【奈良】箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石 国立歴史民俗博物館★6
1 :
春デブリφ ★ :
2009/06/01(月) 00:27:41 ID:???0
2 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:28:03 ID:k9uZ+9EI0
じゃ・・・じゃなだいこく?
3 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:29:48 ID:1ob7TH0zO
誰特
4 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:30:13 ID:XI/Zq1ws0
ナイスですね
5 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:30:36 ID:lh0XQe/U0
北九州説→東大学派 畿内説→京大学派 の対立でしたっけ?
>>5 九州説の偉い人が死ねば論争は終わるって聞いたw
7 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:32:21 ID:Skvj+DMw0
実は壮大な釣りでしたというオチじゃないよな
尻もち付いた拍子に箸がアソコに刺さるってどんな汚部屋
九州説なんてマトモな学者は誰も信じてないのにいい加減あきらめろよw
そりゃあ、この結論にするために古墳で下げ、それでも合わない土器や馬具 の編年をバク下げして来たんだから。最初から結論ありきじゃん
11 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:36:48 ID:0FbD7W69O
関東人の俺にはどうでもいい話 鹿島神宮掘り返したら何か出るかしら?
12 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:37:48 ID:ZtkzhZ730
>>5 主に魏志倭人伝の解釈論で論争されてた一昔前はそうだった。
その頃は畿内説は邪馬台国を地元の機内に持って来たい京大の連中が唱えてるって感じで、
九州説の方が有力だった。
でも、今は考古学的見地から畿内の方が有力だって証拠が次々出て、
大半のまともな学者は畿内説支持に回ってる。
韓国がアップを始めました
14 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:40:03 ID:VBLCWDfLO
で天孫光臨の地はどこなんだ?
このスレまだ続いてたんかwwwww
16 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:43:47 ID:5Gj9wXzq0
ススキノの飲み屋で、日本の中心って九州から畿内、鎌倉、江戸って具合に徐々に 北上してるよね、そのうち札幌の時代も来るかもね、と冗談を言った。 突然、臨席の女達が烈火のごとく怒り出した。 山口と福岡から遊びに来ていた連中でなぜか自分達がバカにされたと思ったらしい。
==隋書倭国伝== 都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬台者也 「倭の都は、ヤマト?にあり、それは魏志倭人伝の邪馬台である。」 邪靡堆がヤマトなら、隋の頃の都だから、つまり邪馬台も畿内の大和になるのか? 邪靡堆は「北史」では、邪摩堆と書かれているようで、こっちはヤマトに読める。
こんなもんに税金使うなや。 もう革命起こして宮内庁に情報公開させろよ。 いつまで税金投入し続けるつもりだよっ、ぼけっ
九州はもうだめぼ
20 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:44:43 ID:t9DmoiGb0
毎日新聞ソースによると、 >発表者の春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓が確定的になった」と述べた。 >しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。 >中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。 春成氏は魏志倭人伝どころか記紀もちゃんと読んでないだろう。他に有力者がいないと言う理由では、あんたが知らないだけと会場から野次が飛んだはず。
21 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:44:44 ID:8xtHdKlcO
>>9 結論がでてしまうと、研究対象がなくなり、飯のタネもなくなる
正解なんて素人には分かりっこないので、一生水掛け論をやってる
ヒミコ=ヒムカ
23 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:46:00 ID:5gR9Y99SO
24 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:46:00 ID:nkmTkhwK0
萩原でも荻原でもどっちでもいいだろw
正直、きのこの山VSたけのこの里なみにくだらない話題だと思う。 パイの実派の俺にとっては。
26 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:47:47 ID:Pu40Xlm+0
>この時代、他に有力者はおらず それ「古事記・日本書紀には」の前提が付くハズだろw
卑弥呼が畿内まで勢力を伸ばしてたとは思えないんだけどなぁ
東方の未開の国の野蛮な女王がどこに住んでいたかなんてモウどうでもいいよ。
29 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:50:04 ID:8xtHdKlcO
ほんと、くだらない論争だな。 「徳永英明」の「英」の字は 草冠のところが分かれていると、わざわざ訂正させるくらいくだらない。
女陰(マンコ)を箸で突かれて死んだ女の墓なんでしょ? 伝説によれば。 昔の人って、発想がすごいよね。 野蛮というか、あっけらかんとしたエロさというか。
31 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:56:07 ID:SgNTYX9U0
AMSを使った放射性炭素年代測定と、年輪年代測定合わせても 20年の誤差で特定できるって思わないんだが
32 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:56:45 ID:0FbD7W69O
>>30 笑えない真相がありそうで、なんかやなんだよな
この論争にど素人の俺には、「ヤマト」を魏では「邪馬台」と表記しただけで同じ国だったように思える
34 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 00:58:51 ID:1IcvNgkN0
>>30 たぶんお産で死んだことの暗喩だろうね。
禁断の恋かな?
35 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:00:05 ID:Y/Zo6qpM0
>>33 ど素人らしく、論点がずれてるな。
邪馬台=ヤマトだったとして、
ヤマトが近畿地方の大和を指すのかどうかは解らない。
36 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:00:16 ID:mHSG8fJFO
ついでに下世話な話を追加すると、イザナミは火の神を生んだときに陰部火傷がもとで死んでる。 んで、旦那があの世まで追っ掛けていったりして、死後の世界のきちゃない姿を見られたイザナミは激怒して、俊足ゾンビになって旦那を追っかけ回したりする。 結構パンクでおもろいよ、日本神話
倭人の列島を調査するためチンジュは九州に上陸 チンジュ「あ〜君らの国はなんと言う名か?」 九州人「ヤマトたい」 チンジュ「ん?」 九州人「ヤマトたい」 チンジュ「そうかヤマタイか、わかったわかった」
はっきしいって、おもしろかっこいいぜ
40 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:09:10 ID:vsbA3qKQ0
九州説の連中って歴史の流れを無視して近視眼的になってないか? 邪馬台国が九州の勢力ならばその後の大和朝廷が100年も経たない間に朝鮮半島まで支配下に置くほど精強になる説明をしなきゃならない。 普通に邪馬台国=大和国ならばもともと機内から九州までを勢力下に持った国家なのだからその後朝鮮半島まで進出するのに何の矛盾も無い。 はっきり言って魏が金印を下賜するほどなんだから小さな勢力では無いわけで。 九州だけの勢力を魏が最高位の金印を下賜するほど重要視するとは到底考えられない。
41 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:10:31 ID:5Gj9wXzq0
たった1800年前の都の場所や女王の墓すら特定できないってどんだけ人類は 忘れっぽいんだとも思ったが、たった70年前の南京で何があったかわからなく されちゃってるようなもんか・・・
42 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:11:21 ID:qD14C2tz0
邪馬台国が畿内だとして、それ以前に九州から畿内までの国家連合が できたきっかけは何?神武東征?
43 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:12:15 ID:Pu40Xlm+0
44 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:12:45 ID:UDTpwtfHO
間違いなく九州ってのは、みんなわかってるんだよね
45 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:13:16 ID:mHSG8fJFO
どっちかに本拠地があって、どちらも同じヤマト政権の施設があったってことじゃないか? 九州が外交のための出先機関、というのがわかりやすいんだが
>>41 宮内庁が墓を調査させないせいもあるんでは?
47 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:14:40 ID:vsbA3qKQ0
>>42 神武帝の東征は邪馬台国後の話だと思う。
日本人は春秋戦国時代の呉からの移民だから船で黒潮に乗れば九州から畿内はもちろん関東までたどり着く。
同じ祖先を持つ者が国家連合を組むのはそんなに不思議な話ではない。
争いはあっただろうが、それこそ女王が誕生した理由と結びつく。
>>40 しかし後漢は、福岡県ぐらいの小さな奴国に金印を授けてんじゃね?
49 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:15:17 ID:BrqDZC1E0
倭人伝の風俗描写から見れば、邪馬台国は九州。 畿内は別の勢力。
50 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:15:37 ID:kCpAQ+oQ0
九州説なんて一般人でも信じませんよ。
51 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:15:48 ID:Pu40Xlm+0
>>40 >その後の大和朝廷が100年も経たない間に朝鮮半島まで支配下に置く
それやったのは「倭」であり、
その「倭」=「大和朝廷」とする根拠は「大和朝廷」が自作した歴史書しかない。
>魏が最高位の金印を下賜するほど重要視
政変事にいちはやく新政権を承認する使者を送った事への外交的配慮。
52 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:16:46 ID:UDTpwtfHO
物的証拠もあるし九州だろうね
邪馬台ってあれだろ?棒ラーメンの
54 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:18:12 ID:G9zDPkYX0
当時の東国のレベルは白人入植前のオーストラリア先住民なみ。 コロンブス発見当時のアメリカ先住民より低い
55 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:18:47 ID:Pu40Xlm+0
>>48 「倭の奴の国」ではなく、
西の「匈奴」に対する
東の「倭奴」の国王への印(もしくは「委奴」)。
そうでなければ金印は出さない。
よし分かった。じゃあ箸墓は卑弥呼の墓、邪馬台国は九州って事で
>>42 おまえは、意外に古事記や日本書紀を読んでないな。
大和王朝が、はじめて、日本を統一したのは神武天皇からではない。
大和王朝が日本を統一したのは、出雲国譲りからで、
これは、ニニギ命(神武天皇の曽祖父)の時代に起こっている。
よって、出雲国譲りが行われた後
ニニギ命が、九州高千穂に派遣された。
つまり、近畿王朝としては、葛城の高天(高天原)で発祥し
ライバルだった出雲を併合した後、
この近畿王朝が、地方に司令官を配置した。
その中で、九州統治を任されたのは、ニニギ命(神武天皇の曽祖父)
で、曾孫の神武さんが、再び、近畿地方に戻ってきた。
そういうお話。
つまり、神武東征とは、江戸時代の徳川幕府にたとえるのなら
紀州の徳川吉宗が、東に上って、江戸で征夷大将軍になるようなもの。
58 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:20:21 ID:UDTpwtfHO
九州はないとか言ってる人は勉強が足りないよね〜
59 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:20:57 ID:vsbA3qKQ0
>>51 >政変事にいちはやく新政権を承認する使者を送った事への外交的配慮。
その情報収集能力ひとつとってもただの辺境国ではない証拠になるわけで。
魏が金印を下賜するのもうなずける。
60 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:22:01 ID:WuFclIp00
邪馬台国九州説が真だとしたら、 魏志倭人伝に登場するだけの存在になるだけ。 大和朝廷に繋がる畿内にあってこそ意味がある。
ええと、 九州の邪馬台国と言えそうな遺跡って、どこだっけ。 宮崎日向の何とか原遺跡かな?
62 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:24:36 ID:vsbA3qKQ0
>>57 私もそう考えます。
おそらく鉄器に関しては九州の方が先進的だったと思います。
なので実質は左遷されたニニギ一族が九州の鉄器文化を手に入れ神武帝の時代に畿内へ侵攻したのでしょうね。
クーデターのような形で。
だからこそ一度は敗れて熊野へ退避したのにその後畿内勢力が続々と神武帝側の味方となった説明もつきます。
もともと畿内に縁が深かったと考えれば自然とみちびかれる答えですね。
63 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:24:45 ID:NCPrV7ZHO
>>49 魏志倭人伝にある倭人の習俗は南洋土人的であり九州以南だろう。
しかし地理的歴史的記述は大和である。
おそらく、近畿地方の大和と九州南洋土人がごっちゃになったのだろう。
>>61 宮崎あたりに天皇関係の遺跡が多数あるのが九州ぽい気がするんだけどなぁ
65 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:27:37 ID:vsbA3qKQ0
>>63 大和朝廷はその後も大宰府という役所を置いて外国からの使者を直接帝都に入れることは稀でした。
それは邪馬台国時代から続いていたと考えれば魏の使者も九州で留め置かれて畿内には入れなかったのでしょうね。
使者はずっと九州にいたわけですから「コレが倭の風俗か」と九州の風俗が倭全体の風俗と思い込むのも無理はありません。
66 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:29:00 ID:xka+Sq970
卑弥呼なんてのがいたかどうかも怪しい
>>59 魏が、倭国へ使者を送ったのは、朝鮮半島情勢が影響している。
帯方郡で、三韓人が反乱を起こして、
帯方郡の太守が殺害されるという事件が起こっている。
それが、西暦240年代のことだ。
だから、魏の皇帝が、倭の使者(難升米=梨津臣命?)に、
魏の傘下の武官に任命している。
これによって、倭の軍は、魏の意向を受けた軍隊ということになり、
朝鮮半島へ出兵しても、その倭軍は魏軍という大義名分が生まれる。
しかし、倭軍は援軍として駆けつけなかった。
そうこうしているうちに、魏は、三韓人の反乱を鎮圧した。
で、魏の張政が、倭に視察にきて、なぜ、来てくれなかったのか?
と問い詰めたら、
倭国で内乱(狗奴王の乱=武埴安彦命の乱か?)が起こっていて、それどころではなかったと。
>>40 軽く感動。
そうだよね。
あたまいいね。
ついでに、魏志倭人伝と地域比定の解説プリーズ。
70 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:33:01 ID:5Gj9wXzq0
AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。
71 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:34:07 ID:2QT8b8eMO
宮内庁って隠し事多いよな! でも外交は宮内庁がないと出来ないんでしょ?
72 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:37:55 ID:UDTpwtfHO
九州である事は、ほぼ確定してるんだけど、それじゃ面白くないし奈良の都合もあるのでチマチマやっていくんだろうね。
73 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:39:30 ID:uTcRwgZe0
3世紀、日本の中心は間違いなく機内。 日本中の物が集まってきている。 考古学がそう示している。
>>62 自分は鉄を過大評価するべきではないと思う。
単純に、九州は、熊襲との戦いの最前線だったから
鉄が多くあったのに過ぎないと思う。
あと、神武天皇は九州から東征したというが、
神武天皇が、ナガスネヒコと戦う直前は
吉備に赴任してた時だから、九州から遠征という感じではないと思うね。
それに、神武天皇が近畿に入って、イワレ彦を名乗った後も
欠史八大の間は、あまり、事柄が無いことから
この間は、まだ、政治的実権は握っていても
祭司上の実権は握ってなかった可能性が高い。
この欠史八代の間に、倭国大乱があって、卑弥呼が擁立されたとあるから
この時に、神武皇統は完全なナンバー1になったのだろう。
75 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:41:32 ID:21+lNzFy0
「初の統一国家! 出雲系王朝!!!」って感じのドラマ・映画・小説作れば良い。 出雲王朝が有名になれば、観光地的にはWinWinだろ。
>>70 出来てないし、対馬では観測された。
でも、皆既日食は、あんも無関係だ。
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ姫命だ。
孝霊天皇の皇女であり、大和王朝の祭司上のトップにいた巫女。
彼女が、魏から倭王と認められていた人物だ。
77 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:42:20 ID:mzkIhuj40
放射性炭素年代測定によって、畿内の遺跡がすべて250年ごろと出るヨカン
分った! 神武は、制圧しようとしていた九州懐柔のため、 俺は宮崎から来たんだ〜とか言ったんだ! 信長のコレトウとかコレムネみたいに。 俺ってあったまいー!
79 :
佐田大神vs姫太伯 :2009/06/01(月) 01:44:55 ID:jb2LfzwHO
僕が、歴史の真相を教えてしんぜよう。 邪馬台国(旧大和国・現奈良県)の 日御子(ヒミミコ・現在で言う斎宮)の 「姫太伯ー∬ー天御中主神ー∬ーイザナギー∬ーアマテラス卑弥呼」が 狗奴国(旧伊勢国・現三重県)の 日神(ヒミココ・現在で言う太陽神)の 猿田彦(日本列島の先住民の主・本来の太陽神である)と戦い アマテラス卑弥呼が、日の神の実権を乗っ取る それから西方の豪族である「姫太伯ー∬ータカミムスビー∬ー神武天皇」が 邪馬台国(旧大和国・現奈良県)を東征し乗っ取り 大和王権の誕生となる そして現在に至る 卍僕は源氏の子孫だが、本来は猿田彦の子孫だったという家伝が伝わる
>>77 そんなことはないわ。
纏向遺跡の一番古い遺跡だと
西暦170〜西暦200年ごろと判断されることが多い。
82 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:46:42 ID:21+lNzFy0
神武が実在してるとか妄想家・資料原理主義は( ・∀・)カエレ
84 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:47:35 ID:mzkIhuj40
神武は、海外出兵時代に遠洋航海できなかった、落ちこぼれ海軍。 だから、九州から都落ちして、列島内で傭兵として使ってくれる権力を探した。 それもままならず、熊野経由で畿内に乱入、やっと小領主となった。 周囲には大地主がひしめいており、神武は子孫9代にわたってひもじい生活をした。
85 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:48:17 ID:ygm+g/bo0
>>70 >AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。
そんなことないよ西暦248年は朝鮮は日食は見えない
>AD248の皆既日食は近畿、九州では観測できず韓半島南部(任那?)では観測出来たらしい。
うるさくて好きではないが、書いている内容は興味深い。
>>80 そんな詳しいことは分かりません。
でも、そもそも、弥生時代の始まり自体が
紀元前1000年になりつつあるから
西暦3世紀の卑弥呼とは、基本的に無関係。
邪馬台国の前にあった倭国大乱って、気候変動による全国的な不作が 大きいんじゃないのかな?何かで見たような気がする。それ以前は 温暖で各地域にそれぞれ集団があって、不作による混乱によって 殺し合いが続いて、それを収めたのが卑弥呼擁する邪馬台国なのかな。 で、邪馬台国の頃にはまた温暖な気候に戻ったと。
88 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:50:36 ID:ygm+g/bo0
>>82 じゃあ、アメリカ人も妄想家・資料原理主義なんだな。
今日、NHK教育で朝鮮と日本の番組やってたね 任那日本府の 朝鮮南部でも前方後円墳が沢山でてきてる
これ論理がおかしいだろ。 九州北部にも畿内にも吉備にも出雲にも有力な勢力があっておかしくない。 少なくとも文献的には九州説の方がそれらしいんだから(畿内に向かう旅程が全く記されて無い)、纏向なんか調べるより九州説が間違ってる明確な根拠を示さないと証明にならない。 大陸に近い九州の方が先進文化の吸収には絶対有利なんだから、九州から畿内に政権が移動したか畿内勢力が九州を征服したかの経緯が無いと説明つかない。 初めから畿内が圧倒的な勢力を持ってたって説は信憑性が無いよ。 瀬戸内海を囲んで諸勢力が通交してた時期が当然あったんだろうから、そこら辺を掘り下げないで「古墳の年代」だけで歴史を確定しようってのは無茶。
邪馬台国(大和国) 投馬国(出雲国) 狗奴国(許乃国) 卑弥呼時代の西暦240年代=日本書紀の崇神紀の治世10年前後。
92 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:51:34 ID:iptgAt4qO
宮内庁が古墳の発掘を許可すれば全てわかってしまうんだがね… 許可が出ない限り永遠に結論は出ないだろ アメリカとかだったら速攻で掘って調査するだろうが 謎をわざわざ謎のまま残して議論を楽しむなんて洒落てるじゃないか 俺的には「さっさと掘らせろ!」って思う
>>86 >>そんな詳しいことは分かりません。
あなた動物考古学を勉強したことあるの?
今回の発表をした西本先生が断言してます
ちなみに弥生時代が紀元前1000年という研究も
今回の発表をした民博な
94 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:55:30 ID:21+lNzFy0
>>90 卑弥呼がいた町ってなれば、大観光名所になるでしょ。
卑弥呼の歴史的地位とは関係ない。
ドコだって良いじゃん…九州だろうと関西だろうと… もしかすると中国地方かもしれないし、中部地方かもしれないし、関東地方かもしれないんだし… アミダででも決めちまえ… 生き証人が誰一人居ない以上、歴史書ですら誰かが書いた想像の産物である可能性は誰にも否定は出来ないんだし… ヤオビクニが居るならまだしも…まぁそれすらまだ産まれてねぇか…
96 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:56:10 ID:nLbRwijC0
はっきりいって、歴史の大きな流れとしては、 卑弥呼かどうかなんて、どうでもいい話になる。 この時代はすでに小国分立じゃなくて、 畿内に統一的な政権があったということが分かればね。
>>92 継体天皇のは調べたようだが。
今城塚古墳。
はにわ。
他のも、埋まってるのはハニワだろう。
投馬(ツマ)は出雲、方角は帯方群から大雑把に南としてるだけ。 それで水行20日。 邪馬台国は大和、これも大雑把に南と表現。 水行10日、陸1月も実際行かずに伝聞で、 本州のどっかに着いてそっから歩くという事でしょ。 距離12000里が問題になるが、これは魏からみて 当時遠距離の都市を大体12000里前後と記述してたのと同じでしょう。
>>90 最近の考古学者では、九州から近畿地方に
首都が移転したという見方をする人は少ないです。
海外から輸入品が、九州から近畿地方へ流れるのは、
古代に限らず、中世だって、そうでした。
当たり前のことです。でも、そんな時代においても、近畿地方が首都でした。
100 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:57:23 ID:2QT8b8eMO
なんで発掘許可しないの?
101 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 01:57:30 ID:mzkIhuj40
丸くて土盛りの低い塚だった卑弥呼の墓を、 鍵穴型の高い土盛りである前方後円墳の箸墓に比定するのは、 詐欺師の仕業。
有名な遺跡の規模を検索してみたんだけど 吉野ヶ里は50ヘクタール 巻向は300ヘクタール 何か巻向規模でか過ぎない?
魏志倭人伝には邪馬台国は「蚕桑緝績し」と書いてあるんだよね 当時、養蚕があったのは九州
>>93 弥生人というのは、渡来人ではありません。
縄文人+渡来人=弥生人だからです。
そして、日本語の系統としては
縄文人の言語をそのまま継承している。
縄文人と弥生人の混血は、長い時間をかけて緩やかだったので
基本的に、縄文人の言語を継承したまま
弥生人の血も強くなってきたというのが、本当のところ。
>>101 藤村新一のせいで日本の石器時代は空白になったけど
その過ちをまた繰り返すかもねw
106 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:01:35 ID:iptgAt4qO
前方後円墳は地球の磁力を制御する鍵穴だと本に載ってた。 民明書房刊「はに丸とひんべえ その愛」より
107 :
佐田大神vs姫太伯 :2009/06/01(月) 02:03:16 ID:jb2LfzwHO
神武天皇は最初、九州地方の地方豪族にすぎず 中央の邪馬台国を、東征して。それから大和王権を建国した。 倭の民は、中国の周王朝の祖である呉太伯、つまり姫太伯の一族である。 畿内の中央から九州の地方まで太伯の末裔の豪族が支配していた。 中央の君主も、太伯の子孫である
108 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:03:20 ID:UDTpwtfHO
畿内説には無理があるね
>>87 :名無しさん@十周年:2009/06/01(月) 01:48:58 ID:UxX9dP/I0
>邪馬台国の前にあった倭国大乱って、気候変動による全国的な不作が
>大きいんじゃないのかな?何かで見たような気がする。
西暦240年くらいな。
倭国大乱は西暦150〜180年くらいだから、時期が全く違う。
ちなみに、崇神5年くらいに、疫病が流行したとある。
これが、西暦240年代の気候変動の時代でしょう、たぶん。
111 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:04:26 ID:p+Ki9emC0
径百歩の塚でしょ? 普通は円墳を想像するけどなぁ…
両方にあったじゃあダメなの?
>>109 西本さんの言うことが、全て正解のわけないじゃんw
というか、歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。
>>109 中華は何でも食う。
中国系の男のY遺伝子を見ると、Oタイプは
中国朝鮮は9割の男がOタイプ。日本は5割。
だから犬食う奴が居ても変では無い。
そんなことは言われなくてもわかってることだ。
ここでは倭人の話をしてるのであって、日本のOタイプの男は
中華の名を残すこともできず、土着に取り込まれ一体化してるので
倭人でしかない。
115 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:08:19 ID:Iu3JGnu60
今年の夏は卑弥呼ブームで決まり!
>>1 今回の発表で、自分の学者人生が
崩壊してしまう人も多くいるから
みんな、必死なんだよ。
邪馬台国九州説の人はアマチュアに多いが
これで、たくさん本を書いて商売してきた人は
全てが崩壊してしまう。
117 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:10:28 ID:1uUxM4w6O
なんかスレの流れがどんどんオカルトになっていってる…
118 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:11:45 ID:XKHEfAU50
>>114 そして
倭ができて以降、日本に帰化した男もほとんどOのはずなので
つまり倭ができた頃は今よりOタイプの男はだいぶん少なかっただろう。
となると、どう考えても倭人は土着のD系統が強い民族であったのだろうし
O系統の男が中華の名を捨てることになったわけだ。
ぶっちゃけ邪馬台国そのものが存在しないのではないかと思うようになってきた 魏志倭人伝はいまでいうと同人誌で「邪馬台国って国があってー。女王様がいたりしてー。 死んだら奴隷1000人とともに埋められた。みたいなw」って感じで書かれていたりする
纒向遺跡の古墳群、卑弥呼側近を埋葬か 「畿内説」の根拠に
5月31日22時26分配信 産経新聞
早稲田大学で同日開かれた日本考古学協会総会で報告された。
纒向石塚古墳については出土した炭化物の残存炭素量を測定した結果、西暦200年
ごろの築造と推定。土器の形式変化から年代を割り出す考古学的手法では2世紀末〜
3世紀前半で、約50年間の幅があったが、今回の分析結果によって年代がさらに絞り
込まれることになった。
また、約200メートル西にある矢塚古墳(同、全長96メートル)は220〜260年ごろ、
矢塚古墳の南約300メートルに築かれた東田大塚古墳(同、全長120メートル)は
220〜240年ごろの築造の可能性が高いという。
研究グループは、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同、全長280メートル)について、
卑弥呼の没年(248年ごろ)と合致する240〜260年築造との見解を出しており、
纒向遺跡内の最古級の前方後円墳は(1)纒向石塚古墳(2)矢塚古墳、東田大塚古墳
(3)箸墓古墳−の順に築造された可能性が高いとしている。
炭素年代測定法は数十年単位の誤差が出やすいとの批判もあるが、研究グループの
春成秀爾・国立歴史民俗博物館名誉教授(考古学)は「多くの資料を分析することで
年代を絞り込むことができた」と精度の高さを強調。纒向石塚古墳などの被葬者に
ついては「卑弥呼はまだ生きていた時代なので、彼女を支えた有力者の墓ではないか」と
している。
邪馬台国について中国の史書「魏志倭人伝」などによると、2世紀後半に卑弥呼が
擁立され、239年に中国に朝貢するなど3世紀前半を中心に隆盛したとされている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090531-00000575-san-soci
もう、邪馬台国論争は 九州説VS近畿説 から、 箸墓=卑弥呼墓VS箸墓=台与 にかわりつつある。 もう、近畿説でほぼ決まり。
邪馬台国九州説はもう無理だね。 卑弥呼(邪馬台国)は巻向の地で滅ぼされたんだよ。 その後間もなく大和朝廷が成立したと考えないと、 時系列的に無理があるしな。 で、卑弥呼は出雲系の姫。 だから大和政権としては都合が悪いので、歴史書には 邪馬台国の記述が殆んどなし。 外国の魏史倭人伝にのみ詳しい記録が残ってしまったという事。
124 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:15:12 ID:Iu3JGnu60
>>117 最終的には、勾玉でガメラの呼び方を研究してるなw
>>113 >>歴博の人でも、意見が微妙に違うしね。
だったら歴博の人でも他の人でも違う説の人のソース出してね
>>114 俺もそう思いますよ
たくさん犬を食べたんでしょうね
126 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 02:17:12 ID:jb2LfzwHO
釣るか・・ 倭人は呉太伯の子孫なり。 古代、倭の国は。呉や越と同格に扱われていた。
>>110 時期が違うのか。疫病もどんな時代でも世の中不安定になるもんなぁ。
何にせよ、邪馬台国時代の前後にどんなことが各地で起こったのか
発掘とか当時の気候とか詳しく検証できたら、もっと大和までの流れを
掴めそうだなぁ。
魏志倭人伝には「男子は大小と無く、皆黥面文身す」 ヤマトにこんな文化残っているんですか? 文献とかに残っていますか? 男は皆イレズミだよ
どっちでもいいのよなあ。 前方後円墳は日本が起源で、規模も日本の古墳が最大最多なので とにかくヤマトの遺跡なのは確か。 首都がどこだろうが、移転しようがそんなものはヤマトの勝手だろう。
>>123 日本書紀を読め。そんなことは、どこにも書いていない。
卑弥呼は、完全に大和王朝の出身。
131 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:20:59 ID:LRX7D6DY0
>>128 でもさ、今の日本人って髷結わないけど江戸から明治にかけて民族的に入れ替わったとかないし
どうなんだろう
132 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:21:02 ID:UDTpwtfHO
畿内説はオカルト好きな人にはたまんないだろうね 「魏志倭人伝」だと九州説が有力、物的証拠の金印もある それに卑弥呼が一人とは限らないしね
>>125 犬は、野犬退治が大変だろうと思うんだがな。
少しでも噛まれて狂犬病になると、終わりだし。
となると、飼うも何も狂った犬を退治して、その死体だけで満腹だろうに。
そうでなくともオオカミだらけの昔に、犬をわざわざってのも変だがな。
どちらにしろ、退治したら食糧だからな。
これは民族関係ないだろう。
大和王朝が、出雲国譲りの経緯から 長い間、出雲の神様も大切にしていたのは事実だ。 だから、卑弥呼(モモソ媛命)も、出雲の神様も大切にしていた。 ただ、出雲国譲りが行われたのは 卑弥呼(モモソ媛命)よりも、ずっと前だ。 神武天皇の時代よりも、さらに前の時代。
上岡さんに聞けば済む話し。
>>130 日本書記だと卑弥呼は神功皇后だぞ
国学者の本居宣長も否定してる
>>128 さっきから妙に噛んでくるよな。
風習が続いてないと民族が変わるのか?
だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?
>>133 でも、縄文時代には食って無かったみたいね
もちろん多少は食うやつもいただろうが
渡来人が入ってきて犬を食う文化が広まったようだ
あくまで今回の発表をした西本先生の説だけどね
139 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:26:38 ID:Iu3JGnu60
連合国家の邪馬台国の卑弥呼が、ヤマト王権を作った。この次期の女帝は一人で 別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。
>>136 だから、国学者の本居宣長は大外れ。
彼は、国学者で、大和王朝が中国に朝貢するのが気に入らなかったから
邪馬台国九州説をぶちまけた。
日本書紀は、中国との外交に使うから
無理にして、年代を編纂したから、
結局、神功皇后が卑弥呼に違いないと
日本書紀の編纂者が理解したんだろう?
中国側の女王って記述が、何のことか分からなかったんだろう?
古い時代、縄文の頃は日本各地に入れ墨文化って結構あったように 思う。それが下火になってきたのが邪馬台国から大和にかけてでは ないだろうか?丁度中国、朝鮮の文化が影響を与えた時期。 でも日本の入れ墨って古くから現代にも続く芸術でもありそう。
>>130 魏にとっても重要な邪馬台国は殆んど記述されてないし。
それに…神功皇后がそうだと言いたいのかw
沖縄旅行していた時ガイドのおっちゃんが邪馬台国は琉球にあるんですよと力説していた 大和の大王は琉球から移り住んだ人々だとも これで確定でしょ
>>137 >>だとしたら、世界中で現代と忠誠では服装も髪型も変わってるから
地球人は総入れ替えされたのか?
