【歴史】 卑弥呼の死亡時期と合致、「奈良の箸墓古墳」。邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★5
・古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは240〜260年
という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。
放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。
畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。
全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の
墳丘墓とは規模が大きく違う。
強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、古くから箸墓を
卑弥呼の墓とする考えがあった。
考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。
宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった
鏡などを手がかりに研究が進み、3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目
されるようになっていた。
歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。
その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている
「布留(ふる)0式」が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。
31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の
研究発表会で報告される。
歴博研究グループ代表の西本豊弘教授(考古学)は「慎重に進めた5年間の研究の総まとめで
結果には自信を持っている。どのようにしてこの年代を求めたのか、だれでも検証できるように
測定データも含めてきちんと公表するようにしたい」と話している。(一部略)
http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html ※画像:卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳
http://www.asahi.com/culture/update/0528/images/OSK200905280103.jpg ※前(★1 05/29(金) 06:54:23):
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243658002/
2 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:39:12 ID:jQFFARhe0
2だ!
ここまで串間の穀璧ゼロ。
4 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:40:05 ID:mX1JnGt90
邪馬台国は火星にあります
△ ¥ ▲
( 皿 ) がしゃーん
( )
/│ 肉 │\ がしゃーん
< \____/ >
┃ ┃
= =
3ゲットロボだよ
自動で3ゲットしてくれるすごいやつだよ
6 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:41:04 ID:9n1ML4CX0
もう鳥取砂丘に卑弥呼のピラミッドでも建てろよ
8 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:42:27 ID:nRT61xVs0
宮内庁指定の陵墓ってことは卑弥呼は天皇家の祖先ってこと?
なんだアサヒか。嘘だな
10 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:44:02 ID:/T+lwYHz0
なんか、南朝鮮並みにこじつけの主張になってきてるなw
>>7 第7代孝霊天皇の皇女の墓、というのが宮内庁の見解。
根拠は不明。
12 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:45:22 ID:c8uT9w2x0
まあ北九州に無いのはガチ。
ヒミルコはカルタゴの提督。遠征航海をしたことで知られている。
14 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:46:40 ID:sYUfoNaOO
と九州説の馬鹿が吠えております。
余裕の畿内、必死の九州w
16 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:47:21 ID:Yq924Oel0
邪馬台国の北に投馬国のみみ、みみなりという役職?が書かれてるけどこれは
耳成山のことじゃね?
>>8 まだ卑弥呼の墓だとは決定してない。
卑弥呼の死んだ頃とほぼ同時期に作られた可能性が高いってこと
また、畿内に当時から西日本一帯にかけて大きな政治勢力があったってこと。
この二点により九州説の可能性はゼロになったわけだが。
19 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:49:39 ID:sYUfoNaOO
邪馬台国は大和朝廷の前身なのか
大和朝廷が邪馬台国を滅ぼしたのか?
20 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:50:32 ID:nvmQXkK20
まだやってんのかよオタども
卑弥呼って皇族じゃないのか
>>7 砂丘じゃないけど、鳥取には妻木晩田遺跡があるぞ。
吉野ヶ里よりでかい。
25 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:54:38 ID:wbL6TuXk0
宮内庁がヘタレだから
どうせこれ以上詳しいことは分からないし
こんなのいちいち発表するだけムダ
金と時間のムダ
26 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:54:47 ID:42qy+EIj0
>>20 そんなことしか書けんのか、能無しのカスが
27 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:55:47 ID:b0W7AyGD0
小学生の時、卑弥呼の金印を手に入れた俺
28 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:56:01 ID:5mBOGFam0
>>19 皇室の歴史書である古事記や日本書紀は、九州の日向を出発して大和に入った
神武天皇が初代の天皇となっている。
皇室の発祥の地が九州であるのは皇室も認めている。
問題はその時期ということなんだろうが。
29 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:56:41 ID:9bwaBANo0
エロビデオ?
30 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 21:56:58 ID:dxrJElSyO
大和朝廷の元である河内王朝は
は吉備と邪馬台国を中心に
出雲と九州が加わった緩やかな連合
神話はそれ以前のそれぞれの王朝の話
なんにしても、倭人伝みればこの島には倭人しか居ないとも書いてあるんだから
誰が王でも倭人だろう。
半島も倭人系だと書いてあるな。
だとすると今の半島人は、なぜ日本人を倭人と呼び、倭猿と罵るのか。
>>25 宮内庁がヘタレなのか学界がヘタレなのかはわからんが、
よく考えたらインディジョーンズなんかは、他国の政府が
立ち入り禁止しているところに潜り込んで勝手に調査してたんだよな。
アメリカ人おそるべしw
>>23 ヨーロッパでフォークが使われだしたのが11世紀ルネサンスのイタリアなくらいだからそんなもんなんじゃないか、
インドなんて日本どころか中国より文明の歴史は古いが未だに手で食べる伝統があるし、手でものを食べるのが文化的ってことは必ずしもないからね。
34 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:01:23 ID:x02ToSDQ0
降雪が少なく本土に武力が行使出来る近畿にきまってる。
35 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:01:48 ID:g93Kfki90
でも奈良には海無いしなあ・・・
36 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 22:01:49 ID:e1QyLqYVQ
前スレで九州説を声高に唱えていたココ電球さんはまだ来てないね。
九州説厨は来なくていいよ。
伊都国の王墓は発見されているの?
38 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:03:09 ID:pgF7scKw0
昔、テレビで卑弥呼の呼び方やってたけど、中国の発音で読むと卑弥の部分が『ひめ』で、呼の部分は『呼ばれる』っていってたよ。
だから卑弥呼は『ひめ』って呼ばれてて、卑弥呼は名前じゃないっいってたよ。
39 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:04:18 ID:8tNL7VUWO
箸は弥生時代にはあったんじゃなかったっけ?U字型のやつ
>>28 倭人伝では230-80=150年ごろだとかいてあるが、高地性集落の発生は紀元前1世紀頃
九州説は上げ足とりばかりだからいらないな
42 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:06:00 ID:9bwaBANo0
メゾン・ド・ヒミコ?
めんどくせーから竹島でいいよ
まえスレにもあったけど、ググったらやはり倭の都はヤマト、邪馬台のようだね。
『隋書』 倭国伝
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
その都は、倭人が「やまと」と呼ぶところにある。
そこは、『魏志倭人伝』の「邪馬台国」のことである。
とあるわけだから、倭人の都は大昔から倭人伝のヤマトってことでは。
ヒミコて名前じゃないの?
教科書はインチキなの?
46 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:07:41 ID:aKTWcsLJ0
Qちゃんに訊けばわかるんじゃないの?
47 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:07:42 ID:Q9J7DHTrO
卑弥呼は中国人。
48 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:08:33 ID:AxJfW8YIO
箸墓古墳を調査して卑弥呼の墓だと分かったら、天皇家のものじゃなくなるから一般公開されるのかな?
是非 見に行って見たいよ!
でも、宮内庁が調査許可するかな?
日本の貴重な歴史遺産になるかもしれないんだから積極的に調査のバックアップしてくれたらいいのにね。
結果的に天皇家の歴史と違う結果になっても、今更別にいいんでない?
学術振興に協力してほしいな。
北九州と奈良以外の人間にはどうでもいいこと
見ることだけ出来るタイムマシンとかできねーのかな
51 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:10:21 ID:w9eGxb+IO
売国奴左翼女優ざまぁwwwwwww
幻のやまたいこくざまぁwwwwwwww
時間は存在しないから
タイムマシンは無理ぽ
>>39 煮るにしても焼くにしても、なんか箸とかお玉とかの器具がないと大変だよな。
それが調理器具なのか食事の器具なのかかは知らんけど。
>>33 あいつらは肉でも野菜でも串刺しにして焼いてたから、そのまま
食ってたんじゃないんかな。皿ができたのもフォークの頃らしいぞ。
それまでは食い物を直接テーブルに置いてたらしく、いまだに
テーブルクロスなんて文化が残っている。
54 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:10:40 ID:8tNL7VUWO
>>35 邪馬台国は海に面しているとの記述はなかったかと。「海の向こうの別倭」の記述を皆拡大解釈しているんじゃないかな。
宇佐神宮は、左右に神宮皇后、応神天皇が祀られていて、中央に、姫大神が祭られている。
拍手は4回。出雲と同じ。姫大神って誰?
56 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:11:45 ID:5mBOGFam0
>>38 卑弥呼が名前でない可能性はあるね。
日本人は昔から目上の人は名前で呼ばず、尊称を使うから。
たとえば、現天皇を呼ぶとき、「あきひとさん」なんて言わない。
身近な人はみんな「陛下」と呼ぶ。
57 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:11:59 ID:32JY9beE0
>>53 固まりのままデンと置いて、ナイフで食べる分をそぎ取って食ってたらしい。
>>38 「日(の)御子」という説もあるんだけどね。
59 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:13:56 ID:QfHBNNhF0
安本説は崩壊したな、
さんざん偉そうな事言って古田を馬鹿にしてたが、
どっちも同じ気違いだったな
61 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:14:13 ID:9n1ML4CX0
62 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:14:20 ID:5mBOGFam0
>>55 それを言うなら比賣大神。
宗像三女神と言われているけど。
>>53 ナイフで切って刺して食べてたとかいう話があったな。テーブルに窪みを作ってスープやシチューを入れていたとか。
台与の記述があるから一応名前だろ
>>38 「共立一女子為王名曰卑弥呼」だから、そうは読めない。
66 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:17:01 ID:Q/BOX9Ju0
卑弥呼の墓にほぼ間違いがないんだったら、発掘させろよ。
別に皇族じゃないだろ。いや皇族でもエジプトみたいに古いのはどんどん発掘調査すべきだ。
>>23 八岐大蛇の話にも箸は出てくるんだけどね。
土器と違って遺物として残りにくいだけなんじゃないかな。
魏志倭人伝も伝聞に過ぎないし、
記紀にも捏造が多いというから、その内容を前提にしてもあまり意味無い
思ったが、倭人はヤマトに統一され、ヤマトを自称するようになった。
この過程で、自分達をヤマトとも言うし、住んでるところもヤマト
あそこもヤマトと言うようになってたら
九州の日向も畿内の大和も全部ヤマトと呼ぶようになってたかも。
そうなると
『隋書』 倭国伝
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
その都は、倭人が「やまと」と呼ぶところにある。
そこは、『魏志倭人伝』の「邪馬台国」のことである
この「やまと」と呼ぶところってのは
この記述だけでは、日向のヤマトなのか大和のヤマトなのかわからないかも。
日本もヤマトと読むし、漢字と読みは日本人は違うから。
金の判子は偽物でおkですか?
>>62 胸形(宗像)三女神は美乳ぞろい。
北欧の三女神の漫画ですら受けたんだから、誰か描け。
73 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:18:49 ID:32JY9beE0
>>67 卑弥呼の頃には箸や匙は一般的じゃなかったんじゃないの。
手づかみで食ってるって書いてある。
>>35 奈良湖・河内湖が海に見えたとかじゃね。
琵琶湖だって淡海と書いて「おうみ」と呼ぶ古名もあるから。
75 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:20:13 ID:hKT5wVct0
あの古墳はもの凄い辺鄙な場所にあるんだよな。
結局、邪馬台国は九州
畿内の前方後円墳は偽物
>>8 天皇発祥以前の古代史に於いて何らかの関与が認められるから、指定された訳で
特定された訳は無い。未だ参考人物の段階。
78 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:22:15 ID:vzgyNtSi0
>>55 地元の土蜘蛛だよ。4拍手(死を意味する)で呪いをかけて封じ込めてます。
>>63 食事の最後の方は壮絶なんだろな。みんなテーブルに顔くっつけてズズっとw
>>73 そいや今でも神社の神饌のおこわとか、高杯に盛って指でつかんで食うよね。
「倭人」は漢字の当て字だとして、「わ」はきっと「我 ― われ」だろう。
外国人に「ここはどこ」と問われると、我々の土地とか答えたりするのは
よくあること。ちょいと違うが「カンガルー」とか「モア」の語源なんて
ヒドイものだぞ。
82 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:25:05 ID:32JY9beE0
>>68 少なくとも書かれてる道程は当てにならないよな。
卑弥呼の弟の名前すら分からないって、
直接来てたらあり得ないだろ。
83 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:26:02 ID:7DaTUMh30
>>38 なるほど、でも、「名曰卑彌呼」という文脈で「呼」が呼ばれるかな。
魏志倭人伝「乃共立一女子爲王,名曰卑彌呼,事鬼道,能惑衆」
「ヒメと呼ばれる」が、三国志が書かれるまでに、
伝言ゲームで固有名詞化した可能性は十分にあるが。
84 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:26:09 ID:hsOWSvpy0
>>38 まあ邪馬台国の使者が魏の皇帝(国王)と謁見した時、
「我がヒメは〜」と言うだろうから、魏の史書編纂役人がそれを名前だと勘違いしていたとしてもおかしくないわな。
>>65 漢文なんてやっつけな俺の読みで恐縮なんだが、
「一女子ヲ共立シ王ト為シ名ヲ曰ク卑弥ト呼ブ」とは読めんかな?
伸びるなぁ。
奴国の金印と邪馬台国の金印がごっちゃになってる
ようなレベルの人がたくさん居るあたり、
ここ最近の巻向遺跡スレと様相が違う。
よほどインパクトがあるニュースなんだな。
86 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:27:45 ID:+cw2Az4V0
>>45 それ言ったら紫式部とかも名前じゃないじゃん。
87 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:27:59 ID:wO7n8hzw0
>>82 弟の名前をなんで知る必要有るんだ?
役職もないんだよ。
狗奴国の王は男で名前はひみここ
少なくとも卑弥呼の卑弥は姫では無い。
89 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:29:13 ID:9e0LVde40
大陸との関係を引き合いに出して、「邪馬台国の本拠地は九州だ」って言う人が時々いるんだけど、
古代の畿内の地理・地形がどうなってたか知ってる?今とは全然違うぞ?
まず今と同じ、瀬戸内海〜大阪湾があって、
さらにその向こう(今の大阪平野)には「河内湾」があり、
さらにそこから生駒山地を越えた奈良盆地の中央部には「古奈良湖」が広がっていた。
奈良盆地まで容易に水上交通で大陸と行き来できた時代です。
そしてその一番奥に箸墓もある巻向がありました。日本最古の神社である大神神社もあります。
>>84 >卑弥ト呼ブ
漢文忘れちったけど「ヲニトは帰る」だから
それなら「呼卑弥」って書かんかな?
91 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:30:16 ID:dXDQn9nW0
■木製匙 鳥取市 青谷上寺地遺跡 (弥生時代)
http://kinobunka.zouri.jp/kodaikinobunka/kinobunka2/aoya/kinobunka3-081.jpg 日本人の食膳に欠かせないのがご飯。そのご飯を食べるための道具が茶碗とお箸。但し、箸が本格的に食膳で使われるようになったのは、8世紀の奈良時代から言われています。
本格的な米作りが伝わった弥生時代には、人々ははしに代わる何で食事を取っていたか。一般には手食、つまり手づかみであったと言われています。
青谷上寺地遺跡からは、百点以上の木製匙が出土しています。その形は中華料理に使う「レンゲ」に似ていますが、大きさは様々で、長さが40p以上もある杓子と呼ぶのが相応しいものもあります。
匙・杓子の歴史は縄文時代に遡り、鳥取市福部郡の栗谷遺跡ではドングリを蓄えた貯蔵穴から杓子が見つかっています。これなどは大きいものですから、食事に使ったというよりドングリなどの取り分けに使ったものと考えられます。
青谷上寺地遺跡では、20p以下の手頃なサイズも数多く見られ、あまり装飾を施さない薄手の造りは、使い心地が良さそうです。
使い減りした痕跡もあることから、日常的ではなかったかも知れませんが、弥生時代の食卓には匙が置かれることもあったようです。
>>68 >>82 あれほどいいかげんでアテにならない文献の記述でン百年も引っ張ってきた。
2chラーは、ぜひ見習うべきだな。
>>78 宇佐は景行天皇が遠征した時に女領主が三種の神器を掲げて降伏したんだっけ?
94 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:30:58 ID:hsOWSvpy0
>>77 じゃなくて、宮内庁は「第7代孝霊天皇の皇女の墓です (>_<) 」って
言ってるのよ。あいつらの指定は明治前半の知見によるものだから、
あてにならんし(指定外の古墳掘ったら継体天皇陵だったとか)、
間違ってた場合でも「いや、祀ってきた側の心がこもっているから」とか、
言い訳してるしw
>>81 「カンガルー」=アボリジニー語で「私は知らない」説?
それウソだから。w
「跳ねるもの」とかそういう意味らしいよ。
宮内庁に発掘させろと議員から圧力かけてもらえ
>>81 其の観点は疑問だ。古代シナー人は周辺を蔑視してたんだから、南蛮、北荻、東夷と。
態々 第一人称単数を書き込む事は有り得ない。
99 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:32:19 ID:IWc59rqv0
>>78 土蜘蛛とか何かカッコよいな。古代の日本って隼人とか熊襲とか土蜘蛛とか
他民族の住む島だったのかな?
それとも遺伝子的には一緒で一つの勢力みたいに分かれてただけなんだろうか。
100 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:32:19 ID:o1mN+8GbP
古代日本語では、1人称単数が「あ」で、1人称複数が「わ」だった。
この「わ」が日本の国名である「倭」の語源になっていることは言うまでもない。
奈良時代には既に「わ」が「あ」の領域まで侵食して、1人称単数で使われるようになったが、
吾(あ)が子、我(わ)が国 など近現代でもその用法は残っている。
101 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:32:27 ID:32JY9beE0
>>81 倭の文字を分解すると、人、女、仕えると読めるから、
そういう意味でつけたんじゃないかって説もあるらしい。
当時の倭国のイメージは「女の方が多い」だったみたいだし、
それが女王が珍しくないと言う意味か、単に女だらけの意味かは
分かんないけどね。
>>77 然うなんだ、ゴメ!、ちょっと齧っただけだから、orz.
104 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:35:38 ID:o1mN+8GbP
>>98 古代中国は、周辺民族に対して卑字を当てていたが発音に対しては忠実だった。
倭だけでなく多くの周辺民族の呼称が、その民族自称の名称だったことが確認されている。
(つまり民族自称の発音に対して、その音の卑しい字を選んできただけ)
105 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:36:25 ID:wO7n8hzw0
106 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:37:08 ID:2bXHrYfV0
>>100 日本語の「我(わ)」と当時の漢語の「倭」の音韻の一致はどうなのかな。
それが分からないと何ともね。
( ‘д‘)y-~~<邪馬台国は大阪城の下に埋まってるで
109 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:38:46 ID:IWc59rqv0
110 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:38:51 ID:hsOWSvpy0
>>105 久し振りに漢文の参考書を開いていてます><
111 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:38:58 ID:32JY9beE0
>>87 じゃあ一人だけ卑弥呼の住居に出入り出来た男は何者だ?
弟じゃない別の男がいた?そいつの名前も不明だけど、
卑弥呼の言葉を伝える役目を持つ人間の名が分からないって変だよ。
>>104 あの古代シナー人が人偏を付だ民族名を?ホントかね。
113 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:39:13 ID:wO7n8hzw0
>>59 どこが崩壊したのかさっぱり判らないんだが?
114 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:39:42 ID:9n1ML4CX0
>>104 2chねらーの誤変換遊びと近いことやってたんだなと
たんなる、ミコだったんじゃないの?
卑は勝手に付け加えた
奴らは今でも小日本とかいう国民性だし
>>81 前スレに少し出たけどもともと「わ」だけで自分自身の意味、実際民族名といわれてるものは自称とか人間て意味の単語を外国人が民族名だと
思ったって例は他にも結構あったはず、アイヌも人間て意味だろ。
117 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:41:12 ID:hKT5wVct0
>>114 一瞬、ネラーだらけの三国志を想像して笑ったw
>>111 卑弥呼さんの住んでたアパートが男子禁制(ただし家族は除く)で、
大家さん「ちょっと卑弥呼さん、あなた最近男の人が出入りしてるそうじゃないの」
卑弥呼 「い、いえ、あれは弟なんです。あはは」
国立歴史民俗博物館か〜
平田篤胤展で行って以来行ってないな〜
120 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:42:46 ID:8tNL7VUWO
雲南あたりから東南アジアに「ワ」という部族がいて、一人称は「アハ」だか「アワ」だそうだ。
風貌は古モンゴロイドより。
最初、中国が仕込んだネタかと思ったよ。
しかし、日本人の漢字の音読みは、古代中国の読みと近いとか。
日本は大和言葉で漢字を読むので、呉音などの音読みのほうの音は
そのまま変化無いんじゃないかな。
なんにしても、日本に住んでる人は
倭も和も大和も日本も「ヤマト」の読みを当ててるわけで
むこうがどんな漢字を当てても関係ないと思う。
122 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:43:16 ID:aFQ25tdwO
宮内庁の言い分がありなら、皇居の場所は、元々自分の祖先の畑だったのに徳川家康に奪われたって言い分もありだよな
天皇の墓って確証はないわけだし
123 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:43:41 ID:fyAVBKC00
>>104 中国人に言わせると、「倭」ってのはニンベンがついているから魏が倭国を重視していた証拠らしいがw
124 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:44:53 ID:Y7cR5r5Z0
俺桜井市民だけど別にどっちでもいいしどうでもいい
125 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:44:56 ID:REp6PsksO
1800年も生きた歴史が続いてるんだよな〜
天皇廃止とか言ってる馬鹿は歴史の重みがわかってない
魏と倭って、似た漢字だなあ。
どちらかと言うと、魏のほうが鬼で・・・
127 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:45:24 ID:IWc59rqv0
>>118 それだ!卑弥呼も一人寝が寂しい普通の女だったんだな。
128 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:45:28 ID:3S3F3xCpO
邪馬台国の卑弥呼=斎宮
狗奴国のヒミココ=太陽神
129 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:46:02 ID:4ETirAM8O
は…箸墓古墳
130 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:46:14 ID:wO7n8hzw0
>>88 俺は「火の御子」と「火の尊」だと思ったよ。
ついでにクナ国は熊本の事で名前はどちらも阿蘇山を意味するでしょ。
旧国名も肥(火)の國だしね。
131 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:46:28 ID:32JY9beE0
>>112 元は「矮」だったかも知れないよな。
大陸の国に逆らわず、従順で大人しい民族だから
柔和と言う意味を持つ「倭」をつけたのでは、という説もある。
>>130 阿蘇って確定なの?桜島の可能性はないの?
133 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:47:49 ID:sYUfoNaOO
>>116 当時に「わ」って発音したっけ?
一人称は「あ」じゃなかったか?
中国に国のことを聞かれて環濠集落のことを「わ」と言ったんじゃねーの?
>>111 其れじゃ古代ギリシャの巫女が予言する霊廟?温泉?が有ったか、其れと同じじゃん。
135 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:49:19 ID:o1mN+8GbP
>>107 間接的証拠だが、日本書紀で渡来人が書いたとされる部分では、
国名と関係なくても日本語の「わ」の音を表す場合、ほとんどで「倭」
の字が使われているよ。
一方で、日本人が書いたパートでは「和」が使われている。
倭という字の選択については、純粋に発音上、
日本語の「わ」に最も近かったからというのが真相だと思う。
当時の中国人にとって、日本語の「わ」に最も近い音を持つ漢字が
「倭」だったのだろう。
ただ、日本人はこの漢字にいい印象を持っていなかったことは確か。
136 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:49:36 ID:a0o//wUD0
神武東征と九州説がどうして結びつくんだ?わけわかめ。
神武東征は卑弥呼の時代より前だろうが。
倭人が大陸に渡った時に
「わーすごい」
とみんな驚いたから
「わー」
・・・
138 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:49:52 ID:EmIf0zNgO
139 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:50:19 ID:sYUfoNaOO
>>130 俺は卑弥呼=天照=太陽神だと思ったから
日巫女か日御子と思った。
140 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:50:36 ID:j2s1fXNPO
DNA解析技術が発展して子孫追跡が可能になり
吉野ヶ里遺跡の埋葬者のDNA解析して天皇家と繋がっているのがわかり
紀元前から天皇家が一定の勢力を持っていたのが分かり左翼は涙目
>>56 それってそもそも支那の伝統じゃないのか?
元から倭にもあったのか、
大陸から入って来たものなら、それがいつ頃のことなのか
142 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:51:46 ID:3S3F3xCpO
九州とかアリエナイ
九州は当時、単なる地方でしょ
今もそうだが
てか、似た地名で決め付けるのが九州のやり方
はっきり言って、似た地名なんて全国にあるのですが
>>119 此処の過っての所長はもう夭折したが、騎馬民族征服説を否定した人だろう。
>>44 その大和の発祥の地はどちらかって話をしてるんでは?
146 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:55:34 ID:wO7n8hzw0
>>104 その説はとうの昔に否定されているよ。それいうなら臺は貴字でしょ。
投馬国がどこにあったかのほうが興味あるな
148 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:57:45 ID:3S3F3xCpO
神武天皇の出身地は?
>>83 曰に呼称するの意味は含まれてるだろ。卑弥呼は三文字で一つの単語と見るべき。
名前か称号かはともかく。
150 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 22:59:14 ID:o1mN+8GbP
>>146 全てがそうとは言ってないよ。
卑字を意図的に選ぶこともあったというだけのこと。
同じ民族でも、関係が良好の時と悪化した時とで表記を変えてたぐらい。
ちなみに今の中国ではアメリカ合衆国のことを美国というね。
じゃああいつらはアメリカをそこまで尊敬してるのか?っていうと
そうでもない。表記と貴賎の感情はあまり重視しないほうがいいというのは同意。
(日本だってドイツを独と書いたからって、孤独な国と思ってるわけじゃない)
>>28 どう見ても神武天皇は卑弥呼より前の人物だなぁ・・・
153 :
工藤新一 ◆hlRvI.0TJw :2009/05/30(土) 23:01:32 ID:e1QyLqYVQ
『魏志』倭人伝の水行の方角の件だけど、あれって帯方群の使者がとりあえず不弥国まで行って、後の邪馬台国の記述は、そのクニの長に聞いたことを、現地の風俗とミックスして書いたんじゃね?
福岡県の志賀島で発見された「漢委奴国王印」。
あれって本物? 後世の偽作という気もするが。
155 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:03:19 ID:Cla6y3560
卑弥呼の死亡時期と合致
で 犯人はだれなのじゃ?
