【8月1日 AFP】オーストラリアのケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相の先祖の1人は、ドレスと下着各1枚を
盗んだ罪で死刑を宣告された英ロンドン(London)の路上生活児で、曾々祖父は砂糖を盗んでオーストラリアに
送られた流刑者だった。研究者らが7月31日発表した。
流刑者の先祖を持つことは数十年前のオーストラリアでは恥とされたが、現在では名誉の印とも見なされており、
首相のイメージ向上につながりそうだ。
■盗みを働いて流罪になった祖先たち
このたび明らかにされた家系図によると、首相の父方の曾々祖父、トーマス・ラッド(Thomas Rudd)氏は
「砂糖1袋を不法に入手した」罪で7年の刑期を過ごすため、1801年に英植民地だったオーストラリアに流された。
また、国営通信社AAPが家系図を元に報じたところによれば、首相の父方の曾々々祖母にあたるメアリー・ウェイド
(Mary Wade)さんはロンドンの路上生活児で、道路掃除や物ごいで日銭を稼いでいた。
メアリーさんは12歳だった1788年、年上の少女とつるんで8歳の別の少女をトイレに連れ込み、ドレスと下着を奪った。
翌89年1月、ロンドンの中央刑事裁判所・オールドベイリー(Old Bailey)でメアリーさんは死刑を宣告されたが、
後に減刑され、当時英国の植民地だったニューサウスウェールズ(New South Wales)に流されたという。
1788-1868年の間に英国からオーストラリアに流された人は、比較的軽微な犯罪者も含め、約16万人に上る。
現在オーストラリアでは、国の発展における彼らの役割が、反抗的誇りをもって見直されている。(続く)
AFP 2008年08月01日16:58発信地:シドニー/オーストラリア
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2425210/3177862