【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演

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★「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演

「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで
講演し、勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴(いっしゅう)した上で、
「卑弥呼という存在は北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。

「邪馬台国論争最前線」をテーマに講演した高島学長は「(邪馬台国の)所在地を巡る論争
は当時の国家の成立過程を検証する意義がある」とし、九州説、近畿説が持つ国家成立史観を
それぞれ紹介。近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国
ととらえていると述べた。

その上で、「当時の鉄器や文物などの資料が豊富に出土される九州説の方が自然」などとし、
逆に資料が貧弱な近畿説や九州から近畿に移ったとする「東遷説」は中央史観から逆算された
説と批判した。さらに九州説の論拠として、重要資料と位置づける「魏志倭人伝」に、
環濠集落の記述があることなど5つの材料を上げた。

近畿説の新たな根拠として注目されている奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の建物に
ついては、同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、
「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

講演会は県内の2大学、3短大と放送大学佐賀学習センターでつくる「大学コンソーシアム佐賀」
が主催。約百人が聴講した。

2009年11月29日更新 佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1485053.article.html
2名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:20:02 ID:FeX5BEUb0
これはまあ無理だろ
3aoi ◆U1p9jHYFr6 :2009/11/30(月) 00:21:36 ID:kbKQWSha0
とりあえず物証を
4名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:22:03 ID:IwLsBj4E0
九州はいい加減諦めろ
5名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:22:03 ID:L1i6+r5/0
>>1
九州・近畿のどちらにもあってどっちも行き来していたことにすればおk
6名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:22:23 ID:Q5P5qRMA0
なぜ近畿が国家の中心になりえたのか
卑弥呼族が単なる一部族ならわかるが
7名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:23:23 ID:Bn2OY6v70
>>2
知ったか乙
8名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:23:42 ID:HX2KR1pC0
大宰府を掘り返すしかない
9名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:23:59 ID:0eWVSvJf0
邪馬台国以外の周辺国はみんな北九州から見つかってるのに
邪馬台国だけが近畿にあったという京大学派は基地外
10名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:26:24 ID:MPMVbUSLO
レンホウ
「ヤマタイコクの場所はどうしても特定しないといけないのか?九州説にこだわる意味は?」
11名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:26:30 ID:utqjKGgf0
邪馬台国は長野に決まってるだろ
だからリニアBルート通せよ
12名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:27:11 ID:MAyLKbbm0
キリスト教は韓国が起源」を思い出した
13名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:27:15 ID:eMi2EuNl0
どうすんだよ、佐賀から卑弥呼取ったら空港しかのこんねーぞ
14名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:28:32 ID:s6neRT7J0
俺も九州説だから納得
15名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:28:32 ID:L9aEbe8/0
じゃあもう近畿から九州一帯で良いじゃん
16名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:29:48 ID:AO50o88o0
学者レベルじゃあもう九州説は無理
このまえのまきむくで決着
在野の研究者レベルじゃあ、まだ1割くらい九州って言ってるやつがいるらしい
17名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:29:56 ID:ELUKK8+uO
>>13
唐津焼きがあるジャマイカ
18名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:30:02 ID:exHcFi6P0
邪馬台国から倭
阿蘇山あり
近畿のどこにあるのかと小一時間
19名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:30:42 ID:F19vgeqv0
九州説を大大的に取り上げてる学者はこの高島サンしか知らんな。
けどこの高島サンは前にテレビで、「学者がみんな畿内説なら面白くないから」と激白してたなw
20名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:30:59 ID:VagDIsGn0
普通にやまとに蔑んだ当て字をつけただけなんじゃないの
21名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:31:01 ID:mcikySNm0
九州、いい加減しつこいww  諦めろ。
22名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:31:12 ID:eh288fAT0
宇佐だろ
23名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:31:45 ID:xWqZeZCo0
邪馬台国 やまたいこく やまたこく やまとこく 大和国 
24名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:32:20 ID:VJyS4s990
なんか必死すぎてあはれ。。。
25名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:32:54 ID:PoVxVXTS0
あれ?近畿説で一件落着じゃないの?
一体何が出土したらどっちかに落ち着くわけ?
26名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:33:37 ID:F19vgeqv0
九州の観光産業の命運がかかってるからなw
27名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:33:42 ID:Xpc/ZnBu0
もう捏造しちゃえYO
28名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:33:49 ID:xzb5MxAf0
位置的に九州のほうが自然。

近畿は遠すぎるよ。
29名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:33:53 ID:N1pkct5b0
ぶっちゃけどうでもいいだろ
邪馬台国があると、なんか得するのか?
そうでなきゃここまで双方必死になる理由が分からない
30名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:33:56 ID:EI1a5VLm0
書いた中国人も本人が実際に見たわけでもない邪馬台国になんてそこまで日本人が必死になるのか理解できん
31名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:34:12 ID:rg3gWyy9O
大昔の中国の与太話が元ネタのつまんねー国だろ
本当にそんなのあったのか、からやり直せ
32名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:34:24 ID:6mD4JA5O0
>>29
町おこしが出来る
えばれる
33名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:34:24 ID:QPRcXactO
九州に何かあった。
近畿にも何かあった。
邪馬台国なのかはわかりません。


それでいいじゃん。
不十分な論拠でこじつけるより、
わからないのはわからないままでいいじゃん。
34名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:34:35 ID:PZjcVQtpO
朝倉市付近が邪馬台国
35名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:34:44 ID:AmgYgiWV0
元ネタがなんなのか知らない俺でもこのAAがピッタリすぎることだけはわかる


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 ∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―-      ,  ー=z_ソ   |/ ハメ;, :: ::|.   だ ん
   i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ     、  ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|.   ろ な
   |!l |: : : : : : : : :、: ::\    、-―-,      / : : :丶;,,;,:ミヽ   う  ら
     丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__  `~ "      /: : ト; lヽ)   ゝ
       レ `| `、l`、>=ニ´        ,  _´ : :} `   /
         ,,、r"^~´"''''"t-`r、 _  -、 ´ヽノ \ノ   /    お ・
       ,;'~  _r-- 、__     ~f、_>'、_         |  で  前 ・
      f~  ,;"     ~"t___    ミ、 ^'t         |  は  ん ・
      ,"  ,~         ヾ~'-、__ ミ_ξ丶     |  な  中 ・
     ;'  ,イ ..          ヽ_   ヾ、0ヽ丶    l         /
     ( ;":: |: :: ..          .`,   ヾ 丶 !    \____/
     ;;;; :: 入:: :: ::      l`ー-、   )l   ヾ 丶
     "~、ソ:: :い:: :     \_  ノ ,    ヾ 丶
36名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:35:40 ID:tuK3ldzh0
馬鹿でも大学の学長になれる時代
37名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:36:02 ID:4npgLJlS0
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。
高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
38名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:38:12 ID:AO50o88o0
>当時の鉄器や文物などの資料
青銅器の産出量じゃ圧倒的に出雲だし、
日本書紀や古事記の記述も1/3が出雲だし、根拠にならないよね

>「魏志倭人伝」に、環濠集落の記述
環濠集落の遺跡なんて九州〜畿内のどこからでも見つかってるんじゃないの
地元のことしか知らないけど、松江市の田和山遺跡とか淀江のむきばんだ遺跡とか

でも、まきむくで決着
あと炭素年代測定で補強確定

39名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:38:22 ID:Y3VQJTm20

だから、1300年記念だって言ってるだろ。

空気嫁よ、アホ学長。
40名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:38:26 ID:nWnX4hrR0
伊都国が糸島で比定されるのなら、なんで近い距離で検閲するんだよ
こんなクソバカが教授?
ふざけろや
41名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:38:47 ID:Qjsi4PByO
たかじんで近畿だと思うって本音を漏らしてたな
42名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:38:58 ID:FqTFwgmrO
>>37
あんた朝鮮人なの。
43名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:39:20 ID:ou0ObLHo0
九州は朝鮮半島に最も近い。
近畿は朝鮮半島から少し離れてしまう。

どういうことか分かるよな?
44名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:40:00 ID:5+JP1ETIP
>>1の先生って、いつぞやの委員会で畿内説の先生と口論してた人かな?
邪馬台国論争の回は面白かったw

キャラも立ってたし、またやってほしい
45名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:40:04 ID:iG/1WLN40
過去よりいい加減未来で役に立つこと考えろよ
卑弥呼なんて現代人にとってはゲームのキャラのネタでしかない
46名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:40:13 ID:5uGm2OcJ0
ところで卑弥呼って本当にいたの?間違い無いの?
47名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:40:54 ID:YUAJRYhx0
>>【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演

黙ってろ九州朝鮮族
48名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:41:40 ID:oUd72aaf0
<丶`∀´> 呼んだニカ?
49名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:41:44 ID:6QBnqzdr0
まぁ、漢に使者を送った奴国や面土国は恐らく九州だろ
そのころは多分文化の中心は北部九州。
その後神武東征(畿内勢力への婿入り?)みたいなことがあって
中心が畿内に移ったんじゃね
50名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:02 ID:h4lQl3ij0
そもそも邪馬台国ってのが当時の日本を代表してたのかどうかすら
51名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:07 ID:fEgkZe2eO
結局、長野と同じ
確定するまでゴネとけ!って事でしょ(笑)
52名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:13 ID:+6Bc4si1O
「何が出たら確定」みたいなもんはないのか?
53名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:16 ID:ZmCtGZW80
韓国臭がする
やっぱ侵略されると考えまで…
54名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:16 ID:p/JGkkPq0
学者はどっちか分からないって言ったらダメなの?
決定的な証拠はどっちもないんでしょ
55名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:42:43 ID:oPixpwFL0
九州の方が自然だと思うがな
56名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:43:48 ID:3DK0QKB5O
九州土民「卑弥呼は九州が発祥ニダ!」
57名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:02 ID:F19vgeqv0
>>52
「親魏倭王」の金印か、それを押した封泥。
ただ小さなものなので移動してる可能性もあるから確定とはいかない。

58名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:19 ID:e6sI0KIfO
関門海峡の向こう側は日本じゃないしな
59名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:20 ID:5+JP1ETIP
>>46
邪馬台国や卑弥呼はロマンなんだから、実在した事でいいじゃないか
どこ起源なのかは決着しないと思うけど、面白いからずっと論争してほしいw
もはやガキの喧嘩になってるのがシュール
60名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:57 ID:oUd72aaf0
卑弥呼「ウリが負けそうニダ!助けをよこすニダ」

空気読めてねえ・・・
61名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:59 ID:G+NAMDsuO
>>38
なんで鐙をスルーするの?
62名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:44:59 ID:AO50o88o0
伊都国には国の出先機関、のちの太宰府みたいな
外交面におけるかなり強い権限を持った政府機関がおかれてました
(これも魏志倭人伝に記述があること)

出先機関を置くくらいだから、政府本体はそれより遠い土地でしょうね
63名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:45:23 ID:CSgx8pej0
佐賀平野と有明海は人為的に作られた説、希望。
64名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:46:02 ID:YUAJRYhx0
203 :名無しさん@九周年:2008/07/17(木) 22:28:44 ID:qudVjt4LO
俺関東人だけど九州人嫌いだな、男プライド高すぎ
さすが浮気は当たり前の土地柄だ、だからハゲの性犯罪歴もおかまいなし。

210 :名無しさん@九周年:2008/07/17(木) 22:34:06 ID:qudVjt4LO
宮崎のはぼったくり、九州ってぼったくり遺伝子でもあんじゃねーの?
沖縄は元々独立した国だったけど、九州って半島人が祖先なんだろ
キムチ顔多いし、俺は沖縄人のが同じ民族だと思う。

11 :名無しさん@九周年:2008/11/22(土) 14:43:16 ID:uLr6QE330
九州男児とか言うくらい男が威張っている九州
大酒のみでもよそに愛人を作っても威張ってられるのが九州男児
夫に叩かれたと実家に帰ると、父親から「男はそんくらい元気があってなんぼだ、早く家に戻れ!」と恫喝されるのが九州
ただ甲斐性のない男は男女にかかわらず徹底的にバカにされる

それが(北)九州
65名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:46:23 ID:qwj4axG7O
我が国の皇室が支那の王朝に朝貢する訳がない
よって卑弥呼はクマソの女酋長である
異を唱える者は皇室の権威を損なおうとする国賊である
66名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:46:25 ID:z2+UrsEc0
>>52
金印関係のもの らしい
67名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:46:37 ID:eR18blpq0
まぁどう考えても九州はありえんわなぁ

68名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:47:08 ID:UvHum2v2O
どっちかが別荘だったんだろ
69名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:48:14 ID:AO50o88o0
まきむくが出る前は、九州説の可能性も5%くらいあったよ
でも、まきむくで決着

うちの祖父は、いまだに出雲が邪馬台国だって言ってるけどw
70名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:49:17 ID:EBL/hyfo0
>>68
天才あらわる!
71名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:49:22 ID:WEp82MF20
国内に当時の文書がないのだから、どこまで発掘しても結論はでないだろう。
邪馬台国が当時国内最大最強かどうかも分からんのだし。
72名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:50:19 ID:F19vgeqv0
学術的には畿内で確定なんだけど、本居宣長が言い出しっぺの
「日本の皇室が中国に朝貢するなんてない。そんなことするのは九州の熊襲だ」という
戦前の国粋史観が九州説を強くした理由なんだよね。
それに今は自治体が観光で便乗し、利用する観光産業があるから
今更「畿内です」と九州では言えない風潮が続いてる。
73名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:50:42 ID:qDms2BYKO
対馬、壱岐、投馬(出雲)、邪馬台(大和)でとても自然だよね。南を東にしなきゃならんが、逆に言えば不自然なのはそこだけ。後世の誤写でいいんじゃない。
74名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:51:17 ID:o8wNGp3a0
阿蘇にホテル邪馬台国ってあったぞw
75名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:51:23 ID:eh288fAT0
しかし主人公イケメンだな
76名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:51:36 ID:h4lQl3ij0
まあでも確かに謎があったほうがロマンもあるよね
77名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:52:42 ID:ZU4JFFSh0
>>26
観光産業って何がある?
俺が知ってるのは
近所の健康センターが「卑弥呼の湯」を名乗ってるぐらいだが
78名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:52:45 ID:+aklUL8F0
宇佐か筑後平野以外に考えられないだろ。
倭人伝はすべて北九州の小国の話なのに、どこに
奈良の出る幕があるんだろ。
79名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:52:50 ID:YUAJRYhx0
>340 :名無しさん@九周年:2008/09/11(木) 13:12:43 ID:HkfhIJOK0
>朝鮮王国は、強欲な特権階級がやりたい放題の暗黒土民国家であった。
>しかも、人口の約4割もが奴隷(奴婢)で、彼らは激務を強制され金銭で売買されて、
>暴行・強姦(貸し腹・ためし腹)されるなど人権のかけらも無い牛馬以下の存在だったのである。
>一般農民も重税に耐え切れず、無人島や満州・沿海州に逃亡するものが続出していた。     ←←←
>こんな調子だから全国民の団結を必要とする、急務の近代化を出来るわけがない。
>故にかの国の改革派は、自国より100年も進んでいる日本に近代化を託したのである。
>日本は莫大な国家予算を投入して、破綻状態にあった朝鮮の財政を立て直しただけではなく、
>道路・堤防をつくり、上下水道をつくり、近代都市をつくりあげたのだった。
>さらに身分制度を廃止して、虐待され続けてきた民衆を解放・農民の5割以上に耕地を与え、
>近代国家の国民にするべく読み書きを教授したのである。
>そして、伝統的に路上脱糞(嘗糞、大便酒、ホンタク、野人幹などの独特のスカトロ文化がある)
>を好み不潔極まる朝鮮人に衛生観念を教え込んだ結果、伝染病が激減し、食料輸入・増産によって餓死者を出さなかったので、
>人口が倍増したのである(平均寿命も25前後だったものが45まで上がっている)。
>日本によって、朝鮮民衆が李王朝の悪政から解放され自由を手に入れて、近代文明の恩恵に浴した事実は、
>何人たりとも否定することができない歴史上の真実である。
>以上のように、日本統治時代ほど朝鮮民衆にとって輝かしい時代は他には無いのだ。



すごいのになるとチンタオまでいったチョンがいるらしいじゃん
ということは北九州までくることなんざへでもないわな。
なぜあいつらのメンタリティーがチョンのそれと合致するのか、それを解くヒントがここにある。
80名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:53:02 ID:QjwH0zqv0
>>68
マチュピチュも別荘だったって説があるね
81名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:53:56 ID:G+NAMDsuO
>>69
おいなんだよ
偉そうに言ってるくせに鐙については完全スルーかよwww
82名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:54:16 ID:AO50o88o0
>>78
北九州のどこにあれば行程に1ヶ月かかるというのかね
83名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:54:26 ID:LNKaDBwI0
初め九州にあって、畿内に遷都したんじゃないの
84名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:56:19 ID:3qN81CDF0
邪馬台国なんてチャンコロに土下座した国家ありがたがるなよ

発掘事実としてあるのは、
「三世紀前半に奈良県桜井市の位置に当時日本最強の国家があった」
これで十分
85名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:56:35 ID:wZutCxHZ0
もし本当に邪馬台国が存在してたら
この数年以内にどこにあったか特定出来るんじゃね
86名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:57:04 ID:ZU4JFFSh0
九州だからロマンがあんだよ
吉野ヶ里で邪馬台国論争が盛り上がって、今回の奈良で盛り下がってるのはその証拠
奈良にあってもつまらんちゅうこと
87名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:57:49 ID:AO50o88o0
>>81
鐙は知らないけど、全てに反論しなければ九州説は否定できないのかね

>騎馬兵が用いるもので
通信に使ったらいけないのか
>戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代
そう主張する根拠は
88名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:58:48 ID:6QBnqzdr0
海部系図にある日女命(モモソ姫)が卑弥呼という説もあるな
89名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:59:02 ID:qwj4axG7O
我が国の皇室は万世一系
氏素性の分からぬ巫女を皇位につけるわけがない
よって卑弥呼はクマソの女酋長である
90名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:59:07 ID:1TGOYGId0
そもそも、この論争を仕掛けたのは誰なんだ?大正の話か?明治の話か?
91名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:59:21 ID:EBL/hyfo0
九州の卑弥呼なんてもう古いよ
ttp://www.create-mori.shop-site.jp/himiko.html
92山本さん@十周年:2009/11/30(月) 00:59:48 ID:Rndb0A9V0
もう やめたい、酷
93名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 00:59:54 ID:g4IqOQZW0
>>81
鐙が年代特定の史料としてどの程度信用できる物か
まずは説明してもらおうか?
94名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:00:17 ID:MWcbHN9M0
チョンの血が混じってると創造的ですね
95名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:00:18 ID:AO50o88o0
>>90
wikipediaに詳しいので一読をすすめる
96名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:00:24 ID:qDms2BYKO
>>78
対馬、壱岐などと地名は今もかわらない。邪馬台もそうでないとおかしいだろ?
北九州のどこなの?そこは邪馬台=ヤマト(魏音で証明済み)という地名でないと。
97名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:00:37 ID:dzFgTQ/pO
>>68
その説もまんざらではない
神武天皇の東征が真実で邪馬台国の前なら、九州に神武天皇の実家があり、近畿に跡継ぎとして後の大和朝廷にいったから
カギは大和朝廷と邪馬台国がつながりがあるかないか
ただの九州にあった一国かもしれない

98名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:01:17 ID:F19vgeqv0
>>90
江戸時代の新井白石から始まって
論争を起こしたのは本居宣長。
近代以降なんていう生ちょろいもんじゃないw

99名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:01:30 ID:+6+LanXt0
>近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国
ととらえていると述べた。

普通に考えれば邪馬台国は大和国の当て字なんだから近畿説が正解だろな
100名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:03:21 ID:JXJglqBi0
いつまで町おこしやってるんだ。
101名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:04:28 ID:oUd72aaf0
近畿でいいけど、白村江で負けるまで朝鮮半島に出兵しすぎ
102名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:05:52 ID:6QBnqzdr0
>>97
筑紫君(磐井)がなんでいきなり攻められたのかも、今ひとつはっきりわからんしな
天皇家の出身と何か関係あるのかもわからん
103名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:06:03 ID:+aklUL8F0
北九州の小国もさほどまとめられず、南九州の豪族にガクガグブル
ブルしているクニが、畿内から九州まで支配していたって妄想は、
どうやって生まれるのか?
邪馬台国よりも、そこに興味がある。
104名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:06:15 ID:oxwaVekS0
伝聞の伝聞の伝聞である擬似倭人伝を神聖化しているバカに用はないでしょ。
105名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:06:18 ID:H9rG5AUj0
もう、神の手つかうしかないな
106名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:06:44 ID:o89vcc7w0
昔は・・・

九州説=東大
近畿説=京大

て感じだったんだな。
東大の京大より権威が有った。

大学の権威はどうか知らんけど今では東大も近畿説なんだろ?

こうなると九州派は苦しいなw
107名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:06:59 ID:1TGOYGId0
>>98
そうかい? じゃー、室町とか鎌倉時代あたりはそういう事は
知らなかったの?
108ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc :2009/11/30(月) 01:07:58 ID:Vf8RZBps0
だれの小説だったか忘れたけど、昔の中国人が邪馬台国への出張旅費を水増しさせるために
海路△△日、陸路○○から何里とかややこしくしたっていう物語を読んだ。
109名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:08:14 ID:g4IqOQZW0
>>103
隼人の抵抗は8世紀まで続く長期戦だ。
ガクブルはせずとも厄介で屈服させがたい相手とは認識するだろ。
110名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:08:34 ID:qDms2BYKO
神武東征は個人または一有力勢力の東征でいい。
国家が九州から近畿て、んな大規模な移動があったらそれこそ考古学的史跡がめじろ押しだろ。
ヤマトはずっと大和だわ。
111名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:08:36 ID:AO50o88o0
>>106
大学レベルじゃあ、もはや九州って言ってる人いないでしょ
九州の大学はどうかしらないけど
112名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:08:40 ID:f2h/DeuG0
ただの確証バイアス
113名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:09:02 ID:+6+LanXt0
しかし、邪馬台国といい卑弥呼といい、昔の日本人は大陸の連中におもっくそ馬鹿にされてたんだと分かるなw
114名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:11:13 ID:AqFs62vy0
>>113
大陸の連中が異民族にまともな漢字を当てたことがあるか?
115名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:11:38 ID:AO50o88o0
>>113
そりゃ、文化レベルの差が100年や200年どころじゃなかったからw
116名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:12:16 ID:g4IqOQZW0
>>115
邪馬台国の頃の日本って、中国だと夏あたりのレベルかねぇ・・・。
117名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:12:26 ID:nDc+9WJh0
九州に邪馬台国、近畿に大和朝廷の前身が同時に存在しててもおかしくない。
邪馬台国は朝貢したから記録に残っただけ。
118名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:12:50 ID:qwj4axG7O
>>113
だからクマソの女酋長だと言ってるだろボケ
我が国の皇室は退かぬ!媚びぬ!省みぬ!
119名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:13:03 ID:YvnO9Ayy0
昨日のボクシングの試合みたい説だな
最初から亀田の勝利しかありえないみたいな基地外的な・・・・・
120名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:14:05 ID:fMZQETFz0
>>110
九州にも山門(ヤマト)があってだなw
121名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:15:17 ID:kV5g7lok0
九州必死だな
122名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:16:29 ID:qwj4axG7O
畿内説だと行程の中に出雲国と吉備国が出て来ないのが謎なんだけどね
123名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:16:49 ID:5I4xV7I90
九州勢は往生際が悪いな。もう近畿で決まったっての。
124名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:17:13 ID:MWcbHN9M0
>>113
いまだって西洋人に馬鹿にされてるぜ
125名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:17:23 ID:PEeTMRKf0
良く分からんが九州がんばれ
126名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:17:26 ID:lFstLqWE0
日本は中国の人口の10分の1だしな。軍事的には到底敵わない。
文化も与えて貰ってる。
朝貢云々にかかわらず、周辺国だよ。
127名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:17:44 ID:TW8PMRroO
卑弥呼って名前つけるなんてAV見すぎだよな
128名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:17:49 ID:F19vgeqv0
>>107
魏志倭人伝の原本は残ってなくて、
中国の明代と清代の2つの写本しか残ってない。
その清代の写本が日本に輸入されて広まったと思う。

おそらく奈良時代や平安時代の学者や為政者クラスはしてったと思うが
大和朝廷のことだと疑わなかっただろうな。
129名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:18:10 ID:pQ8xZZJU0
古墳を調査すればええやん
130名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:18:25 ID:VaPM4Y+30
北九州より、瀬戸内沿岸のほうが、今でも完璧に温暖。
大阪湾〜現在の大阪の大半は、当時入り江。
奈良にも湖。
三国志の時代に、馬具が一個くらい輸入されてたって、なんにもおかしくない。
騎馬戦闘を行ったかどうか、は関係ないだろ。
131名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:18:37 ID:AqFs62vy0
CHINKが沸いてるな
132名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:19:47 ID:2IYagryK0
古代の娯楽の基本はセックス。
従って卑弥呼やアマテラスは日本中にいたと考いた方がいいだろう。

133名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:20:28 ID:Kz31jQ830
>>34
俺もそう思う
安本びてんのはなし聞いたら、確信もてた
134名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:20:30 ID:g4IqOQZW0
>>130
中国本土で出てないものが日本では出るってケースは結構あるけど
単純に日中の考古学調査の水準の違いが原因だと思うんだよなぁ俺。
135名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:21:46 ID:DaCMvYfr0
         _  , 、
     r‐v'´ ̄  `~ く     
  _.  7,‐、   r‐、  ヽ
  (._ ^ヽ|{ 0 _l 0ノ   i それじゃあ 
   ヽ (´ ̄  `_, ヶ  ノ 
     `、`ー-ヾ._.// ) はじめて を見に行こうよ
     /      (_.ノV^)
      i    _     「
    L_ _/  \_ _.ノ
136名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:23:14 ID:+6+LanXt0
>>120
へー面白いな 何かの名残かな
137名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:23:49 ID:N393sLRN0
この時代の朝鮮半島は中国領土だったな
138名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:24:06 ID:AO50o88o0
>>122
邪馬台国の一つ手前の投馬国が出雲国と吉備国のどちらかだと言われてる
投馬を「ツマ」と読めば、最初の「イ」を加えて「イツモ」なので出雲
(中国語では先頭に子音がない単語がないか、ごく小数らしい)
投馬を「トモ」と読めば、柄の浦を要した吉備

人口規模から考えて、投馬国は出雲説が有力
139名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:24:07 ID:dzFgTQ/pO
>>110
あくまで素人の私の予想(妄想だと思っていただいてもよい)
神武天皇の東征はただたんに神武天皇が後継者として迎えられた話だよ

この話の逸話
山幸彦 海幸彦の話http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/sati.htmを読むと潮流の神に言われてたどり着いたのが近畿じゃないかな
で豊玉姫が近畿にあった大和朝廷の元になる姫だった
神武天皇は山の幸彦と豊玉姫の子孫だと考えれば、神武天皇の東征(後継者として迎えられる)が納得行く
140名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:25:38 ID:6QBnqzdr0
古墳時代の豪族には朝鮮南部の小国の王と畿内の領主を兼ねてるのも
いたし、それだけ海の移動が活発だった訳で。
だから卑弥呼時代に九州と畿内の領土を掛け持ちしてても、確かに不思議ではない
141名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:26:13 ID:2jcP10I30
>>137
百済も新羅も存在しなかった。
バカサヨ学者が日本に文明を教えたという百済や新羅は大和朝廷よりも誕生が遅いというwww
1421@CLIE ◆GodOnnFcO. :2009/11/30(月) 01:26:37 ID:NVQAkPquP BE:16590454-PLT(25663)
言ってる本人も本心では無理がある学説だと思ってるんだろ
無理しないで真実を話そうぜ
143名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:27:28 ID:XfH8f7hM0
必死だな
144名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:27:51 ID:1TGOYGId0
>>128
勉強になりました。
145名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:29:25 ID:2J0snPAr0
学者は自説に生涯を捧げてるから、目の前に証拠を突きつけられても、納得などしないよ。

物理学みたいに、実験や観測で答えを一つに決められる業界ですらそうなんだから。
真に論争が決着するのは、関係者が寿命でいなくなったあとだ、とか言われてるくらいだ。
146名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:29:40 ID:4Mr6MAE+0
>>114
奥巴馬
147名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:29:43 ID:6QBnqzdr0
>>137
衛氏朝鮮って燕の王族が建てた国が滅んで楽浪郡があった。
その後の秦氏も前秦の移民が半島経由で日本に入ってきたとか
言われてるし、半島は大陸から日本への通り道の一つではあった。
148名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:30:08 ID:jZC54dkn0
>>1
自ら可能性を狭め、自由な発想を失ったときが引退時ですよ
149名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:30:16 ID:g4IqOQZW0
>>145
じゃあ、例えば40歳未満の研究者で新たに九州説論者が生まれなければ
畿内説で決まりと思っていいのかな?w
150名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:31:09 ID:EBL/hyfo0
グーグルマップで「邪馬台国」 検索すると3か所ヒットするよ
151名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:31:38 ID:N393sLRN0
>>147
楽浪郡って漢四郡でしょうが
152名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:31:57 ID:HEOcn9Gc0
1世紀、弁韓の鉄の輸入や文物の中国からの輸入を支配していたのは、北九州諸国。
楚の人、米作り民族が朝鮮半島最南端にも住んでいて、不可分でもあった。
別ルートで出雲。
で、2世紀に、倭国大乱。歴史研究者は、これを畿内瀬戸内連合王国が、
海路での鉄の通商を求めて、北九州諸国に襲い掛かったものとみている。
事実、3世紀には北九州諸国は没落の一途を辿り、畿内には巨大な王権が誕生してゆく。

