>>798 吉良上野介義央の人柄については刃傷騒ぎの時に吉良を治療した
幕府の蘭学医の栗崎道有を知るのがいいと思う。
当時リアルタイムで栗崎は日記を残しているのだが、
吉良が隠居して以降の民衆の吉良叩きが尋常ではなく
傷が治ってからも、わざと治療期間を延ばす報告を上にして
足しげく屋敷を訪れて見舞っている。
吉良が殺されてからも、首と胴体を縫い合わせてつなぎ合わせたのは
彼だし、跡継ぎの吉良義周も討ち入りで深手を負った上に
当日の対応が「不届き」として諏訪藩に流される際にも
治療目的での同行を幕府に願い出て却下されている。
そして栗崎は上野介と同じ寺に葬られている。
吉良が陰湿ないじめを好むような人柄だったら、いくら人道的な
考えがあったとしても幕府の官医である栗崎が
赤穂浪人が義士と祭り上げられている中、
ここまで吉良に肩入れはしないんじゃないかと思うね。
蘭学医であるから、近代的な考えを持った人だったんだろうけど。