【歴史】 「もう『邪馬台国は九州にあった』説は無理…」 邪馬台国論争、決着近し…奈良・纒向遺跡の大型建物跡発見で★3

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901名無しさん@十周年
>>883
その通り。真珠や青玉も同程度の扱い。

で、邪馬台国のみに関する記述じゃないのなら、丹に関しても同じ事が言える。
丹が出る場所が近くにあっても、真珠が取れる場所が近くにあっても、それだけ
では、そこが邪馬台国だとは言い切れない。
902名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:47:45 ID:0xIT+t380
>>895  京都の考古学者???  誰のことだ?
903名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:36 ID:dNR0TKmx0
消えたのは邪馬台国じゃなくて、記述そのものが消えたのでは
空白の4世紀
904名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:45 ID:KZARx8XR0
>>894
土居が浜とか金隈とか平原からは人骨バリバリ出てるのに
畿内では人骨が出ない不思議www
905名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:54 ID:4bD+a2tt0
>>894
その数ってどうやって算出したんだろう
非常に疑問
906名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:56 ID:W3PDbyTD0
シュリーマンは、嘘だと思われていた伝説を信じて発掘を成し遂げた。

天孫降臨や神武東征を嘘だと言うのは、自分の思想に都合の悪いと
目をつむるという思考停止をしている。

サルタヒコもクメも、天孫族が天から降りてくる最中若しくは降りてから
従っているじゃないか。

そして、やがて、この国の中心はもっと東だ。東は内乱で混乱している
と言って、畿内を征服している。これが神武東征だ。
王族が何人も死ぬ激しい戦闘を経て、紀伊半島から回り込むという奇策を
使い、だまし討ちをし、やっとのことで「大和」を征服している。
こと詳細に書かれている神武東征が完全に嘘だとは考えられない。
907名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:49:43 ID:Eg3mi1AO0
歴史は面白いが正直な話、九州でも畿内でもどちちらでもいい
物証と科学鑑定の積み重ねで少しずつはっきりして行くだろ。それに無理に結論を出さなくても良い
2つの大きい文明がわずかな時間だけずれて九州と畿内にあったっておかしくないんだし。

せいぜい今の時代の土着の人が下らない観光資源にしないことを祈るよ。
908名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:49:56 ID:0xIT+t380
>>899  腕が飛び出す。ババンバーン〜
909名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:51:54 ID:BEY1Mbho0
>904
金の隈とか板付とか、甕棺の墓ばかりなんだよね
100体分くらいの人骨なら余裕で集まりそう。

まあ、それだけの人口の都市があったという証拠になる。
910名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:52:44 ID:juZiAAe60
>>831
わたち卑弥呼はもちろんノロのオバァの始まりの一人ということなのさー

だいたい卑弥呼の映画作るのに、

卑弥呼=仲間由紀恵
イヨ=新垣結衣

とでもした方が観客呼べるにちがいないさーw

卑弥呼=卑弥呼
イヨ=松「友」伊代

でクリスタル映像あたりに制作させてもいいけどさー。オバァも見たいさー。今呼ぶと二人ともオバァだから親しみわくさー。
911名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:56:29 ID:UKxf4aZJO
>>904
奈良盆地だと、東側の山中に奈良時代の墓があったりする
埋葬場所が集落の中じゃないだけじゃない?
そういう可能性を検討した上で笑わないと
912名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:56:43 ID:CV/rzO3K0
奴国・・・博多湾岸から福岡平野
投馬国・・・佐賀平野。中心地は当然吉野ヶ里
邪馬台国・・・筑後川沿岸。筑後平野

福岡平野は板付遺跡や野多目遺跡など弥生初期の古い水田の跡がある
筑後平野や佐賀平野は大稲作地帯
それだけの人口がいても全く不思議ではない
913名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:57:11 ID:thvwSweXO
神武東征が史実だとしたら、紀記の神代の巻の大半を出雲神話が占めてるのが不自然なんだよなあ。
ナガスネヒコもニギハヤヒも出雲系だし、これらが駆逐されたとしたら出雲の神話は抹殺されてるはずなんだが。
914名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:58:23 ID:GFgNt4OP0
>>912
30万ぐらいしか人口いないのに殆ど九州に居たってのか?