…邪馬台国が、1-2世紀なら、九州説以外はありえないんだけどねぇ。
153名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:32:32 ID:vaGY8g3P0
邪馬台国って戦争してたんだよな。もうそれはそれは国中荒れてる状態だったんだよな
でも奈良からは戦争の跡が全くないんだよな。出土するものといえば、物々交換でも
したであろう土器と雨乞いでもしたであろう掘っ立て小屋の柱だけ。こんなのどかで平和
な場所が邪馬台国であるわけがない。
154名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:32:38 ID:nDc+9WJh0
>>137
魏志倭人伝には、朝鮮半島南部から倭国って書いてあるよ。
155名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:32:43 ID:XfH8f7hM0
魏志倭人伝が偽書という事はないのか
156名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:33:32 ID:naK0hBC60
>>142
この先生は若いころに、学会で上司から九州説側が
いなかいからおまえやれと言われてなった人
157名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:33:43 ID:AO50o88o0
Wikipedia読み直してたんだけど
邪馬台国は魏から最恵国待遇受けてたんだな
そりゃ九州の小国じゃなくてかなり大国だよ
158名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:33:47 ID:g4IqOQZW0
>>152
その説だと、倭国大乱以前に畿内には
まだ全国王権に飛躍する前の葛城王朝があったって事になるのかなぁ。
159名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:33:51 ID:+6+LanXt0
>>145
捧げてるって言うと犠牲者っぽいけど、ロマンに生きることができるといえば幸せな人生かもw
160名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:34:21 ID:kV5g7lok0
>>156
自分で信じてもいない説を唱え続けるて、結構大変だろうなw
161名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:34:37 ID:HkCptE2SO
どこでもいいよ
162ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc :2009/11/30(月) 01:34:49 ID:Vf8RZBps0
>>114
王莽なんて「高句麗」を「下句麗」と読んだハズ。
163名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:34:55 ID:dzFgTQ/pO
>>137
恐らく奴国が支配していたよ
金印が出たり、福岡と韓国の間にある島(宮内庁管理)から遺跡がゴロゴロでているから
もし、韓国に敵対する勢力がいたら、遺跡奪われまくだと思う
164名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:36:13 ID:RB7wdD3r0
>>154
そんなこと書いてあった?
倭国の領土として半島に狗邪韓国があったとは書かれた気がするけど
165名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:36:37 ID:GguLom7xO
じゃあ、めんどくさいからインドネシアが邪馬台国な
166ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc :2009/11/30(月) 01:36:59 ID:Vf8RZBps0
アンカーミスっちゃった。
>>162>>113
>「高句麗」を「下句麗」
167名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:37:02 ID:s4ku3w6fO
Fランク私大の学長に言われても説得力ないわな。
168名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:37:17 ID:2J0snPAr0
>>149
うーん。邪馬台国論争は、金印でも出てこない限り真の決着は付かないだろうからね。
物理学みたいに、決着がつく学問とは多少事情が違うけどね。

たとえばビッグバン理論だって、受け入れられるまでにはすごく時間がかかったんだよ。
アインシュタインも含めて、定常宇宙モデル(宇宙は永遠に続いて、始まりも終わりも無い)
が常識で、宇宙が始まったり膨張したりするって考えにはなかなかなじめなかったんだね。

生物学の進化論なんて、いまだに欧米の一般人レベルでは受け入れられてないし。

たとえ答えがはっきり出る科学分野ですらこうなんだから、歴史学は推して知るべしさ。
169名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:38:16 ID:6QBnqzdr0
>>152
それにしては、高地性集落(山城)の分布が瀬戸内海沿岸→畿内周辺と
遷移してるんだよな。
むしろ北部九州は環濠集落が無くなって平地に住むようになってきてる
170名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:38:53 ID:3SbI0lZM0
九州説は、学問的にどうとか関係なく
もはや九州の古代史関係者の飯の種と化してるという印象だ
171名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:39:50 ID:XfH8f7hM0
>>170
まぁこれも1位でないと意味がないからな
172名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:40:02 ID:g4IqOQZW0
>>163
というよりは、環対馬海峡海洋民族(中国側の呼称で倭人と呼ばれる民)がいて
ある種の連合政権を作っていたんじゃないかなと思う。後の磐井や新羅もその系統だし
大和の中央政府でもかなりの影響力を持ち、日本民族の源流になっていったのではないかと。
朝鮮側と日本側とで全く分離した民族になっていったのは、白村江後の政治的分断が数千年に渡った結果に過ぎない。
173名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:40:14 ID:2J0snPAr0
>>113>>114

知る限り、異民族でちゃんとした漢字が当てられてるのは、インドを表す「天竺」
くらいかなあ。
後漢書に見える大秦王安敦(ローマ皇帝?)の大秦っていうのも、中国人にしては
気前のいい命名だね。
174名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:40:48 ID:+6+LanXt0
>>168
分からない部分があるから学問として飯の種になるってことでもあるね
論文書くために無理やり分からないものを作ったりしてるしw
175名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:42:13 ID:RB7wdD3r0
>>172
半島人は「倭人に似てる」と書かれてるから倭人ではないと思うが。
言葉も違ってたし
176名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:43:25 ID:vaGY8g3P0
>>169
高地性集落は西方からの進入に備えたものなんだよね
どういうことだろうか
177名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:44:05 ID:g4IqOQZW0
>>175
朝鮮半島でも南岸部分と新羅・百済の一部だけだよ。
古代の朝鮮半島の民族ってやたらと複雑で、倭人的な集団が
南部に一定数いたってだけで、そうじゃない連中も大量にいたからな。
例えば、高句麗なんてのは倭人とは全く別の民族だし。
178名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:44:29 ID:B3empEuxP
キリストの墓が青森にあるくらいだから
どこにあってもかまわん。
好きにしてくれ。
179名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:44:46 ID:+6+LanXt0
>>173
それはシルクロードを通じて相当交流があって、相手側の力量が分かってるからそういう漢字にしてくれたんだと想像できるね
180名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:46:35 ID:+60QljoR0
近畿から見れば北九州なんて
邪馬台国北九州支局に過ぎない。
181名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:47:20 ID:Du9RstK/0
>>177
何言ってんの?
似てたのが新羅・百済の一部だけなら日本と朝鮮は最初から全く分離した民族だろ
182名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:48:22 ID:g4IqOQZW0
当時の倭人にとって、関東以東の縄文を引きづった連中と
朝鮮半島南部の稲作行ってる連中、どっちが意思疎通が容易だったかというと
後者だったと思うんだよね。
大和王権が朝鮮半島に介入し続け、白村江敗戦後に矛先を東に転じたのは
極自然な成り行きだったと俺は思うんだわ。
183名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:48:44 ID:+Jdj2WrBO
負け組のロマンにつきあっちゃらんねえな
184名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:49:15 ID:Bv31ZqcJO
金属はリサイクルできるから「畿内から鉄器が出てない」云々は…継続的に文明が栄えてたと考えれば不思議じゃない



金印も正倉院の宝物や大仏に化けてんじゃね?
185名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:49:26 ID:8HXQjzP80
吉野ケ里の客が纒向に奪われそうだから必死なんだろw
186名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:49:33 ID:EFjX3mW5O
ヒミコさまあああ!
187名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:50:22 ID:XT3E8Wl00
>>182
関東・東北の方は出雲が支配してたよ。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
188名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:51:32 ID:HEOcn9Gc0
>>182
今は済州島にしか残ってない、海女の文化とかね。
楚人に通じる風習が、半島南部の稲作可能地帯と、倭と呼ばれた地域に見られるから、
当時は対馬海峡で分けるのは無理だよ。

その後の変遷で、朝鮮半島の人と日本人は月とすっぽん、ピンと錐…
189名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:51:57 ID:73frH+YD0
>>187
>最終更新日:2000年9月1日

9年前に止まってるサイトなんてアテにならんよ
今はその頃とはまったく違う研究結果が出てるから
190名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:54:10 ID:g4IqOQZW0
>>181
当時は日本も朝鮮も色々な部族が住むごっちゃにの状態で
その中に対馬海峡の両岸で活動する比較的影響力の大きな部族もいたって話。
日韓が各々均質性の強い民族となっていくのは、7世紀以後に両国の国境が軍事的に画定されて以後で
その後1300年かけ、各々の領域内で「まつろわぬ民」への征服活動と同化が恒常的に行われる一方
日韓の交流が極めて限定的なものとなったため、結果的に対馬海峡を隔てて全く性質の異なる民族が
存在する状況が発生したんだと思うんだよ。
191名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:54:15 ID:AKQdgYxl0
中国政府の見解です


東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。



東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006  

高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された
「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。
冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、
この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国
192名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:54:38 ID:XT3E8Wl00
九州人にとってはハッキリいうと関東・東北は
利用価値がなかったのは事実だろう。
寒い、交易物ない、毛皮着て悪さばかりしてる(景行記参照)
でも、縄文時代の遺跡みると結構発展してるんだよな。
それに何で古墳時代の関東・東北の人って
こんなにも渡来人の形質になってるんだろう。

http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
193名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:57:07 ID:XT3E8Wl00
>>189
おすえて、興味ある。

答え無い場合、無い物とみなす。
194名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 01:58:01 ID:ful2QwN2O
福岡県山門郡を忘れないで
195名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:00:11 ID:teEq7O2m0
>>188
渡来人って江南あたりに住んでた越人だったよな
倭国の風習や武器は「海南島(越の領域)と同じ」だと後漢書や隋書に記されてた
196名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:01:09 ID:kz00YTJE0
卑弥呼=長身モデル系美人
台与=アイドル系かわいこちゃん

みたいなイメージがあるんだけどなんでだろ?
197名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:01:52 ID:AO50o88o0
>>194
邪馬台国までの行程、水行20日、陸行1ヶ月に明らかに反す
198名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:03:56 ID:yT+yX+he0
>>116
どうだろう。夏のレベルも行ってなかったんじゃないか?
199名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:04:34 ID:HEOcn9Gc0
>>195
劉邦も楚の端っこの人だし、項羽に至っては楚の王族。彼らが中央に出て行った。
後漢の頃には、呉越の人たちは中央に同化し、海南島あたりまで行かないと
旧楚の文化は残っていなかったんだね。
200名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:04:40 ID:g4IqOQZW0
>>198
まぁ、近世以降は完全に逆転してるんだから
それでいいやって事で
201名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:06:03 ID:dzFgTQ/pO
九州説で考えるなら伊都国が北九州あたりで、邪馬台国は南九州あたりが妥当だと思う。
邪馬台国が苦戦していた敵対国はクマソの事じゃないかな?
202名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:08:01 ID:ad9iTZDH0

普通に考えて、倭のナの国だから奈良の大和に決定して良いだろ。

水掛け論だ。推理を言うのは混乱するだけ。
新事実(卑弥呼の宮殿か古墳)が発見されてから議論すべし。
203名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:08:49 ID:vwhYj7psO
どっちでもいいけど
近畿説ありきで遺跡掘り返して、何か出たら
「これは、邪馬台国の○○跡に違いない」
みたいなのはおかしいと思うんだ
204名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:09:05 ID:EM0DVc/GO
引っ越し引っ越し
205名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:10:06 ID:yT+yX+he0
>>200
ま、そういうことでいいよね。
昔は昔、今は今と。

しかしあれだな、日本史板?の邪馬台国論争凄いな。
住民のレベルがしゃれにならん。
なにしろ「論争に参加する奴は最低限これを読め」って指定されるURLがあったから
東夷伝倭人の条の漢語原文かと思ったら、現時点で実在してる写本のスキャン画像と来たもんだw
206名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:10:08 ID:+Jdj2WrBO
>>201
素朴でいいなあお前
207名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:11:39 ID:Xr+GZGNU0
歴史っていい加減だからな。邪馬台国自体ホントにあったのか疑問。
208名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:13:57 ID:hGhoha/U0
>>162
モンゴルなんて「蠕蠕」だぜ
209名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:14:14 ID:ac/ML9PXO
もはや九州勢には悲壮感しか漂わないw
もう嘘で商売すんなやクズ共
210名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:14:32 ID:Lg9qXTBpO
いい加減、近畿説派も北部九州説派もケンカをやめるニダ。
中取って宮崎県西都市だったことにするから仲直りするニダ!
211名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:14:47 ID:2J0snPAr0
あのさ、そもそも魏志や隋書の記載ってどの程度信頼出来るの?
日本以外の周辺国について、どの程度正確な数値なり記載なりを
残しているのかな?そういう研究をしている人はいないの?

全体の信頼度に関する研究無しには、魏志倭人伝の地理的記述を検討することは
不可能だと思うんだけどな。
212名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:16:09 ID:eMT0FNYYO
>>202 そんな話はどうでもいい。
奈良派の学者と九州派の学者、どちらが偉いかという話だ。
そして偉い方が唱える説が正しい。
これは論争ではなく戦争なんだよ
213名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:16:20 ID:0kauMkX30
手塚治虫のきりひと賛歌だな
本当は自分の学説が誤りだと分かっていてもそれを受け入れられない
明確な物証を使って否定されても耳を貸さない
214名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:17:37 ID:yT+yX+he0
>>207
> 歴史っていい加減だからな。邪馬台国自体ホントにあったのか疑問。

さすがにそれは否定できんだろ。
当時の世界最高の文明国の公文書に残ってる記録なんだし。

せいぜい、
「魏国の使者に見せた邪馬台国はダミー。
 本当に日本を支配していた国は別のところにあった。」、
つまり邪馬台国 != 当時の覇権国、っていうぐらいならともかく

215名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:22:13 ID:dzFgTQ/pO
>>210
滅びた?邪馬台国ロマンあるね
西都市が統一していれば埴輪だらけになったのに
216名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:22:21 ID:yT+yX+he0
さすが日本史板オソロシス
----------
780 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2009/11/29(日) 22:11:51
終止符スレで議論する人へ
ハイ!
影印(紹熙本):http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-02.html
ハイ!
影印(紹興本) :http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-03.html
ハイ!
漢書:http://chinese.dsturgeon.net/index_gb.html
---------
786 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2009/11/29(日) 22:43:35
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈
もっと、とっておきの武器が欲しいって〜?仕方ないな><
ハイ!
漢籍電子文献
http://hanji.sinica.edu.tw/index.html?
----------
787 名前:日本@名無史さん[age] 投稿日:2009/11/29(日) 23:07:38
【終止符スレで議論する人へ】武器の贈呈
ハイ!
日本書紀:http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/05/fr.htm
>>785
<日本書紀 祟神天皇条>
父曰大物主大~ 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祗之女也
-----------

しかも、「なんか以前のバージョンのほうが使いやすい」とか、
「出来る限り影印(原文書のスキャン画像の意味か?)を確認するのを忘れずに」とか、
凄すぎるぞこの人たちw
217名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:23:52 ID:s5anWw1X0
マジレスすると、長崎の島原あたりで間違いない。

218名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:24:19 ID:LBA9GtPL0
>>173
中国は他国の音から漢字をあてるけど、
「大秦」はどんな音にあてたのかね?
ローマ関係で国を示す言葉でそんな音はあるかな?

アントンが正確なだけに気になるな。
219名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:35:35 ID:3OpqhBZr0
>九州説の論拠として、重要資料と位置づける「魏志倭人伝」に、
環濠集落の記述があることなど5つの材料を上げた。

>近畿説の新たな根拠として注目されている奈良県桜井市の纒向遺跡で
見つかった鐙は「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」

近畿説の学者もそんなことはわかってると思うんだけどそれでも近畿説を唱えてる理由を
説明してくれよ、おっさん。
220名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:37:13 ID:IIfXTQa50
ここまで近畿説に押されたら、九州説は声を荒らげ
逆切れ戦法に出るしか無いよな〜

九州の何処から「ヒミコのお墓」って書いてる木片が出ない限り、
近畿説で決まりだろ。
221名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:39:28 ID:dzFgTQ/pO
コレは何故着目されないだろう?
「玉璧(ぎょくへき)」。完璧の語源となった古代中国の皇帝が、周辺諸侯に王権の象徴として授けた紀元前1世紀ごろの宝器である。
福岡県志賀島で出土したとされる国宝「漢委奴国王」の金印は、漢帝国の皇帝が北部九州の王に授けたものと理解されるが、玉璧はこれに相当、いや価値序列からはその上位に位置する。司馬遷『史記』の故事では、一国の城に値する宝器としている。
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000220910200001
222名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:39:30 ID:LBA9GtPL0
>>87
倭人伝に邪馬台国には馬がいないと特記されているんだよ。
223名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:39:53 ID:dNH3trHX0
九州はね、ギャーギャー言う前に、
遺跡を掘れと。
邪馬台国があるなら、そらしい遺跡を提示せよと。

考古学者がそれもできないで、悪口ばっかり言ってるなよみっともない。
224名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:41:12 ID:g4IqOQZW0
日本で本格的に騎馬の文化の導入が始まったのはおそらく
朝鮮半島で高句麗と交戦した時期だと思うから(つまり4世紀後半)
どう巻向を遅く見積もってもそれよりは前の遺跡なんだよな。
仮に巻向の建設年代を4世紀前半だとしても、その時期に日本に鐙があると
それもおかしいとはならんのか?
225名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:41:55 ID:LBA9GtPL0
>>73
方角どころか、距離も合わないよ。
帯方郡から邪馬台国まで12000里。
北九州までで10500里前後と書いてある。

残り1000-2000里でマキムクまで届くわけがないだろ。
226名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:42:03 ID:GLdmQZJB0
実は日本国内じゃなかった。とかだったら笑える。
227名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:42:19 ID:fWGjYxeO0
ヤマト(大和)は大倭であり、大倭は日本である
もともと大倭という国号だったものを、日本と改めたのだ
ヤマトという地名に、大和(大倭)という漢字を充てたのは
ヤマトが日本そのものだからだ
228名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:43:08 ID:dY1UNS+aO
金印以外の出土物が一切ない空想のくせに
229名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:43:34 ID:2mL+5K8H0
>>13
海苔もある
230名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:44:25 ID:LBA9GtPL0
>>223
遺跡を掘るに越したことはない。

だが、いくら遺跡を掘ろうが、文献と全く整合しない場所を掘って、
文献の方を歪めて解釈していいわけないだろ。
231名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:44:49 ID:dzFgTQ/pO
やはり邪馬台国=大和朝廷、卑弥呼=日の御子もしくは日の巫女なのかがカギだよね
ただし、もしそうだとしても実際に魏の使者が行ったのは日向(ひむか現在の大分〜宮崎)の可能性もある。
日向(ひむか)は大和朝廷の飛び地でもあるわけだし
232名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:45:03 ID:QR5cSQ440
素人が考えても九州だろ
当時の近隣諸国との交通を考えても
233名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:45:30 ID:g4IqOQZW0
>>230
あんな古い文献、考古学的な裏づけが取れなければ無価値だとは思わんか?
234名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:46:11 ID:/te/6VG/0
遺跡発掘しようが結局邪馬台国との関係は分からん。
そもそも邪馬台国がそんなデカいのかどうかも分からんしな。
唯一関係あることが確かなのは金印だけ。
235名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:46:54 ID:LBA9GtPL0
>>233
裏付けはあるに越したことはないよ。

だが、考古学的な裏付けが文献と真っ向から矛盾していたら、
それは裏づけとは言わんよ。

文献から独立した別の遺跡と捉えるしかないだろ。
236名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:48:49 ID:+y74lwSd0
>>211
日本ではその当時の歴史的記録すらないからなぁ。
237名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:51:59 ID:qDms2BYKO
>>225
狭いニッポン、帯方群からの距離なんか大和でも九州でも一緒だよ。
238名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 02:52:07 ID:kV5g7lok0
考古学者の9割は畿内説支持なんだってね
239名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:00:41 ID:LBA9GtPL0
>>237

総距離=帯方郡-邪馬台国:12000里

途中までの内訳
帯方郡-韓国南岸:7000里
韓国南岸-対馬:1000里
対馬-一大:1000里
一大-末盧:1000里
末盧-伊都:500里
計:10500里

このように、倭人伝の記述はかなり詳細だぞ。
韓国内の距離や、韓国-対馬-壱岐等の距離関係は、
あまりに大きくずれているわけでもない。

里数で見ても、帯方郡-伊都:総距離の
割合で見ても、畿内まで届くわけないだろ。
240名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:06:44 ID:anKLteXF0
大和を特別な地名だと思ってるから機内にもってくるけど、三国志の魏志倭人伝は日本向けに書かれたものではないし、
東夷とは旧満州、韓国、日本のことで移動の仕方、スピードも同じ。
占いばかりして、一週間に3、4は休んでる、日本に来たとたん、寝食を忘れて移動するわけないよ。実際、九州に上陸
してからも、九州中部にすらいけてない、北九州の村々を移動してるだけだよ
241名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:08:55 ID:dNH3trHX0
>>239

関係ない。

おまえは、ハワイについたら、アメリカについたと言うのではないかね?
カリフォルニアについたら、アメリカについたと言うのではないかね?

242名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:11:38 ID:LBA9GtPL0
>>241
何を言っているのか、意味がわからないな。
243名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:12:01 ID:dNH3trHX0
アメリカの首都はワシントンだが、
日本からアメリカの距離=日本からワシントンまでの距離ではない。

邪馬台国が畿内であっても、九州が邪馬台国の管轄内なら、距離表記は関係ない。
244名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:13:21 ID:mtidgpgV0
大和ってのが国名で首都が奈良だったてことでしょ
245名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:15:47 ID:LBA9GtPL0
>>243
その解釈で行くと、
明確に管轄化にある伊都国までの距離10500里と、
女王国までの距離12000里で矛盾が生じるよ。

また、倭人伝は「女王国」という表現を
広域な領土の意味で使ってないよ。
246名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:19:09 ID:kZSZJj5A0
>>228偽者(つくりもの)だったことも知らんのか
247名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:21:34 ID:mtidgpgV0
>>245
距離ってのが正確だという前提があるからそうなるんじゃ?
大和国へは海を渡ってこなければならないわけでしょ?そうすると潮流の流れもあってそうした距離は日数で計算してた
としか思えないんだけど。そうすると正確な距離も分からなくなるじゃん
248名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:23:12 ID:2mL+5K8H0
>>239
一大=壱岐?
末盧=松浦?
伊都=糸島?
249名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:23:38 ID:dNH3trHX0


そもそも、2,3世紀の距離をはかるのに、どういう測量技術を持ってたというのか?
距離に拘るなら、古代の測量技術のレベルと正確性を先に論じるべきではないのかね?

250こにょ〜 ◆IzXu3gqo6w :2009/11/30(月) 03:23:50 ID:nAYdPlpaO
当時、近畿に大きなクニがあった。
しかし邪馬台国ではない。

それだけの事!

九州にもクニがあった。
それは邪馬台国だった。
251名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:25:24 ID:LBA9GtPL0
>>247
帯方郡から韓国南岸への距離、南岸から対馬までの距離、
対馬から壱岐までの距離、壱岐から末盧までの里数の割合。
これを現代の地図で比べてみても、おおむね正確だよ。
日数ではなく、里数も明記されているよ。
252名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:25:26 ID:kZSZJj5A0
この21世紀でもシナ政府の書く歴史書を信じる人はバカだというのに
この21世紀でもシナ政府の書く歴史書を信じる人はバカだというのに
この21世紀でもシナ政府の書く歴史書を信じる人はバカだというのに
この21世紀でもシナ政府の書く歴史書を信じる人はバカだというのに
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253名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:26:21 ID:rtRHAQ57O
この議論て、最終的に何を以てして決定になるの?
仮に、学会で結論が出されたとしても、絶対に認めそうにないんだけども。
254名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:29:36 ID:LBA9GtPL0
>>248
対馬、壱岐までは確実でしょ。

末盧と伊都は見解がわかれるのかな?
俺はそのとおりだと思うけど。

>>249
>>239の距離と現代の地図を見比べれば、
位置・距離関係がある程度は正確なことはことはわかるんじゃないか?
おおむね7:1:1:1になってるだろ。

2倍も3倍もずれるわけじゃないよ。
畿内に届かせるには2倍も3倍もずれないと無理。
255名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:30:04 ID:XqrDJGFj0
まあ、ほんとうは四国にあったんだけどね
256名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:30:11 ID:ly+79Dix0
対馬、壱岐の描写は非常に正確だから、信じていいと思うよ、魏志。
また、もし瀬戸内海を通って機内に行ったのなら、それらしいことを書いたはず。
ないんだから、都まで行かなかったか、九州に都があったかのどちらか。
257名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:30:29 ID:4BRjNY+ZO
テレビなんかで九州説を唱える人は必ずこの人だよね
この人以外いないのかと思っちゃう
まぁ近畿説の人もいつも同じだけど
258名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:30:35 ID:0Oj3J+3S0
火魅子伝とタイアップして半裸女どもを前面に押し出して広告すれば
オタが群がって既成事実化してくれるよ。舞阪光に連絡しろ。
259名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:32:12 ID:ac/ML9PXO
絶対的決定的な証拠は今の時代に至っては物理的に出せない
反論(難癖)を付ける余地がある

この点で決着はつかない罠
そして利権化へ…
260名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:32:43 ID:dzFgTQ/pO
>>250
の説に賛成
もし邪馬台国が大和朝廷と関係があるなら、大和朝廷の飛び地である日向(ひむか)におどずれた
じゃければ、九州内にあった一国
上記のどちらの場合でも邪馬台国の敵国はクマソ
近畿地方に大きな国があった理由は、少し前に貼った
山幸彦 海幸彦の話http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/sati.htm
これで山幸彦が潮流に乗ってたどり着いたのが近畿地方だと思う。もしかしたら伊勢かもしれないけど
261名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:33:38 ID:mtidgpgV0
>>254
日本に来た大陸人が調査した場所がそこだったんじゃないの?聞けばそこは大和の国 どうも一番偉い人はヒミコとよばれてるらしいw
262名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:34:06 ID:LBA9GtPL0
>>249

>>254に追加。

韓国南岸-対馬 : 対馬-壱岐 : 壱岐-末盧 =1:1:1
>>239を参考に、これを元に考えると、畿内に届かせるには、
伊都から割合として7以上、魏志倭人伝の表記で7000里以上は必要だよ。

でも、残るのは1500里余り。
4倍以上のズレが必要になるんだぞ。
絶対に無理だろ。
263名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:34:51 ID:LNB8esYD0
>>245
その12000だって国家の四方12000里なんて書いてあって
キリのいい数字を並べただけなんじゃないのかって話はあるよな。

戸数が3万、5万、7万と奇数になってるとか実測じゃなくて
あくまでキリがいいだけ
264名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:36:35 ID:IqaXR1UT0
>>216
中国哲学書電子化計画ってスゲーなw
古典読みまくりできんじゃんw


しかし九州は気候も良く地理的にも大陸が近く
巨大な政権ができてもおかしくないハズなのに
明治維新を除けば天下人を輩出出来なかったのが
非常に不思議ではある。
265名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:36:45 ID:LBA9GtPL0
>>263
なんで途中までの内訳まで100里単位で細かに書いてあって、
それが現代地図上でもある程度、比例した正確な関係にあるのに、
「キリのいい数字」なんて言葉が出てくるんだ?

事実から目を逸らしすぎだろ…。
266名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:37:01 ID:hV0EWmMUO
まだ女王国を邪馬台国と勘違いしてる人いるんだね。

倭人伝に邪馬台国は女王国なんて一言も書かれてないのに。

邪馬台国は女王の都する所で、女王を共立した国々が女王国の総称だろ。
267名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:38:58 ID:kZSZJj5A0
紀元後かなり経ってせいぜいこの程度のいい加減な書しか残せないのが日本と大陸との距離
なのに弥生人は渡来人で縄文人を駆逐したとかもう歴史学者はキチガイチョンコばっかり
渡航術は後退したの??
歴史学者を公開仕分けしろ
268名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:39:35 ID:mtidgpgV0
ヒミコってアマテラスから日の御子って言う人がいるけど、祈祷で火を使ってから火の巫女って方がしっくりくるな
269名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:39:53 ID:ly+79Dix0
>>266
そうはならない。女王の都する所、が文脈上も他の国との関係的にも女王国だよ。
270名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:40:08 ID:LNB8esYD0
>>265
途中から距離表示が日数表示になっちゃうんですけど…
271名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:42:46 ID:hV0EWmMUO
>>265
12000里はあくまで締めの文章だからだよ。
中国では遠方の国は大抵12000里前後の距離で書かれている。
272名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:43:28 ID:ly+79Dix0
>>271
ソースを
273名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:43:41 ID:cqA7HSqt0
もしかしてどっちも邪馬台国だったりしてw
274名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:43:54 ID:OZk0Tq++0
どこでもいいよ
275名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:44:46 ID:LBA9GtPL0
>>270
それが距離表示なのか、実際にかかった旅程表示なのか解釈は色々だろうね。
確実に明記された距離は、総距離12000里と伊都までの10500里。
このように、総距離と途中経過は明確に記されているよ。
しかも、それが現代地図上でもある程度は正確。

そこから推測するしかないでしょ。
最も遠く見積もっても、伊都から1500里以内だよ。
九州を出れないだろ。
276名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:45:00 ID:dzFgTQ/pO
>>568
日≒火だと思うからどちらでも良いと思うよ
でも火の巫女と書くとなんとなくクマソが思い浮かぶ
クマソは火や火山を信仰していたらしいし
277こにょ〜 ◆IzXu3gqo6w :2009/11/30(月) 03:47:35 ID:nAYdPlpaO
>>260 でそ!

邪馬台国九州説は、近畿に大きなクニがあった事を否定しない。
278名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:47:53 ID:LBA9GtPL0
>>271
途中経過の10500里まである程度正確に書かれているのに、
残りわずか1500里を足しただけの12000里について否定するのに、
そんな反論は意味がないだろ…。
279名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:48:59 ID:uSvk8hDM0
もう無理だろう、九州説は。
280名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:49:10 ID:cqA7HSqt0
うん?魏志倭人伝に書かれてる距離数をそのまんま辿ると海の真ん中になるんじゃなかったっけ?

当時の測量技術はそこまで正確な数字が出せてたのか?
281名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:50:11 ID:1ci6OPmJO
邪馬台国は初め、九州の一国。
戦禍により畿内に遷都。大阪城は元は墳墓。墓の主は日の巫女様。
282名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:50:32 ID:hV0EWmMUO
>>272
後漢書東夷伝、地理誌等。ペルシャやアレキサンドリア、大月氏国の
距離が大半12000前後。勿論有り得ない距離だ。
283名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:52:20 ID:cqA7HSqt0
>>282
だよな。当時の測量技術では海洋の距離は出せないから、方角は「あっちの方かな・・・」
って合わせて、あとは適当な数字を当てはめてただけって雑誌で読んだよ。
284名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:52:35 ID:4kVzFphg0
>>268
鏡で日の光を反射させて、神秘性を演出したらか日の御子でいいんじゃね?
285名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:53:34 ID:LBA9GtPL0
>>280
>当時の測量技術はそこまで正確な数字が出せてたのか?

特別に正確なわけではないだろ。
一里が何mだったのかの争いもある。

だけど、>>254に書いたとおり、
韓国南岸-対馬-壱岐-末盧等の関係は、ある程度正確だよ。
誰が見ても理解できる正確な比になってる。

「海の真ん中」という解釈は、倭人伝に明記された総距離12000里を、
>>271のような説で無理やり無視すればそうなるだけ。
畿内説を導くための無理やりの解釈だよ。
286名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:54:32 ID:mtidgpgV0
そら調査した土地の人はその土地から近い距離にある場所は正確に言うことができるけど、あとは伝聞だから
遠くにある場所ほど距離は怪しくなってくるわな
287名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:54:52 ID:hV0EWmMUO
>>269
女王国と邪馬台国は明確に別けられてるよ。
傍国でも女王の境界が奴国との間にあると明記されてるだろ。
288名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:55:02 ID:dYUdeCzkP
田舎者の邪馬台国引っ張り合いはマジで笑えるw
もっとやれwww
289名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:55:51 ID:ly+79Dix0
>>282
あり得ないと言われても。
それは一体、「どこからどこまで」の距離なわけ?
邪馬台国は「郡」から。
12000里以外はないということですか?
290名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:55:54 ID:1CJGBHU/O
今時、九州説を言ってるのはレス乞食みたいなもんだ
291名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:55:58 ID:LBA9GtPL0
>>282
それらの表記は正確な途中経過の距離が100里単位で書かれているのか?

