【歴史】 「もう『邪馬台国は九州にあった』説は無理…」 邪馬台国論争、決着近し…奈良・纒向遺跡の大型建物跡発見で★3
2 :
ν北米院 ◆UMScDfF8eM :2009/11/12(木) 07:49:18 ID:AL/fnUT70
いつまでもニュー速にあげる話題かコレ?
>白石館長は「長年の研究の蓄積によって『九州説は
>無理だろう』という考古学研究者が大半を占めるようになった」と指摘し
なんか韓国っぽい論調だな。
>>1 >> 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長
>>(考古学)は強調する。
ここ数年、全く同じセリフを何回聞いた事かwww
金印は九州で発見されてんのに(=▼ェ▼=)v-~~~
奈良なんてありえん(´ー`)y-~~
本居の言うことは嘘ばっかりやな
8 :
ν北米院 ◆UMScDfF8eM :2009/11/12(木) 07:56:46 ID:AL/fnUT70
>>6 それは「漢委奴国王」だろ。
卑弥呼が貰ったのは「親魏倭王」だよ。
分かったらウンコ喰えつ●
両方にあったんじゃね?
あいだ取って四国でいいよ
もともと九州説はなかったからな。
学会でも畿内説一色だったのを、当時の重鎮が「それじゃ議論にならず面白くない」
ってことで、九州説を無理やり作ったのが始まり。
これは九州説の学者が認めてるよ
というか、九州説の学者も畿内説を信じてるんだが…
12 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:03:24 ID:Omzpl1+Y0
>>6 あんなもん、完全な贋物なんですけどwwwwwwwwww
13 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:04:50 ID:A+qKscfw0
あやまれっ!
吉野ヶ里遺跡が唯一の観光地の佐賀にあやまれっ!
ヤマトの当て字が邪馬台なんだよね
東征繋がりで九州も奈良も一緒の国で
火巫女、日神子の当て字が卑弥呼で
火巫女、日神子は何代、何人かいたんだよね
邪や卑なんて文字使わないてほしいよな
中華はひどいよ
15 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:06:19 ID:CKbZUf9n0
在野の学賢「原田大六」読め
「邪馬台国論争」
「卑弥呼の墓」
「卑弥呼の鏡」
推理小説家「高木あきみつ」アホは憂さ神宮が卑弥呼の墓だとよ
芥川賞「松本清張」は山門が邪馬台国だとよ
小説家「宮崎康平」は「まぼろしの邪馬台国ー天草」だとよ
遺跡発掘した事無い奴等は すっこんでろ
原田大六読め
16 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:06:31 ID:WdfLix1p0
神武東征は日向の高千穂から出発だぞ
秩父宮雍仁親王の書による「八紘一宇の塔」に頭を下げろ
17 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:06:45 ID:jEktObFsO
邪魔台国はウリナラにあるニダ
18 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:07:52 ID:uUcfh6VOO
どっちもだろ。
信長だって本拠地を名古屋から岐阜、観音寺って変えたように。
19 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:08:20 ID:6xknso1dP
邪馬台国は知らないが、
大和王朝の元となる国が九州にあったのは神話に書かれているから事実
20 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:09:15 ID:kZOjWyiJO
九州から上京したんだろ。
だから両方に似た年代の遺跡が出ても不思議じゃない
21 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:11:14 ID:SJhRYnNs0
22 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:11:51 ID:4qVPv5u6O
23 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:12:14 ID:QNlakiOgO
おいやは邪馬台国はなかった説だけどな
ソースがギシ倭人伝のみっしょ?
24 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:12:24 ID:HtmuYElh0
九州厨プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━ !!!!!!!
26 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:15:10 ID:wmmSs0ooO
ようやくしおらしくなってきた九州説厨
略して「しおきゅう」か
>>14 「中華」を、まず使うな。なんてねw
周辺文化圏にわざと卑字、俗字を当てるのが当時の中国のやりかた。
「倭」も和か輪が本来なんだろうな。
|ω・`)九州なんて流刑地っしょ
29 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:19:49 ID:sPVt0t8/O
九州説は九州のどこなのか百家争鳴、遺跡の根拠がない、神話を根拠にしてる。
大和説は考古学だが九州説は考古学と言えないな。
まぁまぁ、ここは間を取って四国という事にしておこうではないか。
>>4 >イ(火へんに華)白石館長は「長年の研究の蓄積によって『日本起源説は
>無理だろう』という考古学研究者が大半を占めるようになった」と指摘し
おお、それっぽい
32 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:23:45 ID:wmmSs0ooO
>>27 そういう「ヒミコもヤマタイもワも本来はこうじゃねーの」説と言っただけで
違う違うありえないと噛み付いてくるやつに何度か遭遇したけど、
あれはなんなんだろう?中国崇拝?
33 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:26:14 ID:wmmSs0ooO
>>32訂正
×説と言っただけで
〇説を言っただけで
34 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:26:37 ID:dIvoxZcc0
>>30 四国って不思議なんだけど、日本史の中でさほど重要な役割果たしてないのに、
古事記の国産みの時期からがっちり日本なんだよね。
これほど語られないのに、延喜式でも、この儀式には四国のどこどこ産のこれを
使うとか、がっちり決まって書いてるし。
江戸以前だって普通に奈良と考えられてただろ。
本州にあるのが自然だろうね
>>32 本来っていうか日本に漢字自体なかったから
本来の漢字はこうだったてのは無理あるよ
鋼鉄ジーグでも本州だったな
読み方もちょっと違った気が駿河
40 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:38:45 ID:ImV2Stc+O
もうむりぽ…
邪馬台国→大和大国
42 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 08:44:00 ID:dIvoxZcc0
>>41 大をダイと読むのは音読みと言ってだなぁ・・・
邪馬台国連邦王国説は魅力的だが、それは無理が有る。
>>37 漢字がこうだった、というのではなく
意味の問題だよ。
邪馬台国が九州に興り、そこから発展した倭国は朝鮮半島から北九州にかけて威勢を振るった海洋王国となった。
478年宋の順帝が倭王武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」としたことからもわかる。
【武を含む倭の5王はみな同様の大将軍職に任じられている】
このことは畿内大和王権の記録には無い。
当時の畿内大和勢力は墓を作って墓守をするだけの、倭の傍流地方権力者に過ぎなかった。
>>34 神代から皇室との関係があると言われる「剣山」や「忌部氏」とかな
要するに早いうちから東四国は畿内政権の支配化にあったわけだが
九州〜中国〜近畿の東征やクニの議論はたびたびされるのに
その途中にある四国はどんなクニがあったか、いつごろ畿内の支配下に入ったか
ほとんど話題にならない
46 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:19:29 ID:dIvoxZcc0
>>44 三種の神器の一つ、翡翠の曲玉が、姫川産なんだよね。
まぁ翡翠じゃないのかもしれないが。
これの産地が隠されたこと、この点はかなり強力だと思うんだ。
古事記・日本書紀の時代に、曲玉は伝わりながら、姫川産が伝わってない。
ここに日本の天皇家の嫌らしさが見え隠れして、明治神話が九州説を採ってる
のも、この嫌らしさと同根だと思うんだ。
47 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:20:25 ID:qoQxisSp0
ヤマテ国・・・
なんで博多で金印って見つかったの?
49 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:31:48 ID:pPv3gjc00
纒向が大和朝廷の元になったのは、確定なの?
50 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:36:39 ID:nC5LMnsmO
>>45 剣山には、アークが眠ってるらしいからな。
表に出せない物が眠ってるんだろ。
お前もあまり深入りするとたいへんなことになる。
51 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:39:35 ID:2BtRaChg0
邪馬台国=ヤマト国
卑弥呼=媛子(たぶんモモソヒメのこと)
斯馬国=志摩国
狗奴国=毛野国
こんなもんでしょう
52 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:45:47 ID:9/8MeKQMO
四国を発掘すればいろいろ出てくるんじゃないの?
弘法大師も重要視していたみたいだしさ
53 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:47:06 ID:2BtRaChg0
四国は単なる化外の地
わけわからん原住民がウヨウヨしていた
>>52 > 四国を発掘すればいろいろ出てくるんじゃないの?
何かでてくる、っつーだけなら日本全国どこでも何かでてくるだろw
55 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:59:23 ID:JCoPwOYZ0
神話は物語であって歴史ではない。
神話に書かれていることが、
歴史的事実を反映したと考えること自体がおかしい。
56 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 09:59:59 ID:Lb4KSFhu0
お前らが今こうやって暮らせてんのも古代関西人のおかげっちゅーわけや
感謝せーよ関西人に
ええなー
57 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:08:20 ID:2BtRaChg0
>>56 古代関西人≠現代関西人
これと同じ↓
古代朝鮮半島人≠現代韓国人
古代支那人≠現代中国人
58 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:09:58 ID:Fa3yTr+z0
九州の場合なかなか比定地が決まらないのは事実。
結構大規模な同時代の遺跡を持つところが複数あるから。
だが、畿内説は巻向以外にもいろいろと候補地がありそうなんだが
なぜ巻向にしたのかわからない。同時代の弥生遺跡無いのか?
んなこたあるまい。
166回の発掘調査でも瓦礫や掘っ立て柱の穴だけで、決定打が出てこないのに
いまだに巻向一本な根拠がわからない。
あらすじの達人よ。ざっくりあらしてくれたまへ。
白鳥庫吉敗れたり
京大圧勝だな
巻向は恐らく神殿の跡だから、綺麗に管理されすぎててほとんど
何も出てこないのはわからんでもない
でも、魏志で「7万戸」といわれてる巨大集落が近くで見つかってもいいと思うんだが
62 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:17:54 ID:epnkKdoa0
移り住んだってことで両方アリアリ
>>58 てか、九州だろうが近畿だろうが、邪馬台国みたいなでかいクニが他になかった、といえるだけの根拠あんの?
他に似たような(でも結果的には消滅した)でかいクニがあってその遺跡がポロポロみつかってると考えてもいいじゃないか。
>>58 どれだけ無知なんだ?
巻向周辺にこの時代のモノと推定される
大規模古墳が集中してるからでしょ。
それに卑弥呼の墓かもしれないと、昔から
指摘されてきた箸墓の存在。
三輪山の麓で東国や宇陀水銀鉱床の入り口の土地。
全部ひっくるめても候補地はここしかないですから。
もっとも俺は邪馬台国河内南部中心説だけどね。
65 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:26:37 ID:TkvfP43YO
卑弥呼は徐福の子孫
豆知識な
66 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:33:14 ID:VG9SfoCS0
これはもう駄目かもわからんね
67 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:34:03 ID:2BtRaChg0
>>66 でも民主党ならなんとかしてくれるのでは?
卑弥呼が女王になるきっかけになった倭国大乱の前って、男王が
けっこう長いこと治めてたって中国の歴史書にも書いてあるな
そうすると、北部九州から東海までの国家連合の起源は卑弥呼の時代なんかより
さらに遡ることになるんだな
なんかすごいな!
69 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:36:16 ID:LEpH7jFW0
邪馬台国は古代ギリシャの事だった!ってどっかで読んだな。
ムーだったかな。
金印なんて、たぶん盗まれてるか奪われてるかしてるだろうから、出てくる可能性は低いだろうなあ。
でも実際「親魏倭王」の金印なり、それを押した粘土板なりが見つかったりしたらすげー興奮するだろうなあ。
しかしこの頃からガッツリ文字の記録が残ってる古代中国ってやっぱスゲエわ。
72 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:49:35 ID:2BtRaChg0
>>68 だって卑弥呼はモモソヒメだもの
弟さんが天皇だったし
それ以前に神武以来何代も天皇がいるだろ
そのじいちゃんがニニギで
アマテラスはそのばあちゃんだからな
73 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:51:52 ID:2BtRaChg0
>>70 つかヨーロッパはすでにこのころディオクレティアヌス帝の時代なんだが
74 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:54:35 ID:WUZ3WCvWO
片山善博が朝ズバで涙目になりながら九州説を強弁してたなあ
75 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 10:56:55 ID:rrCjgt/+O
奈良土人め!死ねぇ!
鋼鉄ジーグが発掘知るれば勝ちだけど。
後、ビッグシューターも。
マイラに渡った古代日本の大和人がオリハルコンで作ったおうじゃのけんさえ見つかれば・・・・。
卑弥呼はモモソヒメ
神武は実在しない
オリハルコンはアルミニウム
邪馬台国は韓国起源
80 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:13:17 ID:2BtRaChg0
菊地桃子こそモモソヒメの生まれ変わり
81 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:37:31 ID:mYeMdJv7O
>>72 神日本磐余彦尊(神武天皇)のお爺さんは火遠命。ニニギの命はひいお爺さん。
卑弥呼は永遠に確認不可能。それでも比定を試みるとして
大和説でかつ同時代のありうる人物はモモソヒメではなく「倭姫」。
いずれにせよ日本書紀を蔑ろにしすぎ。邪馬台国だの卑弥呼だのといった中国の史書の伝聞記録より
自国の正史たる六国史の記述内容からの検討をすべきであろう。
82 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:38:19 ID:i0+Hhv63O
これを期に取り壊しの決まってる隣の県住を発掘名目で早く潰してください。
美観・治安の面から早急に!
やまいちこく。だろ
84 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:40:55 ID:jCnguTOU0
九州には邪馬台国に滅ぼされた高度な文明の国があったとか言ッて九州独立に持っていくといい
よくでる場所の記述だが
南北であっているところまでが使者が来たところ。だから正確。
そこから先は現地の人に聞いた話。
この現地は当然邪馬台国の人だが彼らは当時北を基準にせず
東を基準に地図を考えていた。この移籍も東西に軸があるでしょ。
で、方位を間違えて記載された。
つまんないオチだけどそれで終わりの話。
そのうち九州側が『金印偽造』してくる。
間違いない。
87 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:53:13 ID:2BtRaChg0
線路邪魔だな
88 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:53:57 ID:KQ/GbfxIO
確かに畿内説の物言いは韓国っぽいな
89 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 11:55:28 ID:2BtRaChg0
>>85 昔の人は東西南北という中国の方位でなくて、上(カミ)下(シモ)で指したからな
そりゃ混乱するわ
文献を全部自力で読む気力ない、だけど、説明されても、信じて良いのかどうか、わかんない。
気分で、好きな方でいいのか?
金印が無視されるんだから、こんなもんはその時代の学会の勢力で決まる。
>>92 金印や鏡の類は未発掘の古墳から出ないと
あまり意味ないんだよ。
金印発掘が鍵というのはマスコミのミスリードだ。
だからやまたいこくなんてないんだよ。
やまいちこくがあっただけ、そして山一證券は1997年に廃業した。
九州と近畿の二箇所に都があったんじゃないの。二重首都。
97 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:20:08 ID:lLol86de0
原文とソース付きでレスしてくれると、本気で盛り上がれるんだけど。
2つの詳しい学問的比較とか、重要ポイントとか、謎解き風で。
タイアップで、観光客倍増だと思う。
98 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:22:53 ID:mYeMdJv7O
第11代垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊)、巻向・珠城宮
第12代景行天皇(大足彦忍代別尊)、巻向・日代宮
第13代成務天皇(稚足彦尊)、志賀・高穴穂宮
第14代仲哀天皇(足仲彦尊)、角賀・ケ飯宮(ケ=竹冠に司)、紀国・徳勒津宮、穴門・穴門豊浦宮
(14代はツヌガ→筑紫へ移動)4世紀前後の御代→仲哀天皇后、神功皇后の三韓討伐(広開土王碑文)
99 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:26:28 ID:qMKyN7pt0
奴国が漢から金印を貰っているからな。
邪馬台国が当時の日本の中心では無かったかも知れん。
親魏倭王の金印の類が出なければ決着せんわ。
大和政権が日向から東征したという伝説もなにか歴史を反映しているかもね?
日本史の授業では九州説は観光目当てのガセネタと言われてたなぁ。
>>96 偽造よりも持ち運びできて移動できるでしょ?
志賀島の金印も出土状況が不自然なので、
疑われ続けてきたんだよ。
邪馬台国は四国に、特に徳島にあった説が有力
俺の邪馬台国は西武多摩湖線武蔵大和駅前にあった説は
>>102 邪馬台国のエリア、もしくは
女王国の有力な構成国だった可能性は大だろう。
105 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:47:52 ID:Fa3yTr+z0
金印はそうそうバカスカ出すものじゃないと思う。
奴国の時はすくなくとも中国の目には
日本の代表に見えていたと言うことだ。
伊都、博多、太宰府、久留米(八女?)、吉野ヶ里?
それぞれにかなり大規模な遺跡がある。
大和朝廷も初期の頃は代替わりのたびに都を移していたように
九州王朝も都を移していたのだろう。
もっとも、ただ単に豪族のつぶし合いで、
そのときに勝った豪族の本拠地だったりして。
そんなことより裸国はどこにあるんだよ
107 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:51:06 ID:gB3mHLuf0
108 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:53:07 ID:mYeMdJv7O
雄略天皇(大泊瀬幼武尊)は第21代天皇。第16代仁徳天皇(大鷦鷯尊)の孫。
江田船山鉄剣銘に「天の下治(しろ)しめししワカタケルのオオキミの御代」
稲荷山鉄剣銘に「辛亥年(471年・5世紀)」、「ワカタケルのオオキミのシキの宮にある時」。
109 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 12:55:33 ID:hCmCoi+x0
卑弥呼はイナゴや蜂の子食ってたんだろ? 長野じゃん。
纒向の宮って、古事記の景行天皇のところに出てくるんだよ。
そもそも邪馬台国が大国だったというのが
おかしい気がする。
112 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:02:35 ID:Fa3yTr+z0
卑弥呼の時の貢ぎ物って、これが大国?、小国じゃね?
ってくらいにしょぼいしなあ
トヨの時はけっこうがんばっているから
その間に国力に関わるなにかがあったんだろう。
113 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:03:07 ID:ICoNNOjxO
>>103 あそこは東村山内なんだから大和面すんなよw
114 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:05:56 ID:bvIRNkoIO
そもそも卑弥呼て
存在しないんじゃね
証拠が乏しいんだろ
115 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:07:35 ID:mYeMdJv7O
古事記と日本書紀、第11代天皇の宮の場所が違うな。
景行天皇は巻向の日代宮で一致。
まあ古事記と日本書紀の記述の相違は結構あるから珍しくもないのだが。
116 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:14:13 ID:Si8kwQtw0
>81
大化の改新ののちに藤原一族が編纂したものだからそれだけでは偏ってる。
それらと、各風土記、もっと広くみないと。もうどれがなんやら。
だから第三者から書いてる中国の史書が大切なわけ。
しかも文語の歴史も長くて多少大げさなことを省けば内容が明瞭。
117 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:17:15 ID:bvIRNkoIO
天皇の墓を手当たり次第掘り起こし調査すれば
大体謎は解けるんだけど
抵抗勢力が半端ないからな〜
じゃあこれは景行天皇のなんらかの施設だったんだな
卑弥呼関係ないな
時代が違う
3mぐらいの古代巨人の人骨がザクザク出ないとインパクトがない。
120 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:29:03 ID:mYeMdJv7O
>>116 風土記は記紀と同じく大和朝廷の事業により残された史料。
713年、各国の地名の由来、産物、古老の伝える昔話を報告するよう命令して記させたもの。
記は一筋の語り(筋立て)によって成り立つが、紀は各種史料において異なる説話があるものには、並記の形をとっているケースが多数ある。
記は712年、紀は720年完成。
ゴミチョンとバカサヨ歴史ねつ造学者が必死扱いてたけどオワタね。
122 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:36:08 ID:fKrxG1fdO
陛下を古代史好きにさせれば歴代の陵を掘れるかな?
123 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:38:35 ID:lLol86de0
>>122 雅子にやらすなよ、全部金にして持っていってしまう。
隋書の注目ポイント
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
(都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり)
婦人不淫妒(婦人は淫行や嫉妬をしない)
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
(新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。)
自竹斯國以東、皆附庸於倭。
(竹斯(筑紫)国より以東は、いずれも倭に附庸している。)
筑紫国を倭国の西端として、東に5か月、南に3か月が倭国の領土。
福岡から鹿児島までが3か月だと仮定すれば、距離的に奈良が5か月の位置に
なる。
隋書の段階で結論が出てるのに未だにウダウダやってるのは
地域エゴと予算獲得するための詭弁でしょ。
大和朝廷の歴史書自体が、初代神武天皇は九州から東に遠征し、大和に定着したとしているではないか。
論破終了
もう東邪馬台国と西邪馬台国でいいだろ。
分裂したこの二国で覇権争いしてたんだよきっと
127 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:43:43 ID:mYeMdJv7O
日本書紀は舎人親王が筆頭に編纂
古事記は太安万呂が筆、語り稗田阿礼
藤原一族の編纂は、同時代は養老律令ではないか。
128 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:47:37 ID:Si8kwQtw0
>>120 わかっとるっちゅうに。それ以前は実質敵な文書があるかっていう。
同時代のものだが他の各豪族がたずさわっている異説が大切なんよ。
あとは言い伝えをのちに記したもの等ってとこだな。
129 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:54:42 ID:mYeMdJv7O
上岡龍太郎氏は九州説
浜村淳氏は奈良説を支持してるね
131 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 13:56:42 ID:UKxf4aZJO
風土記は出雲がもっとも詳しく大半が残っている
他は地名などの羅列が多く、丹後風土記とか逸文で残るものが大半
132 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:00:26 ID:9Xmz0moN0
>「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長
>(考古学)は強調する。
畿内説の学者なんだからそういうに決まってるだろ?
おーい! 太国、美濃もん太 なんか言ってやれよ。
邪馬台国は神の怒りに触れて海中に沈められたってプラトンが書いてるじゃないか
134 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:02:38 ID:Si8kwQtw0
>>129 話が通じてないのか...
>>131 まあ、他はね、。
出雲という土地自体がかなり面白いわけなんだよね。
135 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:02:53 ID:QPjiDpr00
というか、いまになっても九州説にしがみつく人って何なの?
世事に疎い浮世離れしたニートのじいさんですかね?
136 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:02:58 ID:gLIJsTba0
ヒミコとかイヨって、結局は斎宮の起源なんじゃね?
遺跡学者なんて一切信用できないのはゴッドハンドの例で明らかになってるだろ。
奴らにとっては自分の仮説のほうが事実より大切なんだよ。
どんな強引な捻じ曲げだってやらかすぞ。
138 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:04:28 ID:Fa3yTr+z0
>132
いいたくなくてもトップはそう言わなければならないもんですよ
予算使って、全く結果は出ませんでしたとかいっちゃうと次はないから。
何か出て来たネタを過剰に解釈して、ものすごく成果があったと言わなければ
来年の予算付かないでしょ。
でも、「だんだん決着に近づいてきた」、ではどういう成果かよくわからないですね。
彼は正直です。
九州なんて元々苦しいだろう
どっちにもあったってことで
141 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:08:02 ID:QPjiDpr00
九州は吉野ヶ里以後も発掘は進んでるんだろうけど、
全然成果が上がらないんだよね。
邪馬台国の時代の卑弥呼の宮殿らしき遺跡も墓も何も見つけられてないんだよ。
奈良のほうは、掘れば掘るほど証拠が出てくるわけで。
これで、どうして九州説を信じられるのかわからんね。
目をさませよと。
142 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:08:45 ID:dS6iszx80
石川県に邪馬台国を誘致しよう
とりあえず金印づくりから
>>124 でも同じ隋書には東西南北各々海に面してると書いてるぞ
奈良ではおかしくないか?
シナのタブロイド記事に、振り回されてるアホ学者
145 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:10:05 ID:mYeMdJv7O
それ以前の文書。上宮記(逸文)とか
仏教解説書の三経義書(ショの字は違う。伝・聖徳太子筆)とかか。
帝記旧辞もそれらも「朝廷の文書」。
ただし他国の王朝の史料は第三者の史料とはこれいかに。朝を統べる者、他の歴史を奪うというなら、他国の王朝のとて嘘を語るといわねばなるまい。
また我が国の史料との突き合わせをせよと言うに、「それだけでは足りぬ」とは奇異なこと。
まず六国史の一つ日本書紀との突き合わせののちに、その他の史料をも見れば良いだけの話を
なぜか日本書紀との突き合わせをやめさせようとする。それも「藤原氏一族が編纂しているから」といういい加減な嘘によってだ。
情けなしかな、浅はかといわでおくべきか。
146 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:11:25 ID:5iA8DqVb0
卑弥呼ってAV女優でしょ?
