【山口】木戸孝允から龍馬へ 土佐藩倒幕勧める歴史的書簡か
1 :
海坊主φ ★:
山口市小郡下郷の小郡文化資料館(小田正己館長)に所蔵されている書簡が、長州藩の倒幕の
主導者だった木戸孝允(1833〜1877年)が坂本龍馬(1835ごろ〜1867年)にあてた手紙である
可能性が高いことが分かった。本物であれば、土佐藩が倒幕の勢力に加わるきっかけとなった
歴史的事実を裏付ける貴重な資料とされ、同館は真がんの確認を急いでいる。
書簡は縦約18センチ、長さ約2メートル60センチで、「木戸公書簡」と書かれた木箱に収められている。
龍馬の働きで薩長同盟が結ばれた後、大政奉還前の1867(慶応3)年9月4日、木戸が当時長崎にいた
龍馬あてに送ったとみられる。
同館などによると、書簡は「倒幕には土佐と薩摩の動きを合わせることが肝要」という内容で、
倒幕の動きを静観していた土佐藩が薩長などによる倒幕勢力に加わることを要請した文書。
龍馬は長崎でこの手紙を受け取り、購入したライフル銃のうち1千丁を土佐藩に渡し、
土佐藩が倒幕へと立場を変える直接のきっかけとなったとされる。当時の情勢を狂言になぞらえて
表現しているユニークな書簡で、存在のみが知られていたという。
木戸が龍馬にあてた手紙が見つかったのは今回で3通目。1通は薩長同盟表書き(宮内庁書綾部所蔵)、
もう1通は京都・寺田屋で襲撃を受けた龍馬の身を案じる手紙(京都国立博物館所蔵)で、
今回の手紙が本物なら歴史的な発見とされる。
書簡は15年ほど前の1994年ごろ、小郡町(当時)内の住民が同館に寄贈。詳しい調査はされずに
保管されていた。寄贈者は維新関係者の子孫ではないため、どのような経緯で伝わったかは、分かっていない。
今後は専門家に依頼し、筆跡や時代背景の整合性などを調べ、伝承の経緯を含めて本物かどうかの
確認を急ぐ。同館は「開館当時から所蔵していた資料が本物であれば喜ばしい。確認をして、
できるだけ早く市民に公開したい」としている。
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2009/1112/1p.html 依頼
おまんこ
キドクラッチからワキ固めへ
4 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:39:46 ID:n2x8L/wK0
不況になると出るよな、
この手のお宝がwwww
5 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:39:55 ID:Y52mn4cT0
なんでこういうのが今頃になってみつかるんだろ
大正時代とかにバッといっぺんに出てこいよ
6 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:40:08 ID:C/4a+4V50
木戸クラッチからドラゴンスープレックスへ
7 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:42:41 ID:YX+UMIsEO
それはJinー仁ーの小道具だよ。
8 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:42:45 ID:kDl7degIP
地方の庄屋の蔵覗いたらこんなものがゴロゴロしてるんだろうな
>購入したライフル銃のうち1千丁
おそらく南北戦争終結後の中古品
日本は、江戸時代から米国様の手の中に・・・・
10 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:47:39 ID:ne/2v1Rg0
偽物の可能性が高いと思う
11 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:59:05 ID:NB6wBuuX0
えーと コピペです
木戸・・・裕福な藩医の家に生まれ、不自由ない生活を無気力に過ごす。
吉田松陰に感化されて一念発起するが、カネ持ちの名門という理由で何となく長州閥の領袖に。
襲撃を受ければ乞食に身をやつして逃走し、ウンコをもらすヘタレの極み。
長年にわたる凄惨な死闘を重ねてめぼしい人材が殆ど全滅した長州の中で、
名門出身のカネ持ちという理由でナンバーワンに担ぎ上げられる。
部外者に対しては秘密主義に徹する薩摩閥内部の緊張関係を誤解し、
最も現実路線であった大久保の足を引っ張りつづける誤りを犯す。
最期には精神を病んで病床に果て今では2ちゃんで脱糞男として名を馳せる
・・・絵にならない。
自分の利益のためなら、時の政府も転覆させようとした売国奴が、
早目に暗殺されてよかったわ。
て、言う夢を見た。
どっちも実戦から逃げ回ってたクズだな
他人には命がけで戦わせているくせに
自分は安全なところからみているだけのトリューニヒトとかわらねえ
そういった意味では木戸修はすごいよな
15 :
名無しさん@十周年:
木戸修の娘はプロゴルファー