【文化】故・三島由紀夫氏の未発表写真「聖セバスチャンの殉教(撮影:篠山紀信氏)」 や書簡、都内で競売に

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1おっおにぎりがほしいんだなφ ★
作家の故・三島由紀夫氏を被写体とした未発表ものを含む写真や、
本人の自筆書簡が5日、東京で行われる古書の競売会「明治古典会」に登場する。

出品されるのは米国の店で発見され、08年に東京の古書店に持ち込まれた写真数点と書簡2通。
書簡は1967年と70年に米国人の友人で、美術館館長のヤン・フォン・アドルマン氏に
あてたもので、2人のおそらく特別に親密だった関係がうかがえる。

■殉教者「聖セバスチャン」と『憂国』の写真を同封
書簡は2通とも、3世紀のローマのキリスト教の殉教者で、同性愛の象徴的存在として
描かれることの多い聖セバスチャンについて触れている。
1通では、聖セバスチャンに関する美術書と思われるアドルマン氏からの贈り物に感謝を示し、
その「残忍なリリシズム」を賞賛している。

また、もう1通には三島氏自身が、半裸の状態で手を頭上で縛り上げられ、
体に刺さった矢から血がしたたる聖セバスチャンに扮(ふん)し、篠山紀信氏が撮影した写真
「聖セバスチャンの殉教」が同封されていた。

担当する古書店によると、これらの写真のうち1枚は未発表で今回初公開。
下半身の部分まで露出しており、三島自身はそちらが気に入っていたかもしれないが、
出版が許可されなかったのではないかという。

もう1シリーズは、1966年に三島氏自身が監督し、旧大日本帝国陸軍の中尉で主演した
映画『憂国(Yukoku、英題Patriotism)』のスナップで、後の三島氏の自殺を予告するかのように
「腹切り」の方法を説明したものだった。


ソース:AFPBB
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2617487/4326546
画像(閲覧注意):三島由紀夫氏を被写体に写真家・篠山紀信氏が撮影した「聖セバスチャンの殉教」
http://pai.no.land.to/up/src/dgz12077.jpg
2名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:09:47 ID:Z7oWgcsC0
あの官能小説家ね。
3名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:11:04 ID:XWrRc72NO
河上徹太郎と吉田健一から
「りこうばか」と揶揄された三島(笑)
4名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:11:54 ID:hoxT+oMG0
ホモの人だね。
5名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:12:49 ID:6+QOG40y0
ただの迷惑な気違いじゃん。
6名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:15:30 ID:AOFfjloj0

             『檄』
7名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:15:40 ID:AwZ5mN5j0

「8月6日の田母神俊雄米国講演会」のご提案: 園田義明めも。
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/07/03/4410186
8名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:19:10 ID:uKZ6W7GB0
             __t─-v-─ァ__
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9名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:21:13 ID:k2Z+steS0
アッー
10名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:22:05 ID:rekEyHdOO
いーよー いーよー まつもといーよー
11名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:29:07 ID:QB3LhyOO0
なんでこの人が異常に名声あるかと思ったら、竹下登の先祖なんだな
権力ってのは、簡単に風潮作れるもんなんだなと実感したよ

さて、この法案はどんな事を狙って作るつもりなんだろうね
ttp://niyaniya.info/pic/img/4332.jpg
ttp://niyaniya.info/pic/img/4335.jpg
12名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:38:21 ID:FhJIF/Z70
与えられたものを素直に受けとめる姿勢は危険
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834885&tid=cka4nbcabbp2p8n&sid=1834885&mid=17
意味もわからないけど三島由紀夫の本を読んでいた
13名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:40:04 ID:w4/Eftvo0
死人で商売するのいいかげんやめない?
14名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:40:49 ID:HmJZueuJO
篠山きしんてそんな凄い人なんか
15名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:43:11 ID:FmH/EzGT0
                                /
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          _ノ//:/_ィイ / ! l  !    //   ドビュッシースレにならなそうだから帰る・・・
         j/:/斤j`j/ィ_j‐l l l   //
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16名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:46:39 ID:umu3sImM0
写真取られてる間は快感なんだろうなあ
17名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:52:42 ID:EwBYoWVd0
聖セバスチャンでWIKIってみた。