156 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:03:33 ID:c8uT9w2x0
魏志倭人伝によると邪馬台国には
丹「水銀」有りという一文は無視できないだろ。
少なくとも北九州ではない。
必然的に南九州か奈良の巻向が候補に残る。
157 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:04:34 ID:p6SrAa6q0
まあ、邪馬台国が九州にあったというのは周知の事実なんだが・・・・
倭は矮だろ
今の湖南省あたりでちんちくりんの水際で魚取ってた漁労民に対する蔑称
倭国の人をそこらへんに住んでる辺境の民としか思ってなかった
司馬遼がそう書いてた
159 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:04:37 ID:32JY9beE0
>>144 名付けて、とあるから即位してからの呼称だと思うよ。
でも一番近い位置にいるはずの男の名が分からない。
男弟有り、佐(たす)けて国を治む。
とあるから、身分が低いとも思えないし。
160 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:04:59 ID:xouph+Lg0
あれ?わが四国は?
>>159 その男は魏の官位を何も貰ってないだろ。
魏の史書に名前が残らなくて当然。
162 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:05:53 ID:sYUfoNaOO
>>154 昔、偽物という説が有ったが、本物だろうね。
なんでも当時の中国の金印と似通っているらしい。
>>102 >>109 近畿から遠方に成る程、古代日本語が良く保存されてるのが通説。中央で廃れたのが
周縁遠方部で保存されてる。日本とシナーの場合も、「湯」は日本ではホット・ウォーターだが
現代シナーではスープの意味に変節してる。
164 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:06:52 ID:uTSFsgZU0
_,_,,, _ 九州 _
_ _(_)/ \ ◎_,-,_ロロ | |
l_j_j_j^⊃へ、 , へ ヽ | ̄ ̄ ̄ | |_ _| л __ | |
ヽ | | ̄| ゚ | (_) _ _ ̄ ̄/ / | ̄  ̄| lニ ニ フ |__| |__|
ヽヽ ノ_j ⊂_ l_j_j_j / /  ̄| | ̄ |_| '-' □
/ ー―― / ノ ̄  ̄  ̄
/ /ー
165 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:06:57 ID:5oGngAxw0
四国は第三の候補地
166 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:07:00 ID:3S3F3xCpO
現皇室が必ずしも、いにしえより君主だったとは限らない
神武天皇が、他の異民族。あるいは別系統で
中央の邪馬台国を乗っ取ったとも考えられる
その際、同族なので国名は変えなかった
167 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:07:28 ID:32JY9beE0
>>161 他の官の名前はあるのに?
邪馬台国以外の国の官の名前もあるよ?
>>156 そこで登場するのが阿波ですよ。
縄文時代からの水銀鉱山がある。
169 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:07:56 ID:w39wfgn+0
近畿圏が日本の中心なのは当然の話。
東京に都が行っていから日本は戦争に負けるし、バブルは崩壊するし、殺人は増えるし、不況になるし・・・
170 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:08:37 ID:ll1MaAly0
奈良県は愛する故郷ぞ
明日久しぶりに飛鳥の石舞台にでも言ってくるか
171 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:09:47 ID:63yILkeR0
全ての問題はこのスレが現代の感覚で250年代を語ってることだなwwwwwwwwwwww
172 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:10:15 ID:9n1ML4CX0
>>169 地方分権の一つとして皇居と宮内庁は近畿でいいよ
173 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:10:42 ID:cjeffGKn0
>>169 今や貴様ら畿内人は蝦夷の末裔の風下に立つ身じゃ、先祖の祟りと知れw
174 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:11:30 ID:wO7n8hzw0
>>169 石器時代から3万年余、日本の人口の中心は関東地区だよ。
弥生時代に漸く九州が中心になったんだよ。
箸墓が卑弥呼だとしたら、前方後円墳の先駆けなんだから
現皇室は卑弥呼政権の流れをくむ可能性が高くならないか?
176 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:12:24 ID:sYUfoNaOO
>>171 お前に古代の感覚を教えてもらいたいものだがw
177 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:12:32 ID:3S3F3xCpO
九州が中央(笑)
179 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:13:23 ID:w39wfgn+0
百姓バカの薩長勢力が都を東京にしたから日本はおかしくなった。
日本がこれから国際社会で浮上することは二度とない。
ぜんぶ東京人の責任だな。
800兆円も赤字こしらてどう責任取るつもりなんだろうな。プンスカ
180 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:13:53 ID:wO7n8hzw0
>>167 だからー、弟が後を次いだか?
周りから相手にされていなかったんだよ。
単なる女王の世話役ね。
スサノオとイメージが重なるでしょ(^o^)
181 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:14:29 ID:eYKTnk++0
>>155 >卑弥呼の死亡時期と合致
>で 犯人はだれなのじゃ?
【容疑者リスト】
・狗奴国が放った刺客(氏名不詳)
・男弟(氏名不詳)
・難升米(使者として洛陽まで行った男)
・牛利(同)
・張政(魏側の使者)
・一大率(氏名不詳)
・男王(氏名不詳)
・台与
・その他
間を取って四国でいいよ。
たぶん愛媛が臺與の国だったんだろう。
>>166 異民族と言うのは、ようするに古い倭と倭人伝のころの倭ということ?
神武天皇のあとで倭がヤマトになったので
神武系の言語がヤマトの言葉と言うこと。
で、中国の人間はその倭の言葉を覚えて、
いろいろな倭人に会ったりしてるわけだろうから
神武のヤマトと神武以外の倭は同じ言語であったと言うことになる。
これは天皇が日本土着と考えて問題ないということなのでは。
それとも、他の倭とで通訳を変えた記述とかあるかな。
185 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:16:08 ID:wO7n8hzw0
わかった。
西日本一帯が邪馬台国だったでいいよ。
お前ら感覚が小さすぎるんだよ。
もっと広い世界を見よ。
187 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:16:24 ID:5oGngAxw0
壱与かん
>>135 たとえば『仁徳紀』の即位前紀にある大山守皇子の歌の一節に
「我が対手(もこ)に来む」があるけど、原文表記では、
「和餓毛胡珥虚務」とある。これは日本人史官のパートなのかな。
「倭」字を「我(わ)」に用いたパートっていうとどのへん?
189 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:16:58 ID:63yILkeR0
魏志倭人伝否定したら250年前死んでないから古墳と土器の関係わけわかめwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
卑弥呼の墓は元々円墳だったのを
後に前方部を付け足して前方後円墳にしたとか
縁もゆかりもない他人の墓にそこまでするかな?
>>186 畿内説はつまりそういうことです。
首都が三輪山の近くにあって、そこが九州北部と西日本を支配してたってこと。
>>173 すみません明治帝がいらっしゃる1世紀程度前に商用で畿内から武州に来てそのまんま居ついたうちの家系とかは
こんなときどんな反応したらいいんでしょうか?
193 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:19:18 ID:63yILkeR0
250年だった
何故か過去だと癖で前をつけてしまうorz
もう5かよw
もう読み方で邪馬台国=大和国で
奈良でいいだろw
大和国には海がない?
当時は大阪湾がもっと入り組んでいたし。
195 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:20:47 ID:NlgqCEjqO
★5かw
お前ら楽しそうだな。永久に卑弥呼の墓が見つからない方が良さそうだなw
196 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:21:01 ID:RjN8ouqz0
投馬国 但馬(奈良)
伊都国 和歌山県伊都郡
邪馬台国 伊勢山田
197 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:21:47 ID:5EfkZiFF0
>>158 違うよ、彼らに比べたら圧倒的に身長が低いのと、自らを「わ」と名乗っていたので
「倭」の字を当てられた。
その当時、ユーラシア亜大陸(仲原地区)の民族は白人種で
身長が男子は軽く180cmオーバー(周の法律による成人男性基準)
そこに150cm代の者たちがたずねてきたら
「倭」以外に当てはめる漢字が存在しない(現地の女性より低いのだから)
えーとさ、
そもそも魏志倭人伝って偽書じゃないの?
199 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:23:02 ID:32JY9beE0
>>180 佐けて国を治む、はどうするんだよ。
そんな地位の人間の名前が書かれてないのは、
この男が政治に関わる官ではなく卑弥呼と官の橋渡し役であったから、
魏に名前が知られてないって事かもしれない。
でも直接邪馬台国に行ってたなら、そんな地位にいる男の名前をスルーする?
だから魏志倭人伝自体が伝聞と資料のみで書かれた物じゃないかって思うんだよ。
200 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:23:16 ID:63yILkeR0
じゃあ、大和国はどこにあったんだ?
>>194 ただ、東遷をどう説明するかだ。神話だから証が無いか。
203 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:24:33 ID:etoGncQY0
>>188 その原文表記なんすけど...DQNのあて字落書き並みじゃないっすかww
漢字読める奴に無理やり凄そうな字をあてがわせたとしか思えない。
204 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:24:35 ID:3S3F3xCpO
>>184 いや、つまり
神武東征の前の話しが倭人伝なんじゃないかと
つまり、邪馬台国から大和王権に間がある
神武が邪馬台国を東征して大和王権をつくり
後に、皇室の正当性の為、アマテラス卑弥呼の後裔を称した
本来はタカミムスビが皇祖神だが、正当性の為にはしょうがなかった
>>159 実は邪馬台国の官として記述されている四人の中に
>>190 それはごく一部の説で
あとから前方部をつけたしたという形跡は確認されないだろ
現時点では最初から前方後円墳だった可能性のほうがずっと高い
207 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:26:30 ID:C2AChWw+0
>>202 それなら
欠史八代の系譜も矛盾なくなる
>>204 たかだか百数十年の歴史の中で卑弥呼の跡継ぎ=正統性
なんてことになってたのかしらね
209 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:27:53 ID:63yILkeR0
>>1の研究者の人は
糞遠い奈良までどうやって魏の外交団が行ったと言ってるんだろ?
そこら辺を詳しく聞きたいな。
>>204 その場合だと、もっと言語が面倒になるのでは。
以前の倭とヤマトで言葉が変わると、明らかに異民族とわかるだろうし。
>>209 水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。
212 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:30:04 ID:63yILkeR0
じゃあ、宮内庁は古墳調べさせてくれなくていいから箸墓古墳に誰が眠ってるか説明しろよw
それが天皇の役目ってもんだろw
なにこのトンデモスレw
215 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:32:13 ID:63yILkeR0
>>211 だから、ルート
それすら掲載されていてイヨに会ったと書いてあるんだろ?
216 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:33:31 ID:RjN8ouqz0
邪馬台国は関東へ攻め込む前線基地だったから中国の使者も行かなかったのかもね
邪馬台国は詳細不明だからいいんだよ。
アステカやインカみたいで神秘的なロマンがある。
ババァな卑弥呼が石舞台で裸踊りしてたとかつまんないだろ?。
218 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:33:59 ID:3S3F3xCpO
>>210 俺のファンタジーだけど
神武天皇はタカミムスビ系なのでは?
と思った
タカミムスビ系の神武天皇が
九州から東征し邪馬台国を乗っ取った
後に大和王権とした
本来の邪馬台国はアマテラス系なので同族なのだから
ヤマトの読み変わらないと思う
ふーむ、神武天皇誕生がこの古墳の前か後かで
まあ民族は同じだろうけど、歴史が微妙に面倒になってくるのは確かだねえ。
でも、基本的に
『隋書』 倭国伝
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
その都は、倭人が「やまと」と呼ぶところにある。
そこは、『魏志倭人伝』の「邪馬台国」のことである。
これで、やはりヤマトははるか昔からヤマトだったのだろうと思うけど。
卑弥呼より時代が前なのか後なのかも特定できないのに
神武はいた、東征はあったと
前提抜きで語る人たちって頭おかしくないか
でなければ特定宗教の信者か安本のファンとか
>>215 関門海峡を10日でわたって上陸してから下関から1か月歩いて奈良についたんじゃね?
>>202 >>207 埼玉大哲学教授が書いてるが、BC600年ごろ編集統一されたユダヤ教も、
複数資料を混在させて作られてる言うから、神話ならなお更有りえるな。
>>220 倭人伝に倭国大乱の前に一人の男王が立つとある。
狗奴国のヒミココって日巫女の子とか日神子の子とかなのかな・・
エジプトみたいに太陽神の子供みたいな
で邪馬台国の卑弥呼に「日巫女とか自称スンナ!うちが本物じゃ」
とかで争ってたとか?狗奴国の元の意味って何なんだろ
邪馬台国側からみて「奇な国」とかなのかな。
ところでヤマトの語源って何?
海渡ってきて「ココ山デケエ!」→山大国→ヤマト国とか?
>>219 邪馬台国はヤマトって書いてあるのか
すげー全く関係ないと思ってた
227 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:41:42 ID:3S3F3xCpO
そもそも天皇家が
アマテラスを皇祖神としたのは
後のことであって
本来はタカミムスビのはず
その天皇家が卑弥呼をボスにするわけないと思うんだよな
228 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:42:16 ID:sYUfoNaOO
229 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:42:53 ID:DVquLdYM0
お前ら邪馬台国論争をするんなら、もちろん
ヤマタイカは読んだことあるんだろうな?念のため確認だが。
230 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:43:32 ID:0F1OeIJf0
卑弥呼が九州から東征して来て奈良で死んだんでしょ。
大和(ヤマト)って音がヤマタイって事になっちまったのかどうかは知らんが、
オオクニヌシと九州から上がって来たヤマト王権with卑弥呼(日の巫女)が闘い、
ヤマトの勝利。国譲りの神話ってこの事だろうと思う。
そういう意味では邪馬台国は九州も畿内も正しいんじゃないかな。
>>220 前提がお互いに違うんだよ。
仮に、神話が現実に起こった事を反映して語られているとしたら
という前提で語る人。
邪馬台国は奈良の大和の事だとしたら
という前提で語る人
両方の意見を折衷する人。
それぞれが自分達に都合のよいように証拠や資料を解釈したり
取捨選択してる。
九州説は邪馬台国が後の大和王権に繋がらない
九州の地方政権だった場合のみだね
233 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:44:29 ID:9Na2zL7SO
古墳でなんでこんなに伸びてるんだ?らしくないのからしいのか、わからん
>>229 宗像教授の姪っ子が空腹で行き倒れる話は読んだ気がする。
狗奴って当て字だろ
当時の大陸の発音だとなんて発音してたんだろうな
236 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:45:01 ID:GlXS1PoA0
卑弥呼には不思議な能力があったとされ、それを恐れた始皇帝が暗殺の為に
それ以上の能力者である徐福を日本に送った。
徐福が自分に恨みを抱いていることを知っていた始皇帝は卑弥呼ともども消そうと
企てるが、それに気付いた徐福は卑弥呼の所には向かわず北海道のある地に身を
隠し、将来始皇帝の野望を阻止しうるよう碑石に力を封印する。
時は経ち、源義経が北海道に逃れてきた時、偶然その碑石の力を手に入れる。
実は義経も特殊な能力の持ち主で、徐福の能力と引き換えに今度は自分の能力を
碑石に封印し、チンギスハーンと名乗りかの大陸へ旅立つのだった。
一方、義経の能力を封印された碑石は、さらに後世、坂本竜馬が北海道を訪れた時
発見されることとなる。
237 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:45:07 ID:a0o//wUD0
欠史八代のうちの孝元天皇の妹が倭迹迹日百襲媛命(本当の卑弥呼)
欠史八代後に現れたのが崇神天皇で、
その弟である彦坐王の家系神功皇后(書紀が卑弥呼としようとした人物)
ここらあたりを摺り合わせるためにつくったのが神武天皇って言う感じか。
崇神天皇は句奴国の王で、
邪馬台国(出雲系)から句奴国系(熊野系)に支配者が変わったと考えたとするとすっきりするな。
そして、熊野系の始祖が日向にあると。こんな感じか。
>>226 隋書って唐代の編纂だよな
当然、今は散逸した資料が山ほど参照されているんだろうが……
400年後の認識でしかないかもしれんよ
239 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:47:25 ID:0F1OeIJf0
>>231 それはしょうがないんじゃないかな。
史料が全く無いんだから、魏志倭人伝と記紀の間は仮定(という妄想)で埋めるしかないw
もうさ、古代の歴史が教えられてた事と違ったとしても、別に天皇家への敬意は
変わらないんだから(やいやい言う奴はおるかもわからんが)
いい加減、御陵を調査する許可を出して欲しいもんだ。
240 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:47:30 ID:TurQ2ASt0
箸墓古墳は卑弥呼の墓
纏向遺跡は邪馬台国
これに異論を唱える者どもは、
具体的に
どの古墳が卑弥呼の墓で
どの遺跡が邪馬台国だと言えるのか?
>>237 マキムクに出雲系勢力の関与の証拠あるっけか?
熊野も違うと思うぞw
243 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:48:14 ID:RjN8ouqz0
狗奴国 埼玉県秩父市久那
卑弥呼って日本に来た孔明と一緒になったんだよね?
245 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:49:14 ID:a0o//wUD0
>>223 倭国大乱ってのはふつう卑弥呼以前の2世紀の内乱を指す言葉だ
卑弥呼以前には男王が70〜80年続いてそのあと戦乱が起きたとなっており
1人の男王が立ったという記述はない
卑弥呼のあと台与が継ぐ前にも1人の男王が立ったけど
彼の治世下では国中が服従しなかったと書いてあるのだから
この男王を神武に比定するのはとうてい無理だろう
247 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:50:25 ID:DVquLdYM0
魏志倭人伝を追っていっても答えはでないでしょ?
もちろん、古事記や日本書紀を読んでも答えは出ない。
だから考古学で邪馬台国論争に決着をつけようとしてるんだろうが。
当時権力のバロメータである鉄の産出量は圧倒的に畿内に集中してるらしいね。
要は巨大な王権があったってこと。
逆に北九州は軍事的な色合いは限りなく低い。
この事実を考えるんであれば、畿内の勢力が大和朝廷の前進であることは
ほぼ間違いないよね。
で、卑弥呼の墓と比定できそうな古墳が畿内にあるってんなら、ほぼ決まりだろ。
248 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:50:48 ID:3S3F3xCpO
別に天皇家がチョンだとうと
皇記が実は1800年足らずだろうと
俺にはどうでもいい
250 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:52:15 ID:a0o//wUD0
>>247 その鉄とかかわりが深いのが、紀氏で熊野系。
>>240 それ以外のどこか。
という説の奴も多いんじゃないか。
文献史料を重視すれば、マキムクが邪馬台国だと
「自作自演というフリをした自作自演」になっちゃう。
252 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:52:36 ID:63yILkeR0
>>231 まぁ、それが歴史解釈だけどねwwwwwwwwwwwww
国内の文献がある義経だっていろいろな解釈がある
永遠の平行線突入だなw
253 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:53:23 ID:4UJm05OM0
>>240 墓はまだ見つかっていない。
遺跡もまだ見つかっていない。
じゃダメなのかね。
なぜ陳列品の中から特定させなきゃならんのだ。
254 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:53:24 ID:IWc59rqv0
>>248 皇紀って約1800年くらいなの?初めて聞いたな。
>>235 紀野國、きのくに
音的にはここら辺が近い
実際に使いが行ってるのなら、邪馬台国に関しては記述が大雑把すぎる。
殆んど伝聞で間に合う事しか書かれてないからな。
これはやはり遠方にあると考えれるだろ。
それに水上で10日、陸で1ヶ月というのは、本州に渡ってからの
交通手段別の日数かもしれないぞ。
大和の巻向なら水運でも陸伝いでも行けるしな。
>>246 不可能とは思わないけど
初期の大王家って実際はいくつかあるだろうし
神武と祟神の間に混乱があってもいい気はする
ただ、神武はなんかおぼろげな祖先伝承であとから作った気はせんでもないから
その男王の事績と一致してないかもね
258 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:54:51 ID:0F1OeIJf0
AD248年が卑弥呼の死んだ年。
この年に皆既日食があったってのは古天文学で証明されている。
日食ってのは当時の人にとっては超天変地異で、日御子の力が衰えた印だと
考え、まぁ、お役御免にして殺したか放逐したか。これが天岩戸の話だと。
二代目イヨの即位=岩をどかしてアマテラスが出て来る
って事かもねー。
259 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:54:55 ID:RjN8ouqz0
たとえ奈良が首都でも
軍事政権なら王は最前線にいるだろ
260 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:55:13 ID:63yILkeR0
261 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:56:06 ID:bCtIdaVS0
前スレの終わりあたりから、また九州説論者がデンパ飛ばし出したな。
相も変わらず、神武東征だとか、高句麗と戦ったのは九州王朝だとか、
オカルトというよりカルトだな。
262 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:57:48 ID:32JY9beE0
>>238 てか、隋書だと卑弥呼の身の回りの世話役の男が二人になってるw
国名も「ヤマト?ああ、昔ヤマタイとか言ってたとこな」って、
いい加減かもしれんw
>>254 神武即位元年から始まってるから
天皇家の実質初代が繰り上がれば皇紀も短くなるって言いたいんじゃない
萬世一系がいえそうなのはもっと短いと思うけど
264 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:58:06 ID:3S3F3xCpO
邪馬台国のボスと大和王権のボスでは風習が違うっしょ
なんらかの乗っ取りや国取りがあったんだよ
>>253 おおざっぱな候補地の絞り込みさえできてないじゃない
候補地は九州のほぼ全域にあるし
しかもそれぞれの候補地を推す人たちは自信たっぷりだけど
福岡県 福岡平野、筑後平野
佐賀県 吉野ヶ里
大分県 宇佐
宮崎県 高千穂、西都原
どこも全然条件が違う
266 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:58:56 ID:a0o//wUD0
>>249 巫女=女王っていうのは大きな疑問。
それで導き出したのが神功皇后だろう。
天智天皇が唐と対立して大変な目にあったから、
唐風の官僚制を導入した天武天皇としては、
魏志倭人伝のなかで魏と友好国だった邪馬台国と対立していた
句奴国の系譜だとすると外交上大きな問題になることは想像できるので苦心したんじゃないの。
267 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:59:01 ID:GS0kW75L0
2ちゃんねらがこんなに食いつく話題とはどうしても思えないのだが・・・5本目って。。。
飛鉄塊が発掘されるのも時間の問題か…。
やべえ隠さなきゃ。
269 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:59:24 ID:8ShLCGq90
>>255 奈良の下、紀州和歌山か、じゃあすげー辻褄あうじゃん
271 :
名無しさん@十周年:2009/05/30(土) 23:59:51 ID:eYKTnk++0
>>212 >じゃあ、宮内庁は古墳調べさせてくれなくていいから箸墓古墳に誰が眠ってるか説明しろよw
宮内庁による陵墓名表示板がある。 (箸墓古墳前方部西側の拝所に設置)
http://inoues.net/club/hashibaka21.jpg ─────────────────
孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命
大 市 墓
一、みだりに域内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等を切らぬこと
宮 内 庁
─────────────────
>>260 本当の大阪城じゃん。
大阪城として造られて、みんな大阪城だと思っている。
そりゃま、大坂城とは違うかもしれんけどなw
273 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:01:18 ID:674rNxMN0
考古学者の寺沢薫の説
がどんぴしゃ当たったってことだな
274 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:02:07 ID:2vySgenp0
>>256 そう読むなら、投馬国は出雲になる。
日本海側の勢力と瀬戸内&太平洋側の勢力に争いがあった可能性あり。
275 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:02:25 ID:mVzr1e/90
卑弥呼が北九州に住んでいたのは、紛れもない事実。
276 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:02:51 ID:Q19h0zQ50
>>261 おやおや、時代遅れの津田かぶれがまた出てきた(^o^)
>>264 だよな。
んで、そこらへんのいきさつは蘇我入鹿と一緒に燃えちゃって、
記紀でてきとうに誤魔化したと。
誰が涙目代表なの?
279 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:04:28 ID:qLI0/0xD0
>>264 後漢書東夷伝に「倭国大乱」って出てるぞ。
「桓霊の間」だそうだから
AD147-AD189
AD158年に皆既日食があったから、おそらくその年に卑弥呼即位。
で、次の日食がAD248年で、その年に卑弥呼も死ぬ。
280 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:04:38 ID:LMWl4VW+0
九州128王朝説論者涙目
281 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:04:56 ID:aAB9f4uq0
古事記や日本書紀に朝鮮で暴れた事に触れてないのは中国に気を使ったんだろ。w
282 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:05:39 ID:NVsdVQTR0
歴史のない東京涙目w
283 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:05:44 ID:uaZovU3RO
九州は地方だよ
284 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:06:15 ID:OE2RBwCl0
おまえら喜べよ。
新羅は、元の国名はは辰(しん)で秦の始皇帝の圧政から逃れた大陸の難民が建てたクニだぞ。
そいつらが日本に大量に逃げて来たので、今の朝鮮人とは別民族だぞ。
285 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:06:33 ID:cPyuqS4XO
286 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:06:42 ID:uGV1hGOj0
いいえ単に鍵穴です
九州説に不利な情報が最近多い
戦争の痕跡がねー
289 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:07:27 ID:LMWl4VW+0
九州からは最早何も出ないからなw
>>130 古代では、「日」と「火」は発音に違いがあったとされている。
委しくは「上代特殊仮名遣い」でググってほしい。
「日」と「卑」は同音(甲音)、「火」はそれとは別で乙音とされている。
また、「弥」と「御」もミ甲音で同音。
「子」はコ甲音だが、「呼」は不明。
コ乙音に使われた字がキョと読まれる物が多いから、「呼」は甲音ではないかと、自分では思っているが不詳。
ともかく、「卑弥」「日御」は同音だが、「火御」とは発音が異なるため、
「卑弥呼」を「火御子」と解するのは無理だと思う。
291 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:08:41 ID:qLI0/0xD0
292 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:08:42 ID:WXlwYCrQ0
293 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:08:53 ID:8kzcMVTy0
>>31 現在の半島住民は民族の入れ替えが起こっていて
古代の半島人とは違う民族が現在半島には住んでるんですよ。
日本は民族の移動が行われていない世界的に見て稀有な国です。
294 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:09:13 ID:ySTrsd6VO
それより卑弥呼って本当にいたの?
句奴国が神武東征で出来た大和朝廷の前身ってのは
誰の説だっけ?
で、卑弥呼の邪馬台国を句奴国が吸収合併だっけ?
296 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:10:38 ID:KvXIFMrVO
邪馬台国はとにかくヤマト王権のルーツは渡来人の作った九州王朝に間違いないでしょ。
最初に稲作や鉄器が伝来したのは北九州な訳で、それは考古学的にも確かめられている。
出土した弥生時代の鉄器の七割以上が九州からだし、渡来系の弥生人が東へと征服していく過程で伝播していった。
日本書記や古事記に出てくる地名はほとんど九州だし、神武東征や国譲りの神話とも一致してる。
手塚治虫の火の鳥なんかだと、卑弥呼亡きあとの邪馬台国を征服してヤマトを作ったのは朝鮮半島から渡ってきた天孫族で、その首長がニニギという事になってる。
漫画だと邪馬台国は九州だったが、畿内だとしても大筋はそんな感じだろうね。
297 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:10:52 ID:2vySgenp0
>>291 天智派(国粋派)に気を遣った折衷案。魏とは対立してない。
298 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:10:54 ID:8Yh9kOc/P
もうやめて!九州のライフは0よ!