なんでこんなに大騒ぎしてんの?
147 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:13:18 ID:Fa3yTr+z0
九州はいまある発掘成果だけで十分政権のあった傍証にはなってますよ。
もっとも、卑弥呼という固有名詞に繋がるものはありませんが。
特に太宰府とその周辺からは王朝関係の出土物と都市を証明する出土物が
多く出て来ています。吉野ヶ里も伊都も相当な出土物です。
あとはどのようなものが出れば、卑弥呼の固有名詞に
繋がる証拠となるのでしょうか。
そりゃ、[1ねん1くみ ひみこ] なんて出てくれば完璧でしょうけど。
Googleマップによると歌舞伎町と東心斎橋と長崎にあるみたいだぞ
149 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:15:04 ID:pxvEfN9ZO
邪馬台国なんざハナっから存在しない。
日本は最初から大和の国だった。
チャンコロの書いた歴史本モドキなんざ、いつまで真に受けてんだかバカ日本人w
150 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:15:27 ID:mYeMdJv7O
>>134 話を通じさせまいとしているのがお前だろう。なぜわざわざ史料の来歴を書いたかといえば
お前が不当な難癖で史料をおとしめようとしたからだ。
我が国の正史の内容の真偽の検証として遺蹟との突き合わせを行われるのがまずいのかね。
151 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:18:07 ID:iSccYRzTO
タイムマシンが必要
>>143 中国大陸から見たら、日本はちっちゃい。
だから奈良も東西南北海接するって略されそう(笑)
牛馬徒歩の時代、ちっちゃくないだろw
確かひろしに滅ぼされたんだよね。
>>147 隋書や魏志倭人伝を根底から覆すぐらいの証拠たる出土品だね。
畿内説は隋書や日本の書物として、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫命
という素人でも分かるレベルの状況証拠がある。
その証拠を持ってしても畿内説としてもよかった訳で、
畿内説を否定する物が神武神話と北九州の遺跡群とその年代解釈だった。
その年代解釈が科学技術の進歩で大きく解決した段階で、主流派の
学説として畿内説で決まりかけてるんでしょw
156 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:24:42 ID:Si8kwQtw0
>>150 なんか、君の変なスイッチはいったねw
ええい!邪馬台国を語る場で、魏志倭人伝を否定し記紀こそ全てとうたう
場知らずな君がなにをいうか。とでもいってほしいの?
もうヒミコが倭迹迹日百襲姫、 トヨが豊鍬入姫ってことでいいよ
沖縄だっけか海底に沈んでる巨岩遺跡があるけど、邪馬台国ってあそこじゃないの
片方の言い分だけで記事とかアホかとwwwww
旧唐書には倭国と日本国は別だと書いてあるからな
倭国は古の倭奴国なり。四面に小島、五十余国あり、皆これに附属する
日本国は倭国の別種なり。その国の界、東西南北各々数千里あり
西界南界は咸な大海至り、東界北界は大山ありて限りをなし山外は即ち毛人の国なりと
倭国は4面が海。日本国は西と南は海。東と北は山。
だから倭国は九州で日本国は奈良(近畿)なんだろ
162 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:30:52 ID:QPjiDpr00
>>147の成果は、
北九州は北九州しか勢力範囲が無くて、南九州すら手中にできなかったこと。
一方、畿内は吉備〜近畿〜東海の大連合を組んでいた。
九州も、その枠組みの中にすぎない。
どっちが倭国を主導してたかと考えれば、奈良しかない。
倭迹迹日百襲姫を卑弥呼に比定する説はどこかで聞いたことがあるが
どういう根拠だったのか。
ググっても見つけられないので、この説のソースを教えていただきたい。
あまり支持されている説ではなさそうだが。
>>163 崇神天皇との関係うんたらかんたらもあるんじゃないかね
165 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:35:12 ID:mYeMdJv7O
>>156 いや。「いい加減な事を言って正直スマンカッタ」と言ってほしい。
「ぎしわじんでん」を否定した覚えもない。「中国の史書の伝聞記録より、日本書紀の記述内容からの検討をすべき」と言ったのだ。
「卑弥呼は永遠に確認不可能」と書いたのは、「確認できる史書や木簡等の発見の期待ができないから」。
つまり「ぎしわじんでんの内容は、否定も肯定も不可能」ということ。
>>159 あれは遺跡じゃない、というのが専門家の意見
167 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:36:08 ID:QPjiDpr00
>>163 ヤマトトトヒモモソヒメを卑弥呼と絡めると、
崇神天皇の実在まで言及することになる。
マキムクを崇神天皇と絡めないで、
邪馬台国と絡めるのは、どこかに天皇制に対する何かがあるんだろうな。
いや単に邪馬台国の方が話題性があるからだろ
それにしても、邪馬臺=ヤマト って読むとすると、臺與=トヨってことになるのかね
イヨじゃなかったのか
170 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:39:45 ID:mYeMdJv7O
先入観で決め付けを行い、矛盾を指摘されると逆切れ。ああ恥ずかしい。
171 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:42:09 ID:QPjiDpr00
>>167 そうだね。
邪馬台国と同時代のはずなのに、
崇神天皇とか、モモソヒメとか、歴史好きじゃなければ、知ってる一般人はほとんどいないだろう。
逆にそれが九州説をはびこらせる原因だとも思う。
記紀の伝承をもっとちゃんと伝えれば、卑弥呼がモモソヒメとか台与がトヨスキイリヒメとか、
簡単に理解できるのにな。
172 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:42:38 ID:Fa3yTr+z0
>162
最終的には大和朝廷に九州も組み込まれているので
大和勢力の方が大きくなっていたのでしょう。しかし金印の証拠からみて
そのころは奴国が優勢で、まだ大和からは独立していたと考えられます。
大和の一部であれば、大和朝廷に渡さないはずはありません。
渡さなければ国ごと消されるくらいの重要物だとおもいます。
また >161 に書かれていますが
それぞれの中国史書によると、(倭)、(倭)、(倭、日本)、(日本)
と言ったように国が並立し、倭から日本に政権が移ることを示唆する
記録が残っています。
大和が大国になっていったのは、ある程度後世になってからではないでしょうか。
これは俺の想像だけど、
崇神天皇「卑弥呼(モモソヒメ)が死んだから俺が王になるよ」
諸王「ふざけんな死ね」
崇神天皇「(´・ω・`)ショボーン じゃあ娘のトヨが新女王で幹事長は俺って事で・・・」
↑魏志にこんなこと書いてあるもんで、恥ずかしすぎるから
記紀では意図的に隠してるような気がする
174 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:47:25 ID:QPjiDpr00
>>172 奴国が優勢だったのは1世紀までで、
2世紀頃には大和に組み込まれたんだよ。
もし、九州が3世紀を通して独立を維持できたなら、
4世紀に急に大和に屈する理由がわからなくなる。
もちろん、九州からの東遷なんてありえない話。
でも北九州勢力が武力で屈服させられた物証や伝説がないんだよな
近畿とは親戚筋だったとか
176 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:51:04 ID:H42eSet30
卑弥呼の子孫はAV女優と聞いた事が有る
その本人に聞けば分かるだろ
177 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:52:13 ID:mYeMdJv7O
第10代崇神天皇(御間城入彦五十瓊殖尊)、磯城・瑞籬宮
参照→
>>98 注・今回の遺蹟は三世紀始めから中頃。200年代前半。
178 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:53:18 ID:gB3mHLuf0
北九州は倭国の傘下じゃん
任那政府の発表も待ちます
だからやまいちひとからやまとこくまであったんだろ。
やまひと、やまふた、やまみ、やまよ・・・・やまと
これは邪馬一国なんだとおもうね。
181 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:57:38 ID:Fa3yTr+z0
>174
どのくらいで国力の入れ替わりが起こったかはわかりませんが
かなり多くの文献で九州年号が残っているようです。
記紀にも消しきれなかったのか、九州年号らしい記述が残っています。
風土記には編纂時期の違う風土記があり、古いと思われる方では九州年号らしいものが
使われているものが多く残っています。
大和朝廷では大化の改新から年号が始まっていますが
記録が途切れている年号があり、継続的に使われるようになったのが
大宝からだそうです。
九州年号はちょうどそのときに終わっており、名実共に政権が交代したのは
その頃からではないでしょうか。
もっとも、それ以前から国のしての勢力は大和の方が上回っており
何かのきっかけで政権が移り変わったと言えなくもありません。
182 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 14:57:47 ID:jARxHDKgO
天皇制にまで話が飛び火するから
場所は謎にしとかないといけないんだよ。
このKYどもwww
183 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:01:49 ID:jARxHDKgO
本気で調べる気があるなら、
三角縁神獣鏡の水銀含有量で白黒はっきりするんじゃないの?
金の産地くらいわかるだろ?
九州にもなんらかの巨大な勢力があったんだろうけど畿内説で決まりだろ
ところで、邪馬台国って本当にあったのかね?
186 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:03:33 ID:8whsVZfQ0
大陸の三国時代と同時代の遺跡が発見された→邪馬台国の発見に飛躍するのが分け分からん
邪馬台国を示す石盤なりが見つかったとかなら分かるけど
187 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:04:08 ID:UwwBKRYRO
暇だから一応これだけは言っておく。
卑弥呼は俺の横でかわいい寝息たてて寝ている。
188 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:08:18 ID:72Cq2bpqO
>>169 いや、台与の読み方はとよ(意味的に豊?)で決まりだろ
そもそも邪馬台を最初にヤマタイと読んだ奴が馬鹿
古代中国読みではそのままヤマト
189 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:08:31 ID:PLoSbsF+0
>>161 それは大化の改新に付け込んだ日本分断史観でしょw
よっぽど日没する国の天子って言われたのが屈辱的だったんだろうな。
191 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:11:18 ID:AN1jNySf0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
出雲では年に一回、諸国の王が集まり、諸国間の諸問題を話し合いで決めていた。
何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑邪馬台国の誕生。これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。
結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑出雲の国譲りと一大率の始まり。
その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。
↑
このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
192 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:11:35 ID:AN1jNySf0
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征
神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆・大和王権の始まり。
魏志倭人伝によれば、西暦239年、中国の魏に日本からの使いがやってきた。
そして邪馬台国という国があり、卑弥呼という人がいたと書いてある。
それでは239年という邪馬台国が存在した、あるいは卑弥呼が魏に使いを出した年というのは、
いったい何天皇の時代であったのか。
天皇は用明天皇で31代目で、それが西暦586年頃。
王の平均在位期間は、日本のみならず、世界的にも、時間をさかのぼるほど短くなるから、
奈良時代の700年も前の弥生時代の平均在位期間を、奈良時代の平均在位期間で考えたとしても、
1代目の天皇が即位したのは、586年の310年前。
つまり、西暦276年前後。
神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。
大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後であるということになるわけです。
天皇の出現は、卑弥呼のずっと後です。
193 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:12:13 ID:UKxf4aZJO
別に発見された遺跡が邪馬台国って決まったわけじゃないのに
学者の一途馬鹿はなんとかしてほしい
なんで都合よく宮殿が見つかるかよw
畿内の天皇陵発掘しまくったらそのうち金印が出てきそうな勢いだな
>>195 今、造ってますねで、ゴッドハンド出土まで今暫くおまちください
197 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:21:19 ID:kTpeRsoz0
今でも中国内部でなにやってるかわかんないのに
情報がほとんど入ってこない当時のシナ人に日本の内部事情がわかるわけがない
198 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:21:23 ID:uivnXseyO
神話と絡めるのは別にいいけど捕われるなよ?
どこまでいっても所詮神話なんだからな
あくまで文献と遺跡や出土品等実際のブツで推測を進めるべきかと
199 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:23:55 ID:ndjlXYWt0
>>190 大化の改心で二つの国があるというような状況はないだろ。
壬申の乱でさえ、わずか1年で終わった反乱クーデターで、
史書に「二国並立」と記されるような状態ではないだろ。
無理ありすぎだよ。
九州説はかなり無理やりな論点があり、話の発端が観光客誘致で何かないかから始まったと学校では習ったよ。
>>1 えーでも邪馬台国は韓国にあった説はあと大丈夫だよ?
日本人たちのほうが歪曲やめるべきだと思うよ?
202 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:26:58 ID:Fa3yTr+z0
金印で親魏倭王っていう注文が来たけど
草書体でいいのか?
印章屋
203 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:27:37 ID:ndjlXYWt0
>>184 現時点でいえるのは、畿内勢力はかなり大きく、
九州勢力を上回っていたということくらいだろ。
現時点で、邪馬台国=畿内勢力なんて言えないだろうに。
大きい方が邪馬台国と確定されるわけじゃないんだぜ。
204 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:28:40 ID:QBQyZZic0
鋼鉄ジーグの力で全滅だ!
ちゃんと記述を重視して、邪馬台国=ムー大陸説
>>27 倭は私か我かじゃないか
自分のことを「わ」と呼ぶ人達と言う意味で倭人
今でもわたくし、わたし、わし、われわれ、って言うし
207 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:31:29 ID:oyEWWSZOO
>>202 ひらがなでおねがいします。
難しいと読めません
神武東遷伝説と近畿の祭祀が突然九州型に変化した事を
どう説明すれば
邪馬台国近畿説を支持出来るんだ。
まともな思考回路を持つなら九州説が普通だ。
近畿が繁栄していた事を否定しているんじゃないぞ。
210 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:33:26 ID:ndjlXYWt0
>>207 うん。
たとえ年代が3世紀だとしても、
畿内勢力はかなり大きいだろ。
でも、それが邪馬台国かどうかは別の話じゃないか?
211 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:33:33 ID:mYeMdJv7O
212 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:35:55 ID:MyV9nR060
吉野ヶ里遺跡の建物は、敷地にバラバラに建てたれている。
一方、マキムクはきちっと並んで建てらてれいる。
この差は大きいんだよね、3世紀の建物として考えると。
邪馬台国は、どう考えてもマキムクなんだな。
213 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:36:04 ID:V4H/S2AjO
掘れば掘るほど邪馬台国から遠ざかる畿内、残念な結果が見えているだけに発掘は中止した方が吉
>>199 >大化の改心で二つの国があるというような状況はないだろ。
だから無いって言ってるんだよ。
分断工作だと。
唐の時代の書物でさえ、日本を分断するような政治工作を
行ってるってこと。今も地方分権で九州や沖縄を分断しようとしてる
みたいだけどもw 相変わらず政治手法が幼稚。日本は民主主義国家として
一般大衆レベルでもその手の政治手法を見透かしてるのに中国は唐や三国志時代と
なんら変わらないって事ね。
216 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:37:31 ID:YX+UMIsEO
217 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:38:48 ID:mYeMdJv7O
218 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:38:55 ID:ndjlXYWt0
>>214 >分断工作だと。
陰謀論なのかよw
当時、日本に住んでいる人に全く影響力のない工作じゃないかw
219 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:39:51 ID:QPjiDpr00
>>210 つまり、小さい九州勢力が魏から金印をもらった後、
ヤマト朝廷に滅ぼされたと、そういう面倒くさい歴史観なわけだね?
>>209 魏志にある邪馬台国は神武が東遷した後の崇神天皇時代
ごろの大和と考えればつじつまが合うだろ
邪馬台国=大和というのがまず立証されてない
邪馬台をやまとと読むって説があるくらいか
最終的に勝ち上がったのは大和だから、最大勢力=大和なのは間違いないんだろうけど
222 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:41:54 ID:uivnXseyO
>>214 分断工作なわけないだろ・・・妄想しすぎ
おそらくは日本側の説明に不備があって唐側にうまく伝わらなかったんだろ・・・
あるいはたまにしか朝貢に訪れない日本側への不審、などの経緯があったと
223 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:42:54 ID:V4H/S2AjO
纒向遺跡での大型建物跡を発見しても邪馬台国に繋がる物が、今後出てくる可能性は低い、ゴットハンドで乗り切るしかないなW
倭国は男王が治めていたが、その後何十年にも及ぶ倭国大乱があって
中国近畿地方は大混乱、卑弥呼をかついでなんとか大乱が治まったんだよな
そう考えると欠史八代まで関係してくる訳だが、なんかすごいな
225 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:47:01 ID:T3hq7k0XO
「みんなの心の中にある」でいいのではないでしょうか?
227 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:48:19 ID:PzNB0wcy0
あと103年まてばドラえもんが誕生するから全てが分かる
228 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:51:02 ID:5w8OYxG00
103年後の未来から現在にドラえもんが来てない不思議
のび太がかくまっているのか
>>218 >>222 歴史が前の書物には、倭=邪馬台国として、奴国とは全く別に
捉えられてるのに朝貢がなくなったからなのか、
『倭国は古の倭奴国なり』なんて暴論が突然出てくる段階で
非常に陰謀的だよ。魏志倭人伝すら否定的に見る人たちが
この解釈を積極的に受け入れる理由なんて全くない。
230 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:57:35 ID:C8W1fqyZ0
>>214 分断工作といえば、蘇我・物部の崇仏・廃仏論争の裏には
百済・新羅の工作があったといわれてるね。
231 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 15:58:22 ID:sPVt0t8/O
九州説は神話の解釈ばっかりだな。考古学的証拠が沢山ある大和説に対していかにも弱いなあ。
232 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:01:43 ID:Fa3yTr+z0
2大国が存在し、たいした戦いもなく政権が入れ替わるためには
2大国が親密な関係にあるか、一方が戦えないほどに国力が衰えている場合
に限られる。
大化の改新が645年、九州年号はまだ続いている。
そのあと年号が途切れるのは公式には使う必要が無いからだろう。
おそらく、九州勢力からの脱却を目指して、独自の国家を作ろうとして
年号を制定したが、一般的には九州年号が使われていたため
公式文書からは大和年号はしばしば途切れてしまう。
それが変わったのが白村江の戦いの663年
このとき筑紫の君が捕まってしまう。事実上の王が捕まってしまったわけで
致命的といっても足りないくらいの大敗北である。
このとき独自の年号を制定しようとさえしていた大和勢力が動いたのは
想像に難くない。九州勢力が大和に応援を求めたのか
それともその隙に乗じて九州勢力を潰したのかはわからない。
何はともあれ、天智天武を経て、文武の時代に大宝が制定される。
それからはもう年号が途切れることもなく、今に至っている。
天智天武の時代は勢力争いがいろいろと複雑だった時代。
九州王朝も含めた何かがあったように思えてならない。
233 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:02:35 ID:/3BDiDZ20
歩き、牛、馬時代に方向を誤るのは、死に直結するけど・・・
数は昔の書では誇大表示するから信用ならないが、方向はあの時代に誤るとは思えないが。
書での旅行記wでは、どっち方向に行っていたのか、その時期の季節はいつと表記されているのか・・・
都合がいいのは書の通り、悪いのは書が間違いっていっている両説の人に見られるのはやだな〜
234 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:03:59 ID:mYeMdJv7O
>>220 三韓討伐が391年頃。
日本書紀で、神功皇后52年に百済から献上されたとの記述がある七支刀が、泰和7年(369年)との年紀入り。
神功皇后は第14代仲哀天皇の后。仲哀天皇の治世は9年。第13代成務天皇が60年。第12代景行天皇も60年。
神功(四世紀後半)+仲哀+成務で120年。
ちなみに第11代垂仁天皇は治世99年(笑)
まぁ99年の真偽はともかくとして、第10代崇神天皇に行き着くときには三世紀はすでに遡り終えている計算になる・・・
235 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:04:02 ID:AN1jNySf0
天皇が出現する神武東征前までの出来事は、
北九州から畿内までの当時の日本=倭を納めていた出雲の衰退と、
その後の実権を握ろうとする畿内・北九州勢の覇権争いを描いたモノ。
倭の実権は、畿内勢力が大国主命を取り込み、改革の名の下に組織を変更しようとしたことから始まり、
その後、それに対抗して北九州勢が大国主命の息子を取り込んで、北九州勢が勝利し、
卑弥呼の孫を派遣することで出雲を手中に収め、倭の実権を握る。
北九州勢の女王・卑弥呼の死後、再び、畿内勢と北九州勢で倭の覇権の綱引きが始まる。
しかし畿内勢が出雲を蔑ろにしたのが原因で、肝心の出雲のカムヤマトイワレヒコが北九州側になり、
近畿勢は逆賊とされて討伐され、再び近畿勢が勢力をぶり返さないよう、
神武天皇となった出雲のカムヤマトイワレヒコが畿内に留まった。
そして神武天皇の死後、今度は、出雲の血を引く神武以後の畿内勢と、邪馬台国の血を引く北九州勢の覇権争いとなり、
最終的には出雲の血を引く畿内勢が勝利し、倭の国の実権を握り、倭から日本へと変化する。
つまり、北九州から畿内までの古代日本では、出雲が京都の役割を果たしていて、
出雲からの正統性が、倭の国の実権を握るためには重要であった。
北九州勢も、畿内勢も、出雲よりの正統性を錦の御旗として、倭の覇権を争っていたんだよ。
236 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:04:25 ID:QPjiDpr00
>>233 だったら、沖縄説でいいんじゃないの?
何か不満でも?
倭国は九州から朝鮮半島にまたがる国。
北九州だけではない。百済・新羅も領地。
九州説にしても、神武の東征は、なにわにたどり着くまで、途中8年とか7年とか1年とか計16年も道草食ってるんだよ。
これは何なんだろ。
九州節なんて最初から根拠なかったじゃんw
240 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:13:53 ID:Atbn0bcWO
皇統譜と年代が間違いないって仮定で考えると、制作者の意図に釣られるだけだと思う。
>>238 それって継体天皇のナニワ入りに酷似してない?
241 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:14:52 ID:gB3mHLuf0
万世一系の九州256王朝
242 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:15:07 ID:V4H/S2AjO
北九州て言い方は誤解を招く、北部九州もしくは九州北部だ
そもそも邪馬台国=大国&大和朝廷ということ自体が
実は根拠の薄いロマンチックな想像でしかない。
同時代の凄い遺跡が見つかったことと
そこが邪馬台国であるということは
それだけじゃ何の証拠にもならない。
244 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:21:25 ID:Atbn0bcWO
神武東征って、藤原不比等が九州地方の豪族に向かってのプロパガンダじゃないのかなあ。
記述にある規模の国家ならば北九州じゃ小さすぎるな。
九州自体国があったんだろうけど邪馬台国が従えてる属国の一つだった
可能性高いと思うぞ。
>>235 >北九州勢も、畿内勢も、出雲よりの正統性を錦の御旗として、
>倭の覇権を争っていたんだよ。
個人的にこの考え方は支持したい。
だから北九州勢力が三輪王朝=邪馬台国から実権を握ることへの
後ろめたさを誤魔化す為に神武神話を作り上げた。
その上で出雲勢力=辰韓系
北九州系=倭族=馬韓系
神武神話を作り上げる必要性があった、北九州系の河内王朝が
新羅を攻めるのには道理がある。
247 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:27:11 ID:UKxf4aZJO
>>238 仲間集めとコネ作り、根回し
お土産無しで大和に乗り込んでも相手にされんでしょ
規模については、相手が調べようがない場合
大げさに言っていると思う方が普通じゃないのかね。
超大国に取り入ろうとしているのだから。
またそういうことを
250 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:29:47 ID:TkvfP43YO
卑弥呼の時代より400年くらい前に、秦の学者の徐福が
始皇帝の命令で日本に探検に来たが、帰国せずに王になったという伝説がある
251 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:31:28 ID:ogcXXGxX0
南部奈良県が邪馬台国発祥!
