【同期の桜】海軍兵学校、連合クラス会解散へ 同窓生高齢化

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1西独逸 ◆jsuaGAIDa2 @西独逸φ ★
軍歌「同期の桜」で知られ、江田島市江田島町にあった海軍兵学校の連合クラス会が、同窓生の高齢化を
理由に解散することになり、9日に東京都新宿区内のホテルで最後の全国大会を開く。

旧海軍の士官養成機関である海軍兵学校は1888年、東京・築地から江田島に移転。英のダートマス、米の
アナポリスと並び「世界3大兵学校」と称された。跡地には海上自衛隊第一術科学校と幹部候補生学校がある。

軍歌「同期の桜」のモデルとされる桜は、兵学校の旧生徒館中庭にある。昭和に入ってからの卒業生約5000人の
うち半数以上が戦死したという。終戦直後の1945年11月に閉校した。同窓会に当たる連合クラス会は73年に結成。
4年に1度、全国大会を開いてきた。最後の大会には約400人が集まる。

ソース
中国新聞 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200806020223.html
2名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:27:51 ID:KGfeUUcb0
2w
3名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:28:40 ID:/+gsZNve0
(`・ω・´)ゞビシッ!!
4名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:29:09 ID:LrUWcpC+0
童話も本当はこうあるべき
5名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:34:02 ID:NxZqKjf+0
ご苦労様でした。
6名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:36:56 ID:ks6GSM440
『士官』養成学校なのになんで『兵』学校って言うの?
教えて軍ヲタのエロい人
7名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:49:06 ID:mRrP+URs0
>>6
兵とは「兵科」のことを指す。
海軍では兵科(戦闘業務)、機関科(操船要員)、経理科(兵站)の3種に
分けられ、それぞれ別の士官学校が存在した。
8名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:52:42 ID:LnZobImQ0
>>1
俺にはそんな根性ないわ。
おじいちゃんたちを素直に尊敬する。

>>7
てかあんたすげえなオイ
9名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 17:59:12 ID:fy/PfW4sO
即答ワロタ
10名無しさん@八周年:2008/06/02(月) 18:03:48 ID:l45sbhtb0
まだ軍国主義思想を持った旧軍人がいたのか・・・
憲法9条違反だろ
11名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:08:26 ID:m2FUz5z70
ほんとか嘘かしらんけど、陸士も海兵も終戦直前の一時期は
士官不足を埋めるためにバカスカ入学させたので
一気にめちゃくちゃ難易度が下がったって?
だからその前の超難関だったころのOBは終戦直前期のOBを
「一緒にすんな」って差別してるとかなんとか。
ほんまかいな?エロい人、教えて
12名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:12:12 ID:B5alZwF10
父親が76期。二号時に閉校の憂き目にあった学年だが、兵学校に落ちて帝大受かる人間も多くいたらしい。
入学人数は山本五十六の頃と変わってはいない。
13名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:13:32 ID:/76uQf6z0
海兵生徒が亡くなるご時世か。

豊田穣の「同期の桜」第二部に描かれたホモセクシャルに悩む海兵生徒の日記
が鮮烈だった。
つうか、人間的な苦悩に焦る生徒の心情を綴った日記は生々しかったな。

最も大戦での犠牲者を出した鬼の六十八期。亡くなった方には冥福を祈り、顕
彰する。
14名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:16:41 ID:m2FUz5z70
>>12
そうなの?
15江田島健児の歌:2008/06/02(月) 18:18:08 ID:/76uQf6z0
一、
澎湃(ほうはい)寄する海原の 大波砕け散るところ
常磐の松のみどり濃き 秀麗(しゅうれい)の国秋津州
有史悠々数千載(すうせんざい) 皇謨(こうぼ)仰げば弥(いや)高し

二、
玲瓏(れいろう)聳(そび)ゆる東海の 芙蓉の嶺を仰ぎては
神州男児の熱血に 我が胸さらに躍るかな
ああ光栄の国柱 護らで止まじ身を捨てて

三、
古鷹山下水清く 松籟(まつかぜ)の音冴ゆるとき
明け離れ行く能美島の 影紫にかすむ時
進取尚武(しんしゅしょうぶ)の旗上げて 送り迎えん四つの年

四、
短艇海に浮かべては 鉄腕櫂(かい)も撓(たわ)むかな
銃剣とりて下り立てば 軍容粛々声もなし
いざ蓋世(がいせい)の気を負いて 不抜の意気を鍛わばや

五、
見よ西欧に咲き誇る 文化の影に憂い有り
太平洋を顧(かえ)り見よ 東亜の空に雲暗し
今にして我勉(つと)めずば 護国の任を誰(たれ)か負う

六、
ああ江田島の健男児 時到りなば雲喚(よ)びて
天翔(てんか)け行かん蛟龍(こうりゅう)の 地に潜むにも似たるかな
斃(たお)れて後に止まんとは 我が真心の呼(さけ)びなれ
16名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:25:17 ID:/76uQf6z0
>>14
部外者だが。
戦争末期は年数を減らした(四年から三年)が、人数はどうだったか記憶にない。

だが、学校の歴史上、海軍の計画に合わせて入学人数は大幅に増減している。
120人クラスとか、300人クラスとか。
海兵・陸士のクラスとは、同期全員を指す。
いわゆる今のクラスに該当するのは分隊。で、分隊は学年毎ではなく、上級生徒
から下級生徒まで一緒に勉学鍛練する。

