【歴史】 「もう『邪馬台国は九州にあった』説は無理…」 邪馬台国論争、決着近し…奈良・纒向遺跡の大型建物跡発見で★2
決着近しって
決着してないなら報道する意味無いだろ
4 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:03:37 ID:a2q1KZnD0
5 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:06:43 ID:f6RQ4ENkO
(´・ω・`) もう邪馬台国はオレの家がある土地でいいよ。
喧嘩すんなよ、みっともない‥‥
じゃ、邪馬台国
7 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:08:31 ID:eFGNPEsD0
あれ?四国説は?
8 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:09:05 ID:9wtaVpfpO
卑弥呼にはお世話になりました
佐藤藍子が一言
↓
奈良にあったとするならクナ国は濃尾平野一帯の勢力でFAだな。
現に大規模遺跡が発掘されてるし。
そもそも卑弥呼なんていなかったし。
12 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:13:58 ID:u3Dcee7+0
どっちが昔繁栄してたにしても今は・・・
13 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:15:21 ID:DOAGmYP60
邪馬台国吸収説が正しいって
何度言ったら・・・
14 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:16:22 ID:B1QyAuJvO
九州には半島から密入国してきたニセ卑弥子がいた!
これでいいじゃん
すまん、まだこの論争スレ継続するわけだ。
考えすぎか?
16 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:19:35 ID:GKHcIMcN0
邪馬台国でござい、という看板でも出ればともかく、
邪馬台国とは異なる大国があったのかもしれないじゃん。
3世紀に九州にも近畿にも大きな国があったって可能性はないのかい?
17 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:20:53 ID:5tNwpFQ6I
魏の使節「おお!海の先にクニが見えてきたぞ」
船頭(船の舳先に立つと前が見えんばい)
魏の使節「船頭さん、あのクニは何て言うの?」
船頭「そこは邪魔たい!」
魏の使節「ジャマタイね…邪馬台国」
18 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:21:29 ID:kPg4UM+P0
完全論破されるまでは認めません
というか何があっても認めません
19 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:23:32 ID:JaG0U8uQ0
金印って、たしか畑を耕してたら出てきたんじゃなかった?
どうにも、信じられないんだよなあ。普通に考えるとGHQの仕込みでは
ないですか?
そもそも九州なんて日本じゃねーし
そもそも大和説の根拠は、卑弥呼の鏡といわれた三角縁神獣鏡が大量に出たことだが、それらはすべて日本産の偽物と判定されている。
九州が配下の大和にニセモノを渡し、それを珍重し、類似鏡を作って喜んでいた。
日本の史学や考古学っておかしいよな。
3世紀の遺跡郡が出てくる→卑弥呼の居宅に違いない ってそりゃ短絡的過ぎるだろ。
吉野ヶ里の時もそうだったが、十分条件満たしてから発表しろっての。
スポンサー向けの発表と違って、一般向けの発表は違うと分かったら即座に関心を失うんだぞ。
>>16 普通に考えて、邪馬台国が九州にあったのに最終的に京都に行ってるのが距離的におかしいだろ。
そのまま九州で発展できる余地がまだまだ当時はあったんだから。
ところが、資料が残ってる最初の頃は九州には大した勢力が居なかった。
そこらへん考えても邪馬台国が九州ってのはありえないだろ。
もし、京都→東京みたいに遷都したなら、遷都元の九州も相当な規模で発展してたはず。
24 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:24:57 ID:MaZcIy/JO
【ネットvsテレビ】ネットが協力し、社会悪のテレビ局、電博を崩壊させよう!【大戦争突入】
日本の諸問題、皆さん知れば知るほど、やはり…真実を報道しないテレビマスゴミが癌ですよね。
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皆さん、以下の3点だけでいいので、ご協力ください!
【やること@】テレビCMで見る企業の、商品やサービスを不買しよう!(重要★!)
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テレビ利権がある、CMが目立つ、ヤクザ芸能事務所と関連が深い等、帰責性ある以下の企業の商品を不買しよう!
●イオン(ジャスコ、マックスバリュー、ミニストップ、マイカル、マルエツ、いなげや、オリジン弁当、トップバリュー商品等)
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●キリン(ファイアーコーヒー、生茶、午後の紅茶等)
●ビックカメラ(ソフマップも。TBSの大株主)
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●ワコール(ピーチジョン等、押尾事件で有名。女性協力求む)
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※他、ハウス食品、アサヒ飲料、永谷園、ヤマサ醤油、ミツカン、講談社、幻冬舎、福家書店等
【やることA】新聞解約。パチンコしない。映画館行かない(特にテレビが番宣する映画)。
「マスゴミ」「番宣」「バーニング!」等、揶揄する言葉を流行らせる(バーニングとは、芸能界の全て握るヤクザ芸能プロダクション組織)。
【やることB】できるだけ多くの人に伝えましょう。本気で拡散しましょう!
皆さん、お願いですから…、社会のため、景気のため、あなたの幸せのために、ご協力お願いします。
すまん、神社と古墳の関係性を抜きにして、邪馬台国は語れないだろう?
考えすぎだろうか?
邪馬台国が畿内だとしたら、狗奴国がどこなのか難しくなるな
熊襲なのか、熊野なのか、その他なのか
>>23 奈良の寂れ具合を見る限り、発達はしてたが寂れてしまったのかもよ?
28 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:27:52 ID:1QtsxbPKO
邪馬台国は竹島でいいよ
>>26 クヌという発音に近いのって近畿じゃ何処だろうな
30 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:29:19 ID:rhjc7CEHO
邪馬台国=大和朝廷=卑弥呼=天皇
はい終わり
サヨクはガタガタ鳴き声言ってんじゃねえぞ!
31 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:30:26 ID:i/L2UidW0
< 丶`∀´ >
32 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:31:14 ID:UbuzZlKR0
もうどこでもいいだろ
学生時代に受けた教授が九州説の急先鋒だったけど、
今頃顔真っ赤なんだろうかw
34 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:32:17 ID:T64N6nemO
つまりコーエーの卑弥呼は綺麗な卑弥呼ということだな。
すまん、実は古墳とは単なる時の権力者の墓ではなく、
後の神社系に代わる宗教施設だったのかもな。
人骨から人が埋葬されていると確定はできるが、
なにもこれをときの権力者とみなさなくともよいのではないか?
だとすると、埋葬者はだれか?ひょっとすると、生き神として、
ときの神官でもあるシャーマン、あるいは生贄かも。
考えすぎか?
36 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:33:20 ID:CArX+O6v0
狗奴国=許乃国(山城国)説があるね
卑弥呼=百襲媛 だと 卑弥弓呼=埴安彦だろうから
その本拠地
大体九州に邪馬台国があったなら、今頃あんなド田舎になってるはずが無い
38 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:33:55 ID:qql8Q68TO
国名は?と質問された当時の日本人は「ヤマトコク」と普通に答えたわけだ
それが当時の中国人には正確には聞き取れず、書物にまとめた時には「ヤマタイコク」になってしまっただけ
39 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:33:56 ID:JaG0U8uQ0
九州派が起死回生の一言↓
41 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:35:05 ID:qUoQ9vNEP
卑弥呼は馬と一緒に朝鮮半島から来たらしい。
卑弥呼 ☆12
>>29 最近は考古学の視点から濃尾平野説ってのがあるらしいな
前方後方墳の東日本勢力って話みたいだけど
>>27 そう言うの考えると、普通に京都に邪馬台国はあったんじゃね?
ずっと都市として改築し続けてたから遺物がまぎれちゃってるだけで。
45 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:36:31 ID:f2nTGrNDO
こんなどうでもいい事を調査して面白いのかな
そんな暇があるなら未来の事も考えて欲しいわ
すまん、ひとところに古墳が集中している事例は
八百万の神なものだから、古墳もそれなりにいくつもあるといことで。
考えすぎか?
47 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:37:41 ID:9wtaVpfpO
>>38 中国人もちゃんと聞き取れてた
無理矢理ヤマタイコクと読んだのは本居宣長
48 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:37:56 ID:NHcIXlGF0
>>35 当時の国の長はイコール神官だろ
卑弥呼だって天皇だって神事を司る存在だった
>>43 地図を南と東とで読み替えるとそうなるのか…面白いね。
>>39 すまん、江戸時代など今の官僚精神が横行する時代だから、
余計に怪しいんだな。どうだろ?考えすぎだろうか?
51 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:42:05 ID:RaEZOsaz0
>>26 クヌ=ケヌ=毛野=栃木&群馬
毛野国は当初ヤマトと対立し大陸との外交・交易も独自に行う大国だった
>>44 すまん、そういえば、京都盆地に古墳って・・・あるか?
どうなんだろう?
>>48 すまん、うん、墓でもあり宗教施設でもあり、ということではなく、
端から、宗教施設であったと・・・考えすぎか?
53 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:44:36 ID:RaEZOsaz0
>>29 邪馬台国の端にある奴国のそのまた隣だから近畿とは限らない
奴国が近畿にあったと考えること自体が不自然
すまん、京都盆地にも古墳は多々あるな。
大体国産み神話は淡路島からなんだよ。
必然的に現大阪湾周辺が重要で、特に大阪南部辺りがね。
そして二上山(ふたかみ=男女二神)があって、高天原が葛城山。
その麓には日本最大の古墳群がある。
聖徳太子もヤマトタケルの墓も全部ここだ。
そしてその東の延長上に巻向、三輪山がある。
邪馬台国があったとすればこの辺りしかないでしょ。
研究費利権目的に畿内説派の奴が九州説唱えてたんだから当たり前だろう
民主政権で利権構造暴かれる前に解散するんだろ
『魏志倭人伝』の記述に則ると、記述どおりの場所は海の上なんだよな。
方位と距離、そのどちらかが間違っていると仮定すると、畿内になったり
九州になったりする。それが諸説紛糾の原因。
#両方間違ってる!と主張して名乗りを挙げた、第三の土地もあったはずw
だが、しかし待って欲しい。
方位と距離、そのどちらも正しかったとしたら……
……そう、日本版アトランティスがあったんだよ!www
58 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 17:54:03 ID:Uxe/RWqA0
邪馬台国厨に歴史マニアにムー読者が入り乱れてるな。
>>1 まぁ奈良で確定だろな
九州も面白いとは思うが何より朝鮮半島に近いのはいただけん。
桜井はうちの近くだけどこの辺り古墳の量が半端ない。
俺んちの横の林も古墳だし。
>>51 女王国連合の南限→熊襲
女王国連合の東限→毛野国
うーん、どっちもありそうだから難しいが、いずれにしてもけっこう遠いな
邪馬台国の直系子孫が日本の支配者って思ってるからこんなに紛糾してんでしょ?
実際はただの地方の小国に過ぎないと思うけどね
64 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:13:10 ID:0Di9ZpX6O
>>63 日御子とか日巫女と音が一緒だし
卑弥呼はシナの一方的な当て字だからな
66 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:17:03 ID:dYjrX5SnO
>>57 あなた、もしかして、キバ○シさんですか?
67 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:17:17 ID:7wg3DqTZO
岩手・八幡平だろ
早く発掘しなさい
68 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:17:40 ID:1dfJqZpS0
>>26 クヌ国は毛野(ケヌ)国のことだと思われ。
毛野国は、後に上野(コウヅケ)下野(シモツケ)の国に分かれる。
クヌ=ケヌ=毛野=関東地方
ちなみに毛野氏はケヌ氏と発音する。
69 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:22:39 ID:n1Z5HE4UO
九州近畿論争まだやってんの?
もう韓国でいいじゃん
70 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:24:54 ID:Uxe/RWqA0
71 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:25:43 ID:qUoQ9vNEP
九州男児とは朝鮮半島から攻めてくる数々の謎の侵略者に立ち向かった勇ましい防人の子孫のことを言う。
一方、恐れおののいて近畿に逃亡した口先だけのヘタレ民族を関西人というそうだ。
72 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:26:46 ID:1dfJqZpS0
>>62 魏志倭人伝の南は東を指すと思われるので、邪馬台国の南は
実は邪馬台国の東を指す。(日本列島を90度回しみるかんじ。)
なので、南のクヌ国は、東のことを指す。東の国でクヌの発音に
一番近いのはケヌ(毛野)。また、昔の毛野国は邪馬台国にも
対抗できるほど強かった。
73 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:26:45 ID:N2t9uk4OO
邪馬台国=大和
卑弥呼=日巫女=アマテラス
でFA?
>>71 現代の九州の北半分は完全に植民地になってるぞw
もっと頑張れよww
75 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:27:46 ID:LfpYjRvfO
邪馬台国なら、俺の横で寝てるよ
77 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:31:19 ID:XE/2ij2n0
>>44は畿外の人であろうと思われる。
京都にも当然古墳は多いが、皇室関係となると平安京以降のものになる。
京都は畿内の中で最も新しく都が置かれたところというのが、近畿の人間の感覚であり、
その点で他の地方のとらえ方とは幾分異なる。
78 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:31:54 ID:1dfJqZpS0
>>73 FA。
しいて言うなら、邪馬台国=ヤマト。
大和と漢字をあてるのは、もっとあと。
卑弥呼=アマテラス
卑弥呼の弟=スサノオ
80 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:32:48 ID:6uv+YxrvO
>>73 元伊勢と呼ばれる神社の系図に日女命という名の人物がいる
百襲姫の別名とされている
81 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:33:47 ID:n1Z5HE4UO
82 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:35:45 ID:4KbV+Rpf0
>>30 > 邪馬台国=大和朝廷=卑弥呼=天皇
>
> はい終わり
> サヨクはガタガタ鳴き声言ってんじゃねえぞ!
バカ?九州説に国学者など皇国史観派が多いんだけど。
毛人=えみし=アイヌ でおkだよな
84 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:36:15 ID:LfpYjRvfO
>>79誰が卑弥呼と言った?俺の横で寝てるのは、邪馬台国だ。
86 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:38:04 ID:rNOpT0DtO
ハニワ
壱与ちゃんカワユス
88 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:39:06 ID:FVOkaYU2O
どうせ捏造に決まっている
89 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:41:38 ID:0Di9ZpX6O
>>87 あのカワユサなら国がまとまるのも納得だね。
山口が正解だろ〜
土井が浜が邪馬台国って意見が意外に少ないなw
91 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:42:39 ID:LfpYjRvfO
>>85誰が邪馬台国と言った?俺の横で寝てるのは、卑弥呼だ。
ん?
92 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:43:28 ID:ImAyz1gP0
俺奈良の古跡近くが地元だが絶対邪馬台国は九州だと思ってた
中国と交流あったらしいが奈良からだと遠すぎるだろ
ちなみに小学校のクラスが皆同じ意見だったな
93 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:43:45 ID:Qeue3G3dO
俺今タイムスリップしてきたんだけど卑弥呼なんていないよ…?
94 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:43:58 ID:PfnjR5/lO
雷火では邪馬台国は九州だったお
95 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:44:56 ID:Uxe/RWqA0
96 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:46:41 ID:O4aa8EWiO
九州に大規模な古墳が在ればいいんでしょ。
無理やり九州にあった事にしたい、超汚染学者の息の根も止まったかw
98 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:47:47 ID:1dfJqZpS0
卑弥呼=アマテラスの比定は、かなり奇跡的だと思う。
魏志倭人伝に出てくる名前は数名でしかないが、そこに
奇跡的に卑弥呼の名前が出てきた。また、卑弥呼の時代に
魏の帯方郡の役人が日本を訪れてるのもタイミング的に奇跡的。
少しでもタイミングがずれてれば、卑弥呼は永遠に歴史の闇の中だった。
あと、天の岩戸隠れのエピソードが記紀神話に記載されているのも
奇跡的。確かにショッキングな日食のエピソードだが、そのショッキングな
日食があったからこそ、8世紀まで人々の記憶の中に残った。
卑弥呼という偉大な女王がいて、1)タイミングよく魏の役人が
日本を訪れていて、2)陳寿がちゃんと魏志倭人伝に名前を乗っけてくれて、
3)日食が起こったことにより岩戸隠れの強烈なエピソードとして
日本人の間に記憶され、
はじめて卑弥呼=アマテラスの比定が可能となった。冷静に考えると
ものすごい確率だよ。しかも、日本神話における最重要な神が
実際の人物に比定されたわけだから(しかもその人物の名前まで知ってる)
すごいとしか言いようがない。まさに奇跡だと思う。
99 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:48:09 ID:2wc3DdP80
中国大好きな左翼教師が
九州説となえるんだよ。
100 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:48:50 ID:Qeue3G3dO
101 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:49:19 ID:Uxe/RWqA0
>>99 倭人が日本人でないとかいうトンデモ説のことか
最近ようやく卑弥呼Nフルコンしたぜ
AAだったけど
103 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:51:15 ID:2wc3DdP80
ヤマトのヒメミコの中華風当て字
→邪馬台国の卑弥呼
104 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:52:13 ID:BPX5S01P0
もう本当に九州はないわ
105 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:52:32 ID:r1iTcUMDO
魏の国の人「この国の名前は?」
和の国の人「やまとたい!」
九州でぉk
106 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:52:49 ID:0bHPJ/51O
九州って「卑弥呼の詩」っていう銘菓があったと思うけど
それはどうなるんだ?
107 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:53:18 ID:RLViWACK0
無双の卑弥呼も九州なのに畿内説必死w
109 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:56:22 ID:qZ4OYeMwO
確か、この遺跡の古墳は、やまととももそのひめ、と宮内庁が言ってたと思うけど教えてください。
110 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:57:37 ID:1dfJqZpS0
神話の神が実際の人物に比定されるケースなんて、世界中探しても
ほとんどないと思うぜ。ギリシャ神話のゼウスやアポロを実在の
人物に比定するぐらいすごいことだと思う。
伝説上の人物を比定というのはありえると思うが、神話の神だぜ、神。
スゲーよ。
111 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 18:58:44 ID:j+wUeBDPO
卑弥呼のAV入手した。
112 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:01:07 ID:1dfJqZpS0
>>109 宮内庁の建前は、江戸時代の知識に基づいてる。
話になんないよ。考古学と史料批判をちゃんとやれって話だな。
113 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:01:36 ID:Uxe/RWqA0
>>109 倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)な
すまん、今しがた飯を食った後、地図を見ていて気が付いたのだが、
大仙陵古墳、羽曳野の古墳群、三輪山神社(大神神社)、
伊勢神宮がほぼ一直線上にあるのは何故だ?
その直線上には二子山もある。
考えすぎか?
もう栃木でいいよ
116 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:02:47 ID:tEcUaVdJ0
ところで、大阪の難波宮以前は、どこが都だったの?
117 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:03:17 ID:dlCmvz1n0
テレ東の邪馬台国四国説はどうなった?
118 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:03:57 ID:LfpYjRvfO
邪馬台国があるのはブラジルだろ
桜井の遺跡とか松永久秀がゴッドハンドしたのに邪馬台国ですかw
そうですか…
120 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:05:37 ID:6uv+YxrvO
121 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:06:19 ID:Uxe/RWqA0
122 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:06:57 ID:3jUCr+DnO
あの時代に朝鮮半島からの文化文明の流入なくして、発展はありえない。畿内説は荒唐無稽。
123 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:07:23 ID:j4nF3WvHO
ウリナラ起源だろ
124 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:08:40 ID:RLViWACK0
学者が自説を絶対に曲げないで、検証したら、どうゆうことになると思うの。
結論は急がなくていいから、事実を大切に保護、公開してほしい。
邪馬台国がどこにあったか、しばらく楽しみたいし。
125 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:08:43 ID:VWvArkCNO
日本人は朝鮮半島から追い出された民族
すまん、その三輪山神社(大神神社)、すぐ北西1km足らずのところに、纒向遺跡があるんだが。
これも考えすぎか?
>>1 これヤマタイコクではなく、それに対抗していた大国でしょ
129 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:09:50 ID:++c8fbn3O
間を取って茨城にしよう
130 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:09:52 ID:BPX5S01P0
131 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:09:55 ID:Uxe/RWqA0
>>121 神宮は伊勢の前は丹後に有ったし、その前は奈良盆地や山城をうろうろ。たまたまだよね。
133 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:10:44 ID:Uxe/RWqA0
134 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:11:42 ID:nzZDBmfdP
支那の歴史書を基に日本の歴史を考える奴は反日売国奴だから日本から失せろ。
135 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:12:40 ID:1dfJqZpS0
箸墓古墳に眠る人物=卑弥呼=アマテラス
アマテラスという神話上の神とされる人物の名前は卑弥呼であり、
われわれはその人物の墓がどこにあるかも明らかにしつつある。
これを歴史のロマンと呼ばずしてなんと呼ぼうか。
しかもこれが与太話でなく、日本書紀や魏志倭人伝の歴史史料、
箸墓古墳という考古学的証拠、247年と248年に日食が西日本で起こったという
天文学的証拠に立脚した信憑性の高い話。
136 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:13:27 ID:7Ui6wTWcO
確かに大神神社の末社には変わった鳥居があった
3つの民族がナンカの儀式であれ使って共通の大王を建てたんではないかな
ええ歳こいた爺婆が出来ないの意味で無理無理言ってるのを見ると殺意を覚えるんだがどうしたらよいか?
138 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:17:07 ID:PHwDKbDe0
>>1 /: : : : : __: :/: : ::/: : ://: : :/l::|: : :i: :l: : :ヽ: : :丶: : 丶ヾ ___
/;,, : : : //::/: : 7l,;:≠-::/: : / .l::|: : :l: :|;,,;!: : :!l: : :i: : : :|: : ::、 / ヽ
/ヽヽ: ://: :!:,X~::|: /;,,;,/: :/ リ!: ::/ノ l`ヽl !: : |: : : :l: :l: リ / そ そ お \
/: : ヽヾ/: : l/::l |/|||llllヾ,、 / |: :/ , -==、 l\:::|: : : :|i: | / う う 前 |
. /: : : //ヾ ; :|!: イ、||ll|||||::|| ノノ イ|||||||ヾ、 |: ::|!: : イ: ::|/ な 思 が
/: : ://: : :ヽソ::ヽl |{ i||ll"ン ´ i| l|||l"l `|: /|: : /'!/l ん う
∠: : : ~: : : : : : : :丶ゝ-―- , ー=z_ソ |/ ハメ;, :: ::|. だ ん
i|::ハ: : : : : : : : : : : 、ヘヘヘヘ 、 ヘヘヘヘヘ /: : : : : \,|. ろ な
|!l |: : : : : : : : :、: ::\ 、-―-, / : : :丶;,,;,:ミヽ う ら
丶: :ハ、lヽ: :ヽ: : ::\__ `~ " /: : ト; lヽ) ゝ
レ `| `、l`、>=ニ´ , _´ : :} ` /
,,、r"^~´"''''"t-`r、 _ -、 ´ヽノ \ノ / お ・
,;'~ _r-- 、__ ~f、_>'、_ | で 前 ・
f~ ,;" ~"t___ ミ、 ^'t | は ん ・
," ,~ ヾ~'-、__ ミ_ξ丶 | な 中 ・
;' ,イ .. ヽ_ ヾ、0ヽ丶 l /
( ;":: |: :: .. .`, ヾ 丶 ! \____/
;;;; :: 入:: :: :: l`ー-、 )l ヾ 丶
"~、ソ:: :い:: : \_ ノ , ヾ 丶
>>132 すまん、なるほど丹後か、天橋立のところだったか?
では、そこと纒向と端点として、ほぼ直線上に
茨木市の雄略天皇陵などの古墳群があるのも、
考えすぎか?
卑弥呼は台湾人
蘇我氏は朝鮮人
これが正解
141 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:19:42 ID:7Ui6wTWcO
そういえば日本書紀は誤りで漢書地理誌は正しいっちゅーのはおかしいわな
いずれにしても巻向遺跡の近年の研究で岡山〜蘇我?、北九州、出雲なんかの土器が全国から集まってて出雲の国譲りが実証されてるし
142 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:19:43 ID:r1iTcUMDO
最初に船がたどり着いたのが佐賀の大和
そこで交わした言葉が
「やまとたい!」
(「たい」は九州の方言)
大和を流れてる矢部川の上流にはかつて東洋最大の鯛生金山がある
鯛生金山近くで発掘されたダンワラ古墳の鏡とか凄いぞ?
