【文化】「邪馬台国」解明へ発掘 有力候補の纒向遺跡(奈良) 九州〜関東地方の土器が数多く出土

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1 ◆kome..8cZ. @窓際記者こしひかりφ ★

・“邪馬台国”解明へ発掘 有力候補の纒向遺跡

奈良県桜井市教育委員会は30日、邪馬台国の有力候補地、纒向遺跡(3世紀初め−
4世紀初め)成立の謎を解明するため、集落中心部とみられる場所の発掘調査を2月に
始めると発表した。期間は約5年の予定。

過去に神殿とみられる特殊な建物跡(3世紀初め−中ごろ)が出土した地点と周辺の約
100メートル四方を発掘。市教委は「建物跡の東側に、巨大な中枢の建物の遺構が
眠っている可能性がある」としている。女王卑弥呼が君臨した時期と重なり、成果に注目
が集まりそうだ。

纒向遺跡は桜井市北部の南北1・5キロ、東西2キロの範囲に広がる巨大集落跡。過去
160回調査しているが、発掘面積は遺跡全体の約5%で、不明な点が多い。

九州から関東地方の土器も数多く出土していることから、一般的な集落とは異なり、広範囲
から人が移動してきた「都市」との見方もある。遺跡内には、卑弥呼の墓との説がある箸墓
古墳(3世紀後半)など最も初期の前方後円墳が点在している。

>>> http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009013001000669.html
>>> http://www.47news.jp/PN/200901/PN2009013001000732.-.-.CI0003.jpg
2名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:15:09 ID:YdNrsF0o0
卑弥呼さま〜!
3名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:15:29 ID:xHRFiBti0
金印が出てくればなあ
4名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:15:48 ID:RgV2oR5s0
だから邪馬台国は朝鮮半島にあるとあれ程・・・
5名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:16:10 ID:FS+XHuhi0
実は卑弥呼は不死の泉に浸かったので、今でも生きている。
6名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:16:13 ID:RXyG5NeBO
邪馬台国は二つあったんだよ!!
7名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:16:27 ID:ppd9TTBP0
邪馬台国は朝鮮の配下だったし
その時に朝鮮から、人を出したのが今の天皇の子孫
8名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:17:04 ID:I695Ssl00
邪馬台国は九州
9名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:17:49 ID:68Y0oo7d0
近畿説が有力なんだよなあ・・・九州説はダメかあ
10名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:17:58 ID:MQ1pwFZtO
>>7
邪馬台国の方は未来人ですが?
11名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:18:59 ID:bnlM3QVf0
わかったぞ。
このままだと人類は滅亡する!
12名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:20:33 ID:FS+XHuhi0
でもさあ、魏志倭人伝の邪馬台国は九州で、近畿には別の強大国があって・・・
ということはないのかな?
13名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:22:05 ID:xHRFiBti0
朝鮮半島南部に古いと言われている前方後円墳があって、
前方後円墳の起源は半島、天皇家も半島からであることが証明できるとはりきって発掘したら、
年代が新しいことがわかって、逆に大和政権が半島に勢力を伸ばしていたことがわかり、
急遽、単なる円墳に変えたんだよな。
14名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:22:51 ID:tvp7myYT0
ゴッドハンド
15名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:22:52 ID:1z0bbGF/0
起源は……
16名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:23:18 ID:V3fm/1WS0
ハルカ〜天空の邪馬台国&炎天の邪馬台国〜
これオススメしとくわ
17名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:23:18 ID:wX4ZpOw00
邪馬台国朝鮮説で思い出したけど、
同じような説で邪馬台国フィリピン説もあったな。
18名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:24:02 ID:rnmFmHl9O
やまたいとか興味ねぇ
現代史の方が遥かにおもろいわ
19名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:24:14 ID:zv3JWeUSO
邪馬台国は四国愛媛の山田井にあったんだよ。

地元でも信じているヤツは僅かな説です。
20名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:24:32 ID:9JDt4c4+0
ちんちんがマキムクしてきたお
21名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:24:59 ID:BvtyLtZp0
邪馬台国が日本じゃないって可能性は検討しないの?
22名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:25:14 ID:lEMt/Ymm0
苅谷俊介さん(考古学会会員)も、この地に邪馬台国があったんじゃまいかと言ってるぜ!

 箸墓古墳は卑弥呼の墓やと言ってるお。 
23名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:25:40 ID:G2yE1cGVO
吉永小百合の映画があったよね
あれって確か九州に…
24名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:25:51 ID:pU3BFs7e0
古墳時代の朝鮮が日本の支配下もしくは影響下だったのは前方後円墳から明らかだけどな。
25名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:26:11 ID:Gb0Gsuay0
京大学閥(近畿説)と東大学閥(九州説)の争いはもうやめにしてほしい。
26名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:26:52 ID:YG1GXbbB0
鋼鉄ジーグが砂場で準備運動を始めました。
27名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:26:54 ID:yJ8bOIwh0
>>1
8(^o^)8<望んではならぬ

(^o^)8<それを知ってはならぬ

8(^o^)8<それは最期の鍵
28名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:27:01 ID:rkh5141I0
邪馬台国は我らが荒川区にあった
29名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:27:14 ID:uPPBEdJ10
邪馬台国を解明するより、皇族が朝鮮人で日本神話とか捏造して
神の末裔とか言い張って純朴な日本人を騙してたのかどうかを解明してくれ。
30名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:28:00 ID:mPaQmpq/0
それぞれの説を支持してる人たちが
激しく討論してる様子を見てみたい
朝生でやってほしいな〜
最終的に殴り合ったり泣き出す人もいればなおよい
31名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:28:26 ID:yEtU8S6F0
>>13
俺は、「埋め戻した」ってどっかで見聞きした気がする
32名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:28:41 ID:So7nwIoH0

俺が読めるようにカナをふってくれ
33名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:29:05 ID:9JDt4c4+0
>>31
マジレスすればココ読むとわかる

韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/
34名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:29:50 ID:bvxcIybCO
>>22

大門団長:ゲン、援護!
35名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:29:53 ID:/OZyYwZX0
やっぱり一重の朝鮮末裔は優秀だな
どうぞこの国を乗っ取ってください
今まで歴史を作ってきたのも、これから作っていくのもあなたたちです
36名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:30:36 ID:DA9u2p960
「仏の顔も三度・・・」 ブッダ、二度目でキレていたことが判明
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1233301902/
37名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:31:16 ID:mXtDbyF80
>>30
>最終的に殴り合ったり泣き出す人もいればなおよい
それじゃあ日本人出演出来ないじゃん エラだらけの画面になるぞ
38名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:32:16 ID:aHTbKEy80
邪馬台国の本拠地は釜山
39名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:32:52 ID:g939EAxp0
初期 大和朝廷の始まったところで箸塚があるんだったか
40名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:33:23 ID:eTHwjB730
九州から畿内に移動したってマジなの?
地名も似てるとかなんとか
41名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:33:58 ID:o7bJN+qdO
ジーグスレときいて
42名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:35:27 ID:8fpoqwmd0
あれ おれがきんときは 九州説のが有力だったぞ
43名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:35:31 ID:X3yUF7VW0
”邪馬台国”って書いてる時点で間違え
44名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:39:41 ID:ZPC+k8FS0
巻き向くじゃねーよ
魏志倭人伝よんでみろ
ありえねーよ
いいかげんにしろ
せんとくん
45名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:43:28 ID:sqJksDLt0
>>40

それ、詭弁ですから。

46名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:43:34 ID:3Zx/Wc6O0
もう、近畿の知事と九州の知事が
ガチンコの殴り合いで決めればいいと思う
47名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:44:32 ID:P9rRA7xH0
>>31
コンクリで固めたんじゃなかったっけ?w
48名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:45:59 ID:9JDt4c4+0
>>46
東国原が西都原を持ち出してきそうだな
49名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:47:34 ID:FS+XHuhi0
>>48
に・・・西都原の古墳は結構すごい。
50名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:47:38 ID:a6gFJ53L0
じゃ、邪馬台国
51名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:48:07 ID:JpBjP7O8O
>>42
いつの間にか今の学会では近畿説の方が有力ということにされてしまっている。
学者様は学問よりも学閥がお好きなので、政治家顔負けの醜い争いをした挙句、
結局、権威や根回しで結論を出しちゃうからな。もはや学問ではなく政治だよ。
52名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:48:50 ID:HoeKCK1e0
九州だろ、日本側に記録がなかったとしたら、日本の歴史に何も影響を
与えなかったちっぽけな国だからであって、邪馬台国は纒向遺跡ではな
い。邪馬台国と書いてあるのに纒向って、漢字読めないのかよ
53名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:52:08 ID:GoBtytdt0
九州説はもう終わったのか
54名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:52:14 ID:7WXS/lyR0
                                 //〈
                            /  l  _,、
              _    , -- 、' ⌒ヽ , -‐ '´ヽ   ̄/
            /  ヽィく    l    l     〉ー '´
           l      ヽ_ j'   ,.<ヽ   /
           ヽ_   r ‐ 、_○ノ,ヽ1 ヽ l  /
              l   l ヽ‐。、)_,ィ。/l_l`ヽ',l_/
           /ィ、_ l _'"´ ゝ , j‐ ヽ',l  メキニメキニヌダラダラー!
           / ! `´ }`ヾ、ー''/./  j l  
          /   ヽ _ノ、\  ̄,イー '´ !
     , -‐''''' ‐ 、     ヽ ニー`彡'    l
   , '      ヽ         l      ,'
.  / _ ,,,.. _    i         !    ,'
  l〃´   `ヽ、  l         l   ノ
.  /         ', ,'         / ,.ィ'
 /   _    l/      __ ,,../‐'´ i
 !/    `丶r'ミヽ __ ,. - '´   ヽ /
/         >r‐'´ '  ̄ ̄ `ヽ_j_,,,.. -rヽ
l         //     '  ̄ ̄ ヽ Y-=  >'
55名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:52:38 ID:T8W2TkuT0
卑弥呼は遼東の公孫氏の末裔
56名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:53:00 ID:wshjL0TU0
邪馬台=大和でいいのか? もうそのへんぐらいはっきりさせろよ
57名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:53:03 ID:ARj0Jn0V0
邪魔大王国の恐ろしさを見せてやる
58名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:53:18 ID:9JDt4c4+0
九州説の根拠って「九州はまだ掘られてない土地がある!、そのうちなんか出てくるに違いない」だからな
59名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:54:50 ID:BO78GMi+0
ハニワ幻人やっつけろ
60名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:55:38 ID:CpOqTflvO
今の韓国辺りにあったんじゃね?
61名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:55:46 ID:9JDt4c4+0
>>55
それは絶対にない
朝貢のタイミングからして
62名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:56:15 ID:ZjkBqWImO
ひみこ
63名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:56:51 ID:qYQX6nq10
九州土人発狂火病大噴火wwwwwww
64名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:57:07 ID:o2DDjH8w0
魏志倭人伝は中国人の記録

日本人は古事記とか日本書紀読んでればいい
65名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:57:29 ID:LW6fO9QxO
ヤマタイがヤマトと同一であったとしても、中国人に九州に居た集団と、
奈良に居た集団の区別が付いたとは限らんだろうが。
丸ごとゴッチャにしてヤマトと思ってたかもしらん。

現代ですら、中南米人などは、日本人と中国人の区別さえ良くつかんのだぞ。
66名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 19:58:58 ID:OZtl548j0
>>4
山形さんw
67名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:01:00 ID:h2T6u7JX0
卑弥呼は吉野ヶ里にいましたよ。立派な建物の中で、お祈りされていました。
また卑弥呼ちゃん人形にもなっています。買ってきましたです。
68名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:01:01 ID:JpBjP7O8O
>>52
むしろ日本の成り立ちにおいてその存在があまりに大きかったからこそ、全ての
記録を抹消したのかも知れないね。
それらしい事情が古事記の序文(だっけ?)に出てくる。
エジプトの例を持ち出すまでもなく、古代においては記録の抹消、歴史の改竄が
平気で行われていたんだろうね。
69名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:01:32 ID:t/E77j0b0
交易がそれなりにあったっていう証左にはなるだろうけど
邪馬台国に・・・とはならないんじゃね?
70名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:04:05 ID:ELvwNEnk0
まきむくが、交易都市だったとしても邪馬台国とは限らない。
71名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:05:03 ID:YlDcs/wl0
九州にあるものを奈良を掘って見つけようとする不思議
72名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:05:40 ID:h2T6u7JX0
巻向には鉄器が一つも出ていない。戦争ばかりやってた時代に、武器が一つも出てこないなんて、有り得ない。
九州からは五萬と出てくるのにね。 NHKによると、武力で治める九州説か、話し合いで治める近畿説か だって、笑っちゃうでしょ。
73名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:06:36 ID:vwY7iGIY0
魏志倭人伝自体がフィクションだからな
74名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:07:42 ID:ZPC+k8FS0
邪馬台国は南の国と戦争してたからな
鉄器が出てこないなんてありえない
奈良からはぜんぜん出てこない
九州からは出てくるけど
75名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:08:10 ID:bRqARM/z0
佐賀にある邪馬台国の土器を当時の奈良県民が大量に買っていったんじゃね
残念ながらもう帳簿は残ってないけどな
76名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:09:05 ID:MDNBrOvy0
オレが卑弥呼の子孫だっていっても誰も信じないだろ?
でも、オレが卑弥呼の子孫でないなんて誰にも証明できないのさw
77名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:09:56 ID:FS+XHuhi0
そっか武器が出てないね。
78名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:11:38 ID:Jj9mJAsd0
>>53
コンビニ本では、どれもこれも九州説ばかりです。
79名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:12:05 ID:y2x1DhgUO
吉野ヶ里に相当規模のものがあったのは事実。
ただ、卑弥呼のころは既に奈良の支配下だったというのが正しいだろう。
80名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:12:51 ID:OSb1Sj+zO
ヒミコも半島起源ニダ
<`∀´>
81名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:13:06 ID:OtFwtoes0
>>78
それを聞くと俄然畿内説の方が有力に思えてきた。

「畿内説」って一発変換できるんだ。
82名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:13:21 ID:bQaeMxd60
じ・・・邪馬台国
83国民の真の敵は役人:2009/01/30(金) 20:13:27 ID:AHCwOcRp0
邪馬台国vs出雲・吉備・近畿連合

邪馬台国は九州だろうが、たんに中国に外交して金印をもらっただけ。
勢力的にはどっちも大勢力。
84名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:13:59 ID:w2Bz1/hz0
今のうちに現地で掘ってこよう。
85名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:14:01 ID:HXAWdW+y0
卑弥呼は朝鮮系だろ 文明が高いほうが勝つからな。
しかし名前・・・w  卑しい巫女 なのかな? 
86名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:14:11 ID:mN1Bz0QP0
最近の研究では邪馬台国の位置は大和か九州かではなく
大和の中のどこかが焦点になってきている
中でも纏向は卑弥呼の墓である箸墓に近く最有力と言える
87名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:15:00 ID:qYQX6nq10
低学歴のネトウヨちゃんとしては、
天皇様の源流が中国に朝貢してた邪馬台国だと困るから、
九州説を必死に支持してるんですよね^^
古墳を埋めたチョンと同レベルの思考回路w
88名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:15:25 ID:T1Ln/x870
邪馬台国は四国にあった

これ豆乳首な
89名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:15:32 ID:d+RgZRMoO
地元では伊都国女王を御輿に乗せてワッショイする祭りがあるよ
割と楽しかったりする
90名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:18:15 ID:GdlJuhTHO
なぁに、邪馬台国はムー大陸にあったんだよ

ホントダヨ〜
91名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:18:19 ID:pCkSHOEL0
>>89
ワッショイの語源はワッソであり、邪馬台国はうウリナラの(ry
92名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:18:41 ID:yLhFUJtm0
そもそも、チョンの癖に、ヤマトの当て字として邪とか馬とか使うのがムカつく
93名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:19:12 ID:lEMt/Ymm0
卑弥呼さんにはお世話になった・・・・・。
94名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:21:08 ID:yLhFUJtm0
>>93
カタログにたまに名前入ってるけど、今となってはなんか古臭くて。。。
95名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:21:28 ID:JpBjP7O8O
>>56
邪馬台=ジャバダイ、大和=ダイワ、読み方から言って二つは全然違うものだよw
強いて現代に当てはめれば、邪馬台=東京都、大和=大日本となるけど。
東京都が日本都に改名したようなものだから地名表記からの類推は意味がない。
ヤマトの国と邪馬台に言語として共通するのはヤマ(ジャバ)という音のみ。
それがある地域を指す独特の地名なのか、地形上のよくあるネーミングなのかは
わからないけどね。
96名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:21:41 ID:af8kw7dm0
素直に魏志倭人伝に忠実に太平洋を探せばいいじゃないか
海の下だろうが、沖縄の海底神殿みたいなこともあるんだし
97名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:22:54 ID:CBq6VqrC0
必死で大昔の土器やら探してたら古代の性具が出てきたら面白いのにな
弥生式男根型挿入具みたいな
98名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:23:47 ID:JpBjP7O8O
>>76
それ悪魔の証明って言って証明不可能だよなw
99名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:23:48 ID:G+ra+DYH0
纒向懐かしいな。
高校の修学旅行で、俺の班は石上神宮から山辺の道歩いて、巻向から
電車に乗って京都の宿に帰ったよ。
天理教の本部を石上神宮と間違ったのは俺たちだけじゃないはず。
100名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:23:55 ID:clgcF8k30
卑弥呼は7歳の幼女
101名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:25:00 ID:FS+XHuhi0
>>96
すなおに行くとどこに着くのかね?海なら海でいいからさ。
102名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:25:08 ID:Y3q1poC8O
金と時間の無駄。
103名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:25:55 ID:UecKWPFWO
>>92
一国の女王に『卑』なんて使うしな
104名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:26:31 ID:fJn8pmYw0
陸路1ヵ月を信じるなら奈良だろ。それより狗邪韓国に興味がある
105名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:27:03 ID:dVwn8Pig0


           ┐
          さ
          あ
           丶
          神
          無
          月
          だ
          │

          出
          番
          だ
          よ
           丶
          先
          生
         └

106名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:27:09 ID:JpBjP7O8O
>>85
日巫女=太陽の巫女、なら格好いいでしょ?
107名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:28:12 ID:bRqARM/z0
まあ、中国や朝鮮からすれば邪魔で矮小で卑劣な国家だったということだろう
それは仕方がない事だ
あの時代は日本の文明は劣っていたからな
それは認める
だが、今は逆転したがなw
108名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:29:33 ID:yBKRBugz0
魏志倭人伝なんかねつ造でしょ。
所詮、元の中国だし。
109名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:29:39 ID:YczNaYc90
あれ?八幡平でしょ?
110名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:31:30 ID:HJ0dH9Qa0
え? 九州説が有力じゃなかった?

畿内説は、重鎮がブチ上げたんで学会の政治力学でのみ、
有力とされてるだけだって聞いたが?
111名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:34:05 ID:k1bdKgPj0
ついに纒向遺跡の本格調査が始まるのか。池上曽根といい、
重要な発掘に時間かかりすぎだよ。
112名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:34:21 ID:HoeKCK1e0
邪馬台国は中国読みだから、正確にはヤマドと読むらしい。
ヤマダの読みと似てるから山田だろ
113名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:34:27 ID:af8kw7dm0
>>101
不弥国から10日南に水行だとさ
当時の技術で10日の距離の範囲だろう
あとは専門家の仕事だ
114名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:35:04 ID:MayBpMiX0
邪馬台国なら隣で寝てるよ
115名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:36:33 ID:GegYwjCAO
ヤマタイ=ヤマトの誤写だよ
だから畿内でほぼ決まり
だけど九州がうるさいんだ
116名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:37:04 ID:Bk6inLTm0
>>112
シナ人はトルコを突厥、モンゴルを蒙古と漢字を当ててるから
邪馬台国も多分ヤマトだろう。
117名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:38:04 ID:JG6sQM3Y0
何で縄文とか弥生のスレには朝鮮の捏造歴史を広めようって香具師が湧くんだろう
隣の国の歴史にそんなに拘るもんかねぇ?

稲作文化が朝鮮半島から伝わったなんてのはDNAから否定されてるし
大体日本で見つかった最古の稲の化石は5000年前まで遡るけど、
その頃朝鮮半島に文明なんか無かったでしょうがw
118名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:38:22 ID:fGXOw9w9O
もう両校優勝で…じゃなかった、両者正解でいいと思うよ。
119名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:40:15 ID:k1bdKgPj0
>>117
朝鮮人の脳内では、奈良時代あたりの帰化人が稲作を伝えたと思ってるンだよ。
そうでなきゃ辻褄が合わないからな。
120名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:40:51 ID:lujpgqiT0
邪馬台国 

どこからどう見ても「ヤマト国」としか読めない。
九州土人が必死で架空の「ヤマタイ国」を捏造しようとしてるだけ。
奈良県はさっさと決定的証拠を発掘してください。
121名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:42:27 ID:bev7//ic0
邪馬台国→やまたいこく→やまとこく→大和国
122名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:43:11 ID:ih0m9f7a0
古墳とかもさっさと発掘調査すればよい
根拠もなしに何々天皇の墓って言ってる
虚構の上に平気で立つ日本人
123名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:43:11 ID:HsQpqlyY0
宮内庁は邪馬台国が大分の宇佐神宮だったことを必死に隠しています。
神社にして調査そのものをできなくしています。
124名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:44:39 ID:HoeKCK1e0
九州にもヤマト(山門)の地名があるよ。あとヤメ(八女)
という似たような音の地名もあるよ
125名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:45:51 ID:y03FJGF00
>>83
だよな〜。
位置的にも、畿内の政権が朝貢すんのは当時だとかなり難しいし。

ところで、神武天皇の東征を考えると
畿内の政権は熊襲に滅ぼされたって事か?
126名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:47:15 ID:zYb/K6/40
>>1
卑弥呼なら真・恋姫†無双に出てたけど。
127名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:47:19 ID:lEMt/Ymm0
箸墓古墳から決定的な遺品でも出土すれば、

   東大涙目状態やね。しかし、箸墓古墳は宮内庁が管理してるから中の発掘まで許可しないやろ。

邪馬台国論争が深まるだけで終わるかも・・・・。

卑弥呼も罪やのう。
128名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:47:42 ID:k1bdKgPj0
>>121
ヤマト(和)は奈良辺りの地名だよ。
129名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:48:19 ID:HoLSr/nh0
九州説通りなら泡沫国家だろ畿内説通りならいづれ大和朝廷の礎になった勢力だろうけど
130名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:50:07 ID:Bk6inLTm0
大和朝廷が邪馬台国の古事記日本書紀で邪馬台国の存在自体をスルー
してるのは自分達のルーツが中国に臣下の礼をとっていたという黒歴史を
否定したかったと考えればつじつまが合う。
131名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:50:57 ID:wDaoOqUE0
宇佐神宮にヒメオオカミという神が祀られてるね
132名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:51:14 ID:HUpuylkYO
今の天皇家は福井県から来たので卑弥呼とは関係ないよ
133名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:51:20 ID:5XXsaTPe0
>>127
決定的というと、親魏倭王の金印だろうけど、さすがにぽろっと出てくる事は無いよなあ。
たとえ出てきても、九州説の人たちは、ヤマト朝廷が奪って保管していた、とか言い出すだろうし。
134名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:54:01 ID:af8kw7dm0
>>132
福井の前はどこに居たんだ?
135国民の真の敵は役人:2009/01/30(金) 20:54:56 ID:AHCwOcRp0
天皇が今も第一に祀ってるのが大物主命って方が衝撃だと思うけどなー。
大物主命=出雲の王
136名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:55:53 ID:11ZejQz00
佐賀のアレはもう普通の一遺跡になったね
137名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:56:42 ID:gxDdCDltO
オカルト好きに流行るもの
UFO
終末
ヤマ大国
138名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:56:57 ID:Bk6inLTm0
>>135
自分らが滅ぼした相手を祟りを恐れて祭り上げるのは古代には良くあること。
139名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:58:45 ID:GTP90N3f0
卑弥呼が畿内勢力であった場合、神武東征はどう解釈すりゃ良いんだろうな。
140名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:59:50 ID:ZbgtQBr00
ヤマト政権東遷説で何の問題もない

古事記にだって、ちゃんと天皇家は九州から来たと書いてある
141名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 20:59:50 ID:27bFvTgR0
纒向は古墳時代がそこで始まった場所として重要なのであって、
邪馬台国問題といちいち結びつけるのはどうか。
邪馬台国の性格がはっきりしない以上、
その所在は土器やら建築やらをいくら調べても結論を出せるものではない。
金印なり碑文なり、文字が書かれたものがどうしても必要だ。
142名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:01:19 ID:5XXsaTPe0
>>139
大物主命と同じじゃないかな?
九州勢力を滅ぼしてしまったが、祟りを恐れてルーツは九州といって、厄除けにしたとか。
143名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:02:39 ID:eTMaPqLH0
”邪馬台国はどこに?”の問題にFBI捜査官の透視能力でどっちかが
”卑弥呼の実家”という説をだしてる。
近畿説は朝鮮、九州説は中国との地の利にあるようだし”都”の概念を重視
しなかったのは90年頃の”遷都分散論”に匹敵してるかも?
   神功皇后稜の発掘調査から何か分かるのかも知れないね?


144名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:03:07 ID:lujpgqiT0
>>135
プリンスオブウェールズみたいな。
145名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:03:17 ID:P7PanSnZ0
>>131
俺宇佐神宮の神官に訊いたんだが
それがヒミコだっていうことはない
井沢元彦の説に過ぎないって言ってた。
そういや鶴岡八幡宮でも
宇佐八幡宮と同様御祭神は

応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)


http://www.hachimangu.or.jp/about/lineage/index.html
146名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:03:58 ID:njvGKzMn0
>纒向

まとめ。。むかい。。。?
147名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:04:07 ID:sAS9qOIA0
だいたい1文字1音で当て字してるのに台だけタイって読むの無理があるだろ
148名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:05:04 ID:bV76NBYv0
箸墓古墳の調査をすれば一発で解決するのにな。
149名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:06:16 ID:ws/CEUeN0
>>13
それあったなぁ
腹抱えて笑った覚えがある
150名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:06:44 ID:g939EAxp0
前方後円墳が始まったのな
151名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:08:35 ID:6//CNsUj0
卑弥呼はゴアウルドだよ(´・ω・`)
152名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:08:57 ID:ZbgtQBr00
畿内説にこだわる奴は、神武東征を無視している。

邪馬台国は畿内ニダ!!!!!畿内じゃないとダメニダ!!!!
と喚いても、結局滅ぼされたじゃんwで終わりw
153名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:09:03 ID:p3OBSpzF0
ハニワ原人
154名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:09:51 ID:dyLP2iqZO
間を取って四国でいいじゃん
155名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:10:23 ID:X+vG32gN0
>>43
その通り。
156名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:10:29 ID:w3DHR9uP0
どう考えても韓国が期限です
本当にありがとうがおざいますた
157名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:10:41 ID:qgAgXuP60
ハニワ幻人全滅だ
158名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:12:13 ID:XIGeyhml0
やまたいこく=我らが渡来系日本大和政権
やまいちこく=卑弥呼、倭人原住民
159名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:13:21 ID:CNjLdadbO
元毎日新聞記者の井沢元彦に
まともなことが書ける訳がない
160名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:13:36 ID:X+vG32gN0
>>95
客家語で「邪馬壱国」を読ませてみないと駄目だろ。
まず魏や晋でどう発音されていたかに戻さないとな。

当然ながら漢音が近いわけだが。
161名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:14:00 ID:C+et/Lbh0
邪馬壱国
162名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:15:07 ID:bV76NBYv0
>>152
神武東征は紀元前660年頃だろ?
何も矛盾は無いぞ。
163名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:15:35 ID:DkVwNTdkO
邪馬台国って、半島のことだろ。いくら探しても見つからないわけだ
164名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:16:08 ID:y03FJGF00
>>139
神武天皇自体は九州人でも
大和政権できた時は物部氏とか大伴氏とかの
豪族が圧倒的に力もってたたから
東征は武力に物言わせたというよりも
お飾りに都合が良かったから有力豪族が利用しただけかもな。
165名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:16:10 ID:3zQgMXiXO
俺が死ぬまでに解明してほしい謎のひとつだな
166名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:19:40 ID:LW6fO9QxO
当時の中国人にとって、半島と列島の区別がついてたかどうかさえ怪しいだろが。
邪馬台国はヤマトのことでも、その他の記述は半島のことかもしらん。

そんなもん、ほっとけば良いだろ。
日本には古事記もあるし日本書紀もある。
これだけで十分だ。
167名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:19:53 ID:k1bdKgPj0
>>164
神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれたハプスブルク家も「弱小」だったから
選ばれたわけだしな。その後も選帝公たちが幅を利かせたし。
168名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:24:28 ID:s8wVEcnA0
邪馬台国ははじめ九州にあったが、後に大和にお引っ越し。

そのお引っ越し作業の顛末が「神武東征」。

…でしょ?
169名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:24:44 ID:k1bdKgPj0
>>166
朝鮮半島は明確な中国の支配地。日本は非支配地。
区別がついてるから、わざわざ使者を出して確認してるんだろうが。
170名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:24:50 ID:fbjMOf030
造山古墳(つくりやまこふん:岡山市)
仁徳・履中・応神陵に次ぐ、我が国古墳4番目の大きさを持った前方後円墳。
     全長約350m。高さ約24m。頂上には長持型石棺があるが、近くの車塚古墳のものとも言われている。

でかい古墳だ。さすが日本で4番目。一回りして、Wifeとセガレの待つ車まで戻ってくるのに30分はかかった。
それにしてもこんなに大きな古墳を、宮内庁はよく天皇陵や参考地に指定しなかったもんだ。もっとも、天皇陵が吉備ではちと困るこ
とになるのかも。それに参考地でも、どうして吉備にという事になって説明できないのかもしれない。
まぁそのおかげでマニアはこうして古墳の上まで登れるのだけれども。
4,5世紀の吉備に強大な勢力が存在したことは、この古墳を見れば明らかだ。もしこの古墳が近畿にあれば間違いなく天
皇陵だろうと思う。日本書紀には、吉備地方で反乱が起きた事がたびたび記録されている。しかも、雄略・清寧天皇の時代
にそれは集中する。

171名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:25:13 ID:Mr4nkqr2O
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。

南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…

どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。

邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。

海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
172名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:27:58 ID:sAS9qOIA0
東征は神話
天皇家と神様を結びつけるには
出雲大社の神様降臨に結びつけるのが手っ取り早かった。
そして東征したことにしただけ。ただの辻褄合わせ
173名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:31:25 ID:iokU+FJf0
>>171
同意。絶対に九州、畿内はあり得ない。
遺跡があったとしても、別の王権が存在しただけだろう。
無理矢理九州との一体性を考える必要はない。
174名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:31:53 ID:cpz4x2wV0
もうどっちでもいいから仲良くしようぜ
こんな事で割れてたら中韓の思う壺
175名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:33:09 ID:LW6fO9QxO
ペルー人(アルベルトフジモリでさえ)が日本人をチノと言うがごとく、
九州の風俗を記述しながら、民族の固有名詞としてはヤマトと言ったのかもしらん。
所詮、他国から見た認識など、それぐらい曖昧なもんなんだよ。
176名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:33:16 ID:5XXsaTPe0
>>171
魏の使者は邪馬台国には行ってなく伊都国あたりしか行ってないからなあ。
彼らが見たのは、九州の様子だけだから。
177名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:34:54 ID:iokU+FJf0
ちなみに、中国の使者は北部九州までは来てる。
対馬、壱岐、松浦半島についての詳細で、辛辣な記述があるから。
読みようによっては、卑弥呼やイヨとも会ってる。
九州まできて、畿内に行かないというのもおかしい。
行ってれば、瀬戸内海の記述などしたはずなのに。
178名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:35:13 ID:Mr4nkqr2O

邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。

海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。

邪馬台国畿内説を成立させるならば

1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした

2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた

3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた

4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた

5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った


このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。

重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
179名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:35:30 ID:bRqARM/z0
>>174
じゃあもう九州説で決定ってことで
180名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:35:37 ID:ZbgtQBr00
162 :名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:15:07 ID:bV76NBYv0
>>152
神武東征は紀元前660年頃だろ?

162 :名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:15:07 ID:bV76NBYv0
>>152
神武東征は紀元前660年頃だろ?



馬鹿発見w
181名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:36:23 ID:N34SGOA/0
>>177
というかあってないとおかしい
皇帝の使いなのに王にも会わずに帰ってくることはありえない
182名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:36:55 ID:iAtGfYs50
湧く湧く土器土器ですね
183名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:38:51 ID:Bk6inLTm0
>>178
普通に2だと思う。
184名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:39:36 ID:sAS9qOIA0
       ____.____    |   
     |        |        |   |
     |        | ∧_∧ |   |
     |        |( ´∀`)つ ミ |
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |
                        |  \\\ 九州
185名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:39:44 ID:af8kw7dm0
居心地がよくて長居しすぎたんでテキトーに行程を書き足したんだろう
186名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:40:04 ID:aOFESpip0
>>144
威爾斯大公 (プリンスオブウェールズ)
187名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:40:25 ID:iokU+FJf0
>>183
句奴国と戦争中だったし、救援の依頼やってるわけでしょ。
そんなことするかね。
188名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:41:56 ID:04XDpfeu0
普通に考えれば九州だろう
中国の皇帝の植民地なんだから、近畿でもいいけど
そうするとすでにはじめから日本は中国支配を認める
189名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:42:39 ID:fbjMOf030
造山古墳(つくりやまこふん:岡山市)
仁徳・履中・応神陵に次ぐ、我が国古墳4番目の大きさを持った前方後円墳。
     全長約350m。高さ約24m。頂上には長持型石棺があるが、近くの車塚古墳のものとも言われている。

でかい古墳だ。さすが日本で4番目。一回りして、Wifeとセガレの待つ車まで戻ってくるのに30分はかかった。
それにしてもこんなに大きな古墳を、宮内庁はよく天皇陵や参考地に指定しなかったもんだ。もっとも、天皇陵が吉備ではちと困るこ
とになるのかも。それに参考地でも、どうして吉備にという事になって説明できないのかもしれない。

まぁそのおかげでマニアはこうして古墳の上まで登れるのだけれども。

宮内庁いらねえよ、天皇家は仕方ないかも知れないが日本史解明の邪魔までするなよ。
190名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:42:52 ID:N34SGOA/0
>>188
日本語で
191名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:43:28 ID:K2u6i9/e0

遺跡と産廃とDQNだらけの奈良県wwww
192名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:43:58 ID:CNjLdadbO
大陸に近いから

そういう単純脳が九州説信者
そんな論理が通用するなら、
大友や島津が天下を統一しただろうに
193ずゴッド・ハンドく:2009/01/30(金) 21:45:07 ID:UL3IB8l+0
>>1
年代決めって…(^x^;)

お(れ)偉い文系さんに科学って…
194名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:46:40 ID:bRqARM/z0

もうさ、ジャンケンで決めようぜ
それが一番公平だろ?!