江戸以前にマゲをしてたが、明治でマゲ無し洋服になった。これは民族が違うのか?
反論にすらなってない
ヤマトにはイレズミ文化があったことの証明をもってこいよ
お前の思い込みの主観じゃなくね
昔ある番組で三角縁神獣鏡の出土具合だけで九州説は崩れるって学者のコメント取って流したら スポンサーの広報部長が九州の人で、えらい怒られたな。
>>139 >別名:天照大神、 神功皇后、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)。
そんなこと、どこにも書いてません。
息をするように、うそをつくな。
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命 以上です。
147 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:30:15 ID:ODNpOBO40
そもそも海を隔てた外国の歴史書の記述に、どれだけの信憑性があるのか疑問だな。 国内にあの時代をリアルタイムに記述した資料が存在しないって未開人にもほどがあるよね。
148 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 02:31:17 ID:jb2LfzwHO
天津神の民族たちは、国津神の民族を支配してからも、国津神の神を大事にした。 だから、天皇家は出雲大社も大事にした。 そこまでは納得出来るが、しかし 天皇家は、アマテラス卑弥呼をあまり大事にはしていなかった これは、疑問と思わないか?皇祖神なんだよ? それとも、皇祖神だと後からでっちあげたのか?
魏志倭人伝によると 邪馬台国は鉄器と絹を生産してたんだぞ これだと九州だろ
卑弥呼はマンモスの養殖に成功したらしいな
>>144 刺青が無いと倭人ではない証明をお前がするほうが先だろ。
なぜなら、刺青が無くとも倭人だからだ。
朝鮮人や中国人は、刺青をしなくなったヤマトの人間を倭人と呼び続けた。
ミズラがなくなっても倭人。
いまでも倭人と呼ばれるのはヤマト民族。
それをおまえがなんで一人否定してるんだ?
152 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:33:21 ID:Iu3JGnu60
>>146 でも、卑弥呼に匹敵するような女帝は卑弥呼だけでしょ?
>>145 サンカクブチは今や畿内説の人も根拠につかいませんw
でも、はしはかを調べて中国から送られたらしい鏡が出てきたら
やはり畿内説が強まるだろうね
154 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:36:28 ID:Iu3JGnu60
そうすれば、辻褄が合う気がしたから
天津=葛城の高天地方 国津=出雲地方。 近畿地方のことを、日の昇る南天とされ、 出雲地方のことを、日が沈む黄泉の近くとされ、 まあ、天津というのは、近畿地方のことです。 国津というのは、近畿地方以外の地域で、とくに、 出雲王朝の配下だった地域。 徳川幕府的に言うと 天神系(葛城・大和の譜代豪族) 天孫系(葛城・大和の親藩豪族) 地祇系(外様の豪族) で、 諸蕃系(渡来系氏族)
156 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:37:37 ID:lh0XQe/U0
魏志倭人伝では卑弥呼が亡くなった後奴隷1000人が生き埋めになったらしいな 箸墓古墳から奴隷1000人は出てきたの?
>>148 決して大事にしなかったわけじゃないだろ。
でもやっぱり何らかの争いがあって
邪馬台国を書記に記すには問題があったのでは?
158 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:39:26 ID:yj2At8xc0
>>153 どの鏡が中国の鏡かは分かりません。
くれぐれも、箸墓から出たから卑弥呼の鏡だなどと言わないようにして
もらしたいものだ。まあ、箸墓が調査されることはないだろうけど。
>>151 俺が言っているんじゃなくて
魏志倭人伝には
邪馬台国の男は皆、顔にイレズミしていると書いていると言っているんだろうが
とにかくお前もどうやってイレズミが消えていったか
お前の思い込みじゃなく最低限ソースだせよ カス
160 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:41:33 ID:2QT8b8eMO
奴隷生き埋めが、発掘許可が出ない理由かな?
162 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:42:47 ID:UDTpwtfHO
書記があったとしても日本語ではなかったりしてな、だから表に出せなかったりして
>>159 わるいが、刺青も、角髪も、マゲも、そういう風習が消えていったのは
「時代の流れ」
だとしか答えられないな。
刺青があるのを倭人と呼ぶ
無くても倭人と呼び
美豆良がある人間も倭人と呼び
無くても倭人と呼び
マゲがある奴も倭人と呼び
無くても倭人と呼んで
倭人倭人倭猿倭猿と呼び続けてきたのが中国朝鮮人だろう。
だから、ヤマト民族が倭人であるのは15億人くらいの証明してくれる人間が居る。
常に倭人と呼び続けてきた彼らに聞いてくれ。
魏志倭人伝には 邪馬台国は冬も暖かくて 生野菜を食べていると書いてあります 奈良は冬は寒いです
165 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 02:46:41 ID:jb2LfzwHO
入れ墨、入れ墨云々だが 入れ墨文化は倭人だけではなく 中国の呉や越も入れ墨してなかったっけ?
>>164 当時も寒かった?当時の近畿地方はどうだったんだろうか。
>>140 >彼は、国学者で、大和王朝が中国に朝貢するのが気に入らなかったから
>邪馬台国九州説をぶちまけた。
東大学派もその流れなんだよね。
弥生人は縄文人の進化型とか言ってたしw
卑弥呼が畿内だとすると、実は大変なことだ。
天孫降臨から東征までの話と合わせると、大和には蝦夷縄文系の王朝が
あって、朝鮮から渡ってきた王朝がそれを滅ぼして居座ったことになる。
でも、これなら、朝鮮半島南部と大和朝廷が深い縁があったことも、
すんなり説明できちゃう。
>>160 時代の流れで消える文化もあれば
消えない文化もあるだろ
それをお前は自分に都合のいい考えを恣意的に引用しているだけなんだよ
思い込みで歴史を語るのもシロウトの楽しみでいいとは思う
だが、根拠となるソースをしめさないとまったく説得力はないよ
169 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:49:00 ID:yj2At8xc0
神武天皇に付き従って大和に入った人(名前は忘れた)は、顔に刺青をして いたらしい。それを見て、大和の娘は驚いたと日本書紀に書かれているらしい。 調べてもいいが、面倒くさいので記憶だけで…。
入れ墨文化って世界中にありそうだけど。地域、時代によって 変化していくもんなんだろうなぁ。
>>161 >黥面文身
>3世紀の日本について記した『魏志』倭人伝は、男子がみな黥面文身して
>いたと伝える。文身とは、顔以外の身体に入れ墨をすることであり、
>黥面とは顔に入れ墨をすることである。
>『日本書紀』の記事中にも、入墨についての記事がある。武内宿禰の
>東国からの帰還報告として、蝦夷の男女が文身していたとある
http://ja.wikipedia.org/wiki/入れ墨
>>169 歌に詠まれているよね
なぜ貴方は目にイレズミしているのですか・・・みたいな
かなりイレズミが特殊だったという事なんだろうね
>>164 それは邪馬台国の人や生活の様子ではないよ。あくまで「倭人」の様子。
つまり実際に遣いがいったと思われる九州の様子ですw
そこに伝聞が色々まじってると考えましょう。
174 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 02:55:42 ID:jb2LfzwHO
九州の邪馬台国(後の大和王権)の文化が、入れ墨してて、海に潜るのが好きな海洋民族と言うが 出雲四天王の猿田彦も、海に潜るのが好きな海洋民族だぜ 同じ同族なのか?
175 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:56:24 ID:jAK/lGU80
176 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:56:40 ID:LRX7D6DY0
>>173 しかし、何をもって倭人としたんだろうね
ある王の権力範囲内にいる民族を倭人としたのでもなさそうだし、そもそも倭人ってどういう意味合いで使ってるのかな
ってのが気になる
特徴的なのは、「男子が」「黥面」「文身」って所か。 今で言う仁侠、極道の世界と何か共通するものがあるのかも。
178 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 02:57:41 ID:yj2At8xc0
>>172 つまり、大和には刺青の文化はなかった。
倭人伝の記述とは合わない。
したがって、大和は、倭人伝に言うところの倭国とは言えない、
ということかな。
>>173 俺は邪馬台国に対する記述だと思うけど
少なくとも一般的にはそうでしょ
>>178 一般の風習としては続いてたんじゃない?今もあるくらいだし。
181 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:00:32 ID:yj2At8xc0
>>174 猿田彦といえば、瓊瓊杵尊を日向の高千穂に送り届け、アメノウズメノミコトと
一緒に、伊勢に行ったわけだから、もともとは九州かもね。
>>167 おまえ、阿呆かw
そんなことには、ならないよw
184 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 03:03:19 ID:jb2LfzwHO
>>181 でも猿田彦は出雲系の国津神だから、それはどうなんだろう
卑弥呼とは、まったく関係ないけど
>>178 そうそう
そんな感じっす
勿論イレズミは現代にもあるぐらいポピュラーなものだから
ヤマトにも多少はあったと思うけど
皆が顔にイレズミしているというのは、
邪馬台国はヤマトではなかったんじゃないかなと思う
変化したというのも無いとは言えないけど
そこまで大きな変化なら、なんらかの文献なりに残るんじゃないかなぁ
呪術的なものだったんだろうし
おまえら、 高天原=葛城の高天 高千穂=宮崎・鹿児島 だ。 これを、ちゃんと覚えておけ。 つまり、皇室の祖先は、葛城の高天で発祥し その後、九州の高千穂に赴任した。 おまえら、高天原と高千穂、ゴチャゴチャになってないかw で、卑弥呼の時代は、それよりも、ずっと後の話だw
187 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:05:00 ID:mE1obRnn0
ヤクザはずっと昔から関西が本場 関東のは天保水滸伝で書いてるように幕末近くからだな 九州のは炭坑が盛んになった明治からだろう してみると九州説はやっぱり間違いだったな
>>178 >したがって、大和は、倭人伝に言うところの倭国とは言えない、
神武天皇が東征して大和に入ったときの話なんで、大和には入れ墨
があったのかもしれない。
つまり、邪馬台国大和説と話を総合すると、大和には蝦夷の王朝
があって、天皇系が九州から大和に入ってそれを滅ぼしたと。
>>167 今日もNHKでやってたけど
朝鮮半島南部と大和朝廷に縁があったのは間違いないしね
四国説w
191 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:07:01 ID:Wk3iceqPO
>>107 なるほど。日本は中国大陸様の一部なんですね。
192 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:07:38 ID:yj2At8xc0
>>184 猿田彦は、天孫の一行が高天原から降りてくるのを待っていたわけだから、
天神の一族とはいえないかもね。だから国津神となっているのかも。
あんまり良くわからないが。
193 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:12:24 ID:Iu3JGnu60
ヤマト王権は、熊襲と蝦夷を滅ぼして日本を統一した。
>>179 実際生活等に関しては「倭人」としか書かれてないし。
邪馬台国の人々の様子ならそう書くでしょ、「女王の国の人」とかね。
まあ俺は魏の遣いは伊都までしか行ってないのを
前提にしか書いてないけどな。
195 :
佐田大神vs太伯 :2009/06/01(月) 03:14:11 ID:jb2LfzwHO
大和民族は昔、天孫民族と呼ばれていたから あえて倭人を天孫人と呼ばせてもらうが 天孫人が必ずしも、朝鮮半島経由で日本列島に来たとは思えない 中国大陸から直接渡って来たんじゃないかな?
九州の一勢力が、勝手に魏国に使者送って、勝手に金印貰ったって説は無いの?
>>195 まあ薬(丹)探しにやってきた徐福伝説なんてのもあるしな。
198 :
佐田 :2009/06/01(月) 03:19:37 ID:jb2LfzwHO
>>196 あるいは、対馬の宗氏みたいに
地方豪族が中央政権を通さず独自に金印を貰ったか
高天原=葛城の高天 高千穂=宮崎・鹿児島 紀元前1世紀 出雲国譲り 大和(首都は高天)が出雲を併合し、日本の大半を統一 その時の大和の大王は、天火明命(通称・天照国照彦) 倭王アマテルとして君臨する。 后は、天道日女命で、出雲の大国主の王女だった。 天火明命は、后の父親の出雲王から、天下を譲り受けた。 そして、天火明命は、日本各地に司令官を派遣した。 九州の高千穂には、弟のニニギ命を送り込んだ。 紀元1世紀 大和本国で内乱。九州分家の若御毛沼命(神武)が 大和本家を助けるべく、援軍として駆けつける。 内乱は鎮圧され、若御毛沼命はイワレ彦として、 大和本家を助け、実際の政治を見た。 紀元2世紀、 若御毛沼命の後胤(神武皇統)が力をつけ 大和本家(尾張氏の先祖)と争うようになる(倭国大乱) その結果、神武皇統が勝利し、倭王(祭司王)にモモソ媛命 執政には、そのまま孝元天皇がつく。 紀元3世紀、中国の魏志倭人伝に登場。 老女の倭王卑弥呼=モモソ媛命 実際の政治をみていたのは、崇神天皇。 モモソ媛命の死後、だいぶんたってから 崇神天皇が、祭司王(倭王)と執政の両方を行うようになる。 祭政一致の王の誕生である。
200 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:20:54 ID:NEKWWo2BO
魏史によればヤマタイ国周辺の地理として阿蘇山が挙げられている 志賀島の金印に見られるように、この地には古代に中国が認めた国家が存在した 卑弥呼の墓は円墳 これらの事から箸墓が卑弥呼の墓とか、ヤマタイ国畿内説はありえない 紀記の記述は八世紀より前に関しては中国の史書との食い違いが大きく信用できず この時期に他の地域にあった天皇家以外の政権の存在を意図的に隠蔽している可能性が大きいだろう よってヤマタイ国については従来通り九州にあったと見るのが妥当
中国南部にあった、呉や越の国も、刺青をしていたと言う。 後に廃れたようだが。 彼らは中国人なのか? 縄文人なのか? そんなはずは無い。呉や越は、鉄の武具で武装していた覇者になれるほどの 軍事力のあった国家だからだ。縄文とは違う。 ファッションで民族はわからんということだ。
202 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:24:42 ID:Iu3JGnu60
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。 魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。 ↑ これが有ったから卑弥呼は巨大な力をつけた。
天孫降臨を勘違いしている。 古代の日本の皇室は、ずっと、高天原=葛城の高天としていた。 つまり。皇室の起源の地は、この葛城の高天地方だ。 「高天彦神社」で検索してみろ。 この葛城地方から、九州高千穂に送り込まれたのが、ニニギ命だ。 ちなみに、出雲国譲りは、ニニギ命が九州に送り込まれる前に終わっている。 つまり、葛城の高天地方の豪族が、出雲を併合した後、 全国各地に司令官を派遣したのだ。 で、熊襲との戦いの最前線に、葛城の高天王家の一族のニニギ命を送り込んだ。
204 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:25:14 ID:IrqT6xDL0
しょせん、イストワール。
205 :
ロザリー ◆PiGJDrhfQc :2009/06/01(月) 03:25:25 ID:VPc4snNAO
やまとととひももそひめのみこと 覚えた
206 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:27:28 ID:LRX7D6DY0
オギヤハギ
207 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:27:46 ID:Wty0K/MhO
神々がいる『天』は中国であるのは まぎれもない事実。 当時は中国文化に皆が憧れた。 大東亜戦争に負けた後、皆がアメリカ文化に憧れたように。 残念ながら、これは真実です。
209 :
ロザリー ◆PiGJDrhfQc :2009/06/01(月) 03:29:19 ID:VPc4snNAO
>>207 違います。
外国系には、わざわざ諸蕃というカテゴリを設けているぐらいだし。
天(アマ)というのは、水をも意味する。
現在でもそうだが、田舎の旧家は、かならず、村の川の川上の高台に
家を構えることが多い。
その名残で、近畿地方においては
葛城の高天地方の周辺が、その最適の地域だった。
そういうことだ。
211 :
佐田 :2009/06/01(月) 03:34:19 ID:jb2LfzwHO
「やまとととひももそひめのみこと」って倭姫命?
>>202 その解釈も低レベルだ。
中国が邪馬台国に使者を送ったのは
朝鮮半島で、魏の帯方郡で、三韓人の反乱が起こったので、
その援軍として、かけつけるよう、出兵要請だ。
でも、倭軍はかけつけなかったから、
後に、魏は、張政をよこして、理由を聞きにきたわけ。
そうしたら、倭国でも、内乱があって、それどころではなかったと言い訳した。
213 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:35:22 ID:yj2At8xc0
>>195 天孫・瓊瓊杵尊は、日向に来るとき、船を使っていない。
だから、高天原は陸続きの場所にあったと思う。
高天原から大和にやってきた饒速日命は、天磐船でやってきたわけだから。
こう考えると、高天原は日向以外の九州じゃないかな。
そうすれば、出雲の国譲りと天孫降臨がうまく説明できるから。
だいたい、記紀に日向と出雲がいっぱい出てきて、北部・中部の九州が全く
登場しないのはおかしいので。
>>200 俺も魏志倭人伝を読むと九州説だと思うんだけど
投馬国はじゃあどこにあったと思いますか?
投馬国はズマと発音して出雲とする説がありますよね
だとすると魏志倭人伝には南行と書いてあるけど
それは東の間違いでやはり近畿説も無視出来ないなと思うんですが
>>200 魏志を読む限りじゃ北九州一体は
倭の玄関口、出張所みたいなもんでしょ。
志賀島が邪馬台国とでも?
中継点で金印が見つかっても別に不思議ではない。
216 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:39:16 ID:yj2At8xc0
>>213 古代人の精神世界を理解しないと駄目だろう。
天イワフネという記述を額面どおりに
現代の船のことだと受け取るべきではない。
フネは、海を泳ぐ船となったのは、後世の解釈。
218 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:41:20 ID:Wty0K/MhO
>>207 結局、朝鮮の武将達が攻めいって縄文の猿達を駆逐し
支配者となり
その武将の代表が天皇となった。
そして、そのその武将達は、中華に憧れを持っていて
文化をどんどん輸入した、ってことですね。
これは実に合理的で、とても史実にマッチした歴史ですね。
よくわかりました。
ありがとうございました。
219 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:41:33 ID:yj2At8xc0
>>217 じゃあ、なんで瓊瓊杵尊は船に乗ってやってこなかったんだろう。
フネというのは、運輸や交通の意味がある。 だから、海を泳ぐ船となったのは、後世だ。 宮崎駿のラピュタという映画では あの飛行船を、フネとしていたしね。
>>218 だから、そんな話にはならない。
そもそも、現在の考古学者の間では
近畿で王朝が誕生したのであって
わざわざ、九州から近畿に引越しする意味が分からないという意見が大勢だ。
223 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:45:35 ID:Kl8AKRIEO
224 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:46:10 ID:yj2At8xc0
>>217 それよりも、出雲神話、日向神話は多くの紙面を割いているのに、
その間にある北部、中部の九州が全く登場しないのをどう説明するか、
ということかな。
ここが高天原なら、古代の状態を考えると一番妥当だと思うが。
>>213 >天孫・瓊瓊杵尊は、日向に来るとき、船を使っていない。
天から降りてくる(たてまえの上で)わけだから船は使わない。
出雲国譲りとは、紀元前1世紀くらいの話。 出雲(首都は意宇)VS大和(首都は葛城・高天) で戦いがあって、出雲が大和に降伏することで決着した。 それで、出雲王の娘が、大和の王に嫁いでいたので 出雲王は、娘の生んだ子供に大倭王を継承させることを条件に 降伏に合意したのである。 このへんは、播磨国風土記に記載されている。 この系統は、もともとの倭王の嫡流だった。 九州に派遣されたほう(今の天皇家の先祖)が、分家筋。
227 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:48:42 ID:UDTpwtfHO
今の時代の人間の考え方では九州から近畿にわざわざ引っ越さないだけで、昔はよくあった話だと思うよ
228 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:52:21 ID:yj2At8xc0
>>226 考古学との整合性がないよ。大和はもともと後進地。そんなに古くから
栄えていた痕跡が全く見当たらない。
紀元前1世紀の出雲VS大和の戦いが 現在の兵庫県西部の播磨地方であったことが、 播磨国風土記に記載されている。 ぐーぐれw で、出雲の大国主と、大和の天火明命は 義理の親子の関係だった。 天火明命の后は、天道日女命(出雲の大国主命の王女) この天火明命と天道日女命の間に生まれたのが 天香語山命だ。彼が、二代目の大倭王だ。
230 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:56:12 ID:Wty0K/MhO
『高天原』については 『高天』を中国読みすると 『コォクゥ』と読み、『高句麗』を示すことは考古学者の間では常識です。 しかし、政治的配慮(?)のため、 こういった事実を日本の高校生達は教わることはありません。 残念なことです。
>>228 うんなことはない。
つーか、紀元前1世紀に革命があったんだろう。
後の中国の史書にも、倭の使者が
「私の国は、倭国の東側の日の昇る地域にあって、もとは小国だった。
しかし、力を増して、倭国を併合した。
しかし、その後も、対外的には、倭国という名称を使い続けたけど、
この名前が嫌いなので、日本国に変えて欲しい」
って言っている。
これは、どうみても、出雲と大和の抗争だろう?
やはり、もともとは、出雲のほうが日本海を中心とした大国で
大和は、内陸部の田舎の新興国家だったんだろう?
232 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 03:57:33 ID:yj2At8xc0
>>229 だから、大和にそれなりの勢力が現れるのは、畿内説の考古学者でも
西暦200年くらいと事としている。
めぼしい遺跡がそのくらいの時期なのだよ。
233 :
佐田 :2009/06/01(月) 03:57:35 ID:jb2LfzwHO
でも遺跡があるのは近畿の方で 栄えてたといえば近畿のほうが・・
>>230 息をするように嘘をつくなよw
高天の原=高間の原。
実は、日本の皇室は、平安時代ぐらいまでは、ずっと、そういう解釈をしていた。
それが、後世になって、歴史が忘れ去られてしまったんだろう?
>>220 矛盾してるな。
運輸・運送する器が船なんだから、例え小船であっても船で問題ないでしょ?
泳いできたんなら分るが。
例えば商人が馬でも仕立てて来たのなら船とも表現するだろうが
徒歩で来たのなら船とは表現しない。
だから、船と表現しなかったのなら海から来たとしたら、泳いできたか漂流でもしたのかもしれない。
あんまり九州説とか畿内説は知らないんだが、卑弥呼っていう役職だった、もしくは役職の名称という事はないのかい? 卑弥呼が複数いたのかもしれないという事も考えられるしなぁ。 くだらない質問で申し訳ないです。
>>226 >出雲(首都は意宇)VS大和(首都は葛城・高天)
>で戦いがあって、出雲が大和に降伏することで決着した。
戦ったのは先遣隊で、それで日向に天孫降臨するわけだけど、
高天原が大和だとは書かれていないどころか、大和はもっとずっと後に
征服したことになってる。
邪馬台国が畿内だとすると、話を総合するとこうなる。
高天原なるところの王朝が日本にやってくる前に出雲と話をつけ、
そしてまず九州に王朝を作る。
次に大和にあった王朝(女王)を征服する。
その大和王朝は、天皇家の遠戚。出雲の娘が天皇家に嫁いでいるので、
その関係と見られる。つまり出雲と大和の王朝は同じ民族。
そして邪馬台国は全身と顔に入れ墨をしている民族。
天皇家が大和に入ったときの民族も入れ墨をしている。
邪馬台国が畿内だとすると、話がぴったり合う。
でも、それは畿内の邪馬台国王朝は天皇家がやってくる前の異民族だ
ということになる。
>>232 つーか、大阪の池上遺跡でも、あれは紀元前1世紀中頃とか分かっている。
その時代に、ちゃんとした区画整理が出来た都市が
近畿地方にあったことが分かってきた。
あと、唐古鍵遺跡も、紀元前からあるわけだし、
その時代から、近畿地方に大きな勢力があったのが分かる。
ただ、文化的にも、圧倒的に栄えていたのは
出雲のほうだったんでしょう。
だから、あういう出雲国譲りなんて、ことになった。
完全な征服ではなくて、出雲の神様も敬うとね。
あと、天火明命の嫁さんが、出雲の大国主の王女だし。
239 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:08:17 ID:Wty0K/MhO
『倭国』とは中国で使われいた言葉ですが 『倭』とは『人(=朝鮮人)に委ねる』という意味です。 先日、自殺した韓国前大統領が訪日された際、 今上天皇が 『朝鮮半島は私の祖先が生まれた国であり、祖国でございます。』 という、お言葉はテレビでも放映されたせいか、 比較的に有名な話ですね。
>>237 そんなこと言ったら、葦原中国はどうなる?
どうみても、出雲の王朝でしょうが...
また、大和というのは、元々は奈良盆地南東部のことをいった。
奈良盆地全体が、大和といわれるのは、後の世だ。
奈良盆地南東部(桜井市・天理市あたり)が大和
奈良県南西部(葛城市・御所市あたり)が葛城
で、高天原の地というのは
葛城地方の高天。
どの時代の、どの地域に遺跡があったとか体系的に書いてある所 知りませんか?そう言う比較みたいなのがあったらいいのになぁ。 その遺跡の規模、特徴とか。
242 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:08:56 ID:yj2At8xc0
>>238 唐古・鍵は、掘っても何も出てこなかった。まず鉄器が出てこない。
大きな建物も出てこない。
つまり、王と呼べるような存在の痕跡が見当たらない。
相当に後進的な道具しか使っていない。
細々とした農村集落としか思えないから、もうあきらめられている。
100年以上掘り続けたらしいけど。
魏志倭人伝に出てくるのは、どうみても九州だろ。 北は卑弥呼の勢力外の国があるって書いてあるし、 近畿地方にもそれなりの国があった、と解釈するのが自然だと思うけど。 ただ、日本に本当の首都が存在したかはわからないし、それが邪馬台国だったとは断定できないわけで。
>>239 天皇陛下の発言の飛躍的な解釈は、もう飽きた。
あれのどこが、私の皇室の系統が外国かなんて言っているw
皇室の系統は、父方の系統でいうわけだからw
あれは、もろ任那日本府の話に直結する。
>>242 というか、遺跡とか残っているのって、
偶然、普通の農村に埋もれてしまったような地域じゃないの?
纏向遺跡が残ったのは、あそこが首都から外れたから、
農村の下に埋まってしまったんでしょうが...
そうじゃない地域だと、建物なんて、定期的に建て替えられるわけだしね。
246 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:13:46 ID:Xecdun/Z0
おそらく古代に平地が多かった場所が邪馬台国
247 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:15:58 ID:Wty0K/MhO
>>244 あなたが言っている意味、よくわかりませんね。
考古学には『思想』はいりません。
あなたには、まず大学にでめ入り直して頂き、
考古学の基礎の基礎から学ぶことをオススメします。
>>247 というか、あなたのほうが、思想満載じゃないの?
記録にも残ってないようなことを
平気で創作するべきではない。、
あなたの発言をそっくりあなたに返すよ。
大学にいって、歴史学。考古学を勉強しなおしてこい。
249 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:18:37 ID:hCpYLFQFO
>>247 百済と今のチョーセンジンはまったくの別人種だからww
残念っスwwww
250 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:20:20 ID:jLmA8UL10
ID:Wty0K/MhO みなさん、このIDはNGワードでよろしく。 たぶん、彼は朝鮮人です。 たしか、邪馬台国の時代って、朝鮮半島の北半分は中国の領土で、 三韓人は、小さい国がごっちごちゃしていたんですよね。
251 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:23:15 ID:yj2At8xc0
>>239 桓武天皇の生母の高野新笠が、百済の武寧王の子孫だという話かな。
高野新笠と武寧王では、200年以上の時差がある。
本当に子孫かどうか分からないし、皇室が朝鮮半島出身というのとは
全く異なる。
252 :
佐田 :2009/06/01(月) 04:23:26 ID:jb2LfzwHO
可哀相だね偽物の方の韓の人は
253 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:23:38 ID:jLmA8UL10
あと、倭国の建国時期は、百済よりも、もっと前です。 そもそも、朝鮮半島は、西暦313年まで、 北半分は、中国の領土でした。 南半分には、三韓とかいって、小国が乱立していた。 一方、倭国は、少なくとも、西暦2世紀ごろには 九州から関東までにまたがる巨大王朝が、纏向遺跡を首都に誕生した。 この纏向遺跡は、三国時代の中国の王朝の首都に匹敵する大きさ。
255 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:26:18 ID:jLmA8UL10
倭人という人種は、中国の周王朝の時代にも 交易をしていたことが分かっています。 つまり、紀元前の遥か前から存在していたことになる。 また、呉(周の親戚)の泰伯の子孫というふうに主張していたことからも 倭国とか倭人というカテゴリは、かなり古くから存在している。
256 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:31:22 ID:jLmA8UL10
>>242 唐古・鍵遺跡とは、葛城地方からずれている。
だから、あそこが首都だったとは思わない。
ただの、農村だったんでしょう。
が、川の近くで、沈んだから、偶然、残っただけ。
もともとは、出雲のほうが文化的にも先進地域だったんでしょう。
でも、近畿地方のほうが、地理的にまとまりやすくて
勢力を拡大させた。
文化的に先進地域が、軍事的に強いとも限らないし
また、鉄があるから、軍事力が強いとも限定できない。
そんなこといったら、鉄の合ったヒッタイトは、エジプトを押し切れなかったし
半島でも、鉄の産地の伽耶は弱小地域だったわけだし。
257 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:31:49 ID:Wty0K/MhO
>>248 誰が書いたか訳のわからない『記録』なんてアテにできません。
逆に疑うべきです。
それより考古学では『伝承』の方が遥かに重要とされています。
『万世一系』の天皇家において『祖国は朝鮮半島』と伝承されてきているのですから
こちらの方が事実、真実です。
>>249 もうヤメにしませんか、そういう発言?
むなしくありませんか?
天皇家は朝鮮人豪族であったのは紛れもない事実で
今上天皇もそれを御認めになっています。
受け入れ難いのは分かりますが『感情』を考古学に入れないでください。
学者からすると目障りです。
・・・今日も1限から非常勤講師の仕事があるから
もう寝ます。
258 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:33:13 ID:hCpYLFQFO
>>253 とにかく無理やり朝鮮半島に繋げたいんだよな、今現在の韓国朝鮮人はw
残念ながら天皇陛下は純血の大和民族の血をずっと受け継いで来た高尚な存在なんだよアホw
てめーらは自国さえ守れず、モンゴル人に民族浄化され、中国人に民族浄化されて万年属国をやって来たカス民族だからって僻むなよwwwww
259 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:36:02 ID:jLmA8UL10
>>257 おいおい、日本書紀の記述を改ざんするなw
じゃ、任那日本府も日本書紀に記載されているw
だいたい、王家の出自というのは、父親で解釈するのさ。
この時代は、一夫多妻制でだから、母親の出自でみたら
いろんなのがいるw
260 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:39:34 ID:jAj2VFd/0
>>232-233 畿内大和は、急に200年頃から栄え始めるんだ。
それまで、少なくとも2世紀前半までは、九州北部が最大に栄えていた。
考古学者も、ほとんどそのことは認めている。
つまり2世紀後半に、その後半の後半に逆転現象が起きるんだ。
なぜ勢力逆転するかというと、2世紀の半ば頃には九州以外に台頭してくる地域がある。
著しいのが出雲、吉備、少し遅れて丹後と越前、それから近江と東海。
これらが、ときには連携、またときには相争うような、いわば戦国的な世の中になる。
中国の史書ではそこをきちんと書いている。倭国、大いに乱れる、と。(倭国大乱)
だから考古学と中国史料の間には、けっこう整合性があるんだ。
261 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:39:39 ID:jLmA8UL10
朝鮮半島の最初の王朝が、一応、 西暦7世紀の統一新羅からでしょう。 それ以前の王朝は、全部、中国発の諸王朝。 百済、高句麗は、王族が扶余系で、 言語はモンゴル語系の民族。 後の契丹も扶余系で、これはモンゴル語族だということが分かっている。 現在の比較言語学では、韓国語とモンゴル語は、それぞれ孤立言語。 百済や高句麗が存在した2000年前も、 韓国語の祖語と、モンゴル語の祖語は、完全に別系統。
262 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:45:44 ID:jLmA8UL10
>>260 その見方もされていない。
西暦3世紀以後の段階でも、北九州のほうが玄関口だから
鉄が多かったりする。
つまり、鉄の多い少ないだけで、歴史を推測するのは、困難。
考古学者の推測で歴史を語るのは困難。
歴史学者と考古学者の推測、それ以外の学問
全部がふっくるめて、考えるべきである。
少なくとも、卑弥呼=モモソ媛命ならば、
記紀の記述と考古学の成果などを照らしあわせて
一回、考えるべき。
263 :
佐田 :2009/06/01(月) 04:46:25 ID:jb2LfzwHO
天孫族が九州から来たとして 当時の邪馬台国は何処にあって 卑弥呼はいったい誰なんだろ?