この時代って川って重要じゃない?
143 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:19:51 ID:MT9VZqKfP
やっぱ「九州厨はもう諦めろよw」とか「畿内厨必死だなwww」みたいなやりとりがあるんだろうか
>>139 すまん、雄略天皇陵ではなく、茨木は継体天皇陵だった。
考えすぎか?
145 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:20:07 ID:nwvPfX/y0
あれはオオヒルメムチ・・・いや卑弥呼なんかではなくて
オオドシ(ニギハヤヒ)の屋敷跡ですよ・・・
146 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:20:15 ID:A7jg8AKDO
逃げろ市橋!蘇れ森繁!
折衷案出すよ、俺。
もうあれだよ、邪馬台国は当時の日本を支配してたんだよ。多分。
だから、畿内とも言えるし、九州とも言える。
もうこれでいいじゃん。
148 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:21:25 ID:Uxe/RWqA0
>>139 関西はどこにでも遺跡や神社があるんだよ。
どこでもだ。
こじつけなんかいくらでも出来る。
149 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:21:42 ID:Hwo4lWj2O
奈良の起源は韓国
150 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:23:03 ID:Cb8LSzyw0
てかそんな夢物語な国は実在してないんじゃないか?
151 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:23:05 ID:Uxe/RWqA0
>>149 ウリナラとか
クンナラとか
言うなよ?
152 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:25:31 ID:FIKdpn4A0
日本にあったのは間違いないんだし
せまい国内で争わなくてもw
153 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:25:58 ID:hgtAtzneO
これ、日本人にとっては良かったんだよな?誰か教えて
154 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:26:17 ID:wNfgtNQcO
>>98 つか待て
そもそもかつて中国大陸には「魏」なんて国は存在してない
三國史に明記があるのも、倭人や秦人や鮮卑人や真女人などの日本〜半島〜満州の地域の話しか書いてない
そもそも魏志倭人伝にしろ正史24史にしろ、あれはマンヂュ帝国(漢字では清帝国)の皇帝を元首として
マンチュリ帝国の正統な後継国として建国された、マンヂュ国(漢字では満州国)が、建国の際に「マンヂュ国、五族の正統な歴史書」として、古くから日本で保管されてた漢籍書を、
建国に携わった日本の歴史学者などがマンヂュ国の正統な歴史書として採用した書物だよ
24史に出てくる「唐(韓)、明、秦(太秦、大秦)、夏」などは、中国大陸にあった朝廷でも無ければ、中国の歴史でもない
そもそも卑弥呼が金(水銀)を貢いだ京都の朝廷ってのは同じ倭人の奈良の大和朝廷の事で、魏志倭人伝なんてのは、倭国の内乱の様子を書いてるだけだよ
「倭=人委」「魏=鬼委」
だよ
あと朝鮮半島に稲作や紙を伝え、水田や水路を開拓し、その土地を治めてた新羅王や百済王ってのは、中国人でも無ければ朝鮮人でもないよ
>>122 すまん、思うにこれは自分の妄想だが、丹後やその他ところどころを遷宮したことね、
これは、前代の天皇の影響下から、その当時の今上天皇がなんらかの一線を引くために
遷宮を繰り返したと考えられないか?
そうすると、丹後に遷宮されていたとき、これは継体帝(伝えどおり、茨木の古墳が継体
天皇陵であれば)の時代と一致したりして・・・
考えすぎか?
156 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:27:23 ID:1dfJqZpS0
ところで、おまえらに聞きたいんだが、
卑弥呼=アマテラスでいいのか?異存はないのか?
157 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:27:48 ID:PHwDKbDe0
>>150 ぶっちゃけ日本にあったか、どうかも
怪しいじゃないの?
京大(畿内説)○−●東大(九州説)
ってこと?
159 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:28:51 ID:k6GJBEulO
>>156 全く否定は出来んな、俺は五分五分だと思う
160 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:29:44 ID:2EW+DGJU0
,. - 、- 、
_ノ!__,イ_/ ‐'= , ヾ !ト、_ ,.、,.、 _人人人人人人人人人人人人人_
| !l !l l `ヽ_‐_、 ,.-r‐_Tl'lT!T !> 死ねぇ!!! <
l ,- _ j` -、_l〉ーl_,r'l ´ ´,!: ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
: \ ` ト、\ l  ̄ l.イ //
\,r' ト、 `l  ̄ !.イ /
< ll `ヽ__‐,r'l l
!、 ll ll !j l
`'- 、___l! _,r'
161 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:29:56 ID:Uxe/RWqA0
>>155 当時の遷都の理由に、環境悪化と天変地異がある。
たとえば長岡京が10年しか持たなかったのは洪水のせい。
前期難波宮は火災だ。
宮内庁が御陵(とされている)ところの調査をさせてくれれば
>>156 すまん、卑弥呼=日命女のような気がしないでもないが。
どうだろ?
164 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:31:15 ID:BNmGZpUvO
手塚治虫に騙されて
165 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:31:27 ID:Uxe/RWqA0
>>162 それは朝鮮人の思う壺だからやらないだろ
166 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:31:37 ID:7Ui6wTWcO
じゃあ邪馬台国の嬢王卑弥呼は誰なんだ?トヨ説が根強いが
167 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:34:36 ID:1dfJqZpS0
>>163 日命女って誰?何した人?
>>166 卑弥呼とトヨは別人。卑弥呼が死んだ後に男王が立ったが、国が乱れたので
トヨを立てたと魏志倭人伝にある。
すまん、畿内・九州説をさしおいて、万一、日本古代史の一端が2chで解明されたら、
大笑いするのは自分だけか?これはさすが考えすぎか?
170 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:35:26 ID:zw2AD/MlP
火の鳥全否定ですね
171 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:35:54 ID:xYW71fHF0
>>161 余裕あったんだね。
もしかして公共事業的な投資して経済活性化とかいう目的もあったのかな。遷都。
172 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:36:03 ID:CArX+O6v0
>>156 卑弥呼=倭迹迹日百襲媛
卑弥弓呼=埴安彦
男弟=崇神天皇
台与=豊鍬入姫
こんな事に金使わないで、南京大虐殺を起こした人物を捜査すべきではないか?
174 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:39:28 ID:3q5z20JSO
卑弥呼=アマテラス
皆既日食により殺される。これが岩隠れの伝説となり今日にまで理解した。
>>156 すまん、下から気に入った人物を選ぶというのは、考えすぎだろうか?
大倭姫
日女命
宇那比姫命
天造日女命
竹野姫
大海靈姫命
176 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:43:05 ID:wNfgtNQcO
>>122 全くの逆
朝鮮半島や帯方、満州地域の文明や民族の発展は、国造りに向かい水路や水田や道路を開拓し、馬に鐙を付けて移動に使い、牛を農作業に使う事を教えた、倭人の文明があったからこそ、大陸の北東部は発展したんだよ
モンゴル帝国(モンゴル人、チンギスハン氏)、明帝国(ハングル人、リー氏)、清帝国(マンヂュ人、ヌルハチ氏)
これらの民族が発展出来たのも倭国から伝えられた文明があったからこそだよ
もう1つ倭人の他に中東から蚕を伝えた「秦民族」の影響もある
一方で上海や重慶は騎馬技術や水田の農耕技術などの文化ではなく、インド東南アジア文明圏だよ
これら倭の文化圏の満州〜朝鮮半島の大陸北東部、インド東南アジア文化圏に属する重慶〜上海〜香港の長江(この名前は戦後付けられた名前だけど)と海外部
ここ以外の土地はアフリカと同じようにまさしく発展途上の地で、最近まで中国の多くのこうした発展途上の民族は文明とはほど遠い生活をしてたよ
つか今でもだけど
177 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:43:35 ID:r1iTcUMDO
178 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:44:04 ID:6uv+YxrvO
>172
祟神は男弟じゃなくて官のミマキだろ
祟神の本名はミマキイリヒコなんだから
ちなみに垂仁は本名、活目イクメで倭人伝のイキマのことだと思われる
179 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:44:19 ID:vrvlkqgH0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。
結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑国譲りと邪馬台国の誕生
その後、ニニギのひ孫であるカムヤマトイワレヒコが畿内を支配しようとし(東征)畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
180 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:46:11 ID:k6GJBEulO
181 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:47:56 ID:6uv+YxrvO
>>179 妄想乙
日本書紀崇神条に国が乱れた話と
百襲姫の神がかりで国が収まった話があるぞ
182 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:49:50 ID:1dfJqZpS0
>>172 うーん、日本書紀と古事記を信用しすぎじゃないかな。8世紀の編纂だし、
記紀だけで人物比定するのは根拠薄弱では。
あと、卑弥呼の弟は、もし男王として卑弥呼の後に立ったするなら
その在位期間は1年とか2年ぐらいのはず。崇仁天皇の在位期間は
もっと長いはずだし、3世紀の人物でもないでしょう。
伊都国の近くだから吉野ヶ里で間違い無いだろ。
畿内は有り得ないわ
いくら大きな建物が見つかっても、定説入りするだけだよな。
証拠といえるは新魏倭王の金印のみ。
むしろ男系が多かったのか、女系が多かったのかのほうが興味ある。
185 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:51:27 ID:lXeK4LV60
九州にあったのは
もっと偉大な「九州王朝」でOK
古田先生はどーしてるかな
186 :
●:2009/11/11(水) 19:51:56 ID:aUeCXZc+0
畿内説と九州説と言うからみんな勘違いをする。
大邪馬台国説と小邪馬台国説を呼ぶべきだ。
畿内説の場合、邪馬台国の影響力が及ぶ範囲は北部九州から関東までの
日本列島の広範囲に及ぶが
九州説の場合は、今の福岡と佐賀、ひょっとしたら大分と熊本の北部位と言う事になる
畿内説が大規模な宮殿や古墳を重視するのは、それらが日本最古の統一王権に相応しい
巨大な権力の存在を示唆するから。
畿内説を立証する為には、まず3世紀に巨大な権力が日本に存在した事を証明する必要があるからだ
187 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:53:07 ID:r1iTcUMDO
>>179 これなら
宇佐神宮の謂われともリンクするね
188 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:53:32 ID:6gMoaUu3O
だからさ、マクモニーグルが卑弥呼はいまの山口県にいて鳥取辺りにいた近畿勢力から恐れられてた伯父に近畿勢力の司祭として祭り上げられて、春は奈良に冬は山口にくらしてたって透視してるじゃん。九州は父親が治めていた。
189 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:53:44 ID:+O+bIEx8O
ロマン だなぁ (^-^)
190 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:54:59 ID:qqh+dnOC0
そもそも九州は地政学上日本の中心地には決してなり得ないから。
香ばしいヤツもいるなw
半島人より中国東南の方に縁があって欲しい
古い方の正史のが記紀よりよっぽど信頼できる
192 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:57:47 ID:0Di9ZpX6O
>>181 神がかり!?
何やらかしたんだろう?
本命・海割ったりした
対抗・かめはめ波的な何か
大穴・金属食器曲げ
無印・巫女さん
193 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:57:58 ID:32g1RdlEO
九州って名前は急襲から来ているし
侵略者だよ
194 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:58:59 ID:NmcE9gfT0
吉野ヶ里なんて大和朝廷の地方支店みたいなもんだろw
そもそも、ヤマタイコクなんて読み方がおかしいのである。
本居宣長以前は、ヤマトコクと読んでいただろうに。
これは、中国の歴史書もヤマトコクと読んでいた。
マキムクで決まりだ。
195 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:59:21 ID:oidzb1qI0
国造本紀に載ってる遠江の久努国が
狗奴国を継承してるんじゃないの?
当時の倭国の文化エリアの最東端で
狭い地域内で素賀国、遠淡海国とともに
初期の大和朝廷の国造に選ばれてるし
倭国大乱の時期の高地性集落とか見つかってるから
一定の勢力持って西方と対峙してたと思う
>>192 反乱の発生とその後の軍事行動を予想し
その鎮圧に貢献したそうな
197 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 19:59:46 ID:+iuNO7EcO
>>182 魏志にある「王」が倭における「キミ」とイコールなのかと
「キミ」はむしろ「官」なわけで、祭司王が代表者となり「倭王」として封じられたのでは?
崇神天皇の時、三輪の祭司の後継を求め子孫の男を任命した話がある
198 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:00:03 ID:r1iTcUMDO
>>190 中央構造線の始まりor終わり から先は倭国じゃなかったと仮定したら?
巍志の宮室、楼閣、城柵の条件を満たしてるのは吉野ヶ里。 どうみても九州が邪馬台国です。
本当にありがとうございました
200 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:01:33 ID:CwW6pnax0
大規模古墳=宇佐神宮
台与の国=豊国
でFA
201 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:01:49 ID:gVcIinUJO
マクモニーグルによれば邪馬台国は三輪山付近と透視。
しかし卑弥呼の墓は山口県の豊田湖畔の伝安徳天皇陵との事。
箸墓には別人が複数人埋葬されてるんだって!
>>179 すまん、要するにヨーロッパでのマリア・テレジア時代における
オーストリア継承戦争の類ということか・・・
どうだろ?
いずれにしても、現代の政教分離ではないが
古代宗教と政は、セットで考えたい。
その意味で、最古級神社・古墳を扱うと。
考えすぎか?
今月号ムーを見ろ。
金印は古代から続く集団が引き継いで保管しててズバリ写真出てるから。
関西きめえwwww
何海外の話で盛り上がってるんだよwww
大阪民国人どもめwww
すまん、藤原不比等は、古代日本史を改竄した取締役か?
どうなんだろ?
206 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:08:53 ID:0Di9ZpX6O
>>196 サンクス
予言者または神託の巫女さんか。
207 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:09:15 ID:Hk2SH85LO
大きな遺跡が見つかったからって邪馬台国になるとは限らないんじゃ…
というわけで、邪馬台国は韓国が起源ニダ!!
208 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:09:24 ID:XE/2ij2n0
>>82 白鳥庫吉、津田左右吉、松本清張らが皇国史観派であったとはとても信じられぬ思いである。
九州説は基本的に戦前からたいして進んでない。
ここが邪馬台国ですという比定地も出してこれないし、墳墓も遺跡もない。
主たる研究は、畿内説のアンチ活動と文献を都合良く捏ねくり回すことという具合に堕落していってる。
正直、邪馬台国などといういい加減な文献を相手にするよりも、巻向や天皇陵などの遺跡をもっと調査してもらいたい。
>>201 すまん、古代日本は、一夫多妻制?それとも、多夫一妻、多夫多妻?一夫一妻?
どうなんだろ?
210 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:11:57 ID:wNfgtNQcO
>>166 24史や古事記や日本書記を読めよ
大国主から国を譲り受けたのが、「天子」とか「天孫」とか書かれてる高天原(信濃)を治めてた氏族だよ
伊耶那岐や天照などの子孫で、いわゆる物部氏族だよ
で、今はもう滅んでしまったけど、明治維新前まで御所にいた大和朝廷(公家)も、関東を開拓した幕府(武家)も、どっちもこの血統の氏子の氏族だよ
で、新羅や百済ってのは西を治めてた公家が、高麗に負ける前まで治めてた土地の事で、卑弥呼ってのはそのなかの新羅を治めてた倭人の女王の事だよ
魏志倭人伝にも書いてあるように、京都の大和朝廷に新羅の女王が多くの金(水銀)を貢ぎ、大和朝廷が印授を授けた話は記紀にもちゃんと書いてある
この金を使って黄金の大仏が建てられたんだよ
そもそも「魏」なんてのは、魏志倭人伝の中の卑弥呼が京都の朝廷に金を運んだ話の時に「魏時」って書いてるってだけだよ
国でも朝廷でも何でも無いっての
24史を読んでみ?
倭や帯方や倭人の王や、真女人の王の話は「○○を○○民族が治めてた」って詳しく書かれてるけど、魏だの呉だのってのは国でも朝廷の事でも土地の名前でも民族の名前でも無いんだから、魏や呉に関してそうした記述は一切無いよ
そもそも三國史ってのが、朝鮮半島が倭人の百済新羅と、鮮卑人(秦人かな?)の高麗と、真女人の唐(漢)の三族の三国の事を書いてあるんであって、今の中国人は一切関係ないよ
あと「漢字」って言い方も辞めた方がいい
現在「漢字」って呼ばれてる文字は、正しくは「真女字」って呼ばれてた文字だよ
「漢(韓)の地にいた真女人の文字」だよ
中国人でも朝鮮人でもないし、今の中国や韓国の事でもない
考えすぎか?ってうるさい奴、
藤原京以前は天皇が代わる度に宮の場所も変わっていたから
大雑把に飛鳥とか斑鳩とか言う以上の考察は一切無効。
>>210 すまん、伊耶那岐・イザナミは、多賀大社か・・・
他の社もあるんだろうか、どうだろ?
213 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:15:43 ID:XE/2ij2n0
>>207 その通り。
邪馬台国などというどうでも歴史的にたいした影響を及ぼすことなく滅びていった?国より、
この時代に、関東から北部九州に至る経済圏を作るほどの都市が巻向に存在したという事実の方が遙かに重要。
214 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:16:17 ID:jEtt+r5i0
神武東遷説は?
215 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:16:35 ID:1dfJqZpS0
216 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:18:01 ID:wKGJOJ8oO
卑弥呼=ダイヤモンド映像
217 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:18:42 ID:t+i3XHXJO
記紀史観がなければ耶馬台国はあっさり九州説で解決。
場所は筑紫平野、後に中国の干渉を嫌い、日向に遷都。
それよりも耶馬台国は中国の干渉で滅びた?
東征に成功した?畿内勢力から駆逐された?
を議論したほうが建設的だね。
畿内説のこじつけには付き合いきれん。
畿内の豪族と卑弥呼は関係なし。
日本の古代史学に学問なし。
結論ありきのチョンの壇君と同類。
218 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:18:57 ID:Alk2IqPVO
畿内かぁ
九州説派のうちの父ちゃんがっかりしてるだろうな
219 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:20:10 ID:+iuNO7EcO
>>213 邪馬台国が滅びたなんて記録はどこにもないから
トヨの使節の後支那王朝側の記録から暫く倭王の記事が無くなるんで勝手に邪馬
台国は滅びたといっている人がいるだけ
220 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:20:53 ID:cwxBpcheO
>>204 見てください。これが朝鮮人にゆとりをプラスした馬鹿のサンプルです。
>>211 すまん、そういえば藤原京も例の直線が横切っていたな。
ま、いままで考えられた以上に大きい京だったらしいから、
線の1本や2本は通るか・・・考えすぎか?
222 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:22:20 ID:+iuNO7EcO
>>217 妄想だらけだから君の頭の中ではあっさりなんだね
日向遷都の根拠は何?
223 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:22:49 ID:vrvlkqgH0
>>179の後、大和王権成立まで。
アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まる。
↑海幸彦と山幸彦
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、
檄文で壱与を告諭する。
この時以来、山幸彦・・つまり畿内勢力は、魏との関係が密になり、畿内勢力の長が魏の要人の娘と結婚して、
ウガヤフキアエズという子をなす。
ウガヤフキアエズは、のちにカムヤマトイワレヒコを産み、カムヤマトイワレヒコは初代天皇神武天皇となる。
224 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:23:48 ID:/cdl3lbLP
昔、鳩山夫人も読んでいるムーに邪馬台国を探し歩くという記事がのっていた
出発点は奈良・・・で、いきなり「ここです」で終了。
225 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:23:53 ID:wNfgtNQcO
>>203 「金」って字は「カネ」って読むんであって「おうごん、きいろかね」の意味とは違うよ
鉄、銅、鋼、、、これらはすべて「金(カネ)」だよ
漢字や日本語の意味解る?
ちなみに「印」ってのは日本語では「しるし」とか「くらい」って発音するんだよ
ちなみに「位」って漢字と「印」って漢字は同じ意味の漢字だよ
そもそも漢文の区切る位置を間違えてるし
「金印、授〜」じゃなく「〜金、印授」だよ
そもそも「黄金で作られたハンコ」ってのを漢字で書くとしたら「黄金判」だってば
そもそも「金の印鑑だ!」って言われてる奴って、用途はあれは判子じゃなくて「お金」だよ
んで、その「お金」は、後に大判や小判のような形になってくんだよ
黄金(きいろがね)に判を押したものが「お金」だよ
福岡で見つかったのも印鑑じゃなく昔の通貨だよ
あれをハンコとして使ってたとかバカの発想だわ
226 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:24:33 ID:0Di9ZpX6O
巻向も邪馬台国かどうか云々は置いても、
大和朝廷の始まりの地というのは確定しているでFA?
>>216 中学時代お世話になりました。
227 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:24:49 ID:jEtt+r5i0
>>98 卑弥呼は統治期間が長いし(70年くらい?)
卑弥呼のほうから支那に何度も使者を送ってるだろ
支那から日本に使者が来たのも、国交があったから
卑弥呼レベルの統治者がいたから、
日本みたいな僻地まで支那の使者が来れたんだよ
邪馬台国は九州だろ?
朝貢外交してたような腑抜けた邪馬台国が
大和朝廷の前身であるわけない。
これは断じて認めるわけにはいかない。
邪馬台国は九州に存在し、しかる時期に消滅したと
考えるのが日本人がとるべきスタンス。
229 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:27:01 ID:XE/2ij2n0
江戸時代の国粋右翼と戦後の反日左翼の野合の末に生まれてきた子供が九州説。
向いてる方向が右か左かの違いはあるが、事実よりイデオロギーを好む。
>>219 滅んでいようが、現在の皇室の祖先であろうがどうでも良い。
歴史的にみて、邪馬台国自体にたいして重要な価値がない。
卑弥呼ちゃんは九州の州知事さんだよ
もっと偉い人がいて、その人は畿内にいたけどね
一時代くらい女がトップを務めていた
思いこみたいのはわかるけど
残念ながらその偉い人は男の人なんだ・・・
大仙陵古墳とか掘り返してみたいよな
232 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:30:14 ID:jEtt+r5i0
そもそもなんで「台」だけ「タイ」って読むの?
「台」が「タイ」なら「邪馬台」は「ジャバタイ」と読まねばならない。「邪馬」を「ヤマ」と読むなら「台」は「ト」と読むのが正しい。
って大野晋先生が言ってた。
234 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:31:10 ID:OOgEAYQgO
235 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:33:10 ID:XE/2ij2n0
仮に邪馬台国が九州にあったとしてもそれは九州限定の地方政権に過ぎない。
同時代に全国的規模に及ぶ影響力をもつ政権が巻向にあったという事実の方が遙かに重要である。
しかも、その時代に造られた前方後円墳が後の大和政権にも耐えることなく引き継がれている。
236 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:35:06 ID:t+i3XHXJO
畿内豪族=耶馬台国の結論ありきだもんな。
チョンの壇君実在説を笑えんよ。
耶馬台国なんて九州の中規模国家。
その後、発展したか消えたかは知らん。
そもそも古代シナは、それほど日本列島にストーキングしていない。
>>232 すまん、歴代天皇から外された御仁か・・・
日本書紀の記述を元にした仮説だよね?どうだろ?
238 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:38:09 ID:XE/2ij2n0
>>228 本居宣長説ですね。
こういう国粋右翼と昭和期の反日左翼が奇妙な形で合体して生まれたのが九州説の正体である。
こういう人々が自分たちのイデオロギーに都合の良いように日本の歴史を歪めてきた。
239 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:38:45 ID:k6GJBEulO
240 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:39:41 ID:jEtt+r5i0
>>215 まあ、アマテラスが卑弥呼だとすると、日本の歴史がずいぶん圧縮されちゃうからなあ
皇紀2600年とか言えなくなるww
>>238 すまん、ということは本居宣長をよく知る必要があるわけね。
どうだろ?考えすぎか?
