【歴史】 「もう『邪馬台国は九州にあった』説は無理…」 邪馬台国論争、決着近し…奈良・纒向遺跡の大型建物跡発見で★4

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1☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★
★「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し 纒向遺跡

・邪馬台国機内説の“本命”である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡での大型建物跡の発見は、
 江戸時代中期の儒学者、新井白石が大和説を提唱して以来続く邪馬台国論争にほのかなゴールを
 かいま見せる成果となった。魏志倭人伝の解釈や発掘調査、科学力を駆使した研究の積み重ねによって、
 古代史最大の謎が解き明かされつつある。

 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長
 (考古学)は強調する。

 邪馬台国論争の歴史は古く、新井白石が大和説ののちに九州説を提唱し、国学者の本居宣長
 (もとおり・のりなが)も九州説を打ち出すなど本格化。現在は、考古学的なアプローチが中心だ。

 纒向遺跡ではこの20年間、桜井市教委を中心に箸墓古墳(全長280メートル)など最古級の
 前方後円墳の調査を精力的に進めてきた。かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の
 違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代測定法の成果などによって、3世紀の邪馬台国
 時代にさかのぼる可能性が高まった。

 所在地論争の最大の決め手は卑弥呼が中国・魏から授かった金印の出土とされるが、丹念な調査が
 邪馬台国の実像をあぶり出しつつある。白石館長は「長年の研究の蓄積によって『九州説は
 無理だろう』という考古学研究者が大半を占めるようになった」と指摘し、「全容解明へ文化庁や
 県が調査に乗り出すなど態勢づくりが必要だ」と話した。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091111-00000528-san-soci

※元ニュース・関連スレ
・【奈良】3世紀前半の大型建物跡、邪馬台国の中枢施設か
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257844817/
・【社会】九州?近畿?論戦熱く…邪馬台国めぐりシンポ - 九州国博
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257800670/

※前:http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257979729/
2名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:41:41 ID:wf/COyd0O
結局、邪馬台国を大和朝廷と同一と見なすかどうかで意見が分かれてると思われる。
同一と考える=畿内派、別物と考える=九州派という感じ。
3名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:43:19 ID:IF0bj7yPO
正直どこでもいい
4名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:45:22 ID:73E9DrOO0
産経のレベルの低さは異常w
売れない理由がよく分かる
5名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:46:51 ID:PKCrSO3kO
我が国の皇室はシナに朝貢などしない
ましてや親巍倭王などという無礼な金印を受け取る訳がないし
我が国の皇統は万世一系
氏素性の分からぬ巫女を皇位に据えるはずがない
よって邪馬台国は九州の地方政権
6名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:48:02 ID:fPX6XqKD0
地元を発掘してるコテの畿内説派が大声上げているだけ。
7名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:53:14 ID:CCX7Ijwk0
じゃ…邪馬台国...
8名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:56:44 ID:m2aQEyyC0
邪馬台国に異様にウルサイ年寄りのお笑い芸人誰だっけ?
9名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 08:57:00 ID:D84CpEX00
DSiLL予約殺到でカカクコムがぼったくり価格になってる
10名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:01:20 ID:n8EyPTJS0
志賀島の畑の中から出てきた金印だけど
「なんであんな所に」と思うような場所だ
11名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:11:07 ID:5Tbm8uP+0
>>10

「出土」したタイミングといい、贋作だろうな・・・。
12名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:14:19 ID:HKmZ+ba70
日本書紀を読むと
熊襲や土蜘蛛の女酋長がけっこう出てきて
大和朝廷の皇后や皇女さまより
よっぽど卑弥呼のイメージに近いんだが。
13名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:18:35 ID:o6qa+2/TP
機内が突然発展した分けないし
必ずそれまでの土台があったはず

元から九州説は絶滅寸前だったけど
今回の発見でダメ押しになっただけ
14名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:31:03 ID:1EcXO/T40
九州にあった王朝が衰退した後に、そこから逃れてきた人たちが作ったのが邪馬台国だって、宗像教授で言ってた。
だから九州と畿内で同じ地名がほぼ同じ位置関係で多くあるんだとか。
15名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:33:19 ID:EZZGv78I0
ずいぶん昔から、一部のアホは別にして大和説で確定的だった。
16名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:33:42 ID:FdqfGzWg0
>>10
厳密に言えば、畑の中でさえない。
畑にしようと海沿いの狭い荒れ地を耕していたら発見しました、と寺の過去帳に
名前が載ってない農民が献上してきたw
17名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:37:45 ID:UJe3QjP4O
邪馬台が大和だと?!んなぁーわけあるかい!
18名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:38:07 ID:3ud22yRSP
そんな農民が金を手に入れて
贋作作るような能力なんてあるのか?
19名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:40:27 ID:FNSJmtoL0
>>18
コティングリーの妖精写真も長らく「子供に合成写真なんて作れるのか?」と言われて信じられてきた。
そういう思い込みはよくない。
20名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:43:48 ID:UJe3QjP4O
贋作を作る意味もないのが事実、福岡の志賀の島で発見された金印は贋作と主張しているのは畿内論者だけ

まるでゴッドハンドがおこる前触れの用にも感じられる、恐るべしインチキ畿内論者
21名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:45:18 ID:5Tbm8uP+0
>>18

三浦佑之『金印偽造事件ー「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎新書・015)

  幻冬舎 756円(本体720円+税) 2006年11月

出版社は怪しいが、一読の価値あり。
22名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:45:31 ID:3ud22yRSP
普通に考えたら大陸からの使いの者が
間違えて九州の何とか島に上陸して捨てたんじゃねーの?
23名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:46:15 ID:LVJMhE0N0
>>19
材質から見て技術よりも費用が問題だな

仮に贋作なら
ピルトダウン人や「神の手」同様に
後押しした黒幕がいるはずだ
24名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:47:06 ID:yt3NM/o20
>>14
それは安本先生のファンタジー小説です。
奈良には出雲や丹波をはじめ、全国の地名が点在してます。
25名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:48:55 ID:6FN79kcP0
まさかの3スレ目w
レヴィ・ストローススレの熱さといい、最近の+速はどうかしたのか。
26名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:50:08 ID:3ud22yRSP
金印以外に九州には有力な手がかりってあるの?
27名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:51:30 ID:ZwSPznmu0
こいつらバカか
別に分からないものは分からないでいいんだよ 
28名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:55:05 ID:5WgE0jH+0
ジャバ大国
29名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:55:43 ID:OV4CNSGR0
なぜいまさら発見されたのか。
ゴッドハンドが数人いたのではないか
30名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:56:04 ID:QUMVT+QQO
国内で「邪馬台国」の文字が出てきてから真面目に考えればいい。
31名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:58:21 ID:bZ1477x10
もうね、無理
32名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 09:58:51 ID:3ud22yRSP
例えば九州から風土記みたいなの出て来ないの?
うちの近所のお寺には完全な風土記があって
俺の先祖は5世紀頃この地に渡来人として来たって書いてある
近所に古墳も貝塚とかもあるよ
33名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:01:06 ID:IzPrBmGA0
台与って書いてトヨと読むんでしょ。
邪馬台と書いてヤマトと読むのが自然だと思ってたが。
34名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:06:55 ID:MHtdm5Zk0
走れ バンバンババン 走れ バンバンババン
ビッグシューター 風より速い♪
35名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:07:15 ID:JsdXCk7L0
邪(や)馬(ま)台(と)
まったく支那人ってのは大人気ないネーミングが好きだな
36名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:09:02 ID:kZFEnmIk0
ハッキリさせちゃったらつまんないんだよねぇ
どこか謎は後の人の為に残してあげようよ
37名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:09:09 ID:UJe3QjP4O
邪馬台←ヤマトと呼んだとしたら九州説が有利になると聞いた事がある

だから畿内論者はヤマト呼びは封印したらしい
38名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:09:46 ID:dnDzrh650
>>23
>ピルトダウン人や「神の手」同様に
>後押しした黒幕がいるはずだ

亀井南冥がその人
39名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:11:52 ID:jM2kgetd0
銅鐸文化が廃れたのは、その頃に九州勢力(邪馬台国?)に駆逐されたという
考え方は成り立つと思うけどなあ。
40名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:14:35 ID:emR6Cugs0
間をとって四国にしよう
41名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:15:59 ID:AfAmhD8oO
>>33
オレも大和と邪馬台は近いだろうと思ってたんだが、当たり前過ぎてなんか違うんだろうと考えてた
42名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:16:07 ID:28crqTet0
高島忠平がたかじんで自分が九州説を唱えているのは
昔上司にそう命令されて仕方なく今でも
って言ってたな
43名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:18:14 ID:Fupd5aWNO
 九州にあったなら 使節団は直接 会っただろうな!でっ 鏡百枚は どうなったのかな?
44名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:19:33 ID:cRYUETBDO
>>36
どっかの学校のえろい先生が
「確定したら関連本が売れなくなる」って言ってたw
45名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:20:37 ID:ARfUkgAF0
志賀島の金印が本物と信じる奴の気が知れない。
蛇紐の出来がどうみても悪い。
「広陵王璽」と似ているといっても、当時の印章研究第一人者が、
かかわってるんだから、単純に似ていることは証拠にならない(彫りの技法とかは
チェックしていない)
それよりもなによりも「国王」となっているのが気持ち悪い。
46名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:21:54 ID:6l+YTb440
九州 − 邪馬台国

奈良 − 大和朝廷


これが真実 
47名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:22:15 ID:Qx8Yey25O
銅鐸はまだ発見されないのか
48名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:22:54 ID:CctHGf/DO
第12代景行天皇(大足彦忍代別皇尊 おおたらしひこ・おしろわけのすめらみこと)の、巻向の日代宮の跡
49名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:24:11 ID:5YFjkHBd0
中国から日本の大きさ把握してなくて海外線からはけっこうな大きさと
考えてたらしいよ。畿内にあって九州にもあった気がする。
まあバカ正直に自国の場所を説明か案内かしらないがするとは思えんが
50名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:25:01 ID:f7IJQC/a0
だめ押しのホームランが出たの?
51名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:26:23 ID:5YFjkHBd0
>>45
たくさんの国乱立してたから奴国としてもらったんやろくまー
52名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:29:31 ID:jQsMYT8pO
仮に九州だとすると
大国が跡形もなく消えた理由がわからんな
大和が滅ぼしたならそういう記録が残ってそうだし
53名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:44:49 ID:Mefbtg7m0
>>52
つ日本武尊
54名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:46:00 ID:DTLMC47kO
邪馬台国はヤマタイコクではなくヤマシロコクだったんだよ!
55名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:49:24 ID:3tuEI5Xh0
結局それぞれのご当地の人達同士で争ってたんでしょ
カレー発祥とか肉じゃが発祥の争いと同じレベル
56名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:51:19 ID:3ud22yRSP
さよなら絶望先生のネタにはなるだろう
57名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:53:55 ID://yFygpTO
>>55
元々奈良だったのが、江戸時代にいちゃもん付けられて現在に至るだ。
レベルが違うはなし。
58名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:54:54 ID:5HeZ8rvJ0
>>54

チョメチョメ
59名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:59:46 ID:O2XYQjkl0
>>1
大阪人嫌いだから九州でいいや
吉兆の偽装じゃないけど、信用できないな
九州に迷惑かけたし譲ってやれ
60名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:12:37 ID:RGuBXlpr0
この纒向遺跡周辺には、日本最古の道である山の辺の道や最古の神社である大神神社があり
大規模な古墳も数多く点在しており、小野妹子が遣隋使として旅たった地である。
また日本に初めて仏教が伝来した地でもある。
九州説の場所にはなにがあるんだ?
61名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:13:39 ID:+keEKXXwO
>>10
ロゼッタストーンだって畑から出てきたじゃないか
62名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:20:48 ID:+keEKXXwO
>>60
ただ、邪馬台国が3世紀から既に日本を代表するような大国でそれが
大和にあったなら、もう少し記紀に痕跡があっても良いような気がする
ヤマトタケルのクマソ征伐とか出雲神話みたいな形でもね
63名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:25:27 ID:ZSXGsDzi0
>>62
神話に残ってるよ。
高天原をどこに比定するかという論争に繋がっていくけどね。


ところで魏志倭人伝だっけ?の表記が「耶馬一国」なのはどうなる?
やっぱり旧字体の誤記・誤転写で確定?
64名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:35:56 ID:fAltk2mW0
>>60
大きな古墳や小野妹子が邪馬台国と何の関係があるんだ?
昔の天皇の墓があるだけだろ?卑弥呼は天皇か?
65名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:42:17 ID:RGuBXlpr0
>>64
関係があるとかじゃなくて纒向遺跡周辺の歴史的な説明をしただけだよ
九州説の根拠となってる場所の説明が欲しいだけなんだ
関西の人間で九州はほとんど知らないからね
まさか、ただの水田しかない僻地の田舎町に突然、卑弥呼が現れた訳じゃないんだろ?
66名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:48:53 ID:do8r6lfW0
「時砂の王」では近畿のどこかの設定だと思ったけどどこだっ
たかな?
もっともあれは積極的に歴史改変を行った結果だからどこでも
いいんだけど
67名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:50:21 ID:UJe3QjP4O
台与の墓を意図的に卑弥呼とすり替えようとする、畿内派の汚いやり口にはヘドが出るわ。
68名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:50:36 ID:TrM3qq20P
>>63
邪馬臺 とか 邪馬壱 とか色々な文字で表されているが
邪馬台国の「台」の字は下のような文字の当て字。

  ━━╋━━
    ━┻━
 ┏━━━━━┓
   ━━━━
   ┏━━┓
   ┣━━┫
  ━┻━━┻━
69名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:50:48 ID:mK09jqDMO
すいません、この近くに郵便ポストは有りませんか?
70名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 11:56:29 ID:UJe3QjP4O
大和=邪馬台

んなわけ、ないだろう
71名無しさん@九周年:2009/11/13(金) 11:57:58 ID:XhthfZBd0
卑弥呼さまーーーーー!!!!!
72名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:03:22 ID:UJe3QjP4O
今頃になって、纒向遺跡での大型建物跡を発見しました。だってよ、今頃になってな

ちょ、何かの陰謀を感じるんですけど、、やらせのドッキリなんですか?!
73名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:13:18 ID:UJe3QjP4O
今頃になって、大型建物跡の発見ですか(笑)

てか、まさか何かしらの、イベントが絡んでいるとかないよね?!

もしも、あれば畿内はアウトだな
74名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:19:11 ID:+keEKXXwO
75名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:32:16 ID:zD4QhXsP0
>>63
臺は天子を意味する単語だから
卑だの邪だのあててる日本に対して使える単語じゃないんだよね
76名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:52:13 ID:xzgJay6u0
朝鮮人涙目w
77名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:52:23 ID:UJe3QjP4O
魏志倭人伝に書かれているブツは奈良から発掘される事なない、だからこそー今だからこそー

「ゴッドハンドふたたび」歴史は繰り返す、一人の男により歴史は長年において歪められてきた

あれから時は過ぎた、組織が一丸となった時、考古学は歴史を創造する神となる「ゴッドハンドふたたび」近日公開
78名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:56:06 ID:97CdRc+H0
>>58
白馬童子、乙
79名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:57:25 ID:fkPpkIho0
キリストの墓に関しては譲らん
80名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 12:59:13 ID:RGuBXlpr0
なんか九州が可哀想だから九州でもいいんじゃないかなw
81名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:07:53 ID:nsfqVuuQ0
志賀島の金印を拾った農民の名前を答えよ

こんな糞みたいな大学入試問題があったよな
馬鹿じゃねーかと思う
82名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:11:55 ID:p3i6oryI0
大型建物跡発見=邪馬台国
文系の人間は馬鹿ばっかり
南を自分勝手に東と読み替えるとか
旧唐書まで邪馬台国=倭は、九州
新唐書以降は日本=大和朝廷
83名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:13:05 ID:qOUTYgDy0
>>1
何この作為的な内容・・・
旧称の可能性はゼロではないし何でそうなのかな
84名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:18:44 ID:2H49aWx40
678 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:38:27.97 0
◎纒向遺跡の主な古墳
纒向勝山古墳
纒向矢塚古墳
纒向石塚古墳
東田大塚古墳
箸墓古墳
ホケノ山古墳

◎箸墓古墳
所在地 奈良県桜井市箸中
形状 前方後円墳
規模 全長278m、高さ30m
築造年代 3世紀中頃
被葬者 倭迹迹日百襲姫命(宮内庁指定)、卑弥呼説あり

683 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:43:58.10 0
場所も特定できないんじゃ九州説はダメだな

685 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:47:02.14 0
つうか
九州からは何も出てこないじゃんw
新たな発見とかは無いの?
85名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:20:56 ID:5LG/78mdP
十津川警部が亀さんと事件で早く奈良の巻向に来ないかなぁ〜
86名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:25:57 ID:2H49aWx40
664 :名無し募集中。。。:2009/11/13(金) 11:00:18.23 0
つうか九州説って
具体的に九州のどこだよw
87名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:32:58 ID:qw2o/2lz0
山門町
88名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:35:09 ID:gBN8ag8Z0
ヤマトと山の手は語源が一緒という話があるが、これってダジャレレベル?
89名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:35:26 ID:UJe3QjP4O
具体的に示した場所で魏志倭人伝に関するブツが発掘されない場合、問答無用で畿内説は終了
90名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:39:47 ID:+keEKXXwO
>>81
クイズかよwww
91名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:51:17 ID:YLp7EZaR0
もしこれより大きい遺跡が九州から出てきたら今度は「九州が本命」って話になるんだろ?
そういうレベルの話な気がする
92名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 13:55:42 ID:Gh4MHaGs0
物証は強し
言うだけならなんでもこじつけられるからな
93名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:00:28 ID:hDscsisT0
>>91
もし出てくればなw

けど、東征より前、二世紀以前に九州に大和王権の前身があった可能性はある。
94名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:17:28 ID:wf/COyd0O
>>81
甚兵衛だっけか
95名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:24:37 ID:3ud22yRSP
まぁ脳みそが同程度の層が膨らんでる時代はそういう暗記偏重の重箱の隅問題を出さないと振り落としができないからなぁ
問題を難しくすると全員解けないしねw
96名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:27:11 ID:HnHXpkhAO
商人ひとりでやまたのおろち倒したよ、いのちのきのみ集めるのに半年かかったけど(´・ω・`)
97名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:29:38 ID:ePZVB+vp0

なに言ってんだ

ふぐすまに決まってペよ

98名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:31:00 ID:jhvfx+000
>>97
八幡平説か?
鯨統一郎の冗談をマジに受け取るなよ・・・
99名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:32:48 ID:+lNY1VZiO
九州だと今のどこがヤマタイコクなの?
宮崎あたり?
100名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:33:22 ID:P2dPKpcdO
こいつらバカだな
最終的にはゴッドハンド呼んだところが勝つんだよ!
101名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:38:19 ID:TjsqliP80
箸墓が卑弥呼の墓だとすると
トヨの墓はどれですか?
また石塚とか矢塚とかの巻向古墳群は誰の墓ですか?

102名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 14:43:11 ID:nsfqVuuQO
小国の一つがヤマタイコクだっただけ。
天皇を永久と言いたいのだろうが、
魏と繋がっていたから大国だとしたいなら、
与党になる前から中国共産党と繋がっていた民主党はなんなんだという話になる。
倭とヤマタイコク、大和と天皇は別個に考えるべき
103名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:08:47 ID:KsQMa9mO0
白石館長も号を白石にしろよ
104名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:54:06 ID:vlYmLjf50
>>101
>トヨの墓はどれですか?
余裕で西殿塚古墳w

>また石塚とか矢塚とかの巻向古墳群は誰の墓ですか?
卑弥呼以前及び卑弥呼時代の男王、豪族の墓。
105名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:59:38 ID:AGG59EDW0
卑弥呼はタトゥー入れたDQNだったらしい
106名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 15:59:46 ID:xGg2vG/kO
「まき」を正しく変換する方法を教えて
107名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:12:13 ID:cI0Ng1rk0
>>106
まとうとかてんそくとか
108名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 16:29:11 ID:kcnpv83FO
邪馬台=大和は隋書倭国伝に書かれている。これ以上の証拠はない。

これは私の推測でしかないが、かつて関ヶ原のような東西軍による大規模な戦いがあった。
その戦いに勝利したのが出雲を支配下に置いた大和。この勝利により東国も支配した。その後、九州を討伐し日本を統一。大和の王は天皇となった。
よく連合王朝や連合国などと言われるが、それは幕府制のような形態と考えられる。
天皇と将軍の違いはあるが、当初は天皇は武の頂点であり権威はなかったと思われる。
109101:2009/11/13(金) 16:37:10 ID:TjsqliP80
>104さま
なるほど西殿塚
卑弥呼とトヨは60歳くらい歳が離れているんですが
箸墓と西殿塚は60年も差が無いように思えます。
トヨは早死にしたのでしょうか?

石塚の被葬者がヤマト在地の首長だとすると、マキムクより少し北の
柳本にもマキムクと同じくらい古い古墳ありますよね、馬口山とか、
あれの被葬者はどういう人なんですかね?

あと吉備の楯築墳丘墓に眠る王は卑弥呼擁立の大功労者だと思うんですけど
石塚と楯築ってどっちが古いんですか?
110101:2009/11/13(金) 16:52:45 ID:TjsqliP80
箸墓   卑弥呼
西殿塚  トヨ
行燈山  崇神
渋谷向山 垂仁

景行はどの古墳ですか?佐紀の方にいっちゃうのかな?
茶臼山も大王墓なのかな?
111名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:08:16 ID:ch4nQIyu0
「邪馬台国」「卑弥呼」って文字に騙されるな。
「ヤマタイコク」なんて言うのは存在しない。不思議な語感と文字で
別の国があったように錯覚してるだけ。普通に「大和」「日巫女」と
素直に読めば良いんだ。
112名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:18:29 ID:dJzVYzEbO
そろそろ長野県知事が、邪馬台国に長野の文字を入れろとゴネだすんじゃないか?
113名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:29:37 ID:dLhfiGWiO
>>98
邪馬台国本の解釈自体のパロディだろ。
南を東にしたり距離を短くしたり、放射説やらナンチャラ
適当に書いてたら飯が食えるなん茶って学者と変わらんだろ。
114名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:33:35 ID:ghaWmZ5b0
邪馬台国が巻向だと決着したら、次の謎は1世紀には北部九州が栄えていたのに、
いつの間にか中心が畿内に移ったことだな
魏志でいう倭国大乱は神武東征と関係あるのかどうか
115名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:36:46 ID:nsfqVuuQ0
九州厨の放射説は誤りだったってことなのか?
116名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:42:11 ID:vfk27N8W0
>>111
禿同。

「大和国」で「巫女」が祭祀を司っているのを
上から目線で、バカにして卑しめて記述tする
ために、「邪」や「卑」を当て字したにすぎない。


117名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:46:22 ID:AYd8KYi5O
エラの張った国の人達が、そろそろ『邪馬台国』はウリナラにあったニダ、と騒ぎ出す予感。
118名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 17:55:53 ID://yFygpTO
>>114
弥生後期の鍵は丹波。ここに直接鉄が入るようになって、
畿内が力を付けて来たという事。

神武東征はよく読めばわかるが、単なる親族間の覇権争いだからね。
119名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 18:03:29 ID:ghaWmZ5b0
>>118
記紀を信じると、九州北部と畿内の勢力は親戚筋なのか、
とりあえず何かの関係があったっぽいんだよな
高地性集落が瀬戸内海沿岸→畿内周辺と時代を追って遷移してる一方、
北部九州は磐井の乱まで攻められた形跡もあまりないし。
あと、宇佐神宮の存在とかも不思議なところ
120名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 18:21:29 ID:TWmP8diV0
九州は一体ではない
最低でも福岡佐賀エリア、宮崎大分エリアに分けるべき
熊本は福岡佐賀エリアだと思われるが
時期によっては別になってるかも知れない。
鹿児島はわからない。

九州山地を越えて大軍を派遣できないので
細々とした交流はやっていただろうが
国の併合は難しい。
121名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:38:00 ID:bqkdA+gpO
というか、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の位置の記述をそのまま日本の地理に当てはめると邪馬台国は沖縄辺りにあったことになるんだろ?
だったら邪馬台国は沖縄にあったってことじゃないの?
どこから大和や九州だなんて話が出てきたんだ?
122名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:44:45 ID:ocVYFqd60
>>171
間違いないね

奈良もいい迷惑!
123名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:45:43 ID:9EHNhi6QO
>>121
沖縄じゃなくて何もない太平洋上な
124名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:46:56 ID:Bh4Xv7Cg0
ムー大陸か
125名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:48:04 ID:xGg2vG/kO
>>107
ありがとう。纏向できました。
126名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:49:06 ID:OzNOVf+P0
九州説ってキリストの墓が青森にあるとかそんなレベルの話だろ?
127名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:49:44 ID:Iww6lLq90
九州は昔瀬戸内にあった
大陸移動で現在の位置になった

この新説でがんばれ
128名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:50:45 ID:QS01ShD/0
>>2
九州派は九州の邪馬台国が東征して大和朝廷になったと主張してるみたいだが。
129名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:52:55 ID:uZPhhdFRO
九州は不毛の地でいいじゃないか
130名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:53:41 ID:3IkVLddM0
正直、どこでもいい。
魏志倭人伝なんてインチキなものだし。


ーーー終わりーーーー
131名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:54:08 ID:X8uN+Ucr0
えっ
東北ですよね
132名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 19:54:50 ID:4ukGMES90
自分の地元だったら嬉しいだろうね
133名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:01:37 ID:QS01ShD/0
邪馬台国はどうもでいいが箸墓は掘って欲しい。
134101:2009/11/13(金) 20:03:34 ID:TjsqliP80
唐古鍵とマキムクはスムースにクロスフェードしてるのでしょうか?
135名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:04:42 ID:ZSXGsDzi0
>>127
その昔青森はかなり南にあった。
奈良(大和)は沖縄の沖にあたる。
魏志倭人伝以後、大地変が起こり日本列島は現在の位置へ移動した。

証拠は古代中華地図の写本といわれるものの日本に当たる場所と溶岩の磁場配置。
136名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:08:00 ID:YPZUkNOe0
東北にあった説は?
137名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:09:00 ID:+ds/9HSLO
嗚呼ドラクエ3
138名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:09:15 ID:Gv2me2RQ0
卑弥呼に関して機器の著者は、神功皇后を想定してるけど
当時、倭迹迹日百襲姫命と考える人はいなかったんだろうか。
まだ、やまたいこくの時代から400年くらいしかたってないわけだし
当時の新鮮な資料、口伝でもモモソヒメはありえなかったのだろうか。
139名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:11:55 ID:w+odfnji0

どちらかというと、当時は幾内の方が栄えてたって
証拠が多いね。
まぁどちらでもいいんだか、なんとなくロマンを感じる。


140名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:17:05 ID:8VV5ro4s0
邪馬台国は山門県。
卑弥呼(もしくはその後継)は土蜘蛛田油津媛。
これでFA。
141名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:18:13 ID:1BPjVvKWO
倭人伝の記述に嘘偽りが無い事が前提なんだろ
そもそも存在しなかった説を推すけどな俺は
卑弥呼なんて名前をどう知ったのかも怪しいところ
142名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:21:08 ID:7f9nOcHm0
邪馬台国は沖ノ鳥島にあったんだよ。
魏志倭人伝を正しく読むとそうなる。
143名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:23:10 ID:OZIPtRZb0
九州説を唱えるのはもうやまたい
144名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:27:06 ID:eZ1kXUjx0
>>46
まあ、そうなんだけどね。

邪馬台国から畿内に招かれた神武の子孫が
畿内ムクマキの出雲政権を乗っ取ってしまったから、
どちらも「ヤマト」なんだよ。
145名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:28:29 ID:U1Y9bB/NP
「畿内派」「畿内説派」「畿内論者」というワードが印象的なスレだな
146名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:30:56 ID:6yILb/re0
実際、そんな昔のことがわかっても、戦後直後の歴史がわからないんだから・・・。
147名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:43:19 ID:Zuvjr3f/P
ロマンは感じるがこういう論争は江戸っ子には正直どっちでもいい話だ
そういえば10年近く前に福岡に出戻っていった級友が九州の経済状況はかなり悪いと言っていたが
今どうなってんだ…数年前に電話した時点で家族兄弟親戚一同みな無職になったと聞いて
ヤバそうなのでそれ以来連絡取ってないが…
148名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:48:51 ID:8rnjm/2MO
どれもピンと来ないな(´・ω・`)
149名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 20:58:09 ID:UJe3QjP4O
>>147
10年前は悪くないが、今は最悪、来年は更に悪化する
150名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:08:25 ID:2hqpluk8O
>>111
その通り!
151名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 22:13:33 ID:zJenVP3w0
>>150
ヤマタイは山と台=タイ=代で山代==>山城=>山背だよ。
だから奈良じゃなくて京都にあったんだよ。
奈良は卑弥呼素のいた地域wwww

今の九州説なんてこの程度。
152名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:18:12 ID:vfAgWG1T0
俺は菊池一族の末裔
153名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:33:47 ID:x5EheSoeO
邪馬台国が畿内ではない事は歴史が証明している、なのに、それなのに無理やりこじつけて畿内にしようとしている現実をゴッドハンドと呼ばずに何と呼ぶのでしようか?
154名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:37:57 ID:isR4k2f50
>>153
九州から集落跡出てこないからな
イマイチ説得力が無い

考古学は結局発掘してナンボだ
155名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:39:39 ID:Vq/hto6s0

九州説の連中は邪馬台国を九州の一部地域しか支配できなかった村に毛の生えた勢力だと言いたいんだろうね。
俺が通った中学校高校のバカサヨ歴史教師も九州説だった。
日本は朝鮮半島よりもずっと遅れた蛮族の国だとさんざんわめいてた。
「じゃあ先生!なぜそんな遅れた国が高句麗と戦争して百済新羅を支配下においてたんですか!」と質問したら困った顔してた。
「野蛮人もたまには勝つんだよ」とか意味不明なことを言ってたな。