途中まで現代地図に照らしても正確なものを、
なんでいきなり捨てるような表記をするんだよ…。
292名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:57:27 ID:LNB8esYD0
>>291
わからないやつだな。
途中の距離についてはなんら疑義をはさんでいない。
総距離の根拠が>>282にあるとおり疑わしいっていってるの。
293名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:58:43 ID:ly+79Dix0
>>287
「女王の境界」という言葉の中には国はありませんが。
魏志の中では、「国」はカウントされる言葉です。
他の文、「女王国以北」なんかは「邪馬台国」と解釈しなければ無理です。
294名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 03:59:05 ID:8yOCyzNF0
>>1
この一事で飯を食ってきたような人なんだろ。
大和説を認めてしまったらオマンマの食い上げなんだな。
295名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:00:11 ID:LBA9GtPL0
>>292
正確な途中までの距離を10500里と記しておいて、
同じ史料にわずかなズレしかない、いい加減な12000里という
数字をぶち込むわけないだろ。

他の国についても、正確な途中経過が書かれているのか?
296名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:00:28 ID:mtidgpgV0
>>294
でも素人でさえ魅力的にうつるんだから本気でやってる人は脳汁でまくりだろうな
297名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:00:52 ID:ly+79Dix0
>>292
論理になっていない。
他に似たような距離があったか虚偽だ、ってなんだそれは。
298名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:00:52 ID:ac/ML9PXO
嘘を嘘と証明出来ない九州の学者さん共は悲しく無いですか?
嘘を嘘としてあげつらうと言うは、所詮言いがかりに他なりませんから…

学者=ヤクザ
なのですかや?w
299名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:02:16 ID:ikXSehhW0
シナ畜の史料なんかまともに信じれんのか。
もともとがおかしいんじゃね。
300名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:03:12 ID:p0uWuFUe0
ゴッドハンドでもしない限りムリだろw
301名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:03:41 ID:RYXgXZ2B0
まあ、邪馬台国とやらを一番の大国に設定する必要はないけどな。
302名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:04:18 ID:kZSZJj5A0
ゴッドハンドの金印が教科書に載ってたからな、俺らのガキの時代は
303名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:04:28 ID:hV0EWmMUO
>>291
距離に拘るね。邪馬台国まで12000里なら文中に書くのが普通。

それに女王国は奴国から南(畿内説では東か)の総称、
つまり宇佐辺りから瀬戸内海沿岸諸国、紀伊半島までの連合国だ。
仮に距離12000でも全然矛盾しないからw

で、女王の都はヤマトで距離的にはピッタリだからな。
304名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:04:31 ID:LNB8esYD0
>>295
じゃなんで残りを1500里って書かないで
いきなり日数表記になるのさ

最後まで行ってないんじゃないの?
305名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:04:44 ID:ly+79Dix0
もういい加減、邪馬台国って言い方は止めるべきだな。
邪馬壱(旧字)国としか書いてないのに。
306名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:05:19 ID:ocwhDszV0
近畿と九州の中間取って、ここは四国でいいじゃん
307名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:06:09 ID:ac/ML9PXO
物理的に畿内でしか無いだろ
物流的な意味でもな
そして文化成熟度からして
308名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:08:13 ID:vsip1oaZO
日本は現存する最古のユダヤ王国 5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1256623985/l50
309名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:08:27 ID:hV0EWmMUO
>>306
四国の東部は多分邪馬台国の範囲だよ。
310名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:09:21 ID:LBA9GtPL0
>>304
それは色々解釈はあるだろうね。
そこが最終目的地だから、総距離から引けばわかるからじゃないか。
311名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:09:34 ID:dzFgTQ/pO
そもそも金印が本物だとしても
奴国の国王(北九州にあった国の一つ)に貰ったもので、邪馬台国が貰ったものではない
金印は着目されるのは、邪馬台国と同じ時代に九州で中国との交流が盛んだった証拠として扱われる
312名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:10:38 ID:o84wNQi+0
>>108
ショートショートの広場の入選作だよ
313名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:12:07 ID:LBA9GtPL0
>>303
なんで途中まで、「他の国同様に12000里はデタラメだ」と言いつつ、
「12000里でもかまわない」とか、支離滅裂なことを言い出すんだよ。

その姿勢こそが、先に結論があって、
そこに当てはめているに過ぎないことを示しているだろ。

その姿勢でわかるとおり、畿内説は史料からたどって、結論を得てるんじゃないんだよ。
まず大和朝廷の存在があって、そこに当てはめるために史料を歪めてるに過ぎない。
314名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:13:54 ID:mtidgpgV0
魏志倭人伝の和訳サイトで読んでみたけど、邪馬台国てのは大陸側の表記で、日本側では単にヤマトと呼んでたっぽいね
315名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:14:40 ID:KJ6N7vhW0
朝廷は1つだったと考えるからおかしくなる

古文書「ほつまつたへ」によると近畿と九州に2つの朝廷が
同時に存在していたと記述があるから近畿と九州のどちらにも
朝廷があったが正解じゃね

ttp://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/ht055.html
316名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:15:17 ID:LNB8esYD0
こんな文献300年ず〜っと読んで議論しててもわからないんだから
あきらめればいいのに
317名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:15:29 ID:+C5PIebCO
別にどっちだっていいじゃない
日本だもの
みつを
318名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:15:43 ID:hV0EWmMUO
>>302
邪馬壱ね、俺が邪馬台国の主勢力て見ている河内南部だと「古市」
奈良盆地南部だと「高市」、
そしてモモソ姫の箸墓古墳の場所は「大市」と呼ばれてるの知ってる?
319名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:16:13 ID:ocwhDszV0
>>307
物理的・物流的な意味でいくと九州だよ
文化成熟度は何をもって成熟だと言っているのかさっぱりw

320名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:16:52 ID:uOVHeeLN0
>>299
3世紀の日本側の史料なんてないだろが
321名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:17:18 ID:Bzq63jczO
ひ、ヒミカさまあああああああ!
ぎゃあああああああ
322名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:20:06 ID:c+4uz2+G0
真ん中とって秋田県でいいよもう
323名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:20:11 ID:vowresiNO
九州でも畿内でもどちらでもいい
邪馬台国なんて実はなかったでもいいくらい
俺の人生に全く影響ないだろうし
日本史なんて大学入試までで終わったよ
楽だけどつまらない教科だったな
324名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:20:28 ID:hV0EWmMUO
318は>>305宛てな。
325名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:21:28 ID:vsip1oaZO
実は宮崎だった。
326名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:22:45 ID:4IGVqGOOO
なかなか決まらないな
誰かタイムマシーンでドラえもんに会って来て、タイムマシーンを借りてこい
俺が見てきたるわ
327名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:24:15 ID:ocwhDszV0
>>325
天から人が降臨したという言い伝えの場所があるから?
328名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:25:28 ID:kZSZJj5A0
今の九州にバカ帝国がある、ていどのこと
329名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:25:53 ID:dAuWPefa0
邪馬台国はかつてのムー大陸とともに海に沈んだ。
もうこれでいいでしょ?
330名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:27:55 ID:dzFgTQ/pO
>>325
宮崎だと思うよ。
ただし、あくまで使者が交流しにいた行った所
本国は近畿の邪馬台国=大和朝廷で宮崎は邪馬台国の分家(本家ともとれるが)だから。
神武天皇は宮崎の高原町が誕生の地と言われている
よって邪馬台国=後の大和朝廷で九州と近畿に2つあった
331名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:30:34 ID:x92AupyS0
半島に近すぎて、半島から来た水軍が上陸してきて邪馬台国は滅ぼされて
しまったのだろうか。
332名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:31:09 ID:Hq2IbrmHO
中国との距離を考えたら九州なんだよな。もし近畿なら、どうやって日本に来てたのか気になる。いちいち大回りするか、今の舞鶴あたりに停泊して歩く…とか?
333名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:35:12 ID:W2YYnnId0
>>662
魏志倭人伝に海路10日陸路30日ってあるから近畿だと思うぞ
334名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:35:46 ID:hV0EWmMUO
>>332
舞鶴なら歩きでも行けるが、琵琶湖に出れば水運利用で下れるから。
335名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:41:45 ID:dzFgTQ/pO
でも近畿説の大和朝廷説だとしたら、倭人伝の邪馬台国の交流が途中で途絶えているみたいな感じが理由つかないよね
それとも、邪馬台国と大和朝廷は別物で。近畿にあった邪馬台国を大和朝廷が滅ぼしたのかな?
336名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:43:19 ID:ocwhDszV0
>>330
分家も本家もなにもこの時代に日本統一なんてされてもないからwww
分離国家なんて当然存在は無理
寧ろ、後年九州にあった国が本州に攻めのぼって行き後にそれを元にしさらに後年出来た国が大和朝廷と考えた方がしっくりくる
だからその辻褄合わせに架空天皇が1から10代まであるとも言える
つうか、存在自体があやしいのもまだいるけどな
337名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:47:46 ID:ocwhDszV0
>>333
そう言うのはね、出発地点、到着地点、当時の船の速度と耐久性、潮の流れ、陸路の状態、古代の人の体力など考えないとダメだよ

338名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 04:51:33 ID:dQRqFmvS0
>>334
琵琶湖は使わない。瀬戸内海。
古代に入ると、大和への玄関口として難波津が栄えてくる。
だからこそ、さらに時代が下ると沿岸防衛の施設として瀬戸内に朝鮮式山城がでてくる。

>>323
(´・ω・`)・・・

そう>323に言わせてしまうところが、今の日本史界隈の抱える大問題だな。
誰も言いだそうとしないけど。
339名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 05:11:09 ID:jiBgxnMc0
>>1
冷静さを欠いて、持論が感情論と化してるな

ここまで九州説に固執する理由が、一般国民にはわからんw
いーじゃねーか、どこが邪馬台国でも
同じ日本なんだからよ
対立するより協力した方が、よっぽど賢いと思うぜ学長さんよ
利権でも絡んでんのかよw
340名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 05:44:00 ID:50aCF3Vi0
邪馬台国「四国・徳島」説
http://www.youtube.com/watch?v=O3fHE7Kn4Qc
341名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 05:46:18 ID:Pj4NapHN0
邪馬台国が九州だったとしたら、卑弥呼は朝鮮人。
イヤ違うと言うなら、邪馬台国九州論なんてものは今すぐに引っ込めろ。

邪馬台国が九州なら、卑弥呼は朝鮮人。
九州も朝鮮民族。
342名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 05:57:31 ID:P8bZ0qnf0
日本史で魏志倭人伝とか日本書紀とか習っても内容を読まずに死ぬ人間の方が多いんだよなー
と考えると不思議
343名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:04:43 ID:OAv3HiE9O
だから邪馬台国は日本にないだろ
いい加減気付こうよw
344名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:14:48 ID:Ia0Hi7KV0
>>342
そんなの魏志倭人伝とか日本書紀に限ったことでは無い件w
普通に文学作品とかクラシック音楽とか歴史上の重要人物のコトなんて
教科書でしか見たり聞いたこと無い人の方がほとんどだろ。
自分の興味に引っかかった分野で詳しくなるくらいだな。
345名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:15:45 ID:pIqLi00WO
近畿地方でで必死に金印掘り出してたりして
346名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:18:02 ID:BLO/7QD9O
金印があるからな


まず間違いないだろう
347名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:21:01 ID:kZSZJj5A0
古代からいかに日本と大陸が隔たれていたかはよくわかりました
348名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:49:25 ID:oc7xtSHs0
邪馬台国=日本人の国

卑弥呼=国王就任時60歳代。その後、寝たきりになり屋敷から一歩も出ずに死ぬまで過ごす。

大和政権=中華人の政権(日本人を上から目線で支配する)

聖徳太子の顔見りゃ何処から来たのか分かるだろ。奈良の山に住み、鹿や兎、野鳥を狩って食べる。
肉食中華人。邪馬台国の「ヤマト」を乗っ取る。
349名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:51:33 ID:GsU6AuOU0
卑弥呼って呼ぶのやめろよ
中国の属国根性丸出しだな日本人は
350名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 06:54:48 ID:hcxuZRNz0
>>349
そんなこというんだったら、お前も漢字を使うなよ。
351名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 07:00:32 ID:3YMA0y47O
>>341
九州男児って濃い顔ってイメージがあるけど…薄い顔してんの?
352名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 07:04:07 ID:kZSZJj5A0
>>348
さあさあ来ましたね、昨今の卑弥呼騒動の本当の狙いが
踊り狂ってもらいましょうか
353名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 07:22:33 ID:fWGjYxeO0
>>339
いろんなところに邪馬台国があったほうが町おこしになるだろww
354名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 07:25:48 ID:DjmhF6Is0
空海もいろんなところに行ったことにされてるからな
355名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 07:26:55 ID:DaCMvYfr0
どぎゃんこつね
356名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 08:25:19 ID:T+l2GFFv0
どっちでもいいが
確定は両者ともありえない。

近畿は捏造遺跡をまず消せ。
神の手はごめんだ。
九州はもう少し探せ。
357名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 08:27:08 ID:jZ/r63Lu0
佐賀女子短大w
358名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 08:35:41 ID:ckck3kmF0

邪馬台国九州説という新興宗教だな、これは。
359名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 08:48:33 ID:hV0EWmMUO
>>338
日本海ルートは重要だよ。瀬戸内海が1〜2世紀戦乱だったのは、
高地性集落や淡路島の垣内遺跡の鉄器工房で証明される。
だから戦乱時は瀬戸内ルートは使えず、畿内や東国へは
日本海経由で鉄が流れていったのだろう。
360名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 08:59:54 ID:sCD35qwZ0
>>358
邪馬台国四国説という新興宗教もあるよw
361名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:05:48 ID:Xj+Qey4FP
よくわからんのだが、何故日本はわずか1800年前のことが判らないの?
つか、皇暦は2600年とかなのに、その800年後日本の支配権がどこにあったのか
判らんてどゆことよ?
362名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:05:49 ID:iZc5KdL50
西日本全体が邪馬台国だったでいいじゃないか
363名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:07:13 ID:obxPJBg2O
レンホウ
「ヤマタイコクの場所はどうしても一つじゃないといけないのか?二つあってもいいじゃないですか」
364名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:11:03 ID:3U2p7le2O
学者が物証に基づいた論理的説明をしないとは、、、、
ォワットル
365名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:11:44 ID:rCLHtv/l0
奈良は莫大な国費を投じて何十年もかけて、隅から隅まで探しまわってるからな。
なんか見つかるわなw

ま、確かに倭人伝じゃ冬でも生野菜を食ってるし裸足だし、奈良じゃムリポ。
366名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:15:38 ID:0Niw0nJf0
                   、、、 , , _
     ,. -┬i^i、._     ィ`,、,、,、,、,.、'、
.   /    | | .|=ゞ=、 __l/\ v~/!|
   l.    l l l \\{f‖ミゞ, ,ィ≪:lf^i      もういい・・・!
 /ヽ.   ノ「,ト、「.lヘ‐iヾ|rー~r〉〉,こlレ'
/    `ヽ//| ト、ヽlイ| |/|{王王王王}ト、
|      レニ| lニゝ冫! l!L_, , ,ー, , , ,_」シ’、    もう・・・
ヽ    __|ーL|┴^ーヽ>'^ヾ二三シ´\\
 ,ゝ,/  .}二二二二二二二二二lヽ.  ヽ \   休めっ・・・!
l/ |ト、./´\             ||. レ'´ ̄`ヽ
  || !    、\  九州説     ||. /      :|
  || |.l l゙!.|i |ヽ)          |l/       /  休めっ・・・!
  || `ヘ)U'J           /-─   ,イ.|
  ||     _           /-─   / ヽ|   高島っ・・・!
  ||  r‐-゙=っ`ヽ,.--r-─ ''"´ ̄`ヽ   /   }
  ||. {三二    | │          /   /
  ||.  ヾ=--一'`ーゝ        _,. く   ノ|
367名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:16:59 ID:y/OKVfAv0
宮崎を掘れよ。
368名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:19:43 ID:kZSZJj5A0
>>361
日本書紀には魏志倭人伝でいうところの卑弥呼の時代は天皇のことが具体的に書いてある
今回の奈良の発見が符合する可能性は高い
ただ左翼的な歴史学会とマスゴミが天皇以外の権力の存在やシナ朝鮮との関わりをでっちあげたいだけ
369名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:20:03 ID:AxqyMu8f0
まあ、国民にとって、どっちでもいいよそんなもん、の議論だ。
趣味で生活できる、大学の歴史学者がうらやましいぜ。
370名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:25:07 ID:t5qmARQ40
おれは邪馬台国は福岡発で京都のあたりまで移動してって静岡の辺で物部と手を結んで
アラハバキをはめたと思う
371:2009/11/30(月) 09:25:44 ID:WaxX0IhLO
謎のままが一番いいような気がするんですけど。
なぜ決めようとするの?
372名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:28:49 ID:MRvVP9Vj0
たしかに纒向(まきむく)遺跡=邪馬台国という証拠はまったく出ていない。
鐙が出てるという情報はなかなか広まってないけど、
出てるならお説の通り邪馬台国以降の話みたいですね。
373名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:30:47 ID:XADLhK2x0
今回のマキムクは邪馬台国じゃないんじゃないの?
あれが邪馬台国ならそれなりの遺物が既に見つかってると思うけど
邪馬台国かどうかというより
とにかくあんな都市国家があの時代にあったという事実が凄い
マキムクが邪馬台国じゃないほうが面白いと思うんだけど
無茶かな?
374名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:31:00 ID:nP4/00Sx0
オッパイと声の大きい卑弥呼さんには
さんざんお世話になりました。
375名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:33:28 ID:9so4ux0Z0
低学歴な俺にもこの学長さんの必死さは伝わってくるな。
376名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:35:40 ID:uhWUfxgBP
魏志倭人伝によれば倭にはいくつも国があり
邪馬台国は地方政権のひとつにすぎない。
九州が発展していたのは認めるが、
だからといって邪馬台国が九州というのは無理がありすぎる。
377名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:41:30 ID:xj/PRq0nO
必死だな

初めて聞く大学の学長さんだけど
378名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:42:04 ID:HZv9isNi0
邪馬台国は沖縄。
で、狗奴国はなんか理由があって水没。

これでいいんじゃね?
379名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:44:34 ID:MI2C1Gg10
そうなんだ。
380名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:45:52 ID:Mda5p/120
もうどこでもよくね?
これだっていう物証だったりがあるわけでもなし
「大昔どこかにそういう集落がありました、もしかすると君の町かもね?」くらいのユルい感じでいいじゃん
381名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:46:31 ID:U0ezVpeb0
>>339
利権争いそのものじゃねぇの?よく知らんけど
382名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:47:38 ID:JdWdkGXT0
ムー大陸説の勝利だな
383名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:49:04 ID:RV6c6huUO
隣の国に近い方が、都合の良い奴らが居そうだな
384名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:49:59 ID:fa26CqPF0
>>373
それなりの建造物らしい遺跡が先日発表されたけど。
385名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:51:39 ID:DFkXeyB90
朝鮮から侵攻した騎馬民族が邪馬台国など日本の土着勢力を
征服して、大和朝廷をつくった。
386名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:52:00 ID:+Jdj2WrBO
ロマン演説のせいで
廃校にならなきゃいいが
387名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:54:34 ID:ds08Jnum0
わかった。未来の首都は名古屋ということだな。
388名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:55:59 ID:XADLhK2x0
>>384
確かに伊勢神宮や出雲大社の社殿に似てるという建造物跡が発見されてるけど
これはマキムクが今までにない巨大国家という証拠であって邪馬台国の証拠じゃない
学者も含めて邪馬台国に結びつけようと必死すぎてて危険だなと感じてる
389名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:56:12 ID:fiZc2wUL0
このオッサンの人生って何?
390名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:57:37 ID:RwgwOU3wO
吉野ヶ里は面土国
邪馬台より古い時代に成立してる

大体、ヤマタイではなくヤマトとよぶのが正解


391名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:57:46 ID:ZYeYQ2dbO
邪馬台国は韓国が起源ニダ
392名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:58:55 ID:rBN2DbGF0
九州説は甘え
393名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 09:59:51 ID:6QBnqzdr0
まとめるとこんな感じか?

・少なくとも、1世紀ごろ栄えていたのは漢に使者を送った奴国などの北部九州

・高地性集落の分布からして、その後卑弥呼以前の時代まで
 瀬戸内海周辺は戦乱の時代だったらしい。
 高地性集落はその後畿内以東や南九州に。

・巻向が邪馬台国だとすると、魏志の卑弥呼は大和王権の初期かもしれない
 この時代はとりあえず中心が畿内に移っているっぽい。
 神話には筑紫宮を出発した神武一行が近畿勢力と協力して
 畿内入りする話が載っている。
394名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 10:16:59 ID:4hWpIPry0
トンするホルモンヌw
綾瀬、北千住あたりのホルモン屋対焼き鳥屋の争いか
395名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 10:22:48 ID:Cgf0n4e/0
初期の大和政権が連合政権だとすれば、各豪族の出身地は、
大君家=九州、大伴氏=越、物部氏=吉備、蘇我氏=出雲
なんてことにすると、イメージが描きやすい。
396名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 11:00:23 ID:ZImJxeLb0
シロート目にも近畿説ってかなり無理がある気が。
この分野って多角的・科学的な検証をしようとしない風潮が
ゴッドハンド藤村みたいなのを許しちゃうんだろうね。
397名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 11:11:29 ID:Im4GXx5G0
佐賀+女子+短大

駄目ワードを3つつなげて大学名にしちゃうとは。。
398名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 11:54:28 ID:iEpSiYfc0
>>173
英吉利なんてほれぼれする字だな

>>216
そんなに凄いことでもない
399名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 11:59:48 ID:f7i0qfBE0
2世紀 倭国で大規模な内乱あり。
3世紀 内乱を収めるために、邪馬台国の女王卑弥呼を共立。卑弥呼没後、男王が
     たつが内乱となり、女王トヨが擁立されておさめる。
4世紀後半 倭国が何度か朝鮮半島に侵攻。百済や新羅を相手に一定の成果を収めた
        こともあるが、高句麗には敗れた。
5世紀 倭の五王が継続的に中国に朝貢
5世紀後半 ワカタケル大王(=雄略天皇=倭王「武」)が存在。九州熊野から関東埼玉にいたる
        まで支配下においていた。

このあたりまでは、歴史家でもだいたい共通認識でいいんだよね?
5世紀のワカタケルは大和朝廷。4世紀後半の朝鮮半島侵攻の倭国も、大和朝廷で
いいんだろうね。
そこから、どこまで大和朝廷が遡れるかいな。3世紀半ばまで遡れれば、邪馬台国との関係も
おのずと明らかになるんだろうな。
400名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 12:09:28 ID:XADLhK2x0
>>399
>5世紀後半 ワカタケル大王(=雄略天皇=倭王「武」)が存在。九州熊野から関東埼玉にいたる
        まで支配下においていた。

マキムクから九州から関東までの土器が発掘されてる
本当にマキムクは3世紀の遺跡なんだろうか?
401こにょ〜 ◆IzXu3gqo6w :2009/11/30(月) 12:14:16 ID:nAYdPlpaO
>>388 賛成〜♪

九州に行けば、魏志倭人伝に出てくる地名を連想させる場所がゴロゴロある。

近畿に大きなクニがあったという事が証明されても、それが邪馬台国という事にはならないね。
402名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 12:24:50 ID:dzFgTQ/pO
>>401
近畿に九州の地名と似ている所が多いのは神武天皇が東征して、その後に自分の故郷の九州の地名をつけて行ったという説もあるよ
403名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 12:38:23 ID:2J0snPAr0
倭国大乱っていうのも、過剰評価されすぎの気がするけどな。

ずっと時代が下った飛鳥時代、物部守屋が倒された時だって
日本書紀によると「朴の枝間に昇りて臨み射ること雨の如し」
っていうようなレベルだぞ。
当時の日本の生産力・人口は、現代人がイメージする戦争をやるには
全く力不足だったと思うんだよね。

せいぜい、邪馬台国という名前のムラ周辺で、何回か小競り合いがあった
というだけの話ではないかな。
404名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 12:41:41 ID:Z/e688xU0
>>159
内心、自分でさえ信じてない説について
面子だけでこだわり続けるのは幸せとは思えない
405名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 12:58:28 ID:aOznaR+rO
>>403
それでも倭国大乱と言うからには、邪馬台国周辺でそれなりの戦争があったはず
北九州にはそれを思わせる兵士の遺骨が多数発見されている
首の無い人骨、何本もの矢が食い込んだ人骨
近畿説に賛同できない理由の一つは、畿内にそういう倭国大乱を裏付ける
ものが何も無いこと
406名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:12:33 ID:lFWc1EY+0
>>402

それはデタラメ。

神武の故郷は日向で、東征中も甘木には立ち寄ってない。

大宰府ができたときに、畿内の地名が九州に移植されただけ。

407名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:24:23 ID:+Jdj2WrBO
>>406
なんだ逆なんじゃん
時代も違うしな
408名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:25:15 ID:cNDwBGWKO
邪馬台国が特定できないのは大和朝廷の古墳や天皇稜の科学調査を
宮内庁が許可しないかららしい。

古代エジプトではミイラをDNA鑑定して本人かどうか、
家系図が本当かどうかまで科学的に検証しているけど
日本の古代史では「万世一系」の仮説が崩されてしまうとか、
都合の悪い事実が出る可能性があるので、こういう科学調査はやらないんだとさ。
409名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:27:55 ID:Cagm+8x4O
恥かしいよな。もう、地域おこし古代史は止めようよ。
410名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:28:59 ID:iEpSiYfc0
邪馬台国は伊勢の山田
ってやつはおらんか
411名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:38:23 ID:aOznaR+rO
>>408
せめて箸墓だけでも許可してくれれば大分違うだろうに
412名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:38:23 ID:bNwDBfOQO
そもそもヤマト国が九州にあるって説の方がオカシイだろ
413名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:38:56 ID:XADLhK2x0
>都合の悪い事実が出る可能性があるので
特にそういうのはないと思うが
そもそも都合の悪い事実ってどんなのよ?
414408:2009/11/30(月) 13:40:41 ID:cNDwBGWKO
俺は歴代は科学と考えているけど、歴代物語と考える人の気持ちも解らないでもない。
白黒付けずに曖昧のままにするのが良いのかな。

と思っていたが、最近になって女系天皇はY染色体を継承しないとか
言いだした馬鹿がいる。

彼らは本当に頭が悪いんだろうな。
頭が悪いのが歴代修正主義者の特徴だから驚きもしないが。

415名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:42:36 ID:6QBnqzdr0
>>405
吉野ヶ里の首無し遺体とかは、倭国大乱より前の時代じゃなかったっけ
416名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:42:41 ID:aOznaR+rO
>>413
まあDNA鑑定して現在の天皇家と繋がりがあるかどうか調べようなんて
誰かが言いださなければ無問題かも
417名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:42:59 ID:xfHUvKrh0
>九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国ととらえていると述べた

だとしたら、仮にそうでも大した価値はないということになるなw
418名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:44:59 ID:F5MVYixB0
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」

466 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 09:06:33
宋書倭国伝(全文)
ttp://www2.plala.or.jp/cygnus/R7.html

522 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:24:50
7世紀のヤマト王権の勢力図
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yamato_ja.png

558 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 18:56:47
宋書でおもしろいのは隋書との整合性。
「東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し」足すと121。
隋書では冠位十二階のあとくらいに
「軍尼(国造)一百二十人、つまり120人。
でほぼ一致しているところ
419名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:45:50 ID:AIOz/xrq0
日本書記に出てくる熊襲の女酋長は
卑弥呼のイメージぴったりなんだし
女王国が九州にあること自体はおかしくない。

この場合、ヤマト朝廷とは無関係だが。
420名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:47:18 ID:+wgFkbsDO
学術研究を村興しに使うなよ…
邪馬台国が古代史の謎ならロマン(藁)もあるが、スレタイ的主張は肥溜め臭いわw
421名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:47:18 ID:skdg7RJF0
そもそも日美子なんていたのか疑わしいだろ
中国人がかいたものなんて、自分の都合のいいようにかってに捏造するのが常識なんだし。
422名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:48:53 ID:NzWhe4oe0
源氏物語は六世紀の新羅の文人李朴春の著「源紫伝記」の剽窃です。
日帝は韓国全土から「源紫伝記」の写本を強制的に収集して破毀した
のみならず李朴春の子孫を皆殺しにするという極悪犯罪を実行しました。
日本政府はこの人道に対する罪に対してなんら謝罪、反省、補償を
していません。日本政府は速やかに謝罪、責任者の処罰、被害者への
補償、宮内庁書陵部に一部だけ保存されている写本の返還を実行
しなければなりません。つまり、邪馬台国は韓国人の国であり韓国文化です。
423名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:51:45 ID:FhtRX1qeP
>>408
古代エジプトの遺構の場合は、エジプト人の意思とは無関係に、
ヨーロッパ人が好き放題に発掘して荒らしまくっただけ。
そのせいで散逸してしまって紛失したものも少なくない。

高松塚古墳やキトラ古墳の例を見てもわかるとおり、未だ発掘した遺跡を
保存できるだけの十分な技術は確立されていない。
現在の技術力で発掘しても損失が大きいだけ。
それに古墳を管理している宮内庁(天皇家)としては、なにがうれしくて皇祖の
墓を暴くことを許可しなきゃならんのだ?
424名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:52:02 ID:F5MVYixB0
>>419
でもその場合
九州だけで百余国の国があったことになるし
その中心の邪馬台国の南に狗奴国が無いと
(仮に放射説を取ったとしても)
魏志倭人伝の記述と矛盾してしまう
425名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:52:25 ID:XADLhK2x0
>>414
女系自体今の今までなかったことだから
それに反対すんのはむしろ自然にも感じるけど?
それを科学的に言うと染色体ってことになるだけなんじゃないの?
>>416
古墳時代の天皇と血筋が仮に繋がってなくてもそれほど驚かないような
実際はどうかは分かんないけど
でも記紀は結構正直に書かれてて記述と一致する遺跡が発見されたりしてるから
本当に万世一系の可能性の方が高いような気がする
天皇家が邪馬台国と繋がってるとは思ってないけど
426名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:54:01 ID:2J0snPAr0
>>405
古戦場からは必ず矢傷のある骨が出てくる、という発想自体が、そもそも
誤りだと思うなあ。
エジプトのような砂漠ならいざ知らず、日本のような環境では
相当運がよくないと残らないでしょ、そんなもの。