242 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:39:49 ID:+iuNO7EcO
>>229 あの時期に倭が広範囲の割と統一性の高い連合だったことが外国の記録としてあることが重要
縦糸の記紀に対する横糸になる
邪馬台国が〜とかじゃなくもっと総合的なものだよ
君が言う経済圏の話も含めて
鋼鉄神涙目
244 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:41:44 ID:SQzNlQUD0
畿内も九州も、どっちも邪馬台国ってことはないのかしら。
もう中間を取って愛知ってことでいいじゃん
246 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:43:17 ID:k6GJBEulO
沖の島とか話題に出てこないね
248 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:43:34 ID:NwbKAng20
これさー、年代測定に誤差がないとしたとんでもで
畿内説の学者ですら否定にかかっているけど
でもマスコミだけはれいによってというはなしじゃなかったっけ。
249 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:43:45 ID:WVBH4WnJO
畿内も九州もこっちにあったと決めつけて有利は情報しか見えない状況にだからな
250 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:44:33 ID:t146tsRr0
とにかく『魏志倭人伝』の機械的当てはめだけは絶対にしてはならない。
邪馬台国論争は、実際にどこにどのような勢力がいて、どう古代日本を形成するかの
論争の一部であって、「魏志倭人伝と一致させ競争」ではない。
卑弥呼の名にしても、「〜ノミコト」を当時のシナ人が聞き違えたり、省略して記載している
可能性は消えないし、いつ、どこに実在したかについても、記述を絶対視するのは
誤解のもとになる。光通信の時代じゃなく、船と牛車と徒歩と伝聞の時代なんだから。
15世紀のヨーロッパ人の大航海時代にも、実在しない動物のデッサンを描いたり、
ありもしない話を奇妙な社会の事だと捏造(当時の意識はやや違うかもしれないが)して
星の数ほどヨーロッパ中にばらまいていたんだし、2〜3世紀のシナの文書に
厳格な事実性を求めること自体が、かなり危険。
>>30 魏志倭人伝(一発で変換できるなんて凄い)の記述は、音を
あらわしたもので漢字そのものは当て字。
当時、大和朝廷は既に成立していて、「大和国」と名乗った
のを「邪馬台国」と当てたと考えるとしっくりくる。
おなじく「卑弥呼」は「姫巫女」のこと。
天皇の姉妹が斎宮として伊勢神宮に入る習慣が当時はあった。
天皇の娘で伊勢神宮の巫女だから、「姫巫女」と呼ばれたのでは
ないか?
天皇の近親者を団長とする外交使節を中国に派遣したと考える
のが合理的だ。
ちなみに、日本風のことを「和風」、日本風の食事を「和食」と呼ぶが、
この「和」という漢字は「大和」に由来する。
日本の国号はずっと「大和」だったし、未だに様々な言葉にそれは
残されている。
252 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:45:53 ID:CPuUtQdjO
箸墓を調査するのが合理的ではあるまいか?
253 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:46:44 ID:XE/2ij2n0
>>229 広範囲といっても九州限定。
遺物を見る限り、巻向はそれより遙かに大きな規模を持っている。
邪馬台国自体の価値は支那の記録に掲載されているというだけ。
価値があるのは鯨面文身など風俗に関する記録ぐらい。
254 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:46:53 ID:jEtt+r5i0
>>249 てか、畿内か九州か、なんてのは
漢王朝があったのは洛陽か長安か、くらい意味のない話だと思うww
255 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:46:55 ID:gAt5Ek/qO
いまだに、九州説とか主張してるのは、
ちょと頭がアレなひとだけ。
って、社会の先生が言ってた。
256 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:47:54 ID:7ujwcMnKO
卑弥呼が魏に遣いを送ったのはクナ国との軍事的緊張が高まったためだよな、そうなると畿内は遠すぎると思うな。畿内に大規模な建物がある=邪馬台国は結論が急過ぎる気がするよ。
発掘担当してたのなかなか際どそうな年齢のキモ顔助教だったけど
今回のまとめて教授になれるといいね
258 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:48:05 ID:t+i3XHXJO
大和朝廷のルーツをどうしてもシナの文献に結び付けたいという意味で
畿内派は相当シナコンプレックスがあるんだね。
259 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:48:17 ID:+iuNO7EcO
>>248 年代測定にクレームがついているのは箸墓の堀から出土したものの年輪のやつだったかと
>>251 大和も当て字みたいなもんじゃないか。
大をヤマ、和をトとは読めないぞ。
261 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:49:13 ID:KDqIECLz0
本当に卑弥呼がアマテラスオオミカミなの?
262 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:49:36 ID:1dfJqZpS0
>>246 ざっと見た感じだと、154年に皆既日食がある。で、それ以前は
紀元前になるね。つまり1世紀にはゼロ。
ちなみに、273年にも皆既日食があった。トヨの時代かな。
大丈夫だったんだろうか、トヨ。殺されてたりして。
あちしはヒミコなのだ!
264 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:50:16 ID:jQoNbeUU0
ていうか、何が出てきたら決定的になるのかね?
265 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:51:17 ID:+iuNO7EcO
>>253 自分にレスしてどうすんの、落ち着きたまえ
九州限定とする根拠は?
266 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:51:34 ID:k6GJBEulO
267 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:51:40 ID:jEtt+r5i0
>>260 大は国号につける冠みたいなもんだろ
大越(ベトナム)や、大震(渤海)、大韓(民国)みたいなもんで
和=倭
ちなみに倭だけで「やまと」とも読む
>>267 であったとしても、和でヤマトと読むのは当て字だろ。
269 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:53:32 ID:7Ui6wTWcO
邪馬台国というのはヤマト国と混同させたいために江戸の国学者が捏造したと聞いた
巍誌倭人伝では邪馬'壱'国となっているとか。
270 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:53:53 ID:AS9+dReyO
邪馬台国九州説(笑)を言っているやつは朝鮮の息のかかった胡散臭いやつだけだろ。
「古代日本は朝鮮が作ったニダ!」
と主張したいやつが必死に邪馬台国九州説(笑)を主張してるんだよ。
272 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:54:47 ID:jEtt+r5i0
ヤマトはヒのモトとも読む
ヒのモトを漢字で書くと日本
ヒ =ヤ
モト=マト
273 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:55:12 ID:7ujwcMnKO
ワ=輪=和=環濠集落だろ、このワを多数支配した大きなワが大和=ヤマトだよ。
274 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:55:20 ID:jEtt+r5i0
>>270 日本の歴史は渡来系の朝鮮人が作ったからな。
276 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:55:38 ID:k6GJBEulO
277 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:56:17 ID:1dfJqZpS0
>>246 私見だが、154年と158年の皆既日食は、倭国大乱の引き金に
なったんじゃないだろうか。
247年の皆既日食で卑弥呼が殺され、248年の皆既日食で
男王が退位させられて、やっぱり女王じゃなきゃということで
トヨになったと。
273年の皆既日食で何が起こったかは歴史の闇の中。
トヨが退位させられて、また男王が立ったんではないだろうか。
で、それ以後男王が続くと。
278 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:56:17 ID:+iuNO7EcO
>>253 だからさ、記紀と支那史書と考古資料だよ
マキムクもその中にあるもの
君、邪馬台国を矮小化する衝動の為にあまり人の言い分を理解できていないよ
俺の方が君より広くものを見ている
この手の歴史の問題は余程明確な証拠が出てこない限り無理だな
そもそも邪馬台国とやらが、どこからどこまで指していたのかさえわからん。
280 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:57:14 ID:XE/2ij2n0
何が出てきても無理。
九州説は比定地自体がない。
かといって、畿内から金印が出てきたとしても、九州説論者らは、
それは九州から持ち出したものに違いないと言うのであろうし。
さっきも言ったが、邪馬台国自体はたいした価値がない。
それより、巻向や天皇陵の発掘調査に力を入れた方が、現代に繋がる政権の
移り変わりが分かるので、日本史的には遙かに有益。
>>274 何故あて読みしなければいけなかったのか。
普通に山東でも山門でも良かったのに、なんで和をヤマトと読んだのだろう?
282 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:57:50 ID:2q0X57VQO
ビルゲイツと秘書が歩いていると、目の前に1万ドル小切手が落ちていた。
彼はそれに見向きもせずに通り過ぎた。
すると先に、100ドル紙幣が落ちていた。
彼はそれに見向きもせずに通り過ぎた。
さらに先に、50セント硬貨が落ちていた。
それを見たゲイツは、50セント硬貨を拾ってポケットに入れた。
秘書「なぜ、それを?」
ビル「・・・まさか、君はまだVistaかい?」
>>268 長谷をハセと読むのも飛鳥をアスカと読むのもみんな当て字と言えば当て字だけど、
それを言い出すと中国語由来の音読みに対し訓読みはすべて当て字ということになってしまふ。
そもそも漢字は外国語の文字なわけで。
箸墓の発掘調査ができたらなにかわかるかも。「親魏倭王印」とか出土したりして。
もう天皇陵発掘許可しろよ。
285 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:58:49 ID:kwsMit9mO
龍神丸ー!!
286 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:59:13 ID:jEtt+r5i0
そもそも邪馬台国が九州の小勢力であったならば
わざわざ支那の歴史書に記すことはなかった
邪馬台国が日本列島の大半と朝鮮半島の南部までをも支配下に置く大勢力だったから
支那の王族は卑弥呼の使者を丁重にもてなしたわけだよ
287 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:59:19 ID:k6GJBEulO
>>277 ま、古代人にとって皆既は正に悪魔の所業と感じられてたからな〜太陽神崇拝の元締の権威失墜に結び付いても不思議は無いわの〜
288 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 20:59:56 ID:+iuNO7EcO
>>258 支那史書は史料のひとつにすぎないが
君の方がコンプレックスあるよね
289 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:00:16 ID:t+i3XHXJO
>>265 こういうのは距離的に遠い畿内説に検証義務があるんでないの?
しかし、シナの使節は出雲や吉備の豪族には触れないし、
風光明媚な瀬戸内海にも言及していない。
いきなり飛行機で奈良盆地に来たのかな。
290 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:00:41 ID:vkiZ3qhKO
卑弥呼とかまたDQNネームだな
291 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:01:01 ID:XKk/J1yNO
関西弥生系顔以外にはどうだっていいじゃんw
薄い顔に負い目があるのだろうw
縄文人涙目wwwwwwww
>>280 A>九州の邪馬台国が畿内に東遷した際に持っていった
B>畿内ヤマト王権が九州邪馬台国を滅ぼした際に略奪した
C>大和王権が後年、自己が正当政権である事を主張する為に作った贋作
記年鏡を「邪馬台国との結びつきを主張する為に作った贋作だ!」
と言い張る連中だからな。フツーに想像できる。
邪魔大王国のヒミカ様がどうしたって?
もうメンドクサイから
将軍様の都・ピョンヤンにあった
ってことでいいよ。
>>265 魏志倭人伝にある邪馬台国へ行く道筋を記した記述のなかの東西南北の方位の記述。
日数については条件によって誤差は出てくるだろうが、方角までは間違えんじゃろ?
297 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:03:09 ID:Oo+oduFOO
もう無理!あなたキモい!
298 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:03:48 ID:t+i3XHXJO
正しくはピミコだよ。
299 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:03:49 ID:jEtt+r5i0
>>281 だから、それはヤマトがヒのモトだから
日本に漢字が伝わる前から、日本はヤマト、あるいはヒのモトだった
で、中国では日本のことを勝手に倭と呼んでいた
だから日本に漢字が伝わったとき日本も自分の国号をあらわす
「倭」という漢字に「ヤマト」という読みを当てはめた
で、「倭」が、同じ発音の「和」に置き換えられた
(この手の文字の置き換えは日本中いたるところに存在する、例えば多摩川→玉川みたいな)
「和」に置き換えたのは後世の日本人の言葉遊びだろ
>>296 方角に関しては後年の中国史書でも度々間違ってるからな。
方角の間違いは十分ありうる
>>269 「壱」?それは「壹」と「臺」の間違いということ?
302 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:04:33 ID:t146tsRr0
韓国人が口を挟んでこないのが不思議と言えば不思議w
陵墓の調査とか言ってるヤツ何なの?
ニュー即でこれか。
こりゃ怖くて日本史板は見に行けんな
305 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:05:51 ID:KDqIECLz0
年代が近かったとしてもそれで卑弥呼と結びつけるのは些か乱暴だなw
307 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:06:24 ID:xwbSxnbK0
大体、古墳も開けずに古代史を語るなんてチャンチャラおかしい
こういう議論は全部の史料をそろえてからせいよ
あいてない古墳がいくつもあるのに全部机上の空論でしょ
>>305 一世紀位後の倭の五王時代なら伝来してたらしいがな。
309 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:07:09 ID:XE/2ij2n0
>しかし、シナの使節は出雲や吉備の豪族には触れないし、
風光明媚な瀬戸内海にも言及していない。
それは九州も同じ。
景色などの実際に体験したと思われる描写は末盧國まで。
「3世紀、日本列島のどこかに邪馬台国という国があって一時期魏に朝貢していた」
邪馬台国にはそれだけの価値しかない。
310 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:07:14 ID:+iuNO7EcO
>>289 君は魏志に記録されている国名の正確な解釈ができたのかい?
できているよね、そこまではっきり言うんだから
隋書にあるやつも阿蘇に触れているから九州だとか言っちゃう類かね
311 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:07:34 ID:Oek47rX70
>>301 台湾中央研究院の電子文献は「壹」の方を採用してるよ
>>281 そういや、福岡に「山門」と書いてヤマトと読む町があるな
314 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:08:28 ID:7Ui6wTWcO
確か舞い降りたすめらぎという糞小説には書いてあった気がする
お前ら馬鹿だろ
全ての起源は韓半島にあると決まっている
316 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:10:38 ID:wNfgtNQcO
イギリスのグラバーの軍事支援を受けて、幕府や京の都の公家(大和朝廷)までも滅ぼした薩長連合(その後、グラバーの息の掛かった秘密結社の水交社の坂本龍馬や西郷ら薩摩勢力を追いやり長州が実権を握る)が
外様大名である九州勢力による日本の統治に正統性を持たせる為に、自分たちの作り上げた歴史解釈になぞらえて、前方後円墳や伊勢神宮や出雲大社などまで新たに作り、いかにも昔からそこにあったかのように、大がかりに風説して作り上げた歴史が、いわゆる天皇史観
あれは天皇を神格化する目的と言うより、日本は九州の氏族が建国した、古来よりの九州勢力の国としたてあげる為のもの
そもそも明治時代までは「テンノウ」なんて言葉すら存在してないよ
「天皇」を「テンノウ」と呼んでる時点で間違い
「テンノウ」って地位は明治時代に作られた地位や名前であって、イワレビコやホオリノミコトも別に「テンノウ」になんてなってないよ
ちなみに京の都にいたのは、同じ天子氏族でも武家(もののけ)の方じゃなく、関白などの皇(すめらぎ)の公家の方だよ
だいたい薩長の奴らも実権を握りたいだけなら、御所の公家まで滅ぼす必要は無かったんだよ
ただ歴史を改ざんして正統性を付け加える為には、幕府も公家もどっちも滅ぼす必要はあっただろうね
んでもって、この長州政府より更にタチが悪いのが、長州政府を倒すために再びグラバーの支援を得て、自作自演の太平洋戦争を仕掛けた、戦後の水交社とヨハンセングループの奴ら
まるで長州政府の悪口を言ってるようにしか聞こえなかったとしたらご免なさい
戦後の水交社達の奴らが作った日本の歴史観と比べたら、長州が作った天皇史観はまだ100倍正義がある
もしかして、長州は坂本や西郷の薩摩の奴らの手によって、日本を欧米化の国へと支配させない為に、仕方なくああいう事になったんじゃないかって思えるぐらいだよ
戦後、長州や長州政府や陸軍はとにかく全ての悪者にされてるけど、俺から見たら長州は薩摩や欧米勢力から、日本をあくまでも日本民族の主権の国として守る為に抵抗してた勢力に見えるわ
>>312 レスありがとう。台湾ではなんと発音するのだろう。興味深いね。
井沢元彦の珍説、卑弥呼=アマテラス。
伊勢神宮=卑弥呼の墓が正史になるか?
>>236 3世紀に西日本一帯を支配するような大規模な王権が存在するはずない
邪馬台国はきっと九州の地方勢力に過ぎなかったはず
という偏見が古代日本史解明の最大の障害。
畿内説が大規模古墳や宮殿跡に固執するのは
まず「3世紀に強大な王権が存在した」証拠を示す必要を感じてるからだろう。
>>318 考古学会では箸墓古墳=奈良にある最古の大規模前方後円墳=卑弥呼の墓
でほぼ決定
321 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:13:30 ID:FVOkaYU2O
どんなに奈良が捏造したって、邪馬台国が北部九州なのは決まっている
>>341 石ころ一つ掘り出すのと大規模な都市遺跡を発掘するのとじゃ
捏造の難易度が違いすぎるのわかってる?w
323 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:14:30 ID:1BV3shUQ0
弥生人は大陸から九州に入ってきて東へと勢力を拡大していったのだろうから
邪馬台国は九州から近畿に及ぶ広域の国だったんだろうが
スレ違い
325 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:15:01 ID:AVj4vTWIO
上岡龍太郎は九州説だったっけ。
この状況について聞いてみたい。
326 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:15:30 ID:jEtt+r5i0
>>319 それが不思議なんだよな
同じ時代に支那には秦だの漢だのといった大規模王朝が存在したのに
日本がそれよりも遙かに小規模な統一王朝を築けなかったという理由が分からない
327 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:16:02 ID:NmcE9gfT0
>>321 .
|---,,,,,
|:::::::; :;:::"'
|::;;;ノ ヽ;:::\
|'''" .ヽ:;::|
| |ミ|
| |ミ|
| ,,,,, |ミ|
| ''"""'' |/ 邪馬台国はマキムクに決まりです。
| =・=- | 理由は、今、検討中です。
| | "''''" .|
| ヽ |
| -^ |
|==- |
|'''''" /
|___,,,./::\
人骨や武器の出土は北部九州や山口ばかりなのに、畿内からは全然でませんよね^^
>>125 違う、元々、日本は韓国人が支配し、住んでた国だった
それを後からやって来た日本人が乗っ取った
>>260 すまん、いずれにしても「ヤマ」の部分は全国津々浦々共通。
「ヤマ」がシンボリックに頭に持ってきていることに注目すると、
ヤマ→山、そのままね。
つまり、「山」に対する信仰がキーワードなのかもよ。
考えすぎだろうか?
>>328 九州はまず、巻向に対抗できるだけの
具体的な遺跡を見つけねばな
332 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:17:37 ID:FVOkaYU2O
>>319 日本にはまだ字が存在しない時代なんだが
333 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:17:48 ID:XE/2ij2n0
昭和天皇がご健在であった時代は、さすがに陵墓の発掘などできなかったが、
今上天皇は現人神からも自由になったので平成の御代のうちに天皇陵の
調査ができるようになると思う。
そうなると本当に困るのは韓国人や九州説の人たちだと思う。
334 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:18:01 ID:jEtt+r5i0
>>328 首都が戦禍に巻き込まれるほど脆弱な王朝ではなかったということだろう
九州は防衛最前線だからな
336 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:19:39 ID:jEtt+r5i0
>>329 それも違うよ
日本はもともと日本列島の大半と朝鮮半島南部を支配してたんだよ
朝鮮人のルーツは鮮卑とかそのへんだろ
337 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:19:55 ID:XKk/J1yNO
チョンチョンと小馬鹿にしても
お前がチョン顔だろ?
と言われる関西人以外はどうでもいい話w
338 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:20:21 ID:jEtt+r5i0
>>330 それは違う
ヤマ・トで切るのではなくヤ・マトで切るのが正しい
ヤ =ヒ
マト=モト
339 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:20:33 ID:+iuNO7EcO
>>316 長文ご苦労さん
天皇のは江戸時代までは「テンワウ」だったね
光格天皇の時だっけ?天皇号の使用を復活させたのは
天皇号は公式には律令で規定されたものだね
だから初期天皇は「天皇」じゃない
日本書紀は律令の用語で書くルールになっているから、イワレヒコも漢風の謚号に天皇がつく
>>332 文字が無いと広域王権が成立しないとは聞いた事が無いな。
巻向が南九州から関東までの人々が集まる交流センターであった事は確実だし
3世紀にヤマトを中心とした諸地域の連合体があったのはほぼ確実なのだが。
341 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:20:46 ID:/oQGMN+d0
邪馬台国能登説を今日より展開
342 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:21:11 ID:3q5z20JSO
マグモニーグルはイラク戦争の最初の爆撃でフセインが死んだと言っていた。それから信用できん。
>>328 淡路島の垣内遺跡、それも今年発表されたばかり。
345 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:22:08 ID:FVOkaYU2O
前々から噂はあったよねー、どんな手を使っても畿内に邪馬台国をもってかえるってさ。
>>336 自分は東大のインディ・ジョーンズといわる教授だが最近の世界的な歴史認識は紀元前一万年前には
日本はおろか、ユーラシア大陸のほとんどは壇君朝鮮が支配していた
つまりどういうことです?
348 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:22:43 ID:1dfJqZpS0
九州説と畿内説は矛盾しない
2世紀ごろまで
日本の最大勢力は九州勢力(ヤマト)。倭国王帥升も九州。
倭国大乱期(2世紀半ばから末)
九州勢力が東遷。吉備勢力と近畿勢力(銅鐸文化圏)を制圧。
銅鐸文化圏滅亡。九州勢力が奈良で邪馬台国設立。卑弥呼擁立。
248年
卑弥呼死亡。箸墓古墳の建設。
349 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:22:45 ID:ZWgYgvGoO
西都原を掘り起こせ
350 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:23:20 ID:BYdfZCzC0
でっかければ邪馬台国というのも変な話だと思うが
>>348 未だに銅鐸文化圏とか言ってるのかwww
352 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:23:53 ID:XKk/J1yNO
外国に行くと中国人や韓国人かと言われても
絶対に日本人かと言われない関西学者が頑張っているのかw
畿内だったとしても
邪馬台国が大和朝廷の直系とするにはかなり難しい
文献方面ではまず無理
天皇家ゆかりの古墳から大陸製の銅鏡大量とかないとな
でもまあ邪馬台国=大和朝廷ってのは浪漫があるから
俺は好きだよ
355 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:24:35 ID:0Di9ZpX6O
>>338 ヤ=ヒ
の、変換がちょっとわからない。
これって地質学がその他の科学的な鑑定からは、かなり昔から畿内しかあり得ないと言われてるんだよ。
九州説はまだそういった科学的な鑑定技術の信頼度が低く、古文書解読が中心だった時代の産物に過ぎない。
そもそも放射状に距離を読んでいくって無理があり過ぎたしさ。
でも、権威主義的な面が強めの学会だったことと、論争に決着がついてしまうと職を失いかねない人がいるという、
都合上の問題からだらだら両説併記になっていただけなのよね。九州説は事実がどうのという問題ではなく、
一部学者や地方自治体の都合という問題に過ぎないの。業界的には常識だし割と有名なことだけどね。
>>328 詳しいことは分からんが土壌が違えば
出土しないからなかったとは一概に言えない
>>344 発掘したら百済から伝わったハングル文字やキムチを漬けたと思われるツボが見つかるから
359 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:25:24 ID:jEtt+r5i0
>>353 つまり王朝交代があったということ?
言い換えれば戦争があったということ?
360 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:25:32 ID:qUoQ9vNEP
日本人はもともと、モンゴル系、朝鮮系、中国北部系、中国南部系、マレー系、アイヌ系、コーカソイドなどの雑多な混血民族。
日本列島で猿から進化したわけではない。
>>336 もしかして任那(マミナ)や大伴金村とか最近の歴史教科書からは削除されてるんじゃね?