>>274 邪馬台国が奈良という前提なら、俺は投馬国は鞆の浦説に一票だな。
つか、俺は九州説だけど。
放射性炭素年代測定って、怪しくね?
301 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:11:56 ID:b9EYaLhe0
倭迹迹日百襲姫命 やまとととひももそひめのみこと
記・紀にみえる孝霊天皇の皇女。
母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。「日本書紀」によれば、崇神(すじん)天皇7年三輪(みわ)山の大物主(おおものぬしの)神のおつげをつたえ、
10年武埴安彦(たけはにやすひこの)命の謀反(むほん)を予言。のち結婚した大物主神の正体が小蛇と知っておどろき、夫の怒りをかう。
後悔してすわりこんだとき、箸(はし)で陰部をついて死んだ。墓を箸墓という。別名に倭迹迹姫命。「古事記」では夜麻登登母母曾毘売命。
天皇家の墓じゃんw
宮内庁に聞けよ誰が眠ってるかはw
妄想をせずに、わかることから確かめていく。それが研究者のあるべき姿だろw
それにしても死に方が・・・卑弥呼説を語りたい人はこんな死に方してないと書いてあるがリアリティあり過ぎw
302 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:12:35 ID:brvELhH50
平野が広いとか、墓が大きいとか、論外。
弥生時代なら、海と山の原始生活。
あんなでかすぎる平野の古墳は明らかに違う。
303 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:12:35 ID:mVzr1e/90
これは、奈良県人の陰謀だなw
304 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:14:21 ID:LMWl4VW+0
昼は人が作り、夜は神が作った
テラカッコヨスwwwwwwwwwwwww
305 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:15:32 ID:2vySgenp0
北九州から日本海側、そこから大和へというルートが出雲系で、(親魏派)
日向から瀬戸内、そこから熊野そして大和へというルートが日向系。(国粋派)
奴国大乱はこういう戦争じゃないか。
306 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:15:42 ID:Jptg1JgMO
前方後円墳って
いっつも円の方前方だと思っちゃう
てかなんで前が方で、後が円って決まったの?
誰が決めたの?本当は円が前かも知んないじゃん
307 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:15:54 ID:aAB9f4uq0
九州はいつの時代も置いてけ堀だな
308 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:15:54 ID:uaZovU3RO
>>296 おれゆとりだからか
手塚治虫の火の鳥は見た時無いけど
俺の推測と手塚治虫の推測が合致してる
309 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:16:01 ID:qLI0/0xD0
別に万世一系で無くても今の天皇家をデタラメだこのやろう、なんて言わないから、
全部の古墳や御陵を調べてくれ。
断絶してる古代史を知ってスッキリしたいw
>>296 百済は王族がふよ族、市民は漢人、倭人
というふうに、中国の使者はその国の構成を見抜いている。
倭に中華系などが多かったら、どの時代だろうがすぐに見抜いて
書き記すと思うんだけども。
311 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:16:30 ID:r0gZpZZe0
九州が日本の中心になったことは一度もないから、畿内説に軍ぱい
>>301 陰部がどうのこうのって記紀では頻出してね?
昔の人の考えはよく分からんが
>>302 >あんなでかすぎる平野の古墳
が築造できるようになったから
箸墓ができた頃からあとを古墳時代と呼ぶんだよ
314 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:19:17 ID:IBpUXQLm0
NHKでアンケとったときは7割ちかくが九州説だったよな
あれ、九州の組織票だけなのか、関西嫌いの関東人とかもいれてそう
いずれにせよ事実を見ずに情実でうごくって衆愚としかいいようがないが。
315 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:19:44 ID:VYJGcKOGO
>>304 それって箸墓古墳に書かれてたの?
名言じゃん。
>>302 ふと思ったんだが、古墳造るぐらいの土木技術があれば、
灌漑用水網を造るのも可能だよな。農業用水を掘って出た土を
捨てる場所に困って、「んじゃ、オオキミさまの墓に盛るべ」と
なったのかも知れん。
そんで、瀬戸内海の東側では弥生時代からタコツボによる蛸漁が
行われていたのに、古墳時代になったら一時期廃れている。
これが気候変化なのか土木工事による海の汚染なのかは
議論が分かれているらしいが。
>>312 特に古事記に多いな
他にも女の子がおしっこしてるときに
神さまが矢になって女陰をついたとか
歴史書とは思えないような話がけっこう載ってる
318 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:20:31 ID:LMWl4VW+0
センター試験で出た
>>309 今更掘って何かでてくりゃ凄いけどね・・・
石版とか死海文書とかw
>>274 投馬国の場所はともかく、邪馬台国までの日数が大雑把すぎるからね。
明らかに北九州近辺の距離ではない。
それに何故か余り重視されないのかが不思議だが、
巻向の「丹」の存在は大きいと思う。
322 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:22:03 ID:1+91zV5R0
>>292 >九州説自体、すげー無理があったからな
東京大学が強力にプッシュしたから、辛うじて残っている。
東大の脚気細菌説みたいなもの、
323 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:22:38 ID:2vySgenp0
国譲りのあと、出雲大社と箸墓をつくったと。
和解と同時に、日向、熊野系の勢力が誇る意味もあり。その後の古墳時代につながったと。
324 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:22:56 ID:VYJGcKOGO
>>319 古い時代には朝鮮半島南部と九州南部は
似たような文化園があったってのは賛成。
325 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:23:33 ID:LMWl4VW+0
昔は九州の方が発掘が進んでたんだよ
鉄を使うと民族が変わると言う意見の意味もわからない。
では、中国に鉄の製法が伝わった時、中国の民族は変わったのか。
民族が変わると言語も変わる。
名前も変わる。
百済は漢人、倭人が住んでいるとされているように
古代の人間もその出自はすぐに見抜かれていたわけだ。
しかし、倭人は全て倭人という表記だった。
半島で鉄を取っているのも倭人だと記されている。
倭人が自分で鉄を取っているのに、民族が変わるも何もないよ。
倭人以外の民族の記述も無いし。
327 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:24:46 ID:uaZovU3RO
>>317 大物主が赤い矢になってレイプしたんだよね
328 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:25:02 ID:b9EYaLhe0
卑弥呼のwiki見てみたが
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 ?葬者奴碑百餘人
(卑弥呼は死に、直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が徇葬された)
奴婢100余人が徇葬された
古墳調べて100人出てくればガチじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
神武東征をいつまで信じていたかなんてことは、
たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、
それでも俺がいつまで神武などという想像上の九州男児を
信じていたかというと、これは確信を持って言えるが、
最初から信じてなどいなかった。
>>322 最近知ったのだが、東大閥の中では脚気細菌説は外部の人のせいになってて、
森鴎外が和食による食事療法を推進したことに脳内が書き換わってるのな。
332 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:28:02 ID:r0gZpZZe0
神話では大分に移動した弥生人の一派が東へ進出して奈良盆地に
国を作ったとことになっているので、もっと古い時代には北九州に
弥生人の拠点があったんだろう。しかしその拠点の名称はヤマトでは
ない。
333 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:28:11 ID:rqFZR8DS0
とりあえず、九州には邪馬台国より古い奴国があって、
金印も貰ってんだからそれでいいじゃん。
335 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:29:21 ID:VYJGcKOGO
>>327 一部の昔の神話ってキモいよな。
殺されたウケモチノカミの死体から牛、馬、栗、蚕、稗、稲が
生まれたりするしね…
>>323 出雲の国譲りは「四道将軍を遣わして国中を平定した」という
“神話”を象徴させるためにヤマト政権と出雲国造とが口裏を合わせた
作り話、という説を: 鳥越憲三郎が書いてたな。
これはけっこう説得力がある。
ひるがえって、ヤマト政権の足元であるマキムクの箸墓でやるのは
無理がありそうな気がする。
>>326 日本では、ってことね。
まあ、古代でも中華系が日本に来ると
日本式の名前に変えてヤマトに帰化していた可能性はある。
秦もシンという自我を崩して「はた」になってるし。
どこに行っても自我を貫いて、中華の名前を振りかざす中華人が
日本に来ると、日本でだけは日本名になるし。漢字はそのままでも読みはヤマト読みになる。
それほどの魔力が古代からヤマトにあったとすれば
中国の歴史書に、この島に倭人しか出てこない理由になるかも。
中華すらヤマトには帰化してしまう。
339 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:32:32 ID:VYJGcKOGO
それにしても近畿に邪馬台国があったとすると
広い範囲で日本語はすでに使われていたことになる。
結構言語学にも影響は大きいよな?
340 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:33:24 ID:liIzrFiL0
邪馬台国があったころ中国はレッドクリフの時代だっけ?
341 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:34:23 ID:uaZovU3RO
狗奴国のヒミココこそ
出雲四天王の一人、佐田大神
現在の伊勢神宮らへんに拠点あり
342 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:34:32 ID:b9EYaLhe0
魏志倭人伝を信じるなら距離がやっぱり奈良にたどり着けない
対馬までで7000使ってるし・・・
倭国に至るには、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。
そこから海を1,000余里渡り、対海国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国に至る。
また海を1,000余里渡ると末盧国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと不弥国に至る。南へ水行20日で投馬国に至る。南、女王の都のある邪馬壹国に至る。
水行10日陸行1月。帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。
魏志倭人伝を信用しないなら卑弥呼が死んだ年すらわからんw
343 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:34:39 ID:Q19h0zQ50
本体の調査やれよ。それでわかるんだろ。
宮内庁のお達しのほうがいまだに学術調査より上なのか、この国は。
345 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:37:11 ID:Q19h0zQ50
>>287 いや、全然無いよ。
この記事も大和と邪馬台国が直接関係ないことを立証する記事だよ。
なにしろ卑彌呼の墓が前方後円墳が無いことは魏志に書いてあるんだからね。
>>304 しかも、北葛城郡の大坂山の石を民が並んで手から手へ渡して運んだ
という記述があるが、実際にその山の石が葺石に使われているらしい。
347 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:37:39 ID:KvXIFMrVO
>>326 現実問題、縄文系の遺伝子は今の日本人に2割くらいしか残っていない。
その意味では今の日本人はほとんど渡来系の子孫。
鉄器を持った民族や騎馬民族に征服される事で民族が替わるのは古代では別に珍しくないよ。
もう面倒だから八幡平でいいよ
>>331 海軍は日露戦争までは脚気は起こらなかった、麦飯食わせてたから。後に慈恵会医科大学
創出した人が居たから。ただ、WWTに勝って領土が南洋諸島まで広がった後は、B-1不足で
問題を引き起こしてると、2ちゃんに書き込んだ人が居た。多分事実だろう、麦飯だけでは不足だ。
350 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:38:52 ID:WXlwYCrQ0
>>342 中国人は数値とあればなんでも10倍する。 南京の被害者数とか。
なので、その記述も数値を10分の1にしろ。
そのうえで1里=400m換算にすれば、驚くほど正確な距離になる
351 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:39:30 ID:VYJGcKOGO
>>342 1000里の間違いじゃないか?
狗邪韓国は当時は倭国といわれているが現在は韓国南部だよ。
352 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:40:14 ID:8kzcMVTy0
富山県小矢部市の「桜町遺跡」は、
1988年に一般国道8号小矢部バイパスの建設工事に伴って
発掘調査が行われた際に発見された遺跡だが、
この「桜町遺跡」は約12000年前の縄文時代の遺跡とされ、
従来弥生時代に日本へ伝えられたとされた「高床式」の建物が、
2000年前の縄文時代に建てられていたとし、
さらにその高床式の建物は、
中国浙江省の「河姆渡遺跡」の高床式の建物の木組み工法と一致したといわれて、
脚光をあびた。
353 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:40:32 ID:bHTVgpfC0
1日ぶりに来て見たら、もう5スレ目かよw
おまいらどんだけ卑弥呼好きなんだよw
>>319 別に繋がりがあったとしても、倭の属国だからな。
箸墓掘り返して半島遺物が出たらそれこそ、
属国からの貢物を埋めた証拠にしかならないからね。
記紀・三国史記及び中国の史書の補足として、
半島が属国であったという物的証拠にしか他ならないですよね。
古墳掘り返したらウヨ死亡とか抜かすアホは何がしたいんだろうね?
356 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:42:09 ID:Q19h0zQ50
>>325 良く言うよ、
近畿は京大のお膝元だよ(笑笑笑)
>>347 民族は、遺伝子と別だと思うが。
例えば、日本で2000年前に来て、日本でのみ活動していれば
他の民族になりようが無い。
あるいは、縄文系の遺伝子を持っていても、大陸に居れば日本人になりようが無い。
民族というのは、その集団の歴史であって、日本はヤマトが中心の民族以外になりえない。
中国が日本を倭と記し続けたように。
なにか、勘違いしてるんじゃないか?
358 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:42:48 ID:WXlwYCrQ0
359 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:44:07 ID:b9EYaLhe0
やっぱり1000の仮説より1つの実験・証拠ですよ。
研究者の思考はそうあるべき
ということで古墳調べるべき。
卑弥呼の墓なら天皇が口出すこと自体おかしいしw
360 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:45:09 ID:1+91zV5R0
>>332 「弥生人」なんていないよ、東大が脳内で生み出した妄想
文京区弥生町(東大敷地内)から出た無文様タイプの土器を弥生土器と名前付けたのは良いが
古墳時代の物との疑いが出た途端、出土場所が行方不明に
(東大敷地は東京ドーム何千個分?)
東大涙目の時に九州で同タイプの土器が大量に見つかったとのニュース
東大は火病起して、騎馬民族渡来説・弥生人(←?何それ)渡来説
邪馬台国九州説等、意味不明な説を並べてとにかく九州をプッシュした。
弥生人人種の存在確立は脚気菌と同程度。
361 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:45:40 ID:uaZovU3RO
>>355 そんな心配しなくても
日本人は一番です
仮に天皇が呉太伯の子孫でも
僕たち日本人は天皇を佐佐えますよ
>>314 関東の学者に畿内説が多くて、関西の学者には案外九州説が多いって昔聞いたけどなぁ。
森浩一さんとかも確か九州説だと思ったし。
363 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:45:46 ID:VYJGcKOGO
>>345 円墳なんて書かれてないよ。当時の「径」の意味は違うのでは?
>>347 縄文系は男系は五割くらいいるよ。
たぶん、縄文人が弥生人の男を殺して女をレイプした結果じゃね?
364 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:45:48 ID:aAB9f4uq0
>>347 日本人の男系は40%近くが縄文系で軸になってる
その次に多いO2b2は4,000年近く前に日本に来てる
なのになぜだか母系は弥生系が多いのが日本人の不思議なところ
>>357 ウソかホントか知らんが、「縄文系の耳垢は湿っていて弥生系は乾いている」とか
聞くぞ。遺伝子というほど大げさなもんじゃなくて、「系統(レース)」の
話じゃないかと。
366 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:46:55 ID:EyfCcTgx0
367 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:47:05 ID:1Qdh50H10
>投馬国の場所はともかく、邪馬台国までの日数が大雑把すぎるからね。
>明らかに北九州近辺の距離ではない。
俺が「魏倭人伝」の作者なら邪馬台国の場所を正確には記入しないかも知れない
自分だけが正確な場所を知っていれば
邪馬台国に残した宝物も愛人も大陸人に知られず、再度邪馬台国を訪問できる。
>>364 縄文系が跋扈する日本列島に弥生系が渡来
↓
弥生系って美人が多い
↓
屈強の縄文男が弥生男を殲滅
↓
弥生女をゲット
とか俺の妄想
369 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:48:12 ID:Q19h0zQ50
>>347 その仮説は恐らく間違っている。
単純に子供の生き残る確率が1%違えば逆転するよ。
むりやり征服だなんだと仮定する必要は無い。
>>365 民族って、戦国時代の織田家、徳川家みたいなものの世界版だろうから
猿のような奴、ハゲ、毛深い奴、背の低い奴
どんな遺伝子だろうが、仲間は同じ民族で、敵は異民族だと思うが。
どういう形質だろうが、倭人と中華から呼ばれていれば
とりあえず同じ民族だろうよ。
中国朝鮮は、日本人を単一に倭人と呼んできたわけで。
372 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:50:05 ID:VYJGcKOGO
>>368 弥生女が美人かは知らないが、あなたの仮説で合ってると思ういます。
>>359 調べて、金印が見つかっても持ち運べるものだから
九州説の学者は何とかこじつけて九州だと騒ぐ。
現に銅鏡で同じ事起こっているだろ。
もっと面倒なのは、チョン遺物が出た時にチョンが
日本の【属国】であった文献資料の補足にしか
ならないのに、チョンが日本を支配していた、天皇は
チョンから来たとか抜かすヴァカ学者が未だいるうち
は不可能だな。
理由は上段に書いた景初3年の鏡
>>366 だって「奴国」といえば博多じゃん。その東の「不弥国」は宇美町じゃん。
宇美八幡宮はすげーんだぞ。
375 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:52:18 ID:uaZovU3RO
>>364 おれ、天皇の男系子孫だと思ってたが
たぶん、縄文系だわ、のっぺりしてないもん
376 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:53:27 ID:r0gZpZZe0
弥生人の夫に縄文人の妻というカップルが多かったようだ
377 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:53:30 ID:WhDoAWH20
先代旧事本紀には邪馬台国も卑弥呼も出てこないんだよなあ、
偽書扱いされてるけど、記紀より古いからな。
378 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:54:22 ID:EyfCcTgx0
>>368 そういうばオレが子供の頃は、「縄文時代は戦争の無い原始共産制のユートピア(お目々キラキラ☆)」
とか布教している馬鹿が大勢居た。
で、しばらくして、骨に矢じりがぶっ刺さった痕跡のある縄文人の骨とかが出てきて(ty
あれは面白かったw
379 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:54:30 ID:aAB9f4uq0
父系で縄文系が優位でも
容姿に影響する母系が朝鮮人と大差ないから残念な結果になったんだな
380 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:54:34 ID:or/9YJBu0
学者ってのはアホだな
同時期に文献に記録がないだけでヒミコ以外に有力者がいたかもしれないのに
最大の問題は、だから中国が日本人を倭人と単一表記してきたということで
解決してる。
日本列島の人間は、相当古代に倭人という民族にまとまってるのよな。
ところが、朝鮮を記述するところになると
わいばく、フヨ、漢人、倭人などいろんな民族が混ざってるような記述。
朝鮮こそ雑多なわけのわからない民族。
日本のような倭とかそういう固有の表現すらない。
>>305 で、三輪(出雲)の大神を祭司していたがマキムク建設を境に権力が世俗化し西の葛城(高天)に主導権が移った、とか。
383 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:55:24 ID:1Qdh50H10
桃山時代に作られた日本地図が非常にでたらめな物なのに
数回訪問した中国人が正確な日本の地図など書けるはずがない、そして正確な地図は書く必要が無かった。
384 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:55:26 ID:VYJGcKOGO
>>375 明治天皇の顔も縄文系だぞ。
昭和天皇もどっちかってーとそう。
こうじゅん皇太后は弥生系。
>>371 だけど原日本人(と言っていいのかどうか知らんが、ようするに縄文人)と
渡来人とは文化も骨格も違うじゃんか。大陸の国の人がどう見てたかは
知らんが。
>>380 同時期に同じような規模の古墳があるところとなると
さすがに候補は限定されちゃうぞ
388 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:57:02 ID:SvPqH/ug0
>>306 円の部分に遺体を埋め、四角いとこで祭事をするのさ。円が後ろなんだよ
>>387 そこで西都原ですよ。なんつっても日向の国ですよ。
記紀的にもばっちり。
390 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 00:59:46 ID:GvjMD4rJ0
九州は百済系などの亡命組や交易で文明度が高かっただろうから、
王朝が奈良にあったとしても文字伝来や文化的には九州から奈良へ流れた
という考え方はありかも
その力のバランスから九州系の勢力が奈良、出雲系の勢力を凌駕したのが
国譲り神話の原点とか
そう考えると卑弥呼が九州から奈良に移動した可能性も捨てきれない
やたら近畿と北九州の地名がかぶるのもその辺りの影響かな
391 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:00:03 ID:uaZovU3RO
縄文系邪魔台国を弥生系神武帝国が東征したんだな
>>386 それって、国とか民族ができる以前の話では。
漢民族で言うと、背の低いソウソウも漢民族だし
豪傑のチョウヒも漢民族。
ヤマト民族の話だとすると、縄文だろうが弥生だろうが
倭人と呼ばれてひとくくりにされているうえに、何度も半島へ出征し
あるいは攻められて防人で共に戦うなどすればヤマト民族だろう。
393 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:02:42 ID:Q19h0zQ50
>>387 なんで古墳が引っぱり出されるのかが判らないんだが?
古墳は大和の物、邪馬台国は九州で何の問題もないでしょ。
そのころ大和が支那と交通していなければ名前は出てこないのは当たり前。
あ、朝鮮人にも濃い奴居るけど
どう考えても朝鮮民族だろ。
民族は、もう逃げることができない。
この人類の2000年くらいの殺し合いの歴史で
仲間、敵の集団、つまり民族が固まってしまってるから。
>>389 西都原古墳群はこの時期からのものだけど
3世紀半ばにはまだ大規模な古墳はないんじゃないの
396 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:05:04 ID:Q19h0zQ50
>>386 大陸というか支那人と縄文人に接触は無いだろ。
397 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:05:17 ID:SvPqH/ug0
九州に上陸しても、稲作中心に考えると関東が限度だろ。
中央の近畿に落ち着くさ。
九州から関東征伐するのは大変だもん
398 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:05:51 ID:WXlwYCrQ0
>>388 バチカンのサンピエトロ大聖堂と同じだな
聖堂は方形。広場は円形。
この符合はなんだろう?
イルミナティやシオン修道会、いや失われた十支族が関係してるのかもしれないな
399 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:06:25 ID:uaZovU3RO
当時の九州は地方だよ
>>393 そしたら卑弥呼の墓をどう説明するのかな
百人の殉葬者を葬るとしたらかなりの規模でないと
401 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:08:08 ID:1+91zV5R0
>>364 存在しない弥生系縄文系と分けて考えるからおかしくなる
ミトコンドリアdnaの分類だが、このミトコンドリアは筋細胞に多く存在し
エネルギー代謝にかかわっている、端的に言うと体温産生器官
縄文海進から分かるように現代はミニ氷河期と言われるぐらい寒くなっている
でより体温を高く保つミトコンドリアが活発なタイプが縄文人の中で(比率が)大きくなった
女性は筋肉量が男性の半分(体温産生半分)のためより顕著に現れる結果になっただけ。
402 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:08:58 ID:aAB9f4uq0
4〜5000年前九州に稲作が上陸したとすれば
1千年以上九州の南の隅っで細々米作りしてたんだろうな
それが稲作にあまり適さない南九州ならなおさらだな。w
403 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:09:43 ID:Q19h0zQ50
>>397 あのね、天候は変動するんだよ。
温かい時期には青森まで稲作が広がっているんだよ。
青森,垂柳遺跡で検索してごらん。
地球温暖化は弥生時代にも(^o^)
404 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:09:57 ID:fCy/urqyO
>>394 現代の半島住民の顔も大まかに地域性がある。
北の国境辺りは満州系の長い顔、東の沿岸部はニダー顔、
南の沿岸部や済州島は上記に対して比較的濃い顔、という感じ。
>>333 倭人伝にも書いてある様に、30の国が有るが未だ封建制度までは至ってないんだ。
シナーは其の英語の語源に為った秦が既にBC200年代には為ってた。日本は其れから
約900年たって所謂近代封建制に移行してる。歴史も巨視的、鳥瞰的に見ると面白い。
406 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:11:58 ID:R2aFiZTj0
>>357 もしかして、倭人=縄文人だと思ってるのか?
倭人と縄文人は直接関係がない。
卑弥呼は縄文人で、縄文人の王国を建て、縄文人が新羅百済を属国にして
高句麗と戦い、縄文人の天皇が倭は嫌だと言って国号を日本に変えさせたとか?
407 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:12:14 ID:3jGluyzHO
>>393 台は"と"と読む。
やまたいじゃなくあて、やまと と読むと、全て繋がる
>>392 スレとはあんまり関係ないんだが、たしか常陸風土記に
「神と争った男の話」ってのがあったのを思い出した。
田を耕す民(ヤマト政権側)が山際の田んぼを開墾しようとしたら
そこに“神”がいて、あれこれあって「ここからはヒトの領域」みたいな
境界を決めた話なんだけど、この“神”が縄文系の人なんじゃないかと思うの。
版図と国民みたいな概念とはまた違う気がする。
>>395 もっと新しいと言われていたマキムク遺跡が、最新の科学分析で
「実は古かったんです」ということになった、というのがこのスレの
話じゃん。
409 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:12:58 ID:WXlwYCrQ0
「3世紀ごろには近畿地方も九州と呼ばれてた」
この説ですべて解決しますね
>>364 たぶんMtとYchlとでは塩基置換速度が違うのが反映された結果なんじゃないのか?
人類全体からみたらそんなに遠くない集団の分布を全然違う遺伝子で見て系統図書いちゃったらそりゃ矛盾したのが出ても仕方ないんだけど。
だけどなんか最近トランスポゾンでもSNPでも韓国と日本はいっしょアイヌ、沖縄は別を強調したり、また逆を言ったりするために
都合のよい樹形(orクラスター)になる単独のマーカーで発表する例が結構多いのはちょっと心配(特に前者が多いんだけど)。
411 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:14:13 ID:PSxHX8OP0
卑弥呼もチンギスハーンもオバマも韓国生まれニダ
>>408 畿内の弥生古墳時代の開始時期が
1世紀引き上げられたのはけっこう前の話で
>>1 はそれが正しかったことを裏付けただけでしょ
413 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:15:50 ID:Q19h0zQ50
>>392 縄文人は支那史書には出てこないよ。
一番早いのが奴国(当然弥生)でしょ。
414 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:17:31 ID:SvPqH/ug0
>>403 青森で稲作可能でも年貢を取りやすい地域が首都になる。
搾取の効率で近畿になったんじゃねーのか?
415 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:17:43 ID:aAB9f4uq0
言語的には弥生系は縄文人に吸収されてる
>>406 縄文人?
全く国に関係ない。縄文人とか弥生人とか
まるで特定の遺伝子を持つ人間は、文明化しては駄目だみたいじゃないか。
遺伝子関係なく、ある国に加わろうとする人、ある国に抵抗する人
先祖がそのどちらかで所属が変わるだけだろう。
417 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:19:19 ID:fCy/urqyO
>>408 今の所は西都原は各地の墳墓の中では新しい方に入るんじゃなかったっけ?
