【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長、纒向遺跡で挨拶 物産ブースで「卑弥呼」「邪馬台国」Tシャツを販売
1 :
かしわ餅ρ ★:
巨大建物跡が見つかった桜井市の纒向(まきむく)遺跡で14日、現地説明会が始まった。
午前10時、谷奥昭弘市長が「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」と開始のあいさつをすると、
集まった約300人の間に笑いが広がった。
近くの物産販売ブースでは「卑弥呼」「邪馬台国」と記されたTシャツを地元住民ら約10人が販売。
桜井市観光まちづくり協議会も、卑弥呼の衣装を着て三輪そうめんや地酒を売り込んだ。
鍛治本達也運営委員長(46)は「桜井には他にもいいところがいっぱい。これを機に
色々みてもらえれば」と期待していた。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000911150002
2 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 11:54:01 ID:rzM2HmQd0
3 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 11:55:26 ID:UVgGWwvPO
九州が火病のアップを始めました
もうちょっと後にしろよwww
便乗行動はやっ
平日も説明会やってるのかな?
そもそも邪馬台国なんて日本にあったのかね
8 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 11:58:20 ID:F6IynyDP0
9 :
ゆきすら ◆bkzj9tIMUg :2009/11/15(日) 11:59:59 ID:EFx/dX/c0 BE:2613017298-2BP(78)
中国や韓国と考え方一緒だな
ゆるキャラはひみたんですね
11 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:01:11 ID:jcDT/35C0
まだ確定したわけじゃないんだから早過ぎるだろ・・・
別に早くもないだろ
九州じゃあ既に卑弥呼キティとか
フツーに販売してるしww
じゃ…邪馬台国
14 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:03:32 ID:0okXRyBK0
グレートジャーニーという人類の移動説が正しいなら。
大陸から最初に人間が渡った土地は「中国地方」だと思う。
なので、最初の国が興ったのは「中国地方」だと考えるのが自然。
でも「最初に興った国=邪馬台国」だったかは判らない。
15 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:04:23 ID:hBCZm/IIO
おらが街さ邪馬台国良いよな。
16 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:04:54 ID:c1G5ts1MO
調子乗るの早いな
17 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:05:35 ID:6aY0qRuj0
勝手に捏造すんな!
邪馬台国は九州なんだよ!
反論してみろ!!
18 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/11/15(日) 12:06:22 ID:RaXWSMMe0
┐(´〜`)┌ 邪馬台国は九州の甘木だろ。ジョーコー。
奈良に続く萌えキャラはどんなの?
20 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:07:57 ID:1mZ7ri/TO
既成事実にしようなんて竹島占拠してる韓国人みたいな発想だな
21 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:08:59 ID:JH4vUPpHO
あれだけの規模の遺跡がでると、勝負ありだな。
22 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:09:19 ID:85CbDchf0
邪馬台国
卑弥呼
これらの言葉は蔑称です。使うのを止めましょう。
23 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:10:30 ID:jl3bwuCr0
町おこしと発掘利権だけの畿内説
年代測定ではどうなの? ぴったり合致するの?
こういうのって言った者勝ち〜とか多数決とかで決まるものじゃないのに…
なんてアホな市長さん
26 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:11:15 ID:FSkXBPSa0
27 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:11:52 ID:+jEQUyTN0
>>14 国が成立するためには農耕による富の蓄積が必要
つまり大きな平野ほど強大な国家が成立しやすい
それは西日本においては畿内か筑紫平野のどちらか
28 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:14:40 ID:QIKFbuPM0
29 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:15:04 ID:0/HH6pHu0
こう商魂たくましくやられるとなんだかねえ…。
30 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:15:12 ID:jH5MS8xp0
結局は町おこしなのね。
もう、九州説も畿内説も仲良くして全国邪馬台国サミットとか開いちゃえよ。
wikiからだが纒向については
・唐古・鍵遺跡の約10倍の規模を持ち、藤原宮に匹敵する巨大な遺跡で多賀城跡よりも大規模である。
都市計画のなされていた痕跡と考えられる遺構が随所で確認されている
・祭祀遺跡(穴師ドヨド地区の景行天皇纏向日代宮の伝承地から碧玉製勾玉・石釧・管玉・ガラス小玉、4世紀後半の土器など出土)
・瓦質土器(1996年に土器片の発見。胎土成分組成の分析により、2001年に国内で類例のない事が確認され、朝鮮半島内の技術で作られたものと判明した)
・竪穴式住居発見されている
・纒向遺跡は大集落と言われながらも、人の住む集落跡が発見されていない。
現在発見されているのは祭祀用と考えられる建物と土抗、そして弧文円板や鶏形木製品などの祭祀用具、
物流のためのヒノキの矢板で護岸された大・小溝(運河)などである。
遺跡の性格としては居住域というよりも、頻繁に人々や物資が集まったり
箸墓古墳を中心とした三輪山などへの祭祀のための聖地と考える学者も多い。
ってことで、時代の前後はどうあれ近辺の時代探る上で滅茶重要な発見なのは間違いない
藤原京に匹敵する巨大遺跡があの時代にあって、しかもどうやら祭礼のための、って性格が強そうで、住居形式や発掘物、年輪、炭素測定などから3、4世紀の頃のものの
可能性が高いとなればそりゃでかいアドバンテージって言われてもこれは流石にしょうがないと思う
まあ確かにちょっとあざといがw
こういうのは止めてほしいなぁ、まじで・・・・
33 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:16:48 ID:VvMeX8sK0
太極殿復元とタイアップした観光政策じゃまいか
>藤原宮に匹敵する巨大な遺跡で多賀城跡よりも大規模である。
正直、これはちょっと言いすぎだなんだよな。
纏向は遺跡面積だけの話しだし、急激に膨張したのは後半だしね・・・・
>>31 なるほど朝鮮半島由来の文明が栄えていたようですね
九州ではあっちこっちの自治体が邪馬台国を材料に観光事業やってるけど
奈良では邪馬台国というPRの仕方をまったく今までやってないのが不思議。
邪馬台国よりも平城京や飛鳥で売った方が客が来るのかも知れないが。
大きい建物跡が見つかっただけで、そこが邪馬台国だと言い切れちゃうのか。
歴史の認定って簡単なもんだね。
>>20 それいっちゃうと
もうとっくに勝手に卑弥呼グッズ売ってる九州は
どうなのって話でなw
俺的にはもう九州ヤマタイ、近畿ヤマタイって名で
勝手にやりゃあいいと思うんだがねえ
>>37 証拠なんて何にもないのに邪馬台国とか卑弥呼の里とかって
売ってる九州はどうなる?w
40 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:22:25 ID:Tps/90oz0
青森のキリストの墓と同レベルの町おこし
まあ奈良はどこ掘っても遺跡出るから観光で金落として欲しい気持ちはわかるw
>>36 観光客はみんな京都で宿とるからどっちにしろ金落ちないんだけどなw
宿少なすぎて話になんない
42 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:23:08 ID:EYLGsott0
邪魔台国は九州にあるかもよ。
, -, - 、
,、 ,、 ,イ!〃 , ='‐ \__ト,__i、_
l T! Tl'lT_-r-、ィ_‐_7´ l l! l! | ヒミカは死ねぇ!
l、` ` lヽ_lー〈!_,. - ´j _ -, !
\`丶!、l  ̄ l /,ィ ´ /
\ i、!  ̄ l´ ,ィ ヽ/
_ _ ,.l lヽ‐_7´ ll ゝ
>>41 そうだな。
世界遺産なのにシティーホテルが奈良市の日航ホテルしかないしなw
45 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:26:27 ID:6XTu3eV30
「ようこそ同和の王国、大和の国へ」だろが、格好つけるなよw
旧石器が出てきそうな流れだなw
48 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:29:24 ID:6aY0qRuj0
49 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:34:26 ID:E3TE3Kg4O
九州(笑)
結局この論争って奈良と佐賀の観光資源争奪戦なんだよな
後はそれぞれの学者のメシのタネ
もううんざりするわ
これじゃ真実なんて判明せんだろ
させる気もないんだろうがな
8(`д´)8<卑弥呼様ぁああああぁあ!!
52 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:39:13 ID:QIKFbuPM0
それまで「やまと」と読んで歴史が連続してたものを「やまたい」という読み方をつけた本居宣長の罪は重いな
本人は朝廷時代の大和と区別するだけのつもりだったのだが、「やまたい」が一人歩きしてしまった
近所に住んでるけど朝から報道のへりがうるさい
54 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:40:34 ID:fO8ms4gu0
まだ卑弥呼、邪馬台国と関連付ける物証が全くでていないのが問題だ。
他の家の軒で商売してるようなもの。
そんなにうれしいのかね
韓半島の属国が見つかった事実が
自虐的な連中だ、それともドMかw
ヒミコは古朝鮮の外交使の妾をしていた女酋長
56 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:45:06 ID:a3Jx4ynT0
>>8 一瞬、宮アあおいと南海キャンディーズの静ちゃんかと思った。縄文かわいい。
57 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:45:13 ID:Wy6DUSM3O
箸墓古墳が発掘できればおそらくほぼ解決なのに、宮内庁ときたら…
58 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:48:22 ID:QIKFbuPM0
遺跡じゃなくて現役の古墳だからな
露骨だなぁ
しかし超優良法人が突然誕生したようなもんだしな
俺23歳だけど卑弥呼には世話になった
小学生の頃かな
ニートの皆さんも基礎知識を持ちましょう!
日巫女→卑弥呼
大和国→大倭国→邪馬台国(因みにヤマタイで無く、ヤマトと読む)
古代中国は、周辺の国を下族とみなして、縁起の悪い漢字を当てて呼んでいたんだよ。
中国になってもこれは、変わらんけどな
65 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:56:12 ID:kY39+6wU0
>>14 > グレートジャーニーという人類の移動説が正しいなら。
> 大陸から最初に人間が渡った土地は「中国地方」だと思う。
それは違うね。
大陸から日本列島への人類移入ルートは、
地続きだったアムール川河口域→サハリン→北海道→本州、というのが定説。
もう一つは、東南アジア→台湾→沖縄からの島伝いルート。
日本人の祖先の大半は、1万年以上前にこの2つのルートでやってきている。
人類が世に出て以降一度も地続きになったことがない朝鮮半島経由で来た奴は、
2000年前以降のごく僅か存在するだけだよ。
66 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 12:57:49 ID:QIKFbuPM0
広開土王の碑でも、倭は百済、新羅を征服して中国国境まで攻め入ったとされてるんだよな
そこで高句麗に撃退されたけど
朝廷時代になって突然強くなったとは思えないから邪馬台国統治時代もかなりのもんだったろ
今、まき向遺跡にいるけど、近くの空き地で1〜2時間待ち。
曇ってるは、地面は湿気てるはでさむいよぉ。
店がないので、はらへったよぉ。
ようこそようこ
69 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:13:20 ID:Pdki6zqCO
64
倭島が韓王国の物であるのも常識
70 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:19:25 ID:Dg3hxRCIO
>>66 その碑文は日本軍が改ざんしたと 朝鮮人学者が言っていたけど、拓本研究で否定されたんだよな? ほんと始末におえねぇ。
韓半島は邪魔大国
鹿害でそれどころじゃねーだろwww
73 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:23:32 ID:1mZ7ri/TO
山田って姓は邪馬台が語源
これ豆知識な
74 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:24:48 ID:1+ZiUkg30
>>67 乙です。
太古の昔、何も無いその地に降り立った神々の気持ちになれて良いじゃないですかw
75 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:25:45 ID:UL8leS2TO
なんで女王に「卑しい」なんて漢字が使われてるんだ?
大体新羅国には倭人の王がいた事が、はっきり半島の歴史書、
三国史記に書いてある事だしな。
それどころか建国自体にも倭人が絡んでる事しら匂うわせてるし。
朝鮮人は自国の歴史書に書いてある事を否定するなよw
77 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:29:51 ID:UL8leS2TO
チョンの起源は日本、て
それもヤだなw
>>75 中国人の当て字の趣味。
周辺民族は蛮族扱いで大体こういう汚い当て字をする。
79 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:34:19 ID:QIKFbuPM0
そもそも東夷伝の倭人の項だもんな
何重にも汚い呼び方重ねてる
>>79 まあ、そんな扱いの連中のことをマトモに記録してるとも思えんし、
実際、他の国の記述もファンタジーだしねw
何年も何年も日数がどう、距離がどうとか真剣に議論してる連中はどうかしてると思う。
>>74 有難うございます。
後30分で遺跡を見ることが出来そうです。
帰りに箸墓古墳と唐古鍵遺跡に寄って、
古代の雰囲気?を味わってきます。
奈良県よかったね。(^ω^)
まぁ言ったもん勝ちみたいなトコ有るし
奈良ならいいんじゃないか天皇つながりで
どうせ歴史家も見てきたように嘘ついて新しい発見は認めないこと多いしい
//〈
/ l _,、
_ , -- 、' ⌒ヽ , -‐ '´ヽ  ̄/
/ ヽィく l l 〉ー '´
l ヽ_ j' ,.<ヽ /
ヽ_ r ‐ 、_○ノ,ヽ1 ヽ l /
l l ヽ‐。、)_,ィ。/l_l`ヽ',l_/ ようこそ邪魔大王国、ヒミカ様の国へ!
/ィ、_ l _'"´ ゝ , j‐ ヽ',l
/ ! `´ }`ヾ、ー''/./ j l
/ ヽ _ノ、\  ̄,イー '´ !
, -‐''''' ‐ 、 ヽ ニー`彡' l
, ' ヽ l ,'
. / _ ,,,.. _ i ! ,'
l〃´ `ヽ、 l l ノ
. / ', ,' / ,.ィ'
/ _ l/ __ ,,../‐'´ i
!/ `丶r'ミヽ __ ,. - '´ ヽ /
85 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:46:41 ID:QIKFbuPM0
しかし当時倭に万葉仮名のようなものがあって自ら邪馬台国・卑弥呼を名乗ってたかもしれない
表記的にはその方が自然かも
86 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:50:28 ID:KzHR9Klb0
早いっ!ww
ワロタ
鳥丸、鮮卑、匈奴、月氏、南越、倭、扶余、山越
88 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:52:11 ID:3cWxOBs00
ええな、関西で決まりや
お前らが今こうやって生活できんのも古代関西人のおかげじゃ
感謝せーよ
89 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:52:39 ID:Dg3hxRCIO
邪馬台国も変な漢字使って貶めてるな。まあ当時日本には漢字がなかったろうが…。
90 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:56:00 ID:e83ZD+xt0
佐賀の連中がファビョりそうだなw
92 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 13:59:31 ID:QIKFbuPM0
中国と行き来してたくらいだから漢字は理解できてただろう
ただ訓読みはなく、音重視で、漢字を仮名のように使ってたろうな
93 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:00:10 ID:OkZQBlE60
邪馬台国が古代に滅びたように思ってるんじゃないの?
邪馬台国=大和朝廷
卑弥呼=日巫女
94 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:03:57 ID:QIKFbuPM0
>>93 つまり邪馬台国も卑弥呼も当て字したのは倭人てことだな
96 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:07:08 ID:fGuHMRXS0
俺、自分でオリジナルTシャツ作ったよ。
「三角縁神獣鏡!」って書いてあるやつと
「ナマトトヒモモソヒメ!」ってやつと
「神無月・出番だよ、先生!」ってやつの3つ。
97 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:08:50 ID:QIKFbuPM0
>>95 書いたのは陳寿だが、国名や人名は中国語で書くと全く違う表記になるだろ
98 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:09:13 ID:3EQUDy8u0
>>24 畿内説の一人の研究者が合致していると発表しても、
他の複数の研究者が比較検討をしていないらしい。
考古学やってる連中の考えがわからん…。
再現実験して確かめないなんて、学問の世界ではありえないだろ。
相手の意見を否定するのは失礼だとでも思ってんのかね?
99 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:09:29 ID:fGuHMRXS0
>>94 魏志倭人伝だから魏人が書いたに決まってるだろ。
>>97 倭人の発音を陳寿が音写して漢字を当てたんだろ。
101 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:11:38 ID:3EQUDy8u0
>>66 その倭は、九州から朝鮮半島南部を支配した別勢力だろう。
その後、大和朝廷がその勢力を飲み込んだ。
102 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:11:52 ID:fGuHMRXS0
邪馬台国の時期の朝鮮半島って帯方郡とか楽浪郡とか
漢人の国があったんだよな。韓国人、涙目wwwww!
鋼鉄ジーグ
104 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:14:28 ID:QIKFbuPM0
105 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:14:32 ID:UVgGWwvPO
>>98 炭素分析とか科学的測定なら何年以内の誤差まで測定できるんだろ
測定したらその場で解決だろうに
九州だ畿内だという議論はおかしい
邪馬台国はおなじ日本人の国の歴史なんですよ
って、たしか、たかじんさんの番組で山口もえが言ってた
>>104 倭人「ヤマト」→陳寿「邪馬台」→本居宣長「ヤマタイ」
108 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:18:04 ID:40mTgfHF0
卑弥呼が魏から金印をもらったのは、
邪馬台国の女王として共立されてから何年もたった後のことです。
卑弥呼が共立されたとき、「漢倭奴国王」金印を贈った漢はすでに滅んでいました。
漢が滅んだことで倭国も情勢が乱れて、大乱があったわけです。
それを収めたのが卑弥呼です。
卑弥呼が共立されたとき、すぐに中国に遣いを出したわけではありません。
中国もまた三国志の時代であり、朝鮮半島は公孫氏が支配しており、韓・倭を支配下においていた。
公孫氏が滅んだときに、卑弥呼はすみやかに魏に使いを送り、金印をもらったというわけです。
公孫氏が支配していた時代は、漢と通じていた九州は衰退しました。
かわりに勢力を伸ばしたのが畿内です。これが倭国大乱のきっかけです。高地性集落も作られました。
公孫氏は、呉と通じていたので、倭国には呉鏡が入ってきました。
呉鏡を多く手に入れた勢力が、公孫氏と通じた勢力です。
この頃の遺物として畿内からは画文帯神獣鏡が出ています。
これは呉鏡であり、同じ形式の鏡が、公孫氏のいた朝鮮半島からも出土しています。
畿内は、公孫氏と通じて、勢力を拡大したのです。同時に九州は衰退したのです。
公孫氏が滅んだとき、魏との通行が可能になったとき、九州にはもう外交能力がなくなった。
そこで、卑弥呼が速やかに魏に遣いを送った。その卑弥呼は畿内王権の女王ということになるわけです。
>>99 いや、陳寿は蜀人で、魏志を書いた時も晋の官僚。
魏には直接仕えてない。
110 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:18:30 ID:UVgGWwvPO
九州か畿内かとよく言われるけど、もし畿内なら奈良県というのはほぼ確定だよな
九州説なら佐賀で確定なのか?
>>110 そんなこというと、福岡、大分、宮崎が怒るw
>>104 中国語の音は結構変わってるから、当事の発音ははっきりわかっていないけど、
「邪馬台=ヤマドゥ」みたいな感じだったって説もあったり。
もちろん日本もだけど、中国のが色んな民族が入り混じった分その差が大きいとか。
113 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:22:41 ID:Bs2ZCT6CO
商魂キター!
卑弥呼まんじゅう、卑弥呼だんご、卑弥呼ストラップ、卑弥呼お菓子…卑弥呼が付く商品バンバン考えろ!
いくら言っても空白の4世紀が有る限り謎のままだろな
まずい話しは宮内庁が揉み消すだろうし
115 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:24:00 ID:QIKFbuPM0
>>107 中国人は「ヤマト」を「邪馬台」とはしないだろ。中国語での「邪馬台」の発音からも
後の年代になるが、鉄剣なんかに刻まれた万葉仮名に近い表記方だよ
ハマタイ!
117 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:25:12 ID:LKK23LBrO
卑弥呼の穴に白濁液をぶちまけたい。
119 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:26:28 ID:UVgGWwvPO
>>111 九州説って言うけどバラバラなのを合わせて九州説なんだな
何日か前に桜井市役所前を通ったら、早速「卑弥呼の里へようこそ」
とかいう旗が飾られてて思わず苦笑いしたぜ…
121 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:28:26 ID:mUUg5OQdO
ハニワ幻人に聞けばいいのに
勝手に邪馬台国名乗るなよ
123 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:30:09 ID:NnJGOZytO
愛子さまは卑弥呼の生まれ変わり
>>115 魏書では邪馬台、隋書では邪靡堆。
日本でも大養徳、耶麻騰などがある。
発音を漢字の音を利用して表現してるだけだから利用される文字は様々。
125 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:31:30 ID:vqVY1+az0
纏向なら無理に卑弥呼つかわなくても、崇神天皇とか立派な神話いっぱいあるじゃんw
127 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:33:05 ID:14twzJvfO
決定的な確証がないからって、こんなことで邪馬台国にしようなんて…
まるでどっかの国みたいだなw
128 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:33:22 ID:rDEvivrJ0
邪馬台国の大本命と呼ばれる桜井市がようやく卑弥呼の国を名乗ったなーって感じ
129 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:33:30 ID:iywiorTo0
【レス抽出】
対象スレ:【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長、纒向遺跡で挨拶 物産ブースで「卑弥呼」「邪馬台国」Tシャツを販売
キーワード:民主
抽出レス数:0
あー知らない奴多いのか
やっぱり+は地方自治に詳しい奴いねーな
130 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:34:57 ID:iiRJKN4P0
はえええwwww、行動が早すぎるぜ、桜井市さん
つーか、そんなに嬉しかったんだね、でかい観光の呼び物が出てきて
>>98 年輪法は手間かかるからなあ
まあだからって追試検証せずになんとなく胡散臭いから、とか
研究者一人だけで怪しいから、なんて理由で否定する連中はアホかと思った
>>99 書いたのは蜀の人じゃね?
132 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:35:08 ID:UVgGWwvPO
133 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:36:23 ID:rDEvivrJ0
>>99 陳寿は蜀出身。
三国志の蜀善玉説も元々はコイツのせい。
134 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:37:49 ID:rDEvivrJ0
>>125 巻向が邪馬台国となると、卑弥呼は高確率で崇神天皇の親族となる。
崇神の叔母が卑弥呼、娘がトヨって説が有力。
135 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:38:37 ID:gJ0NBJ9/0
136 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:38:49 ID:ObTpsfkNO
ハニワ幻人め、死ねぇっ!
土偶型ダッチワイフはまだかね?
138 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:40:52 ID:pFDvRwuc0
もう九州に勝った気でいるなw
139 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:41:30 ID:iiRJKN4P0
鋼鉄ジーグは邪馬台卑弥呼を貶めた糞アニメですのでこういう時にはNGです
140 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:43:14 ID:0dfgcMEL0
まあ実際奈良で確定だから、べつにいいだろ。問題無い。
141 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:43:20 ID:QXeQnH5y0
142 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:44:59 ID:rDEvivrJ0
>>140 ココは邪馬台国候補地の中でも圧倒的大本命だからな。
ろくな遺跡もないのに自分のトコだと言い張る地域とかなんなんだと・・・。
143 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:45:42 ID:6M3udiaIO
別に奈良だろが九州だろが出雲だろが吉備だろがどこでもいいじゃん
九州厨はなぜそこまで死に物狂いでこだわるのか理解出来んな
根底にあるのはやっぱ中央に対する長年に渡る妬み僻みなんだろな
144 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:47:20 ID:rDEvivrJ0
>>143 つか、日本が3世紀の段階で畿内を中心にある程度統一されていた
って事実が判ると嫌な奴が多いんだろう。
地方の時代ダーとか、天皇中心史観の打破ーとか言ってる奴らにとっては
3世紀の段階で日本に統一国家があるのは面白くないはず。
145 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:49:12 ID:TyTfUj80O
146 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:49:27 ID:WyiMzGttO
九州はさっさとテーマパーク「邪馬台国ランド」でも作れよ
いつまでもしょぼい遺跡だけじゃ釣れないだろ
畿内に邪馬台国があったとして
1.そもそも、どこから中国に関する情報を得たのか?
2.どうやって中国にいって帰ってきたのか?
遺跡はあっても船の残骸とか発見されてるんだっけ?
発見されていたとして、それで日本海を渡れるの?
3.中国から印をもらうことに何の意味があんの?
何らかの意図があって貰ったんだろうから、なんか理由があるわけでしょ。危険を冒してまで貰いにいったんだから。
周辺部族に対しての「示威」としてなら、とうぜん中国の影響力が畿内魔で及んでいることが前提でなければ意味無いし
4.印を保有している=邪馬台国 これって本当?
印持つことで「示威」になるなら、他部族や国は「印」を欲しがるんじゃないの?
力づくで奪われる可能性や盗まれる可能性はどの程度考慮に入っているの?
朝鮮半島の国々に対する牽制という意味で「印」を保有する。と言うことなら、印を持つことはわかるんだけど、
その前提が成り立つ地域に「畿内」って、ちょっと遠い気がする。
意味があるのって、対馬、長崎、佐賀、福岡、山口、島根くらいじゃないの?地理的に。
九州説の邪馬台国箱
観測するまではどこにあるか知ることができず、観測しても観測するたびに場所がかわる。
149 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:52:25 ID:ZUwIpep3O
関西説に比べて九州説論者って過激だしおかしいと思ってたよ
150 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:52:26 ID:g6YxsN/b0
奈良は民度が低いから京都に遷都した
151 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:53:18 ID:6M3udiaIO
>>144 別に邪馬台国が九州にあったって全然構わないんだからさ
納得出来るだけの証拠ちっとも提示せずに駄々こねてばっかなのが白けるんだよな
>>147 伊都国に一大卒をおいて女王の国が管理してたんだから
首都が畿内の邪馬台国でも無問題じゃないの?
153 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:56:13 ID:SN2axUIy0
↓ゴッドハンドからうれしい一言!
