【福岡】 「邪馬台国は筑後地区から熊本県にかけてが有力だ」九州大学名誉教授 飯塚市で邪馬台国をテーマにしたシンポジウム
1 :
かしわ餅ρ ★:
九州の古代史などへの興味を深めてもらおうと、28日、飯塚市で邪馬台国を
テーマにしたシンポジウムが開かれました。
このシンポジウムは飯塚市と県や専門家でつくる協議会が地域の歴史への興味を
深めてもらおうと開いたもので、会場のイイヅカコスモスコモンには考古学ファンなど
およそ300人が参加しました。
まず、飯塚市出身で佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘に携わった佐賀女子短期大学の
高島忠平学長が講演しました。
このなかで高島学長は邪馬台国論争の歴史や最近の学説などを紹介したうえで、
「邪馬台国にはたくさんの環濠集落や鉄製品があるはずだ」などと述べました。
続いて、九州大学名誉教授の丸山雍成さんが「魏志倭人伝の行程を読み解くと、
邪馬台国は筑後地区から熊本県にかけてが有力だ」という説を紹介しました。
このあとパネルディスカッションが行われ、邪馬台国のあった場所をめぐって意見が
交わされました。
http://www.nhk.or.jp/kitakyushu/lnews/05.html
2 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:50:31 ID:2FC5Ci270
まじか
3 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:50:35 ID:VoJG4dx60
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ )
i / ⌒ ⌒ ヽ )
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| (__人_) | 〜 ♪
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/│ 鳩 │\┌───┐
< \____/ > 10000 |
┃ ┃ └───┘
= =
すごい自動脱税システムだよ。
4 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:51:01 ID:4rxKucrG0
また飯塚か!と思ったが事件じゃないのかw
5 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:51:34 ID:czbhmHvK0
「邪馬台国にはたくさんの環濠集落や鉄製品があるはずだ」
あ る は ず だ
6 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:52:37 ID:v3YyI0zQO
そもそもなんで福岡に邪馬台国ができるんだよw
後に大和朝廷できたのが奈良って考えたら有り得ないだろw
7 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:52:40 ID:Nfo5/6TuO
何の新発見もなく無駄金つかうなよ
8 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:53:07 ID:xGW8oOZI0
九州説を唱える学者先生は、いまや絶滅危惧種でレッドデータブックに載ってます。
みんなで暖かく見守ってあげましょう。
9 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:54:26 ID:/3B1WMIR0
もうどうでもいいから、こいつらを仕分けしろ
決着つけないほうが経済効果ありそうな気がするし
10 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:55:28 ID:wNFq1KrsO
九州説なんて漠然とした言い方が許されるならアジア説だって許されるはず
せめて現在の都道府県レベルで言え
11 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:56:06 ID:HcTZyM4V0
関西に喧嘩売ってんのかこいつら
福岡県飯塚市、ってだけでなんか響きが恥ずかしいのは誰の功績だろう。
邪馬台国は都市伝説
鯨統一郎氏は東北説を著書で唱えていたなw
15 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:57:07 ID:0RdRKNlc0
現在の馬台国は沖縄のずっと南方にありますが
邪馬台国レベルの国は、日本中どこにでもあったのが
話をややこしくしてるんだよな
17 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:58:26 ID:uQY8xmCeO
俺は筑後だが、間違いなくこの辺りには邪馬台国は無い
18 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:58:31 ID:/76c07zH0
ずーり T T
ずーり ,/´ ̄``:ヽ, ,/´ ̄``:ヽ,
/××× :::::::/××× ::::ヽ
|∀・ ×× :::::||∀・ ×× :::::| サァ アキラメロン!
T ヽ××× ::::/ ヽ××× ::::/ T o
,/´ ̄``:ヽ, '''''''''''''´´ `'''''''''''''´´ /´ ̄``:ヽ,
/××× ::::ヽ ヒ、ヒィー / ::::ヽ
|×・∀・ × :::| ('A`≡'A`) | ::::|
ヽ××× ::::/ T 人ヘ )ヘ T ヽ ::::::/
`'''''''''''´´'/´´ ̄`:ヽ, ./´´ ̄`:ヽ,`'''''''''''''´´
/ ××ゝ::ヽ./ ××ゝ::ヽ
ずーり | ×× ・∀|| ×× ・∀|
ヽ ××ゝ::/ヽ ××ゝ::/ ずーり
19 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:58:59 ID:S7Umyh8U0
おそらく筑後にあったんだろうな
だとすれば麻生さんは間違いなく卑弥呼の末裔だ
やっぱり天皇家と麻生家、安倍家の御三家が神代の時代から
日本の国と国民の生命を守り続けてくださっているんだな
20 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:59:02 ID:nfBFrY320
>>1 根拠は?
結局、九州説って魏志倭人伝の文言しか根拠ないでしょ
なんらの考古学的根拠のないアホアホ学説
21 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 19:59:07 ID:kGthWPO0O
どうやら丸山は筑後から熊本県にかけての地域に来たことないようだな
22 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:00:35 ID:RjX1KLD7O
代ゼミにいた日本史の竹内睦泰って何して訴えられたの?
23 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:00:58 ID:yoUSFaxV0
卑弥呼ちゃんキャラぶち上げたもんがちだ
24 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:01:05 ID:mMbhZdW10
九州説は苦しい
まあ、生暖かい目で見守ってあげましょう。
26 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:01:53 ID:nf/OjHLOO
本物の邪馬台国は畿内にあった。
邪馬台国と似たような集落が九州にもあった。
それでいいんじゃない?
邪馬台国が九州にあったなどと馬鹿げた事をほざいているのは朝鮮人くらいのもんだろ。
27 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:02:39 ID:nUT6dNOnO
奈良県に存在したのが、
卑弥呼?
九州に存在したのが、
火魅子?
28 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:03:15 ID:8BL4e+bp0
29 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:03:47 ID:mul3G11A0
8月の対馬視察では意外な事実を知らされた。対馬の小中学校ではだいぶ前から、
歴史の授業で『元寇』に於ける対馬侵略が教えられていない…と云うのである。
http://tafu.iza.ne.jp/blog/entry/744565/ 対馬だけではなく、福岡県太宰府市の「九州国立博物館」常設展示でも「蒙古襲来」に
関する展示が極端に少ない。私も何度か見学したが、どうやら意図的に「蒙古襲来」を
避けている節がある。
特に酷いのが『蒙古襲来絵詞』複製展示の解説文。「蒙古襲来」とか「元・高麗の侵略」
という言葉が全然無く、「対モンゴル戦争」(?)という珍妙な用語なのである。
これでは文永・弘安の役がまるで日本によるモンゴル侵略と勘違いするよう、児童・生徒
を誘導しかねない表現ではないか。
>>20 あんだとこら。
マキムクだって状況証拠やん。
九州はやればできる子、掘れば出てくる子なの。
31 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:04:56 ID:z02ThOO/0
対馬(長崎県)
『魏志倭人伝』(正式には三国志・魏書・東夷伝・倭人条)には倭の一国として韓国の南岸の
「狗邪韓国」(慶尚南道金海付近)の次に「対馬国」として登場する。対馬国は邪馬台国に属しており、
他の倭の国にも見られる卑狗(ヒコ)という大官と、卑奴母離(ヒナモリ)という副官が置かれ統治していた。
そこには千余戸が有り、人々は海産物を採集し、南北に交易を行って生活したと記されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC ↑これが魏志倭人伝に記載されていることが明確にされている九州・長崎県の対馬です。
この対馬国と近畿にあったと現在言われている邪馬台国とどう関係があるといえるのですか?
地理的、地政学的に邪馬台国は九州以外にありえないと思うのですが。
32 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:05:14 ID:o45H7aiv0
バカ二人発見!!
@佐賀女子短期大学の高島忠平・・・現在の日本で九州説をおおっぴらに唱える唯一の先生。「学会の1割が九州説の支持者」だと話すが実際には1%もいないw
A九州大学名誉教授の丸山雍成・・・何十年も前に信頼できないと結論づけられた「魏志倭人伝の行程」を「読み解く」アホw
33 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:06:17 ID:28P550Js0
34 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:06:25 ID:2kxbC+XzO
ー飯塚市より業務連絡ー
邪馬台国はただいま造成中です
造成完了後、擬装が出来次第マスコミに発表します
35 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:06:46 ID:zuoiw4FMO
九州人だが、どっちでも良い
>>6 東遷、地名の限りない一致 くらいかな奈良の大和が漢字と読みが不一致なのも遷都の際の名残と読めるし
38 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:07:43 ID:6E8tt8OO0
筑豊台国
39 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:08:23 ID:wNFq1KrsO
>>30 九州もアジアもやればできる子
そんな漠然とした範囲じゃなく、宮崎とか佐賀とか断定して佐賀派が熊本や福岡派を論理的に否定しようとしてやっと機内(奈良)派に追い付ける
40 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:08:25 ID:5xtMW/rBO
卑弥呼は2人いた
片方はホンモノ
もう片方は当時有名だった卑弥呼の名を騙ったニセモノ
そういうことにしようや
41 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:08:27 ID:28P550Js0
高島忠平さんて内心は畿内説だけど
立場上嫌々やってる人じゃないのw
たしか九州説の教授の下で働いていたとかでw
42 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:08:59 ID:z02ThOO/0
対馬は近畿の邪馬台国に属していましたか?
それとも九州にある邪馬台国に属していましたか?
地政学的・考古学的に考えて邪馬台国近畿説は誤りだと思います。
43 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:09:50 ID:r9Jsp+5JO
みかよりひめ が卑弥呼
44 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:11:34 ID:oy2Wqyn/0
ちょっとそれっぽいもんが出てきたからって結論早すぎなんだよ
もう少し予算増やして待ってれば九州に本物が出てくるってのに なあ?
九州でも近畿でもなく、その中間の出雲〜吉備あたりだと思うよ
>>39 だってあれだぞ。
ここんとこすさまじい発掘成果が出ているイト国だって、
最近、九州大が移転する工事で見つかったわけだし。
47 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:12:56 ID:wNFq1KrsO
>>36 地名の限りない一致とは?
あと九州説≒アジア説みたいな漠然とした言い方ではなく『どこ説』なの?
九州説って『ウランバートルかハノイかピョンヤンか奈良か南京あたりのどっか』ぐらいの邪馬台国=アジア説みたいなもんじゃん
48 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:13:28 ID:jYCwOqhg0
勇気だけは褒めてあげたい
>>36 地名が似てるとか、どう見てもこじ付けレベルw
50 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:14:23 ID:nUT6dNOnO
大和調停
平城京・平安京時代あたりの、
九州の歴史って、あまり無いんじゃあないの?
邪馬台国が九州なら、九州が奈良・京都並の歴史があるはず!
>「筑後地区から熊本県にかけてが有力だ」
多数派を装うやつがよく使う言葉だな。
実際にそう主張してるやつの名前を挙げてみろよ。片手で足りそうだけどなw
52 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:14:57 ID:2A+utZMvO
どちらかがジーグのヒミコという事だな
53 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:15:04 ID:T7kdnYV30
つか魏志倭人伝なんかまともに信じているほうが異常だろ
自分に都合がいいようにいくれでも嘘をでっち上げるのはあそこの伝統
歴史などなくてただの政治しかないのだし
55 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:15:18 ID:IEzZU4YU0
何故に金印は志賀島で発掘されたの?
56 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:15:32 ID:JsZ1/Jgl0
じゃ、じゃ、邪馬台国
57 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:16:17 ID:fb7jzb1B0
>魏志倭人伝の行程を読み解くと
昔ならこういう文献に頼るしかなかったが、文章なんていくらでも捏造できるし、
今は科学分析をやらないと苦しいんでないの?
ま、文系から入った奴にとっては科学を理解するのが大変だと思うが。
59 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:16:21 ID:28P550Js0
高島忠平さん責めてやるな
立場上やらないかんこともあるだろw
60 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:17:07 ID:z02ThOO/0
>>50 京都の月読神社は九州・長崎壱岐島からの勧請。
月読神社 (京都市) - Wikipedia
日本書紀によれば、阿閉臣事代が任那に遣わされる途中、壱岐で月讀尊の神託があったのでこれを天皇に奏上し、
顕宗天皇3年(487年)、「山城国葛野郡歌荒樔田」に神領を賜って壱岐の月読神社の神を勧請し、壱岐県主・押見宿禰に祀らせたのに始まる。 ...
京都府京都市西京区松室山添町15の地図を表示する
ja.wikipedia.org/wiki/月読神社_(京都市) - キャッシュ - 類似ページ
61 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:17:18 ID:vRPK0Ab80
そもそも邪馬台国なんて中国の文献にしか出てこない
しかも書いた人間も実際に見たのでなく伝聞を書いたに過ぎない
この程度の話で長年論争するのは無駄
62 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:17:40 ID:z02ThOO/0
>>57 魏志倭人伝が捏造とかwもう何がなんだかw
孔明の罠だな。きっと。
64 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:17:52 ID:wNFq1KrsO
>>46 『福岡県』に何か『邪馬台国と(直属ではなくとも)関係する』国や機関があったことは否定しないよ
で、さりげなく九州大という上手い単語を見つけるわけだが、単に東大や京大と同じく(宮廷だが)福岡県にある国立大にすぎない
65 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:18:25 ID:rA7tozCI0
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。
高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
66 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:18:32 ID:z02ThOO/0
しかのしまネット(志賀島)
遊びにお食事に万葉の歴史ロマン漂う《金印発掘の地》志賀島へ.
www.sikanosima.jp/ - キャッシュ - 類似ページ
↑金印が出土したのは九州。
大和朝廷と邪馬台国はつながりがないだろう
魏志に書かれた邪馬台国は九州
そのころ畿内では大和朝廷の元になる政権ができていた
68 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:19:05 ID:28P550Js0
69 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:19:37 ID:KV63+nF00
また九州説のオナニーか。
70 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:19:42 ID:ltphnJid0
シナのクソ文献を元に歴史を組み立てるアホウ学者たち・・・・哀れとしか言いようが無い
その時代には日本書紀に書かれた通り関西で天皇を頂き栄えている
天皇以外の別のやNHKでは「大和朝廷」→「大和王権」と換えられ、天皇以外の権力を捏造しているよ
71 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:20:26 ID:z02ThOO/0
>>69 お前は下品だな。天皇陛下が「オナニー」なんて言葉を使うか?
とりあえず西日本最強ってことで
>>54 最後の「中枢施設か」の後ろに、小さな"?"を入れとくのが東スポ的良心w
>>64 なんか勘違いしとる気もするが、ようするに工事でもなきゃ田舎に埋まってる
遺物が発見されることがない、と言いたいわけで。
74 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:20:41 ID:bFAI7a6d0
対馬以降のルートは国防上トップシークレットということ。
10年おきに首都が陥落するような国とは違うのだよ。
75 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:21:14 ID:28P550Js0
おまえら日本史板から出張か、流石めざといな。
ドンと来いスレの伸び鈍いぞw
>>58 そんなのに頼ってる所が九州派の限界なんだよなw
77 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:21:38 ID:wNFq1KrsO
>>58 多分アジアでも似てる都市名は見つかる
>>66 対馬や福岡県は直轄ではないものの畿内=奈良県と何らかの関係はあったと思うよ
78 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:21:43 ID:z02ThOO/0
>>74 その対馬が属していた邪馬台国は近畿にありましたか?
地理的・地政学的に近畿は遠すぎではないですか?
79 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:21:50 ID:UmzGST3vO
名乗り出てきた候補地で「ここが邪馬台国だ集会」やって一番人数が多い所にすればいい。
前に歴史教科書の時にやったじゃん、沖縄で
化石といいこれといいかなりどうでもいい
税金使うな!
>>70 関西の大和朝廷と、宮崎や島根との関係については、どう考える?
今で言えば、中国人が「日本の大きな町に行った」
と書いたのを見て
「大きな町?だったら東京だ」と言ってるのが畿内説。
福岡かも、広島かも、大阪かも等という可能性は無視して
「東京に決まってるだろ、首都なんだし」と決め付けてる。
持ち出す話も、東京がいかに大きいか、いかにすごい建物があるか
などばかりで、聞いてる方はまるで納得できないのだ。
83 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:24:35 ID:28P550Js0
九州人だが、小中学校でも九州説を教えてるし、何か遺跡が見つかるたびに
「大陸とのつながり」、「朝鮮半島からの〜」とか枕詞をつけて報道される
のが本当にウザイ。
日本人朝鮮由来説には九州説が都合がいいんだよ。
マスゴミもよろこんで取り上げてくれるし。
目立ちたがりの学術関係とマスゴミと地域おこしのネタに困った自治体が
タッグを組んでやってるだけなんだよ。
85 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:25:23 ID:z02ThOO/0
>>83 やっぱり東征で東へ東へ移動していたんだな。
曹操がしっかりとした国を作らんからこういうことになる。
87 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:26:45 ID:ltphnJid0
21世紀の今書かれたものでもシナの歴史文書を事実と認識するのはサヨクのアホ教授とNHKだけですよ
88 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:26:47 ID:wNFq1KrsO
>>73 奈良県なんて関西では(日本で見ても)和歌山や滋賀と並んで救い用もない糞田舎なんだけど?
福岡〜熊本〜鹿児なんて奈良とは比べものにならない都会じゃん
都市開発もどんどんしているはず
熊本や鹿児島は中核市とか政令指定都市とか狙えるだろ?
新幹線も通るし都市開発は奈良なんて比較にならないはず
そんな糞田舎の奈良ですら当時の遺跡が出てきてるんだよ?
>>49 邪馬台国と大和は似てるってのが畿内説の根拠のひとつだろ
>>83 スレ違い気味ですまんが、そりゃもともと記紀以前(大和朝廷が支配する以前)の
神々が祀られていたって話じゃないのん?
91 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:28:42 ID:EyPlNnce0
考えても見ろ。吉野ヶ里を発掘した高島氏に見放されたら九州説はどうなる。
心中するんだよ、仕方ないんだ。
予算取るための自作自演
93 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:28:51 ID:28P550Js0
94 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:29:26 ID:z02ThOO/0
>>87 だってそれしか資料ないんだよ?日本をどうやって知ればいいの?
魏志倭人伝全否定?
負け犬の遠吠え
96 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:29:29 ID:sV0w81e30
97 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:29:57 ID:wNFq1KrsO
>>78 出雲や吉備は支配や同盟下だし
距離は変わらないかと
九州説がどの都市を意味してるのかは知らんが
>>82 物証に基づいているのが奈良説
>>89 似てるって言うかそのものだろ。
どこの馬鹿か知らんが、邪馬台国をヤマタイコクなんて
読み始めたのが、そもそもおかしかっただけ。
どう読んでも邪馬台国はヤマト国だろう。
99 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:30:44 ID:z02ThOO/0
100 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:30:59 ID:I7jGu5330
近畿は、遺跡が多いんじゃなくて、都市部で工事が多いから地面を掘り返す
機会が多いんだよ。九州は逆に工事が少ないから遺跡も出てこないだけ。
101 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:31:12 ID:z02ThOO/0
102 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:32:00 ID:z02ThOO/0
対馬の土地を掘り返したら魏志倭人伝の説を裏付ける発見があるだろうか。
104 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:32:41 ID:wNFq1KrsO
>>94 遺跡の『物証』最優先でしょ?
南京大虐殺の証言があてにならんように
>>98 ヤマなんて日本ではどこにでもつける地名
お前が自分で言ってるようにこじつけレベル
ま、実際は太宰府が邪馬台国なんだけどね
108 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:34:01 ID:rU/IQcHNO
当時の中国大陸から見れば「辺境の島国」。
当然日本列島の形なんて知らないし、九州にあった国と近畿にあった国(もっと言えば出雲周辺とか伊勢とか名古屋とかも)を混同して
ワケわからん記述をしてるのが魏志倭人伝
マルコポーロの東方見聞録は嘘ばっかりw…って言うクセに「魏志倭人伝は正しい」の根拠が知りたい
109 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:34:51 ID:28P550Js0
「みなと」が水辺を指すのと同じように
「やまと」は山のふもとを指す
それだけのはなし
111 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:35:10 ID:a1m4px/h0
熊本城があるんだから我慢しる!
>>97 物証ってのが、当時の東京はいかに大きかったかてことだけ。
邪馬台国が大阪だったとしても、福岡だったとしても東京は東京で成立する話
113 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:35:16 ID:VQ3yiUMY0
近畿でほぼ決定的じゃなかったのか?
なんかリニアでの長野と被る
114 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:35:31 ID:KMb2qBL00 BE:3578053897-2BP(105)
地政学的見て
近畿地方は日本を統治する権力者が本拠地を置く場所として
もっとも相応しい場所だよ。
九州の訳が無いだろ。
>>106 しかし、ヤマの付く国名は奈良の大和と京都の山城だけという現実。
116 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:36:17 ID:sV0w81e30
語尾にタイを付けて喋ってたから邪馬台国と使者は思ったに違いない
117 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:36:27 ID:wNFq1KrsO
>>100 京都や大阪ならともかく、奈良なんて熊本や鹿児島より遥かに田舎だよ
しかも新幹線の工事なんてないし
宮崎ならともかく、西九州は『奈良に比べてこれだけ発展して発掘さるているのに遺跡が出てこない事実』が九州説を否定している
>>89 「卑弥呼」が単なる中国の当て字って聞いてピンとこないか?
つまり「卑弥呼」は「ヒミ子」で、「邪馬台国」は「ヤマタ(ト)国」なんだよ。
119 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:36:50 ID:CjlqWxNB0
>>109 あなたの論理の拠り所は、その2つのURLだけなの・・・?
120 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:36:59 ID:uhNhGe7N0
邪馬台国もいいけれど、まずは福井県の位置特定をやろうじゃないか。
小学生の実に6割が福井県の正確な場所を知らないという。
ディスカバー・フクイ!
121 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:38:00 ID:28P550Js0
>>119 あまり知られてないから
他のはマスゴミで大々的に報道されてるからwww
奈良は工事する時まず発掘調査から始まるからなぁ
つうか九州説振りかざすなら、発掘しまくれよ、
>>112 三角縁神獣鏡の同範鏡の中心が畿内 → だから邪馬台国は畿内 っていう主張があったけど
「魏から送られた」ってのはかなり嘘くさくなってきたからね。
物証に頼るのであれば、逆に邪馬台国畿内説は論理矛盾を起こすんじゃないかな。
124 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:39:12 ID:vuYRUWUC0
125 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:39:14 ID:z02ThOO/0
126 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:39:48 ID:nUT6dNOnO
邪馬台国は、インドの山奥にある!
これが、定説!
邪馬台国の「台」は、中国の字では「台」じゃなくて別の漢字なんだよ。
日本にない漢字なんだけど、「ウィ」と読む。
台はその代わりに日本で付けた当て字。
128 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:40:08 ID:qAP8EC5+0
地図を90度時計回りに回転させてみると魏志倭人伝の記述と一致します。
松浦〜糸島〜福岡〜宗像から出航して出雲〜丹後から陸行一月で邪馬台国です。
129 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:40:13 ID:EUF+VpGT0
やまたいこく=やまとこく、に決まってんだろうがw
こういう阿呆な教授とやらをとっとと仕分けしろwww
>>105 祭神なんてのは当てにならんぞ。
史上何回もリストラされている(最近では明治時代ね)。
氷川・寒川だって、もともとは氷川大明神やら寒川ヒコとかなんだし。
131 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:40:38 ID:wNFq1KrsO
>>112 東京で東京跡が見つかればね
見つからない以上は大阪が首都だったという仮設は妥当だろう
邪馬台国を、日本を代表するような国と
思い込んでる奴は倭人伝すら
読んだことないだろ。
短いから、読んでみろ。
30カ国の弱小連合。
中国に使者を送ったのも、
南の狗奴国との戦争で負けそうなので
援軍を送ってほしいからだぞ。
しかも卑弥呼の前も内乱、卑弥呼が死んだ後も内乱と
内側の結束もグダグダ。
これが西日本を支配するような国なわけがない。
その後の大和朝廷と連続してないことは、
邪馬台国のあと、150年間も日本から使者が来た記録が
ないことでも明らか。
売国の邪馬台国は滅亡したんだよ。
大和朝廷は、中国なんか無視して繁栄していた。
133 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:40:59 ID:YP4l7hJB0
邪馬台国も卑弥呼も存在しない、古代ハニートラップだった
こう解釈するとすっきりする
134 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:41:33 ID:yQGzs8SNO
竪抗戦隊黒ダイヤン
135 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:42:25 ID:28P550Js0
関東と東北に渡った出雲系の渡来人は
土井が浜で半島を頭に寝てた弥生人が
先祖。出雲の古浦の渡来人が全国で一番
の渡来形質残してる彼らと同族だろうな。
その後出雲の祭祀とともに
スサノオ、出雲の神を祀る風習が関東東北に広まったんだな。
一方、九州(特に内陸部)では出雲を祀る風習がないwww
たぶん別の国だな。
136 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:42:29 ID:CfPk2Lt20
畿内説だと最初の上陸地点が北九州というのはおかしい
他勢力の地に上陸して案内させるだろうか?
畿内にあったのなら丹後あたりまで海路で来てそこから上陸するはず
邪馬台国は九州一帯にあり、卑弥呼の居住地は神話の天孫降臨の地の宮崎にあった
神武東征の神話通り東に遠征して来て大和王朝を立てたのではないかと
小説「邪馬台国はどこですか?」では
岩手県だと言っていたな。
八幡平
138 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:42:59 ID:sV0w81e30
139 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:43:54 ID:tL2qRKDE0
>>128 回転させたらアカンだろ、お日様が南から上がってくるのか(笑笑笑)
>>1 見たいものしか見ない
聞きたいことしか聞かない
信じたいものしか信じない
確たる証拠もなく何かを主張する人間に真実はない
オカルト扱いだがマクモニーグルの説がかなり信憑性を感じる
142 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:45:04 ID:wNFq1KrsO
>>123 論理性があれば『魏から送られた』のが嘘あるいは怪しいとなるだろ?
片方は100物証があり、もう片方は5個とする
100のうち1つや2つが怪しくても大勢は変わらないだろ?