「セバスティアヌス」で出て来て、吹いたw
18名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 08:53:16 ID:MPt1LUdJ0
アヌス
19名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:35:09 ID:/bV2DfL90
僕の肛門にも矢が刺さりそうです><
20名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:37:26 ID:mPTO+QAf0
三島由紀夫の霊と交信しているって本手に入れたんだけど
表紙こわすぎ かなり前の本だけどどうしているんだろうね
この霊能者
21名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:40:07 ID:Mh3//uF30
>>1
三島の裸体にはいつも感心する。
あれだけの創作その他の仕事をこなしながら、この体を造ったわけだからね。
作品よりも優れているんじゃないか。
22名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:42:01 ID:x1f7e7HUO
聖セバスチャン教会・・
執事のセバスチャンがコツコツ貯めた金を寄付して出来た教会だろうな
23名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:42:18 ID:Xk23EPTYO
で誰?
24名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:47:34 ID:LU48VejB0
聖セバスチャンはメジャーだがソドマのが一番好き。
25名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:49:04 ID:KabncFV60
緒形拳が映画でこの場面再現してたねーw
26名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 09:49:49 ID:+y6zFp6L0
元祖阿部さん
27名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 10:09:45 ID:JT1jpYBWO
今までの日本の告白小説家のやうな泣きっ面を、――男子としてあるまじき泣きっ面を――
小説のなかで存分に演じてみせることが、即ち「生きるための文学」であるといふ、
さういふ滑稽なプリミティーブな考へ方に僕は耐へられません。
僕にはわづかながら遠いサムラヒの血が、それも剛直な水戸ッ子の血が流れてゐます。
僕の文学は、腹を狼に喰ひ裂かれながら声一つあげなかつたといふスパルタの少年に倣ひたいのです。
その少年の莞爾とした微笑に似た長閑な閑文学(とみえるもの)に僕は生命を賭けます。
僕は「狼来りぬ」といふあの臆病な子供になりたくありません。
もっとよい比喩がここにございます。
我子の死に会つて数分後に舞台へかけつけなければならなかつた喜劇俳優が、その時示した
絶妙の技、さういふものにこそ僕は憧れるのです。
(文学を芝居にたとへるなんて、旧文壇の人にとつてはおそらく冒涜的な言動でせうが、
文学といふものに対する自堕落な信念はそろそろ清算してよい時ではないでせうか。
僕は最後のところ、いつもギリシャ悲劇を考へます。
作者が一言の思想の表白もさし控へた純粋な技術と形式の精神がそこにあります。
ギリシャ的単純さが最後の目標です。勿論これは志賀直哉氏の単純さとは全く別個のものです)。

三島由紀夫
昭和22年11月4日付、林房雄への書簡から
28名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 10:13:01 ID:JT1jpYBWO
>>27つづき
話をあとに戻りまして、ではその時、その喜劇俳優にとつて、喜劇といふ芸術は何ものでせうか。
逃避でせうか。自嘲でせうか。
僕には彼の悲しみの唯一無二の表現形式として喜劇があるのだと考へられます。
彼は悲しみを決して涙としてあらはしてはならなかつたのです。
それを笑ひとして示さねばならなかつたのです。
文学における永遠不朽な「情痴」の主題、僕はそれをこの「笑ひ」だと考へます。
「戯作」と云つても同じことでございませう。
もちろん僕としてもヒューマン・ドキュメントを書きうるゲエテ的作家の幸福を考へます。
しかしメリメのやうな「自己を語らない作家」の最も不幸な幸福をも考へます。
作品の世界に凡ゆる「日曜日」を託けて、永遠にウィークデイの累積をしか持たなかつた作家の
おそるべき幸福を考へます。
それを高見順氏などは、ウヰークデイの匂ひのしない文学はディレッタンティズムだと仰言るのです。
日曜日は僕にとつて逃避の場所ではありません。
そこにこそ僕は生涯を賭け、ギリギリ決着の「生活」を賭けてゐるのです。
それこそ僕の唯一無二の喜劇の舞台なのです。
僕はそこを掃除し、つやぶきんをかけ、花を飾り、恋人を迎へ、おしやべりをし、……といふ比喩は甚だ皮相的ですが、
その日曜日に、僕は自分の悪と不徳と非情と侮蔑と残忍と犯罪とのあらゆる装ひを期待するのです。
あらゆる種類の仮面のなかで、「素顔」といふ仮面を僕はいちばん信用いたしません。
僕はかうして、僕の生にとつて必然的であつた作品からそのあらゆる窮屈な必然性をぬがせてやつて、くつろがせてやるのです。
僕は作家の歯ギシリなどといふものを書斎の外へ洩らすことを好みません。
僕の作品はそれでも尚、僕の本質的な生活だと思はれるのですが……
尤もこんなことは口で言つてもはじまらないことでございます。作品で証明する他はありません。

三島由紀夫
昭和22年11月4日付、林房雄への書簡から
29名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 10:42:08 ID:JT1jpYBWO
戦争中異常な執着で僕らの世代の少数のものは、文学にしがみつき、その純粋を念じて来ました。
文学純粋宗ともいふべき狂信的な宗派に身を投げ入れました。
そして時代のあらゆる愚劣さと不純さから何とかしてその純美を守らうとして来ました。
さういふ若者は全国の隅々に、まだ相会ふことなく散らばつてゐるでありませう。…
――僕にはこの御知遇が三重の意味で嬉しかつた。
といふのは最も愛してゐた唯一の妹を喪くした放心状態に活を入れて下さつたのもそれだつたからです。
かういふ泣言に類することは、言はでもの事かも知れません。

僕は文学の永遠を信じてゐます。それがあまりにも脆く美しく永遠に滅びつゝある故です。
僕は文学の絶えざる崩壊作用の美しさを信じるのです。
作者の身が粉々になる献身の永遠を信じるのです。
僕らの周囲にはまだあらゆる愚劣さと不純とがあります。
僕らはそれに向かつて虚無の馬を駆立てるのです。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年5月3日付、木村徳三への書簡から
30名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 12:49:43 ID:IVWNTQ8P0
ここは低能が多いスレだから、そういう難しいことを書いて仕方がない。

