【歴史】源平合戦「逆落とし」に新説 義経は不参加だった

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620名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:39:33 ID:qLagjySb0
義経といえば逆櫓の論だな。 あれは義経のほうが正しいわ。
621名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:41:32 ID:hVlIX/Su0
鹿が下りれるから馬も下りれるって理屈はおかしいだろ
622義経:2009/09/12(土) 00:42:14 ID:sbmH+wSIO
>>617
知らぬ。
623名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:42:37 ID:qLagjySb0
梶原のバカも船に逆櫓をつけろなんて寝言いいやがって、有史以来逆櫓がついた船が
戦争に使われた例がないことを知らないな。逆櫓をとりつけるのにも手間はかかるし
そのぶん船のスピードは遅くなるし、奇襲戦法がメインの義経にとっちゃ、梶原の意見は
愚論としか思えなかったろうな。
624名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:43:49 ID:qLagjySb0
ただ、義経のいいかたが悪い。あんな言い方をすれば梶原は怒る。あたりまえの話だ。
義経も戦術は優れていたんだろうが、学がなかったからなぁ。それで身を滅ぼした。
625名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:47:31 ID:qLagjySb0
義経は逆落としに不参加、その理由は玉葉にのっていなかったから、というのも
理由としては弱いなあ。 玉葉って貴族の日記だろ? 当時の貴族にとっちゃ、源氏の
武士などは、テロリストみたいなもんだったんではないの。 それほど公平に
源氏のことをみていたとも思えないが。
626名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:48:08 ID:38uZcdvz0
日本の歴史上、戦上手と言えばまず義経だよな
627名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:51:19 ID:hZan8Egj0
成功した作戦は、大将の手柄。
失敗した作戦は、部下の先走り汁。

いつの時代もそうでしょう。
628名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:56:07 ID:sP3VEUj10
>>625
逆に言えば源氏はそうだったかもしれんが
平家は天皇を擁して逃げてたし清盛の娘が摂関家に嫁いだように貴族社会入り込んでたから
源平の合戦は貴族にとってもそれなりの関心事だったと思うが
629名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:56:45 ID:diPARe0/0
>>613
弓矢メインなのは同意だけど、>>607の戦法とは懸け離れてない?別の人?
630名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:58:07 ID:DIdL2xbwO
>617
自分は
前九年の役に出てくる
清原氏とともに出陣した出羽橘氏の次郎系の一族という意味の「橘次」か
後三年の役の発端となった
出羽の豪族吉彦氏の次郎という意味の「吉次」
かと思っている。

吾妻鏡でも安藤次など縮めて記載してるのがある。

藤原秀衡のじいちゃんと関わった一族なら、
繋がってもおかしくはない。

炭焼き藤太説もあるが。

とマジレス
631名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:00:21 ID:qLagjySb0
>>628
平氏と違って、源氏は武力行使メインだからね。貴族にしてみれば源平どちらが
テロリストかといわれれば、源氏のほうがテロリストだろう。
632名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:05:13 ID:VOx5SDX10
義経などいようがいまいが勝敗に関係ない。
坂東武者に伊勢平氏のへたれどもが勝てるわけがない
633名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:06:48 ID:diPARe0/0
>>631
でも、平家も法皇との仲が決裂して最後は武力行使に及んでるわけだから
本質的に武闘派であることには変わらんでしょ。
634名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:08:26 ID:qLagjySb0
>>632
兵力の数は平氏のほうが上だったんだろ? 義経が後世まで評価されてるのは
寡勢で多勢を打ち破ったからだね。多勢で寡勢を破っても何の自慢にもならん。
635名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:09:20 ID:3VFBKr3S0
>>630 非常に興味深い サンクス
636名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:11:16 ID:ZsJGp2Hs0
>>613
潮流説とか漕ぎ手を射殺することで義経は不利な戦況を転換させ勝利した、という
見解は現在では否定されている。

合戦の開始前から圧倒的に源氏側が有利、その予想通り順当な形で勝利した、というところ。
637名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:12:26 ID:thtanhZ8O
>>634
その多勢を常に引き受けていた範頼の事もたまには思い出してあげて下さい。
638名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:13:02 ID:qLagjySb0
>>633
これ以上妥協しようがない、というところまで交渉を重ねた末の実力行使であるからね。
最初から有無をいわさず実力行使する、というやりかたではないな。
639名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:13:23 ID:uG9x0guTO
物語を現代訳するとあの那須与一の部分与一は  
「無理っす、あんな小さな的落とせねえっす、マジ勘弁してください」
って言ってるんだっけ
640名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:14:45 ID:3VFBKr3S0
今、鬼一法源が保有していたと言われる兵法虎の巻(六韜三略の虎韜の章)を読んできた。

読んだ結論: 戦局打破には弩と戦車が重要みたいだw
641名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:16:59 ID:qLagjySb0
>>637
源範頼? 超印象うすいなあ。 たまさかにさえ思い出せるかどうか。
642名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:19:52 ID:jjQAdSbD0
結局、範頼も殺されちゃったんだよね。
こうまで身内が信用できない頼朝ってある意味哀れな人だね。
643名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:20:32 ID:MlHsjqj/0
義経って韓民族の血が流れてるんじゃないの?
644名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:22:54 ID:3VFBKr3S0
>>636