京都、地主神社・中川 平氏の講演 松尾大社にて
私は長らく雅楽の笛を吹いてまいりました、壱岐氏・松室同族会会長幸雄氏とは親戚の間柄です。
ところで、私から毎年開かれている、松室同族会で有栖川の宮家について話題となったことがあるか否かについて尋ねたところ
「話題になったことはない。」と言うことでしたので、当方の神社には、有栖川宮の書が沢山あり、それらを調べているうちに、
松室家と大変に縁の深いことが判ってまいりました、ぜひ一度この事について皆様にお話をしたいと思い本日お邪魔させて戴いた次第です。
さて、松室家の歴史については、すでに羽黒敬尚氏や今井啓一先生、また、現在龍谷大学で教鞭をとっておられる宗政先生が研究されております。
松室家について大変よく知っておられた方に元官家士族の会、平安義会の会長もしておられた今は故人の馬場義一氏、この方は上賀茂神社の
社家の生まれですが、この方から聞いた話として「加茂の先祖は神さんであり、稲荷は秦族である。松尾さんもそうだが月読社の松室は、もともと別の存在、
すなわち壱岐氏であるということを言っておられました。そしてこの秦族は秦の始皇帝の関係の人たちでこの日本に移り住み酒を造り織物を織り家を建てることを教えたいわゆる、京都を造った人達であったということです。
たまたま、私は中国に行く機会があり紫禁城や万里の長城を見てきましたが、その折に中国の人にぜひ質問したいと思い、
秦始皇帝の子孫が現存するか否か聞いたところ「孔子の子孫はいるが、秦の始皇帝の子孫についてはわからない」ということでした。
文芸春秋の学術文庫によりますと、遊牧民におわれた、秦の始皇帝の人達は応神、仁徳の時代に、最初、弓月嶽・三輪明神の近くや兵主神社のあたりに、
100人ほどが住みついた。とありますが私は実際は1000人以上何万人もしかも速いもの勝ちではなかったろうかと想像と想像します。
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/kousitu.html
卑弥呼は人の名前ではない
天照大神=卑弥呼である。
九州人は酒屋のおっさんにくまそ言われてファビョっとったらええねん。
ところで皆様方、松室さんは、月読さんの1500年祭を斉行されました。
私が全国から集まる神主の会である、「清々会」でいつも1,500年祭をおこなわれた会があったかどうかききましたが何処にもありません。
月読さんはそれ程古い神社です。しかもいまだに引き続き同族の集まりを続けておられます。
このような家柄は日本でも珍しいとおもいます。
松室さんの先祖は壱岐族で、すなわち、占部です。さらに遡ると、天児屋根命といわれ、五摂家のもとである、藤原氏の先祖でもありますが、
松室さんは藤原氏といわず、「壱岐氏」といっています。その理由は羽黒敬尚氏や今井啓一先生、宗政先生が充分研究されていますので、
いまさら詮索する必要はないと考え、私は一人の神主として私見ですが一つの哲理というか世界観としてお話をすすめたいとおもいます。
そこで、月読の神は神話に出てこられる神様で、いわゆる古事記ではイザナギの命の左の目から天照大神、左の目からは月読の神がお生まれになったとされる、
あの神様で、「おしみのすくね命」が安閉臣事代がが神がかりして、そのご神託を受けて壱岐から移住して御祭りした神様です。
三重県上野市に敢国(あえくに)神社というのがあって三重伊賀一の宮となっていますが、この神社は阿閉族という豪族の社(祭神 大彦命ー阿閉氏の祖神)です。ぜひ皆様のお参りをおすすめします。
(ここで、万葉集研究家で知られる、犬養孝先のが松室の祖先、「雪連やかまろ」の歌
「大君のみことかしこみ大船のゆきのまにまにやどりするかも。」のテープを聞く)
このテープは以前買ったものですが、今朝こちらに出かける前に思い出して持ってきましたが、まるで神の啓示によるもののようにようにおもえます。
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/kousitu.html
147 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:46:21 ID:qAP8EC5+0
>>136 畿内から北九州まで既に女王国の支配化にあったのです。
さらにもう一つ清閑寺陵にある、二条天皇の皇后である育子様がお生みになった六条天皇ですが、この天皇にはお子様はおられませんが、皆様の血筋の中からお生まれになった唯一の天皇です。
それから育子様のお亡くなりになられた年齢が28歳だったということがわかりました。
六条天皇は第79代です。その次は第80代、高倉天皇(皇后は平清盛の娘、徳子様)でこの方の御父は後白河天皇ですから、二条天皇(六条天皇の御父)とは兄弟です。
この高倉天皇と六条天皇の御陵は清水の奥の清閑寺領内に並んでありますので皆様も是非ご参拝されることをおすすめいたします。
なお、歴史を見てきますと、後白河天皇の時代は源平の争いの大変な時でありましたし第81代安徳天皇の時には壇ノ浦の戦いがありました。
さて、松室家をみてみると、3つのハイライトがあります。
最初は、「おしみのすくね」が壱岐からやって来て、月読さんをお祀りしたことです。ついでながら、松尾さんと壱岐氏の関係で馬場さんから聞いている事柄のうちで
「松室さんは松尾さんとは全然関係がない、松尾さんは秦族だが月読さんとは別で、月読さんとはさんは元々別の社であった」ことをこんこんと私に言っておられたことを覚えています。
そして室町末期ころから姻戚関係が生じ、諸般の事情で混ざり合ったようで、今日に至っていますが、あくまでも松室は壱岐氏であり、月読さんは松尾さんより古い社であるということを同族の方はぜひ忘れないでほしいと思います。
次に後白河天皇から二条天皇へ移り、そこへ、壱岐氏からその娘さんが二条天皇の皇后へゆかれたことです。この時代は藤原氏に気をつかって皇室との縁組は、
どうしても五摂家の名前がないと、どうにもならなかったので、壱岐の育子も文献を見ると、ほとんど藤原育子となっており壱岐となっていないのは仕方のないことであるとおもいます。
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/kousitu.html
149 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:46:38 ID:r6zPjPuIO
この前三輪神社の前辺りを走ってたら「ようこそ卑弥呼の里へ」みたいにはっきり書いてたぞ。
もう奈良は勝利宣言してる。
150 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:46:40 ID:FFDd3I8V0
地図を調べろ、『福島県耶麻郡』とあるじゃないか
耶麻=邪馬台国なのだよ。
こんな基本的なことも知らないのか?
151 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:46:47 ID:mahvwA7v0
卑弥呼→日巫女
邪馬台国→大和国
だって
次に時代は飛びますが、有栖川宮との関わりのことです。霊元天皇は東山天皇とともに、松室さんとは大変関係が深いのです、すなわち、玉山稲荷(松室家がお預かりし、現在は伏見稲荷に移管)との関わりも霊元天皇の時代からと思われます。
霊元天皇は後水尾天皇の御子です。霊元天皇には松室7流の中に女房になっておられる方があります。松室重敦の娘ー伊勢の局ーで、この方が有栖川職仁(よりひと)親王をお生みになり、
この親王が有栖川宮の第5代となられましたが、その先代、正仁(ただひと)親王にお子様がなかったので、この職仁(よりひと)親王から松室の血が続くのであります。 ということは現在の天皇家にまで続いていることになるのです。
そして、この職仁(よりひと)親王は桃園、後桜町、後桃園、三天皇の歌道の師範をつとめられ、また父、霊元天皇から書道を習い、有栖川流を大成されました。そして現在の天皇家では、秋篠宮が継がれています。
この事は松室同族にとっても誇りにすべき事とおもいます。
そこまで私が何故これほどまでにこの事を申し上げるかといいますと、私の神社に有栖川宮の文字が沢山あり、それを調べているうちに種々判ってきたのです、ここに、
(たかひと親王)の文字がありますが正に霊元天皇の文字とよく似ています。それから、つなひと親王また、皇女,和の宮の許嫁であった、「たるひと親王」の文字もあります、
この方は明治天皇にも教えられました。また、この「たるひと親王」の先代の「たかひと親王」は五箇条の御誓文を清書されました。そして、「たるひと親王」のお母さんは松室の親戚の佐々家
(若宮八幡宮)から嫁がれた方です。佐々家と松室家は佐々家から松室(11流)へ養子にいっておられます。
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/kousitu.html
>>132 邪馬台国→大和朝廷の流れは、もはや確定的であり論点ですらない。
最後に閑院宮家ですが、この宮家は東山天皇からでています。そして同天皇の第一皇子「なおひと親王の御孫が光格天皇で、この天皇から、
仁孝天皇ー孝明天皇ー明治天皇ー昭和天皇ー今上天皇、と続いています。このように、玉山稲荷と関係が深い東山天皇から今の天皇へと続いているのでありますが、
明治天皇は光格天皇を手本にしたいとまでに言われた立派な天皇でありました。
以上のように一般の社家の家で皇室とここれほどまでに関係の深い家は日本でも数少ないと思われます。
このように見てきますと昔、「おしみのすくね」が月読の神のご神託「山城の地において我を祀ったならば、孫末代まで栄えるであろう」とのご神託を受け、
今日にまで至っていることは誠にご神意の賜であり同属の方々はこの事をよくわきまえて、益々ご信仰を深められる事を願う次第であります。 以上
(壱岐氏=松室氏の京都の解説)
六条天皇の陵は、京都清水寺の後方の山、清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)にあリます。
清水寺の三代目住職、恵心僧都源心(えしんそうずげんしん)の父,卜部正親、今昔物語集巻十二より。
一代住職、延鎮、二代は弘法大師空海,三代、恵心僧都源心(えしんそうずげんしん)と伝承をもつ寺が特に繁盛したのは、東山天皇の厚い信仰による。(梅原猛著・京都発見)
阿倍氏(阿部清明)、加茂氏、壱岐氏は、陰陽道三家と言われています。
*東山天皇の孫から仁孝天皇ー孝明天皇ー明治天皇−昭和天皇ー平成(今上)天皇と松室壱岐氏=卜部の血が皇室に入り現在の皇室と関わる。
清水寺の鎮守社「地主神社」の宮司、中川平様は、壱岐勝本の出身の竹田黙雷禅師,管長の
建仁寺とも縁が深い。
京都・清水寺の地主神社は日本で一番参拝が多い神社で「えんむすびの神様」としても有名。
中川 宮司さんは葵祭りや九月の石清水祭りなど多くの祭りなどに雅楽で奉仕されています。.
地主神社の宮司。(世界文化遺産)
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/kousitu.html
>>139 ふと思ったんだが、魏志倭人伝に「倭人は冬でも生野菜食ってるよ」という
記述があるから、使者が来たのは冬だろう。 んで、
使者の人「どっちの方角?」
地元の人「太陽が出てくる方角」
支者の人「するってーと、あっちか」
みたいな会話してたら、東が南東よりになるわけだな。うんうん。
157 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:48:21 ID:28P550Js0
大物先生を担ぎ上げれば担ぎ上げる程、もう主張の後戻りが出来なくなるジレンマ
地域振興を望む行政や観光業者の観点から言えば、現在のまま延々と論争を続けて
双方が観光地化して、メシが喰えるウインウインな関係の維持が望ましいのだろうね
邪馬台国を示す物でも出てこない限りいつまでも続くわけだよなw
いくらどっちの勢力が上とか客観的な事実があろうがな
160 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:49:23 ID:mLdCG2180
九州には土族しかいませんでしたww
161 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:49:29 ID:sV0w81e30
>>149 Vやねん!タイガース的な匂いがしないでもないw
>>142 『魏から送られた』のが嘘だとしたら、邪馬台国の存在もかなり疑わしいんじゃないかな
なんせ同じソースだぜ
164 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:50:32 ID:28P550Js0
166 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:53:02 ID:FGvXzQY6O
学者は自分が思い込んだ物が全て正しいと主張するな
この前の奈良での発見の時の学者も勝手に確定してたし
167 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:53:03 ID:wNFq1KrsO
>>157 マジレスすると『方位磁石も地動説もない時代』の地図なんてあてにはならん
そんな曖昧な範囲じゃなくて、はっきり霧島連山だと言えばいいのにw
だけど、あそこらへんは倭人伝でも高地だと記述すると思うんだがな
あり得ないと思うよ
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ- .,, _ 邪魔台国だと!?
172 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:54:52 ID:tL2qRKDE0
>>97 物証に基づいてないよ、魏鏡、鉄、文物全て九州が圧倒している。
近畿説なんか三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だなんて噴飯物の説をまだ主張している奴もいる(笑笑笑)
173 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:56:25 ID:DXwsFLdh0
174 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:57:00 ID:nkf6RSzgP
175 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:57:10 ID:AJdiMSrF0
邪馬台国の実態がわからないからなんともいえない
大規模なら奈良だろうし小規模な地方組織なら近畿以外の日本各地のどこでもありえると思う
日本史に詳しくない中国史専門の立場から言わせてもらうと古代の辺境蛮族に対する漢民族の史書は
参考にすべきでないとしか言いようが無いんだけどね
176 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:57:16 ID:+yNXz1pK0
邪馬台国はヤマト国で畿内でしょう。
遺跡もそろってるしな。
九州説は学術的なことより観光誘致が前提だからうっとうしい。
178 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:57:26 ID:wNFq1KrsO
>>163 畿内(奈良)説の物証のメインは遺跡なんだけど
>>168 何故か九州説の人はぼかすよな
アジア説=ウラジオストクからシンガポールあたりみたいな表現だよ
179 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:58:06 ID:I7jGu5330
邪馬台国は、関門海峡・壱岐・対馬等の交通の要衝を抑えて、シナとの通行を
制御出来たけど、国力は畿内勢力に劣ってたんだろ。
180 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:58:25 ID:tL2qRKDE0
以死を、以て死すと誤訳しているからね。
死を以てと訳すのが正しい。
単に「死んだから墓を作った」って書いてあるだけだが(^o^)
238年 卑弥呼が魏に初めて朝貢。
(これ以前に倭の記録があるのは130年前)
240年 帯方郡の太守・弓遵の部下・梯儁が倭を訪問。
「親魏倭王」の金印や証書を届ける。
243年 卑弥呼が2回目の朝貢。
魏は、倭の使者に銀印を与える。
245年 帯方郡にて、倭の使者・難升米に黄幢(軍旗)を賜う。
黄色は魏の皇帝の指揮下にあることを表す。
247年 卑弥呼、3回目の朝貢。南の狗奴国と戦争していることを訴える。
魏は塞曹掾史の張政を邪馬台国に派遣。
247-9年 卑弥呼死去。男王が継ぐが内乱になり、1000人以上が死ぬ。
13歳の宗女・台与を立てておさまる。張政は台与を「檄をもって告諭す」。
265年 西晋が魏を滅ぼす。
266年 台与が西晋に朝貢。
次に中国の史書に倭の記載が出てくるのは150年後(倭の五王)。
邪馬台国の前130年、後150年、何の記録もないのに、この短い時期だけに突然登場する邪馬台国。
それも朝貢はする、金印もらう、黄幢もらう、
軍事顧問みたいなのを受け入れるわで、
すすんで中国の属国になろうとしてる売国奴。
どう見ても、戦争で追い詰められて苦し紛れに中国に頼ったイメージ。
畿内であれだけ大きな遺跡を持つような大国が「中国様に朝貢しよう」なんて発想が出てくるか。
その後の倭の五王は、属国どころか、俺は朝鮮・日本の王だから認めろと要求するくらい強気で助けなど求めてない。
>>170 「東」という概念が違ってた可能性もあるな。
魏の使者は北極星の方角から90度の向きを「東」と言い、
倭人は太陽の出てくる方角を「東」と言ってたと。
後者なら冬至ー夏至で50度変動するから、旅しているうちに
魏の使者の思っている方角もそんだけ変わるのだ。
>>172 わかったわかった。
で、邪馬台国は九州のどこよ?
卑弥呼の墓はどれよ?
もう本家邪馬台国とか元祖邪馬台国でいいじゃん
187 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:00:23 ID:V4399Rg00
20年以上前、熊本に「卑弥呼の里」っていう
テーマパーク作ろうとして頓挫してた事があった。
作らなくて良かったね、と心から思う。
クマソは黙ってろよ
もう一度ヤマトタケル送り込もうか?あん?
>>32 何が正しいか、どんな発見が待ってるかなんてわからん
確実に言えるのは学者の皆が批判を恐れてマジョリティーに逃げたらそれこそ真実から遠ざかるという事だけ
191 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:01:19 ID:28P550Js0
192 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:01:27 ID:wNFq1KrsO
>>177 少なくとも『地面は球体である』という認識がなければ、広範囲(中国印度日本東南アジアレベルでも)におけいて『角度(方位)と距離』ってのの今の概念なんて理解できないんだけどな
193 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:03:51 ID:YIv40ugN0
九州と長野は同レベル
>>181 倭人伝を読んでみな
あんな記述で、どこだか確定できるわけない。
「ここではないか?」と推定するのがせいいっぱい。
決め付ける奴がいたら、電波か信者と思え。
だから九州説と言っても、邪馬台国の位置はバラバラ。
宇佐だったり、甘木だったり、西都原だったり。
九州説とひとくくりにするのがおかしいんで、
宇佐説、甘木説など、別々に考えるべき。
もちろん四国説や吉備説なんかも。
ただたとえ宇佐ではなくても九州のどこかだろうでは一致するけど。
畿内説だって、水行10日陸行1ヶ月で行ける範囲なんだから
それこそいろんな説があってもおかしくないのに、
最初からここに決定と決め付けてるのがおかしい
また、この微妙以下な学歴と利害関係バリバリの爺さんか・・・
>高島忠平
>1964年に熊本大学法文学部文科東洋史専攻を卒業。奈良国立文化財研究所を経て1974年より佐賀県教育委員会勤務。
>1989年より行われた吉野ヶ里遺跡の発掘調査に際し、保存設備の計画・指揮をとる吉野ヶ里遺跡保存対策室長に就任。
彡巛ノ゛;ミ
r エ__ェ ヾ
/´  ̄ `ノj` \ 、
( l_/l_l_|^|_Ll_l...ハ_)
(ヽ i;;/ ― ―ヽl /) 前世の前世の前世ぐらいで卑弥呼と会ったよ
(((i).! 〈●〉 ` ´ 〈●〉i! (i))) 場所は金星だったよ
/∠_ | (__人__) |__ゝ\
(___、 |r┬-| ,__)
| `ー'´ /´
198 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:05:35 ID:H89sDowW0
君が代の源流
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jwagakim/jwagaki.html 『君が代』に関する異説 wikiより
『君が代』九州王朝起源説
九州王朝説を唱えた古田武彦は『魏志倭人伝』において、倭国内の国の一つ・伊都国があったと推定される糸島半島や近隣の博多湾一帯のフィールド調査から次のような事実を発見している[19][20]。
『君が代』は、金印(漢委奴国王印)が見つかった福岡県・志賀島の志賀海神社の4月と11月の祭礼(山誉め祭[21])において以下のような神楽歌として古くから伝わっている。
こんなのあったww
199 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:05:36 ID:wNFq1KrsO
>>172 そりゃあ九州説ってアジア説みたいな感じで広すぎるもん
せめてピョンヤン説とかまで絞らないと、比較にも乗ってこない
畿内説が正しいとして、じゃあ卑弥呼はなに天皇なのよ?
238年なら天皇の系統が始まっていてもおかしくないだろ?
くまそふしゅうは和人ではありません。
このスレ、中途半端な知識持った馬鹿が多いなぁ
203 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:08:19 ID:lwBIG1ON0
必死だな
204 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:08:22 ID:rOgl7/bb0
役所の観光課に頼まれて仕方なくやってるんじゃないの?
千葉だから正直どうでもいいけど。
205 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:09:25 ID:lVMU+ihG0
熊本人だがひと言
「いまさら熊本を巻き込むな。自分のとこで始末しろ」
206 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:10:09 ID:I7jGu5330
朝鮮半島→対馬→壱岐は、南に水行って正確なのに、東になるとあやふやに
なるなんて変でしょう。
207 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:10:22 ID:wNFq1KrsO
>>197 じゃあ地球が球体であるという概念がなかったのならと言い変える
>>194 しかし畿内説は奈良だと断定した上で批判を受けている
九州説ができないなら九州説は二歩も三歩も劣った説だということ
208 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:10:27 ID:6ZQwqtMe0
新保さんも笑った
210 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:11:05 ID:M1t9st960
飯塚は九工大だよな
>>152 まあ、奈良県つっても北の3分の1しか人住んでないしな、南は全部山だし
212 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:12:03 ID:LPzrQRdp0
畿内だろうと北部九州だろうとどっちでもいい
遺跡が出たところが邪馬台国
>>194 魏志倭人伝なんかに頼らず考古学的見地から
邪馬台国の位置を探ると自然と畿内説になってしまうのですよ。
215 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:13:53 ID:wNFq1KrsO
>>206 いろんな可能性があるが
・実際は九州北部(壱岐あたり)までしか使者は来なかった
このあたりでは?
>>205 そうだよね〜
「仲間にしてやるから協力しろ」
とでも言いたいのかねw
217 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:15:35 ID:lHTQFlTe0
218 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:15:45 ID:eHlf22LkO
福岡必死だなw
219 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:16:25 ID:wNFq1KrsO
>>213
橋馬鹿は崇神天皇 と関係するかもしれんが、
それは橋馬鹿=卑弥呼の墓という前提があってのことだろ?
そんな珍説には騙されん!
まだやってんのかよ
もう興味ない
又聞きの又聞きみたいな文献から探るとか無理
223 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:18:03 ID:Cz7ZoF9H0
面倒だから、邪馬台国は九州北部から近畿にかけての
大国家ということでいいじゃん。
224 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:18:27 ID:1CYgMPQz0
どうせ魏志倭人伝なんか中身もいい加減だろ。
所詮中国人だぜ中国人。
>>215 そうすると、邪馬台国の陸行1ヶ月だの、7万戸だのは
伝聞情報ってことか。
自国がすごいと見せるため、遠くて大国だとおおげさに伝えた可能性があるな
226 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:18:34 ID:FwtOqXra0
九州と畿内とで同じ地名じゃん
どうみても九州から遷都したとしか思えないけど
227 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:18:37 ID:lHTQFlTe0
228 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:18:43 ID:z02ThOO/0
天孫降臨の地・九州宮崎。
部落満載の地方が昔は邪馬台国でしたってか
いかん、俺は博多近郊の山地説なんだが、
>>183の「東のミスリード説」が
いけそうな気がしてきたw 和語の東も「ひむかし」だしな。
本でも書こうかしらw
233 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:20:49 ID:+Xwn7gEUO
田川でいいよ
>>214 魏志倭人伝にしか書かれていない「邪馬台国」を魏志倭人伝に頼らず探るですか
卑弥呼は、今で言う福島瑞穂。
社民党がなくなりそうなので、中国を頼った。
もちろん中国は大歓迎で、瑞穂を日本代表に任命。
それを後世の日本人が読んで、
当時の日本は福島瑞穂が首相だった
と勘違い
236 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:22:23 ID:DhJIaTmrO
ダンダダ ダダン ダダンダンダダン
ダンダダ ダダン ダダンダンダダン
邪馬台国は
奈良から九州に移転したんだよ
何度言ったら分るんだ
とりあえず、3世紀に日本最大の都市を有してたのが畿内マキムクである
という事実は九州派の連中も否定しないよな?
239 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:24:38 ID:wNFq1KrsO
>>225 そう
で、あまりに吹かしたから使者も行く気がなくなって物だけ贈らせた…とか
もちろん想像だけど当時の人間の移動距離ならそんなに動いたら日本を通り越えるから距離は嘘(あるいは間違い)だろう
>>238 3世紀前半か後半かでは意見が微妙に変わりそうだよな。
たしかに年輪年代法では3世紀前半という結果が出たけど、
そこから出てくる各地の土器の編年と、ほんとにちゃんと折り合いが
ついてるのかわからん。
241 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:26:10 ID:rU/IQcHNO
「日本には巨大都市TOKIOがある」って事だけを知ってる外人は
福岡を見ても「オーTOKIO!」って言うだろう
…と同じ事のような気がする
242 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:26:39 ID:lHTQFlTe0
これ、卑弥呼の墓でも見つからないと結論は出無いだろ
>>241 ときどき貼られてる朝鮮通信使の
コピペを思い出した。
行く町、行く町、
これはすげえ、日本最大の町だ
と感想書いてたな
なぜ遺跡が見つからないのか→土地が引き継がれたから→奈良県万歳!
247 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:30:11 ID:wNFq1KrsO
>>234 横レスですが、yes
『○○を探す』を探すのだから
○○が(たまたま文字のある支那では)邪馬台国と表記されていた
倭では『やまたいこく』と発音されていたかどうかも分からないけど
例えるなら元の文献は朝日新聞にしかなかった南京大虐殺を朝日新聞の記述に捉われずに南京で物証を探すようなもの
248 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:30:39 ID:FwtOqXra0
そもそも文言通りの行程だとわけわからんとこになるんじゃなかった?
東に千余里行くとなんとかという国があり海を渡って数百里行くとなんとかという国があり、とかで全然わかんねぇよ
どう考えても陳寿の罠
これ結局金儲けだろ
251 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:32:56 ID:wNFq1KrsO
>>241 それ以外に東京の痕跡がなければそこを東京跡地とするのは妥当
事実、西九州は奈良なんかよりずっと都市開発されているのに遺跡が見つからないじゃん
>>242 あれ、「邪馬台国」って書いてあったっけ?
253 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:33:25 ID:28P550Js0
>>248 いやそこ、神功のクマソ征伐のばしょwwww
九州説は特に証拠もないのに頻繁に講演会とか開くんだな。
畿内説はそんなことしないのに。
256 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:35:46 ID:lHTQFlTe0
>>252 倭在韓東南大海中、依山嶋為居、凡百余国。自武帝滅朝鮮、使駅通於漢者、三十許国、国皆称王、世世伝統。其大倭王居邪馬臺国
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐のことだというのはほぼ定説。
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。
あるいは、一支国→末盧国もやはり1000余里。
末盧国が唐津なら壱岐〜唐津で約40km。
末盧国は福岡という説もあって、それだと壱岐〜福岡で約60km。
他の距離なども考えるとかなり適当だが、実際より大きく勘定してるようだから
それより近いことはあっても、遠いことはないだろう。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいのところに邪馬台国はある。
方角は南だ。投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。さらに
>「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」
ともある。つまりそれまで書いた国は邪馬台国より北ってことになる。
もちろん、「1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしい」という疑問はある。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある)
台風などで増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
それまで日数は一切書いてないんだから、これが全体の日数という説も説得力がある。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人は、これをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
258 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:36:37 ID:lHTQFlTe0
259 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:38:19 ID:sV0w81e30
この頃の1ヶ月って何日?
260 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:38:23 ID:eHlf22LkO
>>226 でいつ遷都したんだよ?w
一時史料もない、奈良の大和が都である史料の重箱つつく批判だけ。
つまるところ九州説なんて「これはおかしい。矛盾がある。説明つかない」てな感じの悪魔の証明
求めるようないわゆる陰謀論じゃん。
所詮カッパブックス向きなんだよ。
261 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:38:47 ID:z02ThOO/0
神功皇后の先祖は新羅王子アメノヒボコwwwwww
朝鮮人wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
平塚川添遺跡が邪馬台国ですよ
263 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:42:48 ID:wIIv0XCu0
>>214 「邪馬台国」と言っている時点で、既に魏志倭人伝を頼ってるんじゃない?
264 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:43:05 ID:rU/IQcHNO
畿内が不利なのは今ある古墳や遺跡の下をさらに掘る事ができない…
石舞台古墳の下には吉野ヶ里級の遺跡がある可能性がなくはないよな
>>251 奈良は都市開発されてないわけじゃないぞ、奈良県の面積の半分は吉野郡でそこが異常なぐらい田舎なだけだ
ただ、それにくわえて平城京跡とか飛鳥とかのおかげで遺跡調査が他の地域より行われてるもあると思う。
とりあえず掘ったら、どの時代かはともかく、遺跡かなんかの痕跡が出るから更に調査される
266 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:43:53 ID:iy+5EAWCO
レンホーだったら「なぜ九州じゃないといけないのでしょうか?」とか言いそう
>>264 逆な気がする。
地表に近い(新しい)遺跡が見つかって、発掘したら二重三重に
古い遺跡が見つかった、という話が多いから、その意味では
中世遺跡の多い場所が有利なんだよな。
268 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:45:48 ID:wNFq1KrsO
>>260 そもそも畿内説=奈良説を否定する人で『佐賀説』とか『宮崎説』だと明確に表明する人が少ないことが畿内(奈良)説の優勢を示している
畿内説だが大阪説なんて奴がいなら奈良説派はいろんな物証をもって批判するだろう
宮崎説を批判しない佐賀説者とかは信じられない
269 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:46:10 ID:28P550Js0
>>267
あんたどこの人?
