【大分】 「魏志倭人伝には九州内のことしか書かれていない。畿内説はねつ造と同じ」 邪馬台国論争 宇佐神社で大会
1 :
かしわ餅ρ ★:
アマチュア歴史家が持論を展開し合う「第5回 復活!全日本邪馬台国論争大会」が
17日、宇佐市の宇佐神宮で開かれた。吉永小百合主演の映画「まぼろしの邪馬台国」の
公開を機に23年ぶりに開かれ、事前申し込みを大幅に上回る350人が参加。邪馬台国
ブームの再来か、と思わせる盛会となった。
大会は、同市のまちおこしグループが建国したミニ独立国「新邪馬台国」のイベントとして、
81年から86年にかけて4回開いた。昨年11月に映画が公開され、宇佐へのバスツアーや
雑誌、テレビの取材が増えた。「ブーム再燃の兆しかも。不況の中、地域活性化に
つなげたい」と再開することにした。
全国から論文を募集し、選考委員会で選んだ5人が持論を発表した。邪馬台国の場所に
ついて、4人が宇佐を含む北部九州説、1人が山陰説で、コーディネーターの安本美典氏
(75)=雑誌「季刊 邪馬台国」編集責任者=も北部九州説を唱えた。
畿内説の学者が多い現状について「魏志倭人伝には九州内のことしか書かれていない。
畿内説はねつ造と同じ」と過激な意見も飛び出し、大きな拍手を受けた。
長野県茅野市の種村凱夫さん(66)は「邪馬台国はロマン。いろんな人の説を聞いて
一貫しているかどうかを見る」と楽しんだ。安本さんは「畿内説の論者がいなかったのは
残念だが、かなり盛り上がった。映画をきっかけに議論が盛んになった」と驚いていた。
主催者は「結論が出なかった」ことを理由に、来年も開くことを宣言した。
http://mytown.asahi.com/oita/news.php?k_id=45000000905180004
間をとって、韓国にあったって事で。
倭人(笑)
4 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:14:02 ID:qW7N6WZrO
あの当時、卑弥呼様のブログも結構炎上してたよな
畿内派です。
6 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:15:26 ID:kRd6GelU0
>畿内説の論者がいなかったのは残念だが、かなり盛り上がった。
畿内説は捏造だ!みたいな事を言って盛り上がる大会に、畿内説論者が来るわけねえだろw
7 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:15:42 ID:Q4o6/yQ90
邪馬台国・甘木朝倉説だな
まあ普通に考えたら、対馬とか壱岐まで地名があって、いきなり
奈良に飛ぶのは変だろw
魏志倭人伝自体が捏造という可能性も考慮してほしいところだ
女王がいると争いが収まる変態国家の事か。
四国じゃねえの ?
11 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:17:33 ID:3cKmQVNk0
沖縄は80%が沖縄県民(日本人)ではなく琉球国民と回答。
九州は45%が日本を離れて韓国と共生すべきと回答。
これが現実。
九州人の卑弥呼へのこだわり=独立+韓国との共生への足掛かり。
12 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:17:42 ID:CUpVdiK00
土人が住んでいた日本に文化の進んだ朝鮮から人が渡って来て邪馬台国や
大和朝廷を作ったんだろ。
13 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:17:50 ID:4+8DpVGH0
中国のような歴史捏造国家の書物を鵜呑みにするのもうかと思う
邪馬台国が滅亡したのは皆既日蝕が原因だって読んだよ(´・ω・`)
15 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:18:09 ID:DDiTOhXE0
マジレスすると実は東北
17 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:18:15 ID:GNjPgr870
あほ。
魏志倭人伝は5世紀のこと書いてないから
論争になってんだろ。
4世紀以前は九州だというのは異論はないんだよ。
いい年をして馬鹿な奴ら
19 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:19:33 ID:VgpW7yK/0
なぜ恐竜の骨は発掘できるのに、邪馬台国の遺物は発掘できないのか
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない
九州説だろうと畿内説だろうと
魏志倭人伝程度の記述しかないと
どうしても「想像」や「空想」、あるいは「妄想」が入ってこざるをない
この時期の日本史研究は証拠が少なすぎるし
日本では先史時代に当たるわけだから、歴史研究の対象の範囲外と思う
21 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:20:00 ID:0RAM/Aep0
九州説派なんだけど、
畿内とか妄想の類だよな。
半島からの距離と、国内の移動距離から考えれば
答えは出てるのに。
22 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:20:05 ID:FKVXl8Bg0
宇佐はUSAと書くからアメリカだっていうくらいのレベル
23 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:20:19 ID:l3Gcoelo0
>>1 まったくそのとおり
魏志倭人伝には「南」って書いてあるのに なんで東に捻じ曲げるのか。
畿内説は曲学阿世の輩。
歴史学なんてもう情報化社会では学者のだけものではない。
一般人でも簡単に資料検索、論理検証ができる。
畿内説学者は思いあがるな。
24 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:20:20 ID:5s2tfmT5O
> 主催者は「結論が出なかった」ことを理由に、来年も開くことを宣言した。
風邪でもないのに病院行ったり、老人って裕福でいいね
結局どっちか分からないからテンション維持できてるんだろw
どっちだったとしても結論に達してしまったら冷めるだけ
>>8 カラ出張した役人が適当にでっち上げたレポートくさいよなw
>>23 その時代に方角を調べる手段を持ってたか疑問
28 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:22:26 ID:mwhKoGiWO
しかもアマチュアかよwとんでも史観が出て来る訳だ
29 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:22:34 ID:LkjYJEcD0
邪馬台国の所在地すらまともに分からないのに恐竜がどうとか言ってるんだから
歴史ってのは怪しいもんだw
歴史と同じくらい怪しいのは宇宙探索だなw
科学が万能なんてもう誰も思ってないだろうなw
30 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:23:00 ID:fZCIl2GX0
>>24 電車じゃ山登りの帰りなのに俺様が座りたいからお前らは立てだぜ
31 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:23:06 ID:HCz1sn34O
どっちにも邪馬台国はあったという結論
関係ないが
志賀島で金印が見つかった経緯って変じゃね
昔授業で習って以来違和感があったのだが
遺跡からでも何でもなく、畑を耕してたら金印だけむき出しで見つかるって何
33 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:23:51 ID:3cKmQVNk0
九州人の卑弥呼へのこだわり=反日感情(独立思考)の表れ。
34 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:23:59 ID:l1uNA3ToO
レッドクリフの後の出来事だな
当時の日本人は 裸で刺青して 赤い粉を体に塗り立てていたらしい
原住民見たいに縦穴に住んでた時代だろ
文字すら無かったから 中国人や朝鮮人に笑われた時代だ
35 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:24:07 ID:Zo1ekDRmO
まあ九州だろうな。壱岐やら伊都やら九州やその近辺の地味な地区のことばっかり書いてるし。
大和の話なら広島や岡山兵庫大阪あたりの記述もないと変
36 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:24:19 ID:e4bi60Ka0
安さんって過激
37 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:24:45 ID:kT8OIqfrO
♪喧嘩をやめて〜
二人をとめて〜
私のことで争わない〜で
もうこれ以上〜ぉ♪
何この大会 内輪だけで盛り上がってんじゃねーよ
いや、やっぱり邪馬台国は近畿だろう
おそらく奈良
魏志倭人伝に書いてある方角や距離がけっこうデタラメって説もあるからな。
そうなるとすべて白紙に戻る。
41 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:25:01 ID:zowy2F9l0
>>6 これ壮大なほら吹き大会だからなー。
学生がとりあえずディベートの練習するため
思ってもいない思想を擁護するグループに分けられるように
大会を盛り上げるための反対派がほしいんだろうよ。
42 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:25:01 ID:OZinAQGvO
正直、フィリピンにあっても台湾にあっても、
どこでも良いよ。
他人様の墓を暴き立てるような破廉恥な大人にだけはなるな
と子供に教えている。
43 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:25:16 ID:EeGmgQAY0
金印は昔から捏造説があるけどね
>>34 当時の中国人に笑われるのなら判るが、当時の韓国人は石槍持って、イノシシを追い回していたぞw
さらに、三国志の地代の中国人と今の中国人は別の民族だしw
季刊「邪馬台国」100号(2008年12月号)
■100号記念祝辞
麻生太郎、麻生渡、川崎隆生、志村有広、田村圓
すげー
47 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:26:05 ID:aCID0bOJO
邪馬台国は皆の心に
48 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:26:11 ID:L8whN7Wq0
邪馬台国から大和朝廷へのスライド説がいちばんしっくり来る
>畿内説の学者が多い現状について「魏志倭人伝には九州内のことしか書かれていない。
>畿内説はねつ造と同じ」と過激な意見も飛び出し、大きな拍手を受けた。
拍手…ねぇ…
まあ、盛り上がったんならいいんでないの?
でもちかよんないでね。
50 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:26:42 ID:8sb/roZm0
1000ならスザンヌ
51 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:26:52 ID:Y0ZBrIH80
邪馬台国は地理的に見ても四国だよ
古墳がそこら中にあるし
閉鎖的な地域柄か世にお披露目されてない邪馬台国時代の
家宝を隠し持ってる旧家多数
52 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:26:54 ID:HyfwF3TO0
まあ九州だろうと畿内だろうと夢があっていいんじゃね?w どんどんやれw
53 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:27:06 ID:+U5Md1ZCO
DMCを思い出した
54 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:27:10 ID:+A9VtIzdO
邪馬台国が九州だったとしたら、
その後どうして大和(畿内)で王権が発生したのか説明がつかない
56 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:27:28 ID:cqzB+m6W0
歴史研究の落としどころが理系屋の自分にはよくわからなくて気になる
過去の事だから直接検証できないのは当然として
これくらい古いと他の証拠も早々出てこないだろうし
あとは"解釈したもん勝ち(※ただし勝敗判定はありません)"みたいな状態なんだろうか
つかみ所がなくて辛いだろうなと思う
南洋風は九州以南の風俗だろう
「やまと国」の話はあからさまな伝聞だ
58 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:27:59 ID:s+Sdd4fWO
59 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:28:06 ID:CUpVdiK00
>>27 wiki中国の科学技術史
羅針盤の発達を正確に追跡するのは困難だが、針と磁石の引き合いは
20年-100年頃に編纂された『論衡』で検証されている
60 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:28:08 ID:nt/DwoPPO
「捏造」とヒステリックにわめきたてないといけない程、九州説は追い詰められてるという事だね。
61 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:28:15 ID:jIZlEQ0m0
仮説を立ててそれを証明しいていくのではなくて、
結論を先に出し、いっさいの反論は認めず「捏造」「妄言」などと言って非難する民族がいますが、
この人達の祖先も彼らと同じ民族なのでしょうか?
62 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:28:33 ID:haP/N/2wO
魏志ワジンデンの信憑性について、以前2ちゃんねるで突っ込んだらファビョられたんだけどほんと怖かった。
麻生太郎 内閣総理大臣
麻生渡 福岡県知事
川崎隆生 西日本新聞社長
64 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:29:10 ID:3pl2osF+0
邪馬台国(やまたいこく)と今の奈良県の旧国名大和国(やまとのくに)今の奈良県の旧国名が
似てるのは何でだろうな。
ま、奈良人が日本とは奈良のことだとか、主張しだすとウザいのでこの辺で退散するわw
65 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:29:12 ID:LkjYJEcD0
66 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:29:21 ID:L8whN7Wq0
歴史学なんて半分は学者の思想信条が滲み出てくるロマンの世界
67 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:29:26 ID:Q4o6/yQ90
>>54 おまえは古事記や日本書紀すら読んだこと無いのか。
神武は九州から東遷して、抵抗する部族を打ち破って
畿内(奈良)に入ったと道筋まで示して書かれてあるだろうが
要するに天皇家は畿内では新参者www
邪馬台国は、エジプトだよ。
偉い学者の先生が、そう言ってる。
>>29 出土資料が少なすぎるから・・・
1000年単位の古生物学と
100年単位の考古学
個別の事件を出土資料や文字資料で追いかける歴史学は
全くの別物
70 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:30:43 ID:qGY3ukkx0
>>34 お前、日本語変なんだよ。
句読点使えないし、原住民てなんだよ、原始人て言いたいのか?
>>43 日本書紀に明治維新が書いてないと言うレベル。ほっとけ。
>>27 夜空で星座を探すのに方位磁石使う人?
72 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:30:47 ID:SMoyK0Rs0
>>48 邪馬台国が九州で、卑弥呼の子孫が神武東遷やって、
大和朝廷が出来た、って感じするけどね。
73 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:31:08 ID:Hx+qXmsAO
ハニワ
実は邪馬臺国じゃなくて邪馬壹(壱)国、って説はどうなった?
75 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:31:58 ID:l1uNA3ToO
原住民だぞ
因みに携帯電話からだから 句読点打ちにくいだろが
76 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:32:02 ID:6pn0W5Z60
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > 邪馬台国は九州にあったんだ!
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__ つまり人類は滅亡する!
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
l |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l | l. | | / //
l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
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. l |:.:.:.:.:.:.:∨:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.! /ヽ::: `::: :::: ....::..../
内輪でしか拍手貰えなくなったら、もうお終い。
卑弥呼=アマテラスだろう(´・ω・`)
79 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:32:33 ID:RU15kwxZ0
おまえらの期待通り
2年後 卑弥呼は韓国人といいだすに10円
80 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:32:54 ID:15wAjKkt0
卑弥呼様が薩摩女
卑弥呼様が京女
どっちがいい?
81 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:33:00 ID:icgyitrR0
マァ俺が一流のビジネスマンだった頃の話をさせてもらうと、
報告書ってのは、最初と最後のまとめ以外は全部嘘だから読むなって、
最初に教えられました。
82 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:33:01 ID:CUpVdiK00
>>54 朝鮮から来た人がまず九州北部に広がる。さらに瀬戸内海沿岸
を進む。その行き止まりが大阪
83 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:33:04 ID:VgpW7yK/0
>>23 >一般人でも簡単に資料検索、論理検証ができる。
できないよ。
歴史学に関する学術論文の多くはネットで公開されていないし、
そこで引用されている書籍や史料もその多くは史学科の置かれているような大学図書館でしか読めないことが多い。
国立大学の図書館を一般人にも開放してくれれば、もっと在野の人間も研究に加われるんだけれど、
せいぜい母校の図書館を利用できるぐらいなもの。
邪馬台大国全滅だ
85 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:33:23 ID:LkjYJEcD0
とりあえずこのスレで知たり顔で話してるが俺を含めて9割は仮説の成り立ちすらよく分かってないってことが分かった
86 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:33:28 ID:2X8Ek5nV0
>>27 太陽から方角を知るとか人類のもっとも基礎的な知識だろ
方角が分からなかったら中国どころか近所の山や海にすらいけないだろ
「この場所はなんて呼んでるの?」
(なにって、山としか言いようがないし)
「山たい」
「なるほど。やまたい国っと」
>>27 魏志倭人伝が記されてる三国志の魏30巻は司馬氏についての業績が書かれている。
この南は中国の南じゃなくて司馬氏が得た東夷(朝鮮の上辺り)の地方の南を表すらしい
鯨統一郎の、日本列島を南北180°ひっくり返す説が面白い。
実際中国は、地図で他国をそう描いたりしてたようだし
90 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:34:19 ID:IMfdmd6s0
>選考委員会で選んだ5人
最初から結論でてるんじゃない。
論争とか言うなよ。
邪馬台国
ヤマトイッコク
大和一国ってこと?
92 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:34:31 ID:nuuJySW50
>>54 古事記とか日本書紀にちゃんと書いてあるだろ?神武の東征って。
神武自身は架空としても、東に移動した事実を反映してるんじゃないか?
最初西にいた豪族が東に引っ越ししたのが天皇家の起源と読むのが自然だろ?
93 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:34:39 ID:+PXSCKaz0
東大主流派=九州説
京都学派=畿内説
単なる学閥の勢力争いです
本当にありがとうございました
94 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:34:50 ID:AdxvElFM0
卑弥呼って顔に刺青してたの?
>>59 魏志倭人伝は朝鮮の役人の報告
日本人からの伝聞だよ
その日本人が方向を調べる手段を持ってたのか疑問なんだよ
96 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:35:35 ID:4EKDVeZm0
テレビ東京で四国だってやってたよ。
97 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:35:40 ID:NldmEIOJ0
邪馬台国は九州にあったかもしらんが、
同時代に奈良にはもっと強大な国家があっただけ。
それが考古学的史実。
98 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:35:42 ID:LkjYJEcD0
九州からどんどん東に移ってるって事は500年後の首都は仙台で1000年後の首都は札幌だな
99 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:35:46 ID:jzX2oo050
>>34 その理屈で言うと人類の起源であるアフリカ人には頭が上がらない
100 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:36:00 ID:s+Sdd4fWO
個人的には邪馬台国は沖縄に有ったのではと思う
現在の日本国の源流としてでは無く、古代日本列島に数多存在した地方国家の一つでは無いのか
101 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:36:08 ID:Ejx4fVOr0
<丶`∀´> 邪馬台国は韓国ニダ
経路の途中までは、国名と地域が特定されてるんだよね?
なら、最後まで魏志倭人伝に忠実に考えればよい。
ということで、魏志倭人伝の記述をなぞると、邪馬台国は海上になっちゃうから、
邪馬台国は、海中に没した幻のムー大陸だったということでFA。
103 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:36:26 ID:VgpW7yK/0
>>95 当時の日本人は太陽が東からのぼって西に沈むことも知らなかったのか
104 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:36:48 ID:W6iGLDTPO
105 :
邪馬台国人:2009/05/19(火) 09:36:59 ID:fCztCkPo0
畿内説は捏造を支持する。
投馬国は遠賀川流域だよ。
理由。
奴国から陸路でも海路でも行ける位置にあること。
邪馬台国の北にあること。
邪馬台国人口は七万戸につぎ、投馬国は五万戸。
筑紫平野に次ぐ大人口を養うのは第二の大河遠賀川流域しかない。
投馬の川 → 遠間の川 → 遠河(おんが) → 遠賀川
ちなみに遠賀川中流域は中間(なかま)だよ。
神武天皇は遠賀川下流の「岡田の宮」から奈良へ出撃したんだよ。
そう書いてある。
ここまで言っても分からず屋は居るんだが・・・
卑弥呼って、当時のイケイケギャルなんじゃあないのか ?
お立ち台の上で踊っていたらしいから
107 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:37:10 ID:zsnaOp1h0
_ ∩
( ゚∀゚)彡 USA!USA!
⊂彡
108 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:37:23 ID:RU15kwxZ0
>>101 (´・ω・`)むしろ邪魔大国
<*`Д´*>なにぃ もういっぺんいってみろニダ!!
もう既に議論じゃない件
110 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:37:39 ID:6pn0W5Z60
魏志倭人伝とか大昔のお前らが書いた妄想だから信じるな
大分だけに、大痛い考えだな
113 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:37:57 ID:DpBy8BwNO
邪馬台国なんて魏志書いた人の妄想だよ
114 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:38:00 ID:LkjYJEcD0
ここまで「AV」という単語なし
じつはね、邪馬台国は埼玉だよ。
117 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:38:08 ID:icgyitrR0
お前ら魏志倭人伝みたことあんの?
あんなもん、適当に決まってるだろ。
小学生の夏休み日記みたいな荒さで、書いてあることも、
どうでもいいことばっかりで、
あの文章だけ取り上げて、卑弥呼が日本の王だったみたいなのは間違いだっつうの。
>>106 それって、邪馬台国バブルの頃だろ?
なついね。
119 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:38:14 ID:UVIZVxEE0
無双やってたら卑弥呼が関西弁喋ってたな
KOEIは畿内説を支持しているようだ
奈良の箸墓古墳とその周辺が3世紀の遺跡と証明されている以上、
九州で同規模で同時代かもっと古い遺跡が発見されなかったら九州節は弱いよ。
121 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:38:30 ID:gMLAEm6i0
>>106 沖縄のユタ(シャーマン)みたいな存在だったんじゃないかなあ。
122 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:38:41 ID:Ra6iULtm0
平城京から平安京みたいにどっちにもあったんじゃ?
神武紀元を前660年とすると、
卑弥呼の時代はちょうど神功皇后の頃になる
まあ、そうなる様合わせたか偶然だろうけど
124 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:39:35 ID:FYlfaomi0
水行十日陸行一月
なんてテキトーな記載をするから現代日本人が困ってんじゃん。
魏志編纂室はチャンと説明しろ!
ま、実際、畿内説は関西人の捏造だしなw
>>109 その通り。
魏志倭人伝の記述が正確さに欠けるため
その不正確さが「身勝手な読み換え」を誘発してる
こんなの歴史研究でもなんでもないよ
この時代のことなんか出土資料に拠らないで
外国の文字資料だけで何とか解明しようと言う奴の説は全部話にならない
127 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:39:50 ID:L8whN7Wq0
まあ本当のことなんかタイムマシンが発明されない限りわからんわな。
129 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:39:56 ID:AdxvElFM0
>>95 方角は生活の基本だぞ
日の出、南中、日没に夜は北極星
毎日繰り返される自然現象を当時の人が認識してなかったとでも?
山の斜面だって南側と北側じゃ樹木が異なる
高尾山に登ってみろ、登山道のそばの説明ボードに書いてあるからw
130 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:40:24 ID:S3Sp+WHMO
ゲストはもちろん
ハイキングウォーキングとみすず学苑の広告の人だったんですよね?
>>103 方角が確かなら、台湾かフィリピンになっちゃうよ
>>56 >あとは"解釈したもん勝ち(※ただし勝敗判定はありません)"みたいな状態なんだろうか
ある意味正しいw
現存する史料の解釈と発掘された遺物との整合性が取れていることが条件ですが。
奈良はウリナラのナラなんてトンでも解釈を使うのは、論外w
(古代語の音がまるで現代語と同じという前提がペケ)
133 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:40:58 ID:UTToD1ctO
あれ?じょふくが不老不死の薬探したの近畿じゃねえの 熊野古道通ってその時でかい町あったとかなんとか
やたがらすにもあったんだろ 神社あるし
記憶が曖昧だ(´ω`)
134 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:41:00 ID:DdCEQCbIO
「○○は韓国が起源ニダ」て騒いでる奴らと同レベル。
135 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:41:05 ID:SMoyK0Rs0
って、今改めて魏志倭人伝をパラ見してちょっとびっくり、
韓國ってこの当時からあった地名なんだ。
論争中悪いけど、これって古代中国のネタ本なんだよね
古事記を元に天照大神があったと言うようなもの
>>126 けど、経路の途中の国については、魏志倭人伝の記述を手がかりにして
位置を決めてたような。
西から昇ったお日様が東に沈む
くだらねー
○○の起源は韓国ニダ!
って言ってる馬鹿と同じだなw
>>124 あれ編纂室なんてないだろ
陳寿が個人的に編纂したものが、後に正史と認定されただけ
142 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:41:46 ID:w7T0TJwe0
九州には邪馬台国に匹敵するような大国があったんじゃないの?
143 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:41:47 ID:1+4Vc8Mj0
もうほとんど資料的には九州って感じなんでしょ。
144 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:41:48 ID:2EWiTLJM0
俺九州人だけど邪馬台国自体は大和にあったと思うよ
ただ東征伝説にあるように、大和と九州との繋がりは卑弥呼以前の
時代から大きかったのではないかと思うけど
捏造と言うのなら魏志倭人伝そのものが捏造みたいなもんだろ
146 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:17 ID:uEg7+deQ0
>>33 なに言ってんのおまえ。記紀くらい読め。
天孫降臨は宮崎、宇佐八幡宮は大分。もともとヤマト王権は九州と古いつながりがある。
147 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:20 ID:Ypd/JrgnO
古墳を掘りまくるしかないだろな
つか箸墓掘っちゃいなよ
148 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:21 ID:mGZ+BhZzO
とりあえず邪馬台国があった所で何が得になるの?