一般に1号生徒(最終学年)が4号生徒(入学したて)を指導するが、文字通り鉄拳の嵐。
多い人では約一年で1200発喰らう。

今の海自第一術科学校ではどうなっているのか知らないが、鉄拳指導は無いんだろ
うな。
17名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:26:03 ID:NIEMRsA50
太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)10月。
敗色濃い日本に突如、大戦果が報道された。
日本の航空部隊が空母11隻撃沈をはじめアメリカの機動部隊を
壊滅させるに等しい戦果を挙げたとされた「台湾沖航空戦」の大本営発表である。
日本国民はこの報道に驚喜した。
首相は国民大会で戦勝を祝し、天皇からは御嘉尚の勅語が発せられた。
誰もがその大勝利を信じて疑わなかったのである。

http://jp.youtube.com/watch?v=RcIta8SrWLo
http://jp.youtube.com/watch?v=M7pk8aIzpc0
18名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:28:31 ID:PQvab5rO0
帝國陸海軍 堂々たる無能集団
19名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:29:26 ID:Ah8FHcTX0
>14
事実だと思う、一昨年他界した叔父が昭和17年甲種(何期かは忘れた)の海軍兵学校卒で
終戦時は大尉だった。我が叔父ながら、とんでもなく利発な人だった。叔父は職業軍人になる
ので海軍兵学校に入ったが、常々、帝大の入試問題は海軍兵学校より簡単だと言い切っていた。
海軍兵学校の入試は各種に及び、五日間連続で行われ、その日の内に合否が発表されて、
不合格者はそのまま帰郷させられる厳しいもので、さすがに二度と受験したくないと思ったそうだ。
20名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:35:09 ID:/76uQf6z0
>>19
71期だね。
豊田穣が68期だから、4号時代は鉄拳の嵐だったろう。65、68、71、73、75が伝統的に
鉄拳制裁の嵐だったようで。
叔父さんの冥福を祈ります。
21名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:38:47 ID:m2FUz5z70
>>16
>>19
ふむふむなるほど。
少なくとも上位生のレベルは下がってなかったのね。
まあ、仮に間口が広がって下のほうの合格者が上位者とかなり開いても
人気だったろうから上のほうのレベルは保てたんだろうなあ。
そもそも間口が広がったのかどうかもよくわからんしなあ。
俺の最初の質問の元も、日経かなんかの自伝コーナーで
誰か忘れちゃった財界人の書いた自伝で、「急に定員を増やしたので
うかるはずのない俺や仲間がすぽすぽ合格してしまって、逆に心配に
なったがすぐに終戦になってしまった」みたいな文章がもとだから
あやふやなんだわ。
22名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:38:55 ID:O23bG2sP0
三高から東京帝大最後組だったオジも、間の志願で入っていたのは陸士だったわ。
当時は帝大より軍学校に優秀な人が行ったのは間違いないわね。
早稲田も慶応も(同志社とかも)馬鹿が行くところだと言われていた時代だもの。
23(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/06/02(月) 18:41:04 ID:1On2JN3+0
 ″ ゝ ″ ヽ   ″ ヾ  ″ ゝ " ヽ丿〜    。
 ヽ ″ ゝ ″ ヽ ″ ゞ  ″ ゝ ノ 〜  ゚       ゚
ヽ ″  ゝ ″ ヽ ″ ゞ ″ ゝ ″ ノ     。
″ ゝ ″ ゞ ″ ヽ ″ ゞ ″ ゝ ノ 〜            ゚
ゞ ″ヽiiiiii;;;;:::::  ″ノ ″ノ ″ ノ 〜  ゚         。
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      ,|iiiiii;;;;;:: ::|      。  __     。
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。  ゚  ,|iiiiii;;;;;;::: ::| ゚         / )゚Д  靖国で会おう ゚        ゚
    |iiiiiii;;;;;;:: :::|    。     ヽ  :|        ゚
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24名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:45:45 ID:s2BYgqRL0
優秀な人が軍人になったはずなのに戦争に負けてやんの
25名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:47:59 ID:LbjYOydo0
そんなに優秀な人が軍人になるのならなんで日本軍はああも馬鹿なことを繰り返したのだろう
いまの官僚も優秀なはずなのになんでああも馬鹿なやつが多いんだろう
やはり学力試験じゃ人間は量れないということなのか
26名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:48:31 ID:823Pt6AF0
山本五十六のようないい顔の軍人や政治家が
最近全然みられなくなったのは
ほんとうに淋しいことだわ・・・
手本となりうる日本人が居ない・・・・・
やはり戦前の歴史に学ぶより無い

日本人の徳は地に堕ちたね
寂しいよ
27名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:49:01 ID:Q5YZE49R0
思わず、ようつべの軍歌を聴きまくってしまった
28名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:49:19 ID:F5NeaYxG0
俺の親父は、広島にあった大竹潜水艦学校に終戦までいた

25年くらい前に潜友会を結成して毎年開催していたのだが、ついに今年で解散することになった
当初は50人くらいは来ていたんじゃなかったかな、でも今年はついに10人を割ってしまったんだ


潜友の葬式のために飛行機に乗る回数ばかり増えて、親父は元気がなくなってしまったよ・・・
29名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:51:08 ID:/76uQf6z0
>>26
今のご時世も犯罪の多さは辟易するが、実は大正、昭和でも犯罪して世の惑わす輩
はかなり出ている訳で、昔の新聞の社会面なんか読むと、今と対して変わらないと
いう感はする。

一般的な徳が無くなったのは同意するがな。
30名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:53:13 ID:Ah8FHcTX0
>20
無き叔父のためにどうもありがとう。そういえば、叔父が海軍兵学校に入学する時にこんな
エピソードがあるそうだ。叔父は旧制中学卒業と同時に海軍兵学校を受けたのだけれど、
自他とも認める悪筆で、慣れないと解読できないほど下手だったそうだ。海軍兵学校の筆記
試験初日に、合否発表が卒業した旧制中学にも伝えられたんだけれど、結果は不合格!

・・ところが、旧制中学の校長と担任が「あいつに限って不合格は絶対ありえない!」と直接に、
試験会場に乗り込んで、特別に答案を確認したところ、全問正解だったそうだ。担当試験官が
悪筆の文字を読めなかったから落とされた事が判明して、晴れて合格になった・・そうですよw

31名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:53:24 ID:LbjYOydo0
>>29
日本が国家としての徳を失ったのは関東震災後という気がするな。
一時日本一の大都会が大阪になって…(((゜д゜)))
32名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:54:19 ID:823Pt6AF0
個人サイトの掲示板からこの部分、転載しておきます。


>旧海軍江田島兵学校から連綿と続く自衛隊生徒制度も今年の
>募集を最後に海上と航空の53年の歴史が終ります。陸上のみ残す様子

33名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:56:29 ID:/76uQf6z0
>>30
すごいエピソードだ!!!
こういう生の記憶が残されないと駄目だなと思うぞ。