270 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:48:39 ID:z+oIkiqz0
魏志倭人伝の記述が正しければ
冬でも温暖なところなんだよな
近畿はちょっと苦しくないかい
陸地歩いて1月ってのはちょっと大げさな気がする
当時の主な交通手段水運だろうし
273 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:50:10 ID:F6TGQqmFO
簡単に言えば、
九州で、九州説を否定すると、
明日から職を失う、下手すりゃ命にかかわる脅迫を受ける
ということです。
>>270 卑弥呼の時代だけ暖かかったとこの間不思議発見でシュミレートしてたぜ。
275 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:50:55 ID:wNFq1KrsO
>>265 奈良が都市開発されていないのではなく熊本や鹿児島ほどされていないと言ってるんだよ
あと誤解してるみたいだけど『遺跡が見つかれば更に発掘される』は嘘
確かに細かな調査はされるが、都市開発は物凄く遅れる
(開発がストップされる場合もある)
熊本や鹿児島が遺跡発見で開発のストップが少ないのも当時の遺跡が少ないから
276 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:52:13 ID:yzMiOzgI0
邪馬台国は奈良できあmりだって言ってるのに、
九州じゃまだ悪あがきしてるのかね?
シンポジウム開いてるヒマがあったら発掘して証拠を見つけろよ。
奈良は地道に地道に発掘続けてるってのに、
その間、九州は何してたんだ?
発掘しても何もでなかっただけか、
念仏のように畿内説は陰謀だとか、負け犬が遠吠えしてただけだろ。
わらわせんなよまったく。
277 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:54:48 ID:tL2qRKDE0
>>249 ウナコターネー、
素直に読めば九州内で収まる。
例えば水行十日陸行一月を水行なら十日、陸行すれば一月と読む。
起点は末廬国ね。
言っておくが当時の道は前の人が見えないぐらい細く険しい山道(獣道)だよ。
278 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:54:56 ID:lJ+qiSKq0
倭人伝のとおり、邪馬台国が存在したと信じるなら、倭人伝のとおり、
場所は南で九州ということでいいのではないですか。
畿内説は、邪馬台国の存在を倭人伝を根拠にしながら、それ以外の倭
人伝のすべての記述を否定していて奇怪です。それならむしろ「邪馬
台国は無かった」と主張したほうが正気でしょう。
この前の不思議発見に続くロスパスレはここですか?
>>269 あ、ついでに…。
おまいが
>>33その他で紹介しているページは面白いな。
最近、岡谷公二「原始の神社をもとめて」という本を読んだんだけど、
そこに、耽羅(済州島)から九州西岸、琉球に至る海洋文化圏が出てきてたのを
思い出した。
281 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:55:54 ID:taeScoZn0
>>276 奈良が地道に発掘してる頃
吉野ヶ里では・・・。
283 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:55:58 ID:u613SiW3O
金印以外、心の拠り所がないくせに
>>265 よき人のよしのよく見てよしといいしよしのよく見よよき人よく見
285 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:56:32 ID:z02ThOO/0
286 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:57:13 ID:wNFq1KrsO
みんながスペースコロニーにでも住むようになれば無人の地球を思う存分発掘できるのかな
288 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 21:57:39 ID:tNVhCNj20
ほぼ畿内説で決まりだろ。
最後の悪あがきかw
>>278 九州なんて書いてないだろ。変な計算して放射上とか無茶な読み方しないで
普通に読めば海の中だ。
無理して九州にしてるのに「素直に読めば」とか「九州しかない」とか必死で言ってるのが
きもいんだよ。
「邪馬台国は無かった」
なんかそんなトンデモ本のタイトルあったなw
>>275 都市開発の具合は対してかわらんと思うけど、
遺跡が見つかったら開発が遅れるのはよく知ってる、だって俺、奈良市民だもん
でも同じ都市開発するにしても、奈良だと遺跡があるのを覚悟してるからなぁ
まぁ、話の本筋からずれてるからこのへんにしとこう
>>289 日本列島の形に合わせて素直に読めば
水行20日で投馬国(出雲)水行10日で丹後あたり
陸行一月で邪馬台国(大和)って事になる。
近畿で出てないモノ
金印
>>284 間違えた。
よき人のよしとよく見てよしといいしよしのよく見よよき人よく見
294 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:00:24 ID:wNFq1KrsO
>>278 倭人伝で邪馬台国と呼ばれる国はな
考え方がおかしい
○○があった→倭人伝で邪馬台国やら卑弥呼と呼ばれていた
→倭人伝で邪馬台国とか卑弥呼とかがいたとされる○○はどこだ?
当然、倭人伝も疑うべき対象
295 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:00:45 ID:lJ+qiSKq0
>>289 物理的に九州か沖縄しかありえないので、素直に読めば九州で、
畿内はありえません。
そもそも、邪馬台国って重要ですか?
倭人伝にかかれた日本のどこかにある国を信じるなら、倭人伝
に従えばいいと思いますがねえ。
296 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:00:53 ID:taeScoZn0
297 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:02:59 ID:lJsWMrhY0
>>268 意味がわからん。
「魏志倭人伝の記述から言って少なくとも畿内ではない」という主張は、
どこを邪馬台国とするかと関係なく成立するだろ。
「九州内のどこかでわからない」という主張は、
「インパクト」は弱くても、学問的に「わからないことはわからない」
とする誠意はあるんじゃないか?
>>295 九州が北で本州が南向きになってる地図とか見つかってるじゃん
南に行ってるつもりが東に行けば奈良あたりに行かないか?
299 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:03:17 ID:28P550Js0
>>289 >邪馬台国は無かった
<「私の主張する」邪馬台国は無かった。>
九州説の存在に疑念が生じ精神に支障をきたしたと思われるwwww
300 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:04:01 ID:taeScoZn0
噂話を適当に書いただけでここまでマジ騒ぎになるなんてなw
301 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:04:08 ID:wNFq1KrsO
>>295 素直に読めば邪馬台国=沖縄で沖縄を除く九州は畿内(奈良)同様にあり得ない、と言えないあたり九州説は邪馬台国=アジア説あたりと同じレベル
>>295 投馬国は出雲ではなく、多遅摩(但馬国)兵庫県北部だと思う。出雲圏内だけど。
303 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:07:12 ID:wNFq1KrsO
>>297 邪馬台国=アジア説というのとあんまり変わらないけどな
ほとんど特定していないという意味では非畿内(奈良)説とかアンチ畿内(奈良)説とか言うべきではないか?
304 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:08:12 ID:lJsWMrhY0
>>238 「年代測定が正しいとするなら」という保留が付いていいなら、
「当時の最大の遺跡が見つかるのは奈良マキムク」とできるだろ。
だが、最大勢力=邪馬台国ではないだろう。
魏志倭人伝が現在の日本の範囲を意識した上で、
「日本で最大の国は邪馬台国」と言ってるわけじゃないんだから。
素人判断ですが
卑弥呼→日の御子であり
山幸彦と海幸彦の話はクマソと隼人の話だとおもっただけど、そして潮流の神にしたがってたどり着いたのが近畿
この話が神武天皇が東征(戦争でなく、正統後継者として迎えられた)の話につながると想像していた
邪馬台国は天皇家の祖先につながり、南九州にあったと予想よって、邪馬台国=大和朝廷でなく親類みたいなものと考える
306 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:09:11 ID:5zI3/eg70
>>204 千葉県の君にも、興味が持てるかも知れないよ。
流山市内の遺跡から、筆と墨で「久」という文字が書かれた三世紀末の土器が発見されたんだ。
これは、邪馬台国の台与の時代と重なるぐらい、古い墨書土器だそうだ。
流山市に、筆で文字の書ける人物がいたと言うことは、千葉県周辺にも進んだクニが
あったと考えられるじゃありませんか。
307 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:09:28 ID:XDb0m2tgO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。
南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…
どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。
邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。
海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
邪馬台国は無かったは、
邪馬台国じゃなくて邪馬壱国だ説だろ
309 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:09:51 ID:28P550Js0
>>304 倭国大乱を平定したのはどの政権?
崇神の四道将軍派遣は単なる伝説???www
310 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:10:44 ID:lJsWMrhY0
>>303 ほとんど特定していないというが、
総距離12000里から北九州までの10000程度の里程をひいて、
残り1000余りの内という特定は有効だろ。
それ以上は確実にはわからない、とするのはおかしくない。
その範囲内で色々な説が出るのは自然だよ。
畿内説のように、その範囲をはるかに超えるものは否定されても仕方ない。
畿内って?
王城の周辺地域に設定された特別の行政範囲。畿内制は中国の『周礼(しゅらい)』にみえ、
古代の北魏(ほくぎ)や東魏などで採用され、日本でもこれに倣って設定された。大化改新の
(みことのり)(646)では、東は名墾(なばり)の横河(よこかわ)、南は紀伊(き)の兄山(せのやま)、
西は赤石(あかし)の櫛淵(くしふち)、北は近江(おうみ)の狭狭波(ささなみ)の合坂山(おうさかやま)
に画された範囲を畿内国(うちつくに)としている。692年(持統天皇6)には大倭(やまと)(大和)、
河内(かわち)、摂津(せっつ)、山背(やましろ)(山城)の4か国を「四畿内」とし、河内に設置された
和泉監(いずみのげん)がいったん廃止ののち757年(天平宝字1)に和泉国となってからは五畿内
となった。畿内制が実質的に成立したとみられる7世紀後半の天武(てんむ)朝では、畿内は畿外
から軍事的に防衛され、官人を任用する地域であった。大宝令(たいほうりょう)でも畿内では調(
ちょう)の半分と庸(よう)が免除されており、天皇側近の地として優遇されていた
日本の畿内制は魏の畿内制度とそっくりらしい。
邪馬台国は畿内にあったんだろうな。
大和朝廷の先祖は九州から東征してその権威を乗っ取った支配勢力だろう。
313 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:12:04 ID:LaT5qWgeO
>>305 ないことはないわな、しかし畿内破(派)は、それさえもよく思わない
314 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:12:10 ID:28P550Js0
>>308 ああ、そういう事だったの俺はてっきり
○○○○○を発症したのかと・・w
まじかよ
316 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:12:27 ID:XDb0m2tgO
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。
邪馬台国畿内説を成立させるならば
1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした
2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた
3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた
4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた
5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った
このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。
重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
>>307 女王國の東、海を渡る千余里、また國あり。皆倭種なり。
みたいな記述もあるしね。
318 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:13:36 ID:taeScoZn0
319 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:14:20 ID:28P550Js0
>>312 原人並の知能だなw
どういう根拠が。
おまえ人生失敗の連続だろうwwww
熊本に邪馬台国って言われてもピンとこないから、佐賀にあげるよ
321 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:15:42 ID:cvIdn2jl0
リニア問題で長野ウザイと言われるように
九州ウザイと言われる日が来るな
322 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:16:06 ID:kWm3J9rI0
九州にあったが、鋼鉄ジーグに滅ぼされたんだろ。
323 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:16:56 ID:lJsWMrhY0
>>301 沖縄では、魏志倭人伝に示された総里程12000里をはるかに超えちゃうよ。
>>309 >>309 そもそも、「中国・邪馬台国にとっての倭国の範囲」が
どこまで指すのか、未だわからないよ。
君の頭では現代日本の意識から遡って、
「日本全体」が大乱になって、畿内がそれを収めた
となっているのかもしれないけどね。
魏志倭人伝から最低限わかることは、
邪馬台国が九州北部を不安定ながらも平定したと読めるだろ。
それでも、南の狗奴国程度の国に苦戦している様も窺えるんだぞ。
つまり、せっかく開いた吉野ヶ里あたりの卑弥呼ラーメン屋の店主が必死なわけです。
でも大体は畿内支持でしょ?あきらめなよ。
邪馬台国は畿内または九州にあったかもしれない
もしくは韓国や東南アジアのあったかも
実は存在すらしなかった可能性もある
もうこれでいいじゃん
326 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:18:35 ID:U3koLVgFO
考古学利権か?
いい加減やめとけよw
たった2000年そこそこで地名はそう変わらない。
邪馬台国は大和の国と考えるのが普通。
大和の地名が残ってる奈良県が邪馬台国でしょう。
一方で、遺跡などから考えれば、
同時代に九州にも別の大きな国があったのでしょう。
ま、どっちでもいいけど
329 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:21:41 ID:lJsWMrhY0
>>309 最終的に日本全体を平定したのは大和朝廷で間違いないだろ。
九州説は別に九州が日本を平定したと言ってるわけじゃないんだぞ…。
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国は九州の国と言ってるだけ。
邪馬台国が日本を平定したとも、
当時最大の国だったとも言ってない。
当時、「日本」最大の国が邪馬台国だと信じているなら、
畿内説は明らかに間違っているよ。
330 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:22:02 ID:yzMiOzgI0
>>316 あー、それなら、九州論者は神武東征と結びつけたりするなよ。
邪馬台国が九州にあるならあってもいいが、畿内とは無関係。
あとから、畿内の大和王権によって滅ぼされたということだな。
331 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:24:27 ID:LaT5qWgeO
なんか畿内論者が必死だな、別に奈良でもいいと思うよ、ただ・ただ・ゴッドハンド臭いよね、みんなそう思ってんじゃないかな?!
>>327 筑後にだって山都があるわい。こっちの方が「ヤマト」っぽい。
「大和(大いなる倭国)」で「ヤマト」と読ませるのは、なんか後から
人工的にそう決めたっぽい感じだよな。
333 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:25:46 ID:eHlf22LkO
>>316 血圧に気をつけろよw つうかまともに読んでも九州じゃないし。
334 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:26:07 ID:lJ+qiSKq0
>>330 うんうん。
無関係でしょう。
大和王権に滅ぼされたとも思えません。
その前に周辺(九州内)の国に征服されたか、権力が移動したでしょうね。
335 :
( ゚Д゚)<ボクメーツ ◆uhiboKUMEQ :2009/11/28(土) 22:27:01 ID:7tXLTDj90
( ゚Д゚)<まさか
( ゚Д゚)<ウチの地面の下に
( ゚Д゚)<邪馬台国が眠ってるのかも
336 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:27:08 ID:lJsWMrhY0
>>327 旧唐書からは、国同士の併合や改名の事実がうかがえるからなあ。
「ヤマト」という名称が倭を代表する正当性や
中国との国交を結ぶ正当性を示すのなら、
その名前の継続・争奪はあって当たり前じゃないか?
共産党と国民党が、「どちらが正当な中国か」を巡って争ったのと一緒だろ。
どの国においてもあることだ。
面子があるのはわかったから
事実が知りたい
古事記・日本書紀は権力者に都合よく書かれてるから
信用できない。
神社に伝わる話を集めれば、真相がわかるという
神社伝承学では、邪馬台国は出雲に征服され、
その出雲が大和に服属したってことになってたっけ
339 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:27:36 ID:txV2EcSV0
>>307 全く同意だ。
更に付け加えるなら当時、銅鐸文化圏だった奈良地方だが
倭人伝には銅鐸に関する記述が全く無い。
いいか、倭人伝には銅鐸に関する記述が全く無い。
>>327 だから北部九州にもヤマトの地名は複数残っているから
340 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:27:56 ID:U3koLVgFO
学者ってものがどんどん胡散臭く思えてくるなw
ゴネ得のあいつらと変わりなくなって来てねーか?w
341 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:29:24 ID:LaT5qWgeO
魏志倭人伝に邪馬台国は大国って書いてあんのか?!ないなら大型建物遺跡の跡とか関係ないだろう、そんなとこからゴッドハンド臭いんだよね
342 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:30:41 ID:Cz7ZoF9H0
邪馬台国なんかよりワクワク島の所在が知りたい。
343 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:31:04 ID:tNVhCNj20
銅鐸とか銅鉾のことなんて、いちいち倭人伝に書くかいなw
344 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:31:29 ID:KVAQDQPY0
やまとの地名は
北部九州が先で近畿が真似したんだろうが
そんなことも知らないのか
345 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:32:17 ID:yzMiOzgI0
>>339 九州説を唱えるだけならいいが、
調子に乗って、邪馬台国が東征だか東遷とかして大和王権になったんだとか、
神武東征を引き合いにだして、幼稚な夢想するやつがいるから困るよな。
畿内説に対しては魏志倭人伝をちゃんと読めというくせに、
こういう九州論者は記紀神話を都合よく無視するんだ。
神武東征は神話では紀元前であり、邪馬台国はまったく関係ないんだよ。
神武が紀元前に奈良に東征した。
そのあと、大和王権ができて、それが邪馬台国なのか、
それとも、九州に別個の独立国があったか、論点はそれだけだ。
>>339 ちょww 記述がないからといっていってなかったっておかしいぞ?
近畿については、全然おかしくもないことを疑問視させたり、
九州については、全く不自然なことをあたかも自然なことのようにいいきったり。。。
そういうのが九州説唱えてる人がうさんくさくさせてるんだよ。
>>330 もしかして、あなたが心配しているのは大和朝廷が属国扱いにつながるですね
心配しなくても大和朝廷が属国扱いになったわけでない
あくまで金印を受けたのは九州にあった1国
神武天皇は跡継ぎとして近畿きたと考えればよい。大和朝廷は近畿にあった別の国が日本平定したわけであり、邪馬台国=大和朝廷ではない
349 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:33:42 ID:/quOmNpH0
>>1 3〜4世紀は朝鮮半島全域と九州沖縄、瀬戸内海から奈良地方まで倭国の勢力
下とすると、ちょうど北九州地方が中心になる。(地図を見ると理解可能)
奈良では東に偏りすぎ!朝鮮半島の支配を失って倭国の中心が奈良方面へ
東遷したと考えた方がぴったり!
>>341 七万戸って書いてあるから、まあ大国なんだろな。
女王の住処は「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とは書いてあるけど、
どんぐらいでかいかは判らん。
俺も昔は九州説にだまされたクチだからなーw 今となってはうさんくささがよくわかるw
>>351 その胡散臭さを書かなきゃ、議論の発展性がないだろう。
353 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:36:27 ID:LaT5qWgeO
なんかこの前テレビで卑弥呼の時代は温暖化で強引に魏志倭人伝の記述を奈良に繋げようとしたり、政権交代で信仰の銅を割ったとか、あからさまにゴッドハンド臭くて、不自然に感じた。
354 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:37:04 ID:9t6ZvBkf0
>>214 文献に頼らなければ、大和に当時巨大王権があったことは証明できても、それ
が邪馬壱国か否かは証明できないだろう? むしろ、海を渡ると更に倭人の国
があるという記述からすれば、九州:邪馬壱国 大和:海東倭人国 と考えた
方が辻褄が合うじゃないか。
それに、大和が邪馬壱国なら南のどこにそれを脅かせるほどの強力な狗奴国が
存在できるんだよ? 吉野だの熊野だのいうなよ。 考古学的証拠皆無なんだ
から、ここらへんに強大な王権があったことは。
九州説信じてる人数なんて同好会レベルみたいなものだろ。
言わせとけ
356 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:38:06 ID:9vXMY3k+O
まぁ、いろんな説があるんだろうが…
結論の出ない永遠のテーマと言う事だな
難しい問題だよ
>>356 スレ前半で、いきなりまとめに入んなよw。
358 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:39:49 ID:aOC2DBHz0
熊本?
大分じゃないの?なんか渡来の銅鏡が出土してたじゃん?
359 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:41:32 ID:LaT5qWgeO
>>350 城柵?畿内論学者がそんなものは必要ないって、犬HKでハッキリ言ってたけど・・・・
360 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:42:09 ID:txV2EcSV0
>>343 お前倭人伝読んだ事ないだろ。
>稲と麻など繊維をとる植物を栽培したり、蚕をに桑を与えて糸を紡いで、絹糸や綿糸などを作る。
>牛・馬・虎・豹・羊・鵲などはいない。武器には、矛・楯・木弓などをもちいる。
>木弓は、上が長く・下は短く、鉄の矢じりを使う。(海南島の)耳や朱崖などの都と同じである
他にも植性やら食べ物・治安など事細かに書いていて、銅鐸に関する記述が無いというのは
不自然過ぎるだろ。
更に付け加えるなら当時の鉄器品の発掘品の数は福岡県は奈良県の100倍出土されている。
>>352 色々だよ。魏志倭人伝はともかく、九州王朝はひどいぜ。歴史知らないとだまされるw
山門の話だったり、東征の話だったり、九州王朝の話だったり。沖ノ島の話だったり。
でも、ヤマト王権の国郡里制とかの政策を調べたら途切れ目って結局ないのよ。
大和なんて昔から倭(やまと)だし、日本書紀の最初で当て字で本州がその発音だしね。
なんといっても歴史から消えてる王朝除いても、政策とその変化に実態があるんだよ。
九州説は単に資料批判で成り立ってるが、その文句のつけ方にも問題がある。
まず九州王朝ありきで、その結論にもっていくために否定的な可能性はすべて排除し、都合の
いいところだけつかうっていう手口。そういうのがすかん
362 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:44:26 ID:7r33CNGaO
NHKが言ってたことか
ならその逆が真実かもな
>>360 生活や戦争の道具でなく、「祭祀」の道具でしょ。
中国から見たら、東夷の祭祀なんて大して重要でないだろ。
364 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:45:29 ID:wNFq1KrsO
>>339 そりゃあ『使者は奈良に行ってない』もん
壱岐で陸月○日とか聞いて諦めた
365 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:46:09 ID:kj4jVTQk0
筑後から熊本の地域に邪馬台国レベルの豪族がいたのは
確実なんだよね。
邪馬台国ってそんなに大きいわけではない。中国の文献に
載ってるからブランド化しているだけで。
>>360 すべてのことかけるほどの長さじゃないぜ。すぐ九州論者は君のように
必然性の印象操作するが、やめとけよw
367 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:46:32 ID:LaT5qWgeO
>>360 あのーそれだと邪馬台国が九州で決まりになるんですけど・・・・・
368 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:47:05 ID:yzMiOzgI0
>>360 >更に付け加えるなら当時の鉄器品の発掘品の数は福岡県は奈良県の100倍出土されている。
九州は鉄が多いから、九州のほうがスゴイというのは、幼稚すぎる考え方。
だったら、鉄の少ない畿内にどうして大和王権ができたんだ?
(東征したからだと言うだろうが、それこそ魏志倭人伝には書いてない勝手な空想)
畿内は、鉄が無くても大和王権が事実として誕生してるのだから、
九州に鉄器が多いから、邪馬台国だという理由にはならない。
369 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:48:18 ID:jhF3oC4bO
つまりB民発祥は九州ってこと?
370 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:48:21 ID:txV2EcSV0
>>363 いいかげんわからん奴だなw
倭人国の風俗全般を事細かに記述しているのに、祭祀の最重要な
道具である銅鐸の事が一切書かれていないのは不自然だろ。
>>361 >大和なんて昔から倭(やまと)だし、日本書紀の最初で当て字で本州がその発音だしね。
そこからわかるのは、書紀が書かれた頃(7世紀後半〜8世紀初頭)はそう呼んでいた、
ということだけですがな。
恣意的なんだな九州論は。
都合の悪いこと→ありえない
都合のよいこと→これできまり
この論法だよ。本なんぞ読んだ日にゃ一方的だからだまされちまう。
調べたらすぐに魔法が解ける程度のもんだが、トンデモ本読むような
人間そこまでしないもんな。
373 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:50:32 ID:yzMiOzgI0
>>371 だったら、7世紀にかかれた神武東征なんて信じるなよな。
わかったな?
374 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:50:47 ID:jcYMMxqO0
魏志倭人伝は方角間違ってるから、東にある海とは琵琶湖のことで、
南にある狗奴国とは諏訪国のことだよ。
375 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:50:58 ID:sv5JjfpOO
近くには吉野ヶ里遺跡くらいしかないが
376 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:51:00 ID:/quOmNpH0
>>327 面倒だから邪馬台国が2つあったって良いよ!しかし、100歳まで生きた人なら18人
分ほど遡った前のことが正確に解からないとは・・・トホホ。
>>371 そうなんだけど、実際に倭氏がすんでるわけよ
379 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:53:26 ID:rU/IQcHNO
まぁ
>>175がすべてなんじゃない?
魏志倭人伝は真実ではないが嘘はない
日本の野球ファンはジェット風船を飛ばしハンカチを振りながら球場が揺れるほどのタテノリジャンプをする
>>370 わからん奴っちゃなw
場所自体曖昧に書いてるのに、銅器を使って祭祀してた程度の記述で充分。
銅の鐸だのなんだのまで、書かくても全然おかしくないな。
381 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:54:46 ID:EyPlNnce0
纒向発掘たったの5%で、九州説吹っ飛びました。本物には勝てないんだよ。
九州のいったいどこに邪馬台国があるんだ?ないところに有ると考えるから
比定地が一杯でてきてしまうんだ。すこし考えればわかるだろ。
>>378 でもけっきょく、邪馬台国に直接つながる「ヤマト」だと言うためには、
4世紀まで遡らなきゃなんないわけでしょ。倭氏はそこまで古いんか?
俺も実際今の状態じゃ畿内にあるとは確信もてんがな。
九州論の思考方法は間違ってることはわかる。
>>381 ただ、畿内説は、九州から近畿までの西日本一帯を支配下においてたというのが、前提でしょ?
畿内説だと、九州「も」邪馬台国の一部ということになるんじゃ?
385 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:57:33 ID:txV2EcSV0
>>380 >銅器を使って祭祀してた程度の記述で充分。
は?倭人伝のどこにそんな記述が?
387 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:59:08 ID:yzMiOzgI0
>>382 いい加減に目をさませよ。
面白おかしく扇動的に書かれた九州説の本に騙されてるんだよ君は。
子供は、みんな一度は九州説に騙されるんだから、恥じゃないぞ。
オトナになっても九州説だ九州説だなんて真顔で吹聴してるやつは、ちょっとアブナイぞ。
388 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 22:59:21 ID:lJ+qiSKq0
なんで畿内派は、邪馬台国と大和国をつなげたがるの?
九州に、南国風の素朴なアニミズムのクニがあり、シナ人が、
邪馬台国とよんでいた、ただそそれだけのこと。
389 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:00:05 ID:EyPlNnce0
>>384 違う倭国の一部。倭国の連合体の長が邪馬台国の卑弥呼。倭人伝の記述者は実際には邪馬台国には行っていない。
伝聞で書いているだけ。倭人伝はその辺が信用できない。
>>382 剣の銘という、考古学的発見から裏付けられる最古の天皇が、
5世紀の雄略天皇ということじゃなかったかな?
で、同じ銘を刻んだ剣が、九州と埼玉で発見されてるから、このときの大和朝廷は、
九州から関東にいたるまで、大きな支配地域を持ってたはず。
で、この雄略天皇が、中国の史書に見られる倭の五王の「武」にあたるわけで、
倭の五王の系図などから逆算すれば、4世紀あたりまではさかのぼれるはず。
391 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:00:19 ID:wNFq1KrsO
当時の中国人が小国でしかない日本のことを真面目に記録なんかするわけないってことはちょっと考えたら分かるのに
こんなことに熱くなっちゃってる奴って何なの?www
こういう歴史な事は韓国にお知恵拝借すればいいよ。ファン・タジ理論を駆使すれば勝つる!
九州のお方々ご苦労はんだした。
>>387 おまい、子供の頃にシュリーマンの伝記を読まなかったんか?
