★まとめ
母子加算の嘘、雇用対策と景気対策について
>>310 >>325 >>357 >>371 >>394 >>410 自公の政策、小泉改革や今進めている改革は不快かもしれないが、悲惨な選択肢ではない。
★「悲惨でも不快でもない選択肢」=「今日や昨日を求む選択肢」などはない。選べるのは「不快な選択肢」=「明日を求む選択肢」だけ。
◆「政治は可能性の芸術ではない。“悲惨なこと”と、“不快なこと”の、どちらを選ぶかという苦肉の選択である」 by 経済学者のガルブレイス
どうして『悲惨でも不快でもない現実的選択肢』を示せなどと言うのでしょうか。
ガルブレイス氏の言うように、示せるのは「悲惨な選択肢」か「不快な選択肢」しか有り得ません。
日本にとって「悲惨な選択肢」とは、不快なのはイヤと拒否し現状を緩やかに崩壊させていく事です。「不快な選択肢」とは、今以上の改革や負担、不快な感情を受け入れ社会を維持していく事です。
日本人は、どちらかを選ばなければなりません。『「悲惨でも不快でもない現実的選択肢」などという空想に浸っている事は、実は「悲惨な選択肢」を選んでいる事になるのです。』
◆「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。
もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、
すなわち世俗に同調し、濁った世に迎合したものにすぎない」
by 吉田松陰『講孟箚記』
◆「民主党とマスコミの無慈悲なまでの攻撃に翻弄される憂国の志士たち。そして民は、紅蓮の炎の中で劇的を味わう。日本の未来―《故国燃ゆ》―。公務員の恒久天国は劇薬か」