豊田穣も自分のクラスの状況をよくも悪くも克明に追って行った「同期の桜」という
名著を残したが、各クラスの話も読みたくなるな。

叔父さんは、何か残してないのか?
34名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:58:56 ID:Utqczj5/0
知り合いがここに行ってたが、重りをつけて海で泳いでる写真とかあった
35名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 18:59:13 ID:823Pt6AF0
それでも、当時、かなり普通の軍人が、辞世に和歌を詠むところが
すごいと思う。
自分をさて置いては恥ずかしいのだけども、
今の教育は和歌や詩吟を教えているの?
36名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:01:15 ID:/76uQf6z0
>>32
特別少年兵制度、乙種予科練、陸軍で言えば幼年学校、戦車兵学校という少年時代
からの学校が潰えるのか。

人員削減に悩む時代の趨勢とはいえ、伝統が潰えるのは悲しい。
37名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:05:17 ID:/76uQf6z0
>>35
80年代に学生だったが、全く教えてもらわなかった記憶。
ぶっちゃけ、さわりのみ。

つうか、本当に当時の学生達(陸士・海兵に限らず)の伝統文化に対する知識は凄まじ
い。今だったら歌も詠めなければ、漢詩も解しないだろう。
正直個人的には教育制度は戦前のパターンに戻した方がいいのじゃないかという気
はする。
38名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:07:02 ID:823Pt6AF0
>>36
まだある・・・


山本五十六元帥ゆかりの駐屯地本部庁舎(土浦航空隊、現
陸上自衛隊土浦駐屯地本部庁舎)近く取り壊し・・・
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080505/trd0805052148013-n1.htm
予科練記念館 雄翔園
http://www5a.biglobe.ne.jp/~FUDOU/rikuji/2004.10.17tsuiura/yokaren.htm


命令したのはどこかな?
39名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:07:11 ID:QSBurq9K0
敬礼
40名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:09:11 ID:9OeNlUnn0
爺ちゃんが、戦友会のために娘(俺の母親)の納骨式を欠席したときはみんな怒ったよ
41名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:10:25 ID:KYdidnkyO
戦争犯罪者たちがなにやってんだか
生き恥さらした死にぞこないの殺人者は
さっさとくたばれ
42名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:10:44 ID:823Pt6AF0
こういうのは見たけれども
どこまで関与しているのかは不明・・・・・



最高指揮官である福田総理は、連休中の4日に都内のホテルに石破防衛大臣を呼び、
改革案の説明を受けたそうだが、「首相の隣には外交ブレーンである五百旗頭防大校長
が控えていた」そうで、氏は「石破大臣が提唱する背広、制服混合案には慎重な立場」
と記事にはある。
何と無く“胡散くさい”感じがするが、国家安全保障の根幹をこの程度の論議で決定しても
いいものか?
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20080527/1211861208#c



誰が五百旗頭眞を防衛大学校長にしたのか?
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/74642004.html
43名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:12:17 ID:R9ZYE3dI0
ミャンマーだって、北朝鮮だって、優秀な奴は
軍人になっているが、ああいう感じだしな。
44名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:13:58 ID:823Pt6AF0
>>41
歴史を持たぬ外国人はこのスレに居るべきでない。
45名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:14:06 ID:6GQ43fRR0
>>3
左手で敬礼とはいい度胸じゃねえかw
歯を食いしばれよ
46名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:15:29 ID:VJr/ZAJe0
>>28
戦友に潜友をかけているわけですね。
47名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:16:03 ID:/76uQf6z0
>>40
親族の皆さんには悪いし、今となっては奇異の念が生じると思うが、陸士・海兵の
クラスや、一般で言う戦友は生き残った故に非常に濃い繋がりが生じるらしい。
らしいというのは、俺も当事者じゃないから。

さっきから豊田穣の例を引き合いに出すが、彼もあの戦争で共に戦った戦友や、クラ
スの何かの事例(会合、慰霊、取材等)があれば、家族の危篤等よりもそちらを優先し
てしまったようだ。
多分に血の繋がりよりも重い何かを彼等戦った者達は持っているのかもしれない。
48名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:18:30 ID:823Pt6AF0
>>47
妻といえども分からないでしょうね。
生き残った多くの人達が、
残りの人生を「つけ足し」のように考えていたのは
私も実際に聞きました。
49名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:19:59 ID:tb/FYko4O
うちの祖父(故人)も90歳近くまで東郷神社(水交社)や横須賀へ行ってたよ(´;ω;`)
もう随分前の話。
50名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:21:53 ID:/76uQf6z0
>>38
形ある物は何時かは滅ぶが、霞ケ浦の象徴が失われるのは悲しい事だな。
結局は時代なんだろうと言うしかないが、悲しいな。

自衛隊はなぁ、海軍基地だった所を陸自が使ったり、逆もまたあるし、伝統を継いで
ると思えばそうじゃないように画策している面も見られ、設立が異様な軍であるとは
いえ、まぁ仕方がないのか、やはり無念なのか。各基地の由来に則った基地配分にし
てもらいたかった。
51名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:22:46 ID:oSrpM12t0
戦争末期に定員を大幅に増やしたのは、兵学校でなくて
おそらく飛行科予備学生のほうじゃなかったかな(ちょいあやふやな記憶)。

急遽増員された予備学生は、ほとんどが特攻要員で、
士官も特攻に出ているというアリバイづくりのために
促成栽培されたってお爺ちゃんが憤慨してた。
52名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:24:14 ID:823Pt6AF0
>>49
水交社・・・懐かしい響きですね
うちも近々調査事の為、連絡を取るつもりです。
53名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:26:37 ID:823Pt6AF0
>>50
ちょうど霞ヶ浦から土浦の移行期に、うちの親族がそこで
訓練を受けたので無念であります・・・
54名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:27:58 ID:/76uQf6z0
>>51
予備学生は大幅に増えているね。また、水産学校や商船学校は戦時は自動的に海軍
傘下となったからそっちでも将校が激増する事となる訳だ。