「トロイ戦争www 神話だ神話wwwwww」と言われ続けても夢をあきらめずに、
大人になってついにトロイア遺跡を発掘したんだぞ。
いい話だべ。感動するべ。 な?
>>385 そうだろ。
書いてないのが全然不思議でないってこと。
書いてないのが不自然すぎるって
>>360で書いてたのは誰?
>>382 わからんけどわざわざ魏志倭人伝にあわすために氏族を作った割には
経緯が複雑だし、神社もあるしな。そんな必要性も感じない。
あとでこんな論争が起こるとこまで計算していたとは思わないんだわ
文献としては日本書紀だと神武のころから登場。
398 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:02:38 ID:02ufgTP8O
九州って何もないから必死だよな。
もう奈良?のどこかが確定的なんだから、夢を語るのは止めた方がいい。
まぁ九州と半島は繋がってたから、思考回路としては同じなんだろうが、日本人名乗るなら、歪曲や妄想は控えろよ
399 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:02:54 ID:5/MwDF2l0
魏志倭人伝はフィクションだぞ
だいたいソースがこれ一冊しかないなんて怪しすぎる
九州説最大の根拠は金印出土だろうけど、アレをspring-8で年代鑑定したら
面白い事になるだろうなwwwwwwww
400 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:04:21 ID:gMgqc+dU0
地元贔屓の御用学者擬か
文字取りの曲学阿世だな
401 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:04:57 ID:wNFq1KrsO
>>388 畿内(奈良)説も九州(どこなんだよ!?取り敢えず指定さないなら沖縄説とでもしようか?)のどっちも邪馬台国=ヤマトと結び付けなくてもいい
ただ、邪馬台国=ヤマトならば奈良説は矛盾が少なく沖縄を含む九州説は矛盾があるってだけ
402 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:05:18 ID:2HIMhHtUO
今の九州人の民度見ればわかるだろ
403 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:05:19 ID:EyPlNnce0
>>399 金印だのスプリング8で年代測定だの、無茶苦茶な知識は言わないでくれ。書き込むのなら、すこしは勉強したらどうだ。
>>398 金印だけだしな。
もらってからずっとその周辺で保管してたのかの証拠もないし。
見つかったのは、砂浜だっけ?
405 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:05:39 ID:kI3vqqOW0
全部邪馬台国の領土だったってことにしておけばいいじゃないか
邪馬臺国は大和国
407 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:08:06 ID:txV2EcSV0
>>396 お前意味取り違えてる。
書いてないのが不自然のスタンスを変えてないのに
何で書いてないのが全然不思議でないってなる。
実は決定的な証拠はある
でも結論が出たら、学者の飯の種がひとつなくなるので証拠はないことにしている
中国側の記述どおりに計測したら
奈良でも九州でもないところに
なっちゃう件について
410 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:12:16 ID:LaT5qWgeO
>>407 「書いてあったとすれば」っていう
あんたの視点に立った仮定までして
譲歩してやってんのに、いちいちそこまで書けってか?
疲れる人だなw
412 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:13:07 ID:53KJRvlBO
4世紀の日本が謎だらけなんだから、判別がつかないだろ。
ニニギとヤマトタケルがヒントだろうが。
413 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:13:51 ID:jcYMMxqO0
九州説は倭国を過小評価しすぎなんだよな。よく考えたら中国が文明国で
日本が文明国じゃないなんておかしいんだよ。当時の倭国も既にそれなりの国だったわけ。
志賀島で見つかった金印は57年に奴国が貰ったもの。卑弥呼が貰ったものとは違う。
>>399 マイナーだが、玉壁と言うものがでているみたいなんだよ
「玉璧(ぎょくへき)」。完璧の語源となった古代中国の皇帝が、周辺諸侯に王権の象徴として授けた紀元前1世紀ごろの宝器である。
福岡県志賀島で出土したとされる国宝「漢委奴国王」の金印は、漢帝国の皇帝が北部九州の王に授けたものと理解されるが、玉璧はこれに相当、いや価値序列からはその上位に位置する。司馬遷『史記』の故事では、一国の城に値する宝器としている。
415 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:15:00 ID:9l7HAQrO0
「全」在宅系の方は、保守の議員さんが国会で説明しやすいよう、
自分の不安な2CHなどの掲示板名と発言を拾って、自分の気持ちも数行纏めて、
メールしていただけないでしょうか。
イージス艦や、さだかでは中国の海軍を日本に寄港させるという事を聞きました。
人民解放軍や、トロール船で難なく四方八方から乗り込んでくる事も可能です。宜しくお願いいたします。
■外国人参政権と、2重・3重国籍、ニセ人権擁護法案 (水間政憲・激論ムック迷走日本の行方)
が通ると、中国人が2億3億と、 チベットのように押し寄せて、動乱を起こしやすくなり、
チベットの二の舞になります。
民主の補正予算削減、仕訳で、自衛隊の力を弱められています。
チベットの二の舞になる要因は、法案が通らなくても、起こらない可能性を歪められるのでしょうか?
416 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:15:15 ID:M345Ji3nO
女王 卑弥呼は 大阪人だったという。
417 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:15:24 ID:fUEGvUyg0
419 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:17:49 ID:kJktPh6WO
方角と距離と所要日数
この中でいちばん正確さを期待できるのは所要日数だよね。
方角なんて、たとえ方位磁石をもっていたとしても、現在地が出発点からみてどの方角にあるのかなんて判らん。
420 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:18:46 ID:kj4jVTQk0
>>413 別に勢力範囲が広ければ文明国ってわけじゃないだろ。
いまの中国は文明国か?
そういえばむかし、邪馬台国ハワイ説ってのもあったなw
422 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:20:44 ID:eHlf22LkO
こんなんでも名誉教授になれるんだな
邪馬台国は畿内で決まり
424 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:21:47 ID:lJ+qiSKq0
>>413 そうそう、当時の列島にも畿内あたりに結構な文明があった。
でもそれは邪馬台国じゃない。
九州に、素朴な南方風の土人国が多数あり、それをとりしきる
邪馬台国があった。
シナの歴史書など、自分に朝貢する人間を喜んで書いただけで、
まつろわぬ国については記述しない。
東にも倭人の国があるとだけ書いた。
東の国々は、南方の土人国家よりも、むしろ文明化されていた。
シナの中央勢力とつながらなかったけれど、地方勢力や民間勢
力とはおおいにつきあいがったろうし、シナの先進文化にも接
していたでしょうね。
425 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:22:39 ID:kGthWPO0O
筑後地区から熊本県にかけてはなにもないよ
来たことないからわからないだろうけど
はっきり言って地元住民はこの説に迷惑しか感じないだろう
でっちあげのなにものでもないからね
>>424 主張するになんで根拠を一切示さないのか
427 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:24:06 ID:lJ+qiSKq0
>>426 根拠あるよ。
畿内には考古学的成果が多数出てるじゃない。
>>390 たしかに鉄剣の場合は墓と違って貰った年が刻まれてるから、5世紀後半に
広範囲に支配が及んでいた、というのは確実だよね。
ただし、武(ワカタケル)の前にどれだけ遡れるのかは微妙な気もする。
>>397 さすがに神武のころからというのは書紀のフカシだと思うけど、発想を変えたら
それが神武東征=邪馬台国東遷説の傍証になる気もしてきた。
畿内が「ヤマト」と呼ばれるようになったのは、神武が倭氏を倭国造に任命してから、
ということだもんね。まあ、ちょっと牽強付会な気もするけど。
429 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:25:17 ID:eHlf22LkO
どこやらの国がウリナラ国人だといってような…
430 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:25:45 ID:qaMfjPZe0
>>425 菊池装飾古墳群とか見たことないのかね。似非熊本県民はw
431 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:26:37 ID:rA7tozCI0
俺なんか、とんでもなかったよ。もう少しで、あの世に行ってるトコだった。
工業高の時、、汽車内で勉強してたら、目を付けられた。
100人(百人)から、罵声によるイジメを、汽車内、駅内、町内で受けたよ。
場所は、鹿児島県の加治木町〜横川町、霧島市周辺での事。
この地域は、99%が無学、高卒、三流私立大卒が住んでる土地。
高校生も、ほとんど、チョンバック。
相手は、近くの進学校(勉強のストレス解消)、工業高(足引っ張り)の奴ら。
もうメチャクチャだったよ。家の前で罵声を浴びせる(車で通りすがりに)、池沼も出たので、
地元の新聞社2社の読者の欄に投書し、奴らの声を封じた。
工業高推薦で、地元の国立大学も受けに行った時、共通一次の試験会場でも罵声を浴びせる
奴もいた(近くの進学校の奴ら)。
俺は、命からがら、工業高から国立高専に編入し、国立大学に編入したんで助かった。
俺を自殺に追い込もうとした奴らは、高卒で就職か、福岡あたりの私立大に
進学したようだ。もともと、高卒や私立大に行く連中(ごろつき)だから、道徳や倫理観も
ないんだろう。
俺がもし、女に生まれていたら、強姦(レイプ)される運命だったと思うよ。
今、イジメに遭ってる子も、俺みたいに負けないでほしいな。
432 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:26:43 ID:DIGwiASj0
畿内は銅鐸文化圏なのに記紀にも魏志倭人伝にも記述がない、
魏志倭人伝では南方系海洋文化圏なのに奈良では苦しすぎる。
間を取って広島で
広島には何があったの?
そろそろ負けを認めれば良いのにwww
纒向のわずかな発掘で、吹けば飛ぶような説は、ダメだろ。
箸墓掘れれば、完全アウトかな?w
436 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:28:38 ID:kj4jVTQk0
437 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:28:50 ID:eHlf22LkO
大都会岡山立候補しろよ。
吉備あたりすごかったんだし
438 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:29:32 ID:kFIVWzz20
九大卒の俺が来ましたよ。
どう考えても畿内説が正しいです。
やっぱり出雲や
440 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:31:23 ID:VacuxcSa0
畿内論者は生活かかってる人が多いから必死ですねw
441 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:32:32 ID:ZaiXh3tN0
畿内には中国文化の影響がほとんど見られないことはどう説明するの?
>>437 だが断る。
吉備は吉備。
単に大和の同盟国なだけ。
邪馬台国は、30ヶ国連合の1つで
女王がいた国。
それらの国で、畿内説・九州説とも一致して
だいたいここだろうと言われてるのは
末盧国が唐津、伊都国が糸島、奴国が福岡。
1つの国が今の市町村くらいの
規模だったことがわかる。
それが30ヶ国集まった程度では
せいぜい九州北部を支配する程度だろう。
444 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:33:19 ID:LaT5qWgeO
そうなんだよね〜畿内論者は生活がかかっているし面子もあるから、こじつけがめちゃくちゃなんだよね
445 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:33:41 ID:qaMfjPZe0
もう箸墓のあたりには「卑弥呼の里」の看板立ってるもんねwww
俺は邪馬台国は九州から畿内に移住したってのが一番しっくり来るけど。
>>439 出雲だと今回の候補地はからんでるぞ。
出雲と大和の争いをとめたとも考えられる「大物主の嫁」が卑弥呼候補みたいだからな。
まだなんともいえないけど
箸墓ってモモソ姫の墓だろ
卑弥呼関係ないし
448 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:35:42 ID:lJ+qiSKq0
南方の土人国家の卑弥呼の国と、大和王朝がつながっているなんて
ロマンチストの妄想としか言いようが無いよね。
日本書紀の読みすぎで、空想と歴史の区別がつかなくなった。
それが畿内説。
449 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:36:55 ID:lLIkzYpzO
たいした交通手段のないこの頃、
邪馬台国がでかい国だといえ九州から近畿まで統一した国だという可能性は低い
この時点で邪馬台国=大和朝廷である必要性はなくなる
邪馬台=大和の読みについては
この頃の語彙数の少なさから考えるとただ単に大きい国のことをヤマトと呼んでいたにすぎない可能性もあるわけで。また地名の類似についても同じ説で説明可能。
第一、邪馬台国の時代と大和朝廷の時代に連続性はなかったはず(空白の4世紀だっけか?)
で、新たに奈良で見つかった大規模な遺跡と邪馬台国、規模は合っても時代が微妙にズレてる
これらを総合すると、邪馬台国=九州で東の勢力に対抗するため後ろ楯が必要→中国に朝貢→空白の4世紀の間に結局奈良の勢力が西日本統一→大和朝廷に
って流れでおkなんじゃないかと思う
で神道的な考えで滅ぼした国の祟りを鎮めるため
女王を神として祀ったのではないだろうかと
なんだよ、また醜い争いの火種が出てきたのか
文字通り邪魔な台国だな、死ねよ
おまいら本当に邪馬台国好きだな
452 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:37:04 ID:EGdXIo7M0
邪馬台国が筑後から熊本にあったかどうかは全くわからないけど、
それと同レベルの豪族(独立王国)があったことは確定してるんだけどね。
何故かあまり話題にされないけど、福岡県久留米市の「大善寺」(寺じゃない)
は1600年以上前から絶大な勢力を誇ってた事がわかっている。
大善寺玉垂宮で行われ、1600年続いている、日本三大火祭りの一つ「鬼夜」は
正式に史実に残っている最古の祭りの一つで、由来は仁徳天皇が藤大臣を下し
この地の「鬼」を征伐したことらしい。
この地の一大勢力であった大善寺の鬼を平定したことが由来。
>>1の教授が言ってるのは、大善寺から熊本県の山鹿方面にあった勢力のことだろう。
453 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:37:12 ID:yzMiOzgI0
九州は1世紀に漢から金印をもらってたんだから、それで満足すればいいんだよ。
遅かれ早かれ、畿内の大和王権に九州は併合されるのだから、
それが3世紀か4世紀かの違いだけ。
4世紀に九州が畿内に併合されたことも認めたくなくて、東遷したとかいう説は立てるのは夢を追いすぎ。
近畿にも文化があった。銅鐸という文化があった。
それを九州からの征服で駆逐されたなんて吹聴するのは、失礼だとは思わないのかね?
征服論なんてのは、邪馬台国が九州で決まった後で考えるべきことだよ。
邪馬台国が九州で決まるようすは、無いけどな。
454 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:37:19 ID:rU/IQcHNO
まぁ「センダイ」は仙台も川内もあるし
「ヤマタイコク」が複数あってもおかしい事じゃない
「(畿内の)ヤマタイコクってどんな所?」って訊ねられて
「(九州の)ヤマタイコクはこんな所〜」って答えたのが載ってる魏志倭人伝
455 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:38:35 ID:ATb7ZqQI0
九州知らない人は筑豊と筑後を混同しないように
筑後から熊本にかけてなら久留米あたりからオートポリス、阿蘇あたりまでだよ
俺そこら辺の出身だけどはっきり言って何もない
456 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:38:47 ID:GU6+vmP30
>>445 俺もそれで落ちつきたくはあるんだけど、純考古学的にはどうなのかね?
それと、270年前後の纒向遺跡、箸墓古墳はほぼ大和朝廷の物と推論できる所まで行ったわけだが
すると当世崇神天皇の御代となると思うが
東遷説を用いてしまうと、崇神天皇の前に朝廷が東遷したことが一切記録に残っていないのは弱点だね
ここをクリアできる方法はあるかな?
457 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:39:08 ID:3j1YtEGP0
だからさー、ヒミコが氏んだ後。トヨが擁立されてるでしょ?
「ヒ」と「トヨ」がセットになってるのは北部九州だけなんだよ。
「肥」と「豊」ね。
458 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:39:35 ID:0ImDcrtVO
>>448 日本そのものが明治の文明開化まで土人国家だったわけだが。
459 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:39:53 ID:eHlf22LkO
>>442 なるほど吉備は出雲と争い大和と同盟くんだ。
箸墓の長ったらしい超能力少女が出雲とくみ、ここに出雲・大和・吉備同盟が
出来上がったって感じか?
>>446 大国主は、糸魚川の奴奈川姫と宗像三女神の長女(タギリ姫だっけ?)を
嫁さんにしてるんだよな。日本海流をまたにかけるスケベなのだw
461 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:40:29 ID:qaMfjPZe0
>>447 名前なんてどうにでもなるし。
だいいち日本書紀ではヤマトトトヒモモソヒメだけど古事記ではイクタマヨリヒメで統一されてないし。
>>448 日本書紀の祟神天皇のくだりでは、祟神天皇がヤマトトトヒモモソヒメの進言を聞き入れて
三輪山の祭祀権を強奪した話がある。これって、異文化の畿内侵略のことじゃないかと。
462 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:40:39 ID:lJ+qiSKq0
>>453 うんうん。
邪馬台国九州説は正しいが、九州の邪馬台国が大和を征服した
なんてのは、妄想もいいとこ。
463 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:40:49 ID:LaT5qWgeO
なんだかんだ言っても九州説が有利なんだね
>>401 >邪馬台国=ヤマトならば奈良説は矛盾が少なく
帯方郡から邪馬台国までの総里程12000里のうち、
北九州までで10000万里余りを消化しているのに、
奈良まで届くわけないだろ。
こんな絶対的な矛盾を放置して、矛盾が少ない、はないだろ…。
毛野の国のこともたまには思いだしてあげてください
466 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:42:11 ID:fZS7khGDO
また筑豊か!
468 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:44:08 ID:S+HRZSRF0
ハニワ幻人の故郷、邪魔大王国は阿蘇山にあります
469 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:44:52 ID:eHlf22LkO
>>441 上であったけど「畿内」自体が魏の制度だよ
470 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:44:53 ID:LaT5qWgeO
1、日本書記 2、古事記 3、魏志倭人伝
信用できるのは何番??
471 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:45:01 ID:N0fwfyF20
千葉県人ですが、どう見ても奈良県にあると思われます。
472 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:45:50 ID:j2azarumO
邪馬台国は捏造
473 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:45:56 ID:GU6+vmP30
>>470 そりゃ魏志倭人伝に決まってるだろ
だって記紀には邪馬台国なんか出てこないんだから
476 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:47:26 ID:kj4jVTQk0
考古学的に、筑後〜熊本にも、畿内にも邪馬台国の時代にそれなりの
豪族があったと。そういう認識なんだけどな。
なんで中国に媚びていい子ちゃんとほめてもらった国の称号を
ここまで奪い合っているのか。
邪馬台国論争より、邪馬台国論争を成り立たせているものの方が興味深い。
478 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:48:05 ID:GU6+vmP30
479 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:48:32 ID:lJ+qiSKq0
邪馬台国畿内説の人って、そんなに、日本初の征服王朝を、自立的に
生まれた王朝ではなく、チャイナに朝貢して、その権威を背景にした
国にしたいのかね?
南方の素朴なアニミズム国が、大和の豪族を征服できたはずがないの
だから、大和王朝とつながるはずがないだろうに。
480 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:48:52 ID:1gZ38ppPO
あの島原説はどうなった?w
当時、九州には魏志倭人伝に記述されたヤマトコクの大きな集落が無かったよな
魏の伝令さんが遠くまで行くのは面倒だから
適当にでっち上げて報告したんじゃね
こっちで何にも出ないんだから何にもなかったと考えるのが自然
九州の人って韓国人に似てるよね。
性格が。
水道工事やってるオッサンが、「遺跡を掘ることがよくあるけど、面倒だから見なかったことにしてそのまま作業してる」って言ってた。
邪馬台国の証拠ももうなくなってるかもな。
486 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:51:24 ID:28P550Js0
>>452
そういうのは本州四国の人は一切しらないwwww
本州四国の人が知ってるのは安物さんの説。
アメリカ人が日本人=忍者、カンフー、ブルースリーいうのと似てるwwwwwww
487 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:52:03 ID:NPxpEasZ0
邪馬台国利権て大きいんだねえ。
488 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:52:15 ID:eHlf22LkO
>>479 いやそうじゃなくて、実態が日本を統一してたのはどっちかという話。
小さな奴国の金印で奴国ばんざいの九州説の方があてはまると思う。
489 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:52:29 ID:02ufgTP8O
もう奈良でいいだろ。
世界不思議発見でも奈良で間違いない!って何度も断言してたしw
あそこまで断言するテレビを始めてみたよw
奈良の古い名前は大和なんだろ?
そもそも九州説自体が寄せ集めで、都すら定かではなく、全九州の神話を無理にくっつけているだけ。
その後の九州の扱いの酷さを見ても九州から移ったとは到底思えない。
何の土器も見つからず、九州説の位置で言えば太平洋になるんだっけ?
ここまで出されてまだ九州にあったなんて言ってる方が狂ってるw
まるで発想が韓国みたいだなw
日本に併合されて衛生、貧困、都市開発されたの無視して、韓国は偉大ニダって叫んでるのと一緒w
まぁ九州と半島は繋がってた訳だがw
490 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:53:30 ID:lJ+qiSKq0
>>488 え!
邪馬台国が日本を統一してたの?
初めて聞きました。
491 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:53:39 ID:JZ4nW+ZF0
支那の歴史書に「ヤマトは魏志倭人伝にある邪馬台国のことである」と書いてあったはずだが
492 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:55:01 ID:8yS9rqdZ0
確実に当時の勢力で確定してるのは、大善寺の鬼だけなんだよな
それなりに大きな勢力がいたるところにあったんだろうけど
日本書紀や古事記は瀬戸内神話の寄せ集めなんだから
大和朝廷が本当にそんなに大きな勢力だったかも実は怪しいんだけどね
493 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:55:35 ID:r1d63p2l0
近畿が銅鐸を破壊したことも、忘れてはならない。
土着の政権なら、伝統的な祭祀を放棄するはずがないから。
現にいまだって、千年以上前の3種の神器だの、神話だの保持している。
自発的に放棄するなんて100%ないと思う。
494 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:56:39 ID:rnhqI1TBO
まーたはじまった。
496 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:57:10 ID:eHlf22LkO
>>490 当時の大和朝廷は少なくとも南九州除く西日本全体に勢力及ぼしていたと思う。
九州説は九州だけと考えてるからびっくりだろうけど。
497 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:57:22 ID:qaMfjPZe0
まあ九州では国造磐井の乱があって日本のカルタゴみたく破壊し尽くされたから、
もう古い遺跡は出てこないかも。
498 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:57:42 ID:28P550Js0
しかし久留米大善寺の鬼って元はといえばば自分たちの王だろう
それを畿内の王が倒してそれを祝うって
どういうもんなんだろうねwwww
中国の文献・・・どう見ても、何を見ても九州にあったとしか読めない
記紀・・・モモソ姫や神功皇后としても時代がめちゃくちゃ。
考古学・・・奈良からこの時代の物はろくなものが出てこない
もう畿内説は無理。学会の権威とやらで辛うじて生き残ってるだけ
500 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:58:27 ID:LaT5qWgeO
>>489 見てたけど、そんな事は言ってないよ、また捏造?だから畿内派は信用されないんだよ。
501 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:59:38 ID:eHlf22LkO
>>493 >はずがない
そんなふうに可能性をゼロにしてしまうのが九州説人の特徴ですw
502 :
名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 23:59:42 ID:kj4jVTQk0
>>474 「邪馬台国」に準じることを言ってるのは中国の資料なんだよね。
日本の資料で邪馬台国から大和、日本に直結する流れが明確なら、
それなりに重要なんだけどさ。
503 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:01:25 ID:eHlf22LkO
>>499 >どうみても
そんな風に都合の悪いことを全て排除して印象操作するのが
九州説人の特徴です
504 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:01:50 ID:W9WLONTC0
結局思うに九州人が糞のバカだったってこっちゃないと?
久留米の大善寺で地元の王が倒されて、磐井が倒されて
それも殆ど記録に残ってない。
こやつらも悪行三昧やってたから地元民からも
総スカン食らったんだろうな。
俺も九州もんばってんwww
505 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:02:10 ID:22rupF2Z0
>>501 別に0でなくても、0.1%でもいいけどw
権力の交代が起こったとしか思えないし、しかも、記紀自体が東遷を書いているのだからね。
506 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:03:32 ID:9kYQHJ5K0
>>499 年輪年代測定法により
西暦270年前後の木材が
箸墓古墳(ヤマトトヒモモソヒメの墓)に使用されているのは証明されているよ?
当時崇神天皇の御代で、記述的におおきく矛盾しないのはハッキリしているでしょ
507 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:03:50 ID:/rgLABrv0
>>505 何らかの権力の交代はあったさ。
でも、卑弥呼の邪馬台国なんの関係も無い。
九州説の恥になるから、やめて。
509 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:04:33 ID:kj4jVTQk0
邪馬台国論争とは極言すると、日本史が中国史の一部になることを想定した
戦い。
510 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:04:38 ID:r1d63p2l0
>>506 それなら、墓の造営は270年以降となって、卑弥呼の時代から離れるな。
間違いの証明、乙
511 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:05:10 ID:28P550Js0
>>499 いくらでも出てきてるじゃん。九州はどっちかというとそのころ下り坂でしょうに。
>>505 記紀では大和朝廷が九州を傘下におさめていますよ〜。
513 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:05:40 ID:NAr7V6ve0
邪馬台国は韓国だってのwww
514 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:06:22 ID:9kYQHJ5K0
>>510 墓の造営に時間がかかったとは思えないのかね?
515 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:07:07 ID:22rupF2Z0
>>512 いや、神武が東遷してるわけだし。
大和朝廷の九州征服は、そのモモソ姫の時代より後だぞ。
516 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:07:27 ID:ZE35lnL40
>>493 そのとおり、銅鐸って埋められたり、壊されて埋められてたりするのが多い
やっぱり征服王朝がやって来たんだろうね。
>>506 崇神天皇の時代って四道将軍を北陸や丹波に派遣した時代だよ
ようやく奈良から一歩外に出たばかりのような時代なのに、
伊都国経由で魏に使いを送って云々というのはおかしくないか?
518 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:08:21 ID:Yxj28vE5O
>>500 おいおい…ナレーションで最初から最後まで卑弥呼の移籍でほぼ間違いないって断定してて、九州信者がファビッテただろw
519 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:08:25 ID:gO1FT7FMO
>>506 あれれ?箸墓の調査ですか?宮内庁は許可を出したんですか?
木材は見つかってないとテレビで言ってましたよね?!ゴッドハンドは勘弁して下さいね
520 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:08:49 ID:W9WLONTC0
>>515 え?巻向が崇神とモモソだったら、神武(がもし存在したとして)その前でしょ?
522 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:09:14 ID:zBnhZTjI0
日本史と世界史という2つの視点からすれば、
少なくとも現時点ではどうでもいい話です。
>>513 それもあり♪
523 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:09:27 ID:t6hLnPzn0
>>515 神武東征は邪馬台国より前の時代です。
魏志倭人伝をそのまま読めという九州説なら、
神武東征を引き合いに出すなら記紀をそのまま読みましょう。
年代的には、神武東征のあとで、邪馬台国は生まれています。
524 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:09:34 ID:22rupF2Z0
>>515 男王を立てる以前に墓を作り、生け贄を捧げてますけど。
更にそのあとが、台与で全然時代が合わない。
525 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:09:54 ID:9kYQHJ5K0
>>517 四道将軍を送れるくらい内政に余裕かあったってことでしょ
後ろ楯を別に作ろうとしても不思議は無いと思うな
>>517 四道将軍は1年で征服してるよ。ヤマトタケルでそのさきはすでに征服してるし。
まだ地方によって完全に支配できてなかっただけでしょ?
527 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:11:25 ID:sxKibGPj0
邪馬台国→やまとこく→大和国
卑弥呼→ひみこ→姫巫女
邪馬台国は奈良で決まり
大体九州のような汚らわしい蛮地に文明が栄えるはずがない
528 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:11:53 ID:22rupF2Z0
>>523 ええっと、年齢100歳以上の天皇を認める人ですか?