もっと、三島由紀夫の美意識が肉体改造にまで及んだという、
その純粋なそして完璧な創造性について簡単に説明してくれ。
31名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 12:53:44 ID:JT1jpYBWO
>>30
芸スポニューススレも見なよ。二重に貼るのめんどくさいから。
32名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 12:56:18 ID:ex0V6hj7O
筋トレして自分の体が変わってく快感てヤミツキとか言ってたよね。
33名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 12:57:08 ID:IVWNTQ8P0
ヲッ、そうだったか。では、そちらで頑張ってくれ。
34名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 12:59:07 ID:JT1jpYBWO
思へば、ボディ・ビルディングとは、もつとも日本の文化伝統に欠けてゐたものの、新しい移植であつた。
われわれは肉体文化の伝統を持たず、力に対する民族的信仰は、何か超自然的なものへの信仰の影を宿してゐて、
肉体それ自体、人間の裸体それ自体の文化的価値は、たえて認められることがなかつた。
明治時代に、裸体彫刻が猿股を穿かされかかつた逸話は、数多く知られてゐる。
…しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな、
かつての日本人が夢想もしなかつた逞しい均整のとれた体躯を育て上げてゐた一群の青年たちがゐたのである。
竹山道雄氏が随想の中で書いてゐるやうに、日本人の青年の肉体は、かうして見ると、古代ギリシャの美学的基準に忠実な点では、
おどろくべきものがあり、ラフカディオ・ハーンが、かつて、日本人を「東洋のギリシャ人」と呼んだことも思ひ合せられる。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
35名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:00:08 ID:bX0iCQYqO
美しい…
36名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:02:05 ID:JT1jpYBWO
>>34つづき
日本文化の特徴は、外来の文化をまづ忠実に模倣して、その極点で転回して、日本化してしまふといふ過程に見出される。
ボディ・ビルディングの日本における戦後の普及は、もちろんアメリカの影響であり、その背後には、
あの広大な光りと富に溢れた国のローマ帝国的な古代異教文化の復活が感じられるが、日本のボディ・ビルディングには、
今や、それなりに、日本の過去に欠けてゐた肉体文化の補填といふ意味以上に、何か、肉体における日本的精神的価値の復活といふ、
今まで考へられなかつた異質の観念の結合の意味が、含まれてゐるやうに思はれる。
もともと「葉隠」にもあるやうに、武士の倫理における外面性の重視は、武士の良心に深く関はつてゐた。
登城するときに、昨夜の二日酔がのこつて青白い顔をしてゐるよりも、元気よく見せるために、頬に紅粉を引くことが奨励されてゐた。
又、戦の門出に兜に香をたき込めたり、切腹の前に死化粧をしたりすることは、武士のたしなみとされてゐた。

三島由紀夫
「序 矢頭保写真集『体道・日本のボディビルダーたち』」より
37名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:04:59 ID:4XDvMBWk0
>>32
己の肉体をコントロールする、出来ると思うのはとてつもない欺瞞であり
だからこそ物凄い快楽なんだろうな。万能感みたいなもので漲るんだろうか。
38名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:09:06 ID:IVWNTQ8P0
やはり、三島の完全主義は作品の形式的完全性に止まらず、己の肉体にまで及ばなければ
全うできないものであったことが分かる。精神的には、武士を模範として己の精神を純粋化しようと
していたのだろうな。
右翼思想自体は、三島にとってはそれほど重要なものではなかったと思う。
39名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:17:48 ID:FbvSIW9iO
これって本当に矢を体に刺しちゃったってヤツ?

昔、三輪がそんな事言ったような…
40名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:25:11 ID:JT1jpYBWO
>>38
三島はもっと根源的な日本文化の精神や美意識を基準にしているからね。
右翼とか左翼っていうのは所詮近代的な基準で出た発想だから、そんなものだけで三島をカテゴリー化すること自体が間違いですよ。
41名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:26:38 ID:X/DeAErTO
>>27>>28>>29>>34>>36
じっくり見ると分かるような気がしないでもないけど流し読みだと電波文章に感じたよ!
ちなみに当方26に再来月なるガキです。
って、ゆーか何で最近のニュース学生運動関係おおいの?
42名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:35:09 ID:vnSMH8tfO
>>30
ノリで流されて後に引けなくなったw
43名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:40:53 ID:9cDNL+iO0
>>42
ワルノリ 決起もワルノリ
44名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:41:06 ID:KLrkLTbX0
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの
耳元にささやいた。

「ぼく、、、幸せ、、」

歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」

去年1998年3月、日本文学界を衝撃に包み、総ての「三島論」を木っ端微塵に
吹き飛ばしたと言われる、福島次郎の『三島由紀夫、剣と寒紅』80頁の記述である。

「、、私は、頭に灰かぐらをかぶったまま、キスを続けた。私の体よりもずっと小さく細い、
三島さんの体は腰が抜けそうに、私の両腕の中で、柔らかくぐにゃぐにゃになっていた。、」

http://esashib.hp.infoseek.co.jp/mishima03.htm
45名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:43:18 ID:X/DeAErTO
来月なるんだった。