154 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:57:05 ID:QIKFbuPM0
>>148 金印てのは持つだけじゃなく押さなきゃ意味ない
当時の倭人が文書を書いてた証で、それに中国の威光を裏書きさせてたということだろう
155 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:57:11 ID:TyTfUj80O
奈良で決まりだろう、後は魏志倭人伝に書いてある物が発掘されれば決着がつく
が、出てこないだろうな
あったのは九州で間違いない
場所は見つかったら発表する
157 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:57:57 ID:rDEvivrJ0
>>147 1>畿内巻向遺跡は日本全土から人々が集まっていた交易センター的な場所だった事がわかっている。
当然、大陸方面の情報も入手できる政治的位置にあった。
2>大和川から遺跡まで運河が引かれていた形跡がある。大和川→瀬戸内→玄界灘→朝鮮沖
と陸伝いに進むのならば、古代の航海技術でも十分に可能。
3>当時の日本には製鉄技術が無く、半島からの輸入に頼っていた可能性がある。
半島諸国に対する示威としてならば、後年の倭の5王時代にもやっている。
日本国内でも、特に大陸と結びつきが強い山陰や北部九州の豪族に対しては効果が大きかったと思われる。
(畿内説は、北部九州や山陰も邪馬台国の領域に含むことを前提とした説)
4>他部族を圧倒するだけの力が畿内にあれば、奪われる可能性はあまり考慮しなくて良い。
そして、巻向の遺跡規模は同時代の他地域のそれを圧倒している。
もう邪馬台国は九州でいいよ。
観光資源ないし、かわいそうじゃん。
奈良は古代〜奈良時代までの遺跡が残ってるし
そういうのがまったくない九州に邪馬台国程度の
観光資源があっても罰は当たらないよ。
159 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:59:34 ID:WyiMzGttO
160 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 14:59:58 ID:rDEvivrJ0
>>158 そんな下らない理由で科学的事実を捻じ曲げていいと本気で思ってる?w
邪馬台国は南の国と戦争してたんだろ
ここ出てくるのはしょぼい土器とか埴輪とかだろ
ぜんぜん平和じゃないか
こんな平和な場所が邪馬台国なわけないだろ
九州なんて武器だの首のない骨だのわんさか出てくるというのに
>>160 観光資源の少ない九州の自治体にとっては死活問題だろ。
考古学者は九州派の連中に同情してやるべきだよ。
>>158 当初はともかく、すっかりお隣さんが半万年の歴史を捏造するための手駒になって
踊らされちゃってるからね。
日本人の根幹にも関る部分だから、その辺は譲歩しにくいかと。
164 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:03:56 ID:rDEvivrJ0
165 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:04:08 ID:0dfgcMEL0
>>162 表邪馬台国と裏邪馬台国が存在した! という説ならすべての辻褄が合うってことにする。
邪馬台国は同時に2つあったんだよ!!
166 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:05:28 ID:TyTfUj80O
167 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:05:38 ID:phWpbF5FO
奈良駅にも、桜井市法被を来た連中がうろちょろしてたな。
168 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:06:10 ID:0dfgcMEL0
>>161 奈良にかかわらず、日本で南国といえば土佐か宮崎じゃないか。
奈良と宮崎が戦争してなにか問題が?
「ようこそ、ライブハウス邪馬台国へ」
170 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:10:38 ID:7BiH4yMZO
>>162 ウリに愛はないのか〜
ってこと?
バカバカしい
171 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:11:00 ID:Wl2cEj2TP
今現在のどっかの大都市がモロに邪馬台国の真上に作られてるとかないの?
172 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:13:00 ID:rDEvivrJ0
ないね。
まぁ世界的には、ローマとかアレキサンドリアとかメキシコシティとか
色々な例があるけどね。
173 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:13:35 ID:UVgGWwvPO
>>171 地下鉄とか地下街とか作る時に遺跡が出てきてるはずだろ
大阪とかはよくある話
邪馬台国は南の狗奴国と戦争してたんだぞ。しかも負けそうになって、助けてくれと
魏に泣きついた。だから金印もらったんだろ。これを見せれば相手も戦意喪失するから
見たいな感じで。この奈良の遺跡なんて争った武器とぜんぜん出てこないじゃないか。
埴輪だの土器だの平和なものしか出てこない。今回も雨乞いでもしたであろう、ちょっと
大きめな掘っ立て小屋のあとがでてきただけだろ。こんな平和な場所が邪馬台国なわけ
なかろう。
>>152 つまり、当時の倭国(邪馬台国)はそこまで領地を管理できる能力があった。ってこと?
>>157 その辺って、検証済みやら文献があるってことでいいの?
2、当時の関門海峡を物ともせずってのは、かなり高い技術を保有してたんだね。
3の場合、大陸や半島からの交易港はどこ?と言うのと、交易港は結構栄える物じゃないの?
4に関しては、最初からある程度大規模な勢力であった。と言う前提だよね?
西大寺の駅がやたら人が多かったのはこれか
177 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:17:47 ID:Vo2yg4vT0
>>174 奈良には争った跡が無いから、東遷説は成り立たないんだよね。
178 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:18:50 ID:CK66KSw/O
九州の方がいろんな種類の証拠が出てるのに、なんで邪馬台国が畿内になるんだ?
180 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:19:42 ID:7BiH4yMZO
181 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:19:57 ID:TyTfUj80O
九州説は場所を特定出来ていない
さいってーwwwww
183 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:20:18 ID:rDEvivrJ0
>>175 文献資料は例の魏志倭人伝と記紀しかない。
4に関しては話が逆。倭国全体を代表しうる勢力になった時点で
大陸に使者を送ったと考えるべき。
3は伊都国=平原遺跡に要注意。極めて重要な遺跡なので、今後の発掘に期待。
>>175 無理だろうな、伊都と畿内は遠すぎる。
その観点から邪馬台国は九州にあったと考えるのが自然。
185 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:21:55 ID:rDEvivrJ0
>>185 4世紀末には朝鮮半島南部にも影響力を拡大してるのに
3世紀半ばの段階で九州を管理できない理由はないだろ。
邪馬台国はそれじゃ大きな連合国か、または国連のような組織ということでいいのかな?
いわゆる邪馬台国の場所というのは本庁舎ないしは本部事務局の場所ということで。
これだと邪馬台国論争はどっちが組長でどっちが総本部長なのかという論争に進展していく可能性があるが。
187 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:26:40 ID:ILg1NeKO0
気がはえーよww
気が早いですなぁ
189 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:27:12 ID:KYtcQt6S0
佐賀県人、涙目(´;ω;`)
190 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:27:15 ID:rDEvivrJ0
気が早いも何も、ここが邪馬台国の大本命といわれ出したのはもう10年以上前だぜ・・・。
191 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:27:29 ID:GZBmcTtI0
今に見ていろ、ハニワ幻人、全滅だっっ!!
しかし、ストレートな歌詞だな。
>>178 九州からはほとんど新たな証拠は出て来ていないんだよ。
九州説って一口に言うけど候補となる場所すら特定できてなく、信憑性に疑問がある魏志の記述が頼り。
そこから全く進んでいない。
それに対して畿内では纒向って特定の候補地があって発掘が進むにつれて条件が揃ってきている。
このままだと、年々畿内説のが有力になっていくのは仕方ないかなと。
193 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:28:08 ID:TyTfUj80O
ねーねー、九州説に一発逆転の可能性はあるの?
194 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:28:31 ID:6M3udiaIO
気が早いからや!
>>184 その辺は、距離と言うより
1.それなりの規模の兵力が送り込める下地がある
という点がポイントじゃないかな?
となると、大分あたりに「軍事港」っぽいのがあって、睨みを利かせるだけの規模を保有している必要がありそうだけど。
陸路だと、、、兵糧の問題が出てくるだろうから、瀬戸内海に隣接して遺跡群がありそうだけど。
>>183 4
「代表しうる」ってことは、日本各地に同時期の遺跡が多数存在してしかも文化的にも差がない。
その多数の遺跡には、輸入または自作の製鉄製品が存在する。
ってこと?
196 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:29:38 ID:rDEvivrJ0
>>193 どこぞの九州の工事現場でショベル運転してたニーチャンが
偶然金印を引っ掛けるとかならあるいは・・・。
197 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:30:13 ID:7BiH4yMZO
>>184 ヤマタイ国がアメリカのような連合国家なら無理でもなんでもないわな。
マキムク遺跡はワシントンのようなもので
>>175 1については出土土器全体の2割弱が北九州から南関東までの幅広い地域産だったことから類推される
4については集落跡の規模や数が証拠と言ってもいいんじゃないか?
>>174 別に戦線が首都にある必要はないと思うけど
戦なんて国境であるものだし
そもそも、その戦ってのについてもまだ全然わかってないよね
>>178 よく知らないので何が出てるのか教えて欲しい
互いに主張し合うのはいいが喧嘩はすんなよ
常識で考えたら九州にあったわけないのに気づくはずだよ
九州説を信じてる人は振り込め詐欺に気をつけろよ
201 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:31:41 ID:Wl2cEj2TP
Vやねん!邪馬台国
になったら面白いのに
202 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:32:15 ID:61F2t6RJ0
こういうのが学問の妨げになる
両方見てみて自分の目で確かめるしかないよ!
いい加減、ヤマト国と言うべきw
205 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:33:57 ID:uew9ck1/O
卑弥呼ってよくよくみたら現代のDQNネームに通じるものがあるな
邪馬台国と同時代の大規模遺跡だからと言って
イコール邪馬台国ではなかろうw
邪馬台国とは別の国の可能性もあるし
魏史倭人伝の記述にある習俗を考え合わせれば
むしろ無関係な可能性の方が高いと思う。
207 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:34:58 ID:H9TOYmSX0
>>158 >邪馬台国程度の
お前、邪馬台国は日本国家のルーツだぞw
というか、あんた、在日の方?
208 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:35:05 ID:TyTfUj80O
>>196 ポケットに入れて海外のオークションで売る可能性が高い
209 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:35:21 ID:6M3udiaIO
>>196 足利義満の日本国王印すら未だ行方不明のままだってのに…
漢倭奴国王印が捏造だってのは発見当時ですら「常識的にありえん」だからな
210 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:35:31 ID:TBf0CTt2O
ようこそ邪魔大王国へ!ハニワ幻人!
211 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:36:14 ID:a0VZO9HCO
昔読んだ邪馬台国に関する本だけど、距離とか方角とかすごい独自解釈して、結局「邪馬台国は島原にあった!」って結論になったやつ、知ってる人いる?
212 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:37:50 ID:H9TOYmSX0
>>205 魏の人間が倭人の発音を軽蔑語を使って当て字で書いたんだもん。
本当はヒノミコ、日御子とか倭人は発音していたんだろうね。
>>206 その可能性はあるが現実に他で出てないからな
考古学的にはまずは掘れ、話はそれからだって感じ
何か見つけたわけでもなく仮説だけってのは少なくとも考古学ではなかなか通らない話
地元スレが立つなんて久しぶりな気がする
>>198 ごめん。その「土器」ってのは、「大陸文化の影響を受けた形跡のある土器」であり「其々の集落が独自に作成した土器」ではない。ってことでいいのかな?
4については、逆の見方をすれば、敵対する国が「印」を貰ったから、その国より国力のある国が強奪して「印」を手に入れたとも考えられるんだけど。
>>195 吉備や出雲あたりが邪馬台国なら船という事も
考えられるが、畿内からではやはり遠すぎる。
217 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:41:33 ID:cLb7bP380
もう奈良邪馬台国と九州邪馬台国の二つがあったって事にすればいいよ
218 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:43:21 ID:TyTfUj80O
魏志倭人伝で言えば九州なんだろうけど、邪馬台に行ったわけじゃないし、口コミの記述
219 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:43:40 ID:H9TOYmSX0
>>206 >邪馬台国とは別の国の可能性もあるし
>魏史倭人伝の記述にある習俗を考え合わせれば
>むしろ無関係な可能性の方が高いと思う。
俺のクラスの朴君が同じことを言って
クラスメートから笑われてたなw
朴君は、日本にそんな国があるわけないって
最古は半泣き状態だったw
日本の前方後円墳は3世紀から出現し始めて、
朝鮮半島南部の前方後円墳は5世紀から出現することを話すと、
怒って教室から脱走しちゃったw
>>207 邪馬台国が日本国家のルーツとか
おまえは中国の人か?
古事記や記紀で邪馬台国スルーされてんのに
何を信じちゃってるわけよ。
221 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:47:36 ID:D5TM4J9zO
決まったわけでも無いのに起源の宣伝か。
まるで朝鮮人。恥さらしだな。
>>215 今ひとつ意味がわからないんで見当はずれかもしれんが
土器については書いたとおり北九州で作られたものや、南関東で作られたものまで幅広く集まってたようだ
「大陸文化の影響を受けた形跡のある土器」って条件は何に必要なの?
4については考えるだけならどうとでも考えられるけどその痕跡が見つかったり、文献が残ってたりするの?
他に同程度かやや小さいくらいの国の痕跡あったりとか
ってか、普通に考えればそんなデカい国あったらそれこそ倭人伝やらに残っててもよさそうな気がするんだが
223 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:49:43 ID:rDEvivrJ0
>>220 日本書紀や古事記では邪馬台国が大和王権のどの時期の事を指すのが特定できなかった可能性大。
文字記録が無く、500年近く昔の伝承のみでは年代を正確に出す事が不可能だったのだろう。
天皇の寿命の大幅なサバ読みもそのあたりの事情が影響していると思われる。
様々な物証を見てみると、邪馬台国は崇神朝時代の大和王権と見るのが妥当。
224 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:52:08 ID:1qNMUeB8O
>>219 ただ
> >魏史倭人伝の記述にある習俗
これって今の考古学や歴史学ではどういう扱いなんだろ。
刺青だなんだ、とても京の都や大和に繋がるような
文化的方向性を感じないのだが。
こういっちゃ語弊あるが、南国の海洋民族とかアイヌとかじゃないんだから、的な。
>>105 そういう炭素分析の発展がどんどん畿内説を裏付けて行ってるのが最近の状況らしいよ
226 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:54:35 ID:ABzhyNKS0
え、ちょっと早まったとかないか?大丈夫なのか?
227 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:55:38 ID:NF3FqIsx0
>>224 風俗に関しては伊都国周辺について語ってるような気がする。
伊都国には一種の迎賓館みたいなもんがあったっぽいし。
まぁ、これは確証はないけどね。
暫定邪馬台国とかでまた違う所にそれっぽい遺跡が出たら
そっちに暫定邪馬台国移せばいいな
適当に邪馬台グループとか作ってどの企画がこけたとか成功したとか各地で情報提供しろよ
>>223 そういうけど、魏志倭人伝を鵜呑みすんなら
狗奴国の存在や東の海の向こうに倭種あり、その南に
侏儒国ありってのをどう説明すんのさ?
231 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:57:49 ID:UVgGWwvPO
九州説は魏志倭人伝の頃、まだ日本は細切れの小さな部族が乱立するもの凄く混沌とした状態。
畿内説はすでに日本は部族が連合し、卑弥呼を中心とした大和朝廷の元になるのがこの時期にできてた状態。
この時期の日本がそんなに進んでるわけない、いや、すでにここまで進んでいたんだっていう争い
233 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 15:59:17 ID:NF3FqIsx0
>>230 伊勢を越えて七里の渡しから東海方面へ
ってルートが古代の官道にあるからそれじゃないかなとしか。
234 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:00:52 ID:Y+Qm0QHr0
だいたい「邪馬台」国と書いてること自体が畿内説を認めてることになるだろ
正確には「邪馬壹」だし
>>224 自分達に都合の良い記述は真実で都合の悪い件は
無視だろうね。
自分達が見つけた遺跡こそが邪馬台国である。
という結論がまずあって
それを補強する証拠や魏倭人伝の記述の一部だけを採用し
否定する証拠や文章は無視。
それが歴史学者だから。
理系のようなアカデミーとは発想や思考が根本的に違う。
236 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:02:57 ID:nuX+xhsX0
巨大建造物=卑弥呼の宮殿
って発想が笑わせるw アホかw
>>224 大陸の勢力と外交をやってる連中から順番に「刺青だせぇ」っていう風になってやらなくなっていったんでしょう
現在の歴史が千年後の日本人にしっかり残せなくて、千年後の日本人が明治時代になって急に髷を結わなくなったのを
文献で知ったとき、それまでと別民族が日本を支配するようになったと推測するかどうか、みたいな
238 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:05:10 ID:NF3FqIsx0
>>235 邪馬台国論争を裁判だと仮定しよう。
魏志倭人伝と記紀は証人とすると
前者は赤の他人がチラッと通りかかった時に見たのを適当に証言してるだけ
後者は目撃当時まだ子供で、記憶が曖昧、と来る。
捜査員としては物証を見て、証言の信憑性を一つ一つ確認していくしか方法がないだろ。
239 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:05:18 ID:TyTfUj80O
ドンドン元気がなくなっていく九州派が可哀相
240 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:05:42 ID:cQkGi/tQ0
便乗商人・政治集団の御用学者が捏造さえしなければいい
事実が知りたいだけ
242 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:07:38 ID:NF3FqIsx0
隋書は記紀より古いんだけど
それが「大和=邪馬台国」と断言してる点についてはどうなんだ?
>>175 大和朝廷と太宰府の関係だろ。
統治能力はあったと思うよ。
もう九州は九州台国でいいじゃん
>>242 あっちの学者が勝手に決め付けたんだろ。
魏志倭人伝を見れば邪馬台国なんてどう考えても九州なんだから、それでいいだろ
今回見つかったのは、今の天皇家に繋がる、大和朝廷だかの遺跡だろ
なんで邪馬台国=大和朝廷に無理矢理にする必要があるんだ?
別々でいいだろう
のちに大和朝廷が邪馬台国を滅ぼして日本を統一したでいいじゃん
なんで同じにする必要があるんだよ
旧唐書にも倭国と日本国は別だと書いてるじゃん。これをどう説明するんだよ
魏志倭人伝はデタラメだ。だから旧唐書もデタラメだとでも言うのか
247 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:12:30 ID:UVgGWwvPO
だって畿内説は奈良とほぼ断定してるのに、九州説は広すぎるもん
広大な地域でここにないって証拠はないでしょ?って悪魔の証明を要求してるような…
せめて福岡説なら福岡説、佐賀説なら佐賀説と自分の立場を明らかにした上で、福岡説なら奈良説を否定するように佐賀説や大分説を否定しないと
248 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:12:36 ID:NF3FqIsx0
>>245 邪馬台国以後の倭国との外交記録が
連続的に隋に継承された可能性とかは考慮しないのか?w
249 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:12:45 ID:0dfgcMEL0
>>240 お好きな事実を選べばいいだけだよ。 事実とはそんなもんだ。
まず最初の選択だ。
現状のすべての説のなかに事実がひとつ含まれているか、
それともそれらはすべて事実ではないとするか、そのどちらかを選べばいい。
これでだいぶ事実が絞り込めるだろ。
そろそろ丸まる練習をはじめるか(`・ω・´)
251 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:15:38 ID:UVgGWwvPO
>>246 九州のどこか自分の立ち位置を明らかにした方がよくね?
252 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:15:58 ID:NF3FqIsx0
>>246 天武朝時代に大規模な改革が行われ
その一環として対中国外交上
地域名に過ぎない大和や蔑称である倭を破棄して
「日本」の新国号を作り唐側に通告した。
また、同時に日本は倭や大和より広範な領域を占める新政権だと称した
それでなんの矛盾も無く説明できるだろ。
>>232 ところが倭人伝には、5万戸、7万戸といった連合しなきゃ無理っつー国があったと書いてあるんだわ。
それ考えると、弥生時代に設定するのがはなからおかしかったのよ。
今となって言えることだけど。
254 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:18:39 ID:BiuEzwpxO
邪馬台国役所「卑弥呼の卑はマイナスのイメージがあるので認められません」
卑弥呼の父親「邪馬台国の邪はどうなんだゴラ〜」
卑弥呼とか邪馬台国って字面的によくなくない?
256 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:19:03 ID:NF3FqIsx0
>>253 九州説では「それは中国側が大げさに言ってるんだ!」とか言ってたな。
「畿内説は文献読め!」とわめくくせに勝手なもんだw
>>246 魏志倭人伝の邪馬台国は「ヤマトコク」と読めて
一大卒と都という太宰府と大和朝廷の関係と同類の記載があって
その大和朝廷のあった場所から、魏志倭人伝に匹敵する時代の巨大遺跡が現れた。
これはどう考えても畿内でしかあり得ないだろう。
258 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:21:46 ID:UVgGWwvPO
要するに本居宣長が悪いってことだな
260 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:22:35 ID:0dfgcMEL0
>>224 日本人が刺青入れだしたのは5000年以上前か? なんてニュースがあったよ
紀元前5000年くらいの土器に顔に刺青した人の模様あったとか
262 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:24:25 ID:NF3FqIsx0
>>261 その時期はちょうど、稲作文化を持った人々が
揚子江付近から日本に来た時期と重なるな。
あのあたりの先住民(漢族にあらず)と倭の文化的な近さは
よく指摘される所。
>>258 そうか匈奴とか朝鮮とかそういうノリか
卑弥呼は姫巫女とかってどっかで読んだな
264 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:24:56 ID:TyTfUj80O
これ以上は期待出来ない九州説つー事ですね
265 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:25:08 ID:7BiH4yMZO
>>253 今のあれじゃ縄文文化が相当発達してて弥生とそう遜色なかったと
言われだしてるだろ?
ならば全体の底上げがあって弥生もさらに進んだ文化だった可能性は
否定できんわな
そしたら無理なくなるんでないの?
>>252 >>257 答えになってない。なぜ旧唐書には倭国と日本国は別だと書いてあるんだ?
ごまかさずに答えなさい
267 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:29:41 ID:NF3FqIsx0
>>265 何かそれを推察するに足る材料くらい持ってきてからにしたら?
何か見つかったわけでも論理的に言うわけでもなく可能性は否定できんわな、と言われてもはあそうですね、としかいえないだろ
269 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:32:59 ID:UVgGWwvPO
>>266 『別だ』の意味が『地理的に別だ』と書かれているのか?
270 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:33:11 ID:K18C0mS6O
>>266 確かに別称なら別称と書くわな
こういう事は外交関係に関わるし
つうと日本列島にゃ九州に倭国という都市国家連合、畿内に大和朝廷の前進となる国家の二つが
同時に存続してたって事?
それもなんか変だなぁ
>>266 それは簡単。
旧唐書に倭国伝と日本伝がある理由は、この時代に国号を「日本」に改めて、
唐と同等の国であることを主張したから。
過去の遣唐使の態度と比べて、急に慇懃無礼な態度を取ったため
「ホントにあの倭国なのか?」と唐が疑ってる様が読めばわかるだろ。
272 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:33:18 ID:yYn/9w66O
町おこしって何やっても許される雰囲気だよな
実際ゲスなのバッカだし
日本国者倭国之別種也(日本国は倭国の別種なり)
いきなりこう書いてある
274 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:36:17 ID:2+j5MJ/40
まあ、どこそこで、必死に邪馬台国と大和朝廷を同じにしようという動きがあるが、理解は出来る。
やっぱり、大陸の正史で最初に紹介されたものと、現在の皇室の流れを同じにしたいよね。
そのほうが正当性がます。
同じことを「記紀」の編纂者も考えるだろう。
しかし、記紀では邪馬台国はスルー。
ここに意図を見出さないとね。
願望だけではだめ。
275 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:36:34 ID:NF3FqIsx0
>>273 どっちにしても、天智朝と天武朝の対立過程で出てきた話であって
邪馬台国との関連性は殆ど無い話だな。
奈良は名物もなんもないし、旅行客は京都にとられるしで、なんもウリない。
だから、卑弥呼住んでたってことで、町おこしさせてくれてもいいんじゃないか?
今日の奈良新聞の一面はこれでもちきりでした。
277 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:37:25 ID:K18C0mS6O
>>273 支配民族が違う(変わった)という意味にも取れるなぁ
278 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:38:19 ID:NF3FqIsx0
>>274 何度でも繰り返すが、500年近く前の、伝承記録と
中国史書の邪馬台国を照合する術が当時の朝廷に無かっただけ。
279 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:38:27 ID:UVgGWwvPO
>>273 『別種』の解釈が分からんな
まさかこの時代に遺伝的要素としての『種』を理解していたとも思えないし
この時代の他の文献や倭人伝以外での『種』の使われ方とかがあれば意味が特定できるかもしれんが
280 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:38:50 ID:xJzJeBmD0
>>266 日本国は、倭国(日本列島全体)の中の小さい国だった。ここまではいい?
日本国はどこだったかというと、「ヒノモトノクサカ」というように、今のクサカにあったんだよ。
クサカという地名を探せば、日本国がどこの国だったかすぐわかる。
河内王朝のことなんだけどね。
>>273 日本国者倭国之別種也。
以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。
或云、日本舊小国、併倭国之地。
ここまでワンセット。
別種であることが確定的に書かれてるわけではないよ。
別種という人もいるし、倭国の名前を嫌って日本に変えたというのも聞くし
日本はもと小国で倭国を併合したというのも聞く。
つまり「日本」に改めた理由を唐なりに取材して思考してるんだよ。
282 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:39:22 ID:NF3FqIsx0
>>277 曽我氏政権→天智朝→天武朝(藤原政権)
このあたりの流れは相当錯綜してるからなぁ。
283 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:41:02 ID:OjZaI9d9O
奈良には鹿の糞があるじゃないか。
284 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:41:10 ID:7BiH4yMZO
>>268 可能性は否定できんわな
つうのはこれからの発掘調査に期待するっつう意味でさ。
だいたい、出雲の存在が否定されてたのが、二つの遺跡の大量の青銅器発掘で
一気に覆されて、さらにありえないと言われてた出雲大社が発掘調査で
事実らしいと言われだしたり、自分が日本史学んだ時とは状況がここ数年で
大きく代わってるしな。
285 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:42:36 ID:NF3FqIsx0
>>284 それらの意味する所は記紀の復活なんだが
記紀も何処まで信用できるやらわからんから
やはり考古学的資料と照らし合わせてゆくしかないのだろうな。
286 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:42:52 ID:xJzJeBmD0
>>282 天部が、藤原政権?というのは、よくわからんな。
普通の学説なの?
たしか、中臣氏(藤原氏)は、大友皇子側の側近で、壬申の乱で敗れた側の人のはずだが?