不思議とかじゃなく有り得ないんだよバカですか?
915名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:58:26 ID:0xIT+t380
あら?オレオレ詐欺さん。今度はいつ帰るの?
916名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:09 ID:uUcfh6VOO
少なくとも首都級の集落が同じ時期に二ヶ所存在した。
邪馬台国が全国支配してるなら、遷都があってどっちも邪馬台国と考えるのが普通。

同時期の中国はラクヨウ→長安→キョショウと数回遷都をしている。

間違いないだろ?
917名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:24 ID:V4H/S2AjO
やっぱり邪馬台国は北部九州で決まりだろうな
918名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:32 ID:UKxf4aZJO
>>906
神武東遷のくだりで児島で神武の配下になった久米が久米歌を歌うのはどうなるの?
919名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:00:13 ID:O5mVTfXh0
>>830
そうだな、昔、大洋が草薙でキャンプしてたな。
阪神も安芸だな。

宮崎、鹿児島以外は本州の太平洋側の方が暖かいな。

高床式も登呂遺跡とかあるしw
920名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:00:19 ID:dkt1OSg/O
邪馬台国はないんだけどね。倭国にあった国々の中心に邪馬台があり連合国家を形成していたんやないのかな〜?
921名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:01:50 ID:sPVt0t8/O
>>904
先進地域は火葬にしてたのかもしれないよ。
922名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:02:06 ID:4bD+a2tt0
>>913
大国主の妻スセリヒメはスサノオの娘
つまり出雲系も高天原
923婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/12(木) 22:02:09 ID:qcYPbLjR0
>>905
「七万戸」から算出したんだろうけど、ということは、
当時は核家族だったということなのかしら?

万葉集の「貧窮問答歌」あたりだと、もうちっと大家族っぽいよな。
924名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:02:25 ID:XrE0wrVRO
邪馬台国は九州 奈良のは大和朝廷これしか無いな
925名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:03:20 ID:8QvVYhgn0
神武東征かはともかく、邪馬台国連合成立の一世紀前に、
伊都国あたりが最盛期だったの事実。
ただ、倭国大乱の後は、出雲、阿波、讃岐、大和川水系、吉備あたりが圧倒。
この連中が中心になって卑弥呼共立。こんなもんだろう。
もう3世紀後半の邪馬台国九州説はちょっと維持できない。
926婆 ◆HKZsYRUkck :2009/11/12(木) 22:04:39 ID:qcYPbLjR0
>>923
あ、なんかボケてた俺。
アク禁以来、どーもダメだ。
927名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:05:04 ID:GFgNt4OP0
邪馬台国があったとされる3世紀から大和王朝が表舞台に出て来る4世紀
にかけて急激に文明が高度になってる説明が歴史学的につかないみたいだね。

一説には大陸を追われた国の王族が九州に移って来て国を作り高度な文明で
周辺を支配下に置きそのまま西へ領土を広げ大和に王朝を作ったという
説もあながちウソじゃないかもな。 そこらは知らんが。
928名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:07:51 ID:dNR0TKmx0
  (´・ω・) 天武天皇によれば、一般人が
 (っ⌒/⌒c  容易く読めるはずだったんだけどなぁ
  u⌒u⌒    
929名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:08:54 ID:kf5NNl110
>>905
ソースを出せなくて申しわけないけど、
集落の個数や、集落あたりの建物の大きさから推測する家族数
もしくは、田んぼ面積から推測する収穫量による計算とかあるな。
うろ覚えだから、間違ってたらすまん。
930名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:10:23 ID:nK9TVviQO
>>901
つまり鉄や絹に関する事も認める訳ですね。