特攻は何をどう見ても今の世から見れば激しく悲しい戦術だが、往時日本の若人が
辿らざるを得なかった道を思えば、ただ合掌し慰霊と顕彰を祈るしかない。
55名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:29:51 ID:Ah8FHcTX0
>33
これは前に軍板に書き込んだものですけど、戦時中の話でこんなのがあるそうです。海外の
赴任地に向かうのに、戦艦武蔵に搭乗した事があるそうです。叔父はフィリピンで901空という
潜水艦哨戒と偵察を主任務とする航空隊に所属していたので、おそらくフィリピンへ向かう時の
話だと思われますが、ある日、戦艦武蔵の艦長に直々に呼び出されたそうです。そして開口一番
「貴様、良い軍刀を持っているな、俺の刀と交換しろ」と申し出をされたそうです。叔父の軍刀は
祖父が息子である叔父のために設えた、先祖伝来の戦国刀を軍刀にしたものだったそうです。
上下関係で上官しかも、戦艦武蔵の艦長の頼みとあらば断る訳にもいかず、泣く泣く交換に応じた
そうですw。残念ながら、その刀は戦後のGHQの問題から処分しちゃったそうです、、もったいないw
56名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:31:31 ID:6GQ43fRR0
>>54
過酷な時代だとも思うが、
何万人もの若者が自分の手で操縦桿を握り空を飛ぶ喜びを味わえた事はうらやましい。
57名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:35:36 ID:/76uQf6z0
>>55
www
いや、笑ってはいけないな。901空の開設展開時期から見て時期的に猪口大佐か、
朝倉大佐か?

いや、こういう歴史は必要だな。
誰か何かで残さないかなぁ。
58名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:35:45 ID:kMeL6yOAO
澎湃寄する海原の 大波砕け散るところ
常盤の松の翠濃き 秀麗の国秋津島
有史悠々数千歳 皇謨仰げば弥高し
59名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:41:24 ID:eqYllUmb0
>>57
猪口は武蔵とともに死んでるから、
朝倉なんじゃね?
60名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:41:44 ID:/76uQf6z0
いや、久々にためになった。
所用があるので落ちる。

夜中帰ったらじっくり読む。
61名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:45:25 ID:/76uQf6z0
最後に
>>59
猪口敏平大佐は中学から禅にはまり捲りで、あまり欲を見せない人だから、朝倉
大佐だったのかもしれないな。
因みに兵学校教官であった猪口敏平の弟猪口力平も欲を見せない人だったようで。

ほんとに落ちる。バイ
62名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:45:48 ID:f9FTHZApO
海軍五省

言行に恥ずる勿りしか

気力に欠くる勿りしか

努力に恨み勿りしか

不精に亘る勿りしか

至誠に悖る勿りしか


「もとる」は違う?


普段、これを戒めにして生きてます

カッコイイでしょ
63名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:48:07 ID:823Pt6AF0
>>62
米軍が感心して持って帰り、今はアナポリスでも唱和されているそうです。

どこかに英文もありますよ。
64名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:49:07 ID:6GQ43fRR0
>>55
海軍士官が帯びた軍刀は私物で、ほとんどが元々日本刀だったものを改めたもの
で、海軍には個人が持ち込む軍刀をまとめて記載した帳簿があって刀の出自、銘、寸法等が分かるようになってる
艦長はそれ見て、「お、こいつ凄い業物もっちょる」と目をつけたのだろうね
65名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:51:55 ID:823Pt6AF0
このような情報で、スレ板を汚すのは申し訳ないのですが、
>>42に追加

 五百旗頭氏の外交史研究からは、私も多くを学んできたが、下記でも触れたように、
氏の、拉致問題に関する姿勢(「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。
あんな小さな問題をね」)や、日本の名誉がかかった問題についての発言には
首肯しがたいものがある。
 類は友を呼ぶ。
 事なかれ主義者・福田氏の今後の外交に、危惧の念を覚えざるを得ない。
http://island.iza.ne.jp/blog/entry/430998/


中央公論の平成16年5月号に「反中“原理主義”は有害無益である」という論文を著した
五百旗眞(いおきべ・まこと)氏は、その論文の書き出しで太平洋戦争について

「あの戦争について、私は中国はじめアジアの国々に深く申し訳なく思っている。そして、
あのような外交指導、戦争指導しか出来なかった日本政府に愛国者である私は憤りを禁じえない」
と総括し、
「中国の政策エリートと突っ込んだ話し合いをする機会」があった事に触れ、その中で
「侵略戦争は本当に悪いことでした。でも日本によい面はないのでしょうか。戦後の日本は
悪いことはしていない、平和的発展を遂げ、中国に経済協力も行っている。外交的によいことも
しています」という主張をしてきたのだそうです。

これ、中国共産党のいう「あの戦争で悪いのは(日本の)民衆ではない。
(日本の)指導者が民衆を誤った方向に導いたのだ」という支那側の主張する
歴史認識そのまんまですね。ま、戦後の文化人にはこういった人が多いですけど・・・。
驚くべきことに、こういった人が今の官邸を支えるブレーンだったりするんですよ。
ましてやこの方は、それ以前に防衛大学校の校長でもあるわけですしね。
http://kazukazu.iza.ne.jp/blog/entry/431901/
66名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 19:52:42 ID:RpWNgE8N0
>>7
その三学校の中で生き残った人間が一番多いのが経理学校。
沈没するときに艦長が最後まで残るって話は有名だけど、最初に逃げる規則になっていたのが主計長。
おまけに経理学校では遠泳の訓練を異常なくらいに行った。
だから生き残る率が高かった。
67名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:00:19 ID:3JBcJPoz0
五百旗頭って苗字カッコよすぎるだろ、常考
先祖は女真族の師団長か何かか?
68名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:02:17 ID:bEfuAfWr0
>>56
阿川の「雲こそわが墓標」読んでみてくれ。
Gで目玉飛び出た親友の死なんか見たくないっす。
69名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:14:51 ID:Pw39mQRp0
>>62
自衛官になるといい。自衛隊では今も五省は生きてます。
70名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:17:09 ID:fF+iinA60
へぇ、解散か

おれ受験しようと思ってたのに
71名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:19:53 ID:qKgTAaPF0
77期の人と会社で一緒だったことがある。立派な人でした。
皆さんご苦労様でした。
ありがとう。
72名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:23:59 ID:823Pt6AF0
>>69
自衛官の方とお見受けいたします。
女が自衛官になる時代でもなかったので市井にいますが、
どうぞ頑張って下さい。先人の伝統をどうぞ守っていってください。
今や日本の無私の伝統が生きているのは
自衛隊だけと思います。
心より感謝を。
73ダム厨携帯FREE ◆TIBETlaTO. :2008/06/02(月) 20:24:09 ID:saz321i3O
>>41