>>350 邪馬台国畿内説の場合、奈良から瀬戸内海、北部九州を含む連合国家が成立してないと
説自体が成立しない。当時の船は陸伝いにしか航海できないので、
航路上の沿岸諸国が連合組んでないと、魏の都まで使者を派遣できない。
九州説であれば福岡と佐賀だけ領土とする国で十分だが、畿内説だと西日本全域を支配する必要がある。
畿内説が規模を重視するのはその為。まず、でっかいクニが大和にあったことを証明するのが
畿内説の第一歩。
363 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:26:39 ID:XE/2ij2n0
上岡龍太郎は日本の歴史教科書は嘘ばかり書いてあると憤っていたが、
九州王朝説などもうオカルトそのものですよ。
倭の五王は九州にいたとか、大化の改新は九州で起きた事件だとか、
白村江の戦いは九州百済連合軍vs支那・新羅連合軍の決戦だったとか。
どこにも天皇陵がなく、板葺きの宮の痕跡もなく、聖徳太子その他の記紀に
記された人物の伝承すら九州にはないのに、あんな荒唐無稽な話が
よく信じられるものだと感心する。
364 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:27:26 ID:ZJv3pp+DO
>332
インカ帝国は文字がなかったんじゃないかな。
>>353 邪馬台国時代の畿内の諸遺跡群から中国系の文物(銅鏡含む)
が大量に発掘されている。これも、邪馬台国畿内説が有力になってきた理由
366 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:28:46 ID:1BV3shUQ0
つじつまが合えば例え事実でなくても史実になってしまうんだな
つじつまなんて捻ればいくらでも合いますから
>>355 そもそも上代の発音だとヒはピだったわけで、
ヤ=ピという珍妙な説になりますわな
368 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:29:01 ID:jEtt+r5i0
369 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:30:41 ID:1dfJqZpS0
倭国大乱期の日本で鉄器をもった九州勢力にかなう相手はいない。
吉備勢力も近畿勢力(銅鐸文化圏)も九州勢の鉄器に圧倒されて
しまった。
つまり、九州勢こそヤマト族であり、そいつらが奈良に
邪馬台国を設立した。で、瀬戸内全域を支配化に治めた。
それがヤマト連合国家。
370 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:30:42 ID:Oek47rX70
371 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:31:35 ID:NmcE9gfT0
崇神と卑弥呼って関係あるの?
畿内説を成立させるには
1>大和に日本の広い範囲に影響力を持つ大規模王権の存在を立証する
2>この王権が中国王朝と交流していた証拠を見つける
この二つが必要条件になる。
1に関しては、箸墓などの最古級大規模前方後円墳が邪馬台国時代に遡る事で
ほぼ立証されている
2も、中国系文物の殆どが3世紀には畿内周辺で発掘されている事から立証できる
373 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:32:12 ID:FVOkaYU2O
聖徳太子そのものが架空の人物なんだが(笑)
375 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:33:40 ID:BYdfZCzC0
フィクションはノンフィクションより辻褄の合うよくできた話であるってなんかの映画で言ったたわ
376 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:34:05 ID:izo+ta9n0
九州説を信奉するのは素人だけ。
これが、もう20年以上前から言われている言葉。
あの吉野ヶ里ですら、最初は強調していた邪馬台国を、最近は邪馬台国『と同時代』ていどにしか言わない。
>>369 畿内の鉄は丹波から供給されてたんだよ。
弥生後期には丹波が鉄所有量が多いとされてるから。
378 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:34:33 ID:CDKs1FSLO
おまえらロマンだけは壮大だな
無職なのに
379 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:34:33 ID:jEtt+r5i0
>>367 現代北京語ではリーペンと発音してるくらいだから
そのくらいの変化は普通だろ
380 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:35:20 ID:NmcE9gfT0
>>373 厩戸皇子のことなんだから架空ではないだろ。
松本清張涙目wwwwwwwww
>>316 すまん、米国の「オレンジ」計画というのがあるんだが。
考えすぎか?
383 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:35:42 ID:sfAUaW0w0
邪馬台国東遷説で両方の顔立てて妥協しろ
384 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:35:59 ID:XE/2ij2n0
地名が集団を指すようになった事例は多いが、人名や部族名が地名になった例はめったにない。
「ヤマト」というのは奈良盆地を指す地名、ないしは地名から転じた国名でしょう。
385 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:36:07 ID:+iuNO7EcO
>>371 卑弥呼と官のイマキ
モモソ媛と崇神天皇
と対比する説がある
386 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:36:12 ID:jEtt+r5i0
>>369 もともとヤマト連合国家が存在して
その中の畿内閥と九州閥の争いだったと考えれば
なんの問題もない
他にも出雲閥とかいろいろあったんだろう
>>383 妥協? 政治的判断で学問を捻じ曲げるなクソ野郎!
388 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:37:12 ID:k6GJBEulO
>>299 この倭という漢字は従順な小人という意味があるけんの〜
389 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:37:20 ID:0Di9ZpX6O
>>367-368 え〜と、呼び方の変換としては
ピモト〜ヒモト〜イモト〜ヤマト
って事ですね。
>>384 昔北海道はアイヌモシリ、日本側では蝦夷地と呼ばれてたんだが
391 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:37:29 ID:XKk/J1yNO
>>373 キリスト教だねw
賤民とは同火はしないで
拝火教も入ってきているなw
392 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:37:59 ID:jEtt+r5i0
>>388 うん、だから文字の意味を嫌って「和」に置き換えたんだろうな
畿内説が必死過ぎて痛いな…箸墓もゴッドハンドかも知れない。
大規模な人骨や鉄の産地が無い以上畿内説を支持するのは無理。
福岡なら今宿などに大規模な鉱山もあるし、人骨も平原遺跡や金隈で沢山みつかってるからな。
>>361 すまん、日本の歴史教科書で削除されている。
しかも、朝鮮史関係の言葉が、全て朝鮮語のルビを振ってあった。
これ、いまの日本の教科書。
どうだろうか?
395 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:38:35 ID:a3IvvyudO
畿内説の方がスケールが大きくて夢がある
396 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:39:13 ID:jEtt+r5i0
>>394 歴史にイデオロギーを持ち込むのはやめてほしいもんだな
卑弥呼って名前やめろ
自分らの女王にそんな名前つけるわけがない
火魅子でいいだろ
>>316 つまり長州は、かませ犬じゃないって言いたかったんだろうな。
399 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:39:43 ID:FVOkaYU2O
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原ってドコ?
401 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:40:13 ID:XE/2ij2n0
ヤマトはやはり山人・山門でしょうな。
生駒山の麓にまで河内湖が入り込んでいた時代、河内から見た奈良は山門・山人だったことでしょう。
>>393 淡路島で弥生時代最大の鍛冶屋遺跡が発見されたんだが
見えませんか? 見たくありませんか?
403 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:40:34 ID:izo+ta9n0
神武も奈良盆地の北側にいた豪族でほぼ決まり。
東遷説は、支配地が広がるにしたがって、先祖の地を遠くに持って行って
自分達の支配権の正当性植えつけるための詐話。
404 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:40:40 ID:k6GJBEulO
箸墓だろ?ある程度知ってる人にゃ常識だと思ってたが。
406 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:40:52 ID:1dfJqZpS0
>>374 だから、淡路の垣内遺跡こそが九州勢力が瀬戸内を東遷した
状況証拠だよ。近畿勢力(銅鐸文明)を制圧するための
前線基地として淡路に鉄器の鍛冶工房を作ったわけでしょ。
>>364 >インカ帝国は文字がなかったんじゃないかな。
すまん、文字そのものではないが、縄を所々結んだ表現法があった。
今でいうなれば、デジタルのような、モールス信号のような感じ。
考えすぎだろうか?
409 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:41:58 ID:M4Wv7tzTO
邪馬台国(邪馬臺国)
邪馬台→ヤマト
倭国
→大倭国
→大倭
→大和
だから、「やまと」は「大和」と書くわけだな。
410 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:42:11 ID:jEtt+r5i0
日本が南朝鮮を支配していたのは各種文献や古跡を調べればすぐにわかること
それを朝鮮イデオロギーが否定しようとするから話がおかしくなる
べつに日本が大昔、南朝鮮を支配していたから再び合併すべきだなんて誰も思ってない
そんなことを言い出したら日本は東北や北海道を放棄しなければいけなくなる
>>373 まだこんな事言ってる人がいるとは(笑)
412 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:42:57 ID:Wr7NklPp0
ゴッドハンド
414 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:43:42 ID:Oek47rX70
なんぼ掘っても決着がつきそうにないから、タイムマシンを作った方が早くね?
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命だと思う
そもそも、チョーセン人が舞い上がったのは、もうとっくに否定されてる騎馬民族説が元だから。
九州から天皇家の先祖が来ないとまずいという、単なる願望でしかない。
417 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:45:19 ID:qUoQ9vNEP
納豆が食えない関西地方に邪馬台国はあり得ないという疑念の声もある。
当時は豆が主食。
418 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:45:40 ID:jn3eBOsGO
>>410 もしかして捏造された広開土王碑文とか信じちゃってる?
419 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:46:15 ID:FVOkaYU2O
消えた12部族の流れならOK?
纒向でどれだけ巨大な遺跡が見つかっても関係ないんだよな
九州と畿内に敵対する勢力があって大陸の事情に明るかった九州が
朝鮮半島の情勢が安定して朝貢に行ったとも考えられる
そのあとは九州は畿内に滅ぼされて
畿内は「ヤマト」を名乗るようになったと考える方が無理がない
>>401 すまん、そういう連想ゲームならば、ヤマト→山都(山辺の都)、山渡(山側の渡し、船着場)
考えすぎだろうか?
422 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:47:34 ID:/WyXQzILO
巻向遺跡場所がロマンなさすぎ
団地の横だよ
小汚い団地
>>125 黒人以外は全てアフリカから追い出された劣等人種だな
>>406 淡路から九州系の様式で埋葬された人骨とか
九州系の土器とかが出ればそれもアリなんだろうけどねぇw
425 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:48:14 ID:+iuNO7EcO
>>406 君の言う状況証拠とするには九州との同一性がないと
426 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:48:33 ID:XE/2ij2n0
>>420 日本史的にはせいぜいその程度の存在でしかない。
>>402 すまん、神代の伝承を半ば事実性を向上させる要素にやはり、淡路島関係は重要。
考えすぎか?
428 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:49:39 ID:wNfgtNQcO
>>310 「阿蘇氏」「阿蘇山」ってのは、元々は三河の蓬莱の設楽の氏族の事だよ
ほおりのミコトや大和武がここの出身で、この氏族が国造りに向かったのが九州だよ
でクマソを倒して阿蘇氏が治めた九州の地域が後に「阿蘇」って呼ばれてるだけ
九州の阿蘇山も、蓬莱の聖山にちなんで同じ阿蘇山と言う名前がつけられてるだけだよ
ちなみに今「九州」って呼ばれてる地域は江戸時代までは「筑紫」って名前で呼ばれてたよ
んで「九州」ってのは、筑紫と任那や百済や新羅など、大和の天孫達が新たに開拓し治めた九つの州の総称が「九州」と呼ばれてたんだよ
「神武天皇の東征」の話は、こんなの普通に読めば解るけど、大國主から国を譲り受けた高天原の氏族が、海の向こうまで渡り、その地を百済や新羅として開拓し治めた後に
大和飛鳥(飛鳥は2つあり、一つは伊吹山の東で、日の昇る菷木のある高天原の西、現在の犬山周辺)の蘇我氏勢力を倒したって話
イワレビコを「ここからが日本の歴史の始まり始まり」とすれば、そら日本は、新羅から渡ってきた(九州にはよってないよ)新羅勢力が建国した国、、、と、なるかも知れないけど、
それはイワレビコを日本の始まりとする方がおかしなだけなんだよ
>>422 吉野ヶ里はあたり一面の平野で周囲には田んぼくらいしかないから雰囲気あるんだよなぁw
>>418 捏造説なんてまだ信じてる奴がいたとはw
>>406 鍛冶炉の形式は北部九州より、山陰、大和のモノに近いようだが。
431 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:50:24 ID:IWF2pC5MO
卑弥呼がもらった金員を探し出した方がはやくね?市橋探し出せるくらいだから造作もない事だろ?
433 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:51:19 ID:LfpYjRvfO
邪馬台国は青森だべ
>>431 仮に箸墓に埋まってたとしても
真っ先に盗掘されてるだろうよ
435 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:52:42 ID:1dfJqZpS0
だいたい近畿勢力が淡路に鉄器の鍛冶工房をつくるメリットがない。
なんで河内からそう遠くない、しかもくそ辺鄙な淡路にわざわざ
鍛冶工房を作らなければならないのか。しかも当時の鉄の供給地は
韓国南部。淡路と韓国南部を結ぶルートの途上には九州勢力が
陣取っている。近畿勢力が淡路に鉄器の鍛冶工房を作るのは無理。
しかし、瀬戸内を東遷する九州勢力にとっては淡路に鉄器の鍛冶工房を
作るメリットは大いにある。近畿勢力の喉元にある島だし、そこを
前線基地化すれば、近畿制圧が容易になる。また、瀬戸内ルートも
抑えてあるので、韓国南部からの鉄の供給も容易。
436 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:52:53 ID:M4Wv7tzTO
>>401 ヤマトはヤマトの音だけだろうよ。
漢字は大陸の文字なのだから、
邪馬台国(邪馬臺国)の邪馬台が当て字なだけだ。
>>435 >河内からそう遠くない、しかもくそ辺鄙な
ものすごく矛盾してる物言いなのきづいてるか?
438 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:54:14 ID:+iuNO7EcO
>>428 君が読んだ書籍を教えてくれないか?
君はとてもユニークだ
439 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:54:15 ID:yEpINvqkO
天孫降臨の地は、九州なんだけどねー
440 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:54:35 ID:fRr7s2isO
吉備にも鉄の拠点なかったっけ?
441 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:54:47 ID:0Di9ZpX6O
>>428 大和武(ヤマト・タケシ)さんに飲んでたペプシアズキ味吹いたw
>>439 それは正直フィクションだと思うけどねぇ・・・。
そもそも邪馬台国が間違いだしな〜
邪馬壱国とギシワジンデンに出ている。 親ギ倭王は伊都国内向け。
ぶっちゃげ平原遺跡が邪馬台国の可能性が高い。
>>433 そっちにはアラハバキって有名人がいるじゃないか!
関東に譲れよw
446 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:56:28 ID:aeaa3C3v0
誰がどう見ても卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命でしょ。
447 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:56:29 ID:ZJv3pp+DO
>407
キープは貢ぎ物や人口の数を表すだけで、モールスのようには使わなかった気がする(聞きかじりだが)。
448 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:57:07 ID:FVOkaYU2O
畿内派の権威ある学者達は必死、邪馬台国に関して素人に大きく差をつけられている事実
>>435 鉄の供給ルートは日本海(丹波)経由だよ。
だから炉の形式も北部九州とは違う。
450 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:57:49 ID:+iuNO7EcO
>>435 近江、越、丹波、伯耆、出雲
このルートを無視するとは
451 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:57:57 ID:NmcE9gfT0
マキムク遺跡&大神神社&箸墓古墳が揃ってるマキムクこそが邪馬台国だろうな。
邪馬台国が阿波にあったことがあることも忘れないで欲しい。
454 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:58:57 ID:Wr7NklPp0
みんなの心の中にあるんだよ
455 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:59:06 ID:TCl4jRIo0
九州説死亡w
456 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 21:59:45 ID:fRr7s2isO
俺はなんか、継体天皇の辺りが鍵になってるような気がする。
もうさ
タイムマシンが出来るまで延々と邪馬台国論争してればいいと思う
458 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:00:17 ID:XKk/J1yNO
459 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:00:35 ID:WFKH9pT80
yamato
yamatai
借入や音韻変化によっても変化しにくい子音が完全一致。
変化しやすい母音でさえ3つのうち2つは完全一致。
素直に考えれば大和の国だという解釈になるし、それが最も自然。
航路なんていくらでも嘘は書けるけど、国名は知らなきゃ書けないわけだし。
え、太平洋上じゃなかったの?
461 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:00:52 ID:ByF/fY1H0
いまだに九州説を信じてるって可愛そう。
462 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:01:01 ID:Ux2kH1De0
>402
伊都国元岡には鉄器加工だけじゃなくて、製鉄所跡があるよ
5世紀になっちゃうけど、それ以前にも細々と製鉄やってたんじゃないかな。
近くの今宿には鉄器加工所あともある。
さらに大原海水浴場付近には砂鉄の層が露出している。
はじめは中国から鉄材料を輸入して加工していたが
そのうち技術が発展してから、製鉄も行なうようになったと考えると無理がない。
出土する鉄屑も淡路島に負けてない。
463 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:01:04 ID:7lXfjD/m0
九州からは邪馬台国に関するものはなんにも出てきていないというのが真実
出てきても時代があわない物ばかり
卑弥呼の墓も無い
邪馬台国に関するものはなんにも出てきていない
主張するなら実証しましょう
464 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:01:22 ID:yEpINvqkO
なぜ?古い建物跡が見つかると「ヒミコが〜」となるのが不思議です。
天空の国 邪馬台
466 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:01:52 ID:IgkCpL4Q0
案外単純なことが正解なのさ。邪馬台国ってw
音的に大和国だろ。
467 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:03:12 ID:Fhgyl1u0O
>>462 2世紀も後の事を言われてもなぁw
どっちにしても九州説の根拠だった
3世紀における九州の畿内に対する鉄の優位は崩れてるわけで
>>379 問題は「まだ日をピと呼んでいた時代にピからヤへの変換が起こった」というおまいさんの主張だな。
発音が近い時期に入れ替わって後代大きくずれたなら分かるが、
少なくとも8世紀くらいまでは日はピで、16世紀ころまでフィだ。
>>421 両方とも湯桶読みなので、まず却下されるよ。
470 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:03:37 ID:jEtt+r5i0
418 名前:名無しさん@十周年 投稿日:2009/11/11(水) 21:45:40 ID:jn3eBOsGO
>>410 もしかして捏造された広開土王碑文とか信じちゃってる?
「日見子」なんじゃないの
472 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:03:52 ID:+iuNO7EcO
473 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:03:56 ID:NmcE9gfT0
>>448 はい、わかりました。
病室に帰りなさい。
明日は朝から歩行訓練ですよ。
474 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:03:59 ID:vyTQ5G0DO
恐山のイタコを通じて古代人から直接聞きゃよくね?
んで、狗奴国はどこにあったんだ?
天照大神が誕生した小戸は福岡の小戸でFA。
糸島に豊玉姫の志登神社がある。
よって九州説が正しい。
477 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:04:45 ID:ITm/LUdL0
邪馬台国はなかった。どうだ。反論できねーだろ。
478 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:04:48 ID:ByF/fY1H0
邪馬台国が九州だと強引に仮定してみよう。
すると、九州に邪馬台国があった時代に、
それよりも勢力の大きい畿内ヤマト連合(吉備〜大和〜丹波〜東海)が存在したことになる。
九州が魏に泣きついて助けを求めても、
ヤマトに併合されるのは時間の問題。
そんな弱小な九州に魏が金印を贈わけがない。
479 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:05:08 ID:Ux2kH1De0
>>468 今宿鉄器加工あとはもろに弥生時代ですが
大昔から存在していた遺跡がどうして今まで発見されていなかったのか気になる
481 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:05:47 ID:XKk/J1yNO
482 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:05:49 ID:H4NDObkYO
九州からの遷都説はどうなの?
>>475 それは南九州でいいんじゃない?
隼人の大和王権に対する抵抗は結局8世紀まで続くわけだし。
484 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:05:58 ID:1dfJqZpS0
>>437 いや、矛盾してない。淡路は河内から物理的距離は近いが、
そこに至るには手間が掛かる。そんなところに鉄器の鍛冶工房を
作るぐらいなら、河内や奈良、もしくは神戸あたりに鉄器工房を
作れば良い。なぜわざわざ淡路?
アメリカとソ連のキューバに対するスタンスを思い出してみればいい。
キューバに核ミサイルを配置するのは、ソ連にとってメリットは
あるが、逆にアメリカが(キューバを占領したとして)キューバに
核ミサイルを配置するメリットはない。そんなことしても、ソ連に
対して脅威は与えない。
ゴッドハンドに発掘させれば九州説にスグ戻る
思うにヤマタイとは部族連合会議の名前ではないだろうか?
後のモンゴルのクリルタイみたいなもの。
会議を主宰するシャーマンが日巫女。
487 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:07:03 ID:ZyZmqUl60
金印は江戸時代の儒学者が作った物と何かの本で読んだ事があるけど、何だっけな?
488 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:07:38 ID:jEtt+r5i0
>>469 逆に考えるんだ
8世紀は日はピかもしれんが、その前はわからないだろ
489 :
今年は皇紀2669年:2009/11/11(水) 22:08:10 ID:v7WQMRLkO
2700余年前にイワレヒコ命が東方へ遠征してから九州は辺境になったのさ
490 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:08:15 ID:XKk/J1yNO
台風ルートの繰り返しだからなw
畿内説より白山がある北陸説が正しいw
願望と憶測と妄想で混沌状態
>>486 素戔嗚尊が卑弥呼とオルドですね わかります
493 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:09:08 ID:izo+ta9n0
もう一人の女王台与が鍵。まあ、比定される陵墓はこれも奈良にあるけどね。
そういえば、伊勢神宮の内宮と外宮、天照大神と豊受媛神だったな。
外宮の祭神が台与の名前持っているのが興味深い。
494 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:09:16 ID:EY+cI/JzO
大和は次々に遺跡が発見されているなあ。
九州はさっぱり出ないから、邪馬台国が九州のどこかも答えることができない。
古文書や神話から想像ふくらまして、九州勢力が瀬戸内海を東征したら不思議じゃないとか言うんだ。
「〜したら不思議じゃない」とか「〜だったのだろう」なんてただの空想。九州説は学問じゃないな。
495 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:09:28 ID:+iuNO7EcO
>>484 出雲の製鉄所が辺鄙な山奥にあるのは何故?
>>481,483
邪馬台国の南っつったら、もう飛騨高山とかその辺しか……。
っつーか、耶麻台国と一発変換する俺の辞書は末期的。
>>484 後世、考古学者がキューバを発掘するとしよう。
ミサイルやその支援施設がソ連系のものであるので
即座に「これはソ連が対米攻撃用に作ったものだ」と断じるだろう。
翻って淡路の鍛冶遺跡だが、九州系の技術その他で作られた形跡が無い
むしろ大和系だ。
淡路は瀬戸内海の海洋民の拠点だった可能性もあるし
瀬戸内海経由で大和に至る場合は大陸から輸入した鉄の中継地点にあたる
全く辺鄙でもなんでもないが。
498 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:10:34 ID:ITm/LUdL0
>>477 >邪馬台国はなかった。
中国の官僚が東のほうに旅行させられた。
何が何でも報告書は書かなくてわー。
で、あの辺には「邪馬台国」ってなのがあって、女王が君臨統治している
とかホラを吹いた、という可能性はあるよね。伝説・伝聞ごっちゃまぜ。
499 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:10:43 ID:7lXfjD/m0
しょうもない推理や思い込みはいいから
九州に邪馬台国があったというなら
早く発掘して証明してください
九州からは邪馬台国の時代にあうものは何にも出土していないんですよ
何にもですよ
500 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:11:00 ID:G4sU3Cy7O
邪馬台国があった時代って紀元前じゃないんだろ?
何で分からないんだ?
それだけ当時の日本は文明が遅れてた証拠だな。
中国側の書物には記されてるのに、当事者の日本には書物も何もないなんて
文明の遅れだろ。
お陰で現在の考古学や歴史学のオッサン達が熱くなってるじゃないか。
>>478 魏は日本列島の事情がよくわかっていなかったので
金印を渡す可能性は十分ある
502 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:12:05 ID:ByF/fY1H0
九州勢力は、畿内に東遷したのか?
残念ながら、そんな証拠は無い。
神武東征は、1世紀頃の話だから、邪馬台国とは何の関係も無い。
畿内からは、3世紀の九州の文物が一切出土しない。
よく、九州説の人は、奈良から鉄や絹が出ないから邪馬台国じゃないというが、
同時に、東遷も否定することになる。
では、奈良から鉄や絹が出ないのに、邪馬台国でありえるのか?