単に記念館作りたいから地元土建屋が主張してるの?
149 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:26 ID:ce7+NCg30
邪馬台国が東遷して大和朝廷ぶったてたんじゃないの?
神武天皇の東征みたいなもんで
150 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:33 ID:Nyii9aym0
◆栃木県があったとされる場所についての議論
古来より栃木県が存在したとされる場所についての議論が続けられてきた。
現在の学会において有力とされる説は、北関東説と畿内説である。
90年代までは北九州説を支持する者も多くみうけられたが、
九州があんなこと(お察しください)になった今では支持者が激減してしまった。
151 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:42:57 ID:VgpW7yK/0
ヒミコって呼び方自体にも長らく疑問がはさまれてなかったぐらいだしな
日本で「ヒミコ」と呼ばれていた名前を漢人が音写したら卑弥呼とは書けない。
魏志倭人伝って信頼出来るのか?
こんな国があるらしいよぐらいじゃないの
153 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:43:12 ID:uEKbF6n/0
>>34 で・・・その当時半島が文明国であったという証拠はどこにあるのかね?
154 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:43:21 ID:ERP9/qruO
邪馬台国は大和だよ
邪魔たい国は九州
155 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:43:22 ID:l3Gcoelo0
157 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:43:39 ID:SMoyK0Rs0
たぶん報告した役人が、
「倭に行くのはこんなに遠くて苦労したんです!(だから出張費もっとちょうだい」
って事で水増し請求したんだろうなあw
マルコポーロも 黄金の国を見たとか 巨人を見たとか
そんなんばっかりなんだから まともに考えても無駄だろ
159 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:44:01 ID:L8whN7Wq0
ホンマ日本の古代史はミステリーやでぇ。
邪馬台国以降の200年ほどが資料的にほぼ真空状態だしな。
♪いまに見ていろ邪魔大王国 全滅だ!
走れ バンバンバンバン 走れ バンバンババン
ビッグシューター 風より速い
161 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:44:55 ID:w7T0TJwe0
>>152 まあ明代の資料ですら結構日本についてはでたらめ書いてるからな。
162 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:44:59 ID:SMhJvRKi0
163 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:45:07 ID:7QcDssfe0
>>151 その断言は現代中国語なんかじゃなくて
魏音でどう読むかという前提に立ってるよね?
165 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:45:57 ID:gG43Z7KzO
>>1を読む限りでは、学者は畿内説を主張して
アマチュア歴史家は北九州を主張しているのか
166 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:46:20 ID:SMoyK0Rs0
>>161 現代に於いても「日本人はクマを食う」と思ってる国だしw
167 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:46:23 ID:fb5bYMJu0
九州説の連中とは文明が朝鮮半島の国から教わった説の連中だ。
だが大きな矛盾がある。
朝鮮半島の方が文明が高いならなぜ倭国の方が中国での扱いが上位なのか?
なぜ文明の低いはずの倭国が百済や新羅を屈服させ高句麗と互角の戦いを演じたのか?
邪馬台国が九州ならなぜわざわざ未開の地であるはずの近畿に遷都して大和朝廷になったのか?
京の都の天皇家が東京に遷都するのに千数百年の時間を要したことを考えればそれがどれだけの矛盾かわかるはずだ。
魏志倭人伝を深く読めば、張政は邪馬台国まで行ってないわけで。
伝聞の伝聞で書かれた書を妄信するのは危険だ。
168 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:46:25 ID:YlTjTdJWO
>>148ロマンがあるから議論してるんだろ。
必ず『実』が無いとダメかい?無用な論争だと思うかい?
そのうち、九州の方で 「萌え萌え卑弥呼タン」って言うキャラが出てくるな。きっと・・・
170 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:46:55 ID:5HcBsNWE0
まだ九州説信じてる(妄信してる)奴が多くてびっくりした。
171 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:47:13 ID:SMhJvRKi0
172 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:47:16 ID:/KhghYTbO
オレはあすかあきお説を信じるね。
>>166 熊は食うよ?
あんまり殺さないから
ほとんど流通してないだけ
174 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:48:09 ID:6pn0W5Z60
>>170 むしろこんなことに議論してる奴が多くてびっくりしてる
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く、
>>1 他にすることはないのですか?
176 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:48:32 ID:L8whN7Wq0
冷静に考えたら現役の国家で国の成り立ちがはっきりしていないのっていうのは
日本くらいじゃないかw
178 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:49:19 ID:IeYDidYO0
そもそも大和国を中国人が誤変換して邪馬台国になったんだろ?
179 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:49:34 ID:rh8A8uUM0
邪馬台国は盛り上がるなぁww
ツチノコやヒバゴンと同じで、本当にあったのか、いるのかいないのか
といった話で盛り上がってww
アメだって、ロズウェルやエリア55ネタは異常に盛り上がるしww
いや、おいらは馬鹿にしてこんなことを書いているのではないんだよww
おいらもこういった話は好きなんだよ。
だから、せめて偽書、東日流外三郡史や剣山のソロモン伝説や
日本のピラミッドの葦嶽山のことも忘れないで欲しいww
180 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:49:50 ID:VgpW7yK/0
>>141 私史ではあるけれど、いちおう著作郎の仕事の一環として、
宮廷書庫の史料を整理する形で編纂してるから、
どっかの部屋をあてがわれて、そこで部下のスタッフといっしょに歴史書作ってたと思うよ。
魏志倭人伝って魏の時代だよ?
お前らだって知ってるだろ?三国志の時代だぞ?
竜が出たり、雷を落としたり、星が落ちたら誰が死ぬか分かったり、
空を飛び回る怪しい爺さんが出てきたり、屋根の上で鷺が鳴いたら誰かが死んだり、
そういう時代の話なんだよ。
大体、中国からみたら、自分達から遠くの奴等は皆、蛮族で、
怪しい呪術とかを使って民を操ってるイメージなんだよ。
しかも数行の文章見て、何必死になってんだw アホかwwwww
182 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:50:04 ID:OLQt1Dq8O
アメリカ大陸をインドと勘違いした歴史的事実を考えれば
昔の書物でどこにあったか書いてあってもアテにならない気がするな
183 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:50:16 ID:lxoAKYDtO
平泉や蝦夷の中性以降の消えっぷりが半端ない
記録する文化ではなかったとしても、大和にすらまともに記載されてるのは風俗と衝突の歴史くらい
ハンカなんて明治後期までアイヌみたいな暮らしを本州各地でしてたのに完全に消えた
>>153 平壌辺りは文明圏だったよ
……公孫氏の支配→魏の直轄領だったから
>>36夜王さま???
186 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:50:52 ID:29UW08wi0
三国正史の信頼性からして問題あるのに倭人伝の記述がどうとかバカらしくないのかね
187 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:51:03 ID:l34x+TM/0
陳寿が日本や九州の地形や地図らしきものを把握していたとは到底思えないよな。
せいぜい東の方の小島ぐらいなんじゃね?まあ、誰もキッチリ地形なんて理解して
ないんだろうけど。
蓬莱の話とかも何となく東の海って感じだし。
188 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:51:05 ID:Nyii9aym0
大和朝廷と邪馬台国の関係がよく判らん・・・
大和朝廷が邪馬台国を滅ぼして、日本統一をした説と、
第10代目の天皇が、スサノウの命って言う説があったりするけど、
実際の関係ってどうなってんの ?
190 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:51:28 ID:nexwpbCQ0
そんな昔の事わかんないや
>>173 中国で熊の手が最高の料理なのも知らんの?
192 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:52:01 ID:oHQcRlAKO
九州と大和
双方に大国があったんでしょ
そのどちらかが邪馬台国と言われてるっぽい
別に邪馬台国でなくても大国だったのなら大騒ぎしなくても…
百済は日本の植民地だったと日本では教えているけど
韓国の授業では日本は百済の植民地だったと教えている
まあ古代史って都合のいいように書き換えやすいからね
>>178 そういう、読者によって都合のいい誤読がいくらでも許されてきたのが「魏志倭人伝」
邪馬台国→邪馬一国とかなw
卑弥呼って・・・
ヒメノミコトの当て字だろ 普通にwwwwwwwwwww
邪馬台国はウリの国起源
ニダ
197 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:52:46 ID:w7T0TJwe0
>>189 それがわからんから学者から素人まで好き放題言えるのがこの分野なんだよ。
だから邪馬台国論争というのは人気があるんだな。
198 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:52:53 ID:Ypd/JrgnO
遺跡の年代比定では近畿説が結構有利
倭人伝だと・・・まぁ読み方で決まる罠
邪馬台国は近畿、伊都国が奈良・平安における大宰府みたいなものだったとすれば
なんか辻褄が合うような気もする
199 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:53:05 ID:SMhJvRKi0
魏志倭人伝を否定してるやつは当然、邪馬台国の存在も否定してるんだよな?
都合のいいところだけ集めるのはもう検証方法として論外なんですけど
200 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:53:10 ID:2lghlGzsO
ヤマタノオロチがヒミコに化けてて女子供を生け贄にしてたって兄貴に教わったけど
201 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:53:12 ID:fb5bYMJu0
>>1の宇佐神社は宇佐族という「因幡の白兎伝説」のウサギのモデルになった一族を祭った神社であります。
太古の昔、北九州から山陰にかけて勢力をもっていた宇佐族(白兎)と半島南東部に勢力を持っていた和邇族(ワニ=サメ)との戦争が勃発した。
宇佐族は因幡の拠点を制圧されてすさまじい虐殺に遭った。
劣勢の宇佐族がまさに滅びようとした時に登場したのが謎の人物である大国主命(ナムジ)である。
>>167 > 九州説の連中とは文明が朝鮮半島の国から教わった説の連中だ。
全くの誤解です。
> なぜ文明の低いはずの倭国が百済や新羅を屈服させ高句麗と互角の戦いを演じたのか?
それって、大和朝廷の時代でしょ。邪馬台国とは時代が違う。無知蒙昧すぎる。
> 邪馬台国が九州ならなぜわざわざ未開の地であるはずの近畿に遷都して大和朝廷になったのか?
近畿が未開の地であったとは言っていない。すでに同族が近畿に定着していたでしょ。by 古事記
203 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:53:19 ID:6S+w8TduO
ねつ造とは大きく出たな
ならば学者はいりませんね
そしたら誰も邪馬台国の存在を証明出来ないけどw
こんなに情報が発達した現代だって
日本に忍者やチョンマゲつけた侍がいると思われてるんでしょ?
しかも、アメリカ人にw
魏志倭人伝が正史三国志だってことを知ってる人は案外少ないと思う
206 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:53:53 ID:yp+TM6hWO
私は卑弥呼の生まれ変わり。
夢で見る。
いつもすごく国を案じてる落ち着かない夢。
邪馬台国は九州です。
福岡佐賀大分長崎位です。
207 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:54:01 ID:gMLAEm6i0
マルコ・ポーロも中国人に日本のことを聞いて「黄金の国・ジパング」と書いたくらいだしね。
208 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:54:03 ID:AdxvElFM0
まあ支那人の記録が昔から曖昧で大袈裟で、事実と想像の区別がいい加減というのは事実だな
支那の歴史上の戦闘の記録では何がどうなったのか具体的に把握しづらく、再現が困難
カンネーとかザマの戦いの経過が相当詳しく分かるのとは対照的
史記の、始皇帝を暗殺しようとする劇的な場面も、あれは演劇じゃないのかと言われるくらいだな
209 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:54:20 ID:l34x+TM/0
>>181 三國志といってもソレは演技だろ。
ま、いっか・・・。
九州派って痛い行動が多いんだよな、どうしてなんだ?
211 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 09:55:21 ID:eQkwAvee0
>>198 邪馬台国は強大な国家などではない。
むしろ弱小国で倭の中心から離れた所にあった調停役と考える方が王の交代をうまく説明できる。
>>167 一行目は君の邪推に過ぎない。
後の大和朝廷自体が九州を故地としている以上
九州になんらかの重要性があったのは明らかで、
それは邪馬台国なんじゃないかなと主張しているだけ。
213 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:56:01 ID:w7T0TJwe0
>>207 最近の説ではマルコが中国に行ったことすら怪しいらしいよ。
214 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:56:14 ID:CSUixEtMO
>>1 ・選考委員会で選んだ5人に畿内説論者がいない
・コーディネーターまで北九州説
・結論出なかったのでまた開催
なんという出来レース…
というか、コーディネーターって中立の人がやるものだろ?
邪馬台国?
纏向だろどう考えても
>>120三世紀というが、誰がそれを証明するんだよwww
見たのか?タイムマシンでもあるんかよwww
217 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:56:40 ID:VgpW7yK/0
>>164 魏音なんてものはないよ。
古代音韻学という研究分野があって、正確な発音は不明ながら、
少なくとも日本語での音読みと同一でないことははっきりしてる。
>>209 >
>>181 > 三國志といってもソレは演技だろ。
> ま、いっか・・・。
いや演義じゃなくて、正史にでてるから。
かなり過激な意見だなw
まぁ、仲良くケンカしてくれ
221 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:57:23 ID:L8whN7Wq0
>>214 民主党が作った「西松建設問題検討第三者機関」みたいなもんだな。
取りあえずあれに郷原入れたらあかんやろと。
考古学的には畿内派にほぼ決まりなのに九州派は馬鹿でつねw
223 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:58:08 ID:c+vqvOd7O
イトとかマツラとかは北九州の地理が詳細に記載されていて、場所がほぼ
特定されてるのに、突如機内の邪馬台国ってのは現代的感覚でいうとおかしいよね。
倭人伝以外の地理の記述もこんな曖昧なのか?
224 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:58:18 ID:rkAoOybc0
やっぱ佐賀あたりじゃねえの?位置的には
225 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:58:31 ID:3lwHb9On0
>>206は典型的な九州説支持者だな
九州説を唱えるのは、
>>206の様に相当痛いメンヘルちゃんだけ
226 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:59:25 ID:IeYDidYO0
ジャパンとジパングを別の国だと思うからおかしくなるんだよ
227 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 09:59:59 ID:qvIsZbXV0
アマチュアは趣味ってことでわかるが
プロの歴史家ってなんだ?本かいたりで食っている学者?
邪馬台国はどこにあった論争って、朝まで生テレビと同じだな。
結論が出ない問題を延々と議論、紛糾し続ける。
そもそも、三国志なんて、出鱈目でしかないのに。
非常にどうでもよろしい
>>222 > 考古学的には畿内派にほぼ決まりなのに
考古学者は、ゴッドハンドが多いからなw
231 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:00:15 ID:hDrv0shfO
古代中国から伝わる
海の向こうの太陽神も
アマテラスの
ことなんだろうな
232 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:00:20 ID:rh8A8uUM0
>>152 魏志倭人伝で確実に信用できる部分は
邪馬台国という国が、日本列島のどこかにあって
卑弥呼という女王が魏に朝貢して、魏は金印を授けたという部分と
壱岐、対馬、松浦半島の記述だけだろう。
当時の中国人は(今でもそうかもしれんが)外国のことなんかどうでもよく
ただ単に、外人が朝貢してくれることのみに関心があっただけだろう。
>>223 魏書、呉書、蜀書、の列伝全部呼んだ事無いから知らん。
234 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:00:37 ID:RGJ5bdHXO
>>83 そうなの?俺の通ってた大学は国立だけど一般人入れたよ。
でも資料の原本や、本当に貴重な資料は東大にほとんど集中してて、真面目に勉強したいなら東大行かなきゃならんのだなと思った。
235 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:00:38 ID:eQkwAvee0
236 :
邪馬台国人:2009/05/19(火) 10:00:40 ID:fCztCkPo0
「邪馬台国」をどう読むかって「ヤマト国」しかないだろ。
実際「やまと」は実在だし。
ヤマト国をうっすら知っていて、汚い字面「邪馬台国」を当てたんだな。
「やまと」はすでに日本にあった国だな。
で、ヤマトなんだが、「山門」だろう。
太宰府を知っているだろう、あそこ。おおきな山体が左右から迫っていて地峡になっている。
まさに「山門」なんだよな。
博多湾岸の国、奴国からみると「山門国」は筑紫平野側となる。
「山門国」が奈良へ東遷したので、奈良が山門の国になったんだね。
山門がどうして大和になったのかというと
倭国が統一されたので「大倭国」
「大倭国」は字面が悪いので「大和国」になったんだ。
理屈はこの通りなんだが、あいかわらず分からず屋が多くてな・・・
237 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:00:49 ID:Ypd/JrgnO
>>211 強大じゃなきゃ、魏に使者を送ったり
印授を貰ったり、黄旗を貰ったりはしないだろ
後、倭人伝では、倭とは特定の同文同種で構成される民族的な扱いな気がする
だから半島南部を指して、ここからは倭の領域、と言ったのだろう
倭だからといって邪馬台国人?ではないが
邪馬台国人は倭人だろ
238 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:00:55 ID:fb5bYMJu0
>>202 >全くの誤解です。
九州説だと九州で発掘される村落に毛が生えた程度の集落を邪馬台国やその周辺国として認定しなくてはならなくなるのでどうしても規模が小さな文明の低い国家=邪馬台国と解釈されてしまう。
近畿から出土する大規模な都市国家を邪馬台国認定した方が自然なのにそうした矮小化をするのはどうしても朝鮮半島より後進国にしたいからでは?
>それって、大和朝廷の時代でしょ。邪馬台国とは時代が違う。無知蒙昧すぎる。
高句麗と戦っていたのは倭の五王であり大和朝廷の天皇だということが濃厚だが確定したわけではない。
時代的に卑弥呼時代とさほど変わらない年代なので特に分別する必要も無いので例示したまで。
>近畿が未開の地であったとは言っていない。すでに同族が近畿に定着していたでしょ。by 古事記
それは平安時代と置き換えて考えてみればいかに邪馬台国近畿移動説が無理な説かわかる。
平安時代も皇族や貴族が関東に赴任し土着した歴史がある(平家や源氏の祖先は天皇家)。
だが天皇家が関東に遷都するなんてありえない話だったわけで。
わざわざ九州に拠点を持つ邪馬台国が近畿に移動したなどという説こそがかなりの夢物語。
239 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:01:06 ID:EdFNgEew0
ジャンケンでいいじゃん
邪馬台国って記述、シナお得意の蔑むための当て字で本当はヤマトなんだってな
小日本とか獣偏なんかと同じで
卑弥呼もなんだっけ?姫?
あいつら半万年変わってないとか
>>159 それ以上にミステリーの
社会保険庁の年金記録問題www
242 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:01:41 ID:hYsDScyEO
ふけおかだな
どう考えても距離とか、地理的に考えたら福岡の糸島や甘木、朝倉の方が
正解だろうな。奈良や本州説を支持してるのは基地外以外の何物でもない。
244 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:01:57 ID:qvIsZbXV0
つべこべ言わずに銅鐸を掘り出すんだ
245 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:02:22 ID:1JVEIuYj0
九州でも機内でもいいけれど、その前に福井県の場所を特定するのは先ではないか、JK。
ヒミコは ヒメノミコト
ヤマトは、なんたらのヒメノミコト集う、様々なカミの集合体だった。
以上
天皇は百済から亡命してきた朝鮮人の王族の系統だから
248 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:02:28 ID:vorqAMPq0
>>234 だまされるな
原本見る必要ないって。
骨董品収集してるんじゃないから。
必要なのは情報だから。
249 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:02:35 ID:VgpW7yK/0
>>171 アホはおまえだ。資料と史料の区別もつかんのか。
資料には論文も含まれる。そして論文で引用されるような史料は大学図書館以外では目にできないものが多いって話。
まさか正史や記紀だけで歴史研究できると思ってるほど脳みそ沸いてないよな?
>>207 実際金の産出量が多かったんだから別にウソじゃねーだろ
昔の航海技術や造船技術なら関門海峡、
もしくは豊後水道から瀬戸内海を抜けて難波の津に着くのが当たり前
ツマ国は対馬、奴国は北九州、投馬国は鞆、邪馬台国は難波の津から上陸してちょっといったとこ
252 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:03:59 ID:DsPrbYxA0
九州説でOK、奈良は遠すぎるしな。
奈良は古代韓国語のナラ(国)の意味だって修学旅行で平壌に行った時習ったけど。
254 :
邪馬台国人:2009/05/19(火) 10:04:14 ID:fCztCkPo0
大きな国が辺境の野蛮国に征服されるって、歴史の常識だろ。
大きいだけで奈良説はいたたけません。
255 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:05:05 ID:TOO1+QjR0
邪馬台国の卑弥呼は京都府天橋立にある籠神社に伝わる海部氏勘注系図よると、
9世孫日女命です。薄汚い九州の宇佐神宮ごときが邪馬台国を語るな。
256 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:05:09 ID:vorqAMPq0
>九州説だと九州で発掘される村落に毛が生えた程度の集落を邪馬台国やその周辺国として認定しなくてはならなくなるので
>どうしても規模が小さな文明の低い国家=邪馬台国と解釈されてしまう。
それが曲学阿世っていうんだよ。
邪馬台国が強大な国家だったってのは何を根拠にいってるんだ?
邪馬台国は倭に属し、集落に毛が生えた程度の国だった。
それで何が悪い?
>>253 んなものは消去しとけ
ナラっていうのは「平らな」という日本語
耶馬って地名は大分にしか残ってないのでは
つまり
259 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:05:38 ID:OhOOGU5P0
>>238 兄弟で分割統治してたってことは無いのかな?
確か卑弥呼って妹居たし、姉が九州、妹が近畿とか
邪馬台国って、ウチの裏にあるやつか?
261 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:06:02 ID:rpgAGbi+0
九州説ってただの願望だろ
263 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:06:10 ID:HZXhZuCh0
この辺の研究は市井ではある程度の所までしか到達出来ないと思う。
宮内庁の奥底、もしかしたら歴代天皇しか知らない事がある・・・・ような気がする。
邪馬台国に関して論争するより宇佐神宮の後継争いの論争は収まったのかね。
参拝者から聞こえるような場所で怒号をあげて言い争いしてたとからしいけど。
いくら九州勢が騒いだところで邪馬台(ヤマト)国は大和地方にあったことは変わらん
九州は大和に制圧された方
>>253 > 奈良は古代韓国語のナラ(国)の意味だって修学旅行で平壌に行った時習ったけど。
チョンコウがwwwwwwww
お前に子供が出来たら、日本の学校に入れてやれよ。
お前みたいに、洗脳目的で嘘ばっかり叩き込まれたらかわいそうだろ?