それに、戦だからといって大量に人が死ぬとは限らない。
中世までの戦争は、有名なものでも、意外と人は死んでないよ。
機関銃や爆弾があったわけではないからね。
427名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:56:05 ID:5lcThXNXO
>>413
天皇家のDNA
洒落にならん確率でどこかで断絶してるわなw
428名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:56:13 ID:FhtRX1qeP
>>405
>北九州にはそれを思わせる兵士の遺骨が多数発見されている
北九州は邪馬台国に征服されたから多くの遺骨があるんじゃないか?
畿内に邪馬台国があっても、邪馬台国の国内で争があったとは限らない。
強国である邪馬台国は、周辺諸国に派兵して統一していったのなら、
周辺国には多くの遺体があるが、邪馬台国にはそういうものはないはず。
大航海時代にヨーロッパ諸国は世界の国々を侵略したけど、
侵略された側の地域には戦の跡はあるだろうが、ヨーロッパ本土には侵略戦の跡はないよ。
429名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:56:46 ID:F5MVYixB0
196 :日本@名無史さん:2009/11/26(木) 17:39:18
100mを超える巨大古墳100
ttp://www.asuka-tobira.com/kofun/kofun.html#100
順位 古 墳 名 所 在 地 時期 区 分 墳丘長(m) 参考
1 大仙陵古墳
(だいせんりょう) 大阪府堺市大仙町            中期 前方後円墳 486 仁徳天皇陵
2 誉田御廟山古墳
(こんだごびょうやま) 大阪府羽曳野市誉田         中期 前方後円墳 425 応神天皇陵
3 石津ヶ丘古墳(履中陵古墳) 大阪府堺市石津ケ丘      中期 前方後円墳 360 履中天皇陵
4 造山古墳
(つくりやま) 岡山県岡山市新庄下            中期 前方後円墳 360
5 河内大塚古墳
(かわちおおつか) 大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘  後期 前方後円墳 330
6 見瀬丸山古墳
(みせまるやま) 奈良県橿原市見瀬町・五条野町・大軽町  後期 前方後円墳 310
7 渋谷向山古墳
(しぶたにむかいやま) 奈良県天理市渋谷町         前期 前方後円墳 300 景行天皇陵
8 土師ニサンザイ古墳
(はぜ) 大阪府堺市百舌鳥西之町      中期 前方後円墳 290
9 作山古墳
(つくりやま) 岡山県総社市三須             中期 前方後円墳 286
仲ツ山古墳
(なかつやま) 大阪府藤井寺市沢田          中期 前方後円墳 286 仲津媛皇后陵
11 箸墓古墳
(はしはか) 奈良県桜井市箸中 前期 前方後円墳 278 倭迩連日百襲姫大市墓

ちなみに箸墓↑は
巨大古墳ランキングで11位
卑弥呼の時代のものとしては最大の古墳
430名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 13:58:03 ID:GMCD7RwzO
>>427
具体的にどことどこで断絶しているの?
431名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:02:12 ID:6QBnqzdr0
>>430
例えば継体天皇は限りなく他人に近いほど遠い親戚だからかなり怪しい
でも、実際のDNA云々はともかく形式上今までちゃんと続いてることに
意義があるんじゃないかね
432名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:02:35 ID:F5MVYixB0
>>402
神話の神武東征は紀元前660年
(神武東征があったという前提で)
これより後だったとしても
他の状況証拠から卑弥呼の時代より昔だったのは確か
433名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:06:26 ID:cNDwBGWKO
>>399
聖書はフィクション。日本書記もフィクション。

キリストはユダヤ人。ユダもユダヤ人。

キリストを殺したのはローマ人。

ローマ帝国がキリスト教を弾圧していた事実は
キリスト教の擁護者であるローマ皇帝に都合が悪いから
ユダを悪人にしてスケープゴードにした。

小説はウソをつくから鵜呑みにするなってこと。
434名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:07:25 ID:aOznaR+rO
>>428
最終的には卑弥呼が魏に助けを求めるような状況だったわけだが?
自国に戦火の及ぶ危険の全く無い状況でそこまでするか?
435名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:08:53 ID:F5MVYixB0
巻向の勢力が拡大して
>>418に繋がるのが自然な流れかと
436名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:08:58 ID:XADLhK2x0
>>431
継体天皇は吉宗みたいな感じでむしろ徳川御三家の制度が機能したって感じ
天皇家の継承危機管理機能が成功したって感じだね
437名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:11:09 ID:NIDmsA9k0
>>431
きっちり朝鮮人の血が入っていることに意義がある
438名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:16:03 ID:X2FFp9wp0
もう十分頑張ったから早く楽になってくれよ・・・
439名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:17:12 ID:FIcxQ1i+0
佐賀県「中出し市」
440名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:18:08 ID:F5MVYixB0
この先生
各地域の産物が
巻向から出土してるのをどう解釈してるんだろ
これは広域連合の明らかな証拠じゃないか
しかもこの規模だとまずその中の中心国だろうし
441名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:18:44 ID:XADLhK2x0
>日本書記もフィクション
20年前くらいまでならそれで通ったかも知れないが今じゃ無理だね
442名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:19:01 ID:YCkti2oe0
短大がどうしたって?
443名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:20:56 ID:5w1g/vSf0
なんで祭祀施設である纒向で見つかった鐙が騎馬兵のものであると断定できるのだ?
この学長とやらは超能力者か?
444名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:23:32 ID:aOznaR+rO
>>440
記紀に巻向に拠点を置いた天皇の存在が明記されてるのを知ってるか?
宮殿跡が出たから邪馬台国と断言する根拠がよく分からない
445名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:23:45 ID:FhtRX1qeP
>>434
>最終的には卑弥呼が魏に助けを求めるような状況だったわけだが?
>自国に戦火の及ぶ危険の全く無い状況でそこまでするか?
例えば遣唐使や遣隋使は別に日本が滅亡の危機にあったわけではないが、
朝貢の形をとった使者を派遣している。
足利義満だって朝貢の形をとって明と交易をしているが、
足利幕府は明に助けを求めたわけじゃない。
邪馬台国が魏に朝貢したって、魏が日本に軍を派遣して邪馬台国の
支援をしてくれることなんて期待できないわけだから。
446名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:23:53 ID:F5MVYixB0
九州説は
畿内説の批判はよいから
早く場所の特定をしてくれよ
九州のどこかじゃ全然前進しないのでw
447名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:26:54 ID:aOznaR+rO
>>445
まさか卑弥呼が魏に使者を送ったのが1度だけだと思ってるわけじゃないよな?
448名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:27:11 ID:Tqfwo31U0
これ九州説にこだわる連中は「文化は朝鮮半島から」という旧来の学説に固執してるから。
だから朝鮮半島に近い九州のほうが先進的だった、と結論づけたい。

449名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:27:43 ID:XADLhK2x0
>>440
マキムクが中心国家だったことは疑いようがない
ただそれが邪馬台国かどうかは今のところ全く証拠が出てないから
まあこの先生の言い分もトチ狂ってるわけじゃない
450名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:29:36 ID:5w1g/vSf0
>>434
横からですまんが卑弥呼がその地位に就いたときには既に倭国大乱は終わってたよ
少なくとも魏志にはそう書いてある
451名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:32:11 ID:FhtRX1qeP
>>447
複数回だったらなんなの?
遣唐使だって遣隋使だって、日明貿易だって、何度も送ってるけど?
朝貢使節を複数回送ったら、助けを求めたことになるのか?
452名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:32:20 ID:QLX61BD7O
邪馬台国が北九州の一部を納めるしょっぱい国なら
九州説もありなような。
広域連合は別で奈良にあったとか
453名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:32:40 ID:XADLhK2x0
>>446
今のところ邪馬台国に繋がる遺物はどこからも出てない
九州説も畿内説も状況証拠でしかない
学会内では畿内説が有利と思われてるようだが
状況証拠だけで有利と決め付けるのはむしろ危険で
邪馬台国以外の権力の可能性を排除してしまう可能性がある
454名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:34:40 ID:Pt/mu6D60
ここから邪馬台国。とかって書いたものは出ないし。
私は卑弥呼です。って名札つけた人骨もでないだろうからな。

>>452
魏志倭人伝を根拠にしつつ、それはないだろう。邪馬台国は当時の日本の人口を考えても、大国だよ。
455名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:34:48 ID:6QBnqzdr0
>>448
いや、実際「往来」が多かったのは半島づたいだろう
あるとすれば、半島から北部九州に来るか、出雲やら丹波に至るかの違い
稲作を始め、大陸から黒潮に乗ってきた文化ももちろんあるが、
それはあくまで一方通行だし
456名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:35:00 ID:xQIRSMlN0
妄想
457名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:35:32 ID:Tqfwo31U0
>>453
他の地域に目をむければ東北地方は食糧事情も良好だったし有力な部族も当然に発生してただろうしね。
458名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:36:48 ID:FhtRX1qeP
>>453
>今のところ邪馬台国に繋がる遺物はどこからも出てない
>九州説も畿内説も状況証拠でしかない
邪馬台国の物的証拠なんて存在するのか?
どんな遺構が、例えば「親魏倭王印」が発見されたとしても、
それは状況証拠でしかないだろ?

「ようこそ邪馬台国へ」とか書かれた門でも発掘されたら別だがw
459名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:39:52 ID:XADLhK2x0
>>452
仮に九州説だとしてしょっぱい国と言えるかどうか
とりあえず邪馬台国以前に九州北部に奴国があった
奴国は朝貢して金印授かるくらいの国だからしょっぱいとは思えない
同様に邪馬台国も
九州説に有利な点があるとすれば北部九州に金印授かるほどの国が既にあったってことかな
460名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:40:48 ID:QLX61BD7O
>>454
そこはそれ古代の資料だから数字はいい加減なんじゃないかなあ。
距離も変だしさ。
461名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:43:25 ID:F5MVYixB0
邪馬台国が仮に九州だったとしても
魏使はわざわざ派遣されたのに
九州にしか来なかったことになるし
当時最大勢力だった巻向を
倭種で纏めたやっつけ仕事だったことになるよな
462名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:44:11 ID:XADLhK2x0
>>457
マキムクに九州や関東の土器があったってことは
九州や関東に既に独自の国があったってことでもあるしね
マキムクがでかい国であることに疑いはないが同じく関東にマキムク級の国があったのかも
>>457
邪馬台国の物証としては金印や封泥・銅鏡などかな
463名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:44:12 ID:Pt/mu6D60
>>459
1世紀は、北九州諸国は最強。出雲以外の鉄のコントロールを完璧に行い、
淡路島にも、(多分)前進基地、鉄の加工、集積、加工基地を設けていた。

でも、2世紀の倭国大乱で、瀬戸内、畿内連合王国が直接鉄を手に入れるようになる。
3世紀には、北九州諸国は衰亡。

で、邪馬台国は3世紀から更に発展していく国家だ。
464名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:44:17 ID:aOznaR+rO
>>450
大乱はほぼ終結していたが、全て終わっていたわけではない
狗奴国が邪馬台国に屈せず戦争は継続していた
卑弥呼が魏に助けを求めるくらいだから、相当激しい抵抗だったと思われ
465名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:46:17 ID:Pt/mu6D60
3世紀に大規模な…というと、大和の国が、濃尾平野の国を制圧?併呑?した時期なんだな。
466名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:46:20 ID:F5MVYixB0
魏の使いが
九州で留まって
畿内まで来なかった理由はなんだろう?
そんな適当なもんで良かったのか?
467名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:46:22 ID:Tqfwo31U0
>>464
民主党が自民党に勝つために中共に支援をしてもらうようなものか。
468名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:46:42 ID:yx5mV0qk0
もう可哀想だから九州説でいいよ。
九州はそれ以外何もないもん。
469名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:49:33 ID:6QBnqzdr0
>>463
もし北部九州が畿内勢力に攻め滅ぼされたならそういう物証がありそうな
もんなんだが、記録上は磐井の乱くらいしか無いんだよなぁ
むしろ神武が長期滞在したと言われる安芸やら吉備、阿波周辺に高地性集落
が集中してたりするし
奴国から卑弥呼までの時代に何があったのかも興味深いところだ
470名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:49:45 ID:yx5mV0qk0
九州邪馬台国が塹壕掘ってクナ国と戦ってる時

畿内大和国では日本最大の都市を形成し巨大な古墳を建造していた。
471名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:51:16 ID:XADLhK2x0
>>466
わかんねw
マキムクはあれだけ巨大な国だから大陸と交流があったはず
何らかの遺物が見つかるのでは?
鐙がそれかな?
472名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:51:42 ID:yx5mV0qk0
>>469
景行天皇の九州行幸とか、神功皇后の熊襲狩りは?
473名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:52:30 ID:F5MVYixB0
ま、北部九州勢力は
5世紀ごろまでに大和政権に征服されるんだがな>>418
474名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:54:44 ID:FhtRX1qeP
>>462
たとえ「親魏倭王印」が発掘されたとしても、それは物証にはならないよ。
例えばハムラビ法典。ハムラビ法典の原版は現在パリのループル美術館にあるけど、
バビロニアがフランスにあったことの物証にはならない。
邪馬台国が金印を受けた後に別の王朝に吸収されたとしたら、その金印は征服した
王朝の都に運ばれても不思議じゃないし、征服された国に留め置かれてもどちらも不思議じゃない。
475名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:55:03 ID:6QBnqzdr0
>>472
どっちも卑弥呼以後の時代だし、しかも相手が熊襲だからな
魏志の時代には北部九州は女王国連合だったようなので、
わからんのはもうちょい前の時代
476名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:56:38 ID:5w1g/vSf0
>>466
実際卑弥呼の死後に台与に檄文を送ってるくらいだから国の中枢に食い込んでたろうな
やっつけ仕事をするような無能が派遣されても公孫氏への牽制にならんだろうし
477名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 14:59:03 ID:Tqfwo31U0
>>476
魏とズブズブか魏の出張所となっていたか。
現在の東アジア情勢と変わらないなw
478名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:02:13 ID:gvOkqRek0
8(@皿@)8<卑弥呼サマー!!
479名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:07:28 ID:XADLhK2x0
>>474
勿論その通りだと思う
でも今の今まで何一つ物証が出てない
もし邪馬台国を倒した王朝が引き継いだなら残っててもいいはずだが残ってない
ということは少なくともどこかで消えてしまったってことになる
その物証が初めて出てくればその地が有力候補になるのは間違いない
奴国金印があんな形で出るんだからその辺に転がってるのかもw
勿論その場合でも移動した可能性は否定できないけど

むしろ注目はここまで発掘が進んだのに邪馬台国に繋がる遺物が全く出てないということ
本当にあったなら銅鏡一枚くらいどこかにあっても・残っててもいいものだけど
480名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:07:43 ID:GMCD7RwzO
>>466
魏の使節が九州で留まったというのは、どんな資料で判明しているの?
481名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:09:56 ID:XADLhK2x0
>>480
そんな資料はないよ
もし九州説なら魏の使いがマキムクという巨大国家が畿内にあったのに
そこまで行かずに九州で留まったって意味だと思う
482名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:17:01 ID:L/H4pfrHO
>>480

陸行○日とかの記述は九州北部でとどまった証拠
(対馬までの正確さと比べて違いすぎるので伝聞だろう)
483名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:19:33 ID:F5MVYixB0
>>480
(九州説の場合)
魏志に詳しい記載が無い点で、明らかだと思うが
分かっていて(九州以外も周って)記載しない理由なんてあるのか?
484名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:20:26 ID:cNDwBGWKO
>>430
奥様か大奥っていうの?が家来と1発中出ししていたら断絶している。

歴史の大半を権力者の操り人形で過ごしてきたから
その間に「嫁とやらせろゴラァ」ってなってたら断絶してる。
485名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:20:38 ID:FhtRX1qeP
>>479
>邪馬台国を倒した王朝が引き継いだなら残っててもいいはずだが残ってない
いや。だから。どんな物証が残っていてもいいと言ってるの?
文字も満足に使えなかった時代に、その場所がどのように呼ばれていた場所かを
示す物証なんてありえないでしょ?
邪馬台国からずっと後の遺構、例えば大山古墳でさえ、建造当時にどう呼ばれていたか
さえわからなというのに。
大和朝廷が成立して以降の遺物でさえほとんど残っていない。
大和朝廷だって、突然地面から湧いて出たわけじゃないはず。でも、大和朝廷が
どのように成立したのかもわからない。大和政権成立以前の遺物はまったく残っていない。
それは、なぜか?
たとえ残っていたとしても、それが大和政権成立以前の、後に大和政権を打ち立てた人たちの
遺物であることがわからないからなんだよ。
残っていたとしても「これは後に大和政権を打ち立てた一族の遺物です」という刻印は
ないからね。
486名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:28:42 ID:molFoc5q0
高島学長のヒットポイントはもう
487名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:29:46 ID:wiPi9NIG0
>>484
フィクションと分かってて
それを尊重するのが大人の知恵なんだよ。
民主主義が嘘っぱちなのに
それを奉るのと同じ。
488名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:29:51 ID:F5MVYixB0
>>485
5世紀の古墳なら
普通に大和政権でしょう
普通に読めば宋書の文から明らかだよ>>418
489名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:31:00 ID:XADLhK2x0
>>485
うーんと今ひとつ話しが掴めないんだけど
金印や封泥・魏から貰った銅鏡などが出てくれば
そこが有力候補地にはなるんだと思うけど?
490名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:32:58 ID:FhtRX1qeP
>>481
もし九州説が本当なら、
魏に朝貢し、魏の使節を招聘したのは、九州にある邪馬台国なんだから、
たとえ近隣に大きな国(マキムク)があったところで、魏の使節が朝貢関係もない
マキムクを訪れる理由がない。魏の使節は日本漫遊の旅をしにきたわけじゃないんだから。
491名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:34:12 ID:LzzFH7beO
俺、九州人だが邪馬台国は幾内にあったと思うぞ
492名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:34:54 ID:XADLhK2x0
>>490
九州説が事実だとしたら
勿論あなたの言う通りだと思う
493名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:36:43 ID:FhtRX1qeP
>>489
>金印や封泥・魏から貰った銅鏡などが出てくれば
>そこが有力候補地にはなるんだと思うけど?
パリのルーブルにはハムラビ法典の原版があるんでけど、パリはバビロンの有力候補地なのか?
494名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:37:37 ID:dY1UNS+aO
九州説の主張
金印以外の出土物は一切ありませんし、邪馬台国とおぼしき遺跡も、その他の文化的な遺跡も一切ありません。
が、金印が出土したから、ここが邪馬台国です
495名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:38:18 ID:5lcThXNXO
>>484
中田氏相手が藤原氏とかならなんとでもなりそう
問題は嫡男が死産オア乳幼児期死亡してしまった時
偶々有力者の身内に同じ世代の赤ちゃんがいればまだしも
姿形がよく似たそこらへんの…w
496名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:38:42 ID:5w1g/vSf0
>>490
明らかな大国が別に存在していた場合親魏倭王の印はもらえないんじゃないかな?
よくて倭の邪馬台国王の印になると思う
497名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:38:51 ID:XADLhK2x0
>>493
勿論遺物が出てきてもあなたの言う可能性は十分あるよ
でもそれを手がかりにするしかないんだし
まずは出土したところを有力地として調査していいんじゃないかと思うけど
498名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:39:16 ID:L1lgwXRAO
九州育ちだけどどっちでもいいじゃん
499名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:39:47 ID:F5MVYixB0
行基図(日本最古の地図)
ttp://ch.kanagawa-museum.jp/dm/kotizu/nihonzu/image/img_nihonzu001.jpg
李氏朝鮮が作った世界地図
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:KangnidoMap.jpg

魏志倭人伝の方角って
やっぱりかなり怪しいんじゃないかw
500名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:45:51 ID:dU5ej3a70
もともと九州は大陸と畿内の中間だから
交通の要衝であって鉄器ぐらい発見されるだろ。

それより魏に使者を送るぐらいの規模の国が
九州の小さな地域の国家だとするほうが無理がある。
501名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:47:44 ID:FhtRX1qeP
>>496
>明らかな大国が別に存在していた場合親魏倭王の印はもらえないんじゃないかな?
朝貢してくれば小国でももらえるでしょ?
琉球の近くには日本という大国があったけど、琉球は冊封を受けていたしね。
複数の国が「日本列島全体の支配者であることを認めてくれ」という旨の朝貢を
してきたのなら話は別だけど。そもそも日本列島全体の大きさも把握できてなかった
と思うし、現在の日本という枠組みもない状態で、ある国が朝貢してきたが、
近くの別の国は朝貢して来ていない場合なら、朝貢してきた国を承認するだろうな。
倭というのがどの範囲の地域を指していたのかさえ不明なんだから。
502名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:48:12 ID:6QBnqzdr0
>>500
奴国や面土国は漢に使節送ってるし、それ自体は不思議なことではない
503名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:54:39 ID:dU5ej3a70
>>502
でも女王国は20数カ国を支配していたんじゃないのか?
504名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:55:01 ID:FhtRX1qeP
>>500
>それより魏に使者を送るぐらいの規模の国
「魏に使者を送るには大国じゃないと無理」というのが根拠がないよ。
朝鮮半島に渡ることができれば、あとは陸路を辿ればいいんだから、
大国じゃなくても使節くらいは十分に派遣できるよ。
505名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 15:55:49 ID:5w1g/vSf0
>>501
倭国の概念自体は前漢期から大陸でも日本でもあったけど
小国が朝貢する場合は倭の後にその国の名前を付け加えるのが通例
(例:倭の奴国王)
単純に倭国王とした場合倭国100カ国連合の代表としての意味合いを持つ

…ってことらしい
506名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:00:21 ID:yobItDOHO
>466
例えば出張で東京から大阪に行くとして、お前は四国や九州まで足を伸ばすのか?
507名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:01:30 ID:LEBYAqfy0
>>504
使者を送るだけならともかく、魏の皇帝がわざわざ「親魏倭王」の金印を送るぐらいだから、
やはりそれなりの規模の国と考える方が自然だと思うけどな。
508名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:01:41 ID:ygufD6gSO
だから岩手・八幡平だと何度言ったら
509名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:03:05 ID:ly+79Dix0
>>504
食事や移動手段はどうする?
510名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:06:01 ID:5w1g/vSf0
>>508
確かに津軽では稲作が始まって富の集積がされていた時期だから
北東北に一大勢力圏があっても不思議ではないんだが
魏志に有るような宗教的施設の遺跡がなーんも出てこないんだよな
511名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:08:04 ID:ly+79Dix0
邪馬台国の東、海を渡る1千里に別の倭種があったとかいてあるんだから、それが畿内の影響下の国でしょ。
九州説として全く不整合はない。
近畿説には、逆に整合部分が無い。
512名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:09:13 ID:FhtRX1qeP
>>505
東方に島国があって、そこを倭と読んでいたとしても、
日本列島の奥行きは把握できてなかったと思うよ。


>>507
>やはりそれなりの規模の国と考える方が自然だと思うけどな。
そんなことはないと思うよ。
例えば、米国は台湾という小さな島に押し込められてしまった中華民国を
長い間中国全体の統治国として承認していたよ。
室町時代後期以降は、琉球は朝貢国として承認していたけど、
日本という国は朝貢国としては承認していなかった。

日本の中の小国から使者が来れば、その使者の言うことを信じるしかないと思うし、
小規模な使節を日本に派遣したところで、日本全体の政治情勢を把握するのは
難しいと思うよ。
513名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:14:22 ID:FhtRX1qeP
>>509
質問の趣旨がわからん。
食事の調達方法も交通手段も大国だろうが、小国だろうが変わらないだろう。
514名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:14:29 ID:Ljy6lZPC0
おれ、前から思ってたんだけど、
邪馬台国は吸収なんじゃね?
でも倭国の首都は近畿なんじゃね?
だって連合国だろ。長い間連合国っていう体裁とってたら、
本部は別の場所におくんじゃね?
邪馬台国→日本
倭国首都→国連本部
515名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:20:53 ID:5w1g/vSf0
>>513
この時期限定なら食事や移動手段は大いに関係あるよ
なぜなら半島ルートが使えなかったから
それなりの船を用意してそれなりの人数で魏に行く為にはかなりの国力が必要
516名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:22:02 ID:dU5ej3a70
問題は魏志倭人伝の南に水行10日と陸行1月なんだよね。

九州地域だけでこれだけの行程が必要かどうか。
517名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:27:40 ID:XADLhK2x0
>>516
今のところ何に頼っても見えてこないんだよね>邪馬台国
本当にあったのかよ?ってくらい
518名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:28:28 ID:FhtRX1qeP
>>515
で、具体的にどのくらいの国力が必要なの?
「それなり」って、具体的に何人?
いくらなんでも、当時に1000人も乗れるような船は作れないよな?
いずれにしても、数十人程度が乗れる船だと考えたなら、
そのレベルの船は、どれほどの人数、どれほどの面積を支配する国じゃないと
建造できなかったの?
519名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:32:01 ID:GMCD7RwzO
>>515
「かなり」とか「それなり」とか、そんな曖昧な表現で反論しても意味なくね?
九州の一地方を治める程度の国では「それなり」の国力はなかったという根拠を示さねば。
520名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:33:46 ID:6QBnqzdr0
古代船なみはや
ttp://www.jikukan.or.jp/nani/img/02/ph03.jpg

古墳時代でも大体この程度の規模の舟
521名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:34:33 ID:uhWUfxgBP
>>516
水行10日というのはどう考えても瀬戸内海。
大陸の人にすれば瀬戸内海はまさに水路。10日という日数も畿内へ向かうのに妥当。
522名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:41:32 ID:GMCD7RwzO
>>521
でも、畿内は九州から南に進んでも着かないし。
523名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:42:29 ID:F5MVYixB0
>>522
だからその方角が怪しいんだな
524名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:43:13 ID:dU5ej3a70
>>521
俺もその意見には賛同するよ。
そして投馬国は吉備地方ではないかと思うんだ。
525名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:45:02 ID:F5MVYixB0
方角が仮に正しくても
魏志倭人伝の指し示す邪馬台国は
九州のはるか南、海の上になる
ここで方角の矛盾が出てくる
526名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:45:53 ID:ePLLgnaD0
卑弥呼のゆるきゃらでも作って九州弁しゃべらせて浸透させりゃいいんじゃね
527名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:46:24 ID:GMCD7RwzO
>>520
方向が怪しいなら、距離も相当怪しいんじゃないか?
528名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:49:39 ID:r+LO6ECQP
まだ言ってたのか
しつこいなぁ
529名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:49:43 ID:YUAJRYhx0
九州内の方角も60度ほど実際の方角と違うのでは?
530名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:53:07 ID:g0LhEbYNO
倭が九州じゃなく、沖縄や台湾だったら笑えるよな。

531名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:55:15 ID:wgyQwpTr0
近畿説の奴らはしっかりと歴史検証せずに
自分の願望だけで歴史はこうであったに違いないって考えてるからな
和気清麻呂が何故宇佐八幡宮に神託を確認しに行ったかを分かってない
532名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:55:49 ID:XADLhK2x0
九州説だろうが畿内説だろうが今のところどちらも決定的なものがないけど
今回のマキムクはかなりな判断材料になるはず
出てくれば最有力だし
逆に遺物が出てこなかったり魏との関連性がなかったりしたら畿内説が苦しくなる
あれだけの規模の国で物証ないならかなりマズイ
533名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:57:57 ID:2OI9Ov+80
俺の持論では
卑弥呼は二人いたんだよ
534名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 16:58:34 ID:GMCD7RwzO
>>531
>和気清麻呂が何故宇佐八幡宮に神託を確認しに行ったかを分かってない

なぜなの?
535名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:01:00 ID:TjaGvD1L0
>>361今年は皇紀2669年だってさっき神社行ったら書いてあった
536名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:03:09 ID:TjaGvD1L0
>>516だからカラ出張なんだって
537名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:03:25 ID:jrrEQj+50
当時は新羅から九州北部を経由せずに出雲に渡る航路があったから
畿内に行くなら普通に出雲ルートを選ぶはず。

538名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:05:27 ID:2OI9Ov+80
ナの国とか言えばダンバインっぽくなるな
539名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:08:16 ID:lGCBfu6a0
>>537
どう考えたって、対馬、壱岐伝いに行くよ。普通の人は。
そんなに、出雲〜半島ルートが気楽なルートなら、
その後だって使う。

軍事的緊張など、よほどの理由がなければ、外海を直接押し渡るルートは取らない。
後の遣唐使船のように。
540名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:08:55 ID:GMCD7RwzO
>>537
>畿内に行くなら普通に出雲ルートを選ぶはず
先月、オバマ大統領は、日本 → シンガポール → 中国 → 韓国というルートで
アジアを訪問したけど、ワシントンDCからソウルに行くなら、普通にソウル直行便を選ぶはず。
541名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:11:18 ID:F5MVYixB0
巻向→崇神天皇→四道将軍→広開土王碑文→倭の五王

流れ的に問題ないな
542名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:12:39 ID:TjaGvD1L0
>>540日数がやたらとかかるのは危険を感じてたからだね
543名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:14:17 ID:L/H4pfrHO
方向と距離は適当だろ
544名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:15:16 ID:F5MVYixB0
天皇略系図(初代 - 第10代)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2:Emperor_family_tree_of_Japan_1-10_(ja).svg

倭迹迹日百襲媛命が卑弥呼ですね
545名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:16:14 ID:FhtRX1qeP
>>537
ttp://www.jikukan.or.jp/nani/img/02/ph03.jpg
↑こういう船で海を渡るんだから、できるだけ陸から離れたくないよ。
対馬→壱岐→九州というルートなら、全行程で陸が見えるけど、
出雲に行くルートだと四方が全て水平線になる。
なぜわざわそんなリスキーなルートを使うんだ?
546名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:17:26 ID:GguLom7xO
めんどくさいから邪馬台国はインドネシアで決まりな。
547名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:18:20 ID:FKw/USJFO
高島忠夫
548名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:19:21 ID:TrhTa1nUO


卑弥呼的なのがもう一人いたか、卑弥呼の別荘が日本のあちこちにあっただけかも。

549名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:20:18 ID:kDhV+ypJO
九州説のヤツ、もうつんでるんだから諦めろよ
550名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:20:27 ID:XckceZqv0
もう択捉にあったことにしようぜ
551名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:25:14 ID:F5MVYixB0
598 :日本@名無史さん:2009/11/19(木) 11:20:09
倭の五王武(=雄略)の宋に宛てた上表文(5世紀)
「我が封じられた領土は遠く、外に藩を作ってきた。先祖より武力闘争し、山川を越え、休まなかった。
東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、渡り、北の九十五國を平定した。道は百済を経て,船も使い、ゆくも高句麗に難渋した云々。」

