【歴史】足軽だった赤穂義士の孫、異例の出世 忠臣蔵人気が後押しか 大石神社資料から発見
185 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 22:05:16 ID:Fovvz86f0
トチ狂って老人に襲い掛かったあげく
不意打ちなのに殺せなかった浅野はパーフェクトなクズ。
186 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 22:15:04 ID:RWqx8Ibo0
187 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 22:16:40 ID:WXgr7kkyO
>>51 大友は調子のいいときは毛利を手玉に取ってるが悪いときは家臣の嫁を奪ったりしてるので評価が難しい
>>164 時は平成の世の中。
天子様が京より、東の京に御移りになって幾年月。
豊田という、からくり車を作る豪商これあり。
そのご主人、奥田様というのですが、
幕閣を震え上がらせる力があるらしく、
商人の身にありながら、今太閤などとも言われていらっしゃいました。
その頃の日本では、賄賂的なものは極めてしまったと言いましょうか、
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
なんて狂歌を読む人などおらず、
「小泉の濁りに鮒も息絶えて 今は帰らぬ大和の営み」
というような歌が聞こえるにございます。
いつからこのような物騒な日本になったのかはわかりません。
思い返せば、秋葉原で辻斬りがあったときでございましょうか。
とはいえ、あれは辻斬りというよりは、俗世に生きる希望を
失った、町人が行ったものでございました。
このお話は、その辻斬り後におつきになった公方様が万策尽き、
更なる辻斬りの不安が高まった折におきた事でございます。
今日はここまでにしとうございます。
こんな感じかな。
>>175 怒らせると怖いというのは非常にある。
特に今の時代、派遣となっている人たちが、経営者やその家族に牙を向ける可能性も
あるのは無視できないわけで。
ちなみに、忘れ去られているようだが、秋葉原の件では、そこに被疑者の会社の営業所があったわけで。
190 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:12:51 ID:0nWKCesy0
>>177 相場を伝えてなかったことが逆にあだになった感じだよね。
そこらへんは元禄繚乱にあったと思う。
お家取り潰しでルンペンになったテロリスト集団が
一か八かで大博打を打ったってことでOK?
192 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:25:55 ID:1z75Uw7MO
吉良は名領主だったろうが、当時の庶民からは
現代の襲撃された厚労省の爺さんのような
イメージだったんじゃないの?
だからこそあの仇討ち話が当時に人気を博した訳で。
193 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:26:41 ID:SOfsZ33R0
あ・こ・お・の・し・お!
194 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:28:18 ID:bHQiLgCD0
吉良カワイソス
庶民は、本当は犬基地外の将軍を批判したいのだが、直接できず、
その代わりに喧嘩両成敗のルールを破って浅野の方だけを切腹させた
(ルールではなく情を優先させた武士からぬ)ミスジャッジを攻める意味で、
赤穂浪士を心情的に応援していたらしいよ。
庶民は、別に浅野のファンでもなんでもない。また、吉良に対して特別
憎しみを抱く理由は無いのだが、犬公方がただったので嫌われただけ。
196 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:39:03 ID:JOnKucKyO
これ逆に参加しなかった人や止め立てした人は凄い叩かれて村八分にされてんだよな
一人を47人で殺す方がどう考えてもDQNなのに、マトモな人は気の毒す
逆恨みでか弱い老人をリンチ殺人やったDQNニート軍団
それが赤穂浪士
大天使長 タクミノカミエル・アサノ
智天使 クラノスキー・オーイシ
以下 46天使
堕天使(悪魔) コーズケノスキー・キラー
199 :
名無しさん@九周年:2008/12/14(日) 23:56:22 ID:sDAJgmM/0
吉良が名領主なんて、吉良の領地の人間しかわからんし
江戸や上方に住んでる人間からすれば
こんな痛快な事件で討ち入りした浪士に喝采おくらないわけがない。
200 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:00:25 ID:ghosIuov0
>>7 小藩にしてはデカイ敷地だと思ったけどな。
福井なんて親藩で67万石もあるくせに、(現在の)城跡はしょぼいぞ。
201 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:00:45 ID:h4PtNjOMO