しかし巻向には箸墓もあるし、埋葬されているモモソ姫には
卑弥呼を思わせる伝承も多くあり、海部氏系図には
それを裏付けるような記述もあります。

そして倭人伝の記述に関係なく、宇陀水銀鉱山の麓である
重要性はなんら変わりはありませんよ。

今回発掘された建物に関しても、向きや構造についても
結構興味深い事がありますから。まあ色々楽しみにしてください。
調査はまだ始まったばかりなんですよw
931名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:11:13 ID:IFVjfWt80
いまにみていろ邪魔大王国全滅だ
932名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:11:23 ID:CQZTc9o30
わしは 阿蘇にある米塚というのが卑弥呼の墓だと思うんだが
あれはどうみても人工的なものに見えるんだな
933名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:11:35 ID:UKxf4aZJO
>>927
更に古い時代に近江や浪速とかにでかい建物があったことが発掘でわかっている
現代人が三世紀の倭を貧弱に想像していただけ
縄文のイメージが三内丸山の前と後でガラリと変わったように
934名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:02 ID:W3PDbyTD0
>>913
抹消されるのは、天孫族と生きるか死ぬかの攻防をした「大和」だけで十分でしょう。

征服された「大和」は、天孫族とは人種から違うけれど、出雲は同じだったのでは?
実際、出雲族は入れ墨もしていないようだし、明らかに文明的でしょう。

後に蝦夷と呼ばれ、関東、東北に追い詰められる縄文人の最後の王朝
が入れ墨をした倭人の邪馬台国なんでしょう。

天孫降臨までは、出雲は別にして日本列島は縄文人が支配する倭人の国だった。
やがて、天孫族は日本列島を全て支配しようとし、東征し倭人王朝を滅ぼした。
はっきりと、「大和」を征服したと書いてる。

天孫族は、征服した王朝の名前や歴史を承継したので、少しややこしくなっている
けれども、紀記に書いてあることは、実際にあったことなんだよ。
天孫降臨も東征も史実。
935名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:08 ID:AbqlxWrY0
卑弥呼は東京都出身のはずだが・・・
936名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:25 ID:thvwSweXO
出雲の荒神谷遺跡の出土物は明らかに吉備や北九州より文化が進んでたことを裏付けてると思うんだけど。
やはり出雲が中心になって卑弥呼を巻向に擁立して、三輪王朝に繋がったような気がする。
937名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:55 ID:4bD+a2tt0
>>929
サンクス
まだ発見されてない遺跡や、つぶされた遺跡も大量にあるだろうけど
全国の数を推計できるのかな
938名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:13:52 ID:sPVt0t8/O
九州説は九州のどこに邪馬台国があったのか言えないくらい考古学な物証がない。
神話や、記録としては不明瞭な古代の文書を、必死に都合よく解釈し九州説に有利な結論を導いてるだけじゃない?
939名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:14:33 ID:8QvVYhgn0
>>933
それはあるね。
二十年ぐらい前までの学習歴史漫画の弥生のイメージ、邪馬台国イメージって、
ほんと貧弱。3世紀のはじめあたりからから、古墳時代の巨大な王権イメージを描くべきかもね。
940名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:14:49 ID:gLIJsTba0
>>925
でも九州北部が攻め滅ぼされた形跡が無いんだよな。
高地性集落が多いのは瀬戸内海とか畿内な訳で。
ひょっとすると神話の通り、九州の部族が徐々に東に行って
畿内で強大になったのかもわからんね。
941名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:15:00 ID:UKxf4aZJO
>>930
ハスプブルグ家は岩塩鉱脈を押さえたことで発展した
興味深いね
942名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:15:16 ID:CV/rzO3K0
人が多く住むのは今も昔も平野だろ。大きな川も必要だ
筑後平野。筑後川沿岸なんて最適だろう
奈良なんて盆地だろ。たくさんの人が住めるような場所じゃないだろ
943名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:15:39 ID:T1EnjkGw0
>>936
連合国家倭国の盟主が金印時代は北九州で
それから戦乱をへて卑弥呼擁立のころには大和って感じなんだろうな
944名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:16:45 ID:KZARx8XR0
>>938
それは畿内説も同じwww
大きい遺跡=邪馬台国
もうアホだろwww
945名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:18:36 ID:UKxf4aZJO
>>934
延喜式には高天原は葛城とあるけど
946名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:18:51 ID:dIx0SIce0
朝鮮半島からわたってきた天孫族が九州にあった邪馬台国を征服したんだよ
その首長がニニギ
そこから東征してできたのが大和朝廷
手塚治虫の火の鳥にそう書いてある
947名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:19:43 ID:qUj48uHn0
>>941
神武東征伝説だって、生駒で破れたあと死ぬ思いで迂回して宇陀に入ってる。