267 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:06:59 ID:Ypd/JrgnO
>>253 奈良は平らにならされた土地、てとこから来てるとか
つか古代朝鮮語は資料がほとんど無いから、確かめるすべが無い
どちらにしろ、当時の関東は、失われた民族イバラギ族が支配していた辺境の地さ・・・orz
269 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:07:33 ID:VgpW7yK/0
>>248 そう、必要なのは情報だ。自分はどの情報に基づいて、それを主張しているのかはっきりさせる必要がある。
おまえはWikipediaに引用された史料を根拠にして自分の意見を主張するのか?w
だれかがどこかからまたがきした電子テキストを見て、研究したなんていうのかw
まず、文献史料に基づいて意見を述べるためには、その文献が善本であるかどうかが問われる。
歴史書は版本によって文字の異同がある。
どのテキストに基づいて話をしているのかはっきりしないと、ものを語る土俵にもあがれないんだよ。
>>237 実際にそう、百済などの国も倭人の国と考えた方が
全てがすっきりする、つまり百済と日本が同盟関係だったのは
同一民族だったからで、大伴金村の任那割譲問題も
攻められて困った同族を助けるという信条が働いたとすれば
納得できる、百済滅亡の時に日本に亡命してきた人が多いのも
異民族に支配されるよりは同民族である日本に逃げるのが
一番と考えたからと考えれば、簡単に理解できる。
九州に邪馬台国時代の大規模集落や古墳の遺跡が出ないからな
逆に畿内には多くの遺跡が発見されてきた、九州説は追い詰められてる
272 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:07:53 ID:/rB2ILXE0
史料以外の資料なんか雑音でしかないわ
あほかと
273 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:08:18 ID:ERP9/qruO
>>206 お前はただの朝鮮人
今も昔もこれからも、ずっとずっと朝鮮人
275 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:08:35 ID:fb5bYMJu0
>>240 初めて魏国に姿を現した邪馬台国の使者はおそらく荒海を乗り越え苦難の道のりを歩きに歩いて洛陽にたどり着いたのでボロボロだったのだろう。
可哀想に思うと同時に蔑む気持ちもあったでしょうね。
だが次の使者が来たときに魏の人々は大変驚いたわけで。
前回下賜した宝物等をそっくりそのままコピーして持ってきたから。
高度な技術がなければ作成し得ない銅製品は織物を邪馬台国は短時間でコピー製造した。
これで魏国の邪馬台国に対する見る目が変わり、戦略的に呉と戦う上で利用価値のある国だと踏んだ。
そして金印という最高級の位を与えられた。
276 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:08:39 ID:Ndj2jqUJ0
>>265 後に九州が呑み込んだのかも知れん
そのときに正統性を強調するために神武東征神話ができたのかもね
卑弥呼はチョッパリの捏造ニダ
>>247 根拠のさだかじゃないことを安易に断定してると嘘つきって呼ばれちゃうぞ
280 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:09:02 ID:M/oimL7K0
281 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:09:30 ID:CVGCh/tV0
これは老後の趣味だな
282 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:09:41 ID:hDrv0shfO
倭わ=和わ
倭国=和国
和国→→→大和国
宇佐 → usa = アメリカ合衆国
お前ら釣られんな。両方とも大多数の市民はどっちでも構わんと思ってるはず。
憎むべきはこういう日本国内の対立を焚きつけてる奴らだ。
情報は丸呑みにせず自分なりに噛み砕き、咀嚼してから結論付けろ。
舞台は全部韓国
286 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:10:00 ID:uLdDk92/0
魏志も確か、九州上陸までの経路は正確なんだよね
その後の経路、距離が曖昧でこういう論争になってる
ま、俺は、邪馬台国は失われたムー大陸だと思ってるけど
288 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:10:35 ID:2zZM6Scw0
遺跡出ない事にゃ話は進まんよ
やっぱ金印出てきたのが大きいよなぁ
290 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:10:45 ID:iOMpcD+60
三国志の時代に中国は、進んだ国であったが
日本には文字すら無かった後進国だったのだ、
そこへ朝鮮の百済から来た一族が日本に革命をもたらした
それは文字の伝来と天皇という支配組織だ
それが日本のはじまりだ
そして製鉄技術や建築技術も百済から来ている
>>256 当時の日本を更新国認定したくて必死だな、在日君
292 :
ドレミ男(MRTムーキン戦隊デジラジャー隊員):2009/05/19(火) 10:11:10 ID:8u7cgoB9O
邪馬大国なんて、中国の役人が適当にでっち上げた架空の国。
真相はそんなもんじゃなかろうか。
今でもあるだろ?
海外視察で、ネットで適当な論文作って遊びほうけてるのが。
金印は、中国が発行したものの、
(怒るわな。なんでテメエの国の衛星国家にならなきゃいけねえんだ、
うちの王様は狂女じゃない。シャーマニズムは北方だろう)
該当する国なんてあるわけなく、郊外の畑にうち捨てられたものが、後の世になって発見された
というのが真相じゃないかと思う。
理由は日本側に資料も何も残ってないから。
邪馬大国を信じるヤツなんて中国寄り……というより、
単なる舶来信仰の田舎モノだろう。
>>289 志賀島で出たからと言って、あそこが奴国だと認定していいものかどうか
294 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:11:42 ID:YlTjTdJWO
沖縄の南東付近にある海底遺蹟は、
この論争の鍵を握ると言われてるんだよな。
ここ数年九州説が弱まったからって畿内説を誹謗ですか
296 :
.:2009/05/19(火) 10:11:58 ID:GK90NAuYO
オレ奈良県民なんだけどさ、この論争は決着ついてほしくないなぁ。
なんか歴史には謎があるほうがロマンがあっていいじゃん。
297 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:12:01 ID:VgpW7yK/0
>>272 おまえみたいな先行研究も確認しないアホが、屋下に屋を架して喜んでるんだよw
何十年も前に通り過ぎたことを、自分が初めて発見したかのように言ってはしゃいでる。
遺跡、遺跡言う基地外が多いが、遺跡がある=大和
て思想自体がはなはだ可笑しいwww
1800年以上の前の建築物が遺跡として出てくる方が可能性は低いのにwww
299 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:12:27 ID:fb5bYMJu0
>>256 >邪馬台国は倭に属し、集落に毛が生えた程度の国だった。
>それで何が悪い?
そうなるとさらに様々な矛盾が出てきてしまう。
かなり無理な解釈を迫られるので邪馬台国はそれなりに勢力があった事実がないと歴史がゆがむ。
玄界灘の荒海を乗り越え支配が不安定な朝鮮半島から洛陽までの道のりを何度も使節派遣することは村落程度では無理。
300 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:12:47 ID:gzuoKYJI0
古代
なぜか関西人が邪馬台国をウリナラ認定する
(どう考えても邪馬台国は北九州だったのに、
近畿中心の政権ができたからって本家主張)
現代
なぜか関東人が日本をウリナラ認定する
(どう考えても日本は近畿(奈良周辺)だったのに、
関東中心の政権ができたからって本家主張)
いつの時代も同じだな
301 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:12:48 ID:qvIsZbXV0
魏志倭人伝のは古代の経費捏造報告書
というショートショートがあったな
302 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:13:00 ID:wZTt+mVp0
日本は昔の事は本当に解らんからな
>>290 三国志の時代の中国人 ≠ 現代の中国人
百済 ≠ 朝鮮人
だけど・・・('A`)
>>263 儀式などにも、皇太子にしか伝えられない物がたくさんあるから
代々の天皇だけに伝わる秘密の言い伝えは絶対あると思う。
それこそ神世の昔から続く言い伝えが。
まぁ俺は、金印自体が捏造だと思うけどね・・・
>>236 当時の日本は文字がないから、あっちで勝手に当て字しただけじゃね?
>>284 いや、こんなん巨人と阪神とかみたいなもんだろw
>>290 その妄想より徐福伝説のほうが信用できそうだw
310 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:14:00 ID:w7T0TJwe0
311 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:14:06 ID:KzegSV9Z0
畿内論者をフルボッコにしたかったけど出来なくてガッカリ
312 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:14:30 ID:Ypd/JrgnO
>>270 百済は、好太王碑や七枝刀の由来から見れば
倭というよりは、日本が属国にした、という感じかなぁ
どれも一応、倭と百済は区別はしてるから
完全に同文同種って訳では無いと思う
その後、日本の半島に対する影響力は徐々に衰退し
金村の話やらがあって、最終的には白村江の戦いになる、て感じかな
313 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:14:44 ID:hnp3kc/20
俺が今考えた新説では倭はアメリカ大陸って事にしちゃってる
直感だけで言えば邪馬台国って、ヤマト国の当て字だよな。
>>40 真面目に当てはめると海の中になってしまうんだろ?
だから沖縄の海底神殿も話があがって来るんだよな。
316 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:15:10 ID:5wd13suXO
各説の真偽はともかく
スレタイの宇佐神社ってなんだ(´・ω・)
ちゃんと神宮って書いてくれよ
317 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:15:10 ID:iOMpcD+60
九州の福岡周辺には、装飾古墳が沢山有る
そしてそれらには丸い円状の絵が多数描かれている
その他は色あせていて不明だが こえが数千カ所あるんだが
特に久留米から日田に掛けては、装飾古墳が明治初期の時まで2,000カ所はあった
今は果樹園開発で昭和初期に壊されて無いけどな
九州はねーな
高千穂というのも本当は現富士山のことを言うし
初の天孫降臨も九州じゃあないんだけどね
ただ人皇である神武が九州出なので配慮しただけ
319 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:15:23 ID:DsPrbYxA0
俺の勘だが、そこらじゅうに人間があふれていたんだろ。
「わてが卑弥呼だす」
「おいどんが卑弥呼でごわす」
「
>>268 そこで、サイタマの日本王国ですよwww
by珍説日本史ミステリーより
321 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:15:39 ID:/f8fNWsbO
>>296 確定したら邪馬台国関連の本が売れなくなるから
確定しなくていいって、考古学の先生が言ってたw
322 :
邪馬台国人:2009/05/19(火) 10:15:51 ID:fCztCkPo0
ついでに言うと
大和朝廷が成立した三世紀後半から四世紀にかけて
世界中でペストが蔓延したらしい。
ローマ帝国が滅亡したし、前漢が滅亡したし、三国時代の人口は五百万人とも
いわれている。
当然日本にもペストが蔓延したのだろうから、人口は減少して
国家活動も衰退して歴史がよく分からなくなってしまうんだ。
だから大和朝廷が不意に歴史に登場する様に見えるんだね。
北陸説
324 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:16:06 ID:SMoyK0Rs0
>>299 邪馬台国は連合国家だろ。
卑弥呼の居た所が一応中央って事になるんだろうけど、
そこが小さい集落でも別に矛盾はないんじゃないの。
宗教的指導者なんだから、権力と国力は比例しないっていうか。
邪馬台国がそれなりの規模の国で近畿にあったとなると、
記紀に何の記述もないのが、逆に不自然な気もするけどねえ。
何か、邪馬台国に関する伝承が残っててもいいような気がする。
>>199 東方見聞録なんて嘘っぱちだから日本も当然ないんだよね?
金印ってたしか畑から発見されたとか習ったが
なんでパクらなかったのか不思議でしょうがなかった
328 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:16:28 ID:6pn0W5Z60
じゃぁ俺も新説
『邪馬台国』は二つあったッ!
九州と機内にいっこずつでいいじゃん
>>305 天皇家の古墳の発掘許可が下りれば、いろいろな事が判るのに、許可が下りないんだよね。(´・ω・`) ?
>>320 サイタマの王の話も大変興味があるな・・・くさなぎの剣でも発掘されればいいのに・・・(´・ω・`)
331 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:17:06 ID:ierze5PY0
邪馬台国=九州説とすると、200年後ぐらいの畿内の大和政権とは
別系統ということになる。
畿内地域は大和政権成立以前から相当な先進地域だったわけで、
それが中央政権が成立する条件となった。
邪馬台国の規模はわからないが、少なくとも吉野ヶ里級を上回る
レベルだったことは確かだろ。そんな部族連合国家が跡形もなく
消えるというのはあまり考えられない。
もし九州にあるなら、畿内の大和政権と拮抗するぐらいの勢力を
もっていたはず。そうした痕跡がないとすれば、やはり邪馬台国
は畿内にあったと見るのが妥当。
奴国の金印にしても後漢所期だし、
邪馬台国と200年ぐらい時期がはやい
200年あれば勢力分布は相当変わるから、
奴国がその後も志賀島博多一帯にあったとはいえない
333 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:17:24 ID:fb5bYMJu0
>>309 呉の孫権が日本に人狩り用船団を派遣した根拠は徐福伝説だったわけで。
日本各地の徐福伝説や天の磐船伝説、さらに頻繁に発掘される弥生時代の船型の棺などから考えれば日本人の祖先は船に乗って大陸の南部から渡ってきたというのが濃厚だ。
それなら邪馬台国や大和朝廷がなぜ高度な文明を持っていたかも説がつく。
これが噂のメイドインUSAか
336 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:17:49 ID:+//YAOoM0
337 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:18:01 ID:iOMpcD+60
>>303 お前 欲嫁
中国と書いてるが 中国人とは書いてない
朝鮮と書いてるが、朝鮮人とは書いてない
お前日本語も読めないのか?
俺は今現在の国の名前でしか書いてない それが説明しやすいからだ
当時の人間も国の名前もあやふやなのに、それを中国人とか朝鮮人とか判断できるね
馬鹿はこれだから困る
自分が信じる歴史を、証拠も無いのに真実認定
他の有力説を捏造と言って、出来レースの会合を開いて勝利宣言
どこの半島民族だよ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
お前ら、まだ金印とか信じてるの? 発見された経緯を良く調べてみろ 明らかに嘘だぞ
341 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:18:42 ID:yRWn6VKZ0
高知に住んでる俺は四国だと思います。
>>137 卑弥呼の左側のわら着姿の物体なんだ?ww
おれが最近、読んだ本によると
なんでも三国志の時代は中国の東北地方で朝鮮半島との出入り口にあたる所は
公孫淵という人が支配していたらしい
朝鮮半島より東の国の使者はみんな公孫淵の所にいってしまって
魏にはこなかったらしい
倭国も公孫淵の所にいってたらしい
そして魏が公孫淵を滅ぼしたら倭国の使者が魏にくるようになった
公孫淵を滅ぼした立役者は司馬懿で
三国を統一した晋王朝の始祖だ
そして三国志は晋王朝の本なんだな
つまり魏志倭人伝は晋王朝の始祖の功績で
えらく遠い国からも朝貢がくるようになったことを書きたいだけらしい
だから距離がめちゃくちゃ遠い方がいいし、人口も多い方がいいので
実際の倭国よりも誇張して書かれているらしい
344 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:19:16 ID:6pn0W5Z60
345 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:19:34 ID:r2VSDIk7O
うんにゃ、非常に良く分かってるよ。
邪馬台国と呼ばれた勢力が北九州に有ろうが近畿にあろうが、
所詮、瀬戸内海を船で簡単に行き来できる程度の距離。
正確な場所がどっちでも世界史的には大差ない。
そんな細かいトリビア部分を除けば、非常に良く分かってる方だ。
個人的には九州だと思う
そもそもあの時代に対馬から奈良までをある程度統一した王権が
まとめて支配できていたとは思えない
そんな強力な王権があったならもう少し資料が残っていてもいいだろうに
だいたい卑弥呼の200〜300年後ぐらいでも大和朝廷は九州を完全に支配しているとは言い難い状況なのに
347 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:20:22 ID:RDX9Bn/v0
なんだ
「アマチュア歴史家が持論を展開し合う」
MMRか
348 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:20:26 ID:w7T0TJwe0
>>331 磐井の乱あたりまでは九州に独立勢力があったんじゃないかな。
負けちゃったから乱扱いなんだろうけどね。
349 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:20:29 ID:8u7cgoB9O
>>327 確か当時、取得物は届けないと、刑罰にかかる恐れがあったから。
350 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:20:34 ID:wZTt+mVp0
どうせココまで資料が少ないのでは
決定的なモンは出てこないでしょ
何時までも言い合うと予想
女王国より北は、特別に一大率を置き、諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っ
ている。常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。王が使者を京都(洛陽)や帯方
郡、諸韓国に派遣したり、郡使が倭国に及ぶときは、皆、港に臨んで点検照合し、文書、
賜物を女王に詣でて伝送するが、間違いはあり得ない。
賎民が高貴な人物と道で出会えば、後ずさりして草群に入る。言葉で伝達すべき説明
事は蹲(うずくま)るか、跪(ひざまづ)いて、両手を地に着けて敬意を表す。応答する声
は噫(いい)と言い、これで承諾を示す。
その国、本は男性を王としたが、七、八十年で中断し、倭国は擾乱、互いの攻伐が何年
も続くに及んで一人の女性を王として共立した。名を卑彌呼といい、鬼道(五斗米道の教
え)に従い、(呪術で)よく衆を惑わす。年齢は既に高齢で夫はなく、弟がいて国の統治を
補佐した。王位に就いて以来、会えるものは少なく。婢(下女)が千人、その側に侍り、
ただ一人の男性が食事を給仕し、伝辞のため出入する。居住する宮殿や楼観、城柵は
厳重に設けられ、常に武器を持った守衛がいる。
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。その南に侏儒
(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。また、その東南に裸国やK
歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央
の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、周囲を旋回すること五千余里ほど。
景初二年(238年)六月(通説では景初三年の誤記とする)、倭の女王が大夫の難升米
らを派遣して帯方郡に詣で、天子(魏の皇帝)に詣でて朝献することを求めた。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm > 女王国より北は、特別に一大率を置き、諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている。
> 常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。
> 女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
>>331
だからなんで、遺跡が無い=邪馬台国では無いになるのw
今は見つける事が出来ない状態かもしれねぇのにwww
詭弁すぎるw
353 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:20:49 ID:fb5bYMJu0
>>324 それは否定しない。
西ドイツの首都だったボンのように経済と行政が切り離されれば可能。
もしかしたら卑弥呼は傀儡でありそういった小さな集落に押し込められて、実際に軍を掌握して邪馬台国を運営してた一族が大和朝廷の始祖だったかも知れませんね。
張政が卑弥呼と直接会えなかった様子とも合致しますし。
面白い。
日本の学者が延々研究してて、現代ではその主流は畿内説
断言しまくってる2ch学者の皆さんはとんでもなく凄い学者ばっかりだな
356 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:21:01 ID:PaSmS791O
最近の九州は近畿を目の敵にする傾向がある
チョンの混血が多く日本より韓国に親しみ持つ反本州の土地だから当然か
357 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:21:08 ID:6OB+A6V70
>>89 そうすると九州を頭にして馬の形になるんだよね。
東京から先に伸びる前足、後ろ足とおっぽはロシアに島で繋がっている。
>>151 オカルトスレで読んだけど
当時は日本語の発音はパピプペポが強くて
卑弥呼はピミコ(ポ)とか読んでたらしいぞ
>>324 卑弥呼の居た集落だけじゃなくて他にもろくな集落が見つかってないわけだが
まさか九州にある村落が畿内の都市国家を支配してたと?
なんで不正確な魏志倭人伝を根拠に歴史を確定しようとするのか。
もっと神話を大切にしろ。文字に残ったもの全てが正しいわけではないぞ
そもそも魏志が書かれた理由をもう一度考え直せ
なんでも外国、中国が客観性を持ってるとの思い込みもいいかげんにしろ。
そこでプロの発掘による発見が生きてくるわけですよ
363 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:21:50 ID:RsiCVnTx0
>>72 と同じ意見だ。
邪馬台国が ヤマタイコク と発音したなんで誰にも分からないからな。
364 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:22:09 ID:hDrv0shfO
大和帝国は地方に王がいて
王を統括する天皇がいた
金印は地方の王がもらっただけ
366 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:22:24 ID:iOMpcD+60
>>309 徐福伝説はその遙か前だからね、これも八女市に徐福の文字のある古墳が出ているからね
徐福+百済の融合じゃないかな
妄想は膨らむが
367 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:22:34 ID:PJ0jK6kv0
邪馬台国に関する資料が日本には一切無いからな
>>343 倭人伝自体が捏造なら、この話はそれで終わり。
邪馬台国もなかったかもしれないし、
卑弥呼なんていなかったかもしれない。
そもそも倭の使者が本当にやってきたかも、怪しい。
当時の日本のことはまったくわからないで終わり。
このスレに書き込む意味もない
369 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:22:57 ID:fk8tw5Uf0
で、幻の関東日本王国は?
> 女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。
> 女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
はて?奈良県の東に海があったっけ?www
>>312 確か、中国の資料に百済は王族が扶余族で
国民の大半が倭人で後少しの漢人が居るとか書かれてたと思うんだけど
俺の記憶違いかな
372 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:23:25 ID:wZTt+mVp0
>>361 神話を大切にしろって・・・
確か隣にそんな国があったような
374 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:23:35 ID:lGVh7wMS0
>畿内説の論者がいなかったのは 残念だが、
欠席裁判!
>>359 卑弥呼、邪馬台国
何で、女王が 卑 って漢字が付くんだよw
何で、国の名前に 邪 って漢字が付くんだよw
376 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:23:47 ID:n+k9Lv9C0
清水義範がこのネタでおもしろい小説書いてたけど題名れれた
簡単に言うと九州観光で佐賀をスルーしないで吉野ヶ里だけでも見てくださいっていう熱い主張なんだよ。
九州旅行でいつの間にか通過してる。それが悲しい「佐賀」
その時代に大きな前方後円墳を作るような文明があって、
その後も各地方に大きな古墳がどんどん作られていく過程をみればわかるだろ?
>>352 普通に考えて開発の程度同程度以上なのに全く痕跡でてこないのが不自然
奈良の方は同時代の有力なものぽんぽん出てんのに九州は全くでてこないとか考えにくい気がするが
380 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:24:52 ID:LksKhBVG0
何となく九州のような気もするけど、魏の使者が直接行って見てきた訳でも無いのでよくわからん
381 :
1/2:2009/05/19(火) 10:25:00 ID:7MO+fpiv0
韓国人がよく天皇家の起源として取り上げる武寧王
*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html 玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部にしか見られない「コウヤマキ」であることが
確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000点近い遺物が出土したが、
驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。
すべてが中国の南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。
「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので島君(せまきし)と言う。」という記事があり、
武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。
島で生まれたから、斯麻王という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?
武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち武寧王は日本人なのか?
どうして佐賀県で産まれたのか?
>>258 ああ、大分に景勝地で有名な耶馬溪って地名あるな
宇佐神宮の隣の町じゃん
あのあたりが邪馬台国だったんか!!!!
金印の同定者→亀井南冥
南冥は新設された二つの学問所の一方である甘棠館の祭酒(学長)に就任
翌年(1784)2月に両学問所が完成。
↓
1784年4月12日、福岡県福岡市東区志賀島南端、叶崎の「叶の浜」で金印が出土
↓
郡奉行から福岡藩へと渡り、
亀井南冥によって『後漢書』に記された金印であると同定された
※発見したのは甚兵衛という地元の百姓。
※ただし近年の研究では発見者は秀治・喜平という百姓という説も。
捏造けっていーい^−^ゴッドハンドけってーい
384 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:25:18 ID:zmQS0q6N0
>>264 あとバス乗ってる途中で駐車場のトイレ借りに来た婆様を
トイレ使うなら金払えと怒鳴りつけて追い返したDQN管理人の話もあったな。
霊験あらたかどころか、俗物の吹き溜まりじゃねーか。
385 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:25:21 ID:iOMpcD+60
>>360 筑後平野には筑後川が流れているこの川は長い間
南に北へと何度も流れを変えながら古来の住居跡や遺跡を飲み込んで消している
河川の氾濫が多い筑後川の流れが、古代の証拠を消している
残ってるのは山に近い地域に古墳や集落跡が有るだけだ
386 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:25:42 ID:TK3YcVJM0
秀吉に征服された恨みを持ってる事も九州と韓国は共通してる
秀吉の近畿が憎くて仕方ないんだろうな
「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」
倭人は帯方郡の東南の海にいて、山勝ちな島に住み国を作っている。
●帯方郡は朝鮮半島中西部。三国志に出てくる公孫氏によって作られ魏の支配下となる。
「舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國」
昔は百以上の国があって、漢の時には朝見する国もあった。
現在は、使訳が通じるところは30の国がある。
「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
(帯方)郡から倭へ行くには、海岸に沿って水行し、韓国をへて、南へ行ったり東へ行ったりして、
その北岸に当たる狗邪韓國につく。ここまで、七千余里。
●「到」を使っている。狗邪韓国は朝鮮半島南部とされる。
「始度一海、千餘里至對馬國」
始めて海を渡り、千余里で対馬国につく。
「又南渡一海千餘里、名曰瀚海。至一大國」
再び“瀚海”という名の海を渡り、千余里で一支国につく。
●壱岐とされる。
「又渡一海、千餘里至末盧國」
さらにもう一度海を渡り、千余里で末盧国につく。
●佐賀の松浦半島とされる。ただし根拠は名前が似てるから。
「東南陸行五百里、到伊都國」
陸地を東南に五百里進むと伊都国につく。
●「到」を使っているのはここと狗邪韓國だけ。至と違いはあるのかないのか。
福岡の糸島半島とされるがこれも名前が似てるから。
>>368 発掘された遺跡完全無視とは凄え学者様だな
389 :
2/2:2009/05/19(火) 10:27:17 ID:7MO+fpiv0
五世紀の半ば、百済は高句麗の圧迫を防ぐため、日本と同盟を結び、日本に人質を送っていた。
ところが雄略天皇二年、人質であった池津媛は不義を犯したことをとがめられて処刑された。
このことによって日本との関係にひびが入るのを恐れた百済の蓋鹵王(こうろおう)(加須利君かすりのきみ)は、
その弟軍君(こにきし)(昆支こにき)を日本におくることにした。
そのとき、王は軍君の要望にこたえて側室の一人を与えたが、彼女はすでに懐妊し、産み月も近かった。
王は、途中で男の子が生まれたなら、ただちにその子を送り返すようにといった。
軍君が筑紫の各羅島(かからのしま)に到着したとき、側室は男児を産み落とした。
島で生まれたので男児は「島君せまきし」と名づけられ、百済に送り返された。この男児は成人ののち王位を継ぎ、武寧王となった。
ttp://www.yoyokaku.com/sub7-21.htm
390 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:27:27 ID:fk8tw5Uf0
>>375 昔、どっかの宗教団体の本の「卑弥呼の霊言」で、本人が熊本じゃね?と言ってるのを
読んだ記憶がある。そこで本当の名称は、やまと国のひむか(日向)だと。わかったか。
391 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:28:07 ID:mC8MFdFYO
>>375 中国特有の他国を卑下する文化
日巫女=ひみこ=卑弥呼説もあるからな
じゃ…邪馬台国?