287 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:43:51 ID:ReIuodHp0
魏志倭人伝の絶対視ほど馬鹿馬鹿しいものはない。この書物が書かれた意図は、魏が
遠方諸国とも交流をもつ大国だと近隣敵対国に誇示したかったから。事実性など二の次。
ある程度参考にできる部分もあるだろうが、基本的に魏志倭人伝を無視して、虚心坦懐に
日本の古代史を探求すべきだ。九州説か畿内説かといった魏志倭人伝に一致させる競争を
必死でやるのは愚かすぎる。
288 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:44:43 ID:NF3FqIsx0
>>286 不比等がどういうわけか天武朝の中で重要な役割を果たすようになっていったからね。
よって、藤原政権としたんだけど。
289 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:45:56 ID:K18C0mS6O
>>282 支配階級の部族レベルの勢力図の変化でも、中国側から見たら
『別人種が倭国を平定し国号を改めた』
と映ったのかもしれんしね
そうなりゃ別の国になったと思われるだろうな
つうか中国の歴史自体、そうやって国が代わって行くわけだから
290 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:46:48 ID:7BiH4yMZO
>>288 聖武帝のときに藤原氏が一回失脚したけどしぶとく復活したしね。
291 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:47:56 ID:J2+LgsU60
ウリが起源ニダ
292 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:48:19 ID:2+j5MJ/40
>>278 照合できなかったら、こんなにおいしい正当化の資料をスルーですか?
神話まで作り上げて、神からつながる系譜を作り上げたのに。
しかも、450年ほど前にもし存在していたのなら、何らかの伝承が残っていて当然だと思うけど。
形は変わることはあるだろうけど、まったく無かった・・・ことになるのは非常に不自然。
実際、邪馬台国以外の魏志に載っている国は、結構簡単に比定されているところも多いしね。
ここに引っかからない人は、どう考えても想像力不足。
もしくはある考え方に頭が支配されている人たちではないのかな。
つーか
卑弥呼の出自が邪馬台国っていうだけで
行政中心とは関係ないだろ。
そのまんま東が首相になったら宮崎が日本の首都だと言うようなもん。
ちょっと馬鹿ばっかりだな。
294 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:49:03 ID:0dfgcMEL0
>>287 なんで無視する必要あんの?
記述内容にすこしでも疑問がある文献はぜんぶ無視するの?
295 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:50:54 ID:K18C0mS6O
>>293 しかしわざわざ『女王国』と称されるくらいだからな
296 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:51:19 ID:NF3FqIsx0
>>292 全くスルーしていない。崇神朝時代と一致させる事が出来なかっただけ。
崇神朝は全くスルーされてないが、卑弥呼時代の事とは思わなかったので
なんとか神功皇后を引っ張り出して一致させただけだろ。
8世紀の人間が、さらに500年前の伝承のみの記録から邪馬台国を正確に記述できると考える方が
想像力が欠如しとるよw
>>290 たしか聖武天皇の母親が不比等の娘だよな。
>>295 魏志倭人伝にはっきり書いてあるだろ。
伊都が行政中心で、女王国はむしろ伊都の先からだと。
それくらいの年代の大きな遺跡だからって
即邪馬台国とかいう短絡さ加減何とかならんのかね
もうちょっと具体的な繋がりが出てきてから言えよ
邪馬台国やら卑弥呼やら、この国は歴史的に大昔から自虐的だったんだなあ。
301 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:53:55 ID:ivv/XfWxO
歴代天皇陵を調査すると色々歴史的事実が明らかになりそうだが、やはり無理なのだろうか
302 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:54:47 ID:NF3FqIsx0
>>301 箸墓から魏志倭人伝どうり生贄の人骨がゴッソリでたら
流石にみんなドン引きだろうしなw
>>281 也、という断定の助辞を使って書いてあるじゃん
304 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:56:31 ID:xJzJeBmD0
>>290 ようするに、藤原氏は、自民公明政権の頃の
公明党みたいな立場ってことだろ。
藤原氏が天武を立てたわけじゃあない。
藤原氏の政治力を借りたほうが、天武政権を維持しやすかったということ。
305 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:57:04 ID:OArGPQ1h0
何この言ったもん勝ち
306 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:57:40 ID:H9TOYmSX0
>>293 お前、三輪山を知ってるか?
三輪山の山麓にマキムクがあるから重要なんだよ。
吉野ヶ里に三輪山にあたる山があるのか?
あるなら教えてもらいたいね。
307 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:58:11 ID:7BiH4yMZO
>>292 記紀がとある理由で捏造されている
っつう説を唱えている人もいるんだが?
記紀以外の風土記や記紀より古く真書じゃないかと言われだしている旧事記、
各地域に伝わる伝承から推測して
神武=祟神帝、や豊受大神=台与
説を唱えて記紀の中にも暗にヤマタイ国の存在を示唆としている説がね。
308 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:58:30 ID:O8W6Ka5D0
まぁ、それよりはるかに後代の倭の五王についても記紀には記述されてないんだから卑弥呼が載っての無くてもおかしくはない罠
>>301 ここ10年の発掘で、かなり明らかになってきてると思う。
ちょっと九州説は厳しいと思うわ。
>>303 或曰・・・
或云・・・
日本国の者がそう言ったってだけで筆者は断定してない。
311 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:59:53 ID:H9TOYmSX0
>>302 別にいいんじゃないの?
その時代は殉死や生贄の風習があったんだもの。
その後に生贄や殉死を禁止した歴史も学べば問題ないっすよ。
312 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 16:59:57 ID:NF3FqIsx0
>>308 倭の五王も確か後世の考古学的成果でなんとか一致させるべく頑張ってるね
313 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:01:28 ID:2+j5MJ/40
>>296 なぜそこまでかたくなに事実を認めないんだろう・・・
認めるとどういう不都合があるんだろう・・・
万世一系が途絶えるからだめなの?
もう歴史の話じゃなくて、君は宗教の話だよ。
たぶん、君は2000年以上前から万世一系の大和朝廷が成立していた・・・と思っている人たちじゃないかな。
だったら、議論は出来ない。
>>284 可能性は常に否定できないね
でも、考古学なんて物からはじまる学問なわけで、掘ってなんぼ、見つけてなんぼの世界じゃね?
材料の無い仮説なんてほぼ価値なしって言っていいと思うけどね
全体の底上げがあって人口多かったとしたら、って説になんか材料あるの? って言ってるだけなんだが
出雲の話にしたって青銅器見つけてからの話なわけで
>>299 発表自体は可能性が高いって言ってただけのはずだけど
315 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:02:39 ID:48lvDEfG0
316 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:02:45 ID:3EQUDy8u0
>>275 わずか一年で終わった内紛を、
別の独立国として記述するのはおかしいだろ。
魏志倭人伝でも、邪馬台国は九州の記述が中心になっている。
その一方で纏向にも大きな勢力があることが今回わかった。
複数の勢力があったと考えざるを得ないだろ。
>>311 倭彦命の埋葬の時に、生き埋めにした人たちがしばらく生きていて
うめき声を出して残酷だったので禁止したとか日本書紀か古事記に
書いてなかった?
代わりに埴輪埋めるようになったとか…
318 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:04:48 ID:NF3FqIsx0
>>316 内紛の長さは関係ない。
天智朝という旧政権が、天武朝という新政権に打倒された事
天武朝がかなり大規模な改革を行った事
重要なのはそこだ。
319 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:05:01 ID:7BiH4yMZO
>>304 藤原氏は天武のときに失脚してる。
それをフヒトあたりで盛り返して律令制の制定のときにイカサマしてかなり
上手くいったんだけど、聖武のときにまた失脚しかかったんだわ。
それでもしぶとく生き残ったんだけどね。
婚姻関係とかで皇室を利用したのが藤原で、それを排除しようとした勢力が
あったわけ
320 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:05:02 ID:3EQUDy8u0
>>296 記紀の記録は、中国側の倭の五王の事跡にも対応してないぞ。
五王が中国との繋がりを隠すのはともかく、
朝鮮を支配していたことを書かないのは不自然だろ。
>>316 従来から遣唐使がやって来てて、ある時突然「俺たちは日本だ」と言ったから混乱してるんだよ。
別種であると断定することなんてどこにも書いてない。
322 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:08:12 ID:NF3FqIsx0
323 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:08:12 ID:3EQUDy8u0
>>313 邪馬台国と大和朝廷が関係ないからといって、
大和朝廷の万世一系は途絶えないよ。
邪馬台国を飲み込むほど成長する畿内勢力が別にあったというだけ。
畿内派はこの可能性を認めないのが不思議。
中国の史書を見る限り、複数の勢力があることは自明なのに。
>>287 まったく、勘違い君があとを断たないのは困ったもんだ。
三国志は魏王朝が編纂したものじゃないぜ。西晋で三国統一後に陳寿が私撰したものだ。すでに敵対国はなく、誇示する必要もないんだよ。
325 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:09:24 ID:IYb9hM0j0 BE:2555752695-2BP(0)
資料と発掘調査、人間社会の政治・経済の常識を
総合して考えれば不自然な点はどこにもないよな。
トンでも歴史説を言う者は後者の知識が不足していると思う。
326 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:10:02 ID:NF3FqIsx0
>>323 例えば
江戸幕府=邪馬台国
薩摩藩=狗奴国
といった感じで書いててもそれほど変ではないぞw
327 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:10:25 ID:fO8ms4gu0
妄想前提に話をするのは良くないな。
判明してる事実は少ないんだから
せっせと発掘すべきだね。
特に古墳とか古墳とか・・・宮内庁わかってる?
328 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:10:51 ID:7BiH4yMZO
329 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:11:15 ID:3EQUDy8u0
>>318 同じ国内の内紛や改革が、
なぜ「別の国同士の争い」として書かれるんだよ。
それぞれ別の国号を称したならともかく、無理がありすぎ。
>>321 意味がわからん。
「別の国」が出てくる根拠にならんだろ。
「日本の使者」が「倭国とは別の国」と
証言する以外にどんな可能性があるというんだ?
「別の国」の存在を否定する人は、
具体的にどういう経緯を想像してんだ?
>>316 日本国者が「倭国とは別種だ」と宣言したなら、
可能性があるのは白村江で負けたからだろう。
倭国と言えば何言われるかわからんってなんでw
日本と国号を変えたのも、大王が天皇となったのも
白村江の敗戦で過去を断ち切る意味があったと思うけどね。
331 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:11:54 ID:2+j5MJ/40
>>307 記紀は基本的に捏造の嵐でしょう。
しかし、単なる捏造じゃなくて、意図がある捏造。
しかも、用心深く、史書としての価値を失わないように注意を払っている。
自らの正当性を確定させ、そのことを後世まで伝えようとしている意図がありありとうかがえるよね。
マジで、未曾有の大事業。
都作ったりするよりはるかに大事業だと思う。
その記紀を読み取るときに重要な事は、自分に不都合な事は書かないということ。
でも、外国の書物には不都合な事かかれても仕方が無いし、焚書も出来ない。
書いていなかったことには出来ないわけだし、後世の人々もそれは読むわけだ。
で、スルーしながらも神話なんかに紛れ込ませて、何とか取り込む。
確定させないように・・・きわめて慎重に匂わせる。
相当工夫されていると思うよ。
332 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:12:46 ID:n8EvhbXZ0
この速さなら言える
学園前=芦屋>>>>>>>>>>>>>田園調布
333 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:13:10 ID:NF3FqIsx0
>>331 >記紀は基本的に捏造の嵐でしょう
駄目だコイツ。早く何とかしないと・・・。
334 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:13:34 ID:tyXNCzhG0
東北にだって人は住んでたんだから
そっちの発掘もすればいいのに
335 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:13:44 ID:K18C0mS6O
>>326 んじゃ伊都国が、島津進攻後の琉球みたいなポジション?
なるほどね
336 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:14:17 ID:3EQUDy8u0
>>322 「九州王朝」と言う言葉で批判する人は、
九州勢力が畿内の大和政権以上の力でで、
日本全体を統括する王朝だと誤解してないか?
だから、日本全体の支配権を想定するような
「王朝」という言葉には否定的だよ。
畿内と同程度の実力を持つような「王朝」かどうかはともかく、
別の勢力であったことは否定できんだろ。
中国の史書を読む限りそれが自然だ。
337 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:14:44 ID:NF3FqIsx0
>>335 いや、伊都国は長崎兼(対朝鮮外交を任されていた)対馬藩みたいなポジションかな。
>>329 或曰、或云と続いてるんだから筆者が断定してないのがわかるだろ。
日本国者が人によって、別種と言ったり、倭国から名前を変えたといったり、
小国だった日本が倭国を併合したといったりな。
これまでなかった「日本」という国から使者が来て
唐も何者なのかわからんから、いろいろ疑ってるんだよ。
339 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:15:14 ID:xJzJeBmD0
記紀は捏造だらけっていっても、外交関係はわりと正確じゃない?
七枝刀もらったこととか。
340 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:15:48 ID:flhYGleDO
漏れの地元やねん
341 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:16:29 ID:NF3FqIsx0
>>339 俺の考えではそれほど捏造は入ってないと思うけどな。
多少は改変した形跡もあるが、あまり露骨なことはやってない(やれてない)
342 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:17:36 ID:3EQUDy8u0
>>330 おいおい、戦争に負けたから、
「負けた国とは別の国です」と言い張るというのか?
そんな不自然なことを本気で信じられるか?
「国号を変えた」というならともかく、
「別の国です」と言うのは有りえないだろ。
343 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:18:39 ID:O64j2ZF2O
長い歴史を熟考したら九州なんて有り得ない
九州説を言ってる人は馬鹿の一言で済ませれる
344 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:19:00 ID:NF3FqIsx0
>>342 「あれは前政権が勝手にやった事だ。俺達は新国家だから関係ないね」
と言い張るのはアリだろ。
某半島国家(チョンではない)が実際にやってるしなw
>>336 自然でもないと思うが。
九州だとも書かれてないし、都がある邪馬台国まで水行十日陸行一月かかるし。
346 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:19:15 ID:7BiH4yMZO
>>333 いや、かなり捏造入ってる説が根強い
だって記と紀、風土記と記述が違ったりする箇所が多い。
自分が読んだ説じゃ
藤原氏が不当に退けた出雲系豪族の正当性を意図的に隠す為じゃなかったか?
って説。
史書は当時の権力者の都合の良いように書き換えられるってのは宿命だしね
347 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:19:42 ID:TyTfUj80O
伊都から奈良までのルートは解明されてんの?やはり瀬戸内海ルート?
348 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:20:25 ID:3EQUDy8u0
>>338 唐が使者を疑うのはいい。
それで聴き取り調査等をしたとして、同じ国での出来事だとしたら、
なぜ「別種の国の存在」や「他国間の併合の話」に飛躍するんだ。
同じ国のことなら、どこをどう調べたらそうなるんだよ。
無理がありすぎだろ…。
壬申の乱のことだと言い張る人は、
この経緯について具体的にどういう想定をしてるの?
>>342 ありえると思うよ。
白村江で敗戦して、国内では壬申の乱で天武が勝って、国号を変えて国を一新した。
「過去の倭国とは違いますよ」という表現が、別種という書き方になった可能性はあると思うがな。
>>347 クナ国吉備説としては、日本海√を推薦したい。
351 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:22:53 ID:3EQUDy8u0
>>342 同一国内における「前政権」と、
「別の国」では全然違うぞ。
併合しただの、別の国だの、新国家だの、
そんな主張をする根拠はないだろ。
>>348 倭国から日本に国号を変えた理由を聞いて回ったら
日本の使者が、人によって別々のことを言ったからだろ。
だから「あるいはいわく」であり「あるいはいう」なの。
文章が読めれば簡単な話。
353 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:24:08 ID:xJzJeBmD0
>>346 >藤原氏が不当に退けた出雲系豪族の正当性を意図的に隠す為じゃなかったか?
面白い説だけど、矛盾を抱えてない?
ようするに、藤原氏が出雲系氏族の歴史を記紀で黙殺したってことでしょ?
元来は、出雲系氏族が、王家に近い存在だったと。
でも、藤原氏は大友皇子についていた。つまり天孫側だよね。
そうなると、天武は出雲系となる。
天武が編纂を命じた日本書紀で、出雲系氏族を下位に書かせるとは思えないが?
詳しい解説を求める。
354 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:24:30 ID:IYb9hM0j0 BE:567945252-2BP(0)
>>327 古墳の被葬者の発掘はそれ程重要なことじゃないと思うね。
そんなことをしなくても大まかな輪郭は判明するからね。
355 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:25:05 ID:3EQUDy8u0
>>343 中国の史書にそう書いてあるんだから仕方ないだろ。
別に九州が日本全体を支配していたとか言ってるわけじゃないんだぞ。
大和朝廷が全国を統一する前に、
九州の比較的に小勢力が中国と交流していた。
史書を自然に読めば、そう書いてあるのに、
これを否定する根拠がないじゃないか。
畿内説の人はなぜ根拠も挙げずにそれを全否定するんだ?
356 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:25:30 ID:fO8ms4gu0
「たら」「れば」で始まるお説は学説ではありません。
単なる妄想。
>>351 別の国と言っておかないと、賠償請求されたらたまらんだろw
第二次大戦でドイツが負けても賠償しない理由や、
イタリアが戦勝国になってる理由と同じようなもんだw
358 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:26:21 ID:NF3FqIsx0
>>348 壬申の乱終結後、天武朝は天皇号の制定など改革に乗り出す。
その過程で蔑称である倭・地域名に過ぎない大和を廃して日本を号するように決っする。
対外交渉において日本を自称するが、倭や大和から日本に変更した理由を当然説明しなければならない。
そこで、白村江で敗戦した前政権との関係を否定し、更に自国をより強大に見せる目的で
「日本は倭と別種。倭や大和を含むより広大な領域を統治している」と中国・朝鮮側に通告した。
一方国内的には、政権の正当性を主張する意味で、天武は天智の弟であると称し
対外・対内的な矛盾が生じた
あくまでも推測だがね
359 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:26:44 ID:n8EvhbXZ0
∩_∩ ズズズ
(*・ω・)〜♪
⊃C■
>>350 出雲と邪馬台国どっちが大きかったの?
360 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:28:00 ID:3EQUDy8u0
>>345 「別種」、「併合」の話はまず明記されている。
邪馬台国については、総距離12000里のうち、北九州までで10500里だぞ。
畿内には絶対に届かない。
日程・時間については、総日程かもしれないし、
1500里を進むのに、それだけかかったのかもしれない。
その解釈は不明だとしても、
具体的数字として、総距離と途中までの距離が
書いてある以上、それを動かしようがないだろ。
>>355 >大和朝廷が全国を統一する前に、
>九州の比較的に小勢力が中国と交流していた。
>史書を自然に読めば、そう書いてあるのに
こんなこと書いてないけど?
362 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:29:59 ID:Mjduhjsk0
なにこれ?市長が勝手に宣言したのか?絶対に許せん。
訴訟できるかどうか弁護士に相談してみる。
363 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:30:09 ID:TyTfUj80O
畿内説は、大和=邪馬台
九州説は、畿内=大和、九州=邪馬台
九州説は、大和=邪馬台の、関係を崩さないと厳しいわけだ
364 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:31:23 ID:2+j5MJ/40
古代史の話になると、記紀の記述を史実のように考え、それにあわせようとするやからが出てくるんだよね。
万世一系の、天皇教の人たちなのかな・・・
はあ・・・
365 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:31:30 ID:0dfgcMEL0
>>360 旅程は水増しのうえ意図的に濁してるしな。
「オレ、がんばりました!」的な修飾過多な報告書を書きたがるサラリーマンはどこの世界にもいる
366 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:32:05 ID:3EQUDy8u0
>>352 >日本の使者が、人によって別々のことを言ったからだろ。
日本の使者が、「別の国です」とか、「併合しました」と
言ったのなら、そう言うだけの事実があったってことだろ。
つまり、複数の勢力が存在した証拠だろ。
3世紀から九州まで一つだったというのが畿内説だろ?
明らかに君が言う使者の証言は畿内説と矛盾しているじゃないか。
367 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:33:51 ID:U165KyE10
邪馬台国は、九州の宮崎だよ。
邪馬台国は強大な国じゃないよ、関門海峡(伊都国)、壱岐、対馬、
朝鮮半島南部を抑えていたから、畿内その他に強力な国が有っても
大陸との通行を妨害することが出来ただけ。神武東征の出発地だし
記紀とも一致してるでしょ。
368 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:34:17 ID:K18C0mS6O
>>347 瀬戸内海ルートしかないんじゃね?
しかしそうなると海進期の当時で奈良まで陸行1ヶ月はあまりに長すぎ
遥か手前の途中で上陸して陸行?
瀬戸内海という航行に適した水路が直近まで延びてるから、それも不自然すぎ
>>366 だから倭国人が、中国に対して倭国から日本に国号を変えたことを
どうとらえてたかだろ。
ちなみに倭も日本も、当時の日本の読み方は「ヤマト」な。
370 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:34:58 ID:lp26FQtrO
とんこつ涙目www
371 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:35:18 ID:TyTfUj80O
>>360 1里は何キロ?現代でも距離はあってる?10500里が正しい距離なら、九州ってことになるよね
372 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:36:14 ID:3EQUDy8u0
>>358 それでは結局、既定の結論がまずあって、
それに合わせた事実を史料も無しに作り出す推測になってないか?
史料から事実や結論を導き出すのではなく、
既定の結論から事実を作り出し、史料に合わせている。
この姿勢はおかしいと思わないか?
よい子のみんな!
東アジア史に置いて『広開土王碑文』は非常に重要な資料。
テストに出るよw
>>336 >>355 中国の史書の正確性についてはどうなの?
断定的だし検証の結果なんだよね?
倭人伝の話出るたびにこの質問してるんだけど答かえってきたことが無いんだが
375 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:39:50 ID:3EQUDy8u0
>>366 >倭国人が、中国に対して倭国から日本に国号を変えたことをどうとらえてたかだろ。
当時の倭国人は国号を変えたことを、
別種の国があった、併合したという事実を合わせて証言してるってことだぞ。
倭や日本の称号についても、
多勢力間があった事実が書かれているじゃないか。
>>360 同書の他の国までの距離の記述はどうなの?
377 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:41:34 ID:xJzJeBmD0
>>374 唐・隋の時代は、日本からも学者が中国にいって歴史をすり合わせてたはずだよね。
双方の見解が違えば「倭人はおかしなことを言う」と注釈される。
双方の見解が同じなら、中国の史書に書いてあることは、日本でも認知されてるということ。
で、隋書には、邪馬台国は大和だと書いてあるのだから、邪馬台国は大和なんだよ。
378 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:42:45 ID:TyTfUj80O
379 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:44:10 ID:niI88FdoO
>>355 考古学的証明がないから
吉野ヶ里以外まともな大規模集落跡もなく
古墳も巨大と言えるものは年代が古すぎる
出雲>>>>>越えられない壁>>>>>九州だしな
師升で我慢しとけ
380 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:44:17 ID:Wl2cEj2TP
陸行1月ってのは、30日でいいのか?
>>375 小国を併合したなんてこと、日本の国内史料にはどこにも書いてないだろ。
倭国と日本だと、中国側から見たら「ワ」と「リーベン」で違うけど
日本側の読み方では漢字を変えただけで、どちらも「ヤマト」なんだよ。
「日本、これヤマトと読む。以降、みんなこれにならえ」と日本書紀に書いてある。
つまり日本側からしたら一つの国であって、中国側からみたら二つに見える。
それだけのこと。
よし突撃だ
くそ卑しいバカに日本人からの鉄槌をw
383 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:47:22 ID:48lvDEfG0
吉備(hada-秦)では紀元8年の前漢クーデター政権の「王蒙の貸せん」
(当時の国際通貨)も国内で唯一大量に発掘されている。2世紀以前の弥生
最大の楯築(たてつき)遺跡(祭祀墳墓。農耕天文観測?)の木管からは、
大量の祭祀用の水銀(朱)痕も見つかっている。つまり、神武や応神天皇
が歴史に登場する以前から、当地には華人らとの交易や大陸からの入植都市
が存在している。なぜか日本史はこの事実に触れたがらない。
*2世紀国内最大の吉備楯築遺跡の中核、通称「亀石」。中東ペルシャ風
の縄模様の「弧帯文」模様は、その後の大和朝廷の皇室文化を象徴とする
デザインとして、吉備特殊器台、埴輪、天皇祭祀コスチュームとして継承
されていく重要なキーワードでもある。
写真左に有名なレリーフ(獅子、人面紋章?)がみえる。古代日本では
珍しい双円墳遺跡だが、初期の前方後円墳のプロトタイプという説もある。
>>372 >それでは結局、既定の結論がまずあって、
>それに合わせた事実を史料も無しに作り出す推測になってないか?
それはお前自身だろ
で、九州のどこにあったの?
385 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:47:34 ID:IYb9hM0j0 BE:1135890645-2BP(0)
>>367 じゃあ邪馬台国の跡地の遺跡はどこにあるのよ?
政治の中心地だけど、政務は掘建て小屋でとっていたなんて言わないでよ。
はい、論破。
色々記述されていた文書を焼いてしまった蘇我氏が一番悪いでオッケー?
387 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:48:50 ID:NF3FqIsx0
>>372 日本書紀の改ざん一つで
九州にあった国家を一つ歴史から抹消できる
と考えるよりはおかしくないと思うよw
388 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:49:38 ID:48lvDEfG0
266年に卑弥呼後継の台与が晋に使い、その後、邪馬台国畿内説最大の
根拠である マキムク・箸墓古墳に吉備の第三期の特殊器台(後の埴輪)
が登場し、出雲やほかの土器、古墳様式が合流していく。
大和朝廷以前の三輪王朝、大物主の尊と縁の深い倭迹迹日百襲姫
(やまと・ととひ・ももそ・ひめ)は、箸墓古墳の主で崇神の叔母、
吉備津彦命の姉にあたる。ちなみに、吉備の浦間茶臼山古墳は箸墓古墳
の二分の一の相似形といわれ、長さも幅も二分の一である。
389 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:51:56 ID:H9TOYmSX0
>>349 あんた、昨夜から倭国と日本は別だって言ってる人だねw
390 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:51:58 ID:0dfgcMEL0
>>380 あやしいもんだな。水行十日って時点で水増し決定だよ。
ほんとに記述通りなら邪馬台国はパプアニューギニアあたりじゃねえか?w
>>389 ちがうよ。
そんなこと言わないし思わない。
過去レス読めば判ると思う。
392 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:54:57 ID:U165KyE10
>>385 遺跡が見つかるのは大抵の場合、公共工事で見つかるんだよ。
宮崎県は公共工事が足りないんだよ。
393 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:58:28 ID:xJzJeBmD0
>>388 三輪王朝と聞いて疑問があるんだけど、
マキムクが開発される前は、人気の無い野原だったわけだよね?