>東は毛人五十國を征し、西は衆夷六十六國を服し、

この部分は四道将軍だな
552名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:26:45 ID:8wtvFDH7P
箸墓古墳はあぶみが出土してるから間違いなく三世紀後半以降
まったく卑弥呼の時代とあわない
553名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:27:27 ID:FhtRX1qeP
>>546
俺は、邪馬台国=ジャマイカ説を支持する。
でも、インドネシア説も捨てきれない。
ジャワティーと邪馬台は音が似ているもんな。
554名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:29:12 ID:4qNzqN+ZO
>>545
人類は何千年、何万年も昔にもっとボロい船で世界中の海を渡ってますが?
555名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:30:20 ID:Bb2ha91k0
俺九州出身だけど、 どうでもいいやい。
556名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:30:21 ID:mIMzBgZj0
佐賀女子短大じゃ説得力がない
想像だけどすっごい馬鹿しか行かなそう
557名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:31:01 ID:lGCBfu6a0
>>554
大帝国のお偉い官僚が…?
558名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:35:14 ID:8WgZ3FVwO
>>552
邪馬台国には馬がいなかったんだっけ?
559名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:35:18 ID:vZi3zfCD0
>>553
邪馬壱国って知ってる?
560名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:35:29 ID:4qNzqN+ZO
>>557
本当に偉い奴は渡航なんかしねーよwww

ただ俺も邪馬台国は九州しか有り得ないとは思う

しかし邪馬台国が日本人の国とは思っていない
561名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:37:31 ID:7XQkmbrM0
別にどっちにあってもどうでもいいんだけど、
九州説を唱える人は九州の人しかいないからどうも胡散臭い。
562名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:40:41 ID:HKEHCOCjO
いいじゃん
邪馬台国九州出張所がありましたってことで
563名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:41:10 ID:ikPajqBo0
なぜ「ムー大陸でも成立する」と言わないのか
564名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:41:18 ID:fWGjYxeO0
>>375
魏志倭人伝に拠らなくても、つい最近である江戸時代まで
日本にはいくつもの国があった
565名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:41:59 ID:FhtRX1qeP
>>554
>人類は何千年、何万年も昔にもっとボロい船で世界中の海を渡ってますが?
一か八かの命がけの航海でな。

無事に魏に帰国してもらわなければならない魏の使者を、わざわざ一か八かの命がけの
航海に連れて行く理由がわからない。
オバマ大統領が来日する時だって、技術的には有人ロケットを使用すれば、1時間くらいで
日本に到着できるはず。何十年も前から宇宙飛行した人もたくさんいる。
でも、わざわざ飛行機で十数時間もかけて来日しているよ。
566名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:42:46 ID:dVR71qMY0
>>361
皇紀2669年とかほざいても、その半分くらいは日本は文字も持たない土人の住む島だったんだから
しょうがない。
567名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:42:47 ID:LBA9GtPL0
>>373
そのとおり。
邪馬台国と無理やり繋げるのがおかしいんだよ。

マキムク遺跡単体で価値がある。
大和朝廷へと発展する貴重な遺跡だ。
568名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:43:18 ID:fWGjYxeO0
>>398
英吉利の字を充てたのは日本じゃないの?
569名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:46:01 ID:t3cMIlKv0
日王の系譜に繋がる、韓半島/中国の奴隷国家の酋長の帰属を巡って争うとは・・・
日本人のDNAに染みついた韓民族への奴隷根性、ご奉仕の精神はそう簡単には抜けないようですねw
570名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:46:26 ID:5RwtoG0E0
邪馬台国が大和朝廷になったって考えばっかだけど
実際にそういう証拠ってあんの?
571名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:46:27 ID:LBA9GtPL0
>>393
>この時代はとりあえず中心が畿内に移っているっぽい。

ここが問題。

「国の中心」というには、畿内から九州にかけて、
「同じ国」になっていることが、前提として必要になる。
そんな前提を示すものはない。
力の大きさが異なる別の国がそれぞれあったことを否定できないだろ。

畿内説は常にこの前提の証明を端折ってるんだよ。
その土地の土器が出ただけで、そこは征服済みと言い始める。
有りえないだろ。
572名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:47:27 ID:6QBnqzdr0
まぁ稲の伝播みたく長江流域から直接黒潮に乗って来るのは
命がけの航海だわな。逆行はまず無理
573名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:48:27 ID:dVR71qMY0
>>570
邪馬台国は普通に考えれば、ヤマト国の当て字だからな。
関連があると考えるのが普通。
574名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:49:53 ID:FhtRX1qeP
>>559
知ってるよ十数年前に潰れた証券会社でしょ?
575名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:50:58 ID:lFWc1EY+0
>>571

畿内が他を征服したのではなく、他の国同士が交易するために畿内に集まってきたということだよ。
そして、畿内で、連合国を組んで、大王を立てたのが、畿内王権の始まり。
九州も畿内連合に参加してるのは明らかなので、
邪馬台国が九州だとして単独で魏と外交するのは不自然。
できたとしても、魏が知らないわけがなく、魏志倭人伝には畿内王権のことが記述されるはず。
それは、「海を渡ると倭人がいる」程度の記述ではすまない。
576名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:51:46 ID:u+X5dDSy0
隋書にはヤマト=魏書のヤマタイってはっきり書いてあるんだけどな
つまり7世紀には邪馬台国は畿内に有ったとする説が常識だった可能性が高い
577名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:52:29 ID:tEHnNC5y0
朝鮮半島で聞いたうわさ話をまとめた文書でなんで学者は騒いでいるの?
メシの種だから。
578名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:55:52 ID:XADLhK2x0
>>552
時代がどうかは置くとして
箸墓が卑弥呼の墓だとするとずっとそれが残ってきたわけだから
大和朝廷が邪馬台国を引き継いできたということになるね
だとしたら何らかの形で遺物や伝承を受け継いでるはずなんだよな
でも何もないんだよね
579名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:55:59 ID:2OI9Ov+80
ヤマタイが遷都したって事は考えられないだろうか?
580名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:57:10 ID:LBA9GtPL0
>>424
魏志倭人伝で隣の国まで100里くらいで書かれている。
韓国-対馬間や、対馬-壱岐間が1000里だ。

韓国-対馬の距離、対馬-壱岐間の距離は現代で言えば60-70kmくらい。
100里の6、7キロで隣の国があることになる。
当時の国は現在の市レベルの大きさじゃないか?
100国は九州で十分に入るだろ。

当時はまだその程度の大きさの国しかない。
それらを統属させていると自慢している邪馬台国。
畿内説は有りえないだろ。
581名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:58:09 ID:u2hfUdy9O
>>561
九州の(特に福岡)はないものねだりで負けず嫌いなんだよ。

ホークス、Jリーグチームとか東京や大阪にある物を欲しがる県民性。


582名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:59:20 ID:LBA9GtPL0
>>440
>これは広域連合の明らかな証拠じゃないか

交易品や外交関係における貢物の可能性がなぜ排除されるんだ?
ある程度の力の強さは示しても、政治的支配関係の証明には必ずしもならないだろ。
583名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 17:59:27 ID:6QBnqzdr0
>>579
神武東征伝説がどこまで真実かはわからんけど、
九州出身の勢力が瀬戸内海を移動し、近畿勢力と協力して
畿内入りした可能性はある
それがあったとしても、もちろん魏志の卑弥呼時代より前の話
584名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:00:16 ID:rw7REneL0
邪馬台国は奈良だよ。俺前世卑弥呼やったから。
585三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/30(月) 18:00:22 ID:ELNbZo93O
>>570
確定させるだけの証拠はないよ。
ただし邪馬台国の時代にはすでに畿内に大和朝廷またはその前身となる勢力があった事は纏向遺跡から伺える。
邪馬台国が大和国を指すのか日本全体を指すのか地方の豪族を指すのかがまではわからないんだよね。
586名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:01:28 ID:r6Mg4F/V0
邪馬台国九州説は韓国から九州を略奪した土人が言い出した妄言 九州から近畿まで支配してたなんて土人には絶対不可能 倭国=日本の領土は本州だけだった 九州は本来韓国領土で九州人は韓国人の子孫
587名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:03:41 ID:u+X5dDSy0
魏を引き継いだ晋書には邪馬台国は東倭であるとも記載してあるんだよな
つまり倭国の領域の東寄りにあったと考えるのが自然
588名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:03:48 ID:hV0EWmMUO
>>537
海流を利用すれば本州に漂着するからね。
今でも半島からの漂着物が多いし。

倭国大乱時には瀬戸内ルートが使えないはずだから、
出雲ルートは重要で、丹波に鉄が多い点からも証拠になるな。
589名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:04:03 ID:FhtRX1qeP
>>578
>何らかの形で遺物や伝承を受け継いでるはずなんだよな
>でも何もないんだよね
単に魏志倭人伝に書かれた「卑弥呼」という呼称を受け継いでいない
だけかもしれない。
もしかしたら、神功皇后として、あるいは天照大神として受け継がれて
いるのかもしれない。
なんせ、時代的にはかなり下った倭の五王がそれぞれ誰なのかだって
わかってないくらいだからね。
590名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:04:24 ID:TegD4AsU0
>>471
鎧はどの時代にそこに埋まったか不明だから鎧より古いものが出たら根拠にならんだろう
まあ発掘待ちじゃね?
九州には単に交易拠点が在っただけでは?
でなければ奈良じゃなく九州に遺物が集中してないとおかしい
最終的に奈良で出るものが多いとすれば、中央が奈良なので
九州から入って全部最期は奈良の卑弥呼の元に行ったという気がする
591名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:05:30 ID:YPcjU1jr0
九州派もう諦めろよ
592名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:07:11 ID:inyyB86DO
普通に考えて近畿だよな。
593名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:07:45 ID:LBA9GtPL0
>>575
>邪馬台国が九州だとして単独で魏と外交するのは不自然。

意味がわからない。
当時、既に広域連合とやらが完成していない限り、
九州と畿内はそれぞれ別の国だぞ。
畿内の国の規模さえわからないじゃないか。

各地の物が出てきただけでは、広域連合の証明になってないだろ。
畿内説は「既に広域連合があった」という前提の証明を端折りすぎなんだよ。
594名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:07:49 ID:hV0EWmMUO
>>580
戸数の問題があるから九州説は無理ですよ。
595名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:09:51 ID:8RmHh7oY0
>>586
韓国なんて存在すらしてませんよw

日本と中国に王族を人質に差し出していた朝鮮人には無理
596名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:10:35 ID:OJPJoe0n0
だから耶馬渓の語源ってどこから来てるんだ、教えろ
597名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:10:36 ID:LBA9GtPL0
>>575
>それは、「海を渡ると倭人がいる」程度の記述ではすまない。

邪馬台国が自分から使者を送って、招待してきてるのに、
九州内のことも詳しくわかってないんだぞ。

瀬戸内海を越えて、畿内にある国のことなんか
把握できていなくて当たり前だろ。

畿内のことをそんなに詳しく把握できる程の情報収集能力があれば、
九州について、あんな記述にならないよ。
598名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:11:05 ID:+qFvZUniO
九州なんて日本じゃない
日本は本州だけだ
599名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:11:57 ID:6QBnqzdr0
>>596
頼山陽さんが江戸時代に命名しました
600名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:12:07 ID:hV0EWmMUO
>>595
大体倭人がこの時代に半島南部を支配していた事は、
各文献資料からも確実視されてるしな。
601名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:12:27 ID:yLXtjoOr0
関係者から聞いたことあるけどさ、

こういう古代史の起源関係って、一般素人が想像できない
バトル的なものらしい。

奈良でも九州でも、どちらでも真実であればどっちでもいいと
思うが、政局みたいに争ってるとか。

歴史の事実を、めんつを守るための政局にしないでほしいよなー。
602名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:13:17 ID:OJPJoe0n0
>>599
あ、そうなの?邪馬台国とはなんの関係もないの?
603名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:13:49 ID:u+X5dDSy0
>>593
1世紀なら遺構等から北九州に大きな国があったことは見て取れるけど
(漢に使者を送っていたのはこの勢力だろう)
卑弥呼の時代である3世紀には何も出てこないんだよな
604名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:14:11 ID:kwe8P3jB0
この間の世界ふしぎ発見見てたけど
「九州説」なんて鼻にも引っ掛かってなかったぞw
畿内説だけで充分、魏志倭人伝を解釈出来る
だいたい弥生時代から大和朝廷が誕生するまでの間だけに
九州でそんな巨大な国が栄えてたってのが最初から無理ある
邪馬台国の国民はどこに消えたんだよ?
マヤ人じゃあるまいし
605名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:14:49 ID:FhtRX1qeP
>>580
都市国家のようなものだとしたら、国境と国境は接していないのが普通。
日本のほとんどの地域は、それぞれ独立した数十人クラスの「集落」が数多く点在していて、
国家といえるほどの数千人〜数万人を支配する「国」は、その中に島のように存在していた
とも考えられる。
606名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:17:24 ID:hV0EWmMUO
>>601
九州説の先生でね、
「畿内で無ければ出雲でも何処でもいい」
とまで言った人がいるんだよ。
607名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:18:20 ID:LBA9GtPL0
>>604
魏志倭人伝にあるとおり、
邪馬台国連合は卑弥呼が死んだらすぐに崩壊するような国だぞ。
壹與を立ててやっと収まったが、それがどこまでもつのやら。

マキムク遺跡を見てもわかるとおり、
力を蓄えた大和朝廷がその後、十分に征服できるだろ。
608名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:19:08 ID:LrjrTEH/O
そんな名前のAV女優もいたな
609名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:21:49 ID:FhtRX1qeP
>>588
一方的に朝鮮から日本に来るだけであれば、そうかもしれないけど、
交易や朝貢となれば、往来しなきゃならない。
朝鮮から出雲に来るのは風に乗っても、海流に乗っても可能だけど、
逆方向は簡単ではないよ。
来るだけじゃなくて、行くこともできないと意味がないよ。
610名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:22:28 ID:YPcjU1jr0
ふしぎ発見はよくわからなかった
611名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:24:11 ID:6QBnqzdr0
>>604
1世紀ごろは奴国が漢に使者を出したりしてかなり栄えていたし、
九州もかなり力を持っていたことは確かだよ
大和王権になっても後筑紫国造の磐井の一族は大きな力を持っていたようだし、
宮崎には仁徳の助っ人諸県君一族もいた。
612名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:35:37 ID:lvN90bBx0
まあ爺さんは何言っても聞かんからなw
613名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:35:50 ID:LBA9GtPL0
「これが女王の領域内のすべてである」として挙げられたクニの数は21。

これで畿内から北九州まで埋めるとしたら、
一つのクニが裁定でも都道府県の半分くらいの
大きさになってしまうじゃないか。

畿内説の人は、3世紀の段階で、一つのクニが
そんな大きさがあったと本気で信じているのか?

そもそも、倭人伝の記述では、隣のクニまでの距離が100里+だ。
>>580のように、対馬-壱岐間1000里と考えると、100里は6,7キロ。
5倍の30キロ間だとしても、縦4カ国、横5カ国で120キロ×150キロ。
21カ国ではやっと九州が埋まるくらいだろ…。
614名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:38:15 ID:FhtRX1qeP
>>604
>マヤ人じゃあるまいし
逆に、マヤ人の例もあるように、連合都市国家を支えた人々が雲散霧消するのは
珍しいことではない。

>弥生時代から大和朝廷が誕生するまでの間だけに
大和朝廷が成立してからも、十分栄えていたと思うぞ。
そうでなかれば、九州に「遠の朝廷(とおのみがど)」などと呼ばれる行政機関があることが説明できない。
615名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:46:26 ID:FhtRX1qeP
>>613
>一つのクニが裁定でも都道府県の半分くらいの大きさになってしまうじゃないか。
都道府県とか律令制下の国程度の面積に1つくらいの割合で都市国家が存在していた
可能性は高いと思うよ。
都市国家が実効支配しているのは、現在の市町村レベルの地域だけで、
それ以外のほとんどの地域は何れからも実効支配は受けていない集落が
点在している状態だったかもしれない。
実際に、ギリシア時代のバルカン半島やアナトリア半島の都市国家を考えても、
日本の都道府県くらいの広さの地域ごとに勢力の大きな都市国家があったが、
都市国家が実効支配していたのは都市周辺だけで、それ以外の地域は現実には
都市国家からの支配を受けていない独立集落が点在していたことがわかっている。
616名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:47:33 ID:L/H4pfrHO
>>613

今の日本のように開けてるわけないだろ

国≒都市だろ
617名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:51:32 ID:LBA9GtPL0
>>615
>都道府県とか律令制下の国程度の面積に1つくらいの割合で
>都市国家が存在していた可能性は高いと思うよ。

無理やりそういうことにしようとしても、
同じ倭人伝内の隣のクニまでの距離と矛盾するよ。

違う時代の、違う発展度の、他の国の例を、
無理やり引っ張ってきても意味ないでしょ。

倭人伝において、陸路によって記述されている
隣のクニまでの距離は、100里‐500里だよ。
618名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:53:44 ID:LBA9GtPL0
>>616
では、3世紀の段階で、一つの都市が、
都道府県の半分を治め得ており、
その中に他のクニ=都市は存在しなかったというのか?

魏志倭人伝では、100里‐500里の距離で、
隣のクニ=都市が存在すると書かれているんだよ。
619名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:54:34 ID:OPitAXSc0
>>1

こいつら朝鮮人の血が濃いんだろうな。
どうみても邪馬台国の血は流れていないよ。
620名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 18:57:16 ID:L/H4pfrHO
>>618

県の半分を締めていない

勢力内は大部分の空白地と、都市=国
621名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:00:10 ID:2IYagryK0
地域=国 だ。

さらに言うなら同族遺伝子=国
外来者が来ると女がファックして遺伝子多様性を増やそうとする集団。
622名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:01:23 ID:LBA9GtPL0
>>620
いや、県の半分の土地にクニが一つしかなかったと本気で思っているのか?
そんなにまばらなら、開拓すべき余剰地だらけで係争にならんだろ…。

仮にそう仮定しようとしても、
倭人伝内のクニの間の距離:100里−500里と矛盾するだろ。
623名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:01:49 ID:u+X5dDSy0
晋書を合わせ読むとわかりやすいんだけどな
台与が送った使者が前方後円墳を作ったと晋に報告している
そしてその晋書では邪馬台国の位置を倭国の東側と表現している
魏志にしても
「倭人在帶方東南大海之中 依山島爲國邑 舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國」
とあるとおり100以上あった国が今では30になったとあることから
吉野ヶ里のような都市国家が統合されてもっと大きな国になっていると推測される
624名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:02:48 ID:FhtRX1qeP
>>617
魏志倭人伝には、九州の各国が100〜500里で連続している記述と、
うって変わって、「南水行二十日で投馬国に至る」「南に邪馬壹国の女王の都に至るには水行十日陸行一月」
という表現のまったく異なる記述がうかがえる。
九州にあるというなら、なぜ末廬国や伊都国と連続したような、表現しなかったのか?
わざわざ表現を変えて記述しているのは、連続していない場所と考えるのが自然とも言える。
625名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:06:57 ID:L/H4pfrHO
>>622

いや、県の半分に都市=国が1つ、2つは妥当だろ?
当時の人口から考えて
626名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:08:12 ID:H+24jOIDO
つまり、カエサルはスゴいんだな。
627名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:08:24 ID:LBA9GtPL0
>>624
クニの大きさ、クニの間の距離の話から、
話題がいきなり変わるんだな…。

総距離12000里から途中までの距離をひいていけば、
ちゃんと邪馬台国までの距離を理解できるように書いてあるよ。
現代では解釈が難しいけどね。

水行・陸行は日程であって、実際に使者が要した日程なのか、
距離を示すような日程なのか、帯方郡からの総日程なのか、
どんな日程なのか、解釈はわからんでしょ。
628名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:08:25 ID:FhtRX1qeP
>>622
>開拓すべき余剰地だらけで係争にならんだろ…。
別に未開の土地じゃないよ。
そこで生活を営んでいる人は存在するが、都市国家、あるいは律令制の国府の
実効支配が及んでいない土地が多かっただけ。
律令制の初期にだって、現実に統治できていたのは、点と線だけ。
平安時代や鎌倉時代にだって、国府や守護地頭の支配が及んでいない土地が結構あった。
629名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:09:28 ID:dvjEE7vU0
( ‘д‘)y-~~<こうだよ

卑弥呼の時代の倭国の首都=北九州
豊の時代の邪馬台国の首都=大和
魏志までに分かっていた和国=当然北九州が首都だった
鎮守が倭人伝を編纂したのは285年
豊=大和の邪馬台国が朝貢したのは、270年前後
大和の邪馬台国が首都は大和だと主張する
鎮守の編纂時にも当然遷都したのが分かっていたが、実際の場所=大和がどこなのか中国側には記録が無い
結局豊の使節が言う通りの倭国首都への道のりをそのまま記述した
630名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:10:33 ID:LBA9GtPL0
>>625
そんなにまばらなだとしたら、
魏志倭人伝の通り、隣のクニまで100里でいけるわけがない。
631名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:12:41 ID:LBA9GtPL0
>>628
だから、その点の間の距離は、平安時代や鎌倉時代だって、
都道府県に二つしかない、なんてもんじゃなかっただろ。

だいたい、なぜ倭人伝に明記された
隣のクニまでの距離を見てみないフリをするんだ?
632名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:13:29 ID:4qF5fa0x0
佐賀の教授が言っても説得力ねえよ
633名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:14:44 ID:FhtRX1qeP
>>627
それまでは、
「東南に陸行五百里で伊都国。東南に百里で奴国。東に百里で不弥国」という書き方なのに、
「南にxxx里で投馬国。南にxxx里で女王のいる邪馬台国」にしなかったのはなぜなの?
なぜ連続性がない書き方にしているの?
634名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:15:20 ID:PajVjVQ40
一方奈良県はJRと組んで、卑弥呼絡みかどうかは知らないが、巻向沿線のJR桜井線の愛称を募集している
卑弥呼路線なんて名前が付いたら九州説の方はどれだけ顔真っ赤にして怒るだろうか面白そうだ。
635名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:15:44 ID:LBA9GtPL0
>>633
新たな質問をかぶせる前に、明記された隣のクニまでの距離をどう考えるの?
いきなり、話題を変えても仕方ないでしょ。
636名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:16:53 ID:FhtRX1qeP
>>631
>都道府県に二つしかない、なんてもんじゃなかっただろ。
国府は都道府県に二つくらいでしょ?
637名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:20:13 ID:FhtRX1qeP
>>635
末廬国、伊都国、奴国などは数百里程度の距離をおいて存在していたんじゃないのか?
山陰や山陽や畿内の国は、もっと間隔をおいて存在したんじゃないのか?
638名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:20:20 ID:r6Mg4F/V0
  ∧_∧
  ( ´∀` ) < 九州厨は涙拭けよ
  / ,   ヽ      ネットで間違った情報読んでないで
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄       TVや新聞で最新の情報読めば畿内説を理解できる
  |\`、: i'、 外に出て現実を見ろ
  \ \`_',..-i
   \.!_,..-┘
639名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:21:07 ID:u+X5dDSy0
>>635
魏志には九州各国までの距離と平壌付近から女王国の外れまでの距離は明記してあるけど
女王国の首都がある邪馬台国までの距離はどこにも書いてないよ
640名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:21:16 ID:LBA9GtPL0
>>636
統一国家として整備して、整理統合されれば、「国府」ならそうなるね。
それが3世紀の段階でできていたと本気で考えているのが不思議だ。
そう考えるために、倭人伝に書かれた隣のクニまでの距離さえ無視する必要もある。

無茶苦茶でしょ。
641名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:23:25 ID:LBA9GtPL0
>>639
途中の国までの距離を、女王国までの総距離からひけばわかるじゃないか。
当時の漢文読みには理解可能だっただろ。
642名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:26:34 ID:LBA9GtPL0
>>637
そんな風に、畿内説だと、
九州北部だけたまたま距離が近かったんだよ、
と言い出すことになるよね。

先に畿内に邪馬台国があると結論付け、
それから、結論からさかのぼって、
史料の内容を曲げていかないと畿内説にならないんだよ。

史料から結論を探るのではなく、結論から史料の都合をつける
その姿勢が無茶苦茶だと思わんのか?
643名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:28:58 ID:FhtRX1qeP
>>640
国府は大都市を選んで置いたんだよ。
でも、国府を置く前にその大都市にいた支配者が、律令制の国に相当する地域を
面的に支配していたわけではないよ。国府が実効支配できていたのは、
国全体の面積からみれば極わずか。それ以外の地域は豪族が支配していたり、
独立した集落だったりで、中央が実効支配していたわけじゃない。
律令制が確立した以降でもまだ、鎌倉時代〜室町時代くらいまでは、
守護や地頭も面的には支配できていなかったからね。
644名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:29:34 ID:u+X5dDSy0
>>641
魏志を読めばわかるけど
女王国(二十数カ国連合)と邪馬台国(首都のある国)はあえて別々に表記してある
つまり女王国までの距離≠邪馬台国までの距離ってこと
つまり記載してある〜里というのは邪馬台国までの距離へは一切触れていない
645名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:34:06 ID:F5MVYixB0
崇神天皇、四道将軍が
状況証拠(記紀の記述に裏づけ)から実際にいたことが明らかになってきた以上
倭迹迹日百襲媛命の巫女的な位置づけも(記紀に記述あり)
ますます卑弥呼と重なってくるな
646名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:34:35 ID:kxkvcveH0
>>642
で、九州のどこなの?
どこが邪馬台国なの?
647名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:36:24 ID:FhtRX1qeP
>>642
>九州北部だけたまたま距離が近かったんだよ、
>と言い出すことになるよね。
全然不思議はないよ。
現在の日本だって、首都圏や京阪神圏のような大都会圏では
踵を接して県庁所在地並の大都市が集中しているよね?
大都市圏以外の地域は、大都市はまばらにしか存在しない。
ヨーロッパでも、ローマが都を置いたイタリアにはフィレンツェ、ベネチア、
ミラノ、ナポリ、ジェノバ、ピサなどの都市国家が林立しているけど、
フランス、ドイツなどにはそういう都市国家の林立はなかった。
日本全国に一様な分布で都市が存在したと言い張る方が不自然だよ。
九州説のためにする論法としか言いようがない。
648名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:37:10 ID:kxkvcveH0
>>642
けど、隋書にはヤマト=ヤマタイって書いてあるんだけど
そこらへんの史料は都合よく嘘だと思うんだろw
649名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:39:37 ID:fRFQLba1O
だから九州の耶馬渓だ!って言ってんだろ!
宇佐神宮は神様が姫狐。
近くの豊後高田には世界一のストーンサークルもある。
650名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:41:08 ID:l0vRDQyl0

中国人が適当なせいで、日本の歴史は不明です。

中国人が適当なのは昔からです。
651名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:42:26 ID:Fhg09UDA0
実際は卑弥呼なんて居なかったんじゃねーの?

昔の中国人が適当にでっち上げて、贈り物は適当に懐に入れちゃってたとか。
652名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:43:01 ID:CDw1TXMS0
天皇も九州だしねぇ。
金印出てるし、大陸とやり取りするにも近くて便利だしねぇ。
九州の方が自然だと思うけど本当はどんなんだろ。
ミステリーのままでも良いな。

宮崎の西都古墳群の一部は宮内庁の管轄で入れないんだよねぇ
広大な土地をしめ縄みたいなのでぐるっと囲んであるんだけど
あの中は一体何があるんだろう…気になる。
653名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:45:01 ID:dzFgTQ/pO
やっと仕事から帰ってきたφ(・_・)メモメモ
いやこのスレ勉強になる
654名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:45:50 ID:l0vRDQyl0
邪馬台国には、女王がいる。
その名は卑弥呼。

…というのはいいんだが、他に男王の記述もあるのに、
なんでそれは公に取り上げられないんだろうね。
それが不思議。
655名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:47:41 ID:+K8t+BlIO
>>1 
あぁ、大学の側にある無駄な建物の学長か 

佐賀大すらいけない学力で短大行って何するんだろ?っていつも思うわ
656名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:48:27 ID:iEpSiYfc0
>>420
今どきの地方の大学は地域との連携協力を謳い文句にするんだよな

>>568
日本人が「英」なんて当てるかな
「伊義利須」とかになるだろ
仏蘭西、露西亜、和蘭陀、みんな中国人の当て方だ
657名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:48:44 ID:J4vCZJaQO
もう無理だろw 馬鹿か?
658名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:49:38 ID:CDw1TXMS0
>>341
>九州も朝鮮民族。

九州は縄文人だよ。半島の人とは顔立ちがまるで違う。
659名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:53:13 ID:1wMf5Qqq0
もう何と言えば
660名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:54:03 ID:FhtRX1qeP
>>641
>途中の国までの距離を、女王国までの総距離からひけばわかるじゃないか。
だったら、具体的な計算式を書いてみてよ。
南水行二十日の距離の投馬国は、不弥国から何里の距離にあるの?
南水行十日陸行一月の邪馬台国は、不弥国から何里の距離にあるの?
661名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:54:47 ID:F5MVYixB0
>>658
隼人の末裔だからな

隼人
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%BC%E4%BA%BA
言語・文化に関しては、他の地方と大きく異なっていたとされる。
特に畿内では、彼らの歌舞による「隼人舞」が有名であった。
また平城宮跡では彼らが使ったとされる「隼人楯」が発掘されており、これには独特の逆S字形文様が描かれている。
662名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:56:26 ID:RGvgJJj/O
どっちでもいいよ
663名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:57:02 ID:Mc2Svpun0
卑弥呼の時代に近畿のわけないさ。
あの時代、大規模な王国があったとすれば九州しかありえない。
664名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:57:08 ID:9T2BP8DV0
69歳か

まぁ自分が死ぬまでにメンツが保てればいいという作戦だろな。
665名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 19:59:08 ID:F5MVYixB0
522 :日本@名無史さん:2009/11/27(金) 15:24:50
7世紀のヤマト王権の勢力図
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yamato_ja.png

南九州の熊襲・隼人と東北の蝦夷は
↑この時代になっても大和政権の支配をまのがれてたし
666名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:00:46 ID:ngnxQkWH0
蝦夷が邪馬台国だったんじゃね?
667名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:03:24 ID:l0vRDQyl0
倭奴国王→奴国王?
「倭奴国王」の金印を貰ってる。

倭国王帥升→面土国王師升
金印も銀印も貰ってない。

邪馬台国の女王→卑弥呼
「親魏倭王」の金印を貰ってる。
668名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:03:54 ID:sCD35qwZ0
邪馬台国は四国・徳島だよ。
669名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:04:17 ID:LvVi7qcB0
倭国=九州
で、白村江海戦で筑紫君が捕虜になってるから、ここで倭国滅亡

大和朝廷=近畿

ってことにしておかないと、白村江の海戦の敗戦後、唐・新羅連合軍の進駐軍が
倭国にきてるわけで、大和朝廷は進駐軍に犯され尽くされてることになるんじゃね?
670名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:05:05 ID:LvVi7qcB0
>>13
宝当神社がある。
671名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:05:34 ID:ngnxQkWH0
大体畑から金印が出土ってありえねえし
672名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:05:58 ID:pT2l49Mg0
もうええっちゅうねん

晩年になって暖かい九州に移り住んだとか、ちょろっと行ったことがあるとか
そんなんでいいじゃん
673名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:05:58 ID:IcNLkN/uO
卑弥呼なら俺の横で寝てるよ
674名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:06:09 ID:iEpSiYfc0
>>644
「女王国」と「女王」は区別して表記してあるな

>>641
魏の天文学がもしも非常に発達していたとしたらだけど
総距離12000里というのは直線距離かもしれない
そうでなければ末盧国までで10000里以上使い果たしていて
九州北部で止まってしまう
20日+10日+1月かける理由がわからない
675名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:06:15 ID:LvVi7qcB0
>>651
卑弥呼=ヒメミコって説があるんだが
676名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:06:35 ID:GMCD7RwzO
>>663
>あの時代、大規模な王国があったとすれば九州しかありえない。
現実に纒向遺跡が存在するのに、ありえないと言われても困るよ。
むしろ、中国地方や畿内に存在するような大規模集落や大規模古墳は九州には存在しない。
大規模な王国があったとすれば、畿内や中国地方であって、九州にあったとするのは無理がある。
677名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:07:07 ID:LvVi7qcB0
>>642
>>644
>>648
福岡県に山門(やまと)郡ってあるんだけどw
678名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:07:36 ID:LvVi7qcB0
>>676
じゃあ、吉野ヶ里遺跡は?
679名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:08:00 ID:4Wg6O8RrO


なんか落武者化してるな

680名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:08:15 ID:oFHPvXwF0
今日の
「なこたあない」
681名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:08:35 ID:ngnxQkWH0
卑弥呼なんざエジプト太陽信仰のパクリだろ
682名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:10:21 ID:F5MVYixB0
東遷説があるけど
九州人と畿内人の顔立ちが違う件

日向からの3世紀神武東遷説も
当時は崇神天皇がいて時代が合わないし
日向は隼人の支配地だったはずw
683名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:12:56 ID:WCeVmyywO
幣立神宮のある山都町がヒント

山にある都→ヤマト
684名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:14:52 ID:JusYSqLm0
九州を吸収する朝鮮の挑戦
685名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:15:48 ID:eBFydRrZ0
九州だったら中国や朝鮮半島の影響を受けてもっと漢字を使っていたと思うんだが?
686名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:18:38 ID:GMCD7RwzO
>>678
吉野ヶ里は、それまで大規模な弥生時代集落遺跡が見つからなかった九州で見つかった
比較的大規模な弥生遺跡だから注目されるけど、中国地方や畿内にあったら平凡な規模の弥生遺跡だよ。
687名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:20:23 ID:qy5RsUNXO
勿論自分で裏取りする必要はあるけど、このスレ、結構勉強になるなw
いや、マジで。
688名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:20:59 ID:dU5ej3a70
卑弥呼が死んだ時に大きな墳墓を作らせたらしいけど
九州に大きな墓の後とかあるのかな?
男女100人が殉死しているならかなり大きな墓だろうね。
689名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:23:06 ID:GMCD7RwzO
>>685
3世紀あたりだと、漢字なんて魏においてもまだまだ超最先端テクノロジーだから、
朝鮮でも使われていないよ。
690名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:25:50 ID:g7YKb82G0
ID:AO50o88o0
 ↑
関西のチョソなんだろうけど、必ずこの邪馬台国関係スレに現れては、
根拠薄弱な大妄想をがなり立ててるよな。。。  
チョソ系のこいつらのおかげで、近畿説が常に笑いものにされるのは当然だよなwww

16 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/30(月) 00:29:48 ID:AO50o88o0
学者レベルじゃあもう九州説は無理
このまえのまきむくで決着
在野の研究者レベルじゃあ、まだ1割くらい九州って言ってるやつがいるらしい
691名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:27:05 ID:kj5C/ydZ0
692名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:28:51 ID:kPna+Dsu0
>>13
関西のアレか?