とりあえずお前ら、金印はほぼ捏造だから、理解した方がいいwwwwwwwwwww
>>330 魏の役人がとりあえず九州まで来て、
「ここから先に行くのウゼー、俺らここで待ってるから届けて来いよ」
と現地の役人に言ったあと、接待接待で遊びほうけて
卑弥呼からの返事が来た後も、接待接待で遊びまくってて気がついたら
「やべ!すげー日数経ってるぞ」
と言うことになって
「とりあえず邪馬台国って死ぬほど遠いから
使者が帰ってくるのに時間かかったってことにしよーぜ」
と言うことであの記述になったとかw
396 :
1/2:2009/05/19(火) 10:29:48 ID:7MO+fpiv0
韓国の前方後円墳 被葬者は列島人か? 伊藤秋男教授の講演から
http://www.hpmix.com/home/no15/C14_1.htm ところが1983年、ソウルに近い韓国精神文化研究所の姜仁求先生が、大學の新聞に韓国にも前方後円墳が
あることを発表され、慶尚南道の固城にある松鶴洞1号墳をその代表例にあげられた。
以後、韓国における前方後円墳の発見は相次ぎ、現在までに全羅南道から発見された11基が日韓双方の
学者により前方後円墳にほぼ間違いないと認められるにいたっている。
ところが、不思議なことに姜先生が代表例としてあげられれた松鶴洞1号墳はその11例の中に入っていない。
後からの調査で、それは前方後円墳ではなく、一つの円墳の横にもう一つ円墳をくっつけた、いわば双円墳
であるとが判明したからであった。
ところが、また、この松鶴洞1号墳はやはり前方後円墳であるという学者が現れたから面白い。
名古屋の南山大学の伊藤秋男教授がそれである。先生は日韓の学者らが前方後円墳として認めた11基を
つぶさに観察し、これらが持っている@石室の内部構造、A石室の内部を丹(酸化鉄)で赤く塗ってあること、
B円筒埴輪、きぬがさ埴輪、ハソウなど周濠など周囲からの出土品などの特色を抽出し、それらがいずれも
韓国には見られない日本の前方後円墳固有のものであることを確認した上で松鶴洞1号墳もこの特色を備え
ている以上、外見の相違はどうであれ、まぎれもない前方後円墳である、と断定されたのである。
397 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:29:50 ID:Ndj2jqUJ0
>>299 おまい 魏志倭人伝を読んでいないの確定
邪馬台国は7万余戸しかない。
他の国は数100ー4000戸の集落。
398 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:29:54 ID:RsiCVnTx0
>>375 おいおい これ書いたの邪馬台国の人間じゃないんだぜ。
「東南至奴國百里」
東南に進むと、百里で奴国につく。
●今まで海・陸行を書いてたのにここから方角と距離のみになる。だから実際は行ってない説あり。
「東行至不彌國百里」
東へ行くと、百里で不彌国につく。
●ここだけ「行」が入っている。違いはあるのか。
「南至投馬國水行二十日」
南に二十日水行すると投馬国につく。
●今まで方角と距離だったのに、ここから方角と日数に変わる。
「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
南に十日水上を進み一月陸を進むと邪馬台国に着く。女王が都をおくところ。
●邪馬台国と書いてるのはここのみ。以降は女王国。
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳」
女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった
●つまり上記で道程を書いた国は女王国より北にある。
「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、
次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、
次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、
次有烏奴國、次有奴國、此女王境界所盡」
次に斯馬(しま)国有り・・・次に奴国有り。これ女王の境界の尽きる所なり。
●奴国が2度目の登場だが、女王の南の境界とすれば、伊都国の近くの奴国とは別なのか。
奴のつく国が多いので一文字抜けているだけかもしれない。
「其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王」
その南に、狗奴国がある。王は男である。
狗奴国の官を“狗古智卑狗”という。女王に従わない国である。
>>391 当時の日本に文字があれば、日巫女を掘った板ぐらいでてるんじゃね?
>>270 倭人の関わりが深そうなのはむしろ弁韓、辰韓
>>329 だって墓だもん
おまえ先祖の墓他人に調べさせるかよ
>>385 それこそ都合の良すぎる考え方だろ
いくらなんでも全くでてこないなんてことがあるわけがない
他の暴れ川の付近から発掘されてる遺跡もあるだろうに
ところで、その川の変遷の資料ってどんなの?
興味あって読んでみたいんで教えてほしい
405 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:31:18 ID:+EHmNeH3O
>>386 そんなこと思ってるのは視野の狭い歴史ヲタだけだよ。
思想に取り付かれて今を見てない人。
406 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:31:20 ID:SMoyK0Rs0
大陸との接点が多い九州の方が文明が発達してたと考えるのは自然だろ。
畿内で独自文明を発達させて九州を凌駕する大和族最強伝説も面白いけどw
407 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:31:38 ID:iOMpcD+60
>>400 そうそう中華思想を基本に当時のことを考えないと無理だしな
408 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:32:06 ID:Ndj2jqUJ0
>>395 「冬でも生野菜を食し」とか 外部の視点でないと書けないものもあるが?
410 :
2/2:2009/05/19(火) 10:32:30 ID:7MO+fpiv0
そしてさらに、これらを踏まえて、その披葬者についても、日本から帰国した韓国人が、滞在中の見聞に基づき、
それを模して造ったとする韓国人学者の説を不自然である、として退け、この地に派遣されて、この地の高級官僚
となった(たとえば中国での阿倍仲麻呂のような)列島の人が死に臨んで故国の墓制を半島に持ち込んだもの、
と推定された。
たしかに、葬制という伝統的な色彩の濃い習慣を廃し、わざわざ自らの国で、異った葬制を採用することは不自然
であり、列島人が死に臨んで故国の葬制を持ち込んだとするほうが自然である。
先生はまた、11基の古墳すべてが全羅南道のものであり、松鶴洞1号墳のみが慶尚南道のものであることに
ついても、近い将来、朝鮮半島の南岸、ことに伽耶といわれた洛東江の西側に前方後円墳が発見される可能性はき
わめて高い、と期待されている。
411 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:32:39 ID:8u7cgoB9O
>>390 そういや、当時の中国の発音では
ヒミコを
ヒムハと
言っていたらしいな。
「自郡至女王國萬二千餘里」
(帯方)郡から女王国までは、一万二千余里である。
●郡から末盧国まで1万里。奴国まで700里。残りは1300里。
「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
「有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里」
その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国から四千余里。
「又有裸國、黒歯國復在其東南、船行一年可至
參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里」
また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至る。
参問するに、海中州島の上に絶在し、あるいは絶え、あるいは連なり周旋5千里。
文民そろって歴史を捏造し長兄たる大韓からの多大な恩と寵愛を
劣等意識を払拭しようとする愚考により無視しようと躍起になる
こんなだから倭(日本)は国が発展しないのだ
414 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:32:58 ID:PJ0jK6kv0
東方見聞録でさえあんな無茶苦茶なんだから
それより遥か昔に書かれた魏志倭人伝を丸々信用するなんて無理
その当時の中国からすれば
日本列島は遅れまくっている発展途上地域なワケだからなあ
416 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:33:15 ID:r2VSDIk7O
間違いなく、当時の中国人には、朝鮮と日本の区別は明確にはついてない。
朝鮮に行って伝聞した話を倭人伝と書いたかもしらん。
今でも外国に行けば、日本語と朝鮮語は違うのかと聞かれるぐらい。
それに対し、日本神話は、少なくとも日本は朝鮮と違うという大前提からスタートする。
真実は、それこそ一種の神話に過ぎないのかもしらん。
だが、その価値観で語りたい以上は日本神話を元にするしかない。
倭人伝を元にする以上、我々は朝鮮と区別の付かない矮小人種の一つであるという価値観で見ねばならんのだ。
京都じゃないか?
山城=山代=ヤマタイ
418 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:33:45 ID:HfjH4teOO
電波大会
>>412 > 「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
> 女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
これは瀬戸内海だろうな。
そもそも中国の資料を中心に日本の歴史を考えようってのが馬鹿だよな
日本の歴史は日本の資料で考えるべき。文章だけじゃなくて出土品なども含めて
>>330 つーか、岡田英弘先生が
司馬懿と曹真のパワーバランスから適当にでっち上げた説を出してたな
曹真が西域の大月氏の朝貢を仲立ちした功績に張り合わせるために
司馬懿には東方の蛮夷の朝貢の仲立ちをしたことにしようとしたと
どちらも距離的に同じくらいになってるところとか、
あきからにバランス取るためのつじつま合わせらしいぞ、岡田理論によるとな
金印が九州から出たんだから九州に決まってるだろ
アホだなぁ
三国志読んだら分かるだろ?
○○から数十万 ○○から数十万 あわせて数百万で戦争をした
って、世界の人口が一挙に集まったの?っていうぐらいの話。
>>406 遺跡や発掘物がたくさん出てくる方を重視する方が当然だと思うんだけど
>>417 当時の日本に文字があったかどうか疑わしいのにw
文字媒介で考えると破綻するよ
426 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:35:35 ID:SMoyK0Rs0
文字さえ発明してたらなあ。
今の日本人の祖先なら記録魔だったろうから、
むちゃくちゃ資料残りまくってたろうに。
428 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:36:10 ID:8u7cgoB9O
つーか、こんな所に昼間っから書き込みしてねーで
来年、宇佐に行って論争してくればいいじゃねーか。
429 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:36:13 ID:Ndj2jqUJ0
済州の王桜や刀を携えて開拓に来たのは韓人なんですけどね
對馬や九州は大韓半島の渡来人が最初に開拓を始めたとこだし
畿内も奈良(ウリナラのナラ)や飛鳥(アスカ→アンスク安宿)だから
どちらの説とっても人喰らいの土着倭人を豊かにしてあげた
431 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:36:15 ID:iOMpcD+60
>>404 南側が今は地理的に高くて広い場所がある
そこに集落後が出てきているからね そこが卑弥呼が居ただろうとも言われている
河川の変化したあとは、戦後間もない航空写真を見れば解るし、歴史的な書物と地名で解るよ
河川が有った跡は山の近くまであるし今じゃ北側に移動して固定されてるが、上流の地域は河川の横に集落後がある
これは3,000年くらい前の跡らしい ここは山からの流れだしだから氾濫の影響は少なかったと思う
問題は下流域の氾濫が多いことだ、斉明天皇の宮の跡も流れたみたいだし
432 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:36:42 ID:fk8tw5Uf0
そういや、九州にはマルタイラーメンというのがあるが
これが、何かの鍵になるのか。
きみたちの思いやりマインドで、邪馬台国は東村山にあったということにしてもらえないか。
434 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:37:07 ID:6pn0W5Z60
イタコに頼んで卑弥呼よべば解決
>>422 金印は国宝認定だから捏造とかあり得ないしな
>>387 千餘里
千餘里
千餘里
こいつの距離感どうなってんのw
韓国人が卑弥呼朝鮮人説でアップを始めました
438 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:37:45 ID:SMoyK0Rs0
>>424 確かにね。
瀬戸内の海を通れば比較的安全に畿内まで来られる訳だし、
取り入れようとする意欲があれば文明は発達するな。
>>310 朝鮮学校のご出身ですか?
キム親子は神様なんですよね?wwwwwwww
全世界からテロリスト指定されてますよwwwwwww
どうしたんですか?
440 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:37:58 ID:r2VSDIk7O
記録はがっつり残してるべや。
古事記とか出雲国風土記とか。
ちゃんと読まないだけや。
対馬・壱岐・伊都国(筑前糸島付近らしい)で邪馬台国。
畿内説は正しくないような気がする。
ひょっとして大和(畿内)邪馬台国(九州)の国が2分してたとかはないのかな?
>>395 ネタにマジレスされてもなw
まあ九州までは来たからじゃね?
>>384 それ、神社の人じゃなくて市が雇った第三者だったはず
宇佐神宮のせいにするな
444 :
2/2:2009/05/19(火) 10:38:12 ID:7MO+fpiv0
>>416 「魏志倭人伝」
男子は大小関係なくみんな髭面、イレズミをしている。
海に潜って魚や貝を取り、イレズミは身を守るおまじないでもある。
その風俗、淫らではなく、男子は皆もとどりのままで
冠の代わりに木綿を頭にかけて、
服は幅の広い布を巻きつけるだけで縫ってはいない。
女子は髪を結い、一枚の布の真中に穴をあけて頭を通して着ている。
倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。
朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。
集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。
身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。
身分の低い人が高い人と道で出会ったときには、後ずさりして草の中に入り、
何かを伝えたいときにはうずくまったりひざまづいたりして、
両手を地に付けて物を言う。
返答は”アイ”と言う。承諾した事のようだ。
>今でも外国に行けば、日本語と朝鮮語は違うのかと聞かれるぐらい。
併合してたんだから当たり前だろ。
日巫女って書くと萌えだよな
卑弥呼だと鋼鉄jeegになるけど
446 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:38:35 ID:w7T0TJwe0
>>426 日本語を表記することができなかっただけで、漢文を読み書きできるやつはいたように
思うんだけどな。中国で内乱があるたびに難民が日本に来ている事実を考えたら
三国時代にも読み書きできる連中が九州あたりにはいてもおかしくないと思う。
大和朝廷と邪馬台国が別系統の国って可能性は大だよな
日本が統一国家だなんてどこにも書かれてないし、つかむしろ分裂して争ってたぽいし
常識的に考えれば四国ってことになるんだが
>>382 耶馬溪は、その字から邪馬台国と関係あるのでは
とも思われがちだが、この名は江戸時代に頼山陽がつけた
と言われている。
だが、もともとも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、
頼山陽は、それに耶馬とあてたものだ。
山国川は、英彦山(ひこさん)から中津市へと注ぐ川で
英彦山はもとは日子山と書いた。
英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行ったときと
古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html 宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。
日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、卑弥呼を「ヒミカ」と読んで
これと結びつける説もある。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif 宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。
そもそも邪馬台国自体が統一王朝じゃないんだから。
当時日本に混在していた国の情報がごっちゃになってる可能性が高い。
>>426 文字だけじゃなくて竹簡とか記録を残す媒体がそれを許さない
大量生産大量消費時代の感覚はいろいろ歴史を読み誤らせる
邪馬台国自体全部フィクションとか
しかしこのスレ、進行はやいなw
455 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:40:57 ID:Ndj2jqUJ0
いざなぎ、いざなみ神話で 結婚の儀式で木の柱の周りをぐるぐる回るというのがあるのだが
この結婚式のやりかた、屋久島に残っているのです。
>>440 邪馬台国があったとされる年代から500年後じゃな
周の初期に倭人がいたって記述もあるしいわゆる渡来人を指してたのかもしれない
>>417 漢字定着した年代いつなんだよw
っつかそうそう1500年以上前の地名が発音まんま残ってるわけがない
>>431 歴史的な書物や地名ってどんだけ曖昧なもんで断定してんのよw
比較検討バリバリ出来るほど残ってるもんでもないだろうに
地層や川の跡なんかを地学的に解説した資料でもあるのかと思ったらそんなものだけで断定するとか
そもそも1500年前にどう呼ばれてたかなんて明確にわかることそうそうないっつの
459 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:41:45 ID:hDrv0shfO
いま、ちょうど
自家用のタイムマシーンで
弥馬台国行ってきたんだが
弥馬台国は畿内にあったよ
菅原氏の前進、土師氏も天皇と同じように大和国出身なんだが
大和国を中心に、土師氏が円墳をつくってたよ
>>448 > 常識的に考えれば四国ってことになるんだが
外に出て旅行ぐらいして来いよ。
四国みたいな山と水不足の場所で、繁栄できる可能性などない。
461 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:41:51 ID:92fw0LIC0
英彦山には、何かある。
462 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:42:08 ID:fk8tw5Uf0
中国としては、属国印を授けたい適当な集落が九州にあったという事だろ。
真の天孫降臨が富士で、初代天皇が畿内であるのだからどうでもいい事だ。
>>460 しかし古墳が畿内に次いで多い件について
465 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:43:19 ID:sOn0PCB80
>>416 じゃぁ日韓併合は別に旧領土併合で間違ってなかったのかも
>>446 確かに亡命するのはいつの時代も政権の首脳部だな。
いや、だから四国にあったんだって。それを大和に移して統一王朝にしたんだよ。
なぜ四国が発展から取り残されているかを考えればわかるだろ。
古代王朝の神聖な場所だから歴代王朝が手を付けてこなかったんだよ。
469 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:43:55 ID:Ndj2jqUJ0
冬でも生野菜。
畿内説だと4−5世紀にビニールハウスが発明されていなければならず
今後の遺跡調査が待たれる。
470 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:44:40 ID:r2VSDIk7O
邪馬台国や卑弥呼を日本の祖先と執着する時点で、日本と朝鮮をキリキリ分ける考えは捨てねばならんのだよ。
どっちも東夷の一種の扱いなんだから。
それを分けたければ、まず日本神話からスタートするしかない。
それを中国から見たら、こんなふうにも見えたんだなあ、というだけの資料が倭人伝。
>>461 ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
[ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ //
. i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/
i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::|
! |: |
ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、
ちょっと青森の恐山に行って、卑弥呼の霊を降臨させてくる・・・(・∀・)ノ
最近どうでもよくなってきたわ
その時代に大和と邪馬台国の2大勢力があったと考えるのが妥当じゃないか?
四国なんてどうでもいいがな(´・ω・`)
476 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:46:08 ID:Ndj2jqUJ0
>>470 魏志倭人伝
魏志韓伝
とりあえず読んでおけ
中国の歴史書、地理書といえば、
ココから向こうの奴等は野蛮で、卑しく、相手にする価値はない。
最低限の朝貢はあるが、価値がない。
というのは提携文だと思うけどな・・・・
>>469 冬でも生野菜は、使節がとどまった九州の話
邪馬台国はそこから更に奥にあって、使節は直接行っていない
480 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:46:50 ID:RsiCVnTx0
>>473 「その名前では該当者が見つかりませんでした。」
481 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:47:51 ID:BLQ6txON0
天皇は韓国からきたチョンらしいね
>>475 二つしか勢力が無いなんておかしいだろ
戦国時代はいったいいくつ国があったんだよ
それこそ無数だろ
>>193 百済は大陸の扶余系で朝鮮族とは全く関係ない事を韓国では議論すらしないんだよなw
同じく扶余系の高句麗に関しても全く同じで、中国にケンカまで売ってる始末w
古墳って実際には盗掘にあいまくりで、ただの土の山なとこが多いんじゃw
仁徳天皇陵だって実際にはもはやなにもないんじゃなかろか。
体裁整えるために宮内庁が調査禁止してるとか?
全くスルーされてるが、参加者の一人が説く「山陰説」ってのは何なんだ?
487 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:48:20 ID:Ndj2jqUJ0
>>27 おまいは太陽つうものを知らないのか?
北極星も知らないのか?
488 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:48:29 ID:vVRhswcO0
てか、おおかたの九州の土着民が日本人にカウントされたの明治以降なのに
九州人の厚かましさどこぞのミンジョクににてるな
>>416 『魏志韓伝』ってのもあるよ。
当時の半島は、馬韓・辰韓・弁韓に分かれ、三韓と呼んでいた。
http://www.yu-ji.com/map1a.gif 『魏志韓伝』には、弁辰十二か国の名がのっている。
その中には、不斯(ふし)国とか、弥烏邪馬(みあやま)国、狗耶(くや)国、
安耶(あや)国、斯盧(しろ)国などがあり、その斯盧国が強大になり、やがて新羅国になる。
弁辰十二か国の中に、涜盧(とくろ)国というのがあって、
その国は「倭と界を接す」とある。
これは海の向こうは倭というようにもとれるが、
界を接すとは陸上で国境を接してることで、倭人の国(あるいは九州の飛び地領土)が
南朝鮮にあったのではないかと考えられる。
弁韓には鉄を産し、「韓・わい・倭、みな、ほしいままにこれを取る」と書かれているから
倭人が南朝鮮で活躍していたことは確かだろう。
490 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:48:40 ID:wBBmErqKO
韓国がアップを始めました
邪馬台国は浮上して今は月の裏側に隠れてるよ
邪馬台国 → ヤマトコク
卑弥呼 → ○○のヒメノミコト
>>482 メジャーな勢力が大和と邪馬台国
マイナーな勢力が無数
これでいいか?
494 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:50:09 ID:YskDxHX40
>>481 日本の天皇は系譜をさかのぼれば中国系だぞ
大陸から来たのだ
496 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:50:22 ID:PaSmS791O
当時の日本人が猛獲より劣っていたとは考えられんw
497 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:50:24 ID:PZQPKED+0
そもそも倭人なんて見下した言い方してる文献に
信憑性があるのか?
畿内の土着文化は銅鐸文化。
銅鐸文化は卑弥呼の時代ぐらいに突然姿を消す。
天皇家の祭祀に銅鐸は使われてないだろ?
ちょうど卑弥呼の時代に西からの勢力に銅鐸文化は滅ぼされてるよ。
499 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:50:33 ID:rckUEEF6O
>>446 大学の教授がそんなこと言ってたな
かしこがたまってできた国が日本
卑弥呼 = 天照大神 って説を棄てない・・・(・∀・)ノ
伊勢神宮の中に、卑弥呼、出生の秘密が隠されているに違いない。
>>485 アメリカ軍が・・・・。
アスカアキオが書いてた。wwww
502 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:51:27 ID:1MZ21N9I0
普通にヤマト国だろ。
何だよ、ヤマタイコクってw
>>492 発音や読みを重視するのはあんまよくないと思うよ
妄想するには楽だけど
>>497 でも盗みもないし殺しもない温厚な性格の民族だって
記述してる部分もある
邪馬台国は淡路島
506 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:52:12 ID:Md8CwqdM0
ドラえもんでは2008年に邪馬台国の場所がわかるって話だったんだが・・
のび太が聞いたが、ドラえもんは「ああ、あそこだよ」ってなってた。
>>494 そのころ中国なんて国はないし、何を言ってるんだか。
| よいか皆の衆!