九州代表が勝てば邪馬台国は九州のもの
奈良代表が勝てば・・ありえないことだが邪馬台国は奈良県民のもの
195名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:47:27 ID:LW6fO9QxO
そもそも民族や国家の自称などというものが、そんな古代から明確だったと思う方が頭がおかしい。
だいたい、この国が日本と呼ばれるようになったのが、いつからかさえ、良く分からんのだぞ。

アイヌなどは、別に民族や国家の自称など持たなかった。
大和民族との遭遇により、本来は単に人間を意味するアイヌという言葉で呼ばれるようになっただけだ。

だから、倭人伝に九州のことが書いてあって、邪馬台国とはヤマトのことであっても、別に何の矛盾もないのだよ。
196名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:47:41 ID:JM9HapPG0
ところで九州説の場合、邪馬台国はどこにあったの?
197名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:48:19 ID:ZbgtQBr00
機内説の連中は「奈良は大和政権の中心だったニダ!!!!!」
という思いこみだけしか、根拠がないからなw
198名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:48:25 ID:YczNaYc90
>>194
じゃあ俺が勝ったら東北説でOKですか?
199名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:48:42 ID:sAS9qOIA0
使者と会話したのがたまたま名古屋人
やまてゃー国
200名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:49:47 ID:H50Cf9MV0
>>196
宇佐八幡
201名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:49:51 ID:Bk6inLTm0
>>187
戦争状態だったからこそ邪馬台国に入れなかったんだろ。
魏自身も蜀や呉との抗争で有利になると打算して邪馬台国と大月氏国の
2国だけに金印授与という破格の待遇を与えたわけで、倭国の内乱に軍事
介入して解決しようなどという意図も能力も無かったと思われる。
202名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:50:02 ID:k1bdKgPj0
>>195
最後の一行はそうだけど、始め四行がアホすぎる。
203名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:50:12 ID:X7KQw2jP0
ハングルが書かれた坪でもでてくればいいのに

ネトウヨをギャフンと言わせたい
204名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:50:13 ID:N34SGOA/0
>>198
九州説は「日本の中心が関西なんていやニダ」って連中な
205名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:50:30 ID:iokU+FJf0
>>192
時代が違うからな。通信流通のインフラが違う。
馬がいなかったし、道もなかったろう。
それで西日本を統治したって信じられない。
206名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:50:53 ID:CiVYR7530
昔は縄文海進とやらで海面が高かったから、山の上探せば遺跡が見つかるかもな
207名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:51:13 ID:jE2zU2a60
魏朝短里説
まともな反論にお目にかかったことがない。
208名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:51:45 ID:KCVfv1wr0
奈良で確定だろ
九州人涙目
209名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:52:10 ID:JM9HapPG0
>>200
宇佐八幡ってそんな遺跡あった?

卑弥呼の墓説ってのは聞くが、あのあたりに
7万戸の古代都市があったのかな?
210名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:52:24 ID:yslXbX9A0
邪馬台=やまたい

って読んでる理由がサッパリわからん。

邪馬台=やまと

って読めば一目瞭然なんじゃないか?
211名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:52:47 ID:PwUSEJ5j0
>>206
邪馬台=ヤマトというのは、山の麓の意味らしい。
畿内説からいえば、三輪山の麓ということになるが。
212名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:52:54 ID:r7WEpg1T0
昔行った開発とか近代の宅地造成とかで遺跡そのものが無くなってる可能性もあるよね。
213名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:53:18 ID:H50Cf9MV0
>>209
なんかおそろしいの埋めてあるらしい。
掘り出したら祟られるんだってさ。
214名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:54:12 ID:1AeT00o/0
弥生時代からの機内の鉄器生産が覇権パワーの源泉なのは定説
鋼の武器、戦法による軍事顧問団の派遣と引き換えに地方氏族(部族)の婦女師弟を人質にとったのが前大和政権の統一戦略
215名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:54:19 ID:fbjMOf030
ところで九州説の場合、邪馬台国はどこにあったの?

ところで九州説の場合、邪馬台国はどこにあったの?
                        同意
216名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:54:26 ID:iokU+FJf0
>>201
戦場がどこかによるな。
支援の代表者が当地の権力者にも会わずに帰るなんて、おかしな事だろう。
そこまでに使命があったはず。
朝鮮に中国から来た使者だって、会っていたわけだし。
わざわざ玄界灘をわたったのに、湖同様の瀬戸内海を渡らないというのもおかしい。
ちなみに、玄界灘の荒波って、凄まじいから。
217名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:55:00 ID:dzzE7wPo0
>>1
神武東征か、神話もいよいよ本物になってきたな。
218名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:55:06 ID:clgcF8k30
九州説信奉者が必死なのは分かった
219名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:56:04 ID:RT1/ewHXO
>>210
九州にも山門(ヤマト)って地名があるわけで。
そこには大量に遺跡があるわけで。
研究者もいくらなんでも馬鹿ではない。
220名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:56:12 ID:LW6fO9QxO
中国から来た調査官は、自ら視察した九州の風土は詳細に記述したろうさ。
しかし、これら全ての民族全体を一体的に何と呼称するのか、
それを現地人にぶつけてみても、それは、ハア?という反応しか無かったかもしらんよ。
彼らは自分らの氏族を象徴する名前はあっても、民族や国家をくくる名称は持たなかったかもしらん。

仕方ないから、日本人が蝦夷地の人間をまとめてアイヌと呼ぶがごとく、
まとめてヤマトと呼んだとすれば、そもそも、この論争は何の意味も持たぬことだ。
221名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:56:23 ID:iV4Wgxl40
俺、「一日五膳」と篆刻したのだけど
2000年後に誰かが掘り起こしてくれるかな?
222名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:56:25 ID:yslXbX9A0
>>203
ハングルはもっとずっと後の時代に漢字が読めない奴隷の為に朝鮮の支配階級が作った言語では?
223名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:56:35 ID:af8kw7dm0
>>205
馬でユーラシア大陸を支配した民族がいるから、馬なしでも西日本ぐらいなら可能だろう
224名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:57:02 ID:dVXc0C4b0
>>178

2でしょう。でないと方角を間違えたり距離を間違えたりなんてあり得ない。

この説は和辻哲郎がいいだしっぺ。
225名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:57:15 ID:tDJARKCu0
少し興味が湧いたのでWikipediaで調べてみた。

>倭国に至るには、帯方郡が出発点だとすれば、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に
>到着する。そこから海を1,000余里渡り、対馬国に着く。瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると
>一大国(一支国)に至る。また海を1,000余里渡ると末盧国に至る。東南へ500里陸行すると伊都国に
>到着する。東南へ100里進むと奴国に至る。

ここまででお腹いっぱいになりますた。
226名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:57:30 ID:JM9HapPG0
>>219
大量の遺跡ってどんな遺跡?
227名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:57:59 ID:7EZ+0K0W0
>>1
本末転倒なんだよ
ある遺跡を発掘してみたら、何々だと分かった、
というのが全てだろ
まあ、こういう風に言うと予算とか付きやすいのかも知れんが
228名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:58:21 ID:N34SGOA/0
>>219
いまどき山門もってくるって・・・
30年くらい古いぞ
229名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:58:35 ID:uMhu5EEz0
九州の島の形と関西地方の形が同じ。
丁度当てはまる場所、区画がある。
230名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 21:58:54 ID:uMhu5EEz0
とりあえず、鹿児島=和歌山
231名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:01:11 ID:XRd/Fxe10
たとえ金印があったとしても、古墳には埋めずイヨが相続しただろ。
232名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:03:35 ID:H0y486Q10
倭人が文字のない未開の蛮族だったことが一番悪い。
真実は1つだから、九州説、奈良説のどっちかがデタラメを言う
大嘘つきだな。嘘つきめ、恥を知れ
233名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:03:49 ID:dVXc0C4b0
和辻の説は卑弥呼=日御子ってはなしだったはず。

そのはなしを、九州の人たちがあっちのほうに何千里もいったところにやまとという国があって、
そこには日御子さんがいてお払いをしてるなんて話を聞いて、九州の習俗をもとに既述したって言う説。
234名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:04:02 ID:Jx/q9Xd8O
もう邪馬台国は奈良でいいじゃん!奈良にはいっぱい遺跡あるんだからさ
235名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:04:53 ID:bRqARM/z0
畿内説の弱点として上げられるのは次の点である。(wikipediaより抜粋)

倭国の産物とされるもののうち、鉄や絹は主に北九州から出土する。
「魏志倭人伝」に記述された民俗・風俗がかなり南方系の印象を与え、南九州を根拠とする隼人と共通する面が指摘されていること。
「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は伊都国や奴国といった北九州の国より南にあったように読めること。

かつて、畿内説の根拠とされていたが、今は重要視されていないものは以下のものである。
三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏皇帝から賜った100枚の鏡であるとする説。
しかし、既に見つかったものだけでも400枚以上になること、中国社会科学院考古学研究所長である王仲殊が「全て漢鏡ではない」と
発表していることなどから、九州説の側から「全て偽作である」という反論を受けている。
邪馬台国長官の伊支馬(いきま?)と垂仁天皇の名「いくめ」の近似性を指摘する説もあるが、大和朝廷の史書である記紀には、
卑弥呼の遣使のこと等具体的に書かれていない。
236名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:08:12 ID:JM9HapPG0
九州説の最大の欠点は邪馬台国がどこにあったか
はっきりしてないとこ。

畿内だと撒向遺跡がある。
237名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:08:54 ID:dVXc0C4b0
>>235
その南というのが中国のその時代の日本の地図は九州の南に奈良があったように書かれていたらしい。
やまとにいってないとすると、間違う根拠としてはあり得ると思う。

じっさい、奈良周辺は中国の影響力は九州周辺より少なかっただろうし、
いきつくのはなかなか困難だったと思われる。
238名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:11:57 ID:gcIYsfLc0
卑弥呼はエジプトの女神であるハトル(ハトホル)と同一人物
ハトホルは生の神でもあるが死をもたらす神でもある。
エジプトでは船にのって高速で移動し各地に現れたとあり、その伝説のとおり
ハトルと同じ神が世界中で伝説に残っている

卑弥呼もそのひとつで、ハトルが日本を支配していたのだろう・・・
当然、船は当然ゴアウルドのハタク級の戦艦、卑弥呼はゴアウルド
239名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:15:13 ID:LW6fO9QxO
結局、中国から来た調査官は、九州のあたりをぐるっと一巡して帰ったんだろう、
これは妥当なことで別にどうでもよい。

そこが当時、ヤマト政権の勢力下だったかどうかも、正直どうでもよい。
結局、一人の調査官の認識できる範囲のことなど僅かなことだ。
まして相手は文字も持たぬ蛮人だから。

邪馬台国がどこにあったか、という論点の設定自体が無意味だということ。
それは一人の調査官が、統一性のない蛮人の集落を訪ね歩き、歴史とも神話ともつかぬ話を収録し、
作文して上司に提出しただけのもの。邪馬台国という概念そのものが幻だよと。
240名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:15:37 ID:NH5H/QeX0
>>73
官僚の作文だしな
又聞きの又聞きの又聞き+脳内産物の可能性があるね
241名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:16:11 ID:id4R27cO0
神代文字とか出てこないかな。
242名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:17:48 ID:eTMaPqLH0
166>その古事記と中国の記録に120年の差が在ることに学者の
    
    謎が始まっている?神功皇后=卑弥呼だと当時で1世紀生きねば
    
    
    辻褄が合わない?日本書紀にこの記述がないなら事実?
    
    とすると、三韓征伐は歴史的事実となり任那日本府の存在に
    
    至るのだが、朝鮮相手では放火処理確実で証拠になる物がないのが
    
    現状。

  
243名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:19:02 ID:pR/LU3dI0
邪馬台国の起源は韓国なんですよ。
244名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:19:47 ID:iE65Ev5D0
最近不利な九州説信奉者は、
どうでもいいとかフィクションだったとか言い出してるそうで。
245名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:20:19 ID:htes+hnu0
では、邪馬台国が八幡平にあったという説にすっかり騙された俺はこの先何を信じればよい?
246名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:20:40 ID:N34SGOA/0
魏志倭人伝の否定は一番最悪だぞ
西尾とかつくる会系はそういうのだったな
中国の史書は信ずるに足らないとかいってたし
247名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:22:53 ID:v6DZHLJy0
>>210
魏志倭人伝には邪馬一国と書いてある。
王朝の正当性につながるように、
それをわざと”やまと”と読めるように邪馬台国と訳してる。
248名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:32:13 ID:PwUSEJ5j0
>>247
倭人伝と言っても、現存するのは宋朝以降の版本。
他文献の古写本はすべて「台」になってる。
249名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:43:06 ID:yPc78rOU0
光の指す方向に邪馬台国があるのだ(`・ω・´)シャキーン
250名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:44:18 ID:htes+hnu0
風呂行って来るからその間に邪馬台国の場所を確定しておいてください。
251名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:45:22 ID:ie/PHo+a0
フィクションというと、ちょっと話が違うと思う。
これは組織人、なかんずく役人の物の考え方と、学者の物の考え方の違いだと思う。

学者というのは、精緻に分析し、ちょっとの違いでもあれば、そこを研究するのが仕事。
そんな詳細を分析することに実利が有ろうが無かろうか関係ない。

ところが組織人、会社員とか、役人とかは、考え方が全然違う。
分類することに実利が伴わないなら、徹底的に一纏めにして概念を簡単にしようとする。
だから記述したのが役人であれば、奈良と九州の違いを説明しても実益が無いと思えば端折るはず。

しかし、今の時代、そんな資料を読み返して分析しようってのが、学者しかおらんからね。
252名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:46:00 ID:4CnBBDZyO
ハニワ幻人め、死ねぇ!
253名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:48:44 ID:nErwXuLs0
古代畿内人は、近場の海の丹後や北陸(あるいは出雲)あたりから、
日本海を渡航して大陸と行き来する方法を考えなかったのかな。
九州と近畿の両方に大きな王朝勢力があったという事実から考えて、
いちいち瀬戸内を通って九州の港から遠征するという感覚がわからん。
254名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 22:49:29 ID:ie/PHo+a0
別に魏志倭人伝を否定する訳ではなく、それは、そもそも当時の学者が精緻に記録しようとした文章じゃなく、
当時の役人が実用上、必要なことだけ書いた文章に過ぎないと、あたりまえに理解せにゃなんらんことよ。
255名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:03:12 ID:dT5/0yQrO
おまえら、引っ越しする時に荷物を前の家に残したり、庭に埋めていくか?
256名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:06:04 ID:eTMaPqLH0
246>呉の孫一派が魏のインフレ狙いで神獣鏡を倭に頼んだという説も大陸
  にはあるそうだ?魏当時にない年号の存在に言われてるよう。
  神獣鏡が日中のどちら行きかを選ぶだけでも議論しきれないよ?
  曹操の亡くなった頃に”イヨの後継が在った”とだけ当時の倭人伝は
  記してあるとか。
257名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:07:48 ID:ZbgtQBr00
>>254
だからwwww?
受け売り乙w

>>256
三角縁神獣鏡なんか、国内で大量に見つかってるだろw
神獣鏡と邪馬台国(笑)を結びつける奴はアホw
258名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:10:54 ID:P3VE5SLR0

┏|∵|┛
259名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:11:51 ID:5mGaVcCT0
別人が混同されていたり同一人物が複数の人物として描かれていたりするから
中国の史書に出てくる周辺国の記述って当てにならないなと思った。
260名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:14:09 ID:GegYwjCAO
>>247
つ旧字体での誤字
ちなみにイヨでなくトヨが本来であったとする説も
261名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:16:04 ID:ie/PHo+a0
どうして、当時の一役人が、取り合えず古代日本をまとめて概念化しようとしたに過ぎない、
邪馬台国という言葉と、現実の集落や遺跡を比定せにゃならんと思うのかだな。
262越の八口 ◆8Mouth1arg :2009/01/30(金) 23:18:26 ID:NvQZncYK0
ヤマトトトトトトトソなんて訳の分からん名前の神様なんかじゃ嫌だ。
アマテラスじゃなきゃ嫌だ。
263太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/01/30(金) 23:19:29 ID:9khioz8y0
卑弥呼の女王国とは無関係だ。
264名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:21:57 ID:ZbgtQBr00
というかそもそも、隋の時代まで九州になにかあったじゃんw
隋書に600年、607年に倭国から遣隋使が来たという記録がある。

「夷人不知里數但計以日 其國境東西五月行南北三月行各至於海
 其地勢東高西下都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
                          ↑↑↑
 魏志にいうところの「邪馬臺」なり!!!!
場所はどこかといえば

「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行祷祭」

↑↑「阿蘇山あり」!!!!
九州で決まりだなw機内wwwwww
265名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:26:24 ID:5XXsaTPe0
なんか言葉が乱暴な九州論者がいるね。
虚勢を張らないと、張り合えないのが判ってるんだろうな。
266名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:26:47 ID:Rzl3v6Id0
>>253
海流を考えような。
黒潮とか対馬海流とか。
267名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:27:27 ID:ZbgtQBr00
>>265
直接反論出来ない負け犬乙wwww
268名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:28:39 ID:gH6c1Rti0
魏志倭人伝を普通に読めば、どう見ても弱小連合。

南のクヤ国とかいうの相手に負けそう。
それで魏に「援軍を送って」と使者を送ってきた売国奴。
それが魏志に記録されたから、たまたま名前が残ったにすぎない。

西日本を支配できるような国とは
とても思えない。
日本の史料に痕跡がないのも当たり前。
小国だったから。
269名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:28:45 ID:gXqQZYIP0
九州人なみだ目で必死に反撃中
270名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:29:53 ID:5XXsaTPe0
>>267
草をいっぱい生やすのはみっともないから、やめとけ。
普通に話をしないから、誰も相手しないんだよ。
俺も、これであんたの相手をやめるけど。
271名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:31:53 ID:ZbgtQBr00
>>270
なるほど、反論出来ないから「草を生やすな」とか言えないのかw

アホですなあw
272名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:33:10 ID:nzOGyhyr0
>>239
当時の邪馬台国には、中国から「張政」という人物が約20年間も滞在していたんだぞ。
彼は邪馬台国が狗奴国と交戦状態に突入した頃に駐在武官として倭国入りし、
それから卑弥呼の死を実見し、次期男王時の混乱期、壱与擁立を経て、
西晋朝になってから壱与遣使とともに帰国している。

俺は倭人伝に書かれたことはこの張政が実際に見て調査し経験した、
リアルな「軍事報告書」を元にして書かれたと思うね。
273名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:33:11 ID:eTMaPqLH0
253>その理由が古事記にある神功皇后の三韓征伐と国内派閥の存在かと!
  九州貿易が中国三国史に行きずまり活路を朝鮮半島に見出すか
  国内消費で終わらせるかの選択、証拠は時代が晋一国に落ち着いて
  の使い。この情報発信基地として朝鮮半島任那が必要になるのでは。
  曹操当時には相当の外貨資本を稼げだのではないかな?
  
274名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:34:11 ID:5XXsaTPe0
>>268
確か、偽の邪馬台国があったとかいう説があったよね。
ヤマトは近畿で大きい勢力を持ってたけど、九州の一部にこれを僭称した国があったとか。
275名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:35:01 ID:PFSXT9Fb0
>>264 ID:ZbgtQBr00
別に隋書のその部分、阿蘇の麓で王族が出席して国家行事を行ったともなんとも書いているわけではない。
はっきり言って名所案内程度?w

九州王朝説論者のお得意の恣意的ミスリードだなwww

276名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:39:48 ID:ZbgtQBr00
>>275
で、「名所案内」ならなぜわざわざ九州の名所を案内するのかなww?
なぜ畿内からなら、畿内の名所(?)を案内しないのかなwwww?

結局、阿蘇に近いところの王朝から、隋に行ったと考えるのが普通ですw

277名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:40:33 ID:+3z6ynkB0
>>45
俺は素人だから不思議に思うんだけど、
地名や位置の類似はどう説明されてるの?
278名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:41:15 ID:PFSXT9Fb0
>>268 >>274
「自分達こそ今の倭国最大の勢力です」と僭称したと言う他に畿内ヤマトを中心とした首長連合の一部にあって
外交を取り仕切っていたと言う枠組みも考えられるんじゃないかな?

その場合、いくら纏向が巨大であっても何ら不都合は無いわけでw

旧来の九州説は「九州・アズ・ナンバーワン」って感じのが多かったんだろうが
今後はそう言う枠組みでの説が主流になるんではないだろうか?


279名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:41:48 ID:ie/PHo+a0
>>272
軍事報告書であるなら、最優先の記述事項は、人口概数、動員可能な兵力の数、
兵器の質、兵士のレベル、馬や船の数、食料の生産量、使用可能な港の数など、
真っ先に報告せにゃならんことは、他にいくらもあろうに。

20年も居て、軍事に関係ないことばかり少々書いて、それで軍事報告書かね。
ちょっと話が変だのう。まあ歴史書に残すときに省略したのかも知れんが。
280名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:42:51 ID:QAz76NPX0
四国説だと魏志倭人伝の「海路で何日・陸路で何日・・・」に矛盾しない
281名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:44:54 ID:h/+JUWG10
考古学アプローチではマキムク
史書アプローチでは九州
九州人アプローチでも九州

まあ普通に考えてマキムク派からは余裕が漂ってる
282名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:45:45 ID:nzOGyhyr0
>>275
九州王朝説否定論者のその反論は強烈なブーメランになって
自分に突き刺さるからやめといた方がいい。


そもそも少し後に書かれた幹苑でも間違いなく倭国=九州。
283名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:46:39 ID:D0vYJkSC0
実は前円後方墳
284名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:47:39 ID:PFSXT9Fb0
>>276
所詮「名所」だからな目に付いたほうに記述が及ぶのは当たり前。

半島に近い九州に大陸や半島の人間が常駐していたなら
その情報も口コミで広まっていただろうし。

阿蘇の二文字があるから九州って馬鹿を言うなって話だな。

某板で「祭祀場」をサイキバと読んだアホの九州王朝説論者お得意のパターンだがw
…いや何でもない独り言だからwww
285名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:48:58 ID:2rmH4g2y0
>>278

内戦→卑弥呼で収まる→男王でまた内戦→13歳の少女で収まる

こんな連中がヤマトの外交を取り仕切る?

それにふさわしいのはむしろ敵の狗奴国だろ。
それがヤマトのバックアップを受けて、邪馬連合を圧迫。
たまらず、外国に助けを求めたって方が納得できないか。

286名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:50:14 ID:Gpjpn5aAO
素人には何処で決着がつくのかわからない
「邪馬台国←12km」の標識でも掘り当てればいいのかな
287名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:50:45 ID:ie/PHo+a0
ただ地名が類似するのは、別に大した問題じゃないと思う。
地名というのは、後の時代になってみれば固有名詞だが、そのオリジナルは、
単なる普通名詞だったという場合が多いからだよ。

北海道を見れば、あちこちにクッチャロ、シレトコ、トーフツ、オンネトー、
などという固有名詞の地名ばかりだが、全て元は単なるアイヌ語の、地形を表す普通名詞。
同じような地形には、同じような名前がついてて当然だと思うよ。
ただ言葉の変遷により、普通名詞としての意味が良く分からなくなっただけで。
288名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:51:07 ID:Gb0Gsuay0
「邪馬台国 三つ目の古墳を右」
289名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:51:57 ID:akjZR/740
九州地域にあった邪馬台国は、おそらくどこかによって滅ぼされて消滅
してしまった、あるいは敗残勢力が東方へ移った。九州は半島にあまりにも
近く特に北九州地域は軍事的に水軍で攻められるのに弱い。出雲も半島三国の
どこかと経済的政治的につながっていたので、出雲勢力も北九州王朝の
軍事的敵であったことだろう。半島勢力からの軍事侵攻で攻め滅ぼされる
リスクを考えて、瀬戸内海をずーっと進んだ先の近畿地域に本丸を移すという
のは軍事的にも正しい。仮に敵が半島からそのような奥まで攻めこむと
すれば、補給路を延ばさねばならず、また瀬戸内海の各所で待ち伏せする
防衛部隊からの攻撃を防ぎながら水行せねばならないからだ。陸路は今の
ような道路があったわけではないし、それこそ待ち伏せされたり途中で
前後から挟み撃ちにあうリスクが高いから。結局九州を捨てて東方遷移
したのは半島からの軍事的脅威を避けるための穴熊戦法。
290名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:52:01 ID:nzOGyhyr0
>>279
まあ、倭人伝じたいは軍事報告書ではないからね。

しかし、次のことで痕跡はうかがえそうだよ。
倭国に行くまでわざわざ事細かく方向と里数・日数を書いている。
さらに途中の壱岐では「食料が少ない」ことを記している。

つまり倭国に軍隊を送り込む事態が発生したとして、この壱岐に進駐しては
食糧の確保が出来ないことをしっかりと明示しているよ。

あと弓の形状、鉄鏃や骨鏃など武器に関してもかなり報告している。
291名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:53:29 ID:EE9p8zWP0
邪馬台国は畿内にあって
その配下に外務省としての役割を持つ国が
九州にあったのではないかと・・・

異論は認める
292名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:54:17 ID:nzOGyhyr0
>所詮「名所」だからな目に付いたほうに記述が及ぶのは当たり前。

んなアホなw
293名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:54:40 ID:2rmH4g2y0
>>40
福岡県の甘木・朝倉を中心とする地方と、
大和地方の地名を比較すると、
その方位・位置が図のように一致する

http://inoues.net/club/chimei.gif

ちなみに同じ地名を列記すると、三輪を開始地点として時計回りに、
三輪、三井、池田、平群、住吉、三笠山、春日、笠置、田原、山田(上山田)、
鳥屋(見)山、玖珠(国巣)、天ヶ瀬、高取山、香山(香久山)、三瀬(水間)、久留米(久米)、
朝倉、加美(賀美)、長谷山、高田、雲堤、小田、三輪、となる。
奥野正雄教授は、さらに検証を深め、この2地方の名前の一致箇所を100カ所以上指摘する。

294名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:55:26 ID:htes+hnu0
>>288
三つ目族の古墳かと思ってビックリしただろ
295名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:55:41 ID:0i466Sjt0
                ,、ィゎ、_,ィエュ_
               巛ゞア⌒ヾう心   ドキドキ・・・
               rメソ二ゝ,__,ノ二イh
            ┌少'´ ̄入(.)人 ̄`マ┐
            《イ゙_,.<Lエニ┴ニエL>、_`》
            , ┴ ―― 、´ ̄`,.―― ┴ 、
        ,.ヘ/, '´ ̄ ̄ `ヽヽ-〃/´ ̄ ̄`ヽ\,.ヘ
        ソ { |       } - {      l iーく
        辷ハ、ヽ、    ___ノ / ヽヽ、   _ノ ノヶ┤
        ` ̄`\ 二二 - /   \ 二二 /´ ̄´
             |     (      )    |
          _rイ、__   ⌒ )(⌒  __入__
         ___,爪_\℃α ̄Cc―oC ̄うつ /_心、___
   _, -='斤ヽ \cヽ 二二エヮェ_ニ_ェヮエ二二 アっ/,ィ戈ーュ、_
,.イ|弋乂勹j }  \Ωピ_ス―----―,オ_ピΩ/ { !八乂リ|ト、
296名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:56:58 ID:n693cKKS0
韓国にあったことにすれば丸く収まる
297名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:57:09 ID:ZbgtQBr00
>>284
反論になってませんなwww

そもそも「ただの名所案内」というのはお前のただの憶測w
どこかに「これは名所案内です」と書いてあったのかなwwww?

>阿蘇の二文字があるから九州って馬鹿を言うなって話だな。
>阿蘇の二文字があるから九州って馬鹿を言うなって話だな。

あんな火山の阿蘇は九州にしかありませんw
こんな否定の仕方なら、どんな歴史書も読めませんなw
298名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:57:28 ID:PFSXT9Fb0
>>289
纏向の出現及び今後の調査で如何にそれが巨大なもので
また理化学的年代測定の進展等により年代が遡っても
>>278の内容で九州説は存在し続けると思うが

神武東征神話実基づく所謂「東遷説」は纏向の出現で吹っ飛んでしまったって印象はあるなwww
299名無しさん@九周年:2009/01/30(金) 23:57:42 ID:P9rRA7xH0
阿蘇山デンデンは、高天原関連をこじつけた聖徳太子の言葉っぽいな。

http://we.magma.jp/~ark/sinkyou_utyuu/a_kioku.html

三国志(魏志倭人伝)と隋書には3世紀の開きがあるから関係ないんじゃね?
邪馬台国を語るのに隋書は関係ないね
300名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:01:23 ID:akjZR/740
大陸から来た軍事偵察スパイかも知れない使節に、重要な地理上の情報を
正直に伝えることは懸命ではない。あちこちぐるぐると連れまわして
うその方角を教え込んで、本拠地がとても遠いように思わせて、進軍する
意欲を失わせようと邪馬台国の外交官(使節接待役)が考えなかったとは
云えないだろう。あるいは、邪馬台国は、他の国の出先機関に過ぎず、
敵の侵略をすばやく察知して本所に伝達する為の、トカゲの尻尾、炭鉱の
カナリヤだったかもしれないだろう。
301名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:01:43 ID:HKULSBSs0
>>171
ある程度主権をもった複数の政権の存在について、
畿内説の人はどう考えているんだろ?
それが知りたい。

九州説の人は、畿内にも別の政権があったと容易に認めがちだよな。
今回のような出土物の豊富な畿内にも、
九州と同様に有力な政権があったと認めるんだろ?
302名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:03:42 ID:K7mq6j6+0
歴史全くわからないんだけど邪馬台国って2つあったんじゃないかなー?
九州と畿内に。
本部と支部みたいに。
んなわけないか。
303名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:03:43 ID:GZm2G7K90
>>297 ID:ZbgtQBr00

ん?
遣書の該当部分を読んでみろって話だな。

阿蘇があってその石は故なくして火が起こり天に接すると書かれ
続けて如意宝珠なるものの紹介。

で更に次の部分では
新羅・百済はみな倭国を大国で珍物が多い国としている…

この文脈でどうやって阿蘇が王都の近くにあったと断じることができるんだ?アホw


304名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:05:26 ID:HKULSBSs0
>>175
「カラモノ」だって、最初は「海の向こうの加羅から来た物」の意味だったんじゃないか?

それが時代を経るにつれて、中国産を示す唐モノになり、
最後には西洋産を示すものになったんじゃないのかな。
海の向こうは全部「カラ=加羅」という認識だったんだろ。
305名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:05:26 ID:9tbS89S/0
今現在、日本と中国を結ぶ貨客船のルートで、神戸と天津を結ぶ「燕京号」というのが
就航してんだよ。
キャッチフレーズは「21世紀の遣唐使船」だ。

中国人は瀬戸内海の景色を眺めて大喜び。
よく考えたら彼ら大陸人は「内海」ってのを知らないんだわ。


さて、隋使が近畿にやってきたとして、なんでこの瀬戸内海の風景を
書き記さなかったんだろうねぇ。
ってか、瀬戸内海を水行したのか陸行したのか、そもそも瀬戸内海なんか
通って来たのかすらわからんぞ、あれでは。

その点、九州説ならすんなり説明できるな。
対馬→壱岐→竹斯(→秦王国)。そして阿蘇について。
そこにそう書かれているんだから、そう理解する以外にない。

素直に読めば倭国=九州。
306名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:05:48 ID:0C5g4a7B0
邪馬台国が、魏に朝貢した目的は、
戦争してるから援軍を派遣して欲しいってこと。

外国勢力を引き入れようとしたのは日本史上、こいつらだけ。

果たして本当に日本を代表するやつらなのか。
307名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:05:54 ID:fLUezkFy0
>>266
海流を踏まえた場合、大陸の南方から黒潮に乗れば
比較的、日本に渡航しやすいというのは確かだが、
逆に日本から大陸に渡航する場合には、リマン海流など例外を除けば、
いずれにせよ潮目に逆らった沿岸航海になるわけだ。
出雲王朝や8世紀の渤海国など、日本海横断で大陸と行き来した歴史もある。
古代の原始的な船舶でも、可能だったんじゃないかな。
むしろ玄界灘の渦潮を越えるより楽かも。
308名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:06:24 ID:gXhrgfPj0
>>297
魏志倭人伝の邪馬台国と、随書の邪馬台国が、同一であるという保証もないでな。
もっと漠然とした単位で呼んでたのかも知れないし。

ただ随書の方は、きっと主に九州のことを言ってると思って良かろうという気がする。
もっとも阿蘇という言葉は、大昔の日本語では、浅間、有珠、雲仙と同じ語源で、
単に火山を意味する普通名詞だったとの説もあるみたいよ。
309名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:07:07 ID:6TvDI7sV0
いい加減、邪馬台国琉球説を認めたらどうだ?
310名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:07:25 ID:RAR9IE0o0
日本書紀の年代修正した説(漢倭奴国王が神武天皇でってやつ)の信憑性ってあるの?
311名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:08:58 ID:8U+xfioH0
邪馬台国の所在地など、どこでも良い。
マキムク遺跡は、とにかくすごい、面積は吉野ヶ里の100倍、
出土物の多様性は空前絶後、最古期の古墳も密集している。
たとえ邪馬台国が九州だったとしても、纏向遺跡の価値は変わらない。
マキムクは3世紀の日本の首都。

なんでマスコミは弥生時代と古墳時代の遺跡が出ると
すぐに卑弥呼だの邪馬台国だのに結び付けるんだよ?
マスコミってインテリ集団じゃなかったのか?
高校中退の俺でもマキムクの特異性に気づいているぞ。
312名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:09:07 ID:Z8jzFGTjO
>302
透視か霊視か忘れたが、夏場と冬場で移動したって説を唱えてる人がいたわ。
313名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:09:16 ID:NdiOkV+K0
百済起源と聞いて飛んできますた。
えっ?まだ呼んでいない。
場所が確定してから、百済起源を主張しろ? そりゃそうだな。

また来るぜ! ひゅーー
314名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:09:39 ID:yyBssg2+0
ジャバダイ国
315名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:10:07 ID:HKULSBSs0
>>201
朝貢の使者がその国の首都までいかず、
王宮で首長にも会わないなんてことありえるのか?