邪馬台国=大和国
卑弥呼=天照大神
畿内から大量に出土する巨大都市国家跡や青銅器

これだけ明らかなのに否定するなんて白いものを黒と言い張ってるのと同じだろ。
156名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:48:39 ID:2fe+tHOUO
研究には無用な皇国史観がお強いですね
必死さだけは伝わってますw
157名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 00:58:08 ID:si/F11Ev0
そうかなあ
158名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 01:01:39 ID:8q5TFTWxO
まあどちらにしろ、この年代の日本の中心は畿内である
ことは発掘調査の結果明らかだから。
159名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 01:23:19 ID:Au3NYIT00
韓国に一番近いところにあったんじゃないのか?
それから大陸から金印を貰ったんだろ
普通に九州が妥当だと思うんだが
160名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 01:27:51 ID:Tl1Xr9gfO
どっちでもいいから俺が死ぬまでに決着つけてくれよ
161名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 01:29:46 ID:kHpHo2Wg0
>>159
何でそこで韓国が出てくるの?意味不明w
162名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 01:33:46 ID:Nu/md1UlO
むしろ、海の向こうの変化の影響を抑えるためには
アンテナをしっかり張りつつ、ある程度距離を置きたいと
思うが。
163名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 07:52:46 ID:2CCkp6/90
【歴史】佐賀の考古学者「纒遺跡は卑弥呼の時代よりは100年は新しいと見ている」邪馬台国はどこに…九州か畿内か研究者の議論は続く
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1257939991/
────────────────────────────────────────
4 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/11(水) 20:50:13 ID:yUSuPPGSP
佐賀テレビ必死だなwww
既に学会では99%の学者が畿内説とってるからwww
現在の学術問題は邪馬台国がどこにあったかではなくて、邪馬台国と大和王権にどの程度関連性があるのかに移ってるんだよwww
九州説必死に叫んでるのはこの「佐賀の考古学者高島忠平」だけじゃねーかwww
短大の先生とかwww
誰もお前の話なんて聞いてねーよwww

名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/11(水) 21:06:18 ID:TrOpPYmZO
従来より古墳時代が古いとほとんどの学者が認識してからだもんな。
九州説からどんどん学者が離れていったのは。
このおっさんはまだカルトから離れられないんだな。
────────────────────────────────────────

ID:yUSuPPGSP= ID:TrOpPYmZO
この↑キチガイが、いきなり火病・大暴れしてて笑える。

「学会では99%の学者が畿内説」だとさwww  うそこけwww サヨ朝鮮人系が言いそうなセリフだよなwww
「従来より古墳時代が古いとほとんどの学者が認識してから」だとさwww サヨ朝鮮人系が言いそうなセリフだよなwww

この真正キチガイこそが、カルトまんまじゃんwww
164名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:08:07 ID:URveK4pE0
974 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 16:53:22 ID:nhfKflux0
先々月発売されたばかりの安本美典センセの畿内説粉砕本

■『 「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』
宝島社新書 296
安本美典著
# 新書: 221ページ
# 出版社: 宝島社
# 発売日: 2009/9/10

箸墓の出土物が放射性炭素年代測定で卑弥呼の生きた時代と一致したとの発表で、
邪馬台国畿内説がいっきに盛り上がってきました。しかし、そもそもこの発表の真偽のほどが疑わしく、
さらに考古学的な事実や文献学的な史実からかけ離れた邪馬台国畿内説には、まったく根拠がないのです。
著者は邪馬台国北九州説の立場から、「邪馬台国畿内説、箸墓=卑弥呼の陵墓説」を、舌鋒鋭く粉砕します。
http://www.amazon.co.jp/dp/4796673482

982 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 16:55:51 ID:PeJUohAn0
>>.974
安本美典先生は信頼できるからな。 低学歴の白石太一郎みたいなのに比べて
165名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:10:51 ID:TlYhh+Py0
728 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 15:41:59 ID:u1G4jrSC0
>>.700
つーか、佐賀は、その奈良の心臓部を今でも押さえてるし、

大阪や京都なんて、佐賀がつくったものだらけ

現在も、佐賀が天皇家の聖地であることは変わりなし。
166名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:12:54 ID:JW762v4j0
■「卑弥呼の宮殿とは時期が違う」 吉野ケ里発掘の高島氏
纒向遺跡大田北地域の大型建物の発見について  佐賀女子短期大学 高島忠平
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1470415.article.html
167名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:13:49 ID:8YYv1t330
>>163
そういう頭がおかしいのがいるから、しょせん畿内説で、いつも馬鹿にされるんだろうな・・・。
168名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:19:53 ID:4HBvUZkzO
宮崎県にある高千穂とか天岩戸神社とか
大分県にある耶馬とか国東とか宇佐神社とか
あれは何なの?
後世の捏造?

弓削道鏡専横の時なんで宇佐に詣でたの?

素人に教えてくれ
169名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:21:34 ID:HbmwT0wG0
ていうか何が出てきたら決定的な証拠になるの?
卑弥呼の家の表札とか邪馬台国って書かれた看板とか?
170名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:22:02 ID:gZupB40e0
記事ソースが朝鮮カルト・統一教会の産経だし、提唱してる研究者が札付きのアレな白石太一郎ってのが、痛すぎる・・・
171名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:25:34 ID:wzX2TEQ90
神学論争の域なのに、
白石太一郎のような断定口調の馬鹿が出てきた時点で、
畿内説終わりなんじゃね?

白石って、ゴッドハンドの藤村新一と、まったく同種の臭いがするんだが。
172名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:29:54 ID:IMp4KYLUO
両方に朝鮮ファンタジスタが入り込んで話をややこしくしてる
173名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:31:11 ID:7mWyKe0k0
>>163
そのスレで、創価学会員なのか、関西系の無知低脳が、必死に佐賀を貶めていたけど、
>>165にちょこっと書かれてるように、大阪や関西って、ほとんど佐賀に基礎インフラ整備してもらったようなものだらけで、
実質佐賀の植民地なのに、よくぞしゃあしゃあと佐賀に絡めるよね。さすが韓災人って感じだけどw
174名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:47:54 ID:Oqx0dtw80
>>168
海流から古代の中国大陸の窓口として笠紗や坊津が利用されてたから
鹿児島や宮崎に大陸の影響で何らかの大きな勢力が入って来たのは
間違いないだろうな。
その勢力が東征したかどうか?

大分である豊国の古代も謎だね。
おそらく隋書にある秦王国があった場所だと思う。
国東などは日本に仏教が入って来たと公式にされてるより古くから
仏教信仰があったんじゃないか?

尚、大分の耶馬はもともと山国谷と呼ばれてた場所に耶馬渓と名付けたのは江戸時代。
175名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:53:32 ID:isR4k2f50
ID変えてお疲れ様です
176名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 08:57:00 ID:Oqx0dtw80
>>175
誰のこと?
まさか俺に言ってる?
ちがうよねw
177名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:08:09 ID:isR4k2f50
おっと、すみません
コピペ張ってた人あてですw
178名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:26:11 ID:KG+inYF40
魏志倭人伝には「女王国の東、海を渡ること千余里・・・」ってあるけど、
畿内説の人は、これをどう解釈してるの?
どう見ても、奈良の東には海はないんだけど・・・。
179名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:29:05 ID:mN/+N/310
>>178
船で名古屋の方に行くんだって
めちゃくちゃだよなw
強引すぎる解釈だ
180名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:40:27 ID:x5EheSoeO
奈良は思い切ったよなー大型建物跡が卑弥呼繋がりだなんて、よく言えるよなー恥ずかしい奴らだ。なんかゴッドハンド臭が漂っているよ
181名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:48:48 ID:uBwFvwkJ0
>>178
伊勢湾の東らしい
なら邪馬台国は伊勢まで版図に含んでいたのかね
それなら奈良じゃなくて伊勢だったって言う方が自然じゃね?
182名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 09:54:06 ID:KG+inYF40
>>181
普通に解釈したら、海を渡るということは、陸地繋がりでないというのが自然の解釈だと思うんだよ。
名古屋以東なら、わざわざ海で渡らずとも陸地で行けるんだからね。
たとえば、邪馬台国が伊勢というならともかく、奈良では全然無理だよ。
強引過ぎるにもほどがある。
この一点で、どうしても九州としか思えない。
183名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:00:44 ID:GczfnVzt0
卑弥呼=ヤマトトトビモモソヒメノミコト→箸墓古墳

台与=ヤマトトトヒメノミコト→西殿塚古墳

ミマキイリビコイニエハツクニシラススメラミコト→行燈山古墳


この継承はガチ。
184名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:12:16 ID:taRx41mU0
箸墓古墳が卑弥呼の墓だとして、
それよりも古い纏向石塚古墳なんかは誰の墓になるんだ?
185名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:16:37 ID:lr/uhmpbO
何千年も前の中国人が聞き覚えで書いた数字なんてでたらめんじゃないの?
186名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:17:55 ID:Lip8uQ1N0
【政治】何のための補正予算か 麻生前政権は国内景気の急激な冷え込みに対して、景気下支えの成果を出した…朝日新聞★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258159389/

【政治】 「オバマ大統領来日中に、鳩山首相は海外へ…それが失礼にあたるかはノーコメント」…官房長官★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258142297/

【政治】 "鳩山内閣、支持率50%台に…落ち方早い?" 識者「リーダーシップが見えてこないのが冷めた原因」★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258143782/

【政治】 鳩山首相 「恵まれた家庭に育ったものだから、資産管理ずさんで申し訳ない」「国民目線で行く」…5億円超の資産記載漏れで★9
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258034624/

【政治】長妻厚生労働大臣、過去に懲戒処分を受けた職員を厚労省の非常勤として採用を検討
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258059098/
187名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:20:01 ID:GczfnVzt0
>>184
卑弥呼=ヤマトトトビモモソヒメノミコト 
の父=オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト=孝霊天皇
か、それ以前の大王だろう。
188名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:20:58 ID:Oqx0dtw80
>>182
「邪馬台国の東」ではなく「女王国の東」と書いてるだろ。
これは女王の支配してる国々の東で、邪馬台国の東ではないのよ。
邪馬台国というのは女王のいる場所、つまり女王国の都。

海を渡るということは、陸地繋がりでないと解釈すると
水行十日陸行一月では九州であるハズがないとなるが?
189名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:23:31 ID:YkYEGFNeO
121:名無しさん@十周年 11/13(金) 19:38 bqkdA+gpO
というか、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の位置の記述をそのまま日本の地理に当てはめると邪馬台国は沖縄辺りにあったことになるんだろ?
だったら邪馬台国は沖縄にあったってことじゃないの?
どこから大和や九州だなんて話が出てきたんだ?
190名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:29:00 ID:BEbwax+A0
今日の説明会はやってるの?
それとも雨天中止?
191名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:32:38 ID:uBwFvwkJ0
>>188
それは無理 もう一回倭人伝読み返せ
192名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:37:14 ID:4zqpAPK5O
別に当時の日本を代表する政権が馬耶台国って訳でもないのに
みんな必死過ぎ
193名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:38:24 ID:DJiDlZGB0
796 :名無し募集中。。。:2009/11/14(土) 10:29:23.07 0
奈良から新しい発見→九州説支持者がこれに噛み付く

これのループ

九州からは何の情報も出てこないw
194名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:39:33 ID:Oqx0dtw80
>>191
なぜ無理?
195名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:41:49 ID:7X/BCc0gO
女王国は邪馬台国ではないという事を、未だに勘違いしてる奴多いね。
女王国は女王を共立した国の総称だろ。
邪馬台国は女王が都としている国だよな。

そうなると、モモソ姫の別名、「日女命」「日神」なんてピッタリじゃないか。
196名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:42:10 ID:x5EheSoeO
>>188
畿内はこんな奴多過ぎ、信用ならねー
197名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:44:21 ID:b8sZIGkW0
故・星新一が唱えた邪馬台国=ハワイ説が俄然脚光を
198名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:45:52 ID:DJiDlZGB0
>>180
九州はなんで思い切らないの?
いまだに九州のどこかとか
考古学的には酷い有様なんだがw
199名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:46:05 ID:Oqx0dtw80
>>196
九州説の反論には理由が一切ないのはなぜ?
200名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:48:04 ID:0pitY3psO
魏志倭人伝には
・韓の北側は楽浪で南は倭と接している
・帯方から韓を通り抜けると倭


つか本当にいまだに邪馬壹国の場所や卑弥呼が誰なのか解らないのか?
倭の地域を調べたら簡単に見つかったぞ?
201名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:49:45 ID:zdvuafd70
邪馬台国 = yamatai ? = yamato = 大和

大和って聞いた時、もちろん九州や他の地方にも大和はあるかもしれないけど、
一番有名なのは圧倒的に奈良県。

こんな簡単なことなのにね。素直に考えれば。
202名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:50:06 ID:nZHyj4PAO
>>198
九州説が考古学的にどういう理由で否定されるのか詳しく頼む
203名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:50:42 ID:f3VUx1QU0
>>183
しっかし古墳時代の人ってめちゃくちゃ難しい名前だな
じゅげむかよ
204名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:52:28 ID:0pitY3psO
>>192
本当にそう
当時には今の「国家」なんて観念はない
「國」って漢字は「地域」と言う意味であって、「倭の邪馬壹地域の女王の卑弥呼」だよ

で、卑弥呼が金(水銀)を朝貢して印授(位を授かる)を受けたのは、京の都にある倭の中国(なかつくに)の朝廷の事で、これが大和朝廷だよ


ちなみに「倭」と言う漢字は記紀では「やまと」と読むんだよ
205名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 10:56:37 ID:0pitY3psO
>>201
違う
中国の正史24史(元々は満州24史と呼ばれ満州の五族の民族の歴史書)の北史や南史にも書いてあるけど
倭(やまと)が倭大乱の末に、大和(やまと)になったんだよ


邪馬壹国と言うのは、倭の邪馬地域の事
また漢半島にあった倭地は「漢の倭の○○」とも呼ばれてた
邪馬壹国もその中の1つだよ
206名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:00:59 ID:MAiTw0vRO
またヘブライ語の碑文やユダヤ教の祭祀用具とかが出てきたら
隠蔽して捏造ストーリーを作りあげるんだろ。
都合が悪いのを隠すのはいつもの事。
207名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:01:33 ID:Vq/hto6s0
>>205
うん、九州説は邪馬台国をそうやって奴国や伊都国と同じような村国家と同等に扱い矮小化するよね。
しかし魏志倭人伝を素直に読んでみるとどうなる?

漢王朝の権力をバックに奴国や伊都国が勢力を誇っていたのは事実でしょうね。
しかしその後ろ盾の漢王朝がガタガタになってしまえば奴国や伊都国に力は無い。
それが倭の大乱につながったわけです。
そして国々が話し合い1人の女王を誕生させた。
それが卑弥呼。
女王卑弥呼を戴く邪馬台国は緩やかな連合国家だったわけですよ。
奴国も伊都国も邪馬台国の一部なのです。
208名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:02:00 ID:K+K/cnToP
邪馬台国ってくらいだから、台湾の可能性も示唆できる。
209名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:02:12 ID:1wjd+pV+0
>>183
西殿塚と行燈山との間に、桜井茶臼山とメスリ山が入るだろ。
210名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:03:16 ID:zdvuafd70
>>205
違うでしょ。倭という字に「やまと」と音を当てて読んでいることから、
邪馬台(やまとだと思うが)がベースになって倭が形成されているのは明らか。
倭は多数のクニから構成されているけど、その中の中心が邪馬台(=奈良)でしょ。
その後も「大和」も完全に当て字だし。

ちなみに、倭という字を日本側は嫌って、国号として和という字を主張した。
大和の「和」の字もここから来ているのだろう。
211名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:03:34 ID:mN/+N/310
>>200
畿内説の人曰く、魏志倭人伝は南と東の方角が間違ってるらしいよ
だから方角はあてにできないらしい
212名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:03:44 ID:0pitY3psO
かつて日本は國作り(開拓)を行い朝鮮半島の南部まで領土としてた
稲作などの農耕技術や鐙や鞍などの馬術も、この時に日本から大陸に伝えられた
で、日本から國作りに向かった天つ氏族達は、沢山のものを天子(あまつみこ)と呼ばれた日本の朝廷に朝貢してる

これを理解してれば邪馬壹国の場所も卑弥呼が誰なのかも簡単に見付かる


見付からない人は日本の歴史を理解してないから見付けられないだけだよ
213名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:06:00 ID:O6FTCWUh0
九州説のキチガイがワラワラ湧いててワロタ
214名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:07:14 ID:zdvuafd70
邪馬台(やまと)国が中心となる国家連合が形成されていた

中国人たちは、日本民族のことを総称して「倭」と呼び、
特に邪馬台国家連合のことだけを指して呼んでいたわけではない。

ところが邪馬台国家連合が倭の中で独占的な地位を築くにつれ、
倭=邪馬台国家連合=邪馬台 という感覚になっていった。
215名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:07:22 ID:z0a75upbO
魏でなく
朝鮮の属国だったんやろな
倭猿大乱の後で、朝鮮から貴種を招いた
朝鮮民族の威光で国が纏まる
昔も今も同じ事や
216名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:10:00 ID:0pitY3psO
>>210
漢字ってのは表意文字であって意味を表す文字でしかない

その字に付けられてる字音にはなんの意味も無いよ


これじゃ言葉や語源を表す表音文字として使えないと言うことで、漢字と同じ意味の日本語の表音を当てて1つの漢字に沢山の発音を当てて使いこなしてるのは日本人だけ


もし「やまと」と言う発音に「邪馬壹」と言う字を当てて書いてあると言うなら、三國史や魏志倭人伝を書いたのは日本民族だと言う事になる
ヒミコも同じ
217名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:10:07 ID:mN/+N/310
畿内説の人ってああいえば上祐だよね
すぐいいわけをする
218名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:12:36 ID:n9mzvPO80
邪馬台って中国語で読むと、普通にヤマトと言う発音になるらしいな
もちろん古代の言葉と今の言葉が同じとはいえないがね

大和政権の一時期と考えたほうが良いんじゃないの
卑弥呼だって姫御子とかそういう言葉かもしれないし
219名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:13:29 ID:ZFsqU8cT0
九州説の人ってああいえば九州だよね
すぐ妄想と現実を混同する
220名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:14:36 ID:Vq/hto6s0
>>218
>卑弥呼だって姫御子とかそういう言葉かもしれないし
確実にそうでしょうね。
現代日本語でも神社に仕える女性は巫女(みこ)ですから。
姫巫女→卑弥呼は自然な話。
221名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:14:54 ID:0pitY3psO
戦後の日本の教育の場では「反ナショナリズム教育」が行われ
この時に「日本は中国や朝鮮や欧米に比べ、こんなに情けない國だった」と言う歴史が作られた


全ての文明や文化は大陸や欧米から伝えられ、日本人は中国や欧米から伝えられた文明や文化のおかげで発展出来たと言う捏造歴史が作られたんだよ

実際はその逆
222名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:17:56 ID:zdvuafd70
>>216
何を言ってるの?

倭とか大和とかを「やまと」って読むのは、明らかに日本側の訓読みだよね。
中国語じゃそんな発音はしない。

ヤマト(当時の詳細な発音は知らないが)という音に対して、
中国側が漢字で音写したのが「邪馬台」。

また、日本民族や日本列島に対しての呼び名が「倭」(wa)。

そういう話なのだが。
223名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:18:34 ID:Vq/hto6s0
しかし、日本列島全域を巻き込んだ大乱を止めたほどの巫女さんってかなりの萌えだったのでしょうな。
萌えは世界を救う。
224名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:19:03 ID:Oqx0dtw80
>>216
大和仮名って知ってるか?
文字を持たない倭国では漢字を借字として表音文字として利用したのが最初。
これは魏志倭人伝を見てもわかるように、中国人が漢文で表記するときに
古代日本語の音を漢字で表現したことから始まったと思うけどね。
「邪馬台国」も「卑弥呼」もそうだよ。
中国語の意味で記載したのではなく、倭人の発音に陳寿が漢字の音を当てたもの。
225名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:19:23 ID:ZFsqU8cT0
>>222
中国語じゃそんな発音しないのに、何でその字で音写するの?
226名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:20:40 ID:0pitY3psO
>>218
ローマ字もそうだけど、漢字に付けられてる発音も「子音+母音」だよ
烏龍茶(ウゥウ、ロォン、チャア)
大三元(ダァイ、サァン、ゲェン)

邪馬壹(ジャア、マァア、タァイ)
卑弥呼(ヒィイ、ヤァア、コォオ)

だよ

漢字を字音のまま発音すると、独特のリズムになる
「やまと」なんて発音にはならない
227名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:21:53 ID:5tZkUzxB0
>>216
仏血義理とか夜露死苦みたい・・・
228名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:22:34 ID:Oqx0dtw80
>>226
ネタか。
あほらしw
229名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:22:52 ID:zdvuafd70
>>225
だから倭とか大和を「ヤマト」って読むのは日本人が始めたことでしょ。

中国側は、「倭」はwa、「邪馬台」はyamataiまたはyamato などと発音していたはず。
本来、倭(日本に対する漠然とした総称)と、邪馬台(特定の地方名)は別の概念だと思うけど、
邪馬台あるいはそれを中心とした連合国家が圧倒的な地位を築くにつれ、
その区別が曖昧になり、邪馬台=倭 みたいになっていったってことでしょ。
230名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:23:11 ID:I5EF6F4F0
もう結論出てるのに、なんで盛り上がってるの?
231名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:23:16 ID:Vq/hto6s0
>>222
現代の支那語は当時の中国語とは違いますよ?
今の支那語は鮮卑や匈奴や羌などの様々な民族の発音が混ざって成立しています。
当時の倭人と当時の中国人は通訳を介さずに会話できていたのは同じ言語を話していたからに他なりません。
そういう意味で日本古語の方がむしろ当時の中国語の純粋性を保ってると言っていいでしょう。
漢字だって現代の支那人が魏志倭人伝を読めないのに現代日本人は読むことができるのです。
隔絶された島国だったからこそ他民族の影響を受けずに純粋性を保存する保管庫の役目ができたのでしょうね。
232名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:23:48 ID:quLgpoDm0
金印が本物なら奈良の負け
233名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:25:12 ID:zdvuafd70
>>231
誰も当時の言葉が今と一緒だとは言ってないじゃん。
誰も邪馬台をヤマトと読むとは断定していない。

ただ、日本風の音読みだろうと、古い時代の中国語読みだろうと、
yamatoにそれなりに近い発音になるはずで、そこははずしてないでしょってこと。
特に子音がほぼ一致するってのは大きいよ。
234名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:25:29 ID:0pitY3psO
>>224
漢字はあくまでも意味を表す「字」でしかなく、文章や言葉を表す「文字」としては使えない字

日本も朝鮮もチベットもマンチュリもモンゴルもベトナムもウイグルも、初めから漢字以外に自国の「表音文字」を持ってるよ


自民族の語源や言葉を表す文字すら持ってなく、表意文字の漢字しか持って無い國は今の中国だけ


ちなみに漢字は元々は「真女文字」と呼ばれ、真女民族が作った文字だよ
235名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:25:50 ID:I5EF6F4F0
>>226
上古音とか中古音って分かるか?
236名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:26:57 ID:Oqx0dtw80
>>229
倭国っていうのが、中国から見た当時の日本の中国語名で
邪馬台というのが倭人が自称する中国語の倭国に当たる日本語だわな。

漢字の流入とともに、日本では日本語のヤマトに当てる漢字が大倭になり大和になり日本となった。
237名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:27:21 ID:zdvuafd70
>>234
今も昔もそうだけど、漢字を外来語の音写のために使うことは中国でもよくあることでして・・・。
それに漢字=単なる表意文字は間違いだよ。漢字は意味と音がセットになって字体に結び付けられたもの。
まあ議論の本筋ではないのでこの辺にしておくけど。
238名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:28:13 ID:dDn7wgyI0
昭和37年に亡くなった俺の祖父が大学でこういう研究やってたらしいんだよな。
俺の生まれるずっと前だからよく知らないけど、祖父が知ったらなんて思うだろうな。

俺は全然違う道に進んで、計算機片手に飯食ってるから「ふーん」ぐらいにしか
思わないけど。
239名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:28:20 ID:IS/96Pkr0
「邪馬台国はさいたまにあった」
240名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:28:30 ID:0pitY3psO
>>233
だから日本語読みをするなら「倭」が「やまと」なんだっての

倭武命は「やまとたけるのみこと」と読むよ


卑弥呼は「倭(やまと)の邪馬壹地域を治めてた女王」だよ
ちなみに倭を治めてたのは倭の朝廷だっての
241名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:29:07 ID:lCuIH4w70
>>39
銅鐸が近畿圏中心、銅鉾が北九州圏中心でしたよね

しかし銅鐸の鋳型を見るとかなり高度の青銅技術を持った文化集団と思えるけどねw

とても邪馬台国時代とは思えないなwww
242名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:30:36 ID:6hfDYpVs0
近畿の遺跡群は、邪馬台国と時代があっていなかった。
それをあわせたのが、「年輪法」
で、年輪法は一人の男のみが研究している。
で、その男は、邪馬台国近畿論者。
で、近畿以外は年輪法年代推定をしていない。
つまり、年輪法で近畿の年代だけ100年ほど古くして時代をあわせたという事。

年輪法が日本でも使えるのかもしれないし、使えないかもしれない。
それは、複数の研究者達が日本各地で年輪法による年代測定研究を始まってみてはじめてわかること。
現在の年輪法は、ゴッドハンド事件の再来の可能性もある。
243名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:30:47 ID:zdvuafd70
>>240
だからさー、「倭」を「やまと」って読むのは、いわば訓読みなんだよ。
「川」という漢字を「かわ」って読むようなもので、
訓読みはいくらでも恣意的に読めるでしょ。本来の漢字の発音とか関係ない。
244名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:31:02 ID:Oqx0dtw80
>>240
中国人の陳寿が倭人がヤマトと言うのを聞いて「邪馬台」の漢字を当てた。
後に日本に漢字が流入して中国人が「倭」と言ってたのを、日本では「倭」を字を
ヤマトと読むようにした。
音読みと訓読みの違いだよ。
245名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:33:40 ID:0pitY3psO
>>240追加

つか面倒くさいからもう答えを教えてやるよ
魏志倭人伝には「朝鮮半島の南部も倭」とあるんだから、朝鮮半島の南部の新羅や弁韓の地名や出来事や人物を調べてみ?