..__ | 友人に卑弥呼の知り合いがいるが、
│足┃ /\ | この子、あまり評判良くないらしい。
│軽┃/__\∠ 頭が悪い足軽女で、簡単に寝るんだって言ってた。
│女┃( ・`ω・´) \__________
 ̄ /━∪━⊃━━<>
し'⌒∪
>>503 >
>>492 > 発音や読みを重視するのはあんまよくないと思うよ
> 妄想するには楽だけど
お前は古文書や歴史書が、音的当て字で何種類も違う単語で書かれていることを知らないんだな?
510 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:53:33 ID:r2VSDIk7O
韓という言葉は、中国から見れば、中華秩序に加わり文明化されてる意味が加わり、基本的に良い言葉だ。
古代朝鮮人も自称してたろう。
それに対し倭というのはドワーフという意味。
民族の自称である大和とイコールだとかいう話にはならん。
自称してたとも思えぬ。
511 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:53:48 ID:8u7cgoB9O
野菜で思い出したんだが、
縄文時代は日本でも南十字星が見えたんだよな。
気候も違ってたんだろうな。
縄文時代とか古代の日本は、野菜が冬でも採れるように暖かかったのかな?
平安時代は簾に手あぶりで冬が過ごせたし、
逆に江戸時代は火鉢が発達するぐらい夏でも寒かった。
512 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:54:07 ID:ZRCrcznfO
あくまでも仮説の領域のものを断定的に力説するとは、なんとも滑稽な話だ。
513 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:54:18 ID:d/HHK+qSO
近畿から九州までがヤマト国なんだろ
魏志倭人伝はほとんどどうでも良いんだよなw
ようは邪馬台国を大和朝廷と認めるかどうかの話
親魏倭王というくだらん歴史を受け入れるかどうか
へたすりゃチベットのように侵略されるからある意味注意
淡路島でいいんじゃね?
神話になぞらって
516 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:54:33 ID:46xgoBm90
つか飛鳥昭雄先生の研究では当時現在の九州は本州とくっついていた
おまけに約90度反時計回りの向きに位置していた
現在の日本とまったく同じと考えて結論づけるな
>>470 東夷は異民族という括りであって民族名じゃないだろ。
畿内説は夢があるよな
邪馬台国はヤマト朝廷だった!
卑弥呼はいわゆる天照大神だった!
とか まあないんだろうけど……
ヒメノミコトを当時の中国で当て字したら卑弥呼になると?
521 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:54:55 ID:wSFi9vO20
邪馬イ国が正しい
>>406 文明が発達してたということと、支配力があった(軍事的に強い)ってのは別の話だぜ
山田国(ヤマダ) → 邪馬台国(ヤマダイ)
当時は技術がまだ未熟で、
稲作は、海近くの平野よりもむしろ、
中流の山がちのところで、主に行われていたから。
>>504 原住民的なアットホームな感じだったんだろうな。
だが、権力構造が構築されていくにつれギスギスした関係になる。
525 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:55:15 ID:iOMpcD+60
>>458 古来からあるお寺の書物は大友相隣が支配したときに、大部分が燃やされて居る地域だ
そして地名で河川だった場所は、大抵解るだろうが
古文書の河川の絵を見ると、山側に河川が流れている
更に古墳の絵も河川が山側にある、昔からの言い伝えで河川の事は何度も変わったとある
興味が有るならお前さんが自費でこの地域の地質調査したらいいじゃないか
全体で50KMしかないから20億くらい有れば足りるだろうな 頑張れ
526 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:55:57 ID:1MZ21N9I0
>>497 だよなあ。
>>510 倭は「和」でしょ。
勝手に大陸の方が酷い文字を、当ててるだけじゃないかねえ。
527 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:56:03 ID:vjvUA3mf0
俺の見解だと、昔の人がわざわざ、遠くに都を移動させないと思うんだよね。
飛鳥、奈良、平安ってのは奈良から京都程度の移動だったわけでしょ?
その何年も前に九州に都があったってのはどうしても信じられねぇなぁ。
ただ、金印は九州で見つかったんだよなぁ。これが不思議でならない。
水晶ドクロとかナスカの地上絵みたいな不思議なモンなのかね。
単純に考えて九州北部にそこそこの中国との窓口のような街があったんじゃね?
なんと言うオナニー大会www
万里の長城が万里無いのと同じで、
あの国は自分達を大きく見せ、他国を小さく見る。
そういう国だw
>>511 >縄文時代は日本でも南十字星
詳細きぼんぬ
531 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 10:56:34 ID:Ndj2jqUJ0
>>27 つうか方角を知ってたから 南とか北とか名前を付けたんだろうが
なんつう本末転倒
>>494 ちょっとまった。
するっと支那の工作はやめてもらおう。
ここは日本だから支那へ帰れ
>>519 > ヒメノミコトを当時の中国で当て字したら卑弥呼になると?
ヤマトコク
○○のヒメノミコト
逆から考えてみよう。
日本で、高位のシャーマン、女性。
この時点で、既に、ヒメノミコトという名前は確定的。
535 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:57:27 ID:/8eqnDXR0
陸行水行、東だ南だなんてのはあてにならん。
そのころの日本において類推しうる出来事なり人物の資料を
探した方がまし。とすると、神話とはいえ、天照大神が一番それらしい。
弟が政をしていたこととの符号、二代目(岩戸から出てきた天照)との符号と
非常に近い。最近では神話とはいえ、同時代とする意見も出てきてるそうな。
536 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:57:30 ID:QkuTGw7h0
ヤマタイ朝廷は何で近畿にあるんだよ
>>469 お前、実は歴史を知らないだろ、当時地球は温暖期で
今よりずっと温かかった、平安時代頃から寒くなり始めて
それにつれて装束も厚着になっていったんだよ
538 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:57:40 ID:RsiCVnTx0
もともと日本にいた縄文系土人に知恵の付いた渡来系がきてごっちゃになったのが
今の日本、沖縄から近畿に向かっていくにつれ賢いやつがが多くなってくるのが証拠です。
>>526 勝手に以前に当時の日本はまだ漢字を操れてないだろ
>>527 > その何年も前に九州に都があったってのはどうしても信じられねぇなぁ。
別に、九州に日本の首都があったわけではない。
当時は、日本国が成立するはるか前だから。
541 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:58:11 ID:YskDxHX40
日本人はもともとは中国系だぞ
ただ土地が離れていたから文化や風俗が分離していって
別の国になってしまったが
>>497 その頃のことを書いた記録がそれしか
ないんだから仕方ない。
基本的にそれを全部本当と考えて、解釈するか
ウソと考えて無視するか。
ウソだするとと、遺跡から「ここには大きな国があったようです」
くらいしかわからず、物語にならないから、つまらない。
てことで本当と信じようというのが、ここの人たち。
一部本当で一部ウソなどと言い出すと、
「その違いが、俺だけはわかる」という霊能者が出てきてしまう
543 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:58:54 ID:UBxOzi2HO
>>524 それ嘘だから
縄文は牧歌的ではなく血なまぐさい時代
九州説でも別にいいよ。
邪馬台国はヤマト王権に滅ぼされた地方勢力の一つって事ですべては解決。
546 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:59:32 ID:fk8tw5Uf0
>>494 大陸から戻ってきたの。
実はキリストもそうなんだよ。
地球の天孫降臨自体が日本の富士なんだから。
そんな遠い時代の在るか無いかわからない遺産で、町おこしをしようという姿勢がどうしようもない
549 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 10:59:56 ID:yinuc9kh0
畿内にあったのなら、上陸地点は丹後半島あたりだろ
別の勢力地に上陸して徒歩で行くとか考えられん。しかも案内までさせて。
>>541 > 日本人はもともとは中国系だぞ
中国系って言うのはおかしい。
長江系とかなら、まだ分かるが。
551 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:01:01 ID:r2VSDIk7O
いや、倭は、日本語で自分や我々を意味するワだよ。
今でも山陰では、自分のことをワと呼ぶ。
これに方向を示すレが加わって他の地域では我という。
552 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:01:14 ID:Ndj2jqUJ0
>>497 倭人が見下した言い方だというのは今日の考え方
553 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:01:46 ID:1MZ21N9I0
魏志倭人伝より日本書紀の方が、信憑性はずっと高いと思うけど。
奈良時代の日本国が発行した正規の歴史書より
中国の得体の知れない怪しげな短い文章に重きを置くのが、全く意味不明。
ここは日本なんだし。
554 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:01:50 ID:j8blsw4IO
>>537 お前、実は歴史を知らないだろ、当時アジアは寒冷期で
今よりずっと寒かった
勉強しなおせよw
>>540 魏志倭人伝に、邪馬台国の東にも、倭人の国がある
と書いてる。
九州説は、機内には別の国があったとしてるよ。
それにそれから500年後に、隋へ行った日本の使者が
「東には大山があり、その東は毛人の国」
と言ってる。
これは明らかに東日本のことだろう。
そんな時代でも、東日本は毛人と描写してるのに、
畿内説だと、そこより東も倭人だと言うだろうか
556 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:02:01 ID:UEURw8JM0
>>544 で、滅ぼされた側の邪馬台国がヤマト政権を乗っ取ったと主張する奴が
涌くのがこのスレか。
558 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:02:09 ID:QkuTGw7h0
>>544 滅ぼされたにしては、大和民族とクリソツな音なのは不思議だ
>>498 >>天皇家の祭祀に銅鐸は使われてないだろ?
衝撃が走った
たしかに3種の神器?は鏡とかだよな
鏡っていうと、何だかやまたいっぽいww
>>541 > 日本人はもともとは中国系だぞ
DNA 的に調べると、インド北部の民族と一致するらしいが・・・
中国や朝鮮とは違うらしい。
>>553 日本書紀って、九州の話ばっかりだよね。
>>551 > いや、倭は、日本語で自分や我々を意味するワだよ。
>
> 今でも山陰では、自分のことをワと呼ぶ。
> これに方向を示すレが加わって他の地域では我という。
お前な・・・ちょっと中国語勉強してみwwwwwwww
ヲー シー リーベン レン
i am japan ese
わし にほんじん
i am japanese
わかりましたか?
>>541 大和民族の故郷はバイカル湖、特亜の出る出番はない
565 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:03:31 ID:RsiCVnTx0
>>527 金印って砂浜に落ちてたんだろ。難破船につんであっただけじゃね。
>>32 出土場所と言われている付近に畑があった形跡がないんだと。
568 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:04:41 ID:IxemQElmO
宇佐神社は秦氏が作ったから、ネストリウス派やユダヤとつながりがあるって言われてるよね
>>527 親魏倭王なんていう金印を天武天皇や聖徳太子が見たら捨てたくなるだろうなw
ワーシー りーべん(ヤーパン) れん(イン)
わし じゃぱんじん
わし にほん じん
わし にほんじん は 間違いなく 中国語と同じ語源だよ
おいしい も 中国人には伝わる 地方によっては おいしいねぇ!でまんま伝わる。
漢字文化圏であることは 否定できないよ。
まぁ、一般人は糸島、甘木、朝倉説支持が50%はあるからな。
572 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:05:49 ID:lvZMIfKy0
台風の影響を考えると瀬戸内側に面していて山地の北に
あり火山がないところにあったと考えるべきだな。
それと地震が少ないところ。
573 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:05:52 ID:QkuTGw7h0
>>568 大陸系だけど、そこまでは考え過ぎだろw
>>566 志賀島の山にある畑の下から出たんだが。小高い丘のような山だけどね。
575 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:05:56 ID:DpUWTqpqO
576 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:06:06 ID:SMoyK0Rs0
>>551 子供の時山陰地方にいたが、相手を指す時に「わ(ら)」って言ってた。
卑弥呼の国が九州にあって、大陸との交易で栄えていたと同時に
各地に邑国家がたくさんあって
大陸より逃げてきた渡来人がその地の豪族と結びついて
奈良に安住の地を作ったのかもしれないな
578 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:07:00 ID:EZUjdaG/O
580 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:07:32 ID:IpgMft8yO
マキムク遺跡がちょうど卑弥呼の時代のもので大規模で同時代の他の遺跡にはみられない祭事のための都のようなつくりになっている。
その近くには崇神天皇陵がある。
近年の考古学によって日本書紀に書かれている崇神天皇は実在したとされる説が有力。
書記に書かれてる岡山らへんでの争いの形跡などから崇神天皇がいたとされる時代は卑弥呼の時代と重なるそうだ。
卑弥呼はあまり表に出ずに弟に指示を出し弟が表に出て政治をしていたがその弟が崇神天皇だったりしてな。
卑弥呼は院政みたいな感じで天皇を操ってたのかも。
581 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:08:18 ID:BXVw1h2j0
卑弥呼の死亡年といわれる248年に、北九州で皆既日食が起きている
もし卑弥呼=アマテラスなら、卑弥呼の死と同時に皆既日食が起き、
これが天の岩戸の説話になったのかもと思っている
( ‘д‘)y-~~<九州説のカスはホンマアホやなw 朝から大笑いしたわwww
>>560 詳細記ボンヌ
なんだかんだいってDNA的には大陸と近いんじゃなかったか
>>527 金印が本当に福岡の志賀島で見つかったのかどうかも怪しい
金印が見つかったのって、江戸時代だったけ?
畑からひょっこり金印、百姓が見つけて・・・
真実だと思うか?
>>527 畿内土着の文化は卑弥呼の時代くらいに滅ぼされてるよ。
どこの勢力が滅ぼしたのかだが、
銅鏡を祭祀に使うのは日本では元々北部九州の文化だ。
大和朝廷から連なる天皇家の祭祀でも銅鏡が重要なのは知ってるよな。
そういうことだよ。
>>580 崇神天皇が魏に朝貢して、金印をもらったってこと?
畿内説は太古の昔から天皇家が日本を完全支配してた事にする陰謀かもしれん。
589 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:09:21 ID:QkuTGw7h0
卑弥呼って神話じゃねぇの?
日本国内にそう言う人物や国があったって話が無いのが不思議だ
590 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:09:27 ID:UEURw8JM0
ワ は、 漢字文化圏で 自分のことを指す 音だよ
我=和=日本というのは、語学や文化をしらない人特有の発想。
まぁ朝鮮人は、ウリっていうらしいけどねwwwwwww
ヲーシー イーベン イェン → 私は、日本人です
わし にほん じん
私は にほんじん です
まんまですから
>>551 そういや、大分出身の死んだばあちゃんが
自分のことをワって呼んでたわ
ワがこれした何したって〜
九州の山奥でも使ってる言葉だよ
>>570 漢字文化圏ではあるが大和言葉とチャイニーズの言葉は完全に別系統
というか文法すら違うのに僅かな言語の類似で特亜文化にこじつけるなよ
お前は朝鮮人かww
594 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:10:03 ID:rpkB5UzBO
畿内説
筑紫説
肥後説
但馬説
熊野説
出雲説
鹿島説
沖縄説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
ムー説
もう何でもアリだぜ邪馬台国
贋作説は、発見当時は盛んだったが一時なりを潜めていた。しかし次第に、同様の印鋳の出土例が無いことから、
再び贋作の可能性がささやかれていた。しかし、昭和31年(1956)、中国雲南省の石塞(せきさい)山で発見
された前漢時代の「■(てん)王之印」が、蛇鈕金印であったことから疑義は四散し、さらに昭和56年(1981)、
江蘇省の甘泉2号墓で発見された「廣陵王璽(こうりょうおうじ)」は、亀鈕金印であったが文献により西暦58
年に廣陵王に下賜されたものであることが判っており、これは奴国王に金印が下賜された翌年で見て頂いてわか
るように、規格、字体、印文、装飾と、何から何までそっくりだった。大きさは0.47mm奴国王のほうが大きいだ
けであるが、ほとんど一緒である。ここへきて贋作説は消滅し、この印がまさしく漢の光武帝からの下賜品だっ
たことが明らかとなった。
ttp://inoues.net/ruins/sikanosima.html
>>574 海賊に奪われて屋敷の庭に埋めたんだよ。あのへんは海賊の寝城があったから。
597 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:11:28 ID:r2VSDIk7O
倭が吾(ワレじゃなく昔のワ)を語源にするのは百科事典にも書いてあるよ。
今の中国語では我はウォーだが、だからって中国人が日本を示すのに我という字を使わんでしょ。
連中にとって、あまりに紛らわしいわな。
598 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:11:35 ID:fk8tw5Uf0
相撲は古代イスラエルの神事だったし
599 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:11:42 ID:vjvUA3mf0
>>566 金印を届ける途中だったってことか?
確かに、島で見つかるっておかしいよな。
島に邪馬台国っていうか、それを貰うような国があったか、
お百姓さんがゴッドハンドで金目当てに捏造したか、
盗品を何かしらの方法で手に入れた黒田家のシナリオだったのか…
マジで何で島で見つかったんだ?
>>541 ない。
韓国人は漢民族と近いが。
漢民族とコリアンはD系統YAP遺伝子がない。縄文人系はYAP+で弥生人系はYAP−である。
魏志倭人伝自体がもはや大したことがないんだよ。
その当時の遺跡まで出てきてるからな
志賀島の金印が見つかったとこ、畑だよ。
現場まで行ってみろ。カスども。
一番可能性が高いのは、太平洋に沈んだ大陸の人間が移り住んだ説だな
マキムク遺跡がある以上、卑弥呼の時代に既に巨大な国家が畿内に
存在していたのは間違いない。
邪馬台国と言う地方勢力が九州にあったとしても、ヤマト王権とそれからの
日本の歴史が畿内から始まった事実を変える事は出来ない。
わし(関東二十日会)義人党。
だから金印は、藩に二つで来た学問所の一つを負かされた儒学者が、
目玉として捏造したと言っとるだろうがw
中国起因の儒学を広めるための、儒学学問所解説して2ヶ月で、
領内で発見された金印が、いち学者の元へ持ち込まれた経緯wwwww
いまだに発見した人がダレだったのかさえ確定できない状況www
皆さんちゃんと考えてくださいよwwwwwwwwwwwwwwwww
鯨統一郎がアップを始めた模様です
610 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:13:44 ID:zmQS0q6N0
611 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:08 ID:VtgkXy6tO
薩英なんてのもあるし 地方自治体が外国と連合するのは不思議ではない
しかしヤマト=ヤマタイ… アスカ=あそこ =阿蘇… 浅間…わからん
612 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:20 ID:Qt3F4k8S0
邪馬台国の台の字が本来なんだったのかは写本の繰り返しでよくわからなくなってる。
台じゃなくて臺となってる写本があるんだから、「やまと」国だと考えるほうがしっくりくるだろう。
しかし、魏志倭人伝に記載の風俗の表記からすると南洋系の文化でどう考えても機内ではないと思う。
玉璽も井戸から見つかるんだし、いいんじゃね。
>>564 それは人種的なもんだろ、アイヌまで含む
615 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:31 ID:A0UZFbe20
617 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:34 ID:lzJ2Cbfp0
邪馬台国が2つあった、みたいな説はないの?
本店と支店みたいに
618 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:51 ID:DdCEQCbIO
619 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:14:51 ID:BXVw1h2j0
倭(わ)国
↓
「倭」は矮小という意味だったので別の漢字を使って、和(わ)
↓
せっかくだから「大」という字を付けて、大和(わ)
↓
自分たちの国の名前で呼んで、大和(やまと)
ってな遷移だと信じている
金印は、漢が滅んだ時点で、
権威の象徴としての価値はなくなった。
あとは鋳潰して他のものにするか、誰かにやったのか。
神社のような施設に奉納したんじゃないの。
そういう神社が志賀島にあった。
博多湾一体には、そういう海と関連した神社がいっぱいある。
で台風で神社倒壊。金印も土砂に埋まり、江戸時代まで土の中
ちょっとまってくれよwwwwwww
ワシニホンジンは 絶対に 中国語だぞ?
ヲーシーニーホンジンで、通じるぞ?
ハオチー=美味しいだって、普通にオィシィー!で、伝わるぞ?
623 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:16:09 ID:ZRCrcznfO
「吾」と言う場合は、謙遜した言い回し。「我」と言う場合は目下に言う場合に多く用いられる。
それで?
624 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:16:24 ID:r2VSDIk7O
金印は、たとえ捏造でも、江戸時代の作だから、その経緯が珍しいので国宝でよろしい。
世界には、昔の人が作った偽物と知って宝にしてるのは沢山あります。
625 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:16:40 ID:TOO1+QjR0
海部氏勘注系図に古伝に云うとして、「豊受大神は、またの名を天照豊受皇大神。
またの名を天照大神和魂。一伝として豊受姫命。またの名を國常立尊。またの名を
天御中主尊」とあります。豊受大神は台与です。
>>616 もう、怒った。
近所の山で銅鐸発掘してくる。
>>620 それならば海の正倉院といわれる沖ノ島に金印はあるべきじゃないか?
628 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:16:59 ID:vjvUA3mf0
で、お前らはジパング=東南アジアのどっかじゃね?説についてはどう思ってるの?
>>615 うそじゃないよ
大分田舎出身大分の田舎育ちのばあちゃんが使ってたもん
子供だったからなんて言ってるのか少しわからなかったが。
町から外に出たことないばあちゃんが使ってたから
昔は部落で使われてたと思うよ
今はしらんけど
630 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:17:06 ID:1MZ21N9I0
>>601 魏志倭人伝は、頭から除外しても差し支えないと思う。
中国に残ってる古文書はあまりにも、適当でいい加減なものが多すぎ。
631 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:17:18 ID:QkuTGw7h0
つうか九州の田舎もんの邪馬台国への情熱は異常
>>509 全部知ってるわけじゃないし、専門じゃないが、
比較検討できるレベルの多数に書かれてあるとは過分にして聞いたことないからな
中国のものなら元になった一冊からの孫引きじゃないってある程度言えるわけでもなし
書かれた状況もはっきりしない、書かれたことを証する発掘品出たわけでもない
時代が古すぎる書にそこまで信用おく気にはなれんね
>>525 それは河川の変遷やなんかを主張する側がやるべき調査でしょ
古文書にある川と違う、古墳の絵でも違う、言い伝えでもそうある、なら次は調査やって実証する、ってなるのが当然
主張だけして違うってんなら調査して変化してないって証拠出せってのは無茶な話
そもそも、暴れ川として名高い坂東太郎の流域ですら遺跡残ってるのになんでその川だけが特別なの?
>>591 何言ってんの。
日本は漢字文化圏じゃないよ。支那の漢字が入ってくるまでは。
そもそも自分を表すことはが外来語に由来するってありえないし。
634 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:17:56 ID:/FaMW4fo0
>>580 >実在したとされる説が有力。
有力って言うほどじゃない
古墳は西殿塚古墳も行燈山古墳も3世紀後半だし、
日本書紀の記載とは異なる
かなりの権力者が、その時期に居たのは事実だが
邪馬台国の起源は韓国です??