>>39
切腹した人らしいよ?
生中継までされたとか!
46名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:47:56 ID:tES3jVPG0
肉体コンプレックスが転化して
このような筋肉馬鹿になっちゃいました。
元来ナルシストだったので。
47名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:57:48 ID:05CsIRY10
三島はすごいが、チビでナルでホモと書くとみも蓋もない
48名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 13:59:13 ID:X/DeAErTO
コンプレックスは誰でもあるものだけど極端に抱いたのが悪い方向へいっちゃったように思えてきた。

>>44
類は友を呼ぶ、ってヤツ?
凄い文章!
49名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 14:25:05 ID:JT1jpYBWO
>>44
三島はホモ傾向があることは自分自身で認めてるから別に衝撃でもなんでもないし。
その本読んだら死人に口無しレベルのたいした本でもなかったよ。
本当に関係あったかの何の証拠もないし。

ちなみに、三島の恋人だった女性の本もあるよ。
50名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 16:18:28 ID:QPFacPIeO
美輪さんとか
51名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 16:24:25 ID:Oo9Rcx0F0
「がんばれ元気」の三島さんは
やはりこの人がモデルだったんだらうか…
52名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 16:47:04 ID:Dz5AQjZY0
53名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 17:44:49 ID:Ww+W6rc90
>>41 25というと三島(1925-1970)の時代には青年ではあるけどガキではない、かな。
16歳で「花ざかりの森」掲載
学習院高等科、東京帝大法学部を経て大蔵省に入省するも、23歳で退職
「仮面の告白」24歳
朝日新聞特別通信員として世界一周旅行 26〜27歳
「潮騒」28〜29歳
このへんまでに人気若手作家の一人として確立。

30歳でボディビルを始める
「金閣寺」31歳、「美徳のよろめき」32歳

33歳で結婚、34歳、37歳のときに長女、長男が誕生
「宴のあと」35歳、同年、映画「からっ風野郎」主演
「憂国」36歳、41歳のときに映画公開

「豊饒の海」40〜45歳
54名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 20:56:15 ID:JT1jpYBWO
彼の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、
人間としての器量は大きかった。思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に
「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。
それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
55名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 20:59:56 ID:JT1jpYBWO
初等科一年の時、休み時間になると、半ズボン姿の我々は、籠から放たれた小鳥の様に夢中で騒ぎ回った。
…そういう餓鬼どもの中で、三島は「フクロウ、貴方は森の女王です」という作文を書いた。
彼は意識が始まった時から、すでに恐ろしい孤独の中に否応なしに閉じこもり、覚めていた。
…彼は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。
そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。
その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
あの時も、すでに彼はそれなりに成熟していたのであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
56名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:03:36 ID:JT1jpYBWO
高等科上級生の時のことである。
戦争中で銃剣術の時間のことだった。体格の大きい銃剣術が強い友人と、彼とが試合をさせられた。
教官がどうしてそういうアンバランスな試合をさせたのか解らない。しかし平岡に対する意地悪からでは無いと思う。
さて華奢で軟体動物のようにクネクネした動作の平岡は、当然ジタバタと苦戦していたが、そのうちにヒョイと勝ってしまった。
相手の心臓のところを確かに突いたのである。皆は驚き笑いながら、見物の輪をといた。
彼はその時までに何度か壁にぶつかり、それを切り開いてきた人らしく、困惑しつつも、冷静であったので勝ったのだろう。

中等科か高等科の英語の授業の時、老教師が「日本には叙事詩は無かった」といった。
平岡は、「平家物語などがあるじゃありませんか」といった。
これは日本の古典に通じぬ英語教師の弱味を突いたらしく、彼は感情的になって平岡を、おさえつけた。
休み時間になり、平岡は憤慨していた。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
57名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:08:01 ID:ZFJkXV/60
(´・ω・)ホモはホモやねんね。
58名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:08:53 ID:JT1jpYBWO
天皇が人間宣言をなさり、背広姿の御写真が新聞に掲載された時、彼は非常な不満、むしろ忿懣を抱いていた。
なぜ衣冠束帯の御写真にしないのかというのである。
又、焼跡だらけのハチ公前の広場を一緒に歩いていた時、彼は天皇制攻撃のジャーナリズムを心底から怒り、
“ああいうことは結局のところ世に受け入れられるはずが無い”と断言した。
そういう彼の言葉には理屈抜きの烈しさがあった。
だから、彼は自分が敗戦後、日本の伝統から離れて楽しむうちに、混乱の方が、いつか多数派になったのに驚いたのではないか。
美酒の瓶が倒れたように、日本の美質がどんどん流失しているのに気付き慄然としたのではないか。

