◇戦時中のクリスマス、自宅に捕虜を帰したことや戦後の現地との交流など
太平洋戦争の激戦地で、多数の住民や日米の兵士が犠牲になったフィリピン。
陸軍中尉として同国パナイ島などに駐屯した石川貞義さん(03年に86歳で死去)
の遺族らがこのほど、従軍手帳やメモなどを基に石川さんの足跡を記した本
「フィリピンへの道」を作成した。戦時中のクリスマスに、捕虜収容所長だった
石川さんが捕虜たちを自宅に帰したことや、戦後の元捕虜たちとの交流などが
書かれている。【加藤小夜】
石川さんは、1942年1月、フィリピンに上陸、戦後の46年3月に帰国した。
米軍との攻防で壕(ごう)に潜んでいる際、右のほおに被弾。従軍手帳には、米軍が
反撃のために上陸した45年3月18日から帰国するまでの日々がつづられている。
警備に就いた時には、部下たちに対し「現地人に接するには、自分を彼らの立場に
置いて、決して嫌だと思うような接し方をするな」と話した。戦況が悪化した時に備え
「彼らが味方になってくれるようにするには、平素どういう態度で接したら良いかを
一時も忘れないように」と忠告していた。そして、43年のクリスマスには、ゲリラ兵
となって日本軍と戦った捕虜たちを家族と過ごせるよう外出を許可した。夕方には
全員が帰ってきたという。
戦後帰国した石川さんは新居浜市に住み、小学校の教諭を長年務めたほか、国際交流
のボランティアとしても活動。また、毎年元捕虜たちの自宅を訪ねるなどの交流を続けた。
本は、昨年秋に150部を印刷し、知人らに配っている。石川さんの次女久美子さん(55)
は「父は、家でも学校でも決して手を出すような人ではなかった。戦争中にこのような人
がいたことを知ってもらえれば」と話している。
▽毎日新聞
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20080822ddlk38040453000c.html 依頼がありました
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1219342659/369