倭の中国(なかつくに)の京都に朝貢した女王も邪馬壹国もそこにあるよ
めちゃくちゃ簡単に見つけられたっての
246名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:34:45 ID:Oqx0dtw80
>>245
君にしか見つけられないんじゃないか?w
247名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:35:14 ID:Ifw9TvKz0
(´・ω・`)マルタイラーメン国
248名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:35:47 ID:ZFsqU8cT0
>>245
調べたよ。
なかったね、そんなもの。
はい、嘘けってーい。
249名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:43:51 ID:nZHyj4PAO
>>240
細かいことを言うようだが、それを言うなら「倭建命」では
250名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:44:46 ID:mN/+N/310
>>245
調べてみ。とか言って逃げないで、はっきり答えろよ
あんたがネタふってきたんだから
251名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:52:27 ID:GczfnVzt0
ある日の纒向、卑弥呼宮廷での会話…

「ヤマトトトビモモゾビメノミコト様が間もなくお出ましにあらせられます」
「何?ヤマトトトビモモゾビメノミコト様がご来臨とな。それはそれは」
「ヤマトトトビモモゾビメノミコト様は姪御様のヤマトトトビメノミコト様
 もお連れでございます」
「何と!ヤマトトトビモモゾビメノミコト様が姪御様のヤマトトトビメノミコト様
 をお連れとな、それは大変大変」
「ヤマトトトビモモゾビメノミコト様は姪御様のヤマトトトビメノミコト様をお連れ
 になられ、オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト様をお呼びでございます」
「な、な、何と!ヤマトトトビモモゾビメノミコト様は姪御様のヤマトトトビメノミコト様
 をお連れになられ、オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト様をお呼びとな、じゃが、
 只今オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト様は、ヤマトネコヒコオオヒヒノミコト
 様と共にミマキイリビコイニエノミコト様のお屋敷で酒盛りをなさっておられる
 のだが」
「それは困りましたな…」
252名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 11:53:28 ID:O6FTCWUh0
中国でも倭をヤマトと読んでるよ。
ソースは真・恋姫。
253名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:07:13 ID:nL+UOBpV0
>>188
オレは別に九州だろうが、近畿だろうがどちらでもいいんだが、
少なくとも文献は原則として、素直に読むべきだと思っている。
「郡より倭に至るには海岸にしたがひて水行し・・・」
「始めて一海を度ること千余里」
「又南に一海を渡ること千余里」

水行が九州であっても全然おかしくない。
海岸沿いか、川を使ったんだろうしね。
ただ、どう見ても「女王国の東」は、「海を渡る」、つまり海で隔絶されていると解釈するのが
自然だと思うけどね。
邪馬台国であろうが女王国であろうが、それは一緒。
近畿説ではこの点が決定的に引っ掛かるんだよ。

254名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:10:05 ID:n9Iva8cQ0
>>253
南に海を渡ったんじゃあ、甘味か沖縄になっちまうのでは・・・?
255名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:12:16 ID:nL+UOBpV0
>>254
オレの文章は最初の方を抜粋してるだけ。対馬の南ということね。
256名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:17:55 ID:RmKS0dN1P
>>253
普通に女王国の東=伊勢神宮=伊勢湾

大阪玉造から始まる暗超伊勢本街道ルートは
伊勢参りの主要道だけど、このルートは本当に東西南北綺麗に通る道。
桜井から伊勢神宮へのルートも真東に進んでいく。
伊勢に出てから、岐阜を回る形で陸ルートを取るのは非常に遠回りでしょ。
(当時の伊勢湾は岐阜辺りまで入り組んでいた。)
257名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:19:12 ID:n9Iva8cQ0
>>255
対馬から南に千キロったらやっぱし奄美なんじゃないのお?
258名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:21:27 ID:4n2OOgRt0
>>253
俺もそこが気になるなぁ。90度方角変えて、伊勢湾ってことでいいのか?マジで?って思う。
でも、女王国から「東南」4000余里の黒歯国は、ビンロウを噛む台湾だって言われるとそんな気もするし。
259名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:37:28 ID:6hfDYpVs0
だから〜
邪馬台国は九州から近畿にまたがる国の集合体。
発祥は九州で、後に近畿に遷都した。
これでOK!
260名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:44:35 ID:6y+4IWlu0
なんか、出土した金印を勘違いしてるヤツらがいっぱい居るみたいだから一応
出てきた金印は「漢委奴国王」な
卑弥呼が受けたとされる金印は「親魏倭王」で、もしもこの金印が出てきたら
邪馬台国論争が決着すると言われてる
261名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:47:17 ID:Oqx0dtw80
>>253
素直に読めば、女王の支配する国々が「女王国」で
その都が「邪馬台国」だが?
女王国に属する国々は邪馬台国の向こう側にもあると列記してあるだろ。
262名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:51:23 ID:6hfDYpVs0
>>260
その金印も、江戸時代の捏造疑惑が濃いからね。
いつの時代もゴッドハンドがいる。
263名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:52:46 ID:x5EheSoeO
>>242
ゴッドハンドの前フリだな
264名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:54:08 ID:YQ6BKlvg0
∋oノノハヽ
  川*’ー’) 
  / ,   ヽ    <九州論者涙ふけやよ
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄
  |\`、: i'、
  \ \`_',..-i
   \.!_,..-┘

265名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:56:11 ID:7OjpyfWm0
これは無意味。
266名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:56:52 ID:x5EheSoeO
>>261
だから、どう言う意味?
267名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:57:47 ID:0pitY3psO
>>250
答え合わせぐらい自分でやって自分で確認してみなよ

新羅、三韓の國名(地域名)と魏志倭人伝に出てくる國名(地域名)
卑弥呼の朝貢の行動や日付と、新羅女王の朝貢の行動や日付

んな難しい話じゃないよ
ちなみに墓(ってか祀られた山)は、須見山の南部にある山だよ
これも答え言おうか?
現在の女神岳だよ。信濃の善行寺の近くにあるよ
268名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:57:49 ID:ZXYxAwKfO
諦めろ、九州論者
九州にはそれなりに大きな国か拠点があったでいいじゃん
269名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:58:17 ID:6hfDYpVs0
>>263まあ、個人的にはゴッドハンドじゃなくて、パイオニアであってほしいんだけどね。
でも、近畿以外の年輪法測定は「やらない、出来ない」というスタンスは早くあらためてほしい。
もっとオープンにして日本全土で年輪法を研究してほしいね。
270名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:58:32 ID:Oqx0dtw80
>>266
だから女王国の東に海があるのであって
邪馬台国の東に海があるのではないってこと。
271名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 12:58:54 ID:bsMYnfpb0
>>260
その金印は卑弥呼の国を亡ぼしたクニが持ち去っただろう。
移動してるから見つかった場所では判定できないだろう。
多分、どっかの古墳の中だよ。
272名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:00:58 ID:ejrkPpU70
卑弥呼175−248
トヨ 235−290
崇神 250−318

トヨ即位後に生まれた崇神は卑弥呼と直接会った事は無い
卑弥呼の弟も謎だが、崇神とトヨの関係も謎。

273名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:01:17 ID:0pitY3psO
>>270
半島は北から「帯方、楽浪、韓、倭」
邪馬壹地域の女王國の東は海

邪馬壹国の場所がどこなのかぐらいわからないもんかな?
274名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:02:27 ID:ZFsqU8cT0
>>267
ぎゃっははははっ!言っちゃった!言っちゃたよ、こいつ!

「現在の女神岳だよ(キリッ)」

馬鹿だ!リアル馬鹿だ!MMRだ!キバヤシー!腹よじれるー
275名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:02:29 ID:JWP1l1XS0
倭人伝は正確なんだよ。
邪馬台国は海に沈んだニダ。
276名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:03:28 ID:X2pBm2aX0
蘇部 健一 は、未出ですか?
277名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:04:44 ID:Oqx0dtw80
>>273
だから女王国と邪馬台国を混同するなって。

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次曰彌馬 次曰彌馬獲支 次曰奴佳 可七萬戸
278名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:05:26 ID:vMGN95LL0
陳寿曰く: 「大漁大漁w」
279名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:05:36 ID:0pitY3psO
>>272
間違った年代を持ち出してきて、それを根拠に「年代が合わない」ってバカかって話

年代なんて邪馬壹国の場所以上に特定出来る資料がねーだろ



あと金印を「ハンコ」と思ってる奴もバカ
ハンを押した黄金ってのは小判や大判って呼ばれて今の「お金」の目的で作られたものだよ


それとも黄金ってのはハンコとして使われたと思ってるのか?
280名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:07:21 ID:ZFsqU8cT0
「女神岳は卑弥呼の墓だったんだよー!!」
「な、なんだってぇーーー!?・・・・・・・で、根拠は?」
「え・・・だって・・・女神だし?卑弥呼を連想・・・させるし?」
「え・・・マジで言ってんの?それ」
「・・・・・・・うん」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・何だよ!言えよ!」
「いや、別に。あ、ごめんちょっと用事思い出した」
「何だよ!半笑いで席立つなよ!言いたいことあるなら言っていけよ!
 チクショー!新発見なんだよ!俺だけが気付いた新事実なんだよ!」
281名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:09:11 ID:ejrkPpU70
考えてみれば卑弥呼ってのは2世紀生まれの人で
倭国大乱の最中に幼少時を過ごしている
吉備の楯築の王や、出雲のでかい四隅突出墓の王と
同時代人で魏志倭人伝の時代はもうばあさん。

マキムク建設やマキムク古墳群建設を実際に見ている。
トヨや崇神は、卑弥呼より2世代くらい若い世代なんだよな。
崇神の曾孫くらいの世代が倭の五王初期なわけで、
そう考えると、時代間が一気につながる。

282名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:10:01 ID:bsMYnfpb0
ID:0pitY3psOこいつマジで朝鮮人だと思う。
283名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:11:12 ID:GczfnVzt0
>>272
ヤマトトトビモモソヒメノミコト(卑弥呼)とヤマトトトヒメノミコト(台与)
を区別し、ミマキイリビコイニエハツクニシラススメラミコトに反乱陰謀を
知らせたのがヤマトトトヒメノミコトで書紀ではヤマトトトビモモソヒメノミコト
と混同されたとみればガチ。ヤマトトトビモモソヒメノミコトの政務を司る弟は
オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコトとみればこれまたガチ。
ヤマトトトビモモソヒメノミコトの急死後、男王として即位し内乱が起きた不肖w
の甥はヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコトと考えればこれまたガチ。
284名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:11:33 ID:bsMYnfpb0
東が海→そうだ、東海ニダ
285名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:11:45 ID:7OjpyfWm0
九州は伊都国の発掘をもっと精力的に行うべきだ。
伊都国は場所が分かっている。
一大率があったということが書いてあるのに遺跡が無い。
外交の玄関にもなったしここで九州を軍事的に牛耳ったと書いてある。
なぜそれを解明せずにその先の邪馬台国がどうこうと言ってしまうのか理解不能。
286名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:12:21 ID:kHpHo2Wg0
>>282
美濃もん太君じゃないの。
287名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:12:32 ID:0pitY3psO
「倭國大乱」
これがなんの出来事なのかすら解って無いでしょ?
あと日本は大和朝廷の以前に蘇我の「飛鳥朝廷」があった事を理解しなよ
288名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:12:48 ID:ejrkPpU70
マキムク遺跡ってのは更地に新しく計画的に建設した都市なわけだけど、
同時進行で石塚とか矢塚などのどでかい古墳を、都市内にばらばらに
ちりばめたように作っている。

都市建設のすげえ邪魔だと思うし、計画的に作るんならきちんと墓域を設けて
整然と古墳群を作るのが理にかなっていると思うんですけど、みなさんはどう思いますか?
289名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:14:09 ID:oamdn3lqO
金印が九州にあったのって運搬中に途中で落としただけじゃないの
290名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:15:16 ID:X2pBm2aX0
現在の首都は、ずっと東の方だぞ。
あの辺を探した方がいいのでは?
291名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:15:17 ID:7N03snIF0
神功皇后は台代
箸墓も神功皇后の墓だ!
292名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:04 ID:0pitY3psO
>>282
朝鮮人が「百済や新羅や弁韓は日本人の治めてた日本の領土だ」なんて言うかよバカ


つか君が朝鮮人と同じように「百済や新羅の時代から半島は朝鮮人が治めてた」って事にしたい人間だろ?
293名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:08 ID:7jDC4xg60
マクモニーグルに聞けばあっと言う間にわかるだろ
294名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:37 ID:LgEiHU+o0
>>227
高校で世界史勉強した奴なら分かると思うけど、
中国の征服王朝とか明らかに王の名前がおかしかっただろ、
完顔阿骨打とか。
あれは、元々感じ読みじゃないのを、音から漢字で表したから。
卑弥呼とか邪馬台も一緒だよ。


>>260
箸墓掘っちゃえばいいのに
295名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:37 ID:aZIIScQaO
たぶん金印出てくるまで九州説は吠え続けるよ
296名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:44 ID:X2pBm2aX0
アテルイの墓って、
あるの?
297名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:16:54 ID:7OjpyfWm0
大和は大和湖が縮小して湿地が広がっていたと言われている。
盆地でも水の都というイメージなんだよ。
298名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:17:23 ID:ejrkPpU70
卑弥呼死後に擁立されたけど速効で首になった男王っていたじゃん。
ヤマト政権にしてみれば、石坂浩二の水戸黄門役みたいな黒歴史な
わけだけど、

この王は、どういう出自で、トヨ時代も生き延びたのか?
死んだとき、どでかい古墳に葬られたのか?

299名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:19:40 ID:RpvMML31O
ニュース見たが、なんか狭い感じだったなあ。
しかも付近にはなにも見つからなかったから家建ってるわけだよな。

もっとどがーんとでかい建物を想像してたんだが、
現実は厳しいなあ。
300名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:21:08 ID:9taLDxKiO
卑弥呼という名前に使われた漢字の意味するのはなに?卑しいちんけな女? 邪馬台国は?
301名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:23:11 ID:Oqx0dtw80
>>300
中国人がバカにしてつけた音写の当て字w

卑弥呼=日の巫女=斎王?
邪馬台国=ヤマト国?

302名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:24:04 ID:x5EheSoeO
>>299
邪馬台国の遺跡の可能性は極めて低い
303名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:26:20 ID:hkEHWVmY0
>>301
石川県に
日御子
と書いて
ひのみこ
と読む地名があるね
304名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:31:17 ID:0pitY3psO
>>297
国之常立命が降り立った時にはまだ今の形じゃなかったからね
島海の時にやっと雨が上がり水が引いて今の日本列島の形になったんだしね
六山御岳の話や伊豆などに詳しく書いてあるしさ
305名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:31:18 ID:roZk6c9dO
ムリムリムリムリ!
てか、ムリ!もうムリだから!
あーそう来ちゃう?そう来ますか?来てるね?ムリ!
だーかーらー!ムリだって!ムリでしょ普通!
なんでよ?チャック?あー降りた?降りたよ!
それムリ!ああームリムリムリ!パンツきつっ!
そこ!それ!食い込んでる!ムリだから!ほんとムリ!
あ、乗る?乗ってるね今!乗りかかってるよね?てか、乗った?
ああああー乗ってる乗ってる!ムリでしょう、まちがいない!
あらあら?そうゆうことする?しちゃってるよねそれ!ムリじゃね?
なんか揺れてない?ムリな揺れだし!ムリムリムリ!ずいぶんなムリ!
わわわわ、なんか俺ムリっぽい!非常にムリ!はぁーんムリ!
なんで?なんでそんなに?ムリ?普通やる?そんなムリ!
まずいって!ムリだし!どんどんムリになってきてるし!
はぁはぁムリ!ムリですし!はぁはぁはぁ、ムリ!
はぁはぁはぁはぁムリムリムリムリ!はぁムリ!あ、ムリ!
どこ?どこで?中はムリっしょ?はぁはぁ。え?ここ?ムリ!!!!
間に合わない、それムリ!はぁはぁムリムリ!
あっもうムリ!ムリムリムリーーーーーーーッ!!!!
306名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:31:52 ID:uUz0vpwT0
お前ら文献史学と考古学を混同してるだろ
307名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:32:44 ID:hkEHWVmY0
で、今日、現地説明会は開催したの?
308名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:33:40 ID:LgEiHU+o0
>>298
卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命で、その弟だか男王だかが崇神天皇だとすると、
日本書紀や古事記だと、
それから後は日本武尊の東征話とかがメインになってきて、
その後に神功皇后とかの話が来て、
その間はあんまり天皇が表に出てこないから(つーか系譜も結構怪しい)、
それが中国の史書の記述でいうと、その辺りと対応してるのかもね。
309名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:35:03 ID:0pitY3psO
あと「金印金印」いってるけど「金」って漢字は「かね物、鉱石全般」を意味する字だぞ?



鉄で作ったハンコも「金印」だから
310名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:39:59 ID:2fe+tHOUO
親魏倭王印を見つける作業に戻りなさい
311名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:39:59 ID:aZIIScQaO
クニでもピンキリだからその中でもかなり強いクニが九州にあったでいいじゃん で、出雲や滋賀や吉備なんかにもでかいクニがあったと
312名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:41:15 ID:isR4k2f50
>>202
大規模な集落跡出てこない時点で考古学的にはアウトじゃね?
考古学なんか結局は掘ってナンボ、見つけてナンボの世界だし

>>242
否定するならちゃんと年輪法試してみてから非難するのが当然だろう
追試したわけでもなく「なんとなく怪しい」とか「一人しかやってない」からってんで非難するのは科学者として間違ってる

加えて、年代推定には出土物の傾向や建物の形式、炭素法なんかも
全部やって結果どうもその時代の可能性が高いって話になってるんだろ
否定するならするでキッチリ否定しろよ

>>269
クソ手間かかるからやるヤツがでてこないのが問題だろうよ
年輪法で年代調べようと思ったらまずは大量の木の出土品が必要
結局は学者連中の過去の蓄積ないとやりようが無いってだけじゃん

年輪法なんてアメやドイツでもやってんだし学ぼうと思えば学べるはずなんだから
否定したいならまずは学べよ、といつも思う
313名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:44:12 ID:QsffDIuM0
九州説ってのは、九州にでかい建物があった事は事実なんだけど、
それが日本の首都機能を果たすような証拠となる発掘物は見つかってるの?
それもなくて、「大和は嘘を付いてる、邪馬台国は九州」とか誇ってるの?
314名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:47:02 ID:5uDKi7hAO
卑弥呼って美人だったのかな。
俺は、卑弥呼の後に女王になった臺与に興味があるんだけど
卑弥呼も資料に乏しいが臺与なんてほとんど情報ないからね。

これは謎の女に恋をしてしまうような感情に近い!
315名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:47:16 ID:0pitY3psO
>>310
「印」ってのは「位」と同音同意文字だよ
「しるし、ちい、くらい」の意味

判子を表す漢字は「判」だよ
316名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:49:49 ID:ZFsqU8cT0
ID:0pitY3psO


こいつはさっきから聞かれてもない的外れなことを何一人でしゃべってるんだ?
317名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:52:02 ID:7OjpyfWm0
この時代の中華では既に日食予報と言うのが出されていた。
これを正確の行う事が人を治める祭り事の重要な部分であった。
また、農作物を作って収穫する上で、冬至や夏至など正確に知って、
安定した農業を営む必要があった。
それが出来たのが卑弥呼(日巫女)であり、鏡、古墳などは、
重要な観測施設設備器具であったと考えられる。
魏志倭人伝の中にある魏や倭の他国との外交文章や宝物などの
やりとりの痕跡もどこかにあるはず。
大乱など戦争の痕も。
318名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 13:54:48 ID:5kZbLcVa0
>>316
一昨日からずっといる暇人でしょ
319名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:01:21 ID:7OjpyfWm0
邪馬台国で重要な事は魏の威光を強く受けた政権であったと言う事。
邪馬台国は倭の大乱を魏の旗や御触れで鎮めたとはっきり書かれている。
これを間接的に示すのが魏鏡の地域的、時間的に大きなひろがり。
如何に魏の威光で国を治めたと言う事が広範囲に、長期間、
倭国に影響をもたらしたかが分かる。
320名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:08:43 ID:6hfDYpVs0
>>316
おいおい!
非難してんじゃなくて、信用出来ない、少なくとも現時点では・・・といってるんだよ。
科学的に検証出来ていないからね。
少なくても日本において確定した年代確定方法ではない。
しかし、一部ですでに確定した年代確定方法のように扱われている事が、非科学的で、意図的なんだよ。

くそ手間かかるのも事実だが、年輪法自体が日本では成立しないと考えている学者も多いよ。
でも、可能性の一つではあるんだから、もっと他地域での研究もしないとね。
だけど・・・技術独占?なのか、捏造隠蔽?なのかわからんが、日本における年輪法の技術は一人の研究者が秘匿している状態だから。
検証しようにも、すべての技術を明らかにしてもらわないと出来ない。
で、彼は、しないし、出来ない・・んだそうだ。
321名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:16:45 ID:VXsJt1l+0
ちなみにこの不景気と売国嵐の中でこれがどこか決まるとなんか良いことあんの?
中間とって広島あたりで手打てば?ってのは無し?
322名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:41:33 ID:vfAgWG1T0
箸墓を掘って、ヒミカの遺体が出てきて、
(本物の)金印がでてきたら、この件は終結なの?
323名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:45:12 ID:BQe7snrW0
もう決着してる。今は残党狩りフェーズ。
324名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 14:48:33 ID:nZHyj4PAO
>>322
天皇陵はあきらめてるから、箸墓ぐらい調査させて欲しい
325名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:05:06 ID:uUz0vpwT0
金印を卑弥呼の墓に埋めたってことはないだろう
326名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:13:42 ID:IMp4KYLUO
問題は時系列なんだよな
魏志倭人伝の年代が基準として
古墳と古事記や書記の時間合わせがなぁ

西村京太郎を呼んできて
327名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:23:08 ID:6hfDYpVs0
近畿説に関する疑問その1

<勝山古墳の報道を巡るマスコミの姿勢について>
勝山古墳の報道について、「読売新聞」では、一面のトップ記事で取り上げ、39面では、「所在地論争決着近
づく?」として、いちじるしく「邪馬台国=畿内説」にかたむいたとりあげ方をしている。ほんとうに「邪馬台
国=畿内説」に有利な材料だろうか。「邪馬台国問題」はあくまで、『魏志倭人伝』という文献から出発してい
るはずだ。
『魏志倭人伝』には、「(倭人は)兵(器)には、矛・楯・木弓を用いる。」と記されている。北九州からは、銅の
矛も、鉄の矛もいくつも出ているのに、纏向遺跡からは、ホケノ山古墳からも、勝山古墳からも、銅の矛も、鉄
の矛も、まったく出土しないのは、どうしたわけか。
『魏志倭人伝』はまた、「異文雑錦二十匹を貢いだ」など、倭人は、絹製品をつくっていたことを記す。絹製品
も、北九州からいくつも出土しているのに、「纏向遺跡」など、奈良県から、当時のものは、出土していないの
はなぜだろう。
倭人は、鉄利器を用いていた。ホケノ山古墳からは、たしかに、鉄の鉄、素環頭大刀、直刀、剣が出土している
が、福岡県からは、奈良県をはるかに上まわる当時の鉄利器が出土していることは、「邪馬台国畿内説」の寺沢
薫氏でさえ指摘しておられるところである。
328名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:25:18 ID:6hfDYpVs0
近畿説に関する疑問その2

『魏志倭人伝』には、倭人の葬制は、「棺あって槨なし」と明記している。これも、北九州の墓制と合致してい
る。ホケノ山古墳では、「木槨」があった。『魏志倭人伝』の記述に合っていない。逆に、『魏志倭人伝』には、
遺跡から「邪馬台国時代の木製品」が出土すれば、そこが、邪馬台国である、などとは、なにも記されていない
のだ。それに、北九州から、「邪馬台国時代の木製品」がすでに出土している可能性は、きわめて大きい。たん
に、年輪年代法や炭素14年代測定法によって測定発表されている事例は、近畿中心のものに偏っているというだ
けのことではないか。
たとえば、西暦200年前後に築造されたとみられる福岡県前原市の平原王墓出土の割竹形木棺や、福岡県小郡
市の津古生掛(つこしょうがけ)古墳出土の木棺などは、年代を測定することが可能であったならば、ホケノ山
古墳や勝山古墳出土の木製品と同じような年代を与える可能性は多分にある。「邪馬台国論争」は、『魏志倭人
伝』の記述がもとになっておきている。『魏志倭人伝』の記述にあっているかどうかを考えるのが、眼目ではな
いか。『魏志倭人伝』にもとづく直接の証拠を検討せずに、いちじるしい偏りのあるデータにもとづいたり、研
究者の意図的な報告を大々的にとりあげたり、論理構成をしすぎたりすると、旧石器担造事件と同じような空中
楼閣を築くことになりかねない。
旧石器担造事件に関係し、国士舘大学イラク古代文化研究所の大沼克彦教授は、強く警告のことばをのべている。
「私はマスコミのあり方にも異議を唱えたい。今日のマスコミ報道には研究者の意図的な報告を十分な吟味もせ
ずに無批判に、センセーショナルに取り上げる傾向がある。視聴率主義に起因するのだろうが、きわめて危険な
傾向である。」(立花隆編『「旧石器発掘ねつ造」事件を追う』
329名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:35:47 ID:Oqx0dtw80
>>327
倭人の習俗については、女王国の習俗が紹介されているだけで、
それが都である邪馬台国の習俗とは限らないよ。
邪馬台国が畿内にあっても、その支配エリアである女王国に九州が含まれているなら
何の問題もないだろ。
330名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:36:53 ID:IMp4KYLUO
今のNHK調査の女系天皇容認と同じで、何か始まってる
331名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:39:14 ID:Vq/hto6s0
>>329
張政は結局九州で留め置かれて邪馬台国の首都まで行けなかったもんね。
実際に目にしたのは倭国の玄関口の九州の習俗だけ。
しかもそれを魏志倭人伝に記したのはかなり後世の人物。
何の問題もないですな。
332名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:42:13 ID:AjBj7l9H0
せんとクンを応援するぞ
333名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:42:24 ID:sqH9BSn70
「畿内だったかも知れないし九州だったかも知れない」でおk
334名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:42:39 ID:uBwFvwkJ0
>>194
だから魏志倭人伝の「女王国」と「女王」という箇所を
全部調べてから訊けって
話はそれからだ

>>211
女王国から海を渡って東も倭の地だねって言うと
伊勢湾を渡るんだという
そういうときだけ東=東なんだな

>>216
表音的用法もある
陀羅尼とか
今なら可口可楽とか
335名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:45:20 ID:pAdtrh1k0
つまりだ、

「2009年版の百科事典には
日本には夕張メロンがあると書いてあるが
関東には夕張メロンを栽培してる農家は何処にも無い!

むしろ夕張メロンは北海道で栽培されている
ならば日本の首都東京は北海道の何処かにある筈だ!そうだ間違いない!

首都東京関東派はマスコミを使ってプロパガンダを流すの止めろ!
ゴットハンドには騙されないぞ!!!」


クルクルパーの九州派が言ってるのはこれと同じ事だろ
336名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:51:25 ID:IMp4KYLUO
だんだん口が悪くなる
337名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 15:59:22 ID:gN7dWSBQ0
巻向って例のヤツが一人で言ってるだけ。
大宰府付近に大規模城塞があった跡があるやん。
その周辺に金隈、平塚、金武、平原など武器や人骨、青銅その他数知れず。
地理的にも九州でFAだろ
338名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:07:12 ID:uBwFvwkJ0
>>234
"真女文字"の検索結果 7 件中 1 - 7 件目 (0.27 秒)
三省堂『言語学大辞典別巻 世界文字辞典』にも見あたらず
339名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:14:59 ID:WNeeLeEzO
そんな事より、大仙古墳は仁徳天皇陵じゃなけりゃ一体誰の墓なんだ?
340名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:18:47 ID:5kZbLcVa0
そもそも魏志倭人伝がフィクションだったというオチだろ
341名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:20:46 ID:BQe7snrW0
>>329
女王国の習俗でもないよ。倭人伝ぐらい読んでから書こうな。

>>337
時間の概念が存在しない朝鮮人九州説の典型。
342名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:21:01 ID:isR4k2f50
>>327
そのうち絹製品については絹製の巾着袋、弓矢については木製鏃出てたはず

>>328
>近畿中心のものに偏っているというだけのことではないか。

ここ何を言いたいのかよくわからんのでもうちょっと説明頼む…ってコピペかよ
ところで、立花隆って阿部は紙おむつしてるとか首の皮がどうのとか変な中傷だか批判だかしてたやつじゃなかったっけ?
最近は誤報もとばしまくってたような
343名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:21:54 ID:0Jo7xnMa0
神武東征の道筋はともかく、最初九州にあった耶馬台王朝が東進して、最終的に奈良に落ち着いた、
ってことじゃねえの?どっちにあったとか良く分からん。

邪馬台を「やまと」と読めば、九州にあった「やまと」王朝が最終的に奈良に落ち着いても「やまと」で、
それが定着しただけだと思うんだが。
344名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:23:11 ID:+7yO8RKCO
まあ実は四国なんだけどね。
345名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:28:02 ID:IMp4KYLUO
マキムクが古代のゴッドハンドな気がしてきた

あそこ墓しかないじゃん
346名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:31:44 ID:gN7dWSBQ0
>>341
ばかだな〜都府楼の下にいろいろ埋まってんだよ。
調べて無いだけ。九州は表面しか調査してないから出て来ないんだよ。

347名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:31:50 ID:x5EheSoeO
>>337
そう言う事になるな
348名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:34:19 ID:GEQPbt6I0
>>327
全く同感。
加えて銅鏡の問題。
銅鐸なんかは最初期の小型のやつ以外は全て日本で
造られたとして一致してるのに銅鏡は質の悪い物だけが
日本製で、あとは中国製だっていうのは無理がある。
特鋳説なんかもってのほか。

あと、墓制の違いは非常に大きい問題だと思う。
その地域社会の帰属に関わることだから。
夕張メロンと同列には語れない。
349名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:36:32 ID:isR4k2f50
まあ見つかってるの再使用の建物が多いのはそうらしいが

出土した土器の2割弱は駿河・尾張や近江、北陸、山陰、吉備やらで作られたものらしいから
少なくとも西日本の中心的な場所だったってのはまず間違いなさそうだわな
350名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:37:18 ID:pAdtrh1k0
何が全くの同感だよ、

「2009年版の百科事典には
日本には夕張メロンがあると書いてあるが
関東には夕張メロンを栽培してる農家は何処にも無い!

むしろ夕張メロンは北海道で栽培されている
ならば日本の首都東京は北海道の何処かにある筈だ!そうだ間違いない!