彼は、敗戦で束縛から解放された時まっしぐらに芸術の世界へ突進した。
…しかしその世界から出てみると、日本はすでに大きく伝統から離れていた。
彼にとり、日本の伝統は荒涼としたものになりかけていた。
彼が自分の好きな国々を思いきり歩いて故郷に戻って来た時、心の拠り処の日本の古典は滅びかけていた。
…彼が戦争直後、学習院を訪ねて校庭を歩いていたら、某教官に呼びとめられ、
「これからは共産主義の勉強をするのも面白かろう」といわれたといって、しきりに憤慨していた。
「何で今頃するのか、戦争中にやるのなら解るが」というのである。
この先取りの心、少数派に身をおく積極さ、これが晩年彼の日本についての心痛を一層深くし、
嘆きを重くしたのであろう。又、この予感、この嘆きこそ芸術家のものであろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
59名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:11:51 ID:JT1jpYBWO
彼は一時の思いつきで死んだのではない。
おそらく三十年、あるいはそれ以上、死を自分のすぐ背後に感じ続けて生きたと思う。
死を背負い続けたと思う。
…彼が死なねばならぬとはっきり考え始めたのはいつか。
東大紛争時における日本の文化的指導者(体制側だけでなく、学生騒動に便乗して
売名を図った人々まで含めて)の醜さを痛感したからではないか。
…勿論ずっと以前から、日本の崩れてゆくのを、彼はじっと忍耐しながら見ていたのであろうが、
殊にあの事件の時に絶望的な暗黒をつくづく見たのではないか。

鋭敏な彼は、日本、否日本人の心の荒廃をまざまざと観たのであろう。
この闇に一瞬なりとも光を放ち得るものがあるとすれば、それは自分の命の提供しか無いと観たのであろう。
彼はそれだけ自分の才能が稀有なものであり、又自分がそれを十分に開花させたのを知っていたのであろう。
だから、自分の死の持つ力を考えたのであろう。
当面は罵詈雑言が自分の自殺を覆うであろう、しかしなお、自分の名声と才能を死なすことによる衝撃に、
多少の自信はあったろう。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
60名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:12:58 ID:yyXs/hLg0
三島由紀夫の親戚に
DAIGOがいたことに
さすがにびっくりした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%8B%E7%99%BB
61名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:15:35 ID:JT1jpYBWO
彼は無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
…世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。

彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
…彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
62名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:21:26 ID:2mh08ROO0
>>32
長渕剛もそうなんだろうな〜

病弱な自分にコンプレックス・筋肉武装・極端な右傾化
三島と長渕の共通点
63名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:24:19 ID:fcecTxp70
64名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:33:10 ID:JT1jpYBWO
>>62
極端な右傾化?三島はあんたが思ってるような軍国主義ウヨクじゃないし、三島の思想や考えや美意識は少年時代から一貫して変わってないから。
変わったのは朝日新聞みたいな戦中ウヨクだったくせに、戦後はサヨクになってるようなマスコミやバカの方でしょう。
65名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:36:33 ID:WOef6Oj10
三島は太宰を馬鹿にしきってたと思うが、「仮面の告白」なんて中2病にジャストポイントと思うんだが。
「人間失格」は舞台・思想背景が現代と違いすぎてとてもついて行けなかった。
仮面はモダンなテーマだから面白い。
66名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:41:18 ID:0jgcPXqx0
>>64
そう
三島は主義主張や思想は
ずっと一貫していた
歴史や伝統の連続性にある美への追求ね
67名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:42:35 ID:+fy4ez5tO
三島はアンテナ感度が鋭すぎて、
平和な街並みが湿度をもったふわふわした摩天楼に見えたのかも知れません。

その割り切れない円周率の果てに、
イエスノーを突き付けた。だから、正解のない、かつ正解そのものの虚無の場所を知ってしまい、
虚構と知りながらも、
その完璧な、自ら構築した世界へ身を投じた。

不確定の要素が、彼になかっただけ。
68名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:42:51 ID:JT1jpYBWO
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。
僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――すなはち日本の文化層が、
永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、カントの、エヂソンの、アメリカの、
あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその殺傷(これは超克よりは一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、
今更、神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日付、三谷信への葉書から
69名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:45:25 ID:JT1jpYBWO
御葉書拝見。
何はあれ、このやうな大変に際会して、しかも君とそれについて手紙のやりとりの出来るやうな事態を、誰が予想し得たでせう。
…これから勉強もし、文学もコツコツ落着いてやつて行きたいと思ひます。
自分一個のうちにだけでも、最大の美しい秩序を築き上げたいと思ひます。
戦後の文学、芸術の復興と、その秩序づけに及ばず乍ら全力をつくして貢献したいと思ひます。
(中略)
…すべては時代が、我々を我々の当面の責務に追ひやります。
僕は少なくとも僕の廿代を、文化的再建の努力に捧げたいと思つています。

