【歴史】源平合戦「逆落とし」に新説 義経は不参加だった
1 :
おっおにぎりがほしいんだなφ ★:
源義経率いる騎馬軍が急坂を駆け降り、平氏の背後から攻め込んだとされる
一ノ谷合戦の「逆(坂)落とし」。奇襲の場所が一ノ谷(神戸市須磨区)か
鵯越(ひよどりごえ)(同市兵庫区)かで長く論争が続いているが、近年
「義経は逆落としに加わっていなかった」とする「不参加説」が現れ、
学界で主流となりつつある。論争を根底から覆す新説の登場に、地元からは
「義経が参加しない逆落としなんて絵にならない」との声も聞かれる。
戦術の奇抜さから“戦略家”義経の象徴とされる一ノ谷合戦の逆落とし。
「一ノ谷説」と「鵯越説」があり、歴史愛好家らが公開討論会を開くなど論争を続けている。
2説があるのは、軍記物「平家物語」で逆落としの起点が「一谷のうしろ鵯越」と表現され、
どちらから攻め込んだかはっきりしないため。一方で、奇襲をかけたのが義経という点で
両説はおおむね一致している。
ところが、滝沢秀明さんが主演した2005年のNHK大河ドラマ「義経」を機に人物像の
再考が進み、義経が海沿いの山陽道を西から攻め込んだとする「逆落とし不参加説」が
現れた。義経軍が二手に分かれ、配下の多田行綱が別動隊となって逆落としを
実行したとする説で、貴族の日記「玉葉(ぎょくよう)」の記述に基づく。
源平合戦史を専攻し、「不参加説」の著作を07年に発表した川合康・日本大教授は
「玉葉は、合戦直後の記述で信頼性が高いが、平家物語は、鎌倉時代に成立した作品で
脚色も多い」と説明。元木泰雄・京都大教授(中世史)も「平家物語では行綱は悪役。
逆落としが義経の功績にすり替えられた可能性がある」と指摘する。
ソース:神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002322730.shtml 一ノ谷合戦の「逆(坂)落とし」 (Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%83%8E%E8%B0%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E9.80.86.E8.90.BD.E3.81.A8.E3.81.97
山下兵衛義経だろ?
↓ 弁慶が一言
義経なら俺の横で寝てたよ
5 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:09:19 ID:Nd4MVyyQ0
とりあえず義経=チンギスハン説をなんとかしろよ
6 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:10:07 ID:/jEShf3J0
談志師匠 涙目www
7 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:10:43 ID:bJ9MIciAO
最近イメージダウンが著しいね。
8 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:11:31 ID:qihR+9Kx0
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1252379868/ 「とっとと出ていけ」「ムリ!!」「見苦しい」「やかましい!!」
衆院の新たな議席配置などを話し合う本格交渉は、8日の衆院各派協議会でスタート。
しかし民主、自民両党の戦いは「控え室問題」ですでにゴングが鳴っていた。
27 :名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 12:28:08 ID:7X7Ex3En0
当初、補修工事に数千万かかるとか言ってたねー
つうか、党の控室って国会の(国)のものでしょ?
数千万もかかるような改造をこの50年の間に繰返してたってこと??
詳しい内訳提示してくれw
つうか、自分らの都合で改造してたんなら党費で治すのが当たり前
税金使うなんてもってほのか
569 :名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 14:53:52 ID:m/UynypS0
>>558 選挙に負けてからの自民党を見てるとおもしろいな。
散々ゴネて人の足引っ張って、引っ張られると、筋だのルールだのと
大声で叫びだす。
君たちの日頃の行いの報いだってw
610 :名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 15:00:15 ID:y4ZAODfC0
いや、ルールを作ったのがゴネていてる自民なんですが・・・
ならその通り守れよって話だが。
責任力なんでしょ?
引越しは、自分ですればただみたいなもの。
というか自分の荷物程度なのに掛かるのがおかしい。
事務所ではなく、国会の控え室であり、そんなに荷物があるわけ無いのに。
落選により解雇しなくてはならない人々を最後に数日雇うだけでも足りるし。
9 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:13:55 ID:3HzA94jTO
メイショウヨシツネだな屎が
10 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:14:20 ID:NwjZ+qBy0
で、モンゴルには渡ったの???
11 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:15:20 ID:btIt6p4zO
どう贔屓目に見ても「戦略家」じゃねえだろ
源義経は在日コリアンです
貴族の日記だって又聞きじゃないの?
信長の比叡山焼き討ちだって貴族の日記と実際はかけ離れてるんだろ。
15 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:18:31 ID:A0IsLk/CO
携帯があったら兄ちゃんと上手くいってたかもね
16 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:19:15 ID:GfWeTtjD0
玉葉って九条兼実の日記だっけ、その当時の公卿の
逆落としもなかった説もあるし、結局写真とか映像とかないからなぁ
17 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:19:36 ID:IPFkSlIpO
菜も食ろう判官義経
源義経は実は朝鮮人だった
という記事かと思った。
19 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:19:52 ID:MCMWHhWf0
騙まし討ちか。
20 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:20:06 ID:mZll6hRYO
当時は卑怯と言われた集団戦法や奇襲は義経が初めて実戦投入で成功させたから戦略家だろ
殺して進ぜよう
ヒョー ヒョー
必殺 旋風剣!
イヤア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!
これで勝ったと思うなよ
22 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:21:05 ID:DWiA9Sk10
出て来りゃ地獄へ 逆落とし
23 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:22:43 ID:zcT5F+c80
800年以上も前の話で本当の結論なんか出る訳ないのに
議論してるのが好きなだけなんだろうな
今さら!
>戦術の奇抜さから“戦略家”義経の象徴とされる
戦術なのに戦略家?
>>20 個別の戦闘行為での勝利ならば、”戦術”家だろ。
28 :
15:2009/09/08(火) 16:25:12 ID:xDM8UWkj0
チョン的思考!。
29 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:25:23 ID:+meDnbUbO
そんな細かい戦術の功名争いより、内政、外交とも優れた統治実績のあった平氏が、
反乱以外、何の能力もビジョンもない無能な源氏に、なぜ負けたか。
これが問題だ。実際、あっという間に源氏は絶えたし。
別に失政のない麻生政権が、政権争いしか興味のない民主に負けたようなもんか…
30 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:25:41 ID:pCR/7lJe0
いずれにしてもポニーで崖下っていったんだろ?
Hassou Beat
めちゃくちゃつよいですハイ
32 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:26:00 ID:PXdKYUjFO
誰も動画撮ってなかったのがマヌケだな
頼朝の戦略眼は異常
34 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:26:54 ID:bgNC8S110
35 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:26:59 ID:IFkNg8wpO
漫画日本の歴史の名シーンが…orz
36 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:27:02 ID:oYMrSTUA0
義経はデッ歯でチビ
寧ろ義経に功績を与えたくなかった輩はたくさんいただろう
>>21 源平討魔伝かあ……。すべてが懐かしい。
俺、あれに、いくら金つかったんだろう。
39 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:27:43 ID:SIgeGGU10
源義経は、中国の兵法書である孫子などから得た知識を元に軍略を立てた、武家と
して最初の「軍師」だった。いわば、「三国志」の諸葛孔明のような才能があった。
義経の他に、「軍師」とよべる才能を発揮したのは、あと一人。桶狭間と長篠の闘
いの時の織田信長。
というわけで、義経が実際の戦闘に出ていなくても、彼の不名誉にはならない。軍
師の仕事は戦場で刀をふるうことではなく、戦略を立て、戦況を俯瞰し、臨機応変
の策を講ずることである。
40 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:27:51 ID:FNH2bcDe0
100年以上前の話はどこまでホントだかウソだかわからん
41 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:28:09 ID:MXV/X/eP0
いい加減にどんなスレにも朝鮮韓国を持ち出すのを止めような。
12とか18のように書き込んだ本人が○キ認定されるだけだから。
>>18 義経は奥州が送込んだ偽弟で、源氏は利用出来るだけ使い、切り捨てた派遣工みたいなモノだ説。
血縁捏造で処刑されたのほうが合点いくな。
43 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:28:48 ID:D0Cd+A5AO
頼朝の妻の戦略眼だろ
44 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:28:52 ID:+1vKmGGz0
鹿も四つ足、馬も四つ足
45 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:28:59 ID:pNIuaibq0
逆落としなんて、日頃訓練してなきゃ出来るわけないし
訓練してたら平家が警戒してないわけない
話を面白くするための創作だろ
>>33 でも不思議なのは何故清盛は源家の嫡男を源氏の地盤である
関東へ流したんだろうな。
47 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:29:22 ID:GfWeTtjD0
>>29 しかも源氏が滅んだ原因は身内殺し、頼朝・義経の代からとかいうわけではなく
八幡太郎義家以降から続く負の系譜だった。どういう結束の緩さだったんだろう…。
48 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:30:15 ID:6Z3vWyKHP
鵯越のどこで戦争するのか聞きたいわ
ド山の中もいいとこだぞ
49 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:30:49 ID:Q0ipOAoi0
玉葉って単なる個人の日記で
その日起こった森羅万象書き留める類の物じゃないだろ
なんで書かれてないことは無かったことになるんだろね
あほすぎ
平家物語とかただの同人誌だろ。
そんな戦いあったのかさえ疑わしい。
51 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:31:11 ID:+meDnbUbO
そんなもん今だって卑怯だ。
朝廷の命令で、従わぬ異民族を討つのが武士本来の仕事。
征夷大将軍に連なる役割なんだから。
武士同士の争いは、禁じられてなくとも、私的な決闘に過ぎない。
私的な決闘を集団戦でやるのは卑怯に決まっとる。
52 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:31:13 ID:mZll6hRYO
戦術を上手に運用するのが戦術家。
戦術を創出するのは戦略家。
53 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:31:17 ID:vpj0kQui0
>>40 お前はあと40年後に
日本とアメリカが戦争した事すら分からなくなるのだろうな
54 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:32:00 ID:25F5pUSD0
反日自虐教育の成果が
こんなトコにもwwww
55 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:32:24 ID:iAb5xwYL0
ヨシツネが真のトモダチです。
56 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:32:40 ID:GfWeTtjD0
>>46 確か育ての親が関東にいたからじゃなかったか?あと人事までは朝廷で
清盛もそこまで立ち入れなかったのかも。頼朝捕まえた時はまだ公卿でも
なかったし。
けど頼朝の同母弟希義は土佐に流されている。こちらも蜂起したが、殺され
ているんだよな。
57 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:33:00 ID:FNH2bcDe0
58 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:33:31 ID:yTjYt4QF0
>>24 右でも左でも社会は変わらない過去の事を、ほじくりかえしてるだけだからね
鎌倉時代は頼朝が将軍になった、いい国つくろうの1192年だと教えられたけど
平家も滅び守護地頭が認められた年の方が、実質的に支配したので1185年が鎌倉時代誕生の年だ
って説も強くなってるらしいが
名目上か実質上で分けるって事だけなのに
鎌倉時代を実質上に変えてしまうと
江戸時代も名目上家康将軍になった1603年を関ヶ原の2000年にするか、豊臣を滅ばした年にするか
でまた揉めるのかね?
59 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:33:44 ID:lwd0skkF0
2000年も昔の話だろ
どっちだっていいよ
義経「おまえら逆落としな。俺は見てるだけにするわ」
ってことかw
61 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:33:46 ID:mLR2SNX70
戦前に軍が大陸に渡った証拠捏造したくらい信じ込まれてる
62 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:33:52 ID:3PBLTs7y0
鵯越の逆落としって言う体位なかった???
関ヶ原の2000年
64 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:34:53 ID:y7MPva3H0
>>49 玉葉の作者は関白九条兼実。
それに当時の日記は「単なる個人日記」ではない。
子孫に伝えるための儀式次第や公務の仕方などが記されてある記録です。
朝廷や摂関に届けられた信憑性のある情報を書き留めたものです。
65 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:35:02 ID:Nv6uW48k0
そりゃ劇画じゃないんだから
大将が突撃してどうするよ
って誰も言わなかったのか
66 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:35:47 ID:sqEPRMBwO
チャージ→ランダマイザ→ヒートライザ→八艘跳び→八艘跳び
67 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:35:57 ID:bAgo4oiy0
歴史上の偉人の価値を貶める事ばかりやってるな、最近の歴史家は・・・
偶には新しい功績でも発見して見ろ
>>33 同盟による統一だったから上下関係が曖昧で、
執権が権力を握ってしまった。
足利幕府も同じような轍を踏んでしまったが、
幾人かの名君により長期政権へ。
でも将軍より巨大な勢力がいくつも生まれ、
より混乱が続いたとも言える。
>>29 歴史は詳しくないんだが、
要は源氏に負けたんじゃなくて北条氏に負けたんじゃないの?
デビューからうまいこと4連続完投勝利したものの5戦目でボコボコにKOされて引退しちゃう投手より、
150敗しながらも200勝積み上げた投手の方が優秀なんじゃねーの?
71 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:36:19 ID:55WOR7ROO
>>49 一の谷にも鵯越にも平家物語に出てくるような坂がないから。
また主戦場との距離から判断すると、やったのなら鵯越だが
義経の部隊は一の谷に展開してるので彼は参加してなかった事になる。
72 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:36:29 ID:I1tll/VsO
行綱がチンギス・ハンだったてことか
義経の武功とされてきたのは、本当は頼朝の武功だった。
だって何もしてない頼朝がトップに座れる訳がないもの。
俺の新説。だれかパクって発表しても良いよ。
どうせ本当のことはわからないんだからどうでもいいじゃん
>>64 信憑性の判断を公家がしているわけだからなぁ
又聞きの情報はとにもかくにも信じられる物ではない。
いろんな信頼できるとされる史料でいっぱい矛盾点はあるわけだから。
77 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:39:38 ID:mZll6hRYO
こんなの匹夫の勇だろ?
で終わり
78 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:39:39 ID:Ok16iPOs0
>>57 映像に残ってても
明確な文書が残ってても
現場の証言どころか、現場に居た人が居ても
戦争話なんて捏造されまくりんぐですよ
南京大虐殺(笑)とか
従軍慰安婦(笑)とか
南京大虐殺(笑)とか
従軍慰安婦(笑)とか
南京大虐殺(笑)とか
従軍慰安婦(笑)とか
南京大虐殺(笑)とか
従軍慰安婦(笑)とか
79 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:39:57 ID:l/STBBQnO
判官びいきが度が過ぎて実像が捩曲げられているんだろう
80 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:41:07 ID:BzV58t6t0
当たり前だろ。
戦闘に参加する大将がどこにいる。
81 :
( ゚Д゚)<ボクメーツ ◆uhiboKUMEQ :2009/09/08(火) 16:41:09 ID:7/sFYpRk0
( ゚Д゚)<40年後
( ゚Д゚)<ホントに
( ゚Д゚)<日本とアメリカが戦争したってのがトリビア化してそうな気はする
いくら昔の馬が小柄とはいえ
馬が傷つくからとかいって馬担いで断崖降りたやつとか人間じゃねえし
日本古来馬で騎馬戦シュミレーションできる筈で。
崖から徐行下りしながら何時間掛けて降りて来た夜襲じゃナイノカ?
其れを大袈裟に脚色した。
兵士はコンビニ店員みたいなモノで、夜襲掛けられたら損得だけで逃げる。
源氏と平家だけで殺し合いしろと逃げるエキストラだったんじゃないか。
>>53 すでに南京大虐殺だの沖縄集団自決とか、改変されているし
当時脅威度としては同じ源氏でも新田の方が高そうだからねぇ。
いまじゃあ新田(笑)だけどw
86 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:42:20 ID:GfWeTtjD0
>>82 畠山も実際は範頼の軍にいたらしいしな
単に二手に分けて攻め入ってた説もあるし
87 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:42:46 ID:4AGLB9JV0
ジンギスカンだろ。
その後コールドスリープで室町時代に目覚め、織田信長として活躍し、
またまたコールドスリープで平成に目覚め、小泉純一郎として活躍した。
政治 戦闘 統率 謀略
1 100 99 2
騎馬軍とか言ってもこの時代のは農耕馬みたいな鈍重な馬しかなかったじゃねえか。数もそんなにそろえられないし
義経が「鹿が行くなら馬でも行けるだろう」と言ったのも作り話だけどな
このスレには誰か実際に参加した奴いないの?