>>199 吉良家が足利一門の筆頭で高家だって知ってる?単純な田舎大名じゃないんだよ。
>>201 当時の都会の町人とかって
吉良家の高貴さを理解できていたのかなぁ
203 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:06:13 ID:bAFFWIsI0
>>199 江戸時代の幕府内での序列は
幕府から与えられてる石高じゃなくて
朝廷から与えられる官位によって序列が決まってた。
吉良は大名じゃないが朝廷の官位は
徳川一門、前田家 譜代に匹敵する
官位だったからそこらへんの大名は
本当に全く頭が上がらない状態だったって事だよ・・・・・
204 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:09:34 ID:p4XfA5830
>>202 つか、高貴だとか位が高いが分かったとして、だから何?だろ。
205 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:15:17 ID:TTBx7khx0
>>196 戦力比では約2:1でした。
情報戦の勝利か、吉良方が2:3以上になってると思い込み、
持久戦?に出ようとしたのが敗因と言えば敗因ですか。
206 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:19:49 ID:FvZ7dhXvO
>>204 まぁ、だから俺はそういうことが
言いたかったんだけどね
>>201 今の感覚だと、吉良だけに限らず、足利一門って言うと、戦国時代にさしたる
軍略も無く、無能の当主が続いて没落してしまい、江戸時代に名門好きの
家康に高級茶坊主にしてもらっただけのヘタレって言うイメージだけど、
江戸町民から見たらどんな風な評価だったんだろう。
やはり、茶坊主的なイメージなのかな。
戦国大名から見ると、単なるカスにしか見えないだろうけど。
209 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:25:45 ID:NGjYGUdZ0
>>205 なあ、せっかく奇襲に大成功してんのに
ホントに大石は太鼓叩いて寝た子を叩き起こしてたのかな?
210 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:33:14 ID:6h0JHhqf0
扉を木槌でたたき壊したんだから、どっちにせよ大きな音は出るんでは。
211 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:34:16 ID:fAqX9ltg0
>>11-12 吉良は自国の統治を家老に丸投げしてて、
吉良自身はほとんど領地に入ったことすらない
領主として優秀だったのが事実でも家老が優秀だっただけ
212 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:38:05 ID:ElIDKcxLO
吉良が名君だったかどうかは知らないが、
ラリった浅野が殿中で爺さんを後から襲って殺し損ねるという、およそ武士にあるまじき二重の失態を演じたのは事実なんだよな
浅野が暗君なのは間違いないな
俺も昼行灯やりてぇなぁ。
214 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:49:57 ID:qJcpNnMx0
215 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 00:54:32 ID:p4XfA5830
>>3 そのAA見るとなんかナムコの独眼流正宗思い出す。
>>212 当時の大名や武士の間では、攻撃されても、負けるのが悪いと言う不文律があったような。
いくら相手が基地外でも、武士たる以上、油断していた方が負けと言う判断があったようだ。
従って、喧嘩した相手がいくら基地外であっても、喧嘩両成敗と言う武士のルールを
貫くべきだと言う意見も根強かった。
(現代の法感覚と、当時の武士のルールを同一視すべきではない。
彼らは、戦国時代を勝ち抜いた者の子孫なのだから。)
吉良は後少しの間何事もなく過ごせれば実子の治める上杉の領地に
逃げ込めたらしいね。浅野牢人の襲撃は警戒して外泊しまくっていた
が、後少しの辛抱だと思って少し気が緩んだのかもしれない。
そこを衝かれたと。
218 :
216:2008/12/15(月) 01:29:19 ID:VYY7KUNc0
裁く側の幕府も、諸大名から喧嘩両成敗のルールを貫くべきだと言われると、
それが武士としての当時の正論だから、「吉良さんの方は老人で、相手は
基地外に刃物で、両成敗は気の毒」という温情的な判決は、たとえ大名、旗本でも
武士は武士なので、かなり忸怩たるものがあったみたいだ。
当時の庶民もその弱みを知っていて、犬公方に対する憤懣を、犬公方から情をかけてもらった
吉良にぶつけていた所があったようだ。
219 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 01:29:45 ID:ek18kJaR0