平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年8月22日付、三谷信への葉書から
70名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:48:12 ID:GJdg27rN0
俺も子供時代は背も低くガリガリで、いつも腕相撲で女子に負けてたけど、30過ぎて筋トレ始めたから、なんとなく気持ちは分かる気がする。
71名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:49:05 ID:JT1jpYBWO
最後の試験も済み、学生生活が実質的になにもかも終わった夏休みのある晩であった。
…何かの拍子に三島は「アメリカって癪だなあ、君本当に憎らしいね」と心の底から繰り返しいった。
そしてかのレースのカーテンを指さし「もしあそこにアメリカ兵が隠れていたら、竹槍で突き殺してやる」
と銃剣術の動作をして真剣にいった。
当時の彼は学術優秀であり、品行も方正であったが、教練武術の方はまるで駄目であった。
…そういう彼が竹槍で云々といった時、彼には悪いが、突くといっても逆にやられるだろうがとひそかに思った。
けれども、彼のその気迫の烈しさには本当に胸を突かれた。
彼は当時、日本の、ことに雅やかな王朝文化に心酔していた(当時といわず、或は生涯そうであったかもしれぬ)。
そしてその意味で敬虔な尊皇家であった。

今、卒業式の時の彼を思い出す。
戦前の学習院の卒業式には、何年かに一度陛下が御臨幸になった。我々の卒業式の時もそうであった。
全員息づまる様に緊張し静まる中で式は進み、やがて教官が「文科総代 平岡公威」と彼の名を呼びあげた。
彼は我等卒業式一同と共にスッと起立し、落ち着いた足どりで恭々しく陛下の御前に出て行った。
彼が小柄なことなど微塵も感じさせなかった。瞳涼しく進み出て、拝し、退く。
その動きは真に堂堂としていた。心ひきしまり、すがすがしい動作であった。
あの時は彼の人生の一つの頂点であったろう。
そういう彼ゆえ、古来の日本の心を壊そうとするものを心の底から許さなかった。

三谷信
「級友 三島由紀夫」より
72名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:49:57 ID:L+kn4vix0
>>61
>少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
>純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
 そlの「日本文化」が、朝鮮半島やポリネシア系や中国からの渡来人によってもたらされ形成され、
 朝廷にまつろわず抗う縄文人が虐殺されて古来の文化が死に絶えたことを、三島は知っていたの?
 知らないから厨房として憤慨してあぼーんしたんでしょ?

 検視の結果、肛門から注入されて間もないスペルマが発見されたらしいね。
73名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:50:03 ID:lf1fU0kb0
>>61
石原も彼の死を嘲笑したね。
そうでもなければ首長なんて現実的な仕事には適さないだろうが。
74名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:50:23 ID:v0XStws7O
画像興味あるけど 閲覧注意が怖くて見れないw
75名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:53:07 ID:lf1fU0kb0
>>74
そうでもないよ。「仮面の告白」の中にもある聖セバスチャンへの憧憬だな。
76名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:53:14 ID:aqRfTh9H0
執事写真集?
77名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:54:40 ID:EC75qV490
>>74
モノクロだからそんなキツくない
貴重だから見とけ
78青識亜論 ◆GJwX8m7K0g :2009/07/03(金) 21:57:25 ID:9G3ZX9g20
ダヌンツィオに傾倒していたらしいからな。
でも、どうせ真似するなら竹島か北方四島あたりに進撃して、独立宣言でもしてもらいたかった。
79名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 21:57:40 ID:E11foeOA0
>>74

キリスト教宗教画の定番
「聖人の殉死」
の場面を再現したモノクロ映像(もちろんメイク)。
予告なしだと人によりヤバいが、そうと分かってれば
いまどきどってことない、のレベル。
80青識亜論 ◆GJwX8m7K0g :2009/07/03(金) 21:59:36 ID:9G3ZX9g20
>>79
宗教画っていうか、ダヌンツィオの文学の再現だな。
しかし、自分を聖セバスチャンに重ねるとは、どんだけナルシーなんだw
81名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:00:52 ID:YLfIaOFJ0
ルー大芝に似てる人か。
82名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:11:51 ID:a1s52UuR0
確か、からっ風野郎でも脱いでたな
自分の肉体が大好きだったんだろうな…
83名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:11:55 ID:5Siky7hN0


平岡家

三代目利兵衛(五代)のとき農業のかたわら商売を始めた。塩をまぶした魚介類などを売り歩いた。
菩提寺である曹洞宗真福寺の過去帳によると、平岡家初代“孫左衛門”の肩には〈しおや〉という
屋号のようなものが記されているという。
もともと一家は西神吉村宮前(現在の加古川市西神吉町宮前)のあばらやのような粗末な家に住む貧農だったが、
太吉が領主から禁じられていた鶴(一説には雉子)を射ったため〈所払い〉を命じられ上富木に移った。
太吉は金貸し業で成功し、平岡家に莫大な利益をもたらしたという。
“平岡”姓は明治に入り土地の名をとって名乗った。

