【マスコミ】NHKスペシャルに日本李登輝友の会が抗議声明★7

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336名無しさん@九周年
異国の民となりて…日本の皆様へ   その1
鄭 春 河 (旧名 上杉重雄)
私は大正九年(一九二〇)殖民地台湾に生まれて、終戦翌年の昭和二十一年(1920)
六月まで二十六年間は日本人であつた。異国の民となつて五十三年。心ならずも世界の孤児
台湾人に置き変へられたが、曽ては日本人であり、大束亜戦争をも共に戦つたのを唯一の誇
りにしてゐる。
つくづく思ひまするに、人間と生まれ来てその生が幸であつたか不幸であつたかは、その
人の心掛け次第に依ると断定する。私は報はれぬ境遇に生まれついたが、それでも幸せ者と
自ら満足してゐる。何故ならば、僅か二十六年の日本人ではあつたが、人間の一番大事な時
に、日本の正しい教育を受け、千載一遇の大東亜聖戦にも参加できた。敗戦とはなつたが、
私の人生に悔いはない。波欄万丈の体験を重ねて、「尽忠報国」の精神と国民道徳とを身に
つけたまま今日に及んてゐる。これに勝る幸せがあらうか。
過きにし七十九年をふりかへつて見れば、因果のしからしむるところか、予期せぬ敗戦て
遂に日本人になり損なって、苛酷な体験を味はされ、昨日の敵が今日の祖国となり、三つの言
葉を併用しなければ生きていけない皮肉な生涯に陥つてしまつたのてある。(…)
敗戦となり一大悲劇に転じてしまつた。昭和二十一年六月、二十六歳にして異国民となつて
台湾へ送還されたのである。
戦に負けたからにはいかなる応報があらうとも、祖国と運余を共に、最後まで日本人であ
りたかつた。子供の時から一人前の日本人にならうと不断の努力をした甲斐もなく、悉く水
泡に帰した悲しみは、境遇を異にする日本の皆様にはとても味はへるものではない。基隆
( キイルン)に上陸したとたん「貴様達は祖国に弓を引いた不肖者だ」とどやされ、戒厳
令の解除まで三十八年間、異物として監視された。
「台湾人元志願兵と大東亜戦争いとほしき日本へ」