当然ありうる。
奈良には、鉄や絹よりも高価な丹があるからだ。
>>494 大昔からずっと人が住み続けている博多湾岸に「遺跡」が出る訳ないのだが。
ヒミコというのは古代朝鮮語で何という意味なんですか
>>500 兄より後から生まれたのに兄より優秀になってしまう弟は世に幾らでもいるんだよ
欧州人なんぞこの時代、蛮族もいいとこだぞ。
ねぇ、ジャギorz
>>503 じゃあ、大宰府跡や吉野ヶ里遺跡は捏造か。
507 :
それでも吸収説:2009/11/11(水) 22:14:33 ID:v7WQMRLkO
山笠があるけん博多タイ
ヤマがあったけんヤマタイ♪
>>503 魏志倭人伝に記された玄界灘諸国は普通に発見されてるが何か
509 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:16:01 ID:M4Wv7tzTO
>>480 大人の事情があるからだろうね。
道路一本作るのだって、大騒ぎする場合もあるし…。
あと、何でそもそも九州説ができたのかな。
九州はどちらかと言うとクマソでしょうに。
510 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:16:01 ID:+iuNO7EcO
>>503 千年の都では掘ると遺跡が出てくるよ
半世紀もあれば現代のものも塵に埋もれ遺物と化す、都市でもね
>>505 偉大なるローマ文明の元にあった人々が蛮族とな
512 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:16:31 ID:ByF/fY1H0
>>501 >魏は日本列島の事情がよくわかっていなかったので
まったくありえない仮定。
出雲や丹波が繁栄していた頃に、
交易相手の朝鮮半島の人々が、畿内の様子を知らないはずがない。
畿内の情報が無ければ商売にならないよ。
物品を売りにいって、高値で買ってくれる勢力が九州以外にもあったからこそ、
出雲や丹波は繁栄していたのだ。
>>502 しかも丹の元である水銀鉱山の入口が巻向だからね。
先日発表のあった桜井茶臼山古墳でも水銀朱たっぷり。
何故ここが都になったかは明白だからね。
514 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:17:33 ID:y24rjqPLP
奈良の古墳が三世紀のものだったとして、邪馬台国である証拠がなきゃだめなんじゃないか?
あるいは、大型古墳が作れる国は、邪馬台国しか存在しなかったと証明できないと。
>>506 皮肉だよ。畿内の遺跡と言うのは、人が住んでいない場所から出ている。
例えば、京都の平安京の遺跡は、住宅の下から出て来るよな。だから、
家を壊して下を掘らないと、何があるかは判らない。博多湾岸のように、
昔からずっと人が住み続けている所は、町そのものが遺跡だろ。
516 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:17:41 ID:EY+cI/JzO
>>503釣り?
それなら遺跡出なきゃおかしいだろ。
だいたい3世紀ころ北九州地域が日本の先進地域とか人口が多かったなんて根拠ないんだな。
>>511 英独仏あたりの祖先はこの時代蛮族もいいトコだな。
もう論争は、止めたい(コク・・・
卑弥呼「私のために争うのはやめて!」
520 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:20:20 ID:XE/2ij2n0
トロイ伝説もシュリーマンによる遺跡の発掘によって、初めて歴史的事実と認定されたわけであり、
九州説も、最低限、比定地ぐらいは出してこないと話にならんわ。
九州説が今やってることは畿内説のアンチ活動と言われても仕方がない。
521 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:20:28 ID:bDzv0nq40
>>369 いい事を教えてあげよう。
昔の中国人は日本列島の向きを45度勘違いしていた。
つまり中国から見て南に向かって日本列島が延びていると思われていたワケだ。
魏志には奴国の「南方」に邪馬台国があったと書かれている。
九州の中に邪馬台国があったなら「西方」と書かなければならない筈だ。
これって実は九州論者が結論出してない説なんですよ。
>>516 ふーん、じゃ、魏の遣いは、直接若狭湾に来た事にしておけよww
523 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:22:12 ID:1dfJqZpS0
>>494 いいや、九州勢力の東遷にはいろいろな状況証拠がそろってる。
ちなみにいっとくけど、俺は邪馬台国畿内説な。で、卑弥呼の墓は
箸墓古墳。なので俺は他の狂信的な邪馬台国九州説の連中とは違う意見。
でも、九州勢力東遷説を取る。まず、倭国大乱期は2世紀半ばから末。
この頃、鉄の優位にあるのは九州勢力。軍事力ではナンバーワン。
時を同じくして、高地性集落が瀬戸内を中心に発生する。これは、
瀬戸内で激しい戦争が起こったことの証左。九州勢力は鉄器という
最新兵器の優位を十分にいかして、瀬戸内を次々に制圧。まず、
吉備勢力を制圧。次に淡路を制圧。で、ここに前線基地を設置して、
近畿勢力の制圧に備える。で、近畿勢力を制圧して、邪馬台国設立。
ちなみに銅鐸は近畿で2世紀末以降、ぱったり製造されなくなる。
なぜか?それは九州勢力が近畿勢力(銅鐸文明)を滅亡させたから。
これも考古学的な状況証拠になる。
加えて神武東征の伝説も九州勢力東遷の補強材料になり得る。
近畿勢力の西征伝説など聞いたことがない。
福岡の平原遺跡は腕輪や首飾りが出土している。
よって女王の墓である。
卑弥呼そのものである。
525 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:23:13 ID:VFaHGT4LO
バカで申し訳ないが
卑弥呼の時代は天皇はどこで何してたんだろ?
よく神武から2600年の歴史とか言うが天皇がいるはずなのに何で卑弥呼なんて女王みたいなのがデカい顔をしてたんだ?
526 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:23:35 ID:vrvlkqgH0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。
結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑国譲りと邪馬台国の誕生
その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。
↑
このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
>>522 最後の『水路10日』『陸路1ヶ月』をどう読んだんだ?
魏の遣いは九州を南に南に下りつくしたあと、それだけかけてどこへ行ったと?
>>525 大和朝廷の長として、畿内にいたんだろ。卑弥呼女王を立てていたのは別の勢力だろな。
529 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:25:39 ID:EY+cI/JzO
>>521 明代にヨーロッパの地図を誤写した地図をもって、はるか三國志の昔の話しをするのはやめよう。
>>525 アマテラスは卑弥呼。
小戸とは福岡の小戸。
平原遺跡の出土品。 もう言わなくてもわかるな?
531 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:26:05 ID:FVOkaYU2O
北九州なんて言っている奴に説得力はない
532 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:26:09 ID:X7yuBkk80
邪馬台国が近畿で決まりなら邪馬台国=大和政権じゃん
神武天皇より男系で2600年続いてきた天皇というファンタジー壊れてウヨ涙目じゃん
533 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:26:09 ID:XKk/J1yNO
邪馬台国の遺跡は北方領土にあるよw
534 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:26:32 ID:klglR8P70
九州以外にあり得ないんだから。
そんなの中国、朝鮮、それに日本の史書や碑文を見れば明らかでしょ。
近畿にいて、どうやって朝鮮半島経営ができるの?
近畿王朝家が九州に都を置いた記録はないんだから、無理。絶対に無理。
遺跡が出たって、それは別の王朝でしょ。
535 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:26:51 ID:wNfgtNQcO
てかさ、天皇史観も戦後教育史観も、24史にしろ記紀にしろ魏志倭人伝にしろ、無茶苦茶な解釈してるだけでしょ?
つか長州政府の作った天皇史観の歴史も、古事記をメチャクチャな解釈してるけど
(稲葉の素兎足が、皮を剥がれた白い兎の話て、、w、んでわざわざ因幡神社なんてのまで新たに作ってるしw)
それより更に100倍メチャクチャな歴史観を新たに戦後教育では作られちゃってるし
百済や新羅は倭人が開拓して治めてた「倭」だよ
吉備や筑紫や古志と同じで単なる倭人の治めてた地域の名前なだけだよ
百済や新羅じたいがまるで一つの国家見たいな言い方されてるのがおかしいんだよ
つかさ、これは古事記や魏志倭人伝にも書いてあるし、戦前までは普通に認識されてた事だよ
>>525 神武天皇が2600年というのは間違い。
昔は、今で言う1年を2年と数えてたから。(春から秋で1年、秋から春でもう1年だったらしい)
神武天皇の東征は2世紀末でガチらしい。
畿内説が圧倒的優勢になったってことでFA?
>>525 天皇家のご先祖様はせいぜい遡っても4世紀後半からだろうな。
539 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:27:46 ID:jEtt+r5i0
>>502 >神武東征は、1世紀頃の話だから、邪馬台国とは何の関係も無い。
1世紀の頃からヤマト国だったんだよ
関係なくはない
540 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:27:55 ID:6blVgBnc0
九州はまだ大半が未開発の地だろ。
何が出てくるかわからんのに。
541 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:28:02 ID:fRr7s2isO
継体天皇以降は飛鳥王朝で間違いないと思うけど、
それ以前の系譜って、並立王朝の継ぎ接ぎじゃないのかな。
542 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:28:04 ID:XE/2ij2n0
>>532 女帝と女系の違いもわからんような輩が。
543 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:28:20 ID:vrvlkqgH0
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征
神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆
544 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:28:33 ID:FVOkaYU2O
卑弥呼は天皇の血筋ではないだろう、なんで宮内庁が管理してるんだよ。
545 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:28:37 ID:f+PwnIUj0
近畿と九州を全部掘り返そう
546 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:29:00 ID:ByF/fY1H0
>>523 >近畿勢力の西征伝説など聞いたことがない。
ウソはやめろ。
ウソじゃないというなら、君はものすごい勉強不足。
景行天皇、神功皇后、ヤマトタケルが九州を征伐にいっている。
一方、神武東征は、紀元前〜1世紀の話で、東遷と呼べるような話じゃない。
神武は東征の途中で兄弟を死なすほどの激戦をしている。
奈良で即位した後、2代目のカムヌナカワミミは、奈良で生まれた皇子だが、
九州で生まれたタギシミミを殺して王になった。
九州勢力が大挙して東遷したなら、九州生まれの人々が大勢要人になったはずであり、
九州生まれのタギシミミが殺されるなんてありえない話。
547 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:29:15 ID:Fjc+dLFZ0
>>498 中国の役人の作文説。いいかげんなことを言ってしまって、
今は桃源郷でヘラヘラ笑っているのかも。罪作りなヤツだー。
>>527 女王国まで万二千余里、だからそれは単なる誤記だろ。
550 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:31:20 ID:980C94J9O
アクセス的には九州だろ
今も縄文顔が住んでるし
551 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:31:25 ID:EY+cI/JzO
>>527 北九州上陸までは確実なんだからそこから水行十日陸行一月なら関東か東北だよ。
552 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:31:42 ID:8oPzb7SyO
島原にあったんだよ。
当時は海面が高かったから、海岸線に沿った道もジグザグで一ヵ月かかったんだよ。
553 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:32:19 ID:XE/2ij2n0
東征ならまだしも、記紀を根拠に東遷はありえない。
九州にいた頃の神武はゴロツキかせいぜい小さな族長程度の存在。
>>525 卑弥呼の最有力候補とされるのが箸墓の主でや「まとととひももそひめのみこと」
この人の甥が崇神天皇。日本書紀の記述によると、「やまとととひももそひめのみこと」
は崇神天皇を補佐して予言や占いを行い、反乱を未然に余地したりしていたそうな。
崇神天皇はやまとととひももそひめのみことの甥。魏志倭人伝では弟となっているが
倭人伝が間違ったのか日本書紀が間違ったのかは判らないけど
卑弥呼=「やまとととひももそひめのみこと」
崇神天皇=卑弥呼の弟
と解釈するのが一般的だな。
556 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:32:44 ID:jEtt+r5i0
>>523 九州勢力が邪馬台国を打ち立てたのではない
もともと邪馬台国はあった
邪馬台国の中の九州勢力が実権を握っただけだ
おまえらの言ってることは
日本は東京にあるのか、それとも大阪にあるのかってことと同じだろ
>>523 しかし淡路島の鍛冶炉が北部九州のものと形式が違う説明が出来ない。
初期鍛冶炉自体は信貴山近辺にあった可能性もある。
それに当時だと鉄の優位性では丹波勢力は軽視できないよ。
大体記の伝承でも神武軍は河内湖で負けている事も忘れちゃダメです。
神は神だよ。アマテラスもスサノオも実在の人物とかエピの神話化じゃない。
559 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:33:33 ID:R8v8Ou5HO
卑弥呼と天皇ってどんな関係なのか誰か教えて下さい
560 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:33:38 ID:ajNXgoD7O
島ケ原
>>549 距離や方角は勘違いもありうる(っつーか、まず正確に把握するのは不可能だ)が、
日数はどんなアホでも間違えないんじゃないかね。
報告書書くにしても、日にちを誤魔化したらバレるし。
562 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:34:13 ID:fRr7s2isO
>>547 案外九州の連合国家がハッタリかまして、邪馬台国って凄い国に支配されてますって、
行程分からないように、出雲大社辺りに案内して、巫女さん辺りを、
ヒミコって女王だって紹介して騙したとか。
563 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:34:21 ID:FVOkaYU2O
まあ、邪馬台国が九州で大和政権が畿内だろう
564 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:34:31 ID:X/bsg+o20
『佐賀県』はつい最近までその実在さえ疑問視されていた。
現在では九州説と近畿説が有り、九州説が有力。
565 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:35:10 ID:jEtt+r5i0
566 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:36:37 ID:X7yuBkk80
邪馬台国が近畿で決定なら邪馬台国=大和政権じゃん
だったら皇統譜とか全部でたらめじゃん
567 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:36:47 ID:0Di9ZpX6O
>>547 機内説なら刺身にあたって方向感覚がなくなるくらい体調を悪化させ、
搬送されながら進んだためあのような報告に。
九州説なら中洲でエロイ接待受けて日数かかりすぎ、
それを隠すため時間かかったと報告した。
>>512 魏書に書いてあるんだよ
燕を滅ぼすまで東方の情勢がわからなかったと
魏が朝鮮半島に進出してから九州勢力が必死の売り込みをしたんだよ
燕の滅亡からすぐに邪馬台国の使者が来たんだ
九州の邪馬台国は畿内に押されていたから
魏の後ろ盾を得なければならない火急の事情があった
569 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:37:59 ID:DwemzuNH0
>>541 並立王朝なんてのがめちゃくちゃ不自然な考え方なんだが。
570 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:38:02 ID:bDzv0nq40
三角縁景初三年鏡を徹底的に無視するのが九州論者の悪い癖。
あれこそ畿内説を決定的にする最有力アイテムだろうに。
571 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:38:25 ID:jEtt+r5i0
だから九州も畿内も全部ひっくるめて邪馬台国なんだよ
今だって九州も近畿も東京も北海道も全部ひっくるめて日本だろ
日本は東京かそれとも京都か、みたいな議論がおかしい
三輪王朝初代の崇神天皇が力で強大な大和王権を作り上げた
しかしそれに服属しない者も多かった(このあたりの過程が倭国大乱)
そこで、先行する葛城王朝の王女を担ぎ出して、宗教的権威としたことで
混乱が収まった。担ぎ出された葛城王朝の王女が卑弥呼。
そして崇神は卑弥呼の弟(もしくは甥)を名乗り、
それが魏志倭人伝や日本書紀に記録された
って感じではないかね?
573 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:38:31 ID:FVOkaYU2O
でたらめをまかり通す事を畿内派の偉い学者が望んでいる事実
574 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:38:44 ID:1n73xfGE0
九州は昔横向いててそれが回転したってあすかさんが言ってた。
575 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:38:52 ID:EY+cI/JzO
>>539 神武が東征したのが史実として神武東征だろ。
邪馬台国東遷じゃないじゃん。
九州の神武に率いられる勢力がちょうど足利高氏みたいに九州から攻めてきて邪馬台国=大和を攻略したんじゃね?
邪馬台国が東遷する必要ないだろ。
576 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:39:03 ID:jEtt+r5i0
>>569 王朝っていうか軍閥だな
いくつもの軍閥があっただけの話
>>565 昔の天皇が携帯なんか持ってるわけない。
>>571 邪馬台国九州説は北部九州のみ邪馬台国とする説
邪馬台国畿内説は、西日本全域と東日本の一部を邪馬台国とする説。
超基本だから覚えとけ
>>561 全て日数で書かれているのならその通りだが、その考えに立つと、そこに至るまで
ずっと方角と距離を事細かに書いて来た事の理由が無くなる。記録がいい加減に
なってしまったから、最後に適当に日数を入れて誤魔化したと考えるのが妥当じゃ
ないの。
580 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:40:08 ID:wNfgtNQcO
>>525 「天皇」って「テンノウ」って読むの?
だとしたら「テンノウ」なんてのは明治政府が作った地位の名前であって、江戸時代までに「テンノウ」なんて呼ばれてた人は日本には居ないよ
もしくは「テンノウ」を「日本を統治してた皇帝」の意味で言ってるの?
だとしたら飛鳥時代は蘇我氏がテンノウだし、鎌倉時代は藤原氏がテンノウだし、今の日本は国民主権と言ってる訳だから、国民がテンノウだよ
古事記とかにある「天皇」ってのは「あまのすめら」って読むんであって、大王(おおきみ)とかの意味じゃないよ
日本は天皇が建国し天皇が日本を治めて来てたって、君が勝手に思い込んでるだけだよ
だいたい朝廷のトップは関白だってば
江戸時代には幕府が公家や関白の継承を定めたなんとか法度とかもあるから観てきてみ?
そもそも今の皇室典範って奴だって元々は長州政府が、天皇の事を定めたものなんだし、今の日本でも主権者の国民が「じゃあ皇室典範を改正して、一般人から人気投票で選ばれた人をテンノウとしよう」って、テンノウを誰にするのかとか決めれるんだよ?
581 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:40:46 ID:fRr7s2isO
>>566 初期の皇統譜は藤原不比等の継ぎ接ぎの創作でしょ。
582 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:41:30 ID:FVOkaYU2O
>>571 まったく知らないようだし、消えてくれW
>>566 邪馬台国は三輪王朝初期に押し込めばそれほど大きな矛盾は生じないはずだが。
金印捏造に一票
585 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:42:07 ID:DK9sQXkOP
これ、今回発掘した場所は、多少民家もあるけど田んぼとか空き地が多いから、
これからどんどん発掘が進むと思う。
3年後くらいには、大規模な都市遺跡と確定されると思う。
586 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:42:07 ID:XVh9M8N6O
とんこつ涙目www
>>566 『全部』と言い出す辺りに悪意を感じるが、
最初の方がでたらめもしくは誇張なのはほぼ定説。
特に、欠史八代あたりは。
だって、日本の最古の史書である日本書紀は8世紀成立だぜ。
600年前の出来事は全て口伝の書き起こしだ。正確なわきゃねーわ。
まして、歴史は昔も今もプロパガンダの舞台だからな。
>>570 三角縁神獣鏡が中国で出土していない事を無視しているのはどなだでしたっけ。
589 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:42:44 ID:1dfJqZpS0
>>546 時代がずれてる。神功皇后の三韓征伐は4世紀末(広開土王の碑)。
景行天皇もワカタケルも倭国大乱の時の人じゃない。
つまり、俺の仮説はこう。
2世紀末
倭国大乱期に九州勢力東遷。神武に比定。
3世紀
九州勢力が邪馬台国設立。卑弥呼擁立。
248年
卑弥呼死亡。男王の後、トヨ擁立。
4世紀?
邪馬台国(ヤマト)の崇仁天皇が四道将軍派遣。
4世紀末?
広開土王の碑。三韓征伐。
5世紀
雄略天皇、蝦夷や熊襲を打つ。
590 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:42:45 ID:rYnyxG6k0
今九州でも遺跡埋めてるから九州人もちっとまっとりたいごす
591 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:43:05 ID:2vGO9FJHO
別にはっきりさせなくていいよ。
なんか、邪馬台国って歴史というより神話みたいな感覚なんだけど
592 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:43:59 ID:ChzQhdzv0
ここだけの話
卑弥呼は天照だよ
ないしょだよ
>>584金印捏造説はもう否定されまくってる。年代も多分間違いないし、字体も合っている。
>>588 仮に国産鏡だったとしても中国の情報を得られなければ作れないモノ
畿内と大陸の間に交流があった事実は覆せない。
595 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:44:50 ID:yKUABvdPO
邪馬台国が二つある可能性があるな
それなら全てのつじつまが合うんだが…
596 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:00 ID:X7yuBkk80
もう邪馬台国=近畿で学術的にほぼ確定してるのに、大和政権との関連をおおっぴらに語れないのは
やっぱり天皇ファンタジーと折り合いがつかないからかね
魏に朝貢してたとかもやばいんだろうしw
597 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:01 ID:ByF/fY1H0
>>589 >九州勢力が邪馬台国設立。卑弥呼擁立。
それは、ない。
九州の文物がなにも畿内から見つかっていない。
もうすこし、現実を見てくれ。
598 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:05 ID:XE/2ij2n0
>>571 それは畿内説になる。
巻向の都市や大規模な前方後円墳は畿内に存在する。
だから九州説は九州だけは別なのだと言ってるのである。
599 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:08 ID:UAFsBlRAO
魏志の使者は九州の南から土佐沖を抜けて、紀伊半島南端に上陸。畿内まで陸路で進んだんだろ
>>561 当時は方角を間違えたら間違いなく漂流、遭難する
距離というか日数は箔付けのために増やすことはあるが
方角だけはまず間違えない、でないと後から来る使者が迷子になってしまう
601 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:40 ID:xQCDLSZkO
中国に攻められる恐れがあるから、敢えて場所を分からなくしている。
>>562 広開土王碑もそうだが、捏造説って
たいがい「そういうモンがあると都合が悪い」奴らの妄想の産物だよな
603 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:45:43 ID:x+wt8KMhO
ハイキングウォーキングが遺跡のレポートに行く日も近いな
>>593 ないしょも何も、
そういう説もちゃんとあるわい。
まあ、『卑弥呼は天照』ではなく『天照は卑弥呼』という説だけどな。
>>600 残念、後年の中国の史書でも結構方向間違いはある。
>>594 畿内の勢力と中国との交流があったとしても別に不思議でも何でもない。
しかし国産の鏡なら、卑弥呼に下賜された鏡とは関係ない。
607 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:17 ID:klglR8P70
>>596 むしろ、天皇家の祖先が実際に2600年近くも続いたということを立証してしまうからだろ。
只の神話だって言えなくなる。
608 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:18 ID:cmVvMDm6O
機内だの九州だのの論争は任せるが
その前に邪とか卑とか中華思想丸出しの当て字使うのやめようぜ。
大和 姫巫女 で教科書を統一して
かっこ書きで大陸の当て字と中華思想の説明すればいいじゃん。
609 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:22 ID:VFaHGT4LO
610 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:25 ID:Fjc+dLFZ0
まあ、その頃からこの辺に人が住んでた、ということは
認めてもらえるんだろうなw。
>>593 捏造よりも出た場所と経過が問題じゃないかな?
つまり持ち運び出来る物は、発見のされかたと場所が問題だと思う。
612 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:31 ID:9mh6sfNX0
こういうスレだと、中途半端な馬鹿は袋叩きにされるけど、
マジのキ印はスルーされるんだな。
613 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:47:47 ID:k6GJBEulO
俺が前スレに書いた耶馬渓は調査されてんのか?地形も山だし大和=山人の可能性もあるんでないの? 前からずっと気になってたんだがな〜この問題は
614 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:48:51 ID:mCfiv2T+0
滅ぼした側が求心力を誇示するために滅ぼした国より大きく沢山古墳作ったんじゃないの?