関西なんて、佐賀がつくったものだらけだろwww ホント頭大丈夫なのか?www
693名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:31:28 ID:iEpSiYfc0
>>686
めさほ塚古墳はでかいんでないかい
694名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:32:38 ID:SAphcaCv0
>>691
でた、またそのお笑い歪曲記事かwww 佐賀新聞のお笑い記者 川崎久美子あたりがでっちあげたんだろ?

そのインチキ数値って、福岡からヤリマンが唐津や鳥栖で堕胎してるから、増えてるだけ。
福岡と佐賀は人口比が6対1もあるんだぞ

日本最強のヤリマン中絶王国の福岡のヤリマン度は最強。 
2008年(平成20年度)の厚生労働省のデータでも、日本でダントツ!


695名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:34:08 ID:hV0EWmMUO
>>609
そう、半島から山陰へ来るのは楽だが半島へ渡るのは大変だ。
だから交易、使節の為に伊都国がある訳だろ。

だから邪馬台国へは使いは来ていない。その為に行程が日数表示になって、
大雑把な記述しかされてないんだよ。投馬は丹波、邪馬台は大和で
行く時のルートが伝聞情報で書かれている。
696名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:35:43 ID:cHmolTRF0
>>690
ID:AO50o88o0の言う学者レベルって、関西の朝鮮系のネットワークか何かなw

畿内説の中心論者て、同志社とかの低学歴なんでしょ?

東大系ずらりの九州説の方が、だんぜん説得力があります。
697名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:36:07 ID:L/H4pfrHO
>>633
>>639

日本に来てからは伝聞だから
698名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:36:31 ID:GMCD7RwzO
>>693
なにそれ?
どのくらいあるの?
全長300mくらいあるのか?
699名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:38:33 ID:2mL+5K8H0
>>521
瀬戸内海程度じゃ10日もかからないよ
700名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:40:05 ID:wju70dnJO
古代史で「〜しかない」とか言うなよ、恥ずかしい
701名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:41:24 ID:L/H4pfrHO
>>699

どう考えても
『魏〜半島〜対馬までの距離と方向の正確さ』と
『日本についてからの距離と方向のいい加減さ』に差がありすぎる
702名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:41:42 ID:dU5ej3a70
>>693
教えてくれてありがとう。
でもそれ築造は5世紀前半みたいだね。
703名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:42:20 ID:oc7xtSHs0
当時の日本人は、みんな女王卑弥呼様に税金を取られていました。
女王国の南遠方にある狗奴国だけが税金を払いませんでした。
遠路遥々海を渡って税金を取りに行っても撃退されて帰ってきました。
女王国「狗奴国、おまえ日本語を話すから倭人だろ?倭人なら倭国に納税の義務がある」
狗奴国「日本語を話してもここは独立国だよ。帰れ!ベロベロ〜」

マキムク遺跡はどう見ても普通の家です。
奈良では今でも山一つが自宅の敷地というお家が普通にあります。
マキムクを卑弥呼と関連付け観光名所とする目的が見え見えです。
704名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:47:48 ID:ixVa1AEJO
大和や飛鳥のような不自然な読み方を考えると、
漢字が伝来する前の大昔の日本には
既にヤマト言葉があったんだろう。
漢字は当て字や漢語として使われつつ、
さらに後にその当て字が別の字に置き換えられたために
大和や飛鳥という書き方ができた。
だから、邪馬台国がヤマト国だと考えてもおかしくはない。
ただし大昔の事なので確証はないが。
705名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:50:19 ID:lFWc1EY+0
>>703

東西南北にそろえた家なので普通の家ではありませんね。

同じ時代で、東西南北にそろえた家で最大なのは、マキムクのものだけです。
706名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:54:47 ID:hV0EWmMUO
>>704
そのヤマト言葉で「巻向」とは「ヒガシムキ」という説があったんだが、
今度発掘された建造物が正に正面が「東向」なんだよ。
707名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:55:36 ID:FhtRX1qeP
>>699
江戸時代の朝鮮通信使も、博多から大阪までの瀬戸内海海路に6〜7日かかっていたよ。
古代なら10日くらいが妥当な線だよ。
708名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:56:10 ID:IPYWKDQp0
>>676
「あの時代」でイメージする邪馬台国とマキムクはなんか違うんだよな。
マキムクはもっと時代が新しい感じがする。
709名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:57:52 ID:lFWc1EY+0
>>708

それは勝手な「イメージ」だろ。
これからは、イメージを変えろ。

三内丸山遺跡は、縄文時代のイメージじゃないから、弥生時代のものだってか?
710名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:58:47 ID:86jNF55O0
佐賀にも大和町があるよな
711名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 20:59:54 ID:hV0EWmMUO
>>708
それは色んな先入観じゃないの?

今回の発見された建造物跡は結構異例で、向きもそうだが、
出雲大社との共通点がある等色々興味深いから。
712名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:02:16 ID:ZW2pyFzpO
>>710
神奈川にも大和市があるぞ。




言ってみただけwww
713名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:05:50 ID:hV0EWmMUO
地名は古文献で確認出来るが、現在奈良以外で
ヤマトを名乗る街は大抵新しいから。
714名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:07:30 ID:oAeNWyS40
でもひみこはおいどんとかかいていないぞ。
715名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:07:47 ID:GMCD7RwzO
>>712
大和町や大和村は日本各地に結構な数あるみたいだな。
716名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:08:58 ID:IqU5MbKp0
もう何と言えば
717名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:09:00 ID:bFX8mKtw0
卑弥呼が2人いたことにすれば丸く収まる。
718名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:11:04 ID:FhtRX1qeP
>>717
魏に使節を送ったのはどっちの卑弥呼なんだよ?
719名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:11:19 ID:iEpSiYfc0
>>698
ああ巨大ってそのレベルのことね
正直スマンカッタ

>>702
箸墓も何だか遡っちゃったし
今の編年ってなんか信用できないんだよね
720名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:11:27 ID:n0HAjXP3O
四国だよ四国。
721名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:12:27 ID:xFX0IhSa0
>>717
天才現る
722名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:12:42 ID:yGzyzJ9K0
>>1
誘致乙
科学の範囲でやってくれ。
隣の国じゃないんだから。
723名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:13:57 ID:jRkUqaD60
日食あったのどっちだっけ?
724名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:14:06 ID:kxkvcveH0
邪馬台国阿波説って説あるが
東四国あたりは忌部氏やら皇室とのつながり見るに
畿内政権成立時から支配下だったと思うんだがどうだろう
725名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:15:02 ID:eHJMNydvO
水掛け論なんかどうでもいいから早く証拠見つけろよ
726名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:15:32 ID:1Rkly/Vk0
近畿地方は九州からと出雲からの勢力が均衡していた場所?
いろいろあるかと思いますので、今後の調査に期待します!!
727名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:17:12 ID:oAeNWyS40
やまとの語源は?
728名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:17:32 ID:CDw1TXMS0
>>367
>宮崎を掘れよ。

宮内庁の管轄下で許可が降りないよ。
例外的に外周部の地中をレーダーで探査するのは許可したけど掘るのはダメ。

300基くらい古墳がわんさかあるのにほとんどが掘られてないんだって。
729名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:17:59 ID:FhtRX1qeP
>>725
論理的に異論の余地のない証拠って、具体的にどんな証拠なの?
どんな証拠が見つかれば、議論が終息するんだ?
730名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:18:50 ID:FhZmolf3O
畿内論者涙目www
731名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:19:58 ID:hv7316mMO
地元の岩宿思い出した。
自分と関わりある歴史っていいわ。
もっとやって
732名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:20:14 ID:oc7xtSHs0
>>705
それが普通の家の証拠だよ。
あのあたりの家はみんな八卦に従って家相の良い家を建てるんだ。
女王様の家ならそんなみみっちい事にはこだわらないよ。
反って使い勝手を優先させるだろう。
733名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:22:23 ID:1Rkly/Vk0
発掘重要箇所は九州・畿内・出雲・・だけではないかと思います。
日本全国津々浦々、徐福という方の伝説は青森県まであるそうです。
734名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:22:23 ID:L/H4pfrHO
>>732

同じ年代で同じような規模の跡地がぼこぼこ見つかったら普通の家だな
735名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:24:39 ID:1ehigf90O
>>729
卑弥呼のミイラ。
金印を握っていたら完璧。ありえ無いか。
736名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:24:57 ID:FhtRX1qeP
>>733
吉備も重要だろ!
737名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:25:43 ID:ocwhDszV0
誰だ?日本書記なんて持ち出すバカは?
あんなもの後世制作のもので御都合書物なのにさwww
738通りすがり:2009/11/30(月) 21:26:35 ID:JwDNKP2D0
>>732
規模から計算して、日本国家の首都規模だっただけの話。
全国各地の土器なども発見されており
卑弥呼時代に 日本統一国家クラスの大都市が 発見されただけの話・・・・
739名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:29:47 ID:oc7xtSHs0
>>734
2000年前の家の敷地で良い場所ならもう建替えされてるよ。
建替え後はどんなものになってるか分からん。
考古学者はいつも考えることが浮いてるね。
その土地に人がおらず2000年前のものがそのまま保管されているように思っている。
740名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:30:29 ID:FhtRX1qeP
>>735
ミイラに「卑弥呼」という名札がついてないとダメだろ。
あと、3世紀の巨大な集落遺跡の入り口に「ようこそ邪馬台国へ」と書かれた
看板が掲げられた門の遺構と金印が見つかれば文句はない。
741名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:30:48 ID:FhZmolf3O
魏志倭人伝は同じ時代に生きた人の記述だから、これから考えれば間違いなく九州だろうが、畿内論者はゴッドハンドが得意らしいから信用するなと聞いた事がある

畿内はいろんな利権や面子などで渦巻いているらしい、たしかに今回もおかしな事だらけすぎて、隠蔽臭いと理解できたよ
742名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:32:14 ID:XSg04Pwd0
>>737
記紀は、一から十まで嘘が書いてあるわけじゃないかと。
外国の文献や考古学的発見と平仄が合う部分なんかを手がかりにすれば、
ある程度の事実は認められるだろうし。
743名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:33:58 ID:2mL+5K8H0
>>740
でき過ぎててウケるw
744名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:35:09 ID:L/H4pfrHO
>>738

・奈良は当時の倭で最大級の都市だった
・奈良に邪馬台国があった(卑弥呼がいた)ことは未確定
・邪馬台国と後の大和朝廷との関係も未確定

ってこと?

・奈良(畿内にあった国)が西日本を勢力下においていた、も可能性までで未確定?

745名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:35:10 ID:nbCTqoy5P
いろいろ突っ込みどころ満載だけど

>同時に見つかった鐙(あぶみ=乗馬の時に用いる足乗せ台)をポイントに挙げ、
>「騎馬兵が用いるもので、戦闘に馬を使ったのは邪馬台国より後の時代」と反論した。

これはいくらなんでも変だろ。
魏志倭人伝を出すなら、その出自が魏の軍隊ってことはわかってるはず。

746名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:35:41 ID:AIOz/xrq0
記紀の朝鮮出兵なんかは
百済本紀や好太王碑とも平仄が合う部分が多いんだが
記紀を嘘文献にしなくちゃいけない煽りで
いっしょに捏造文献にされてしまいましたとさ
747名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:38:37 ID:ULz7i1Cw0
>>46
日本書紀によれば実在した。
神功皇后がそのひとである。
748名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:40:01 ID:oc7xtSHs0
>>738
そうは言えないなあ。
現在でも首都の東京に住んでる者の家はウサギ小屋だ。
一方、地方の奈良では自宅の門をくぐってから母屋にたどり着くまで車で何分も走らなきゃならない。
全国各地の陶器を集めてるかも知れない。
でも、首都機能や権力とは無関係な普通の人の家じゃないか。
749名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:41:13 ID:I7tl0oDR0
>>747
まぁ、そういう感じで卑弥呼や継体以前の天皇を、その後の天皇に合わせる研究もあるからね
九州説だと、その辺りが一気に萎んじゃうのが辛いところだなぁ
750名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:41:51 ID:L/H4pfrHO
>>748

見つかったのは家じゃなく都市の跡地だろ

東京の鉄道網と奈良の鉄道網が何百年後かに見つかるようなもの
751名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:43:17 ID:yT+yX+he0
>>718
それは卑弥呼四天王の一番下っ端で、
そいつを倒すとそいつより遥かに強い残り三人の卑弥呼がいて、
されらにそれを乗り越えると、超卑弥呼十傑集がいて・・・・
752名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:43:43 ID:VvUzkxZp0
まず、卑弥呼は人の名前ではない。

天照大神=卑弥呼である。

753名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:44:37 ID:QONoI9bKO
大体どこの神話でも100%捏造というのはあまり無くて
下敷きになる事実は大抵あるんだよ
754名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:47:18 ID:XSg04Pwd0
>>747
神功皇后は、その実在性も問題だが、時期も合わないかと。

稲荷山古墳の鉄剣の銘、船山古墳の鉄剣の銘、宋書の記載などから、
5世紀後半に雄略天皇が実在したことが、ほぼ明らか。
で、倭の五王に関する文献や記紀の表記を手がかりにすれば、4世紀末〜5世紀頭の天皇が、
仁徳天皇(又は履中天皇)あたり。神功皇后が実在したとすれば、その少し前のはず。
一方、稲荷山古墳の鉄剣の銘から、四道将軍の一人、大彦から数えて8代目が、5世紀後半
にいたということになるわけで、そこから逆算すると、大彦は3世紀末から4世紀初頭ぐらいの人間のはず。
すると、四道将軍を送り出した崇神天皇の時代は、どんなにさかのぼっても3世紀後半なわけで。
そうなると、崇神天皇より後の神功皇后は、4世紀の人間と考えるしかない。3世紀の卑弥呼とは、
時代がずれる。
755名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:49:09 ID:RTgVycfU0
もはや利害のみ でも歴史って結構そういうもんかもしれないな
756名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:49:27 ID:GMCD7RwzO
>>750
民家のない都市なんてないでしょ?
多くの人が暮らしていてこその都市。
757名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:52:55 ID:oc7xtSHs0
>>750
都市には見えんよ。
駐車場だった所を掘って一軒の家の基礎部分が見つかった程度のもんじゃないか。
周囲にマンションや一般家屋があるのにこれ以上は掘れんでしょう。
758名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:54:00 ID:k/+b2tA10
奈良から佐賀までのでかい国だったで良いじゃないか。
759名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:54:58 ID:G0sPfKfA0
素朴な疑問なんだけど
これがどっちか決着がつくと何かいい事があるの?
いいところ観光地としての優劣がつく程度の話でしょ?
760名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:55:23 ID:I7tl0oDR0
>>758
既に大和に都があって、大宰府的な物が九州にあったって説は無いかねぇ
それを中心だと勘違いしたとか
761名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:55:34 ID:/uNQ2VbM0
邪馬台国と大和国って読み方似てるよね
やっぱ何らかのつながりはあるのかね?
それよりマスコミは完全に近畿説を肯定してるのはどうなんだ?
762名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:57:38 ID:C7Je0qIu0
俺の中にいつの間にか何となく定着していたイメージ
・邪馬台国:近畿
・熊襲:九州
763名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 21:57:48 ID:G0sPfKfA0
>>761
昭和50年代までは
「ヤマトの国(日本)にたくさんある小国のうち『イ』という名前の国」が一般的な解釈だったんだから
つながりは普通にあるんじゃないの
764名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:00:42 ID:fa26CqPF0
>>761
現在の出土品や文献記述からだと
どうしても畿内説有利になるから。
765名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:00:50 ID:I7tl0oDR0
>>762
それは近畿説だろうね

熊襲・隼人って、石文化とか独自だし、
あれが邪馬台国とか言われてもなぁ、って気はする。
九州は九州で色々やってたと思う
766名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:02:09 ID:oAeNWyS40
やまたいこく=山台国=古墳時代のことじゃないの?
767名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:02:52 ID:zOgWcIU00
>>759
むしろ決着がついたら飯食えなくなる人がいるからな。
永遠に決着はつかない。
768名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:03:51 ID:iYYTipPZ0
                        __/\     
                       _|    `〜┐  
                      _ノ       ∫
                  _,.〜’        /
                ,「~             ノ   
               ,/              ` ̄7
                |     島 根 県     /
               ~`⌒^7            /  
                     丿            \,    
                 _7       /`⌒ーへ_,._⊃ 
                  \    _,.,ノ         
                   L. ,〜’            
769名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:04:07 ID:B3WP+bPA0
九州だって言ったら九州なんだいっ、根拠なんてないけど
九州じゃなきゃ嫌なんだいっ

      _, ,_
     (`Д´ ∩ < ヤダヤダ
     ⊂   (
       ヽ∩ つ  ジタバタ
         〃〃
770名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:05:50 ID:XSg04Pwd0
>>764
九州説の側からだと、畿内説の弱いところをあら探しするようなことになるのかな。

まあ、畿内説に立つと、西日本一帯を支配していた巨大連合国家が、圧倒的に
規模が小さいはずの狗奴国相手に大苦戦し、中国に泣きつきにいったという
ことになるわけで、狗奴国には、どんだけ強い兵隊がいたんだということにはなるが。
771名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:06:30 ID:+Jdj2WrBO
負け犬短大負け組学長
772名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:10:28 ID:oAeNWyS40
神の手であの鏡を発掘するんだ!
773名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:12:10 ID:x92AupyS0
邪馬台国には漢字などの文字を書ける教養人が居たのだろうか?
774名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:17:51 ID:MB8zaGKP0
>>711
お、睨んだとおりだ
出雲系ならニギハヤヒ=大物主かもな〜wktk

そんな俺は宇佐〜吉備(仮)〜大和東遷説。
卑弥呼没後に九州軍(円墳)と出雲軍(方墳)が争い吉備で手打ち
(前方後円墳)してトヨを立て、大和に攻め込んで王朝建てたと思っている。
775名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:20:47 ID:L/H4pfrHO
>>770

その辺は分からんけど
必ずしも『軍事的に劣勢だった』ってことにはならんのじゃね?
776名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:22:46 ID:0ZSwPTni0
AV女優でいいだろ
777名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:26:26 ID:ssQmxrNa0
どうでもいいけど、お前らキモイほど詳しいな
778名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:29:28 ID:lxpCFSB10
魏志倭人伝にも「邪馬登国」と書かれているのに誰が邪馬台国と書き直した?
本居宣長か魏志倭人伝には「邪馬登国」と書いてあるじゃんか。
779名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:30:20 ID:zXVu7HVq0
>>770
邪馬台国は魏に援軍なんか頼んでないよ。
魏の方が黄色い旗送ったり、軍師をホームステイさせて欲しいとキャッキャと係わりたがっただけで

780名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:31:02 ID:v7lWZjt60
渡辺延志 朝日新聞記者
781名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:32:00 ID:SEzy4zP7O
九州説って観光客誘致のために考えた説。
九州説の先生方が学会とかで熱心に証拠となる文献を説明されたけど、
じっくり聞けば聞くほど眉唾だったなぁ。

他の地区はきちんと発掘すりゃその年代の建物跡や当時の生活示すものが出土するのに。
九州はどちらかといえばお墓みたいなものしか出てこないと批評されてたんだけど。
782名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:33:53 ID:MedxwrkpO
>>777
でなきゃ、こんなスレにいない。
783名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:34:01 ID:VFiROlUk0
>>781
文献の解釈論って、2ちゃんでもやって自説振り回してる奴見るけど
考古学的な裏づけが取れてないモン聞かされてもなんだかなーって感じだよな
784名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:34:45 ID:eV9a/E9e0
もう卑弥呼は双子で両方にいましたでいいよ
785名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:40:21 ID:lxpCFSB10
邪馬壹国  壹與(とよ)

今後は邪馬壹国と書いてほしい 
786名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:45:36 ID:FHLzc2zZ0
偽志倭人伝
787名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:48:53 ID:oNpX1T+x0
卑弥呼の国は日本の中心ではなかった、とすればよい
788名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:49:52 ID:lxpCFSB10
南へ水行20日で投馬国に至る。
南、女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2000余里ある。
... 卑弥呼に関する「魏志倭人伝」のこの記述から、
卑弥呼は呪術を司る巫女(シャーマン)のような人物であり、邪馬壹国は ...
789名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:51:31 ID:y1LO1v/g0
ってか邪馬台国は元々無かったでいんじゃね?
790名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:52:40 ID:SEzy4zP7O
>>786
結局、その文献は伝承や伝聞で記載されてることで実際は正しくない内容と言われてる。
九州説はこの文献の航路を論拠としてるから怪しさ増すんだよね。
国防の問題あるから正しい航路を他国に言わなかったという説もある。
791名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:53:00 ID:u+X5dDSy0
>>728
あそこはきっちり調べると記紀と年代が符合しなくなるからな
大型の2基以外は大正時代までは発掘してたんだけどね
792名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:53:49 ID:d/SS8/R+0
沖縄人がヤマトンチュって読んでるのはいつから?
793名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:56:49 ID:A00lYlpS0
まぁ、邪馬台国は結果的に史書に名前が残ってるだけで、
それを統一王朝や天皇家と安易に結びつけるのは危険だと思うけどな

邪馬台国が当時日本で一番大きな支配者的な地位にいたかどうかは、
位置関係とはまた別問題なわけで。
794名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:57:33 ID:k7jnGGqU0
岩下志麻の卑弥呼は草刈正雄にオッパイ触らせてたな
795婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/30(月) 22:57:42 ID:TE8k5Z1g0
>>781
>他の地区はきちんと発掘すりゃその年代の建物跡や当時の生活示すものが出土するのに。
>九州はどちらかといえばお墓みたいなものしか出てこないと批評されてたんだけど。

今は1億人いる土地に数百万人しかいなかったんだから、
ピンポイントで掘るのは、そりゃ難しいわな。
んで、生活痕が出てこないという批判は、むしろマキムクの話じゃね?

>>728
同意。邪馬台国じゃなくても記紀的には神武東征の起点なんだから、なんか出てくる気がする。
796名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 22:57:58 ID:u+X5dDSy0
>>746
半島で偽者扱いされてたけど
中国で古い写しが見つかって本物確定したのって好太王碑だっけ?
797婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/30(月) 23:02:06 ID:TE8k5Z1g0
>>795
あわわ。
「同意」なのは>>367
 >宮崎を掘れよ。
に対してね。

>796
うん。
798名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:04:39 ID:SEzy4zP7O
九州に古墳多いのは太陽が沈む西の方角で、人の死後の世界に近い方角だからという説もある。

近畿〜中国地域も古墳は至る所にあるけど古墳以外の場所でも、掘り起こすと当時の生活していた遺跡みたいなものが出土するケース沢山ある。
九州は墓以外のところを掘っても何も出てこないと批評されてるがホントに真面目に発掘してるのかな?
799名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:05:20 ID:g48BZrsc0
邪馬台国は九州の山門にあって畿内の勢力がそれを滅ぼした

中国との通商権の継承、あるいは宗教的な祭祀の維持のために
畿内はヤマトと名乗るようになった

こんなところじゃないのかな
800名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:14:19 ID:SEzy4zP7O
どちらにしろ、耶馬台国が九州にしかありえないという理論は危険。
証拠は今のところ、文献だけ。

畿内、中国、九州。そのほかの地域でも耶馬台国はあった可能性はあるし、なかった可能性もある。
ただ現状の証拠だけだと九州は弱いよ。
801名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:19:31 ID:A00lYlpS0
>>798
うちのじいちゃん、死ぬ数日前に「西に行く」って言って死んでったのぜ。
脳の血管やられて、ほぼ寝たきりだったけど。

>>800
正直、「邪馬台国」だけをそれほど重要視する必要があるのかね、とは思うんだよな。
まぁ、名前が残ってる分だけロマンがあるのは事実だけど。
九州・中国・畿内には複雑に絡んだ、面白い歴史が確実にあるはずだからね。
802名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:19:53 ID:KRg4DJ6Y0
>>800
どっちもどっち。
ひよこの背比べ。
803婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/30(月) 23:21:48 ID:TE8k5Z1g0
>>800
ブツが出ていない、というのは確かに弱いよな。
だけど、21世紀初頭の現時点で得られている考古学的成果から比定候補地を選ぶ
必要もないわけで、この国土に人が住み続けて経済活動をやっていく限り、
新しい遺跡は見つかるのだ。そのうちどこかで、決定的な出土品が見つかるはずだよ。

たぶん、博多近郊の山地だと思うわけだがw
804名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:29:01 ID:m4wLL/QgO
とりあえず、まず纏向をしっかり調査することだな。
邪馬台国云々は置いといても、纏向の全貌は重要なわけで…。
どこかから謎の古文書とか出てこないかなぁ。
805名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:32:03 ID:sB2PPDuA0
>>804
そそ。
しっかり調査して時代が合わないことを証明するべき。

邪馬台国は徳島だから。
806婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/30(月) 23:33:27 ID:TE8k5Z1g0
>>801
>九州・中国・畿内には複雑に絡んだ、面白い歴史が確実にあるはずだからね。

面白そうだよな。特に瀬戸内とか。
ヨーロッパの地中海にあんだけ面白い話がいっぱいあるんだから、
同様に豊穣な多島内海に、ネタがないわけがない。
だけど記紀での扱いは低いんだよなあ。
807名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:36:14 ID:dU5ej3a70
宮内庁が天皇家の墓を発掘させないのは
やっぱり真実が公表されると不味いのだろうか?
808名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:44:00 ID:Bv31ZqcJO
マキムクの説明会に1万人以上が集まったんだから、各所で発掘が進めば相当の人(とお金)が動くはず



宮内庁は内需拡大の為にも発掘をどんどん許可すべき
809名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:47:39 ID:m4wLL/QgO
不味いことは色々ある。大半は日本書紀編纂時に捏造済み。
石上神宮と大神神社の記録と、16氏の歴史が闇に葬られました。
810名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:48:30 ID:PJT20uWV0
宮内庁は巻向遺跡掘ってる奴らには鼻で笑うだけで何もw
なんせ揃いも揃って3流大私立のどこの出だかもわからない”教授”なんかが
勝手に掘って、古代の天皇の宮を、中国の書物にしかでない「邪馬台国と卑弥呼」なんて
必死で言ってるんだから・・

放置ですよ、もちろん。
811名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:50:42 ID:lxpCFSB10
女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡(韓国)から女王国までは1万2000余里ある。
812名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:50:47 ID:SEzy4zP7O
>>807
畿内だと、発掘調査入ってるよ。(宮内庁云々な場所も)
九州はなぜ発掘しないんだろう。
そういうのも気になる。
813名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:56:28 ID:PJT20uWV0
>>812
一番怪しいところは、上に神宮が建ってる(宇佐神宮は亀山の上。亀山は最大級の前方後円墳。祖宮のある山は禁足地)
天孫降臨に関連してそうな西都原古墳群はどれもこれも宮内庁が完全封鎖。