そうか。潮流を事前に調べたという話は根拠無しということか・・

俺はサッカーとかで、キャプテンとしてコイントスする際に、
後半の疲れた時に追い風や太陽を背負う陣地になることを
普通に選んでたけどな。相手のミスを誘い易いから。
練習不足やアップ不足の時は逆に前半を堅実な陣地にする。
645名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:31:18 ID:JHaRQp2C0
源義経「ここから突撃しろ」
多田行綱「この崖を降りたら半分死にます」
源義経「半分いれば勝てるから突撃しろ」
多田行綱「わかりました。義経さまの後に続きます」
源義経「麿はここで見てる」
多田行綱「戦わないのですか」
源義経「麿は見届けてから西から回る」

646名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:34:40 ID:OKB5szzAO
>>642
問)自分に自信がなく、家臣たちに自分よりも友人の方が大切か聞いて回る将軍は誰でしょう?


答)源頼朝(皆も殿より友?→みなもとのよりとも→源頼朝)
647名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:38:06 ID:qLagjySb0
平家では義経は常に先陣をきっていたというね。
先陣というのは、敵陣の状況をまっさきに確認して、自軍の進行を制御する役割であり
しかも敵の攻撃をもっとも受けやすいポジだから、技量と判断力が優れていないと
務まらないね。梶原が先陣をやらせてくれといったとき断ったのは、梶原じゃ先陣は
務まらんと思ったからだろう。 ここでも義経は言い方が悪くて、また梶原を怒らせるんだが。
648名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:40:01 ID:VOx5SDX10
当時の戦いは一騎打ちで、武勇に優れた関東武者にへたれ西国兵卒
は組伏せられて次々討ち取られた。
649名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:40:20 ID:L/iNPBlQ0
一方、琉球に逃げ延びた源為朝は
琉球王になったんだろ。
那須与一を超える弓の使い手らしいね。
650名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:45:49 ID:VOx5SDX10
西国には武士団と言っても、荘園の用心棒的無頼の徒が中心で
あり、弓馬の道に励んで鍛え上げた東国の武士団に対抗できる
しろものではなかった
651名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:58:05 ID:zyCPItKi0
聖徳太子は架空の人物だったとか
ひみこなど存在しなかっただとか
近頃の歴史学者には悪意のような物を感じずにはいられない。
652名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:04:13 ID:K4Q4UEUo0
平泉が勝ってればよかったのに・・・
653名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:05:24 ID:diPARe0/0
>>648
それは結果論のような気がする。
為朝だって鎮西で鍛えられたようなもんだし。
654名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:07:05 ID:K4Q4UEUo0
>>2
ぬけないよな・・・
655名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:14:44 ID:1t0UYiUd0
戦略家は無いよなぁ

少数で多数に勝つような作戦立てるのは普通下策だろ
656名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:17:08 ID:VOx5SDX10
為朝は馬上からの弓ではない。
身の丈を超える大弓を徒歩裸足で射るだけ
657名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:23:25 ID:qLagjySb0
逆落としでまっさきに駆け下りたという佐原義連の名前は残ってるね。
やはり何事も最初にやるというのは、名誉なことなのだね。
658名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:28:50 ID:lUm1FmGl0
彼ら開拓武装農民が天下と取ったおかげで日本は良くなったと信じてる
659名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:55:59 ID:qLagjySb0
武士の反乱が成功しなかったら、現代日本は東西格差がひどくて、どうにもならなっかたろうな。
ちょうど経済格差が問題になっている東西ドイツや南北朝鮮半島のようにね。
660名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 03:04:58 ID:diPARe0/0
>>656
『保元物語』では為朝は騎射してるけどね。裸足って何のこと?

>>658
武士が開拓武装農民だってのはずいぶん古い説だね。
661名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 03:57:51 ID:ZsJGp2Hs0
>>644
そのような地の利を生かせるか否かという点では平氏側が圧倒的に有利。

彦島を最後の拠点にしていた平氏にとって、関門海峡は自分の庭と言ってもいいくらいの存在。
兵数では不利でも、狭い関門海峡では源氏側が大軍で包囲し殲滅する戦法はとれないわけで、精鋭軍同士の
正面切った戦いにならざるを得ず、そこに僅かな勝機を見いだす作戦だったのだろう。
662名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 07:58:21 ID:jTbjdtzr0
最近は長篠の合戦でも武田騎馬軍団も鉄砲三段撃ちもなくて
単に織田軍が物量で武田軍を潰したことになっていてツマラン。
663名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 08:05:28 ID:u+5K7ZSG0
いいからしゃぶれ
664名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:05:38 ID:/kId/T1j0
歴史ゴロだなw
665名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:15:07 ID:QT5KKFxC0
>>662
戦いは数だよ、兄貴。
666名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:17:54 ID:my37+/5W0
>>660
まあ、源氏も平氏も血筋をみると申し分ないね。
667名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:21:15 ID:Y5UgGO9VO
なんで壇ノ浦の話を延々としてるんだ?ニュース速+板で書くことか?
668名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:24:34 ID:LMKS8QJX0
>>42
今マガジンに連載されてるのがそれなんだよね。
669名無しさん@十周年
まあ、部隊の責任者なんだから少人数で攪乱目的の別働隊より
正面の主力部隊を率いてた方が自然だわなw