【中国】湖北省石首市で7万人暴動 発端は1人の男性の不審死 政府は鎮圧に1個師団投入 現場からの詳細レポート(画像、動画あり)★3

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1イカ即売会φ ★
湖北石首市の永隆大ホテルの不可解な死亡事件に端を発した暴動は、ますます苛烈になっている。
警察は、再三にわたってホテル内にある不審死した遺体の奪還を試みているが、
石首市の7万人の民衆は街頭に殺到しているため、6月19日から20日までに
立て続けに何度も警察と民衆の衝突が起こっている。
警察は、暴動鎮圧車や消防車を使用し、市民に向かって催涙弾を投げ、放水銃を噴射している。
これに対して民衆は、小石やレンガの欠片、酒ビンなどで応戦し、
遺体を奪還しようとする警察に抵抗している。
現場は一面大混乱であり、消防車やパトカーは引っくり返され、発端である永隆大ホテルでは
火災まで発生している。消息筋によれば、湖北省の副省長は石首市の現場に赴き指揮を執っており、
また武漢と南岳山から軍隊が石首市に向かっているという。

■事の発端
6月17日夜、湖北省石首市の永隆大ホテルでは、不可思議な死亡事件が起こった。
このホテルの23歳の調理師男性である○遠高さん(○は、さんずいに余。以降便宜上「塗」を使用するです)
(石首市・高基廟鎮・長河村{訳者注:鎮は市町村などと同じく地域の単位})が、
ホテルの3階から落下し、即死した。しかし、死亡現場には全く血痕がなく、
近くで見ると遺体頭部には7つの穴が開き、そこから血が流れていた。
事情を知る者が言うには、男性は生きているときに虐待によって殺され、
さらに3階から投げ捨てられたという。
遺体の頭部には釘による穴が開き、下腹部は挟み潰され、見るも無残だったという。

ある消息筋によれば、死亡した男性は現地の公安局長、裁判所長夫人、永隆大ホテル経営者による
麻薬売買を知った後に被害にあったという。
このホテルには石首市の某幹部が出資しているが、ホテル経営は下降の一途であるため、
麻薬売買に依存して経営を維持していたという。
事件後、ホテル経営者は、塗遠高さんの家族を避け、面会はしていない。
(>>2-以降に続くです)

文章ソース:http://epochtimes.com/gb/9/6/20/n2564437.htm
写真ソース:http://epochtimes.com/gb/9/6/20/n2564471.htm
前:http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1245549472/
★1:06/21(日) 08:45:13
2イカ即売会φ ★:2009/06/21(日) 14:39:02 ID:???0
>>1の続きです)
ホテルの正面玄関が丸木を使って内側からガッチリと封鎖されたことに遺族と民衆は激怒し、
入り口を叩き壊して開けた。

6月18日、遺族は、もし自殺であることを認めるなら3万5千元(訳者注:日本円で約50万円)
の賠償を払うが、もし自殺と認めないなら今日夜8時に遺体を強制的に火葬するとの
通達を受けた。警察は執拗に塗遠高さんの遺体火葬を要求したが、
遺族は不審点が明らかになるまでは決して応じないと、火葬を拒否した。

父親がホテル1階にガスボンベを持って来て、遺体を強奪しようとする者を巻き込んで
死のうとしたため、同情した人たちがホテルの入り口に集まってきた。

19日、20日になると、声援を送る民衆は増えていき、遺体を奪い去ろうとする警察と
何度も衝突があった。目撃者の話によれば、現場の民衆は多いときで7万人にも達したという。
荊州の新聞社は報道するつもりで現地に向かったが、政府は船便を休止させ、
一切の外部メディアからの接触を絶ち、情報封鎖を試みた。

事情を知る者は、当局は1個師団の軍を呼び寄せ、さらに多くの部隊が石首市に向かっているという。

■目撃者:現場の民衆は団結して抵抗した
2009年6月19日午前1時頃、パトカーと霊柩車がホテルに到着し、遺体を運び去ろうとしたが、
現場の数千人の民衆はホテル入り口に立ちふさがり阻止した。

6月19日午前8時、塗遠高さんが死亡してから36時間が経過したが、怒る民衆は依然として
ホテルに残っていた。数百人の石首市民は、自発的に遺体を護衛して丸々一夜を過ごした。
8時すぎ、ホテル入り口には同情した人によって、垂れ幕と民衆の署名入りの手紙が掲げられた。
ほどなくして警察が現場を再度訪れ、またも遺体の強奪を試みたために民衆と衝突が起こった。
十数人の同情した人と見物人が殴打されたが、これらの人は病院には搬送されず、
直接牢獄行きとなった。このため、民衆と警察の感情的な対立はますます深刻化し、
さらに多くの民衆が現場に集まった。人海戦術によって民衆は衝突において優勢となり、
民衆は警察を撃退し、途遠高さんの遺体は奪い去られずにすんだ。(まだ続くです)
3イカ即売会φ ★:2009/06/21(日) 14:39:23 ID:???0
>>2の続きです)
午後1時頃、現場の数千人の民衆は、レンガの欠片や酒ビンによって警察の強奪を阻止し、
霊柩車は引っくり返され、数十人の制服を着た警官は、普段着の民衆に追い立てられ、
現場(永隆大ホテル)から500mほど離れたバス停留場に身を隠すはめになった。
停留場付近の主要道路は民衆で覆いつくされ、バスは仕方なく進路を変更したが、
大多数の乗客は全く不満がなかったという。

6月19日午後3時、現地警察による最大の強奪計画は、また失敗に終わった。
街頭に集まる民衆は、約4万人にもなった。民衆の数はこのとき最高潮となる。
石首市の地方政府は、やむを得ず武装警察に救援を要請した。
6月20日夕方、荊州などから集められた武装警察が到着した。
現地の民衆は小石や酒ビンで武装警察に抵抗した。多くの公安、武装警察の車両は
民衆によってひっくり返された。民衆が大量に集まったため、武装警察は撤退を迫られた。

6月19日夜、政府が6月20日午前5時に再度遺体を強奪することを通告したため、
数万の石首市市民は、すぐに街に向かい、永隆大ホテルの入り口だけではなく、
市の主要な交差点まで人の海で覆い、封鎖した。

6月20日午前2時か3時頃、500名前後の警察および武装警察が隊列を作ってホテル入り口に向かった。
付近のバリケードまで進んだとき、数千人の市民からレンガと小石で攻撃を受け、
警察と武装警察は再度撤退を強いられた。民衆の追撃は1キロほどにまで及び、
パトカーは引っくり返された。武装警察の撤退にも民衆は安心せず、
多くの人が引き続き自発的にホテルの入り口の護衛にあたった。
19日と20日午前早くの衝突で、数十名の市民が負傷したり逮捕されたりした。
警察と武装警察にも負傷者が多くあった。

事件の情報を統制するため、6月20日夜、石首市街のネットカフェは通信を遮断した。
永隆大ホテル一帯は、電気が遮断され、街灯も消えた。
入手した情報によれば、事件後、遺族と現地の民衆は、北京と武漢の報道機関に電話をかけたが、
石首に到着した記者は、政府職員に追い返されたという。伝え聞いたところでは、
19日、石首市の市委員会の緊急会議があり、各国家機関の職員が現場入りを許さないのだという。
(まだ続くです)