箸墓から百年は後
418 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:19:55 ID:WXlwYCrQ0
>>414 まあ近畿が発展したのは、地政学というか経済的な地勢的ロジスティクスの問題だよね。
集積地としては実に最適だったというわけさ
>>412 畿内において年輪法やC14法の結果と土器編年法の結果とで1世紀の違いが
出たのなら、西都原でもやってみればいいじゃんか。
420 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:21:12 ID:uaZovU3RO
九州説に何が出来るの?
南九州の遺跡もどげんかせんといかんな
だいたい、倭人は刺青をすると書かれてるじゃないか。
だったら文明化しているはずの西日本の倭人は縄文人だったのか?
母親が逆になるとどうなる?
父親が縄文でも、母親が弥生だと薄くなり背が延びるだろうよ。
それが紀元前に3000年も続いて、やっと倭人と呼ばれるようになった頃
自分が縄文系か弥生系かなんて、倭人と呼ばれてた頃の人間にわかるわけない。
わかるとすれば、とにかく国に属してなければ原住民かもしれないが
それでも父親は大陸系の可能性はある。
423 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:23:29 ID:ENypShrX0
良く分からんが、九州には、それらしき古墳は無いのか?
424 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:24:51 ID:SvPqH/ug0
>>418 九州にも都市を作り半島からの侵略を阻止する。
なので首都が九州にもあったかのように見える。
渡来人が来た頃は九州に上陸する訳だからそれなりに発展するさ
>>418 其の点、江戸幕府官僚も人、地域を見る眼が有ったな。大阪米相場を開き、管理は商人に
任せたんだから。先物取引なんて今でもWSの証券マンですら引用する位だから。
426 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:26:27 ID:r0gZpZZe0
427 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:26:34 ID:b9EYaLhe0
関西人がこれに必死なのがわかった。
理由1 決め付けで話す
理由2 九州涙目とか九州を陥れる発言でがんばる
理由3 ソースや論理展開が無い(都合の良い部分を繰り返し言うだけでスレ人の疑問にはスルー)
起源にこだわると隣国っぽいぞw
428 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:27:11 ID:R2aFiZTj0
>>416 駄目などと誰が言った。
倭人を語るのに民族は切り離せないだろ。
人間は皆同じなどといって、それを無視してしてしまえば、倭も漢も韓も最初から語る必要はないし、
倭人伝すら過去の出来事で済んでしまう。
429 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:28:58 ID:XrA7H/qe0
今の高校の教科書には「弥生人」は使われてないよ
「弥生時代人」ってのがある程度
430 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:29:38 ID:uaZovU3RO
おれ縄文人だわ
子孫繁栄して
弥生人を民族浄化しなきゃ
>>423 吉野ヶ里にもちっちゃな前方後方墳が三つばかりあるだけだからなあ。
箸墓はもちろん、纒向の諸古墳に比すべくもない。
銅鐸ってアレ何なの?
鐘とか祭祀用にしてはいっぱい出てきすぎじゃない?
今の仏壇みたいにあれ自体がありがたいってものじゃないのかな?
433 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:30:59 ID:R2aFiZTj0
434 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:31:13 ID:WXlwYCrQ0
>>425 江戸時代はすごいぞ。
俺の地元の藩では、年貢の徴収業務すら民間に委託してた。
そのほうが軋轢生まずにうまくいくし、事情があって不作だった農家とかの分は
民間側で勝手にうまいこと帳尻合わせてくれたりとか、実によく機能してた。
435 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:31:19 ID:3jGluyzHO
436 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:31:32 ID:b9EYaLhe0
まず、関西人は論理的に話そうや
声高らかに話せば通るなんて思考は韓国までにしとけ
437 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:33:32 ID:674rNxMN0
>>365 うちの学校の生物の先生が
その調査を授業でやったな
おれは縄文系かあ
実家が奈良だか超近所に高天原がある
いいとこだから一度は来てね
あとヒミコは俺の嫁
439 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:33:39 ID:WXlwYCrQ0
>>432 銅鐸は公共事業で作られたもので、
おまけ的に貨幣的な価値をもったものとして流通してたと俺は考えてる
まあなんというかヴィトンのバッグとかそういった類のものだな
440 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:33:46 ID:r0gZpZZe0
顔がしょう油顔でもヒゲの濃い奴もいれば、逆の奴もいる。
遺伝子が複雑に交じり合っている
441 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:34:21 ID:mh7Kt+zd0
保田東原遺跡は、菊池川とその支流の方保田川に挟まれた台地上に広がる
弥生時代後期から古墳時代前期(今から約1700〜1900年前)に繁栄した大集落遺跡です。
これまでの調査の結果、幅8mの大溝をはじめとする多数の溝や100を超える住居跡、
土器や鉄器を製作したと考えられる遺構が見つかっています。
また、全国で唯一の石包丁形鉄器や、特殊な祭器である巴形銅器など数多くの青銅製品や鉄製品が出土しており、
この遺跡の国力の強さがうかがい知れます。
このほか、山陰地方や近畿地方など西日本各地から持ち込まれた土器なども出土しており、
交易でも繁栄していた集落であったことが分かってきました。
現在のところ発掘調査をおこなった面積は、全体の1割にも達していません。
邪馬台国とかどうとかは知らんが、こんな遺跡も、もっと掘りゃいいよ。
時代、大溝、西日本各地の土器、多数の集落跡、鉄器・・・
巻向がそうであるように、当時の勢力を知る上でね。
442 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:35:52 ID:ENypShrX0
>>431 そうなのか。
まあ、タイムマシンでも無い限り、
畿内説も九州説も最終的に諦めないだろうね。
443 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:36:21 ID:r0gZpZZe0
吉野ヶ里の地名は山門なのか
444 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:37:46 ID:oaMydb6k0
>>425 逆だろ? 商業が元々さかんで商人の力が強かったからこそ、全国の米が集積されていった訳で
自然と先物取引とそれに関するルールが形作られ、お上もそれらを整備したと。
江戸はあくまでもその当時までは政治のみの中心。 まあ一大消費地として、商業の中心地とも
なるのは、時間の問題であったとは思うけど。
445 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:40:55 ID:WXlwYCrQ0
>>444 上方は消費商業社会
江戸は循環型エコ社会
どっちが正しいとかは別として、洗練度はどっちもすげえレベルに達していた
>>355 プサン郊外で発掘した墓が、日本起源らしいと気付いて、慌てて埋め戻した。第一報を報じた
朝日新聞は、続報として其れは報じてない。此処にも東京築地の朝日新聞東京本社屋から
書き込んでる前論説主管!若宮啓文(現コラムニスト)、編集局長 木村伊量、編集局員 清水建宇、
市川速水等と、其の配下のチョン社員・記者ら、其の類が多数沸いてるが、奴等は時間認識能力が
無いから、歴史は分らんし況や巨視的、鳥瞰的、長期的視点などもって無い。行き当たり
ばったり発言しか出来ないし、都合悪い事は直ぐ忘れる。
序に今日は犬HKで任那日本を遣るらしが、チョンに汚染されてるから、朝日新聞と同じだろう。
447 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:41:23 ID:wSD9Mc5f0
卑弥呼の使者が献上した奴婢だか生口だかは何人?
448 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:42:54 ID:uaZovU3RO
九州のヤマトに何があるの?何もないよね?
さっさと諦めた方が貴方のためだよ
449 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:43:00 ID:b9EYaLhe0
では、今まで出てきた疑問系
1.奈良までどのルートで行ったか?
2.古墳は何時できたのか?
3.250年前の土器が出てきたら古墳は卑弥呼と関連付けられる要因は?
4.邪馬台国が奈良にあったなら大和はどこに?(大和国を邪馬台国と呼んだ的な現代の読み方は無視。というか中国では邪馬台国の発音がやまとではない)
5.奈良にいる有名皇族の墓ではないのか?
6.時代の流れが変になるとか言ってた人がいた。
後はいくつかあったが忘れたw
畿内にでかい政治勢力があったのが確定とすると
・邪馬台国畿内説の場合…この政治勢力こそが邪馬台国であった。
・邪馬台国九州説の場合…実は邪馬台国は地方の弱小国にすぎなかった(中国から来た使者が、これが日本の中心国家かーと勘違いした)
本当に栄えていたのは畿内の謎国であった。
こうなるんじゃね?
>>401 何も知らない人からすれば一見説得力ありそうな説だけどね・・・^^
452 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:46:00 ID:GvjMD4rJ0
ヤマタノオロチのヤマタは邪馬台国のような気がしないでもない。
ついでに稲葉の色うさぎのうさぎは宇佐のような気がしないでもない。
んで、宇佐の別名八幡宮の別の呼び名ヤワタも、その地域がトヨの国というのも
関連性があって面白いし宇佐の三主神のなかの比賣大神はかなり怪しい。
この辺りで九州説は面白い推測が出てくる所ではあるわな
453 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:46:18 ID:Q19h0zQ50
>>447 なんでそんなことが知りたいの?
初回が男4人、女6人、
2回目は人数を記載してない。
イヨは男女30人、恐らくクナ国の捕虜だろ。
454 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:46:27 ID:wVkr9mbW0
>>439 お上から下賜された(金銭的に)ありがたいモノって事か。
うちの人が病気だから欲しがってるヤツに渡して
薬と交換するか〜とかそんな使い方だったのかな。
お上に物質的軍事的に貢献したヤツに渡してたのかな。
江戸時代の刀剣みたいな・・・。
456 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:48:43 ID:Q19h0zQ50
どっかに真実を伝承してる家系はないのか
うちのじーさんは女のあそこはアワビだと伝えてくれた
だが…確かめる術はない
>稲葉の色うさぎ
エロいな
459 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:51:12 ID:uaZovU3RO
九州は太宰府だけで我慢出来ないのかな
460 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:51:16 ID:b9EYaLhe0
>>457 まずお前のじーさんは間違ってる
どう考えても赤貝
ん?パイパンならアワビ?
461 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:51:18 ID:Q19h0zQ50
462 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:53:25 ID:b9EYaLhe0
アワビ画像見てきた
ビッチがオバサンになったらアワビだわ orz
そういえば日本っていつから日本って名乗ってるの?
464 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:54:49 ID:wVkr9mbW0
>>456 弥生時代は弥生土器の時代。弥生土器の名称由来は出土した場所が弥生町だったことから。
これが元々の話。弥生人って何かというと、弥生土器の時代に日本で生活してた人。
だから
>>429の教科書の方が誠実。
465 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:55:41 ID:WXlwYCrQ0
466 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:56:18 ID:XrA7H/qe0
>>433 マジ
山川出版社の「詳細日本史B」と「日本史用語集」が手元にあるけど、
その索引を見ても「弥生人」なる記述はなく、「弥生時代人」とある程度。
なお「用語集」の「弥生時代人」の記述は以下↓
>「弥生時代人」
>
>弥生時代に朝鮮半島からかなり多く渡来し、在来人と混血した。
>しかし民族の交代あ起こるほどではなかったとされてきたが、
>西日本の一部では渡来系集団が優勢だったことがわかってきた。
とのこと。
>>360 江上波夫の騎馬民族征服説は国立民博所長によって完全否定されてるよ。
東大は京大に対抗する為、どうしても九州に持って行きたいんだ。
468 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:56:59 ID:wVkr9mbW0
>>465 さぁ。漢字だけを見ると、生を寿いでるように見えるね。
>>384 縄文人の女性は情熱的で魅力的だった、ってご先祖様が書き残してる
470 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:57:53 ID:b9EYaLhe0
471 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:58:53 ID:fCy/urqyO
九州説の人がよく話題にする筑紫と大和の地名が似ている話があるけど、筑紫の
は朝倉なんだよね。斉明天皇の朝倉宮があった辺り。
天皇が短期だけどそこにいた間に宮の周辺の様子を大和になぞらえたんじゃない
かな。
472 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 01:59:17 ID:wVkr9mbW0
>>466 >しかし民族の交代あ起こるほどではなかったとされてきたが、
>西日本の一部では渡来系集団が優勢だったことがわかってきた。
これは酷い。
>しかし民族の交代あ起こるほどではなかったとされてきたが、
なんて書いてるけど、それおもいっきり「従来の主張の繰り返し」じゃないか・・・
473 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:01:10 ID:WXlwYCrQ0
>>469 俺の理論だが、ふたつのスピカで喩えると
弥生女 = マリカ (クーデレ)
縄文女 = ケイ (ツンデレ)
だと思う
474 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:01:20 ID:ETVk9H1e0
475 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:01:31 ID:r0gZpZZe0
妻に縄文人を選んだ弥生人の男が多かった。
そして母系社会だったこともあって縄文時代の慣習もかなり残ったのだ
476 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:02:34 ID:XrA7H/qe0
>>433 ついでに「縄文時代人」があって、「縄文人」もない。
>「縄文時代人」
>
>縄文時代に日本にいた人々。
>人骨には、現代日本人と異なる特徴があり、
>アイヌの祖先とするアイヌ説や、
>原日本人説などの議論が活発に行われた。
>「原日本人説}
>
>縄文時代の日本には原日本人という基本的人種が住み、
>その後大陸や東南アジアから種々な人種が渡来して混血し、
>現代日本人になったとする説。
>現在は更新世人類がその後の混血と環境変化とに応じて
>現日本人に変質していったと考えられている。
以上、山川出版社「日本史B用語集」より
477 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:02:39 ID:1+91zV5R0
>>451 この板の住人ならミトコンドリアは女性のみ引き継ぐの知っているから
Y染色体系統はしょって書いても大丈夫でしょ。
詳しくなら、草思社の「人類の足跡10万年全史」でも読めばいいのだから。
478 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:03:00 ID:yyEkZElA0
数千年後には明治維新ですら、大量の移民流入で文化が変わったとか書いてそうだな
>>445 だって江戸長屋の大家は長屋の雲呼集めて売り払い、店子に年末に餅代として配ったんだから
脅威だよ。名付けて「尻餅」!。此れを300年前に遣ってたとは驚き、桃の木!。
480 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:05:42 ID:wVkr9mbW0
だいたい、渡来人じゃなくて「帰化人」だよ。
昔はよく「稲作の伝来は渡来人によってなされた」なんて書かれたものだった。
大和の文化的基礎が稲作だからね。「渡来人」とすることで天孫の意味を付加させたかったんだろう。
日本における稲作の起源が古くなったので、ありえない説になったけれど。
481 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:07:51 ID:wVkr9mbW0
>>478 ついで、食べるものの変化で体の大きさや構造(スタイル)が変わったのに
人種が入れ替わった根拠にされそうな悪寒。
>>470 確か夭折した(50代?)前所長だったと思う、本が出てる「騎馬民族は来なかった」か、
新書版だから安価だろう。
483 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:12:14 ID:Zqg7/ZAU0
何が難しいって
放射性炭素年代測定法で正確に年代が特定できる保障はなく
また魏志倭人伝に誤り無く正確な年代が記述されているかどうか確かめる術もなく
それを言えば邪馬台国がはたして日本にあったのかどうなのか確認する事もできず
そのような不確かなデータ同士を照合するしかないわけなので
出てきた答えも成否を確認する術もない。
結局は唯一絶対的な正解が導き出される事はない。
こればかりはしょーがない。
484 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:12:38 ID:KNIfSAmeP
奈良なら半島から十分離れてるな
よかったよかった
485 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:13:07 ID:aAB9f4uq0
土地を開墾して水田を広めるためには人手が必要だからな
半島から連れてきた男たちは農奴としてそのまま消えたんだろ
女は子供を産めるから使い捨てにはしなかったんだろうな
486 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:13:56 ID:WXlwYCrQ0
>>479 火事で家が焼けるとする。 その焼けた家が、けっこうな額で売れるんだよな。
正確には、工務店に依頼すると専門の検査技術者がやってきて
焼け跡から再利用できる木材やら釘やら(金属釘は焼けないし再利用できるし高値)
その他なんでもを見つけて回収してお金に換えてくれる。(手数料をちょっとだけ取る)
そのお金にちょっとだけ上乗せするだけで、また新しい家が建つんだよな。
江戸時代すごすぎ
487 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:15:51 ID:fCy/urqyO
>>480 いや、その逆で帰化人の表記を渡来人にされた。日本に来た人は天皇や日本の文
化にひれ伏したんじゃない、逆に文化や技術を与えたんだ、だから帰化じゃないって。
488 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:16:48 ID:Q19h0zQ50
>>480 帰化は既に国家体制ができあがってからの話、
当初は渡来人でしょ。
>>483 しかし過ってよりは精度は上がってるだろう。
>>T の
> 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の
> 研究発表会で報告される。
である以上、自身が有るんだろう。問題は其の素材と決定過程だ。
490 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:20:18 ID:wVkr9mbW0
>>485 土木工事には人手が必要だろうけど
農耕するには共同体が必要
帰化人は適当に土地を与えられてそこに集団で住んでた。
491 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:22:04 ID:cLPY0Go90
もう確定でいいよ
秋田
492 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:22:27 ID:Zqg7/ZAU0
>>489 そうなんだよね、いくら制度の高い正確な定規を用意できても
まったく見当違いなモノを測ってたら
結局何やってんのかわけわかんねーからな
>>485 そもそも、仕上げという概念自体がない民族に土木工事任せるわけないだろ。
約束という概念自体を日本が教えてあげたんだぜ。
494 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:24:02 ID:uaZovU3RO
九州は無い
495 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:24:52 ID:r0gZpZZe0
朝鮮半島→北九州→大和 という人の流れは間違いない。
神武東征伝承も史実をおおまかに伝えている。この難点は日向が
出てくること。大分の間違いだろう
496 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:25:20 ID:fCy/urqyO
>>488 このスレの話題の時代でさえも帰化じゃなく渡来だと変えられちゃったんだよ。
奈良時代でも帰化じゃなく渡来。政治的かつイデオロギー的な圧力でね。
497 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:26:08 ID:wVkr9mbW0
>>487 本来は帰化人だったのに、渡来人説として書かれていたって話。
でも稲作は朝鮮由来じゃなかったので、480の話は虚像だった。
「逆に文化や技術を与えた」?技術を持ってるから住まわせてくれと
頼ってきたんだろう。
>>488 最初は渡来人って何の話だ?
498 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:28:21 ID:wVkr9mbW0
>>495 はいはい、騎馬民族征服説、騎馬民族征服説。
男のY遺伝子。日本は謎のDが4割、大陸系のOが5割だっけ。
日本に来た誇り高い?中原出身の、O系統の男は
なんで中華の名を止めたのかね。
秦氏、漢氏を見るに、自信満々で皇帝の子孫だと言ってるが・・・・・
でも名が変わったのが多い。
半島のO系統は、李、王、金はツングースか?などそのまんまだが。
それとも、秦氏は多いのはわかるので、日本に来たのは
秦氏ばっかりで、それ以外のO系統は来てないのか。
500 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:28:44 ID:VJ5Canjy0
>>489 彼が弥生時代が前10Cに遡ると発表したときは、酷かったな。
学界より先にマスコミに発表して、学者に反論の機会を与えずに「教科書が変わる」とまで言い切った。
その後、学界で発表したのは1年以上後。しかもデータは前8〜9に後退していた。
この手法そのものの異常さが非難の的になったのに、同じことを繰り返す。
しかも、相変わらず都合の良いものだけをつまみ食い。
「学者として必要な謙虚な研究姿勢に欠けている。」という批判も何のその。
>>1 当時、邪馬台国レベルの国は、日本中至る所にあった。
たとえ中国の庇護があったとしても、卑弥呼の次の代で、
自滅しそうになるほど、邪馬台国は貧弱だった。
同じ頃の古墳が見つかったとしても、卑弥呼の墓である可能性は低い。
卑弥呼の起源は韓国です。
もちろん馬韓や弁韓ではなくて、大韓です。
503 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:33:06 ID:fCy/urqyO
>>497 ああ、渡来になったのは天孫のつながりとかじゃなく、天皇の権威や日本人を貶める為のものだという意味でレスした。
昭和五十年代あたりまでは帰化人だったのが渡来人になった。進歩的な人達の圧力でね。
504 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:36:10 ID:wVkr9mbW0
>>503 認識のすり替えをしようとしたんだろうね。怖いものだ。
505 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:36:40 ID:Q19h0zQ50
>>474 生物学的には死亡固体としてカウントされるね。
>>499 日本は封建制度とか発達したので、氏族制度が崩壊してその土地土地等で新たに”苗字”を
創造して名乗るケースが多かったからな。
てか征夷大将軍は建前として、源氏の血を引いていなけりゃなれなかったんだぜ?
だから建前としては徳川も正式な姓は”源氏”な訳だしな。
もし日本で儒教原理主義がまかり通ってしまっていたら、苗字なんてのも存在せずに精々が
数百程度の”姓”しか残らなかっただろうさ、それこそ特定アジアにように。
507 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:40:04 ID:uaZovU3RO
まー天皇が帰化人じゃない証拠もないけどね
>>506 ということは。
朝鮮などは中華に支配され、中華そのものになったと言えるが
日本は中華では無い存在が中心で、中華すら家来になったと言える。
ようするに、日本の中枢は始めから中華ではない、と言うことになる。
509 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:40:47 ID:r0gZpZZe0
>>498 騎馬ではなく農耕民族だ。米作の力は偉大だ。人口扶養力が狩猟採集
の比ではないからな
>>500 朝日新聞が報じるんだから可なりのバイアスが掛かってるのは間違い無い。
2年位前にも朝日新聞はプサン郊外で前方後円墳が発見されたと報じたが、
其の後、どうも副葬品から倭人の墓だと分って慌てて埋め戻した事は一言も報じてない。
測定品の年代が正しくても、其れと箸墓の周辺埋蔵品として妥当かどうかだ。
宮内庁も無責任役人だから、内部調査は 絶対に 認めないだろう。
511 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:41:46 ID:WXlwYCrQ0
騎馬で農耕してる民族がいたら世界最強ってことだな
なぜ誰もやらないんだろう
512 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:44:17 ID:uaZovU3RO
まー俺たちは2ちゃん民族だけどな
513 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:44:20 ID:ETVk9H1e0
>>500 反論の機会を与えずって、学会の場ならテレビ発表されてようがなんだろうが論理的整合性や明確な証拠がなければ
余裕でフルボッコだろ。そんなもん関係ねーよw
514 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:44:36 ID:wVkr9mbW0
>>507 もしもどこか他の土地から来たんだったら
そのように書くだろうさ。嘘をつく必要はどこにも無いんだから。
行基はインド人だったっけ?
515 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:47:25 ID:wVkr9mbW0
>>509 稲作は朝鮮を通らず。日本の方が起源が古い。
516 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:48:05 ID:sHBueLI/0
どうでもいいよこういう歴史ヲタ記事は。
確定してから伝えろ。
517 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:49:36 ID:wVkr9mbW0
確定したのは箸墓古墳の年代が3世紀中ごろだということだろうけど
なぜかこういうことに卑弥呼をくっつけたがるのが新聞社(朝日に限らず
>>514 そもそも、国があって、そこに加わることを帰化というので
建国者が帰化というのは意味不明だなあ。
建国者が民族を隠す理由も無い。
たとえば、源氏は皇族が中華に憧れて源という一字にしたと聞く。
わざわざ憧れて・・・
もともと中華なら、初めからその名を名乗れば済む話だ。
>>495 何の証拠も無い朝鮮半島由来説か?
逆の史料はあってもイデオロギー的に捏造ですか?
520 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:51:53 ID:wVkr9mbW0
>>514 そうだよねぇ。
古事記や日本書紀が書かれた時は、今ほどは日本と半島の差が
開いていなかっただろうし、白村江の戦いに首を突っ込むほど
関係が深かったんだから、敢えて隠す必要はないよね。
天孫降臨ってのは、外国から来たことを表しているというより
単に神の子孫という箔付け・正統性を表しているだけの可能性もあるよね。
523 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:57:33 ID:/jjvGQ+S0
宮内庁的には、最新の技術で天皇家の出自とかが判明してしまったらまずいから
(特に渡来人系とかだったら、例の半島が出しゃばってウザいこと極まりないから)
ひたすら立ち入り禁止にしてうやむやにしていくしかないんだろうな…
524 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 02:59:18 ID:VJ5Canjy0
>>513 普通は学界で発表してからマスコミに公表する。
韓国の捏造ES細胞研究事件でさえも学会での発表が先行していた。
彼らがマスコミに先行で発表することの異常さは常軌を逸脱しているよ。
他の学者は批判しようにも、資料も論文も何もない。
1年以上あとで学界でこっそり発表しても誰も納得しない。
525 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:03:09 ID:wVkr9mbW0
>>522 >天孫降臨ってのは、外国から来たことを表しているというより
>単に神の子孫という箔付け・正統性を表しているだけの可能性もあるよね。
そうそう。
天孫降臨の話って、別に皇室に限った話じゃないし
天穂日だの火明だの、その他風土記にも類似の話があるとかで。
要は、農耕で冨が蓄えられるになって、共同生活が発展するに従い
氏族の中で長になる一族が出て、その権威者が天孫降臨の子孫だとか言う話で纏まって行ったんだろうな。
と想像する。(あくまで妄想w)
>>506 > てか征夷大将軍は建前として、源氏の血を引いていなけりゃなれなかったんだぜ?
最近はその説は怪しくなってきている。
摂家将軍や宮将軍はもちろんのこと、
端的に言えば、織田信長の三職推任問題が反証となるから。
>>511 騎馬=放牧と農耕は相反する職業だから両立し無い。放牧から農耕になった民族は居るよ。
シナー北西部に居て西に進んで今はハンガリー作ったシナー名匈奴。同じく南西に進ん
アナトリア高原に入ったトルコ等。米だって牧畜と農耕は利害対立してるよ。
映画で言えば映画「星の無い男」等。
528 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:05:58 ID:J34p1atv0
チョン涙目wなの?やっぱ?
529 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:06:38 ID:aAeytjhdP
まるで麻布大学の宇根さんのようだわ(笑)
魏志倭人伝の末盧國の説明に
「好んで魚ふくを捕うる」
ってあるけど、ふくってフグのこと?
