【国際】台湾新代表、”親日”アピール 日本人技師・故八田与一氏のダム視察
雲孤さんはODNからの書き込み規制に巻き込まれ、アク禁中です。
【 尖閣諸島問題関連人名録 】 日本篇 その1(9/13/2008:2318版)
※ 保釣とは、釣魚島防衛という意味である
池田維 在台代表機関・交流協会台北事務所の代表。日本の台湾大使に相当。
堤信行 二等海上保安監。こしき船長。上陸を体当たりで阻止し、何船長に、
後にお詫びの手紙を出した花も実もある国士。
日本青年社 指定暴力団住吉会系右翼団体。1978年に魚釣島に灯台を建設以来、
その灯台の保守管理をしてきた。2005年2月、日本政府より「魚釣島
灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」
との申し出がなされ、魚釣島灯台は国に移譲された。
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【 尖閣諸島問題関連人名録 】 日本篇 その2(9/13/2008:2318版)
白団 はくだん。日本の旧軍将校の一団。蒋介石総統の招きにより1949年から
1969年まで台湾に滞在し、台湾軍を訓練した。団長は、富田直亮(とみた
なおすけ)少将。富田少将は台湾滞在中に白鴻亮という中国名を名乗り、
彼らは白団と呼ばれた。83名の旧日本軍将校全員が中国名を名乗った。
岩坪博秀(いわつぼひろひで)少将: 白団幹部。台湾紙『民衆日報』
の取材を受けた。
根本博(ねもとひろし)中将: 白団結成前に台湾に渡り、湯恩伯将軍
(金門島守備軍司令官)の参謀長を務める。
1949年10月の金門島防衛戦でも大きな役割を
果たした。
六氏先生之墓 台湾の日本統治が始まった1895年に6人の日本人教員が原住民に
襲われて殺された。