★ 浜玉で石切り場確認 大坂城再建時に搬出か【動画】 (一部略)
唐津市浜玉町谷口の黒田山山頂で、江戸時代初期に城の石垣用の石材を切り出したと
みられる石切り場跡を、唐津市教委が確認した。現場に残る石材は最大で20トン超と推定
され、当時築城された城郭規模などから、徳川幕府による大坂城再建(1620―29年)の
際、唐津藩初代藩主の寺沢広高が切り出した可能性が大きい。搬出道の跡も見つかり、
石を切り出し、加工、搬出するまでの作業過程を一貫して確認できる全国初の遺構で、
江戸初期の土木技術研究に大きな影響を与える資料になりそうだ。
巨石の存在が地元から寄せられ市教委が4月、調査に入った。確認された遺構は標高約
190メートル地点に立地し「谷口石切丁場跡」と命名。石切り場の広さは約1000平方
メートルで、花こう岩を切り出した直方体の石材(約4メートル×約1・5メートル×約1・4
メートル)4個を確認した。辺の長さが異なり独特の反りをつけて加工してあるため城の石垣の
角に使う「角石」とみられる。
現場に露出する自然石や残された石片に「矢」と呼ばれる大型くさびを打ち込んだ跡があり、
専門家が石切り場と判断。南西約800メートル離れた玉島川に向かう斜面の谷筋には、長さ
約50メートルにわたるくぼみも確認。石材搬出用の「石曳(ひ)き道」とみられる。
石切り場は各地にあるが、切り出しから搬出までを示す遺構が1カ所で確認できるのは全国初。
市教委は「現場で石を細部まで仕上げている点でも前例がない」と重要性を強調する。
この時期は大坂夏の陣後、徳川幕府が諸大名に大坂城を再建させたころと重なる。寺沢家も
工事に参加することで幕府への忠誠心を示しており、大坂城天守閣の跡部信主任学芸員は
「そのような巨石を使うのは大坂城以外では考えにくい」と指摘する。さらに大分県竹田市に
伝わる古文書にも、大坂城工事のために唐津で石を割った記述があることから、市教委は
「寺沢家が唐津で角石を切り出し大坂城普請に使った可能性は大きい」と話している。
>>>
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1036&blockId=1095008&newsMode=article (動画あり)