だとしたら昔から食べてきたんだねぇ
>>523 朝鮮半島は怖くもなんともない。
むしろ史料や発掘調査の結果や言語の違い・DNA調査から見ても、
別人種・別民族な上に古代日本が朝鮮半島を支配していた可能性が高いから。
むしろやっかいなのはシナチクの方。
シナ大陸(の特定地域)由来のモノが出土したり、最悪の場合金印が出土すると、
朝鮮やベトナム、沖縄などに対してしているのと同じように
日本本土に対して広義の領土・勢力圏・臣下と認識することが可能になり、
シナチクによる侵攻・併合の口実となるから。
少なくとも日本の天皇が冊封を受けたという記録は日本側にもシナチク側にもないから、
(遣隋使・遣唐使など朝貢はしたことがある)
天皇家の先祖がシナチクから冊封を受けていたとなると相当マズイことになる。
唯一、「倭の五王」が南朝(六朝時代)から冊封を受けた記録があるが、奴国や邪馬台国と同じく、
日本の皇室との関係は明らかではなく、古事記・日本書紀にも記述は存在しない。
関東は歴史が浅く、文化レベルも
上方に比べてひくいからそうなんだと思いますよ
関東の人が関西弁をうまくしゃべれないのは
そのためだと思います
>>522 また、チョン由来だったら、半島の実験を新興国の新羅に取られた、
しかも、唐に尻尾を振って名前や文化を変えてだw
天皇がチョン由来なら血統の正当性を間違いなく記紀に書くな。
534 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:10:32 ID:i/xXRdp10
箸墓古墳の周囲から奴婢100人出てきたら
奈良で決まりだわw
@神武朝(非実在)
A崇神朝(奈良土着)
B応神仁徳朝(東征)
C顕宗仁賢朝(播磨)
D継体(臨時:越王)
E欽明朝(蘇我傀儡)
F天智天武朝(天皇)
536 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:16:03 ID:CEMY3puS0
九州に決まってる。
近畿は別の王朝。
どう読んだってそれ以外に無い。
537 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:19:00 ID:uaZovU3RO
やはりネトウヨには歴史は考えてほしくないな偏向する
例えば、建国者が建国する前に
大陸から渡来してきて、そこで建国したら
自ら、私は渡来人です何て言うかね?
これから自分の国を建国する建国者が
538 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:20:01 ID:DTzhMcpNO
>>531 バカだなぁ。倭の五王の武は、雄略天皇だろ?
これだから歴史にうといやつはw
日本人は天皇始めとして非人階級まですべて、中国の臣下なのだよ。
中華人民共和国様にしっかり従わないと。アメリカなんか琉球からさっさと撤退させなさい。
>>500 学者は意外と山師が多いもんだ。
下手に社会的認知度が高いだけに893より付き合っちゃならねえ人種だと思う。
540 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:22:22 ID:CEMY3puS0
>>538 雄略ではあり得ないんですけど。在位年、系統など考えると。
>>531 歴史を政治と直結させるじつに中国人的、朝鮮人的な考えだね。
こういう人に史料(資料)を扱わせたくない。
自分の考えに合わないと破壊しそう。
魏志倭人伝を読んでいると「蚕桑緝績し」とあるよね
昨日、このスレ見ていると
貢ぎ物に絹があり
当時、絹を作っていたのは九州だという人いたから
邪馬台国は九州じゃないかなぁ
邪馬台国が大和とつながっているのだとしたら
「皆黥面文身す」というのもなんかおかしい
543 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:27:11 ID:DTzhMcpNO
だいたい日本はおかしい。天皇という呼称は中華にただ一つあるだけのもの。
日王と呼ぶがふさわしい。
544 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:27:30 ID:CEMY3puS0
>>542 その通り。
文献で見る限り、またその文献は知られている事実で見る限り正しいのだが、
九州しかない。
近畿説は単に、何か別の王朝の関係ない遺跡を無理矢理結びつけているだけ。
文献とは関係なしの強引な説に過ぎない。
545 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:28:25 ID:Q0FfRxU/O
ここまで卑弥呼の墓=箸墓論が有力なら掘ってみるしかあるまい。
畿内説はマキムクと箸墓で殆ど統一されてるんだから
全然関係なさそうな人が埋葬されてたら多分九州なんだろ
どっちでも良いからはっきりさせよう
>>544 著者が越あたりとこんがらがってんじゃねーかね。
だいたい倭は当時日本に限らん。
>>541 天皇陵の発掘を許可するのも禁ずるのも政治的考慮が働くのが当たり前。
古代エジプト人と今のエジプト国民はまったくの赤の他人だが、
エジプトのミイラのDNA調査でもそうだった。
(調査しなかった理由は、万が一ユダヤ人だと困ったことになるから)
奈良だとしたら、卑弥呼は誰か?
A崇神朝なら倭姫命(ヤマトヒメミコト)なのか?
伊勢神宮の斎王になった倭姫命?
ヤマトタケルの叔母さん役!
549 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:31:44 ID:uaZovU3RO
じゃ九州のヤマトはどこ?
そこにヒミコと結び付く人物は?
551 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:31:59 ID:CEMY3puS0
>>546 いや、倭が日本以外にあってったって説は全く根拠がないんだけどね。
それらしい記述は無いよ。
どこかの誰かが、勝手に越と結びつけたけど、それは根拠ないんだよね。
何か、アジアとに繋がりを重視する連中が勝手にやってるとしか思えない。
>>537 お前 東京築地の朝日新聞東京本社から書き込んでる 前論説主管!若宮啓文(現コラムニスト),
編集局長 木村伊量、編集局員 清水建宇、市川速水等か、其の配下のチョン社員・記者等の
類だろう。
>>551 >それらしい記述は無いよ。
どの文献に?
>>537 中華帝国の創始者達は、出自を隠したのかな?
そもそも今の感覚だと、朝鮮半島とか中国大陸の
出身は隠しておけば、その方があらゆる意味で
都合が良いが、当時もそうだったのか?
むしろ、大陸や半島の出であることを表明した方が
有利だったんでないの?
それこそ、
>>533のように、新羅征伐をする時なんかは。
555 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:35:02 ID:CEMY3puS0
>>537 自分らの出身に誇り持ってるなら言うだろうよ、秦の皇帝の末裔だとかさ。
あるいは、半万年の歴史を持つ朝鮮半島の王朝のものだたとかさ。
それもとも、そのころから、チョンは劣等感の固まりだったのか?w
556 :
"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2009/05/31(日) 03:35:39 ID:7F0f0eHi0
>>553 むしろ越とする根拠は
どの文献のどの記述なんだい。
話はそこからじゃないか?
>>543 中共シナーは正式称号で読んでるぞ?中華人民日報の東夷倭国版の朝日新聞社員・記者よ。
>>556 とりあえず越「あたり」と書いたところで察して少し待て。ツルツル侍よ。
やはり、魏志倭人伝に
「倭の者が船で海を渡る時は持衰(じさい)が選ばれる。持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される」
・・・とありますが
邪馬台国と大和朝廷につながりがあるなら
こういう特徴のある呪術的な文化も多少なりともうけつがれるような・・・
昔の日本でこういうのって受け継がれているんすかね?
>>546 会稽東冶の東に倭があると書いてるから、誤認かわざとかは知らんが、
とにかくそういう地理認識。だから、会稽に似た風俗の描写があるんだろう。
>>547 だから?
562 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:40:54 ID:Mlpc30ph0
そもそも中国人は日本を見たことないし伝聞だけで書いてんだから
邪馬台国が本当に存在したのかも怪しい
わかってんのは日本から謁見に来たこと、役職与えた事だけ
魏志倭人伝を読むと、やっぱり九州だなと思うんですが
やっぱり、行程が不思議っすよね・・・
でも昨日、ここにカキコしてた人で
今だったら福岡から車で2時間ぐらいと書いている人がいて
なるほどなぁとは思いましたw
卑弥呼も邪馬台国もシナ人の悪意のある作為的な誤字だろ。
「いやしい」とか「よこしま」とか言う字を名前や国名に使うとかおかしいだろ!!
565 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:43:05 ID:PytQ8Aay0
とりあえず九州厨と畿内厨は
卑弥呼って書かれてる(みたいに読める)木簡か何か見つけてから言えよ。
待ったけど返事こないのでこれにて。
>>560 おまえだれ?
567 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:44:32 ID:kKMW/ji+O
うわ引いたw
スレが予想通りの展開w
朝鮮韓国人とかとはDNA、遺伝子学の観点からも
似て非なる人種と証明されてますので
そこんとこよろしく
568 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:46:29 ID:CEMY3puS0
倭と越を結びつけるのは、史記や論衡のあるごく一部の記述に過ぎない。
周の時代に、はるか遠国の越や倭から、朝貢が届いた、という記述を見て、
日本のどこかのバカが、倭と越が同じ地方にあった、と思ったに過ぎない。
それ以外には無いよ。
しかも、別のバカが、越と倭、それから中国周辺の民族をまとめて、「倭族」と名付けてしまった。
チョンの誇大歴史観並の恥ずかしい話だから。
ネトウヨうじゃうじゃいるところで議論深めても意味ないけど
ヒントくらい残しておくか
鬱鬯
>>560 シナチク的でもチョン的でもなく、世界のどこにでもある普通の政治的な配慮だということ。
>>561 シロウトなんで詳しい事はわかりませんが
顔にイレズミ入れるのってやっぱり南の島のイメージですよね
沖縄とか女性のイレズミでハジチとかありましたけど
昔から明治ぐらいまでつづいていたそうですね
邪馬台国とヤマトがつながっているとしたら
イレズミ文化がそんなにすぐになくなるのも不自然ですよね
573 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:48:33 ID:uaZovU3RO
呉太伯と倭は関係あるだろ
ちなみに呉の本姓は姫
574 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:49:23 ID:5ZAGvK830
魏志倭人伝の邪馬台国の位置って海の上になるんじゃなかったっけ?
邪馬台国の位置なんて、いつ魏に攻められるか分からない、現代で言ったら最高の軍事機密に当たるんだから、
ワザと嘘を教えた可能性もあるんじゃないかなぁ
それなら畿内説も説明が付く
安価間違えた。
>>566 会稽は越の地にある。
>>570 政治的な理由で学問をゆがめちゃいかんでしょ。
日本はそういう国じゃない。
576 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:50:22 ID:CEMY3puS0
>>574 中国の使節は、卑弥呼やトヨに会ってるらしいんだよね。
577 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:50:43 ID:WDNkFCd60
>>571 どうやら答えが出たようだな。
邪馬台国とヤマトは全く別の集団なんだな。
そして邪馬台国は九州、ヤマトは近畿でFAなんだな。
>>559 魏志倭人伝ではないよ。学研大漢和によると、後漢書・東夷倭国だよ。
579 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:53:16 ID:Mlpc30ph0
>>577 ヤマトは近畿って事は間違いないだろうが
邪馬台国はそもそも日本なのかわからんぜ
何せ当の日本人がその存在を知らないんだから
580 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 03:53:41 ID:PCgmwMaa0
魏志倭人伝によると卑弥呼の墓は径百余歩であり、およそ30mである。
この箸なんちゃら古墳は160mもあり、しかも前方後円墳である
明らかに別ものである。
以上証明終わり
581 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:53:57 ID:uaZovU3RO
秦が渡来したのもこの時期だよな
もしかしたら、入れ墨文化から
秦のトレンドが入って
秦ブームになったんじゃないか?
>>575 別に歪めていない。今与えられた条件の中でベストを尽くすのが学問だ。
現代でも世界中で非公開になっている公文書などいくらでもある。
また、たとえばソ連研究者や中国研究者はソ連や中国に睨まれては仕事・研究にならないので、
ソ連・中国に迎合することを「学問のため」「研究のため」と称して正当化する。
583 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:56:18 ID:Nw1M2HaC0
和歌山の古墳のハニワなんか見ると
みんな入れ墨してるけどな
584 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 03:56:23 ID:PCgmwMaa0
>>577 1)九州は倭の地域であった <確定済み
2)大和王朝は九州の隼人、熊襲を攻め、征服した <確定済み
よって大和王朝と倭は別の勢力
586 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 03:58:53 ID:RNYptmox0
畿内説の人は「とにかくでかい古墳があるから邪馬台国は畿内」などと主張する。
大きさ競争は素人に判り易くていいかもしれんが、的外れだ。
あほかと
587 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:59:05 ID:qLI0/0xD0
>>575 かな〜〜〜〜り政治的な理由で歪んでおりますぜ、旦那。
>>577 そもそも、ヤマトとヤマタイが別モノだの同じだのって話が出る事自体
征服、非征服の関係性がどこかであって、ある種の支配者交代が
行われた証左だと思うがなぁ。
>>580 よくもそんな嘘を。
径百余歩は魏尺で約145メートル、箸墓古墳は墳丘長280メートルだ。
160メートルは後円部の直径だろ。
589 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 03:59:52 ID:WDNkFCd60
日本はそういう国じゃない(笑)
どんな国だよwwwwwwwwww
古文書見せてもらうために公家や大名家に媚を売っている歴史学者、
これは書くがこれは書かないなんて取り引きしている歴史学者なんてなんぼでもおるでwwwww
現代ならたとえば外務省に媚を売って・取り引きして外交文書見せてもらったり、
内幕教えてもらったり。
591 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:00:51 ID:RNYptmox0
>>559 生贄ではないけど、 結婚式のとき、柱の周りをぐるぐる回る(イザナギ、イザナミ)のは屋久島に残ってた。
592 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:01:35 ID:5ZAGvK830
>>576 古代の大宰府みたいな所まで自分達で来て、そこから先は倭の役人に先導されて来た可能性はないの?
外人がノコノコ勝手にやって来れるぐらい平和だったの?この時代
593 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:02:55 ID:CEMY3puS0
>>592 それは先導というか案内されたと思うけど?
594 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:04:00 ID:RNYptmox0
この関連のスレっていつも盛り上がるね
596 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:05:28 ID:S+4jMfQk0
ぶちゃけ卑弥呼とか九州でいいよ
どうせ大和朝廷が近畿には厳然として存在してんだから
597 :
"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2009/05/31(日) 04:05:37 ID:7F0f0eHi0
柱の周りを回る儀式ってのは他所でもあるだろ。
>>581 ファッション的な意味もあったでしょうが
宗教的なものだっただろうから
そんなにトレンドが変わるようにはなかったんじゃないですかw
絶対ないとは言えないけど
民族の文化って今の世の中でも独特にものっていっぱいありますよね
首ナガ族とかw
アフリカでは今でも割礼とかあるし
征服されたりして実力で潰されたりしないかぎり急には廃れないような・・・
あくまで高卒のシロウトの考えですw
今のニッポンですら、みのもんたがテレビでやっているように
地方で差異があり、それらは独特のものとして消えませんよねw
まあ、同列に論じるものではないとは思いますが
でも、俺も邪馬台国=ヤマトというのはちょっとちがうんじゃないかなと
思います
599 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:08:34 ID:zZ4wiuNQO
いずれにせよ、箸墓の時代つまり崇神の時代には何かあるんだよな。
崇神が初代の可能性が高いわけで、天皇制の前に何があったのか?
百襲姫と大物主のエピソードが何を意味するのか?
>>585 学研大漢和には「 持衰(じさい) 」は出てるが≪ものいみを持し守る≫、
「 ジョウ荷 」は出て無い。
601 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:13:48 ID:nEBMYk83P
>>591 邪馬台国の文化は琉球と関連性がある。海洋民族だしな。
だから天皇自体が自分は朝鮮渡来だと告白してるのに無視するのか綸言を?
603 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:14:38 ID:WDNkFCd60
>>595 折れも不思議に思う。邪馬台国スレは何故か盛り上がる。
延々と同じ議論繰り返してるだけなんだけどおもしろいんだよねw
604 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:15:29 ID:UPOmGU0R0
で?卑弥呼の墓がどこかわかって何か意味があるの?
605 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:16:19 ID:S+4jMfQk0
アトランティスみたいなもんだろ
元が伝聞でしかないから、永遠に証明出来ないものを議論してるに過ぎない
606 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:17:32 ID:RNYptmox0
>>599 天皇の前は出雲が支配していた。
大和朝廷が出雲を征服したあと、たたりを恐れて出雲大社を建て、祀った。
出雲風土記によると出雲の一部は半島から引っ張ってきた土地で
さらに高天原から帰ってきたスサノオは半島に降りた後出雲に来たことになっている
607 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:19:40 ID:PAy5vi+P0
出雲 朝鮮由来の勢力
大和 朝鮮勢力を取り込んだ勢力
倭 九州土着の勢力
>>599 卑弥呼抜きにしても気になりますよね
>>百襲姫と大物主のエピソード
って、箸をホトに刺して死んだっていうヤツでしょ
アレはいったいなんなんすか・・・?
昔、桂木文というタレントがいたんだけど
離婚会見の時にヤスハの母親に
「この娘は体に欠陥があってセックスが出来ない体なんです」と言われてて
会見でそんなこと言わんでも・・・と思いましたが
なんかそれを思い出しますw
百襲姫はなんで、千年以上もイヤな事を言われつづけなけりゃならんのか・・・
不憫すぎます
609 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:22:05 ID:f9t6hds3O
縄文時代などから住んでいる原住民系
610 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:22:26 ID:UPOmGU0R0
っていうか文献で答えが見つからないから考古学で解決しようとしてんのに、
延々と妄想を書き込んでる人って何なの?んな暇あるなら土でも掘り返してたほうが
よっぽど有意義じゃない?
612 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:23:20 ID:PAy5vi+P0
〜歴代王朝一覧〜
@神武朝(非実在)
A崇神朝(奈良土着)
B応神仁徳朝(東征)
C顕宗仁賢朝(播磨)
D継体(臨時:越王)
E欽明朝(蘇我傀儡)
F天智天武朝(天皇)
>>608 巫女的な力を持つ皇女も三輪山の神の権威には無力という
意味かなあ。
615 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:26:26 ID:WDNkFCd60
616 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:27:17 ID:PAy5vi+P0
>>611 琉球からは勾玉が出ます。
明らかに倭の文化圏
卑弥呼って、熊襲・隼人の類じゃないのか?
618 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:28:55 ID:nEBMYk83P
そもそも卑弥呼って一人なの?
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓って円墳だったんじゃ‥‥
621 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:33:02 ID:ETFE+wgIO
やはり、卑弥呼は倭姫命(ヤマトヒメノミコト)としか考えられない!
622 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:34:58 ID:nEBMYk83P
>>616 邪馬台国だろう。海洋民族とされてる。
あるいは本土の方こそ琉球の文化圏が移ってきたものかもしれん。
南方渡来の海洋民族ならば、琉球こそ起源に近い。
よくわからんが末盧国って所から船降りて歩いてるんだよね?
で、着いた先でまた船に乗るって事は
日本の船に乗り換えてるって事でしょ?
中国の船じゃないから船足もわかんないし○○日移動した
ってなって・・中国の船に当時羅針盤ってあったのかな?据え付け?
方角ぐらいはカンで分かるか。
当時の日本の船の速度ってどんなもんだったんだろ。
広島とか中途半端な位置だったら面白いな邪馬台国。
>>615 >>616 >>618 じゃあ此れは卑弥呼の墓じゃないだろう。誰か豪族?後に大和朝廷に関与が繋がった者の
墓だろう?。何か違和感感じるんだが。
625 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:36:40 ID:wVkr9mbW0
>>587 >ヤマトとヤマタイが別モノだの同じだのって話が出る事自体
>征服、非征服の関係性がどこかであって、ある種の支配者交代が
>行われた証左だと思うがなぁ。
ヤマトとヤマタイが別モノだの同じだのって話をしてる人たちの意識の中に征服―被征服の構図があり、
支配者交代の話としようとしてる人、またそれを避けようとする人の対立構図が、
議論の中に導き出されている、という感じ。
つまり、当事者たちの意識、意図を手繰ってそういう話をしてるのではなく
今の私たちの意識によって、征服ー被征服、支配―被支配の構図を作ろうとしているに過ぎないと。
626 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:37:37 ID:WDNkFCd60
>>616 天の岩戸伝説まであるからね。なんと言う島だったのか忘れたけど。
>>623 羅針盤は後世の発明。太陽と星の位置で大体は分るだろう。
628 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:41:42 ID:nEBMYk83P
>>626 伊平屋島のクマヤーガマな。
だがあれはでっちあげだと学問的には証明されている。
そんなことより、琉球の信仰はまったく鬼道と同じなんだよ。
629 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:41:57 ID:PAy5vi+P0
>>625 おいおい 日本書紀は征服の話で埋まってるぞ
630 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:43:53 ID:kqUFjc4z0
>>629 ナガスネヒコにボロ負けして、吉野まで流転して山中をうろつくのが征服?
632 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:45:52 ID:nEBMYk83P
>>630 祝女、な。
琉球では少なくとも1500年まで、戦争には祝女が軍隊の先頭に立ち
敵軍調伏の祈祷を行っていた。
633 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:46:42 ID:wVkr9mbW0
>>629 日本書紀や古事記に沿って話をしていない(話が成されない)から
書紀や記の中身(それらの著者の意図、またその伝説の人物たちの意図)は関係がない。
634 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:48:32 ID:8U4Wioue0
ハニワ原人ってなんだ?
>>625 其処に古代韓に縁もゆかりも無い現存チョン、特に東京築地の朝日新聞東京本社から
書き込んでる 前論説主管!若宮啓文(現コラムニスト),編集局長 木村伊量、編集局員 清水建宇、
市川速水等か、其の配下のチョン社員・記者等が割り込んで来るんだよ。何とか大和朝廷との
関係付けようと。
しかし、10世紀に有史上最大の大噴火(M7.4)を起こした白頭山シナー名長伯山の文献的、
実証的記録すら絶無!、すなわち古代とは現存チョンは血縁的にも民族的にも
一切関係ないんだから。
日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/
637 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:52:51 ID:kqUFjc4z0
>>633 じゃその大和はどこから出てきた大和なの?
638 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 04:53:47 ID:wVkr9mbW0
ここや学会誌で泥を投げるその意思の中に
支配ー被支配で語りたい、そういう構図であることにしたい、という意識が滲んでる。
昔(といっても2,30年ほど前のものに過ぎないが)の歴史関係の誌を見たとき、
そこに並んでる論題のトゲトゲしさに苦笑いした記憶がある。
>>637 ここでの議論における話だよ。
>>627 あー星で方位は分かるか
陸行って言っても歩くのと馬が混ざってたり
細い山道と交易に使った主要幹線道路みたいなのがあったら
ますます距離わかんないなぁ・・・
641 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 04:58:52 ID:kqUFjc4z0
倭 大和
気候 冬でも生野菜 冬は寒い
船の建造技術 高い(5万人派兵) しょぼい(命がけの遣唐使)
位置 九州 畿内
朝貢、柵封 大好き あまり好きではない
界をしきいて対す 遺跡有り なし
宗教 シャーマニズム 神道
青銅器 銅鉾 銅鐸
ここにも都市国家があったんでしょう
しかし三国志に記載されてる邪馬台国は北九州
どこをどう読むと近畿になるんだい
頭狂ってるよ
643 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:00:25 ID:wVkr9mbW0
要は歴史の話を題材にとって現在の政争をしてるに過ぎないと。
このスレの題にある「卑弥呼」云々も、本当なら箸墓の年代測定の結果とは何の関係もない。
勝手にくっつけてるだけだろう。新聞社の中の人が。
644 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:03:03 ID:gkzsJPBFO
>>642 素直に読むと東北の方行っちゃうって聞いたが違うの?
645 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/31(日) 05:05:17 ID:kqUFjc4z0
>>643 >>要は歴史の話を題材にとって現在の政争をしてるに過ぎないと。
ですね〜
なんというか、まず先に答えありきで
その答えを導きだす問題をさがしているという感じ
学問の態度ではないですわな
>>571 アイヌも刺青する。
南方だけの風習じゃないよ。
>>636 渤海が大打撃を受けたのは分かるけどなぁ。
日本だと東北地方に火山灰が降った痕跡があるんだっけ。
649 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:10:21 ID:wVkr9mbW0
モモソ姫の墓だったなら、その石、二上山の石か、とか
モモソ姫の墓だったなら、なんでそこに埴輪があるんだ、とか
そういう話を聞きたいんだけどな。
650 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:13:14 ID:4LWu16SH0
邪馬台国は四国にあった
高知県、解瑠毛流外古墳から出土した木簡に
「北九州でもなく畿内でもなくここに邪馬台国がありました」って墨汁で書いてあったからな
>>647 おっしゃるとおりです
アイヌのは強制されてなくなったそうですね
>>643 自分達の日本での位置を、古代大和朝廷、征服民族」、自称「渡来民」と関連付け、
俺「達は正当なんだ!」と言いたいのが、東京築地の朝日新聞東京本社屋の
前論説主管!若宮啓文(現コラムニスト)、編集局長 木村伊量、編集局員 清水建宇、
市川速水等と、其の配下のチョン社員・記者らの意図だろう。
だから、日本歴史を凝縮した「天皇」を罵詈雑言で侮辱するスレを毎日立てるんだよ。
部落出身で親北チョン教徒の論説委員 恵村順一郎は良く黙って居られるなと、
校正部員多分チョンに「失語症躁鬱ニート部落民」て侮辱されてるのに。
653 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:19:16 ID:nEBMYk83P
>>651 沖縄のハチヂも明治政府の禁止令で絶滅した。
もっとも現代まで残っていたけどな。
刺青というと『履中紀』に河内馬飼部が眼の周りに施していたのを止めさせた
という話があるな。馬飼部は渡来系氏族の職掌だと思うが、身分を表す意味
があったのか。
>>50 何千光年も先の物を見る事の出来る望遠鏡と、高速を超えて移動できる宇宙船があれば可能
越の話が出てるようだから補足
長江下流域にいて、春秋時代の呉や越を建国した中原の漢民族と違う人種を「百越」という
この地域は戦国時代には楚に吸収されたが、秦末の混乱期から前漢武帝の時代まで
ビン越、東越などの国を建国して漢の支配から独立していた。
三国呉の孫策が制圧した会稽郡がこの越の故地にあたる。
この時期、山越という異民族がいたがこれと百越との関係はよくわかっていない。
最終的にはどちらも漢民族に同化していった。
魏志倭人伝では邪馬台国が会稽の東冶(会稽郡の南部)の東にあると推測している。
興味深いのはその風俗で、魏志倭人伝で描かれた風俗はこの百越のものとほとんど同じである。
>文化面では、稲作、断髪、鯨面(入墨)など、百越と倭人の類似点が中国の歴史書に見受けられる。
というわけで、当時の中国から見ても、邪馬台国の風俗は越を想起させるものだったに違いない。
倭人が呉の太伯の子孫を名乗ったというのも、それが事実かどうかは別にして、説得力があったはずだ。
呉の太伯は周王室の祖先の一人にあたり、本来漢民族なのだが、弟に王位を譲るために出奔し、
断髪・刺青をして中原に帰らない決意を示したと史記に記されている。
日本に米が渡ってきたルートも含めて、
長江下流域に文明を築いた呉越と古代日本との関係はもう少し検証されてもよいだろう。
657 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:29:01 ID:wVkr9mbW0
>>654 あめつつ 千鳥ましとと など黥ける利目
の刺青か
>>648 京都、奈良でも灰が降ってる、地図見れば分る様に白頭山の真南だよ。URLに
>946年11月3日に奈良に降った灰は,噴火初期の爆発のひとつで高空にもたらされた火山灰が
>秋の北西風にのって奈良に達したのではないだろうか.そのあと偏西風が強まった真冬に
>本格的噴火が起こり,北海道と青森県・秋田県北部に降灰したと考えることができる
と記述されてる。此れを現存チョンは文献資料も実証資料も持ってないんだから。当然居なかった
て事だろう。
659 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:34:05 ID:FY9A4hwN0
卑弥呼自ら軍を率いて力ずくで権力を手にしてたんじゃなくって、
各王の妥協と権謀の産物としてのお飾りだったんだろ?