支那畜か?チョンか?
できるだけ苦しんで死ねよ
74名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:24:59 ID:3JBcJPoz0
自衛隊幹部の結婚式でたら来賓に戦艦大和の乗組員の生き残りの方がいて、
その方の話が終わる頃には、全員が直立不動で敬礼していたってコピペ誰か持ってる?
75あった:2008/06/02(月) 20:28:38 ID:3JBcJPoz0
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に
自分が海軍にいた事。
孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。

同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で
「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
76ダム厨携帯FREE ◆TIBETlaTO. :2008/06/02(月) 20:30:50 ID:saz321i3O
>>1
∠(`・ω・´)敬礼!
77名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:33:51 ID:5YAb33aIO
負け戦した軍人どもが、のうのうと生きてるのがむかつく
おまえらは日本が敗戦した段階で責任とって死ぬべきだったんだよ。
78名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:34:04 ID:xMcBIUOU0
俺のじいちゃんは、海軍兵学校 →大鳳だかなんだかという空母に →撃沈 →船とともに海の底へ
→御霊は靖国神社

ばあちゃんは、まだ1歳だった俺の母親背負って、伯父さんの手を引いて、はるばる兵学校まで出撃前のじいちゃんに会いに行ったらしい。

じいちゃんが子供たちを抱きしめながら「可愛いなあ可愛いなあ」と頬ずりしてた姿は、90になった今でも
ばあちゃん鮮明に覚えているそうな。それが二人が会った最後・・

79名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:36:37 ID:9dCH6nm50
>>62
かっこいいもなにも、それ順序間違ってるよ。
順番間違えちゃだめだよ。orz
80名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:37:16 ID:6GQ43fRR0
>>75
「一般人」のホテルマンが見た話で「敬礼」と認識したのなら挙手の敬礼なんだろうが
室内で挙手の敬礼とかありえねえw
81名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:38:24 ID:iQbJHtxBO


栗田健男君レイ転、兵学校からやり直し


82名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:39:09 ID:yX6upCMC0
>>66
海軍では陸軍は知らんが経理将校は戦闘に関して指揮権は
なかったんだよ。
83名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:42:23 ID:F6ZNO0TqO
>64
伊400潜が米軍に降伏したときに撮影した写真からしたら、接収した刀の数からみて、陸軍みたいに下士官以上しか、駄目みたいなのは無かったみたいだね
84名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:44:39 ID:ycNlmQbv0
<<40 <<47
わたしの知り合いに、兵学校出ではないが、海軍の予備学生あがりの特攻隊の生き残りの方がいた。
彼の話では、今からでは想像もできないほど同期の桜というのは仲間意識が強く、極端な話だが、親兄弟を取るか仲間を取るかの二者択一を迫られたら、躊躇なく仲間を取ると話していた。
85名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:45:19 ID:SNR1TavW0
父が>>12>>19の間です。

80代ですが仕事のためにとパソコンもそこそこ使っていますが
さすがに2ちゃんは見ないので
このニュースをメールに貼って送りました。
寂しいだろうな・・・。
86名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:47:21 ID:OCY/nswO0
>>66
海軍主計少佐 中曽根康弘君は生き残り??
87名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:50:47 ID:p8/uwvGS0
昔海軍、今大蔵だっけか
お勉強だけできて無能
日本を滅ぼした連中
88名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:53:16 ID:823Pt6AF0
ググったらこんなのが。


15 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[]:2008/05/05(月) 02:28:41 ID:MQr7DYV6
>>7
防衛大学の校長は適任じゃない。
親中派だし。
去年、第九回世界華商大会にでてた。
89名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:54:19 ID:eqYllUmb0
>>86
中曽根康弘君は敗戦時は内地勤務だったような。
90名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 20:56:50 ID:hmylvcpc0
俺が消防のときに通った塾の塾長が海軍兵学校卒。
教師は竹刀で叩くし、生徒は鉢巻巻いて授業を受けた。
なにしろ授業に訓話があり、塾長自らが根性論を教えた
91名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:02:28 ID:3JBcJPoz0
>>90
男塾?
92名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:03:51 ID:91aeIhjV0
うちの爺さんは予科練受けたが、小さいころの中耳炎で左耳が殆ど聞こえなくて落ちた。
で、今、俺が居る。
93名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:06:58 ID:swm8GJTB0
>>30

あの、ひょっとしてこれを書いた方とご親戚ですか?

261 :おさかなくわえた名無しさん :2005/06/24(金) 01:40:53 ID:eeY8thEg
海軍にいた親父は陸軍にとられた伯父(親父の兄)宛に、
「こんな戦争はすぐ負けると思うので、
その日までお互い頑張って生き延びましょう!」
というトンデモない内容の手紙を書いたが、
家族以外の人にはまともに読めない極端な悪筆のため、
海軍、陸軍、二重の検閲をなんなくパス。
内容を判読して青くなった伯父に絶縁状を貰ったことを、
今でも「兄貴は冷たいな」とちょっと不満に思っている。
94名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:17:39 ID:CT8tztTd0
現代の負け組のネトウヨのおまえらが
大東亜戦争で世界の負け組、アジアの負け組となった海軍兵学校を擁護する図式について


同類相憐れむといったところかwwwww
95名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:19:01 ID:sRhSYtst0
>>30
>自他とも認める悪筆で、慣れないと解読できないほど下手だったそうだ。海軍兵学校の筆記
認めるくらいなら直す努力をしろよ、文字は他人に読んでもらってナンボだからな。
そもそも下手な字とは大抵の場合はその乱雑さに由るものであり、丁寧に書く事を心がければ
改善が図られるものである。

