・中川元幹事長はじめ自民党議員有志が、「日本型移民国家」を目指して議連を立ち上げたのは
昨年末のこと。今回そのグランドデザインがまとまり、政策提言として福田首相に提出されたという。
「移民基本法」を立案し、「移民庁」を設置する。その上で、不当な低賃金労働にメスをいれる
など外国人の受け入れ態勢を整備し、外国人研修・技能実習制度の抜本的な見直しを図るという。
さらに、地方自治体における外国人住民基本台帳制度の導入や在日外国人に対する行政サービスの
充実、大幅な永住許可要件の緩和を図るなど、今後50年間で日本の総人口の10%(約1000万人)の
移民を誘致する数値目標を掲げ、「多民族共生国家」への道筋をつけるという。
理由は、一つは少子化による人口減少に歯止めを掛けること、二つは人材確保体制の強化にあるという。
この壮大なプランだが、習慣も文化も言葉も異なる他民族の国内誘致だけに、一体、筋書き通りに
スムーズにことは運ぶのだろうか。一歩間違えば、なし崩しに日本古来の伝統文化や習俗・習慣の
破壊に繋がり、最終的には「日本溶解」の危機にさらされかねない。
それだけではない。第二次世界大戦後の日本は曲がりなりにも、民主主義国家として発展を
続け、他国にあるような対立型とは一味違う日本特有の融和を基調とする「あ・うん」型国家体制
並びに治安体制を築き上げてきた国である。移民促進はその「日本」を根底から揺るがすことに
なりはしないだろうか。
私が住むドイツが移民国家としてスタートしたのはかれこれ半世紀前のことである。
第二次世界大戦後、荒廃した欧州の復興および救済の立て直しに米国が進めた「マーシャルプラン」の
恩恵に浴し、わずか10年足らずで見事に「奇跡の復興」を果たした。
以後、日本と同様右肩上がりの高度経済成長にあって、労働力不足を補うため、1950年代には
イタリアやスペインなど南欧やユーゴスラビア、旧東独から多くの出稼ぎ労働者を誘致し、1961年
ベルリンの壁構築による旧東独との国交断絶後は、主としてトルコから、出稼ぎという名の移民を続々と
受け入れてきた。(
>>2-10につづく)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080624/plc0806240323002-n1.htm