大津市梅林の渡来人歴史館で27日、開館3周年を記念するイベントがあり、
大津市歴史博物館の松浦俊和館長が「大津京と渡来人」と題して講演した。
松浦館長は、大津宮に遷都した天智天皇が
百済からの亡命者に多くの官位を与えていたことから、
天智天皇は当時、先進技術を持っていた渡来人を重用していたと説明。
「天智天皇の息子の大友皇子の名前の由来は、
大津の北部に住んでいた渡来系の大友氏が後ろ盾に付いていたから」
と推測し
「天智天皇の死後、息子の大友皇子と弟の大海人(おおあまの)皇子が
皇位を争った壬申(じんしん)の乱は、大海人皇子の背後にいた地方豪族が
渡来人の重用に反発していたことが背景があるのでは」
と話した。
大津宮への遷都の理由について
「天智天皇は大友皇子に皇位を継がせたかったから、
大友氏の勢力のある土地に遷都したのでは」
と考えを述べた。
渡来人歴史館は、大津市の企業家が日本人と在日コリアンの相互理解のため
2006年5月に開館。
日本と朝鮮半島のかかわりについてパネル展示や講演をしている。
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090628/CK2009062802000004.html