【社会】被告の設定「青森出身の出稼ぎ労働者が解雇された腹いせに寮に放火」は不名誉 最高裁作製の「裁判員」映画に青森反発

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156名無しさん@十周年
>>144
東北6県の出稼ぎ者の推移
http://mytown.asahi.com/aomori/k_img_render.php?k_id=02000370805010001&o_id=3506&type=kiji

日本一の「出稼ぎ王国」
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000370805010001

1974(昭和49)年、青森県は8万人の出稼ぎ者を送り出した。
それ以来、青森県は日本一の“出稼ぎ王国”である。その多くが津軽地域出身の男たちであった。
数カ月から1年、男たちは故郷を留守にする。
その有り様を〈昔、兵隊、今、出稼ぎ〉と表現する者もいたほどである。

東北6県の出稼ぎ者数の変化を見てみよう(図)。
青森と秋田は70年代、全国一の出稼ぎ者を競う“出稼ぎ王国”であった。
しかし、ピークを迎えた後、両県は対照的である。
青森では出稼ぎ者数はときに回復をしめしながら、全体としてゆっくりした減少傾向にある。
秋田では出稼ぎ者が急に落ち込んでいった。他県では出稼ぎ自体がなくなっていく。
青森県は全国的にまれな「出稼ぎ長期残存地帯」なのである。
さらに人口変動の研究から、青森県では各地を悩ませる過疎高齢化が遅かったこと、
「昭和一桁(ひとけた)世代」が地元に残っていたことがわかっている。

私は直感的に、出稼ぎと人口変動を結びつけて考え始めた。
出稼ぎは「出る」ことに特徴がある、と思われがちだ。
でも重要なのは「戻る」ことなのではないか。戻らなければただの人口流出(過疎)だ。
ここでは人びとは、一定期間故郷を離れて稼働することを当たり前のように暮らしに組み込んできた。
この「出稼ぎのベースライン化」が過疎高齢化を遅らせていたのではないか。
そこで思いついたのが「ホールドとしての出稼ぎ」仮説である。
出稼ぎが「地域を形成し人を引き留める力」(ホールド)として働いたのではないか。
私は学生たちといっしょに調査を始めることにした。
(作道信介・弘前大教授)