斎藤次郎(さいとう じろう 、1936年1月15日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
満州・大連市出身。父親は満鉄調査部に勤務していた。
終戦後の1948年に内地に引揚げ、成城中学校から都立新宿高等学校を経て、一浪して東京大学に入学、同校法学部卒業後の1959年に大蔵省入省。
同期に土田正顕(国税庁長官)、大須敏生(理財局長)、日吉章(防衛事務次官)、米倉明(東大法学部教授)ら。
主に主計畑を歩み、大臣官房長、主計局長を経て、1995年5月まで大蔵事務次官を務めた。その政策スタンスは吉野良彦に連なるといわれている。
竹下内閣時代に、時の経世会の小沢一郎内閣官房副長官と出会い、その後も小沢と歩調を合わせた猪突猛進の言動で
大宮敏充のデンスケにちなんで通称「デンさん」ないし「デンスケ」等と呼ばれた。
第2次海部内閣改造内閣時代の1991年1月24日に決定された湾岸戦争への90億ドルの資金供出には、小沢自民党幹事長と共に石油税と法人税の一時的増税で賄ったのに始まり
主計局長在任中の宮沢内閣時代に、小沢自民党幹事長、牧野徹建設事務次官(のちに小泉内閣で内閣総理大臣補佐官)らと練り上げた「国際貢献税」構想を打ち出し
その後の非自民の連立細川内閣時代においても、連立政権のエンジン役を務めた小沢と共に「国民福祉税」構想をぶち上げた。
小沢さんの影響力ぱねぇっす;;