>>67 そんなことはない。
歴史の人物を牧歌的で神話的な天才や英雄ではなく、
苦悩を重ねて実績を作った人間として再評価をする下地を築いているのは彼ら。
最近のバットマンや仮面ライダーも無敵万能な完全無欠のヒーローから、
人間ヒーローへと変貌しているけれど、大人からみてどっちがカッコいいかっていうと後者でしょ?
今大河でやってる直江も実態は相当違う。
92 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:43:58 ID:55WOR7ROO
当時は非戦闘員扱いで射ない事が常識だった水夫を
「あいつらいなかったら舟動かないんじゃね?」
と次々に射殺した義経の純朴さが俺は大好きです。
93 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:43:59 ID:y7MPva3H0
>>76 同時代の記録と、数百年後の物語をくらべたら
同時代の信憑性が高いと判断するのが常識ってことです
>>83 「僕、アルバイトォォ!!」の人の武功も考慮すべきではないだろうか?
97 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:45:04 ID:hnDu5Ij80
イタコに義経に聞いてもらうか、黒柳徹子に教われよ
当時すでにあの髪型だったらしい
98 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:45:27 ID:rUGDKV5c0
輝く太陽、ビキニのねぇーちゃん
ああ須磨の季節ももう終わりだな・・・( ̄△ ̄)y─┛
殺してしんぜられちゃうだろギョエー
100 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:45:35 ID:mZll6hRYO
101 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:45:51 ID:7reUq/kNO
世界で初めて騎馬隊のみによる機動戦だとかなんとか。
103 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:46:17 ID:gm4P8HOxO
義経「打倒!ひらやっ!!」
弁慶「ちょwうぇwwwwそれ「へいけ」なwwwwww」
104 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:46:35 ID:4AGLB9JV0
弁慶との一騎打ちは捏造
川中島の信玄謙信の一騎打ちも捏造
106 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:46:57 ID:GfWeTtjD0
>>90 あの時代の人間から転生した奴ならいるかもなw
>>101 へぇ〜意外だな
三国志の頃にはありそうな気もするけども
110 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:48:06 ID:3FYRqmTu0
もー大変なんですから
111 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:48:21 ID:OBI5ommnO
馬のやつ?
112 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:48:38 ID:VNgd7Pkq0
文系の学者はなかなか注目してもらえないし金儲けも難しい。
だからデタラメでも珍説・新説を出せば多少の注目を集める事が出来る。本も書ける。
史実なんてその時の写真や動画がなくちゃわからないってのもかなり乱暴な見方で、
例えば、軍記類に書かれていることご事実かどうかはある程度他の証跡を探れば裏が取れるよ。
>>69 特定の氏族に負けたんじゃなく、
坂東武者連合に負けたんだよ。
武士の権益を守ってくれる血筋のはっきりした、反乱の旗印にしても
大義名分が立ちそうなヤツなら誰でもよかったんじゃないか?
そして政治力があるやつが結局トップにたったと。
>>81 いまの若いもんは
大東亜戦争があったことすら知らんのが増えてるから
冗談ですまない可能性大。
>>90 実は怖かったから木の陰に隠れてました、ごめんなさい。
117 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:49:17 ID:zrr30N6S0
まだ「絵にならない」とか言ってる程度だからいいけど
どこぞの義士会みたいに忠臣蔵なんてフィクション作品を
真実の歴史と妄信して赤穂浪士はもちろん、
藩をぶっ潰した浅野のバカ殿まで名君扱いしないと
ファビョりまくるようにまでなるからなw
118 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:49:19 ID:v/fKDfJj0
逆落としが史実でないって話は、別に今始まった話ではないんだけど。
>>101 日本で初めてじゃね?
騎馬のみの部隊は、大陸には腐るほど事例がありそうだが。
120 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:49:37 ID:ugE/wVW30
>>46 現時の勢力は本来なら北陸〜越じゃなかったっけ
関東は盗賊やら山賊やらの温床で源氏の落ち武者が逃げ込んだだけだったかと
>>102 滝沢秀明は、森光子の体験談を
役作りの参考にしたらしいぞ
122 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:50:39 ID:SA+20214O
黒塚
123 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:51:11 ID:GfWeTtjD0
>>114 関東武士って大半が平氏系だったもんな、それに流人の頼朝を担いだのも
昔から関東に住んでいた源氏の足利や新田より都に近いし、尚且つ
平治の乱の時の事もあるから、敵討ちという大義名分を付けやすいからな
(でも平治の乱で先に攻め入ったのは義朝だから逆恨みもいいとこだが)
124 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:51:16 ID:8VD8+/Zd0
>>115 学校で教えてないって事か?
馬鹿な大人が増えすぎてるのか?
125 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:51:31 ID:gGjWK8Io0
126 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:52:16 ID:CkeHw7F+O
どうでもいいよな。今さら、大昔の事なんか
127 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:52:21 ID:55WOR7ROO
>>117 赤穂では重税課してた浅野が死んだと聞いて
領民は赤飯炊いて祝ったって話も残ってるのになw
128 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:52:41 ID:7p8+D52u0
てか義経は平泉をぬけだして、3陸海岸を北上し、北海道にわたって、アイヌにひとに和人の文明を教えたんだよね。
スレタイで笑ったw
えー
そんなのやだー
131 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:53:19 ID:sqdxjgqUO
義経=イチロー
非力だがスピード・技術申し分なくカリスマ性がある
誤解されやすい
義経「お腹が痛くなったので休みます」
モンゴルに渡ろうとしたけど嵐に巻き込まれて朝鮮半島に流れ着いたのが義経伝説の真実
134 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:53:36 ID:cwcSguyxO
実はここだけの秘密だが、
頼朝と義経の兄弟喧嘩の原因は静御前の取り合いなんだよ。
日本に騎兵戦術というものは存在しない
>>134 北条 政子
「あ?何だって?一度死んでみるか?」
138 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:55:40 ID:y7MPva3H0
ここだけの話、北条時宗の異母兄がモンゴルで赤マフラーしてたらすぃよ
139 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:55:47 ID:+meDnbUbO
戦争に勝ったことは事実。
それにより平氏の優れた行政実績を引き継いだのも事実。
しかし、所詮は武士の間の内輪争いに過ぎん。
武士政権のオリジナルであり、日宋貿易など実績のある平氏が、
源氏のせいで過小評価されてるのが不思議だ。
140 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:56:50 ID:Bry/qo4A0
馬で崖みたいなところから降りて行くヤツか。
日本の馬は体高が低かったはずだから、案外簡単だったんじゃないかな?
まぁ、この頃、既に義経はモンゴルに行ってたんだろうけど。
141 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:56:56 ID:7p8+D52u0
大河の義経には、オセロ中島が弁慶の、オセロ松島が頼朝の愛人役ででていた。
142 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:57:01 ID:l/STBBQnO
>>117 おそらく事実は先生から厳しい指導を受けたDQNが逆ギレして
親代わりの家老がバカ親よろしく討ち入ったのが真相なんだろうな、忠臣蔵w
事実をそのまま伝えただけならアホっぽいので後世に物語としては残らなかったかもw
>>124 日本史の授業は明治までが基本だからね。
昭和史は流し読みくらいでテストにも出にくい。
まぁ日教組教師にあたれば
南京とか慰安婦とか集団自決とか
別枠でプリント配ってでもやるけどwwwww
>>29 平氏vs源氏というより、中央vs地方って構図の方が近いんじゃないかな。
平家は関東武士団の不満に応えることが出来なかったと。
で、御輿に祭り上げられた源家も平家潰して不要になったらポイ。
地方の不平不満による政権交代と捉えると、先日の選挙に近いものがあるかもね。
145 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:58:56 ID:LqVDlM8j0
>>8 よっぽど悔しかったんだなw
関係ないスレにまで張るってのは。
哀れ過ぎる。
146 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 16:59:56 ID:Bry/qo4A0
>>143 ウソ付け、歴史は近現代がメインだろ?
俺が私立だったからか?
入試は近現代がメインじゃん?
147 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:00:36 ID:LqVDlM8j0
こういう風に今までの定説がひっくり返ると、案外北条政子も実は
可愛げがあった女性かもしれんな。
148 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:01:05 ID:ELggo1Kp0
♪出て来りゃ、地獄へ逆落とし〜♪
>>144 結局政権をとったのは源氏ではなく
元平家であった北条氏というのも
元自民の田中派番頭の小沢一郎が
実権を握っている民主と被るねぇ・・・
150 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:02:16 ID:VSumLPx40
そんな昔のこと覚えてないです
151 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:03:14 ID:GfWeTtjD0
そもそも戦が始まった原因だって、以仁王の反乱
皇族の後継者争いで、庶民が暴動起こしたとかない
それに約二十年間は戦もなかったんだし、平和な時代だったと思うよ
清盛は日本の変革を目指し実行した稀代の英雄
だが彼の死後跡を継ぐものおらず、時流に乗っただけの源氏のせいで歴史の悪役にしたてられた
って内容の本を読んだ
当時の風聞 vs 後世の伝承
どっちもソースが怪しいというw
日本の合戦ものとかの物語の登場人物には、文字通りの一騎当千って無いよな。
三国志辺りだと当千どころじゃ済まないようなのばんばん出て来るんだけどな
155 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:07:18 ID:wGndVlFW0
>>136 あるよ。
戦国時代の合戦では主に下馬して戦っていたが、
騎乗戦闘も行われて威力を発揮してる。
ちゃんと文献に残ってる。
____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ <義経はその時トンスルの飲みすぎで
| |r┬-| | 休息中だったニダ。
\ `ー'´ / 本当は義経は韓国が起源!
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"〜〜``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
源氏は脇役
武士階級は捏造堕落のエタヒニン
捏造に千年振回されて、二十世紀以降科学鑑定入るとファビョル。
朝鮮人と変わらんな。
先祖敬うなら、科学鑑定を否定しては駄目だ。
聖徳太子を殺したあとは義経をヘタレ化か。
誰が何のためにやってるんだろうな?
次は誰だろうな。信長か、博文か。
秀吉なんか真っ先に狙われそうなのになw
>>5 面白半分に言ってるだけなんだから
なんとかしろも糞もないだろw
戦国時代なんてなかった
161 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:12:10 ID:KJg0iABU0
そんなことより徳子とやったのかやってねーのか教えろよ
162 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:12:17 ID:Ia1l6s6TO
太公望の六韜を読んでたんだよね
戦闘に参加してなくても、すごい戦術家であることに変わりはないと思う
戦闘に先頭で参加する名将って、アレクサンダーとかそのへんくらいだろ
>>154 三国志www
創作された物語を元に何を語っているんだ?
165 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:13:47 ID:fU2Yl6rW0
>学界で主流となりつつある
さらっと嘘を書くな
166 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:14:36 ID:KiFQHl830
義経は、軍師みたいので武力はなかったってことか
まあ、弁慶の戦いで勝って仲間にしたわりに
弓引いたりするのが苦手とかちょっと違和感あるからな
167 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:15:14 ID:N9ghizdBO
>>158 義経は奥州藤原氏が送込んだ偽弟の説はどうだ?
使い捨てられた理由がスッキリするんだが。
朝鮮カルトは奥州持ち上げる利点は無いぜ。
168 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:15:41 ID:VWEYlyG+0
>「玉葉は、合戦直後の記述で信頼性が高いが、平家物語は、鎌倉時代に成立した作品で脚色も多い」
宮廷貴族の日記(玉葉)に書かれた源平の戦闘描写の記述が
丸呑みに値するほど「信頼性が高い」のか?
九条兼実は神戸まで足を運んで現場取材したわけでもなかろうによ。
どうかいてあるのか知らんが伝聞である可能性のが高いし
立場上台頭勢力の武士にいい感情持ってなかっただろうし
そのへん割り引いて考える必要はあるんじゃ?
後年成立した「平家物語」だけを引き合いに出しているが、同時代資料の「吾妻鏡」はどう考える?
まあこっちはこっちで鎌倉方のフィルターかかってることを念頭に置かねばならんが。
169 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:17:04 ID:MAIEhvuaO
170 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:17:55 ID:akuFkCZoO
今は知らんが、俺の時の中学の歴史の授業は、
やたらと縄文弥生を丁寧にやってて、
最後は時間なくなって幕末以降なんかやっつけ・・・すらしなかった。
ペース配分考えろよな。
ギシ倭人伝の文章とか何とか古墳とか必死に覚えさせても仕方ねえだろと。
171 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:19:34 ID:A0IsLk/CO
>>146 松方デフレとか、金解禁とか、全部独学
日本史選択したのに高校で習ってない
>>170 法隆寺の塔の配置図とかな〜。
あんなもの覚えてどうするんだと・・・
173 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:20:21 ID:KXmXFWNj0
174 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:20:58 ID:nM1kAq+20
>>170 俺も今は知らんが、それはちょっとひどいペース。
他の教科だとやり残しがあるのはまずいという風潮があると思うが、なぜ歴史に限っては
許されるんだろう。
175 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:22:07 ID:bEQR/xmd0
>>155 騎兵の集中運用なんて思想、日本にあったっけ?
176 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:22:22 ID:Ew4F4HDP0
いつの時代も英雄はねつ造されるものだ。
ヒトラー・スターリン・毛沢東・カストロ・ゲバラ・金正日・鳩山由紀夫・・・
そういえばこの間、イギリスで最後の第一次大戦戦闘参加者のお爺さんが亡くなったな
イギリスではかなり大騒ぎしてて首相まで追悼メッセージ出してたけど
やっぱ生身の体験者がいなくなると、一気に教科書の話になってしまうな
ぎゃ•••逆落し
説によると
近代史をまともに教えると
日教組教師の『日本悪玉論』が破綻するから
わざと明治あたりで終わりにする。
というのと
近代史は賛否両論があり、
日教組系と保守系の教師の
諍いの元になるのであえて教えない。
というのがある。
まぁどっちにしろ思想関連かと。
180 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:25:23 ID:0yUg8llU0
義経といえば志垣太郎
183 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:26:43 ID:4WjMe2jY0
>>170 現代史はやるなと指令が先生方に届いてたからな
君は人にものを教える資格がない人間を先生と呼ぶ時代に育った
敗戦国の哀しさよ
184 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:26:53 ID:mZll6hRYO
1000年後の日本人はmixiブログのキャッシュを元に
史実を判断しないといけないと考えると悲し過ぎるな
185 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:28:08 ID:Ia1l6s6TO
186 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:29:23 ID:iFPdXvCn0
聖徳太子はいなかった説とか、最近日本の偉人を貶めるのが流行ってるの
188 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:31:20 ID:GfWeTtjD0
逆落としはないとかは、かなり昔から言われていたよ
189 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:32:43 ID:2cYW4ZW8O
義経の必殺技、一ノ谷脳天逆落とし!
>>181 集中しすぎてミッドウェーの大敗というのがあるけどね。
戦力の集中自体は正しかったんだけど、
空母一隻あたりの護衛が手薄すぎた。
攻撃力は強いが防御力が無さすぎという
日本らしい戦略。
逆にアメリカは一隻ごとに分散したけど
輪形陣作って一隻当たりの護衛を増やして結果勝利。
>>182 _,,..:--─‐-=,,._
./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
./ミミ/゙ ゙:::゙iミミミ:l
iミミ′: : ..::::_;ミミ;ミ;リ
ヽ,! ゙ .,;;;..'' ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
. } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
. | ヽ .,r ..:::、 ..::::;;;トl;| __________
|.. :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ /
. l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´ < さすがだな!
ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、 \
_,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._
.l゙ ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー `
l .,/;l ,r"
.ヽ /r;:ヘ、 ,,/;''
゙ ''::'`'´ ヽィ::'
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,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
.i;}' "ミ;;;;:}
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|} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| __________
| ー' | ` - ト'{ /
.「| イ_i _ >、 }〉} < 俺たち!