他の朝貢国でそんな例はあるのか?
「使者は北九州までしか行かなかった」という人は
そういう類似例やその理由を明示すべきだろ。
316名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:10:55 ID:OImaeYcR0
>>312
へえー
あり得ない話じゃないですよね。
気候に合わせて移動したのかも?
もしくは敵に追われて移動したのかも。
317名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:11:58 ID:GZm2G7K90
>>311
やっぱネームバリューじゃね?w

まあ纏向遺跡事態の価値は仰るとおり邪馬台国論争とは関係なくあるわけで
逆に邪馬台国に関連付けて喧伝されるのは考え物のような気もするwww
318名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:12:11 ID:hUW7DTZ+0
 238年
卑弥呼が初めて魏に朝貢

 240年
梯儁が倭を訪問。「親魏倭王」の金印等を賜う

 247年
邪馬台国、狗奴国と戦争状態。

卑弥呼は魏に援軍を要請。
魏は張政を邪馬台国に派遣


 248年
卑弥呼死去。
男王が継ぐが内乱になり、1000人以上が死ぬ。

13歳の壱与を立てておさまる。
張政は、壱与に「檄をもって告諭す」


 266年
張政帰国。一緒に壱与の使者も同行して朝貢

これを最後に邪馬台国の記録は消える。滅亡したのか
319名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:12:19 ID:HKULSBSs0
>>192
邪馬台国が日本全国を支配するようになる国である必要はないだろ…。
また最も強力な国であった必要も無い。
まだ統一国家ではない日本において、
中国と交渉を持った国であればいいんだから。

強力な天皇家の政権が奈良に存在すると同時に、
中国と交渉する邪馬台国が九州に存在した。
それで何の問題があるんだ?
320名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:14:37 ID:6TvDI7sV0
>>311
それは言えてるな、邪馬台国は琉球にあったが
当時日本国の首都は間違いなく巻向だ。

所詮邪馬台国なんてのは中国の属領みたいなもんで
当時の日本とは別の国だ。
321名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:15:05 ID:8U+xfioH0
マキムクの北2〜3キロのところにある、馬口山古墳とかあのへんも
徹底的に掘るべきだな。
322名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:16:05 ID:HKULSBSs0
>>237
>じっさい、奈良周辺は中国の影響力は九州周辺より少なかっただろうし、
>いきつくのはなかなか困難だったと思われる。

朝貢国が属国として頭を下げて、
金印までもらって、正統性を保証してもらうのに、
首都まで使者を招かなかったなんてバカなことがあり得るのか?
他の朝貢国でそんな例はあるの?
323名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:17:58 ID:EEjzUfeh0
>>309
琉球国は、ちゃんと別に記録があるんじゃなかったっけ
324名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:18:48 ID:HKULSBSs0
>>279
軍事報告書であるかどうかはともかく、
20年も滞在した使者が首都にさえ行かないなんてことは不自然すぎるだろ。

普通なら、使者は首都まで赴いて、
直接その国の首長に会い、
直接金印を下賜するだろ。

朝貢国の側も最高の礼をもって
使者を首都まで招いてもてなすもんだろ…。
325名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:19:30 ID:39QXZwYM0
三国志魏書東夷伝倭人項な
326名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:22:32 ID:EEjzUfeh0
>>322

首都は軍事機密だから入れなかったとか
言う人もいるが、そもそも
滅亡しそうだから魏の軍隊を送ってくれと言ってるのに、
そんなバカな話はないよね。

張政は、13歳イヨの即位に明らかに同席してるし、
邪馬台国側としても、魏の威光を借りるためにも
むしろ、魏の人間を王の横に置いておきたいはず。
327名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:22:51 ID:macONHamO
>>324
乗っ取られない様に騙してたんだろ
328名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:23:05 ID:4Nvbu53P0
>>5
暗黒神話かよw
329名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:23:51 ID:9tbS89S/0
伊都国について「郡使が常に駐まるところ」と記している。
これに騙されるから「卑弥呼に会っていない」なんて説がまかり通ってしまう。

たとえ郡使がそうだとしても、勅使など皇帝の使者(当然国書持参)が配下の王に
面会しない、なんてことは絶対にありえんわ。
(もちろん郡使とて面会はしていただろうと思われ)
330名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:24:05 ID:wijuAS/H0
楽しみだお
331名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:25:01 ID:dM0vKOyB0
ヒョツトしたら、272の張政見聞論が”ヤマトタケル”の時代と重なって
るのかも知れないよ?あるいは”神功の義母”が卑弥呼に当るかも。
食料作りの神様を"スサノオが殺した"という表現の中には"古代戦争"が
あったのかもしれない。卑弥呼死後に”日食”というのは真相らしいし。
332名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:26:27 ID:n7D5iGe10
>>164
何その明治天皇推戴…神武も大変ですな
333名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:26:28 ID:CRuYDBBu0
もう、台湾でいいよ
俺は世界史履修したから詳しく知らんが
台湾でいいよ
334名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:26:35 ID:HKULSBSs0
>>311
マキムク遺跡の重要性・価値は九州説の人も認めるだろ。

ただ、「マキムクは3世紀の日本の首都」という点はどうなんだ?
後の天皇家を中心とした日本のように、
完全な統一王朝になっていたのか?

はるかに小さくても複数の政権と複数の首都があった可能性はあるだろ。
「マキムクは3世紀の日本の最も大きな都市」ということなら、
誰も否定しないだろう。
335名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:27:41 ID:Z8jzFGTjO
都市を造るのに重要なポイントは、水だろな。 古墳近くに、大きい川が有ったか?
336名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:27:52 ID:gXhrgfPj0
>>322
それは非常に簡単な話で、別に奈良と九州で、お互いに同一国家であるという認識が無かったかも知れない。
しかし中国側からは、地域の代表者として認定するために金印なんか持って来たのだろうし。
列島の中では、圧倒的に奈良の勢力が強くても、中国側の使者が九州にしか来れなければ、
そこを日本の代表として認定するしか無かったであろう。

だから中国から見た場合のヤマト政権の代表者と、実際的な中心地が違っても、別に変じゃない。

たとえば現代でさえ、中国から見た朝鮮の首都は平壌で、韓国なんて国は存在せず、ソウルとは
漢城という名の地方都市に過ぎないんだよ。彼らの公式地図はそうなってる。
337名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:28:41 ID:mmi7CT+g0
魏の使者が邪馬台国まで行ってないとすると、
水行だの、1ヶ月かかるだのといった話も
首都は遠くだと思わせるためのウソ。

人口7万戸の大都市だの、卑弥呼に1000人の女官だの、
卑弥呼の墓が巨大だのという話も
大国と思わせるために、大げさに伝えたのだろう。

邪馬台国はすぐ近くの小さな村程度だったのかも
338名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:28:56 ID:HKULSBSs0
>>327
なんで使者が来ただけで乗っ取られるんだよ…。
最低限、他の朝貢国で同様の心配をして同様のことをした例を示すべきだろ・・・。
339名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:29:49 ID:DxvEAZ4/0
>>311
吉野ヶ里の100倍だったら奈良盆地全体に広がっちゃうぞ
340名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:29:55 ID:GZm2G7K90
まあ今後大型の建造物の跡が出てきたとしても邪馬台国論争自体にそう大きな影響は無いと思うw

精々
「纏向には魏志倭人伝に見られる『宮室・楼観・城柵』にあたるような遺物が出ていない
 それが三点セットで出ているのは吉野ヶ里だけ」

…って指摘が消えるぐらいかな?w
341名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:30:05 ID:macONHamO
>>338
適当だから気にすんな
342名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:30:18 ID:vM4kReqV0
畏くもヤマトトトビモモソヒメノミコト様が皇統の祖となられ、
畏くもヤマトトトヒメノミコト様により継承され、さらに畏くも
ミマキイリビコイニエハツクニシラススメラミコト様に於いて
最初の王権が確立したわけでございます。西暦280年頃の事で
ございます。かしこ。
343名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:30:37 ID:233NXQbl0
邪馬台国以外にも有力な国があったんじゃないの
344名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:31:44 ID:9tbS89S/0
>>334
もちろん、マキムクの重要性は認識しているよ。
しかも崇神とか実在してたんじゃね? とすら思う。
崇神の孫の景行など「大帯彦」だもんな。
何々タラシとかそんなんじゃない、ずばり「オオタラシ」。
地名限定でない、「オオタラシといえばこの人」という称号を持っていたのが、
崇神のお孫さんなんだから。

少なくとも崇神〜景行は実在じゃね? と思わせるだけのものをマキムク遺跡は持っていると思う。
345名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:32:33 ID:muhdf3pf0
しかし起源は韓国です、はい。
346名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:32:47 ID:HKULSBSs0
>>336
んー、言ってる事がいまいちわからん。
つまり、九州、奈良と政権が並存しており、
九州の政権が邪馬台国だったという意見だよね?

邪馬台国として、金印をもらった首長が、
中国からの使者を自分がいる都まで招かなかったのはおかしすぎる。
使者が九州までしか来てないなら、
九州に都があり、そこに首長がいた国が邪馬台国だろ。

奈良に邪馬台国以上の強大な政権が
存在していたことを否定する必要はどこにもないけどね。
347名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:32:51 ID:1UZ7YxwoO
>>343
そう考えるのが妥当だな
348名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:36:09 ID:AQMr+5Qt0
>>338
朝貢したくなかったんじゃないの。
349名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:38:40 ID:Z8jzFGTjO
邪馬台国を中国人に読ませたら、「やまと」の発音になるんだよね?
350名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:38:48 ID:ppZT7yYl0
古事記編纂  712年
日本書紀編纂 720年
卑弥呼魏に使いを送る 239年

239年の段階で、事物を正確に記録する習慣が無ければ、
古事記、日本書記の時代から見て、卑弥呼(日巫女)は
伝説上の人物となるだろうな。

卑弥呼=天照大神説

に一票。


 
351名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:39:40 ID:9tbS89S/0
よく「漢書」などで倭国の「約百国」が、魏代に「三十国に統合された」などと
言ってる論者がいるけど、これは従えないな。

漢代には倭国が百国ほどの小国で統合されていたのが、
魏代、卑弥呼の時には「たった三十国」しか支配できていない、というのが正しいと思う。

マキムクが漢代の「百国」の一員だつたのかどうか、これからの研究に期待したいよ。
352名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:40:38 ID:vM4kReqV0
当時の会話。
「ヤマトトトビモモソヒメノミコトは今日どちらに行幸されしか?」
「ヤマトトトビモモソヒメノミコトは今日は纒向を出られません。」
「何と、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは今日はお出かけなされないのか?」
「はい、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは一日宮殿にいらっしゃいます。」
「どうして、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは一日中宮殿にいらっしゃるのか?」
「はい、今日、ヤマトトトビモモソヒメノミコトはヤマトトトビメノミコトに
 お会いなされるからでござります。」
「おう、ヤマトトトビモモソヒメノミコトはヤマトトトビメノミコトにお会い
 なされるのか」
「はい、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは、午前にヤマトトトビメノミコトに
 お会いになられ、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは、午後には、
 ミマキイリビコイニエハツクニシラススメラミコトにお会いに成られます。」
「何と、ヤマトトトビモモソヒメノミコトは、午前にヤマトトトビメノミコトに
 お会いになられ、、午後には、ミマキイリビコイニエハツクニシラススメラミコトに
 お会いに成られるというのか。それは重畳重畳。」
353名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:40:56 ID:LWBZgGAF0
>>350

卑弥呼=天照大神を否定する人の気が知れないね。

中国の史書にも女王が登場し、日本の歴史書にも女王が登場するのになぜわざわざ否定するのか。

354名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:42:41 ID:ZdgZ8LqK0
邪馬台国は四国にあったんだよ知らないの?
355名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:43:06 ID:fOfFVvJB0
邪魔大王国のヒミカ様
356名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:43:08 ID:AQMr+5Qt0
ハンコが王権と朝貢の証明になるという当時の中国のシステムは
あまりに先進的で画期的すぎて、半島の人間がそれを理解するのに
とても時間がかかったということはありそうだよね。
357名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:43:12 ID:RRxVGHVc0
古墳を調査できないからなあ
本当はどの天皇なんだろう・・・
358名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:43:47 ID:4NPYs9P+0
九州説は、九州にも畿内にも、出雲や吉備にもいろんな勢力があった。

(実際、魏志倭人伝にも
「邪馬台国の東は海で、そのむこうにも倭人の国がある」
と書いてる)

ところが畿内説は、畿内も九州も支配していた大勢力となる。
出雲や吉備は無視?
なぜこうなるかというと、畿内説でも魏使が上陸したのは九州と
認めてるから。
そんなめんどうなことしないで、魏使は最初から畿内に上陸した
とすればスッキリするのに。末濾国や伊都国も畿内にあった。

359名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:43:58 ID:9tbS89S/0
>>353

その論法でいけば、卑弥呼=神功皇后説を否定出来なくなるぞ。
360名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:45:31 ID:RRxVGHVc0
邪馬台国は連合国家だから
国連みたいなもんだと思うんだよなあ
卑弥呼がどこにいたか論争だと思う
361名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:50:04 ID:gXhrgfPj0
>>346
俺が言いたいのは、当時、日本は明らかに、完全な統一国家という体は為して居らず、
奈良にも九州にも半独立国家みたいな集団がおり、それなりに対立もあり、
しかし、全体としての呼称は、魏から見れば、奈良の方が由来のヤマトだったということ。

九州だけを支配する勢力として認識するなら、きっとヤマトじゃない、
他の自称もあったはずだろうと思う。それは氏族単位の名称だったろう。

しかし魏からすれば、そんなローカル勢力を相手にする意味がないから。
金印を授けるからには、相手はどうしても倭国全体の代表者として、
ヤマトでなきゃならんかったということで。

結局、他国から見た場合の代表者が誰だったかという観点から、国家を描こうとしても、
いつの時代も、それは虚しい徒労に終るというのが俺の意見。
現代、イランの公式地図にはイスラエルという国家は存在しない。
だからって、今より一千年後「イラン史パレスチナ人伝」に基づき、パレスチナ国の首都を探しても虚しいことだ。
362名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:50:29 ID:LWBZgGAF0
>>359

別に否定しなくてもいいと思われます。
天照大神=卑弥呼=神功皇后でもOKだと思います。
卑弥呼も天照大神も神であり独身であります。

真相はこうです。
大和にあった邪馬台国は天照大神(卑弥呼)の死後内紛か他地方勢力との戦闘で乱れた。
神武帝自身かもしくはその尊属は闘争に負けたのか難を逃れたのか不明だが何らかの理由で日向まで逃れた。
そして製鉄先進地域の九州で軍事力を得た神武帝が故地である大和へ東征を行った。

なぜ九州から遠征してきた神武帝に大和奥地の諸部族があっさりと付き従ったのかは、神武帝の血がもともと大和の血だと考えればすんなりと説明できる。

あくまで中心地は大和。
363名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:54:23 ID:LWBZgGAF0
>>361

日本が統一勢力でないと言うのはかなり左翼史観に汚染されていますね。

日本さえ統一できないような者たちが、隋帝国でさえ何度遠征しても勝てなかった高句麗相手に互角の戦いをしますか?
年表を見ればわかると思いますが、日本の王たちが支那大陸の国々に使者を送っているときには半島にはまだ百済も新羅も存在すらしていないのです。

呉の孫権がなぜ日本へ軍を派遣したのかを考えれば、魏が日本と組んだ意味がわかると思います。
364名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:58:18 ID:JfdcO1ZP0
スレも中盤になるとキモイ連中が湧いてるな
365名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 00:59:50 ID:W0eO1o/H0
よくわからないんだけど、九州と奈良は当時は同じ国だったのか?
366名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:02:00 ID:ppZT7yYl0
>>359
卑弥呼が三韓征伐に相当する外征を行っていれば、
魏志倭人伝にその記録が残りそうだが。
三韓征伐が単なる伝説の誇張と言われればそれまでだが。

倭国が船で海を渡って朝鮮半島へ外征する国力を持つのは、
もう少し後、古墳時代あたりじゃないだろうか?
もっとも、その倭国が邪馬台国と続いているとも言えないが。
(ただ、邪馬台国自体は、当時の日本列島の豪族たちに知れ渡っている
伝説であり、日本書記編纂の時代でもその伝説は残っていた)
367名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:02:50 ID:XOKimQ3f0
3世紀までには、畿内、瀬戸内は連合して、それまで中国、朝鮮利権、鉄を独占していた九州と戦い、
直接中国と交易を求め、鉄を得て、そして強大な力を得てゆく。
纒向もそうだし、前方後円墳が現われ、畿内を中心として広がってゆく様子からも、それは窺える。
邪馬台国かどうかは分らない。でも、大和王朝の元となる連合王国がその頃に成立し、全国を統一していくのは、、
ほぼ確定している。

3世紀に邪馬台国が九州にあったとしたなら、それは大和王朝とは完全に断絶した、別個の王国に過ぎない。
368名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:05:01 ID:34WdUVesO
>>151
アマテラスだろ
369名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:05:04 ID:FoZyp7R00
ひみこは役職名 台は合
ヤマタイはヤマト合衆国の意
370名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:08:38 ID:4kyH6Ihp0
>>361
ローカルも何も、魏にとって日本は海の向こうの辺境。
どんなことになってるかもわからん。

朝貢してきたのが邪馬台国だけだったからそれを優遇したって話。
それがローカルかどうかなんてどうしてわかる。
本人は我々こそ代表だと主張するだろうし。
それどころか南の国と争ってますという段階で、ローカル判定だろ。

だいたい軍事力の派遣を要請してくる邪馬台国なんか支配力を持ってるわけない。
他の国は自立できてたから、朝貢もしなかった。
日本を支配してたのは、そっちの方だろう
371名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:08:42 ID:WTWzPWi00
学問的論争に地域ナショナリズムやら学閥が絡んで、話が余計にややこしくなってるよね。
372名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:10:00 ID:AQMr+5Qt0
中国で印を冊封体制のしるしとして使い出したのは、漢以降の話かな。
それ以前は青銅の鼎なんかを王権の象徴として使ってたわけだね。
ヤマトの王権の象徴と言えば、いわずとしれた三種の神器であるけれど
三種の神器が象徴として確定したのは、もっと後の話で、金印の
使者がきたころは、他のものを使ってた可能性なんてのもあるかもね。
373名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:11:15 ID:gXhrgfPj0
そもそも、遥か後世の幕末でさえ、薩摩あたりは、実質的には独立国みたいなもんだったでな。
英国と独自で戦争したり、万国博覧会に独自で展示を出したり。
374名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:13:44 ID:QXr4ZNdW0
邪馬台国をめぐる議論って
学術的な史学分野においてどうでもいいことらしいな
学者は鼻で笑ってるらしいよ
375名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:16:11 ID:ddr/Vna6O
日本書紀をみると、大和朝廷が連合体の中で勢力拡大し「連合王国」から「帝国」に成長する様が読み取れる。
武家政権が、鎌倉、室町、江戸と展開した様に。
376名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:17:14 ID:XOKimQ3f0
>>374
前方後円墳その他の発掘調査で、3世紀に大和王朝の元ができていたことがほぼ断定。
この時点で、みんな安心して、論争やめているな。歴史が繋がってしまったからな。
それまでは、東征説だの色々五月蝿かったけど、、

でも、このあたりを研究してる人は、講演会では絶対に邪馬台国論争が主眼の講演するよ。
客が喜ぶからね。
377名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:19:02 ID:QQ618w2E0
邪馬台国論争があるからこそ、
一般人も古代史に興味を持つ。

確定したら、なんのおもしろみもない時代として
マイナーな分野となるだろう
378名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:23:45 ID:M1ag/JogO
知り合いの知り合いの話だから信憑性は低いけど、聞いた話し。

九州のある場所で土木工事中、小さな丘を重機で掘ってると
剣やその他装飾品がザクザク出てきたらしい。
でも、発表すると工事が中断になるので、しらんぷりして掘り返したそうな。

邪馬台国の何かかもしれない。
379名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:30:53 ID:LWBZgGAF0
>>370

三国時代の支那大陸は長引く戦乱で人口が極端に減少していた。
三国志を読めばわかるが数万の軍を出すのがやっとの世界。
魏にとっては呉の東の海上にある強国日本と組むのは当然の戦略。
呉も日本に無理してでも軍を派遣してけん制するのは当然の戦略。
大和朝廷には弩部隊が存在したことから考えてもかなりの軍事力を持っていたのは明らか。
380名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:33:49 ID:8U+xfioH0
マキムク古墳群(石塚、ホケノ山、etc.)の被葬者と箸墓の被葬者の関係性
が判るものが出たら面白いな。今回掘るのは弥生後期の王宮想定地だろ、
東北の古墳初期の王宮想定地も彫らなきゃな。

出そうなもの予想
■三角縁神獣鏡の鋳型
■荒神谷の鉄剣と同型の鉄剣
■鉄工房跡
381名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:36:54 ID:DsAXwOSe0
邪馬台国論争って無駄だよな。

日本の歴史書にその名が記されてないのに
議論しても無駄だろう。

中国に属国認定された邪馬台国なんて日本には不要だろ。
382名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:43:55 ID:ddr/Vna6O
フィンランドという国があるが、当のフィンランドではスオミと自称している。
383名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:45:39 ID:dM0vKOyB0
319>当時の中国が邪馬台国を相当に巨大国と思ってた節はあるよ!
    朝鮮に手を焼いて6世紀の援軍要請に走らされた隋以降で
    唐代に運河改修したのは”三韓征伐”の情報とも勘繰れる。
    当時の漁民や大工からすれば、仕事が出てくる訳で
    ”倭を過大に宣伝してた”とも推理できるからな?
384名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 01:57:22 ID:nCJo2+jE0
古代イスラエルは宇佐神宮で復活する!
385名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:05:34 ID:fLUezkFy0
三角縁神獣鏡って、青銅の成分を分析すれば
どこの鉱山の銅で鋳造されたかわかんないのかな。

オリエントの青銅器なんて、ほとんど成分分析で産地がわかってるそうだけど。
386名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:08:14 ID:LQ7t/Z8T0
魏志倭人伝て嘘っぽいよなんか。
387名無しさ@九周年:2009/01/31(土) 02:09:47 ID:MWEqCMlq0
邪馬台国は九州で起き、次第に東に勢力を伸ばし近畿で勢力範囲を留めることになる。
388名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:12:25 ID:XOKimQ3f0
>>387
3世紀の九州に邪馬台国があっていいの。是非そうして。邪馬台国は九州。おk。

でも、3世紀から5世紀にかけての東征はなかったの。
389名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:16:58 ID:grv2UN6u0
>>385
日本鉱山産出銅・亜鉛?なら分るだろう。シナー産出なら、果たして鉱山の資料分析してあるかだ。
390名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:39:39 ID:fLUezkFy0
>>389
国交正常化して30年以上も経ってるわけで、
チャイナの鉱山における銅亜鉛クロム等の成分比率すら調べてもいないなら
両国の考古学会の怠慢にも程があると言いたい。
チャイナが本腰にならんなら、国内の博物館にある明器から独自に統計とってもいいじゃないか。
それに国内の鉱山だけの統計でも、成分比率が一致すれば産地は特定でき、一致しなければ大陸産とわかる。

西洋じゃあたりまえのそんな調査もせずに、
いまだに様式や年号などの人文的調査だけで
「国産か大陸産」かという議論をしている不毛には、あきれざるを得ない。
391名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:42:47 ID:macONHamO
>>380
黒又山調査しようぜ
392名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:42:51 ID:ghwigf9VO
しかし、卑弥呼はいい女だったなあ〜!
393名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:47:39 ID:zy0khaR/0
邪馬台国の所在地など、どこでも良い。
マキムク遺跡は、とにかくすごい、面積は吉野ヶ里の100倍、
出土物の多様性は空前絶後、最古期の古墳も密集している。
たとえ邪馬台国が九州だったとしても、纏向遺跡の価値は変わらない。
マキムクは3世紀の日本の首都。

なんでマスコミは弥生時代と古墳時代の遺跡が出ると
すぐに卑弥呼だの邪馬台国だのに結び付けるんだよ?
マスコミってインテリ集団じゃなかったのか?
激しく同意。
394名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:49:45 ID:WTWzPWi00
>>379
岡田英弘さんは三国時代の人口は500万くらいまで減ったとか
言ってたよね。
395名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 02:53:01 ID:eYrqJVAg0
卑弥呼がいた場所がマキムクとは限らんわけよね
マキムクが大和朝廷の元なのは間違いないけど
396名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 03:00:16 ID:sSHpMdoK0
邪馬台国は連合国家だから、北部九州の奴国も伊都国も畿内もその版図であった
と考えれば、説明がつく
つまり北部九州も畿内も邪馬台国だった。
しかし、その後南九州の狗奴国(菊池彦)が、北部九州に侵攻、山陽諸国を従えながら
瀬戸内海を渡り大阪湾に上陸、一度破れて和歌山方面から畿内に侵入して
邪馬台国を滅ぼした。これが東征神話。
東征神話も全く事実を反映していないとするのには無理があるのであって
のちの大和朝廷が卑弥呼や邪馬台国を不都合なものとして隠し続けたのは
ここに理由があるのだろう。
397名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 03:03:52 ID:cl+22nop0
>>51
いや、>>1 に書いてある通り、纒向で色々重要なものが見つかってるから、近畿説が有力になってきてるんじゃなかったっけ。
398名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 03:20:25 ID:grv2UN6u0
>>397
もう2・30年前から近畿説は有力だよ。ただ、何で地名に九州と近畿の同一名が多いのかが
今でも謎に為ってる。資料文献をマトモに読むと、九州の南500kmに存在した事に為るから。
399名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 03:25:38 ID:xxnCVx360
近畿から九州に左遷または防人として来た人達が
故郷恋しさに同じ地名をつけたんじゃないのかなあ
なんとか銀座みたいに
400名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:14:46 ID:m8sJybGG0
九州と近畿に同じ地名?
国譲りのせいだろ
401名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:16:35 ID:yRPL8I9SO
卑弥呼さま〜!
402名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:38:14 ID:jBLOE/Ct0
半島南端から対馬、壱岐、唐津、糸島を経て博多までの行程でさえ
距離や方角が相当大雑把な感じだなあ。
別に専門でもないし九州にあっても近畿にあってもどうでもいいけど
広開土王碑が400年前後、白村江(←すごく変換できない)はもっと後だから
近畿勢力が九州の地方政権を滅ぼしたにしては半島にかかわりすぎだわな。
403名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:44:47 ID:k4HXk/lq0
巻向遺跡は、たしかに重要遺跡だが、
あれほどの面積の遺跡は北部九州にも
何箇所かある。
遺跡調査も100回以上行われている。
首都らしい遺構はまったく発見されず、
ただ祭礼がひんぱんに行われたことはわかっている。
これ以上発見はあるんかな。
404名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:49:19 ID:Jsy2wpVjO
邪馬台国は韓国にあったニダ。
というのは既出ですか?
405名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 04:55:05 ID:VsJNfwKD0
マキムクマキムクイトマキムク、ヤマタイコクになーれ。
406名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 05:52:22 ID:N4RsAS3S0
>>403
> 巻向遺跡は、たしかに重要遺跡だが、
> あれほどの面積の遺跡は北部九州にも
> 何箇所かある。



初耳。どの時代のものですか?
407名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 07:08:32 ID:s4ej/6LI0
1972年7月17日、当時高麗大博物館主任で勤めていたユンセヨンの「韓国の中の古墳」
と称する寄稿文が新聞に記載された。当時慶煕大学のファングヨングフン教授とユンセヨンなど
が全羅南道の光州郊外と栄山江など平野地帯にある丘陵4ヶ所を共同調査した結果、前方後円墳
が発見されたのだ。
この墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」
として報道していたのである。前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形状であり、日本独自
の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
しかし、調査が進むと、この古墳に関する報道は一切外に出なくなった。
何が何でも日本のものは100%韓国起源との虚偽・捏造に熱心な韓国であるが、この古墳の年代
が5〜6世紀に作られていたことがわかり、日本の古墳が作られた年代である3〜5世紀よりも後
であり、常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやって
きて、当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。任那の日本府とともに、古代の朝鮮半島の
歴史から日本を消したい韓国が歴史捏造をしている証拠のひとつとして紹介する。
408名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 07:33:58 ID:HKULSBSs0
>>398
古墳や出土品等から、当時最も強大だった地域はどこか
というアプローチをすれば畿内。
古墳や出土品が物語るのはそれだけでしょ。

だが、それが日本唯一の政権で、かつ邪馬台国だったか
という点では疑問が残りすぎる。
409名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 07:57:21 ID:gXhrgfPj0
コロンブスはアメリカ大陸の東端の諸島を発見して、そこに西インド諸島と名づけた。
西インド諸島の住民には、彼らなりの自称はあったろう。
しかし、それは無視された。どう呼ぶかは発見者の側が決めるしかないからだ。

他国から見た場合の地理像や国家像というのは、それぐらい曖昧模糊としてるものだ。
実益の上でアメリカとインドを区別する必要が無ければ区別しないほどに。

当時の中国人にとって、畿内と九州を区別する必要を感じなければ、区別しなかったろう。
実際的に統一国家であったか、いずれがいずれの勢力圏であったかも関係なく。
ただ「ヤマトに行け」と命令されて出発し、辿り着いた所は、どこでもヤマト。
410名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 08:26:48 ID:1cp+UO0t0
3世紀の九州は、田舎杉
大和は勿論、吉備や出雲にもまったく及ばない
411名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 08:44:48 ID:WTWzPWi00
>>409
卑弥呼は魏に使者を送り、親魏倭王に封じられている。
別に発見されたわけではないと思うが。
412名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 09:01:04 ID:LWLm8H+t0
>>57
あんた、土曜日だからってテレビの前でごろごろしてると邪魔邪魔!どっか外に遊びにでも行きなさい!
413名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 09:03:58 ID:LWLm8H+t0
赤まきむく青まきむくきまきまく
414名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 10:05:25 ID:yvnhwCmd0
九州は高千穂に天孫降臨を証明する遺跡がある。
神功皇后(=卑弥呼)の遺跡もある。
邪馬台国の所在地としてふさわしいといえよう。
415名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 10:28:13 ID:3SmVrQso0
>>398

地名の一致はまやかし。

大宰府ができた頃に、多くの人が西から九州に行った名残だよ。

416♪鏡の魔力♪:2009/01/31(土) 10:39:43 ID:+W2zFHdN0
銅鏡は,太陽信仰の呪具だった.
太陽光線を反射させて人を驚かすことのできる鏡を手にする卑弥呼を
おそれて人々はひれふしたのであらう.

のちのミラーマンの手鏡である
417名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 10:53:52 ID:eYrqJVAg0
まあともかく
マキムクが「日本」発祥の地なのは
ほぼ間違いないわな
朝廷の元

卑弥呼や東征については
それを基準に研究することになるだろうね
これからは
418名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 11:09:42 ID:5zMLBz310
纒向の年代って年輪年代で言ってるんだろ?
日本の年輪年代は、光谷教授のグループがデータを独占していて、
標準年輪曲線も試料の年輪も非公開で結果だけを発表している。
第二の藤村事件にすらなりかねない、うさんくさい代物だ。
元来、日本は年輪年代法を適用しにくい場所とされていた。
419名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 11:31:04 ID:xtgCXVQG0
今見つかってるものだけで
やってるから、今後、ガラッと変わる。

少し前まで、近畿は銅鐸文化圏、九州は銅矛文化圏などと教えてたが
九州からも銅鐸が発掘され、怪しくなった。
ヒスイも、昔は日本からは産出しないから大陸からの輸入とされてたが
その後、日本で出ていたこともわかったり、黒曜石は新潟からしか採掘されないから
日本中の黒曜石は新潟から入手したなどと言ってたのが、他でも見つかったりと
コロコロ変わる。
420名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 11:43:38 ID:3SmVrQso0
>>419

それが科学というもの。

絶対九州だとか言ってるやつは科学的じゃないんだよ。宗教そのもの。
421名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 11:44:57 ID:nHuIHn4p0
邪馬台国って九州だったんじゃないの?
いつの間に関西になったんだよ
422名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 11:58:57 ID:3SmVrQso0
江戸時代のトンデモ学者が、「もしかしたら。邪馬台国は九州かもなあ」と言い出したのが最初。

それまで、邪馬台国はずっと畿内なのが常識だった。

邪馬台国が九州だったら、ずっと交易していた中国人や半島人がそう証言するだろ。
423名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:04:54 ID:g6ru3y3rO
>>421
奈良だって言ってたのが、こっちもだってなったんじゃないのか
424名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:04:59 ID:eYrqJVAg0
いや魏志倭人伝の「邪馬台国」は九州かもしれんよ
マキムクが邪馬台国なのかは
よくわからん

確かなのはマキムクが3世紀には
日本列島最大クラスの町で
そこが天皇統治の元になり
拠点になり列島を傘下におさめていったってこと
425名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:07:50 ID:eYrqJVAg0

列島だけじゃなく朝鮮半島の南部もね
426名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:30:50 ID:F55qIKL2O
>>87
逆じゃないのか?
日本の神話(神武東征、九州から奈良に遷都)の正当性を裏付けるんだから
ネトウヨこそ九州説かと。
少なくともたびたびネトウヨと罵られる俺はそうだ。
427名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:32:57 ID:oV9JzSwm0
          アイヌ
        越
出雲 山戸
吉備

うどん
428名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:39:21 ID:F55qIKL2O
>>135
外国人の霊能力者?のマクニモーグル?とか言う人は
邪馬台国は出雲あたりにあったみたいな透視してた。
日本書記に無かった事扱いされてる邪馬台国と
銅鐸文化圏の空気っぷりは確かに似てる気がしないでもない。
429名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:45:17 ID:YF6qPStrO
もう間とって広島にしとけよ
430名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:45:45 ID:6TvDI7sV0
>>426
というか、中国の属国である邪馬台国は九州にあって
ヤマト政権によって滅ぼされたってことにした方が都合がいい。

中国の属国である邪馬台国が後のヤマト政権になったというのは
受け入れがたい事だろう。
431名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 12:47:21 ID:3SmVrQso0
>>426

神武東征は紀元前だよ。

邪馬台国とは関係ない。
432名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:20:36 ID:F55qIKL2O
>>431
なんぼネトウヨの俺でも日本書記やら神話が全部
文字通りの真実とは思ってない。
史実を反映したものであってもそれは
権力者に都合良く脚色されてはいるだろ。
大和朝廷の起源が紀元前まで遡るかというと
そこまではちょっとね……
433名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:22:13 ID:VqUe+S0nO
鉄器製造工場が淡路島にあったんだから
邪馬台国は四国だろう
434名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:24:38 ID:CXaeXtw60
>>433
あそこは「鉄器加工所」だし、
さらに、淡路島は四国じゃないし。
兵庫県だし。
435名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:27:13 ID:i8SlOAMX0
バカな左翼日本史教師が、九州説を力説してたな。
根拠は、皇室を中心とした伝統的な中央集権国家であったことが気に入らないからとかいう、
何の科学的根拠もない凄い理由で。
436名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:35:22 ID:3SmVrQso0
>>432
じゃ、邪馬台国東遷説は否定するよな?
あれこそ、都合の良い理屈の寄せ集めだろ。

437名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:40:12 ID:gFcyctqEO
じゃ……邪馬台国
438名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 13:47:42 ID:F55qIKL2O
>>436
九州から奈良へと支配圏を伸ばしていった
過程を神話に落とし込んだ記述だと俺は思う。
たぶん、その過程で邪馬台国の中の人が
卑弥呼系から天皇系にすり変わったんじゃないかと。
439名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:08:32 ID:3SmVrQso0
>>438
>九州から奈良へと支配圏を伸ばしていった

それは事実あっただろうが、
4世紀以後だとするのが、東征遷説。

しかし、2世紀以前にあったかもしれない。
それなら、邪馬台国は畿内。

東征遷説を主張するなら、九州から奈良へと支配圏を伸ばしていったのが、4世紀以後だと証明してみろ。

言っておくが、マキムクからは九州の土器はほとんど出てないからな。


440名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:10:00 ID:70kAP499O
九州の宇佐だろ!
441名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:12:09 ID:3SmVrQso0
安本なんかは、庄内式土器が九州発祥で、
九州から土器が畿内に移動したから東遷の証拠などといってるが、
庄内式土器が九州発祥なんて話は、九州説の九州の学者も支持していない。

東遷説が成立する条件は、皆無。

442名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:15:21 ID:NvLui5ITO
邪馬台国なら俺の横で…
443名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:15:22 ID:m+KIvton0
この遺跡、発掘が終わったら壊すんだっけ?
宅地にするとか何とか聞いたが。

奈良は遺跡が出すぎて、価値が分からなくなってるんじゃないかと。
地方だと観光資源として永久保存なのに。
444名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:15:26 ID:f18wOo/m0
まぁ奈良は他にも歴史的なものが色々あるしな
九州の人が必死になるのもわかる
445名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:17:09 ID:0aLsuAOU0
オオドシ様…
446名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:18:22 ID:F55qIKL2O
>>444
奈良が偉大で貴重なのは同意するけど
邪馬台国とは関係ないと思う。

>>178
>>235
>>264
あたりを見るかぎり。
447名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:20:40 ID:x5c2ZHoU0
邪馬台国=九州のローカル勢力
ヤマト政権=和(奈良盆地)を中心とした豪族たちの連合体

これでおけ
448名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:21:45 ID:m+KIvton0
今の通説は畿内説と聞いたけど、それは本当なの?