252 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:31:56 ID:AN1jNySf0
結局、実権を握り日本を構築した畿内勢は、
出雲よりの正統性と、北九州からの正統性の、
どちらも主張する必要があった。
だから、出雲も邪馬台国も「神」として表現し、
初代・神武天皇は、出雲の神の家系であり、北九州の卑弥呼=神・アマテラスの家系でもあり、
天皇は神から賜ったものだから、日本の統治者としてふさわしい・・としたんだよ。
253 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:31:58 ID:Atbn0bcWO
元々邪馬台国は巻向にあって、雄略天皇の代で血統が途切れた、
そこで大乱が起きて、継体天皇が迎えられた。
とか
>>246>>235 の考え方もわかりやすい。
地面掘り返してロマンス胸に妄想膨らませるような似非学者が
いくら地面掘り返しても大した事はわからんだろ。
いい加減、もっと科学調査中心にすりゃいいのに。
未だにロマンス優先だからな。
255 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:33:59 ID:qhHQi4koO
ドラえもんを作ることをオススメする。
タイムマシーン使えるし、いろんな道具で本当のことが、いっぱいわかる
>>253 継体天皇は三輪王朝系の天皇なんじゃないかな。
河内王朝系(北九州系)と三輪王朝系(出雲系)の対立を
収めるために実権を握っていた河内王朝系が担いだ形。
257 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:36:34 ID:mYeMdJv7O
>>234 間違えてしまった。七支刀、年紀は泰和4年だった。献上年は西暦372年。神功皇后摂政52年条。
三国志の時代だから文明的には大陸はかなり進んでたんだよな。
強度の高い船もあったしな。
倭の国にもそれなりに文明が入って来てただろうに、俺らが思ってる以上に
日本も国としてのちゃんと体裁があった国家が支配してたんだろうな。
小領主とかそんなレベルで大陸に使者送るとか有り得ないと思われ。
259 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:38:43 ID:OQT5ZRw80
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
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日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
日本は近畿に天皇がいたときだけ、繁栄していた。今はもうダメポ(;;)
邪馬台国、
鏡を貰っても、無事に持ち帰れたか分からない。百余国あった国の、ほんの小さな国だったかも知れない。
すべてはホンのわずかな、本当かどうかも分からない記述を元に、邪馬台国はこういう国だったという妄想を元にあーだこーだやってるだけなんだよな。学者って。
アホみたい。
どこかから日本版死海文書みたいの出土すれば解決。
262 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:40:22 ID:V4H/S2AjO
纒向遺跡での大型建物跡の発見はよしとしよう、しかし邪馬台国である物証は一切発掘されていない、台与の墓を卑弥呼とすり替える事はやめていただきたい
ゴッドハンドふたたびは避けられないかもしれん
もうどっちか国民投票で決めちゃえよ
265 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:42:18 ID:sUgKaZpFP
>>221 「邪馬台」とか「邪馬臺」とか「邪馬壱」とか色々な文字で表されているが
邪馬台国の「台」の字は下のような文字の当て字(漢字コードに無い)。
━━╋━━
━┻━
┏━━━━━┓
━━━━
┏━━┓
┣━━┫
━┻━━┻━
「タイ」ではなく「ト」の読みだと思われる。
当時日本にはまだ文字がないから「やまと」や「ひみこ」をどんな文字で
表すかは日本人には分からない。相手側の中国人が適当な(卑しい)
文字を当てただけで、文字そのものに意味はない。発音が重要。
ここ読んでて思った。
ごちゃごちゃ妄想ならべてないで、さっさと古墳発掘させろ宮内庁
でも古墳発掘とか言い出すと
他人の墓を云々とか言い出しちゃうウヨクな方々から
猛反発されてブサヨ扱いされちゃうんだよなぁ。
267 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:45:32 ID:MyV9nR060
>>257 七支刀のことなんですが、
九州のみやま市にある高野の宮には、
七支刀を手にした古代の武人像が安置されているそいです。
石上神宮に七支刀があることが公になる前から
この神像はあるそうですが、これは一体、なんでしょう?
>>264 まあ、現状だと
所詮ある仮定を前提としたうえで
状況証拠として使えるかもしれないような
ものが発掘できるだけだからな。
学会でも多数派とか、どちらが主流とか
多数決の論理でしかない。
>>266 皇族で考古学者の人が発掘しようとしたけど許可が下りず
「なんで先祖の墓調べちゃいかんのだ」と憤ったって話があったような
270 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:46:11 ID:Atbn0bcWO
>>256 福井の三国から迎えた、五王応神天皇5世の孫って事になってるけど、
百済よりで新羅よりの磐井の乱制圧してるから、九州とは対立関係、
新羅が強かった時には、九州地方の豪族にかなり気をまわさないといけない時期に
藤原不比等が皇統譜や神話の形成に関わってるから、かなり政治的な作為が入ってると思う。
271 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:46:21 ID:mYeMdJv7O
>>253 第26代継体天皇(男大迹尊)の前の天皇は第25代武烈天皇(小泊瀬稚鷦鷯尊)。
272 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:46:40 ID:AN1jNySf0
なぜ、実権を握り日本を構築した畿内勢は、
出雲よりの正統性と、北九州からの正統性の、
どちらも主張する必要があった・・・のかは、
神武以降の欠史八代に、そうとうの混乱があったから・・なんだろうね。
273 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:47:22 ID:CMu6vwpo0
発掘しちゃうと封印された怪獣が出てきちゃうとかかな?
275 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:49:09 ID:mYeMdJv7O
276 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:50:21 ID:Atbn0bcWO
>>271 ごめんありがとう、取り違えしてた、
女性不信は武烈天皇だった。
近親相姦とごっちゃになってた(礼
>>141 でも、倭人伝の記述にズバリ合う遺物は、畿内からは出ないよなあ。
ホントは長野なにに。
大和王朝って4世紀頃からその存在が確認されてるみたいだけど
大和王朝は九州、畿内、中部辺りまでを支配していた。
その全身は各地の小さい国が争いごとを回避するのに連合国家を作り
統治するのに代表として王を置いた。
倭国の連合国家で権力を握ってたのが邪馬台国だった可能性高く
邪馬台国が滅んだのは内紛で違う国が権力を握ったとする説が正しいと思われ。
倭国=本州を支配する連合国家=中心が邪馬台国だったんじゃね?
280 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 16:58:26 ID:V4H/S2AjO
>>277 畿内が邪馬台国でないから出るわけがない
281 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:00:59 ID:0Gi1nIv30
纒向は3世紀の遺跡ではないんでしょう。
邪馬台国とは関係ないでしょう。
この専門家というやからがとんでもないやつらで
ためにする議論を科学的などと言ってはばからないwwww
また変るよ
283 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:05:55 ID:Atbn0bcWO
>>279 応神天皇がその辺りで倭の五王の記述あって
武烈天皇で嫡子が切れて、継体天皇。
>>282 巻向の遺跡は三世紀から四世紀にかけてと推定されてる。
>>1 >>邪馬台国機内説
って飛行機の中にでもあったのか?
古代中国人が方向音痴なら畿内説
距離感覚音痴なら九州説でいいんじゃね?
286 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:09:26 ID:EgNyMLOS0
墓を暴くのではなく
古墳を学術調査したいんだ!
それを政治利用とするやつが悪いんだ!
畿内説ってはっきりしてるけど
九州説は九州のどっかというあまりにも漠然としてるのがちょっといただけない
九州の中でもみんなばらばら好き放題だからな
それを纏めて九州説というのはおかしい
288 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:13:00 ID:AN1jNySf0
>>279 >大和王朝って4世紀頃からその存在が確認されてるみたいだけど
>大和王朝は九州、畿内、中部辺りまでを支配していた。
>その全身は各地の小さい国が争いごとを回避するのに連合国家を作り
>統治するのに代表として王を置いた。
それが葦原中津国であり、王を置いたのが出雲。
そして、その衰退とともに、北九州勢と畿内勢で覇権争いを繰り広げる倭国争乱になり、
出雲を手中にして葦原中津国の実権を握ったのが、
北九州勢の邪馬台国であり、卑弥呼。
>倭国の連合国家で権力を握ってたのが邪馬台国だった可能性高く
>邪馬台国が滅んだのは内紛で違う国が権力を握ったとする説が正しいと思われ。
邪馬台国が滅んだのは、出雲を手中にしたときにニニギを派遣して一大卒とし、
この邪馬台国出身の出雲系の一大卒勢と、邪馬台国本国勢の間の覇権争いの結果。
そもそもさ九州にあったとしてどこに奴国や投馬国があったのか?
当時の2万戸や5万戸はかなり大きな規模の国だと思われるが。
290 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:16:54 ID:58GQcUG20
漢の時代、弁韓の鉄、漢の文物の輸入を一手に引き受けていたのは、
北九州、玄界灘の諸国。瀬戸内、畿内は、淡路島などの前進基地に抑えられて、
鉄のコントロールを受けていた。
それが、2世紀末から倭国大乱。3世紀にはそれが収まり、畿内・瀬戸内連合王国が
直接、鉄、文物を大陸から手に入れるようになる。
同時に、巨大墳墓、前方後円墳が畿内を中心に、大きさが同心円を描くように作られ、
同じく、濃尾平野の前方後方墳を作っていた勢力が組み込まれる。
その北九州勢が急速に力を失った3世紀。邪馬台国が九州の巨大王権。ってのは、ちと、ね。
291 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:18:52 ID:z4VPEAHz0
江戸時代には統一国家が出来上がり、国学がうまれました。
つまり、一国家としての共通の歴史をつくろうという考えができたのです。
皇国史観はこうして誕生し、天皇を中心とする中央集権国家である大日本帝国がこれを一層強化したのです。
歴史は国が絡むとタブーとされる事柄は必ず排除され事実が歪曲されるものです。
これは万国共通で、歴史とはそういうものである。
九州説がなぜ否定されるか、それは朝鮮の関わりを出来るだけ排除したい、この国は始めから日本人が建てた国であるという願望がそうさせるのかもしれない
292 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:20:32 ID:pDIXfTp40
吉野ヶ里が衰退していくのも邪馬台国以前だからなぁ。
293 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:21:52 ID:jARxHDKgO
>>267 堤古墳群もみやま市だっけ?
あれはどうなったんだろ?
卑弥呼の墓説が脚下されたのならどういう経緯で脚下されたのか知ってる人いる?
瀬高町あたりは個人的に可能性あると思うんだけど。
付近に金山あるし、
トンカラリンとかも近くといえば近くだし。
>>291 九州説だと一々説明がつかない事が多すぎるから違うんじゃね?と
言ってる。
ちなみに邪馬台国=大和王朝じゃないし隣の大国や半島が高度の文明
あるのに何故日本は征服されなかったのか考えれば日本には邪馬台国以前に
国家が成立してて国家の始祖が邪馬台国じゃないぐらい解るだろ。
295 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:27:40 ID:XiHZKD7xO
九州にあった奴国にも
「売国奴」はいたのかな
296 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:29:26 ID:58GQcUG20
>>289 そして、邪馬台国7万戸。1戸に5-6人。30-40万人。
九州に邪馬台国があり、更に南に同規模の敵対国がある。
九州だけで100万人以上。
それは、無理。奈良時代で500万人。
畿内説だって、7万戸となれば、畿内・瀬戸内連合全てをあわせて。って感じなのに。ね。
>>291 朝鮮半島は気にしなくっていいの。楠を輸入しなくちゃいけないような気候で、米作るのは大変。
江南から、日本の九州などと同時期に移住民が入ったのだろうけれども、
朝鮮では米食い民族が版図を広げるのが難しかった。だから、その後、日本の支配下に落ちてゆく。
297 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:29:39 ID:y3u+mZSp0
台(タイ)は音読みか訓読みか
298 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:30:10 ID:AN1jNySf0
>>290 そうでもないよ。
漢の時代、弁韓の鉄、漢の文物の輸入を一手に引き受けていたのは、
北九州、玄界灘の諸国。瀬戸内、畿内は、淡路島などの前進基地に抑えられて、
鉄のコントロールを受けていた。
だからこそ、倭国大乱で北九州の邪馬台国が、畿内勢を抑えて出雲から権力を譲り受けた。
そのときに邪馬台国は、畿内・瀬戸連合国を抑えるために、本州に一大卒を置いている。
北九州勢が急速に力を失ったのは、北九州の邪馬台国と、この本州に置いた一大卒との力関係が逆転したため。
と考えれば、筋が通る。
つまり、倭国大乱は、邪馬台国と近畿勢の覇権争いで、
神武東征は、邪馬台国と一大卒対近畿勢の覇権争い。
その後は、邪馬台国と、一大卒との間の覇権争い。
ヤマトはトヤマにあったんだけどな
300 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:30:13 ID:jARxHDKgO
土蜘蛛の女王って卑弥呼でぉk?
301 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:30:30 ID:K1f/YSB80
クマソってなんね
大宰府が流刑地っちゃなんね
柿食って涙ボロボロ
栗食えばましてボロボロ
中心はどこね
302 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:30:40 ID:KuObDjsR0
桜井市の人間が穴掘ってねつ造した可能性はないんかいな
あの辺アレなんやろ
304 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:34:12 ID:mYeMdJv7O
>>234>>257>>98から考えると、今回発見された三世紀前半の巻向の大規模遺跡は
やはり第12代景行天皇(大足彦忍代別尊・おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の宮跡と比定するのが自然かと思う。
305 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:36:07 ID:V4H/S2AjO
人口がおかしいとか言ってる奴って頭逝かれてるよな(笑)
306 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:38:37 ID:0nCNs5/h0
邪馬台国は朝鮮半島にあったんです。そうに決まってます。
307 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:39:45 ID:58GQcUG20
…で、九州説の場所って結局どこよ?w
308 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:40:00 ID:PdRiK6KN0
もう九州説は無理。
これ以上ゴネると長野県と同レベルに見られる。
長野県と同じに見られたくなかったら諦めるべき。
309 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:40:50 ID:jARxHDKgO
「山門県に至りて、則ち土蜘蛛田油津媛を誅ふ」
大和=山門でいいんじゃないの?
瀬高町〜山都町があやしい。
もう四国って事でいいじゃん
>>304 景行天皇って九州巡幸で九州制圧した天皇だよな。
それの宮が卑弥呼の時代にマキムクにあったと。
九州に邪馬台国があったとすれば、景行天皇による
九州巡幸によって滅ぼされたって事になるのかな。
312 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:43:00 ID:K1f/YSB80
キャラ、朝鮮半島南端説に一票
313 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:43:13 ID:rlJQ1eCRO
淡路島でいいじゃん
314 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:44:31 ID:uivnXseyO
>>304 というかより正確には初期大和朝廷の本拠地があったとすべきかと
315 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:46:02 ID:jARxHDKgO
もう隠しきれない所まできちゃってる気がするw
どうするの?これ。
316 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:46:45 ID:V4H/S2AjO
畿内説派の合法的ゴッドハンドは勘弁して下さいよ
>>291 あんたの話が本当だとして、昔から嫌われモノだったんだなあ朝鮮人。
良い評判があれば、ウソでも「先祖は朝鮮から」とか言っちゃうもんなのに。
まあ女中はらませ、鶏盗む使者みてりゃ、関わりたくはないもんなw
318 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:49:58 ID:Omzpl1+Y0
例の金印を本物だと思ってるバカがまだいるのかwww
アレ信じるなら、黄泉の国がある!と主張する方が、まだましwwwwww
319 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:51:59 ID:mYeMdJv7O
>>311 色んなところへ行幸したり、或いは様子を臣下や息子たちに見に行かせたり。
九州にも行ったと記録されている。
またこの天皇の御代に日本武尊が居る。景行天皇の皇子だから。
日本武尊は熊襲の国の川上梟師(たける)と戦ったね。その後は東にも戦いに行った。
320 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:52:19 ID:58GQcUG20
>>317 そんなこたないよ。
高麗青磁。あれは、完全なデッドコピー。マガイモノ。大陸で相手にされない中途半端に過ぎる代物。
それを、日本人はこよなく愛した。その哀しい出自の中に繊細さ、侘び寂びを見た。
朝鮮出兵でも、向こうでは二束三文の様々な文物を高価に買取り、日本に送ってる。
…でも、朝鮮人自体は、やっぱり嫌ってたのかもw
321 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:53:17 ID:MyV9nR060
>>6 金印って偽物だぞw
今時、金印を本物だって言う奴なんていないだろw
単にヤマト豪族の住居だったとちゃうんか?
なぜ強引に卑弥呼と結び付けようとするんだ?
323 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:54:52 ID:V4H/S2AjO
324 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:55:08 ID:rlJQ1eCRO
>>318 君の国は独立国とみなされてなく、金印もってないからひがんでるの?
325 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:55:33 ID:K1f/YSB80
もう隠すことなく、半島のことは本当に語ったほうが良いと思います
日本、及び日本人の原点を明らかにすべきです
326 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:55:36 ID:CMu6vwpo0
327 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:57:56 ID:ndjlXYWt0
>>229 「中国にとって、日本地域を代表する政権はどこか?」
これを正史が編まれた時代ごとに、中国に質問すれば、
漢なら奴、魏なら邪馬台国、隋・唐なら大和朝廷と答えるだろ?
『倭国は古の倭奴国なり』の意味は、
それらのクニは「中国にとっての日本地域の代表国」
として捉えているということだろ。
328 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:58:01 ID:8whsVZfQ0
>>322 注目されやすく発掘者の地位も向上するんじゃないの
329 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:58:03 ID:Nl8175Fq0
大和の古墳編年って、スルスル上がってくな
何か遺構が出るたびに「大和説でおk」ってマスゴミが決めつける
旧石器の遺構がポンポン見つかっていた時と同じ臭いが…
330 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:59:08 ID:y6R0fP4X0
畿内説は意地でも巻向箸墓にしたいみたいだけど
もうそれに匹敵するような弥生遺跡は無いのかな。
九州は弥生遺跡が点在しているから決められないわけで
331 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:59:31 ID:58GQcUG20
>>329 九州もガンガン発掘すりゃ良いだけなんだけどね。
332 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 17:59:33 ID:V4H/S2AjO
金印が偽物なら当然教科書から消えているんだろうね
最初九州にあって奈良に移ったんじゃないの?
334 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:01:38 ID:mYeMdJv7O
>>311 >>319 また熊襲の国とは、のちに神功皇后も戦をしていたかと思う。
(だから滅んではいないはず)
335 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:03:04 ID:MxSSJvT10
ちょっと信じ難いが本当な豆知識
近畿における地域優劣は
近畿 (わしらが住んどる所がすべてにおいて日本一じゃ!)
↓
↓
↓
北海道 (土地が広いから素晴らしいところだ!)
↓
新潟 (なんやよう知らんけど東と西の連絡通路やから認めたる!)
↓
↓
↓
越えられへん壁
↓
↓
↓
その他の地域 (それ以外はカスじゃ!ゴミじゃ!)
336 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:03:07 ID:V4H/S2AjO
台与が奈良だろう
337 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:03:53 ID:gB3mHLuf0
九州厨がゴネてるだけで纒向しか候補が存在しないし
狙った通りに次々に新発見
畿内派、纒向派の予想通り想像通りの結果が次々に地面の中から発見証明される
あのさ、日本人だけどこんなもんに税金使ってないよね
339 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:04:35 ID:y6R0fP4X0
九州はもう十分今の出土物で議論できる。十分だ。
卑弥呼銘入りの土器でも要求するなら別だが。
掘るというならいくらでも掘る場所はあるが
巻向の造成地と同じように全部掘るのは無理だろ。
だいたい俺の地所からも弥生の住居跡は出て来たんだから。
おかげで家の地盤杭の本数に制限食らった。
>>280 畿内に大勢力があったのは間違いないけど、それが魏志倭人伝に記載された邪馬台国か、となると、
「???」なんだよね。畿内説を主張する学者は、畿内の遺物と倭人伝の記載との矛盾については、
完全スルーを決め込んでるにも拘わらず、ムキになって、「邪馬台国は畿内しかない」と言い募って
いる。実に滑稽だ。
>>337 何が新発見なんですか?説明お願いします、もしかして、また得意の捏造ですか?
>>339 正直九州説はもうダメだと思うよ。
もうあらゆる点で弱い。
343 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 18:07:40 ID:eqvFIdKAO
>>329 北九州の弥生遺跡なんざ軽く7世紀近く古くなったけどな。
おかげで稲作の始まりや弥生時代の始まりが紀元前十世紀まで遡る可能性も出てきたんだ。
尤もそれをまだ認めてない学者もいるがね。
344 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:08:02 ID:K1f/YSB80
最初は朝鮮半島に在って
国滅ぼされて九州に渡り
弥生式を平定しながら
奈良に地保を築いたんだと思います
345 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:08:03 ID:gB3mHLuf0
プププ
九州は物証ゼロだよwwwwwゼロ
奴国が二万戸
邪馬台国が七万戸
・・・今で言うとイメージ的には博多と東京みたいなもんだな
九州は大陸との玄関口の一つとして重要だし文化も人も九州→本州と
伝播していったんだろうけど、卑弥呼時代には既に畿内のほうが九州より
発達してきていたのかもな
>>11 学会プロレスなのか。もうやめちゃえばいいのに。
348 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:11:14 ID:y6R0fP4X0
巻向に何かあったことは認める。
だが、それと卑弥呼をつなげるものは何もない
何を根拠に決めているのかわからない。
349 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:11:35 ID:58GQcUG20
>>339 問題はね。1-2世紀に栄えた弥生の集落があったかどうか、ではないの。
3世紀半ばから4世紀にかけて、巨大王権がそこにあったかどうか。が重要。
350 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:11:36 ID:gB3mHLuf0
何処を掘れば結果が出そうか予測出来、実際にその通りの成果を上げる纒向に対して、
何処を掘れば良いかすら検討もつかない自称有力候補地の九州説www
351 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:11:47 ID:gVq64y7c0
魏志倭人伝なんて所詮中国産だよ?
352 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:13:10 ID:mYeMdJv7O
あ、邪馬台国が、か。>311>滅ぼされたって事になるのかな
邪馬台国についてはノーコメント。(
>>165の理由による)
>>334の括弧内は、熊襲の人についてね。
353 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:13:39 ID:y6R0fP4X0
>>350 >何処を掘れば結果が出そうか予測出来、実際にその通りの成果を上げる纒向に対して、
まさにゴッドハンド。
354 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:14:56 ID:UKxf4aZJO
>>343 大分の屑鉄遺跡も年代の矛盾が無くなるんだよね
中国よりも古いなんてあり得ないって理由で否定されている
355 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:15:23 ID:V4H/S2AjO
>>351 お、お前、昔と現実の違いも同じ感覚とは、、すごい奴だ
357 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:15:27 ID:gB3mHLuf0
九州説は何故、何処を掘れば良いのかすら解らないのか?
答えは簡単、九州説は物証が「ゼロ」だから
九州厨の中ですら発掘候補地を特定出来ませんwww
当たり前の事ですw
邪馬台国上高地説とか
卑弥呼はクレオパトラだったとか滅茶苦茶な説あるよな
後者なんて時代が違うだろって
359 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:16:36 ID:pv/sOe04O
もともと奈良県民の学者が部下に九州説を研究しなさいと命令下したのが九州説の始まり、他の地域も調べて見ようという事から始まった、もともと九州説の研究者が居なかったかから奈良県民が九州説を研究している。
それを九州は観光材料にしようと企んで、卑弥呼だと思える遺跡が出る場所はなんでもかんでも卑弥呼に関連させ観光地にした。
利権が絡みまくり少ない観光資源だから九州は諦めが悪い、今更九州は違いましたなんて言えば大恥だからな、JR九州の社歌にまで卑弥呼の歌詞が入れたほどだし。
360 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:17:09 ID:y6R0fP4X0
まあ、いくら九州の出土物が多くても
巻向のゴッドハンドにはさすがに勝てません
おみそれしました。
>>351 日本側に記録がないから、中国産を頼りにしてるんじゃないの
362 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:17:28 ID:UKxf4aZJO
363 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:18:39 ID:V4H/S2AjO
まぁ、あれだ、大和=邪馬台にしとけば、畿内説はいくらでも捏造できるからな
畿内派の学者によりゴッドハンドふたたび
364 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:19:12 ID:mYeMdJv7O
365 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:19:44 ID:y6R0fP4X0
巻向はゴッドハンドだったことは確定かな。
さすがにそれではどこも勝てない。
366 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:22:02 ID:UKxf4aZJO
367 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:23:07 ID:V4H/S2AjO
368 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 18:23:14 ID:eqvFIdKAO
>>353 記紀の伝承通りに掘ってるだけですがね。
369 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:23:25 ID:4PJyBKdC0
370 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:24:03 ID:Fa3yTr+z0
おもしれえ、畿内派がゴッドハンドを認めたのかよ
371 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:24:34 ID:MyV9nR060
九州は奈良の支店です。
>>346 地政学的に九州に大国が出来ない理由があるんだよ。
それは大陸から近すぎるという理由ね。
小国ですら簡単に大陸文化や武器を輸入できる環境は、
大国を作る上で非常に厄介。
その点で熊襲も縄文系でありながら抵抗力を持っていた訳で。
逆に出雲経由丹波系は、東国に進出しやすかったと見るべきで。
373 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:26:12 ID:ZYuG/WwZO
この前九州やった邪馬台国の学会が死亡フラグだったか
邪馬台国がテーマなのに、畿内説の論者を1人も呼ばないで
全員九州説の人だけだったらしいじゃんw
そんなの学会じゃなくて身内ヨイショ大会だろwww
374 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:26:20 ID:V4H/S2AjO
>>368 糞野郎さん、何の記述で、記述のどの部分ですか?