615 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:48:53 ID:j5LnfKzZO
あちこちにあったんだよ
決着したらなんかいいことあるの
仲良くしなさい
>>606 邪馬台国の記述を読む限り、大陸との交流は邪馬台国が
一大卒を置いて厳密に管理している。
大和の勢力と邪馬台国が別勢力なら、大和が大陸と交流できる筈が無い。
三角木・・・いや、三角縁神獣鏡は主に畿内から出土してるんだろ。
618 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:49:17 ID:5ltQImid0
>>541、
>>565 他の候補者もいたんだし。気が弱くて拒否したんだけど。
仮にその人が皇統を継いでも継体が贈られただろう。
619 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:49:44 ID:ByF/fY1H0
>>604 卑弥呼は天照と何の関係も無い。
日食と岩戸神話と、3世紀の日食と卑弥呼の死を関係させたくなるだろうが、
関係あると思えばあるだけで、関係ない話。
もっと大事なのは、卑弥呼はクナ国と戦っていたが、
アマテラスはスサノオと不仲だったということ。
まったく関係が無いだろ。
620 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:49:48 ID:bMsaRPzSO
箸墓古墳って石室は発掘できないんだっけ?宮内庁がらみで。
発掘すれば金印でてくるかもなぁ
621 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:07 ID:fRr7s2isO
>>595 ヒミコは出雲で奈良と九州に邪馬台国とか
神武天皇の逸話も年齢も二人分合わせて創作したって話し、聴いた事がある
622 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:07 ID:NOLNULwAO
卑弥呼の時代に畿内が別個に栄えてただけだろ。
バカじゃねえの?
623 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:12 ID:FVOkaYU2O
九州の有明海あたりが邪馬台国だろう
624 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:14 ID:EY+cI/JzO
>>579 北九州まではかなり正確なわけだから、そこまでは使節が来たんだな。良く知られた道筋だったんだ。
そこから水行十日陸行一月というのは行かなかったんだろ。
北九州からものすごく遠いということ。
九州説は無理だな。
>>613 あんな狭い場所に七万戸も養う事は不可能。
626 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:38 ID:klglR8P70
627 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:50:43 ID:XE/2ij2n0
>>608 「日王」や「渡来人」の方が人類みな平等で人道的なのか。
628 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:51:26 ID:vrvlkqgH0
>>559 >卑弥呼と天皇ってどんな関係なのか誰か教えて下さい
魏志倭人伝によれば、
西暦239年、中国の魏に日本からの使いがやってきた。
そして邪馬台国という国があり、卑弥呼という人がいたと書いてある。
それでは239年という邪馬台国が存在した、あるいは卑弥呼が魏に使いを出した年というのは、
いったい何天皇の時代であったのか。
結論から言えば、神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。
大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後であるということになるわけです。
629 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:51:27 ID:ODlSTRcRO
むしろ邪馬台国の実在自体が疑問なんだが…
書物の記述だけで、何の物証も発見されてないのに、何で実在が確実視されているのか理解できない
邪馬台国を信じてる人はアトランティスも実在したと思ってるんだろうな
邪馬台国の支配が東北から九州まで及んでいただけでね?
>>622 畿内から大量の大陸系文物が発見され、邪馬台国の時代だと九州のそれを圧倒している。
よって、「邪馬台国と畿内の大和王権は無関係」という主張は否定されてるんだよ。
632 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:52:11 ID:wNfgtNQcO
>>587 古事記を一度ぐらい原文読んでこいよ
だいたい「紀元前2600年前」とかなんて書いてないし、そもそも「○○テンノウ」なんてのも古事記には出て来ないよ
近代の学者達が勝手にイワレビコを「シンブテンノウは、、」って名前で呼んでるだけだよ
だいたい天皇の話を書いてある訳じゃ無いってば
上岡龍太郎はどっちの説だっけ?
634 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:52:36 ID:pIynupLr0
こうしてみると神代の時代から血筋を絶やすことなく
ただひたすらに日本の国土と国民の生命を守り続けてる
天皇・安倍家・麻生家の御三家って
やっぱり特別な存在なんだってことがよくわかるな
>>616 別勢力なら、一大卒の管理下にあるわけないだろ。
636 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:52:44 ID:ChzQhdzv0
テレ朝みろ!
>>629 物証が大和からゴロゴロ出てきてるから「邪馬台国論争、決着近し」
なんて記事が新聞に出るんだよ
638 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:52:54 ID:k6GJBEulO
>>629 魏史倭人伝を神話扱いすんのか?いくら何でも無茶だろそれは
639 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:53:04 ID:NOLNULwAO
>>624 水を行けば十日、陸ならひと月、だろ。
繋げて解釈するなら上陸場所が記して
あるはずだぞ。
報道ステーションきた
641 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:53:27 ID:fiYdvJdOO
報ステキ━タ━━━━ヾ(゚∀゚)ノ━━━━━!!!
>>635 当時の航海技術では、北部九州から玄界灘を通って朝鮮半島に達するしか
大陸に達する手段が無いの。よって、どんな勢力でも日本と大陸を行き来するには
北部九州を押さえた勢力の管理下に入らざるをえないんだよ。
>>629 今回の件や箸墓古墳は年代面からの実証なんですがw
箸墓は径百余歩(円墳部)の記述にも合致するしね。
>>625 一つの地域で七万戸と言う訳では無いだろw
北部九州全体で七万戸と考えるのが普通。
645 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:54:43 ID:VFaHGT4LO
>>580 邪馬台国とかイミフな素人の私でも580がプシだというのは分かった
テロ朝放送中
647 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:55:06 ID:mCfiv2T+0
古館のドヤ顔にイラッときた
648 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:55:08 ID:YqhrpnKkO
荒れる東支那海を渡ろうとしても、当時の航海技術や記録の拙さのせいで、邪馬台国を目指して交流しようとしても九州に着いたり畿内に着いたりしてたんじゃないのか?
つまりどちらにもあったとか。
649 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:55:09 ID:ByF/fY1H0
>>628 >神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
君が都合の良い計算をしてるのなら、
俺も神武天皇は1世紀と言ってみよう。
邪馬台国の時代の天皇は、崇神天皇。
卑弥呼はヤマトトトヒモモソヒメ。
いろんな状況証拠からすでに確定してる。覆すのは不可能だろう。
650 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:55:44 ID:yBDHrgcN0
>天皇・安倍家・麻生家の御三家って
3墓大賞
>>631 ウソ抜かせ。畿内のどこから「倭人伝の記述に合った物」が出てる。
652 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:55:59 ID:FVOkaYU2O
邪馬台国と大和政権は別者です、意地でもこじつけたがる学者には大金が入ってくるんでしょうね
年末前だけにお金が必要なんでしょう
653 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:56:09 ID:XE/2ij2n0
テロ朝で邪馬台国が・・・
654 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:56:21 ID:0Ngh0TOa0
北九州説の方が雰囲気あるんだけれどな。
と思う関西人です。
655 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:56:25 ID:uV0pcm9G0
きっと引っ越したんだな
656 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:56:41 ID:X7yuBkk80
なんで邪馬台国=大和政権ってちゃんと認めないんだ
そしてちゃんと天皇ファンタジーを史実から見直せよ
ちょっと聞き逃したんだけど、テレ朝自画自賛してたような
658 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:57:10 ID:wpWxlbUD0
>>596 朝貢がヤバいって発想が俺には理解できない。
大陸との交流は普通だって。倭の五王なんてモロに天皇家だし。
659 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:57:09 ID:Wqkri4S40
ヤマタイ国なんてヤメタイ…
660 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:57:34 ID:pXlD1PF40
沖縄の海底遺跡も調べろよ
661 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:57:47 ID:dMm3pn9iO
この遺跡、周りに住宅あるな
662 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:57:50 ID:klglR8P70
>>631 絹や後漢の鏡なら、九州が圧倒してるはずだが?
佐賀大学教授wwwwwww
664 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:00 ID:EY+cI/JzO
>>626 あるある。丘乗りだから陸路と感覚かわらないよ。
朝鮮から北九州までの海路で方角ちょっとおかしいじゃん。
665 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:07 ID:bMsaRPzSO
>>628 崇神天皇が卑弥呼の時代にいたって疑惑が近年の考古学ででてきてる。
たしかマキムクからも崇神の古墳とされてる場所が近い。
もしかしたら崇神はクナ国の王か卑弥呼の弟だったのかも、
と思うと夢が膨らみますな。
666 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:25 ID:bDzv0nq40
九州論者は無視してるけど、纒向からは日本各地の土器が出てきている。
それは九州から関東にまで広がる広域ネットワークが存在した証拠。
その拠点が纒向。つまり邪馬台国は纒向にあったワケです。
九州にはそんな大規模な遺跡がないし、そこを突かれると痛いのが九州説の弱点。
全国から貢物が卑弥呼に届けられ、三角縁神獣鏡が同盟の証として分配されたのでしょう。
667 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:27 ID:k6GJBEulO
668 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:28 ID:ByF/fY1H0
>>651 山に丹があると書いてなかったかな?
畿内には丹が出る山があるよ。
任那政府も早くみとめろよ
671 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:37 ID:Yix3uFxn0
ここで古館の新説、「邪馬台国朝鮮半島説」がでてきたり
>>400 宮崎の免許センターあたりが阿波岐原だたな
元シーガイアの近く
由来は知らん
673 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:50 ID:aNZ4Lpho0
だから古墳を全部発掘してみれば分かるって
674 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:58:51 ID:XE/2ij2n0
佐賀大のこの教授は嫌々九州説をやらされてると言ってたなw
@邪馬台国が畿内にあった。
A神武東征が史実である。
この二つを仮定すると天皇家の、日本列島の支配者としての正当性が危うくなるからね。
だから右翼が必死に九州説を主張する。
676 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 22:59:59 ID:klglR8P70
>>664 どこがどうおかしいのかな?
あの辺りは超近距離だから、出発点と到着点の取り方でかなり角度は変わる。
が、もし、九州から畿内方向に行ったのなら、東を見誤るわけはない。
677 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:00:00 ID:rJuSq18F0
霞ヶ関に神社や墓を建てようとは思わないから、
政治や経済の中枢と神託系は、場所が離れていた気がするんだけど。
最大のミステリーとか格好つけてるけど
紀元3世紀の事が全く解らないなんて
学者に能力が無いんでしょ?
そうなんでしょ?
679 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:00:24 ID:YqhrpnKkO
>>642 海流とか考えるとなかなか難儀な話だよな。
畿内に向かうにも瀬戸内経由なら関門(早鞆)・来島・明石or鳴門という難所を通らないといけないし。
まあ東シナ海や玄海灘や響灘も大変だが。
海流や風を考慮したら、北部九州→朝鮮は渡りやすいだろうが、大陸→日本はインドシナ・華南・華中→日本のどこかはまだどうにかなるが、華北・朝鮮→日本は案外大変。
680 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:00:31 ID:b/hyxsJSO
九州へは整形しに行っただけらしい。
681 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:00:32 ID:vrvlkqgH0
>>649 江戸時代から現代、17世紀から20世紀においては、天皇の一代の平均在位数は22年くらいになっています。
昭和天皇は64年まで在位されましたが、これは確実な歴史時代に入ってからの在位年数の最長記録です。
奈良七代70年、といわれるように、奈良時代はおよそ70年続き、その間に7代の天皇が立ちました。
すなわちこの時期、一代の天皇の平均在位年数は約10年です。
第31代の用明天皇あたりだと、586年頃活躍した人という年代がわかります。
用明天皇から、一代10年、一代10年とさかのぼってゆくと、
神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
天皇の出現は、卑弥呼のずっと後です。
682 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:00:54 ID:0Ngh0TOa0
線路部分も発掘しないといかんだろ。線路を撤去して発掘範囲を広げろよ。
邪魔大王国は九州の阿蘇山じゃなかったっけ
九州説って中国大陸に近いからそうに違いないっていう程度じゃないの?
なんか韓国人の小中華思想みたい。
685 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:01:37 ID:eVQd9xjLO
奈良で決定ですか?
686 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:01:58 ID:tAirg3iw0
伊都国ほぼ確定の糸島郡出身である俺様には極めてどうでも良い。
>>608 大和 姫巫女 だという保障がどこにもない。
だから原文ママで表記するしかない。
プレ飛鳥王権についても、大和は当て字なので、
漢字で国号を名乗るまではヤマトとカタカナ書きにするのがルール。
688 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:02:08 ID:ByF/fY1H0
>>681 >すなわちこの時期、一代の天皇の平均在位年数は約10年です。
君、数字トリックに騙されてるよ。
そもそも邪馬台国や卑弥呼が居たってどうして知ってるの?
弟とかの名前とかも分かってるのに
どこにあったかが分からないとかあるの?
691 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:02:28 ID:9CJ7EaLnO
ドラクエ4にあったジパングは忠実に再現されてたんだな
692 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:02:34 ID:YqhrpnKkO
>>676 普通に考えたら間違えない。
けど大変荒れる海であることを考慮したら、目指しててもずれる。
だから日本のどこかに着くかというのはギャンブルレベルだったんじゃない?
>>649 >卑弥呼はヤマトトトヒモモソヒメ。
俺は箸墓に葬られてるのは、台与だと思ってるけどね。
橿原考研の公式見解も築造3世紀後半となってるし。
国が乱れて死んだ卑弥呼より、台与の方が女王として名声が会ったのではないか?
694 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:03:21 ID:0O/QFXKuO
畿内説は無理がある。
普通に邪馬台国は九州だろう。
695 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:03:34 ID:NOLNULwAO
倭人伝には西より東が栄えてるってなかったか?
九州は火の国で火山灰地帯だからな。
邪馬台国はたまたま大陸よりにあったから
柵封を受けたんだろ。
696 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:03:48 ID:UAFsBlRAO
>>625 七万戸って、一軒につき8人住んだとして56万人
北九州で50万石って、戦国時代でもなきゃ不可能で
九州と出雲を合わせないと難しいんじゃない?
697 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:04:01 ID:FVOkaYU2O
698 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:04:02 ID:EkQotc+/O
邪馬台国は韓国起源
699 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:04:11 ID:k6GJBEulO
>>681 栄養や病気の治療の問題で平均寿命は短いが個人個人は長生きしたものもいる
それが大事にされる部族の長なら尚更
早く死ぬなら若い王を立てて長くつかせるだろ普通
そもそも卑弥呼自体が80歳ぐらい生きてるっぽいが?
卑弥呼は朝鮮人で邪馬台国は朝鮮半島にあった。
702 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:04:58 ID:Z+BAnBW2O
その頃はお姫様の事を姫子と呼んでいてそれを聞いた中国人が名前と勘違いして卑弥呼になったんだお
703 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:05:05 ID:ByF/fY1H0
>>693 トヨスキイリヒメのほうか。
その可能性もあるな。
704 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:05:12 ID:9n/Vv9ioO
淡路市に国内最大の鉄工房群、垣内遺跡が見つかったことも、機内説を裏付けるのかな?
705 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:05:13 ID:n4+DznfYO
じゃあ畿内に仮に邪馬台国があったとすると、九州の吉野ヶ里とかその時代どういう機能を果たしていたのかとか、金印とか謎がまだまだあるよね。
706 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:05:20 ID:ODlSTRcRO
>>643 始めから邪馬台国ありきで、都合のいい物証をかき集めているように思える
書物には、嘘や間違いがあるんだから、物証優先で検証すべき
国内から邪馬台国って刻まれた石碑でも出ない限りは実在したというべきではない
>>674 言ってたなぁ(笑)
元々畿内説論者だったけど、北九州説の教授の下で働いてて流れで引き継いだって(笑)
確かたかじんの番組(笑)
埴輪原人の化石まだあ?(・∀・)
709 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:05:39 ID:klglR8P70
>>692 言ってることが分からない。
九州から近畿に向かう場合、
瀬戸内海ルートを取るにせよ、裏日本ルートを取るにせよ、
ずっと東に向かってる、途中寄港したとしても、東方向に行くことには変わらないし、
それ以外に向かう方向はない。
それを南だと感じるわけはない。
港を出るとき一時的に南に向かったにせよ、その後はずっと東だ。
ありえない間違い。
>>665 喧嘩してた狗奴国が神武東征でできた元九州勢力って話もあったな。
で、崇神あたりに邪馬台国を滅ぼしたか吸収合併したとかいう説。
711 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:06:07 ID:YqhrpnKkO
>>696 当時の人間がこの辺で7万戸といったにすぎないのかも。
日本海沿岸は食料生産に突進むのは早かったからなくはないと思うが、恐らく北部九州を中心としつつも日本海沿岸一帯の数かもな。
712 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:06:33 ID:fw2TR0B3O
>>678 やっぱ学者が無能だからなのか…?
3世紀前後は資料が全然残ってないから推測もできない、って話を聞いた記憶があるんだが…
713 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:06:34 ID:5ltQImid0
>>534 応神天皇の頃に屯倉を任那に置いたんだが
その前に成務天皇の頃に各地に屯倉を置いた
徳川家は関東にいるんだから、大坂とか長崎の経営ができるの?
なんて言わないだろ?
江戸時代なんて各藩の飛び地が沢山あったよ
代官置いて経営していたんだ
魏志にも九州には出先機関があると記述されているんだし
だいたい、連合国家だよ
薩摩は徳川将軍に許可をもらって琉球に侵攻し支配したが、藩庁を琉球に置いたのか?
>>699 どうやらゴッドハンドの出番のようだな。
誰かが金印をゴッドハンドしそうだなw
716 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:12 ID:VFaHGT4LO
>>628 その結論にいたる理由って何ですか?
神武がいたとしてもその年代なら神話時代の天皇たちが架空だったら西暦何年くらいから天皇が始まったの?
>>665 違う。ちゃんと名前が魏志倭人伝に出てきてる。
長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳テ(ナカテ)という。
この2番目の弥馬獲支(ミマカキ)こそ、ミマキイリヒコイニエつまり崇神天皇。
>>642 他ならぬ倭人伝に、倭人の航海技術の高さが記載されているのだが。
>>668 丹は畿内しか出ないのか? 畿内から真珠が出るのか?
719 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:47 ID:NOLNULwAO
聖徳太子の記録がある隋書倭国伝には、わざわざ阿蘇山が
名高い霊場として記されてる。朝廷は畿内なのは明らか
なのにだぞ?
720 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:47 ID:rJuSq18F0
太陽があるから、方角はあんまり禿げしく間違うことはないな。きっと。
721 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:55 ID:XE/2ij2n0
>>707 講演会でも言ってたそうな。
そういえば仕方なしにやらされてるように見えてくるw
722 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:57 ID:vrvlkqgH0
>>668 1代10年は、平均寿命の話じゃなく、在位期間の話だよ。
一人の人物が天皇と名乗り、退位するまでの期間が約10年。
現代の半分の期間ぐらいしか、天皇ではいられない。
天皇は用明天皇で31代目。
それが西暦586年頃。
とすると、1代目の天皇が即位したのは、586年の310年前。
つまり、西暦276年前後。
数字トリックに陥っているのは君のほう。
723 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:07:59 ID:EY+cI/JzO
>>639 地理が分からなければ日数だけ書く。中継地点も分からなかったんだな。
陸路なら海路ならと書くなら「なら」が漢文に無きゃいけない。だから君の論は間違いだというのが中国の専門学者の定説です。
残念!
724 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:08:07 ID:HpVNp+4PO
725 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:08:23 ID:YqhrpnKkO
>>718 それは相対的にそうなだけで、当時の限界の能力の限界はあるんじゃない?
726 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:08:36 ID:bDzv0nq40
>>681 何と都合のイイ計算だろうか?
日本書紀のどこに天皇の在位が平均十年と読める節が書かれているのだろうか?
ていうか、奈良時代と弥生時代では700年もブランクあるし、情勢も全然違うだろうがw
727 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:08:53 ID:Oek47rX70
邪馬台国は九州もしくは四国、もしかすると中国近畿の線も充分あり得る。
条件によっては北陸東海まで検討した方がよいと思う。
728 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:09:06 ID:pVP9Ue0pO
>>698 韓国か中国か知らんが、日本人の多数は大陸起源だろ。
東南アジア起源はいても少数、秋田とかは白人の遺伝子も出るらしいけどロシアも少数。
中、韓辺りの地域がご先祖さま。
>>722 卑弥呼は70年ぐらい部族の長やってますが?
730 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:09:20 ID:0Di9ZpX6O
>>682 線路の移設費用を発掘のためには国も県も出さないだろうね。
しかし案外線路の下に決定的な証拠があるかも。
731 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:09:33 ID:DB3mZLQ/O
東スポ>ぎし倭人伝
732 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:09:38 ID:6uv+YxrvO
>>566 出鱈目じゃないぞ
書記の登場人物と一致するからな
どちらにしろ祟神〜景行のマキムク朝の実在は決定的
日本書紀の記述の正確性がまた証明された
733 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:09:46 ID:1QtsxbPKO
ユダヤの失われた部族が邪馬台国を作った
てか、素人学者がこんなにいることに驚きw
ほとんどがききかじりの受け売りでお気に入りの説に
固執して聞く耳もたんのが笑えるがw
地道に調査してる人って少ないんだろうなあ
735 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:10:02 ID:n7OOIG2l0
古代、まだ竪穴住居に住み、採集狩猟生活をしていた縄文人。
朝鮮から渡ってきた文明人は、まず彼らに米の作り方、火とカマドの使い方を教えた。
次に、その身なりを哀れに思い、衣服や履物の作り方を教えた。
そして、文字を教え、文明思想を伝えた。
百済に中心を置いた当時の政治勢力は、列島に軍司令官を派遣して原始土民を文明に導こうとした。
司令官は、九州から近畿まで、土着勢力を征伐し従えながら百済の勢力圏を広めた。
その間、土民の女たちは朝鮮人に積極的に身をゆだね広く混血が生じた。古代の”韓流”である。
伊勢近辺で頑迷な土民勢力と対峙し、そこに宗教施設を造営して境界とした。のちの伊勢神宮である。
故国朝鮮の風土に似た奈良盆地に本拠地を置き、そこに都市国家群を建設してその土地を”ナラ”=諸国家群と呼んだ。
しかし、土着するや司令官は天皇と僭称し、直ぐに増長して本家に謀反・敵対を始めた。
今日まで日本人が朝鮮に抜きがたい劣等感を抱き侵略を企てる基礎が、ここに定まった。
天皇を朝鮮に来させ、土下座させて歴史の全てをわびさせなければ改まるまい。
といより、むしろ愛子天皇に朝鮮の精を授けることによってこそ、朝鮮とこの国との関係を国際的に明確にする最良の道である。
736 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:10:12 ID:FVOkaYU2O
日本史ほど役に立たない学問もないよな。
なんでこんなん学校で教えるんだろ。
ラノベの内容を暗記するのとたいして変わらんわ。
738 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:10:40 ID:ByF/fY1H0
>>722 君は、「平均」在位期間という言葉に騙されてるんだよ。
739 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:10:46 ID:klglR8P70
>>713 戦国時代と一緒にするバカがいるとは。
戦国時代は馬もいるし、道もある。
弥生時代にはどちらもない。船だけだ。
コントロール出来るわけがない。
740 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:10:48 ID:YqhrpnKkO
>>721 嫌々というか興味がないとかいうことを言ってたそうな。
741 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:11:03 ID:GrBiqvWj0
九州は朝鮮です!
この古墳発掘とJAXAのどちらかに予算を上げるとしたらどっちにあげる?
744 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:12:09 ID:DTvPHdE4O
しかし、なんで滅んだんだろうねヤマタイ
745 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:12:16 ID:rjvdZ7420
>>709 船首は南へ向けていたが
北東方向へ流れる対馬海流に流されながら
実際には東へ流されたのかも
よくわからんけどヒミカの一族全滅・だ!!