84名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:14:37 ID:Gk9kSbv60
オナニーの規模が違うよなぁ
85名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:16:56 ID:i1k78tzQ0
自衛隊に決起を呼びかけるも、野次られ無視されて
失意のどん底で腹切っちゃった人か
86名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:21:35 ID:NfGuIfyv0
>>71
もう民明書房に見えてきた。
87名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:48:20 ID:JT1jpYBWO
三島さんの葬儀の日の少し前、実行委員会の打合わせがあった。
…式の段取り、各委員の仕事の分担、注意事項の検討、弔辞を読む方々の紹介があった。
その時、御父上が突然私を指名された。
思いもかけない発言に私は動転し、そのような大任の資格が私には無いと辞退した。
すると川端先生が例の鋭い目で、「資格のある人間はどこにも居ません。おやりなさい」と宣言された。
当日、私は緊張と悲しみに耐えながら弔辞を読んだ。
「私のこれまでの人生で、最高の喜びは、三島さん、あなたにお会い出来たことであり、
最大の悲しみは、あなたを喪って今ここにこうして立っていることです……」と。
私が三島由紀夫という名を識ったのは、昭和十九年、書店で見つけた「花ざかりの森」で、何故かすがすがしい感じがした。
戦後、雑誌『人間』で「煙草」を読んだ時、私はすぐ「花ざかりの森」を思い出した。
終戦前の昭和二十年一月、私は中島飛行機小泉工場へ勤労動員され、戦闘機を造っていた。
私たちの寮の隣りに東大法学部の学生たちがいた。
その中に三島さんがいて、明日をも知れぬ状況の中で、後に発表された小説「中世」を書き続けていたことを、
ずっと後で知って驚いた。
二十五歳までに戦争で死ぬものと覚悟していた私たちが、生きながらえて後に親交を結ぶとは……
不思議な運命を感ぜずにいられない。
私が初めて三島さんに対面したのは、昭和三十一年、「永すぎた春」映画化の交渉の時である。
…私は既に大映企画部にいて三島作品の映画化を夢見ていた。
緑ヶ丘の平岡邸で眷恋の人に対面した時、私は自信に満ち溢れた、それでいて折目正しいこの青年作家に圧倒された。
以来、私は三島文学の映画化に挑戦していった。
「金閣寺」(「炎上」)、「お嬢さん」「剣」「獣の戯れ」「憂国」「複雑な彼」「音楽」「鹿鳴館」。
そして、三島さん主演の「からっ風野郎」等。

藤井浩明
「私の勲章」より
88名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:51:15 ID:JT1jpYBWO
>>87つづき
「炎上」のシナリオ作業が難行している時、三島さんが「創作ノート」を見せて下さった。
絢爛たる文学が構築されてゆくプロセスが明解に読み取れ、目が開ける想いがした。
この映画は三島さんから最大の讃辞を頂き、以来、私は三島さんとの交友を深めていった。
時折、三島邸の書斎で話し込むことがあった。
私は天才的文章の錬金術師の仕事場へ忍び込んだような気持で、よく文学のことを質問した。
三島さんは門外漢の私に丁寧に誠実に答えて下さった。
当時のメモを繰ってみると、例えば「憂国」の製作準備をしていた年など、年間七十回も会っていた。
…「からっ風野郎」の後、日仏合作映画のため市川崑監督と私はパリへ飛んだ。
思いもかけず三島さんが空港へ見送りに来られた。
たまたま別便で発つ永田雅一大映社長がいた。社長は私を別室に呼んだ。
「お前のような若造を天下の三島が見送りに来る訳がない。それはお前が大映の社員だからだ。俺に感謝しろ」と。
ワンマン社長は大の三島ファンで、明らかに私に嫉妬しているのだ。三島さんには万人をひきつける魅力があった。
死の四日前、三島さんからいくら晩くても電話が欲しい旨の伝言があった。深夜帰宅した私は電話で話した。
「憂国」がイタリアで上映され大好評だと伝えると、三島さんは大そう喜んで詳しいことを調べて欲しいと言った。
四日後に死を決意していることを知る由もない私は、連休明けに報告しますと約束した。
電話を切ってから、三島さんが「さようなら」と仰言ったことが何故か気に懸った。
いつもは快活に話してさっと切る人が……。
〈藤井氏はいついかなる場合にも、この作品に対する完全な愛着と信頼を少しでも失ふことがなかつた。
それがスタッフ全員をどれだけ力づけたかわからない〉
三島さんが「憂国 映画版」に書いて下さった文章は私の勲章である。
三十年祭の遺影の前に佇みながら、三島さんが以前、暇が出来たらポルトガルの鄙びた漁村を舞台に
映画を作ろうと話して下さったことを思い出した。
いつの日か私はその海辺で映画を撮影したいと思っている……。

藤井浩明
「私の勲章」より
89 ◆C.Hou68... :2009/07/03(金) 22:52:28 ID:dvB4roHh0
ホモホモしい写真・・・
90名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:53:28 ID:m8yTHNF40
けつの穴にぶっさされたまま
首刎ねられたらしいな。
そういう写真でもあればまた別だが
91名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 22:58:23 ID:TI1QGkjiO
>>90
んなわけない
ケツの穴から精子が検出されただけだよ
92名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:01:54 ID:BlH39Z2n0
切腹フェチはマゾヒストの行き着く先の最高峰ではあるな
あの満足顔の首が・・・
93名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:03:01 ID:JT1jpYBWO
>>91
それはガセネタ。
94名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:08:52 ID:JT1jpYBWO
>>91
そういうガセネタは三島を貶すために意図的に誰かが捏造して流したものです。