とりあえず邪馬台国でないにしても、この遺跡は貴重なんでしょ。
邪馬台国と並存して大きな王朝があったのかもしれないし。
449名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:23:52 ID:OytE9ysP0
>>441
安本は考古学者でも歴史学者でも無いから好きな事言えるんだよ。
ちなみに庄内式土器の起源は明らかに岡山。吉備独特の内面ヘラ
削り技法が庄内式土器に施されているがその証拠。九州にはこん
な技法は無い。ちなみに主な産地は播磨と大和と河内だが、九州
なんかで出る庄内式と呼ばれる物はほとんどが布留0式の誤り。
庄内式は近畿を中心とする極く限られた地域からしか出ない。
450名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:25:04 ID:YtvLOTZTO
阿呆なアルバイト発掘員が貴重な発掘物をガラクタだと思って。
捨てない事を祈ろう。
中には報告めんどうだから隠す奴もいるとか…
451名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:31:33 ID:1UZ7YxwoO
>>435みたいな基地外って何なんだ?

452名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:33:20 ID:tZI9ETWP0
>>446
ヤマトに都している、これは邪馬台国のことだとかいてることは畿内説の大きな論拠なんだけどな
阿蘇山があるってそりゃ日本には阿蘇山あるだろw近くにあるなんてどうやったらそうよめるんだよ
453名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:35:41 ID:2YayPaMf0
九州は「元祖邪馬台国」
近畿は「本家邪馬台国」
で、仲良くすみ分けすれば良い
454名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:36:54 ID:tZI9ETWP0
>>448
まともな学者で九州説唱えてる人なんてほぼ皆無
それでも九州説が拮抗してるような印象を受けるのは
一般向けのしょうもない新書とか歴史読本とかに九州説をいまだに垂れ流す連中がいるから
455名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:39:46 ID:F55qIKL2O
>>452
畿内なら三輪山とかになるんじゃね?
ヤマトって読みの土地なら九州にもあるし。
456名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:40:10 ID:p3APV/He0
最大勢力は機内だったんだろうね
九州派は邪馬台国って名前の国が九州にたぶんあったってことで満足したら。
457名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:44:19 ID:7QFmH/SpO
そもそもチャンコロの歴史本に出てくる国なんざ真顔で探すなよとwW

中華思想なんて差別意識丸出しの国が、周辺国ごときを正解に記述する筈ねーだろがwww
458名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:48:22 ID:VJAFGq+zO
なんか実証史学より政治的史学が必死なスレだね

伸びずに沈むだろうに、専門板でもなけりゃ誘導は簡単だしね
459名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:50:24 ID:GZm2G7K90
>>446
少なくともトンデモ九州王朝説の>>264はやめておけw

隋書のその前後の部分を読んでから判断した方がいいと思うwww
460名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:54:49 ID:ELsipysO0
まともな学者は、それはあくまで、文献資料の分析をする、文献史学の問題であって、
ここまで論争し、発掘しても解決しない以上、それは、元の資料そのものに問題、限界があると言っている。
邪馬台国の所在地はどうでもよくなってしまった。

3世紀中ごろ、畿内に大規模な前方後円墳が造営され、その後畿内を中心に、極めて硬直的な
同じ決まりごとに沿って造営される前方後円墳が、畿内、吉備、九州、東日本、(朝鮮)と順に小さくなりながら、
時代を追って増殖していくことを確認している。
同時に、3世紀初頭までに、中国鏡の分布が、北九州から畿内中心へと大きく変化する。

これまで、前方後円墳は4世紀にできたと思われていたため、邪馬台国、九州東征説が喧伝されてきたが。
それは、通じなくなった。

邪馬台国は九州。それで構いません。ただ、3世紀初頭〜半ばまでには畿内、瀬戸内に連合王国が形成され、
それがそのまま大和王朝の基礎となって、今まで続いている。これが、今の発掘調査の結果から分っていること。
461名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:54:55 ID:2l77Ov8p0
東征ってのはどう考えても大阪から奈良って程度でしょw
462名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:56:09 ID:/QhDiJRE0
倭人伝に描かれる日本の風俗(1)

男子は大小関係なくみんな髭面、イレズミをしている。
海に潜って魚や貝を取り、イレズミは身を守るおまじないでもある。
国によってイレズミが異なる。右だったり左だったり、
大きかったり小さかったり身分の違いもある。

その風俗、淫らではなく、男子は皆もとどりのままで冠の代わりに木綿を頭にかけて、
服は幅の広い布を巻きつけるだけで縫ってはいない。
女子は髪を結い、一枚の布の真中に穴をあけて頭を通して着ている。

稲やカラムシを植え、蚕を飼い糸を紡ぎ、カラムシの布や絹木綿を作っている。
牛、馬、虎、豹、羊、カササギ等はいない。

倭は真珠、青玉、丹を産出する。
木は、ユズリハ、ナラ、クス、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデがある。
竹は、シノ、ヤダケ、カズラダケがある。
ショウガ、タチバナ、サンショ、ミョウガがあるが食べられる事を知らない。
動物は、オオザル、サル、キジなどがいる。

兵には矛、盾、木弓を用いる。木弓は下が短く上が長い。
竹の矢のやじりは鉄か骨である。

有無するところ、タンジ、シュガイと同じである。
(海南島の文化風俗に近いという意味らしい)

倭地温暖。冬でも夏でも生野菜を食べ、はだしである。
家はあり父母と兄弟は寝るところが違う。
朱丹を体に塗っているが中国人がおしろいを塗っているようなものだ。
食事は高盃に盛って手で食べている。
463名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:59:14 ID:F55qIKL2O
>>462
どう見ても奈良じゃないよなw
464名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 14:59:25 ID:/QhDiJRE0
倭人伝に描かれる日本の風俗(2)

倭の使者が中国に出向くときは、生贄のように一人の男子をもって、
頭を梳かず、シラミを付けたまま、服は垢汚れ、肉を食べず、
女子を近づけず、喪中の人のようにしている。
名付けてジサイと言う。
もしも何事も無く中国まで往復できた時は皆と伴に奴隷や財物を分け与え、
もしも病気や災難に見舞われたら、このものを殺してしまう。
このジサイが謹まなかったと言う事である。

物事を行ったり、旅に出かけるときは骨を焼いて吉凶を占う。
亀の甲羅で占うように骨の裂け目で占っている。

集会などの会合の席順は父子男女の別は無い。皆良く酒を飲む。
(魏略に言うところの、倭は正月と四季を知らない、春に耕し秋に刈り取る事でその間を1年とする)。
身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。

倭人は長寿で、100歳から8、90歳まで生きる。
そして身分の高い人は妻を4,5人持ち、庶民でも二,三人は居る。
婦人は淫らではなく、嫉妬もしない。

盗みなども無く、訴訟も少ない。法を犯した者は、軽い者は妻子を没収。
重い者はその御家断絶。親族にも及ぶ。

身分の格差があり臣下が服している。税を納める倉庫がある。
国々に市があり、御互い足らない物を交換し、大倭がこれを監督している。
女王国から北には特に一大率を置き、諸国を検察させている。
諸国はこれを恐れている。常に伊都国に治する。国の中では中国の州の長官のようである。

身分の低い人が高い人と道で出会ったときには、後ずさりして草の中に入り、
何かを伝えたいときにはうずくまったりひざまづいたりして、
両手を地に付けて物を言う。返答は”アイ”と言う。承諾した事のようだ。
465名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:05:24 ID:vPfOZrCx0
>>462
こういうのや、日本神話を読むと日本人のルーツは様々だな
466名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:08:40 ID:vPfOZrCx0
日本語はどっから出来たんだろうか
467名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:08:41 ID:ELsipysO0
基本的に、呉の遺民と、縄文人が混じったんだろうな。と思う。
468名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:10:23 ID:RooznNLu0
>>460
なんていう発掘調査報告書を読めばそれがわかるの?
まあ大和政権の祖は吉備で有ることは間違い無いだろうけど。
469名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:18:13 ID:CIgmRgHl0
マキムクの王宮想定地は2箇所あって
今回掘るのは古いほう。時期は弥生終末期。
池上曽根クラスの巨大な神殿と、それに付随する工房跡が
期待されている。

予想出土物

■三角縁神獣鏡の鋳型
■荒神谷の鉄剣と同型の鉄剣

あとマキムクには削平されてしまった、大きな弥生墳丘墓が
あるらしいから、それも掘って欲しいな。
470名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:18:17 ID:xxnCVx360
九州だと冬でもはだしで大丈夫なのかな
471名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:22:23 ID:vMPthTLY0
なんで纒向っていうと邪馬台国なんだろう?
纒向は珠城宮 日代宮と垂仁天皇、景行天皇の都したとこだから
当時の日本の中心地って推定されてるんだろうに
472名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:25:42 ID:vPfOZrCx0
>>471
「邪馬台国」って名前に取り憑かれた人が居るから
473名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:26:19 ID:Lf74xsc50
>>471
関係あろうがなかろうが、古代のものは
全部「邪馬台国かも」と言っておけば、
興味持ってもらえる。

このニュースだって邪馬台国なしだと
一般人はまったく無視だろう
474名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:27:53 ID:5j9PNCx60
>女王国から北には特に一大率を置き 常に伊都国に治する。

女王国は伊都国より南ってことか
475名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:29:37 ID:vR4cP/ox0
昔から支那人達は、外国ことを悪い意味を持つ漢字で表しただろ。
当時の日本には漢字なんかなかった。
邪馬台国ってのはヤマトの事だと思う。
卑弥呼は日の巫女。つまりアマテラスのモデルではないのかな。
476名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:30:56 ID:mUj08eur0
NHK大河くる〜?
477名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:32:14 ID:GZm2G7K90
>>476
九州の受信料の回収率によると思われwww
478名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:50:24 ID:CIgmRgHl0
なんで一般人に「邪馬台国ブランド」で飾って宣伝する必要があるのかがわからん。
そのへんどういう利権構造になっているのかだれか説明してくれ。
479名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:50:35 ID:eYrqJVAg0
>>462-465
今の宮崎県の青島神社あたりだと
まるっきり違和感ないのよね
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/aosima/aosima.htm


まあともかく
マキムクが2世紀以降の日本列島の最大勢力で
しかも縄文文化の系統
そして天皇の祖
それだけはもう間違いないこと

魏志倭人伝の記述はマキムクではないだろうし
そこへんの研究もこれからだねえ
480名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:51:32 ID:9tbS89S/0
>>459
>隋書のその前後の部分を読んでから判断した方がいいと思うwww

いや、隋書のどこを読んでも畿内らしき箇所に一度も触れていないようなので。
481名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 15:54:55 ID:ADyRGpZr0
>>478
アメリカ大統領と同じ名前だってだけですがりつくんだよ
482名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:07:18 ID:eYrqJVAg0
で青島神社に祭られてる
山幸彦の孫が神武天皇なのよね

魏志倭人伝の記述とまるっきり無関係だとは思えんね
483名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:08:54 ID:nCJo2+jE0
中国人は方向音痴
484名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:09:00 ID:GZm2G7K90
>>480
大業三年の遣隋使の説明だとえらく仏法を興したことを強調しているが
九州の何処に飛鳥ほどの古寺が林立していた場所があるんだい?

よしんば一つ二つ九州から大和へ移築したとしても
その他の多数の寺院があった痕跡は?

大和朝廷が乗り込んで一切破壊しつくし今日にその痕跡も伝承も残っていない…
南京で100万人の虐殺があったというレベルのお話だなw
(まあ事件といえるものはあったんだろうが)

そもそも阿蘇の文字が出る前段部分は風俗記事が延々続いている。

もういい加減 ウリナラ起源説 の 九州王朝節 はやめておけwwww
485名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:13:25 ID:Mow/dsHmO
>>475
卑弥呼の時代に調度皆既日食が起きてる
これは天之石立の伝説とも符合する。

卑弥呼が姪に巫女の座を譲ったのも神話の天照と同じ
裏付けが取れたら天皇家は冗談抜きで1800年以上続く王家になる


関羽や曹操の時代から続いてるんだぜ?
486名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:15:16 ID:CIgmRgHl0
マキムクの起源は大乱の後で唐古鍵の人が建設した東国との交易センター。
やってきた東国の田舎者をびびらせるためにでかい神殿やでかい古墳を
吉備や四国など西国の豪族が出資して建設した。

卑弥呼は248年ごろに死亡でしょ
台与は300年ごろまで生きたのかな?
その後が崇神で318年没と。
崇神てのは「イリ」の人だからヤマトの外から来た人だよね。
じゃヤマトの「内側」ってのはどういう系統なのかな?
マキムク石塚やホケノ山に葬られている人たちがヤマト原住王族で
これが欠史8代のモデルだとふんでいるのだがどうだろう?

そしてマキムクの最盛期が台与統治の後期と崇神の頃、
交易がますます大規模になって呪術ではなくてもっとドライなビジネス能力の
ある王を立てようということになって日産のカルロス・ゴーンみたいにどっかから
招聘されたんだろう。崇神はどういう出自なのかな?

そんで河内の大開発に伴ってマキムクはゴーストタウン化したと。
487名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:20:18 ID:PbJ3K8Sj0
神の字がついた天皇が3人いる。
神武、応神、崇神天皇だ。
これらの名前は漢風のおくりなで、奈良時代につけられたと言われる。
適当につけたのではなく、その文字には当然、意味があるだろう。

神武天皇は、日向から東征してきて大和朝廷を開いた。
応神天皇も九州生まれ。
香坂王・忍熊王という二皇子を討って大和を平定した。
この二人の天皇は東征したという点で共通している。
神という字を使ってるのは、外部からの征服者を意味してるのかもしれない。

崇神天皇にはそのような記録はないのだが、
奇妙なエピソードがいくつか残されている。
天照大神を宮中で祀るのはよくないと言って
追い出したという話。
最終的に伊勢神宮が天照大神を祀ることになる
きっかけとなったエピソードだ。

また神の祟りがあったため、大物主の子孫であるオオタタネコを探した話。
崇神天皇が本当に直系の子孫なら、先祖の神の天照大神を追い出したり、
母方の神である大物主の祟りを受けるだろうか。

崇神天皇の和名ミマキイリヒコにちなんで任那と名づけた
というエピソードも日本書紀に書いてあるが、
つまりミマキイリヒコとは、任那から入ってきた天皇という意味ではないだろうか。
488:2009/01/31(土) 16:27:15 ID:+W2zFHdN0
魏志倭人伝によれば,日本列島には牛馬羊虎豹はゐなかった.
ところが,日本神話で馬が登場するのは,スサノオが高天原で暴れる場面だ.
なぜだらう?
解釈1 スサノオに関する神話は,日本列島に馬が伝来してから,つくられた.
解釈2 スサノオに関する神話は,もともと渡来人の神話であり,高天原は大陸のどこか.
489名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:37:44 ID:eYrqJVAg0
まあ渡来人や半島&大陸のことを言うと

マキムクの王権が元で
そこが半島に出て行って勢力化に置いた証拠はたくさん出てきてるが
逆はひとつもないんよね

半島&大陸→日本列島への武力的痕跡は一個もない
つまり高天原が半島&大陸方面だったとしても
天皇家の祖先が半島に進出して(制圧して)
そこの王族と交流したからこそ生まれてきた話よね
490名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:42:27 ID:ELsipysO0
2-3世紀ころまで、辰韓は支那まで知られた鉄の産地なんだけど。
その後、泣かず飛ばずで任那ってことで日本に抑えられちゃうのよね。
逆に、その頃までに九州北部を制圧する勢いであってもおかしくはないんだけど。
自然破壊が限界まで逝ったかな。。日本神話は、時代は違えど、きっちり植林してんだよね。
491名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:45:36 ID:vPfOZrCx0
>>488

日本神話は各地域の神話の寄せ集めと、国造りの話のちゃんぽん
492名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 16:54:37 ID:KYwZ1bPf0
九州説はすでに全滅だろう。邪馬台国ー倭国ー日本国は連続だもんね。
493名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:03:07 ID:Dde9PjSF0
>>488

高天原は、葛城の高天彦神社がモトだよ。

日本神話は、もともと、葛城の神話ですから。
494名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:04:39 ID:HKULSBSs0
>>422
>邪馬台国が九州だったら、ずっと交易していた中国人や半島人がそう証言するだろ。

魏志倭人伝には九州の描写しかないじゃないか。
それを無視して、遺跡と出土物の豊富さだけで
畿内と言い張るのは無理があるだろ。

「日本で最も栄えていた地域」が都であり邪馬台国だという主張には、
「日本が統一されていた」という前提が必要になるだろ。

その前提がないなら、
当時、「今の日本の範囲」で最も栄えていた地域が
邪馬台国が一致している必要はない。
日本と言う統一国家はなく、畿内と九州に別の政権があった
可能性があるんだから。
495名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:05:57 ID:bsCAu2Ht0
>>1
>神殿とみられる特殊な建物跡

これってすげえショボイ建物だろ、ミニ神殿で騒ぎすぎww

>発掘面積は遺跡全体の約5%で、不明な点が多い。

最も不明な点は、人の居住した痕跡が極めて少ないこと。
竪穴式住居が2,3個程度で掘建て建物には居住の痕跡はない。
ここが本当に「都市」とかいうのは、度を越したトンデモだな。
496名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:08:45 ID:qRBlul4RO
岩手八幡平
497名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:09:00 ID:F55qIKL2O
要するに邪馬台国と大和朝廷は別物と。
名前が似ているのは時代的に後の大和朝廷が
名前を拝借したのかもしれない。
ザビ家がジオン公国を名乗るようなもんだ。
498名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:11:17 ID:GZm2G7K90
>>497
「諸君らの愛してくれた女王卑弥呼は死んだ!何故か?」

「ふっ、婆さんだからさ」

499名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:12:17 ID:Dde9PjSF0
>>494
>「日本が統一されていた」という前提が必要になるだろ。

日本神話では、イザナギ・イザナミは、淡路島〜九州〜出雲に出向いてるよ。
つまり、九州〜近畿は共通の神話を持っていたことになる。
銅鐸文化(近畿)、銅矛文化(九州)も出雲で共有しているのだから、
九州と畿内が別個のクニだったと考えるのは完全に無理。
500名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:12:41 ID:3EWVcDS60
島原地方にあって、普賢岳の噴火で滅んだんじゃないのか!
501名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:14:28 ID:fotqdvM90
九州でFA
502名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:15:01 ID:cxX4Y4hf0
やっぱ関西じゃないかなあ
大阪なんて虚心に眺めれば人口を養うのに理想的な地形だよ
503名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:16:11 ID:QrDCBMWZ0
>>498
ただの老衰ですかいw
504名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:16:56 ID:HKULSBSs0
>>484
仏法を起こす=寺院を林立させることなのか?

はるかに時代の下り、文献も豊富なはずの奈良の薬師寺だって、
この前、奈良女子大構内で新たな発見があったじゃないか。
当時のことがわかるかどうかは、そんなレベルだろ?
505名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:19:08 ID:eYrqJVAg0
うん
前方後円墳の成立年代や分布を見ても
畿内と九州は同族が支配していたとしか思えんね

ただ卑弥呼というのは
天皇家の祖先の一人かもしれんけど
文献だけ見れば
住んでたのは九州かもしれんつー話よね
マキムクとどっちが本家でどっちが分家かはわからんけど
506名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:20:10 ID:ra1I0Egk0
昔は今の関西地方の隣に九州が有ったんだよ、地殻変動で離れたが。
507名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:21:42 ID:Ls2q8wWM0
邪馬台国や卑弥呼を利用して注目を浴びようとする発掘現場が多いね。
508名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:22:20 ID:Dde9PjSF0
>>505
良い着眼点だよ。

邪馬台国の範囲は、九州〜近畿なのは間違いない。

問題は、それでも卑弥呼が九州に住んでた可能性はあるということだけ。
マキムクはトヨの都かもしれんしな。

いまどき、「九州と畿内は別のクニ」だとか、「邪馬台国は九州の中だけ」という議論は成立しない。
九州〜畿内は弥生時代から同一文化なんだから。
509名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:22:27 ID:HKULSBSs0
>>456
九州説は、畿内をはじめ日本全体を支配する政権が九州にあったなんて主張してないだろ。
あくまで、魏志倭人伝の記述にある邪馬台国は九州の事と言ってるだけ。
マキムクをはじめ畿内に大きな勢力があったことと何の矛盾もしない。
510名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:24:44 ID:Dde9PjSF0
>>509

九州より、近畿のほうが巨大な勢力なんだから、魏が近畿を無視するわけないだろ。

511名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:27:57 ID:HKULSBSs0
>>460
日本が統一されていく過程として、これが極めて自然な流れなんじゃないの?
それを邪馬台国は畿内にあったとまで飛躍するのが問題なんだよ。

>邪馬台国は九州。それで構いません。
これを認められるなら九州説と矛盾しないじゃないか。
畿内説はなぜ自然に認められないんだろ。

「畿内を中心として日本は統一に向かった」という事から、
いきなり「邪馬台国も畿内だった」に飛躍するのはなぜ?
512名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:30:03 ID:ppZT7yYl0
>>464

>身分の高い人を敬うときには拍手をし、これが最敬礼になっている。

柏手の起源だったりしてな。実に興味深い
513名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:30:33 ID:sOws36KZ0
だから邪馬台国は九州だっつーの
514名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:32:25 ID:KjvprHRw0
>>497
普通に考えて。
過去に存在して滅んだ王朝に似た国名を使うか?
515名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:36:16 ID:ZTXQU7tI0
確か魏の時代の「邪馬台」の発音は「ヤマドゥ」に近いって話だね。
516名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:36:51 ID:DxvEAZ4/0
卑弥呼って日本側文献には一切出てこないことをお忘れなく
もちろん書紀の編者は中国の史書を読んでるから神功紀を特設した
卑弥呼の事跡は神功紀へ、ついでに壹与の事跡も神功紀へ放り込んだ
これはつまり大和には女王が存在しなかったことを意味する
 
もうひとつ言っておくが書紀で小野妹子が派遣されたのは唐だ
隋書と妹子を結んだのは近代の学者だし遣隋使ってのも学者の造語
517名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:39:21 ID:HKULSBSs0
>>492
これもわからん。
あくまで極論として、例えば漢の時代にローマと短期的に外交関係があり、
その後、長らく間をあけて、唐の政権が東ローマと外交関係を再開したとしよう。

その時、東ローマの歴史家は、
「今回、外交関係を再開した唐の国は、かつてのローマの歴史書にある漢の国である」
と書くんじゃないか?

九州を飲み込んだ天皇家の政権が、
かつての邪馬台国の後継国と認められるのはおかしいかな。
何百年も間があいて、日中双方の政権も交代してるんだから自然じゃないか。
518名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:39:57 ID:Ss6lovWR0
ウガヤフキアエズ朝はどこにあったん?
519名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:41:47 ID:0FluNsSP0
邪馬台国は九州北部から近畿地方までの超巨大国家だったんだよ。
今の東京大阪みたいに大きい都市が2つあったから場所が特定できないんだよ。
だって両方とも邪馬台国だからね。近畿悦九州説共に正解だよ。

んで卑弥呼様はちょいちょいその2都市間を行ったり来たりして統治していた。
今みたいにマスコミとか発達してないからね〜顔出さないと。
実際に行って陳情聞いたり予言したり大変だったみたいだよ。
520名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:42:01 ID:vaq5VH9w0
昔の気候なんてわかるわけないし
昔の人が考える今の気候もわかるわけがない
521名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:42:58 ID:HKULSBSs0
>>510
それは「日本が一つ」という認識があればの話だろ。
「日本は一つ」という認識の下で、
その中から代表者を決めるなら無視しないかもしれない。
しかし、そんな認識が当時存在していたのか?

どこからどこまでが「倭」なのか確定もせず、
色々な国が並立してただけなら何の問題もないだろ。
522名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:44:08 ID:7y105o1yO
遮光器土偶は無頭症の死嬰児を供養する為に象ったもの
縄文末期は天候不順で稲作の収穫が逓減しムラ同士の交流も減り、血縁関係が濃厚になった母系社会に
有りがちな近親相姦によって、生存能力の低い障碍個体が次々と生まれた
そして紀元前後に大陸からやってきた騎馬民族によって、縄文の血を引いた農耕民族は一旦滅びたのだ
523名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:44:14 ID:vaq5VH9w0
昔の気候を今の気候基準で語る奴って何なの
524名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:45:41 ID:HKULSBSs0
>>499
ある程度の文化の共通性と、政治権力の一致は別問題だろ。
別の国でも文化に共通性はあってもおかしくないだろ。

当時から日本は統一された政権だったということを
前提に話を進めるのはおかしいだろ。
525名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:50:20 ID:yvnhwCmd0
>>463
当時の魏の使節は博多近辺までしか足を踏み入れてない。(足止めされている。)
卑弥呼には謁見してない。462の風俗は対馬〜博多近辺のおそらく夏場。(冬場は渡海できない。)
526名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:50:47 ID:8jWAgvX10
>>516
まあそんな単純なもんじゃないだろうけどね。
国記や天皇記とかが蝦夷の放火で焼けちゃってるし、
それにいつから政権内で文字で記録を取っていたの
かと言う問題もあるし。
 
527名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:53:35 ID:9tbS89S/0
>>484

で、隋書に書かれている倭王の都が近畿だという理由は?

対馬→壱岐→竹斯(→秦王国)、そして阿蘇。

どこを見ても近畿のことなど書かれてませんが。
528名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:54:10 ID:XNmeum6C0
>>ALL
不思議だ…
太古の日本列島の大きさを現代と同じように捉えて前提としているのは何故?
最近までアスファルトかコンクリートの道路が通るまで陸の孤島と揶揄していたのに、
大昔の人は簡単に行き来していたんだね?
今の北チョンは日本列島から地理的に近いけど、行き来としては近い国かい?
529名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:54:51 ID:HKULSBSs0
>>526
中国側資料の倭の五王の記述と、
日本側資料の不一致も不自然じゃないか?
学説上、どう処理されてるんだろ。

日本史ではこじつけで覚えさせられた記憶があるけどなあ。
530名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 17:58:51 ID:mAmL7BmW0
>>474

こういうのもある。

>自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳。

>女王国から北は、その戸数、道里をわずかに記載できたが、
>それ以外の隣国は絶遠しており、詳細を得られなかった


つまり女王国は、末廬国や伊都国の南にある。
531名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:01:15 ID:FOKtTze/0
ビルドアップバンバンバンバン
532名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:01:35 ID:F55qIKL2O
>>514
滅んだんじゃなくて
滅ぼしたか乗っ取りをしたか。
ちなみにザビ家、デギン・ソド・ザビは
サイド3独立運動のカリスマ、ジオン・ダイクンを暗殺し
独立運動を乗っ取ってジオン公国を名乗って独立戦争を起こした。
国名をジオンにしたのはサイド3国民の新政権への人気取り。
533名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:02:15 ID:DxvEAZ4/0
隋の使節は倭国王に謁見した後、更に進んで秦王国
なるものを通ってからまた海に出てるんだよね
これを瀬戸内海と見るべきか伊勢湾と見るべきかだ
534名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:04:34 ID:g041Z4fG0
出土される鉄器は南部鉄瓶程度の粗悪な品質の鉄だけだろ
まともな武器は鋼だから朽ち果ててしまって出土されることはない
日本全国の粗悪な品質の粗鉄が大量に畿内に持ち込まれて鋼の武器に加工され全大和政権を突出させたんだろ
535名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:07:37 ID:eYrqJVAg0
>>520
>>523
2000年前と今と列島の気候にそう大きい差があるとは思えんねえ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%B8%A9%E5%A4%89%E5%8C%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:2000_Year_Temperature_Comparison.png

多少暖かくなってるけど
つまり暖かくなってるってことは
マキムクあたりは今よりもっと寒く魏志倭人伝記述とはますます一致しないのよ

宮崎県の青島神社あたりは原生林で数千年前からも南方系の植物が生えてたの
536名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:16:06 ID:jLS7GxnF0
ゴッドハンドが発掘します
537名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:18:41 ID:0FluNsSP0
>>536
ややこしくなるからそれだけは勘弁してくれwww
538名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:22:38 ID:hraxUUtt0
九州の卑弥呼ちゃんと近畿の卑弥呼ちゃんの
どっちがカワイかったの?

エロい方はどっち?
539名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:25:00 ID:jRYU9oGO0
>>536

>>418を見よ
540名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:33:20 ID:kK4Kc1V60
このページは、遺伝子による、日本人の区分け地図が盛りだくさんで
結構おもしろい。

江上波夫
http://www.kurikomanosato.jp/00x-60en-nihonjin-1.htm
541名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:37:50 ID:fpNx1jWi0
まんこに箸刺すなよ
542名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:48:57 ID:em7ZgRCN0
>>464
女王国=邪馬台国でFA?
543名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:49:07 ID:eYrqJVAg0
>>540
これはちょっと前提となっている情報があまりに古すぎる
昭和55年著だからしかたないけど
改訂しないといかんねえ
544名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:49:19 ID:Yka2mutm0
いやこれは橋下知事が正しい。
こんなことするよりWTCへ府庁移転するほうが先。
545名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:54:27 ID:GZm2G7K90
>>504
>仏法を起こす=寺院を林立させることなのか?

そりゃ国家事業なんだから”ハコモノ”がついてまわったと考えるのは自然じゃないかw
何か問題でもあるのか?


>>527
>対馬→壱岐→竹斯(→秦王国)、そして阿蘇。

嘘をつくな。
というか見え見えの印象操作でもしているつもりか?w

阿蘇の記述は服装だの髪型だの刑罰だの占いだのの風俗記事に続けて出てくる。

てか、おまえ隋書読んでいるのか?


九州王朝を喧伝したいのなら
「じゃあその都は何処にあったんだ?」って話で

三世紀の九州邪馬台国はともかく

「七世紀のその都も影も形も伝承すら残ってません。
鬼子の如き大和朝廷によって徹底的に破壊しつくされました」

とでも言う気か?w


546名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 18:55:00 ID:8V5FUSth0
しかし、面白いな
中国の方は訪問したのも訪問されたのもしっかりしてるのに、
日本のどこを訪問したのか、誰が中国に来たのかはっきりしないんだから
547踊るガニメデ星人:2009/01/31(土) 18:56:42 ID:YR6Uomwg0
>>497
大和というのはもともと国名じゃなくて和を統べる国に対して与えられる
称号であって、大和朝廷は初代大和だった邪馬台国から大和の称号を受け継いだ
のでしょう。
548名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:02:18 ID:tZI9ETWP0
はじめに「大和」ありきかよw
問題外すぎる
549名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:04:32 ID:5s4LF+2iO
山の都がヤマト
水の都がミナト
550名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:05:07 ID:GZm2G7K90
>>546
どうも文字は読めたけど
それを使って記録を残すと言うことには消極的だったっぽいw

それを言霊の思想と言うか一種のタブーからくるものだったと言う話もあるみたいだけど…どうなんだろうねえw
551名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:05:47 ID:tN5bqhtI0
大和をヤマトと読むのはへん。

倭というのは中国側の呼び名で、
日本人はヤマトと呼んでいたのか。
それを文字にする時、中国のをそのまま持ってきて
倭としたが、漢字が悪いので、和に変えた。
それに大をつけて、読み方はそのままヤマトとしたのかな。
でも随書によると、日本からの使者は
「倭という漢字はよくないので、日本としました」と言った
と記録してるな。
552名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:09:29 ID:F55qIKL2O
>>548
んなこたないだろ。
普通名詞が固有名詞に取って代わるなんて
いかにもありそうじゃん。
アイヌって現地の人にとっては単に人間って意味だったんだろ?
553名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:11:55 ID:tZI9ETWP0
>>552
大和朝廷って歴史用語ですよ?
554名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:14:52 ID:66FEpEi50
>>551
ある勢力が自分たちのことを「ヤマト」と自称してた。
で、中華な奴らが勝手に「倭」って漢字で表記したが
その表記が気に入らないから「和」という漢字で表記して
「ヤマト」と読むようになった。
そうこうしてるうちに勢力拡大してきたから
「大きな和」ってことで「大和」と表記するようになって
読みはそのまま「ヤマト」が残った。

勢力名は「大和」、国名「日本」ってことではダメかね?