つか、どうでもいいじゃん何の利益も無い過去の事なんざ
ニダーチョン共じゃあるまいし…
>>718 このニュースになってる遺跡だったかどうかは知らんが、
畿内からは、生活感がないわりに規模はでかいという遺跡が見つかっていて、
明らかに畿内の産ではない、日本各地の特徴のある物品が多数発掘された。
これは、そこが当時の政治の中心であって物が集まっていた証拠とされている。
>>739 江戸時代も弥生時代も主力の交通機関は船だよ。
これが覆されるのは明治の鉄道開業を待つ必要がある
749 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:12:48 ID:5ltQImid0
750 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:03 ID:YqhrpnKkO
>>743 固形ロケットと液体ロケットの開発に金を注ぎ込む方が正しそう。
> 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長
> (考古学)は強調する。
というか、もう決着ついてる様なもんだろw
九州の一部がうるさいだけじゃないの
ただ、偽書とも言われる古史古伝には様々な王朝が各地にあったことや、
代毎に本拠地かえてたりもしたと伝えられるけどな
でも、ヤマタイは普通に畿内でしょう
752 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:07 ID:s0erX7SKO
朝鮮は植民地w
753 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:18 ID:klglR8P70
>>744 それは、近畿の王朝に侵略されたんでしょ。
あの辺りで連合国家を作れば、九州単独では勝てんでしょ。
754 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:23 ID:NOLNULwAO
>>744 中国の動乱期に倭国も飲み込まれたから。
>>725 >>女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。 又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。
>>又有裸國・黒齒國、復在其東南、船行一年可至。
流石にこれは倭人からの伝聞だろうけど、これなら結構技術は高かったと言えるんじゃないの。
ジパング≠日本て説もあるぐらいだから意表を突いて
邪馬台国=日本
という説はないのか
>>747 それはこのニュースになってる遺跡の事だね
758 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:33 ID:vrvlkqgH0
>>726 王の平均在位期間は、日本のみならず、世界的にも、時間をさかのぼるほど短くなる
から、
700年も前の弥生時代の在位期間を、奈良時代の平均在位期間で考えるだけでも、
おおまけにまけて、考えているんだけどね(^_^;
天皇家を権力簒奪勢力にしたくない右翼と
3世紀当時の日本の勢力を矮小化したい左翼の思惑が複合してるんだよな、九州説。
760 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:40 ID:0AozaNiA0
九州説の学者が誰も九州説やらないからお前やれって言われて始めたって言ってたな
そこまで言って委員会だったかな?
761 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:44 ID:rm/oY/7+0
762 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:54 ID:WYl9a4jC0
日本は、どこでも掘ったら何か出てきそうだけど、建物建っていたり、人の土地で掘らせてくれないから
見つからないだけだと思うぞ。
763 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:13:58 ID:YqhrpnKkO
764 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:00 ID:5MzbkJ5BO
テレビで観たが両隣が民家なんだな
自分の隣の家が卑弥呼ん家なんて羨ましい
ていうか、両隣の家も下にも何か埋まってるの?
765 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:06 ID:yKUABvdPO
ギシアン倭人伝を見てると、コーフンするのが大事に見えるよね
766 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:09 ID:XE/2ij2n0
>>739 そんなこと言っても、巻向から関東や北部九州の土器が出てくるし、
前方後円墳が全国に普及しているのだから仕方がない。
767 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:15 ID:CArX+O6v0
>>589 じゃ じぶんも妄想を
紀元前後
九州から神武が小勢力をひきいて奈良盆地南部へ東遷
三世紀
その勢力(邪馬台国)が四道将軍派遣して倭が緩やかな連合へ
248年
卑弥弓呼(武埴安彦)の反乱、卑弥呼(百襲媛)の死
四世紀
垂仁天皇・景行天皇により倭国が緩やかな連合から大和朝廷へ
四世紀末
神功皇后による三韓征伐
大和朝廷による半島進出本格化(広開土王碑)
768 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:20 ID:tcy1fuFlO
ヒミカの子というだけで十分だ!
769 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:21 ID:rJuSq18F0
>>741 確かに。古代からの宇佐の役割を知りたい。
宇佐には3女神も奉られてるし、シャーマンのにおいがプンプンするよね。
770 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:14:19 ID:tAirg3iw0
>>752 当時の平壌は漢(魏)の楽浪郡です
朝鮮なんて跡形もありません
やっぱりこういうのは地底に巨大要塞都市跡とかが見つからないとロマンがねえよな。
774 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:07 ID:Xem1JpvPO
そもそも九州説にしたい連中は朝鮮族の移民を起源にしたい特亜連中なんだよね。
九州説の主だった顔ぶれみれば中國人や朝鮮人や在日関係ばかり。
775 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:32 ID:GM1vPaYOO
>>748 江戸時代の船は交通手段というよりは輸送手段という面のほうが強いだろう
776 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:33 ID:41syJ72zO
777 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:45 ID:HpVNp+4PO
>>629 日本の歴史学は出雲で以前君と同じこと主張してのちに涙目になったんだわ
>>741 皇室のルーツは九州だけど、邪馬台国は畿内にあったというそれだけの話でしょ。
779 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:51 ID:bMsaRPzSO
>>744 滅んだかどうかわかってない。
遺跡になってる=滅んだってのは間違いだろう。
藤原京だって滅ぼされたわけでもないのに遺跡みたいになってるじゃん
780 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:15:53 ID:1QtsxbPKO
>>744 滅んでないよ!
そのまま大和朝廷になった。
そもそも邪馬台は「ヤマト」とも読めるだろ?
782 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:16:00 ID:E/EGaL8G0
そもそも九州はなぜ魏志倭人伝を根拠とするのか。
つか、倭の国も邪馬台も卑弥呼も、中国のネガティヴ字を当てられたもので
日本の言葉じゃ古くから大和、日神子なのに、なんで現在は
中国語が一般的にされちゃってんの?
783 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:16:09 ID:ODlSTRcRO
784 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:16:10 ID:YqhrpnKkO
>>748 京都・琵琶湖あたりも明治になってもずっと水運だったしな。
大阪〜淀川〜伏見港〜高瀬川〜七条内浜(七条河原町)or琵琶湖疎水・インクライン〜琵琶湖とか。
785 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:16:23 ID:T0PYfIZYO
歴史オタクほど、
面白くない人間はいないよね…
こういうものや言い伝えが過去にあったって言われても、
だから何?どうした?ってなるんだけど。
786 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:16:35 ID:6gMoaUu3O
日本は弥生時代?笑っちゃうね。あんな掘っ立て小屋が宮殿跡だって。ふいちゃったよw
畿内の銅鐸文化は現天皇家とのつながりを一切持たない。
九州の文化や遺物と天皇家、神道の儀式との親和性、神話の天孫降臨の地と東遷伝説。宇佐神宮の存在。
近畿説に真実はないよ。
毎回この議論の時に思うことなんだけど、魏志倭人伝では
帯方郡から女王国まで12000里だって言ってるんだぜ
帯方郡から狗邪韓國まで7000里
そこから対馬まで1000里
そこから壱岐まで1000里
そこから松浦まで1000里
そこから伊都国まで500里
ここまでで10500里だぞ。これでどうやって近畿になるんだ?
どう考えても北部九州しかありえないだろ。
近畿説の人はこれはどう説明するんだ?
790 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:03 ID:fiYdvJdOO
邪馬台国=台湾
倭人=台湾原住民
奈良とか色々あるからもういいだろ
佐賀は本当に何もないんだぞ
793 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:14 ID:DB3mZLQ/O
全く興味が無い
分かったところで幸せになれんのか?役に立つのか?
この件、ニュースでもやってたが俺にとっては明日の天気の方が重要な話
>>786 隣の民家とそう変わらないじゃんと思ったりした。
795 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:26 ID:tMOBAhsL0
日本の古代の歴史って、はっきり分かんないことが多くてなあ。
はるかに時代が下った大和政権の時代の歴史でも、とびとびのエピソードが見られるだけで、
しっかりした流れを把握できるほど資料がそろってないし、なんとかならないかと、もどかしい
思いがする。
796 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:28 ID:ByF/fY1H0
>>769 宇佐神宮のヒメ大神に目をつけるのはいいが、
渡来系のヒメを祭る姫島が近くにあることを考えたことはあるのか?
797 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:34 ID:YqhrpnKkO
>>776 道は誰かが整備しないと道足り得ない。
すくなくとも街道などは未発達。
ゆえに水運になる。
798 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:17:45 ID:7MgssTQ40
当時、日本最大の勢力はどこか?
大和朝廷に直接的に繋がる勢力はどこか?
邪馬台国はどこか?
この3つは別物だぞ。
巻向が大きいことがわかっても、前2者しか満たさんだろ。
799 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:01 ID:HpVNp+4PO
>>634 出雲大社と諏訪大社の宮司家だろ?
皇室に匹敵する御三家といや
800 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:00 ID:EY+cI/JzO
>>676原本なんかないじゃん。数百年後の写本だろ。東を南にたった一文字の誤写なんか人間が写したものなんだから、そんな間違いはいくらもある。
801 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:02 ID:HJ3fg6gkO
>>689 マジレスしたら、現代人ほど広域の地理感覚ない
例えば現代人は日本地図や世界地図を知ってる。また特定の施設の位置を地名や住所(共通の指標)で表すすべを持ってる。
当時の人は○○の北とかいう程度。
基準となる○○の位置が分からなければわからない。
例えば奈良駅はどこかと聞いて、行ったこと無くても奈良県奈良市にあることくらいはわかる。
あと地名が変わっている。
東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈に行けと言われても大多数の人がわからないのと同じ。
802 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:05 ID:k6GJBEulO
>>785 馬鹿だから面白く感じられないんだろうが
>>779 天皇が死んだら、都を変える風習があったんだな。
昔の公共事業による雇用対策だったと思う。
ピラミッドだって、雇用対策だし。
804 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:18 ID:FVOkaYU2O
>>788 そのとおり
オカルト的に言えば宇佐神宮の下に卑弥呼の墓があるらしい
805 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:18:54 ID:NOLNULwAO
畿内説はイデオロギーが優先しすぎで学術レベルがいっかな
向上しないのがカナシ。
>>797 古代文明が大河沿いに発達する理由がそれだな。
日本の場合は内海が川の代わりになった
807 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:19:13 ID:bDzv0nq40
>>758 待て待てぃ、奈良時代とか後世になればなるほど政変やら暗殺で短命でしょ?
弥生時代と政変ドロドロの奈良時代を比較するなんて無意味っす。
古代は2倍暦や4倍暦だったので異常に長命に見えるけど、平均寿命は60〜70年ぐらい。
在位期間は40〜50年ぐらいでしょう。
そのぐらいであれば紀元前660年ぐらいが神武天皇即位年として何ら疑いの余地もなくなる。
中国では普通に邪馬台=ヤマトが定説って留学生が言ってた
809 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:19:24 ID:klglR8P70
>>748 家康の軍勢が江戸から大阪にどうやって行ったのかしらない奴がこんなスレにいるとは。
平安時代の義家の軍勢、鎌倉時代の鎌倉方、みんな陸ですが。
>>744 滅んだとは決まってない。
魏志倭人伝に出てくる乱が2世紀末の倭国大乱であるのは確実だし、
それを収めるために卑弥呼が担ぎ出され、卑弥呼が死んでまた混乱したから台与が立った、というのが邪馬台国に関する最後の記録だ。
しばらく歴史書の空白が続いて、倭の五王の記述が出てくる。
倭の五王はヤマト王権だから、邪馬台国=ヤマト王権でないなら、その間に邪馬台国は滅んだ事になるが、
今回の発掘で、ヤマト王権の前身だったという説が有力になった。
812 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:20:16 ID:1QtsxbPKO
卑弥呼=天照 説は?
813 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:20:40 ID:FVOkaYU2O
箸墓は台与で間違いないはず
ヤマトと呼ぶ地名は九州には沢山ある
このスレには2ちゃんの中の歴オタがいっせいに集まってると見た
816 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:20:46 ID:E/EGaL8G0
古事記も日本書紀も漢字が一貫してないが、
「邪馬台国」なんて字はこれらには出てこない
だから、字違いの「大和」のことでも良いんじゃない?
817 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:20:55 ID:uhJlij8mO
皆既日食がどうのって話はどうなったの?
818 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:21:08 ID:rjvdZ7420
投馬は、山陰のどこか、但馬?
狗奴国は、きのくに?
登場する地名は、実際に存在する地名の音韻と対応する
その意味でも邪馬台国は大和国
819 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:21:19 ID:GuZZ1fHp0
魏志倭人伝なんか、どうでもいいじゃねーか
820 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:21:30 ID:ctyPUxNQ0
決まりやな
関西が日本の起源じゃ
お前らが今こうやって生活できんのも古代関西人のおかげじゃ
感謝せーよ関西に
ええなー!
821 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:21:43 ID:7MgssTQ40
>>788 そのとおり。
「水行・陸行」は時間的経過を現していても距離を示さない。
絶対的距離は明確になってる数字で見るしかない。
確定しているのは、総距離12000里と
伊都までの途中経過10500里。
近畿説を強弁するなら、
松浦・伊都等を近畿の近くのどこかに比定するしかない。
対馬と壱岐はさすがに動かせないだろ…。
学者のメシのタネがなくなるので決着は永遠に付かない
この遺跡が邪馬台国かどうかより、初期の大和朝廷の宮と思われる遺跡が発掘されたことのが重要だろ。
大和朝廷やら大王やら言いたくないために邪馬台国って宣伝してるんじゃないの。
824 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:25 ID:WYl9a4jC0
>>798 たまたま中国の文献に載ったがヒミコで、他に最大勢力があったなら、
その方が知りたいな。
当時、和文字あればなー。
825 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:32 ID:Y+Ce0bEL0
貧乏で脱税したくても出来ないから首相官邸の玄関前に脱糞しに行こう。
826 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:33 ID:M4Wv7tzTO
>>782 もっと詳しい歴史記録が日本にもあればね…。
それに、漢字はもともと日本文字ではないのだから仕方がない。
>>809 5世紀ごろ、日本全土に前方後円墳が出現して
大和王権による日本列島の支配が確実になったが
この時代、街道でも整備されていたのかな?w
828 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:39 ID:Xem1JpvPO
>>735 近代まで独自の文字を持たなかった民族朝鮮人が海を渡り、流れ着いた先の民族に文字や文明を教えたということに大きな矛盾をかんじるのは何故だろうか??
百歩譲っても海を渡り流れ着いたのは朝鮮移民ではないだろ。
829 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:22:41 ID:wRp8Ov1FO
>118
惜しい
アエロメヒコがあるメキシコ
>>788 簡単な事。女王国は女王を共立した国々の事だから。
邪馬台国は女王が都とした所が畿内のヤマトと大阪南部。
女王国とは吉備、讃岐、播磨といった国々で、大分から畿内まで、
瀬戸内海を中心とした国々なんだよ。
832 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:23:00 ID:ODlSTRcRO
833 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:23:03 ID:FVOkaYU2O
だから、その当時、日本には字が存在しなかった
当時の技術力で船で中国まで渡ることは出来たのか?
実はその時日本島は大陸から分離したばかりで
陸の形もだいぶ違っていたのだ
ゆえにどこの土地に邪馬台国があったかは明文化する事は不可能なのである
835 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:23:21 ID:bDzv0nq40
>>809 街道が整備され、乗馬の習慣が当たり前の後世と比較しちゃいけない。
古代人が移動するには未開ジャングルを彷徨うか、陸伝いに船で行くしかない。
836 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:23:24 ID:DTvPHdE4O
>>781 ヤマタのオロチ伝説に出てくるヤマトトモソソヒメにも関係してるかね?
スサノオが旅していると川上(川上タケル?)から箸が流れて来た
娘を(大和朝廷を)渡せとオロチ(オロチョン?)が脅してきた
ってアレ
837 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:23:37 ID:CArX+O6v0
>>823 そういうことだね
巻向は垂仁・景行天皇の都したとこだからね
>>762 工事の時に割と出てるよ
届け出て調査しなきゃいけないけど
費用自腹、工期延びまくってしまうから
そのままにする輩もいるらしいが。
まあ肝心なのが上物あって掘れない場所の下ってのはあるだろうが
839 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:24:03 ID:0Di9ZpX6O
卑弥呼の正体も気になるが、卑弥弓呼とかいうフザケタ名前の人の正体も気になる。
840 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:24:29 ID:rJuSq18F0
>>796 比売語曽社っていうのか。今調べた。Thanks!
ここも女性の伝説があるからシャーマン文化ありなんだね。
841 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:24:41 ID:GuZZ1fHp0
大体、倭だの邪だの卑だの・・・
そんな侮蔑的な漢字を認めるなよ
842 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:24:54 ID:k6GJBEulO
>>820 まあ待ちぃな、まだ決定は早いがな。確かに畿内は日本の中核やけどこの耶馬台論争は決定打に欠ける。俺かて畿内やったら嬉しいけどここは九州説も熟慮せなあかんで
843 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:25:01 ID:XE/2ij2n0
>>823 まあ、そういうこと。
大和の実像の方が重要で、邪馬台国など民俗学的な記録以外は下らんのです。
>>818 狗奴国はそのまま熊襲で良いんじゃないか?
他に、敵対勢力は考えられないと思うが。
かって、東海地方が狗奴国と考えられたが、
纒向から大量に東海地方の土器が出てきて
否定されてる。
845 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:25:11 ID:EY+cI/JzO
>>705吉野ヶ里なんかただの田舎の地域的にちょっと大きな集落でしょ。時代もだいぶ昔だし。
846 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:25:20 ID:HJ3fg6gkO
>>809 それは東国だな。
権力者は馬や籠、庶民は足
西国では波穏やかな瀬戸内の船舶が中心。
また米などの物資は安く全国的に早く運べる船が中心。
馬や馬子を雇う金は庶民には無いので共同で大量に安価で運べる船は重宝された。
848 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:25:34 ID:5ltQImid0
>>739 船があれば十分ではないか
コントロールってどの程度のものを言っているんだ?
邪馬台=ヤマト
卑弥呼=日御子
もうこれでいいじゃん
侮蔑的なのは当時の中華王朝の習慣だから仕方ない
850 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:25:57 ID:WYl9a4jC0
>>821 時間的距離だとしたら、潮流に乗ってスピードが出るところと出ないところがあるから
実際に船で漕ぎ出さないとわからんかも。
当時邪馬台国レベルの国は、日本各地にあったんでしょ?
邪馬台国だって、すぐに滅ぼされているし。
邪馬台国=強国というイメージは幻想!
852 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:26:13 ID:klglR8P70
>>827 キミは、墓を作る材料や人夫を全部運んだとでも思ってるの?
病院にでも行ったら?
大体、古墳時代は馬が入って来てますが。
邪馬台国は日本各地にあったって、清水義範が書いてたけど?
854 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:26:22 ID:GM1vPaYOO
855 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:26:23 ID:FVOkaYU2O
畿内派の学者が対馬といきと呼子を捏造しない限り畿内説には無理がある事実
856 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:26:41 ID:7MgssTQ40
>>824 たまたまじゃなくて、
中国と国交を結ぼうとしたクニがあったから、必然的に載っただけだろうなあ。
必ずしも、日本最大のクニが国交を結ぼうとしたわけではないと思う。
中国側から能動的に日本全体を調査して、
「邪馬台国が日本最大のクニと認めます」
と言ってるわけじゃないからなあ。
>>821 何が「そのとおり」だ。
日数では正確な距離が判らんというだけで、
その間の行程がを無かったことにされてたまるか。
だいたい、北九州にあったんなら、松浦からずっと陸路で行けばいいだろ。
大して広いわけでもなし。
九州から陸路で行けない遠くにあったから、しつこく船を使ったんだろうが。
だいたい、方角を間違えるわけがないというが、
記録したのは船乗りじゃないだろ。
乗ってたお客さんだろ。
858 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:13 ID:bErykdcA0
おまいらいいかげんにしろ。マジレスするとだな、
卑弥呼は朝鮮系だったんだよ
だから携帯はソフトバンクだたらしい。
しかもホークスのファンだった。
んで、ホークスファンだったってのはもう史実
つまり卑弥呼は九州人
あぶさんの引退後は卑弥呼との恋愛話になる
これ秘密な
859 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:17 ID:/d68PXvW0
こういうセンセーショナルなネタでマスコミを釣るのは
橿考研や奈良文研の常套手段だな。
こいつらも食っていかなきゃならないから、マスコミを煽って
発掘する為の予算をせしめなきゃならん。
166回も巻向箸墓を掘って、決定打が出ないということは
まあ、これからもほとんど望み薄だということ。
もう今回のニュースは、何が出たからこうだ、という
明快なニュースではなくて、なんとなく全体像が見えてきたという
あいまいなものでしかない。
たぶんもう、たいした物は出てきていないんだろう
魏志東夷伝みても、半島南部に倭程度の統一性(邪馬台国を盟主とする連合国家だろうけど)
が有ったとも思えない。
国家の形成という点では、倭に後れを取っていたんだろうな。
文化的には中国に近いだけ先進的な地域もあったと思う。
このあたりが古代の倭と半島南部の関係なんだろう。
861 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:36 ID:iUACrCFCO
ヤマトの当時の漢音表記が邪馬台ってことなのかな、結局
で、卑弥呼はヒメミコの漢音だとか言うんだろ?
862 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:47 ID:wNfgtNQcO
1、明治政府による歴史の創作
2、戦後教育による歴史の創作
まあ、これらの捏造された日本の歴史観を持った人には、邪馬壹国の場所や卑弥呼が誰なのかなんて解らないかもね
時代も219年の事だとか勝手に決め付けられてるしさ
つか、そもそも中国なんて60年前に建国された国なんだから、この時代の歴史書に中国の皇帝なんてのが書いてあるわけ無いってのになあ
つか「中国」ってのは「なかつくに」の事で、特定の国を指す固有名詞じゃないよ
倭人にとっての中国(なかつくに)と、モンゴル人にとっての中国(なかつくに)は違うよ
卑弥呼にとっての中国(なかつくに)は何処の事なのかわかんないんかな?
ちなみに日本にある「中国地方」ってのは吉備氏族や吉備の国の人にとっての中国なだけだから「中国地方」なんて名前を付けるのは本来はおかしいんだよ
ショウカイセキが中国を名乗った時も、日本は同じ理由で「国名として付ける名前じゃない」って抗議してたんだよ
もちろんショウカイセキは「我々の治めるこの国こそが世界中の人にとってのまさに中国(なかつくに)である。我こそが世界の中心である」って意味で中国を名乗ったんだし
だから古い書物の中の「中国」が、今の中国の事を指す事じゃない事ぐらい、戦後の日本の歴史学者も知ってる事のはずなんだけどなあ、、
それを知ってた上で「この中国は今の中華人民共和国の事だ」と解釈して「日本は中国の皇帝に遣えてた」って解釈をしてるんだよね
戦後の日本の学者達わさ
まあ戦後の日本なんて反日こそが正義になっちゃってるから、いかに日本がダメな国なのか、、、見たいな事を日本人に教えるのが戦後教育だもんな
863 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:58 ID:k6GJBEulO
864 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:27:58 ID:YqhrpnKkO
>>857 なんか今みたいな道があると勘違いしてないか?
865 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:28:33 ID:rjvdZ7420
>>788 当時の中国の里は、日本の里とは長さが違う
866 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:28:40 ID:klglR8P70
>>858 その意見には致命的なミスがあるんだが。
1万2千里の残り1500里を船で行ったということになる。
ありえないでしょ。対馬壱岐間の距離だぞ。
>>826 あんま関係ないけど、中近東あたりじゃ未解読の
主メール時代の粘土板とかたくさんあるらしいね。
現代文明の電子化された情報なんて、千年も経てば
完全に消えてるだろうなあ、
>>988 こんなところで嫉妬ですね、わかりますw
お前はポンと買えるレベルでもないだろ?
>>990 でも日本じゃ高いんじゃね?
じゃあそいつにまつわる他のエピソードを紹介してやろう。
グッチやルイヴィトンで棚の端から端まで大人買い。
大阪で数人しか呼ばれないシャネルのショーに呼ばれる。
リシャールが好きなおばちゃんです。
>>847 何故?倭人伝には女王国=邪馬台国なんて一言も書いてないよ。
邪馬台国=女王の都する所と
女王を共立した国々があるとだけだからね。勘違いしてはいけない。
871 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:29:33 ID:5ltQImid0
>>775 瀬戸内、桑名などなど
交通だよ
矢切の〜わた〜し〜
872 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:29:36 ID:BwfYT87cO
明日は今上天皇の即位記念日ですが
朝鮮人やネトアサによるF5アタックや荒らしカキコが発生するんでしょうか?