529 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:12:08 ID:lGd2WJIE0
鬼夜の話が出てるのに驚いた。
鬼夜見に行ったことあるけど、メインの大たいまつの前にやる
神社の神事で、シャーマンみたいな恰好で踊るのがあって珍しいなと思った。
>>504 祭事をしてるのは、制圧した側だよ。
大善寺玉垂宮の祭祀一族は、制圧した藤大臣の子孫(と言われてる)。
ぶっちゃけ茨城県沖にあった
531 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:12:48 ID://qDgPNo0
ま、 どっちでもええww
所詮 学者の(税金で生計してる) メシの種ww
もっと、 今の日本に目むけいやw
日本は 結局中国の 文化、技術を受け入れ 輸入して発展した国
文字もな おかげで、漢字とか 中国語とよく似てるだろw
まさか、 漢字は日本から中国に伝来? www
こういうことに情熱を注げて金もらえるなんて幸せ者だよな
533 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:13:18 ID:gO1FT7FMO
>>528 いや崇神が10代で神武は初代です。少なくとも順序は変わらんでしょ?
535 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:14:15 ID:zBnhZTjI0
>>527 中国さまが評価したに過ぎない邪馬台国をえらくまた
高く買ってるんだな。
>>533 見てないだろ。マジで近畿一色だったよ。
>>525 余裕なんてないだろ。邪馬台国というのは南の狗那国と戦ってたのに
余裕なんてないから泣きながら魏に助けを求めたんだろ
だからもうめちゃくちゃなんだよ畿内説って
538 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:15:06 ID:I4D2pLUN0
>>526 四道将軍の派遣は、本当の崇神天皇による派遣と言えるものか疑問が残る
丹波や吉備など、畿内に服属した有力豪族を、畿内から派遣した事にして彼らの立場を護ったのではないかと思う。
蘇我氏との対立で零落した物部氏のように、神武のヤマト入りに抵抗した豪族とするわけにはいかなかったから
そうしたのではないかな?
>>529 >大善寺玉垂宮の祭祀一族は、制圧した藤大臣の子孫(と言われてる)。
こんとき、藤大神が高良玉垂ば祀ったちゃろ、
藤大神は天孫系の一族だったから高良神社に祀られたっちゃろ。
540 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:16:13 ID:oIikIN330
本居宣長の偽僭説ってのが面白い。本物の邪馬台国は畿内にあって、それと
敵対していた九州にあった国が勝手に邪馬台国を名乗った、っての。
>>467 読んできたけど、面白いな。
綿津見の神の宮が近畿なら、いっぺん九州に帰って兄貴に勝って、
奥さんが子供を生んで、そのまた子供が東征したってことだよな。
たしかに祖母方の親戚が近畿に居たからそこを頼って行った、ということなら
平和に行けそうだけど、その豊玉姫がワニだってのがよくわからんよな。
ワニ(というかフカだっけ?)はどう見ても九州っぽいし。
542 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:17:19 ID:I4D2pLUN0
>>528 ノアの箱舟のノアだってやたら長寿とされている。
超古代の偉人を、普通ではあり得ない長命にするのはよくあることよ
543 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:17:27 ID:gO1FT7FMO
>>536 はいはい、あなたが見ていない事は、よくわかったよ。
544 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:17:53 ID:t6hLnPzn0
>>528 天皇の年齢を信じないという知能があるなら、
神武東征が作り話だったという可能性も考えるべき。
>>543 見てたよ。おまえがうそつきだってことはわかる。
名誉教授ってなんなの?
547 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:18:44 ID:Yxj28vE5O
>>533 九州ではナレーションを変えたのかな?
断定連発で実況の九州信者達が興奮が収まってなかったぞw
548 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:19:05 ID:22rupF2Z0
記紀によれば、モモソ姫は第10代崇神天皇の前、天皇家の九州征伐は、12代景行天皇。
モモソ姫が卑弥呼だとしたら、九州辺りはまだ支配下に入ってません。
あり得ないです。
549 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:20:21 ID:gO1FT7FMO
550 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:21:12 ID:9kYQHJ5K0
>>548 それは途中から離反したと捉えてもいいんじゃないの?
現在の状態からすれば「特定地方の反乱」でも
当時はそういう認識が無ければ、逆賊の台頭としかおもわなかっただけかもしれん
551 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:21:20 ID:YzDIOFQl0
これで邪馬台国は韓民族の植民地だと証明されたな
争いを好む野蛮な倭人を韓人が治めてあげた
日本神話も天皇が韓人だと暗に示してるし
552 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:21:27 ID:22rupF2Z0
>>542,544
ええと揃ってお馬鹿が出来てきたのかな?
長命にした天皇(当然在位も長い)をもとにした年代いってもしょうがいないでしょ、って事ですが。
553 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:21:37 ID:lGd2WJIE0
>>539 高良大社は武内宿禰・藤大臣説・月神などの諸説があります。
地理的に言って、大善寺と高良山はほんの20〜30キロしか離れてないので、
どちらも藤大臣ではないかというのが有力だそうです。
>>548 そういうこと。モモソ姫はありえない
時代背景がめちゃくちゃになる
九州人だけどもう九州じゃなくていい
伊都国もあったんだしな
九州は外交の中心地ではあった
>>533はホームページ読んだだけじゃないのか?
あれ読んで「あー九州説巻き返しの番組かな」と思ってたら内容は
まったく近畿説一色だった。九州では高千穂の祭りぐらいでしょ?
あとは畿内のメロンの発掘とか、銅鐸割ったのとか、日食とか、卑弥呼が殺害されただの
そのときは暖かかっただの。最後は箸墓移って、ここに埋葬された。墓はマキムクがきえたあとに
つくられたのです。。。てな流れだった
557 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:22:48 ID:Yxj28vE5O
なんかここまで盲目的にすがりつかれると恐さにも似た何かを感じるよ。
半島の竹島、東海
中国の油田、ウイグル虐殺
流石に九州は違うな
558 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:23:04 ID:+OnZ7E4y0
壮大な歴史ロマンだね(たった2000年前だけど・・・)
とりあえず、九州説を押すなら
もっとほって物証さがせばいいんでないかと思う。
言い合いしても謎は解けないさ。
559 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:23:24 ID:I4D2pLUN0
>>548 畿内説と北九州説が激しく対立するのは、どちらの説を採るかで日本の建国時期が従来より百年くらい遡るからだ。
畿内説を取れば、それは現在の大和朝廷に繋がる王権である可能性が高く、三世紀の半ばにはすでに王権が成立している事になるからな。
ま、九州に関しては、南九州はかなり後の時代までヤマト朝廷は服属させる事は出来なかったわけだし
崇神天皇の時代には当然、まだ服属していなかっただろうな
560 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:23:39 ID:SakmYt9vO
>>542 ギルガメシュなんかも長生きしたってかかれてるしな。
ギルガメシュ叙事詩は登場人物の一部が実在を確認されてるからギルガメシュもそうかも
561 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:23:51 ID:RGk38f0u0
九州説の人が言われたくない事実を言ってしまうと
卑弥呼が魏から下賜された三角縁神獣鏡の出土分布見れば、
関西から同心円状に分布してるのが分かる。
これこそ邪馬台国=大和朝廷であり、奈良に根拠が比定される最大理由。
九州というだけで、隣国のような起源説を唱えそうな人が多そうな気がする
A
召使い 「ヒミコさま! ヒミコさま!」
卑弥呼 「なんねもう、朝からしぇからしか」
召使い 「魏の使者の人が来らっしゃったですよ」
卑弥呼 「ば、ばか、それば早う言わんね! あー急がしか」
B
召使い 「ヒミコはん! ヒミコはん!」
卑弥呼 「なんやねん、朝からうるそーてかなわんわぁ」
召使い 「魏の使者の人がいらはりましたで」
卑弥呼 「あほんだら、それを早う言うとくれやす。 もうかりまっか」
どうみてもAがしっくりくる。
565 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:25:41 ID:22rupF2Z0
>>550 景行紀を読んだこと無いでしょ、あんた。
あれは反乱を討伐したってレベルじゃないんですが。
土着の色んな国の王、女王を次から次に支配していった、という話しですよ。
>>561 釣り?
30年ぐらい前から、知識が停滞してるみたいですが。
神武東征の話が出てるけど、
・大和王権=邪馬台国
で考えるからおかしくなるでは?
神武東征は、狗奴国が九州から熊野への移動。
熊野から大和への侵攻が、248年頃の邪馬台国と狗奴国との戦い。
臺与よりも後の時代で、狗奴国が邪馬台国に勝利して、大和王権成立。
567 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:26:23 ID:W9WLONTC0
>>553 地元の俺としては藤大臣説かな、
鬼がクマソだろう。
仁徳記にあったかな大善寺の話、
大善寺の話はどこから出た話でしたっけ?
568 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:26:57 ID:bvdL2Ady0
邪馬台国はTBSが決める
>>548 箸墓では北九州までの土器が出てるから。あと崇神のときは筑紫入りしてるんじゃないの?
570 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:28:24 ID:DPbhU73N0
邪馬台国はマキムクに決まってるだろ、ヴォケナス!
>>549 九州説の人ってうそばれても本当にシラきるのな
572 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:29:21 ID:9kYQHJ5K0
>>565 いや、読んだことはあるけど
文脈の違いこそ重要じゃないのか?とは思うよ
記紀の中で「離反勢力を掣肘した」というような記述は無かったと思うが
当時の勢力推移は離反したら即敵みたいなものではなかったか?とは思うんだが
どうか?
573 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:29:47 ID:gO1FT7FMO
>>556 嘘つくな、最後は鯉の養殖問題ですよ、福岡のみやま市からのクイズで終了。後半は明らかに九州をアピールしてましたけど
いい加減にしてくれるかな(笑)
>>573 なんだホームページでチェックしてるだけじゃないの?w
575 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:32:10 ID:gO1FT7FMO
576 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:32:25 ID:I7IIpq3n0
邪馬台国って、奈良かなーって数年間思っていたけど、
それは邪馬台国の後の大和朝廷であって、やっぱり、
邪馬台国は九州だろうなって最近は確信してる。
実際、中国の文献にでてくる邪馬台国は九州だと思う。
時代を考えると奈良からだと遠すぎて無理がある。
577 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:32:39 ID:W9WLONTC0
TBSの話は不要、なんの信憑性もない。あれは単なる子供遊び。
今時民放なんてみない、みない。
578 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:32:59 ID:7fXfceSt0
>>570 と、ヴォケナス畿内論者が申しております。
>>575 おまえは死んだほうがいいな。そこまでシラをきるとは。ほんとうにクズですね
九州説なんてもう無いですよ。
東遷なんてのも実態は身内の派遣争いだって記紀読めばわかる。
邪馬台国=大和(奈良盆地〜河内南部)
狗奴国=紀伊半島南部
城王国=西日本一帯緒連合
投馬国=丹波(現山陰東部)
これで確定してます。
>>541 そうです。山幸彦の子孫である神武天皇が親戚の近畿に頼りに言った。あるいは近畿に迎えられたと考えています
で、クマソが山幸彦の流れを組む国。その後におこるクマソ討伐は実は血族を倒した(同じように親戚が後継者としてこないように)
ヤマトタケルがクマソタケルの名前を貰ったのはその影響かとおもっています
ただ、確かにワニとは何かがわからないとこが疑問です。因幡のしろうさぎだとワニ→サメみたいですが。
583 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:34:48 ID:jbS6jKHu0
こんな田舎にあるはずがない
ああ佐賀大だかどっかのおっさんが「まだこれからでわかりません」とか
いってるのはあったなw
>>569 崇神の筑紫入りなんてそんな記録ないだろ。畿内周辺をようやく平定した。
南九州は平定してなかった。そんな時代に北部九州だけ抑えてたなんて
そんなのどう考えてもおかしいだろ。なんだ北部九州だけ畿内勢力の飛び地だったのかw
もう素直に邪馬台国は九州にあったでいいだろ。そう考えればすべてが納得できるよ。
586 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:35:43 ID:VepKXBDL0
トヨは266年に晋に使者を使わしてるじゃん。
モモソがヒミコなら、このトヨは誰なんだよ。
587 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:36:31 ID:t6hLnPzn0
>>586 トヨスキイリヒメという初代斎宮がいる。=トヨな。
588 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:36:39 ID:I4D2pLUN0
三角縁神獣鏡は、銅に含まれた微量の不純物を分析したところ
その当時の日本製の銅ではなく、中国製の銅に酷似している事がわかっている
その事を重視して考えれば、三角縁神獣鏡は中国製と考えるのが妥当だろう
そうなれば、その数といい、分布状況といい、卑弥呼が魏より下賜された鏡と見るのが妥当だろう
589 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:37:45 ID:8qX6q3Ma0
邪馬台国人は九州から畿内へが正解。
お前らもそうだけど引越ししたくらいで民族名が変わるわけ?
日本人が韓国に引越ししたら韓国人にはならないだろ。
畿内説 九州説どちらかっていうやつは思考が止まってる。
590 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:37:48 ID:iGVOM3uZ0
邪馬台国研究に熱心なのは、ほとんどが考古学を専門としない素人ばかりである。
これは、疑似科学のプロセスに大変似ていると言えよう。
591 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:38:01 ID:9kYQHJ5K0
>>586 記紀では倭姫だかが、ヤマトトトヒモモソヒメの後継を次いだ事になっているでしょ
くそう、手元に記紀が無いのが悔やまれる
592 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:38:02 ID:uU5Bpeyt0
オマイら邪馬台国なんて信じてるの??
邪馬台国が有るって言ってたのは、よりにもよって中国人だぜ??
ねつ造に決まってるじゃんww
593 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:38:13 ID:W9WLONTC0
>>585 そこで俺の宇佐ー畿内連合政権説ですよwwwww
やっぱ俺って天才だなwwwwww
594 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:38:40 ID:gO1FT7FMO
>>579 畿内派って、すごい嘘つきばかり。ある意味ゴッドハンドでしらを切る気ですね。メロンの種類であってメロンではありませんけど(笑)
どこまで嘘を言い続ける気ですか?果肉は一つだけ?残りは食べただのやっただの、明らかにリポーターは疑心暗鬼でしたよね。
>>566 俺もその意見に賛成だ。
朝鮮系の高句麗の支援をうけた狗奴国と
中国系の魏の後ろ盾の邪馬台国が争った。
そして狗奴国が最終的に勝利して大和朝廷誕生。
596 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:41:11 ID:W9WLONTC0
>>595 なんか胡散臭いけどよく考えるとそれも矛盾がないような
くわしく説明してくれ。
597 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:41:18 ID:ZyXJXMzW0
>>585 ああ崇神はいりはしていないみたいだけど
崇神天皇六〇年(癸未前三八)七月己酉十四
其の弟、飯入根、則ち皇命を被りて、神寶を以て、弟、甘美韓日狹と子、盧鳥濡渟とに付けて
貢り上ぐ。既にして出雲振根、筑紫よりここに還へり來きて、神寶を朝廷に獻ると聞きて、其
弟、飯入根を責めて曰はく、「數日當に待たむ。何をこれ恐むか。 ...
だから、勢力圏と見ていいのでは?
599 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:44:15 ID:W9WLONTC0
崇神が伊都・奴国の支援を受けてたから
景初三年の鏡をもてたんだろう。
それ以外に考えられるか?
600 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:45:36 ID:dGkpV5ihO
九州説は観光客誘致のために作った解釈なのに(苦笑)
古代文献は数百年経過した伝承の話を伝聞で文章にしてるから、全くあてにならない。
601 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:46:52 ID:lGd2WJIE0
>>567 クマソというとどうしても熊本ってイメージがあるけど、
「大善寺の鬼こと、川上の桃桜沈輪」こそが「クマソタケル」という説は
かなり昔から言われてる説。自分もそう思う。
602 :
焼き饅頭:2009/11/29(日) 00:46:53 ID:RGk38f0u0
>>576 倭人伝にこういう記述がある。
「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
この旅程だと九州圏内には到底収まらない。
ちなみに当時の中国人は日本列島が現在よりも遥かに90度も南方に転倒した状態で認識していたので
奴国や不弥国(福岡)から南方というと、そのまま東方を意味する。
つまり北九州から東方に一月も歩く距離、あるいは水路を10日も船で行く地といえば、関西しか有り得ない。
エジプト説は一顧だにされないわけか
604 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:47:46 ID:CZ5gaTDG0
実家が筑後地方なんだが、そうか家の裏の古墳は卑弥呼の墓だったんだな。
605 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:48:57 ID:I4D2pLUN0
神武の東征は、天皇家はもともと南九州の高千穂を拠点としていたが
南九州での勢力争いに破れるか何かの理由で畿内への移動した
そのような伝承があったのではないかね。
それが神武東征の伝説に繋がったのではないか。
それから畿内で勢力を盛り返し、勢力拡大に乗り出したってとこだろう
>>604 もしそうだったらおまえの床掘ったら無理やり一緒に埋められたたくさんの人間が眠ってるかも。。。
607 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:50:05 ID:mxxKdRpj0
>>600 邪馬台国自体、その古代文献にでてくるんだろ?
馬鹿なの?氏ぬの?
608 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:52:44 ID:uU5Bpeyt0
>>604 あのへんの古墳は分かりやすくていいねw
だだっぴろい田んぼの中に不自然な小山があったりとか。
>>606 嫌な事言うな。
でも関西のでっかい前方後円墳とか沢山人が埋まってそうだな。
610 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:54:45 ID:I4D2pLUN0
>>600 江戸時代の国学者・本居宣長が北九州説を唱えてから、延々と続いている論争だよ。
この数十年の間、妙なイデオロギーを抱え込んだ連中が、北九州説がどうのと言い出したりもしたし
魏から卑弥呼が賜った金印が畿内なり、北九州なりで発見されるような事が無い限りは、この論争は続くだろうよ
611 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:55:10 ID:lGd2WJIE0
>>604 大善寺玉垂宮の真横に古墳があるよね。
もしかして、あの近く?w
>>598 その文の意味がよく分からないだが、買出しにでも行ってたんだろ
遠い外国である筑紫に。それをもって勢力圏とは言わないんじゃないか
>>609 京都市内とか応仁の乱でどこいっても下は死体だぞ
>>601 熊本だか鹿児島だかには、「クマソタケルは良か男♪」みたいな俗謡があるそうで、
これはまあ、後代の創作なんだろうけど、
>>601の大善寺の話にしても、
九州の人はクマソタケルが好きなんだなと。
まあ、自分をだまし討ちした相手に向かって「お前すげーな」と誉めて死ぬあたり、
ただもんじゃない奴だとは思うが。
古墳の裏に住んでる人って陵戸の子孫?
俺の直感から言うと、邪馬台国は九州か、もしくはそれ以外。
617 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 00:57:46 ID:dGkpV5ihO
>>607 だから一概に文献信じない方がよいということ。
やまたいこく、ひみこだっていなかったという説もあるからね。
>>611 違う。
一応、九州じゃ大きめの前方後円墳らしい。
よく知らんけど。
619 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:00:56 ID:k+UOxeUp0
>>6 邪馬台国は卑弥呼の死後に滅んだから、大和朝廷とは別物と考えるのが自然。
ちなみに「ヤマト」という地名は九州に二カ所有る。
>>618 浦山古墳じゃない?久留米成田山の近くの。
じゃないならどっかおしえて!
621 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:03:20 ID:k+UOxeUp0
>>20 「邪馬台国」の存在も、魏志倭人伝の文言しか根拠がないけどなw
>>612 いやそれ以前のいわゆる欠史八代の1人なんだが、
孝元天皇の子、大彦命が阿倍臣(安倍氏)、善臣、阿閉臣、 狭狭城山君、筑紫國造、越國造、伊賀臣の祖なり。
とあってな。これはそのころからつながりがあったと考えられるな
>>619 その2ヶ所のうちのどちらかに大きな古墳あんの?
大きな集落の遺跡ある?
624 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:07:08 ID:oIX9YzMKO
626 :
焼き饅頭:2009/11/29(日) 01:09:32 ID:RGk38f0u0
だけど、宇佐神宮近辺って女神やシャーマン系の話多いよね。
宇佐神宮も女の人々を奉ってるし。
初め卑弥呼は宇佐にいたのかな?
628 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:09:56 ID:D6KSFjLY0
必 死 だ な w
しゃあないさ
そう言わないと飯の種がなくなるw
630 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:11:24 ID:W9WLONTC0
崇神が畿内に卑弥呼の時代居たとなると
九州系の土器が出てこない畿内に
崇神以降の東征が否定されるわけで
そこで九州独自政権のみが九州説のよりどころになるわけで
それって今までの創作物語の総書き換えになるわけだから
人生の終了までまにあわんわけだがwwww
九州説終了wwww
631 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:12:13 ID:EasTb49p0
1192だったね邪馬台国
632 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:16:41 ID:oIX9YzMKO
>>631 いや
卑弥呼の遣使、国論二つに割く(239年)だろw
633 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:18:01 ID:G/5UtuDI0
そもそも、邪馬台国はなかったという説はないのかな?
634 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:18:22 ID:lGd2WJIE0
高良山自体が実は古墳なんじゃないかと思う昨今。
邪馬台国の話とは全く関係ないけどw
635 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:19:18 ID:uU5Bpeyt0
636 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:19:26 ID:W9WLONTC0
>>627 そこさ、宇佐が特殊なのか、九州各地にいた女王は宇佐の女王と
似たものなのか?そこ不明。
魏の人にとって卑弥呼の祭祀は奇妙と映ったようだ。
伊都、奴国、松浦にしょっちゅうきてた魏の人が同様の祭祀に驚く筈がない。
鏡だって元は中国のもので九州に渡ってたもの驚く筈がない。
崇神の政権は九州に限って宇佐の女王に統治を任せたと
いう俺の宇佐ー畿内連合国説が信憑性をもってくる。
637 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:21:10 ID:jqaaR6Bp0
そんなムキになって言わなくても…
九州になかったって事は良く分かりました
田主丸が華麗にスルーされたのがワロタw
639 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:21:38 ID:oIX9YzMKO
640 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:21:52 ID:uga2937s0
>>627 宇佐神宮は神武天皇のおばあちゃん(トヨ)とおかあさん(トヨの妹)
の墓の上に建てられたものだよ。「皇族下乗」の立て札もダテじゃないわな。
641 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:23:17 ID:dGkpV5ihO
二十年前の奈良の高校の日本史の時間でも、九州説、畿内説の矛盾と本居氏の主張の矛盾、古代の文献の不確かさを学んだよ。
それとは別に受験としての古代日本史の現状の正解とされる話も学んだ。
耶馬台国と卑弥呼は創作かもというのも先生かなり丁寧に教えてくれたよ。
すっかり忘れたが、
古代日本を詳細に書いてた文献があまりにも他国に照らし合わせた方が現実的な記述で、日本を示す証拠が少ないと指摘されたと言ってたような感じだった。
伝承を伝聞形式で書いてるから都合上、伝言ゲーム失敗説もあるとか。
受験では使えない話で、大学受験でも絶対でないものとは言われたけど、教科書に載る説は覚えておけと言われた。
642 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:23:28 ID:JFHMKf+u0
>>241 ネットで海外のサイトに繋いでさ。
tokyo japan 224 345 267 98
などサイトのトップページにこちらの居場所とIPが表示されると「おお!認識してくれたか」と嬉しくなるよ。
住んでる場所は東京じゃないのにね。
邪馬台国があった場所は海際だよ。
もう水没して財宝もなにもかも海水に侵食され跡形もなくなってる。
山の上を掘ってるなんておばかだね。
土建や教授さま御苦労さま。
643 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:23:29 ID:bApsumWy0
卑弥呼は日の巫女で斎王のことだと思うんだよね
>>622 国造って失史八代の頃からあったのか
よく分からんが、祖先をたどれば大彦命につながったってだけで
大彦命が筑紫國造だったの?
>>566 うん筋がとおっているね。
この説も納得いく
>>633,
>>635 「晩ごはんはすき焼きにする? 焼肉にする?」
「メシなどいらん!」
てなことを言ってたら家庭が崩壊するぞw
647 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:27:40 ID:oIX9YzMKO
>>640 そういや伊勢神宮も皇族下乗だよな。
大社レベルってみんなそうなのかな。
>>638 結局さ、田主丸は古墳はあっても神秘的な何かが無いんだよね。
649 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:29:54 ID:+igL1TYIO
もう!!仲良く半分こでしょ!!
650 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 01:30:08 ID:vyZOVTHX0
思うに、仮に邪馬台国と大和朝廷が同じ国だったとしても、卑弥呼の時代ってやっぱり
神武天皇の時代より前なんじゃないかな、日本書紀によると卑弥呼は神功皇后の事では
ないかと言っているが、鬼道で国を治める卑弥呼と刀を振り回して朝鮮に攻め込んだ
神功皇后とはどう見ても別人としか思えないし、トヨに相当する人物も天皇の系図の中には
見当たらないのだから、仮に邪馬台国と大和朝廷が同じ国だったとしても、卑弥呼の時代は
神武天皇よりも前の時代の事なんだと思う、そして、大和朝廷が東征したのは神武天皇の時
なのだから、卑弥呼のいた邪馬台国は当然九州にあったという事になると思うよ。
651 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:30:20 ID:W9WLONTC0
日下部氏、高木氏、香月氏
あたりが大彦等の四道将軍から別れた一派だよ。
日下部さんが筑紫氏と同じ筑紫国へ
高木さんが肥前国佐賀へ
香月さんが北九州の八幡へ
それぞれ国造任されて平安時代くらいまで
荘園領主としてかなりの勢力もっていましたよ。
今でもかなりの有力氏族だな。
652 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:30:23 ID:VAC9TOub0
3〜4世紀は朝鮮半島全域と九州沖縄、瀬戸内海から奈良地方まで倭国の勢力
下とすると、ちょうど北九州地方が中心になる。(地図を見ると理解可能)
奈良では東に偏りすぎ!朝鮮半島の支配を失って倭国の中心が奈良方面へ
東遷したと考えた方がぴったり!
当時の支配人口は九州で120万人 中国・四国で60万 近畿・北陸・中部で90万人
関東以東で50万人・・・計320万に朝鮮半島の人口
奈良地方は田舎だろう?邪馬台国は北九州の大宰府付近にあったと思うよ。
おいお前ら
>>616で答えが出たぞ
さすがは田宮さん見事な分析だ
654 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:30:59 ID:hpSKYH6F0
>>626 自分の貼ったもの良く読みなさいよ。
その地図は1402年に朝鮮で造られたと書いてあるでしょ?
馬鹿だねwww
655 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:32:28 ID:lGd2WJIE0
>>638 田主丸古墳群は、規模と大きさに反比例して、何一つ伝承や文献がないからね。
それだけに、古代史ファンからすると逆に魅力はあると思う。
全国でもこんなに「全く何もわからない」古墳は珍しい。
どうでもいいよ、何か役に立つの?
もうそれでいいよ
韓国起源なんだろ?