264 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:53:54 ID:gAdsCR8n0
>>263 天孫族は、葛城地方の豪族。
そもそも、天孫(てんそん)という考えが出来たのは
日本書紀や古事記が編纂されてから。
もともとは、天津神と国津神とされていた。
アマのカミ、クニのカミだ。
天(アマ=アメ)とは、天=雨であり、水を意味する。
神(カミ)は、神=上(カミ)であり、
川上(カワカミ)からも来ている。
つまり、古代の有力者たちは、それぞれの各地で水を支配することで
権力を蓄えていた。
たとえば、現在の田舎の名家でも、山麓の川上がある高台に
居を構えている場合が多い。
自分も実家が田舎の出身だから、田舎で家柄が良い名家とされているのは、
川上を押さえていることが多い。
このような勢力が、日本各地に誕生した。
その中でも、最終的に天下を統一したのが
葛城の高天地方の豪族だ。
欠史八代はいたと思う。 纒向の始まりや大彦の名が471年の鉄剣にご先祖と刻まれている点からして。 そのわずか200年ほど遡ればまさに卑弥呼の時代。 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫
267 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 04:59:12 ID:jAj2VFd/0
>>262 >西暦3世紀以後の段階でも、北九州のほうが玄関口だから
>鉄が多かったりする。
きみは古い集計資料しか見ていないね。
間違いだよ。
弥生終末期(2世紀末〜3世紀前半)だと出土鉄器数は福井県がグンと伸びる。
北部九州より本州の方が凌駕している。
>>265 卑弥呼が、モモソ媛命なら、
倭国大乱は、欠史八代の中頃の天皇の時代に起こった可能性が高いね。
やはり、この時代に、何かがあったんだ。
でも、欠史八代に相当する人物はいたんだと思う。
>>267 でも、それって、福井県のほうが鉄が多いから
福井県が首都だったという論理になるよねw
倭国大乱は、 5代目の孝昭天皇の時代に始まったんじゃないの? 彼の后が、天忍男命の王女なんだよね。 その間に生まれた長男に、 天忍男命のあとを継承させようとしたんでしょう。 だから、倭国大乱が起こった。 おそらく、欠史八代の天皇は、実際の政事を行っていた世俗王。 で、別に祭司王がいて、そちらが名目上の倭王だったんでしょう? で、その倭王は、だいだい、天火明命の男系子孫が継承していた。 天火明命の弟のニニギ命は、兄の命令で、九州高千穂に赴任していた。 で、曾孫の若御毛沼命(神武天皇)の時に、再び近畿本国で政事をみた。
271 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:13:47 ID:jAj2VFd/0
>>268 ならない。
もともと鉄器出土数だけで国勢を云々するのも、ずいぶんおかしな考え方なんだ。
ただ大和の鉄器は相変わらず少ない。
新発見の丹後、福井、高知、淡路島などがグングン数を伸ばしている弥生末でも
大和はそれほど増えない。
だが倭国大乱のあと、箸墓所在地の大和纏向という遺跡が確実に一頭図抜けた存在になってしまう。
なぜ大和の纏向が選ばれたのか・・・・・そこが難しい。
272 :
271 :2009/06/01(月) 05:16:01 ID:jAj2VFd/0
273 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:18:05 ID:8p/RDsRP0
>>1 いつも思うのだが、箸墓古墳の周濠って、
現在は西側のみだけど、造営当時はぐるっと墳丘を一周廻っていたのだろうか?
274 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:19:36 ID:e4NQl69j0
それが卑弥呼だという証拠は? 文系って、十分条件の証明がいつもいい加減だよな。
275 :
佐田 :2009/06/01(月) 05:22:05 ID:jb2LfzwHO
>>264 川上と言えば、天照大神を奉る伊勢神宮も五十鈴川の川上だね。
よし、どさくさにまぎれて仁徳天皇稜を掘り返してみよう。
俺、卑弥呼の子孫だけど、墓は別の場所だよ 教えられないけどね
ETV特集 日本と朝鮮半島2千年(2) ▽任那日本府”の謎 ▽太王四神記の真実 ▽鉄を求めたヤマト政権 ▽海を越えた軍事支援 ▽韓国で続々と発見された前方後円墳の秘密 ▽天皇と百済との関係 ▽最新の発掘が古代史を書き換える
279 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:32:58 ID:jAj2VFd/0
>>273 現在は西側のみよいうのは北側のみの勘違いだと思うけど
これまで宮内庁管理地外の発掘調査があって、
後援部南東側、前方部南側いずれも周濠があった。
>>274 証拠はないよ。卑弥呼の墓だと証明さrたわけではない。
ただ、可能性が高くなった、ということ。
証拠を見つけるには主体部の発掘をやらないと、どうしようもない。
主体部発掘やっても、証拠が見つかるかどうかは五分五分だろうけど。
>>263 邪馬台国は大和にあって、それはエミシだったと考えられる。
魏誌に書かれた倭人の風習、天孫降臨や東征などの記述、全てを
説明するためには、そう考えるほかないのでは。
281 :
279 :2009/06/01(月) 05:35:11 ID:jAj2VFd/0
訂正。西側のみよいうのは→西側のみというのは、スマソ。
>>273 魏志倭人伝には卑弥呼の墓は円形と書いているけど
箸墓はもともとは円形で後から四角い部分をつけたされた
という説もあるみたい
だから、もしかしたら周濠も後から作られたのかも?
昔は古墳の上でお茶会とかしてたこともあるそうよ
あすかあきお先生、出番です
倭国大乱の頃は、まだ天皇家は日本に来ていなかったのかもしれない。
285 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:46:35 ID:+MCZMOP5O
うちのじいちゃん、石原裕次郎と同じ日に死んだ だからじいちゃんの墓、裕次郎の墓かも知れない
286 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:47:09 ID:vZtwh0l90
287 :
猿田彦 :2009/06/01(月) 05:48:28 ID:jb2LfzwHO
さて、そうなると。 大和や出雲を照らす太陽が 日の出して来る方向の 伊勢の大神である猿田彦こそが 本来の太陽神であったと そういうことでよろしいかな? それを継いだのが、アマテラスと
箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表2009年5月31日20時36分
奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の築造年代が西暦240〜260年ごろとする
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究成果が31日、東京・早稲田大で開かれた
日本考古学協会の研究発表会で報告された。春成秀爾(はるなり・ひでじ)・同館名誉
教授は「箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した墓の可能性が強まった」との見解を示した。
同館は箸墓古墳やその周辺で出土した土器の付着物の放射性炭素年代を測定し、
築造時期を絞り込んだ。春成名誉教授は中国の史書「魏志倭人伝」の記述から、
卑弥呼が247年に死去したと推定。「全長280メートルの古墳を築造するには10年前後
かかったとみられ、今回分かった年代から、卑弥呼が生前に自分の墓の築造を始め、
死亡時に大部分は完成していたとも考えられる。卑弥呼自身が箸墓古墳を築造していた
可能性が高い」と報告した。
会場となった教室は400人の聴衆で満員に。「付着物の年代が土器より古い可能性も
あるのでは」という質問も出たが、春成名誉教授は「同時に出土した植物の種も測定
したが、ほぼ同様の年代が出ている」と応じていた。
http://www.asahi.com/culture/update/0531/OSK200905310039.html
289 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:52:34 ID:jAj2VFd/0
291 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:54:35 ID:vZtwh0l90
>名誉教授 炭素年代がぴったりで狂喜乱舞してる人か
サスガニュー速 あやしいネタばっかだw
293 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:56:51 ID:TYhQ1uDV0
三世紀半ばに死んだ王者がいたというだけの話
294 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 05:57:54 ID:f/qeSQyO0
どうして天皇家が3世紀から日本の盟主だと扱うのかがわからない 今の天皇家が畿内で実権を握ったのは7世紀だろ? それまでは一地方豪族 地質学的には大山から富士・浅間なんかが大噴火してるから 火山灰で中・東日本遺跡は埋没・燃焼・融解してる それをいいことにねつ造三昧
296 :
猿田彦 :2009/06/01(月) 06:00:58 ID:jb2LfzwHO
高天原から葦原中国を照らす、伊勢の大神、猿田彦なんだから 伊勢の西方の大和に、高天原があったんだな 高天原は高天彦神社だろう
こりゃーソースないのは全部眉唾で読まんと。 ひでーなこりゃ。
>>261 お前が朝鮮に激しいライバル意識を抱いてることはよくわかったw
卑弥呼って差別語だろ
古墳を発掘しちゃいけないのはなんでなんですか? 偽造の歴史、天皇渡来人など、 何がバレたらまずいのかkwsk
継体は、福井にいた、つまり半島北部から流れ着いた系統の可能性が高い豪族が 大和王朝を乗っ取ったんだろうが、それ以前にも乗っ取りがあったんだろうな。 やはり、天照大神が卑弥呼で、それは神武に乗っ取られたエミシの王朝だ。 東征にエミシと戦った話が出てくるが、古代大和王朝は、天孫族に 神話共々乗っ取られたんだろう。 目から鱗だが、それで魏志倭人伝の倭人の風俗から、東征まで、 何から何まで説明ができる。
>>299 卑弥呼って差別語なのか・・・知らなかった。
弟『ひ'みみ'こ(大比比)』、兄『ひ'みこ'こ(大比古)』 天皇(大比比)に代って、百襲姫が王位に就く(『ひ'みみ'こ(卑弥呼)』)。 尾張方面(狗奴国)の兄(大比古)が反発。 みみ[子]‐ひみ[女]‐比比[弟] みこ[子]‐ひこ[男]‐比古[兄] 卑弥(弥)呼 [女] 卑弥 弓 呼 [男] 開化(大比比命)-卑弥呼(百襲姫)の次は、 大彦(大比古命)の支援で、 崇神-台与(豊鋤入姫)の時代。
304 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 06:14:04 ID:IrqT6xDL0
チョンの国家ぐるみ捏造歴史で全てが謎になるw。
>>300 どこぞの半島のように自称の歴史しかないような国と違って
日本史は自らの資料と中国の資料との補完関係で成り立っているから
心配は無用です。
仕事いけよバーカ
>>282 箸墓古墳の前に造られた纒向石塚古墳やホケノ山古墳などの
前方後円墳があるから、やはり当初からあの形で企画されたもの
だと思われる。方丘部があとから付け足されたというのはちょっと
考えにくい。
>>304 まさにそのとおりだと思う。
朝鮮半島からの流民、といっても小国の王朝だろうが、
半島で破れ、日本に落ち延びた流民が、出雲や大和の
縄文人王朝を騙し討ちにして、伝説ともども乗っ取った。
邪馬台国の風俗がアイヌや琉球のそれとしか思えないのも、
東征記でエミシと戦い、大和にいたの、邪馬台国のように、
つまりエミシのように入れ墨をした人たちだったというのも、
これで全て説明できる。
309 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 06:27:30 ID:ygm+g/bo0
>>294 >地質学的には大山から富士・浅間なんかが大噴火してるから
>火山灰で中・東日本遺跡は埋没・燃焼・融解してる それをいいことにねつ造三昧
イタリア・ポンペイ遺跡知らないの?火山灰はタイムカプセルだよ。
>>294 地質学ではなく、記紀以前の記録を全て焼いた影響が大きい。
天皇家以前にも、エミシの国々には渡来人が来ていて、
当然、記録はあったんだが、記紀より前の記録は存在しない
ことにされてしまっている。
出雲などには残っているようだし、他にもたくさんあるだろうが。
日本の文化的に墓は掘れん罠 天皇クラスの御霊を鎮められる神官や高僧なんていないだろう しいて言えば今上陛下なんだろうけど
312 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 07:39:43 ID:ygm+g/bo0
根拠無く文身論を展開する者に対して、コピペ推奨 二次資料として引用元文献:いれずみ(文身)の人類学 吉岡郁夫 雄山閣出版 2472円 ページ63(出来るだけ原文のまま) {「古事記」に見られる文身 「随書」に続いて八世紀になると、日本側にはじめて文身の資料が現れる。 和銅五年(七一二)に編纂された「古事記」には、次のような記事がある。 大久米命、天皇の命を以ちて、其の伊須気余理比売に詔りし時、 その大久米命の鯨(さ)ける利目をみて、奇しと思ひて歌ひけらく、 胡鷰子鶺鴒 千鳥ま鵐など鯨ける利目 とうたひき。 爾に大久米命、答へて歌ひけらく、媛女に 直に遇はむと 我が鯨ける利目 とうたひき(「日本古典文学大系」) 「鯨ける利目」とは、目の周りに文身をしていたことを表している。 この文の意味は、天皇がイスケヨリヒメを召されるとき、大久米命が天皇の命を 受けて、そのことをヒメに伝えた。彼女は大久米命が目の周りに文身をしているのを 見て不思議に思い、どうして目の周りに文身をしているのか尋ねたところ、 彼はヒメにすぐ会おうと思って文身したと答えた、というのである}
313 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 07:40:21 ID:PZAyOiq9O
こうゆうのって古墳自体を掘っちまえばわかるでねーの?掘っちゃいけねーっ決まりでもあんの?
314 :
猿田彦 :2009/06/01(月) 07:45:23 ID:jb2LfzwHO
高天原から葦原中国を照らす太陽神=猿田彦。 猿田彦(佐田大神)=太陽神。伊勢国の大神。クナドの神。 太陽が昇る方角にある伊勢国→太陽が照らす所にある、伊勢国から西方にある大和国。 高天原=大和国にある高天彦神社。 高天原にいたアマテラス=天照太神(天照大神) 大和国の天照大神とクナドの神の猿田彦。 つまり・・・ 邪馬台国の卑弥呼と、狗奴国の・・・本来の太陽神
猿厨うぜぇ
316 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 07:49:44 ID:7OodBg0q0
古墳を掘ったら右翼が街宣するんじゃね?
317 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 07:50:02 ID:xEKqbUID0
所在地が決まると何かに影響があるわけ?
318 :
猿厨 :2009/06/01(月) 07:52:25 ID:jb2LfzwHO
>>315 真実に目を背けるなよ
クナドの神の猿田彦=狗奴国の主
と
大和国のアマテラス=邪馬台国の卑弥呼
のお話しだろ?倭人伝って
そうじゃないっていう
悪魔の証明を証明してほしいね
その時代ならいくらかあって不思議じゃないだろ つか、炭素の年代測定そこまで精度ないでしょ
320 :
卍田卍 :2009/06/01(月) 08:05:58 ID:jb2LfzwHO
僕にはもう真相がわかっちゃったよ面白かったー
321 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 08:13:33 ID:IBXn3yNrP
>>294 >どうして天皇家が3世紀から日本の盟主だと扱うのかがわからない
>今の天皇家が畿内で実権を握ったのは7世紀だろ? それまでは一地方豪族
「全土を統べる王者」か「一地方の勢力」この二択しか考えられないのが2ちゃんレベルで
畿内説に反対している連中に多く見られる傾向だなw
「緩やかな連合体」からスタートして徐々に勢力を拡大していったと言うのが
今日の常識的歴史観だろうに
322 :
卍 :2009/06/01(月) 08:34:48 ID:jb2LfzwHO
日本の歴史の真相は。だいたい太陽で決まるよ、日の国なんだから。 インドが月氏の月なら、日本は日の太陽だね。 仏教の真相も、だいたい、月と太陽でわかるんだ。 日本という名も、仏教が伝わってから・・つまり、あの太子が・・・ 僕は、たぶん世界一頭がいい
323 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 08:53:54 ID:LiP6DjkOO
奈良には部落が多いのも関連している。
324 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 09:00:43 ID:wDIEKPqXO
>>317 JR九州の社歌の歌詞を変えないといけなくなる。
325 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 09:20:11 ID:lTMZX30p0
>>134 国譲りがあったのは神の世界での話なので、
神の世界でそういう約束になったから、
それに従いなさいという論法になる。
つまり、天孫降臨後に実際の国譲りは行われたと考えるのが妥当。
ニニギが天孫降臨したのは日向で最終的に大和で王権ができた。
神武が大和の地で国譲りの作業を始め崇神のときにそれが完成。
つまり神武〜崇神の間は倭国大乱の時代だと解釈することが可能。
国譲りの神話で、剣(鉄器)を浜にさして、国譲りを迫り。
相撲(シャーマニズム)でそれを決めたことへの暗喩ともとれる。
>>114 日本も戦前までは結構食べてたんだし別に弥生時代の人が食べてても不思議じゃないだろ、
武家屋敷の土間を発掘すると必ずと言っていいほど刃物でさばいた犬の骨は出て来るそうだ。
親から聞いた話では(BでもKでもないからな)戦後もしばらくは農村では食べてた人も居たみたいだが、
「赤犬は旨い」を2軒となりのおじさん(この人もBでもKでもない農家)が食べてて
自分も食べさせられそうになったが父親(じいさんはすでに犬は食い物じゃないと思う人だったようで)に止められたとよく言っていたな。
>>271 巻向が丹の集積地だったからだろう。
何故か鉄に比べて軽視されるが、
支配者層にとって赤色の顔料の元で、不老の薬と
考えられていた丹の存在は大きい。
また船の防腐剤としても重宝されてるしな。
328 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:04:32 ID:lTMZX30p0
倭国大乱は出雲系と熊野系の戦争だったとする。 日向の神武は熊野系と友好関係だったわけで、考えられる構図は 日向〜熊野までの瀬戸内ラインは熊野系が優勢。 出雲〜丹後〜山城までの日本海ラインは出雲系が優勢。 大和周辺と北部九州が主戦場だったことになる。
329 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:09:03 ID:lTMZX30p0
>>326 それは変だな。綱吉以降はいくらなんでも武家は食えない。
>>326 どこの国の話だ。
日本はどんなひなびた土地に行っても、絶対に牛と犬は食べなかったぞ。
犬は番犬や狩猟のパートナーだ。
(牛は農耕の担い手だ。)
島国でさほど数のいない犬を食べるほど、後先考えない民族じゃないんだ。
331 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:20:30 ID:WfTPlQsPO
>>313 掘って科学的調査したら歴史書の記述と違ってたらまずいから。
まして古事記や日本書紀の記述と違ってたら政治的にもまずい。
日本が2600年続いてることが否定されるのは国際的アドバンテージがなくなる。
だから宮内庁は天皇陵の発掘調査を厳しく禁止している。
332 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:21:45 ID:lTMZX30p0
秀吉の時に土木工事をするために朝鮮人を大量連行したけどね。 当然、江戸の開墾にも動員されたたはず。 彼らは犬を食った。犬食う人といって江戸ではならずもの扱いされた。 綱吉が犬を大切にしないやつは処罰すると法律を作った。 こういう流れだったはず。
>307 ちち。強引なのは自覚しているけど、 そもそも前方後円墳は、祭壇と円墳が 組合わさったものという見方があるみたいだよ。 であれば墓の大きさを聞かれたら円墳の大きさのみを 答えても不思議ではない。 今だって家の大きさ聞かれて、玄関や駐車場の 敷地を入れない事はあるよね。
334 :
333 :2009/06/01(月) 10:27:44 ID:vAAMSa9v0
>ちち。 は、「ちと、」です。 罵っているわけじゃありません。失礼。
>>330 武家屋敷は有名なのは明石城武家屋敷跡だけど関東、東北でも結構あるらしい。
時期的には江戸時代全般みたいだが確かにご指摘の時期だけはちゃんと抜けてるみたいね(でもその後復活してるというw)。
親の話だがうちの親は埼玉中央部あたりのかつての農村の人。
ただ、祖父は鶏なら自分でさばいて振舞うのが得意な人だったくらいなのに犬食はすごく嫌悪してた(あんなことやってるからそこのうちは奇形が出るんだと言っていたくらい)
だからすでに昭和期には犬食する人が居る地域でもかなり犬はさすがに食べるものじゃないだろという考えが普及してたようだが。
336 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:38:58 ID:9HxQKiTN0
>>326 うそ付き朝鮮人乙。
日本の農村に犬肉を食べる風習など存在しない。違うと言うのなら、お前の爺ちゃん
の農村が、どの県にあるか言って見よ。
337 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:39:37 ID:lTMZX30p0
>>335 >ご指摘の時期だけはちゃんと抜けてる
どうして確認したの?
338 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:43:03 ID:lTMZX30p0
日本に戦前、犬食はなかったとは言わない。 孫正義の父親は犬取りだったらしいしね。
339 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:45:37 ID:9HxQKiTN0
>>329 その通り。武家であるならば、犬を食べる様な振る舞いは、子々孫々の恥とし
てあり得ない。但し、平安時代の一時期(長屋の王時代)唐から入った異国グ
ルメとして犬鍋は貴族の間で一時、行われた事が、木簡の記録から分かっている。
その後、貴族の間でも、犬喰いは急速に廃れたので、やはり日本人の感性に合
わなかったのだろう。
341 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:52:54 ID:jb2LfzwHO
これから、九州はどうするんだろ・・・
342 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 10:58:24 ID:jb2LfzwHO
頑張れ九州。歴史がすべてじゃないさ、九州には歴史以外にイイものあるじゃん。たぶん
343 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:00:21 ID:lTMZX30p0
>>340 >こういった風流な暮らしの半面、松井さんは「上級武士が日常的に犬を食べていた」とみる。
>ただ、さすがに恥ずべき行為と思っていたようで、「人目につくのを恐れ、骨を庭の穴とか溝に
>捨てたのだろう」
これを、上級武士にするのは非常に無理があるなw。
ふつうに考えたら、家や城をつくったときに食っていたやつがいる。
溝に廃棄物を処分する層がいて、かれらがほかした。
さすがに魏志に書かれた邪馬台国が九州だとする人も減ると思うよ。 今回の箸墓云々ではなく、3世紀中頃に北九州一帯のみを 「倭国」として扱うのはもう無理有りすぎだから。
345 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:14:11 ID:wB+6XQtW0
犬肉がどうのと下らない。 朝鮮人と嫌韓厨は邪魔。出て行け。
346 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:16:46 ID:pLDqfsEr0
>>336 お前が若いってのはよく判った。
赤犬が旨いとか昔は良く言っていたんだよ。
犬を喰わなくなったのはこの20-30年ぐらいの極く最近の事さ。
347 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:16:59 ID:lTMZX30p0
>>345 犬食は厭だと思うのが日本人の感性でしょ。あんたは平気なのか。
建前上は4足のものはたべてはいけないことになってたんだし 犬食もBぐらいの風習だろ
349 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:27:00 ID:pLDqfsEr0
>>346 はああ?
1980年代高度成長まっただ中に、犬を食べてたとか言うんですか?
捏造甚だしいね。
351 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:30:04 ID:lqnDyQaA0
九州人が金印をぱくったに違いない 盗掘しやがったんだ
352 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:33:35 ID:JDifiRvcO
なんで犬食スレになってんだよwww スレ違いはほっとけwww
>>82 ヤマト王の尊称としてイワレビコという名が有った可能性は否定できません。どうも、欠史八代
などを見る限り、崇神朝ができるまで大和の首長の尊称だったのではないでしょうか。神武と崇神の
(はつくにしらすすめらみこと)と同じ名であるように、大和の起源とされる王と同じ名なのが気になります
354 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:37:23 ID:wB+6XQtW0
>>347 多少の脱線ならまだしも、主旨と関係ない下らん話を延々とするなと言ってる。
>>346 言ってることはだいたい正しいがよそでやってくれ。
犬を食う話に関しては、気候変動による飢饉で食ってた可能性も否定できんよね
356 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 11:46:38 ID:lTMZX30p0
>>354 弥生から〜江戸時代まで犬食があった、
弥生の渡来人は武家の先祖でもあり、現代朝鮮人の末裔だと主張したいやつがいたら。
秀吉の時に大量に入ってるから、それ以降は弥生の渡来人と別系統だと反論しておく必要がある。
357 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/06/01(月) 11:52:05 ID:G87zQlOv0
>>1 箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
>>356 うむ。倭、ヤマトと呼ばれるようになるまでの大陸から来た人間は
昨夜の議論にもあるが、そいつらも刺青をしたことになる。
ようするに倭人伝で太古の倭人はみんな刺青をするように書かれてるから
大陸系の人間も倭人として刺青をしていたことになる。一時期までは。
名前も中華系の名を失っている。
これは現代の中国人や朝鮮人とは大きく違う。
古代ですでに倭人、ヤマトになってるわけだ。
犬についても、懐く犬は飼うだろう。
しかし、凶暴な野犬の群れはどうするか。
それは狩猟の対象だろう。せっかくの命だ。あるいは食わなくても
畑の肥料にぶちまけただろう。
それを発掘すると、食ってるように見えるかもな。
359 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:00:10 ID:t9DmoiGb0
>>331 そんな理由で発掘禁止になっているわけではないと思う。
歴博の発表は少数の不確かな理由で推論したもので、関係史料との整合も取れていない。
常識的に言えば妄想に近い。
考古学が学問の水準に達していないので、学問を重んじ、開明的でもある皇室も
先祖の墓を触らせたくないということだと思う。
360 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:06:14 ID:KLIxgX+m0
124 :名無しのひみつ:2009/05/31(日) 13:01:06 ID:jxexEc0l 日本の「考古学者」どもは、自説のためならどんな強引な解釈やこじつけもできるアホ集団だからね。 「オッカムの剃刀」なんて完全無視。 素人が、縄文時代の石器を火砕流堆積層に埋め込んだ捏造遺跡にコロッと騙されて 「日本に旧石器時代があった」 「旧石器時代の人類は(縄文時代の石器をつくれるほど)高度な知能を持っていた」 なんて認定して大はしゃぎ。 石器を作る際に出るはずのクズ石が出土しないことや 秩父の「遺跡」(もちろん捏造遺跡)から東北産の石を使った石器しか見つからない、 という不審な証拠があっても捏造と気づかない。 日本の考古学部が文系に属しているせいかもしれない。理系の「頭」でないんだよ。 捏造発覚前から地質学者や人類学者は呆れていた。 はっきり言って隣国の連中を笑えないよ。
361 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:08:44 ID:Zd5GUHcY0
エレカシの生命賛歌は古墳からインスパイアされた曲です。ぶっ飛んでます。
箸墓である根拠には乏しいと思う ある程度の位のあるものの墓ならば大きさは同型と思われる
363 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:31:36 ID:UDTpwtfHO
畿内説には無理があるから、オカルト板に畿内説スレを立てるべき
364 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:32:54 ID:6SQVlvrL0
北九州には巨大古墳ってあるの?
365 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:33:34 ID:R9hwSUKfO
卑弥呼
>>329 綱吉がいなくなればまた食ってたんだよ。
農耕民族は、犬を食う。
俺も、
>>326 のような話は随所で聞くし、武家屋敷のかまど周辺からから犬の骨が出るのは常識。
367 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:41:45 ID:UDTpwtfHO
スレみてて思うんだけど北九州って何?南九州とは呼ぶけど北九州とは北九州市にあたるんだよね
368 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:46:13 ID:UDTpwtfHO
だから北九州市には何かあるのとかと言われれば、ヤマタイではありませんし、卑弥呼に関する物もありません
369 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:50:22 ID:XdZQZljJP
魏志倭人伝の邪馬台国は九州でそれとは別に邪馬台国と同規模の国が同時期に関西にあったという考えはないのけ? 別にあったって不思議はないと思うのだが? というか邪馬台国が唯一の大国だったと思うほうがおかしくないか? 関東にだって同規模の国はあったかもしれんし東北にだってあったかもしれん 魏志に無いのは単純に交流がなかっただけって考えられるやん
370 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:51:54 ID:pLDqfsEr0
>>364 古墳の定義を君が知っているか?
って話からしないと・・・
>>364 岩戸山古墳(磐井の墓)が一番大きいくらいかな。
130mくらい
ずいぶん後の時代だけお。
372 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:53:35 ID:EYIFwSWz0
北部九州は弥生で終わる、といった意見 は一昔前で、いまでは4世紀終わりまで 発達していたのは常識。 これは古墳、または住居跡から。 とくに住居跡に関しては2-4世紀にかけて 継続発展した住居跡が多い。 いまの巻向に的を絞った考古学のやり方は 危ない。他の地域の年代も調べないと意味ない。 年代確実な北部九州から炭素年代を調べればいいのに。 言い換えればそれだけこの時代は地域性が強いということ。
373 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 12:55:54 ID:pLDqfsEr0
>>368 逆、
鉄、鏡、絹等魏志に書かれた事物は近畿にはごく僅かしか出ないが、
九州には豊富に出ている。
書かれてないのに近畿に多いもの
前方後円墳、三角縁神獣鏡、銅鐸、石鏃(笑笑笑)
374 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:01:24 ID:UDTpwtfHO
>>357 君は勉強をやり直した方がいい。
ちなみに箸墓の後円部分は径約160m
>>363 下手糞な煽りは止めとけw
376 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:08:47 ID:lTMZX30p0
>>366 庭とか、溝はかまどの近くにあったんだね。武家屋敷では。
あんたの主張をみるとなんでも朝鮮由来にしたいみたいだけど、
そしてそれにこじつけるための理由
で、出てきたのが犬。そんなにうまいのかw
残念だろうが、少なくとも男系において、
現在の朝鮮とおなじDNAを持つ人は非常に限られた集団。
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_%28Y-DNA%29 >A subclade of Haplogroup O2b1, namely Haplogroup O2b1a (47z), is found at
>a fairly high frequency among the Yamato people and Ryukyuan populations of Japan.
>Haplogroup O2b1a has been detected in approximately 22% of all males who speak
>a Japonic language, while it has not been found at all among the Ainu or Nivkhs of
>the northern extremes of the Japanese Archipelago.
>However, the parent haplogroup, O2b1*, is also found among Japanese, although at
> a relatively low frequency of approximately 4% to 7%, and the descendant haplogroup
>O2b1a is either completely absent from or found at only extremely low frequency (which
> could represent historical Japanese admixture) among samples of modern Koreans, which
>suggests the possibility that Haplogroup O2b1* might have colonized the Japanese
>Archipelago much earlier, with the subgroup O2b1a subsequently evolving within the
>proto-Japanese-Ryukyuan population of the western parts of the archipelago.