社会的弱者の右傾化とはよく言ったものだ、
愛国心はならず者の最後の拠り所とも、な。
96名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:27:59 ID:823Pt6AF0
>>94-95
醜い罵倒を書き込んでも、貴殿の成長過程が見えるだけです。
よほど恵まれない環境に育って、ルサンチマンだけ育んできたんですね。
自分をまず哀れみなさい。
97名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:28:30 ID:F6ZNO0TqO
補論部が湧いてきましたな
98名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:41:32 ID:OU0caHYLO
士官みたいな字を書くな、という話を思い出す
99名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 21:58:12 ID:iQbJHtxBO
イタリアのプローディ首相が「ウルティモ・ジャポネーゼ(最後の日本人)」とさらりと口にしたので、はっとさせられた。
 今年1月に自ら率いる政権が崩壊し、政界引退を表明していた前首相。
総選挙(4月中旬)が終わり、いよいよお別れという時になって、忠義を尽くしてきた政治家仲間に「君たちこそ、最後の日本人」と賛辞を贈ったのだ。
 当の日本人からすれば、妙な言い回しに思えるが、伊政界通の知人によれば、「イタリアの政治家がよく使う表現」
1970年代に、フィリピン・ルバング島で小野田寛郎さん、米領グアム島で横井庄一さんら旧日本兵が発見されたことにちなみ、「最後まで忠義を尽くした人」を指す。
 「あきらめない人」という意味合いでも使われる。
総選挙で中道・左派を率いた民主党(PD)のベルトローニ党首は、「密林に残った日本人たちに戦争が終わった事を伝える必要がある」と、選挙運動が終わっても"中傷合戦"をやめなかった中道・右派に抗議した。
 政治家同士、党派間で離合集散が繰り返され、相互不信が強い伊政界。「忠誠」を語るには、日本人を引き合いに出すしかないのか。

[●] ≦(*) ̄>
  G\(@∀@-ウ <♪見よ檣頭に思い出のZ旗高く翻る
   \ T 曲\
  ⊥♂ ̄] ⊥♂ ̄] ⊥♂ ̄]
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ♪時こそ至れ令一下
 \‖゙∇"‖\‖"∇゙‖\‖゙∇"‖\

100名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:04:06 ID:0JaukA0n0
>>93
検閲は将校には甘かったらしい。
だから手紙は将校が書いたものが比較的よく残っている。
と聞いた事がある。
101名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:05:05 ID:Ah8FHcTX0
>93
それは別の方ですね、叔父関係で陸軍関係者は居りません。別の叔父は海軍の駆逐艦乗り、
それとは別の叔父は、中島飛行機のプロペラの構造解析と計算をする技術者でした。三人とも、
幸いな事に戦後まで生き延びて、その後は平穏に過ごしました。極端な悪筆の兵学校卒の叔父は、
実家に手紙を寄越す事はほとんどなかったそうです。代わりに、海外で入手出来る食料品や、
官給品を貯めた物を小包で実家に送っていたそうですが、終戦間際になると、中身が途中で
抜き取られていたり、届かなかったりしたのを、戦後に実家の家族から教えられて驚いたそうです。

それから、兵学校卒だからといって極端な思想を持っている訳でもなく、軍隊とか軍人という存在は
あくまで職業と一つとして割り切って捉えていたクールでドライな性格でしたよ、だからこそ戦況的に
日本軍は敗北する事はかなり早い時期に判っていたみたいでした。何より、安全な後方で指揮を
していたのと違い、偵察中に空戦をしたり、哨戒中に自機が不時着しそうになったりで何度も死線を
潜っているので、自分の肌でも感じていたんだと思いますね。
102名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:08:06 ID:fOlNViyeO
半数以上が戦死か…
103名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:13:18 ID:9LDPPEnb0
>>78
全俺が泣いた
104名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:16:38 ID:DfUzAzdB0
1から全部読んだが、定期的に変なのが沸いてるね。
105名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 22:36:46 ID:sGJqfWMb0
                    ,r'"´丿ヽ ̄`ヽ、
                 / ,r;:;:、 ⌒   ,ィ;:!
               /  ,イ;:;:;;:;::ゞ、 i ,r;:;:;:,、j
               _」 ,′'´r ェェ-、  j;:イェェ、l、
             / ゝ,イ j `ヽ`"´.::;;  ト、"´ ヾi
             ! ,イl〈〈    ,ィjハノ。 。,j、、,,.  l
                |  Y」 i; ,r'´r-、ニニニ = i! ,/
             !  ,'  / ,イ,ゞ-j!ーi!ーl-{ i! |
               ,>,イ  ,!  i/       ,! il,!
            /.:.:/ i .,'  / -‐' "´ ̄ ̄``、ハヽ
           /.:.:/  | ,' /  ‐'´ ̄ ̄``ヽ `j ,!
         _/.:.:.:.:i  l  ゝ、_      ,:;' ヽ ー' /ヽ
    _,,,/.:i|.:.:.:.:.:.:|  ゙、        ,:'    /.:.:.:\_
_,ィ´.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|   `ゝ、. : . : . : . : . : . : ./.:.:.:.:.:.:.:.:.:.`ヽ___
.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|    i  ``ー 、.:.:.:.,、-‐,イ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.
.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i|.:.:.:.:.:.:|    l      ̄  //.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
106名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 23:05:33 ID:4um1w+Qh0
俺のおじさんは行くぞ。
兵学校時代に原爆投下されて即時災害救助活動に駆りだされたと聞いた。
当時「原爆は日本が持ったのに、こんなに悲惨とは思わなかった」とな。
とにかく生存者を探すが居ない。遺体とも思えない残骸を収容し、
収容場所から被災者を特定するしかない。
また、見るも無残な被災者を発見すると、どうして良いか解らない。
火傷が酷い。とにかく海軍で教えられたように冷やすしかない。
皮が剥がれるので、ガーゼにヨードを混ぜて皮膚の回復を試みるが、
無残にも絶命する。
そうしてる時、同僚までも嘔吐に襲われる。
107名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 23:16:58 ID:Fq/uuMSY0
>>83
「軍艦に軍刀は持ち込まない」って話じゃなかったのか?
108名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 23:20:11 ID:TyqOn5cQ0
(`・ω・´)ヾビシッ!!
109名無しさん@九周年:2008/06/02(月) 23:29:47 ID:RAgX5cJ0O
>>36
人員・予算削減もあるが、主たる理由はチャイルドソルジャーの問題だとか。
生徒身分とはいえ、未成年に階級付与して軍人扱いだし。
階級与えずに防衛省職員扱いになるって聞いたけどどうなるんかねぇ。
110名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 00:39:40 ID:A9TJEIcj0
>>89
中曽根氏は主計だったのか…初めて知った。
111名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 03:19:13 ID:1wgbz6vl0
中曽根さんはいわゆる短期現役制度の主計だから、
ほんものの経理学校出の士官とはまたちょっと違うんじゃなかろうか。
112名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 08:38:11 ID:tZeqUMUs0
ベテラン下士官・特務士官・学徒士官を見下し、指揮系を囲い込み、現場の
忠言を無視した挙句、国を滅ぼしかけた自己愛性障害学閥残党の解体か・・・
113名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 08:48:41 ID:reaXyXtPO
うちの爺ちゃんは癌で入院中だから行けそうにないな…
出兵前に終戦迎えて、校長が「若い者が次の日本を作れ」って諭したらしい。
114名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 08:52:40 ID:ynMX+e+vO
軍国主義氏ね
115名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 12:23:59 ID:S1j49bpkO