375 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:26:29 ID:/DTlA9aB0
376 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:26:48 ID:gB3mHLuf0
纒向を発掘するのは初めから解き方解ってる試験問題を解くようなもんだ
解法が正しければ、問題は芋ズル式に全部解ける
九州厨は解法が間違ってるから
どんなに時間を掛けようが一向に問題が解けない
同じ問題を出題されてるのに、何故九州厨には解けなくて
纒向派なら解けるのか?
九州は誤答で纒向が正答だからだ
あぁーあ言っちゃったwwww
>>368 うむ。畿内に一大勢力があった事は間違いない。それはその通り。
で、発掘された遺物と倭人伝の記載との整合性はどうなるの?
まさか、「300枚以上出た三角縁」が、卑弥呼に与えられた「100枚の鏡」だとは言わないでしょうね?
>>365 そういう事言ってるから九州説が衰退してる事に気付いた方がいいな。
379 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:27:45 ID:C8W1fqyZ0
まあ、日本の考古学者は意図的に記紀を無視してるよな。
ぜんぶあそこに書いてあるのにね。
380 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:27:46 ID:c+QgActvO
ゴットハンドだな
381 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:28:48 ID:C8W1fqyZ0
ゴッドハンド言う奴は在日認定
382 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:28:49 ID:ABSGtoWn0
九州説は場所を絞ってから出直しと来いと毎回思う
383 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:29:07 ID:gB3mHLuf0
同じ問題に対して
一方的に次々に正答を返してくる纒向だけが唯一の候補地w
もうワンサイドゲームなんだよwww
頭の悪い九州厨にも解ってる事だろwwwwwwwww
384 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:29:19 ID:V4H/S2AjO
>>373 なんでだろう畿内説派はいつも意味不明を正論にしたがるW
>>378 確たる証拠もないのに、学者の勢力だけで真実が決まるのか?
現在言える真実は、
「畿内に大きな勢力があった。卑弥呼の時代とも合う。恐らくは大和朝廷の前身だろう。
しかし、そこから出土する遺物は、倭人伝の記述と合致するとは言い難い」
と言う事だけだろ。
386 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:30:44 ID:ZYuG/WwZO
>>377 今時、卑弥呼の鏡が三角縁神獣鏡だったなんてまだ言うやついないだろw
どこまで化石脳なんだかwww
387 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:30:44 ID:mYeMdJv7O
>>377 倭人伝との関連性ね、少なくとも巻向は水銀鉱山への入り口ですが。
「その山に丹あり」という項目はピッタリです。
389 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:33:04 ID:/DTlA9aB0
棺のそとに大量に埋葬され、場合によっては意図的に割られてる
荒っぽい扱いの神獣鏡に比べて
伊都から出て来た、50枚近い四神鏡
他の遺跡からは大事に一枚ずつ出ている。
合計で100枚越えていない。
こちらの方が下賜された鏡としては
妥当な扱いと思うんだけどなあ
>>362 製鉄もさる事ながら、倭人伝に記載された倭人の習俗は、どう見ても南方系、海洋系。
なんで内陸の習俗が書かれていないのか、と言う事。
391 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:34:25 ID:mYeMdJv7O
392 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 18:34:44 ID:eqvFIdKAO
>>371 いや九州は元祖だろ。畿内は本家。
記紀の伝承通りなら元々は倭の中心的な王朝は当初九州にあり、後に東征し
魏志倭人伝の時代頃には纏向に首都を構えていたのではないか。
吉野ヶ里にしても他の遺跡にしても年代が古すぎるんだよね。
下手すると紀元前まで遡りかねん。
九州は邪馬台国を主張するより高天原を主張した方がいいと思うんだが。
393 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:35:35 ID:V4H/S2AjO
記述を無視し、なんとなく場所を特定し、更にピンポイントで探し当てる畿内派はすごいよなー
394 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:35:47 ID:58GQcUG20
>>385 そゆことだね。
だから、紀元前2000年から米作りしてる先進地域が、九州に植民地を作り、
邪馬台国を作り、東征して畿内に大和王朝を作り、つまり、ウリこそは日本人の
心の祖先ニダ。は無理。ってこった。
395 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:36:56 ID:+OKRRoTkO
へー九州じゃないんだーびっくりだなー(棒
396 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:37:37 ID:ABSGtoWn0
こういうスレ読むと卑弥呼って小物だったといつも思うのは俺だけ?
397 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:38:19 ID:wfmo3qps0
歴史は関西
九州は歴史がない
398 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:38:41 ID:gB3mHLuf0
纒向が邪馬台国の本拠地なんだから
地面を掘って当たりを引くなんて訳無い事だ
それを苦し紛れにゴッドハンドだってよwwwwwwwwwwwwww
今回の建物跡は発掘者が造成したんですか?wwwwwwwww
動かぬ事実を突き付けられて、
もはやキチガイの言い掛かりしか出来ない九州厨wwwwwwwwwwwwwwwww
>>386 では、少なくとも三角縁は畿内説の根拠では無くなったと言う事ですね。
>>388 九州に水銀鉱山はありませんかねえww
400 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:40:41 ID:/DTlA9aB0
>>399 はーい、佐賀の丹は吉野ヶ里で出土しています。
大分の丹もあります。
401 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:42:51 ID:/DTlA9aB0
鉄は鉄器加工跡が伊都の今宿にあります。
近くの元岡遺跡では後世に製鉄が行なわれています。
402 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:43:35 ID:NNn6qfn+O
実は狗奴国の遺跡だったりして。
邪馬台国だけじゃなく狗奴国の場所もわかってないんだな。
403 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:43:36 ID:4PJyBKdC0
>>377 九州には、卑弥呼がもらったとおぼしき鏡が一枚も無い。
古い漢鏡ばっかし。
>>390 風俗については倭人伝は倭人の事について記述されてるだけです。
邪馬台国伝ではないですから。
それに内陸と言っても交通手段は大和川、河内はまだ湖の時代ですよ。
405 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:44:20 ID:mYeMdJv7O
>>392 高=上空
天原=広い空(類似:海原)
高天原は海でいう龍宮のある国のようなもの。
九州は高千穂=天孫降臨の地があるし、そういう変な主張はしないで正解だと思う
富津とか宇都宮みたいな
日本人の想像を絶するような場所に存在しててほしい
407 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:44:47 ID:P0eXta+YO
間をとって韓国
408 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:45:05 ID:V4H/S2AjO
あれだろう、九州説にこれ以上進展がないから、ここら辺でゴッドハンドふたたび、九州説派を本気にさせ、九州からバンバン出土させる魂胆なんだろう
それまで畿内説で多額な研究費で儲かる算段なんだろう、考古学的に見てこんなとこだろう
投馬国はどこ?
410 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:46:16 ID:/DTlA9aB0
三角縁神獣鏡は日本に渡ってきた陳さんが作りました。
ちゃんと銘も入っています。
三角縁は日本で作りました。
中国にはありません。日本のオリジナルです。
411 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:46:18 ID:gB3mHLuf0
くやしいのぉwwwwwwくやしいのぉwwwwwwwwwww
九州厨くやしいのぉwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
412 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:46:36 ID:pv/sOe04O
>>367 ソースも何も普通にたかじんのそこまで言って委員会の番組で暴露されてるやん、読売テレビで。
ああ佐賀みたいな辺地では映らないか。
>>403 なんでその漢鏡が下賜の鏡ではないと言い切れるのだ? 漢の正統な後継者を称していた魏が、
漢の鏡を下賜品として使うのは極めて自然な話だが。
つかさ、鏡ばっかり百枚も二百枚も貰ってどうすんの?
案の定、倉庫の肥やしでまとめて出土しちゃってるし
>>399-400 九州の水銀鉱山の採掘跡はもっと跡ですよ。
弥生後期では徳島と紀伊半島だけですな。
416 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:47:53 ID:/67p6q1x0
しかし近畿から魏まで朝貢するとなると
かなり大変だったんじゃね?
418 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:48:35 ID:ABSGtoWn0
もう徳島県でいいよ
徳島県なら九州説派も納得だろ
419 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:48:48 ID:/DTlA9aB0
>>415 >九州の水銀鉱山の採掘跡はもっと跡ですよ。
>弥生後期では徳島と紀伊半島だけですな。
吉野ヶ里で出てますが。
「邪馬台国はどこですか?」ってミステリーより
信憑性ある学説見たことないわw
あれよくできすぎ
421 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:49:42 ID:4PJyBKdC0
>>413 朝貢の返礼に
中古の鏡を与えるなんて
皇帝の威厳に傷がつきます。
422 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:50:09 ID:V4H/S2AjO
>>414 俺なら並べてソーラシステムにするけどな
これでビグザムも怖くない
424 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:50:24 ID:/67p6q1x0
>>379 過剰なまでに戦前を嫌悪するからな。それが自分たちの眼をどれだけ曇らせているかを、
考えようともしない。
そろそろ九州説だけで飯食ってた人たちもほぼ全員無事定年を迎える時期だから、九州説の役割も終わったんだろう。
考古学や科学的年代測定から、もう随分と昔から九州はあり得ないというのが学会での常識だったし。
427 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:51:02 ID:RrA6tttQ0
なんでこの手のものは2つあったらいけないんだろうな
政治都市とか経済都市とか
428 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:52:04 ID:/DTlA9aB0
>>425 畿内説はまだそれで飯食ってる人が多そうだから
まだしばらく捏造が続くな。
429 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:52:05 ID:pv/sOe04O
>>420 曖昧にして延ばせば延ばすほど儲けるから、決着させる気は無いというのが本音だろう。
所詮観光資源に群がる利権遺跡だ。
430 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:54:09 ID:cHK9+sfy0
>>402 狗奴国は、濃尾平野を拠点とした国だと、
中部の研究者たちは思っているよ。
弥生末期の土器も少し違うしね。
431 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:54:10 ID:gB3mHLuf0
物証ゼロの九州厨の顔を立てる為に、
足して二で割る逃げ道なんか与えてやらないw
432 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:55:12 ID:EZhwiPwt0
九州って戦国三傑の墓もあったりするんだよね
>>417 奴国(北九州)、投馬国(出雲)は邪馬台国とは同盟関係にあり
敵対してなかったみたいだ。
つまりそれらの国を通り半島に渡りそこから大陸まで貢物を持って
行ったと考えられる。
434 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:55:19 ID:hCmCoi+x0
山大国は長野だってばさ。
昔
(`・ω・´)「わが国の名前は大和です」
( `ハ´)「はいはい邪馬台アルネ」
(´・ω・`)「邪とか悪意を感じるけど・・・気のせいですよね・・・」
( `ハ´)「気にし過ぎアルw」
時が流れ・・・・
( `ハ´)「中華民国の建国を宣言するアル」
(`・ω・´)「チャイナだから支那ね」
( `ハ´)「中国と呼べアル」
(´・ω・`)「・・・・・」
>>419 へー、吉野ヶ里に水銀鉱山があったのか。
そりゃ凄い、ソースをどうぞ。
437 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:55:58 ID:+XA0SS0F0
ようわからん 誰か年譜書いてくれ
438 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:56:05 ID:ABSGtoWn0
九州説では無い=奈良で確定って考えだから駄目なんだよ多分
439 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:56:09 ID:V4H/S2AjO
あのー物証0は奈良だと思うんですけど
440 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:56:20 ID:gB3mHLuf0
10000の物証の纒向を否定して、物証ゼロの九州を肯定する九州厨www
井沢元彦涙目だなwwwwwwwwww
442 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:57:27 ID:58GQcUG20
吉野ヶ里にもってくと、ダメなのに。
あれは、3世紀半ばには衰えまくってるのに。
443 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:57:49 ID:ygLJi1PZ0
日本のどこにあっても別にいいだろ
実は朝鮮にありましたとかなら大問題だけど
邪馬台国がどこにあったかの前に
いつのものをさして邪馬台国と言ってるのかが問題だと思うんだけど
たぶん九州説と畿内説の人では主張してる年代が違うんだろ
ようは両方あってるんだよ
445 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:59:01 ID:RrA6tttQ0
400年近く歴史あるんだからその間に遷都してました、なんてことも考えられなくはないだろ?
え?証拠がない?
>>404 内陸にあった倭国の中心部たる女王国の状況は無視して書かなかった、ですか。
なんででしょうねえww
>>421 先祖から受け継いだ貴重な骨董品を渡すのは無礼ではありません。
>>426 辰砂は掘らなくても出る物でして。
447 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 18:59:40 ID:pv/sOe04O
>>422 工作員必死だなw
自分でググるか局に問い合わせしろカス
>>443 朝鮮にはちゃんと国があって邪馬台国があった痕跡なんか無いよw
魏の使者の残した記述にあるとおり倭は日本の事。
450 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:01:35 ID:j4OUJGCB0
畿内だろうが九州だろうが、真実さえ判ればどっちでもかまわんのだが
金印とかのはっきりとした証拠品が出てこないと結論は出んのに
なんでこの話題になると顔を真っ赤にして自分が支持してる方の仮説を主張する連中が出てくるんだろうな?
451 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:02:11 ID:mYeMdJv7O
>>359 あのー、一応、>1くらいは読んでから書き込んだほうが。
452 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:02:12 ID:ygLJi1PZ0
>>449 だったら別に畿内でも九州でもどうでもいいじゃないか
日本のどこにあっても皇統の正統性が揺らぐわけもでないし
453 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:02:22 ID:fGSdtQmDO
そもそも発音がヤマタイ≒ヤマト
つまり邪馬台国=大和朝廷だろ
454 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:02:38 ID:ABSGtoWn0
卑弥呼たん「もうゴールしてもいいよね?」
455 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:03:19 ID:pv/sOe04O
>>450 利権ですから
どちらかに支持が傾くのを恐れているんだよ
456 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:03:30 ID:V4H/S2AjO
457 :
ミュシャ・カレニーナ ◆yTAfVavQzs :2009/11/12(木) 19:03:38 ID:Jk6eu8bHO
果てしなくどうでもいいネタで★3
>>446 出ても表面しかなけりゃすぐ枯渇するけど。
それに山ではないですな。
大体北部九州で古墳から出てくる朱とかも中国のモノじゃないかな?
459 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:04:25 ID:Sb89EOcP0
>>431 近畿説にも、邪馬台国の物証はゼロなんだが。
>>452 スポーツ観戦みたいな物だろ 贔屓のチームを応援する
461 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:05:11 ID:eqvFIdKAO
462 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:05:51 ID:V4H/S2AjO
>>453 だ・か・ら、ヤマトと言う地名はそこら中にあるだろうがW
463 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:05:56 ID:4PJyBKdC0
>>448 「出雲系三輪王朝」ってどういう意味で言ってる?
まず、現在の島根県にある出雲が奈良を支配してた事実は無いよ。
「出雲」の呼び名も、古代では島根県を指す言葉かだったかも不明。
古代は、「杵築」だから。
>>452 誰も天皇の正当性なんか議論してないのにかってに擦り換えしなくてよし。
そもそも邪馬台国と大和王朝はまた違うだろ。
大和王朝は連合国家だった邪馬台国の中から主権奪った国が作った王朝の
可能性高いだろうしな。
465 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:08:14 ID:pv/sOe04O
ヤマトの地名だけなら東京にもあるね
>>456 至って普通だよ
ちょっと風呂入ってくるわ
466 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:09:35 ID:OB+GSFnP0
どうでもいい大昔のことに拘る奴はチョン気質
467 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:09:59 ID:yP6u2V0Y0
九州にあったのは、たしか邪魔大王国だったはず。
箸墓古墳掘れば、親魏倭王の金印が出るにきまってるじゃん。
で天照=卑弥呼
469 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:10:29 ID:ndjlXYWt0
>>219 いつ全国が統一されたのかも確定していないのに、
大和朝廷以外の他国の存在を無視するのはおかしいだろ?
魏志倭人伝の記述にも、抗争状態が明記されているのに。
>>458 そりゃそうでしょ。だから辰砂の産出が多い畿内の勢力が最終的に九州を圧倒したんでしょ。
大体、丹生都姫の一族は九州北部出身なのに、紀州に移動したって事になってるんですから。
471 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:10:39 ID:p/s216VyO
>>453 味のマルタイは九州の会社。
マルタイとヤマタイは似てるから九州だろ
472 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:10:44 ID:V4H/S2AjO
473 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:11:00 ID:mYeMdJv7O
卑弥呼って大陸に渡ってチンギスハーンになったんだろ?i
475 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:12:17 ID:eqvFIdKAO
>>462 ついでに言えば日本全体の呼称もヤマトだからねぇ。
今回の発見も邪馬台国がどこかってより記紀の記述通りの宮殿跡らしきものが出たという事で騒いでほしいもんだ。
魏がどこまで正確に当時の日本を知っていたかも解らんのに、その歴史書を元に推論しても答えなんか出るまいに。
476 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:12:33 ID:/DTlA9aB0
過去にいろいろ水銀のことについて調べてたことがあるが
ソースの出所なんてすっかり忘れてて、
あわててソースを探しまくっていた。
以前はみたこと無かったが、面白いものを見つけた
http://kamnavi.jp/ny/index.htm のなかの
「丹生都姫の歩み」
をみてくれ。初見で信頼性はわからないが興味をそそられる。
>>470 じゃ、「その山に丹あり」という意味は、紀伊半島の物でいいじゃないかw
478 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:13:41 ID:ZmQwEChb0
いくら大型の建物跡が発見されても、それが直に邪馬台国や卑弥呼と
繋がる決定的証拠にはならないのに・・・。
何で、決着できるの?
>>475 >ついでに言えば日本全体の呼称もヤマトだからねぇ。
頭悪いなw
480 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:15:34 ID:V4H/S2AjO
481 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:15:53 ID:fGSdtQmDO
ヤマタイ=ヤマト
近畿確定!
神武東征は、なんで九州が出発点になるの?
なんで、畿内を出発点に濃尾平野のほうに、はたまた更に東の地方にとはならないの?
483 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:16:58 ID:jARxHDKgO
>>415 水銀鉱山www
金に含まれる水銀の含有量じゃないの?w
484 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:17:05 ID:eqvFIdKAO
>>464 勝手に変な可能性を高めるなよ。
纏向の出土品には記紀の伝承にある四道将軍や日本武尊の征服した地域で生産された土器などがあり
むしろ邪馬台国論争のその時代には既に大和朝廷が成立していた可能性を示すのだよ。
>>477 だから、辰砂は、あちこちから出るのであって、紀伊半島の専売特許じゃないでしょ。
486 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:17:44 ID:ndjlXYWt0
>>478 畿内説は、国としての存在は大和朝廷しか認めない。
中国と外交権を持つクニと大和朝廷の並立を認めない。
だから、邪馬台国があるとしたら、
それは必ず大和朝廷でなければならない。
この前提に立つのならば、
当時、最大のクニ=邪馬台国になるんだよ。
前提が違いすぎる。
金印が出てもどっちが(どこが)邪馬台国かなんてわからねーんじゃねーの?
ましてや大型建物なんて
488 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:21:25 ID:mYeMdJv7O
日本の呼称は沢山あるよ
「とよあしはらのなかつくに」
「あきづしま」
「おおやしまぐに」
「しきしま」
「とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに」
489 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:22:19 ID:58GQcUG20
>>482 邪馬台国なんかより、ずっとずっと前の時代、九州、ひょっとしたら江南、などからやってきた。
ってゆーことを指し示すだけかもしれない。
490 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:23:51 ID:V4H/S2AjO
大和政権=邪馬台国にした方がゴッドハンドを発動するのに楽なのはわかります。
491 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:23:59 ID:Fa3yTr+z0
丹の採掘技術者集団が伊都から始まっているというのも
あるのかも知れないな。
492 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:24:26 ID:IoRd5vjr0
卑弥呼の件が記紀に記載されてない、ってことは記紀は偽書か。
494 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:24:36 ID:/3BDiDZ20
>>469 多くの抗争があったなか、陸路・水路を近畿まで無事に行き来するのって、当時としてはかなりギャンブルだと思うが・・・
そういうことを考慮すると大陸に近いところにあるって考えやすいが・・・
=九州ってことではなく、それこそ山陰でも北陸でもいいが、海路もかなりのリスクがあるからな〜
>>463 出雲、丹波、畿内が政治的に非常に近い存在だってこと。
勿論、東国も。
その勢力が邪馬台国と初期大和王朝の骨格になった。
でも大陸に近い北九州勢力が力をつけていき、覇権を求めて大和に
進出を企てる。
その戦略的拠点が河内。
河内王朝が三輪王朝に取って代わる過程を神武神話とし、
崇神天皇以後の史実が曖昧になるのもその辺を誤魔化す為じゃないかと。
496 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:25:52 ID:Zyoy2h490
今まで発見されなかったのが驚きだな。
>>489 畿内から陸路で伊勢に至り、伊勢湾を渡り三河へ上陸、そして濃尾平野へ侵攻。
とは考えたほうが神話に近いとは思うな。
現実 神話
卑弥呼が死ぬ→天照が天の岩戸に引き篭り
男王即位、混乱→太陽が隠れ混乱
台与が即位して混乱収集→天照が天の岩戸から出てきてめでたしめでたし
499 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:28:16 ID:eqvFIdKAO
>>492 ヒメミコトなら山ほど出てきますがね。
だいたい支那側での呼称など伝達技術の乏しい当時日本側で知っていた可能性のが低いだろ。
500 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:29:10 ID:jsLYY8ceO
>>492 記紀を作ったのは邪馬台国とは別のグループって事だな
>>492 記紀は歴史書じゃないだろ。天皇家の支配の正当性のために作られたものだ。
それでも、歴史を完全にねつ造するんじゃなくて、自分達に都合のいいように組み込んだわけ。
読売新聞に載ってた両説の比較表を見たら九州説論拠に乏しすぎて吹いたw
503 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:32:23 ID:j4OUJGCB0
>>487 いや、記述にある通りの文字が記された金印が出土したら決着するでしょ
俺もたいして詳しくないただの傍観者だけど
確か、国立博物館で大陸から卑弥呼に対して金印が贈られたって書かれた文書を見た記憶がある
それは当時、政の公文書に捺されていたはずだから
その金印を使ってた人物は間違いなく卑弥呼だろうし
奈良の人間だが、卑弥呼は九州で、大和には卑弥呼と関係ない大国があっただけだと思う
なんで卑弥呼が全日本を支配してて大和朝廷の直系じゃなきゃいかんのよ?
ところで金印は畑から偶然に出土してみつかったものではなかったか?