じゃあなんで、各王が一つにまとまる必要があったのか?
圧倒的な武力を持つ王がいれば、お飾りなど要らない。力ずくで他の王を併合するだろう。確実だ。
しかし、傀儡を立てたということは力ある王が居らず、かつ即席で妥協するだけの必要性があったということ・・・それは何か?
660 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:41:11 ID:mVzr1e/90
世の中はそんな単純じゃないんだよ。
宗教的権威も厳然と存在する。
現在のカトリックみたいに多くの国を超えて影響力を与える存在もある。
卑弥呼がいちいち各国の主権に口を出したかさえ定かではない。
661 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:41:14 ID:FY9A4hwN0
659の続き
各王が力を温存したまま、ある目的のために共存する。
こういう場合、人類史では決まって強大な外敵の存在がある。
ある種の安全保障システムとしての傀儡=卑弥呼じゃないか?
邪馬台国の位置;
1.東に海があり、その先に倭種の国が無ければいけない
(東が南の間違いでも可 ようは中国から来た人間が、さらに先と考える場所)
2.陸続きの南に、邪馬台国と同程度の規模で、戦争するくらい仲の悪い国がなければいけない
奈良はいずれも× 北九州は○
北九州のどこかは議論が分かれる
誰か教えて
卑弥呼時代の天皇って誰ですか?
664 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:46:30 ID:nEBMYk83P
武力を司る男と、霊力/シャマニズムを司る女のどちらが権力を
握っていたかという話ではないかな。
生産力の低い古代社会では、武力闘争の余裕などないだろう。
栄えるためには天候を操り、神の声を与えてくれ、子供を産む女の方が
権力を握ったことが想像つく。
男の武力が社会に影響力を持ち、武に秀でた男の王が権力を握るには、
ある程度の社会の熟成が必要だ。
>>661 其れは松本清張の著作に詳しく書いて有るが、90度間違えたんだろうと。
其れと実際に行った人間の記憶を伝聞して述べた事から出た誤りではないかと。
666 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:53:34 ID:FY9A4hwN0
>>664 猿の世界でもあるように、女が組織の頂点に立つことはお飾り以外ではありえないと考えるけどね
最強の男=王がどの女にでも子種を付ける権利を持つわけでして・・
つまり、仮に頂点が神格化された女であってもその女に子種を付けられる者こそ真の支配者ではないかと。
667 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:53:38 ID:5ZAGvK830
邪馬台国(ヤマタイ)=大和(ヤマト)
卑弥呼(ヒミコ)=巫女(ミコ)
偶然にしては音が似すぎだよなあ
668 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 05:55:54 ID:WXlwYCrQ0
>>666 古来の原始的な世界では女は神
それが男性上位になったのは紀元後あたりからでしょう
日本は遅れてたから、わりと女性上位の時代が続いてたんじゃないかな
卑弥呼の墓は円墳なんでしょ。
箸墓は前方後円墳。
それまでは畿内は、四角い墓で、
円墳は、出雲や吉備が中心。
伊都国の一大卒をみんな非常に恐れてると
書いてるんだから、
実際に実験を握っていたのは、伊都国じゃないのかな
671 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:02:54 ID:nEBMYk83P
>>666 でも実際、古代社会では世界的に女性が上位なんだわ。
男性の王が出現するのはどんな社会でも一種の革命だったと思われる。
>>668 琉球では1200年間まで女性の神官が王より上位だった。
本土も200年間くらいまでは女性上位だったんじゃないかな。
672 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:03:33 ID:wVkr9mbW0
>>664 武力と巫覡の対立構図??
巫覡と対象を成すのは儒とか陰陽みたいな体系化されてる思想の方じゃないの。
673 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:16:09 ID:nEBMYk83P
>>672 シャーマニズムの社会への影響力は体系化以前からある。
674 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:16:15 ID:KvXIFMrVO
邪馬台国が畿内だとしても後の大和朝廷とは無関係でしょ。
日本書記には大和朝廷及び天皇家のルーツは九州と書いてあるわけで。
畿内の邪馬台国を九州の豪族が征服して出来たのが大和朝廷というのが妥当な線じゃないの。
九州はなにしろ半島から伝わった鉄器の優越が有るわけで。
675 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:18:44 ID:nEBMYk83P
どこも貧しい社会では自らの社会の生産力向上、死亡率低下を約束してくれる
存在こそ尊ばれるわけで、ゆえにシャーマニズムが強い影響力を持つ。
武力が富を約束するのはもっと豊かな社会になってからだし、武力は天候を
操る(と信じられている)シャーマニズムのように平時の豊穣を与えるものでは
ないから、武力が社会の最高権威になるには社会の成熟が必要なわけだ。
676 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:21:15 ID:nEBMYk83P
で、最初の頃の男性王はやはり旧権威である女性神官の力を無視できないから、
たいていの場合は王権神授論をでっちあげる。
武の男性王の権威は神に与えられたものだというわけだ。
邪馬台国はこのステージにいくかどうかというところの社会だったんだろう。
しかし大和朝廷は明らかにこのステージを乗り越えて、男性王の社会になっていた。
>>657 その歌は古事記の神武天皇の求婚譚だね。
神武の命を受けて兄姫のもとを訪れた大久米命の目の周りの刺青をみて
兄姫が「なぜ入れ墨をして鳥の目のよう鋭い目にしてるの」と歌で問いかける場面。
このスレでは刺青の風習が大和政権を築いた部族のものではないと
断定的に語る人が多いように思うけど、
この伝承にも見られるように、刺青の風俗がなかったは言い切れないと思う。
678 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:22:58 ID:BpGffRo20
てっきりAVスレになってるかと思ったら
オマイラ博学なんだな
生産力が低ければ、生きるために武力闘争をするだろうし
余裕があるなら死人を増やすような真似はしないんじゃないの。
霊力だの、何かを操る力と言ったものが支配的になる社会というのは
そういうものに価値を置く共通認識が存在してる共同体である、というだけの話で
またそれらは別に女である必要性を持たないと思う。
それと、よく知らないけど、巫覡ってのは人を呪ったりするものだったんじゃないのかと。
常識的に考えて、天候を操るなんて不可能なんだから、それで権力を握ってたってのはありえない話だと思うよ。
>>673 シャーマニズムは「体系化された思想」じゃないでしょ。
680 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:25:35 ID:wVkr9mbW0
>>675 猿山のボス猿とかはどうなるの?
まあ、女王蟻の例もあるけどw
>>674 今年になって淡路島の垣内遺跡で
大規模な鍛冶工房のあとが見つかってるよ
鉄製品で九州が優位だったとは断定できないと思うね
683 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:26:29 ID:nEBMYk83P
>>679 武力で奪うものがあるほど、よその社会も豊かじゃないんだよ。
むしろ死者は生産力を低下するから古代社会では戦いは極力避けていたはず。
貧しいほど社会が互助的な原始共産社会になるのはよく知られたところだ。
それと、天候を操るのが科学的に不可能かどうかではなく、
そう信じられていたことが重要なんだよ。
あと、そういう主張の入れ替えをせんでくれ。
オレは体系化されたかどうかは論点にしてないぞ。
684 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:27:26 ID:OC2oBFQA0
大王の軍に巫女が同伴して、祈り・神託を受けていたことは、記紀の神功皇后の記述や
継体天皇の古墳とほぼ確定の今城塚古墳から出てきた埴輪でも判っている。
戦勝を祈願し、作戦の良し悪しから日取り・陣の取り方まで吉凶の神託を受けて居たんだろう。
これが、卑弥呼と男王の関係さ。
そういえば、神武帝の大和侵攻でも、攻める方向が悪くて、最初は敗退したなんて話が有ったな。
685 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:29:39 ID:wVkr9mbW0
>>683 自分たちの持ち物がなければ、なけなしの収穫になろうが
奪おうとするでしょ。
例えば縄張りを拡張することで食料を得やすくしようとするとかね。
この場合、武力が無いと生き延びることができないだろうな。
そして、「強い子供」を産む女が権力を握る、或いは、人を呪い殺す力を持つ存在が権力を握る
というのはあり得る話だろうと思える。
>>677 ほー、無かったとは断言できない訳か。生き身の人間だから、絵画は無いだろうし
土偶位で施した物が発見出来ないか。化粧と間違えるかも知れない。
687 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:33:59 ID:f9t6hds3O
近畿に邪馬台国があり卑弥呼がいた
ニギハヤヒという男がこの地域を治めていた
そこへ大陸から九州に渡ってきたニニギという豪族が襲ってきた
ニニギのほうが優れた武器を持っていたので
闘っても無駄だと考えたニギハヤヒは和解を申し込んで権力を譲った。
すごいな卑弥呼でスレ5なのか
689 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:34:24 ID:k2D8BLeKO
鋼鉄ジーグが全滅させたんだよね?
690 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:35:18 ID:wVkr9mbW0
>天候を操るのが科学的に不可能かどうかではなく、
>そう信じられていたことが重要なんだよ。
そう信じさせることがまず不可能でしょう、と言ってる。
人心なら甘言で惑わすことも可能だが、天候はそうはいかないから。
>オレは体系化されたかどうかは論点にしてないぞ。
こっちは
シャーマニズムに対しては、「体系化された思想」が対立軸だったんじゃないのか、と言ってる。
宇宙船が見つかると良いね
692 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:37:36 ID:OC2oBFQA0
要するに、古代の日本は、武力や食料確保の労働つかさどる男子の指導者と
神に祈って、豊作や戦勝祈願する女性の指導者がいた。大半は夫婦だろう。
中国に似たような話があるじゃないか。それももろに卑弥呼の時代の3国史の中に。
後に魏に帰属した五斗米道の神権政治とそっくりだ。
弟『ひ'みみ'こ(大比比)』、兄『ひ'みこ'こ(大比古)』
天皇(大比比)に代って、百襲姫が王位に就く(『ひ'みみ'こ(卑弥呼)』)。
尾張方面(狗奴国)の兄(大比古)が反発。
みみ[子]‐ひみ[女]‐比比[弟]
みこ[子]‐ひこ[男]‐比古[兄]
卑弥(弥)呼 [女]
卑弥 弓 呼 [男]
694 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:39:20 ID:nEBMYk83P
>>690 シャーマニストが古代社会で信仰を集めていたのは事実なのに、
そんな疑問をいったら、ならなぜシャーマストが現実に存在するのか、を
お前は否定しなければならないのと違うか?
オレだって現代人の感覚ではシャーマニストを信じるかどうか疑問だ。
しかし古代人はそんなに科学的ではないだろう。
それと、シャーマニズムに対して思想が対立軸になるとはオレは思わない。
そもそも思想哲学の発達はもっとずっと後世のことだろう。
ここで比較しているのは、武力を司る男性王、シャマニズムを司る女性神官だ。
695 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:42:02 ID:nEBMYk83P
>>692 まあ、労務に関してはどちらがやるかは世界的に見ても社会によって違うみたい
だけどな。女性が狩猟をやって男性は寝てるだけって社会もあるようだし。
>>686 >270 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 23:59:48 ID:z57UTHxk0
>
>>264 >入れ墨なら畿内の埴輪でも入れ墨してる
らしいよ
697 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:43:09 ID:KvXIFMrVO
>>682 それにしたって出土してるこの頃の鉄器の数が九州と畿内では全然違うよ。
神武東征神話からしても大和朝廷は征服王朝なのは間違いないでしょ。
>>694 邪馬台国は卑弥呼の前は男王の国ですよん
卑弥呼の後も男王、もめてまた女王ですけど
神武、応神と、2回も東征を入れるほど必死
700 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:46:35 ID:wVkr9mbW0
>>694 >シャーマニストが古代社会で信仰を集めていたのは事実なのに
どこの社会の事実か、だよ。その社会がどういう価値観で成り立って居るものだったか。
そもそもシャーマニストって何。巫覡って日本でそんなに流行ってないでしょ。
むしろ時代がくだってからじゃないの。位打ちみたいなのをしだしたのは。
>>693 開化(大比比命)-卑弥呼(百襲姫)の次は、
大彦(大比古命)の支援で、
崇神-台与(豊鋤入姫)の時代。
現代はテレビで大人気だよ
こんなんでましたけど〜とか
義母愛子とか
最近だと細川数子だっけ
かりに3世紀の女性の支配階級が埋葬されてたとしてもだ。
それが卑弥呼である十分条件にゃなら無い。
当然邪馬台国畿内説を否定するモンでもない。
つか、日本史って学会がごにょごにょ…
704 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:49:21 ID:OC2oBFQA0
>>695 昔から現代まで、女性はとーちゃんを叱咤激励して牛馬のごとく働かせ
かーちゃんは家で子供育てながら寝てるってのが伝統なのさ。
冗談のように聞こえるだろうけど、こういうのが案外変わらない文化・文明の本質なんだよ。
例えば、有名な、稼いで来た金を全額かーちゃんに渡して、そこから小遣い貰っているのは
日本の男だけだなんてのが、ずばり2000年以上変わらん日本人の本質なのさ。
外面がどうであろうとね。
705 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:50:54 ID:Vb4Fm+kUO
>>679 生産力が低ければ武力衝突が起きるのではなく、生産量が下がると武力衝突が起きると考えられるのだが。
生産力が低ければ自ずと生産量が少なくなる。故に多くの人口を養える程の余剰生産量がない。
従って、生産力が高く生産量が多かったが故に天候不順などの影響によって生産量の減少がおこり、
今度は余剰人口が発生し生き残る為に武力が台頭したのだと思う。
706 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:52:12 ID:wVkr9mbW0
>シャーマニズムに対して思想が対立軸になるとはオレは思わない。
巫覡が体系化された思想の体現をしていたとでも?
>ここで比較しているのは、武力を司る男性王、シャマニズムを司る女性神官だ。
そこに男性、女性を入れ込むのは、先入観のなせるわざではないか。
自己の経験を凡例化せしめんとする人間が歴史を語り始めたらヤバイな。危険な兆候。
実証というものは複数の視点から見た複数のデータがあってはじめて成り立つのに
708 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:53:55 ID:+iYmT3Mn0
根本的にミトコンドリアDNAは母親から娘へと女系をたどるから
どこからその遺伝子が来たとしても、結局100人ほど
の小さい集団に例えば、たった一人の女性が違う民族から来て通婚した場合
100代位でその集団のミトコンドリアの殆どはその女性由来になってしまう。
だから縄文系だの弥生系を調べる因子は、このミトコンドリアDNA
の要素で判断しているから、いつ頃この集団を構成している
民族がどの場所に、いたかのメルマークにはなるが、どういった混成比
かはハッキリ言って生物学上無駄な議論なんだけど。たとえば縄文
人の男の集団と一部の弥生人の男女の極わずかな人数が混血を繰り返した場合
がほとんど100代もすればほぼ100%が弥生由来の女性の
ミトコンドリアDNAを持つことになってしまい、それで判断する限り、
今見ると弥生系80%の構成比で、日本人が渡来系の子孫なんて誤って
思われてしまう。むしろ、主導は日本古来の種で、貴種として渡来系の女性を
女王に立て、入り婿(実際の権力者)は縄文系から選び、その子が実際
に施政を行われたのが近代まで続いた外戚統治だとすれば、結局渡来系
の因子が多くても不思議ではない。
709 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:54:06 ID:lpzX5VVNO
笑い飯
>>703 魏志倭人伝とか日本書紀とか、古文書みたいなのを研究したりしても
まあ、言ってみれば解釈によっての水掛け論になるからね
だから、考古学者の発掘重視になってきてしまうよね
711 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:55:18 ID:OC2oBFQA0
このスレの話もまた、エセ科学マルクス主義史観の呪縛に縛られた連中が出没し出したか。
もういい加減覚えろよ。
「九州説はなぜか、素人にだけ大人気」
712 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:56:27 ID:wVkr9mbW0
>>705 生産力が低いという事は、貯えることができないということだから
生産量減少による影響を被りやすいと。
713 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 06:57:40 ID:KsUXrOiI0
死亡時間は 午後7時半
死因は脳溢血。
>>697 せめて神武東征がいつの時期にあったのかを
確定してもらわないと話にならないよ。
卑弥呼のあとをついだ台与は266年に朝貢してるから
おそらくこの時期までは生存してる。
そして同じ三輪山麓に崇神王朝が誕生する。
崇神の没年は干志を信じるとすれば258年か318年が有力
崇神陵を行燈山古墳とすれば4世紀前半の築造になる。
この間が非常に接近していてしかも古墳の様式もよく似ている。
本拠地もほぼ同じ。邪馬台国→大和政権の武力制圧があったとしたら
この間の期間になにかの痕跡があるはずだ。
>>710 そもそも倭人伝だって東方海域の諸島人を総称して倭人と呼んでるだけなのにな。
魏志王修伝において「海の果て」と書かれてる所なんて遼東半島ですよw
そもそも、あの時代の船に外洋へ乗り出す能力は無いし。
倭寇=日本人って発想なんかもお笑いレベルだし。
716 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:01:01 ID:ek5V28UR0
ココ電球さんは国民新党から出馬するんですか?
717 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:04:00 ID:Vb4Fm+kUO
>>712 いくら貯えていても、それには限度がある。
2年も3年も不作が続いたら貯えも底を尽きる。
この話題がせめてもうちょっと早く出ていたら
映画「まぼろしの邪馬台国」の宣伝になったのに・・・
しょうがないから、いまから「まぼろしの邪馬台国リローデッド」を撮影すべし!
倭人って九州-南部朝鮮人で、東日本はまた別の人たちでしょ
720 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:06:45 ID:wVkr9mbW0
>>717 生産力が高ければ高いほど、尽き易さは無くなる。
721 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:09:56 ID:nEBMYk83P
>>706 まず、「体系化された思想」って論点はオレにはないので、なにがいいたいのか
わからない。オレが比較してるのは男性王と女性神官。
そういってるのになぜ「体系化」というキーワードにこだわっているのか?
先入観ではなく、古代の女性上位社会は学問的世界中で確認されてることだよ。
卑弥呼も女性神官とされてるし、琉球でも女性神官だ。
722 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:13:14 ID:Vb4Fm+kUO
723 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:13:39 ID:EyEoyFOH0
>>668 縄文時代の遺跡を調べると、同じ村の中で埋葬が差別化されていたグループがあった。
中心部に埋葬されるのが村の主体で、辺縁部に埋葬されるのが余所者。
こけは抜歯パターンで分かるそうだ。
で、前期では余所者に男が多いのに、後期になると女が多くなる。
つまり、縄文前期は婿入り婚で後期は嫁入り婚が多いというわけだ。
子供を産む女性が神格化されるのはわかるけど
なんで女神官には不犯が求められることが多いんだろうね
男なしで子供を産めとでも?
魏志倭人伝には冬も暖かくて生野菜を食べているって
書いてあるんだよ
どうかんがえても、九州から南っしょ
奈良なんて豆腐も凍るんだぞ!!
727 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:16:44 ID:KvXIFMrVO
邪馬台国がどこかはとにかく
古代における人や文化の流れは大陸→半島→九州→東日本。
稲作や鉄器が伝わったのもそうだし今の日本人の先祖である渡来人の入植もそう。まあ稲作は諸説あるけど。
なのに天皇家の王権だけはいきなり畿内に自生したとかいうのは無理があるよ。
そもそも日本書記にだって東征から王権は始まったと書いてある訳で。
728 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:17:09 ID:wVkr9mbW0
>>721 あなた武力を司る男と、霊力/シャマニズムを司る女を
対立軸として提示していたので
巫覡の対立軸は武力ではなく、儒学だの陰陽道だのといった、体系化された思想だったのではないのか
と別の対立軸の提示をしてるんだよ・・・
>古代の女性上位社会は学問的世界中で確認されてることだよ。
もしかして母系社会のことなんだったら、それって権力を持ってるのはその娘を持つ父親ってやつでしょう。
で、母親の出身の家が出世に響くってやつ。女が上位だったのでなくて、女のお家が評価の基準だったと。
>卑弥呼も女性神官とされてるし、琉球でも女性神官だ。
じゃ、卑弥呼は琉球の人だったんじゃないの。随分な世界の広さだね・・・
729 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:19:21 ID:wVkr9mbW0
>>722 生産力が高いという事は、生産量に対して人口が少ないってことでしょ・・・
>>727 半島との連続性はあんまり見られないけどね。
というか半島自体、当時は民族国家としての体をゲフンゲフン…
>>727 海を挟んでるのにそんなにルートが限定されるわけがないじゃない
南回りなら大陸-->九州、それから半島へ・本州へ・四国へ、でしょ
北周りなら半島北部-->山陰とかも
>>722 わずか数年で人口が急増することなんてありえん
元々過剰人口の問題ってのは、数年サイクルの好不作の話じゃないから
733 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:24:02 ID:nEBMYk83P
生産基盤の確立なくして、武力は人減らしはできても、豊かさを確約することは
できないだろう。むしろ人を減らすことは=生産力の低下であり=生産量の低下
なのだから、生産基盤の弱い社会では、その悪循環が起こることをなるべく
避けようとするはずだ。
>>725 現代の平均気温で比較すれば北九州も近畿もほとんど変わらない
南九州なら暖かいけどね。
その記述はおそらく、冬の間も野菜を塩漬けにしないで食べてるという
食習慣を述べるのが眼目だったのだろう。冬野菜は当時からあっただろうし。
735 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:26:02 ID:mVzr1e/90
別に天皇家が朝鮮出身でもいいです。
土着民征服したでも良いです。
この時代は考古学と歴史の狭間なんで文書が乏しいんです。
もっと発掘して日本の不明な古代を明らかにしてください。
736 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:27:12 ID:nEBMYk83P
>>727 ミクロネシア、フィリピンや台湾から島嶼ぞいに北上するルートも考えられる。
もちろん、大陸から来る流れに比べれば弱いのだろうが。
少なくとも波照間や小笠原まではミクロネシア方面の文化が伝来していることが
遺物から確認されてる。
737 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:28:31 ID:OC2oBFQA0
まだ稲作を半島伝播なんていっているやつが居るんだな。
それは半島伝播じゃなく半島電波。
元々朝鮮半島は米なんかロクに取れず、いわゆる日帝以前は稗粟が主食。
やっていた米の栽培も陸稲。
738 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:28:33 ID:+UiWvozXO
こんなん西日本の古墳片っ端から開けりゃすぐ解るんじゃないの?宮内庁さんよ〜
魏志倭人伝を書いた人はこんな人↓
かつての魏の丁儀一族の子孫達に、
当人の伝記について「貴方のお父上のことを、今、私が書いている歴史書で高く評価しようと思うが、
つきましては、米千石を頂きたい」と、原稿料を要求し、それが断られると、
その人物の伝記を書かなかった
740 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:30:52 ID:S+4jMfQk0
卑巫女ってエロいな
741 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:30:55 ID:nEBMYk83P
>>735 宮内庁がもうちょっと融通をきかせてくれればね。
墓暴きはダメってことなんだろうけど、
歴史の中でとっくに墓荒らしされてると思うんだがw
ところで、今知られている天皇家の系図って、天皇家自らが掲げている系図なのか?
それとも周りにいる権力者がでっちあげたものなのか?
742 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:31:00 ID:Vb4Fm+kUO
>>729 だからw
生産力が高くても生産量は一定ではない。
毎年生産量は増減する。
人口は生産量が高い時期に増加するが、不作だからと言って急激に減少することはない。
つまりこの時点で、余剰人口が発生するのだよ。
そしてこの余剰人口が、新たなる土地を求めて戦乱を巻き起こすのだよ。
743 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:32:30 ID:OC2oBFQA0
あと暖流のルートだけど、対馬海流も忘れずにね。
南からくる暖流には、日本海側に回って青森のあたりまで流れるルートもあるんだよ。
青森からは、縄文時代の水田跡なんてものも出土している。
南からきたら太平洋岸、半島から来たら日本海側なんて、どっかの素人の単なる思いつき。
744 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:33:26 ID:B4q2qSSwO
>>738 おまえさん、自分ちの墓を暴かれるとしたらどんな気分だい?
ご先祖様はそっと寝かせておこうや。
半島から渡ったらふつうに日本海側につくと思うけどな
あの中国だし魏志倭人伝が捏造だったんだって
宮内庁のお達しのほうが正当な学術調査より上だからなこの国は・・・
そりゃ頭脳が海外流出するわけだよ(;´A')
748 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:36:43 ID:mVzr1e/90
自分の先祖かどうかもわからないのにw
宮内庁が勝手に押さえてるだけだし。
749 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:37:32 ID:Vb4Fm+kUO
そもそも大陸民族に渡海技術はないわけだが。
750 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:37:46 ID:OC2oBFQA0
朝鮮半島から来た皇室の先祖がってのも、単なるガセ。
漢4群の朝鮮半島支配ならあったけど、その当時から
朝鮮半島には穢貊なんていう野蛮人が狩猟・焼畑やって
細々暮らしていただけ。
>>739 丁儀はわざわざ伝を立てるほどの人物ではなかったとも言われるけどね
>>741 天皇って火葬されないんでしょ
東京都副知事の書いた本を読むと
腐らないように朱づけにされて保管されてると書いてた
どこに保存しているんだろ?
何人ぐらいまで保存しているんだろ?
753 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:40:20 ID:7eeAJk1J0
発掘してみたら棺の中に箸が入ってたらどうするんだ?
江戸時代は仏教徒だったんだろうから、どっかに菩提寺でもあったんじゃないの?