普通こんなルートとらないからね、竜田超えの何十倍も大変だから。
明らかに水銀鉱脈絡みだな。
948名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:20:01 ID:GFgNt4OP0
>>942
山も川もあって平地もある。

山を越えれば海もあるしだからこそ大和の地に都があったんだろ。
今も昔も畿内は人が暮らし易い土地だったんだよ。
949名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:20:20 ID:y3u+mZSp0
昔の奈良なんか湿地帯でぐちゅぐちゅですぜ
950名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:20:37 ID:Vu3S4s4SP
スレが終わる前に>>881の審議をお願いします
951名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:21:16 ID:dNR0TKmx0
天孫降臨は神話として書かれているわけでね
書いてるほうも、読み手にそれが十分わかるように書かれているはずなんだけどねぇ
952名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:22:47 ID:Vu3S4s4SP
>>949
山の辺の道が山腹にあったのが証拠だよね
953名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:20 ID:V4H/S2AjO
>>950
居るよ
954名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:28 ID:UKxf4aZJO
>>942
古代の稲作では小さな流れが沢山ある緩やかな傾斜地は潅漑が容易で発展しやすい
奈良盆地はまさにそれ
955名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:32 ID:LaEhG0QCP
この前金印公園行ってきたのに・・・
誰もいなかったけど
956名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:50 ID:EjNg7AMC0
九州でも奈良でもどっちでもええし。
いっそのことオリンピックみたいに両県共同卑弥呼とかすれば。
あ、石原が俺も入れろと言ってくるかも。

957名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:24:25 ID:BHLlJk1Y0
>>951
そのことがさっぱり分かってないのが右翼かw
958名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:24:31 ID:8QvVYhgn0
マキムクは河内湖からの海運も便利だったしね。
959名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:25:19 ID:mYeMdJv7O
>>927
今回の大規模遺跡は三世紀始めから中頃のものですが何か。
七支刀は西暦372年、百済から倭に献上された。神功皇后摂政52年条。
大和朝廷が4世紀に表舞台に出たのではなく、文字表記がされてるために日本書紀の史実の確認できる事象が表れだしただけ。
高度な文明などと曖昧に書かずに、「漢字表記のある遺物」と書けばいいものを。
960名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:28:47 ID:kf5NNl110
>>944
違うよ、九州の土器が近畿の方で主流になったり
その後はじまる古墳時代を象徴する古墳の造営が近畿の方がはやかったり
そんなところで、考古学的には畿内説だったと思う。
961名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:29:54 ID:UKxf4aZJO
>>957
逆に左翼の方が、神話には歴史的事実が含まれていると、民俗学とか無視してひねくりまわしているようだが
時系列が神話の進行そのまんまとか
962名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:32:53 ID:GFgNt4OP0
邪馬台国がどこにあったかに左翼右翼が自分の価値観であーだこーだ言う
のがそもそもおかしいんだって。