506 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:34:28 ID:BEY1Mbho0
三角淵神獣鏡は国産、出土数は500枚以上
丹は別のところからも出る。むしろ伊都がルーツ
貨泉は後世で贋作が一杯でる。
鉄器は福岡の方が多い。
あと畿内説の根拠って何だっけ
507 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:35:18 ID:mYeMdJv7O
九州は筑紫島。身一つにして面四つ。
筑紫国またの名を白日別、豊国・豊日別、肥国・建日向日豊久士比泥別、熊曾国・建日別
四国もこういうのがあるね。
>>501 また出た。
>>120>>127>>145 記は神話。紀は史書。
508 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:36:10 ID:xxzVPdSfO
金印なんてそう簡単に出てくるもんなの?
そんな都合の良い物が出てくるなら
もっと他の物も沢山出てくると思うんだけど
ちなみに今の天皇は福井県から遠征してきた豪族の子孫だから
卑弥呼や大和の政権とは関係ありません(男系という意味では)
511 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:37:50 ID:UKxf4aZJO
>>501 おっと、史記はじめ支那史書の悪口はそこまでだ
512 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:39:28 ID:xoCsltf00
邪馬台国って、ヤマタイコクっていうけどさ、「台」は「と」とも読むんだよな。
すると、やまとこくとなる。
さて、そうなると、吉野ヶ里遺跡にある巨大国家はどうなるんだ、ってことになるわけなんだが。
神武東征説を取ると、そのまますんなり行くと思うんだがね。
513 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:39:41 ID:pDIXfTp40
514 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:39:49 ID:eqvFIdKAO
>>501 あんまり都合のいい捏造ばかりしてたら諸豪族が黙ってなかったろうがな。
この時代の物語ってな記紀だけじゃないんだぜ。
あちこちの神社に記紀神話に平行する伝承が残っているんだ。
その中には記紀と異なるものもいくつかあるが記紀を完全に否定するほど違うものはない。
因みにウチの近所の白鳥神社には白鳥になった日本武尊が祀られているが
記紀神話によれば日本武尊は死後白鳥となり大和へ飛んでいったとされるが
白鳥神社ではオトタチバナヒメミコトの眠る吾妻へと飛んでいった事になっている。
記紀とはまるで逆方向だな。
>>510 継体天皇は応神天皇五世の孫ですから、(男系という意味では)正統です。
516 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:40:51 ID:mYeMdJv7O
>>510 応神天皇五世孫の継体天皇のことを言ってるんじゃないだろうな。
継体天皇こと男大迹尊も、漏れなく男系で繋がってるよ。
517 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:41:06 ID:58GQcUG20
>>504 2世紀末の倭国大乱の後、畿内・瀬戸内連合王国(主たる王国がどこだか知らん)が、
鉄を初めとする戦略物資を、直接大陸から得ていくから。
3世紀半ばから、巨大墳墓が畿内を中心に作られていくから。
九州の大規模集落が3世紀に軒並み衰退していくから。
奈良纒向(まきむく)遺跡での大型建物跡が見付かったからと、関西御用学者が
無理やり邪馬台国や卑弥呼を無理にでっちあげようとしているのが痛い。
墳墓なども鑑定するが、仮に同時期だったとしてもそれが邪馬台国の証拠とは
言い切れないだろ。周辺地域の出土品内容など合わない。
ひとつの集落国家の存在ではあるだろうが。
魏志倭人伝の記載で、半島からの日数などから近畿だろうと言うが、九州から先の
日程などが不明瞭。それに当時は今と陸路などを進む速度も違ったし、ル−トも
複数あったはず。日数などから見て北部九州にあったのはほぼ間違い無いよ。
ちなみに北九州と言ってるが、当時は小倉や八幡などは漁村があるかないかの
時代だから間違えないように。九州にあった邪馬台国がその後勢力拡大で移動、関西含む
他地域を勢力下に置いた可能性は否定しない。
ちなみに九州北部は卑弥呼以前から古代王朝国家が存在し、金印始め大陸との交易
や交流があった日本最古の文化先進地域だった事も事実だ。卑弥呼邪馬台国
の時代の宝物や、鉄や鏡なども周辺で数多く出土している。
吉野ヶ里の大規模遺跡なども本物だ。九州国立博物館では金印と別に邪馬台国探訪の催しもあってたよ。
時代は下るが、先日広大な大宰府政庁跡の隣で、正倉院を上回る規模の
大規模倉庫跡とその定礎の敷石が見つかった。
519 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:42:03 ID:V4H/S2AjO
学者の面子を保つには、大和=邪馬台 で捏造をやりやすくするしか手がないわけだろう
大金も入るし一石二鳥だな
520 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:42:32 ID:BEY1Mbho0
別に畿内に別勢力があるのは否定しないんだよ。
いずれ九州が飲み込まれるのは事実だし。
でも弥生時代の九州王朝の否定にはならないんだな。
タイムマシンがあればなぁ。というわけで、
「タイムマシンにお願い♪」
522 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:43:47 ID:jsLYY8ceO
畿内厨さんは「世界で最も古く由緒ある血統ニダ!ホルホル」と言いたいだけだろ
>>520 問題はそこなんだよ。畿内説の学者は、九州に畿内とは別の勢力があった可能性を、根拠もなく
否定するだけなんだよな。
>>485 いつのまにか辰砂の話に変わってるよw
しかし巻向が水銀鉱山の麓で、重要な土地である事実は変わらないでしょ。
先日発表された、桜井茶臼山古墳からも半端な量じゃない
水銀朱が確認されてるしな。
関東はかなりの期間未開の地だったの?
>>523 畿内説の学者って熊襲や隼人を否定してるの?
当時の九州に奴国や投馬国はどこにあったか説明出来なきゃ
話にもならんね。
528 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:46:26 ID:BEY1Mbho0
別に巻向で水銀朱がでてもいいんだよ。
九州は九州で水朱銀がでるから。
だから優位性の議論にはならない
530 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:47:12 ID:Sb89EOcP0
>>512 台に、トの読みはなかったと思う。
その旧字の臺には、ドの読みがあったらしい。
むしろ、台にあったのは、イ。飴、怡など。
臺によく似た彙だったかにも、イの読みがある。
531 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:47:31 ID:xoCsltf00
ところで、福岡県の京築豊前地方(宇佐神宮直轄領も多くある)には、創建が西暦660年代〜700年代初頭の神社が
腐るほどあるわけだが、これって、何を意味してるんだろうな?
そろったように、西暦660年以降なんだけど。
532 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:47:47 ID:eqvFIdKAO
>>525 縄文時代は逆に関東の方が栄えてたみたいだよ。
533 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:48:10 ID:V4H/S2AjO
>>523 そりゃそうだろう、否定しないと捏造できないからな、大和政権の遺産を邪馬台国の遺産として公表する気満々だからな
>>517 つまり
金印貰ってるから機内は鉄を輸入できた
九州に金印があったなら直接輸入できる九州が衰退していくはずがない
ということか
>>524 元々辰砂の話ですが。
何度も繰り返すが、いくら水銀鉱山が近くにあっても、それだけでは倭人伝の記述に合致している
とは言えないでしょ。それこそ、辰砂はあちこちが出るわけだから。
逆に言えば、倭人伝の記述と合う話は、それしかないと言う事ですね。
536 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:49:30 ID:BEY1Mbho0
>>531 へー、大化の改新の少し後
または白村江の直後か。
なにかありそうだね。
537 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:50:04 ID:pDIXfTp40
はっきり言うと「魏志倭人伝」「邪馬台国」「卑弥呼」って言う文字に
騙されてるだけ。大和王権の建物跡が発見されたと考えればいい。
謎めいた漢字と語感に、何か別の国があったように錯覚してるんだよ。
普通に今で言う「大和」であり「日巫女」で良いんだ。
538 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:50:30 ID:xoCsltf00
>>525 関東は関東ロームがあるように、不毛の地時代が長かった。
あと、桜島だか阿蘇山の大爆発の影響で、東北より南が不毛の地になった時代もある。
>>530 ヤマド国か、ヤマィ国→山国・・・あれ、山国川って、大分の宇佐近辺に無かったか?
540 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:50:43 ID:Sb89EOcP0
>>531 あの時期は怪しいからね。
天智も即位しないし、白村工の戦いがあったってのに、
皇族は誰も九州に着てないし。
また、畿内論者の情報操作かw
542 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:52:20 ID:xoCsltf00
>>536 近所の何の変哲も無い、貴船神社が創建が1350年前=西暦659年とか、
嘘だろwwwって話がごろごろと。
あと、関係ないが、行橋市民は誰しも、大人になってから「あそことこことそこは、実は在日」と親から聞かされて
びっくりする。
543 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:52:40 ID:V4H/S2AjO
なんだよ、卑弥呼は皇族なのか?!占い師かと思ってたんだが・・・・
544 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:52:46 ID:ndjlXYWt0
>>537 大和朝廷に連なる遺跡跡であることは間違いないだろ。
それだけで大発見だよ。
全くの別のクニであるかもしれない
邪馬台国と繋げようとするから無理が生じる。
545 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:52:57 ID:hV6tyYaUO
考古学利権の為に学芸員の方必死ですね
仕訳で予算カットご愁傷様w
大分の耶馬溪は邪馬台国の捩りかなんか?
「男系万世一系」の天皇家は2600年以上の歴史を持ってるはずなのに、なんで3世紀の日本に女性の支配者がいるのw
548 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:54:21 ID:vx9mppmF0
森浩一の見解を知りたい
549 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:54:35 ID:mYeMdJv7O
>>529 ?
信じるも何も、系譜の書かれた紀より古い史料があるから(ただし逸文)。
550 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:54:38 ID:pDIXfTp40
551 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:54:49 ID:BEY1Mbho0
糸島の実家の近くの神社
高祖神社ってのがあるんだが
その神社の前身に当たるものがあったらしく
その創建が「神代」だった(笑)
>>535 俺は辰砂の話してないけど。元々弥生後期に水銀鉱山跡が確認出来るのは
徳島と紀伊半島だと言ってたはず。
それに九州説では巻向からは大規模な建造物が何も無いと言われてたが、
それが補強できたのだから当然その点は主張しますけどね。
系図なんて簡単に捏造できるもんなw
554 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:56:27 ID:v994HHL+0
555 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:56:47 ID:xoCsltf00
>>539 ああ、あるよ。遺構が。いっぱい。
しかし、それにしても、650年代〜800年代にかけて、豊前地方、輝きすぎw
tp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51167876.html
556 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 19:57:09 ID:eqvFIdKAO
景行天皇の時代の記紀の話が捏造という事になれば伊勢神宮も熱田神宮も無かった事になるわな。
記紀は口伝なので基本的に事実をその通りには伝えてないのだろうが
全く無かった話をしているわけではあるまい。
557 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:57:19 ID:mYeMdJv7O
裏付けが存在してる、ってことだよ。日本書紀の記述(応神天皇五世孫)の。
558 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:57:19 ID:Sb89EOcP0
応神5世の孫が事実だろうと、事実じゃなかろうと、
奈良時代から、皇室の系統に関する強い意識があったことだけは間違いな。
文化においてはそれが大事なんであって、生物学的にそうであるかどうかは二の次だな。
だって、近世以前は、ほんとの親子かどうかの診断なんて、当時の人間にはできないからな。
559 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:57:22 ID:BEY1Mbho0
大分の古い神社でたしか創建が「神代」になっていたものがあったと思う。
宇佐じゃなかった。
この「神代」が大和朝廷以前の九州王朝時代なのかなと
すこし思ってる。
560 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:57:26 ID:ndjlXYWt0
>>526 少なくとも、「中国と外交を結ぶ可能性があるような国の存在」は否定しているだろ。
そうでなければ、「巻向は当時最大の国だった」という結論から、
「だから、ここが邪馬台国なんだ」という主張に飛躍できない。
561 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:58:12 ID:4PJyBKdC0
>>553 系図の捏造は簡単じゃないよ。
俺の祖先は卑弥呼の親戚だって系譜作ったら信じるのか?
>>558 その「強い意識」を持ってたのはどういう人たちなのかなw
563 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:59:11 ID:fGSdtQmDO
マイケルとミハエルみたいなもんだろ。
ヤマトとヤマタイは。
イタコに頼んで卑弥呼に直接確認してみればいいんじゃね(´・ω・`)?
565 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:59:30 ID:xoCsltf00
>>559 今井津須佐神社(福岡県行橋市)と金富八幡かな?金富八幡(福岡県築上郡築上町)は、
日本最古の八幡神社らしいし。
566 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:59:36 ID:Sb89EOcP0
>>562 ???
少なくともチョンじゃないだろうな。
最近まじめに邪馬台国やってる考古学者なんているの?
うちの大学の教授もよくそのネタでシンポジウムやってたが、学内じゃ一言も聞いたことなかった。
いい客寄せパンダなんだろうなぁ。
568 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 19:59:58 ID:ndjlXYWt0
>>550 繋がらないことの何が不思議なんだ?
邪馬台国以前に金印をもらっていた奴国は、
邪馬台国や大和朝廷にそのまま繋がっているわけではないだろ。
まだ日本の統一前で、群雄割拠、騒乱の時代だったんだから、
後に滅びるような勢力が、中国と外交関係を結んでいてもおかしくないだろ。
>>552 ほお〜、丹とは一体何ですか?
まあ、大規模な建造物か出た、それが何か、としか言いようがありませんがねww
570 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:00:17 ID:jARxHDKgO
>>524 水銀だけあっても、金が無いと話にならないでしょ?
>>513 畿内で直系だったらもうちょっと存在の残滓がどこかに残ってんじゃないかと
昔、記載の道順とか近畿だと無茶っぽいと聞いたし
負け組の文明だから途絶してんのかなと。でも
>>537ってこともあるか・・
・・・あるのかな、うーん
572 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:01:13 ID:4PJyBKdC0
>>560 「巻向は当時最大の国だった」ならば、
北九州しか支配できなかった国を、魏が金印贈るわけないだろ。
魏は近畿の情勢を知らなかったでは理由にならない。
知らないわけがない。
573 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:01:59 ID:rgdz6/u/O
ぎし倭人伝よくわからんね
>>531 朝鮮人の血が濃い九州だと
創建時期を捏造する事もあるだろう。
575 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:02:36 ID:UKxf4aZJO
>>540 白村の江の戦いの時、斉明天皇が行幸して朝倉に宮を構えたが
朝倉は大和と同じ地名があると九州説の人達がしきりに言う場所ね
「系図なんて簡単に捏造できる」って言ったら皆さん敏感に反応しましたねw
577 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:02:57 ID:ndjlXYWt0
>>513 畿内でダメなわけじゃないぞ。
その証拠がないだけだ。
中国から邪馬台国までの総距離12000里で、
途中の伊都国までで10500里を消化しているんだぞ。
無理がありすぎだろ。
578 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:02:59 ID:Sb89EOcP0
>>572 知らない訳がない、理由は?
通信も旅行も自由にできず、それ以前に中国の使者が来た形跡もないのに、
なんで知らないはずがない、などと?
中国は、アイヌや、樺太やシベリア、なんでも知ってたのか?
古墳時代ぐらいからしか歴史学上は天皇(大王)は辿れないらしいな。
つまりそれ以後はヤマト王権が支配して権威を示すのに捏造された
可能性が非常に高いとさえ言われてる。
つまり大和王朝があったから畿内に邪馬台国はないとする
暴論は空想にすぎないと。
金印ってさ、相当大事なもんだよな?国を治めるにあたって
だったら卑弥呼死んでも埋めなくね?
普通代々伝えるんじゃね?
三種の神器に入って無いし、日本書紀の記述無いし
ヤマトにはまったく繋がってない気がするんだけどなあ
582 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:04:52 ID:BEY1Mbho0
>>578 知らないつーか、すくなくとも金印の時代の畿内は
中国にとって知らないか、気にしない程度の規模だったんだろう。
583 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:05:00 ID:mYeMdJv7O
>>558 どの氏族も、自分達の一族の始祖、祖先の系譜を意識してただろうことは
>>108の鉄剣銘の他の記述内容からも分かる。ワカタケル(雄略天皇)の臣下だった人の、先祖の名前がつらつらと書いてあるから。
一方半島の楽浪郡では とっくに貢女が 制度化されて キーセン立国が成立していた
>>577 それだと水行30日と陸行一月はどう説明するんだ。
586 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:05:21 ID:4PJyBKdC0
>>578 九州は孤島じゃないぞ?
すぐ隣は狭い海峡をはさんで山口県がある。
出雲がある丹波がある。
瀬戸内海には吉備がある。
それらのクニグニの交易は盛んだったのに、
情報を知らないなんてありえないんだよ。
日本地図広げてよくみてみろ。
587 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:05:55 ID:ndjlXYWt0
>>572 >「巻向は当時最大の国だった」ならば、
>北九州しか支配できなかった国を、魏が金印贈るわけないだろ。
これが間違いだろ。
なぜ送らないんだ?
当時は統一された日本の範囲なんていう概念はないんだぞ。
九州の一部地域にあるクニと中国が外交を結んで金印を送った。
それ以上でもそれ以下でもないだろ。
その後の朝鮮も、統一せずに分裂していても、
それぞれの国が中国と外交関係を結んでいるじゃないか。
統一された朝鮮、統一された日本なんていう概念は当時ないだろ。
畿内説を唱えるバカな素人の意見が面白過ぎるな〜。
地理的関係上、本州に倭があるハズ無い。
航海術を無視する考古学などアフォ。
当時のレドンダやカラベル以下の船で関門海峡や日本海を航行するのは不可能。
589 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:06:36 ID:UKxf4aZJO
>>529 君、桓武天皇の母親の先祖が百済から来たって信じるかい?
遺跡にヤマタイコクって書いてあれば信じる
591 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:06:52 ID:xoCsltf00
>>571 筑紫君磐井の乱により、九州政権が滅亡ぶっこいたのが、西暦528年。
白村江の海戦の敗戦に伴い、倭国に唐新羅連合軍の進駐軍が来たのが西暦665年〜671年。
ここで、倭国が滅んで、大和政権になったという話もないではない。
592 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:07:29 ID:xoCsltf00
>>574 否定できない。
だって、今でも「筑豊はボヤ騒ぎ、豊前は怪文書」って決まってるもん。
>>588 コンチキ号どう説明するんだw
多分釣りだろうが
>>580 三種の神器には入らんだろうとは、詳しくない俺でもわかる。
595 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:08:46 ID:Sb89EOcP0
>>586 一体、お前は何を言ってるのだ?
なんで、中国が機内に国家あるのを、知らないわけがない、と言ったのかその理由を聞いてるのだ。
そこに行くために倭国に着たって話しだろ?
着てみたら、畿内にあるらしいじゃ駄目だろう。
596 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:09:06 ID:UKxf4aZJO
>>523 連合国家の時代で九州に豪族(キミ)がいた事は誰も否定していないけど
記紀も否定していない
597 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:09:19 ID:ndjlXYWt0
>>585 同じ史書の中に10500里・12000里と、
水行・陸行の記述がある以上、
当時の人は矛盾なく理解していたんだよ。
だから、現代人にとって、水行・陸行の解釈が分かれても、
「残り1500里」は変わらないだろ。
水行・陸行の解釈としては、
距離ではなく、使者が実際にかけた時間とも言える。
解釈はわかれるだろうけどな。
598 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:09:41 ID:BEY1Mbho0
白村江で壊滅的な打撃を受けて
九州王朝は滅んだんだろう。
そのころから大和朝廷の歴史は始まる。
599 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:10:11 ID:4bD+a2tt0
最近の邪馬台国スレを見てるとわかるけど
畿内説は
・根拠なく決め付ける
・レッテルを貼って馬鹿にするだけで議論しない
・多数派工作
など民団的な手法を使っている事が多すぎるのが気にかかる
600 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:10:21 ID:4PJyBKdC0
>>587 >統一された朝鮮、統一された日本なんていう概念は当時ないだろ。
それは、君の感想でしょ。
西日本全体が倭国ということで、どういう問題があるんだ?
601 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:10:36 ID:V4H/S2AjO
>>577 畿内説派は距離に関してはスルーするんだよ、人口に関してはグダグダ言うくせに
うちの考古の先生も
「まあ、ぶっちゃけ邪馬台(やまと)」なんですヨwwって言ってた
603 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:11:08 ID:Sb89EOcP0
>>599 そう、完全に信者の発言なんだよね。
根拠がないから、そういうしかないんだろうけど。
604 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:11:21 ID:5ZzNIKvl0
>>578 少なくとも北九州までは中国の使者が来てるだろ。
瀬戸内海なんて穏やかな内海だし簡単に九州から畿内へは旅できたはず。
行かないまでも、もし畿内に邪馬台国があって北九州までも支配下に置いていたとしたら、
畿内の情勢がまったく中国の使者の耳に入らないというのは不自然。
ところが魏志倭人伝には一切の畿内を連想させるような描写が無いんですなぁ。
>>569 ここでは丹=水銀朱と解釈してるよ、貴重品なはずだが。
それか何かというわりにはムキになってるようですが。
気にしなけりゃいいのにねw
結局邪馬台国スレって考古学からはじまっても文献史の観点で語られるんだな。
>>591とか何か見てると悲しくなる。
何でお前ら、文献史の西暦をそのまんま信じてるんだよ。
モノから歴史を語ってこそ考古学なのになぁ。
607 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:12:07 ID:xoCsltf00
608 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:12:23 ID:jZ5ebyX50
魏志倭人伝のテキトーな話に歴史を合わせるキチガイ学者たちw
大和に天皇の勢力があったことと天照大神という女神の神話をテキトーに合わせて書いたもんだろw
あと可笑しすぎるのが農耕渡来人が原住日本人を駆逐した話w
鑑真でさえ何度も失敗してメクラになってるっちゅうのに
むかしむかしの船で渡ってきて農耕に適した土地とかわけもわからず勢力蓄えるのに何百年かかるやらw
今の農民がどっか渡ってやってみろっちゅうの、工作機無しでwww
ほんと日本のえらいさんてキチガイ揃いだよ
>>523 当時の航海術では、北部九州を経由しないと朝鮮半島には安全に到達出来ない。
3世紀の畿内の遺跡群から大陸系の文物が多量に出土する以上
畿内勢力が北部九州を勢力化において大陸と交流を持っていたと考えるのが自然だろ
>>599 まぁそうだけど、考古学的なものが何も無い九州説派の方も酷くない?w
611 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:13:13 ID:4PJyBKdC0
>>604 >ところが魏志倭人伝には一切の畿内を連想させるような描写が無いんですなぁ。
水行十日陸行一月は九州だけの旅程じゃないだろ。
612 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:13:21 ID:xoCsltf00
>>606 あ、そうか。そういえば、「初期の天皇の生没年は二期作の年数だから、半分で考えるべき」って話があるね。
だとしたら、ズレまくりなんだよね。
613 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 20:13:32 ID:eqvFIdKAO
>>568 群雄割拠してたかどうかもよくわからんのだがな。
その上その時代の事はまるで解らん上にもっと後の倭の五王の事さえ日本側の記録にはまるで残っていない。
江戸時代の対馬藩のように勝手に外交をやってた地方があったのかもしれんし
完全に別の独立国があったのかもしれんし、何か思う所があって記録を抹消したのかもしれん。
日本側はそんな気は無かったのにあちら側が勝手に朝貢として扱っていたのかもしれんしな。
614 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:13:39 ID:Sb89EOcP0
>>606 じゃあ、モノだけ語るんだな。
邪馬台国の話は、文献になるから。
畿内に国名は分からないが、大きめの国家があったらしい、とだけ言えば宜しい。
615 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:13:56 ID:UKxf4aZJO
>>599 君は誰と戦っているんだ?
俺が相手した九州説の人達の方がやたらと相手を馬鹿だアホだといちいち言っていたが
616 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:14:03 ID:ndjlXYWt0
>>598 >そのころから大和朝廷の歴史は始まる。
大和朝廷より九州王朝が大きかった、
それまで九州王朝が正当だった
なんて言う必要はないだろ。
問題がややこしくなるだけだ。
独自に発展してより大きく強大だった大和朝廷が、九州勢力を飲み込んだ。
それだけで十分。
617 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:14:45 ID:mYeMdJv7O
618 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:14:54 ID:xoCsltf00
>>610 ・京都郡の旧名は「美夜古」
・で、苅田町にも古墳があるし
・ひょっとして、京築豊前地方にヤマタイコクあったんじゃね?
