http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080924-4471734/20080925_03.htm?from=yoltop より一部引用
組閣作業は最終局面で手間取った。最大の原因は町村派だ。
麻生は同派の参院議員、中山恭子・前拉致問題相の再任と、衆院から1人の起用を考えた。
国連会合出席のため訪米中の同派最高顧問の森は23日夜、麻生に電話で、「うちは1人か」と尋ねた。
「衆院1人、参院1人でどうですか」と言う麻生に、森は中山恭子の夫、中山成彬と、坂本剛二両衆院議員の
入閣を念頭に「衆院2人」を譲らなかった。恭子は拉致への取り組みが評価された「特別枠」で、
「町村派枠」ではないとの考えも作用した。「夫の出世を喜ばない妻はいない」と森は周囲に語った。
総裁選で、麻生支持の森、町村と、同派の小池百合子・元防衛相を担いだ中川秀直・元幹事長とで
派が割れたこともあり、組閣で影響力を示し、派内を掌握する思惑もあったようだ。結局、麻生は同派から
成彬と塩谷立衆院議員を入閣させ、「衆院2人」を与えたが、恭子の再任は見送った。
成彬の人事では、さらに混乱が続いた。麻生が24日午後2時過ぎ、成彬に電話で伝えたポストは
行政改革相だった。だが、旧大蔵省出身の成彬は「野党から『そんな人物に公務員改革ができるのか』と
攻められる」と懸念したため、国土交通相に変わった。当初構想には“玉突き”が起き、法相に固まっていた
鳩山邦夫が総務相になるなど、調整がぎりぎりまで続いた。
参院との間にもすきま風が吹いた。麻生は自らに近い浜田靖一を防衛相にする構想を早くから持っていたため、
あおりで、「参院のホープ」と言われる林芳正・前防衛相が閣外に去ったからだ。青木幹雄・前参院議員会長は周辺に、
「衆院選向けの布陣を敷くべきだが、林の交代はどうか」と不満を漏らした。国家公安委員長に
世耕弘成参院議員を起用する案もあったが、参院側に「林を降ろして、世耕を入れるのか」と反発があり、実らなかった。