卑弥呼の時代に、同時に大物主信仰も生まれたのだろうか?
記紀には、モモソヒメが大物主を祭ったことになっているが、
アマテラスを祖神としてる皇室=大和王権のイメージとはちょっと違う。
弥生時代を通じて三輪山信仰があり、卑弥呼共立で三輪山信仰が廃れたというならわかる。
実際はその逆というのは、どういうことだろう?
マキムクに全国から人が集まり、アマテラスの祭りを盛んにさせるべきなのに、
それ以上の規模で大物主を祭るというのはよくわからない。
394 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 17:58:51 ID:48lvDEfG0
物証から考古学的にいえることは、楯築、箸墓古墳以降、5世紀初頭の国内最大の
「造山古墳」は吉備で建造され、その墓石は阿蘇産出である事実。 建造に推定20年、
延べ150万人を要し、その後の応神稜、仁徳稜の巨大化の先鞭となる国内4位、
非皇室墳墓では最大の古墳が大和でも北九州でもなく、吉備に存在している事実である。
つまり、紀元400年当時、瀬戸内だけでなく日本列島から朝鮮半島南部の支配地
にいたる大和連合朝廷の本拠地、つまり首都機能は、依然として吉備におかれていた
のではないか、という単純な結論だ。
http://luna555.blog19.fc2.com/blog-entry-15.html 交易、遺跡、軍事的見地から、瀬戸内海、半島南部を押さえていた吉備が
大和朝廷連合の中核であったことは否定できない。そこから邪馬台国を考証すべき。
395 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:00:00 ID:2+j5MJ/40
俺の考えを簡単に書けばこんな感じ。
邪馬台国以前は小さな国が乱立。
その中から九州で生まれた邪馬台国が強大になり、九州、近畿までの広い地域に影響力を及ぼす。
その後、邪馬台国の支配下にあった出雲出身のいくつかの豪族集団が近畿で邪馬台国に反旗を翻す。
豪族集団が邪馬台国から王権を簒奪し、近畿中心の王権を樹立。
初期は豪族集団による連合国家的体制だったが、その豪族集団内のある一族が権力を伸ばし一族支配となる。
九州に残る旧邪馬台国派の国や、反主流豪族派の国を主流派豪族が征伐。(熊襲征伐)
その後、磐井の乱で、九州平定完了。
関東にも勢力を伸ばす。
日本全土を治めるまでに強大となった王権は正史を編纂。
自らの正当性を神代の代までさかのぼり証明しようとする。
396 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:00:03 ID:TyTfUj80O
この手の話題には全く参加できんが、お前らが楽しそうで何よりだ。
398 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:02:29 ID:K18C0mS6O
>>378 う〜ん・・・学生時代の話だが、比較的平坦な未整地(獣道程度のルートあり)でせいぜい30kmくらい
だった記憶がある
300〜500m程度の尾根が連なるような地域だと1日かけてやっと8kmだったわ
実際にゃ途中で休息や食料調達も必要になるから、いいとこ1日あたり20km弱くらいかと
399 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:02:35 ID:NF3FqIsx0
>>393 アマテラスは持統天皇の時代、7世紀の末頃に出てきたんじゃね?
歴史が新しい神というかね
400 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:03:11 ID:e0e7LiYe0
対象スレ:【奈良】 「ようこそ邪馬台国、卑弥呼の国へ」 桜井市長、纒向遺跡で挨拶 物産ブースで「卑弥呼」「邪馬台国」Tシャツを販売
キーワード:ハニワ幻人
抽出レス数:4
401 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:04:17 ID:0dfgcMEL0
>>396 おそらく東九州道宮崎線のあたりがあやしい。
すぐに工事を再開すべきだと思う。
402 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:04:34 ID:jgXtQQlgO
>>395 オナニーお疲れ様でした
まあ、推測に推測を重ねた説なんて頼りがい0だよね
403 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:04:51 ID:xJzJeBmD0
>>399 アマテラスが7世紀の創作という考え方はあると思う。
すると、古墳時代は、ずっと大国主信仰が倭国の宗教だったことになる。
どうだろうね?
まったく常識からズレた考えだと思うが。
404 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:07:46 ID:xJzJeBmD0
>>403の件で、
>>356の疑問を
>>346氏になげてみたんだが、まだレスは無いんだね。
詳しい本とかあると、教えてもらえると良かったんだけど。
405 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:10:20 ID:xJzJeBmD0
406 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:10:43 ID:pTBc+AoU0
考古学とかマジでいらんから燃料電池の開発研究でもしてろ馬鹿
407 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:12:12 ID:mSeoMDwJO
奈良が邪馬台国って気が早くね?
408 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:12:15 ID:H9TOYmSX0
>>403 創作というか皇室とは関係ない神かもしれん。
というのは、皇室内に祭ってあった天照が天皇に祟るので
天照を皇室外の土地に祭るためにヤマト姫が鎮座する場所を探して
結局、伊勢の地に鎮座させたんでしょ。
>すると、古墳時代は、ずっと大国主信仰が倭国の宗教だったことになる。
そもそも三輪山の神は大物主だし、大物主も嵩神天皇に祟っている。
大物主は蛇神だから海洋民族の神。なんで 嵩神天皇が大物主を祭るのかわからん。
というこで、貴殿の論は正しいんじゃないの?
409 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:13:43 ID:PhppCsmN0
>>390 太平洋の海流に乗れば一ヶ月で南米に到達するそうですよ。
410 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:14:00 ID:SPS8gShrO
行政がAV女優のグッズ売るなんて世もまつだな
411 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:15:33 ID:xJzJeBmD0
>>408 正しいかどうかともかく、歴史は素人が思うほど単純じゃないと思うよ。
記紀を読み返してみると、古墳時代はアマテラスが出てこないんだよね?
ちょっと不思議に思ってたんだよ。
もし、アマテラスが天武朝の創作なら、神話主体の歴史観はガラガラと崩れ去るだろう。
新唐書』日本伝
そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する
彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。
次は綏靖、次は安寧、次は懿コ、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、
次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という。
だって。筑紫城ってどこなんだろうな?
413 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:19:34 ID:Wl2cEj2TP
アマテラスの系図が持統天皇の系図に似てるとか言ってた奴がいたな
414 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:20:33 ID:niI88FdoO
>>383 吉備と初期大和政権がイコールなのは
記紀にもある有名なはなしだろ
415 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:23:10 ID:48lvDEfG0
>>393 三輪王朝は大物主=物部(吉備と同盟した出雲)
吉備にも中核の現総社市に三輪という地名があり、祭祀の巫女たちが、大和に
いったという伝承がある。(進軍したのか連行されたのかは不明)
2世紀最大の楯築遺跡=吉備タテツキ男王一族=出雲・大和派遣軍が大物主?
3世紀最大 箸墓古墳=吉備最後の女王モモソヒメ?
5世紀初頭最大の造山古墳=吉備ハダ(葉田、秦)に里帰りした応神天皇?
卑弥呼については、よくわからんが、朱(水銀)が好きだという晋ちんじゅの
報告が正しいなら、国内最大の朱(3キロ相当)は、タテツキ遺跡ででてる。
416 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:23:16 ID:NF3FqIsx0
>>413 俺の大学の教授がそんな事言ってたw
持統が自分の孫を天皇にする為に、
アマテラスのコスプレまでしてたとか何とかw
417 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:24:57 ID:niI88FdoO
>>393 皇室の祖神は天照ではなく高木神だから
神武が一番最初に祀っただろ
オレ卑弥呼だけど何か質問ある?
419 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:28:29 ID:3EQUDy8u0
>>363 併合の事実や、改称の事実が、
ちゃんと中国の史書に記されているよ。
中国との関係を有利にする名前を継承した根拠になるだろ。
420 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:28:50 ID:niI88FdoO
中国の歴史書が正しいとはかぎらないじゃん
おもしろいから女が治めていたことにしようと適当に書いたのかもしれん
日本書紀とかもくだらないね
ただ自分の先祖が正当であるように都合よく書いただけ
天皇=日本の歴史じゃないんだよ
423 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:31:13 ID:xJzJeBmD0
>>417 うん、そうなんだよ。まったくその通り。
神武は、アマテラスじゃなくて、高木神を祖神にしてたんじゃないかと思う。
神武が入植した橿原で祭られてる神は、タカミムスビなんだよね。(高市御縣神社/橿原市)
424 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:31:25 ID:niI88FdoO
>>419 何を言っても九州説は妄想の域をでない
大和説は登場人物も遺跡も比定できるが
九州説は何もないから
425 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:32:21 ID:3EQUDy8u0
>>381 >小国を併合したなんてこと、日本の国内史料にはどこにも書いてないだろ。
小国を征伐・併合せずに、
大和朝廷はどうやって勢力圏を広げるんだよ。
征伐の話は日本の史書にいくらでも書いてあるだろ。
>つまり日本側からしたら一つの国であって、
>中国側からみたら二つに見える。
中国史書にも、ちゃんと「同じ国が名前を変えた」と書いてあるぞ。
それと別に、「別の国」や「併合」の話が出て来るんだよ。
426 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:34:48 ID:48lvDEfG0
>>14 >大陸から最初に人間が渡った土地は「中国地方」だと思う
よくわかります。
吉備には、唯一紀元8年の王蒙の貸せんが大量に出ます。
遅くとも、秦氏は380年代に入植しました。
>新連合朝廷の応神天皇は将軍葛城襲津彦を半島に遠征させ、新羅から南部に
集結していた、五胡十六国の混乱期で中華大陸から追われた前秦政権系亡命団
(秦[羌族]、チベット・トルコ系鮮卑、河西諸政権)後に始皇帝15世を自称
する弓月王らテクノクラート系の秦氏移民団をまねき、「市場導入」という殖産
や「権力の長期維持化」を可能にする古墳の巨大化などの都市土木、知識集約と
行政執行、人民や資産、宗教的言霊の所有化を示した「文字・漢字」普及をさせる。
427 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:36:25 ID:pw6tqJIJO
遺跡がこれだけでるとねえ…畿内で決まりだと思うが
飛鳥時代とのながれもいいし、この頃に500キロ政治の中心が移動するのは大変だろ
飛鳥、奈良、平安と600年かけても近畿から中心は移らなかったわけだし
428 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:37:04 ID:6EOQMRyaO
何か外国に使ったトリックが自家中毒を起こしてる
そんな気がする
429 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:38:19 ID:3EQUDy8u0
>>387 痕跡として征伐の話はいくらでもある。
抹消なんてされてないじゃないか。
大和朝廷が征伐した国と中国との外交権の存在を
史書に書かないのは不思議じゃないだろ?
日本を統治する正当性にもかかわることだ。
そもそも、畿内説は大和朝廷は、
「邪馬台国」や「倭の五王」について、
「中国との交流の記録は残さない」と言ってるんだぞ。
自国についてさえそうなのに、
中国と交流していた他国の存在の詳細を全て残せるわけがない。
よし、じゃぁ信憑性が疑わしい中国の歴史書から離れて考えてみようぜ。
北部九州は弥生時代に栄えて、古墳時代にはいると廃れた。
逆に近畿では古墳時代にはいると古墳が作られはじめ、やがて日本の中心になった。
これが考古学の観点から見た大雑把な歴史像だ。
さて、ここで、邪馬台国はどっちにあったんだろう。
431 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:39:46 ID:H9TOYmSX0
432 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:41:16 ID:3EQUDy8u0
>>422 >何を言っても九州説は妄想の域をでない
おいおい・・・、中国の史書を根拠にしてるじゃないか。
>大和説は登場人物も遺跡も比定できるが
>九州説は何もないから
史書を残さなかった勢力について比定できるわけがない。
君の中では、中国の史書に明記されていても、
史書を残さなかった国家は存在しないことになるのか?
433 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:42:03 ID:niI88FdoO
>>432 その本の正確さの研究纏めた本や結果教えてくれ
435 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:42:47 ID:H9TOYmSX0
>>430 >さて、ここで、邪馬台国はどっちにあったんだろう。
奈良の桜井市のマキムクにあった。
>>430 >よし、じゃぁ信憑性が疑わしい中国の歴史書から離れて考えてみようぜ。
邪馬台国の存在が消滅する。
>北部九州は弥生時代に栄えて、古墳時代にはいると廃れた。
どこまで廃れたら、そこは大和朝廷に支配されていたことになるんだ?
別に統一国家日本の範囲が当時から規定されているわけでもないのに、
小勢力として外交権を持つことは何の不思議でもないぞ。
437 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:45:51 ID:UVgGWwvPO
桜井市長 の検索結果 約 8,520 件中 1 - 10 件目 (0.11 秒)
ヒント: [検索] ボタンをクリックする代わりに [Enter] または [Return] キーを押しても検索を実行できます。
他のキーワード: 美唄 桜井市長
検索結果
美唄市・桜井市長、芸人の息子のためにパンツ姿で舞台に登場 - 街の灯
2008年12月15日 ... 北海道美唄市の桜井道夫市長(59)が、長男が組むお笑いコンビ「西麻布ヒルズ」のラ.
matinoakari.net/news/item_68762.html - キャッシュ月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ:「パンツ事件」美唄・桜井市長は ...
2008年12月14日 ... 既にマスコミ各社が報じているが、過日、美唄市の桜井道夫市長がお笑い芸人の長男のため、お笑いライブでパンツにネクタイ姿で出演したことが問題になっている。12月12日の同市議会一般質問で「倫理観を問う」と市議に指摘された桜井市長 ...
hoppojournal.kitaguni.tv/e769975.html - キャッシュ - 類似ページ
苫小牧市長ははめられた? - 切られお富!
2008年1月20日 ... 桜井市長は18日、「そう受け止められても仕方のない事実はあった。今後、弁護士と相談して対応する。 ... 桜井市長は室蘭市出身。03年4月の苫小牧市長選に自民推薦で立候補し初当選した。04年3月には助役の選任や公約撤回を巡っ ...
blog.goo.ne.jp/.../311b29426f7500ac71b5c1d5ffa09f4a - キャッシュ - 類似ページ
439 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:46:24 ID:QuT5X3iY0
とりあえず新しい証拠出るまで
九州説を封印した方がいいんじゃね?
440 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:46:45 ID:3EQUDy8u0
>>434 古事記日本書紀同様に、
正確な部分もあれば、正確でない部分もあるだろ。
だが、それらを否定するなら、
否定する側が具体的な部分をあげて、
新事実を出すしかないんじゃないか?
反論の為の事実は、何も挙げられていないじゃないか。
挙げられたら、それを検証すればいいだけのことだ。
紀元240年ごろに畿内から朝貢ね・・・
現実的には厳しいと思うんだが。
>>414 記紀は歴史を辿る資料としては信用度がね
正直、あんまり使えないとおもうわ。
442 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:48:53 ID:niI88FdoO
>>432 中国の史書は邪馬台国は大和であると言ってますがw
443 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:48:54 ID:3EQUDy8u0
>>439 逆だろ?
中国の史書に明記された畿内以外の他国の存在は、
それを覆す史料が出るまで、有効と考えるべきだろ。
444 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:51:00 ID:qt27WPC/O
>>430 その文さ、誤解を生むと思うんだ。
「邪馬台国は弥生、だから邪馬台国は当時栄えていた九州」ってさ。
古墳時代の始まりは、のちに全国に広がる埋葬祭祀(畿内の前方後円墳にみられるもの)の出現
なわけでしょ?
古墳時代の始まりを告げるの畿内の墳墓群の中に卑弥呼の墓があるかもっ
てことは一応強調しておかないと。
445 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:51:27 ID:niI88FdoO
>>441 巻向遺跡郡は記紀の記述とおりに存在していたわけだが
446 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:52:34 ID:z8cx95SK0
だから「邪馬台国」は「やまとこく」って呼ぶんだよ
中国が変な当て字を当てたから混乱してるわけで
本来
邪馬台国→大和国
卑弥呼→姫巫女
だろあきらかに
大和国は奈良の旧国名だから
文字だけで近畿にあったとわかる
九州説を唱えてるのは知的障害者
447 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:53:09 ID:3EQUDy8u0
>>442 倭・日本の名前の改称や、
倭・日本について、多国間の併合の事実が
中国の史書に書かれているよ。
倭=邪馬台国を、元小国が併せ、日本=ヤマトと名乗った可能性や、
小国が成長して日本を名乗り、倭=邪馬台国を併せた可能性が読み取れるだろ。
中国からすれば、倭の地域の国家継承になり、
邪馬台国=日本=大和朝廷になるだろ。
448 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:55:24 ID:TyTfUj80O
>>446 やまと?各地にやまとと言う地名があるから説得力にかけるんだけど
449 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:55:38 ID:niI88FdoO
>>447 それが妄想だって言ってんだよw
根拠ないじゃんw
古墳,掘ろうぜ.
事業仕分け委員会に,古墳整備の金削らせて,発掘の金はつけさせればいい.
で,事が終わったら,仕分け委員会は不敬罪で処刑,ということで.
451 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:57:43 ID:2/4fpVKTO
452 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:58:05 ID:TyTfUj80O
大和=邪馬台 の関係を九州派が崩せない限り、九州説に勝ち目はないよ
453 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:58:58 ID:QuT5X3iY0
>>443 ほとんどの人が九州説を信用して無い状況で
九州九州言ってもしょうがないじゃん・・・
新しい証拠出たらまた議論すりゃいい
454 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 18:59:24 ID:YcdM2UTz0
普通に考えて九州のような土人の住む蛮地が
いくら古代といっても日本の中心のわけが無い
日本が先進国と呼ばれる現代でも
九州は蛮地なんだからw
歴史論争で地元説が有利になると、必ずこういう軽薄なバカが現れて、
舞い上がって囃し立てる。
オバマが大統領就任したときの小浜市のようなもの。
小・中学校のクラスに必ず1人はいた、目立ちたがり屋で落ち着きのない
迷惑千万なアフォを思い出す。
無能でお調子者のクズが空気を読めずに一人で浮かれているを見ていると、
無性に腹が立つ。
中国から船で来たならまず九州に降り立つのが普通。
457 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:01:19 ID:UVgGWwvPO
458 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:01:51 ID:H9TOYmSX0
>>441 >紀元240年ごろに畿内から朝貢ね・・・
河川は今とは異なるからね。
河川を使って行けるじゃん。
459 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:01:59 ID:TyTfUj80O
ほとんどの国民が、九州説でしょう、考古学者のほとんどが畿内説なわけで
460 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:02:41 ID:tyXNCzhG0
いや、エチゼンクラゲの移動ルートから考えると石川あたりに到着するんじゃないかな?
石川はまだ掘ってないんでしょ?
>>454 当日の中国からみたら日本は全部蛮地だけど
九州説は観光目的にしたいらしいが、実際は奈良が観光資源ほしかったんだな。
別にいいよ 金印なんて観光客数百人だろどうせ。奈良には古墳がお似合いw
>>447 所詮、中国の史料からのアプローチで史実を読み解こうなんてのは限界があるよ。
東夷とは真逆のインド〜中央アジア史かじったことあるけど、
西域伝にしたって当地で発見された史料と全然辻褄合わないし
せいぜい参考程度の扱いだよ。
464 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:04:09 ID:H9TOYmSX0
465 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:04:55 ID:YRXpedrZ0
>>456 九州だったら魏の使者も容易にたどり着けるだろうに実際使者が
卑弥呼どころか邪馬台国にすら入国してない事実を見れば九州では無いわな。
奈良説が認められない奴って関西が嫌いなだけだろ
>>440 あのな、最初に正しいと主張する段階でどのくらい正確かの検討しなくてどうするのさ
「資料を手がかりとする」なら当然の作業として正確性の研究なんて行われてるだろ
>文献史学とは、文字として先人達が残した情報である「文献史料」を厳密な史料批判の作業に基づき解釈していく学問です。
それに、既に検討した結果纏めた本ぐらい既にあるだろ
それ読んでみて先人の指摘や考え方を参考にしながら自身の考え進めるのってごく普通のことじゃん
それを教えて欲しいとお願いしてるだけなんだが
468 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:05:56 ID:K18C0mS6O
>>458 だったらなぜ『陸行1月』が出てくるかっつう話よ
469 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:08:43 ID:TyTfUj80O
うーん、九州説は厳しい
470 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:09:37 ID:H9TOYmSX0
>>459 >ほとんどの国民が、九州説でしょう
嘘コケw
一般国民なんて邪馬台国に興味があるわけないだろw
俺の元カノなんてさ「奈良の大仏って京都にあるんだっけ?」って
言ったぐらいなんだぞw
471 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:11:41 ID:aVvidk5J0
結局、九州派は倭の五王の時代まで日本は原始共産制→生産手段の発達により社会が窮乏→
平安まで奴隷制・・・みたいな話したいだけなのよね。九州派は大概あっちの人だと思った方がいい。九州派のレス読めば分かるっしょ?
早い段階で日本の中心に強力な王朝があったらマル歴理論が壊れるってだけ。ようやく不毛な議論が終わりつつあるって感じだなー
472 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:12:08 ID:AurJLks9O
女王・ヒミカ
473 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:12:10 ID:tyXNCzhG0
俺は平泉にあったと思う。北上川の近くだから輸送に便利なんだよね。
それに唐突に平泉なんて田舎が栄えるわけがないから、
平安以前にもともと栄えてた場所だったのだろう。
474 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:13:15 ID:UVgGWwvPO
>>468 何故、畿内からだと厳しいと感じるの?
九州からのが楽という理由は差し置いて
475 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:13:16 ID:u/ENXOZ10
>>446 やまたい国って読んだのは本居宣長で、その理由も「わが国の王朝が中国に
朝貢してたわけがないから大和とは別」というなんの根拠もないもの。
それまで邪馬台国は普通にやまと国、大和だと思われていた。
マンコ箸で刺して死ぬなんて怖いよ・・・
477 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:13:52 ID:TyTfUj80O
>>470 お前が嘘つけ、興味のない人から見れば、邪馬台国は九州つー教育を受けてんだよ
お前みたいな奴がいるから、畿内説は胡散臭いって言われてんだけどな
478 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:14:54 ID:H9TOYmSX0
>>468 九州だったら魏の使者も容易にたどり着けるだろうに
実際使者が卑弥呼どころか邪馬台国にすら入国してない事実を見れば
九州では無いわな。
479 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:17:24 ID:tyXNCzhG0
まあ、あの頃は数の数え方も1、2、3、の次が”沢山”だったからなー
でもそのお陰で数学赤点取らなくて済んだよw
480 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:17:38 ID:rfxugxNeO
>>477 あの、愛知はそんなコトより、南京大虐殺や世界市民についてやってたんスが・・・
481 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:17:45 ID:H9TOYmSX0
>>477 >邪馬台国は九州つー教育を受けてんだよ
そんな話は聞いたことないね。
>>470 その馬鹿女には、奈良の大仏は、いまは鎌倉にあると教えとけ
483 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:18:53 ID:gibGcm+f0
卑弥呼って本当に女だったのか?
ニューハーフだったりしないのか?
こってつくのは昔は男だったんだろう?
近年の考古学的調査からもう大和=邪馬台は揺るがし難いけど、
市長とかがあんま言うとややこしくなりそうな…。
邪馬台国はどこかは断言できないけど、その頃奈良を中心とした国内最大級の勢力がありましたよ、位で良いんじゃない?
485 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:21:02 ID:YRXpedrZ0
邪馬台詩のようなノストラダムスの大予言的なものがが信じられて
当時の人々が恐怖に怯えた時点で中世の人たちは確実に邪馬台国=大和という
認識だったのは間違いない。
486 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:21:33 ID:BFL2ETW20
487 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:21:59 ID:TyTfUj80O
>>481 お前さ、元カノと同類だろうWWW
糞ウケただろうが(笑)
488 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:22:06 ID:K18C0mS6O
>>474 奈良は海からも川からも、陸行1月もかかるほど離れちゃいない
まして当時は海進期で海岸線はさらに内陸だった
日本各地に存在した豪族の中で邪馬台国だけが中国におもねったから記録に残ってるのか?
490 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:22:55 ID:+7Ck2qYs0
テレビや新聞が纒向は卑弥呼の宮殿って報道してたけど
卑弥呼の宮殿とは限らんでしょ。
卑弥呼の後継者かもしれんしさ・・・
491 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:24:26 ID:K18C0mS6O
>>478 九州内陸なら山岳越えだから奈良よか入るのは困難だろ
492 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:25:38 ID:6EOQMRyaO
何かいつもの
統一系カルトと左翼系文化人が入って代理戦争してる予感
493 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:26:02 ID:H9TOYmSX0
あのさ、言っとくけど吉野ヶ里には卑弥呼の巨大銅像が建ってるわけですが、
もし、邪馬台国がマキムクに決定したら、あの銅像はどうなるのですか?
柳本のサークルKの駐車場に移転するんですか?
494 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:26:28 ID:TyTfUj80O
>>490 台与の可能性は大、九州から畿内に都が移るさいに問題が発生、そこで台与の出番ですよ
このくらいの推測も出来ない九州派は糞ですよ
495 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:26:30 ID:UVgGWwvPO
>>488 あ〜ごめん
>>441とごっちゃになってた
畿内から中国に行くのが難しいってことではなく、陸行一月と合わないってことね
それなら意味は分かる
496 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:27:13 ID:YRXpedrZ0
参りました。九州でいいよ。
邪馬台国は諏訪。リニアも諏訪。
異論は認めない。
499 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:29:17 ID:H9TOYmSX0
>>491 内陸部に広大な建物を建設するほどの敷地があるのか?