`{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、 .!-' \
| ='" |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
i゙ 、_ ゙,,, ,, ' {
丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ
''"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-
ヽ、oヽ/ \ /o/ |
192 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:33:57 ID:DdeWmcQb0
現在の兵庫区雪御所町あたりにあった平家本陣に、後背地である鵯越から奇襲をかけて
須磨区一の谷まで追い詰めたあたりで「青葉の笛」の話になる流れと聞いたことが
193 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:36:56 ID:N9ghizdBO
>>187 聖徳太子の一族は居たが、
聖徳太子は偶像っていうか、
一族の皇子百年分の功績像と言う説だな。
太子一族が滅亡した時代が百年ずれている。
194 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:37:25 ID:YUP5IA/ZO
源氏方はその時の話ししか残ってなくてつまんないんだよなぁ。
中国地方の片田舎で元々平家の隠れ里だった集落に知らずに入り込んでハッとした時は震えたわ。
目立たない小山の中を削りこんで、どでかい屋敷を多数埋め込む様に建て込んであり、
鬼瓦等各所のこしらえも別格でとんでもない世界だった。
>>187 野口英世は放蕩三昧の詐欺師
チャツプリンはフェラチオ好きのロリコン
エジソンの発明の大半は人の発明を安値で買い叩いたもの。
196 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:40:48 ID:SXynd8cw0
絵にならないってか、親分が参加しないと士気も上がらんのじゃないか?
この時代の合戦は。
近代戦に成ってからだろ?士官が後ろでふんぞり返って、
「代わりは幾らでも居る。ごく潰しは先に死ね!」と成ったのは。
親分が先頭切らないと、子分も付いていかないだろう。
197 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:41:53 ID:NKxL8kpIO
逆落としの坂って斜面角度何度だったの?
198 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:42:16 ID:+meDnbUbO
>>194 それは岩屋造りという修験道の建築で、平氏は勝手に自称してるだけよ。
>>175 騎兵戦術はあったろ。
そもそも、武士とは騎兵を意味していたわけだから。
200 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:45:14 ID:OBI5ommnO
実家が新潟市なんだが
聖徳太子伝説がある
詳しくは知らないが
新潟オワッテルと思った
201 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:45:26 ID:Ia1l6s6TO
>>117 >>142 あれは江戸時代で割と資料がのこってるってこともあって結構解明は進んでるね。
一応、
浅野さんところはかっとなりやすい性格だった?(親戚が似たような事件起こしてる)
吉良さんもちょっと性格に難があった(他の大名家の家老の記録から)
当時から割と賄賂とかの噂はあった(今の週刊誌やネットレベルの話だけど)
当時の武士階級は割と冷たい評価(賛否両論だったり関心薄かったり)
事件記録で刃傷前後の行動や討ち入り前後の行動や服装はほぼ分かってるけど、
それはそれとして、フィクションはフィクションとしてのお約束は取り入れていく。
とか色々。
まあ、平家物語にしても仮名手本忠臣蔵にしても、三国志演義にしても、
「フィクションです」って題名で断ってるようなもんなのに、
そちらが「事実」になってしまうというw
逆に「西遊記」ぐらいぶっ飛んでると、フィクションだと思われるんだけど。
>>196 「バカヤロウ!!、指揮官が真っ先にノーマルスーツを着られるかよ!」
204 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:46:40 ID:JQ7SkV0JO
歴史に異説はつきものですよ。
by ヤン・ウェンリー少佐
義経神話崩壊
206 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:47:40 ID:Izz8HovNO
静はビッチ
207 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:48:39 ID:OrAWkjrPO
貴族の日記ってブログみたいなもんだろ。
もしくは2ちゃんのコピペ。
あまり信憑性があるように思えん。
208 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:48:48 ID:OBI5ommnO
>>204 貴方は生きているうちに伝説になった
(つд`)
209 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:49:23 ID:nM1kAq+20
>>200 聖徳太子と弘法大師の伝説は全国至る所にあるから、
別におわってるわけでもないだろう。
210 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:50:06 ID:StlLD0slO
民主党政権になったら、こんな歴史の出来事ですら評価が変わるんだな
>>196 親分とは士官なのか?
意味が分からん。
軍勢を引き連れている最高司令官自らが先陣切って突撃というのはあまり見ないな。
大名の直臣が陪臣引き連れて突撃する時に、直臣が先頭に立つ例はよくあるけどな。
>>210 日本人がアイディンティを持つような証拠は全て抹消します。
この列島は日本人だけのものではありませんから
>>207 まあ、場合によりけりだね。
明らかに後から見ると間違いだ、って話も書かれてるし。
「〜が死んだという話だ(実は誤報)」
とか。
実際見た話、当事者に聞いた話、一応それなりに確からしいけど伝え聞いた話、
街の噂話、
なんかが混在してるんで、同じ資料でも切り分けて行く必要はあるね。
それでも同じ時代の記録だからね。
214 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:54:57 ID:bEQR/xmd0
>>199 騎兵戦術は、馬に乗ってりゃいいってもんでもないよ。
騎兵の最大にして最高の価値は戦略的/戦術的な速力でな。
その点を理解した運用でないと騎兵戦術とは呼べん。
たとえば高名なモンゴル軍は、優速を生かした騎乗射撃と機動力で敵を崩すのが得意だったし、
中世ヨーロッパの騎兵戦術は、速度を衝撃力に変換してすることに特化した。
どちらも騎兵の集中運用が必要不可欠な戦術であり、日本でそういう話は余り聞いたことがない。
つか、山岳が多く、平野にも森林河川田畑が広がってた日本には向いてないんだが。
215 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 17:55:59 ID:SXynd8cw0
>>187 聖徳太子不在説はキチッてるが、この義経の場合は貶めてるのではないよ。
>>214 騎馬同士の馬上戦闘が日本の合戦の主流だった時代があったのをしらんのか?
馬上戦闘は存在した。当然、それにともない戦術も存在した。
>>196 >>211 この当時の「武士」は、軍組織の司令官って側面もあるし、
一方でヤクザや暴走族の親分的部分や個人的な戦士の側面もあって、
まだまだ未分化だね。
西洋的イメージなら、古代ローマ軍とかじゃなくて、
それに対抗する蛮族の親分的な感じ。
少なくとも戦国時代とかの感覚とは相当異なるよ。
>>214 騎兵を単なる攻撃力が高い部隊としてではなく、
機動力を生かした運用ができた指揮官なんて世界軍事史的にもほとんどいないんじゃないか?
せいぜい、ハンニバル、アレクサンドロス、ナポレオンあたりかと
義経がそこに入ると書いていた本も読んだことはあるがこれが事実だとすると義経はその仲には入らないことになるな
鹿のツノに松明くくりつけて放ったのは別の人か?
聖徳太子を知ってるかと聞かれて
いきなりブチギレしたのって誰だっけ?
>>214 いや、日本でも騎兵の集団運用の例は一次資料でも多数見られるんですよ。
近年の戦国期の研究では黒田氏などが騎馬隊の実在を軍役から割り出している。
鈴木氏の説も一時持て囃されたが、もうあまり説得力は残ってない。
223 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:02:30 ID:JSeIQqzNO
分からない。義経の何がニュースになるの?
225 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:03:43 ID:pulhtcn30
>>1 珍奇な説を唱えて大向こうの喝采を期待する下種の匂いがするぜ。。。
226 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:05:14 ID:gKjlZwnLO
いつの時代も大将は、先陣きらないだろ。
227 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:07:31 ID:SXynd8cw0
>>211 先陣切らなくても戦地で、戦闘集団の中に最高指揮官が居るってのが、大事かな。
口で「死んで来い!」と言われても、「はい。」と言えるのは、生粋の洗脳が必要だし、
恩賞で釣ったそれぞれ色んな背景ある集団の集まりなら尚更かな。
鵯越合戦は源平合戦じゃ、結構重要な一戦だし、義経は現場に居たんじゃ無いかな?
「この崖から降りて背後衝けよ」と言われても、「無茶言うな!出来ねーだろ!」
「うるせー馬鹿、こうやるんだよ!」ってな具合でw
>>226 昔々アレクサンダー大王という人物が居ましてですね…
229 :
エラ通信@現在火病発動中 ◆0/aze39TU2 :2009/09/08(火) 18:07:59 ID:Lih8b86M0
神戸新聞は、聖徳太子はいなかった説の提唱でも知られる。
ともかく日本の歴史にナンクセつけて、日本という国を抹消したいコリアンや
コリアン気質日本人の集まりである『平成朝鮮賊』の本拠地のひとつ。
>>202 吉良家老の仕事は首都京都の朝廷に幕府献上品を贈る仕事。
賄賂うんぬんに関しては幕府献上品予算が足りず、自腹切りもしくは関係部署から裏金集めて工面するのが当たり前だったそうだ。
吉良藩は三河の貧乏大名で、幕府は弱小藩に名誉職押し付けて清貧ぶるのが当然だったらしい。
サラリーマンとは常識が違うので誤解招きやすいが、
公金着服の証拠はひとつも無い。
朝廷相手の名誉職故、武士の面子だけで生きて居た想定され、
朝廷謁見時に傷害事件起して、朝廷謁見中止の不祥事の責任取り解任挙句に浅野家従業員に惨殺された憐れな老人だろうが。
まあ、ザマーミロ吐かす老害被害者は居たとは思うがなwww
231 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:09:59 ID:OPcrVhyD0
ずいぶん昔のことなんだから、いずれにしても結論は出ないだろうな
実在の人物を「創作の登場人物にする」というのは、現代でも行われているし、だれもそれを「史実」なんて思ってないわけで
鎌倉時代の人たちも、同じ感じだったんじゃね?
上杉謙信は女
近頃の中世史は、戦場は略奪を求める雑兵の切ない稼ぎ場だったとか、
騎馬隊は存在しなかったか、聖徳太子は存在しなかったとか、
思想的な偏りを感じる愚説が多いけど、この義経の説については純粋に学術的な判断によるもので、
左翼的な英雄史観の否定などではないよ。
正直に言うと、ずっと 坂落とし だと思っていた。
235 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:12:38 ID:/d/Qhy7p0
>>1 ああNHKか。どうせ日本人を貶めたい朝鮮人学者の説だらう。
もう何を言おうと信用できんよ。
自業自得だなw
NHK解体!
これで勝ったと思うなよ
>>154 そりゃあ、あっちは「白髪三千丈(9km)」の国だもんww
>>233 >戦場は略奪を求める雑兵の切ない稼ぎ場だったとか
妥当な見方だろ、それ
不参加だろうと参加だろうといいじゃないか
義経ら当事者様達が文句言ってるなら別だけどさーw
>>235 NHKとは関係なく、そういう調査報告は以前からあったよ。
これは左翼的歴史観の愚説とは厳別されるもの。
ついでにいうとNHKの出版物にも見るべきものは少なからずありますよ。
内部分裂がヒドいんだろうね。
241 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/09/08(火) 18:18:27 ID:/ussiDSc0
>>1 義経は満州に渡って、ジンギスカンになるのでアリマス
∧_∧
⊂(・∀・)つ-、<これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽノ|:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/______/ | |
| |-----------| |
242 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:20:21 ID:FbLQyTwi0
戦略と戦術いっしょにすんな。
司馬遼太郎涙目wwwww
>>238 雑兵の概念や定義を曖昧にして、
ほんの数十年程度の一時期に注目し、
「みだりに略奪するな」との文書を、
「普段は略奪が許可されていて、主将に上前がはねられていた」などとトンデモ解釈してる、
そんな研究報告を間に受けない方がいいよ。
ちなみにこれを発表した学者は戦国研究の権威だが、
最近は夫婦で左翼運動ばっかりやってる。
>>207 おいおい。昔の貴族の日記ってのは、多くは子孫の為に書かれた宮中作法や伝承を残したもの。
複雑な宮中での行事を間違う事無く、きちんと行える者が高位になる為の絶対条件だった。
ブロクなんてそんな気安いものじゃない。
大抵の高位な貴族や有名な「家」は日記を残してるよ。藤原氏なんて勿論。
子孫に対しての指南書の様なもの。それが当時の日記。だから非常に大事にされた。
>>244 藤木久志でしょ。
でも、乱捕りのことは制札だけじゃなく、ほかの史料にもみえることじゃん。
鹿に乗って駆け下りたとばっかり・・・
あれは楠木だっけ?
>>82 昔の人間は今と比較にならないくらい強かったみたいね。
どこにでもあるけど、力比べ用の石とか大きすぎ。
249 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:29:32 ID:YUP5IA/ZO
>>198 都落ちした平家はお金はあったのでヒッソリとそういう形も多かったかと。
私の家系も平家方でして、京を追われてから能登半島の一角で大きく網元やってました。
自分の家の為だけに寺を建てて坊主を引き抜いてきたり、現代の感覚とはかなりのギャップがあり、自家の歴史だけでもなかなか面白く感じます。
>>233 正確には「その頃の雑兵の略奪が日常茶飯事だったみたい」だし、
「中世ヨーロッパのような騎馬隊は存在しなかった」って話だよ。
戦場が兵士の略奪場なだけな筈も無いし、騎馬武者の存在も殆ど歴史家は認めている。
お前さんが言うような極端な説を唱えてるのは、鈴木眞哉や立花京子なんて電波入った異端ばかりだぜ?
251 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:32:36 ID:2cYW4ZW8O
>>214 戦国時代以前の日本の騎兵って、どっちかっつーと乗馬歩兵に近い用兵が多かったみたいだからな。
当時の日本の馬が小さかったとか日本は山岳地が多くて大規模な騎馬突撃が行い難かったってのもあるが。
騎馬弓兵
死んだじいちゃんが、あの坂を馬で駆け降りた中に
ウチのご先祖様が居たんだよ。とよく言ってたなぁ。
本当かは知らんけど
254 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:38:27 ID:z86QAgizO
ヨーロッパの騎馬兵もかなりグダグダだぜ。
255 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:39:18 ID:ns7zv/Fp0
山野先生が来ないな
256 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:42:07 ID:55WOR7ROO
>>253 初代が服部半蔵と猿飛佐助の娘になってる我が家の家系図よりは
信憑性がある話だな。
歴史は事実を追求し、物語は面白さを追求するんだから、食い違うのが当たり前だよ。
馬に乗って駆け下りる方が絵になるんだったら、物語としちゃそうすりゃいい。
史実と食い違ったって、有名な物語の一シーンって価値は少しも減らない。
258 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:42:35 ID:xYGktJgf0
義経の戦果については過大評価、梶原景時は必要以上に悪く言われてるんだよな。
大体ゲリラ戦ばっかやってた義経があんな大軍を統率管理できるわけないし
>>246 乱取りはあったけれども、藤木氏の場合、
それを指揮官が推奨していたって電波に入ってるのが問題。
藤木夫妻がいうには、秀吉の朝鮮出兵も従軍慰安婦もその体質が産んだんだとさw
サラブレットの原型種みたいな速くて頑強な馬を操ってたマムルークの強さは異常
ああいうのを本当の騎馬隊って言うんだろうな
武田騎馬隊(笑)
日本みたいに山が多くて平地が少ない国は、点を取りあう戦争に特化していくのは仕方がない
ようは城攻めが重要になってくる(ただし運搬に難があって投石機などはほとんど発達しなかった
平野で機動力を生かした馬による戦法ってのは、アラブや欧州で発達した戦い方だ
戦争のやり方に正解はない
>>251 源平合戦当時だと、まだ弓射騎兵の時代でしょ。
>>1に出てる川合康あたりはセミプロが参加するようになって
騎射戦は廃れるようになったと主張してはいるけど、
武具や絵画史料からやっぱり騎射戦がメインだったと
分析する研究者もいる。
>>250 そうなんだけど、学会でもたまにこの電波をそのまま信じて、
議論の前提に持ってくるのが日増しに増えてるんだよな。
市川氏みたいな良心的な学者が疑義を呈してる以外に誰も反論していない。
電波だからと放置しすぎてるw
>>82 腐女子の同人誌なら描ける
つまり、そういうことなんだろうね
>>29 現時は新階層の武士の支持を集めたから勝てたんだろう。
自分たちの手で政治を行っていこうという頼朝のビジョンは、当時としては
抜きん出てるよ。
元々は平氏も武士だが貴族化したので支持を失った。
新階層は今で言う支持政党無しと重なる。
民主党は期待値込みでその層に支持されたんだろうな。
だから支持政党無しの方を見ないで、日教組や労組の既得権組みよりの
貴族政治を行うとすぐに平氏化するよ。
そういや清盛も中国重視だったな。
266 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:50:59 ID:8r49zGmn0
源平というと源平討魔伝しか浮かんでこない
267 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:52:40 ID:Ffh5CDOD0
実行したのは配下の人間だが、作戦自体は大将が指示したとしか考えられない
よって義経の戦術に対する評価が揺らぐことは無い
とか言い出しそう、井沢あたりが
268 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:53:03 ID:mZll6hRYO
中世の馬は小さいと言っても実際に目の前にしたら威圧されるよ。
しかもあんなのに蹴られて死ぬのだけは嫌だ、と思うだけで避けたくなる。
269 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:54:00 ID:wGndVlFW0
>>214 残ってるよ。そういう話し。まさに騎乗のメリットを理解した戦闘。
敵方も脅威として残している。戦国期では珍しかったってのはあっただろうな。
移動用ではなくて騎乗戦闘としての騎馬隊な。
俺も文献名を忘れたから君が頑張って調べろ。
別に不参加でも義経の価値が下がるわけじゃないでしょ
義経の価値は、アレクサンダーやハンニバル以来の騎兵の使い方を変えた点にあるわけで
遥か後方の基地から出撃迂回して主戦場の後方を攻撃するという前例のない騎兵機動の運用に価値があるんだよ
タイムマシンが発明されないと誰にもわからない
研究して何の意味があるのかさっぱり分からん
考古学みたいに発掘して仮説を証明出来るのか?