[●] ≦(*) ̄>
  G\(@∀@-ウ <♪仰ぐ誉れの軍艦旗
   \ T 曲\
  ⊆⌒ ̄⊇ ⊆⌒ ̄⊇ ⊆⌒ ̄⊇
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ♪みよしに菊を戴いて
 \‖゙∇"‖\‖"∇゙‖\‖゙∇"‖\

靖国神社から映画「靖国」製作側への再通知の概要
(全文は ttp://www.yasukuni.or.jp/img/1209628042.pdf)

 境内における取材及び撮影の許可については個別に 1)撮影日時、2)取材場所、3)取材目的、4)放送・
 掲載予定日を「境内における取材及び撮影許可願い」(以下「許可願い」)に記載して提出することを
 原則としている。これの許可がおりて初めて取材・撮影が可能となる。
 例外的に、8月15日のように多数報道関係者が取材・撮影を行う場合等には、報道関係者受付名簿
 への記載をもって許可願いの提出に代えることもある。

 龍影からの許可願いは確認できる範囲では平成17年8月15日、平成17年10月17日、平成18年
 8月15日(これのみ報道関係者受付名簿への記載)の3回あった。
 取材・撮影は許可願いを提出した報道関係各社に交付している取材要領を遵守することを条件として
 許可している。
116名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 12:30:52 ID:f2pEI5gRO
きっさまっとおーれーとぉーはー、どーおきが不純
117帝国軍人なら:2008/06/03(火) 20:40:17 ID:S1j49bpkO

  ∧∧ ピコッ  ☆
 ( ^o^)っ―[] /
[ ̄ ̄ ̄]('◇')ゞ 最後の一人になるまで続けるべき!


118名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 20:42:26 ID:oCDxwjGp0
では、海上自衛隊をいち早く海軍に変更して、新たに海軍兵学校を作ればよろし

新たな21世紀の日本の江田島健児を練成すればよろし 
119名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 20:44:33 ID:AsE+uHC00
海軍も「アメさんと戦って勝てない」と正直に
言わなかったからな。

海軍善玉論には乗れんね。悪玉だ。

陸軍も悪玉だけどなqqqqqqq
120名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 20:48:08 ID:AsE+uHC00
>86

ポツダム進級は認めません。
121名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 20:49:07 ID:Syr9z0ovO
文武両道の極みだな。
憲法改正して海兵復活せよ!
122名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 20:52:30 ID:ClEgs4g30
負け戦 腰抜けどもが 生き残り
123名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 21:02:45 ID:S1j49bpkO
・日本があまりに輸出産業に傾斜し過ぎた、富国貧民政策の結果、
アメリカとの競合を起こし、アメリカが放置する事ができない存在に
なってしまった事。

・日本が建設中だった満州国と言う、グローバリズム拠点が完成して
しまうと、全世界の国が自由競争で負けてしまうと予測された事。

・日本は輸出貿易で手錠足枷を付けられた上に、満州国や朝鮮半島
(これは民を豊かにし過ぎてグローバル輸出拠点としては失敗作となった)
を手放す様に強制された事。

・それらを手放してしまった後は、日本国内での更なる貧民政策しか
手がなく、政府が転覆しかねない状況だった事。

・海外利権を防衛する為に建設した膨大な陸海軍の維持費その他の
予算が大き過ぎ、しかも226事件等の武力蜂起、内乱事例が現に
起こっており、軍備の縮小すらままならなかった事。


これらが原因になって、戦争が起きたのだと思っています。
天皇陛下やら軍部出身の大臣達に悪の根源を追求するなど、
単なる癇癪持ちの短絡思考でしかありません。

124名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 21:14:26 ID:vclgafX6O
(゚∀゚)o彡゚おんなぁじ兵学校ぉの
      にぃわにさぁくぅ
125名無しさん@九周年:2008/06/03(火) 22:20:47 ID:AtwOA7G/0
死ね老害ども!
126。・゚・(ノД`)・゚・。:2008/06/04(水) 12:29:14 ID:XaGTtxYYO
山本五十六元帥ゆかりの駐屯地本部庁舎(土浦航空隊、現
陸上自衛隊土浦駐屯地本部庁舎)近く取り壊し・・・
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080505/trd0805052148013-n1.htm
予科練記念館 雄翔園
http://www5a.biglobe.ne.jp/~FUDOU/rikuji/2004.10.17tsuiura/yokaren.htm

127名無しさん@九周年:2008/06/04(水) 13:35:16 ID:i541yA+h0
マリアナの海の底で眠る>>78のじいちゃんに敬礼
128名無しさん@九周年:2008/06/04(水) 14:02:36 ID:1xer+FB80

いまの自衛隊よりはよかっただろうな。というか、わからんだろうな。
高級官僚に近いから、カンチガイしたエリートも混ざってたんでしょうが。
一つの時代の終焉ですな。

外見上は暴走する陸軍、利権と策略の海軍。
いまふうには ヒーローオタクの陸軍暴走とエリートレイシスト海軍。
国益のビジョンは海軍は長期的視野と奸計と官僚ままごと、陸軍は瞬間芸。
陸軍の暴走はペケだが、高級官僚あそびでドロドロにした海軍も同罪。

