>>865 >共産主義社会では(いや現代資本主義社会でもそうだけど)、購買者(消費者)=生産者(労働者)なわけで。
>資本主義社会ではそれを無視する(無視せざるを得ない?w)から、恐慌は発生するんじゃないのかな?(´・ω・`)
だーかーらー、なんで無視せざるをえないかというと、
消費行動は購買者が使用価値に着目して起こすのに対し、生産は生産者が交換価値を求めて起こす。
二つの行動は、同一人物がやっていたとしても、本質的に無関係な二つの価値がその主原因になっている。
たとえば協同組合社会でも、君がパン製造組合に所属していて、生産量を規定できる立場にあったとしても、
他の人がいくつパンを欲しているかはわからない。
逆に、喉が渇いてワインを求めたとしよう。君はワイン醸造組合へ行く。
しかし、君が思っているほどワイン醸造組合がワインを作るとは限らない。
また、君が二日酔いでもうワインが欲しくないときにも、ワイン醸造組合は山ほどワインを作っているかもしれない。
これは、資本の所有者とは無関係に、消費と生産が無政府的に対立していることによって生じる。
近代経済学は、これに価格機構をかませることによって、「長期的には」一致することを発見したが、
短期的には、消費過剰や生産不足によって、恐慌やインフレが起こる。
これを完全に解決するためには、結局、計画が必要になる(マルクス的世界観では、だが)。
>だからそこで政府に求められるのは”所得再分配”の機能であって、別に計画経済に走る必要性はなくない?(´・ω・`)
マルクスはそんなことは一言も言っていない。ケインズと混同してる。
『資本論』を読んでみて。
>その新たに合併して大きくなった協同組合の利益の分配に預かれるわけで(・∀・)
あれ? 吸収された彼らが持っているのは、潰れて無価値になった組合の株式じゃないの?
赤字を出した組合はどうやって債務を返済するのか。資本の売却以外にない。
となると、資本を売却し続けた組合は、もはや労働以外に売るものがない状態に追い込まれるだろう。
その組合が冠するにふさわしい名は、「二重の自由」「プロレタリアート」だ!