377 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:10:38 ID:UDTpwtfHO
>>375 君も勉強した方がいいよ、北九州ではなく北部九州だからWWW
恥ずかしいからやめてね
>>360 いつの話をしているのだ?
今は専門知識を持った理系の教授と共同研究や鑑定をするのは常識だぞ
もしかしてそれを書いた人間は相当古い人間?
>>376 文化が伝来していたのと人間そのものがとって代わったのは混同しない方がいい。
Ychlの遺伝子群とMtの結果が合わないのは渡来した人口そのものは多くなかったことと、遺伝子間の塩基置換速度の差異を反映しているらしい。
そういうことを考えても朝鮮半島から来た文化もあったようだがやっぱり日本人は日本人なのだと自分は考えている。
もっとも日本より狭い割りに以上に遺伝的多様度が高い集団と頻度比較してグループ間の緊密度の議論が可能なのか疑問だけど。
後この手の議論でアホだなと思うのはAとBが共通のものを持ってるとどちらかがルーツって話になっちゃう点、
ただ単に共通のルーツがあるってだけでどちらかが先にあったとはいえないんだけど。
朝鮮と日本に共通があってもそれはシナ大陸の他の地域に居た共通の祖先に由来する場合も多いしね、
もちろんだからといって今の両地域が支那のものとは言えない、そんなこと言ったら全てのコーカソイド、モンゴロイドはエジプトのものだし、
人間全体がタンザニアのものになっちゃうからねw
>>377 余程北九州という言葉に拘ってたんだねw
じゃ、北部九州に邪馬台国があったという簡単に説明をしてみてくれ。
381 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:37:51 ID:9HxQKiTN0
巻向遺跡と唐古鍵遺跡の地理的、文化的、歴史的関係、あるかないか、 どなたか講釈を御願い申し上げます。唐古鍵遺跡からは、朝鮮半島には無い タイプの米が出土したんだよね。伊勢神宮には、米は斉の国(中国・山東半島) から来たという言い伝えが有るそうなので、源・大和勢力は、斉が滅んだ(BC284) 後、海人の越人(入れ墨)の舟を調達して、越人に運ばれてボートピープルと 成って来た人の子孫ではないかと思うんだ。唐古鍵遺跡から出土した米の年代 は、AD200年頃なので紀元前200年とは400年も開きがあるのが難題なんだけどね。
>>379 >Ychlの遺伝子群とMtの結果が合わないのは渡来した人口そのものは多くなかったことと、
大量だよ。
男系遺伝子という、ほとんど残っていないもの、一部のものから差があるという
主張があるが、ミトコンドリアで日本人と韓国人の差がないという重要な部分を
無視するのはいかがなものかと思う。
>>381 米の伝来と大和勢力とを結びつける必要はない。
それと、大和地方がずっと同じ勢力だったと考える必要もない。
むしろ、ある時期に、天孫降臨した部族によって制服されたと考える方が、
記紀にも合う。
384 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:45:46 ID:vsXK+73z0
何が何でも朝鮮人と日本人を一緒にしたいID:HstR1rIn0って何なの?
385 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:47:02 ID:6SQVlvrL0
箸墓古墳の伝承って、なんとなくエッチ系ですよね(#^.^#)
386 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:49:08 ID:w4n26Pjo0
「かんのなのわのこくおう」と「かんのわのなのこくおう」 消防の時よく間違えてた
387 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:52:23 ID:JDifiRvcO
今の半島人と1000年以上前の半島人は別の民族なのになんで頑張ってるん 韓国歴史ドラマの子孫なんて今の半島にはいないんですよwww
日本人は犬食わないとか、デタラメが横行してるな。
>『日本書紀』天武天皇5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、
>4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・
>ニホンザル・ニワトリ)の肉食が禁止されたことから、犬を食べる習慣
>があったことはあきらかである。
>大内教弘が15世紀中頃に公家や文人墨客をもてなし、大内文化の舞台と
>なった大内氏当主の別館・築山館跡の発掘調査では、食用に供されたと
>みられる犬や亀などの切断された骨が2006年に出土した。
>大日本古記録 建内記 には「播磨・美作など山名氏領国で山名一党は狩猟
>を好んで田畑を踏み荒らし、犬を捕らえ終日犬追い物を射、あるいは犬を
>殺してその肉を食す」という記述もあり
>宣教師ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・
>パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻
>などをよろこぶ」とあり、また 「われわれは犬は食べないで、牛を食べ
>る。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」という記述がある
>例えば姫路城内のゴミの穴からは刃物で傷のある犬の骨が発見されている。
>また岡山城の発掘時には食肉用の骨の中に混じって犬の骨も出土しており
>17世紀の『料理物語』には犬の吸い物を紹介する記述がある。18世紀の
>『落穂集』には、江戸の町方に犬はほとんどいなない。武家方町方ともに、
>江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ
>以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてし
>まう状況であったのである。
>そして「生類憐れみの令以前は野犬を見なかった」旨の記述がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/犬食文化#.E6.97.A5.E6.9C.AC
こんなんじゃ宮内庁もおちおち発掘許可出せないな こいつらなら男性の骨が見つかっても「卑弥呼だ!」と言い張りそう まあ元より出す気なんか無いんだろうけど
390 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 13:56:06 ID:mzkIhuj40
卑弥呼の塚の記述とは全く符合しないのが箸墓。 畿内説が泣きながら「神の手」で偽装同年代判定しても、 この事実は捻じ曲げようがない。
HstR1rIn0
>>387 >今の半島人と1000年以上前の半島人は別の民族
それを言うなら2000年前ね。
1000年前なら、なぜ日本人と韓国人との遺伝距離が0なの?
>韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。
>やはりこの分析でも、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて
>近縁な関係にあることが明らかとなったのである。
http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html これと男系のみ受け継がれるy遺伝子でで多少の差があることを考え合わせると、
大きく分けて二度の民族移動があったことが分かる。
一度目は、太古、中国東北部にいた共通の祖先が漢民族に押しやられ半島そして
日本にやってきて縄文人となった。
二度目は、漢民族の移動だ。半島では縄文人はほぼ滅亡したが、日本では蝦夷
が屈強で生き残っただけでなく、大和朝廷によって警察力として各地に配置された
という記録があるように、蝦夷(縄文人)がある程度融合した。
犬食については戦後の食糧難の話とごっちゃになってないか? 戦後まもなく日本で犬食があったのは事実 ただしそれは食糧不足のためであり経済の発達とともに廃れていった 当時の人たちが赤犬がうまいと言ってたことからも 黒犬が最上とされる大陸の食文化とは明らかに異質のものであることがわかる
>>393 >犬食については戦後の食糧難の話とごっちゃになってないか?
なぜ事実を見ないのか?
>>388 にまとめてやったのに。
まとめてやったのに。
>>382 無視しているわけないよ。
つまり初期に少数の渡来集団が日本にやってきてもといた集団(縄文人?)と混血する。
その後混血し、渡来人の遺伝子が縄文人の中に固定した小集団が広い範囲に拡散していく。
だから初期集団の規模は大きくなかったので遺伝子頻度の浮動が大きかったがそれが固定した後で集団が大きくなってるので
後で広がった今の日本列島人を見ると遺伝子によって渡来型と縄文型の頻度がまちまちながら残っている。
いずれにせよ今の我々は渡来系、縄文系のいずれにも祖先を持ってる集団だといえることで、渡来人そのものがそれまでの集団に置き換わったものではなく
日本独自のものだってことらしい。
地域による頻度の違いがあるしこれこそ渡来人との交流頻度とも言われるけど、そんなものがはっきりわかるくらい地域差が出るような集団なら
そっちも浮動が固定してしまうくらい交雑集団が小さかった可能性もあるのかもしれない。
397 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 14:10:46 ID:9HxQKiTN0
日本最古の米は岡山の縄文時代の遺跡複数の場所から出土している。朝鮮半島 より何千年も古い。日本最古の水田(佐賀県・菜畑遺跡BC700)も縄文遺跡だ と土器から証明されてる事は知ってるんだ。米は弥生人が持って来たのではな く、縄文人の交易の産物だって事も。それでも、伊勢神宮に米が中国の斉の国 から来たと言う言い伝えが有る事は、興味深いと思う。同じ近畿の唐古鍵遺跡 から出土した米は、朝鮮半島には無い種類なので、伊勢神宮や現代皇室に繋が る勢力と斉の国の避難民と、どんな関係が有ったのか、それを知りたいんだわ。
犬は一般的ではないにせよ食べるケースはあったみたいだよ。 良いじゃん、犬ぐらい食べたって。 俺は朝鮮人が未だに犬を食べているのも文化だと思う。 隣の家のペットを食べないのならOK。 いずれにせよ、激しくスレ違い。
399 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 14:19:42 ID:wQSh9PFF0
で、 やっぱり邪馬台国は畿内で決定なの?
ウィキペディアをソースにしようとは、大胆だな。
402 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 14:53:55 ID:JDifiRvcO
早く携帯専ブラにもNG機能付かないかな…
403 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 14:55:06 ID:lTMZX30p0
>>388 犬食はないとは書いていないだろ。
江戸時代は、犬食う人がそこらじゅうにいて、
道ばたで犬鍋をしては食っていたやつがたくさんいたんだし。
ルイスフロイスのころは、日本の高度成長で朝鮮から大量に移民があったし。
天武天皇の時は、百済から大量移民があったときだし。
そして大内氏は百済系、もしくは百済系を僭称したわけだし。
中国文化のまねをするというのはありうる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大内氏 犬食については、明らかにO系統の文化で、
O系統の流入とともに犬食がはやったというのはあるだろう。
しかしそれは日本の支配層の一貫した文化とはならず、綱吉は大激怒したわけだ。
重要なのは、同じO系統でも日本と現代朝鮮の間では明瞭な違いがあり。
それは史実を反映しているということだ。
>>405 そこは推測だけれども、ここが事実だね。
>西本 日本では紀元前7000年から8000年くらいのイヌの骨が、愛媛と神奈川の遺跡で見つ
>かっていますから、縄文時代の当初から日本にいたことは明らかです。そして、彼らはイヌ
>をとても大事にしたんです。
>──それはどういったことから分かるのですか。
>西本 当時のイヌの大部分は人間と同じように埋葬されていました。稀に解体した痕のある
>骨が見つかることがありますが、それらは食料とされたということも推測されます。しかし
>基本的には食料とされずに、狩猟犬として扱われていたようです。その中には狩猟中に怪我
>をするものも多くいたようで、背骨が折れて助骨と癒着していたり、前足が1本折れていたの
>もある。骨折が治癒したイヌも多く見られます。どうやら狩猟犬として役に立たなくなって
>も大切に飼育されていたようです。
>西本 しかし弥生時代になると扱いはガラリと変ります。まず、ほとんど埋葬されなくなる。
>骨もバラバラの状態で出土し、解体痕があります。ですから、狩猟犬としてより食料とされ
>ていたのでしょう。それにイヌの種類も変ります。
http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000181_02.html
407 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:06:45 ID:lTMZX30p0
DNAを見ても、いつ入ってきたかっていうのはわかんないんじゃないの 今の理系の学者さんたちは、果敢に年代まで推定しちゃってるけど
409 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:10:13 ID:9HxQKiTN0
>>376 有り難う。そのWIKI英文は、京都大学・篠田研一氏の英語論文を著者名を出さ
ずに引っぱって来たんだと思う。
>>392 知ったかはヤメロ。格好悪いだろ。英語原文の方には、日本人と朝鮮人は、
4,000年以上前に中国東北部で分岐したと書いてあるだろ。何が2,000年前だよアホ。
韓国人と日本人は、遺伝子距離がゼロどころか、韓国人(男)は、日本人(男)の
O2b1-a を殆ど持っていない、つまり日本人と韓国人は、別人だと書いてあるじゃ
ないか。日本人の O2b1-a は、満州北部から日本列島へ到達して、沖縄を含む
日本語圏・成人男子の22%の高い分布を持つんだと。日本人が通り抜けたカラッポ
の朝鮮半島に、後から、後からだよ、現代朝鮮人の祖先が(O2b1*)到達した
んだと。4,000年以上前と言えば、弥生時代じゃない。縄文人しか考えられない。
縄文人の祖先は、2万年前、時計回りで北のバイカル湖からも北海道へ来たし
時計とは反対に、満州からも日本へ来たんだな。通過地点の朝鮮半島には、
櫛目紋土器という縄文土器の一種が出土する。これが、4,000年前に通過した
縄文人の生活痕跡だよ。朝鮮縄文人。居たんだな。それなのに、縄文人の遺伝
子は、現代朝鮮人には殆ど残っていないのよ。何でだろうね。海の向こうに、
もっともっと、すっごく良いとこ見ーつけたあ!と皆、日本へ来ちゃったんじゃ
ないの。それとも後から朝鮮半島へ来た、現朝鮮人の祖先に皆殺しされたか。
どっちだろ。
>>406 縄文時代は犬を食べなくて
弥生時代になると食べるというのも面白い(?)ですね
あくまでシロウト考えですが
狩猟を主にやっていた頃は獲物を追い込むのに
犬は大事なパートナーで
稲作が伝わってくると、犬の価値は食料としての方に重きがおかれるように
なったんですかね?
411 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:17:06 ID:jcv/0JJ20
412 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:22:39 ID:eYgXWwjdO
宮内庁が調査を認めれば全て解決
413 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:24:09 ID:JDifiRvcO
そういえば現代半島人と日本人はチンコの大きさも違うもんな…
414 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:26:00 ID:pWkB1Csj0
どうして宮内庁が墓の中を公開しないか知ってる? 大量の朝鮮土器が見つかるからさwwwww
415 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:29:32 ID:9HxQKiTN0
>>414 あほ。
朝鮮土器と弥生土器の区別も知らんのか。
416 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:34:47 ID:+K3OMBP10
>>369 九州にあったらそうなるんだろうなあ
国内で力を持つために接触したって言う感じか
>>404 そのページの主張から言えることは日本人=現代韓国人じゃなくて、
アイヌ集団、沖縄集団と本土日本人が分岐したより後に韓国人と日本人の共通祖先がいるってこと。
つまり大陸から来た祖先もいるくらいの意味。
別の遺伝子の解析でゴリラとチンパンジーとヒトの遺伝子集団を比較したらチンパンジーとヒトの遺伝子距離はゼロだったというのと同じ。
418 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:49:12 ID:wB+6XQtW0
馬鹿朝鮮人と嫌韓厨、ネトウヨと反日サヨ、 こいつら、みんなまとめて氏んでほしい。
419 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:53:36 ID:37qV375j0
九州なんて、滅茶苦茶田舎なのに そんなとこに邪馬台国があるわけないじゃん 九州人は身の程をわきまえろ!
>>413 チンコの大きさと言えば
箸墓古墳もチンコに縁があると思うw
もちろん、これも俺の大妄想だけど
箸墓古墳に埋葬されるという、ヤマトトトヒモモソヒメの
旦那さんの名前は「大物主」
なんとなくチンコが大きそうな名前w
しかも、大物主は自ら赤い矢になりセヤダタラヒメのアソコに
つっこんだりもしてる まさに存在が男根w
で、ヤマトトトヒモモソヒメが亡くなったのは
アソコに箸がささって死んだというけど
それは大物主の正体がヘビだったことに驚いたからなんだよね
「まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。
その長さ太さは衣紐(きぬひも)ぐらいであった。」
大物主といいながら、実際は小蛇というのがなんかおかしいw
小蛇というのもやはりチンコっぽい
(ヘビには水神とかいろんな意味があるみたいだけど)
大物主は自分の正体を見られて
「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」
と言って帰っちゃうんだけど
なんかチンコが小さかったのが恥ずかしかったのかなと思っちゃうw
箸ってのもなんか細いチンコにかけた嫌味じゃないのとか妄想しちゃう
倭迹迹日百襲姫命か。。。姫命で卑弥呼と言うわけだな
422 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 15:59:10 ID:RhtR5row0
423 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:07:20 ID:pLDqfsEr0
>>411 だって現代日本人の血の8割は弥生系だよ。
純粋な日本人はアイヌ(と言っても縄文8割ぐらいだが)、
次に濃いのが琉球(4割ぐらいかな)だね。
425 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:11:27 ID:UDTpwtfHO
>>422 まさか、福岡の方が都会だと言いたいのか?!
426 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:11:56 ID:+5slQ8Xa0
アイヌの発生って13世紀ごろだけどな もちろん縄文の文化も受け継いでいる可能性もあるが 本土や大陸の影響も混ざり合って区別は困難だ
>>423 日本は、ヤマトに当てた漢字が元だから、倭人以外はもともと日本人では無いな。
アイヌは国家に所属してなかったし、琉球は琉球国に所属していたわけで。
純粋な日本人、というのは、倭人と呼ばれた頃の混血具合を丁度持っている民族になる。
だから、日本建国をいつと見るかは難しいが、
その国家建設の初期の時点に民族に加わっていれば
遺伝子の系統は関係無く、純粋な日本人と言えるだろうよ。
例えば、モンゴル族は
>>407 を見ても、男は系統がバラバラだが
チンギスハンがモンゴルをまとめた時点にモンゴル族に加わっていれば
男の系統は何でアレ、純粋なモンゴル人といえるわけだ。
428 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:17:14 ID:wB+6XQtW0
アイヌが純粋な日本人で、次が琉球とかw ネトウヨらしい頭の悪さだなw
>>427 その、魏志倭人伝による倭人は、全身入れ墨。
古事記や日本書紀で、入れ墨をしているのは、蝦夷。
久米なども目の周りにしていたようだが、久米は天孫降臨に協力した部族で、
天孫部族ではないし。
430 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:29:08 ID:otco62QU0
九州説は完璧に破綻だな 終わったな、
431 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:35:14 ID:Hs0itlmK0
ま,冷静に考えたら当時流行の最先端を走ってた邪馬台国が つい最近まで、ド田舎だった九州にあった言うのが無理がある。 やはり、古代から都だった奈良と考えるのが自然。
432 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:36:17 ID:BHxJ+5k00
九州はもうだめぼ
433 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:40:25 ID:+5slQ8Xa0
古代には九州は先進地だったのだ それは遺物からも裏付けられて、だからこそ少し前まで九州説が優勢だった 近畿の出土物も充実してきて九州に負けていないと分かったのが今の状態
埴輪にも刺青や化粧のような色がつけてあったりするな。
435 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:43:42 ID:jcv/0JJ20
>>423 弥生人が半島起源とは必ずしもいえない。
中国大陸経由も弥生人。
436 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:43:59 ID:+K3OMBP10
中華思想によるなら九州にしたくなるわな
437 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 16:44:06 ID:jb2LfzwHO
失われた十氏族系の海洋民族の縄文人の到来+周王朝族系の農耕民族の弥生人の到来=日本人
>>407 馬鹿なの?
天皇の遺伝子が調べられたことはないのだが。
>>392 ほよ?日本人と韓国人は別ってきいたが。
韓国人はシナ人と近く日本人はチベット人と近い。なんでも
日本人とチベット人しか(たしか)もっていないものがあるんだと。
それに日本には3万年前の遺跡があったはず(岩宿だっけ)
日本人の基本は氷河期でまだ陸続きだった(上海あたり)ときに
モンゴルあたりの人々南下して日本列島に入り込んで
氷河期が終わり閉じこもったものではないのか?
あなたのソースもとが岩波となっているがどこまで信じていいものか・・
>東アジアの五集団は、それぞれの集団間の遺伝距離が非常に小さい。
>特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。
>やはりこの分析でも、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な
>関係にあることが明らかとなったのである。
http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 総合的に見れば本土日本人と韓国人は同じ人種。
だが男に受け継がれるY遺伝子だけアイヌと同じ要素を持っている本土日本人がいる。
>蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征記中に詠まれ
>ている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。
>えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず
>(訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負け
>てしまった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/蝦夷 ※神武東征記であることに注意
>神武東征(じんむとうせい)は、天皇家の初代カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が
>日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/神武東征 大和地方の古墳が卑弥呼の墓らしいとされた。
卑弥呼の部族は全身入れ墨をしているわけだが、日本書紀で入れ墨をしている部族は蝦夷。
さて、大和地方(卑弥呼が支配?)を元々支配していた部族は何でしょうか?
442 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:17:03 ID:mzkIhuj40
明らかに卑弥呼の墓ではない箸墓が、 3世紀のものだという仮説がひとつできただけで大騒ぎ。 別な学者が測れば、4世紀だったりいろいろだろう。 畿内説の最後の砦が、箸墓の年代判定か・・・笑わせますね。
また、近畿人が、ゴッドハンドぶりを発揮しているなw
445 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:22:41 ID:jb2LfzwHO
九州は、こりぁもうダメかもしれんね
446 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:28:33 ID:XxNI66lh0
>>444 畿内説がゴッドハンドなら、
九州説はゴッドマウスだなw
>>443 そのサイト見ないで書くが、日本人の遺伝子グループは4か5種類くらいに大別されてた気がするんだが
確か縄文系、朝鮮系、中国系、南方系みたいな感じで、日本固有といえるDNAは10%くらいだった
そもそも遺伝距離ってのは民族の移動を調べるのに使う指標なのか?
448 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:30:43 ID:mzkIhuj40
畿内説の証拠は、とうとうゴッドハンドだけになりました。
このニュースは、箸墓古墳が卑弥呼の墓かもしれないということで、 箸墓古墳に眠るのが誰なのかは、宮内庁の発掘禁止によって、分からないんだよな。 皇族なのかそうでないのか? 魏志倭人伝を見る限り、卑弥呼は縄文人で、皇室とは関係なさそうなんだが。
450 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:37:04 ID:vsXK+73z0
日本民族(大和人・琉球人・アイヌ人)
>>450 なんか否定派にも賛成派にも日本人と韓国人が共通の祖先、文化を持つことと日本人=韓国人の区別がつかない奴がいるみたいね。
しかも日本人=韓国人だから邪馬台国は九州とか完全に飛躍してるというか…
452 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:42:43 ID:Ic8baosPO
九州説は今や九州人の願望のみが支えだからな 以前テレビで九州説を唱える九州人の学者が、なぜ九州にあると考えるか聞かれて 「そっちの方が面白いじゃない」などと答えてたのには唖然とした 面白い面白くないは関係ないだろ 証拠と照らし合わせ、事実がどうだったか調べるのが学問だろ 個人の偏狭な郷土愛による九州説への固執は、もはや学問ではなくファンタジー あの時に九州説はダメだと思った
453 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:43:47 ID:wB+6XQtW0
九州説は何も物証が出てこないのが痛い。 銅鐸や鉄剣は出てくるが、肝心要の都に相当する都市も卑弥呼の墓に比定する塚もない。 では邪馬台国は九州のどこにある?卑弥呼の墓は?と聞かれたらそこまで。 筑紫だとか、いや宮崎だ、いや熊本だ、と10人が10人違うことを言ってる。 しかもそこに卑弥呼の墓があるというのでもない。 仕方がないから、あとは畿内説の粗探しが仕事になる。 多くの学者が九州説から離れていった原因はそういうところにあると思う。
454 :
↑ :2009/06/01(月) 17:47:18 ID:mzkIhuj40
奈良県人って僻みっぽいね。 九州説は全国的な支持を集めてるよ。 畿内説の連中は、古い学閥の関係者ばっかりだけどね。
455 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:47:55 ID:wB+6XQtW0
訂正 銅鐸や鉄剣は出てくるが →銅鉾や鉄剣は出てくるが 他人のケチをつけるのは簡単だが、自分の正当性を証明するのは難しい。 いい加減、九州説の人たちには、邪馬台国はここです、そしてこれが卑弥呼の墓です とはっきり示してもらいたい。
>いい加減、畿内説の人たちには、邪馬台国はここです、そしてこれが卑弥呼の墓です >とはっきり示してもらいたい。 ともいえますねw どっちにせよ、「親魏倭王」の判子が出てこないことには決着つくめぇよ。
九州最大の当時の遺跡って、日向? まえから思ってたんだが、そこってその時代は熊襲とかの地だよね。 熊襲のあたりから東征して大和になって、また熊襲を討つ まあ戦国時代とか考えると、そんなに変な話では無いけど。
458 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:53:17 ID:apzffEmYO
九州説ってさ、文献資料以外ではまともに語れないの? 有力な考古資料もないのにほとんど文献資料だけで語るとか、 商品ないのに売り込み営業してるみたいで やり取り以前の問題だろ
459 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 17:54:22 ID:pLDqfsEr0
>>453 鉄、鏡、絹その他
何度も証拠を挙げているんだが?
まるで知らんぷりするのはなんで?
逆に魏志に載ってない考古遺物
前方後円墳、銅鐸、石鏃・・・
ほら答えて見ろ(^o^)
邪馬台国がどこにあったかと神武東征神話を総合するとこうなる。 A. 邪馬台国九州説(=大和朝廷とは無関係)+神武東征否定 B. 邪馬台国九州+神武東征肯定 C. 邪馬台国畿内説+神武東征肯定 →畿内邪馬台国≠大和朝廷 D. 邪馬台国畿内説+神武東征否定 →畿内邪馬台国=大和朝廷 Aが戦中の東大。 ついでに、弥生人は縄文人が進化したものだとしていたが、DNA研究が進んで とんでも神国理論だとして否定された。 CなのかDなのか(邪馬台国九州と考える人の多くは、神武東征のことは念頭に 置いていない?のでBは少ない?)。 一般人は素朴にDだと思いこむようだが。。
461 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:02:52 ID:pLDqfsEr0
>>460 おいおい、九州説は普通神武東征肯定だぞ。
否定するのは津田学説を信奉する左巻だけだ。
463 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:06:12 ID:wB+6XQtW0
>>458 その文献資料でも放射説見てこりゃ駄目だと思ったね。
>>458 それ間違い。文献資料もまともに語れない。
古い地図では日本は南に長く伸びてるとか日本はずっと南にあると思われていた などの根拠で畿内説最大の弱点である方角はなんとか説明してるが 九州説はいまだに距離の問題をクリアできてないしな
たまには九州にも華持たせてくれたっていいだろ!!
468 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:25:20 ID:+wt/j89A0
>>459 鉄、鏡、絹は箸墓のある纏向遺跡ですべて出ている。
前方後円墳、銅鐸、石鏃は畿内独自のものではなく九州にもある。
(^o^)
469 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:31:24 ID:wB+6XQtW0
九州説はもう死んでる。 古田みたいな詐話師を教祖みたいに祭り上げたのがケチの月初め。
>>457 大和朝廷と邪馬台国が同じだという思い込みしてない?
471 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:35:04 ID:Omjf3LND0
>>459 九州説は時空を超越してるでな。
いくら紀元前後ごろの出土遺物を誇っても、
邪馬台国には結びつかんよ。
邪馬台国と直接関係ある3世紀代のみに絞って
>鉄、鏡、絹その他
を上げてごらんな。
472 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:40:48 ID:UDTpwtfHO
畿内説派は必死だな〜
>>470 台与はトヨと読むのが正しいようだし、
邪馬台の当時の読み方はおそらくヤマタイではなく「ヤマト」
大和と邪馬台国が無関係だと決め付けるのも逆に無理があるような
あまりもめるのは良くないから間を取って我が青森県で引き受けてやるよ>邪馬台国 十和田火山の噴火で消えたことにしておけば波風も立つまい
>>460 >C. 邪馬台国畿内説+神武東征肯定 →畿内邪馬台国≠大和朝廷
全部説明できるのは、これしかなさそう。
邪馬台国の人は刺青してるから蝦夷なんでしょ。
>>460 >C. 邪馬台国畿内説+神武東征肯定 →畿内邪馬台国≠大和朝廷
でもこれだと、アイヌが先住民になりそうだから、政治的にまずいのかな?
今の天皇家の血筋なんてどうだっていい事だと思うけどね。 わかってるだけでも後醍醐天皇が左遷された辺りで既にあやしくなってるんだし。 なぜそこに固執するのか、さっぱりわからねえ。
E. 邪馬台国畿内説+神武東征肯定 →畿内邪馬台国=大和朝廷
>>475 海部とか宍部とか刺青してるのは大和朝廷でもいるんですけど
古い習俗が野蛮とされて失われただけだと思うけど
480 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:55:50 ID:pLDqfsEr0
位至三公鏡、円圏鳥文鏡、方格規矩鳥文鏡、 鉄鏃福岡398、近畿4、 絹は弥生時代の絹遺跡は九州では15カ所(吉野ヶ里も含む)近畿では2カ所ね。
AV女優
482 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:57:46 ID:jcv/0JJ20
>>462 漢帰化族
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/fclan_index.htm 周人の末裔【大里氏】【長野氏】【広野氏】【三宅氏】【山田氏】【伊部氏】【白鳥氏】【白原氏】【調氏】
【長岑氏】【首氏】【水海氏】
秦の始皇帝の末裔【秦氏】【太秦氏】【惟宗氏】【朝原氏】【大蔵氏】【河勝氏】【桜田氏】【宗氏】【高尾氏】
【時原氏】【寺氏】【秦原氏】【広幡氏】【物集氏】【三林氏】【井手氏】【川辺氏】【中家氏】
【原氏】【小宅氏】【井手氏】【長田氏】【巨知氏】【長岡氏】【奈良氏】【大滝氏】【山村氏】
漢の高祖の末裔【厚見氏】【馬氏】【浄野氏】【栗栖氏】【古志氏】【高志氏】【桜野氏】【武生氏】【高道氏】
【玉作氏】【豊岡氏】【春沢氏】【桧前氏】【文氏】【尾津氏】【村主氏】
後漢霊帝の末裔【坂上氏】【大蔵氏】【丹波氏】【調氏】【木津氏】【桧原氏】【内蔵氏】【山口氏】【平田氏】
【佐太氏】【谷氏】【桜井氏】【路氏】【文氏】【桧前氏】【蔵人氏】【志賀氏】【広原氏】
【池辺氏】【栗栖氏】
その他漢帝の末裔【桑原氏】【下氏】【桧前氏】【若江氏】【田辺氏】【谷氏】【豊岡氏】【八戸氏】【高安氏】
【高道氏】【春井氏】【河内氏】
483 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 18:58:04 ID:jcv/0JJ20
漢の国人の末裔【大原氏】【吉水氏】【真神氏】【台氏】【交野氏】 魏人の末裔【高向氏】【上氏】【高根氏】【筑紫氏】【平松氏】【雲梯氏】【郡氏】【河内氏】【河原氏】 【鋤田氏】【野上氏】【広橋氏】【穴太氏】 呉人の末裔【蜂田氏】【深根氏】【松野氏】【和楽氏】【工氏】【祝部氏】【額田氏】【勝氏】【上氏】【刑部氏】 【茨田氏】【高向氏】【小豆氏】 漢人の末裔【伊吉氏(壱岐氏)】【交野氏】【広海氏】【吉水氏】 燕人の末裔【赤染氏】【赤染部氏】【常世氏】【筆氏】 唐人の末裔【江田氏】【清宗氏】【清海氏】【清川氏】【浄山氏】【栄山氏】【千代氏】【新長氏】 その他の漢土帰化族【大山氏】【大石氏(生石氏)】【高丘氏】【朝妻氏】【清村氏】【春村氏】
刺青にこだわる必要はないと思うけどな 呪術が流行していた時期のただの流行かも知れんし
>>475 それしかないと思うけどね。
でも邪馬台国の支配者層は出雲・丹波系だとも思う。
支配者層と被支配者層が違うのではないかな?
