【社会】 「朝日を狙ってくれと依頼された」 朝日新聞・阪神支局“襲撃犯”、実名で告白手記

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536名無しさん@九周年
朝日新聞襲撃事件

 話を進める前に、再び坂上尚の話を聞く必要がある。
 昭和六十三年五月九日午後、大阪・西区に本社を置く夕刊紙「新大阪新聞社」に一台の
街宣車が接近した。灰色のボディーに日の丸と「防共」の白い文字が描かれた右翼の街宣
車だった。車の中に数人の男が乗っていた。全員が戦闘服をまとっていた。
 この新聞社のビルは当時、大阪駅に向かって一方通行の四車線、いわゆる四ツ橋筋の大
通に面した四ツ橋交差点南側に建っていた。チョコレート色の細長い九階建てのビルだっ
た。
 街宣車は、その新聞社近くで停車するとドアがあき、数人の男を車から吐き出した。男
らの表情は殺気立っていた。
 男らは建物に駆け込むと九階の役員室へなだれ込んだ。当時、役員室には榎本仁臣社長
が居合わせた。男らは、この社長を取り囲むと鋭い語気でこう言い放った。

「この記事は明らかにわれわれを指したもの。断じて許すわけにはいかない。このような
記事をなぜ掲載したのか。理由を聞こう。」
 社長からの連絡で橋本正夫編集局長(当時)が呼ばれた。橋本は男らの詰問に明快な返
事は出せなかった。「筆者を信じる以外になかった」という答えをくり返した。
 その筆者がフリーライターの坂上だった。坂上は、この夕刊紙の八面に「黒い地下人脈
金脈」という企画記事を毎日書いていた。
 記事の内容は商都大阪の裏側に巣食う裏人脈に焦点を当てたものだった。総会屋に暴力
団、あるいは違反行為を演じる企業そのものもヤリ玉に挙げた。泉佐野市の沖合に建設が
予定されていた関西新空港に伴う不穏分子の動きも、ぽつぽつ取りあげ始めていた。
 右翼を刺激した問題の記事は同年五月三日に兵庫・西宮市内で起きた朝日新聞阪神支局
襲撃事件に関してのものだった。この事件では同支局内に居合わせた記者一人が射殺され、
一人が負傷している。
 事件発生後、各報道機関は事件について「日本のマスコミに対する挑戦」とか、あるい
は「言論の自由に対する重大な挑戦」として取り上げ、連日、新聞、電波を使って大きく
報道した。しかし、犯行グループについては、あまり触れようとしていなかった。理由が
あったからである。