美化したい気持ちもないことはないし、個々の軍人さんにも頭が下がるが、
赤い絨毯の会議室にいた高級官僚はコイツラはダメ。

いつの時代も 上に行くほど腐ってしまうね。


129名無しさん@九周年:2008/06/04(水) 14:06:49 ID:qa6mAUq40
山本五十六をして、

「いまどきの若い者はとはばかるべきことは申すまじく候」

と言わしめた世代。敬礼!
130名無しさん@九周年:2008/06/04(水) 14:08:40 ID:f6Io2gtJO
解散であるっ!
131名無しさん@九周年:2008/06/04(水) 14:14:17 ID:NpK4kDBq0
やっぱエリートは長生きだな
ニューギニアで飢えまくった挙げ句
口中無数のウジまみれで生きながら腐って逝った兵隊さん達とは違うね
132如何に狂風:2008/06/05(木) 06:51:14 ID:w5AuCaa0O

[●] ≦(*) ̄>
  G\(@∀@-ウ <♪大和魂充ち満ちてる
   \ T 曲\
  ⊆⌒ ̄⊇ ⊆⌒ ̄⊇ ⊆⌒ ̄⊇
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ♪我等の眼中難事なし
 \‖゙∇"‖\‖"∇゙‖\‖゙∇"‖\

133名無しさん@九周年:2008/06/05(木) 06:55:16 ID:61oFy9jq0
生き恥63年
134名無しさん@九周年:2008/06/05(木) 18:56:48 ID:w5AuCaa0O

無恥無教養カキコうざい(´・д・`)ノー

。・゚・(ノД`)・゚・。 日本海軍は不滅だよ。

戦中戦後続いてる(´・д・`)ノー

ε-(´∀`*)ホッ 国民として安心できるね。

135名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 00:04:03 ID:za1ftFRW0
>>111
短期現役なら、大学の法学部とか商学部とかに行っていたのか。
136名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 03:03:16 ID:w9lldR5A0
>>135
帝大法学部を出て内務省に入ったあと、前線に行かなくてすむから、短現で経理学校へ。
海軍主計少佐で終戦を迎え、内務省に復帰。
日本国憲法施行後初の衆院選に出て当選。
137名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 03:30:32 ID:VDhIJFDg0
>>7
海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校か
しかし、機関学校は太平洋戦争末期には、兵学校に統合されて消滅したんだよね
経理学校は終戦時まで生き残っていて、文系学生の兵役逃れの最終手段だったらしいけど

経理学校を出て、主計将校になれば後方支援業務担当になれるから、戦死する確率が大幅に減少したらしい
だから、中曽根とか海軍経理学校出身のネットワークが形成されて、戦後の政財界で勢力を誇った
138名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 03:39:06 ID:ni2NzlTw0
でも中曽根さんは一応前線でたらしいよ。ヤクザ上がりの部下が戦死するのを看取ったてさ。
139名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 04:03:33 ID:VDhIJFDg0
>>138
短期現役制度に応募し、41年8月に海軍経理学校にて教育を受ける。海軍主計中尉に任官、連合艦隊に配属されると、
第一艦隊第六戦隊旗艦である巡洋艦青葉に乗船し、高知県土佐湾沖で訓練を受けた。同年11月20日に転勤命令が下り、
広島県呉市の司令部に配属され、第二設営隊主計長に任命、参謀長より、工員2000名に陸戦隊をつけ、敵飛行場を
奪取し、零戦を飛べるようにしろと命令を受ける。この時の物資量は「インドネシア三ヵ月、フィリピン三ヵ月」だった。
29日は、14隻の船で出航。中曾根は「台東丸」に乗船。この船にはかなりの前科者がおり、大学を出て短期訓練を
受けただけだった中曾根は一計を案じ、全員を甲板に集めた。この中から一番凄そうな親分肌の者を選んで班長にすると、
後で主計長室に呼んだ。そして、やってきた古田と名乗る前科八犯の男と酒を飲み交わし、人心掌握に努めた。41年12月7日に
戦争に突入すると、最初はフィリピンのミンダナオ島のダバオに敵前上陸することとなる。上陸戦闘はモロ族と闘い、
アメリカ軍のB-17の爆撃を受けた。明け方になると、決まってB-17がやってきた。次にボルネオ島のバリクパパンに向かうが、
途中のマカッサル海峡で14隻のうち、4隻が撃沈される。そしてバリクパパン湾に上陸しようとしたら、オランダとイギリスの
巡洋艦から、攻撃を受けてしまう。中曾根が乗船している前後左右の4隻は撃沈され、敵艦から機関銃で攻撃され、
それが船尾に当たり火事が発生。消火班長である中曾根は火消しを行うが、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図になっており、
手や足が吹っ飛んでいるもの、血だるまになり「助けてくれ」とうめくもの。そして「古田班長がやられてる」という声に誘われて
言ってみると、あの前科八犯の古田が誰かに背負われ、「隊長、すまねえ」とだけいうと、すぐに息を引き取った。
当時の経験を、中曾根は語った。「戦死した戦友をはじめ、いっしょにいた二千人は、日本社会で苦労している庶民でした。
美辞麗句でなく、彼らの愛国心は混じり気のないほんものと、身をもって感じました。『私の体の中には国家がある』と
書いたことがありますが、こうした体験があったからです。この庶民の愛国心が私に政治家の道を歩ませた」
140名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 04:18:46 ID:M4wQ2WWu0
>>77
そうなると、大多数の日本人は責任をとって死なないといけなくなるな

>>131
海軍と海軍陸戦隊と陸軍を混同してないか?

そもそもニューギニアは終戦前に失陥しているし、ラバウルで終戦を迎えた海軍将兵は多いぞ
うちのじいさんもラバウルで終戦を迎えたし

そもそも、傷口にウジがわくって事は、肉が生きている証拠で末期じゃない
死ぬ場合は腐ってウジすら湧かない
141名無しさん@九周年:2008/06/06(金) 06:05:03 ID:n+MzkhKX0
今の日本人と気合が違う!俺のじいちゃんはヤクザと喧嘩
して全然びびらなかった。戦車部隊の生き残りでロシア人と
血みどろの殺し合いをしたと言っていた。
142名無しさん@九周年
>>139
ナカソネ氏は、最近中韓に媚び過ぎだがな