【社会】ミクシィに「ブッ殺す」宅八郎氏書類送検へ…「アキバ系」と評されたことに腹を立て

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58名無しさん@十周年
宅の正体 (以下、転載)

で、上の中森コラムを読めばおわかりだと思うんですが、これがもう身も蓋もない「差別記事」でありまして、
しかしこれが「漫画ブリッコ」という、どう考えても読者の大部分を「おたく」が占めていると思われる媒体で
やったことから、物議をかもしたのでありました。

「おたくの研究」は数回続くんですが、最初のコラムが発表された後、「夏コミに中森明夫が現れたとき、数
十名のオタクに取り囲まれて袋だたきにあった」というデマがまことしやかに流れたこともありました。俺なん
か当時、一瞬信じてしまったくらいなんですけど、これがデマであることは中森氏本人に会ったときに確認し
ています。

ただその後、編集長の大塚さんの意向、というか政治判断(読者批判は困る)で連載が打ち切られたことは
事実です。その後中森君は「おたく」を離れて「新人類」になり、サブカル誌時代の「宝島」で『トンガリ・キッズ』
を連載、『オシャレ泥棒』という小説を発表したり、「SPA!」で「サブカル最終戦争」という特集記事を発表し
て「サブカル」という短縮語を定着させ、「サブカル界の黒幕(笑)」として業界に君臨することになります(ちな
みに「オシャレ泥棒」執筆時、中森氏のアシスタントをしていたのが宅八郎氏。俺は「宅」になる以前の彼(Y君)
に会ってますけど、上から下までアイビー・ルックで決めたオシャレさんでした)。

俺の知る限り、差別用語としての「おたく」も、短縮形の「サブカル」も中森氏の「発明語」で、このふたつが同じ
人間の手で流行らされたというのは、なかなかスゴイ話だと思いませんか。もちろん異論があるのは承知して
るんですが。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_10.html


> 中森氏のアシスタントをしていたのが宅八郎氏。俺は「宅」になる以前の彼(Y君)
> に会ってますけど、上から下までアイビー・ルックで決めたオシャレさんでした)。


「おたく」という造語に成功した中森明夫の下でアシしてたY君が、後に「宅八郎」になるという話。

つまり、マスコミ側の人間が「おたく」という差別語を生み出し、そのアシが「キモオタ」を演じて
いたというオチ。 その宅を利用してたのもマスコミだ。