272 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 18:55:05 ID:A5PFiS3IO
重忠が馬背負った説は?w
>>259 指揮官が推奨してたって見方はべつに電波じゃないでしょ。
藤木が史料として出してる『三河物語』や『永禄伝記』や『甲陽軍鑑』には
乱捕り、苅田、放火が作戦の一環として行われたとあるわけだし、
作戦に支障を来たさない限りは指揮官も雑兵の略奪を褒美代わりに
認めていたんだから。
>>271 タイムマシンなんかなくても信じられるし、
タイムマシンが実在したとしてその仕組みを理解しないまま乗ってそれを信じられるのかい?
例えば核戦争が起きてなぜかあなたの住む市役所の公文書以外すべての記録が消えたとしましょう。
後世の歴史家はその公文書だけであなたの住んだところがどのような政治体制にあり、
いつどのような施策がなされたかを調べることで、
その地域がどのような問題を抱えていたかを割り出し、
ついには国家の輪郭をも明らかにしていくでしょう。
文献史学の分析能力を舐めちゃいけない。
275 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:03:31 ID:1qqkNwZP0
中世の馬は小さかったが人間も小さかったのでバランスはとれている
276 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:04:48 ID:4WjMe2jY0
>>251 >当時の日本の馬が小さかった
馬が小さくなったのは江戸時代
ついでに人間と刀も小さくなったけどな
義経は戦術は得意だったが、朝廷側に良いように扱われた戦略眼の無い男でしたが
278 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:07:57 ID:4AGLB9JV0
>>277 後白河とやりあえたのは清盛1人だけじゃね?
279 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:07:58 ID:GfWeTtjD0
>>277 おまけに鎌倉側からは人望なさすぎだったようだしな
梶原が悪く言われているが、戦についての報告は案外
間違っていないと思う
源範頼
「たまには僕のことも思い出してください・・・」
281 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:08:52 ID:x3ytuuvXO
かっぜっにーなれー
>>273 略奪が主体じゃなくて、戦術の一貫としてそういうものがあり、
略奪も戦争の副産物であって、それ目的に戦争があったわけではない。
そこをうまくすり替えてるのが藤木久志の戦争論。
指揮官は推奨していたのではなく、時々消極的ないし戦術的に許可していただけ。
それをまるで騎馬民族の大移動みたいに見せて、
こんな日本軍だから、国内が平和になると海外に出たのですなどと主張してるんだから、
電波と言わざるをえない。
>>282 近代以前、日本が海外遠征したのってたった二度しかないのにな
支那は支那の文献から拾えるだけでも2000回以上なのに
史実はどうあれ、義経と弁慶の関係が日本人の描く理想の侍像
285 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:23:13 ID:xpTvqKgq0
そんなことより壇ノ浦の海底調査してくれ
286 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:23:34 ID:4AGLB9JV0
源平討魔伝の景清様こそ俺の中のヒーロー
287 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:23:56 ID:55WOR7ROO
>>280 平家の主力を生田の森に釘付けにした手腕と功績は立派なものです。
そのお陰で当初の予定通りにからめ手を率いた義経の迂回戦術が成功したのですからね。
何から何まで義経の功績にされて可哀想な立場だと思いますが
玄人はちゃんと手腕を評価していますので安心して眠って下さい。
平家やら吾妻鏡やらどれだけノンフィクションかもわからないような物から推測するしかないんだもんなー
289 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:27:48 ID:BzV58t6t0
290 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:30:10 ID:MCMWHhWf0
壇ノ浦は、包囲戦で源氏は決戦に出る必要はなかった。
>>20 戦術家な。
>>280 曽我兄弟を使って、頼朝にクーデターを仕掛けたそうですな。
291 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:30:30 ID:Vt2I0BnMO
ちょっくらタイムマシンに乗って本当かどうか見てくる!
でも、「参加した」って意味があるん?
●●城を作ったのは、実は××という武将ではなくて土木作業員、って
主張するのと同じでは?
293 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:32:59 ID:5K+mWQUN0
重忠のお膝元生まれだけど
子供ながらに「馬背負うとかねーよwwww」と思ってたが
やっぱフィクションだったか
五条の橋で弁慶の槍をヒラリヒラリとかわした時も、ワイヤー使ってたっス
295 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:37:20 ID:MCeKrf15O
源義経は韓国系。
なぜなら天皇家が百済人を嫁にしたことがあるから、天皇を祖とする源氏も韓国系。
とすれば、源頼朝も韓国系だから鎌倉市は韓国系により作られたということにもなる。
>>278 後白河とやりあえた人物に、頼朝も入れてもいいような気がする
297 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:41:52 ID:TS9LxMBfO
富士川の戦い
平惟盛「平家の戦闘力は53万(人)です。ですがフルパワーで戦うつもりはありせんのでご安心を」
298 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:42:04 ID:/aphPwSe0
だいたい義経って何人か居たみたいなんだが。
>>289 当時の北海道は中国大陸とつながってた(と思われていた)んだよ
>>291 過去に行っても義経の顔がわからないと探せないぞ
見ず知らずの男に自分たちの総大将を教えてくれると思うか?
>>299 大陸移動説でも繋がってたと証明されてます!
/  ̄ ̄ ̄ \ 「俺は西から攻め込むから、お前は後ろの崖から逆落としな」
/ / vv
| | |
| (|| ヽ _______
,ヽヘ / | >_____ |
/\\ /  ̄ |⌒ v⌒ヽ |__|
/ \\ __ / | .| . ノ )
/ `\| < ` o `- ´ ノ
| ヽ > /
| | l | /▽▽\
源義経 多田行綱
____
\ ───___
<  ̄ ̄ ̄ ̄|
> _________ |
 ̄ ̄ | / \ | |
| /⌒ヽ /⌒ヽ | |
| | ‘ | i ‘ | | |
| ヽ.__ノ ヽ._ ノ レ⌒ヽ
ノ o 6 |
/__ \ _ノ
> ノ
<、___ イ
|───┤
/ |/ \ / \
>>298 とりあえず近江源氏に山本義経ってのはいたらしい
304 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:50:46 ID:4WjMe2jY0
>>295 朝鮮半島の南は倭人が支配していて聖徳太子の時代に完全に手を引いたんだよ
百済は倭人の国
現在の朝鮮人は一部に倭人の血が混ざってるだけで日本とは大きく違う民族だぞ
305 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:51:12 ID:XrWhOqen0
不参加だからといって義経の天才性に変わりは無いだろう。そもそも一の谷
の決戦なんて勝つこと自体が奇跡。屋島と壇ノ浦の戦いだって、どれもこれも
圧倒的不利な条件で連戦連勝してるんだから義経の偉大さを痛感する。
毒舌家の井沢元彦でも義経だけは「軍事に関して言えば日本史上最強の武将」
と評価してるし
306 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:51:53 ID:zdEsnOUz0
だいたい奇襲作戦などしなくても、東国武士団が弱小西国武士団に
楽勝なんだがな。力関係からしたら奇襲すべきは平家の方だ
307 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:54:30 ID:H2nb3Q0AO
学生の頃、中国人留学生に義経の説明をして、
最後に「日本には義経はジンギスカンになったって伝説があるよ」って言ってやったら、
めんたま飛び出しそうなくらい驚いてたよw
308 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:55:17 ID:GfWeTtjD0
>>290 壇ノ浦では安徳天皇と二位尼を自殺に追い込んで頼朝が切れてたらしいしな
おまけに義経軍が攻め入ったから、範頼軍が恩賞の関係で全然だったとか
詳しくなきゃ同名の山本義経なんてまず知らんしな
後世に混同されて手柄奪われた説もあるし
310 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:57:14 ID:szHcjI2t0
憶測でぐだぐだ言ってないで本人に聞け。
311 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:57:52 ID:68xyxi4m0
>>306 そうだっけ?
兵器や運兵なんか、西の方が優れてたんじゃなかった?
東国方が勝てたのは、義経が用いたとされるゲリラ戦術に、
西方がまったく免疫がなかったからだと思ってたが。
>>289 札幌では無いけれど、平取町に義経神社があるよ。
どうやら北海道に落ち延びたそうですw
>>296 丹後局も中々の腕前だと思うww
義経が兄ちゃんを怒らせたのは、敵将の一人・平時忠の婿になったからなんだけどねww
313 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:58:55 ID:55WOR7ROO
>「平家物語」で逆落としの起点が「一谷のうしろ鵯越」と表現され、
源氏物語ではどうなっているんだ?
315 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 19:59:11 ID:ivKZSz0Q0
あんとくさま!
おゆるしを!
チンギス・アハーン
>>295 だから百済と今の韓国(朝鮮)にはまったく継続性がないんだって。
318 :
よしつね:2009/09/08(火) 20:01:19 ID:IS6HaTZU0
IDszHcjI2t0にここに書き込みをするように命じられたんだけど
なんか質問ある?
319 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:02:18 ID:AWmvZPqc0
源平合戦自体が全くの創作という説はどうだ
320 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:02:22 ID:zs48vEOD0
>>304 聖徳大使も倭人でないからな
大陸から派遣された漢字みに達者な色白の大使
派遣員いうところ隠しててるようだね。 やることは冠位十二階とか差別的で外人の発想。
水戸黄門も忠臣蔵も信長の鉄砲3段打ちも江戸時代の小説が元のフィクションです。
諸国漫遊や吉良の大名苛めの証拠はありません。
信長が鉄砲を活用したのは事実ですが、武田の騎馬軍団を退けたのは柵と土塁です。
>>314 お袋の地位が低かったんで、寺に預けられてカマ掘られてたらしいな
324 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:12:49 ID:W0/FyBo20
いまもむかしも部下の手柄は司令官の手柄になるこれ常識
325 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:18:15 ID:uUKVb1390
義経は戦術だけなら諸葛亮を上回るな。
>>320 聖徳大使はペルシャ系って話もあるな
まあ実在についてもいろいろ言われてるがw
327 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:29:07 ID:AVIXIKea0
>>321 あれって築城して待ちかまえてる相手に
寡兵の武田側が無理攻めしたってことなのか?
なんでそんなむちゃな攻撃かけたんだろうな。
328 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:37:05 ID:Ja4246r60
しかしリアルで見てたわけじゃないのに良く語れるわ
参考に一ノ谷の合戦翌日の玉葉の記事を現代語で要約してみました。
*一ノ谷の合戦は寿永三年二月七日のこと
*玉葉の著者、九条兼実は当時、36歳で従一位右大臣
寿永三年二月八日 天晴
未明、人が走ってきて言うには、
「式部権少輔範季朝臣のもとより使いが来て、『この夜半ばかり、梶原平三景時のもとより、飛脚が来て、
平氏は皆、悉く討ち取られた。』と。」
その後、午の刻くらいに、定能卿が来て、合戦の子細を語った。
「一番に九郎のもとより告げ申してきて、(搦手。先に丹波城を落とし、次に一谷を落としたとか)
次に加羽冠者が合戦の様子を申してきた。(大手。浜辺より福原に寄せたとか)
辰の刻より巳の刻に至るまで、一時に満たない時間で、程なく攻め落とされた。
多田行綱は山方より寄せ、最初に山手を落としたとか。
大略、籠城中の者は一人も残らず討ち取られた。但し、もとより乗船の人々は四五十艘ばかりで島辺にあったとか。
しかるに船を廻らすことができなくなったので、火を放って焼死したとか。船には内府等がいたのか。
討ち取った輩の名前は、まだ報告されていないので、わからない。
剣璽、内侍所の安否も、まだわかっていない。」
午の刻:11時〜13時
辰の刻:7時〜9時
巳の刻:9時〜11時
一時:2時間
定能卿:正三位参議左中将藤原定能(37)
式部権少輔範季:藤原範季(54)
九郎:源義経(24)
加羽冠者:源範頼(30代前半)
内府:前内大臣平宗盛(37)
330 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:43:38 ID:4WjMe2jY0
>>327 武田は信玄の死後、度重なる出兵で国が疲弊して人心が離れてきていた状態
そこに決戦を避けていた信長が出てきた
戦を回避すれば更に人心が離れる
それに退路を護る砦を徳川に落とされていたしな
331 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:44:10 ID:VLnQzAQaO
332 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:46:50 ID:68xyxi4m0
>「玉葉は、合戦直後の記述で信頼性が高いが、平家物語は、
>鎌倉時代に成立した作品で脚色も多い」
後者には首肯するが、前者の見解もどうだろう?
333 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:47:02 ID:q/hqqjuP0
夏休みに明石の海を見ながら浸かれる露天風呂のあるスーパー銭湯に行ってきたんだけどさ。
帰りに一の谷を通ったけど、あんなところを海まで馬で駆け下りるなんて不・可・能!
俺も馬を背負って駆け下りてえ!
335 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:53:25 ID:DK04YXTGO
義経って、五条の橋の上で弁慶と闘った牛若丸でしょ?空飛べたんですね まるでピーターパンかスーパーマンみたい。壇ノ浦では八槽跳びの快挙やはり常人に非ず、キャシャーンみたいな感じか
336 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:53:27 ID:ue9xpwvo0
背水の陣と逆落とし
337 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:53:42 ID:q/hqqjuP0
基本的に義経は奥州藤原氏の平泉に居た時代に女真族の友達ができて、その友達が別働隊として逆落としを指揮したんじゃないかな?
日本人があの地形を馬で降りるのは不可能。
現地を見たらみんな納得するはず。
338 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:53:55 ID:pT7FiS/L0
体の使い方さえ知ってれば、目もくらむような崖を
重武装で駆け下りたり出来るんだけどな
俺の場合祖父がそれが出来たので古武術のやばさ認識してる
339 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:56:03 ID:t5FUm7jK0
まったく無名だった義経が源平合戦で一躍全国一の有名人になったのは事実なわけで
340 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:56:08 ID:cLM160Z40
>>334 当時の馬はポニーくらいの大きさだったから畠山重忠が馬を背負って下ったのも
ありえないことではないらしい
341 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:57:04 ID:0to9+1nK0
義経は未来から来たのび太。
のび太と源平大合戦(映)
342 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 20:58:32 ID:q/hqqjuP0
>>340 いやいやw
ポニーって何キロあると思ってるのwww
武将が最前線に立つわけないよね
>>328 いや、リアルに見てないからこそ語れるんだと思うよ。
色々勝手に想像出来るじゃんw
345 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:04:25 ID:u4T9t/UW0
>>人物像の再考が進み
たしか義経ってチビで出っ歯で更に性格ババ色で勝つためには手段を選ばないような
アレでナニなヤツだったから実の兄である頼朝にまで嫌われたって話じゃなかったっけ?
346 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:07:11 ID:pT7FiS/L0
ポニー担ぐぐらい鍛えてる男ならできるだろ?200キロぐらいだろ?