よく知らないが
755 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:41:06 ID:B4q2qSSwO
>>742 農耕によって生産力があがり戦乱が広がるとしたら
遊牧民族であるモンゴルがユーラシア大陸の東半分を侵略し大帝国を築けたんだろうな。
あとアフリカは今でも戦乱が絶えないな。
農耕を始めると隣の狩猟民族の村が襲いにくるとかもあるそうだし。
戦乱なんて生産力に関係なくいつの時代にだって起きてるよ。
756 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:41:22 ID:wVkr9mbW0
>>742 生産量が一定であろうとなかろうと
生産力が高いということは人口に比して生産量が多いということなので
生産力が低い場合よりも、人は、生産量の増減の影響を受けにくい、という話なんだけど。
余剰が発生するのは低い生産力で営んでる場合も同じでしょうが。
でもって、生産力が低いと刹那的にものを考えやすくなるとも思うよ。長期の計画ってのを立てる余裕がないだろうし。
より大きな縄張りを持たないと(持ち続けないと)、命に直結するし。
どっちがより戦を発生させやすいか。
次の年を待てば豊かな実りを得られる可能性がある社会と
次の年を待っても、得られてギリギリの社会と。
>>750 天皇家には百済系の血がしっかり入っとります
>>739 ああ、大層評価の低い晋書ですね
その記述についても突っ込み食らってるだろ
孔明についても、本人は孔明オタなのに、低い評価したとかわけのわからん電波書いてるし
晋書といえば四夷伝
「卑弥呼は公孫氏アル」
魏書に全く載っていない新事実が!
公孫氏を滅亡させた直後に、公孫氏の一族を倭王と認めるってどんな無茶振りだよ
魏志倭人伝は陳寿の書いたものに晋書書いた人間が手を加ゲフンゲフン…
760 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:44:37 ID:gGoa9Q/9O
で、ヒミコの墓であるという結論って、どうやったら出せるの?
761 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:44:56 ID:nEBMYk83P
>>737 稲栽培は東南アジア由来だろうね。やっぱ海洋民族がもちこんだのかね?
>>756 豊かさを作ろうとせず刹那に走って殺しあう文明は滅んでしまうだろうね。
理屈としては。やはり生産力>戦闘力と考えた文明が生き残っただろう。
762 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:45:10 ID:+UiWvozXO
>>744 片っ端は言い過ぎたけどね。タブーにしすぎな部分はあるでしょ
少なくとも古代史や考古学やってる人は歯がゆい思いをしてるだろね
そりゃ入るんじゃないの?
百済滅亡で日本に流れてきた有力氏族は日本の貴族社会と融合したんだろうから
764 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:45:33 ID:B4q2qSSwO
>>757 百済系の王族は日本に亡命するか新羅に滅ぼされ、運良く生き残っても奴隷だからな。
百済系自体が日本にしか生き残ってないんじゃないか?
少なくとも今の韓国人に百済王族の末裔はおらん。
>>746 また日本書記もいいかげんだから
この邪馬台国問題はややこしいんだよね・・・
昔から邪馬台をやまとと読んだ人もいるんだけど
やまたいと読んだのは本居宣長なんでしょ
そりゃ国学者だから、もしかしてヤマトが他国にへりくだって貢ぎ物してたなんて思いたくないわなぁ・・・
日本書紀の記述を信じたら、卑弥呼は神功皇后だもん
>>752 大正天皇からあとは八王子市高尾の北にある武蔵野墓地(多摩・武蔵野御陵)
その方法で遺体処理して土葬してるらしいね。敷地はけっこう広いよ
767 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:48:24 ID:Vb4Fm+kUO
>>775 そもそも狩猟民が農耕民を襲うようになるのは、農耕民が森を焼き畑にしてしまい、結果、狩り場を荒らすからだよ。
768 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:49:32 ID:nEBMYk83P
>>752 そうねえ。どこまで溯れるんだろう。
よくよく考えると。例えば平安時代の天皇の墓ってのは今もあるの?
>>764 つか、百済と高句麗は同族だし
皆殺しにしたとでも思ってるの?
神功皇后ってやたらと北部九州と縁が深いよね
771 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:50:11 ID:lvxdOO2U0
>>766 ありがとうございます!
大昔の方はおられないんですね・・・
しかし、しっかり土葬しておけば何千年たっても大丈夫・・・かな?
>>760 墓誌かな。掘ってもおそらく出ないと思うが。
また、纒向遺跡から邪馬台国が当地にあることを示す文字史料が
出れば、間接的な証明になる。難しいけど。
卑弥呼が居たといわれる時代に、畿内には巨大古墳を作る力を
持つ非常に大きな国が存在したという事実。
775 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:52:34 ID:N+PNTGiE0
スレみてると二つのルートがあるのか
中国大陸→台湾→沖縄諸島→九州南部
朝鮮半島→対馬→中国、山陰、九州北部
やっぱ違う文明だったのかな
776 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:53:36 ID:ChUnFE1wO
大和国の姫巫女が鏡を贈りましたとさ。
大和でいいはずだよね?
>>761 稲の原産地はちょっと前まで
東南アジアに接する中国昆明省とされていたけど
最近の研究では中国の中下流域らしい
そこからどうやって日本に伝わったかは諸説あるけど
黒潮ルートも候補のひとつではある
778 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:54:03 ID:BhybWW2E0
古墳王朝と天皇家が同族なんですか?
ウソもほどほどに。
鳥取の遺跡にまでしゃしゃり出てくる宮内庁は、
昔のつもりで一体何さま?
779 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:54:54 ID:B4q2qSSwO
>>767 それも一つの見方かもしれんが、基本的には狩猟民族側には所有権の概念がそもそもないのも原因だぞ。
日本の中山間地の農村で猿に農作物を荒らされるのとあんまり変わらん。
そして狩猟民族どうしも狩り場、つまり縄張りを巡ってよく戦う。
戦いの規模は小さいだろうが頻度は狩猟民族のが多いくらいじゃなかろうか。
780 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:55:05 ID:WXlwYCrQ0
>>777 稲そのものよりも、稲作というか、水耕技術がどこで生まれてどう伝わったのかが
興味あるね俺は
>>779 所有権の概念がなければ縄張りの概念もないと思います
783 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:58:55 ID:BhybWW2E0
>>752 昭和天皇の奥さんが無くなったときに、
昭和天皇の墓をわざわざ掘り起こして、お骨を
こうじゅん皇后や他の皇族(名前忘れました)のものと
一緒に「火葬」に付したしたそうですよ。
NHKのBSニュースでこの耳で聞きましたけど。
びっくりしたわ。不信に思ったのも事実です。
>>774 年代測定法が正しければね・・・
もともと、はしはかだって4世紀だって言われてたんだもんね
ゴッドハンド事件いらい、あんまり考古学者も信じられないなぁ
今回も学会発表とかが先じゃないし・・・
なんかねぇ
俺は畿内在住だけど
とりあえず、今回はいろいろ発表された後に検証も出来るんだろうし
それも見てみないとね
785 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:59:08 ID:Vb4Fm+kUO
>>756 だから、当時の貯えなんて、精々1年ぐらいしか保たないんだよ。
余剰人口を抱えたままでは、いずれ飢え死にしてしまう。
そもそも土地の生産性を無視してる時点で、お話にならないw
余剰人口は余剰生産力でもある。
土地がなければ生産力は活かせません。
786 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 07:59:58 ID:WhDoAWH20
九州説は既に崩壊してる、
787 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:00:12 ID:N+PNTGiE0
天皇家は任那からきたって井沢が言ってたよ
まーそれもありかな
桓武が受け継いでいるのは、
母も其の母も、土師氏(菅原道真とかの家系)のミトコンドリアだよ。
789 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:01:52 ID:WXlwYCrQ0
>>779 狩猟してるやつから見たら
「あいつらなにしてんだ?畑?なんだそれはwww いつになったら食えるんだよそれwww」
という反応だったわけだが、アリとキリギリスというか、食糧事情が厳しくなると、
農耕民族の貯蔵庫を襲わないとメシにありつけなくなった。
狩猟民族にも多少は賢い奴もいて、その後は2通りに分かれた。
ひとつのグループは、夏のうちから獲物の一部を農耕族に渡し作物を分けて貰って貯蔵した
もうひとつのグループは、夏のうちから、農耕族の倉庫めがけてヒャッハーした
これがそれぞれ原始的な市場の萌芽と、ローマ帝国の源流になりました。
>>757 百済の血をいうなら確実に存在したとされる応神天皇には、
新羅の血ですが?
桓武の系図は信じるけど応神は神功皇后がいるから無視はダメですよ。
>>783 ええーーーー!! 知りませんでした!!
ありがとうございます!
火葬しないと法律違反になると思いますが
やはり天皇はそういうの関係なしかなと思ってました
792 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:02:58 ID:BhybWW2E0
>>771 沖縄にはアマ族(スサノオの一族)が
異族の侵略を受けたときに
逃げたとも言われてます。
793 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:04:36 ID:lvxdOO2U0
>>757 愛人が1人ね。
今ではそのDNAすら存在しません。
しかも、その馬鹿愛人の祖先は日本へ人質として来た王族の家系(笑)
そういえば、新羅も百済も王を人質として日本へ送ってるよねぇ??
「倭を大国として仰いだ」とも書いてあるよね????
>>772 土質にもよるけど、骨ってただのリン酸カルシウムだから、酸性土壌だとあっさりとけて
数十年で跡形もなくなるよ。特に日本の土壌は骨が残りにくいって言われてる。
リン酸が溶出する前にカルシウムがほかの鉱物で置換されて、より安定なリン酸塩になったら化石として残るけど、
日本で化石がほとんど出ないのは土質のせいもあると言われている。
795 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:05:02 ID:nEBMYk83P
邪馬台国にしても大和朝廷にしても、狩猟民族が作った文明ではないのでは?
そもそも狩猟民族は農耕民族より生産力で比較にならないくらい劣る。
しかも土地が狭く起伏が険しい島国では狩猟民族の得られる縄張り自体が小さい。
それは当然、人口比に反映されていくから、狩猟民族はどうやっても
日本の環境では淘汰されていくだろう。まして狩猟民族が戦いまくるとなれば。
>>790 >確実に存在したとされる応神天皇には
応神天皇はかなりギリギリだから
まさか130歳まで生きたなんてことを、本気で信じてるわけじゃないでしょ?
797 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:06:36 ID:B4q2qSSwO
>>778 最も古い前方後円墳といわれる箸墓古墳近辺から纏向遺跡が発掘され
遺跡の規模、出土品の生産地、水路などの土木技術のレベルから当時としてはかなり大規模な都市であったと推測され
記紀によれば纏向に宮をおいたのも箸墓に埋葬されている倭迹迹日百襲媛命が生きていたのも第十代崇神天皇の時代とされ
古墳時代の王族と天皇の関係は殆ど一致するといっても問題ないと思われる。
もう少し下った時代の雄略天皇についてはその御名の書かれた木簡も発見され
その時代もまだ古墳時代である事からも、古墳は当時の天皇や豪族の墳墓であるとしてまず間違いないと思われる。
798 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:07:02 ID:BhybWW2E0
菅原道真は出雲の血です。
藤原が暗殺しようとしたので
九州南部に落ちのび
その地で亡くなっています
>>787 そういえば前方後円墳が見つかっているんだよね
800 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:07:35 ID:nEBMYk83P
>>792 九州のアマベ族という説はきいたことがあるな。折口信夫だかが唱えていた。
仮にそのスサノオの一族として、おそらくその民族は南海に沖縄があると知っていた。
でなければ海流に逆らって南下はしないだろう。
彼らのかつてたどったルートだったのではないかと思うな。
801 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:08:43 ID:BNObaLff0
歴博は箸墓古墳の年代を相当絞って特定したと発表
というのが事実だろ
卑弥呼とのからみの話は、文学部出身の新聞記者が勝手にくっつけた
事実報道とは何の関係もない部分
その部分に反応してしまう2ちゃんねらー
802 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:09:29 ID:B4q2qSSwO
>>781 犬や猿には所有権の概念はないだろうが縄張り争いはするだろ。
もう少し正確に書くと他者の所有権を認める概念がないとするべきかもしれんが。
もう名古屋ってことでいいよ
根拠は一つもないけど
>>796 崇神もいたろう。
名前(ミマキイリヒコ)にも変に神がかったところもないし
稲荷山古墳の鉄剣をみても。
806 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:11:04 ID:lvxdOO2U0
807 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:11:37 ID:BhybWW2E0
丹後に降り立った神は、スサノオが連れてきた神。
ウルのフル命というのが、伊勢外宮の渡会氏の先祖といわれています。
石上神宮の(フルのみたま)とつながりがあるでしょう。
808 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:11:55 ID:WXlwYCrQ0
>>795 狩猟民族とひとくちにいっても、実態は狩猟採取民族だからな。
日本は特に豊かだから(山も川も海もあるから、食い物には困らない)
ずっと狩猟採取でやってきたし、それだけでも相当の人口を賄えたはず。
ただ、狩猟採取の最大の欠点は、事故が多いことだな。欠損者が出やすい。
そうすると山で木の実を取るとかもできなくなる。
そんでしょうがなく土器製作とか、そういった内職をやらざるを得なくなる。
そこに農耕が伝わった。農耕なら、ケガ人でもできる
※現代の感覚では農業は重労働だが、狩猟とかで野山を駆け回ったり海に出るよりは
ぜんぜん楽ちん)
そうやって余剰な生産力が発達していったんだよ。
>>799 倭と関係の深かった伽耶(任那)で10基以上見つかってるけど
築造年代はこの箸墓よりずっとあとの5世紀から6世紀にかけてのもの
倭の五王の時代から半島経営放棄の時代にかけてだから
やはり前方後円墳の起源は日本だろうね
ヒミコ→ヒメコ→オメコ
豆知識な
811 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:13:51 ID:N+PNTGiE0
農耕は悪だと村上龍も愛と幻想のファシズムで言ってたよ
812 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:14:32 ID:2dwlvhRsO
>>808 土器に描かれた絵を見る限り、当時は脱穀(籾→玄米)ですら女性の仕事だったらしいからね。
813 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:14:35 ID:y+mJoTrP0
>>796 皇統の歴史は2700年とかおめでたいことを言う右の人は今でもたくさんいますね
130歳とか140歳とかの天皇を信じないと2700年にはならないんだけどね ( ^ω^ )
814 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:14:43 ID:B4q2qSSwO
>>796 古代の天皇の享年は古事記と日本書紀でも違うからね。
享年については全く信頼できないでいいんじゃないかな。
>>808 昔の人は働きものだよな・・・
なのに俺はこんな時間2ちゃんか・・・
まあいいか
816 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:15:39 ID:Vb4Fm+kUO
>>779 狩猟民同士の場合は、小競り合いはしても大きな戦に発展することは少ない。
何故なら狩猟という性質上、常に不安定な生産性なので人口が増えにくい。
よって一定の限度内に収まる。
また、狩猟民が縄張り争いをするようになるのも狩猟民が農耕民の圧力に
押されて森の奥へと追いやられるから。
>>796 2倍年なら65だな、別に対した問題でも無い。
第一年数がおかしいのは昔からの話だが?
そんなに、神功皇后はまずいのか
三国史記や中国の史記でも半島は倭の属国と
明確に書いてあるのに民族学校では教えないのか?
818 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:15:58 ID:lvxdOO2U0
>>813 別に良いよ。
それ抜きでも、普通に最古で世界唯一の皇室だからね。
>>805 実在した「可能性がある」としか言えん
現状では、継体天皇以降は確実に実在したとはいえる
それより前は、あくまで可能性のお話
>>801 別にいいんじゃない。
九州説の人から見たら不満なんだろうけど
反対に250年前後から大幅にずれた研究結果が出たら
箸墓は卑弥呼の墓ではなかったという記事になるんだろうから。
821 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:16:36 ID:+Gn0mNo70
歴史あんまし好きじゃなかったが、中学校で先生から習ったのは間違いか確かめてくれ
・畿内説なら3世紀にはそこそこの中央政権国家になっていた
・九州説なら3世紀も日本はばらばらの地方政権の乱立状態
>>810 じゃあ、邪馬台国は畿内説じゃんw
九州はボボなんだろ
沖縄はホーミー
韓国はジャージ・・・だっけ
823 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:18:01 ID:y+mJoTrP0
>>808 農業が始まって以降も餓死者がたくさん出たのは
狩猟採取だけでは必要量をまかないきれないからじゃね?
それとも普段狩猟採取をしなくなったから腕が下がったか
824 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:18:47 ID:mVzr1e/90
単一とか純粋とか表現がもう時代遅れだね。
人類誕生から人間は旅する生き物なのさ。
最初の日本人だって移動で渡ってきた人だしw
825 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:20:04 ID:OX7k+Vfd0
百済の王族が騎馬系で朝鮮人じゃないと知らないのは反右翼の特徴だよな
6、7世紀くらいまで王朝は九州にあったとか聞いたよ
827 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:20:32 ID:2dwlvhRsO
>>815 当時は毎日4時間しか働いて居なかったらしい。
それ以上働いても腐らすか持て余すかだけだっとか。
土器を大量に持っていても使い道がないなら意味無いからなぁ。
828 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:20:50 ID:BhybWW2E0
>>824 時代遅れでない「近代的」な国へ
どうぞ移住してください。
829 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:21:26 ID:nEBMYk83P
てか論点が最初からズレてる気が。
シャーマンを王にいただく文明が狩猟民族か農耕民族かといえば農耕民族だろう。
豊穣の神があらゆる古代文明で主要な神であったことを踏まえても、シャーマンの
権威は豊穣の確約と共にあり、農耕文化の始まりとほぼ同時に確立しただろう。
現に天皇においても、いまだ米や穀物を崇める祭事を行っている。
830 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:21:46 ID:tX9DGIk60
あのムチムチした体には大変お世話になりました。
831 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:21:49 ID:N+PNTGiE0
266年に倭人が来て、円丘・方丘を南北郊に併せ、二至の祀りを二郊に合わせたと述べられ、前方後円墳のおこりを記したものとされている。
『晉書』四夷傳(東夷条)
『晉書』帝紀(抜粋)
Wikiに載ってたんだけど昔は二つの文化があったってことなの?
二至の祀りってのがよくわからん
>>819 なんだ、お得意の天皇の歴史を無理やり後世にずらし、
三国史記や史書や記紀に書かれた事実を無視して
【属国】の歴史を隠し続けるブサヨク・チョン史観か
いいよな、自分の国の歴史をファンタジーで作れる民族は。
833 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:22:44 ID:WXlwYCrQ0
>>823 ロジスティクスや保存技術の問題でしょうな。
縄文時代とかだとグリンピースとか環境保護団体がないからイルカとか食い放題だし。
江戸期の飢饉ってのは人災だし。
834 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:04 ID:lvxdOO2U0
>>824 うん、だけど朝鮮人は一番の雑種だね。
それは何故か??
万年属国だったから。
835 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:06 ID:B4q2qSSwO
>>816 >また、狩猟民が縄張り争いをするようになるのも狩猟民が農耕民の圧力に
>押されて森の奥へと追いやられるから。
農耕民が発生する前から縄張り争いはあったと思うがな。
生活圏の変化から生き残りが難しくなって"縄張り争いが激化"というならあるだろうが。
836 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:18 ID:p5wVKhPM0
奈良は息を吐くように平然と嘘をつく
837 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:28 ID:eggD/Hti0
そもそも卑弥呼の死亡時期っていつよ。
捏造するなよ。
838 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:40 ID:WXlwYCrQ0
>>827 毎日4時間しか2ちゃんできない社会なんて、耐えられないな俺なら。
839 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:23:41 ID:y+mJoTrP0
俺も余計なことを書いてすまんかったが、
このスレは箸墓古墳が卑弥呼のものなのか、
邪馬台国が畿内か北九州かが本来の話題なんじゃね?
>>827 風呂に入るだけでも風呂桶を洗って水をくんで火を起こさないといけない時代に
本気で4時間働くだけで済むと信じてるってどんだけゆと
841 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:25:05 ID:nEBMYk83P
>>827 というか、古代社会では昼というのは太陽が出ている間のこと。
太陽が沈んだら夜。夜に屋外作業はできない。
842 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:25:28 ID:WXlwYCrQ0
>>829 農耕民族が山や森に畏れを抱いたりするとはちと思えないな
それに豊穣の神ってのは、山にアケビやどんぐりを実らせてくれる神さまでもある
農業と密接かというとそうでもないと思うが
843 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:26:26 ID:lvxdOO2U0
縄文人ってグルメだよね。
大豆を栽培し、栗も栽培し、河豚や猪を食べる。
今と変わらないくらいグルメ。
女性は櫛やピアスを使いお洒落だし、服を縫う針まで見つかってる。
844 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:26:29 ID:npW8rQZc0
このスレまだ続いてたのか。
みんな卑弥呼好きだなw
学界関係者は畿内で、観光関係者が九州の争いだろ。
九州説はカネが絡むから死活問題なんだろうけど
歴史をねつ造して観光客を呼ぶのはよくない。
845 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:26:36 ID:WXlwYCrQ0
846 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:26:54 ID:Vb4Fm+kUO
>>823 大量の餓死者が出るのは、農耕が始まって以降だよ。
それ以前は、自然の人口調節が働いていた。
847 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:27:02 ID:eggD/Hti0
どうしても邪馬台国を関西にしたい在日クソ集団がいるんでしょ?
せんとくんもきちがいくさいし。
でも、天皇家なんて長くつづいているだけで大した事ないじゃん
あんまり日本の王という感じはしないな
足利家とか豊臣秀吉とか徳川家康とかは日本国王という感じするけど
やっぱ日本は武家社会って感じする
いまでもサムライとかいってるし
まあ武家も天皇を敬っていたんだろうけど
足利義教みたいに天皇からもらった名前を捨てるのもいたしなぁ
天皇家にそんなにすごいのいたの?
いないからいまだに卑弥呼人気なんだよなぁ
849 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:27:50 ID:KZpeR6Cg0
日本のみなさん
おそらく卑弥呼の王朝を倒した、百済の王族神武であり、邪馬台国を滅ぼしてわが都として奈良と名づけたのだろう。
古代朝鮮語で、奈良は首都を意味する。そして神武は「東征」後、奈良をつくり即位し、倭征服事業をおえた。
850 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:28:15 ID:nEBMYk83P
>>829 農業とは密接だよ。農業は天候に支配される。
山岳信仰は確かに狩猟民族由来かもしらんが。
>>838 俺もだ・・・
もう寝ようと思いながらついつい・・・
足利は実際に日本国王を名乗ってなかったかな
853 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:29:01 ID:DA2TCIFOO
学者とか研究者までが「俺達の町に邪馬台国があったんだ!」という希望的観測が前提でで
研究してるからダメなんだよ
854 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:30:19 ID:lvxdOO2U0
>>848 長く続けるってどれだけ大変か。
だから日本には老舗が馬鹿みたいに多いんだよ。
100年以上続く店舗や企業はお隣韓国には1社もなく、中国やその他のアジア諸国にもほとんどない。
ヨーロッパでさえ老舗の数は日本に及ばず、最古の企業の歴史は600年程度である。
日本の老舗企業の多さは世界で飛びぬけた現象であると書かれている。
>>849 朝から釣りですか?
じゃぁニッテイの植民地は正しかったんですね。
>>831 二至は夏至と冬至のこと
北京の郊外に天檀公園ってあるでしょ
そこに天檀と地檀があるんだけど、天のほうが円丘で地のほうが方丘になってる
これは古代中国の宇宙観を表していて、
歴代皇帝は首都の郊外にこの私設を設けて天と地を祀ったわけ
この天地を合わせたのが前方後円墳だという解釈
857 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:31:54 ID:Vb4Fm+kUO
>>848 王朝にとって、長く続く事が最重要なわけだが。
統治が安定している証拠でもある。
858 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:32:12 ID:2dwlvhRsO
>>840 風呂に入る風習は無かったかと。禊をしていた可能性は十分あるけど。
>>841 江戸時代までそんな感じだったわな。
天が丸く地が四角いってのは儒教の世界観かな
860 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:34:42 ID:2dwlvhRsO
861 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:35:37 ID:eggD/Hti0
勝手に捏造して関西を邪馬台国の発祥地にするつもりだろうけど。
無駄だからね。アホ関西人ども。
資料も何も残ってないんだから。
862 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:36:31 ID:N+PNTGiE0
>>856 おお、そうなのか、教えてくれてありがとう
日本の前方後円墳って天地合わさった意味なのか
このころからアレンジするのが得意な民族だったのか
>>854 まあたしかにね
>>857 >>統治が安定している証拠でもある。
まあ、長いのもえらいとも思うんすけど
じっさいに統治してたのは時の権力者なわけじゃないですか
言ったら怒られるんだろうけど
天皇家はうまくとりいって続けてきただけではと・・・
まあ、それがすごいっちゃすごいすけど
864 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:38:35 ID:npW8rQZc0
>>848 足利家とか豊臣秀吉とか徳川家康とかは行政官だな。
今で言えば総理大臣。
これを可能にしてたのが征夷大将軍とか関白の称号。
これを与えてたのが天皇なのよ。
戦乱で天下を統一した者を天上人が権威を与えて国を運営してたの。
選挙で勝った与党の党首を首班指名して、それを天皇が追認して
権威を与えることで行政にあたるという現在のシステムも基本構造は同じ。
いわるゆ日本の国体というヤツだな。
865 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:39:56 ID:eggD/Hti0
朝鮮は中国と日本に支配されたから、
在日は中国人と日本人であることにまで気づけない
バカ在日。
儒服はそれを示すために円形の冠をかぶり方形の靴を履くって読んだし
でも前方後円墳はそれとは関係なしに円墳の文化と方墳の文化のハイブリッドなんじゃないの?