ところで「ヤマト」ってどういう意味だったんだろうね。
555名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:16:44 ID:5s4LF+2iO
小国八万都国を束ね和合する卑弥呼(日巫女)
556名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:17:32 ID:F55qIKL2O
>>553
ハァ?
古代天皇家が
本日より大和朝廷を設立する
なんて宣言したのか?
557踊るガニメデ星人:2009/01/31(土) 19:18:55 ID:YR6Uomwg0
>>519
それはありえない、なぜならもし邪馬台国が北九州から近畿にまでまたがる
程の超巨大国家だったとしたら、その邪馬台国を相手に戦って善戦した
狗奴国もまた邪馬台国に匹敵する程の超巨大国家であったはずだが、
そのような超巨大国家が近畿より東に存在した痕跡はありません、
やはり、邪馬台国があったのは北九州であって近畿にあったのは狗奴国
であったと見るのが正しいでしょう。
558名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:22:59 ID:fqulJ5gu0
>>530
末廬国や伊都国の北にあったらいろいろと大変だろうな
559名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:24:47 ID:3ZgukZOL0
>その南に狗奴国があり、男性を王と為し、官には狗古智卑狗があり、不属女王に従属していない。
>郡より女王国に至るには一万二千余里である。

狗奴国=紀伊国(きのくに)
560名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:29:51 ID:7qs3RrIj0
リニアと邪馬台国は、俺らの小学生の頃のインチキ授業の筆頭に上げられてたもんだぜ。
リニアはいつ出来んだよ、邪馬台国はホントにあんのかよって。
まあリニアは出来る目処はたちつつあるが・・・。
561名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:30:08 ID:NbuRl24a0
>>557
出雲、吉備は無視かよ
だいたい狗奴国は邪馬台国の南
562名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:31:47 ID:FBjrjByW0
学会ではすでに近畿説でまとまってるようです
実際考古学的に当時最強の国が近畿にあったのは
間違いない事実となっています

しかしあくまで私見ですが最強の国=邪馬台国なのでしょうか?
邪馬台国は連合国家です 狗奴国という強国に対抗してつくられた
連合国家であると考えると
狗奴国=近畿
邪馬台国=九州

と私は考えます

563名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:31:50 ID:OC6fRfdhO
>>557
纏向が邪馬台国の都だとすると邪馬台国が戦っていたのはタケハニヤスヒコ
記紀によれば元は大和の一員で無謀を起こしたんだよ。
別の文化とかを持ってたわけじゃないから考古学的には区別がつかないんじゃないだろうか。
564名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:34:20 ID:VZbWd9R40
狗奴国=熊野国 だろ。
音的には。
熊野から攻め上がった天皇軍と争ってたんじゃないの。
565名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:35:14 ID:8OgBgoCP0
こういう目的ありきの発掘はちょっと怖い。
捏造こじつけだけはしないでね。
566名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:35:19 ID:3ZgukZOL0
紀氏(Wikipedia)
紀氏(きし)は、古代豪族の一つ。氏族・紀氏の長は紀伊国造を称し、
現在に至るまで日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市)の祭祀を受け継いでいる。
ここで説明する紀氏は、武内宿禰の子の紀角宿禰(木角)の一族である。

567名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:36:09 ID:tZI9ETWP0
>>562
邪馬台国自体が連合国家なんじゃなくて
連合国家の盟主で倭の都があるところ
568名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:36:55 ID:LK0fhDA40
熊野は南朝がこもったように守るのに適してるだろうが
逆に攻めるだけの国力を養えるのか、山ばっかりで。
569名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:37:31 ID:3ZgukZOL0
>狗奴国が奈良の邪馬壱国に敗れた後、邪馬壱国の神、三輪山の大国主(大物主)神が和歌山へ進出します。
>神戸の南には国主という土地があり、大国主神が祀られています。《大物主神=大国主神の幸魂、奇魂》
>上記の神代記、出雲の大国主神が紀国の大屋毘古神を頼って来たという記述が、大国主神の紀伊進出を示しているわけです。
>この神社の起源としては壱与時代を想定できますが、それを示す証拠はありません。
570名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:38:48 ID:5KxxcI30O
>>565
最近邪馬台国を近畿に持って行きたい学者が
多過ぎるんだよな。

比定天皇陵すら事実とはかなりかけ離れてると
されているというのに。
571名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:41:13 ID:23N3ZM550
九州説まだ頑張っているのか。
発掘されれば決定的に近畿になるだろ。それまでだろうな。
572名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:41:22 ID:66FEpEi50
俺は夢と浪漫を追い求める男だから
邪馬台国は八幡平かUSAにあったと思うんだ
573踊るガニメデ星人:2009/01/31(土) 19:41:36 ID:YR6Uomwg0
>>561
その南という記述も怪しいんですよ、邪馬台国自体の位置すら正確に
記述していないのですから狗奴国の位置だって間違っていると見るべき
ですよ。

>>563
私は纏向は狗奴国の首都だったと見ています、纏向にあった狗奴国が
北九州にあった邪馬台国を滅ぼした後、邪馬台国から大和の称号を
奪って大和朝廷となったのだと思います。
574名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:41:51 ID:3ZgukZOL0
狗奴国=熊野国
575名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:42:36 ID:FYG1AVQf0
20年ぐらい前にブルガリアで評判の霊能力者が来日して、
邪馬台国はどこかと霊視させたら、奈良と断言してたぞ。
576名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:44:34 ID:gidcf7tP0
北九州・山陽・畿内の各地を転々とした対大陸連合の盟主の座が、畿内に固定されたのちデロス同盟みたく帝国的変質を遂げ、日本各地を服属させていった。
神武東征の話は、辺境を体制に取り込むための懐柔策。
577名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:46:19 ID:nh9cnILF0
九州と畿内とで卑弥呼さんの両手を引っ張りあって、
痛くて泣き叫んだ時に思わず手を緩め放した側がホンモノ。
578名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:47:49 ID:uGtOcLUP0
>>516
>これはつまり大和には女王が存在しなかったことを意味する


箸墓は、モモソヒメ(女性)の墓なんですが。
579名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:49:16 ID:gD1aM+wC0
>>578
女王じゃないじゃん。
580名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:49:21 ID:3ZgukZOL0
紀伊国造 (Wikipedia)
紀伊国造(きいのくにのみやつこ、きいこくそう)は、紀伊国(現在の和歌山県)を古代に支配した
氏族・紀氏の長が称した称号である。代々日前神宮・國懸神宮の祭祀を受け継いだ。

紀氏は古代から紀伊国に威武をふるっていた。『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『紀伊続風土記』などの記録によると、
神武天皇が近畿内平定ののち紀伊の国造に封じられた天道根命(あめのみちねのみこと)の直系子孫とされる。
神話の時代を含めると2,000年以上もの長い歳月を経た今もなお日前国懸の神に仕えている。

これほどの古い家系を今に伝えているのは、天皇家を除くと、出雲国造家の千家・北島の両家、
阿蘇神社の大宮司である阿蘇家、宇佐神宮の大宮司である宮成・到津の両家、隠岐国造家であった億岐家、
籠神社の宮司である海部家、熱田神宮の大宮司である千秋家、住吉大社の宮司である津守家、
諏訪大社の大祝である諏訪家(神氏)ぐらいともいわれる。
581名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:50:00 ID:GZm2G7K90
>>577
三両の価値のある邪馬台国を俺様がそこに一両足して
九州と畿内で二両ずつで分け合い三方一両損で丸く収まるwww
582名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:50:23 ID:KwDGTvf6O
ヒミコって、林原めぐみみたいな声の忍者で
親父が猿で普段から「ニャハハハ」言ってる娘だろ?

そいつなら救世主といっしょに創界山を救う旅にでたろうぜ
583名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:50:44 ID:GOcgYXMh0
日本書紀と倭人伝を読み比べたら
祟神、垂仁王朝が記述的に一致して
邪馬台国とはこの王朝ではないかとの説が出て
さらに考古学的に立証されつつあるわけで
九州説の妄想とまったくレベルが違う訳だが
584名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:51:44 ID:uGtOcLUP0
>>579

モモソヒメが女王でないという証拠は?

むしろ、男王よりでかい墓を作ってもらってるのに。
585名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:52:53 ID:BfgUQesr0
>>13
逆だバカ。倭が国守として派遣してたんだよ。劣等チョンが
586名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:52:59 ID:6S9tyh+W0
●卑弥呼
その国、もとは男子の王であった。
住まるところ7,80年、倭国乱れ、互いに責め合って年が経った。
それで一人の女子を共立して王とした。その名は卑弥呼。
鬼道を使い、人を操る。すでに年よりではあるが夫はいない。
弟がいて補佐している。
王となってから見た者は少ない。下女1000人を仕えさせ、たった一人の男子のみが
給仕したり伝令したりして出入りしている。

●倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
孝霊天皇の皇女。
崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占う。
大彦命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、
彼の妻吾田媛と二手に分かれて攻めてくるとも予言し、的中させる。

大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、
倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ



この2人、巫女って以外、共通点はなさそう。
だいたいモモソ姫が卑弥呼なら、後継の13歳少女はどうなる。
587名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:54:05 ID:uGtOcLUP0
>>586
>だいたいモモソ姫が卑弥呼なら、後継の13歳少女はどうなる。

ずばり、トヨスキイリヒメがいる。

588名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:57:06 ID:HKULSBSs0
>>545
いや、ハコモノとして寺を作ったのは当然。
だが、「林立」させることはイコールではない。
少数の寺で独占的に仏教を扱ったかもしれないだろ。

なぜ仏法を興すことが、「林立」につながるんだ。
「林立」が見つからないからといって、
仏法を興していないとは言えないだろ。
589名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 19:59:31 ID:gSvx2XV50
卑弥呼が死んだ年に起きたという日食を
ステラナビゲーターで再現
http://inoues.net/science/waq.html
590名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:00:03 ID:HKULSBSs0
>>545
破壊尽くされたとまでは言わないが、
見つかってないかもしれないし、
今ある遺跡の中のどれかかもしれないだろ。

例えば、天皇という強大な権力を得た
継体天皇がもといた北陸の王宮跡は見つかってるの?
591名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:01:38 ID:dxtDNr0M0
やっぱり邪馬台国=大和だったか・・・。
592名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:01:58 ID:Iv5acGQ60
>>235
宮崎にあったんじゃね?
西都には古墳いっぱいあるし神武天皇の船出も日向だし
593名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:02:40 ID:HKULSBSs0
>>546
面白いよなあ。
邪馬台国当時は歴史を文字で残すという文化的行為がなかったんだろ。

一方、その文化を身につけて後に書いた
記紀にも何の記述も出てこないのも不思議なんだよな。
594名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:02:43 ID:LJWGoxM30
天皇の出自が危うくなるから、
邪馬台国のことになると右翼が必死になるw
天皇家は日本の権力簒奪者。
これが真相だろう。
595名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:02:56 ID:lPI+uNCp0
卑しい弥と呼ぶで卑弥呼
大陸からは相当蔑まれてたんだな
596名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:05:58 ID:ADyRGpZr0
まだやってんのか。
卑弥呼が朝貢したのは、クヤ国に負けそうだから
魏の軍隊を送ってもらうため。

日本史上、外国軍を引き入れようとしたのはこいつだけ。

こんな売国奴をなんで取り合うのか
597名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:06:19 ID:GOcgYXMh0
>>587
倭人伝の登場人物はほとんど日本書紀の登場人物で比定できるもんね

598名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:07:20 ID:LJWGoxM30
神武東征が史実であったとすれば、九州あたりから東征し、
大和にあった卑弥呼あるいはその後継勢力を滅ぼして、
倭の盟主の座に居座ったんだな。
599名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:09:21 ID:zsV7WfDl0
>>586
箸墓古墳はそれまでの日本には存在しなかった
空前の巨大建造物。それまでの古墳を遥かに圧倒する規模。
そんなものに葬られた人物をただの巫女と定義するのはどう考えてもおかしい。

仮に戦国時代の文献資料が失われた状態であっても
安土城を発掘すればアレが強大な権力の持ち主の居城であった事はすぐわかる
織田信長という個人名は引っ張り出せなくても、天下人の城ってのはすぐわかる
つまりはそういうこと
600名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:13:05 ID:HKULSBSs0
>>571
発掘しても、「比較的により大きな国は畿内だった」ということがわかるだけだろ。
最も大きな国=邪馬台国ではないだろ。

畿内説はなぜそこを無理やりこじつけるんだ。
魏志倭人伝には九州の事しか書いてないのに。
601名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:13:47 ID:0FluNsSP0
>>557
ガニメデさん。卑弥呼様のお墓は大分県宇佐市にあるのですぞ。
602名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:15:47 ID:O4N0Cqfn0
>>599
だったらなおさら卑弥呼じゃないんじゃね。
王が変わるたびに内乱になるような不安定な連合国
外国に助けを求めるほど戦争にも苦戦。
倭人伝で伝わってくるのは、弱小連合体。
そんな国の女王にそれだけの力があるかな
603名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:16:24 ID:HKULSBSs0
>>583
>祟神、垂仁王朝が記述的に一致して

どう一致するんだ?
祟神、垂仁のどちらかが女王なのか?
604名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:17:50 ID:CTOg80Hd0
>>600
そりゃ地理的に近い九州の話が多くなるのは仕方ない
聖徳太子の時代ですら、遣隋使は九州内の地理についてやたら詳しく書いている
問題は大陸系の遺物がどの程度出るか。
魏志倭人伝の記録には多くの物産を日本と大陸でやり取りしていた事が記録されているし
邪馬台国が魏に使者を送ったのもそこに目的があった。
そこで、大陸で生産された様々な物産が畿内でどれ位発見されるかが重要になってくる
邪馬台国畿内説を支持する考古学者は古墳の調査で邪馬台国の時代に
畿内に大きな権力があったことを証明するのと平行して
畿内から多くの大陸渡来の物産が出土するとして邪馬台国畿内説を主張している
605名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:18:01 ID:uGtOcLUP0
>>602

初期ヤマトも内乱ばっかりだよ。
606名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:21:02 ID:CTOg80Hd0
>>557
国家の経済力と技術力で勝敗が決まる近代の戦争を物差しにして古代戦を語ってはいけない
あの時代は獰猛な蛮族の方が技術・経済で勝る文明国の人民よりずっと戦いに強い
南九州の熊襲・隼人は数百年に渡って大和王権に抵抗し続けた事を考えても
初期の大和が熊襲・隼人系の諸部族との戦争に苦戦していても全く不思議ではない
607名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:24:07 ID:HKULSBSs0
>>599
君があげた例を見ても、日本が既に統一国家だったことを、
前提として想定してしまっている。
「日本は統一国家であり、その中で最も栄えている地域が邪馬台国」という形で。
だが、その前提が崩れれば、「最も栄えている地域が邪馬台国」とは言えないくなるんだよ。

織田信長は天下人だったが、九州まで平定していなかっただろ?
安土城は日本一の規模であったが、九州には別の地域政権が存在していた。
そういうことだよ。

同じように、畿内の古墳を発掘すれば、
畿内が強大な国であった事はわかるが、
それが邪馬台国である事までは証明できないじゃないか。
608名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:24:49 ID:cmxgCaB50
>>597
ほんまかあw?
比定してみてください。
609名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:25:34 ID:GZm2G7K90
言っておくが首長連合の形をとる畿内説の場合
魏志倭人伝に九州の地理風俗が詳しく出ていても何ら問題ないwww

610名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:27:09 ID:uGtOcLUP0
>>607

残念だが、九州〜近畿の西日本全体は同じ文化圏を共有する「倭国(邪馬台国)」だよ。

どういうつもりで九州を孤立させたいのか知らんが、
九州が孤立してたという根拠・証拠はなんなの?
611名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:28:41 ID:cmxgCaB50
倭人伝の人物か日本書紀の人物で比定出来るなんて初めて聞いた。
楽しみでしょうがない。ワクワク♪
612名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:29:11 ID:F55qIKL2O
>>609
だから倭人伝に書かれてる“邪馬台国”は九州で
それとは無関係に強大な国が奈良にもあったんだろ。
なんで全部畿内に統合したがるん?
613名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:29:34 ID:3ZgukZOL0
阿蘇、日向、出雲、吉備、奈良、紀伊、諏訪、いくつかあわせて和だろ?
614名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:30:19 ID:HKULSBSs0
>>604
九州に大陸系の遺物が皆無なわけではないだろ。
九州も畿内もそれぞれの経済力に応じて、
大陸と関係を持っていたら、それぞれ遺物が出て当然じゃないか。

隋か唐だかの記録も天皇家を指すのか怪しくないの?
推古天皇という「女王」の存在を記しているのか?
「日本の王には後宮に嫁が数多くいる」とか書いてあったんじゃないの?
推古天皇だとしたらおかしくないか?
615名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:31:10 ID:tZI9ETWP0
>>612
したがるってその後の歴史の流れを考えてだろ
邪馬台国だけ九州にあってそれで終わりってそりゃないだろ
616名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:31:22 ID:CTOg80Hd0
>>607
だから巻向で出土する土器類の分布が重要になる
豊臣政権や徳川政権のような統一国家だったら、
江戸であれ大阪であれ、国内の多くの大名が集まっていたので
全土の物産を発掘する事が出来る。

一方安土だと、地方の独立勢力が強く、それらの地域の物産はあまり見ることが出来ない

と、考えたうえでマキムクを考えると、明らかに統一国家の特性を示していると思われるが
617名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:32:08 ID:uGtOcLUP0
>>612
九州と畿内が分かれてたとしても、2世紀頃まで。

瀬戸内海の高地性集落(倭国大乱)がひと段落する3世紀の段階で、
九州と畿内は同一連合国家になった。それが邪馬台国だ。

618名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:32:22 ID:GOcgYXMh0
>>603
お前日本書紀読んだこと無いだろ
読んでも判らないなら読解力なさすぎwww
619名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:33:51 ID:8zTBgi0W0
>>454
主流派の学者が、考古学予算獲得や原稿料・講演料収入確保のために
いまだに九州説と畿内説が拮抗しているようにプロレスやっているからだろ(w

九州説が一番優勢だったのは東大の井上光貞が100万分近く売れた
中公の『日本の歴史』で九州説を強力にプッシュした1960年代。

でもそのころですら学会は6対4くらいで畿内説優勢。

その後80年代くらいになると9対1になって
1990年代になると「本気で九州説」を唱える学者はいなくなった。
620名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:34:45 ID:GOcgYXMh0
>>614
それは推古ではなく用明で決定している
新唐書を嫁
621名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:35:12 ID:TbT8KsV1O
いまどき九州説を唱えてる奴は時代遅れのジジイだろww
622名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:35:32 ID:HKULSBSs0
>>610
>残念だが、九州〜近畿の西日本全体は同じ文化圏を
>共有する「倭国(邪馬台国)」だよ。

なぜ文化を共有していたら全部同じクニになるんだよ。
現代の一民族一国家を前提に考えてないか?

同民族・同文化でも違う政権を持つ事はあって当然だろ。
いきなり同じ文化を持つ強大な国家が出現するわけじゃないんだから。
中国の戦国時代の「斉」と「趙」は、
別の国だが文化に共通性はあるだろ?

九州は文化的に孤立していなくても、
違う政権・豪族が統治していたことに何の矛盾もないだろ。
複数の政権から統一へ向かうのが、どの国でも自然な流れじゃないか。
623名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:36:07 ID:ssHVN+cx0
10日ほど前にこの発掘報道があった。

・国内最大規模の鉄器工房跡見つかる  淡路・垣内遺跡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090122-00000632-san-soci

>大型鉄製品(長さ20センチ、幅5センチ、厚さ3センチ、重さ564グラム)は
>同遺跡東端の竪穴建物跡(直径9・7メートル)で出土。
>弥生時代後期(西暦50〜220年ごろ)の鉄器とみられる。
>全体がさびており、朝鮮半島か中国から持ち込まれたと考えられる。

地金の形で朝鮮半島→対馬→壱岐→北九州→瀬戸内海→淡路島と運ばれ
鉄器に加工してたんだろう。

それが弥生時代後期と言うんだから、淡路島の鉄工房に地金が行くことは
当時の北九州の有力者も把握してたろうし、或いは運搬の便宜を図っていたの
かもしれない。
だとすると魏志倭人伝に出てくる邪馬台国などの国々が九州管内だけというのは
どうも不自然に思える。

垣内遺跡の最後はどうやら女王卑弥呼の時代に重なっているようだ。
2月から発掘が始まるという奈良纏向遺跡も、卑弥呼やトヨの時代のようだから
纏向遺跡の中心部からどんな遺物が出てくるか、楽しみだ。
624名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:38:13 ID:tZI9ETWP0
>>619
なんじゃそりゃ
大学講師とかで飯を食えない連中が本出すためのネタではあるけどプロレスとかないよ
いまさら論争なんてないし
今も九州説は考古学者だと小澤毅くらいか
625名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:38:17 ID:HKULSBSs0
>>616
他の地域の遺物が出るとして、その地域とマキムクの関係が、
通商・外交関係なのか、統治下に置いた支配関係なのか区別できるのか?

遺物が出るだけで統一国家を想定するのは無理があり過ぎだろ・・・。
626名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:38:41 ID:CTOg80Hd0
>>623
あらま、畿内説最大の弱点がもう克服されてたのか。
畿内説の急所は
(製鉄技術の無かった当時の日本で大陸との交易における最重要物産である)
鉄器が畿内であまり発見されていない事だったんだが
この点もクリアされてたんだな・・・。
627名無しさん恐縮です:2009/01/31(土) 20:38:59 ID:5kFRD7zN0
在日の方々の立派な志、確かに拝見致しました。日本で生まれ育ちながらも、朝鮮民族としての埃(ホコリ)を失わないその姿勢に、驚愕しますた。
日本国民の皆さま、長文となりますが、ぜひ下記をご覧下さい。

‐以下コピペ‐
年金支給や参政権は自民党政権では無理でしたが民主党政権なら実現できます。
日本の政治を我々が動かすことができる時代がこれから来ます。
目の前の気になることは少し目をつむって将来の我々の大きな勝利のために進みましょう。

とにかくこれから2年は忙しくなります。
次の衆議院選挙は2009年の9月。
ここでも民主党に過半数を獲得してもらう必要があります。
そのためには良識ある日本人をもっとたくさん増やす必要があります。
この記念すべき2009年のために戦後我々の同胞たちは日本のマスコミ各社に同胞を送り込み、日本人の良心の改革を進めてきました。
その結果が今回の選挙でようやく出てきましたね。
〜中略〜
日本の一般国民も今は年金や不祥事なんかの目の前のことだけしか見てませんしね。
マスコミもそういうところをどんどんやりますから都合がいいですよ。
笑いが出るくらいです。
とにかく日本の左派はまだまだ利用できます。
とくに日本が嫌いな日本人がいるというのはおもしろいですね。
十分使えます。日本憲法改悪反対派の議員たちをもう一度洗い出しましょう。
護憲派の人たちは我々と考えが似ていますから、まだ利用できます。
同じような人たちは自民党にもいます。落選議員に活動資金を献金するといった方法で良心を目覚めさせることも簡単でしょう。

民主党にはかつて北韓の辛先生の擁護をしてくれた人たちもいますし。
628名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:40:11 ID:8zTBgi0W0
>>624
畿内説の学者が啓蒙書や教科書で
「この論争は決着しました」と明言しないのは
プロレスだと思われてもしかたないだろ(w。

明らかに論争が継続しているように見せかけがっているとしかおもえん。
629名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:42:10 ID:HKULSBSs0
>>618
一字・一句読んだわけじゃないぞ。
だが、卑弥呼という女王が日本書紀に記されている
なんて聞いたことがないから聞いたんだよ。。
せいぜい神功皇后にあてはめる話を聞いたくらい。
630名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:42:51 ID:uGtOcLUP0
時系列で整理しようか。

魏志倭人伝・倭国大乱→瀬戸内海の高地性集落の出現・2世紀。
魏志倭人伝・卑弥呼時代→マキムク出現・モモソヒメの箸墓建設・3世紀。
魏志倭人伝・男王が立つが国が乱れる→日本書紀の崇神天皇と武埴安彦の反乱
魏志倭人伝・トヨが巫女になる→トヨスキイリヒメがアマテラスを祭る。
邪馬台国が中国史書から消える→垂仁天皇の時代に、朝鮮半島と抗争が始まる。4世紀。

ぴったり、記録が一致するじゃん。

いったいどうやって論破するつもり?

631名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:43:18 ID:GOcgYXMh0
>>629
読んだこともないくせに古代史語るな
632名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:44:51 ID:HKULSBSs0
>>631
説明もできないのに語るなよ。
煽りと変わらんだろ。
633名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:47:26 ID:tZI9ETWP0
つーか考古学でも文献史学でも
崇神がどうだとか日本書紀の記述と比べてどうだっていうのはほとんどされてないし
しかも3世紀に崇神、4世紀に垂仁と荒っぽいしやめたほうがいいと思う
634名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:47:37 ID:5Z8/tsr80
>>585
>>13 をよく読み返してください
635名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:53:01 ID:CTOg80Hd0
日本書紀の記述はかなり信頼がおける
おけるが、中途半端に信頼できるから
邪馬台国論争ではみんなを混乱させてる気がするw
636名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 20:58:23 ID:hgWP8crw0
結論は安本美典の九州説で決まり。
奈良周辺の地名は元々九州北部のもので、
それが今も残っている、として挙げてた例を見て納得した。
福岡県の大和町とか同じ地名がズラズラと。
637名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:00:43 ID:rlUdSlrR0
>>606
苦戦って敵地を征服する戦いだろ。
大和が危機になるほど攻め込んできたのか
638名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:01:24 ID:zf8rsVAF0
当時の日本と朝鮮の関係は

広開土王碑 でググれ
639名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:05:43 ID:unHvHOWFO
にしても「邪馬台国」とか「卑弥呼」っていかにも中国人らしい酷いネーミングだなw
その中国人に「大秦」って仰々しい名前付けられたローマ帝国はそれだけで凄いと分かるわ
640名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:06:13 ID:zf8rsVAF0
邪馬台って国は姫巫女(女性の神官)が神託によって各部族をまとめています。
ってのを、卑弥呼って人が女王として君臨してるのか!って解釈したんじゃないの?支那人が。
641名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:07:09 ID:FmvWQdgDO
ひみこ
642名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:07:23 ID:NC4adoKD0
>>640
魏志倭人伝、短いから読んでみなさい
643名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:07:30 ID:uGtOcLUP0
だいたい、東遷説の矛盾してるところは、
九州の邪馬台国がヤマトに遷都して崇神天皇が初代王になったというが、
だったら箸墓のモモソヒメは何なんだ?という。


九州から東遷してきた王よりも、奈良土着の巫女の墓の方が巨大だったことになる。
もうむちゃくちゃ。

644名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:09:45 ID:RDjVYFhT0
>>639
当時は実はあんま差別意識無く純粋に音が似ている漢字を当てたという節もある


連中は自国(中原)以外は全部見下してたからな。
ローマ帝国だからって例外じゃないよ。
645名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:10:51 ID:CTOg80Hd0
>>643
実際には、対九州・朝鮮方面軍司令官だった崇神が
クーデターを起こしたってのが東遷説の実態ではないのかねー
646名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:10:55 ID:B/5GnXHM0
>>639
好古都国とか伊都国とか、いい字を使ってる国は
中国人が治めていた、または住んでいた国か
647名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:12:42 ID:VJAFGq+zO
残念ながら残ってしまった天皇家を無視したい史学

まぁ思想政治的な史学だけどさ
基本、わかりやすくいうと
今とは違いの有る神代や古文やらでも
日本語が出来たら説明を理解しちゃうからね

欧州並に混ざってたら良いんだけどさ

辺境の国学なのに
日本国内以外からの近隣からのウザい需要はなんとかならんかね
648名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:13:22 ID:zf8rsVAF0
>>642
読んだけど、あくまで当時の中国人の解釈だろ?
起こった出来事とかは正確かもしれんが
他国の文化や風習を正確に捉えられるとは思えんのだけども
649名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:13:24 ID:RDjVYFhT0
てかギリシアだって自国以外はバルバロイだ。

卑はピに近い音だったようだ。
その前に「ひめみこ」→卑弥呼かもしれん。
したら候補として宇佐八幡が浮上してくる
650名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:13:47 ID:7tO1qC1fO
箸墓古墳=卑弥呼の墓って、
トンデモ史かと思ってた
651名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:18:45 ID:tZI9ETWP0
九州説はとりあえず最大の弱点である距離問題をクリアしてからきてください
652名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:19:03 ID:LWBZgGAF0
>>650

左翼学者はどうしても古代日本を遅れた野蛮な国としたいからね。

だから朝鮮に近い九州こそが邪馬台国としたいんだよ。

653名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:19:06 ID:WgqHq6si0
だからね、巻向は邪馬台国からはるばるやってきた神武一行を迎え入れた
大国主(=大物主)の君臨する「大国」なの。
魏志倭人伝にある邪馬台国は北部九州なの。
神々は九州高千穂に降臨してるでしょ?天からひとが降ってくるわけないから、
神々は高千穂に山の西側から登ってきたんだよ。
654名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:20:46 ID:ohJlbxtp0
>>653
それただの妄想じゃんwww
655名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:20:52 ID:uGtOcLUP0
モモソヒメの箸墓が、
初期前方後円墳最大規模を誇ってるわけだから、
かりに卑弥呼が九州にいたとしても、その力の差は歴然すぎる。

どう理屈をこねても、力関係は畿内の方がでかい。
656名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:21:30 ID:Xn9I5xtH0
やまとのひめみこの空耳だと何度言えば・・・
657名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:22:39 ID:CTOg80Hd0
>>650
少し前まではそれほど有力な説でもなかったんだが
年代測定の方法が変わって俄然卑弥呼の墓説が有力になってきた
658名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:23:09 ID:RDjVYFhT0
空耳アワー
659名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:25:51 ID:uGtOcLUP0
>>653

神武の故郷である日向国の一宮・都農神社は、オオナムチを祭ってるが、どう解釈するつもりだ?


古代史は、東遷とか単純な話では解決しないんだよ。



660名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:26:58 ID:LWBZgGAF0

基本的に九州説の学者は古代日本を過小評価しているわけで。
「これだけ大規模な遺跡が出てきたんだから九州が邪馬台国だ!」となるのは過小評価の結果。

違うんだよ。

古代日本はむしろ栄えてたから中心地の畿内から遠く離れた九州でさえ「これだけ大規模な遺跡」が出るんだよ。
中国統一王朝の隋帝国が総力をあげて何度遠征しても滅ぼせなかった高句麗相手に対等に戦ってた国が大和朝廷。
どこをどう捻じ曲げたら古代日本が「ムラ社会に毛が生えた程度」の国なんだよwww

661名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:29:04 ID:RbB2jlxKO
∪(゜∀゜)∪ ひみこさま〜
662名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:30:12 ID:5KxxcI30O
畿内諸氏は武に長けていても神秘とかにはちょっと結び付かない。
大物・伊勢くらいかな。彼らは彼らで独自の神秘形態を持ってるし。

畿内説にあたると、イデオロギーよりも実利的というか物質的というか
邪馬台国のMAGIC QUEENDOMの図からはかけ離れていくんだよなぁ。

まあ、学無き者の戯言だけどね。
663名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:30:14 ID:LWBZgGAF0
>>659

神武帝は何らかの理由で邪馬台国本拠地の畿内から追放され九州の日向へ流れ着いた。
そして製鉄先進地域であった九州で力を蓄え東征軍を起こした。

そのときに最大の障害になったのが出雲を守備するナムジ将軍(大国主命)。
しかしナムジは神武帝に力を貸した。
一気に畿内まで到達した神武帝が感謝した証に日向の神社ではナムジを祭るようになったという・・・。
664名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:30:44 ID:KglATJvI0
この話になると論理的思考がぶっ飛んで九州人の目の色が変わるからキモイ
665名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:35:51 ID:uGtOcLUP0
>>663

日向の有力神社は、アマテラスを全然祭って無いけど、
神武はヨソの神ばっかり祭ってたのかね?


もっとも、記紀神話でも、九州にアマテラスがいたとは書いて無いけどな。
666名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:39:29 ID:LWBZgGAF0
>>665

ですので、神武帝は何らかの理由で畿内を追われたわけですから卑弥呼側とは敵対関係になったわけです。
魏志倭人伝に記された「倭国大乱」がおそらくその追放劇とイコールだと思われるのですが、相続争いか何かではないでしょうか。

大海人皇子をイメージすればわかりやすいかと思います。
667名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:40:58 ID:3ZgukZOL0
神様を祀るのは祟りが怖いから
668名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:41:54 ID:uGtOcLUP0
>>666

神武が畿内にいたなら、天孫降臨はどこだったの?

