【国際】台湾新代表、”親日”アピール 日本人技師・故八田与一氏のダム視察

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790雲孤さんの代行
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【 尖閣諸島問題関連人名録 】  台湾篇 その7(9/13/2008:2318版)

彭明敏 国際法学者。総統府資政(上級顧問)。元台湾大学教授。
    東京帝国大学在学中に徴兵され、長崎に向かう途中の船上で米軍の爆撃を受け左腕を
    失った。長崎到着後は兄宅で療養していたが、原爆投下に遭う。フランスのパリ大学で
    法学博士号を取得。『台湾の法的地位』の著者。1964年、同志とともに「台湾自救運動
    宣言」を発表し、8年の実刑判決。アムネスティ・インターナショナルが彼の釈放を
    要求し、釈放された。1970年に海外脱出。20年余りの亡命生活を送った。亡命先で、
    台湾独立運動に参加した。1995年に民進党に入党し、1996年には民進党の総統候補として
    出馬したが、落選。選挙終了直後、民進党を離党。2000年5月、陳水扁総統により資政に
    任命された。
林洋港 1996年中華民国総統選挙で国民党は現職総統の李登輝を総統候補に、当時行政院院長で
    あった連戦を候補者に擁立した。これに対し国民党副主席であった林洋港は反発し離党。
    新党の支持を受け無所属で立候補した。