つまり卑弥呼は大和朝廷とも所縁があった人物だったのかも。
それなら箸墓の姫(百襲姫)との関係も納得はゆく。
でないと征服した女王のためにあれだけの古墳が
築かれるのも不思議だとは思うからね。
>>482 井手らっきょが始皇帝の子孫なのはビックリだね。
>>479 その人たちは既存の日本人で、降臨してきた王朝に味方しただけじゃない?
猿田彦も久米もそうだから。
489 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:14:10 ID:z5pzvBVt0
畿内説の弱いとこは、魏志倭人伝道程の方角が90°違うって解釈してるとこだな。 古代人が方角間違うか? 牛も馬がいないんだから徒歩だろ? 当時は太陽や星も90°違ってたのか?
491 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:15:09 ID:jb2LfzwHO
・狗奴国=クナド(フナト)=船戸=船 ・ニニギは鳥船で日向に天降り ・ニニギを案内した人=サルタヒコ ・サルタヒコ=クナドの神の太陽神(日命)
492 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:20:48 ID:pLDqfsEr0
>>457 薩摩まで倭だよ(投馬国)、
大和武はクマソと会話しているでしょ、言葉が同じって事だ。
493 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:23:17 ID:jb2LfzwHO
オギヤハギ
>>490 方角や距離は九州説でも対馬へ海を渡る時点で誤差があるから。
南へ水行10日〜なんて書かれても、どうとでも解釈できるからね。
あれで位置決めなんて1000年経っても無理です。
495 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:24:47 ID:7wVrwMk30
九州説を必死に唱えているやつは、WBCに負けた韓国と同じ。涙を拭けよ。
>>494 ,
>>495 いやいや、俺は畿内でも九州でもどちらでもいいんだ。ハッキリしてほしいだけ。
どうとでもなんて言い出したら、邪馬台国の存在そのものが疑わしい。
まともな文献が魏志倭人伝しかなく、どう考えても当時の先進国の文献なのだから、
そこから読み解くしか術がないだろ。
>>495 まぁ、一部同じ人だし仕方ないかと。
九州説の人は畿内説を否定することに必死で客観的に九州しかありえないという物証を出すことには消極的みたいだけど、
それじゃ四国だって八幡平だって沖縄だっていいことになるんじゃないのか。
個人的には八幡平を支持しておこう。
卑弥呼ってアイヌの親戚なのかな
>>490 地磁気学的にはほんの900年前と今ですら結構違うものだぜ?
まあ2000年程度じゃ90度も違わんけどさw
>>20 > >発表者の春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓が確定的になった」と述べた。
今回のゴッドハンドは、この人かねw
502 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:42:52 ID:UDTpwtfHO
魏志倭人伝で言えば邪馬台国は九州ですから、はい、畿内説消えた。
「邪馬台国畿内説」徹底批判
「邪馬台国畿内説」は、科学的方法によっているだろうか。
あまりにも事実を無視し、推論が恣意的である。
関係のない考古学的事実を、「畿内説」に結びつけ、マスコミ報道にもちこめば成功、
という方法をくりかえしている。「検証」がぬけている。
■ 畿内説は、共同幻想
確実に邪馬台国時代のものといえる奈良県の遺跡・遺物は、あまりにも乏しい。
奈良県は、大和朝廷の成立ののち、数百年にわたって王城の地であった。のちの時代の遺跡・遺物は、豊富である。
大学の師や先輩のことばを、そのままうけつぎ、「はじめに大和説ありき」で物を見ることによって大和説は成立している。
のちの時代の遺跡・遺物を古い時代に位置づけ、年代をくりあげ、マスコミでの大宣伝をくりかえすことによって邪馬台国論争に決着がつくと思いこんでいる。
しかし、事実は、頑固である。まちがいだらけのマスコミ報道。畿内説は、旧石器摸造と同じ種類の共同幻想である。事実を見ていない。
このやり方は、いつかは破綻がくる。
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo97.htm
504 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:50:18 ID:jb2LfzwHO
弥馬台国(大和国)の卑弥呼(天照大神)と 狗奴国の男王(クナドの神の佐田大神(伊勢国))の 話しだろ?魏志倭人伝って?
505 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 19:50:22 ID:mzkIhuj40
安本でなくとも、畿内説の欺瞞は、日本国民の多くが気づいてしまった時代だな。 畿内説はゴッドハンドだけが支えているのがありありとわかる。
ザ・ワールド
507 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:14:39 ID:jb2LfzwHO
天照=卑弥呼(日巫女)=斎(斉)宮 佐田=卑弥弓呼(日神)=斎(斉)王 斎王=斉の王 伊勢神宮(伊勢国)と中国の斉国って何か関係あるものある?
508 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:18:54 ID:jb2LfzwHO
>>381 伊勢神宮と中国の斉国の関係
いきなり発見した
>>496 魏史倭人伝を資料として読みとくのは勿論重要だけど、
距離や方角のように矛盾してるところはさっさと
見切り付けないとダメですよ。
卑弥呼は年増で独身で民族の象徴的な女王。 倭迹迹日百襲媛命は崇神天皇に仕えた巫女的性格の一皇族で結婚してるわけで、 同一人物とは思えないな。 箸墓古墳が卑弥呼の墓というのが間違いか、倭迹迹日百襲媛命の墓というのが 間違いか、どっちなんだろう?
見切りとか言い訳して、都合よく解釈するのは危険だと思う
512 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:23:49 ID:zQEtPCrRO
どうせ畿内説前提の調査だろ 学者が都合良く解釈するに決まってる 邪馬台国がどこにあろうと今の生活に関係ないんで、好きにすればいいと思うがな
まああれだよ、国の歴史に関する意識が希薄だからダメなんだよ。 発掘費用は土地所有者払いなんて、ふざけてるとしか思えん。知らんふりして埋めちゃった方が余程金になる。
>>496 位置については会稽東冶の東あたりという認識だから、方角も南になるし、
距離も大きくなるんだろう(それにしても誇張が過ぎるが)。
刺青の風習とか気候が温暖とかいうのも、伝聞が含まれているにしろ、
越地の近くだろうという類推から膨らませた記述のように思われる。
>まともな文献が魏志倭人伝しかなく、どう考えても当時の先進国の文献なのだから
それはそのとおりなんだけど、一字一句正しいかというとどうなのか。
全部が捏造という意見には与しないけど、この文献の記述から所在を
突き止めるのはほとんど不可能。
『三国志』に詳しいわけじゃないけど、作り話みたいのも書かれているしね。
邪馬台国論争の起点が魏志倭人伝なんだから、全部捏造じゃそりゃあ都合が悪いわな。 作り話みたいって言えば日本書紀・古事記はどうなっちゃうんだか。
>>514 入れ墨の本場は、太古の昔から日本なんだけど。
アイヌとか、顔に入れてたし。
517 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:47:11 ID:QuPyb7/v0
>>510 百襲媛が結婚してたか?旦那は誰?
記紀にはそんな記述はなかったと思うが。
「がんばれ姫子!」
519 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:49:48 ID:pLDqfsEr0
>>514 魏志がわざわざ邪馬台国を訪問しているし、
邪馬台国の使者が謁見されているのになんで伝聞ってなるんだ?
おまえ倭人伝読んだこと有るのか?
旦那は三輪大社の蛇
521 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:57:42 ID:pLDqfsEr0
>>507 卑弥呼:肥の御子
卑弥弓呼:肥の尊
肥は火で阿蘇山の事
522 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 20:58:23 ID:QuPyb7/v0
>>520 へ?
蛇と結婚ですか!
そ〜んな夫婦はおまへんで〜。wwwww
>>516 「男子無大小皆黥面文身」とあるけど、皆が皆やっていたかは疑問。
むろんそういう地域もあったのだろうし、身分によっては行っていたのかも
しれないが。それにしても、はるか後代のアイヌの例を出すのは不適当だろう。
>>519 『三国志』は魏使が著述したものではないだろ。
陳寿は直接倭に出向いたのかい。
524 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:06:21 ID:jb2LfzwHO
>>521 “ひ”は、“火”もあるけど、“日”の事じゃないかな?
阿蘇山信仰?ではなく、太陽信仰だと思うよ
邪馬台国は九州ではなく大和のことだね
大和から日が昇るところに、伊勢国(伊勢神宮)がある
ははは
526 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:16:29 ID:pLDqfsEr0
>>509 矛盾してないよ、君の読み方が間違っているんだよ。
>>523 そういう地域、と言うなら九州の方が説得力あるな。
直接行ってないから、そのまま書き写した、と考えた方が自然。
そうか
529 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:19:19 ID:pLDqfsEr0
>>497 おい、俺が何度も出しているだろが。
鉄、鏡、絹
近畿でない証拠
前方後円墳、銅鐸、石鏃・・・
530 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:22:46 ID:hFKjwHO80
どこでもいいけど九州はないわ
531 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:23:07 ID:lTMZX30p0
>>438 馬鹿はおまえ、支配者系の男系DNAが5%などということはない。
しかも、それは戦後帰化した人間も含めての数値。
>>462 http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O3_%28Y-DNA%29 中華系は確実に存在する。
>The subgroup O3a5-M134 is particularly closely associated with Sino-Tibetan
>populations, and it is generally not found outside of areas where a Sino-Tibetan language
> is currently spoken or that are historically supposed to have undergone Chinese colonization
> or immigration, such as Korea, Japan, Vietnam, Malaysia, the Philippines, and Indonesia.
その図のO系統は、漢民族系のO3と日本独特のO2b1aを足した数字。
532 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:24:06 ID:/5XMsbMG0
古墳時代の始まりが3世紀で九州説の前提が崩れたという。しかし近畿説も古墳時代を4世紀からと前提としていたのだから,同様に崩れたと思うだけど。結局,古代史をかなり訂正しなければならなくなっただけだと思うのだが。
533 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:25:39 ID:pLDqfsEr0
>>523 お前は官僚が出張報告をしないと思うのか?
534 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:28:57 ID:zcBHa9Z/0
>>40 卑弥呼より100年以上古い西暦57年に
漢委奴国王印の金印もらって
それが博多湾から出土してる
博多湾に首都おいてる国が金印もらってるわけ
535 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:30:36 ID:jb2LfzwHO
自殺を考えたり、嫉妬したり、泣いてはいけない 歴史がすべてではないさ、まぁ頑張れよ九州
>>510 百襲姫がヒミコなのは丹後籠神社の海部氏家系図からも確認できるから。
これが邪馬台国の卑弥呼なのかは別問題だが。
しかし巫女といい、逸話といい、卑弥呼を連想させる点が
多いのは事実だからね。
>>519 邪馬台国に行ったにしては距離や日時が記述があまりに大雑把なんですよ。
実際行ったとも書かれてる訳ではないし。
もうそろそろ宮内庁も全国の古墳発掘解禁しても良いんじゃねえか? 戦中でもあるまいし、何が出てきたところで大した影響ないだろ。 これは天皇陵では有りませんでしたでいいじゃん。
>>533 ときどき発覚する公務員のカラ出張で、いかにわれわれの血税が無駄に使われているか!
しかしあれは氷山の一角だ!
539 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:35:50 ID:pLDqfsEr0
>>490 距離に関しても滅茶苦茶だよ、
朝鮮半島から九州北端まで3千里、
残り2千里だのになんで近畿まで伸びなければならないんだ?
540 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:37:04 ID:UDTpwtfHO
もう今はゴットハンドの畿内説が有力でいいよ
>>536 魏使が実際に行ってないなら、あんなに細かく書く必要がない。
カラ出張でしたってか?
>>536 >実際行ったとも書かれてる訳ではない使者
kwsk
帯方群から張政が倭に来たとしか読めないんだが
>>533 出張報告を聞いたり見たりすることを伝聞というんじゃないのか。
>>539 >朝鮮半島から九州北端まで3千里
そこまでの距離も誇大だけどな。
544 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:43:17 ID:ygm+g/bo0
>>531 >Some researchers believe that it first appeared in China approximately 10,000 years ago.
「一部の」研究者が最初に中国で約1万年前に現れたと考えています
いきなり否定的なニュアンスなのだが。
それと「漢民族」は満州族が考え出した概念であり言葉
19世紀以前の事にこの言葉使うのは
「アンデス文明を築いた、彼らアメリカ人は・・・」と同じぐらいトンチンカン
545 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:46:01 ID:pLDqfsEr0
>>524 太陽信仰だったらなんで近畿になるんだ(^o^)
九州にはその名もずばり日向(ひむか)もあるんだが・・・
それに日向の地名は筑紫にもあるよ。
大体伊勢神宮は大和朝廷が垂仁25年に造ったっての判っているの?
546 :
通りすがり :2009/06/01(月) 21:48:12 ID:HBCy9sbp0
>>490 中国の古代地図では、日本の畿内が南方に書かれているよ?
547 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:50:30 ID:jnuM0UpfO
>>537 陵墓でもないただの遺跡の管理予算を財務省が宮内庁書陵部につけると思うか?
そういうことだ
549 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 21:56:04 ID:pLDqfsEr0
>>546 それ知っているよ、北海道を抜いた近世の日本地図がね(^o^)
>>539 漢書地理誌では中国からアレキサンドリアまで12000里
ペルシャまでが11600里
中央アジアの大月氏国までが11600里。
ま、ある程度重要で距離のある場所に対しては
皆12000里前後と書いてるのです。
>>542 伊都郡でも勿論「倭」ですよ。
邪馬台国まで行ったなんて何処にも書いてません。
552 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:00:18 ID:UDTpwtfHO
畿内説派は捏造が得意だよな〜
553 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:01:41 ID:lTMZX30p0
>>544 別に呼び名なんてどうでもいいでしょ。1万年前の話も。
O3a5は現代中国に非常に多く、中国人が植民地化した国、あるいは移民した国に多く見られる。
日本の場合は漢字文化が存在するのだから、中国の影響は無視できないのはあたりまえ。
それと、
中国の場合は秦の時代の支配者は、現代のアジア系とは違う系統だったっていう研究もありますよ。
百襲姫には弟がいて「桃太郎伝説」のモデルになったと言われてます。 これ、豆知識な。
555 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:03:22 ID:/5XMsbMG0
>546 それよりも三国志の時代に近い,南北朝や隋の歴史書には倭は東西に長く書かれているはずだけど。
556 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:04:04 ID:pLDqfsEr0
>>550 わざわざ卑弥呼の宮殿の模様を記載したり、墓の形状をかいたり、
直接イヨに朝の檄を告ゆしたのにか?
お前は大国の使者が属国の首都に入らずに出先で迎えられて数年そこでとどまっていたと言うのか?
いったいどういう了見だ(^o^)
557 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:08:11 ID:jb2LfzwHO
>>545 日向なんて
ニニギが高天原の高天彦神社から天孫降臨するために
伊勢住民の佐田に案内してもらい天降りしたってだけの
単なる場所だろ
日向が太陽信仰と関係あるわけない
伊勢神宮は、天照の奉るところを探していた倭姫命が
佐田の子孫の大田が住む、伊勢に作ったってだけ
そもそも、太陽信仰は
天照いぜんに佐田が太陽神ということもあり
九州の山岳信仰の阿蘇山には太陽信仰など“残念ながら”あるわけなく。近畿の方が濃厚
ていうか、九州論者は何かにつけて似た地名ってだけでファンタジーするよね?
僕からしたら、あほらしいとしか
>>556 実際邪馬台国まで行ったならあの記述にはならんでしょ?
南へ水行10日、陸で1月だよ。
何処に寄ったとか一切無しだぞw
pLDqfsEr0
>>517 >百襲媛が結婚してたか?旦那は誰?
ググると大物主命と結婚してるね。
561 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:13:45 ID:5Gj9wXzq0
何だかんだ言っても九州人が九州派、関西人が畿内派ってことだろw
562 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:15:24 ID:lTMZX30p0
>>561 違うよ。畿内説があまりに穴だらけだから、九州説を支持してる。
卑弥呼=天照大神 合理的な考え方。 邪馬台国も九州にあった。 これも合理的な考え方。 神武の時に東征した。 出雲、畿内を征服(恭順させた)した。 これも合理的な考え方。 邪馬台(yamado)=大和(yamato) 神武以前の神話時代は九州が舞台。 皆既日食=卑弥呼崩御 台与(豊)登場!太陽復活。 豊前、豊後の知名に関係がありそう。 神武東征は政略結婚をすることで、平和的に行われた。 したがって、九州から始まった大和王権は、畿内に落ち着いたのちも同族で統治してきたと思われる。 解決!
「日本書紀」の崇神天皇の条には、次のように記されている。
倭迹迹日百襲姫神は大物主命の妻となったが、夫は夜に通ってくるだけで、
その顔を見ることができなかった。そのことに日々不満を募らせた倭迹迹日百襲
姫神が、ある夜、是非顔が見たいと強引に迫った。そこで大物主命は、「朝にな
ったら櫛箱に入っているが、姿を見ても決して驚くなよ」と告げた。翌朝、櫛箱
を開けた倭迹迹日百襲姫神が中にいた小さな蛇を見て驚き叫ぶと、蛇はたちまち
若者の姿となり、恥をかかされたことを激怒して、大空に飛び上がって三輪山に
登ってしまった。それを見て自分の行為を後悔した倭迹迹日百襲姫神は、箸で女
陰を突き刺して死んでしまう。
http://www.din.or.jp/%7ea-kotaro/gods/kamigami/yamatomomoso.html この女性が巨大古墳を作ってもらえるわけないと思った。
卑弥呼=日巫女 アマテラスを主神とする大和政権 卑弥呼の後を男が継いだら、国が乱れる=暴れん坊、スサノオ 問題はイヨちゃん・・
>>556 墓は箸墓だとすると大きさ、形、埋葬方法全て違う。
都の様子も同じく王がいたとする伊都国を参考に出来るし、とりたて他の倭国の城郭風景と変わらない。
伝聞だと理解するのが普通。
568 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:18:25 ID:jb2LfzwHO
>>561 おれ東北ですが近畿派です
いぜんは九州派でしたが
九州論者が似た地名ってだけでファンタジーしてるのが
馬鹿らしいと感じまして近畿派になりました
何故なら、似た地名ってだけでファンタジー出来るなら
全国が候補になり九州だけのものではなくなるからです
東北にもヤマトみたいな地名はありますしね
569 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:19:29 ID:jnuM0UpfO
>>555 だから本文どおりに進むと太平洋上に出てしまうので邪馬台国は海に沈んだ幻の国になりますw
どっちにしろそんなに方向や距離は精確じゃないのよ。
やっぱり東へ進んで八幡平が邪馬台国でしょう!
571 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:21:21 ID:Iu3JGnu60
卑弥呼≠神功皇后なのか?
>>567 イギリスから来たという話じゃなくて、中国から半島経由だよ。
普通に来てるだろ。
こっちから使者も行って、奴隷を献上してるし。
>>571 確かに記紀の人達はそう思ってたみたいだが
どうも違うみたいだ。
574 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:24:17 ID:jb2LfzwHO
佐田なんて、鼻が高くて蒼い目で高身長だよ
>>570 精確じゃないって言っておいて、東には進んだんだ。
もう邪馬台国は東京でいいよ。
576 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:25:42 ID:5eQ8C6ygO
所詮中国人の書いた記録だけがソースの話 卑弥呼や邪馬台国なんて存在しないと考えるのが合理的な判断 畿内説とか九州説とか中国の書物を信用しすぎだろ
577 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:27:28 ID:HsBq3qPmO
捏造大好きチャンコロの古文書を有り難がって信じるアカデミー
>>572 もちろん、九州には上陸した。
でなければ、植物などをあんなに細かくレポート出来ない。
でも九州だとすれば短里及び放射説としても距離感が違いすぎる。
畿内としても方角と先ほどの墓のレポート内容が全然違う。
伝聞情報が混じってると思える。
うんうん、魏呉蜀の争いもなかったし、始皇帝は幻想なんだね。 古事記は事実しか書いてないて、日本書紀こそ正しい日本史なんだね。 畿内説のご都合主義がよくわかったよ。
580 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:32:34 ID:NWtkFuCt0
11 :名無しさん@十周年:2009/06/01(月) 00:36:48 ID:0FbD7W69O 関東人の俺にはどうでもいい話 といってる連中が強力に九州説押してたんだよなあ ちょっと前に国営放送でアンケとったときも、九州からだけじゃなく 関東人の組織表がわんさかあったらしいし。そこまで畿内がいやなのかと。 アカデミズムよりもカントリズムを優先するとか、アホとしか言いようがない
>>578 伝聞情報が混ざってるかもしれないが、九州から本土なんて遠くないよ。
わざわざ九州まで来たら、邪馬台国がどこであれ、きちんと行くだろ。
こっちから奴隷も送ってるわけだし。
>>579 畿内説派だが古事記も日本書記も当然矛盾があると考えてますがw
特に邪馬台国、卑弥呼に関する記述が皆無なのは当然疑うところでしょ?
583 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:36:17 ID:Iu3JGnu60
夏は涼しい奈良、冬は暖かい九州でいいじゃん
584 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:36:18 ID:jnuM0UpfO
九州w
>>580 どうでもいいのでよりロマンチックなほうを選択してます。
どこでもいいなら東京も面白いけどやっぱり八幡平でしょう、
関東の皆さん邪馬台国は八幡平ってことにしませんか@埼玉人
586 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:37:52 ID:pE4qb96RO
倭人は刺青してるんだぜ 海の民なんだぜ 卑弥呼聯合に敵対するキクチヒコのクニが南にあったりするんだぜ 邪馬台国東端から遠望するとさらに土人国があるんだぜ イト国にだけ代官がいるんだぜ これでどうやって機内に邪馬台国があったと信じろと 卑弥呼東征説か 最初の使者が来た時にゃ九州にいて、死んで陵墓つくられる時には奈良県桜井市あたりにいた 馬鹿言うんじゃない ところで卑弥呼の後をついだトヨって何者
近畿説を支持する人は、 卑弥呼は神武のあとの人って事か? つまり、二千六百年前は、九州に王朝があったって事か? アホらし
588 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:40:55 ID:JF0aKrO10
この古墳からは、卑弥呼さんの縁の品が 何か出てきたの?
589 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:41:41 ID:5Gj9wXzq0
この調子じゃあ二千年後の歴史の教科書に現代がどのように描かれるのか心配だなあ。 遺跡からガンダムのフィギュアが出土したり唯一復元されたDVDがカブキマンだったり した日にゃあ・・・
590 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:42:43 ID:jnuM0UpfO
九州説ってチンギスハーン義経説ぐらいのもんだと思ってたけど割と信憑性あるんだ?
古代は水利の関係で奈良みたいなとこの方が農耕に便利
593 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:45:04 ID:jb2LfzwHO
そもそも九州論は、東大の偽国士偽右翼が 捏造したファンタジーだからな。信じるに値しない どんなかたちであろうが天皇は、日本の祖だ 偽国士偽右翼ほど天皇のルーツに嘆いた時に裏切るものだ 哀れみを感じるよ
>>586 崇神の娘だよ
崇神で朝が恐らく変わった。
だからしばらく卑弥呼も含めて地元神である大物主に政祭事を任せる形をとったんだろ。
595 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:45:30 ID:Iu3JGnu60
奈良から博多が邪馬台国で、博多の南の熊襲と敵対していたのじゃ?
596 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:45:33 ID:L4BkuD1/O
597 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:45:44 ID:l+/5iZXS0
>>588 この古墳は規模が圧倒的に大きく
日本全土に強い影響力を持つ巨大権力の発生を強力に示唆している
そしてその作られた年代が卑弥呼時代だと最新科学で判ってきた
それだけ
>>590 なんで?
倭国大乱は支那のパチってこと?
当時日本国内は乱れてたってのが嫌なの?
乱れてたのをまとめたのが神武東征じゃやだ?
600 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:48:13 ID:L4BkuD1/O
学界の勢力 九州派:東京大学 近畿派:京都大学 偏差値からなら東京大学の勝ち
601 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:48:17 ID:FQVOdJyfO
木製のあぶみが奉納されてるのが見つかったそうだけど、 巫女である卑弥呼の墓にあぶみは相応しくないでしょう。 日本人の乗馬の風習は5世紀以降というのが通説だから、もしあぶみがこの時代に奉納されたのだとしたら 大陸から渡ってきた王か武将の墓という可能性もある。少なくとも男の王である可能性の方が高い。
602 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:48:27 ID:zi6Nc+Us0
衆院決算委員会 分科会 2002年4月8日
http://www.ishii-ikuko.net/kokkai/154/kaigiroku/020408.htm ○石井(郁)分科員
日本共産党の石井郁子でございます。 きょう、私は、陵墓及び陵墓参考地について質問させていただきます。
・・・・・・先ほどの、台風の被害に遭った箸墓ですけれども、私も行ってきましたら、宮内庁は、ヤマトトトヒモモソ姫の墓として静安を守るというふうになっていますが、
ここは卑弥呼の墓ではないのかとか、三世紀半ばの古墳である可能性が高いとか、大変議論のある、そしてまたロマンもかき立てられる、そういうお墓でございますけれども、
こういう点では皆さんの期待にもっとこたえていいのではないかということが一点です。
この場合、申し上げておきたいのは、考古学者の皆さんは、必ずしも、発掘調査、墓を全面公開せよと言っているわけじゃないのですね。
周囲の確認とか外形の実測とか墳丘の形とか構造とか、外見でも確認できるようなところをやるだけでも随分とわかることがあるということでございますので、
そういう点からも、しっかりした保存、保全のためにもっと学会の方々の御意向もくみ入れて、あるいは協議して、充実した公開に一歩を踏み出すべきではないかというふうに考えますが、いかがでしょうか。
○山口政府参考人(宮内庁書陵部長)
・・・・・・陵墓は皇室の御祖先のお墓でございますけれども、学術文化的な側面というのも高いものがございますので、
私ども、その陵墓の本義といいましょうか、第一義的な意味での陵墓管理に支障を及ぼさない限りにおいてではございますが、傷みの進んだ陵墓につきまして保全工事を行う際には現地での見学会を開催いたしましたり、
あるいは出土品につきましてはこれを公開いたしましたり、それぞれの調査結果につきましては書陵部紀要を通じまして各研究者のごらんに供しておりましたり、
あるいはまた研究者からの要望、要請がございますれば、宮内庁の職員がかわりまして調査をして、書陵部紀要において公表していくというような努力も重ねておるところでございます。
そういうことで、今後におきましても、先ほど来申し上げておりますように、皇室の御先祖のお墓である陵墓というその第一義、基本は踏まえつつも、学術文化的な面での役割というものにも十分意を用いてまいりたいと思っております。
603 :
名無しさん@九周年 :2009/06/01(月) 22:48:50 ID:XdZQZljJP
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ 細けぇ事はいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
604 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:49:09 ID:IBXn3yNrP
>>576 >卑弥呼や邪馬台国なんて存在しないと考えるのが合理的な判断
極端な話、今の畿内説だったらそれでも構わないかもしれないw
どの道3世紀にヤマトを中心にした一大連合勢力があったのは中国史書とは関係なく確認できる事実。
で、もし3世紀に魏から冊封されたクニがあるとしたなら
その連合勢力の中心のクニが一番蓋然性が高いであろうと言うのが
今の畿内説ではないかな?
無論、最大勢力でない弱小勢力であっても
それが邪馬台国である可能性はある。
昔からあるいわゆる「偽僭説」と言う奴だなw
605 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:49:17 ID:l+/5iZXS0
>>594 箸墓の主は葛城王朝の姫だからな。
で、新勢力の崇神がその弟を名乗ったってのはアリかもしれんw
606 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:49:53 ID:jnuM0UpfO
箸墓古墳は紀元518年に済州島から運んできたものです。 箸墓古墳の起源は朝鮮半島と言って間違いありません。
紀元前2世紀の吉野ヶ里遺跡の主は天皇の血筋だろ DNA解析技術が発展すれば分かる
609 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:52:41 ID:ygm+g/bo0
>>553 >別に呼び名なんてどうでもいいでしょ。1万年前の話も。
呼び名がどうでもいいなんて絶対にないよ、呼び名=定義なのだから
古代アンデス人をアメリカ人と呼んで理論組み立てたら破綻するように。
実際、あなたの漢民族で立てた理論もすでに破綻している
現代ユーラシア亜大陸で大多数占めているy系統遺伝子が
「漢民族」だということで太古からいることに摩り替わっている。
まるで、「アンデス文明はアメリカ人が立てた→現代アメリカは白人が多い
→白人は太古の時代からアメリカ大陸にいた」
と言っているようなもの、リンク先の英文が否定的(呆れている?)
感じなのも、その一部の科学者に論理性が無いため。
610 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:53:10 ID:l+/5iZXS0
倭国タ大乱は三輪山の麓に強力な統一王権が形成される過程で生じた 大規模な争乱と政治的混迷だろうな。 そう考えた方がストレートだ
611 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:53:17 ID:pE4qb96RO
神功皇后を日本書紀編纂者が無理矢理卑弥呼にしたのは、彼が魏史倭人の章を読んで捏造の必要を感じたからだろ 当時すでに中国の有名な歴史書のひとつであっただろうから 日本の大王家、その他の有力な家に伝わっている伝承には卑弥呼らしきヒトは全く出てこない、はて困ったで捏造。 時代が合致しないことなど当時はどーでも良かった 体裁だけつければ良かったのだろう 古事記に出てくる「人」でもっとも卑弥呼っぽい人はやまとトトヒモモソ姫といやあそうなんだけど
612 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:54:38 ID:jb2LfzwHO
九州論者は思考停止してるから いっこうに日本書記と古事記に結び付かないんだよ 卑弥呼→トヨの継承は 近畿を探せばあるだろ?馬鹿か? 日本は太陽の国なんだぜ 伊勢神宮でググれ
>>612 あれ?
伊勢神宮ってけっこう新しいんじゃなかった?
614 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:57:14 ID:l+/5iZXS0
>>611 記紀編纂期は邪馬台国から400年もたってるし
単純に誰が卑弥呼か判らなかったんだろう
第一候補のモモソ姫は、彼女にすると記紀の誇張された年代感に矛盾してしまうから
却下したんじゃないかなぁ
615 :
魔裟呼 :2009/06/01(月) 22:59:11 ID:jzE1JDgX0
日本書紀は大陸側にも持って行き朝廷の権威の正当性を示す狙いもあって編纂された。
ところが大陸側にはすでに魏志倭人伝があり卑弥呼が「親魏倭王」と明記されていた。
卑弥呼が大和朝廷の祖なら問題はなかったが、
卑弥呼が大和朝廷の祖でないなら、朝廷が新興勢力でしかないと読み取られてしまう。
しかしながら、日本書紀の編纂者は皇族ではなく官吏でしかない、
皇族や皇族の祖先について、記録を改竄するのは畏れ多い。
そこで苦肉の策を講じたと推定するのが当然だろう。
日本書紀は西暦でなく干支や「何々天皇の何年」で記されており、
絶対年代を記しているわけではないし、前後関係も明言されているわけではない。
そこで官吏たちが、ところどころ干支一巡分を前後関係を無視して差し込んで、
絶対年代で60年のずれを読者の勝手な勘違いを誘おうと狙ったのでないかとも言う。
天武天皇の時代から単純に逆算すると神功皇后が卑弥呼の時代の人物という事になり、
魏志倭人伝の卑弥呼とは神功皇后の事でないかと読者の勝手な推定を誘う。
だが神功皇后の子の応神天皇紀など
干支二順120年繰り下げると『三国史記』の対応記事と一致するという。
「プラス・マイナス120年構想」に説得力がある。
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/plusminus1.html 応神天皇陵や仁徳天皇陵の周囲から出土する埴輪の形式も、単純な逆算より
約100年(120年?)ほど後の編年上の形式のものだと指摘されている。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku244.htm 日本書紀は天皇以外に神功皇后だけ特に一巻を割き、
そこに魏志倭人伝の卑弥呼の記事が引用されているなど、
編者は必死に神功皇后=卑弥呼と印象付けようとしたかのようである。
616 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 22:59:34 ID:L4BkuD1/O
>>614 と言うか、記紀に天皇家の支配下以外の人物が出てこないのは当たり前。
あれは天皇家の正統性と成り立ちを示してるだけなので
さらに記紀を編纂した中国人も知ってるわけがない。
617 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:00:11 ID:jb2LfzwHO
>>613 そりぁ天皇家の現皇祖神がけっこう新しいものなwww
>>607 済州島自体がそのころは半島と別勢力だったわけで…
>>606 皇室のルーツは誰にもわからないよ。
半島かもしれないし、除福一行かもしれない。
またはユダヤ系の可能性だってある。
縄文人がルーツじゃなくてもよくね?