首都東京関東派はマスコミを使ってプロパガンダを流すの止めろ!
ゴッドハンドには騙されないぞ!!!」


クルクルパーの九州派が言ってるのはこれと同じ事だろ
351名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:38:33 ID:44QSXoisO
畿内説って自分らに都合いいように「方角が間違ってる」
言うてるのが胡散臭いんだよなぁ。
出発点からおかしい
352名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:39:33 ID:isR4k2f50
×再使用
○祭祀用
353名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:44:04 ID:gN7dWSBQ0
福岡の金武、吉武地区にとんでもない広さで古墳やら土器や青銅が出てんのよね。
でもちゃんと調査してないんだわ・・・
福岡 金武 遺跡で検索してみ?巻向やら箸墓とかマジでゴミだからw
飯盛神社周辺なんかも怪しいぜ
354名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:49:08 ID:x5EheSoeO
畿内説はこじつけ臭いんだよな〜
355名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:51:34 ID:oheS/1x30
>>351
胡散臭くないよ、向こうの紙の耐用年数は100年しかないから
写本の段階で「北と南が誤記されていると」直された可能性もある
その当時では倭国は台湾の東くらいの位置が常識だったから。
356名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:51:45 ID:/oIzwpM0O
>邪馬台国九州説を唱える人はまだいる。
しかし、それは学問的な発言ではなく、もはや「お国自慢」などのレベルでしかないと筆者は感じている。


産経新聞論説副委員長
渡部裕明
357名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:51:49 ID:7yPErVc0P
なんかもう九州厨が必死すぎて引くわw
そんなに観光資源がないなら、どっかの淫行知事みたいなのを
九州各地に誕生させればw
358名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 16:59:40 ID:pt4ICcT50
359名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:02:21 ID:7X/BCc0gO
>>353
普通に奴国のエリアです。残念ながら邪馬台国とは何の関係もないですねw
360名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:04:46 ID:7OjpyfWm0
てか、建物の規模がショボ過ぎだろ。
361名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:09:34 ID:7X/BCc0gO
巻向建造物で今回のものは、まだ全体像ではないとされてるけどね。
362名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:09:40 ID:42h+iAoB0
>>327
邪馬台国が九州から畿内までの広大な領土を保有していたってことだろ


で、具体的に九州のどこに邪馬台国があったわけ?
363名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:13:00 ID:7yPErVc0P
>>現地説明会には、俳優で考古学研究者の苅谷俊介さん(62)も
「桜井市」と記された腕章をつけて案内役として参加。
訪れた考古学ファンからの質問に答えたり、写真撮影に応じたりした。
 大分県の出身。若いころ、邪馬台国は九州にあると信じて疑わなかった。
しかし、考古学に興味を持ち始めた約30年前から、桜井市など全国を発掘行脚して回るうち、
纒向遺跡こそが邪馬台国に違いないと感じ始めたという。
「ここ数年で100%確信していたが、大型建物跡の発見で120%になった」。


いいよいいよ(* ̄ー ̄*)ニヤリッ
364名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:14:36 ID:9llagdRR0
>>351
たしかに長距離を正確に測る方法が無かった時代でも
方角ほど間違えにくいものは無いと思う
365名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:16:46 ID:7X/BCc0gO
大分も女王国、奴国との境界で、瀬戸内海に面してるからね。
邪馬台国はヤマト。それで問題ないと思うけど。
366名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:16:51 ID:QT7dWOX+P
>>363
苅谷さん、単なる考古学好きの俳優から研究者になったんだね。w
もう随分長いもんなあ。自ら発掘に参加したりしてたね。
367名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:16:53 ID:42h+iAoB0
>>351
そもそも中国が正史のかたわら、ついでに周辺蛮族を記したような文書を
大真面目に信じる意味があるのか?
368名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:23:14 ID:qqvxhA1K0
>>367
13世紀のマルコ・ポーロのジパング話だってウソ八百だしねえ
369名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:25:11 ID:x5EheSoeO
纒向遺跡で、これ以上の進展は期待できないから、九州説に期待するしかないみたいだな
370名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:25:48 ID:wsjlIFqu0
↓ゴッドハンドが一言
371名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:29:58 ID:mN/+N/310
魏志倭人伝は嘘八百ってw
畿内説の人は話にならんね
自分の都合が悪いことは全部嘘とか言い出したら話になりませんよ
372名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:30:25 ID:yEc9G1kA0




●箸墓掘って卑弥呼=天照大神(てんてるおおかみ)の頭蓋骨見つければ解決すんだろ




373名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:31:09 ID:isR4k2f50
三国志書いた陳寿って事実を曲げて記述したって悪評が別の正史に載ってるそうだけど、何でそうも信用できるの?
まあその記述に対する批判もあるから結局どっちが正しいかなんて確認しようはないんだけど

倭人伝の記述が正しいってのは何に担保されてるの?
374名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:33:04 ID:HSrlSKHy0
魏志倭人伝なんてつまりヤマト国はすごい遠くにあるって書いてあるだけでしょ
どこでもありだろ
375名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:36:39 ID:uUz0vpwT0
やっぱりお前らは文献史学と考古学を混同してるなあ
376名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:37:58 ID:5kZbLcVa0
当時の魏志倭人伝なんて、今に例えたら中国で大ブームの村上春樹の「1Q84」みたいな
ベストセラー小説だったと思う
すべてがファンタジーw
377名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:38:53 ID:x5EheSoeO
ゴッドハンドでも構わんから、とりあえず畿内で決着をつければよろしいじゃん
378名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:40:47 ID:tP5RBCozP
女王国の木簡竹簡が出土しない限り、論争は完全終結しません。
379名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:41:38 ID:bC4KXrxO0
九州のバカと韓国人と在日は畿内説が嫌いw
九州のバカは単なる地元主義。
韓国人と在日は、倭人=現在の日本人のルーツ、だと
半島の歴史に都合が悪いことが多量にあるからw
380名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:41:48 ID:SHkfyqfO0
>>1
遺跡調査のために文化庁に予算つけるなら
科学技術に予算を配賦すべき。
これこそ事業仕分けの対象にすればいい。
381名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:47:03 ID:tGb1NmfkO
>>378
マキムク遺跡内でゴミ捨て場か井戸跡が出てくれば面白いんだけどね
建物跡が出てきたから時間の問題だろうけど
382名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:48:33 ID:42h+iAoB0
>>371
で、邪馬台国は九州のどこにあったんだ?
倭人伝をそのまま読めば九州でも畿内でもないんだけど
383名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:51:10 ID:zkj1qEBh0
もしかしたら、知られてないだけで邪馬台国とは違う国家が同時期に存在していたってことだってあり得る。諦めるな
384名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:52:17 ID:/oIzwpM0O
だってさ、地場産業も観光も頭打ち、高速新設は絶望的…
今や邪馬台国くらいしかお国自慢出来るものが無い正に崖っぷちの我が九州なんだからさ

ここで厨房共が必死になるのも理解してみんなもっと温かく見守ってやってくれよな
385名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:55:32 ID:TyaQTcWw0
朝鮮人ざまぁ
386名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:56:07 ID:42h+iAoB0
>>384
日本の最初期の都市国家は九州にあったと思うよ
ただ二世紀にはすでに大和に遷ってたわけで
387名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:56:25 ID:Ri0UAqGDO
『邪馬台国』なんて支那の文献以外の何処にもねーよ
388名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 17:58:45 ID:W5yugcyu0
文身っていうんだから北海道か沖縄だろ
389名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:00:45 ID:0Jo7xnMa0
>>387
「お前さんの国の名前は何ていうんだい?」
「やまと、だよ」
「え?」
「や、ま、と」
「ふーん、邪馬台と」

こんな感じだったんじゃね?
390名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:03:43 ID:fnXA/xzH0
>長年の研究の蓄積によって『九州説は無理だろう』という考古学研究者が大半を占めるようになった

だからといって畿内にあったとは限らない
391名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:04:20 ID:BQe7snrW0
>>373
本当にそんなことが書いてあるのかどうかは知らんけど、
陳寿は諸葛亮のことを軍才がないと書いたためにあしざまに言われていた。
陳寿の名誉が回復するのは清代になってから。
392名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:10:10 ID:mN/+N/310
>>382
そのまま読めば九州だろ
伊都国までは九州確定でいいんだよな。奴国・不彌国も九州だよな。百里だから近場だ。
その南に投馬国で、同じく南に邪馬台国だろ。その更に南に狗奴国

どう考えても九州じゃないか
393名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:10:32 ID:kHpHo2Wg0
魏志倭人伝にこだわっていては結論なんて出てこない。重要なのは現在ある
全国の遺跡、天皇陵等の発掘、日本古来の文献を重視すべき。
394名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:12:27 ID:fnXA/xzH0
そのまま読めば海の上だろ
どこかが間違ってるんだよ
最初から間違ってるかもしれない
395名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:14:16 ID:x5EheSoeO
>>392
大和朝廷と邪馬台をセットにしないと、都合の悪い考古学者が多いんですよ
396名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:15:22 ID:ejrkPpU70
学生アルバイト20人を雇って箸墓後円部最上段の円壇をゲリラ発掘。
首謀者の俺は不法侵入と器物損壊で実刑3年6ヶ月。
しかし『邪馬台国論争に終止符を打った日本のシュリーマン』
として後世に名を残すし、憎き宮内庁の慣習に風穴を開けた男として
学会からも褒められて、以降は著作や講演で一生安泰だ。
397名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:16:19 ID:5kZbLcVa0
邪馬台国は、イスカンダルや機械の身体を貰える星みたいなものなのだろう
壮大なる無駄だ
398名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:19:16 ID:nfNK54go0
皆、憑かれてるな
399名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:19:22 ID:42h+iAoB0
>>392
そのまま読めば海上だぞ?
で、九州のどこなの?
どこの遺跡に当たるの?
400名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:21:21 ID:cydPOLbc0
>>392
伊都国=前原市、奴国=福岡市として、
不彌国=?、投馬国=?、邪馬台国=?、狗奴国=?
401名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:22:16 ID:mN/+N/310
>>399
なんで海上になるんだよ
福岡の南は熊本でその南は鹿児島だぞ
陸があるじゃないですか
なんで海なんだよ
402名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:22:45 ID:x5EheSoeO
奈良の大型建物跡は邪馬台じゃないから、邪馬台と言っとかないと、お金が出ないからね。
403名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:24:04 ID:THLM7IvlO
もう何処でも良いじゃん
404名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:24:26 ID:mdcQATO30
八女でどう?
お茶も美味しいしさ
405名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:24:59 ID:Oqx0dtw80
邪馬台国を九州にすると、それより大きな畿内勢力は何なのか?という話になる。
406名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:25:22 ID:LgEiHU+o0
>>373
先祖の伝を書いて欲しければ賄賂をよこせとか言ってきて
断ったら書かれなかったとか、
仲が悪い奴の記録を意図的に除いたとか、
そういう記述があったりはする。
ただし、それが書いてある書物の方が、内容が微妙だったり、
三国志注釈書で再批判されてたりするから、信用できるかどうか。
史書の信用性は、同時代の資料とかから確定していくしかないね。
甲骨文や碑文や竹簡や。

>>391
「臨機応変の対応は苦手だったんじゃないか」っていうような
内容のことを書いてたんで、そこそこ批判されてるけど、
評価は高いでしょ。
でなきゃそもそも三国志が正史に入れられたり残ったりしないし。
同時代でも「性格はアレだがちゃんとした本を書く」みたいな評価。
407名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:26:00 ID:gN7dWSBQ0
>>403
よくないよ。勝手にご都合主義で巻向にされそうなのに・・・
日本の学者も知れてんな。
408名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:26:12 ID:CB6MOsLtO
>>402
九州説も捏造すれば金が出るじゃない?
何もないから捏造は大変か
409名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:26:22 ID:62XAJ+d70
要するに、近畿説を主張している学者は、「女王国の東、海を渡ること千余里」の「海」って、
伊勢湾のことだって解釈しているわけ?
ばかばかしくて、話にならんわ。
410名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:28:20 ID:Wm7k08ft0
よ、よこし、邪馬台国
411名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:28:48 ID:maABpIqxP
やまない国=関東平野
ひまない国=忙しい人が多い東京
ヤマダい国=ヤマダ電機総本店のできた池袋

邪馬台国は池袋
412名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:31:02 ID:uVkvV1+30
>>1
九州内の新聞と論調が全然違っててワラタ
413名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:31:50 ID:Rd4qDXyG0

九州は

熊襲の産地だろ?
414名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:32:00 ID:+dyUgBTn0
>>409
あえて言えば四国が近い気がする
415名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:32:09 ID:Dssml/YGO
仮に九州だとしたら邪馬台国は大和政権に滅ぼされたということになる。
九州の強大な国を滅ぼすのは大和政権にとっても簡単な事ではない。
そんな長く苦しい戦いが3〜4世紀にあったのなら大和政権側にも伝承等が
残ってるはずなのに全く無いのは不自然。
やはり邪馬台国=大和政権と考えるのが一番現実的。
当時の日本人は漢字なんて知らないから「大和」という漢字も無かったはず。
それで魏の方で適当にそれっぽい漢字で「邪馬台」と記載したんだろ。
416名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:32:41 ID:Wm7k08ft0
竹島にあったことにしよう
417名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:33:47 ID:AUIm1bkn0
>>400
伊都国=前原市、奴国=福岡市として、
不彌国=津屋崎近辺、投馬国=遠賀川流域、
邪馬台国=福岡県甘木市を中心とする筑後川流域、
狗奴国=熊本県北部
418名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:34:35 ID:5kZbLcVa0
九州は口先だけでなんの努力もせず、過去の使い古されたネタの使いまわしだけ
巻向は何十年にわたって予算と人員を使って大変な努力している
九州民は、アホみたいに道路や新幹線、ダム、空港にしか興味がないからもう駄目でしょ
419名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:35:04 ID:/oIzwpM0O
邪馬台国は九州の琴線に触れる項目だから
あまり怒らさない方がいいと思う

悪い事はいわない嘘でもいいから九州にあったとしておけ
420名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:35:50 ID:x5EheSoeO
お金を出す方からすれば、畿内説の方が面白いよね、九州説なんて当たり前過ぎて、つまんない。邪馬台国が九州だと言う認識が強いから、例え九州から卑弥呼の墓や金印を発掘しても、「やっと出たか」ぐらいの反応でしょう

これが畿内となると大騒ぎになるよね、その証拠にまだよくわかっていない、大型建物跡の発見だけで、「奈良こそ邪馬台国だ!」で大騒ぎの高飛車ぶり、考古学者とは言え商売なんだから、何がなんでも引っ張りたいのよ〜
421名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:36:53 ID:fnXA/xzH0
邪馬台国の起源は韓国
422名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:38:57 ID:7sjTxAwc0
日本書紀だったっけ?
九州征伐の話がいろいろあるじゃん。

邪馬台国を滅ぼして大和朝廷が日本統一したんだろ?
423名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:39:42 ID:FsEuWsxN0
>>415
>仮に九州だとしたら邪馬台国は大和政権に滅ぼされたということになる。

九州出身の神武の子孫が畿内出雲国の大君の地位を乗っ取ったのだから、滅ぼす必要はありません。
ちなみに神武を送り出した母体はそのまま存続し続け、その後身の王を畿内政権は筑紫国造と呼んでいます。
424名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:39:43 ID:maABpIqxP
日本の中心都市って西から東に移動してるよな。
九州はもっと前の時代じゃないの?
邪馬台国〜大和朝廷は奈良。
そのあと京都。
今は東京。

今後、地球温暖化が進むと
日本の中心は仙台〜札幌へ移動し、
最終的に人類は北極星へ植民する。
425名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:39:46 ID:BQe7snrW0
>>406
二十四史が選ばれたのは清代ですが。
隋唐代、三史といえば史記、漢書と東観漢記もしくは後漢書で、
三国志は入ってないよ。
426名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:39:52 ID:2fe+tHOUO
産経読売あたりは邪馬台国を畿内にしたいという論調だね
宮内庁と文科省の意向なんだろうね
427名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:41:15 ID:IMp4KYLUO
とにかく古代人は結構、移動してるよな

なにせ中国から客呼んだり行ったりしてるくらいだ
428名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:41:42 ID:KraX+Ih10
3世紀から4世紀の記録が全く残されていないということで、
いつ日本という国ができたのかということが明確でなくて、
建国がいつかわからないというのは不思議な感じがします。
429名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:42:46 ID:x5EheSoeO
宮内庁からすれば、「もう、掘るなや、めんどくさい」じゃないかな
430名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:42:57 ID:yVcHZJFK0
>>423

それは紀元前の話だから。

邪馬台国とは無関係。

431名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:43:22 ID:gN7dWSBQ0
もし甘木や吉野ヶ里から親魏倭王印出たら巻向厨なんと言うだろうなw
432名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:45:13 ID:maABpIqxP
どこにあったかイマイチ謎だからこそ
歴史のミステリーとして
一般人の興味を集めてるんじゃないの?

近畿に確定しちゃったら
正直、一般人の興味は薄れるよ。

近畿って明らかになっても
隠しておいた方が業界の発展の為にはよろしいかと思う。
433名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:45:17 ID:7yPErVc0P
>>431
どうせゴッドハンドだから無問題w
434名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:47:15 ID:x5EheSoeO
>>432
大丈夫、絶対に確定しないから
435名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:48:48 ID:vfAgWG1T0
>>226
この読み方には非常に疑問がある
436名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:48:58 ID:5kZbLcVa0
九州の連中は今頃、発掘作業などせず、印章屋に「親魏倭王印」を発注してそうで困る(笑)
437名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:49:23 ID:/oIzwpM0O
>>431
願望をマジレスするのはちょん扱いの元だからやめれ
438名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:49:53 ID:Xklkilju0
最近邪馬台国と見てもやまと国って読めるようになってきたよ。
やまたいなんていう変な読み方が諸悪の根源だろう。普通に大和なんだよ。
439名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:51:03 ID:ns9Fxjzp0
>>431
甘木はともかく吉野ヶ里って・・・。
440名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:51:49 ID:yGoM8Wbe0
まだ畿内説とかいたのかよwwww

なんでも3世紀の遺跡がでれば「邪馬台国」ってアホじゃねwww?

三角縁神獣鏡が出土すれば「卑弥呼の鏡」wwww
441名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:51:53 ID:x5EheSoeO
大型建物跡を発掘したアピールは、お金を要求しているだけ。発掘を中止にさせない為の前フリでしょう
442名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:52:45 ID:UeMBTZS90
旧唐書にあるように、倭と日本は別の国だったと考えるのが自然だろう。
オレは、古代日本にあって、九州と畿内に二大勢力があったと信じたい。
そして、邪馬台国は現在の佐賀県あたりにあったのではないかと信じたい。
旧唐書「日本国者、倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本旧小国、併倭国之地。」
443名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:53:55 ID:Xklkilju0
そもそも九州説の放射状に読むって無理があるw。なんでそこだけ放射状なんだよ。
意味がわかんねー。
444名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:55:31 ID:pDtZ+IMd0
>>424
星かよww
445名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:55:46 ID:TMt3qhe10
本居宣長ってネトウヨみたいな面があるなw
もちろんそれだけじゃないんだろうけど。
446名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:55:49 ID:3ju/wV+s0
距離や方角、さらに戸数などには誤りや誇張が入る余地が大きい。
比較的信じて良いのは文化・習俗の類だろう。
と、するならば近畿は考えにくい。九州優位。
447名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:57:09 ID:4IIe0dFxO
もうさ、最初から薄々結果なんて見えてたぢゃん…
大半の学者は近畿説で…
北九州説を唱えてる急先鋒の佐賀大の学者は、先輩に『北九州説の人間が少ないからお前やってくれ!』って言われて嫌々やってる(泣)と後援会などで白状してるし…
小説家などが好む様に、北九州説が古代のロマンだとは思うけどね…
448名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:57:14 ID:RmKS0dN1P
>>442
何で三国志の時代の話なのに唐書なんだよw

隋書にちゃんと隋に使いを出していた倭国の都=邪靡堆で
魏の頃の邪馬臺だって答え書いてるのにwww
449名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:57:43 ID:7yPErVc0P
>>424
人類の祖先は灼熱のアフリカだった訳だから、その説もあながち無視は出来ない
450名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:58:57 ID:x5EheSoeO
邪馬台国(大和)である畿内から、鉄の出土が少ないのはなんでだろう。もしかして、武装する必要がなかったんだろうね
451名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:59:05 ID:Xklkilju0
九州説って要は皇室の先祖が中国に朝貢してたわけないから大和じゃない、
ってとこから始まってるからな。ぜんぜん学術的じゃない。
はじめに九州ありき(非畿内)で無理やりこじつけようとしてるだけ。
452名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 18:59:19 ID:yVcHZJFK0
九州に邪馬台国があったとしたら、
記紀神話とか日本の文献に登場しないのだから、
土蜘蛛として大和朝廷に滅ぼされたのだろう。

九州説の人は、もちろん、そう思ってるよな?
まさか、九州の邪馬台国が東遷して大和に来たなんてトンデモを信じてないだろうね?
それならいいんだよ。

453名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:01:21 ID:bC4KXrxO0
>>442
倭国と日本が別で無いと困るのは半島人と在日。
454名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:02:08 ID:n9Iva8cQ0
そもそも邪馬壱国は大和とは無関係だったんじゃないの?
無理やり同一視したり巨大国家を作らなくても説明がつくんでないの?
455名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:02:55 ID:IMp4KYLUO
とりあえず一回レッテル張るやり方
456名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:03:47 ID:tGb1NmfkO
>>442
旧唐書のそれは壬申の乱のことだよ
同じ王朝で争いが起きて国名が変わるなんて出来事が向こうの人には理解できなかっただけ
向こうは王朝(姓)が変われば国名が変わるから
丁度唐から周に変わった時期だし
易姓革命があったのかと思うだろう
457名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:05:41 ID:bdE3Gfqz0
>>10
金印は中国から九州の金印とそっくりなのが出土してる
九州のが蛇で中国のが亀
字の特徴や金印の形がそっくりで
同じ工房で作られたものではないかといわれてる
見つけたのは江戸時代の話しだし普通に本物だろ
458名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:06:26 ID:glzwY6qoO
女王国の東の海は伊勢湾。
伊勢湾の横断航路は有史以前まで遡ることができるといわれ、山を通るルートより前からある。
経済力の高い伊勢や志摩によることもでき、奈良に抜ける場合はこちらが使われる。

倭には三つの意味がある。
一つは原初の意味である、百越系民族を差す倭。
次が朝鮮半島南部と九州北部の主要民族であった倭。
そして彼らがたてた倭国である。
旧唐書は三国時代の記述との兼ね合わせで、畿内のそれは倭ではない、と印している。
つまり二番目の意味であることは間違いない。
意図的に読み間違えるのは大変よろしくないことであり、朝鮮人のような姑息なやり方である。
九州説をいう人々の品が問われるものだ。
459名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:06:30 ID:yGoM8Wbe0
>>445
いや、まさに

本居宣長=ネトウヨ

だろwww

ちなみにネトウヨの元祖は物部守屋
460名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:10:26 ID:YlIgPyVFO
松本清張は、外れたわけだが、、、。
461名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:11:49 ID:gN7dWSBQ0
巻向厨は強弁しすぎなんだよな。
1800年前の事なのに。
大体魏志倭人伝の存在が無ければ論争そのものが無い訳で
462名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:12:19 ID:bdE3Gfqz0
>>452
神話に登場する土地は九州が一番多くて次が出雲で四国とかあって
奈良なんて全然登場しないらしいぞ
普通に九州の勢力が本州を支配していったんだよ
463名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:13:08 ID:thY6lBWH0
>>453
邪馬台国は倭国の首都だよ?

大和も古墳時代の首都だよな?

464名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:14:19 ID:yVcHZJFK0
>>462

神武東征は、紀元前の話ですね。
465名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:14:53 ID:maABpIqxP
歴史云々より
もう観光業界の争いにしか見えない罠
466名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:16:08 ID:tg0xAxTt0
>>9
それって今ここで言う必要あるか?
たしかに画面が大きいのは魅力だが。
467名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:16:20 ID:bdE3Gfqz0
まあやっぱり宇佐だよ
宇佐神宮とかあるしな
7万戸というのは誇張だからあてにならない
宇佐は大国じゃないけど
卑弥呼の宗教的権威で
九州の倭国大乱の収拾策として持ち上げられただけだよ
だから宇佐が邪馬台国
投馬国は対岸の山口か出雲だよ
468名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:16:46 ID:x5EheSoeO
>>462
余裕がないだけに、一時の優越感を味わいたいのさ
469名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:17:42 ID:6IkQ+PFI0
邪馬台国に山があった説は有力ってことは決定
470名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:17:43 ID:yGoM8Wbe0
>>464
おまえは日本書紀などの


神武 127歳
綏靖 84歳
安寧 67歳
懿徳 77歳
孝昭 114歳
孝安 137歳
孝霊 128歳
孝元 116歳
開化 111歳
崇神 139歳
垂仁 119歳
景行 143歳
成務 107歳
仲哀 52歳
応神 110歳
仁徳 142歳

を信じてるのかwww
紀元前ww

471名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:18:26 ID:yVcHZJFK0
>>470

そういうおまえは、どうして魏志倭人伝を信じてるの?
472名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:18:28 ID:gN7dWSBQ0
>>465
正直それはある。
うちの蕎麦の売り上げ減ったらお前ら責任とれよなw
473名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:19:48 ID:ZPT9t47V0
本居宣長ネトウヨ説わらた
474名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:20:05 ID:I5EF6F4F0
>>470
日本書紀の紀年の120年繰り上げとか、いろいろ言われてるね。
俺は卑弥呼を神功皇后に見立てるためにずらしたと思ってる。
それほど卑弥呼の存在を隠したかったんだと思う。
475名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:20:15 ID:bdE3Gfqz0
奈良説の学閥のやつらがマスゴミ牛耳って
必死に奈良説流布させてる感じがする
すげー情報操作のきな臭い匂いがするんだよね
奈良説学閥とマスゴミの癒着から
476名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:20:17 ID:yGoM8Wbe0
>>471
俺がいつどこで、「魏志倭人伝を信じてる」なんか言ったかなwwww?

現実とは違う、幻が見えているようですねwww
477名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:21:18 ID:hMU5BbL/0
宇佐は大和朝廷のふるさとじゃないの。
このあたりから東遷した。
卑弥呼とは関係ないと思うな。
そして東遷は卑弥呼の時代以降の話。
478名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:21:47 ID:5kZbLcVa0
邪馬台国があるならコリン星があってもおかしくないと思う
数千年後の連中がコリン星論争してるようなもんだろ
今のコレって
479名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:22:08 ID:maABpIqxP
>>467
>宇佐は大国じゃないけど

中国が台頭してるけどさ、依然として
USAは大国だろ…
HAWAIは鳥取の片田舎だけど。
480名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:22:23 ID:x5EheSoeO
どっちでもいいんだけど、今回(発掘)は、あまりにも適当すぎて、んなわけないだろうて感じだ
481名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:23:13 ID:bdE3Gfqz0
天皇の在位の平均年数が江戸時代までだいたい平均10年くらいらしくて
全部天皇の在位をその10年くらいで計算すると神武が350年くらいの人だっけ?
忘れたけどそんな感じが正しいらしい
482婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 19:23:24 ID:Fjs2yqbd0
>>471,>>476
歴史・地理に関しては、古代中国はすげーぞ。
記録を残すことに命をかけた奴らがいっぱいいる。
483名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:24:27 ID:mN/+N/310
>>458
ちょっと待てよ。畿内説の人曰く、魏志倭人伝は方角が間違ってるんだろ
南と書いてるのは実は東だ。と
それなら東と書いてるなら実は北なんじゃないの?
女王国の東の海は実は北の海ということになり、若狭湾や日本海のことになるんじゃね
そこは都合よく東でいいんだw
484名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:25:01 ID:yVcHZJFK0
>>476

魏志倭人伝を信じてないなら、畿内でOKですね。
485名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:26:04 ID:yGoM8Wbe0
>>484
何故www

我田引水乙www
486名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:26:54 ID:kHpHo2Wg0
>>480
現時点で約5%程度しか発掘調査は進んでないらしい。
まだまだこれから色々出てくるだろう。
487名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:28:51 ID:RmKS0dN1P
九州勢力が中央集権の中に入ってきたとするなら、
応神天皇(270−310)か倭国動乱(146−189)時。

とりあえず九州勢は、邪馬台国を何処にするか決めるべきw
488名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:30:07 ID:bdE3Gfqz0
魏志倭人伝は魏の公式文書で
戦争の時とかの道案内にもなる軍事機密情報文書だから
いい加減なものじゃないぞ
旅人が他国の話を適当に書いたとかじゃない
公式文書だから信頼性は高い
489名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:30:19 ID:yVcHZJFK0
>>485

なぜって、3世紀の大和に、最大の建物跡が見つかったわけですから、
魏が国と認めた3世紀の邪馬台国は大和ということになるしかないでしょう?
490名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:31:27 ID:yGoM8Wbe0
>魏が国と認めた
>魏が国と認めた
>魏が国と認めた

魏志倭人伝を信じてるのですねwww
491名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:31:32 ID:/aqa4BCA0
九州はやっぱりチョン気質だな
ガチガチの奈良に絡まないで、最初から別の国が有った事にしてたら
もっと話題なったろうに。
今回の件で奈良で決まった様なもんだし、完全に人々の記憶から
忘れ去られる事になるなw
492名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:32:02 ID:pO0jK2bC0
本居ウヨ爺黙れw
2ch的にはこんな感じ?w
493名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:32:25 ID:bC4KXrxO0
魏志倭人伝を山海経と同列視してるバカがいるだろ。
494名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:33:24 ID:kHpHo2Wg0
>>487
俺の考えとしては「邪馬台国」は無かった派。
あれはもう既に「大和国」であり大和王権の時代の話。
495名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:33:26 ID:Krn6tLCh0
普通に考えて、九州に国があったとは到底考えられない
496婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 19:33:39 ID:Fjs2yqbd0
>>483
唐代の「通典」に出てくる流鬼国ってのは、今では考古学的な成果から
ほぼサハリン比定されてるんだけど、「通典」の記述では
「北は夜叉国に至り、他の三面はみな、大海にあたる」みたいになってて、
長いことカムチャツカだと思われてたそうな。
まあ、辺境の方角は信用ならんっつーことだ。

俺は博多近郊の山地説だがな。
497名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:33:42 ID:bdE3Gfqz0
巻向のあたりは年代が捏造されてるから話にならない
なんであそこを必死に邪馬台国にしたいのか意味わからない
奈良なんかいくらも遺跡や寺あるから観光資源に困らないだろ
いい加減捏造は止めてもっと誠実に学問をしろよ
ほんと頭に来る
マスゴミも癒着なんかしてないでちゃんと真実を伝えろ
マジで腐ってるよな
498名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:33:42 ID:6BpuJq5yO
邪馬台国なんて一地方政権だよ
あの時代に日本に統一王朝があったとは思えない
だから多分九州にあった小国だと思う
499名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:33:47 ID:yVcHZJFK0
>>490
もし、魏志倭人伝を一切信じないなら、

3世紀の大和が日本を統一するクニだったことになるだけですよ。

500名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:35:12 ID:fuAu8Mjk0
また、畿内説論者の宣伝工作だなw
501名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:35:33 ID:K2MiNHY80
中国に限らず古文書の桁は大げさなのが常
502名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:35:45 ID:sbwN5W/20
本居宣長が「やまたいこく」って読み方をつけるまでずっと邪馬台国は「やまと」って読まれてたんだぜ
503名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:37:35 ID:fuAu8Mjk0
>>430
> >>423
>
> それは紀元前の話だから。
>
> 邪馬台国とは無関係。