814名無しさん@十周年:2009/11/30(月) 23:58:32 ID:0gnhT5EzO

聖徳太子もいなかったから
卑弥呼もいないよ
815婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/01(火) 00:00:30 ID:oESj6w3L0
>>812
宮内庁の陵墓比定地から外れた古墳を掘ったら皇族の墓でした、
という例はあったけど、陵墓比定地に発掘調査なんてあったっけか?
816名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:01:58 ID:NeM4rwd80
まあ、どうやっても邪馬台国が佐賀ではありえませんからね。

吉野ヶ里の奴らがおかしくなるのは天下り官僚が税金の無駄遣いを
正当化しようとして詭弁が明らか、馬鹿に見えるのと一緒。
817名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:04:05 ID:DQsvgBn90
邪馬台国だの卑弥呼だのってさ、字をちゃんと見ないのか?
邪馬とはよこしまな事 卑弥ってのは卑しい女の事
つまり完全に当時の中国にバカにされてたわけだ
それをありがたがって諸説云々言い争って何が楽しいんだか
歴史ってのは事実じゃなく、こういうバカな権威と呼ばれる奴が持論をおしつけて作られるわけだ
本当にこういうの見てると、歴史ってのは習う価値がある学問じゃねぇよな
818名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:04:30 ID:WqQ/7ITaO
記紀でも皇室でも公式見解は南九州発祥なんだから、
怪しいとしたらそれは別の意味で怪しいという事になると思うけど。

本当に怪しいのは神話という形で説明されてしまってる出雲勢力じゃないかな。
819名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:04:36 ID:YdUDpx8G0
奈良だとしょっぱくないのか?
820名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:07:38 ID:WqQ/7ITaO
>>817
卑下した字に惑わされてはダメです。一応貴重な記録には違いないですから。
821名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:07:52 ID:DQsvgBn90
ぶっちゃけるとな。
当時の軍事的なパワーバランスを考えると、十中八九朝鮮のどっかだろうな。
それだと邪馬だの卑弥だのという忌み言葉が入ってるのも頷ける。
822名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:11:24 ID:DQsvgBn90
>>820
だから言ってるだろう?
今も昔も、歴史は捏造だらけだって。
貴重な記録というが、その貴重な記録がいつの時代の編纂か知ってて言ってるのか?
823名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:11:39 ID:UoOQQzsQ0
俺は、邪馬台国東遷説ではなく、邪馬台国九州発祥で、近畿までの地域を治めた連合国家説。
で、その連合国家の中の一つ、出雲出身で、近畿地方で勢力を伸ばしていた後の大和王権派に破れて、滅亡した説を採っている。
824名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:11:55 ID:44JjCSH1O
>>818
やっぱ物部氏と三輪氏でしょ。
持統に消された石上と大神の歴史に最大の秘密が隠れてる。
825名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:16:10 ID:tWxxct0pO
村西とおるに聞いてみるといいよ
826名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:17:30 ID:UoOQQzsQ0
とにかく、大和王権と、邪馬台国はつながっていない。
別文化別民族だった事には俺的には確信がある。
どう考えても、記紀で「邪馬台国」無視は不自然。
大陸の正史に明確な記述のある「邪馬台国」を、初めて編纂した自国の正史に取り込まないで無視している。
この事実の合理的な説明がつかない。
827婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/01(火) 00:17:33 ID:oESj6w3L0
>>817,>>820,>>822
いまさらながら、俺らは表意文字文化圏の人なんだなぁと感慨深いw
もちろん中国(というかその古代国家)がその家元なんだけど、
あっちは表意文字をそのまんま表音文字風に使う荒技に出たからな。

日本は仮名を生み出したわけだが、それはそれでうまい解決法だw
828名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:18:32 ID:DQsvgBn90
>>824
蘇我一族も結構なぞだよな
そのあたりが出雲以前の豪族だったんだろうな
実際に蘇我氏の邸宅跡とか言われてるのが本物なら、当時の天皇家の御所よりも大きかったって事だし。
天皇家ってのは案外そのころはNO2だったんじゃないかとか疑う。 で、蘇我氏を暗殺して焚書・神話改ざんしてNO1になったとかな。
829名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:20:36 ID:cz90w0P40
佐賀は吉野ヶ里があるから必死だわな
830名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:22:24 ID:WqQ/7ITaO
>>822
しかし記録自体が存在しないと、捏造かどうかの検証すら出来ないからね。
倭人伝自体は複数の資料、それも相当伝聞が混じってると思う。
831名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:22:54 ID:FWNP0G5k0
何か鐙があることがおかしいというレスがあったけど
魏の国が使者を派遣するってことはそれまでに交流があったからなわけで、お土産として魏から鐙をもって帰った人がいたという
のは考えられんの?
832名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:23:42 ID:UoOQQzsQ0
>>828
そのあたりまでは、天皇的者は世襲ではなく、各豪族の持ち回り的な存在だったんじゃ?
国を治める役職ではなく、祭祀的役職じゃなかったのかな。
その時代より少し前だけど、各豪族の館のほうが天皇と見られる人の館より、豪華かつ警備厳重だったという発掘調査結果が出ていたと思う。
天皇の館と見られるところは結構オープンだったそうだ。
833名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:24:45 ID:WqQ/7ITaO
>>824
蘇我氏もね、改変されてるとしたらやっぱり外せない。
場所的には葛城や古市周辺なんて巻向以上に相当怪しい。
834名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:27:44 ID:DQsvgBn90
>>827
当時の表意文字には同じ音で意味が異なる語が無数にあるわけで、それと朴占を組み合わせて呪に練り上げたりしてたわけだ。
まぁ呪とかそういった類は眉唾ではあるけど当時はごく当たり前のことだったんだろうな

そう言う時代背景があって、あえて忌み字をあてがってるあたりにそれなりの思惑があると思うんだが。
まぁ歴史家じゃないからそれ以上はわからん。
835名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:29:56 ID:LOc8gmoy0
>>12
孔子も韓国が起源だしw
836名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:32:07 ID:DQsvgBn90
>>834
表意文字じゃなくて表音文字だ 自己レスで突っ込んどく
837名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:34:18 ID:srs1CALSO
巻向だから諦めろ
838名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:36:46 ID:60JXUaAkO
>>827
表意文字だと字面からも当時の人達の感情がわかって、
考えてみれば歴史記録としては面白い。

あと、他国から馬鹿にされていた記録は歴史記録としては正しくなくて
他国から敬われていた記録は歴史記録として信用できる、
という見方は、人間としていかがなものかと思う。
仮にどの国も自分の国はよく見せたい、
他国は自分の国よりも劣った国だということにしたい、
というように考えているのなら、
どの国もその国の主張通り優れているか、
どの国も難癖をつけられて劣っているかの
二つの極端な形容になってしまいかねない。
839名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:37:34 ID:CKuVjccI0
卑弥呼は朝鮮人 中国の存在をしる土人はいまい。
840名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:39:38 ID:hGcZnxOj0
魏のあとの晋の歴史書では九州とはまた別の場所らしいな
魏志にこだわるのはもう諦めろよ
841名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:41:31 ID:MnP5nxSJ0
いつまでも決着つかずに争ってると、
「邪馬台国は朝鮮半島にあった」とか言い出す輩が出てくるぞ
842名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:42:22 ID:HIWrKBFv0
>>826
208 名前: 指錠(dion軍)[sage] 投稿日:2009/11/30(月) 17:47:37.84 ID:Ky4LBBDE
>203
めんどくせぇ。。。
日本風土記 大和〈野馬多(ヤマト)
★野馬多
和名類聚抄 大和〈於保 夜萬止〉
★夜萬止
『日本書紀』巻一第四段本文
及至産時。先以淡路洲爲胞。意所不快。故名之曰淡路洲。廼生大日本日本。
此云耶麻騰。下皆效此。豐秋津洲。次生伊豫二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐
洲與佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由
是始起大八洲國之號焉。即對馬嶋。壹岐嶋。及處々小嶋。
(国生み神話 日本これを耶麻騰と読む。九州は筑紫洲)
★耶麻騰
日本書紀巻第一 神代上
大己貴神曰。唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶對曰。
吾欲住於日本國之三諸山。故即營宮彼處使就而居。此大三輪之神也
★耶對(大国主が)大和三山がある耶對の三輪山に住みたい)
日本書紀』巻三神武天皇即位前紀戊午年
時弟猾又奏曰。倭國磯城邑有磯城八十梟帥。又高尾張邑或本云。葛城邑也。有赤銅八十梟帥。
(倭國の磯城邑、磯城の八十梟帥有り。又、高尾張邑 【或本云 葛城邑也】赤銅の八十梟帥有す。)
★倭國
古事記〈中景行)
夜麻登波 久爾能麻本呂婆 
多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 
夜麻登志宇流波斯
★夜麻登
言語学的には耶馬台のトはト乙類=大和の読みは全てト乙類
山門は日本書紀の山門県(やまとのあがた)として出てくるが、あがたとは大和につかえる
西国の1国の単位。たくさんある。さらに山門のtoは甲類to のちに律令では筑後の国の一郡に。
843名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:45:45 ID:k9/OQdQa0
八幡平
844名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:48:23 ID:zrOt4Fu50
>>9
吹いたw
そうなのか
845婆 ◆HKZsYRUkck :2009/12/01(火) 00:49:51 ID:oESj6w3L0
>>834 ( >>836 ), >>838
ちょいと時代は下るけど、唐代の地理書に出てくるオホーツク海沿諸国なんて、
流鬼国とか夜叉国とか、かっこいいんだか恐ろしいんだか微妙な
ネーミングだよな。たぶん名づけるほう(このスレで言うと魏やら唐やら)の人らは、
あんまり深く考えてなかったんだろな。
846名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:51:49 ID:CKuVjccI0
>>842
その強引な読み方って怪しいと思わないか?
意味不明な箇所もたくさんあってほとんど暗号文。
だが、朝鮮語として読めば驚くほど解釈できるらしい
古代の支配層は朝鮮人であったのは想像に難くないが、そういう視点で正式に調査すれば面白いと思う。
847名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:52:26 ID:KxneRHw+0
>>831
それ以前の交流は途絶えていた

司馬懿が公孫淵を滅ぼしてから朝鮮半島との
交流が回復してすぐに女王が使者を送ってきた
848名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:54:03 ID:HIWrKBFv0
>>846
強引でも何でもない。ひらがながなかった時代だから漢字の音をあてている。
漢字は同音が多いので異字も多い

>だが、朝鮮語として読めば驚くほど解釈できるらしい
全然違うらしいぜ。
849名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:55:32 ID:J7Oji0hEP
卑弥呼が蔑称とか書いてる人がいるけど
弥ってのは豊かってことだろ。
貧者も富豪も慕う人って意味にとれるよ。
850名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 00:57:12 ID:SFWI92S60
竹島だったら面白かったのに
851名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:01:33 ID:s671FizH0
>>660
>南水行二十日の距離の投馬国は、不弥国から何里の距離にあるの?

投馬国は総距離が書いてないからわからないね。

>南水行十日陸行一月の邪馬台国は、不弥国から何里の距離にあるの?

伊都国から不弥国までの位置関係は解釈によって異なる。
ただ、どんな解釈にしろ、直線的に来る伊都国まで10500里を消化することは確実だよ。
邪馬台国までの残り1500里について、
漢文をどのように解釈するかで違ってくるね。

個人的には、南水行十日陸行一月は総旅程か、
歓待を受けつつ、実際にかかった距離の可能性はあると思うよ。
そうでなければ、総距離12000里の記述と矛盾するからね。
同じ史料内にある以上、史料内で矛盾のない解釈が必要だ。
852名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:05:02 ID:+81RmBlNO
>>851

魏〜半島〜対馬は書いてるだろ
つまり、使者が魏〜対馬の正確性を用いたまま九州に来たとしてて、そこからの距離と方向に合った地域は日本にはない
853名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:05:05 ID:HIWrKBFv0
魏志倭人伝の「里=m」かは実際の処諸説あるので意味がない
854名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:07:29 ID:tPq9ul8k0
邪馬台国は九州。その時代に畿内にも国がありそれが大和朝廷になり、今の天皇家に
繋がると考えればいいじゃない。なんで邪馬台国が畿内にあり、それが大和朝廷になった
ことにしないとならないのか?意味が分からない。大体邪馬台国を過大評価しすぎだよ
王が死んだくらいで何度も戦争し、たかがクナ国一国に苦戦し魏になきつくような
情けない国だぞ。
855名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:10:59 ID:HIWrKBFv0
>>854
古墳年代が邪馬台国当時に遡ったことでほとんどの学者が
近畿説になった。
856名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:11:51 ID:+81RmBlNO
>>851

『同じ資料内にあれば距離や方向が同じ』
どんな前提だよwww

魏〜対馬までの里や方向と九州に来てからの里や方向は違う
ってのは基本的に受け入れられるだろう


>>854
王が死んだを今の日本にしたら、シビリアンコントロールがない世界で天皇陛下と小沢が死んだ、みたいなものか?
そりゃあ内乱だろ
857名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:12:17 ID:tPq9ul8k0
>>855
どうせ年輪法だろ
信用できるのかよ
858名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:14:53 ID:hD/TdaL80
国から正式に話があれば、
邪馬台国を関西空港に移設する議論に応じる

by 某知事
859名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:14:53 ID:s671FizH0
>>790
魏志倭人伝と現代で比べられる部分があるでしょ。
帯方郡、韓国南岸、対馬、壱岐、末盧、伊都等の方向・距離・位置関係は正確だぞ。
末盧、伊都の比定は解釈次第だが、壱岐までは正確じゃないか。

帯方郡から韓国南岸まで7000里。
韓国南岸‐対馬‐壱岐の間隔がそれぞれ1000里。

7:1:1はそれなりに正確だぞ。
2倍もずれるわけではない。

畿内説に都合が悪いからと言って、
「正しくない」と目をつぶることはおかしいだろ。
順序が逆なんだよ。

九州説は、この「ある程度の正確さ」に従って導きだされるものだぞ。
畿内説のように、先に結論があるのではない。
860名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:15:39 ID:/Bx7szQ00
邪馬台国は徳島ですよ
861名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:16:23 ID:+81RmBlNO
>>857

年輪法でも九州にそうとうするもない、という事実が九州派は事実上暗黙的に畿内説支持派であることを積極的に認めている
862名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:17:00 ID:NeM4rwd80
>>854
>王が死んだくらいで何度も戦争し、たかがクナ国一国に苦戦し魏になきつくような

別に情けなくない。外交上、普通のこと。
特に貢ぎまでして忠誠を誓った国の皇帝に援軍を頼むことができるのは、むしろ
しっかりとした外交能力があるという証拠。

それに比べて、聖徳太子の時代の外交は非常にお粗末。素人。
これからみても、畿内政権=大和朝廷というのは邪馬台国とは別物だったと思える。
863名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:17:10 ID:s671FizH0
>>800
史料からは九州しかありえないんだから仕方ないよ。
史料を証拠としないなら、
史料にしか見えない「邪馬台国」という言葉を使わずに、
考古学の発見としてだけ考えれるべきだろ。

マキムク遺跡だって、邪馬台国とは関係なく、
大和朝廷に繋がる重要な遺跡じゃないか。
864名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:19:03 ID:HIWrKBFv0
>>857
年輪法だけじゃない。炭素年代測定法や色々な考古学の発見で総合的に多数の学者が信じざるを得ない
状態になったということ。

アマチュアや一部の学者が反論しているが、彼ら自身多くの学者が畿内説になるのを止められない。
それだけの総合的かつ統計的な結果だったということだ。別に巻向だけの話ではない。

素人相手2ちゃんねらならともかくならともかく学者が実際にそう考えていると言うことが大切。
865名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:20:02 ID:+81RmBlNO
>>863

史料からは九州でも畿内でもないだろう
史料からは邪馬台国は日本ではない

ここから導きだされるのは
・邪馬台国は海に沈んだか、核などにより跡形もなくなった
・史料が間違い
のどちらかだろ
866名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:21:31 ID:HIWrKBFv0
>>863
あり得んというのはあなたの主観で、他の多数の人からするとそうじゃないんだよ。
「九州が候補から消えつつある」というのが現実。
867名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:23:20 ID:X+zkKXhY0
そうじゃなくて邪馬台国in畿内でも強弁できそうだってだけ
868名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:23:43 ID:zrbdxDhb0
畿内説の邪馬台国が纏向遺跡なら
九州説の邪馬台国は何処ですか?
869名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:23:57 ID:tPq9ul8k0
畿内説がよく使う「魏志倭人伝をそのまま読めば、邪馬台国は海の上だ」というのが
意味が分からない。総距離12000のうち伊都国までで10500なのに。なんで海なんだ?
普通に陸だろう。別に1里が何キロでもいいだろ。全部で12000と言ってるのに。
870名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:24:05 ID:NeM4rwd80
ちなみに、邪馬台国があった時代の書物=魏志倭人伝
それから百年後ぐらいに書かれた隋書には
「倭国には30数の国々があり、それぞれが王と名乗る」

つまり、日本統一した大和朝廷などは、その時点でまだ存在しておらず
せいぜい畿内周辺の国内の大国だった程度と見える。

しかも、今回発見された巻向遺跡というのは記紀にでる10代崇神天皇の宮と
記述が似てるとされてるが、同じく記紀では、12代目の景行天皇時代まで
九州は大和朝廷に支配されておらず、九州巡行で女王が投降してきたりする。

もし巻向が崇神天皇時代だとすると、その時代には九州には権力が及んでない。
国が乱立して王とか女王とかが争ってたとして妥当。
その国の一国が邪馬台国だったとして何ら不思議がないわけで。

大体、魏志倭人伝に出てくる「倭国」の記述はほぼ全部九州の風俗
871名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:24:36 ID:NDLRuu+CO
鐙は魏の国の使者の持ち物、って可能性は?

使者は日本国内で調達した馬に自分の鐙を付けて畿内の大国(あえて邪馬台国とは断定しないでおく)へ。
到着後、宿泊施設だったマキムクにいた時に洪水に巻き込まれて客死〜鐙はそのまま泥に埋まる
使者が帰ってこなかったから魏志倭人伝の記述は伝聞による曖昧な内容になった…


と適当に妄想
872名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:25:28 ID:s671FizH0
>>856
少なくとも、「当時の人」にとって、
同じ史料内では、矛盾なく書かれていると見るべきだろ。

東京から大阪へは総距離500キロです。
東京から途中の京都までは450キロです。
京都から大阪へは陸行1ヶ月です。

つまり陸行1ヶ月の解釈をどう捉えるにしろ、
距離として考えるなら残り50キロしか有りえない。

それ以外の解釈(例えば陸行1ヶ月=500キロ)は当時の人にとって
矛盾するんだから、正規に採用されないよ。

現代でどんな解釈ができるとしても、
当時の人にとっての整合性を考えるなら、
そうならざるを得ないだろ。
873名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:27:38 ID:s671FizH0
>>865
総距離12000里、途中の伊都まで10500里、残り1500里。

九州しかありえないだろ。
かろうじて、四国か中国の端がひっかかるくらいだぞ。
874名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:29:27 ID:UoOQQzsQ0
年輪法の落とし穴。

@年輪法は近畿のみ。
近畿のみの資料で、近畿限定の年代測定法。
それ以外の地域は年輪法では測定できません。
可能性としては、近畿以外の年代がそっくりさかのぼる可能性もあります。
A年輪法は未検証。
年輪法は欧米の高緯度地帯で確立された年代測定法です。
しばらく前までは、日本において年輪法は通用しないとされていました。
しかし、一人の学者が独自に研究を重ねて年輪法が日本でも通用するといい始めました。
近畿の学者です。もちろん邪馬台国近畿派。
で、現在もその学者のみが近畿のみで研究していて、それ以外の地域においては年輪法による測定はしないし出来ないという事です。
(膨大な資料の詳細な検証が必要とされるため)
本当に日本において年輪法が使えるのか・・・という検証はまだ行われていませんし、日本の近畿以外の場所について、年輪法が使えるという検証はなされていません。
B年輪法は伐採された年代を特定するもので、建造された年代や使われた年代を検証する方法ではありません。
年輪法は、あくまで伐採された時期を特定するもの。
古材を使った建築物や遺物の年代は特定できません。

以上を踏まえましょう。
875名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:29:47 ID:s671FizH0
>>866
その理由を書かないとダメだろ。

少なくとも、史料から推測すると、
伊都から1500里圏内しか残らないぞ。
876名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:30:25 ID:HIWrKBFv0
>>854
中国は朝貢という方法でしか貿易を許さない国だったから仕方がない。
例えば清の時代でさえ、イギリスにさえ朝貢しないと貿易は許さないとし三跪九叩頭の礼を求めた。
実際にアマースト卿はそこまですることは拒否したが屈辱的な礼をさせられた。

「ボストン茶会事件を契機にアメリカ独立戦争は始まったが、この戦争の真の原因がボ
ストン港に茶箱を投げ捨てたことではないように、阿片戦争も阿片が原因ではな
真の原因は他にある。それは『叩頭』である」と第6代米大統領が言っている。
877名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:31:03 ID:NeM4rwd80
>>868
畿内説というのは、邪馬台国纏向説=卑弥呼倭迹迹日百襲姫しか、
ありえないんだよね。

なぜなら、天皇がいる都において、天皇かモモソ姫以外の人間が
女王ぶって中国と外交などできるはずがない。

逆に、九州は乱立した国々の長のどれかが邪馬台国だった可能性から
「おらが村の女王のいた遺跡と古墳」ってのをそれぞれ推す。
実際、女王らしき権力者の古墳があるんだからそうなる。
阿蘇、豊の国、西都原周辺、この辺りのそれぞれがそれぞれの・・

だから九州説は乱立状態。これってのがない。
878名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:33:59 ID:UoOQQzsQ0
年輪法以前は、まきむく遺跡は、邪馬台国以後の遺跡といわれていました。
年輪法で、まきむく遺跡大ブレークなんです。
年輪法が消えたら、また後戻り。

考古学会はゴッドハンド事件から、何を学んでいるんやら・・・
879名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:34:14 ID:+XYIBLDQ0
歴史やっている学者がうさんくさい。
外にいる異端の人の本の方がわかりやすいしおもしろい。
エンターテイメントでないのはわかるけどマルクス史学は、、、、ねえ。
880名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:35:08 ID:HIWrKBFv0
>>875
>>853

例えば中国人は三国志の里数を298mとしている
周朝時代的1華里折合現代長度只有298.65米,1000華里就是現代的298.65公里
ttp://140.128.182.248/~s6512/toppage1.htm
881名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:35:24 ID:RIJaYN3H0
邪馬台国を当時の日本列島での最大の勢力と考えるから近畿説が有力になる。
別に中華の史書に載っていない国が近畿にあったって構わんじゃないか?
歴史学会では華の史書に無いような国は蛮族扱いされるのか?
882名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:37:22 ID:NeM4rwd80
もひとつ重要なこと。

記紀には注釈があり、神功皇后を「魏志倭人伝に出てくる卑弥呼」に
比定しており、「中国に貢ぎしたと書物にある」などと書いてる。

つまり、記紀の編纂者は魏志倭人伝を読んでいた。が、その書物の
邪馬台国の卑弥呼が誰なのか全然わかってない。

3世紀から中国と交流しながら外交してるとしたら、ちゃんと伝来されて
いないことが非常に不自然。 明らかに大和朝廷の歴史には、邪馬台国も
卑弥呼も中国と交流も4世紀には全く存在してない。
紀元前からの話がちゃんと書いてあるのに、だよ。それは不思議だよなww
883名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:37:58 ID:s671FizH0
>>853
一里が正確に何mかわからなくても、
倭人伝の記述と現代地図を見れば、
>>859に書いたように、ある程度の正確性がわかるだろ。

なぜその事実から目をつぶるんだよ。

結局、史料の正確性等を精査して、
そこから結論を探るのではなく、
先に畿内という結論があって、
それに合わない史料を捨てるためだろ。
884名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:38:12 ID:HIWrKBFv0
>>878
九州説は、「東日流外三郡誌」のゴッドハンド捏造書物の宣伝から何を学んだのかね?
そういや里数も古田だったか
885名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:39:47 ID:HIWrKBFv0
>>883
かなりいい加減だよ
886名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:40:39 ID:s671FizH0
>>880
その里数でかかれていないことは、倭人伝と現代地図を見れば明白

正確な里数がどれくらいにしろ、
帯方郡、韓国南岸、対馬、壱岐、末盧、伊都
までの位置関係・距離関係は正確>>859

なぜその事実から目をつぶるんだ?
887名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:41:46 ID:HIWrKBFv0
>>886
それは九州でなくてはならないという原理主義からきてるんだよ。三國志否定するのかよ?
888名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:42:05 ID:tPq9ul8k0
畿内説の切り札「東日流外三郡誌」
討論で不利になると必ず持ち出し、これで九州説のすべてを否定しようとする
889名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:43:12 ID:NeM4rwd80
畿内説では卑弥呼=倭迹迹日百襲姫にしかできない。巫女だったらしい。

が、この姫は結婚する。しかも天皇が存在する。
女王ではない。
しかも、魏志倭人伝が書かれた時代の女王、台与というのも存在しない。

ちなみに日女命だとか、台与、などが順に出てくる国宝の海部氏の家系図というのがある。
これは江戸時代に作成されたもので、徳川家国に偽書疑惑をかけられ提出を
求められるが拒否したもの。 今でも専門家により偽書疑惑が満載。

国宝に超特急で認定されたのは、畿内説のパナソニック・松下電器の
創設者の力w

890名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:43:37 ID:s671FizH0
>>885
どういい加減なんだ?

確実に比定できる地名について、
距離の比と方角は合ってるだろ。

韓国南岸・対馬・壱岐の距離関係なんて、
地図を見る限り、ほぼ1:1だろ。
これが1000里、1000里で書かれているんだぞ。

自分の目で見ればわかることじゃないか。
891名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:43:42 ID:HIWrKBFv0
>>888
>>878に「おまえがいうな」という意味でいったつもりだが?
892名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:44:38 ID:Ce08R+Tj0
「東日流外三郡誌」 って偽書認定されてるでしょ
893名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:44:42 ID:tG5ScXVS0
陸路なら、歩行速度である程度正確な距離の測定が可能だろう。
一人が歩くスピードは、そんなに変化しないからね。

だが、風によって頻繁に速度が変わる海路はどうかなぁ。
クロノメーターもGPSもないのに、どうやって海上の距離をはかるのよ?

古代人が適当に書いた、海路の距離を鵜呑みにするなんて、信じられない
杜撰さだよな。
894名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:45:20 ID:HIWrKBFv0
>>889
誰と結婚するんだ?大物主神とだぞ?最高神の1人だ
そして、天皇の諡は崇~だ
895名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:45:46 ID:s671FizH0
>>887
意味がわからん。
史料の記述と現代地図から導き出される結果だぞ。
結論の九州説と全く関係がない。
896名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:46:55 ID:HIWrKBFv0
>>890
放射説とか無理した解釈してか?普通に考えればクナ国なんて海のなかじゃないの?
897名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:51:44 ID:HIWrKBFv0
>>888
不利ってか?>>1の高島先生の認識

高島忠平・顧問のあいさつ(2009年4月19日)

いずれにしても、「九州説」は考古学の世界では非常に不利な情況に置かれ
ています。少数派です。私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。

>私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。
ttp://www.okunomasao.com/yosinogari.html
898名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:51:56 ID:tG5ScXVS0
当時、どれくらいの精度で海上の距離を測れたのかな?
その検証もなしに、魏志倭人伝の距離や方位を鵜呑みにしても、
全く不毛だとおもうんだが…

理系の学問だったら、まずこのあたりから詰めるけどね。
理系じゃなくても、学問と名乗る以上、このあたりを詰めないとダメでしょう。
899名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:52:49 ID:44JjCSH1O
倭迹迹日百襲姫が卑弥呼なら、大田田根子の位置付けはどうなる?
900名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:54:55 ID:Tsr0MEZM0
>>1

2〜3世紀の倭国は朝鮮半島と九州・沖縄、瀬戸内海沿岸に関西地方の一部?
を支配下においていただと思う。中心が九州、朝鮮半島とすると北九州に
首都がある方が合理的に思う。
当時の日本の人口は320万人〜400万人以下だとすると九州は120万人くらい
で一番密度の高い北九州首都が順当ですね。それに朝鮮半島の人口(120万?)
奈良だと東へ偏りすぎに思う。
過去の歴史でも京と鎌倉や京と江戸の二重政権の時代もあり北九州と奈良が首都
と出張所が入れ替わっても不思議に思わない。
防人も本来は辺境地防衛ではなく首都防衛の意味があったのでは?奈良時代の
藤原広嗣の大宰府の乱なども兵力1万で奈良政府軍6000より多い!単なる反乱だった
のか?(旧首都への思い)
朝鮮半島支配時代は北九州に首都があり、半島支配や関係が途切れて奈良へ東遷
し、東国、蝦夷の支配強化へ転換した。それでも前九年や後三年の役のように平安
中期まで東国支配は完全でなかった。やがて関西より関東へと首都の東遷の蝦夷支配
が日本史。
2〜3世紀は北九州の倭国政権以外に奈良・北陸・関東などに独立政権があった
のだろうと思う。
901名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:57:00 ID:s671FizH0
>>898
そこに疑問を持てば、
当時の人間がどれくらい正確に図れたか、
まず現代の正確な地図を見るだろ。

そして、ある程度、確実に現在地がわかる
帯方郡、韓国南岸(倭国北岸)、対馬、壱岐を基準にせざるを得ない。

それぞれの間隔の記述は、7000里、1000里、1000里だ。
その比である7:1:1は現代地図においても正確、方角も正確。

この事実を無視する方が不自然、かつ不毛だろ…。
902名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 01:58:40 ID:sC5w6J7+O
くだらねぇ
903名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:00:10 ID:q562Rvaj0
>>899
大でんでんねこと言わざるを得ない。

http://dendenneko.exblog.jp/
904名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:00:43 ID:HIWrKBFv0
>>900
つうかそのころの記録文書が正倉院とかの国宝として残っているので話にならない
905名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:01:37 ID:NeM4rwd80
>>894
結婚は結婚。しかもはっきり語り部で伝来されてる。
倭人伝の卑弥呼と台与の記述みたか?