どこだよ?出土品はあるのかね?古墳は?
必死すぎw
馬鹿じゃないの?
501 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:30:48 ID:K18C0mS6O
>>495 伊都国という窓口がある以上、奈良からだろうが九州山地越えだろうが、朝貢にゃ支障は無いでしょね
問題は使節を女王国に迎える時だわな
○邪馬台国は畿内にあった。
○神武東征は史実である。
この二つを仮定すると、大和朝廷は、邪馬台国を滅ぼした征服王朝と言うことになかねないからな。
そうなると大和朝廷の日本列島の支配者としての正当性に疑義が生じる。
これが、右翼が九州説を支持したがる理由。
503 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:31:41 ID:H9TOYmSX0
>>491 すくなくとも吉野ヶ里遺跡は
そんな山越えをして行く場所じゃないわな。
504 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:32:27 ID:qt27WPC/O
邪馬台国論争はもう飽きたよ
505 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:32:35 ID:TyTfUj80O
姫巫女が卑弥呼なら役職名ですよ、台与が卑弥呼でもおかしくないわけで、卑弥呼の時代に九州、台与の時代に畿内とも考えられるわけですよ
ただ九州派には、大和=邪馬台の説を崩してもらわない事にはなんとも言えません
>>446 俺も小学生のころそう思った。
今も基本そんな感じだけど。
507 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:36:07 ID:K18C0mS6O
>>496 んなわきゃない
下に降りれば有明じゃん
ここも陸行1月は有り得ない
508 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:38:22 ID:UVgGWwvPO
>>507 物理的に合うのはどこよ?
そこに遺跡やそれにつながるものがなければ、『記載が間違い』と考えるのが妥当だろう
>>502 中国への朝貢という話がまずいんだよ。
神武東征で九州の王朝が畿内征服した国が邪馬台国と考えるとしっくりくる。
510 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:40:36 ID:+7Ck2qYs0
>>509 それ
こうであって欲しいって願望に無理やり当てはめてるだけじゃ・・・
511 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:41:16 ID:UVgGWwvPO
>>509 九州の王朝が畿内を制服して遷都して畿内に邪馬台国(大和)を作ったと
まあ、あり得なくもないかな
512 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:42:38 ID:0dfgcMEL0
>>467 (ふつうのやりかた)
一旦全部の記述を正しいと仮定する。
↓
矛盾する部分やあいまいな部分などを取り除いていく。
↓
残ったものをほぼ正しい事実とみなす。
(まちがったやりかた)
一旦すべてを偽と仮定する。
↓
記述のうち正しい箇所を探し出し抽出する。
↓
集まった部分を正しい事実とみなす。
513 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:43:43 ID:0AAZGHWNO
結局は奈良だよ。
関東から九州までの国内全ての土地の土器が唯一マキムクから出土してる訳で、ギシワジンデン?とかに出てくる神殿だけが出て来ていないだけだったんだろ?
断層か木目か知らないが、年代もピタリと合う訳でだね。
唯一無かった神殿までギシワジンデン掲載されているのと同じのが出てきたんだろ?
見苦しい争いは集結だな。
514 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:44:55 ID:0dfgcMEL0
>>508 物理的に合う場所は日本国内にはないよ。
フカシだよフカシ
515 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:45:51 ID:K18C0mS6O
>>508 正にそういう事よ
記載がある程度正しければ奈良も佐賀も無い
どちらかが女王国だとしたら行程の記載が完全にデタラメだと言うこと
もしくはまだ未発見の第三の候補地があるかだね
>>436 よしよし、じゃあ邪馬台国は、大和朝廷の影響を受けない独立国で、
大和朝廷の意向とは関係なしに、外国と交渉を行っていた、
っていうイメージで考えてる?
その程度なら、奴国や伊都国も行っていたんだがなぁ。
そしてそんな国ですら古墳時代にはいると廃れてるんだよな。
てかそもそもなんで邪馬台国ってこんなに人の関心呼んでるの?
邪馬台国が確実に見つかったところで何になるのさ。
517 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:45:54 ID:TyTfUj80O
>>513 だからそうなると、九州が畿内を制圧したとも言えるわけでしょうが
518 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:46:49 ID:xJzJeBmD0
>>517 それはない。
あらゆる伝承が、否定している。
519 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:48:57 ID:H9TOYmSX0
俺は大名古屋の住民だから邪馬台国の所在地が奈良だろうが北九州だろうが
どっちでもよかったのだが、先日のTVで主体思想賛美者であり
売国奴の片山元鳥取県知事が「私は九州派です」と発言したから
俺は邪馬台国は奈良のマキムクにあると確信するに至ったのであった。
520 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:50:13 ID:DmwW+ySP0
大和タイムス国
521 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:52:39 ID:TyTfUj80O
>>518 鉄の出土が、九州より畿内は少ない、制圧したあとに九州に戻ったとも考えられる、て九州派は言いだすよ
523 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:54:55 ID:UVgGWwvPO
>>521 戻ったら後の大和朝廷につながらんだろ?
戻った後の歴史が必要になる
524 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:55:39 ID:0AAZGHWNO
>>517 それだと話が合わ無いだろ?
元々が巨大な和族が全国に4つ合ったんだろ?
巨大な和族が九州に合ったのに、わざわざ都を奈良に移し、作り直すのか?
九州南部を制圧し、中国地方を制圧し、畿内に来るのか?んな馬鹿なw
奈良の旧国名も大和な訳で、その後の歴史もずっと畿内な訳で、わざわざ九州をここまでスルーするか?
天神様が都落ちして、その事を怨みながら死んだんだぞ?
平家は追いつめられてだな…本来、都があった場所をここまで冷遇するか?
地名をよく出すが、逆に九州を制圧した際に付けられたと考えるのが自然だろ?
525 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:56:28 ID:H9TOYmSX0
実際さ、夕暮れの相撲神社あたりの山の辺の道で
奈良盆地を見てみなよ。まさしく、マホロバだよ。
邪馬台国は絶対にここにあったって誰だって思うだろ。
526 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 19:57:51 ID:K18C0mS6O
>>514 山岳越えなら有り得るだろがね
しかし山岳越えで7万戸を当時の農業技術で養える土地ねぇ・・・
527 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:00:06 ID:niI88FdoO
>>473 日高見国な
書紀にも記載のある
豊かな繁栄した大国だったそうだ
ここはそれこそ鯨面の文化がある
528 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:01:48 ID:TyTfUj80O
529 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:02:37 ID:H9TOYmSX0
邪馬台国はヤマト国と読むんだから
九州にあるわけないだろ。
やまと=倭=大和は奈良の古代名。
530 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:04:59 ID:UVgGWwvPO
>>517 大和には九州の痕跡が少なすぎだからね。
532 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:07:27 ID:niI88FdoO
>>502 意味わからん
邪馬台国=大和説は
崇神〜垂仁朝を比定してるから
神武東征はそれ以前だぞ
533 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:08:19 ID:TyTfUj80O
邪馬台国が畿内の奈良とか当たり前すぎて面白くない、どうにか九州派には踏ん張ってもらいたい
534 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:09:37 ID:AH+kjHEt0
>>1 桜井市の名前を邪馬台国に変えちゃいなよ。
全国で知らぬ者がいなくなるぞ。
535 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:10:00 ID:0dfgcMEL0
>>526 山越えでも1ヶ月はないよ。厳冬期に北アルプスを縦走したとかか?
方角を無視すれば記述通りならカムチャツカ上陸して根元あたりになるぞ
魏志に書いてある通りにたどれば、沖縄とかフィリピンとかのあたりなんだろ?
537 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:11:52 ID:+B+L50Fm0
箸墓古墳の現地に行って思うことだが、国道がゆるやかにカーブしながら
すぐ横を通っている。あんなもの卑弥呼の時代にあったとはどうしても思
えない。だから巻向が邪馬台国だなんてことが、実感として信じられない。
現地に実際出向いた者の意見です。
古代のある時期以降日本の政治的中心地がヤマトになったのは確かだろうよ。
それがいつかということだな。
右翼はそれを神武東征と結びつけたがる。
しかし2600年以上前という神武神話と、3世紀前半という卑弥呼の史実は何とも結びつけがたいのだな。
それで右翼は屁理屈を考えるのに四苦八苦することになる。
539 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:14:37 ID:K18C0mS6O
>>535 いや、途中で食料調達や集落で宿泊とかだと時間食うしな
まして装備十分の熟達者が小数精鋭で走破するわけじゃ無いし
人数が多かったりすればさらに時間かかる
江戸時代の大名行列だって薩摩藩は江戸まで一ヶ月がかりだよ
とは言え本音を言うと記述の方を疑ってるけどね
>>512 普通は最初に正しいとも正しくないとも仮定しませんが
書を見つける
↓
他の資料や事実とすり合わせて矛盾する部分やあいまいな部分などを取り除いていく。
↓
残ったものを取りあえず正しいものと仮定する
↓
さらに検討
で、ここまで済ませた研究くらいあるんだよね?
それについて教えて欲しいんだけど
>>521 国境のほうが武器多いのは割と普通な気がするんだけど
541 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:17:14 ID:niI88FdoO
>>538 右翼は昔から九州説だな
神武東征と邪馬台国奈良説は矛盾しないんだけど
542 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:17:22 ID:UVgGWwvPO
>>535 途中で属国や同盟国(今の日本国内の話な)とのやりとりもあるんじゃ?
543 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:21:31 ID:Y+GNVIpa0
九州の王朝が東征して機内に大和国(=邪馬台国)を作ったとすると、
熊襲攻めなんかはどうなるんだろ?
あれは3世紀後半ぐらいだと思ったが、
東征してきたくせに九州すら平定しておらずにまだ他勢力が残ってたのか?
詳しい人の開設求む。
544 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:21:35 ID:Gnea3lO2O
>>1 ジャーン、ジャーン、ジャーン
「神秘の国へようこそ」
545 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:21:39 ID:oclRUOPL0
奈良って韓国並みだなw
こうやって歴史はつくられるのか!?
546 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:23:38 ID:BGQIIGOEO
邪馬台国機内説で決着したんだ
547 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:24:15 ID:0AAZGHWNO
もう奈良で確定したんだし、じたばたもがくなよ…最初から九州説自体が盛り上げ役に作られた訳でだな…。
京から江戸、東京に首都や実質中心が変わってもう300年以上になるが、未だに京都や奈良の扱い方は特別な訳でだな…
人間の心理等を見て、それ等を考えても卑弥呼が仮に九州から畿内を制圧しいたのなら、九州を軽く見すぎだろ?
吉野ヶ里の卑弥呼像は恥ずかしいし、同情するが…国の歴史をお隣りの国みたいに歪曲、捏造する訳にはいかないのよ
548 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:24:29 ID:UVgGWwvPO
549 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:24:32 ID:H9TOYmSX0
>>537 >国道がゆるやかにカーブしながら
>すぐ横を通っている。あんなもの卑弥呼の時代にあったとはどうしても思
>えない。だから巻向が邪馬台国だなんてことが、実感として信じられない。
あのさぁ〜。
3世紀の道がそのまま現存している場所を教えてくれ。
あとから作った道に決まったるだろ。
550 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:26:54 ID:niI88FdoO
>>543 神武は宮崎日向地方の人で
熊襲は熊本、鹿児島側でずっと独立国だった
詳しくは四道将軍、景行〜仲哀紀参照
551 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:27:24 ID:H9TOYmSX0
>>547 >吉野ヶ里の卑弥呼像は恥ずかしいし、
ゆるキャラのつもりなんだろうね。
552 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:28:06 ID:u/ENXOZ10
九州の国を移動してるときは百里とか千里とか書いてるけど投馬国に行くには水行二十日、
邪馬台国は水行十日陸行一月となるのでちまちま書けないほど遠くに行ってることが想像できる。
つまり九州ではない。女王国から東に海を渡って千里のとこに国があるとあるがこれは佐渡の
ことではないか。つまり北陸も邪馬台国の支配下にあった。
そこから東南に行くとまた国があるとあるがこれは越後から東北のことだろう。
服属してない狗奴国とは毛野国でつまりこのころから日本列島全体で交流があったのだろう。
九州あたりでちまちまやっていたのでは断じてない。
553 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:29:58 ID:TyTfUj80O
九州派も黙っているし、奈良で確定だろうが、それじゃ面白くないんだわ。
554 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:30:06 ID:ZkRykUGa0
やっぱり九州だろうなあ
555 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:30:31 ID:6EOQMRyaO
思考停止の要求の仕方が韓国っぽい
556 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:31:26 ID:0dfgcMEL0
>>542 東南へ○○里で××国に至る〜〜 とか途中までは細かく立ち寄った国を記述してるのに
最後の1ヶ月は面倒になって「1ヶ月で着いた!」とだけ書いたってことか。
まあオレは単純に水行20日→2日、水行10日→1日、陸行1ヶ月→1週間
という具合のサバ読みだと思う。
557 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:33:12 ID:0AAZGHWNO
>>555 まぁ古代は九州北部と朝鮮半島は陸続きだった訳で、似てても何等不思議ではない
558 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:33:36 ID:H9TOYmSX0
>>554 現代の日本人でも奈良や京都って一目置くだろ。
九州なんて流刑の地だろ、大宰府とかさ。
もし邪馬台国が九州なら、何でもっと一目置かないの?
めぼしい歴史的遺産って大宰府、宇佐八幡宮、箱崎神宮ぐらいか。
559 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:35:22 ID:Hau7UjTT0
和気清麻呂が宇佐八幡宮に行ったことから
九州説が有力です
560 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:38:11 ID:UVgGWwvPO
>>553 デムパが好きなら邪馬台国ウリナラ説をだな…
561 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:38:51 ID:H9TOYmSX0
>>559 だから九州のどのあたりよ?
奈良の場合は場所が決まっているが
九州の場合は場所すら決まってないだろ。
>>558 九州が「僻地化」したのは白村江以降だろ
半島から駆逐されて文字通り玄界灘が国境化した
それまでは北部九州は倭人勢力の中心地だよ
564 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:40:12 ID:0dfgcMEL0
>>558 奈良や京都だから一目置くのではない。
洗練された住民が暮らす都市は歴史や文化にあふれておりそれが一目置かれるってだけだよ。
奈良や京都に限らずな。 単に九州にそんな都市がないってだけで、歴史とか差別とか関係無い。
平原遺跡が邪馬台国なのに何でスル―してんだよw
考古学()笑
566 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:42:44 ID:UVgGWwvPO
>>561 畿内の場合は京都でも大阪でもなく奈良と具体的な地名をあげてるのに『九州』は広すぎるわな
当時の日本の1/3〜1/4の範囲をあげて『だいたいこのあたり』って言ってるようなものだからな
>>563 中心ってことはないだろう。
日本に人がいつから住んでいたのか判らないが
倭人が朝鮮半島と交流を持たない限り
発展しなかったと思う。
>>559 それは大和朝廷の出自が九州ということだろw
海の神の信仰が九州最北から始まっているのは意味深だよ。
やっぱ、倭という国は、最初、北九州北部から朝鮮南部にあったんじゃないかな。
その後九州南部→畿内へ勢力範囲拡大。
大和朝廷の出自が九州ということは、神話を見ても明らかだろう。
それが東征したと言うことは、土着の畿内勢力を征服したということだ、これも明か。
田舎出の征服王朝でしょうがw
571 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:47:54 ID:pQbGsofmO
卑弥呼、邪馬台国は支那が勝手に名付けた名前だな。
見下した名称で、すぐ判別できるわ。
572 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:48:38 ID:UVgGWwvPO
>>563 倭人の中心地域?
当時の倭人の範囲は沖縄以外の九州、中国地区、畿内、四国、あとは北陸とか東海ぐらいか
そのあたりでは九州北部は栄えた地域の一つだったんだろうな
出雲や吉備あたりなんかと同じで
九州だと距離的(倭人伝の表記による)におかしいし、九州説はもう諦めようよ。
>>567 倭人勢力の中心都市、交易都市としての奴国を従える形で
その近辺に政治的軍事的に力を持った邪馬台国が存在していたと考えることもできるだろ
575 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:54:57 ID:ScMHUg9mO
>>568 バカめが
邪馬台国=ヤマト朝廷だろ。卑弥呼=天皇だろ
それで卑弥呼は中国の属国だった
天皇の祖先は中国の属国だったのが嫌でしょうがないネトウヨは反省しろ
いいじゃん中国でも。
576 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:55:27 ID:4evLuWubO
>>570 東征はあったと思う。
ただ出発点は南九州の宮崎か大分だろう。
海流の関係で中国大陸から南九州に先進的な文化を持った集団が
入っていてもおかしくない。
3世紀までは朝鮮半島が未開のエリアだったことを考えると
それ以前には南の方が優れていたと思う。
その遺跡が西都原かもしれない。
578 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:57:40 ID:RptSKyna0
建国2600年とか神武天皇とかのオカルトを信じている人達には、邪馬台国の位置づけはどうなるんだろう?
>>574 考え方はいろいろできる。
ただ邪馬台国はヤマト国で畿内だと思う。
東征があったとして、東征した集団がヤマトを名乗っていたのではなく
畿内のヤマトを征服したということだろう。
福岡の平原遺跡だろうな。
バカにはわからんのだろ。
捏造とこじつけだけで巻向w
581 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:58:58 ID:ScMHUg9mO
582 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 20:59:03 ID:Hwgh1+oz0
>>569 朝鮮半島や九州にいたのは、女王ヒミカが治める「邪魔大王国」のハニワ幻人
達だったんじゃない?
>>580 平原遺跡は伊都国じゃないの?
前原でしょ。
>>580 平原がどうして邪馬台国になるんだよ。
あそこは文献側でも考古側でも伊都国で確定じゃねーか。
伊都国と邪馬台国は同一って言いたいの?
>>581 天皇にもし繋がるとしても、狗奴国じゃないの?
586 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:04:37 ID:TyTfUj80O
平原遺跡は伊都国です
ヒラバルとか博多とかは畿内説でも九州説でも栄えていて当たり前だから、
それ+αが必要だってことが、九州説の人はどうしても理解できないようで。
588 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:06:42 ID:H9TOYmSX0
>>577 >3世紀までは朝鮮半島が未開のエリアだったことを考えると
あーあ、一番知られたくないことを書いちゃったw
589 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:06:42 ID:UVgGWwvPO
>>578 口述伝記と事実を合わせようと無理をしたから2600年とかになっただけだろ
邪馬台国=ヤマトに変わりはない
590 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:07:07 ID:SjkysbjH0
邪馬台国の存在した場所は、判明してない
と小学校のとき習った記憶があるが、
確定してたのだな。
福岡人口500万、奈良人口140万 どっちが僻地なんだよw
>>460 越前クラゲって言うくらいだから福井だろw
なんで継体天皇があんなところの出身なのかも、京都より近江の方が早く都になったのかもそれで想像がつくな。
>>583-584 平原は女王の墓確定。
さらに魏の曹丕からもらった銅鏡約100枚も出ている。
状況証拠を否定するものは何もない。
天皇ってガド属の末裔じゃなかったの?
>>593 いつ確定したの?w
一般的には伊都国の王の墓と言われてないかい?
596 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:12:57 ID:2ALwPHDHO
縄文時代つまり紀元前数千年から船を操り、大陸に渡ってたらしいな。
大陸の楊州辺りに住んでた部族が渡ってきたとも言われてるが。
弥生時代後期は普通に高度な文明があり、西日本を国家として統一してた可能性
俺はかなり高いと思ってて、しかも高い軍事力も持ってたと思われ。
597 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:18:25 ID:Q/OHrxSG0
ゴッドハンドが埋めたんじゃない?
>>593 伊都国は、魏史倭人伝によると、一大率がおかれて、邪馬台国によって統治されてたってはっきり書いてるんだが。
伊都国が邪馬台国だとしたら、この記述は同説明するのさ。
>>598ほらみろ。
邪馬台国に統治されてた=邪馬台国=平原に首都機能でいいだろ。
600 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:23:10 ID:2ALwPHDHO
一大卒は九州を監視する為に派遣された役人だろうね。
601 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:25:34 ID:TyTfUj80O
東京、神奈川、大阪、名古屋、福岡、札幌を田舎と呼ぶ人は日本人ではないでしょう
602 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:27:00 ID:H9TOYmSX0
>>591 邪馬台国って福岡にあったのか?
吉野ヶ里が邪馬台国じゃねぇ〜のか?
吉野ヶ里遺跡がある吉野ヶ里町・・・15,860人
マキムク遺跡がある桜井市・・・・・61,585人
>>599 ああ、すまん、一大率がおかれたのは初期筑紫政権の頃だ。
>>600のいうとおり、監視のため。
で、魏誌倭人伝の記述だと伊都国は属国な。
どうしてその主従関係がイコールになんだよ。
604 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:27:58 ID:xJzJeBmD0
邪馬台国が東遷したとかいう発想は、いいかげんやめて欲しいね。
”平原で大量の鏡での祭祀をしてた勢力が、マキムクに東遷して、三輪山の大物主を祀った、”
なんてどう考えても辻褄が合わないだろう。
神武東征神話はずっと古代のものだし。
畿内説をとったとしても、卑弥呼は本当に日巫女で、太陽神を祭ってたのかも怪しい。
モモソヒメは、大物主を祭っていたと書いてあり、
崇神天皇は、宮中から鏡を追い出したとまで日本書紀は書いている。
邪馬台国の人って、卑弥呼でオナニーとかしてたのかな?
606 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:28:35 ID:7Hv+Zu8a0
昔の桜井は観光事業に消極的だったのにな
>>593 平原が卑弥呼の墓なら、やっぱ邪馬台国は
ヤマト王権によって滅ぼされたのかね?
>>599 何処からその結論が出るんだw
伊都国は伊都国でいいだろ。
609 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:29:57 ID:UVgGWwvPO
>>602 なんで今の人口を基準に考えることができるんだよ・・・。
611 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:30:36 ID:H9TOYmSX0
普通の常識ある人は平原遺跡が可能性高いと思ってるよね
613 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:32:22 ID:gE2CsIxf0
奈良県じんけんレート
1翻:生駒市、香芝市、王寺町、曽爾村、御杖村
2翻:葛城市、田原本町、吉野町、高取町
3翻:宇陀市(旧榛原町・室生村)、五條市、大淀町
満貫:大和郡山市、川西町、上牧町 ←(・∀・)ココ!!
跳満:天理市、平群町、三郷町
倍満:橿原市、宇陀市(旧菟田野町・大宇陀町)
三倍満:奈良市、桜井市、三宅町、河合町
役満:大和高田市、安堵町
ダブル役満:御所市
>>613 おいおい、香芝と葛城がレート低すぎだろ。
615 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:35:57 ID:8h/l2u+F0
なんか、おらが村的な盛り上がりすぎて逆に引く。
邪馬台国は、皆の心の中にあるんだよ。
炎の中に生きる幻なんだよ。
617 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:44:55 ID:/Jj3YEJ20
邪馬台国にくらべ桜井市ときたら落ちぶれてるなw
邪馬台国はふたつあった!! とかでいいじゃん?
卑弥呼は一年ごとに移動していたとか・・・二人いたでもいいかもw。
619 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:52:53 ID:8h/l2u+F0
で、どっちが馬鹿台国なんだ?
620 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:52:57 ID:Efa1s/q3O
エセ同和も在日韓国人
大学時代の資料をあさってきた。
伊都国って面白いな。
奴国や不弥国とか、他の倭の属国にはおかれている
「卑奴母離」って役職が、伊都国にだけおかれてないみたいだな。
これは後漢書の記述かな?
ちなみに一大率の記述は「三国志」にあるみたい。
この三国志だと
「女王国より以北はとくに一大率を置き、諸国を検察しむ。諸国之を畏?す。常に伊都国を治す。国中において刺吏のごとくあり、(略)」
と、伊都国以外に国はなかったみたいに書いてるし、
伊都国は女王国にとって、特別な存在であることは間違いないな。
魏志倭人伝だけじゃわからない事実。
622 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 21:54:23 ID:/Jj3YEJ20
誰だよ、邪馬台国中心地を田んぼのなかに埋めてしまったのは?
623 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:02:48 ID:Wl2cEj2TP
>>622 多分ナノマシンで埋められた
掘ったら白ひげつけたヒミコが出てくる
熊本あたりにあったとしたら島原大迷惑で埋まってしまったとかかな?
625 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:14:48 ID:bGjgSEiL0
いやいや、青森の三内丸山だって普通に大陸と交易してただろ
逆さの日本地図派は少数?
>>621 >ちなみに一大率の記述は「三国志」にあるみたい。
それが魏志倭人伝じゃいw
628 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:19:23 ID:H9TOYmSX0
桜井市も吉野ヶ里町のような卑弥呼の銅像を建てるのかな?
629 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:25:54 ID:Ks7FOMtGO
邪魔台国って
指摘サンクスw
魏志倭人伝=「三国志」東夷伝倭人条 なんだな。恥ずかしい。
631 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:33:53 ID:xurJdQVU0
おまいら今度はこのスレにいたのかよ!
どんだけ卑弥呼と邪馬台国が好きなんだよw
どうせ立てるなら、神の象の像の像を
平原遺跡なあ。あれはどう考えても女の人の墓だからな
時代も弥生末期から古墳時代で、ピッタリだし
鏡だの、勾玉や管玉だのわんさか出てくるし
卑弥呼の墓と言いたいところだが
場所がおもいっきり伊都国だからなw
634 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:47:37 ID:TyTfUj80O
>>633 それが本当なら考古学者が食いつきそうなもんだけどな
>>633 福岡市の中に博多区があるんだけど、街全体を「博多」と呼んだりするじゃん。
あんな感じでイト国の中にヤマタイ国がだな…。
636 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:49:29 ID:+B4ypdx10
「卑」も「邪」もあまりいい意味で使わない漢字だよね?
どこのだれがネーミングしたんだ?