>>846 そういえば、源平合戦でも京都までは陸戦主体だけど
それよりも西に行くと水上戦中心だな。義経も水軍率いて西に向かってるし。
戦国時代だと、中国地方の覇権争いが確定した厳島の戦いや
本願寺戦での木津川口の戦いとか、重要な水上船が多く起こっている。
874 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:29:37 ID:KGM5CU6u0
>纒向遺跡ではこの20年間、桜井市教委を中心に箸墓古墳(全長280メートル)など最古級の
>前方後円墳の調査を精力的に進めてきた。かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の
>違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代測定法の成果などによって、3世紀の邪馬台国
>時代にさかのぼる可能性が高まった。
自分達の主張に沿うような結果が出るような測定法や測定結果だけを選んでる臭いんだが・・・
875 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:29:40 ID:wRp8Ov1FO
>849
広東語で「耶馬台」は「ヤマティ」と発音する
広東人は中原から南下した
876 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:29:51 ID:fiYdvJdOO
878 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:31:11 ID:1QtsxbPKO
アスカという国があったとされる根拠が世界各地にあるのだが
畿内はアスカで邪馬台国は九州が収まりがいい感じがする
879 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:31:23 ID:ODlSTRcRO
>>793 文明衰退の理由を探ると現代に通じる問題が分かるよ
過剰な灌漑による塩害とか、過剰伐採による砂漠化とか、政治腐敗とか
この論争って両方の説にそれぞれすごいバイアスかかってそうだからどうでもいいよ
考古学なんて客観的な推定はできないし、学者も時にはねつ造してまで自論を展開するからな
今通説とされていることだってどの程度確からしいかわかったもんじゃない
881 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:32:25 ID:6uv+YxrvO
>>808 本居が言い出すまで日本では邪馬台国=大和で疑いもしてなかったもんね
882 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:32:32 ID:iUACrCFCO
>>857 いかに自分が大冒険したかと誇張して
単純に滞在日数に適当な距離かけた適当出張報告だと思ったわ
所詮、東夷伝なぞ役人の仕事よ。
>>870 当時畿内は銅鐸文化の支配する土地だ。
統一勢力が西日本一帯を支配していたとするには無理があるよ。
884 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:32:40 ID:EY+cI/JzO
>>709 原本なんかないでしょ。
数百年後に誤写でおK。
実際には行かないで聞いた記事なら、最初から間違った可能性もある。
そこまでは正確に距離と方位を記していて、突然方位と日数だけになってしまうんだから、そこから先は伝聞だろ。
正確だという根拠がないわな。
>>852 馬のコストが高いってんで、手紙運ぶのは飛脚
駕籠を担ぐのも車を押すのも人間ってな日本において
馬の存在など無視して構わない程度のモンだよw
考古学的にはもう九州説は無理というのは本当。
よっぽど一発逆転みたいな発掘でもない限りね。
陸行1ヶ月という時点で九州説最初から無理があるんだけどね。
888 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:32:59 ID:UAFsBlRAO
例えば、九州北西岸からぐっと関門海峡を抜けて出雲で降りて、近江まで歩いたら水行10日、陸路1月にならない?
倭人伝を読むと1000人ほどの召使いが卑弥呼の身の回りの世話をしていたとあるが
あの敷地面積で1000人は無理じゃないか?入れたとしても相当ぎすぎすだぞ
都合の悪い部分は無視して調子いいよな〜
890 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:33:15 ID:klglR8P70
>>873 それは、平家が四国とか関門辺りに陣を構えたからでしょ。
通常は陸を行ってるよ。
だって、関東育ちだぞ。
891 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:33:22 ID:yKUABvdPO
恐山辺りで、卑弥呼の霊を呼んでもらった方が早そうだな
>>883 この時代の畿内は既に古墳時代に入り前方後円墳の造営が始まってるんだぞ
何時まで20年前の説にしがみ付いてるんだw
893 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:33:55 ID:pn/DpNwg0
鋼鉄ジークほど玩具メーカーに都合良く作ったアニメはない
>>870 >>自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
この「女王國」は、どう見ても「女王を共立した国々」とは読めませんが。
895 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:34:00 ID:zjBruaIZ0
シナの役人の捏造
>>820 東京以外は、日本の自然と気候のお陰だろうに〜
東京は、大坂(大阪)のお陰で滅びずにすんだけど〜
897 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:34:09 ID:XE/2ij2n0
>>864 九州説では女王国に近づくほど道が整備されてないのか。
そんなところでは九州全土を統治するのもままならなかっただろう。
898 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:34:11 ID:vrvlkqgH0
>>807 17世紀から20世紀・・・17天皇のべ379年間・・・平均在位22.29年
13世紀から16世紀・・・29天皇のべ453年間・・・平均在位15.63年
9世紀から12世紀・・・・33天皇のべ404年間・・・平均在位12.24年
5世紀から8世紀・・・・20天皇のべ218年間・・・平均在位10.88年
1世紀から4世紀・・・・31天皇
実は宮内庁はとっくに答えを知ってたりしてな
まあどっちにしろこれでメシ食ってる連中がいる限り永遠に平行線だな
900 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:34:56 ID:5ltQImid0
>>809 君は阿部比良夫が日本海を船で北上したことも、義経軍が船で屋島につけたこともしらないんだなあ
902 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:35:25 ID:FVOkaYU2O
考古学的にみて、畿内説で振り回した方が、お金になるらしい
903 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:35:29 ID:6uv+YxrvO
904 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:35:29 ID:klglR8P70
>>885 あのう、手紙や旅行と言った、はるか後代になるまで庶民が利用することのないものの話しじゃなくてね。
政府の高官とか、軍勢の話なんですが。
話を反らせるのに必死ですな。
>>890 何故水上に陣を構えたのかってーと
戦略上陸より海のほうが重要度が高かったからだろ。
何の考えも無しに海の上で戦うかw
>>823 これって二世紀の時点で既に九州から東海地方に渡る統一王朝が
あったってことだよな
>>883 全然無理じゃないね。卑弥呼=モモソ姫だとすると、
モモソ姫が瀬戸内海周辺で伝承を残している事とも一致するから。
銅鐸文化?ちょっと今となっては古いかもね。
>>901 その年輪法の元データをちゃんと公開して欲しいんですけどねえ。
909 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:37:00 ID:vrvlkqgH0
中国の正史である『三国志』(魏志倭人伝)や『後漢書』(東夷伝)によると、邪馬台国の成り立ちは、
「倭国には代々男子王がいたが、倭国は争乱状態となった。争乱は何年も続いたが、最終的に邪馬台国の卑弥呼を倭国王とすることで争乱は収まった。」
とある。
この代々男子王がいたとされるのが出雲で、最初の男子王がスサノオ。
古代日本は、出雲を中心とした、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」=日本であった。
何代目かの出雲の男子王大国主命は、畿内勢力のスクナビコナとともに、「葦原中津国」=日本を平定しようとし始め、
それに対し、アマテラス率いる北九州勢力が抵抗して、「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。
↑これが三国志に記された「倭国争乱」であり、この、アマテラスこそが卑弥呼。
結局、アマテラス=卑弥呼は、大国主命の息子タケミナカタを取り込み、大国主命はアマテラスに、
出雲大社の建設と引き替えに、「葦原中津国」=日本の権力を委譲することを認め、
アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣する。
↑国譲りと邪馬台国の誕生
その後、アマテラス=卑弥呼の死後、次の王に、畿内勢力が男王を立てたが、北九州勢は男王の正統制のなさを提唱して、
卑弥呼の宗女、壱与を女王とし、再び、北九州勢力と畿内勢力の間で緊張が高まり、
出雲に派遣されていたニニギの二人の子も、北九州派と畿内派に分かれ、互いを牽制し出す。
↑
このニニギの二人の子が、海幸彦と山幸彦。
つまり、海幸彦と山幸彦は、卑弥呼のひ孫。
結局、山幸彦で表される畿内勢力が、海神=魏に赴いて事態を告げて、魏は張政を派遣し、檄文で畿内勢力を弾圧する壱与を告諭し、
北九州勢力による畿内勢力に対しての弾圧は終止符をうつ。
海幸彦は山幸彦に服従し、その後、山幸彦は、魏との関係が密になり、魏の要人の娘トヨタマビメと結婚して、ウガヤフキアエズという子をなし、
出雲は畿内勢力が実権を握るエリアとなり、それとともに、「葦原中津国」=日本の中枢も次第に畿内勢が占めるようになって、
北九州勢力は一地方勢力へと衰退していく。
910 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:37:20 ID:vrvlkqgH0
ウガヤフキアエズを産んだ後、魏の要人の娘トヨタマビメは魏に帰ってしまい、ウガヤフキアエズは変わりに渡来してきた妹のタマヨリビメ(玉依毘売)に育てられる。
のちにウガヤフキアエズは育ての親のタマヨリビメ(玉依毘売)と結婚し、カムヤマトイワレヒコを産む。
カムヤマトイワレヒコは、畿内勢が実権を握るようになった「葦原中津国」=日本をより良くしようと、北九州勢と相談し、兄とともに、畿内攻略に乗り出し、
畿内勢力は果敢に抵抗し、カムヤマトイワレヒコも苦戦するが、結局破れ、畝傍橿原宮の山麓で即位し神武天皇となる。
↑神武東征
神武天皇の死後、北九州勢力は、神武天皇が北九州に来たときにアヒラヒメ(阿比良比売)との間に作った子、タギシミミを次の天皇にしようと企てたが、
この企みを、東征の際に畿内の豪族の娘との間に作った子、カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が破り、
ここで、「葦原中津国」=日本の中枢は、ほぼ完全に畿内勢が占めることになった。
↑タギシミミの反逆
911 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:37:39 ID:wRp8Ov1FO
鳩山首相は仁徳陵の発掘許可を出すべき
912 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:37:50 ID:klglR8P70
>>900 屋島に船を使わないで行く方法があれば教えてくれ。
で、そういった所以外陸を行った理由もね。
>>904 コストが
馬を買う>人を雇う
であった日本において、仮に馬を活用しても
人間を使うより僅かの効果しか出ない。
つまり、馬がいてもいなくても大勢に大きな影響は出ないって事だよ。
そんな事も判らんかなw
914 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:38:21 ID:WYl9a4jC0
915 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:38:27 ID:cSXsk9Uw0
俺も昔は九州説に洗脳されてたっけww
>>892 その古墳の年代に疑問があるな。
>>1の記事みたいに近畿説に便利な年代測定ばっかり。
917 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:39:15 ID:EY+cI/JzO
>>718 そんなに航海技術が高いはずない。ずっと後に唐の技術を取り入れて遣唐使船をしたてても難破続出なんだからね。
同時期バイキングの航海技術はヨーロッパからロシアまで支配し、北アメリカ大陸まで到達した。
日本の航海技術なんかとるに足らない原始人。
考古学的にはほぼ機内なんだよな?
魏志の記述は置いといて
金印はどうなる
陸行1月と言っても当時は裸足だぞ。道も舗装されてないし、1日にがんばって歩いて
2〜3キロってところじゃないかな。一月歩いても伊都国からでは九州から出るのも
無理だぜ
922 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:40:51 ID:klglR8P70
>>913 一体お前は何が言いたいの?
人を走らせて通信をするのか?
それにしても道が必要なんだが。
そんなものが、弥生時代に西日本一帯にあったわけがない。
924 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:41:13 ID:r1xGTavx0
コーエーのロリ卑弥呼が関西弁喋ってたからもう仕方がない
>>894 女王卑弥呼は誰に共立されたんだ?
それに奴国が女王国との境界線で伊都国には女王に従属する王がいる。
つまり北部九州に境界線がある訳で、大分辺りからが
女王国だったと解釈出来るだろ?
926 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:41:27 ID:Nn2VWQqV0
古事記で日本で最初にできた島は淡路島とあるので淡路島は歴史的に重要
なのかもしれない。
927 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:41:55 ID:FVOkaYU2O
箸墓は台与で間違いないはず、しかしそれを卑弥呼に仕立てあげようとしている、ゴットハンド発動
928 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:42:18 ID:bMsaRPzSO
>>889 コンビニ1店舗の従業員の総勢は大体20人。だがおまえはコンビニに行って20人もの店員が一斉に働いているところをみたことがあるか?
そういうことだ
>>921 そのまえの水行10日を無視してるのは意図的か?
それに、一日2〜3キロしか歩けないなら三国志なんて成立せんわ。
>>915 まあ、昔は巻向が発掘されてなかったんだからしょうがない。
トロイだって発掘されるまで諸説あったらしいし、架空の都市扱いされてたんだからな。
>>922 日本においては人を走らせて通信しても
馬を走らせて通信しても、実質的な効果は大差なく
馬を飼うコストの高さを考えると、むしろ人間を走らせたほうがマシって事。
また、悪路には人間の方が馬よりも強い。
よって、5世紀は馬がいたから統一国家もアリだが3世紀じゃ駄目
ってキミの説は全く根拠が無い、と言いたいのw
932 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:42:47 ID:5ltQImid0
>>890 無理が出てきているよ
西国の平家だから船
義経軍を乗せた船頭も西国人
東国がどうかした?
卑弥呼は男だが
小野妹子は女
日本の常識だから覚えとけな
934 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:43:36 ID:UAFsBlRAO
>>921 常識的に考えて足袋や草鞋を履かなきゃやってられんでしょ そりゃ原始的なものだろうけど
>>929 裸足で山道歩いて見ろよ。1日に何キロも歩けるかよ
足が血だらけになるわ
936 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:19 ID:XE/2ij2n0
>>881 それどころか、宮中では高天原も奈良の葛城山にあるのだと信じていたということだが、
肝心の公家自身が記紀の記述を信じてなかったのだろうか。
937 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:23 ID:fRr7s2isO
>>926 鳴門海峡も明石海峡も潮の流れ速くて、昔の船が航行難しかったなら、
かなり重要かもしれない。
938 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:30 ID:37rGYa4oO
939 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:31 ID:pPBA21Z8O
どうでもいいが、現地の箸墓古墳に『箸墓古墳』って明記されてなくね?
昔行った時迷ってその古墳の周りをぐrぐる回ったことがあるw
>>935 普段裸足で生活している人間と靴で生活してる人とでは
足の裏の皮の厚さが全く違うよ
941 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:51 ID:+lRSWLVP0
もう九州はあきらめた方がいいな。
これ以上ごねると長野と同じ目で見られる。
942 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:44:52 ID:BKX/1YW3O
中国の使者が方角や日数残してるじゃん。
陸続きの他国への使者ならともかく、海を渡る使者は太陽、月、星で方角みれないと
難破して確実に死ぬでしょ。日数に関しては昔の中国も酷い賄賂主義だったから
使者はかなりの接待を受けていて遊んでいた日数をごまかしただけじゃね?
943 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:45:28 ID:klglR8P70
>>931 へえ、それじゃなんで、戦国時代(平安時代末期でもいいが)に、人に乗らずに馬に乗ったのか説明してくれないか?
奈良時代に、駅家に、馬を用意してたのか。
人の方がコストが安く、馬と効果が大差ないなら、なんでそんなことしたの?
944 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:45:29 ID:oXKy9aBF0
なんで裸足限定?
中国の使者が裸足な訳がない。
>>942 中国の史書はよく方向勘違いするって悪い実績があるんだってw
一人アホがいるが、三国志の時代の人間は裸足だったのかよw
947 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:45:52 ID:cSXsk9Uw0
ヒント=トヨ、神武東征
948 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:46:00 ID:6uv+YxrvO
>>936 現代人よりよっぽどリアリストなんじゃねw
俺様が提唱した邪馬台国月面説も、もう無理かな?
九州だとしても、福岡付近じゃなくてもっと南のほうでしょ。
宮崎とか。
この論争は孔明の罠だろう
魏志倭人伝には倭人は裸足だと書いてある。馬もいないと書いてある
移動手段は船か裸足で歩くしかない
邪馬台国がどこかは知らんが…
卑弥呼ってヘルスなら佐賀には実在する(`・ω・´)
955 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:47:07 ID:j9qOKwTR0
例の先生呼んでくるしかない、大発見するために。
大君の系統がある程度固まる前に
王はいたのだろうけど 揉めた時は神託に
よらねばならなかったから巫女がたてられていたんだと思うな
権力者としての女王とはちょっとちがうんじゃないだろうかな
957 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:47:18 ID:dwMq80R8O
箸墓古墳を掘ればわかるんだろう
958 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:47:30 ID:HpVNp+4PO
>>832 つい30年前まで日本の歴史学は出雲の実在を否定するのが主流だった。
遺跡など物証がなにもなかったから。
どっこいそれが出雲地方の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の発見で一気に覆り、
今じゃ出雲実在がほぼ確定されている。
959 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:47:34 ID:EY+cI/JzO
>>773君の記事でも北方モンゴロイドと言っている。
960 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:47:46 ID:pPBA21Z8O
>>935 現代人の基準で考えるなよw
足軽だってほとんど裸足でいくさ行ってたんだぜw
961 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:48:20 ID:oXKy9aBF0
>>958 出雲大社100m説もどうやら真実らしいしな。
962 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:48:30 ID:klglR8P70
足軽が裸足だとか、いうに事欠いて。
>>935 マサイ族にそう言ってやれ。
俺は以前、裸足健康法(と自分で名付けた)で一日5キロくらいアスファルトの路上を走った事があるが、
最初痛くてギクシャクしても、数週間で余裕になったぞ。
なんか足の裏がツルツルになって、靴が履きにくくなったからやめたが。
『邪馬壱国は阿波だった ― 魏志倭人伝と古事記との一致』
>>943 奈良時代の駅家は単に中国の制度を模倣しただけでしょ。
実際実用性が低かったからか廃れてしまい、
その後の日本の歴史で殆ど出てこない。
戦国期は情報の速さが非常に重要だったからな。
多少コストを度外視しても早く情報を得る必要があったのだろう。
いずれにせよ、人が走るのに比べたいして良いものでもないよ
966 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:49:37 ID:tM7gu1W/O
卑弥呼は徐福の子孫
967 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:49:50 ID:iUACrCFCO
アベベを知らない世代も増えたなぁ
968 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:50:03 ID:5ltQImid0
>>912 こだわるねえw
君が無視する阿部比良夫軍の場合は、当時の北陸道は湿地が多くまともな陸路は無かったし、山賊も多かった
船でいく方が早くて安全
で、矢切の渡しは?桑名の渡しは?淀川の船は?
馬主体の東国だけでなんで西国の船にふれないの?
969 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:50:07 ID:fRr7s2isO
>>961 個人的には大陸半島との、光通信の為の施設だと思ってる。
>>961 それが本当に驚きだよ俺は
よくそんなもん作ったもんだよなー
>>928 コンビニと一緒にするなよ。それがまず間違いだ。
1000人代わる代わる交代で世話をしていたのか?
あの狭い敷地だと少人数ずつしか入らないからあぶれまくりじゃん。
普通に考えて1000人も世話人いらないよ。あの敷地面積ではね。
>>935 お前のやわな足じゃあるまいし。
当時でさえ一日20キロは移動しただろ。
九州説は邪魔タイ!
>>943 明治の話だが、長距離で馬車と人力車で競争したら
殆ど同タイムだったなんて話もあるw
>>958 出土された銅剣が殷の銅器に使われてた銅と一致したんだよな。
中国と直接交流してた証拠だ。
はだしで歩いたら慣れるぞ
オレが子供のころは戦後すぐだったから靴とかはいてない奴もいたけど
普通に遠足とか一緒に山を10k以上歩いてたぞ
977 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:51:10 ID:EY+cI/JzO
>>741 ルーツがなんで一つでなきゃならんの?
いろんな勢力が合わさったり、吸収したり。
ルーツは複数あって宇佐もその一つでいんじゃね?
>>925 >>自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
>>次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
>>次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
>>次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
>>次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。
>>此女王境界所盡。其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。
女王国以北については戸数と道里を書けるが、その他の傍国については遠過ぎて詳しい事は
判らない、と書いてある。で、国の名前だけ書いて、その南に女王国に属さない狗奴國がある、
と書いてある。女王国が大分から畿内まで続く国なら、狗奴國はどこになるんだ?
979 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:51:17 ID:klglR8P70
>>965 なに訳の分からない弁解を。
中国ならもっと人の「コスト」は安いだろうw
馬と人じゃ圧倒的に差があるのはしれたこと。山道ならもっとある。
アホウな説をさっさと撤回しろ。
まあ論争は別にして、実際に道の通ってない山の中を移動してみる
くらいしたほうがいいかもな
現代人の感覚で語るのはナンセンスだわ
コンチキ号とまでは言わないがw
981 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:51:47 ID:ioW5hmG0O
>>904>>913 そもそも日本では軍事的にも政治的にも馬の存在意義はほとんどないも同然ですから。
江戸時代の幕府諸藩ですら通信手段は飛脚中心だし。
982 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:51:49 ID:HpVNp+4PO
983 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:53:00 ID:wRp8Ov1FO
ラオスの首都のビエンチャンが「百万=ビエン」「チャン=象」だから北京語では万象
そんな多数の象は実際にはいなかった
魏誌倭人伝の記述も「白髪三千丈」「南京大虐殺死者三十万」と同じくチャイナ的誇張
>>299 聖徳太子の17条憲法の第1条に「和をもって尊しとなす」というのがある。
後世とはいつの時代を意図しているかは知らないが、聖徳太子の時代に
すでに「和」というのは特別な意味を持つ言葉だった。
大和の表記は、それよりも遡ることを考えれば、中国の倭が後世の言葉
遊びで和になったと言うのは無理がありすぎる。
>>979 日中の環境の差がわかってないな。
草原地帯においては馬の食料を確保するのが容易で
育てるのにもほとんどコストが掛からないが
日本のような森林地帯だと、農地を潰して牧草地を作ると言う
非効率極まりない事をしないといけない。
また、そこらへんに生えてる草を食わせとけばいい、ともならない。
モンゴル軍の侵攻が西ヨーロッパまで入り込まなかった
南宋進行も、水軍を入手してからでないと達成されなかった故事はしってるかい?
986 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:54:00 ID:Fxs26PXtO
邪馬台国は九州ニダ!
奈良に謝罪と慰謝料を請求するニダ!
987 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:54:38 ID:HpVNp+4PO
>>980 するのは結構だが、
当時の人間と同レベルのタイムを叩き出す自信があるのか?
向こうは防寒着もなしで剣岳を征服する連中だぞ。
989 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:55:25 ID:klglR8P70
>>968 おいおい、その「渡し」の意味をようく考えるんだw
何から、何へ「渡し」てるんだ?
近畿説の人間がこれほどバカだとは。
>>978 その傍国が女王国なんだよ。
狗奴国は九州南部。もしくはプラス四国、紀伊半島の南側だな。
つまり瀬戸内海組と太平洋側で別れてる事になる。
>>988 なんつーか、文意がとれないばかだね、きみw
994 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:57:51 ID:5ltQImid0
>>989 交通は陸路も水路もどこからどこへのものだろ?
995 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:58:06 ID:ioW5hmG0O
>>974 一般論として、短距離なら馬、長距離なら人が、平地なら馬、山岳では人の方が適していると言われているね。
996 :
名無しさん@十周年:2009/11/11(水) 23:58:25 ID:iMze+32G0
福岡市民にとっては金印が本物で奴国が福岡市周辺であれば邪馬台国はどこでもいい。
ロバ最強説
1000だったら日本人はユダヤ人!
999 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:00:02 ID:Oek47rX70
1000
1000 :
名無しさん@十周年:2009/11/12(木) 00:00:05 ID:Hwtlv/sEO
>>958 出雲大社は空中神殿形式の巨大建築だったらしいね。
テレビでぶっとい柱を観て感動した。設計図残ってたのにも感動した。
1001 :
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