1〜2年前のテレ東で、テロ集団赤穂浪士に正面から向き合って、
史実の範囲で、江戸市民を味方に付ける情報操作ぶりとかやった
長時間時代劇の怪作があったけど。今夜朝日かどっかでやってたのは
まあツマランというか。
四十七士を単純マンセーして、最後将軍がメンツメンツと喚いて
終わったり、よくもまあこんだけ歴史を矮小化できたもんだと呆れた。
220 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 01:29:52 ID:TTBx7khx0
>>209 陣太鼓は持っていってないみたいですよ。
持って言っていたら、各江戸屋敷の記録に残ってるでしょうし。
>>210さんも言っている通り、裏戸を叩き壊した音を陣太鼓と脚色したのでしょう。
221 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 01:37:23 ID:KL3SqLRL0
もちろん吉良は襲撃に備えていた。屈強な武士団を新たに編成して、
屋敷もほとんど城のごとく改築。武士団が寝泊りする部屋を
長い回廊のようにつなげて、屋敷の周りを取り囲んだ。屋敷内も迷路のように区切り、
上野介の寝所がどこにあるかわからなくしたし、そもそも屋敷に寄り付かなかった。
一方で、討ち入り必至という情報もあまねく知られていて、
吉良家の近所の屋敷には、物見やぐらが作られ、富裕な町民が天下泰平の世に
突然出現した合戦絵巻を待ち望み、当日は雪見酒しながら見物してたそうだ。
吉良が悪役にされたのは、赤穂浪人がデマを流したというのもあるが、
何より時の将軍、徳川綱吉の処断と采配がまずかったのが大きい。
222 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 01:39:39 ID:TTBx7khx0
>>89でざっくりまとめたように、幕府のジャッジミス。
更に言えば、大石が相当に頭が良く、昼行灯が効を奏した形になった。
現代でああいう人がいたら、怒らせてはいかんね。
大石の密命で討ち入りに行かなかった人は確かにいたかもしれん。
(元姫様の養育の為に離れた人もいるし、公卿にもつながっていたし)
忠臣蔵モノでは四十七人の刺客が面白かった。
224 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 03:59:14 ID:Is5N5zka0
225 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 04:18:00 ID:T+Fp0jh/O
>>200 福井は忠直の代でゴタゴタおこして15万石になっちゃったし
226 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 13:14:06 ID:GmCrvOUq0
>>30 それが吉良を助けなかった事で
江戸の市民から上杉は腰抜けって煽られたらしい
227 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 18:43:38 ID:/jfYg2Ek0
大石蔵之助の子供(力の弟)って本家
広島浅野家に親父と同等の1500石
で召抱えられたんだよね
230 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 23:56:32 ID:Gt9ypS1Q0
>>228 大石に限らず47士の遺族は多数が厚遇されたらしい
一方脱落者はほとんどが冷遇されたらしい
231 :
名無しさん@九周年:2008/12/15(月) 23:59:50 ID:g3ucuHgq0
>>228 赤穂四十七士の末裔のパソコンがキン○マウイルス感染、四十八手のハメ撮り大放出
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1136535305/ 8年にわたって衆院議員の秘書を務め、九州の県議選にも立候補した政治家のタマゴが、
約500枚のハメ撮り写真などをネット上に大流出させていたことが6日、分かった。
この男性は赤穂浪士の末裔(まつえい)という立派な血筋。
だが、四十七士ならぬ四十八手の多彩なプレー写真に、早くも本人のもとへは選挙妨害の嫌がらせメールが殺到。
政治生命の危機に追い込まれている。
ハメ撮り画像を流出させたのは、九州に住む元議員秘書の男性(33)。
男性は自分のパソコンにファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」を使い、
アイドルの写真集などをダウンロードしていた。
232 :
名無しさん@九周年:2008/12/16(火) 00:05:40 ID:5/yYd+370
>>200 赤穂城は小藩にはちょっとお荷物で、
浅野以降の藩主たちも、維持管理費が大変だったらしい。
>>225 福井城は本丸「しか」残ってないからだよ。
逃げたっていうけど
足軽の身分だと、切腹じゃなくて
打ち首とか獄門の可能性もあるんだよね?
じゃあ大石が逃がしたってのもわからなくもないな
>>231 自称だろ?言いほうだいじゃん、しかも訳わからん外人名だしこの人