658 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:33:33 ID:oIX9YzMKO
659 :
651:2009/11/29(日) 01:34:15 ID:W9WLONTC0
だいたい、この九州の国造が派遣されたのが
四道将軍の後、仁徳あたりだろうか。
藤大臣は誰になるのだろう・・水沼氏だろうか。
660 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:35:20 ID:uU5Bpeyt0
661 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:36:18 ID:I4D2pLUN0
>>614 あの時代には、そもそも卑怯なんて概念はない
武士道精神など後世になって作られたもので、記紀の時代にはそんなものはまだないよ
662 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:38:39 ID:W9WLONTC0
九州の国造達
筑紫、日下部、高木が派遣される前は
筑前博多、奴国は大和直轄地でした。とすれば納得いく。
だいぶ後になるが神功の時か丹波のヒボコの
イトデさんが派遣されてるのを
みても直轄地を示す証のように思う。
国造派遣して土着化させたのは筑紫氏あたりが
最初だろうな。
664 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:39:12 ID:i9wNRn7R0
>>661 でも、普通は褒めないだろw
敵ながら天晴れって。。。。
箸墓古墳の航空写真を見たけど。左上のほうに
あぜ道が古墳を取り囲むように丸くなってるところがあるな。
築造当時は実際はもっとでかかったんじゃない?
666 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:41:06 ID:VAC9TOub0
>>658 推計人口は支配力によっても違うが・・・320万〜380万人位で地方の比率は似てる。
北九州地方に現在の東京のように人口が集中するようです。人口が多いという事は
首都として有力でしょう。
たかまのはらがあるから奈良でいいよ
で、ギリギリ筑後からはずれた甘木地区についてのご意見は?
あそこに卑弥呼の湯って温泉があるぞ。
>>626 1000年前の言い伝えだけで想像した地図なんて
どんだけ事実から離れて歪んで伝わってるか
わかったもんじゃねーだろ
「決定打」なんて思い込みだろw
671 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:43:12 ID:oIX9YzMKO
>>654 確か行基の地図で大陸の一部がうつってるやつ(古い方)があるが、
それをくわえたもんだろう。
実は行基のも同じ方向感覚だよ。行基が自分で測量したわけじゃなく、朝鮮半島とはさほどいい関係じゃなかった
時だから中国から手にいれたもんだろう。
そう考えると、隋書完成以前の中国がそう考えていたと考えることができる
672 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:45:19 ID:sifNpKlM0
>>443 距離・方角を無視して、
確定できる要素だけで考えてもそうなる。
畿内説の連中はこれをどう思うんだろう?
673 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:46:13 ID:W9WLONTC0
畿内説をとる俺の一つの疑問が
崇神が博多をどう支配してたかという事なんだよな。
宇佐の女王を介してたのかそれともなんか別の手打ったのか。
674 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:48:24 ID:t5wiiNaK0
「筑後から熊本にかけて」なんて、猪や熊しかいないところに
ヤマタイ国?何か遺跡が出たなら認めてやるけどさ。
675 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:48:42 ID:sSSYwMWl0
東征をどう判断するかだな。
最終的に機内に移ったのは間違いないがな。
まあフィールドワークも一次資料も無しに、ひどい奴はネットで
ググった知識だけで語るからなぁ。
677 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:50:07 ID:oIX9YzMKO
>>666 箸墓の前方後円墳がその時代にあるということと、規模の大きい町造りを見ると、
人を集める力は畿内にあったようですね。
そのデータは古墳年代の見直し前のような気がします。
678 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:50:43 ID:W9WLONTC0
>>675 確実に言える事は中国からみて
奴国が首都だったのが奈良が首都に変わった。
これが記紀には直接記載されてない。
唯一暗示するものがある神武東征。
679 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 01:52:45 ID:vyZOVTHX0
論理的に考えると、卑弥呼のいた邪馬台国はやっぱり畿内ではなかったという事になるよ、
つまり、もし仮に邪馬台国と大和朝廷が同じ国だったとすると、卑弥呼の時代は神武天皇の
時代より前の時代なんだと思うのですよ、なぜなら日本書紀によると卑弥呼は神功皇后
の事では ないかと言っているが、鬼道で国を治める卑弥呼と刀を振り回して朝鮮に攻め込んだ
神功皇后とはどう見ても別人としか思えないし、トヨに相当する人物も天皇の系図の中には
見当たらないのだから、仮に邪馬台国と大和朝廷が同じ国だったとすると、卑弥呼の時代は
神武天皇よりも前の時代の事なんだと思うし、そうなると、大和朝廷が東征したのは神武天皇の時
なのだから、卑弥呼のいた邪馬台国は当然九州にあったという事になる、そして、もし邪馬台国と
大和朝廷が別の国なのだとしたら、当然邪馬台国は畿内にあった大和朝廷とは別の場所に
あったという事になるはずです、つまり、邪馬台国と大和朝廷が同じ国であったとしても、別の国
であったとしても、いずれにせよ卑弥呼のいた邪馬台国は畿内には無かったという事になるのですよ。
680 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:52:45 ID:oIX9YzMKO
>>673 神武の時から筑紫がよく出て来るわけで。
東征があったとすればその兵士はどこから連れて来たのか?
と考えればいいのでは?
681 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:52:50 ID:lGd2WJIE0
>>674 九州に熊はいませんよ・・・・。
筑後地方から熊本県山鹿にかけては遺跡・古墳だらけです。
ま、邪馬台国があったとは思えませんが。
682 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:54:31 ID:sifNpKlM0
>>453 東遷説とは、邪馬台国が奈良まで実力で征服したとする説か?
「九州の強大な国」が、「奈良の強大な国」を滅ぼした
というのが東遷説ではないだろ。
時代が全くずれるが、神武東征を元にした考え方じゃないのか?
そうだとすると、武力併合等と言う話ではなく、
神武が苦労の末に奈良の一角に入っただけ。
ものすごく弱いし、各地の豪族の世話になってるじゃないか…。
その後、現地で何代も経て、幸運にも大きくなっただけだろ。
683 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:54:36 ID:dVIrEwO10
原文に邪馬壹(一)国とあるのを邪馬臺(台)国と読み替えるのは何故か
ヤマトと読むためだ
なぜヤマトと読むのか
それは大和(奈良県)が日本古代国家の発祥の地だからだ
筑後にもヤマトがある、肥後にもヤマトがあると言うのは本末転倒
684 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:54:58 ID:sSSYwMWl0
機内説の物証って、「大きな建物の跡とかが出ました!」レベルじゃねーかww
出雲とかも含めた流れを見ろよ
685 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:56:03 ID:v0aIZppv0
>>668 高天原は日向の高千穂って記紀には書いてあるだろ。
高千穂にはその西側からせっせと登ったのだよ。
高千穂に向かう描写を読んでみな。道無き道をかき分けて
進む様子が良くかかれてるぞ。
686 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:56:14 ID:oIX9YzMKO
>>678 確実ではないよ。
漢の倭の奴国王というのが一般的で
場所的にも一番近いし利用価値があったということでしょう
687 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:56:53 ID:W9WLONTC0
688 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:57:57 ID:/hDSP1Un0
筑後以外に考えられないでしょう。
689 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:58:22 ID:sSSYwMWl0
馬鹿だなw
日本書紀をベースに話してるんだよ
東征したってあるんだからそれを根拠にして何が変なの?だろ?
>>685 そこは天孫降臨の場所で高天原じゃないよ
692 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 01:59:33 ID:sifNpKlM0
>>488 >>496 >いやそうじゃなくて、実態が日本を統一してたのはどっちかという話。
畿内説の人にとっては、邪馬台国問題は、
「当時、日本最大の国はどこ」「日本を統一・征服したのはどこ」
という問題なんだよな。
それが間違いなんだよ。
九州説には、そんなこと何の関係もない。
魏志倭人伝にもそんなこと書いてない。
693 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:02:32 ID:mfHQfmAn0
>>675 だから「東征」じゃないんだって。正確には「東行」とでも言うべき。
出雲が主催してできあがった「ムクマキ連合」に加盟すべく神武一行を
九州ヤマトが東へ向けて送り出したと言う事。
苦労してムクマキに入った神武一行の子孫は出雲の大物主より大王の地位を
簒奪し、そしてムクマキを自らの父祖の地にちなんで「ヤマト」と命名したのだよ。
694 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:04:06 ID:W9WLONTC0
>>686 >漢の倭の奴国王というのが一般的で
ちょっと語弊と誤解あり中国との直接外交先という点で言ってる。
奈良が中国との外交権を獲得する為にそれまでの出雲色を
消して奴国との連続性を主張したという考えもあるかなと。
奈良としては中国に近づきたいという考えが当時あったろう。
奈良という名前もそう、奴に羅を付けた羅というのは束ねるという意味で
国や連合を指す。
695 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:05:08 ID:t6hLnPzn0
>>693 ムクマキって何だ?
基礎知識もないくせに空想を語るなって。
神武東征は紀元前〜1世紀の話だよ。
696 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:05:33 ID:oIX9YzMKO
>>693 ムクマキじゃなくてマキムクな。
フニクリフニクラじゃあるまいし。
697 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:06:26 ID:m209xXTgO
>>673 記紀にしても、支那史書にしても当時は連合体であったことが書かれているか、そう読み取れる記述になっている
奈良時代の公地公民の中央集権みたいなものを想像すると六世紀以前の日本の古代史は読み違えるよ
698 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:07:10 ID:lGd2WJIE0
>>692 見てて同じこと思った。
九州説の人は、「小さな国の寄り集まりで、それほど大きくない」という立場で
畿内説の人は、「日本で最初の統一国家」という立場っぽい。
元々の概念が違うから、意見が全くすれ違い。
>>692 統一したのは近畿に合った勢力
その後、東征(後継者として迎えられた)が神武天皇
近畿の勢力と九州の神武天皇の勢力は親戚だったと考えればOK
ただ、神武天皇の勢力=邪馬台国だったかは不明
>>692 それは違うな。
畿内説の根本は、邪馬台=ヤマトで、魏志倭人伝の邪馬台国は畿内だよってだけ。
そのヤマトを征服したのが畿内の土豪であろうが九州からの東征であろうが関係ないの。
邪馬台=ヤマトだと、3世紀にはヤマト王権による古代国家が出来上がっていたことになる。
邪馬台国がヤマトとは別の九州の国なら、3世紀の日本列島は土豪の小国が点在してるだけで、
古代国家は無かったってことになる。
701 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:09:27 ID:oIX9YzMKO
>>694 ナラは「平」ナラすだったと思うよ。ちゃんと万葉集にものってる。
平城京の平と一緒。もっとも後の時代だけど
702 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:11:36 ID:/hDSP1Un0
まあ、普通に倭人伝をよめばこうなると思うけどね。
筑後平野のクニと、菊地平野のクニが対立してました。
筑後平野は、当時もあの辺では有力な平野ですし、その分
人口も多く北九州をまとめていました。
でも菊地平野の連中も武力では侮れません。
そこで、筑後平野の人たちは、シナの意向を借りることに
しました。
おしまい。
703 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:12:16 ID:t6hLnPzn0
>>698 魏志倭人伝には、倭人の女王が共立されたとあるのだから、
魏が倭国の範囲をどこまでと考えていたかが問題。
もしも、九州だけを倭国を考えていたなら、狭い海峡をはさんですぐの山口県より東はどういう認識だったんだ?
出雲との関係は?丹波との関係は?
出雲も丹波も、九州にまけずに繁栄してたクニだよ。魏が知らないわけがない。
西日本を魏が倭国と考えていたと見るべきだ。
すると、西日本一帯を支配していた国が邪馬台国となる。
九州説では、九州しか支配してないと考え、
畿内説では、西日本全体を支配していたと考える。
よって、邪馬台国は畿内となる。
704 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:12:36 ID:qkE+jeFb0
>有力だ
そうなの?
705 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:14:07 ID:m209xXTgO
>>701 平城で「なら」と読ませる
平じゃないのは地名を漢字二字で表記する命令があったから
706 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:14:21 ID:SdPA4UlX0
三輪車のハンドルに自分で頭を1万回ぶつけて逝ってほしい
707 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:16:58 ID:oIX9YzMKO
>>705 平山でならやまって読ませてなかったっけ?
携帯だから検索チェックできんけど、
708 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:20:51 ID:lGd2WJIE0
>>703 一応、自分も畿内説なんだけどw
でも、西日本一帯を支配はないと思う。
畿内一帯の小国の集合体と見るべき。
魏志倭人伝の記述が本当だと見るならばだけどね。
実際は上の方に出てた「伝言ゲーム失敗」が有力なんじゃないかな。
要するに「中国は遥か東方の蛮国も属国としています」という文章が
書きたかっただけだから、嘘か本当かなんて関係なかったのではないかな。
709 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:21:18 ID:dLMJEnP2O
よく分からんが、お前ら楽しそうだから、ずっと解決しない方が良さそうだなw
710 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:21:32 ID:dCvGgDte0
いろいろ議論されてるけど、具体的な場所は誰も言ってないんだろ?
ここが邪馬台国の跡だとか。
明治天皇の御裁可があり現在でも宮内庁指定管轄。当然今でも役人が常駐。
神武天皇のお墓
畝傍山東北陵(奈良県橿原市大久保町)
神武天皇の母ちゃん、玉依姫命のお墓
吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町上名52560の1)
神武天皇の父ちゃん、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊のお墓
吾平山上陵(鹿児島県鹿屋市吾平町上名)
神武天皇の爺ちゃん、彦火火出見尊のお墓
高屋山上陵(鹿児島県霧島市溝辺町麓)
神武天皇のひい爺ちゃんで天照大神の孫、彦火瓊瓊杵尊のお墓
可愛山陵(鹿児島県薩摩川内市新田神社境内)
>>703 西日本一帯を支配していた国が当時有ったという根拠は無いだろ。
713 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:26:54 ID:m209xXTgO
>>707 奈良の平山は「ならやま」だけど、平城は「なら」
地名表記を二字の佳字にするように命令があった
明日香は飛鳥、倭(やまと)を大倭、後に大和とか
それで「ならのみやこ」は平城京と表記された
平城は地名、長岡京の長岡も地名、藤原京の藤原も地名
平安京以前は地名+京(宮)
714 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:27:05 ID:oIX9YzMKO
伝言ゲーム失敗か…
ありえるな。
倭人の部分ではないが(東夷伝そのものは一つ一つ)
別のところで、外国語から外国語に繰り返し翻訳したり、伝聞もあるので
東夷はあんまり自信ねぇみたいなニュアンスで陳寿自身が書いてたとこがある。さがしてみてくり
>>708 ヤマトの女王が九州の伊都(前原)に一大卒を置いて九州の国を従えてたとなるか、
九州の内陸の豪族が前原に一大卒をおいて支配してたとなるか。
奈良から九州までか、九州北部だけかの差だけど、
この差の学術的な違いは大変大きい。
最近、九州北部の玄界灘にある沖ノ島から出土した
宝物を展示した宗像大社に行ったが、凄い出土品が
大量に出てるな。
あれだけの宝飾品が略奪されずに残っていたという
ことは、当時の九州北部と朝鮮半島南部が、同一勢力
の支配下にあって、紛争状態じゃなかったと見たが・・・
717 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:29:17 ID:95JAocVF0
>>703 こういうのを三段飛び論法っていうんだろうなあwww
酔ってるのかな?
718 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:29:53 ID:oIX9YzMKO
719 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:29:53 ID:m209xXTgO
>>712 マキムクは九州から東海、関東の土器が出てくるので、少なくとも三世紀後半に
は西日本の多くをカバーする連合体があったと推測されている
720 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:30:30 ID:lvOJSyh50
おまいら、姫巫女は村国家ごとに居たのよ。近畿にも九州にも。魏志倭人伝の
卑弥子は、日本中に何十、何百人も居た姫巫女の中のワンオブゼムに過ぎなんだのよ。
倭人伝の卑弥子は、九州で狗奴国に敵対して、筑後川下流域の覇権を守ろうと
ヨロヨロ闘っていた。魏に泣きつきに行ったり、狗奴国の狗古智くんが悪いんですと
告げ口しに行ったり、卑弥子の外交方針たら、腐った女みたいよ。間違いないわ
卑弥子の先祖は朝鮮半島にあった倭人の国、狗邪韓国から来た。だって、今の
Kの国の外交やり方、事大主義、告げ口外交そのまんまじゃん。2千年前から
Kの国の精神は変わってないのよ。あれに影響されたらセコく成る。
>>712 女王の都があった邪馬台国と
伊都国にあったという一大卒の関係による。
これはヤマト王権と太宰府の関係に類似する。
この畿内の王権が九州を支配してる状態の始まりはいつか?という問題。
>>719 交易なら大陸とだって各地で行われているが
それらは連合体とは言わないだろ。
723 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:32:42 ID:VAC9TOub0
>>698 支配の領域だと思うけど、北九州を中心に朝鮮半島と南九州・沖縄を基盤として東
へ瀬戸内海両岸中心。出雲、奈良、北陸、関東は個々の大王による間接支配か支配
領域ではなかった。
支配領域が九州・朝鮮半島・中・四国であれば、その中心地が北九州というのが合
理的だよ。奈良では東の辺境地に偏りすぎだよ。朝鮮半島の支配と関係が絶たれて
はじめて奈良盆地へ移動したんだと思う。北九州は旧首都の防衛拠点のみになった。
防人は本来、首都防衛の意味があったのではないかな?
724 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:33:22 ID:sifNpKlM0
>>602 帯方郡から邪馬台国まで12000里余りと書いてあるんだぞ。
北九州までの里程を併せれば9割を消化している。
残り1割では畿内まで絶対に届かないよ。
日程の記載をどう解釈するかは意見がわかれても、
当時の人がその日程記載と総里程記載を共に矛盾なく理解していた。
725 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:34:45 ID:W9WLONTC0
一大國は壱岐に比定されてるけど
伊都にも壱岐があるんだよな。西区下山門の近く。
そして倭人伝にも伊都に一大率があると書いてる。
壱岐=一大だな。
伊都はヤマトに支配され伊都の壱岐に一大率が
置かれたですんなり行く。
726 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:35:44 ID:Lezn+izE0
>>705 確か、『地名は好字2文字で表せ』みたいな、布令が出たんだよな。
>>707 オレ、奈良に住んでるけど、『平城山』って書いて『ならやま』って読む。
JRの駅名にもなってるし。同じ奈良市で4年前まで住んでたところでは、
夕方になると、『平城山』って唱歌を流してた。
727 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:37:56 ID:srf1qUB9O
未だ三国統一ならずだし、北の方で公孫氏が反乱起こして呉と使者のやり取りしだした
ちょうどその頃じゃないの、魏と倭が関係持ち出したの?鎮圧された後かな
どっちにしろ魏にしてみれば呉を牽制するためにも倭国を呉の南方の勢力にしたいから
倭人伝の倭国の記述をかなり南に書いたのもうなずけるけど…
728 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:37:58 ID:W9WLONTC0
>>713 でもそのナラ(平)は国内向けな感じがする。
当時の古代人の立場になってみたら
奴国に金印送られ、中国のやろうが奴国としか
交渉せんといってる時に何とかして
こじつけでも中国と交渉しなければと考えた
苦肉の策が奴羅のような気がせんでもない。
729 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:39:04 ID:RGk38f0u0
>>679 >卑弥呼の時代は神武天皇の時代より前の時代なんだと思うのですよ
卑弥呼はA.D200年〜240年頃の人。
神武天皇はB.C660年頃の人。
800年も以上もずれてる件。
730 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:39:13 ID:oIX9YzMKO
>>724 三国時代の一里の流さについての中国の認識は九州説と違うてな
やつが上の方のレスであるから見て置くといいよ。あくまで参考だが。
731 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:40:50 ID:JFHMKf+u0
>>626の地図を見ると九州がやたらと小さく描かれているね。
九州は邪馬台国の一部の島という認識で九州説はまず没ね。
赤点は1400年頃に打たれたものかも知れないが地図に伊豆諸島が認識されている。
その位置からして赤点は名古屋あたりかなあ。
畿内説なら地図に淡路島や琵琶湖が認識されるはずだし畿内説も没だ。
伊豆諸島がやたらと詳しく認識されるところへ古代中国の人は来てるよ。
732 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:41:28 ID:oIX9YzMKO
>>728 ならと呼ぶようになったのは後の時代でしょ。
( ‘д‘)y-~~<266年 台与が西晋に朝貢。次に中国の史書に倭の記載が出てくるのは150年後(倭の五王)。
チャンジャ、いや鎮守が魏志を書いたのは285年、すなわち九州説も認める奈良に遷都したあとの台与の邪馬台国への行程に記述を変更したのである
でも鎮守には北九州時代の卑弥呼の邪馬台国時代の行程しかはっきりと知られていない
なので、台与の使節の言質を使用して大和=奈良までの行程を記したのが倭人伝の真相なのである
門田博光
734 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:44:59 ID:zzO61ZVF0
倭人伝読むかぎり、邪馬台国は九州だろ。
ただ同時代に、畿内に邪馬台国より強大な国があってもおかしくないし、関門
海峡、壱岐、対馬を邪馬台国が抑えていて、シナと通行は出来なくて、シナの
記録に残ってないだけじゃないのか。
735 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:45:03 ID:sifNpKlM0
>>686 そもそも「漢の倭の奴の国王」という読み方自体が問題あるんじゃないのかな。
朝貢国の主権が中華にあることを明示するのが一般的なのに、
間に「倭」の主権を示すように入れるのはおかしいし、他に例がない、
と読んだことがあるんだが。
だいたい金印に記されている文字は、「倭」ではなく「委」だろう。
「委」を「倭」と変換するのはありなのか?
「イ」と「ワ」で発音さえ違うんじゃないの?
金印は「匈奴」と同じ発音で、
「委奴」、つまり、「イト」じゃないのか?
この辺、学会ではどうなっているんだろう?
736 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:47:40 ID:m209xXTgO
>>722 今の所マキムクあたりは縄文遺跡以降にまともな痕跡がなく突如三世紀に出現する
権力がないと不自然なんだよ
あと、卑弥呼がどうこうより、今回確認された建築群が崇神天皇の磯城の宮かどうかの方が重要だ
崇神天皇の実在の証明ができるかもしれないし、なった場合は欠史八代の実在の可能性が高まる
737 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:48:09 ID:VAC9TOub0
>>731 長野県の南部(木曽山中・・諏訪地方?)
>>735 俺は漢委奴国王を「アイヌ国王と読む」という珍説が好きw
739 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:48:34 ID:lGd2WJIE0
>>729 日本書紀自体が各地の神話を集めたものだから、
実は各天皇が同時期に何人も存在したという見方もある。
各天皇を系譜にして並べると神武天皇がB.C660年頃になっちゃったという見方がある。
タブー視されてる論だけどね。一応参考として。
740 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:49:16 ID:sifNpKlM0
>>698 >畿内説の人は、「日本で最初の統一国家」という立場っぽい。
魏志倭人伝に邪馬台国がそんな国家であったことは何も書かれてないよ。
それなのに、畿内説の人はそんな立場に立っている。
日本で最大の遺跡がマキムクから出たから、
邪馬台国は奈良で決まり、と主張する。
こんな論理を使うために必要となる
「日本最大の国が邪馬台国」という前提について、
それを証明もせず、飛躍しすぎだろ…。
>>729 神武の年代が本当に2670年前なのか物証が無いだろ。
742 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:50:32 ID:W9WLONTC0
>>735 倭の奴の国王、(倭の)伊都の国王
どっちでも大差ないなw
743 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:51:33 ID:sifNpKlM0
>>703 邪馬台国の東の国について、
魏志倭人伝にちゃんと書かれているよ。
「女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。」
744 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:51:39 ID:oIX9YzMKO
>>735 倭にはたくさんの国があって皆王を自称した。
てなやつあったでしょ?
その絡みじゃないかな?
とりあえずぐぐってくれ。一応「漢の倭の奴国」というのが一般的らしい。
745 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:54:25 ID:XAVyIsECO
てか邪馬台国がどこにあろうがどうでもいいわ
>>740 飛躍もなにも畿内説を取ると都と一大卒の関係から自ずと統一国家という解釈になるわけだが。
邪馬台=ヤマトなら、ヤマト王権の古代国家が3世紀には出来ていたという解釈になる。
747 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:54:52 ID:W9WLONTC0
壱岐=一大率説だけど
伊都(福岡市西区下山門)の近くに壱岐って地名があるんだわ。
他に壱岐の地名って福岡・佐賀でもここくらい。
なんでだと思う???
748 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:54:59 ID:sifNpKlM0
>>736 なぜ他国の土器が出たら、その国を征服していたとなるんだ?
日本が統一国家になった、という後代の事象から
遡って考えるから、そういう間違いを犯すんだよ。
それが畿内説の特徴と言っていいだろ。
土器の出土から推定できるのは、
「何かの交流があった」ということだけだよ。
それが対等の交易なのか、外交関係における貢物なのか、
武力併合なのか、全くわからんだろ。
今時九州説を唱えるのは九州の人だけというわかりやすい例だな
学者のくせに恥ずかしい
750 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:56:12 ID:bt8k9qPG0
飯塚って、凶悪犯罪地区じゃん。
古墳掘ったら、隠れた死体がわんさか出てくるんじゃないか
751 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:56:45 ID:m209xXTgO
>>328 奈良盆地は古代は湖があり、水がひけても中央部は湿地だった
人々は山の裾野から扇状地にかけて住みヤマトと呼ばれた
水がひいた盆地北部の平野がナラ(たいらな土地)
752 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:57:09 ID:sifNpKlM0
>>730 何説を採るか、1里の長さに関係なく、
「割合」で考えてもおなじだろ。
「総里程の9割を北九州までで消化」
1里の長さがどうであれ、この事実は動かせないじゃないか。
残り1割では畿内まで届かないよ。
753 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:57:23 ID:t6hLnPzn0
>>741 神武が邪馬台国の後という証拠も無いよ。
754 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:57:46 ID:5rhbaNLS0
邪馬台国なんて最初からねーよ ムー大陸とかオカルトと一緒
奈良盆地は、亀石があと90度動いたら、水の中に沈む
756 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:59:35 ID:m209xXTgO
>>735 確か、漢が委ねたる奴国王と読む説もある
757 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 02:59:37 ID:lGd2WJIE0
>>747 福岡市西区の壱岐は、元寇の時の恩賞として壱岐氏に下された土地だったはず。
758 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:00:09 ID:0Rtb/icPO
俺も九州説だったけど、もう無理だろ……。
何も新発見ないし
759 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:00:12 ID:JFHMKf+u0
>>731 いや赤点は多分後の時代に打たれたもの。
赤い色は何百年も変色しないで残らない。
ただ地図には済洲島や対馬や壱岐それに沖縄付近の諸島も描かれている。
その中で伊豆諸島に該当すると見られる本土に近い左の諸島がやたらと詳しい。
畿内へ来たのなら四国や淡路島の方ががもっと詳しく描かれているはずだ。
>>736 それならば、マキムクが拠点ではなく他の文明国から
平定・開拓されたと考えるのが自然だろう。
761 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:02:15 ID:VAC9TOub0
>>751 均す(ならす)平らにするはナラ(平城)からきたのか?
762 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:03:55 ID:sifNpKlM0
>>742 魏志倭人伝では、伊都(イト)の扱いは大きい。
その国が金印を得ていても、おかしくないけどなあ。
金印を下賜したという文献が中国側にはないな。
どうでもいい
764 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:04:52 ID:UUawJ1MvO
九州説VS畿内説という言い方はおかしい。
畿内説ではなくて大和説だ。邪馬台=大和と言ってるのだ。
そして遺跡の根拠がたくさんある。
九州説は九州のどこなのかも言えない。
対馬、壱岐など地名は時代が経っても驚くほど変わらない。九州説も倭人伝の地名から邪馬台国九州説を唱えている。
ならば邪馬台国があった場所は今もそれに近い音でなければおかしい。
その時代の魏音では邪馬台=ヤマトなのが確認されている。
九州説はこれに答えられないんだな。
765 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:05:27 ID:m209xXTgO
>>748 何故征服になるんだ?統一は軍事強権の中央集権だけじゃないよ
>>760 九州だけとか、出雲だけとか、一カ所の土器が出るならそうかもしれんが
九州から東海の広範囲に渡るとなると纏向に九州から東海までの人が
交流する場ができていたと考えるのが普通だろ?