むちゃくちゃだな。

669名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:44:36 ID:QjSluYSb0
|∀´>
670名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:44:41 ID:uGtOcLUP0
オオオナムチ=大国主=大物主

それぞれ、九州日向・出雲・畿内で祭られてる。

つまり、西日本は、大国主を恐れるという共通の文化圏だったって証明だよな。
九州と畿内が、全然べつのクニですなんて理屈は通用しないんだよ。

671名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:51:53 ID:qhpU064iO
邪馬台国は魏志倭人伝の存在なんだから、南を東に読み替えるなんてことをしなくちゃ説明できない畿内説は論外だ。しかもそれだと他の記述に矛盾が出て来る。
邪馬台国は九州にあり、畿内には別の大きな王国があったんだろ。
なぜ畿内説の奴等は、邪馬台国にこだわるんだ?
邪馬台国以外にもクニがたくさんあるって書いてるんだから。
672名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:53:42 ID:LWBZgGAF0
>>668

邪馬台国を追われた神武帝にしてみれば日向こそが自身の故郷のように思われたのでしょう。

神武帝返り咲き後の朝廷の重臣たちも九州系が多数を占めたでしょうし、自然と口伝で日向が天孫降臨の地となったわけですね。
673名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:54:56 ID:qhpU064iO
>670
それだと冊封体制下の地域は全部「中国」ってことか?
文化圏とクニの領域は別物だ。
674名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:55:36 ID:eYrqJVAg0
>>665
宮崎県のアマテラスは天の岩戸隠れの天岩戸神社が高千穂にあるよ

日向と畿内とは
どう考えても古代から親戚づきあいあったよね
675名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:58:06 ID:89haEJko0
>>671
>南を東に読み替えるなんてことをしなくちゃ説明できない畿内説は論外だ
そこは大した問題じゃない
なにしろ魏志倭人伝の取材に来た連中は邪馬台国まで直接行ったわけじゃない
九州の北側で、邪馬台国の使者と話をした程度
ましてや当時の文化国としての誇りの上で、「辺境のビックリ未開人」みたいな趣旨だって伺える内容だ
実在の場所の説明だって酒飲みながら聞き流してたかもしれんよ

逆にそうとでも読まなければ、当時寒冷期にあった日本で、冬でも裸の連中がいるとか、小人の国があるとかの説明がつかなくなるぞ
(だからこそハワイ説なんてのもあるそうだが)
676名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 21:58:47 ID:HXxzycGY0
クナ国の位置のほうが気になる。
九州南部か、和歌山か、濃尾平野か。
677名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:00:58 ID:EbrSsyJ90
>>87
本居宣長始め、国学系の連中はいまいち信用ができん。
まあ、ネトウヨと本居宣長を同視するのも論外ではあるが。
678名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:01:02 ID:U3HAeWmQ0
.-.-.
679名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:08:42 ID:qhpU064iO
>675
羅針盤が無い時代に、航海は太陽と星で位置や方角を割り出す。
古代人が方角を間違えると考える理由を聞かせてくれ。
もう一つ、「女王のクニから東に水路進んでも倭人がいる」という記述があるが、方角言い換え説なら東⇒北となる。畿内から「水路」を北に進むと、どこの倭人の国に着くんだ?その説明も、畿内説ではできない。
680名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:10:43 ID:6uD1Ymkj0
青森で紀元前の大きな町が出てきてから、
すでに紀元前5000年には日本のあちこちに町があったと定説になっている。
米作もこの頃からあったらしい。
青森が気候がよく雪が降らなかったらしいので、(暖流のせいらしい)近畿が暑くてもおかしく無いけどね。
ちなみに百済+渡来人のDNAを調べるとペルシャ系の人で、今の韓国人とは違う人種。

ちなみにあまりにも歴史が変わるので(発掘のたびに変わる)
奈良より前の歴史は今教えないよ。
聖徳太子もいないことになった。

681名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:13:31 ID:89haEJko0
>>679
うろ覚えで申し訳ないが
高木彬光氏の邪馬台国の秘密において、方角の問題はクリアしていた
なんでも当時の中国の地図は40度近く傾いていて、その角度に合わせると、一応誤差の範囲に入るというもの
そのあとの水行何日〜の下りも説明していたが何年も前なんで覚えていない
地理的に一応の説得力はあったので一読をお薦めしておこう
682名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:14:16 ID:9tbS89S/0
>>675
>なにしろ魏志倭人伝の取材に来た連中は邪馬台国まで直接行ったわけじゃない
>九州の北側で、邪馬台国の使者と話をした程度

だから、張政という魏朝の人が倭国に約20年間も「駐在武官」として赴任していたっての。
彼が本国に「報告書」を書かなかった、なんてことが想像できるか?
683名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:15:04 ID:qhpU064iO
>675
何回もカキコ済まない。
それこそ奈良じゃ寒いから、記述と矛盾するんじゃないかい?
寒冷期かどうかは知識不足だから反論しない。
酒でも飲んで、というのは貴方の想像だから、想像で話をしだすと相手にされなくなるよ。
684名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:17:30 ID:uGtOcLUP0
>>683

九州でも冬に雪が降る。
九州は亜熱帯じゃないぞ。
685名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:20:02 ID:HXxzycGY0
明代あたりまでの中国の日本地図は、日本列島が九州が北で機内が南に向いてたんですよ
686名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:20:33 ID:VJAFGq+zO
九州説の学者ほど現代の天皇家と結び付けたがるくせに

整合性の欠如には無頓着つうか、あえて無視するのがいただけない罠
687名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:21:35 ID:eYrqJVAg0
>>684
北九州と南九州は違うんよ
南九州(時に宮崎県南部-日向神話-神武)は亜熱帯の場所があるわけ
宇佐(大分-耶馬溪)や鹿児島も温暖
688名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:23:44 ID:LWBZgGAF0
>>682

本当に張政は20年も倭国に駐在してたのかな?

今も昔も小役人は腐った存在ですよ。

張政の出張報告書が真実かどうかなんて当時ですら誰も確かめられなかったわけです。
むしろ不正がバレないように滅茶苦茶な報告書を書いたのでそのとおりに行けば海の中みたいな工程の記述になったのでしょう。
689名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:23:45 ID:9tbS89S/0
>>545

で、隋書に書かれている倭王の都が「近畿」であるとする理由は?

「そこに書かれている」ことは100%九州のことで、近畿については



 思 い っ き り 0 % な の で す が ?
690名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:23:57 ID:VJAFGq+zO
>>671
九州に別のクニが有ったとも簡単に反転される訳だがね・・・
691名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:24:58 ID:6VqSdgGi0
3世紀の話だよね。
その時代の古墳の大きさから考えて、
邪馬台国は畿内しか無いじゃないか。
神武東征はその前。
日本書紀、魏志倭人伝、発掘調査からは、そう結論づける以外あり得ないと思うけど。
だから、どうしたって話だ。
692名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:27:28 ID:89haEJko0
>>683
一応最近、気温の変化を木の年輪から調べた、過去の予想気温みたいなのが有って
それによるとおよそ700〜1000年近くの周期で寒暖を繰り返しているという
西暦900年前後は温暖期のピークで、270年前後は寒気だったという説がある

>>682
それは俺が読んだ本(謎系の本だったと思うが)と違う記述だ
来週神保町に行くんで、載ってそうなの買って調べてみます
693名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:27:34 ID:qhpU064iO
>681
紹介感謝。
しかし当時、漢民族の方角感覚がずれているなら、「東夷」の認識から変えなくてはいけなくなる。
その説は苦しいと思うが…
694名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:28:22 ID:YyUwRZ/gP
>>691
でも、邪馬台国が当時の日本で最大の国だったかどうかは不明なんじゃないか?
695名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:28:35 ID:uGtOcLUP0
>>689

隋書には、「魏志所謂邪馬臺国也」と書いてありますが?
696名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:29:23 ID:LWBZgGAF0
>>687

宇佐は因幡の白兎に登場するウサギのモデルになった一族ですね。
半島の和邇族と戦争し負けたところを大国主命に助けられた話が動物に置き換えられて因幡の白兎の伝承になったわけですが。

まあ半島勢力と戦争をするくらいですからそれなりに勢力を持っていたのでしょう。
もしかしたら張政が足止めされ滞在していたのは温暖な宇佐だったかもしれませんね。

あくまで張政は邪馬台国首都の大和地方には入れなかったわけです。
697名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:30:15 ID:9tbS89S/0
>>695
じゃあ、九州だね。

なにしろその少し後の幹苑には、伊都に接する国と書かれているのだから。
698名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:31:36 ID:6uD1Ymkj0
青森で亜熱帯でできる古代米が作られていたので(発掘すみ)、
気候はもう少し調べないとわからない。
日本全体が暖かかった可能性もある。
699名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:32:38 ID:uGtOcLUP0
>>697

九州王朝があったと言いたいわけですね。

700名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:32:39 ID:HXxzycGY0
伊都国、奴国はすでに確定で、投馬国あたりから不明になるのかね。
701名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:33:58 ID:AhanvPA50
>>651
いや其れは民俗・風俗から可なり温暖な国だと見、古代シナー人が南方国だと誤解して
方向指定したらしいって。だから南を東に変えるとちょうど畿内に辿り付くって言われてる。
だから文面からも実際は辿り付いて無いのが分る。伝聞記述。
702名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:36:09 ID:qhpU064iO
>688
だから想像で語っちゃだめだって。

>690
邪馬台国以外にも九州には投馬や伊都を始めたくさんクニがあった。だからそれでいいのでは?
邪馬台国は九州の1つのクニで大国だったに過ぎない。
703名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:37:48 ID:9tbS89S/0
>>699
それはそれでしかたないんじゃない?

資料を読めば、そうとしか読めないので。
704名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:37:53 ID:66FEpEi50
>>693
漢民族の住んでるところより東に島があったってのは知ってたんだろうね。
でも、その島がどんな形をしてるかは知らなかった。
だから九州より本州が南にあるような地図を作っちゃうんじゃない?

それに大陸や海上みたいに開けた場所なら星の位置なんかから方位をつかみ易いけど
樹木が生い茂り四方を山に囲まれたような内陸では方位を正確に知るのは難しいと思うし
705名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:38:42 ID:mffHgScF0
四国説ってなかったっけ?
706名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:41:28 ID:6uD1Ymkj0
NHKでは奈良説を採用してて、途中で倭の女王と出雲の王が結婚して
国を合併させたという説を採用してた。
つい最近の番組だから、これが主流説かもしれない。
707名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:44:32 ID:89haEJko0
>>702
想像で語ってはダメというが
それなら当時の地方の役人が正確無比に記録していたというのも想像でしかないわけで
一貫した誤差の範囲に入るなら、それは一つの説だと思うがどうか?
708名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:45:11 ID:qhpU064iO
>704
1日いれば、太陽の出る方角と太陽の沈む方角くらい分かると思うが…
その地図が何世紀の地図なのかソースが欲しいところ。
709名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:48:16 ID:cNKl85Pr0
そもそも邪馬台国がやまたいこくと発音するかどうか。
邪馬台国の規模。こんなことすらはっきりと確定してないのに。
でも九州に大きな勢力があって東征していったってのはまちがいないな。
710名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:51:04 ID:qhpU064iO
>707
その通り。だから矛盾が出て来きて初めて資料の信憑性を疑う。
古代の文献は間違ってるはずだ、という認識からスタートするならウリナラファンタジーとなんら変わりないよ。
邪馬台国九州説の矛盾をまず説明しなきゃ。
711名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:52:47 ID:89haEJko0
>>709
主流派の解釈では
邪馬台国=「ヤマト国」
卑弥呼=「日の神を奉じる巫女」
と解釈されているね
当時九州にもヤマト国(山門国)があり、畿内にも倭国があったそうだ
金印が出たもの勝ちなのだがどちらから出るか・・・・
712名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:56:08 ID:HKULSBSs0
>>643
東遷説の内容も色々議論はあるだろうが、
墓の大きさが権力の強さに比例するわけでもないだろ。
箸墓が巫女の墓かどうかもわからんでしょ。
713名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:56:23 ID:89haEJko0
>>710
よし
ならば九州説ではどの方向に行こうとも、九州をオーバーしてしまう道案内は、九州説の最大の弱点と思うが
どう克服するか?
714名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:58:31 ID:HKULSBSs0
>>652
いやいや、九州説は逆に言えば、
当時、強大になりつつあった畿内天皇家とは別に、
九州に中国に権威を頼った情けない小さな地方政権があったとも取れるでしょ。

畿内説はなぜ邪馬台国を天皇家に無理につなげたいんだよ。
715名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:58:58 ID:T4owfRKG0
>>13
日本の円墳はキロメートルとダイナミックで
発掘してもチョソのは数メートルで ショボイ 。

学会や研究会は赤面しながら即解散。 (笑)
716名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 22:59:41 ID:6VqSdgGi0
しかし、魏志倭人伝の当て字から、日本がどう見られてたかよくわかる。
和国を倭国、大和国を邪馬台国、姫巫女(日巫女)を卑弥呼とは。
717名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:01:34 ID:HKULSBSs0
>>660
本当に大和朝廷が戦ったのか?
別の地方政権が戦った可能性だってあるだろ。

倭の五王なんて、天皇家の記述と全然合わないじゃないか。
718名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:02:17 ID:BvDHPyrE0
漢族の地方蔑視は日本に限った事じゃなかったと思うけど

というか、倭国は委國から転じたと言う話を何処かで見た気が
するんだけど
719名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:05:14 ID:HKULSBSs0
>>670
中国だって朝鮮だって、
国内が統一されず分裂状態のことはあるだろ。
それでも同じ文化圏だ。

同じ文化圏の中のそれぞれの国が
他国と外交関係があっても何の問題もないじゃないか。

時代は違うが、中国の北朝南朝も、朝鮮の三国も
それぞれ外交関係を結んでいただろ。
720名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:08:03 ID:qhpU064iO
>713
そうそう、そういう議論で行きましょ!
「水行」と距離または行程の解釈はまちまち。
九州説なら「里」や1日の行程を短めに見積もることになる。見積もりなので確証は無い。
結局、記述にある「距離」の問題は今のとこ解決されてないね…
だからまだ畿内説が完全に否定できないのは認める。が、畿内説には付属する仮定が多過ぎるので九州説が有力というのが私の意見。
721名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:08:21 ID:3ZgukZOL0
連合国だろ?
722名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:08:40 ID:89haEJko0
>>718
これは相当にうろ覚えなんだと前置きしておくけど

西風隆介説だと、当時インドは朝貢も多い西の超大国と目されていて
その外交官は中国国内で当然格が上がる

なので東方の担当官が、邪馬台国を持ち上げて、朝貢を搾り取って、さも中国に跪く大国のように報告したのでは
という見方をしていた
だからこそ貴重な金印を与えられたのだと(インドに並ぶ大国だと偽証していた)

つまり漢族は地方別紙なのではなく、朝貢の量で文化レベルを計っていたかもしれない、という説
723名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:10:53 ID:EDmiRrzTO
ばか野郎

邪馬台国は岩手県八幡平だろが。

ふつーに魏史倭人伝読めば比定できるだろが。八幡平(やまたい)だしな、って鯨統一郎のおっちゃんが言ってた。
724名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:11:49 ID:HKULSBSs0
>>699
「九州王朝」に対して反発する人は、
自分達が今も住む日本に反する国とでも想像して、
過剰なアレルギーになってないか?

「九州王朝」といっても、単に地方豪族の政権があって、
そこが中国に近いから使者を送っていただけだろ。

何も九州の政権が天皇家をはじめ、
全国を支配していたなんて主張してないだろ…。

魏志倭人伝の記述を見ても、
九州内でさえまとめきれないこともある程度の政権じゃないか。
725名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:13:11 ID:EX+iBa5p0
邪馬台国ネタ、天皇起源ネタになると某国人がワラワラ湧いてくるな。

ただ、某国人といっても日本人とはやっぱりルーツは同じだと思うけど。
百済や任那なんて倭人の国だろうし、
新羅なんていっても当時の感覚からすれば、
南九州、北陸や関東と同じ扱いだったろうし。

日本と半島が分かれたのなんて、たかが1500年前の話だろ。
天皇陛下に半島の血が入っているなんて、
今でいえば東北人や関東人の血が入っている程度のことだろ。
純然な日本人でも、明らかに苗字から半島ルーツの人がいるじゃん。
錦織、服部、大内、今(金)、高麗とか…。
726名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:13:56 ID:ohJlbxtp0
>>716
倭は中国から見た北部九州周辺を指す。和国ではあり得ない。
大和の文字が日本の史書に出てくるのは8世紀の中頃。倭の前に大
を付けた国名の倭の字が蔑字なので奈良時代に大和に変えただけ。
卑弥呼(ぴーみーふぁ)が姫巫女だというのもただの妄想に過ぎない。
全て前時代的な考え方
727名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:16:50 ID:Fpav156L0
↓これをわかりやすく例えると
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4812207533/sr=1-1/qid=1231350588/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1231350588&sr=1-1

Y染色体 アダム 天忍穂耳命

A系統    天穂日命(出雲国造)    コイサン

B系統    天火明命(物部)       黒人

D2系統   天皇家            日本人
D1系統   伏見宮系(旧皇族)    チベット人
D3系統   伏見宮系(旧皇族)    チベット人

E系統    南朝             白人(稀)、アフリカ(稀)

C系統    平家             オーストラリア・モンゴル・シベリア・北アメリカ

F〜R系統   源氏             白人・中国人・韓国人・東南アジア・パプアニューギニア・北アメリカ・南アメリカ
 
O2a系統   田安家           タイ人
O2b系統   清水家           韓国人
O3系統   将軍家           中国人・ベトナム人

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1204777494/111-115

ソース
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
崎谷 満 (著)
728名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:19:08 ID:89haEJko0
>>726
>卑弥呼(ぴーみーふぁ)が姫巫女だというのもただの妄想に過ぎない。
>全て前時代的な考え方

それにはさすがに真っ向から反論せざるを得ない
もとの意味や音がどうであれ
卑弥呼なんて当ててる時点で、見下しているのは明白
連中の中華思想を見くびるな
ましてや現実として当時の日本は文字さえろくに輸入しなかった国だ
そこに公平で、理解ある解釈をしていたと考えること自体馬鹿げている

あと前時代的な読み方というが、今から1300年も前の事を検証するのに前時代的もなにもないだろうに
729名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:20:41 ID:HKULSBSs0
>>725
当時は今の国境・民族のラインで考えられないよな。
任那はじめ朝鮮南方は明らかに倭人のテリトリーに入ってるだろ。

玄界灘のむこうが全て朝鮮でもなければ、
玄界灘からこっちの日本の全てが統一されていたわけでもない。

倭人がメインなのは朝鮮南方から本州まで広く、
そこに複数の政権が並存していたと考えてもおかしくないだろ。
730名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:23:12 ID:v8z1ND7V0
角度の問題は夏至と冬至のずれで解決する
日の出の方角を東と判断すると季節によって「東」の方向が異なる
731名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:24:11 ID:3ZgukZOL0
>>722
手元の本で中公新書/岡田英弘著/倭国(東アジアの世界の中で)
を見ても同様の記述がある。東威伝なんかでも距離か大きさに誇張があり、
担当役人(外交官)等の勢力争いという見方が出来るそうだ。
また正史に記述する際に、時の朝廷(皇帝)が世界の大国とお付き合いを
しているという内外への宣伝的意味合いもあるという話。
732名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:26:02 ID:89haEJko0
>>728
すまん1700年前だ
733名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:28:15 ID:ssHVN+cx0
もう纏向遺跡の発掘なんて、どうでもいいみたいだな。九州説論者は。ww

しかし今回の発掘、5年もかけるそうだから、これは開発に伴う緊急発掘じゃなく、学術調査なんだな。
一市教委の仕事としては珍しいし、よく思い切ったものだね。
どの自治体も昨今は財政難、予算不足だろうから、なかなか偉いなと思うよ。
734名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:29:05 ID:3ZgukZOL0
>>725
>某国人といっても日本人とはやっぱりルーツは同じ
むしろ北から押されて南に下った勢力なんじゃないの?
735名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:33:24 ID:6uD1Ymkj0
半島の血とかいうけど、今の朝鮮族と百済人は違う人種だよ。
今の韓国人は中国南部にもともと住んでいて、迫害されて400年前に朝鮮半島に流れ着いた。
高句麗はモンゴル系で百済はペルシャ系。その辺の血は入ってるかと思う。

NHKは出雲にかなりこだわっていた。出雲の王は鉄の精製に成功して、他国を押さえていったとか。
大和は女王国なので、王と女王が結婚して国を大きくして、
九州も平定していったという説だった。NHKなので、かなり信憑がある話だと思う。
出雲の王と結婚した女王の名がトヨだそうで、その母が卑弥呼ではないかと。
トヨの墓らしいものが発掘中らしい。
736名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:34:10 ID:03cPh+tc0
現在では天皇の祖先は韓国人というのが定説なんだよね。
初めて聞いたときはショックだった
737名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:35:13 ID:ZTXQU7tI0
やっとここまで読んだけど、端的に言って畿内説が圧倒的に強いのは、
魏志や日本書紀の記述の詳細な部分なんてのは歴史学的には大した価値がなく極端な話どうでもいいことで、
古代日本の連続性+考古学的な見地からすると、そもそも畿内以外ありえないってことかな。

九州説の人のは歴史書の文言の一つ一つにこだわりを持っているみたいだし、それで噛み合わない印象。
738名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:36:40 ID:6VqSdgGi0
>>736
そうですよ。
人類の祖先は韓国人ですよ。知らなかったんですか?
739名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:38:56 ID:89haEJko0
>>736
しかし,古事記、日本書紀の序文はどちらも渡来人を想起させる
しかも神功皇后の項には、「祖先は鉄を求めてこの国に来たのだ!」という文も見えるし
その古事記・日本書紀を編纂させたのは天武天皇で、曽我氏を迫害・謀殺した天智系を打ち倒して帝位に付いた人だし
公平に並べても可能性はずいぶんたかいとおもうけどね
740名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:39:16 ID:6uD1Ymkj0
>>736
韓国人じゃないよ。出雲の王はモンゴル系だ。
高句麗もモンゴル系の人種。今はDNAである程度わかる時代。
741名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:41:22 ID:7SE9UrPC0
宇佐神宮の中に、卑弥呼の墓(塚)は隠されている。
おそらくあの木が生えているところが怪しいのだが。

漢から貰った金印は、後の世に鋳潰されてしまったのだろう。
742名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:44:34 ID:AKvHAexa0
天皇は南方系 藤原の祖先の鎌足がチョンで大悪党
743名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:45:03 ID:Cj4gZeGV0
スレ違いで申し訳ないんだが
>●倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)を見て
倭をやまとと読むんだなぁと倭でググったら、全ての結果に「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。」との注意書きが。
リンク先はグーグルの警告のページで見れない。

どうなっちゃってるんだろう?
744名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:45:03 ID:PQ4TkU1uO
卑弥呼は縄文系なんですか?
745名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:45:26 ID:HKULSBSs0
>>737
そもそも、「邪馬台国」という言葉が中国の歴史文献の中の言葉なんだから、
その文献を中心に考えるのは当然だ。
一方で、「日本のどこに最も強大な国があったのか」というのは別問題。

「日本で最も強大な国はマキムクはじめ奈良にあった」
というのを否定する人はいないだろ。
だが、それを畿内説に繋げて、文献上の邪馬台国を畿内とするのがおかしいんだよ。
文化圏ではなく政治的支配権が明確に九州まで及んだ時期もわかってないのに。

「邪馬台国畿内説」ではなく、
「当時は畿内が最強説」と主張するだけなら、何も異議はないんだけどな。
746名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:47:38 ID:WKf2q5DE0
三韓征伐をググると「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。」って何これ?
747名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:48:18 ID:BvDHPyrE0
邪馬台国は海の中に沈んだって事にしたら良いよ
748名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:49:12 ID:bvi6i/m+0
グーグルがぶっ壊れたのか?
なんかウイルスにかかったと思ったわ
749名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:51:02 ID:HKULSBSs0
>>746
最近、グーグルはそういう表示を出すようになったね。
自己責任でリンク先に飛んでくれって事だろ。
多分、グーグルの訴訟対策だろうなあ。

安全なサイトでもその表示出るよ。
ヨーロッパサッカー協会=UEFAの公式ページでさえ出てた。

もちろん、危険なサイトである可能性もあるけどね。
750名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:52:21 ID:nszLU9Dq0
751名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:53:39 ID:JOYgHETk0
>>5
諸星先生こんばんは。
752名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:54:04 ID:3ZgukZOL0
>>750
今更ながらにgoogleに依存してる自分が怖くなったわ。情報操作されっぱなしだわ
753名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:54:13 ID:89haEJko0
>>745
古墳に関する知識はないのでと前置きしておくが
九州説の最大の欠点は、魏志倭人伝の記述によると、どう考えても九州を大幅に超えてしまうという点がある

その点畿内説は、方角の問題はあるが、距離はある程度整合できる。(根本的な方角の矛盾は九州説にも半分残るままだし)
そして古代史の記述として、祭祀を預かる大巫女とそれに従う王という構図が伝えられているのは奈良のヤマト王朝のみ

一方九州の山門国にも女王トヨがいるが、弟の存在は明かされていない
すると、距離と弟の2点にプラスして箸墓古墳の年代が一致する3点での有利が畿内派
九州派は、時期しか一致していないという差がある

先にも上げたように、古墳や銅鐸、銅剣などから反論できるなら、是非お願いしたい
754名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:54:50 ID:6uD1Ymkj0
トヨと卑弥呼らしい墓を発掘するって話なので、
DNAも調べるんだろうね。天皇家が墓を発掘させない理由もそれだけど。

残念ながら韓国の血を引く渡来人はいないよ。
韓国人のルーツは当時はベトナムに近い所に住んでたから。
ただ土地は豊かだったと思う。気候もいいよ。
755名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:57:05 ID:uGtOcLUP0
グーグル、何を検索しても警告が出てくる?
756名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:57:11 ID:Cj4gZeGV0
>750
thx!
何か意図的なものだと思っちゃったよw
757名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:57:14 ID:YyUwRZ/gP
>>726
弥生時代には「ひめみこ」のことを同発音していたかを
知っているんですか?
758名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:57:43 ID:7mY9BUH90
>>747
沖縄の近くにあったという説もあるアトランティス大陸のこと?
759名無しさん@九周年:2009/01/31(土) 23:58:22 ID:7SE9UrPC0
軍事連合を組んでいた百済が滅亡したときに、北九州に居た政権は
半島から報復に軍事侵攻がありうると怯えて、遠方に都を遷したのです。
760名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:00:18 ID:66FEpEi50
>>758
アトランティスは大西洋じゃないか?
太平洋はムー大陸でしょ
761名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:02:51 ID:BvDHPyrE0
>>758
他意はないです。単に畿内説、九州説どちらを採っても
齟齬が生じるので、九州説に則って距離を測りますとw
邪馬台国は海の中ですね、という茶化しです
762名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:03:13 ID:0UOWyT4cO
箸墓と宇佐神宮の亀山を始めとして、古墳を堀まくって
親魏倭王の印綬が出てきた方が勝ち
763名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:03:14 ID:4g1R/eWW0
昔の仁徳天皇だとかの墓からDNA採取して、Y遺伝子を今上天皇の物と比べたらどうなるんだろう?
怖くて出来んなあ。
764名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:05:37 ID:aGSl3RUh0
>>753
>そして古代史の記述として、祭祀を預かる大巫女と
>それに従う王という構図が伝えられているのは奈良のヤマト王朝のみ

これはおかしいでしょ。
ヤマト王朝以外の地方政権の文献は残っているのか?
それが残っているのに、そこに巫女と弟の記述がないなら、
君の言う事も理解はできるけどね。

そもそも、ヤマト王朝の記紀の中に、
中国文献に該当する部分がないのが致命的だろ。
卑弥呼の記述なんてないじゃないか。
倭の五王の記述もないだろ。

奈良王朝の文献が確かに残っているのに、書いてある内容が違うなら、
違う国と考えるのは自然なことだろ?
765名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:07:22 ID:OyBSYzHD0
>>763
出来ないねえ・・・・
普通に読むだけでも3〜4回は王朝交代がありそうだし・・・・
まあ重要なのは、潔癖的に血統が守られていることではなく
その「体面」を守ってきた歴史の重みなのだから、「生まれより育ち」という点なのだが
766名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:14:11 ID:oyVM8PKdO
卑弥呼さま〜!
767名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:17:17 ID:W49PnAYUQ
>>763>>765
天皇家以外の古代豪族の子孫も同時に調査してみて欲しい。
古い神社の神官の子孫辺りを虱潰しに調べたら面白いデータが出てきそう。
768名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:19:22 ID:OyBSYzHD0
>>764
>ヤマト王朝以外の地方政権の文献は残っているのか?
>それが残っているのに、そこに巫女と弟の記述がないなら、
>君の言う事も理解はできるけどね。
この三行でも意図は伝わっていると思うので、そこから
ヤマト王朝も、地方豪族も直接の伝承は現在に伝わってはいない
これが現実

ただ中国文献と日本の文献との差は、記述する基準が全く異なるから、一概に比較できないと言える。
それは上記にもあったように、外交官同志の権力争いがあったからとも想像できる

しかしそれを押したのだとして「一点の差」ならともかく、複数点が違うのなら、比較として畿内説が浮上するのは必定。

ただしその場合も、九州説を排除はしないというのが前提と思うが
少なくとも畿内説が丸一歩リードしているという点は、動かないと思う

ここに対する反論は、九州の神社巡りでもして、姉巫女弟王の記述でも見つけるしか無いと思う
769名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:21:27 ID:CRQf9UV60
>>763
近親婚しまくりだから、案外繋がってたりしてw
770名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:22:50 ID:Gl4d1YVk0
>>767
あーDNA調べるならそれは是非お願いしたいなw
771名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:27:00 ID:tIV5yc/4O
大分の耶馬溪というところに答えがある。あそこはすごい。
772名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:28:39 ID:0UOWyT4cO
耶馬溪の命名は江戸時代の頼山陽
773名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:29:03 ID:EKwefmiV0
じゃ・・邪馬台国
774名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:30:17 ID:aGSl3RUh0
>>767
DNAに頼るのは考え物だと思うよ。

歴史上の関係や、学者の説と全く関係のないところで、
DNA上のつながりが切れることだってある。
これは歴史上の家系に限らないけどね。

たった一人の王妃・皇后の秘密の不倫一つでもうおしまいだ。
775名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:35:06 ID:aGSl3RUh0
>>768
>ただ中国文献と日本の文献との差は、
>記述する基準が全く異なるから、一概に比較できないと言える。

そんな言葉で見ずに済む問題かな。
「記述する基準」といった些細な問題ではないでしょ。

天皇の事跡そのものが違うじゃないか。
記紀の中に、卑弥呼という存在もいなければ、
倭の五王の業績も比定できない。
中国との外交関係も記されていない。

それなら違う国を想定するのは自然なことだろ?
その過程を丸々抜いて、「畿内以外に政権はない」
という前提からはじまってるのが問題なんじゃないのか?
776名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:45:33 ID:HxwojvjrP
>>762
親魏倭王印が出土したとしても、そこが邪馬台国だということにはならないと思う。
例えば畿内で印が発見されたとしても、九州にあった邪馬台国を大和朝廷が征服して
邪馬台国の宝を奪った可能性も捨てきれない。
777名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:49:59 ID:2YxsfdTQ0
「日本で最も強大な国はマキムクはじめ奈良にあった」 その後の大和朝廷。
ならば、邪馬台をヤマトと素直に読むだけで、解決じゃありませんか
778名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:56:48 ID:aGSl3RUh0
>>777
無理があるだろ。
400年続いた前漢・後漢も、
三国志で有名な劉備の蜀漢も、正式号は「漢」だよ。
だけど、首都も違う別の国だ。

時代を遡れば、「奴国」という大和朝廷と関係のない九州の地方政権が
中国との外交関係の下に金印までもらってるじゃないか。
779名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 00:58:04 ID:YMYkHqR9O
780名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:03:19 ID:EbrnCPJy0
岩手の八幡平って聞いたけど
781名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:04:11 ID:5koQswLS0
朝鮮半島から文字や仏教が伝えられる前の日本人は、
身振り手振りでアウアウアって言いながらお互いのコミュニケーションを図り
裸に刺青して、弓矢でイノシシ追ってたり、森でどんぐり拾ったり
鹿の骨焼いて占いしたり、太陽にお祈りし、また年中、村どおしで戦争してたわけで。
その同じ頃、中国や朝鮮では儒教等の思想や哲学を論じ、法律を整備してたほど
日本人との差は大きかった。

現代人の感覚だと中国人が日本人を見下すのは違和感あるけど
当時の中国から来た使いの人にとっては
日本はどうみても野蛮な未開の土地だったわけで
色々と見下しててもしょうがないと思う。
782名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:06:06 ID:Gl4d1YVk0
>>781
むしろ倭国には華僑が来まくりで、華僑が集まって国ほどの勢力を誇っていたとも考えられなくもない。
783名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:09:41 ID:2YxsfdTQ0
時代が一致してるし
784名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:12:31 ID:2YxsfdTQ0
785名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:13:21 ID:PZB1mFYa0
>>778
その三者が並立したことはないけどね。

根拠や古墳などの文化を同じくする纒向とヤマト朝廷が同一と考えられれば、
同時代に同じ名称が2つ有ったと考えるより、邪馬台もイコールと考えた方が自然。
786名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:14:24 ID:aGSl3RUh0
>>768
>旧唐書
>日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
> 或いはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
> 或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり、と。

確かにこの記述の全てが信用できるわけではないだろ。
しかし、「記述する基準が異なる」という一言で無視できることなのか?

「倭国の別種」、「倭国の地を併せたり」。
明らかに複数の政権が存在していた事が示されているじゃないか。
正確ではないにしろ、どこから、なぜこの記述が記されたんだよ。

無視するのは無理がありすぎだろ…。
787名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:15:24 ID:rrOCAqsV0
>>781
朝鮮半島wwwwww
788名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:19:19 ID:aGSl3RUh0
>>785
そうだよ。
違う時期に関連性を主張して自称している。

邪馬台国と同時期にマキムクにあった政権が
「ヤマト」と名乗っていたことも示されてないだろ?
邪馬台国より後代になって、奈良の政権が
ヤマトと名乗っていた事がわかるだけ。

そして、複数の政権の並存の可能性、名称の変遷については、
全部が正確ではないにしろ、>>786のように
中国の文献にその痕跡が残ってるじゃないか。
789名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:21:30 ID:EOjznx0JO
>753
倭人伝には倭人の養蚕や絹の記述がある。
しかし奈良からは弥生時代の絹は出土していない。
対して九州からは弥生時代の絹が多数出土している。
これをどう説明する?
790踊るガニメデ星人:2009/02/01(日) 01:24:38 ID:NvpKOabY0
>>601
そうなのですか(^^)

>>606
たしかに、そういう可能性もありますね。
791名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:24:55 ID:HWEWyGPh0
>>789
「弥生時代」を前提にすれば、絹(100倍以上)だけじゃなく、
鉄や鏡も九州の方が数十倍の出土量ですよ。

だから、卑弥呼の時代は古墳時代ってことに変更したのが今の
畿内説です。
792名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:25:04 ID:PZB1mFYa0
>>788
何を根拠に?
同時代に遥かに強大だった国が、わざわざ滅ぼした国の名前を名乗るなんて事例があるの?
よっぽどの根拠がなきゃそんな不自然な説は出てこないと思うが。
793名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:25:56 ID:ds7dr8MS0
>781
>>身振り手振りでアウアウアって言いながら
文字はないが、言葉はあったと思うwww
794名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:30:12 ID:aGSl3RUh0
>>791
学説の変遷は素人だからよくわからんのだけど、
マキムク等を発掘して奈良の政権は強大だったとする人は、
必ず奈良が邪馬台国だったとリンクさせて主張しているの?