日本書紀の年代を信じているレベルの方なんですねw
504名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:38:32 ID:bC4KXrxO0
>>490
半島人、涙目wwwwwwwwwwwwwwwwwwww!
505婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 19:39:38 ID:Fjs2yqbd0
>>501
文芸もの(詩とか伝記とか、場合によっては史書の列伝も)では往々にして
誇張があるけど、編年史とか地理書とかでは、たいがい客観的な記述だと
思うぞ。
506名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:39:40 ID:7yPErVc0P
>>358
>>現地説明会には、俳優で考古学研究者の苅谷俊介さん(62)も
「桜井市」と記された腕章をつけて案内役として参加。
訪れた考古学ファンからの質問に答えたり、写真撮影に応じたりした。
 大分県の出身。若いころ、邪馬台国は九州にあると信じて疑わなかった。
しかし、考古学に興味を持ち始めた約30年前から、桜井市など全国を発掘行脚して回るうち、
纒向遺跡こそが邪馬台国に違いないと感じ始めたという。
「ここ数年で100%確信していたが、大型建物跡の発見で120%になった」。


ここのヲタどもがいくら騒いでも、30年歴の苅谷俊介さん(大分県出身)がそういうのだから
これは間違いない(* ̄ー ̄*)ニヤリッ
507名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:39:53 ID:fuAu8Mjk0
>>498
> 邪馬台国なんて一地方政権だよ
> あの時代に日本に統一王朝があったとは思えない

私もそのように思います。
だいぶ後年の漢籍を見ても、
統一されてないですもんね。
508名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:41:23 ID:5r0tCJYy0
大日本帝国によって作られた大日本帝国教の聖典は古事記と日本書紀。
いまだにそれを一字一句信仰している人もいると言うこと。
大日本帝国による国の滅亡をを何ら反省しない、亡国の徒ですな。
509名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:42:04 ID:yVcHZJFK0
>>503
一定の史料価値を認めるだべきだろ。
神武東征は、九州の一大勢力が東征したはなしではない。
神武の兄弟が死ぬほどの激戦のあと、橿原のすみに領地をもったにすぎない。
となりの葛城国はまた別の国として独立していたくらいだ。
もし、九州勢力が大挙して征服しにきたら、河内も吉備も独立国でいられるはずがない。

というわけで、東遷説はウソっぱちということになる。
510名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:42:35 ID:fuAu8Mjk0
日本書紀の大半は、中国人(しょくしゅげん、さつこうかく)が書いたんだよねw
511名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:43:33 ID:fnXA/xzH0
>>470
その頃の年齢のカウント方法によってはデタラメとも言えない
今の年齢にあてはめると何歳ぐらいなのか
距離の単位だって時代によって違うし
512名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:43:51 ID:gN7dWSBQ0
>>510
魏志倭人伝とか羅漢中が書いたんだぜw
513名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:45:28 ID:sbwN5W/20
天の岩戸の神話を皆既日食と結びつけるのも眉唾なのに、今月九州説派が当時時期皆既日食が見られたのは九州だけって
邪馬台国=九州、アマテラス=卑弥呼っていうトンデモ本だしてたなw
514三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 19:46:05 ID:GICXO8lEO
>>508
古事記も日本書紀も大日本帝国なる明治新政府体制より千年以上前に編纂されたものなんだがな。
日本史を全然知らない人かい?
515名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:47:48 ID:k3Gi6xT+O
司馬遷次郎博士も涙目だな
516名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:48:05 ID:5r0tCJYy0
>>514
千年以上前に編纂されたから全部真実なのかいw
どういう理屈なんだよw
517名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:48:34 ID:SG/F4Nc50
近畿説がかなり有力になったみたいだな
あと10年ぐらいすれば教科書の中身もヤマト政権にいたるひとつのステップとして邪馬台国があったってことになるかも
518婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 19:48:53 ID:Fjs2yqbd0
>>509
地元を追われて逃げるように都会に出てきて、いろいろ苦労して成功した老人に話を聞いたら、
「そんで、意気揚々と地元を出て、ブイブイと攻めのぼって来たわけよ。わはは」とか語るんだな、これがw
519名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:51:01 ID:bKhDG9JJ0
九州国立博物館で、邪馬臺国を冠した展覧会をやってるぞ。
つまり、九州説こそが日本国政府の公式見解なわけだ。
520名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:51:00 ID:CUcPPnVkO
纒向でも宇佐でも大神氏が関わってるよな?
出雲も絡んでくるんじゃね?
521名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:52:01 ID:bh04EPb40
>>478
2千年後には東京ディズニーランドや東京国際空港の位置で論争が起こっている。

東京は単なる名称で実際は千葉説
名前通り東京に有った説
当時あの地域は東京だったんだよ説
522三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 19:52:25 ID:GICXO8lEO
>>516
>大日本帝国によって作られた
という部分が間違ってると指摘してんだよ。
記紀そのものは口伝を編纂したものにすぎず、何らかの事実を記憶したものどあるにしろ正確なものではないさ。
523名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:52:46 ID:ZUxoj5bJ0
>>517
とゆうよりヤマト政権が邪馬台国だった可能性凄く高いよ。
天皇家に残る系譜を辿れば紀元前ぐらいまで辿れる。

それが途切れず畿内にずっとあったのなら普通にヤマト政権=邪馬台国だろう。
卑弥呼は魏志倭人伝で脚色つけられた可能性高いと思ってる。

国の政策を左右する神の使いである巫女の言葉を周りが聞くから女王と
勘違いした可能性もあるし女王の変わりに弟が実務、統治ってのが凄く気になる。
それは弟じゃなく大王だったんじゃないかと。
524名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:53:28 ID:x5EheSoeO
邪馬台国はなかったが、大和朝廷はあった、そもそもが邪馬台とは大和であり、字が違うんだよ、要するに畿内説派はこう言いたいわけだろう
525名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:54:35 ID:6BpuJq5yO
いぱーい国があった中の一つに過ぎない邪馬台国
その中で強国であったかも ぁ ゃ ι ぃ
526名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:54:37 ID:t1YcS6UY0
>>521
新潟=東京説も出てくるな

東京学館新潟高等学校
ttp://www.tgn.ed.jp/
527名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:55:19 ID:sbwN5W/20
魏志倭人伝の著者は実際に来日したわけではないんだよな
528名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:56:08 ID:jf/ZHvPVO
九州人の多いスレだな
529名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:56:16 ID:x5EheSoeO
>>506
たいした人じゃないから、信じない方がいいよ。
530婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 19:56:28 ID:Fjs2yqbd0
>>526
日本各地に「東海大付属」が! → やはり日本海は東海だったのだ!

ということかw
531名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:56:48 ID:uhDDT5860
奈良大勝利九州涙目

正直どっちにあっても構わんのだが、
九州の奴って地元自慢が多くてウゼー奴多いから、俺も大勝利の気分w
532名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:57:25 ID:330z2ALR0
>>530
謎の一大勢力「日大氏の謎」とかな
533名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:58:05 ID:rm0fWscV0
九州みたいな僻地にあったとすればロマンなんだよな。
奈良じゃウジャウジャ遺跡があって、有難みもないからな。
534名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:58:37 ID:x5EheSoeO
>>507
そりゃそうだろう、天気予報の婆さんが天下統一してたなんて、ありえんだろう
535名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:58:43 ID:yVcHZJFK0
>>523
やっぱり、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼に相応しいね。
弟がキビツヒコで、桃太郎のモデルだからな。

モモソヒメは巫女なのに、でかい古墳を作ってもらったくらいだから、
王に値する権威をもってただろう。
536名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:59:18 ID:Oqx0dtw80
もし九州だとしたら可能性があるのは西都原だけだろう。
537名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:59:27 ID:Z+JTNiAT0
方角間違えるのはおかしいだろ…
現代人と違って古代人は自然に近い生活をしていたんだから、
太陽を見れば分かる方角を間違えるなんてただのバカだ。

538名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:59:53 ID:ZUxoj5bJ0
>>531
俺もどっちでも良いんだけど九州説は感情が入りすぎてて
素直に聞いてられないんだよなぁ

奈良からすりゃ卑弥呼がどこに居たとしても古墳時代からは奈良が中心に
あったのは確実だからどっちでもいいんだよね。
ただ色々聞けば聞くほど、調べれば調べるほど奈良にあった可能性高いのに
九州にあったと感情的になってくる奴がいるんでね。
539名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 19:59:55 ID:330z2ALR0
>>534
米作りの人間にとって天気予報は死活問題だろ
540婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 20:00:58 ID:Fjs2yqbd0
>>535
その吉備の国は、倭人伝ではどこなんじゃあああ!
541名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:02:24 ID:yVcHZJFK0
>>540

倭人伝には、甘木や宇佐や佐賀が出てきたっけ?
542名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:02:48 ID:fnXA/xzH0
>>537
字を間違って覚えていたのかもしれない
あるいは記憶の混同とか
543三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:03:33 ID:GICXO8lEO
>>523
今回の発掘調査で纏向移籍が第十代崇神天皇から第十二代景行天皇の宮があった都の可能性を示しているんだよね。
当時の大和朝廷と邪馬台国がイコールかどうかはまだ確定ではないが、そういう可能性は十分あると思う。
纏向から魏国からの献上品(魏としては下賜のつもり)や当時の帝の諱が書かれたものが出てくるといろいろ確定するんだが…

もちろん魏志倭人伝による年代では三世紀中頃とこの遺跡の年代とだいたい一致するが
皇紀による年代だと紀元前一世紀から後二世紀にあたるのだが、皇紀は初期の天皇の在位期間が信用できないから無視していいわな。
544名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:04:00 ID:330z2ALR0
>>542
あと夏至と冬至の太陽位置のずれとか
545婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 20:04:36 ID:Fjs2yqbd0
>>541
出てこんな。
だけど、対馬、壱岐、松浦、糸島、博多、宇美あたりまでは確定してるんだから、
そこから奈良に行くなら、吉備は絶対通るだろと。
546名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:06:31 ID:SG/F4Nc50
渡来人か何かから中国のこときいて中国に何度も使者送れるくらいの力はあったんだろ
魏志倭人伝なんかに書かれている邪馬台国は誇張されて書かれていることは予想できるけど
それなりの国だったのは確かだろう
547名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:08:03 ID:RS/FpWTZ0
そもそもそんな国が日本にあったかもあやしい。
魏志倭人伝に2000文字程度しかか記述もない上、
正確に道順をたどると海の中だし、
実際には邪馬壱(YAMAITI)国と記してあるが、古代の日本に母音が二つ重なる発音はないし。
記述がある以上、どっかにはあったのは間違いないが、
それが日本を指しているとは限らん。
548名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:08:44 ID:bsxYH/Nm0
>>546
女の治める国っていうことで特に関心があったせいらしい
古代中国だとろくな女支配者がいなかったしw、うまく統治されてるのに興味あったんでは
549名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:08:54 ID:+iZZoQl40
>>452
そう思ってるよ。
吉野ヶ里遺跡の説明とかでもそんな感じだしね。

あの当時に九州・四国・本州西部を治められたような大国家があったとは考えづらい。

550三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:09:59 ID:GICXO8lEO
>>537
どころがそうでもないんだな。
地図なんて中世でも結構いい加減なもんだし、魏から見た僻地の正確な地理などあると考える方がおかしい。
記紀でも九州の西に新羅という国があると仲哀天皇の段に出てくるのだが
どうみても九州の北だし、その時仲哀天皇のいたのは霧島山系の韓国岳だし。
551名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:11:23 ID:ZUxoj5bJ0
奴国2万戸ってのが九州を治めてた国でしょ。

2万戸つまり8〜10万人ぐらいの人口かな?
それだけでも結構大きな国家だよ。
552名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:11:37 ID:sbwN5W/20
魏志倭人伝書いた陳寿が伝聞だけで書いただけで、特に倭については三国志から離れすぎてて関心なかっただろ
方位や距離については記述がいい加減すぎる
553名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:11:47 ID:fuAu8Mjk0
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。

   從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里、始度一海、
千餘里至對馬國。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百餘里。土地山險、多深林、
道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。又南渡一海千餘里、名曰瀚
海、至一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、多竹木叢林、有三千許家。差有田地、
耕田猶不足食、亦南北市糴。又渡一海、千餘里至末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、
行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副
曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。東南至奴國百里。
官曰ji[冠凹脚儿]馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母
離。有千餘家。南至投馬國水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。南至邪馬壹國、
女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳[革
是]、可七萬餘戸。自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬
國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有
姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次
有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、此女王
境界所盡。其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。

   男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽、
斷髮文身以避蛟龍之害。今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。諸國文身
各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。計其道里、當在會稽、東冶之東。其風俗不淫、男子皆
露[糸介]、以木緜招頭。其衣横幅、但結束相連、略無縫。婦人被髮屈[糸介]、作衣如單被、穿
其中央、貫頭衣之。種禾稻、紵麻、蠶桑、緝績、出細紵、[糸兼]緜。其地無牛馬虎豹羊鵲。

  −以下、省略−

http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gi-toui.html#wajin
554名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:14:08 ID:Xklkilju0
昔の中国の地図は日本列島を南北に書いてるからずーっと勘違いしてたんだよ。
それかそういう思い込みが最初からあったか。なので大和です本当に。
555名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:14:40 ID:bsxYH/Nm0
>>554
その地図
一枚だけじゃね
556名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:16:25 ID:CUcPPnVkO
大物主亡き後の混乱をまとめたのが倭迹迹日百襲姫=卑弥呼。
その後、百襲姫の血縁の一族が天皇として君臨するようになった。
大物主〜崇神への権力の移行がいわゆる「国譲り」。
つまり、邪馬台国はと出雲族が作った国。
旧勢力の不満を抑える為に三輪山に大物主を奉り、出雲王族の
大直禰子を大神官として迎えた。
サポートしていた弟らしき人物は、弟の吉備津彦ではなく
大直禰子なのではないかと思われる。
557名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:16:33 ID:yVcHZJFK0
>南至投馬國水行二十日

吉備か出雲なのは確かだろうな。
558名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:17:13 ID:sbwN5W/20
>>438
卑弥呼の後継いだ弟子の巫女の台与の読み方がふつうに「とよ」だもんなw
559名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:17:23 ID:AzUAP/Lw0
手塚治虫も九州とか言ってたんだっけ?
560婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 20:17:31 ID:Fjs2yqbd0
>>549
「治める」って言葉で思い浮かべるイメージが人それぞれな気がする。
たとえば戦国大名の版図という意味合いなら、徴税権のおよぶ範囲だ。

この当時の柵封はちょっと違って、ヤクザの組どうしの支配関係に近い。
「あんたの下につく」と礼を尽くせばべつに支配地域は今のままだし、
逆に可愛がってもらえるのだ。
561名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:18:17 ID:hAzfhJdQ0
てか、遺跡の発掘写真を見るとずいぶん小さくみえるのだが…
吉野ヶ里遺跡の壮大さとは対照的。
562名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:18:43 ID:2fe+tHOUO
使者は邪馬台国までは行ってないよね。どこまで実際に行ったのかは気になる
地理的な矛盾点も多いし途中からは伝聞だよね
ソースは>>553
563名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:18:50 ID:x5EheSoeO
>>559
それなら九州で決まりじゃん
564名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:19:04 ID:TdrkcnL10
邪馬台国=大和国
卑弥呼=姫巫女

言霊主義のシナ人が、下劣な当て字を当てただけ
昔から九州説なんて政治的主張以外の何物でもなかったよ。
565名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:20:25 ID:ZUxoj5bJ0
吉野ヶ里は時代が違うから確か九州説な人も違うと言ってた様な。
566名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:20:41 ID:6BpuJq5yO
遥か海の向こうにある倭を代表する強国でさえも魏に貢物をよこす
だから親魏倭王の称号を与えたった やっぱり我が魏はすげえ
ってオナニー記事だよ倭人伝なんて
567名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:21:02 ID:Xklkilju0
>>549
>あの当時に九州・四国・本州西部を治められたような大国家があったとは考えづらい。
この考えが賛成できない。中国が秦だの漢だの何世紀も前からあれだけの国家が
できてたのに日本だけ何もなかった(小規模だった)とするほうがおかしいのではないか?
568三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:22:31 ID:GICXO8lEO
>>556
倭迹迹日百襲媛命の弟の吉備津彦命(桃太郎)は景行天皇(日本武尊の父)の母方の祖父だな。
なのでその考えは間違いではないが、倭迹迹日百襲媛命自身が第七代皇霊天皇の皇女だ。
彼女自身皇女でなければそのような地位に就けなかったのではないかな。
569名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:22:31 ID:IUyb8tVV0
卑弥呼=神武天皇
邪馬台国は元々九州にあったが、
神武天皇の東征によって大和に移った。
570名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:22:38 ID:x5EheSoeO
>>567
字が存在しない時代だからな、しゃーない
571名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:24:12 ID:fuAu8Mjk0
> 女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。

これは瀬戸内海。
「復有國、皆倭種。」と言うのも、
古事記の記述と整合性がある。
572名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:24:34 ID:XWSXXiI50
やっぱり八女たい
573名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:25:28 ID:TdrkcnL10
倭=和

シナ人の性向を理解してるくせに、なぜか邪馬台国だけは
そのまま真に受けてるフリをする反日”自称”考古学者
574名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:25:42 ID:pDtZ+IMd0
>>558
伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大姫神と、台与って、関係あんのかね?偶然かな。

読み方だけなら別に偶然なんだろうが、伊勢神宮(祭神 天照大神)の外宮にいらっしゃる祭神と、
女王卑弥呼の次の巫女が、読み方が偶然同じってのもすげえ偶然だなあとか、子どものころに
考えたことがあってさ。まあ偶然かな。
575名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:25:57 ID:nzk4gjYs0
>>569
卑弥呼=神武は別として
九州にあった邪馬台(やまと)が東征して
今の奈良へ移って大和朝廷にってのはそうだろうな。
576名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:26:03 ID:zroA1RSf0
というか、中国の文献を信用していることが異常。
577名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:26:20 ID:fuAu8Mjk0
やはり、天孫族九州勢力が近畿に移動したと考えるのが自然。
578三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:26:36 ID:GICXO8lEO
>>570
別に字が無くても大国は築けるだろ。
確か中南米の文明は文字が無かったと思うが?
579名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:26:45 ID:RmKS0dN1P
>>560
通行許可って面が一番あるんじゃないかな。

畿内勢力は、大陸への海路の確保という政治的な思惑が
常にあるからね。
九州勢力は九州統一もままならないのに吉備や出雲、
まして大和にまで攻めのぼる理由が根本的に無い。
580名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:26:48 ID:ZUxoj5bJ0
>>567
現代人が思ってる以上に3世紀ぐらいの日本人は文明的に高度だったらしいな。
稲作も水田は日本が発祥で半島や大陸に逆輸入したとすら言われてるね。

また当時の武具も思われてる以上に高度で器用な日本人が殺傷能力高い
ものを作り出してたとか。
つまり、それだけ軍事が発展してたという事は日本内部でかなり争いが
続いてたのを示してる。
581名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:27:20 ID:n9Iva8cQ0
邪馬台なの?前に読んだ本では確か・・・邪馬壱国が正しいって書いてあったけど。
582名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:27:33 ID:fnXA/xzH0
当時は言葉にどの漢字をあてるかなんて結構適当だったんじゃないの?
583名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:27:53 ID:XljLoM/IO
俺九州に住んでるけどどっちでもいいよ
ただ早く見つけて吉野ヶ里みたいにしてもらって見に行きたい
584名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:27:58 ID:yVcHZJFK0
>>574

モモソヒメの後の斎宮が、トヨスキイリヒメ

卑弥呼・台与の関係を思わせる。というか、そうだろうけど。
585名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:28:48 ID:hyrtxLc20
2ch黎明期は日本史板で九州説は気違い扱いだった。
が、しばらくしたら以外と勢力挽回してた。
声の大きさが正しいとは限らんだけに
どうとでも言える話題なんだろうな。
586名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:29:02 ID:gDpmqutv0
この周辺は住宅建設禁止だな。
587三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:29:07 ID:GICXO8lEO
>>574
実は女王国というのが支那人の勘違いで
倭人は天照大神について語ったのを、神ではなく支配者の話と考えたのかもな。
588名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:29:16 ID:ZUxoj5bJ0
>>578
日本人が漢字を使い始めたのは紀元前だよ。

3世紀には普通に文字あっただろ。
ただ残せる紙とか墨が無くて残ってないだけで。
589名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:29:45 ID:3RMQQsF30
神道の起源が朝鮮でないのは確かなんだから
大和朝廷は朝鮮由来ではない
590名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:30:37 ID:62Qi2ItmO
>567
アイヌは結局まとまることすらできずに日本のなかで埋没していってるよ

当時はまだ国家的集団がまとまりつつある過程だったということでしょ
591名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:30:50 ID:68e9r+XyO
ヤマタイカの話題って出た?
592名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:31:01 ID:DxMV/m3w0
>>558

おいおい、漢字には複数の読み方があるくらい
小学校で習っただろ!

音読み訓読み漢音呉音 読み方が違っても何の問題もないYO!
593名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:31:30 ID:x5EheSoeO
>>578
そのくらい遅れているつー意味
594名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:32:21 ID:MuojQxQ80
筑前国那珂郡役所に志賀島の甚兵衛という百姓が、
田んぼの中から金印を発見したと届け出た。
鑑定を依頼された福岡藩校「甘棠館(かんとうかん)」の館長で
儒学者の亀井南冥は、中国の史書「後漢書・倭伝」に書かれた次の記事に注目する。
建武中元二年(57)、倭の奴国、貢を奉り朝賀す。使人、自ら太夫と称す。
倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。
この金印が大変貴重なものであることが日本中に広まり、福岡藩は発見者の甚兵衛に白銀五枚の褒美を与えた。

この話って色んな意味ですごくね?
595名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:32:53 ID:ZUxoj5bJ0
大和朝廷の人々はDNA的には縄文人=インドネシア方面から来た人のDNA
らしいよ。遺跡から出てきのを鑑定したらそうらしい。
その中には朝鮮や漢民族のDNAはないとか。
596名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:33:39 ID:MbiazjbNO
>>22
そういうこと
畿内はちがう

島をもっと探せ
密林は探したか?
597婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 20:34:59 ID:Fjs2yqbd0
>>579
それはありそうな気がする。
要するに、襲われる側からしたら海賊・山賊と同じだもんな。
そいつらを懐柔するか戦って打ち負かすかはケースバイケースだろうけど、
そういう関係が、後世でいう「支配」という言葉に置き換えられちゃったと。

>まして大和にまで攻めのぼる理由が根本的に無い。

いや、一つだけあるぞ。追い出された場合だ。
598名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:35:06 ID:TdrkcnL10
>>595
朝鮮や漢民族の固有DNA自体が科学的妄想

大陸で犯し犯されして混血化したのが漢族だし
モンゴル・シナに徹底的に陵辱されたのが鮮人
599名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:36:05 ID:Xklkilju0
>>594
つまり西暦57年ごろにはすでに国とよべるくらいのものがあったってことだよな。
600名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:36:50 ID:x5EheSoeO
>>580
なるほど、鉄が圧倒的に多く出土している九州説派らしい意見だ
601名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:37:31 ID:fuAu8Mjk0
>>599
実質は、博多村の酋長だろう。
602名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:37:50 ID:3RMQQsF30
当時の朝鮮人も中国人もかなり縄文人に近い人種だったはずだが
モンゴル帝国の覇権は最近まで満州王朝として君臨するほどの影響力を持ってたから
かなり縄文系中国人と朝鮮人は淘汰されてしまっている
603三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:37:51 ID:GICXO8lEO
>>588
そういえば古墳に刻まれた碑文を画像解析で一所懸命に読み取って表にしてる爺さんがいたな。
携帯からアドレスを貼れないのが残念だがググれば多分出てくると思う。
オオヒルメムチ(天照大神)の碑文まで見つけて系統図や年表まで作ってたが
いまいち眉唾だな。
604名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:38:24 ID:2fe+tHOUO
>>594
金印偽造事件か?本はまぁ面白かった
605名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:38:44 ID:MuojQxQ80
今でも人口3千人のちっぽけな島から
それも江戸時代中期に金印が出るんだよ?
なんなんだよそれw

606名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:38:47 ID:HcTsz/lY0
>>5

遣唐使って知ってるか?小学校から不登校だから知らないかwwww
607婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 20:39:48 ID:Fjs2yqbd0
>>574
あんま関係ないけど、トヨウケ神の本質は環太平洋にひろく分布するハイヌウェレ神話らしいよな。
死体とか排泄物が作物の起源という話で、焼畑農業の分布に重なるらしい。
その点、稲作至上主義(なんちゃら瑞穂のクニとか)のヤマト政権とはちょっと異質な気もする。
608名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:40:38 ID:3RMQQsF30
>>606
唐・隋で日本と交流した皇帝は朝碑人だぜ
戦時中なら満州人
609名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:40:49 ID:IMp4KYLUO
細木数子に聞いてみるか?
610名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:42:36 ID:x5EheSoeO
>>605
だから出たんだろう
611名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:44:09 ID:ZUxoj5bJ0
普通に大和国を邪馬台国を記しただけっしょ。
当時大王と同等の地位にあった姉(姫巫女)が居て
それを女王と思った可能性や魏志倭人伝自体が脚色つけられて
残された可能性も高い。
612名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:45:16 ID:3RMQQsF30
>>606
それに遣唐使も遣隋使も朝貢なんかしてないぞ
そんなもん要求されてないし、朝貢を要求するのは漢民族だけだからな
明の時代に朝貢を要求してきたけど天皇はシカトしてたしなw
足利義満が勝手に日本国王とか名乗って漢民族に朝貢はしてたけどw
613名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:45:49 ID:xxvHXV7z0
>>557
>>南至投馬國水行二十日
>吉備か出雲なのは確かだろうな。

吉備や出雲は東または東北になります。
全然「確か」ではありません。
614名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:45:55 ID:MuojQxQ80
>>610

現在で人口3千人の島
江戸時代なら何人だよ
さらにその千数百年前の人口ってどれくらいだよw
615名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:46:59 ID:XplhD6H80
>>1
だから、それは邪馬台国とは別の国なの!
バカじゃないの。
616名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:47:03 ID:pDtZ+IMd0
>>607
お、面白そうな話きた。後で調べてみるわ。情報サンクス。
617名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:48:02 ID:itppHsAYO
畿内説確定。
618名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:48:27 ID:IMp4KYLUO
ヒミコはツンデレ

トヨは癒し系ロリ
619名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:48:34 ID:c4ZiLNUp0
>>615
別の国である根拠は?
620名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:50:01 ID:x5EheSoeO
>>614
人の多いとこならもっと前に発見されてんだろう、つーか、そんなこと、どうでもよくねー

お前はクレーマーかよWWW
621名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:50:21 ID:bASDb3hyO
なぜ奈良が栄えたんだろうな
飛鳥にしろ、かなり山奥の不便な場所
海も遠いし…
熊野や伊勢も田舎なのに聖地として栄えたし…
教えて、エロイ人
622名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:50:54 ID:MuojQxQ80
卑弥呼とは直接関係ないが、なぜ唯一金印が出た
志賀島をもっと調べ上げないのだろうか?
623名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:51:02 ID:EC4NvPSaO
じつは韓国
624名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:51:29 ID:+dyUgBTn0
温暖だったんだよね
ということは九州か四国だな
625名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:51:46 ID:YhJ29CCO0
じゃあ、佐賀の吉野ヶ里遺跡はありゃ何なんだ?
626名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:51:51 ID:nKHXtWzwO
この遺跡が邪馬台国の物だとしても金印とかは出てこないでしょ。

貴金属類(宝)なんかは国が滅ぶ時のどさくさでほとんど盗られてるだろうから。
で、散り散りになった宝の一部が九州で見つかった金印、と思うんだが。
627名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:52:08 ID:hyrtxLc20
>>5は本居宣長なので相手にしちゃ駄目
628名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:53:05 ID:XplhD6H80
>>619
あのう、あるものが同一かどうかをむしろ証明しなきゃいけないんですが。
証明がない限り、それは別のもの、というしかありません。
629三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 20:53:35 ID:GICXO8lEO
あったあったこれだ。
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/GAZO2.html
630名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:53:43 ID:2fe+tHOUO
>>618
天照大神がヤンデレってかwwwバーローwww
631名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:54:06 ID:bF+zXMk7O
先に卑弥呼饅頭発売した方の勝ちだよ。
632名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:54:15 ID:ZUxoj5bJ0
倭国を統治して20数国を支配下に置いてた大国である筈の
邪馬台国が場所すら不明で痕跡が全く残ってないが普通に有り得ない。
そのような国が途中で滅んでいたとするなら隣国に文献が残ってないのがおかしいよな。

少なくとも半島とは南部の属国を含めて3世紀にはかなり深い関係があった。
考えれるのは滅ばずずっと続いてたからだと思うが。
633名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:54:25 ID:eXvGeqm90
>>621
今と地形が全然違う。大和川がもっと広くて大阪市の大半が海だった。川で下って湾に出る
守るのに適している。
http://murata35.chicappa.jp/hosinomati/jomonjidai2.jpg
634名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:54:34 ID:pPfkGcxG0


学会の通説はともかくとして

お情けで九州説も残しておいてやれよ。

「九州説ではここが卑弥呼の宮殿です」とか観光や雇用創出の都合もあるだろう
飯茶碗だけは残しておいてあげなさい(w
635名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:54:41 ID:YlIgPyVFO
大和朝廷です‥ね。ここは。
636名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:55:02 ID:6BpuJq5yO
>>621

奈良って自然災害が少ないイメージ
637名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:55:12 ID:x5EheSoeO
九州から近畿に上がって行ったんだろう
638名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:55:13 ID:2KDDvP4A0
だいたい卑弥呼がどうのうって書いてる本の信憑性は
あるんかいな
中国人が鉛筆舐めてちょいちょいと創作したんじゃないか?
639名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:56:00 ID:/C7br+MXO
>>621
時代の問題だよ。
交易とか流通が生まれた後なら、道路や水運による発展があるから東京大阪やが発展する。
それ以前は、単純に「侵略されない」から盆地が発展する
640河豚 ◆8VRySYATiY :2009/11/14(土) 20:57:14 ID:7yyj9g4j0
俺は高天原の場所と人類がそこにいた時期と人類から尾と体毛が消えた謎を解き明かして発表したけど、

学会から完全に黙殺されたしもう誰にも教えてやらん。
641名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:06 ID:XEoF98pR0
って言うか朝鮮半島から文明を持った連中が渡ってきたのが始まりだろうから
当然、九州に最初の取っ掛かりとなる拠点があったのは当然だろう。

それと邪馬台国が九州にあったと言うことは何の関係も無い。
642名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:15 ID:2sS0m0n90
陸行1月もかかるんだから、やっぱ九州はムリなんじゃね?
643名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:33 ID:ZUxoj5bJ0
遅れてるはずの日本には大陸や半島にどんな国が興り、滅んだかを
大まかだが残ってたりするんだよなぁ。

邪馬台国が滅んでたのなら何故どこにも残ってないのか?
644名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:34 ID:x5EheSoeO
え?文献にのこってんだろう!大和=邪馬台なら間違いなく記述として残っているはずだが

それがあるから考古学者は畿内説なんじゃないの?!もしかしてないとかないよな
645名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:36 ID:Oqx0dtw80
>>621
弥生時代には大阪は海で、生駒山地と金剛山地で遮られた奈良盆地も湖で、
その奈良盆地の湖の沿岸に纏向や飛鳥の遺跡があるって聞いた事あるな。
646名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:36 ID:IMp4KYLUO
ダメだ、みんながチラチラ書き込んでるが


イヨから萌え系美少女キャラしか浮かばないよ
647名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:58:37 ID:bLOePVvMO

>最大の決め手は卑弥呼が中国・魏から授かった金印の出土とされる
んなもん発掘されるわけねえだろ。
金なんかあったらずっと昔に盗掘に遇ってるよ。

どんだけハードル上げてんだよw
648名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:59:34 ID:eXvGeqm90
>>641
縄文時代は半島からより南の方がつながっていて来やすい。今と同じ地形ではないし
東シナ海も浅かった
649名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 20:59:40 ID:ssJpPDFWO
諦めんなよ!どこかにあるはず、探そうよ!
650婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 21:00:08 ID:Fjs2yqbd0
>>614>>620>>622
当時の志賀島は那国のリゾート地だったの。
夏とかみんな海水浴に行ってたの。そんで那国の王家の別荘とかあったの。

ところがあるとき、内乱がおこって、那国の王都(中央区天神1丁目)が攻め落とされて、
幼い王女と侍女がひとり、命からがら志賀島の別荘に逃げ延びてきたのでした。
 「王女さま、ご無事ですか」
 「王女だけにおおうじょうこいた、ですわ」
 「うぅ、なんて気丈な…。おいたわしや」

みたいな感じでひとつ。
651名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:00:15 ID:gDpmqutv0
箸墓掘れよ
652名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:00:17 ID:HcTsz/lY0
>>612

遣唐使は確実に朝貢してた。
あと新羅と席次をめぐって争ったりして完全に朝貢国
653名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:00:21 ID:MuojQxQ80
志賀島にあった金印ってもらった人が捨てたの?w
どういうことなの?
654名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:01:17 ID:ZUxoj5bJ0
>>641
と、考えられてたが(弥生人は渡来と)近年の調べでは
元々日本列島に住んでた先住民がそのまま文明を取り入れ進化したと
する説がほぼ確定しとるよ。
ちなみに縄文人が船を操り半島や大陸まで出入りしてたのを確認されてる。
655名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:01:51 ID:fnXA/xzH0
>>649
邪馬台国はあなたの心の中にあるのです
656名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:02:09 ID:qW0v6FUa0
九州説が正しい屁理屈考えた人には
賞金100万円とか・・・
657名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:02:46 ID:eXvGeqm90
>>645
そうそう。ちょうど奈良市あたりも湖で和○(○の中は王ヘンに耳)
その南側に物部氏、更に皇室って言う感じ。
658名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:03:21 ID:HcTsz/lY0
>>638
三国志(正史)を否定ですねw

つまり、曹操も劉備もちょいちょいと創作・・・
659名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:05:14 ID:pPfkGcxG0
>>621>>639
あと、農業適地だったかどうか? 交通はどうか? も 重要じゃないか?