別にどこでもいいよ
768 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:08:00 ID:m209xXTgO
>>761 先にならすの言葉があったと見るのが自然
769 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:08:47 ID:UUawJ1MvO
>>757
なんだーー糞詰まらんな><
771 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:09:32 ID:sifNpKlM0
>>765 「制服ではない、中央集権ではない、統一」でも一緒だろ。
土器の出土だけから飛躍して統一を導くのは無理だろ。
対等な交易や外交関係における貢物の可能性は、
なぜ、検討もされずに排除されているんだ?
>>766 広範囲に交易をしていた国家からマキムクへ派遣されたとしたら、
どんなものでも出土する。
773 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:11:48 ID:UUawJ1MvO
774 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:12:13 ID:m209xXTgO
>>762 魏志は卑弥呼を「倭王」として封じたことから倭域の各国の首長を「官」として
いるけど、奴国だけ昔王がいたと注釈している
775 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:13:26 ID:sifNpKlM0
>>764 「今の不十分な材料からは九州のどこか指定できない」
というのは学問的には、誠意ある態度だろ。
その上で、文献等の確実にわかることの範囲内から、
畿内説を否定することは何の矛盾もないぞ。
そりゃ当てずっぽうでここだ!とか言うのは、
インパクトがあって、宣伝や商売にはいいけどさ…。
そのインパクトがないからといって、
それが弱点だとするのは間違いだろ。
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_ 呼んだ?
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! |
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
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\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ
>>773 年代の違う地図をカットアンドペーストでコラージュした地図だからなw
778 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:14:31 ID:CJibf1MQ0
奈良説の人って火山の存在をどう説明してるの?
>>771 土器だけが統一国家という解釈を生んでるのではないよ。
畿内説が統一国家を取るのは都と一大卒の関係が
奈良時代の都と太宰府の関係に類似するから、
ヤマト王権の古代国家が3世紀までさかのぼれるのか?がポイントなわけ。
広範囲に渡る土器は、その証明に向けた一つの物証でしかない。
ヤマタイ国商売は恥かしいからもうやめろよな。
ヤマトを中国人がヤマタイと書いただけだろ。
最初からそのものの地名じゃん。
九州にはイト国があったんだろ。
ん〜
最近の考古学の知見からいうと
大和説がカナーリ信憑性を帯びてきたんだろ
782 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:17:17 ID:sifNpKlM0
>>779 だとしたら
>>719の↓の文章は明らかに間違いだろ。
「土器が出てくるので〜連合体があった」という論理だぞ。
>マキムクは九州から東海、関東の土器が出てくるので、
>少なくとも三世紀後半には西日本の多くをカバーする
>連合体があったと推測されている
783 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:18:35 ID:VfiCQQ1U0
マルタイラーメン
>>778 阿蘇山が九州にあっても「この阿蘇山のある国の都は奈良にあるよ」でも不自然ではないだろう。
「日本の富士山は奇麗だよ。日本の首都は東京だよ。」と聞いたときに
東京に富士山があると考える方が変かと。
785 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:20:35 ID:lGd2WJIE0
>>764 福岡県山門郡。
現在は町村合併により消滅。
ちなみに前述の久留米市大善寺のすぐ近く。
ほかにも「やまと」とつく地名は、正式な地名とは別に地元の呼び名などに多数。
紅葉で有名な耶馬渓はもともと山国谷であり、読みは「やまと」。
自分は一応畿内説だけど、「名前が残ってるはず」という全くあてにならない
論拠での議論展開はどうかと思う。
786 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:21:15 ID:sifNpKlM0
>>779 そもそも、古来から地大陸への入り口であった大宰府地域を
勢力圏に入れた勢力なら、そこに外交出張所を置くのが自然だろ。
それはどんな勢力であっても変わりは無い。
なぜ、そこから畿内中心の統一国家と飛躍できるんだ?
畿内と特定する要素にならんだろ…。
>>779 例えば
日本からAという国にパソコンを運んだとする。
あとで事情を知らない人がパソコンを調べると
台湾やアメリカや中国だったことから、
「ああ、こんなにたくさんの国と取り引きしてたのか。」
っていう事を君は言ってる。
大体決着付きかけてるんだろ?
後は村おこしの問題。
>>782 推測だからおかしくないんじゃね?
九州から東海まで広範囲に渡る土器がでるのはなぜだろう?と考えると
貢ぎ物かもしれないし、広範囲の人が住んでたのかもしれないし、市場があったのかもしれない。
原因は何であれ、断絶や敵対してる状態ではなく、この範囲の交流が纏向で、確実にあったということ。
790 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:24:46 ID:m209xXTgO
>>778 日本には富士山があると言ったら、日本には本州以外は含まれないのかな?
791 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:27:57 ID:m209xXTgO
792 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:28:19 ID:sifNpKlM0
>>789 その通りだよ。
それら全ての可能性がある。
交流もあったこともわかる。
確実にわかるのは、そこまでだよ。
だけど、それらの可能性の中から、土器の存在を根拠として、
「統一国家の存在」の論理
>>719をいきなり導き出しているからおかしいんだよ。
>>786 何を言っても無駄みたいだけどw
6世紀には奈良の都と太宰府の関係は確実にあったわけだわな。
その関係とよく似た記載が3世紀の魏志倭人伝に書いてあるんだよ。
つまり都と太宰府の関係が3世紀までさかのぼれるのか?がポイントなわけ。
これはつまり大和朝廷の歴史がどこまでさかのぼれるかと同じ。
794 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:30:48 ID:sifNpKlM0
>>791 九州説だとすると、邪馬台国は南の国も征服できていないんだぞ。
九州の統一さえ未完だよ。
魏志倭人伝から確実にわかることはそこまでだ。
畿内説は後代の認識から遡って考え過ぎ。
795 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:32:25 ID:W9WLONTC0
一大率は誰が何処に置いたか?
伊都国に置いたとなってるが前原か西区下山門あたりか?
意外と西区壱岐団地あたりにやはり一大率があったんじゃないのか?
でも一番すんなり来るのが
各地に残る大和とか山門の地名が一大率じゃないかな?
結構多いよな。
>>792 導きだしてるのは推測だろw
すべての学問の始まりは現象の理由を求める仮説から始まる。
そんなムキになることじゃないw
797 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:33:43 ID:m209xXTgO
>>791 言い方が悪かった
九州説支持者が推測する統一体だ
798 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:33:49 ID:sifNpKlM0
>>793 うん。
同じような関係は見て取れるね。
だから、他の根拠から畿内が証明されてから、
同じような関係だと言うのは有りだろ。
だけど、どんな勢力であれ、大宰府地域に出張所を置くのは不自然ではない以上、
出張所の存在から邪馬台国=畿内と特定する理由にはならないってことだよ。
そんな論理は無理がある、と言っているんだ。
799 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:34:04 ID:pBho1OenO
卑弥呼は双子って事にしようよ
800 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:37:50 ID:sifNpKlM0
>>796 仮説やその論理に欠点があれば批判される。
それは「ムキになって」なされることではなく、当然の流れだぞ。
>>797 「九州説支持者が推測する統一体」とはどんなものだ?
魏志倭人伝には、南の狗奴さえ征服できていない
程度の国しか書かれていないぞ。
801 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:39:22 ID:EZ1uKd0VO
案外出雲辺りが邪馬台国なんじゃない?
>>798 >大宰府地域に出張所を置くのは不自然ではない
都が遠かったから出張所がある。
6世紀には奈良の本社は太宰府に出張所を置いていた。
その記述が3世紀にも見て取れる。
もしかしたら300年さかのぼれるかも?
これが畿内説。
九州説をとるなら、その太宰府の出張所を置いたのはどこ?
これは畿内説よりあやふやなわけでな。
803 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:41:03 ID:m209xXTgO
>>800 統一という言葉は九州全土で統一じゃなきゃならんのか?
君は畿内を中心とする統一国家と言うが、そこには東北や北海道は入っているのか?
804 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:42:03 ID:lGd2WJIE0
日本最初の統一国家は大和朝廷のはず。多分。
もし大和朝廷の前進が邪馬台国ならば、その後に編纂される日本書紀などの
書物に邪馬台国に類似した記述がでるはず。それが全くない。
古代の歴史書物は以前の政権、勢力に関する記述は抹殺なのが常識。
常識的に考えて邪馬台国が大和朝廷になったということは考えにくい。
どこにあったかは別問題だけどね。
あと古代から大宰府に出張所があるのは、前述した久留米大善寺以南の
一大勢力を監視するという役目が強いせい。
「肥前水上の桜桃沈輪」を鎮圧した藤大臣一族が後年力を持ちすぎて牽制されてた
という話もあるし。
805 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:43:34 ID:3jzaSqoh0
>>800 狗奴=隼人だとすれば、隼人は8世紀の奈良時代になるまで平定されなかったんだから
狗奴さえ征服できないことが小国であったことの証明にはならない
806 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:45:04 ID:fVPL/OszO
古事記の神武東征の辺りを読めば、ヤマト政権が後発の新興勢力で、開拓地を求めて大和に移ったのは明らか。
つまり、その時点で九州や中国地方には既存の勢力が有力な国家を築いており、入り込む余地などなかった。
神武=初期ヤマト政権の樹立者は吉備の軍事・経済援助を得て、特殊器台→円筒埴輪の祭式も移入、北陸・東海という後背地を得て徐々に勢力を伸ばし、出雲・筑紫の既存勢力を「後から」併呑して行った…という経過が読み取れる。
807 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:45:10 ID:sifNpKlM0
>>803 俺に聞かれても困る。
俺から統一なんて言葉を出したわけじゃないぞ…。
畿内説がそういうことを言ってるだけ。
それに対して、俺は、
「魏志倭人伝には統一国家のことなんて書かれていないね」と言ってるだけ。
808 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:46:43 ID:VX6HTkVEO
九州以外にこじつけたければこじつければいいよね
全然違う畿内がいくら力技出しても、
○○神宮ではひっそりと○○○様が眠ってる事には変わりないんだから。
かえって荒らされずに済むもの。
809 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:48:29 ID:sifNpKlM0
>>802 >九州説をとるなら、その太宰府の出張所を置いたのはどこ?
帯方郡から総距離12000里余りの位置にあり、
北九州までの10000里余りを引いて、
北九州から1000里〜2000里の
どこかにある邪馬台国だろ。
「わからないことをわからない」とすることは、
学問上の誠意であって欠点ではないよ。
宣伝や商売にはなりにくいけどな。
810 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:50:10 ID:m209xXTgO
>>807 統一国家という言葉を出している以上、君の中に統一国家のイメージがあるだろ
その範囲はどうなんだ?
イメージ無しに否定もできないぞ
811 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:52:37 ID:sifNpKlM0
>>810 俺が批判している相手の主張から推測するに、
畿内から北九州までを勢力圏に入れている統一国家だろう。
>>719の内容を考えると、東海・関東まで入るらしい。
これが俺のイメージだよ。
だけど、詳細は統一国家を提示する相手が否定・修正するかもね。
812 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:53:19 ID:VAC9TOub0
>>793 大宰府が首府でナラが東国支配出張所でも良いのかな?日本の首府の歴史は
西の北九州から畿内、関東と東へ移動した歴史みたいだと思う。
途中で京と鎌倉・江戸みたいに二元政治みたいな時代も経てる。大宰府と奈良の
関係もある時、首都と出張所が入れ替わったみたいな。
朝鮮半島支配から東国・蝦夷支配への変動。半島支配消滅、蝦夷支配拡大の変化
に伴い首都が東へ移動する過程で統一した歴史が日本。
石橋 長岡 権藤 のDNAが 邪馬台国であるわけがない。
九州ではない。
814 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 03:59:35 ID:m209xXTgO
>>811 アンカー先は両方とも俺だよ
君は批判した人の書き込みを持って自分のイメージだと言うのか?
書かれていないが、その統一連合体には九州南部は含まれていない
東側は駿河や信濃が入るかどうか
時期によっては瀬戸内が離反する
あれ?熊本は無えとかこないだ言われたけどなw
816 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:00:46 ID:W9WLONTC0
>>809 「わからないことをわからない」とする放棄した立場なら、
仮説を立てた研究を批判するのは間違ってると思うがな。
仮説が対立するから論争になるのであって、
自分が研究しないのに、仮説で論を張ってる人に「間違ってる」と言い放つのは違うだろ。
「わからない」という人間は「わからない」とだけ言っとけばいいのだから
一番強いのは間違いないw
818 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:02:26 ID:VAC9TOub0
>>810 畿内勢力は平安時代中期でも、奥六郡奥州蝦夷地域は完全支配できなかったのは
前九年、後三年の役でも理解出来る。
3世紀の統一国家といっても限られた地域だろう。九州と奈良、関東と3大支配圏であ
っても当然と思うよ。
819 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:03:11 ID:sifNpKlM0
>>814 そもそも、俺には3世紀の時代の「統一日本」なんていうイメージはないよ。
そんなものどこにも書かれていないからね。
批判する対象として、君が挙げてくれた「統一日本」とやらがあるだけ。
批判するのに、君の内容から推測するのは仕方ないだろ。
正直に言って、俺に統一体のイメージを聞いた上で、
君が何を言いたいのか、全くわからんなあ…。
820 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:05:22 ID:sifNpKlM0
>>817 >「わからないことをわからない」とする放棄した立場なら、
何でそれが放棄した立場なんだよ…。
>>809でも、条件による絞込みはしてるだろ。
その絞込みが俺の仮説の範囲だ。
その上で、その条件に合うかどうかの検討はできる。
>>820 なら「わからない」ではなく、仮説が間違ってる理由をはっきり述べるべき。
「どこにも書いてない」もダメだよ。
自分で対立する仮説を立てて論を張るべき。
といっても、俺はもう寝るけどねw
お休み。
822 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:09:40 ID:sifNpKlM0
>>821 仮説が間違ってる理由なんていくらでも書いてるだろ。
例えば、畿内説は
>>809の条件を満たさないこと等だよ。
823 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:11:28 ID:m209xXTgO
>>819 君が九州の統一は九州全土じゃなきゃ統一じゃないとの趣旨のことを言ったから
それに対して、九州説で一般的な統一連合体のことだとレスした
更に言えば、畿内にしろ九州にしろ邪馬台国連合とか倭国連合とか言われるもののことだ
君はこれも無いということでいいのか?
824 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:13:57 ID:sifNpKlM0
>>823 魏志倭人伝に書かれている一定範囲内での連合体はあるだろ。
だけど、その連合体も、九州統一でさえないよ。
南の狗奴国さえ組み込めていない。
俺はそれしか書いてないぞ。
825 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:14:53 ID:lGd2WJIE0
一応畿内説だけど、あくまで行程を見る限り。
上の方にあった魏による呉への牽制的意味合いが強いのかなと。
「それくらい広い範囲を治める東方の蛮国が、呉を後方から狙ってるぞ」という
脅しの為の文章なんだろうなと思う。
「元々無い」のかもしれない。途中に出てくる九州北部の国々は把握してたけど、
その後は創作という可能性も捨てきれない。
826 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:15:06 ID:cTcbfZX10
教育、研究の予算はどのような分野であれ削減してはならないと思ってたが
スマン俺が間違ってたようだ
明らかな物証を頑なに拒絶し、あくまで妄説に固執し続ける阿呆に対する助成は削って良い
理系はまだしも、文系の各研究部門は仕分けの対象に含んで良いと考えられる
あ、あと無駄な箱物もいらんな
とりあえず特定しろよw どこなんだよwww
828 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:20:03 ID:m209xXTgO
>>819 もう一つ言えば、「統一日本」てなんだ?
君は統一国家と言うと奈良時代の律令国家を想像するのか?
秦みたいな強力な中央集権をイメージするのか?
【日本国家成立史】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
■【幕府体制】■
【明治大正昭和】近代
*連合体としてのヤマト畿内王権
*畿内朝を筑紫朝が制圧
*筑紫朝が途絶えた為に一時播磨朝で調整
*その後、継体と磐井が応神の子孫を名乗って、権力戦争に突入
*継体の勝利、しかしヤマト豪族によるクーデターの後「欽明朝」が成立!
830 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:23:51 ID:m209xXTgO
>>824 じゃ、君の「統一日本」は範囲はどうなる
君の論だと天皇律令国家は「統一日本」じゃないということでよいのか?
831 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:23:53 ID:sifNpKlM0
>>828 少なくとも、中国に対する代表権の下に支配下に組み込んだ国家だろ。
それがどのような形をとるのかは、時代や推測する材料によって異なるよ。
832 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:26:25 ID:sifNpKlM0
>>830 天皇律令国家は、「日本」という国号の下、
支配下にある国の範囲で統一した国家だろ。
それが現代に繋がる統一日本でしょ。
その範囲は時代によって可変だし、
それ以前のことは記紀から推測するしかないだろうね。
833 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:31:29 ID:m209xXTgO
>>831 君は統一という言葉を説明なしに複数の意味で使って平気なんだな
m209xXTgO=馬鹿
835 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:34:12 ID:sifNpKlM0
>>833 なんだそのイチャモンはw
統一というにはその範囲を決める必要がある。
その範囲や、政治体制等の形態は時代により異なる。
当たり前じゃないか。
こんな当たり前のことに対して、
君が何が言いたいのか全くわからないな。
そもそも、今は邪馬台国の話だろ?
邪馬台国に書かれた連合国は、九州を「統一」さえしていない。
俺はこれをただ言ってるだけだよ。
どこがおかしいんだ?
836 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:35:23 ID:m209xXTgO
>>832 君は三世紀では「統一日本」はないと言った
つまり、俺が三世紀に「統一日本」があると言っていると認識しているということだ
そんなことは言っていないんだがな
君は畿内説は三世紀に「統一日本」があると論じていると思いこんでいるのか?
837 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:40:32 ID:m209xXTgO
>>835 九州全土を「領有」していなくとも邪馬台国連合は「統一体」である
838 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:40:41 ID:sifNpKlM0
>>836 俺が書いた「統一日本はない」とは、
下記の
>>719を否定・疑問視する意味でだよ。
また、魏志倭人伝にもそのような内容はない。
>マキムクは九州から東海、関東の土器が出てくるので、
>少なくとも三世紀後半には西日本の多くをカバーする連合体があった
この文脈においては、
「東海・関東・西日本の多くをカバーする連合体」=統一日本
という意味でいいよ。
こんなものは土器からは導き出せない。
他の根拠から導き出せるならそれを示す必要があるってだけだぞ。
839 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:42:31 ID:8AGXbVdWO
お前らまだ魏志倭人伝なんて信じてんの?wwwww
840 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:42:53 ID:sifNpKlM0
>>837 それなら同意だよ。
>>824を見てもわかるように、俺はそんなこと否定してないだろ…。
現代の日本や大和朝廷に繋がるような
「統一体」だということなら否定しているけどね。
841 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:47:19 ID:ADvKvQc10
魏志倭人伝の行程の信憑性を云々するなら、
同時代の他の国への行程の記述がどれほど正しいかって資料の1つぐらい
あってもいいはずなのに、そういうのを今まで見た事がない。
842 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:50:20 ID:m209xXTgO
>>838 だからおかしいんだよ
一連の君の「統一日本」の整合がとれないじゃないか
「統一日本」は日本を名乗っているんだろ
843 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:59:45 ID:m209xXTgO
俺がここまで言ったのは、自分は客観的にしているつもりで人にとやかく言うわりには、用語の整合性や学
問史とのすり合わせとかに無頓着だから
言葉の確認しないと話かできない
そういう負担を人にさせていることがわかっていない統一と領有じゃ偉い違いじゃないか
844 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 04:59:54 ID:gbMI80MM0
>>724 >日程の記載をどう解釈するかは意見がわかれても、
距離の記載と日程(時間)の記載のどちらが信用できるかといったら日程だね。
自分の身に置き換えて考えればわかる。
例えば、自宅から会社まで何時間かかるかは即答できても距離が何キロ離れているかなんて
よく判ってないんじゃない?
あるいは海外に旅行で出かけたとして、旅行の行程距離を正確に言える?
移動にかかった時間はかなり正確に言えるだろうけど。
当時に測量した人間がいたわけでもないだろうから、距離の記述なんてあてにならないよ。
845 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:00:16 ID:WtQlGULw0
全滅
846 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:13:00 ID:e82B7yQM0
昨今のこのネタの隆盛は間違いなく
【天皇以外の権力の存在を捏造しそこにシナ朝鮮を絡める】
ことが目的ですので
847 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:15:26 ID:3jzaSqoh0
>>837 邪馬台国連合って書き方気持ち悪い
普通に「倭国」「大倭国」「女王国」などでいいんじゃないか?
848 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:17:35 ID:fQ4lAf6O0
>>846のようなクズがいるからこのネタが荒れるんだよ
天皇家以外の政治権力などなかった、なんて真空状態が歴史の発達段階で
あったわけないのに。
キチガイはすっこんでろ。
849 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:34:28 ID:WSRnx4kc0
方向や距離に関する記述が途中からデタラメになっているので邪馬台国に関する記述は
楽浪郡あたりで適当に噂話を集めて想像を書いただけかもよ
850 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:35:12 ID:e82B7yQM0
>>848 魏志倭人伝の卑弥呼の時代は日本書紀に天皇のことがしっかりかかれてます
すでに安定期と思われます
奈良は法隆寺や奈良公園の鹿の放し飼いとかある、他にも楽しめる
九州中のどこよ、広すぎ
852 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:43:26 ID:e82B7yQM0
戦後バカサヨ歴史学者は弥生人が渡来人とかもうバカげた話ばっか
昔の舟でたいした食糧も積めず命からがら渡ってきた農耕民族が
日本列島を支配できるほどの農業基盤を築くのに何百年かかるのか
もし日本を短期間で奪取できるほどの渡航力や積載力があったのならその波は延々続くので
日本語は限りなく大陸系言語の影響を受けただろうが事実は真逆
バカサヨ歴史学者は全員仕分けするべき
邪馬台国論争なんて、イデオロギー的に九州か大和か決めて
あとはそれに合うようにこじつけで無理矢理理由づけしてるだけ。
時間の無駄。
854 :
☆かじ☆ごろ☆ ◆Yz9QIyoH3k :2009/11/29(日) 05:45:38 ID:ShEBri500
其れなりに栄えるには人口を養うだけの広大な耕作地が必要な訳で
そう考えると小城・大牟田・小郡・浮羽辺りを結ぶ線の中が一番
可能性が高そうだわな。
因みに吉野ヶ里は其の線の近くなんだよね。
855 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 05:57:12 ID:zzO61ZVF0
魏志倭人伝は、ほぼ卑弥呼と同時代に書かれた資料だし、外交使節の行き来や
、魏は軍事顧問まで送ってる。邪馬台国までの方角・距離も正しいと考えて良
いんじゃないか。場所も分らない国と外交関係を結ぶなんてムリでしょう。
856 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:07:01 ID:WQmtVKrwO
方角距離が正確なのと場所が分かってるのとは別なんでは
857 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:08:43 ID:gbMI80MM0
>>855 >邪馬台国までの方角・距離も正しいと考えて良
>いんじゃないか。場所も分らない国と外交関係を結ぶなんてムリでしょう。
だいぶ時代を下った大航海時代の地図でさえ、距離も方角もかなりデタラメだよ?
「目的地に至る道程を知っている」ことと「目的地までの距離と方角を正しく知っていること」は違うよ。
858 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:08:58 ID:OcrpP9egO
『ヤマトの火』または、『ヤマタイ火』を読め。
記録が大陸発なんだから、交流のあった九州も捨てがたいんだよねぇ
860 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:11:52 ID:2en7oEj/O
点と点
861 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:15:49 ID:RMMCRAfl0
魏志倭人伝の記述を素直に読めば、九州であることは確かだよね。
近畿にあったというのは、ちょっと拡大解釈しすぎだな。
邪馬台国はその当時の日本の最大勢力ではなく、連合国家の盟主てきなもの。
神武の東征との年代の差があるから日本の歴史が短くなるから・・・
じゃ、どこにあったかは、九州北部のどこかであるまでしかわからない。
ただ、卑弥呼の墓はここだろうという想像は付く。
宇佐神宮でしょうね。
あそこは行けばわかるが元銅山のそばなのよ。
当時の銅は貴重なものだよね。
将来、宇佐神宮の建替えがあれば何か出るでしょう。
前回は、空けずにそのままにした石棺もあるようだし。
862 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:23:12 ID:Pb5tZ5UcO
まあ現実的に考えると九州だわな
>>861 宇佐になんか埋まってるのは認める。
あれ考古学的に調査してくれんかね〜。結構いわくつきらしいが。
864 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:26:59 ID:5DZS0FDM0
すべての元凶は、支離滅裂な記述を後世に残した魏志倭人伝だ。
どっちでもいいから証拠出せ証拠
866 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:41:43 ID:vWNi96AJO
宇佐神宮ねぇ
確かに大分には耶馬溪って地名も残ってるし、可能性はあるな
867 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:46:37 ID:RMMCRAfl0
>>866 耶馬溪は頼山陽が江戸時代に詠んだ漢詩がもとなので関係ありません。
【日本国家成立史】
@神武朝(神話)
A崇神朝(ヤマトマキムク)
B応神仁徳朝(筑紫朝)
C顕宗仁賢朝(播磨朝)
D継体欽明朝(越近江朝)
【天智天武】律令体制
【文武聖武】平城京
【桓武】平安京
〜【幕府体制】〜
【明治大正昭和】近代
*連合体としてのヤマト畿内王権
*畿内朝を筑紫朝が制圧
*しかし筑紫朝が途絶えた為に一時播磨朝で調整
*その後、継体と磐井が応神の子孫を名乗って、権力戦争に突入
*継体の勝利、しかしヤマト豪族によるクーデターの後「欽明朝」が成立!
邪馬台国は南朝鮮ニダ
と言う戯言はまだ出てないの?
870 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 06:56:05 ID:5DZS0FDM0
★★★ 魏志倭人伝 ★★★
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 倭人社会の風俗、生活、制度など [編集] 】
・「皆面黥面文身」というように男子はみな墨や朱や丹を顔や体に入れたり塗ったりしている。
・古くから、中国に来た倭の使者はみんな自らを大夫と称している。
・男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
・着物は幅広い布を結び合わせているだけである。
・兵器は矛・盾・木弓を用いる。
・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。
・人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。
他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
・倭の者が船で海を渡る時は持衰(じさい)が選ばれる。
持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。
船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
・特別なことをするときは骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。
・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
・女は慎み深く嫉妬しない。
・盗みはなく、訴訟も少ない。
・法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。
下から5行目、【100歳の人がいる。】
現代(1億人と50万人)でも、100歳まで生きるのは至難の技だよ。
ほんとかね?
俺は福島県にあると思うぜ
耶麻郡あるし
>>6 大和朝廷が邪馬台国の末裔だなんて日本の史書や伝説、どこかにありましたっけ?
天照大神の一書に邪馬台国関連の記載ってありましたっけ?