どれがルーツでも尊敬の気持ちは変わらないよ。
宇佐神宮本宮の山を掘ってほしい
■箸墓古墳:歴博が「卑弥呼の墓」説 築造時期などから
──考古学協会理事、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請──
──データの信頼度など会場から質問続出──
国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240〜260年に築造されたと、東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。
247年ごろとされる邪馬台国の女王・卑弥呼の死亡時期と重なるため、邪馬台国所在地論争の点で注目される。しかし、この測定結果によって箸墓を卑弥呼の墓とするには問題が残り、数値が独り歩きすることへの懸念がある。
発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。
歴博グループは、放射線炭素年代法によって全国で出土する土器に付着した炭化物を中心に年代を測定。
箸墓でも、築造時の土器とされる「布留(ふる)0式」など16点を測り、この前後につくられた他の墳墓や遺跡の出土品の測定結果も総合して240〜260年を導いた。
発表者の春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は
「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓が確定的になった」
と述べた。
しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。
中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。【伊藤和史】
毎日新聞 2009年5月31日
http://mainichi.jp/select/today/news/20090601k0000m040042000c.html?link_id=RSH02
吉野ケ里遺跡(神埼市郡)が邪馬台国であったことを歴史、考古学的に究明する「邪馬台国を考える会」(仮称)が四月発足する。
連続講座やシンポジウム、畿内説との討論などを交えながら、市民レベルで九州邪馬台国説を補強していく。
「九州説」を主張する日本考古学会の奥野正男さんを会長に、同遺跡保存に尽力した郷土史家石戸敏治さん(佐賀市)が副会長、
佐賀女子短期大学学長の高島忠平さんが顧問を務める予定になっている。
会では奥野さんの集中講座や同遺跡の現地見学会のほか、「畿内説」を主張する研究者との討論会なども計画。
研究成果は雑誌にまとめたいとしている。
邪馬台国論争では、20日に奈良県桜井市の纏向遺跡で、卑弥呼の時代と一致する3世紀前半の建物跡が確認された。
事務局長の関家敏正さん(佐賀市)は「吉野ケ里が邪馬台国だということを検証し、若い世代に受け継いでもらうため
会を立ち上げる」と期待する。
設立総会を4月19日、佐賀市のグランデはがくれで開く。
問い合わせ先は副会長の石戸さん、電話TEL番は省略しました。
佐賀新聞 2009年03月25日
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=1213175&newsMode=article
・軍配が上がるのは九州説か、畿内説か‐歴史ファンの関心が高い「邪馬台国論争」に、この秋から
県が本格的に“参戦”している。シンポジウムやワークショップ(体験型講座)をたて続けに開催。
12日には歴史講座「邪馬台国を訪ねて」(3回シリーズ)も始まった。3年間をかける取り組みで、
初年度を締めくくる来年3月のシンポジウムのテーマはずばり「邪馬台国を考える 九州説と畿内説」。
■歴史講座すでに開始
一連の事業は、県教委文化財保護課に事務局を置く産学官の組織「福岡歴史ロマン発信事業
実行委員会」(委員長・西谷正九州大学名誉教授)の主催。「邪馬台国を論じてほしい」との
麻生渡知事の意をくみ、多彩なプログラムを企画する。
2005年10月に地元の念願だった九州国立博物館(太宰府市)が開館し、順調に歩んでいるこの
機会に、関心の高い邪馬台国を取り上げ、文化熱を高めたいというのが知事の考えのようだ。
県教委の磯村幸男文化財保護課長も「福岡は『魏志倭人伝』に登場する伊都国、奴国といった
邪馬台国時代の主要なクニがあったと考えられる。この歴史遺産を生かさない手はない」と語る。
12日に福岡市・天神のアクロス福岡で開かれた「邪馬台国を訪ねて」の第1回講座は、
午後6時半開始という時間設定にもかかわらず、150席がほぼ満席。勤め帰りの会社員らが、
元九州歴史資料館副館長の橋口達也さんの講演「弥生時代の戦い」に聞き入った。
橋口さんは、弥生時代の人骨や武器などの発掘資料をもとに、戦闘の様子やクニが形成されていく
状況を解説。最後に「会場の多くは『邪馬台国九州説』かもしれませんが、私は残念ながら畿内説で
すね」とユーモアを交えて締めくくった。
この日、手作りの卑弥呼風の衣装で登場し、司会を務めた県教委文化財保護課の齋部麻矢技術
主査は「邪馬台国は古代史最大のロマン。『九州邪馬台国』をどんどん発信したい」と話していた。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/20071214/20071214_015.shtml
624 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:07:02 ID:l+/5iZXS0
>>616 天皇家と卑弥呼が直結してても記憶が曖昧だった可能性は凄く高い
現代の史学界が400年前の桶狭間で奇襲か正面攻撃かでどんだけ揉めたよw
625 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:07:36 ID:lTMZX30p0
>>609 君はひょっとして、O3a5の起源が朝鮮だと主張したい人なのかw
それはないと思うよ。心配しなくても。
>>617 俺の感違いかもしれんけど、もともと九州にあったのを、雄略天皇の時に今のところに持ってきたんじゃなかった?
祭神が新しいといったんじゃないよ。
もともと九州にあった?かも?
邪馬台国はどこにあったのか、女王・卑弥呼の人物像は――。古代史最大の謎と
される邪馬台国について、考古学者が九州説、畿内説それぞれの立場から検証する
シンポジウム「九州VS畿内」(読売新聞西部本社など後援)が2日、福岡市中央区の
都久志会館で開かれた。
県や学識者らでつくる「福岡歴史ロマン発信事業実行委」が、福岡の歴史をPRする
一環で初めて企画。定員600人に対し1100人超の応募があり、会場は熱気に
包まれた。
九州説を主張する高島忠平・佐賀女子短大学長(日本考古学)は、前原市の
平原遺跡で、ひつぎの周辺から見つかった多数の破鏡に着目。「破鏡は、
多くの国々を支配した巫女(みこ)王の卓越した霊力を封じるために埋葬されたと
考えられる。出土品から巫女王の成立過程が読み取れるのは九州だけ」と主張した。
一方、水野正好・奈良大名誉教授(考古学)は、中国の歴史書「隋書」で「大和が
邪馬台国」と記された記述を根拠に畿内説を展開。「九州には王都にふさわしい
遺構がなく、魏志倭人伝で記された渡航日数ともつじつまが合わない。畿内は、
『不弥(宇美)国から南にある』という方角以外はぴたりと合う」などと訴えた。
日本考古学協会会長の西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)を交えた
討論会では、卑弥呼の人物像や邪馬台国の統治範囲、九州から大和への
東遷説などを巡り、白熱した議論が交わされた。
大野城市の男性会社員(47)は「破鏡のことを考えると、やはり九州ではないか」、
福岡市東区の無職女性(46)は「畿内説の方が整合性がある所が多かった」と
話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20080302-OYT8T00569.htm
宇佐神宮の地下に古墳があるだろ?
>>586 キクチヒコと言えば、やっぱ菊地氏だよな。うんうん。
632 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:13:14 ID:NWtkFuCt0
関係あるけど、それがすぐ九州説に結びつくのもおかしな話だ 太陽信仰は他の場所でもあるわけだし
633 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:14:46 ID:pE4qb96RO
>>619 縄文人とは骨の形質が明らかに違う
渡来勢力なんだがその一族が渡来前の先祖の代から以前居た地で貴族だったのか
まあ万世一系をどこまでととらえるかで違ってもくるから、わからんのだが
634 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:15:07 ID:jb2LfzwHO
>>630 うそだぁぁ地下にあったとはwwっておまっ・・
635 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:15:18 ID:l+/5iZXS0
>>631 後年の磐井の乱もあるし
九州地方の争乱とその首謀者がクコチヒコだと思う
636 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:17:15 ID:lTMZX30p0
>>621 このスレの1が立ったのが29日みたいだし
次のスレはそれでスレ立て依頼しようかな
スレがどれくらい消費されたら依頼したらいいんだろう?
638 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:19:03 ID:pLDqfsEr0
>>553 おまえ英語できないんだろ(笑笑笑)
文章をぜんぜん理解できてないじゃん。
639 :
狭部穢奈麻呂 :2009/06/01(月) 23:26:39 ID:uV1dTTiMO
ねえ、卑弥呼つてあまりいい漢字でないような気がするけど、邪馬台国も。卑しいのかな?日美子とか日御子とか日神子とかないのかなー。だれか古代支那語に詳しいひといる?
640 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:27:01 ID:lTMZX30p0
>>638 ユウ婁=朝鮮人 君の主張はよくわかったw
中国の資料が信じられない理由 大英帝国が朝貢国と認定されてる
>>633 骨格(特に頭骨)は食生活の変化なんかでだいぶ代わってしまうのであんまり当てにならない、
現実に食糧生産が過渡的だった時期だし。
朝鮮半島との関わりを一切否定したい嫌韓の人はまぁそうだろうなと思うけど、
半島経由支持の人の中になんで小集団来日、混血後に拡散ではなく、
半島から大量に流入して置き換わったというちょっと無理のある仮説を支持してる人がいまだにいるのか不思議。
金印が大和でも北九州でもいいから、それらしい場所から出てこないものかと
>>613 すくなくても伊勢神宮は1500年以上歴史がある
645 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:30:17 ID:jnuM0UpfO
>>639 中華思想だよ。
野蛮国(中国以外全て)だからこういう卑しい文字を使われる。
646 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:31:37 ID:pE4qb96RO
>>642 そりゃ純潔縄文系の人を大量殺戮したという仮説が成立ってしまうからだろ
647 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:32:38 ID:uQ9zUOVs0
卑弥呼には萌えないけど、なぜか台与には萌えてしまう俺様ガイルw
648 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:35:42 ID:pE4qb96RO
>>647 卑弥呼は年齢不詳だけど台与は後釜になった時若いからな
649 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:36:33 ID:Iu3JGnu60
>>646 要するに半島人が日本列島先住民を大量殺戮したという事実がうれしいヒトなんですか…
モモソ姫=トヨ説はすっかり後退したの?
>>642 >半島から大量に流入して置き換わったというちょっと無理のある仮説を支持してる人がいまだにいるのか不思議
国立遺伝研究所が、韓国人と日本人の遺伝距離が0だといってるからだろ。
今のところ、国立遺伝研究所以上に信用できる研究はないし。
トヨタン・・・・・・・・・・トヨタン・・・・・・・・・・トヨタン・・・・・・・・・・
654 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:39:23 ID:jnuM0UpfO
>>646 に質問です
父系は縄文系が意外に多いことのが分かるが
母系は弥生系が多いんだよな?
つまりさ、縄文人が入植してきた弥生人の男を殺して
弥生女を奪ったってことにならないか?
虐殺したのは縄文人じゃないの?
こういうのは詳しくないから教えてくれ
>>652 そら、三国の民のおもだった層は丸ごと日本に亡命したから
&
ずっと時代くだって、李氏朝鮮が徹底的に塗り替えたから
という説明でいいんでないの?
656 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:41:35 ID:l+/5iZXS0
>>651 その説は箸墓を3世紀後半造営とした説を元にしてるから
13才で卑弥呼の後をついだトヨが天寿を全うすれば丁度良くなるってので
今回箸墓の年代が遡った事でトヨの墓説も力を失うだろうね
657 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:42:55 ID:pE4qb96RO
呉という国がやばくなったとか色々あったんだろ まあ現代日本人の殆ど人の遺伝子の半分は朝鮮半島南部あたりにあったモノだろ
658 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:43:10 ID:pLDqfsEr0
>>557 おいおい、わざわざ日向と称しているのに
なんで太陽信仰と関係ないんだ?
明らかに邪馬台国の東(ひむかいし)の地だからだろ(^o^)
もしかして東が日向かいだという意味だと知らなかったわけ?
>>656 やっぱそういうことになるよね・・・
ありがと
モモソなんて、こんな小物だぞ。それの巨大古墳なんてあるわけないだろ。
こんな小物が卑弥呼やトヨみたいに魏志に記載されるわけがない。
卑弥呼は年増の独身女性で、男は弟としか会わないし。
>「日本書紀」の崇神天皇の条には、次のように記されている。
> 倭迹迹日百襲姫神は大物主命の妻となったが、夫は夜に通ってくるだけで、
>その顔を見ることができなかった。そのことに日々不満を募らせた倭迹迹日百襲
>姫神が、ある夜、是非顔が見たいと強引に迫った。そこで大物主命は、「朝にな
>ったら櫛箱に入っているが、姿を見ても決して驚くなよ」と告げた。翌朝、櫛箱
>を開けた倭迹迹日百襲姫神が中にいた小さな蛇を見て驚き叫ぶと、蛇はたちまち
>若者の姿となり、恥をかかされたことを激怒して、大空に飛び上がって三輪山に
>登ってしまった。それを見て自分の行為を後悔した倭迹迹日百襲姫神は、箸で女
>陰を突き刺して死んでしまう。
http://www.din.or.jp/%7ea-kotaro/gods/kamigami/yamatomomoso.html
>>652 遺伝研が置き換わりじゃなくて混血なんだといってるんだが。
日本以外の東アジア集団の塩基配列のデータを得ることにより、現代日本人の成り立ちの歴史の洞察が可能となってきている。
本土日本人は、縄文人という日本の先住民の子孫と考えられるアイヌや琉球人と、ある程度遺伝的に近い関係にあるものの、
本土日本人における遺伝子プールの大部分は、弥生時代以後のアジア大陸からの渡来人に由来するものであった。
したがってこの結果は、現代日本人の起源についての混血説を支持するものである。
http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html
いや、象徴まみれな神話の記述を鵜呑みにされてもねw
>>654 そんなことは見てきたわけじゃないから俺もわからん
ただ文化の進み具合から言って武器も渡来系のほうが有利なものを持っていたのじゃまいか
農耕に馴れた渡来系が狩猟採取使い捨て好きだった縄文より、喧嘩に弱いというのはあったかもしれんが
665 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:49:14 ID:l+/5iZXS0
>>660 実は一見間抜けに見える死に方が重要
イザナミがそうなんだが、日本神話では
重要な女神が死ぬ時性器を傷つけて死ぬって話が多い
おそらく宗教的な理由があったのだろう
つまりモモソは小物どころか、女神クラスの評価だったって事だ
666 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:49:19 ID:oPgKtRha0
>>656 台与がもし短命だったら台与の墓は西殿塚古墳。
長命で、もし4世紀前半まで長寿を全うしたのなら行燈山古墳、もしくは渋谷向山古墳。
トヨタン・・・・・・・・・・
南朝の出張所のトップの兼良親王を日本を統治してる国王と認定していた しかし兼良親王は後醍醐天皇を仰いでいた そういうことだ
669 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:53:13 ID:Iu3JGnu60
まったく・・・仮にもオオモノヌシほどの超大物(ごめんシャレじゃない)の 妻とされた神話の登場人物が小物なわけないでしょうに。 でもほんと、トヨを誰に比定するかってとこはつくづく弱いなあ・・・
671 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:54:23 ID:cZEO2ZBv0
日本人のY遺伝子はD系統40%、O2系統20%、O3系統10%、C系統10%、その他10%くらい このうちDが縄文人、O2が弥生人となる。 半島の場合はO2が50%、O3が50% ところがO2が半島から来たかと言うとそう言う訳でもなく、どうも中国南部から黒潮に乗って来たらしい。 O2系は中国南部やベトナムなどにも色濃くでている。 ちなみにO3は漢民族と考えてさしさわりない。
672 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:55:04 ID:ADLbSQd10
箸墓古墳って道路側から簡単に進入出来そう だけどどうなの?
>>665 「神話」とかなっちゃってるからアレだけど、もとは口承文学なんだから
猥雑がなんぼのもんじゃい、じゃないかと。
一日の仕事が終わって炉端にみんなが集まって酒とか飲みながら
爺ちゃんが若い衆に語って聞かせるんだから、やっぱ面白くなきゃ。
この人に賛成するわ。
http://hpcgi3.nifty.com/washizaki/bbs/wforum.cgi?no=43&reno=37&oya=37&mode=msgview&page=0 卑弥呼=百襲(モモソ)姫説は成立しないと思います。
卑弥呼と百襲姫は人物像が違い過ぎます。@百襲姫は単なる皇女。これに対し卑弥呼は
「親魏倭王」の金印まで受領した倭国王、A卑弥呼は倭国大乱、歴年主無しの戦乱の中
から倭女王として共立された。これに対し、百襲姫にはその片鱗すら無い、B百襲姫は
三輪山の大物主の妻。これに対し卑弥呼は終生独身、C崇神天皇・百襲姫の時代に国内
を二分する戦いの記録は無い。これに対し邪馬台国女王卑弥呼は狗奴国男王と戦争に突
入し魏王朝は救援の使者を倭国に派遣した、すなわち中国魏王朝まで巻き込んだ大事件
・・・など重大な相違点が多過ぎます。
従って、百襲姫と卑弥呼の巫女的な性格が共通しているぐらいで同一人物とするのは早
計です。極論すれば、「卑弥呼と百襲姫は共に女性だから卑弥呼=百襲姫」と近いぐら
いのレベルの根拠の薄い話です。
675 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:57:26 ID:Qj4rZVTv0
676 :
名無しさん@十周年 :2009/06/01(月) 23:59:00 ID:oJuqojdV0
神武東征は、BC660年の話で、卑弥呼はAD220年代の話だよね。 なぜ神武東征が、邪馬台国九州説の論拠になるのか、文型の 思考のねじれが分からない。 九州説の人はこの辺説明して。 記紀がまるでまがい物、もしくは魏志倭人伝の言う邪馬台国は 九州の地方都市だったという事?
677 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:00:16 ID:pLDqfsEr0
>>642 九州は紀元前10世紀から弥生時代に入り、
近畿は前6世紀ごろってのが我慢ならないんでしょ。
>>764 中国は、南北朝時代
兼良親王は単なる皇子だけど、金印を授けて日本国王と記録に残していますよ
>>674 いや、別にぼくもモモソ=ヒミコ(またはトヨ)なんて決めつけてないけどね
可能性はどうなの〜?って話をしただけで
ただねえ、神話の読み方が基本的になってないというか・・・一例だけど、
「神の妻」と神話で定義されたこと=生身の意味での既婚者じゃあ、全然ないと思うよ
てーかむしろ逆? 神の妻(巫女)は人間の男と交わっちゃいけないんだからねえ
>>676 べつに九州派じゃないけど、そのへんは欠史八代の解釈次第で
なんとでも言えちゃうんじゃないの?
九州説って 学会の偉い人が吼えてるから 腰ぎんちゃくがヨイショしてるだけだろw
>>676 ホントにBC660年だとすると、最初の数代の天皇さんは150歳とか
生きてた計算になるぞ。てなわけで記紀のそのころの年代表記は
信用ならんと(ホラなのか2倍暦なのかは議論が分かれるところだが)。
んで神武東征だが、わざわざ正史に書くくらいだから、なんかなしの
根拠はある気がする。畿内のヤマト政権が土着として正当性を主張
できるならそれに越したことはないわけで、そこを「九州から来ました」と
書いたということは、記紀編纂当時はそれが公式見解だったということだよな。
近畿説は、年代測定のゴッド・ハンドに依存しているようだなw
685 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:11:56 ID:t+5yzLmA0
>>683 それは簡単、1代=一人になったのは後年で、
初期は一政権担当部族=一天皇だったんだよ。
別の説としては、世界中の神話をみると
西暦0年を境として、それ以前は長命、それ以降は短命の傾向が
あるので、昔の人類の寿命は200年くらい有ったんだよ。
686 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:12:21 ID:34Jx21Oz0
>>682 逆でしょ、考古学の大勢は近畿説だよ(^o^)
例えば白石とか福永とか故小林とかね
しかし彼らの本を読むと初めから近畿ありきで非論理的で馬鹿馬鹿しい物ばかり(笑笑笑)
例えば三角縁神獣鏡分有説とか今では鏡を研究する学者は殆ど眉に唾付ける理論でしょ。
欠史八代は実在派が徐々にだけど増えてきたね 地方の豪族が欠史八代の子孫を名乗り系図を作っていること 先祖崇拝の強い古代で系図を書き換えるほどの強い統帥力と信仰を集める中央政府が5世紀前後に存在したかも疑問で 子孫の伝承年代の順番が記紀の順番に合致してる点など
てな具合に、欠史部分に関してはナンデモ言える・・・
689 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:13:52 ID:S6DP0kiD0
>>683 対クマソ、対朝鮮方面軍司令だった応神天皇が
その後実権を握ったのを少しオーバーに書いた程度でない?
691 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:14:26 ID:iAeLsoZw0
おれも欠史八代の末裔
>>674 @崇神のころは政祭分離過程にあるから元首をお飾りの立場である巫女にしたとしても変ではない
また、柵封をよしとしない他の豪族を納得させるために便宜的に架空の女王国家を偽った可能性もある
A崇神の最初のころは天候が悪化して食糧難に陥ってる
B同じ独身
Cクーデター騒ぎがある
694 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:17:58 ID:XKJgq8u10
オオモノヌシってモノがでかかったの?
聖書なんて預言者が何百年も生きてるので 聖書はねつ造といってからにしろと
696 :
676 :2009/06/02(火) 00:18:42 ID:t+5yzLmA0
てか、神武東征を邪馬台国の論拠としてる事と、 卑弥呼の年代が違いすぎるという話に、欠史8代の 議論してもしょうがないと思う。 880年も開きがあるんだし。 つい付き合ってしまってけども、この辺が九州説の文系ぽいところ。 東大が京大との論争でも、いきなり言葉使いの不備を指摘しだしたり、 歴博の主張に対して、九州大学の反論は、海洋効果を500年分( なぜ500年足すかの論拠はゼロ)足して考えると、旧来の考古学は正しいとか。 もうね、文系は死刑にするべきレベルの主張が多すぎると思う。
697 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:19:26 ID:34Jx21Oz0
>>676 まず君が万世一系を信じているかどうかだな(^o^)
九州説では人物・事跡はあり得るが系図に関しては不明ってのが普通だろ。
非常に下った倭の5王ですら、記紀と同時代史の中国史書では乖離があるでしょ。
>>685 後半はさておき、前半は興味深いな。
記紀の系譜が全部ウソになる。
だいたい、部族内での世代交代と部族間での政権交代との
決め方がわからん。必ず「そろそろこっちの部族にまわせ」「やだ」
みたいな争いが起こるよな。
>>689 それを神話にしたなら、「元は畿内に居ました」という描写が入る気がする。
本人でなくて遠い先祖でも。
ところが記紀の記述では「高天原に降臨しました」なんだよな。
まあ卑弥呼擁立以前に倭国大乱とかちゃんと聞き書き出来てる訳だし、倭人伝はそこそこ信頼に足る史料だと思う。 ただ倭国の範囲がなあ。 九州上半分だけ倭国だと日本に来た使者が決め付けてしまったような気がしてならない。 邪馬台国から百年二百年前なら出土物からも日本の最先端地区は北部九州で間違ないが。 そもそもヤマトの意味するところはやっぱり山門? その九州の勢力が航路で、出雲やら岡山らの勢力を遠目にスルーしながら畿内に入って三輪山の麓=山門に落ち着いた? 戦闘したのは紀伊半島のクマノぐらいで
700 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:21:10 ID:iAeLsoZw0
倭国は九州。 倭人伝は九州倭人から聞いた大和王朝の話を 勘違いして書いたものだと思う。
>>660 釣りか単なるバカなのか知らんが、百襲姫が小物な訳ないのだが。
702 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:22:52 ID:Lynjfv4kO
卑弥呼から継承した、台与である豊鍬入姫命は斎宮だよ、伊勢神宮。
>>694 そんな気がする
>>696 いや、欠史八代の議論をしてるんじゃなくて、欠史八代があまりにも
あいまいだから、そのへんは年代含めて議論にならないと言ってるんですー
704 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:23:35 ID:1pYocuCz0
>>698 >ところが記紀の記述では「高天原に降臨しました」なんだよな。
確かにその意味するところが気になりますね。
しかし、熊野方面から進軍する過程でどんどん味方が増える事と勝利後にアシナガヒコと印を見せ合う描写はやはり元々畿内に縁がある者としか思えない。
それとも、もっと過去にさかのぼって日本人が呉の滅亡後に大陸から船出して日本列島にたどり着いたその同根を表すものかも知れませんね。
部族じゃなくて、もっと多くの天皇が即位していたんだろ しかし古くて天皇(族長レベルかもしれん)の代数と年代の記述は信頼できないだけ
706 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:24:44 ID:M91uFa7V0
邪馬台国は山口だろ。 あそこには英雄も居るし。 あれ以上の人骨は無いのにスルーされる、山口かわいそす
>>674 魏志倭人伝にも、卑弥呼には弟がいて、彼が託宣を行なっていたとある。
この弟が崇神天皇であったと考えれば理解できる
そもそもヒメヒコ制では、女性が祭事を行い、男性が政治を行なう制度だ。
この時代には祭事と政治は一体のものだったし。
巫女である女性の方が上位として描かれても不思議はないだろ。
崇神天皇について記載されたのは、あとの時代になってからであり
その時代の先入観から、男性だったミマキイリヒコ(=崇神)の方を上位として書いたに過ぎなかったかもしれない。
その証拠と言っては何だけど。
ヤマトトモモソヒメの墓とされる箸墓古墳は全長280メートルに対して崇神天皇の墓は全長240メートルに過ぎず
一回りくらい小さい
明らかにヤマトトモモソヒメの方を重視した古墳となっている
709 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:28:08 ID:1pYocuCz0
>>707 山口県はもっと日本人のルーツ的な根本の部分で重要だと思ってますよ。
人骨がすべて大陸に顔を向けて埋葬されているのは、日本列島に亡命してきた日本人が滅亡した呉の故国を思って眠っているのでしょうね。
我々の祖先の苦難の歴史がしのばれます。
710 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:28:19 ID:ft3xVVXQ0
,. ‐''三ヾ´彡シ,=`丶、 /'".:=≡ミ_≧_尨彡三:ヽ、 //.:;:彡:f'"´‐------ ``'r=:l /〃彡_彡′,.=、 ̄ ̄ ,.=、 |ミ:〉 'y=、、:f´===tr==、.___,. ==、._ゞ{ {´yヘl'′ | /⌒l′ |`Y} ゙、ゝ) `''''ツ_ _;`ー‐'゙:::::l{ あきらめたら . ヽ.__ ,ィnmmm、 .:::|! そこで試合終了ですよ・・・・ ,.ィ'´ト.´ ´`"`"`゙″ .::::;' イ´::ノ|::::l \ "' :::/ ::::::::::::|:::::l ヽ、 ..:: .:::/.、 :::::: ::: |:::::ヽ ヽ、.......::::/..:::/!\\ ::::::::::: |::::::::ヽ ``''‐--ァt''′ |!:::ヽ:::\ :::::::::::::|::::::::::::ヽ、 /i|iト、 |l:::::::ヽ:::::\ :::::::::::::|::::::::::::::/:ヽ、 ∧|i|i|i|〉. ||::::::::::ヽ:::::::\
日本書紀は邪馬台国をベースに創作されたものだと思うんだけどね 邪馬台国と大和が続いてるかどうかを別としてね 日本各地で起きた内乱を制した大和朝廷が 当時既に伝説と化していた邪馬台国の歴史を神話に書き直して 「我は天照大神の子孫なりー」って感じで
712 :
田5作 :2009/06/02(火) 00:28:43 ID:WZ6IicMUO
戦乱は伝承が途絶えるとか? 古墳だけが残った証拠かなぁ?
>>704 なるほど、べつべつのところに入植した渡来系の部族がいくつかあって、
九州に最初に入った部族(天皇さんち)が東に移動して、紀伊半島に
入った部族(アシナガさんち)に会って「あらまあ、ひさしぶり」みたいな感じか。
>>705 同意です
つーか神武の年代を鵜呑みにしてる人って初めて見た・・・
715 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:29:41 ID:mbQIZvDx0
>>700 当時はソウルの南あたりから日本にかけて全て倭国。現朝鮮人以前の日本民族が住んでいた
土地
716 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:29:48 ID:34Jx21Oz0
>>664 武器がどうのこうの言う前に渡来人は難民。
命からがら極少数の集団で九州に渡ってきたんだよ。
アメリカに移住したピルグリムファザーズは漂着したときどうした?
原住民に助けられて生活していたんだよ。
魏志倭人伝に記載された卑弥呼の墓と、箸墓の規模はほぼ一緒だ。 そこから箸墓が卑弥呼の墓ではないかと考えられている。 九州説が真実だとすれば、九州で、箸墓と同等の規模の墓がなければならないが。 しかし九州最大の古墳でも、箸墓より遥かに小さいのだよね。 と言ってもさ、平城京建設の際には、被葬者を丁重に葬れとお触れが出されるほど ともかくあの時代から古墳が破壊されることは多かったようだ 現在は存在しないだけで、古い時代にはもっと大きな古墳が存在したのかも知れないけどさ
718 :
676 :2009/06/02(火) 00:30:52 ID:t+5yzLmA0
>>698 そうかな?
記紀の記述は、政略結婚をうかがわせる内容が多いし、
反乱して初めて熊襲とか出てくるけども、反乱してない間に
熊襲がどうしてたか?なんていうのは一言も出てこないところ見ると、
同盟を離脱して初めて、敵対部族として名前が与えられるんじゃないのかな?
つまり、今で言うところの国連みたいな組織が邪馬台国にあって、
そういう統治に関わる人を神と呼んだだけじゃねーの?