奈良から何度か大阪に遷都されているが、大阪湾自体は当時湿地帯だったようだ

奈良は近畿地方の群小国家の地理的な中央だっただろうから
近畿を統一したヤマトと、九州の国と、出雲の国の三勢力だったんだろ

古墳から考えると3-4世紀にはヤマトは近畿統一規模だったんだろうな
ただし、殷のように部族連合国だったんだろうけど
660名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:05:43 ID:ZUxoj5bJ0
ついでに言えば大陸や半島に住んでた人は日本列島に渡るのを
好まなかったらしいな縄文時代は。

火山が多く海は荒れてて森は深くとても人が住むような大地とは
思われてなかったらしいw
661名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:06:07 ID:MuojQxQ80
>>650

卑弥呼は実在が確認されていないし、金印も無い
一方、志賀島には既に金印が出ている
しかもとびっきり小さい小島から
俺、こっちのほうが謎すぎるんですけど
662名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:08:00 ID:1imLzE2s0
>>658
倭人伝全体を否定はできないと思うが
中国人は中華の外のことはかなりいい加減
663名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:08:21 ID:3KE9JSkk0
 
664名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:08:39 ID:fnXA/xzH0
>>658
倭人「伝」だからな
そのような話を伝え聞いたという事実を正確に記述しているだけで、
伝聞自体が正しいかどうかはまた別の話
665名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:08:48 ID:x5EheSoeO
大和=邪馬台 なのに卑弥呼や台与の記述は、もしかしてないわけ?えー??

んなわけないよなー
666名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:09:24 ID:gDpmqutv0
畿内説には最終保証の箸墓があるからねw
667名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:10:00 ID:sbwN5W/20
三内丸山遺跡行ったことあるけどすごかった
紀元前3800年から紀元前2100年まで1700年間にわたって栄えたってのがも凄いが、北海道北部や佐渡、長野と交易してたってのが凄い
縄文時代であれだから、邪馬台国はどんだけ凄かったんだって思うよ
けどうちの父母なんかは弥生時代っつーと旧石器時代みたいなイメージしてやがるorz
668名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:10:27 ID:MuojQxQ80
>>665

ない
669婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 21:10:42 ID:Fjs2yqbd0
>>648
縄文時代は逆に海面が高かったの。
邪馬台国の時代は古墳寒冷期で低かったのは、その通り。

>654
なんか最近、ちょくちょくそういう説を聞くけど、確定しとるんかの?
もちろんすぱり入れ替わるはずはなくて、混ざり合った結果が今の日本人だろうけど、
縄文系と弥生系とが存在したのは事実じゃないんかと。

>>661
金印が見つかったところが王都だった、というのは安直すぎるだろうと。
土器見たいな生活用品ならそのまま置いていくだろうけど、金印みたいな
宝物は、戦争とか内乱とか火事とか起きたら持って逃げるべさ。
んで、逃げ延びて潜伏した先が志賀島なんじゃ。うんうん。
670名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:12:11 ID:eXvGeqm90
>>659
大和川がよく氾濫してた記述があるから肥沃だったと思われ。
古代には何回も大工事してる。
5世紀の難波堀江掘削 紀元320年頃にも「難波の堀江」とか「茨田の堤」とか
和気清麻呂の上町台地掘削とか

今でも考えられないくらいの工事力だぜ
671名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:12:27 ID:b5snl5E4O
卑弥呼は秦の始皇帝の命令で日本に探検に来たという
徐福の子孫だろ
672名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:13:10 ID:MuojQxQ80
>>669
持って逃げる?
誰が?
当時の志賀島へ?
生活できるのか?
673名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:14:04 ID:x5EheSoeO
>>668
んなー、そんなわけないじゃん
674名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:14:47 ID:BYKPQLsY0
>>612
遣唐使は朝貢の使節に決まってるだろうが、朝貢貿易っていうのは貿易っていうけど
挨拶にいくと、下賜品という名のお土産を大量にくれる美味しい貿易な。

あと漢民族のみが朝貢を求めるとか完全に間違いだから。
中華の皇帝がモンゴル人だろうと鮮卑だろうと韃靼だろうと全部朝貢。


675名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:15:00 ID:EJsOWELq0
つうか纒向あたりは、伊都国の東南、奴国って呼ばれてたあたりだろ。
松江を末盧、亀岡あたりを伊都国とすれば距離も方位もばっちりだ。
676三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 21:19:21 ID:GICXO8lEO
>>675
だから魏国の歴史家が記録した伝聞情報なんてアテにして特定しようとしなさんなよ。
どうみても距離も方位もいい加減なんだから。
677名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:19:57 ID:ZUxoj5bJ0
>>669
進化の過程で混ざってたのはあるみたいだけど縄文人は海辺
弥生人は平野、盆地に生息しててしかもお互いを〜人とは思ってなくて
特別争いも無かったみたいだ。
弥生人は縄文人が進化して徐々にそのような風貌になったとする説が
今一番有力みたいだよ。
進化が遅かった家系の人が風貌が縄文人w
678名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:20:51 ID:yVcHZJFK0
魏志倭人伝が無ければ、邪馬台国の存在も誰も知らなかった。
魏志倭人伝なんて無いほうがよかったんだ。

せっかく弥生時代の様子が解明されてきて、
奈良と吉備・丹波・東海のつながりがわかってきて、
記紀神話とも符号点が多くて面白くなってきてるのに、
「邪馬台国」が絡むとすべてぶちこわし。
九州か畿内かで、一向に話が進展しないんだ。

奈良だけでも、弥生時代末の葛城や山城の豪族、
紀国・許乃国との関係を考察するだけでも面白いのに。

3世紀に九州から大和東征してきたなんて空想は入り込む隙間も無いのに、
いまだに邪馬台国東遷を信じて議論をかき回すやつがいるし。

どうにかならないのか
679名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:21:19 ID:iB7YQZMf0
中国の史書なんてその王朝が滅んだ後の次の王朝が編纂するわけだし
当時は正確な地図もないから距離や方位はいい加減だろうな
680名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:22:14 ID:eXvGeqm90
大和朝廷の技術力はんぱじゃないぞ。上町台地を東から西に横断して(中之島から住吉区)までの
大阪平野の排水する4世紀の大運河作ったしな。
681名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:22:27 ID:9EWiy9yMO
畿内説に問題があるなら、どんどん突っ込むべき
ただし、畿内説だけ批判しても九州説の補強にはなりません
682名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:22:45 ID:x5EheSoeO
>>675
あのー伊都国までは確定していると思われますが、福岡にある糸島です
683名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:23:58 ID:eXvGeqm90
>>669
そりゃ邪馬台国の時代より前だよ。いきなり大移動があって国ができるわけないでしょうが?
そんなものあったら歴史書に残ってるはず
684名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:26:08 ID:gm8iCsO00
ヤンマー大国か
ヤンボーマーボーがいたのかな
685名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:26:10 ID:EJsOWELq0
>>682
糸島は一大国だろ。伊都の支局的存在だろうな。
九州説に納めたい人たちが誘導してるだけじゃないのかね。
686婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 21:29:03 ID:Fjs2yqbd0
>>672
三国志でもあるじゃんか。
唐卓(だっけか?)に攻められた漢王朝の侍女が玉爾を抱いて
井戸に身を投げたの。賊に奪われちゃいかんものなのよ。

「姫さま、北へ向かえばムナカタの民が味方してくれます。それまではシカノ島の別邸にご避難を!」
「うむ、わかったと。めんどくさかっちゃねえ」

みたいな。

>>677
そういうエピソードが「常陸国風土記」に出てくるよね。
山際の田圃を開墾した男が「ヤチの神」と争う話。普段は互いに避けて暮らしてるけど、
境界を侵す事例になると争いが起こると。この例では平地の民(≒弥生系)は
山の民(≒縄文系)を「カミ」と呼んで一定の敬意は払いつつ没交渉だった感じが
伝わってくる。
そのうち「土蜘蛛」とか「エミシ」とか、神ではなく妖怪系になっちゃうわけだけど。
687名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:29:29 ID:x5EheSoeO
畿内説では、大和=邪馬台 なんだよな、、日本を支配していた、すごい天気予報の婆さんの記述さえないのかよ

マジかよ、それなら卑弥呼自体の存在があやしいべ、それか大和と邪馬台は別もんだな
688名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:30:25 ID:yVcHZJFK0
文献だけで考えても、籠神社から海部氏文書が発見されていらい、
邪馬台国がどこかなんて話は事実上終了したも同じ。

本当なら、海部氏文書を掘り下げて、
大和の大王のの祖は、天火明を祖とする海部氏なんじゃないか?とか、
いろいろ研究ができるはずなんだ。

このスレでも、朝鮮人が九州から東征して大和を作ったとかいうやつがいるが、
せめて、丹後に上陸した高句麗人が近畿に入植していったくらいの話をできないものかね?
レベルが低すぎてもう。

689名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:30:55 ID:RmKS0dN1P
>>678
邪馬台国=大和国で話を進めれば、もっと掘り下げていける
日本史が補完されていくのにね。

高天原はココだ!って言ってる何処かの人達と血が近いのかもw
690名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:32:08 ID:VUo1oDtq0
シラス台地の南九州の人口が北九州や畿内より多かったというのはあり得ない

大和国を含む畿内近畿の石高は古代から突出してる
邪馬台国=大和国で確定
691名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:32:48 ID:G/O00sFaO
まーだやってるのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
692名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:33:02 ID:x5EheSoeO
>>685
じゃあ、福岡の前原市が伊都国、つか、隣じゃん
693名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:33:44 ID:6BpuJq5yO
天皇陵だろうがバンバン発掘しちゃえばいい
いろーんなことわかるかもよ
694名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:33:53 ID:MuojQxQ80
でも、志賀島って金印が出る前から有名だったんだね
万葉集に数多く詠まれ、島内いたるところに万葉歌碑が建てられ、
日本書紀に出てくる海の守り神「わだつみのみこと(少童命)」が祀られ、
元の二度目の襲来での主戦場でもあったんだね
695名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:34:24 ID:EpvIcz0v0
>>687
卑弥呼は祭祀と祈祷で国を治めてた
記紀には祭祀と祈祷で国を治めてたそのものずばりの人物がいる

後代の記紀の基準で天皇の権力を考えると見誤る
696名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:34:33 ID:eXvGeqm90
志賀島は奴国だろうに
697名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:37:03 ID:bC4KXrxO0
>>694
>でも、志賀島って金印が出る前から有名だったんだね

その金印はニセ物だぞw
平成21年にもなって、九州派はこんなバカなことを信じてるのか?
698名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:37:30 ID:x5EheSoeO
>>695
その人物の名は?
699名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:38:37 ID:eXvGeqm90
本物だろうが偽物だろうが金印は「親魏倭王」じゃないと意味がない
700名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:38:57 ID:MuojQxQ80
>>697

ニセモノと確定したの?
いつ?
701名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:39:05 ID:EpvIcz0v0
>>698
倭迹迹日百襲媛命
やまとととひももそひめのみこと
702名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:40:38 ID:o+aGf8cN0
朝鮮説だって何回言わせればいいだよ、チョッパリどもめ
703婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 21:41:10 ID:Fjs2yqbd0
>>697
当時のその他の印と比較しても、「本物っぽい」という鑑定が出てるんじゃなかったっけか?
つか、仮に偽物だとしたら、作った奴の動機がわからん。
ふつう、那国じゃなくて邪馬台国の印を偽造するよな。
704名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:42:09 ID:CuNRhkKL0
>>667
三内丸山が栄えた時代は今よりも温暖化していたんだろうね。
今のように冬場に雪に閉ざされていたんじゃ、あんなに長く
栄えることは出来なかっただろうな。
705名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:43:03 ID:ZUxoj5bJ0
ちなみに卑弥呼の時代ってさ弥生時代後期でしょ?

縄文人から弥生人が混じってた時期なんて紀元前数千年とかのレベルだから
卑弥呼の時代は関係ないよね。

古墳時代は主に鉄製の武具、甲冑が主流になって高度な文明があったから
卑弥呼の時代もかなりの高い文明があったと思われ。

で、九州から攻め上がった説は渡来して来た大陸人が高度な文明利器で
九州を占領して幼稚な倭国を制圧してヤマト政権を樹立したとか言ってるが
ヤマト政権自体畿内の国々の連合体であり、その途上にある出雲は
古墳時代には独立国家だった。
それが占領されてない時点で九州から畿内を制圧した説は成り立たないんだよな。
706名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:43:13 ID:x5EheSoeO
>>701
本当か?!、、そうなら、、はい、決まり!それが卑弥呼!確定じゃん

大和=邪馬台 も確定!九州派と畿内派が争うまでもないじゃん
707三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 21:46:50 ID:GICXO8lEO
>>706
九州派は当時まだ大和朝廷に従ってなかった地方豪族の国が邪馬台国だって主張してんだよね。
まだ土俵ギリギリで頑張ってるんだよ。
708名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:47:41 ID:x5EheSoeO
では次に、九州の勢力が、大和朝廷を攻めこみ乗っ取ったなら、まだまだ繋がりを見せるよな。

畿内は鉄の出土が九州に比べて少ない、武力は断然九州が有利かと思われる
709名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:49:49 ID:eXvGeqm90
纒向遺跡からの出土土器は東海から北陸、九州まで幅広い地域から持ち込まれたものなんだな。
列島各地から人々が集まった事が伺える
710名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:50:18 ID:Wjt5G8u1O
失望に暮れる九州説の人の元に、救世主松岡修造が!!
711婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 21:50:46 ID:Fjs2yqbd0
>>706
そのモモソ姫が、実は九州在住だったのだ。

 モモソ姫 「この海岸は気に入っと。わが名ば授けるばい」
 群臣  「ははぁー」

百道(ももち)浜の語源であるw
712名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:50:53 ID:Mu20fBd/0
奈良の桜井カタハラの
墓を暴けば虫のフン
フンフンフン米粒よ
713名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:50:53 ID:mN/+N/310
志賀島なめんなよ。ただのリゾート地じゃないぞ
志賀海神社を調べてみろ
君が代の源流だぞ
おまえらが考えてるようなしょぼい土地じゃないぞ
714名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:51:08 ID:3CeNgsnUO
未だに、邪馬台国と卑弥呼を信じてるなんて…。
715名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:51:40 ID:zEXC9sU1O
旧唐書
邪馬台国と日本国を併記
716名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:51:53 ID:cydPOLbc0
>>703
後漢書の記述を元に作った後に、問題なければ作るつもりだった。
と言うんだろうなぁ・・・
717名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:52:07 ID:MuojQxQ80
>>701

それって女王じゃない
第七代天皇の二人のうちの一人の妻のほうの娘でしょ
しかし、天皇直系はもう一人の妻から生まれた第八代天皇
孝元天皇でしょ
718三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 21:53:38 ID:GICXO8lEO
>>708
三世紀以降に九州の勢力が大和を乗っ取ったとするには
纏向以降の遺跡に九州の影響が色濃く出てないと辻褄か合わんのだろうが、別にそんな事はないからね。
九州からの東征があったとしてももっと昔の話ではないかな。
719名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:53:53 ID:ZUxoj5bJ0
>>708
今の説では九州は自分自体そんな大きな軍事力を持たず
鉄を輸入して流通させて儲ける商人のような国だったらしいよ。

その流通を九州を通さず直で出雲や畿内がやろうとして
争乱が起きたがそれも戦争ではなく話し合いで終結したと見る説が有力。
720名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:54:37 ID:x5EheSoeO
>>707
んだね、ここから盛り返しますよ。大和の流れが九州つー説を考えるしかないな
721名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:54:49 ID:eXvGeqm90
>>708
鉄なら吉備に日本最古の製鉄遺跡奥坂・千引かなくろ谷製鉄遺跡あるだろうが。
あと朝鮮半島に近い前線に武器が多いのは当たり前のこと。
722名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:55:23 ID:OwIAHyvkO
巻向は邪馬台国との関係は不明だろ
あくまで関係があると強弁するなら大和朝廷=邪馬になる
723名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:56:07 ID:obnY7NLr0
昔、捏造した学者いたけど、あいつ何してんだ?w
そいつが来ると必ず新発見があるとかいわれてて笑えたわ
それは仕込みなのだが、誰も気づかなかったのが笑えた
724名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:56:16 ID:Vq/hto6s0
>>718
東征した神武帝勢力が元々畿内の勢力だったと考えれば説明がつきますね。
畿内を追われて九州で力を蓄えて再度畿内に攻めのぼり政権を奪取したのは足利尊氏の例もありますし。
鉄器先進地域の九州を抑えたらかなり戦力的に有利なのは間違いないでしょうね。
あとは出雲を味方に引き入れ畿内勢力を分断すれば東征は成ります。
725名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:56:18 ID:fnXA/xzH0
>>717
態度が女王だったから客人が勘違いしたんだろう
726名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:57:31 ID:c4ZiLNUp0
>>628
>証明がない限り、それは別のもの、というしかありません。
証明されない限り、同じ国である可能性もあれば、別の国である可能性もある
はっきりと別の国と言い切るのだから、別の国である可能性を証明しなければいけないじゃない?

確証がない以上、言いきることはただの盲信にすぎん
727名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:57:44 ID:i9tkc3sw0
建物はまだ出ていない。

畿内どころか東北や北海道に邪馬台国が有っても不思議じゃない。
728名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:57:55 ID:eXvGeqm90
>>722
卑弥呼がいた時代に九州から東海、北陸までの人々を集めた大規模な国家が畿内にあったということはわかるわな
729名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:58:59 ID:IMp4KYLUO
出雲の動きが不可解だな
730名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:59:18 ID:gyiyUuOs0
年代測定が確立するまで様子見
731名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 21:59:36 ID:x5EheSoeO
>>717
ん?どういうこった?
732三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 21:59:59 ID:GICXO8lEO
>>717
女王ではないが当時の大和朝廷一番の知恵者として武埴安彦の謀反をあばいているね。
埋葬される箸墓古墳は最初に作られた前方後円墳であり、その影響力の大きさを物語っているね。
摂政や太政大臣に相当するような地位にいたのではないだろうか。
733名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:01:29 ID:eXvGeqm90
俺は彼女かどうか断定できないが、

倭迹迹日百襲媛命

巫女的な性格をもつ。紀元前92年に崇神天皇に頼まれて、
災害がつづく理由を占うと、三輪山の大物主神が神懸かりして、
我を祀れば国は治まるといった。そこで崇神は、
神の娘大田田根子を大神神社の神主にすると、平和になったという。
紀元前88年には、四道将軍の一人、
大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、
彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、
的中させている。
734名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:01:34 ID:2fe+tHOUO
出雲の国譲り神話はアレとしても
九州、出雲吉備、畿内には独自の文化圏があったのだろうね出土品的に
735名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:02:02 ID:EJsOWELq0
鉄?
丹波(亀岡付近)はマンガン鉄の産地だろ。武器に使うなら良質の鉄だ。
丹波は水銀、桜石(太陽石)の産地でもある。
大陸の使者もワケもなく駐屯しているのではないのだろ。
736婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 22:02:23 ID:Fjs2yqbd0
>>725
それはあるかも知れんな。実は卑弥呼はただのメイドさん。

「オオキミ! いつまで寝てるんですか! 魏国の使者様がお待ちですよ!」
「うぅ、ごめんよぉ」

てなやりとりを見た魏の使者が勘違いした説w
737名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:02:32 ID:Vq/hto6s0
>>728
そう考えないと魏が最上位の金印を邪馬台国に与えた説明がつかないですもんね。
公孫氏の遼東を滅ぼして真っ先に魏に駆けつけた邪馬台国を喜んで迎えた魏の気持ちを考えればそういわざるを得ませんね。
738名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:03:06 ID:eXvGeqm90
>>734
普通に考えれば、それを畿内勢力が統一したのだろうな
739名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:04:11 ID:ZUxoj5bJ0
つかさ当時は国々が連合して代表である大王を選出してたのは確実
みたいで九州にしても出雲にしても大きな国だがそこに参加してたんじゃ
ないかな?
それに参加せず敵対してたのが狗奴国だったと。
740名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:05:47 ID:EpvIcz0v0
>>717
同時代の
倭迹迹日百襲媛命の陵墓が全長278m
崇神天皇の陵墓が全長242m

一概に比較はできないが
当時は倭迹迹日百襲媛命>崇神天皇だったんじゃ
741名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:05:48 ID:RmKS0dN1P
>>724
その説はあると思う。
邪馬台国=三輪王朝(崇神天皇)
四道将軍のように宇佐、南九州方面に派遣されていた皇族が
謀反を起こして、河内王朝を樹立したって説。
742名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:06:47 ID:eXvGeqm90
>>737
だよね。一地方の小さな国に最恵国待遇するはずがない。
743婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 22:07:07 ID:Fjs2yqbd0
>>728
マキムクに各地の土器が集まっているのは事実だけど、
マキムクの年代を卑弥呼の時代(三世紀前半)にした場合、
産出地の編年と整合性がつくんかいな?
744名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:10:22 ID:MuojQxQ80
>>731
孝霊天皇には、細媛命(くわしひめのみこと)皇后の間に孝元天皇を誕生させるが、
もう一人の女性倭国香媛(やまとのくにかひめ)から倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)
をもうけるが、こっちは傍系
745名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:11:35 ID:eXvGeqm90
>>743
そこらへんはこれからじゃないのかな?色々な疑問を解くためにも。
ただマキムクの地が中心であることが世の中が乱れても長い間存在したと
考えると、編年の意味は希薄になる
746名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:11:58 ID:x5EheSoeO
邪馬台も大和もどうでもいいけど、箸墓は卑弥呼だとはショックだなー、奈良で決まりだな。九州説の一発逆転は0に等しい
747三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 22:14:31 ID:GICXO8lEO
>>743
土器編年てあてになるんかね?
炭素法や年輪法によってどんどん修正されてるんですが。
つか戦後の考古学者は年代を新しく見ようとし過ぎなんじゃね?と思う事がちらほらある。
ちょうど邪馬台国論争で纏向や箸墓の年代調査で炭素法による測定では
グラフが波うってるせいで相当する年代が二回あるのに古い方は特に根拠も示さず無視するからね。
748名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:14:57 ID:/jjeFn980
九州って他何が残ってるの?
やはり歴史なら日本の中心は近畿だよね。
749名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:15:30 ID:CuNRhkKL0
>>742
遠くから来た国に価値があるのであって(遠くまで影響力があるって意味で)
与えた国が大国か小国なのかなんて当時の魏が気にしているとは思えないが。
それに地方の小国であったにしても「我が国はやまと全体を治めています」
なんて言った可能性もあるし。
750名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:15:40 ID:Vq/hto6s0
>>746
いやひとつだけありますよ。
卑弥呼の時代に九州で2年連続という珍しい日食が観測されているのです。
これは天照大神が岩戸にお隠れになった神話と一致します。
751名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:16:38 ID:ZUxoj5bJ0
古墳とか遺跡が解明されればされるほど日本は三国志の時代にはそれなりの
高い文明を持った国家が存在してたのが解るよな。

マキムク遺跡が発掘された瞬間に古墳時代とそう変わらない文明が3世紀に
有った事がすぐ解明されちゃったしなー
752三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 22:16:58 ID:GICXO8lEO
>>748
天孫降臨
753名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:17:21 ID:x5EheSoeO
>>748
うーん
754名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:17:25 ID:No6ZRdmT0
邪馬台国は埼玉にあったんだよ。これが真実。
755名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:17:31 ID:H4uyjDiw0
>>736
やべえ萌えたww
756名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:18:04 ID:9llagdRR0
>>392
たしかに九州内の国々を列挙しているところに
ひょこっと近畿の国が出てくるのはおかしいね

757名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:18:14 ID:eXvGeqm90
>>749
魏志倭人伝の記述ががあてにならないということ?そうなれば更に九州説が不利になるかと。
758名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:18:55 ID:2fe+tHOUO
>>748
都合の悪い真実。かな
759名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:19:34 ID:x5EheSoeO
>>750
天照が卑弥呼ならね、どうなんだろう?その辺はまったくわからないよ、でも、くやしいよなー
760名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:20:30 ID:X3dVvEFT0
>>750
>卑弥呼の時代に九州で2年連続という珍しい日食が観測されているのです。

ソースは?
761名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:20:42 ID:eXvGeqm90
電波の安本(笑)ゴッドハンドの古田(笑)
762名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:21:30 ID:IMp4KYLUO
ヒミコ「イヨ、良く聞くがよい、わらわが亡き後は・・・うっ!」

イヨ「ヒミコたま〜〜っ!?」
763三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 22:22:49 ID:GICXO8lEO
>>751
つか縄文時代からすでに巨木文明が成立してたのがわかっとるがな。
建物の大きさ、都市の規模、交易の範囲など侮りがたいです。
それに火焔型土器なんて結構な芸術品だし、勾玉は遠くまで輸出されてたみたいだしな。