思想は知らんが証拠とか根拠とか何故そこにあったと考えれるかってのを
出せば畿内が有力なんでしょ。
畿内に邪馬台国があったとしても右翼には全く関係ない話だ。
963名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:33:45 ID:dNR0TKmx0
まあでも倭が何者かは解決する必要があるよね
倭は391年に朝鮮半島でシナの属民であった百済、新羅を臣民にしてるし、
倭の五王の勢力圏は歴史上無視できるレベルじゃないしね
964名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:33:53 ID:mYeMdJv7O
>>930
海部氏系図って天照大御神までの系譜しかなかったような気がするんだが。
どこにあったの、「モモソヒメを卑弥呼と裏付ける<ような←ミソ?>記述」
モモソヒメは崇神の御代だったはずなので>>234←こんな感じ。実在したとしても三世紀じゃないよ。
965名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:35:03 ID:4bD+a2tt0
>>960
それらの事例は邪馬台国がどこにあったか、を論証していないんじゃ?
966名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:35:28 ID:fn0Kl+l/O
これ地元にあったらどんな良い事があるんだ?
「卑弥呼印の〇×まんじゅう」とか売り出せるから?
967名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:37:13 ID:GxwvIs/F0
968名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:38:37 ID:SeJPle3u0
正直、全然素人ですが、中国人が書いた例の文章見て、
関西説は無理がありすぎるだろうと、未だに思っておりますよ。
遠すぎだろうと。
学者がなんと言おうとも。

ちなみに、東北だから九州にも関西にも利害関係無しの意見な。
969名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:39:48 ID:Hwtlv/sEO
卑弥呼の遺跡発掘しようとスコップで掘り起こしたのは良い思い出
970名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:39:55 ID:kf5NNl110
>>965
まあね。散々既出のとおり、親魏倭王の印とか、確実なところがない限り、邪馬台国とは言えない。
ただ、その後の発展を考えると、弥生時代後期から古墳時代初頭の時の国の中心、
つまり邪馬台国は、近畿にあったと考えるのが妥当だ、ってその程度の話。
971名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:06 ID:n5sOmIk70
>>911
確か縄文時代辺りまで奈良盆地は湖で、その後も奈良時代辺りまでは湿地帯が拡がってたんだよな
972名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:10 ID:mYeMdJv7O
>>962
違う。魏と関係する遺物の出てない遺跡の発掘結果なのに
いちいち卑弥呼だ邪馬台国だと見出しを付けて報道するマスコミがおかしいんだよ。
973名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:14 ID:8QvVYhgn0
北部九州が面白いのは、1世紀前後。
もう維持できない邪馬台国九州説にこだわるんじゃなくて、
もっと前の時代に焦点を当てて商売した方がいい。
974名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:30 ID:GFgNt4OP0
>>968
大陸から来た使者からすりゃそこから倭国自体に辿りつく方が遠いわw
九州からは瀬戸内海使って穏やかな船で畿内まではそんな遠くないし。
975名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:46 ID:4bD+a2tt0
ゴッドハンドの例があるからな…
日本の考古学者は鵜呑みにはできん
論理的整合性のある発言かどうか見張っとかんと
976名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:42:06 ID:gLIJsTba0
不彌国の後、いきなり水行20日だとか陸行1月とか
えらいアバウトになるんだよな。
そこから先は九州離れるからなのかね。
977名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:44:15 ID:CQZTc9o30
卑弥呼が大夫の難升米らを朝鮮の帯方郡に派遣したのが239年だからな
そっから一行は洛陽まで行って明帝に男女の奴隷十人と布を献じたんだよな
こん頃の邪馬台国は南方の狗奴国や他の小国と戦っていたんだよな
そん頃のチュンの頭の中は日本は南に長い認識があったらしいな
だからどうも 奈良あたりは敵対国だったような気がするな
やはり邪馬台国は九州の中央部に位置していたように思うがな
そうなると熊本のどこかがあやしいな
978名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:44:19 ID:8QvVYhgn0
>>976
山陽道、山陰道か瀬戸内かだろうね。
大陸の人間は、12世紀あたりまで、日本列島を
九州が北で、南に本州が伸びてると捉えてた。
連中の地図で明らか。
979名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:44:59 ID:oyOJ7PifO
>>962 あるよ。大きな意味がある。
980名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:46:05 ID:GxwvIs/F0
981名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:46:10 ID:kf5NNl110
>>975
もともと考古学は推測の積み重ねによる学問だからね。
だれも断定的にいうことはしないし、説をあげることが目的。
どの説が有力か、それとこの説はつながるのか、とか。

