【社会】日本赤軍元最高幹部 重信房子被告「世界を変えるといい気になっていた」…産経新聞インタビュー★3

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1 ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★
 日本赤軍のリーダーだった重信房子被告(63)が産経新聞の取材に「世界を変えると
いい気になっていた」などと述べた。新聞メディアのインタビューに答えたのは異例。
昭和49年にオランダ・ハーグの仏大使館が占拠されたハーグ事件など3事件で殺人未遂罪
などに問われ、東京高裁で懲役20年の判決を受けた重信被告。東京拘置所に身を置き、
がんの手術も受けたという。テロリストの女王と呼ばれた被告が語る全共闘、武装闘争、
人生観−。

 ■行動に自責の念
 「現実を変革する運動は楽しく、創造性があった。現状を変えたいという思いで、家出少女も
キャンパスに集い、いろんな人が話し合える環境があった」

 6月中旬に面会した重信被告は終始にこやかで、昭和40年代半ばに盛り上がった全共闘運動を
そう振り返った。運動が数年で勢いを失ったことには、「世界を変えるといい気になっていた。
多くの人に迷惑をかけていることに気づいていなかった。大義のためなら何をしても良いという
感覚に陥っていた」。

 重信被告は40年に明治大学二部に入学し、学生運動に参加。44年に結成された赤軍派に
加わる。「日本だけでは革命を起こせない」と海外に活路を求め、重信被告はレバノンへと出国、
日本赤軍を創設した。空港内の銃乱射事件やハイジャックなどを引き起こした。

 過激な行動には自責の念にかられているようだ。

 「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、
故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった
結果になったかもしれない」(>>2以降に続く)

▽画像:平成12年11月に警視庁へ護送される重信房子被告
http://ca.c.yimg.jp/news/20090628105842/img.news.yahoo.co.jp/images/20090628/san/20090628-00000080-san-soci-view-000.jpg
▽Yahoo!ニュース(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090628-00000080-san-soci
前スレ ★1が立った日時 2009/06/28(日) 19:16:37
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1246218970/
2 ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2009/06/29(月) 20:17:31 ID:???0
>>1の続き)

 ■思想は変わらず

 国内に残った赤軍派は最高幹部が相次いで逮捕された。国内残党組の一部は別グループと合流し、
連合赤軍を結成。昭和47年にあさま山荘で籠城(ろうじょう)戦を繰り広げ、同志殺しも発覚。
多くの人が学生運動から離れる要因になった。

 「運動を離れた人を恨む気持ちはありません。彼らが運動をやめたのは『世の中を変えられない』
と思うようになったから。そういう人を受け入れられる基盤を作れなかった」

 日本赤軍のメンバーも世界各地で逮捕され、極秘帰国していた重信被告も平成12年、大阪府内
で逮捕された。「支援団体が発行する冊子に原稿を書くなど忙しいが、世の中を変えたいという
思いは変わりません」

 革命を目指す思想に変化はないが、還暦を過ぎた。「体調は悪い。戦場では何度も捨てては
拾った命。銃弾に当たってよいと思っても当たらないこともあるし、逆のこともある。人には
それぞれ定められた命があると思っている」

−おわり−