ところで勾玉の形って道教の陰陽太極図に似てない?
764名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:23:33 ID:kLdWeKdKO
>>754
邪馬台国は韓国にあるニダ
765名無しさん@十周年 :2009/11/14(土) 22:24:33 ID:HvvGbAEA0
ヤマタイ国は 2つあった。大和と九州に。
766名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:24:52 ID:X3dVvEFT0
古事記や日本書紀に邪馬台国の記述が無いのは
やはり記憶から消えてしまっていたのだらうか?
767名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:26:33 ID:ZUxoj5bJ0
>>763
まぁ何というか先祖達は凄いと言うか日本人の器用さは本能なんだろうな
縄文時代とか紀元前何世紀だよってなw
768名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:26:45 ID:QnV797fP0
>>766
普通に関係ないからじゃね?
邪馬台は普通に考えたら南なんだから熊本や鹿児島の方だべ。
769三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/14(土) 22:27:23 ID:GICXO8lEO
>>766
邪馬台それ自体が当て字じゃん。
ヤマトとも読めるんだし、邪馬台国=大和国なら記紀にちゃんと記載されてる事になるわな。
770名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:27:40 ID:x5EheSoeO
卑弥呼がいない地なんて邪馬台国じゃないし、奈良で決まりだよ、しかし物証は出てこないだろう
771名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:27:46 ID:PwEwwso80
もうインディージョーンズにでも頼んで金印を探してもらえよ
772名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:28:00 ID:IMp4KYLUO
倭国大乱で天皇の権威が下がったところで卑弥呼登場だろ
773名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:28:01 ID:ECcTORFYO
九州説は畿内説ばかりだと間違いが起こりそうだからと
古代の大陸の中継地点である九州には何かなかったのかというのが話の発端。
この時代について中国の文献やら日本の文献なんて、あてにしちゃったらダメ。
かなり後世の伝聞形式だから間違いが多い。
774名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:28:24 ID:CuNRhkKL0
>>757
所詮は伝聞をしたためておいただけだぜ。
しかも遥か海の彼方の蛮人の国だ。
あそこに書かれていることは、聞き手が聞いた
真実かもしれないが、話し手の内容にどれだけ
真実があったのかは分からん。
775名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:28:49 ID:fnXA/xzH0
>>766
表記が違うだけで、実は普通に書いてあるんじゃね?
776名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:29:53 ID:6hfDYpVs0
とりあえず、邪馬台国と大和王権なるものは別物。
これは確定!
というのが私の考え方です。
777名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:30:08 ID:qNUwqu0YO
山田異国は?
778名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:30:15 ID:MuojQxQ80
>>772

漢が滅んで、三国時代、五胡十六国時代に突入する大陸のほうが
よっぽど乱れるんだけどねw
779名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:30:26 ID:eXvGeqm90
>>750
247年と248年の皆既日食は日本では能登半島の先から入って仙台あたりにかけて。
どちらかというと畿内の方がはいっとる
780名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:31:12 ID:ZUxoj5bJ0
>>768
そこにあったのなら普通に記述残ってる筈だろ。

とゆうより邪馬台国なんて名前の国は無いからな。
ヤマト国ならあるけどw
781名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:34:01 ID:6BpuJq5yO
>>765

それだ!
理由は鎮西と言う言葉
九州が大和の朝廷にとって縁も所縁もなけりゃ征西って言葉を使うハズ\(^o^)/
782名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:36:39 ID:x5EheSoeO
卑弥呼は奈良かー、これで吉野ヶ里に行く楽しみも甘木を通る楽しみも減ったなー
783名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:37:44 ID:gDpmqutv0
邪馬台国と記載されたものが必ずしも日本最大の国だとは限らないからね
784名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:38:14 ID:f3VUx1QU0
魏志にある邪馬台国のヒミコとトヨこそ、後の斎宮である
785名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:39:28 ID:DmPnr2aE0
>>766
アマテラス=卑弥呼

それを認めたくないから本居宣長が邪馬台国は九州にあったとか言い出した。
786名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:39:56 ID:gN7dWSBQ0
>>782
吉野ヶ里来たらうちの蕎麦くってけよ
787名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:40:06 ID:MuojQxQ80
>>784

倭人伝によれば、トヨ13歳で女王に即位
西晋に使いを送る
うそだろw
788名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:40:37 ID:tmttlwaK0
59 :名無しさん@十周年:2009/11/13(金) 10:59:46 ID:O2XYQjkl0
>>1
大阪人嫌いだから九州でいいや
吉兆の偽装じゃないけど、信用できないな
九州に迷惑かけたし譲ってやれ



こう言う大馬鹿な奴が地域憎しで言い始めたのがそもそもの九州説の始まり
789名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:42:27 ID:X3dVvEFT0
>>776
在日や韓国人と同じ考えだねw
790名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:42:48 ID:f3VUx1QU0
>>787
そりゃ政治の実権は親の崇神天皇がやってるんだから
791名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:43:24 ID:uc3ToVWc0
>>772
倭国大乱はむしろ、大和王権の成立過程における混乱と見るべきじゃないか?
記紀で言えば、四道将軍が活躍する時期じゃあるまいか。
792名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:43:38 ID:x5EheSoeO
>>786
うん、とにかく食べるけど、福岡の那珂川の方から南畑ぬけていくよ、その通りに見かけたら寄るけん
793名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:43:44 ID:ZUxoj5bJ0
つかさ大陸から見ても日本列島がどれくらいの大きさの島か
大体把握してただろうから、もし九州にあった小国ならばそもそも
相手しないだろ。
使者も来て滞在してどんな国か見てる訳で。
794名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:44:29 ID:uc3ToVWc0
>>790
崇神天皇はトヨの親父って説があるな。
795婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 22:44:54 ID:a3mfeyDv0
>>780

ちっちっち。たとえば>>572説もある。

いや、俺自身は
 魏の使者 「ここはどこですか?」
 地元の人 「山たい」
の博多近郊山地説だけどなw
796名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:45:34 ID:YlIgPyVFO
単なる祈祷師が、よく当たるから 偉くなった。卑弥呼さんは。
797名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:45:39 ID:uc3ToVWc0
>>793
それだと北部九州の地方国家だった事が確定してる
奴国が金印貰ってる理由が判らない。
798名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:46:02 ID:+te1Gv5r0
防人どもはまだ邪馬台国はここだとか言ってんの?
799名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:46:11 ID:IMp4KYLUO
>>791
そう考えるのが自然だな
そして古代人は意外に移動してる
800名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:46:57 ID:uc3ToVWc0
>>796
トヨが卑弥呼の後継者となった時、親族の女性だから、とある。
代々、シャーマン的な役割を果たしてきた氏族の長だったんだろ>卑弥呼
801名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:46:59 ID:c4ZiLNUp0
>>773
文献無視だと九州説の根拠がゼロになるけどいいのか?
現在出土、発掘された遺跡や物だけで判断すると巻向の遺跡は
ヤマト王権の前身である可能性が一番高い
802名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:47:20 ID:6hfDYpVs0
記紀で邪馬台国は無視されている。
これは非常に不自然。
記紀の編纂者たちは三国志を見ていたわけで・・・というか、手本なわけだからね。
大陸の正史に書いてあるものをまったく無視するにはそれなりの理由が必要。
自分達が邪馬台国の末裔なら、大陸の正史に書いてあることを美化してつなげれば、正当化にはもってこい!
しかしそれをせずに無視。
で、さすがに大陸の正史に書いてあるわけだから、大陸の正史を自分達が書き換えることは出来ない。
という事で、記紀の本文ではなく、訳注みたいな感じで、「魏志のなかで、なんだか神功皇后の事が三韓征伐に行った事を適当に書いてあるみたいだね〜」って付け加えたりしている。
あくまで、邪馬台国無視を貫きながら、大陸の正史に書いてある事実にはひよらざるを得ない。

俺的には、邪馬台国は九州発祥で、近畿まで勢力を伸ばし、近畿で邪馬台国の勢力下に入った豪族の一つ、もしくは複数が反乱を起こし王権簒奪、大和王権となる。
その後、逆に近畿の大和王権が、九州や関東にまで勢力を伸ばした。
熊襲や隼人は、邪馬台国残党一派、磐井の乱で事実上邪馬台国一派は壊滅した。

こう思っている。
803名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:48:02 ID:ZUxoj5bJ0
>>797
金印は貰っても日本列島の支配者だと奴国には言ってないだろ。

邪馬台国は倭国=日本列島の支配者だとハッキリ言ってるのを
見ると小国では無かったのは解るよな。
804名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:48:07 ID:fkpRQ4Y80
まあマキムク遺跡も最初から先入観を持たずに調査して頂きたいものですな。
でも邪馬台国は九州にあったで自分の先入観は出来上がっちゃって覆らないけどな。
805名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:48:38 ID:u/JOYzLL0
距離と方角、どう考えても九州南だろ。
魏志倭人伝、素直に読めよ。
南を東の間違いだとか、そんなバカけだこと学者が言うな。
806名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:49:21 ID:eXvGeqm90
しかしどうして九州説の人は日食が能登半島から奥州というコースで日食が「九州では」
っていうんだろ?これは畿内の領土内と考えた方がいい。
247年のも九州で見られたのは日没時なのに、18時13分にかけ始め。ちなみに福岡県の
3月23日調べたら日の入りは18時32分だ。意味ねぇよw

ヘンな話。
807名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:49:22 ID:7X/BCc0gO
>>765
その考え方は正しい。なぜならどちらも女王国だからね。
でも邪馬台国はヤマト、ここが都で大分は西の境界線。
宇佐神社の特異性についても一致する。瀬戸内海周辺と伊勢までが女王国だ。
808名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:50:13 ID:uc3ToVWc0
>>802
卑弥呼が生きてたのが3世紀前半。(200〜250年あたり)
日本書紀が書かれたのが720年。

500年近いギャップがあるので、日本書紀を書いている時代には
邪馬台国が大和王権の何時の時代の事を指しているのかわからなくなっていても
別段不思議ではない。
809婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 22:51:11 ID:a3mfeyDv0
>>801
>>496に書いたみたいに、古代中国の地理誌って、おおむね正確なんだけど、
なぜだか方角は変なんだよな。たとえばこの流鬼国ってのは、長いこと
バイカル湖沿岸だと信じられてたせいもあるんだが。
810名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:51:21 ID:uc3ToVWc0
>>806
日食絡みの話はただの妄想だろ。
無視してヨシ
811名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:51:44 ID:wWvGGVVx0
政治と宗教は切っても切れない仲。
ネトウヨの4割近くは創価の青年部だしな。
自民は、幸福の科学に長年支援されてたし
民主だって創価以外の宗教団体から支援されてる。

窮州人死ね。
812名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:51:55 ID:ZUxoj5bJ0
>>805
距離で言うなら九州突き抜けて遥か南方だぞww

当時、日本列島は九州を北でそこから南に伸びてると考えられてた。
813名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:52:32 ID:Dssml/YGO
>>797
奴国ってのも仮に付けられた国名みたいなもんだしな。
「奴」には漢の皇帝に臣従を誓った周辺国という意味もあるし。
実際には別の国名だった可能性が高い。
814名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:53:41 ID:eXvGeqm90
>>810
それいってるの安本美典だよ?九州説の大御所じゃないかw リーダー格がこんな電波
なんだからさw
815名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:53:54 ID:MuojQxQ80
>>785

あのさ、アマテラスって地上の人じゃないのよw
816名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:54:09 ID:thY6lBWH0
>>677
例えば江戸時代の日本人の人骨と
現代の日本人の人骨が将来見つかったとして
同じ民族とは思わない可能性はあるな
817名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:54:21 ID:X3dVvEFT0
>>802
だからヤマタイコクなんていう読み方を中国側はしてないってばさ。
初めからヤマトコクと呼んでるだろ。
818名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:54:45 ID:mN/+N/310
魏志倭人伝はデタラメだ
陳寿はうそつきで有名だった
志賀島の金印は贋作だ
畿内説は言ってることがめちゃくちゃだよ
挙句には年輪法とやらで巻向を100年無理矢理に古くして邪馬台国だと大騒ぎ
西武警察のおっさんまで出して大騒ぎ
819名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:55:26 ID:eXvGeqm90
もはや悲鳴にしか聞こえない
820名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:55:35 ID:ZUxoj5bJ0
そもそも九州から勝手に畿内を制圧したとか無理やりすぎるだろ。
畿内は畿内で複数の国が連合体で国家を形成してたんだしさ

しかもその勢力は北陸や東海まで及んでたんだぜ。
821将鼓 ◆SXXuKKxnKQ :2009/11/14(土) 22:56:29 ID:YWHTLy6xO
こないだ奈良行ったら鹿かわいかたから奈良がんばれ超がんばれ
822婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 22:57:06 ID:a3mfeyDv0
>>813
そこはあんまり関係ないかと。
今でも、行政区分の「市」と、その語源となった商業区域としての「市」とが混在しているわけだし。
四日市市とかな。
823名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:57:36 ID:uc3ToVWc0
>>818
金印は贋作じゃないし、陳寿は比較的信用できる歴史家だ。
魏志倭人伝の記述も概ね信用できる。

距離と方向の問題はあるが、中国史書の方角誤認は他にも例が多くあるので
まぁ、方向が間違ってる可能性が高いが確証は無い。

位置・方向の記述以外はおおよそ正確だろうというのが俺の見解。
824名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:57:38 ID:gyiyUuOs0
>>806
夕暮れ時の日食はインパクトあるよ。
そのまま夜になって古代人からすると二度と夜が明けないと思えるよ
825名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 22:59:29 ID:IMp4KYLUO
うん、この「呪い」は出雲が仕組んだな


ただで国譲るわけねーわな
826名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:00:19 ID:6hfDYpVs0
>>808
それは無い。
時代は執筆期間を考えると大体450年ほど離れているだろう。
現代と戦国時代程度の時間差。
各所にそれなりの伝承は残っているはず。
しかも、なんたって、邪馬台国が載っているのは大陸の正史。
これに載っているのを使わないはずが無い。
もうね、絶好の正当化の根拠だよ。
たとえ、邪馬台国なるものが存在しなかったとしても、これは使う!
正当化にはおいしすぎる話!

ということで、あんな徹底無視、そして、あんな感じでのひよりかた。
どう見ても、大和王権と邪馬台国には穏やかざるものがある。
名前が似ているのも納得できるしね。
827名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:02:23 ID:eXvGeqm90
>>824
皆既日食ってのはな。かけ始めから食の最大まで1時間半あるんだわ。
ちなみに屋久島のかけ始めは9時35分 食の最大は10;59分 
まっくらになるのは皆既日食の真っ最中だけだ。とうに沈んでしまってるw
828名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:02:44 ID:uc3ToVWc0
>>826
戦国時代といえば、三段打ちは無かったとか、桶狭間は奇襲じゃなかったとか
武田騎馬軍は架空の物だったとか、そんな事が言われる時代だぜw
まして、文献資料が無く、伝承だけでは「何時の出来事か」特定し難い事は明らか。
魏志倭人伝の記述が崇神朝の頃の話だと特定できなくても全く不思議ではない。
829名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:04:09 ID:yoEzkh+F0
>>1
だから、研究者なら卑弥呼を埋葬した円墳(周りに大量の人骨有り)が見つかってから言えよ。
                        ↑
                       ココ重要
830名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:04:31 ID:uc3ToVWc0
逆を言えば、日本書紀の異様な天皇の寿命引き伸ばしは、
初期大和王権の年代が何時か当時特定できなかった為に発生したと
考えても不思議じゃないと思うがな。
831名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:04:52 ID:eXvGeqm90
>>824
というかその時は九州は皆既日食にはなってないから、暗さなんて感じてないw
832名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:04:55 ID:MuojQxQ80
アマテラスは孫のミギニノミコトを地上へと下らせ支配するように命じたんだよw(=天孫降臨)
彼らは天にいたのw
833名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:05:11 ID:uc3ToVWc0
>>829
前方後円墳じゃいけない理由は何かあるのか?
魏志倭人伝には何もそんな事は書いてないぞ。
834名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:05:42 ID:X3dVvEFT0
>>826
何であんたは邪馬台国と大和朝廷が別だって言いたいの?
素直になって答えなさい!
835名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:05:51 ID:u/JOYzLL0
>>812
女王国まで12000里、九州北部の不みの国まで合計10700里もかかってるんだから、、
全然大丈夫だよ。

後段は根本的におかしいよ。明の地図のことを言ってるんだろうけどね。
奈良に行くには、現実には、使者は東に行かなきゃならないんだよ。
太陽を目印にするか、あるいは、倭人の道案内があって東に進むことになるだろうけどね。
もし、南にあると思いこんで南に進んだら、奈良には絶対に到着しないよね。
だから、方角を間違えるなんてことは有り得ないんだよ。
もちろん記述上の誤差はあるけどね。
836名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:06:12 ID:xRnqzaj30
モモソ姫を女王と取り違えたって言うことは
その親父(某天皇)はそんなに影が薄かったんだろうか。
837名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:07:16 ID:6hfDYpVs0
>>817
似ているのも、納得できるだろ。
ひよらざるを得ないんだよ。
だって、大陸の正史に書いてあるんだよ、書いてないことには出来ないよね。
それこそ、自らの正当化が出来なくなる。
だから邪馬台国の存在を無視しながら、神功皇后をねつぞう?したり、自らの王権の名前を似せたり・・・

記紀は日本始まって以来の正史だからね。
最大の目的は自らの正当化!
838名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:07:34 ID:uc3ToVWc0
>>835
だったら、後の中国史書がしょっちゅう方向を間違った理由を教えてくれ。
その説なら、中国史書は方向を一度も間違う筈無いはずだよな?
839名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:08:12 ID:Oqx0dtw80
>>835
なんであり得ない?
所詮取材して書いた記事で陳寿が実際に邪馬台国に行ったわけじゃない。
840名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:08:19 ID:eXvGeqm90
>>835
正確に書くべきということと間違うこととは別。つーか俺はそのあと邪馬台国に行ったやつが
迷ってしまったと思うぞ。だからその後の記録がないw
841名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:08:27 ID:X3dVvEFT0
>>829
箸墓古墳は初めは円墳だったが、
後から前方後円墳に直した跡があるんじゃなかったか?
842婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 23:08:38 ID:a3mfeyDv0
>>826
書記の編者たちは中国の史書を読み込んでいたにちがいない、てな説は
あるよね。記述の端々にそういう痕跡が出てくる。
だけど彼らは、そこの整合性よりもヤマト政権の正統性に拘泥したと。

んじゃ、何をどう隠そうとして、どういう記述をでっちあげたのか?
おいらワクワクしてきたぞ。
843名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:08:39 ID:vkBCMO8s0
ここで敢えて放射状説を唱えてみる
844名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:09:50 ID:ZUxoj5bJ0
つかさ使者は倭国の入り口である対馬? 九州にさえ辿りつけば
あとは勝手に案内して貰ってたからそんな正確に方向なんて見てないだろ。

倭人が南、南って言うから信じちゃったヨーな可能性高いぜww
845名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:10:07 ID:Xklkilju0
ふー。すごいことを発見してしまったぞ。
・歴代天皇から初代〜(欠史八代)9代までを削除
・これも実在が怪しい12代〜14代を削除
・21代雄略天皇以前は暦年法が違うという説があるので2分の1にして計算。
・雄略天皇は倭の五王の武に該当するとされているので武が宋に奏上した478年を即位年にする。
 (雄略天皇の在位は24年。武は25年間奏上している。多少は誤差があるとしてここにあてはめた)
以上で計算すると、初代天皇とされるのは崇神天皇で以下書くと
・崇神天皇(に該当する人物。以下同)(即位304年〜337年)
・垂仁天皇(338年〜386年)
・応神天皇(387年〜406年)391年に朝鮮出兵
・仁徳天皇(406年〜448年)恐らく倭王讃
・履中天皇(449年〜451年)
・反正天皇(452年〜455年)
・允恭天皇(456年〜476年)
・安康天皇(477年〜478年)
・雄略天皇(478年〜501年)倭王武
倭王とうまく一致しない箇所もあるがおおよそこんな感じと予想。
で、何が重要かというと初代天皇の崇神が恐らく300年台初期に即位。
卑弥呼(アマテラス)が死んだのが248年。台与(トヨアキツヒメ)が13歳だから25歳で子供産んだとして
260年。恐らくこの人物がニニギに該当する。そしてニニギが19歳、279年に
崇神(神武)天皇に当たる人物が生まれる。重要人物がすべて入りうまい具合につながる。
恐らくこんな感じでこれをベースにいろいろ脚色したと予想する。
846名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:10:14 ID:uc3ToVWc0
>>836
箸墓はあの時代最大の古墳。
あれを見れば、当時のシナ人のみならず、現代人だって
モモソ姫が当時の最高権力者だと考えるよ。
847名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:10:20 ID:MuojQxQ80
天にいたアマテラスの孫を地上へと下らせ支配するように命じる
これが天孫降臨ですよーw
848名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:10:35 ID:6hfDYpVs0
>>834
というか、素直に考えれば別物と考えるほうが自然でしょ。
魏志の表記と風俗もまったく違うしね。
似ているのは名前のみ。
それも、十分説明つく。
849名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:10:52 ID:YlIgPyVFO
話しをまとめると 松本清張説 結局当たり。
850名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:12:19 ID:jNfIq2t70
>>838
具体的にどの史書で、どのような状況で、
どのような間違いをしているんだ?
851名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:13:01 ID:x5EheSoeO
とにかく、これから考える事は九州説が、卑弥呼を超えていけるかじゃねーの?!一体、吉野ヶ里はなんなんだよ?甘木は埴輪しかないのかよ?

その辺を考えてもらわないと、奈良を認める意味がないだろう
852名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:13:11 ID:mN/+N/310
単位は里じゃなくてもいいんだよ。キロでもヤードでもなんでもいい
とにかく帯方郡から邪馬台国まで12000
そのうち伊都国までで10500。残りは1500
帯方郡から伊都国までの距離の7分の一ぐらいの距離に邪馬台国はあったんだ
まじめに読めばはるか南だの海上だの言うのは詭弁
853名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:13:17 ID:CqTtfO1b0
九州にはこれやるよ

つ「邪魔大国」
854名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:13:55 ID:gyiyUuOs0
>>831
ん?皆既に近い状態での日没のシミュレーションを見たことあるけど。
855名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:14:01 ID:6hfDYpVs0
>>828
だ〜か〜ら〜
戦国時代はありませんでした!
ということなんだよ。
そのもの自体が無かった事になっている。
それは不自然。
しかも、戦国時代はありました!こんな感じでした!
って大陸の正史に書いてあるわけだぞ!
これを不自然と感じない感性が信じられん。
856名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:14:08 ID:uc3ToVWc0
>>848
当時外交拠点となっていた伊都国周辺の風俗を記録しただけでは?
当時の大使館みたいなもんもあったみたいだし。
857名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:14:17 ID:Oqx0dtw80
>>848
魏志にある倭人の風俗は女王が支配するエリアの風俗であって
女王の都が畿内の邪馬台国でも、女王が支配するエリアに九州が入ってれば
何の問題もないだろ?
858名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:15:45 ID:+dyUgBTn0
問題は東日本に邪馬台国に敵対する大勢力があったのかどうか
859名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:16:20 ID:xRnqzaj30
あー、福岡佐賀には埴輪文化はないな。
この分布も重要な推測材料になるかも

気にしたことなかったが
少し調べてみるか。
860名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:16:29 ID:2fe+tHOUO
普通に考えれば現体制の正当性を神話で担保にするわな
だが魏史倭人伝にマズイ記述がある。どうするよ?
東征と国譲りにしたらバッチリじゃね?お前天才かよ
861名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:16:36 ID:X3dVvEFT0
>>855
記紀にも戦いの話なんてたくさん出てくるじゃん。
862名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:17:30 ID:uc3ToVWc0
>>855
文章記録が残っているのならともかく
伝聞しか伝わってないんだぞ? 戦国時代と現代
奈良時代と邪馬台国時代を同列に語る時点でどうかしてる。
戦国時代は公的機関のみならず、一定以上の教養がある
人間が書いた日記や書状の類がザックリ残ってるが、邪馬台国には文書すらないんだからな。

邪馬台国が、日本側の伝承に伝わる何時の時代の話で、卑弥呼が誰のことかわからず
とりあえず神功皇后にしてても不思議とは思わん。
863名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:18:02 ID:jNfIq2t70
>>823
>位置・方向の記述以外はおおよそ正確だろうというのが俺の見解。

もしそうだとしても、九州までの総距離12000里中、
10500里を消化しているんだぞ。
畿内まで届かないだろ。
畿内説は総距離の面でも間違いが必要だよ。

>>846
>箸墓はあの時代最大の古墳。
>モモソ姫が当時の最高権力者だと考えるよ。

日本列島全体の最高権力者であることと、
それが卑弥呼であることはイコールじゃないぞ。

日本列島なんていう範囲の枠の概念は当時はまだない。
そこの最高の権力者が卑弥呼だとも書いていない。
なぜ畿内説の人は、日本列島最大の国→邪馬台国と飛躍するんだ?
864名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:18:16 ID:eXvGeqm90
>>854
じゃあ出してみな。本当に暗くなるのは皆既日食の最大時だけだぞ。
皆既に近い状態でもない。東シナ海で終わってる
865名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:18:32 ID:bhAkTY/JO
九州に住んでると邪馬台国は九州にあったような気がしてくるのは事実
866名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:18:39 ID:u/JOYzLL0
>>838
オレは魏志倭人伝の記述のことを言ってるんだよ。
後の中国史書が間違っているかどうかなんて、そんなことは関係ないと思うがね。
対馬、壱岐はちゃんと南って書いているのは、どうなんだ?。
どんなに屁理屈こねても、奈良は九州北の真東に進むことになると思うがね。
それと、それなら、女王国の「東」、海を渡る、はどう説明する?
北とでも言うつもりか?
867名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:19:34 ID:lCuIH4w70
>>355
魏の使いは伊都国に留め置かれて、他の国へは行けなかった訳だから防衛上女王国への道は出鱈目の方向と距離を教えたと考えても良い訳だよな。
当時でもそんな策士が邪馬台国にいても不思議ないだろw
868名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:19:54 ID:MuojQxQ80
>>837

壬申の乱って知ってるか?
日本史上最大の内乱
天皇家同士の争いに発展した
古事記はそのために生まれたと言っても過言じゃないもの
869名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:19:59 ID:+dyUgBTn0
>>860
マズイ記述とはなんでしょうか
凄い気になります
870名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:20:14 ID:uc3ToVWc0
>>863
そりゃ、畿内説は西日本全域を支配した国家=邪馬台国とする説だからな。
邪馬台国を当時の日本最大の国とするのは畿内説にとってみれば最低条件だ。
871名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:20:27 ID:gyiyUuOs0
>>831
わかった。最近のデータだとそういうことみたいだね。
でも地平線に近いとモロ見えるからね、皆既じゃなくてもインパクトは強い
天岩戸とはかけはなれるけど。
872名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:20:44 ID:6hfDYpVs0
>>842
>書記の編者たちは中国の史書を読み込んでいたにちがいない、てな説・・・
じゃなくて、あたりまえに読む込むよ。
まさに、手本なわけだし、この大陸の正史は、焚書も出来ないし、歴史にずっと残る。
あからさまに齟齬があると正当性が後の世で完全に失われるからね。
それは、絶対に避けなければならない。
だから、邪馬台国や卑弥呼なる存在は完全に無視しておいて、訳注でにおわせる・・・という手法をとらざるをえなかったんだろう。
873名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:21:21 ID:fnXA/xzH0
まあ伝聞だからな
言った奴の記憶間違いだってあるだろ
874名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:22:09 ID:gDpmqutv0
壱与のことが気になる。
875名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:22:10 ID:8g6Ii/3Y0
測量技術の発達していない大昔の距離感の信用性ってどうなの?
876婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 23:22:11 ID:a3mfeyDv0
>>857
ちげーだろ、
魏志倭人伝の書き方は、倭人の国の行政区分を説明した上で、ひとかたまりに風俗を記述している。

877名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:22:51 ID:eXvGeqm90
>>871
だから最近だろうが古代だろうが皆既日食でもないから暗くならない。
次にそのころには完全に沈んでしまっている。悪あがきはやめた方がw
878名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:23:06 ID:X3dVvEFT0
>>860
つまり、邪馬台国が大和朝廷の初期だったわけですね。、
879名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:23:48 ID:uc3ToVWc0
>>876
その風俗が何処の地域の風俗かは書いてないだろ。
伊都国の風俗だった可能性はかなり高いと思うがな。
880名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:24:30 ID:2fe+tHOUO
>>869
親魏倭王印を賜った邪馬台国が史書に記載されてる事実です
大和王朝的には不都合であるかなと
881名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:25:07 ID:ZUxoj5bJ0
投馬国へ至る記述のとこで水行20日とあるけどこれ九州内なら
どこを移動した?
更に投馬国から水行10日、陸1ヶ月で女王の都に着くと書かれてる。

これ九州ならどこをどう移動したのか説明して欲しい。
882名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:25:39 ID:gyiyUuOs0
>>864
ここね。
ttp://inoues.net/science/waq.html
ちなみに君のデータは?
883名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:25:45 ID:6hfDYpVs0
>>860
そうなんだよ。
東征、国譲り、熊襲征伐・・・ほぼ正当化修了。
だから、本当に素直に考えたら、邪馬台国は九州であり、近畿でもある・・・これでいいんだと思う。
で、邪馬台国の王権簒奪した大和王権は、出雲出身だと俺は見ている。
884名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:26:18 ID:H062Z3fE0
ここに新たに北海道説を主張する
885名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:26:49 ID:+dyUgBTn0
東日本に大国邪馬台国を脅かすほどの大国がなければ近畿説は危うい
近畿政権=狗那国の可能性が強くなるだろう
886名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:26:57 ID:8g6Ii/3Y0
もうこうなったら1800光年離れた星に瞬間移動して超大型反射望遠鏡で当時の日本を見るしかないだろ。
887名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:27:20 ID:uc3ToVWc0
>>881
瀬戸内海を20日移動して今の岡山付近の投馬国へ
そこから更に瀬戸内海→大和川で10日
陸路を進めば1ヶ月で邪馬台国

と読むのがまぁ素直な解釈かな。
888名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:27:56 ID:x5EheSoeO
邪馬台=大和 大和朝廷の記述か文献に卑弥呼らしき人の事が書かれているらしい

それが何かはわからないが、それなら畿内説で決まりだと確信したわけだ、今後、九州説派は新たな考古学を確立しないといけなくなったわけだ

吉野ヶ里はもう一度調査した方が良さそうだな
889名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:28:36 ID:uc3ToVWc0
>>885
隼人は邪馬台国時代の後600年近く大和王権に抵抗し続けている。
別に脅かすほどの大勢力でなくても、頑強に抵抗を続ける厄介な相手
程度で十分と思われる。
890名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:28:51 ID:ZUxoj5bJ0
>>885
諏訪に大きな国があったらしいよ。
それが狗奴国だと思われ
891名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:29:17 ID:tmttlwaK0
東京の馬鹿のせいでいつもこれだ
ちれ
892婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/14(土) 23:29:54 ID:a3mfeyDv0
>>879
何処かを書いていないということは、記述している「倭国」の風俗がどこも大差なかった、
という証拠じゃないかと。出張した役人が伊都国で伝聞をもとに書いたという話も
あるけど、同時代に邪馬台国の首府まで行って滞在した官僚の記録も「あるんだし。
893名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:30:41 ID:eXvGeqm90
>>882
それが皆既に近い状態でのシミュレーションか?