637 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:18:33 ID:E3T6aAieO
タイムマシーンはまだか
>>624 > 金印は、たとえ捏造でも、江戸時代の作だから、その経緯が珍しいので国宝でよろしい。
> 世界には、昔の人が作った偽物と知って宝にしてるのは沢山あります。
別に国宝云々はいいじゃないか。
でも、おそらく捏造だろうということは、冷静に見分けた方がいい。
物証が少ないからこそ、一つの(事実)で左右される問題だからな。
皆、発見された経緯や、金印持ち込まれた儒学者が、魏志倭人伝を知っていた経緯など、
怪しさ300
俺サイコメトリー能力あるから金印さわれば卑弥呼の3サイズまで解るよ
>>620 単純に島流しにしたんだろうw
決して良いものではない目障りな物だが、一応歴史であり抹消する訳にはいかなった
よって遠い所にすてておいたのを誰かが見つけたと
「邪馬台」って当時の中国語ではなんて発音するんだろ
642 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:19:46 ID:QkuTGw7h0
>>639 あれ本物だったら使ってたのおっさんだろ
>>608 国宝を捏造扱いするバカ発見www
大仏殿や興福寺も捏造なんですね^^わかりますwww
魏志倭人伝に、絹とか馬具とかの記述があって、
それらのその時代の出土は、圧倒的に北部九州からが多いんだよね。
だから、近畿論者は、魏志倭人伝を抹殺したくて仕方がないwww
645 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:20:27 ID:88bdVRuu0
アンチ畿内説派の集会か
>>645 > アンチ畿内説派の集会か
まぁ宇佐神宮ですからw
647 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:21:00 ID:bKacAloZ0
>>555 まったく矛盾してないが。
箸墓に続き、纏向遺跡で本格的な調査が始まったことで、九州説は事実上死にました。
九州説を唱えていた多くの学者が畿内説へと鞍替えし、残っているのは、
今さら転向できなくなった学者かアマチュアのみ。
それらしいのはせいぜい安本くらい。
>>636 氷河期には大陸から歩いてこれたから
シベリアあたりの民族が流れて来る方が簡単だろう
>>595 漢の光武帝って・・・
ずいぶん昔の話なんだな金印
日本は弥生時代か
650 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:22:02 ID:xD2S5OnC0
近年、考古学的な発見が相次ぎ
畿内説に軍配が上がってきたから
それに対しての反発だろうね
651 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:22:06 ID:IxemQElmO
宇佐神社を作った秦氏は秦の始皇帝の 流れで京都の太秦の広隆寺とか八幡宮や稲荷信仰を広め、景教(ネストリウス派キリスト教)が根幹にあるって説はよく言われてるよ。ググッてみて
>>627 その時代に沖ノ島がどうなってたかなんてわからないし、
奴国とは別の国の支配下だったかもしれないし。
奴国の護国神社みたいなのが志賀島だったかもしれないし。
なんで沖ノ島じゃないといけないの
>>181 > 竜が出たり、雷を落としたり、星が落ちたら誰が死ぬか分かったり、
> 空を飛び回る怪しい爺さんが出てきたり、屋根の上で鷺が鳴いたら誰かが死んだり、
> そういう時代の話なんだよ。
すげえ。
だから推理小説では「ノックスの十戒」で中国人はまじっくを使うから犯人にするのは
タブーなーんてのがまかり通ったわけな!
654 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:22:47 ID:RsiCVnTx0
おれの爺さんが大戦中、飛行機から落としてしまった金印がこんなことになってるなんて・・。
655 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:23:03 ID:u35h3WsN0
星新一のハワイ説でいいじゃん。
>>630 学術的な重要性よりマーケティング的な問題で・・・
立派なお題目作らないと予算取れねーだろwwww
657 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:23:28 ID:/FaMW4fo0
>>633 >支那の漢字が入ってくるまでは
それ以降の歴史や育まれた文化の方が遥かに長い
日本が漢字文化圏じゃないって言うのは、無理筋すぎ
>>591 シーは関係ないだろw
waとwoが似てるといったらwoとweも似てるしweとuriも似てるよ。
659 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:23:52 ID:UEURw8JM0
660 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:24:07 ID:yLXCAbJo0
>>615わが(I)あが(YOU)は九州では今でも聞くよ
邪馬台国は九州にあったけど
それと同規模かそれ以上の国が畿内にあった
って説はどうなの?
マツツバ?
662 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:24:29 ID:X4Qnm9vKO
663 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:24:43 ID:mKU7CX2b0
>>644 魏志倭人伝に馬具の記述だと?
読み直せ
666 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:25:23 ID:vjvUA3mf0
>>648 シベリアとかからも人が来てたのか。
天狗とか鬼とかつーのは白人にビビッった人の想像のシロモノなのかなぁ?
鼻が高くて酒飲んで顔が赤くなって暴れたり、鼻が高くて日焼けして顔が赤くなって、
何言ってか分からないのが呪文のように聞こえたり。
ペリーの当時の絵を見たことあるけど、凄い書き方だったし。
667 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:25:26 ID:6OB+A6V70
>>201 記紀の記述から宇佐族=宇宙人説ってのもある。
えへん。
>>636 ラサで決起したラマ僧は人種的には大和民族の兄弟なんだぜ;;
669 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:25:30 ID:hZo3OBYK0
きっと、大陸移動で昔は九州と近畿が同じ場所だったんだよ
>>661 > 邪馬台国は九州にあったけど
> それと同規模かそれ以上の国が畿内にあった
> って説はどうなの?
それで正解。
古事記の神武東征の記述とも一致する。
>>658 >
>>591 > シーは関係ないだろw
>
> waとwoが似てるといったらwoとweも似てるしweとuriも似てるよ。
なんで、シーが関係ないの?
私は 日本人です → ヲーシー イーベンイェン ですよ中国語で
672 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:26:01 ID:A0UZFbe20
>>629 否定したのは山奥の方な。
大分でも海側と山側で方言が違うんだが、自分ことは「俺・僕・私・うち」しか使った事無いな。
たぶん「わしゃ」の間違いだと思うよ。
どーでもいいから、野球かサッカーで決めて
>>606 纏向遺跡は銅鐸文化だが、なんで現大和朝廷は銅鐸使ってないの?
記紀にも銅鐸の記述は一切ないよ。
教育 ETV特集『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年』
2009年4月26日(日)午後10時〜11時29分
第1回 「古代 人々は海峡を越えた」
以下内容)
・1970年代の日本の民間教科書と韓国の国定教科書を比較して任那日本府完全否定
・1970年代の教科書と2009年現在の日本の歴史教科書を比較して「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋し、ここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で倭国の事では無いニダと断定
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述はカット
・倭はカヤの鉄を欲していた。その対価として傭兵などの労働力を送った
・半島から日本に渡ったのは技術者で、日本から半島に渡ったのは奴隷
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷
・日本の事は「倭」と呼び、半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ
・神功皇后の名前カット
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット、と言うかそもそも中国の存在無視
・四神は韓国起源
・中国の資料や中国の実態や半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組
・日本には文字が無かったので、音読み訓読みをつくってくれた百済人には本当〜に感謝しなければなりませんねぇ by立命館教授
・百済は独立した文明圏なんです!
・朝鮮人の教授曰く、百済は単なる通過点ではないんです!百済には百済の仏教があったんです!
百済の仏教を日本は選択したんです!だから日本の仏教は中国のものとは違うんです!
・武寧王他、百済、新羅から日本へ連れてきた人質は無視
・新羅の王位についた倭人無視
・日本はもっと韓国側から歴史を見て、韓国側の意見を取り入れて学ぶべき by立命館教授
・司会進行役は従軍慰安婦に土下座した女優、そしてやっぱりDが朝鮮人
■次回放送予定
2009年5月31日(日) 午後10時〜
教育 ETV特集 シリーズ日本と朝鮮半島2000年 第2回「“任那日本府“の謎」(仮)
>>652 > わからない・・・しれない・・・
じゃ俺もわからんwww
678 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:27:12 ID:zgCTQAi20
マクモニーグルの本を読んだが、なるほどと考えさせられた!!!!
この人の透視能力はハンパないね
679 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:27:33 ID:QkuTGw7h0
大和が邪馬台なら今ここで日本人同士が争う事の無意味さを知って欲しい
い〜まに見ていろ邪馬台国、全滅だ〜!
681 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:27:44 ID:hDrv0shfO
弥馬台国=大和国
大和国=奈良県
大和国の北には山城国
山城の東には近江国
近江国の東には美濃国
美濃国の東には信濃国
>>661 それが九州説。
畿内だけじゃなく、吉備や出雲も大国だったはず。
畿内に邪馬台国があるなら、吉備・出雲が無視されてるのもおかしい
683 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:28:06 ID:VQNBl2/u0
>>189 邪馬台国(北九州)→大和朝廷(機内)
神武東征はそれの神話的象徴化
3〜5世紀の資料は隠滅した上で記紀編纂
こういうことか?
>>584 ブルネイだかネパールかどっかと近かったと聞いた気が
あとチベット
大陸系とは違ってたハズ
邪馬台国は四国にあったって学研の書籍にあったよ
686 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:28:43 ID:UEURw8JM0
まあ、「遺跡が多い方が邪馬台国」
なんてバカな主張をする自称学者ばっかりだからな
畿内説。
根拠無いつうの
687 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:29:26 ID:uPoyxm7VO
この論争が原因で、第三次世界大戦が始まろうとは。
本筋とは関係ないけどさ・・・・
お前らは、日本の国土に人間が入ってきたのは最後だと思ってるフシがあるな。
それが間違いだぞ。
まず、アジアにドバーッと、同じDNAが広がっていって、
その後、南方系のDNAが下のほうから広がっていったわけですよ。
だから、シベリアやら日本やらチベットのような、僻地に同じDNAが残ってるんです。
近年のDNAの研究などを参照すれば、簡単に分かること。
結構面白いよ。
689 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:29:34 ID:r2VSDIk7O
ワレも、ワシも、オノレも、ワから派生したでしょ。
すると昔の日本人が自分側をワーと呼んで、中国がそれを聞いて、倭国と呼んだことは十分ありえる。
後で日本人が和国と書き換え、さらに後で、当時の首都のあった地名を国名に見なして、ヤマトとアテ字読みしかもしらん。
だから倭国と呼び出した頃に、ヤマトと呼んでたかは分からん。
時系列に隔たりが有ってもおかしくない。
690 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:29:35 ID:CUpVdiK00
>>594 邪馬台国は存在しなかった説 も入れて下さい
>>670 時代的に神武東征より、景行天皇の九州巡幸じゃね?
>>666 シベリアに住んでたのはアイヌと近い民族
魏志倭人伝には、次のように記されている。
東南陸行五百里 至伊都國。官曰爾支 副曰泄謨觚・柄渠觚。
有千余戸 丗有王 皆統属女王國。郡使往来常所駐(『魏志』倭人伝)
(末廬國から)東南へ陸を五百里行くと、伊都國。
これ、福岡の伊都まちがいないだろ。
バカは反論できねーしw
>>648 それにしても中国人と違いすぎてびびった
なんで仲良く出来ないのかよくわかった気がしたわ
>>666 当時のシベリアに白人がいるわけないだろ
黄色人種だよ
モンゴル→シベリア→アラスカor日本って感じだよ
697 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:31:06 ID:35tgYj+N0
要は、九州は魏の支配下だったけど、畿内は違っていたという事だな
>>675 大陸と交易してた邪馬台国の文化を取り込んだからじゃね?
日本って滅ぼした国の文化を取り込む癖あるし。
699 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:31:30 ID:cTXDgMMc0
東北に決まってるだろうが!
九州の土人が偉そうにすんな!
700 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:31:35 ID:zgCTQAi20
邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学
(ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) (単行本)
これ読めばなんとなく邪馬台国の真相がわかる
701 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:32:16 ID:UEURw8JM0
>>696 ミトコンドリア解析では秋田のあたりはコーカソイドの血が入っていることが明らかになってます。
>>647 纏向遺跡が銅鐸文化で、大和朝廷の文化とは異なることの説明を誰かしてください。
703 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:32:18 ID:vjvUA3mf0
704 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:32:23 ID:bKacAloZ0
前方後円墳の連続性と分布の広がりを見れば、邪馬台国→大和→全国という流れは明か。
畿内説は畿内説の歴史学者はだけでなく、考古学も認めてる。
しかも九州の考古学者は昔から畿内説を支持していた。
ああだこうだと反対してるのは九州の一部の歴史学者のみ。
証拠が出せない代わりに、わざと決着が着かないように答えをはぐらかしてるのであろう。
でもなんつーか、決定的な証拠って出てこない気がするんだよな。
つまり大声で叫んだほうが勝ちというか・・・w
一度、卑弥呼巫女ミコ日記を読んだけど
邪馬台国は北海道なんだけどお、何故かみんな勘違いしてるよねバカすぎwww
って書いてあったぞ
708 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:33:32 ID:sFU3FGj/P
邪馬台国は日本全土を表すので、九州とか畿内とか無意味
高木彬光は宇佐説だったよな・・・
710 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:33:48 ID:CUpVdiK00
>>688 確かに現在の在日がドバーッと入ってきり、中国不法滞在者がドバ−ドバーッ
と今も入って来ているということを認めろということ?
712 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:33:59 ID:pE4LXQqa0
>>703 天狗や鬼は実際にいたに決まってるじゃねぇか。何言ってんだテメェ
>>189 邪馬台国は大和とは無関係に、勝手に滅んだ。
クヤ国にやられたんじゃないの。
記紀に痕跡がまったくない。
せっかく中国とコネができたのに、トヨが朝貢してから
次に倭の五王が出てくるまで、150年も日本の記録はない。
滅亡したんだろ
>>657 漢字入ってきて以降のことはなんも言ってなくね?
>支那の漢字が入ってくるまでは、日本は漢字文化圏じゃないよ。
そもそも自分を表すことはが外来語に由来するってありえないし。
>>661 九州で遺跡が発見されないのがでっかすぎるネック
一方ではいろいろ出てくるのにもう片方からほとんど何も出てこないのはなぜなのか
この辺が説明できる説が出てこない限りは厳しい
>>704魏志倭人伝をスルーしてでもそう言う論法展開するんですね^^www
716 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:34:08 ID:YqMUlIcE0
>>591 俺は中国語のことは良く知らないが、2000年前の古代中国語も
「ワ」音を自分を指す言葉として使っていたのか?
>>657 何が言いたいのか分からないが、日本は雑種文化なんだから
縄文時代以来の独自の日本文化も漢字文化も南蛮文化もアメリカ文化も
みんな混ざっているでしょ。
漢字文化圏とかいう狭い範囲に押し込めるほうが無理筋だよ。
三国志の話か
ワ=わたし、ナ=あなたって意味で東北では使われる。
つまり、わのなの国王。
719 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:34:24 ID:hDrv0shfO
東北にあった日高見国こそ弥馬台国
720 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:34:27 ID:UEURw8JM0
つうかここまで読んで畿内説の根拠らしい根拠を
未だに見てないわけだが。
なんで畿内説を主張してるの?
>>683 国生みの話で九州や四国は本州の前に生まれているからそれは無い
もしそうなら九州がメインになってただろう
>>672 だって大正生まれのばあちゃんが使ってたんだよ
今のばあちゃん世代が使ってるかどうかはしらんがさ
大野郡の一部の山奥で使ってた人もいたってことだよ。
孫がちゃんと聞いてるのになんでそう否定するのさ。
723 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:35:11 ID:vjvUA3mf0
>>711 じゃあ、大航海時代の漂流者の可能性があるわけですね?
スッキリしたー。
とりあえずお前ら、 ヲーシーリーベンイェン は 勉強になったろ? 感謝の言葉も無しか。
まぁいいけどな、お前らの駄目なところは、本当はそこだけ、なんだけどなwwww
人が自分より優れている時に、まっすぐ受け入れられないのがお前達の特徴。長所か短所かはしらんが。
さらにお前達に教えてやるとだな
古文書、漢字文書などを見ると、どのような格式の高い文書でも、複写のミスは多い。
複写のミスで多いのは、同じ音の漢字を書いちゃう例、似た感じを当てはめちゃう例。
まぁいまの時代でもあるわな。
それに、お前らが知っておくべきなのは、
アーノルドシュワルツネッガーでも、アンジェリーナジョリーでも、
中国人は、全部漢字で表記しておる。
しかも、その当て字漢字は、時代によって、書く人によって、違う。
特に定着するまではな。
そういう事実を重ねあわさないと、歴史は見えてこないよ。
アホみたいな学説がはびこってるし、証拠も捏造が多いからね。
九州なんて、日露戦争で負けてれば割譲する予定だったんだから、
そんなところに起源をもとめるアホはいない。
726 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:36:41 ID:mKU7CX2b0
>>34 この当時の日本についての記述は大陸にしか残ってないのがまず基本。
その中で日本は中国王朝の冊封体制の下にあった、もしくは向かっていた国のひとつとして
書き残されている。
おもな記述は使者の交流と文書や品々のやり取り。
727 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:36:41 ID:RsiCVnTx0
結論:邪馬台国はどこだが特定はできない。
同時代に九州に大きな共同国家 東へ移動
途中、出雲の勢力・熊野の勢力を卑怯な戦い方で勝利
大和朝廷へつながるでいいようだな。
天狗は古代イスラエルの失われた部族のことじゃないのか?
九州に何も邪馬台国に関する記録も伝聞も遺跡もない!
終わり
>>671 >私は 日本人です → ヲーシー イーベンイェン ですよ中国語で
オシリ ペン ペン でFA。
731 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:37:12 ID:UEURw8JM0
>>721 倭諸国は中国に朝貢してるので後継国家を名乗るのは明らかにまずいという判断があったのではないかな?
732 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:37:19 ID:RwZC7Del0
願望と事実は違うんだよ
目を覚ませっつの
>>584 今上天皇はアジア顔だが
明治大正天皇は顔がめちゃ濃くてアラブ人みたいだと宣教師が残してる
一番わかりやすいのはヤリマン承子殿下だと思う
あれどう見ても南方系だよ
中国華南らへんにいた呉がルーツって説もある
>>698 取り込むってw
銅鐸文化が完全に消え去って、大和朝廷の祭祀にも記紀にも一切残ってないことで、
銅鐸文化(畿内)が銅鏡文化(北九州)に滅ぼされたって方が自然だろ。
宇佐市で作ったモノは
made in USA となります、あしからず
736 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:38:03 ID:JL6TFNi8O
>>705 遺跡出てないから九州のほうがかなり不利
考古学はやっぱり物証学問だし
>>683 景行天皇の九州巡幸やヤマトタケルの熊襲退治はいつ頃の話なんだろうね。
>>727電波学者もどきっぽいのでNGで見えませんw
739 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 11:38:21 ID:4ZECZe71O
そもそも古代の支那人が伝聞で書いた文献にどれほどの信憑性があるのかと。
マルコポーロの東方見聞録でさえ日本の事について正確に記述されてないのに
それより千年も昔の資料が正確なわけがないではないか。
>>729 無知だなw
九州にも遺跡はたくさん出てる。ただ畿内のように一定の地域に固まってないだけ
>>671 文法を考えろよ。
「ヲーシー」=「わたしは・わは」
>>724 なんども指摘されてると思うけど、2000年前の発音か?
邪馬台国自体、存在しなかったというオチで。
>>703 桃太郎の鬼のモデルは、岡山の鬼ノ城に本拠をおいて
荒らしまわった百済のウラだとされる。
日本書紀には、朝鮮からツヌガアラシトという王子が
やってきたという記録がある。
額に角を持ち、ツヌガアラシトも、そのまま「角がある人」では
ないかとされる。
おそらく角をつけた兜かなにかをかぶっていたのだろう。
これが鬼のモデルではないか。
>>718 > ワ=わたし、ナ=あなたって意味で東北では使われる。
> つまり、わのなの国王。
ちなみに、中国語で、ワ=私 ニ=あなた って意味なwwwwwwww
746 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:39:44 ID:VXFz/LsvO
邪馬台国は存在しない
747 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:40:14 ID:r2VSDIk7O
卑弥呼や邪馬台ごときは、どうでも良いし、きっと表記も変わりまくってるだろ。
しかし倭国や大和国は正しく7、8世紀頃まで双方が使ってた名称よ。
>>718 言語は波紋状に伝わっていくんだよ
東北は三内丸山遺跡とか大塚山古墳とかしかないよ
749 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:40:36 ID:bKacAloZ0
>>714 >九州で遺跡が発見されないのがでっかすぎるネック
物証がない上に、九州説は比定地もコロコロ変わる。
距離が合わないと言われると、筑紫ではなく実は南九州だったと言い、
弥生時代の南九州からそれらしい遺跡は出てこないと言われると
今度は実は有明だったとかご都合主義。
古代から現在まで一貫して大和を主張し、それを証明してきた畿内説とは対照的。
>>703 天狗とかの白人は2000年とかその程度の流れだと思うが
氷河期に渡ってきたのは数万年前の話だよ
>>703 茨木童子とか出身地まで特定されてるが
>>724 悪いが大学生は大半が知ってるんだよ
チャイ語は第二外国語で簡単に単位取れるから
752 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:41:30 ID:hYAlugQnO
九州みたいな朝鮮ぽい場所に邪馬台国があるわけねーだろ
薩長人が増長しまくってる
邪馬台国はパンゲア大陸にあったんだよ。
>>731 当時の人が未来の人間が神話の隠喩する真実性を考えるのを考慮して
神話を弄ったというのはかんがえられねぇわ
756 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:42:13 ID:2oQqvsA80
大和朝廷は九州王朝の出張所でしかないのにな。
唐に王朝が滅ぼされたドサクサに出張所がクーデターして歴史を書き換え。
伊勢神宮と出雲大社の古文書の歴史書には500年もずれがあるのはなぜなんでしょうな。
757 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:42:13 ID:l1uNA3ToO
福岡には沢山の遺跡があるだが 山崩れや河川の反乱で大半が埋もれたか消えている
仮説は実証されて無いから仮説。仮説を断定に力説して1000迄行くのね?御苦労様です。
759 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:42:16 ID:LQqg6v0P0
畿内説と九州説ってまだ対立してたのか
俺が小学生だった20年前からやってるぞ
もうどっちでもいいじゃないか
>>749 纏向遺跡が銅鐸文化で、大和朝廷の文化とは異なることの説明をしてください。
ID:icgyitrR0
電波過ぎwww
友達居ないだろwww
自説オナニーばっかじゃんwww
762 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:43:01 ID:NVE4AY7T0
俺が学生だった頃夜家に帰ると
豊田商事(例の会長が殺された会社な)のセールスマンが来ていた
お袋から金を預託させることには失敗したみたいだが
なぜかそのセールスマンと話が合って文学の話で盛り上がった
そのセールスマンに薦められたのが宮崎康平さんの「幻の邪馬台国」だった
彼曰く
「この本は邪馬台国が単にどこにあったとかの謎解き本じゃなくて
失明して光を失った一人の人物が白い杖を頼りに夫婦二人で邪馬台国を探す
宮崎康平という人物のまさに生き様を書いた素晴らしい本だから是非読みたまえ」
と薦めてくれた
半信半疑で読んでみたがあっという間に夢中になった
その後も九州説、畿内説の本をいくつか読んだが
実際に邪馬台国を比定するやりかたはこの本がもっとも理にかなってると思う
興味のある方は是非一読を
いや、ちょっと言葉の繋がりが面白いなと思ってねw
さすがに東北起源なんてこれぽっちも思ってない。
764 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:43:12 ID:zgCTQAi20
邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学
(ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) (単行本)
だから、これ読めばなんとなく邪馬台国の真相がわかる
765 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:43:17 ID:yLXCAbJo0
纏向遺跡を発掘すればわかるよ
萌えアニメ系女帝のミイラが生前のすがたのままで発見されっから
766 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:43:34 ID:tlvmH09j0
>>670 >
>>661 >> 邪馬台国は九州にあったけど
>> それと同規模かそれ以上の国が畿内にあった
>> って説はどうなの?
