【歴史】足軽だった赤穂義士の孫、異例の出世 忠臣蔵人気が後押しか 大石神社資料から発見
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名無しさん@九周年:
もちろん吉良は襲撃に備えていた。屈強な武士団を新たに編成して、
屋敷もほとんど城のごとく改築。武士団が寝泊りする部屋を
長い回廊のようにつなげて、屋敷の周りを取り囲んだ。屋敷内も迷路のように区切り、
上野介の寝所がどこにあるかわからなくしたし、そもそも屋敷に寄り付かなかった。
一方で、討ち入り必至という情報もあまねく知られていて、
吉良家の近所の屋敷には、物見やぐらが作られ、富裕な町民が天下泰平の世に
突然出現した合戦絵巻を待ち望み、当日は雪見酒しながら見物してたそうだ。
吉良が悪役にされたのは、赤穂浪人がデマを流したというのもあるが、
何より時の将軍、徳川綱吉の処断と采配がまずかったのが大きい。