そんなバカなwwwwって主張も有るからなあ。
予断を持たずに史料を精査すれば、邪馬台国は現在のソウルにあることは明白なんだがな
620 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:15:41 ID:xoCsltf00
>>613 今でこそ、同じように語られる「にほん」と「にっぽん」は同じ漢字の別の国って話もあったなw
621 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:15:41 ID:jZ5ebyX50
農耕渡来人なんて最初の作物が極わずか実る前に死にますよ確実にwwwwwwww
>>605 水銀朱と言うのは辰砂の事なんだが。
俺がムキになって反論しているのは、倭人伝の記述と合致する出土物が極めて少ないにも拘
わらず、「邪馬台国は畿内しかあり得ない」と決めつける畿内説論者の態度に対してですがね。
>>608 当時の航海術は陸を見ながら進むのが基本。
よって、北九州→対馬→朝鮮→中国という航路は比較的安全だ。
一方、東シナ海を縦断する航路は無茶苦茶危険で、一発勝負の冒険航海。
朝鮮の王権と外交関係が悪化した時期を除けば、明治に至るまで
基本的には朝鮮経由の航路しかない。例外は平安時代だけ。
624 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:16:05 ID:Sb89EOcP0
>>609 いやいや漢鏡とか、中国産の錦なんかは九州の方が多い。
確か、近畿には漢鏡なんかなかったはず。
>>577 だから12000は女王国までの距離だってw
女王国=邪馬台国ではない。
女王国は女王を共立した国の総称なんだよ。
瀬戸内海周囲の国々が女王国なんだから
畿内説でも問題ないんだよw
邪馬台国は女王が都する所だから。
継体を応神の5世の孫である事を信じてる馬鹿がいる事に驚いたw
SAGA W
書かれてる人口見たら邪馬台国の西に少なくともそれなりの人口を
持った国が二つ存在しなきゃいけないんだけど
それについての説明をまずして欲しいな。
それに九州からだと瀬戸内海の航路使って畿内を行き来してたから
距離に関しては掛かった日にちとかで置き換えればやっぱ畿内にあった
とする説が一番説明つくんじゃね?
629 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:17:26 ID:5ZzNIKvl0
>>611 >水行十日陸行一月は九州だけの旅程じゃないだろ。
ねえ方向は?方向は?
東に向かって水行十日陸行一月って書いてあるの?
630 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:17:47 ID:kQHlHrQeO
何で天皇の墓と言われている古墳そのものを発掘しないの?
いけない物が出てくるの?
631 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:17:56 ID:Dj2GOmuHO
佐賀はただでさえ何もないのに
632 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 20:18:02 ID:eqvFIdKAO
>>579 戦後は皇国史観否定派の学者ばかりになっちまったからな。
特に根拠もなく記紀は虚構と決めつけやがる。
633 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:18:21 ID:ndjlXYWt0
>>613 わからんというのが正直なところではあるだろ。
例えば、「中央政権からの命令書」「中央政権の年号」等が
九州地方から出ない限り、統一政権の存在は確定しないだろうしなあ。
わからんものを、「統一されていた前提」で
仮説を立てても仕方ないと思うんよ。
>>629 南に向かったら沖縄台湾まで行っちまうだろ・・・。
635 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:18:33 ID:BEY1Mbho0
遣唐使の時代には、しょっちゅう渡航に失敗して
ぼろぼろになってるが、
卑弥呼の時代には描写が無く、あっさりと中国に行ってるし
だいたい壱岐対馬の住人や玄界灘の海人が、そんなに
ぼろぼろではやっていけない。
大量に交易した形跡もあるし。
九州王朝が滅んだあとに、むりやり穏やかな瀬戸内海の船建造技術で
遣唐使を強行したからではないかと思ってる。
あと、聖徳太子の遣隋使は本当に実行したかどうか怪しい。
別のネタを引っ張ってきているような印象。
636 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:18:44 ID:UKxf4aZJO
>>588 白村江の戦いの時、三世紀と大差ない造りの軍船を駿河で作り半島まで航海させましたが何か?
>>609 出雲は直接半島と交易していたと考えられるんですがね。
それと、当時の航海術をバカにしちゃいけない。日本海ルートなら、北部九州はスルー出来る。
>>624 作りたての銅鏡見たことあるか? 凄いキラキラ輝いてるぞ。
見栄を重視する中国王朝が、古い鏡を寄越すわけないだろ。
当然、新品の鏡を貰ったはずで、漢鏡は邪馬台国の鏡ではない。
639 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:19:05 ID:pPv3gjc00
出雲(剣)、吉備(鏡)、越(玉)の連合国家だった大和政権。
幼き応神を連れ、宇佐から東へ向かった神功皇后。
>>619 知っていてもそれは言ったらダメwww
あくまでも日本の中にある邪馬台国を議論してます。
朝鮮半島の邪馬台国は偽物か贋作であり、文献は捏造されたものですwww
>>632 それをひっくり返すには陵墓を掘るしかないな。
神話みたいな話だなあ
643 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:20:01 ID:4PJyBKdC0
>>629 君が沖縄説を採るなら、その質問は意味があるがな。
644 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:20:59 ID:UKxf4aZJO
>>591 百や二百の兵を伴う捕虜交換の使節が進駐軍?
645 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:21:10 ID:mYeMdJv7O
>>626 上宮記逸文(日本書紀とは異なり、かつ紀より古い史料の写し)にも、紀と同じ内容の系譜があるので。
名前の字(当て字)が微妙に違った気はするけど。
>>608 ちょっと弥生時代前期の農業技術のレベルを調べてみな。
いまとかわらない高度な技術の塊だから。
そんな短期間で全てを当時の世界と同じ位置まで発明できるわけないから
外からわたってきたのはまぎれもない事実なんだよ、考古学的に見ればね。
647 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:21:34 ID:jARxHDKgO
神代つながりで
神代文字(カタカムナ文字)ってのがあるね
648 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:21:38 ID:Sb89EOcP0
>>625 こらこら、だったら、女王国以北、って言葉はどう解釈するんだ?
支配国全体が女王国なら矛盾してしまう。
649 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:21:59 ID:ylTrqK7RO
650 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:22:33 ID:AaFCYnB2O
いまだに、九州説とか主張してる人って、
ちょと頭がアレなひとだけって、
中学の社会の先生が言ってたのを思い出す。
本当は邪馬台国なんか無かったんだけどね
652 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:23:00 ID:313fTYSyO
大韓民国九州自治区
だから
どんな捏造してくるか
わからんぞ
653 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:23:34 ID:nSiboo9GO
九州説は物的証拠が少ないんだろ?
654 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:23:34 ID:feT9/JHb0
>>552 徳島 和歌山 淡路島を掘りまくったらなんか出るか。
徳島には霊峰 剣山とかあるし、近代でも大阪と繋がりが強いから
明治あたりでは日本の県別人口のTOP10以内と今では考えられない
状態だったみたいだな。
古代より近畿が発展していたなら、海路でやはり近くて危険が少ない
淡路島→徳島は発展する
九州なら海路 山口 四国なら愛媛の半島だろ
そこらを掘り返しまくったら何かわかるだろ。
特にあんまり手の付いてない四国はなんか新発見があるはず
徳島は特になんかあるはず、皇室の儀式に使う大麻を
厳重管理の下 昔から栽培している地域がありその地名も大麻だと・・・
>>588 日本海航海不可能って・・
じゃぁ弥生時代に朝鮮半島と日本列島それぞれで見つかってる互いに別のものはどう証明するのさ。
全てオーパーツとか捏造にあたるのか?
656 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:23:55 ID:jARxHDKgO
>>640 これの事?
>一方で卜部兼方は「釈日本紀」(鎌倉時代中期)で、
「先師曰く、魏志の文、惣て読むべからず」と述べて日本書紀の引用を全て退けているのもあります。
657 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:24:10 ID:UKxf4aZJO
>>632 その影響で団塊世代あたりの九州説の素人研究者は、史料批判もせず(できず)いきなり記紀を否定する
658 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:24:28 ID:CCUSsORsO
あの掘っ立て小屋が宮殿ていうのか日本ではw
>>634 >>643 むしろ「沖縄まで行っちゃうから」って理由だけで方向を曲げるほうが不自然だと思う
660 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:25:51 ID:mYeMdJv7O
>>647 それ、江戸末期・明治初期の、中二病の人の捏造だから。
>>638 漢の鏡は魏が漢の正統な後継者である事を象徴する重要な骨董品だろ。
662 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:26:18 ID:p8j8JuXK0
岡田外相は邪馬台国は韓国説唱えてたけど誰が正しいんだろうな。
663 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:26:29 ID:V4H/S2AjO
畿内説には無理があるが、畿内説派の偉い学者にはそんなもの関係なく権威をもって捏造してくるだろう
名誉と大金が同時に手に入るからなW
>日本側はそんな気は無かったのにあちら側が勝手に朝貢として扱っていたのかもしれんしな。
これが正解かもねー
なんだったら、もともとの論点である金印がどこで作られたかを確認し
その作り手の関係者あたりを追っかけてみたら?
できれば、卑弥呼のことを報告した人物の「関係者」あたりもいいかもね?
まーどっちにせよ、遭難まがいのことに巻き込まれず、精密な記録残せるなんて、本当に凄いよね〜w
なんてねーw
>>657 そしてその反動で今の若い研究者は無批判で記紀を受け入れてることが多いとよくいわれる
666 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:26:49 ID:CG7p69NY0
>>635 対馬から朝鮮に渡り、後は黄海を港伝いに進むだけなら、難破なんかしない。
遣唐使が大変なのは、南海ルート(新羅と戦争状態だから)を通るから。
日本史の中学教科書にでも書いてある。
>>653 平原遺跡が女王の墓と確定してるのに畿内説のバカに完全スルーされてます。
>>622 重要な場所には変わりないですな。
それに倭人伝であって、邪馬台国伝ではないでしょ?
邪馬台国の風俗を書いてる訳ではないですよ。
tesu
670 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:27:02 ID:Sb89EOcP0
>>650 結局、こういうことしか言えないのが近畿説論者。
671 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:27:05 ID:5ZzNIKvl0
>>625 >だから12000は女王国までの距離だってw
>女王国=邪馬台国ではない。
>女王国は女王を共立した国の総称なんだよ。
>瀬戸内海周囲の国々が女王国なんだから
>畿内説でも問題ないんだよw
いくら何でも無茶だよ。
対馬も邪馬台国の支配下にあったわけだから、あんたの理論では
対馬までの距離をもって女王国に入ったと書かないとおかしい。
なんで瀬戸内海に入って女王国認定になる意味が不明。
>>634 南に行ったら駄目だから、勝手に東に行ったことにして畿内に邪馬台国がありましたというのもどうかなw
>>645 日本書紀の武烈天皇の悪行も信じてるんですねw
673 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:27:25 ID:BEY1Mbho0
玄界灘は波が荒い。
もちろん海流の影響もあるだろう。
玄界灘の海の民はそんなこと熟知しているから
海流や風、波を計算して航海するが
瀬戸内海前提で設計された船と、瀬戸内海の海の民では
遣唐使船を運用するのは難しいだろう。
それが25%の遭難になっている。
>>649 発見当時からずっとってのがすごいよな、
でも、それについては捏造説の根拠となった
「蛇の紐なんてありえない」が、中国の南部かどっかで似たものが出たことからほとんど否定されてたはず、うろ覚えだが。
捏造合戦に勝利するニダ
676 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:27:58 ID:nSiboo9GO
巻向遺跡周辺は民家が多いから無茶に掘り返せないのが痛いな
>>661 古い=良いなんて価値観が古代にあるわけねぇw
それをやり始めたのはもっとずーっと後の時代だ
678 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:28:04 ID:lXhe9nm+0
邪馬台国=畿内はずいぶん前から考古学では常識になっている。
世間が知らないだけだ
679 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 20:28:20 ID:eqvFIdKAO
>>630 君は自分ちの墓を暴かれたいかね。
死者静かに祀るものだ。
680 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:28:29 ID:mYeMdJv7O
681 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:28:32 ID:CrKErv1qO
巨大過ぎるほうが信憑性ないだろ。
それに、建物作るのに切りたての木は使わないし、古代ならなおさら古い建物から材木を流用してもおかしくない。
科学は都合のいいように解釈すればどうにでもなるんだよ。
どこかの国みたいに願望で決着されない事だけを希望しております。
織姫と彦星・・・
684 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:29:12 ID:CG7p69NY0
>>673 明石海峡、関門海峡、各瀬戸、瀬戸内を何故「瀬」戸内というか…。
潮流の速さなら、玄界灘など屁でもないのですよ。
685 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:29:51 ID:53/qQUpVP
>>668 では、邪馬台国は倭人の国ではないのかね? それほど内陸部の邪馬台国が習俗も書いて貰えない程
軽視されるのは何でなのかねえ。
金印て日本に何個贈られたとか、ちゃんと管理記録されてるもんなの?
688 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:30:45 ID:Sb89EOcP0
>>677 いや漢からの禅譲だし。そんなに古いわけじゃないよ。
三角縁の方がよっぽどおかしい。
>>679 埋葬者をちゃんと確定した方がいいんじゃない?
間違ったまま祭ってるのは良くないよ。
>>688 邪馬台国との連続性を主張する為に
大和王権が捏造、って考えの方がよほど無理があると思うがな
691 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:31:46 ID:5ZzNIKvl0
>>668 その国最大の都市であり、支配者の住まうクニの風俗を書かない報告書なんてあるか?
>>678 だよな、物的証拠があまりにもかけすぎてる。
まぁ九州にその頃ぐらいまでは勢いがあったのは事実だろうけどなぁ。
>>667 伊都国が邪馬台国なら、普通ちゃんと書くと思わないか?
邪馬台国が畿内にあったとすると、後の大和朝廷は九州から東遷して
その権力を簒奪した勢力、と言うことになりかねないからな。
これがウヨが九州説を採りたがる理由。
695 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:32:51 ID:sdfro/470
天孫降臨は九州の高千穂の峰である事に畿内説論者も異論が無いらしい。
では何故九州高千穂なのか。人間が空から降ってくるわけはない。
記紀によれば神々は高千穂の峰から東の日向へと向かい、そこでコノハナサクヤ姫と結ばれている。
とすれば、神々は高千穂の西側からせっせと山道を登ってきたと考えるのが自然である。
高天原は九州山地の西である。
>>677 そんな事はないだろう。古いから良い、ではなく、先祖からの大切な宝物を受け継ぐ、と言う
考えが、なんで三国時代になかったと言い切れるんだ?
697 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:33:02 ID:mYeMdJv7O
>>672 それを否定する必要がどこにもないし。
ある天皇の悪業も記す「天皇の支配の正統性を示すための政治創作された」史書という解釈の方が苦しかろう。
698 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:33:13 ID:BEY1Mbho0
さすがに三角縁が卑弥呼の鏡と言っているネタは
もう余り見かけなくなったな。
500枚一気に出土されたのが効いたらしい。
常識的な思考で考えて、邪馬台国の本拠地は本州のどこかだろう。
そして海からはそう遠くはない場所のはずだ。
当時の海岸線から、せいぜい100km以内だろうと思われる。
700 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:33:18 ID:4PJyBKdC0
>>691 山から丹が取れると書いてあるだろ。
三輪山の東の宇陀のことだよ。
>>648 何いってるの?
女王国が瀬戸内海周辺国の事で、
傍国がその諸国を説明してるとしたら
境界が奴国というのもピッタリじゃないか。
伊都国には別に王がいて、女王国に従属している。
周辺諸国をまとめてるとも書いてるでしょ?
当時日本列島は南北に直立していたのだ!
邪馬台国は近畿。決定的な証拠も発掘された模様。
703 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:33:37 ID:kx/Y1zGc0
>>1 ???
なにこの産経の偏向・捏造報道?
普通にまだ年代測定との整合性も不明だし、邪馬台国が九州か幾内かなんて話とは完全に別次元での成果だぞ
704 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:33:51 ID:4bD+a2tt0
何事につけ「信じる」のは学問的な態度じゃない
物証を根拠に理屈の通った議論すること以外では
事実から離れるだけ
文献は嘘ばっかりのことも多いから
具体的な記述自体よりも
著者がその記述をしようと思った、背景にある意図を考えた方が
当時の状況を正確に把握できる
その著者の意図次第によっては
記述が事実を伝えていることもありうる
文献っていうのは、そういう風に使う資料だろう
倭人伝では
・遠くにある
・理想郷
という著者の願望が見えるし伝聞であることからも
距離や人口は願望修正が入っていそうだ
記紀の場合は
・歴史を伝える
・天皇家に権威づけをする
という政策に基づいているものだけど
その目的のためなら、地名や固有名詞には信憑性が高そうだ
705 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:34:19 ID:UKxf4aZJO
706 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:35:01 ID:l+NnVVKF0
畿内も九州も、何かが発見されるたびに「ヤマタイ国が発見された!」と大げさに騒ぐので、
どんなものかと報道を見てみればヒミコのヒの字も無い。
はやく失業しろよ、馬鹿学者ども。
707 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:35:20 ID:ndjlXYWt0
>>679 個人の意見で言えば、考古学的価値が有り、
慰霊などを伴う方法で調査するならGoサイン出すけどな。
公共性・公益性を考えれば不可能ではないと思うんだけどな。
古墳に眠っている天皇の比定さえ怪しい状況なんだから、
霊を慰めることと調査を両立させることは可能だろ。
将来、歴史学・考古学を専攻する天皇が出てきてGoサイン出すといいな。
708 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:35:28 ID:Sb89EOcP0
>>684 おいおい、玄界灘を甘く見るな。
どれだけ遭難が起きてると思ってるんだ。
一度あの波に揺られてみろ。大人でも泣くぞ。
>>701 一体、お前の、「女王国」の定義はどうなってるんだ?
一度ちゃんと書いてみろ。
卑弥呼が刺青女だったかもしれないって時点で興味なくすわ
710 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2009/11/12(木) 20:35:41 ID:eqvFIdKAO
>>633 結局タイムマシンでもなきゃ永遠にわからないんだよね。
だからわからないなりに発掘された考古学資料と伝承とを摺り合わせていろいろ推論するしかない。
伝承については魏志倭人伝も記紀もある程度いい加減なものとして考えないとドツボにハマるよ。
魏の学者が日本について正確に知り得た筈はないし、口伝を元に編集した記紀も正確なものではないからね。
ただどちらも全くの虚構であるとは考えられないのでそこにロマンがあるのだな。
>>691 だから筆頭に「その山に丹あり」とあるでしょw
霊媒師や霊能力者を自負する人が
なぜこの手の探索にチャレンジしようとしないのか
やっぱり無理なんかな
隋書で邪馬台国は大和のことだとかいてるんだよな
その辺は九州説だとどう解釈してるんだろ
>>703 何百回書き込んだか判らんがもう一度書き込む。
畿内説を成立させるには、邪馬台国の支配領域を瀬戸内や北部九州を含む
西日本全域に想定する必要がある。
畿内説論者が邪馬台国の都に巨大権力の形跡を探そうとするのは自然な行為だ。
715 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:36:15 ID:ittYDtLD0
魏志倭人伝には2人の女王が登場する。言うまでもなく、ヒミコとトヨである。
ヒミコは「ヒ」の国の巫女の意味であろう。
「ヒ」と「トヨ」(肥と豊)がセットで存在するのは北部九州である。
>>703 日本考古学会の年代測定への釣られっぷりも記憶に新しいじゃないか。
ここのスレ見てわかるようにこう書いたら人が感心もってくれるんだから、しょうがないんじゃね?
717 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:36:25 ID:V4H/S2AjO
纒向遺跡で、どんなに掘っても邪馬台国と繋がる物は出てこない
だからゴッドハンドしかないわけで
718 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:36:39 ID:vaJc4W/80
719 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:36:52 ID:aYgSvDIl0
720 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:37:10 ID:jsLYY8ceO
教授は退官までの発見スケジュールは決まってるって言ってた
宮内庁主導だそうだ
721 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:37:20 ID:CG7p69NY0
>>699 河内が海だった時代、大和川、石川を上ればすぐに奈良なんだけどな。
10-20km。奈良=海が無い。ってイメージで捉えちゃいかんな。
723 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:37:56 ID:ndjlXYWt0
>>690 邪馬台国との関係を示すために大和朝廷が捏造したというのは無理がある。
だが、貴重な交易品として、大和朝廷が鏡を入手したのなら不自然ではないだろ。
何百枚も出ているんだから、需要の多い人気商品といえる。
何の問題があるんだ。
724 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:38:03 ID:SsLNv6LgO
だから大分県の耶馬渓町っつってんだろw
間違いない。
726 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:39:15 ID:4PJyBKdC0
727 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:39:15 ID:/k/ZJ0U80
末廬国から不弥国まで北部九州にあったのは明らか
倭人伝の使者は、不弥国までの北部九州を訪れた後、
北部九州を離れ更に20日かけて先へ行った
もともと議論になりようがない
北部九州はありえない
728 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:39:25 ID:W7EqxtJH0
ゴットハンドはなにしてますか?
729 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:39:26 ID:UKxf4aZJO
>>665 発掘の成果から、記紀の内容が弥生時代にまで遡れることが分かり、記紀の信用が以前より上がっただけだけど
730 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:39:43 ID:jARxHDKgO
>>701 「女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚す。
常に伊都國に治す。國中において刺史の 如きあり」
奈良をも含む瀬戸内海周辺の地域が北九州より南にあるのか?
732 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:40:28 ID:feT9/JHb0
>>699 だから本州以外で天皇家に古くから関わりのある辺鄙な
地域、四国の徳島〜香川 海を挟んでその対面の
海岸線に近い所だろ、そうでないとそんな辺鄙な所に関わりの
ある所がある分けない。
剣山なんてアークが眠ってるんだぞwww
>>717 箸墓掘ればすべて確定だろう。
畿内説で箸墓以外を卑弥呼の墓としてるのは無いからな。
殉葬されたという百体の骨が出てこなければ畿内説は消えてなくなる。
734 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:40:39 ID:mYeMdJv7O
卑弥呼も邪馬台国も、永遠に確認不可能。
その存在を確認できる史書や木簡等の発見が期待できないから。
九州説、畿内説に関わらず、遺跡が出るたびに取り沙汰しても不毛なだけ。
遺跡が出たなら、まずは日本書紀との突き合わせをすべき。なぜなら日本書紀の方が記述が詳しく
また少なくとも蘇我氏邸宅跡などについて、記述が正確であったことがすでに確認されているから。
なんかネットウヨが混じって異様に感情的になってる気がするが
実際どこにあったかだけの話だから天皇がなんたらとか違う板行って
くれないかな。
九州説を言ってる背景にそうゆう奴が絡んでるから余計に畿内説が正しいと
思えちゃう訳だよ。
>>707 天皇の否定は完全にでたらめなことが証明されてしまうからなー。
一般に言われている歴史を覆すことになるんだから、よほどのことがないかぎりGOサインださないだろうな。
737 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:40:54 ID:CG7p69NY0
九州説って、未だに「学者」が唱えてるの?
九州説は、アマチュア「自称研究家」によって支えられているんじゃ?
>>708 女王国=女王を共立した国々の総称だよ。
邪馬台国は女王が都する所、何度も言わせるな。
739 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:41:47 ID:xzvxX9GJO
わたし卑弥呼の生まれ変わりなのですが、
何か質問ありますか?
銅鏡っていまでも神社の真ん中に飾ってるよな
卑弥呼の時代からの名残なのかね
741 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:42:46 ID:4PJyBKdC0
>>733 殉葬の習慣があったことは、日本書紀に書いてるけどね。
742 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:42:57 ID:BEY1Mbho0
玄界灘の波
糸島半島の北側とか唐津の北側とか
サーフィンボードのレンタル屋が並んでいた(笑)
だけど、あの波を見るとちょっとビビる。
743 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:42:59 ID:ndjlXYWt0
>>719 そもそも、今の学者は宮内庁に掘らせてとお願いしてるのかね?