637 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:51:06 ID:NaF/a+lEO
寂れる佐賀
それが
佐賀の性
九州説は
根性論
639 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:53:27 ID:XXUZM+Xb0
>>636 魏の使者が東方の島国の蛮族の女酋長を表現したんだろう
640 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:55:18 ID:5TWi+OJIO
>>636 当時の中国が異民族を侮蔑するため、敢えて悪い意味の文字を音に当てた。
「夜露死苦」程度に思っとけ。
村おこしの起爆剤に
九州じゃんがらラーメンはいかがか
642 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 22:57:23 ID:ZrOEOrym0
俺ならやまなみハイウェイの辺りに国を作るね。
景色がいいし、温泉もある。
あの辺掘れば凄いの出るかもよ。
>>601 東京・横浜・大阪以外は田舎だろ
京都は別枠だな
>>634 >>633が言ってるのは本当だし、考古学者がくいついているのも本当。
伊都国は弥生時代の政権論を語る上での貴重な資料。
ただし、伊都国であるがゆえに邪馬台国じゃないけどねぇ。
646 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:02:40 ID:6EOQMRyaO
最後はモスラが出るんだろ?
647 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:12:39 ID:TyTfUj80O
648 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:14:25 ID:xBPo6fi10
魏誌倭人伝て昔の中国人が書いたSF小説なんだろ
649 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:18:00 ID:gV8cJhIW0
どっちでもいいんだが、九州人は地元自慢がマジでうぜぇから奈良って事でいいよ。
>>647 ?
前原市には伊都国博物館っていう立派な施設が田んぼの中にあるよ?
璧やら管球やら大鏡やら、貴重な考古遺物がきれいに展示されてる。
三雲遺跡や平原遺跡は考古学やってる人なら誰でも知ってる遺跡だし。
651 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:27:16 ID:TyTfUj80O
>>650 知ってるよ、伊都国をアピールしているけど、観光利益を得てないと田舎街だろう
今後発掘するお金もないし、まったく期待できないでOK?
652 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:28:57 ID:ZrOEOrym0
トンコツスープって九州が発祥なの?
653 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:32:43 ID:TyTfUj80O
いくら可能性があっても、お金がなければ意味を成さないのが考古学だろう、だから畿内もイマイチ信憑性にかけるわけじゃん
お金の臭いがプンプンすると言われて、やっぱりTシャツですかみたいな(笑)
654 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:32:51 ID:nH8bZvv/P
やっぱり邪馬台国と大和の国の語感が
似すぎているよなぁ。
655 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:32:59 ID:UVgGWwvPO
656 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:35:50 ID:qXrEClQKO
九州厨憤死wwww
そりゃ根拠が「魏志倭人伝は九州弁に基づいていた!」ではしゃーないわなww
確かにラーメンにしてもまとまってないんだよなあ
とんこつの元祖は博多だろ。
いや久留米だろ
いや熊本らしいぞ
邪馬台国と同じでここだという決め手がない
>>651 いや、発掘自体は普通にやってる。
九州大学が移転した時も、結構出たしな。
伊都国と邪馬台国との関係を示す手がかりは今後出るかもしれないけど
何度も言うように伊都国である以上、邪馬台国であることはないから、
邪馬台国である証拠は出ることはないと思うな。
659 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:38:55 ID:UVgGWwvPO
>>652 他の学問は違うとでも?
純然たる学問でも常に金の誘惑に曝されてるだろ
>>653 ヤマトの魏での当て字が邪馬台だからな
660 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:41:08 ID:+CRmeKQr0
ラーメン・肉じゃがの発祥さえまとまらねえのにな
ましてや千数百年前
661 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:41:23 ID:8UTracN50
俺 実家 奈良で 15年前 家を建て替えたとき
ハーモニカみたいなのが出土したんだが
これって もしや・・・
「邪馬台国」のお返しに「厨国」って命名してやれw
663 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:43:37 ID:TyTfUj80O
>>658 たいして出てないじゃん、建設がストップするからたいした事ない遺跡なら無視を決め込むよ、要はお金の問題
664 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:44:00 ID:UVgGWwvPO
>>661 お前がガキの時に発表課題が嫌で埋めたハーモニカだろうな
源さんがいたのなら行ってみたかったな。
666 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:49:20 ID:5zDXq4laO
九州はよかたい国
667 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:50:15 ID:rmz9lwwbP
>>446 >>475 魏志倭人伝には『邪馬壹國』と書いてある。
それを『邪馬臺國』と書いて「やまたいこく」と読んだのが事の発端。
旧字の『臺』が新字の『台』になって『壹』は消えて益々混乱。
668 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:52:20 ID:iTii7F3wO
個人的には邪馬台国はどこだっていい
邪馬台国は大和なのかどうなのか?
なんで天岩戸が全国あちこちにあるんだ!?
669 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:54:56 ID:UVgGWwvPO
>>668 邪馬台国=ヤマト=大和=奈良でしょう
天岩戸が各地にあるのは、キリストの墓が日本を含む各地にあるみたいなものかと
670 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:56:17 ID:Eg4NxM010
>>658 何でそこが伊都国だって決めつけられてるの?
671 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:56:44 ID:E6SLDf7d0
672 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:57:22 ID:TyTfUj80O
幻の邪馬台国、これが真実だよ。どこであろうと、いいんじゃない。奈良もこれ以上の発掘は期待出来ないんだし
どこであろうと、我が都こそ邪馬台国だ、でいいんじゃないかな
673 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:58:25 ID:iTii7F3wO
>>667 そういうことか
でも伊勢や伊都、伊予があったりするからヤマトもヤマタイもあってもおかしくはない気もする
そもそもヤマトってどういう意味なんだろうね
山の人?
卑弥呼が日神子、火巫女だったら
個人名じゃないから何人もいたんだよな
九州、奈良にも
>>672 政権交代したし、箸墓掘らせてもらえるかもよ。
676 :
名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 23:59:24 ID:TeIo4bdqO
九州にはクマソがあるからいいじゃん
>>663 まぁ確かにそんな面もあるな。
そこの調査は九大の都合もあって碌に調査もせず、だった気がする。
でもそれは考古学側の、問題じゃないんだよ。
多分ほとんどの考古学者は、できることなら遺跡を保存したいと考えている。
でも、建設側との折り合いがつかないから、そんなことできずに壊さざるを得ない。
最終的にはお役所仕事だしな。
でも、歴史に残るような遺跡であれば、アピールしまくって保存運動をする。
そのためには、一般民衆にわかるように、「邪馬台国につながる〜」とかの誇張をすることもある。
そして、そのアピールはマスコミを使うしかないから、必然的にマスコミとの関係をよくしとく必要がある。
だから、マスコミが話題にしたい記事に、コメントをつけてあげる。
結果、考古学側の認識とはずれた記事が出回ることになる。
678 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:01:42 ID:6cTUwWDSO
おいおい発見からTシャツまでずいぶん手際がいいじゃないか
売名のためのていぞうじゃああるめいな
>>667 まあ、それは700年以上経った写本の一つの話で、他の史書との整合性が取れないから
ほとんど相手にされてないんだけどね。
680 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:03:25 ID:Eg4NxM010
魏志倭人伝の記載からして、大和奈良はどう考えたって無理。
近畿でいくら大規模遺跡が発掘されようが、そんなもの関係ない。
ただ単純に、それだけの規模の集落があったに過ぎないのよ。それだけのこと。
卑弥呼邪馬台国と直接関連する物が出ない限りはね。
681 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:03:29 ID:gwQKwVhjO
>>675 掘ったらダメ!箸墓は、あのままにしとこう。
682 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:07:37 ID:Fr4vArz4Q
ドラえもんを作って決着させようぜ
683 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:08:03 ID:Wl2cEj2TP
邪馬大国
大国主が絡んでくる
684 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:09:46 ID:4LQNoh6AO
>>680 邪馬台国とその後の地域を直接示すものは他の地域でもないんだから『奈良は無理』は間違い
しかも大規模集落は奈良で見つかってるんだから肯定要素にはなっても否定要素にはならない
『奈良が確率が高いが確実には断定しきれない』が正しい
685 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:10:13 ID:gwQKwVhjO
>>677 しかし、伊都国には、まだまだロマンが埋まっているのは、たしかだよ。
これから発展が約束されている地で、どれだけの遺跡が発見されるだろうね。
686 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:10:44 ID:zKq/EvIJO
邪魔大王国のヒミカだぁ?
ハニワ原人どもめ死ねぇ!
687 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:11:29 ID:az2kavhcO
箸墓古墳を掘りましょう。今晩、掘りに行きましょう。
688 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:12:48 ID:iktn/AFw0
さっさと古墳掘れって感じ
>>680 なぜ巍志の記載のみを見る?
隋書にはしっかり大和朝廷=邪馬台と書いてあるだろ?
690 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:14:17 ID:xhChuXUG0
>>684 いいえ、魏志倭人伝では、完全に邪馬台国は九州です。
九州は大和朝廷のある近畿と違って、発掘される機会が少ないため、
大規模遺跡が発見される確率が低いだけです。
>>670 魏志倭人伝の国の大きさの記述とあう。
魏志倭人伝の距離とあう。
当時の中国や朝鮮半島のモノがごろごろ発掘されていて、交渉があったのは間違いない。
王墓がでかく、また、その墓域に弥生〜奈良までに他の墓が作られおらず、偉大な王がいたと連想される。
漢の皇帝から周辺国におくられる、四葉座金具(手裏剣みたいなブローチ?)が発掘されてる。
思いつくのはこれくらい。多分間違いないだろうね。
692 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:15:11 ID:C+JyJjcf0
>>578 そういう神話を信じている人は、天皇家と邪馬台国を別物と見なしている
ただ、何故、神武天皇のことが中国に歴史書に記載されていないのか謎だけど
卑弥呼ですら書かれているのなら、神武のことも書かれていておかしくないのに
>>690 いや、
>>684は正しいよ。邪馬台国が九州って確立は限りなく低い。
ちなみにどのあたりを考えてるの?
694 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:20:02 ID:4LQNoh6AO
>>690 別に奈良は大和朝廷があったから発掘されてるわけではなく、普通に住宅や道路とかの都市開発の中で見つかってたりするわけだけどな
九州って福岡や北九州はもちろん熊本も鹿児島も奈良よりは大きい都市だろうから、本当に昔そこが都市だったら普通に都市開発の中で遺跡が見つかるはずなんだけどな
695 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:21:42 ID:g96lTnnX0
見つかってもDQNな土建屋が潰すでしょ
696 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:23:37 ID:NNQQSucm0
投馬国まで水行二十日、邪馬台国まで水行十日陸行一月でなぜ九州だと思うのだろうか。
九州ならどこに該当するというのか。普通に九州抜けて瀬戸内海行ったようにしか思えないのだが。
>>695 そりゃ奈良の方でしょ。
一時期、どこを掘っても出て来るは良くネタにされたw
698 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:25:00 ID:Drh4WnUd0
>>690 >九州は大和朝廷のある近畿と違って、発掘される機会が少ないため、
奈良だって宅地開発とか道路整備の時に遺跡が見つかるんだぜ。
九州だって大きな遺跡があれば見つかってるはずだろ。
何で出てこないんだ?
699 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:25:18 ID:dnesrOCEO
>>692 卑弥呼と神武って同時代だっけか?
神武って一年が半年とかの考慮したら何年の人なんだろう
700 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:26:30 ID:Ajks0apaO
>>695 それだよな。地方に行けば行くほど
学とは縁遠そうな土建屋が、目先のことだけで
掘り返しちまう。
>>692 中国の史書では戦争相手でもなく、朝貢しに来ないヤツなんて書かないからな。
703 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:30:09 ID:xhChuXUG0
>>698 宅地開発は主に北部九州でしょう。
邪馬台国は、魏志倭人出に記載されているように、陸行水行で南へかなり行くので、
せいぜい宮崎県の南部の山間部あたりでしょうね。
>>696 それは畿内説も同じじゃね?
じゃあ仮に投馬国を吉備あたりにしようか。そこまで水行20日だと。ここまでは問題ない
邪馬台国を奈良だとしよう。水行10日で吉備から大阪あたりまで来るわな。ここまでは
いい。じゃあ大阪から奈良まで一月もかかるのか?ってことよ
おかしくないか?
705 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:32:51 ID:EVFVPzvX0
>>696 または日本海。
九州南部は、農業生産性が低いので、あの人口はあり得ない。
音韻の対応はいくつか確認できる。邪馬台国も大和国。
706 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:35:35 ID:Sbrqq93JO
>>701九州は埋蔵文化財の適用が無いとでも?九州って警察ないの?刑事事件なんだぞ。
>>704 @魏の使者が伝聞で聞いただけで実際には邪馬台国に行っていないから不正確
A元々の記載は「水行10日or陸行1月」だったが誤植があった
とかいろいろ説があったような。
海中数千里に倭人の島の説明がつかないのはどうするんだろうね。
710 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:37:58 ID:xhChuXUG0
>>696、704
九州説だが、なぜ水行、陸行の日数にもかかわらず、九州だと思うのかは説明できるよ。
逆に聞きたいが、倭人伝は、なぜ、不みの国までは里数で書いているのに、投馬国からは日数で書いていると思う?
理由はそれと関係あるんだけど。
711 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:38:11 ID:gwQKwVhjO
伊都国で、置き忘れた文献でも発掘されたら面白いのにな
所詮、そもそも辻褄があってないのに、倭人伝をバイブルかのように
方向だ日数だと100年議論したって無駄。
713 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:40:57 ID:cEFAL6r90
南を東にしてしまったら、帯方郡からどうひねっても
日本には行き着かないような気がするんだな。
714 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:41:28 ID:xhChuXUG0
>>707 使者は「倭王に拝かし・・・」て記述があるよ。正始元年のこと。
使者はちゃんと都に行ってるよ。
715 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:43:03 ID:EVFVPzvX0
>>709 魏の里と日本の里は単位が違う。
分かっている対馬と壱岐の間の距離を千里とすると他の距離は大体合う。
邪馬台国って天皇家とは無関係だよね。
717 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:43:52 ID:Drh4WnUd0
>>703 ようするに九州派がいい加減なのは
九州全域をその場その場でイロイロ変えるからなんだよな。
奈良はマキムクという場所が設定されているのに
九州派は九州全域を使い分ける。これでは話にならないね。
718 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:44:16 ID:xhChuXUG0
>>713 東を南に間違えるなんてことは絶対と言っていいほどない。
それは使者の立場に立って考えたら、容易にわかる。
隋の時代からが日本(大和朝廷)の初めて認識された時代でそれより前の記述は東に島国があるという想像で書かれた話しでいいんやない。
で卑弥呼は居なかったということやね。
720 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:46:34 ID:gp1ZMS3SO
邪魔大国の卑見子
卑弥呼ったって、役職名なら別に一人でもないだろうしな。
>>714 そこは読み方に諸説あって「拝仮し」を単に王に任じたとも解釈されてるだろ。
723 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:52:07 ID:xhChuXUG0
>>721 もし、卑弥呼が役職名だとすると、宗女の「いよ」はどう解釈する?
これも役職名か?
でも、もし卑弥呼が役職名なら、「いよ」も「卑弥呼」と書くだろ。
>>710 実際に行ってないからだよ。
隋書にある「倭人は里数を知らず、ただ日をもって計る」とある。
つまり中国の里数に基づけないから、倭人独自の距離感で答えた
日数で表現してある。
>>703 んー。宮崎と来たか。
確かに発掘されてない地域である以上、否定はできないからな。
ただ、平野でないとしたら碌に人は住めないと思うのだが、それをどう説明するんだ?
やっぱり、国の中心地は世界中どの国でもどの時代でも平野や盆地にできるのが自然だろ。
726 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:55:46 ID:oFG6xDdj0
卑弥呼とセックスしたいんだけどさ 誰かタイムマシン作って
727 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:55:51 ID:xhChuXUG0
>>722 そこの文章全体を読めば、素直に使者が倭王に会ったと呼んでるが、
少なくとも、会っていないとは断言出来ないだろ。
728 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:55:57 ID:tOZk/Syd0
俺は朝倉市甘木の近く久留米出身だが
邪馬台国は大分宇佐と畿内の連合政権だと確信持ってるよ。
今でも大分は関西畿内の文化の出入り口だし、
奈良時代でも最も畿内との親交があったのは大分だしね。
福岡は太宰府始め栗隈王とか反逆分子が多数の地域。
佐賀は毛頭ありえん。吉野ヶ里は田道ヶ里の田道命の支配エリアだし
あの遺跡は田道命の遺跡だよ。
おおよそ小国分立していた北部九州を大分から入ってきた機内の勢力が
宇佐を基点として九州全域を支配した、あるいは宇佐を中心として
関西と連合政権を作った勢力が九州全域を支配した。
その勢力が邪馬台国。
すなわち邪馬台国とは宇佐であり畿内である。大分ー畿内に及ぶ
大国だ。後の後漢書にある秦国なり。
729 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:58:54 ID:ES+DugfBO
卑弥呼の本名って何だ?
731 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 00:59:37 ID:YRfTpXbL0
文字が記された遺物が出てこない限りは永遠に確定はできない
それが歴史というもの
卑弥呼も邪馬台国も日本側からいえば歴史以前というほかない
それが日本史の限界
>>728 九州に投馬国や邪馬台国があったら里数で表現すると思うがな。
それも伊都の近くなら尚更。
733 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:00:51 ID:PKiPkLCh0
>>540 >他の資料や事実とすり合わせて矛盾する部分や
>あいまいな部分などを取り除いていく。
魏志倭人伝と矛盾する事実って何だ?
魏志倭人伝は12000里のうち、10500里を北九州までに消化している。
残り1500里は確実で、日程解釈が曖昧なだけだぞ。
水行10日陸行一月が総日程なのか、
実際にそれだけかかったのかはわからんから曖昧だ。
なんでそこから畿内に飛躍するんだ?
それこそ根拠のない曖昧な飛躍だろ。
畿内勢力の支配が九州まで及んでいたという事実が確定して
はじめて畿内説の検討が可能になるんじゃないか。
その事実の証明を全くやってないだろ。
734 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:02:31 ID:YRfTpXbL0
>>728 宇佐の主神は明らかに比売大神だよな・・
この比売大神がじつにあやしい
735 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:03:40 ID:tOZk/Syd0
>>550 (熊襲)隈背征伐は北部九州中心、
佐賀、福岡エリア。
筑後風土記逸文にその記述がある。
今でも福岡・佐賀・熊本は
隈の地名が多数残る。
まあ、鹿児島にもあるが。
736 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:03:53 ID:xhChuXUG0
>>724 つまり、その考えだと、使者は不みの国までは行ったが、その先は行ってないとする解釈か?
737 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:04:04 ID:PKiPkLCh0
>>516 >その程度なら、奴国や伊都国も行っていたんだがなぁ。
邪馬台国もやっていたんだろ。
奴国や伊都国にできて邪馬台国ができない理由がないだろ。
>そしてそんな国ですら古墳時代にはいると廃れてるんだよな。
廃れることと、外交権を失うことは別だぞ。
いくら畿内が強大だったと考古学が示したところで、
外交権を一本化するほどの支配を九州に及ぼしていたと証明しない限り、
九州の独立勢力が中国と交流していた可能性を潰せないだろ。
畿内説はそれを全くやってないじゃないか。
>>718 中国の文献資料では実際間違ってる例は結構あるけど。
隋の時代でさえ済州島を間違えてる。
>>736 そうかもな。
少なくとも伊都には来てると思う。
風俗の取材をしてる。
倭人に倭国の都を聞けば、船に乗って船で行くなら十日、陸を行くなら一月の場所にある
邪馬台国に女王様の都があるよって倭人が答えたんだろう。
740 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:08:41 ID:tOZk/Syd0
>>633 当時は唐津の見借、八女の八女津姫のように
女王が君臨してたんだろ。
>>733 1万2000里の話は女王国の勢力範囲の話の後に出てくる言葉だから、女王国の境界まで1万2000里と読めば矛盾しない。
>>728 確かに大分は、弥生時代を通して、機内色と北部九州色が混じっているから
その説は間違いとはいえないんだよな。
ただ、あまりにも考古学的に見れば遺物の質が低すぎる。
それにその説だと、北部九州が廃れて、機内が発展する過程をどう説明するんだ?
また、古墳時代にはいると、機内色の強い豪族がそのあたりを支配していた証拠がたくさんでている
これらを説明してもらえるとうれしい。
>>736 畿内説では伝聞情報と考えてる人が多いですよ。
そうでないと、投馬や邪馬台国の行程に関する情報がなさ過ぎです。
それに随書の「日をもって計る」という一文はその証拠でしょう。
744 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:12:42 ID:xhChuXUG0
>>738 ひとつ聞きたいんだが・・・。他の人でもいいけど。
「東南のかた・・・伊都国に至る」
「東行して、不みの国に至ること・・・」
「南のかた投馬国に至る」
などと記載されているよな。
では、なぜ、魏の使者は「伊都国は東南の方向にある」と思ったのか?
745 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:13:17 ID:zhskOXlj0
佐藤藍子が↓
思ってました。
>>8 これURLが科博だけど、弥生の方に韓国人モデル使ってるねw
>>696 方角が違う。
南へ行って奈良には着かない。
投馬国まで水行二十日、<薩摩方面
邪馬台国まで水行十日 もしくは 陸行一月<佐賀方面
>>744 伊都国が実際に東南の方角にあったか、単純に記録の間違いでしょ。
済州島なんて九州よりも近い、ずっと小さい島だよ。
それでも隋の時代に間違えてるからね。
>>748 北九州から陸行1月という文章からは邪馬台国は九州ではない感じがあるけどな。
751 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:23:47 ID:tOZk/Syd0
>>742 >ただ、あまりにも考古学的に見れば遺物の質が低すぎる。
どういう風に違うのか教えてください。
>それにその説だと、北部九州が廃れて、機内が発展する過程をどう説明するんだ?
>また、古墳時代にはいると、機内色の強い豪族がそのあたりを支配していた証拠がたくさんでている
>これらを説明してもらえるとうれしい。
それは簡単、邪馬台国は宇佐に拠点があるがその実体は畿内政権である。
魏は畿内との直接交流がないので認識出来なかっただけの事。
それで説明が付くと考えている。
それ以前の大和猛の九州遠征、後の景行、仲哀のクマソ征伐もその流れで説明できる。
それから、大分と伊都国は現在車で移動しても大変な距離である。
魏の使者がとても動けるような距離じゃない。
船で行くとすると玄界灘を超え宗像を通り響灘、企救半島を過ぎ瀬戸内に入ってやっと
到達するのが宇佐八万。
>>744 つまり伊都までは陳寿本人じゃないにしろ、ブレインとなる中国人が来たということだろう。
ところが投馬国や邪馬台国は実際に行ってないから、倭人が南と答えたから南と書いただけで、その倭人が正確に方角を理解してたか疑問だな。
もし方角が正確で、魏志倭人伝で推理されてる会稽の東にあたるというのが、
ホントならそれこそ鹿児島か宮崎になるが。
リアス式海岸ぞいに歩いて行ったのさ。
754 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:26:32 ID:PKiPkLCh0
>>741 女王国は邪馬台国だろ。
「女王の勢力圏」を「女王国」とする読み方は無理だよ。
邪馬台国の解説のすぐ後に、「女王国より以北は」として、
女王の国に服属する国々について続いてるよ。
そして、その紹介の後に「女王の境界が尽きる所」となる。
「女王国」が「勢力圏」を示すなら矛盾するじゃないか。
太陽や星しか頼るものが無い時代に、方角を間違えるとは思わないけどな。
>>755 中国の古書が方角を間違えている例は結構あると何かで聞いたことがある。
>>754 女王の境界が奴国だから別に矛盾しないでしょ。
大分から先が遠すぎて詳細が判らない女王の構成国ですよ。
瀬戸内が交通の動脈で畿内紀伊半島までが女王国エリア。
758 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:33:05 ID:PKiPkLCh0
>>755 畿内説では、当時の使者や報告者が間違ったのではなく、
その後の書写の段階で間違われた、という人もいるね。
もう無茶苦茶だよ。
「畿内が既に九州まで支配していた」という結論が先にあって、
それに当てはめるために史書をいじる。
史書から事実を推測するのではなく、
先に結論があって、史書の文字まで変えるアプローチなんだよ。
そんな手法を取るなら、せめて、
外交権を奪うほど強固に九州まで支配していた
という結論を証明しなきゃダメだと思うなあ。
>>751 はるばる日本まで来た使者が、福岡−大分間程度の距離が動けないとかあり得ないだろ。
宇佐神宮辺りから大規模遺跡がでると面白いけどなw
いずれにせよ物証が無い。
箸墓に葬られたのが誰だろうと、それが卑弥呼だという状況証拠
さえ無い。
100枚贈ったという銅鏡が500枚も出たら、それは無関係だろう。
761 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:37:00 ID:PKiPkLCh0
>>757 邪馬台国を起点に、「女王国より以北」として、
支配下の国々の紹介がなされているんだぞ。
「女王国」を「女王の勢力圏」と取れば、
「勢力圏」の他に支配下の国があることになるじゃないか。
邪馬台国の他に支配下の国があり、
勢力圏はそこで尽きるという形としか読めないよ。
>>758 九州と畿内が別の勢力でそれぞれ独立してたというなら
それもまた証明がいるだろ。
少なくとも魏志倭人伝にある伊都国の一大卒と邪馬台国の都の関係は
太宰府と大和朝廷の関係に符合する。
>>755 太陽基準にするから角度が微妙に狂ってるんだけどな(最大で45℃)
すでに伊都国の時点でずれてる上にだからな…
764 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:39:54 ID:Is/aBHV20
765 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:39:55 ID:tOZk/Syd0
>>759 十分ある、奴国までの距離以降の記載がアバウト過ぎる。
奴国が現在の春日市か博多の那珂周辺だというのは疑いないが
その後のふや国以降いきなり陸の真ん中から水行10日とかの記載自体が
意味不明。
九州に来た事無いのかもしれんけど
大分は九州でも外国と言える程
九州文化ではないし距離も大変遠い。
766 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:40:22 ID:cEFAL6r90
太陽基準は季節による変動を理解していれば修正可能
また、正午の南中を計測すればずれない
>>751 > >ただ、あまりにも考古学的に見れば遺物の質が低すぎる。
> どういう風に違うのか教えてください。
当時の王の力を象徴している青銅器、これが出てはいるが奴国とかと比べて少なすぎる。
これといって目を見張るような出土物、または出土数を誇る遺跡が存在しない。
かな、俺が知らないのがあるのかも知れないがその時は教えてくれ。
> それは簡単、邪馬台国は宇佐に拠点があるがその実体は畿内政権である。
どういうこと?