藤村氏のは本当に悪かった。おかげで考古学界でも旧石器はタブーだよ。
982名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:47:31 ID:Q5KyOjDE0
魏の1里って何kmよ。
983名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:50:07 ID:GFgNt4OP0
まあ九州が北で(奴国)そこから南下して出雲があり(投馬国)
更に南下して邪馬台国があり更にその南部の国(関東の方)と敵対してたと。

当時はどっち向いてるとか解らないしな。
984名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:51:47 ID:4bD+a2tt0
>>981
でもメディアの決め付けが印象操作っぽくて気持ち悪い

>>982
400mぐらい?

秦・前漢 498.6m
新・後漢 414.0m
985名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:52:34 ID:Q5KyOjDE0
1里60mか。そりゃだめだ。
986名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:52:53 ID:jsLYY8ceO
筑紫君磐井こそ九州王朝の末裔だろ
よって邪馬台国の比定地は筑紫平野
大和は九州北部を異様に恐れている印象
987名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:57:40 ID:kf5NNl110
>>984
だよ。だから、断定するのは考古学とは関係ないメディアの方向性の話。
邪馬台国は考古学に関心を持ってもらう一番の方法だしね。
メディアを使わないと、遺跡保存運動とかできないし。
難しい関係なんだよ。

少なくとも、考古学関係者で、邪馬台国を真面目にやってる人はいないと思う。
やってもしょうがない分野だからね。
988名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:58:16 ID:KZARx8XR0
まぁ九州に大きな勢力があったのは間違いないよな。
平原遺跡の出土品>巻向の出土品だし。
柱の跡だって同年代の跡なんだからどうだって捏造出来るしwww
人骨や金印が出無いと畿内説は無理
989名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:00:49 ID:Q5KyOjDE0
日テレで逮捕シーンくるか?
990名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:02:05 ID:KVv+R/FT0
九州が無理なら千葉でいけや!
991名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:04:21 ID:O5mVTfXh0
>>968
九州も無理な、
九州説も大和説も鯨の八幡平にあった説と全く同じ構造なんだよ。

今回の発掘は3世紀初頭には大和に大規模な政治都市が存在した
これを記紀とどう関連つけるかが重要で邪馬台国はオマケだよ。
992名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:04:42 ID:dNR0TKmx0
239年、卑弥呼を親魏倭王とし金印紫綬を与える
369年、倭軍朝鮮出兵、朝鮮南部に領土拡大任那日本府設立
391年、倭軍、大陸属民の百済、新羅を破りこれを臣民としさらに高句麗と戦う

明らかに239年と391年の倭は別物でしょ
シナにとって、そりゃあ混乱するわな
993名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:05:01 ID:eeKtUXlF0
エジプトは王の墓を調べまくってるのに
994名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:07:06 ID:Wm65kwHj0
995名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:08:22 ID:gLIJsTba0
>>993
そりゃ、あそこはラムセスの子孫がそのまま国王やったりしてないから
996名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:08:47 ID:tEyh3PRm0
>>993
日本の場合はその王朝が継続しているから
997名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:15 ID:Q5KyOjDE0
>>992
派遣した兵の数はどのくらいなのだろうか。
大和の人口は300万くらいに達したのかな?
998名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:22 ID:GFgNt4OP0
卑弥呼自体が統治者かどうかも解らんのよな。
警戒して巫女を使者に合わせてた可能性も高い。

邪馬台国=大和王朝なのかもしれんよ。大王が倭国を治めてた。
999名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:35 ID:ilXkLdBQO
1000なら邪馬台国は八女。もしくは肥前、肥後の肥の国
1000名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:40 ID:kv1oPMO/0
  

    九   州   独   立