>それで正解。
>古事記の神武東征の記述とも一致する。
その通り。
>>721 国産み神話で、九州と四国は、
生まれながらに4つの顔を持っていたと書いてる。
つまり4つに分かれて統一もされてない。
まだ大和朝廷の支配下ではなかった
768 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:43:50 ID:/FaMW4fo0
>>664 宝来聡教授(アリゾナ大学)の研究では、ミトコンドリアDNAを見ると、
韓国人や中国人と共通の配列を持つ人がおよそ50%もいるようだな
何処から来たっていうより、大陸・北方・南方といろんなところから
来たっていうのが自然だろ
内輪か
>>287 九州までの道がはっきりわかっているのは、例の金印の発見で
那国の位置が確定されているからだ。
それより先の場所がわからないのは仕方なかろう
>>686 何も出てこない場所が国のあった場所、何故なら本(それも内容の信憑性のはっきりしない)に書いてあるから、って方が馬鹿らしいでしょ
>>715 そう主張するならまず倭人伝そのものの信憑性について考えてみた方がいいと思うよ
>>742 タイムスリップで昔に行く作品見てると「言葉通じるのか?」と思っちまうw
773 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:44:29 ID:hYAlugQnO
九州は経済も人間も疲弊した地域だから目玉が欲しいのは分かるが邪馬台国は九州にはなかった。
774 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:44:36 ID:TOO1+QjR0
地面に穴を掘って住んでいた土蜘蛛と人食い人種の熊襲が住んでいた九州に
邪馬台国があるわけないでしょう。
775 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:44:40 ID:M8HcK/2a0
東夷伝倭人の何たらは、伊都-奴国まで行って、
後は適当に書いたんだろ。九州以外が適当すぎる。
金印も倭奴国王は伊都国王なんじゃね?って説もあるが、
まぁ、奴は那(那ノ津)ってのもソレっぽいしなぁ。
ていうか九州説って朝鮮人が大和朝廷を作ったのだーとか
言ってるバカとその協力者が唱えてるだろw
それだけですでに無理、ウリナラファンタジーの類はもうごめんだ
777 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:45:07 ID:mKU7CX2b0
778 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:45:45 ID:UEURw8JM0
大和朝廷と邪馬台国が同一と考えるから矛盾が起きるんだよ。
全く別の国と考えたら視界が開ける。
780 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:46:42 ID:YeZc8peV0
>>776 逆だ。
倭は半島南部まで勢力下におさめていた
781 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:46:53 ID:A0UZFbe20
>>722 なら九州の山奥と書かずに、大野郡の一部と書きなさい(´・ω・`)
>>703 勝手に
>>744補足すると温羅(ゆら、うら)でググればいっぱい出てくる
百済の人間は桓武天皇の母親とか、昔からよく日本に入ってきてる
大友皇子の母親も確か朝鮮半島出身
ちなみに桃太郎のお供の犬は犬養毅の先祖と言われている
>>776 どうしても西から征服していったって事にしといきたいらしい。
785 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:48:00 ID:yinuc9kh0
大和朝廷は元々出雲朝廷に服属していたはずだ。
国譲りの神話や、もともと大和朝廷が崇めていた神のオオモノヌシが
出雲の神のオオクニヌシと同一の神とされることなどがその事実の裏づけだ
しかし九州に服属していたかどうかまではわからないな
それを示すような記述は聞いた事がない。せいぜい神武の東征くらいだ
>>759 ああ、学問の世界を離れ、イデオロギー対立や学会の派閥対立になっているからな
どうせ那国の金印のような決定的な発見はまずないのだし。
永遠に続いていくだろう。
>>778 吉野ヶ里だと魏志倭人伝の記述に合わないyo。
松浦と伊都まではほぼ正確に記載されてる。
だから、糸島、甘木、朝倉、大宰府辺りで考えるのが自然。
789 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:49:18 ID:TOO1+QjR0
>>778 吉野ヶ里遺跡は人食い人種の熊襲の遺跡だ。
普通に邪馬台国は北九州にあったと思うよ。吉野ヶ里は3世紀前半で
邪馬台国は3世紀後半の国、前半であれだけの規模だから近くに邪馬台国
があってもおかしくない、それが東に大移動して大和朝廷になったと、
あきらかに同じような地名があるので東西移動があったのは間違いない。
俺的には神武東遷説をそれの裏づけにしたい。
>>781 でも沖縄とかでも使ってるんでしょ?
もう東北はじめ本州、九州日本全国使ってたってことじゃないの?
どこでも使ってたんだよ
そもそも漢字で書いてある時点で中国側の視点だろ
最近思いついた妄想を書くと
ヤマトのヤマは地獄とかあの世って意味でトは人間って意味
つまり神の一族
ヒミコは
ヒは日、太陽(神)
ミは蛇で生まれ変わり
だから神様
場所は九州と近畿の間で四国でいいんじゃね?
793 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:50:15 ID:YeZc8peV0
794 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:50:27 ID:tlvmH09j0
>>786 オオクニヌシが出雲の神という認識は間違い。
オオクニヌシは、近畿全体の神。
>>749 倭人伝じゃどこだかキッチリ特定できないんだから
九州説といっても、みんなバラバラなのは当たり前。
九州説とまとめないで、畿内説、宇佐説、甘木説などと
並べるべき。
畿内説だって、いろいろ出てきてもいいのに、
最初からここと決め打ちでやってることに違和感
ていうか、西から来たとか、東を攻めたとか、嘘だと思うんだけどね。。。
んなもん、九州から関西へ遷都したとか、ムチャクチャだと思うよ。
今の時代に地図見て引っ越すだけでも大変なのに。
それに、特に引っ越す意味はないだろうに。
797 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:51:16 ID:CUpVdiK00
>>780 そういうこと出来るのは倭が朝鮮出身だから。祖先の土地に凱旋しただけ。
もちろん今の朝鮮人とは違う朝鮮人だけど。
798 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:51:22 ID:UPNABA6O0
そういや、「邪馬台国=大和国」って説があったな。
んでそれによれば「卑弥呼=姫巫女」で言葉が違う為に中国で当て字にされ、
当時の中国の習慣に則り「邪(よこしま)」や「卑(いやしい)」という侮蔑の言葉を当てられたって説。
トンデモ説の一つかもしれんが、始めこれを読んだ時は妙に納得してしまった。
>>771 畿内説は銅鐸文化がなぜ残ってないかを説明できないのが致命的。
>>720 つうかここまで読んで九州説の根拠らしい根拠を
未だに見てないわけだが。
なんで九州説を主張してるの?
801 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:52:07 ID:AxorxWNT0
畿内説は、奈良盆地東南の纏向遺跡近辺ということで、プロ研究者もアマ愛好家もほぼ一本化してきている。
ところが九州説はみんな言うことがバラバラ。
邪馬台国比定地も、筑後山門、久留米、朝倉、博多、佐賀吉野ヶ里、熊本北部、大分宇佐、宮崎、鹿児島、琉球と各人バラバラ。
投馬国や狗奴国もみんな勝手なこと言うし、伊都国、奴国まで通説比定地に異を唱える連中さえいる。
比定地の「正解」は一通りしかないはずだから、要するに大半の九州説論者は「ウソつき合戦」をやっているわけだ。www
これではいくら古代史に詳しくない素人さんだって愛想が尽きる。
だから本当は、九州説だって比定地を一本化するべきなんだが、まず無理だろうな。
802 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:52:11 ID:RsiCVnTx0
箸墓古墳の内部調査さえ実現すれば・・・宮内庁頼むよ、いい加減
この論争終わらしてくれw
803 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:52:32 ID:0Wo8x3Bd0
804 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:52:41 ID:8epHNtBW0
>>765 >>萌えアニメ系女帝のミイラが生前のすがたのままで発見されっから
/ ̄ ̄ ヽ,
/ ̄"ヽ / ',
b ,-、 d ./" ̄"ヽ {0} /¨`ヽ {0}
r-=、 |. `=' |_ .bi ,-、 id | ヽ._.ノ |
`゙ゝヽ、| ノ `ヽ、 / `=' ノ゙`ー | `ー' / ̄ ̄ ヽ,
にー `ヾヽ'" .ィ"^゙i _,,ノ , | / ',
,.、 `~iヽ、. `~`''"´ ゙t (,, ̄, frノ ゝ-‐ {0} /¨`ヽ {0},
ゝヽ、__l ヽ`iー- '''"´゙i, ヽ ヽ,/ / l ヽ._.ノ ',
W..,,」 .,->ヽi''"´::::ノ-ゝ ヽ、_ノー‐テ-/ i | `ー'′ ',
 ̄r==ミ__ィ'{-‐ニ二...,-ゝ、'″ /,/`ヽl : : ヽ )'^`''ー- :、
lミ、 / f´ r''/'´ミ)ゝ^),ノ>''" ,:イ`i / \ / `゙
! ヾ .il l l;;;ト、つノ,ノ / /:ト-"ノ \ /
. l ハ. l l;;;;i _,,.:イ / / ,レ''" ヽ_,,ノ
人 ヾニ゙i ヽ.l yt,;ヽ ゙v'′ ,:ィ" / r-'"´`i
r'"::::ゝ、_ノ ゙i_,/ l ヽ ゙':く´ _,,.〃_ f´' ll
` ̄´ / l ヽ ヾ"/ `゙''ーハ. l
/ l ゙t `' /^t;\ ,,.ゝ
金印は後世の…いや、なんでもない
806 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:53:29 ID:U0qebpF60
学生時代に歴史を学んでいたときからの素朴な疑問なんだけど
魏志倭人伝の記述自体が捏造ってのはないの?
つか、このスレ結構伸びたね
結構興味ある人多いんだね
>>802 > 箸墓古墳の内部調査さえ実現すれば・・・宮内庁頼むよ、いい加減
> この論争終わらしてくれw
それは何でなの?
もしかして、○○天皇の墓とかいう、言い伝えを信じてる?
あれは出鱈目だろ?
809 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:54:21 ID:OeCjMtBz0
>>801 学者の数は根拠にならん。
史料と論理だけが重要。
>>791 ワ、ソ、タは古文
わが〇〇とか今も使う
そのうちZUNって人が東方倭人伝とかいってゲーム化してそれで大勢が決まるさ
812 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:55:11 ID:RsiCVnTx0
>>794 大国主は出雲しかない、お前も知ってるように 近畿・全国から
10月には出雲の大国さんの下へ参列だ。
813 :
(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2009/05/19(火) 11:55:14 ID:lpI3XWQ/0
<魏志東夷伝倭人に書かれてる、歯黒国と裸国は南米。
<南米から縄文土器が出土してるから、日本人が太平洋を往復してたことは物証が残ってる。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
| |----------|│
箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
∧_∧
⊂(・∀・ )つ- <これ豆知識な。
/// /_/:::::/
|:::|/⊂ヽ ノ |:::| /」
/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
/___________________/ | |
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814 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:55:35 ID:tlvmH09j0
>>806 もちろん、魏志倭人伝の記述は半分は信用できないよ。
距離を方位を正確に読めば、邪馬台国は沖縄になってしまう。
>>803とかは、バカなんだよ。
815 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:55:47 ID:UPNABA6O0
近代の土木工事で実は邪馬台国の遺跡は発見されてたけど、無知な者達が見なかった事にして破壊したに一票
816 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:56:01 ID:ZmEM1B+30
大分は不正のはびこる田舎だからみなさんスルーしておいてください。
817 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:56:04 ID:9oySV4ua0
NHKの番組で九州人必死なの思い出した。
関西人に聞いたアンケートは五分五分だったのに
九州人の9割が自分の地域推して笑った
818 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 11:56:28 ID:4ZECZe71O
>>737 纏向遺跡のあったところに宮を構えてたそうだから四世紀ごろだと思われる。
因みに纏向遺跡に人が住みだしたのは二世紀の終わり頃とされている。
日本書記の記述からなる年表とは勿論異なるが
纏向遺跡が記紀神話通り崇神天皇から景行天皇までが宮を構えた集落とすると
これらの時代が魏志倭人伝の時代とだいたい同時代という事になる。
邪馬台国が景行天皇の西征で滅んだのか、邪馬台国がヤマト国なのかは知らんが。
819 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 11:56:31 ID:OeCjMtBz0
820 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:56:32 ID:DsPrbYxA0
金印はあっても、金印を押した跡がない。はんこなのに。
821 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:56:37 ID:lzJ2Cbfp0
天皇家が大陸系だという証拠が出てきてしまう可能性があるから
それら墳墓の調査を認めないんだということを聞いたことがある
やっぱ調査すれば劇的にこの論争は解決するの?
だから、
纏向遺跡が銅鐸文化で、なぜ大和朝廷の文化とは異なるのか納得いく説を提示してくれよ。
>>815 そういうことにしとかないと精神の安定が保てないに一票
824 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:57:55 ID:RsiCVnTx0
>>808 言い伝えを調べないで何を調べるの? 歴史はその積み重ねでしょ。
宮内庁が天皇の墓と言うなら調べないとな。分かるでしょ。
中国とかは、王朝によって書物改変するから中身は信用しきれないね
貞観せいようとか、日本にしか原本無いとか言うレベルだったしな
827 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:58:08 ID:QkuTGw7h0
もう卑弥呼の時代にはヤマト王権が誕生してて
ヤマト大乱ってのは、その中での権力争いって事はないの?
でヤマト王権での王として認めて貰う為に一部の有力者が魏に使者を送ったとか
魏の対応は明らかに大国レベルの待遇だよね?
>>806 だから、松浦と伊都まではほぼ、記述と合ってんだって
言ってるだろ。
何故、航法も技術も無いのに近畿まで行くんだかw
今の船でもキツイっーの。
思考停止もいいとこwww
主理人、出でよ。
>>823 単純に工事が遅れるのを嫌って見て見ぬフリも多いぜ
831 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:58:54 ID:TOO1+QjR0
>>800 魏志倭人伝を読むと邪馬台国は畿内になる。倭人伝に書いてある距離を進むと
魏の使節は太平洋に沈没する。
832 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:59:02 ID:tlvmH09j0
>>812 オオクニヌシは、丹後の一宮・出雲大神宮で祭られている。
丹後から、オオクニヌシが島根に移された。
それまで、島根の神社は杵築と呼ばれていたが、移ってから出雲大社になった。
ttp://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm >『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。
>すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。
さて、君のいう神無月だが、これの語源は「神の月」であって、「神の無い月」ではない。
これくらいは常識として覚えておきなさい。
そもそも、言葉は音なんですよ。
その国はなんて名前? ヤマトですが?
どういう字で書くの? 文字無いんだけど? ヤマトですよ。ヤマト
野蛮人め!邪悪な漢字つけといたれ!
邪馬台ってかいとけw
で? 偉い奴とかいるの? 女の神様で、○○のヒメノミコトです。
はぁ?ヒメノミコト? ○○のヒメノミコト
卑しいって字つけておけ!
卑弥呼でいいから!
まあ、ジブラルタルですら遺伝子の壁があるわけだし、
朝鮮説はないな。
中国南部から海流で北なら九州に着いて、そこからかなり奥となると
どこになるんだろうな。
>>821 天皇家のDNA調査したらある程度の答えがわかるだろ。
もう畿内・九州どっちでもいいが昔から九州が重要な地域だった事は間違いない。
836 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 11:59:45 ID:4QOPZwQB0
魏志倭人伝なんて存在しないものを根拠に論じてるのかw
魏志に倭人の伝なんてない
魏志倭人伝なんて捏造だよ。
中国の歴史書にほんとうのことなんて、書かれていないことは
今の中国が日本に繰り返し押し付ける「正しい歴史」を
見ればわかりそうなもんだろうに。
邪馬台国について記述があるのが
魏志倭人伝だけ?
想像が先走ってるけどまずは事実に基づいた検証が必要だよね
>>798 卑弥呼=日の国の御子=男っていう話なら聞いたなw
しかし女の方がシナ朝鮮人が余計な首をつっこまないからいいんだがなw
大和民族は戦乱になる前は女系の民族だったらしいし
840 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:00:40 ID:KTIAdAUD0
あの使節は、博多まではキッチリ来ている
時間も距離も地名も整合性がある
が、それから先は迷走のダッチロール そのワケは
つまり、あの使節は博多の豪族と
土産、朝貢品の交換、情報交換他テキトーにやって
博多の中洲あたりで飲んだり食ったり姐ちゃん抱いたりして
時間つぶした末、最後の2,3日で博多の知識人に
チョコチョコッと邪馬台国の話を聞いて、レポートにして帰国したってこと
だから邪馬台国九州説を否定する内容ものになっている
841 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:00:42 ID:lQpRC2dn0
数ヶ月前に宮殿跡発見されてから、畿内説が最有力になったはずだが…。
九州が現実が見えなくなってチョン化してきたのは残念。
個人的には広く支配し都が中央となるよう遷都した説を支持。大和と名のつく土地が広く分布するからね。
842 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:00:50 ID:utAzI1QWO
捏造はネトウヨが得意だな
843 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:01:05 ID:T2LSuwZ20
>>831 最近の南九州説ならば何も問題ない。倭人伝どおりで南九州で収まる。
844 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:01:36 ID:r2VSDIk7O
正直、邪馬台はどうでも良く、歴史としての日本神話が大切なのだが、
仮に邪馬台が畿内に対する中国側呼称なら、彼らは当時の比較的強大なヤマトをそう呼んだ、
また仮に邪馬台が北九州に対する中国側呼称なら、彼らはヤマトまで来られず、
なんかの都合で比較的弱小な北九州に止まりヤマトを知らなかった、
それだけのことだが。
845 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:01:50 ID:9ZbFKVB00
日本に山ほどあった集落のひとつに、なんでこんなに大騒ぎするのかわからん。
846 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:02:14 ID:35tgYj+N0
何で、みんな、そんなに邪馬台国になりたがるの?
何か良い事でもあるの?
847 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:02:17 ID:l1uNA3ToO
近畿説なら近畿からも金印を出して見ろよ
九州説ってのは学問じゃないよ。じゃあその九州王朝ってのはいつどうやって滅びたんだ。
そんな記録がどこにもないじゃないか。近畿天皇家以外に王朝があったと言いたいだけの
奴らが勝手なこと言ってるだけ。
単位の問題にしても、魏志倭人伝の1里は75メートルだって言うんだけど、じゃあ
同じように1里を使っている中国の他の文献ってのは一切存在しない。
一千里っていうのはすごい遠いという位の意味で、正確に測って書いてるわけじゃないだろうが、
測量術もねえのにさ。
出雲風土記には、有名な出雲の神話はまったく出てこない。
スサノオは出雲西部の飯石郡須佐郷の郷土神に過ぎず、
ヤマタノオロチの話など一切書いてない。
大国主も、因幡のウサギなど古事記と共通する内容は一切ない。
逆に新羅の土地に縄をつけて引っ張ってきたなど、
古事記にはない神話が書かれている。
古事記にある出雲神話は、どこか他の地方の神話を適当にもってきたものではないか
>>841 異論をなんでもチョン化とか言ってるお前も残念だな
851 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:03:08 ID:A0UZFbe20
>>772 現代より単語も少ないだろうし同じ日本語だからすぐ慣れそうだね。
日本の場合、2000年前は厳しいと思うがw
>>791 沖縄は使ってるが、大分の方言との関連性は全く無いよ。<調べたわけじゃないがw
そもそも大分と熊本や鹿児島の方言なんて似ても似つかないから通じない事も多いしね。
大分は山に囲まれてて、九州北中部・南西部と違う。
2000年前のことは、わしゃしらんがなぁ。
852 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:03:38 ID:mKU7CX2b0
>>801 本当は畿内とか九州とかそんなことすら殆ど意味がない。
クニの形成とその交流や衝突の流れでいくと
この時代の文献資料が他の文明からのものに限られていることや
考古学的な資料となる古墳群が北九州にも畿内にも集中していることを考慮すると
不確定要素があまりにも多すぎてその期間、クニがどのような形であったのか
固定して考えることは無理。
邪馬台国伝説で間違いなくいえることは中国に実在した三国志の時代、
日本にはヒミコがいたということだけ。
それがどこかとかは資料が少なすぎて特定は無理。
853 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:03:55 ID:ts8Chlq70
>>99 ただし、現代アフリカ人は引きこもりの末っ子。
854 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:03:58 ID:OeCjMtBz0
>>831 曲学阿世の輩が
方角は南って書いてあるだろうが
なんで東に進むんだよ
>>803 ぱっと見ただけでも
>対馬国に到着する〜住んでいるところは四面を海でかこまれた孤島で、広さは方四百余里ばかりである。
当時の1里は400mちょっと、160キロだとまずどうやっても数字あわない気が
>また一つの海を渡り、千余里すすむ。この海の名は瀚海といい、一支国に到着する。
対馬海峡:幅約50q、朝鮮海峡:幅約70q。やはり数字あわない
この時点で数字の適当さははっきりしてるだろ
857 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:04:36 ID:bKacAloZ0
>>760 祭祀の象徴が銅鐸から墳墓に変わった、それだけ。
九州説の学者の中でも未だに銅鐸銅矛とか言ってる人はいないはず。
アマチュアの中にはチラホラと見かけるが。
九州説論者の古田武彦が家永教科書裁判で家永側に付いたり、とにかくまあ
九州説なんて唱えてる奴らの素性はすぐにわかりそうなもんだ。
>>838 ていうか、古代の日本について記録があるのは
中国だけ。
日本で一番古いのでも古事記と日本書紀で
奈良時代とかになっちゃう。
他にあればよかったんだが、それしかないから
その一字一句を分析することしかできない
水行20日で出雲国(投馬国)に至る
水行10日で丹後国に至る
陸行一月で大和国(邪馬台国)に至る
日程的に、どう考えても邪馬台国は畿内しかないな・・・。
>>848 >一千里っていうのはすごい遠いという位の意味で、正確に測って書いてるわけじゃないだろうが、
距離の記述を「すんごい遠かったよ」レベルとするなら、方向だけみればやっぱり九州説有力じゃね?>魏志倭人伝
862 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:05:23 ID:RsiCVnTx0
>>832 言いたいことはわかるけど 出雲の神はあってるよね?w
あと神無月が神の月 はひとつの説ね これも常識 大社の神有のきっこう紋
に対したら神なし月もあるよ。
863 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 12:05:47 ID:4ZECZe71O
>>778 吉野ヶ里遺跡では年代が古すぎる。
記紀神話でもイザナギの命から神武天皇まで九州を舞台にしたエピソードが多い。
ヤマト国成立前に九州にそのモデルとなる国があったと考えるのが妥当だろう。
864 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:05:59 ID:XDA3QbSNO
暇人だな
どっちでもいいだろ飯の種にもなりゃしない
865 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:06:04 ID:U+FYgFGW0
どう考えても域内だろ。
九州の韓国化進みすぎ。
ウリが起源ニダtってか。
866 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:06:21 ID:tlvmH09j0
>>849 その通り。
出雲風土記には、ヤマタノオロチ伝説は出てこない。
出雲のヒーローのはずなのにおかしいね。
後からの作り話とも考えられる。
ちなみに、オオクニヌシは出雲の神ではなく、
出雲のスサノオの娘を娶ったのがオオクニヌシで、スサノオの義理の息子になったというだけ。
そのオオクニヌシの活躍の範囲は、和歌山県まで及ぶ。
>>801 纏向遺跡が銅鐸文化なのに、大和朝廷の文化は異なることの説明がしっかり出来てる論文を紹介してください。
868 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:06:22 ID:Pl74vMp2O
邪馬台国は始めに畿内で起こり、お告げに従い九州に移動したのだ。
>>845 他の山ほどある国のことがまったくわからないから。
せいぜいクヤ国くらい。
使者ももっとあちこち旅して記録を残してくれていたら
870 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:07:09 ID:P052KybnO
>>780 チョンドラをちら見したら日本の地図が西百済になってたWWW
「魏志倭人伝」とか教科書で必死に覚えさせられた厨房はかわいそうだな
本当はそんあ書物は無いし、魏志に、魏の王様が東から来る、貿易相手国を面白可笑しく表現した
娯楽作品に倭って文字が出てくるだけ。
>>859 スレチになるかもだが
古代日本、文字がなかったの?
それとも古事記とかを正統とする為
それ以前の書物は焼かれたとか?