>
>>689 >それを神話にしたなら、「元は畿内に居ました」という描写が入る気がする。
>本人でなくて遠い先祖でも。
記紀が書かれたのは1000年ぐらい後なんだから・・・
719 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:32:08 ID:aoYfdaYWO
>>709 ありゃ
日本人のルーツが呉になっちまったのか
すると言語面の説明が
>>713 あ、そういう考え方すごく好きだ
ニギハヤヒ自体がそういう感じだし
明治にも天皇と解釈されていた天皇が降格になったりしている さらに古くて記紀編纂時には記録があいまいで、 実際にはもっと多くの天皇が居た可能性もある
>>711 それはないよ。
日本書紀は何と言っても、日本の正史として書かれたものだから
日本の古い歴史書だけではなく、朝鮮半島や中国などの古い歴史書も参考にして書かれているが
神功皇后=卑弥呼の記載は、魏志倭人伝にある卑弥呼についての扱いに困った当時の人たちが
それらしい人物として神功皇后を、魏志で言うとこの卑弥呼と注釈をつけたのだろうね。
724 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:34:48 ID:XKJgq8u10
箸墓が発掘できればいいのにね。銅鏡百枚見つかれば一件落着でしょ。
725 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:35:08 ID:S6DP0kiD0
>>719 呉から稲作が来たのは確定的だからね
まぁ起源前1000年ごろのことだが・・・
727 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:35:46 ID:mbQIZvDx0
>>713 ちなみに長脛彦(ナガスネヒコ)だけど、既にイワレビコと同じ一族のニギハヤヒを王として妹だか
を嫁がせて、今で言えば、大和の宰相兼軍司令官という立場にあったわけです
ところが当のニギハヤヒ(物部氏の先祖)が、イワレビコを王として認め、神武天皇になります
その後、物部氏は朝廷の軍を担うことになり、神武方の軍団長であった日臣命(大伴氏の祖)と
と共に全土統一の主力軍となるわけですね
728 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:36:54 ID:Lynjfv4kO
オギヤハギ
>>715 むしろその人たちが現世の朝鮮半島人の祖なんじゃないのか?
だからアイヌ以上に現世日本人に共通の遺伝子を持つ(特にmt)、しかしレイプされて混血した人の頻度が高いのでYは蒙古、満州系。
韓国から日本人が来たんじゃなくて、支那南部から来た日本人の祖先の一部が半島に入植し、かわいそうな姿になったのが今の半島の人ってことで。
730 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:37:53 ID:iAeLsoZw0
731 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:38:07 ID:aoYfdaYWO
>>716 いや、だからね、別民族の血を行き渡らせるためには、別民族の♀だったら100人居なきゃ大変だが、別民族の♂なら1人いりゃ100人の子供を作るのは簡単だって話ですよ
732 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:38:07 ID:34Jx21Oz0
>>696 何のことかわからんが、
用語の定義は先ず最初にするんだよ、
少なくとも理系ではね。
733 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:38:22 ID:S6DP0kiD0
>>724 イケニエの人骨がごっそり出たらみんなどん引きだぞ。
埴輪で代用し始める前のもんだし:
>>718 クマソの話はヤマトタケル(女装マニア)で出てくるんだっけか。
つか、俺の話は
>>685 の「部族間で政権をまわしていた説」に対しする、
そんなに円滑に政権交代できてたんかな、という疑問なの。
連合体の組織が邪馬台国、というのは倭人伝の記述から賛成できないなぁ。
>>561 逆に言うと、今まで規制されてなくても幸せに暮らして来たって事になるが。
大和朝廷が邪馬台国の系統なら、遣魏使の記録とか金印とか残ってるはずだ。 それがないし、むしろ正史に蝦夷と戦いヤマトの有力者を倒して大和地方を 奪ったことになってる(東征)。 東征の年代は卑弥呼後で、卑弥呼は滅ぼされた蝦夷だろ。 だから魏からの金印も銀印も大和朝廷は持っていないし、正史に遣魏使の話もない。
明治政府が壬申の乱で敗北した大友皇子を天皇に昇格させている これは徳川光圀が編纂した歴史書・大日本史にて、大友皇子が天皇になったのであろうとの説が唱えられているからだ。 ただ、それでは天皇に反旗をひるがえした反乱軍によって、天皇が自殺にまで追いやられた事になる。 だから反乱に勝利した天智天皇が、大友が即位した事実を隠蔽したのであろうとの事だ。 明治政府がこれを支持して、大友皇子に天皇として記載しているけどさ。 実際のとこ、学者の間では裏づけとなる記録がないと、これには批判的なんだ。 ま、私の私論では、やはり皇子は即位したと考えるのが普通だと思う。 だってさ、皇子が即位していないのなら、天皇がなくなってから天智の簒奪が行なわれるまで ずっと皇位が空席ってことになる。 これまでの天皇の歴史を見れば、それはありえないことだろ
>>726 少なくとも円墳部分の径は一致してるとみていい。
畿内だとして熊襲はどこになるんだろうな。
740 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:41:12 ID:Lynjfv4kO
卑弥呼ー→台与=天照大神ー→豊鍬入姫命 オギヤハギー∬ー→おれ
741 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:42:31 ID:RbqG0X/ZO
>>600 脚気の細菌説に最後までこだわった森鴎外も東大だしな
あいつら記憶力はいいので末端の官僚とかには向いてるが、
やたらプライドばかり高くて自説が間違ってると認める事が出来ない傾向があるので
真理の探求にはあまり向いてないんじゃ
ノーベル賞も少ないし
>>720 言われてみればそんな感じだよね。
つか、それぞれの部族が自分たちの神話を語り継いでて、
記紀編纂のときにうまいことくっつけたんかな。
743 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:43:43 ID:S6DP0kiD0
744 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:43:46 ID:TwWpceRM0
景初三年(239年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。 呉(ご 222年 - 280年)は、 中国三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝の一つ。 卑弥呼が生きている時代に呉は滅亡してないぞ〜
>>736 諸説はあるけどさ。
しかし魏志倭人伝当時、三世紀の日本に関しての記録はほとんど残されていないだろ。
崇神天皇の弟の大彦命に関しての記録も、近年に剣にそれらしい名前が見出され
それまで伝説上とされていた大彦が実在の人物だった可能性が、ぐんと高まったくらいだ。
当時の日本には文字がほとんど使われなかった事実を考えれば、記紀が編纂された当時には後世に書かれた私的な歴史書がわずかに残っていたか。
口伝された伝承くらいしか、当時のことを知る記録がなかったと考えれば
色々と記録が残されていなかったとしても、不思議はないよ
そんなに早期に中国大陸と交流があったら、もっと前に漢字が伝わってるでしょ。
じゃ最初は円墳だったの? で、石室は? 本当に見たの? 他にも墓があるよね?箸墓の前にも。 これたけでも魏使は実際に見てない可能性高いよね? 箸墓=卑弥呼の墓だとしたら
748 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:47:42 ID:mbQIZvDx0
何か、三国志の時代は魏も呉も自らの権勢を示すために、倭に使者を送ったって話が あったな。漢の継承者と名乗るには当然、冊封体勢の中にある倭への影響力も保持しなければ とか何とか
749 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:48:14 ID:aoYfdaYWO
>>738 墳墓は後から増築することも出来るし、切り崩すことも出来る
とにかく金印でも出ないことには
金印が出れば邪馬台国の正統継承にしろ、邪馬台国を滅ぼして覇権を手にしたにしろ、大きな関係があったことだけは証明される
山口の土井が浜が邪馬台国でもういいよ。 それでみんな納得できるし。
751 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:51:02 ID:N+zFB7i20
何か一つの王朝にまとめようという見方が間違ってるのではないかね。 いくつもの勢力がせめぎ合ってた、その中の一つが大和朝廷になってので、 卑弥呼の記憶が残って無くて当然。全く関係の無い王朝だったってこと。 戦国時代を考えればいい。 特定の大名の記録だけをみて、江戸幕府を推測するようなもの。 その点、今回の発見・推測は無茶苦茶。 その時代に葬られてからと言って、それが卑弥呼である十分な証明は全くない。 記録上は全く相容れない地域にあるわけで。
752 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:51:07 ID:Lynjfv4kO
卑弥呼ー(継承)→台与=天照大神ー(斉宮)→豊鍬入姫命 オギヤハギー∬ー(ダメっぷりを継承)ー∬→おれ
>>749 纒向は箸墓以前に作られた墓もあるんだよ
754 :
田5作 :2009/06/02(火) 00:52:22 ID:WZ6IicMUO
倭の軍事力が強大だったのは間違いないよね
>>751 同じ「ヤマト」の名を継ぐ以上、無関係までいくとそれはそれで無理あるなー
756 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:53:32 ID:N+zFB7i20
>>754 4,5世紀以降はね。
3世紀時点では、半島にも倭人がいて、緩い共同体を作っていたのかもしれない。
757 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:53:59 ID:1pYocuCz0
>>744 あ、春秋戦国時代の呉です。
ちなみに呉の孫権は「東の海の果てには大昔に呉の地から船出して帰ってこなかった人々が故国へ帰る日を心待ちにして暮らしているというではないか。よし!船を派遣して連れてまいれ!」と人狩りの船を派遣してます。
三国時代は戦乱が長引いたのが原因でかなり人口が減り戦争をするにも兵士が集まらない状態が続いていたので打開策としての派遣だったのでしょうね。
日本本土にたどり着いたかどうかは不明ですが。
大陸でも呉地方と日本との縁は語られていたようですね。
そして日本から出土する青銅器に含まれる特殊な鉛成分を分析した結果、大陸でも周の時代にしか使われていない他では出土しない鉛成分だったのです。
なぜ周の時代の青銅器が日本で溶かされ再利用されていたのか?
それは春秋戦国時代の呉の国の建国者が周の武王の息子だという縁があるのです。
そして高知県の居徳遺跡だったと記憶してますが、呉が滅亡したちょうど同じ時期に縄文人の集落跡から存在するはずの無い鉄器で足をぶった切られた遺骨や金属の矢で足を貫通した遺骨が発掘されているのです。
758 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:54:33 ID:TwWpceRM0
その当時の軍事力には、鉄の剣がいっぱい必要じゃないの?
>>751 うんうん。
たとえば今でこそ「日産スカイライン」だけど、もとはプリンス自動車だしなあ。
>>736 金印なんて他の事例でも、代が離れると重要視されなくなってる
それに、考古学的には、東征があったなら卑弥呼より前の時代だ
761 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:55:24 ID:kJSf8jvwP
>>751 どうしてその1国に過ぎない邪馬台国が、
後の大和朝廷の名前と一緒なのか説明がつかない。
箸墓古墳の規模は崇神天皇陵より一回りも巨大だからね。
これで箸墓の被葬者が崇神天皇より下位にあったと言いきるのはどうかとは思うよ。
>>747 箸墓は最古の前方後円墳だよ。
前方後円墳自体が、もともと円墳に通路部分を一体として作られるようになったものだと考えられているからな
そもそも魏志で書かれている卑弥呼の墓とされるだけの規模の円墳は、いまだもって発見されていない。
だからこそ、時代的にもっと新しいとかつては考えられていた箸墓古墳が卑弥呼の墓ではないか
そのような説が生まれたのだよ。
ま、最近の研究で、箸墓が当時の予想より古いものだとわかり、俄然と卑弥呼の墓である可能性が高まったのだけど
763 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:56:03 ID:N+zFB7i20
>>755 だけど、奈良南方には大和の地名って元々はなかったのでは?
なぜその名を負ったのかっていったら、名跡を受け継いだとも考えられる。
764 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:56:05 ID:leEsht2x0
卑弥呼なんか日本の正史上存在しないんだから痕跡はカルタゴみたいに 徹底的に破壊したかもしれん。鏡なんかも出ないかもしれん。
765 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 00:56:46 ID:S6DP0kiD0
>>751 箸墓周辺からは、日本全土の人間が集まっていた事を示唆する異物が発見されている
つまり3世紀このあたりが倭の連合政権の中心だったと推測できる
連合政権の強大な権力は、箸墓の規模がそのまま教えてくれる
箸墓が卑弥呼時代のものだという証拠と3世紀に強力な統一政権があった証拠が見つかっている
これがこの話のミソだ:
>>751 記録上全く相容れない地域?
何処が?充分候補地の要素は満たしてると思うけど。
>>765 当時のマキムクに日本有数の霊園があって、各地の豪族たちは、
「ああ、死んだらマキムクで眠りたいなあ」とか憧れていたのだ。
てなわけで、日本各地の副葬品が埋まっているのだ!
なんちてw
>>763 うん、だから、「無関係ではない」よね
正統を名乗りたかったら、その関係も神話に反映しようとするはずじゃない
769 :
676 :2009/06/02(火) 00:59:30 ID:t+5yzLmA0
>>761 オンザエッジに買収されたはずのライブドアが
後にもライブドアって名前で活動するのは理解できないって
タイプ?
九州の人間は、こういうことを平気でしでかす。
実力の無さを名前で誤魔化すんだよ。
これがこの国の不幸の始まり。
>>751 魏志倭人伝にも、邪馬台国の敵対者としてクナ国の存在が書かれているように
当時の日本は邪馬台国に対抗できるだけの勢力があった国が存在した。
そうした国も魏に使者を送った可能性もあるし。
それに倭の情勢に興味など薄い、魏が、倭での邪馬台国の勢力がどれほどかよくわからず
倭の指導者と位置づけた可能性は確かに否定できないとはおもうけどね
つまり邪馬台国は実際は、日本最大の勢力だったとは限らない可能性もあるわけだが。
それならば魏志に残されているほどの規模の墓を作れた理由もわからんな
771 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:00:50 ID:N+zFB7i20
>>766 いや、魏志倭人伝の記述から、卑弥呼だけを引き抜いてるけど、
それ以外の記述が合わないでしょ。結論ありきだから。
>>765 それは、単に商業的な交流地だったのかもしれない。
大阪に全国の米が集まったからと言って、そこが支配地だとは限らないようにw
772 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:03:57 ID:0WTPlyayO
高校のとき、単位をとるためだけの日本史の授業で、 エロ教師が「性器に箸が刺さった人の墓」って教えてくれたことだけ覚えている。 男子クラスだったから、一年間ずっとそんなことばかり教えてもらったな 衆道の話もその時に初めて詳しく知ったよ
773 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:04:24 ID:S6DP0kiD0
>>771 統一政権のない世界では諸勢力の勢力教会で交易網が寸断される
よって、江戸期の大阪のような商業都市は成立し得ない
それに、マキムクは政治と宗教の都市だった事がある程度ハッキリしている
>>762 その箸墓古墳よりも古い墳墓も当然目にしてるよな。
でも倭人伝では全然違うことが書いてあるよな。
775 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:06:13 ID:Lynjfv4kO
昔は斎宮が実権を握ってたんだよ 誰かさんが東征してくるまでは
藤原氏や足利や徳川の菩提寺や墓が天皇より立派な場合もあるので 崇神天皇より大きいから上位とは限らんよ
邪馬台国の敵対者である狗奴国 邪馬台国が畿内の王権とするなら、当然、記紀で書かれた大和朝廷の敵対者がそれにあたる可能性もある。 南九州や出雲地方それに東北などに大和朝廷の敵対勢力が存在した事は、ヤマトタケルの伝承でも明らかだ。 特に大宰府と出雲にかなり後世まで軍が置かれ 大宰府には防人が置かれた事でもわかるように、長い間、大和朝廷にとって南九州は悩みの種だった事がわかる。 つまりクナ国は南九州の熊襲と呼ばれた人たちではないかね。
>>709 >>人骨がすべて大陸に顔を向けて埋葬されているのは、日本列島に亡命してきた日本人が滅亡した呉の故国を思って眠っているのでしょうね。
我々の祖先の苦難の歴史がしのばれます
魏志倭人伝(三国志)を書いた陳寿は魏略を参考にした
その魏略を元にしたという翰苑には倭の記述がある
「自謂太伯之後 」
・・・と自ら太伯の末裔と名乗ったそうな
太伯とは呉の祖先なんでしょ
呉地方の風俗は全身にイレズミをしたり
魏志倭人伝のヤマタイ国の風俗に似ている
鹿児島には日本で唯一の呉の太伯をまつる、鹿児島神宮もあるね
779 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:07:39 ID:34Jx21Oz0
>>762 前方後円墳の起源を論じているんでは無いよ。
>>771 巻向の地は丹の集積地の入り口だよ。
その山々の入り口でヤマトなんじゃないか?。
商業的側面ではなく、支配者層としても
とても重要な場所だと思うが。
えーと、「飛躍的にデカくなった最古の墓」ってとこまでは みんなコンセンサス取れてるの?
782 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:09:49 ID:tpLOf/8NO
こいつら日本書紀は屁理屈こねて否定 今よりはるかに情報の乏しい外国人がちょろっと書いたものは信用 頭おかしいんとちがう
783 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:09:51 ID:Lynjfv4kO
狗奴の男王とは、クナドの神のことっしょ
784 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:10:13 ID:FF9Tv27C0
ちょっと待って、青森の日本海側の遺跡ですでに大陸と交流があったことを示す出土品が出てる。 ってことは、地域的な優位性なんて日本海側ならほとんどないんじゃない? こりゃ石川県の出番あるかもな
785 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:10:49 ID:+ldcDx3Q0
邪馬台国=畿内でもうFAだろ。
>>782 客観資料と主観資料の違いだなー、それは
主観は主観の意図を加味しないと意味がないから
787 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:11:44 ID:N+zFB7i20
>>782 いや、それは第三者の記述だから、信用度は高いでしょう。
788 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:13:13 ID:S6DP0kiD0
邪馬台国論争にけりがつけば いよいよ大和王権成立過程を探る方向に考古学界はシフトしてくのかねぇ
789 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:13:31 ID:34Jx21Oz0
>>770 魏に使者を送った可能性は無い、魏志に出てこない。
呉だったら有りうる。
そこで面白いのが近畿に良く出てくる神獣鏡は呉鏡の伝統をひくことだ(^o^)
距離と方位で信用度はほとんどないってのが今の流れだろ
円墳に、後から前方部を増築?するってありうるの? そこまでやるんなら埴輪も並べ直したりするかもしれんし 土器の編年とか、前方後円墳の形式の編年とか、 「最初の円墳部分の築造はいつか?」って話には 全然意味なくなってくるな。
吉備ダメ? 邪馬台国吉備説
>>784 程度というかボリュームの差は明らかにあるけどねw
でも、そっちも無視しちゃいけないとぼくも思うです
確かに石川なんて思いがけないとんでもない発見とかありそう
>>787 第三者じゃないだろ
その理屈なら、南北朝時代の兼良親王が日本を統治する国王で
七つの海を制した大英帝国が、清に朝貢してる属国との記録が客観的で信頼できるということになる
795 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:16:55 ID:S6DP0kiD0
>>791 それはないな。
箸墓以前の古墳も調査されてて、箸墓が段階的に進化した前方後円墳の
完成形ってのは判ってる
796 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:17:11 ID:64JRE5wN0
はっきり言う。 235年から244年までの紀年鏡が畿内を中心に出ていると言うことだけで、 当時畿内に大陸と接触する勢力があったことを物語っており、 畿内説は完全に勝利している。 年輪年代学、放射性年代測定の結論はこれを補強しておりり、 もはやだめ押しと言っていいくらいに畿内説が確定している。 もはやまともな知能を持つ者にとっては常識。
>>796 それが邪馬台国がどうかが問題なんでしょ
>>794 だよな。
カネヨシ親王なんて後醍醐天皇の代理にすぎないのに国王とされてるしね。
九州の日向を拠点としていた部族だった大神氏が、本州に勢力拡大を図り。
そして畿内に王権の中心とした。
これが神武の東征の神話に反映されている。
そして東征を行なった本人は、崇神である可能性もあるね。
本州で祭儀であった銅鐸が、三世紀になると突然と消えた理由も、九州勢力が本州まで拡大したと考えれば理解できる。
二世紀の末になれば近畿地方のみに銅鐸が見られるが、三世紀になると銅鐸が消えたのは、二世紀の終わりに急速に勢力を拡大した九州勢力が
とうとう畿内の勢力を服属させたと考えれば、理解できるだろう。
畿内の勢力が激しい抵抗を行い、長い間、戦った事は神武の神話にも画かれているからね。
>>776 同時代の墓ってことを考えろ
崇神とヤマトトモモソヒメが、同時代の人間でありながら
ヒメの方が墓の規模が巨大だってのが重要なのだろうが
800 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:18:44 ID:XKJgq8u10
卑弥呼は名前なの? 「呼」はそのように呼ばれていたという意味の接尾語のようなものなんでしょ? ならば名前は「卑弥」なのでしょ。この「ヒミ」が後の時代の「姫」の語源なの? どなたか教えてください。
801 :
田5作 :2009/06/02(火) 01:19:23 ID:WZ6IicMUO
伝説の人なんだから当時の権力者は日本書紀にもっと利用していいはずなのにね! 卑弥呼の直系と編纂者一族が対立してたとか?
802 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:19:30 ID:S6DP0kiD0
>>792 大和王権の成立過程で吉備が大きな力を発揮したのは間違いないらしい
そのわりに神話には全然出番無いのよね
>>777 >>つまりクナ国は南九州の熊襲と呼ばれた人たちではないかね。
これはよく言われることじゃないですか
クナの男王の名は卑弥弓呼(ヒミココ)
狗奴国は球磨だという説もあるし
狗奴国の実権を持っていた狗古智卑狗(くこちひこ)
とはキクチヒコで、菊池郡と縁があると言われてますね
ヤマタイ国が畿内の場合は熊野とかの説もあるようです
804 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:20:33 ID:34Jx21Oz0
>>782 こいつらって誰のこと?
それから記紀は7世紀に伝説(口承)をまとめた史書、
三国志は陳寿(233年 - 297年)が自分の生きてきた時代を公文書に基づいて作成した史書
信頼性は三国志の方が桁違いに高いのは考えずとも判るでしょ。
805 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:21:44 ID:Lynjfv4kO
そもそも神武天皇の祖ニニギは 九州地方に派遣された分家っしょ
806 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:22:16 ID:64JRE5wN0
>>777 正解!
邪馬台国=ヤマト
狗奴国=クマソ
結局内藤湖南説が正しい。
807 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:23:53 ID:34Jx21Oz0
>>801 編纂者って単なる官僚なんだが、しかも半分は帰化人・・・
>>799 同時代の天皇より藤原氏や足利」、徳川の菩提寺や墓の方が立派なケースはあるぞ
「同時代」でも天皇より立派に作った権力者の墓や
天皇側が政敵で追い込んだ親王を祀る神社や墓を天皇より立派にした例はいくらでもある
809 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:25:29 ID:N+zFB7i20
>>794 そういう個別のを持ってきてもしょうがない。
一般的に、当事者の残した物よりも、第三者の記録が信用度が高いというのは普遍的なもの。
個別の記録に間違いがあるのは当然。
810 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:25:34 ID:FF9Tv27C0
百襲 = もののけ姫 箸墓 = アシタカ もののけの森 = 屋久島 つまり、そういうことだ
>>801 >>伝説の人なんだから
これって卑弥呼のことですか?
だとしたら日本書紀にはおもいっきり利用されているんじゃないですが
江戸時代ごろは卑弥呼=日本書紀の神功皇后という説が強かったと聞きますけど
>>800 「日の巫女」とか「日の御子」ってのはよくいわれてますけど、
言葉の響きにあんまり囚われると電波が出始めるから注意したほうがいいですよ
漢字については、さっき誰かも言ってたけど
中華思想で蛮族を貶めていってるだけなので気にしなくていいです
813 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:27:15 ID:LFq1R2T00
>>804 記紀は口伝じゃねーよ
元になった歴史書の名前も日本書記に書かれてるくらいだぞ
まともに読んだことねーだろ
815 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:27:51 ID:N+zFB7i20
邪馬台国の東方1千里渡ったところに、別に倭種がいるとか、 畿内説では説明のしようがない。 記録としては、九州説をとるしかないわけで、この古墳は別の王朝でしょう。
816 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:28:26 ID:t+5yzLmA0
>>805 そうなんだよね。俺も神武東征は、そう言う意味だと思っていた。
まさかそれを邪馬台国の論拠にしてる奴がいるとは。
今回知ってビックリ。
例えば、マッカーサーがあの後大統領選挙に出て勝っていれば。
日本がアメリカの始原国って事になるのかねぇ・・・
ありえないよねぇ。そう思う。
九州の人間は明治維新の時もそうだけど、そういう嘘を平気で付く傾向に
有ると思う。朝鮮半島の文化とその点ではかなり類似点が見られると思う。
817 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:28:55 ID:Fi++OWmgO
魏志倭人伝で考えれば邪馬台国は九州説の方が有力
>>797 大陸側の記録(魏志倭人伝)では、魏と接触していた倭の国は、まさに邪馬台国オンリーだよ
819 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:29:39 ID:64JRE5wN0
>>815 何で? 普通に伊勢湾を渡ったらまた倭種という意味だろう。
820 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:31:07 ID:S6DP0kiD0
>>815 伊勢から東海や関東方面に海路で抜ける航路はかなり古い時代から発展していたし
マキムクからは東海や関東系の物産も出てるから、その辺の記述は問題無かろう
821 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:31:27 ID:leEsht2x0
記紀のころはあれは誰の墓とか分かってたんだろ?ずっと奈良にいるわけだし 400年も前のことはわがんねって感じだったんだろうか
>>809 朝廷が残した出雲の歴史の風土記は、
第三者だから信用度が高く普遍的なものというようなもんだな。
いや、この場合は
百済が日本の属国と書かれてるのに近いな。
823 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:32:03 ID:t+5yzLmA0
>>819 小中学校の日本史教科書だと、埼玉古墳群の記述が極めて少ないので、
関東が日本国に組み込まれたのは江戸期以降に感じてしまうんだよ。
鎌倉幕府が関東に置かれたことをみても、関西中心に記述がされてる
今の日本史は、ちょっとキチガイ。
文系が悪いんだと思う。
824 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:32:35 ID:N+zFB7i20
>>816 それじゃ論理的に破綻するだろう、分家の側が。
普通に、主家の正当な相続人だと主張すればいい、応神みたいに。
ずっと九州を、大和王朝側は扱いかねてる。
仲哀が死んだり、クマソの話があったり、磐井の乱あったり。
もし、中国側からみて、近畿まで問題なく支配されてたと見てたならば、
そんなはずはないんだけど。
実際は支配してない証拠でしょう。
>>822 問題は利害関係でね
超大国が辺境の蛮族の観察記録に意図をさしはさむ余地はないでしょ
>>809 個別じゃなく、中国の資料は全体的にそうなんだけど
むしろ確実に史実と分かる時代ので調べると資料が正しいとの事例の方が僅かしかない
827 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:35:53 ID:N+zFB7i20
>>819 、820
東国へ行くルートとして、普通に関ヶ原辺りを通ればいいのではないか?
なんで、伊勢に出て船で行く必要が?
壬申の乱の時だって、尾張勢の助力は陸路でしょ?
なぜに、伊勢経由の海路にこだわるのか理解できない。
伊勢に出るのも山を越えるってのに。
828 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:35:54 ID:XKJgq8u10
812さん800ですが、ありがとうございます。
>>823 あいかわらずの中央史観困ったもんだなーってのはまったく同感だけど、
あんたの文系嫌悪も電波の域で、理系の立場からはかけ離れてると思うw
831 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:37:19 ID:34Jx21Oz0
832 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:37:44 ID:k4K58I1UO
そんでヤマトタケルはいつ出てくるの? いつまで経っても書き込みないよね。
833 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:38:47 ID:TwWpceRM0
自分のことを「ワイや、ワイや」と言っているのは、倭人の子孫
834 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:38:54 ID:jT7Cp/Sr0
志賀島の金印もねつ造とかいう説もあるらしいし 古代史はなんでも言ったもん勝ち
835 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:39:21 ID:S6DP0kiD0
>>827 足のある軍隊ならともかく、平時に物資を輸送するなら船を使うのが
鉄道が開業するまでの日本の常識よ。
特に伊勢湾の水運はかなり積極的に使用されているな。
当時も、平時は東日本へ船で行くのが常識だったんだろ
836 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:39:24 ID:Lynjfv4kO
正統な相続が、仮になされていなかったらどうするんだろうね? 神武天皇は何を相続したんだろうね? そういえば天照大神から豊鍬入姫命に斎宮の正統な相続がなされたけどね。 まぁ別な話しだね。
837 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:39:26 ID:N+zFB7i20
>>826 今現在分かっている魏志倭人伝の記述は正確でしょ、とりわけ壱岐対馬、動物植物など生物関連で。
あれがインチキだという言う証拠は、分かっている限りではない。
また、中国の書物は、新唐書以降は、日本側(つまり大和朝廷)の記録とほとんど完全に合致している。
逆に言えば、それ以前の記録は、大和朝廷を描いていないのではないか、とも言える。
838 :
田5作 :2009/06/02(火) 01:39:40 ID:WZ6IicMUO
飢饉や戦乱があると伝承が絶えるんだって 戦国時代には古代建築の工法消滅してるし 古墳の比定もほとんどが推定だよね
839 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:40:13 ID:RbqG0X/ZO
>>815 愛知や静岡、関東の方にも有力な勢力があっただろ
ヤマトタケルが火攻めされ草薙の剣で草を払った辺りは焼津の地名が残ってるし
まあ所詮伝説だが、後に大和に従った別の敵対勢力があったのは想像出来る
くずとか土蜘蛛とか毛人とか言われてた縄文系の民族だったんじゃないか
840 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:41:05 ID:fAzjpg/F0
こんな時間なのに眠れなくなった 四国でいいじゃん 四国全土が古墳の格好してる お遍路さんは何かを隠す為のフェイクなんだよ 寝る
>>827 一度、道なき山林を歩いてみてください
理由がわかると思います
>>825 利害関係ありまくりじゃん
その時代は朝鮮をめぐるイザコザもある
倭だって直ぐ後の時代に朝鮮半島に攻め込み、朝鮮の一部を臣民にしたと記録されるくらいの国力はあった
軍事協力の要請や中国での王朝交代による国内、朝貢国への王朝の権威を示したいなど色々ある
おまえさんの設定なら出雲と大和だって超大国が辺境の蛮族くらいの規模ともいえるしなあ
843 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:43:06 ID:S6DP0kiD0
844 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:44:01 ID:34Jx21Oz0
845 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:44:28 ID:M91uFa7V0
当時は歩道が集落いがい歩道が全くと言っていいほどなかったとおもう
846 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:44:41 ID:FF9Tv27C0
ヤマトタケルは東北にも来てるよ
847 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:44:46 ID:Fi++OWmgO
放射性炭素年代測定より魏志倭人伝の方が信憑性が高い、よって九州説が有力だと考えられる。
>>829 みたいな池沼にはレスしないように、。
Aが信用できない=Bが信用できるとと考えるアホと話しても議論にならないので。
ののしりあいの最中申し訳ないが 九州説=魏志倭人伝 畿内説=物証(真偽不明) お互いの論拠はこれだけでいいの?
850 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:46:09 ID:34Jx21Oz0
>>835 聞いたこと無い説だな(^o^)
数百年後の人物である大和武ですら船は東京湾を渡るときしか使ってないぞ。
>>836 >>そういえば天照大神から豊鍬入姫命に斎宮の正統な相続がなされたけどね。
まぁ別な話しだね。
天照大神=卑弥呼
豊鍬入姫命=トヨ
という説もあるし
ウィキペディアの台与のとこには
豊鍬入姫命説は
「卑弥呼をヤマトトトヒモモソヒメノミコトとする場合にみられる」
ともありますね
今回の発表は箸墓を卑弥呼のものだといっているんだから
スレ的には別の話でもないようなw
853 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:47:37 ID:Lynjfv4kO
魏志に出て来る倭人は海洋民族なのに、船を否定するんだね そんなに、吸収じゃないとダメなんだね、
854 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:47:55 ID:S6DP0kiD0
>>850 聞いた事が無いのならお前が無知なだけだ
ついでに言うと、当時日本には馬や牛も殆どいない
>>842 んー、でも、一国の主としての正統性を主張しようとする
モチベーションに比べたら微々たるもんだと思うよ?
それこそ、中央が風土記を編纂する動機と、明治政府が国家神道を
一生懸命捏造した動機くらいの距離感があると思うなー
自説にのっとった部分否定じゃなくて、冷静に比較してみようよ
856 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:49:08 ID:N+zFB7i20
>>835 ,841
伊勢から海路言ったという記録は?