かなりはっきり詳しく書いてあるぞ。男王の代も無視せず書いている。
周辺国の男王の名前、役人の名前まで書いてある。

それが大物主神も崇神天皇も無視とかありえんwww

卑弥呼の時代に男王は居ない。台与の時代にも男王は居ない。天皇は居ない。

畿内の大和の話ではないのがわかるわな。
906名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:01:37 ID:UoOQQzsQ0
>>882
俺の考え方と違うな。

神功皇后を「魏志倭人伝に出てくる卑弥呼」に比定…したんじゃなくて、本文には書かず、わざわざ注釈部分に不確定な書き方をしているわけで、比定出来る可能性をにおわせた・・・と見るべき。
邪馬台国の卑弥呼が誰なのかわかってない…んじゃなくて、意図的に無視した、そして、誰なのか比定されないように気をつけた・・・とみるべき。
907名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:02:20 ID:HIWrKBFv0
>>901
それは「九州の読み方」に無理してしてるからだけのこと。普通に読めば日本に存在しない
908名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:02:54 ID:NDLRuu+CO
行った奴が帰ってきて初めて正しい距離なり方角なりが分かる
実際、正確な位置が出てる国は何度か行き来があったのだろう

けど邪馬台国については不正確=行った奴が帰ってこなかったんだよ
909名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:04:22 ID:DaFKjKJW0
九州説の言い分は、どうもうさんくさいな。
文献の解釈が恣意的すぎる。

こりゃ、畿内説が信憑性を増すわけだ。
910名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:04:28 ID:NeM4rwd80
>>906
>意図的に無視した
>そして、誰なのか比定されないように気をつけた・・・とみるべき。

その見方の根拠がない。無視するなら話を捻じ曲げるはずだが。

さらに君がわかってないのは、意図的にするならモモソのところに
するはずだが。誰でもわかる話。

 

911名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:04:36 ID:m2QrNQvO0
結局九州説なんてただの町おこし
キリストの墓と同レベル
912名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:04:37 ID:s671FizH0
>>907
最早、意味がわからないぞw

現代地図も、7:1:1の倭人伝の記述上の比の正確性も、
共に客観的なもので、九州と何の関係もないじゃないか。
913名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:05:04 ID:2Heolttg0
ど田舎だから発掘しやすいだけだろ
914名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:05:44 ID:gazV2LnzO
佐賀www


女子www



短大www
915名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:08:59 ID:hmvx50A1O
>>901
釜山〜対馬〜壱岐を1対1なんて止めてよ。かたっぽ半分だろ。
でたらめじゃん。
916名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:09:44 ID:HIWrKBFv0
>>905
クナ国の王ぐらいだろ。それあとは役職と大夫の難升米とそのお供くらいだぞ?それが
どうして
>それが大物主神も崇神天皇も無視とかありえんwww
になるのかわからん。中国から見たらそうみえたと考えられる

>畿内の大和の話ではないのがわかるわな。
九州には想定される何もない

917名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:10:33 ID:tG5ScXVS0
>>901
それには、反論が可能だ。
通行の多い海域であれば、サンプル数が多いから、風の影響を無視できる。
つまり同一条件下(おなじ船・同じ量の積荷)での風の強い日、弱い日、
を比較すれば、風の無い状態を推測できるし、そもそも風の無い日の
データーも集まるだろう。
それらを各海域ごとに比較すれば、正確な比を求めることが出来るというわけ。
君の例示した海域では、古代頻繁な往来があったという事だろうね。

これが通用しない場合は、いくつか考えられる。
ひとつはAからBまでの航路が直線ではなく多数を中継する場合。
この場合、道のりの距離(の比)は正しく求められても、それはAB間の
直線距離を反映しない。もちろん、精密な方位と組み合わせで後から地図を書けば、
数学的に直線距離を算出することは可能だが…

そしてもう1つは、サンプル数が少ない場合だ。
あまり用いられない航路では、一回ごとの航海がもつノイズが大きすぎ、
距離の相対的測定は不可能だ。

魏志倭人伝の記述を鵜呑みにすると、海上に出てしまうよね。
つまり、彼らは正確な距離の記述に失敗しているのだ。
これは、「航路が複雑に曲がっている」か「あまり用いられない航路だった」
ことを示している可能性があるね。
918名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:11:11 ID:NeM4rwd80
ここで方角とか距離で必死になっている奴ら笑える。
女王国の場所を素直に教えるわけがない。

ここで倭人が言っているのは「女王国に南に水行10日+陸行一月」
つまり教える気など初めから更々ないって話。

畿内は南じゃなく東だぞ。教えたいなら間違えるわけない。
919名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:12:19 ID:DaFKjKJW0
>>873
>総距離12000里、途中の伊都まで10500里、残り1500里。

こういうのよく見るけど、
水行十日とか、陸行二十日という表記もある。
九州せつ整合性がつかない。
意図的に無視してるようだがな。

だいたい、当時の里数なんて正確とは言えない。
どんな測量技術を用いて里数を計ったんだ?その正確性は?
100里単位なのがそもそも、里数をいいかげんに見積もった証だ。
12000里なんて、西の大月国との距離関係で用いた数値だ。
だいたい、倭国まで12000里なんて、きりの良い数値で表せるわけがない。


920名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:12:32 ID:b6qe4Oa40
もう文献だけいじってたって何も出てこないよ。それが今の九州説。
当時、既に大和王権があったってこと。大陸との交流もあった。
「ヤマタイコク」なんてのは存在しない。「大和国」があったんだよ。
921名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:15:23 ID:OLIE+sDTO
九州説って文献では証明はできないし、発掘しても墓守り程度しか住居跡出てこないとツッコミもあるね。
更に航海の説明も問題あり。
奈良時代、鑑真が日本に来るときもかなりの台風や船移動の被害あって奈良に来るのに凄い年月かかってる。
遡る魏の時代は更に厳しい航海と思うから、倭人伝みたいなスムーズな航海でも九州はありえないと思うが。
真面目に中国近海の別国と勘違いしてる可能性もあるよな。
922名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:16:30 ID:DaFKjKJW0
>>873
>総距離12000里、途中の伊都まで10500里、残り1500里。

この距離が正しければ、北九州の中でとっくに遺跡なり古墳なりがみつかってるはず。
それが無いのはどうしてだ?

北九州は開発が進んでるから、遺跡があれば見つからないはずはない。
卑弥呼の墓だって、見つからないわけがない。

遺跡も無いのに、書いてある距離(しかも正確性に欠ける)だけで九州説を補強することはできないよ。

923名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:17:39 ID:lgiV0FcP0
邪馬台国は妄想、卑弥呼なんて存在しなかった

これで手をうとう
924名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:18:49 ID:NeM4rwd80
>>920
畿内説も何もでてないが。
巻向遺跡は天皇の宮跡。んで? 邪馬台国でも卑弥呼でもない。

しかも、比定されている天皇時代には九州まで力が及んでないのが明記されているうえ
中国との交流もない。ちなみに>>921 鑑真の凄い年月の航海というのは
九州にたどりつくまでの話だが・・・

文献だと九州説にしかならないんだな。逆に文献で畿内説に有利なものが何かひとつでもある?
925名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:19:01 ID:Io++Jlrr0
邪馬壹国  壹與(とよ)

邪馬壹国と書いてほしい 
926名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:19:19 ID:rRf8ChWW0
邪馬台国の勢力下に九州も入っていたのでは?
総距離12000里は邪馬台国の支配下の朝鮮から一番近い場所で
女王の都まで行くのは水行10日と陸行1月だった。

邪馬台国の勢力下でないと安全な旅はできない。
927名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:19:26 ID:7oskPqkBO
そういや>>1のおっさんたがじんの番組に出て、近畿説の教授にけちょんけちょんにやられ、
「高島くんは本当は近畿だと思ってるんだけど、君は九州説をやれ
とおくりだされたんだよ」
なんて言われて苦笑いしてたよなw
928名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:19:34 ID:J7Oji0hEP
>>919
当時の人が海路で測量できるとは考えづらいから
渡海して次の港までを千余里と言ってたんだろう。
兵站の輸送量を考えていたと考えるのが合理的だね。
929名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:20:13 ID:GV2F9l770
>>920
資料より空想を優先ですか。
930名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:20:35 ID:vCDxXtba0
むかし、台湾人が書いた魏志倭人伝の解説本読んだけど。
中国語では、国名の前の「至」と「到」の字は意味が違うそうだ、国名の前に
「到」が書いてある国には魏の使節は行ってない、紹介してるだけ。「至」の
前に「又」「従」「始」ではじまる文が書いてない国は、次への起点に文法的
にはならないそうだ。
931名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:21:03 ID:9GzHllmfO
トヨは伊勢神宮にまつられてるんだっけ?
トヨの代から畿内進出した…って説を聞いた事があるような。
932名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:21:30 ID:j6ZyOwz70
>>926
結局そういう風に恣意的な解釈しないと九州説も無理でしょ?
933名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:21:47 ID:hmvx50A1O
邪馬台は魏音でヤマト。これはハッキリしてる。
対馬、壱岐などの地名がづっと残ってることからもヤマトもそういう音の場所でないとおかしい。
対馬、壱岐、投馬(ズマ)=出雲、邪馬台(ヤマト)=大和で自然だ。
九州説は九州が大陸と近いと誇張するが狭いニッポン、九州と畿内なんか中国からみたら隣近所だ。
九州説は邪馬台国は九州のどこなの?それすら九州論者で百家争鳴。
934名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:22:13 ID:NeM4rwd80
>>916
馬鹿がどんどんバレてきてるね・・・

各国の王や役人の名前、女王の名前まではっきり書いてあるのに

畿内だとしたら絶対に抜かせない当時の天皇と大物主神の記述が
完全に抜けているというのが、畿内でなかった証拠。

この文章がわかるだけの国語力があるといいのだが・・
935名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:23:01 ID:NpOg84V90
普通に考えて 九州だろうよ
936名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:25:08 ID:NeM4rwd80
>>933
とりあえず、畿内説ってのはありえない。文献からも、遺跡からも。

巻向遺跡は崇神〜景行天皇時代のどれかの宮だと思うよ。
しかし、そこに邪馬台国も卑弥呼も登場しないんだが。

937名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:25:49 ID:DaFKjKJW0
>>926
>女王の都まで行くのは水行10日と陸行1月だった。

それはダメだね。

「水行二十日で投馬国につく」という文も同時にあるから、整合性がつかない。
九州説はそうやって、都合よく文献を解釈しすぎる。
それでいて、九州でしかありえない、とは恐れ入る。
938名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:25:56 ID:j6ZyOwz70
>>934
各国の王の名前なんて魏志倭人伝にあったっけ?王は狗奴国だけであとは役人の名前だけじゃなかった?
939名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:26:24 ID:WnGZ8ACN0
単に地元だからだろ
940名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:28:04 ID:rRf8ChWW0
>>937
俺は畿内説だよ。
畿内説にした場合の12000里の意味を考えてみた。
941名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:28:24 ID:MwJHxD1uO
金印がなぁ…
942名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:28:53 ID:7oskPqkBO
畿内しかないと思うぜw
九州に邪馬台国あったなんて日本の一次資料に存在しない。
結局のところ「ある」
という証明はできないわけだ。
943名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:28:58 ID:NeM4rwd80
今、巻向遺跡を掘ってる人たちってのは必死でテレビに出てきて
邪馬台国やら卑弥呼を必死で連呼してきてる。
これは吉野ヶ里遺跡の人間もそうなんだけど。

金ほしさ、注目ほしさ、なんだよな。観光とかいろいろあって抜け出せないw

巻向遺跡の連中が掘っているのも宮内庁とは関係ないところ。
比定地を掘らせたりしないし、箸墓古墳なんてもってのほか・・

天皇の巻向宮っていうのも(3つでてくる)、今回の遺跡とは全く別の場所に
比定されているから・・
944名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:30:00 ID:hmvx50A1O
>>934

>畿内だとしたら絶対に抜かせない当時の天皇と大物主神の記述が


なんで絶対に抜かせないんだ?記録してるのは魏の使者だっての。


>この文章がわかるだけの国語力があるといいのだが

国語力ってより理系的論理に欠けているな。
945名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:31:25 ID:srs1CALSO
大和 大国
ヤマトタイコクで決定だろ


大国イコール大物


日の巫女の天照大神を祀る神社もあるしね
946名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:32:08 ID:DaFKjKJW0
九州説のいいかげんなところは、
倭人伝に書いてあることはすべて正しいとして、
畿内の様子は倭人伝に書かれてないから大和ではないという。
記紀神話には卑弥呼は登場しないから大和ではないという。

それなのに、倭人伝にかかれていない「邪馬台国が東遷して大和朝廷になった」とか言い出す。
九州の邪馬台国が東遷したなんて、中国のどこの文献にも書いてないのに、

しかも卑弥呼は天照大神だとかいいだす。
「記紀神話には卑弥呼は登場しないから大和ではないという。」と、さっき言ってた事と矛盾することを言うわけだ。
都合の良いところは記紀神話を引用してくるわけだ。

九州説の論法のいかがわしさが、聞けば聞くほど暴かれていく。
947名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:34:08 ID:j6ZyOwz70
九州説の人間っていつ九州が九州を統一したってことを日本の文献で
説明できないんだよな。
あと記紀は疑わしいといいながら神話の東征だけは信じてるしわけわからん
948名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:35:44 ID:NeM4rwd80
>>944

あのさあ、小学生の問答じゃないんだよ。
女王の名前、国王の名前、役人の名前、人口、風習、権力図、全部描こうとしてる。

畿内説にするとすると、モモソ時代存在していたはずの天皇の記述がない。
女王が結婚したことになる大物主神の記述もない。

倭人伝は台与の時代の書物であり、卑弥呼時代ではない。その記述がないのは
不自然きわまりなく、つまり崇神天皇の居た国の話ではないわな。

あと、魏の使者って具体的に誰のこと?
編纂って意味わかってる? どこからどこが編纂資料でどこからどこが
航海資料で、どこからどこが誰の話とは何も書いてないが。
949名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:36:28 ID:jNnv3QGJ0
東と西に二つ国があっただけだろ
邪馬台国ともうひとつあったんだよ
950名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:39:21 ID:j6ZyOwz70
藤原広嗣がどうのこうのって隼人の反乱なんて証拠残りまくりだよ
そのころの律令制による色々なデータまで残ってるのに。
畿内制をすでにとってるが、畿内というのは東魏のシステムとほぼ一緒で
意味自体王城の近所だよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%A8%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%BF%E5%86%85
951名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:39:28 ID:NeM4rwd80
>>946
畿内説のいい加減なところは、文献でも発見した巻向遺跡でも
「邪馬台国と卑弥呼」の話の関連が全くできないことなんだよ。

だから「九州説」を持ち出し、ところどころ持ってきて「卑弥呼はアマテラス」じゃないんだよw
なんて関係ない話を持ち出してくる。誰がそんなこと言ってる?誰も話してないよ。

畿内説の証明が全くできないことには変わりないね。

卑弥呼はモモソではないし、大和朝廷は邪馬台国時代に九州に
権力が及んでないことが、記紀にちゃんと記述されているのに、その反論は?
952名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:41:44 ID:NeM4rwd80
畿内説を語りたいのなら、畿内説だけで語ればいいのに、それが
全くできないから他の説を持ち出す。

「九州説は卑弥呼がアマテラス説で、東遷説だよ。それはない。だから
畿内説が有利」

これを詭弁という。
953名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:41:53 ID:NDLRuu+CO
マルコポーロも日本の事をいろいろ書いてたよな…
954名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:42:25 ID:yuDD7PA90
文献解釈で言うなら、隋志に、魏志のいう邪馬台国は奈良のことだって
はっきり書かれてるんだろ。

しかも当時の日本に里数の概念は無く、ただ旅行日程をもって距離を
計ってた、ともある。東西5ヶ月だとか。

なぜ文献で既に解決してることを、解決してないと言って騒ぎ続けるかね。
別に邪馬台国の都じゃなくったって、立派な遺跡が見つかったなら、そこに
立派な勢力が居たってだけの話じゃないか。
それを正しく観光に使いたまえよ。
955名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:44:10 ID:UoOQQzsQ0
その頃の日本を想像してみよう。

縄文人がいて、縄文時代後期から稲作が始まった。
それと同時に大陸からの弥生人流入により日本は人口爆発、弥生時代に突入。
縄文時代後期から弥生時代前期のうちに大陸から渡来してきた弥生人たちは縄文人との混血が進み、土着系弥生人となる。
これが後の邪馬台国。
割と渡来系のみで構成された一族もあった。それが渡来系弥生人。
これが後の大和王権を形成する一族。
(弥生時代には体格の違う二つの弥生人が存在していた。おそらく文化や風習も違っていたんじゃなかろか、言葉も違っていたんじゃないかと思う)
そして、土着系弥生人の邪馬台国は、九州を中心に最盛期は近畿まで影響力を及ぼしていた。
渡来系弥生人たちも邪馬台国の影響下にあった。
しかし、その後、渡来系弥生人である大和王権一族が邪馬台国から王権簒奪!近畿、中国地方に渡来形弥生人のいくつかの豪族達による連合国家のようなものを成立させる。
(物部氏、蘇我氏など、いくつかの豪族達がそれぞれの国を治める連合国家で、天皇とはそれぞれの豪族の互選により祭祀的役割のみを果たす役職名に過ぎなかった)
そののち、九州に残った土着弥生系の邪馬台国を制圧。
(熊襲征伐、磐井の乱で、邪馬台国流れをくむ国は滅亡した)
独立色の強い連合国家であった旧大和王権の中で、物部氏が勢力を拡大する。
旧大和王権の中で、大王的存在となった物部氏だが、その後蘇我氏を中心とした反物部勢力によって失脚、蘇我氏が大王となる。
その後、中大兄皇子一族と臣下である藤原氏(中臣)とが中心となり、蘇我氏追放、中大兄皇子が大王となる。
その後藤原氏によって記紀が編纂され、神話までさかのぼった正史を編纂する。
正史編纂に際し、同民族である渡来系弥生人豪族一派の伝承等は、自らの歴史に組み込み、万世一系の一部とするが、異民族である土着系渡来人国家「邪馬台国」については、正史から排除する。
しかし、手本となった大陸の正史に書かれている邪馬台国をまったく無視するわけにもいかず、また、各地に残っている邪馬台国に関する伝承なども踏まえ、注釈などで、それとなく匂わせたり、神話部分にそれとなく取り込んだりした。

簡単に書けば俺の古代史感はこんな感じ。
956名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:45:00 ID:j6ZyOwz70
>>948
全部じゃないな。魏志倭人伝なんて短くていいかげんなものだ。
>内説にするとすると、モモソ時代存在していたはずの天皇の記述がない。
>女王が結婚したことになる大物主神の記述もない
実勢おこなってる弟じゃね?血はつながってる皇族同志なんだからさ。

>倭人伝は台与の時代の書物であり、卑弥呼時代ではない。その記述がないのは
>不自然きわまりなく、つまり崇神天皇の居た国の話ではないわな
書いてなかっただけじゃないの?短いし全部かけないだろ。伝聞だし、東夷伝
は結構いい加減で、倭ではないが別のところで、外国語に南海も翻訳し伝聞もはいってるから
自信ねえって鎮寿じしんがいってるだろ
957名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:45:43 ID:hmvx50A1O
>>948お前の文章がわかるやつはいないよ。
お前自身もう自分がなに書いてるか分からないだろ?
958名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:46:34 ID:DaFKjKJW0
>>952

卑弥呼がアマテラスで、東遷説でない九州説をってどれくらいだ?
ほとんど東遷説だろ?


詭弁だな。




959名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:47:36 ID:j6ZyOwz70

九州説を語りたいなら、九州説が「ある」ことを示せばすむのに
何故それをせずに、史料批判に終始するのかわからない。
文句ならいくらでもつけられる。

九州説が陰謀論と目されるのは当たり前だよ
960名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:47:50 ID:NeM4rwd80
邪馬台国巻向説者のいうこと。
「これは卑弥呼の時代の権力者の建物。だから、ここが邪馬台国と卑弥呼」

これしかない。しかしね、その時代にはどの天皇が居たかも言えない。
言うと卑弥呼の存在がおかしくなるからな。
巻向宮=崇神〜景行の宮のどれか。

そうなるとモモソ姫=卑弥呼説しかありえない。これが畿内説。

しかし、モモソ=卑弥呼は昔から否定されてきた。文献でも倭人伝と
整合性がなく、天皇の存在が無視されていることが一番おかしい。

だから2chの畿内説者というのは、モモソ姫と崇神天皇の話の議論になると
おかしな別の話に持っていくのに必死。
違うってわかってるからだろうよw
961名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:48:23 ID:vnEJqOOu0
ありとあらゆる可能性を考えるのが考古学の面白みなんだが

九州でしかありえないとか・・・学長ですらこの程度なのか、この程度だから学長になれたのか
962名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:49:05 ID:OLIE+sDTO
とにかく九州説には疑問が沢山あるんだよね。
死者を葬る霊場みたいな史跡は多いが人が住んでた形跡が見当たらないとか。
高千穂なんて霊場であり、人が住む感じではない。
個人的には耶馬台国は魏国に流れ着いた倭人の脳内王国だと思うけどね。
その倭人が数百年前から魏と縁がある耶馬台国女王の子孫だと主張。
魏ではこの倭人しか居ない、倭人伝だから倭から流れ着いたこの人が自分自身の都合だけで倭のイメージ変えたり、歴史勝手に書き替えられること出来るよね。
一部記述はフィクションって考えてもよいかも。
963名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:51:17 ID:DaFKjKJW0
九州説のイヤラシイところは、
本当は、卑弥呼がアマテラスで、東遷説を主張したいのに、
それだと逆に攻撃されるからと、東遷説を隠して九州説を唱えてるところにある。

東遷説でない九州説というのは、
「九州にあった邪馬台国が、後に大和朝廷に吸収合併された」というものだが、
それを声高に主張してる九州説派がどれくらいいるのだ?
>>1の高島氏は、しっかり東遷説を否定してるが、
このスレにいる大部分の九州説派は、あわよくば東遷説に流れるつもりでいるんじゃないのかね?

違うなら違うとはっきり宣言してもらいたいものだ。
「九州にあった邪馬台国は、後に大和朝廷に吸収合併された」と。

宣言できるかい?
964名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:52:25 ID:NeM4rwd80
>>956
>実勢おこなってる弟じゃね?

は? 天皇と大物主神の結婚と「弟」だけか?希望的観測にしても弱いよ


>>954
その隋書で日本は30数国に分かれ、それぞれが王と名乗るとあるんだけどな。
しかも奈良とは書いてない。原書読んでないだろ。
魏志倭人伝の、とある。拠り所がそれだから、倭人伝の邪馬台国の比定がさき。

965名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:52:28 ID:n5sSP4Wi0
>奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡

不思議発見でやってたが捏造臭せえ
966名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:52:29 ID:hmvx50A1O
>>960
やっぱりお前の文章はわからんわ。自分でも何書いてるかもう分からなくなってるだろ?
967名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:52:32 ID:8LP65OLw0
>>27
そもそも魏志倭人伝の記述が捏造だろう
断片的な情報からもっともらしい国を創作したってこと
例えて言えば火星に蛸みたいな火星人が住んでるって言うような話
968名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:54:23 ID:+Z6ujhDaO
>>955
大陸からの流入って急激に起こったんだろうか?
急激に起こったなら要因となる大きなイベントが大陸側であるはずでそのイベントの記録もあるはずだけど
969名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:54:38 ID:NeM4rwd80
畿内説者は、倭人伝の邪馬台国と卑弥呼、
発掘された纒向遺跡の整合する記紀の記述が全く合わないことを指摘されると

必死で話題をそらす。それをさっきから証明してる書き込みがw

畿内説ならまず、自説を固めろよ。なんで九州説に必死になってんの?
970名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:54:40 ID:DaFKjKJW0
>>960

モモソ姫=卑弥呼ってことでいいなら、いくらでも語れるけど?

聞きたいことがあれば質問しなよ。

971名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:55:01 ID:kqgaTD390
九州説をとるならヤマト(邪馬台国と同じ)っていう国が九州にあって
この政権を奈良の崇神王朝が名前と三種の神器ごと奪ったんじゃないか?
これ問題ある?
972名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:55:16 ID:DG/Ck1rmO
あと20年もすれば九州説となえてる人は絶滅するよ
973名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:55:44 ID:j6ZyOwz70
>>960
>しかし、モモソ=卑弥呼は昔から否定されてきた
否定してるのは九州説の人でしょ?畿内説の人からすれば
「九州説は昔から否定されてきた」といえるし、実際江戸より前はヤマトしかなかったんだし。
昔からっておかしいんじゃね?
>整合性がなく、天皇の存在が無視されていることが一番おかしい
整合性のある第一次史料自体が日本に存在しないのが九州説でしょ?

それに「男弟あり、佐けて國を治む。」とあるから実政を行ったのが
天皇とも解釈できる。

九州説は早く九州が九州を統一していて書いてあった地域を属国にしていた
という証拠出したら?

それをいわれたらすぐに黙り込むのが九州説w
974名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:56:49 ID:NeM4rwd80
>>970
ずっと前のレスで矛盾指摘しては、関係ない詭弁でごまかしてきたくせに
よく言うよwww

じゃあ、まず最初から読み直してモモソ卑弥呼説ちゃんと書いてみな。
さっきからやってるように何度も論破してんじゃん。
975名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:56:53 ID:DaFKjKJW0
>>969
マキムクは崇神の水垣宮。

モモソ姫は、崇神の頃の巫女。死んだ後、箸墓を作った。
卑弥呼でなんら問題ない。
976名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:58:17 ID:mYem9q6GO
九州だろうが奈良だろうが、どちらの味方をするのでもないけどさ
こーゆー論争がある度に、自説が不利になるような物証が出土しても、証拠隠滅の上、黙殺しているんじゃないかと、つい訝しんでしまう
977名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:59:02 ID:j6ZyOwz70
>>971
神武の東征肯定するなら、都は大和じゃないとまずいし、北九州は大和が掌握してたことになるよ。
三種の神器はあとから複数の国からとりあげるけど筑紫はヤマトのものだったんじゃないかな?
そこらへんの記憶は曖昧だけどさw
978名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:59:26 ID:NeM4rwd80
>>975
だから何百も前からその矛盾を細かく書いてきたら
「卑弥呼はアマテラス九州説」とか連発してごまかしてきただろうがww

979名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:59:43 ID:BHwiAFn40
どうでもいいけど、決定的な物証出て確定したら、
間違えた方の学者は全員責任とって氏ね。

まさかの四国から物証見つかったら両方師ねwww
980名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 02:59:51 ID:DaFKjKJW0
>>974
九州説で、東遷説でないなら、

「九州にあった邪馬台国は、後に大和朝廷に吸収合併された」と宣言しなよ。

話はそれからだ。



981名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:01:45 ID:YdUDpx8G0
近畿説は里を3kmとか4kmで計算しているんだろ?一万2千キロということは地球一周分になるな。

ということは一里75mで計算するのが普通だと思うが?
そうなると全然近畿には届かないだろ。
982名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:03:13 ID:tPq9ul8k0
初王は、天の御中主(みなかぬし)と号す。彦瀲(ひこなぎさ)にいたる、およそ32世、
みな尊々もって号となし、筑紫城にいる。彦瀲の子、神武立ち、さらに天皇をもって号となし
徒(うつ)りて、大和州に治す。次は、綏靖といい、次は、安寧という。」

新唐書日本伝にも神武東征っぽいことは書かれてるんだよな。これをどう考えるか
983名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:03:41 ID:NeM4rwd80
また最初からやり直すのは疲れる。興味あるやつは読み直せ。
とにかく、さっきから言っているように
邪馬台国畿内説=モモソ卑弥呼説。

これしかありえんのよ。
だから、これから巻向が崇神天皇の宮で卑弥呼がモモソなのか。
この検証が畿内説のすべてなんだな。

そこになんで九州のアマテラス説が関係するのか。
アマテラス東遷説論破したら畿内説が成立すると思ってるようだ。
984名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:04:04 ID:j6ZyOwz70
まず九州が九州全体をあの時代に統一していたという日本国内での第一次史料と
考古学的証拠が必要だな。それがないので史料批判するものの、
まともな学者からは「漢語の訳が恣意的であり正式な史料批判の手順を踏んでいない」とかいわれるんだよ
985名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:04:04 ID:YdUDpx8G0
>>981
>一万二千キロ
一万二千里 3万6千キロ訂正 
986名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:04:56 ID:DaFKjKJW0
NeM4rwd80は、自分が東遷説じゃないことを宣言できないのか

これだから九州説は信用ならんのだ

987名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:04:58 ID:ehqmRsL70
佐賀の朝鮮土人がまた喚いているのか
988名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:05:13 ID:5joG/pan0
>>361
たった60年ちょい前くらいの沖縄戦についてもいまだに
確定できないで「日本軍が〜・・ いやいや〜・・」って
やってるじゃない

1800年前も前の事なんてもうファンタジーの領域ですよ
989名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:05:26 ID:kqgaTD390
畿内説の俺が強引に九州説を語ってみる。
卑弥呼の時代、崇神王朝は成立していた(これがヤマトと呼ばれていたかは不明)
九州に卑弥呼を共立した邪馬台国が成立(場所は全くの不明)、
その後崇神が四道将軍を派遣本州の大半を制圧。
その更に後、大田屋子(大彦の孫)をして唐津の見借を征伐、
神功をして甘木の羽白熊鷹征伐、藤大臣(仁徳天皇記)をして
久留米を制圧(この時三種の神器が畿内へ)
990名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:05:46 ID:7oskPqkBO
>>981
誰がいってるのかいってよ。
991名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:06:38 ID:YdUDpx8G0
学会のみなさん
どうでもいいけど、素人でも指摘できることをクリアーに説明しないと、どっちみち地球温暖化詐欺みたいに、そのうち暴かれますぜそういう誤魔化は。
992名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:06:50 ID:bkUPT/Eg0
実は邪馬台国なんか存在せず
魏の使者に言った水行何日とか陸行何日とかは、
すべてハッタリだったんだ!! キバヤシのAA(ry
993名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:08:13 ID:j6ZyOwz70
>>991
おまえはまずごまかさずに>>990の疑問に答えてやれよ。
994名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:08:25 ID:DaFKjKJW0
お〜い、九州説のやつは、結局みんな東遷説なのか?

卑弥呼がアマテラスで、
九州の邪馬台国が東遷して大和王権になったと信じてるのか〜?

だったら、そういう話をしてみなよ。


995名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:08:27 ID:tebnKGJdO
>>963
うん宣言というか認める。可能性はあるね
九州にあった邪馬台国は、後に大和朝廷に吸収合併された

宮崎や宇佐あたりは後の大和朝廷の飛び地だったと思うよ。
例えば、神武天皇の東征は推測だけでも
@ そのままの意味のごとく東征
A 後継者として迎えられた
B 後の熊襲等の攻撃で九州から近畿に避難した(カッコ悪いし、後に熊襲討伐したから東征と変更)
等色々解釈の可能性があり
996名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:09:01 ID:YdUDpx8G0
>>990
この前近畿説のおっさんが卑弥呼スレでわめいていたよ

>>991
だから今書いてんだろ 3分規制もわからんのかド素人
997名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:09:36 ID:srs1CALSO
出雲〜大和に移ったんじゃないかな?
998名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:10:36 ID:7oskPqkBO
>>996
だから誰だよ
999名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:11:03 ID:kqgaTD390
>>982
そんな事を中国が知ってるなら倭人伝の頃にそのことに触れてるだろう。
記紀や日本政府の伝えた事をそのまま書いただけとみるのが自然。
1000名無しさん@十周年:2009/12/01(火) 03:11:13 ID:tPq9ul8k0
さよなら、またね
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