873 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:07:12 ID:ie9bq5bw0
>>812 アホw 大国主命は纒向の王だ。出雲族ってのはもともと畿内勢力。
>>850 福岡あたりのクソ教授とかは本気で朝鮮人に魂売ってる奴いるだろw
朝鮮人が妄言垂れ流す以上検証の難しい事だから九州説を強弁せず
大和朝廷の連続性に協力するのが筋
875 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:07:39 ID:OeCjMtBz0
畿内説は大和朝廷の正統性を訴えるためのでっち上げ
倭と大和は別の国
倭は九州の連合国家群
大和は畿内
出雲は出雲で朝鮮半島の植民地があった(出雲風土記、国引き神話、スサノオの再降臨)
877 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:08:06 ID:mKU7CX2b0
878 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:08:07 ID:70Ed0onZ0
今から邪馬台国建国して独立しちゃうのはどうかな?
そうすれば過去の文献とか発掘物とか関係なく正当邪馬台国名乗れるぜ?
>>848 > 九州説ってのは学問じゃないよ。じゃあその九州王朝ってのはいつどうやって滅びたんだ。
九州王朝説を唱えているのは、九州説の中のごく一部なんだが・・・
880 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:08:36 ID:bKacAloZ0
>>848 妄想を根拠に妄想を積み上げていく感じ。
ほとんど古朝鮮や檀君を証明する行為に似てる。
俺も最初はなんとなく九州説だったが、さすがに馬鹿らしくなってやめた。
881 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:09:10 ID:tlvmH09j0
>>862 オオクニヌシが出雲の神になったは、ずっと後のことだよ。
「神無月」は、「かん・な・づき」=神の月
「水無月」は、「み・な・づき」=水の月
これは、常識だから。
とりあえず、魏志倭人伝を重視するのはやめとけよ。
当時の中国なんて、不死の薬を探す軍団が出発したとか、
そういうレベルだろ??
>>830 なるほど、九州の人間その程度ってわけだw
884 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:09:43 ID:Ub+gD3iZ0
昔は九州だと思ってたけど、知れば知るほど畿内説の方が信憑性あると思うようになった。
885 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:09:51 ID:ByrZA2NUO
いい加減、
邪馬壹国をヤマトの原形と解釈するウンコ学説をなくせよ。
それにこだわる以上、朝鮮人が半万年の歴史があるというのに文句が言えないぞ。
天皇制で同じ支配者が日本を統治した事にしたいのだろうが、
邪馬壹国と大和が別の国だという認識が持てないのかね。
886 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:10:01 ID:Sfzezp8fO
>11
工作員乙
一言で「方角」と言っても現代の様に、何度から何度と定着化するまで、かなりの時代を過ごしています。その点を忘れてもらったら困りますねw
888 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 12:11:01 ID:4ZECZe71O
>>872 それまでは歴史というものは文字という無粋な物で語られるものではなく
歌として語り継がれるものだった、それが大和民族。古事記などの歴史書もシナをにらんだ
国際社会に迎合する必要がなければ作られていなかったろう。
ついでに古事記日本書紀は多くの異説を孕んだ歴史学の良心によって作られた
といってもいい歴史書。
890 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:11:05 ID:mKU7CX2b0
>>882 当時の中国の文献を参考にしないと
邪馬台国も卑弥呼もなかったことになるよw
>>861 まあ南ってことだけを見るならそう。そっからなぜ東へ行くんだ、それは強引すぎるっていう
指摘はありうると思う。
「里」の問題については「千里馬」って言葉があるでしょう。千里に正確な距離を表すのでなく、
もっと漠然と遠いことを示す用法があったとみるのが自然だ。
>>885 まあ、最近は考古学や歴史学の学者は鑑定技術の発達で
理系がフルボッコしている最中ですw
894 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:11:39 ID:TOO1+QjR0
>>843 邪馬台国は人食い人種の熊襲の国ではない。水行30日と陸行1月で太平洋に
沈没する。東に行けば全てうまく収まる。
つーか、まともじゃねぇな。
当時の船、蒙衝だろ。
近畿まで行ける訳ないだろ。
まぁ、伊都までは間違い無く来てるから、どう考えても
九州だな。
>>857 卑弥呼の時代以前までは、ほぼ全国に広がっていた銅鐸文化が
天皇家の祭祀にも、神道にも、記紀にも出てこないほど消し去られるほどの
文化の断絶を、それだけの事で片付けるほうが不自然だとは思わないか?
>>890 邪とか卑を自称する日本人なんて
いなかったのは事実。
>>847 九州から出た金印も別の国の金印では意味がないわな
899 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:14:03 ID:OeCjMtBz0
>>855 おまいは馬鹿
正確な測量技術ができたのは江戸時代
それぐらいは知ってから書いてくれや
900 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:14:35 ID:ByrZA2NUO
>>821 李氏朝鮮が
常に中国人と結婚して子孫を残していた完全に中国人だという事実を
韓国朝鮮人が隠すようなものか
>>895 対馬経由で九州まで来られるのに、そこから近畿へ行けないって理屈はないんじゃないか?
>>806 確かに途中から不明確になるし、伝聞情報を元に実際に存在しなかったのをでっち上げてるかもしれんよね。
どーせ分かりっこないと高くくってさ。
ただそうすると、今までの研究否定することになるから後にはひけなくなってたり。
>>872 漢字は邪馬台国の2〜3世紀に輸入されたとか
輸入されてすぐ使いこなせるわけないんで、
和を勝手に倭に当て字したとか、すごい勘違いなんじゃないかと思う。
906 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:16:02 ID:bKacAloZ0
>>875が九州説の典型的な特徴。
まず「九州にあるはず」「○○の陰謀」などの、イデオロギー、郷土愛、思い込み、情念等があるだけ。
最初から答えがあるので、どんなに合理的客観的な証拠を示し、いくら話をしても埒があかない。
だからまともな学者は九州説から離れていった。
今の重鎮クラスが死んだら九州説は終わる。
あとは、ファンタジー好きの素人が佇む廃墟になる。
908 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:16:15 ID:Ywabs8bW0
九州説はとりあえず最低限邪馬台国までの日程、水行十日・陸行一月を解決してからきてくださいね
>>872 大和朝廷の禁書令で掃討された
アラバキ文字とか有名
910 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:16:27 ID:r2VSDIk7O
しかしスサノオが出雲国風土記によれば単なる地方の弱小神だったとすれば、
古事記は、その地方の神話を正史採用したのではないかね。
どんな地方の弱小神でも、その地方にとっては祖先の英雄であり、
立派な伝説は残っておろう。
正史採用したってことは、その地方はヤマトに早くから服属し、
イズモは後で服属したからスサノオの目下扱いされたのかも。
911 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:16:33 ID:UPNABA6O0
魏志東夷伝倭人の項目によると
帯方郡(現在のソウル辺り)から倭へ行くには海岸にそって船で進み、韓国(三韓の馬韓?)を経、南に進んだり、東に進んだりして、倭の北の対岸である狗邪韓国(釜山辺り)に至る。
ここまでが七千里。そこではじめて海岸を離れ一つ海を渡る。その距離一千余里。対馬国に着く。
後は国と距離だけ羅列します。
(対馬から)海を渡って千余里で一支国、さらに海を一つ渡って一千余里で末蘆国、
東南に陸路で五百里行くと伊都国、水路で20日で投馬国、水路で10日、陸路で20日で南の女王が支配する邪馬壱国(邪馬台国)
水路がある以上、日本中どこでもおかしくないんだよな。
912 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:16:50 ID:8epHNtBW0
>>896 銅鐸もそうだけど、ハニワって残ってんの?
なんか同じく滅亡してるイメージっぽいんだけどww
>>895 中華思想のシナ人が中原以外の辺境を適当に書いた言葉を真面目に解釈しよう
という事が狂気だがなw未来で学者が集まって日本のギャグ漫画を真面目に解釈
しだすぐらい馬鹿げてるww
915 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:17:40 ID:RREmpi4N0
近畿説の九州人もいなければ
九州説の近畿人もいない
ようはただの郷土愛、これがこいつらの議論のレベル、一顧の価値もない
916 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:17:43 ID:lQpRC2dn0
>>839 卑弥呼と台与は女性ですね。(同一人物であるという説もある)
ただ2世紀後期の倭国大乱で卑弥呼に皇位を渡す前は男系ですし、卑弥呼と台与の間にも男子が入ってますから、
卑弥呼は皇女と考えるのが自然では無いでしょうか、論争がある今と似ていますね。
日出ずる国の天子を宣言し中国と対等にさせた推古天皇も女性ですし、
古来より国がやばくなると女性が立つね。この国は、
>>872 「天皇記(すめらみことのふみ)」と「国記(くにつふみ)」というのがあったが、
大化の改新のときに、蘇我蝦夷の家と一緒に燃えたと日本書紀にある。
古事記を編纂する時に、「帝記」や「旧辞」を参考にしたとされているが
どれも残ってない。
> 女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。
> 女王国の東に海を渡ること千余里、また国がある。いずれも倭人である。
はて?奈良県の東に海があったっけ?wwwwww
お前らアホだな〜
魏志倭人伝には、こう書いてあるのだよ。
○九州までは、これこれしかじかの行程で行ってきました!
↑
ここまでは、行程や到達している地域名なども整合性がある。
○日本は低級な国で、女シャーマンが統合してるそうでして、
そこまでは、アッチヘ千里、コッチヘ千里と、かなり遠いので行きませんでした。
↑
お前らは、ココに書いてある。とにかく遠いんです!
の表現に使われた距離や方角で右往左往してるんだよ。
そんなもん、調べて書いてるわけネーだろうがwwwwwwww
>>888 現天皇家に連なる祭祀の文化かどうかが一番重要だとは思いませんか?
921 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 12:18:55 ID:4ZECZe71O
>>827 魏志倭人伝と同時代に作られたと言われる箸墓古墳だが
この時代、武埴安彦なる人物が謀反を計画し倭迹迹日百襲媛命がこれを暴き四道将軍が退治したと日本書記には記録される。
この倭迹迹日百襲媛命を祀った墓が箸墓古墳であり最初に作られた大型前方後円墳である。
またこの前方後円墳の形状はそれ以前の大和型の古墳と吉備型の古墳とを合わせたような形状であり
大和において倭迹迹日百襲媛命の弟であり四道将軍の一人でもある吉備津彦命こと桃太郎の影響が強かった事がうかがえる。
つまり機内説としては大和大乱は武埴安彦の謀反であり卑弥呼は倭迹迹日百襲媛命でありその弟とは桃太郎だという事になる。
922 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:18:56 ID:OeCjMtBz0
天皇家の成立は6世紀またはそれい以降だろ。
それ以前はいくつかある豪族の一つにすぎなかった。
>>903 うん、勘違いはあっても不思議じゃない。
現在だって勘違いしたまま使い続けてる漢字とかあるし。
924 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:19:09 ID:mKU7CX2b0
>>897 いや日本には邪馬台国の研究資料なんて古墳も含めてただのひとつもないんですよ。
邪馬台国の話は中国王朝が残した文献に書いてあるだけのもの。
それをずっとこねくりまわしてきただけの話。
あなたが中国がどうのこうのいいたいだけになった瞬間にこの邪馬台国の話は
あなたにとって消滅したも同然です。
だから消えて、ウザイ。
>>903 魏で書かれた書物だし、音だけで適当につけるんじゃね
927 :
猫煎餅:2009/05/19(火) 12:19:29 ID:HPm2yNR90
>>902 陳寿が三国志書いた時点で、30年くらい前にこんなことあったよーな
話だからな。まるっきり嘘ってことは無いと思うが、どこぞのじいさんばあさんの
昔話レベルになっているのは想像するに難くないわな
>>896 ローマの風呂文化も消えるまで速かったが
>>899 そんなこと鬼の首とったように言われてもな
倭人伝が正しい、って断言してるから少なくともここは正しくないよね、他の部分も検証したの?ってだけなんだけど
散々検証された結果畿内説主流になってる現状があるわけで
で、なぜ遺跡が出ないの?
929 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:20:20 ID:tlvmH09j0
>>896 はい、君の言ってることは矛盾してる。
九州には、銅矛文化があったはずだけど、どうして消えたの?
どうして断絶したの?
魏志倭人伝には銅矛って出てくる?出てこないね?
ということは、銅矛も銅鐸も、卑弥呼の時代の前に終わったの。
東征によって、銅鐸が終焉したなら、卑弥呼の時代に東征は完了したことになる。
よって、4世紀の東征は無いってことだよ。
>>915 へぇ〜、たった一人でもいれば崩れ去る、脆い意見ですね。
銅鐸萌え〜の時代が去ってしまったんだろう
>>915 畿内説は郷土愛じゃなくて愛国心かな?
九州説はどう見ても歪んだ郷土愛からきてるね。
くだらんウヨに多いよな
最終的に魏志倭人伝否定するやつ
934 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:21:05 ID:fPxCuqLK0
>>925 納得すんなよ
実際に行って見てきたとしか思えない記述があるぞ
>>911 倭の三国が並列表記なのか直列表記なのかで距離も違うシナ
倭の方位なんて怪しい上に、船や陸路の道の状況も不明だから倭人伝から特定するのは不可能
936 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:21:23 ID:Ax9QeGth0
これで淡路島とかだったら笑えるがw
937 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:21:42 ID:LDEKsnyVO
>>918 つ伊勢湾
当時東海への交通は船旅がメイン
938 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:21:58 ID:TOO1+QjR0
939 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:22:23 ID:oG8sjGJwO
邪馬臺国なんてありません
あったのは邪馬壱国でしょ
by上岡龍太郎
>>934 それは知ってる奴に聞いて書いたんだよ。
>>911 >倭の北の対岸である狗邪韓国(釜山辺り)に至る
942 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:22:46 ID:FYHscdNa0
畿内説は天皇を全部実在とかいいだすキチガイ
皇国史観だからな
>>806 捏造とまでは言わんが、相当適当だろうね
>>934 聞いてきたような嘘を吐く輩はいまでもいっぱい居るしね
945 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:23:18 ID:YqMUlIcE0
>>872 結縄文字という、縄に結び目を作ることで情報を記録する特殊な方法が使われていたらしい。
中国の歴史書「隋書倭国伝」の中の倭人の風俗に、「文字は無く、ただ木を刻み縄を結ぶだけ」と記録されている。
結縄文字はインカ帝国(時代はずれるが黒歯国?)や沖縄台湾でも使われていた。
このことからも邪馬台国は九州じゃないかと漠然と思っている。
>>882 > とりあえず、魏志倭人伝を重視するのはやめとけよ。
>
> 当時の中国なんて、不死の薬を探す軍団が出発したとか、
> そういうレベルだろ??
それはもっと前の【秦】の終わり頃に、調査隊長として徐福が日本に派遣された話。
947 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:23:40 ID:RREmpi4N0
>>930 事実、過去一人もいないんだから仕方がない
かならず出身地とリンクしてる
関東の学者はあまり研究に熱意がない
そういうものなんだよ、場所論争ってのは
どこにあったかなんて どーでもよいとおもうが
>>896 非常に日本人らしいのだが
廃仏稀釈を見るとそういう民族的な気質がアルンダヨ
戦後の赤狂師、戦前の軍国少年て奴ね。
>>934 >
>>925 > 納得すんなよ
> 実際に行って見てきたとしか思えない記述があるぞ
いや、日本の九州までは来ているが、
邪馬台国には訪問しておりませんと書いてありますw
>>937 それだったら、三重県が邪馬台国ってことになるがwww
952 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:24:01 ID:tlvmH09j0
>>942 だったら、神武東征も無いってことでいいんだよね?
君は東遷説なんて支持しないってことだね?
953 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:24:36 ID:Q0M4Nyyr0
教科書の日本史みたら
倭の五王それぞれに〜天皇を当てはめていた。
ひどいな。
めちゃくちゃだな
>>902 そこまで正確な航海に通じた人間が僻地に来るわけないだろうとは思った
かなり適当に書かれてると思
>>942 自分の反対意見にレッテルをはりつけて全否定するって格好悪くないか?
今までもお前の意見も台無しだ
俺は畿内説派だが、上古の天皇が全部実在したとは思ってない
>>945 石垣島の隣の竹富島ってところに縄を結んだ文字(数字)が展示してあったな
>>934 見てきたとしか思えない記述なんて東方見聞録にもガリバー旅行記にもありますがな
958 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:26:07 ID:TOO1+QjR0
>>942 あなたは、トンデモ九州王朝説でしょう。
959 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:26:19 ID:Cy2YWtAK0
>>944 じゃあ邪馬台国もなかった でいいのね?
女王国までの距離は最後にちゃんと書いてある。
>「帯方郡より女王国にいたるまで1万2000余里」
帯方郡→末盧国まで足すと1万里 (7000+1000+1000+1000)
末盧国→奴国 700里 (500+100+100)
すると、→投馬国→邪馬台国 は1300里となる。
対馬国→一支国が1000余里。
これが対馬と壱岐であるのはほぼ確定だから
両者の距離は68km。これが1000余里ということになる。
他の距離などを考えるといい加減だが、実際より大きく言ってるようだから
近くではあっても、それより遠いということはない。
奴国が福岡あたりだとすると、そこから車で1〜2時間くらいの
ところに邪馬台国はある。末盧国からなら2000里。唐津あたりから数時間。
方角は南だ。
投馬国も邪馬台国も、はっきり南と書いている。さらに
>「女王国より北は道里や戸数を書けたが、それ以外の国は遠くてわからない」
ともある。つまりそれまで書いた国は邪馬台国より北ってことになる。
だが、1300里を水行陸行1ヶ月かかるのはおかしいという疑問も出てくる。
しかし1300里を30分で移動したなら、有り得ないと言えるが、1ヶ月かけて
移動した可能性は否定できないだろう。
距離は短くても、険しい山越えをしたかもしれないし
(末盧国の描写で、草が生い茂って、前を行く人の姿も見えないとある)
魏使が来たのは夏。台風で増水やガケ崩れなどで足止め、遠回りしたかもしれない。
だから時間がかかってるから遠くまで行ったなどとは断言できない。
それに、日数は郡からの全行程にかかった時間だという説だってある。
いずれにせよ途中から距離を書いてないのだから仕方ない。
そして「郡から女王国までは12000余里」とハッキリ書いてあるんだから、
むしろ日数を主張する人はこれをまるで書いてないかのように完全無視してる方がおかしい。
もとが邪馬臺国と書いてあったかどうか知らんが、「やま××」なんて地名なり国名なりなんて、
日本中の至る所にありうるだろ
それを、のちの「大和」と理解しなければならん、とする発想がわからんわw
962 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:26:43 ID:mKU7CX2b0
これだけは断言できる。
卑弥呼はもう死んでいるので家族会は解散してください。
ていうかまぁ、古墳を暴くのだけは、俺もあんまり賛成できないな。
俺は、一応思想的には右翼なので、天皇を中心とした日本であるべきだと思っている。
しかし、たくさんの古墳を暴いたら、必ず皇統というのが明らかになってくるだろう。
○○天皇 ○○天皇 と順々に暴いていって、DNAが一部でも判明したとしよう
すると必ず、今の天皇のDNA一致させようとする奴が出てくる。
もちろん、一致するわけがない。
だから、古墳だけは暴かない方がいい。当分、天皇を中心とする日本であるべきだから。
>>942 戦前に「皇国史観」なんて単語は無いけどな。
戦後マルキストが作った造語だぞ
戦前の正当な歴史をゆがめるための。
965 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:27:10 ID:LDEKsnyVO
>>942 否定している連中は自分の想像や好みによる三段論法という杜撰さだがな。
畿内説は大概は否定も肯定も論拠が乏しいとする立場。
966 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:27:17 ID:kcb2YUAZ0
>>958 倭は九州にあった
これは動かしようがない
>>942 >>953 ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84 = 在日??それともバカサヨ?
>>959 なんでそんな飛躍するの?
論理思考能力ゼロ?
こんなんだから円安と円高を間違えるんだよ
>>926 たぶんその通り、倭人の発音から邪馬台国とか卑弥呼とか当て字しただけ。
それを和をわざと倭にしたとか、日巫女なのに卑弥呼に当て字したとか、変なこと言い出す人が多い。
970 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:28:00 ID:XkoAMqC8O
九州説自体が捏造のもとに成り立ってるわけなんだが・・・
>>957 ガリバー旅行記はともかく東方見聞録は全部本当のことだろ
>>960 当時の地理的状況から九州だと思うけど
同時期に畿内に別の大きな王朝があったんだろうね
>>971 >
>>957 > ガリバー旅行記はともかく東方見聞録は全部本当のことだろ
おいおいwwwwwwwwwwwwwwwww
974 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:29:31 ID:L5fRHo44O
>>953 大和朝廷以外に、当時は九州にも大王を名乗る朝廷が別にあったらしい。
新井白石は、ヒミコは今の天皇家とは別のそうした九州王朝の女王ではないかとの説を、
江戸時代に自説として立てています。
976 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:29:43 ID:ZRCrcznfO
魏志倭人伝にて邪馬台国について記述された時代の、東は何度から何度?南は何度から何度?西は何度から何度?北はは何度から何度?先ずは、そこから述べて説明して下さいね
977 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:29:54 ID:kcb2YUAZ0
>>967 倭の五王を天皇だったとすると
天皇家は中国に朝貢したことになるぞ。
978 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:30:21 ID:/YoJHHteO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。
南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…
どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。
邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。
海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
980 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:30:26 ID:bKacAloZ0
ここで皇国史観とか言ってる奴はたいがい馬鹿。
学問に口出しなどせず、サヨク、ネットウヨクでもやってなさい。
>>975 単なる旅行者が中国側の記録に残ってなくても不思議じゃない
>>971 まあ金が驚くほどいっぱいあったんだろうね
小判とかそのまんま金だったって聞いたし
全部外国に流出したけどなww
983 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:31:07 ID:UPNABA6O0
>>971 >ガリバー旅行記はともかく東方見聞録は全部本当のことだろ
ちょっと待て!東方見聞録は黄金の国ジパングの記載がある奴じゃないか
<丶`∀´> <邪馬台国の起源は・・・
>>974 >
>>953 > 大和朝廷以外に、当時は九州にも大王を名乗る朝廷が別にあったらしい。
> 新井白石は、ヒミコは今の天皇家とは別のそうした九州王朝の女王ではないかとの説を、
> 江戸時代に自説として立てています。
新井白石より、俺達の方が、詳しいと思う。
俺達の方が詳しい。100%間違いないwwwwwwwwwwww
987 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:32:19 ID:ByrZA2NUO
>>969 中国に倭があった。
呉越と同じ地区にね。
988 :
三河農士 ◆fZjiKO5lZ2 :2009/05/19(火) 12:32:26 ID:4ZECZe71O
>>872 神代文字というものを主張する者もいるが、どうみても信憑性はない。
989 :
ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/05/19(火) 12:32:28 ID:55fLzTLT0
ネトウヨ 天皇家は中国の臣下であったとの主張にたどり着き自爆
---THE END---
>>982 いや、佐渡の金山と金輸出をテキトーに誤解したのがジパング
991 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:32:57 ID:lzJ2Cbfp0
かやぶきを黄金と間違えたおっちょこちょいさんでしょ>マルコちゃん
992 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:33:10 ID:LDEKsnyVO
>>977 応神天皇は百済に案内役をさせ「呉」に使いをだした。
朝貢として意識していなかったかもしれんぞ。
>>959 とりあえず遺跡でてこないことの説明だけ頼むわ
さがしてくださいさがけん
九州から畿内に行くまでの国が書かれてない。九州は細かく書かれてる。
中国・四国地方の国名があれば畿内説で確定するけど。
宇佐神社wwwww
地元の事での記事を2ちゃんで見るとか不思議な気分だ
997 :
名無しさん@九周年:2009/05/19(火) 12:34:09 ID:L5fRHo44O
しかし、九州説をとると佐賀より南に比定地を見付けないと矛盾が出る。
イヨタン・・・・・・・・・・
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。