本気で掘る気があるのなら、政治家も動かして、
連名で申請を出すべきだと思うんだけど。
そういうことをしても無理なら、
開明的な天皇や宮内庁になるまで待つしかないだろうなー。
時代は下がるんだが、飛鳥時代に百済に遠征してるだろ?
あれも、百済の王子が人質として日本に来てたって事があった訳で、
それを考えると、それ以前に日本は半島に植民地を持ってたと
考えられる(まぁ、他の諸々を考えあわせてなんだが)。
植民地をそうそう簡単に持てる訳もないんだから、
結構長い年月、半島と行き来はあったと思うんだよな。
それこそ古代から。
745 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:43:18 ID:V4H/S2AjO
>>737 だから名誉とお金の為に捏造する考古学者より、信用できるよな
>>711 筆頭じゃないよ。
「真珠・青玉を出す。その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。
その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。ジ猿・黒雉あり」
丹の事なんか、「その他大勢の一つ」でしかないような書き方だが。
いくら丹ありなどと書かれても、山を張るという言い回しもあるくらいで当時の日本の鉱業科学は非常に遅れていた。
丹というのはおそらく水銀化合物のシンシャなのだろうが、赤い色素を持つ植物の事なのかも知れないし。
年間産出量だとか鉱山の見取り図、人夫の出入りなどを示した文献はあるのか。
750 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:45:11 ID:rE9hlLtzO
町おこし団体が歴史を歪めようとさえしなければ、面白い論争なのにね
>>745 九州の考古学者でまじめに九州説支持してる研究者ってだれ?
752 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:45:25 ID:4PJyBKdC0
>>747 九州から丹が出ないんじゃ、同じことだよ。
753 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:46:04 ID:CG7p69NY0
真珠=宇和海、伊勢。
北部九州は関係ないね。
754 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:46:52 ID:BEY1Mbho0
>>752 >九州から丹が出ないんじゃ、同じことだよ。
出てる。
755 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:47:07 ID:XxfKjOnT0
三国志に、朝鮮半島南にあった「狗邪」と言う地域を「倭の北限」と記されているそうです
日本本土だけでなく朝鮮半島南(韓国)も倭の国、つまり日本の領土のようです。
756 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:47:09 ID:mYeMdJv7O
>>733 箸墓を掘っても、モモソヒメの墓とされるものの中身がどうであるか
また年代はいつ頃かが確認されるだけ。
卑弥呼の墓かどうかは確認できない。
758 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:47:20 ID:dNR0TKmx0
でもあれなんだよね、金印が出るとしたらどこだろうね
まさか福岡県の志賀島とかいうど田舎の離れ小島なわけないよね
759 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:47:47 ID:biBWapYF0
記紀によれば、神武一行が畿内入りした時にそこには既に国が存在している事が窺える。
(ちなみにその大国の王が大国主)
巻向で発掘されている遺跡はその出雲を中心とする勢力が創った国のものであって
魏志倭人伝にある「邪馬台国」のものではない。
ちなみにその「大国」は欠史八代の間に九州出身の神武の子孫達に
クーデターで乗っ取られてしまい、
(それを素直にかくわけにはいかないので、八代を欠史とし、
「国譲りの物語」をでっち上げたわけである。)
崇神天皇の時代に三輪山に祀られた大物主が祟って出る事になる。
760 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:47:57 ID:RMQ53W0J0
卑弥呼って名前を付ける親はいるの?
考古学的には畿内説が今主流なんでしょ?
で、それが気に入らない一部の学者と地元のアマチュア学者が畿内説を
ひっくり返すのに躍起になってると。
ネットウヨは天皇の権威が侵害される恐れがあるので邪馬台国は九州の
小国で大和王朝は2600年続く王朝だと言い張ってると。
762 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:48:39 ID:ndjlXYWt0
>>734 親魏倭王の印が出てくれば確認可能じゃないかな。
邪馬台国は、韓国
764 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:49:07 ID:4PJyBKdC0
765 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:49:38 ID:V4H/S2AjO
>>754 言うなよ、言ったことで今後、丹について、畿内説派はスルーをきめこむぞ
766 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:50:10 ID:feT9/JHb0
だいたい九州説なんて、研究者間で仕方なく
論争要因に九州説側にまわされた本来畿内説の研究者だろ。
あとはそれらにくっ付いて主張・公演などして
あぶく銭をもらって食ってる人間だろ。
皆知ってるんだろ???
>>731 まあそれは方角が間違えてるとしかいいようがないね。
ただし当時は方向を間違えてるケースはよくある。
隋の時代でさえ、もっと近い済州島の方角を間違えてる位だからね。
768 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:50:34 ID:BEY1Mbho0
>764
丹生神社でググれ
魏の死者
「えーっと、無くなった女王様のお名前はなんでしたっけ」
倭人:「ヤマトトトヒモモソヒメノミコト様です。」
魏の死者:「(・・・あんだって?(;´Д`) もうヒミコでいいや。)
で、新しく女王に即位された方は?」
倭人:「トヨスキイリビメ様でございます。」
魏の死者:「(・・(;´Д`) もう何いってんだかよくわかんない。)
トヨ・・・っと」
だいたい、この世界が40年前に出現したばかりなのに
邪馬台国が存在した証拠なんてまだ用意してないよ
771 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:50:58 ID:/k/ZJ0U80
高千穂と絡めて九州に固執するのはナンセンス
高千穂が実在したか九州にあったかさえ不確実
田畑を耕していたら金印が出て来たなんてのは本当にサプライズだな。
よく鋳潰されなかったものだ。
×死者
○使者
な
774 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:51:44 ID:ndjlXYWt0
>>738 その定義なら、倭人伝の中に複数ある女王国の文言と合致しないだろ。
例えば、「女王の都するところ」の説明に続く、
「女王国より以北」の説明と矛盾するんじゃないか?
775 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:52:03 ID:UKxf4aZJO
>>744 皇室が屯倉を任那に持ったのは記紀によると応神天皇のころ
ただ、それ以前から半島南部は倭人が住むところ
連合国家の時代であり公地公民以前であることを忘れる人が多いんだよね
邪馬台国が九州だとしたら、この時代でもまだ半島の強い影響下にあったと言うことだな。
778 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:53:06 ID:mYeMdJv7O
>>762 出てくればね。
そういえば奴国王の金印って炭素法で年代特定したのかな。聞いたことがない。
780 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:54:20 ID:ndjlXYWt0
>>756 万が一でも、親魏倭王の印が出ればいい。
もしくは、「魏との関係を決定付ける何か」とかかな。
邪馬台国の人は、あまねく顔に入れ墨をして粗末な布を被ってたんだよね。
これが奈良にあったと。
そして、神武東征は、九州を出発して大阪湾で激しい戦闘をし、
紀伊半島軽油で奈良のあたりの日本の支配者を征服したんだよね。
紀元前660年と記述されているが、実際は4世紀のことだとされている。
決まりだろう。
邪馬台国の人は、朝廷に征服された蝦夷=縄文人だ。
蝦夷は入れ墨してたぞ。
782 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:54:56 ID:KZARx8XR0
畿内派は自分の説に都合が良いとこしか拾わないからなw
12000里の内10500里を消費してんのに畿内とかあり得ないわ。
平原遺跡の女王様が泣いている
783 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:55:05 ID:UKxf4aZJO
784 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:55:39 ID:4bD+a2tt0
>>771 本当に九州が一地方に過ぎなかったなら
天皇家ゆかりの地名をパクるわけがない
高千穂もヒムカも九州
>>767 その論法を使うのなら、「水行十日、陸行一月」も、全体の行程がたまたま「女王の都する所なり」の後に
書かれてしまった、と言う事も言えますな。
>>757 しかし当時紀伊半島が主要産出地なのは確かだけどな。
水銀鉱山については完全にそうだ。
>>782 さっきからそればっかいってるな
距離問題では九州説が圧倒的に不利なのしってんのか
>>775 そう。
倭人ってのは結構広範囲に暮らしていたと考えられる訳で、
九州か機内かというよりも、九州も機内も倭人の国があったと考えて
差し支えないと思っている。
たまたま邪馬台国がクローズアップされてる訳だが……という程度じゃないのかな?
790 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:57:40 ID:ndjlXYWt0
>>777 逆だろ。
半島南部を倭が支配してたってことだ。
その「倭」が九州勢力か、大和朝廷だかは別にしてもね。
倭の五王だって、半島に強い影響力を持ってるんだから。
>>777 反対だよ。
半島の影響じゃなく、半島に進出してた方が正解。
792 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:58:38 ID:mYeMdJv7O
>>780>>762 頼みの綱が一つあったんだな。正直すっかり失念してたよ。>金印
でも、つまりはそういった「魏との関係を示すもの」が出土しない限り
三世紀頃の遺跡発見で「邪馬台国」やら「卑弥呼」を取り沙汰する必要はないってことだよね。
793 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:58:50 ID:BEY1Mbho0
>>786 まあ、中国に贈る程度、自分らで塗料として使う程度あれば十分だから。
金のアマルガム選鉱法をやるというのならば大量に必要だろうが
その頃は砂金採取だから
>>790 九州北部なんて、半島南部より圧倒的に面積狭いぞwそれが半島南部を支配してたのか。
無視ありすぎw
半島に近い九州が栄えてたのは当然大陸に近く文明も入って来てたから。
そこからより豊かな地を求めて西へ領土を広げて大きな盆地がある大和盆地に
都を遷都して大和王朝を開いた。
それ以前に西に住んで国々を統治してた連合国家が邪馬台国
って見るのが自然だわな。
796 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:59:37 ID:UKxf4aZJO
>>761 俺、ネトウヨ呼ばわりされるけど畿内説だし、天皇の権威に変わりないと思っている
卑弥呼を肯定しても崇神天皇を否定することにならないし
797 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 20:59:55 ID:ndjlXYWt0
>>788 どう不利なんだ?
畿内説が方角の書き間違いなんて無茶を要素に頼るなら、
距離の書き間違いと水掛け論になるだけだろ。
798 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:00:29 ID:Lht9fYhGO
魏志東夷伝読んだら九州までしか使節は行ってないよな。
799 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:00:31 ID:5zypzZY50
>>645 そうなんだよね
上宮記の系譜の字の音への当て方が推古朝にまで遡れるらしいからね
それに稲荷山古墳の鉄剣銘文からも継体朝以前でも地方豪族が八代前までの系譜をもっていたことがわかるし
継体天皇が応神天皇五世の孫ってのは確実性は高いでしょうね
800 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:00:31 ID:l+NnVVKF0
>>756 その通り。
だが、女性の骨でも出てきた日には「ヒミコ発見!」と大騒ぎするのは容易く想像できる。
ヒミコのヒの字も出なくても。
>>792 金印なんか出なくても、100枚もらったという銅鏡が出ればいいよ。
>>769 それ今の中国じゃん
日本からの留学生の呼び名が
林田さんが林さん
石川さんが石さん
田村さんが田さん
神武が九州を出発して、奈良の「大和」を征服した。
正式の歴史書に書かれてることだ。
この大和が邪馬台国だろう。
天皇家の祖先が、対馬を経て、九州北部に降り立ったことも本当なんだろう。
神武天皇からはじまる男系の血族を天皇家があり
卑弥呼からはじまる女系の血族が裏天皇家がある。
2012年表天皇が危機に瀕したとき、裏天皇が現れるという。
805 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:01:35 ID:mYeMdJv7O
>>787 一緒に出土したもの・出土した地層に埋まっているものから採ればいい。
奴国王の金印は1784年出土だっけか。志賀島で。
>>785 勿論そうともとれるよ。畿内説では全然OKだし。
807 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:02:09 ID:ndjlXYWt0
>>785 この解釈はどういう風に否定されているのかな?
女王の首都までの記述が終わったから、
総日数を示したというのは不自然なのか?
帯方郡から邪馬台国までの総距離・12000里を、
総日数・水行十日、陸行一月というのは無理がないと思うがね。
>>792 無知ゆえに楽しめて熱くなれるんだからいいんじゃない?
考古学界にも関心の目を向けれるし、悪いことなしじゃん。
本気で論争しようとしてる姿勢だけでも、俺は楽しめるよ
809 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:03:25 ID:fGSdtQmDO
>>782 そんな大昔の、海越えた長い道のりの距離測定なんぞ額面通り信じられるかよw
810 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:03:54 ID:BEY1Mbho0
三角縁神獣鏡は500枚以上出てるから卑弥呼の鏡である可能性は薄い。
伊都から出ている50枚余り、あと各地から1枚ずつ出てくる。計68枚
四神鏡こそ卑弥呼の鏡にふさわしい
>>776 「その行来して海を渡り、中國にいたるには、恒に一人をして頭をくしけらせず、
キシツを去らせず、衣服コ汚し、肉を食わせず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。
これを名づけて持衰と為す。もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、
若し疾病有り、暴害に遭わば便ち之を殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。
真珠・青玉を出す。
その山には丹あり。
その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。
その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。
ジ猿・黒雉あり。
その俗挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、
先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タクを観て兆を占う。
その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。
大人の敬する所を見れば、ただ手を摶ち以て跪拝に当つ。
その人寿考、あるいは百年、あるいは八、九十年。
その俗、国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。婦人淫せず、妬忌せず、
盗窃せず、諍訟少なし。その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、
重き者はその門戸および宗族を没す。尊卑各々差序あり、相臣服するに足る。
租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ」
風俗を記載した文章の間に、真珠とか黒雉とかの記載と一緒に、あたかも備忘録的に
挟まっているだけ。どう見ても「その他大勢の一つ」です。
812 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:04:37 ID:dNR0TKmx0
まあ志賀島は小国だよな
対岸の対馬がえらい大国に見えるくらいの
813 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:04:51 ID:UKxf4aZJO
>>794 半島は日本列島より土地が痩せていて人口が少ない
全体の面積よりも生産力だよ
814 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:05:02 ID:ndjlXYWt0
>>794 朝鮮勢力が最初から半島南部朝鮮を統治していて、
そこを後になって、倭が力で支配したと考えるなら無理があるかもな。
でも、それは現代の日本と朝鮮の国家概念から見た想定だろ?
倭人が最初から、朝鮮人の支配していない
半島南部に入植していたのなら何の問題もない。
>>805 木の箱にはいってたんだよな、たしか。
まぁ紫の紐と一緒で失われてしまってるが。
正確な地層もわからない、何しろ江戸時代の話だし。
国宝だからけずるわけにもいかないしなー。
質量分析ってどうなったんだっけ。
>>810 俺もそう思うわ。
平原遺跡の女王に100枚下賜されて地方の豪族王に一枚ずつ渡ったと
考えるんが余程理に適う。
本当はどうかはひとまずおいといて、
自分なりの考察元に邪馬台国はどこかを考えるって人もいるね。
基礎知識がないからあまり話について行けなかったが楽しそうではある。
当時の東アジアの圧倒的先進地は中国なんだから、中国に近い地域の方が、先進文化をより享受していたと考えるのが自然だろう。
九州北部は大陸に近いだけ、軍事的にも文化的にも日本列島で優位性を持っていたんだろうな。
それが一世紀の漢委奴国王印の段階だろうな。
卑弥呼の時代には権力の地理的な大きな移行が起きていたんだと思うよ。
しかし、疑問点は未だ残る。
全身鯨面という南方系の風俗があること、
貫頭衣という、近畿ではかなり過ごしにくい薄着であること。
>>811 「その山には丹あり」としかないでしょ。
他の物は無いのか?という話です。
中国人にはそれが重要だったんだろw
邪馬台国は九州にあった小国。
運よく中国に着いて法螺を吹いただけ。
畿内にあるのは邪馬台国ではなく別の大きな国。
822 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:08:35 ID:UKxf4aZJO
>>781 神武東遷の時、大和には出雲系の三輪や国巣や土蜘蛛など複数の集団がいた
>>819 夏に来たんじゃね?w
夏は畿内は凄く暑いぜ。
824 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:09:02 ID:ndjlXYWt0
>>806 水行十日・陸行一月が帯方郡からの総日程なら、
この総日程は畿内説・九州説の双方に矛盾がないかもね。
だが、一方、総距離12000里と途中経過までの10500里は、
九州説には矛盾がないが、畿内説には矛盾が生じるだろ。
残り1500里では畿内まで届かないだろ…。
邪馬台国の時代は日本がそれなりに中国に距離を置き始めた時期なんだろう。
「独立」の一過程だな。
826 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:11:35 ID:PuXRXdjJ0
単純に巻向の頃には九州の天孫族が畿内にも勢力伸ばしてて
旅館で言う旧館と本館状態になってただけって考えた方がいいんじゃにゃいかなー
とにかく帥升頃には北九州に大陸に渡るだけの国家があったんだからいいじゃないと思うんだが。
日本という国家の成り立ちが更に過去に遡る事が出来そうなんだから、まずそれが面白いと思うんだが
魏が日本まで征服してたらきちんと資料残っただろうにな・・・
828 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:13:03 ID:cHK9+sfy0
纒向遺跡周りから、日本各地の土器や朝鮮南部の土器まで出土している。
ほかにそんなところはない。
大和の支配領域に動員をかけたと考えられている。
金印は、近畿に山ほどある手付かずの天皇陵を掘れば、
出る可能性は高いと思うが。
史料と遺構に遺物などの物証に科学的根拠をもってしても
純史学的にはトンデモ扱いな九州説は消えないだろうね〜
九州説を唱えてるのは偏った思想家と利害の有る自称専門家ばっかしだし
東アジア同祖論が大好きな方々w
830 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:13:21 ID:UKxf4aZJO
>>819 庶民は明治時代までどこもそんな感じだ
紀伊は大和や河内より暖かいし
伊勢や遠江、駿河の東海も暖かいぞ
福岡よりも
刺青、巫女文化、「海に潜るのが得意で魚やあわびをとる」「気候は温暖であり裸足で生活している」
オキナワの少年が近日中に土の中から何か発見するに3000・・まではいかずとも300点。w
邪馬台湾国でも似たようなもんだろうしな。
しかしまあ実際「海に潜るのが得意で」
「海のある奈良に死す」、素人にはお手上げ、有栖川先生見事な謎解きをぜひどうぞ。
>>807 いや、畿内説の場合、何度もここで書かれている、「中国から邪馬台国までの総距離12000里で、
途中の伊都国までで10500里を消化している」を説明出来なくなるから、畿内説を採る以上、この
解釈は否定するしかないでしょ。
>>824 だから
>>625だと主張してたんだけどね。
大体12000という距離自体、大月氏国までと変わらないという
いい加減なものですから。
834 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:14:54 ID:c/ZZKTFUO
石井館長の独壇場だろこれw
てか、遺跡発掘とかに金掛けてどうすんの?
もっと他にやることあるやろう
渡って来た航路が対馬から九州に来たのかそれとも違う航路で
畿内に直接来たのか解らんよな・・・
邪馬台国って聞けば聞くほど文明遅れてたみたいだがその当時九州辺りには
もっと衣服もちゃんとした文明があったはずだし。
836 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:15:33 ID:dNR0TKmx0
だって金印がトンデモないところから出たから
こういうことにもなっちゃう
837 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:15:35 ID:9VB4E5SbO
>>825 倭王武とかの朝貢の時代がその後にあるんだべ
838 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:15:56 ID:jXerN9280
九州涙目敗走wwwww
でおk?
839 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:16:40 ID:mYeMdJv7O
>>808 楽しい?
不毛なものは面白くない。
広がりもない。
第12代景行天皇の宮跡と比定するほうが面白い。詳しい史書が傍らにあるし年代推定も広がっていく。
>>820 「真珠・青玉を出す。
その山には丹あり。
その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。
その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。
ジ猿・黒雉あり」
丹の扱いはここに羅列する程度でしょ。
>>834 なにも今の時代に邪馬台国の場所を特定しなくてもね
後の世代の楽しみを奪っちゃいかんと思うの
邪馬台国九州起源説が崩れると困る人たちが
日本の隣にはたくさん湧いているからなぁ…
>>807 距離を否定しないと、大和の遺跡を邪馬台に捏造できんから、しゃーないよ
844 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:19:37 ID:Edan34q50
邪馬台国の卑弥呼
↓
大和の国の姫皇女
だろ
もういいよ
845 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:19:39 ID:dNR0TKmx0
大陸の連中が言ってた邪馬台国の卑弥呼って城郭もないただの柵の
中にいたんだろ
それってただの初代イタコじゃないの
人骨100体見つかればまぁ、巻向で良いだろうが
それはゴッドハンド出来ないからなw
847 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:20:07 ID:UKxf4aZJO
>>837 あれは、南朝に「半島は俺のもの」って挨拶にいった
848 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:20:15 ID:0yGd53B90
@ノハ@
>>838 まーそのような事ですわ。
−y(  ̄д ̄) うちらの完勝やね。
849 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:20:38 ID:4bD+a2tt0
男子無大小皆黥面文身
男はみな顔や体に入れ墨をしている。
入れ墨をしているのは、記紀の記述でも蝦夷だよ。
記紀では、内乱が起きている日本を征服しようとし、神武東征によって
畿内の「大和」を征服している。
その名をそのままとって大和朝廷になっただけで、邪馬台国=神武によって
征服された「大和」=蝦夷と見るのが自然。
851 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:21:21 ID:mYeMdJv7O
>>815 もう一度掘ってみればいいのに。志賀島で。何か出てくるかも知れないだろう。
奴国王の金印に関係するものが。
>>846 一声掛ければ自らの犠牲をいとわない学生がいっぱい居るよ
853 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:23:51 ID:V4H/S2AjO
>>835 あのー九州の伊都国までは確定していますけど・・・・
>>846 金印が出て来てv速鯖が飛ぶに20パキスタンドル
855 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:24:48 ID:vmahpi780
邪馬台国は岐阜県東部です!!
857 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:25:53 ID:dNR0TKmx0
男のイタコっていないよね
@ノハ@ 人間、諦めも大切やで
( ´ー`)y―┛~~ アハハのハー
859 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:27:48 ID:IZ/nqA7Q0
>>855 おお!美濃もん太さんですね。お待ちしておりました。
860 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:27:48 ID:UKxf4aZJO
>>850 神武の家来に黥面がいるが
久米族もいるし
>>840 十分重視された書き方じゃないか。
じゃ、君は倭人伝の中では何か重視されてると言いたいの?
基本的に全部羅列ですが。
>>851 志賀島・玄界島 : 遺跡発掘事前総合調査報告書 って名前で報告書だされてるから、多分トレンチ程度ならされてる。
もう大学出てしまったから確かめれないけどなー。
それに今は確かその場所公園になってるし、なんらかの調査はされてると思うよ。
>>850 蝦夷は寒いから貫頭衣は無理じゃないかw
864 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:28:58 ID:V4H/S2AjO
>>860 >神武の家来に黥面がいるが
>久米族もいるし
それらは、みんな神武に従った土着の民族だよ。
866 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:30:19 ID:ZL6WhcAw0
さっさと皇統譜書き換えろよ
卑弥呼やトヨを天皇として書き加えろ
867 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:30:55 ID:dNR0TKmx0
縄文柴犬「ああ、その頃の話?おいらたちはそれよりも8000年
以上前からここに住んでて一部始終知ってるけど
言葉話せないから、飼われ続けているのに正直スマンかった」
佐賀は観光資源を死守しないとだめだからなw
869 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:31:36 ID:FRef10+C0
諸星大二郎なら、真相を知っているかもしれない
870 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:31:45 ID:46xJF5kG0
>>855 だからもん太君、いつものコテでやってくださいよ。
A.邪馬台国九州説+神武東征を認める←江戸時代の国学者から出た説
B.邪馬台国九州説+神武東征を否定する→?
C.邪馬台国畿内説+神武東征を認める←魏志倭人伝にも記紀の記述にも合ってる
D.邪馬台国畿内説+神武東征を否定する←右翼
観光効果 200億円 らしい
>>861 なるほどね。猿とか雉とか竹の篠とかと同じ程度に重視されてる訳ですね。
874 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:34:05 ID:IFVjfWt80
ハニワ原人の国か?