>>813 しかも中国ぶらく台湾人なのもあるが (補足)
874 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 07:17:23 ID:kwFtWd8NO
先にゆるキャラ、「ヒミコちゃん」でも登録した方が勝ち
875 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 07:39:15 ID:WRxGRwyE0
無双してたらロリ卑弥呼がハイテンションな関西弁で喋りながらビーム乱射してきて吹いた
邪馬台国がどうとか抜きには
日本史検証できんのかね
なんか経済効果目的のために邪馬台国ありきで
本来わかることまで歪められてる気がする
877 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 07:50:09 ID:STwjtZex0
畿内説論者の盛り上がりは異常
『親魏倭王』の金印を捏造して
箸墓に埋める‘ゴッド・ハンド’が出てくるのは
時間の問題
>>774 おいおい、いいかげんなこというなよ
昔王がいたといってるのは狗奴国で奴国ではない。
奴国は別にあるし。九州説の人って倭辞任伝にこだわる割には
よんでないのな
>>872 随書倭国伝には魏史における邪馬台国はヤマトとあるけど。
880 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 07:53:53 ID:vyZOVTHX0
>>729 >>739 >>741 >>753 もし邪馬台国と大和朝廷が同じ国で、神武天皇の時代がBC660のころだとしたら、倭国大乱や卑弥呼やトヨ
などの中国側の史書に出てくる事柄が記紀の中にまったく書かれていないのはおかしいのですよ、記紀に
倭国大乱や卑弥呼やトヨの事が書かれていないのは、邪馬台国は大和朝廷とは別の国だったか、あるいは
卑弥呼の時代は神武天皇より前の時代だったからではないかと思うのですよ、そして、卑弥呼の時代が
神武天皇より前の時代であれば神武天皇が東征する前という事になるから卑弥呼のいた邪馬台国は
九州にあったという事になるし、あるいは邪馬台国が大和朝廷とは別の国であったとしたら、とうぜん
邪馬台国は畿内にあった大和朝廷とは別の場所にあったという事になるのですよ。
>>877 おいおいw お前が言う名の世界だよ
歴史の偽造、ゴッドハンドといえば
「東日流外三郡誌」ってしってるよな?
882 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 07:56:46 ID:CrlzH+FF0
前に九州地方説ではない決定的ななんかが見つかったとかなんかそんなスレをみたような
>>880 >倭国大乱
戦争してる記事なんていくらでもあるよ
>卑弥呼やトヨ
これは当て字で固有名詞ではない。そのころ日本には文字がなかったのだから。
ひめこ日霊子 日巫女とか呼ばれてたんじゃないの?下々のものは、長ったらしい
名前よりひめ様とか呼ぶでしょ?中国人の視点だし。
あと卑弥呼の時代が239年なら、3世紀の箸墓古墳の時代だし
そのころにはすでに10代崇神天皇がいたことになる。崇神天皇のマキムクの都も発見されたんだから。
もし東征があったのなら初代の神武は年代的にも卑弥呼より前になるだろ。
884 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:07:45 ID:A0Wj2rSY0
>>440 九州説は生活かかってる人が多いから必死ですねw
↑読み替えるとぴったしだね。自分たちのことだろ。
こん平師匠?
886 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 08:12:29 ID:vyZOVTHX0
>>883 うーーーん、なるほど・・・でもそうなると、卑弥呼やトヨに相当する人物が天皇の系図
の中にないといけないという事になるんじゃないかな?
887 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:13:11 ID:9B9ohZp20
邪馬台国は「やまと」国って読むんだろ?
だったら大和説が正しいんじゃね?
888 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:14:23 ID:yw6hRiK/0
おれは最初九州、その後近畿に行ったという「東遷説」支持。
九州・近畿の地名とそのその位置関係の類似だけで状況証拠は十分
889 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:15:59 ID:qZ1wvbUC0
もう終わった話にいつまで連綿としているんだ、九州人は。
890 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:17:59 ID:oIX9YzMKO
>>880 それより九州には全くそれを示す直接的な一次資料が日本側にないんだよ。
それとも日帝に始末されたとかでもいいだすのかな?紀記以前の問題。
結局恣意的な文献解釈がくせになってしまってる
紀記のつっこみどころなんていくらでもあるが、
発掘結果と多々一致するところがありすでにデータが膨大だ。
九州説の人は「ない」からそのわけを示せというより「ある」ことを証明すりゃいいんだよ。
もうやめて!
国民的関心事ではなく北九州と奈良県との地域紛争に成り下がってるな。
893 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:20:57 ID:PyF1Q3+n0
もう間を取って中国地方つまり、出雲でええやん
中国地方の名前の由来は
近畿と九州の「中つ国」なんだからさwww
いろいろ滅んだり征服したりで権力が段々東に移動しただけで
別に繋がってないんじゃないのかと思うけどね>東遷
天孫〜天皇の系図は神話的権威付けのための後付け
895 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:21:16 ID:DcB3L/XX0
末盧国から伊都国から奴国まで東南、東南に行くと言っているから
最初から方角間違ってるだろ。
896 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 08:23:00 ID:QBXDraVQO
>>886 だから畿内派は倭迹迹日百襲媛命を卑弥呼と比定してるんでしょ。
897 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:23:07 ID:HVcjWL0w0
なんか最近、邪馬台国のニュース多いけど、
なんか動きあったの?
898 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 08:24:43 ID:vyZOVTHX0
九州にあったのは邪魔タイ国だよ。
900 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 08:26:01 ID:QBXDraVQO
>>897 畿内派の最有力候補地、纏向遺跡から宮殿跡と思われる住居跡が出たからじゃない。
正直邪馬台国論争ではなく初期大和朝廷として盛り上がって欲しいんだがなあ。
日本武尊の生まれた土地でもあるんだから。
>>886 それが崇神のころの箸塚古墳の主(倭迹迹日百襲媛命)ではないかといわれてるんだよ。
伝説によると崇神天皇はそのおくりなのとおり、信心深く、宮中に祀っていたアマテラスと大物主の
御霊を宮中から出し、八十八神を召還したときに彼女が神がかりになり予言して、内乱を未然におさめた。
大物主神の嫁=神の嫁となり、まんこに箸が突き刺さって死んだという。
真偽はさておいて、伝承だけなら候補としてもいい物語。
902 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:27:41 ID:Rgp+MtjAO
現時点で九州説の学者は負け組
くだらん自説にしがみつかず前向きに生きて欲しいものだ
証拠くれよ
904 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:28:09 ID:UUawJ1MvO
九州説は九州のどこなのか言わないと。もちろんその場所は邪馬台=ヤマトという音でないといけない。
905 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 08:29:26 ID:vyZOVTHX0
>>901 なるほど・・・そうなると邪馬台国は畿内という可能性も残りますね。
906 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:30:29 ID:D/VUPAhd0
九州説は考古学じゃなくて
ただのお国自慢・ムラおこし活動
気の済むようにさせてあげといて
>>904 律令に山門郡というのがあるんだが、そもそも郡は大化の改新でおかれたもので、それまでは
国しかないし、
大和は倭(やまと)と神武天皇のころから呼ばれてる
どうして邪馬台国以前に東遷したと考えないのか
909 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:31:28 ID:DcB3L/XX0
奴国(博多)二万戸、投馬国五万戸、邪馬台国七万戸ってそんなに北九州に
入りきらないだろ。
910 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 08:32:24 ID:QBXDraVQO
>>898 とりあえず神武創業が紀元前660年は有り得ない。
数ある資料の中で日本書紀を元に算出された紀元だが、書紀と古事記でも古代の天皇の崩御年齢が違う。
どう考えてもあてにならんし、皇紀で言えば崇神天皇は紀元前1世紀頃に当たるはずだが纏向遺跡は三世紀だ。
ここまでで三百年もズレてるんだよ。
勿論皇紀の方が正しいなんて事はない。この時代に百歳以上の人がそう何人もいるとは思えんからね。
もう少し古代中国人が
きちんと記述していれば問題なかったのにな
どっかの国なら謝罪と賠償もんだわ
912 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:34:06 ID:Rgp+MtjAO
あと九州人はその西郷どんのような顔を改めてから
九州説を唱えたほうが説得力があるんだが
佐渡じゃないの?
914 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 08:37:12 ID:QBXDraVQO
>>908 考古学者には頭ごなしに記紀を否定する人がたくさんいるからね。
元が口伝だから全て正しいとは思わんが、事実を元にした伝承として参考にはなるはずなのにな。
トロイ遺跡みたいな事になってんだよね。
915 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:38:34 ID:kTidMlfFO
邪馬台国は韓国が起源ニダ<、`∀´>
ひみこみこみこひみこみこ
917 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:50:03 ID:dGkpV5ihO
このスレ読んで、文献そのまんま信じる人が居ると知ってびっくり。
文献どおりとしたら、100歳以上生きるのが何代も続くって。
恐らく、途中、ニ、三代抜けありそうだよ。
確かにトロイの木馬の例もあるけど、まだまだ発掘しないとどの説も成立しないよな。
>>914 一定の意図を持って無理繰りまとめられた記紀よりも風土記だろ
919 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:56:35 ID:dGkpV5ihO
>>918 風土記もあてにはならない。
豪族や地元の都合よく纏められてる。
伝承話ってやっぱり不確かな話多すぎる。
断片は正しいかもしれないけどね。
現代でも学校、クラブや会社の伝説話多いけど、ホントに正しい話は数少ない。
そういうのを見たら、いかに伝聞や伝承って怪しいものか推定できるよ。
920 :
踊るガニメデ星人:2009/11/29(日) 08:57:23 ID:vyZOVTHX0
>>910 たしかに、記紀の内容についても疑わなければいけないのですね。
921 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 08:57:41 ID:QBXDraVQO
>>918 風土記は勿論重要な文献だし、各地に残る伝承も大いに参考にするべき。
その相違点や共通点から伝承上の物語が浮かび上がってくる。
これに考古学的な裏付けが付けば史実として認められる日も来るんじゃないかな。
922 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 08:57:44 ID:oIX9YzMKO
>>917 何百年も生きるなんて信じてる人いないよ。
何とちくるってんだよ
923 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:15:48 ID:wMDg6Hc70
千葉県民の俺からすると、九州がそろそろ諦めろって話だな
九州はもはや邪馬台国へのストーカーと化してる
924 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:17:15 ID:UkeEPPoS0
ところで九州で見つかった金印って本物?
925 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:17:46 ID:dGkpV5ihO
文献や伝承、伝説でだけで歴史語りしたり、やたら証明づけようと話題に持ち出す奴はそれを疑い持ち続けながら調査しないと危険だよ。
余談だが、学校では九州説は証明される文献記述がかなり不確かで発掘しても証明されるものがない、更に観光客誘致合戦で広まった説だと習った。
九州に墳墓が多いのは西が太陽が沈むこと、生きてる人間は東に住んでたとかそういう伝承話もあるとか。
これもあてにはならない話だけね。(苦笑)
926 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:27:59 ID:JFHMKf+u0
>>913 あの古地図はなかなかのもんだよ。佐渡もちゃんと描かれてる。
北海道も描かれている。三陸沖から見たのか少し大きめの島として描かれてる。
北海道の山の上だけが見えたんだろ。それで島のように見えたんだ。
>>759はレス付け間違えた。正しくは
>>737
いつまで邪馬台国に頼るんだよ 新しいネタ考えろや
928 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:33:24 ID:GFw3z2zVO
このしつこさは朝鮮人特有だな…
一方畿内は…
狂ったように「邪馬台国」に拘るのは、いかがなもんかね。
まるであてにならない、かの国の文献に書いてもらった事がそんなに嬉しいのかな。
邪馬台国なんて使者が中国様に取入りたくて自分たちで勝手に女王国だと言っただけで
本当はもっと力を持った大国があったかもしれないのに。
【原住日本人の特徴】
髪が微妙に癖毛
瞼が二重
ホリが深い顔
毛が濃い
柔軟な思考(手先が器用)
ムー大陸の一派
【渡来朝鮮人の特徴】
髪が異様に直毛
瞼が一重
平べったい顔
毛が薄い
単細胞な思考(無器用)
第一波中国大陸からの逃走民
第二波百済からの亡命
第三波満州建国時の密入国
932 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:49:16 ID:JFHMKf+u0
>>929 邪馬台国の卑弥呼女王様は中国から武器や兵器、大型動物などをもらっている。
中国様に貢いだのはそのお礼。
933 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:57:00 ID:owuKyUxb0
934 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 09:57:53 ID:dGkpV5ihO
>>932 耶馬台国や卑弥呼もなかった話も出てる。
文献ばかり信じるのも眉唾だね。
証明づける物品が出土しない限りは実在したかどうかも怪しいと思わないと。
畿内では絶対ないとよく解ったwwwwwwww
937 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:06:35 ID:owuKyUxb0
逆に古すぎて消えてしまったという地名はないのか?
九州はいいかげんあきらめろよ。巻向がそうであるという確証はないが
九州は消え去った。
>>1の高島先生とは?
佐賀女子短期大学の高島忠平・・・現在の日本で九州説をおおっぴらに唱える唯一の先生。
実情
高島忠平・顧問のあいさつ(2009年4月19日)
いずれにしても、「九州説」は考古学の世界では非常に不利な情況に置かれています。少数派です。
私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。
>私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。
>私なんかある先輩から「絶滅危惧種」といわれました。
ttp://www.okunomasao.com/yosinogari.html
940 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:30:18 ID:JFHMKf+u0
>>934 日本の法曹がよくその論理を使うよ。無罪を出すときにね。証拠がないものはなかったと。
だから警察は逮捕した者を有罪にするために証拠を捏造し冤罪が相次いだ。
邪馬台国には証拠があるんだ。魏志倭人伝がその証拠だよ。
また、当時から2千年程過ぎた現代に物品の証拠が残っていると考えるほうが異常だ。
重要な財宝など仮にあったとしても誰かが持ち去っていて発掘で出現するはずがない。
>>931 納得。
正直、眉から眼窩にへこみのない目の出っ張った顔の人を見ると気持ち悪い。
もうこうなったら実は朝鮮半島だったとか言っとけよw
>>940 魏志倭人伝が証拠なら海の中じゃないか?
それをあえて自分の都合のいいように捏造しようとがんばるwwww
>>941 もう中央日報がやらかしてたぜ
卑弥呼は先進国韓国から渡った首露王の娘ミョギョンゴングス?)ニダ
とかw
944 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:44:33 ID:lvOJSyh50
邪馬台国の場所を言うなら、卑弥子と同時代の魏か、その一つ前の後漢時代の
青銅器、鉄器、絹、鏡などが最も大量に出土する遺跡が、最有力候補に成る。
その場合、北九州の奴国と伊都国にまたがる平原遺跡が最強。その南の筑後川
流域の遺跡も候補に成る。箸墓は、墓の規模は大きいが、そもそも魏志倭人伝に
記述された円墳ではないのでダメ。その上、近畿最多の出土物と来たら、
「景初3年」と存在しない年号を刻んだエセ中国産の国産の三角縁神獣鏡。
おまけに絹の出土なし。近畿の中国製青銅器の貧弱さは、北九州の遺跡に
ダントツの遅れ。北九州と殆ど同時代に発展した近畿の王国は、多分、
北九州より規模が大きい。余り中国との交易に頼らず、国内独自に発展した。
そこが、魏志倭人伝に画かれた魏ベッタリの卑弥子の邪馬台国とは性質を事に
していた。
945 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:46:07 ID:woiBQ2Oq0
畿内派って、魏志倭人伝をそのまま読めば海の中だといって、
九州説を否定するけど、まともな思考力でそのまま読めば九
州だと思うのだが。
距離の一字一字に固執するなら、狗邪韓国だって、海の中じ
ゃないのかね。
946 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:47:30 ID:dGkpV5ihO
>>940 文献自体、起源も数百年経過したのちに伝聞で記載されていると言われたものだからね。
畿内説、九州説、そのほかも含めて、文献だけを信じる奴はちょっと考えたほうがよい。
現代の身近で数年経過した話題でも話、他国で話が食い違う場合もあるのに。
二千年も前、情報が少なかったとはいえ、他国の話を正確に記載なんてありえない。
そこを理解した上で議論してればよいけど。
947 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:49:02 ID:jsNZ2R960
この話題はもうオラが地元はレベルだから学術とかもう無いだろ
特に九州側は
948 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:50:14 ID:LjTG3sMWO
九州wwwねーよ
949 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:50:44 ID:woiBQ2Oq0
畿内派って、根拠も無く圧勝宣言するよね。
>>944 都が畿内でも魏との大陸との交流拠点が伊都の一大卒だったと考えられるから
平原遺跡から大量に漢代や魏のものが出て来ても不思議ではないわけだが。
まさか伊都国=邪馬台国なんてことないし。
むしろ九州から東海、関東までの土器が出て来る畿内の纏向遺跡の方が
女王の都にふさわしいと思う。
951 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:52:39 ID:JFHMKf+u0
>>942 文献が存在することとその内容を読み取る理解力の有無とは別問題だよ。
例えば、外国語を習ったから理解したことにはならない。
その言語で相手と話を通じ合えてこそ理解したと言えるんだ。
邪馬台国の神学論争のレベルになってる
どこかで「ひみこ」とか書かれた表札や領収書でも出てくれれば一発終了なのだが
953 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:54:25 ID:U+UZH8gX0
朝鮮や中国から文化を学ぶのに
関西じゃ遠すぎるだろ、九州北部にあったとするのが自然だろうな
>>944 巻向からは中国にしかないベニバナ花粉が大量に発見されているし
畿内は鏡の出土は多く後漢の発掘物も数多く存在する。
大和と同盟を組んでいたと思われる吉備には最古の製鉄遺跡が存在する。
あと景初3年は存在する
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-2-1.htm それを指摘した古田氏は捏造である日流外三郡誌を本物と喧伝して信用を
失った人物である
九州のとは違って技術そのものが輸入されている。
円墳ではないが、魏志倭人伝に経いくらと書いてあるが円墳であるとは
書いていない。九州説の一はそういう風な卑怯な印象操作をすぐにする。
むしろ箸墓の後円部が大きさも一致する。
更に絹製の巾着袋も見つかっているのに、どうしてそんな嘘をつくのか?
955 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 10:58:34 ID:woiBQ2Oq0
畿内派って、結局、日本の歴史を古くしたいだけの人た
ちでしょう。
要するに、奈良を中心に北九州まで統治する大きな国家が
3世紀には有って、それが現在まで続いているのだという
ことで、自尊心が見たされる。
そこで、倭人伝に目をつけて邪馬台国を、無理やり畿内に
もってくるわけだ。書紀の編纂者と変らない心情だよね。
>>955 >畿内派って、結局、日本の歴史を古くしたいだけの人た
ちでしょう。
違います。古墳年代が今まで考えられていたより古いということを
多くの考古学者が考えたからです。
九州説はあやしいと思うなら、カルト的批判をやめて間違っていることを証明したらいい
どうせ絶滅危惧種ですからすぐになくなるでしょうけどw
熊本出身者でも恥ずかしいと思う起源主張、たのむからどっかのチョーセンジンみたいな事を言わないでくれ。
金印が出てきたら、畿内説を認めよう
961 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:02:45 ID:dGkpV5ihO
>>951 余所の国の話が誇張されたり、自己都合で関係ない話にすり替えられたりするからあんまり信用できない。
あと、古代でも、他国に自国の正しい位置教えることは国家機密的な話でわざと間違った説明をしてたとか。
そういう議論もある。
だからあまり他国文献にこだわると危険だよ。
962 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:03:54 ID:BSZHHg+10
奈良県民だが正直言ってどっちでもいい。
うちには観光資源になる文化財はもうたくさんあるし
世界遺産だって3つある。
邪馬台国が九州でも問題ない。
『親魏倭王』の金印は宮○庁が保管していると聞いたが…。
964 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:05:11 ID:woiBQ2Oq0
>>958 で、その古墳がなんで邪馬台国と結びつくの?
オカルトじゃない説明をしてくれ。
965 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:05:21 ID:lO7WTWXX0
実は島根・鳥取こそが邪馬台国
966 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:08:11 ID:0b0zaSUlO
いっその事埼玉にあった事にすればいいじゃん
967 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:08:11 ID:oIX9YzMKO
>>964 古墳年代が卑弥呼の時代と一致していてかなりの勢力であったという考古学的見解じゃないの?
968 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:08:22 ID:dGkpV5ihO
あと金印も出土自体が怪しいと指摘されて、近年は本当に拝領された印なのかという論争出てるぐらいだからね。
後から伝承聞いた豪族が印を作って自分自身の墓場に埋めた説まであるから。
あんまり金印伝説も信じられない。
969 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:10:57 ID:hYhrt97M0
>>16 邪馬台国レベルって何?
マキムクレベルの遺跡は日本中探してもあそこしかない。
970 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:10:59 ID:woiBQ2Oq0
>>967 卑弥呼の時代に畿内にクニがあったのは当たり前だろ。
で、なんで畿内が邪馬台国なの?
まぁ現在の九州説勢力って史学ってより
思想優先だもんね〜
科学的な分析は全くの無視で東アジア同祖論を唱えたいだけだし
972 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:11:43 ID:XslPQaqG0
>>962 所が奈良が日本の中心で無いと我慢なら無い人が居るんだわ
973 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:11:46 ID:oIX9YzMKO
それよか
>>955みたいな無知なのが九州説唱える人の典型なんだな。
ひくわw
975 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:12:09 ID:JFHMKf+u0
人の多く集まる地域ほど財宝や使えそうなものは、みんな誰かに持ち去られて残らないんだ。
過疎な地域はそれが残るんだ。
また、その発掘は陸上に限定して行われている。
アメリカなんかでは海底遺跡が出てるじゃないか。
976 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:13:13 ID:KcDAwflP0
邪馬台国詐欺
977 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:13:58 ID:hYhrt97M0
>>970 地方国家レベルではなく、日本の大半を支配する統一王権の中枢が
畿内にあった可能性が高いのが重要なんだお
邪馬台国?
うちにもあるよ
979 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:15:44 ID:woiBQ2Oq0
>>977 君には
>>955 をプレゼントするよ。
邪馬台国が日本の大半を支配していたとは、
すばらしいですね(w
980 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:15:56 ID:oIX9YzMKO
>>970 九州から関東までの土器でてるんだよ。
あと畿内がその時代の中国と交流があったという大量のベニバナの花粉でてきてるわけ。
畿内説はもともとある程度の勢力を保っていたというのが基本だし。
981 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:18:05 ID:hYhrt97M0
>>979 思想的に偏向しすぎているな。
日本全土の人間が3世紀に大和地方に集まってきていたのは
考古学的に立証されつつある事象。
むしろ、この時代に統一王権などあるはずないと考える方が
古い固定観念に囚われているとしかいえない。
982 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:20:47 ID:woiBQ2Oq0
>>980 当時の日本でそれなりの文明があれば、どういう勢力であれコリアや
チャイナ人と付き合いがあったのは当然のことなのだが。
畿内人だって、チャイナの地方勢力と活発に交易していたって、何の
不思議もない。
もっとも、朝貢しないまつろわぬクニのことは、あちらの史書には
ほとんど記載されないがね。
で、畿内の勢力が何で邪馬台国なんだよ。
983 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:22:01 ID:lvOJSyh50
>>950 大人の背丈ほども有る草ぼうぼうの道なき道を野分けして、マツラ国から、
やっとこさ伊都国へ着きましたと魏志倭人伝に書いてあるでしょ。国道も
高速道路も新幹線も電話もテレビも無かった時代に、どうやって近畿の指令を
遠い九州の伊都国の一大卒へと伝授したの?飛脚?伝書鳩?Pgr。牛馬なし。
舟?関門海峡をスイスイと? 近畿と九州の統一どころか、卑弥子は周辺国の
狗奴国さえ支配するパワーが無かった。常に狗古智彦の侵略におびえるていた。
それで中国さまに「クコチ君がスッゴク悪いんです」と、告げ口する事大主義外交。
こんな弱々しいシャーマンの国が近畿と北九州を配下に置いて、指令の一つ
一つを九州の一大卒に伝達していたなんて、奇怪千万。おまけに同時代の近畿
の王国は大陸の情勢にカラキシ音痴で、存在しない中国の年号、「景初3年」
の年号を刻んだエセ中国産の国産・三角縁神獣鏡を何枚も生産して大規模墳墓
に埋葬したり、豪族のお宝として崇拝していた。世間知らず、大陸の情勢知らずの
ノーテンキな田舎者の長者達、それが近畿の王国。もしも近畿が邪馬台国だった
なら、魏べったり外交をしていた卑弥子の国は、少なくとも「景初3年」の
様な間違いは、しなかったでしょう。
984 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:22:33 ID:+30cRvhPO
>>979 関東や東北や北海道や沖縄や南九州は違うだろうから大半とまではいかない
せいぜい1/3くらい
985 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:22:56 ID:hYhrt97M0
>>982 当時の航海技術では北部九州から対馬を経由して朝鮮に抜けるしか
大陸へのルートが無い。あのあたりを大和王権以外の勢力が押さえているとしたら
3世紀の大和王権の遺跡から大陸系の遺物が大量に出るのはおかしい。
986 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:24:44 ID:oIX9YzMKO
畿内制自体が北魏や東魏のシステムだし。「畿内」という字も一緒で
システムも東魏とよく似ている。
987 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:32:55 ID:hYhrt97M0
>>983 その理屈だと4世紀や5世紀の大和王権の存在も否定する事になるな。
下手したら8世紀ですら統一王権が無かったって事になりかねん。
馬の有無? 日本社会において馬などあってもなくても殆ど変わらないのよw
988 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/29(日) 11:34:38 ID:QBXDraVQO
>>987 瀬戸内に面した地域なら馬より船の方が交通手段として便利だしな。
989 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:36:02 ID:JFHMKf+u0
畿内派の人は「奈良に美味いものなし」という謂れをどう考える?
それほど食糧を得るのに厳しい地域なんだぜ。
そこに7万戸も家があったの?
京都が開発されたのは後の時代のことだし・・・
990 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:36:30 ID:lvOJSyh50
>>987 あんたの脳内で否定してるだけでしょ。私は、一言もそんな事を言ってないし。
>>989 それを言ったら中国の人口の歴史的経緯は・・・
992 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:38:24 ID:oIX9YzMKO
993 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:39:45 ID:JFHMKf+u0
994 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:40:01 ID:hYhrt97M0
>>990 だから、アンタの理屈で3世紀の統一王権の存在を否定すると
同じ理屈を適応して4世紀でも5世紀でも8世紀でも、統一王権など成立しえなかったと
主張出切ると言ってるんだよ(つまりそれだけアンタの主張が破綻してるって事ね)
>>989 当時としては水が豊富にあって食糧生産に向いてた地域だったんじゃないの?
996 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:42:23 ID:DcB3L/XX0
生駒の辺まで海だった。
997 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:42:38 ID:dGkpV5ihO
九州と奈良の違いってやっぱり出土品自体規模も年代もしっかりしたものが現実的に出てるからじゃない?
九州説が正しいならもっと根本的なものが出てきてしかるべきだけどなと思う。
998 :
名無しさん@十周年:2009/11/29(日) 11:43:15 ID:hYhrt97M0
>>989 そうはいっても、2世紀終わりから794年の平安京遷都まで
実に600年に渡って日本の政治中枢が奈良盆地にあったのは事実だからなぁ・・・。
つか朝貢が得られる首都の場合は
食糧自給が100%に届かないことに問題は無い
畿内説言ってる奴=裸の王様wwwwwww
1001 :
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