日本武尊も、伊勢にはいったけど、陸路で行ったでしょ?
壬申の乱でも、海路はたどってないと思うが。
後に、家康が難渋した路でしょ。伊勢に出る路は。
なんで、海路と決めつけるのかねえ。結論ありきでは。
普通に考えて、和国より東、一千里を渡るというときに、陸続きだとは思わないが。
>>848 いい加減な事をまことしやかに書く奴の屁理屈だな。
中国史を信用しないのに、なぜ邪馬台国論争に口を出す?
そもそも不比等が記紀を作成する以前の天皇は何と呼ばれてたの? 「大君」「大王」?
859 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:53:21 ID:S6DP0kiD0
>>856 軍を動かす場合と物資を輸送する場合じゃ違うだろ
秀吉は小田原征伐の時部隊を陸路東へ向かわせたが
物資は全て船で輸送している
そして、平時は人より貨物を運ぶ場合が多い
860 :
田5作 :2009/06/02(火) 01:53:27 ID:WZ6IicMUO
皇帝への周辺諸国の王の朝貢は義務だから税務署並の細かい調査が入ってそれが魏史倭人伝って事?
>>805 どこの分家か、派遣元の天がどこかが問題。
派遣された後、この国の中心はもっと東だと言って、
九州を出て大和地方を征服してるわけだが。
魏志倭人伝を読むと、確かに九州ぽいなぁと思います でも、じゃあ、投馬国はどこなの?とも思います 投馬はズマと発音したと言うけど、 ズマ=出雲なら 魏志の南に南に・・・という記述は間違いで やはり東へ行ったのかなとも思います でも、そんな方角なんて間違えるものかなぁ・・・とも思いますし うーんw
863 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:54:51 ID:Fi++OWmgO
魏志倭人伝の書かれたのはいつ? 放射性炭素年代の測定はいつ?
864 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:55:05 ID:N+zFB7i20
>>859 そんなずっと後の時代を言われても。
しかも、経路が遠すぎるw
家康は軍を動かすときに、海路で行ったのか?
>>855 国家神道のどこが「明治」に作った捏造か具体的にしてくれ。
国家神道は、神道の国家管理下であって、何かを作ったわけではないぞ。
まあ、君の主張を考えると東アジアの近代史は、日本や中国の資料より、
トルコやブラジルの教科書が正しいよね。
>>855 中国側にも自分たちの正当性を主張したい意図はあったよ
それに、風土記は完全に朝廷が全国を支配したあとに書かれてる
実際に出雲は朝廷の人間が管理している
867 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:58:02 ID:S6DP0kiD0
>>864 例に出されたのが全部軍事行動だからな
貨物輸送で陸路を使用してた話でもあれば伺いましょう
868 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 01:59:35 ID:N+zFB7i20
>>867 意味不明。みんな陸路を通ってるでしょ?
貨物輸送の話なんてしてないのだが。
「女王国の東、海を渡る千里、また国あり。皆倭種なり」
これは貨物輸送に限定してるのか?wwww
この記述は近畿説と相容れない、ということでFA
>>865 うわー、初歩的すぎてちょっとびっくりしたからもう寝るわ・・・
国家神道は一神教。古来の神道はアニミスム+祖霊信仰。
完全に別物です。
電波ウヨを相手にした私が悪うございました・・・
とかいいつつちょっとだけ付き合うけど、神武天皇陵を土木工事で創作したり、
靖国神社みたいなものを創作したり、古代から一体だった仏教を無理矢理分離して
新たな体系を創作したりしたことが、具体的な捏造の例です。わかりましたか?
ではおやすみなさい。
870 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:03:19 ID:WZ6IicMUO
皇帝と天皇は同格として、王と言わなくなったのは聖徳太子の頃とか? それ以前は王か大王だと思う
871 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:03:29 ID:34Jx21Oz0
>>854 あはは、そんなことは常識だよ。
ついでに言えば江戸時代でも江戸-大阪間は徒歩が普通だよ。
一体どこのパラレルワールドから来られたのやら(笑笑笑)
872 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:03:40 ID:Fi++OWmgO
畿内=大和朝廷 九州=邪馬台国 これでいいじゃん
873 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:03:52 ID:S6DP0kiD0
>>868 貨物輸送の話で問題無い
軍事行動のような非常時の動きよりは
平時の貨物輸送の方が魏の役人のレポートとして
取り上げられる可能性は高いからな
∋oノノハヽ 川*’ー’) / , ヽ <九州説のカスども涙ふけやよ  ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄ |\`、: i'、 \ \`_',..-i \.!_,..-┘
因みに 日本が天子を名乗り大陸と対等だと書かれてるが 日本側の資料には、そんなのは無い 聖徳太子も中国側の記述を採用した方が実在となるし 紀元前に日本に王朝があったと中国側の記録を見た方があるにはある
>>837 >また、中国の書物は、新唐書以降は、日本側(つまり大和朝廷)の記録とほとんど完全に合致している。
>逆に言えば、それ以前の記録は、大和朝廷を描いていないのではないか、とも言える。
同意。
体と顔に入墨してる邪馬台国の人たちは、記紀の中では蝦夷のやってることだよ。
邪馬台国は、朝廷に滅ぼされた勢力だと思う。
ただ、だからと言って邪馬台国は九州とは言えないはず。
朝廷は大和地方の種族を滅ぼして乗っ取ったと古事記日本書紀に
書いてあるから、それが邪馬台国だったかもしれない。
877 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:05:49 ID:7EZpiCE5O
878 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:06:14 ID:Lynjfv4kO
魏志では船で水行してるのに 九州が船を否定したら そもそも九州説が無いわけで
879 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:06:50 ID:LSUXGnvW0
入墨なんかしてるのは倭人の中でも漁民だけだろ
>>862 南九州説なら、託麻か玉名あたり発音が似ているw
北部九州説なら知らん
>>878 そこで「渡海」と「水行」ですよ
882 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:11:06 ID:FV9K6DnyO
どっちでもいいじゃん ジャンケンしよ、ジャンケン
883 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:11:39 ID:N+zFB7i20
>>873 何を言ってるのか理解できないが、人は大概陸路で行ってるし、
貨物輸送だって、軍事だろ。
頭冷やして来いよ。
当時の丸木船or半構造船で海路行く理由などない。
伊勢に出た後、どうやってそんな船が手に入るのよ。
旅客船会社でもあったのか?
普通に陸路を行けばいい。
路がないとかいうだろうけど、それはどこだって同じ。
熱田辺りで上陸しても同じだから。
884 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:11:42 ID:WZSTmqP80
じいちゃんに、邪馬台国の人は顔に入れ墨してたらしいんだけどって言ったら、 「えええ!それはアイヌだ」っ言ってた。
885 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:14:30 ID:ZfQEpZylO
>>876 その刺青をがっつり入れた海洋民族『ハヤト』が鹿児島に勢力を持っていたのは知っているかい?
対馬、九州にいた倭寇も刺青がっつりだね
886 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:15:08 ID:TwWpceRM0
レッドクリフの時代の船は、なかなか立派だろ〜
入れ墨が本当なら、邪馬台国は関東じゃないの。
888 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:16:05 ID:Lynjfv4kO
ばっちゃが 太古の昔は倭人が船に乗って蝦夷を侵略してたって言ってた でも倭人が蝦夷を捕虜したとき、倭人と同じ言葉を喋れたらしい
889 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:16:42 ID:N+zFB7i20
「女王国の東、海を渡る千里、また国あり。皆倭種なり」 この記述は近畿説と相容れない、ということでFA。 どうせ近畿説は魏志倭人伝なんか無視してるからいいじゃんw 卑弥呼だけ貰ってね。
890 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:16:56 ID:Fi++OWmgO
実際問題、畿内説には無理がありすぎるんだよ、どこが有力なのかさっぱりわからない
891 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:17:16 ID:S6DP0kiD0
>>883 船を使う理由ならある
大型動物の居なかった当時の日本では、道の悪さもあって陸路
貨物を大量輸送する手段は全く無かった。
人間だけを移動させる理由と動機は軍事行動位しか存在せず、
平時にあまり活用されたとは考えられない
892 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:17:29 ID:leEsht2x0
日本は中国にあんまり詳しく位置とか道筋見せると攻めてこられた時 困るから目隠しとかしてとんでもない辺境へ連れてったんだろ。 「こんな野蛮国ですいませんねえ」とかいってごまかしてたんだよ。
893 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:18:28 ID:WZ6IicMUO
東征の時、お弁当をどうしたのかが問題だな。 宿場町なかったべ?
894 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:19:04 ID:34Jx21Oz0
>>876 魏志を読まずに起てる説ならあり得るが、
魏志をよんだらとてもそれは無理。
一つの島、一つの平野が国の領域でしょ。
僅か30ヶ国の連合国なんだから、どうしても九州内にしかならない。
それなら邪馬台国と大和国との関係はなんだ?と考えたときに
東遷説と合うなとなっているだけだよ。
クナが東遷したのか邪馬台国なのかは知らないけどね。
あ、箸墓の年代は学会で論争になっているもので、
まだ信頼できるものではないよ。
その辺は新井宏が詳細に解説してあるから参照したらよい。
895 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:20:09 ID:jjYtEcx4O
四国説を忘れてないかい?
896 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:20:18 ID:N+zFB7i20
>>891 当時、つまり古事記あたりの記録は全て陸路だよ。
日本武尊も、壬申の乱でも。防人の歌でも途中で海路なんてあるか?
意味がないんだよ、途中で船に乗り換えるという。
その方が、はるかに手間がかかり、危険が大きい。
いつも陸上を動いてるんだから、そのまま行けばいいだけのこと。
897 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:20:40 ID:Lynjfv4kO
ばっちゃが 太古の昔、倭人が蝦夷を侵略するとき 船を使って侵略してたって言ってた でも、倭人が蝦夷を捕虜したとき、蝦夷は倭人と同じ言葉を喋ってたって言ってた
898 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:20:42 ID:Fi++OWmgO
魏志倭人伝では海に囲まれた九州を一つの国として考えた、それが邪馬台国
九州説を支持してるのは九州人だけ
神武の兵士が「頭推の剣」を使って戦ってたように書紀にあるけど、頭推の剣は朝鮮の剣だけど五世紀以前には無かったはずだよね? って事は神武東征は五世紀頃の事件を基に創られたって事になるはずだが、元ネタはなんだ?
901 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:24:56 ID:S6DP0kiD0
>>896 で、全部軍事行動なんだがそれ以外の例は出せんの?
魏の役人が東日本に赴く事はありえないし、東の情報は
マキムクに来ている人から話を聞く他無い
平時マキムクに居るのは東日本の物産を機内に持って来る人たちだけで
彼らは当然船を利用している。
東日本が海を渡った先に登場する理由はそれだ
902 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:25:25 ID:t+5yzLmA0
船の話題が出てるけども、縄文時代から船が出土してる割に、 記紀に船の事が殆ど出てこないのが、天皇家は渡来政権だという 論拠になると思うのね。 海彦山彦と、海文化、山文化で、分かれていて、山文化側の記述 ばっかっりと。ところがこいつら、食事はするんだけど、食料の 作り方やその辺の記述が全然無い。ある日思いついたように、田畑 海産物の取り扱いについて、法律が出来ましたとなる。 これは完璧に渡来政権の施政を表してると思う。 よって、邪馬台国は元日本政権で、記紀に至る間に政権ののっとりがあったと 考えるのが正しい。しかもまともなのっとりじゃないので、色々嘘付いてる。 それが古事記、日本書紀。
903 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:26:01 ID:WZ6IicMUO
もし九州だとしたら大きな古墳は誰かに解体されてしまったのかも それか 今は普通に山だと思われてるところが古墳かも?
904 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:27:38 ID:N+zFB7i20
>>901 しつこいなw
伊勢から先だけ船に乗ったって例をだせよ。
軍事だから陸路で、民間は違ったなんて意味がないから。
しかも、旅程の一部だけなんて無意味きわまりない。
あと、防人の移動は軍事行動とは言えなかったと思うけどね。
905 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:28:39 ID:Lynjfv4kO
ばっちゃは 蝦夷は川の川上に住むって言ってた だから倭人は船を使って蝦夷を侵略したって言ってた
907 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:31:21 ID:S6DP0kiD0
>>904 旅程の一部だけなんて無意味極まりない?
水行10日陸行1月ってー倭人伝の記述も無意味ですかw
908 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:32:09 ID:WZ6IicMUO
もはや卑弥呼本人に聞くしかあるまい! 携帯電池充電しなきゃぁぁ(^-^)
909 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:33:12 ID:N+zFB7i20
>>907 それが、「一部」だって証拠は?
通常、それは行程を二通りに表したと言われてると思うが。
それより、伊勢以東は海路だったって根拠をどうぞ。
こちらは、いくつも出してるし。
>>906 横レスだが、バカとか無知だけじゃダメだろ。
ちゃんと解説ョロ
>>902 記紀を根拠に乗っ取りだと主張して、その記紀を怪しいとする
わけがわからんのです
フヨ系渡来による乗っ取りなら既に漢字が使用されているはずな
912 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:34:09 ID:Lynjfv4kO
でも、うちの地元の古墳は 蝦夷が川の川上にいたのに 川の海側にあるんだ けっこうデカイんだよね
913 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:34:32 ID:W9GymYXr0
正直 あとの大きい問題は 箸墓と相似形で築年もほぼ同じ時代と推定されてる古墳が 宮崎平野の生目古墳群の中にあることだけ ここの相関関係が解明されたら 卑弥呼時代前後の日本古代史のかなりの部分が明らかになる
914 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:36:34 ID:Fi++OWmgO
卑弥呼の記述は日本にあったとしてベブライ語だったりして(笑)
>>913 イト国が宮崎なら完結するな
あそこにも王がいたとあるからな
916 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:38:36 ID:WZ6IicMUO
うむぅ 文字か… 関係ないかもだけど朝鮮半島と日本って言語の根底から違うんだってね?
917 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:38:37 ID:Lynjfv4kO
古墳なんて全国にあるけどね
>>909 これこれ、末盧国から不弥国まで陸路じゃろ
むしろ、伊勢湾は千里もあったのかって突っ込もう
919 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:40:08 ID:TwWpceRM0
中国の渡来人が来てたなら、弥生時代の日本に文字が有ってもいいね。
920 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:41:30 ID:S6DP0kiD0
>>909 大和王権の中枢が後に河内に移った点
大仙古墳始め、主要な大古墳が海から見える場所に作られた意味はどう考える?w
古代社会における水運の圧倒的優位性のあれほど雄弁に証明する遺跡群も無いと思うがねw
文章で少し陸路の利用を描くより、巨大古墳の存在が何より重要というわけ
921 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:41:33 ID:Lynjfv4kO
九州から四国や本州までの距離だって千里も無いけどね
実は神武天皇とは熊蘇と隼人の子供と予想 ヤマトタケルの名前を引き継ぐ話(熊蘇討伐)も頷けるし、天皇家の発祥は日向(ひむか)だし 邪馬台国は九州説に一票 神武天皇の東征とは本家、分家の争い ただし、どちらが本家かは不明だが。。
>>910 バカに解説すると知恵を付けるのでやめといた方がいい
恥晒させてヲチャのサイトでバカにするのが正解
924 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:43:33 ID:t+5yzLmA0
>>911 だから、記紀の記述は正史ではなく、正当化の素材だと言ってるんだが?
よって、記紀編纂の勅令をだした政権辺りが正当化する必要にかられた
政権って事だ。
そもそも自分を神だとかいう政権が、呪いをあれほど怖がり恐れ対策とるのが
変だろ?神様だと祭り上げられて政権ついた人間じゃないっていう証拠。
やましい事が無ければ呪いにはかからない。
>>919 別に当時の中国人が、みんな字が書けた訳でもないでしょ。
むしろ、貨幣はあっても良かったんじゃないか、と思う。
927 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:45:16 ID:W9GymYXr0
>>915 http://www.pmiyazaki.com/ikime_kohun/ 生目古墳群(古墳時代前期では九州最大の首長墓群)
>1号墳(墳長136m)は、古墳時代最古期(3世紀後半)の大王墓である
>奈良県、箸墓(はしはか)古墳の半分の大きさに設計した相似形とされる。
日向(宮崎県)と纒向(奈良)とは3世紀にはすでに
大きいつながりがあったわけで
倭人伝書かれた風俗が日向のものであり
日向が当時の(大和朝廷の母体となった)纒向の飛び地みたいなものだった可能性があるよね
928 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:45:48 ID:N+zFB7i20
>>920 だから、なぜ伊勢湾だけを海路で渡ったのかってこと。
その御説とも矛盾するだろう。
しかも、そんな旅をした記録は当時のものに無い(と思うけど)。
大体それって、東海道が出来てからの印象では。
鎌倉勢だってみんな陸路だぞ。
船はやむを得ない場合だけ。
何血迷ってるのかな。
さっさと墓の中調べろよ
930 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:47:18 ID:skj6of5S0
統一王朝があって、大陸とも交流もってたというくらいに文明が進んでいたのなら、 文字くらいあってもよさそうなものだな。 卑弥呼の時代の日本国内で書かれた文字資料って、まだ発見されていないの?
>>924 おまえ井沢の読み過ぎ
しかもトンデモ度はアップしてるときてる
932 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:48:09 ID:W9GymYXr0
>>922 神武は記紀では
はっきり天孫族と隼人の混血ということになるわね
933 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:48:31 ID:S6DP0kiD0
>>930 インカ帝国みたく文字の無い大帝国ってのもあるけどな
934 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:49:23 ID:WZ6IicMUO
発掘はダメらしいよ! 皇霊だから
935 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:49:49 ID:yzj9rR7F0
>>924 舟?
東征の記事でしょっぱなに出てまんがな。
さては読んだことないな?
936 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:50:27 ID:W9GymYXr0
文字があるほうが珍しいんだよ 東アジアは漢字文化圏だったのが不幸だわな
>>924 それまでに伝承はあり、各地の豪族の子弟は大和に出向いて教育を受けていた。
不比等うんぬんは当時の政治状況下で、正当性を歴史にはめ込んだ可能性はあるのかもしれないが、三世紀とか神武の頃まで遡ってまで粉飾する必要性は考えにくい
938 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:51:06 ID:t+5yzLmA0
>>928 だから、アマテラス系の人間が海洋支配を行った事が明治期まで
無いわけで、水軍とか常に、同盟的に戦力参加してるだけで。
海洋国家である日本が何故か、海軍水軍漁業が国の表舞台になかなか
出てこないのは、天皇家が触れられないからと考えればすんなり理解できる。
相互不可侵な感じがとてもある。
海事審判とか、現代にも受け継がれてると思う。
ID:6LYSEjiBOは電波で無知だけど もう一人はそれほどでもない
魏志基準で距離や方角の話はやめとけ、 九州説、畿内説にとっても本当に無駄だから。 で、伊勢湾を渡るのに船使わないなんて言ってる奴は どうなんだ?この時代でも当然使うだろw 当時は陸路で行ってもまともに道ないし 沼や湖だらけ、おまけにでっかい川だってあるのに。
天皇は血統的にはいろんな血が混ざってなんだかなあって感じ 要は存続されてきた天皇家そのものに価値があるってことかな そう考えると神格化とかありえねえ マジ愚行だわ
>>902 納得出来るね。
その後連綿と続く、何事も都が一番って思想も中華思想を引き継いだもの。
943 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:54:39 ID:t+5yzLmA0
>>937 神武の頃を粉飾する必要が有ったから、記紀が参考にした文献は
焚書にあったんだよ。
弁護士がどらえもんとか言うような曲解歪曲捏造が日本の統治文化でしょ。
大本営発表とか、マスメディアの嘘とか、2600年間延々とそいう事やってるのが
日本の文系。
944 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:54:54 ID:N+zFB7i20
>>938 全く答えになっていない。
伊勢湾限定で、海路を取った理由をきいている。
そちらの説だって、伊勢までは陸路だろ?
そこからどこまで行ったのさ?
東海方面は、江戸時代だって危険な海路だぞ。
意味無いって。
なんの根拠もない伊勢湾海路行説で、女王国の東、海を渡る千里、を伊勢湾を横切った、
と唱えるのが無意味なの。
いい加減にしろよ。
>>941 続き
だから意味のない万歳突撃とか狂った行動に出ちゃうんだよ
旧軍は
天皇神格化が間違ってたからシモジモの思想に歪みが来ちゃってたんだな
ウンウン
946 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:57:15 ID:TwWpceRM0
伊都国の大型船?弥生時代の船の部材が出土…福岡
福岡県前原市の潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡で、弥生時代終末期
(2世紀末)の準構造船の部材が出土したと、同市教委が23日、発表した。
準構造船は、丸木舟に舷側(げんそく)や船首、船尾に板を継ぎ足した船で、
主に古墳時代に造られ、外洋航海や輸送用の大型船として用いられた。
弥生時代の出土例は極めて少ない。
一帯は「魏志倭人伝」に記された伊都(いと)国の範囲と推定されており、
外交や交易の拠点として栄えた伊都国が高度な造船技術を持っていたことを
示す発見として注目される。
http://science.news2ch.net/read.php/1093300876/
947 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:57:22 ID:34Jx21Oz0
>>902 神世に書かれているよ。
鳥の石楠船(別名天の鳥船)、オオゲツ姫(食物の神)、火のヤギハヤの神
を生んでイザナミは身体を壊した。
黄泉から逃げ帰るとき、ミズラを取って投げてエビカヅラ(葡萄)ができ、
櫛を投げればタケノコができた。
また、スサノオがオオゲツ姫に食物を請うたとき、オオゲツ姫は
鼻の穴や尻から美味しい食べ物を作ってだしたがスサノオはそれを怒って
姫を殺した。すると死体の頭から蚕が目から稲が耳から粟が鼻から小豆が
性器から麦が尻から大豆が生まれた。
>>885 琉球とアイヌは人種的に近いし、要するに縄文人でしょ。
縄文の土偶が、世界最古の入れ墨の記録だそうだし。
949 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:57:51 ID:yzj9rR7F0
>>938 平氏はアマテラス系の人間ですよ?
源氏もそうだけどw
950 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:58:10 ID:W9GymYXr0
>>941 いや天孫族と隼人族の混血が天皇家の祖っていうのは
まごうことなき「日本民族」そのものの歴史だからねえ
隼人族っていうのは海洋系の南方系縄文人そのものだよ
951 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:58:12 ID:Fi++OWmgO
>>927 これが本当なら邪馬台国が九州説で確定だね
952 :
田5作 :2009/06/02(火) 02:58:43 ID:WZ6IicMUO
焚書かぁ… 大罪だよね …
>>938 って、アンカミス?
俺には話が繋がっているように見えないんだが…。
954 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 02:59:01 ID:Lynjfv4kO
蝦夷を侵略した倭人は 蝦夷が住んでた川の川上に 蝦夷の信仰していた 神社をつくるんだ 倭人の俺達って ホントにやさしいよな うちは蝦夷差別もないし 見た目が倭人と変わらないから いまだに蝦夷の末裔? (それか、たぶん神社の近所に住む倭人) がたまに神社に集まる
昔のことだから、距離の描写・正確性は信用できない。 距離から言えば、ギリシャ・エジプト間の話をあてはめただけ、という方がよっぽど 信憑性がある。 それと、日本と中国両方に記録があるものは、ある程度信用がおけるが、 中国にしか記録がないものは、全く信用がおけない。 日本に国らしきものや大和朝廷の前身らしきものがあったのは、遺跡からして明らかだが、 それと邪馬台国を関連付けるから話がおかしくなるだけ。 日本書紀だって色んな話をひっつけたので、おかしな点は多々あるが、それでも信頼できる 書物だが、本来、魏志倭人伝に記載されていることを真剣にとらえてはいけない。
956 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:00:46 ID:N+zFB7i20
>>955 ただ、壱岐対馬の記述の正確さをみれば、信用できないとは言えない。
957 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:01:48 ID:t+5yzLmA0
>>949 海軍の出ではなく、海軍力を得ただけでしょ?
という指摘。この違いはでかい。
バイキングと戦うのと、ノルウェー軍が参加した多国籍軍ほどの違い。
源氏にしろ、平家にしろ、海洋支配を行った上で力をつけて、
それで衝突したわけではない。海洋支配部族と同盟を結んだだけ。
ほんと、近畿説の連中には知性の欠片も 感じられん。三重県の俺ですら福岡の糸島説や甘木説、吉野ヶ里説を支持してしまうな。
959 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:02:55 ID:yzj9rR7F0
>>943 なんで推古朝を経て天智→天武となった王朝で
神武の頃を粉飾する必要があったんだい?
既に権威備わりその一族を中心に争いごとが展開されるありさまだったのに。
960 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:04:03 ID:Lynjfv4kO
日向にある古墳なら それ邪馬台国の古墳じゃなくて 分家天皇家祖のニニギの古墳だべ?
>>938 アマテラス系って?
あれは、蛮族の伝説のぱくりじゃないかなあ。
朝廷の歴史は、意外と浅いと思うよ。
少なくとも、記紀に書かれているより新しい。
長く続いてることを正統性の根拠にしてるから、書かれているより古いことはない。
欠史何代とかもない。
あったら書くって。ないところまで書くよ。
962 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:04:46 ID:Fi++OWmgO
ID:t+5yzLmA0みたいに記紀に船が出てることすら知らなかったり その知識がないのに同意の単発返事したり 近代思想の話し始めたり まともな知識がない電波な奴って、やっぱりまともな文献や論文を読まずに ネットとかで目次だけ見てただけの知識に自分の思想でアホな論理で主張してるのが丸わかり
965 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:07:11 ID:yzj9rR7F0
>>957 専門の力を持つ人間を
色々と配下におさめることができる人物を
王というんじゃないのかい。
天皇の一族は、幼い時に母親の家や、有力者の家で養育されて育つ。
確か、そういうならわしがあったはずだな。
それが幼少時の名前に反映される。
>>963 君はロクな発言してないんだが。ひとつ俺を納得させる説を頼むよ。
967 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:08:14 ID:N+zFB7i20
>>963 船があったに決まってるでしょ。
問題は、伊勢湾だけを陸路、と断定する理由がないってことなんだけど。
その前後(伊勢までと、東国方面)は明らかに陸路、これは奈良以前では確定的。
伊勢湾の海路も全く根拠なし。
記録に残ってる限り、陸路を通っている。
これらへの反論は無い。
968 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:08:35 ID:W9GymYXr0
古事記の一番古い章が日向神話と出雲神話を中心に語られてるのは このふたつの地に いちばん古い伝説が残ってたからだよ で日向神話っていうののかなりの部分は 隼人族(南方系縄文人-原日本人)の伝承を元にしてある
969 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:09:39 ID:Lynjfv4kO
おい、ニニギを天鳥船で、日向まで案内したのもおれの先祖だぞ 船を否定するなら、日本の歴史を否定するもんだ
>>950 出雲の娘を嫁にもらったんだから、隼人とは関係あるのかな?
972 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:10:33 ID:TwWpceRM0
海の神と言えば、宗像大社
>>955 信用出来ないのは上陸してからの距離でしょ。
「歩」とか「日」とか、距離があいまいになるのばっかりだし。
平野と山とじゃ、当然「歩」も「日」も、その単位で進める距離は異なる。
特に「日」だと、悪天候でロクに進めないって事もある。
船を使った場合も、慣れた黄海と瀬戸内海、日本海や太平洋側の外海とじゃ
海流や風で随分変わっちゃうし、荒れていれば陸地で停泊もありうる。
「やっと着いたか。何日かかった?」
「10日ですね。その間、暴風雨で出られなかったのが2日です」
「じゃあ千里くらいか」
って計り方だろうし。
974 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:11:24 ID:N+zFB7i20
>>967 おっと、「伊勢湾だけを海路」の間違い。
>>961 いや、最近の学説と中国の文献で欠史八代は実在説が増えてるし
考古学と中国の史料から紀元1-紀元1世紀に天皇家(王家)の存在が確認できる
むしろ、記紀は記録があいまいだからの書き方だろ
976 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:12:07 ID:eK7AYf03O
解明してなんの意味があるの?
次スレではないですが、新しい箸墓古墳スレを依頼してきました
重複するよりスレが一本の方が盛り上がるだろうし
最初のスレがたったのが5月29日なので
>>621 をソースにして新しいスレにしました
スレ立て依頼が重なると立ちにくくなるのでよろしくお願いします
>>975 その王家は邪馬台国系で、天皇家じゃないだろ。
980 :
田5作 :2009/06/02(火) 03:15:05 ID:WZ6IicMUO
当時は原始の森で狼なんかうようよ居たろうね。時代下った文化財の材木だって半端じゃないもんなぁ
>>977 ソース元が同じなら記事が別でもアウトじゃね
982 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:16:56 ID:Fi++OWmgO
邪馬台国は九州だと確信したから寝る
このスレはおもスレー
本当なら九州説が正しいだろね
985 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:18:18 ID:5yZkCBoX0
>>975 最近の学説はともかくとして、
中国の文献に欠史八代を確認できるなんてありえないぞ。
年齢を適当に切り捨てて、神武天皇はようやく2世紀だろ。
987 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:19:51 ID:j3WZa30L0
結論が出たようだな… 邪馬台国はみんなの心の中にあります
>>981 29日発表と31日発表は微妙に違うけどダメなんすかね・・・
29日はマスコミへの発表
31日は研究会の発表なんすが・・・
989 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:22:57 ID:yzj9rR7F0
東征の道行きはおもしろいぞ。 長脛彦に遭うまでは、殆ど「仲間増やしの旅」だからw それも舟にのってうーろうろ。 結婚もしてたかにゃ?楽しいな。のんびり。
990 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:23:35 ID:TwWpceRM0
ああ〜弥生時代に文字が有ったらな〜
>>985 切り捨てる必要ないよ。
天皇家の主張の本来の代数なんて分からんのだから。
2世紀なんて倍歴とか根拠が今一なんだよね。
中国の文献には日本の何処かの王とのやり取りが1世紀には確認されてるんだよね。
992 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:24:40 ID:N+zFB7i20
>>989 騙し討ちの旅でもあるけどね。昔はそれがまっとうな戦いだったんだろうけど。
近畿説への根本的な疑問は、通信インフラなんだけどね、個人的には。
馬もない、ろくに路もないという状況で、日本西部の統一国家が可能なのかと。
船があるというだろうけどw、風任せだからなあ。
995 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:26:43 ID:yzj9rR7F0
>>992 オトウカシ、エウカシ
でも、これだけじゃないかな?
996 :
名無しさん@十周年 :2009/06/02(火) 03:27:10 ID:5yZkCBoX0
>>991 だからその中国側の文献って、
過去に何度も引用されているものじゃないか。
邪馬台国はともかくとして、それより前の倭に関する文献では
天皇との関連を思わせる逸話は一つとして登場しないだろ。
九州に吉野ヶ里遺跡とか紀元前2世紀ごろからの遺跡があるんだが、たぶん天皇関係の移籍 DNA鑑定してほしい
>>761 >どうしてその1国に過ぎない邪馬台国が、
>後の大和朝廷の名前と一緒なのか説明がつかない。
遅レスだけど、邪馬台国は大和だったんだろうね。
そして、天皇家が東征して大和を征服して大和朝廷を名乗ったと。
おやすみ〜
>>986 リンク先見てきた?
5年前の読売の記事だよ。
1001 :
1001 :
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