875 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:34:15 ID:mYeMdJv7O
>>860 あめつつ、千鳥ましとと、などさける利目
だね。
876 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:34:38 ID:UKxf4aZJO
>>865 神武の嫁さんになる大和の出雲系の三輪のヒメが黥面を見て驚いたけど
大物主神の娘が
神武が大和入りするまでの大和の長だよ
877 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:34:42 ID:AonUJGgs0
魏志倭人伝は距離の記載が「里」から「日」になるだろ?
「里」は魏使一行が自分の目で確かめた地域。
「日」は倭人たちの言い分をそのまま書いた地域。
878 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:34:59 ID:9VB4E5SbO
>>865 神武以下10代は存在が疑わしいじゃないか
少なくとも年代や年齢は間違いなく捏造。
奴国に2万戸 投馬国5万戸 邪馬台国7万戸
更に属国が20国
これが全部九州にあったとするのがかなり無茶なんじゃないかな?
>>876 >神武の嫁さんになる大和の出雲系の三輪のヒメが黥面を見て驚いたけど
>大物主神の娘が
>神武が大和入りするまでの大和の長だよ
それは天孫族ではないだろ。
神武に味方した倭人なんだよ。
久米って、天孫降臨で道案内した先住民だぞ。
>>873 じゃ、真珠や青玉もそうなんだな。
大体ここに書かれてのは、自然に産するものですよ。
鉄や絹のような加工品ではないし。
まあどちらにしても、これは邪馬台国のみに関する記述ではないですよw
>>435 チャンコロって本当に失礼な連中だよな
「邪」とか「馬」とか完全に馬鹿にしてるよ
しかも女王が「卑」弥呼って・・・
支那とかじゃなくて死那でいいよもう。
>>879 ないなwww
松浦、対馬、伊都、宇佐、吉野ヶ里、辺りで十分可能。
銅鏡の下賜された地域を調べたらわかる
ゴッドハンドの人ってアマチュアだったよね。
考古学者が捏造するなら分かるけど、なんでアマチュアが捏造するまで追い込まれたかな。
神話とか文献とかどうでもいいから、「いつの時代の物」って粛々と調査だけしてればいいのに。
887 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:40:51 ID:9VB4E5SbO
>>879 投馬は「ヅマ」と読んで出雲を指す、というのが最近は有力。
888 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:41:53 ID:UKxf4aZJO
>>878 簡単に捏造の言葉を使うのは感心しないな
そうなる理屈がある場合を否定してしまう
宗教観とかさ
久米だけじゃなくて海人部や宍人部の連中も刺青していたが
これらも全部服属したとかそういう解釈すんのか
890 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:41:54 ID:mYeMdJv7O
>>862 良いな。それは楽しい。結果が見たいな。
また探してみるよ。報告書。ありがとう。
891 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:42:39 ID:deWvHGtq0
>>878 欠史八代は、いわゆる「オオキミ」じゃなかったんだよ。
神武だって、やっとの事で九州から畿内巻向入りして大物主の庇護をうけている。
その八代のうちに、彼の子孫は出雲系の大国主をクーデターで葬り去り、
畿内大和の大王になっている。
十代崇神天皇は神武一行を暖かく迎えたはずの大物主の祟りにおびえているし、
出雲大社が創設されたのもその頃のはず。
邪馬台国が滅亡してなければ、中国の歴史書からいきなり消えるわけがない。
邪馬台国が神武東征で滅びたから、邪馬台国の記述がなくなったんだよ。
ちなみに弥生時代の人口は30万〜40万人ぐらいだったらしいな。
それが九州だけに密集してる訳ない。
学問的な研究が未消化のままで先にマスコミを煽る
学者としてどうなのか 神の手事件の反省がまったく
ない京都の考古学者
対馬に20万人が住んでいた
897 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:46:40 ID:UKxf4aZJO
>>882 大和は蝦夷だと言ったじゃないかい
久米は児島で神武の配下に
大和を攻めるのに協力したのに無関係かい?
899 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:47:15 ID:+gXXbrd1O
司馬宙はどうなっちゃうの?
ビルドベースの存在意義は?
>>883 その通り。真珠や青玉も同程度の扱い。
で、邪馬台国のみに関する記述じゃないのなら、丹に関しても同じ事が言える。
丹が出る場所が近くにあっても、真珠が取れる場所が近くにあっても、それだけ
では、そこが邪馬台国だとは言い切れない。
903 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:36 ID:dNR0TKmx0
消えたのは邪馬台国じゃなくて、記述そのものが消えたのでは
空白の4世紀
>>894 土居が浜とか金隈とか平原からは人骨バリバリ出てるのに
畿内では人骨が出ない不思議www
905 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:48:54 ID:4bD+a2tt0
>>894 その数ってどうやって算出したんだろう
非常に疑問
シュリーマンは、嘘だと思われていた伝説を信じて発掘を成し遂げた。
天孫降臨や神武東征を嘘だと言うのは、自分の思想に都合の悪いと
目をつむるという思考停止をしている。
サルタヒコもクメも、天孫族が天から降りてくる最中若しくは降りてから
従っているじゃないか。
そして、やがて、この国の中心はもっと東だ。東は内乱で混乱している
と言って、畿内を征服している。これが神武東征だ。
王族が何人も死ぬ激しい戦闘を経て、紀伊半島から回り込むという奇策を
使い、だまし討ちをし、やっとのことで「大和」を征服している。
こと詳細に書かれている神武東征が完全に嘘だとは考えられない。
907 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:49:43 ID:Eg3mi1AO0
歴史は面白いが正直な話、九州でも畿内でもどちちらでもいい
物証と科学鑑定の積み重ねで少しずつはっきりして行くだろ。それに無理に結論を出さなくても良い
2つの大きい文明がわずかな時間だけずれて九州と畿内にあったっておかしくないんだし。
せいぜい今の時代の土着の人が下らない観光資源にしないことを祈るよ。
909 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:51:54 ID:BEY1Mbho0
>904
金の隈とか板付とか、甕棺の墓ばかりなんだよね
100体分くらいの人骨なら余裕で集まりそう。
まあ、それだけの人口の都市があったという証拠になる。
>>831 わたち卑弥呼はもちろんノロのオバァの始まりの一人ということなのさー
だいたい卑弥呼の映画作るのに、
卑弥呼=仲間由紀恵
イヨ=新垣結衣
とでもした方が観客呼べるにちがいないさーw
卑弥呼=卑弥呼
イヨ=松「友」伊代
でクリスタル映像あたりに制作させてもいいけどさー。オバァも見たいさー。今呼ぶと二人ともオバァだから親しみわくさー。
911 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:56:29 ID:UKxf4aZJO
>>904 奈良盆地だと、東側の山中に奈良時代の墓があったりする
埋葬場所が集落の中じゃないだけじゃない?
そういう可能性を検討した上で笑わないと
奴国・・・博多湾岸から福岡平野
投馬国・・・佐賀平野。中心地は当然吉野ヶ里
邪馬台国・・・筑後川沿岸。筑後平野
福岡平野は板付遺跡や野多目遺跡など弥生初期の古い水田の跡がある
筑後平野や佐賀平野は大稲作地帯
それだけの人口がいても全く不思議ではない
913 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:57:11 ID:thvwSweXO
神武東征が史実だとしたら、紀記の神代の巻の大半を出雲神話が占めてるのが不自然なんだよなあ。
ナガスネヒコもニギハヤヒも出雲系だし、これらが駆逐されたとしたら出雲の神話は抹殺されてるはずなんだが。
>>912 30万ぐらいしか人口いないのに殆ど九州に居たってのか?
不思議とかじゃなく有り得ないんだよバカですか?
あら?オレオレ詐欺さん。今度はいつ帰るの?
916 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:09 ID:uUcfh6VOO
少なくとも首都級の集落が同じ時期に二ヶ所存在した。
邪馬台国が全国支配してるなら、遷都があってどっちも邪馬台国と考えるのが普通。
同時期の中国はラクヨウ→長安→キョショウと数回遷都をしている。
間違いないだろ?
917 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:24 ID:V4H/S2AjO
やっぱり邪馬台国は北部九州で決まりだろうな
918 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 21:59:32 ID:UKxf4aZJO
>>906 神武東遷のくだりで児島で神武の配下になった久米が久米歌を歌うのはどうなるの?
>>830 そうだな、昔、大洋が草薙でキャンプしてたな。
阪神も安芸だな。
宮崎、鹿児島以外は本州の太平洋側の方が暖かいな。
高床式も登呂遺跡とかあるしw
邪馬台国はないんだけどね。倭国にあった国々の中心に邪馬台があり連合国家を形成していたんやないのかな〜?
921 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:01:50 ID:sPVt0t8/O
>>904 先進地域は火葬にしてたのかもしれないよ。
922 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:02:06 ID:4bD+a2tt0
>>913 大国主の妻スセリヒメはスサノオの娘
つまり出雲系も高天原
>>905 「七万戸」から算出したんだろうけど、ということは、
当時は核家族だったということなのかしら?
万葉集の「貧窮問答歌」あたりだと、もうちっと大家族っぽいよな。
邪馬台国は九州 奈良のは大和朝廷これしか無いな
925 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:03:20 ID:8QvVYhgn0
神武東征かはともかく、邪馬台国連合成立の一世紀前に、
伊都国あたりが最盛期だったの事実。
ただ、倭国大乱の後は、出雲、阿波、讃岐、大和川水系、吉備あたりが圧倒。
この連中が中心になって卑弥呼共立。こんなもんだろう。
もう3世紀後半の邪馬台国九州説はちょっと維持できない。
>>923 あ、なんかボケてた俺。
アク禁以来、どーもダメだ。
邪馬台国があったとされる3世紀から大和王朝が表舞台に出て来る4世紀
にかけて急激に文明が高度になってる説明が歴史学的につかないみたいだね。
一説には大陸を追われた国の王族が九州に移って来て国を作り高度な文明で
周辺を支配下に置きそのまま西へ領土を広げ大和に王朝を作ったという
説もあながちウソじゃないかもな。 そこらは知らんが。
928 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:07:51 ID:dNR0TKmx0
(´・ω・) 天武天皇によれば、一般人が
(っ⌒/⌒c 容易く読めるはずだったんだけどなぁ
u⌒u⌒
>>905 ソースを出せなくて申しわけないけど、
集落の個数や、集落あたりの建物の大きさから推測する家族数
もしくは、田んぼ面積から推測する収穫量による計算とかあるな。
うろ覚えだから、間違ってたらすまん。
>>901 つまり鉄や絹に関する事も認める訳ですね。
しかし巻向には箸墓もあるし、埋葬されているモモソ姫には
卑弥呼を思わせる伝承も多くあり、海部氏系図には
それを裏付けるような記述もあります。
そして倭人伝の記述に関係なく、宇陀水銀鉱山の麓である
重要性はなんら変わりはありませんよ。
今回発掘された建物に関しても、向きや構造についても
結構興味深い事がありますから。まあ色々楽しみにしてください。
調査はまだ始まったばかりなんですよw
931 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:11:13 ID:IFVjfWt80
いまにみていろ邪魔大王国全滅だ
わしは 阿蘇にある米塚というのが卑弥呼の墓だと思うんだが
あれはどうみても人工的なものに見えるんだな
933 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:11:35 ID:UKxf4aZJO
>>927 更に古い時代に近江や浪速とかにでかい建物があったことが発掘でわかっている
現代人が三世紀の倭を貧弱に想像していただけ
縄文のイメージが三内丸山の前と後でガラリと変わったように
>>913 抹消されるのは、天孫族と生きるか死ぬかの攻防をした「大和」だけで十分でしょう。
征服された「大和」は、天孫族とは人種から違うけれど、出雲は同じだったのでは?
実際、出雲族は入れ墨もしていないようだし、明らかに文明的でしょう。
後に蝦夷と呼ばれ、関東、東北に追い詰められる縄文人の最後の王朝
が入れ墨をした倭人の邪馬台国なんでしょう。
天孫降臨までは、出雲は別にして日本列島は縄文人が支配する倭人の国だった。
やがて、天孫族は日本列島を全て支配しようとし、東征し倭人王朝を滅ぼした。
はっきりと、「大和」を征服したと書いてる。
天孫族は、征服した王朝の名前や歴史を承継したので、少しややこしくなっている
けれども、紀記に書いてあることは、実際にあったことなんだよ。
天孫降臨も東征も史実。
卑弥呼は東京都出身のはずだが・・・
936 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:25 ID:thvwSweXO
出雲の荒神谷遺跡の出土物は明らかに吉備や北九州より文化が進んでたことを裏付けてると思うんだけど。
やはり出雲が中心になって卑弥呼を巻向に擁立して、三輪王朝に繋がったような気がする。
937 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:12:55 ID:4bD+a2tt0
>>929 サンクス
まだ発見されてない遺跡や、つぶされた遺跡も大量にあるだろうけど
全国の数を推計できるのかな
938 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:13:52 ID:sPVt0t8/O
九州説は九州のどこに邪馬台国があったのか言えないくらい考古学な物証がない。
神話や、記録としては不明瞭な古代の文書を、必死に都合よく解釈し九州説に有利な結論を導いてるだけじゃない?
939 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:14:33 ID:8QvVYhgn0
>>933 それはあるね。
二十年ぐらい前までの学習歴史漫画の弥生のイメージ、邪馬台国イメージって、
ほんと貧弱。3世紀のはじめあたりからから、古墳時代の巨大な王権イメージを描くべきかもね。
940 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:14:49 ID:gLIJsTba0
>>925 でも九州北部が攻め滅ぼされた形跡が無いんだよな。
高地性集落が多いのは瀬戸内海とか畿内な訳で。
ひょっとすると神話の通り、九州の部族が徐々に東に行って
畿内で強大になったのかもわからんね。
941 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:15:00 ID:UKxf4aZJO
>>930 ハスプブルグ家は岩塩鉱脈を押さえたことで発展した
興味深いね
人が多く住むのは今も昔も平野だろ。大きな川も必要だ
筑後平野。筑後川沿岸なんて最適だろう
奈良なんて盆地だろ。たくさんの人が住めるような場所じゃないだろ
>>936 連合国家倭国の盟主が金印時代は北九州で
それから戦乱をへて卑弥呼擁立のころには大和って感じなんだろうな
>>938 それは畿内説も同じwww
大きい遺跡=邪馬台国
もうアホだろwww
945 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:18:36 ID:UKxf4aZJO
946 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:18:51 ID:dIx0SIce0
朝鮮半島からわたってきた天孫族が九州にあった邪馬台国を征服したんだよ
その首長がニニギ
そこから東征してできたのが大和朝廷
手塚治虫の火の鳥にそう書いてある
>>941 神武東征伝説だって、生駒で破れたあと死ぬ思いで迂回して宇陀に入ってる。
普通こんなルートとらないからね、竜田超えの何十倍も大変だから。
明らかに水銀鉱脈絡みだな。
>>942 山も川もあって平地もある。
山を越えれば海もあるしだからこそ大和の地に都があったんだろ。
今も昔も畿内は人が暮らし易い土地だったんだよ。
949 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:20:20 ID:y3u+mZSp0
昔の奈良なんか湿地帯でぐちゅぐちゅですぜ
951 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:21:16 ID:dNR0TKmx0
天孫降臨は神話として書かれているわけでね
書いてるほうも、読み手にそれが十分わかるように書かれているはずなんだけどねぇ
>>949 山の辺の道が山腹にあったのが証拠だよね
953 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:20 ID:V4H/S2AjO
954 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:23:28 ID:UKxf4aZJO
>>942 古代の稲作では小さな流れが沢山ある緩やかな傾斜地は潅漑が容易で発展しやすい
奈良盆地はまさにそれ
この前金印公園行ってきたのに・・・
誰もいなかったけど
九州でも奈良でもどっちでもええし。
いっそのことオリンピックみたいに両県共同卑弥呼とかすれば。
あ、石原が俺も入れろと言ってくるかも。
>>951 そのことがさっぱり分かってないのが右翼かw
958 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:24:31 ID:8QvVYhgn0
マキムクは河内湖からの海運も便利だったしね。
959 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:25:19 ID:mYeMdJv7O
>>927 今回の大規模遺跡は三世紀始めから中頃のものですが何か。
七支刀は西暦372年、百済から倭に献上された。神功皇后摂政52年条。
大和朝廷が4世紀に表舞台に出たのではなく、文字表記がされてるために日本書紀の史実の確認できる事象が表れだしただけ。
高度な文明などと曖昧に書かずに、「漢字表記のある遺物」と書けばいいものを。
>>944 違うよ、九州の土器が近畿の方で主流になったり
その後はじまる古墳時代を象徴する古墳の造営が近畿の方がはやかったり
そんなところで、考古学的には畿内説だったと思う。
961 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:29:54 ID:UKxf4aZJO
>>957 逆に左翼の方が、神話には歴史的事実が含まれていると、民俗学とか無視してひねくりまわしているようだが
時系列が神話の進行そのまんまとか
邪馬台国がどこにあったかに左翼右翼が自分の価値観であーだこーだ言う
のがそもそもおかしいんだって。
思想は知らんが証拠とか根拠とか何故そこにあったと考えれるかってのを
出せば畿内が有力なんでしょ。
畿内に邪馬台国があったとしても右翼には全く関係ない話だ。
963 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:33:45 ID:dNR0TKmx0
まあでも倭が何者かは解決する必要があるよね
倭は391年に朝鮮半島でシナの属民であった百済、新羅を臣民にしてるし、
倭の五王の勢力圏は歴史上無視できるレベルじゃないしね
964 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:33:53 ID:mYeMdJv7O
>>930 海部氏系図って天照大御神までの系譜しかなかったような気がするんだが。
どこにあったの、「モモソヒメを卑弥呼と裏付ける<ような←ミソ?>記述」
モモソヒメは崇神の御代だったはずなので
>>234←こんな感じ。実在したとしても三世紀じゃないよ。
965 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:35:03 ID:4bD+a2tt0
>>960 それらの事例は邪馬台国がどこにあったか、を論証していないんじゃ?
966 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:35:28 ID:fn0Kl+l/O
これ地元にあったらどんな良い事があるんだ?
「卑弥呼印の〇×まんじゅう」とか売り出せるから?
正直、全然素人ですが、中国人が書いた例の文章見て、
関西説は無理がありすぎるだろうと、未だに思っておりますよ。
遠すぎだろうと。
学者がなんと言おうとも。
ちなみに、東北だから九州にも関西にも利害関係無しの意見な。
卑弥呼の遺跡発掘しようとスコップで掘り起こしたのは良い思い出
>>965 まあね。散々既出のとおり、親魏倭王の印とか、確実なところがない限り、邪馬台国とは言えない。
ただ、その後の発展を考えると、弥生時代後期から古墳時代初頭の時の国の中心、
つまり邪馬台国は、近畿にあったと考えるのが妥当だ、ってその程度の話。
971 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:06 ID:n5sOmIk70
>>911 確か縄文時代辺りまで奈良盆地は湖で、その後も奈良時代辺りまでは湿地帯が拡がってたんだよな
972 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:10 ID:mYeMdJv7O
>>962 違う。魏と関係する遺物の出てない遺跡の発掘結果なのに
いちいち卑弥呼だ邪馬台国だと見出しを付けて報道するマスコミがおかしいんだよ。
973 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:14 ID:8QvVYhgn0
北部九州が面白いのは、1世紀前後。
もう維持できない邪馬台国九州説にこだわるんじゃなくて、
もっと前の時代に焦点を当てて商売した方がいい。
>>968 大陸から来た使者からすりゃそこから倭国自体に辿りつく方が遠いわw
九州からは瀬戸内海使って穏やかな船で畿内まではそんな遠くないし。
975 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:41:46 ID:4bD+a2tt0
ゴッドハンドの例があるからな…
日本の考古学者は鵜呑みにはできん
論理的整合性のある発言かどうか見張っとかんと
不彌国の後、いきなり水行20日だとか陸行1月とか
えらいアバウトになるんだよな。
そこから先は九州離れるからなのかね。
卑弥呼が大夫の難升米らを朝鮮の帯方郡に派遣したのが239年だからな
そっから一行は洛陽まで行って明帝に男女の奴隷十人と布を献じたんだよな
こん頃の邪馬台国は南方の狗奴国や他の小国と戦っていたんだよな
そん頃のチュンの頭の中は日本は南に長い認識があったらしいな
だからどうも 奈良あたりは敵対国だったような気がするな
やはり邪馬台国は九州の中央部に位置していたように思うがな
そうなると熊本のどこかがあやしいな
978 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:44:19 ID:8QvVYhgn0
>>976 山陽道、山陰道か瀬戸内かだろうね。
大陸の人間は、12世紀あたりまで、日本列島を
九州が北で、南に本州が伸びてると捉えてた。
連中の地図で明らか。
>>975 もともと考古学は推測の積み重ねによる学問だからね。
だれも断定的にいうことはしないし、説をあげることが目的。
どの説が有力か、それとこの説はつながるのか、とか。
藤村氏のは本当に悪かった。おかげで考古学界でも旧石器はタブーだよ。
982 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:47:31 ID:Q5KyOjDE0
魏の1里って何kmよ。
まあ九州が北で(奴国)そこから南下して出雲があり(投馬国)
更に南下して邪馬台国があり更にその南部の国(関東の方)と敵対してたと。
当時はどっち向いてるとか解らないしな。
984 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:51:47 ID:4bD+a2tt0
>>981 でもメディアの決め付けが印象操作っぽくて気持ち悪い
>>982 400mぐらい?
秦・前漢 498.6m
新・後漢 414.0m
985 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:52:34 ID:Q5KyOjDE0
1里60mか。そりゃだめだ。
986 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 22:52:53 ID:jsLYY8ceO
筑紫君磐井こそ九州王朝の末裔だろ
よって邪馬台国の比定地は筑紫平野
大和は九州北部を異様に恐れている印象
>>984 だよ。だから、断定するのは考古学とは関係ないメディアの方向性の話。
邪馬台国は考古学に関心を持ってもらう一番の方法だしね。
メディアを使わないと、遺跡保存運動とかできないし。
難しい関係なんだよ。
少なくとも、考古学関係者で、邪馬台国を真面目にやってる人はいないと思う。
やってもしょうがない分野だからね。
まぁ九州に大きな勢力があったのは間違いないよな。
平原遺跡の出土品>巻向の出土品だし。
柱の跡だって同年代の跡なんだからどうだって捏造出来るしwww
人骨や金印が出無いと畿内説は無理
989 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:00:49 ID:Q5KyOjDE0
日テレで逮捕シーンくるか?
990 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:02:05 ID:KVv+R/FT0
九州が無理なら千葉でいけや!
>>968 九州も無理な、
九州説も大和説も鯨の八幡平にあった説と全く同じ構造なんだよ。
今回の発掘は3世紀初頭には大和に大規模な政治都市が存在した
これを記紀とどう関連つけるかが重要で邪馬台国はオマケだよ。
992 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:04:42 ID:dNR0TKmx0
239年、卑弥呼を親魏倭王とし金印紫綬を与える
369年、倭軍朝鮮出兵、朝鮮南部に領土拡大任那日本府設立
391年、倭軍、大陸属民の百済、新羅を破りこれを臣民としさらに高句麗と戦う
明らかに239年と391年の倭は別物でしょ
シナにとって、そりゃあ混乱するわな
エジプトは王の墓を調べまくってるのに
>>993 そりゃ、あそこはラムセスの子孫がそのまま国王やったりしてないから
>>993 日本の場合はその王朝が継続しているから
997 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:15 ID:Q5KyOjDE0
>>992 派遣した兵の数はどのくらいなのだろうか。
大和の人口は300万くらいに達したのかな?
卑弥呼自体が統治者かどうかも解らんのよな。
警戒して巫女を使者に合わせてた可能性も高い。
邪馬台国=大和王朝なのかもしれんよ。大王が倭国を治めてた。
999 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 23:10:35 ID:ilXkLdBQO
1000なら邪馬台国は八女。もしくは肥前、肥後の肥の国
九 州 独 立
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。