【論説】 「なかったことねされかねない"日本軍による沖縄住民虐殺"…証言で歴史を残す努力、いつまでも続けよう」…東京新聞★4

このエントリーをはてなブックマークに追加
434名無しさん@全板トナメ参戦中
 赤松隊がこの島を守備していた間に、ここで、六件の処刑事件があつた、といわれる。
琉球政府立・沖縄資料編集所編『沖縄県史』によっても、そのことは次のように記されている。
 一、伊江島から移住させられた住民の中から、青年男女六名が、赤松部隊への投降勧告の使者として
派遣され、赤松大尉に斬り殺された。
 二、集団自決の時、負傷して米軍に収容され、死を免れた小峰武則、金城幸二郎の十六歳になる二人の
少年は、避難中の住民に下山を勧告に行き、途中で赤松隊に射殺された。
 三、渡嘉敷国民学校訓導・大城徳安はスパイ容疑で斬殺された。
 四、八月十五日、米軍の投降勧告に応じない日本軍を説得するために、新垣重吉、古波蔵利雄、
与那嶺徳、大城牛の四人は、投降勧告に行き、捕えられることを恐れて、勧告文を木の枝に結んで
帰ろうとした。しかしそのうち、与那嶺、大城の二人は捕えられて殺された。
 五、座間味盛和をスパイの容疑で、多里少尉が切った。
 六、古波蔵樽は家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると
言って、高橋軍長の軍刀で切られた。

↑これは曽野綾子が書いたことです。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/