重量挙げみたく上に掲げる必要は無いわけだし
お前らどんだけひ弱なんだよ
347 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:07:11 ID:oJqpWEJd0
ちなみに義経軍は篠山経由なR372
篠山を焼き討ちして社町の三草山で平家軍と戦闘、その後一の谷合戦
> 義経が参加しない逆落としなんて絵にならない
そういう問題じゃないだろ。w
349 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:07:38 ID:mvLRRc8FO
350 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:09:07 ID:QyrXGQJaO
義経が静ちゃんにかけた四十八手の一つね
351 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:11:20 ID:q/hqqjuP0
月映静?
352 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:14:51 ID:kD53gqeD0
義経は平泉から逃げて、中国大陸に渡り、ドルジになった。
353 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:15:42 ID:2HVuqZTwO
日本史上騎馬隊を上手く使いこなせたのは義経だけだって
浪漫満載で秋山兄さんがいう所まで昨日読んだばっかり。
こんなタイミングで新説出した人のばかぁ!!
>>352 そのドルジに師匠と呼ばれる朝潮は偉大。
地元の意見なんぞ知るか。
研究の結果が全てだ
356 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:31:27 ID:yFuCg8TH0
>>64 江戸時代になると、その日の食事内容を書き連ねた日記なんてものもあってそれはそれで面白い。
次の参院選が壇の浦
358 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:35:50 ID:jP/hF+4xO
源義経と山本義経との義経二人説もあるな。二人が同時期に登場することがないとかなんとか
359 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:36:10 ID:lS+EBDad0
いくのはやみろ
360 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:36:13 ID:+WCiHgKH0
361 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:36:26 ID:dyav2pPd0
>>357 義経が鳩山由紀夫?小沢一郎?
頼朝が小沢一郎?鳩山由紀夫?
どっちだw
362 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:39:01 ID:yFuCg8TH0
>>142 赤穂武士が討ち入りしたのは、馬鹿殿の士道不覚悟によって地に落ちた赤穂武士の面目を守るため説がある。
武士が事に及んで殺り損ねるなんてとんだ恥さらしだからねw
幕府が吉良の処置に困ったのは、襲われて生き残ったなんて前代未聞だったから。
>>346 いくら鍛えてても無理だと思うけれどw
ポニーだから分かりづらいと思うが、
ちょっとしたデブ二人担いで動くとかw
>>353 騎馬隊使う必要性がほとんど無いからな。
日本では戦車も発達しなかった。
>>353 騎兵機動の運用と逆落としの場所に居合わせたかは別問題でしょ
366 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:46:15 ID:SLk/AXw40
>>11 戦術と戦略の違いがわからない奴って多いんだよ
マスコミなんか判ってる奴いるのかな
367 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:48:42 ID:4Q5yK5xJ0
玉葉なんて一級品の史料だろ?
そこにそういう記述があるんだったら、「新説」扱いになる方がおかしいわけだが。
てかその記述、直接引用するか
せめて何日条にあるのかを記すとかしてくれよー
>>1 >「義経が参加しない逆落としなんて絵にならない
まあ、たしかにそうだなww
皇国史観の義経はどういう扱いなのかな。
壇之浦で安徳帝を入水自殺に追いやって
三種の神器も喪失させてる訳だが。
見付かったと書かれてるけど、あれ絶対作り直してるだろ?
370 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 21:53:50 ID:ZOFLvnS5O
>戦術の奇抜さから“戦略家”義経の象徴とされる一ノ谷合戦の逆落とし
なんだこの意味不明な文は?戦術と戦略は全く別もんだろうに。
義経が戦略家なわけ無いだろう。だったら上皇の煽てに乗って任官なんてしねえよ(笑
371 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:00:36 ID:LwZGnWOj0
>>369 >あれ絶対作り直してるだろ?
日本神道の考えでは
三種の神器が本物とか作り直しとか関係ないでしょ。
神が宿っていたらいいわけですね。
歴史に忠実な大河ドラマでは、義経は確か最後に白馬になったはず
>>369 悪い平家を懲らしめる良い義経だろうな
安徳天皇は子供だから、善悪の判定からは外れる都合のよい存在
374 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:09:00 ID:NO5z+bWh0
当初、義経は舞子あたりで待ち伏せし、そこで逃げてきた平家軍を挟み撃ちにする計画だった。
丁度、明石海峡大橋付近だ。
北は結構高い斜面で、南は潮流の激しい明石海峡だから、平家軍は逃げ場がない。全滅させることができる。
それが、何をトチ狂ったか、鵯越をやったために半数を逃し、結局壇ノ浦まで逃げられてしまった。
源氏一門にすれば、余計な戦を続けるハメになった。
それから、壇ノ浦では、源氏軍は両岸を押さえていたので、船と岸から矢を射掛けるだけで勝てるはずだった。
だから、八艘飛びも、味方の攻撃の邪魔でしかなかった。
これらは、当然、頼朝の不興を買い、追討を受ける原因の一つになった。
て聞いたんだけど。
375 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:10:06 ID:yXm+OU6W0
馬謖
376 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:11:23 ID:N+4WTcFU0
1の家臣でござる。
この度は殿がかように愚かしき板を立ててしまい、家臣一同お詫びの
言葉もござりませぬ。
殿は先の戦での大敗以来すっかりお心を病んでしまい、昼は村娘をかどわかし、
夜ごと酒を召しては家臣に斬りかかる毎日でござる。 .
奥方様は病で倒れ、折からの飢饉で民は飢え苦しみ、近隣諸国の大名はこれ幸いと
ばかりにわが国との国境を侵し始めている次第にござりまする。
家臣の中にも殿に翻意をいだく者が多く、このままではお家存亡の一大事に
なりかねませぬ。
しかし、ご安心下され。間もなく殿には出家していただく手はずにござる。
殿が寺に向かう途中に手練れの者をひそませ、殿のお命を頂戴する算段が
整っておりまする。その後は殿の甥にあたられる茂名の上(もなのかみ)様を
殿として迎え我ら家臣一同忠勤を尽くす心づもりでござる。
皆様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今しばらくの
辛抱でござる。なにとぞ、なにとぞ殿の此度の所業をお許し下さいませ。
377 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:11:33 ID:zXIbUhpA0
378 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:11:56 ID:1oZbf3rL0
逆落としなどするまでも無く
国道428号線があるんだからそこ通れば簡単に神戸へ出られるだろうが。
義経は日本史最大級クラスの過大評価だもんな
戦略と戦術の区別もつかん奴が記事書いてるのか?神戸新聞は。
381 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:13:19 ID:bEQR/xmd0
おお、案外レス付いたなw
>>224 それは竹崎季長による少数の騎馬を随伴しての追撃戦でしょう。
戦術と呼べるほどのものじゃない。
つか、そういう組織体系がまだないし。
>>222 へー、面白いね。どんな規模で、どんな戦術を用いたのか興味あるなぁ。
多田行綱ちゅうのは摂津源氏、つまり大阪人や!
そして行綱の手柄を横取りしたんは京都生まれで東北育ちの義経、
手柄を認めんかったんは名古屋生まれで関東育ちの頼朝や!!
京都、東北、名古屋、関東…こいつらが大阪に敵対的なんは昔からちゅうこっちゃ!!!
義経は研究されればされるほどたいしたことない感じになるな
384 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:14:46 ID:+eC8btNvO
平教経は一ノ谷で討ち死にしたの?壇之浦で入水自殺したの?
385 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:15:11 ID:t5FUm7jK0
頼朝 「兄より優れた弟など・・・」
経緯は同あれ
結果的負けたのは平氏ってのは変わらないんだろ?
なら別にいいじゃん
387 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:16:11 ID:o735NffnO
ば か め
>>356 俺達のこういった書き込みも何百年後かには歴史的資料になってるかも知れん。
「枕草子」やら「徒然草」なんかだって今で言うブログみたいなもんだし。
>>53 天下人秀吉の指が6本だったかどうかもよくわからん位だし
外国人の記述に頼ってるようじゃな
390 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:19:35 ID:b0yD/RZoO
高時はそうは思わん
義経は架空の人物という説はありますか
392 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:21:43 ID:kLiDeB9N0
馬を背負って下りたのがいたはず。
393 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:24:07 ID:+cYcEhVU0
誰かどこでもドアで現場見に行って来い
>>356 鸚鵡籠中記か!?
>>389 真偽は別にして外人の記述だけに頼る訳でなく日本の史料もあるぞ
396 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:32:09 ID:wnKIieZxO
実は梶原と仲のよかった義経
398 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:33:19 ID:UnCfhpK60
>>395 鸚鵡籠中記ってどんなもんかいな、と思って、Wikipediaを見たが、なんだか、著しくレベルが低いのか
何なのか知らないが、括弧内に2chの書き込みかブログみたいのが書いてある、変な記事だな。
「ちょっと汗・・・」とか何なんだ。
専門家の人、気にならない?
399 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:35:02 ID:KJg0iABU0
>>393 直実が敦盛をレイプしてる場面に出くわしたらどうしてくれるんだ!!
400 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:36:10 ID:3o8o9O3a0
401 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:37:18 ID:VgrAOBPZ0
そもそも急な崖じゃなくて、緩やかな下り坂だったという説も無かったっけ?
402 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:37:56 ID:vX3QknX60
そのころ義経は
福原で・・
義経ってちょっとかわいいからって調子に乗ってるよねー
なんかうざいよねー
404 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:42:52 ID:e0avwNd40
政治を全く理解してない軍事バカだから
軍事の華やかな功績まで削られると、かなり地味な人になっちゃうな。
405 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:45:19 ID:kLiDeB9N0
>>397 大力の畠山重忠は馬を損ねてはならじと馬を背負って岩場を駆け下った。
という伝説あり。
なお、
いわずと知れた畠山重忠の本拠地である旧畠山村にある畠山重忠史跡公園。
一ノ谷の合戦で活躍したとされる馬を背負う畠山重忠の銅像が駐車場の正面に位置し、畠山重忠の墓と伝えられる五輪塔もあります。
つか、たかだか数十年前の話ですら
起源や理由が分らなくなってる事象が多いというのに
なんで数百年前の話を
ぐちゃぐちゃとかき回すかなぁ・・・
「当時の様子はよくわからん。」
でいいんじゃねーの?
佐原義連の名言はどうなるんだ
408 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:51:43 ID:kk5ToBge0
実際一の谷なんか降りれる坂じゃないよ
崖に近い
その点鵯越はまだ谷や尾根がゆるやか
409 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:53:32 ID:J5+FQ0cx0
後に謀反人になった義経を、
多田行綱が「河尻の戦い」で迎え撃ったのも、
この手柄を横取りされた恨みからか?
>>1 >戦術の奇抜さから“戦略家”義経の象徴とされる
戦術の奇抜さから“戦略家”って変だろ。
戦略と戦術がごっちゃになっているのは、大戦中の日本軍と同じ。
所詮、神戸新聞なんてこんなレベルなんだな。
>>406 お前は好きな女の服の中はよく分からん、で済ませられるのw?
412 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:54:33 ID:yTjYt4QF0
>>369 三種の神器は、後醍醐天皇が山ほど偽物つくって
どれが本物かわからなくなってしまったので
義経や平家の罪も軽微されたでしょ
413 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 22:59:03 ID:aWu7NfTI0
義経が不参加と言うより逆落としそのものが無かった
人間が馬を担げるわけが無いだろう
414 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:00:31 ID:oGW5DTYKO
義経はなんで矢鱈といいキャラにされてるの?
顔だってもみあげ縮れたみっともない出っ歯の小男なのに
なんで判押したように美男子ばかりが演じるのか解らない
南無、八幡大菩薩
我が放つ矢、大敵に射当てさせたまえ!!
416 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:04:17 ID:cLM160Z40
江戸時代大奥のある女は牛の角で出来た張り方を牛若と名づけて愛用したそうな…
418 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:07:00 ID:4U4/TudYO
419 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:07:01 ID:W0qR5tSe0
420 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:07:17 ID:tqcrVveR0
呂布とか関羽とかもほとんど神話に近いからw
あんな豪傑いるわけない。
421 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:08:41 ID:kLiDeB9N0
畠山重忠の怪力ぶりはとても有名で、人間業とは思えない力自慢の話がいくつも残っています。
関東随一の相撲取りとの取り組みで、重忠が相手の肩の骨を砕いてしまう話や、一ノ谷の合戦での愛馬を背負って谷を下りてゆく話、
鎌倉の永福寺で庭園造りの際に3mあまりの巨大な石を持ち上げた話などがあります。
422 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:09:12 ID:GfWeTtjD0
>>329 訳ありがとう、式部権少輔範季って蒲冠者の育ての親なんですよね
正しい経由での信頼できる情報だったのかも
巴・山吹もいなかったのか…
424 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:09:52 ID:aWu7NfTI0
>>414 出っ歯の小男は平家物語に書かれてることで信頼性は低い話
425 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:11:39 ID:DbrK1bFgO
>>103 これ弁慶が「打倒、ひらや」だったら
うる星やつらなんだが、知ってる人はかなり少ないと思われw
age
俺のイメージではヘビメタ
429 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:21:48 ID:xgYo3dwhO
>>426 読んだ当時はイミフだったが、中高で日本史の知識つけて「crow義経」が解った俺が通りますよ
430 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:25:27 ID:2cYW4ZW8O
つまりどういうことです?
>>410 文章としてはおかしくない。” ”で区切っている意図をくみ取れないお前がバカ
このスレで、「戦略と戦術の区別が出来ていない」という奴は、底が浅い。
文章としてもおかしいと思う
奇策を用いた作戦を戦略と呼ぶんだと勘違いしてる人多いのかも
434 :
名無しさん@十周年:2009/09/08(火) 23:54:28 ID:4Q5yK5xJ0
>>404 実際は訴訟沙汰の調停をやってまわってたはずだけど
「政治を全く理解してない軍事バカ」って、それこそ平家物語からい出たイメージなんじゃ・・・
435 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 00:17:39 ID:MTVlLBHa0
義経も頼朝も必要なかった。東国武士が団結して上京すれば
平家の武士は恐れおののいて逃げるはず。
結局は源氏は飾り物にされたのだが、実力もないくせに将軍だとか
戦略家だとか、ちゃんちゃらおかしい
436 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 00:32:25 ID:b4Ijk4b90
平清盛とか相当の傑物だけど人気ねーよなぁ。
「殺してしんぜよう!」
438 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 01:29:39 ID:8772Ps+q0
>>436 神戸出身だけど、親しみはあるなぁ。
ちなみに、鵯越墓園にうちの墓がある。
源義経といったらチンギスハーンになった説が有名だよな
あまりに馬鹿馬鹿しいんだけどなんでこんな説が出るようになったんだよww
義経が蝦夷に渡ったという説がたしか江戸時代に流行して、
そこから敷衍して大陸に渡ったという説が出て、さらに明治になって、
ジンギスカンになったという説が出た、と記憶する。
いちおう、その時々の地理的関心には沿っているんだよね。
>>426 「これよりCROW判官義経と名乗ろう」
「なんで英語なんだ?」
442 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 05:46:04 ID:N1jHMVTwO
チンギスハンだったってのは
いつ頃言われ始めたのだろう
>>434 頼朝が頑張って幕府の基礎作りしてる最中に
後白河から役職貰って、頼朝に怒られたら
「私が役職貰えるのは兄上にとっても、源氏にとっても、とても喜ばしいことではないですか。」
とか言っちゃう奴に政治センスは無い。
444 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 06:37:35 ID:8aj6qodp0
>>436 義経の視点だと判官贔屓で悪役にされやすいからでは、あと平家物語の影響かと
でも政治的な才能は勿論評価されているし、鎌倉時代の十訓抄で伝わっている
話に寄れば温厚で情けもあって気遣いができる人物だったみたいだね
1万年と2千年前から愛してるぅ〜 ♪
>>439 庶民に根強い人気があったから
日本人はああいう悲劇のヒーローが好きなんだよ
もっとも江戸時代の日本人も心底信じていたわけではなく
だったりして(笑)
っていうノリで義経伝説を楽しんでたらしい
>>444 そもそも清盛は頼朝始め義朝の子を処刑しなかったんだよな
平家への挙兵に失敗して殺された子はいるが
448 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 07:20:57 ID:lL+XzzOo0
日記ってそんなに信頼していいものなのかな
俺も日記書いてるけど他人に読まれることを想定して
かなり脚色してるぜ
>>447 >平家への挙兵に失敗して殺された
それが土佐へ流刑だった四男希義だったかな?頼朝とは母親が同じで頼朝も
彼の死はとても悲しんでいたらしいね
第一平治の乱の原因は清盛の不在中に藤原信頼と義朝がつるんで、皇族を
監禁したのが原因だし源氏の方が圧倒的に悪いんだよな
清盛を返り討ちしようとして京に舞い戻った長男義平は処刑でも仕方ないが
次男朝長は道中で死亡だし、他は全員生き残っているし
この対処は朝廷からの指示もあるだろうが、成長しても暗殺するとかは
なかったようだし
それなのにその一族平家にあんなことして恩を仇で返すもいいとこだよな
だからろくな頼朝達含めてろくな死に方していないんだよ
あれ?