宇佐で畿内を掌握してたから、その後畿内に政権が移っても不思議じゃない、ってこと?
で、一部その場に豪族として残ったと?
無理があるように思えるけどな。
やっぱり、宇佐は弥生時代には邪馬台国の交渉の拠点として発展し
その後、大和朝廷の支配下には畿内の豪族が送られた、と見るほうが自然じゃないか?
また、この考えでいくなら、青銅器が銅矛ってのは不自然じゃないか?
畿内を制圧してるなら、畿内色の銅鐸がでてくるべき。
一応小銅鐸が出てるみたいでけど、割合的に銅矛だし。
この点も北部九州の影響力が強いことを証明してると思うが。
768 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:44:31 ID:PKiPkLCh0
>>762 >九州と畿内が別の勢力でそれぞれ独立してたというなら
>それもまた証明がいるだろ。
魏志倭人伝の中でさえ複数の国が争っている様が記されているだろ。
また、その後の中国側の史書でも、
倭を代表する国がどこなのかについて、中国側も正確には把握できず
「倭国の別種」、「元小国が併合」等の内容の記載がある。
日本の記紀にも、大和朝廷による他国征伐の
エピソードは山ほどあるだろ。
これだけの証拠があるのに、
何で日本は統一されていたと思うんだ?
「当時、日本で最も大きいと思われる遺跡があるから、ここが邪馬台国です」
なんておかしすぎるだろ。
>>761 @奴国までで女王国の境界は尽きる。
A帯方郡から女王国まで1万2000里。
と読めるから、帯方郡から奴国まで1万2000里と考えれば矛盾しないということ。
>>765 春日市とか那珂って伊都を基準にすると近過ぎるし方角も違うだろう。
771 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:46:16 ID:ZAc0Hffb0
卑弥呼って、名前と言うより役職名のような気がする
きっと、かわいい名前が付いてたんだと思う。ミヨとかイヨとか。
キクコ17歳とか
>>761 女王国より以北は詳細情報の書かれた、
奴国や伊都国、末羅国といった、里数で行程が書かれた国々ですが。
その伊都国には王がいるが、女王国には従属するという立場の国でしょう。
773 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 01:48:52 ID:tOZk/Syd0
伊都国その東南百里に奴国(春日市や博多区那珂だとするとかなり正確)、
それから東行百里に不彌國(距離が正確なら宇美町、粕屋町周辺)、
それから南に水行二十日で投馬國とあるが
この時点で既にダウトw
陸の真ん中でどこにどうやて水行二十日なんだが・・w
仮に不彌國を海岸沿い東に行って古賀町、宗像町周辺だとみてもそこから
北東に行っても南には到底行けない。
結論として奴国以降の記述がデタラメ。
使者は伊都国、奴国以外行った事がない事が明々白々。
倭人伝の距離は金科玉条としてはならない。
これが福岡久留米人の結論。
>>768 旧唐書か。
あれは倭国から日本に国号を変えたから混乱してるだけだ。
それに邪馬台国の時代とは離れ過ぎ。
日本で言えば奈良時代。
それにもし九州に邪馬台国があったなら、畿内の巨大な勢力が
記載されてないのはなぜだ?
トンデモの九州王朝を信じるなら好きなように解釈したらいいが
世間では認められてない。
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命という説はかなり説得力あると思うな。
魏志倭人伝の編纂は陳寿が編纂して、その際同じ時代の 魚?が編纂した『魏略』の記述を元にしたんだよな。
編纂の途中で間違いがおこらないとは決して言えないと思うんだけどなぁ。
だから、やっぱ文献史側を鵜呑みにしないで、考古学側からのアプローチが重要だと思うんだが。
777 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:05:02 ID:tOZk/Syd0
>>767 >当時の王の力を象徴している青銅器、これが出てはいるが奴国とかと比べて少なすぎる。
>これといって目を見張るような出土物、または出土数を誇る遺跡が存在しない。
奴国・伊都国が畿内・宇佐連合の異質の巨大政権に従属したと考えると
別に伊都国との文化的連続性とか考える必要はないし、
王権に値する青銅器の量が同規模である必要無いんじゃない?
>宇佐で畿内を掌握してたから、その後畿内に政権が移っても不思議じゃない、ってこと?
>で、一部その場に豪族として残ったと?
宇佐は畿内政権の拠点に過ぎないと思ってる。
母体は畿内だろう。卑弥呼が宇佐に居たか
畿内に居たかの断定は出来ない。
宇佐にも畿内だけではなく伊都国などの影響があるのは支配領域が近いという点で
当然と考えてる。
大分に畿内の影響が強くなったのは卑弥呼時代の前後だから
畿内で銅鐸が廃れていた時期と被るから何も銅鐸が多く出る必要性は無いと思う。
あと、畿内政権の性質だけど基本は銅鐸を中心とした出雲政権の流れを汲んでると
考えてる。そのあたりは畿内人じゃないので良く分からん部分があるが。
>>776 魏書も原本は残ってないしな。
三国志魏書東夷伝倭人条が「魏志倭人伝」と言われるのも
中国・宋の時代の写本・紹煕本に「倭人伝」と段落がふってあるからだな。
崇神天皇自体「神」の名前が入っていることから強力な天皇だったと思われるのに、
その巫女の倭迹迹日百襲媛命の墓という伝説のある箸塚古墳が同時代最大の古墳であることを考えると、
倭迹迹日百襲媛命は当時、相当な力を持っていたんじゃないかと想像が広がる。
邪馬台国スレって妙に盛り上がりなw
>>768 旧唐書は編纂過程にゴタゴタがあって倭と日本に限らず、1人の人物の伝が2種あったり、
唐の中国でも評判悪くて、新唐書が作られたようなシロモノだよ。
782 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:08:55 ID:PKiPkLCh0
>>774 >それにもし九州に邪馬台国があったなら、
>畿内の巨大な勢力が記載されてないのはなぜだ?
「日本の中に二つ大きな国がある」という認識があれば、記されていただろう。
だが、その認識は「日本」という範囲意識の無い当時ではありえないよ。
九州には邪馬台国がある。畿内は別の国。
ただそれだけ。
「九州地域の国」の解説に載せる内容ではない。
朝鮮の国の記すのに、倭国の記載は必要はないだろ?
>あれは倭国から日本に国号を変えたから混乱してるだけだ。
同じ国が国号を変えることと、
別種の国があること、併合するような複数の国があることとは全く関係がない。
どこをどう混乱したら、そんな事実が誤解で記載されると
具体的に想定してるんだ?
783 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:09:57 ID:Ssyyx7bg0
>>777 >あと、畿内政権の性質だけど基本は銅鐸を中心とした出雲政権の流れを汲んでると
どんどん飛躍してるけど、出雲政権って何だよ?
島根県の出雲が畿内を支配してたと考えてるわけじゃなかろうな?
大国主を信奉する勢力が近畿にあったという意味ならわかるが。
>>782 旧唐書が
>>781の通り2種の伝があったり混乱してるのは、編集者が途中で変わったりしたためと言われてる。
>>783 >大国主を信奉する勢力が近畿にあったという意味ならわかるが。
そのレベルの話、詳しくないエリアなのであくまでも想像のレベル。
他は有る程度自信あるが。
786 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:14:16 ID:NNQQSucm0
隋書に倭国はかつての邪馬台国て書いてあるよな。この倭国て大和朝廷のことだろ。
それも九州説の人は否定するの?
787 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:14:36 ID:PKiPkLCh0
>>772 「世王有るも皆女王國に統属す」
君が言うように、統属された国々をまとめて「女王國」というなら、
伊都国について書かれた上記の文は意味不明だよ。
同じ「國」という言葉が、
ある時は勢力全体を示し、
ある時はその勢力内の個別のクニを示すというのは、
無理がありすぎるよ。
>>782 魏志倭人伝には30もの国が載ってて、勢力外についても記載されてるし
そもそもこの魏志倭人伝というのは独立した書物ではなくて
三国志魏書東夷伝という書物の中のほんの一部であって
九州の邪馬台国が載ってて、それより大きいと目される畿内のことが
全く載ってないというのは不自然。
旧唐書については読んでから来なさい。
日本の使者が別種、あるいは名前を変えた、あるいは併合したと
バラバラの理由を挙げてるだけで、別種であることを確定してない。
>>781 2種の伝があることと、
「別種の国」や「併合」の事実が明記されていることに
何の影響があるんだ?
>>784 王朝が交代する真っ只中で、複数の人物が引き継ぎながら編纂したんで
混乱したと言われてるね。
>>789 日本の使者の言い分として載ってるだけで
事実が明記されてるわけではない。
792 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:19:11 ID:tOZk/Syd0
>>788 それまで中国が九州以外に認識していた記載一切ないでしょ。
たしか一商人が畿内の方に旅したという記載があったが
公式には中国は九州以外の物理的存在を認識してない。
当時の中国では九州が日本の最も北に描かれている程だ。
現代の感覚を捨て科学的視点で考えろ。
九州説の9割は在日とブサヨ、残りは九州の田舎者。
795 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:21:45 ID:NNQQSucm0
だから隋書に倭=邪馬台国って書いてあるって言ってるだろーが。
796 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:22:11 ID:U3CZc31R0
機内の政権を記述してなくったって問題ないでしょ。
交渉がなかっただけのこと。
アイヌの先祖の事だって載ってないでしょ。
別種ってのがあるから、存在だけは認識してたわけだ。
>>792 九州を認識してるという記載もないが?
その30の国が全部九州の中にあるとなぜ証明できる?
>>777 > 宇佐は畿内政権の拠点に過ぎないと思ってる。
> 母体は畿内だろう。卑弥呼が宇佐に居たか
> 畿内に居たかの断定は出来ない。
んーこの程度なのか。
繰り返しになるが、そこまで宇佐と畿内を連合国として考える根拠はなんなんだ?
畿内色と九州色が混ざってるといる、というだけならかなり根拠としては薄い気がするんだが。
そんな地域いくらでもあるからなぁ。
> 大分に畿内の影響が強くなったのは卑弥呼時代の前後だから
> 畿内で銅鐸が廃れていた時期と被るから何も銅鐸が多く出る必要性は無いと思う。
に関しては、そう言われるとそうだな。
で、その次の出雲政権って何だっけ?平型銅剣の文化?
九州しか知らないから教えてもらえると嬉しい。
799 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:24:24 ID:U3CZc31R0
「女王国」を「女王の勢力下の国」なんて解釈する余地なんかないよ。
あり得ない。そんな記述じゃない。
まつろ国が唐津だとすると
東南500里伊都国は多久あたりで
東南100里奴国は旧牛津あたりで
東行100里不弥国は佐賀あたりになるの?
801 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:28:02 ID:Ssyyx7bg0
>>798 出雲政権というのは大げさで、
大国主を信仰してた集団が近畿にいたくらいの意味だってさ。
大国主信仰が銅鐸信仰とかぶるような気がする。
そうなると、銅鐸が大型化した丹波・尾張が大国主信仰の主体ということになるが、
後に天火明を信奉するようになるわけで、
国譲り神話とは、近畿が舞台で、大国主から天火明に信仰が変わったと見るべきじゃないかとか。
802 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:28:21 ID:tOZk/Syd0
>>797 >その30の国が全部九州の中にあるとなぜ証明できる?
そういう事は言ってない。俺が言ってるのは使者は
伊都国と奴国以外は知らないし他は又聞きで記載したという事。
伊都国と奴国という九州の一部を知ってるというだけで
九州の全てを知ってると言う意味ではない。
使者は邪馬台国の場所、性質を正確には把握していない。
前回は30000人が押し寄せて大パニックになり駅員総勢で対処したけど、今回は300人で随分とすくねー、駅員大量に導入したのに空振り
場所は駅前だから立地は最高だが、なんせ6両までしか停まれない単線ローカル駅だから人が多いと混乱する。
804 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:29:39 ID:PKiPkLCh0
>>788 >日本の使者が別種、あるいは名前を変えた、
>あるいは併合したとバラバラの理由を挙げてる
その解釈に従うとして、なぜ国号を変えた理由を、
別種の国があった、併合したと使者は述べているんだ。
それを受入れるなら、まさに、複数の国が
あったことを示しているじゃないか。
>九州の邪馬台国が載ってて、
>それより大きいと目される畿内のことが
>全く載ってないというのは不自然。
それを不自然と思うのは、日本という枠組みの中で、
邪馬台国と大和朝廷を比較しているからだよ。
邪馬台国の記述を見てもわかるとおり、
正式に使者を遣したからこそ記されただけだろ。
別に百科事典じゃないんだぞ。
なぜ中国が使者もよこさない国についてまで、
日本全体を網羅して記すほど万能だと思うんだ?
805 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:30:29 ID:U3CZc31R0
>>801 銅鐸圏と出雲とはあまり重なっていなかったような気がするけど。
出雲信仰は筑紫方面もあったはずだから(妻がそっちからだから)、銅鐸とは関係ないのではなかろうか。
思うに、出雲信仰で日本列島西半分ぐらいの緩い連合のようなものがあったのでは。
>>802 なら、女王がいる畿内の邪馬台国が、伊都国に一大卒を置いて
九州の支配下の国々を検察してると読む事になんの疑問もないだろう。
この構図は太宰府と大和朝廷の関係と符合する。
807 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:34:29 ID:Ssyyx7bg0
大和の信仰は、大国主→天火明→天照大神と、3段階に変遷していったようなんだな。
この中で、天火明信仰だけが、完全に忘れられている。
銅鐸も完全に忘れられてることを考えると、
銅鐸信仰と天火明信仰が結びつくのかもしれない。
大国主信仰=銅鐸信仰なら、今でも大国主系神社で銅鐸が祀られてても良いはずだ。
>>804 使者も正確な理由を理解してないからだろう。
国号を変えた理由は白村江の敗戦と壬申の乱で天武が政権を握ったからだと思うが
少なくとも倭国から日本に国号を変えた時には、白村江の布陣でもわかるように
九州と大和は一体だ。
天武の時代に他国を併合したなんてこと書いてる史料はない。
810 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:37:58 ID:U3CZc31R0
宮殿の描写なんかからだと、使者は見てるようなきがするんだが。
あたお、東に倭種があるというところで、「水を渡る」とある。
これこそ、四国や本州のことじゃなかろうか。
玄界灘を通るときも「渡る」だろ。
「水行」って、陸地ぞいにいくとか、川沿いとかじゃないのかね。
811 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:38:22 ID:Ssyyx7bg0
籠神社の系図では、
天火明の後に、海部氏、尾張氏が続く。
これは丹波・尾張の豪族だ。
銅鐸が大型化したのは丹波・尾張だから、
やはり、銅鐸=天火明信仰と見るべきなんじゃないだろうか?
天火明信仰が駆逐されたのは、神武東征でニギハヤヒが退陣したことと符号する。
>>801 へぇ大国主信仰か。
日本書紀はてんで読んだことないからこれを機会に調べてみるかな。
畿内説の中には神話と結びつけて考える人って多いの?
813 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:38:30 ID:tOZk/Syd0
>>806 別に君の意見に反対じゃないよ。
女王が畿内にいるか宇佐にいるか俺は断定してないし、
ただ宇佐ー畿内連合があったのはほぼ確実視している。
太宰府はかつての九州の大国奴国の拠点的意味合い。
太宰府で菅原が後に畿内から送り込まれ天神様と崇められたように
畿内政権にほぼ押さえられつつある時期。
814 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:42:01 ID:Ssyyx7bg0
最初に、大国主信仰が近畿にあった。縄文時代からかもしれない。
次に、天火明信仰が、銅鐸をともなって登場した。
これが、国譲り神話となった。
次に、神武東征があり、天火明信仰=銅鐸信仰が駆逐された。
ニギハヤヒが神武に大和を明け渡したことと符号する。
銅鐸が消えた1世紀頃に神武東征があったということだろう。
815 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:42:07 ID:NNQQSucm0
だから隋書に倭国=邪馬台国って書いてあるって言ってんだろうがこのハゲ。
>>806 そもそも、糸島を伊都とする説がおかしいんだよ。
対馬->糸島と考えるのが当然でこんなのは地図見ただけで
高校生でもわかる。
糸島が一大国。関所だね。
九州説の学者が変なごろあわせで壱岐を出してきてるだけだよ。
817 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:42:54 ID:U3CZc31R0
818 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:45:11 ID:U3CZc31R0
一大国は島だよ。「方三百里」とある。対馬も同じような表記。
九州の山門から東遷したんじゃねーの?中国が倭と蔑むから大きい和と書いてヤマトと読ませたのかと思ってた
820 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:45:37 ID:tOZk/Syd0
これは本州四国の人は一切知らない筈なんだが、
九州は本州四国にはない
地元信仰があって
竈神社、宝満神社、玉垂神社というのがある。
本州四国の人は一切知らないけどね。
九州の西から南部、種子島にまで続いている。
それより南は知らない。
たぶん九州が本州四国と違う国だった時の名残だと思うのだが・・
ちなみに大分では西部の日田以外には無いはず。
その点でも大分は本州・四国エリアの九州とは別の地域なんだよな・・
出雲信仰も大分は多いし。
>>817 いや、そう書いてんるんだけどね。
>都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>「都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。」
>>813 > ただ宇佐ー畿内連合があったのはほぼ確実視している。
んーこれの根拠は?確実視できるほどの証拠はどこにもないと思うんだが。
宇佐こそ、かつての九州の大国奴国の拠点的意味合いじゃないのか?
>>816 現在の前原あたりが伊都国なのはほぼ確定してるが?
根拠は
>>691。
>>823 日本列島側の関所なんだから
出土品が多くても当然だよ。
伊都は今で言えば霞ヶ関だ。
霞ヶ関より、たとえば横浜港のほうが海外の品物は多いだろ。
825 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:52:08 ID:U3CZc31R0
>>821 それは駄目、一大国からマツラ国まで、一海を渡る千里、とあって、つまり対馬ー朝鮮半島間と同じだから。
糸島はほとんどすぐそばにあったはず。
826 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 02:53:38 ID:tOZk/Syd0
>>823 大分が奴国というのは神社の分布、地名、現代まで含めた人的交流
でみてあり得ないんだよ。
これはある程度年齢重ねた九州人なら皆知ってる。
大分は四国・中国地方出身の人が開拓してるし今でも
その割合が大変多い。
険しい山を隔てた大分エリアは瀬戸内地域ではあっても
もう九州ではほぼ無いんだ。
地元での常識。
科学的に本州四国の人に説明したいがそこまでは行ってないのが残念。
>>825 末盧は松江だよ。
そこから500里で丹波だな。
纒向はそこから南東100里の奴国だ。
すべて明快に書かれている。
828 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:01:08 ID:U3CZc31R0
マツラ国周辺から邪馬台国まで、「海を渡っていない」から、九州だよ。
>>828 だから
松江が末盧だって言ってるだろ。
松江から丹波まで500里。丹波が伊都国だよ。
830 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:04:40 ID:tOZk/Syd0
本州・四国の人は九州がかつて本州・四国と同一だったと思ってるが
それはたぶんない。
神社とか言葉とか違い過ぎる。
本州・四国人が一切知らない神社とか神があるのって
おそらく九州だけだろ。
たぶん、邪馬台国以前は九州は全く別の国だったんだろう。
その中で唯一本州的性質を持っている
大分はかなり異質なんだよ。
ここが鍵なのは明白。
831 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:04:41 ID:U3CZc31R0
>>829 それだと、「千里」じゃきかないから外れだ。
南でもないし。
伊都、あるいは奴国までは確定だからね。
魏での一里は75m
>>826 > 大分が奴国というのは神社の分布、地名、現代まで含めた人的交流
> でみてあり得ないんだよ。
まぁ、昔からの系譜が違う、それは認めよう。
宇佐の神社や仏教は特色のあるすばらしいものだと知ってる。
ただし、それならそれが邪馬台国のときにそうなったとする根拠はどこにもないと思うんだが。
出雲がかつて母体だった畿内政権が邪馬台国で、その時、もしくはその後の大和朝廷の時代に
宇佐地方、東部九州を掌握して、そのときにその地域色の強い文化が根付いた、そう考えるの方が妥当ではないのか?
特徴的な地域だから、邪馬台国との連合関係があった、その理論はちょっと飛躍しすぎていると思うぞ。
>>831 航路の千里なんて距離じゃない。もっていく物資の量だろ。
測りようがないんだから。
それに一大から末盧までは「南」じゃない。
>>832 ちがう、約430m
835 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:09:10 ID:U3CZc31R0
確かに、宇佐が東遷の発進地だったりしたら、その後畿内色が強くなるってことはあるだろう。
陸地を行って、道のない時代、1ヶ月ぐらいかかったのかもしれない。
また、水行ならば、途中まで黒潮に乗れるから早くついて、10日というのもありうる。
藤村新一さんが今九州に遺跡作ってます
>>824 いや、偉大な王の王墓が糸島には存在するんだが。
関所に偉大な王がいるっておかしくないか?
糸島が霞ヶ関って考えるのが妥当だろ。
伊都国が前原なら不弥国までは福岡県内。投馬国と邪馬台国から表記の仕方が変るので推定は難しい。
839 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:10:47 ID:PKiPkLCh0
>>808 「別種」、「併合」の事実の記載を否定するような根拠は書いてないぞ。
具体的に何をもって否定するんだ?
新唐書は大和朝廷の史料の引き写しだろ。
日本側の史料に乗っていない事実について検討しているのに、
日本側の史料をそのまま引き写しても、それを根拠にすることはできないだろ。
430mなら戦利は400kmになり、魏志倭人伝の全ての距離に矛盾が出るけど?w
魏ではどうみても短里が正解だろ。
841 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:13:51 ID:U3CZc31R0
>>834 わけの分からないことを言う奴と関わりたくないが、
仮にマツラ国が、現在の松浦市近辺だとすると、「真南」だぞ。
842 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:13:52 ID:PKiPkLCh0
>>809 「別種だ」という使者の証言、
「元小国で併合した」という使者の証言。
使者も正確な理由を理解していないからといって、
国号を変えたことについて、こんな証言が出てこないことくらいわかるだろ。
何の関連性もないじゃないか。
「併合」の時期については、
天武の時代だとは読み取れないんじゃないか?
>>841 おまえは文字が読めないのか?
魏志倭人伝で一大国の次に書かれている末盧国とは松江のことだ、
とおれは何度も書いてるんだが。
>>821 怡土は島ではない
志摩は島だったかもしれない
845 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:16:45 ID:rxrTfGAI0
あちこちに邪馬台国があったんじゃない?
「邪馬台国」「東邪馬台国」「邪馬台国G」「真!!邪馬台国」「新邪馬台国」
と色々。
846 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:19:51 ID:Dy/9SdRWO
古参涙目www
>>840 何も矛盾などでない。
そもそも「短里」なんて言葉は九州説の学者が作った造語だろ。
国際的にもなんの価値もない。
848 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:20:39 ID:tOZk/Syd0
>>833 宇佐を中心とした豊前・豊後地域はヤマトタケルが熊襲征伐の際に
拠点とした鞍手(正確には豊前との境界線近くの
筑前の東北部)がある。時代的に
極めて近いし。この豊前・豊後エリアが畿内と政治的に親密だったのは
疑いがない。
カワカミタケル(佐賀)、神功に敗れた
羽白熊鷹(福岡県朝倉郡甘木周辺)として
大和政権と対立していたのをみると
証明には弱いかもしれんが、飛躍はないと考える。
それから、邪馬台国が筑紫・福岡周辺にあったとは考え難い。
宇佐(豊前・豊後を中心とした九州東北部)が九州西南部と対峙し
更に宇佐エリアが畿内と親密だったのは他の史料みても明らかだ。
学者ではないから正確さはないと思うが少なくとも矛盾はないと考えている。
邪馬台国とは宇佐(豊前・豊後)ー畿内の連合政権だろう。
849 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:21:32 ID:fER4hBNw0
851 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:24:01 ID:IRGj+Ure0
>>848 あなたは「国」の概念を履き違えてる
邪馬台国といった場合の「国」ってのは、今で言う「市」とか「県」みたいなものだ
>>850 無意味なものさしを使い始めたら学者は終わり。
短里なんてものは妄想の産物でしかない。
853 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:27:46 ID:IRGj+Ure0
現代人の感覚で言う女王国の国名は「倭」
で、倭の首都に当たると考えられるのが「邪馬台国」
倭の支配地は東海地方〜九州北部までの一帯および朝鮮半島南部
854 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:27:50 ID:U3CZc31R0
>>848 女王国の東に、別に倭種がいたとしか、東方のことは書いてないから、
それが女王国と連合を結んでいたとは考えられない。
単に宇佐に女王国があった、というだけだろう。
>>228 私、両方しっとり → 25歳くらいから、右耳乾燥左耳しっとり → 今、両方乾燥
>>852 おいおい畿内説っていうのはトンデモなのか?
対馬から430kmもいったらブッチギリだぞ
857 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:30:27 ID:mSKQ1P4w0
858 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:30:40 ID:U3CZc31R0
逆に、魏晋朝が長里だったという確定した説はあるのか?
