳丘長(m) 参考

九州最大の古墳
女狭穂塚古墳
(めさほづか) 宮崎県西都市大字三宅          中期 前方後円墳 177

畿内(国内)最大の古墳
大仙陵古墳
(だいせんりょう) 大阪府堺市大仙町            中期 前方後円墳 486 仁徳天皇陵

箸墓


箸墓古墳(巻向遺跡)
(はしはか) 奈良県桜井市箸中 前期 前方後円墳 278 倭迩連日百襲姫大市墓
980名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:47:05 ID:MHYBfM030
魏志倭人伝って段落とかあったっけ?
981名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:47:14 ID:bLULIvuCO
>>976
>告諭す。卑弥呼以て死す。
「告諭す。」と「卑弥呼以て死す。」は段落が違うから掛かってない。
掛かっていたとしても、どうしてこれが殺されたり、自殺されたりする文章になるのか理解できない。
「檄文を作って、一緒に攻撃しようと説得した。」「卑弥呼以て死す。」
自殺したとも、殺されたとも全然思えないけど?
982名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:48:47 ID:skt+FjXQ0
畿内でもどこでもいいんだが必死な九州人を見ると、
九州だけにはあってほしくないと思うw
983名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:50:06 ID:7ysCu8CR0
国策茶番捜査
984名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:50:23 ID:oLxUfqhp0
大阪はともかく奈良盆地は米作さかんだったよ。
明治初頭までは田圃の単位当たりの
米の収穫量は全国一だったと学校で習ったぞ。

985名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:51:52 ID:bLULIvuCO
>>980
段落はあるよ。
何年にこういうことがあった。
こういうこともあった。
という時系列の箇条書きになっているもの。
986名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:51:54 ID:MHYBfM030
>>981
その前あたりに卑弥呼の力が弱まったということを、使者が指摘する部分なかったっけ?
卑弥呼殺害説は結構有名な説だと思ってたけど。
987名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:55:23 ID:XrFOqLlj0
>>980
段落どころか、句点も読点もない。
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-02.html
988名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:56:06 ID:0UhzHLvQ0
九州出身の神武天皇の即位から今年で2669年。
ええ皇紀のことです。
989名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:56:08 ID:bLULIvuCO
>>980
段落はあるよ。
何年にこういうことがあった。
こういうこともあった。
という時系列の箇条書きになっているもの。
990名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:58:27 ID:MHYBfM030
段落の最初で「卑弥呼以て死す」が突然すぎるからどうのこうのって説だよ。
段々思い出してきたw
邪馬台国論争見てると、俺的には記録より信仰の方が信頼できるんだよね。
宇佐の姫大神を一番すっきり説明できる殺害説が好きだね。
991名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:58:42 ID:AYXdsHp30
卑弥呼を祭ったのが出雲大社とは考えにくい?
992名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:59:34 ID:bLULIvuCO
>>986
そんな文はないな。
有名な
「一人の女子を立てて王となした。名は卑弥呼という。よく鬼道なし衆を惑わした」
という文から、俺が書いた文までの間にそんな記述はない。
993名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:59:51 ID:XrFOqLlj0
>>991
にくいどころか、ない。
994名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 19:59:55 ID:VXmGaCTf0
>>986

有名な説じゃなくて、有名な空想な。
995名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:01:00 ID:MHYBfM030
>>992
マジでか。自信なくなってきた。

>>991
出雲大社は男神じゃん。
996名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:02:56 ID:VXmGaCTf0
そもそも、3世紀に出雲大社は無い。
997名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:04:42 ID:MHYBfM030
1000!
998名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:05:26 ID:bLULIvuCO
>>995
「卑弥呼以て死す」なんて読むからだよ。
「卑弥呼の死すを以て大塚を作った」と読むべきだろう。
999名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:06:32 ID:qgDm1zNjO
昔、経団連の偉いさんが「関東以北一山百文」とか言いながらクマソを東北と勘違いしていたけど
九州も東北同様に田舎なんだから九州説なんかあり得る訳ないよなwww

大和盆地こそ日本人の心の故郷だよ
九州説唱えてる方はどちらの国のお方ですか?www
1000名無しさん@十周年:2009/12/02(水) 20:07:22 ID:0UhzHLvQ0
神武天皇こそ日本の祖
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