鹿に乗って下りたんじゃなかった?
違う話だっけ?
453 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 10:38:50 ID:FRBSSxBm0
454 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 11:01:01 ID:2Fs5Os9h0
>>404 物語と史実を混同した典型的な書き込み。
455 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 11:17:22 ID:ANNV7et00
別にいいじゃない
「原爆を落とした大統領」として有名なルーズベルトがヒロシマに居たの?居なかったでしょ!?
456 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 11:23:36 ID:AXYtyr/3O
>貴族の日記「玉葉(ぎょくよう)」の記述
ここテストに出ます!
本文中「貴族の日記」を記述した貴族の名前を答えよ。
>>443 前から疑問だったんだが。
朝廷から官位提供の話が来た時、義経は断る事はできたの?一族の権威を傷つけずに。
状況的に、とりあえず朝廷と仲良しのフリした方が、源氏にとっちゃ得な気がするんだが。
459 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 13:17:46 ID:8iqozP0V0
新興階級たる武士をまったくの牛馬扱いで蔑んでいた、
保守勢力の平安貴族が、その利得までもとことん独占してたんだから、
叛旗を翻す事由としては十分だったろう。
ただ、利得を奪うには権威が必要で、皇の血である源氏は、
(主に)東国の武士としては是非とも必要だったろう。
安泰と思われた旧保守勢力をまんま利用しようとした平家は、
普通に考えれば、極めて賢明な判断だったと思われる。
が、結果は歴史の示す通り。
日本における最初で最後(?)の革命だったかも知れない。
なんで、平清盛は、頼朝を見方が多い東国に流したのかね?
461 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 13:32:59 ID:6NRrx20p0
司馬遼太郎「義経」>吉川英治「新平家物語」>宮尾登美子「平家物語」
462 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 13:36:18 ID:MbqJVtRgO
平家ボーイ
463 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 13:46:46 ID:6NRrx20p0
464 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 13:47:27 ID:2Fs5Os9h0
>>443 有名な「腰越状」も、現在では偽作説が有力視されている。
今回の元記事にコメントを寄せている元木泰雄の『源義経』も、偽作説を支持。
>>461 >司馬遼太郎「義経」>吉川英治「新平家物語」>宮尾登美子「平家物語」
明らかに異質な作品を比較しているよ。
「平家物語」と「義経記」をごっちゃにするようなものだ。
>>453 東海道53次は500キロあり、交替で昼夜を問わず走り続けて届ける飛脚ですら2日半かかっている。
頑張れば7日ぐらいでいけると思うが、5日は現実的ではないよ。
>>443 そうか?
義経の役目は朝廷と頼朝のパイプを太くすることだから理にかなってるぞ。
北条氏的にはマズイことだったんだろうけど。
昔やってたTBSの正月時代劇の義経では、梶原景時は弁慶と相討ちになって死んでた
明智光秀が本能寺で、吉良上野介が松の廊下で殺されるようなモンだ
史実だと信じちゃう視聴者がいたらどうするんだと
>>468 工工エエエエエェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェエエエエエ工工
>>460 清盛と同じ一門の連中に監視&養育させるためだろ?
>>459 東国に土着してたのは平氏だったはずだけど。
>>460 伊豆には伊勢平氏の山木判官兼隆や
平家に好みを通じている伊東祐親がいたし、
相模にはやはり親平家の大庭景親がいた。
平家派
474 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 15:29:52 ID:t6u3iDjZ0
平家は赤ふんどし、源氏は白ふんどし。
山口組など、ヤ行のヤクザは海系・平家のヤクザ。
神戸の港湾労働者を仕切った。
だから縄張りをシマという。
対し、源氏系で畜産に携わる。
>>327 後ろの長篠城を包囲している武田勢が、迂回した織田の別働隊に壊滅させられ背後に回られた。
撤退が不可能なので、正面の織田を打ち破ろうとした。
野戦陣地で阻まれているうちに、敗走が始まり、
逃げる街道で、武田の武将が討ち取られた。
・・・柵の前で討ち取られた武将は少ない。
最近の新説
・桶狭間は奇襲じゃなかった
・秀吉の墨俣城築城はなかった
・長篠の鉄砲三段撃ちは不可能
477 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 16:00:43 ID:8iqozP0V0
>>471 ところが、清盛の隆盛と共に、彼に近しい一門だけが、
京に上がり、同じ系列であった遠い血筋の者たちが
遠ざけられて、冷や飯が余計に冷たく感じられていた。
西に進出した平氏たちは、朝廷との癒着で利得を貪り、
そのうえ、大陸との交渉でさらなる利得と技術を得ていった。
もはや西の一門は、自分たちを完全なる(平氏としての)棄民と判断。
骨肉相食む、非常に厄介な仇敵となっていった。
頼朝を東国に流したのも、清盛のこうした東国の情勢を
よく掴んでいなく、同じ血筋の者が首尾良く始末に及ぶと
勘違いしてしまったため。
478 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 16:09:39 ID:rEpZrmSu0
こんな常識はずれの戦は義経以外の何者でもないだろう
>>458 受けるにせよ、断わるにせよ、鎌倉に相談しないで自分勝手にやったから義経は怒られたんだぞ、理解しているか?
480 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 17:33:17 ID:J9GHpTZY0
>>477 >頼朝を東国に流したのも、清盛のこうした東国の情勢を
>よく掴んでいなく、同じ血筋の者が首尾良く始末に及ぶと
>勘違いしてしまったため。
源家の将軍は三代で終わっちゃったよ
以後実権は平氏一門に
481 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 17:42:20 ID:8iqozP0V0
>>480 そこでいう平氏というのは、清盛利権の派とは違う血筋。
というか、支持母体からして、平氏源氏の枠組みと無縁になっている。
482 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 18:00:06 ID:D/rgowst0
関連本読むごとに清盛が好きになってくるんだが、源氏は何故人気あるのかね
483 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 18:07:59 ID:DcHr7Oyx0
なんで秀吉は家康を強兵で知られる関東に移したのかね
その前になぜ強兵と言われてたのか、を考えてみればいいんじゃね
485 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 18:16:13 ID:ifLvPSX9i
>>472 そうそう。伊豆は平家由縁の神社が多いんだよな。
>>479 返事を待たせるなんて後白河法王をバカにしてると言われたらどうするんだ?
>>465 平家物語だけなら
吉川英治「新平家物語」>>>吉屋信子「女人平家」>>>>越えられない壁>>>>宮尾登美子「平家物語」
488 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 18:49:14 ID:7boHQUad0
「逆落とし」なんて、「比島決戦の歌」しか思い浮かばなかった須磨区民(涙)
ほしゅほしゅ
>>481 同じ血筋と言ったり、違う血筋と言ったり。
支持母体って。
清盛は公家に近い政治の仕方を
頼朝は軍事貴族ではあるが公家に近しくはならず
ってことが云いたいのかなぁ?
わかりぬくい。
492 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 22:19:31 ID:8iqozP0V0
>>491 同じ平家の血筋でも、清盛に近しい者、あるいは政治的に擦り寄った者たち。
頼朝の支持母体とは、皇と関係ない、地の者からの武士階級。
清盛の政治はあくまで、保守勢力を維持するもので、平安貴族から続く、
国家観の薄い己が一族の栄達のみをしか考えない者たちを糾さないもの。
頼朝は清盛と比べて徒手空拳に近い身。
貴族階級の独善的世界観に強い不満を持つ、卑賤の身分をまとめるしか
手はなかっただろう。
鎌倉時代までなのかなあ。
本当に源平に天皇から血筋がつながってるのは。
徳川家康なんか無理矢理「源氏」の血筋で征夷大将軍だろ?
495 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 22:39:20 ID:krMQpA8y0
>>493 そんなことはないんじゃね。
余裕で天皇まで遡れる名家の話しの1件や2件は身近にあるべ。
名跡や家系図の売買とか疑ったらきりが無いし。
家康は知らんけどさ。
496 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 22:59:54 ID:oMgp5JjgO
西から迂回したこれのどこが新説なわけ?
コーエーの女子向けゲームで既に採用されてるルートなんだが…。
>>493 鎌倉、室町、江戸、みたいに区切って考えるのではなく
戦国の百年間で世の中がひっくり返ったと考えたほうがいい。
そこで本当に源氏平氏の血を引いているかどうかなんて問題は
どうでもよくなってる。
誰かが日本国の身代総入れ替えの時代といってたが。
>>494 足利氏は確かに清和源氏の血統だねえ。
今川義元もそうだが。
>>497 やっぱり戦国時代当たりでうやむやになったのかもな
>>482 世界遺産を残す
瀬戸内海航路を支配下に置き、交易を盛んにする
日本に貨幣をもたらす
朝廷を支配下に置く
清盛はすげー奴だよな
500 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:23:58 ID:FRBSSxBm0
有力戦国大名で先祖が皇統かどうか怪しいのは、
上杉、北条、徳川、織田、浅井、朝倉、毛利、島津あたりか?
伊達、佐竹、武田、今川あたりは大丈夫だろ
長宗我部は怪しいけど始皇帝の末裔
501 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:27:25 ID:FRBSSxBm0
すまん。伊達も怪しかったな。
502 :
458:2009/09/09(水) 23:29:35 ID:gzvnmE090
>>479 今なら携帯一発で話がつくけど、当時じゃそうはいかんでしょ。
当時の方面軍司令官は、その程度の裁量を与えられてる筈だし、
裁量を与えないなら予め判断基準を示しとくのがボスの責任でしょ。
つかさ、俺の質問に答えてよ。一族の不利益にならない形で義経は断れたの?
イチローの国民栄誉賞じゃあるまいし、断ったら朝廷にケンカ売る形になるんじゃね?
一方面軍の司令官が勝手に敵を作るわけにはいかんでしょ。
503 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:34:47 ID:JjP/Fz+dO
佐竹は戦国時代に上杉から養子が入っている。
伊達は常陸国の伊佐氏からだから秀郷流の藤原氏かも…。
504 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:38:32 ID:FRBSSxBm0
頼朝と義経が断絶したことが、結果的に、
頼朝の鎌倉幕府設立にプラスに働いてるのが恐ろしい
全て頼朝さんの計算通り
目だった軍功を挙げて、朝廷に後白河がいる時点で
義経の運命は決まったようなもの
505 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:42:12 ID:W66umyAF0
北条の計算通りじゃね
清盛って貨幣持ち込んだから嫌われたんじゃない
507 :
名無しさん@十周年:2009/09/09(水) 23:58:13 ID:kEZBNu7i0
そんなことより、光栄の源平合戦2はいつ出るんだ?
>>502 断れたでしょ。
義経は当時の言葉でいう、ただの御曹司(部屋住み)。
棟梁である兄に断りなく勝手に高い官位を貰える身分ではない。
>勝手に敵を作るわけにはいかんでしょ
頼朝にとってとっくに朝廷は敵だったんだし、「位い打ち」は朝廷の常套手段。
>>508 まあ兄に相談してくらいは言えたかもしれんが
後白河のトークの前にはなあ…相手が悪すぎたとしか
義経を位打ちにするつもりはなかったんじゃないかな
>>492 観念的でワケワカンナイ。
平家は桓武平氏で、源家は清和源氏
清盛は伊勢平氏で維衡の系譜、北条はその弟の維将の系譜
で、清盛は太政大臣として権の頂点に立ったから、公家的なんだな
>頼朝は清盛と比べて徒手空拳に近い身。
>貴族階級の独善的世界観に強い不満を持つ、卑賤の身分をまとめるしか
>手はなかっただろう。
頼朝は源家の棟梁。
平家でいう清盛の立場でそ。
双方とも軍事貴族としての超名門エリートだよ。
だから清盛は同族の監視下に置いて養育させたんだろうに。
512 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 00:12:26 ID:F/GKwbQx0
権力を争うにあたって、人事権が誰にあるかは最重要案件の一つ。
当時権威はともかく権力を掌中に収めようとしていた頼朝にとって、
義経の行為は足元を揺るがす大事件であったはず。
もちろん、後白河もそれを狙って義経に話を持ちかけたことだろう。
言を左右にのらりくらりしておく、あるいは戦の後始末を理由に
連絡が取れない状態にしておくことも出来たろう。
希代の戦術家だった義経だが、残念なことに壊滅的に政治センスが
なかったとしか言いようがない。
513 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 00:21:32 ID:E8faztrx0
そもそも源氏が京へ上がったのは
後白河院幽閉事件で、以仁王の令旨があったからだったっけ?
んで頼政とか義仲とかが暴れまわって、
で、治安があれていたから京に物資が届かなかったと。
そこへパイプ役の義経投入でコネ作りでそ。
もし頼朝・北条が、朝廷の人事権限を閉じるつもりだったなら
最初から義経も切るつもりだったんじゃ?
頼朝側は東国の支配権確立に動いていて、その当時義経って
京都周辺で調停に回ってたんじゃ・・・時期ずれてるかな・・・
514 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 00:27:33 ID:fdyMmY4l0
>>1 >NHK大河ドラマ「義経」を機に人物像の再考が進み、
逆で言っているんだよな?
そうでないなら、あまりにも……
516 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 01:16:55 ID:F/GKwbQx0
時系列がウロなんだけど…以下のようなもんだろうと。
確かに鳥羽幽閉→令旨は、源氏を筆頭とする平氏への挙兵の契機なんだが、
その背景に、麻痺していた国内政治の構築が、頼朝…というより北条を御輿とする
新興階級の間で望まれていたことがあったかと。
義仲なんかだとむしろせいぜい、平氏に代わろう、くらいにしか考えていなかった
みたいで、部下に至っては都の宝(カネ)と女が主目的だった節がある。
で、頼朝が政権を伺うことを朝廷に示すために、動いたんだけど、義経とは
規模や事情が違ってたんで、先行する義経に釘をさすために、お目付けを
数人つけていたらしい。つまり頼朝にとって義経は、朝廷と交渉する…というより
睨みを利かすためのお飾り或いは御輿で、実質的な交渉はお目付けに斥候を
させておいて本格的な交渉を自分で、という思惑があったんじゃないだろうか。
ところが義経という男がアレで…ということではないかと。
因みに。
頼政って、以仁王と共に戦死してなかったか?
平安末期の天皇(法皇)って今とは比べ物にならないぐらい上位の存在だろ。
不作法な東国の武者ならともかく、京育ちで礼儀を知ってる義経には断れないな。
518 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 01:46:49 ID:mFkyU/T+O
受け売りだけど、頼朝は京都の本社から独立して新会社を鎌倉に創ろうとしていた。しかしそれを快く思わない本社の後白河社長は
頼朝の野望を挫くために頼朝のところに行こうとする社員の引き抜きを図った。そして頼朝の弟の義経に目をつけ「義経君、こっちで
働くなら役員待遇のポストをあげるよ」と誘い義経は兄が新会社を創ろうってことを良く理解していなかったためその誘いにまんまと
乗ってしまった。他の部下にも勝手に本社からの誘いには乗るなって言ってたのによりによって弟が本社から丸め込まれたため頼朝に
すればしめしがつかない。それで破局が訪れたのであった…。
ってとこかいな。
安徳天皇という存在があって、(たぶん)本来の血統の以仁王なんかが
立太子すら許されなかった当時にあって、少なくとも源氏平氏クラスに
とっては、顔も上げられないような存在じゃなかったでしょ。
それに義経は、奥州藤原氏が平氏と繰り広げたヒリヒリする政治交渉を
目の当たりにしてるはずで、官位を押し頂くしかないなんてことはないだろ。
頼朝が、平氏討伐に当たって(結果的に一度痛い目に遭ってはいるけど)、
「はいはい、俺、やります」とはならなかったことを考えると、やっぱり
義経は政治的に無能だと思う。
520 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 01:50:41 ID:E8faztrx0
>>516 武士団の形成は全国的なもので清盛以前から。
でもって、武士団が力を持ち始めて混乱した状態になったとき
困ったのって武士団じゃないよね。
武士団ってのは土着した源平らで、所謂一族郎党ってのを形成してた連中
その棟梁が清盛や義朝・頼朝
北条は御輿じゃなくて御輿を担いだ側だろう?