>>856
>>856 海路の千里余とは距離じゃない。
千里船っていうのは外洋船のことだ。
そこで計るのは持っていく物資だと考えるのが合理的。
3000里 短里じゃないとして、1200kmも仮に東に行ったとしたら、東京より東の海上にでるじゃないかw
861 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:32:45 ID:tOZk/Syd0
>それから、邪馬台国が筑紫・福岡周辺にあったとは考え難い。
自己レスで補足すると、邪馬台国とはその後の大和朝廷に繋がる
事はほぼ疑いがないだろう。
刺青等の風習の残る奴国や伊都国などの九州地方政権の中に
邪馬台国が登場しその後時間を置かず四道将軍などで
東北まで勢力を伸ばす
大和朝廷になるとは常識的にみて考えられないのです。
邪馬台国の本質は畿内政権であると言う事です。
862 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:32:48 ID:IRGj+Ure0
北浦和
中浦和 浦和 浦和美園
西浦和 武蔵浦和 南浦和 東浦和
>>852 魏志では使われているとしか言いようがないお。
「九分九厘」とか「五分五分」とかいうときの「分」は1/10。
「打率3割3分3厘」とかいうときの「分」は1/100。
865 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:35:55 ID:U3CZc31R0
>>861 機内に移ったからこそ、四道将軍なんかを派遣したと考えればいいのでは。
最初から邪馬台国が西日本全部だったら、そんな必要もない。
866 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:36:03 ID:IRGj+Ure0
新宿だって負けちゃいない
西武新宿 東新宿
西新宿 新宿 新宿三丁目 新宿御苑前
西新宿五丁目 南新宿
867 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:36:35 ID:+crryo4QP
>>852 帯方郡と狗邪韓国の七千里って記述はどう説明するの?
>>864 で、一里は約430mだろ。
70mだのなんだのを基準にした研究なんて聴いたことがないな。
869 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:38:00 ID:jxmlAy1JO
お前らもう寝ろよwww
>>863 >そこで計るのは持っていく物資だと考えるのが合理的。
意味不明w
>>858 長里を主張してるのは俺ではないけど?
871 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:41:06 ID:U3CZc31R0
中国の学者はどう思ってるんだろうね、短里説。
これである程度つじつまが合うのは事実なんだけど。
872 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:41:10 ID:tOZk/Syd0
>>865 確かに邪馬台国がその時点で西日本全域を支配してるとは考えられない。
畿内と宇佐は一心同体の水準だと思うが。これは九州西南部の対峙する為の
戦略的な同盟、あるいは畿内政権そのものだったからだろう。
だからその中間部、吉備や四国などが完全に掌握されていたとは思ってない。
ただ、出雲は大王の女系みると出雲系の名称がみられるからほぼ
同一だとみてる。
873 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:41:23 ID:I2xmmPrXO
おまえら全員黙れw
そして勝手にグッズを売るなw
そしてグッズを買うなw
既成事実を作ろうとするなw
>>868 で、お前は一里は430mなのか千里船wなのかはっきりしろよ
>>867 同じだよ。
それだけの物資を必要とした(する)ってことだろ。
軍隊ならそれが合理だ。
>>868 海路においては距離と考えるほうが20世紀以後の人間としてはどうかしてるってことだよ。
877 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:45:23 ID:U3CZc31R0
櫻井市=その余の傍国 だろ。
完全に逝っちゃってるなコイツ>bGcku1sgP
肉じゃがの町おこしだろ?
880 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 03:59:03 ID:t8/leUBw0
朝鮮では400メートル、中国では500メートルが1里らしい。
日本はご存知のように1里は4キロメートル
881 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:03:55 ID:tOZk/Syd0
畿内ー宇佐の連合は
パワーバランスからみても自然。
邪馬台国の本質は畿内政権だが
一大卒をおいて伊都や奴国を支配するだけでは足りず
核ミサイルや情報伝達装置の無い時代に
九州西南部の大きな勢力を押さえるには不可欠だ。
882 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:04:48 ID:ApEqKSZK0
883 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:09:08 ID:nJe/cFM4O
ねぇーグッズ買って、買って〜
by桜井市民B
>>118,141
俗にいう“ねこみみ”というものだと思います。
私もねこみみです。ちなみに、父も弟もねこみみです。
ねこみみ自体は病気ではなく、体質の違いかなにかでなるものだと思います。
私はみみかきではなく綿棒で掃除をしているので日常生活にはまったく問題がないです。
(赤玉はわからないのでコメントしません)
ただ、母が「ねこみみの人は、ワキガの人が多いし、足に汗をかきやすいからニオイやすい」と言っていました。
確かにワキや足に汗をかきやすいです。
でもそれ自体は異常じゃないし、本人が気をつければ何ともないです。
ねこみみ、意外と多いと思います。
赤玉はまた出るようなら耳鼻科に行かれた方がいいかもしれません。内側が傷ついているかもしれないので・・・。
>>880 おもろい指摘だね。 何でそこまで違うんだろ・・・
886 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:42:12 ID:tOZk/Syd0
ねれんw
距離議論は不弥国以降は不毛。
不弥国以降南に水行二十日が来てる時点で
使者は又聞きデータのデタラメ書いてるのは
明白なんだから。
不弥を陸地のど真ん中宇美町に置いても
少し大目にみて北東の古賀市周辺に置いても
そっから南に水行二十日はあり得ない話。
水行北東なら話は分かるが南なら奴国や伊都国に
戻るレベル。ナンセンス。
つまりデタラメ書いてるとしか考えられない。
話半分聞とけのレベル。
887 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:44:58 ID:cYLG6If/O
これは抗議だ
888 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:47:41 ID:zoTxm9C+0
地理的なことを考えると、中国の文献に登場する
卑弥呼は間違いなく九州にあった邪馬台国
近畿のはその後に栄えた大和朝廷ととらえるのが正しい
889 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:47:49 ID:tOZk/Syd0
使者の又聞きで唯一信憑性のあるのはその距離だ。
方向は又聞きの為デタラメ。
水行20日+10日で
距離はおそらく不弥国(宇美町)を中心に描くと
畿内が円周上に入ってくるだろう。
891 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 04:56:23 ID:tOZk/Syd0
水行20日+10日で
補足、水行20日+10日+陸行1月(方角不明)
893 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 05:09:39 ID:tOZk/Syd0
重要な事を補足。
那珂(奴国)から筑後方面に下る場合
よほどのキチガイじゃない限り
そっから東の宇美に行く奴は居ない。
宇美に行くのは大分や関門海峡のある山口方面に行く為に限る。
本州・大分方面に陸路で行く為に宇美を通るのは
神功のしょうけ越え(宇美町)でも
みられる。
つまり倭人伝の邪馬台国までの
行路は少なくとも筑後方面には無いという事を示してる。
これはキチガイでない限りは福岡人なら常識のレベルw
やわパイ国の話をしようぜ!
あのデタラメな海図と九州の遺跡はなんだったんだろ
896 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 06:46:51 ID:7xmwP3W3O
逆さ日本地図認めりゃ解決じゃん
897 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 06:52:11 ID:eGQ1IDZL0
町おこしって色々大変だよな
結局プレ大和政権のような国体が巻向の地にあったという事だな。
大騒ぎする程の事じゃなかったんだよ。
>>896 魏志倭人伝の記録から後世成立したと考えるほうが自然。
>>412 なんだ、元々奴国あたりの北部九州で栄えた勢力が
畿内に東遷したって書いてあるじゃん
東南って言ってるのに
たまたま糸島があるからって
わざわざ北東に進むことないやん
奴国不弥国は有明海岸
902 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 09:34:25 ID:cThJOMfjP
まぁ、奈良の近くには
卑弥呼と有力視される倭迹迹日百襲媛命の古墳があるしな
ナチュラルに考えて、九州説が本当ならもっと栄えていて良い筈だもんなw
邪馬台国以前の時代に北部九州勢力が東征したといっても、
吉備あたりに長期滞在したり、畿内の親戚やら有力豪族と協力して
やっとこさ畿内に入った感じなんだよな
神話だからどこまで信じられるのかわからんけど、畿内に婿入りしたとか
畿内の豪族と連合してそれまでの勢力を倒したとか、そんな感じかもわからんね
>>900 日本神話そのままだな。
東征があったとして、邪馬台国が九州から奈良に移ったのではなく
筑紫から畿内の邪馬台国=大和州に東征したということだろう。
906 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:16:28 ID:hkC69djM0
>>412 筑紫城?
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に・・・と祝詞にあるだろ
現在の宮崎市阿波岐原町だよ
あそこの住民を追い払って発掘調査すれば100%遺構が出てくる
907 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:18:38 ID:hkC69djM0
まあたぶん現在の宮崎神宮のあたりだろう
正確には阿波岐原町の西になるが、その辺の住民も追い出して発掘調査すればいい
新唐書がいつ成立したか知ってるのか?
ありゃ、日本書紀のコピペで資料価値なし。
910 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:27:31 ID:U3CZc31R0
>>908 当時は小国による連合が生まれ始めた時期で、どこも地域政権だったはず。
後漢で100余国といってたのが、その200年後に西日本統一なんて早すぎる。
魏志だって、30余国と分かれていて、盟主が出来てきている段階だし。
>>904 遺跡等から
九州の勢力は当時の奈良の勢力より弱そうだし
東征しても成功するとは思わないんだよな
912 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:29:39 ID:PhUnpyegO
小浜市といい、なんでも商売にする根性はねえ
913 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:30:25 ID:pRg1OFzz0
>>749、752
レスすまんな。
ただ、君たちの答えは、オレの聞きたい意図とは違っているので、質問の仕方を変えてみるよ。
「東南のかた・・・伊都国に至る」の記載だが、
では、なぜ、魏の使者は「伊都国は東南の方向にある」と思ったのか?
これは記載が正しいかどうかの問題ではなくて、何を根拠にそう思ったのかを
聞きたいんだよ。
だから、倭人に聞いたからだと思うんだったら、その可能性もなしとは言わない。
仮に使者が途中までしか行かなくて、倭人から伝聞で記載したとしよう。
しかし、それなら、以下の点はどう説明する?
「又南に一海を渡ること千余里・・・一大(壱岐)国に至る。」
なぜ、魏の使者は「壱岐は南の方向にある」と思ったのか?
言っておくが、魏の使者に成りきってくれよ。
つまり、頭の中から、日本地図を抹消して考えてほしいということだ。
オレは太陽を起点に方角を見定めたのだと考えている。
それ以外に方法があるのなら教えてくれ。
914 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/16(月) 10:30:49 ID:cmfEMjsLO
>>910 統一するのに二百年てな別に短くはないだろ。
魏志倭人伝の頃に完全統一されていたわけではないとは思うがね。
「筑紫の日向」だから宮崎じゃなく福岡方面という説もあったような
新唐書は当時の日本書紀を参考にしてることは見ただけで解るが、
”その当時”の日本の歴史認識がそのまま解るという意味では興味深い。
あ、神武東征は3世紀よりずっと前か
神話では紀元前6,7百年ぐらいだったか
その時代ならよくわかんねえやw
917 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/16(月) 10:33:49 ID:cmfEMjsLO
>>913 しかも言葉が通じないから北だの南だのではなく太陽の方向とか言わなきゃならなかったりしたろうしな。
918 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:34:48 ID:hkC69djM0
>>911 一気にやれば無理だろうが、閨閥を作ったりして政治的にうまくやればできる
919 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:36:56 ID:hkC69djM0
>>915 筑紫とは昔は筑紫の国だけでなく九州全体を指した地方名
日向はいまの宮崎県に限定した地方名
920 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:37:36 ID:pRg1OFzz0
>>917 通訳はいたのと違うかな?
言葉が通じないでは、皇帝の使者が全然勤まらんと思うけど・・・。
>>803 記事のタイトルからは一番ふさわしいレスなのになぜか筋違いのレスだらけで浮いていてかわいそうです。
922 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/16(月) 10:43:27 ID:cmfEMjsLO
>>920 言葉の壁が誤解を生む例は後世でもたくさんあるじゃないか、ちゃんと通訳がいても。
日本で日に向かうと言えば東だが、余所では南を連想するかもしれんと思ってね。
本居宣長が、野蛮に扱われてるのが気に入らないで、それまでみんなヤマト
と読んでいたのを、無理やりヤマタイとか言い始めたことがわかっている以上、
九州説は無理。
>>910 4世紀末には朝鮮半島まで進出してるし
当時の西日本は畿内を盟主に数十カ国のなだらかな連合政権が出来てた、
と考えるのが自然
奴国あたりが栄えてたのは1世紀。吉野ヶ里とかも大体それくらい。
で、磐井の乱まで大和が北部九州を武力で鎮圧した跡がないのに、
魏志では奴国伊都国あたりがすんなりと邪馬台国の国家連合に属してる。
あと、高地性集落の分布からして、闘いが絶えなかった地域は
中国地方→近畿周辺と遷移してる。
畿内の卑弥呼擁立以前にあった倭国大乱が一体どういうものだったのか
解ると面白いんだけどね。
926 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:46:37 ID:pRg1OFzz0
>>922 だから、全然通じないのと、誤解を生じさせることとは違うと思うがな。
もちろん、誤解が生じることもあると思うけどね。
ああ。
邪馬台国なんぞどこだっていいじゃんと思ってたけど、
こういうことをしたかったわけか。
なるほどなー
929 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:52:03 ID:hkC69djM0
>>910 武力でなく閨閥でもって統一していくなら余裕でできる
実際のところ8世紀までずっとそういう政治工作が行われている
確定したのか
わからないままのが良かったのにな
931 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:57:51 ID:OgoDPnuyO
地元がニュー速で話題になるって変な気分だな
932 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 10:59:32 ID:wfEogPA4P
チョン臭いです
933 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:00:39 ID:BOXOp4Bd0
もう勝った気でいるのかただの強がりか
934 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:14:51 ID:xmwlntQOO
>>898 正解
今のところそれ以上でも以下でもない
この遺跡以上のものが出てこないんだし
卑弥呼の時代に奈良以上の勢力が無かったんだろ
仮にここが邪馬台国じゃなかったら
この地この勢力はなんて呼ばれてたんだ?
この勢力の名称だけ不明って変だよね
937 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:33:13 ID:gwQKwVhjO
大和朝廷
938 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:34:14 ID:4LQNoh6AO
939 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:36:07 ID:L6YMZfEz0
卑弥呼まんじゅうもそろそろだな。
てか、畿内確定っぽいな。
940 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:42:17 ID:90YjcCJ/0
魏志倭人伝と邪馬台国に惑わされてるだけ。
普通に大和王権が早い段階で成立してたって事。
まさに「まぼろしの邪馬台国」だったわけだ。
仮に大和朝廷がこの時代まで遡ってあって
それが一地方政権の邪馬台国を滅ぼしたとしても
これだけの勢力が
魏志倭人伝に名称が乗らないのは変だと思うんだが
邪馬台国→大和政権
邪馬台国=大和政権
こうとしか考えられん
943 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:47:29 ID:Sbrqq93JO
対馬、壱岐、投馬(出雲)、邪馬台(大和)で自然だ。
古代から地名はそれほど変化しないなら邪馬台もそういう発音の場所でないとおかしい。
九州説は九州のどこが邪馬台国かも示せない。
944 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:47:37 ID:gwQKwVhjO
邪馬台国と大和朝廷が親類で卑弥呼亡き後に、台与を大和朝廷が受け入れたとは考えられんの?九州派のみなさん
945 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:50:19 ID:Yr1YD9Yf0
おい、もちろん商標申請はしてるだろうな?
極東アジア国に先越されるなよ!!!
邪馬台国ってどう見ても大和の国を中国が卑文字で表したものだし、
卑弥呼だって、〜姫って意味ではないの?
邪馬台国=大和なら、奈良で決まりじゃないの?
九州にはまた別の国があったんでしょうよ。
947 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:52:46 ID:gwQKwVhjO
卑弥呼が王となってから見た人はいないみたいな事を書いてあるじゃん、あれって、九州→奈良に上がったとか、、、えー
948 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:54:25 ID:Sbrqq93JO
畿内説VS九州説って言い方は変だ。
大和説VS九州説だ。
九州説は場所について漠然としすぎ。考古学的根拠が無さすぎで、古文書の解釈しかないからそうなる。
949 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:56:56 ID:gwQKwVhjO
で、接近が出来たのは弟だけ?!新しい土地だから、警戒してたんじゃないの?!
950 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:57:02 ID:ikIN4UVVO
でも畿内だと喜べないのも事実
当時の中央政権が支那の息がかかってたのを実証するようなものだ
951 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 11:57:11 ID:dpUGKJwuO
卑弥呼って日本だっけ?
てっきり起源の有名なお隣の国だと思ってた
洗脳されかかったわ危ね〜w
国宝の金印はやっぱニセモノなのか?
それは奴国宛ての金印だから問題ないんじゃね?
954 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:06:04 ID:gwQKwVhjO
倭国は乱れ何年もの間、争いがたえなかった、、そこで卑弥呼ちゃんを王に選出ならなら、戦いの武器鉄に人骨は必要な条件になるよね
955 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:07:20 ID:tOZk/Syd0
もうおわかり。
邪馬台国=プレ大和政権。
魏の使者は伊都から百里の
奴国(博多区那珂)で又聞きで
邪馬台国まで
船で30日と聞かされて途方に暮れ。
雑餉隈で2ヶ月遊び惚けて適当な報告書作って
帰って行った。
しかしその分伊都と奴国の描写は
事細かに記載される事となった。
那珂から東に百里の時点で宇美に向かう事が当時も
今も本州方面へのルートなんだけど宇美から南へ水行20日と
書いてるからおそらく宇美にも行ってないんだろう。
宇美(不弥)の山を見れば普通水行なんて書かない。
行ってない証拠の一つだw
行程と方角がピッタリと一致する奴国までが彼らの実際の足取り。
そっからは地元民に聞いただけ。
又聞きだが東へ百里という確信的記載は本州・大分方面に
邪馬台国があった一つの証拠と言えよう。
「邪馬臺國」の金石文か、「親魏委王」の金印が見つかったりじゃなきゃ、同定は不可能だろ。
957 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:08:15 ID:ZYJJZ5gAO
やまとこくの首都が奈良
ひみこは九州のどっかの集落の巫女だろ
958 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:08:27 ID:gwQKwVhjO
塚、九州にも邪馬台国があったんじゃないのか?
959 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:12:26 ID:hkC69djM0
方角からして金印か文書の類があるのは線路の下だろ
畿内派:自説の保守に必死
九州派:もはや畿内派を論破することに必死
これ結論でてるだろ。
古事記や日本書紀に登場する、出雲大社や伊勢神宮なんて今でも現存するもんなぁ。。。
卑弥呼やその後の偉人たちが生きていた時代に存在していたと考えると、感慨深いものがある
一度は訪れてみたい所だね
962 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:17:35 ID:gwQKwVhjO
使者「卑弥呼に会いたいんだけど・・・」
漁民「卑弥呼様は王になられたから、もうココにはいないよ」
使者「どこに行ったん?」
漁民「水行10日陸行30日かかる場所」
使者「そりゃ遠いなー」
漁民「おお」
>>68 > ようこそようこ
サキの故郷が京都あたりっぽいから、もっと西だな。訛りがないけどw。
964 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:25:52 ID:gwQKwVhjO
邪馬台国=奈良
卑弥呼の里=九州
これでいいじゃん
>>915
当時って、いつだよw
成立は平安末の混乱期。日本からの新たな情報も入るわけもない。
資料価値なしだよ。オリジナルの日本書紀を見ればすむ。それ以上の情報はない。
畿内説曰く
「魏志倭人伝はデタラメだ」
「陳寿はうそつきで有名だった」
「旧唐書は編纂過程にゴタゴタがあり中国でも評判悪い」
「新唐書は日本書紀のコピペ。資料価値なし」←今ここ
結局は畿内説って中国の文献はすべて否定しないと成立しない説なんだよな
968 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 12:58:39 ID:RxhC3LyQO
陳寿「え?ヤマタイコクがどこかだって?
なんだよ、ヤマタイコクって。俺そんなの知らねーし。
あ、俺が書いてんの?どれだよ?
これ?邪馬台国?これのこと?
これヤマタイコクじゃねーよ。
ヤマト国だよヤマト国!
なにヤマタイ国なんて読んでくれちゃってんの?
普通に読めばわかるっしょ!
俺ら中国人だしさ、ちょっとシャレで当て字しただけじゃん!
ヤマト国ならここだよ、ここ!
えーっと、今の地名で言うと…奈良?っつーの?
え?九州じゃないのかって?
いや九州も一応ヤマト国ではあるけどさ、あそこ田舎だよ?なーんもねーもん。
遺跡とかだってたいしたもん出てないんじゃない?
だって田舎だもん。
あー、東と南間違えたとか勘弁してくれよ。
だって俺がもらった地図がそうなってたんだからしょうがねーじゃん。
俺のせいじゃねーってばよ!
とりあえずこれくらいでいい?
まあそゆことでヤマト国は奈良ってとこだからさ。
だからお前らがもめてんの俺のせいじゃねーからな!
そこんとこだけはよろしく頼むよ!」
969 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:04:01 ID:O2DsR4tGO
塵へと帰れ
971 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:11:23 ID:XX7T1UKp0
確定なんてしてないし、現場の研究者はそんなわからない夢の話なんて
してない。
親魏倭王の金印とか、卑弥呼とかの木簡でも出てくりゃ別だけど。
巻向だってまだ1割も発掘できてない状態だから、まだ早いよ。
全然別の話で悪いが、いまどき子供に「卑弥呼」って名づけたら、DQNネームって言われるよなやっぱり
>>972 だって実際AV女優の名前か有名レディースの名前からつけてる奴がいるもん。
え?歴史上の人物なのみたいなレベルで。
974 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:21:28 ID:90YjcCJ/0
>>967 学びたいので魏志の正確性についての研究纏めた本教えてくれませんか?
976 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:26:41 ID:4LQNoh6AO
>>972 ってか『ヒミコ』という発音に『卑弥呼』という時を当てたのは支那コロだし
日美子なら全然DQNじゃない
>>966 歴史を客観的に見るには他国の史料は欠かせないぜ
中国ですら、中国史を調査するにあたっては日本の史料を
頼ったりしている訳で。
978 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:30:03 ID:4LQNoh6AO
>>967 九州説でも畿内説でも倭人伝どおりの場所には何もないんだけど?
そうなると『倭人伝は嘘(不正確)』だと考えるのが妥当
九州説でもね
979 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:30:06 ID:sEh33rilO
小学生の時に読んだ漫画が妙に記憶に残ってる。記録がないからほとんどフィクションだがな
卑弥呼って、どうせシナ人にやられちゃったんでしょ?
981 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:50:14 ID:m9k0Sm5z0
>>782 >同じ国が国号を変えることと、
別種の国があること、併合するような複数の国があることとは全く関係がない。
どこをどう混乱したら、そんな事実が誤解で記載されると
具体的に想定してるんだ?
天武の使者が、我々はもともと吉野という小さいところに居たが、ときの政権との戦争により天下を取ったと説明して、その内容と国を興したものは新しい国名を創るという中国の常識とが混同されればそういう誤解を生むだろ。
あと九州説は、「方角は間違い得ない」ばっかり言ってるが、中国の日本が九十度ひっくり返った地図や史書の中でいろんな場所の方角の間違いがあるのに、それを何度指摘されてもスルーしてるのがせこすぎる。
982 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:57:57 ID:m9k0Sm5z0
>>971 邪馬台国の位置は大和でもう確定してるし、そのことは研究者なら誰でも知ってる。
遺跡から考えて卑弥呼の時代に大和が日本の中心であり、そこを中心として中国の年代が入った鏡が出てくる。
また魏志から考えて当時の邪馬台国は九州の地方都市とは隔絶した規模だった、なおかつその中心都市はヤマトと呼ばれている。
ここまで出て答えがわからないやつは居ないだろう。
983 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 13:58:46 ID:Ls1xOfNk0
しかしまぁ我が国の事なのに、他国の使節団の記述からしか存在すら確認できないというのも
情けない話だなぁ……
要するに、
畿内説=九州説がありえないから、うちが正しい。
九州説=畿内説は無理があるから、こちらが正しい。
「〇〇は常識」と書き逃げする奴ぁ工作員か?w
勝利宣言するには、金石文や木管が出てもまだ早いんだぜ。
古代の巫女さんって神聖性を高めて信託の信憑性を高める為うまく喋れず表情を出さないようにしたのか
抜歯したり顔面にずっと板あてて顎から上を平面に変形させたりわざと奇形にしてたんだよな
986 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:07:28 ID:m9k0Sm5z0
>>984 畿内説論者でふだん九州説がどうとかいうやつは少ないというかほとんどいないんだが。
実際九州説なんて四国説や関東説とレベル的に差がないわけだが、絡んでくると鬱陶しいから九州説のでたらめを指摘してるだけで。
987 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:09:02 ID:itID/UEH0
もっと掘り返せよ
988 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:14:11 ID:CT6P66PVO
邪馬台を『やまたい』って読むのは何で?
『やまと』でいいと思うんだが。
>>988 畿内で確定すればやまとが正解でしたってことでいいんじゃないの
隋書にも邪馬台国は大和のことって書いてあったし。
990 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:18:21 ID:Lyxz6fBeO
岡山に決まってるだろ
991 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:20:41 ID:BOXOp4Bd0
俺九州だけど卑弥呼が九州弁丸出しで喋られるとちょっと引く
「ちょっとぉ!!ここに置いとったろーが!! なんば?じゃなかさ土器たい」
992 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:21:00 ID:8VWf+zaqP
沖縄じゃだめなん?
994 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:26:47 ID:Opmq0kdY0
邪馬台国九州説、漢委奴国金印・広開土王碑文偽造説、騎馬民族征服説
これみんな戦前の皇国史観の反動から出てきた自由「すぎる」学説を
イデオロギー的に利用したい人たちが長年信憑性があるかのように報じてきたというだけの話
邪馬台国は最後の牙城なんだよね。
>>993 沖縄でいいと思う
どうせ分からないんだし
996 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:30:15 ID:90YjcCJ/0
とりあえず、民主党は宮内庁に天皇陵掘らせろって言え。
研究者も民主党にがんがん働き掛けろ。古墳調べたらかなり判明するだろ。
997 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:37:14 ID:m9k0Sm5z0
天皇陵の発掘というよりまずは箸墓から始めるべきだろう。
そこでいろんな学術的な成果が出れば、天皇陵の発掘にもつながるだろ。
箸墓から殉死させられた死体がゴロゴロ出てくればビンゴだな(w
999 :
名無しさん@十周年:2009/11/16(月) 14:50:00 ID:BOXOp4Bd0
出土品の中に「3年2組 ひみこ」とかがあれば確実なんだけどな
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。