新聞では必ずリンクさせられちゃうよね。
宣伝目的以外に、邪馬台国とリンクさせる必要も根拠も
ないと思うんだけど、学者さんも同じ姿勢なのかな?

3世紀の当時、奈良にあった政権は日本で最も大きな古墳を作り、
豊富な文物を有していたとしか言えないし、それでも十分だと思うけどなあ。
795名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:30:14 ID:2YxsfdTQ0
788 グーの音もでずか
796名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:31:05 ID:F1MTW5pH0
>>522
騎馬民族征服説をいまだに信じてる奴がいたのか・・・
797名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:33:34 ID:Gl4d1YVk0
>>794
単に、「どこかわからんけど九州である可能性は薄い。むしろ奈良?」ってのが最近の学説とやらの流行じゃないの?
798名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:33:56 ID:LPLl2PvK0
なにこの九州論者の逆襲w

発掘すすめば終わりなのにw
799名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:34:24 ID:EOjznx0JO
>791
つまり畿内説は箸墓古墳を3世紀のものと主張しないと成り立たない。
箸墓は4世紀か頑張っても3世紀末のものだ。畿内説にとっては馬具の出土が痛かった。魏志には「牛馬なし」と書いてあるから。
もし箸墓が3世紀の古墳であっても、邪馬台国の古墳では無い。
邪馬台国は弥生時代のクニだよ。
800名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:35:46 ID:aGSl3RUh0
>>792

不自然も何も、俺が想像だけで主張しているんじゃなくて、
>>786の中国側文献にその痕跡が書いてあるんだから、仕方ないじゃないか。

中国との通商・外交関係から、名称を引き継ぐ事は理由になるでしょ。
中国との関係を歴史的に築いていた小国を滅ぼして、
外交関係を引き継ぐなら、名称も引きついでもおかしくないじゃないか。
外交関係だけではなく、正統性や歴史性も引き継いだかもね。
801名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:35:54 ID:rrOCAqsV0
>>796
いまや騎馬民族っていう名前出しただけで
トンデモ学説だわな
サヨクで頭足りてない連中が時々使うだけの言葉になっちゃった
802名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:37:54 ID:LPLl2PvK0
>邪馬台国は弥生時代のクニだよ
倭人伝に巨大な墳墓を作ったと書いてあるじゃん。w
803名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:38:12 ID:PjCwc1BBO
奈良公園の鹿に聞けば解るんじゃね?
804名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:39:28 ID:tnGBAnj70
例の金印は宮内庁が隠し持ってるんじゃないのか
805名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:40:40 ID:EOjznx0JO
>798
最終的に九州だろうが畿内だろうが、私にはどうでもいい。
真実が知りたいから、早く発掘進んで欲しいね。
しかし無理を押し通そうとする畿内説には、賛成できないな。
兵庫在住だから畿内説のほうがうれしいけど、矛盾有り過ぎる。
806名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:41:19 ID:aGSl3RUh0
>>795
ん?俺?
どの質問だ?君のIDの>>777のこれかな?

>邪馬台をヤマトと素直に読むだけで、解決じゃありませんか
これは議論かぶってるから、俺のIDと他の人とのやり取りを追ってくださいな。

3世紀半ばに最も強大であった奈良の政権が、
すなわち邪馬台国になるわけではない。

日本が統一されていたという事を前提にするなら、
最も栄えた地域が都で、かつ邪馬台国だと言えるかもしれないけどね。
その前提は証明されていないだろう。

はるか後代の>>786の文献でさえ、
複数の政権の存在がにおわされてる。
807名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:42:25 ID:PZB1mFYa0
>>800
その解釈を鵜呑みにするなら別国だって自分たちで名乗っておいて名称だけ引き継ぐの?
ますます不自然極まりない話だね。

ところで事例も出てこないし、締めが「かもね」じゃほとんど想像だけにみえるけどw
808名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:43:13 ID:YJq74q9D0
>>804
宮内庁が隠し持ってるのはペルシャ文字が彫られてる天皇家家宝の剣だぞ
809名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:43:17 ID:qYpiuxgP0
どこまで発掘したって、邪馬台国は発見されないだろう。
文献を研究する史学者が幾ら頑張っても、なんら見つけ出すことが出来なかったのだから、
そもそもの文献に限界がある。各々が信じる推定を、まー、それもアリだよね。っていうレベルまでしか無理。

畿内に、現日本に繋がる、王朝の元があったことが確認されるだけ。
810名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:43:22 ID:EOjznx0JO
>802
巨大な墳墓=前方後円墳と結論付ける理由は?
墳丘墓だって巨大だよ。
811踊るガニメデ星人:2009/02/01(日) 01:44:04 ID:NvpKOabY0
>>792
というか、そもそも「大和」は国名じゃないんじゃないかな、字を見れば
分かるように、この大和という名称は国名としてはあまりにも尊大で
あって、これは普通の国が名乗るような名前ではありませんよ、大和の
和は当然倭国全体の事だろうし、その上に大の字を付けているのですから、
この「大和」という名称は単なる国名ではなくて倭国を支配する国に
対して与えられる称号のような物だったのだと思いますよ、そして、
初代大和が邪馬台国だったから大和という字をヤマトと呼ぶようになって、
後に狗奴国が邪馬台国を滅ぼして大和の称号を邪馬台国から奪って
大和朝廷と名乗るようになったのだと思いますよ。
812名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:46:30 ID:aGSl3RUh0
>>805
俺なんて奈良出身だぞw

平城宮跡なんて放置プレー最高だし。
京都ほど観光客もおらずいいとこだぞ。

どんどん発掘して、どんどん明らかにしてほしい。
でも、当時の奈良はすごかった以上の結論は出ないだろ。
その結論だけで地元出身として嬉しいけどね。

九州は大宰府あたりは掘らないのかな?
それとももう掘った?掘れないくらい発達してる?
813名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:48:01 ID:LPLl2PvK0
>>810
巨大墳墓。前方後円墳とはいってないんだが。
邪馬台国は弥生時代とかいうトンデモな勘違いを正しただけだよ。

まあ、機内の確率が圧倒的に高いだろうけど。
814名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:52:40 ID:PZB1mFYa0
>>811
大和は元々大倭で、漢字とは関係性が逆だよ。
815名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:53:01 ID:EOjznx0JO
>812
すばらしいw
どんどん掘って欲しいねぇ。

>813
勘違い?
3世紀はまだ弥生時代だぞ?
巨大墳丘墓は弥生時代の遺跡だぞ?
邪馬台国は3世紀中頃だから弥生後期から末期だが。
816名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:55:22 ID:aGSl3RUh0
>>807
>別国だって自分たちで名乗っておいて名称だけ引き継ぐの?

もとは小さな国だったけど、強大になって併合したって書いてあるじゃないか。
併合後は中国との関係の深い名称、歴史的正当性のある名称を
引き継ぐ事に何の問題があるんだ?

西洋史でいいなら、旧蛮族でもローマ帝国を名乗ってるじゃないか。
名称の引継ぎはそんな不自然なことか?
817名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:55:36 ID:kCXHYIFi0
邪馬台国
「倭」って、googleマップで検索すると、現代は一カ所しかないよ。
それが何かを物語っているかも。
818名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:56:31 ID:HWEWyGPh0
>>794
たしかにマキムクと邪馬台国をリンクさせる人は多いね。

マキムクも出土統計だけを見ると、日本各地の土器が集まっているという反面、
居住の痕跡は数件のみで極めて少なく、非居住用の掘建て建物が多いというのが、
現状で、「都市」というのはまあ無理。
都市は「絶対に」ありえないと断言したほうが良いレベル。

あの辺は、古代は「大市」と呼ばれていたから、大きな市場があっただけじゃないかな。
掘建て建物は、市場での交易や倉庫に使ったものだろう。

>>1にある神殿というのも、小さな倉庫レベルの建物なので、「あれが神殿?」というのが
実際のところではある。まあ、一部の人には神殿かもしれんし、神棚の大きなものと
言えなくもないというレベル。

要するに、「掘れ掘れなんとか」です。利権がらみでしょうか。
819名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:57:02 ID:B9qa1UfT0
>>815
前方後円墳の造営年代が3世紀まで遡る説が有力な今日
3世紀は古墳時代で間違っていない
820名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:57:49 ID:aGSl3RUh0
>>809
>畿内に、現日本に繋がる、王朝の元があったことが確認されるだけ。

これには誰も反対しないだろうな。
その繋がり方には色々な説はあるだろうけど。
821名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 01:59:56 ID:LPLl2PvK0
>>815
違うつーの。高校の教科書レベルのこと書くな。
822名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:00:30 ID:7HGWfQpn0
>>72
リサイクルされた。
九州で見つかるのは政権が断絶で破棄放置されたままだったから
多く見つかる。

という見方も可能ではないだろうか?
823名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:01:14 ID:B9qa1UfT0
>>818
商業圏と居住圏が隣接していない都市など聞いたこともない
素直に考えれば宗教施設だったと考えるのが無難だ
824名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:01:20 ID:2YxsfdTQ0
元祖大和って書いてある土器でも発見されないかなあ
825名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:05:11 ID:PZB1mFYa0
>>816
纒向がもし同時代に栄えた文化的にレベルの高い強国だとしたら、明らかに不自然だし、
その関係性には当てはまらないね。

せいぜい、外交上だけの名称ならわからんでもないけど、現在まで伝わる公式名称だよ。
826名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:07:18 ID:Gl4d1YVk0
淡路の国内最大規模の鉄器工房ってのがこれからまた調査されるんだっけか
827名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:08:15 ID:DDrdRywZ0
大和と書いてヤマトと読むってかなり無理があるしな。
828名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:08:39 ID:AAqe+X5T0
「やまと」ってのが普遍的な名称で、
九州と幾内両方に、「やまと」と言う国があった。
って可能性は無いのかね?
829名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:09:05 ID:HWEWyGPh0
>>823
あの辺りは、3〜4Cの居住の痕跡が極めて少ないというのは事実では。
周囲を山に囲まれた地形で、湿地帯に流れ込む水流が広く存在したから、
穴を掘れば地下水が出てきて、居住に適していなかったのでしょう。

居住跡は、もう少し東や南の高台の方に求めるのが無難ではないかと思います。
南の橿原で居住跡を探すと、神武東遷の裏付けになりうるのが不都合なのでしょうか。

東の方の王宮の伝承地で王宮が見つかると、記紀が後世の捏造という左派には
不都合なのでしょうか。
830名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:09:23 ID:B9qa1UfT0
>>826
そこの調査如何で畿内の鉄の劣勢が覆るかもしれんな
831名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:10:27 ID:vWxBS5By0
>>827
  倭(やまと)
  和(やまと)
大和(やまと)
日本(やまと)

やまとという読みに字を当てているだけだ。
832名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:10:30 ID:EOjznx0JO
>819
>815
その説を支えているのが箸墓古墳だ。
それが怪しいのは>799で書いた。
馬具出土に関して、魏志との矛盾をどう説明するのか。
煽るのは結構だが、812は冷静に事実を分析してくれ。
捏造前科のある学会レベルのことを書くなよ。
833名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:11:30 ID:aGSl3RUh0
>>825
なぜ不自然なんだ?

かつては小国だったが、3世紀には畿内で比較的強国になったマキムクの政権。
弱体化していっても、かつては畿内よりも優位にあり、
3世紀には中国と交流し、印までもらっていた邪馬台国の政権。

その後、数百年を経て、前者が後者を併合して、
中国との関連性や歴史的正統性を引き継ぐ。
どこも不自然じゃないだろ。

君の言うとおり、マキムク=邪馬台国、倭国としてしまったら、
「日本は倭国の別種」という記述はどこからくるんだ。
「倭国が旧小国に併合される」というのはどう処理されるんだ。

834名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:14:00 ID:EOjznx0JO
すっごくアンカみすった。
832は>819と>821へのレス。
835名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:14:05 ID:Gl4d1YVk0
>>833
連合国じゃね?
836名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:14:35 ID:a6j7LFbmO
本当に金印でも見つけない限り終りそうにないなぁ。
837名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:15:07 ID:LPLl2PvK0
>>832
煽ってるのはお前だろう。>>819は正しい。もう専門家の中では定説になりつつある。
838名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:15:47 ID:B9qa1UfT0
>>834
異物が一つ混入していただけで学会の主流派からは無視されているものを
あんた1人で必死にそう主張してるだけじゃんw
839名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:17:13 ID:aGSl3RUh0
>>833の続き
3世紀からマキムク=倭国、邪馬台国とすると、
倭国の別種という日本とやらに併合されちゃって連続性もなくなっちゃうんだぞ。

反対に、マキムク=天皇家・大和朝廷が、倭国・邪馬台国と別とするなら、
>>836の日本=マキムク=天皇家・大和朝廷が倭国の別種であり、
倭国・邪馬台国を併合したということに何の矛盾もなくなるじゃないか。

大和朝廷が途切れる事も、併合されることもなくなる。
840名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:18:47 ID:q1JfYIdy0
誰が何と言うと江上波夫が正しい。
天才・手塚治虫も騎馬民族征服説を採用しているんだよ。
841名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:19:54 ID:B9qa1UfT0
>>839
倭の五王はどうするんだよ。
ひょっとして九州王朝説?
842名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:20:22 ID:aGSl3RUh0
>>839
失礼。引用アンカーミス。
引用するのは>>836ではなく、>>786だった。
843名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:20:43 ID:PZB1mFYa0
>>833
文化ってのはそんなに短期間で飛躍的に逆転するもんじゃないし、栄えた強国も然り。
纒向の遺跡が同時代のものなら、遥かに栄えていたわけでむしろこちらのがローマだろ。

その強国が中国との交流だけが取り柄の小国を滅ぼして、名称や正当性を引き継ぐ必要性は
少なくとも国内向けにおいてはないし、外交がそれ程重要なら交流が途絶えるのも矛盾している。

隋書にしてもそうだけど、中国の歴史書の記述だけを当てはめて歴史を読み取ろうとする方が無理があるんだよ。
844名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:20:48 ID:qYpiuxgP0
前方後円墳が3世紀半ばに作られ、その様式が全く画一的に守られたまま、
畿内から同心円状に、距離と反比例した大きさで、最終的には朝鮮でも造られてゆき。
その範囲=大和王朝の勢力範囲となっていくこと。
これは動かないんだよね?
そんで、邪馬台国が3世紀半ばに存在したことも。

邪馬台国が九州にあれば、邪馬台国と大和は不連続。最終的に連合、吸収、、は有り得るが。
邪馬台国が畿内にあれば、邪馬台国=大和、卑弥呼に代表される女性指導者=アマテラスだろう。。
845名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:21:30 ID:EOjznx0JO
>837
専門家の定説が怪しいのは藤村新一の捏造事件で分かったのでは?
定説では無く、史料で批判してくれ。
箸墓古墳から出土した馬具はどう説明するのだ?
846名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:21:46 ID:cnfYENbxO
>>840
その説もあの人の本も面白いよね
全部に納得した訳じゃ無いが、勉強になった
847名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:22:37 ID:aGSl3RUh0
>>841
九州王朝説なるものでどんなものを指すのか人それぞれだろうが、
中国の文献にある倭の五王の記述と、
記紀の歴代天皇の記述が合わないのは確かだろ?
そこについて、矛盾のない処理はちゃんと学会でなされているの?

それが聞きたいだけだよ。
848名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:23:57 ID:B9qa1UfT0
>>845
あんた1人の個人的な見解よりは専門家の定説の方が100万倍信頼できるがねw

俺個人の意見としては、たかだか一個の馬具など単なる異物にすぎない
さしずめ、中国から珍しい動物って事で珍獣扱いで馬を持ってきたか
後世何らかの理由で混入したかのどっちかだろ
849名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:24:58 ID:F/6EJN6T0
邪馬台国は九州の王国で魏と最初に交渉を持った女王が卑弥呼
一方、台与は実は大和の倭国の女王で卑弥呼を攻め邪馬台国を滅ぼした
以後列島の大陸への窓口は倭国に
台与の正体は神功皇后でこれが天皇家へと繋がる・・・
箸墓は台与の墓、アマテラスは卑弥呼をイメージしたものである。

*以上すべて夢のお告げで反論は不可です。
850名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:25:29 ID:LPLl2PvK0
>>845
しつこいね、お前。藤村新一は素人だよ。最近の研究結果を少し読んだ方が
いいぞ。弥生時代だったなんて言っていることが半世紀おくれているんだよ。馬具なんて一言も言ってない。
851名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:25:46 ID:WzYFBGbIO
邪馬台幻想記 恋解やりたきなってきた
852名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:25:49 ID:aGSl3RUh0
>>843
「同時代に栄えていた方」がなぜ無条件で邪馬台国になるんだよ。
俺は九州の方がマキムクより栄えていたなんて言ってないぞ?

>隋書にしてもそうだけど、中国の歴史書の記述だけを当てはめて
>歴史を読み取ろうとする方が無理があるんだよ

そりゃあ、全部が全部正確ではないだろ。
だからといって、明確に名指しで記述があるものを無視していいわけないだろ。

倭国の別種の国、倭国を併合した国。
その存在や情報はどこからくるんだ。
完全に正確じゃないとしても、複数の政権の存在くらいは読み取るべきだろ。
853名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:27:07 ID:B9qa1UfT0
>>847
倭の五王の記述などから、もし日本=畿内政権と倭=九州政権
と仮定した場合、両者の統一は聖徳太子の時代以後になる事になる
(隋書にも「魏書に言う邪馬台国なり」という記述がある)
つまり、倭と日本を別物と考えるには、九州王朝説ばりに
7世紀近くまで九州に独立政権があったと考えなければならなくなるのよ
854名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:27:15 ID:qYpiuxgP0
>>840
手塚は、天才かもしれないが、
韓国政府に捕らえられた、日本に来ていたこともある某工作員の釈放をテーマにした漫画を何個も描いているんだ。
それは正しいことだったのかね。当時の進歩的知識人にとって、それは明白な真理、正義だったのだけど、
今となっては、菅が責め立てられるように、日本人を愚弄する犯罪行為だよ。
855名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:27:53 ID:rrOCAqsV0
>>847
ここ数年二倍年暦説が
わりとマジで語られるようになったんじゃないかなあ
856名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:29:31 ID:PZB1mFYa0
>>852
>>785
フリダシニモドル
857名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:29:33 ID:aGSl3RUh0
>>844
>邪馬台国が九州にあれば、邪馬台国と大和は不連続。
>最終的に連合、吸収、、は有り得るが。

俺が説得力を感じるのはこれだな。
>>786の中国の文献の記述と完全な整合性がある。

逆に邪馬台国・倭国を畿内として、
邪馬台国から大和朝廷まで完全な連続性を認めるなら、
「日本は倭国の別種」、「日本は倭国を併合」の事実をどこから導くんだ。
858名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:30:07 ID:rrOCAqsV0
まあともかく
手塚だろうがなんだろうが
今「騎馬民族」なんていうヤツは
キチガイ扱いされるだけ

それが学問の進歩ってことよ
859名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:30:14 ID:fNJ3mL+i0
騎馬民族が馬を捨てて船を漕ぐかな?
860名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:30:23 ID:3L145a9WO
箸墓を調査すれば全てが明らかになる。
宮内庁が国家権力を振りかざしてそれを妨害するのが悪い。
861名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:30:28 ID:b8bHjxRG0
邪魔大王国は阿蘇山にあったんだっけ
862名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:31:09 ID:EOjznx0JO
>848
ふむ。なら専門家の定説を信じてくれ。止めはしない。了解した。
>850
その素人の意見が学会の定説となり、教科書にも載ったんだが。
まあしつこいと言われたから、反論はたくさんあるが、これでレスは止める。しつこくてすまなかったな。
863名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:31:09 ID:F/hnY8HjO
北方の騎馬民族って、ガリアンの人馬兵みたいなの使って邪魔大王国を滅ぼしたのかな?
864名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:35:00 ID:h9RD0I6AO
>>854
韓国に捉えられた政治犯は複数居て、日本政府も釈放を働きかけていたんだよ。当時外相だった安倍の親父が国会で答弁している。
865名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:36:23 ID:aGSl3RUh0
>>853
その使者の主張いかんで、邪馬台国の後継がどちらの国であるのか、
既に併合後なのか、今も並立しているのか、混乱が見られてもおかしくないでしょ。
中国側が知った時期と、併合の時期にはずれがあってもおかしくないと思うよ。

統一の経緯や形式がどのようなものだったのかは不明だし、
併合時期ははっきりはわからないんじゃないかな。
866名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:36:58 ID:3L145a9WO
「あまたの国」の意味で当時は「ヤマタイの国」と発音していたから、
そもそも邪馬台国は特定の国家を指す言葉ではない
というのが現在の定説だよ
867名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:39:31 ID:B9qa1UfT0
>>866
女王国と邪馬台国が違うものだって説はわりと古くからあるな
868名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:39:52 ID:aGSl3RUh0
>>856
フリダシに戻っていないだろ。

>根拠や古墳などの文化を同じくする纒向とヤマト朝廷が同一と考えられれば、
これは否定してないぞ。
マキムクからヤマト朝廷への連続性はあるだろ。

>同時代に同じ名称が2つ有ったと考えるより、邪馬台もイコールと考えた方が自然。
だが、3世紀にマキムクの政権が、
「ヤマト」と名乗っていた証拠なんてどこにもないじゃないか。

異なる政権の存在、倭国併合・継承の可能性が、
文献>>786で示唆されている以上、
これは決して自然ではないだろ。
869名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:40:02 ID:Atzs67rL0
もうめんどくさいなー。
邪馬台国は奈良、九州どっちよ?
870名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:42:18 ID:aGSl3RUh0
>>869
謎。

奈良は思ったよりすごかった。

>>1からわかることで、意見が別れず、
みんなが納得するのはこれだけ。
871名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:42:39 ID:2YxsfdTQ0
ヤマタの国か
それならヤマトにもヤマタイにもなるな
872名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:45:54 ID:q1JfYIdy0
女王国は伊都国だよ。
873名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:46:11 ID:PZB1mFYa0
>>868
遥か離れた国の歴史書の一字一句にどこまで依存するかって話だろ。
おまけに読み方や解釈にも諸説ある。

そもそも隋書や中国の歴史書の中でも矛盾する部分があるし、
隋書と古事記や日本書紀の記述の差異を考えてもそんなに重要視する部分とは思えない。
874名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:47:30 ID:Gl4d1YVk0
(岩波文庫/旧唐書倭国日本伝他二編/石原道博編訳)
『旧唐書』
「日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいはいう、
 倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。 あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたり、と」

『新唐書』日本伝
「後やや夏音を習い、倭の名を悪み、更(あらた)めて日本と号す。使者自ら言う、国日の出ずる所に近し、
 以(ゆえ)に名となすと。あるいはいう、日本は乃(すなわ)ち小国、倭のあわす所となる、故にその号を冒せりと」
875トールハンマー ◆hBCBOVKVEc :2009/02/01(日) 02:51:40 ID:Log7tI3y0
もう邪馬台国は宮崎でいいじゃん
876名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:51:40 ID:2YxsfdTQ0
>>868
纒向遺跡(まきむくいせき)は奈良県にあるのがコレ以上無い証拠
旧唐書じたい並列書きで、継承したとも名前変更ともどうとでも解釈できて曖昧
877名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:54:31 ID:PZB1mFYa0
ちなみにwikiが全てではないけど、話題の旧唐書とはこういうシロモノ。

>成立は945年だが、その翌年には後晋が滅びてしまうために、編纂責任者が途中で交代するなどして、
>一人の人物に二つの伝を立ててしまったり、初唐に情報量が偏り、晩唐は記述が薄いなど編修に多くの問題があった。
>そのため後世の評判は悪く、北宋時代に『新唐書』が再編纂されることになった。
>しかし逆に生の資料をそのまま書き写したりしているので資料的価値は『新唐書』よりも高いと言われている。

>旧唐書の中には日本について「倭国伝」と「日本国伝」の二つが立てられているのも編纂過程の影響であると考えられており、
>宋代初頭の『太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれてしまっている。
>ただし、「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶には白村江の戦い及び壬申の乱が含まれており、
>大庭脩はこれを単なる編纂過程のミスではなく、当時の中国側に壬申の乱をもって「倭国(天智政権)」が倒されて
>「日本国(天武政権)」が成立したという見解が存在しており、結論が出されないままに記述された可能性があると指摘している
878名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:55:15 ID:fNJ3mL+i0
>>1
で、何が発掘されれば決着がつくわけ?
879名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:56:32 ID:2YxsfdTQ0
木簡でも土器でもヤマトと読める文字がでれば決定
880名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:57:03 ID:i/wSq6rC0
最近では前方後円墳は三世紀前半くらいまで遡って
卑弥呼の時代ってもう古墳時代じゃね?っていわれてるんだっけ。
881名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:59:23 ID:q1JfYIdy0
これまでの日本最古の文字は4世紀前半の「田」だっけ。
882名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 02:59:25 ID:aGSl3RUh0
>>873
>遥か離れた国の歴史書の一字一句にどこまで依存するかって話だろ。
>おまけに読み方や解釈にも諸説ある。

明確に「倭国の別種」、「倭国を併合」と書かれているんだぞ…。
細かな年代や事実の詳細に正確性が欠けるのはともかく、
こんな一般論で全部無視できる問題じゃないだろ…。

複数の政権の存在さえ読み取らず無視するなんて異常だ。
説得力なさすぎだろ。

数百年も経て、日本側の文化や政治制度も整備されてきた時期の記述を
「他国だから」の一言で無視するなら、そもそも邪馬台国の記述なんて
最初から無視すべきだろ…。
883名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:00:10 ID:HWEWyGPh0
>>862
その定説というのは、10数年前に変更された説のことですね。

10数年前までは、古墳時代の開始は300年以降というのが多数説でしたが、
弥生時代の各種出土物(鉄、絹、鏡)の統計では、九州は九州以外の10倍以上と
いう事実がありました。

もちろん、その当時の畿内説の方々はその出土事実さえ認めていませんでしたが。
しかし、出土事実を無視することが限界に達したため、邪馬台国時代は古墳時代だった
という説に急遽変更したというのが、今の畿内説ですね。
古墳時代になれば、畿内の出土物は増えているわけですから。

これ以降、古墳は3世紀半ばから始まったという説が急に人気が出てきたのは事実ですが、
本当にそれを信じている学者が本当にいるのかはよく分かりません。
884名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:00:15 ID:YSoMsRg20
★二つの新羅      
「北の新羅」と「南の新羅」は別の国家。同じ国ではありません。

http://www2.odn.ne.jp/~cbm51320/
http://www.wakokugaku.org/shiragi/sub1.htm
885名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:00:37 ID:PZB1mFYa0
886名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:02:33 ID:Gl4d1YVk0
『旧唐書伝』倭国日本伝
「日本国者倭国之別種也以其国在日邉故以日本為名或日倭国自惡其名不雅改為日本或云日本舊小国併倭国之地」

『新唐書』巻二二〇 東夷伝・日本
「後梢夏音惡倭名更號日本使者自言国近日所出以為名或云日本乃小国為倭所弁故冒其號」
887名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:04:20 ID:aGSl3RUh0
>>874
新唐書の方も解釈が色々できるだろうね。

>あるいはいう、日本は乃(すなわ)ち小国、倭のあわす所となる、
>故にその号を冒せりと。

どこが倭で、どこが日本だったのか、
どちらがどちらを併合したのかは意見が分かれるとしても、
名称の引継ぎの可能性がはっきり読み取れる。

これが ID:PZB1mFYa0さんに対する主張の根拠でもある。
同時期にヤマトが二つあったことは証明されていない。
しかし、名称を引き継いだ可能性は史書に見て取れるんだよ。
888名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:05:09 ID:tAtaYgVL0
出雲国加茂町神原、柳橋の左岸堤防を500mほど下がると神原古墳がある。墳丘の上部に
神原神社の本殿が建っていたので、古墳の存在は古くからわかっていたが、調査の手は
加えられなかった。ところが赤川の改修に伴い、神社が約50m移転することになったので、
1972年(昭和47)夏、初めて本格的な調査が行なわれた。その結果、竪穴式石室があり、
かなり副葬品も発見された。そのなかで、三角縁神獣鏡には周縁部に文字が彫られていて、
文中に「景初3年(239)」という魏の年号が刻まれていることから、疑いもなく魏の紀年鏡だ
ということで世間の注目を集めた。それは「景初3年」というと「魏志倭人伝」によれば、
卑弥呼が魏に朝貢し、その返礼として多くの下賜品をもらった年であり、その中に銅鏡100枚
が含まれていたという記述があったからである。加茂岩倉遺跡が発見されるまでは、
この銅鏡が大国主命の「つみおきし宝」ではないかとも云われていた。
 現在、出土品は松江市風土記の丘資料館に展示してある。
889名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:05:51 ID:2YxsfdTQ0
>>882
明確に「或いは曰く」って書いてあるから
890名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:05:59 ID:FfEWjD3D0
八岐大蛇、八俣遠呂智(やまたのおろち)の「ヤマタ」は
あるいは「邪馬台国」と何らかの意味で音韻的につながりがあるかも
しれぬ。
891名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:07:36 ID:5hiLbxAd0
卑弥呼って綺麗だったのか???タイムマシンにのって卑弥呼とセックスしたいっす
卑弥呼をバックで攻めたいっす!!
892名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:09:02 ID:xF7fwRU20
馬鹿サヨの脳内では、

支那の歴史書=真実
日本の歴史書=権力を正当化するためのおとぎ話

なんだってね。
893名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:09:17 ID:Gl4d1YVk0
>>886
× 或日倭国自惡其名不雅改為日本
○ 或曰倭国自惡其名不雅改為日本

「いわく」だな間違えちゃった。
894名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:10:20 ID:B9qa1UfT0
>>882
Wikiの記述がやはり納得できるな。
倭と日本を強引に九州と畿内とすると矛盾点が大きすぎるが
倭を天智朝、日本を天武朝とするとそこまで大きな問題は出ない
895名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:10:30 ID:LPLl2PvK0
>>883
皮相な脳内だな。機内とか九州とかは関係ないんだよ。
土器の考古学的考察や、前方後円墳の考古学的研究から生まれてきた。
896名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:10:49 ID:aGSl3RUh0
>>885

>>877は、まとまっていないという問題が示されているだけで、
書かれた内容がウソだなんてどこにも書いてない。
まとめていない生の資料として資料的価値が高いとさえ書いてあるじゃないか。

何度も言ってるように、旧唐書が正確性を欠くとしても、
そこに書かれていたことを嘘として退ける事はできないだろ。
複数の政権の存在、併合の事実なんて、無視できるレベルを超えてるだろ。
897名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:13:06 ID:EOjznx0JO
>883
旧石器捏造の話ですね。

貴方の言う通りだと思います。
3世紀中頃が古墳時代だというのは、遺物を無視した畿内説の強弁だというのが私の意見であり、
専門家の定説なんだから、3世紀は古墳時代だというのが大方の意見のようです。
898名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:13:15 ID:aGSl3RUh0
>>889
その「或いは曰く」の情報源はどこなんだよ。
完全に正確ではないとしても、一国の興亡について全くのデマを訂正もしないまま史書が採用するわけないじゃん。

新唐書でも似た内容を引き継いでいる以上、
何らかの元になった事実を認めるべきだろ。
899名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:16:06 ID:B9qa1UfT0
>>898
>何らかの元になった事実を認めるべきだろ

壬申の乱における皇統の交代だろ。
何も邪馬台国の時代まで遡る必要は全く無い。
聖徳太子の時代まであっちの史書には「倭」とあるんだから
900名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:16:44 ID:aGSl3RUh0
>>894
>倭を天智朝、日本を天武朝とするとそこまで大きな問題は出ない

内乱における天武朝がなぜ独立した「旧小国」扱いなんだよ。
国家として一定の継続性もなければ、併合と説明されるのもおかしいだろ。
大きな問題でまくりだろ。
901名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:19:05 ID:F/6EJN6T0
>>890
邪馬台国の「や」が八だとすると
八岐大蛇、八雲立つ出雲八重垣、八上姫・・・
出雲だな
902名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:19:10 ID:HWEWyGPh0
>>895
土器ですか。
庄内式を3〜4式に分けて長期化するとかいうあれですか。
けど、地方ではそんな分類は全然できないですよね。
というか、大和と河内だけに絞っても共通分類が成り立たないですよね。
つまり、極めて限定された出土状況だけを前提としていますね。

しかも、土器の形の変化で分けずに、共伴する小形土器の違いで大きな
年代差をつけて、土器の型式の変化にすりかえるというのも変ですね。

普通はあれをトンデモと言います。
903名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:19:25 ID:B9qa1UfT0
>>900
そりゃ、日本側の使節がそう主張したんだろ。
「わが国は新たに生まれ変わり、旧倭を含めたより広大な地域を治めるようになり」
とか何とか。
904名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:19:51 ID:vdol9o8x0
>日本は倭国とは別種、小国だったのが倭国の地を併せた

これは日本から来た使者が語ったこととして記録されてる。
中国が推測したことではない



905名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:19:54 ID:2YxsfdTQ0
>>900
何世紀もまえの書物だから間違えがあってむしろ当然
教科書でさえ尊氏の絵は間違いって最近わかったことだよwww
906名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:21:55 ID:UtU1yxCH0
「或いは」は、今の日本語のあるいはという意味ではなく、
「そして」という意味
907名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:22:20 ID:B9qa1UfT0
>>905
そういえば、現代から見て400年前の戦国時代の歴史ですら
やれ桶狭間の奇襲は無かっただの、鉄砲三段撃ちは無かっただの
武田騎馬隊は存在しなかっただの色々あるよな。
6世紀や7世紀の史書が3世紀の状況を正確に記録できると考える方が
どうかしとる
908名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:23:00 ID:FfEWjD3D0
出雲王朝が滅ぼされたように、邪馬台国王朝も大和政権によって滅ぼされた
のだろう。但し権力者は殺されたかもしれないが、一般人までは滅ぼさな
かったかもしれない。戦争で滅された側の民衆の心を宥める為に、それまでの
統治者を弔い偉業を称えるための施設などを作ったと考えればよいだろう。
(記紀でも出雲のことは悪くは書いていないので、合併だったかもしれない)
909名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:23:49 ID:aGSl3RUh0
>>899
>壬申の乱における皇統の交代だろ。
皇統の交代の一方を「国」扱いなんておかしいだろ。
誰がそんな情報を中国に届けるんだ。

>聖徳太子の時代まであっちの史書には「倭」とあるんだから

聖徳太子の時代であってなお、倭と日本の二つの政権の存在が記されているんだよ。
その時期までに統一して何百年も経っていたら、そんな記述の混乱は起きないだろ。

だとしたら、そこから300年も遡る邪馬台国の時代に
統一がなされていないのは当り前じゃないか。
910名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:25:00 ID:B9qa1UfT0
>>909
だから九州王朝説を主張したいのならそういえよ・・・
911名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:25:27 ID:+jph0m4x0
>>908
邪馬台は中国人が音を漢字に表したもので大和と同じだってば
そもそも邪馬台は「ヤマト」と読まれていた
912名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:26:39 ID:aGSl3RUh0
>>903
>「わが国は新たに生まれ変わり、旧倭を含めたより広大な地域を治めるようになり」

そんなバカなこと言うわけないだろw

「天武朝は国で、倭国とは別種です。
このたび倭国を併合しました。」
なんて自己申告すると本気で考えてるのか?