あと、先行していたのは義仲じゃないのかな?
頼朝の東国での支配権確立が同時進行だった気がするけど。
それで義経に行かせたんじゃないのかと。
>>519 頼まれたんじゃないの?公家連中に。
官位を受けてくれって。妹の旦那とか、その娘の旦那とか
小さい頃に世話になった坊主とかに。
そーいや、清盛の嫁になっちった義経のカーチャンってどうなったんだっけ。
522 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:11:52 ID:F/GKwbQx0
>>520 武士階級は、自分たちが苦労して土地を開き耕して生産の根拠地として
日々を過ごしていたのに対して、貴族階級が(彼らからしたら)何の
労苦もなくけっこうな税をもっていって、治安というか政治を放ったらかし。
これは、大きな不満だろう。
で、自分たちの労働に見合う利益を確保してくれる代表として、
源平があり、平氏が勝ったんで、これに大いに期待してたのだけれど、
清盛一党がまったくこの方向に動いてくれず、むしろ貴族のかわりに
清盛一党が自分たちから搾取するのでは、ということになったんだろ。
北条が御輿と書いたのは、土着勢力が頼朝を使い捨てにするつもりだったろうから
「頼朝…というより」と表現したのよ。実際、源氏三代で滅んでも、
北条を糾弾する大きな動きはなかったしね。
義経先行としたのは、自分の手勢が大きくて機動性に欠けていたし、
早目に平氏を完全に沈黙させるために、仕方なく義経を先行させたと。
>>521 それならば尚の事、政治家失格だろ。
>>521 嫁つーか一時的に手つけられただけ
義経、娘と一緒に一条長成と再婚してそこで数人の子を生んでる
義経と異母兄弟は結構仲良いし、義経が平泉に行ったのも義父長成の親戚を頼ってだったので
夫婦仲と義理の親子の仲はそこそこよかったらしい
頼朝やその他の兄弟に比べて義経は恐ろしく恵まれて育ったわけだが
頼朝にしてみればなんで同母弟の希義が死んで、奴婢のガキがこんなでかい面してんの?
という思いもあったのではないかと
524 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:19:21 ID:E8faztrx0
>>522 荘園制度だかなんだかで、領主だか受領だかの取り立てが酷いので
百姓の中の人が朝廷へ受領の行動に関する訴状を送ったりしてたんでそ。
それで管理するお役人が武装しだしたのが武士団の起こりだったはずだけど。
んで地方に土着していく源平らと一族郎党を組んで勢力形成。
つまり搾取されてた側とかいうのでなくて、管理してた中間職と、中央から来た軍事貴族が
組んだ結果、武士団ってのが出来上がったんだと記憶してるんだけど。
労苦・労働って・・・なんじゃいな?
>義経を先行させた
頼朝の代理はあくまで範頼で、義経にはたいした権限はなかったと思う。
だから鎌倉の武将達には軽んじられていたんだろうなあ。
御家人いないし。
526 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:21:50 ID:xAog7JMwP
>>51
おんしはまっこと蝦夷を敵にまわしたぜよ。
527 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:23:20 ID:E8faztrx0
>それならば尚の事、政治家失格だろ。
え、なんで?
>北条が御輿と書いたのは、土着勢力が頼朝を使い捨てにするつもりだったろうから
頼朝可哀想。
528 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:25:29 ID:E8faztrx0
>>525 >頼朝の代理はあくまで範頼
それは軍事でそ。
だから義経は調停事(政治方面)が仕事だったんだってばよ。>朝廷とのパイプ役
529 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:27:47 ID:xAog7JMwP
>義経は調停事(政治方面)が仕事
へー へー へー ∩
>>528 役目逆だった方がよかったのではないかと
531 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:28:51 ID:U7zK/MeT0
平家討伐すんだ時点で無名の田舎侍から全国一のヒーローになったのは事実だろ
むしろ頼朝の方が頭弱そうな感じ
532 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:30:41 ID:xAog7JMwP
でも頼朝より先に出世しちゃって「兄貴を重んじない利己主義者」のレッテルはついたろうね、昔だし。
>>530 大将が義経だったら、みんなが大変だったんじゃ・・・w
534 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:34:28 ID:xAog7JMwP
大将といえば薫大将(光源氏のムスコ
たたかわないで色恋ばかしの大将。「ヨッ大将!」の語源。
535 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:34:33 ID:F/GKwbQx0
>>524 地域によっても差があるのは確かだけど、東国に関して言えば、
地域の豪族が労苦の後に開墾した土地を、中央貴族が黙認する
代わりに、けっこうな税を掻っ攫っていく状況が出来ていた。
そして、耐え切れずに離農或いは棄地した人間たちが
野伏せりとなったり、時には近隣の豪族が土地を収奪する次第となっていった。
これに対して、中央は何の治安維持もせずに税だけを取っていくことに
変わりなく、仕方なく自分たちが武装をし、治安維持活動までやるはめに。
あなたの言うのは、平将門の時代のことでは?
536 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:34:42 ID:E8faztrx0
>>523 長男はいつの時代も大変なんだなー・・・
538 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:36:59 ID:xAog7JMwP
>>536
次男坊のボクが両親の面倒見る流れですが何か。
義経のバックには奥州藤原氏がいたことを忘れてはならない。
頼朝にとっては、同じ弟でも範頼や阿野全成とは脅威度が桁違いだったのだよ!
>>536 頼朝は性格には三男だけどね。
ただ、母親が貴族だから嫡男と見なされていた。
541 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:40:14 ID:xAog7JMwP
>>537
だったら義経討たれないって。内心応援してるよじゃ救えない命がある、知らないの?
奥州藤原氏には、安倍家 アテルイの仇討ちの野心があったろうからね。
>>535 武士の起こりって話だと、たいてい平将門前後にさかのぼるよ。
543 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:48:53 ID:F/GKwbQx0
>>542 将門の時代だと、確かに起こりではあるけれど、
あの「乱」は、東にもう一つの朝廷を立てる、という話だからね。
544 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 02:56:16 ID:E8faztrx0
>>535 だからさ、荘園領主やら受領やらが貪欲にとってっちゃうんで
百姓の中の人が朝廷に・・・って書いてるでそ。
んで荒らすヤツが出るから、荘園だかで管理するお役人が武装する必要が出来て
武士団だってばよ。
えー・・・東国には国司とか荘園領主とかは居ても管理するお役人は居なかったとか
そういうことが云いたいのかな。
なんかヨクワカンネ。
545 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:00:26 ID:udZ3IZoR0
九条兼実もウワサ以上のもので書いているわけでもあるまいて
書いている本人も一ノ谷や鵯越が実際どこにあるのか知らんし
魏志倭人伝の邪馬台国記事と同レベル
546 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:02:25 ID:E8faztrx0
547 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:07:44 ID:V6PBnwDU0
俺は前から疑問だったのだが、
義経は崖の上から奇襲をかけたり当時の
日本武士はかなり軍略に長けてたのに
なぜ、モンゴルが攻めてきたときだけ、1騎ずつ
名乗りを上げて戦う変な戦い方をしたのか全然分からない。
そりゃボコられるだろう。
548 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:08:09 ID:4imFygTFO
ヤリチンなんかどうでもいい
549 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:10:36 ID:V6PBnwDU0
日本って歴史ドラマや映画って内戦の話ばかりでつまらないよ、
外国と戦う話って近代だけだし、
なんで元寇とか白村江とか朝鮮出兵を舞台にした
ドラマや映画がないんだろう。
550 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 03:15:58 ID:F/GKwbQx0
>>544 んー…そうじゃなくて。
むしろ、取り立てのために(つまりは自分たちの職責利益のために)、武装して
今で言う町のゴロツキみたいな集団を形成して、税を取り立ていて、
これに対抗するために、あなたのいう百姓たちが武装したのが、武士。
まあそうして武装した百姓たちが、略奪のほうが楽だわ、ということで暴れて、
これに対抗して出来た武装集団も武士団ということになるけど、いずれにせよ、
政治家でありかつ官僚であるはずの平安貴族が、その職務を放棄して、
自分の懐を増やすことに血道を上げてたことへの大きな不満が、頼朝の
力の源になってるのは確かだろう。
ハナっから管理なんてする気のない奴らが、派遣されてくるようじゃあね。
魔人は暇人
552 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 04:04:29 ID:T08VL2kJ0
それより土蜘蛛退治は事実なの?
554 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 04:28:30 ID:fDdQEgtW0
555 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 04:29:05 ID:kbEwgKvd0
>>553 土蜘蛛退治は源頼光だろ。
義経や頼朝は頼光の弟の子孫。
多田行綱が頼光の子孫だわな。
で、事実じゃなく頼光が死んでから後に作られたフィクションです。
556 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 04:40:56 ID:HGoUQy2/O
>>549 そりゃ大変だろう。日本人目線で脚本書いただけで『日帝軍国主義の残滓が垣間見える』
とか言われちゃうんだぞ。
俺の先祖って元源氏の一族で、源平合戦に参加したらしいな。
それから、とある地方の名家になって、江戸時代には地方地主になっていた。
俺の先祖は何か手柄をあげたらしいぞ。
558 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 05:15:47 ID:Dy9Eje6lO
>>437 三\
/ \
/ ̄\/ \ いやーん
|::::::::::::\ \ いやーん
/\:::::::::::\ \
lll / \::::::::\ \ 三\
\/ \:::::\  ̄ ̄ ̄ / \ だめ
\ / \\ きゃー / ̄\/ \
\ /\__/ きゃー |::::::::::::\ \
\|  ̄ ̄ / ̄\/ \::: \ \
|::::::::::::\ \:: \ \
/\:::::::::::\ \::::\  ̄ ̄ ̄
lll / \::::::::\ \\
\/ \:::::\  ̄ ̄ ̄/
\ / \\  ̄ ̄
\ /\__/
\|  ̄ ̄
559 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 05:44:43 ID:2OngYNIV0
私が子供の頃「鵯越というのは神戸電鉄鵯越駅のことではなくて、今の小野市での出来事」
って聞いて育ったのに。
しょっちゅう説をかえるんじゃないよ。ちゃんと義経本人に聞けばいいことじゃん。
560 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 05:53:13 ID:R/XHFLsd0
源リアムは兄のおかげでいままでが過大評価だっただけだ
は?
>>550 >これに対抗するために、あなたのいう百姓たちが武装したのが、武士。
それさ、室町の「悪党」と間違えてると思うよ。
あとなんつーか、平安貴族の中に荘園領主ってのが居たりして
あと、国衙領がだんだん取られて行って、荘園整理令とかいうのが頻繁に出されてたりしたのとか
全然知らなさそうっつーか
無理やり「平安貴族=搾取する側」「武士=搾取される側」って構図にしようとしてる感じ。
>>557 へぇー、すごいな。
やっぱりお前とか家族や親戚ってカリスマ性ある?
ああいうのは遺伝が大きいだろうからなあ。
564 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 22:08:28 ID:SY38hqkT0
>>547 逆。元をフルボッコにして壊走させてる。
逃げ込んだ船団が台風でアボン。
そんなはずね〜よ
ちゃんと参加したよ
勝手に決めつけるなよ
567 :
名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 23:42:30 ID:cCO+Ha5aO
天狗あげ
568 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 00:12:40 ID:jVXps2rc0
一ノ谷で須磨浦山上遊園の「ドレミファ噴水パレス」を思い出した神戸出身の俺。
569 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 00:13:54 ID:FrAwO3UI0
義経より範頼のほうが手柄は上のはず
範頼の部隊が先に豊後を押さえてたから
平家は逃げ場がなくなって壇ノ浦に水没せざるをえなかった
豊後を押さえなくても壇ノ浦で負けたら再起不能だから同じ
勝負を決するのは平家の主力を捉えて撃破することだから、いくら逃げ道を
抑えても肝心の主力決戦に負けたら意味なし
571 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 00:48:48 ID:t83v2opW0
当時世界最強だったモンゴル軍を打ち破った日本は世界最強
572 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 00:53:23 ID:jVXps2rc0
>>571 つーか直接対決したのはほとんどモンゴル勢以外じゃなかった?
またそういうことを
574 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:01:05 ID:FrAwO3UI0
>>572 南宋だの高麗だのの兵士が多かったみたいだな
元の日本侵攻の真の目的はその連中の処分で
日本占領なんて本気じゃなかったっていう説もあるみたいだな
575 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:01:10 ID:7ktRPOxE0
そういえば、
以前、那須与一も屋島の合戦に参加しておらず
平家が立てた扇の的を射落とした話は後世の創作って話を
何かの本で読んだんだが、
詳しいことを知ってる奴っている?
576 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:01:59 ID:Amf5s+N90
「かかってくるがよい・・・」
577 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:09:37 ID:pHxqwEdQ0
578 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:18:38 ID:pHxqwEdQ0
313 :日本@名無史さん:2009/08/19(水) 10:34:35
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、
「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、水沢の地や山海の洲にも備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません」
という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国を返り討ちにするほどの日本に、
自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
明史・卷三百二十二列傳第二百十外國三
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」
579 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:21:26 ID:brFWt7Mp0
>>578 当時の武士団が今の日本人を見たら怒るだろうな。
というか、一生懸命に日本を守ったんだな。
少なくとも昭和20年8月15日までは。
580 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:22:29 ID:QQwpMB240
>>574 だがその説も今や完全に否定されている。
フビライ・ハーンは二度の日本遠征に失敗しているが、懲りずに三度目の日本遠征軍を莫大な資金を使って準備し続けたから。
これは南宋の水軍や高麗軍が日本遠征で壊滅した後も、新しい遠征用の軍勢を作っている。
結局、準備した軍勢はベトナムなどで起きた反乱鎮圧に転用されたため、3度目は日本の土を踏むことはなかったが
フビライは、死ぬ最後まで日本遠征の準備を進めていた。
581 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:32:44 ID:jVXps2rc0
>>580 ベトナム方面もモンゴル軍は手を焼いていたと聞いたが。
気候風土の違いはどうにもならなかった、と。
582 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:36:08 ID:4aGX2jRTO
義経は女性だろ?