まったく根拠はなくただのあてずっぽうだけど
九州なんかは昔っから丸い物に特別な思い入れがあったみたい
餅とか卵とかかめかんとか
867 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:43:41 ID:lvxdOO2U0
>>842 普通に近代の農民も山を畏れてたし
というか、たとえば、水は都市を形成するためには必須
(ローマがなぜ水道を築いたか?で分かるだろて)
ましてや乾田農法では、かなりの水量をもつ河川が極めて重要なわけ
ところが、治水工事なんかをするにしてもさ
それを可能にするためには、相応の剰余労働力がないとやろうにもやれんのよね
卑弥呼より以前の状況で、それだけの労働力を捻出することは難しいだろう
すると、河川にはほとんど手をつけられなかった
現代人には分かりにくいだろうが、整備をしていない河川ってのは、
流量も水質も非常に変わり易いのよ
でも、「はい、ここの川は流れが悪くなったので移動します」…なんて、簡単にはいかない
農地開発だって、一朝一夕にできる訳じゃないんだから(ましてや当時の剰余労働力では)
こうなると、河川の動向ってものに神経を配らざるを得ない
でも、治水工事ができるわけでもないから、最終的には神頼みしかないのよ
卑弥呼以降は状況が違くなった
奴隷ももっていたわけだし(つまり奴隷を養うだけの余剰生産が可能になっていた)
箸墓の示すものは、あれだけの土木工事が可能になった
(それだけの労働力を確保できるようになった)ということだろて
ここから徐々に呪術頼みから脱却していった…そういう過渡期だったってことの象徴だろて
869 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:48:15 ID:N+PNTGiE0
卑弥呼のまえの後漢書東夷伝に生口160人送られたってことになってるらしいけど
でも書かれたのは魏志倭人伝のあとらしいけど
870 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:50:51 ID:DSiZE1Ic0
>>864 だな。日本の国体の特徴は権威と権力の分離、威力分離にある。
鎌倉幕府や江戸幕府も時代が下るとともに将軍自体が権威と化して
実際に政治を行うのは執権や老中に変わる。その下の各藩も同様。
逆に言うと、権力と権威が一体化した政体は長く続かない。
政教分離なぞというよそから借りてきた理念がいまいち浸透しないのとは裏腹。
戦国時代なんて県知事どうしの喧嘩だもんな
>>862 倭の使者が晋へいったのが泰始2年(266)だから
記事にある箸墓の造営期間240〜260年には間に合わないと思う。
方丘というよりは、三味線の撥形だし。
ただ、方円の概念は後の古墳の造形に影響を与えた可能性はある。
873 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:53:24 ID:y+mJoTrP0
今はネット社会だから俺らの書き込みまで数千年は保存されるな
874 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 08:55:35 ID:vN73gqthO
おまえらその目で見たんか、と
>>869 魏志(三国志魏書)は3世紀末で、後漢書は5世紀半ばの成立
晋書に至っては7世紀の成立
書かれた年代は、魏志が一番近いね
>>864 勿論知っているけど、実権を握っている王はやっぱり武家でしょ
天皇に本当の力があれば戦国を統一できたはず
豊臣秀吉とかは中国から日本国王の金印をもらったそうだよね
対外的にも最高権力者と認められている訳じゃん
秀吉は中国も臣下にしようと思っていたから金印はい潰したけど
これなんか日本すら超える意思があったということでしょ
天皇家どころの話じゃないよね
もちろん、秀吉は天皇を敬っていたとは思うけど
でもさ、それも朝鮮、中国に打ってでるための大義名分じゃないかな
秀吉は日本書紀の神功皇后の三韓征伐にしたじきにしてたから
じゃあネットに邪馬台国は佐渡にあったってみんなで書いとけば数千年後に新説の論拠になるやも
>>875 でも、後漢書は魏志にない記述がありますよね
後から書かれたのになんでなんでしょう?
879 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:03:07 ID:WXlwYCrQ0
>>868 日本の場合はもともと狩猟採取民族だったのが農耕主体になったからだよ。
基本的に狩猟採取民族は、多神教が多いわけで。
880 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:06:09 ID:Vb4Fm+kUO
>>876 豊臣秀吉が朝鮮出兵したのは、明朝と喧嘩したからな訳だが。
豊臣秀吉って明を征服して天皇に捧げようとしてたんじゃなかったっけ
>>879 世界的に一神教の方が特殊なんじゃないの?
>>878 もちろん編集時に参考資料となる書物や記録があったから
後漢光武帝が倭奴国の使者に金印を賜ったという記事が載ってる書物は
魏志編纂のときにもあったと思うけど、守備範囲外のことを魏志に記す必要はないよね
北九州に在ったのは邪魔大王国だろ
>>879 農耕民のローマ人は思いっきり多神教ですが?
885 :
名将ヨシイエ:2009/05/31(日) 09:08:55 ID:r5vwLann0
枹のエタの捏造
886 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:09:02 ID:9bRtQdfV0
秀吉は信長の遺志を継いだんだよ
>>884 初期のローマはあきらかに牧畜主体だから
農耕民じゃないと思うんだけど
888 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:11:21 ID:npW8rQZc0
>>876 天皇は皇帝や教皇みたいなものだからな。
天皇がkingではなくemperorと呼ばれるのもこのため。
天皇の支配圏が天下であってこれが日本の版図で
これを行政として運営してたのは将軍や関白。
だから皇帝が天皇で王が徳川って構造になる。
もし行政官である関白の秀吉が朝鮮を征伐して日本の版図に組み込まれれば
皇帝である天皇の支配権も広がるという仕組み。
権力者がどれだけ強い権力を持っても、決して天皇を排除して
その地位に就こうと誰も思わなかった。
天皇とは日本にとってそういう地位なのよ。
弱肉強食で強いものだけが支配できるという西洋的な覇権の思考では
理解は難しいかもしれんけどね。
お祭りを開いて集まったよその街の人たちの中から女だけ選んで略奪して嫁さんにしたんだっけ
初期のローマ人
>>889 建国のときは羊飼いの野郎ばっかりだったんで略奪婚。
絵画のテーマになってる。
ローマに女を寝取られた一族とはのちに和解して
ともにローマの有力部族を構成するようになった。
まあ伝説だけどね。
891 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:15:58 ID:QwEmaqALO
俺の地元
吉野ヶ里涙目www
>>880 秀吉は三韓征伐を大義名分に積極的に使ったといいますよ
>>881 勿論、表向きはそう言うでしょう
じゃあ、天皇が明なんか欲したと思いますか?
本当に明が欲しかったのは秀吉でしょ
>>882 ありがとうございます!
>>888 まあ、そういうことにしときましょう
俺の考える武家と天皇の関係は
簡単に言えば占領下の日本のマッカーサーと天皇という感じですかね
マッカーサーも天皇を大事にしましたしね
>>890 未来少年コナンって知ってる?
あれにでてくるハイハーバーの若者を集めて独立して暮らしてた連中がいたでしょ
ローマ建国ってあんな感じだったんだろうね多分
もし九州に邪馬台国があったら中国の使者は実際に訪問してもっと詳細な記述を
残してると思うんだけどな。素朴な感想。
895 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:27:48 ID:ZS1Tv+QVO
ホントに箸墓には奴卑千人が埋葬されてるんでしょうね。
あと皇族なのに中国からの指示であぼんされたんですね。
そこらへんにもらった銅鏡百枚の一部でもあるんでしょうね。
箸墓の主の弟は天皇なんでしょうね。
卑弥呼の楼閣どこ。
896 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:28:14 ID:npW8rQZc0
>>892 いくら権力者でも反天皇を掲げると逆賊にされて討たれるしな。
マッカサーが天皇を利用しないと日本が統治できないと考えたのは正解。
足利尊氏でも後醍醐天皇を島流しにしながら、皇族から別の天皇を立ててる。
唯一天皇の支配から抜けようとしたのが平将門。
彼も新皇を名乗って関東で別の国をつくろうとしたけど討たれてしまった。
天皇親政と言われる古代でも、政治をしてたのは蘇我氏だったり藤原氏だったりの氏族で
これは古代から現在まで続いてるシステム。
>>891 吉野ヶ里の集落は3世紀ごろには消滅したわけだから
元から無理があったというか
898 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:29:08 ID:yQivQYp90
投馬国が今の奈良付近なら
邪馬台国は東征の最前線基地だったから中国人には見せたくなかったのかもな
899 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:33:47 ID:WXlwYCrQ0
>>898 投馬国はどう考えても岡山とかあのへんだろ。瀬戸内海の途中のどっかだ。
投馬が当時の大陸の発音でなんだったかで似たような地名探せないかな
901 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:37:59 ID:r36eAqnnO
神功皇后が朝鮮半島を征伐したから陸路を使えたんじゃないのかな?
もし卑弥呼が九州なら、同じ年代の神功皇后とは敵対しており、ギに使いを送るのは後漢時代や663年以降の遣唐使のように海路しかルートを取れないと思います。
902 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:38:52 ID:WXlwYCrQ0
>>900 よく発音がどうこうで推理する人たちがいるが、どれだけ研究しようと
結局のところ憶測に推測を重ねるだけなので、まったくの無駄。
たんなるコジツケの域を出ないから、やる意味ないんだよね。パズルとしては面白いんだろうけど。
903 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:41:11 ID:hsx4+j630
>>887 ええとね、ユダヤ人はヤギ飼ってた遊牧民なのだよ。
論理が矛盾してるね。
>>601 神功皇后だったら妄想は広がって面白いけど、
実在の人物だとしても、もっと後世だろう
当時は、公孫氏が滅亡して帯方群(ソウルかその北方あたり)まで魏の直轄だし、
陸路は問題ないと思うが
905 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:42:11 ID:npW8rQZc0
>>899 倭人の国を紹介しているわけだから
それなりの文化や遺跡がある場所だと思うので
投馬は出雲じゃないかな?
>>902 別にいいじゃん
2ちゃんのこのスレじたい遊びなんだから
素人も参加させてくれよ
907 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:45:30 ID:r36eAqnnO
>>904 その帯方郡まで行けないから663年以降は海路を取ってるんですよ!
陸路で問題ないなら、遣唐使は何故わざわざルート変更したのか更に疑問が残ります。
マクモなんとかさんはヒミコは九州と本州(保養地)を季節で行ったり来たりしてたと透視したらしいが
宮内庁が管轄の陵墓を調査させないのは、秘密を秘密として残しておくことで
皇室に対する民衆の興味を維持させたいからじゃないのかねぇ。
神巧皇后って九州の女王じゃなかったの?
>>907 当時は帯方群ないし、任那は失ってるし、敵対国の新羅はあるし
どう行くのよ
魏書東夷伝には、朝鮮南部に倭人が出入りしていたとある
>>907 白村江の戦いに負けて北路が遮断されたからでしょ
913 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:50:59 ID:fCy/urqyO
>>901 このころはまだ漢四郡が公孫氏の支配下にありながら存続していて、半島は漢と倭の影響下。
公孫氏が魏に討たれた直後、卑弥呼が使節を帯方郡に派遣した。
奈良時代とは情勢が違う。
>>900 投馬はズマと読むと。
それで、当時勢力を持っていた出雲が有力。
915 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:54:00 ID:r36eAqnnO
>>912 って事は、239年に陸路が開通していたのは間違いないし、最低でも倭からの使いが安全に朝鮮半島を縦断出来た根拠として、三韓が倭の属領になっていたと考えられるでしょ。
916 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 09:56:21 ID:ETVk9H1e0
>>876
>秀吉は日本書紀の神功皇后の三韓征伐にしたじきにしてたから
そんな話聞いたこと無いが....
本気だったかかどうかはわからないが明を占領して天皇の居城を造ると言ったって記録はあるが
この当時の朝鮮は、
稲作をやってた漢人、鉄を取ってた倭人、狩猟のわいばく
この三種だろ。
中国の記録にあるように、倭人はすでに自分で鉄を取り、鉄を使っていたのだから
これ以降の別民族が主軸になる必要が無い
天皇自体がこのうちの渡来なら、漢人になるわけだが
名前が違うからな。鉄を自分で使うことのできる倭人と見るべきだろ。
もっとも、倭人という集団になる以前の大陸との混血は50%ほどあるだろうな。
その場合でも中国人の名がほとんど無くなったのは奇妙だが。
>>915 属領にする必要もないし、やろうと思っても無理
余剰生産もさしてないのに、支配しても意味がないっしょ
兵を駐留させれば、彼らを養わなければいけないんだけど
それだけの余剰生産がないと、兵を送っても意味がない
兵を駐留させてなお余剰生産がないと、支配しても意味がない
>>915 属領でなくても友好関係ならおk
まあ弁韓はのちの任那だから属領の可能性があるけど
>>914 ありがとう
投馬はズマか
狗奴はキノだっけ
邪馬台はヤマドで
出雲
紀ノ国
大和
なんて考えると面白いな
921 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:00:16 ID:ZS1Tv+QVO
>>902 昔の発音はその時期によって発音の仕方の本が中国にあるから。
>>903 ユダヤ教は拝火教をパクってるから。
922 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:06:03 ID:ZS1Tv+QVO
>>920 紀ノ国って表記はキノ国じゃないから。
紀国だけど国名を三文字(国入れて)にするようになったから。
923 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:06:24 ID:r36eAqnnO
>>918 支配下にない危険かも知れない所をわざわざ通らなくても、後漢時代の海路を通れば良いでしょう。
どちらにしても、宋の時代には朝鮮半島の南部は日本の属領です。
逆にいつから属領にしたのか興味あるし、箸墓古墳が卑弥呼の墓でなくて、卑弥呼は九州の主であれば、そんな巨大勢力が日本に複数存在した事の方が凄いと思います。
>>920 邪馬台はヤマトと読む可能性が高い。
台与はトヨと一般に読むでしょ。
ヤマタイと読んだのは国学者の本居宣長が勝手にしたことだからね。
wLbWIeYF0
926 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:07:20 ID:fzM8nAsq0
放射性炭素年代測定で年代が一致すると言われてもな〜
周りに参考となる何かが出土しそれと合致するから同年代なら話は
分かるが近くに隕石でも落ちてれば放射性炭素年代測定はあてにならんだろうし
それよりも宮内庁が陵墓の本体調査を認めろよ。宮内庁の物でなく国の財産
なんだからな。盗掘するわけじゃあるまいし
927 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:08:59 ID:npW8rQZc0
>>918 百済の歴史は三期にわかれるんだけど、前期は中国の影響、中期は倭国の影響、後期は高句麗の影響で別れる。
属領だったかどうかはともかく、百済が一旦高句麗に滅ぼされて、
倭国が東城王を立てて、熊津で復興させたのは間違いないよ。
これが中期百済。
日本書紀にはその記述もあるんだけど、韓国はそんなの認めないし、
日本は外交的な事情でうやむやにしてるけどねw
この次期は新羅も倭国に降伏するかのように人質を倭国に送ってる。
後期になると、倭国+高句麗の百済 vs 唐+新羅の対立構造になる。
928 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:10:34 ID:w3osxRWj0
箸墓ってマンコに箸ささって死んだ女の墓でしょ
>>926 宮内庁は庁なのにずいぶんと権限が強いよな。
930 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:13:19 ID:LLwPrg4oQ
ヤマトと呼ばれる国が九州にあって、のちに近畿に移転した可能性もある。
その場合、邪馬台国は九州にあり、のちに近畿に移った。
>>923 後漢時代の海路って?
白村江の戦い以前の大陸との連絡ルートは、朝鮮半島経由の北路だし
あと、古墳時代の造船は朝鮮半島由来のものです(百済船とか新羅船とか)
933 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:18:10 ID:w3osxRWj0
この時代の歴史学者は正直あてにならん
なんというかアホが多い
934 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:18:29 ID:1+91zV5R0
>>916 その力もあったし本気だろう。
スペインの覇権主義に対抗するため、自分(秀吉)が天皇の赤子として
中国の領主となり、スペインと合戦しようとしたとか。(所謂、自衛の為の朝鮮出兵)
ジンギスカンやナポレオンといい、人間の器の大きさは身長と反比例するのかもしれん。
935 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:18:31 ID:5ZAGvK830
>>927 このスレも日本vs在日+アサヒ
になってますが
936 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:21:25 ID:r36eAqnnO
>>927 時代が下れば朝鮮半島南部は宋も高句麗も認めている倭国の属領でしょう。
239年に倭国の属領ならソウルまで簡単に往来出来る。
南朝鮮が何故239年には倭国の属領と考えられないのか?
もう1つ、九州説の主張を元に考えたら卑弥呼の倭国と箸墓古墳の倭国が別ってのがひっかかる。
九州説の人にはその辺りも矛盾なく説明して欲しい。
>>936 宋を初めとする南朝各王朝が
百済を倭の属国であると認めたことは一度もない
倭王は常に百済に対する軍事統率権を認めるように要求していたが
いつも却下されていた
百済も倭とは別に南朝各王朝に朝貢していたからだ
もう一度よく宋書を読み直してごらん
938 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:25:32 ID:r36eAqnnO
>>932 >
>>923 > 後漢時代の海路って?
会ケイへの南方ルート
古墳時代の造船は朝鮮半島由来のものです(百済船とか新羅船とか)
それ初めて聞いたw
8F/jnUOU0
宗教者は高身長が多くて、軍略家は低身長が多い気がする
なんでだろう
941 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:31:17 ID:db8t/nmh0
>>920 狗奴国はコノクニと読み
山背国の旧称の許之国という説も
942 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:33:38 ID:r36eAqnnO
>>937 >
>>936 > 宋を初めとする南朝各王朝が
> 百済を倭の属国であると認めたことは一度もない
477年には百済も含めて、7国諸国軍事安東大将軍の肩書きもらってるよw
> 百済も倭とは別に南朝各王朝に朝貢していたからだ
百済が二重朝貢してたのばれちゃったね♪
943 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:35:16 ID:oTZqt/LH0
畿内説を完全論破したとかって本を出してた人はこれからどうなるの?死ぬの?
大和も倭国に朝貢してたんだろう
946 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:41:32 ID:r36eAqnnO
安東将軍だからずっと百済より官位低いんだよな
まあ親密だからだろうけど
948 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:43:23 ID:npW8rQZc0
>>945 宋が百済を別に冊封してたから辻褄が合わなくなるから外したんだろう。
しかし百済中期以上、倭国の属国状態だったのは間違いないと思うな。
王子のときに日本で暮らして、成人すれば百済で王に即位するという
習慣があったしな。
>>936 ううん??
どうも、現代の常識で考えすぎなんじゃないか?
先進技術=大国とは、必ずしもいえないのよ
まず、当時の人口は、すでに日本列島の方が朝鮮半島を大きく上回っていた
これは、日本列島の良好な自然環境の賜物(とくに稲作に最適の土地だった)
そして人口は、当時の国力を決定する最重要の指標
でも、辺境のため、技術では朝鮮半島に劣るわけ
当時の日本は、後進地域の大国
950 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:44:51 ID:Q19h0zQ50
951 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:45:23 ID:r36eAqnnO
>>947 > 安東将軍だからずっと百済より官位低いんだよな
その前に倭国王の称号忘れないでね。
>>946 477年の記事は有名な倭王武の上表文で自ら称したもの
どこにもこの称号を認められたとは書いてないだろう。
しかも翌年に正式に授与されたのは六国だけ。
954 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:48:17 ID:r36eAqnnO
>>949 根拠は?
根拠なしに思い込みで書いたら朝日新聞の記事みたいに誰からも信用して貰えませんよ。
955 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:48:18 ID:jt1z3BP9O
チベットからの移民だな
956 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:48:44 ID:npW8rQZc0
>>946 倭国が熊津で百済を再興させた百済中期が始まるのは475年からだから
それ以前の451年には別冊封で百済が外れてるけど、
477年には百済も含まれるようになったというのは辻褄があってくるな。
957 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:48:48 ID:Q19h0zQ50
>>936 矛盾は無いのだが?
邪馬台国のみが魏と交渉したってだけだよ。
クナ国もその他の國も多数有ることは魏志に明示してあるでしょ。
ちゃんと三国志を読めよ。
ひみこみこみこひみこみこっ!
>>954 魏志にも戸数がいちいち書いてあるでしょ
倭人伝だけじゃないのよ?あれは
>>954 根拠はっていうか日本書紀に技術者や学者を百済高句麗から呼んだというのがやまほどあるだろ
961 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:54:48 ID:r36eAqnnO
>>952 思い込みでしたね。
申し訳ない。
まあ、百済がなくても陸路で帯方郡へ行けますね。
いずれにしても百済は王子を日本に人質として送る時代が来ます。
>>948 それはわかる。倭は百済に対する軍事的優位を盾にして
百済の王族を人質に出させていた。
ただし宋から見ると倭も百済も同じ属国であり
この状態は公認できる立場にはなかったはずだ。
>>947 たしか同時期に百済がもらっていたのはワンランク上の将軍号だ
>>949 普通は裕福な方が文化も技術も高い
よって日本の方が文化も技術も高かった
朝鮮の方が高かったって考えるのは洗脳・刷り込みだよ
朝鮮半島、百済高句麗、朝鮮半島南部、朝鮮半島南半
965 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:56:45 ID:npW8rQZc0
>>936 239年の段階では半島北部は楽浪郡、帯方郡で
半島南部は小国の集合体で古代国家の呈をなしてない。
ただ倭人が半島南部で鉄を取ってた時代だから
加羅は倭人の支配地だった可能性は高いと思う。
これが狗邪韓国じゃないかな?
966 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 10:56:46 ID:ZS1Tv+QVO
>>941 昔の国名は具体的な何かの名前をつけてるよ。
それからノは国名には入らないから。
>>963 いや単純に超先進国である中国に近いかどうかだろ
>>963 そっちの方が思いこみがすぎる
たとえば、日本は5世紀まで「文字の文化が無かった」んです
これをどう説明するんですか?
969 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:00:15 ID:jt1z3BP9O
>>967 だね。中国だって周囲の影響受けなかったわけないし、交流ある方が発展はしやすい
970 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:01:25 ID:VYJGcKOGO
972 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:04:09 ID:8o68YlOM0
好太王碑の碑文は高句麗と倭国の戦争に長文が割かれているが、その内容は
どう読んでも大国対大国の戦争であって、高句麗に訴え出た新羅はもちろんのこと、
百済も任那加羅諸国も
「大国に翻弄される小国」
の扱いでしかない。四世紀の好太王碑を読んでから五世紀の宋書倭国伝を読めば、
倭国が百済を属国だと主張しているのは至極「正当な理由」だと思われる。
一方、百済は旧帯方郡を領有しており、ここは後漢・魏晋時代の中国直轄地である。
東晋以降、軍事的空白地となった帯方を百済が「南朝のために押さえている」という
理由で朝貢し将軍号を拝受したものとみられる。
倭国が百済と同格の諸侯に甘んじていたのは、倭国の地理上、南朝への朝貢が
遅れたことに過ぎない。
974 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:05:43 ID:r36eAqnnO
>>968 >
>>963 > そっちの方が思いこみがすぎる
>
> たとえば、日本は5世紀まで「文字の文化が無かった」んです
> これをどう説明するんですか?
七枝刀は4世紀に百済から献上された貢物だけど漢字が書いてあるよ。
あっ、ごめんなさい。
これも百済から倭国への献上品だったねw
わざとじゃないから。
>>973 へ?東漢氏がどこの出身だと思ってるの?
>>531 応神天皇の時に百済に案内役させて「呉」に使者を送っている。「呉」は南朝ね。
南朝には百済の方が先に使者を送って封されていた。倭が百済を案内役にして使者をよこしたことは南朝側の記録にもある。
ただ、倭は南朝に対して要求をしてきた。百済を含む半島は倭の勢力圏と認めろ、と。
普通は使節を送ってきたら皇帝の方からその国の王に「勝手に」封じる。朝廷での役職も皇帝側で決める。
しかし、倭王は「自称」していたという。しかも倭の王としてだけではなく半島に君臨する立場を。
皇帝としては認められない。百済は既に皇帝の臣だ。それを倭の支配下と認めるようなことをしたら皇帝を頂点とする世界観を自ら否定しかねない。
皇帝は倭王の「自称」から百済を抜いて尚且つ百済より身分の低い将軍位を与えた。
しかし、倭王は納得せず何度も百済を含む半島の支配者を「自称」してきた。
これは通常言われるような冊封なのか?倭王は海を挟んで西は「呉」、東は「倭」だと言っていただけなんじゃなかろうか。
当時の漢文の公文書フォーマットでは皇帝に冊封を願う形にならざるを得なかったのではないか。
故に「日出る処の天子〜」はフォーマット変更だったのではないか。
鉄剣の「治天下〜」や書紀の天皇号への統一などの独自の天下観の存在。
倭王の意思は冊封だったのか?
977 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:09:13 ID:npW8rQZc0
>>968 5世紀まで文字の文化がなかったの根拠は
書物が発見されてないからだろ?
文字はあったと思うけどな。
漢倭奴国王とか親魏倭王だってもらってるしな。
これは中国かつくったから日本に無かったってことか?
978 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:09:52 ID:ZS1Tv+QVO
>>971 戦中戦後は日本でも食料不足の地域は普通に犬を食べてましたよ。
夜郎自大的な
>>974 隋書に「無文字、唯刻木結繩。敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字」とあるわけだが
また話が朝鮮半島と日本の関係とか、卑弥呼からずれたところに行ってるな。
982 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:13:01 ID:VYJGcKOGO
>>977 もらったから文字の文化があったとは言えないと思います。
983 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:13:06 ID:Q19h0zQ50
>>981 この話は、韓国人もそうだけど愛国主義と結びつけて考えて
冷静に議論できなくなる人が多い
そもそも、俺らの方があいつらより上だと「認めてくれ」
と言ってる時点で体制下もいいところ
987 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:16:30 ID:8o68YlOM0
>>977 倭国に文字文化がなかったことは隋書に書かれているよ。
なんでも縄に結び目を付けてそれを文字の替わりにしていたとか。
百済から倭国に仏教がもたらされて以降、文字文化が根付いた、と。
もちろんこれらは民間(といっても支配者クラスのインテリ達ことだけど)の
人たちの文字に対する認識のことであって、王に仕える宮廷人たちはちゃんと文字を
理解し、特に外交に関わる人たちは立派に漢文を書いて見せたことだろう。
事実、卑弥呼は皇帝から詔書をもらってるし、もちろん国書を付けて朝貢したに違いない。
また倭の五王の武にいたっては長文の国書を宋書内で紹介されている。
988 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:17:11 ID:Q19h0zQ50
>>971 君の書き込みは何を言いたいのかさっぱり理解できない。
ちゃんと推敲しろよ。
989 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:17:57 ID:npW8rQZc0
まあ、倭国は中国の先進技術や文化を学びたいから
古代には半島で百済を再興させたり、任那に日本府を築いたり
その先進技術輸入の中継基地として半島を重要視したわけだしな。
990 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:18:04 ID:VYJGcKOGO
>>984 歴史を冷静に見るのは大事な事だよな。
自分達の文化を過大評価する人たちが日韓問わず多いです。
991 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:18:42 ID:b9EYaLhe0
では、九州ということで結論
993 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:19:36 ID:r36eAqnnO
>>982 もし漢字が読めなかったら、「独島は韓国の領土」
みたいな事平気でやるぞw
千字文って、せんじもんって読むんだな
ずっとせんじぶんだと思ってた
995 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:20:27 ID:VYJGcKOGO
邪馬台国はエジプトだろう
996 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:22:13 ID:vtQE2XuB0
そろそろ邪馬台国は朝鮮半島にあったという主張が出てくる頃だと思うが
失敬www
986の
「日本には今の韓国人みたいのが1000年前から沢山いた」
というのは
「日本には今の韓国人みたいのが紀元前1000年前から」の間違いねw
998 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:22:16 ID:ZS1Tv+QVO
>>986 食料の為よりかは当時たくさんいた狼対策だと思いますが……
まぁ非常用の食料にはなりますが。
999 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:22:27 ID:mVzr1e/90
本末転倒だな。
朝鮮南部の勢力が日本で統一王朝起こしたので、旧領土が朝鮮南部に残った。
こっちの方がシンプル。
1000 :
名無しさん@十周年:2009/05/31(日) 11:23:12 ID:npW8rQZc0
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。