別の国だなんて認めず、併合という違う国だという言葉も避け、
継続性・正統性を主張するに決まってるじゃないか…。
913名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:27:45 ID:zv+92Yz+O
邪馬って国の名前なのにね邪魔とかの字なんだね
強いを悪とか書いてみたり感じは面白い
914名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:29:36 ID:aGSl3RUh0
>>907
>6世紀や7世紀の史書が3世紀の状況を正確に記録できると考える方がどうかしとる

完全に正確ではないにしろ、こんな言葉で説明つかないだろ。
一つの地域の戦術レベルの記述じゃないんだぞ。
一国の興亡の歴史の情報だ。

記紀にだって、日本国内の他国を併合していく過程は
「乱を治める」「征伐」という形で書いてあるじゃないか。
915名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:30:22 ID:B9qa1UfT0
>このときの国号改称について、新唐書(『唐書』)、旧唐書(『舊唐書』)に
>「倭という名称をきらって日本へ改称した」という内容の記述が残されている。
>また、両書には「元々小国だった日本が倭国を併合した」という内容の記述もあり、
>これは天武天皇が弘文天皇の近江朝廷を滅亡させた壬申の乱を表していると一般的には理解されている。

ウィキより。小さかった日本が大きな倭を併合した、とういう解釈ですな
916名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:31:07 ID:FLfusm340
第一章 古代史の復元 あらすじ
国内資料 神社伝承の有効性について
年代推定 栗原説と原田説をつなぐと考古学的事実と驚異的に一致。日本書紀の年代は在位年ではなく誕生からの年数である
神社で祀られている神 神社で祭られている神の大半は、スサノオ・ニギハヤヒ関連
神社伝承を基にした古代史の復元 原田説を160年さかのぼらせた場合のあらすじ

第二章 国家統一方法
国家統一の方法 大和朝廷の国家統一が戦乱の末であるとすると矛盾が多い
統一方法 大和朝廷は平和的に日本列島を統一した

第三章 各種資料との照合
弥生時代 弥生時代の国内状況
スサノオの父フツ 朝鮮半島の戦乱からフツが日本列島に逃れてきた
瀬戸内海沿岸地方の統一 スサノオは朝鮮半島から新技術導入して国家統一を決心した この連合国を「倭国」と命名 
北九州統一 スサノオは中広銅矛をシンボルとして周辺諸国から統一した
南九州進攻 スサノオは南九州を統一しイザナギの娘ムカツヒメと結婚
紀伊半島統一 スサノオはイザナギ・イザナミを伴い紀伊国を統一した。
スサノオの死 スサノオは佐田神社に隠棲、スサノオ死後の各地の様子
大阪湾沿岸地方統一準備 オオトシは琴平で倭国を統治し近畿地方統一の準備をした
大和統一 オオトシ(ニギハヤヒ)は大和に侵入し日本(ヒノモト)建国
東日本統一 ニギハヤヒは東日本地方一帯をヒノモトに加盟させる
日向国の台頭 南九州の伝承の考察 スサノオ後の倭国の状況と倭国(東・西)の分裂(出雲国譲り)
南九州の伝承の考察 南九州の伝説の真実性についての考察 
漢委奴国王 委奴国は日向国で国分を都とし国王はムカツヒメである。日向一族の南九州統一物語
ニギハヤヒの死 ヒノモトのニギハヤヒの死、そして、三輪山信仰の始まり 三輪山の形=鋸歯紋で大和朝廷のシンボルとなる
銅鐸について 銅鐸は三輪山山頂から昇る太陽の姿で祭器となる。
917名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:33:00 ID:aGSl3RUh0
>>910
複数の政権があったという意味でなら、もちろんイエスだよ。

ただ、「九州王朝説」なるものがよくわからん。
俺がしていない主張まで勝手に組み込んで批判されるのは困るんだよな。
そもそも、「王朝」という言葉にすぐ噛み付いてくる人いるしなあ。
918名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:33:51 ID:FfEWjD3D0
>911
もとのくにのなまえが八俣の国だったり、八幡の国でも、
中国人が邪馬台国という汚い字を充てたかもしれないだろう。
919名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:34:06 ID:FLfusm340
>>916
大和朝廷成立 二大国(ヒノモト・西倭)の合併、それを裏付ける考古学的事実
広島県下の朝廷の扱い 神武東遷経路広島県下詳細 サヌ(神武帝)は東倭から安芸国を譲り受ける。
神武天皇東遷開始 神武天皇の誕生から波見港出航までの伝承
神武天皇日向発港 波見出航から美々津出航までの伝承
神武天皇と北九州 神武天皇の北九州巡回伝説
瀬戸内海経路山口県下の伝承 山口県下の滞在伝承
安芸国埃宮 安芸国での行幸伝承
吉備国高嶋宮 吉備国での行幸伝承
神武天皇東遷熊野迂回経路 サヌは生駒山越えで大和に入ろうとしたが反対派の妨害にあったため熊野を迂回した。
神武天皇大和進入 サヌは宇陀地方の豪族の協力を得て大和に侵入
神武天皇として即位した。
大和朝廷の技術指導 朝廷は新技術導入でもって地方を治めた。
倭国王帥升等 帥升等は懿徳天皇で中国に人を派遣し新技術を学ばせた。

倭の大乱伝承 倭の大乱黄泉国伝承 吉備津彦の吉備平定 倭の大乱考古学的事象 倭の大乱の概要
倭の大乱は大和朝廷が東倭を併合しようとして起こった。孝霊天皇の楽楽福伝承・吉備津彦伝承・黄泉国神話が大乱の状況を伝えている。
大乱後の改革 大乱の講和条件として吉備国を中心に新しい祭祀が始まる。
邪馬台国への行程 魏志倭人伝の邪馬台国までの行程記事は1世紀の日向国へのものである。
邪馬台国女王卑弥呼 卑弥呼(大物主神の妻)は倭迹迹日百襲姫である。倭迹迹日百襲姫は天皇以上に権力を持った存在であった。
古墳時代の始まり 方墳はスサノオ祭祀者の墓 前方後円墳は国造の墓で三輪山から昇る太陽の姿 三角縁神獣鏡は三輪山のシンボルを強調したもの
熊襲との戦い 朝廷はただひとつ残った未統一地域の統一に乗り出した。狗奴国=球磨国である。
福岡県朝倉地方の地名について 朝倉地方の地名は神功皇后が大和の地名を移したもの
三角縁神獣鏡の終焉 神功皇后が大和を制圧し中期古墳時代が始まった。
スサノオ・ニギハヤヒの抹殺 仏教の広まりにより出雲関係の神は抹殺されることになった。

第四章 まとめ

http://www.geocities.jp/mb1527/mokuji.htm
920名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:34:42 ID:B9qa1UfT0
>>914
別国家による制服、という具合に真正面から解釈するなって事。
重ねて言うが、倭と日本を全く別の国だとするなら7世紀まで
日本列島内に別の国家があり、すなわち九州王朝説でも取らない限り
そんなシンプルな解釈はありえない
921名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:35:57 ID:2dRVyz8Z0
日本からの使者と倭からの使者が来てる。

倭国伝では
>倭国は古の倭奴国なり。
>新羅東南の大海の中に在り。山島に依って居す。
>世々中国と通ず。

その領土は
>倭国は、四面に小島、五十余国があって、みな倭国に属している。

日本伝では
>日本国は倭国の別種なり。
>其の国、日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。
>倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。
>日本は旧小国、倭国の地を併せたり

日本国の領土は
>西と南は大海に達し、東と北は大山に達する。山のむこうは毛人の国である。

領土の描写は、倭は九州、日本は本州って感じ。

昔から中国と通じていたのは倭だったが、そこへ日本国の使者も現れ
自分たちこそ正当と主張。
倭の地も併合して、倭の後継であると言ったのか


922名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:38:05 ID:B9qa1UfT0
>>921
そ、倭≠日本説を本気で信じるなら九州王朝説ないし
それに近い説をとる他ない。
何故それを避けたがるのかが全く理解できん
923名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:39:04 ID:54JA/jj70
中国に嘘報告してたかもしれないからなあ
遣隋使もはったりかましてるし
924名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:42:49 ID:aGSl3RUh0
>>920
時期はそんなに問題なのか?
聖徳太子が日本を名乗って使者を出したんだから、
倭国の併合時期は聖徳太子以前でもおかしくないじゃないか。
なぜ7世紀まで並立存続している必要があるの?

「別種の国」「併合」という言葉が明記されているのに、
それを無視して解釈する理由がわからん。

記紀にも征伐や乱を治めるという記述はいくらでもあるし、
邪馬台国よりさらに遡れば、奴国というヤマト朝廷とは
別の政権が朝貢してるじゃないか。
925名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:45:13 ID:Gl4d1YVk0
    邪馬台国
  ↓      ↓
九州       畿内
倭国       大和(日本)

ということか。
926名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:45:29 ID:B9qa1UfT0
>>924
あのなぁ、隋書には「大和=邪馬台国」と明言してるんだぞ。
そことの矛盾はどうするんだよ。
927名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:46:42 ID:FfEWjD3D0
三洋電機と取引していたはずだったが、ある日パナソニックという会社の
名刺を持ったのがやって来た、どういうことだと尋ねたら、三洋電機という
のはパナソニックの古い一部です。今の会社はパナソニックになっています
と返事された。そんな感じだ。
928名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:50:31 ID:aGSl3RUh0
>>926
ごめん。どこに?
どう矛盾するんだろ。

文言を読んで見ても
どこに倭があって、どこが日本だったのかは書いてないし、
どちらがいつ日本と名乗ったのか、いつ併合したのか、
解釈は複数できないか?
929名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:53:32 ID:EOjznx0JO
>928
中国の史書は、それ以前の史書の記述を踏襲するので、
記述された時代に、倭と日本が並立してる必要は無い。
別種=「以前記述にあるのとは違う」と言う意味だと思う。
日本伝で、倭国が日本と改称したとあるし、
倭国の地=元倭国の支配地=九州であり、
倭が畿内に移った後、豪族が支配していた九州を取り返したと言うことでは?
磐井の乱も有ったしね。
930名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:54:05 ID:V29fVFXM0
今はその中国が、台湾とどっちが正当かで
アピール合戦してる皮肉
931名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:57:42 ID:5JqFBQIO0
結局文献史学では明確な答が出ないということか
考古学に期待だな
何が出れば邪馬台国とはっきり言えるのかわからないが
♯ 金印は移動する可能性もあるし
932名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:58:08 ID:aGSl3RUh0
>>929
そのあたりの経緯ははっきりはわからないよなあ。

だが、最低限、国が複数あり、併合するような関係に
あったことは読み取るべきだと思う。
そして、その一方がかつての倭国であったことも。

「邪馬台国の時代から日本は統一されていた」
ということを何の疑いもなく前提として設定して、
「その時代に最も栄えていたから畿内が邪馬台国の位置だ」なんて無理ありすぎだ。
933名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 03:59:33 ID:2YxsfdTQ0
じゃあさ、旧唐書に書かれている倭国は九州王朝、日本は大和朝廷ていうことで、
マキムクは邪馬台国で大和朝廷で矛盾しないんだから、そういうことでおkだよね
934名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:00:28 ID:EOjznx0JO
>932
同意。解釈の差になるからね。文献の限界かな…
最後3行も同意。
935名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:07:22 ID:J7Sw35LQ0
これが俺の考えに近いな 工程や距離を1/10で考える
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono801.htm
936名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:08:22 ID:U5rl7xwG0
邪馬台国が大和の地にあり、加えて「神武東征」が史実なら、
天皇は邪馬台国を滅ぼした日本の権力の簒奪者ということになりかねないからな。
天皇の日本の支配者としての正当性が揺らぐ。
だから右翼は邪馬台国が九州にあったと思いたがる。
これは政治的主張に過ぎないよ。
937名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:09:28 ID:aGSl3RUh0
>>933
>マキムクは邪馬台国で大和朝廷で矛盾しないんだから、そういうことでおkだよね

これは違うね。
複数の政権が存在すれば、前提が崩れちゃうだろ。
日本が統一されていれば、最も栄えていたマキムクを都として邪馬台国の位置といえるが、
複数の政権があれば、他に邪馬台国があった可能性が出てくるでしょ。

九州=邪馬台国・倭国とするなら、
マキムク=ヤマト朝廷が、九州の倭国を併合しても、
倭国を併合したとある旧唐書の記述と矛盾しないでしょ?

逆に、邪馬台国=倭国=畿内=ヤマト朝廷としてしまったら、
ヤマト朝廷が併合されたことになってしまうじゃないか。
そんな事実ないだろ。
938名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:09:44 ID:+jph0m4x0
>>935
アマテラスは男だよ。
939名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:09:49 ID:ZxuDo1TNO
よ、よっしゃー!!!
940名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:10:01 ID:YXeyeiq40

古代、まだ竪穴住居に住み、採集狩猟生活をしていた縄文人。
朝鮮から渡ってきた文明人は、まず彼らに米の作り方、火とカマドの使い方を教えた。
次に、その身なりを哀れに思い、衣服や履物の作り方を教えた。
そして、文字を教え、文明思想を伝えた。

百済に中心を置いた当時の政治勢力は、列島に軍司令官を派遣して原始土民を文明に導こうとした。
司令官は、九州から近畿まで、土着勢力を征伐し従えながら百済の勢力圏を広めた。
その間、土民の女たちは朝鮮人に積極的に身をゆだね広く混血が生じた。古代の”韓流”である。
伊勢近辺で頑迷な土民勢力と対峙し、そこに宗教施設を造営して境界とした。のちの伊勢神宮である。
故国朝鮮の風土に似た奈良盆地に本拠地を置き、そこに都市国家群を建設してその土地を”ナラ”=諸国家群と呼んだ。

しかし、土着するや司令官は天皇と僭称し、直ぐに増長して本家に謀反・敵対を始めた。
今日まで日本人が朝鮮に抜きがたい劣等感を抱き侵略を企てる基礎が、ここに定まった。

天皇を朝鮮に来させ、土下座させて歴史の全てをわびさせなければ改まるまい。
といより、むしろ愛子天皇に朝鮮の精を授けることによってこそ、朝鮮とこの国との関係を国際的に明確にする最良の道である。
941名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:10:48 ID:J7Sw35LQ0
>>938 そんなことはどうでもいいだろ 場所
942名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:11:40 ID:aGSl3RUh0
>>936
九州説はサヨク扱いされたかと思えば、右翼扱いされるのか。
政治思想がからむと色々大変だなあ…。
943名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:12:53 ID:EOjznx0JO
>933
マキムク=邪馬台国は、証拠がなさ過ぎて難しい。
マキムク=大和朝廷は間違いない。
邪馬台国と大和朝廷の連続性を示す証拠が無いから、今後の研究待ち。
神武の東征の内容を裏付ける物的証拠が出れば、あるいは決着つくかも。

>936
邪馬台国が大和にあり、神武東征が史実なら
東征は中部関東平定と解釈されるので
2行目以下は無いよ。
>942
ウヨサヨは全く関係無いのにねぇ。
944名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:13:40 ID:U5rl7xwG0
「邪馬台国論争」というのは元々政治がらみ。
純学術的なものではないな。
945名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:15:25 ID:2YxsfdTQ0
九州=倭国 九州≠邪馬台国でも矛盾しないでしょ?
邪馬台国=日本=畿内=ヤマト朝廷で
946名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:17:14 ID:U5rl7xwG0
邪馬台国論争は「天皇」の、日本の支配者としての正当性の問題に関係している。
だからこの問題に関しては右翼が必死で詭弁を弄するのだな。
947名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:17:42 ID:AAqe+X5T0
俺には>>936のいう「正統性」の意味が分からん。
948名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:17:44 ID:2YxsfdTQ0
旧唐書には邪馬台国の記述は無いよね
949名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:19:54 ID:aGSl3RUh0
>>945
>九州=倭国 九州≠邪馬台国でも矛盾しないでしょ?

これは何が言いたいかよくわかんない。
基本的に倭国=邪馬台国だろ。

なぜそこが分離するの?
分離を読み取る根拠はどこかな。
950名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:19:56 ID:J7Sw35LQ0
1、帯方郡から女王国までは1万2,000余里ある。
2、帯方郡が出発点だとすれば、船で韓国を経て7,000余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。
3、そこから海を1,000余里渡り、対馬国に着く。
4、瀚海と呼ばれる海を南に1,000余里渡ると一大国(一支国)に至る。
5、また海を1,000余里渡ると末盧国に至る。

理屈ぬきで2−5で10000里消費してるから、邪馬台国まで5の末盧国から2000里である。
そして 2−5の距離を現在の距離に置き換えると約1/10である。
よって、陸行、水行も1/10で考えると5の末盧国から東南(東)に80−100km圏内と推測できる。

6、南に水行10日陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。

水行1日、陸行3日(1月:30日として)で80−100kmの移動なら妥当である。
951名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:21:23 ID:EOjznx0JO
むむ、とっても勘違い。
>943の>936へのレスは勘違い。神武東征が関東平定なわけがない。
すまなかった。寝ぼけ出したので寝ます。
皆さんおやすみなさい。
952名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:21:27 ID:2YxsfdTQ0
>>949
倭国とは中国からの呼称だから
九州を指しても大和を指しても時代により変わりうる
953名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:23:33 ID:3pTdnZ7g0
つかTVで「関東に大昔、超大国があった!?」って番組やってたときは

腹抱えて笑ったわww

どんだけ歴史コンプなんだよw

954名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:23:34 ID:e/tinAZB0
>>948
倭国はいにしえの倭奴国
とある。
これは邪馬台国より前、漢の光武帝から金印をもらった国
955名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:25:08 ID:aGSl3RUh0
>>952
魏志倭人伝の段階では倭国=邪馬台国だよ。
君の主張で旧唐書を見ると、
「倭国」を併合する「倭国の別種」=ヤマト朝廷=邪馬台国となるね。

いつの間に分離してしまうんだ?
956名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:28:14 ID:2YxsfdTQ0
>>955
中国からみるとそうなる
邪馬台国に時代は呼ばれるまま倭国を自称した
後に蔑称に耐えられず日本を名乗った。九州は倭国を名乗りつづけ、九州を日本が併合した
957名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:35:10 ID:aGSl3RUh0
>>956
魏志倭人伝の倭国から、旧唐書の倭国への連続性を否定する根拠が、
「中国からみるとそうなる」という根拠だけなのが辛くないか?

根拠は薄いけど、可能性の問題、想像としてはありうる解釈だとは思うよ。
958名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:39:33 ID:2YxsfdTQ0
>>957
むこうがどう呼ぶのかはむこうの都合だし

他のサマザマなことがヤマタイ=大和を示しているから
それを否定するほうのが根拠薄いとしかいいようがないw
959名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:42:34 ID:+jph0m4x0
>>953
いや普通に在ったでしょ
大和の歴史は関東との戦いの歴史だし
むしろ無いと思う方がおかしい
960名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:48:22 ID:aGSl3RUh0
>>958
大和とヤマタイは同じだとする事は九州説でも否定されないだろ。
日本と言う呼称を引き継いだ痕跡があるんだから>>874

奈良の政権が、中国の古い歴史書にあるヤマタイという呼称を、
自らの政権に引き継いでつける理由は十分にある。
961名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 04:55:45 ID:2YxsfdTQ0
>>960
917で九州王朝説もとってないらすいし、じゃどこの辺境が邪馬台国なの?
962名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:00:47 ID:aGSl3RUh0
>>961
邪馬台国は九州でしょ。
普通に読めば、魏志倭人伝の描写の内容は九州だ。
俺は九州説を否定したことないぞ。

九州「王朝」という言葉が持つ問題や、
これまでの「九州王朝説」とやらの内容がよくわからんから、
そこまで責任持てないし、その言葉を使ってないだけ。
963名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:01:03 ID:2YxsfdTQ0
>>960
>奈良の政権が、中国の古い歴史書にあるヤマタイという呼称を、
>自らの政権に引き継いでつける理由は十分にある。

むしろこれはない。
中国にかしずいていた歴史をむしろ隠そうとしているようにしかみえない
964名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:08:13 ID:2YxsfdTQ0
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    |      |            /             ゞ ∫   九 州 説
    \___ \______/    〓〓〓〓 ^〜´ ゞ        
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965名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:10:40 ID:2YxsfdTQ0
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             / |l     ',  / /
        ,、     ,r'´  ||--‐r、 ',      九 州 説 を 白 状しますたあ ー ー ー ! !
       l.l. ,..ィ'´    l',  '.j '.
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966名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:12:57 ID:xs7RLCfW0
いろんな状況証拠から大和纒向以外あり得ないってのはもうずっと学会の大勢だったわけだが
未だにアマチュアファンには九州説が多いよね、でももうこれでトドメになるかな
967名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:17:02 ID:zbpuvlcY0
古代最大の勢力=邪馬台国って図式はただのコマーシャリズム。
このスレだって「纒向遺跡の発掘開始」ってだけならこんなに伸びない。
せいぜい50レスで消える。
邪馬台国の文字を入れるだけで何度でも入れ食いになる。
エロ漫画の表紙に釣られて買ったら中身ショボーンってのと同じ。
968名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:30:23 ID:AAqe+X5T0
ヤマト  列島八州を指す
倭    大陸の人が日本列島の地方名として命名。伝説では「わが国の名?」を「『わ』が国の名」と取り違えたという。
邪馬台 大陸の人が上記の「ヤマト」を女王国の名と勘違いして付けた
和    「倭って小さいって意味でしょ?カッコワルイ」として字を変えてみた
大和  近畿〜九州を併呑し、大きくなったから「大」を付けてみた。
日本  「そっち(中国)から見て日の昇る方だから」として、まるっきり変えてみた

昔の日本人からしたら、読みは全部「ヤマト」
969名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:40:27 ID:UmDBwycF0
沖縄が本土をヤマトと呼ぶのは、昔からなの?
970名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:48:19 ID:zbpuvlcY0
琉球王はヤマト政権に朝貢してたから、公式にはヤマトって呼んでんじゃねか

>>968
>ヤマト  列島八州を指す
もともとは奈良にある地名な。
971名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 05:57:43 ID:CAq8Uw4vO
投馬国の場所は、「とうま」ではなく「つま」と読めば、現在の八女地域(旧上妻郡、そして下妻郡)かも。
972名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:00:23 ID:Y2VwaeWY0

ま、文化交流の過程で中国から取り寄せた日本史にヤマタイとか書いて
あって、日本の人が「へ〜日本にも昔そんな国があったんだ」などとなって
どこだろう九州かな?などと言い始めて風説ができたんだろうw

ソースは俺だwwwww
973名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:05:12 ID:nGRwVJzr0
九州にも、山門(ヤマト)というところがあるな
974名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:05:26 ID:J7Sw35LQ0
筑豊のあたりかな
975名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:07:01 ID:QC7VRto7O
日本で独自の文字が確立されていない時代。
三國志の内、弥生後期か古墳時代か定かではない当時の発音表記を漢字に当てた、魏志に書かれた倭人伝を鵜呑みにする方がおかしい。
現在の日本語がどの時代まで遡って通用するのか。
当時の日本の地理的位置を大陸人が正確に把握していたかも怪しい。
邪馬台国が存在していたとしても、考古学で立証するのが正しい。
976名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:07:09 ID:xs7RLCfW0
>>971
古代中国の発音無視してそんな推理しても何の意味もないだろ
977名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:07:53 ID:04CVffim0
>>959
ヤマトタケルにあっさり平定された土人乙
978名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:13:00 ID:E/FDKepL0
邪馬台の中国語読みは【ヤマドゥ】に近い。
豆知識な
979名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:14:30 ID:GP/9ddB50
>倭国はいにしえの倭奴国
とある。
これは邪馬台国より前、漢の光武帝から金印をもらった国

>>954が言うとおりだろ。
中国大陸や朝鮮半島の緊張が極限まで高まっていたのが三国時代と隋唐時代。
金印授与は柵封体制だから、なによりも軍事的プレゼンスが最上位のはず。
両時代とも日本の位置と武力が問題なわけで、その位置を間違いようがない。
そして、「倭奴国」は間違いようもなく金印の出てきた志賀島だ。ならばそ
の後継国の存在や位置なども連続してその地付近にあるという事は中国側の
認識。
980名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:23:23 ID:nGRwVJzr0
>>979
でも逆に、間の邪馬台国が抜けてるのは不思議とも言える。
倭奴国→倭国と邪馬台国は関係あるのかないのか。

金印も、出土した所に国があったとは限らない。
これは卑弥呼の金印が見つかったとしても同じ。
壇ノ浦から三種の神器が出てきてもそこがミヤコだったと言えないように。
981名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:26:38 ID:KLRtow4D0
    (⌒\  ∧韓∧
    \ ヽヽ<丶`∀´>
   ━━(mJ━┓⌒\ 暗い夜道と
      ノ ∩  / /
      (  | .|∧_∧  朝鮮人には
  /\丿 | (    )
  (___へ_ノ ゝ__ノ  ビーケアホー
982名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:47:23 ID:YMYkHqR9O
>>963
いや、あり得る。
箔付けになるから。
中華人民共和国は建国60年の歴史の浅い国だが
“中国”を名乗れば4000年の歴史だからな。
983名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:49:05 ID:J7Sw35LQ0
邪馬→じゃじゃ馬の
台→台頭してる
国→国

って意味だ。中国がつけた皮肉だ。
984名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 06:53:49 ID:zbpuvlcY0
>>982
>“中国”を名乗れば4000年の歴史だからな。
w このスレ一番の馬鹿が光臨w

>>983
擬人化するときにはポニテ娘になるわけですね。
985_:2009/02/01(日) 07:06:02 ID:KXRmVOw/0
「魏志倭人伝」の道程記述は晋朝の政治的事情(太祖司馬懿の事跡を誇大喧伝するため)から
呉の背後を脅かす南海の巨大帝国に描かれたということがわかってから、専門家は参考程度にしか
見て無くて、アレを元に邪馬台国論争をしているのは民間の歴史ファンだけだってさ。

------------------------------------------------------------------------------------

偉大なる邪馬台国も、神秘の女王・卑弥呼も、こうした三世紀の中国の家庭の事情が
作り出した幻影だった。日本列島のどこかに、中国人が卑弥呼と呼んだ老いた巫女が
いて、その住む町が邪馬台という名前であったことは事実だろう。
また卑弥呼の宗教的権威を利用して、中国人が卑弥呼を倭人の代表に選び、中国の名誉
総領事のような役割を果たさせたこともまちがいあるまい。しかし女王・卑弥呼が、
同時代の倭人たちから見て、実際どの程度の王権らしいものを持っていたか、「魏志倭人伝」
からうかがい知ることはできない。まして「魏志倭人伝」の道里記事をどうひねくって見ても、
邪馬台国がどこにあったのか、分かるはずがもともとないのである。

「魏志倭人伝」がそんな心細い史料であるところへもってきて、「日本書紀」も七世紀末から
八世紀はじめの日本列島の政治情勢が作り出した書物で、七世紀はじめの時代についてさえ
真実を伝えていない。事跡はともあれ、王朝の系譜のうえでは、四世紀末の仁徳天皇までは
どうやらさかのぼれるが、それ以前の大和時代の天皇は、すべて架空の人物であり、それも
七世紀末の新しい創作である。

大和朝廷は存在しなかった。少なくとも「日本書紀」にあるような天皇たちはいなかった。

そうなってくると、邪馬台国と大和朝廷が同じか違うかということ自体がノンセンスである。
まして卑弥呼が天照大神か、倭迹迹日百襲姫か、倭姫か、神功皇后か、問題にするまでも
ないことである。要するに、邪馬台国という国家などは、存在しなかったのである。

 岡田英弘「日本史の誕生」(筑摩書房)111-112より

-----------------------------------------------------------------------------------
みんなこの本読もうぜ。面白いから。
986名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:08:06 ID:U7bo02RtO
とりあえず天皇縛りなくして、すべての古墳を
分け隔てなく調べよ。
所詮系図的にも遺伝的にもブッ千切れてる
一族だ、問題などない。

ただ、出土したなら高松塚のような失態は
許されない。
全力を以て保存に当たれ。

ここまでやって初めて邪馬台が語られるでしょうよ。
987名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:10:01 ID:kJ+ehEdO0
>>7
馬鹿か
しねよカス
988名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:18:29 ID:RnRn2ngY0
バイトで遺跡発掘してたら綺麗な木片がでた
おっちゃんに聞いたら
字も書いてないし、いらんよこんなもんって捨てられたっけ
遺跡発掘って結構大雑把なもんなんだなと思った懐かしい学生時代の思い出
989名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:18:55 ID:1ROIJew90
いづれにしても今の京都近辺にあったのは伊都国だよ。邪馬台国じゃない。
松江から東南220kmだと魏志倭人伝に明記されてる。
990名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:25:53 ID:FfEWjD3D0
1:なぜ天孫は九州の高千穂に降臨したことにするのか。
  近畿説なら三輪山にするだろう。
2:なぜ、和気之清麻呂は、道鏡問題で、わざわざ九州の宇佐神宮にまで
  皇霊のお告げを確かめに行くのか。
3:卑弥呼が居たと推定される時期に、二度の日蝕がそれ程間を置かずに
  おきうる地理的位置は北九州の領域だけであり、近畿では起きない。
  もしも天の岩戸の神話がこの日蝕にルーツを持つならば、なぜそれが
  古事記等に出てくるのか。
4:江戸時代末期にも外国から見て、日本には例えば薩摩の国と幕府の勢力が
  あるように見えただろう。そもそも国というだけなら平安時代
  にも、鎌倉時代にも、室町時代にも、戦国時代にも、江戸時代にも
  沢山の国があった。王権という意味では、日本国王を名乗ったものが
  天皇以外にも何度かあったりもした。
  (薩長連合が東へと幕府を攻めて行ったことは、まあ神話にも影響
  されていたかもしれず、面白い。だから九州説を唱えるというのでは
  さらさらないが。)統一されていない段階での日本列島には、複数の
  地方政権があっても何ら不整合でも何でもない。それぞれの政権が
  対外的に外交使節を独自に送っていたとしても矛盾ではない。
  バチカンに少年使節を送ったのは豊臣家でも徳川家でもなかっただろ。
  また豊臣秀吉は半島に対して戦争を仕掛けたが、結局敗退して、後に
  徳川によって滅ぼされてしまった。それで朝鮮半島は徳川家(半島に
  戦争には出かけなかった)には敵意を持っては折らず、むしろ仇敵を
  うち滅ぼした相手としてとがめだてなどしていない。この場合も
  大阪政権と関東(愛知、江戸)政権があって両者は最初並立していたが、
  後に一方が他方を滅ぼして勢力を拡大しているわけだ。
991名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:27:17 ID:YMYkHqR9O
台湾が邪馬台国(正当な中国の歴史の継承者)で中華人民共和国が大和朝廷みたいな関係だったのかも。
大和朝廷は邪馬台国を滅ぼしてその歴史と国際的地位を奪った。
日本が北朝鮮を国として認めず、韓国を朝鮮半島の正当な政権と認めているように
大和朝廷は中国に倭国ではなく大和朝廷こそが日本列島の
正当な政権と認めさせるために邪馬台国の名前を奪った。
992名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:33:38 ID:FfEWjD3D0
中国は男尊女卑の思想を持っていたので、女の王は奇異で蛮族らしさの一つの
象徴だっただろう。卑の文字はもしかするとそれだけで頭につけたもので
本当の音は「みこ(巫女)」だけだったかもしれない。
 沖縄や九州は女が一家の主のような具合だったし、そもそも平安時代ですら、
日本は女系中心の婚姻制度だった。
男が女の家に入り、子供は女の家で育てる国だった。
 対外的に野蛮国と見なされないために、王は男にすることに替えた
もしくは中国や半島から来た勢力が王権を収奪した時に
男系が王となることに変ったのであろうか。
993名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:49:24 ID:VcIr3YdN0
>>992
邪馬台国と敵対する狗奴国の王の名が
卑弥弓呼と、そっくりなのはなぜ
994名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 07:56:06 ID:DIehLY4A0
九州だったら都合が悪いんでしょ
骨のDNA検査で全て解明だけど
995名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:00:00 ID:1ROIJew90
>>992
卑弥呼という字当ては
貧しい者にも富める者にも人気があったって意味じゃないかな。
996名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:15:30 ID:J7Sw35LQ0
卑→卑しい
弥→弥生人と
呼→呼べ
997名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:23:46 ID:DIehLY4A0
記紀を信じてる人が畿内説なんでしょ
998名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:24:14 ID:9oiZ051Q0
>>990

詭弁だな。

恥ずかしいやつ。
999名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:28:02 ID:sFtq46PT0
>>1
>奈良県桜井市教育委員会は30日、邪馬台国の有力候補地、纒向遺跡(3世紀初め−
>4世紀初め)成立の謎を解明するため、集落中心部とみられる場所の発掘調査を2月に
>始めると発表した。期間は約5年の予定。

中心部の発掘に5年もかける…ということですから、関係者の皆さんの並々ならぬ決意を感じます。

纒向は、これまでの調査からでも、日本の成り立ちを考究する上で、最重要の遺跡だと考えてます。

この厳寒の時期、発掘調査に携わる方々は大変なお仕事になると思いますが、どうか力を尽くされ、成果を挙げてください。
1000名無しさん@九周年:2009/02/01(日) 08:28:06 ID:9oiZ051Q0
>>990
1,祖先は遠くの地から来たというのが、世界共通の神話
2,邪馬台国と関係ない話
3,天の岩戸伝説が卑弥呼の時代に出来たと証明するものは何も無い。日食は古代から普通にある。
4,想像にすぎない。
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