そういうゲームあったし
583 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:40:01 ID:De2xhIjJO
>>580 高麗だっけか?が唆して日本を攻撃させたって話もあるよな。
584 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:40:50 ID:totOssOu0
日本人は神話を歴史と扱っちゃう、どこかの国みたいな民度だからな。
聖徳太子の功績も、聖徳太子とされる人物が生きていた100年も後の
人間が、勝手に作り出した伝説だし、武田騎馬軍団も兵が馬に跨り、戦場を
駆け抜けて、足軽どもをなぎ倒すなんて嘘。当時の日本の馬は、人を乗せて
速い速度で走れるような大型の馬じゃなかった。せいぜい戦場まで荷物を
運べるくらい。日本人の歴史クリエイト振りは、ホントそっくりだよ。連中と。
585 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:43:43 ID:De2xhIjJO
>>584 日帝が神聖大韓帝国を合併なんて出来るはずもないしなww
いいや、こ(1185)うなったらニートやめて幕府作るよ
北条時宗の対応がすぐれてたんでない
日本の外交音痴に容赦ない塩野七生すら時宗のことは褒めてる
当時フビライからの親書に返事をせず、元使を斬り捨てたのは正しかったと
高麗や南宋の例から見て、初めから武力防衛に方向をしぼったのは的確な判断だったと言い切ってる
588 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 01:49:40 ID:pHxqwEdQ0
>>584 モンゴル馬は日本馬と同じ系統で小さいです。
ついでに誰かの抜粋をどうぞ
---------------------------------------------------------
639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610 新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
---------------------------------------------------------
以下どうぞw
面白いです。
戦国時代の馬はポニーサイズ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/678-778
日本の馬って小型だけど、100キロの荷物背負って30度くらいの傾斜はらくらく上り下りできたらしい
逆落としもサラブレッドじゃ無理で日本馬だから可能だったんでない
590 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 02:01:51 ID:sCMX4Lxb0
>>584 >当時の日本の馬は、人を乗せて
>速い速度で走れるような大型の馬じゃなかった。
デタラメだね。
馬格が小さくとも、騎馬に用いるのには全く問題なかったし、
ただ騎乗するだけではなく、遊牧民の騎兵と同様に
自由自在に騎射をこなす者もたくさんいた。
それは残されている絵画史料を見れば明らかだし、
鎧を見れば、それが騎射戦闘に特化した甲冑であることも分かる。
古代ローマ時代のレリーフ見ても、中世のタペストリー見ても、馬より人のほうが背が高く描かれてるもの多いね
現在のサラブレッド基準にしては駄目なんでない
>>589 サラブレッドが軍馬に使えるのかどうか分からないので
なんともいえないが、西欧の騎馬訓練では垂直に近い崖を
駆け下るような芸当もふつうにしていたので、逆落としは十分可能といえる。
中山競馬場で競走馬が転んで足がもげたところ見たことあるんだよね
あれじゃ軍事には使えんね
道産子みたいなのを使うのでは
595 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 02:19:14 ID:QQwpMB240
>>591 もともと、
「この急激な傾斜を降るのは難しくね?」ってところに山鹿が上り下りしているの箇所を見て
「鹿が降れる崖なら、馬だって降れるだろ!」
って強行したからな。まるっきり無謀な場所を降ったわけじゃない。
もっとも、鹿は鯨偶蹄目で峻嶮な場所に適しているのに対し、
馬は奇蹄目で平地に適しているから、馬からしてみれば「馬鹿〜!」とか思っていたかもしれん。
596 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 02:23:38 ID:KCu6r+T40
>>589 日本の馬って実は小型化してるんだそうだ
戦国時代までの日本の馬はモンゴル馬程度の大きさだったらしい
597 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 02:23:41 ID:DwycO6zB0
逆落としといえば馬謖の右に出る物はいないだろ。
598 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 03:02:15 ID:1JQSDmZvO
>>597 あいつは挫折への逆落としじゃろ(-゜3゚)ノ
599 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 03:06:22 ID:SXr/KjWuO
畠山重忠さん…
600 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 03:07:28 ID:w4WXfL8o0
乗用の馬は貴重品、江戸時代でさえ身分のあるものしか乗れない
それを痛めるような事はだれもやりたがらない、
言わばロールスロイスでオフロードをバリバリ走るなんて事をやったのが
鵯越。
軍事の事は軍事のプロに聞いた方が早そうだが。
帝國陸軍でも戦史研究をやっている筈だし、素人歴史学者より真っ当な結論を出しているのではないか。
素人がたまたま当たっているか、大外ししているかどうかは知らんが。
防衛省に資料があるのでは。
603 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 17:25:33 ID:Tu9J7Y2b0
>>602 帝國陸軍の戦史研究
笑止
とは言わんが、少なくとも現実の軍事行動には生かせなかったんだろうね。
604 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 17:29:25 ID:g350k8W8O
今日のノモンハン事件シンポジウム参加者が一言↓
605 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 22:18:53 ID:XilvLWPr0
翔殿、スモックボームを
略術法が無茶苦茶と言おうとしたらとっくに言われていた。
607 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 23:04:46 ID:Nj7//5DV0
中型馬の木曾馬とかも義経軍は使ってたんじゃないの?
義仲討って鹵獲したやつを
集団先方の用兵としての騎馬の使い方は、重さを使った突撃じゃなくて
敵の歩兵集団の防御上の死角や末端に機動力生かして集団で回り込んで
騎射で極所集中攻撃で崩すという戦い方じゃないかな。平地の場合。
で、崩れて浮き足立ったら刀剣振って突っ込み蹴散らし、
逃げる所を背後から追って射掛ける、相手が形勢建て直したら、
また最初の戦術に戻る
608 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 23:12:24 ID:sCMX4Lxb0
歩兵集団とかないです。
刀剣振るって突っ込み蹴散らしとかも時代劇だけです。
>>603 帝國陸軍という言葉に噛み付きたいなら噛み付けばいい。
しかし、日本の古戦研究なんてその辺しか真面目にやってない筈。
私見を述べるなら、義経軍が平家軍の西側に主力を迂回させて退路を断ち、
とどめに別動隊を山側から突っ込ませたとする方が勝てそうな気がするし、
平家軍が海路で四国に渡るしかなかった事の説明も付くと思う。
逆に定説通り義経軍が側面を奇襲しただけなら、混乱はするだろうが西へ逃げられるだろうと見ています。
その辺について軍人さんの意見を聞きたい物だ。
とにかく、文献だけで物を考えるのはセンズリに過ぎないと言いたい訳です。
610 :
名無しさん@十周年:2009/09/11(金) 23:47:00 ID:Nj7//5DV0
>>608 歩兵蹴散らす技は昔の馬術であるよ
回りながら払い斬りするとか
歩兵集団というのは移動時の隊列の延長だよ
陣形までは至らないレベル
歩兵集団がメインになって戦うわけじゃないし、
騎乗の武者もそれらを目標にしてるわけでもない。
俺が当時生きていたら、たぶん、義経は戦術の天才ではなく、ただの卑怯者だと
思ってただろう。
613 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:15:25 ID:3VFBKr3S0
>>611 弓がメインだと自然と集団戦になるよ。1対多の武器だし。
近づいて来る奴を順に射殺すから。やってみれば判るw
そもそも後三年の役の時代から
掃討戦、伏兵、奇襲、包囲戦、兵糧攻めとか
なんでもありだった筈
そういえば壇ノ浦の時に水夫を射掛けさせるという異例の戦術で
戦局を変えたというのは、史実的にはどう解釈されてるのかなー
>>603 鵯越なんて現実の軍事行動にどう生かす気だw
>>614 日本の奇襲好きは、
鵯越と桶狭間にあり。
その延長線上に真珠湾あり!
616 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:27:32 ID:sbmH+wSIO
俺義経だけど質問ある?
617 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:34:16 ID:3VFBKr3S0
弓を主力とする軽騎兵が日本に於ける陸戦の主力だったなどと言うおまえ等の与太話の出所を聞きたい。
馬鹿は休み休みに言え。
槍兵こそ主力。
619 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:38:42 ID:38uZcdvz0
>滝沢秀明さんが主演した2005年のNHK大河ドラマ「義経」を機に人物像の再考が進み
なんか、この時点でいい加減っぽい
620 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:39:33 ID:qLagjySb0
義経といえば逆櫓の論だな。 あれは義経のほうが正しいわ。
621 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:41:32 ID:hVlIX/Su0
鹿が下りれるから馬も下りれるって理屈はおかしいだろ
622 :
義経:2009/09/12(土) 00:42:14 ID:sbmH+wSIO
623 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:42:37 ID:qLagjySb0
梶原のバカも船に逆櫓をつけろなんて寝言いいやがって、有史以来逆櫓がついた船が
戦争に使われた例がないことを知らないな。逆櫓をとりつけるのにも手間はかかるし
そのぶん船のスピードは遅くなるし、奇襲戦法がメインの義経にとっちゃ、梶原の意見は
愚論としか思えなかったろうな。
624 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:43:49 ID:qLagjySb0
ただ、義経のいいかたが悪い。あんな言い方をすれば梶原は怒る。あたりまえの話だ。
義経も戦術は優れていたんだろうが、学がなかったからなぁ。それで身を滅ぼした。
625 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:47:31 ID:qLagjySb0
義経は逆落としに不参加、その理由は玉葉にのっていなかったから、というのも
理由としては弱いなあ。 玉葉って貴族の日記だろ? 当時の貴族にとっちゃ、源氏の
武士などは、テロリストみたいなもんだったんではないの。 それほど公平に
源氏のことをみていたとも思えないが。
626 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:48:08 ID:38uZcdvz0
日本の歴史上、戦上手と言えばまず義経だよな
成功した作戦は、大将の手柄。
失敗した作戦は、部下の先走り汁。
いつの時代もそうでしょう。
>>625 逆に言えば源氏はそうだったかもしれんが
平家は天皇を擁して逃げてたし清盛の娘が摂関家に嫁いだように貴族社会入り込んでたから
源平の合戦は貴族にとってもそれなりの関心事だったと思うが
630 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 00:58:07 ID:DIdL2xbwO
>617
自分は
前九年の役に出てくる
清原氏とともに出陣した出羽橘氏の次郎系の一族という意味の「橘次」か
後三年の役の発端となった
出羽の豪族吉彦氏の次郎という意味の「吉次」
かと思っている。
吾妻鏡でも安藤次など縮めて記載してるのがある。
藤原秀衡のじいちゃんと関わった一族なら、
繋がってもおかしくはない。
炭焼き藤太説もあるが。
とマジレス
631 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:00:21 ID:qLagjySb0
>>628 平氏と違って、源氏は武力行使メインだからね。貴族にしてみれば源平どちらが
テロリストかといわれれば、源氏のほうがテロリストだろう。
632 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:05:13 ID:VOx5SDX10
義経などいようがいまいが勝敗に関係ない。
坂東武者に伊勢平氏のへたれどもが勝てるわけがない
>>631 でも、平家も法皇との仲が決裂して最後は武力行使に及んでるわけだから
本質的に武闘派であることには変わらんでしょ。
634 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:08:26 ID:qLagjySb0
>>632 兵力の数は平氏のほうが上だったんだろ? 義経が後世まで評価されてるのは
寡勢で多勢を打ち破ったからだね。多勢で寡勢を破っても何の自慢にもならん。
635 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:09:20 ID:3VFBKr3S0
636 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:11:16 ID:ZsJGp2Hs0
>>613 潮流説とか漕ぎ手を射殺することで義経は不利な戦況を転換させ勝利した、という
見解は現在では否定されている。
合戦の開始前から圧倒的に源氏側が有利、その予想通り順当な形で勝利した、というところ。
637 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:12:26 ID:thtanhZ8O
>>634 その多勢を常に引き受けていた範頼の事もたまには思い出してあげて下さい。
638 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:13:02 ID:qLagjySb0
>>633 これ以上妥協しようがない、というところまで交渉を重ねた末の実力行使であるからね。
最初から有無をいわさず実力行使する、というやりかたではないな。
639 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:13:23 ID:uG9x0guTO
物語を現代訳するとあの那須与一の部分与一は
「無理っす、あんな小さな的落とせねえっす、マジ勘弁してください」
って言ってるんだっけ
640 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:14:45 ID:3VFBKr3S0
今、鬼一法源が保有していたと言われる兵法虎の巻(六韜三略の虎韜の章)を読んできた。
読んだ結論: 戦局打破には弩と戦車が重要みたいだw
641 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:16:59 ID:qLagjySb0
>>637 源範頼? 超印象うすいなあ。 たまさかにさえ思い出せるかどうか。
結局、範頼も殺されちゃったんだよね。
こうまで身内が信用できない頼朝ってある意味哀れな人だね。
義経って韓民族の血が流れてるんじゃないの?
644 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:22:54 ID:3VFBKr3S0
>>636 そうか。潮流を事前に調べたという話は根拠無しということか・・
俺はサッカーとかで、キャプテンとしてコイントスする際に、
後半の疲れた時に追い風や太陽を背負う陣地になることを
普通に選んでたけどな。相手のミスを誘い易いから。
練習不足やアップ不足の時は逆に前半を堅実な陣地にする。
源義経「ここから突撃しろ」
多田行綱「この崖を降りたら半分死にます」
源義経「半分いれば勝てるから突撃しろ」
多田行綱「わかりました。義経さまの後に続きます」
源義経「麿はここで見てる」
多田行綱「戦わないのですか」
源義経「麿は見届けてから西から回る」
646 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:34:40 ID:OKB5szzAO
>>642 問)自分に自信がなく、家臣たちに自分よりも友人の方が大切か聞いて回る将軍は誰でしょう?
答)源頼朝(皆も殿より友?→みなもとのよりとも→源頼朝)
647 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:38:06 ID:qLagjySb0
平家では義経は常に先陣をきっていたというね。
先陣というのは、敵陣の状況をまっさきに確認して、自軍の進行を制御する役割であり
しかも敵の攻撃をもっとも受けやすいポジだから、技量と判断力が優れていないと
務まらないね。梶原が先陣をやらせてくれといったとき断ったのは、梶原じゃ先陣は
務まらんと思ったからだろう。 ここでも義経は言い方が悪くて、また梶原を怒らせるんだが。
648 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:40:01 ID:VOx5SDX10
当時の戦いは一騎打ちで、武勇に優れた関東武者にへたれ西国兵卒
は組伏せられて次々討ち取られた。
649 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:40:20 ID:L/iNPBlQ0
一方、琉球に逃げ延びた源為朝は
琉球王になったんだろ。
那須与一を超える弓の使い手らしいね。
650 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:45:49 ID:VOx5SDX10
西国には武士団と言っても、荘園の用心棒的無頼の徒が中心で
あり、弓馬の道に励んで鍛え上げた東国の武士団に対抗できる
しろものではなかった
651 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 01:58:05 ID:zyCPItKi0
聖徳太子は架空の人物だったとか
ひみこなど存在しなかっただとか
近頃の歴史学者には悪意のような物を感じずにはいられない。
平泉が勝ってればよかったのに・・・
>>648 それは結果論のような気がする。
為朝だって鎮西で鍛えられたようなもんだし。
654 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:07:05 ID:K4Q4UEUo0
655 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:14:44 ID:1t0UYiUd0
戦略家は無いよなぁ
少数で多数に勝つような作戦立てるのは普通下策だろ
656 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:17:08 ID:VOx5SDX10
為朝は馬上からの弓ではない。
身の丈を超える大弓を徒歩裸足で射るだけ
657 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:23:25 ID:qLagjySb0
逆落としでまっさきに駆け下りたという佐原義連の名前は残ってるね。
やはり何事も最初にやるというのは、名誉なことなのだね。
彼ら開拓武装農民が天下と取ったおかげで日本は良くなったと信じてる
659 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 02:55:59 ID:qLagjySb0
武士の反乱が成功しなかったら、現代日本は東西格差がひどくて、どうにもならなっかたろうな。
ちょうど経済格差が問題になっている東西ドイツや南北朝鮮半島のようにね。
>>656 『保元物語』では為朝は騎射してるけどね。裸足って何のこと?
>>658 武士が開拓武装農民だってのはずいぶん古い説だね。
661 :
名無しさん@十周年:2009/09/12(土) 03:57:51 ID:ZsJGp2Hs0
>>644 そのような地の利を生かせるか否かという点では平氏側が圧倒的に有利。
彦島を最後の拠点にしていた平氏にとって、関門海峡は自分の庭と言ってもいいくらいの存在。
兵数では不利でも、狭い関門海峡では源氏側が大軍で包囲し殲滅する戦法はとれないわけで、精鋭軍同士の
正面切った戦いにならざるを得ず、そこに僅かな勝機を見いだす作戦だったのだろう。
最近は長篠の合戦でも武田騎馬軍団も鉄砲三段撃ちもなくて
単に織田軍が物量で武田軍を潰したことになっていてツマラン。
いいからしゃぶれ
歴史ゴロだなw
665 :
名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:15:07 ID:QT5KKFxC0
666 :
名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:17:54 ID:my37+/5W0
>>660 まあ、源氏も平氏も血筋をみると申し分ないね。
667 :
名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:21:15 ID:Y5UgGO9VO
なんで壇ノ浦の話を延々としてるんだ?ニュース速+板で書くことか?
668 :
名無しさん@十周年:2009/09/13(日) 04:24:34 ID:LMKS8QJX0
>>42 今マガジンに連載されてるのがそれなんだよね。
まあ、部隊の責任者なんだから少人数で攪乱目的の別働隊より
正面の主力部隊を率いてた方が自然だわなw