たぶん、肛門に脱脂綿を詰めていたことから派生して造ったんでしょう。
死因が確定している遺体では、そんなところまで詳細に成分分析しません。

それに、楯の会5人は事件前日の夕方、鶏料理屋で食事後解散し、それぞれの自宅へ戻って別々に過ごしています。
当日、自衛隊へ直行する10時まで三島が自宅にずっと居たのもお手伝いさんや両親が証言しています。
95名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:09:26 ID:rXrUCC6F0
正直、三島由紀夫は二流
96名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:14:27 ID:JT1jpYBWO
「まさか、死ぬとは!すごいジョックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

「資料 三島由紀夫」より
97名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:15:13 ID:+O0nOtKQ0
太宰つまんないじゃん
いじけてるだけでさ
物書きとしてなら三島>>>>>>>>石原>>太宰だと思うんだけど
98名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:16:21 ID:NCmaCpRY0
篠山紀信は本当に色んな人撮ってるなあ
99名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:18:28 ID:9XZZVQNM0
>>95
そんなことはない、物書きとしては間違いなく一流。
人間としては二流もいいところだけどな。
100名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:28:06 ID:JT1jpYBWO
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。
パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ
「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。――
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。
私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた
「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。
その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。
手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。
…数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか――」
そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。
以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。

増田元臣
「美しい人間の本性」より
101名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:29:54 ID:lf1fU0kb0
>>95
じゃ、一流を教えてほしいな。
102名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:31:16 ID:JT1jpYBWO
>>100つづき
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。
原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、
「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、
私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。
しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。

増田元臣
「美しい人間の本性」より
103名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:33:26 ID:Ax4wkXVu0
>>99
知ったような口きくなよ。
育ちが良かったから人に対して失礼をするような人じゃなかったし。
原稿の締め切りは必ず守るし、
流行作家になった後も驕らず折り目正しく、一方で、
無邪気で、気の毒になるほど純真な人だったんだよ。そういう人じゃなきゃあんな死に方しない。
104名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:37:32 ID:j2hDpYNO0
>>8
セバスチャンお疲れ様ですwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
105名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:42:15 ID:ex0V6hj7O
>>102そんで何かあったん?
106名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:44:09 ID:BI9hbyB2O
つーかクリスチャンが割腹したらあかんだろw
107名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:44:57 ID:lx6dF6QV0
どうでもいいが
三島ちゃんって、ほんとわけわからん人だよな

なにしたいのよw
108名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:48:06 ID:lx6dF6QV0
>>27
>僕の文学
このおっさん、行動はぶっきらぼうで目立つけど
そんなに,みんなが言うほど文学性も時代性も無いでしょ?

なんなんだ、この変態文学好きなおやじw
109名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:53:39 ID:lx6dF6QV0

>>34
>…しかし、この十数年間、ひそかにバーベルを相手に黙々と汗を流し、この写真集に見られるやうな

おまえ以上に立派な身体の連中はたくさん居るだろw
何処まで,ナルちゃんよ
まぁ,だから屈辱を勝手に感じて,自殺したんだろうけどなぁー

やっぱ、へんてこなおかまだな
110名無しさん@十周年:2009/07/03(金) 23:55:07 ID:3Pjb0zIDO
ただの変態
111名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:00:52 ID:JT1jpYBWO
>>109
あんたが読解力のないバカ。
自分の写真集の話じゃなくて、ボディービルやって鍛えた人たちのことを語ってるんだよ。
日本語勉強してから出直してください。
112名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:03:13 ID:qgAm0H8bO
>>108
>>109みたいな間抜けな読みしかできないあんたに三島文学が解るわけないしね。
113名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:04:28 ID:nS2ZnTSz0
>>111

まぁ、いんだけどな
こいつ、自決したからみんな
盛り上げているだけな

こいつの首、切れなかったオッサン
札幌に居るよ
何十回も合っていわw

聖職者らしいが、w
正直わけわからんやつだし
とあるバーで酔っぱらいだぞw
114名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:08:57 ID:jP8xbN5d0
>>113
お願いだから
日本語で書いてくれ
115名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:09:24 ID:qgAm0H8bO
>>113
三島の首切り損ねた人は、一緒に切腹して死んでるよ。
116名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:14:06 ID:e5vTRzg80
三島由紀夫>>>>>>>>>>>>>>鳩山由紀夫
117名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:20:58 ID:nS2ZnTSz0
>>115
そっかぁ
じゃ,全て撤回するよ
俺の勘違いだな

あやまるわ
118名無しさん@十周年:2009/07/04(土) 00:40:08 ID:3sOdFl4t0
>72
日本の文化のけっこうな部分が朝鮮や中国、ポリネシアなどから
の渡来人がもたらした物を原型としているのは事実だが、それは
元となったものでありそれと日本に原始あった自然崇拝など独自
のものが混ざって日本文化となった。それはインドから影響を受けた
中国、朝鮮などにもいえるだろう。

このたとえは三島に失礼かもしれないが、ディズニーのアニメと日本の
アニメとではまったく方向性が違う。

日本文化と中国、朝鮮文化は別のものなのだ。
119名無しさん@十周年
>>117
適当なデマ飛ばして他人を貶めようとするなんて厭な奴、つか可哀想な人だ。