俺の場合はそれとこれ。あと日没のデータとかは調べた
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/56/0000033856/28/img3708f413zikfzj.jpeg
247年は東シナ海上で終わってる。248年は能登半島。北陸の能登半島から奥州まで見える。
このうち能登半島は畿内圏だと言える。

安本の電波は皆既日食じゃないと暗くならないのしらんかったんじゃ?
894名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:30:58 ID:6BpuJq5yO
>>885

ヤマトタケルさんが静岡で大ピンチになるくらいだから
東日本には大和朝廷に抵抗する強国があったと思われ
895名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:31:45 ID:ZUxoj5bJ0
いつも思うんだけど九州人が優位に立って日本の礎を築いたと
言いたげなだけの奴が無理やり妄想振りかざしてるよな・・・

九州に邪馬台国があった 九州勢が畿内を制圧した など。

どれもこれも何の痕跡も無い妄想である。
896名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:32:26 ID:u/JOYzLL0
>>881
普通に九州東沿岸部や山間部を南へ南へ、その日程の後に邪馬台国に至ったということ。
オレはそれについては、ちゃんと答えられるよ。
その前に、オレの質問に答えてよ。
「女王国の東」と、壱岐対馬の南。
897名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:33:23 ID:uc3ToVWc0
>>895
文明は中国→韓国→北部九州と伝わり
東に行くほど蛮地である、と言いたげな奴が多すぎるんだよな。
前方後円墳なんて東から西に伝播したりして、文明とは一方通行では決して無いというのに。
898名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:33:46 ID:mN/+N/310
>>881
糸島から平戸の方から長崎の方に出てぐるっとまわって有明海に出れば吉野ヶ里に出る
そこを投馬国だとする。方角は南で水行20日で問題ないだろ
899名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:33:52 ID:YtmIadLy0
邪馬台国が畿内にあったとすると、3世紀の時点ですでに近畿から九州にいたるまでの
大きな国家(連合国家だったかもしれんが)があったことになるんだよね?
大陸に使者を送ろうとすると、当時の造船技術では、陸伝いで九州に行き、そこから
いくつもの島を渡り歩いて大陸に行くしかないんだから。

ただ、それだけの超巨大国家がすでにあったのなら、古事記や日本書紀にもっと色々と
記述があってもよさそうな気がするな。
900名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:35:03 ID:f3VUx1QU0
高地性集落(山城みたいなもん)が瀬戸内海周辺→近畿周辺と
遷移してるから、ひょっとするとヒミコの時代の前にあった倭国大乱で
神武東征みたいなもんがあったのかもしれん
こればっかりは今後の考古学の発掘成果次第だけどな
901名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:35:51 ID:ZUxoj5bJ0
>>896
ちゃんと答えれてないじゃんw
そんな日数かけて九州一周して都に辿りついたと思うのが有り得ないだろ。

方角がおかしいだけで九州から瀬戸内海通って畿内に辿りついたと
見るのが自然だな。
902名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:35:56 ID:+dyUgBTn0
>>894
鹿島神宮や香取神宮が関東地方は怪しいな
903名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:35:59 ID:uc3ToVWc0
>>896
七里の渡しの事じゃね?
904名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:36:08 ID:EpvIcz0v0
>>899
記紀がその連合国家の歴史そのもの
905名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:36:20 ID:f3VUx1QU0
>>899
九州や丹波から大陸に渡る技術があるんだから、瀬戸内海とか
山陰沿岸沿いの航海なんてそんな難しいもんじゃないぞ
906名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:36:25 ID:u/JOYzLL0
>>867
「正始元年、太守…倭王に拝かし・・・」
魏の使いは倭王に謁見してると思うけど、違ってる?
907名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:37:18 ID:jNfIq2t70
>>870
畿内説がそんな状態なのだとしたら、
その最低条件=前提を証明せずに、
次の段階に進んでしまっているんだよ。
それが最大の間違いだ。
908名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:37:28 ID:uc3ToVWc0
>>899
その辺は崇神朝の勢力拡張が記紀に書かれてるから
そこの事でいいだろ。
909名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:38:04 ID:IMp4KYLUO
神武「ただいま!」

マキムク「お帰り!」
910名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:38:35 ID:uc3ToVWc0
>>907
その最低条件を証明する為に
巨大な箸墓古墳だとか、宮殿だとか、
巻向に持ち込まれた外来土器だとかを調べてるんだろうが。
911名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:38:53 ID:RnqQR57uP
>>909
神武が綾波でマキムクがリリスか
912名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:38:58 ID:+dyUgBTn0
5世紀頃は関東地方がやたらと栄えてたらしいとか
913名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:39:30 ID:bASDb3hyO
>621です。
教えてくれた人ありがとう。
なるほど!地形が今と違うか。
こういう話はワクワクするし歴史ある日本に生まれてよかった
914名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:39:42 ID:uc3ToVWc0
>>912
つか、5世紀はある意味において大和王権も最盛期だからな。
915名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:39:53 ID:jNfIq2t70
>>897
逆だろ。
東西でそれぞれ優劣と関係のない発展をしていたことが
今回の発掘からも明白じゃないか。

畿内説は、畿内勢力が既に九州まで版図に納めていた
ということを証明もせずに、規制の事実化してしまっているだろ。
916名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:39:57 ID:ZUxoj5bJ0
伊都国はすでに女王国に属すると書かれてる。

それ以後に出て来る奴国、投馬国とかは邪馬台国の影響下にあったと
考えるのが自然だろうな。
つまり西日本は連合国家が成り立ってた事を意味する。
917名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:40:34 ID:gyiyUuOs0
>>893
なんだ、ちゃんとシミュレーションしてないのか。
918名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:40:59 ID:Oqx0dtw80
国ゆずりや神武の東征を見てもわかるとおり
日本の中心は常に畿内のヤマトで、
そこを征服するかどうかの歴史だろう。
つまり誰が支配していようと邪馬台国=ヤマト国は畿内であって
ヤマトの国号を持った国が九州から畿内に移動したなんてないだろう。
919名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:41:09 ID:Sc6/eznp0
本居宣長に読み仮名が要るのか
920名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:41:23 ID:6hfDYpVs0
>>862
俺には君の感性がわからん。
450年前のことだから、地域に普通に言い伝えは残っている。
伝承がどんなに形を変えようとも、邪馬台国がもし存在したのなら、それ自体が存在しなかった・・・とはならないだろ。
しかも、大陸の正史に書いてあるんだぞ!
それを、記紀は邪馬台国も卑弥呼もまったく無視!
風土記でも無視!公式的には邪馬台国の存在は無かった事になっている。
唯一記紀の本文ではなく、訳注的な部分に神功皇后のことがちょこっと書いてあるだけ。
でも、この部分でも邪馬台国の名前も無ければ卑弥呼の名前もないし、魏志のどの部分かという説明も無い。
これは非常におかしいでしょ。

記紀の編纂はとんでもない大事業だったんだよ。
回顧録とはわけが違う。
当時の秀才、天才達が総動員されて、40年かけて創ったと言われているわけだ。
ここから意図と状況を読み取ろうよ。
921名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:41:54 ID:18KOWlCE0
魏志の東夷伝の中の倭人に関する記述なんてオマケのオマケみたいなもんだろ?
他の国の記述にしたってファンタジーみたいなもんだぞ。
陳寿がいくら比較的信頼できると言っても、倭国に関しては少数の小役人からの
伝聞でしかないし、しかも現存すら魏志にしても写本を重ねていて記述が異なるモノもいくつもある。

中国人の歴史観なんて近年の自国の100年も経ってない戦争のことですら、
次々都合良く書き変えてるのに、よくそんなに微細な記述を信頼できるねえ・・・逆に感心する。
922名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:42:21 ID:X3dVvEFT0
>>912
あんた、TBSの歴史ミステリーを観たねw
923名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:43:00 ID:uc3ToVWc0
>>920
日本側の記録は崇神朝の記述として残ってるだろ。
しかしその時期等が特定てきず、魏志倭人伝の記録と照合させる事が出来なかった。
それだけの事だ。別に無視も何もしていない。
モモソ姫=卑弥呼だとわからなかった、それだけの事だ。
924名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:43:05 ID:PwEwwso80
卑弥呼はニューハーフだったという説をあえて推したい
925名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:43:06 ID:+dyUgBTn0
当時は 邪馬台国のほかにも奴国、投馬国、狗奴国という大国があったらしいからな
どの国がどこにあったかを考古学的に調査するのは重要でしょうね
狗奴国が邪馬台国以上の強国である可能性も大きいだろう
926名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:43:33 ID:f3VUx1QU0
1世紀に栄えていた九州北部が畿内勢力に侵略された形跡が無いんだよな
高地性集落はその後瀬戸内海沿岸→畿内周辺と遷移してるんだけど
文化の中心や勢力が遷移したのかもわからん
927名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:43:50 ID:RnqQR57uP
>>924
アンドロギュヌスだろ常識的に考えて
928名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:44:17 ID:jNfIq2t70
>>895
九州説だけど、
たまたま中国に近くて中国と交流していた邪馬台国は、
その後時間をかけて、畿内で独自に発展した畿内勢力に飲み込まれたよ。

畿内勢力の強大さを示す今回の発掘結果とも矛盾しないじゃないか。

倭人伝には、邪馬台国が日本列島最大の勢力だなんてどこにも書いていない。
せいぜい記述のある九州地方の盟主だったってことくらい。
929名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:44:51 ID:eXvGeqm90
>>917
それはおまえだろw早く見せろよ。そのサイト全然シミュレーションになってないじゃないか。
わざとかしらんが248年でディスってるし。

854 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 23:13:55 ID:gyiyUuOs0
>>831
ん?皆既に近い状態での日没のシミュレーションを見たことあるけど。

マジでおまえ醜いわw
930名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:44:52 ID:LYyyvjjo0
>>900

> こればっかりは今後の考古学の発掘成果次第だけどな

これはなあ。あんま期待できないよな。
聞いた話では、貝塚なんか掘り返して人骨なんか出ちゃった時も
現場の人間が「見なかったことにして」工事進めちゃうことが多いってよ。
新横浜の辺りなんか惜しいよな。
931名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:45:07 ID:u/JOYzLL0
>>901
だから、君の意見は、投馬国と邪馬台国への「南」だけをおかしいと言ってるんでしょ。
でも、それをおかしいと言うんだったら、他の方角も全部それに合わせてずらさなきゃ整合性が採れないのと違うか?
東は北に、北は西に、と言うようにね。
でも、そんな解釈をするんだったら、もう完全に無茶苦茶になってしまうよね。
932名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:45:58 ID:uc3ToVWc0
>>928
それだと、3世紀ごろには大陸系文物の発掘量の優位性が
畿内側に移る事実と整合性が取れない。
もし九州の独立勢力が畿内勢力とは無関係に中国と交流していれば
大陸系文物の九州優位が崩れる筈ないのだがな。
933名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:46:24 ID:ZUxoj5bJ0
>>926
栄えてたのが九州だけじゃないからね。もう1世紀とかになると弥生時代後期
だから出雲を中心に国もあったりそれこそ畿内は大小様々が国があったから
滅んだとか滅ぼされたってより畿内が連合でまとまって大きな力を持つように
なってから出雲や九州辺りも同じ様に連合に入ったと見るのが自然かな。
934名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:46:45 ID:jNfIq2t70
>>910
その結果を示しても、九州まで傘下におさめていたという証明になってないだろ。
それなのに、なんでいきなり邪馬台国に飛躍するんだ。
935名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:47:11 ID:uc3ToVWc0
>>934
>>932参照
936名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:48:10 ID:uUz0vpwT0
まあここで論じ合っても結論が出るわけないわな
937名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:50:11 ID:L26aNEug0
魏志倭人伝の「水行20日」とかって解釈によっては
沖縄になったりするんだってw
九州内陸に水行20日ってあり得ないし普通に地形的に畿内でしょ。
938名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:50:32 ID:jNfIq2t70
>>932
文物の発掘量は、当時の文物の量とイコールではないよ。
また、当時の文物の量は九州まで傘下におさめていた証明にもならんよ。
経済力の強さの一端は示すだろうけどね。

当時、邪馬台国の方が畿内勢力より強大だったなんて、
倭人伝にも書いてないし、九州説の人が唱えているわけでもない。
939名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:50:50 ID:jlPF/nV50
>>936
そう思う。まあ、所詮暇つぶしだから・・・
940名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:50:51 ID:+dyUgBTn0
邪馬台国が近畿だとすると
奴国=九州北部
投馬国=出雲
狗奴国=東日本

と綺麗に収まるな
あとは東日本から狗奴国に相当する遺跡が発掘されれば決定的か
941名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:51:42 ID:ZUxoj5bJ0
こうやって色々太古の日本を紐解くと隣の大陸やヨーロッパに比べて
日本は狭い国土で痩せた土地で争いも大いにあったんだろうけどそれが
争いだけじゃなく話し合いで連合組んだり出来るだけ殺し合いせず共存を
選んでるのが日本人らしいなーと思うのよw

大陸から見れば野蛮人に見えててもそいつらより何倍も賢い。
942名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:51:42 ID:f3VUx1QU0
邪馬台国の謎が解明されたら、次は倭国大乱の謎と神武東征の謎だな
なんだかんだでロマンがあって面白いな
943名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:53:05 ID:uc3ToVWc0
>>938
経済力云々以前に、それほど大量の文物を輸入する勢力があれば
当然中国側史料に記録される筈だし
また、仮に畿内側の経済力が大きくても、九州を経由しないと大陸との通商が難しい以上
九州より畿内が物量で上回るのは、畿内が九州を飲み込んでないと考え難いのだが。
944名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:53:08 ID:+dyUgBTn0
吉野ヶ里遺跡が奴国なのだろうか
945名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:53:37 ID:jNfIq2t70
>>932
九州勢力が畿内勢力まで傘下におさめていたと過程するなら、
文物も九州に偏るかもね。
でも、倭人伝も九州説もそんなこと言ってないぞ。
畿内説が九州までの強大な国家を前提とするのはいいが、
九州説が畿内までの強大な国家を前提としているわけじゃないんだぞ。

それぞれ独自の勢力があって、畿内勢力の方が巨大であったとしても、
邪馬台国が九州にあることと、何の矛盾もないじゃないか。
946名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:53:45 ID:H4uyjDiw0
>>902
どうだろうか。
鹿島神宮の祭神はタケミカヅチ。香取神宮はフツヌシ。
ともに天津神の武神とされる神。
むしろこの二つの地は、ヤマトの東日本攻略の前線基地じゃないかと思う。
ちなみに、鹿島神宮の近くに「高天原」という字名もあるし。
947名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:55:44 ID:uc3ToVWc0
>>945
地理的に九州のほうが大陸と通商しやすい以上
九州の独立勢力が大陸と通商しているのなら
畿内より物量でまけるなど考え難いの。

経済力よりも地政学の問題だよ。
948名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:55:48 ID:RnqQR57uP
高天原なら水戸にもあるよ
949名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:55:53 ID:jNfIq2t70
>>943
>当然中国側史料に記録される筈だ

実際に、倭人伝に畿内の記述がないじゃないか。
経済力がそのまま記載されるとは限らないんだろ。

倭人伝に詳しく書いてあるのは、
せいぜい九州地方の盟主であった邪馬台国や、
その他、九州の豪族国家の内容だけだろ。
950名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:56:04 ID:gyiyUuOs0
>>929
なにをカッかしとるのかわからん。
肉眼でくっきり直視できる日食はインパクトがあると言っているだけだが
951名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:57:18 ID:6BpuJq5yO
5〜6世紀頃ヤマトタケルに集約された武人逹の活躍で近畿にあった国家が
飛躍的に領地を拡大。その影響力は九州〜関東に及ぶ。
滅ぼした国の中には幾つも王を名乗っていた国があったので
俺達もう王を超えてなくね?帝を名乗ってもいいんじゃね?
となったのが聖徳太子の時代
952名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:57:27 ID:hIpt/yPR0
最初から奈良と思っていました
953名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:57:43 ID:7yPErVc0P
十津川警部と亀井刑事が事件で巻向に来ないかなぁ
954名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:57:51 ID:Oqx0dtw80
>>943
日本は華北より華南の影響が強いと言われるから
古代の貿易拠点は鹿児島の坊津や野間半島笠沙だったと思う。
例えば漢字が呉音だったり呉服と言ったり。
955名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:58:03 ID:jNfIq2t70
>>947
>九州の独立勢力が大陸と通商しているのなら
>畿内より物量でまけるなど考え難いの。

当時の詳細な通商関係量を示す資料なんてないだろ?
倭人伝にあるのは、邪馬台国という国が使者をよこしたことと、
九州地方の国々の様子だけ。

実際に倭人伝に畿内勢力の記載がないじゃないか。
独自に朝鮮半島と通商しようが、中国は把握できんだろ。
956名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:58:08 ID:+dyUgBTn0
邪馬台国が近畿だとすると
奴国=九州北部
投馬国=四国
狗奴国=出雲

だとすると考古学的にはいい感じなんだろうけど魏志倭人伝と方向が合わないんだよな
957名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:58:10 ID:Nw+0N2uz0
もはや近畿説はキマリとして

疑問なのは神武だな。宮崎の土豪が近畿までいって征服したんかね?
958名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:58:10 ID:eXvGeqm90
>>950
そんなPC-8801だか、MSXだかの古代ソフト(笑)みたいなのシミュレーションといわれてもw
後ろが青で塗りつぶして、更に太陽がそんなにでかいし、はっきり見えるし。夕陽だろうが
欠けてるのが肉眼で確認できると思ってるのか?殆ど欠けても明るさなんて変わらないぞ?

安本の狂った頭では

>図1の場合福岡の方が全皆既日食となって壮絶な日の入りであったろうと述べ、

てなことになってるだけの話。全皆既日食ってな嘘まで入れてるしw

おまけに248年のは都合が悪くてシミュレーションしてないし。。。
おまえ悪いサギにひっかかるなよ。
959名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:59:36 ID:uc3ToVWc0
どーして、畿内勢力が大陸と通商する場合は
九州を経由しなきゃいけない事実を無視するバカが多いかな
960名無しさん@十周年:2009/11/14(土) 23:59:47 ID:6hfDYpVs0
>>923
君は記紀編纂をあまりにも軽く見ている。
記紀はね、大陸の書物を調べ上げ、各地に伝わる伝承を調べ上げ、当時の秀才、天才達が当時の王権の正当性を神代の時代までさかのぼり作り上げた未曾有の大事業だよ。
で、当時の王権の正当性を神代の時代までさかのぼって、正当化するための書物。
それを事実として後世に伝えるべき書物。
わからないからまあいいや・・・・という事は絶対にありえない。
ちゃんとした意図がある。
もし、邪馬台国の記述に関する事実が仮にまったくその時代に存在していない事だったとしたら・・・
普通に何らかの関連付けはしているはず。
961名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:00:35 ID:9Meb7WwZ0
>>959
女王が一大卒を置いて統率してたと書いてあるから無問題だろ。
女王が一大卒を置くに至った経緯がわからないだけで。
962名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:00:49 ID:xA+ZqV6v0
方角はともかく「水行20日」だけは間違えようがないからね。
実際に辿った道中なんだからw
嘘を書く理由もないし、勘違いもあり得ない。
963名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:01:03 ID:3EQUDy8u0
>>947
>地理的に九州のほうが大陸と通商しやすい以上
>九州の独立勢力が大陸と通商しているのなら
>畿内より物量でまけるなど考え難いの。

これだって、勝手な想定じゃないか。
経済力を無視して、位置だけで通商量が決まるわけないだろ…。

近くの小国より、遠くの大国の方が外国の産物を
集中して持っていたとしても何の不思議もないだろ。
964名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:01:34 ID:f3VUx1QU0
住んだことある人間なら解るが、北海道なんかと違って九州は基本的に山だらけで平野が少ない
(佐賀とか筑後には少しはあるけど)
しかも当時は温暖で今とも地形が違ったんだっけか
そういう意味で、新天地を求めて東征する勢力がいたとしても不思議ではないんだよな
965名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:01:35 ID:qsG4yp0Y0
>>960
どれほどの大事業でも
伝承のみで伝わっている曖昧な記録が相手ではどうにもならない
不可能な事もある。それくらい判れよ。
966名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:02:00 ID:S706Svij0
邪馬台国が近畿はないだろ。
倭人伝も朝鮮→対馬→壱岐は方角は南と実際の地理と一致していて正確。
上陸したら方角が判らなくなるなんておかしい。
967名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:02:26 ID:lRFKUBfl0
>記紀はね、大陸の書物を調べ上げ、各地に伝わる伝承を調べ上げ、当時の秀才、天才達が
>当時の王権の正当性を神代の時代までさかのぼり作り上げた未曾有の大事業だよ。


神武 127歳
綏靖 84歳
安寧 67歳
懿徳 77歳
孝昭 114歳
孝安 137歳
孝霊 128歳
孝元 116歳
開化 111歳
崇神 139歳
垂仁 119歳
景行 143歳
成務 107歳
仲哀 52歳
応神 110歳
仁徳 142歳



wwwwwwwwwwwwwwww
968名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:03:06 ID:9Meb7WwZ0
>>966
倭人の伝聞を聞いただけだからな。
取材した倭人が方角を正確に把握してたかも怪しい。
969名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:03:09 ID:LKK23LBrO
スレちだけど、日食でいうと、
この夏に九州で95%部分日食を経験したけど
雲の日ぐらいだぞ。

計算したら、太陽と月で10000倍明るさ違うけど
太陽が95%欠けても月より500倍明るい。

日食は皆既でないと真っ暗にならない。
金環でも明るいままだ。

確かに太陽が欠けることは古代人には驚異だけど
雨や雲で太陽が直接見えなければ気にも留めない天文事象だよ。
特に日本列島のように雨の多い島では。
970名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:03:26 ID:bTC8ZhDI0
九州になかったって判明したら九州にあったってことになるより不利益がある。
今まで九州ってことでアッピルしてきたのに金もかかってるわけだし。
奈良県は九州にその分の不利益を賠償するべき。当たり前じゃない?
971名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:03:40 ID:1XcSqpYK0
もはや近畿説はキマリとして

疑問なのは神武だな。宮崎の土豪が近畿までいって征服したんかね?
972名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:03:50 ID:3EQUDy8u0
>>959
九州以外のルートだってあると思うが、
仮に九州ルートしかないとしても、
九州と畿内の独自勢力が良好な関係にあるのなら、
畿内勢力は九州を経由して通商して富を蓄えるだけだろ。

比較的小さな神戸経由で、大阪は海外の物を多く集める。
何の問題もないだろ…。
973名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:04:01 ID:lXntPXkk0
日食のシミュレートなら、ステラナビゲーターで万全。
974名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:04:25 ID:FXV8+PXu0
伊都国の王は女王を恐れてるみたいな記述もあったよな。
そこへ一大卒を置いて監視してたとも。

もし近い国ならばそんなにわざわざ派遣して監視しなくてもよくね?
九州内に邪馬台国があったのならば余計にな。
975名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:04:30 ID:qsG4yp0Y0
>>963
畿内が大陸と通商するには
九州や瀬戸内を経由しないといけないんだぞ。
九州に独立勢力があれば機内への文物の流入は抑えられるだろ。
公孫氏勢力と同じ機能を果たす事になるはずだ。

>>961
いや、それに関しては何の反対も無い。
畿内説そのものだけどな。
976名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:05:13 ID:nH8bZvv/0
>>966
やっぱり魏志倭人伝は九州での争いを誇張して書いたのかもな
977名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:05:16 ID:9Meb7WwZ0
>>972
出雲や敦賀も大陸の貿易拠点だったと言われてるな。
978名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:05:56 ID:qsG4yp0Y0
>>972
それだと、強大な畿内勢力がより弱体な九州勢力が
魏の承認の下「倭王」を名乗るのを認めるという政治的におかしな事態になるぞ。
979名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:05:59 ID:3EQUDy8u0
>>975
>九州に独立勢力があれば機内への文物の流入は抑えられるだろ。

何で抑える必要があるの?
九州勢力は小さいなりに通商で儲ければいいじゃないか。
980名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:06:40 ID:/4XBBLrp0
>>958
使った計算機はどうでもよくて、2000年前の地球や月の運動が正しく
入力できているかが問題なんだが。
あと、たとえ日没時に全皆既じゃなくても日没後直ぐに真っ暗になるんだから
結構ショックだと思うよ
981名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:06:46 ID:MCmqj0J2O
方角については今より敏感だと思うけどな
距離に関してはより安全な道を使うだろうなと思う
あと使者を警戒して迂回ってのは面白いね
982名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:07:17 ID:lXntPXkk0
出雲なんかは楽浪郡と交易していた形跡があるらしいし、
畿内も丹波経由なら九州通さずに大陸と通商できていたはず。
でも魏志は九州経由なんだから、当時は瀬戸内海−九州−大陸ルートが
安全でメジャーなルートだったんだろうな
983名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:07:45 ID:OJpFoQax0
>>1
記事元が酸経じゃぁな(笑)
984名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:07:57 ID:osdWb0Cy0
各国の集合体をヤマタイと呼んでいただけで邪馬台国は無かったんでないの?
八百万の神がアマテラスの元に集ったように祭祀者ヒミコの元に纏まっていた。
最初は政治を祭祀が超越していた状況があったが
その祭祀を政が飲み込んで逆転させたのがオオキミを中心とするヤマト。
985名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:08:09 ID:3EQUDy8u0
>>978
当時、「日本の範囲」なんていう概念はない。
中国は「現在の日本の範囲」を想定した上で、
その代表者を邪馬台国としたわけではない。

それは倭人伝を見れば一目瞭然。
九州の北のことしか詳しく書いていない。
中国にとって邪馬台国が代表するのはその地域だけだろ。

畿内説はなんで「現在の日本の範囲」を前提に考えるんだ?
986名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:08:20 ID:SdezX1SQ0
沖縄とかの南方地域には女がシャーマンだったりするよ。

古事記などを編纂したものは、邪馬台国に関連する記録の記述を
邪馬台国の存在をかりに知っていたとしても中国の歴史書を読んだ
上で意図的に削除したと思われる。
中国様に貢物を持っていって地域の王権を承認して貰ったのが
自分の祖先であれライバル国であれ、認めたくないことだったから。
987名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:08:24 ID:FXV8+PXu0
伊都国が通商の拠点になってたらしいがそこを実質支配してたのが
遠方から監視者を置いてた女王。

畿内に邪馬台国があるのなら九州を支配下に置いてたと言う事になる。
988名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:08:58 ID:uVzQzK8E0
>>980
だから真っ暗にならないってw 皆既じゃないし。
989名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:09:40 ID:nH8bZvv/0
魏志倭人伝的に吉野ヶ里遺跡がどの国に相当するんだろう
990名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:09:52 ID:GAmIhc5v0
>>968
使者はちゃんと倭王に遭ってるぞ。
実際に邪馬台国に行ってる。
991名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:09:55 ID:o0zLQ7fPO
宮内庁はなんで陵墓の発掘許可を出さないの?
992名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:10:11 ID:qsG4yp0Y0
邪馬台国が九州内にあるのなら伊都国に出先機関を作る必要なんてあるのかなぁ。
どう考えても大宰府の前身っぽく思える
993名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:10:22 ID:3EQUDy8u0
>>987
前提と結論が逆さまになってしまっている。

畿内説を成立させるために必要となるのが、
畿内が九州を支配下に置いていたという事だよ。
994名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:10:32 ID:IXK6YC4+O
1000なら卑弥呼はせんとくんの嫁になる
995名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:11 ID:TyTfUj80O
大和=邪馬台

大和朝廷の記述に卑弥呼らしき人物が書かれているらしいけど

九州説派よりだったけど、畿内説で120%決まりだよ
996名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:13 ID:R7IMj+UqO
>>991

ダビテの星が棺に描かれてるから
997名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:25 ID:xA+ZqV6v0
邪馬台国が九州にあったなら中国ともっと頻繁に交流して
中国の文献とかにも出てきそうなものだけど
998名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:33 ID:9Meb7WwZ0
>>985
魏志倭人伝の記述は邪馬台国だけの記述ではなくて
女王が支配してるエリアの記述だから。
で、その女王の都が邪馬台国ってだけだから。
邪馬台国が畿内にあっても、女王の支配エリアに九州が含まれてたら無問題。

999名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:33 ID:lXntPXkk0
>>992
どっちかというと筑紫館とか鴻臚館の前身な
けっこう後の時代まで残ってる
1000名無しさん@十周年:2009/11/15(日) 00:11:39 ID:qsG4yp0Y0
伊都国から3世紀の前方後円墳でも出れば
九州説は納得するのか?w
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